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灯し派
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tomoshiha · 2 months ago
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上野で見たもの覚え書き(1)
 国立西洋美術館の企画展「西洋絵画、どこから見るか?」を見てきた。スペインのサンディエゴ美術館(以下SD美)と国立西洋美術館(以下西美)の所蔵品を並列する趣向。その覚え書き。
 ルカ・シニョレッリ《聖母戴冠》(1508、SD美)。色がきれい。絵を見て絵具の色を褒めるのは野暮なようだけれども、それにしても色そのものの美しさがまず目に入る。金色のところは金色で塗っている。
 カルロ・クリヴェッリ《聖母子》(ca. 1520、SD美)。上辺左右から果物が吊り下がっている。聖母子と正対するように視点が設定されているので、吊り下げられた果物はやや見上げるような形になり、そのため下部にある萼が見えている。
 アンドレア・デル・サルト《聖母子》(ca. 1516、西美)。この人の描く人間の顔がどうも苦手で直視できない。笑っていようが聖人だろうが、心底絶望したような顔に見えて、不安になる。
 フアン・サンチェス・コターン《マルメロ、キャベツ、メロンとキュウリのある静物》(ca. 1602、SD美)。真っ暗闇を背景として、画面の三辺(左右と下)に石枠が見え、その上にメロンとキュウリが置かれている。マルメロとキャベツは麻を撚ったような紐で、画面の外から吊り下げられている。吊るされたマルメロは画面中のモチーフの中でも最も高所にあるのだが、上部にある軸が、その付け根までしっかり見えている。もっと細かく見れば、切った軸の断面が見えている。というわけで、この絵の視点がどこにあるのか、パッと見の印象ほどわかりやすくはない。石枠の奥行きを描き出す線とか、それぞれのモチーフの見え方とかから愚直に勘案するなら、上辺真ん中くらいなように思うけども、そんなとこに設定してどこにどう掛けるつもりだったのか(それこそ「どこから見」せるつもりだったのか)、よくわからない。見れば見るほど不思議な絵。
 フアン・バン・デル・アメン《果物籠と猟鳥のある静物》(ca. 1621、西美)。こちらは空白を極力埋めようとするみたいに、ちょっとした隙間にツピツピした小こいおナスとか、枝つきのプルーンとかを置いている。上からもなんやかや吊るす。背景は暗闇だが、物が多すぎてあんまり見えない。
 スルバラン《神の仔羊》(ca. 1635-40、SD美)。横たわる羊をほぼ真横からの視点で描く。背景は暗闇。タコ糸みたいな細い紐で脚が束ねられている。羊の頭上の金の輪はごく細い線で描かれていて、見る角度によってはハイライトの白色のわずかな盛り上がりが現実の光を反射して、本当に��く。ルカ・シニョレッリは金色のものを金色で描いていた。金色のものを本当の金色で描くことと、金色ではない色で金色に見えるように描くことの間にはなにか根本的な、ものすごく大きな相違があるような気がする。
 スルバラン《洞窟で祈る聖フランチェスコ》(ca. 1658、SD美)。頭蓋骨に本を立てかけている。あんまり人の骨をそんなふうに使わないほうがいいと思う。
 ムリーリョ《改悛するマグダラのマリア》(ca. 1660-65、西美)。頭蓋骨に本を立てかけている。あんまり人の骨をそんなふうに……。
 リベーラ《哲学者クラテース》(1636、西美)。開かれた本の文字の部分を灰色の面として処理していて、大概な力技よなと思う。そこだけ見るとアルミホイルみたいで、ええんかいなと思うけども、全体で見るとちゃんと文章に見えるから、ええんか……と納得するしかない。ええんや、と押し通る度胸がある。こういう技術的な度胸が後世マネに相当な影響を及ぼしていると思う(技術そのものよりも)。
 ヤーコプ・ファン・ロイスダール《樫の森の道》(?、西美)。一番手前に、雷を受けたことがありそうな状態の木がやや逆光気味に見える(厳密にいえば画面下部左端のものが一番手前なのだが、これは根元近くで折れている)。空は曇っている。薄い雲がまんべんなくかかっているというのではなく、分厚い雲のかたまりが重なり合って、青い空を見せたり隠したりしている。陽光はほとんど遮られているのだが、雲の切れ間からところどころ差し込んでいて、その一条がちょうど、手前から数えて二番目の木を照らしている。この木の幹には樹皮が大きくめくれた部分があって、木部の肌が露わになったその部分が、光を受けている。静かで劇的なかんじがする。中景では火が熾されていて、そこから出る白い煙がほとんど真横に流れている。風が吹いている、とわかると、空の分厚い雲の塊も動いて見えてくるし、遠景に小さく見える風車の羽も回りだす。風上に向かって体をやや傾け、踏ん張りながら道を行く二人の姿もいい。
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tomoshiha · 2 months ago
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五月にみたもの覚え書き
 世がゴールデンウィークだからといって別に休みでもないのは毎年のことなのだけれども、なんもせんのもなんなのでなにかしらやることにしている。今年は東洋美術史をざっくり勉強する、と決めて、4月の末に武蔵野美大出版局の『東洋美術史』を買ってきた。ゴールデンウィーク中に通読することを目標にしていたものの、すっとろくて半分もいかず、五月も終わろうかという頃にようやっと読み終わった。ついでなのでずっと積んでいた美術出版社の『東洋美術史』も併読して、こちらも完走した。
 で、先日、用があって神戸に帰省した。ついでなので奈良に寄ったりして、あれこれ見てきた。その覚え書き。 
