#那由多のりんご園
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これこそが、 ぐんま名月🍎 青森県産業技術センターでの記載は糖度14%程度なところ、那由多のりんご園は17%含め16%以上の🍎だった✨ #🍎 #りんご #林檎 #ぐんま名月 #青森 #那由多のりんご園 #apple (Higashikurume-shi, Tokyo, Japan) https://www.instagram.com/p/ClWXdvHPdeJ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
【自己紹介 2024年8月3日追記 4335文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある お兄さんいるらしいがあった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 上野城のお堀の高さ日本2位? 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった 小学校までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らし��から今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分��部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから だからそういう人には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレー��ちゃくちゃ美味かった
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは ��るもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごと�� たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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1130-1205
1130 うちはトイレと物置が隣にあって同じドアが並んでいて、物置に何か取りに行ったつもりが隣のトイレのドアを開けていて、あれおしっこしたかったっけ…とか思いながら用を足している。物置に何か用事があったのを忘れてしまう。こういうことはスマートフォンの上でもよくあって、メールをチェックするつもりがツイッターを開いている。 なんか電車が空いていた。べつに理由はないんだろうけどなんでだろうと思ってしまう。理由を探してしまう。窓の外の荒川が濃い色をしていて冬だなーと思う。そしてその窓に、明らかにデマというかインチキ医療の本の広告が貼ってあり、こういう本が堂々と出版されているのにどうしてわたしの小説は同人誌なんだろうなーとか思う。やつあたりみたいに思う。
ずいぶん前に買ったエッセイの本を読んでいる。とても自由であたたかい家庭の話だと思うのに読んでいるとどんどん心がささくれだっていく。夫婦でやっているお店の話で、お店の仕事は女の人がメイン。本の語り手の男の人はサポートと広報をやっていて、その流れで本を出したようす。 なんかこうなんかこう、あなたの話はいいからこの女の人の話がききたいよとか思ってしまう。この女の人がどのように考えて店をやっているのか、あなたの口からじゃなくてこの女の人の言葉でききたい。声をききたい。いやそんなのは役割分担だとは思うのに、まったく何も取り繕わない自分の気持ちとしては、こいつなんかいけすかねえな〜!と思ってしまう。仕事の役割が夫婦で逆だったら、サポートしている女の人に本を書きませんかって話はきたかな〜とか訝ってしまう。そうしてあるいは、これが女の人同士のカップルだったら、わたしはこんなふうに思うんだろうか。 じゃあつまり自分にはひどいミサンドリーがあるんだよな…。この本に限らず日常の中のほんとにいろんな瞬間で自分のミサンドリーにぶちあたり、しょんぼりする。ハッとしたときはもう遅くて、本当になにかこう、ごく自然に、嫌悪の感情がある。 自分にべったりしみついた差別心や偏見はもうどうにもならないんじゃないかと怖くなる。わたしは自分の性格をなんて意地悪なんだろうと思っているけど、意地悪どころでは済まないひどいものが自分のすみずみまでがっつりしみついていて、このような土をいくら耕したってここから生えるものはみんなだめなんじゃないか。わたしのやっていることは本当にぜんぜんだめなんじゃないか。ときどき絶望的な気持ちになる。
夕方、通販と書店さんへの荷物を送った。思ったより手間取ったし部屋もとっ散らかった。そんなにたくさん送ったわけではないんだけどたぶん要領が悪い。本の梱包とか荷造りとかがとても苦手で、何年やってんだって感じだけど本当に慣れない。引き続き腹も痛いし尻も痛い。夕飯は豚肉とチンゲンサイとえのきと春雨を炒め煮したやつとかつおのたたきと厚揚げ。
1201 今日も通販の荷物を送る。このところほとんど毎日やってるのにぜんぜん梱包うまくならないのどうなってんだ。ガムテープをまっすぐ貼るのがへたくそすぎるし本を袋詰めするのもなんかきれいにならない。手のしびれ、震えのこともあるとは思うけど、送る荷物が格好悪くてまいどほんとに恥ずかしい。お手に取ってくださった方は薄目で見てほしい…。
書店さん宛に送った荷物が届きはじめているようで、犬と街灯さん(表紙を描いてくださった谷脇栗太さんのお店)がさっそくネットショップに追加してくださっていた。ツイートを見て、ほんとにある!と驚いた。驚くって言い方はなんか変なんだけど、遠くのお店にほんとにあるんだな…と感慨深くなる。本屋lighthouseさんからも本が届いたよと連絡がきていて、ほんとに置いてもらえるんだな〜とドキドキした。書店委託はまったくの初めてではないんだけどなんかこうどうしたんだろう。 「顔たち、犬たち」関連はずっと気持ちが張り詰めている。新しい小説の本を出すときはいつもtumblrにステイトメントみたいな記事を書くんだけどそれも書けていない。言いたいことや話したいことがいっぱいあって、どっからどうしたらいいのか、やりたいことが目詰まりしている…。そうしてそんなに激重感情でやってるのに小説自体はほんとにしょ〜もない話で、よわよわおちんぽの〆切直前もそうだったけど、悲壮感を出すような作品ではないのでなんかチグハグしている。
でもこの「しょうもない話」はちょっといい傾向かなとも思っている。執筆��佳境とか書き終わる直前ってなんかこう気持ちが盛り上がってしまって、作品を「大層な話」にしたくなってしまいがちというか…。なんていうの、谷川俊太郎の「魂のいちばんおいしいところ」みたいに書きたいみたいな、高望みした欲がある。
私たちの上に広がる青空にひそむ あのあてどないものに逆らって そうしてあなたは自分でも気づかずに あなたの魂のいちばんおいしいところを 私にくれた
長めの話に時間をかけて取り組むと自分の中のそういう…純っ��いもの…?を差し出したくなってしまうというか、自分の芯を取り出したものでありたいみたいな、そういう欲がわいてしまう。やけに体重をのせてしまう。 で、最近それを回避したくて、けっこう意識的に「しょうもない話」をやっているふしがある。単純に作品がくどくなるのを避けたいのもあるし、なんかこう自分の差別心や意地悪ってそういうとこからきてるんじゃないかみたいなことも思って。これはまとまってないのでもうちょっと考える。
夕飯はおでん。夜中、ふと思い立って虐殺反対のステッカーを作った。ネットプリントにした。
12/2 ゴルフの練習に行って洗濯をして掃除機をかけた。お昼はきのうのおでんの残りとチャーカラ(チャーハン唐揚げ弁当のこと)。きのうのステッカーをプリントアウトしてみたらいい感じだった。ロボット掃除機が壊れたかもしれない件はやっと言えた。まるでいま壊れたかも?みたいな感じで言った。えもからもらった柿をジャムにした。柿プリンも作ってみたけどあんまり固まらなかった。やけに疲れてしまって2時間くらい昼寝した。寒いので夕飯は鍋。アド街を見ながら食べた。
夜中、通販などの荷造り。本を袋に入れて送るだけのことがどうしてわたしはこんなにへたくそなんだ…と散らかった部屋で途方に暮れた。毎日同じことを思っている。
12/3 プリパラプリチャンプリマジのライブ。毎年恒例の幕張メッセでのライブで、前回の幕張がついこのあいだのように感じる。一年が早すぎる。きのうの残りの鍋を食べて車で出かけた。幕張メッセの駐車場は一日千円なので、二人分の電車代やコーヒー代を考えたらこっちの方が安い。昼公演と夜公演の間の待ち時間を過ごせる場所があるのも気楽だし。スタンレーの水筒にお茶を入れて持って行った。夜になっても湯気が立った。
今年は演出がとてもよかった。とくにプリマジの各キャラクターのソロ曲、ほかのキャラクターがうしろで盛り上げてるの最高最高最高だった。庄司宇芽香さんの演じるあまね様が本当に素晴らしくてたくさん手を振った。声出しOKライブでよかった。今日の公演のためだけに髪の毛真っ赤にしてくれたのかと思うと胸がいっぱいになる。夜公演はアリーナの花道そばだったので、一回だけ目があって本当に泣いちゃうかと思った。 プリ��ジは9月のリーディングイベントのときも思ったけど、女性が女性にキャーキャーいうのがどまんなかにきているので本当に居心地がいい。なんていうのかな、「本来は女児向けのアニメにいわゆる大きなお友だちのオタク男性が大挙して…」みたいな感じでもないんだよな。男オタが女の子(女の子のキャラクターだったりそれを演じる若い女性の演者だったり)を愛でてやるぜ的な感じがあんまなくて、みんながキャーキャーいいながら女の人たちの格好よさ、かわいさ、楽曲のよさを喜んでいる。本当にすごい。長いシリーズを通して作品が変化しているのもあるし、観客を育ててきた感があるなーと思う。演者も客も年齢を重ねたのもあるかも。 そしてプリティーシリーズ通してだけど、ファンにセクマイが多いのをなんとなく認知してくれているように思う。もちろん演者によって濃淡はあるのでたまーに発言にハラハラすることはあるんだけど、あなたのための席がありますと言い続けてくれているシリーズだと思う。リングマリィの「コトバブーケ」は「おとぎ話の通りじゃなくても私はヒロイン」「おとぎ話の通りじゃない方が自分らしい」と始まる曲で、まっすぐ女性同士のウエディングを描いていてすごくうれしい…。それを冷やかすような反応や百合!みたいな茶化した感じの反応が今回はあんまなかった気がして(あることはあるんだけど前より減った感じで)よかった。
そして大好きな大好きな厚木那奈美さんが本当に本当に…いつも変わらずお姫さまみたいで…本当に素敵だった…。内側から光ってるんだよな…存在が光、祝福なんだと思う。厚木那奈美さんを前にするとわたしはいつも幼稚園の子どもになってしまう。厚木那奈美さんがお姫さまの国でリスとかネズミとかコロボックルとかになって暮らしたいよ…。「ブランニューガール」はミディアムテンポのちょっとセンチメンタルな曲なんだけどけっこうしっかりめの振り付けで、でも厚木那奈美さんはニコニコ笑顔で歌って踊っていて、本当に本当に宇宙に神さまに星々に絶対絶対絶対愛されているほんもののお姫さまなんだな〜!って泣いた。厚木那奈美さんの長い手足がすらーっとすーっとどこまでも伸びていって、ほんとにもう東京湾くらいなら全然余裕でまたげるんじゃないかと思う。厚木那奈美さんが微笑めば木からどんぐりが落ちてきて、リスとかネズミとかコロボックルはそれをぎゅっと抱きしめます。 厚木那奈美さん、友だちや知り合いにわたしはこの人が好きなんだよ〜って教えると「うわ好きそー」って納得されるのすごい面白い。わかりやすくどタイプ。厚木那奈美さんとかムンビョルさんとか美少女さんとか、おかわだくんはこういうスラッとした人が本当に大好きだよね…。
あと泣いたといえば、コスモさんの「君100%人生」やってくれて! 久しぶりにライブで聴けて爆泣した。君100の何がいいって、「次は負けないよ」「取り戻せ」「自信出して 元気になって」「体 心 鍛え直すよ人生」のとこ。わかりやすく励ます歌詞ではあるんだけど、それ以上に「今回は負けたよね、いろんなもの奪われたし失くしちゃったよね、自信も元気もないよね、体も心もおしまいだよね」っていうのをまんま受け止めてくれるのがすごい好き。おまえは今回負けたよねって目をそらさず認めてくれるのとても安心する。 日記やけに長くなってるからここらへんにしとくけど、小林竜之さんのアサヒの仕上がりがやばすぎてすっげーよかった。ほんとに「マジヤッベーチョースッゲー」だった。34歳男性のあの感じ最高ですわ。小林竜之さん40歳のアサヒ役ぜってえぜってえ観たいのでプリティーシリーズを今後とも応援していこうと思った。
ライブがあまりにもよかったので、やっぱプリティーシリーズミリしらアンソロやりたいな〜と思った。わたしは二次創作的なのは書けないので、「プリティーシリーズのことを考えて書いた小説」とかになっちゃうんだけど、それを本にしたい…そしてなんかいろんな人にゲスト原稿を依頼したい…すごく同人誌って感じするやつ…。いったい誰が読むんだって感じなんだけどそういう変なアンソロをやりたいよね…。 そしてウキウキの気持ちで帰ってきたらKADOKAWAがろくでもねえトランスヘイト本を刊行しようとしているのでテンションだだ下がりになった。ふざけるなよとインスタのストーリーズでキレ散らかした。
12/4 えもとなむあひさんと遊んだ。朝パン屋で待ちあわせて多摩川に行った。いい天気で冬って感じの空だった。広々していて気持ちいい。二子玉川の駅を降りてすぐこの景色なのほんといいよな。橋を渡る電車がずっとごとんごとんいっていて、遠くの橋や向こう岸で車が流れている。水や物がずっと動いている。サギがたくさんいた。白くて大きな鳥が冬の濃い青い空にたくさん舞っているのが、なんだかうそみたいにすがすがしい眺めだった。 えもから個展のDMをもらった。先々週会ったときに元の絵を見せてもらっていたけど、すごくきれいに色が出ていてほんと展示楽しみだなーと思った。あと「あいじょうぶ」ブローチももらった。「俺の愛があるから大丈夫!あいじょうぶや!」のブローチ(ナポリのすぎるのやつ)。草の上に置いて写真を撮った。 なむあひさんが「顔たち、犬たち」の感想を伝えてくださってうれしかった。なんかこうがんばって書いていきたいよな…という話をした。本を持ってきてくださったので表紙の優人さんに川を見せてあげた(?) そのあと昼から磯丸水産に行って飲んだ。トマトハイめっちゃ薄かったけど美味しかった。えもとわたしで何杯飲んだんだ…。このあいだなむあひさんと焼き鳥食べたとき、注文したはずのタコウインナーが結局来なくて、わたしはすっかり忘れていたんだけど次の日なむあひさんがそういえばタコウインナー来なかったですねって思い出していて、じゃあ今度リベンジしましょうって言ってたんだけど2週間で早くもそれが叶うの面白いな。川行って、(磯丸だけど)イカとかウインナーとか網で焼いて、実質バーベキューみたいだった。あとプリティーシリーズミリしらアンソロやりたいんですよ〜という話をした。いきなりどうしたって思ったろうな…。 夕方もっかい川に行って、あまりにも楽しくて手つないでワーイとかした。えもの手が小さくて冷たくてびっくりした。
