doctormaki
doctormaki
Hello Hamburg
213 posts
Don't wanna be here? Send us removal request.
doctormaki · 10 months ago
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
帰国前のバタバタの毎日。ウィーンから帰った日はクロアチア人のSanjaおばさんとDimSumHausへ。翌日は、ワシより一歳年下のJudithと昼食をとり、その翌日には彼女の家にお呼ばれして、娘のRuthとチョウチョの温室庭園に行ったり、御主人のNoaが作ってくれた夕食に舌鼓しつつ朝帰りになるまで議論したり。次の日は、ArielがCorineから譲り受けたプリンターを引き取りに来たついでに夕食を奢ってくれたり。
洋服は、ほとんどを捨てた。断捨離。ブーツも。日本から持参したナショナルのヘアドライヤーも。おばあちゃんの形見分けでもらった、扇も。みんな捨てた。そして、カルメンを見に行く。歩いて3分でオペラハウスの場所で暮らすなんて、もう無いでしょう。がはは。
1 note · View note
doctormaki · 10 months ago
Text
おパリの後は、ウィーンに飛んで、その足で電車でハンガリーのブダペストへ、EditとLaszlo夫妻の家に���泊り。久しぶりのお泊りで、到着した途端からお喋りが止まらない。ブダペストの後は、ウィーンへ戻り、三泊する。ワシ、ウィーンなら暮らしても良い。ペースメーカを付けたLaszloは、動悸がすると言いながらも、色々と忙しくしているらしい。Editは、いんげん豆のグラタンと、いんげん豆とサラミのスープを作って待っていてくれた。相変わらずの料理上手。
ウィーンで会う予定だったIljaが風邪引いたというので、ギリギリまで電車を遅らせてウィーンに戻る。軽い夕食は、パンチッタというハンガリーのクレープを、Editが食べる横からどんどん焼いてくれた。ワシ、王様の気分。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
ドブナー博士夫妻は、前日までベニスにいたにも関わらず��お昼にかぼちゃのポタージュ、サラダに、プチトマト、チーズ、イチジクのキッシュを作って待っていてくれた。デザートには、日本出張から戻った末娘のマリアンヌが買ってきた文明堂のカステラをいただく。文明堂のカステラに押してある焼印が読めないWalter博士。これを食うやつはバカとか書いてないだろうねぇと笑う。そのまま夜のコンサートへ。ドブナー博士はオペラのプレミアに招待されていておめかし。ワシ、洋服無いし、Julia Fischerのバイオリンコンサートのチケットをハイジ伯母さまに取っていただいて、ウィーンフィルを聴きに行く。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
ドイツ滞在の二年間は決して楽では無かった。色々と自尊心を傷つけられたし、でもお陰で今のアカデミーが終わっていることにも気付けた。東大との距離感を築き、やっと、東大と縁がキレて卒業できるように思う。なりたいものと、なりたくないもの、尊敬できる人間像と軽蔑すべき人間像、それもより明確になったし。嫌だなぁと思う事を流すのではなく、明確に拒否しないと、私は押しが弱いので、ついつい余計な事に巻き込まれしまう。ドイツは、生き地獄であったようにも思う。地獄で生きるとは、こういう事なんだな、とシミジミさせられる事が多かった。respectとか言いながら我利しか無い人々に交じることの苛立ちと哀しさを十分以上に味わわせて頂いた。辛かった分、また深く悲哀を感じるようになったし、感謝できるようになった。その反面、嫌なことは、嫌だとはっきりさせない事に美徳を感じるのは無駄である事にも気付いた。最早、我々の生きる世界には美徳なんてものはない。生まれや育ちが悪いものほど権力や権威を欲しがり、なりふり構わない世界だ。ワシは、東大でも色々と疑問に思う事だらけだったが、その疑問に感じていた極端な例を、これでもか、これでもか、これでもか、と理解しようとしなかった私の根性に、何度も何度も見せてくれたのが、ドイツだったように思う。
ヨーロッパに行かなければ出会えない素晴らしい友人達に出会えた事に心から感謝。そして、それでもう十二分であり、今は感謝しかない。
1 note · View note
doctormaki · 11 months ago
Text
午後は、コリーヌと合う。Hotel D'Aubusson カフェで落ち合う。パリはもう長いこと暖炉の使用が禁止されているらしいが、ここは冬の暖炉の使用が許されているらしい。コリーヌが四十代の頃、編集者会う時は、いつもここで打ち合わせしていたのよ、と。その彼女が大好きだった女性編集者は数年前に亡くなっているらしい。けど、この場所で、色々なことを話して考えて思い付いた場所だから、マキを連れて来たかったの。らしい。
コリーヌに会いに行く前に、モンパルナスからノートルダムを見に行く。おー。壊れとるの。再建中ですな。そして、セーヌ川で泳いだ皆さん、おつかれさまでした。ここでは、頼まれても泳がんだろ。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
コリーヌは、明日、月曜は修士のディフェンスがあるのよ。。と言いながら、5時半から8時までお喋りしっぱなし。ワシ、8時半からディナーの予約していたので、少し焦る。まさか、これだけ時間をくれるとは。来年、ドイツで受賞が決まっていて、その受賞額五千万円ほどで、なかなか売れない田舎の両親の家を売って処分し、パリ郊外にセカンドハウスを買って、両親を住まわせて、自分は週末にその家で執筆しようと思うの。だって、受賞まではお金が無かったから、パリ市内のアパートを売って、私は賃貸にして、家を買おうかしら、とか色々と考えていたら、受賞が決まって、その賞金もあるから、なんだか全てトントン拍子なのよ。だそうだ。
このワシが頷いているしかないほどの、マシンガントーンのコリーン。この間、57歳になったわよ。あと15年でもうリタイア。残りの時間で何ができるか、考えるようになったわ。今は一年に一冊、二年に一冊のペースを保って来ているけれど、段々、それもゆっくりになるだろうし。もっと、ライティングスタイルも変えてみたいし。でも、私は書くことが生きること位に、書かないと生きていられないから、生きている以上は書くけど。でも、ペースは落ちるだろうし。翻訳されると、世界各国から呼ばれるし、それに応えると忙しいのよね。
ワシの憧れのねぇさん。大活躍。頼もしい。若い頃にガンになっているコリーンは、ワシと同じ。病気を抱えていると思うから、結婚もしないし、子供もいらない。でも、シングルの女性で賢い女性ほど、男からも女からも嫌われる人はいないのよ、まき。あなたも、私のフランソワみたいに、良き理解者であるパートナーが見つかると良いわね。二人は同棲せずに、勝手に一人暮ししつつ、適当に会って食事したり、時間が合う時に旅行に出かけたりしている。束縛しない、とても自立した関係は羨ましい。そういうことができる男も、なかなかいないわよね。。。とも言う。
TNIについては、色々と思う事も多いけれど、水に流して、次に行きたいの。でもね、ま��浄化したいの、と話すと。分かるわー。私、一年かかったわ。そして、人間が他者を操作するってどういう事なのか、考えさせらたし、精神科医にも聞いてみたりしたの。人間ってダークサイドがある事に、気付かされた場所だったわ。人は人を完全にダメにできるし、そのダメにされている事を喜ぶ人もいるのよね、エルクみたいに。そして、その自分のフラストレーションを他人に押し付けるから、おかしい位に人をコバカにできるのよ。何者でもない自分、他者無しではいられない自分という自覚が無い人ほど、他人をコバカにして平気。あそこまで、人の尊厳を無視できる人は珍しいし、エルクはそういう事を他人にしているなんて、自分では全く自覚できていないのよ。だって、自分は、良い人で、気前良く研究所を運営して、自分の都合の良い自己像を信じて疑わないから。だけど、それは弱さの裏返しでもあるから、人を依存させたり、自分が人に依存する関係を好むんだわ。
1 note · View note
doctormaki · 11 months ago
Text
シャルトルに早起きしていく。モンパルナス駅は、26年振り。乗換に少し手間取り、自動券売機の遅い対応にイライラするものの、フランスの時間の流れには抗えない。券売機は、フランスより、ドイツの方が少し反応が早いが、流行りのタッチパネルにしている事が遅い理由と思われる。時間に余裕が無いと、イライラする。
シャルトルは、雨。でも、小雨のシャルトル。世界遺産になったらしく、駅も駅周辺も、見違えるようになっている。教会の側にあったみすぼらしい土産物屋は一掃され、おまけに教会周辺にはカフェやレストランがたくさんできていた。驚く変貌ぶり。また、教会の中も修復中で、壁が白くなっており、元々姿は美しかったんだなぁと改めて思う。
