#ハリス
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宮根誠司キャスター:
さあ、そして2つ目「言葉のサラダ」。これ、初めて聞きましたが、「言葉のサラダ」��てなんですか?
木村太郎氏:
僕も初めてこの英語知ったんだけど、要するに「言語明晰意味不明」って。
要するに言葉のサラダボウルの中に、いろんなものを一緒くたに入れちゃったように色んな事を言うんだけどね、何を言っているかよく分からない。
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TEDにて
サム・ハリス: 道徳観「moralityモラリティ」にまつわる科学
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
前提として、道徳や倫理も概念が異なります。
一神教や多神教でも概念は異なります!
「公正」の定義は、「公平」の「判断や言動などがかたよっていないこと」に加えて、「正義」の方向に現在進行形で進んでいる事象のこと。
「正義」の定義は、この場合、マイケルサンデルによると、ジョンロールズの格差原理から最下層の便益に合��せて社会を動かすことが正義である!と言っています。
知ってるつもりで思い違いしてること!
公平概念は「ハンデをつけて上限を公平に!」
平等概念をわかりやすく言葉にすると「上限の公平ではなく底上げの平等!」みたいな感じで、これ以上でも以下でも概念が変わるから拡大解釈しないこと。
法人の平等な競争はあまり聞いたことない。公平な競争がしっくりくる
人間の善悪に関わる問題や、正しいことと間違っていることに関する問題は、科学から答えを導くことができないと思われがちです。
しかし、サム・ハリスは、科学は人間の価値観を形作り、良い人生を構成しながら道徳観の問題点のよりどころになりうると同時によりどころであるべきだと語ります。
道徳観や人間の価値観を述べているものは、どれも人間の意識や意識の変化と関係しているそうです。
われわれが脳レベルで、人間の心を理解する方向に向かっていると認めたら、生理学的な面からわれわれ自身の肯定的、または、否定的な素質を理解することになると認めなくてはいけません。
共感や思いやりのような肯定的な社会的感情を理解し、それを促進する要素を理解するようにします。
遺伝学的なものなのか?人間同士の歩み寄りの仕方なのか?経済システムなのか?という要素のことです。
現在、世界レベルで統合することは、困難を極めます。
日本での、道徳は古代中国の「タオ(道)」と「テー(徳)」ですが、世界では「morality」で英語のmoralは、ラテン語のmoresから由来しており「習慣」という意味です。倫理とは、異なります。
ジョン・ロールズやピーター・シンガーもいろいろ提唱してます。理論物理学者のエドワード・ウィッテンも登場します。
人間社会が栄えるには、理解するかどうかに関係なく、知っておかなくてはいけない事実があり、道徳観はこの事実と関係性があります。
ですから、価値観を論じるときは事実を論じているわけです。
我々の存在は、様々なレベルで把握できます。ゲノムのレベルから経済的システムのレベル。政治協定のレベルです。しかし、健全な暮らしを話題にするならば、人間の脳は切り離せません。
なぜなら、我々がこの世で経験することは、死後にどんなことが起ころうとも脳で現実化しているからです。
ですから、諸文化が、人間の安泰をどう考えようとも、それは共通理解が進んだ神経科学や心理学のような科学から理解できるのです。
道徳という言葉の概念が、漠然���しているために皆の見解が一致しないと思う人は少なくないでしょう。では、どうやって道徳の概念を定義づけられるでしょうか?
でも、いつの日か人間の脳をリアルタイムでスキャンして傾向をシュミレーションで把握できるようになるかもしれません。
以上が、一神教の視点から見た風景です。
日本では、多神教の視点からなので・・・
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てんじく)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。
サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。
武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも呼ばれる。
数十年単位では、悪性でも数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
宗教の創始者たちの概念上の教え。
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装置をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強調する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
ロジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。人間の心理への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、組織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
��れらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです。
そして
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教って、すべて一神教。数学の群論、トポロジーの圏論で多神教の仏教の視点で俯瞰すると、ある意味、多神教の一形態とも言えるんだよな。
インドでも似たようなのあるからね。ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神など。
なお、日本では、あまり知られていないヴィシュヌ神は、日々、時空を超越して、同時に姿を変えて人々を救っていたという場の量子論的な特徴があります。
その時のそれぞれの姿は化身を意味する「アヴァターラ」と定義されており、オンラインゲームなどで呼ばれる自分の分身となるキャラクター「アバター」の由来ともされています。
日本では、観自在菩薩に似ていますが、シヴァ神よりも強くて最強。宇宙を維持する役割もあるので、最新物理学では、イメージ的に不確定性原理に近く、スーパーストリング理論や陰陽五行理論も含まれています。
日本人は皆、神社にいくでしょ!
