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Hannibal Rising
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レクター博士の青年期の物語。ミーシャが亡くなったときから既にハンニバルの心は死んでしまったんだな…壮年期のハンニバルが生き生きしてるから忘れてたけど、すごく過酷な人生を送ってて悲しくなった。相手を痛めつけるやり方や詰めの甘さがハンニバルらしくなくて新鮮だった。初めての殺人だもんね。警察に普通に捕まっててやばいじゃん!!ってハラハラしてたけど、紫夫人が想像以上に肝の据わった女性だった。ウィルに食べさせたホオジロとか、レッドドラゴンの部屋とそっくりなハンニバルの部屋とか、テンポの速いGoldberg Variationとか、ドラマとの繋がりも垣間見れて面白かった。ギャスパー・ウリエルの気品があるけどどこか壊れてしまっているような美しい表情がすごく若ハンニバルっぽくて良かった…。
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しあわせな孤独
誰も幸せになってないんだけど。どういうことですか?
妻が車で跳ねた被害者の恋人を好きになってしまうニルス。悪いと分かっているのにどんどんのめりこんでいって、家族を傷つけてしまう。スティーネ(娘)を迎えに行った夜はマリーの方が強気だったのに、朝ニルスが「彼女が好きなんだ」「出ていく」と言った途端追いすがる様子が観ていてつらかった。子供たちからしたらトラウマだよ。娘は自分がばらしたせいで家族が崩壊したってこれから先ずっと苦しむことになるだろうし、出ていったニルスはセシリが彼の方に戻りそうになってヤケ酒して一回りも年下の女の子にダサい告白かますし、ヨアヒムは気の毒なまま終わってしまうし、誰一人として幸せにならない。ずっと人生が展開していく感じで、幸せは掴んでも一瞬で、全部どんどん変化していく。
初めは可愛いけどパッとしない印象だったセシリが、時々はっとするほど美しい瞬間があって、観ていてドキドキというか罪悪感みたいなものが沸いた。憂いをまとって外を眺めている横顔ややけになって俯いているときの顔がすごくきれいなの。撮り方の問題なのかな?なんか、セシリに魅かれていくニルスの視点になった気分で怖いような感動するような、不思議な気持ちになった。
反対に、ヨアヒムは事故で二度と歩けない、自力で生活できないことを知って絶望し卑屈になっていく。セシリの励ましを無視したり、看護師の亡くなった息子を話題に挙げて挑発したり、二度と来るなと怒鳴ったのにセシリが毎日電話をかけているか看護師に確認したり。でも気持ちは分かる。セシリはヨアヒムに当たられて辛い思いをしたけど、ヨアヒムの今後を考えると、結婚したらセシリは23歳にして介護生活が始まってしまうんだよな。レストランで「俺のトイレの手伝いをしてくれるか?」とウエイターに聞き、相手のこわばった顔を見て「冗談だよ」と言うシーンが一番心にぐさっと来た。世間の反応を見て、「やっぱり」と思ったからヨアヒムはセシリを手放した。セシリは事故以来トラウマになっていた運転席に再び乗れるようになる。タイトルの「しあわせな孤独」って、ヨアヒムのことを言ってるんですか?残酷過ぎない?
