#いとこのお姉ちゃんには懐かない!
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#just a little is fine then right#Itoko no Oneechan ni wa Natsukanai!#いとこのお姉ちゃんには懐かない!#tank tops#collar bones
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現代のトランジスタラジオ
私の懐メロ
夕食後、息子から送られてきたアメリカの地方都市の写真を眺めていたら懐メロが聴きたくなった。
そんなオヤジを見ていた娘が 「お父さん、ステレオに繋げて聞けば?・・」 と言ってくれたが私は、「この感じが昔のラジオから聴いている感じで良いんだ・・」 とやり取りしてた。
最近のスマホは昔のラジオより音は良いけどさ、この薄い音がなんだか懐メロを更に懐かしい感じにと。(笑)
息子がニューオリンズにいるのでまずカーペンターズのあの曲を聴きたくなって、その後 Luisiana mama(笑)。
私が大学時代にキャバレーのボーイしてた時にJambalayaを外国人ホステスのお姉さん(めちゃ綺麗)が時々歌っていたのです。大きなキャバレーだったから立派なバンド付きだし、英語の歌も完璧だったから聞き惚れてました。
ジャンバラヤってなんだろ?って知らなかった小僧はその時に知ったのでした。まだ本物を南部で食べれてないけどさ、いつか行って食べたいな。
ガンボーもね
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SunnyHill(써니힐) - Midnight Circus Real Performance by Rubyspolka
仕事が大変すぎてやっとこちらに来れました。
(昨日は2時間しか寝てないので今日は早く寝よう)
K-popの懐かしい動画を順番に見ていたら、大好きなサニー・ヒルの「ミッドナイト・サーカス」のレコーディング風景が。
(懐かしい!)
完全にAcid Jazzのカテゴリーに入るK-POPの名曲。
ドラムを叩いてたのはビブラフォンプレイヤーでジャズドラマーのクリス・ヴァルガ。
(凄い!)
コントラバスがいかにもJAZZだし、アコーディオンのお姉ちゃんもかわいいし、バリトンサックスのブリブリ具合もなかなかです。
おまけにイームズのハーマンミラーみたいな椅子が見えるし、ノイマンのコンデンサーマイクU87が燦然と輝き、トロンボーンのレコーディングブースにSolid State Logicの箱が見えるぞ!
(相変わらず目の付け所が)
この曲が発売された当時の2011年に車で聞く用にK-POPメドレーCD作ったのですが、未だに車でこの曲大音量で聞いております。
(KPOPメドレーって)
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2024年12月8日(日)
三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、今朝はいつもより少し配達が遅かったが、おそらく歳暮の影響だろう。今回は米は休み、平飼い有精卵・畑無農薬野菜・手打十割蕎麦・手作りパン、地鶏は入れ忘れたとのことで数日後に臨時便が来ることになっている。今回のスペシャルは干しイモとシュトレーン、市販のものでは味わえないであろう味と風味(当社比)が嬉しい。奥川さん、いつもありがとうございます。
5時起床。
日誌書く。
ツレアイの起床を待って、洗濯開始。
手打蕎麦が切れたので、今朝は山芋煮麺。
洗濯物を干す。
珈琲をいれる。
昨晩から車に積み込んだままの荷物を片付ける。
MQJ(メモリアル・キルト・ジャパン)のウェブサイトを更新、報告は省略して(ニュースに書くので)事実関係の報告のみ。
研究室のiMac(M3)を次男に譲るので、彼が使用中のiMac(M1)をAppleTradeInで下取り、見積は¥49,000。
奥川ファームから定期便到着、蕎麦は冷凍庫へ、タマゴは冷蔵庫へ、大根葉があったので水にさらしてから、ちりめんじゃことピリ辛炒めに。
ランチ、息子たちにはラ王みそ味、彼女には玉子かけご飯、私は賞味期限ギリギリの肉まんを蒸していただく。
録画番組視聴、
桂紋四郎「饅頭怖い」
初回放送日:2024年12月7日 土曜の早朝は関西の笑いをたっぷりと!▽今回は桂紋四郎の落語「饅頭(まんじゅう)怖い」▽2024年に逝去された落語家・漫才師のみなさんを懐かしい映像でしのびます。
落語のお時間<追悼 桂雀々さん>
私は午睡、彼女は買物に。
作業場の整理、なんとか年内には仕事しやすい環境を復活させたい。
セントラルスクエア花屋町店へ買物、ココの療養食。
コレモ七条店、お弁当用の惣菜購入。
夕飯前に、彼女と三男でココに点滴。
私は夕飯の揚げ物に。
昆布締め厚切りポークを豚カツに、奥川ファームのサツマイモとカボチャを天ぷらに、特売の鰹タタキ、キュウリのぬか漬け、レタスとトマト、それにT姉からいただいたスパークリングワイン。
食事しながら、サラメシを楽しむ。
録画番組視聴、日本の話芸から「芝浜」立川談四楼、随所にオリジナリティーが溢れているが、上下のミスがあって個人的には興ざめ。
昨日の落語研究会の続き、「鰍沢」入船亭扇遊。
片付け、入浴、体重は2日で650g増。
ハーパーのハイボール舐めながら日誌書く。
辛うじて3つのリング完成。
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るんぺんパリ【RunPenParis】
自己紹介 2024年11月4日���記 6116文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している それは去年に末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 観光施設って感じ 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 今年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が降ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件回って、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて上野天神祭へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 夜の19時から同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったガキさんは すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので閉店の1時までカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の20(日)は上野天神祭に参加している同級生のオデに会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く紅梅屋でおみやげを結構買って 桔梗屋で上生菓子とお茶を飲んで 静岡へ帰った 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく上野城をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった この子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄��なったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある ただダーツバーらしく 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど バーの扉って感じで雰囲気はあった 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で それにしても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにら��っこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあ��の ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
#runpenparis#art#paris#artist#artistreet#詩#vogue japan#るんぺんパリ#詩集#japan#アートブラッシュ#アート#アートワーク#アートギャラリー#アート作品#個展#自己紹介#伊賀#伊賀市#上野天神祭#140文字詩#写真#ぺん画#伊賀出身
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二月十五日(木曜日)朝八時過ぎに起きるはずが、二度寝をして九時六分に起きてしまう。本来家を出る時間は九時十分。間に合わない、終わった、最終日なのに、と思った。急いで顔だけ洗って髪をセットし、化粧道具と空の水筒を持って家を出た。電車が遅延しているから遅延証明書をもらえば化粧をしている時間が作れるのでは、と思ったが、ちょうどいい時間に電車が来ていつものように出勤してしまった。打刻だけしてからトイレに駆け込んで急いで身なりを整えてフロアに戻ると、みんながわたしの顔を見ていた。どうやら引き継ぎの朝礼で部長がわたしの退職について触れていたらしい。本人はトイレに駆け込んだので、あれ?いないな?と朝礼中に探していたとのこと。最後の最後にこんなバタバタ、恥ずかしい、挨拶を回避できたのは良かったが。朝からすれ違うひとに 「さみしいよ、ほんとうに辞めちゃうの〜」 とか 「ぜんぜん話せなかったけど、」 とか 「推しだったのに……」 とか 「実は入社したときから気になっていて……」 といった声をかけてもらった。コール��ンドレスポンスのように、すべてに 「ありがとうございます」 と返していた。この職場��そんなふうに思っているひとたちがいたなんて、といただいた矢継ぎ早の挨拶を噛み締める。昼休憩は一番信頼できるひとと最後の食堂。初めてちゃんと話したのもこの食堂だったな、と懐かしい気持ちになった。休憩後もお菓子をばら撒き、眠気に勝てずまた眠り、頭痛を抱え、挨拶をしていたらあっという間に退勤の時間になった。マニュアル等を返さねばならないのでひたすら自分のファイルから資料を抜く、抜く、抜く。入館証がないと退館できないシステムらしく(退館自体は可能だがなんか色々あるらしい)、お姉さんを待たせて一緒にエントランスまで着いてきてもらう。もっと事前に返却物の準備をしておけよ、と自分で呆れてしまった。相変わらずのバタバタ感。さいごに職場から見える東京タワーの写真を撮って、心の中でまた挨拶をする。春のようなあたたかい日に、わたしは一年間在籍していた職場を去った。
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すごく遅くなっちゃったけど、バースの写真を載せていくよ~!