KADOKAWAに問い合わせメール送った。刊行中止してくださいとははっきり書かず(できないだろうと思った)、なんでこういうのを出そうと思ったのか経緯を知りたかった。それで質問を送った感じ。
12/5 これぜったい乾かないよなと思いながら朝洗濯物を干して出かけた。曇っていたし寒かった。昼にチバユウスケの訃報を知って驚いた。これがきのうえもと一緒にいるときに知ったらどうだったろう。明るい川べりで知ったら、真昼間の磯丸水産で知ったらどんなふうだったろう。コンビニでコーヒーを買って小袋成彬の「Night Out」を聴いた。今日はとても寒くて、外もずっと暗かった。むかしの友だち、ミッシェルを好きだった人たちの顔がつぎつぎ浮かんだ。なんかツイートではなにも言えなくてリツイートのカウンターがまわるのをじっと見ていた。ものすごい熱心なファンとかではないけどなんかこういっぱい思い出深い…みたいな距離感だからだと思う。いま小説のあれこれでやりとりしている人や現在進行形で作品を生み出している人、みんなひとり残らずいつかいなくなるのだ…とすごく当たり前のことを思った。夜になって、長いこと連絡をとっていなかった人からチバのこと悲しいねってメールがきていた。携帯電話のキャリアメール宛で、迷惑メールかと思った。そういやこの人のLINE知らないや。そうだねみたいなことをちょっと書いて送って、それ以上はべつにやりとりしたくない気がした。これを機に旧交をあたためようなんていうのはなんかこう格好悪いだろと思った。いやこれがめっちゃ好きな人からきた連絡だったらしっぽ振って返事送るんだろうけどさ…。洗濯物は厚手の靴下がやっぱり乾いていなかった。Mリーグを見ながらキムチ鍋を食べた。
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ハニーライフ
愛おしい君と生きていくこと
たぶん、もう半年も残っていないでしょう。
闘病してきたおばあちゃんの余命宣告は、あたしが一番最初に受けた。力が抜けて椅子を立てない。そんなあたしを、看護師さんが労わりながら立たせてくれた。
廊下の長椅子に移っても、なおも茫然としていた。待合室の雑音と、消毒液の匂いに、意識がゆらゆらしている。
おばあちゃんには、半年も残っていない。
こみあげた涙をこらえる。両親に連絡しなくては、とやっと気がついた。一応、グループでなく個別のトークルームに、『おばあちゃんのことで話がある』とメッセを送る。でも、相変わらず仕事がいそがしいのか、だいぶ待ってみたけど既読すらつかない。
こんな両親だから、あたしを育ててくれたのは、おばあちゃんだった。おじいちゃんは、あたしが生まれる前に亡くなっている。もう一方の父方の祖父母は、あたしが母方であるおばあちゃんにばかり懐くので、次第に疎遠になった。
窓からの��月の夏陽がかたむき、病院のひんやりと白い壁は、暖かみのあるオレンジに染まっている。その夕射しにこもった熱に、軆は汗ばみかけている。
入院生活が長くなったおばあちゃんは、最期の時間は、家で過ごしたいと言っていたっけ。「でも、玖鈴に介護なんかさせるのもねえ」と目をくしゃっとさせて苦笑していた。
あたしはスニーカーの爪先を見つめていたけど、おばあちゃん本人に言わなきゃいけない、と思った。どうにか膝に力をこめて、その場を立ち上がる。そして、もう一度先生と話ができるか、通りかかった看護師さんを呼び止めた。
おばあちゃんは、自分の余命宣告を飄々と受け止めた。「ホスピスでも行きますかねえ」なんて言うから、「何で? うちで過ごしなよ」とあたしは割って入った。おばあちゃんの痩せて皺だらけの顔に、わずかにとまどいが浮かんだ。
「でも、久里子も錫也くんも、おばあちゃんの介護なんて──」
「あたしがするよっ。大学なんて休学すればいい」
「……あのねえ、そんなこと簡単に、」
「あたしだって、おばあちゃんときちんと過ごしておきたい」
おばあちゃんはあたしを見て、困ったようなため息をついた。例の女医の先生は、介護士さんや訪問サービスなどの力も借りながら、おばあちゃんが望むように過ごしていいと諭した。
「おばあちゃんは、あたしと過ごすの嫌かな」
あたしがしゅんとうつむいてしまうと、「……バカなこと言って」とおばあちゃんの声が涙ぐむ。
「玖鈴がいいよ。最後は、玖鈴と過ごしたい」
──両親がおばあちゃんの余命を知ったのは、翌日になってからだった。おまけに、おばあちゃんの希望も聞かずに、ホーム行きにしようとした始末だ。あたしがおばあちゃんの意思を伝えると、「ほぼ寝たきりの人だぞ」「プロに任せたほうがいいわよ」と情のかけらもなく言った。
「ヘルパーさんの力を借りないとは言ってない。寝たきりになったら他人なの? 死ぬ前のお願いも聞いてあげないの?」
あたしに睨めつけられ、両親は厄介そうな面持ちを隠さなかったけど、「おばあちゃんとも話そう」とようやく譲歩した。おばあちゃんは、昨日あたしには弱気だったくせに、両親には「私は帰りますよ、自分が選んだ場所で死にますから」と我を張っていた。
そんなわけで、長らく病院生活だったおばあちゃんが、久々に一軒家の自宅に帰ってきた。ほとんどベッドに横たわっているけど、精神的にはゆったりできているようだ。
大学に休学届を出したあたしは、おばあちゃんの食事、着替えやお風呂を手伝った。おむつもやる気だったけど、素人では手際が悪くて、ヘルパーさんに手伝ってもらった。
おばあちゃんの病状は、当然ながら良くなかった。けれど、さいわい認知症は出ていなかったので、ベッドサイドに腰かけたあたしと、想い出話を楽しんでくれた。
幼稚園の送り迎え。よく一緒に作ったホットケーキ。お互い気が強くて、わり��喧嘩もしたこと。
「ああ、大人になった玖鈴を見守れないのは寂しいね。どんな男を連れてくるか、楽しみにしてたのに」
おばあちゃんは窓を向いて、目を細めた。カーテンが残暑の日射しを抑えていても、じゅうぶん明るい。
「玖鈴はいい母親になるよ。だから、元気な子さえ生めば大丈夫」
「……うん」
「今、本当に彼氏もいないの?」
「いないなあ」
「そっか……。こんなかわいい子を放っておくなんて、見る目がない男ばかりだねえ」
あたしは曖昧に微笑んで、クーラーの風にそよぐ自分のロングヘアに、緩く視線を泳がせた。
あたしのことを受け止めてくれる人は、本当は、ちゃんとそばにいる。でも、それは家族には、特におばあちゃんには、絶対に言えないと思っている。
嘘つきだ、あたしは。大切なおばあちゃんに、大切な人の存在がいることを隠して。きっと、すごく罰当たりだ。
だとしても、打ち明けることがすべてではない場合もあると思う。
那由多は、あたしがおばあちゃんっ子であることを知っている。というか、那由多があたしのことで知らないことなんて、たぶんない。おばあちゃんの介護が始まって、日中はなかなか会えなくなったけど、夜にはしっかり会っている。那由多は無論おばあちゃんに会ったことはないけど、今、最期を過ごしているのを心配してくれている。
「おばあちゃん、やっぱり、ひ孫に会いたかったのかな」
彼氏のことを言われた日の夜、那由多の肩に寄り添ったあたしは、そうつぶやいて、甘い桃のお酒に口をつけた。レモンサワーを飲む那由多はうつむき、「ごめんね」とあたしの髪を撫でる。
「え、何で」
「僕が女の軆だから」
あたしは咲い、「男だったら、まずつきあってないから、那由多はこれでよかったよ」と那由多の白くて柔らかい頬に軽くキスをする。グリーンのメッシュが入ったボブショの那由多も小さく咲って、あたしに寄り添い返す。
那由多はあたしの五歳年上で、二十五歳だ。社会人として働き、このワンルームを借りて暮らしている。室内は雑然としているけど、けして汚部屋ではなく、あたしにとっても居心地がいい。
この部屋で、こうして那由多の温柔を感じていると、生きててもいい、とあたしは自分を許すことができる。
那由多と知り合ったのは、六年前だ。あたしは十四歳、那由多は十九歳だった。知り合ったきっかけはネット。SNSではなく、近年ではめずらしく掲示板だった。
お互いを「相手」に決めたのは、隣り合った町に住んでいて、合流しやすかったから。あたしと那由多がアクセスしていた掲示板が置かれていたのは、一緒に死んでくれる人を見つけるための場所、いわゆる自殺サークルのサイトだった。
あたしたちは、一緒に死ぬつもりだった。メールを交わしながら、身の上話はしなかった。相手のことは、深く知らないほうがいいと最初に決めておいた。
なのに、いざ顔を合わせて、那由多が裏ルートで購入した青酸カリの小瓶を取り出して、でも沈黙したままふたを開け���れずにいるうち、死に��くなるほどの理由から、今までのろくでもない人生を、とめどなく吐き出し合っていた。
あたしは、同性にしか恋ができなかった。男の子とは、どんなに仲良くなっても友達でしかない。親友だからと思ってカムした同級生の男の子は、あたしの話に表情をゆがめ、「俺は玖鈴が好きなのに」と言って無理やりのしかかってきた。
「エッチしたら、これが普通だって分かるから」
セーラー服と学ランを着たまま、あたしをつらぬいた彼はそう言って、息を荒くして中に出した。内腿に血が流れて、どろりと白濁と絡みあって流れる。
「ね、俺のこと、好きになったでしょ?」
彼は恬然とした笑顔で、そう問うてきた。あたしは急にせりあげた嫌悪感で、その頬を引っぱたいた。押しのけて逃げ出して、家まで走りながら、どうしよう、と泣き出した。
あたし、妊娠したかもしれない。だとしたら、ひとりぼっちで生むより、誰かに話して堕ろすより、一刻も早く子供もろとも死ぬしかないと思った。
那由多も女の子に惹かれる人だ。それと、自分の性別が分からない人だった。女じゃないなら男、なんて単純なものではないらしい。男女の中間でもないし、男であり女でもあるという感覚もない。しいて言えば、どちらでもないというのが一番しっくり来る。
それは自分の正体がつかめないようで、ひどい恐怖をともなった。女の子とつきあっても、自然と自分が「男役」になっているのがすごく気持ち悪かった。服装はラフが好みで、フリルやレースは着たくないのだけど、「男」に分類されても違和感しかない。
男じゃない。女でもない。性そのものがない。まるで幽霊みたい。そんな自己を抱えて過ごしていくなら、生きることをやめてしまおうと那由多は決めた。
気づいたら、ふたりともしゃくりあげるほど泣いていて、強く手を握り合っていた。「もう生きたくないよ」と言いながらも、「このまま死にたくない」とも言っていて、すがりつくように抱きしめあった。那由多はあたしの頭を撫で、あたしは那由多の軆にしがみついた。
「初めて……こんなに、自分のこと話した」
「ん……僕もだよ」
「聞いてくれて、ありがと」
「ううん、こっちこそ」
那由多の心臓の音が聴こえた。死んだらこの音がなくなってしまうんだと思うと、やっと自分たちが飛びこもうとしていた淵に恐ろしくなった。
「あたし……」
「うん?」
「あたし、那由多さんといられるなら、今までみたいに嘘ついて生きなくていいかもしれない……」
那由多の服をぎゅっとつかみ、それに応じるように、那由多もあたしを抱く腕に力をこめた。
「僕も、玖鈴ちゃんがそばにいてくれるなら、まだ生きられるかもしれない」
あたしはぐちゃぐちゃの泣き顔を上げて、「そばにいるよ」と誓うような気持ちで言った。那由多も泣き腫らした瞳であたしを見つめ、「じゃあ」と言葉を選ぶ。
「一緒に、生きてみる?」
あたしはうなずき、何度もうなずき、���由多の胸に顔をうずめた。那由多はあたしの髪に、濡れた頬を当てる。
「……婦人科は、行かないとね。僕が付き添うよ」
「できてたらどうしよう」
「まだ、それって何日か前だよね。アフターピルあると思うから」
那由多の柔らかくて温かい腕に守られ、あたしはびっしょりの睫毛を伏せる。優しい心音が、鼓膜からあたしの傷に染みこんでいく。この人があたしのものなら死ななくていい。もっともっと、いつまでも、抱きしめていたい。
ろくな人生を歩まなかった。そう思ってきたけど、これからそれが変わるなら、あたしは生きられる。ううん、そんなふうに思わないように、あたしは生きていきたい。
アフターピルも飲んだおかげか、あたしは妊娠しなかった。でも、セックスに対する恐怖心はどうしても残った。那由多は急かすように求めたりしなかった。おかげで、あたしはあたしが那由多が欲しいと思えたとき、やっと那由多と結ばれることができた。
あたしたちのあいだで、その行為が子供を生み出すことはない。しかし、確かに愛を育んでいると思うのだ。もしもこの愛が老い、朽ちてしまったら、今度こそあたしは、この世を追い出されて土に還る。
──おばあちゃんが亡くなったのは、年越し前の冬だった。あたしは、何度か悩みつつも、自分のことを何も伝えなかった。年末におばあちゃんのベッドが撤去され、剥き出しになった青いたたみに寝転がると、これでよかったんだと天井を見つめた。
受け入れてほしかったなんて、贅沢なことは思わない。いつかあたしが死んで、七色の虹を抜けたあとに、黒い針山を歩く罰を受けたとしても、やはり言わなくていいこともある。
おばあちゃんの最期をかきみださず、穏やかに見送ることができた。あたしは、それでいい。
男と結婚して、子を生むことが、「女の幸せ」なんて思わない。女として、しのごの言わずに生きろと言う人もいる。けれど、その声がどんなに大きくても、あたしは那由多と生きていく。それが、あたしにはかけがえのない蜜なのだ。
おばあちゃんは、無垢な白昼夢に包まれて亡くなった。幸せに眠りつくことができるだろう。
それを見送れたあたしは、もうこの家庭に未練はない。遅かれ早かれ、荷物をまとめて那由多の元に飛びこむ。
生み出すことが生きる意味なら、あたしは那由多と愛を生み出そう。生み出すこということは、お腹を痛めて出産する子供だけではない。人によっては、パートナーがいなくてはならないわけでもない。
ただ、ひとさじでも、甘い蜜がある人生であるように。
カーテン越しに、窓で冬陽が透けている。おばあちゃんとの最期の日々をゆっくり思い返す。その時間は、白い光がきらきら広がっていて、巣箱から春に飛びこむための勇気になる気がした。
FIN
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東京鹿踊ライブ「風とう鹿」 本日(2/十)より予約開始!