 大和文華館にはずっと行きたいと思っていたのだけれどもなかなか機会がなく、あっても逃し、行きたいな行きたいなと思っているうちに十年くらい経っていた。行けてうれしい。老若男女がバランスよくおり、そのどの層も、出されているものを信頼してじっくり見ているかんじがあってよかった。健全な集中力が展示室内をひたひたにしている。
 静かな衝撃だったのが北魏の石造二仏並坐像で、字の通り、仏と仏が並んで坐っている。こういう形式の仏像をはじめて見た。ほんのわずかに顔がお互いの方に傾いている。小ささも相俟って、閉じた、親密なかんじがする。とてもいい。
 青花双魚文大皿。二匹の魚のまわりに水草を二種描いている。一種は金魚藻みたいな形のやつで、もう一種は一枚一枚の葉の長いもの。前者が星を散らしたみたいな効果を出しているのに対し、後者はストロークの長い有機的な曲線が水の流れを感じさせるような効果を出していて、この取り合わせの妙がいい。外側は陸の植物複数種が切れ目なくぐるりと囲む(四季の花を組み合わせることで永続性を象徴させているらしい)。魚は、描かれている見込みの面積からすると小さめなのだけれども、背びれをグッと立てて全開にし、胸を張っるようにして頭のほうを起こし、口をギュッと結んで、上���た顎ごしに下を睨みつけるような、気合の入った顔をしている。でも小さい。小さい体に大きいガッツというかんじがして、いい。真横から描かれているが、胸びれも腹びれも左右両方が見えるようにズラしてあり、それが動きと若干の立体感を感じさせて、イキイキして見える。「魚」は中国語の発音がと「余」と音が同じなので縁起がいい、ということらしいけれども、たとえ縁起が最悪だったとしてもぜひ見たい、いい絵。
 『大和文華館所蔵品目録』として矢代幸雄直筆の書類が展示されていた。使われている紙が大和文華館仕様の原稿用紙なのだけれど、これがとても素晴らしくて、上部に広くスペースが設けられているので図なり註なりをたっぷり書き(描き)込める。一枚あたりがA5くらいの縦長で、ふつうの原稿用紙のハーフサイズ(だから200字?)になっている。もしやミュージアムショップに売ってやしないかと覗いてみたけども、なかった。売るべきだと思う。売ってください。
 国宝展開催中の奈良国博は噂に違わぬ大混雑。奈良国博が、というより奈良がもう全体的に大混雑で、鹿にしても飽食状態なんかして人間に対する関心がやや薄く、煎餅差し出されても「まあそんなに言うんやったらもらってやってもいい」くらいの反応でしかない。しんどいので、見たかったやつだけじっくり見た。
 百済観音は細身な印象が強いが、腕は案外太い。肩の丸みがそのまま腕の太さになって、そのまま肘までおりるかんじ。本体のS字のシルエットに共振するように、装飾の曲線がつく(耳飾りと袖)。全身のシルエットそれ自体が蝋燭の灯のようにも見える。
 宝菩提院願徳寺菩薩半跏像。ウナギの群れのごときぐりゅんぐりゅんの衣文がすごい。衣自体にはほとんど嵩がなくて、濡れた布が体にまとわりついているようでもある。滝を描いた山水画をなんとなく彷彿とさせる。菩薩の体を源として、なにかが激しく流れ落ちているかんじがする。この作品を取り囲む人だかりからおじさまがひとり、「ピカイチやな……」と呟きながら出てきた。ほんまやね。
 中宮寺菩薩半跏像。この一軀のために一室設けられている。白い空間の真ん中に、黒い仏像が置かれている。シルエットの簡潔さが際立つ。パッと見は安らいだ表情のようにも思えるのだが、単眼鏡で眺めてみると小鼻の上あたりの肉にやや緊張したかんじがあり、差し迫った表情のようでもある。左目の下に筋状に漆の乱れがあるようで、これが涙の跡ようにも見える(同展出品の法隆寺地蔵菩薩立像の左目下にも筋みたいなものを見つけたけどなんなんだろう)。肘の位置が左右でけっこう違うが、肩は水平で、前後にもずれない。後ろ姿がいい(今回の展示では360°どこからでも見ることができる。一生分見とくつもりで、長いこと真後ろに立ってボーっと眺めていた)。肩甲骨などの凹凸は彫り出されず、中央の溝だけが一本、すばらしい微妙さで彫られてい���、背中のなめらかな曲面の連なりをつないでいる。やや前側にかがみこむような姿勢なので背中がわずかに丸まっていて、そのことによって高い集中力を感じさせる。尻は体重で潰れることなく、高さを保ったまま小ぶりに締まる。それで腰の位置が高く見え、上半身に若干浮遊感が生まれているように思う。
 神戸にいる間に空いた時間で白鶴美術館にも行ってきた。ここは春季と秋季だけ開館していて、対する私は夏と年末年始くらいしか帰省しないので、行きたいな行きたいなと思っているうちに十年くらい経っていた。行けてうれしい。阪急御影から山側に十数分くらい歩いたところにある。
 おもに本館一階の展示室の古代中国の青銅器をじっくりみた。図版で見るといかにもいかめしいかんじがあって、近寄りがたく思っていたのだが、実物を見ると案外まろやかな印象を受ける。表面がなめらかな部分なんかは翡翠みたいに見える。単眼鏡で細部を観察するのがとても楽しい。饕餮夔龍文方卣は特にのびのびとしたかんじがあって、把手のつけ根のひょうきんな顔(キリンのツノみたいなのが生えている。顎がしゃくれていて、ちょっと口角が上がって見える)とか、フタの持ち手の犬の顔がついた鳥みたいな造形とか、見ていて飽きない。象頭兕觥は字の通り象の頭が象られていて、おもしろい。
 西周時代の車馬具のなかに「節約」という名称のパーツがあっておもしろかった。綱紐をつなげるのに使う、K字状のもの。
 金象嵌渦雲文敦は足とフタのついた球形の青銅器で、器形がまずたいへん愛おしい。三本足(動物の足のような形。こどもの虎のみたいなかんじ。かわいい)に二つの把手(虎?の顔)がついていて、顔に正面から向きあうようにして見ると足の一方が近く、もう一方が離れて見えることになり、そこにリズムが生まれている。なおフタには環が三つついていて、今回は足の位置に揃えて置かれていたけれども、ズラしてみるとまた違うリズムが生まれそうで、妄想していると楽しい。この環というのがやや外向きに開くように配置されていて、その点でも大らかさというか開放感みたいなものが感じられ、好きにさせられてしまう。
 二階は漢から唐ぐらいまでの金工作品が出ていた。
