#三遊落語祭
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2025年1月3日(金)
正月2日・3日は朝から<箱根駅伝>を、テレビで流しっぱなしにしている。2日目の今日は、青山学院大学が2年連続8回目の優勝で幕を閉じた(画像は毎日新聞から借用)。やれやれ��いうことで、腹ごなしのウォーキングに出ると、西大路七条の交差点には、1/12(日)の<皇后盃全国女子駅伝>の看板が設置されていた。暮れの高校駅伝と並ぶ冬の京都の風物詩、一人で走るマラソンではなく、襷をつなぐ駅伝にはドラマが生まれやすい。暖かくして、テレビ観戦を楽しむとしよう。
5時30分起床。
日誌書く。
洗濯開始。
朝食にはにしん蕎麦をいただく。
洗濯物を干す。
テレビは箱根駅伝にチャンネルを合わす。
あれこれ片付け。
ユニクロが新年祭とのこと、彼女と徒歩で五条丹波口店で買物。
ランチ、息子たちには雑煮、我々はキャベツ焼きと残りものを片付ける。
録画番組視聴、落語研究会。
「商売根問」五街道雲助、「犬の目」三遊亭兼好、二席聴いたところで午睡。
暮れに届いた進物などの段ボール箱を片付ける。
彼女���3男でココに点滴。
私は早めの夕飯準備。
さんだかん燻製工房の骨付きハムの山葵醤油、一昨日仕込んだローストチキン、チーズかまぼこ、伊達巻き、レタスとトマト。
録画番組視聴、
なかなか感慨深いものがある。
交代で入浴、体重は2日で250g増。
録画番組視聴、
芋焼酎ロック舐めながら、日誌書く。
辛うじて3つのリング完成。
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るんぺんパリ【RunPenParis】
自己紹介 2024年11月4日追記 6116文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している それは去年に末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 観光施設って感じ 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 今年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が降ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件回って、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて上野天神祭へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 夜の19時から同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったガキさんは すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので閉店の1時までカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の20(日)は上野天神祭に参加している同級生のオデに会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く紅梅屋でおみやげを結構買って 桔梗屋で上生菓子とお茶を飲んで 静岡へ帰った 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく上野城をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった この子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、��だ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある ただダーツバーらしく 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど バーの扉って感じで雰囲気はあった 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で それにしても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て ���分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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サイドシートの君
ゆかは旅先で呼んだコールガール。
地元が近いのと趣味が合った事がきっかけで連絡先を交換した。
そしてお盆の帰省のタイミングで会う約束を決めた。
ゆかのいる町まで車で一時間ほど。
来るか来ないかは半信半疑だった。
約束を破るような子では無いと思ってはいたけれど、連絡の返信の遅さがちょっと気になっていて、来なければ来ないでいいやと思っていた。
約束の時間の十分前に待ち合わせ場所に着いて車を停めた。
ゆかに着いた事と車の特徴を書いたメッセージを送る。
来ても遅れるだろうと思い、二十分後に発走する競馬を予想して買った。
既読が着いたのは約束の時間を二分過ぎたあたり。
あと五分くらいで着くらしい。
少し安心した。
それから十分後にメッセージ。
車のナンバーはこれですか?と来て、車の後ろを振り向くと、こちらを見ているゆかと目が合った。
手招きをして助手席に呼ぶ。
ゆかが席に乗り込んでくる。
���すみません」
「久しぶり」
「お久しぶりです」
「元気だった?」
「��い」
「ありがとね、来てくれて」
「いえいえ」
「じゃあ行こうか」
プランを二つ提案した結果、神社に行って近くにある貝出汁のラーメンを食べることにした。
近くのコンビニでコーヒーを買う。
「そうだ、さっき競馬買ってたんだよね」
「そうなんですか」
「一緒に見る?」
「見ましょう!」
一緒に見たレースは見事に的中だった。
ゆかも喜んでいた。
車を走らせる。
車内ではゆかが同棲中の彼氏に薦められて見た頭文字Dの話を熱く語っていた。
今度聖地巡礼に行くらしい。いろは坂はあのまんまだよと言っておいた。
ゆかが今日着ている服はライトなロリータ風のワンピースで、童顔の彼女にはそれがとても似合っていたので伝えた。
嬉しそうに笑うゆか。ロジータというブランドらしい。
田舎道を走っているとひまわり畑を見つけた。
下りてみると一面ひまわりが咲き誇っていて、その後方にある風力発電のプロペラがまたいい味を出していた。
夢中で写真を撮るゆかは無邪気な少女のようで、転んてしまわないか心配になるくらいだった。
車を再び走らせて神社へ向かう。
険しい階段を上って本殿でお参りをする。
「五円あった」ゆかが財布から硬貨を取り出す。
「俺は欲張りだから五円が十倍あるように五十円にするよ」
「なるほど!」
神様に祈ったことは今日が楽しく終わりますように。きつねの神様は俺を助け��くれるだろうか。
反対側に下りて行くと無数の赤い鳥居が並んでいる。何度来ても圧倒されるが、ゆかも同じだったようだ。
ここで少し雨が落ちてくるが気にせずに歩いていく。鳥居の中を歩いていくと横に水場がある。そこに咲く蓮の花を見つけたのでゆかに教えると鳥居から蓮にスマホを向けて撮影した。
白い花びらが水から顔を出して咲く姿は可愛らしさだけではなく強さも感じた。何となくそれはゆかの姿にも重なった。
高台から鳥居が並ぶのを眺める。
雨が本降りになってきたので木の下で雨宿り。
ゆかの持っている赤いバッグには傘が入っていないらしい。
「折りたたみもってくればよかった」
「雨降るなんて考えてなかったよ」
「県の真ん中の方は降るって聞いてたんだけどなぁ」
「しゃあないよ、ここ真ん中じゃないし」
しばらく経ってもやまない雨。結局少し濡れながら歩くことにした。
雨降りにも関わらず別な色の蓮の花を見つけ��二人で写真を撮った。
階段を上って下り、おみくじをひいた。
天然石が入ってるおみくじで、パワーストーンが好きなゆかにはぴったりだった。
昼食の時間になったので店へ向かうが、時期や時間もあって行列ができていたので、同じく貝出汁のラーメンを出している別な店で食べることにした。
運良くすぐに座れ、ゆかとあれこれ話した。
ゆかは小学校から高校まで卓球をしていたらしい。
大学ではクラゲの研究をしていて、クラゲの生態にも詳しかった。
「一応理系なんで」
確かに同人小説を書き方を聞いたら実に論理的に話を作っているなと感じていた。
そんな話をしているとラーメンが出来上がって食べた。貝の出汁とバターの風味がうまくマッチしていて絶品だった。ゆかも気に入ってくれたようだ。
店の外に出るとまたもや雨。
近くの公園にあった遊具も濡れていた。
「晴れてたらやりたかったのになぁ」
「これじゃ濡れちゃうね」
残念そうにするゆか。
ここの段階で時間は十三時をまわっていた。ゆかは十六時くらいまでならと言っていたので、次の場所を迷ったが、思い切って賭けに出ることにした。
市街地へ車を走らせる。
「あのさ」
「ん、なに?」
「夜の仕事、まだやってるの?」
「いや、しばらくやってない。昼の仕事で稼げるようになったから。このままやめようと思ってる」
「そっか、昼の仕事が順調ならいいね」
「うん、もう知らない人に会わなくてもいい」
「お疲れ様。よう頑張ったと思うよ」
「彼には絶対言えないけどね」
「体調もよさそうだね」
「うん、抗うつ剤は飲んでないし、元気になったよ」
「よかったよ」
ゆかの手に触れて握ると、握り返してくれた。
川沿いの堤防を走る。
カーステレオからは真夏の果実。
市街地にあるホテルへ入��車を停めた。
ゆかの表情は暗くて見えなかった。
「いい?」
「タダじゃ嫌」
「そっか」
その返答は予測していた。元々は金で繋がった関係だ。
「いくらくれる?」
価格交渉が始まるが、割とすぐにまとまった。
タッチパネルで安い部屋を選んで入る。横にあるシャンプーバーの香りが鼻についた。
部屋に入ってソファに座る。
唇を重ね、ゆかの胸に顔をうずめた。
その後の事は何となくしか覚えていない。何度もキスをして、何度も愛を囁いた。
そして二人並んで眠った。
ゆかの寝息を聞きながら時間を気にしていた。
リミットの時間はとうに過ぎている。
目を覚ましたゆかに聞いた。
「時間大丈夫なの?」
「ああ、うん。別に花火があるからそれまでに帰れれば。そんな花火見たいわけじゃないんだけど」
その日はゆかの住む町で祭りがあって二十時から花火が上がる日だった。
「そっかそっか。一緒に見る?」
「うーん、誰かに見られると嫌だから」
「だよな」
その後はゆかの書いた小説を読んだ。そしたら俺もゆかに自分の書いた物を見せたくなった。
「ゆかの事書いた作品があるんだけど見る?」
「えー!恥ずかしいからやだ」
「まあまあ、自分だと思って見なきゃいいからさ」
「うーん、ちょっと興味はあるんだけどね」
そしてTumblrに投稿してたコールガールを見せた。
時に笑いながら、時に考えながら読んでいた。
「この表現好き」
ゆかを花に例えた部分が気に入ったらしい。
「人の書いたもの見ると勉強になる。すごく読みやすかった」
「ありがとう」
「今日の事も書くの?」
「そうだなぁ、たぶん書く」
「めっちゃ恥ずかしい」
そんな事を話しながら、不思議な関係だなと思った。
現実で会った人にTumblrを見せたのは初めてだった。
彼女でもなければセフレでも無い。そもそも会って二回目の関係なんだから名前をつけようにもまだ難しいだろう。
それでもこの関係は何だろうと思いながら気づけば温くなった風呂に二人で入っていた。
洗面台で歯を磨くゆかに後ろから抱きついたり、服を着るのを邪魔してみたりした。
帰路につく。
夕焼けの時間だった。
この様子だとゆかの町に着くのは十九時くらいになりそうだ。
「今日さ」
「うん」
「何で来てくれたの?」
「えっ、うーん…誘われたし暇だったから」
「そっか。お金もらえるって思ってた?」
「いや、それはない。ただ会ったらするかもなとは思ってた」
「そうなんだ」
「うん」
途中の海辺で夕焼けの写真を撮った。
「すごくいいね!あとで送って」
「いいよ、今送るよ」
すぐゆかに送った。
「ありがとう」
そっとゆかの手に触れた。自然と繋ぐ。
車は海沿いの道を駆け抜けていく。
町に着くと大勢の人で賑わっていた。
「どこで下ろせばいい?」
「真ん中は嫌だから…朝会ったとこ」
そこへ向かって車を進めると、警備の人が立っていて入れなかった。
「ちょっと入れないな…」
「うーん、どうしよう」
ぐるぐると町中を周る。
「やっぱ入れないよ」
「離れたとこなら一緒に見てもいい」
「えっ、あっ、そっか。じゃあそうしよか」
「うん」
「食べ物買いに行こか」
「屋台はダメだよ。知ってる人いるかもしれないから」
「そうだな。コンビニでいいか」
その町にある唯一のコンビニで食事を買った。
その隣りにある駐車場から花火が見えそうだったので、そこに停めて見ることに決めた。
花火が始まる。
ここでもゆかは写真を撮るのに夢中。
俺も撮ってみたけれど、信号が邪魔して上手く撮れなかった。
合間に見せてくれるゆかの写真は上手に撮れていた。
プログラムの間、ひたすらゆかはスマホをいじっている。その動きが止まると俺のスマホに通知が来た。
「アルバム作った」
開いてみるとトーク画面に日付が入ったアルバムが出来ていた。花火や蓮、ひまわりの写真がたくさんおさまっていた。
「おー、いいね。ありがとう!」
「ふふっ」
ゆかはまた外にスマホを向けた。
「あの色はリンで…」
花火の色を見ながらそんな事を言っていた。
「覚えたことって言いたくなるよね」
ゆかが笑う。そうだなと俺も笑う。
あっという間に花火大会は終わった。
「帰ろっか」
「うん…」
帰りに降ろす場所を探しながら車を進めた。
「あっちに行くと公園がある」
「そこで降ろす?」
「いや、遠いからいい」
「行ってみようか?」
「うん」
公園に行くと暗くてよくわからなかったが、日中は眺めがいいだろうなと思った。
「あっちには小学校がある」
「行ってみよか」
何となくゆかの気持ちがわかった。
「あれだろ」
「なに」
「別れが惜しくなったんだろ?」
笑いながら言った。
「でも明日は友達と遊ぶから泊まれない」
「もうちょっとドライブするか」
「うん」
小学校へ入った。ゆかが通っていた小学校はかなりきつい坂の上だった。
「こんなのだからめっちゃ足腰鍛えられた」
「これは中々スパルタだな」
「でしょ」
小学校を後にして車を俺の地元方向へ走らせた。
「あれだよね」
「なに?」
「泊まっても寝ればいいじゃん」
「うーん」
「俺いびきかかないし」
「そうなんだ」
ゆかの右手に左手を重ねた。
「朝、めっちゃ早起きだよ?」
「いいよ。またここまで送るからさ」
「わかった」
「じゃあ、泊まろっか」
「親に連絡しとく」
コンビニでコンタクトの保存液とビールとほろ酔いを買った。
ホテルへ入る。今日二度目だ。
カラオケがついていたので酒を飲みながら二人で歌った。
夜は深くなっていく。
シャワーを浴びる。マシェリでゆかの髪を洗った。
洗面台でそれを乾かしてベッドへ入る。
互いに欲望のまま相手を求めあう。
眠っては起きて、キスをして、何度も何度も。
「俺に好きって言ってみてよ」
「言わない」
「いいじゃん、嘘でも言ってみなよ」
「嫌だ言わない」
「そっか」
力一杯抱きしめて、それをゆかも返した。
俺は六月にあったことを話した。
自殺未遂のことも。
「ガチで死のうとしたんだね」
「うん、そうだよ」
「生きててよかったね」
「ほんとそう思う」
「今も彼女のこと好き?」
「いーや、全然」
「そっか」
「新しい好きな人いるらしいし」
「いなきゃ好きなの?」
「いや、そういうわけでもない。俺にはあわなかった」
「切り替え早いね」
ゆかの首筋にキスをして眠りについた。
結局は予定の時間にゆかは起きれなかった。
俺も軽くは起こしたけれど、別れを早くしたくないなんてエゴが出た。
「私ほんと時間にルーズなんだよね」
と言いながら、そんなに慌てないゆかが滑稽だった。
「私と付き合わない方いいよ」