【本日より、チケット発売開始!】 とうシカとうとう十年をむかえまして 〜東京鹿踊ワンマンライブ@座・高円寺 開催
郷土芸能を伝える舞川地区の出身者らと、郷土芸能の可能性を世に問う有志と共に結成した、(略称・トウシカ)。 東京の地で活動を始め、『風 とう 鹿』と題した宴を開催します。
「東京鹿踊ライブ 風とう鹿」 座・高円寺 春休み 音楽企画 出演:東京鹿踊
ゲスト: 3月23日:桑島法子さん 3月24日:行山流都鳥鹿踊 期間 2024年03月23日(土)~03月24日(日) 会場 座・高円寺1
チケット予約 座・高円寺HPより →https://za-koenji.jp/detail/index.php?id=3107
――詳細―― 3月23日(土) その一 鹿踊+朗読劇『風とう鹿』 “シシオドリ” の誕生を朗読とともに ▶︎行山流舞川鹿子躍秘伝書『勘太郎之巻』より ▶︎宮沢賢治『鹿踊りのはじまり』より ▶︎朗読 桑島法子さん(声優・岩手県出身) 鹿踊の誕生の由来は諸説あります。 今回は岩手県出身の声優で、トーシカの初期の頃から観ていただいている桑島法子さんを迎え、東京鹿踊のルーツである行山流舞川鹿子躍に伝わる秘伝書『勘太郎之巻』と、宮沢賢治の『鹿踊りのはじまり』の芝居仕立ての朗読+東京鹿踊で、鹿踊の誕生に想いを馳せてみてください。本場の岩手弁からなるリズムと躍動する鹿の踊り、お楽しみください。
3月24日(日) その二 鹿踊演舞『問う鹿乱舞』 装束から動きまで 深く分け入る鹿踊×体験ワークショップ ▶︎鹿踊比較演舞 東京鹿踊+行山流都鳥鹿踊(ゲスト鹿踊・岩手県奥州市胆沢) ▶︎23日の劇中で登場した鹿踊りを間近で体感! 鹿と躍ろう、鹿になろう! 鹿踊りワークショップ 鹿の角をつけた鹿頭をかぶり、背中に長い“モノ”を背負い、太鼓を叩きながら歌い踊る「太鼓踊系鹿踊」。
岩手・宮城には今も約50の鹿踊りが伝わっています。 東京鹿踊にも、
●行山流舞川鹿子躍(岩手県一関市) ●行山流水戸辺鹿子躍(宮城県南三陸町) ●仰山流前田鹿踊り(岩手県大船渡市)
出身者がメンバーになっています。
●行山流舞川鹿子躍
●行山流水戸辺鹿子躍
●仰山流前田鹿踊り
見た目は似ているけど・・・?な、太鼓踊系鹿踊の多様さを、岩手県奥州市胆沢に伝わる行山流都鳥鹿踊の皆さんをゲストに迎え、土地土地で異なる鹿踊に深く分け入ります。東京鹿踊との比較演舞や、装束や動き、演奏などの特徴を解説、舞台上で実際に体験いただきます(事前申込制)
【体験申込】 座・高円寺HP → https://za-koenji.jp/detail/index.php?id=3107
東京鹿踊が、自身のありようから模索してきた郷土芸能の可能性、その十年が形づくる『風とう鹿』、どうぞご期待ください。
スペシャルゲスト: ○桑島法子さん(岩手県出身) KUWASHIMA HOUKO
12月12日生まれ。岩手県出身。 青二プロダクション所属。 デビューしてまもなく大ヒットアニメ『機動戦艦ナデシコ』のヒロイン、ミスマル・ユリカ役に抜擢される。以降、『犬夜叉』の珊瑚役をはじめ、『機動戦士ガンダムSEED』のナタル・バジルール役、フレイ・アルスター役、『ハートキャッチプリキュア!』の明堂院いつき:キュアサンシャイン役、『宇宙戦艦ヤマト2199』森雪役 、『鬼滅の刃』炭治郎(主人公)の母役など、人気作品のキャラクターを数多く演じています。番組ナレーターとしても活躍中。
2001年から宮沢賢治作品を朗読する“朗読夜”をライフワークとして続けており、これらの活動が評価され、2009年に花巻市主催「第19回宮沢賢治賞・イーハトーブ賞」で、イーハトーブ賞奨励賞を受賞しました。第73回全国植樹祭いわて2023にて「虔十公園林」を朗読��2010年からは、岩手県の希望郷いわて文化大使を務めています。
○行山流都鳥鹿踊保存会(岩手県奥州市胆沢) GYOZANRYU TODORI SHISHI-ODORI
岩手県奥州市胆沢に伝わります。「鹿のハツ連れ」といい、親鹿(仲立)、女鹿、両側に雄鹿が6人、計8人で踊ります。装束の幕には「九曜」・春日並びに日月の四季を略した「十二揩子」、36の神々を象徴した「チドリ」を染め、腰には3mもある「ササラ」を挿し、「大太鼓」を付ける。鹿の情操や生態を舞踊化したものとされ、ササラ竹 が踊るにつれてもつれ、からむ様は、咲き乱れる秋の七草とすすきの波を乗り越え、戯れ遊ぶ鹿を想起させます。 行山流舞川鹿子躍と同じ「行山流」ですが、違いや共通点を探してみてください。
東京鹿踊 -TOKYO SHISHI-ODORI-
2013 年6 月、行山流舞川鹿子躍(ぎょうざんりゅうまいかわししおどり)が伝わる岩手県一関市舞川地区出身者が呼びかけ人となり、首都圏在住の鹿踊伝承者と郷土芸能の可能性を信じる有志で結成。「鹿踊」の演目を習い、実演する他、多国籍・多世代・多分野に対応したワークショップ、魅力発、郷土芸能を通じた地域との関わり方、未 来へ継ぎ方を思考するためのプロジェクトを企画しています。 2023年にとうとう10周年をむかえました。 https://to-shika.tumblr.com/
出演者:東京鹿踊 小岩秀太郎、松坂史、古谷加奈 (以上出身:岩手県一関市・行山流舞川鹿子躍) 山田雅也(出身:群馬県) 西田昌代(出身:東京都 江戸祭囃子 獅���舞) 小野寺翔(出身:宮城県南三陸町・行山流水戸辺鹿子躍) 山下明恵(出身:兵庫県) 塩原那奈(出身:長野県) 鈴木康正(出身:岩手県大船渡市・仰山流前田鹿踊り)
主催:NPO法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺 後援:杉並区、公益社団法人全日本郷土芸能協会 企画:東京鹿踊 協 力:株式会社青ニプロダクション、機糸横糸合同会社
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ウィッチンケア第13号(Witchenkare VOL.13)
発行日:2023年4月1日 出版者(not社):yoichijerry(よいちじぇりー) A5 判:224ページ/定価(本体1,600円+税) ISBN::ISBN::978-4-86538-146-7 C0095 ¥1600E
【寄稿者/掲載作品】 ~「もくじ」より
006 荻原魚雷/社会恐怖症
010 中野 純/臥学と歩学で天の川流域に暮らす
016 野村佑香/おしごと 〜Love Myself〜
022 加藤一陽/リトルトリップ
028 蜂本みさ/せんべいを割る仕���
034 コメカ/さようなら、「2010年代」
040 木俣 冬/まぼろしの、
044 久禮亮太/フラヌール書店ができるまで
050 すずめ 園/惑星野屋敷
058 荒木優太/不届きものの後始末
062 美馬亜貴子/スウィート・ビター・キャンディ
066 武田 徹/鶴見俊輔の詩 〜リカルシトランスに抗うもの〜
072 久山めぐみ/坂元裕二と普通であることとメロドラマについてのノート
078 柳瀬博一/カワセミ都市トーキョー 序論
086 朝井麻由美/削って削って削って
090 武田砂鉄/クリーク・ホールディングス 漆原良彦CEOインタビュー
096 宇野津暢子/好きにすればよい
102 多田洋一/パイドパイパーハウスとトニーバンクス
116 トミヤマユキコ/変名で生きてみるのもええじゃないか
120 長谷川町蔵/ルーフトップ バー
126 小川たまか/別の理由
132 吉田亮人/写真集をつくる
136 谷亜ヒロコ/ホス狂いと育児がほぼ同じだった件
140 武藤 充/氷武藤家の足跡
144 久保憲司/余命13年
150 仲俣暁生/ホワイト・アルバム
156 柴 那典/ベーグルとロースとんかつ
162 清水伸宏/アンインストール
170 ふくだりょうこ/この後はお好きにどうぞ
174 矢野利裕/3年ぶりの合唱──『学校するからだ』のアナザーストーリーとして
180 藤森陽子/梅は聞いたか
184 木村重樹/アグリーセーター と「本当は優しい鬼畜系」の話
190 宮崎智之/書くことについての断章
196 東間 嶺/口にしちゃいけないって言われてることはだいたい口にしちゃいけない
202 かとうちあき/おネズミ様や
206 山本莉会/かわいいみんなのおだやかでない話
210 我妻俊樹/北極星
218 参加者のVOICE
223 バックナンバー紹介
編集/発行:多田洋一
写真:千賀健史
Art Direction & Design:太田明日香
取次:株式会社JRC(人文・社会科学書流通センター)
印刷/製本:株式会社シナノパブリッシングプレス
〈2010年4月創刊の文芸創作誌「Witchenkare(ウィッチンケア)」は今号で第13号となります。発行人・多田洋一が「ぜひこの人に!」と寄稿依頼した、37名の書き下ろし作品が掲載されています。書き手にとって、小誌はつねに新しい創作のきっかけとなる「試し」の場。多彩な分野で活躍する人の「いま書いてみたいこと」を1冊の本に���めました!〉
【公式SNS】
Facebook
http://www.facebook.com/Witchenkare
Twitter
https://twitter.com/Witchenkare
Instagram
https://www.instagram.com/explore/tags/witchenkare/
note
https://note.com/hashtag/ウィッチンケア
※たたり 〜ノベライズ・ウィッチンケア第13号〜
(下記URLを読むと第13号の全体がざっくり見渡せます)
https://note.com/yoichijerry/n/n7b300e9c6283
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忘れてた事をひとつ 言いかけて
お久しぶりです。あるいははじめまして。水琴冬雪です。
またひとつ区切りがついてしまいました。こんなにも終わってほしくないことがあったなんて。こんな気持ちになれるなんて。僕は本当に幸せです。
僕に幸せをくれた人たちに、最後にちょっとだけ、伝え忘れていたこと���書きます。みんなの好きなところを、一緒にここに書いておきます。好きなシーンに好きな性格、全部ごちゃまぜです。
では、始めましょう。
梅本潤
しあらさん。そして日野悠真。引退直前に1番ハードなことをさせてしまいましたね。秋公演期間中、何度も貴方のかっこよさを見せつけられてきました。きっとしあらさんじゃなきゃ走り抜けることはできなかったんだろうと思っています。貴方に任せて本当に良かった。この時が続けばいいなと、ずっと思っていました。
それはまるで魔法のようで、のところ。楽ステでシャツが出ているのを見て、ああこんなにも頑張ってくれたんだと泣きそうになった。堂々と手を伸ばす姿を見て涙が溢れた。
かの
すふれさん。そして日野あさひ。居るだけで場を和ませてくれたり、決める時はビシッと決めたり。少し目を離してる間に自主練してくれて、みんなに安心感をくれたり。そんな存在に僕もなりたいと思っています。難しそうだなあ、頑張ります。
翔太を言い訳に使わないで、のところ。あんな迫力が出せるとは思ってなかった。僕の想定を簡単に超えてきて、役者を信頼する勇気をもらえた。
黒井白子
白子。そして日野翔太。高校演劇経験者ということもあって、演劇に対して割と近い理念をもっているんじゃないかなと勝手に考えています。いつか語り合いたいな。役作りとかシーン練とか、君と話しながらやっていくの、僕は楽しかったよ。君の演劇に対するエネルギー、見習いたいと思います。
闇の中一瞬触れた手、のところ。力強く触れた手を噛み締めていて、君にとっても楽しい時間だったらいいなと、そんなことを考えていた。
佐々木モモ
ころねさん。そして小池綾香。好きなものを好きでいるための努力を惜しまない人。きっと苦しい時期もあったでしょう。好きでいていいのか悩む時期もあったでしょう。それも全部ひっくるめて楽しかったと思ってもらえてたら、僕はとても嬉しいです。稽古の外でもたくさん助けられました。感謝の気持ちでいっぱいです。
演出に対して、絶対に笑顔で返事してくれるところ。こんな僕を信頼してくれてたんだろうか。絶対に応えようと、奮い立たせてくれた。貴方に応えることができていたら良いのだけれど。
ミル鍋
ゆに。そして辻井。自分の強み弱みを的確に把握できている役者なのかなと思います。今できないことは何で、どうすればできるようになるのか。当たり前のように思えて、とても難しいことをこれからも考えてみてください。きっと君の良さが伸び続けていくはずです。
頑張ったね、のところ。まさかここで泣けるとは思っていなかった。君は何を思いながらあのセリフを言ったんだろうか。
見光一雲
ロキ。そして上杉。きっと信じている価値観が近い部分があるんだと思う。君のおかげで美しくなったシーンが幾つもありました。日を追う事に演技の幅が広くなっていって、その成長を一緒に味わえたことを嬉しく思います。いつかなにかをお返しできたらいいな。
何年一緒にやってきてると思ってるんだ、のところ。君の優しさが役の優しさと重なっていた。もっと君の優しさに触れていたかった。
コン
こん。そして天野。もしかしたら、君は僕と似たような着眼点を持っているのかもしれないな。それに気づけたのが稽古終盤で、もっと早くから見てあげられなかったことが心残りです。上手くなろうという意識が、努力の形跡が、一段と強く現れていた役者だと思います。
想いをストレートに伝えてくれるところ。もっと練習したかったですと言ってもらえた時、僕がどれだけ嬉しかったか。君は知る由もないんだろうけど。
たぴおか太郎
ナスカ。そして海老名。初めの方はイメージの共有に苦しめてしまいましたね。それでも気がつけば役作りが完成していて、流石の一言に尽きます。あの役を一番楽しんでくれたんじゃないでしょうか。そんな君を見て、僕も楽しみながらやっていけました。
誰よりも大きく喜んでくれるところ。周りを巻き込んでくれるその笑顔があったから、折れそうな時も進むことができた。
Aru=R
ホバさん。そして園田。とても長く、苦しい時間を過ごさせてしまったんじゃないでしょうか。もっといいやり方があったのかもしれません。それでも、懸命に努力を重ねる貴方を、密かに頼もしく思っていました。多くの色を持つ役を演じきってくださったこと、本当に嬉しく思います。
その可能性が低すぎるから、のところ。呼吸もままならないようなセリフの読みを、息も忘れて聴いていた。全力を出すということを、背中を以て伝えてくれた。
苔丸
こけまる。そして二宮。長いセリフの中、たった一文追加しただけのところにすぐに気がついていて驚きました。こういった影での積み重ねがセリフ覚えや役作りの早さに繋がっているのでしょう。その秘訣はやはり、この場所が好きということなんでしょうか。これからも好きでいてくれたら嬉しいです。
困難だらけの、のところ。柔らかな動きから想いが零れ出していた。繋げる、ということの難しさ、美しさを、改めて教えてくれた。
統括のフォーニャー
フォーニャー。そして橘。僕と役者とを、役者と観客とを結ぶ、とても大事な役割を果たしてくれました。伝える、という大切なことが、君なしでは実現しませんでした。君に任せて良かったと、心から思います。
Isn't forced migration to the moon、のところ。ワンシーンの中で感情の流れを動かさなくてはならないのに、その変化をしっかりと伝えてくれた。脚本全体を、このセリフで支えてくれた。
アリリ・オルタネイト
イルル。そしてアレン。君の得意と不得意のその先を見てみたくてこの役に当ててみました。成功だったと信じています。今までとは色の違う演技だったと思いますが、どうだったでしょうか。どうか��君の持っているものを大切にしてあげてください。優しさなんかも含めて。
I can't believe、のところ。たった一つの動作、言葉でシーンを大きく動かしてくれた。美しいフィナーレを彩ってくれた。
ベジはむの残留思念体
ベジさん。そして五条。観客を楽しませるシーンから不安にさせるシーンまで、多くの場面で引き金となってくれました。簡単にできることじゃないのに簡単にやってのけるのは、きっと周囲との信頼関係があるからじゃないのかなと思います。その輪の中に僕は入れたでしょうか。
早ければ来週にでも殺せますが、のところ。息を呑み、心音が早まるのが分かった。心を揺さぶられながら、それすらも心地よく感じていた。
近未来ミイラ
みいら。そして戸部。実は最初に君に演出補佐を頼んだ時は、新人公演のための修行期間として頑張ってもらおうかな、なんて密かに思っていました。けれど実際はこっちが助けてもらってばかりで、君がいなくてはこの物語は完成していませんでした。
