#中落ち丼
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✿ マグロの中落ち丼 ✍️ 調味料→レンジ
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汚辱の日々 さぶ
1.無残
日夕点呼を告げるラッパが、夜のしじまを破って営庭に鳴り響いた。
「点呼! 点呼! 点呼!」
週番下士官の張りのある声が静まりかえった廊下に流れると、各内務班から次々に点呼番号を称える力に満ちた男達の声が騒然と漠き起こった。
「敬礼ッ」
私の内務班にも週番士官が週番下士官を従えて廻って来て、いつもの点呼が型通りに無事に終った。辻村班長は、これも毎夜の通り
「点呼終り。古兵以上解散。初年兵はそのまま、班付上等兵の教育をうけよ。」
きまりきった台詞を、そそくさと言い棄てて、さっさと出ていってしまった。
班付上等兵の教育とは、言い換えれば「初年兵のビンタ教育」その日の初年兵の立居振舞いのすべてが先輩達によって棚卸しされ、採点・評価されて、その総決算がまとめて行われるのである。私的制裁をやると暴行罪が成立し、禁止はされていたものの、それはあくまで表面上でのこと、古兵達は全員残って、これから始まる凄惨で、滑稽で、見るも無残なショーの開幕を、今や遅しと待ち構えているのであった。
初年兵にとつては、一日のうちで最も嫌な時間がこれから始まる。昼間の訓練・演習の方が、まだしもつかの間の息抜きが出来た。
戦闘教練で散開し、隣の���友ともかなりの距離をへだてて、叢に身を伏せた時、その草いきれは、かつて、学び舎の裏の林で、青春を謳歌して共に逍遙歌を歌い、或る時は「愛」について、或る時は「人生」について、共に語り共に論じあったあの友、この友の面影を一瞬想い出させたし、また、土の温もりは、これで母なる大地、戎衣を通じて肌身にほのぼのと人間的な情感をしみ渡らせるのであった。
だが、夜の初年兵教育の場合は、寸刻の息を抜く間も許されなかった。皓々(こうこう)とした電灯の下、前後左右、何かに飢えた野獣の狂気を想わせる古兵達の鋭い視線が十重二十重にはりめぐらされている。それだけでも、恐怖と緊張感に身も心も硬直し、小刻みにぶるぶる震えがくるのだったが、やがて、裂帛(れっぱく)の気合
怒声、罵声がいり乱れるうちに、初年兵達は立ち竦み、動転し、真ッ赤に逆上し、正常な神経が次第々に侵され擦り切れていった。
その過程を眺めている古兵達は誰しも、婆婆のどの映画館でも劇場でも観ることの出来ない、スリルとサスペンスに満ち溢れ、怪しい雰囲気につつまれた素晴しい幻想的なドラマでも見ているような錯覚に陥るのであった。幻想ではない。ここでは現実なのだ。現実に男達の熱気が火花となって飛び交い炸裂したのである。
なんともやりきれなかった。でも耐え難い恥辱と死につながるかもしれない肉体的苦痛を覚悟しない限り抜け出せないのである。ここを、この軍隊と云う名の檻を。それがあの頃の心身共に育った若者達に課せられた共通の宿命であった。
この日は軍人勅諭の奉唱から始まった。
「我ガ国ノ軍隊ハ代々天皇ノ統率シ賜ウトコロニゾアル……」
私は勅諭の奉唱を仏教の読経、丁度そんなものだと思っていた。精神が忘れ去られ、形骸だけが空しく機械的に称えられている。又虐げられた人々の怨念がこもった暗く重く澱んだ呻き、それが地鳴りのように聞こえてくるそんな風にも感じていた。
勅諭の奉唱が一区切りついたところで、一人の古兵が教育係の上等兵に何か耳うちした。頷いた上等兵は、
「岩崎、班長殿がお呼びだ。すぐ行けッ」
全員の目が私に集中している。少くとも私は痛��程そう感じた。身上調査のあったあの日以来、私は度々辻村机長から呼び出しをうけた。あいつ、どうなってんだろ。あいつ班長殿にうまく、ゴマすってるんじゃないか。あいつ、俺達のことを、あることないこと、班長殿の気に入るように密告してるんじゃないか。同年兵も古兵達も、皆がそんな風に思っているに違いない。私は頑なにそう思い込んでいた。
つらかった。肩身が狭かった。
もともと私は、同年兵達とも古兵達とも、うまくいっていなかった。自分では余り意識しないのだが、私はいつも育ちや学歴を鼻にかけているように周囲から見られていたようである。運動神経が鈍く、腕力や持久力がからっきし駄目、することなすことがヘマばかり、ドジの連続の弱兵のくせに、その態度がデカく気障(きざ)っぽく嫌味で鼻持ちがならない。そう思われているようだった。
夏目漱石の「坊ちゃん」は親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしていたと云うが、私は生まれつき人みしりのする損なたちだった。何かの拍子にいったん好きになると、その人が善人であれ悪人であれ、とことん惚れ込んでしまうのに、イケ好かない奴と思うともう鼻も引つかけない。気軽に他人に話しかけることが出来ないし、話しかけられても、つい木で鼻をくくったような返事しかしない。こんなことではいけないと、いつも自分で自分を戒めているのだが、こうなってしまうのが常である。こんなことでは、同年兵にも古兵にも、白い眼で見られるのは至極当然内務班でも孤独の影がいつも私について廻っていた。
あいつ、これから始まる雨霰(あめあられ)のビンタを、うまく免れよって――同年兵達は羨望のまなざしを、あいつ、班長室から戻って来たら、ただではおかないぞ、あの高慢ちきで可愛いげのないツラが変形するまで、徹底的にぶちのめしてやるから――古兵達は憎々しげなまなざしを、私の背に向って浴せかけているような気がして、私は逃げるようにその場を去り辻村班長の個室に急いだ。
2.玩弄
部屋の前で私は軽くノックした。普通なら「岩崎二等兵、入りますッ」と怒鳴らねばならないところだが、この前、呼び出しをうけた時に、特にノックでいいと辻村班長から申し渡されていたのである。
「おう、入れ」
低いドスのきいた返事があった。
扉を閉めると私はいったん直立不動の姿勢をとり、脊筋をぴんとのばしたまま、上体を前に傾け、しゃちこばった敬礼をした。
辻村班長は寝台の上に、右手で頭を支えて寝そべりながら、じっと私を、上から下まで射すくめるように見据えていたが、立ち上がって、毛布の上に、どっかとあぐらをかき襦袢を脱���すてると、
「肩がこる、肩を揉め」
傲然と私に命じた。
私も寝台に上がり、班長の後に廻って慣れぬ手つきで揉み始めた。
程よく日焼けして艶やかで力が漲っている肩や腕の筋肉、それに黒々とした腋の下の毛のあたりから、男の匂いがむっと噴き出てくるようだ。同じ男でありながら、私の身体では、これ程官能的で強烈な匂いは生まれてこないだろう。私のは、まだまだ乳臭く、淡く、弱く、男の匂いと云うには程遠いものであろう。肩や腕を、ぎこちない手つきで揉みながら、私はふっと鼻を彼の短い頭髪やうなじや腋に近づけ、深々とこの男の乾いた体臭を吸い込むのだった。
「おい、もう大分、慣れて来たか、軍隊に」
「……」
「つらいか?」
「いエ……はァ」
「どっちだ、言ってみろ」
「……」
「つらいと言え、つらいと。はっきり、男らしく。」
「……」
「貴様みたいな、娑婆で、ぬくぬくと育った女のくさったようなやつ、俺は徹底的に鍛えてやるからな……何だ、その手つき……もっと、力を入れて……マジメにやれ、マジメに……」
辻村班長は、岩崎家のぼんぼんであり、最高学府を出た青白きインテリである私に、マッサージをやらせながら、ありったけの悪態雑言を浴びせることを心から楽しんでいる様子であった。
ごろりと横になり、私に軍袴を脱がさせ、今度は毛深い足や太股を揉みほぐし、足の裏を指圧するように命じた。
乱れた越中褌のはしから、密生した剛毛と徐々に充血し始めた雄々しい男の肉茎が覗き生臭い股間の匂いが、一段と激しく私の性感をゆさぶり高ぶらせるのであった。
コツコツ、扉を叩く音がした。
「おお、入れ」
私の時と同じように辻村班長は横柄に応えた。今時分、誰が。私は思わず揉む手を止めて、その方に目を向けた。
入って来たのは――上等兵に姿かたちは変ってはいるが――あっ、辰ちゃんではないか。まぎれもなく、それは一丁目の自転車屋の辰ちゃんなのだ。
私の家は榎町二丁目の豪邸。二丁目の南、一丁目の小さな水落自転車店、そこの息子の辰三は、私が小学校の頃、同じ学年、同じクラスだった。一丁目と二丁目の境、その四つ角に「つじむら」と云ううどん・そば・丼ぶり物の店があり、そこの息子が今の辻村班長なのである。