ついにこっちの世界でもショーコちゃんとご一緒できた~!(´Y`)🎇✨🎆 たまたまだけど、紫とオレンジでかなりハロウィンっぽい仕上がりに🎃💜🧡 ふわもこなシルエットがとってもお似合いですごく可愛い✨ 特に右は背景までお菓子柄みたい💘
そういえば 「右のモーション、プリチャン時代にあった怪獣系コーデ専用のやつじゃん!」 と思ってちょっぴり懐かしかった……。(↓これの色違いのコーデね)
どうせならアイプリやアドパラでなりきりパシャリングが復活してほしいな~……
アドパラで何度もご一緒した覚えがあるアイドルさんと🧡💛(見てないかもだけど、いつもありがとうございます!) クレープとポムポムプリン、スウィートすぎる空間🍮🍬🍭🥧🍧🍩 クロミの甘辛な感じの方もパキッとした補色が映えてて素敵💜💛 右のぼくのスカートは…… 焼くとき失敗してびろんびろんになった生地みたい🤭
ご一緒したのは先月だけど、載せるのが遅くなっちゃった…… 先に呼んでくれてたのを見てすっごく嬉しかったよ!✨🐹✨
ちなみにぼくはサンリオコラボコーデちゃんとすれ違ってばかりでした。わーん シャキッと着こなしてお似合いなみんなと会う時、ついつい羨望の眼差しで見つめてしまうよ(´Y`*) 部分使いでも可愛く楽しく着られるのでいいけど、、!
そして…… 手乗りアイムゥを手懐けるなちゅどんちゃん!?!?
このモーション初めて見た、でも困惑してるうちに終わっちゃった(>Y<)💦 「アイムゥが参加することあるんだ……!?」 って笑いながらパシャパシャしてた📷️(前シリーズのマスコットたちが来てくれるところも見たいな~💭💭💭)
しっかりかぶった帽子と三つ編み、そしてチェック柄の組み合わせがお姉さんっぽくて素敵!💕 今度は色違いのお揃いでやりたい💭
(人間:話はずれるけど、海外だとポケモンの色違いを shine って呼ぶことを教えてもらった。登場時に光るからだそうな。 目をつけるところが違ってて面白かったけど、結局「色違いのお揃い」はなんて言うんだ~�� 単語は思いついても、英語圏の人になじみがありそうな良いまとめ方がわからんことが多い)
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【100BBY】 無題 【25】
タイトルいい加減思いつかないんだ
きょうだい関係かわいいよね
妹たちに懐かれてるトミー13だけど
姉に対してはちょっと悪ふざけしちゃったり
そういう兄弟模様?も眺めるの楽しいよね
二人お誕生日①
トア10がYAに
おめでとう!
そして同じ日に、成績とスキルが追いついちゃったイト11もYAに!
すきっ歯だ🦷かわいいw
幸せにしてあげてね
こちらの強そうなシムはマーカス・フレックスとニーナ・カリエンテの息子のセオドリック。トアのパートナーです
こっちはイトのパートナーのカルヴィン・ブヒーダ デフォシムのブヒーダ家の息子で、シホ4の夫・グレンの弟です
それぞれ新しい家庭を築くため、トアはウィンデンバーグに
イトはサンマイシューノに引っ越しました💒
と、いうことは
空き枠が出来たってことは次の人を呼ぶということ
自動生成シムのラルフ・オメーラさん 「驚くべき相性」で初期からちょくちょくデートしたりしてたんだけど、デフォシムを優先してる間にシニアになっちゃったのでゴーストになる前にお呼び出し
もしかしたらラルフさんがドリカにとって一番恋人に近いシムなのかも
おめでとう!よかったね、ドリカ👶
二人お誕生日②
イヨ14の成績が上がり、
イチゴ15もスキルを達成
🎂😙😗🎂
イヨは小さい時から顔パーツ下寄りの面影残したまま成長
イチゴは父親のジェイ・ハンティントンさんの雰囲気出てきた!
家系図
※画像下部クリックで家系図サイトに飛ぶよ
家系図を画像で載せるのが表示幅的に限界すぎるし家系図の更新とブログの更新追いついてきてるから���後はリンクで見てってください🙏なんか良い方法思いついたらその時はまた載せ方変えます~
つづく
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午前中に起きる事、他人に依存しない事、運動する事、毎日湯船に浸かる事、何も考えない時間を作る事、お気に入りのボディオイルでマッサージする事、が自分を労わる事 最近は丁寧な生活まで程遠いけど普通の生活をするように意識😌😌バスに乗ったり、近所歩いたり😌😌日々些細な事の積み重ね😌ここ5年間ぐらい人ありきのペースで過ごしてた気がするから今はゆっくりゆったり自分のペースでいる事😌😌家族みんなで中庭でBBQした後に入るお風呂は日曜日サザエさんみて夜ご飯食べた後に緑の入浴剤入れて入るお風呂ぐらい懐かしい気がする、赤ちゃんの匂いがするやつ
そんぐらいの方が���自分の好きな音楽とか映画とか物とか人に感心してそれらを大切にできる気がするよ😌😌
今晩のお供これ↑
パパンの九州土産。これ本当に芋焼酎!?!???ってぐらい飲みやすい。スイスイいってまう。ほんまに芋か??????ってぐらいフルーティー。もつ鍋や海鮮のお供はもちろん、全然フルーツつまみに飲めそう柿とか梨、まだしてないけど。そのぐらい飲みやすい。思わず猫も3ペロぐらいしてたわ。まさにそんぐらい飲みやすい。
姉がプロポーズされたらしくて妹号泣😭
お母さんが かりんクリスマスツリー部屋に飾ってたよってパパンに言ったら中庭イルミネーションしたっぽいパパン超可愛い超可愛いからイルミネーションしたんだ!って言ったら照れながらお肉焼いてた
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販売元に理由を聞いた!「いつ終売したの?」もう食べられない、昭和~平成の名作お菓子たち - ライブドアニュース
以下引用
「懐かしいな、食べたいな」と思ったお菓子が終売に。それはまるで“孝行したいときに親はなし”的な悲しみだ。気づけば消えていた昭和~平成生まれの名作を、まとめておさらい!
