#箱にしまうのが寂しい
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Amor Vincit Omnia - Shu solo translation
Japanese lyrics used are at the very end. Feel free to let me know about any mistakes or ask any questions about the translation.
Bolded words in the English version represents the words that are written in the song lyrics that they pronounce as the word between dashes (-like this-)
English
Within the stillness known as prelude, the -velvet-[1] curtain Opens solemnly, let us start “The Chance Meeting of Eternity and an Instant” Display it in that barren art gallery -gallery- called life Your lavish compilation -collection- The scarlet rose’s dazzling passion The teal night’s permeating grief Bliss and loathing, the sound that carries those tonal differences Is clad upon this body of mine We are the bestowed ones, tasked with depicting these feelings Let us call that impulse “life” itself, “The Beat of a Soul that Cannot Be Stopped” The miniature garden we call reality, cannot contain our soul -heart- It overflows from the world, the beautiful “Echo from the Chance Meeting of Eternity and an Instant” Is it visible to you too? That blinding light To succeed in writing from inside the dying out dramatic song No one could accomplish such thing right? However, let us continue The insatiable longing of those who do not know what is enough Creates -art-[2] That childish illusion, the absolute ideal, the enlightened despair, the distinct borderlines Color and silhouette, clearly and hazily intertwine And dance together atop the stage An interlude to the sigh of admiration, to the that pierce through the barrage of emotions Let us make precisely those stirred emotions an eulogy, “The Beat of a Soul that Cannot Be Stopped” If there is meaning in a person’s birth, then you shall know it right here and now Submit to it now, the beautiful “Echo from the Chance Meeting of Eternity and an Instant” Is it visible to you too? That blinding light True art lays between those who create, and those who observe Born from the noble purpose interwoven between them, let us call that love It is precisely the meaning of what makes us human, that ties us all together Worship it now, the miracle that is our meeting “Amor Vincit Omnia” Everyone is a bestowed ones, tasked with depicting these feelings A fitting place to display life, overflowing from a world that has no end The ”Echo from the Chance Meeting of a Soul” that makes a heart quiver You can see it right? That beautiful light
[1] velvet is written twice, there is no difference between them. First it is written in kanji (天鵞絨) with the spelling between the dashes (ビロウド) due to how unusual it is to use the kanji for it
[2] Both the kanji (美術) and the katakana between the dashes (アート) mean the same thing. 美術 is usually used to refer to the fine arts, as opposed to 芸術 which tend to just mean art in general, but both are used pretty interchangeably
Japanese
静寂という序曲の中 天鵞絨-ビロウド-の幕は 厳かに開かれるもの 『瞬間と永遠の邂逅』始めよう 人生という其の空白の 画廊-ギャルリ-に飾れ 絢爛な蒐集-コレクション- 緋き薔薇の 赫灼たる情熱 ��き夜の 靉靆たる悲嘆 歓喜と憎悪 異なる調べを奏でる音を 我が身に纏わせる 僕らが与えられしもの それは想い描くこと その衝動こそを命と呼ぼう 『止む事の無い魂の鼓動』 現実という箱庭に 精神-こころ-は留められない 世界から溢れる 美しい『瞬間と永遠の邂逅の響き』 君にも見えるか 眩しい光 軈ては果つる劇曲の中 書き遂せるなど 誰にも成せはしないだろう 然りとて続けよう 満ち足る事を知らぬ者の 飽くなき希求が 創りだす美術-アート- 幼き幻想 純然たる理想 悟りし絶望 判然たる境界 色彩と輪郭 明かに 幽かに 交わる 舞台の上で舞い踊る 感嘆の吐息を幕間に 万感の想い眼に その感動こそを賛辞としよう 『止む事の無い魂の鼓動』 人に生まれし意味ならば 今ここで識るがいい 甘受し給えよ 美しい『瞬間と永遠の邂逅の響き』 君にも見えるか 眩しい光 真なら芸術は 創りし者と 眺むる者の間に 生まれし崇高な意思が織りなすのだよ 其れを愛と呼ぼう 人であることの意味こそ 僕らを結び合わす 礼賛し給え 出逢えた奇跡 『Amor Vincit Omnia』 誰もが与えられしもの それは想い描くこと 人生を飾るに相応しい 果てしない世界から溢れて 心震わす『魂の邂逅の響き』 見えるだろう 美しき光
#enstars#enstars translations#ensemble stars#valkyrie enstars#my attempts at translation#song translations
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ねえ、優しい気持ちにしたと思ったら嘘みたいに寂しくさせて、こっちの都合も無視していっつも好き勝手振りまわすし、わたしが毎日どんな気持ちで服選んだりメイクしてるかも知らないでさ、ほんっっとやんなっちゃうね、地球の気温さんよお!! アンタちょっとノーコンすぎるよ!
そんなわけで退勤後、人まみれのぬるい夜を歩いていました。途中強めの風が吹いて、涼もうと心構えしたらめっちゃ熱風��した。いやいや、冷静になってもちょっとあつすぎ。枕詞みたいに「きょう暑いですね」って言っちゃうもん。だから帰りの電車で、マライア・キャリーを聴きながら去年書いたクリスマスのお話を読んでいました。久しぶりに読んだらちょう良かったな。鳥頭ゆえ、すぐ自分の書いたお話の内容を忘れてしまいます。読み返してはびっくりします。えっこれ書いたのだれ!? (あんただよ!)
そうやって忘れちゃうやつが何を言ってんのってかんじですが、私は自分の書くお話のことがほんとうに大好きです。あんまりこういうこというと反感を買っちゃうかな、でも実際大好きだし、自分の作品のことをいちばん愛せるのって自分だから。これは尊敬するきょうだいが言っていたことです。ほんとその通りですよね。いただいたご感想を読み返しながら、文章を書いて文章が返ってくるってとってもありがたいことだよなあなんて思っていました。うれしいね。自分の好きなものを褒められて悪い気がする人なんてきっといないもの。
いろんな方と関わって、〈なぜ小説を書くのか〉をたくさん伺ったけれど、私はまだそれに答えは出せそうにありません。ひとつ言えるのは、みんなに幸せになってほしいなってこと。「好き」とか「愛してる」とか、愛情を伝える言葉はあるけれど、それっておそらくほとんどの人にとって日常的なやりとりではないじゃないですか。たとえば、目玉焼きの上手なほうをあげたくなったりとか、食器が割れたときになによりも先に「怪我してない?」って聞きたくなったりとか、そういう、あえて声には出さないけど切ないくらいに伝わってくる愛のかたちが好きで。〈ひとりでしっかり生きていける私が、ひとりでしっかり生きていけるあなたといる意味〉みたいな、そんなお話ばかり書いているように思います。あれ、何の話これ? でもそういうことなの!
やばい、早く寝よって思ってたのにこんな時間だ、とりあえずこれはいまのネイル。実際に見るともう少し淡いブルーです。箱買いしたいくらい好きな色なのにずっと売り切れててしょんぼり。夕方の休憩は、おやつたべるよりは健康にいいでしょと思って塩おにぎりと豆乳を食しました。おいしかったな。
明日はお仕事、その後在宅とおやすみ! なにしようかなー、そんなこと言えちゃう休みの前の日の夜が一番幸せだよね!