11時からのミサに与り、計3時間は教会の中でぼーっとしていた。ステンドグラスの有名な中世からの教会���ミサでは久しぶりにシャルトル聖パウロ会のマスールを見かける。高校時代のフランス語の先生で、ここから派遣されてきていたお年を召したフランス人の先生を思い出す。キリスト教は、赦しと愛がある。私の観念的仏教の世界は、受動的で赦すのではなく、流して観念に入れない事が大事だったように思う。キリスト教にあって、仏教に無いもの。それに気付かされたように思う。ミサも、子供の頃から親しんだ式次第で、なんだか落ち着く。微妙に宗派で異なるので、大体の流れは同じでも、戸惑うほどではないけれど、へー、ベネディクトはこうか。。。とか思わされていた。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
聖地巡礼、三度目のシャルトル。伺えることができて良かった。幸せです。お昼はガレット。駅までの街路樹だけは昔のまま。秋の訪れを感じる。少しずつ、浄化されている気分。ママにバカにバカって言っちゃダメと言われて、ずーっと我慢していたけど、その制約を守りすぎるのは、私の精神衛生上良くない。私は、人より我慢強く、耐えてしまう。文句を言っても良いよと、自分を解放すると、文句の中に、なぜ嫌なのかが言語化できているので内省化して自分が反芻理解できる。それをしないと、無責任になるし、空気にばかり従う、意志の弱い人になるように思う。言語化は強い。言語化できたら、手放せる。だから、もう大丈夫。
雨上がりのシャルトルの町を歩きながら、世界の様々な心の故郷の一つに帰って来れたことに感謝。祝福され、少し浄化してもらった気分。
Tumblr media Tumblr media
1 note · View note
doctormaki · 11 months ago
Text
朝、早起きして、日帰りで憧れのモンサンミシェルへ。学生時代は、あまりにも交通の便が悪くて、一泊ノルマンディー地方でしないといけなったし、ベルギーと抱き合わせるには南すぎるし、モンサンミシェルだけの為に、二日間も使えない貧乏人としては、なかなか行けない場所だった。今回は、日帰りツアーを発見。行く。
天気予報は雨だけど、ベムが頑張って、少しの間、晴れ間に。引き潮のモンサンミシェル。周りは日本人の若いツアー客だらけ。えー、マジで今何言ったー聞き取れないんだけどーと騒ぐ奴がいると、ワシ位の年齢の方が親切に教えあっていて、微笑ましい。あのさー、マジ、教会だらけなんですけど。。。と愚痴る無知ぶりには啞然とする。モンサンミシェルって、だってさ、ベネディクト派の与えられた修行場だったじゃんって、常識ではないらしい。それが、中世に入って、修道院兼要塞になり、その修道院兼要塞の歴史がずーっと繰り返されているから、面白いんじゃん。。。あー。。。アホって凄いわ。何を見に来ているのだろうか。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
到着したのは正午過ぎで、多くの観光客はそのままレストランへ。ワシ���さっさと山登り。頂上の教会へ向かう。聖日に当たるので、入場料が無料だった。おまけに、行列だったが、急いで教会まで向かうと、12時半からのミサに間に合い、ミサの最後に参列できた。ホザンナを歌う。しばらく座っている。こころ、落ち着く。ドイツの汚れを洗っているのだろう。悲しかったこと、目を瞑って見ないようにしていたこと、我慢していたこと、苛立つこと、みんな、洗っているように思う。
Tumblr media Tumblr media
昼食は、ここの名物料理、オムレツとクレープ。オムレツは、卵を牛乳で伸ばして、ひたすらメランジュして焼いてある。だからフワフワ。空気の膨張圧力ってすげー。クレープは、sel, sucre, buerreを頼む。だって、これって、キャラメルじゃんって思ったら、ちゃんとキャラメリゼされていたので、思った通り。残念なのは、粉砂糖が不味くて、トウモロコシ由来の片栗粉入りの粉砂糖だったこと。クレープは、定番だが、omelette のフワフワと対象的で、お菓子研究家のワシは、砂糖、バター、小麦粉、卵の配合で異なる味と食感の複雑さに、改めて感動。複雑なものほど、実はシンプル。
Tumblr media Tumblr media
夜のエッフェル塔を眺めつつ、セーヌのモンマルトル側に戻る。そして、近所の評判の手打ち麺を食べに行く。牛肉麺。うーむ最高。ワシはヘルシンキでも気付いていたが、蘭洲麺も中国の国家戦略である事も知っているが、やはり、ワシはアジア人であると思う。中国語で話しかけてくる店員。ワシは、2008年の北京で、ワシの真珠の耳飾を見て、話しかけてきたおばあちゃんを思い出す。高貴な人と勘違いしてくれた。あれも、北京オリンピックのすぐ後。今回はパリオリンピック直後。
1 note · View note
doctormaki · 11 months ago
Text
フランスである。ワシのおフランスデビューは小学生のおこちゃまの時。ワシ、子供の頃は可愛かったので、一人で、レストランのおトワレに行って、そこでパリジェンヌのきれいなオネェさんにボンジュールとニコニコ言われて、ドギマギる。そして、道に落ちているウンコを、たかし君に踏まないように、なんて言いながら、自分は犬のウンコこそ踏まなかったものの、当時はワンサカいたこすっからいジプシーの子供たちに狙われて恐ろしい目に合う。おパリ、それはルーブル周辺のルンペンに怯えながらオルセーに行き、シテ島のノートルダムの上までパパと一緒に登り、パリを見下ろし、ベルサイユとシャルトルに行った思い出。
そして、学部卒業旅行と称してパリ入りでスペイン、南仏、イタリアを回ったっけ。おパリでは、物��が高くて高くて、泣きそうになりつつ、スペインでは物価が安くなったことに驚いたっけ。あの当時はまだEUでは無いので、各国通貨は違うし、電車でも国境検査していた。今は、昔と比べると、国境なんてないし、いちいち通貨も変えなくて良い。便利なのか、個性が無くなったのか、よう分からん。
さて、ワシ気付く。おフランス好きの女子って、おフランス好き〜って言っている自分が好きらしい。フランス語もたどたどしいし、英語も分かっていないらしいのだけど、兎に角、おフランスやおパリにいるっていう自分や状況に惚れとるらしい。おめでたい方々だ。そして、みんな、ガイドブックをバイブルのように持って、いつも肩バッグに入れては、熱心な信者のように、ガイドブックに従って行動し、ガイドブックの情報こそが真実それを良くそらんじている事が、他者との優位性の象徴らしい。ザ日本。ガイドブックの、どこどこのマカロンとそこそこのマカロンを比べて、やっぱりここのマカロンが良いとか、そういう事で満足している。おもしろー。パリ好き女子生態。ワシ、そんなん窮屈すぎて死ぬわ。
今回は、昔は怖くて昼間しか近寄れなかったモンマルトルの丘の徒歩圏内にホテルを取った。小さなホテル。モンマルトルまで散歩前に腹ごしらえ。ホテル近くの評判良いお店でplat de jourを頼む。ガラス張りのキッチンの向こうでは、ワシ位の年齢のシェフが、年若い5名のシェフを従えてバンバン料理している。頼もしい。懸命に働いている姿は、どんな人でも美しい。ドイツでは働いている人を見かけない。ダラダラ、働いているフリをして文句言っている人だらけ。日本は、半々くらいかな。懸命な人は、我を忘れてその場に没頭している。だから、美しい。メインは白身魚のポワレ。Poissonとしか言わへんから、何の白身魚か分からんが、深海魚かタンザニアの淡水魚あたりか。オオアジの部類の白身魚で、魚の繊細さはない。そこに、ひよこ豆ベースのネットリしたソース、右に見えるくるみとピーナッツ、ヘビィクリームを混ぜたと思われる絞りソース。その上に、旬のいんげん豆、その上から泡立てた軽いムッターユのソース。ムッターユって、えーと、日本語でカラシ。その上に、ベビーリーフ。まぁまぁのでき。パンが美味かった。フランスはドイツより小麦粉が美味しい。
デセールは、カシスのソルベ、その周りに散らしてあるのは、赤紫蘇の赤ちゃん。こ���が意外とおいしい。赤紫蘇とカシス。香りが意外と喧嘩しない。ラングドシャの下には生クリームとフレッシュチーズを混ぜたクリームと黒キイチゴ、カシスのコンポートに、砕いたアマン、アーモンドね、が散らしてあった。うーむ。絶妙なバランス。ラングドシャにも赤紫蘇の赤ちゃんが入っているが、赤紫蘇は乾燥させないとダメよ、香り的に。。それにコーヒー。締めて、58ユーロ。うーむ。このレベルなら、仕方なき。しかし、研究所の昼食、40ユーロ取るなら、もう少しどうにかしてほしかったなぁ。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
モンマルトルは、二十五年くらい前は、まだまだ絵描きが住む街で、近くには伯父が大好きな、ムーラン・ルージュもあるし。まぁシテでも、貧しい場所だったと思う。今はパリも外にどんどん拡大し、今や、モンマルトルも立派に高級住宅街。観光客だらけで焦った。昔は、ポツンポツンとしていたし、貧しい絵描きが競うように、絵を売っていたっけ。ベレー帽をみると、ワシは彼らが体臭を放ちながら被っていたボロボロの、貧しい労働者階級を表す象徴としてのベレー帽を思い出してしまい、ベレー帽だけは、このお帽子好きのワシでさえ買えない。オサレなつもりで日本人の若いねーちゃんがおパリで被っているの見ると、全身タトゥーの次くらいに笑える。無知とは素晴らしい。