あれ神道で神社庁も公的にありますよ。
お寺にいくでしょ!あれ仏教ですよ。
お盆やお祭りや年中行事に参加するでしょ!あれ仏教ですよ。
これらに関わらない人も・・・
数%の大企業を中心にしたマスメディアやテレビなどもナショナリズムと言うカルトの定義になるんだけどね。
カルトの定義「中立的なバランスの欠けた極端な思想を対象にする少人数の狂信的な崇拝を持つ教団」に当てはまる?
カルトを論じる前にカルトの定義をしないと風評被害になります!
ご注意下さい。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
テーラワーダ仏教では「色」も定義されていて、「色」とは「五蘊(ごうん)」の一部であり「存在する物や事を視覚で認識」すること。
「色即是空」の「色」です。
「五蘊(ごうん)」は「五根(ごこん)」という身体の感覚器官から執着が生じていると論じています。
偶然の一致か否か?不思議なことに・・・
「量子力学」という分野を開拓し、発展させた三人の物理学者「ニールス・ボーア」「ヴェルナー・ハイゼンベルグ」「エルヴィン・シュレーディンガー」たちは
とても奇妙なこと��気がつきました。
素粒子の物理学を究極まで追求していくと、驚いたことに、はるか昔の��洋の賢者たちが説いた哲学に
どんどん接近してしまうのです。
これは何を意味するのでしょうか?
次に
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出てきた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたいな道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先端を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
バラモン教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも。
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
現在のEUは、NATOがウクライナ侵攻でクローズアップされたこと。さらに、13の暦がひと回りして2000年前位の状況も含めて考えると
トルコまで領土にしたローマ帝国の民主主義版をフランス、ドイツは構築しようとしてる?
イギリスがブレグジット(Brexit)で離脱したのは、かつてのローマ帝国の過ちを回避した可能性も?
もし、以前、機運が高まった時にロシアがEUに加盟していれば、古代ローマ帝国2.0(民主主義版)が建国していたかもしれない。
大西洋を超えてアメリカ大陸からロシアを含めて、北半球に巨大なモンゴル帝国を超えた人類史上最大の領域が誕生するので・・・
今からでもロシアは遅くないので加盟したほうがいいような気がします。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレーションとして出てきた。
仏教最高レベルの奥義が「中道」と言葉で言うのは簡単だけど、体得して実践するのは至難の業。
ピータードラッカーも言っている。
それを可能にする方法を段階を踏んで導いた最初の人が釈迦です。
初心者向けとして、アビダンマや八正道がそれに当たります。具体的な方法を体系化しています。
極端な見解にとらわれない(顚倒夢想:てんとうむそう)よう人が心の苦しみから逃れるには、八つの道を守れば良い。
正しい見かた、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断。そして、正しい考えかたである。
ところで「正しい」とは、何をもってそう言うのだろうか?
ここでは、アリストテレス(サンデルの正義)の定義ではありません。
この場合の定義は、ブッダの説いている「中道」が「正しい」という意味です。両極端にとらわれない正しい立場(中道)が悟りへと導く唯一の道なのです。
悟りから始まり、この世は、様々な概念が重なり合うため、概念の機微や均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
最初は大変だが、ドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人みたいに、これを大変なレベルじゃなくなるくらいに習慣化することがコツです。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
続きは、後ほど。倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権なので
アリストテレスのニコマコス倫理学には、快楽的生活、社会的生活、真理を追求する生活がある。
思考の知的な徳は、形式知の根本?
もう一つ、性格の徳は、暗黙知の根本?