私は大学に進学した関係で、徴兵検査は卒業まで猶予されたのであるが、彼―― 水落辰三は法律通り満二十才で徴兵検査をうけ、その年か翌年に入隊したのだろう。既に襟章の星の数は私より多く、軍隊の垢も、すっかり身についてしまっている様子である。
辰ちゃんは幼い���から、私に言わせれば、のっぺりし��顔だちで、私の好みではなかったが、人によっては或いは好男子と言う者もあるかもしれない。どちらかと言えば小柄で小太り、小学校の頃から既にませていて小賢しく、「小利口」と云う言葉が、そのままぴったりの感じであった。当時のガキ大将・辻村に巧みにとり入って、そのお気に入りとして幅をきかしていた。私が中学に入って、漢文で「巧言令色スクナシ仁」と云う言葉を教わった時に「最っ先に頭に想い浮かべたのはこの辰ちゃんのことだった。ずる賢い奴と云う辰ちゃんに対する最初の印象で、私は殆んどこの辰ちゃんと遊んだ記憶も、口をきいた記憶もなかったが、顔だけは、まだ頭の一隅に鮮明に残っていた。
辻村班長は私の方に向って、顎をしゃくり上げ、辰ちゃん、いや、水落上等兵に、「誰か分かるか。」
意味あり気に、にやっと笑いながら尋ねた
「うん」
水落上等兵は卑しい笑みを歪めた口もとに浮かべて頷いた。
「岩崎、裸になれ。裸になって、貴様のチンポ、水落に見てもらえ。」
頭に血が昇った。顔の赤らむのが自分でも分った。でも抵抗してみたところで、それが何になろう。それに恥ずかしさに対して私は入隊以来もうかなり不感症になっていた。部屋の片隅で、私は手早く身につけていた一切合切の衣類を脱いで、生まれたままの姿にかえった。
他人の眼の前に裸身を晒す、そう思うだけで、私の意志に反して、私の陰茎はもう「休メ」の姿勢から「気ヲ付ケ」の姿勢に変り始めていた。
今日は辻村班長の他に、もう一人水落上等兵が居る。最初から突っ張ったものを披露するのは、やはり如何にもきまりが悪かった。しかも水落上等兵は、私が小学校で級長をしていた時の同級生なのである。
私の心の中の切なる願いも空しく、私のその部分は既に独白の行動を開始していた。私はどうしても私の言うことを聞かないヤンチャ坊主にほとほと手を焼いた。
堅い木製の長椅子に、辻村班長は越中褌だけの姿で、水落上等兵は襦袢・軍袴の姿で、並んで腰をおろし、旨そうに煙草をくゆらしていた。班長の手招きで二人の前に行くまでは、私は両手で股間の突起を隠していたが、二人の真正面に立った時は、早速、隠し続ける訳にもいかず、両手を足の両側につけ、各個教練で教わった通りの直立不動の姿勢をとった。
「股を開け。両手を上げろ」
命ぜられるままに、無様な格好にならざるを得なかった。二人の視線を避けて、私は天井の一角を空ろに眺めていたが、私の胸の中はすっかり上気して、不安と、それとは全く正反対の甘い期待とで渦巻いていた。
二人は代る代る私の陰茎を手にとって、きつく握りしめたり、感じ���い部分を、ざらざらした掌で撫で廻したりしはじめた。
「痛ッ」
思わず腰を後にひくと、
「動くな、じっとしとれ」
低い威圧的な声が飛ぶ。私はその部分を前につき出し気味にして、二人の玩弄に任せると同時に、高まる快感に次第に酔いしれていった。
「廻れ右して、四つん這いになれ。ケツを高くするんだ。」
私の双丘は水落上等兵の手で押し拡げられた。二人のぎらぎらした眼が、あの谷間に注がれていることだろう。板張りの床についた私の両手両足は、時々けいれんをおこしたように、ぴくッぴくッと引き吊った。
「顔に似合わず、案外、毛深いなアこいつ」
水落上等兵の声だった。突然、睾丸と肛門の間や、肛門の周囲に鈍い熱気を感じた。と同時に、じりッじりッと毛が焼けて縮れるかすかな音が。そして毛の焦げる匂いが。二人は煙草の火で、私の菊花を覆っている黒い茂みを焼き払い出したに違いないのである。
「熱ッ!」
「動くな、動くとやけどするぞ」
辻村班長の威嚇するような声であった。ああ、目に見えないあのところ、今、どうなってるんだろう。どうなってしまうのだろう。冷汗が、脂汗が、いっぱいだらだら――私の神経はくたくたになってしまった。
3.烈情
「おい岩崎、今日はな、貴様にほんとの男ってものを見せてやっからな。よーく見とれ」
四つん這いから起きあがった私に、辻村班長は、ぶっきらぼうにそう言った。辻村班長が水落上等兵に目くばせすると、以心伝心、水落上等兵はさっさと着ているものを脱ぎ棄てた。裸で寝台の上に横になった水落上等兵は、恥ずかしげもなく足を上げてから、腹の上にあぐらを組むように折り曲げ、辻村班長のものを受入れ易い体位になって、じっと眼を閉じた。
彼白身のものは、指や口舌で何の刺戟も与えていないのに、既に驚くまでに凝固し若さと精力と漲る力をまぶしく輝かせていた。
「いくぞ」
今は褌もはずし、男一匹、裸一貫となった辻村班長は、猛りに猛り、水落上等兵を押し分けていった。
「ううッ」
顔をしかめ、引き吊らせて、水落上等兵は呻き、
「痛ッ……痛ッ……」と二言三言、小さな悲鳴をあげたが、大きく口をあけて息を吐き、全身の力を抜いた。彼の表情が平静になるのを待って、辻村班長はおもむろに動いた。大洋の巨大な波のうねりのように、大きく盛り上がっては沈み、沈んでは又大きく盛り上がる。永落上等兵の額には粒の汗が浮かんでいた。
凄まじい光景であった。凝視する私の視線を避けるように、流石の永落上等兵も眼を閉じて、烈しい苦痛と屈辱感から逃れようとしていた。
「岩崎、ここへ来て、ここをよーく見ろ」
言われるがままに、私はしゃがみこんで、局部に目を近づけた。
一心同体の男達がかもし出す熱気と、激しい息づかいの迫力に圧倒されて、私はただ茫然と、その場に崩れるようにすわりこんでしまった。
戦いは終った。戦いが烈しければ烈しい程それが終った後の空間と時間は、虚しく静かで空ろであった。
三人の肉体も心も燃え尽き、今は荒涼として、生臭い空気だけが、生きとし生ける男達の存在を証明していた。
男のいのちの噴火による恍惚感と、その陶酔から醒めると、私を除く二人は、急速にもとの辻村班長と水落上等兵に戻っていった。先程までのあの逞しい情欲と激動が、まるで嘘のようだった。汲(く)めども尽きぬ男のエネルギーの泉、そこでは早くも新しい精力が滾々(こんこん)と湧き出しているに達いなかった。
「見たか、岩崎。貴様も出来るように鍛えてやる。寝台に寝ろ。」
有無を言わせぬ強引さであった。
あの身上調査のあった日以来、私はちょくちょく、今夜のように、辻村班長の呼び出しをうけていたが、その度に、今日、彼が水落上等兵に対して行ったような交合を私に迫ったのである。しかし、これだけは、私は何としても耐えきれなかった。頭脳に響く激痛もさることながら、襲いくる排便感に我慢出来ず私は場所柄も、初年兵と云う階級上の立場も忘れて、暴れ、喚き、絶叫してしまうので、辻村班長は、ついぞ目的を遂げ得ないままであった。
その時のいまいましげな辻村班長の表情。何かのはずみでそれを想い出すと、それだけで、私は恐怖にわなないたのであるが、辻村班長は一向に諦めようとはせず、執念の劫火を燃やしては、その都度、無残な挫折を繰り返していたのである。
その夜、水落上等兵の肛門を責める様を私に見せたのは、所詮、責められる者の一つの手本を私に示す為であったかもしれない。
「ぐずぐずするな。早くしろ、早く」
ああ、今夜も。私は観念して寝台に上がり、あおむけに寝た。敷布や毛布には、先程のあの激突の余儘(よじん)が生温かく、水落上等兵の身体から滴り落ちた汗でじっとりと湿っていた。
私の腰の下に、枕が差し込まれ、両足を高々とあげさせられた。
「水落。こいつが暴れんように、しっかり押さえつけろ。」
合点と云わんばかりに、水落上等兵は私の顔の上に、肉づきのいい尻をおろし、足をV字形に私の胴体を挟むようにして伸ばした。股の割れ目は、まだ、水落上等兵の体内から分泌された粘液でぬめり、私の鼻の先や口許を、ねばつかせると同時に、異様に生臭い匂いが、強烈に私の嗅覚を刺戟した。
「むむッ」
息苦しさに顔をそむけようとしたが、水落上等兵の体重で思うにまかせない。彼は更に私の両足首を手荒く掴んで、私の奥まった洞窟がはっきり姿を見せるよう、折り曲げ、組み合わせ、私の臍の上で堅く握りしめた。
奥深く秘められている私の窪みが、突然、眩しい裸電球の下に露呈され、その差恥感と予期される虐待に対する恐怖感で、時々��くっびくっと、その部分だけが別の生き物であるかのように動いていた。
堅い棒状の異物が、その部分に近づいた。
思わず息をのんだ。