普段は朝と夕方にしかやらないおミサが、特別に行われるというので、ワシは久しぶりにおミサに与る。フランス語でのミサは、一昨年のウィーンであずかったドイツ語のミサより、なんとなく落ち着く。一時間あまりのおミサ。観光客が見守る中のおミサだが、入れる場所が異なるので、おミサに与りながら、神と向き合えたように思う。ミサが終わった後、回りの人々も、心が和らぎ、目つきが優しくなったように思う。聖体拝領のパンは、少し固く、しばらくすると優しい甘さになった。
ホテルに戻り、午後七時からの、コリーヌの小さな出版記念講演会へ。フランス語、わかる。というか、コリーヌの話すフランス語は、標準フラ語でわかり易い。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
夕食は、買ってあったバゲットとfromagerieのfromage selection de saison.とエクレア。バゲットは、何度か大会で優勝しているらしく、美味しい。エクレアは、生地をしっかりと作っている。古典的レシピのエクレア。ワシはケフィアを丸一本飲み干し、お腹の調子は、多分、バッチリざます。
1 note · View note
doctormaki · 11 months ago
Text
ハンブルグに戻ってから、2日間、研究所の会議に出ずっぱりだった。今年度は、あの有名な斎藤◯平が来ている。本人も含めてミーハーなバカどもは良い気になっているが、二日間、観察していて思ったのだが、やはり貧相。育ちが知れる。挨拶すらできない人間を雇う大学なんかに戻る必要なしと、改めて思う。今の総長もちゃらちゃらしていて、学者の風格無し。東大はゴミ溜めである。あの大学で博士を取ったことが恥ずかしくなるような大学。それでも、無知なミーハーは、ブランド名だけで判断するから、しばらくは東大マジックで延命するのだろう。実に下らない。
Tumblr media Tumblr media
研究所に所属した人々の出入りを、改めて振り返る。玉石混淆だった。年々、レベルが下がっているなぁと感じていたが、今年度は更にレベルがガックリと下がっている。私と話したいとか言ってくる奴もいるが、適当にお付き合い。所詮、関係ない。パリ・ウィーンの旅から戻ったら話そうと言ってくる研究者もいるが、keine lustである。ワシもドイツ語が、割とすんなり出てくるようになったが、もうすぐに忘れるだろう。マラケシュで思ったが、ワシはフラ語の方が好き。ドイツ語はフラ語より音が汚いので嫌い。
Tumblr media
帰宅した日は、夕食会もあったのでそちらで夕食を取る。流石にモロッコであまり食べていなかったので、ドイツに戻り、食事を安心して摂れるのはありがたい。下痢は、多分、水だと思う。九十年代のアジアのように、ペットボトルの水を買っても、栓が空いているようなものもあり、つまりは、適当に使い捨てされたペットボトルに水道水を入れて再販しているのだ。まぁ、途上国アルアルだが、なま水でやられていたように思う。
昨晩は、久しぶりに夕食を家で摂る。梅干しにキムチに、おかゆに、人参のサラダ。やっぱり、手料理一番美味しい。手料理がまずいとか思っている人は、大学とか行く以前に生活能力無いと思う。
ドイツにいて良かったのは、こんなド田舎でも、スペイン語やフラ語、イタ語を耳にする機会が多く、忘却と再訓練の頻度が高かったことかな。
2 notes · View notes
doctormaki · 11 months ago
Text
ホテルはワンオペ。チェックインできるまでに時間がかかる。部屋に入り、一応メールをチェックして良かった。なんと、スイス航空、いきなりフライトキャンセル。マラケシュではハンブルグまでの通しのチェックインしかしないと言うから、ストップオーバーするのに、荷物はZurichで出せよ、明日、Zurichでチェックインするから。チケットはスルーで出せるだろと、カウンターのおっさん相手にキレておいて良かった。
マジかよ。。。スイス、今回の旅は、モロッコに行くからこそ信頼のスイスにしたのに、こう相次ぐキャンセルは驚きだ。リアレンジするから待てというので、荷解きしながら待つ。こんな時にイライラしても無駄。すると、朝の5時のフライトでフランクフルトに飛び、そこで待つので、ハンブルグに着くのはお昼過ぎのフライトで手配したというお知らせ。ふざ��んなあ。日本人舐めんなよークソスイス。ということで、再手配していく。8時の直行便だと10時には着く。こっちの直行便にしろー。おまけにお前のせいでこうなっているのに、お金なんか払うわけ無いだろーとブチ切れ。すんなり通る。そう。スイスもドイツもフランスも、キレた者勝ち。だから、みんなやたらと不機嫌なのだ。最悪の国だ。弟の嫁がいつも不機嫌ぶちかましているのは、自分の方が優位だとワシに示したい、たった3ヶ月のおフランスなんちゃって留学で身につけた態度だろうけれど、お里が知れるわ。お育ち良いフランス人のワシの友達は使い分ける。えっっ。使い分けてあの態度なら、ワシの事が嫌いという態度なんだから、ワシも別に好きでも無いし、適当にあしらう。
でも、ここはスイス、心を鬼にしないとね、と。一応、無駄にキレてみせる。ちなみに、ワシがキレるって、一般レベルのちょっと不機嫌位にしか見えないらしい。お育ちが上品だと、不機嫌ぶちかますのも、大変ざます。こちらで、エチェやコリーヌねーさん達に、マキは人当たり良すぎるから舐められてるのよ。もっと、鼻くそ見えて良いから、なんなら、お前にワシの鼻くそ見せてやるわい位に、くいっと顎を上げるのよ!っと指導された事がある。ワシはむしろ、じゃさ、鼻毛とかも手入れしてるの?と興味津々だったが、エチェねーさんもコリーヌねーさんも、だーーー。だから、マキはダメなの。鼻毛だって見せてやるのさ、という。ワシは、そっ、そんなお下劣な。。。がははと笑ってしまい、このコウマンキチな女の態度がなかなか身につかない。。。女優するのも疲れるざます。ワシ、基本的に和平好き、平和主義者なので。
ドイツ人はスイスは暮らしにくいとワシに文句言い、スイス人はドイツは暮らしにくいとワシに文句言う。走馬灯のように、ワシのスイス知人とスイス在住ドイツ人が目の前に浮かぶざます。まぁ、でも電話越しだったので言葉の勝負。そして、勝負はあっさり勝ち。シャワー入って寝る。しかし、寒い。そして、一泊4万円も出しているのに、シーツや枕カバーから、外人女性の体臭の匂い。ワシ、匂い防止のため、シーツや枕にタオルを敷く。しかし、臭う。シーツも枕カバーも随分と変えていないようだ。最悪。これで素泊まり4万かよーーーー。ふざけんなあ。という事でアドレナリン出まくり。でもアドレナリン出しても寒いので、ホッカイロをニコニコ貼り、とりあえず横になれる事に感謝。シャワーと横になれる事に4万円払ったなら上等や。。。と思う事にする。快適である。下が一泊4万円以上するホテルのくっちゃいシーツと枕カバーのお部屋。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
ハンブルグに到着。機内は、昨晩、全く臭くて眠れなかったので、機内食なんか無視して爆睡。チューリッヒで、2500円も出して、パンドショコラ食べて、カプチーノ飲んだしね。スイスチョコは、ワシはお子様の頃からミルク過ぎて苦手だった事を思い出してしまった。苦笑。
右上の写真は、ハンブルグ空港のラゲージのベルトコンベアー。��くれたままのコンベアーを、そのままギシギシ言わせながら使っている。ドイツの現在、そのもの。システムがしっかりとしているので、壊れないことを良いことに、壊れかけているのに、無理矢理そのまま使っている。鉄道も、なんでも、かんでも、そう。ドイツの崩壊に学ぶことは多いぞ日本人諸君。我々も、新しいインフラ投資よりも、先人の投資メンテナンスを予算計上に組み込んでいかないと、そろそろ戦後の高度経済成長期のインフラにガタきてますよ。今までだましだまし使ってこれたけどさ。。。
空港からのSバーン。次の駅のOlsdorfでUバーンに乗り換えて家に辿り着く。何もかもがホコリっぽいので、洗濯して、掃除。もう、今日の朝からの会議なんてどーでもいー。帰ってこれたんだし、今日は夕食会まであるから、午後から出まーすと秘書その2に伝えておく。あーうざい。
1 note · View note
doctormaki · 11 months ago
Text
最終日。モロッコはハードマンシップ高め。空気が良くない。ホコリというか細かな砂も、私の気管支や鼻の粘膜を刺激する。その昔、ムーラン・ルージュで違法性転換手術をしていたフランス人医師がモロッコのカサブランカに移住してから、モロッコはその筋の人で溢れていたらしい。カルーセルまきも、モロッコでその医師の手で性転換手術を受けている。パイプカットだけでないらしいから、凄いわ、人間の欲って。その医師が亡くなってからはタイが性転換手術では有名。