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「数年前備忘録」
来年のカレンダーとおじいちゃんの形見が
梱包されたおかあさんからの小包
未来と過去が箱の中に混在してて圧倒したよ
ゆいちゃん(妹/成人)が
「高い高いして欲しい」と言ってきて
おねえちゃんがんばるね
#ゆいちゃんとひまり
コロナ期で逢えていなかったおばあちゃんに
三年振りに逢えてるょ
おばあちゃんが寂しいって言うから
頭をよしよししてたら
そこ掻いてって言ってきて可愛い
お風呂から満月が見えて
それがアニメの一コマみたいで
忘れたくないなって思った
こういう気持ち
今年は恐がらないでかみしめたい
言葉ひとつで
攻撃も優しさも伝わるな
涙も想いも
��華させて
遺したい
��戦が多いけれど
その挑戦に怯むことなく臨みたい
おかあさんから
「身体に気をつけて✨」
というメッセージが届いて
活動の事を昨年話せた事は
本当に大きかったなって思ったよ
泣いちゃって
未だ未だ弱いと思っていたけれど
強い人が皆んな泣かない訳では無くて
泣ける環境になっていってるという事は
素敵な事なんだね
ツアー中途方も無く落ち込み
おかあさんとゆいちゃんに電話するも
繋がらず心の海に溺れていたけれど
その後おかあさんから
『大変な事、山盛りなんだね🗻落ちればあとは、登るだけ⤴️』という
あっけらかんとしたメッセージが届き
ポジティブな気って
本当に素晴らしいなと思った
本当に苦しい時も多々あったけれど
がむしゃらに頑張る事が許され
それが認められ繋がる事に感動した数日
「今回はどうしても出口が見当たらない」
と思いまたそれが
焦燥に繋がる事もあるけれど
そこから出る時視界が
180度変わるかもしれない事
忘れない
毎日何かしらの不安で
押し潰されそうになりながらも
それでも今生きている
その積み重ねで形作られ
そして根本に在る筈の夢を
私は見失っては駄目だと葛藤している
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利用者の質の低下、ほかの業種にも言えることで、最近、特に感じます。昔がよかったわけではないですが、常識のある行動をしない大人が多数います。昔もそういう大人がいないわけではなかったでしょうが、昨今、目立ちますね… 身近なところでいえばゴミ。駅やコンビニのゴミ箱になぜこのようなゴミが….というのがあります。中身を見なくてもスーパーの袋に入った少し大きめのゴミ、持ってきて捨てているとしか、考えられない、寂しい世の中だと思います。
神奈川の老舗銭湯、客の迷惑行為で閉店発表「もう限界」「営業続ける意欲が無くなった」(日刊スポーツ)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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2023振り返り
折角ここを作ったので、振り返ろうと思います。
今年は2次元だったものが三次元になった1年でした。
0.初めてのライブ
今年は年はじめBABYMETALのライブを見に行きました。ちょうど声出し解禁日のライブで、マスクあれど叫んでジャンプして頭振っては最高でした。実は何年も推せど、今までライブに行くという考えは私の中に無かったんです。でも大阪のサマソニ行ってからタガがはずれてしまい。気がついたらライブに行くという。TXTの影響でやれることがまた増えました。
1.初めてのTXTライブ
loveさんのおかげでASMの名古屋ラストに行けることになって、初めてTXTのライブ、初めての連番。相手がrunaさんで本当に良かった…また機会があった���是非お会いしたいです🤝
アイドルのライブはBABYMETALしか行ったことないので、女性の多いイベントは初。刺激的でした。電車でどんどん増えるMOA率、可愛い人かきれいな人ばかりの電車内凄い。席に座っていたら、目の前に凄くバブバブにデコされたテヒョンのトレカと目が会い、駅につくまで目が離せなかった。
会場が名古屋なので、かなり何だこれは?というのは拭いきれずwwでも、会場を埋めるMOA棒と薄っすらと見えるTXT、慣れない双眼鏡、掛け声、何もかもが新鮮でした。…ある意味この会場が初めてだったのは良かった気がする、多分どこ行ってもある程度満足できそう。
最後に
MOA棒を連携できたのが印象深かった。最近つけるたびにちょっと異音していたので、壊れる前にライブの星の一つになれて良かった。
2.初めてのライブビューイング
今年は配信も多かったですが、ライビュもありましたね。初めて行きました。会場は、前から行ってみたかった。ユナイテッドシネマとしまえん。ハリポタのオープン前でしたが近くはもうハリポタな感じになってて943聴きながら散策。
ライブビューイングは近くに「かわいいー!!」やら「さいこー!!」やら叫んでくれる子がいたので楽しく見られました。映画を良く見る自分には無い感覚(精々するのは笑うくらい)なので掛け声とはまた違う、リアクションが沸き起こるのは良かったです。
3.初めてのドーム
初めてのドームです。ドーム公演もドームに来ることも初めてでした。loveさんをはじめ、前からTwitterで交��のあったMOAさんとあえて嬉しかったです。前回よりは緊張が溶けたのか夢の章の話とかMVの話とか、オタクと話すの楽しい!となりました。ソンムルもありがとうございます。今まで頂いたの宝物過ぎて箱に入れて出してら思い出に浸ってます。
ここで初めてカンテヒョンが177cmかもしれないと思うようになりました。
4.初めてのハイタッチ
奇跡的に当選してテヒョンとハイタッチをしました。凄い、推しに触れた。「くろいんさん」と読んでくれてありがとう。177cmをシュミレーションしすぎたせいか身長の高さの衝撃はなかったけど顔が…小さすぎて…誰しも想像する顔の小さい人の顔にさらに小顔+パーツ拡大加工かけたのがカンテヒョンの顔でした。今でも思い出すたびに頭の中で「この顔からの更に小さくしてパーツを大きくしたのがテヒョン」と脳内で補正かけてます。
地続きでの身長差、動く、触れるということで2次元かもしれなかったTXTが3次元に存在することを体感した。凄いね。
終わったあとマコさんと飲み会に、MOAとお酒を飲める日が来るとは…嬉しいです。これは楽しいです。また行きたい。
5.2次元コンテンツの終わり
去年から連載の始まった「星を追う少年たち」の連載が終わりました。寂しすぎる。まだ、次の話に公式が触れていないのでどうなるかは分かりませんし、あれは何だったんだみたいなことはありますがとても満足してます。花様〜のときに感じた上手く終われなかった感じが無く、FreefallやASMフィナーレを通してしっかり「終」となった事は本当に素晴らしく、4年の連載お疲れ様でした。
また(前要素を持ってくるのではなく)新たに何かしら考察させてくれるコンテンツが生まれたら嬉しいな。
6.フェスに行った
BABYMETALの出たNEX_FESTに行きました勢いで。そこにはYOASOBIとか直前にヨンジュンが写真取ってたYUNG BLUDも出ていて何となく繋がりを感じつつお守りにヘルメットトレカを連れていきました。おかげでモッシュに巻き込まれることはなくジャンプしすぎて腰を痛めるに終わりました。I prevaliという色んなマッチョのいるバンドを見ながらテヒョンはどんなマッチョを目指しているんだろうとか思った。
まとめ
こうやって振り返るともうアイドルオタク的にはやることやったんじゃないか?ってくらい充足した1年でした。その分ちゃんと赤字になったのは笑いました。推し始めの時は埋まるわけ無いと思っていた棚もキャパを越えたので、来年はもう少し頭使って推し活したい(とはいえ当たらなすぎるFCを手放す踏ん切りがつかない)
今年は色んな方に出逢ってお陰様で様々な事を体験できました。ありがとうございます。来年も縁があれば是非お会いしたいです。
良いお年を
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
【自己紹介 2024年8月3日追記 4335文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある お兄さんいるらしいがあった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 松��芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 上野城のお堀の高さ日本2位? 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった 小学校までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから だからそういう人には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも ��いふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
#runpenparis#art#paris#artist#artistreet#詩#vogue japan#るんぺんパリ#詩集#japan#140文字詩#アート#ペン画#伊賀出身#伊賀市#写真#自己紹介#三重県#詩小説#伊賀
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販売元に理由を聞いた!「いつ終売したの?」もう食べられない、昭和~平成の名作お菓子たち - ライブドアニュース
以下引用
「懐かしいな、食べたいな」と思ったお菓子が終売に。それはまるで“孝行したいときに親はなし”的な悲しみだ。気づけば消えていた昭和~平成生まれの名作を、まとめておさらい!