徐々に、深く、そして静かに、漠然とした不安を感じさせながら、それは潜行してくる。ああッ〃‥ああッ〃‥‥痛みはなかった。次第に力が加えられた。どうしよう……痛いような、それかと云って痛くも何ともないような、排泄を促しているような、そうでもないような、不思議な感覚が、そのあたりにいっぱい。それが、私の性感を妖しくぐすぐり、燃えたたせ、私を夢幻���境地にさそうのであった。
突然、激痛が火となって私の背筋を突っ走った。それは、ほんのちょっとした何かのはずみであった。
「ぎゃあッ!!」
断末魔の叫びにも似た悲鳴も、水落、上等兵の尻に押さえつけられた口からでは、単なる呻きとしか聞きとれなかったかもしれない。
心をとろけさせるような快感を与えていた、洞窟内の異物が、突如、憤怒の形相に変わり、強烈な排便感を伴って、私を苦しめ出したのである。
「お許し下さいッ――班長殿――お許しッ ――お許しッ――ハ、ハ、班長殿ッ」 言葉にはならなくても、私は喚き叫び続けた。必死に、満身の力を振り絞って。
「あッ、汚しますッ――止めて、止めて下さいッ――班長殿ッ――ああ――お願いッ――お許しッ――おおッ――おおッ―― 」
「何だ、これくらいで。それでも、貴様、男か。馬鹿野郎ッ」
「ああッ、……痛ッ……毛布……毛布……痛ッ――汚れ――汚れますッ――班長殿ッ」
毛布を両手でしっかりと握りしめ、焼け爛れるような痛さと、排便感の猛威と、半狂乱の状態で戦う私をしげしげと眺めて、流石の辻村班長も、呆れ果てで諦めたのか、
「よしッ……大人しくしろ。いいか、動くなッ」
「うおおおー!!!」
最後の一瞬が、とりわけ私の骨身に壊滅的な打撃を与えた。
「馬鹿野郎。ただで抜いてくれるなんて、甘い考えおこすな。糞ったれ」
毒づく辻村班長の声が、どこか遠くでしているようだった。
終った、と云う安堵感も手伝って、私は、へたへたとうつ伏せになり、股間の疼きの収まるのを待った。身体じゅうの関節はばらばら全身の力が抜けてしまったように、私はいつまでも、いつまでも、起き上がろうとはしなかった。
班長の最後の一撃で俺も漏らしてしまったのだ。腑抜けさながら。私はここまで堕ちに堕ちてしまったのである。 瞼から涙が溢れ、男のすえた体臭がこびりついた敷布を自分の汁と血で汚していた。
どれだけの時間が、そこで停止していたことか。
気怠(けだる)く重い身体を、もぞもぞ動かし始めた私。
「なんだ、良かったんじゃねぇか、手間取らせやがって」
おれの漏らした汁を舐めながら辻村班長が言った。
そして汚れたモノを口に突っ込んできた。
水落上等兵は、おいうちをかけるように、俺に覆い��さり、聞こえよがしに口ずさむのであった。
新兵サンハ可哀ソウダネ――マタ寝テカクノカヨ――
(了)
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utopia
こんなに抱きしめられたこと、なかったとおもう。金曜日の朝、ひとんちでだらだらすごす。犬飼いたい。犬飼って、かなしいときにはそっと指先舐めてほしい。このあいだ初めてレコード屋さん行ったときに、流れてくる音がぶあつくて、透き通っていて感動したけどお金なかったから買わなかった。そのあと公園に行って、思ったより暑かったからツイッターで知り合った一つ上の男の子にねだってジュース買わせた。ふと見上げたら緑が不規則に揺れてて、みんなしてわらっているみたいだった。下覗き込んだらこんどは鼠の死骸をみつけた、それも時間が経っててほとんど溶けているような死骸。太陽がずっとギラギラしてた。昼食に食べた天丼が胃の中で暴れてて、わたしはどうしようもなく、なんとなく、しあわせかもしれないとおもった。なにもこわくなかった。悪いことをしてもいいの、した日には靴をいつもより丁寧に揃えて仕舞って辻褄を合わせる。髪をばっさり切ってもいい、また生えるし。自分が積み重ねてきたものを自分で壊しても、その欠片を拾ってくれる人だけが今のわたしに関係あって、唯一たくさん愛でてゆるしてくれる。傷つけてくる人はみんなしねばいい、そうおもってもわたしにはなんの不幸も訪れなかった。こういう感じ、ひさびさで、大学生になってから毎日すごくのびのび過ごせているなと思う。ずっと挑戦してみたかったダンスの習い事も、無料体験レッスン申し込んで、書店員も、塾講師のアルバイト面接も受かった。いつかふたつともやめたら今度は派手髪してヴィレバンと喫茶店で働きたい。今年の夏には免許合宿にもいくし、大学の文化祭実行委員の応募にも通って、これからたぶん忙しくなる。ともだちはあんまりいない。サークルの飲み会で、初めてレモンサワー飲んだ。あったかいお吸い物を飲んだあとだったし、人の活気もあって頭が大分ふわふわしてたけど、隣にいた同じクラスの19歳の女の子が内緒話をするみたいに話しかけるからどきどきした。乾杯ってガラスのぶつかる小さな音と同時に言った、グラス、片手で持つにはすごく重かった。みんな秘密たくさんあるんだろうなあ、そうおもった。同じような服着てて、同じような音楽聴いてて、同じようなことしか喋らないけど、みんなそれぞれ異なる人に愛されてきた大切な人なんだよね、自分ってほんとうは大人のフリしているだけでまだまだガキなのかもしれないなあ、素面じゃこんなこと書けねえってことまでふつふつ溢れ出てあの瞬間だけちょっと無敵だった。無敵にちょっとってあるの?わかんない。まぶたの皮膚ってすごく薄いから、扇風機の風がそこだけより冷たい温度でひっついてる。時折どうしても天国とか地獄のことを考えてしまう。大学で教授が「死後の世界(天国地獄)は臨死体験をした人たちの発想からうまれた考え方」って言ってたけど、それでも地獄に落ちたらどうしようって、こわくてこわくて���悲しくて、結局ひとりぼっちで、それが憎かった。お母さんとお父さんはお酒も飲まないしタバコも吸わないし、雷の音が響き渡る夜には熱心にお祈りをして、ご飯を食べる前にも手を合わせる。神様のことを思って泣くし、わたしのことだって神様からの賜物と思って大事に大事にしてくれる。わたしだけ異色で、ぼろぼろで、傷な感じ。それでもわたしだけ発光してて、痛々しくまぶしい。なんともおもわないんじゃなくて、今はとりあえずそういうふうに考えないようにしてるだけ。私は家族と繋がっているけど、それは血だけ。そうやって言い聞かせてまた人肌に埋もれる。色んなものでごった返した部屋、布団の温度。重いからだ。白い、しろい、ぜんぶまっしろ。優しくてふわふわしさらさらしててあったかくてきもちよくて、これが天国なら、と思ってしまう金曜日だった。今書いてて思った、金なのに白なの。
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集落の微妙にはずれた所にカフェがあるのは、店主が儲けていないように見せるための工夫だとのこと。というのも、村社会では村人全員が同じ状況であれば、不平不満は出ないから、みんな助け合って、みんなが幸せ。逆に、一人だけ豊かになると妬み嫉みが生じて不幸になる、という考え方があるらしい。そのため、集落の目立つところにお店を構えると、「あの人だけを儲けさせてはいけない」という心理が働いて、村人はほぼ出入りしないカフェが完成するんだとか(ちなみに客層は「外来:現地=9:1」くらい)。 村の人たちもカフェに行きたくても、見晴らしのいいところにカフェがあると周りの目が気になって入店しづらいから、あえて、ちょっと、分かりづらい場所に店を建てるのがお客様への気遣いポイント。 そして、この話は、あくまでも店内に入店するまでの話であって、店内で村人同士が出会う分には何にも問題はない。むしろ、村の人たちも憩いの場ができる事に関しては、ありがたいらしい。素直ぢゃない、ツンデレである。 なんか謎マナーに似た趣があるけれども、格差を生まないで協力���合うための生活の知恵の名残なのではないかと思う。 そして、自分の生活に当てはめて考えてみると、なんかわかる気がする。上司に食事に連れて行ってもらった時に「遠慮するな」とは言われても、上司より高いものは少し頼みにくい(この気遣いが間違いなのだけれども)。上司が「マグロ丼(980円)」を注文しているのに「海鮮御膳(1,580円)」はアウトな気がする(上司の器を見くびってて���礼なのだけれども)。近い値段帯のものにしつつ、上司より20円くらい高いものを注文して、平等感と上司の太っ腹感をだそうとしてしまう。 そのため、現地の人が集落で古民家カフェをオープンする際には、わかりづらい場所にお店を建設し、決してチラシなど撒かず、噂で徐々に広がっていくのを待つのが良いのかもしれない。 逆に街中から移住してきた人たちに関しては、集落に人たちも割り切っているらしく、なんとも思わないから、目立つところに店を出しても問題ないとのこと。 「らしい」とか「とのこと」が多い記事になった。 へー、と思いながら拝聴した。 全ての集落にあてはまるわけではないとは思うのだろうけれども、集落で生きるにあたり地域のルールに従ったしきたりが色々あるんだろう。都会の企業で暮らしても、謎マナーはあるし。瓶のラベル上向けたり、ハンコを傾けたりetc... そんなことを考えながら古民家カフェに入るとまた違った趣があるかもしれない。 とはいいつつ、あんまり斜に構えたことしてたら、純粋に楽しめなくなるから、モラルに反したことはせず、その場だけの出会いや会話を楽しんだ方が良いと思った。