なぜ、こんな事が大事かというと、そりゃぁ、おパンツの中身イジる位だから、ワシは衛生状態が少しはマシかと思っていたのだが、期待を裏切られたというだけの事ですけどね。こんな衛生状況じゃ、術後のシャワーでさえ浴びたくないだろ。大事な部分が化膿したらどないすねん。。。否。多分、めちゃくちゃ免疫力高い人々だというだけだろ。エウロッパ人、普通にマジで不潔だし。屋台でフルーツジュース飲んでいるの見るだけで、恐怖で下痢になりそうになるワシとは免疫力レベルがダンチなんだろう。数日前に出逢った日本人たちも、下痢とは無縁らしいし。。。ワシなんか、毎日、ビオフェルミンとミヤリンサン飲んでいるのに、意味ないじゃん。いや、これでも軽い下痢で終わったと考えておこう。飲んでなかったら、寝込んでいた。
久しぶりに朝は少しゆっくり。荷造りして荷物を預けて、王宮近くの食博物館へ行ってみる。立派なリヤドを改造してあり、外の喧騒がまるで嘘みたい。王宮には、なんか結局行かなかった。モロッコの建物は、どれも同じ。食博物館は、今は貸し切り会場にもなるような大きなリヤド。でも、昨年の地震で博物館部分はヒビが入り、修復中とのこと。床のタイル細工などは、女子校と同じなので、金持ち趣味は把握できた。王宮に行けば、この規模がデカくなるだけで、細工がより良いものになるとは思えん。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
もう一度、スークを歩く。昨晩、ヒチャム君が連れて行ってくれた土産物屋さんの前を偶然に通りかかる。中をちらりと覗いても、丁稚がいただけで、ヒチャム君のお友達はいなかった。全ては夢のようだ。そこに行ったからといって、その人に会えるわけではないのだ。出会いとは、マジで不思議なものだ。それにしても暑い。ピンクの街を歩き、自分のリヤドに帰ると、アブラヒムが掃除のおばちゃん達と中庭でお喋りしていた。のんびりしていて良い。ワシには、この程度のこじんまりしたリヤドが丁度良い。
残りの80ディルハムとコインは、みんなにお菓子でも買ってあげてねと、一週間お世話になりましたと、アブラヒム君にあげる。8ユーロ、1200円位。こちらでは、20ディルハムでカフェでコーヒーが飲める。1ユーロ150円として300円。日本と変わらない。日本円とディルハムの価値、ほぼ同じ。ウケる。
空港へは、公共バスで行く。巡回バスなので、空港から来た道とは異なり、中央駅前などを通る。初日に、ヒチャム君がドライブしてくれた道だ。空港だけは、やけにモダンな編笠きのこみたい。
フライトは満月をみながら、下にはアトラス山脈を見ながらのフライト。チューリッヒに着いてから、入国審査官に、あんたのドイツ滞在許可証、あと二週間で期限切れるわよと、御親切に忠告いただく。彼女の目を見て、ありがとう。延長してくれてもドイツにはいないわ、日本の方が良いからと言うと、いきなりツンケンしていた顔が満面の笑み。その対応にワシの方が拍子抜けする。スイスはドイツ嫌いがいるって聞いたが、その類いか。ホテルは空港ホテルなのに、無料シャトルバスで15分も離れている。
1 note · View note
doctormaki · 11 months ago
Text
六日目は、大西洋再び。ヒチャム君が今年から教える工科大学があるエッセウィラという港町へ向かう。マラケシュで両親と一緒に暮らしているヒチャム君。モロッコでは結婚しないとずっと両親と一緒に暮らさなきゃならんのよ。っで、僕はずっと、何かあれば直ぐに日帰りできるけれど、毎日通うには少し大変な場所で勤め先探してたの。それも、僕の大大大嫌いなフランスの影響が極力少ない大学で!と初日に言っていた事を思い出す。
それにしても、ヒチャム君。幼い頃は、観光客といえばフランス人だらけ。フランス人の横柄さや、大した事のないバカほど、白人至上主義を振りかざすことに、子供の頃からウンザリしていたらしい。そんでね、マキ。フランス人ってみんな、ただのお高くとまったバカとアホしかいないじゃん。っでね、その中でもマシな奴を見つけるリトマス試験紙は、英語なんよ。あーそうかも。。。ドイツ人もそう!英語喋れないドイツ人って終わっとる。
でしょー。でもね、フランス人ってドイツ人よりマジでアホじゃん。ゲルマン言語できないじゃん。だから、フランス語が全く分からない振りして、色々とアホがフランス語でのたまわった後にね、静かにこう切り出すのさ。まぁ色々とアドバイスをありがとう。I appreciate all your kind advice. But I think you were speaking in... French?..... そして時間を置いて目を見つめてやるのさ。そしておもむろに、i understand that you were speaking something to me in French but can you kindly say that again in English. って言ってやるのさ。するとね、今の御時世でしょ。あのアホな偉ぶっているフランス人どもも、さすがに恥じ入るんだよ。だってさーHicham、だって、それって遠回しで、お前アホ、明後日来いボーケって上品に言っているんじゃん、とワシ大笑い。ヒチャム君も笑いながら、さすがにね、わかるよね。でもさ、最強な奴は、返って怒るから。ここでフラ語分かるからって、奴らの悪口に対応しちゃいそうになるのをぐーっと堪えて。っで、心の中では、ボーケボーケ、しねアホーとかアラビア語で言うんでしょ、とワシ。いやぁ、まぁこれは僕とマキの間だけだけど、ヒソヒソとしたトーンに変えて、うん当然やん、と笑う。
ウケる。マキもさ、ふざけんなって思う相手のあしらい方を、身に付けないと。モロッコはそのためには最高の場所よ。スークの押し売りをあしらう。アホな外人どもをあしらう。こういうあしらい方を身につけられる場所だよ。とヒチャム君。マキはさ、マジメすぎるから、相手にしなくて良い奴はあしらうんだよ。そうじゃないと、僕とお話ししたい時とかに、疲れちゃってたら勿体無いじゃん。本当に話して意味ある人と話すための余力を蓄えて、ゴミは相手にしない。いい? ワシ。うーむ。刺さる。コイツ、ワシのこと見抜きすぎ。。。ワシ、分かりやすいのカピバラ。
Tumblr media Tumblr media
海辺の街は美しい。大西洋だよ、おっかさんである。ヒチャム君との会話を思い出す。そして、ワシは海が好きだ。常に動いている。ドイツは常に淀んでいる。水も黒いので流れが良く分からない。山は死んでいるし。ヨーロッパの光の加減は、油絵と同じでノッペリしている。
Tumblr media Tumblr media
細い路地も、マラケシュの路地より綺麗。ホコリっぽくないのは、海風のおかげであろう。マラケシュはホコリっぽく、昔のニューデリーやカトマンズみたい。一日外にいると、洋服は街の臭いが染み付き、鼻の穴は真っ黒、髪も、お帽子被っているのにバサバサ。最悪。でも、エッサウィラは、空気がきれい。久しぶりに安心して深呼吸して、気管支がやられている事に改めて気付く。
クロッシェで帽子を編んでいる男性としばしお喋り。ワシもクロッシェするの、と。編み針が少し扁平で、普通のクロッシェ針と違う。そして編み方もワシの知らない編み方。彼は編みながら、お前、日本人か。という。そうだよ、日本人。すると、そうだろうなぁ、と編みながら言う。なんで、と尋ねると、編み針の形状が違うとかさ、編み方がどうとかさ、針の持ち方や、糸の掛け方がどうとか、お前みたいなマニアックな話してくる奴、日本人しかいないだろ。。。と。あー。そうかもね。でも、俺、こんなに編物について観光客から質問されたの初めてだけどね、と初めて顔を上��て、笑う。普通の観光客なんて、手仕事バカにしてるだろ。旅行に来れるくらいの金持ち成金は、手仕事をバカにするのさ。機械でできるとか思ってやがるんだ。でも、違うじゃん、機械と手仕事。そ。だからな、俺は、手仕事してない手をみると、ただの成金バカと思いつつ、こうやって手を動かしているのさ。楽しみがわからない人間なんて、買い物して喜びを買うだけなんだよ。貧しい奴らはどっちかって言ったら、あいつら観光客さ。誰かに楽しませて貰わないと、自分で自分を楽しませることすらできない。ハハと笑う。うーむ。おっしゃる通り過ぎです。
Tumblr media Tumblr media
ヒチャム君は、三十分置きくらいに、マキ今どこ。写真送れというので、適当に写真を送りながら街歩き。ナチ時代に大量に逃げてくるユダヤ人を受け入れたマラケシュ。トルコでも、ドイツ人もユダヤ人虐殺に対抗して、トルコでもギリシアから大量に逃れてきたユダヤ人を受け入れていた。が、トルコは悲しいことに、それが所以で、ドイツから報復措置を取られる。モロッコは、フランス領だったため、���イツも手が出せなかった。ヒチャム君にその話を聞いていたので、エッサウィラのユダヤ人墓地まで歩く。中には入れなかったが、海辺の墓地に、彼らは眠りながら何を思うのか。。。バーセン先生のお墓参りに行った事を思い出し、揺るぎない故郷があるという事の有り難さを思った。