一時、フリマサイトで1箱1000円程度で出品
さよなら、チェルシー。ついにお別れの日が来てしまった。 (中略) 1971年に誕生した 『チェルシー』。♪もひとつチェルシー♪のフレーズが有名なCMソングは小林亜星さんの作曲だ。初代のシモンズからサーカス、八神純子、あみん、PUFFY、CHEMISTRYなど、人気アーティストによって歌い継がれてきた。 生前、小林さんも《すごい年月の間このうたを使っていただいたということは、とっても光栄》と語っていた(明治HPより)。 このCMソングでおなじみとなった『チェルシー』という名前は、3000ものネーミング案の中から選ばれたという。最終候補に残ったもうひとつの名前は『キングスロード』。こちらになっていたら、もっと雄々しいCMソングになっていたかも!? 昭和から令和まで、世代を超えて愛されたチェルシーだが、売り上げの低迷により終売が決定。《こんなことになるなら、もっと買って貢献すればよかった》という後悔の言葉がSNSで飛び交ったが、後の祭りとなってしまった。
気づけば消えていた思い出のお菓子は、ほかにもたくさん。'67年販売スタートの 『森永チョコフレーク』 は、子ども時代の定番おやつだった人も多く 《1箱全部食べて親に怒られたなあ》 《遠足で必ず買ってた》 など懐かしむ声が今も上がっている。販売終了は2019年。スマホ使用時にチョコで手が汚れていると支障が出ることが売り上げ減の一因とも指摘されたが、時代の流れの残酷さよ。
♪ポポロンロンロン ポポロンロン♪と歌いたくなる明治 『ポポロン』 は'76年から'15年に販売されていた。サクッとした一口サイズのシュー生地にチョコクリームが入ったお菓子だ。販売終了が報道されたのは'17年。知らない間に消えていたのだ。
ブルボン広報に『ルーベラ』終売の理由を尋ねると
同時期、『カール』の全国販売終了がニュースになったが、 《カールがなくなるよりポポロンがすでになくなっていたという事実のほうが悲しい》 などの声がSNSを駆けめぐった。 中には《チェルシーは大丈夫か?》とつぶやいていた人も。7年後、まさか現実になってしまうとは!
ロッテ 『霧の浮舟』 も恋しくなるお菓子だ。販売時期は'80年~'05年。その後'13年に完全復活するも'18年に終了となった。エアインチョコレートの草分けで、口の中でシュワッとなる感じが人気を集めた。 《独特の口溶けが忘れられない》 《名前やパッケージがおしゃれで大人な気分だった》 《一回復活したから、また復活してくれないかな~》 などの声が。前回は8年越しの復活だったから、次は'26年にもしかして……!?
コアなファンが多かったのが、ブルボン 『ルーベラ』 。 '72年デビューのバター風味ラングドシャクッキーで、'21年には『ルマンド』『ホワイトロリータ』『バームロール』『チョコリエール』とともに擬人化された美少女キャラのイラストが発表され、“ブルボン5姉妹”と話題を呼んだ。だが'22年に終売。 《探してもないと思っていたら販売終了してた》 《いちばん好きなのに、もうないなんて悲しすぎる》 《知ってたら大人買いしてストックしておいたのに》 と別れを惜しむ声が多くあった。ブルボン広報に終売の理由を尋ねると、 「多くのお客様からご愛顧をたまわり、誠にありがとうございます。半世紀にわたりご好評をいただいてまいりましたが、近年の原材料価格上昇の影響を受け、やむを得ず(販売)休止に至りました」 休止ということは、もしや復活の可能性も!? 「現在は大きさやグレードを高め、さらに満足感のあるラングドシャロール商品として、『贅沢ラングロール』を販売しています」(同・前) 『ルーベラ』ロス勢は、この贅沢ラングロールで涙を乾かそう! また、ほかの4姉妹たちの行く末が心配だが。 「発売50周年を迎えるルマンドをはじめとした袋ビスケット商品群につきましては、これからもみなさまに愛し続けていただけるよう種々の活動に取り組んでまいります」 とのこと。お願いしますね、ブルボン様!!
駄菓子では梅の花本舗 『元祖梅ジャム』 の終売も寂しかった。 《10円玉を握りしめて駄菓子屋に行ってよく買ってた》 と懐古する人も多い。'47年から'17年まで生産されたが、1人で製造していた梅の花本舗の社長が、加齢による体調不良、機械の老朽化、駄菓子屋の減少、売れ行き不振などの原因で廃業を決定。70年の歴史に幕を下ろした。報道時は 《またひとつ昭和が遠くなる》 《後世に引き継がれるべき昭和の遺産だった》 と惜しむ声がネット上にあふれた。
廃業といえば、佐久間製菓の 『サクマ式ドロップス』 も残念。赤色の缶のドロップは1908年の発売開始から100年以上も愛され、スタジオジブリのアニメ映画『火垂るの墓』にも登場した。 だがコロナ禍で売り上げが減少、原材料の高騰などから'23年1月に廃業。このニュースが流れると、ジブリはツイッター(現X)にサクマ式ドロップスの画像を投稿。SNSでは 《中学のころ、ポケットに缶を入れて、タバコみたいな感じでなめてた。カラカラうるさかったけど、当時はそれが粋だと思ってた》 といった声のほか、 《実家でボロボロの缶を発見。貯金箱としてもう30年も使ってるって》 というエモいエピソードが続々。ちなみに、別会社であるサクマ製菓の『サクマドロップス』は、現在も販売中。こちら��緑の缶が目印だ。
原料・資材高騰で20円売価を維持することが困難に
そして、'94年から販売された駄菓子の定番、よっちゃん食品工業の 『らあめんババア』 も'20年に終売。インパ��ト大のネーミング&パッケージイラストで、誰もが知るラーメンスナックだった。 《今でもときどき夜中に食べたくなる》 《お椀に入れてお湯をかけてラーメンにして食べるの好きだったなあ》 と、恋しがるネット民のため、よっちゃん食品工業に終売の理由を聞くと……。 「原料・資材高騰で20円売価を維持することが困難になったためです。みなさまから大変多くの声をいただき、また社内でも、長年製造していた製品につき惜しむ声も多くありました」(広報、以下同) 同社では、らあめんババアの代替品は検討していないそう。現在買える他社類似商品は『ベビースターラーメン』あたりになるの……? 「そのようになるかと」 ババアのロスはベビースターで埋めときますか! 生まれて消えて、また生まれて。諸行無常の響きありまくるお菓子戦線。今、口にしているお菓子も1年後にはなくなっているかも。そんな悲劇を回避したいなら、やはり買って応援、食べて応援!?