幕裏でグラスを丁寧に渡してくれるところ。絶対に両手で渡してくれて、なんとなくグラスよりも大切ななにかを受け取った気になっていた。僕は君に何を渡せたかな。
しょこら
こらしょ。そして鬼頭。この期間、特に終盤にかけて大きく成長してくれました。はじめの方、時間をかけて見てあげられなかったことを申し訳なく思います。これから君は、大きな役者へと育っていくのでしょう。その歩みの手助けができていれば幸いです。
一体なんてことしてくれたんだ、のところ。何度も何度も繰り返した練習の軌跡を見せてくれた。力強い足踏みに頼もしさを覚えた。
坪井涼
ゴコさん。音響オペとして舞台を奏でてくれました。貴方のおかげで役者が声豊かになり、素敵な舞台になってくれました。何度もご迷惑をおかけしましたね。その一つ一つへの貴方の対応に、僕は救われてきました。
一緒に笑ってくれるところ。独りじゃないと何度も確認させてくれた。絶対に誰も独りにしなかった。
園堂香莉
なぽり。照明オペとして舞台を照らしてくれた。舞台をあんなに彩鮮やかにするのは難しかったと思います。臨機応変に照明を操る君がいるから、全力で舞台を作ることができました。
オペ卓に立っているところ。いつもと同じ声で、だけど違った表情で。少し楽しそうに見えたのが気の所為じゃないといいんだけれど。
田坂優
えぴ。映像オペとして舞台を飾ってくれました。今回、映像の数が普段より多く、またタイミングも厳しめに設定しました。それでも難なくこなしてくれる君に、安心して僕らの背中を預けることができました。
含羞むように笑うところ。その笑顔も、いつしか自信に変わっていくのだろう。きっと今だけだから、少し大切にしておこうと思った。
君安飛那太
コルクさん。キャスパの振り付けを担当してくれました。最後に貴方の創る美しさの力を借りることができて、本当に嬉しく思います。小さな言葉の積み重ねでここまで連れてきてもら��ました。そんな関係も、悪くは無いのだと思います。
話したいことを話しかけてくれるところ。とても楽しくて、ずるくて、あまりに眩しかった。
公演が終わってから、この日々を思い出さない日はありませんでした。皆さんの表情、言葉、息遣い、すべて鮮明に憶えています。笑った顔も、怒った顔も、大好きでした。きっとこれからも思い出し続けるのでしょう。
今宵は満月。どうかひとつ、魔法がかかる事を祈って。
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旅日記③ in Australia🇦🇺
Sydney編
続いて、Sydneyについて覚えてる限りのことを。
前半は都市について、後半は向こうでの医師の働き方について書きました。めっちゃ長くなった🤦🏻♂️
3日間の滞在で感じたSydneyの魅力
第一の感想、数年住みたい。
ちょうどよく都会。日本でいう表参道のような上品な雰囲気を持ちつつ、道が広くて都会の行き過ぎた喧騒みたいなのがない。夜1人で歩いても明るいから怖くなかった。(夜のお散歩が楽しめるの最高)
気持ちの良い大自然が、電車や車をちょっと走らせると辿り着ける距離にある。最高すぎる。SydneyでもBlue Mountains(写真2枚目)など自然観光はたくさんしたけれど、1番気に入ったのはBondi beach(写真6枚目)。このビーチは何回来ても飽きないだろうな〜って思った。嫌なことあっても穏やかな気持ちになれそうな、そんな素敵なビーチだった🐚(現地の人たちは暇さえあればすぐ海に行ってレジャーシート引いてchillするらしい。)
アジア系多め。おかげさまで、旅行中に自分が外国人だと感じる瞬間もなく、差別を感じることもなく。アジア系が多めだからか、アジア系料理のお店も豊富で、海外旅行あるある「日本食恋しい」がなかった。
ジェラートがめちゃくちゃ美味しい。現地の人曰く、イタリア人が「イタリアンはさすがにイタリアの方がちょびっとだけ美味しいけど、ジェラートはイタリアと差異なく美味しい」と話すらしい。やるやんシドニー…。
ライフスタイルが魅力的。活動は朝早くから、でも夕方にはお休みモード。カフェは朝6時から空いてて、コーヒー買ってからみんな職場へ向かうらしい。飲み会は基本1次会まで、2次会はジェラート食べて終わりなんだとか🍨。深夜までの飲み会は翌日の疲労感が凄まじいので、この文化はますます魅力的。
(物価高いことを考慮しても)給料高め、定時で帰宅、残業少なめ。休日は自分の時間、家族の時間を大切にする国民性。Australiaはビザを取るのが���変なことで有名だけど、医師の資格があれば永住権の獲得も容易いようで、ちょっと働いてみたいかもと思ってしまった。
みんながみんな自由。ド派手な花柄ワンピースきたおばあちゃん、青い髪のお姉さん、靴履かずに裸足で歩くお兄さん。こういう他人への興味関心が薄いところ、居心地良い。狭いコミュニティは少し息苦しくて得意じゃないから、いいな〜って思った。
働く女性に優しい社会。出産はタダ、育休は両親合わせて2年ほど。お母さんがベビーカー連れてクラブでお酒飲んでても安全らしい(?)。電車で赤ちゃんが泣いてると機嫌悪くなるおじさんがいる日本よりは、たぶん優しい。
ざっと思い付くのでこれくらい。
今までは、海外旅行行っても初日に『日本しか勝たんな🇯🇵』と感じるのだけど(実際、ご飯は美味しい人は優しい治安はいい街は綺麗だから当たり前)、Sydneyはそんな日本のいいところもきちんとあったな〜って感じがした。ただ、数日の滞在なので見えてない部分もたくさんあると思う。
英語頑張って勉強して、数年間ここで働いてみたいなって思った。骨を埋めるのは日本がいいけど。
余談
3枚目はBlue Mountainのkissing trees(loves treesとも呼ばれている)🍃。お互いが栄養を受け渡ししあっているおかげで生きている木のことなんだけど、触ったら素敵なご利益があるらしい。めちゃくちゃ触っといた。ガイドのおじさんは触りすぎて効果なかったらしい(何なん)。
続いて向こうでの医師生活を聞いた感想
Australiaに行った目的は、日本人ながら現地でドクターとして働いている知り合いに会いに行くことで、せっかくお話たくさん聞けて刺激を受けたので、そのこともメモしておく📝
🇦🇺と🇯🇵の働き方の違い
🇦🇺は週4.5勤務で残業なし(9時5時)で、残りはゆっくり自分の時間を過ごせる。専門医は週5勤務に対して研修医は週4.5勤務。この差0.5週は、研修医は勉強に時間を使ってねって意図で、0.5週分も給料は出るらしい。(日本でも病院を選べば色々あるんだろうけど、全体的に日本よりも時間にゆとりのある生活を推奨してるんだなっていう印象)
有給は日本は年10日なのに、向こうは年間まるまる5週間。
働き方について色々メモしたけど、それでも日本で医師を週6で残業ありでバイトもしてやってるひとよりかなり年収の差があるらしい。お金が全てではないけど、お金の余裕は心の余裕だよなぁなんて思ったり🤦🏻♂️
ビザを取るのってすごい大変らしいけど、医者に関しては国家試験に受かれば2週間で取れるから、永住権獲得の心配は格段と少ないらしい。アメリカ���永住権は全然取りにくくて、9年くらい?働いたらアメリカの僻地か、故郷に帰らないといけない決まりらしい。アメリカの僻地ってハワイが含まれるんだけど、だからハワイには日本人の医師が多いんだって。(ワーホリでオーストラリアにきて魅了されたけど、学生ビザとか雇用で何とか引き継いで、在住9年目っていうひとにウルルで会った。いまだ永住権取れずにいるし先が見えないっていって、ビザって大変なんだ〜って思ってたから、医師にとってビザは何とでもなるよっていう話は大きい収穫だった。)ちなみに、医師の他にビザが取りやすい職業は看護師と研究者らしい。
国試はアメリカと違っていついつまでにとかいう制限がないから、何回でもチャレンジできる。先生はいけるいけるって言ってたけど、絶対大変。(まあとりあえずオーストラリアに行ってみて、無理だったら日本帰ろ〜とかいうくらいのマインドでいいんだよって先生が言ってた。失業するわけじゃあるまいし、と。)
日本は1人の患者に1人の医師が担当するところが主流だから、急変とかあると呼び出しがあるけど、オーストラリアでは患者1人をチームで担当するから、呼び出しとかないし、負担もいい意味で分散される。
オーストラリアの医師は、ローカルGP(総合診療医)が70%をしめてて、専門医は残りの30%。ローカルGPは日本の総合診療医よりも何倍も網羅されてて、お産も心疾患も救急や小児や看取りなど全部がめっちゃできる。だからGPトレーナーをやるだけでも、経験をたくさん積んだ医師になれるらしい。
逆に、専門医を取るにはだいたい8年くらい(スムーズに行っても6年)かかる。オーストラリアで専門医をとってから日本に帰っても、日本でその専門医としてすぐなれるわけではないけど、学会発表とか色々やれば、専門医への近道があるみたい。要するにまた日本で1からっていうわけではないということ。
海外での人種差別ってないの?って思って質問したら、オーストラリアでは患者が白人以外の医師に対して差別っぽい言動をした場合、ブラックリストにのるかんじで患者側が病院から追放されるらしい。だから、白人以外もとっても守られてる国だなと感じた。訴訟もないわけじゃないけど、保険がきちんとあるから、それに関しては日本と同じかな。
育休は旦那さんと合わせて2年間くらいもらえるし、ドクターだったら保育園に納めるお金は他の職種より多いらしいけど、子供を保育園に預けるだけでオムツ用意しなきゃとかないらしい。多分、この収める金額によって楽さが選べるのかな?詳しくはわからないけど、とりあえず日本より子育てしやすい社会体制が整っているとのこと。
私はまだ日本で働いたこともないので日本の実態もよく分かってないし、医療体制において向こうがが優っているとも言えないけれど、刺激的でワクワクした☀️
興味持ったらとりあえず手突っ込んで、できるだけ将来の選択肢を狭めないように生きていきたいな、と思えた1週間だった。先生と知り合った時(10年前)は、自分はまだ中学生、先生もまだ大学生で、自分が先生と同じ進路を辿るとも、先生が日本を出るとも思ってなかった😂あとこんなに親しくなるとも思ってなかった。人生の縁に感謝です🌿
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うたの☆プリンスさまっ♪Repeat LOVE 来栖翔√感想文
うたの☆プリンスさまっ♪Repeat LOVE 来栖翔くん√(大恋愛エンド)の感想文。
スタツア新規による初プレイ記録です。
ついに推し√に挑戦…始まる前はめちゃくちゃ緊張しました🥺
ざっくりした印象としては
・前半
翔くんのガキンチョ感にくすぐられる母性本能。同時に初恋を泥棒される
・中盤
Sクラスにゲラゲラ笑う
・後半
😭😭😭💗🫰
という感じで、翌日は心ここに在らずな1日を過ごしました。お陰でカミュ様の生誕祭に乗り遅れた。
そもそも那月さん√でも翔くんはちょこちょこ現れては好きでもない女に男気を見せてくれていたわけですけど、翔くん√(特に新学期)はその時想像していたよりずっと幼くてピュアで😭もーー!かわいい!
MEMORIALによると中学時代にも家来を募集しては玉砕していたらしく(愛しい🫶)、同じことをやってる12歳の翔くんも見たかった……もしかしてまだ身長140cmくらいだった?抱きしめていい?
帽子を許可してほしくて龍也先生にはいはーい!!🙋♀️って元気に質問してるのもいい子ちゃんでkawaiiし、自己紹介で自信満々に空手を披露する度胸もthe小学生 男子って感じでニコニコしちゃう。※翔くんは15歳
この幼さが恋愛対象外になるかというとそうではなくて、むしろこれこそが初恋泥棒たるゆえんですよ🥺遥か彼方の記憶のはずの小学校の校庭の砂の感触とか空気が蘇ってきたよ……※翔くんは15歳
人間の脳には「初恋」を司る場所があるのではないでしょうか。普段眠っていたそのエリアが翔くんのせいで覚醒した。
���うりゃ」っておでこにツンしてくれたこと、一生の思い出にするね💗(なにあれ?)(好き)
このゲームにおける彼の幼さのメリットはもうひとつあって、プレイヤーと男女関係ではなく王子家来ごっこをする”オトモダチ”として関係を始められるところですね。おふざけしながらキャッキャと無邪気に過ごしているうちに絆が深くなり、お互い成長していくという……そして少しずつ異性としても意識し出して……甘酸っぱ🥺💗
MEMORIALで幼少期のエピソードを読むと、もともとは泣き虫で不安から強がっていたんだね😭とわかる一方、母親に薦められた少年漫画やケン王の影響を受けて猪突猛進するところは多くの男子に共通する思考だと思うし、翔くんのこのリアリティと親近感がたまりませんね。自分の幼少期にも隣にこんな子がいた気がする幻覚というか。
12月頃には翔くんのガキンチョ感は薄れて情熱的な青年になっていくわけですけど、その理由は「恋をしたから」に他ならないわけですよね……最高か?こんな成長過程をリアタイで見せてもらっていいのですか?
クソガキちゃんが「男」に変貌する成長期がこちらの主食です。
音也くん√が少女漫画なら翔くん√は少年漫画だ!
そして、中盤からは普段Twitterでお世話になっている方々とスペースでお話ししながら進める、なんとも得難い経験をさせていただきました🙌
当然みなさんうたプリ歴では先輩プリンセス、しかも翔くん推しの方は1人もいなかったのにあたたかく見守ってくださいました、や、優し……😭
楽しくてハイな上、深夜〜明け方の時間に雑談をたくさん交えながらプレイしたので結局5〜10月の記憶が曖昧ですが(えぇ…?)、楽しかったなってことは覚えてます🫶
「翔くん√、だいぶ忘れちゃったけどロドリゲス🦁は覚えてます…☺️」って方がいて、私もばっちり覚えましたロドリゲスちゃん✌️
HAYATOさんの学園紹介はめちゃくちゃ笑いました。
そしてついに薫くん登場!存在しか知らなかったので、こんな男の子だったのかと感慨深い。
翔くん√では間違いなく薫くんがキーパーソンでしたね。那月さん√での砂月さんがそうであったように、過保護な親のようなポジション。砂月さんの場合は那月さんの”精神”を守るために登場したのに対し、薫くんは翔くんの”肉体”を守るために現れたというクラ組の対称性が良いです。
MEMORIALでは翔くんのお母様は治療費を��ぐために海外を飛び回り年に数回しか帰ってこなかったと明かされて、そっかぁ…としんみり。
つまり薫くんも母親とはあまり一緒に過ごせずに育ったはずで、その理由が自分であることを知った時の翔くんはどんな気持ちだったのか。「兄弟はずっと一緒にはいられない」「自分の人生を犠牲にするな」と冷静にきっぱりと言える翔くんが偉いなと思うと同時に、相手のことを心から尊重できる立派な考えが確立するまでにどれだけの罪悪感を薫くんに感じたのかなと想像して泣きました。
幼少期を振り返るBeautiful Memories💿の翔くんの語りが大好きで何度も聞き返しているのですが
--⚠️ここからBeautiful Memoriesの内容ネタバレ--
翔くんが過去の自分に向けて「自分の身体のせいだと責めないこと」「無駄なことはなにひとつない」「なにより健康が大事だから自分のペースで頑張ってほしい」と声をかけていて……リピラブの翔くんを知るとよりこのメッセージにこめた実感が伝わってきて泣いちゃう😭
子ども時代の翔くんは、病院にひとりの寂しい夜も、涙する薫くんを抱きしめる時も、がんばりたいのにがんばれない時も、ずっと自分を責めていたんだなって。朝起きて看護師さんによしよしされた記憶が残るくらい、自分が泣いた日々も覚えていて(このエピソード泣いた)。
それでも卑屈にならず、強い自分を目指して空手でフィジカルもメンタルも鍛えて今の翔くんがあること、尊敬する。
そして薫くんが言ったようにリピラブの翔くんは「生き急いで」いることは間違いなくて、そのせいで周りが不安になって振り回されてしまうわけだけど、今の翔くんはそんな過去の自分に「無理せずマイペースで」と言えるんですね……リピラブの翔くんにはまだ言えないと思う😭😭😭
---ネタバレここまで---
本編中盤の話に戻します。
リピラブ、音也くん→那月さん→翔くんの順にとりかかったので今回は初めてのSクラス√だったわけですが、トモちゃん率いる青春全開仲良しAクラスとは雰囲気が違って面白かったです。
特にレンくんとトキヤさんが翔くんに辛辣な点はスタツア新規勢としては新鮮でしたね😳2人とも結構冷たい……
特にレンくん、身長や恋の奥手さについて、完全に男として翔くんを見下していて失礼だぞッ🤚
トキヤさんもトキヤさんで、レンくんを嗜める体をとりながらも「身長低くて哀れだな…」って本心が滲み出ていてひどいぞ!