一時、フリマサイトで1箱1000円程度で出品
さよなら、チェルシー。ついにお別れの日が来てしまった。 (中略) 1971年に誕生した 『チェルシー』。♪もひとつチェルシー♪のフレーズが有名なCMソングは小林亜星さんの作曲だ。初代のシモンズからサーカス、八神純子、あみん、PUFFY、CHEMISTRYなど、人気アーティストによって歌い継がれてきた。 生前、小林さんも《すごい年月の間このうたを使っていただいたということは、とっても光栄》と語っていた(明治HPより)。 このCMソングでおなじみとなった『チェルシー』という名前は、3000ものネーミング案の中から選ばれたという。最終候補に残ったもうひとつの名前は『キングスロード』。こちらになっていたら、もっと雄々しいCMソングになっていたかも!? 昭和から令和まで、世代を超えて愛されたチェルシーだが、売り上げの低迷により終売が決定。《こんなことになるなら、もっと買って貢献すればよかった》という後悔の言葉がSNSで飛び交ったが、後の祭りとなってしまった。
気づけば消えていた思い出のお菓子は、ほかにもたくさん。'67年販売スタートの 『森永チョコフレーク』 は、子ども時代の定番おやつだった人も多く 《1箱全部食べて親に怒られたなあ》 《遠足で必ず買ってた》 など懐かしむ声が今も上がっている。販売終了は2019年。スマホ使用時にチョコで手が汚れていると支障が出ることが売り上げ減の一因とも指摘されたが、時代の流れの残酷さよ。
♪ポポロンロンロン ポポロンロン♪と歌いたくなる明治 『ポポロン』 は'76年から'15年に販売されていた。サクッとした一口サイズのシュー生地にチョコクリームが入ったお菓子だ。販売終了が報道されたのは'17年。知らない間に消えていたのだ。
ブルボン広報に『ルーベラ』終売の理由を尋ねると
同時期、『カール』の全国販売終了がニュースになったが、 《カールがなくなるよりポポロンがすでになくなっていたという事実のほうが悲しい》 などの声がSNSを駆けめぐった。 中には《チェルシーは大丈夫か?》とつぶやいていた人も。7年後、まさか現実になってしまうとは!
ロッテ 『霧の浮舟』 も恋しくなるお菓子だ。販売時期は'80年~'05年。その後'13年に完全復活するも'18年に終了となった。エアインチョコレートの草分けで、口の中でシュワッとなる感じが人気を集めた。 《独特の口溶けが忘れられない》 《名前やパッケージがおしゃれで大人な気分だった》 《一回復活したから、また復活してくれないかな~》 などの声が。前回は8年越しの復活だったから、次は'26年にもしかして……!?
コアなファンが多かったのが、ブルボン 『ルーベラ』 。 '72年デビューのバター風味ラングドシャクッキーで、'21年には『ルマンド』『ホワイトロリータ』『バームロール』『チョコリエール』とともに擬人化された美少女キャラのイラストが発表され、“ブルボン5姉妹”と話題を呼んだ。だが'22年に終売。 《探してもないと思っていたら販売終了してた》 《いちばん好きなのに、もうないなんて悲しすぎる》 《知ってたら大人買いしてストックしておいたのに》 と別れを惜しむ声が多くあった。ブルボン広報に終売の理由を尋ねると、 「多くのお客様からご愛顧をたまわり、誠にありがとうございます。半世紀にわたりご好評をいただいてまいりましたが、近年の原材料価格上昇の影響を受け、やむを得ず(販売)休止に至りました」 休止ということは、もしや復活の可能性も!? 「現在は大きさやグレードを高め、さらに満足感のあるラングドシャロール商品として、『贅沢ラングロール』を販売しています」(同・前) 『ルーベラ』ロス勢は、この贅沢ラングロールで涙を乾かそう! また、ほかの4姉妹たちの行く末が心配だが。 「発売50周年を迎えるルマンドをはじめとした袋ビスケット商品群につきましては、これからもみなさまに愛し続けていただけるよう種々の活動に取り組んでまいります」 とのこと。お願いしますね、ブルボン様!!
駄菓子では梅の花本舗 『元祖梅ジャム』 の終売も寂しかった。 《10円玉を握りしめて駄菓子屋に行ってよく買ってた》 と懐古する人も多い。'47年から'17年まで生産されたが、1人で製造していた梅の花本舗の社長が、加齢による体調不良、機械の老朽化、駄菓子屋の減少、売れ行き不振などの原因で廃業を決定。70年の歴史に幕を下ろした。報道時は 《またひとつ昭和が遠くなる》 《後世に引き継がれるべき昭和の遺産だった》 と惜しむ声がネット上にあふれた。
廃業といえば、佐久間製菓の 『サクマ式ドロップス』 も残念。赤色の缶のドロップは1908年の発売開始から100年以上も愛され、スタジオジブリのアニメ映画『火垂るの墓』にも登場した。 だがコロナ禍で売り上げが減少、原材料の高騰などから'23年1月に廃業。このニュースが流れると、ジブリはツイッター(現X)にサクマ式ドロップスの画像を投稿。SNSでは 《中学のころ、ポケットに缶を入れて、タバコみたいな感じでなめてた。カラカラうるさかったけど、当時はそれが粋だと思ってた》 といった声のほか、 《実家でボロボロの缶を発見。貯金箱としてもう30年も使ってるって》 というエモいエピソードが続々。ちなみに、別会社であるサクマ製菓の『サクマドロップス』は、現在も販売中。こちらは緑の缶が目印だ。
原料・資材高騰で20円売価を維持することが困難に
そして、'94年から販売された駄菓子の定番、よっちゃん食品工業の 『らあめんババア』 も'20年に終売。インパクト大のネーミング&パッケージイラストで、誰もが知るラーメンスナックだった。 《今でもときどき夜中に食べたくなる》 《お椀に入れてお湯をかけてラーメンにして食べるの好きだったなあ》 と、恋しがるネット民のため、よっちゃん食品工業に終売の理由を聞くと……。 「原料・資材高騰で20円売価を維持することが困難になったためです。みなさまから大変多くの声をいただき、また社内でも、長年製造していた製品につき惜しむ声も多くありました」(広報、以下同) 同社では、らあめんババアの代替品は検討していないそう。現在買える他社類似商品は『ベビースターラーメン』あたりになるの……? 「そのようになるかと」 ババアのロスはベビースターで埋めときますか! 生まれて消えて、また生まれて。諸行無常の響きありまくるお菓子戦線。今、口にしているお菓子も1年後にはなくなっているかも。そんな悲劇を回避したいなら、やはり買って応援、食べて応援!?