取材・文/今井ひとみ
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幸せそうな笑顔が可愛い
35期の苔丸です。ペンを出す速度でぶらんに負けたのでもうコケえもんは終わりかもしれません。
今日、6/15(土)の稽古は
●発声
●ちゃぶ台エチュード 〜跳び箱何段跳べる?〜
●シリアスエチュード 〜恋と戦と財布泥棒〜
●東西南北 〜わりと楽しかったよ〜
●シーン練
でした。
エチュードは自分も丁寧にやり、周りにも気を遣えるようになりたいですね。エチュードはアウトプットだと思っているので終わった後の返し稽古?をちゃんとしたいです。模試解きっぱにしない的な。とか言うてるけどまず恥ずかしがらずにやることですねははは
シリアスにするのが難しいのって、持ってる展開のアイデアや表現の引き出しの方向性の問題なのか、好みの問題でついついコミカルに持ってっちゃうのか、それとも手っ取り早く話を進めようとしちゃうからかどれなのでしょうね
お昼はみんなで学食です。わたわたする麺コーナーのおっちゃん、健気でした。かき揚げうどん頼んだのにかけうどん出されて、ちょっと滑舌に自信をなくしました。
36期が去年のオムニの映像を見てくれたそうで嬉しい限り。自分たちのやったことが人の目に届いて嬉しいような、そっかあロキさんもカヌレさんももう「去年演出した人」になっちゃったのかと寂しいような。
動きといい、読みといい、演出に言われてばっかじゃなく自分たちでこうしたほうがいいんじゃないかって提案し始めてる後輩たちを見て、考え始めやがった(※褒めてるよ。苔丸はこの辺不器用なんだよ)と思っています。言われたことも活かして伸びてるしね。自分の内と外の両方のアイデアを使えるようになれば人は無限に成長できると思います。学而不思則罔、思而不学則殆
他脚のキャ���パ練見て柄にもなく泣いちゃった。いや泣いてはない涙滲んだだけ。いい振付を見ると感動して泣いてしまう体質のようです。作者と役者に拍手。
振付としてとか、ミニゲーム中とかに皆さんが見せる幸せな笑顔がすごくいいなと思っています。幸せです。ぼくはHSPなのであなたが幸せだとわたしも幸せなんですね。
去年のオムニでアローが無敵の笑顔だったじゃないですか。あれです。知らねえよって人は「笑う生き物」で画像検索。僕の気持ち、きっとわかる。ほっとする癒される救われる尊いとかね。無邪気に笑ってるヒトの笑顔を見たとき、喜びとかもあるけどいちばん押し寄せてくるのは黄色かオレンジ系の圧倒的「安心感」なんだよね。「だれそれが笑ってる、嬉しいな」というより「だれそれが笑ってる、よかった」。これが世界に存在するならとりあえず大丈夫だと思える。心にひまわりが咲くとでも言いましょうかね。これからもいっぱいその笑顔でいてよ。瞬時にシャッター切る能力が欲しい。
外郎売覚えてるからって高を括ってたら久々すぎてがらぴい風車から膝元去らずまで飛ばしちゃってびっくりしました、油断大敵
長っと思ったでしょ。違うよ、君たちが慣れてる普通の文量が少ないんだよ。苔丸のデフォはこれなの。
苔丸にtumblrを書かせてはダメです。思うことがいっぱいかつ全て書かないと満足いかない割に話し言葉だと1しか話せないくせに書き言葉だと100書いてくる奴だからこうなっちゃうよ、スクロールしてる人が呆れてるじゃん。
構成雑くねと思ったでしょ。苔丸は徒然草の大ファンだからこれでいいのです。書こうと思えばきれいにまとまった文章も書けるけど、稽古日誌ではこういうバラバラな文章も許してほしいからわざと書くんですねー
防災リュックには避難所で心を落ち着けるために徒然草をジプロックして入れてます。点検しなきゃな。
花屋で働くコスプレイヤーがいたらそれはもうりょーちゃん
サイダーのように言葉が湧きあがりはするんすけどね、蓋が開かないのよね
完
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27クラブ
まあ、どうでもいいのだ。10月27日に産まれたりあらゆるライフイベントが27に関連している。が、蠍座特権というか、毒を以て毒を制すのが常だった。それも、自分の中の毒を。
表向きにはすごく優しい。どこに行っても誰かが親切にしてくれる。
反面、しぶとさもある。恨んだら一生忘れない。絶対に許さないことに決めた人が五人いる。
自分の話をしてこなかった、と周囲に言われる。寂しいと思うには自分はくだらないからね(星野源)。自分の話なんて面白くない。人の話を聞きたい。あなたの声であなたの話を聞きたいのだ。
奪われてしまった会話。みんなスマホばかり見ている。お前そんなものを見ずに挨拶をしろよ、と思う。花を喜び、鳥を見て、土を観察し、虫も見て、人間に挨拶してほしい。とはいえ、自分は子供に挨拶したら不審者扱いされる状況にあるので、難しいね。
若くして死ぬのは美徳ではない。27クラブに憧れるな。聞こえる音楽の演奏者を偶像化しない方がいい。音楽を聴き、27クラブを思いながら、再び奏でたり、アレンジしたり、インスピレーションを受けたり、次に向かおう。誰だって死ぬときゃ死ぬ。人間だから。人間��人間である。薔薇が薔薇であるのと同様に。
自らを神聖な場所に閉じ込めようとすると、何も食べられなくなる。何も聞こえなくなる。何も話せなくなる。即身仏も殉教者も、偉いとは思うが、憧れない方がいい。憧れるのではなく、追い求めて追い越せ。
音よりも光よりも、あなたは速い。自らを低く見積りながら、実のところ高いところに置く。自らが高いところにいると考えながら、その実、ただ何も考えていないだけ。「あなたのお仕事はなんですか?」じゃないんだよ。「あなたの話をあなたの声で聞かせてください。声が出なければ伝えようと思ってください。何もできないのであれば、10分だけ隣にいます。いいですか?」職に貴賎なし。人に貴賎なし。上も下もねえ。生きてるだけでいいじゃねえか。
生きて、いいことも悪いことも合わせ飲んで、寛容かつ人と話そうとすれば全部いいと思うんだけどさ。そこのところが全然わからんらしい。美徳も悪徳も流行です。カトリックでは、子作りをめちゃくちゃな女性嫌悪の下に行った。ずた袋に女性を入れて穴開けて注入。子袋じゃねえんだよ。こちとら堪忍袋が耐えらんねえ。
で?産むマシーンだの種無しだの?お前なあ、手取り15ぐらいでガキ育てて、とか、無理なのわかる?奨学金の返済。時代が違う。でも産まれそうな命と生まれた命だけは、絶対に守らなければ、と思��。
ガキの散歩に帯同しながら、手に隠れる加熱式タバコでちょいちょい一服してる親御さんよ、馬鹿か?堂々と吸え。あんな匂いを覚えさせるな。
