#創作小説
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はじめまして
🔻女性向け恋愛小説(創作男女)
2023/09/24
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ご挨拶
こちらは、趣味で恋愛小説を書いている仁科巴里のサブアカウントです。現代日本を舞台にした恋愛小説を仁科巴里名義、令嬢や聖女が活躍する異世界を舞台にした恋愛小説を七海ふみ名義で公開しています。
よかったら、本垢の仁科巴里をフォローして頂けたら嬉しいです。
2023/09/24
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ご挨拶
ほぼ壁打ちの自己満ブログになりそうですが、一応、ピン止めがてらはじめましてのご挨拶を。
初めて恋愛小説を書いてからかれこれ30年になりますかね。この歳になってまた恋愛小説を書いてみたくて、仁科巴里名義で創作活動を始めました。因みに現代日本を舞台にした恋愛小説を仁科巴里名義で、令嬢や聖女がいる異世界を舞台にしたファンタジーものを七海ふみ名義で公開しています。
主にSNSで活動中なんで、よかったらフォローをお願いします。
2023/09/24
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フォークソングは聴こえない
[ 400字小説 / 05 ]
お題:今日は何の日、銭湯の日
カランコロンと下駄が鳴る。なんて言えば風流に聞こえるけど、隣から聞こえて来る音は、ペタンペタンとサンダルが立てる、ある意味耳障りな音だ。 「その歩き方やめてよ」 そう言ってみたけど旦那は何食わぬ顔で、ふわぁと大きな欠伸をひとつして、ポリポリと最近出てきたお腹を掻いた。
今日、調子が悪かったお風呂がとうとう壊れた。湯船に水を張り、沸かしたはずなのに張った水はお湯にはならず。お風呂が教えてくれた『お湯が沸きました』を信じた旦那の「冷たっ」という悲鳴がリビングのほうまで響き渡った。
ということで、私たちは今、近所の銭湯へ向かっている。銭湯といってもスーパー銭湯というやつで、地元のこじんまりした情緒なんてものはない。カランコロンと下駄の音もしなければ、手荷物も何も持たず手ぶらというやつだ。
結婚して三年。昭和のフォークソングのような同棲生活��送ることはなかったが、私たちは今も当たり前に一緒にいる。
2022/10/10
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2024/07/23
よーし新作短編書くぞー!と思ったはずなのに、どぽ夢小説を書いてしまっていた。
プロットの時点でこれはどぽ夢に使えそうだなと思ってはいたが、ほんとにどぽ夢として書いてしまった。
前作は若干えろみがありましたが、今作は健全です。
執筆中のBGMはINCUBUSの“11 Am”でした。
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C103にて頒布した『あやかし喫茶の代替わり』同人誌のサンプル
通販はこちら⇒
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はじめまして。
お友達を集めて遊ぼうとしたらサークル主催になってました。
私が主催の祈織です。どうも。
創作百合サークル『✞CHIAROSCURO✟』は光と闇をテーマに一次創作百合作品を作り出そうとしています。
まだまだ準備することは多いですが、皆様にお見せできるように1歩1歩進んでおります。
…と言いますのも、当サークルは人力かつ手作りで進化し続けておりますのでスピードはとてもゆっくりなのです。
常に学び続け、スキルアップしていくという事ですね。
主な媒体としては小説を考えておりますが、その他にも短歌や写真、イラストなどでも百合を表現できたらと思っており、その分様々なことに挑戦しようとしております。
準備中の小説もそろそろ構想1年という局面に差し掛かりそうになっておりますが、なんだかんだ1年前と比べて我ながら「どうした??」と疑問を呈するレベルの進化具合で御座います。