お馴染みの水球大会ではレンくんの真斗さんへのウザ絡みにみんなでクスクス笑ってしまいました。あとトキヤさんって結局運動苦手なの?得意なの?どっちなの!?とざわつきました。
それにしても翔くん、レンくんの軽率さに警戒して結構強い言葉をかけていて、レディレディで翔レンの民にもなった身としては2人のピリピリした関係性はかなり意外で新鮮だったし正直興奮しました
でも怒ってる理由が「レンに泣かされてる女子何人も知ってるからさ……」なの、翔くん優し😭😭大好き😭
そしてここで「なんでもかんでも恋愛に結びつけるな」「お前と一緒にするな」とレンくんに怒る翔くんを見て、翔くんの、信頼関係を重視する価値観にとても感動した……そういうところ好き…やっぱり翔くん√はベースが友情(相棒?)なんですよね………
そしてこそばゆいちゃんの活躍。
林檎先生の指導を受けながら真剣に女の子モデルとしての仕事に取り組み、女装アイドルの道すら視野に入れていたという事実に衝撃を受けました。あの翔くんが女装アイドル?(そういえばスタツアのボナペティでは彼女役🧸のかわいい所作が完璧だったな)
これは前から思っていたのですが、翔くんってST☆RISHの中でも際立って「アイドル」という形にこだわっていますよね。過去に日向龍也というアイドルに元気づけられたから、自分も誰かに元気を与えたいという理由で。
女装は嫌だという意志ははっきりしているのに、みんなを喜ばせることができるならありかもしれないと真剣に考えるほどに、とにかく「アイドルになりたい」んだなって……男らしい男になりたいという気持ちを上回るほど、アイドルになりたい気持ちが強いんだ……
「Sクラスは自分の理想と適性が合わない3人」、とフォロワーさんに聞いてなるほどと思ったのですが、理想と適性の乖離はどんな仕事でも起こりうる悩みではあるけれど、世間のイメージがパーソナルな人格と結びつけられる芸能人(特にアイドル)にとって、そのギャップは大きな悩みになるでしょうね…
翔くんも、正直言って王子様っぽいタイプではないのに自分のことを王子様と言い張��たり(「うたのプリンスさま」の命名が翔くんだったとは…)、たくましいケン王に憧れてるのに、身体も言動も子どもっぽくて周りにからかわれて……😔
まだ🧡さん💜さん√をやっていないのになんとも言えないのですが、少なくともアニメなどの印象では、このSクラスの2人も「アイドル」への思い入れが強いなぁと思うんですよね……
Aクラスの❤️さん💛さんはどちらかというと「音楽」を愛していて、💙さんは「芸事」全般に憧れている感じ。
一方でSクラスの🧡さんは母親のアイドル像が原体験だろうし、💜さんは…アイドルが「好き」かはよくわからないけど、少なくともすでにアイドルとして活動しているから「アイドルとは…??」ってたくさん考えていそうだなって。
だからこそSクラスは「自分の性質」をいかに「アイドル」という形にチューニングするべきか悩んでしまうのかな……とか考えてました。でもそのアイドルへという存在への意識の強さがSクラス選抜に繋がっているのかなとか。どうなのかな。
翔くんの話に戻ると、彼はその理想と適性のバランスを「音楽」でとっていくのですね。この展開にめちゃくちゃ感動しました🥺
個人的に、翔くんの才能は「女の子っぽくなりきれること」…ではなく、「どんな世界観も引き受けられるパフォーマンス力」にあると思っていて。少なくとも私は初めてスタツアに搭乗したとき、そんな彼の振り幅の広さに恋に落ちました。レディレディのバックダンサー、ボナペティの🧸さん、来来、4U……どれも全然違う世界観なのに、完璧に表現していて、それでいて全て翔くんならではの魅力に溢れていて。
そんな、どんな世界観でも自分を表現できる唯��無二の才能を、リピラブでは「翔くんのリズム」としてフューチャーされていたのが嬉しくて泣きました。
「オレサマ愛歌」の完成に向けて、自分の「かわいい」特技を受け入れつつ、伝えたいことや自分の思う「自分らしさ」はリズムや言葉やダンスで表現する。
そして「(龍也先生のように)ステージを自分色に染めたい」って言っていたのもびっくりして😳それってスタツアで「ピンクフレフレ俺色☆ピース」ってウインクした、あのステージそのものじゃないですか😭💗💗💗
できてる……できてるよ翔くん……翔くん色にステージは染まっていたよ(ペンラって、会場があなたの色に染まってます、ってことをファンがアイドルに伝えるアイテムなんだな)
ここで、メンカラのピンクについても色々考えちゃう……色についての彼の発言が過去にあったらぜひ教えて欲しいのですが、普通に考えて、翔くんは好きな色がピンクにならない性格じゃないですか?赤とか青とかオレンジとか、一般的に男の子が好きになりそうな元気な色を好みそう。
この世界の中でどういう経緯でピンクが割り当てられたのか知らないけれど、翔くんは最初からこの配色に納得していたのかなあと心配になったり。
でもわかっているのは、今の彼がアイドルの活動の中でピンクを「自分の色」にして表現できていること…つまりこれすらも、「オレサマ愛歌」で成し遂げた、「どんなものも自分の『かっこよさ』に繋げる意志とセンス」だよなって。メンカラからもわかる翔くんの魅力。好き。
あと翔くんは那月さんのことを天才天才って言ってコンプレックスを拗らせている面もありますけど、「強く生きたい」と叫び、届ける、そのエネルギーは誰にも真似できない唯一無二のもの。その才能にぜひ自信を持っていただきたい。龍也先生が幼少期の翔くんを振り返って「あの目は忘れられない」と言っていたのもそういうことだと思う(この龍也さんの独白、感動して泣いた)。「命の輝きを宿す目」なんだよきっと。それってアイドルとして最高の要素だよね。人はアイドルに命の輝きを見出して熱狂しているから。だから翔くんはSクラスなんだ……(オタクの贔屓目)
終盤では、自分は切れる前の電球みたいだと言われていたと振り返る翔くん…
「燃え尽きる最後に力の限り輝いてるみたいだ、って…俺はそれでもいいと思ってた。いつか切れるかもしれないなら、その前に輝けるだけ輝きたいって……」
駄目ですこれは……キングダムからスタツアまでの流れ星の文脈に弱いので………だって流れ星は星が燃え尽きる”最期の”輝き。
「これが最後じゃない!ここからが俺様の武勇伝のスタートなんだよ」
😭😭😭😭😭😭😭
星でさえ命の炎燃やしてさ
輝き尽きる日まで
1000%強く 生きている
いつかの眠る時まで
……🥺💫
WE ARE ST☆RISH!!はうたプリの哲学のひとつの着地点だったと捉えているのですが、翔くん√で彼が伝えたかったのも同じことかなって。
でも彼は学園生活を通して、「いつ終わってもいいように生き急ぐ」考えから、「これから一生輝き続けるために明日も生きる」にシフトしたんですね。終わりが来ることは知っているけれど、それはまだ先で、今はまだ輝きのスタート地点なんだと。
龍也先生の話が出たので書いておくと、翔くん√は先生方2名の過去の匂わせが多くて頭を抱えました。
林檎ちゃんはなぜ女装アイドルになったの?そしてよりによって「相棒」がテーマの翔くん√で「相棒を失った」龍也さんの過去が明かされる重み……つら😫続編に期待したいと思います。
(それはともかく、シゴデキ男キャーと龍也さんに盛り上がるフォロワーさんかわいかったな、わかる🫶)
翔くんのアイドル性について語っていたら恋愛パートについて何も書けなかった……まあいいじゃないですか私と彼のラブシーンについては…プライベートなんで……お姫様にしていただきましたよ🤭最後にプレイ中のTwitterログは残しておきます。
Twitterログ
うたプリのテーマのひとつである「永遠」、翔くんの場合はその言い換えとして「一生」がキーワードになっていて粋ですね。だって彼は抽象的な「永遠」なんてものについて考える余裕はなかったはずなので。
永遠って哲学的な発想だから、リアルに目を向けている人には関心がないことだと思うのです……どちらの考え方が良いか悪いかという話ではないです、視点の違いというか。
翔くんは死が誰より身近にある子ども時代を過ごしたからこそ、「充実した一生」への渇望がある。そんな彼の「一生愛してる!」は、そんじょそこらの告白と一緒にしてもらっては困ります。
「翔くんは本当にリズム感がよくて、動きひとつひとつにキレがあって、翔くんにしかない個性がある」「でもそれを強引に押し出すんじゃなくてちゃんと周囲と調和して、ここぞという時に光る」「それは天性のものなんだと思う」それですよ!(大声)スタツアの翔くんはまさにこれだったしそこが好き
ダンスパーティ当日になりまし…た………
むりつらい悲しい
やりたいこと全部やって生き抜きたい!って訴えてる翔くんのBGMのオレサマ愛歌……😭😭😭😭
こんなに涙腺刺激する歌だったの?知らなかった……
「ダンス」という行為、翔くんのパフォーマーとしての魅力の象徴であると同時に「今を全力で生きる」彼の決意の表れでもあって、そんな大事なダンスを一緒に踊れること………こんな…こんな………一生ついてく
くるぞ……
うわああああああ😇😇😇😇
ありがとうございました🪦
いやこの告白の仕方、普通の男じゃ腹立つけど翔くんだと最高
強がって王子と家来ごっこしてたからこその上から目線が愛しくて爆発する
リピラブ翔くん√、1月はじめます!
今月からついに彼女🥳
1月に水着イベント持ってくる那月さんの力
翔くんのキスの喘ぎ声を聴いてしまったので出頭したほうがいいですか?😫🫠
いやちょっといきなり刺激強くて困ってる進めない、落ち着こう
大人のキスで泣き止ませてくれる翔くん何?????こっちの心臓がもたない
一旦別の部屋でSweet Kissを聴いて頭冷やしてきます
心拍数が上がっただけだった
「今後一切キスもハグもしなくていい」、恋愛関係だけを重視しない価値観がここにも表れていて感動した一方で、音也くんは絶対に言わないセリフだろうな☺️と思うなどww
ここまで相棒の支えで生きようと頑張ってる翔くんを知った後に龍也先生の作った歌詞を聞かされてしんどいのですが……
「あの人みたいにその場の空間全てを自分色に染め上げられるアイドルになりたい」
それって俺色☆ピースじゃん、来来のステージが浮かんだよ………なれたんだなあ、憧れたアイドル像に……
終わりましたね……👏
最後の1時間半、めちゃくちゃ集中してて感想書くの忘れた
まって!?MEMORIALってなに?!翔くんの日記みたいなのが出てきた
MEMORIALを読んでます。
家来ができて「やっぱ、俺超王子だもんな!」ってはしゃいでる翔くんおもしろすぎて愛しい
龍也先生に「付き合うってどういうこと?」って質問してる翔くんかわいすぎ🥹
ハァハァ……MEMORIAL、翔くんの心情が全部語られていてもうどうすればいいのか……
自分はアイドルだから彼氏にはなれないけど相手にはいつか恋人ができるんだなって覚悟して落ち込んだ上で、恋愛じゃない信頼関係を大事にしたいって思ってくれてたんだ……好きです😇
翔くんの家族への独白読んで泣いてる
遠足のくだり無理😭😭😭😭
那月さんと翔くんの痴話喧嘩が見れてハッピー
勝手に相手にコンプを抱いて感情的に怒鳴っちゃうのは翔くんの悪いところかもしれないけど、すぐに謝れて偉いね🫶ちょっとくらい欠点があった��がこちらの気が楽なのでそのままでいいよ💗💗
関連投稿
・うたプリRepeat LOVE初プレイ感想(音也ルート)
・うたプリRepeat LOVE初登校記録
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2022/11/19〜
11月19日 スーパーの半額のお豆腐の賞味期限が、11月20日日で「?」だったけれど、もう11月も19日だったとは!
今日は税関スタンプラリーのために横浜へ行った。横浜へ行く道のりや、横浜の街の位置感覚を少しずつ覚えてきている。新しい街の事を少しずつ知ることができている感覚が、久しぶりで新鮮で楽しい。 横浜は人が多かったけれど、海が広いからか、何かゴミゴミした感じがしなくて、ずっと開放的な気分でお散歩ができた。
カスタムくんファン(?)が思ったよりも多くて、スタンプラリーに参加してせっせとポイントを巡っている人たちを見て焦ってしまい、あまりスタンプポイントの施設をゆっくり見学することができなかった。また海上保安庁の博物館に行きたい。あと、山下公園の近くのシルク博物館が気になったのと、山下公園入り口のインド取水塔ご工事中だったので、次は見られるといいな。 なるべく芝生を歩いて、犬やシャボン玉をする親子やクラリネットの練習をするおじいさんに混ざって歩いた。 横浜はデートスポットのイメージがあって、1人で出かけることにどこか不相応な気後れがあったけれど、午前の時間だったからか、山下公園ではお婆さんたちがお弁当を食べたり体操をしたりしていた。 赤レンガではお祭りが開催されていて、たぶんその運営スタッフさんが、赤レンガ倉庫の際で海を向いて、たぶん崎陽軒のお弁当を食べていて正解な感じがした。
イチョウもとても美しく黄色く映えていた。
ふらっと1〜2時間お散歩だけした横浜。 こんな感じでたまに訪ねて、少しずつ街を知っていきたい気持ち。苦手意識が薄れてきている!
今日が返却期限の本を返しに図書館へ行き、乗り換え駅で切らしていた化粧品を買って、フィルム現像を出して、早めに帰宅できてえらい。
スタンプラリーを巡ったゴールでカスタムくんキーホルダーをもらったよ! ゴールの税関で職員さんにスタンプラリーカードを渡すと「キーホルダーとカスタムくん、どちらが良いですか?」と訊かれ「カスタムくんキーホルダーが良いです!」と答えてしまった。 昨日からちょっとしたディスコミュニケーションが続いているな…
サンタクロース村は、ステージとモニターが設置されていて、もうすぐクリスマスシーズン開幕のイベントがあるみたいです。
11月20日 雨が降りそうないい天気で、雨が降ってからはダメダメだった!予定を済ませて、掃除をして、フィルム現像をとりに行く。お花を買う。 少しずつ増える手荷物と折りたたみ傘で、腕も手も塞がるけれど、帰りにスーパーにも寄ってしまう。 焼魚が食べたい日々で、でも電子レンジ調理が限界のところで、レンジ焼き魚を作れる箱をamazonで見つけたので買ってみた。夏休みの自由研究みたい。今朝届いていた事をスーパーで思い出して、生魚を買ってみようとするけれど、もしかして塩とか酒とかも必要?と不安に色々考え始めているうちに、目を付けていた半額の鯖の切り身たちが、目の前でどんどん他人のカゴの中に入ってなくなってしまう。 もう少し余裕のある時に生魚を買おう、と、コンビニの焼き魚を買いに行くと今日に限って欲しいお魚がない。 もう一度スーパーへ戻り、さっき買ったものを片手にレトルトの鯖を持ってレジへ。 今日はこのスーパーで10%引きクーポンの配布だったので、ものすごく姑息な手段で2枚クーポンをゲットしてしまった感じで落ち込んだ。雨の日はダメだ。
これは私が摂食障害だから、スーパーとコンビニを行ったり来たりして、これしか食べたくないものに取り憑かれてこだわってしまうのかしら。みんな、鯖の塩焼きが食べたいけれど、赤魚の煮付けで妥協しているのかしら。
昨日の税関スタンプラリーを終えて、先の楽しみがすっかり分からなくなってしまった。 インスタグラムをみると、なんと!マンスーンさんも昨日このスタンプラリーに参加して、カスタムくんを手に入れていた!!
お花屋さんで、男性のお客さんが「紫の花で…」と花束のオーダーをしていたので、担当カラーが紫の推しに送るのかな、と思った。
11月21日 気がついたら16時だったし、とても居残りをしてしまい、逆にハイになって疲れがわからない。明日は研修なのに。
でも、その中でも、学生時代に憧れていた友人が目白でオフィスを構えて、そこで不定期でブックカフェを開いている事を知る。 近々目白に行く予定なので、場所を聞いてみようかメッセージをしようと迷い中。 こないだ夢に出てきてから、会いたい訳でもなく、ただいたずらにメッセージを送ったりしたい!と思っていたので、ちょうど良い。
お手洗いで、おしゃれな方から「黒の革のフレアスカート履いたりしない?」と、状態が良ければあげるわ!と言ってもらう。
1期下の方から弘前のお土産をいただく。 貯めたマイルで、ランダムに選ばれた旅行先へ行ってきたとのこと。ちょっと気になるので調べてみよう。
本の電子化の注文をして、��送用の段ボールを注文した!えらい!