この島にゴミ箱はない。ゴミを捨てるにも金がかかる。捨てたゴミを集める人は、なぜか忌避されている。鳶職のあんちゃんは、命の危険を常に感じているのに、なぜか「馬鹿だ」と。違うんだよ。ゴミを集めたり、命懸けでものを作ったり、あんたらが「汚いから嫌い」とおっしゃる仕事でこそ、この世界は回ってるんです。高みの見物か?雲の上で退屈地獄に住んでろよ。
ここで一曲。星野源『地獄でなぜ悪い』
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2024年6月1日(土)
三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、今朝はお願いしていたよりも一日早くやって来た。平飼い有精卵が30個、地鶏が1羽、パンと蕎麦、そして野菜はレタスとキュウリの緑が濃い。今回のスペシャルは枇杷、田舎育ちの私にはわざわざお店で購入して食べるものではない。その時期になれば何処かになっているものを採って食した子ども時代、つい遠くを見る目になってしまう。奥川さん、いつもありがとうございます。
今日から6月。
いつもの手書き用ノートが無い、どうやら研究��に忘れてきたようだ。仕方ないので、今日の動きは一筆箋にメモしておこう。
4時30分起床。
日誌書く。
6時を待って洗濯開始。
朝食には今朝も煮麺をいただく。
珈琲。
もったいない本舗へ送る段ボール箱、今回は3箱となって玄関前に用意する。
8時20分、ゆうパックが奥川定期便を届けてくれる。今月は3回とも日曜日にお願いしているのだが、予定を書き間違えたのかな。野菜が高くなっているので、レタス・キャベツ・キュウリなどとても嬉しい。早速、キュウリのしょうゆ漬け、紫タマネギの酢漬けを仕込む。
Threadsに<露の新治出演情報>7月分をアップ、ハルカス寄席も授業が終わる8月までいけないのが寂しい。
<スタディスキルズ>第8週の内容検討、資料をO姉との共同フォルダに��成する。明日、もう一度見直さなければ。
10時、クロネコヤマトが集荷に来てくれた。
2階リビングのエアコン清掃、日立のサイトの説明を確認しながらパネルを外し、フィルターを洗い、ホコリキャッチャーを掃除する。
ランチ、奥川ファームのキャベツを使って焼きそばを作る。
録画番組視聴、
桂まん我「三十石夢の通路(かよいじ)」
初回放送日:2024年6月1日 土曜の早朝は関西の笑いをたっぷりと!▽今回は桂まん我の落語「三十石夢の通路(かよいじ)」…昔の船旅の気分をじっくり▽「30分まるごと桂まん我」桂源太が質問攻め!
浅草アンダーグラウンド
初回放送日:2024年5月31日 浅草の地下に“日本最古”と言われる不思議な地下商店街がある。階段を下りていくと、そこはまるで別世界。69年前に出来たという、その古びた地下街にはユニークなお店がいっぱいある。60年近く営業してきたという焼きそば屋さんや、占い、理髪店など。老舗がある一方で、若い店主が開いた新しいお店もある。観光客でにぎわう地上のけん騒を離れて、どんな人が地下へとやってくるのだろう。地下の世界に3日間、潜ってみた。
エアコンのフィルターを戻して掃除完了、明日は息子たちの部屋のエアコンに取りかかろう。
ツレアイはWebで研修。
すき間時間に読み続けてきた『本所おけら長屋』全20巻、ついに読了。いやぁ面白かった、8月の東京遠征時には、このシリーズの舞台を歩きたい、というのも『中村仲蔵』の舞台と重なるのだ。
早めに夕飯準備、豚バラ肉とキャベツの蒸し煮、そこへスライスレモンを加えてみた。じゃがいもはフライドポテトに、トマト以外は今日届いた新鮮野菜たちだ。
録画番組視聴。
落語研究会「三十石」柳亭市馬、「江ノ島の風」柳家蝠丸、「千両みかん」蜃気楼龍玉。
「三十石」は江戸の他の噺家なら聴かないが、そこは市馬さん、たっぷりと喉を聞かせて楽しい。
龍玉さんの「千両みかん」の途中でダウン、今朝も早かったからなぁ。
結局私は一歩も外に出なかったので、エクササイズが届かなかった。
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#cat #neko #ねこ #猫 #ネコ #cats #アメリカンショートヘアー #アメショ #americanshorthair #ズズ #ズズ子 #zuzu #ズズっぺ 昨日の朝ズッペとお別れしてきました。ぎゅるぎゅるゴロゴロ圧倒的な個性であんな子他にいないよ。これから食事増やして体力戻して頑張ろうねって言ってたのに…。我が家にぽっかり穴が空いちゃったよ…。ロロは寂しいのかやけにベタベタで…。ピオは最後のお別れちゃんとしないし…よそよそしく元気ないよ。
火葬する前よりも…火葬場に連れて行くために箱に入ったズズを連れて家を出る時が一番辛かった…。
ただただ安らかに安らかに大好きな大好きなズズ。
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シグナル
あたしの赤信号では君は足を止めない
高校の最寄りで電車を降りて、通学路を歩いていると、同じ制服が流れる前方に、三橋の背中を見つけた。同じ電車に乗ってくるのだろうか、よくこんなふうに朝から三橋の背中に気づく。 でも、あたしは、その背中にいつも声をかけられない。 校門の手前の横断歩道が、緑色を点滅させて赤信号になった。もちろん、三橋はそれなら立ち止まるから、あたしはやっとその背中に追いついて「おはよ」と声をかける。 背の高い三橋はあたしを見下ろし、「おー、野崎、おはよ」と答えてあくびを噛む。かわいい。
「寝不足?」
どきどきする心臓を抑えて、そう問うと、「んー」と三橋は目もこする。
「奈津のとこからまっすぐ来た」
けれど、三橋のその言葉でずきっと心が壊れそうにすくむ。奈津。美堂奈津。顔も知らないのに、あたしはその人を無意識によく知っている。「ふうん」と流しておいたのに、三橋ははたとして、慌ててつけくわえた。
「いや、何もエロいことはしてねえぞ!?」
三橋を横目で見て、コメントはさしひかえた。 うん。そうだろうね。幼なじみ、だもんね。 でも、話を聞いてるだけで両想いって分かるよ。み���な分かってる。だから、あたしたちの高校でも、美堂奈津の高校でも、ふたりがつきあうまで秒読みなのは、有名な話。 だから、あたしは、君にこの想いを伝えられない。
「お、青になったぜ」