 鍍金花鳥文銀製八曲長杯は八辨の花形を横に引き伸ばしたような変わった形をした器で、杯というには浅いようにも思えるけれども、皿というには深さがある。外側側面は、銀色の地の上に金色の植物と鳥の文様がたっぷり詰めこまれている。他にも唐代の小品がいくつも出ていたけれども、いずれもたいそう趣味がよくて、なんという時代であろうかと思った。自分が遣唐使だったらたぶん、船に積む品物が選べなくて泣いちゃう。
 二階の展示室の端っこの小さい区画(昔は貴賓室だったらしい)が次の展示の予告のコーナーということになっていて、出品予定の南宋と明のやきものが出ていた。次は陶磁器の名品展的なことをやるらしい。自前のコレクションであれこれ展示を組み立てて回していけるからこそできることなんだろうなと思う。賢い。
 新館ではコーカサスの絨毯をみた。閉館間際であんまりゆっくりはできなかったのだけれども、眼福だった。V字型の鳥がたくさん織り出されたカザック絨毯が特によかった。絨毯の真ん中の淡い緑色の菱形の区画に、クリーム色、黄土色、朱色、こげ茶色の鳥がわんさかいる。絨毯の縁の枠の部分にもちらほらいる。
 帰りは住吉川沿いを少し歩いた。それからどういう道を通ったのかあんまり覚えてないのだけど、途中に時間が止まったような小さい公園を見つけた。一度は通りすぎたものの、やっぱり気になったので引き返し、写真を撮った。近くのどこかの部屋からピアノの音が聞こえていて、同じフレーズがつたない指で繰り返し練習されているようだった。
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tomoshiha · 3 months ago
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俵山山菜録
山口県長門市は俵山にて営農している姉夫婦からいただいた山菜で作ったあれこれの記録。随時編集。
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・蕨の炊き込みごはん(毎日二合炊いた)
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・芹の細巻き(農文協の全集「伝え継ぐ日本の家庭料理」の『すし』の巻に載っていて、気になっていた折ちょうど芹が登場したので作ってみた。ハーブの寿司というかんじがあり、アヴァンギャルド。カリフォルニアロールが保守派に思えるくらい。細巻きを作ったのは初めてで、太巻き��り難しかった)
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・蕗の炒め煮(白ごはん.comのレシピを参考に https://www.sirogohan.com/recipe/hukini/#google_vignette 。うまい。唐辛子がなかったので省略したがそれでもかなりうまい)
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・萱草の酢味噌和え(一晩置いたほうがおいしい)
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・天ぷら(芹の根、蕨、野蒜の根もと。全体的に長い)
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・揚げ菓子(山菜関係ないが、油を温めたついでに作ったおやつ)
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・芹のナムル(細巻き用に湯がいたものの一部を使って少しナムルも作った。寿司のときほど薬草感は出ていなかった)
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・大根のナムル(山菜ではないが、余っていたのでついでに作った。こないだ白ごまと黒ごまを併用するテクを知って、か、かっこいい……と思ったのでマネした。緑要員は野蒜)
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・野蒜のムチム(これを作るために初めてコチュカルを買った。辛さはそれほどでもなく、旨みがぐっと増す。手で揉むとあっという間に真っ赤に染まり、マクベス夫人の気分になれる。本場はもっとドバっと投入しているようなのだがヒヨってしまった。夫人が冷たい目でこちらを見ている。でもおいしい)
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・チヂミ(コウケンテツさんのレシピを参考に https://www.orangepage.net/ymsr/news/daily/posts/9367 。野蒜と水菜を入れた。ホンマかいなと思う量の具がちゃんと平たくまとまるのでおもしろい。ごま油を加える工程を忘れてしまったので表面が乾いた仕上がりになっている)
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tomoshiha · 7 months ago
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俵山おいも録
山口県は長門市俵山にて営農している姉夫婦よりいただいたもろもろを使って作ったあれこれの記録。随時編集。
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・ポテトサラダ(アンダーソン夏代『アメリカ南部の家庭料理』を参考に。アンデスレッドを使う。皮が赤色で、肉は黄色。ところどころ赤みが��している。きゅうりのピクルスは昨秋作った伏見甘長のピクルスの残りで代用。セロリはセロリシードで代用。万能ねぎは長ねぎをちょっと加熱したもので代用。長ねぎの白い部分を少し刻んでアルミカップに入れ、芋の上に置いて一緒に蒸す。下の鍋で卵をひとつ茹でる。そういえばポテトサラダってあんまりまじめに作ったことがなくて、やろうと思えばこんな立派なひと品になるのかという驚きがあった。おいしい。あれもこれも代用ばかりでもとのレシピとは似ても似つかないが!)