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#おでかけ #松本
信州旅行2日目は生憎の雨。まずはぶらりと、あてもなく松本市内の中町通りを歩きます。
以前松本に来た時は何も知らず��なわて通り商店街付近を歩いたのですが、ごちゃごちゃした観光地通りっぽい雰囲気のそちらと比べて、中町通りは落ち着いた感じ。もちろん天気のせいもあるでしょうが……。
民藝のお店もちらほらあって、こういう静かで落ち着いた雰囲気の通り、好きだなぁ。まあでも平日の雨の日だから静かなのであって、土日の晴れた日はめちゃくちゃ人で溢れているのかもしれない。どうなんでしょう。
私はこうやって事前情報なく街をぶらつくのも好きなんですが、そのスタイルだと帰ってから「あぁぁこのお店行っておけば良かった!」と後悔することも多いわけで……。まさに今回もコレです。偶々信州の特集を雑誌で見て、良さそうな雰囲気のカフェなどをスルーしていたことに気付いたのでした。うーん、松本はそのうちまた行くと思うので、その時こそは。
素晴らしい雰囲気のレトロなお店を発見。かたちといい、直線と曲線の入り混じり方といい、私の中での「絶対に後世に残してほしい建物賞」を受賞。仰々しい上部の装飾からの、いきなりのラーメン丼みたいな模様からの、シンプルで可愛らしいバルコニーが来て、その下にいかにも昭和の木とガラス製の扉〜傍らに丸ポストを添えて〜 という。とっ散らかっているようで意外とまとまっているようなこの感じ。大好きです。
何気ないこのすずらん型の街灯も良いですね。看板はイオンモールですけども……。
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私と家族の詳しいスペック(例えば身長体重、美人不美人、友達の数や成績)は書かない。それは本題ではない。(先に書くと、むしろそういう関連付けを拒むべきというのが私の意見、結論だ。) 息子は中学生、一人息子。妻は三十代後半。私は四十代。 お盆に先立ち、中学生の息子は先に、比較的近所の私の実家に帰っている。 息子が出かけた夜、私の妻が、こんなことをいってきた。 「息子はチー牛なのではないか?どうにかチー牛にならない人生を歩ませることはできないのか?」と。 私は耳を疑ったし、そういうことをいう妻に悲しくなった。 実の息子に対してそういう感情を抱くのか、とか、本人のいない前で悪口のようなネットミームを擦り付けるのか、とか、色々な感情がよぎった。 チー牛という言葉、ネットミームは、私も一応知っている。知っているといっても、あの有名な画像と、牛丼店でチーズ牛丼を頼みそうな性格・人格、という、何か表面的なことだけだが。 私は妻に、「ネットミームで人を呼称するようなことはしないでほしい」ということを伝えたうえで、なぜ息子を「チー牛」だと思うのか、妻の考える「チー牛」とはそもそもどんな存在なのか、など尋ねてみた。 妻曰く、(いくつかの会話を私がまとめたものだが) ・まず「チー牛」とは、社会生活を営む上でリーダーシップや創造性などが見受けられず頼りなく、特に異性関係においても劣位ないし全く展望が望めず、またそれによって勝手に逆恨みや卑屈さを増幅させ悪循環に陥るであろう男性の総称。 ・この「チー牛」という言葉は、妻の友人たちのLINEグループなどでまず概念を知り、そのあと個人的に調べて、腑に落ちたので使うことにした。六月ごろからこの言葉をもとにした息子への疑念が生じた。 ・息子を「チー牛」と思った理由は、息子の(公表しない個人的なスペック)や交友関係や部活動での立ち位置などを広く見たうえで、前述の素質が多くみられるから。 私は、仮に息子が「チー牛」だとして、一体何の問題があるのか、いくつか思いつく例を挙げて聞いてみた。ただ、私もショックというか悲しい気持ちがあり、うまくまとまった受け答えができていたかは分からない。 (私)出自とか社会的階層による差別が許されない社会において、どうして「チー牛」という概念を息子に当てはめようとするのか? 我々も例えば「ゆとり」とか「新人類」とか「さとり世代」とかただ生まれた年代でレッテルを張られる辛さを経験しているはずであり、それをネットミームで何故繰り返すのか? (妻)そう感じてしまったものは仕方がない。母親であっても異性としての視点があり、息子がこのままでは対人関係面で悪化するのを予想できる。チー牛という分かりやすい言葉がある以上それを使うのは当然だと思う。 (私)私も妻も息子の人間関係をすべて知っているわけではないし、まずそもそも、仮にその「チー牛」で何が悪いのかわからない。息子は何の非行もしていないし、いや、逆にしていたら「チー牛」じゃなくなるのか?(何だか屁理屈っぽいが私も混乱していた) (妻)息子にヤンキーになってほしいとかそういうのではなくて、ただ普通の人間、社会生活を営む上で常識的な身のこなしとか、総体的なことを重視できる人間になるべき。 (私)息子は、まだと言おうが、もうと言おうが、中学生であり、親に関与できる部分もあれば、息子個人の未来もある。私も妻も、自分のやってきたことを息子に強制できる人間ではないし、まずそういう人生観を伝える上で「チー牛」ということばを使うのが間違っているのではないか。 (妻)だから、今までそれを言い表しづらかったのが、新しい言葉ができた以上、「チー牛」という言葉を使うのは当然だという話。話さなければよかった。 (私)息子には、まさか、面と向かって「チー牛」などと言う言葉を使ったのか? (妻)使っていない。(これは本当だと思う。息子が何かショックを受けたり妻を避けてる様子はないので。そう信じたい) 妻が、私にこのことを話さなければ(相談しなければ)よかった、と言っている通り、この数日間、私と妻は少し(というか私の側からはかなり)ぎくしゃくしてしまっている。 個人的なスペックについて話さないとは書いたが、少なくとも妻がこれまで、このようなネットミームを使ったり、なんというか、「生理的に無理」「キモイ」みたいな即物的なことばを頻繁に使う人間ではなく、息子に対してもちゃんと親としての見守りを並んでしてきてくれたと思っていた。故にショックが大きかった。 しかし妻にとっては、息子が「チー牛かもしれない。チー牛だ」ということが、「親としての責任、見守り」という認識なのだということにも思い至っている。何か、本当に根本から食い違っていることだけはわかる。 ただ、私はチー牛という言葉や概念自体を否定したい立場だ。特に、まとめサイトでやいのやいのいう次元ではなく、親が子供を指して使う言葉ではないというまず常識のレベルで。 だが、なんというか、これ以上どうしたらいいのかわからない。一度チー牛という言葉を知り、息子に当てはめてしまった以上、妻は息子に対し、何をするのか。さっきも書いたが、「チー牛」という概念自体が良く分からないので、どうなるのか分からない。 単に「シャキッとせえ」「ええかっこしい」みたいな次元ではなさそうだ。私に「息子がチー牛だ」という以上、子育てとしての問題意識があるのだろう。父としての自分は、では「チー牛」に対する何かを���ち出せたのか。 わからない。息子が今は実家で楽しくしてくれていることを願うだけだ。
妻が、息子を、チー牛と言い出した
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ストロングフェザー
アグレッシブだけどとても疲れている。センセイと薬を減らしていけたらいいねと話していたけどたぶんそれどころじゃなさそう。今電池切れ起こしたらなんかもう私だめになる。ブラジャーのホックを外す時だけ心の中までわかった気がしたは全くわからんが、服薬してる時だけ心の奥底まで支配できる気がしてる。それどころじゃないっていつも言ってる気がするけどそどころっていつくるんだろうね?