「どうして?」
「時間守れないし、好きなこと話すと止まらないし」
「時間を守れないのはよくないな。でもそれはパートナーがちゃんとしてれば支え合っていけるん��ゃうか?」
「うん…」
ワンピースを着ながらゆかは俺を見た。
「うしろのチャック閉め���?」
「閉めよっか」
「自分でも出来るけど」
「いいよ、閉めるよ」
背中を向けたゆかの背中のファスナーを閉めた。
「上のボタンもかけて」
「はいはい」
ボタンを掛けて後ろから抱き締める。
「かわいいよ」
「ふふっ」
ゆかにかわいいと言うといつも笑う。
そんなとこはあざといのかもしれない。
「友達との待ち合わせ場所まで送ってくれるんでしょ?」
「うん、送るよ」
「やったー」
「そのかわり」
「なに?」
「お金は無しな」
「えー、少しも?」
「当たり前だろ。泊まったし送るんだし」
「ふふっ、そうだよね。わかった」
「交渉成立な」
「電車代浮いたからいいや」
「なんだよそれ」
ゆかが笑った。
ホテルを出てコンビニでコーヒーと朝食を買った。
予定時刻までに着かないのはわかっていた。
友達やら予約しているカラオケに電話をしながら、車の中でアイラインを引き、ルージュを塗った。
「ちょっとはおしゃれしないと」
「昨日と同じ服だけどね」
「それはしょうがない」
「そうだな」
「そうだ、スッピンどうだった?」
「あー、うん。可愛かったよ」
「ふふっ」
相変わらず笑う。
海辺を見ながらゆかは言った。
「普段海見ないけど、やっぱりこっちの海のが好き。向こうはなんか深くて怖いから」
戻ってこいよ。なんて言おうと思ったけど、別に俺がそれを言える立場じゃ無い。
「やっぱさ、十八年見た海は特別なんだね」
「確かにそうかもな」
「今回帰ったら、次見るのは冬か」
「その時も一緒に見たい」
「うん、いいよ。あっ、あとは会いに来てくれれば会えるよ」
「行きたいなとは思ってるよ」
海辺を過ぎて内陸へ入る。
あと五分で目的地。
信号で止まった時にゆかの唇を奪った。
信号の色が変わるのを感じで離れる。
ゆかの表情はどこか寂しげだった。いや、そう思いたいからそう見えたのかもしれない。
カラオケの前で降りる間際にもキスをした。
去り際にゆかは俺を見てこう言った。
「死なないでね」
短いけど重い言葉だった。
「そっちもな」
車を大通りへと向かわせる。
何度もゆかの耳元で囁いた言葉を思い出す。
車線を変えながら車を一台二台と抜いた。
「俺って本当に」
アクセルを踏んで帰路につく。
サイドシートにマシェリの香り。
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2024-9月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「くりかえし」です◆
今月は参加者の皆様に「くりかえし」のお題でアンビグラムを制作していただいております。今月もバリエーション豊富なアンビグラムが集まっておりますので、ごゆるりとご鑑賞ください。
今号も失礼ながら簡易的なコメントとさせていただいております。皆様のコメントがいただけますと幸いです。
「人間関係RESET症候群」 鏡像型:かさかささぎ氏
何度も繰り返し人間関係をリセットするような行動・心理状態のこと。 長い言葉をうまく配置して対称形に落とし込んでいますね。「RESET」部分が難しいと思いますが矢印を含んだ図案的な解決方法がステキです。
「別れの幸せは誰のものでもない」 回転型:結七氏
谷川俊太郎「くりかえす」の一節。 ドット表現が可読性を高める良い効果を出していそうです。行頭に可読性のアクセントがあると解読しやすくなりますね。
「この広告ばかりだ」 回転型:T.A.氏
ターゲッティング広告の仕組みにより同じ広告が繰り返し表示される事はよくありますね。 殴り書きのような書体のおかげで読みやすくなっているようです。文字送り方向の工夫も申し分ないですね。
「同じ過ち」 図地反転型:ヨウヘイ氏
繰り返すものの代表格。 塗りつぶしても問題なところをうまく処理すると「同/過」がぴったり図地反転の関係になることに驚きです。
「4サイクルエンジン」 図地反転回転型: いとうさとし氏
吸入・圧縮・爆発・排気の4工程を繰り返す内燃機関。 濃度が滑らかに変化しているように見えるデザインのせいか図地反転の切り替わりが見えにくく、アンビグラムと分かりにくいですね。
「RECYCLING/りさいくりんぐ」 振動型:kawahar氏
資源を回収して再利用すること。 氏得意のバイリンガルアンビグラム。複数の言語でそのまま読めるアンビグラムは実用性が高いです。
「不老不死」 回転型:ラティエ氏
いつまでも老いもせず、死なないこと。 かすれ表現が言葉の雰囲気に合っており、字画の余り部分の処理としてもマッチしています。
「反復記号」 回転型:Jinanbou氏
楽譜で使用される、リピート、ヴィーデ、ダルセーニョなどの記号。 繰り返し記号のほか音符も使用して文字を表現した楽しい作品。記号もヒントとして読み解くタイプですね。
「雪片曲線」 回転型:lszk氏
コッホ曲線を三つ繋げたものをコッホ雪片・雪片曲線と言ったりします。 コッホ曲線になっている線分の箇所が直線と曲線で振動するため、脳が自動的に読みたい方で読んでくれます。
「敷詰回転」 敷詰回転型:ちくわああ氏
自己言及的な作品。 回転も含んだ二次元敷詰は設計が難しい��ですが、少し離れたところから文字を拾うときれいに敷詰できるのが面白いところです。
「不敗神話」 回転型:.38氏
とある選手に関わる特定の事象が発生すると試合に負けない、という結果が繰り返されることで言われることになります。 氏らしい楽しい書体で4文字とも絶妙な調整で読めるのがさすがです。「∞」のような部分はいつまでも続いてほしい祈りのようにも見えます。
「個体発生/系統発生」 回転共存型:うら紙氏
「生物発生原則」を簡単に「個体発生は系統発生を繰り返す」と言うところから。 言葉のチョイスが面白いですね。ドット表現に加え文字の変形の工夫も見所です。
「100万回生きたねこ/佐野洋子」 回転共存型:兼吉共心堂氏
輪廻転生を繰り返す猫が主人公の絵本。 「100万」がかわいらしいです。「生きた/野」のハマり具合が自然ですね。
「頻繁」 図地反転回転型: いとうさとし氏
物事がとぎれずに重ねて起こる様子。 読みやすくて素晴らしいですね。「糸」部分がかわいいです。
「循環小数」 敷詰回転型:繋氏
小数点以下のある桁から先で同じ数字の列が無限に繰り返される小数のこと。 どの文字も読めるのに作字的に面白い形状になっていますね。この対応を設計するのがすごいです。
「反復試行」 鏡像型:オルドビス紀氏
同じ条件のもとで同じ試行を繰り返すことで、確率論で出てきます。 「復/試」は一目斜め対応は無理そうに見えますがストロークの長さの調整でしっかり読めるようになっていますね。
「急速充電器」 図地反転回転型: いとうさとし氏
充電器はとにかく繰り返し使われますね。 こちらも読みやすいですね。「器」のような特徴的な文字は「口」を塗りつぶしてしまっても読みやすさは変わりませんね。
「ことばのおばけがまどからみている」 回転重畳型:つーさま!氏
フロクロ氏の楽曲より。左右のコーラスが入れ替わって繰り返されるところからの連想でしょうか。 これだけ長いと流れで読ませることになることが多いですが、一文字ずつ見てもほとんど読めてしまうのが驚異的です。
「永劫回帰」 回転型:lszk氏
ニーチェの思想で、この世界は全てのものが全く同じように永遠にくり返されるとする考え方。 読める字にするための文字の大きさのバランスのとり方が巧みです。
「禍福は糾える縄の如し」 回転型:douse氏
災いと幸せとは表裏一体であり、ぐるぐると交互にやってくるもの、という意味。 偏と旁のずらし具合も計算されていて、絶妙に読めるバランスになっています。糸偏の入れ替わりが楽しいです。
「単純作業」 旋回型:螺旋氏
流れが決まっている作業で、多くはルーチンワークでしょうか。 字形の統一感が素晴らしいです。「単」の字形に驚きました。
「もしかして:盥回し」 回転型:超階乗氏
「たらい回し」で検索して表示されるものを想定。結局たらいまわしされているというやつですね。 ゲシュタルトの統一がされていてよいですね。この文字列で回せることが素晴らしいと思います。
「ニュートンの揺籃」 回転型:Σ氏
運動量保存則と力学的エネルギー保存の法則の実演のために作られた装置。衝突球とかカチカチ玉と言ったりします。 姫森ルーナ型できれいに対応付けされていますね。カチカチ玉を彷彿させる円形のモチーフがデザインに生きています。
最後に私の作品を。
「堂々巡り」 敷詰鏡像型:igatoxin
逆さになったり裏返しになったり堂々巡り。 縦書き0度と180度を適切に並べて斜めに裏返すと同じ敷詰図形になります。
お題 くりかえし のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は「読書」です。読書の秋、小説、文学少年、芥川賞、積読、感想文、速読、擬似体験、知識、読書離れ など 参加者が自由に読書というワードから発想 連想してアンビグラムを作ります。
締切は9/30、発行は10/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー} 2月{TV} 3月{クイズ} 4月{健康} 5月{回文} 6月{本} 7月{神話} 8月{ジャングル} 9月{日本史} 10月{ヒーロー} 11月{ゲーム} 12月{時事}
2024年 1月{フリー} 2月{レトロ} 3月{うた} 4月{アニメ} 5月{遊園地} 6月{中華} 7月{猫} 8月{夢} 9月{くりかえし}
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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遺骨、酸初、初夏、夏至、我博、臨床、先客、那波区、東海、雲海、雲水、初楽、飼養、規律、滅法、頑丈、撃破化、内板、飼養、機咲州、分癖、蛾妙、頌栄、丼爆発、濃彩、恋欠、名瀬、徒歩機、歌詞役、素市、癌滅、元凶、願文、文座、同發、長門、至極、極美、呵責、端午、併合、奈落、底癖、幕府、某尺、尊式、検疫、未除、路側、柑橘、脂溶、瑛人、冠水、豪材、剤枠、土岐、駄泊、検尺、漏洩、破裂無言、任期、崩説、全滅、壊滅、開幕、統帥、頭数、水湿、冠水、抹消、網滅、馬脚、財冠水、風隙、来妙、勤学、餞別、名判、名盤、観客、衆院、才覚、無能、果餓死、損初、波脈、釋迦、損失、片脚、那古、可物、筋層、真骨、存廃、破格、名湯、今季、写楽、苦況、罪責、孫覇、全滅、今父、奈落、旋盤、秒読、読破、名物、貨客、泉質、随想、滅却、監理、素質、遡行、文滅、菜根、無端、庄屋、破壊、客率、合併、豪式、続発、泣塔、透析、頑迷、場脈、野張、船室、乾物、吐瀉分裂、戒行、噛砕、爾、晩別、海苔、西明、縁月、花月、独歩の大蛇、再発、納言、遺言、残債、背角、破壊、忠膵癌、統帥、馬車、下劣、火災、乱尺、毒妙、縫製、貨坂城、歳発、富低落、菜初、命式、山賊、海剤、激武者、瓦礫、破水、分裂、賀露、屠畜、能月、見激、破壊、破戒、採石、屈託、門別、皆来、家来、千四、我楽、夏楽、無慈悲、壊滅、破棄、損勤学、外鰓、長水、瑛人、永久、旋律、斑紋、財年、場滅、甘露、舐めけり、真靭、察作、論祭、乾裂、薩長、泣塔、室見、川縁、岩石、言後、荷火災、防爆、鋒鋩、体制、貨車、顎脚、刺客、坐楽、損益、脳系、文才、分合、合壁、啓発、萌姫、島内、監修、真木、合理、独房、雑居、紋発、乱射、雑念、五輪、三振、欄居、托鉢、紋腹、画狂、欠年、射殺、殺傷、脳初、目車、濫用、懸念、學年、身者、卓越、餓死、軟卵、場者、童空、我作、滅法、涅槃、抹殺、怒気、燃焼、略奪、宰相、馬腹、刳発、南山、活発、沙羅、割腹、殺戮、循環、奈良、菜道、紗脚、残雑、颯和、和歌、東風、南富、背面、焼却、四季、同發、博羅、無償、透明、明闇、雲海、陶酔、溺愛、泊雑、湖畔、花車、小雑、蘭風、雑魚寝、逆発、罵詈、検遇、明細、鳥羽、無数、飾西、涼感、割烹、面月、略発、明暗、御覧、絶滅、名者、焼却、野版、絶筆、数界、洒落、羈絆、四索、敏捷、旋律、脚絆、安行、軽安、難産、伊賀、消滅、生滅、巡数、水災、万華、論発、処住、崇拝、年月、画鋲、我流、剣率、草庵、律年、雑魚、規約、貨車、蒸発、重大、錯乱、蓮妙、奈良、坐楽、延宝、財年、爆発、龍翔、日向、塁側、席園、座札、風評、財年、何発、旋律、画狂、論券、戦法、尊師、大概、二者、那波、麺期、演説、合邦、放射、雑律、貨客、選別、燕順、考慮、試薬初、財源、富、符号、井原、若榴、清涼、無數、才覚、絶望、奈落、奔放、有識、台東、詮索、懸念、病状、設楽、宴客、怠慢、時期、同部、弁解、冊立、立案、前略、妄動、侮蔑、廃絶、間髪、図解、経略、発泡、者発、立案、滅鬼、自利、論酒、桜蘭、五月雨、垓���、処理、短髪、散乱、絶滅、命日、庵客、実庵、龍翔、派閥、同盟、連峰、焼殺、勝中、割裂、残虐、故事、量発、敗残、花夢里、面月、原氏、雑考、推理、焼殺、膵癌、導風、千脚、砂漠、漁師、活滅、放射、洋蘭、舞妓、邪武、涅槃、毛髪、白藍、他式、民会、参謀、廃車、逆発、峻峰、桜蘭、殺戮、銘客、随分、刺死、脳犯、我版、論旨、無垢、血潮、風泊、益城、拝観、舘察、懺悔、空隙、髭白、模試、散乱、投射、破滅、壊滅、下痢、他殺、改札、寿司、葉式、魔雑、渾身、等式、命日、安泰、白藍、良志久、中須、掻敷、北方、監視、血式、血流、詐欺、加刷、販社、壊滅、坐楽、白那、苫小牧、欄物、演説、開脚、摩擦、欠史、宰相、掻敷、飾西、近隣、可能、刺自虐、崑崙、独歩、良案、隔絶、菜作、妄動、犬歯、核別、概要、立案、破格、殺戮、良案、快絶、防止、那古、風別、焼安泰、独庵、囲炉裏、壊滅、外傷、刃角、視覚、耳鼻、下顎骨、子孫、剥奪、憂鬱、優越、液状、先端、焼子孫、兵法、那波、安楽、最短、数式、絶句、庵杭、雅樂、動乱、者妙、垓年、独初、前報、奈落、数道、弓道、拝観、俯瞰、散乱、男爵、害面、炎上、抹殺、破棄、分別、額欄、学雑、宴客、体面、村落、柿区、害初、告発、欄式、体罰、侮蔑、浄���、情動、差額、君子、何発、兵式、童子、飾西、各滅、我札、審議、半旗、普遍、動脈、外傷、無償、木別、別格、名皿部、京脚、破棄、試薬、絶滅、学札、清涼、爆発、組織、壊滅、ここに、名もなき詩を、記す。風水、万別、他国、先式、続発、非力、産別、嘉門、神興、撃易、弊社、紋別、座泊、画狂、式典、胞子、画力、座敷、学舎、論別、閉域、爆風、万歩、博識、残忍、非道、望岳、死骸、残骸、符合、壊滅、匍匐、弄舌癖、死者、分別、砂漠、白藍、模写、服役、奈落、忖度、符尾、同盟、田式、左派、具癖、退役、蛇路、素白、昆北、北摂、写経、文武、択液、図解、挫折、根塊、道厳、視野別、奈落、鳥羽、グリシャ・イェーガー、粗利、惨殺、学癖、優遇、陶器、場作、土壌、粉砕、餓鬼、草履、羅列、門泊、戸癖、山系、学閥、座枠、忠膵癌、視野別、脳族、監視、佐伯、釋迦、敏捷、遇歴、佐渡、名張、紀伊市、名刺、干瓢、夏至、楽節、蘇遇、列挙、間髪、風脚、滅法、呪水、遇説、死骸、爆発、山荘、塀楽、茗荷、谷底、愚者、妄動、還魂、色別、最座、雑載、論客、名足、死期、近隣、名張、迷鳥、呑水、飛脚、晩別、獄卒、殺傷、視覚、乱脈、鉱毒、財閥、漢詩、死語、諸富、能生、那波、合理、血中、根菜、明初、鹿楽、宮札、度劇、臥風、粋玄、我馬、洞察、今季、爾脈、羅猿、激園、葉激、風車、風格、道明、激案、合祀、坐楽、土地油、力別、焼殺、年配、念波、郭式、遊戯、富部区、奈脈、落札、合祀、寒白、都山、額札、風雷、運説、害名、亡命、闘劇、羅沙莉、砂利、夢中、淘汰、噴水、楽章、農場、葉激、際泊、手裏、合併、模等部、トラップ、落着、御身、学習、零、概要、各初、千四、何匹、笘篠、熊本、京駅、東葛、土量、腹水、活潑、酢酸、数語、隠語、漢語、俗語、羽子、豚皮、刃角、醪、能登、半年、餓鬼、泣塔、用紙、喜悦、山荘、元相、炭層、破裂、腹水、薔薇、該当、懐石、討滅、報復、船室、壊滅、回族、先負、嗚咽、暁闇の、立ち居所、餞別、乾式、財閥、独居、乱立、差脈、桜蘭、龍風、抹殺、虐案、某尺、無銭、漏洩、北方領土、白山、脱却、幻滅、御身、私利私欲、支離滅裂、分解、体壁、脈、落札、合祀、寒白、都山、額札、風雷、運説、害名、亡命、闘劇、羅沙莉、砂利、夢中、淘汰、噴水、楽章、農場、葉激、際泊、手裏、合併、模等部、トラップ、落着、御身、学習、零、概要、各初、千四、何匹、笘篠、熊本、京駅、東葛、土量、腹水、活潑、酢酸、数語、隠語、漢語、俗語、羽子、豚皮、刃角、醪、能登、半年、餓鬼、泣塔、用紙、喜悦、山荘、元相、炭層、破裂、腹水、薔薇、該当、土脈、桜蘭、郎乱、乱立、派閥、別癖、恩給、泣き所、弁別、達者、異口同音、残骸、紛争、薔薇、下界、雑石、雑草、破戒、今滅、梵論、乱発、人脈、壊滅、孤独、格律、戦法、破戒、残席、独居、毒僕、媒概念、突破、山乱発、合癖、塹壕、場技、極楽、動脈、破裂、残債、防壁、額道央、奈良市の独歩、下界残滓、泣き顎脚、朗唱、草庵、場滅、乖離、鋭利、破戒、幕府、網羅、乱脈、千部、土場、契合、月夕、東美、番號、虎破戒、在留、恥辱、嗚咽、完封、摩擦、何百、操船、無限、開発、同尺、金蔵寺、誤字、脱却、老廃、滅法、涅槃、脱却、鯉散乱、立哨、安保、発足、撃退、学別、憎悪、破裂無痕、磁石、咀嚼、郎名、簿記、道具雨、壊滅、下落、吐瀉、文別、銘文、安胎、譲歩、剛性、剣率、社販、薙刀、喝滅、解釈、村風、罵詈雑言、旋風、末脚、模索、村立、開村、撃退、激癖、元祖、明智用、到来、孟冬、藻石、端午の贅室、癌客、到来、未知道具雨、寒風、最壁、豪族、現代、開脚、諸富、下火、海日、殺傷、摩擦、喃楽、続落、解脱、無毒、名毒、戒脈、心脈、低層、破棄、罵詈、深海、琴別府、誠、生楽、養生、制裁、完封、排泄、虐殺、南京、妄撮、豚平、八食、豪鬼、実積、回避、答弁、弁論、徘徊、妄説、怒気、波言後、節楽、未開、投射、体者、破滅、損保、名水、諸味、透析、灰毛、界外、土偶、忌避、遺品、万別、噛砕、剣率、戒行、一脚、快哉、提訴、復刻、現世、来世、混成、吐瀉、場滅、経絡、身洋蘭、舞踏、近発、遊戯、男爵、最上、最適、破裂、改名、痕跡、戸杓、分髪、笠木、路地、戳脚、快晴、野会、対岸、彼岸、眞田、有事、紀伊路、八朔、減殺、盗撮、無札、無賃、無宿、龍梅、塩梅、海抜、田式、土産、端的、発端、背側、陣営、戒脈、母子、摩擦、錯覚、展開、星屑、砂鉄、鋼鉄、破滅、懐石、桟橋、古事記、戸杓、媒概、豚鶏、墓椎名、顎舌骨筋、豚海、砂漠、放射、解説、海月、蜜月、満期、万橋、反響、雑摺、油脂、巧妙、