三橋はあたしの肩をたたいて、歩き出す。触れられた肩に伝わった、三橋の手の熱がじわりと軆に染みこんで疼く。何となく隣を歩いて、軽口を装って会話する。それだけで嬉しくて、心も軆も甘く痺れて燃えるようにほてる。 隣に三橋がいる。咲ってくれている。熱くて、蕩けそうな感覚があふれそうになる。誰もが、三橋と美堂奈津を当然のように応援しているから、あたしはこの気持ちを誰にも相��できない。 ひとりで抱えこむしかなくて、キャパオーバーでシグナルが発動する。赤が点滅する。報われない想いが降り積もる。��くらでも花びらがほろほろこぼれていく、赤い花みたいに。その重さが息苦しい。 九月になったばかりの二学期、突き抜ける晴天はまばゆく暑く、まだまだ熱中症に警戒するようにスマホの天気予報に表示される。夏服でも制服は堅苦しくて汗ばむ。 でも、夏休み中はあれだけ空を引っかいていた蝉の声はほとんどなくなった。夜には鈴虫の羽音が透き通る。風がゆるりと流れて、別に三橋が気になるそぶりを見せたわけでもないのに、制汗剤ちゃんと効いてるかななんて心配になる。 すぐ高校に到着して、靴箱で男友達と合流した三橋は「じゃあな」とあたしに声をかけ、先に教室に行ってしまった。 待って、あたしも──。 ……やっぱり、それは言えない。飲みこんで、のろのろと靴を履き替える。 三階の教室では、すでに三橋は友達の輪の中で笑っていた。カーテンが開けられた青空と白雲のパノラマの中で、いつも通りの教室の光景だった。 「野崎さん、おはよー」と声をかけてくれるクラスメイトに声を返しつつ、三橋はもうおはようは言ってくれないよな、とあきらめて自分の席に向かう。
「彼女の部屋から出勤とか爆発しろ」 「いや、まだ彼女じゃねえし」 「『まだ』と言える余裕」 「やってること同じだからクロだわ」 「や、やってねえよ」
三橋たちの会話が、耳を素通りしていく。ほんと、ばればれだ。三橋が美堂奈津に恋をしているのは、分かりやすいほど一目瞭然だ。なのに、何であたしは三橋をフラットに見れないのだろう。 恋なんて、しなくていいじゃない。彼氏がいないと寂しいとか、そんなことは思わない。 三橋に対して、こんな気持ちがなければ楽なのに。何で三橋が好きで、どうしようもなくて、こんなに求めてしまうのだろう。今の関係を壊したいわけでもない。口はきく程度の、わりと仲のいいクラスメイト。このいい距離感に、どうして満足できないの? なぜこんなにも三橋を遠く感じるの? 飢えて、渇いて、精神が消耗していく。 四時間目まで教室で授業を受けて、お昼になった。三橋は朝と同じグループでお弁当を食べはじめる。そのお弁当を覗きこんだ男子は、「おー、愛妻弁当?」なんて問う。三橋は照れ咲いを見せてから、「まあなっ」と誇らしげにからあげを頬張る。 友達と談笑している三橋の笑顔に、また赤く点滅する心。くっきりとこの心を赤く染めて、三橋にさしだしたらどうなるのだろう。 いや、そんなのは見せることできない。あたしの赤じゃ、三橋は立ち止まってくれない──その真実に愕然とするだけ。三橋の脚を引き留められるのは、美堂奈津という彼女ひとり。
「んー、何だよ、野崎」
不意に名前を呼ばれてはっと我に返ると、三橋がこちらを振り向いて首をかしげていた。 やば。見てたのばれた。焦るあたしに、三橋はきょとんと無垢な表情を浮かべる。 何か、言いたい。 でも言えない。 言っちゃいけないから、首を横に振る。
「ガンつけてたじゃん」 「つけてないよ、のろけにあきれてただけ」 「のろけって」
三橋の友達も爆笑して、「マジのろけだよなー」なんて三橋の背中をたたく。 心が、苦しい。赤いシグナルが痛い。点滅のたび、突き刺さって血飛沫が走る。 午後の授業が終わった放課後、「じゃあな、また明日」とあたしの頭を小突いて、三橋はさっさと教室を出ていった。 また、あの子に会って過ごすんだろうな。分かりきっているから、あたしは三橋を追いかけられない。呼び止められない。 心が赤く点滅している。君への想いで、もう頭は故障しそうなのに。このシグナルは、絶対に君に届くことはない。
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石の言葉
名古屋を巡る車の中で、静岡に砂丘があることを友人から教わった。鳥取以外に砂丘が存在することは意外だったが、私はちょうど、ぼうっと眺めるだけで済む単調な風景を欲していたところだった。というのも、このところ雑事に追われていたせいで、精神は干された雑巾のように疲弊しきっており、何事に関しても乾いた考えしか浮かばなくなっていたからだ。友人に請うて予定を変更し、翌日足を伸ばしてみることにした。
三月某日。朝から曇天。連休の中日であるせいか車道はしばしば滞った。昼過ぎにようやく浜名湖に着き、そばにある店で鰻を食べつつ、私は植田正治が撮影した写真を思い出していた。白い空と白い砂に二分された画面の中央に、黒い服を着た人物が立っている。現実から遊離した夢のような断片。まるでタンギーの時空にぽつんとある、マグリットのオブジェ。新しいのにどこか懐かしい、シンプルで強烈なイメージだ。そんな不思議な光景が、この先で待っているだろうか。重箱の蓋を閉め、肝吸いをすする。椀のなかにある黒い背景と白い肝のネガポジを反転すれば、近くて遠い異世界が現れるだろう。思いもよらぬ効果は、そのように簡単な操作で得られるのかもしれない。携えたカメラで何かを撮ってみよう。
中田島砂丘は浜松の南部に位置し、遠州灘に面している。砂は、その東端が接する天竜川の上流から運ばれてくるそうだ。駐車場に車を停め、滑り止めが敷かれた小道を歩いて登って行く。林を抜けると視界が開けた。友人が声を上げる。空と、一面の砂が広がっていた。砂原へと続く急斜面を、足を取られながら興奮ぎみに降りる。すると、不意に下方から視線のようなものを感じ、私は立ち止まった。目を凝らすとそれは人でも動物でも虫でもなかった。石であった。坂の下に、じっとこちらを見つめている石があったのだ。遠ざかる友人をよそに、砂に顔を打たれながら、私はそれを見た。あたりにごろごろ転がる石とは何かが違う。風と波の果てしない響きのなかで、その石は白くきわだち、寂しそうだった。
私たちにはどこか通じ合うものがあった。ルートを外れ、靴にざばざばと砂が入り込むのも構わず、石のもとまで無心で下って行った。拾い上げると、それは花崗岩であった。美しい卵型をしており、側面に少し平べったい部分がある。表面はチョコチップアイスを思わせる、白にわずかな黒のまだら模様。握ってみるとたしかな重みがあり、旧知の仲でもないのに、手にしっくりとなじんだ。持ったまましばらく考え、その石を散策の相棒にすることに決めた。
石は、大人しい。しかしその性質はなかなか気難しい。浜を東へ歩いていく途上、こいつをどう扱おうかと悩んだ。ぐっと握りしめたり、持ち上げたり、掲げたり。ときに置いたり、立てたり、回したり。はたまた投げたり、落としたり、転がしたり。その全面が顔ともいえる、しかしいっさい動いてくれないカタブツをなだめすかしながら、何枚も写真を撮った。そのうち何やら、石の言葉が聞こえてくるような気がした。しかしその言葉とはいったいどんなものだろう。