そうと決めたらすぐやらなければ気が済まない女なので、京都へ行こうと決めた日に諸々の予約をすべてすませ、落として割ったエクセルのアイシャドウを閉店ギリギリのドラッグストアに駆け込んでその日のうちに買い直した。ちなみにLBのアイブロウは落としてもマジで割れないのでオススメ。エクセルやケイトのアイブロウは粉々になって買い替えだけど、LBは割れ無さすぎてずーっと同じものを使っている気がする。
京都は誰と行くのかと聞かれたので、当然のように1人と答えた。私は友人が少ないし、最近その数少ない友人のあづみとレイラと会ったばかりだし。私は友人のこと超大好きだけど毎週会いたくなるほど彼女たちのエネルギーは軽くない。向こうもきっとそう思っているだろう。楽しくて大好きで10時間ぐらいぶっ通しで話しているけど、それは何ヶ月に1回だからこそ楽しいのであって毎週は重たすぎる。3食カルビ丼みたいな感じ。チョコパフェとかイケメンとかマジに夢中になれる年頃ではなくなってしまった。最近少食なので軽く気ままに楽しみたい。
レイラとあづみに好きそうと言われた花器がほんとにタイプで買う予定がないお買い物をしてしまった。何が好きかよく分からないと言われるけれど、この人達はたぶんたくさん並んだ花器から私が好きな花器を選べるだろう。逆も然り。だから10年も友人やってられるのだろう。
最近の私はせっせと図書館に通っている。児童書が読みたいのだ。ぼくは王さまシリーズを読み終えたのでとりあえずムーミンを読んでる。次は何にしようか悩んでいる。パディントンかな。大どろぼうホッツェンプロッツかな。オススメあったら教えて欲しい。ちなみに児童書を読む前はアニメ版のルパンを300話ほど見た。ルパンはいい、おもしろいし重たくない。かといって内容のないペラペラの話でもない。1話完結でさくっと観られる。観てて疲れない。キャラクターも魅力的。ルパンを超える名作に出会える気がしない。ちなみにルパンは第1シリーズか峰不二子という女が好き。
たぶん私のプライベートは軽いということが大事なのだ。胸焼けしない。3食野菜スティックみたいな。ドラコスとか栄養とかまじで夢中になれる年頃だから。ちなみにデパコスの波は一旦通り過ぎたけど知ってる、30越えてきたらまたデパコスの波がくること。
軽く生きたい、どこへでも行きたい。
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二度目のチャレンジで。
2024年10月 コメダ珈琲店 堺中百舌鳥店 iPhone11
どうも、こんにちは。10月27日(日)は、朝7時にコメダ珈琲店に行きました。開店前から高齢者が列をなして開店と同時に雪崩れ込んでいましたが、僕もその一人になりました(汗)。ブレンドコーヒーの「たっぷり」サイズは苦味があって美味しい。トーストはジャムにしたんだが、バターの方が良かったかな?お値段は640円で結構いいお値段ですね。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
構図を考えて撮ったつもりが、Googleマップのストリートビューみたいになっちまいましたが(汗)、西池にやってきました。コンビニのパンとコーヒーも味気ないし、これから西池に行く時はコメダ珈琲店に寄ってからいくかな。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
この週末は誰からもお誘いがなかったので単独釣行です。水藻フィッシングセンターに行くつもりで家を出たんですが、車のアクセルを踏んでると右足がまだ痛い…。なので、足を労って半分の時間で行ける西池に変更しました。西池なら、ひょっとしたらhowellsさんが来てるかな〜と思ったんですが、車がない。この画像を添付して「今日はどこですか?(まだ家やったら西池に来てくださいw)」ってメールしてみたら、今日はお仕事だそうです。残念!さて、釣席ですが、天気は保ちそうなので屋外一択。っていうか、僕はなんでいつも屋内釣り場の暗がりに座るんだろうw。夜行性なのかもしれませんw。
西側の51番席が空いていたので、49番席の先客に声をかけて51番席に。先週は常連さんが陣取って長竿でよく釣れていたんです。料金を払う時池主さんに聞いてみたら18尺までいけるのだとか。(振り切りはたぶん無理)
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
長い竿が振れる席に座りたかったのは、この竿を買ったから。物凄く欲しいわけじゃなかったので、落札できたら儲け物って感じで安い指値を入れていたらホンマに落札できてしまった(^▽^;)。なんで?「流れ雲」って良い竿なのに。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
16尺なので浮子が遠い。浮子はトップの太い舟水の「太PC底」で竿が長いので13番をチョイス。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
ウドンを炊いてないので、今日はグルテンにダンゴを混ぜる感じでやってみる。ベルモントの絞り器とアルミのポンプの組み合わせを使ってみたけど、出てくるグルテンが細くて使いにくい。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
「流れ雲」の竹竿は14尺も持ってるんだけど、穂先が細くて柔らかい。タスキで振り切る時に穂先がフニャって曲がるので、後ろのトタンの壁に当たることがある。何回か撃ちましたw。穂先が曲がらんように同じ浮子の11番に変更したら、浮子が軽くなって���たらなくなりました。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
My New Gearした「流れ雲」に入魂したいのに浮子がほぼ動かねえ。浮子がなじまなくて「おやっ?」て思ったら宙で喰われました。センターバッチリですけど、僕にはスレ扱いです。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
釣れてないのは僕だけで周りはポツポツ釣れてる。このままではボウズになる…ヤバッ(^▽^;)
僕に近い人は8〜9尺で釣っているので、8尺に替えます。浮子は舟水の「底釣り」の9番です。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
8尺の竹竿は「東峰」の8.4尺です。グルテンポンプと絞り器も使いやすいいつものマルエムのものに替えました。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
浮子がやたら動いて踊るんだが…釣れないままお昼ごはんの時間に。午前中ボウズや…。
今日の注文は親子丼ときつねうどんのセットです。まいうー!
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
エサが宙で揉まれてるんだろうけど、浮子が激しく踊ってイライラする〜。根気よくなじむのを待ちながら釣ってると、グッ、グッ、グーって感じの大味な魚信でやっと釣れました。ガサベラが…ってマブナですね。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
浮子の踊りにイライラ〜w。尺数変更しますわ。「五郎」の高野竹10尺です。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
浮子は舟水の「はやて底」の9番。浮子がモゾモゾしてから動かなくなったんでエサを切ったら掛かってた。居食い…。一応は底で釣ったので悩ましいが、写真も撮らずにスレ扱いでノーカウント。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
もうボウズちゃうし長い竿振りたいな〜。なので、入魂に失敗した「流れ雲」を再登板させる。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
おお、釣れたわ。両目が開いて入魂できました。
このあと、また掛けたんだが穂先がスッポ抜けた!ああ〜。そのうちに浮子が浮いてきたんだが魚がついたままで浮子はウロウロ。南側にいた常連さんが自分の仕掛けで引っ掛けて寄せてくれた。僕も携行している振り出しの短いルアーロッドにリールをセットしてボラ掛け鉤を結び、テグスを引っ掛けて回収に成功。そういえばさっきまで使ってた「東峰」も西池で穂先抜かれて回収したな。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
穂先を回収できた代わりに仕掛けがグシャグシャになったので作り直し。エサがまだ残っているので打ってたら、浮子がツンと入って乗った〜!長い竿で掛けると気持ち良い〜。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
綺麗なヘラブナでした。3枚目。15時を過ぎたのでもう竿を納めます。
2024年10月 西池(堺市) iPhone11
ということで、10月27日はヘラブナ3枚でした。別途、口掛だけどノーカンでスレ扱い3枚。他の人たちはボチボチ釣れてました。
では、また。
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2024年11月23日(土)
三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、今朝も無事にやって来た。平飼い有精卵・畑無農薬野菜・特別栽培米・手打蕎麦・パン・餅・しめ鯖・ミカン・柿、常連メンバーに加えて今回のスペシャルは自然薯!明日の昼は、これを摺り下ろしてお蕎麦を頂こう。奥川さん、いつもありがとうございます!
4時45分起床。
日誌書く。
5時30分、シャワー。
ツレアイが起きるのを待って洗濯開始。
朝食を頂く。
洗濯物を干す。
珈琲を入れる。
第4土曜日は使用済み天ぷら油回収の日、普段は7時30分にセットするのだが、他の用事にかまけていてⅠ時間遅れてしまった。
10時に業者が回収に、いつもは挨拶するのだが、こちらも失礼してしまった。今回の回収量は、5Lとまずまず。
彼女は昼前にバザールカフェのイベントに出かける。
息子たちのランチ、日清ラ王・柚子塩味と豚骨しょうゆ味。
私は残りご飯を目玉焼き丼に。
朝から取りかかっていた作業は、落語CDの読み込み作業、蔵書とともに処分するための準備である。志ん生・松鶴・米朝・小三治、さすがにDVDはもう暫く残しておこう。
彼女は予定より早めの帰宅。
私はライフ西七条店で買物、米油・レタス・鶏もも肉。
彼女は玉子焼きを作ってから、ココに点滴。
私は夕飯用に揚げ物を始める。
早めの夕飯、鶏もも肉の唐揚げ・玉子焼き、あっという間になくなる。
<土曜は寅さん>、今回のマドンナは池内淳子、録画はセットしているがほぼリアルタイムの進行なのでCMがとばせない。
風呂の順番を待つ間に、昼間かきだした松鶴を聴いているうちに夢の中へ。
デスクワークが長かったので仕方なし。
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るんぺんパリ【RunPenParis】
自己紹介 2024年11月4日追記 6116文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年��3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している それは去年に末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 観光施設って感じ 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 今年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が降ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件回って、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて上野天神祭へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 夜の19時から同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったガキさんは すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので閉店の1時までカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の20(日)は上野天神祭に参加している同級生のオデに会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く紅梅屋でおみやげを結構買って 桔梗屋で上生菓子とお茶を飲んで 静岡��帰った 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見��い 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく上野城をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった この子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある ただダーツバーらしく 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメー���で 気楽入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど バーの扉って感じで雰囲気はあった 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で それにしても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マ��サス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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P3 Club Book Shinjiro Aragaki short story scan and transcription.