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 ���� 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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包青天
H:包青天戲中主角包拯活了63歲,在開封府(1056年12月起至1058年6月止)僅一年六月,包拯57歲至59歲,卻傳誦千年,真是奇蹟(宋仁宗嘉祐元年12月(1056年12月),包拯以龍圖閣直學士權知開封府[3],至嘉祐三年六月(1058年6月)離任,前後只有一年有餘。)其1027年中進士,已是28歲,少年(則係指12歲以上未滿18歲之人。古代也指13至15歲),少年包青天也演了三季。
俗話說:「演戲是瘋子,看戲是傻子」凡是戲看看就好!別認真!另有《包青天之七俠五義》,20250103W5
網路資料
包青天
胡瓜
開封有個包青天 鐵面無私辨忠奸
江湖豪傑來相助 王朝和馬漢在身邊
鑽天鼠身輕如燕 徹地鼠是條好漢
穿山鼠鐵臂神拳 翻江鼠身手不凡
錦毛鼠一身是膽 這五鼠義結金蘭
七俠和五義 流傳在民間
。。。。。。。間奏。。。。。
開封有個包青天 鐵面無私辨忠奸
江湖豪傑來相助 王朝和馬漢在身邊
鑽天鼠身輕如燕 徹地鼠是條好漢
穿山鼠鐵臂神拳 翻江鼠身手不凡
錦毛鼠一身是膽 這五鼠義結金蘭
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包青天 (1974年電視劇)
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《包青天》是臺灣中華電視台於1974年4月8日至11月3日期間播出的古裝國語連續劇,每集30~40分鐘 (含廣告),華視節目部製作,製作人為田文光與邊啟明,儀銘主演(後期兼任執行製作)。原本計畫製作30集,但播出後大受歡迎,華視節目部便不斷延長集數,最後共播出350集,創下當時臺灣電視劇播映集數最高紀錄[1]。由於大受歡迎,本劇播至中期時,華視應觀眾要求增加播出時間,將原本的周一至周日晚上20:00~20:30時段加長10分鐘播至20:40,並在《華視晚間新聞》之前增闢18:50~19:30的時段,變成每天播出兩集。
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概要
本劇內容主要是描述古代中國民間故事中,宋朝最家喻戶曉的名臣包拯擔任開封府尹期間,所審理過的一些奇特刑案;由儀銘扮演包拯,也成為他的電視劇代表作品。本劇曾獲得1975年第11屆金鐘獎電視金鐘獎「大眾娛樂性節目優等獎」與「個人技術獎演技獎」(儀銘)。
2020年10月,華視將本劇數位化版本上傳至YouTube「華視懷舊頻道」,但仍有部份集數未完整收錄,且未必顯示華視首播時手寫字幕。
包青天 (1993年電視劇)
1993年至1994年台灣華視首播的電視劇
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《包青天》(英語:Justice Pao)是中華電視公司八點檔連續劇,製作單位開全傳播,播出期間1993年2月23日至1994年1月18日,共236集。
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簡介
本劇內容主要是描述古代中國民間故事中,宋朝包拯擔任開封府府尹期間所審理過的一些奇特刑案。全劇以單元劇的方式呈現,原計畫製作15集,但播出後收視率出乎意料之佳,開全傳播乃不斷延長故事,結果總共跨年製播236集,是華視第二部古裝長壽單元劇(前面一部為儀銘主演的1974年版《包青天》,後面一部則為廖峻主演的《施公奇案》)。標題採用書畫家王王孫題字(字幕未列名)。
1993年2月8日,本劇於廣播電視大廈中國廣播公司攝影棚(中廣棚)開鏡,華視總經理張家驤主持開鏡儀式[1]。本劇由金超群飾演包拯,范鴻軒飾演公孫策,何家勁飾演南俠展昭,號稱「鐵三角」;合作原班人馬陸續演出多齣包公劇。本劇主要拍攝地點為華視第七攝影棚,華視綜藝節目《金曲龍虎榜》第176集播出報榜主持人杜雯來此採訪拍戲實況及訪問何家勁。本劇外景拍攝地點為中國電影文化城。
1993年8月,無綫電視購入本劇香港播映權,在翡翠台播出創下高收視率[2],隨後在中國大陸、東南亞及南韓也受歡迎,在當年掀��了一陣「包青天熱潮」;而亞洲電視亦於1994年4月開始在本港台播映,最後引起當年香港「雙包事件」(兩台同播一劇互爭收視)[3]。另外,本劇啟用了不少演藝圈時下新人如宋達民、宋逸民、焦恩俊等人。
《少年包青天》是中國大陸古裝電視連續劇系列,現已總共拍攝了3部共125集,分別於2000年、2001年、2006年首播。由北京電視台、上海東方電視台聯合出品,在中國各省級電視台熱播,故事主要講述包青天、公孫策和展昭的推理破案、愛情故事,屬於古裝、懸疑、勵志類型電視劇。
少年包青天I
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本劇描述少年包拯在校,赴京趕考時所發生的故事。共40集。
該劇因抄襲[注 1] ,甚至照搬了日本推理漫畫《金田一少年事件簿》和《名偵探柯南》的手法,而受到廣泛的批評。但該劇同時也是目前3部系列中,口碑最好的。原因都包括:演員演的投入、人物形象定形、美女眾多、手法沒用太多以至劇情不順等。
《少年包青天Ⅱ》是由劉毅擔任編劇,胡明凱、曾謹執導,陸毅、任泉、釋小龍、范冰冰、李慕、佟大為等主演的古裝懸疑劇。 該劇於2001年8月16日在北京二台黃金時段播出。 該劇承接《少年包青天Ⅰ》,講述正在鄉下教書的包斯坦收到皇上急召回京,查辦因為貪污案造成多名官員死亡的案件。
少年包青天3
故事大綱
兩年前,包拯接到一封信,便匆匆離開家園,之後音訊全無。這些年裡,每當有奇案發生,公孫策便會趕赴現場,目的其實是為了尋找包拯。因公孫策諳遼語,仁宗遂委公孫策為禮部侍郎,前往宋遼邊境洽談議和。在邊境小鎮,公孫策和展昭遇到了大包——失去記憶成為妓院小雜工的包拯。失憶後的包拯傻裡傻氣,常被妓院裡的小丫鬟小蠻欺負。妓院老闆及遼國大官相繼神秘被殺,包拯找到了真凶,真凶欲殺包拯滅口,但他卻因禍得福恢復了記憶。
公孫策領著包拯及小蠻回到京城,得仁宗召見。仁宗邀得東瀛高僧至中土論道,派包拯代替自己前往參神。東瀛高僧帶來了神武天皇傳下的三大神器,據傳聞神武天皇,正是當年被秦始皇派往東海尋找神仙的徐福。守護三大神器的僧人相繼被殺,包拯終破了此案,同時,亦參悟出三大神器的秘密。原來,內裡藏有一地圖,可尋到寶物天芒。仁宗認為天芒很可能就是徐福當年給秦始皇煉製的長生不死藥,包拯得皇命尋找天芒,遂領著小蠻、公孫策及展昭上路了。
《包青天之七俠五義》是由大連天歌傳媒股份有限公司於2010年首播的40集古裝電視劇。由金超群自編自導自演,續做包青天一系列電視劇。在台灣由緯來電影台及華視播出。
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劇情介紹
包拯定遠縣上任,在門口設鳴冤鼓,以便百姓可以直接上告。展昭押地方惡霸皮熊擊鼓告狀,包拯將其治罪。張別古買下一烏盆,發現烏盆含冤,狀告至定遠縣縣衙,包拯順利破案。
包拯任期三年,升官端州知州。包拯路遇王朝、馬漢、張龍、趙虎攔路打劫,展昭出現解救,四人請求跟隨包拯。包拯投宿白馬寺,遇落第書生公孫策,包拯遊說公孫策一同前往端州。
包拯上任端州知州三年,升官上任開封府尹。陳州飢荒,安樂侯龐昱奉旨賑災卻私吞賑銀。宋仁宗封包拯為欽差去陳州查賑,仁宗御賜御札三道。公孫策將仁宗「御札三道」改為「御鍘三刀」,並連夜造出三口鍘刀「龍頭鍘」(火龍鍘)、「虎頭鍘」、「狗頭鍘」(犬頭鍘)。仁宗賜包拯三口鍘刀,皆有先斬後奏之權。
陳州通判林豐不滿安樂侯所為,預將所見面呈皇上;安樂侯反誣告林豐私吞賑銀,將其關押。龐昱要將林豐斬首,展昭劫法場救出林豐。展昭去見包拯將林豐之事告知包拯,包拯審龐昱,開鍘之時龐太師趕到,龐太師言明聖旨將到包拯不得鍘龐昱,包拯表示無見到聖旨,堅持鍘了龐昱。
回京宋仁宗大怒將包拯打入大牢。包拯有難展昭欲闖禁宮,林豐請展昭帶奏摺相助,展昭夜闖禁宮將林豐奏摺與陳州萬名書交給仁宗,包拯無罪釋放,皇上欣賞展昭,封為四品帶刀護衛並賜「御貓」之名暫借開封府使用。
陷空島錦毛鼠白玉堂不滿展昭「御貓」封號,預找展昭決戰,展昭不肯。白玉堂夜探皇宮留書皇上,仁宗不滿白玉堂不將皇家放在眼裏,命開封府捉拿白玉堂。
白玉堂闖開封府,取盜開封府官印,指名展昭到陷空島。展昭前去陷空島決鬥,打敗白玉堂,白玉堂告知官印並未離開開封府,展昭帶包拯親眼所見官印在開封府大堂橫樑之上,證明白玉堂並未盜取官印。
白玉堂協助打退打劫的馬賊,又巧救太監陳琳,包拯以白玉堂協助破案請皇上赦免白玉堂,加上陳琳替白玉堂求情,仁宗原諒白玉堂,賜名五鼠為「五義」。
白玉堂留書出走,路上遇洪玉嬌與丫環鎖兒被盜賊打劫,出手救下,因洪玉嬌隨行人員皆死於盜賊,白玉堂護送洪玉嬌回鄉祭祖,洪玉嬌告知白玉堂自己全村被人屠殺,全村死於非命,兇手未明,連日來相處白玉堂與洪玉嬌談婚論嫁,但一日白玉堂醒來發現洪玉嬌二人不告而別。
白玉堂於萬花樓找到洪玉嬌。洪玉嬌於萬花樓演出,大將軍姚維看上洪玉嬌,洪玉嬌邀請姚維房間內延席,姚維摒退身邊的人,姚維與洪玉嬌單獨房中,丫環索兒求救白玉堂,白玉堂趕到帶走洪玉嬌,姚維死於房中。開封府下令追查,隔日洪玉嬌投案開封府,言明姚維是她所殺與白玉堂無關,因姚維被髮簪插入斃命,包拯懷疑洪玉嬌無此力道殺人,而後白玉堂投案表示姚維是他所殺,他才有此能力殺人。公孫策找到物證說明應該是洪玉嬌殺人的可能性較大,包拯用計,洪玉嬌說出預謀殺人原因,原來姚維乃當年屠殺全村之人,包拯因情有可原判牢獄之刑。
中牟縣孕婦連續被殺,當縣縣令范桐許久未破案,懸賞請賞金獵人艾虎暗中協助破案,范桐不敢上報開封府,賞金是由縣中善人孔儒捐贈。其中受害者家屬上告開封府,開封府介入調查,原來兇手藏匿於孔儒府中,兇手為幫孔儒延年益壽乃盜取紫河車,孔儒原名童祿,也是艾虎殺父仇人,童祿以艾虎之母尚在人間求艾虎手下留情,結果被一黑衣人滅口,艾虎師傅認得滅口之人是尚書管家楚戈。
艾虎前去尚書府找楚戈,結果被楚戈所傷,被田氏母女相救,得知田媽是小時候奶娘,其女是艾虎之姐艾玉蓉,艾虎本名艾玉荷。楚戈上告開封府艾虎夜闖尚書府,艾虎被通緝,玉蓉將其扮回女裝艾玉荷,艾玉荷到開封府尋求展昭相助,開封府查出艾虎之父艾政,乃是尚書大人馮浩為了得到艾虎母親,派楚戈將之殺害,現尚書夫人是艾虎母親葉芳,艾虎得知無法原諒母親,葉芳得知當年真相,自盡艾政靈前,馮浩亦選擇自盡,艾虎姐妹與田氏難過不已。
歐陽春與西夏公主李元貞相戀,但因元貞是西夏與大宋進貢特使,所以李元昊不允許元貞和歐陽春成親。元貞公主帶汗血寶馬進貢途中被劫,開封府得知與馬幫有關,展昭找前任幫主歐陽春協助,打聽到劫走元貞公主的是塗強,塗強早就離開馬幫。
展昭歐陽春查到,幕後主使是靖邊侯郭亮,郭亮為了挑起宋夏���間戰爭,綁架西夏特使,最後包拯查出主使,欲逮捕郭亮,郭亮潛逃。
元貞姑姑德琳公主與逃亡中郭亮勾結,要求包拯當大宋使臣送信給元昊報告元貞已安全抵達,並要雷莎保護元貞回京,但私下告知要雷莎會有人途中相劫要雷莎在途中殺了元貞,幸被歐陽春所救,歐陽帶走元貞。
包拯一行人往西夏途中,因公孫策展昭私下拆開信件得知德琳公主陰謀,繼續前往西夏預告知元昊。雷莎不相信殺元貞是元昊的主意,帶傷直奔西夏,告知元昊,元昊也得知德琳陰謀,派其弟元昌接見包拯,與包拯返回大宋,包拯回京德琳被捕。
展昭與雷莎去找歐陽春與元貞,歐陽春以郭亮尚未入網,無法保證元貞安全,元貞暫不回京,雷莎留下來保護元貞,展昭回去覆命。郭亮找到元貞,雷莎為保護元貞殉職,郭亮後死於歐陽春之手,元貞回京。
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包拯
包拯(999年3月5日—1062年7月3日),字希仁,廬州合肥(今安徽省合肥市肥東)人,北宋人,官至從二品樞密副使、朝散大夫、給事中、上輕車都尉,封東海郡開國侯、食邑一千八百戶、食實封四百戶,賜紫金魚袋。贈禮部尚書、諡號「孝肅」。包拯以清廉公正聞名於世,被後世稱譽為「包青天」,又被譽為「中國司法之神」。
仕途
宋仁宗天聖五年(1027年)中丁卯科進士[1],授大理評事(從八品下),知建昌縣;以父母年老,沒有赴任。又監和州稅收,其父母不想讓他離開,於是一直在家鄉侍奉父母。幾年之後,他的父母親相繼去世,包拯在雙親的墓旁築起草廬,直到守喪期滿[2]。調知天長縣。任滿後,調任端州(廣東肇慶)知州。回京任監察御史里行,又改監察御史,為「言事官」(又稱言官)(對處事不當、行事不法的官僚,都可以進行彈劾)。為懲治貪官,宋仁宗慶曆四年(1044年),他向宋仁宗上書《乞不用贓吏》,認為清廉是人們的表率,而貪贓則是「民賊」。包拯七次上書彈奏江西轉運使王逵,揭露他「心同蛇蠍」、殘害百姓,並嚴厲批評宋廷的任官制度。宋仁宗皇祐二年(1050年)至三年間,包拯知諫院,三次彈劾皇室外戚張堯佐,稱其「真清朝之穢污,白晝之魑魅」,又審清妖人冷青冒充皇子案,震動朝野。
宋仁宗嘉祐元年12月(1057年1月),包拯以龍圖閣直學士權知開封府[3],至嘉祐三年六月離任,前後只有一年有餘。但在這短短的時間內,把號稱難治的京城開封府,治理得井井有條。敢於懲治權貴的不法行為,堅決抑制開封府吏的驕橫之勢,並能夠及時懲辦誣賴刁民。包拯公正廉明、明察秋毫、鐵面無私、斷案如神,因此受人敬仰。
宋仁宗嘉祐六年(1061年),他進入「二府」成為北宋最高決策機關成員(從二品樞密副使)後,衣著飲食和器具依然「如布衣時」,是古代中國清官的典型代表,民間諺語有云:「關節不到,有閻羅包老。」包拯為人嚴正,殊少笑容,時人以「黃河清」比喻包拯之笑。曾與包拯同朝為官的歐陽修、司馬光,乃至後世如朱熹、劉敞等,對包拯皆有正面評價。
少年是幾歲到幾歲?