エウロッパのバカ観光客と、モロッコ人の差異は、海への対峙の仕方で直ぐに分かる。モロッコ人達は、みんな静かに座って、ひたすら海を眺めて、時折、ボソボソと喋っている。けど、基本的に静かに物思いに耽っている。白色バカどもは、大騒ぎして、フラもアメも、大きな声で下らないことを騒いで、写真をバカスカ撮って去っていく。実に人間観察は面白い。
僕ね、あと5年働いたら、今まで働いた分と合わせて30年の国家サービスだからね、もうすぐ年金対象者になるの。だから、エッセウィラ工科大学でも、定年まで働けるけど、まぁ五年働いてから考えて、早期リタイアして海釣りの毎日も良いかなぁなんて思っているの。えーっ。マジっすか。ワシもね、そろそろ早期リタイアしようかと考えているところなの。というと、へー。。。なんか、人生中年の節目、mid year crisisなんて関係なく自由に生きてきた独身者って、似た者同士なんだねぇって妙に感心しあう。ワシね、心配性だから、マジで子供産まなくてよかったって思っているの、というと、顔を覗きこんで、あー。もう当然だよね。この時代に子供産んで貰って、育てる勇気は僕にも無い。仕上がった大学行ける子供を、最終的に磨くお手伝いだけで十分さ、と。ワシも全く同じなので、笑える。
1 note · View note
doctormaki · 11 months ago
Text
いやはや、実にプレートテクトニクスはオモロイなどと大満足しながら帰宅。すると、お待ちかねのヒチャム君デートのお誘い。ホテルまで迎えに行くから、スーク歩きしようと提案してくれる。頭痛しているけど、せっかくなので、有り難く受け入れる。ドイツ土産、渡してないしね。��慢のおベンツどないするん。無理せんでえーで、とやんわりお断りするが、地図まで送ってきて、車停める駐車場あるから。お前のホテルまで駐車場から歩いてすぐやし。。。というので、お付き合いの覚悟をする。ワシの友達、みんなしゃべりなんで、話し出すとエンドレスなんよね。
Tumblr media
ちなみに、モロッコのパンは、デュラム小麦で焼いているので、不思議な食感。下はパン屋さんです。こちらのパンは丸パン。でも、中東からインドの丸パンと異なり、つまり、ピタパンと異なり、中には空洞がありません。手でちぎって、パンでおかずを挟むようにして食べるのがお作法だと、ヒチャム君に教わりました。
Tumblr media
ワシ、ほぼ日射病で頭痛なので、首に日本から持参した頸動脈冷やすやつを着けてお出かけ。お待ちかねのヒチャム君、早速、何それと興味津々。28度以下で固まる新素材だと説明し、首に着けて上げると、めちゃくちゃ感動。日本って教育が技術力��活かされている。感動。とひたすら感動。お酒もタバコもしないヒチャム君はsweet tooth なので、ワシと意見合う。
まずはスークでお店を3店舗持っているヒチャム君のお友達のお店へ。スークは迷路。夜のスークなんて、ワシは怖くて入れん。ヒチャム君に感謝。お友達は、顔からして人の良さ全開。尋ねることを告げてあったらしく、熱々のミントティと共に待っていてくれた。ワシ、ヒチャム君のお友達の店主が座る席に座らせてもらう。日がな一日中、目の前を通り過ぎる観光客達を、どんな気持ちで眺めているのだろう。観光客として歩いていても、まるで淀んでいる川の流れのように、ゆっくりと常に観光客は徘徊して、目の前を通り過ぎる。それを定点観測すること二十五年。ヒチャム君は、コイツ危うくスペイン人と結婚しそうになったんだけど、モロッコ人の奥さんにしたんだよと笑う。ワシ、彼とはスペイン語混じりの英語で話す。英語よりスペイン語の方が得意なの、だって、僕、本気だったから。おかげで彼女の置き土産は、僕のスペイン語。ビジネスに毎日役立っているのさ、と笑う。人生、イロイロざんす。四十代って楽しい。
ミントティを飲みながら、ワシの観光ばなし。ホテルの様子などを聞き出す。こうやって情報集めさと笑う。ビジネスは回復してきているけれど、物価上昇で生活レベルが変わらないよ、とぼやく。その間、���れいに店先に陳列してある商品を、丁稚が一つ一つ、店内にしまう。少し奥まり、店先が珍しく小さな広場になっている彼の店。通り過ぎる観光客には常に目を光らせていて、昼間の買い物客が通ると、すかさず、bon soir! Ca vas bien? とフランス人にはフランス語で、スペイン人にはスペイン語で、手を振りながら挨拶する。覚えているって偉い。地元で買い物した時、たった三十分ほど前に同じものを買った客でさえ覚えていなかった日本人と大違いである。その時の買い物は、ワシの頸動脈冷やし首輪が欲しいと言った母のために、もう一度同じ商品を買い求めに行ったのだった。
ヒチャム君へのチョコを、ミントティのお茶請けになるかなと敢えて渡す。当然、ヒチャム君は、友人にも、ワシにも分けてくれた。なんだ、このチョコうめーと大喜び。gingembreと教えてあげると、あーそうか、この味はショウガだと、gingembreだと二人でワクワク味わっている。かわいい。出会えた記念に、僕の店から何か好きなものを持って行って、と別れ際に言ってくれる。僕ら二人を思い出してくれるやつじゃないと嫌だとヒチャム君。うーむ。悩みに悩んで、鏡にした。フレームが青銅製で、こちらは青銅細工の品が多い。荷物にならず、毎日使う。包んでくれるというので、ヒチャム君を置いて、店内に入り、puedo pagar lo... と一応言ってみる。当然.no, no, esto es regalo para ti, pero, te acordaste nosotoros cuando mirar esto. という。si por supuesto, pero, en serio? Esta bien? ワシ。si si por supuesto y mucho gusto. Estas amiga de mi amigo muy importante y muy grande. Y esta noche fue muy bella. Entonces, regalo para ti, gracias a ti.と言い張る。ワシ、胸に手を当てて、ありがとうという。彼、喜ぶ。シンプル。
Tumblr media Tumblr media
帰路に着く前にお約束のベーカリー。ジュース屋さんを兼ねている。Orcunもイスタンブールでバナナジュース奢ってくれたっけ。イスラム教のワシの男友達は、フレッシュジュース好きらしい。ワシ、嬉しくレモンジュース。ヒチャム君はマンゴーとオレンジのミックスジュース。それに加え、こちらの昔からの歓迎のお菓子で、その名もヘビのアラビア語、サッアバーンというお菓子を注文。薄く小麦粉を焼い��filoに砕いたアーモンドを芯にして細長く巻き、それを更にトグロを巻くように巻いた上から、ローズウォーターとシロップ、ハチミツを混ぜたものをかける。口に入れると、ローズウォーターの香りがほんのり。美味しい。ヒチャム君の子供のからの大好きなお菓子らしい。
お菓子を食べながら、コロナの人為の可能性、世の中で進行しつつある不思議な現象の見立てなど、色々とおしゃべり。マキには信仰は無いだろうけど、俺には信仰があるっしょ。アッラーは、みんなに分け与えても余る程に存分に富をくださっているんだよ。人口八十億になりそうでも。だからさ,それはdistribution の問題でしょ、とワシ。うん、そう。だからおかしいんだよ。誰も誰かを支配しない。けど、みんな足るまでは手にできる。それは僕の信仰の世界ではアッラーが約束した事。実現できないのは、誰かがおかしいことをやっているのさ、とヒチャム君。
おしゃべりしながら気付くとホテルまで見送ってくれた。ホテルをどうしても見ておきたかったらしい。ワシのホテルは、リアドなので中から開けてくれないと、外からは入れない。中から出てきた顔なじみのお兄ちゃんの顔を見て、ヒチャム君は安心したらしい。兎に角、ちゃんと面倒見ているか、部屋は清潔か、タオルは交換しているか、と気になって仕方がないらしかったが、中から出てきた兄ちゃんに、アラビア語で何やらのたまわって、片手を上げて、またね。またいつかどこかで会おうと、颯爽と去って行った。
残されたコッチはいい迷惑である。興味津々のホテルの兄ちゃんに、大学の先生で友達なんだよと伝える。と、目を輝かせて、じゃお前も大学の先生なんだ~という。えっドキ。どうしてわかったの、と聞くと、だって、友達が教えてくれる事は多い。your friends tell about you a lot, right といたずらっぽく笑う。まぁね。そうだよね。
1 note · View note
doctormaki · 11 months ago
Text
四日目に予定していたツアーに行く。アフリカプレートとユーラシアプレートの出会うモロッコ、イタリアは地震が多い。そして、北アフリカのアトラス山脈は、プレート運動によるもの。非常に複雑なプレートなのだ。ちなみに4167mの北アフリカ最高峰のツブカル山近辺では、冬はスキーもできるざます。嫌、ワシはスキー好きだけど、ここにはスキーでは来ないけどね。