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・マッシュドポテト(同じく『アメリカ南部の家庭料理』を参考に。バターは小鉢に入れて蒸籠の上にのっけとくといいかんじに溶ける。牛乳は沸騰しない程度に温める必要があるので、ステンレスの小さいお椀に分量分入れて、芋と一緒に蒸籠の中に入れる。裏ごしは省略。使いどきがよくわからないピンクペッパーを散らしてみた。ピンクペッパーって若干魚類の味がする気がする)
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・マリネ(オリーブ油、ゆずきち汁、塩のマリネ液で蒸かした芋を和え、黒胡椒とオレガノを振りかけてざっと混ぜる)
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・バター芋(芋を蒸す。ちょっと大きめのステンレスの碗にバターを入れ、蒸籠の上に置いて溶かす。バターに塩を混ぜ、蒸し上がった芋を中で転がして全体に絡める。すじ青のりをかけて食べる。インカの目覚めという品種を使って作った。とてもおいしい)
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・いももち(粉の分量をしくじってちょっと固くなってしまった。コチュジャンのたれを絡めて焼いた)
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・さつま芋とねぎの煮物(農文協『全集伝え継ぐ日本の家庭料理 いも・豆・海藻のおかず』を参考に。さつま芋とねぎを、だし、醬油、砂糖で煮る。それだけなのにものすごくおいしいので是非作ってみてほしい。諸々適当で大丈夫)
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・大学芋(ハロウィンスイートというさつま芋の一種を使った。肉がオレンジ色をしている品種。色を見せるためにちょっと平べっための乱切りにしたつもりだけど、仕上がりを見るとあんまりそうなってない。乱切り苦手。前に角煮を作ったときの余りがあったので八角を使ってみた。揚げ油に最初から入れておいて香りを移すという手があるらしい。蜜を作るときの、ものすんごい勢いで泡が湧いて出てくるフェーズがいつも恐ろしい。怯える。かぼちゃっぽい味がしたような気がしたけど色に惑わされただけかもしれない)
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・ピカロネス(ペルーにはピカロンという芋や南瓜を混ぜ込んだドーナツがあるんだそうな。ピカロネスはその複数形。今回はさつま芋だけを混ぜた。黒糖ベースのシロップをかけて食べる。参照したレシピのひとつには乾燥させたイチジクの葉の粉末を加えると書いていた。イチジクの葉を食材として使うのを初めて知った。今回は省略。かなりべたつくゆるめの生地を手でどうにかドーナツ形に��とめて油に放り込む。どうせ死にかけとるやろうと思って多めに入れた古参のイースト菌が案外ピンピンしていたので、ふくよかな仕上がりになった)
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tomoshiha · 10 months ago
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俵山おやさい録
山口県は長門市俵山にて営農している姉夫婦よりいただいたもろもろを使って作ったあれこれの記録。随時編集。
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・天ぷら(穂しそ、たまごなす、伏見甘長、ひもとうがらし、なす)
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・天ぷら(しそ、ししとう、なす、オクラ)
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・オクラのフライ(ケイジャン風味。大きくなって固いオクラは揚げるのがいいっぽい)
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・オクラのピクルス(アンダーソン夏代『アメリカ南部の家庭料理』を参考に。ポリポリなんぼでも食べれる)
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・たまごなすのピクルス(この色合いを作りたかっただけ)
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・伏見甘長のピクルス(荻野恭子『家庭で作れるトルコ料理』のトゥルシュのレシピを参考に。レモンはゆずきちで代用)
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・ピーマンの肉詰め(焼くのは失敗しそうなので蒸して作った。のっかってる赤いのは伏見甘長の熟したやつ)
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・伏見甘長入りの蒸し餃子(ピーマンの肉詰めがうまいんなら餃子の餡に伏見甘長入れてもうまいやろうという魂胆)
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・空芯菜のおかず(炒め物のつもりで作ったのでだいぶ思てたんと違うが、うまい)
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・オクラのごま和え(ごますりをサボった)
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・冷や汁
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・きゅうりの直煮