アリストテレスのいう定義である悪徳の反対は、有徳。有徳に転換する努力が必要。
悪徳に似た概念として、仏教でも、具体的に邪道四つと定義されている。
テーラワーダ仏教に似ている。顚倒夢想(てんとうむそう)になるため悪行為を段階的に最小限する努力が善行為。
こうすることで「パワーか?フォースか?」の書籍でいうパワーが人類全体で平等に底上げされる。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です
そして、ブッダの説いている「中道」は、「パワーか?フォースか?」の書籍でいう「意識のマップ」内の「中立」レベルに当たるかもしれない。
アビダンマとは異なる領域なので、うつ病、ADHD、自律神経失調症、発達障害などは、精神科医や心療内科へどうぞ。
もう少し、テーラワーダ仏教で教え伝えられている経験則を初心者向けから二、三歩、歩みを進めると「預流道心」と言われる悟りの最初の心が生まれる瞬間があります。
自力で到達するのは危険なので、お寺のお坊さんに詳しくは聞いてください。
自分の解釈では、ここに到達する感覚としては、量子力学の本質である「場の量子論」を本当に理解した瞬間が一番近い感覚です。しかし、検証できないので本当に到達したかわかりません。
テーラワーダ仏教��アビダンマでは、「預流道心」に到達すると自然と悟りの道��自動的に回帰できるようになるそうです。次に、七回生まれ変わるまでに完全に悟りの流れに乗れる。
前世で「預流道心」に到達してると子供の頃から、桁の違う天才になりやすい傾向が発現してくるそうです。
そして、六道輪廻するのは、人間界か天界のみだそうです(一神教では、天国に近い領域に似ている)他にいくつか特徴があります。
「預流道心」に到達すると「第一禅定(ぜんじょう)」状態に自動的になります。
一神教では「天国」に相当することですが、テーラワーダ仏教には、この先がありますが、ここまでにします。
厳密には違うけど、わかりやすく言うと精神領域がスーパーサイヤ人に到達するようなイメージ。しかし、すぐ心の状態は普通になります。
漫画のイメージのように身体は強くなりません。
言葉の定義として「禅(Zen)」は、ブッダが伝授された「第一禅定(ぜんじょう)」が起源。
言葉の定義として、ここでの「定」は、サマーディとも「梵天」の「梵」とも呼ばれます。
日本語ではわかりずらいけどサンスクリット語などにすると全て関連してることがわかります。
サマーディ瞑想とも深く関連していて、瞑想しすぎると「あの世」の人になってしまうので、ほどほどの八正道で「この世」の状態を維持しないと危険です。
戻ってこれなくなります。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
歴史に耐え抜いた哲学の基盤がない権力者が最も危険な存在です。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
<おすすめサイト>
日本テーラワーダ仏教協会
仏教と物理学
ルネデカルトの「方法序説」についてOf Rene Descartes on “Discourse on Method”
デイヴィッド・ブルックス:人間の本質と社会的動物
マイケル・サンデル��失われた民主的議論の技術
ボブ•サーマン:私たちは、だれでも仏陀になれるという話
ロブ・ウィラー:政治的な問題をうまく議論するには!
アーサー・ブルックス:政治家の保守派もリベラル派も一致団結して問題解決に取り組もう!
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
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ウォーカー Cinema square Magazine No.64 シネマスクエアとうきゅう 監督=アレックス・コックス/出演=エド・ハリス、マーリー・マトリン ほか
#WALKER#ウォーカー#Cinema square Magazine#Cinema square#alex cox#アレックス・コックス#ed harris#エド・ハリス#marlee matlin#anamon#古本屋あなもん#あなもん#movie pamphlet#映画パンフレット
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【似顔絵】トランプVSハリス。
ブログ記事はこちら:https://wp.me/p72NAa-23n
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FreeDum Fightersとは?アメリカ大統領選がミームコインに!?プレセール購入後、ドナルド・トランプ、カマラ・ハリスにステーキングして応援しよう【仮想通貨】
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日鉄のUSスチール買収、年内完了に暗雲 ハリス副大統領も反対表明で逆風強まる
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トゥモローランドが展開するPERFUMER H(パフューマーH) 自然と共鳴し、人々の内面に響く美しい香り
ロンドン・メリルボーン地区にショップ兼ラボを構えるフレグランスブランド・PERFUMER…
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ザリガニの鳴くところ
WHERE THE CRAWDADS SING
内緒の飴ちゃんサービスから始まる雑貨屋夫婦の温かさが心地良い。 それと、どうしてそんなに優しいの弁護士さん。 原作にはあるのだろうけれど、少し背景を省略し過ぎかな。
なんで裏切っちゃうのテイト君、ちゃんとしたワケが知りたいけど省略。 最初から悪人面の二番目の男チェイス。 そんな男になびいてしまうのも、孤独さ故。
幼い少女を見捨てて去ってしまう家族や、美しいばかりで醜さや怖さを見せない大自然、 ご都合主義的な展開には目をつぶりましょう。