そこでワシが見たいのは、ズバリ、プレート運動である。我ながら、なんとマニアックなんだろう。流石、学生時代に地理学者の高木先生と251と言われた国土地理院の25000分の1縮尺地形図を持って藤沢近辺歩きまくったり、ネパールまで一緒に行っただけあるざます。まだ紙の地図の時代。等高線を赤鉛筆でなぞったりして、標高毎の土地利用を見たり、土地利用から地質を推測したりと楽しかった。高木先生は、慶應退官後どっかの大学の学長やってたけど、先生なら当然だろうと思う良い先生だった。そこで、渓谷巡りしながら、アイットベンハドゥというカスバを目指す。カスバとは、アラビア語で城塞、城砦を指す。
一緒に行くのは、ベルギーのリエージュから来た若い夫婦。こんなに乾燥しているのに、嫁は粘度の高そうな鼻水を何度もかんでいた。ワシなんか、乾燥しすぎて鼻粘膜から鼻血が出る上に、勝手に修復活動しているから、ともすると、鼻の奥の粘膜部分にできてしまう巨大鼻くそで窒息しそうに��る。鼻かんでも出てこないざます。ので、ベルギー人が羨ましい。ベムでさえ棒よだれタレなさそうな勢いの乾燥度合いの中、さすがエウロッパ人の粘液体質である。感動。ツアーガイド兼運転手のお兄ちゃんには、早々とワシがフラ語をわかっている事がバレる。細かな、例えば地震とかいう単語は知らないけれど、文脈でおおよその予測はつく。だんだんと、フラ語でしか説明されなくなる。汗。
Tumblr media Tumblr media
アイットベンハドゥを目指し、午前中は、ツブカル山側の渓谷。山並みが美しい。感動的に不毛な大地。人々は、オリーブやアルガンなどを育てて、羊飼いなどをしながら生計を立てているらしい。でも、段々と都会に楽な仕事と現金収入を求めて出稼ぎに行っているらしい。道路建設や、昨年9月もマラケシュで大規模地震があったが、復旧工事などが地元である間は、生活が潤うのだとか。現金収入を手にしてしまうと、元の生活に戻れなくなるのは世の常なんだなぁ。福島の祖母の家の周りの急速なにわか金持ち達の家々を思い出す。日本は、豊かである。こちらは、家は壊れたまま、未だにテント生活しながら、干し煉瓦と干し草と土で固めた家を、少しずつ、自分の手で再建している。神戸と東北震災の差異を感じたものだったが、ここまで来ると、政府なんてあって無きが如くである。などと思いつつ、絶景を堪能。
午前中にアイットベンハドゥに到着。世界遺産。そして、映画の撮影地でもある。アラビアのロレンスを撮影したのはここ。その後、ハリウッドはここからまだ南下するワルザザートに撮影所を作っている。多くの観光客は、そちらへ行くらしいが、ワシ一切興味無し。入場料払って撮影所に行くのは、太秦でさえ行かないんだから、モロッコで行くわけないでしょ。
太秦といえば、コロナ中に、母を連れて、憧れのトロッコに乗りに行ったっけ。ワシは、予約無しでトロッコに乗れた事に、感動。と同時に、子供の頃、信楽で買ってもらったタヌキを思い出さされるタヌキだらけの駅を通り、タヌキ熱にかかってしまった。今年、久しぶりに車で関西に帰る途中、憧れの信楽タヌキをまたゲット。前回の、つぶらなお目々に惚れて買った子は割れてしまったので、母が随分と前に捨てちゃったのよね。
Tumblr media
アイットベンハドゥです。手前は、川。橋もあるのだが通行料を取るらしいので、鴨川のように飛び石になっている無料の渡し場を通って、暑い中、ワシ、頑張って、上のぴょこんとなっている丘の上まで、城塞都市を通り抜けながら、登山。あのぴょこんとなっている所には、攻められた時用の食料が置いてあります。今は半壊になっていました。このカスバには、まだまだ人が生活していて、世界遺産だから、土産物屋とカフェ、ホテルだらけ。ホコリっぽく暑い。けど、おまけに迷路です。
ワシ、道がホウキで封鎖されているので、戸惑っていると、中からこすっからい感じのババァが出てきて、その道通れない。我が家を抜けてこっち通れ。近道あるよ。1ユーロに当たる10ディルハム払え。という。マジかーと思ったが、もう今さら戻る気にすらならないよ。何段階段登ったんだよと愚痴り、お金を払う。もっと最悪な事に、近道という道は、確かに近道だが、上からペットボトルなどのゴミが流れる、いわゆる砂防のような砂利道斜面。膝悪いワシには最悪。ゴミを避けながら、滑り落ちないように、足場を確保しつつ、たまには手もついて、必死に登る。一歩滑ったら、そのまま崖である。冷や汗出まくりだけど、暑い。ワシ、山登りしてて良かった。普通の人なら、無理レベルだと思う位に、斜度がきついし滑る。
興味深くお宅拝見できたのは良かった。水が来ているのだ。どうやって水を上げているのか、不明。気になる。けど、カスバの頂上には何も水関係の施設がなかったので、多分、下から川の水をポンプで汲上げしているのだろう。面白い事に、郵便も届くらしく、玄関と思しきドアの横には、郵便ポストもある。中は、分厚い壁のために、嘘みたいにひんやりと涼しい。そして冬は暖かいのだという。やっぱ壁の分厚さによる断熱だよなーとワシは思う。ドイツとか北欧の家も、壁分厚いもん。日本の薄壁に断熱��ール入れて、断熱してまーすってやっぱ、どう考えてもなんちゃってだろう。ワシは、ワシの部屋のクーラーをママが買い替えてくれたので、国士舘柔道部出身のおッちゃんの工事の一部始終を詳らかに観察したが、これで断熱って、騙されてるーと思ったっけ。
パッシブソーラーハウスの典型として出てくるモロッコの住宅。壁分厚く、中にパティオを作って水を流すので、適度な湿度が保たれ、冬温かく夏涼しいと、建築学の本で読んだ通り。昔の人の方が賢い。風土に合った建築を作っている。え、まてよ。日本は、なぜあそこまで寒さに耐えなくちゃいけない家なんだ。。。東北の家の中にある蔵、内蔵は温かそうだけど、あれが持てるのは金持ちだけだしなぁ。。。オンドル無いし。辛すぎやろ。ワシ、暑いのも寒いのも苦手な段ボール箱の箱入り姫様ですねん。
昼食は道中の村でタジン鍋。ワシ、下痢中なので、控えめに食べる。帰路は、アトラス山脈側の渓谷。運転手が、急遽、古代からの塩田に連れて行ってくれた。白いのは塩。雨が降ると、地面から滲み出て、塩田になるらしい。舐めてみると、とても優しい塩だった。昔、この辺り一帯は海。それがユーラシア大陸とぶつかって隆起している。道端の土産物屋では、アンモナイトに三葉虫などの化石がたくさん売られている。感動しているのは、当然ワシだけ。ベルギー人夫妻の感動ポイントは、良く分からない。向こうも、ワシがなぜ、sel de fleurと大騒ぎしておるのか、さっぱり意味不明だっただろう。ここは、昔、海韃靼だよと言っても、アホにな何も通じない。アホってマジで救いようない。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
この上の写真を観ているだけだと、完璧に、アルゼンチンのサルタ、フフイの感じ。ワシ、地球の活動に感動。地球は生きとる。そして、美しい。人間の無知なんて、ここでは、笑いものにすらならない。無知な奴は死ぬだけ。ラクダのキャラバンに必ず一頭はロバをつけるのは、ラクダは水分なら何でも飲んでしまうらしいが、ロバは危険な鉱物が入った水は飲まないらしい。なんなら緊急時、ラクダのオシッコでさえ貴重な水分源になるキャラバン隊にとって、ラクダが飲めるからと言って、オシッコ活用しなきゃいけない時にラクダちゃんの身体がろ過した危険鉱物をいただく訳には行かないのだ。だから、まずはロバに水を飲むか確かめさせてから、人間もラクダも水を飲むらしい。いやぁ、侮れないぞ。ロバ。
0 notes
doctormaki · 11 months ago
Text
Tumblr media Tumblr media
ハマムへの道すがら、なんだか見覚えのあるワンピースに出会う。壁に落書きされていて、ワシ、驚く。親日家がいるらしい。右は、女子校での芸術についてのpresidentのスピーチの抜粋。tres philosophique y gentil と思うざます。心に一々響いた。
ハマムは、住宅街のど真ん中。観光客はおらず、ちとビビる。5時に予約を入れた事を伝えると、しばらく待たされる。先客はドイツ人男性二人とイギリス人男性一人。おい。。。ここは男のハマムかい。。。と、紹介して予約してくれたアブドラ君を恨みそうになるが、頭痛が酷いので、ほぼぼーっとしている。紙パンツに着替えるように言われ、バスローブを渡される。着替えると、女性ばかりのスタッフの一人がフランス語で付いて来いという。屋上の部屋に通されると、大理石でできたベッドが壁に備え付ける形である。上に寝ろというので寝ると、岩盤浴のように温かい。上から水をひしゃくでかけ���れる。ひたすらお清めされた後は、こちらのスークで見かける謎のラバー状のものに、ガスースと呼ばれるドロを入れてモミモミ。それを、身体の全身に塗ったくられる。そして、寝てろと言われる。片言のフランス語。そして、ワシも片言のフランス語。
身体が激冷えなのを痛感する。久しぶりに温めている感じ。フィンランドのヘルシンキではお風呂付きの部屋で2泊したが、お湯が微温くて温まった感じはしなかったことを思い出す。ヘルシンキのホテルは良かったなぁ。。。などと思いつつ、背中をジワジワ温めて、お腹も温めていく。蒸し風呂すごい。しばらくすると、担当のねーちゃんがやってくる。ワシは人生で初めて、大根おろしになった気分。いわゆる韓国のアカスリもこんな感じなのかしら。ヤスリとしか思えない手袋で、容赦なくこすられる。大根おろしになった気分。そんなに汚れてないのではと思ったが、後で見ると、腕からはやばい位に垢がよじれている。ワシは毎日、シャワー入っているんだけどな。。。外人どもは、毛深いし、もっとヤバそうと思う。