正直めっちゃ観てて辛いけど、めっちゃ面白い。自分がヨアヒムになったら、セシリになったら、マリーになったら、スティーネになったら、ニルスになったら…ってぐるぐる考えながら観てしまう。全員の気持ちが分かるからどこにも正解を見つけられなくて、すごく「映画」を観たなあ…って気持ちになった。
追記:マッツは衣装を脱ぐと途端にハンサムでセクシーなのがばれてしまうので、ダサい男を演じるなら脱がせないでください。シャワーシーンで世界一かっこいいやんけ!!!どこが冴えないおじさんやねん!!!!って突っ込んでしまったわ。
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LAMB ラム
マリアはかつて娘の「アダ」を失った悲しみから、羊と人間のキメラのような子どもを育てその心の隙間を埋めようとする。幸せな雰囲気だけど随所に不穏さを感じさせてくる。ぞっとするほど静かな映画で、観終わるとどうしようもないような、途方にくれるような気持ちになった。夫は妻の悲しみが痛いほどに分かっているからどんな形であろうと望みを叶えようとする。マリアではなく彼が殺されてしまうのがなんともいえない後味の悪さを残していった。夫も同罪ということなのかと複雑な気持ちになった。
アダは消え、夫は殺され、忠告した弟を帰してしまった。取り返しのつかない全てを見て、途方に暮れたようにただ泣くマリアの姿で映画は終わる。因果応報と言うべきなのか分からない。ただただ、取り残された気分になった。……考察、読むか〜〜〜
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ソウルメイト
あんたを愛してるのは誰だと思う?恋人?あんたの母親?ジヌ?心の底からあんたを愛してるのはーー 私しかいない 私以上にあんたを愛してる人はいない
優しくて暖かくてずっと胸の奥にしまっておきたくなる映画。後半ずっと泣きっぱなしだった。ずっとずっと愛にあふれてて、お互いのことが本当に大切で、思いやるあまりに誤解してしまって、切なくて優しい秘密が隠されている。
子どもの頃にミソが言った「夏の銀河と書いてハウン」ということばを覚えていてブログの名前にしたところや、ミソの繊細な一面を理解して常に心配していたところ。彼氏も気づかなかったほくろの場所を覚えていたところ、恋の手助けをハウンに知られないように行うところ。「おばあちゃんになるまで生きて」と泣いたハウンのために付けていたお守り。ミソとハウンのお互いへの愛がずっとそこにあって、未完成だった絵を完成させるシーンで涙が止まらなかった。
「次はあなたを描きたい 愛が無ければ描けない絵を」という最後のミソの言葉は、ハウンの「わたし以上にあんたを愛している人はいない」という告白への答えだと思った。
ジヌ、てめえはクソだ。
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バービー Barbie
公式サイトの原爆ネタで当時はうわっ…これに金落としたくないわ…と思って観るのを避けてたけど、今回やっと配信で視聴。
王道のフェミニズム作品だけど、人形のバービーやバービーの付属品でしかないケンという立場から「なぜ私たちは生きづらいのか?」という疑問へ答えていて、面白かった。
ケンは反対世界にある女たちだ。バービーの付属品、いてもいなくてもいい、自信が無く、バービーの言うことに従い、家も車も時計も持たない。Ken is me!は、女は女であることに縛られているというメッセージが込められていると思った。最後にバービーを見送るシーンでケンのシャツがi'm Kenoughになっていて(i'm enoughとi'm Kenをかけている)笑った。
一番好きなのは、現実世界でバービーが創業者であるルースとの初めて出会うシーン。「あなた、とても綺麗ね」とバービーが言うと、ルースは「知ってる」と答える。このバービーマインド、大事にしたい。
何にならなくてもいい、何��を得たり誰かになったりする必要もない。可能性を示すだけで良いというラストに少し涙が出た。
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ピギー PIGGY
サラの行く末怪しくてスッキリしたような悲しいような……。こんなにハラハラした映画はないかも。虐められていた相手を助けなきゃいけない、自分を救ってくれる人は殺人犯。母はサラの一挙一動に口を出し、人前で恥をかかせ、でも自分の味方ではある。苦しくて痛くて、何でこんな目に遭わなきゃいけないの?みんな死んじゃえ!って思うサラの気持ちが突き刺さってくる。偉いと思うし、仕方ないと思う。殺人犯がなぜプールの監視員を狙ったのか、車に飾ってあった女神像はなんなのかは分からないままだったけど、彼もサラと同じように過去にいじめられていて彼女の味方をしようと思ったのかなあ。殺人犯を殺してしまってからのサラの吹っ切れ感が良かった。
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イタロ・カルヴィーノ 米川 良夫訳
不在の騎士