今一つ盛り上がらないちょっと拍子抜けの裁判シーンは、 どんでん返しが来るか来るかと待ち構えていても、そういう作品ではないようです。
自然には善悪などなく、私はそこに溶け込んで、 いつまでもザリガニの鳴くところあたりにいるよ~、な柔らかさ。 終盤のまとめは早足過ぎるけれど、 やっぱりそうだったか~を上手に見せてくれます。
最後の最後に幻で母親に会えたシーンなど、人生はファンタジーなんだと思わせてくれて、 テイト君の取り乱しようも良かった。
ミステリー・サスペンスとしては物足りないし、 ツッコミどころも多く、批評家は酷評。 でも興行は大成功。 面白ければ良いと思います。
#2022年#アメリカ#オリヴィア・ニューマン#ミステリー・サスペンス#デイジー・エドガー=ジョーンズ#テイラー・ジョン・スミス#ハリス・ディキンソン#マイケル・ハイアット#デヴィッド・ストラザーン#8点
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ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ ☆☆☆
丁度いい具合
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映画『赤い砂漠』
U-Nextでミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画『赤い砂漠』(1964)を見ました。結局一周してアントニオーニに戻ってきたわけです。
この映画でもやはりアントニオーニは説明をしません。
もちろん主要登場人物の性格や関係を全て明らかにしてから物語を始める必要などありません。そういうのは物語が進むにつれて徐々にわかってくるのが「粋」だと思います。
また、前にも書いたように説明しないことで、観客に「解読」、「解釈」の喜びを与えるというのは、映画が芸術であるための条件の一つだと思います。
でも……ここまでする必要がありますか。
例えば映画の冒頭で主人公の女性ジュリアナが5歳くらいの子どもを連れてストライキ中の工場のそばを通ります。工員らしい男がサンドイッチを食べているのを見たジュリアナは「それ、売ってくれません?」と言って食べかけのサンドイッチを買い、貪るように食べます。
どうしてそれほどお腹をすかしているのか。お金がないのか。しかし、サンドイッチを買うお金はあるらしい。じゃあどうして……って誰でも不思議に思いますよね。でも、それに対する説明はありません。
ジュリアナは交通事故を起こし、自分も相手も怪我はしなかったけれど、激しい精神的ショックを受けて1ヶ月入院していたことが後でわかるので、サンドイッチのエピソードは彼女の精神的不安定さを示すためのものなのかもしれませんが、ちょっとどうかと思ってしまいます。
ジュリアナの夫ウーゴは工場の管理職です。ウーゴは赴任してきたばかりの同僚コラドを妻に紹介します。ストライキで労働者が足りなくなっているので、コラドはよその町に職工をスカウトに行きます。ジュリアナはそれに同行します(なぜ同行するのかという疑問もないではないです���、二人はお互いちょっと惹かれあっている様子なので、そういうこともアリなんだろうと思います)が、職工に断られてしまいます。
そこで場面が変わって、ジュリアナとコラドはウーゴと一緒にいます。3人は中年の男が持っている埠頭の小屋のようなところへ行きます。小屋には女が二人いて、一同は飲んだり食ったり、ウズラの卵は精力がつくというような下ネタ(?)に興じたりするのですが……
えーっと、この人たちは誰ですか。おそらくウーゴとジュリアは休日にコラドを誘って一緒に友人のところへ行った、小屋にいる二人の女性の一人は中年男の妻で、もう一人は夫婦の友人だということなのだろうと思いますが、説明がないのでさっぱりわかりません。
埠頭に大きな船が着きます。どうやら船内で病人が出たようです。伝染病らしいと聞いてジュリアナは急に帰ろうと言い、一人で車に乗り込んで発進します。車は埠頭の先のギリギリのところで停まります。
えーっと、これもジュリアナの精神的不安定さを示すためのものですか。船とか伝染病とかに特に意味はないということですか。
それからコラドは新しい工場を作るために南米に行くことになります(Wikipediaには「コラドは父親の跡を継いだ企業家で、新工場のための技術者や労働者を募集するために来ている」と書いてありますが、そんな説明、映画のどこにあったんですか。私がセリフを聞き落としただけですか)。
そのタイミングでジュリアナの息子が足が動かなくなります。検査の結果を待つジュリアナは気が気でありません。息子にせがまれて彼女はお話をします。南の島に住む少女の物語です。
少女は大人にも同世代の子どもにも馴染めず、いつも海で一人で遊んでいました。ある日、帆船がやってきました。とても美しく見えたので少女は帆船の近くに泳いで行きました。でも、近くで見ると帆船は不気味で、怖くなった少女は浜に戻りました。
また別の日(なのかな?)、どこからともなく美しい歌声が聞こえてきました。
物語はそこまでです。
ジュリアナは物語の少女に託して自分の話をしているのかもしれませんが、これではさっぱりわかりません。
ジュリアナが息子の寝室を覗くと、息子はなんと自分の足で歩いておもちゃを取ろうとしています。足が動かないというのは嘘だった、詐病だったってことですか。
それで安心したのか、ジュリアナはコラドに会いに行きます。ジュリアナは「息子は私を必要としていない」と言いますが、そうでしょうか。母親を必要としているから、母親の気をひきたいから、足が動かないと嘘をついたんじゃないんですか。
こうしてジュリアナとコラドはベッドを共にしますが、ベッドを共にしたからといって何が変わるわけでもありません。ジュリアナは貨物船が停めてある埠頭へ行き、出てきた外国人船員に「この船は人も乗れるの?」と尋ねますが、船員はイタリア語がわからないので話が通じません。
ラストはファーストシーンと同じく工場のそばを息子を連れたジュリアナが通ってオシマイ。
なんなんじゃ、これは!