水で流した後は、また寝るように指示され、今度は全身、コーヒーのスクラブまみれ。これで、また倒れているように指示される。ワシは冷えているみたいで、熱が出かかっているのか、冷えているのか、良く分からない。汗がジワジワ出てくるので、温まってきたらしいところで、また水で流される。次は、白色のガスースを水で溶いたものを全身に塗ったくられる。ここからが、サウナ状態。ワシはフラフラしてクラクラして、自分で水浴びしつつ寝そべったり、座ったりして耐える。また、オネーチャンが来て、中途半端なワシのガスース落としをきれいにしてくれて、シャンプーなどをして、全身を泡だらけにして洗ってくれて終わり。一時間。
次はマッサージというが、ワシは無理と言って、休ませてもらう。屋上で風に当たりながら、しばらく夕涼み。バスローブの中を汗が滴る。汗が引いてきたので、冷たい水を飲む。三十分くらい、ぼーっとしていただろうか。近所の子供たちや犬の声がして、平和。心配した女店主が、顔色をうかがってくる。ワシ、エウロッパ人より繊細なんです。
顔色が良くなったのか、マッサージ部屋に連れていかれる。うーむ。なんとなく臭い。アルガンオイルで、一時間の全身マッサージ。部屋の中にはそよ風が入ってくる。小鳥たちがおしゃべり。比較的手の小さい女性がマッサージしてくれる。繊細なタッチは気持ち良い。背面、脚から上半身、頭、胸面、脚から上半身、頭と顔を丁寧のマッサージしてくれた。いい子いい子されている気分。エチェが、ハマムに行くと、赤ちゃんに戻れるのさと笑っていたが、それを実感。
ユーロでの現金払い、二時間で45ユーロ。帰路はぼーっとしている。スークの中を通って帰ると、面白い事に、洗っただけのワシのボサボサの髪を見て、散髪屋さんが声をかけてくる。ワシ、苦笑するしかない。ノーメークすっぴんで、髪の毛ボサボサ。良くホテルまで戻りました。
0 notes
doctormaki · 11 months ago
Text
四日目に予定していた砂漠へのツアーが、大雨で道路封鎖となり、欠航となるという連絡。ワシ、疲れが出ていたので、むしろ、有り難い。朝はゆっくり七時起床。朝ごはんにはたっぷり一時間ほど取る。マラケシュの観光施設は、ほぼ再建されているもの。割と法外な値段を取る、jardin de Yves SaintLaurentやJardin Secret を写真で眺めつつ、まぁ行かなくても良いと直感的判断。
マラケシュの面白さは、入り組んだ迷路のようなスーク歩きだと、ワシは思う。ので、午前中は、スークの中を歩きながら、1900年代前半に作られた女子寄宿学校を訪れる事にする。その近所にはコーランを勉強する為の男子寄宿学校もあり、そちらの方が有名。ワシはこう見えて女子なので、女子校行くざます。
Tumblr media
ワシ、体調悪い。身体中が敏感になっている。気温差、太陽光、水、油、匂い、ホコリ。色んなものにやられて、吐き気と下痢。ガハハ。修士時代のインドを思い出す。大人になってからのインドネシアでも、大概、滞在して三日目位に疲れが出て倒れていたっけ。パパが切れて、日本帰れーと、体調悪くて弱っているワシに怒鳴ったことも思い出し、苦笑する。我が父はウケる。心配なのは分かるが、キレるなよ、と云いたい。
朝のスークは迷路だが、まだ大丈夫。女子校にあるハマムで、蒸し風呂の用意には前日から準備にかかり、学生たちは、アルガンオイルを塗って蒸し風呂で寝そべりおしゃべり。その後はガスースでパックしてからマッサージをうけるらしい。博物館は、全てフランス語がしかなく。それを読んで理解しているのは、ワシだけ。モロッコに来る欧人は男も女も全身入れ墨で、先祖が囚人と娼婦でしたと身体で表現している。そんな人々は、フランス人なら母国語も読まないし、スペイン人、イタリア人はガイドに言葉で、実に適当な説明を受けて納得し、写真を撮りまくって出ていく。
フラ語、イタ語、スペ語のガイドが言っている事しか分からんが、どのガイドも適当です。所詮、説明したって意味ないやろという態度、共感します。アホにマジメに対応するバカは、ワシの事ですから。がはは。全く無駄どころか、アホは驚く事に、マジメに対応すればするほどキレたりするから、相手にしないのが正解ですってことを学ぶのに、苦節五十年近くもかけてしまった。人生後半、ワ��はアホは、家族であっても適当にあしらえるようになるじょ。心をおににするのじゃ。
ワシはフラ語を読むのは遅いので、気付くと二時間も女子校博物館で過ごす。女子校は、天井、ドア、ランプなどの細工が限りなく繊細。しかし、こっちレベルの繊細。アラビア語のカリグラフィーも、パパがハマっていたイランのカリグラフィーと比べると見る価値なし。北アフリカまで来ると、イスラムの周縁である。でも、ここからスペインまで攻め入ったんだから、良くやった。
帰路、スークに溢れる白人どもが、全員、娼婦と囚人にしか見えないワシ。スークの店の前で一日中モノを売りながら行き交う人々を見守る店主達。見るものと見られるものの、視線の交差。こちらの人は人を良く見る。ワシは、年老いた店主達に、恭しく会釈されても、モノを売りつけられる事が一切無かった。面白いものだ。何の事なきも得ず、軽い頭痛とめまいと吐き気の中、スークを縦横無尽に歩く。気付くと、ポッとホテル近くの広場に出る。太陽にやられて体調不良のワシ。午後は昼食も取らず、ホテルでダラダラしています。ワシが読んだ日本からの旅行者からの体験談は、ワシには当てはまらず。。。少し拍子抜け。もう少し、押し売りとかしてくれても良かったよと思うが、まぁめんどい事は避けるのが良い。
夕方から、ホテルのおっちゃんオススメのハマムに行って参りやす。トルコで出来なかったからなぁ。。。ハマム体験。一時間のハマムと、一時間のクリーニングとマッサージらしい。楽しみである。体力温存のため、寝る。
0 notes
doctormaki · 11 months ago
Text
三日目は、カサブランカへ日帰り。うーむ。オーストラリアのキャンベラもそうだし、アメリカのDCもそうだが、近代に人工的に作られた首都とは、文化的には砂漠地帯ということ。実に無機質なのだ。首都とはそういうものなのだろう。
世界で3番目にでかい事を誇る王様が作ったハッサン二世モスクへ行く。無駄にデカいだけで、人生初モスクがイランでデビューのワシは、基本的にイランが基準値なので、何を見ても感動しない。イランは手の入れ方、丁寧さに繊細さが抜群で、絨毯にでさえワシは人の息吹を感じる。トルコでも、まぁハイ。。。って感じだったのは、父のおかげで、イランの手工芸を見ているからだろう。父、ありがとう。
それにしても、権威主義と権力の見せびらかしは、やるならもっと精緻にやれって感じ。折角、世界で三番目にデカイと誇りながら、モザイクのタイルのズレとか、そういうの、ワシはめちゃくちゃ気になる。大体、アホ丸出しの欧米人でもなけりゃ、こんなんで感動する奴はおらんやろ。まぁ首都だし、一応、見ておかんとねというだけのレベル。これに入場料取るのは、国家としては、もはや恥ずかしいレベルだが、アホな欧米人相手には良いのだろう。街中は、どこでも、植民地支配おフランスに対する反発か、イタリアンとアメリカンのレストランで溢れている。昼食も、イタリアンだったので、モロッコ仕様のマルゲリータを食す。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
昼食は、親切なイギリス人の二組のカップルと共に取る。ワシの両親とあまり変わらないだろうと推測される年配の御夫婦は、御主人はBAに長年、整備士として働いていたらしい。整備士として、若���頃はガトイックから派遣され、ザイールや南アフリカの空港に駐在。そう。アフリカ便は、皆、昔はガトウィックだった。アフリカから帰ってからはヒースロー勤務。日本にも四回、整備士として長期出張して、日本の整備士の正確さに感動し、リタイアしてから、奥さんを連れて一番最初に訪れたのは日本だったらしい。父と同じで、少し長めに働き、リタイアしたのは2015年頃らしいので、まだ観光客でごった返していない日本を見たのだ。京都、大阪、東京、御殿場、芦ノ湖、新幹線から見た富士山など、御夫婦は日本滞在がとても楽しかったらしい。良く働いた人の手は、節くれて、彼の人懐こい笑いとブリティッシュイングリッシュをチャーミングなものにさせる。子供は五人、孫は十一人目が絶賛製造中と笑って、奥さんに怒られる。ザイールでは若いのに、何もやる事なかったから、子育てしたんだよと、それでもめげずに笑いながら話す。奥さんも、笑いながら、そうね。大変だったけど、今はいい思い出と、ザイール生活を懐かしんでいた。いやぁ、マジで大変だっただろうな。ザイール。