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・きゅうりのカニカマあんかけ(でかいきゅうりを冬瓜として扱った例)
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・きゅうりとカニカマのサラダ(塩もみした細切りきゅうりと割いたカニカマを、マヨ+ごま油+醬油+白ごまで和える。おろしニンニクが少し入るとなおよし)
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・なすの揚げ浸し
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・焼き味噌(めちゃくちゃごはんがすすむのにこれ作った頃米なかった)
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・なすの皮の柴漬け(高山なおみ『自炊。何にしようか』を参考に。なすの皮を刻んで塩で揉み、崩した梅と一緒に混ぜて置くだけの簡単なもの)
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・なすの皮の柴漬けとツナの冷製パスタ
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・なすとトマトのパスタ
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・イマーム気絶なす(素揚げしたなすに具を詰めて煮たもの。料理名は、うますぎてイマームさえも卒倒してしまうことからきているとのことだけれども、このあ���りの手数の多さにはさすがのイマームさまも……という含みもある気がする。中の具はパスタのソースを転用)
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・ジャジュック(刻んだきゅうりとヨーグルトのサラダ。萩野恭子『家庭で作れるトルコ料理』を参考に)
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・サバのフライのサンド(マヨネーズに刻んだらっきょう漬けを混ぜた)
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・ポテトサラダ(刻んだらっきょう漬けが入っている)
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tomoshiha · 11 months ago
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八月の夢詰め合わせパック
発熱した巨大な幽霊が北半球でのたくっている。砂漠にランドセルが積みあがっている。リコーダーに独身の蟻たちが入居する。鶴とペリカンが嘴で電卓を叩き合っている。閉所恐怖症の鈴虫が籠の中で絶叫している。公共の芋を弔う集いが高架下の塚で開催されている。電話ボックスに精霊馬を設置して回るアルバイトが存在する。蟬の脱け殻におみくじを詰めて縫合するアルバイトが存在する。エアコンから落ちてきた法師が換気扇から出ていく。食品成分表にツチノコの欄がある。違法薬物を積載したエレベーターが高速道路を逆走する。ビニール袋を油で揚げるとガラス板になる。滝を登って一反木綿になるクリオネ。地図帳で読書感想文を書く児童。焼成に火炎放射器を使う陶芸家。シーラカンスにカツ丼を食わせる刑事。海底で地球儀に暴行を加える蟹。ひとつの生命を吸い取った千羽鶴が台風を捕食する。太陽の口角から弾け飛んだ泡が電線を燃やす。「月がきれいですね」「あれは空気穴ですよ」。発熱した巨大な幽霊が北半球でのたくっている。
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tomoshiha · 1 year ago
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親友になれたのではないかと思われる人
 ものすごい雷で、停電までした。パパラッチの包囲網がシャッターを切りまくっているみたいに猛烈に点滅する光が真っ暗な部屋の中に殴りこんでくる。この夏はついに花火を見なかったし、どうせ何もできないならと思い窓際に座って雷の空を見物していたら、こんなことを思い出した。
 小四の夏のいつだかに、五時間目のあとになってスプーンが一本出てきたとかなんとかで給食当番返してきなはれということになって、ほんでなぜだか二人で行ってきなはれということになって、そのとき外はどげつい雨が降っとって、当時は四年生の校舎だけ別棟で小学校の敷地の辺境に位置してたから、傘差し係とスプーン握りしめ係とですごすご運動場を突っ切って、給食室行って、返して、帰りにまた運動場突っ切ってるとき、パコーンいうて柱みたいなぶっとい雷が曇天に現れて、運動場のど真ん中でよ、自分たち二人の他には誰もおらんくて、「見た?」「見た」みたいなこと言い言い教室に戻った、ということがあった。その子とはとくに仲がいいわけではなかった。かといって不仲でもなかった。たまたま同じクラスで、たまたま同じものを見たというだけだった。
 その子は中学も同じで、二年のときにはまた同じクラスになった。この時のクラスにひとり意地悪なのがいて、しょっちゅうちょっかいをかけてくるので嫌だった。ある日の音楽の時間に、例によってちょっかいかけてくるので受け流していたら、急にパコーンいうたのでなんや思て顔を上げたら意地悪の鼻から血が垂れていた。かつて雷を一緒に見たあの子が、しばいたらしかった。授業は中断されなかった。《浜辺の歌》かなんかを歌った。この一件があったからといって別段親しくも気まずくもならなかった。次の学年では別々のクラスになって、自然と接触することもなくなった。
 半時間くらいして電気が点いた。
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tomoshiha · 1 year ago