取材・文/今井ひとみ
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2024年2月2日
貧乏によるストレスは離婚や介護よりも強く健康状態の悪化に関連していることが判明(Gigazine)2024年2月2日
人生には経済的な問題や配偶者との離婚、親の介護といったさまざまな問題が付きまとい、これらのストレスは精神だけでなく健康にも悪影響を及ぼします。イギリスの研究チームが行った新たな研究で、経済的なストレスはその他のストレス要因よりも強く健康状態の悪化に関連していることが示されました。
イギリスのユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンとキングス・カレッジ・ロンドンの研究チームは、さまざまなタイプの慢性的なストレスが高齢者の健康バイオマーカーとどのように関連しているのかを調査しました。
研究には、50歳以上のイギリス人を追跡調査したEnglish Longitudinal Study of Ageing(イギリス老化縦断研究)が2008~2012年にかけて収集した合計4934人のデータが用いられました。被験者は面接や自己記入のアンケートに回答したほか、看護師によるバイオマーカーの採取を受けました。今回の研究に用いられた4934人の年齢の中央値は65歳でした。
今回の研究で調査されたストレス要因は、将来的に必要な経済的リソースが枯渇する可能性がある「経済的なストレス」、過去1年間に私生活で成人の介護を行っていた「介護のストレス」、歩行やしゃがむといった行動に困難がある「障害のストレス」、長年の病気や健康問題により活動が制限される「病気のストレス」、過去2年以内に親や配偶者との死別を経験した「死別のストレス」、過去2年以内に離婚を経験した「離婚のストレス」の6つでした。
また、被験者の健康状態のリスクは、ストレスに反応して産生��れるホルモンのコルチゾール、炎症への免疫反応に関連するCRPとフィブリノゲン、老化と長寿に関連するIGF-1という血液中の4つのバイオマーカーを通じて測定されました。
分析の結果、何らかのストレスにさらされていると報告した被験者は、4年後の追跡調査で高リスクのカテゴリーに分類される可能性が61%高まりました。この結果は遺伝的要因や年齢、性別、ライフスタイル、調査開始時点の健康状態といった要因を除外しても確認されました。
また、複数のストレスを持っていた被験者では、ストレス要因が増えるごとに高リスクカテゴリーに分類される可能性が19%増加しました。ところが、「経済的なストレス」のみを報告した人は、それだけで4年後に高リスクカテゴリーに分類される可能性が59%も高くなることが判明しました。つまり、「経済的なストレス」はその他のストレス要因よりも強く健康状態の悪化に関連していたというわけです。
経済的なストレスが健康により強い悪影響を及ぼす理由について、論文の筆頭著者でユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの博士研究員であるオデッサ・ハミルトン氏は、経済的なストレスは生活のさまざまな側面に関与しているからかもしれないと指摘。経済状況の悪化は家族間の対立や社会的な疎外につながるほか、最終的には飢餓やホームレス状態などに陥る可能性もあるとのこと。ハミルトン氏は、「今回の研究では、経済的ストレスが生物学的健康に最も有害であることがわかりましたが、これを確立するにはさらなる研究が必要です」と述べました。
今回の研究結果は、必ずしもストレスが長期的な健康問題を直接引き起こしていると証明したわけではありません。しかし、ストレスが高齢者の体に大きな影響を与えており、ストレス源によって身体的影響が異なる可能性を示唆しています。
ハミルトン氏は、「免疫系と神経内分泌系がうまく連携して機能すれば、体のホメオスタシス(恒常性)が維持され、健康が保たれます。しかし、慢性的なストレスはこの生物学的経路を乱すため、病気につながる可能性があります」と説明しました。
被爆者団体「まだまだ戦わなければ」 引き続き「黒い雨」訴訟支援など確認 広島(RCCニュース)2024年2月2日
広島県被団協の代表者会議が2日、広島市で開かれ、引き続き「黒い雨訴訟」の支援などを続けていくことを確認しました。
広島県被団協 恒例の「新春代表者会議」には、県内各地の被爆者団体など、約40人が出席しました。
広島県原爆被害者団体協議会(県被団協)箕牧智之 理事長 「被爆から79年、高齢化でこうした集会は集まりにくいが、戦争犠牲者・原爆犠牲者は、まだまだ戦わなければならない」
現在、被爆者の高齢化で、団体の存続が課題となっています。坂町にある被爆者団体は、高齢化を理由にいったん解散したものの、被爆2世などで再結成し、黒い雨訴訟の相談会のチラシを配る活動などをしたということです。
原爆投下直後に降った「黒い雨」をめぐっては、援護対象区域を広げた国の新基準でも、被爆者手帳の申請を却下された人たちが、取り消しを求める裁判を続けています。
厚生労働省の有識者検討会では、現時点で降った範囲を判定することは困難だとしていますが、広島県被団協は引き続き、被爆者の救済を国に求めていくとしています。
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「公園内は軍施設と一体でそのメッセージは『戦争』」 被団協の講師団がパールハーバー視察報告 広島市の姉妹公園協定をめぐって(RCCニュース)2024年2月2日
広島市が、平和公園と姉妹公園協定を結んだハワイの「パールハーバー国立記念公園」について、協定に異議を唱えている市民団体が、現地視察の報告会を開きました。
アメリカ・ハワイ州にあるパールハーバーには、アメリカ軍の基地や、1941年の真珠湾攻撃で亡くなった兵士などを追悼する記念館などがあります。
広島市は、去年6月、パールハーバー国立記念公園と平和公園は「共通の理想を達成するために、国際協力と相互利益を促進する」として、姉妹公園協定を締結しました。
被爆者などでつくる団体は先月、現地を視察した報告会で、公園は軍の施設があるため、自由に撮影ができないことなどを紹介しました。
広島市は、姉妹公園協定の対象を、ビジターセンター周辺とアリゾナ記念館など4施設に限定し、軍の施設は含めないとしています。
しかし団体は、対象の施設が、核兵器の威力や開発を誇る軍の記念館や基地と隣り合っていることから、「公園内は一体で、目に飛び込んでくるのは『戦争』というメッセージだ」と訴えました。
佐久間被団協平和学習講師団 山根岩男さん 「『ノーモア・広島』『核兵器廃絶で平和を』と訴えていくことと真逆のような、『油断するな 戦争に備えよ』『抑止力こそ強化すべき』と訴えている」
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広島でしか買えない 人気の「むさし」と「うえの」の弁当 新幹線で大阪に直送(RCCニュース)2024年2月2日
広島でしか買うことのできない人気の弁当を、大阪のイベントで販売するために、新幹線で直送しました。
広島駅の新幹線ホームです。出来上がったばかりの「むさし」の「若鶏むすび」が、新幹線の到着を待っていました。JR大阪駅で開かれている広島・山口の人気商品を販売するイベントに、新幹線で素早く届けるためです。
記者 「スタ��フ用の入り口が開きました。新幹線が停車する1分の間に積み込みが行われます。今、むさしのお弁当が運びこまれました」
「むさし」に加えて「うえの」の「あなごめし」という広島でしか買えない人気弁当を、イベントの期間中、4回新幹線でスピード輸送するということです。
むさし新幹線店 沖田隆次 店長 「大阪のお客様に召し上がっていただいて、広島に行きたいなと思っていただければ光栄です」
JR西日本は、荷物を早く定時で運べる新幹線の活用を、検討していくということです。
「私たちの病院を助けて」病床ひっ迫、疲労の蓄積 被災地の医療は課題山積(石川テレビ)
被災地の医療は課題が山積みです。珠洲市の診療所は断水が続き十分な医療が行えていません。奥能登の医療体制は綱渡りの状態が続いています。