もう一組は、ワシより少し年上で、熟年再婚のカップル。嫁はケープタウン出身。旦那は教会の牧師らしい。牧師だけに、モロッコでは嬉しそうにはじけていた。教会も大変で、イギリス国教会の矛盾、次世代への継続性が無いこと、本来はコミュニティサービスなのに、そうした教会の本来の姿が忘却されている事など、色々と話していた。御苦労なこっちゃ。まぁでも、牧師も休暇でモロッコ来れる位に儲けているなら文句無いやろ、とも思う。
Tumblr media
午後は海辺に立つフォーシーズンズの横にあるモールへ連れて行かれる。モールかよ。。。資本主義である。ワシは海辺で座って海を眺め、波のゴーという音に耳を澄ませる。波の音は、ザブンチャプンじゃなくて、ひたすらゴーという感じだった。父がどこかで買い求めた巨大な貝殻に耳をつけて、聞いていた音を思い出す。貝は海を恋しがり、海の音を、陸に上がっても己と共に持っていると、子供の頃、何かで読んでから、ワシは貝殻を見つけるたびに耳を付けて耳を澄ませていたっけ。平貝なんてダメよ、空気の音なんだから、巻貝じゃないと。。。と笑う母。父は何故か、その会話を覚えていたのか何なのか定かではないが、ワシの貝へのお熱が冷めた途端から、出張先で大きな貝殻を求めては得意気に持ち帰り、ワシに、おいマキ、土産だ、といって渡していたっけ。
ワシは、ドイツに住んだ二年間、今までより一層に両親への感謝しかなくなった。若い両親も、悩んでいた事もあろう。今ほど将来不安は無い時代だったにせよ、子育てに伴う不安や思いの中で、父には実に贅沢をさせて貰ったし、母には守って導いても���った。海を眺めながら、涙が頬を伝う。ドイツにでも来なければ、これ程までに、今の自分がある事の礎を、両親がしっかりと授けてくれていたことに気付けただろうか。勿論、ワシは残念ながら天才で、やっぱり常人と違う自分に気付かされる事多数。でも、その常人ではない稀人ぶりを、温かく見守り伸ばして貰えたのは、両親と白百合の伸び伸びした環境だった。感謝。感激。雨あられである。
夕食は、ホテルの近所のモロッコ料理屋で野菜のタジンでも食べようとふらりと入る。静かに盛り上がっているアジア人の三人組。ワシは彼らの隣の席で相席となる。最初は、日本語だと気付かなかった。ワシの脳味噌、完全にフランス語とスペイン語モード。彼らの料理が来てから、なんでさっきから意味が分かるような気がするんだろうと、真剣に悩む。あー。日本語で喋っているんだと気付けるまでに、相当時間がかかった。自分に笑える。
彼らはシェア旅というSNS上で見知らぬ旅仲間を集うプラットフォームをベースに集まった旅行者らしい。主催者の男の子は三十代。旅行会社に十年勤めて、自分が生きたい旅ができる自由な旅行に憧れて、でも一人旅はなかなか予定が合わないしできないという現代日本の悲しい社会的ニーズに応じる形で、仕事としてやっているらしい。三年やって、考えて、もう少しやろうと思っていると言っていた。ノマド的に、請負仕事をしながら、海外を気の赴くままにプラプラしつつ、行く先々での旅仲間募集をしているらしい。基本的には、各自で飛行機とって貰って現地集合、現地解散。集まっている時の現地でのホテルや交通費などは、彼が手配するらしい。明るく笑う彼。日本の若者にも、まだ夢がある。
彼と一緒にいたのが、三河出身の可愛らしい女の子。まだ二十代後半。結婚プレッシャーから逃れて旅に出るのが好きらしい。愛知の女の子は大変そう。。ワシの隣の席の男子は木場出身の27歳。生まれてからずっと下町、木場育ち。スペイン語専攻し、メキシコ留学し、今は社会人らしい。私が、ついこの間まで教えていた学部生達を思い出す。ワシの学生たちも、伸び伸びと、悩みながらも伸び伸びと生きているといいなぁ。
木場の子に、何気なく話していただけなのに、別れ際に、こんなに包容力のある人に、僕、人生で初めて出会いました。本当に会えて良かったです。このレストランに入って良かったです。ありがとうございました。と、深々と頭を下げてくれた。すると、他の二人も、会えて、お話できて良かったと、頭を下げてくれる。ワシ、言葉をうしなう。素敵な良い旅を、と。お元気で。としかいえなかった。
0 notes
doctormaki · 11 months ago
Text
午後は、夜にラクダに乗りたかったので、夕方3時からのハイキング、パラグライダー、ラクダ乗りツアーに行く。アトラス山脈の北アフリカ最高峰のツブカル山を見ながら、マラケシュから移動。なんと、プライベートツアーだった。運転手のオマール君と二人旅。パジェロの助手席からアルゼンチンのサルタやフフイを連想させる乾いた山脈の、赤から黄色、茶色までの様々な土の色が織りなす絶景を眺める。ハイキング前には、腹ごなし。5時からの早い夕食。野菜が美味しいので、ベジタリアンタジンを食べる。
ハイキングは、夕食を食べたホテルの裏道から始まり、村々を通り抜けて、村への水路を逆にたどる形で滝を見にいく。涼しい。おまけに雪解け水なので、冷たく美しい水。透明な水に感動する。ドイツでは、川は透明な水ではなく、水は常に濁っている。ワシは日本人なので、山の清流が美しいと思う。滝まではいきやすかったのだが、それは峰を辿っていたからで、車と落ちあうまでの帰路は、泣きそうな位の下り道。骨折後、久しぶりの山下り。村人のガイドのお兄ちゃんは慣れているので足が早い。下りの砂利道は滑るので、急ぎつつもルート取りは自分の能力に合わせて、少し回り道をしてみたりもする。途中、ラバに乗って登山してくるヨーロッパ人達に会う。が、ワシも、これを登れと言われたら、ラバに乗ったかも。。と思う。滝で会った人々は割としっかりと山登りの格好をしており、大げさだなぁ位に思ったけど、ワシが軽装過ぎたんだと納得。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
ハイキングの後、日没前のフライトを目指して、オマール君は頑張って車を飛ばす。夕日が沈んでいくのを見ながら、あそこがフライトポイントだよと指差す方を見る。砂漠は距離感が全くわからない。近いように見えるのだが、全く遠い。到着してからも、待ちかねていたタンデム飛行のお兄ちゃんに先導されて、ほぼ丘を駆け登るように丘の上まで頑張って早歩き。ワシは、気管支がゼーゼーしはじめてしまう。こんなに早歩きで山登りした事なかった。風は強く、装具を着けてフライトポイントに行くと、ワシは既に浮いていた。
飛んでいる所を、タンデムのお兄ちゃんが撮影してくれて、後で動画をくれた。外界は砂漠だが、丁度日没と半月が同時に出ていて、美しい。空も地上も美しく。風の強さに感動する。風を使った浮力に、鳥ってすげぇと改めて思う。やっぱ、帰国したら念願のパラグライダースクール入るか。
真っ暗な中で、月明かりを頼りにラクダ乗りへ。ラクダは匂いもなく、おまけに砂漠の上をタスッ、タスッという感じで歩いていく。馬と比べるとほぼ揺れない。ラクダは楽だ。はダジャレではなかったらしい。アルゼンチンのサルタで一日ガウチョツアーの後、もうおケツがやばい事になって、足もガクガクになったワシ。ラクダは楽なので、これだから砂漠を越えられるんだなぁと納得。空には星星と月。月明かりの中のラクダの影は美しい。そして、日差しが無いのに、日中の気温が熱として溜まっているのか、寒くも暑くもなく、そよ風がたまに頬をなでて実にピースフル。でも、日中のラクダ乗りだったら、死んだだろうと思う。日差しが強すぎる。
ラクダ乗りが終わり、ラクダの長いまつ毛の優しい目に魅せられる。唇のお肉が、めちゃくちゃ柔らかくてプニョプニョでいつまでも触っていたい。耳の後ろを掻いてあげたり、首をさすってあげたりしたら、懐いてしまった。
Tumblr media
でも、カメラ悪くて、シャッタースピード遅くしても、写らなかったね。何も。全ては夢のように儚く、そもそも夢だったのかもしれない。
ラクダ乗りから二時間近くかけてマラケシュへ。途中の村で、僕ここに住んでるの、とオマール君。フランス語が少しできて英語ができないオマール君と、英語は良くできるけどフランス語が少ししかできないワシの会話はフランス語。あなたここに帰るか vous retrenez ici 問うと、そうそうと頷く。ワシ、彼に5ユーロに当たる50ディルハムをチップではずむ。なんてったってプライベートツアー。実に良く面倒を見てくれた。ありがとうオマール君。
1 note · View note
doctormaki · 11 months ago
Text
午後はアトラス山脈へ。北アフリカで最高峰の4000メータ級のツブカル山を眺めながら、そのツブカル山の雪解け水から成る滝を見るためのハイキング。その後、夕日を見ながらパラグライダーと夜空の下でのラクダ乗りツアー。盛り沢山です。3時に、ホテル近くのシェルで落ち合い、オマール君が運転するパジェロで出かける。驚いた事にプライベートツアーだった。ラッキー。
途中、休み休みしながら、アトラス山系を見ながらツブカル山の近くまでドライブする。眺めはアルゼンチンのフフイやサルタを思い起こさせる。乾いた大地に、山には木は生えず、土の色の地肌が赤色、茶色、黄色と美しい眺めを織りなす。
遅い昼食兼早い夕食を5時頃に取るためにホテルに寄る。その後、村人に案内されながら滝を見に行くハイキングに出かける。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
0 notes