この世には言葉にできないもの、言葉にしてしまうと安っぽくなてしまうものがあるというのはよくわかります。でも、だからと言って何も説明しようとしないのは、私には作者の手抜きに思えてしまいます。
優しい夫がいて、可愛い子どもがいて、経済的に恵まれていても、だからと言って幸せとは限らないというのはよくわかります。ジュリアナの不安定さを言葉ではなく映像で表現しようとしたというなら、それもいいでしょう。
でも、もうちょっと説明すべきことがあるんじゃないですか。それをしなければ観客はついていけないと思います。
何年か前、私の戯曲は説明しすぎだ、もっと観客を信頼すべきだと言われたことがあります。でも、言葉で表現できる部分はきちんと言葉で説明するというのは物語の作り手としては必要なことだと私は思っています。
ジュリアナを演じるのは、アントニオーニのミューズ、モニカ・ヴィッティ。
コラドを演じるのは、英国人のリチャード・ハリスーー私の好きな役者です。
今の若い人にとっては、リチャード・ハリスは『ハリーポッター』のダンブルドア校長ということになるのでしょうが、私にとっては『ジャガーノート』(1974)や『カサンドラクロス』(1976)が印象的でした。
それほど有名な映画ではありませんが、リチャード・ハリスがジュディー・フォスターと共演した『別れのこだま』(1976)は素晴らしい映画でした。心臓病で長くは生きられない12歳の娘とその父親の絆を描いた映画で、「けっ! 御涙頂戴か」と思って見ていたら、決してそうではなく、娘のために物語を作る父親役のリチャード・ハリスに私は惚れ込みました。
『ジャガーノート』でも『カサンドラクロス』でも『別れのこだま』でもハリスは渋い中年です。でも『赤い砂漠』のリチャード・ハリスは若い2枚目なので、ちょっとびっくりしました。
リチャード・ハリスがイタリア人役だというのもちょっとびっくりです。ハリスはイタリア語は話せないと思うのですが、どうやったんでしょうね。ハリスだけ英語でセリフを言って、後からイタリア語の吹き替えをつけたということなんでしょうか。
なぜそんな面倒なことをしたのかな。そうまでしてリチャード・ハリスを使いたいという何かが監督にあったのでしょうか。
とりあえず極私的アントニオーニ詣で(?)はこれで一段落です。残念ながらアントニオーニは私には合わないというのが、私の結論です。
追記: タイトルの『赤い砂漠』というのは何を意味しているんでしょうね。原題は Il Desarto Rossoで、Desartoは「砂漠」、Rossoは「赤い」でしょうから、勝手な邦題をつけたわけではないと思います。 映画の中には「赤」も「砂漠」も出てこなかったような気がするのですが……
追記2: この映画でアントニオーニは執拗なまでに女性の足を強調しています。それに何か意味があるのでしょうか。急に足フェチになっただけなのでしょうか。
追記3: ヒロインのジュリアナは映画の序盤でコラドに入院中に知り合った女の話をします。その女は「すべてが欲しい」と言い、「自分のベッドが動く。どんどん動いて流砂に飲み込まれる」と言っていたとのことですが、終盤コラドは「あれは君自身の話なんだろ」と言います。 部分的にはなるほどと思いました(「これは友達の話なんだけど」と言って自分の話をするのはよくあることです)が、でもだからと言ってジュリアナの精神的不安定さの原因がわかるわけではありません。
そこをきちんと説明しないと、「更年期障害」で片付けられてしまう危険性もあると思います。
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【似顔絵】カマラ・ハリスさん(2)。
ブログ記事はこちら:https://wp.me/p72NAa-237
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