雨に濡れて。/独り。/石がゐる。/億年を蔵して。/にぶいひかりの。/もやのなかに。
そう書いたのは詩人草野心平だが、なんでもない石について、石そのもののごとく簡潔に、そこに秘められた歴史と存在の必然性を言い表している。なおかつ映像的でもあり、事物を外部から見た限界ぎりぎりのところを巧みに描写している。とはいえ、それは石の発した言葉ではなく、あくまで人間から見た石の姿にすぎない。最終的にその主張を想像して汲み取るのは我々読者だ。詩人石原吉郎によれば、詩とは「沈黙を語るための言葉」だという。結局、我々が読めるのは「書かれた詩」でしかない。ほんとうの詩は事物と感興との沈黙の関係にあり、口にしたとたん霧消してしまうたぐいのものなのだ。ただしその意味で、カメラは言葉と同等に詩をつかみ得る道具となる。
石の言葉の意味は石にしかわからないが、聞くことはできる。それは生成と漂着の場所にこだまする音に根ざしているはずだ。ここは砂丘。海と空と砂と風がある。それらを組み合わせて固めた言語が質量となって、いま手のなかにある。石の組成、つまりこの風土の中心に改めて石を据えてみようと思った。空へと放り投げて、あるいは、太陽と重ね合わせたシルエットに向けて、シャッターを切る。一連の試行錯誤の末、徐々に一個の石の多様な側面が見えてきた。浜にある無数の石の中、風紋を斜めに切る光彩と陰影の間、人の足のような流木の上、それぞれの関係性の中で石は表情を変え、異なる何か訴えかける。それは静かだが、熱のこもった対話であった。
石のようになかなか動こうとしない私に友人はやきもきし、途中からどんどん先に進んでいった。帰りがけに走って追いついたところ、持って帰るつもりかと聞かれた。私は黙って首を振り、堆砂垣の向こうにそっと転がした。ホテルに戻ると、お気に入りを見つけたと言って、友人はポケットから小さな黒い石を取り出してみせた。彼は彼で写真を撮っていたらしい。そうしてにやりとしながら差し出されたカメラの画面には、私と石の出会いが切り取られていた。少し笑うと、名残惜しさが込み上げてきた。ふたたび永遠の海亀の卵へと還った石は、満月とともに夜を語り明かすにちがいない。ここちよい疲労に包まれてほんとうの石となった私は、夢幻のなかでその会話を聞いただろうか。
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2022年、バニラ、お蕎麦、がらくた
長く愛用していた香水が廃盤になってしまった。眠れない夜、寂しい夜にいつでも抱きしめてくれた香り。だいすきなのに、特別だったのに、毎日使っていたのに、どんな香りだったのか思い出せない。なんて薄情。
さてどうしよう、と松坂屋を出ようとしたところにあった香水ショップで見覚えのある香水瓶が目に付いた。そのブランドで買い物した時に、リボンに振りかけてもらった香水だった。甘く、じゃくじゃくとした、砂糖を煮詰めたようなにおい。または、子供にフリフリの服を着せたがるお母さんが使ってそうな香水。
店員さんにこの香水は男性でも使われる方が多いと話していてまさかと思ったけれど、ラストのくしゃみをしたくなる甘さを引き摺りながら、この香りを選ぶ男性はぜったい欧米人だなと思った。日本人男性の体臭にはパンチが強すぎる。人と被らない香水を選んできたわたしがまさかブランドのアイコンとなるような香水を選ぶ日がくるとは思わなかった。普遍と考えるならいいのかもしれない。しばらく試してみて、夜を越えられそうだったら定番にしてみようと思う。
と、思っていたのは夏の話で50mlの香水は突如空になった。何の前兆もなく。クリアガラスになっていない香水瓶だったので、残量を把握できてなかったのだ。しかしながらトップの立ち上がりがだいぶマイルドになって、鼻が慣れてきたのかななんてお気楽なことを考えていたけど、今思えばだいぶ揮発していたのだと思う。揮発してちょうどよく感じるほどトップがきつい香水って多くない?ずっと使っていた香水は、トップからスペシャルに甘酸っぱくて好きだった。
まあこの香水も使いこなせるようになってきたので、もう一度同じものを買っても良かったのだけれど、もうすぐ会える彼と香水を揃える約束を幾分前からしていたので、取り急ぎつなぎとして全然違うバニラのにおいのする香水を買った。置いてあるテスターって大体ラストだから気をつけなければいけない。やっぱりトップがきつい。明日から泊まりに来る妹に嫌がられそうな匂い。でもまあ赤のキラキラの箱に入っているところからギャルみたいで気に入っている。20代の内にバニラのにおいがするtinyな女の子ぶってみたかったから。
仕事に疲れ土日は寝倒し、空腹で目が覚めるも食べるものがなく、仕方なくUberEATSでマックを頼む、みたいな怠惰な週末を過し続け気づいた。私、マックは別に好きじゃない。そもそも実家に暮らしていた頃は10年近くマックを口にしていなかった。私にとってマックのハンバーガーは小中学生の時ジャスコで友達と食べるものだったから。高校生の時はひたすらサイゼにいた。専門学生の時は居酒屋ばっかにいた。社会人になってからはフレンチやら懐石やらちょっといい焼き鳥なんかを食べていた。自分のお金で。言わばマックは私にとって子供時代に遊び尽くしたおもちゃみたいなものだったのだ。子供というのは常に新しいものに敏感だから。そして行きたいところも食べたいものも一巡して、戻ってきたのだった。マックとスタバの新作にやたら敏感な26歳のできあがり。
しかしながらカロリーの高いものを食べるのは疲れる。これは26歳という年齢もあるのかもしれない。いつも食べては後悔していた。なのにしばらくするとまた頼んでしまう。なんらかの力が働くみたいに。やけになっていたのだろう。激務に追われ心身共にボロボロだった。疲れると何もかも破壊したくなる。
疲れきった仕事帰りのある日、なんとなくショッピングモールにあるお蕎麦屋さんに入った。暖かいお蕎麦と八寸を口にして、涙が出るかと思った。優しいお出汁の味。これだ、日本人のDNAが喜んでいると馬鹿みたいなことを真剣に思った。やっぱりハンバーガーじゃなくて、和食なのだ。私の体が欲しいものは。元々薄味が好きだし。そんなことを思いながら、マックを食べている。懲りない。
こんなはずじゃなかったと思ったのが去年で、こんなはずじゃなくても生きていける、と思ったのが今年だ。なんだかんだ私は強い。死なずに生きてる。生きるためには、適応していける。生きがいなんて、やりがいなんてゴミ箱の中からでも探し出せる。虚しさなんて犬にくれてやった。