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パチモンの孤独100本ノック
爆誕の記憶
公園の遊具
食玩の収集
学研の科学
特典の玩具
新年の挨拶
卒園の報告
冒険の秘訣
独断の行動
木金の体育
側転の練習
六限の座学
教壇の社畜
万年の補欠
三年の後藤
零点の音読
教官の御託
門前��小僧
漢文の素読
断片の偽造
濁点の消失
短篇の奇想
白山の天狗
能面の試作
法然の渡独
国連の本部
経典の講読
作文の寄贈
宅建の資格
床暖の故障
浴場の改築
壁面の富嶽
極限の四国
琴電の冒瀆
湘南の牛角
羊羹の試食
香香の帰国
晩年の仁鶴
特番の予告
匿名の家族
両親の危篤
嫡男の孤立
復縁の努力
沢山の奇策
作戦の記録
病人の輸血
天然の坐薬
仁丹の効能
若干の補足
百斤の鶏肉
大根の煮汁
越前の米酢
田園の稲作
銀杏の収穫
鉄瓶の光沢
肉饅の魅力
台湾の給食
雲吞の価格
湯麺の比較
凡人の味覚
中年の体力
職人の堕落
着任の刺客
独占の口実
役員の降格
国民の下僕
役人の汚職
黙認の賭博
弱点の秘匿
役満の確率
額面の誤読
六銭の拠出
禁断の果実
根源の諸悪
室蘭の貴族
殺人の委託
隔年の蠱毒
爆弾の不発
接戦の武術
少年の喪服
悪人の俳句
突然の廃部
当然の帰結
昨年の五月
祝宴の企画
脚本の到着
百円の戯曲
来賓の蛮族
楽団の創設
曲順の申告
菊版の楽譜
達人の古楽
閉店の音楽
刻限の銅鐸
団員の帰宅
後年の回想
若年の功徳
積年の粗忽
錯乱の自覚
没年の打刻
百年の孤独
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tomoshiha · 2 years ago
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日記(2023/09/07)
 断水した。
 蛇口がほとんど抵抗なくくるくると回ってしまうが、どこまで回したところで何も出ない。
 このところ二軒隣の空家の解体工事をやっていて、日中は��屋がずっと揺れており、一昨日あたりに震度2ほどの地震があったときも確かに揺れは感じていたのだが、地震だと気づかなかった。その工事中に誤って水道管を破壊したとかで、すみませんが当分お水出ません、というふうな説明を受けた。復旧は早くて15時くらいとのことだったのだけれども、14時にはもう完了していた。
 復旧後、初手でトイレを流すと詰まるので、流しからしばらく水を出し続けておいてくださいという指示に従って台所の蛇口をひねると、相応の手ごたえがあり、ガコンッと跳ね上がるように震えたあと空気混じりに水がガポッ、ガポッと出始めて、何度かまたガコンッと震えながら、まもなくなめらかに水が流れるようになった。
 私は阪神淡路大震災の三週間後くらいに生まれた人間なのだけれども、断水といえば、お前が生まれるときまだ水道復旧しとらんかって、生まれた一時間後に水出るようになったんや、という話をよく聞いていた。父はなにか奇跡的なことのようにこの話を語ってくれることが多かったけれども、妊婦の立場からすれば、ほなあと数時間待って出てきてくれればよかったのに、と思うのが道理のはずで、申し訳ない気がする。産婦人科は被害が大きかったので、近所の小児内科で生まれたのだった。この病院にはのちのち、なんやかやの予防接種の折などに行くことがあって、そのたびにヘェ、この子があのときの、というふうにまわりの大人は言ってくれるのだけれども、子どものじぶんはよくわからないので、ハァ、これがあのときの、と流し台を見遣りながら針を刺されたりしていた。
 震災後にはそこかしこで解体工事が行われていたわけだから、その揺れも相当なものだったろうと思う。私は震災を経験していないので、さぞ神経をすり減らしたろうと想像するけれども、実際のところ地震の揺れと工事の揺れが曖昧になることで心が落ち着くということもあったのかもしれない。わからない。
 断水しているあいだに非常用に置いていたペットボトルの水を一本あけてしまったので、台風も来ることだし、明日の帰りに買い足してこようと思う。
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tomoshiha · 2 years ago
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日記(2023/08/24)
 新宿バルトの夜の回で宮崎駿監督の《君たちはどう生きるか》を観た。
 この日は夜中の十二時に雨の音で目を覚まし、慌てて洗濯物を取り込んでのちずっと起きていて、日中は都心のほうに出て用事を片付けていたので、上映中起きていられるかも怪しい状態だったけれども、それでもラッシュ時間の電車に乗って帰るのはしんどいというのが決め手になって、チケットを買った。
 映画館で映画を観るのはほんとうに久しぶりで、確認してみたら去年の三月以来のことだったから、映画館に足を踏み入れるのも同じくらい久しぶりなのだった。エスカレーターの踏板の溝に信じられないくらいポップコーンのカスが詰まっていて、映画館やな、と思った。
 劇場で映画を観ることが何となく億劫になっている理由のひとつに目がずいぶん悪くなっていることがあって、まともに像が見えるかとか、ちゃんと字幕が読めるかとか、そういう不安でうじうじしているあいだにいつも公開が終わってしまう。
 前に友人とある映画を観に行ったとき、こっそり渡された紙片を開くとメッセージが書かれている、というくだりがあって、そのメッセージが全然見えてなかったものだから、帰路「ほんでなんであんとき白紙見せられたんやろな」などと言って失笑を買った。
 起き続けで精神が弱っていて、予告編の、車が事故って人が燃える映像とか、巨大鮫に人が喰われる映像とか、ゴジラが人を蹴り散らかす映像とかでかなり怯えてしまった。
 本編もそんな情緒で観ていたので、冒頭の階段を駆け上る映像でもう、ああ、階段を駆け上っているねえ、と思って、泣いた。始終泣いて、びしょびしょのひどい顔で映画館を出た。まさか自分の人生に、泣きながら新宿を歩く夜がくるとは思わなかった。日付の変わり目も近いというのに電車は満員で、結局気絶しそうになりながら吊革を握って帰った。