映画製作でもするんか??と思うほどの構想期間ですが、それも私たちに下積みがない故の準備期間となっております。
世界観構築からキャラクター設定、そして大切な相関関係。そして並行して小道具の製作やイラスト、動画編集やホームページ作成などの作業や、撮影準備や作曲、デザイン───そのほとんどがゼロからのスタートです。
また、百合創作にあたって外せないのが人物の相関関係ですが、私は百合創作において絶対に譲れないこだわりがあります。
それは『全員が全員に矢印が向く相関図』と『不快感のないリアリティある複雑な感情』です。
矢印とは、友情・愛情はもちろん、嫌悪や嫉妬などという負の感情でもよいのです。
私は百合創作において女の子が別の女の子へ何かしらの感情…それは1種類ではなく、複数の複雑な感情を抱くということが大切だと思っています。
人の感情とは複雑なもので、好きだと思ったものが翌日には嫌いになっていることもあります。
それが作品の奥行きを出す要因となるわけですが、その感情が読者にとって納得できるものであれば、その読者は激しく心動かされるものです。
そこが『不快感のないリアリティある複雑な感情』です。
その女の子同士それぞれの関係性が生み出す空間、その数多の可能性が見せる広がり、そして奥行きこそが私の表現したい百合であると思っています。
登場人物一人一人のバックグラウンドを設定し、他の全ての主要キャラクターに関与していく、そしてそのきっかけとなるイベントを考える──なかなか骨の折れる作業ではありますがその楽しさが創作の醍醐味ですね。
このように、サークルを立ち上げてから作品公開までかなり時間をかけておりますが、一切妥協せず今できるものを精一杯作っていきたいと思っています。
そんな私達の活動の一片やメンバーのことをご紹介でき��ばと考え、ブログを始めます。
頭の片隅にでもこんなサークルあるんだ〜。と思っていただければ幸いです。
✞CHIAROSCURO✟のTwitterはこちら⬇
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来し方を振りかえる。
大きな原稿がやっと手を離れた。九月に日��詩編集室から『ゆけ、この広い広い大通りを』という中編小説が出る。
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締め切りぎりぎりまで悩み、「小説を書ける、と思っていたのは錯覚かも。わたしは小説が書けない」と落ち込んだりしていたし、改稿もくりかえした。「小説を書く」という行為に悩まされ、死ぬ気で取っ組んだなと思うのは『幼神』『幻想生物保護官日記』で、そしてこの『ゆけ、この広い広い大通りを』が、三作目だと思う。 わたしは小説を書くことにあまり悩まないタイプで、プロットもたてずに書きはじめる。それでもなんとかなってしまうので、いつかつまずくだろうなとは思っている。そのタイプのつまづきには、いまのところまだぶち当たっていない。
大きな原稿が手を離れたが、文学フリマ大阪が迫っている。 短編もたくさんたまってきたし、『海嶺𧮾異経』『オメガのライカと、わたしたち』の在庫がなくなってしまったので、再録短編集をつくろうと思った。
わたしの活動をずっと追ってきてくれているひと、というのがどれくらいいるかわからないのだが、この短編集���は『Last odyssey』という一万字程度の短編を入れる。わたしにとって自伝的な物語だが、『迎え火』と一緒に刊行したので、『迎え火』のほうがわたしの自伝として読まれていった……それを隠れ蓑みたいにして、「自分のプライベートを」語れた物語だったなといまでも思う。『Last odyssey』、『迎え火』と、この二作は、初出をたどると2015年。もうほとんど、十年前だった。 それより古いのが「ネムノタキツボ』。大学を卒業して、完結した物語というのを一つもかけないでいたころ、刀剣乱舞というゲームの二次創作や、BL短歌をしながら、「いまならかけるかも」と思って書き始めたこの小説が、わたしを「小説を書く」という場所へ帰らせてくれたと思う。 昨日、収録順などを考えるために読み返していた。十年ちかくまえの自作なんて、読むのは精神的ダメージが強すぎて寝込むかも…と思っていたのだが、存外ひどくはなく、なんなら「あれ、結構「小説」書いてたんだな……この頃のほうが「書けて」いたんじゃないか」とさえ思った。 若書きだと思う部分もあるし、おなじテーマや小物をこねくり回していることは否めない。だが、文章そのもの/技術そのものに関しては、そんなにも「ひどい」と思うことがなかった。展開を忘れてしまっている物語などもあり、けっこう面白く読めもした。