アジルールフォは意思の力によって存在していたから、騎士の称号を奪われたことで消えてなくなってしまったんだろうか。ランバルドやブラダマンテ、騎士団の男たちや聖杯騎士団、私生児のトリスモンドたちは生々しく 人間的な目的や 欲望によって動いている。ただ一人、騎士として生きるのみを信念とするアジルールフォの存在がきわだち、いかに彼らと隔絶された存在であるかが強調されている。ブラダマンテの恋心がただの一過性のものでしかなかったと気づいてからはなんだかやるせない気持ちになってしまった。
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アゴタ・クリストフ 堀 茂樹訳
ふたりの証拠
本当に2人は存在したのか?『悪童日記』からずっと読んできて 信じていたものが いきなり ガラガラと崩されるような気分だった。リュカ、お前ってそんなに 常識的なやつだったか?と思う一方で、あっ、変わってないわ、とほっとする瞬間がたくさんあった。片割れを失ってからおばあちゃんの家に残った彼がいかに孤独な日々を過ごしてきたかが描かれている。ふたりの証拠というタイトルから反して、そこには1人だけが生きた証拠しか残っていない。子供を母親から奪った挙げ句 死なせてしまったのはなぜだろう。一緒に行かせたら良かったのに、どうしてそんなに執着したんだろう。もしかしたら彼の頭の良さ やずるさや執着心や残酷の部分から、 片割れを見いだすヒントにしていたのかもしれない。
「これから忘れていくはずだよ。人生というのは、そういうふうにできているんだ。すべてが、時とともに消えていく。記憶は薄れ、苦しみは減少する。私は妻のことを思い出すけれど、それはまるで小鳥か花でも思い出すような感じなんだよ。彼女は、すべてが軽やかで、たやすく、美しく思えたひとつの世界に現れた生命の奇蹟だった……。初め私は、その彼女を思ってここへ来ていたんだが、今では、生き残りであるジュディスのために来るようになった。もしかすると、きみにはもの笑いの種だと思われるかもしれないけれどね、リュカ、私はジュディスに恋しているんだ。彼女の強さに、彼女の思いやりに、自分のではない子供たちに対する彼女の愛情にね」
…………「そう、確かに私は、減少する、薄れると言った。しかし、消え失せるとは言わなかったよ」
不眠症の男性がかつて一方的な事情で殺された妻のことを忘れていき、新しい女性に心を惹かれていく一方で、苦しみは完全に消えることはないと語る。私はここの一文がすごく心に残った。辛い思い出は色褪せるけど、決してなくなってはくれない。ずっと心の底にこびりついて離れてくれない。男はそれがわかっていたから、ジュディスとの日々を大切にしていたのかなと思った。彼とは反対に 主人公のリュカはまだ片割れが生きていると信じているし、彼の面影をたくさん探し回る。ここの2人はわざと対照的に描かれているのかな〜となんとなく思った。
戦争によって何もかも奪われたのに、それは間違いだったと言われおかしくなってしまった女性。小説家を���指して自ら姉のもとへやってきたのに姉を殺してやっと 小説が書けるようになった男性。たった7歳で自殺してしまった マティアス。帰ってこない 片割れ。今回の物語では1巻目と違って登場人物にそれぞれ 名前がついているが、彼らはあっという間に消えて行ってしまう。何かに揉まれてどこかへ行ってしまったり、死んでしまったり。だんだんと 薄れてしまうという不眠症の彼のセリフがキャラクターたちに重なって見えた。
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ヴァージニアウルフ 川本静子訳
自分だけの部屋
書棚を端から端までじっくりと歩き回るような文の構成が新鮮だった。初めは、彼女は何を言おうとしてるんだろうと訝しがっていたが、いつの間にか庭から図書館へ移動し彼女の話を隣で聞いているような感覚になっていった。「女性が小説を書こうとするならお金と自分自身の部屋を持たねばならない」ということばが身に沁みる。長い歴史の間女性は財産を持つことを許されず、自分の部屋さえ与えられず、10分もすると別の用事で引っ張りだされるため時間的余裕がない。それでもたくさんの女性作家たちが私たちの道を切り開いてきて、進化してきた。ウルフは自分の時代が終わった後も、女も男も関係なくなる時代が来ると予言していて、なんだか 勇気づけられた。 また彼女の膨大な読書力をここで知ることができ 読みたい本がさらに増えてしまった。
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E・M・フォースター 中野康司訳
天使も踏むを恐れるところ Where angels fear to tread
イタリア・モンテリアーノで恋に落ちた未亡人リリアと、その結婚を阻止するべく動くヘリトン一家。イギリス人とイタリア人が恋に落ちるとどんな結末になるのか、一つの結婚と子どもを巡ってのドラマがこの物語の面白くも悲しいところだった。