11月22日 東京で研修。やっぱり東京は暖かくて、室内は暖房がよく効いていて、ぼーっとしてしまう。頭を頑張って稼働させて、目と脳が痛い。 懐かしい方々に会えて、とっても笑顔になったり、もう2度と会わないんじゃないか、な、全国津々浦々な方々に会って、名前を伝え合ったりして顔が疲れた。
絞り出す会話を、本当に絞り出しています!満載でやってくる人もいれば、スマートにやり過ごす人もいて、私は何も絞り出せずおどおどしていた気がする。
前の職場の方々にご挨拶をした。 みんな覚えていてくださっていて安心して、自分の苗字が珍しくてよかったね、と思った。 手土産に、と近江屋洋菓子店でマドレーヌを購入。平日の朝だからか、たくさんの種類のパンがあって、目玉焼きの乗ったラピュタみたいなパンがあるな〜と思ってみてみると“フレンチトースト”とプレートが立っていた。
研修の帰り道、とにかく疲れていて、1期下の方と上野公園までお散歩して帰った。とにかく疲れていたのに夜の東京さんぽがとても楽しかった。 東京で働きたい!と改めて思ったり、やっぱりこのままでいいのかも、と思ったり、クリスマス何しよう、と思ったり、でもとにかく疲れていて、自撮りをして適当にSNSを更新したりした。
11月23日 雨だ〜と、窓を少し開けて二度寝でうとうとしながら、たぶん現実のお隣さんの会話と、自分の夢の間を行ったり来たりした朝。 お隣さんは2単語しりとりをしていて”◯◯の××”みたいに意味の通じるワードでしりとりを続け“◯◯のやかん”と言ったところで「それはなしでしょ〜!」と笑い合っていた。私は、そもそも“ん”がついてるじゃない!と思っていた夢。
昨日の疲れを引きずって、たくさん薬を併用して外に出る。久しぶりにお友達に会えてとっても嬉しかった!お休みの日に誰かとお茶をするのが、とても久しぶりだった気がする。 嬉しくって、昨日の研修がとっても疲れたことから将来の不安までたくさん話してしまった。 友人は、私のコートとワンピースのボタンを付け直しながら話を聞いてくれた。お茶をしたデパートのクラシカルな喫茶店もとても良くて、注文したシナモンティーのビジュアルが2popだった! ボタンを付け直してもらったお礼に、ナインチェサブレを旦那さんと2人分渡すと、旦那さんはこうゆうキャラクターを模したお菓子を食べることに抵抗がある方だ、と教えてくれた。 それと、彼女たちは昨日が結婚記念日だったことを私が思い出し、よく覚えているな!と言ってくれた。 やっぱり今でも、友人が誰かと結婚して暮らしていることが信じられない時がある。
定期入れに昨日の研修でもらった全国津々浦々の名刺を入れっぱなし。愛知とか新潟とか青森とか。
年末になるとどうしようもなく寂しくなるのは、友人も同じらしく、誰かと暮らしたりすれば解消するのか?と思っていたのは、私のただの他力本願で、結局誰かといても気分が落ち込んでその相手に勝手に絶望するところでした!危ない〜。
11月24日 2回連続で職場の食事会をドタキャンしようとしている。もう気持ちがダメでちゃんと人と接するモードを保てる自信��なく、もちろん食事もできないし、お部屋の掃除をして寝るのが1番!の気持ち。 こんなにもドタキャンをしまくっても、有効的モードで社会でいられるようになれば、今後もやっていける気がするし、何より自分をダメにしてはいけない!誰か無理しないでいいよ、って言って!という気持ち。
髪を切ったら2週間、ネイルをしたら1週間は自分の体にしっかり馴染むまで時間がかかる傾向。
昨日久しぶりにアボカドを、ちゃんと皮を剥いて包丁で輪切りにして食べたら、それだけで美味しかった。
11月25日 上司がブラックフライデーでダイソンの送風機を買った話をしていて羨ましい。
今日の回はお断りしてお家で掃除と電子書籍化する本の配送準備をした。 いけなくなった事を伝えると「わかりました!理由書いてもいいですか?」と、とっても明るく対応してくれて少しつらかった。 理由はないので、ちょっともうダメで…、と本音を伝えた。 午後になって「予定がないのなら、少しだけ、飲み物一派だけでも行きません?車で送りますし!」と言ってくれる。ちゃんと断って、今、おうちで日記を書きながらお香を眺めている。
なんというか、生まれつき元気がない人と生まれつき元気な人がいるよね〜、と思った日だった。
革のスカートをもらってくれないか、と言ってくれた方から黒のスカートをいただく。 切りっぱなしのフレアスカートでかわいい!ただデニムの上から試着しても腰下まで下がってしまうので「あ〜サイズがだめか〜」となった。でも何かしらの工夫で着たい!と思い、いただいて、帰り道でベルトを買ってみた。それと落としてしまったBluetoothイヤホンも買ってブラックフライデーをした。 「タンスの肥やしなので〜、ありがとう。」と、人に服をあげられる豊かさって良いな。 私も次は服を売ったりする準備をしたい。
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
自己紹介 2024年10月13日追記 5861文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している それは去年に末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 観光施設って感じ 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 2024年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ 20(日)は実家と親戚に顔を出して静岡へ帰る 誰か知り合いとばったり会える事を期待しているけど たぶん顔を見てもお互いわからないだろう 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく上野城をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった この子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある ただダーツバーらしく 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど バーの扉って感じで雰囲気はあった 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で それにしても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をク��になり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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2024年5月31日
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メリットも課題も見えてきた! 次世代型電動車椅子 バスに乗る時どうすれば? 誰でも自由に移動できる社会に向けて 県バス協会が研修会 広島(RCCニュース)
オシャレで軽くて操作しやすい…そんな次世代型電動車椅子の普及とともに、困ったことも起きているようです。“バスの町”・広島で研修会が開かれました。
広島県バス協会が主催した研修会には、およそ50人が参加しました。
注目されているのは、この次世代型電動車椅子。2012年創業のWHILL社が手がけるもので、デザイン性や操作性をウリに販売台数はここ2年で5倍という勢いです。
ただ、課題も見えてきました。例えば、介助者のハンドルなどがないためにバスの車内に固定するのが難しいこと。
あるいは、こんなことも…。バスに乗り込むスロープの上で前輪が浮き上がって後ろに転倒してしまったのです。
車椅子が安全を保証する傾斜角度は、最大10度ですが、実際の道路事情によって���、それより急なことがあるためです。幸い、けが人はまだいませんが、関係者は危機感を高めています。
広島県バス協会 事故防止対策委員会 玉田和 委員長「私どもの使命としては安全に運ぶというのは使命でありますので、メーカーのWHILL社様と一緒に安全に運ぶためにどうすればいいかっていうのは今後、ちょっと、いろいろ考えていきたいなと」
WHILL 広報 新免那月 マネージャー「みなさん、ユーザーさんにしっかり乗って、外に行って楽しんでほしいっていう気持ちはすごい。ルートは違えど、最終的に目指すところは一緒なので、もっといい移動ができる社会ができるんだろうなというふうに思っています」
どんな人も自由に移動できる社会に向けて、具体的な模索が始まっています。
全国で5万店以上あった「魚屋」=鮮魚専門店が1万店を切った。激変する日本の水産流通(東洋経済オンライン)
鮮魚専門店数は今や全国で1万店を切った(写真:PIXTA)
日本の漁業が危ない。生産量はピークの1984年から7割減。輸入金額も増え、海外勢に買い負けている。持続的な漁業を確立しなければ、消費者もおいしくて安全な魚を食べ続けることはできない。
『週刊東洋経済』6月1日号の特集は「全解剖 日本の魚ビジネス」。特集ではデータによる漁業の「今」や、漁師の実情、企業による養殖ビジネスの最前線リポートなどを取り上げた。
【グラフで見る】「魚屋」=鮮魚専門店数の推移
ここでは激変した日本の水産流通について、北海学園大学の濱田武士経済学部教授が解説する。
日本漁業の発展プロセスにおいて、卸売市場が核となった市場流通が果たしてきた役割は大きい。多様な魚が水揚げされ、卸売市場に持ち込めば何でも販売してくれるし、われわれの食を潤わせてきたからである。
だが今日、その役割に陰りが生じ、市場外流通が拡大している。
漁業生産の現場は漁獲量や魚種構成が日々変動する。水揚げが集中する時期もあれば、しけなどで出漁が限られる時期もある。農業も天候に左右されるが、漁業はそれ以上に自然の影響を受けている。魚の鮮度落ちは農産物より早く、ストックできないことから、漁業者は水揚げ後すぐに販売していくほかない。
市場流通はその特性に合わせ、需要先に素早く流通させる仕組みとして機能してきた。
■産地と消費者の2大市場がある
市場流通は次のようになっている。
全国の主要漁港には産地市場が設置されており、水揚げされた魚がすぐに産地市場の卸業者に販売委託され、競りを通じ高値をつける仲買人に販売されている。仲買人は買い付けた魚について、各地のニーズに合う魚を発泡スチロール箱に詰め、消費地市場へトラックで輸送する。
その荷を受けた消費地市場の卸業者は、競り・入札・相対によって仲卸業者や売買参加者に販売し、消費地市場へ買い付けに来る小売業者や外食業者に販売する。産地と消費地で2段階の卸売市場を介したネットワークが全国の漁業者と消費者をつないでいるのだ。消費地市場しかない、青果や花き、肉の市場流通と異にしている。
卸売市場はさまざまな産地から多様な生鮮品を集荷し、需給バランスを考えて相場形成を図り、短時間で大量の生鮮品を販売。出荷者が取りはぐれないように代金決済を短期間に済ませている。
生産者自らが営業活動して商品を小分けし販売するとなると、短時間で終えることができず、代金回収リスクが生じるうえ、高い価格で売れたとしてもコスト割れする。小売業者や外食事業者自らが生鮮品を必要に応じて、各産地から直接集荷するとなると時間を要し、仕入れコストは高くなる。
にもかかわらず市場流通は多段階で、生産者の売値が安いのに中間コストが高く、「消費者は高く買わされている」と主張する人がいる。流通の量や時間、コスト、リスクを踏まえると、それは的外れな話だ。むしろ市場流通は生産者にとっても実需者にとっても安上がりの仕組みなのである。
■鮮魚店が客に魚の知識を伝えていた
だが水産物の卸売市場の経由率は落ち込み続けている。1980年には80%を超えていたが、落ち込み続けて近年、50%を下回るようになった。これはなぜなのか。
水産物とは、いわゆる鮮魚(生魚)や加工品、冷凍品に分類される。中でも市場の流通機構に強く依存し、わが国の中で水産物消費を牽引してきたのは、鮮魚だった。しかし、この鮮魚流通がだんだん縮小してきたため、卸売市場の経由率が落ち込んでいった。
実は「現代日本の魚食文化」は、もともとあったものではなく、市場流通とともに拡大してきた。その中で鮮魚の需要を喚起してきたのは鮮魚店であった。
鮮魚店は毎日早朝に地元の消費地市場に出かけて、そこで地元の消費者のニーズに合う魚を、仲卸業者から仕入れている。旬でない魚や見慣れない魚は安い。そうしたものでも仕入れ、どうすれば美味しく食べることができるか、仲卸から聴いて研究する。このような蓄積があって、店舗では来客に魚の知識を伝えながら、鮮魚需要を喚起してきたのである。
家計の食材別消費動向と鮮魚店数の推移を見ると、1980年代前半の家庭内における魚介類の消費は肉類や野菜・海藻を上回り、最も高かった。鮮魚店の数も5万店超で大きく減っていなかった。市場流通の末端で鮮魚店が魚の需要を喚起し、現代の魚食文化を育てたのである。
■店に並ぶのは、切り身など加工品、定番の冷凍品
ところが1990年代に入ると、鮮魚店が街中から消え、近年���1万店を切る。スーパーマーケットが台頭し、ショッピングモールの出店攻勢によって、ローカルな小売店の環境は激変。大型店に客を奪われてしまい、鮮魚を扱う専門小売店から消費者が離れていった。それでも大型店で鮮魚需要が喚起されればよかったが、鮮魚店のような対面販売は行われなかった。
店頭で売れ残りリスクを回避するため、商品棚が埋められたのは、主として価格訴求力のあるマグロやサケ、サバなど定番の冷凍品や、バックヤードで調理された切り身や刺し身をパッケージ化した加工品だ。冷凍在庫が可能なこれらは消費地市場に頼らず、メーカーから安定的に直接仕入れればよい。こうして鮮魚売場に需要喚起の場はなくなり、卸売市場の経由率は落ち込んだのだった。
世帯状況の変化も関係している。長引くデフレ不況で可処分所得が減り続け、消費志向もモノからコト、情報へと変わる。核家族化で単身世帯も増え、家族規模が小さくなって、料理の機会は減少。生鮮品の素材よりも総菜や調理済みの食材を買う機会が増えた。
鮮魚においては生ゴミが出るし、消費者が求めるタンパク源として水産物にこだわる必要はない。魚と比べて非可食部がない肉のほうが、摂取カロリーとの関係で見ればコストパフォーマンスがよい。
鮮魚店が街から消え、家計における魚の消費は大きく減り、最も消費金額が少ない食材になった。料理屋やすし屋など外食分野は魚の需要を喚起しているが、鮮魚市場の拡大を牽引するまでの力は持っていない。産地の魚価の形成力が弱まるのも無理がない。
1990年代からの円高やデフレによる内需縮小が決定的となり、食品市場は輸入食品が氾濫して過剰供給状態となった。魚価への下げ圧力も強まり、漁業者だけでなく、卸売業者の廃業も加速した。ただ、近年では円安基調が強まり、インバウンドにも日本食ブームが広がっている。皮肉にも日本の消費地市場から鮮魚、それも高級魚が海外へ輸出される時代だ。
市場流通は鮮魚が生命線。それが多様な魚種を供給する日本漁業を支えてきた。鮮魚流通の復興があれば、漁業の未来は明るいが、残念ながら予兆はまだ見えない。
祭りやデモ、道路使用に手数料 愛知県警、6月から2500円徴収(中日新聞)
道路使用手数料6月から祭りなどでも徴収へ 愛知(NHKニュース 5月17日)
愛知県では、全国で唯一、祭りやデモ行進などについて「道路使用許可」の手数料が免除されてきましたが、6月からは手数料を徴収することになりました。
道路交通法では、道路でイベントや工事などを行う場合、警察に届け出て「道路使用許可」を取ることが必要で、警察は手続きに際して手数料を徴収しています。 全国の都道府県警では、申請があった場合は、原則、一律で手数料を徴収していますが、愛知県警はこれまで地域の祭り、デモ行進、演説などについては免除してきました。
こうした中、愛知県が令和2年から進める行財政改革の計画をもとに、県警が業務の見直しを進めた結果、ほかの都道府県警と基準をそろえる必要があることなどを理由に、手数料を徴収することになったということです。 地域の祭り、スポーツの競技会、デモ行進、選挙期間外の演説のほか自動運転車の実証実験などが含まれ、申請ごとに2500円の手数料が徴収されます。
6月1日以降に許可の申請を行った場合に、対象になりますが、国や自治体、公的な団体などが主催するイベントなどは引き続き手数料は免除されるということです。 また、選挙期間中の演説は、申請の必要はないということです。
愛知県警はイベントなどを開催する際は、各地の警察署に確認して欲しいとしています。
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅰ
花鳥誌2024年1月号より転載
日本文学研究者
井上 泰至
「恋の季題」は材料も尽きてお開きとしたが、書き物は続けてほしいとのお話だったので、『虚子百句』を私なりに読んでいくことにしたい。
まず、本書の成り立ちや、おおよその性格を説いて、なぜこの書物を丁寧に読んでいくことにしたのか、その理由をあらあら述べておきたい。
本書は昭和三三年、すなわち虚子の亡くなる前年の自選句集である。京都の便利堂からの依頼を受けたもので、短時日の間に選んだものであるから、本書の価値は、ある程度割り引いて考える必要はある。が、ともかくも虚子が、自分の代表作と認めた百句だったことは間違いない。
選句の基準については、追々検討を加えていくが、まず揮毫しやすく、たびたび揮毫してきた句であったことは、序で虚子自身が明らかにしている。本書は、虚子の揮毫を写真で掲載し、五十句ずつを高濱年尾と星野立子が分担して、簡単な句の評釈をつけるという趣向のものだった。年尾の跋文によれば、虚子も事前に二人の文章を検したという。
