#三角座り
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・ 三角座り この姿勢は かなり 体調の不調になる 可能性がありますので 長時間はしないようにした方がいいです。 僕たちが小学生の時は 体育館で ずっとこの座り方でした。 特に 小さいお子様には 注意していただきたいです。 #三角座り #体育座り #姿勢と不調 ・ 【当院の理念】 ・ 不調のために諦めていたことや、 やりたかったことを 気兼ねなくできるように なっていただき 一緒に笑顔になっていただく ・ 【ご挨拶】 ・ いつもご覧くださいまして ありがとうございます😊 心より感謝いたします🙌 ・ 病院に行っても 原因がわからない場合は 自律神経の不調かもしれません。 ・ 《あなたのお悩みを解決します!》 自律神経の症状、お悩みを解決するブログを書いております。 ・ どうぞプロフィールから一番上のブログをタップしてご覧ください。 ↓↓↓ @wakae_ookuma_seitai ↓↓↓ タップしてください ↓ 一番上の「ブログ」をタップ! ↓ 記事をご覧ください❗️ ・ また 自律神経症状の解決の 体操などを動画にしております。 ・ ホームのプロフィールから YouTube動画のチャンネル登録を お願いいたします。 ・ どうぞ よろしくお願いいたします🤲 ホームページはこちら 東大阪市の自律神経専門整体のおおくま整骨院|若江岩田駅徒歩3分 ・ 🌟私が今できるベストを尽くすことをお約束いたします🌟 ______________ あなたが心身ともに健康になれる ✨情報を更新しております✨ ・ フォローよろしくお願いいたします。 ↓↓↓ @wakae_ookuma_seitai ・ Instagramのプロフィール欄のリンクを タップしていただきますと 悩み解決ブログがご覧になれます。 ・ 《ご相談・ご予約》 ご相談などございましたら LINE@への登録お願いいたします。 https://line.me/R/ti/p/%40vtd9415n ______________ 東大阪市若江岩田の自律神経専門整体 おおくま整骨院 東大阪市瓜生堂1-3-27リベラルコート1F 完全予約制 📞 072-968-8139 施術時間 ☀️10:00〜12:30 🌠15:00〜20:00 休:日曜日・祝日、土曜日午後18:00まで HP��プロフィール欄からご覧ください。 ______________ 【こんなことでお困りではないですか】 #自律神経失調症 #パニック障害 #頭痛 #めまい #不眠症 #更年期障害 #冷え症 #息苦しい #うつ病 #強迫性障害 ______________ 【当院の場所や特徴など】 #若江岩田整骨院 #東大阪市整骨院 #若江岩田整体 #東大阪市オステオパシー #東大阪市整体 ______________ 【好きな歌手は】 #ミスチル #福山雅治 #浜田省吾 #尾崎豊 #MISIA #長渕剛 ______________ 【趣味は】 #マウンテンバイク #ガンプラ #サッカー #釣り https://www.instagram.com/p/Cpn5aaPSeok/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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こぶ志焼〜北海道岩見沢〜 海鼠釉(青色)のほか、多彩な釉薬で見るものを楽しませてくれます。 本日入荷いたしました✨ #北海道岩見沢 #こぶ志焼 #海鼠釉 #緑彩釉 #辰砂釉 #切立珈琲碗皿 #りんどうマグ #三角小鉢 #銀座器ギャラリー門 #kobushiyaki https://www.instagram.com/p/CnTehxQPC1Z/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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秋旅2024 - リゾートビューふるさと + 富山市内旅
秋は旅に限るよね、どこへ行こうか?そうだ富山いこう!