『ネムノタキツボ』を書き終えてから、『幼神』という物語を書いた。『幼神』の根っこはずっととおく、少女期に遡る。『Last odyssey』も少女期の記憶を物語にしたものだ。 『妖精王の剣』で、少女期のわたしが残してくれたものを使い果たし、いまはもう、わたしはいまの「わたし」ひとりで小説を書いている。それはとても孤独で、だが、かつての自分の���を見なくて済むという意味では、自由なおこないだ。 あの物語を、大人になったその筆で書いて、と要望されない、ということは。
来し方を振りかえると、累々と積み重なる物語の群がある。行くべき先に、おなじ数だけの物語はあるだろうかと不安になる。
先が見えない。『ネムノタキツボ』を書いていた頃は、ファンタジーと幻想文学をずっと書いていく――いや、わたしは「それしか書けない」と思っていたけれど、どうやらそうでもないらしいし。
大人になって、見えるものが増え、書きたいものが増えたのだろう。
おかげで、どこへ行くのか、見当がつかなくなった。
だから、短編集のタイトルは『いづくにか、遠き道より』とした。
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表紙の写真は、雪が積もった、地元の浜にした。
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【夢小説/オリキャラ相手の恋愛】
バレンタイン記念SS
※例によって転載ですが💦
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趣味で小説書きました~ とっても短いのでよかったら読んでみてください。
君と食事がしたい|一般小説作品詳細|NOVEL DAYS (daysneo.com)
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バナナ
定期的にバナナに取り憑かれているような気がしてならない。先だってから白昼夢にバナナワニが現れ、以来頭の片隅から離れずにバナナのお菓子に思いを馳せるという、なんとも虚無な地獄の中にあった。
これは頭から出さないといけないってことだな!と思い、いやそんなバナナに負けたくないなあとサボろうとして一週間したので書きました。諦めたともいう。そんなバナナへの思慕が詰まった一次創作です。
>芭蕉
バナナの叩き売り屋が、特別なバナナに出会うお話。
バナナの叩き売りは、昔渋谷駅で見かけて極めて特異な存在だったので覚えていました。幼少期に目にした殆どのものは今や存在しておらず(四十になってないのに)、もしかして夢だったのかな?と思うことがあります。ああした流離う儚いものたち、地に足がついてないような図太い存在はどこへ行ってどんな風に変わったのでしょう。また夢に見るような気がします。
サイバーパンク2077は無事に見終えて、次に何を観ようかなとマイリストを眺めています。サイバーパンクはともかく純粋で美しい心を見ることができました。こんなに悲しくて、切なくて、嬉しくて、精一杯目一杯輝くものなんてそうそうお目にかかれやしない。うう、私が見たかったもの……君が見たかったもの、見れたもの……
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「我想請教一下,您那邊��前有沒有一爿叫『天涯海角』的館子?」
聽筒那頭沉默了兩秒,『你是說「天之涯,地之角」的「天涯海角」嗎?』
「是。」
『你們怎麼會想問這爿館子?』
連結:https://www.penana.com/article/1164829
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一次創作とごはんと睡眠をこよなく愛す
使い方わからないけど がんばって適応します
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鯱