(四)少年之年齡標準:按國內法律對於兒少之定義,「兒童」係指未滿12歲之人,「少年」則係指12歲以上未滿18歲之人。 調降法定成年年齡之際,有關少年之年齡標準或可重新檢視審酌,惟須注意者,《兒童權利公約》已將兒童年齡定為18歲以下。
中國傳統成 年禮
男女,以二十歲為成年。依據禮記所載:「男子二十為弱冠,冠字,成年之道。」又禮記雜記篇所載:「女子未許嫁者,二十則笄。」周禮所載:「女子以許嫁者,笄而禮之,稱字。」此即男女均以二十歲為成年,女子若未滿二十歲而以嫁者,亦視之為成年。我國現行民法,即依據我國固有習慣而規定「滿二十歲為成年。」[1]
豆蔻
本是植物名,代指十三四歲的少女。杜牧《贈別》詩:「娉娉裊裊十三餘,豆蔻梢頭二月初。」後因謂女子十三四歲為「豆蔻年華」。
►舞勺之年
指男孩子十三至十五歲期間。據《禮記》記載:勺,一種樂舞,古未成童者習之。舞勺指未成童者學習勺舞。
►及笄(jī)
女子十五歲。古代女子滿十五歲結髮,用笄貫之,因稱女子未滿十五歲為及笄。
►志學之年
十五歲。語出自《論語·為政》:「子曰:『吾十有五而志於學。』」後稱十五歲為「志學之年」。
束髮
男子十五歲,通常年十五歲始稱成童。古代男孩成童時束髮為髻,因以為成童的代稱。
►舞象之年
指男子的十五到二十歲,也是成童的代名詞,原本是古武舞名。
【華人都得懂!在古代,你的年齡怎麼說? 】①幼年:孩提、總角、垂髫;②少年:荳蔻、及笄、束髮;③青年、中年:加冠、而立、不惑、知命;④老年:花甲、耳順、古稀、喜壽、米壽、白壽。戳圖↓↓ 找找自己年齡的準確稱謂吧!
演戲是瘋子,看戲是傻子
主條目:台灣俗語列表
指演戲的技巧很深入的戲班子,能夠讓看戲的人深深入迷於情中的劇情,將自己的感受帶入劇中人物並跟著一起情緒起伏。
宋史/卷316
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卷三百十五 ◄宋史
卷三百十六 列傳第七十五► 卷三百十七
姊妹計劃: 數據項
包拯 吳奎 趙抃子:屼 唐介子:淑問 義問 孫:恕
包拯
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維基百科條目:包拯
包拯,字希仁,廬州合肥人也。始舉進士,除大理評事,出知建昌縣。以父母皆老,辭不就。得監和州稅,父母又不欲行,拯即解官歸養。後數年,親繼亡,拯廬墓終喪,猶裴徊不忍去,里中父老數來勸勉。久之,赴調,知天長縣。有盜割人牛舌者,主來訴。拯曰:「第歸,殺而鬻之。」尋復有來告私殺牛者,拯曰:「何為割牛舌而又告之?」盜驚服。徙知端州,遷殿中丞。端土產硯,前守緣貢,率取數十倍以遺權貴。拯命制者才足貢數,歲滿不持一硯歸。
尋拜監察御史裏行,改監察御史。時張堯佐除節度、宣徽兩使,右司諫張擇行、唐介與拯共論之,語甚切。又嘗建言曰:「國家歲賂契丹,非禦戎之策。宜練兵選將,務實邊備。」又請重門下封駁之制,及廢錮贓吏,選守宰,行考試補蔭弟子之法。當時諸道轉運加按察使,其奏劾官吏多摭細故,務苛察相高尚,吏不自安,拯於是請罷按察使。
去使契丹,契丹令典客謂拯曰:「雄州新開便門,乃欲誘我叛人,以刺疆事耶?」拯曰:「涿州亦嘗開門矣,刺疆事何必開便門哉?」其人遂無以對。
曆三司戶部判官,出為京東轉運使,改尚書工部員外郎、直集賢院,徙陝西,又徙河北,入為三司戶部副使。秦隴斜穀務造船材木,率課取於民;又七州出賦河橋竹索,恆數十萬,拯皆奏罷之。契丹聚兵近塞,邊郡稍警,命拯往河北調發軍食。拯曰:「漳河沃壤,人不得耕,��、洺、趙三州民田萬五千頃,率用牧馬,請悉以賦民。」從之。解州鹽法率病民,拯往經度之,請一切通商販。除天章閣待制、知諫院。數論斥權幸大臣,請罷一切內除曲恩。又列上唐魏鄭公三疏,願置之坐右,以為高抬貴手。又上言天子當明聽納,辨朋黨,惜人才,不主先入之說,凡七事;請去刻薄,抑僥倖,正刑明禁,戒興作,禁妖妄。朝廷多施行之。除龍圖閣直學士、河北都轉運使。嘗建議無事時徙兵內地,不報。至是,請:「罷河北屯兵,分之河南兗、鄆、齊、濮、曹、濟諸郡,設有警,無後期之憂。借曰戍兵不可遽減,請訓練義勇,少給餱糧,每歲之費,不當屯兵一月之用,一州之賦,則所給者多矣。」不報。徙知瀛州,諸州以公錢貿易,積歲所負十餘萬,悉奏除之。以喪子乞便郡,知揚州,徙廬州,遷刑部郎中。坐失保任,左授兵部員外郎、知池州。復官,徙江寧府,召權知開封府,遷右司郎中。
拯立朝剛毅,貴戚宦官為之斂手,聞者皆憚之。人以包拯笑比黃河清,童稚婦女,亦知其名,呼曰「包待制」。京師為之語曰:「關節不到,有閻羅包老。」舊制,凡訟訴不得徑造庭下。拯開正門,使得至前陳曲直,吏不敢欺。中官勢族築園榭,侵惠民河,以故河塞不通,適京師大水,拯乃悉毀去。或持地券自言有偽增步數者,皆審驗劾奏之。
遷諫議大夫、權御史中丞。奏曰:「東宮虛位日久,天下以為憂,陛下持久不決,何也?」仁宗曰:「卿欲誰立?」拯曰:「臣不才備位,乞豫建太子者,為宗廟萬世計也。陛下問臣欲誰立,是疑臣也。臣年七十,且無子,非邀福者。」帝喜曰:「徐當議之。」請裁抑內侍,減節冗費,條責諸路監司,御史府得自舉屬官,減一歲休暇日,事皆施行。
張方平為三司使,坐買豪民產,拯劾奏罷之;而宋祁代方平,拯又論之;祁罷,而拯以樞密直學士權三司使。歐陽修言:「拯所謂牽牛蹊田而奪之牛,罰已重矣,又貪其富,不亦甚乎!」拯因家居避命,久之乃出。其在三司,凡諸管庫供上物,舊皆科率外郡,積以困民。拯特為置場和市,民得無擾。吏負錢帛多縲系,間輒逃去,並械其妻子者,類皆釋之。遷給事中,為三司使。數日,拜樞密副使。頃之,遷禮部侍郎,辭不受,尋以疾卒,年六十四。贈禮部尚書,諡孝肅。
拯性峭直,惡吏苛刻,務敦厚,雖甚嫉惡,而未嘗不推以忠恕也。與人不苟合,不偽辭色悅人,平居無私書,故人、親黨皆絕之。雖貴,衣服、器用、飲食如布衣時。嘗曰:「後世子孫仕宦,有犯贓者,不得放歸本家,死不得葬大塋中。不從吾志,非吾子若孫也。」初,有子名繶,娶崔氏,通判潭州,卒。崔守死,不更嫁。拯嘗出其媵,在父母家生子,崔密撫其母,使謹視之。繶死後,取媵子歸,名曰綖。有奏議十五卷。
吳奎
趙抃
唐介
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2024/12/26 BGM: Tom Waits - Innocent When You Dream (78)
今日は休みである。今朝、例によって英会話関係のZoomミーティングに精を出す。その後は夜に予定していた忘年会までまったく予定もないので、どうせなら思いっきりゴロゴロ・ダラダラと自室で過ごすかと思っていたのだけどそれも味気ないので近所のブックカフェに遊びに行きコーヒーでもいただこうかと思っていた(そこのオーナーの方に、今年お世話になったことに対して感謝の意をあらためてお会いしてお伝えしたいとも思っていた)。すると、グループホームの管理者の方からLINEが届き午前中に2人で一緒に冬服を買いに行ける段取りが整ったと聞いた。午後はその方は別の用事もあり忙しいのだけれどどうするか、という。それでしばし困った。発達障害の基礎知識として、こうした急な予定変更に弱いというのがあるからだった。だが考えて、冬本番を迎えこの機会を逃すと正月にゆっくり買い物できる時間なんてないので、したがって年始の落ち着いた時間を待たねばならずそうこうしていると別の予定が重なってしまい大あわてになるということも考えられるのだった。なので、ここは(あえてこんな言葉を使うが)「男がすたる」と思い買い物に行く決意を固めた。
その管理者の方とぼくと2人でさっそく合流しイオンに向かい、2人で服を見繕う。パジャマやシャツやトランクス、ジャケットに靴といったものをぼくなりに慎重に選ぶ。日記で書いてきたように、ふだんぼくは服を買うなんてことは楽しまない(こういう興味がないことはとんと・トコトンやらないというのも実に発達障害丸出しである)。したがって、実に「タフな」時間だった。でもねばり強く管理者の方が付き添ってくださり、かさばる荷物さえ持って下さったのでそれがありがたかった。なんとか午前中に買い物を済ま��、たくわえていたお金で支払い部屋まで持って帰る。その後は昼食を摂った。すると、なんだかそれだけで精根尽き果てたような気になってしまった。なので少し横になってしまった。
午後になり、ブックカフェに向かいそこでオーナーの方にお会いする。年末の営業でお客さんも多そうだったが、そんな中でもオーナーの方は時間を割いてお話しする時間を作って下さった。今年、この方に薦められて絵を描く機会を得たこと(カンバスまでいただいたのだ)、ぼくが通っている英会話教室のこと、春に行われる新しい美術展のことなどを話す。その後、席をお借りしてコーヒーとお菓子をいただきつついつもながら英語のメモをそこで書きつける。入り口の本棚で古本(文庫本)が1冊100円で売られていて、そこで三島由紀夫や桜井哲夫の文庫本などを合わせて3冊買い求めてしまった(慣れというのは怖いもの。服は買うのに躊躇するのにこういう時はすぐ手が出るのである。パブロフの犬のようだ)。
そのうちの1冊が、これまで気になってはいたがどこか「敬して遠ざける」心理から読まず嫌いで済ませてしまっていた著者・梁石日による『タクシードライバー日誌』だった。この著者は韓国人で、過去にタクシードライバーとして東京で「流して」いた時期があるという。その頃のことを日記として書きつづったもので、実はぼくがそんな苦手意識を勝手に募らせていた理由としてはいかにも情念でどろどろ・こってりした世界が広がっているのだろうという偏見があったからである(いや、まったくもって根も葉もない偏見なのだが、たぶんに映画『血と骨』の影響だろうか)。しかし実際にページを繰ってみるとこれがべらぼうに面白い。筆致は実にクールでいかなるこちらの安い・安直な同情をも拒む強度があり、その奥にたしかに脈打つハートのぬくもりが備わっているとも思った。あるいはこれは「血が通った」ぬくもりとも言えそうだとも思った。メモを英語で書き書き、その梁石日の日記を読みふけって過ごした。
夜になり、ぼくの住むグループホームの近所にあるレストランで友だちと忘年会を楽しむ。そこでおいしいカレーをいただきつつ、今年の思い出話などさまざまな話に興じる。英会話教室や国際的なお祭りについて、どうやってそれぞれのメンバーが英語学習を楽しんでいるか、世界の三大文豪とは誰になるか(ウィキペディアを引きつつ)、それぞれのメンバーがいまなお仕事を続ける秘訣について、などなど。実に楽しいひと時だった。最後の話題についてあれこれ、会が終わったあとも考え込んでしまった。ヒジョーに僭越ながら、ぼくはそもそも「ほかのこと(起業・資格勉強)をするゆとりもない」「家に金もなくもうあとがなく、留学・進学する余裕もありえず、引きこもる余裕もない」という理由から「半年ほど持てばいいだろう」と思っていまの仕事を始めた。それからも山あり谷ありで、なんだかそんな「半年ほど持てばいいだろう」が20年続いていまのキャリアになった、というのが正直なところだ。いや、自分の人生を見渡して5年後や10年後のことを考えられる人はそう生きればいいと思う。でも、ぼくはそうできない。常に、「いま」「この瞬間」を生きている。たぶん器用な生き方ではない。でも、そういう人生もある。そう思い、午後に読んだ梁石日の本のことを振り返ってしまった。楽しい時間をありがとうございました。
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しかしやがて物語が進むにつれて、私もおそらく客席の皆も気付いていく。この物語は十月に亡くなられた金原亭馬遊師匠に捧げられたものであった。サゲを言って頭を下げた師匠が、馬遊師匠の思い出と、椎名町の町の人々に愛された馬遊師匠の姿を語られた。何のための落語、誰のための落語。昇り詰める、作り続けることを目して進む「落語の仮面」本編と、この昼に語られた「落語の仮面外伝 椎名町夢酒場 さようなら馬遊ちゃん」見事に重層的な物語となっている。
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冬至
H:冬至吃湯圓。王家大宅每年的「冬至」是這樣過多。冬至前一天雜貨買二斤糯米,然後去柑園豆腐店A糯米,帶回放入布袋用石頭壓乾,再用手揉糯米,然後分塊搌成小塊搓成圓形,並用乾麵粉分開,結束後先煮部分當點心。其他隔日烹煮分鹹的,或甜的,也有包料的,祭拜完成再食用。吃完湯園,號稱「長一歲」。「冬至圓仔呷落加一歲」。20241221W6
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冬至,又稱冬節、賀冬、冬至節、亞歲,二十四節氣之第二十二個節氣、八大天象類節氣之一,與夏至相反。冬至日是北半球一年中白晝最短之日,冬至一般都在西曆12/21至12/23,北斗的斗柄指向子,太陽位於黃經270°,農曆用冬至所在月來定義十一月。
臺灣
祭祖祠
冬至,臺灣古稱「冬節」(台灣閩南語:Tang-Tseh/Tang-Tsueh ,客家語:Dung24 Jied2,閩東馬祖話:tøyŋ ʒai[14],閩東福州話:tøyk1 tsaik7)。民間首重祭祖,分為家中奉祀的祖先公媽,與各地宗親祖厝、宗廟所舉行的隆重莊嚴的三獻禮,稱為「祭祖祠」或「進祖」。禮成後則設宴款待,臺灣稱為「食祖」、金門稱為「食頭」、澎湖稱為「食冬」。冬節時,主婦會在清早便開始「浮圓仔」、「炊菜包」,拜完神佛後,便開始祭拜祖先。祭畢後,全家團圓著,食用冬節圓、菜包,寓意添一歲。祭拜神佛準備全副牲禮(號稱謝平安)、四果、冬節圓和菜包,拜祖先則準備剖開的牲醴、米飯、十二碗、五味碗、四果、冬節圓、雞母狗仔、菜包等。
為了賀節與酬神,人們會在下元與冬節期間,請戲班演出「冬節戲」,臺灣日治時期的冬節戲多為「亂彈戲」,臺灣戰後時期則多為「歌仔戲」。舊時官廳府衙亦會在冬節亦要設筵慶賀。金門是典型的宗族社會,因此冬至祭祖在金門是隆重的大事,各地宗親氏族會舉行隆重的三獻禮與食頭儀式。所謂的「頭」,分為男子新婚的「新婚頭」、家中有子成婚的「老大頭」、男子年滿十六歲的「成丁頭」。推舉任官職、學位或聲望的人士擔任主祭,陪祭則由爐主擔任。另外除了冬節圓外,金門人亦會在冬至食「拭餅」(即潤餅)[15]。
慶祝方式
傳統上冬至半月是喜慶氣氛濃重的節期,更是其中蘊含最豐富、最多不同節俗的節日,且最具繼承力。慶祝方式多樣,包括但不限於祭祀(祭天、祭地、祭神、祭祖)、賀禮(拜賀、送寒衣)、飲食、文藝(數九)等。
《周禮·春官宗伯》云:「以冬日至,致天神人鬼。以夏日至,致地祇物魅。」古時華夏民眾按照天圓地方的原則,冬至圜丘祭天,夏至方澤祭地。[9]
《夢粱錄》也提及:「十一月仲冬,正當小雪、大雪氣候。大扯杭都風俗,舉行典禮,四方則之為師,最是冬至歲節,士庶所重,如饋送節儀,及舉杯相慶,祭享宗禮,加於常節……此日宰臣以下,行朝賀禮。士夫庶人,互相為慶。太廟行薦黍之典,朝廷命宰執祀於圜丘。官放公私僦金三日。東駕詣攢官朝享。」[10]
朝廷與官民
早在周代,冬至就有國家祀典。《周禮.春官》提及:「以冬至日,致天神人鬼。」冬至節則是在漢代開始成為通行節日,並在往後衍生出越來越多節俗,排場與風光也漸甚。甚至會有不少文人因此大獻頌詩,例如漢代有一賀君作品《獨斷》則提到:「冬至,陽氣起,君道長,故賀。」[4]
《後漢書》「禮儀志」中記載東漢王朝對待冬至的情況:「冬至前後,君子安身靜體,百官絕事,不聽政,擇吉辰而後省事。」由此可知從漢代起冬至是國定假日。而歷代帝王亦會以冬至為盛大的國事大典,南郊祭天(取太陽要從冬至後從南回歸線「回歸」),北郊祭地,朝會群臣與鄰國使節等。《史記.封禪書》提及:「冬至日,禮天於南郊,迎長日之至。」可見當時人們視「長日」當作喜福。[4][9]
河北《懷安縣誌》提及:「冬至日,縉紳拜闕,士人拜師長,子孫拜祖父,曰賀冬。」,當中「拜闕」就是指到皇宮中朝拜君主,赴拜闕者有本國臣僚,亦有外國使節。南北朝時代沈約《宋書》則記載了:「魏晉冬至日,受萬國及百僚朝賀,因小會,其儀禮亞於歲朝。」並有獻襪履之儀,表示迎福踐長。曹植《冬至獻襪頌表》記載:「千載昌期,一陽嘉節,四方交泰,萬物昭甦……並獻紋履七緉,襪若干副。」[4][2]
魏晉朝以後,時任朝廷也開始在冬至當日舉行朝會,其盛大僅次於元日(元旦)。朝會典禮中有一儀式為朝賀禮,皇帝在當中要接受各國與周邊民族的使臣、以及文武百官的上表祝賀。[1]
宋朝以後,皇帝更專門制定冬至節大朝會的儀衛兵仗,俗稱「掛冬仗」,宮城內外遍佈排列井然有序的步騎兵甲,同時懸掛旌旗、擊鼓、奏樂。而入朝官員則必須穿著制服覲見皇帝,比照祭祀大禮。[1]