社会人7年目にもなると最早独壇場だ。研修も無くなってくる。カリキュラムもマニュアルもない。やれ電話の取り方だ、やれ打ち合わせの進め方だと教えてくれる先輩も、1限目は数学だとか2年生から文理選択とか、決めてくれる大人もいない。
子供と違って大人はなんとなくでも生きていける。自分の手ではっきり選びとったり、掴み取った感覚が無くても、流されるだけで生きていける。私はそれが嫌なのだ。もったいないし、去年と今年は変わり映えない1年だったなとぼんやり思う自分を想像すると居ても立っても居られなくなるから。生き急ぐ性質は結構セーブしてるけど、ひとつひとつちゃんとこなしてはいきたいのだ。時間は有限だから。
ぼんやり生きないこと、多忙に流されず争うこと。それが私の来年の目標であり、20代の目標でもある。
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16年と半年前、57歳になったばかりの2007年の9月に初めての投稿をしました。その2ヶ月くらい前から閲覧はしていた気がしますが閲覧履歴のようなものはないためわかりません。ちょうどその頃、勤務していた会社で役員に昇格したばかりでした。法学部を卒業し新卒で入社して以来、ひたすら営業畑にいた私が役員になってから与えられたのは情報システム部を含むIT分野でした。その10年前ごろから会社にパソコンが導入され始め、総務部門にいた同期が悪戦苦闘しており「大変そうだな〜」なんて気楽に思っておりましたが、まさか自分がそれらを統括する立場に置かれるとは思いませんでした。IBMが主催する勉強会に参加し���り、書籍を購入したり、パソコン教室にも通い、DELLのデスクトップPCを購入して大学生だった息子に助けられながら設定をしていました。インターネットを徘徊する中で見つけたのがはてな匿名ダイアリーです。結局半年足らずで外部の専門家を雇うことになり、お払い箱になった私は金融商品を取り扱う子会社の代表取締役を務め、そこもお払い箱になると取引先の名ばかり役員となって月に数回だけ会議の名目で仕出し弁当を食べに行き、65歳となる2014年に完全に隠居生活に入りました。私が本格的にここを利用するようになったのはそれからです。毎日のスケジュールは犬の散歩、朝食、昼食、刑事ドラマ、夕食のみです。買い物、旅行、ゴルフ、孫、会食などが不定期で入りますが、基本的に暇なのでここで皆様の投稿を拝見したり、社会問題、映画、音楽、歴史などについての投稿を行い皆様からのコメントを楽しんでおりました。この時期に妻と隠岐旅行に行きましたが、それもここで隠岐の魅力を語る投稿を見たことがきっかけでした。探してみましたが、残念ながら見つかりませんでした。後にTwitterやブログなども始めましたが、Twitterは見るだけになり、ブログの更新はされなくなり、継続的に利用を続けてきたのは結局匿名ダイアリーのみでした。私が定年後もボケっとした生活をせず、さまざまなものに興味を持ち精神的なアクティブさを維持できたのははてな匿名ダイアリーのおかげです。さて、私は大腸がんで苦しんだ祖父の介護で幼少期に苦労した経験がありました。そのため、かかりつけのクリニックにてビデオスコープ内視鏡が導入されたことを知った時から定期的に胃カメラ、大腸カメラを含む検査を夫婦で受けてきました。しかし、2019年に最後の大腸カメラを受けて以来は検査を行っていませんでした。70歳になったし、息子夫婦の末孫の小学校の入学式を見たし、娘夫婦が仕事が終わるまで孫を預かるようになって忙しくなったこともあり毎年「来年でいいか」となっていたのです。なんとなく覚えたみぞおち痛で昨年にクリニックを受診し、そこで行ったエコーで膵臓がんが見つかりました。超音波内視鏡ではなく通常のエコーで見つけられたので定期的に検査を受けていればもしかしたら早期発見ができていた可能性はあります。とにかく総合病院で詳しい検査を行い、手術が可能だったため膵切除を行いました。手術ができ、化学療法も行える状態であったため命拾いしたと思いましたが、医師からは「楽観的ではいられない」と告げられました。医療の進歩によって、幼少期に見た祖父の壮絶な闘病とは比べ物にならないほど穏やかな生活を送ることができました。食事も取れていましたし、妻と買い物や旅行にもいけましたし、去年の誕生日も家族に囲まれて過ごすことができました。しかし、年明け直後の強い背中の痛みで意識を失って以来、一気に体力が削られてしまいました。75歳の誕生日は迎えられそうにないです。妻は寂しがりやなので、私が妻を看取りたかったのですが、最後の最後に寂しい思いをさせてしまうことになりました。体力のなさと慣れないiPadでの入力なので、これを書くのにも長い時間を必要としました。今までありがとうございました。
最後の投稿です
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udetaさんの描かれたアラスターがみられてとても嬉しいです!スタイリッシュで邪悪で最高です。是非、udetaさんの感想や考察を機会があれば教えて欲しいです。暖かくしてお過ごし下さい!
こんばんは!
嬉しいお言葉をありがとうございます!📻
実はハズビンホテルの本編ずっと待ち望んでたんです!あっという間にシーズン1が終わってしまいましたね… 毎週の更新をすごく楽しみにしていたので少し寂しいです
最新話を踏まえて ↓
8話ではアラスターが1人でアダムに立ち向かったのに対し、チャーリーはみんなと力を合わせて戦って勝利したという対比があったのが印象的でしたね
(ルシファーによく突っかかっていましたけど、今回のエピソードで2人の力の差はかなりあるように感じました…)
アラスターはエンジェルやハスクのように負け犬の自分を肯定できないだろうし、それがホテルの他のみんなとの違いのような気もしますが… 多くの謎めいた部分の中に欲深さが滲み出ているのが彼の好きなところです!
ハズビンホテル、個性的で良いキャラが多くて何度観ても観足りないほどです!ですがあまり考察文を書くのは得意ではなくて… 無責任なことばかり書いていたら申し訳ないです😅
ハズビンホテルのお話を誰かとする機会がほとんどないので、匿名さんもよければここの質問箱やDMで考察や感想など教えていただけたらとても嬉しいです…
改めてありがとうございました!寒い日が続きますが、匿名さんもどうぞご自愛ください🙇♀️
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