料理天国、食べたら地獄
······ったく、 何で俺がこんなこと······」
「す、すいません荒垣先輩······っくしゅん!う~げほげほっ」
「ゆ、ゆかりちゃん、大丈夫?」
ここは、寮のゆかりの私室。ピンクのパジャマにカーディガンを羽織り、つらそうに咳き込むゆかりの背を、優しく風花がさすっている。体調不良を押してタルタロスに出撃し、ゆかりはすっかり風邪をこじらせていた。そんなゆかりのベッドの横には、同じく心配そうにたたずむ美鶴と、やや所在なげに立つ荒垣の姿があった。そして荒垣の手には、彼が言った “こんなこと” の成果である、温かそうな料理がトレイに乗って湯気を立てていた。どうやら、ゆかりを心配する美鶴に頼まれ、病人食の定番となる粥を作っきてくれたらしい。
「荒垣先輩って、優しいですよね」
「んな······っ!?ま、まあ、ただの気まぐれだ。気にすんな。さっさと食っちまえ」
風花の素直な言葉に、荒垣はそれだけ言ってぶっきらぼうにトレイを差し出す。
「 うう、ありがとうございます。はふ······」
ゆかりが、一見普通の粥に見えるその料理をスプーンですくい、ぱくりと口に入れた。
「どうだ?岳羽?」
熱くないか、ちゃんと飲み込めるかと、美鶴が母親のように心配げに声をかけるが、その目の前でゆかりの表情がみるみる蕩けた。
「ぅ美味しい~っ!何これ、どうやって作ったんですか? 信じらんないー!」
先ほどまでの苦しそうな様子はどこへやら、あっという間に元気を取り戻したゆかりが、凄い勢いで手と口を動かし、器の中身はさほど間を置かずに空になってしまっていた。
「どうやってつーか、ま······適当だな。普通の粥じゃ栄養が足りねえかと思って、中華風のミルク粥にしてみた」
あっさりと荒垣は言うが、じつはけっこう手間がかかったもの。ニンニク、生姜、ネギのみじん切りをゴマ油でじっくり炒め、米と具---拍子木に切ったニンジンと大根を投入して鶏ガラスープを注ぎ入れる。あとはフタをし、沸騰したら吹きこぼれないよう弱火でことこと30~40分。米が十分柔らかくなったところで、牛乳を入れて塩で味をととのえ、できあがったものがこちらにございます、という感じ。体の免疫力を高める、炭水化物や蛋白質、ビタミンA・B・Cに β カロチンを含む、まさに完璧なる病人食なのだ。
以前から、荒垣の料理はプロ並だと真田あたりが言っていたが、その現物を実際に口にしたゆかりは、想像以上の感動を味わっていた。ゆかりは素直に、その賞賛を口にする。
「適当なんてとんでもない!荒垣先輩、もう最高ですよ!尊敬します!」
「バカ野郎······なに恥ずかしいことを······」
「なーに謙遜してるんですか?食事は人間の基本ですよ。大切なことです。それをしっかりできる荒垣先輩は立派です!もう、他の男連中にも見習わせたいぐらいですよ。人として、料理のひとつもできなきゃ駄目だって、ね」
興奮気味で止まらないゆかりの演説に、そこで突然スト��プがかかった。
「ちょーっと待ったぁ!」
「!?じゅ、順平?それに皆も?」
ゆかりの部屋の入り口に、順平を先頭にして寮生の面々、すなわちこの部屋にいなかった全員が集まっていた。順平の足元からはコロマルまでが顔を出している。
「何ごとよ、いったい?」
「いや、あんまりいい匂いなんでな、つい······」
正直に真田が言いかけるが、それを体ごと遮って順平がびしっと指を突きつける。
「ゆかりッチ······貴様はオレを怒らせた!」
「は、はぁ?」
「料理ができなきゃ人として駄目?料理がお上手な岳羽サマは、オレたちが人間じゃないとおっしゃるわけだよな?」
「い、いや、別にそこまでは······。そ、それに順平がまともに料理できないのは事実じゃん」
と、そこで順平は、ちっちっと指を横に振る。
「料理が “できない” と “やらない” は違うんだぜ、ゆかりッチ。それに、オレだけじゃねえぞ、お前が傷吻つけたのはな······」
くくっと、芝居の気まんまんで順平が涙をこらえるように両目を手で押さえた。その言葉に、ゆかりが周囲をあらためて見ると。 「あ」
ベッドの脇で美鶴と風花が、顔を伏せてどんよりと暗い空気をまとっていた。
「い、いや、あの。私······別にそういうつもりじゃ······せ、先輩?風花?」
「ゆえにっ!!」
ぐわっと伏せていた顔を上げ、順平は大いに 盛り上がって高らかに宣言した。
「貴様に料理勝負を挑むっ!!」
「はぁ?」
かくて、第一回巌戸台分寮クッキング王決定戦の開催が決定したのであった (どどーん)
「という訳で、本日の司会はわたくし、アイギスがお送りするであります。いかがでしょう、解説の天 田さん」
「······みなさん、ヒマですね」
「なるほど。では、審査委員長の荒垣さん」
「······ったく、 何で俺がこんなこと······」
順平が宣言した翌々日。ゆかりがすっかり体調を取り戻し、ちょうど日曜ということもあって、ついに料理対決が開催される運びとなった。おそらく仲間内でもっとも鋭敏な味覚を持つであろう荒垣を審査委員長とし、味覚がないアイギスは司会を勤めることになっている。天田���参加をうながされていたが、「なんで僕が料理なんか······小学生に何を期待してるんです?」と一蹴し、解説者の席についている。そして、残る全員が参加者兼審査員というわけだ。
当初、美鶴と風花は徹底的に拒否の構えを見せていたのだが、「お祭りみたいなもんだし」とか、「何ごとも経験だし」とかいう順平の甘言で徐々に態度を軟化させ、ついには「······にイイとこ見せるチャンスなんだけどなー」という、とある個人名を出しての決定的なひと言で、料理対決に参加するよう洗脳、もとい説得されてしまったのであった。
「では、いよいよ競技を開始するであります。最初はゆかりさんからお願いします」
「オッケー!見てなさいよ、順平!」
意気揚々とゆかりが持ってきた料理、それは本人の自信を裏切らない見事なできばえ。見た目からして美味しそうな、幕の内弁当である。卵焼き、焼き魚、かまぼこといった幕の内弁当定番のおかずに加え、小さなハンバーグやチーズチキンカツなど洋風のおかずも入っている。もちろんご飯は俵型に成型され、上にはパラパラと黒ゴマが振りかけられている。
「うん、なかなかやるじゃねえか」
卵焼きをひと口かじった荒垣の評価に、ゆかりがガッツポーズを決め、それに続いて他のメンバ ーも横から次々に箸を伸ばす。
「焼き魚は西京味噌漬けか······いい仕事だ」
「うわあ、このかまぼこの切り方、凝ってる」
「もう、優勝は岳羽で確定か?」
立て続けに上がる賞賛の声に、ちょっと照れたような誇らしいような顔でゆかりが言う。
「あ、でもね。今回は意外なライバルがいたっつーか······私も食べてみたいんだよね、 彼の」
そのゆかりの視線の先にいるのは、自己主張が足りない気味の現場リーダーの姿。だが、前髪で隠され半分しか見えない顔に、常にはない自信がかすかに滲んでいるような気もする。
「では、続いてお願いしましょう」
アイギスに促され、2番手の料理が運ばれる。
「おお······!」
それは、ちょっとしたレストランで出してもおかしくないアサリとトマトのパスタ、ボンゴレ・ロッソであった。さっそく審査委員長の荒垣が、フォーク一本で器用にパスタを巻きつけて、ぱくりと口に入れる。