明清兩代則在北京南郊天壇祭天。清代皇帝祭天儀式每年都有,祈求天帝保佑、國泰民安,並已發展到極為繁瑣、複雜、隆重:期間皇帝必須穿祭服、請牌神,太常寺官奏請行禮,典儀官唱讚「燔柴迎帝神」;更在東南煪柴爐升火,西南方懸望燈,樂隊齊鳴。[10]
清代《帝京歲時紀勝》亦提及:「長至南郊大祀,次日百官進表慶賀,為國大典。」[4]
官府亦會在冬至期間允許開放賭場供民聚自由出入。[1]
古時民間
冬至是昔時各家庭團聚慶賀的節日,不僅家庭成員間相互飲「節酒」和食佳節美食慶祝,更會走訪親友居所慶賀送禮和祭奠祖先與神明,其中河北《柏鄉縣志》就有提及:「是日士民祭始祖墓」。而民眾也會準備一套新衣服以求在冬至體面應節,哪怕是節衣縮食儲錢甚至問親友借貸也得購買新衣服。而冬至亦有時值一陽初至「扶陽」的信仰意義及相應習俗,取陽氣於冬至既小又弱故需扶助使其健旺,例如「擁爐會飲」、食圓形食品等,雖則扶陽觀念的習俗在20世紀開始式微。[4][1]
早在商朝,民間已有著年終祭祀「清祀」的習俗,祭祖妣兼祭百神。而早在周代,每年農曆十月,民間都會有年終「大蠟」(其中「蠟」解作「合祭」之意),祭一切神祇鬼靈;後於漢朝正式採用農曆時將大蠟禮儀移到農曆十二月。這反映著傳統華夏人民善祭的一面──認為眾生皆由眾神靈庇護,且延續著祖先的歷史。[9]
《s:東京夢華錄/卷十》就記載了宋都開封城每逢冬至節到處洋溢的節日氣氛:「十一月冬至,京師最重此節。雖至貧者一年之間積累假借,至此日更易新衣、備辦飲食、享祝先祖。官放關撲,慶賀往來,一如年節。」。[1]此外開封特別普遍流行「守冬」習俗,乃趁冬至一陽復始之時人如能與大自然息息相應就會獲得新的生命力,表示兒孫添歲、老人延壽。同時因正值冬天及農務閒期,中國北方多在冬至前後有冰上,雪上遊戲,例如堆雪獅、雪人、雪山、雪燈、打滑澾、打雪仗、溜冰、爬犁等,另外還盛行冬獵並攜帶獵物串親訪友,同時盛行閭里饋贈家慶瑞雪豐年。[10]
《清嘉錄》亦有一首詩描述送禮:「冬至家家講物儀,近來送去費心機。胸前盡收渾閒事,原物多時卻再歸。」[1]
清光緒八年刻本河北《懷來縣誌》:「冬至,拜節,或以羊、酒相饋送,謂之肥冬。」指肥冬乃指冬至正當糧入倉、豬已宰、酒正釀之時節,飲食豐饒,各家各戶皆酒肉飄香之餘亦會饋送酒肉予親朋戚友。[4]
《中華全國風俗誌.江蘇儀證》:「十一月冬至節,從火,祀家廟、福祠、灶經,拜父母尊長,設家宴,親戚相賀,與元旦一例。諺云『大冬如大年』,即吳中『肥冬瘦年』之說也。」可見南北朝時冬至,民眾更有拜父、拜母之禮。[4][2]
冬至與春節同樣有「拜冬」、「賀冬」等習俗尊師敬老。東漢崔寔《s:四民月令》提到:「(冬至)進酒淆,及謁賀君師耆老,如正旦。」
冬至的飲食文化與規模更是豐富非常。
中國北方
北京市一戶家庭在冬至日食用水餃
北方的冬至飲食習俗:
有諺語「冬至餃子夏至麵」,認為冬天寒冷而人體耗熱量多故應該多食有營養的食品補充熱量。因此有冬至日有食餃子和餛飩的習俗:吃餛飩寓意破陰釋陽,表達冬至的新舊交接宇宙混沌狀態,更意味親自開闢世界;而吃餃子又俗稱「安耳朵」(擠餃形似耳朵),民間習俗認為冬至日不食餃子會凍掉耳朵,也不利農事收穫;另一說食餃子防為紀念藥王張仲景。而餃子、餛飩和包子等更會是家庭成員團聚圍桌而食,稱為「蒸冬」。 當然也有例外,如在四川、山東棗莊流行冬至當日喝羊肉湯的習俗,寓意驅除寒冷之意。各地食俗不同,但吃水餃最為常見。 [10][4]
南宋陳元靚在《歲時廣記》提及:「京師人家,冬至多食餛飩。」;[4]
南宋周密在《s:武林舊事/卷三》提及:「享先則以餛飩。」;[4]
清代乾隆年間記載著一段歲時民俗:「冬至、祀先祖,食餛飩,取陰陽胚胎,包孕渾涵。」;[9]
河北《柏鄉縣誌》則提到:「冬至日,作餛飩為食,取天開於子」,混沌初分,人食之可益聰明。」[4]
傳說漢末醫聖張仲景體念家鄉鄉民在寒冬中辛苦工作,就在冬至日利用羊肉等祛寒的藥材包在麵皮中,作成耳朵模樣,給鄉民們治病補身,此藥方名字叫作「祛寒嬌耳湯」,嬌耳就是餃兒。
據最早在《s:荊楚歲時記》記載之風俗,陝西一些地方在冬至會食用赤豆粥,認為可以驅疫鬼以避疫與卜壬日,該疫鬼相傳乃共工之子在冬至日死亡後的化身。傳統華夏人民一直以紅豆、赤豆、桃木等有避災袪疫的「神物」來陪件節時,更有「剪草成馬,撒豆成兵」一說,屏山先生《至日詩》亦有描述:「豆糜厭勝憐荊俗,雲物書祥憶魯台」;隨後此習俗與冬臘節令的臘八粥融合,遂民間記憶傳襲出現了模糊。[9][2]
「擁爐會飲」:爐火與酒都屬暖,圍爐溫酒,團聚共飲,既扶陽又賀節。[4]
北方少數漢族和朝鮮族人還會吃狗肉,認為是大補食品。[10]
北方滿族旗人在冬至時既祭天又祭祖:到了冬至晚上,家庭會在庭院內舖桌、擺供桌,掛「天地禡兒」,殺豬祭祀;同時祭祀祖兒,在院內立祖先竿子,其中竿頂為葫蘆狀,下有「刁斗」。參與祭典之親朋事後更獲分得祭祀用過的肉(稱為「白肉」)享用,是為「吃白肉」;而豬腸和豬尿則丟在刁斗上任雀鳥進食。[9][10]
北方冬至前後亦是舊地主討債的時期,窮苦人往往外出討飯,各地社倉實行賑濟。民眾也喜歡掃雪煮茶,認為有助健身。[10]
冬節圓湯圓
在臺灣,冬至的湯圓被稱為「冬節圓」(臺灣閩南語:tang-tseh-înn/tang-tsueh-înn,客家語:Dung-Jied-Rhan[註 1])或「圓仔」。圓仔有分甜鹹、大小之分。用於祭祀的紅白兩色的小圓仔與如雞蛋大小般的「圓仔母」兩色各六。圓仔母通常包花生餡或芝麻餡及糖料[16]。冬節前夕,全家人一齊將糯米糰搓挲成大大小小的圓粒,稱為「公孫父子圓」。人們在祭祀完畢後,一起食用,稱為「添歲」。小孩會將「圓仔丁」黏糊於門扉、窗戶、車窗、桌、櫃、畜欄、牲窩、水井或器物等處,犒勞窗牖神及家具神等守護神一年辛勞,稱為「餉耗」。糊黏圓仔丁在傳統習俗中亦有祈求「出好丁」之意,為祈禱新婦生子之寓意(古時指是男子)。待圓仔丁乾燥後可以藉由圓仔的膨脹或塌陷來預卜生育之兆,給孩子們食用,亦有保佑發育健康,添新歲 [註 2] [註 3]。古代流傳著食用冬節圓需每匙兩粒,若未婚者最後一匙必為單數 ,若已婚者最後一匙必為雙數。舊時臺灣尚賭,賭客食用時亦預卜最後一匙剩雙數為贏兆、單數為輸兆[16]。
搓丸
馬祖冬至時令,會搓製糯米作成的粉團(糍粑),為「搓丸」(ㄘㄨㄛ ㄨㄥˋ)[14],也稱「搓糍」(tshɔ si)。「糍」,馬祖當地也寫作「𥻵(米時)」。
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2023年7月13日(木)
今朝も8時12分に新幹線の予約完了とのメール、これでお盆の予定が確定できた。いったい、そんな混雑するときに何をするのかというと、落語を聴きにいくのである。応援している落語家・露の新治さん、8月は関東での出番が多い。それならと、一泊二日の落語を楽しむだけのツアーとなったのだ。柳家喬太郎・三遊亭兼好はもちろんライブは初めて、夜には鈴本演芸場のお盆興行、東京の定席ももちろん初めて、ワクワク、ドキドキ。
4時30分起床。
日誌書く。
朝食。
洗濯。
弁当*2。
プラゴミ、45L*1。
雨の中、ツレアイは合羽を着て自転車で出勤。
私はO姉と一緒に車で出勤。
順調に到着する。
昨日ミスを犯したエクセル試験の採点作業、仕切り直しで昼まで頑張る。
木曜日3限は<スタディスキルズ(教育学科)>、今日はグループ発表、卓球部員が試合でいないので3班だけの発表、終了後は評価シートを記入して早めに終了。
急いで自室に戻り、エクセル試験の採点作業の続き、なんとか看護学科2クラス分の作業を終えることが出来た。かなりの二極分解、予想された結果ではあるが次週に念を入れて復習させねば。
早めに帰宅、蒸し暑いので速攻で着替える。
昼間採点したエクセル試験の再チェック、これで評価作業がスムーズにできる。明日は栄養学科の分を作業しなければ。
酢タマネギを仕込む。
買物はせずに、あり合わせの食材で夕飯を準備する。
昨日仕込んでおいたジャガイモとサバ缶の煮物、少し焦げてしまったがそれがまた美味しい。頂き物の信州ワイン、濃くて美味しい。
録画番組視聴。
サラメシ シーズン13 (11)宮大工のまかない担う新人奮闘記▽コンポスト
初回放送日: 2023年7月6日
長尾さんは18歳の新人宮大工。高校卒業後、地元を離れ先輩職人たちと寝食を共にしながら修行中。長尾さんに任された大切な仕事が職人たちのまかない作り。宮大工の仕事は段取りが大切、その段取りと思いやりを学ぶため重要な任務なのだ。新人職人の奮闘ぶりを拝見▼コンポストに情熱を注いで四半世紀。通販会社社長のコンポスト愛と野菜たっぷりの仕事とランチをご紹介▼お弁当箱が語る「おべんとうのはなし」は「俺の定番弁当」
「やまがた春夏色模様」
初回放送日: 2023年7月11日
春から初夏にかけての山形市は豊かな自然や伝統工芸などの「色」がきらめく季節。桜から植木市や水田の緑を経てサクランボ、紅花へ。色とりどりの風土と営みを描き出す。
4月、春を迎えた山形市を彩るのは桜色、続いてサクランボの白い花。5月になると街では伝統の薬師祭植木市が開かれ、水田や里山も緑に。草木染めの工房ではさまざまな草花の色、そして江戸時代「金よりも高価」と言われた紅花染めの紅色が輝く。さらに職人が守り伝える和傘、牧野博士ゆかりの植物画家、純白の米こうじから生まれる手作りみそ。6月、サクランボが実り、やがて紅花が咲くと夏へ。山形ならではのカラフルな色模様。
どちらも見応えある内容だった。
片付け、入浴、体重は変わらず(あかんがな!)。
歩数は届かないが、なんとか3つのリング完成。水分は1,540ml。
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
自己紹介 2024年12月7日(大雪)追記 7642文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 3歳のときに養子として育てられることになり 伊賀市へ突然連れてこられた 5世帯がつながった集合住宅の一番端っこお家で 四畳半と六畳の和室の二部屋 三畳の台所 トイレはくみ取り式 お風呂は深底のホーローでガス釜式 冬は寒くて よくしもやけになった 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 名古屋に近い三重県に住んでいるという話だった気がする 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは今でも少し���ある
伊賀市でそこそこ有名なのが 「伊賀流忍者」で「忍者屋敷」は 今も昔も変わらない内容で 営業している それは昨年(2023年)の夏休みに 末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 「上野城」ならぶ観光施設 伊賀牛は「金谷」のすき焼きが有名で 「森辻」が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には「伊藤」の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 「伊賀上野天神祭」の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 2024年は10月18日・19日・20日(金土日)がお祭り 19日(土)は久しぶりに一人で一日中 お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が降ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件まわって、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて「伊賀上野天神祭」へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 19日(土)の夜は19時から 同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったオーナーの 「ガキさん」は すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので開店から閉店の1時までの 6時間でカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の日の20(日)は「伊賀上野天神祭」に参加している 同級生の「オデ」に会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く「紅梅屋」でおみやげを結構買って 「桔梗屋」で上生菓子とお茶を飲んで 静岡へ帰った 「松尾芭蕉」は俳句が有名で伊賀出身 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされた 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は絶対見ない 「上野公園」に行くと「俳聖殿」という建物はある 「俳聖殿」の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 「俳聖殿」のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 「上野城」のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は「上野城」のまわりで体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも「上野城」が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく「上野城」をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった その子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には「銀座通り」とか「丸の内」とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 「上野市」から「伊賀市」名称が変わってから 「上野市駅」が「忍者市駅」になり 「近鉄」の電車だったのが「伊賀鉄道」になり 電車がコスプレになった 駅前には「銀河鉄道999」のメーテルと哲郎の銅像があり 「産業会館」が「ハイトピア伊賀」になった 「産業会館」だった時に「マルキン」のパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 「新天地」もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は自分が高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 「新天地」には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 「伊賀上野天神祭」を見に帰省したときに ドリアを食べたが 素朴ないい感じの仕上がりの味に 古い喫茶店をぐっと感じる事ができた 「新天地」のとなりの大きな化粧品店は 更地になっていた 高校の時の同級生が「クワトロNo.4」という バーを経営している場所もこの「新天地」にある となりにダーツバーもあり 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽には入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど ダーツバーの扉って感じで雰囲気はあった ここ数年は実家で一人暮らしの おかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、「Kマーホ」の名で活動して 出版した「トイレの閃き」が背表紙の色が 抜けた状態で25年以上も 岡森書店の本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で そんなつながりが それにしても伊賀市は狭いなと感じる