鯱のつるつるとした身体を見ていたが,それは海か、海に近いところの狭間にいつもいるみたいだった。鯱という生き物の不思議なところはたくさんあるが,わたしはある時そのからだや動きが集約していくのが、一本の脚の部分みたいに感じているのだと思った。彼らはいつも海の中を不自由もなく泳ぎ回り、何かを追いかけ,ひとつのサークルを形作るが,その一本の足が誰かと交尾もし、子育てもし,ありとあらゆる感情がほとばしる。わたしはそれはいったいどんな気持ちなのだろうといつも考える。不快もわたしたちと同じような頻度であるだろうか、それとも、かたちが彫刻みたいにシンプルなせいで、完ぺきだと感じている。もしかするとほんとうは、完璧などはまだこの世にはなく、わたしたちのようにそれがいつかは、ふたつに別れてしまうのかもしれないと思う。わたしはいつも、鯱の不思議は、そこに隠れているような気がしていた。わたしはそれに、友人ほどの親しみを抱いてはいたのに、何年そこで過ごしたとしてもいつまでもコンピューターは画面上に何かを映し出すだけだった。いつもはそこに人がいるせいで、そこには何かの亡霊がいるような気がし,いつまでもそれに対してときどき、なにかを話し続けているのだった。
そうしてわたしはそのかたちを見ながら考えていた。鯱を、。わたしのなかのまともや、こうあるべきという日常ーそういうとき、たしかに、鯱もまだ、水族館で泳ぎまわっていて、たしかにそこにはまだ目には見えていない隠して居るものがたくさんあるように思えていた。わたしは椅子に座っていたが、まだ足が生えたてで,衣服など身につけていなかったころがあったその時にまで遡って考えてようとしてみる。衣服を着たせいでわたしたちは、何にも溶け込まなくなった。あるいは、もっと浮かび上がらなくなった、と思い,わたしも人間が,都会をはだかで歩いているさまを思い浮かべてみるが、それはそれで、もしかすると努力によってはそうなれるのかもしれないと感じ,そうしていればいるほど、彼らがまだわたしに対して,何かを言おうとして居るような気がしはじめるのである。飼育員ではないわたしは、それでも泳いでる鯱がごはんをたべ、およぎまわり、それらについてはよくわかるのに、けど,それ以外のとき、お互いがどこへ行こうとしているのか、スポーツをする以外での「泳ぐ」とはいったいなんなのか、どうしてもまったく想像がつかない。多分それはわたしたちの、ディスプレイから常にはみ出した部分、あるいはへそから下がまったく違うせいだと考えていて、そのせいでわたしは、自分が2本足なのはなぜなのかをずっと考えつづけていたのだった。わたしはある朝,湖面にちらばっていた葉をとつぜん誰か手を伸ばそうとしているのを見る。わたしはそれを取ろうとしているのか、それともただの、それは可能性としてそこに浮かんでいるだけなのか言葉を発さないままでずっと見ていた。けど朝が濃くなるほどそれはもっと忙しなく揺らめき、わたしは寂しさからそれに意味をつけてしまわなくてはならなかった。そうすると情景はただの音楽のようで、わたしは何者かになれる喜びにひたり、おそらくそれは自分がひとりきりだからでは寂しいからで,いつも何かと同じになれる理由を切にもとめているからだった。わたしは寝入る前に、電気を暗くし,進化の過程が他人から説明をし尽くされる以前の、まっさらな化石みたいにしてそこにあることに見入っている。わたしはそれに手を当てるが、「手」それはほんとうには病院と患者、それから医者ほどの隔たりがあり、わたしはずっとずっとその距離をながめ、それからそこで生きているようだった。わたしはその化石が羨ましいと思い、けれど同時に憐れだと母親のように感じ,それからは毎晩、わたしはいくたびもそこで間奏のようになってしまう時間が過ぎ去るのを待ち続けていた。きっと未だ幼くてセレモニーを信じている子どものようになれたら、私はその場にある松明に火を灯し、それから手元の火を消し,ごく当たり前にそれが自然と下まで崩れ落ちるのを待っているのだろう。わたしはその中にいる鯱のような生き物を見ている。それからわたしは自分自身ーたったいましがた、自分だとしった多くの物事、を知るようになるこれまでのことを想像をしようとしてみる。
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