「ちょっとパスタが柔らかいが、合格点だな」
「どれどれオレにも······おおっ、美味ぇ!」
「アサリとトマトって合うのねー」
意外といえば意外だが、幼い頃に両親を亡くしてひとり暮らし歴も長い彼は、料理の腕は決して悪くないのである。ただ、あっさりした性格ゆえか、パスタや丼ものなど簡単に作れるものに限られるというのが弱点といえなくもない。
「で、次は誰だ?」
連続して出される美味い料理に、最初は苦い顔をしていた荒垣も、上機嫌になってきたようだ。やはり、楽しい食事は人を和ませる。もしかすると順平は単に、荒垣と他のメンバーとの間の距離を、少しでも縮めようとして料理対決を企画したのかもしれない。もし、そうだとしたら、その意図は十分に果たされつつあった。
だが。
そんな楽しい雰囲気は、あまり続かなかった。
「······なんだこりゃ?」
「え、えーっと、ラーメンっす」
「カップ麺じゃねえか」
荒垣の前にあるのは、お湯を入れて3分でできるカップ麺だった。ちなみにシーフード味。
「い、いやカップなんすけど!ちゃーんとオレなりの工夫があってですね。荒垣先輩のミルク粥にヒントを得て、牛乳で作ってますっ!」
荒垣がうげっという顔をする。残りの連中も、一様に嫌そうな顔を浮かべている。 「え?え?みんな何だよ?いや、マジ美味い
んだって!」
「たとえ美味くても······料理じゃねえだろ」
「順平さん、失格であります」
どこに置いていたか、アイギスが横にあった鐘をカーンと1回鳴らす。
「いいっ!?そ、そんなぁ······」
がっくりと肩を落とす順平。ただひとり、そのカップ麺をひと口すすった現場リーダーが、うんまあ不味くないよ、といった感じで順平の肩をぽんぽんと叩いていた。
「では、続いて美鶴さん、お願いします」
事態は、破滅に向かって���速していた。
「鴨肉のコンフェ、フォアグラとトリュフ添えだ。素材はすべてフランスから空輸させた」
胸を張って、 豪華な銀の皿を突き出す美鶴の顔には、しかしだらだらと汗が流れていた。皿の上の料理を凝視しつつ、荒垣が尋ねる。
「······鴨は、どれだ?」
「こ、これに決まってるだろう」
「この黒いのは?」
「と、トリュフだ」
「こっちの黒いのは?」
「フォアグラ······だと思う」
「んじゃ、こっちの黒いのは?」
「ええと······付け合せのポロ葱、か?」
聞かれても困る。
下を向いていた荒垣は、凶悪な光を目に宿らせつつ、美鶴に向かってぽつりと言った。
「全部、炭じゃねえか」
「ま、まあ多少火加減を間違えたかもしれないが、素材はいいんだ。食ってないと······」
「食えるかぁ!次だ次!」
世界の終わりのような顔をする美鶴を尻目に、アイギスが鳴らす鐘がかーんと響いた。
「俺は料理などあまりやったことがないからな。変なものを出すのも申し訳ないから、シンジの料理を真似させてもらうことにした」
続く真田の料理は、白濁したスープのようなものだった。どうやら、 荒垣が一昨日作ったミルク粥を参考に作ったらしい。
「順平も、どうせシンジの料理を参考にするならこうするべきだったな。まあ、俺も多少は自己流にアレンジさせてもらっているが」
既に勝ち誇った様子の真田に、荒垣も苦笑しつつ答える。
「くくっ、アキの料理か······そう簡単に俺の味が盗めるもんかよ」
「食べてみなければわからんだろ?」
「わかったわかった。じゃ、いただくぜ」
スプーンで粥をすくい、軽く冷ましてから口へと運ぶ。そして、刹那の間を置いて。
ぶぴゅる。
変な音と同時に、荒垣の鼻と口から白濁液が吹き出した。
「な、な、な、なんだこりゃあっ!!」
「牛乳よりも高蛋白で低カロリーなプロテイン粥だが······筋肉にはいいぞ?」
「食えるかあああああっ!!」
「最後に風花さん、どうぞ」
鐘を鳴らしつつ、 アイギスが淡々と言った。
---それから、5分後。この世のものとは思えない絶叫が、月光館学園巌戸台分寮から響き渡った。付近の住民の通報で、パトカーや救急車が出動したが、とくに事件性はないとのことで早々に引き上げたらしい。ただ、目撃者の証言によると、捜査員や救急救命士たちは一様に、口や腹を押さえていまにも嘔吐しそうな表情を浮かべていたとか。その日、どんな恐ろしいことがあったのか、口を開くものはいない。
「いいかお前らっ!料理の命は火加減!それと塩加減だ!いいな、順平!」
「う、ういっすっ!」
「あと常識だが、プロテインは料理に入れるなよ!わかったか、アキっ!!」
「あ、ああ、わかった」
「つか、山岸!なんでそこでタバスコとか入れるんだ!色を基準にして調味料足すんじゃねえ!味見しろ味見っ!」
「は、はいっ!」
料理対決の翌日。寮のキッチンでは突発料理教室が行なわれていた。こいつらの料理の腕を放置していたら、いずれ人死にが出る。事実、俺は死にかけたという荒垣の命令で、順平、真田、美鶴、風花に対し、マンツーマンで料理を教えることになったのだ。
「······ったく、何で俺がこんなこと······」
そうボヤきつつも、手取り足取り指導する荒垣の頑張りもあり、徐々に全員の料理は “食えなくはない” レベルへと上がっているようだ。
「おら、待て美鶴。焦げそうになったら、一度フライパンを火から降ろして······そうそう。落ち着いてやりゃあ大丈夫だ」
「りょ、了解した」
そんな荒垣の様子を横目で見て、風花はくすりと笑って言った。
「やっぱり、荒垣先輩って優しいですよね?」
その言葉が届いたかどうか定かではないが、荒垣は黙々と料理指導を続けていく。ただ、その横顔には、かすかに笑みが浮かんでいるような気がする。やがて、料理のいい匂いを嗅ぎつけてか、ゆかりたちが同じく笑顔でキッチンへと歩いてくるのが見えた。やはり、楽しい食事は人を和ませる。どうやら、今日の夕食も楽しいものになりそうだった。
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2024/3/4〜
3月4日 バレンタインのモロゾフのミッフィーを渡した方から、お返しに…、と可愛い栗のお菓子をいただく。その方には以前、ベンガルスパイスの紅茶を一つあげたことがあって、そのハーブティーのシリーズの、アップルシナモンを買ったことを報告してくれた。
昨日買って、開封した袋のままラップになんとなく包んだ油揚げが、今日もまだ使えるか不安で、インターネットで調べても大丈夫そうだけど不安で、よくしてもらっている職員さんに訊いてみると「3日くらいは全然平気!冷凍すればもっと大丈夫よ!」と教えてくれた。 昨日は油揚げと見切り品のレタスで作ったお味噌汁がとてもよかったので、できるだけ続けたい気持ち。 レンジで味噌汁を作った話をしたら「息子が4月から一人暮らしをするかもしれないから、いいこと聞けた!」と言ってくださった。 高校を卒業できないかも?というエピソードを聞いていた息子さんだったので、卒業はできたのかな?と思った。
今日はロキソ��ンを飲まなかった。 でも代償としてずっと頭や首や肩や腰や、身体中が痺れて痛かった。
3月5日 都庁の展望台は火曜日がお休み。 また、新幹線で大阪へ行ける時間を費やしながら都庁から職場へ戻り、そしてまた明日都庁へ行くことになってしまった!