珠洲市内にある小西医院。普段は内科、循環器内科、小児科の3つの診療をしています。しかし、今はかかりつけ患者への薬の処方だけです。
小西 堅正院長「(正院地区は)いわゆる電気の復旧も一番遅かったんです。サーチライトやってそれでもなかなかカルテも散らばって診療にならないので、やっぱりこれは無理があった」
地震発生後は停電のため電話も使えず、体にカイロを貼り懐中電灯などで辺りを照らしながら再開に向け準備をしてきたそうです。
電気が通ったのは地震から22日目。今は1日に20人から30人ほどの患者が薬の受け取りにやって来るそうです。
小西 堅正院長「金沢に避難された患者さんから『元気でいますよ』と電話だけかかって来ることもあるんです。無理して頑張っても誰も(珠洲市に)いなくなるんじゃないかなと心が折れそうになるときも実際ありましたけど、そうやって『自分らも必ず戻るから頑張ってね』と言われると、やっぱり自分ももうちょっと頑張らんといかんなと元気づけられる。(人手不足などもあるが)人的支援もいただきながら少しずつ戻していければと思っています」
一方、こちらは七尾市の恵寿(けいじゅ)総合病院。病床のひっ迫に危機感を募らせています。
恵寿総合病院 神野 正博理事長「非常に病床はひっ迫していて空いているベッドは10数床ということで、救急患者を受け入れるためにその10数床をどうやって空けるかを考えながらいろいろと患者の流れをつくっています」
別館の一部で天井が崩落するなどの被害が発生。スタッフのおよそ1割は現在も避難所など自宅以外からの通勤を余儀なくされています。手術や透析などの病院機能はこれまでにほぼ全て回復しましたが、被災地の医療現場では先行きの見えない状況が続いています。
恵寿総合病院 神野 正博理事長「(この病院は)手術などがちゃんと機能しているという意味で、(今後)療養だけの患者さんはここではなくて他のところで受けていただくという形が必要だと思います。職員が非常に疲弊しています。全職員の10パーセントくらいは自分の家以外から、全体の3パーセント程度の方は避難所から出勤しているんですね。全国の病院に呼びかけているんですけども、私たちの病院を助けてくださいと。少し職員を休ませて、そして長持ちさせるということが必要かなと思っています。これからの医療を止めないために、私たちがいま一番必要なのは人材の支援だと思っています」
2月2日夜、直径約290mの小惑星が地球付近を通過 NASAも監視中(Forbes)2024年2月2日
スタジアムサイズの小惑星が日本時間2月2日金曜日の夜に地球の近くを通過する。そして、そのサイズと地球への接近距離のため、NASAの科学者らは危険がないか監視している。
直径約290mの小惑星が、秒速約18kmで地球から約270万km(月までの距離の約7倍)以内のところを通過するとNASAのジェット推進研究所は発表した。
「2008 OS7」と呼ばれるその小惑星は、太陽を962日周期で周回しているため、次に戻ってくるのは2026年となるが、その次に地球へ接近する2037年では、地球から約1600万kmの距離を通過する見込みだ。
NASAは、地球から約750万km以内に接近する直径140m以上の天体を「潜在的に危険な小惑星」に分類しているため監視している。
地球付近を通過するのは日本時間2月2日金曜日の午後11時41分頃と予測されている。肉眼で見えることはできないが、NASAがバーチャル小惑星トラッカーを提供して小惑星の位置をリアルタイムで伝えているほか、Virtual Telescope Projectがライブ中継を行う。
小惑星は惑星と同様に太陽を周回している岩石質の天体だが、惑星よりずっと小さいとNASAは説明している。約46億年前に太陽系が形成された時の残骸からできている。小惑星2008 OS7は、アポロ群と呼ばれる地球軌道と交差する可能性のある1万8232個の小惑星からなるグループに属している。
近年NASAは、地球に接近する小惑星の脅威をより深刻に捉えている。2022年のDARTミッションでは、小惑星の軌道を変更するテストを行った。NASAは探査機を宇宙に飛ばして小惑星��衝突させ、その公転周期を32分短くした。さらにNASAは、地球に接近しているベンヌと呼ばれる小惑星を研究するミッションで探査機OSIRIS-RExを送り込んだ。同探査機は小惑星の標本を採取し、2023年9月に地球に届けたが、発見内容は未だに公開されていない。科学者らは、ベンヌが2182年に地球に衝突する可能性を信じており、それがベンヌの探査が行われている理由だ。OSIRIS-RExミッションの科学者チームは、ベンヌが2182年に、テキサス州サイズの領域に2700分の1の確率で衝突する可能性があると考えている。Icarus誌に掲載された2023年の論文による。
2月2日に地球近傍を通過する小惑星は2008 OS7だけではない。あと2つ小惑星が近づいている。小惑星2024 BJ3は今年発見された直径約21mの飛行機サイズの小惑星だ。2008 OS7よりもずっと近い86万km以内に接近する。小惑星2024 BP1も飛行機サイズだがやや大きい直径約40mほどで、この中では最も遠い340万km付近を通過する。
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ゾンビィたえちゃんの前日譚、OL戦士たえさんの物語である『ゾンビランドサガ外伝~ファーストゾンビィ』読みました
以下ネタバレを含む感想です
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たえちゃんの不確かで曖昧なファジーな部分も沢山ある彼女の好きな要素の一つだったので、たえちゃんの過去(たえさん)が分かる本作を私は少し悩みながら読み始めました
禊担当の姉・裕子がサガコと一緒に玉ねぎに封印された中で裕子ならどうする?と考えながら、徐々に成長して自分なりの解を見付けていく弟・栄吉とたえさん その過程で出てくるサガコたちのコミカルで可愛らしい容姿や悲しい生い立ちを抱えた姿に心をぎゅっと掴まれました
第九話でたえさんは栄吉にサガコが出現する理由や境遇を理解したい包み込みたいという裕子の考えを伝え、禊は必要な物なのだと言います その時のたえさんは裕子の考えを尊重しすぎるあまり自分の考えを抑圧してるようにも見えました
たえさんの両親を殺したマガツヒというサガコ 彼女はマガツヒを育てていた両親を止められなかった罪悪感といつか付ける決着への義務感という複雑な思いをずっと抱え、それを原動力にして育ちます
大事な友人である裕子の考えを大事にしながらもマガツヒとの決着を必ずつける…
では決着はどうつけるのか?悩みながら揺蕩うたえさんとその末に選び取った彼女の行動がこの漫画の一番の魅力だと感じました
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第九話ではたえさんは栄吉と裕子らしいと懐かしむだけに留めています サガコを殺すのではなく玉ねぎの中に抱擁したいという裕子の考えそのものに同意しているようには見えません そんなたえさんですがサガコを利用しようとする人物の登場や葉加瀬、朱里、栄吉との活動で少しずつ変わっていきます 終盤、不倶戴天の存在でもある マガツヒの登場で彼女は激しく動揺します
マガツヒの残虐性、過去の因縁から話しても分からない、始末するしかないと思う彼女の元に一巻から三巻までに出てきたサガコたちが登場 たえさんやサガコバスターズを助けたいと申し出るシーンは胸が熱くなりました!こういう展開大好きです
そして マガツヒの境遇を知り、たえさんが主体的に選び取った行動 不倶戴天の仇であるマガヒツを抱擁し赦す事で解決を計った勇気や慈愛 たえさんの全てが愛おしくて大好きになりました
裕子が封印した後に生えた角が、ある日ぽろっと落ちてしまったように たえちゃんの長い前髪と獣の耳みたいな横髪が、いつかぽろっと落ちてしまわないか少し心配…
一巻32ページの(栄吉も)化粧して女装すれば…という仮定の話が最後実現するとは思いませんでした 成長した栄吉が、可愛さという武器まで手にするなんて!