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tomoshiha · 2 years ago
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粗野な手引
 高二のとき、非常勤の先生が担当する現代文の授業があった。たぶんすでに定年退職した先生だったのだと思う。少し色の入った、レンズの大きい眼鏡をかけたおじいちゃん先生で、小柄ながら丈夫そうなからだつきをしていて、肌はよく日に焼けて赤っぽかった。最初の授業のはじめ、先生はおもむろにチョークを手に取ると、ゆっくり、黒板の真ん中に二文字書いた。
   極道
 そして振り返って、
「先生はな、極道になりたかった」
 と静かに話し始めた。
 様子がおかしいな、と思った。たぶん、全員そう思った。シーンとしていた。先生は独特の声、煙に焼かれたような掠れ気味の、わりに高い声で淡々と話し続けていた。
 極道の何たるか、その美学を語って、最初の授業は終わったと思う。結局その日黒板に書かれたのは「極道」の二文字だけだった。先生はこの曜日、この授業のためだけにこの学校に来ているらしく、���室から出て廊下の窓から外を見るともう、誰もいない前庭の真ん中を正門へ向かってすたすた歩いていた。背筋がしゃんと伸びていて、まっすぐ前を向いていた。カーリングの石みたいな速度だった。
 次からは宮沢賢治の「永訣の朝」を読んだ。正直授業の内容はあまり覚えていない。覚えていないのに「永訣の朝」を読み返すときいつも「極道」の二文字が頭の片隅にちらつき、あの最初の授業の日のすごい空気が思い出される。あの独特の声で「あめゆじゆとてちてけんじや」が再生される。疑問文のように語尾が少し上がる、その声の調子だけはなぜかはっきり覚えている。
 そういえば先生は「まがつたてつぱうだまのやうに」というところをやけに深掘りしていた。「鉄砲玉」とはなるほど極道っぽい語彙で、「曲がった鉄砲玉」という響きにはノワール的なにおいがある。きょうだい愛という主題だってそうだし、そう思うとふたつの陶椀という道具立てにしても盃を彷彿とさせないでもない。
 深掘りしたと言っても先生はこんな独自解釈を並べ立てていたわけではなく、高校の現代文としてそれほど異様な授業でもなかったのだけれど、導入が導入だっただけに、その深掘りについてこちらが深掘りせずにはいられなくなってしまうのだった。
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tomoshiha · 2 years ago
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日記(2023/07/29)
 夜コインランドリーに行くつもりだったので、18時くらいにシャワーを浴びて、洗濯するものをまとめていると、突然ババババッという破裂音が遠くから聞こえてきたので、あれ、寝たんやっけ、と思った。
 というのも、わりと頻繁に空襲の夢をみるので、爆発っぽい音を聞くと空襲かとまず思い、目下このあたりは空襲されるような地域でもないので、ということは夢か、と思ってしまうのだった。なんで空襲の夢をみるのかはよくわからない。とまれどこかで花火大会があるらしいということをそのとき知った。
 家を出ると、日中徹底的に日に晒されて乾ききった草のにおいがした。歳時記によると強い生命力を暗に示すらしい夏草も、今年の夏はなんぼなんでも辛抱たまらんというかんじで、真っ赤になって枯れているのをよく見かける。ランドリーまでの道すがら何か所か花火が見えるスポットがあって、そういうところには人だかりができているのですぐにわかった。かなり多くの人が、風呂上りにちょっと出てきたという風情で、ラフな格好で楽しんでいて、よかった。会場から距離があるので、音と光とがかなりズレていて、歩きがてら家と家の隙間から無音でフワっとあの花火のなめらかな光の動きが見えたりするのが不思議だった。そしてそういう隙間の前にも、椅子を出して眺めている人がいるのだった。
 洗濯が終わったものを乾燥機に移しているときちょうどフィナーレだったようで、外に出るとそこかしこの見物人たちが三々五々撤収していくところで、空には大きい煙が入道雲の幽霊みたいなかんじでのったりのったり流れていた。自分みたいに花火の音を空襲の音と誤認したものが、そこらへんの暗がりに起き出しているような気配がしないでもなかった。
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tomoshiha · 2 years ago
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日記(2023/07/20)
 描けん描けんとベソかいてるうちに朝になっていたというようなことが続き、いつ寝ていつ起きとんのか自分でもようわからん日々を過ごしていたのだけれども、昨日めでたく出すもの出して、即、寝、日付が変わって間もない頃起きた。もう今日はしたいことだけしようと思った。
 夜が明けるまで、読みかけだった平山夢明『俺が公園でペリカンにした話』を開いていた。「警察」に「マッポ」というルビが振ってあるような小説を読むのは久しぶりで、おもしろかった。
 燃えるゴミの日だったのでこちらも出すもの出してしまいたく、日が出てからは人参の皮を剥くなど捨てるものの出る作業を片付けた。餃子を25個包んで、人参と一緒に蒸籠で蒸した。
 食べながら、ふといただきものの東博「古代メキシコ展」の招待券の有効期限が明日までだということを思い出したのだけど、明日は夜まで予定があるし、行くなら今日しかないということになって、シャワーを浴びて上野まで出た。今日はさして暑くなく(それでも30℃あるが)、外を歩くのも苦ではなかった。