本書の企画を持ち込んだ便利堂は、明治二十年創業の書店兼出版社である。コロタイプ印刷機を早くに導入し、美術書の出版で信頼を得た。岡倉天心が創始し、今日でも美術史学の権威的雑誌の位置を保っている「國華」は、便利堂の図版印刷の高度な技術が遺憾なく発揮されたものである。
四代目店主中村竹四郎は、国宝級の貴重書の複製印刷をも数々手がけ、『虚子百句』刊行の翌年には文化功労者として表彰されている。虚子の字は、それ自体が俳句文化の遺産としての価値を持つ、と認識されていたわけである。
つまり、主役は百句のみならず、その揮毫でもあったわけで、この点には留意しなければならない。書は、運筆から句の呼吸や中心点を確認できる。同じ字であっても、楷書か行書かといった書き分けがあれば、それは句の眼目ともなる。
一例を挙げよう。小諸市立虚子記念館に残る十二ヶ月十二句の揮毫を屏風に仕立てたものは、展示の目玉だが、「心」を詠んだ句が三句ある。
鶯や文字も知らずに歌心 虚子
二三子や時雨るる心親しめり 同
我が心ある時軽し罌粟の花 同
このうち三句目のみ「心」はきちんと楷書で書かれ、他の二句はややリラックスした崩し字となっている。三句目は愛児六を失った悲嘆の中で詠まれた句だからである。書道家に聞くと、「心」の字のバランスは、筆をとる者の「心」を反映するのだと言う。
こうした鑑賞の醍醐味も『虚子百句』にはあることが、当然予想される。年尾の跋文によれば、この頃の虚子は眼が弱って、それが字に出てしまっている、という。確かに、青年期・壮年期のそれから比べ、運筆の力や字配りを焦点化する眼の力の衰えは隠せない。それでも、修練とは凄いもので、序文の虚子自身の言によれば、百句の大方は一、二時間で揮毫してしまったというから驚きである。字の味わいも、私の能力の範囲で解説を試みたい。
本書の構成は、春夏秋冬・新年の部に分かれ、各部の句の配列は、成立順となっている。従って��治・大正・昭和と万遍なく句が拾われている。『百人一首』が古典和歌そのものの粋であり、歴史でもあるように、『虚子百句』も虚子の句業の入門書にして到達点でもある。これが本書を読む何よりの理由である。
本書の装幀を担当した福田平八郎(一八九二〜一九七四)についても、簡単に触れておこう。虚子との縁は、『虚子京遊録』(昭和二三年)『喜寿艶』(昭和二五年)に続き、これが三度目である。 大分出身で、上村松園や竹内栖鳳も出た京都市立絵画専門学校を卒業。京都日本画画壇で重きをなす。トリミングやデザイン感覚に秀で、書物の装幀も得意とした。『虚子句集』の竹の絵は、自家薬籠中の画題であったと考えられる。
本書は二〇一〇年、岩波書店から復刊された。解説は東京大学教授であった、日本近代文学専攻の野山嘉正が担当した。
最後に一言。平成期、伝統派で、虚子句の解説つき選集といえば、稲畑汀子氏の『虚子百句』が定番だった。虚子自身の選句とは違ったところに新味を出した素晴らしい本だが、時に稲畑氏らしからぬ、非常に硬い内容と文章の評釈があるのは惜しい。この連載は、あくまで虚子の自選に立ち戻り、虚子句の成立事情と、選句の背景を平易に語ることに徹したい。ただし、この自選句集の性格上、私の虚子観・俳句観が問われることは言うまでもない。
1 美しき人や蚕飼の玉襷
初出は明治三十四年四月三十日の新聞『日本』。季語は「蚕飼」。蚕はふつう四月に孵化して繭籠る。
初出では「蚕」の題で内藤鳴雪・坂本四方太・河東碧梧桐・佐藤紅録らの各三句も載る、題詠句である。虚子の他二句は〈蝋燭の灯影に白き蚕かな〉〈蚕飼ふや年々ふやす桑畠〉。『新歳時記』にはこの句を採用せず、写生句らしい〈逡巡として繭ごもらざる蚕かな〉を載せたか。
蚕は食欲旺盛だ。食べ残した桑やフンは蚕網(さんもう)を使って取り除く。蚕は眠る。睡眠と脱皮を四回ほど繰り返して成長すると、絲を吐き始める。ここで蔟(まぶし)という仕切りのある箱に移す。繭籠らせるのである。絹糸を吐き、繭を成す様は、実に神秘的だ。春の陽が漏れてくる中、吐き出されたばかりの絹糸は光そのものである。この過程に、ひと月ほどはかかる。
蚕網をかけ、桑を与えると、蚕は網目を通り上にあがる。蚕網の下は蚕のフンと桑の食べ残しが残る。網を上げると、蚕とフン、食べ残した桑の分離ができる。蚕の成長に合わせて網目の大きなものへ変えながら使用する、といった具合である。丁寧さと経験が要求される女性の仕事である。
養蚕は、明治期日本の主要産業だった。欧州では産地の南仏で病害が発生し、需要が高まったのである。巨利を成した者も多い。出荷は横浜が多かった。
女性は襷掛けで、髪も縛る。明治期の浮世絵等を見ると、襷の色は赤が代表的である。かの富岡製糸工場では、技術のある女工は赤襷をして周囲から尊敬されたという。
国を挙げての養蚕業振興を宮中も率先して奨励し、皇后美子が手ずから養蚕を行い、浮世絵などで宮中養蚕が喧伝された。皆赤襷で、髪はおすべらかし、すなわち、後ろでまとめた髪に「長かもじ」を継ぎ、水引や絵元結などを掛けて、長く垂らしたのである。
結髪の問題にこだわったのも、襷掛けの女性は、皆髪を結ったり、挙げたりして、うなじがあらわになる点が一句の焦点だと考えるからである。つまり、「美しき人」の美しさの拠って立つところは、「襷」に暗示される、黒髪と白いうなじだったのだ。
「玉襷」という言葉は、『万葉集』以来ある言葉で、これ自体一種の神々しさを醸し出す。『虚子百句』の評釈で、年尾が宮中養蚕を詠んだと解したのも一理ある。しかし、もっと重要なのは、「玉襷」は「うなじ」の連想から、大和の畝傍山を呼び出す決まり文句だったことの方である。謡曲の「恋重荷」に用例がある。虚子がこれを知らないはずはない。
蚕と繭の「白」と、後れ毛を残したうなじの「白」の連想が、この女性の「美し」さを支えるものだったと考えたい。虚子は、和装の女性の髪にはかなり執心した。
「まあ旦那でいらしつたんですか。どなたかと思ひましてね。お断り申しましたですけれど何だか気になりまして、一寸御挨拶だけに。どうも姉さん有難う。姉さん有難う」と二人に挨拶して末座に坐つたまゝ一寸こぼれた鬢を掻き上げる。
小光は総髪の銀杏返しに結つてゐるのが仇つぽくて、薄つすらと白いものゝついてゐる額の広々としてゐるのも美しい。 (『俳諧師』) 小光のモデルは、女義太夫の竹本小土佐で、虚子は彼女の語りがかかる東京中の演芸場へ出かけ、追い回したのであった。虚子の眼裏に焼きつけられた美しさは、挙げた髪やこぼれた鬢にあった。
谷崎潤一郎も言っている。女性美の焦点は首だと(『陰翳礼賛』)。和服で身体が露出するのは、首・手先・襟足だ。首は細く長くなければいけない。「猪首」という言葉を想起すればよい。肌は白くなければいけない。そこにうなじの後れ毛が色気を呼ぶ。
「玉襷」はその呼び出しであり、それは説明しないことが肝要だから、「美しき」とだけ冒頭に置いて謎を掛けた。だから、『喜寿艶』でも、この句については、木で鼻をくくったような説明しかしていない。
完全な主観句で、実際にそういう女を見たのか、絵の中の女か、記憶の中の女か、そんなことはどうでもいい。小説家志望で主観派が本質だった虚子らしい、冒頭の一句なのである。『虚子百句』は『新歳時記』のような教育的意義を取り払った、「作家」虚子の選集だった。
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井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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2023年遊んだゲーム振り返り
2023年お疲れさまでした。 別記事にてアンソロジー参加のお知らせを書いています、よければそちらチェックをお願いします。
この記事は今年遊んだゲームの振り返りです。量が多かったので早めに書きました。途中で遊ばなくなった作品も少なくないので、EDまで到達した・一区切りつくところまでは遊んでいて、ある程度まとまった感想が書けそうなもののみ抜粋しています。
・PowerWash Simulator(2月)steam
一本めがこれか……。 たしかゲーム配信かなにかで遊んでいるのを見て、楽しそうだなあと買ったのがきっかけだったと思います。このころ仕事で荒んでいたのもあって、「とりあえず今日成し遂げたと思えるなにかが欲しい」という気持ちに沿ってくれたゲームでした。最後にクリアしたステージが公園か家、総プレイ時間は長くないはず。 ゲームへの集中は不要で、動画を見ながら~とか、音楽を聴きながら~とかで遊べるのがよかったです。エリアが広くなるほど洗い残しは許容されるようになるので、一箇所洗い終えた時の効果音がどんどん響いて気持ちがよかったのを覚えています。
・違う冬のぼくら(3月)steam
複数人プレイの作品、付き合ってくれる人を募集するところからなのでかなり敷居が高いんですが、ありがたいことに遊ぶことができました。2プレイヤーの視点で見えるもの・できることが違うパズルゲーム。生まれも育ちも違うふたりの子供が、自分たちを取り巻く環境に鬱屈し、市長像を爆破してやろう!と意気込んで山の中へ分けいっていくものの……。 二人で遊ぶ、話す・相談する、考える、ということに重きを置いていて、見えるものや触れるものが違うから伝えなくてはならなくて、というゲーム性。作者さんらしい世界観の謎や匂わせがあって、なんとなく推察できるようにもなっているのですが、私自身はそういった部分よりも、山の上に待ち受ける目標に対しての結末のあっけなさがよかったなあと思います。
・パラノマサイト(4月)steam
おもしろかったなあ!という思い出が強くて、私にとってそのおもしろさはプレイ体験の驚きに端を発するものだったので、遊ぶ予定のある方にはなるべくネタバレがないように触れて欲しいなあと思います。少しでも気になる方はこの項を読み飛ばしてください。 お願いします。 いいですか。 続けますね。 和ホラー的なADVということだけ前情報で知って挑んだのですが、「胃能力バトルもの!?」と驚いたのが印象に残っています。まだ発売したばかりで、紹介記事もあまり芯を食った話をしていなかったころに触れられたのがよかったかもしれません。 最初の案内人のドッキリで笑ってしまったあとに、並垣くんとの対峙で「こういうゲームだよ」というのがわかるつくり(「CVがないのにどうしてボイス音量設定があるんだ?」という、思えば当たり前の気付き)。わざとらしくなく、けれどプレイヤーから理解できるように明かされたのが導線としてよかったな~と思いました。謎解きをおこなう作品において重要な、どこまでが許されるラインなのかの明示。これをきちんとやらないと作者の脳内当てゲームになるので……。作品におけるメタ要素を、物語を損ねない形でシステムと絡めて開示するのは製作者の腕だな〜と思いました。 一部の人物描写には思うところこそあるものの、全体きれいにまとまった、よいADVでした。こういう作品がどんどん出てきてほしいなあ。シリーズ作を作る土壌があるようなので期待しています。
・ファイアーエムブレム エンゲージ(4月)switch
今年の総プレイ時間はこれが最長だと思います。プレイ済み作品はifと風花雪月だけ、ほかの過去キャラ���ターはスマブラ等で名前を知っている程度、だったのですが十分楽しめました。過去作要素には個別ステージでちょっと触れたり、ステージの構造で匂わせたり、��ャラクターの待遇を重ねたり、程度だったのがちょうどよい塩梅。それでいて、知っているシリーズだとステージの音楽アレンジがめちゃくちゃ良くて1ループまるまる聴き入ってしまいました。 色物だなあと思っていたエンゲージシステムにもすぐに慣れて、オーバーパワー気味のそれを使うこと前提で設計されていた難易度がよかったです。そう、戦闘がとにかくおもしろかった!連携システムが割合ダメージなのが肝だなあと思いました。これを「絆」と関連づけて、ラスボスがそれを断ち切ってくるパッシブを持っているのがシステムとしてきれいだったな~とも。 育成においても、指輪や職やスキルによる重みが強いので、キャラクターにある程度自由なビルドが許されているのがよかったです。魔術師向けキャラを肉弾戦系に育て上げるのもいいし、その逆もできる。手をかけてあげたぶんだけ目に見えて強くなるので、贔屓のしがいがあるのも嬉しいところ。推しのエーティエさんがアーマーを貫くアーチャーに育っていくのをにこにこ見つめていました。
・ファミレスを享受せよ(5月)ブラウザ
switch版発売おめでとうございます! 夜遅くに時間を用意して遊ぶのにぴったりのADVです。永遠のファミレスに閉じ込められてしまった主人公と、同じようにファミレスに暮らしてきた、境遇も様々な人々との語らい。操作は簡単で、話題を選んで人に話を振るだけ。それだけです。でもこの「他人に関わろうとする」「知ろうとする、時には嫌がられるだろう部分にすら踏み込んでいく」働きをする人だったから、主人公は主人公たり得たし、物語を動かしたのだなあ……。 ファミレスに留まる人々は、飽きることに飽きるほどに長い時間をそこで暮らしています。それぞれに通り過ぎてきた過去さえ、他人事のように語るものになってしまっている彼ら。ファミレスという空間にありながら、ひとりひとりが別の場所に腰を下ろして、隣人として過ごしている(だからこそ最終局面で同じテーブルを囲むあのシーンがかけがえのないものになる)。 調べられるところを調べる限り、裏側に設定はありそうで、けれど本質はそこにはないし、それを解決する作品でもない。あくまでも主軸を人々の語らいの中に置いている誠実さがよかったなあと思いました。言葉を尽くしても伝えられる気がしない。遊んでほしいです。よい作品でした。
・Pentiment(6月)steam
ヨーロッパの片田舎の街と修道院を舞台にしたサスペンスADVです。主人公はその地を訪れていた画家で、修道院で絵の仕事を任されていたところ。世話になっていた老人にかけられた殺人の疑いを晴らすため奔走します。 自分の生い立ちや大学での専攻を選ぶことで知識や能力の設定が可能で、人々への聞き込みや調査においてもこれらが大きく関わってきます。必要な情報が集まっていれば各所でのチェックが成功し、新たな情報につながっていく流れ。時間が限られているためすべてを明らかにすることはできず、それでも物語は進んでいく。きれいごとばかりでは嫌われるし、恩人への疑いを晴らせたとしても、それが本当に正しかったのかわからない。けれど不安のなか歩いていった先、遠い未来で、「あのときああしてよかった」という手応えが返ってくる充足感。贅沢なものを遊んだなあと満足した作品でした。 翻訳がちょっと不安なところこそありますが、音楽とアートワークがものすごくよかったです。BGMがふいに止まる礼拝堂を歩いていくと修道士の讃美歌が遠くから聴こえてくるだとか。印刷機が家にある一家だと、活版印刷のそれを模したモーションで台詞が表示されたりだとか。写本のようなUIも素敵でした。
・ゴーストトリック(7月)steam
リマスター版です。switchでも出ていたのですが、steamの方が直感的に遊びやすそうだったのでこちらで。タイトルだけは昔から聞いていて、遊ぶ人がみな絶賛していたので、遊びたいものの3DSかスマホかかあ……と渋っていて。リマスターが本当に嬉しかった!ですし、評判に違わぬ素晴らしい作品でした。 幽霊として目覚めた主人公は、自身が記憶を失っていることと、目の前でひとりの女性が命を奪われようとしていることに気づきます。刹那の時間に出会った謎の喋るランプに導かれるまま、自身に宿った力を用いて人々の死の運命を変えていく。すべては記憶を取り戻すために。 パラノマサイトの項でも書いたのですが、謎解きというのは設定の先出し、つまりプレイヤーとの間にルールを置くことが肝要で、ゴーストトリックはそれを物語でしっかりこなしている作品でした。本筋が進むにつれてとんでもない真相が明らかになっていくのですが、そのための前振りはきちんとされていて、「それってアリ!?」がないんです。思い返せば同じ例がすでに起こっている。それでいて伏線回収だけに終始せず、しっかり感情の起伏が作られている……。 こういう作品作りってしてもいいんだなあ、と元気をもらえる作品でした。おもしろかったです。
・The Cosmic Wheel Sisterhood(8月)steam
一昨年かな?に遊んだThe Red Strings Clubのデベロッパーの新作です。カヴン(共同体)から追放された占いの魔女フォルトゥーナが、復讐のために魔神を呼び出すものの、彼女の運命はその目論みとは異なるほうへ大きく変化し……。初めに打ち立てる「大切なもの」「代償」といった要素が、物語の進行とともに形を為していく、その瞬間瞬間に息を飲みました。 多くの魔女との関わりには手製のカードによる占いを行います。それは未来のものごとを的中させるだけのものではなく、出来事そのものを捻じ曲げてしまう、まさに魔法と呼ぶべきもの。矛先は未来だけでなく、過去にまで及びます。フォルトゥーナが導いたカードが、本当にあったことになる。 どんな要素をもたらすカードを作るかも、どのカードを答えとするかも自分で選べるけれど、なにより大事なひとつ、デッキからそれを選び取ることにだけは自分の意思が及びません。ランダムで選ばれた複数枚のカードから選択することだけ。このままならさがよかったですし、The Red Strings Clubと同じものを受け取るようで感じ入ってしまいました。たどり着くところが同じだとしても、そこにどう関わるのか、どんな選択をするのか、は自分で選ぶことになる。よかったなあ。
・バベル号ガイドブック(8月)steam