幼稚園の頃の事で 「市部(いちべ)」という地区だったと思う 近くに「市部駅」という無人駅があり その近くの依那古第一保育所に 5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 実家近くの小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 自転車は召し上げられ 手押し車ででかけている 小学校6年生の卒業までは 上野市依那具にある 市営の「城ケ丘住宅」で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの 時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森(たれそのもり)でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた「依那古小学校」の 校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと 変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の「市部駅」と 毎日にらめっこしている森 垂園森(たれそのもり) 中学校からは上野市街の「上野城」の 城下町で過ごした 引っ越しをしました 当時はカオスな「市営城ケ丘住宅」から出れる事が 本当にうれしかった 小学校までの友達とも 見飽きてしまっていたので 寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては 新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そ��て引っ越ししたお家は 築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分だけの部屋があり トイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって 本当にうれしかった
そして近くの「崇廣中学校」に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一のときに足のかかとを骨折 バスケ部の試合で となり町の「名張市(なばりし)」の 体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら 右足のかかとの骨にヒビが入った
完治した その夏にはバスケ部をクビになり 陶芸部に入った バスケ部とは違い まろやかな陶芸部の部長は 本当にやさしい部長さんだった 中二で左腕を骨折 中一の右足かかとの骨折 どちらも遊んでいての骨折を二年連続してしまい この二年間の体育の成績は最低だった そして中三の高校受験に突入して この「崇廣中学校」では いい想い出は ひとつも無い
そして高校生となって 高校1年生で やっと自由になれた気がした まずは毎日 カッコつけて髪型をきめて その次は彼女を作りたいと 手当たり次第に告白したら 全滅した その数は20数人はいたと思う そしてあらゆる所で 告白しすぎて 変な奴として顔が広まってしまいそうになってきた 高校1年の後半はおとなしく 過ごしていた
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーバンドで 代表曲の 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」をコピー 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 も歌って一年で6回ぐらいライブをしていた 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時は ただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線で近づいてくる そういう女子には興味がなかったから 冷たい感じの男だったかも 本当にこの高校2年の時期が いままで生きてきた中で一番楽しかった。 高校2年後半の頃は またたくさんの恋をしたが 自分が不器用だったので 自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた それから人を好きになることに 迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくいいか別に という感情で奥手で過ごしていった そのせいか、 他校の女子からゲイだとか ウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時はそんなうわさも 楽しければなんでもよかった
1993年の20歳になるころ 家を勝手に出て 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは お金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万の カツカツでぎりぎりの生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月(23歳)から 2003年7月(30歳)の 7年間は茨城県と千葉県の県境の 利根川の近く取手市に住んでいた この取手駅界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになった 関東平野は景色が無く ここでの生活は なんとなく落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくに「カレー」がめちゃくちゃ美味かった 夕食時はのれんが出される前の時間に 駐車場で待機して開店と同時に 店に入っていたので お店の人には顔を覚えられていた この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の子供で 小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけで運営していて 素朴な店内で 週3回ぐらいは夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年(24歳)から パソコンを近くの「ミドリ電化」 というお店で38万で購入して 作詞やネットに興味を持ちだした 「まどみちお詩集」を読みだし 作詞に近い詩を書き始めた 「Kマーホ」という名で活動を開始し メインの詩を書き始める 創作の目標をまず詩300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになった 週末はいつも家に引きこもり 朝起きて寝るまでの一日中 音楽を聴きながら 38万円のパソコンを買ったのに まだ「ワープロ」で 手書きの詩を清書して プリントしていた
1998年(25歳)から2002年(29歳)まで 「Kマーホ」の名で活動して 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したりと やりたい事にお金も時間も好きなだけ 使ってすごしていた この時期に参加していた詩の団体(万有)には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な詩を書いたり そんな態度の人や いい人も数人はいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集「トイレの閃き」約2000部を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 本棚に置いて欲しいとお手紙をそえた 返送されたり お礼のお手紙を頂いたりと 色々と反応を感じながら 2002年の29歳の時に 詩を創作する活動を休止した これで「Kマーホ(けいまーほ)」での 活動は終わった 理由は2000年(27歳)に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年(30歳)から2019年(46歳)まで 育児に家族を重点を置いて生活をする この時期の16年間は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月(30歳)から 子育てを重視するために 景色のいい静岡県に引っ越し もう20年以上住んでいる
2019年1月(45歳から46歳になる年) 「平成」から「令和」に変わる年に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 創作活動を再開する 1998年(25歳)から2002年(29歳)の 「Kマーホ(けいまーほ)」の頃とは 全然ちがう方向性で詩を書き始める そしてSNSを活用して まずは詩の発信を始める 「るんぺんパリ【RunPenParis】」という名前の由来は フランスはパリの街を ぺんを持って 走りながら創作するというイメージから 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(現在は51歳で2025年は52歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した 「140文字詩」が広く浸透できればと 創作を続けている ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧(2019年~) 【2024年(51歳)】Amazonで販売 2024年11月17日 第17詩集「もんもん もんもんで もんだろ」 【2023年(50歳)】Amazonで販売 2023年12月27日 第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023年12月2日 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023年11月23日 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023年9月16日 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023年9月9日 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023年9月2日 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023年8月26日 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年(49歳)】Amazonで販売 2022年12月6日 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022年11月3日 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022年10月7日 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022年9月3日 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022年8年7日 第1アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022年2年14日 第2アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022年1年1日 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年(48歳)】Amazonで販売 2021年9月8日 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021年8月3日 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021年6月5日 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021年5月31日 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年(47歳)】Amazonで販売 2020年7月27日 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020年3月2日 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年(46歳)】Amazonで販売 2019年7月21日 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999年~2002年) 【2002年(29歳)】 2002年4月30日 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」発行部数不明 2002年4月4日 第5詩集「コールサック」100部発行 【2000年(27歳)】 2000年7月31日 第4詩集「マガサス星人」500部発行 2000年1月31日 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」500部発行 【1999年(26歳)】 1999年8月1日 第2詩集「テレビジョン」100部発行 1999年5月1日 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」2000部発行 【受賞】 2001年(28歳) 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年(27歳) 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年(26歳) 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年(25歳) 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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2024/11/29 18:00:18現在のニュース
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音曲祭北海道1
映り込みに怯んでたらスピーカーの電池切れたの草なんだ。充電ケーブル繋いで見ます。
実はいまだにすえひろ現地の配信を見ていません……映り込みこわい半分、記憶を上書きしたくない半分で……。今回は見るのは記憶が飛びすぎているので補完の必要があるからです。客降りこわい。もっとください。通算3回松井くんが1m圏内を通りました。死ぬ。というか死にました。近すぎると脳がキャパオーバーするので思い返す松井くんがロングショットばっかりです。遠くから見てもかわいいのでそれは全然いいです。しかしやはり至近の記憶も補完したいので配信を見るのです。前説の時点で死んでいます。モニターではまだミュの審神者が楽しみ方を説明している途中です。始まってさえいないの草
■ひふみよいむなやこ、うっかり左から読んだせいで全く読めなかったのですが日本語だもん右から読むよね。これ縦書きだったんだね。「こ」の存在とともに札幌楽で友達に教えてもらいました。
開始3分経ってないけど松井くんのお衣装の話をしていいですか、ジャケットから袖がひらひら出てるのとてもかわいい。左手に手袋をしてることに気がついたのも札幌楽です。福井配信を見てから挑んだはずなのに記憶がない。
ひふみよいむなやこの手遊び、歌合だったら審神者がやらされるやつですね。旅人の振付動画を見ないまま一日目が始まったのであとでこれやるのかと一瞬怯みました。イネイミヒタクク、難しすぎたやん……。
今回のお衣装の工夫は袖丈と裾の長さかなあ、ところでキャストのインイヤーモニターがキャラカラーですね、出さへん?出さへん??キャストとおそろのBluetoothイヤホン出してくれるならお金積むよ……。ほんとは全員分のお衣装の工夫について話したいところなんだけどそれやると永遠に再生が終わらないので以降は服の話はなるべくしません!なるべく!松井くんのタートルネックは今公演も最高です!