大金よりも玉ねぎに強い興味を示すたえちゃんや紺野純子を追いかけて噛みしめるたえちゃんなど 今まで謎だった数々の行動のヒントが散りばめられていて、読んでいて何度もアニメのたえちゃんやフランシュシュのみんなが懐かしくなります
栄吉が落ち込んだ時に励ますサキちゃんにリーダーの芽のようなものを感じます
アニメファンへのファンサービスも満載な本書は、アニメ『ゾンビランドサガ』『ゾンビランドサガ リベンジ』鑑賞後に読む事を強くつよくお勧めします
丁寧な後日談もあり、朱里、葉加瀬、兵頭姉弟とMJ、そして佐賀にノスタルジックな思いを抱きながらページを閉じました どんどん漫画としての魅力が増してページを捲るのが楽しくなってきていたところで終わってしまうのが少し悲しい… 揺れ動くたえちゃんの気持ちから決断までの流れが好きだったので、三巻で マガツヒの実験対象として酷い扱いを受けた過去をたえさんが知り、理解し抱擁するまでの流れがもう少し丁寧だったらもっと嬉しかったです
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佐賀から少し遠い所に住んでいますが、夜仕事帰りに疲れてスーパーで買い物をしていると、たまに北海道産に紛れて佐賀産の玉ねぎを見かけることがあります そんな時は必ず早く帰ってまた漫画を開きたえちゃんや佐賀のみんなに会いたくなる! たえちゃんもたえさんもわたしのよすがになっています。素敵な漫画をありがとうございます
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北海道の実家で暮らしていた頃、祖母が親戚に電話するとき、しばしばこう言っていた。 「夢に出てきたから」 私が大学進学で東京に出た後、祖母との電話で同じ言葉を何度か聞いた。 祖母が亡くなったあと、今度は実家の母から同じ言葉を聞く機会が増えた。 わざわざ夢に出てきたことを口実にしなくても、用はなくともただ電話をかければいいのに、と、その言葉を聞くたびに思い、同時に、ほとんど場合は用もないのに連絡はしにくいし、自分だって近況を確認するためだけに電話もメールもしないな、と自己問答を繰り返していた。 とはいえ、本を読むときに紙面と顔の距離がだんだん遠くなってきた最近では、これを口実に連絡を取る気持ちがよくわかるようになった、のだけど、なんだか気後れするのと勇気がなくてできない小心者のため、わかるようになったどころか、うらやましかったり、憧れたりする。
この時期、ここを離れて別の場所に向かう姿が周りに多くなる。今は大学にも勤めているせいもあるし、年齢的なものもあるし、不意のものもある。向かった先での少なくても確かな幸福と、より少ない不幸を心から願うとともに、なんだか取り残されるような気持ちにもなる。今では、別の場所に向かったひとの中にも、SNSでその消息を知ることができるひとも多いけど、それでも会いたくなったり、声を聞きたくなるのはなぜだろう。それはそれぞれの元気な姿を確かめたいのと同時に、置いていかれたような寂しさのせいなのかもしれない。
北海道の片田舎に生まれ、東京に出てきた後7回引っ越し、フランスで生活した後、三重県に移住し、仕事で日本各地や海外に行くことが多いため、思い入れがある場所がたくさんあるけど、その愛着は場所そのものというよりは、そこに紐付いているひとへの郷愁の方が強いように感じる。だから、そこにいたひとが移動してしまうと、自分の思いだけがその場所に残されてしまうような寂しさを感じるようにも思える。
今年、私が演出で関わる大きな作品のうちの2つ、第七劇場「ヘッダ・ガーブレル」、三重県総合文化センター開館30周年記念・三重音楽発信 オペラ「カルメン」のために原作を調べていると、それぞれのタイトルロールである2人、奔放で自由な生き方をしているように見えるこの2人、ヘッダとカルメンも、似たような寂しさに付きまとわれているように感じる。自分の場所や価値観ははっきりしているのに、所在がないように感じたり、向かうべき場所や行くべき場所がないような寂寥感。実直なものや純粋なものがまぶしくて、憧れているのに目を背けてしまうような。
もしかしたら、ヘッダもカルメンも、別の場所に向かったひとが夢に出てきて懐かしさが湧いてきても、用もなく連絡できないひとなんじゃないか…と思うのは、自分に寄せすぎなのかもしれない。
私も祖母や母のように、もう少し年月が経つと、「夢に出てきたから」と朗らかに連絡できるようになるんだろうか。ただ、なれたとしても、連絡先がわからなかったり、もう物理的に連絡できない場合もあるし、立場も気にしてしまうから、歳を経ると状況はどんどん複雑になっていく一方でもある。
やれやれ。
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現在、2つの公演で出演者を募集しています。
ひとつは、8月末に三重県文化会館で上演される、第七劇場「ヘッダ・ガーブレル」(原作:イプセン) https://dainanagekijo.tumblr.com/post/743038362283327488/heddaaudition
もうひとつは、同じく三重県文化会館で11月に上演される、三重県総合文化センター開館30周年記念・三重音楽発信vol.11 オペラ「カルメン」(作曲:ビゼー) https://www.center-mie.or.jp/bunka/release/detail/20231201.html
昨年10月末に「三人姉妹」ツアー知立公演を終えたのち、同会場で地域の学校招待公演として「赤ずきん」を上演し、11月に三重オペラ協会「サンドリヨン」(マスネ作曲)の演出、12月に名古屋芸大の同僚・浅井さんが運営するダンスハウス黄金4422で開催された村上春樹を題材にしたワークショップ/ショーイング、年明けて1月に名古屋市西文化小劇場にて名古屋芸大・舞台芸術領域2年生の劇場実習発表「白雪姫」、2月に三重県文化会館制作・絵本コンサート「そっとそおっと」と、名古屋芸大・ミュージカルコース卒業公演「ヘンゼルとグレーテル」(ジャスティン・ロバーツ作曲)と、名古屋芸大・オペラ「ヘンゼルとグレーテル」(フンパーディンク作曲)を演出しました。
来週3月上旬には、今年度の演出納めとなる、名古屋芸術大学[音楽の森]家族のための朗読コンサート「おやゆび姫」があります。 https://nua-ap.tumblr.com/post/740564053731229696/onmori23
その後、中旬と下旬に「ヘッダ・ガーブレル」と「カルメン」のオーディションが続き、いつのまにか新年度になっているのでしょう。
今年もすでに2月が終わろうとしています。ついこの前、新年になったと思ったのに。この調子だと、一週間後には今年も終わってるんじゃないだろうかとも思えます。
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祖父の葬儀へ。近親者のみの小さな式だったけれど、初めて顔を合わせるような老夫婦ばかりで、父や母が仲介人になって丁寧に挨拶をして回った。幼い頃によく遊んでいた2つ上の姉のような親戚の女の子の祖母はすっかり背中が丸くなって小さくなってしまっていた。叔父が喪主となって、雨が降り気温も都心よりぐっと冷え込んだ空気の中で焼香をし、火葬場へ行き、会食を経て父と共に祖父の骨を拾った。僧侶のお経を聴きながら、祖父が生前朝晩欠かさず行っていた勤行とその背中を重ね合わせて、もう仏壇の前で正座する姿を見られないことを惜しんだ。立てられた遺影の中の祖父は棺の中で冷たくなった姿と違い柔らかな笑みを浮かべていて、それがほんの2〜3年前に撮影したものであることを聞いて驚き、同時に、自分に自信がないばかりに会わない選択肢をした幼稚さを悔いた。会食時には(飲酒に対して否定的な)父が意外にもノンアルコールビールを指さして飲むか?と尋ねてきたので、飲む、と答えたらじゃあ少しもらうよ、ああこれは美味いね、と言っているのを聞きながら、配膳された懐石弁当を肴に一本半空けて、心做しか少し酩酊した。父と母が席を立った時に疎遠になっていた兄と久しぶりにまともな会話をした、仕事は何してるかとか、高円寺に住んでるんだけどとにかく芸人が多いとか、いきつけの飲み屋に女優の誰々が来たとか。僧侶が「仲良く健康に過ごすことが供養になる」と言っていたので、もしかしたら兄はそれを意識して話しかけてくれたのかもしれないし、祖父が孫である私たちに遺してくれた財産だったかもしれない。97年生きた祖父の棺には、言葉で人の心を震わせることの尊さを教えてくれてありがとう、と書いたメッセージカードを顔の横に添えた。父は歩く速度こそ未だに私より早いけど昔より身長が縮んで、アルマーニのコートも体型が足らず大きく見えていた。兄とは青梅線の車内で別れ、私も一度実家に戻り荷物をまとめて帰宅。俳句の話をする機会こそ持たなかったけれど、句会の名誉会員の名を背負ったその大きな背中は世界で最も尊敬する大好きな存在だった。さようなら、また会う日まで。