多くの登場人物の視点で物語を追う群像劇ADVです。バベル号と呼ばれる大規模な飛行船に乗って、人々はどこへゆこうとしているのか。 バタフライエフェクトを主軸としたゲーム性で、そのままでは達成されない目的のために、その場や過去の道具に少しだけ干渉して、人々の行動を変えていくことになります。ヒントの取得システムがパズル気味で、「ヒントを手に入れる」こと自体が楽しいつくりになっているのがよいアイデアでした。ADVでヒントを頼るの、場合によってはちょっと気が引けてしまうので……。 まったく違うところからスタートした人々の道が絡み合っていく。誰かが知らないうちにほかの誰かを助けている。群像劇の醍醐味をいっぱいに楽しむことのできる作品でした。グラフィックやUIの質感にゲームブックのような、シールをたくさん貼り付けるようなワクワク感があって、それも満足感が大きかったです。
・TUNIC(8月)switch
ゲームが好きな人は好きなんじゃないかな~という作品です。 主語が大きすぎました。RPGで家の裏やら滝の裏やらを調べたり、壺を全部割って歩いたり、ボスに続く道を引き当てる前に全部の横道を見て回らずに入られない人向け。この探索の楽しさは最後まで一貫していて、ちょっと進んだところから「ショトカ開通かな~?」と思って道を辿っていくものの、気付いてさえいれば最初から行けたじゃん!が明らかになる、そんなことばかり。してやられた感が悔しくて笑っていました。 物語には独自言語が用いられていて、それが説明書(ゲーム内で見られる)にも徹底されているのが特徴的なつくりの作品です。説明書のページを集めていくことが物語の目標。そのため、ゲームを進めることで触れられる新しいシステムについても「実は最初から使えるのだけれど、プレイヤーがやり方を知らなかっただけ」という形になっているのがおもしろいところ。初めから見えているのにゲーム終盤まで開かない宝箱、みたいな概念が大量にあります。だからこそ、まず触ってみて欲しい!作品です。 戦闘はソウルライクと称されるほどの難しさのため、私は早々に諦めて無敵モードで遊びました。普通に遊ぶとしんどそうだなあ……。
・Chants of Sennaar(9月)steam
これよかったです、本当に。本当によかった。 人々が喋る異言語の単語の意味を特定することで進めていくゲームで、それらを用いた謎解きがあったり、時にはその言葉を組み合わせて意図を伝えたり。喋る必要があるということはもちろん文法を把握する必要もあって、それも民族によって異なっています。たとえば複数形を表現したいとき、それそのものをひとつの単語としている民族がいたり、同じ単語を二つ並べる民族がいたり。なんとなくモデルになっていそう��言語こそあるものの、基本読み取れないので、どこで使われているのかを見て推測する必要が出てきます。 言葉を理解すべき複数の民族は、���層の分けられた塔の中に、交わることなく暮らしています。「同じ語意」であることを用いて単語を特定するシーンもあるのですが、ある民族が自分の民族を指して「兵士」と示すとき、別の民族は同じ相手を「蛮族」という意味のことばで示す、というような違いがものすごくよかったな~と思いました。翻訳はその意味までもをイコールで繋いでくれるわけではない。 こういったシステムが物語の目的にきちんとリンクして、ああ私はこのために言葉を覚えてきたのだ、と気付くラストシーンの美しさといったら! 本当によい体験でした。 音楽も画面もやっぱり良くて……墓地へと向かう道の途中、どこからか聞こえてくる楽の音にため息をつきました。OSTも買いましたが、これはゲームの中で聞いてこそだなあと思います。 リンクを貼っておきます。動画を見てください。音を、音楽を聴いてください。
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・スイカゲーム(9月)switch
買いました………………。 流行りにはさっさと乗らないと自分の逆張り精神が顔を出すので、熱いうちにということで。遊んでみれば流行るのはわかるなあというか、配信映えするだろうなあという気付きがいくつもありました。実は適当にやっても(なんなら連打するだけでも)それなりのところまで行けるので、「もしかして私センスあるんじゃない?」と感じられるつくりが巧いし、いやらしい。かつ定石となる戦略がプレイヤーによって生まれやすいので、配信でコメントが盛り上がりやすい。そのくせ引きによる運要素がかなり大きいのでふとした拍子にうまくいく。 私自身はスイカ作ったり3000点取ったりのところで満足してやめました。安いのでちょっと遊んだだけで元取った感がある。とか言いつつプレイ時間を見たらきっちり十時間遊んでいたのでちょっと引きました。
・Scene Investigators(10月)steam
犯行現場を調査して事件の真相を探る調査・推理ADV。証拠だけでは全貌は完全には見えなくて、ある程度の推理が必要となってくるつくりです。とはいえ、チュートリアルこそその推理部分が多かったものの、本編はそこまでではなかった印象でした。 私はチャプター1までクリアして止まっているのですが、そのチャプター1の出来がよくて……。ひとつのチャプターが三つの調査に分かれていて、ひとつめでは���えてこなかった真相がふたつめ・三つめで見えるようになるため、最初に「こういう人物かな」と思っていた相手の見え方がどんどん変わっていくことになります。プレイヤーはその相手と直接話すわけではなくて、現場に残った痕跡だとか、別の人物が書いたメッセージから人間性を推し量るしかない。それで「知った気になっていた」プレイヤーを、最後の最後で本人の色濃い痕跡が裏切ってくる。チャプター1、三つめの現場を少し見て回った段階で、口を覆って動けなくなる経験をしました。 別のチャプターも早く遊びたい!よいゲームです。
・A Dance of Fire and Ice(12月)steam
年末はこれを遊んで過ごすだろう予感がしています。リズムを刻むだけのシンプルな音ゲー。よくあるレーンに流れてくるノーツを押すの形式ではなくて、レールを自動で進んでいく自機を追いかけてタイミングよくキーを押すシステムです。キーはいつどこを押しても反応するので、最初は右人差し指でエンターを叩いていたのですが、次第に押すときの負担が少ない矢印キーとなり、やがて両人差し指で文字部分を叩くようになりました。今後二本だけでやっていけるんだろうか……。 一度リズムを外すと(中間セーブがない限り)最初からのリトライなので、否が応にもリズムを覚える必要があります。とはいえたどり着いたところ+ちょっと部分までは好きな場所から練習できますし、そもそもリトライが早くて楽なのでストレスは無 無 くはないですが それは自分に対する怒りなので……楽しく遊んでいます。 この記事を書いているタイミングで12章終えて、北の島の二曲を終えたところ。三曲目で延々目隠し四分音符を叩かされる地獄にいます。やっていくぞ。
以上です。よく遊んだ!年々字数が増えていると噂です。 毎年ここだけ書く人間になっていますが、ご覧の方がいらっしゃれば、よいお年をお迎えください。一年間お疲れさまでした。
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森を鳴らす。
10/15に長野県伊那市でワークショップ「森を鳴らす。」を行いました。
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今年3月にも会場音楽とワークショップで関わらせていただいた展示会「赤松乃森」が11月に東京でも行われることになり、今回もその会場音楽をワークショップ形式で作りたいということから、「森」と「音」を通じて参加者のものの捉え方の拡張と会場音楽の作成を目的としたワークショップを目指しました。
ワークショップのタイトル「森を鳴らす。」と決まったとき、 「誰もいない森の中で木が倒れたら音がするのか」というある哲学を思い出しました。
現象が「音」になるとき物理的な関わりと、受信器としての感性が必要になってきます。
参加者が森の中に入って「聴く」ことで、それぞれの中で森が鳴りはじめます。
当日は雨が降る森の中で参加者の皆さんと「音」と向き合う時間を共有することができました。
最初のワークでは、耳をひらいて聴くことの感度を高めていきました。
人工物のある公園を一周して、森との境界となる動物避けのフェンス扉を開けて森の中へと入っていきました。
参加者の一人が「上からも音が聴こえてきた」と言った言葉で森という木々に囲まれた「空間」をより感じることができた気がしました。
しばらく観察的に音に意識を向けてもらい、聴くことへの解像度を上げていきました。
次に、音を「判断せず」にぼんやりと全体を聴くという方法を試してもらいました。
これは非常に難しいのですが、自分が音そのものになるような感覚で、音で行う瞑想やヨガに近いものだと考えています。
森の奥へ進むと、5つのワイングラスがセッティングしてあり、中央には木の箱が置かれています。
続いてのワークではこれらを使って実際に音を鳴らしてみました。
当然、音をだすには聴く必要があります。
声を発する際にもその音を聴きながら細かいニュアンスを調整しているように、聴くという感度によって出る音は変わってくるため最初のワークが重要になってくると考えました。
グラスハープとは水を入れたワイングラスの縁を指で滑らせることで音を発するもので、僕のワークショップではなるべく楽器ではないものを使いたいと考えています。
グラスハープは知っているが実際に鳴らしたことのない人が大半でした。
グラスハープの良いところは簡単なコツを掴めば誰にでもすぐに綺麗な音が出せることで、数回練習して皆音が出せるようになりました。
いくつかのルールを決めて実際に録音していきました。
・まわりの音をよく聴き、なるべく一定の音を意識する
・音を絶やさない(5つ同時には鳴らないように音を引くことも意識する)
・鳴らしたら別のワイングラスへ移動する
・移動の際に中央の木箱に、落ちている木の実や枝などを落としていく
・声は出さない(出したい時はヒソヒソ声)
まわりの音や動きを意識しながら、約7分間の無編集録音が無事に終わりました。
雨の音や参加者の少女の自由な発想の音も加わり、思いがけない面白い音が録音されていました。
今回、録音された音はそのまま11月の展示の際の会場音楽として流されます。
6つのスピーカーを会場に点在させ、森で行われたワークショップの音を会場内に再現できたらと考えています。
今回もとても素晴らしい作品になりました。
参加してくれた皆様と共に有意義な時間を過ごすことができました。
当日は足元の悪い中ありがとうございました。
音楽家/現代アーティスト
立石 剛
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【以下展示情報】
東京の元映画館で森を体感するインスタレーション展示
「森の体験展示『赤松之森』モノの始まりに出会う」
私たちにとって「いい森」とはなんでしょうか?
今回、我々が活動する長野県伊那谷の赤松の森をテーマに、実際に森に入って体験する展示を企画しました。
多様な角度から森を見つめ、体験することで、モノの始まりについて考えてみたいと思います。
■赤松之森 開催概要
▽ 名 称: 森の体験展示 | 赤松之森
▽ サブタイトル: モノの始まりに出会う ▽ 会 期: 2023年11月11日(土)- 11月19日(日)
▽ 時 間: 11:00 -20:00 (11/11のみ -21:00まで)
▽ 会 場: 東京都荒川区東日暮里3丁目31−18 旭ビル 2F
▽ アクセス: JR常磐線 三河島駅より 徒歩 5分 / JR山手線 日暮里駅より 徒歩15分
▽ 料 金:一般 500円(税込)
*「森の体験展示 | 赤松之森」に入場��ただけます。
*高校生以下及び18歳未満、65歳以上、心身に障害のある方及び付添者1名は無料。 (受付にて学生証または年齢の確認できるもの、障害者手帳をご提示ください。)
*現金決済のみになります。
▽ 公式WEB/SNS: Instagram:@throw.line
詳細ページ:https://akamatsucrab.com/exhibition/
公式ハッシュタグ: #赤松之森 ▽ 企画運営:ThrowLine
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二年前日記43(2021年10/22〜10/28)
10月22日 M子とランチ。前、両親とモーニングに行ったお店へ。お土産に金曜にだけ開いているパン屋さんでパンを買っていく。仕事のこと、子育てのこととかいろいろ話す。高校の同級生だけど、すごい頭の回転の早い子だったんだなということに今さら気がついた。あっという間に2時間ぐらい経っていた。M子は妊娠中なかなか大変だったらしい。その理由を、旦那さんの遺伝子と違いすぎるからだと思うと言っていて、へー!と思った。牛とかでも同じぐらいの大きさのものを掛け合わす方がいいとかなんとか。ずっと気になっていたことも聞けてよかった。ベビーグッズもまたいろいろともらってありがたいことだな。図書館に予約していた本を取りに行き帰宅。順番がきたのは『独学大全』だったのだけど、その分厚さにびっくりする。思わず「すごく分厚いですね」と言ってしまった。図書館の人は「見た目よりは軽いんです」と言っていた。重さなのか中身のことか。近所の人が鍵を忘れて家の中に入れないとのこと。初めて話す人。「もうすぐ家族が帰ってくる」と言っていたが、気の毒だった。家に来てもらってもいいけど、と一瞬思ったけどさすがにそれはって感じか。晩ご飯は、かじきのソテー、ほうれん草炒めたの、味噌汁。
10月23日 朝、産直スーパーへ買い物へ。来週も出産グッズをいただけるので、せめてのお礼に新米を渡そうと思って。やっぱりスーパーは美味しそうなものがたくさんあって楽しいなぁ。昨日はあまり眠れず、昼寝をがっつりする。夕方、起きてきて参鶏湯を作る。ちょっと肉が多すぎたかもしれない。10時前に近所の人から連絡があった。いろいろ不安になってしまったらしい。認知症が進んでいる感じもする。「とりあえず、今日はゆっくり休んでくださいね」と言ったら笑って電話を切ってくれた。胎動が激しい。蹴りがギュイーンという感じ。元気なのは嬉しいけれど、子宮が狭いのではないかなとちょっと心配になった。
10月24日 朝にも昨日の近所の人から電話があった。朗らかで理想的な惚け方だよなぁと思う。周りのサポートも借りながらも何とかひとりで暮らしておられるし。進んでいるというよりも、段々と深まっている感じだ。お昼過ぎから実家に行く。こないだもらったグッズを置きに。最初、母はでかけていて、父だけだった。母は何だかシャッキリしていてとても元気だった。お酒も飲んでないのかもしれない。いや、飲んでいるからシャッキリなのか。わからない。晩ご飯は鍋。夫が作ってくれた。
10月25日 朝から雨。夫は今日は休みだそうなので、助成券を使ってモーニングに行く。ここは空間が良くて落ち着くので好きなお店。さんざん迷って、明太子トーストのモーニングにする。飲み物はカフェオレ。夫はドリアがついたやつ。まだ食べられそうだったので、モンブランを頼んだ。食欲がちょっとおかしくなっている感じ。胃に熱がこもっているのかもしれない。その後、夫が期日前投票に行くのについていく。平日だというのにたくさんの人だった。薬局と無印をぶらりと見て帰宅。薬局では無人の会計がうまくいかなくて、だんだん偉い人を呼び出すことになりちょっと面白かった。昼は冷凍の牛丼を半分こと、味噌汁。少し昼寝。晩ご飯は、豚汁、おから煮。鮭も焼こうと思ったが、あまりお腹が空いていなかったのでこれだけにする。
10月26日 11時に姪っ子と待ち合わせしてサイゼリヤに行く。姪は双子のお母さん。たくましい。産後の生活の様子も人によって全然違うのだなぁ。朝作ったスイートポテトを渡して、幼稚園のお迎えの時間までに別れた。何となくモヤモヤした気持ちがあるのは何なんだろうな。表情が少し張り詰めていた気がする。少し買い物をして帰宅する。夕方、Nさんが来る。いろいろと話して勉強��なった。今日は夫が義実家に寄る日。私は昨日の残りの豚汁とおから。野菜をたくさんもらってきてくれた。「最近少な目だな。妊婦だから気遣ってくれてるんだな」と思っていたが、ただ単に野菜がなかっただけみたい。ふきの煮物と生姜の甘酢漬けも入っていた。
10月27日 いい天気なので昨日もらった生姜を干す。昼から元職場の上司がわざわざ家までベビー用品を持ってきてくれた。抱っこ紐や、肌着、お出かけ用の服など、どれもとても助かる。上司の子どもは双子ちゃん。私が一緒に働き始めたときは保育園だったが、今はもう小学生になっている。少し読書をして、近所の人のところに行く。年の近い人に、妊娠の報告をした。その方はもう子どもさんが高3生で就職も決まったそう。よかった。「これからは悠々自適ですね」というと「寂しいです」と言われていた。そんなもんなのか。晩ご飯は、鮭焼いたの、かぼちゃの塩煮、間引き菜のオイル蒸し、豚汁、黒豆ご飯。黒豆をルクルーゼの鍋で炒ったら琺瑯がはがれてしまった。ガーン。
10月28日 朝、鍼に行く。行くだけで結構疲れてしまいポワーンとしていた。30週過ぎたら週一に戻すのを推奨してると言われたので、来週も予約する。あと少ししか行けないんだなぁと思うと寂しかったのでちょっと嬉しい。鍼通いは振り返ってみてもなんとも幸せな貴重な時間であった。カメシゲセイロでお粥を食べる。テイクアウトのお客さんと、グループのお客さんとでとても忙しそうだけど、落ち着いてテキパキと回していてとてもすごい。働き者だなぁ。お粥だけだとお腹が空いてしまい、帰りにコンビニのパンを買って家で食べた。晩ご飯は、ふきの佃煮、ナスと豚肉の蒸し煮、さつま芋天ぷら、揚げ焼いたの、黒豆ご飯。
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