□□□
お席の話をしますかね、札幌の注釈付き席はステージ真横、ひふみよ…の幕に遮られてメインモニターや正面向けの演出が見えない、演出が意図した通りに見えないという意味での注釈付きでしたがステージは近かったので個人的には神席でした。推しが見えれば基本どの席でも神席ですが、この日の席はせり上がるステージで松井くんが踊ってくれたマジの神席でした。肉眼でド近くから松井くんのダンスを見れて半泣きでした。人間って本当に感極まって泣くことあるんだ、知らなかった���。
Twitterにも書いたけど真駒内アリーナは花道囲いの外側のアリーナ席がなくて、スタンド直下がステージ(花道)なんですよね。角度があるから真下のキャストは頭のてっぺんしか見えなかったりするんだけどとにかくステージとの距離は近い。あと、正面から見ると近く見えるものが横から見るとけっこう距離あるのがわかったので面白かったです。いっぽうで、モニターでは離れてるキャストが舞台横から見ると近く見えてそこも面白かったです。
私は元々観劇クラスタかつ演劇部なので舞台の袖や仕掛けを見るのも好きで、最悪歌しか聞こえなくてもいいの気持ちで注釈付き参戦(友達が当てた)したんですけど結果として神席。ライブの感想は席の数だけあるので色んな角度からいっぱい見れるのいいなって思います。ところでまだ6分しかシークバーが進んでないよ。
■あ、いまの大包平だな 今の誰が喋った?ってわかんないところだいたい大包平だな多分
客席が映るたびステージの位置確認をし(補完のための試聴なので……)、松井くんが出るたび一時停止しつつただいまシークバーが14分です。ほんとスタイルがええなこの子は……。
松井くんのダンスの腰を落とす時の高低差が好き……可愛いのに豪快 かわいい
むっちゃんめっちゃ飛ぶなあ
■補完とはまったく関係ないんですけどIGNITIONがめちゃくちゃ好きで、リズムに合わせてペンラ振るのめちゃくちゃ楽しかったです。長谷部がメインに来てる時は紫のライト振ってる。ライブ中の長谷部の生意気っぽい自信家っぽいところとてもかわいい
雨さんのIGNITION〜↑めっちゃかっこいいね 補完って言いつつ実況になってきたね
■えっ嘘BE IN SIGHTの上手のジャンプ担当松井くんだったの……三公演見てるのにわからなかった(位置的に見えなかったり遠かったりしていた)ほんとに身体能力が高くて素晴らしい……
こ、これ!このへん!シークバー25分あたりの小ステージ四箇所上がるとこ!の下手ステージ側が松井くんの担当で私はここで死んだ。はい墓
花道はスタンドの直下で最前列でもない限り見えないので、せり上がってくるまで誰が出てくるかわかんなくて出てきたら松井くんだったので本当に死んだ。近いかわいい踊ってる近いって情緒がパーンしたので記憶がないんだけどBE IN SIGHTだったかぁ……。
配信で確認したら松井くんちょっとしかうつらん、そりゃそう舞台上に8人いるもんね。曲と照合するとステージがせり上がってた時間は一分にも満たないのにその一分で情緒を破壊されたのか私は……永遠に情緒を破壊されたままでいたい……海馬をロックして記憶を保存したい……至近距離ダンスまじでめっちゃかわいかった何度でも死ぬ。
この演技を私は現地で浴びたのだなと思いながらBE IN SIGHTの25分〜26分をエンドレスリピートしています。永遠に記憶フォルダにしまう……
あのねまじでキャストがせり上がってきたら「キャー」ですよね悲鳴が上がるのわかりますよ私は息が止まって無言凝視だったけどね。
松井くんあまりわかりやすいファンサしないんだけど時々客席に軽く手を振るの、それがもう死ぬほ��かわいくてかわいくて、上品だわかわいいわちょっとつれないわで最高なんですよね。かわいい。うさたま再びの死
ちょっとどの曲か忘れたんだけど舞台下手で松井くんの蹴り上げた足がめっちゃ高くて足なげーなって感心したのが北海道初日だったのでとりあえずメモっておきます。
■やっとこR.U.Nまでたどり着きました この時はまだペンラの挙動(セレクト色からの前ボタンは小狐丸カラーになる)を理解してなくて、桑名くんの色を呼び出せなくてめっちゃボタンをカチカチしてました。帰り道で同じ方向を歩いていたみしらぬ審神者さんたちが桑名(黄色)の割合が少なくて意外だったって喋ってたけど、黄色にしないことを選んだんじゃなくて色が呼び出せなかっただけなんだよ……と思ってました。二日目から黄色の配分が増えたから初日で色を出せなかった客けっこういると思う……今回の通販、ペンラの在庫枯れ早かったから、現地で初めてペンラに触れた人けっこういるでしょ……。
■誰のものでもない人生、巴ちゃんのお供がまさかの松井くんでうさたま再びの死
ダンスが得意で色も近くて納得の配役なんですけど(とにかく松井くんはダンスがうまくて華がある)地元公演のデュエットソングに推しが配役されるとファンは普通に死にますね。
せっかくの北海道ゲストの巴ちゃんなのに現地では目が足りなかったので配信でたっぷり堪能します。
この二人の身長けっこう近いんだな……スタンドからでは人の身長わからんし花道囲いでは首がねじれるので……というか一日目のこの曲の記憶がほとんどないのでおそらく当時のうさたまは脳がパーンしてしんでいました。
■さて客降りタイムです
音曲祭、客降りがすごく……長くて……座れるのはありがたいけど大概首がねじれました。客降りは後方席へのファンサが手厚い、うさたま覚えました。
ベルのかわりに尻尾振ってる雲さんかわいすぎん?なにそのかわいいファンサ……。配信ではわからないことと配信じゃないとわからないことがあるね。配信の雲さんはわりとよくウィンクしてくれるなって思ってます。
現地の客降りの記憶ですが、青江のファンサが印象に残ってます。観客とタオルの見せあいっこしてました。いろんな男士が何回も横を通るし後ろに推しのいる気配がするし首がたくさんねじれました。松井くんも近くを通ってくれて、ファンサは客席を見回す感じ。通路真横の人間は位置的に目が合わない気がします。私はこの時も死んでいてちゃんと記憶が残ってないのですが、なんか白くてひらひらしてかわいい存在が至近距離にいた気がする……。
あと通ってくれた子で覚えてるの日向くん(たぶん)、明石はけっこう長めにいてくれました。ふーやれやれみたいなジェスチャーしてた気がする。小竜くんいたのどの公演だったかな……。移動中は抜かれないから記憶を頼るしかないんだけど初日だし近いしかわるがわる人が通るし記憶がないです。悲しい。
配信の客降りが終わったけどとりあえず個体識別可能な映り込みはしてませんでした!安心したような残念なような……。現地行った配信を見るのは実は初めてなので、自分が客席にいる公演といない公演では配信を見る時の心持ちが違うことを初めて知りました。客席が映ったらとりあえず一時停止して座席を確認してる。映りたいわけじゃないけど映ってたら知りたいじゃないですかやっぱり……。あと人のうちわを意識して見るようになった。最大サイズじゃなくてもちゃんとキャストの視界に入りそうだな……?あとメッセージつきのうちわイイナーって思ったので松井くんに伝えたいことは何だろうって考えています。
■MC。松井くんの胸にハンカチーフ入ってるの今気づいた……!福井はリアタイしたので一時停止できなかったし予習しつつ新鮮な気持ちを味わいたいので見逃しは見てなくて……。客降り?服なんか観察してる余裕があるわけないだろ。お衣装についてはまだまだ語ることがありそうですが長くなるので今はやめます。私ほんとうにキャストの衣装についてなら全員分のお話できると思います……元気っ子は靴下を見せているとか靴や靴下の差し色でバランスとってる子がいるとかいろいろ……。
雨雲のマフラー小芝居かわいいね。「これが日常だ」ってツッコミまくってる松井くんも面白いね。江with巴ちゃん、わちゃわちゃしていてとてもかわいいです。豊前のカラーカフスかっこいいねえ、松井くんはなんで現場監督みたいに腕組んでるの、なに目線なのそれはwマフラーのネタはたぶん北海道だから入れてますね。気候を考慮してくれてありがとう。
松井くんは案外トークが面白いというか人にふっかけるネタがぶっとんでいてひどいwわりと無茶振りをする子だなというのはぜっぷつあー日替わりを見てわかりました。たぶんキャストの素質ですねこれは……。ボケもツッコミもいけるキャラだよなとは以前から思っていたのでこれからもちょくちょくMCを担当してくれると嬉しいです。たくさん喋っていろんな松井江を見せてほしい。
■言の花、加州の持ち歌をやっさだが歌うのうぐぅてなるね……今日はいないけどいるんだよ……ちゃんと……。あんま話題にしないけど私はやっさだのことけっこう好きで、というか刀剣男士みんな好きだし付き合いが長いほど愛が深まるので初期の頃のメンバー好きなの当然なんですけど、フィジカルの強さとかトークの安定感とか安心して見れるなって思ってます。花道囲いの日に真横でダンス見れたけどすごく良かったよ。足さばきがなんかすごい。
■Yellow sac Spider。日向くんかわいいお顔から低音ボイス出せるのすごいね。全体的に12日は桑名くんの出番多めだった気がします。前述の審神者さん(おそらく)が、Yellow sac Spiderを黄色カラーのキャストがやったの初めて見たって言っててなんか笑ってしまった。そもそも黄色カラーの子が少ないからなぁ。私は今回ペンラの色を覚える時に黄系の色を公演切り替えの目安にしてたんだけど、そのくらい黄系の子があまりいない(小狐丸、髭切、桑名くん、南泉、まんばちゃんの5人)
いま数えたら青系の子もけっこう少なかったんだけど私が松井カラーを主に振る関係で青を区切りにすると混乱するんだ……それに小狐丸は1stカラーなので……。
■夕凪〜の新曲。軽装による死。現地本当に目が足りなくて困る。メイン演出がサブステの方なのでめっちゃ目を凝らしてました。
配信見てたらメインステージに戻る時に長谷部がちょっと遅れてていつもより小走りになっててかわいかった。ステージに戻る時もちょっとスタタタタってなってた。袖に近いほど距離あるもんね、わかります。
サンバの記憶。松井くんは本当に、あんなきれいな顔して低血圧そうwなキャラなのにノリノリでよく動いてて本当にかわいかった。遠景なので正気を失わずバッチリ記憶に残っています。ポンポン(?)を頭の上で振ってる時も腰に当ててお尻振ってる時もとにかく常時元気で楽しそうでかわいかった……。カメラにはあまり抜かれてないけど、踊ってる時の松井くんは本当に生き生きしていてかわいいよ。手足のフリが大きいというか本当に華がある。かわいい。好き。
兄者元気だな。跳ねてる。むっちゃんもけっこうガバって足開くやん。
サンバのおしまいのとこでステージ下の袖(幕?)に駆け込んでいく松井くんの後ろ姿のかわゆきことよ。ってか蜻蛉さんもはけるのそこなんだな。手前にはける組はたぶん出番が近いんだと思います。実際このあとの獣でシルエット登場するの江メンだもんね。
■というわけで獣です。松井くんの袖、手を下ろすと萌え袖になるのに上げるとレースが翻って腕が出るの最高ですね。ジャケット着てる時は手首までしか見えないけどね。ジャケット着てるあいだは遠景で松井くんを探す時は袖のヒラヒラを追ってました。ターンする時に白い袖が残像で円を描くのがとてもかわいいんですよね……。
ずっと言及し損ねてたけど小竜のベストの青さがとても好きです。浦島くんは現地のほうが生地の仕立てがよく見える(配信だと質感がわかりにくい)
あれっ清麿がミニステージ乗ってたの獣だと思うけど抜かれてないな……まじまじ見たのは13日昼ですけど……オーバーサイズ感いいよねえって思って……。
休憩!トイレだ!
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TEDにて
サム・ハリス: 道徳観「moralityモラリティ」にまつわる科学
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
前提として、道徳や倫理も概念が異なります。
一神教や多神教でも概念は異なります!
「公正」の定義は、「公平」の「判断や言動などがかたよっていないこと」に加えて、「正義」の方向に現在進行形で進んでいる事象のこと。
「正義」の定義は、この場合、マイケルサンデルによると、ジョンロールズの格差原理から最下層の便益に合わせて社会を動かすことが正義である!と言っています。
知ってるつもりで思い違いしてること!
公平概念は「ハンデをつけて上限を公平に!」
平等概念をわかりやすく言葉にすると「上限の公平ではなく底上げの平等!」みたいな感じで、これ以上でも以下でも概念が変わるから拡大解釈しないこと。
法人の平等な競争はあまり聞いたことない。公平な競争がしっくりくる
人間の善悪に関わる問題や、正しいことと間違っていることに関する問題は、科学から答えを導くことができないと思われがちです。
しかし、サム・ハリスは、科学は人間の価値観を形作り、良い人生を構成しながら道徳観の問題点のよりどころになりうると同時によりどころであるべきだと語ります。
道徳観や人間の価値観を述べているものは、どれも人間の意識や意識の変化と関係しているそうです。
われわれが脳レベルで、人間の心を理解する方向に向かっていると認めたら、生理学的な面からわれわれ自身の肯定的、または、否定的な素質を理解することになると認めなくてはいけません。
共感や思いやりのような肯定的な社会的感情を理解し、それを促進する要素を理解するようにします。
遺伝学的なものなのか?人間同士の歩み寄りの仕方なのか?経済システムなのか?という要素のことです。
現在、世界レベルで統合することは、困難を極めます。
日本での、道徳は古代中国の「タオ(道)」と「テー(徳)」ですが、世界では「morality」で英語のmoralは、ラテン語のmoresから由来しており「習慣」という意味です。倫理とは、異なります。
ジョン・ロールズやピーター・シンガーもいろいろ提唱してます。理論物理学者のエドワード・ウィッテンも登場します。
人間社会が栄えるには、理解するかどうかに関係なく、知っておかなくてはいけない事実があり、道徳観はこの事実と関係性があります。
ですから、価値観を論じるときは事実を論じているわけです。
我々の存在は、様々なレベルで把握できます。ゲノムのレベルから経済的システムのレベル。政治協定のレベルです。しかし、健全な暮らしを話題にするならば、人間の脳は切り離せません。
なぜなら、我々がこの世で経験することは、死後にどんなことが起ころうとも脳で現実化しているからです。
ですから、諸文化が、人間の安泰をどう考えようとも、それは共通理解が進んだ神経科学や心理学のような科学から理解できるのです。
道徳という言葉の概念が、漠然としているために皆の見解が一致しないと思う人は少なくないでしょう���では、どうやって道徳の概念を定義づけられるでしょうか?
でも、いつの日か人間の脳をリアルタイムでスキャンして傾向をシュミレーションで把握できるようになるかもしれません。
以上が、一神教の視点から見た風景です。
日本では、多神教の視点からなので・・・
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てんじく)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。
サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。
武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも呼ばれる。
数十年単位では、悪性でも数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
宗教の創始者たちの概念上の教え。
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装置をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強調する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
ロジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。人間の心理への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、組織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
これらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです。
そして
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教って、すべて一神教。数学の群論、トポロジーの圏論で多神教の仏教の視点で俯瞰すると、ある意味、多神教の一形態とも言えるんだよな。
インドでも似たようなのあるからね。ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神など。
なお、日本では、あまり知られていないヴィシュヌ神は、日々、時空を超越して、同時に姿を変えて人々を救っていたという場の量子論的な特徴があります。
その時のそれぞれの姿は化身を意味する「アヴァターラ」と定義されており、オンラインゲームなどで呼ばれる自分の分身となるキャラクター「アバター」の由来ともされています。
日本では、観自在菩薩に似ていますが、シヴァ神よりも強くて最強。宇宙を維持する役割もあるので、最新物理学では、イメージ的に不確定性原理に近く、スーパーストリング理論や陰陽五行理論も含まれています。
日本人は皆、神社にいくでしょ!
あれ神道で神社庁も公的にありますよ。
お寺にいくでしょ!あれ仏教ですよ。
お盆やお祭りや年中行事に参加するでしょ!あれ仏教ですよ。
これらに関わらない人も・・・
数%の大企業を中心にしたマスメディアやテレビなどもナショナリズムと言うカルトの定義になるんだけどね。
カルトの定義「中立的なバランスの欠けた極端な思想を対象にする少人数の狂信的な崇拝を持つ教団」に当てはまる?
カルトを論じる前にカルトの定義をしないと風評被害になります!
ご注意下さい。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
テーラワーダ仏教では「色」も定義されていて、「色」とは「五蘊(ごうん)」の一部であり「存在する物や事を視覚で認識」すること。
「色即是空」の「色」です。
「五蘊(ごうん)」は「五根(ごこん)」という身体の感覚器官から執着が生じていると論じています。
偶然の一致か否か?不思議なことに・・・
「量子力学」という分野を開拓し、発展させた三人の物理学者「ニールス・ボーア」「ヴェルナー・ハ��ゼンベルグ」「エルヴィン・シュレーディンガー」たちは
とても奇妙なことに気がつきました。
素粒子の物理学を究極まで追求していくと、驚いたことに、はるか昔の東洋の賢者たちが説いた哲学に
どんどん接近してしまうのです。
これは何を意味するのでしょうか?
次に
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出てきた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたいな道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先端を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
バラモン教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも。
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
現在のEUは、NATOがウクライナ侵攻でクローズアップされたこと。さらに、13の暦がひと回りして2000年前位の状況も含めて考えると
トルコまで領土にしたローマ帝国の民主主義版をフランス、ドイツは構築しようとしてる?
イギリスがブレグジット(Brexit)で離脱したのは、かつてのローマ帝国の過ちを回避した可能性も?
もし、以前、機運が高まった時にロシアがEUに加盟していれば、古代ローマ帝国2.0(民主主義版)が建国していたかもしれない。
大西洋を超えてアメリカ大陸からロシアを含めて、北半球に巨大なモンゴル帝国を超えた人類史上最大の領域が誕生するので・・・
今からでもロシアは遅くないので加盟したほうがいいような気がします。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレーションとして出てきた。
仏教最高レベルの奥義が「中道」と言葉で言うのは簡単だけど、体得して実践するのは至難の業。
ピータードラッカーも言っている。
それを可能にする方法を段階を踏んで導いた最初の人が釈迦です。
初心者向けとして、アビダンマや八正道がそれに当たります。具体的な方法を体系化しています。
極端な見解にとらわれない(顚倒夢想:てんとうむそう)よう人が心の苦しみから逃れるには、八つの道を守れば良い。
正しい見かた、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断。そして、正しい考えかたである。
ところで「正しい」とは、何をもってそう言うのだろうか?