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10月3日はドイツ統一記念日で全国的に休日。天気は時折雨で空はどんよりと白く。ハンブルグの秋っていう感じ。オーラフ・シュルツ首相はハンブルグ出身なので、今年はハンブルグがホストらしい。私は丸の内に住んでいるようなものなので、私の通りは数日前から全面封鎖され警官が所々立ち、各州から来た展示テントが通りを埋め尽くしている。コロナ罹患数が増えてきているようだし、私はお利口さんにお家でのんびり。
ロンドンからの飛行機で仲良くなったオッサンオススメのドイツパン、Sanssouciを、オッサンオススメの店で買う。まぁ不味くは無いが、オッサン曰く、Sanssouciってフランス語で憂いなしっていう意味なんだけど、変な添加物入れていませんって言うことでドイツ語じゃなくて、その店ではフランス語を使っているんだと。まぁ不味くは無いが、美味くもない。ワシはドイツ人が誇りに思うとるらしい美味いドイツパンを食うてみたいのじゃが、もう一年もここにおるのに、SwedenのUppsalaで帰国前に朝早起きして焼き立てのパンをスーツケースにツメツメして持ち帰ったほどの感動的美味いパンに、まだ出会っていない。南ドイツに行かないとダメかしら。ドイツよりも北欧パン��方が美味いですわよ。
イザベル姉さんは、グズグズ文句を言いながら、色々とケーキ焼いてくれたり、御飯を一緒に作ろうと誘ってくれたり、映画に連れて行ってくれたりする。ワシは幸せ者で、ワシを可愛がりたい奴は、何故か知らないが、全世界にうすーくひろーく、散らばっているようである。イザベルさんは、その内の一人。ワシを構いたくて仕方が無いらしい。この休日のランチは、イザベルが独創的創作意欲に満ちた時に焼いてくれた再現不可能なケーキを大量に頂戴したので、それを食す。
ドイツではイースト入りの生地をケーキに使う事が多いのだが、少しパン生地を固くしたような生地をケーキの底とフチにして一度焼き、その中に、ブルボンバニラのクワークと砂糖、りんごのスライス、角切りアーモンド、干しぶどうを沢山入れたフィリングを入れて、再度焼いたケーキ。甘さ控えめで、バターやクリームが入っておらず、さっぱりとしていて美味しい。クワークは日本では見かけないが、ギリシアヨーグルトみたいな舌触りのボテッとしたサワークリームになる前のクリームがヨーグルトになった食べ物だと思えば良い。スエーデンでは、ヨーグルト感覚で、朝ご飯に森のベリージャムと食べる。ワシはウプサラ大学に客員研究員で滞在した夏、全体液がクワークと森のベリージャムになるかと錯覚する位に、これを毎朝食べ尽くした。ぶはは。
ワシはその昔、北欧辺りで小鳥だったとしか思えない位にラズベリー、ブルーベリー、グースベリーなど、イチゴ以外のベリーが大好物。しかし、同時に、その昔、小リスだったと確信している位に、ピーナッツ以外のナッツ類も大好き。栗もナッツですけんの。イチゴもピーナッツも、食べるけど、実はそこまで好きじゃない。イチゴはベリーのフリした草だし、ピーナッツだってナッツのフリした草だろと思う。ワシは木が好きじゃ。
コックのミヒャエル君が、スダチをゲットしたと写真(上の手はミヒャエルの手)を送ってくれたので、一個だけ置いておいてもらう。お取り置きスダチは、こちらのスモークサーモンの冷凍を解凍して、その内、食べようと思う。本当は焼き魚が欲しいが、こちらは北海で取れるギトギト脂身の魚を燻製にしても、まだ脂だらけなので、脂落としと��い消しに使おうと思う。
昼では無く、夜遅くに思い立って散歩。市庁舎前は統一記念日の準備で凄い。どこも立ち入り禁止である。そんな中、イザベルに日本で撮影したPeaceful DaysというWim Wenders監督の作品を見に行こうと誘われる。ハンブルグでは、今週は映画祭も同時開催されている。今年、役所広司がカンヌ映画祭で主演男優賞を取った作品で、日本では12月に公開予定。少しお先に見て参りました。超巨大スクリーンの映画館は満席。時折、笑い声が出て、日本を、東京を、ドイツ人達が楽しんでいる事を嬉しく思った。この映画は、台詞はほとんど無いが、台詞がある場面は全て日本語で、ドイツ語字幕。日本に帰りたくなる。あまりにもドデカイスクリーンで東京が実物大位で、没入感しかなく、東京が好きでも無いのに、懐かしくなった。
私から見ると、大概不潔なドイツ人でさえ、フランス人を見るともっと不潔に感じるらしく、大量にトコジラミが発生しとるパリには行くなと言われておる。でも、自分達は民度高めだからフランスより清潔ぶっているドイツも、日本の清潔さには恐れ入るらしい。っつーか、ワシはチミ達の不潔さに恐れ入っとるわい。。。と普通に思う。映画では、役所広司は、東京都の公営トイレ掃除夫として登場するので、Totoのトイレとトイレコンペに使われた建物を見る事ができる。
映画は監督と一緒に見て、監督の対談もあった。ブエナ・ビスタ・ソシオ・クラブのファンなら、Wim Wendersはブエナ・ビスタの監督でもあるので、ドキュメンタリーと映画の境目を狙う監督だと御存知かしら。監督曰く、16日間しか撮影期間は無く、おまけに当初は、日本で行われた公共トイレ建物の最終選考コンペに残った建造物のプロモーションビデオのようなものを撮って欲しいという依頼だったらしい。トイレを見て、建造物を見て回ったが、それよりも、トイレの美しさに感動し、汚くなる場所を毎日毎日、美しく掃除をしてくれる人々が日本にはいるんだなぁって思って、物語的なものにする事を思いついたらしい。日々の生活の中で、身の回りを常に身綺麗に清潔に保つという美意識に、そしてそれは一度でも気を抜くと、あっという間にベルリンみたいに汚物の一部と化すというはずなのに。。。汚い場所こそ美しく保つ心意気に、日本の民度の高さを見出したらしい。そんな監督は、アメリカ人の好きな黒澤明よりも、小津安二郎が好きで、小津安二郎のように、静かな、淡々とした日常を、心静かに受け止めて生きる人々の生き方を、いつか描いてみたい��若い頃から思っとったらしい。実現できたのは、78歳。ワシの愚父と同い年である。
Wenders監督の演出で、役所広司主演のトイレ掃除夫は、実は運転手付きの金持ちの家の出自である事が推察できる場面がある。これには、Wenders監督の観察眼にビビった。今の日本は平成の下剋上後の令和の下剋上を体験しているので、昭和の下剋上、平成の下剋上でも更に下層だった奴らが、今を謳歌されておる。クソのハシにも引っかからない輩が、やれ白百合だの、慶應だのと、キャピキャピ行きやがって、お笑い種である。表面的にぶりっ子ぶってりゃぁそれでえーんかい?とツッコミを入れる事すら無駄に思えるバカばかりが、やれ東大だ、京大だとしがみついて、実に下らない。ワシはWenders監督の眼差しに勇気付けられた。見る人は見ている。見ている人の中には分かっている人もいる。だから大丈夫。ワシはワシらしく、憂う事なく、楽しく笑っとこ。見る人が見たら、ワシの存在に気づくじゃろ。
イザベルに感謝。パン好きのオッサン、ヘンドリックに感謝。そしてヴィムこと、ヴェンダース監督に、日本を心哀しく、誇らしく思わせてくれた事に感謝。日本は、もう、だんだんと古き良き実直で、もの静かで、ひたむきで、優しい人々が片隅に追いやられ、本当の日本に会うのは、日本人でさえ難しくなりつつある。そんな中、日本の消えつつある姿を、映像に残してくれた事に感謝。映画では影がキーワードだったが、幻のようになっている日本を、浮かび上がらせようとしてくれたのだろう。日本人ではなく、ドイツ人の方が、真髄を捉える事に成功しているのだとしたら、私も、Auslander、異邦人だからこそ、捉えているドイツの真髄が見えているのかもしれない。