タイトルはアレクサンダー・ポープの詩『批評論』の、「天使も足を踏み入れるのをためらう場所に、愚か者は飛びこむ」から取られたものだ。この場合の場所というのは、イギリス人とイタリア人の結婚生活といったところだろうか?リリアは愚かさゆえにこの結婚が望ましいものではないと気づいてからも、子供を生めばジーノが再び振り向いてくれると思い、そして死んでしまう。生まれた子供は可哀そうなことに、大人たちの愛憎や策略に巻き込まれて死んでしまう。ジーノは多面的なキャラクターだ。見る人や時や場所によって彼の評価は全く変わってしまう。リリアから見ると、初め愛した夫が金目的で自分と結婚したと分かってから、彼は恐怖の対象となり、彼女を束縛する人物となる。自由を求めてヘリトン家から出たのに、結局彼女はどこにいても誰かに縛られる運命だったのかもしれない。フィリップから見ると、ジーノははじめ金で妻や子供を売るような卑しい貧乏人だが、お家騒動を通じて良き友人と変わる。アボット嬢のジーノに対する評価は、ハンサムだという点で作中のはじめから終わりまであまり変わっていないかもしれない。赤ん坊を二人で沐浴させるシーンで、アボットは彼がお金では決して動かないであろうと気づく。ジーノは貧乏な歯医者の息子にも、愛に衝動的な美男子にも、妻を家に閉じ込めるDV男にも、ただの博打好きな道楽者にも、愛情深い父親にもなる。何が正しくて誰の意見に従うべきなのかわからない。こんな状態なので、私はフィリップの一貫した受け身な姿勢にも共感してしまう。フィリップは赤ん坊の件でアボット嬢と話し合うとき、以下のように自分のことを語る。
「アボットさん、ぼくのことは心配しないでください。世の中には、何もしないように生まれついた人間がいるんです。ぼくもそのひとりです。……とにかくぼくは死にませんし恋もしません。みんなが死んだり恋をしたりするときは、それはいつも、ぼくがいないところで行われるのです。まったくあなたの言うとおりです。ぼくにとって人生は見世物なんです。」
フィリップは他の登場人物たちの言動によって、自分が愛したイタリアがうちのめされたり取り戻したりと視点を変えていく。また、母であるヘリトン夫人のいいなりになってモンテリアーノへ降り立つが、何かを成し遂げて帰ろうという気はさらさらない。彼はただ、一連の喜劇を楽しく眺めていたいだけなのだ。私はフィリップにとても共感したし、可哀そうだとも思った。上の台詞は達観していて自分をすっかり理解しているようにも聞こえるけれど、自分のあずかり知らぬところで物事が動き、それをどうすることもできないというのは寂しいものだ。だから、真面目だが自分の意志に基づいて動くアボット嬢は、彼にとって魅力的な女性だったのだろう。この物語において唯一「なにもしない」フィリップは、事件を通してアボット嬢に恋をするが、時すでに遅し。アボット嬢はジーノに恋をしてしまい、結局彼は上記の自分の宣言通り何もしないまま終わる。読み終わってから、この物語のヒロインはリリアではなくアボット嬢だと気づきはっとした。
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墓泥棒と失われた女神 La Chimera
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古代エトルリア人の墓を見つけることができる不思議な能力を持つアーサーは、失踪した婚約者べニアミーナを探している。ある日、墓泥棒仲間たちと見つけた女神像を見てから、彼はある思い���取りつかれ始める…。
まず、映像が美しい!イタリアの町並み、発掘中に顔に照り付ける日差し、廃駅の中を駆け回る子供たちの姿、墓の中に佇む女神、印象的なべニアミーナの顔…。また、マジックリアリズムを用いてアーサーの特殊な能力や死人たちへの罪悪感を表現し、夢なのか現実なのかあやふやになる瞬間の感覚を味合わせてくれる。画面中が眩しさで溢れていて色鮮やかで、観ていてとっても楽しかった。
アーサーはあの女神像にべニアミーナの顔を想起したのだろう。像の首が砕かれるシーンは、アーサーだけでなく私もひいっと叫んだ。獣のように吠えあう仲間と競売人の姿を見て、「見る人を楽しませるものではない」と呟く。アーサーのべニアミーナに対する深い思慕や愛情が切なかった。ラストの幸せそうな二人の姿を見ると、アーサーは彼女を天国で見つけることができたのかなあと満ち足りるような悲しいような気持になった。
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カズオ・イシグロ 土屋政雄訳
クララとお日さま
日光をエネルギー源とするロボットのクララは、病弱な少女ジョジーの友人として家に迎えられた。クララは、ジョジーにとって何が最適なことか考え動く。弱っていくジョジーのために、クララはお日さまに祈る。