 最初の展示室でもう頭蓋骨が出てきて参ってしまった。人骨ほど直接的なものでなくても、中南米の古代文明の造形は見ていると体内の臓器と臓器の間を何かがもにょもにょ這うようなかんじがして不安になる。目玉のひとつだった「赤の女王のマスク」にしても、本当に怖いものを見ているという感触があった。
 ついでに国際子ども図書館に初めて行った。新館(アーチ棟)に入った瞬間兵庫県美の匂いがして、さては安藤忠雄やな、と思ったら本当に安藤忠雄の設計だった。馬場のぼるとデイヴィッド・ウィーズナーの絵本など読んだ。16時くらいで切り上げて、電車が込む前に帰った。帰りの電車は爆睡だった。
 そういえば行きしなの電車でこんなことがあった。おっさんがいきなり「もっと詰めて座れよ!」と男子高校生二人組(全然広がってはない)に説教垂れたかと思うと、近くにいた、とは言い難い距離感のところにいた女性二人組(全然座りたそうではない)をにこやかに呼び寄せて、どうぞどうぞと座らせ、立ち去った、と言うには近い距離感のところに移動して、むくれたまま立っていた。なんか、平山夢明が描いてそうな善意やな、と思った。
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tomoshiha · 2 years ago
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並置(No.126~150)
てんてんと連絡船
カタストロフと民謡
かさぶたと線香花火
牧童と死滅回遊魚
羅列と狙い撃ち
早口言葉とテレパシー
列島と路線図
粘土と陰画
運指と稜線
琵琶とトリアージ
サボタージュと桂冠
吊り橋と三角コーン
もっともっとともともと
化粧水と目薬
青田買いと山菜採り
回路と鍵盤
校長とティンパニ
右腕と鉄砲玉
編と撰
国語と語源
善意と予兆
週末と万年床
鼻濁音とシャンソン
刑罰と解釈
オノマトペと陰影
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tomoshiha · 2 years ago
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自炊ノート スナップえんどう
 山口在住の姉夫婦より玉ねぎとスナップえんどうをどっさりいただいた。スナップえんどうは書店の同僚がたまに採れたてを分けてくださることがあり、たいていは丸ごと蒸して食べているのだけれども、今回はせっかくなので他の手も使ってみた。
 連日扱っているうちに筋取りも手際よくできるようになってきた。上の筋も下の筋も、頭のほうから引っ張るとするする取れる。外した筋は蔓の先のようにくるくる丸まって、かわいい。
 肥ったものは豆と鞘を分けて、別々に料理してみた。鞘を割ると、右と���、交互に豆が付いていておもしろい。鞘から外した豆を薄い磁器の茶碗に落とすと、ころりというか、ことんというか、そんなかんじの微妙で涼やかな音がする。豆の控えめなうす緑と青花の色の取り合わせもよし。
 豆は茶袋にまとめて、ざっくり切ったじゃ��芋と一緒に蒸す。同時に、下の鍋で卵をひとつ茹でておく。鞘のほうは適当に切って、炒め物にする。じゃが芋はつぶして柚子胡椒(これも山口から送ってもらった柚子で作ったもの)とマヨネーズで和える。卵も潰して、豆と混ぜつつ、こちらもマヨネーズと和えて軽く胡椒を振る。これが本当においしかった。芋にせよ豆にせよ、蒸すと味が澄んだままはっきりと残るようで、口に含んで驚くことが多い。ついでに赤玉ねぎの小ぶりなものをひとつ分スライスして、塩、酢、オリーブ油でマリネにした。色合いが美しかろうと思い、育てているオレガノの苗から赤っぽい葉をいくらか摘んで、まいた。一枚の皿にまとめると、何やらままごとのような楽しげな眺めになった。
 玉ねぎと一緒にカレーに入れてみたりもした。カレーは年中作るけれども、青っぽい味が入ると、お、夏やな、と思う。とてもおいしい。どちらも甘くなる野菜なので、辛口のルーでちょうどよかった。前に作ってあった赤玉ねぎのマリネもよく合う。
 油を温めた折についでに天ぷらにもした。塩で食べた。おいしいもので、追加でずいぶんたくさん揚げた(たぶんこの日、すごい量の塩を摂っていると思う)。
 このようにスナップえんどうはどうにかこうにか、10日くらいで食べ切ることができたのだが。しかし玉ねぎは、さて、どうするか!
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tomoshiha · 2 years ago
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並置(No.101~125)
神秘とおままごと
市バスと部活動
詰め替え用シャンプーと窒息する蟹
タイドプールとシナプス
五寸釘とジオラマ
秋とスクロールバー
世論調査とランドルト環
堀と外来種
表と遠近法
玉葱と総書記
語尾と癖毛
誹謗とニュートンのゆりかご
観察と天啓
固有周期と九等星
水と旧世界
耳掃除と台風
ポイントカードとツタンカーメン
偽証と饅頭
校歌と観光客
地獄巡りと蜘蛛の糸
正座とプロテイン
アネクドートとカポエイラ
骨の名前と公衆電話
鳥の巣と玉手箱
気絶と無重力
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tomoshiha · 2 years ago
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並置(No.76~100)
短歌と音叉
濾過と生贄
泳法と文体
イタコとプロンプター
偽薬と共犯者
単旋律と薬草園
牡蠣と眼病
黙秘と真珠
雅楽とメトロノーム
蛹と歩兵
じょうろと雄蕊
チョークと透明人間
汗と腐葉土
砂丘と生存者たち
火の見櫓とビデ
ニッカポッカとドクダミ
新月と桟橋
毛根と盆栽
双子座と喪主
補助席と三輪車
肩車とコントラバス
祭と植物工場
錆とブルーシート
百鬼夜行とNASA
行方不明者と幽霊
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