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9月の最終営業日、朝から関東在住の保育士ミサさんが「12時頃にタラウマラに行きます」と嬉しい連絡をくれたので、足の踏み場もない店内を少しでも片づけておこうと、開店するなり自転車整備に精を出す。中古自転車は入荷しただけでは商品にならず、一台一台きちんと点検し、メンテナンスをしないことには店頭に並べることもできない。当然、状態の良いものは手間も時間もかからず、それなりの価格をつけることができる。逆に程度の悪いものは手間も時間もめちゃくちゃにかかる。不具合箇所はすべて新品のパーツと交換しなければならないので、その時点で自ずと商品としての原価も上がる。だからと言って高額で売れる訳ではない。経年劣化、そもそもの状態が悪いのだから当然と言えば当然だ。このあたりがレコードや古書との決定的な違いだと思う。古いものに価値がある訳ではない。だから手間と時間とお金を存分に注いだものほどお客様には安価で提供しなければならないという地獄のような矛盾を自分のなかでどのように折り合いをつけていくかというところに、古物自転車商の醍醐味、面白さが潜んでいる。タラウマラの場合は自転車修理に加えて書籍や音源を含む物販の収入を売上のグロスに投入することで、利益を調整している。ただしそれぞれの柱がうまく機能し、循環していなければ焼け石に水となってしまうのだけれど。どれだけ尊敬するアーティストやレーベルからのリリース作品であっても、僕はその時々の状況や予算、実際の懐事情を鑑みて作品を入荷したり、しなかったりする。先様もそのあたりは理解してくれているのでとてもありがたい。出勤前にコーナンで大量に購入した整備用具一式を手に、自転車と向き合う。メラミンスポンジやウエスで清拭してやるとどんどん汚れが落ちて、注油の度に各部の動きもスムーズになってくる。はっきり言って気持ちが良い、が、しかし、ここで満足していたら、単なる金持ちの道楽と同じになってしまう。商売は趣味ではない。きちんとお金に変えていかないと意味がない。僕は人助けのために自営業をやっている訳じゃない。自分や家族がこのクソったれな世の中で何とか生きていくために全力で自衛している。整備を終えて店頭に並べた自転車が瞬く間に売れていく。淡路に引っ越してきたばかりだという男性と、タラウマラオープン当初に購入してくれていた常連さんが新たに買い替えの一台を選んでくれた。商品とお金が交差し、僕もお客さんも笑顔だ。ここは極めて重要、買い物の最終工程を機械に委ねたらあかん、感情だけは奴らに渡すな、マニュアルや利便性を自らの手で破棄してでも残る言葉と顔貌で交渉を成立させよう。このときの快感はなにものにもかえがたい。開店早々からお金も動き、僕も動き続け、修理のお客さんも後をたたない。秋とは思えない気温と首筋に照りつける強烈な日差しに汗びっしょり。あっという間にお昼、ミサさんの来店時間が迫っていた。と、そのとき、年齢も服装もばらばらの数名の男女が慌ただしくやってきて、こちらに対して一方的、矢継ぎ早に要求を伝えてくる。各者の言葉を要約すると、少し離れた場所で女性が自転車の後輪にスカートを巻き込んで身動きが取れない状態、だから助けてあげてほしいとのこと。そうこうしている間にも店頭ではパンク修理の依頼が2件、タイヤからチューブを引っ張り出しながら、いま店を離れることはできない旨を彼らに伝えると、助け隊のひとりが「こういうときに何とかするのがプロでしょ」と宣ったので、キレた。おうよ、そこまで言うなら行ってやる。幸いにもパンク修理のお客さんからも理解を得ることができたので、僕はタイヤを脱着させる際に使用する作業台と工具一式を担いで彼らの案内に従うことにした。店には「すぐに戻ります」の貼り紙。絶対すぐに戻る、どうかミサさん帰らないでね、という想いを込めて。目的の場所にはラグジュアリーな服装の女性が確かにロングドレスの裾を自転車の後輪に巻き込んでうずくまっていた。巻き込んだ際に転倒したようで足や腕、顎のあたりに擦過傷ができていた。��哀想に、せっかくのおめかしが台無しやんか。それ以上に女性を包囲する助け隊一派の存在が鼻についた。僕は女性にこれから行う作業内容を簡潔に伝え、最悪の場合はドレスの裾を切らなければならないかもしれないことを強く念押しする。女性は首を縦に振った。高そうな服やのに、もったいない、気の毒やなぁ、などという助け隊の言葉は徹底的に無視。早速サドルを作業台に引っ掛け、チェーンカバーを外し、後輪のネジを外していく。それにしても見事なまでの巻き込み具合で、薄いレースのような生地がバンドブレーキと車軸との僅かな隙間に幾重にも層になって絡まっている。まるで伊藤潤二の「うずまき」のようだ。ゆっくりと同時に要所で力を込めてタイヤを回転させ、生地を引っ張る。少しずつ隙間から生地がぬらぬらと出てくる。助け隊のおっさんどもはお姉ちゃん頑張れ、水飲んどきや、ケガして可哀想に、美しいお顔がえらいこっちゃ、バンドエイド買うてきたろか、と引き続きうるさい喧しい鬱陶しい。何よりも困惑したのが、僕の作業する位置が女性のドレスの裾を覗き込むような格好になるので、見てはいけないものを見てしまうかもしれないという妄執に取り憑かれて酷く落ち着かない。はっきりと集中力が削がれる。何度かプラスドライバーの先端がネジの駆動部を舐めた。それを察してか女性もくねくねと腰をよじらせたり足の位置を変えようとするので余計に艶かしくなってしまい、むしろ逆効果。僕はええいままよと心を鬼にして、生地を引きちぎらんばかりの勢いで力いっぱいに掴んだ。手応えあり。いける!タイヤが滑らかに回り始めた。すると興奮した助け隊のおっさんどもが我先にとタイヤを回そうとしやがったので、僕の指がスポークに挟まる。痛い痛い痛い。ギョリンと睨みつけると、おっさんは慌てて手を引っ込めた。そこから消耗戦を続けること約15分、ドレスの裾を破くことなく無事にタイヤから引き離すことができた。額からは滝のように汗が流れてくるが、助け隊は女性の身を案じるばかりでこちらには見向きもしない。当の女性は平身低頭、とても申し訳なさそうに謝罪の言葉を何度も述べて、費用をお支払いします、と言った。僕は彼女の申し出をきっぱりと断り、来た時と同じように作業台を肩から下げて颯爽と現場を後にした……なんていう安っぽい美談に落ち着く訳もなく、僕はケガをした女性ではなく助け隊の連中に作業費用を請求した。集まった金はたったの1,000円。非常にしみったれているが、それでも彼らには伝わったと思う、善意には覚悟もリスクも必要だということを。リスクなき善意はただの偽善、それはもう傍観者と何も変わらない。急いでタラウマラに戻って、お預かりした2台の自転車のパンク修理を終らせ、店内でひと息ついたタイミングでミサさんご来店。貼り紙を見て、近くで時間を潰してくれていたみたい。彼女の快活な笑顔を見ると、ようやく僕もまた笑顔になれた。保育士であり、ドラム奏者でもある彼女が学生時代から好きだというMR. BIGの話で大笑いした。
MR. BIGと言えばこちら。イントロから鳴り響く、力強いドラムが印象的。
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実はこの公開日記「Pat Sat Shit」のパーソナリティであるvideo loverもミサさんも、代田橋にあるバックパックブックスの宮里さんの紹介でタラウマラに来てくれた人たちだ。僕とバックパックブックスの出会いについてはまた改めてきちんと書きたいと思っているのだけれど、このおふたりの存在からしてすでに最高で、バックパックブックスはきっと素敵なお店に違いないと確信している。ミサさんは大阪に向かう飛行機のなかで拙書『ほんまのきもち』を読んで涙を流したと言う。だからということでもないんだけど、数ヶ月前に同じことを言ってくれたドラム奏者Hikari Sakashitaのソロ作品『Sounds In Casual Days 2』をプレゼントした。高い交通費を払って遠方から来てくれる方には、条件反射のように何か贈り物をしたいと思ってしまうのは、僕のなかにアメ玉を配り歩く大阪のおばちゃんイズムが備わっているからでしょう。はい、アメちゃん、どうぞ〜。
Hikari君のドラムが冴え渡るこの曲が今日の「気分」。
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