読み終わって呆然とした。これで終わり?これでいいの?クララはロボットとして、満足して最期を迎��る。こんなに揺るがない献身を注いで、役目を果たしたらああ良かったと終わることができるなんて、信じられない、と呆然とした。でもこれは私が人間だからそう感じるんだろうか。作中ではジョジーやリックの親や周囲の大人たちが、彼らにとって何が正しい選択なのか、何を選べば幸せな道を辿れるのか頻繁に議論している。子どもたちは母が選択した結果を���負わされるが、それでも母を愛している。ジョジーが母にあてたメッセージを読んだとき、子どもの愛は親が子どもに与えるものよりもずっとずっと大きいと思った。クララも、ジョジーに対してそうだったから「ジョジーは最高の子です」と言うことができたんだろうか。自分が役目を果たし終えて、そして自身が終わろうとしても満足なのだろうか。何ひとつ見逃さず学習し、自分にやれることを全てやって、クララは幸せだと感じている。解説で「クララはカズオ・イシグロが創ったもっとも美しい子供だ」と言われていたけど、私にはクララはあまりに献身的で自己犠牲的で眩しすぎた。やり切れないような、でも清々しいような、複雑な余韻が残った。
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よしもとばなな
デッドエンドの思い出
2つめの短編『「おかあさーん!」』に心が救われた。
主人公は出版社に勤める女性。元同僚が会社への逆恨みで入れた社員食堂のカレーの毒にたまたまあたってしまったが、運良く生き延びて社会に復帰した。しかし、自分で思っていた以上に体は傷ついていて、思わぬ失敗をしてしまう。
主人公の頑固さ、幼少期の記憶に隠れた寂しさ、自己犠牲への無沈着さ…。すべてが重なって、彼女は自分の傷に気づくことが難しくなってしまう。
夢の中で母と父に愛されていたときを思い出してわんわん泣くシーンで、私もボロボロ泣いてしまった。母親のひざのぬくもりを感じた時、主人公は自分がずっと悲しかったことに気づく。悲しさや辛さから逃げるために心の奥に蓋をすることは生きる上での処世術だけど、その蓋が外れたときに自分を責めずに受け入れてもいいのだよ、と寄り添ってくれるお話だった。
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アガサ・クリスティー原作 マイケル・モートン脚本 山口雅也訳
アリバイ
初めて脚本調の本を読んだけど、意外と面白かった!ただ台詞だけだと物足りなくはあるから、舞台を観れば面白いんだろうなあ。事件のトリックも凄かったけど、登場人物たちのドラマというか、沢山の思惑が絡み合う様子が何より見所だった!シェバード医師に死を選ばせるポアロに、それで良いのか…!?と驚愕したけど、あれは探偵の慈悲だったのだなと思う。先生のやったことは酷いけど、残されたカリルが真相を知った後のことを考えると、やりきれない気持ちになった。
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アゴタ・クリストフ 悪童日記
めっ………ちゃめちゃ面白いやないか〜い!!物語の前半までは戦時下を生き延びようとする少し狡いところもあるけど健気な子どもに見えていた双子が、最後のシーンで得体のしれない化け物たちに変貌した。ほんとに倫理観の欠けたこの二人でひとつの完璧な双子が、柵に分かたれたあとどうなっていくのか、楽しみでたまらない。
戦時下で誰も彼もあっさりと死んでいく中で正気(?)を保っているのって恐ろしいなと思った。双子のクレイジーさに圧倒されて忘れがちだったけど、背景がエグくて、ご飯食べながら読むと気持ち悪くなる。児童虐待が当然のように繰り返されるから……。
私、「はだしのゲン」を読んで日本の戦時下の子供たちがどんなふうに生きていたかは知っていたけど、なんとなく、外国はそうではないと思ってしまってた。隣の芝生は青いじゃないけど、特にヨーロッパ圏なんか、子供の人権意識がしっかりしているから。よく考えたら、何処であろうと戦争中の国で子供たちがまともに過ごせてるわけないのに、なんでそう思ってたんだろうと自分に驚いた。
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アガサクリスティ 安原和見訳
オリエント急行殺人事件
めちゃめちゃ面白かった〜〜!!犯人は二人という前提や乗客たちの証言をそのまま信じて「犯人はこいつじゃね?」とうんうん言いながら読んでたのに、最後に全部ひっくり返された。想像していたあらゆる考えにNOを突きつけられて、笑ってしまった。犯人がわかった今でも、何度読んでも面白いと思う。とくに、ミセス・ハバードの正体が分かってから!もう、すごい、何を食べたらこんなこと思いつくの?彼女が娘の話を繰り返ししていたことを思い出して、その女優ぶりにおでこを叩かれた気分になった。
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青山 南
本は眺めたり触ったりが楽しい(ちくま文庫)
究極本は積んでも良い、読まなくてもいい。本への向き合い方って人それぞれなんだなあと思った。私は、本はたくさん読めば読むほど見識が広がるものだから良いという考え方だったけど、一つの本を繰り返し読むこともいいのだと気づけた。なんなら、読む必要なんてない、本に対して「時間の無駄遣い」と言ってしまうエッセイストもいて、そんなこと言っていいの!?とびっくりした。
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