ここでは、アリストテレス(サンデルの正義)の定義ではありません。
この場合の定義は、ブッダの説いている「中道」が「正しい」という意味です。両極端にとらわれない正しい立場(中道)が悟りへと導く唯一の道なのです。
悟りから始まり、この世は、様々な概念が重なり合うため、概念の機微や均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
最初は大変だが、ドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人みたいに、これを大変なレベルじゃなくなるくらいに習慣化することがコツです。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
続きは、後ほど。倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権なので
アリストテレスのニコマコス倫理学には、快楽的生活、社会的生活、真理を追求する生活がある。
思考の知的な徳は、形式知の根本?
もう一つ、性格の徳は、暗黙知の根本?
アリストテレスのいう定義である悪徳の反対は、有徳。有徳に転換する努力が必要。
悪徳に似た概念として、仏教でも、具体的に邪道四つと定義されている。
テーラワーダ仏教に似ている。顚倒夢想(てんとうむそう)になるため悪行為を段階的に最小限する努力が善行為。
こうすることで「パワーか?フォースか?」の書籍でいうパワーが人類全体で平等に底上げされる。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です
そして、ブッダの説いている「中道」は、「パワーか?フォースか?」の書籍でいう「意識のマップ」内の「中立」レベルに当たるかもしれない。
アビダンマとは異なる領域なので、うつ病、ADHD、自律神経失調症、発達障害などは、精神科医や心療内科へどうぞ。
もう少し、テーラワーダ仏教で教え伝えられている経験則を初心者向けから二、三歩、歩みを進めると「預流道心」と言われる悟りの最初の心が生まれる瞬間があります。
自力で到達するのは危険なので、お寺のお坊さんに詳しくは聞いてください。
自分の解釈では、ここに到達する感覚としては、量子力学の本質である「場の量子論」を本当に理解した瞬間が一番近い感覚です。しかし、検証できないので本当に到達したかわかりません。
テーラワーダ仏教のアビダンマでは、「預流道心」に到達すると自然と悟りの道に自動的に回帰できるようになるそうです。次に、七回生まれ変わるまでに完全に悟りの流れに乗れる。
前世で「預流道心」に到達してると子供の頃から、桁の違う天才になりやすい傾向が発現してくるそうです。
そして、六道輪廻するのは、人間界か天界のみだそうです(一神教では、天国に近い領域に似ている)他にいくつか特徴があります。
「預流道心」に到達すると「第一禅定(ぜんじょう)」状態に自動的になります。
一神教では「天国」に相当することですが、テーラワーダ仏教には、この先がありますが、ここまでにします。
厳密には違うけど、わかりやすく言うと精神領域がスーパーサイヤ人に到達するようなイメージ。しかし、すぐ心の状態は普通になります。
漫画のイメージのように身体は強くなりません。
言葉の定義として「禅(Zen)」は、ブッダが伝授された「第一禅定(ぜんじょう)」が起源。
言葉の定義として、ここでの「定」は、サマーディとも「梵天」の「梵」とも呼ばれます。
日本語ではわかりずらいけどサンスクリット語などにすると全て関連してることがわかります。
サマーディ瞑想とも深く関連していて、瞑想しすぎると「あの世」の人になってしまうので、ほどほどの八正道で「この世」の状態を維持しないと危険です。
戻ってこれなくなります。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
歴史に耐え抜いた哲学の基盤がない権力者が最も危険な存在です。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
<おすすめサイト>
日本テーラワーダ仏教協会
仏教と物理学
ルネデカルトの「方法序説」についてOf Rene Descartes on “Discourse on Method”
デイヴィッド・ブルックス:人間の本質と社会的動物
マイケル・サンデル:失われた民主的議論の技術
ボブ•サーマン:私たちは、だれでも仏陀になれるという話
ロブ・ウィラー:政治的な問題をうまく議論するには!
アーサー・ブルックス:政治家の保守派もリベラル派も一致団結して問題解決に取り組もう!
<提供>
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夢
最終更新:2024/11/10
橋から人が落ちていくのに誰もそれに気を止めずに各々の時間を過ごしている空間だった。 インターネットの友人と遊園地へ行った帰り、という場面から始まる夢。楽しかったね、って語らいながら分岐点まで歩いていって、橋の上で名残惜しさから他愛もない話で時間も心も埋めていくのだけれど、そんな一場面の遠くで橋の軋む音、その後に鈍い音がする。感覚的には遠いのだけれど実際のところ、すぐ横で人が湧いてきて落ちてを繰り返していた。表情は見えなくて、だからそれが誰か、何なのかも分からなくて、僕らはその横でずっと話していて。橋の下は川が流れていて、すぐ近くに平面的かつ立体的な山があった。その山の前に川岸をつなぐように電線が渡っていて、電柱のような木のようなものに、やけに大きな白い何かが止まっていた。僕はそれを鳥と認識した。概念的な生命体だった。 ある程度時間がすぎて、友人に別れを告げてひとりになったので僕は橋の下に降りてみた。所謂戦隊ものの格好をした5人組が何かをしていた。何をしていたかは思い出せないのだけれど。好奇心にかられた僕は彼らに近寄って何かをした。その間も人が橋から落ちてくる。最後に僕は崖の途中付近にいて、僕もその後同様落ちた。正式には落とされた。戦隊ものの格好をした人はにこにこしていた。僕もにこにこしていた。
起きていても寝ていても臓物を引き出す夢を見る。ずっと前から。きっと何かに影響されたものの派生かなと思うけれども何もない空間にいて、知らない手が胃腸だったり心臓だったりを掴んで体から取り出してしまったり、肺を力強く押してみたりする。 偶に自分の手が自分の意志とは関係なく動いてみせることもある。痛いというよりも塞がっていた水道がとおるような、すっきりとした感覚になるようなので悪い気分はしないけれど、目を覚ましたとき鈍器が体内にあるような気持ちになっていつもよりなんだか重たく感じる。 血が透明な何かに入れ替えられる時もある。
2024/09/13 寝れないなと思いながらただだるい体を少しでも楽にするために良い体制を探していた。最終的に平たい長座布団の上に寝そべっていた僕の上半身前面がやけに涼しくて、少しヒリヒリするような脳の認識を感じて視線を下ろしたらむき出しの臓物とも取り難いそれ、が見えた。臓器に対する知識の上での解像度が低いから臓物もどきに変換されたのだろうなと思うのだけれども。 ただどうすることもできなくて、どうしてか動けなくて薄暗がりで鈍く輝く臓物もどきを眺めることしかできなかった。ずっと見ていたら不規則に動く心臓のようなものや腸がだんだん膨張していっているように見えてきて、飲まれてしまう、と思ったら目が覚めた。04:23だった。短い時間だったのに大変不思議な夢だった。 膿んだ傷口が風に当てられて痛む感覚の延長みたいなものをずっと感じていた。
2024/08/22 気がついたら僕は、知らない家庭の団らんというものに混ざっていて、見知った顔を持ったヒトと世界を旅していた。それらしい彼等の風貌をしていて内面は少し違っていて、戸惑いながらも地球にある国々を巡って、世界の様々な人に出会った。様々な文化に触れた。どうしてか各国が地続きの世界で、さいごに見たのはさっきまでともに旅をしていたヒトたちの笑顔と片手に握った金魚が泳ぐビニール袋だった。 この世界はずっとどこかずれていた。例えば、F国では銀色の箸を使って食事をしていたし、最期に行ったA国では、なぜか室内でJ国のお祭りを行っていた。屋台で出される食事はまるで配給や給食のような出し方だった。知っているようで異質なお祭りの空気をどこか遠くで眺めているような気持ちで屋台を見回ったりして、屋台のヒトと何気ない談笑を交わして。 それなりにお祭りを���歌したあと、お祭りの熱を冷まそうと散歩をしていると眼の前に両手ではとても覆いきれないくらいに広い青が目の前に広がった。 溶けてしまいそうな曖昧な水平線に心を惹かれ半ば引きずられるように、操られるようにそちらへ歩いていく。急に視界の下の方にあったはずの地面を見失った。さっと緊張で滲む手汗を握り、足元を見ると崖だった。間一髪で落ちることなく地を踏みしめた私は眼の前に広がる初めて見る光景を見つめていた。自分の知っている海ではなく怖いくらいに鮮やかな海だった。 ずっと見ていたら呼ばれてしまうんじゃないかと思ってしまうくらいにそこの見えない海と、曖昧な空のどことなく低いのに確かに届かない雲の流れを目で追っていると、後ろから誰かの声が聞こえた。迫りくる明るい声がする方に目を向けると、旅をともにしていた人たちだった。 『良かったね、見つけられたね。』何かを祝福するふうにそう言いながら笑顔で近づいてくる。まるでこの旅の終着点にたどり着いた、みたいな終わりの空気を手のひらに感じながら戸惑っていると急に全身に空気を感じた。紐で縛られたりしていない金魚の入った袋の口が手から離れる。 最期に見たのは離れていく彼らの笑顔と、空を泳ぐ金魚と落ちてくる空だった。 普通に人生の終点だった。
2024/07/27 真昼。僕は確かにさっきまで友人とピクニックをしていたように思う。あちらの世界では遊歩道ではない場所がこちらの世界では何故か遊歩道になっており、そこになんの違和感も抱かなかったくらいには楽しいピクニックだったのだろう。そんな優雅なひとときなど一瞬だった。 「火災発生 火災発生 外出中の方は直ちにお近くの避難所へ___」 突然目も覚めるくらいけたたましいアラートとともに防災行政無線から“乾燥による火災の大量発生”を知らせる声が聞こえてきた。それを聞いても何故かのんきだった僕らはすぐには動かなかったのだが、ふと香ばしい香りが漂ってきた。そちらの方に目をやると一本の生まれたての煙柱が見えた。小規模の森と言いたくなるほど鬱蒼と生えた川岸の草が例によって火を起こしてしまったらしい。 真横で火災が起きている。 事態に気がついた僕達2人は鞄を抱えてあちらの世界には存在しないエメラルドグリーンと白の可愛らしい建築デザインの避難所へ駆け込んだ。何故か裏口から。 避難所の中は学校のように机が規則正しく並んでおり、床も机も一目でわかるくらいには木製だった。すぐに不安な気持ちでふと窓の外に目をやるとそこそこ離れた小学校の方から大きな煙がたっているのが見えた。そちらの方に住んでいる知人らに思いを馳せながら避難所の中を一周する。幼少の頃の日本国外にいるはずの友人や、既にもうこの世にいないはずの人が普通に生きて不安そうな表情を浮かべながら雑談をしている。そんな彼らに懐かしさを覚えて僕は思わず声をかけたが、一瞥すらくれなかった。僕が幻覚をみているのか、僕が幻覚なのか彼らに気がついてもらえることはなかった。 出かける際に持ってきたカバンのほか何も持っていなかった僕らはまだ火災の起きていない方に位置するスーパーに向かおうと避難所の外へ出た。 しっかりとした避難所の冷たい扉を開けいざ出発と思い左右に視線をやると、ちょっと先にある小学校の頃の同級生の家が燃えていた。緑色の芝生も雰囲気のある重い扉も面影がないくらい火の塊だった。 遊園地もブランコの周りに生えていた公園の木々も山も赤く染まっていた。 この世界の終わりを突きつけられた気持ちで即座に避難所へ引き返し、窓の外にまた目をやると避難所の真横の空き地が燃えていた。逃げ場などどこにもなかった。
2024/07/XX ⚠微グロ “目が覚めたら”真っ暗な世界にいた。真っ暗で周りには何も見えないのに自分の手足や足元は目視できた。 不思議に思いしばらくぼーっと周りを“眺めて”いたら極僅かな小さな小さな何かが這いずるような音がした。 音のした足元に目をやると白っぽいグレーっぽい、発光したような細長い何かが蠢いていた。(以下ミミズと称する) あまりのおぞましさに暫く嘔吐いていると足元にミミズが落ちてきた。動揺が引き金となって必死にせき止めていた何かが溢れ出すように吐いた、はずだった。でてきたのは想定とは異なる吐瀉物だった。胃液ですらない。ひたすらミミズが溢れてくる。自分でもわかるくらいに青ざめて真っ白になっていく床に膝をつく。潰れるミミズの体液は真っ青だった。この生物が何なのか自分から溢れてくるのは何故なのかぐるぐる考えながら、一度壊れた堤防からあふれるミミズをただひたすらに吐き続ける。長い時間休まることなく吐き出される苦しさに涙が浮かぶはずなのだが体内には彼らしか詰まっていないのかミミズしか流れてこなかった。自分の手足が次第に骨と皮になってもなお体からでてくるのはそれだけだった。 長く感じられた時間の末空っぽになった体は次第に真っ白な海に近づいていく。薄れる意識の中で最後に見たのは何だったのだろう、僕は目を覚ましてしまった。 とても冷たい世界だった。
僕はいつものように窓枠に座って時計アプリを起動させたスマホを見ていた。 ずっと前に開始させたストップウォッチの画面は止まることを知らずにずっと動き続けてくれるので安心するから。 どれくらいの時間が過ぎただろうか、突然固いはずのスマートフォンの画面がゆがむ。あまりの突然さと俊敏さに半ば寝たような脳みそを起こすまもなく液晶に飲まれる。体に纏わりつくスマートフォンの熱を感じながら意識を手放した。 意識を取り戻すと三人称視点になっていた。 僕の先程まで座っていた窓枠付近には持ち主を失ったスマートフォンが落ちていた。そのスマートフォンにおそらく僕らしき人がドロドロした液晶に飲まれていくその光景をどうすることもできずにただ見守っていた。見守ることしかできなかった。 無機質なはずの板が生命を帯びたかのように、確実に僕を飲み込もうとしている意思をもったかのようにさえ見える飲み込まれ方。 何故か無抵抗に飲まれていく僕の体。 黒っぽい液体にじわじわと飲まれ、見えなくなっていく体。 三人称視点にも関わらずリンクする“息苦しい”という感覚。 体に纏わりつくスマートフォンの熱。 普段のような苦しさはないが多少の焦りを感じた。そこにいる僕が飲み込まれきったらそこはどんな世界なのだろう、薄ぼんやりと眺めては三人称視点の僕もどうにか動こうと試してみるが壁になってしまったかの如くびくともしなかった。 暫くして髪の毛1本まで飲まれてしまった僕はその後何時間見つめてもでてくることはなかったし、三人称視点の僕もまた、どれだけ動こうとしても動けなかった。 ただどこまでも底へ引きずり込まれる感覚を最後に僕は目を覚ましてしまった。 先程まで生命を宿していた冷たいスマートフォンの時計は05:22。夢の中で最後に見た時刻だった。 今思えばもしかしたら三人称視点だと思っていた方の僕自身も飲み込まれている最中だったのではないか、などと思うが、一度中断してしまった世界である以上真相はスマートフォンの暗闇の中だった。そんな考察でもしながら僕はいつものように窓枠に座って時計アプリを起動させたスマホを見ていた。 ずっと前に開始させたストップウォッチの画面は止まることを知らずにずっと動き続けてくれるので安心するから。
へんな養護施設に化け物と天災が来て、必死に逃げるも、もう選択肢 はないと思い下水管から逃げ、へんな科学者みたいなおじさんに拾わ れる。電波関連の管理や下水の管理、変な生き物の研究をしているお じさんのもとで助手として生活していたがある日、お使いがてら養護 施設を見に行くことに。そこであった少年を抱えてまたもや起きた化 け物と天災から同じ方法で少年を逃がし、自分は飛行して逃げたが少 年がなかなか見つからない。下水管の入口のようなもの?を転々とし て脱出口を探す少年をやっと見つけ出し局所的な天災と化け物の出現 の原因解明をする話。
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