明日は元々出張の予定があって、終わったあとの時間は坂本龍一の展示でも行こうかなと思った矢先。 でも今は何も楽しめない感じの無の心なのでちょうど良かったかも。
ポッドキャストを聴くのに思ったよりはまってしまい、いろんな番組を探すのも楽しい。
amazonセールも楽天スーパーセールもあやかりたくても何も欲しくない(届いた時のことを考えると面倒になってしまう)。 でも今朝、鏡につけているライトの灯りがつかなくなってしまい、以前と同じものをamazonで注文した。
出張先から職場へ戻ると、リュックにつけていた毛(黒カビ)が落ちてしまった。 書類を運ぶように持って��た手提げにつけていた、てらおかさんの犬のピンバッジも取れていることに気がついた。悲しい。
雨だったと出張の荷物が重かったので一旦家にもどってからスーパーへ。いつも買いたいものたちが今日は少しお安めだったり、レンジでゆで卵を作る機械が届いたので生卵を買ってみたりして、セルフレジでお会計をしようとしたところ、iPhoneもお財布もおいてきてしまっていることに気がつく。 店員さんに事情を説明して、iPhoneを取りに戻り、またスーパーへ戻っている。
3月6日 昨晩は、連続して出張のために自分のデスクでしておくべきことを忘れていたこと、それがちょっと怒られ気味案件だったことを思い出し、ただただ怒られ対策メールの文面をずっと考えたりしながら怒られたくない!という気持ちで過ごしていた。
そのせいかとても頭が冴えてしまい、でも夜の一食目の食事がなかなか進まず、22時からたぶん日付が変わる頃までかけて食事をしてしまった。
ゆで卵のお稲荷さんをレンジで作りたかったけれど、半分に切った油揚げは卵1個分がはみ出てしまう大きさで、油揚げと卵の他人丼の具みたいなのを作ってしまった。でも美味しかった。
今日はいつもの東京出張からと��庁へ移動。 思いがけず2日連続でナチュラルローソンのコバトンに会って、昨日は陳列していなかったグルテンフリーのドーナツを買って食べてみた!散々ミスドの話をした日々で、流石にドーナツ本体を食べてみたくはなっていたので丁度よい感じで食べることができた。
新宿三丁目から西口まで地下を歩きながら、伊勢丹や紀伊國屋や丸井によって、平日でも伊勢丹の人気店は長蛇の列ができていて、丸井はとっても閑散としていて、紀伊國屋の地下に大将がいるカウンターのお寿司屋さんは誰も居なかった。前を通りかかったら、嘘みたいに「へいらっしゃい!」と声をかけられた。
都庁で数十分で用事を終えて、ニコンサロンで若山さんの写真展を鑑賞。 都庁もニコンサロンもおじさんばかりだった。
どんなに忙しくても、もうすでに無の心の年度末を迎えてしまっているけれど、人生するべく大阪に行くんだよ!と新幹線のチケットを取った。
3月7日 久しぶりにまともに職場に出勤した気がして、出張は移動するのがお仕事だということを実感。溜めていたお仕事を少しずつ動かしてあっという間に1日が終わってしまった。
朝、向かいのデスクの方から「コーヒー飲みますか。新しいドリップ買ったので良かったら」と声をかけていただく。コーヒーもお酒も飲めないしタバコも吸わないし、嗜好品がない人生、何が楽しいんだろう、と思ってしまう。「胃が痛くなってしまうんです…」とお断りさせてもらう。
本当、最近は何を楽しみに生きているのかわからなくて、嫌なことや辛いことを予防することに精一杯だったり、それでもそんな良くないことが起きてしまいそうな予感に怖くなり、焦って祈ることしかできない日々。
ポッドキャストを聴く日々を始めて、chelmicoの番組とゆっきゅんが出ているY2Kの番組などを聴いている。chelmicoの2人の感じがハッピーでとても良い!と思っていたら、あのちゃんの番組の直近の回にゲスト出演していることに気がつき、嬉しくなってすぐ観てしまった。そして番組の中でレイチェルさんが怒ることについての本を紹介していて、怒られ案件の日々に嬉しい紹介だった。
駅まで歩く帰り道にあった、しあわせのポキ丼の店が潰れていた。
3月8日 朝起きて窓の外が思ったよりずっと雪で「雪じゃん!」と声が出てしまった。それで写真を撮って、思わずカメラを持って出かけてしまった。 今年は寒さが長引いている気がする。
去年の今頃は白い花が咲く中で三脚を立てて自撮りをした気がして、その花を確かめに行ったらまだ咲いていなかった。
金曜日なのでとても掃除をしたいけれど、もうへとへと過ぎて今日こそは何もできないかもしれない。 何もできなかったらそれはそれで、何かを克服できた新しい気持ちになれそうで、そっちへ転んでもよいかな、と思ったりしている。
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2024.09.01
台風10号は西日本は、ほぼ被害なく
そして、あれだけ九州で停滞してたのに
通過する速度は半端なく速くて
あっ!と言う間に紀伊半島へ
つまり、温帯低気圧に変わるのが速く
勢力は衰えて行った
先週、高知でジャンククローズだったが
某シークレットポイントは爆裂!
シークレットポイントは、アップ出来ないので
スルーしてたが、台風一過で戻りのウネリを
日本海側が拾ってるだろう!と
Cat ch.22終わりで、そのまま海へ
昨日は、凄い良かったらしいが
1日経過するとサイズダウン
まあ、朝一は良かったんだけどね
朝8時くらいから、徐々にサイズ落ちて来て…
10時には、殆どの人が上がっちゃったけど
偶のセットで、良い波来るから
上がれなくなって4時間入り放しで
サーフィンしてました
とは言え、ラッキー🐕を車で待機させてるんので
日陰とは言え、(ちゃんと水や対策してる)
可哀想だから、一回、ラッキー🐕の様子見
さっき言った様に、途中から貸切で
ビーチにも人気が無くなったから
ラッキー🐕をビーチ解放
適当に遊んで、日陰で寝てるラッキー🐕を見ながら
サーフィン楽しみました
帰りは、少し遠かったが、オススメのお店へ
魚屋さんが経営する直橋で、豪華な海鮮丼。
そして、温泉♨️へ
美又温泉♨️は、駐車場に日陰が無く諦めました
なので、過去に行った事ある、有福温泉へ
こちらの駐車場は、日陰バッチリな場所あるからね
この動画は、美又温泉で鴨🦆ちゃんが
沢山居たので撮影。
さー全部で何匹いるでしょう〜?的な事だったのだが
撮影中に、ある事に気付きビックリ!
鴨🦆どころではありません!
さぁ、何が映り込んでるでしょうか??
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八月の夢詰め合わせパック
発熱した巨大な幽霊が北半球でのたくっている。砂漠にランドセルが積みあがっている。リコーダーに独身の蟻たちが入居する。鶴とペリカンが嘴で電卓を叩き合っている。閉所恐怖症の鈴虫が籠の中で絶叫している。公共の芋を弔う集いが高架下の塚で開催されている。電話ボックスに精霊馬を設置して回るアルバイトが存在する。蟬の脱け殻におみくじを詰めて縫合するアルバイトが存在する。エアコンから落ちてきた法師が換気扇から出ていく。食品成分表にツチノコの欄がある。違法薬物を積載したエレベーターが高速道路を逆走する。ビニール袋を油で揚げるとガラス板になる。滝を登って一反木綿になるクリオネ。地図帳で読書感想文を書く児童。焼成に火炎放射器を使う陶芸家。シーラカンスにカツ丼を食わせる刑事。��底で地球儀に暴行を加える蟹。ひとつの生命を吸い取った千羽鶴が台風を捕食する。太陽の口角から弾け飛んだ泡が電線を燃やす。「月がきれいですね」「あれは空気穴ですよ」。発熱した巨大な幽霊が北半球でのたくっている。
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240513
朝、相変わらず肩が凝り固まっている。 2年前の日記をまとめる。 まだ2年しか経っていないことに驚く。 今日の晩ごはんは、オムレツとアスパラとポタージュと、といろいろ考えていたけれど、すべてが面倒になってしまって、牛丼。 初めてチーズ牛丼を食べた。 チーズと牛丼は別々の方がおいしい気がする。
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240514
朝、あかるい。 昨日は雨だった。今日は晴れ。 昨日作れなかったポタージュをつくる。 朝に料理をするというのはスムーズでいい気がする。
カフェに行く。 中煎りのフルーティーなコーヒーとチーズケーキ。 フラットな人たち、常連の人。 こういうところで働きたい、と思う。わたしがわたしのまま。 2年前の日記の試作。 奥付のことを忘れていて、ページがずれこむ。 彼がつくってくれたひき肉のみそ炒めがおいしかった。アスパラも。 アスパラとアスパラガス。アスパラガスのガスってなんだろう。 日記が本のかたちになって、これはいいなと気に入っている。
明日、神奈川へいく。 楽しみに思えないのは、たぶん、やることを詰め込みすぎているから。
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240515
今日は飛行機に乗る。 準備をする。 詩の投稿が期限を2分すぎてしまって、どうしてわたしはこうなのだろう、と落ち込む。
飛行機。 東京が近づいてきて、街が認識できるようになってきて、わたしの居場所はもうここにはないのだろうなと思った。帯広にもない。けれど、これから見つけなければならなくて、でも、わたしの居場所なんて、わたしの身体一つ分にしかないのだろうな、と思っていた。 空港でぼんやりしていた。 空港から、実家にまっすぐ行く気になれなかった。 かといって、寄り道する気力もなく、空港に点在する椅子に腰かけて、日記を書いている。 机がとおくて、膝の上で書いている。 空港はぜんぶが白く、ぜんぶが白いから水色があるんだ、と思った。
引っ越した実家のマンションはまだ新築のにおいがする。 キッチンの奥の、小さな部屋でねた。
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今日は娘を職場に送ってから幕張まで足を伸ばしてみた。
「さくら広場」というところがあって、ネットのニュースによれば満開をやや過ぎた辺りだという。
505本のソメイヨシノが咲き誇るさまは圧巻だというので、今年の桜の見納めとばかりに出かけたのである。
今日は初夏のような日で、歩いていると汗ばんでくる。
公園内も結構な人で、ぐるりと園内を歩いてから、隣にあるイオンモールで昼飯にした。
あえて店名は伏せる。
というのも、少なくともぼくの口には合わなかったのだ。
鰹の藁焼き丼と牛タンのセットだったのだが、メニューとはずいぶん違っていた(コメダを見習え)
まあそこは目をつぶるにしても、鰹にかかったゴマだれが塩辛い。
タンも薄切りだから、と言われたらそれまでだが、あまりにも「ショボい」のだ。
もう途中から切なくなってしまった。
ぼくは基本的に食べるものには文句を言わない。
他人が作ってくれたものなら特に、だ。
でも、ごく稀にどうしても納得がいかないものが出てくることがある。
例えば、それがとても安価で提供されているとかなら、まだ気持ちの中で落とし所が見つかるのだけど、今回のは昼飯にしてはなかなかの料金である。
ケチくさいことを言うつもりはないが、これなら他の店にしておけばよかったと思わざるを得ないのだ。
気分転換のつもりで出かけてきたのに、なんだか余計に気持ちが沈んでしまった。
晩飯はあまり手をかけたくなくなっていて「ナポリタン」を作った。
「せっかくグルメ」でも見て、楽しく食う。
ごちそうさん。
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