#ハンニバルシリーズ
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トマス・ハリス著 高見浩訳
『ハンニバル・ライジング』感想
(ハンニバル・ライジング上巻を読んで)
ハンニバルの幼い頃、まだ両親が存命だった頃から13歳までの人生を描いている。
ハンニバルがミーシャを大切に想っている描写が彼女とのやり取りで節々にあり、胸が痛くなった。孤児院に預け入れられていたとき、ハンニバルは精神的ショックか何らかの理由により、言葉を離せなくなる。しかし叔父のローベル伯や紫婦人との生活を通して、発語能力を取り戻す。あと、15章では小さい千代が登場した!かわいい〜。千代は紫婦人の侍女として屋敷にいて、ハンニバルとささやかな友情や家族の愛情のようなものを築いていく。はじめはツンとしてた千代も、自分が紫婦人の元を去らなければならなくなったとき、ハンニバルに日本語を教えてくれる。和む。ハンニバルは生まれついたときから賢い子供で、数学教師のヤコフとのやり取りでそれが分かる。また、ドラマ版『ハンニバル』でハンニバルがウィルに語る「記憶の宮殿」がヤコフ先生から伝わったものだというのもなんだか驚いてしまった。そりゃあ、誰だって知識は誰かから受け継いで得るものだけど、私はそのシーンを読んで、ハンニバルも人の子なんだなと思った。
上巻を読んでいて衝撃だったのは、ハンニバルの最初の殺人。被害者は精肉業者のポール・モマン。ポールは紫婦人に対して卑猥な言葉を投げかけ侮辱したことでハンニバルに目をつけられる。最初の殺人の道具が太刀とは思わなかったなあ。この経験から、「無礼な豚は食べなくては」の精神が芽生えたのかしら?厳密には、今回ハンニバルはポールを食べてはいない。代わりにポールが釣り上げた魚を調理して食べてる。紫婦人はあのあとポールの首をどうしたのかな?証拠なんか調べられたらすぐにバレてしまいそうだけど。
印象的だったのは、かつてレクター邸にあった絵の裏に、ハンニバルが妹の手形を発見したシーン。私は今までのハンニバル・レクターのイメージが何にも動じない博士で殺人鬼という印象で固まっているので、彼の人間らしい心の機微がミーシャを通して見ることができるのは新鮮だった。あのシーン、悲しかった…。
(ハンニバル・ライジング下巻を読んで)
紫夫人の必死の引き止めも振り払って結局ハンニバルは復讐を完遂する。紫夫人は帰国し、ハンニバルは独りになるが、新たな豚を見つけたハンニバルの心には怒りは宿っておらず、ただ楽しみを見つけた。ここで怪物が誕生するのか〜〜。面白かった!!!
おもしろかったけど悲しくもあった…。ハンニバルのように叡智に富んだ少年がトラウマによって悪の道に進むようになる過程は、読者としては爽快つつも悲しい成年期だと思った。
リトアニアに単身で訪れた彼は、妹ミーシャの亡骸を発見する。死んだことは知っていたけど、やっぱり悲しかった……。
そのあと自分がミーシャを食べたことを知るシーンでは、それまで冷静だったハンニバルは頭を振り乱して動揺する。辛い……。ドラマでハンニバルに妹がいたことを語るシーンで、ウィルは「食べたんですか?」と聞いていたけど、これを読んだあとはなんとこの質問の残酷なことかと思った。
また、ハンニバルが無神論者だということはドラマから事前に知っていたけど、下巻ではっきり名言された。リトアニアに戻ったハンニバルが妹に語りかけるシーンでは、以下のように語っている。
「この世に神は存在しないという事実に、ぼくらは心の平安を見出しているんだよな、ミーシャ。だからこそおまえは、天国で奴隷にされることもないし、この先永久に神の尻にキスさせられることもないんだ……」(トマス・ハリス著 高見浩訳版『ハンニバル・ライジング(下)』より引用)
訳者解説で高見さんは、ハンニバルは反キリスト無神論者で、紫夫人による日本の文化の教えを教養の素地にしていると言っていた。ハンニバルが一貫して美を追求し、人間を食べることで自分が神になろうという姿勢の説明がやっと納得できた!
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サスペンス映画はあまり興味はなかったのだけど、トーキング・ヘッズを撮った監督であるジョナサン・デミ繋がりで、『羊たちの沈黙』を初めとするハンニバルシリーズを、これを機にすべてを鑑賞。正直に言って観るのがしんどかった。個人的には、『ハンニバル』が色々な意味で一番衝撃的でした。
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