はじめに
どこかへ旅行したい気分、でもちゃんと考えて計画するのはめんどくさい気分。そういう時は一度行ったことのある場所の再訪が楽ちん。ということで今回は、2年ぶりに2回目の「リゾートビューふるさと」へ乗りに長野へ、そのまま終点の南小谷まで進んだ後、大糸線 糸魚川、えちごトキめき鉄道線・あいの風とやま鉄道線を乗り継ぎ富山まで行ってみました。いつも素敵なお写真が並ぶケイスケさんのブログでちょうど紹介されていた富山駅周辺にも惹かれたため。
リゾートビューふるさと 信越線・篠ノ井線・大糸線経由 長野→南小谷
リゾートビューふるさとの紹介は前回訪問時に記載しているので詳細は割愛。簡単にいうと土日を中心に運行されるリゾート快速で、長野から姨捨、松本、穂高を経て、緑(JR東日本)と青(JR西日本)の境界駅である南小谷に至るというもの。途中の姨捨と穂高では30分ほど停車し途中下車が楽しめるというもの。前回はまだ某疫病が終息しきっていないこともあり、神社参拝時の案内や車内での民謡演奏等、一部サービスは割愛されていましたが、今回はそれらも再開されていた点が大きな違いかな(あとは、指定券が300円くらい値上がりしたのと。。。)。あまり変わり映えしませんが、写真も何枚か。
1枚目、朝一は立ち蕎麦で朝ごはん。長野駅には立ち蕎麦屋が何軒かありますが、今回はそのうち改札外 東口の榑木川にて、山菜キノコ蕎麦をいただきました。ひんやりした朝に温かい蕎麦は染みる。
2枚目、穂高駅にリゾートビューふるさとに使用されるHB-E300のお顔。よい面構えですね。
3枚目、車窓から楽しめる仁科三湖。訪れた日はお天気が微妙で。。。アルプスの山々は全然見えませんでしたが、仁科三湖(青木湖・中綱湖・木崎湖)は綺麗にみえました、山々の紅葉と合わせて一枚(これが何湖だったかは覚えていません。。。)。
4枚目、終点 南小谷駅周辺にて乗り換え待ち30分で散策。事前情報として認識はしていましたが、川の様子を見に行く以外は特にすることがないですねぇ、天気が良ければ遠くの山々の景色も楽しめるのかもしれませんが、あいにくの曇り空。
大糸線 南小谷→糸魚川
大糸線はこの先 JR西日本管轄の非電化エリア。輸送密度も小さく1両のディーゼル列車とローカル線の香り。列車は姫川に沿って右へ左へゆらゆらと、眠たくなりますね。
1枚目、車窓から1枚。ガラスの反射と揺れに悩まされながらなんとか撮れたもの。ずっと川沿いを走るため大体景色はこんな感じ。
2枚目、終点 糸魚川にて1時間ほどの待ち時間。隣接するヒスイ王国館内のカフェでおやつタイム、わらび餅セット。上品なわらび餅とたっぷりの温かいお茶でほっと一息。ずっと座って列車にのっていただけでも疲れるものですね。
3枚目、4枚目、ここまで運んでくれた列車と駅舎からの夕焼け。近年開業した新幹線の駅舎って大体同じような構造(既存の地上駅の横に背の高い新幹線駅舎を作って橋上駅舎で無理やりつなぐ形)に見え、この光景もやや見慣れたものに。
えちごトキめき鉄道 日本海ひすいライン・あいの風とやま鉄道線 糸魚川→泊→富山
ここから日本海沿いを進み富山へ。えちごトキめき鉄道とあいの風とやま鉄道の境界 市振の2つ先 泊にてえちごトキめき鉄道の車両からあいの風とやま鉄道の車両へ乗り換え。同一ホーム上に縦列駐車する2つ列車間の乗り換えという面白い体験。よく考えるとここからがこの旅の在来線で初の電車でしたね(リゾートビューふるさとはハイブリット気動車、大糸線・日本海ひすいラインはどちらも気動車)。JR西日本の近郊形車両ベースの車両は内装や音含め、何だか東海道本線の米原から先、琵琶湖線を走っている気分。
日中であれば日本海の景色を楽しめるのかもしれませんが、時はすでに夜。真っ暗で何も見えませんでしたので、糸魚川駅での待ち時間に撮影したえちごトキめき鉄道の観光急行を。何やら撮り鉄っぽい方が何名かいらっしゃるなと思っていたら、こちらがお目当てのようでした。貴重な国鉄形の気動車は重厚感が違いますね。
富山城ライトアップ
富山駅には夜の到着。そのままホテルに直行したい気分でもあったのですが、富山城がライトアップしているとのことで重い腰をあげ。歩いても行ける距離ですが折角ならと市電に乗車。富山市内は市電が充実、かつ高頻度で運転されていて便利でした。富山駅の乗り場案内もわかりやすく好印象。
訪れたときは世界糖尿病デーということでブルーにライトアップされていました。明りにいざなわれ城内へ、ゲームだったらこの後 ボスが出現しそうですね。。。
富岩運河環水公園
2日目は運河沿いに設けられた富山市民の憩いの公園。紅葉はじめのシーズンということもあり、紅葉と青空、それらが水面に映り込む景色が素敵でした(この日は午後から雨予報でしたが朝はご覧の通りの快晴でした)。
ここには世界一美しいといわれている(?)スターバックスもあり、一応 こちらもからめて写真におさめてみました。アクセントにはちょうどよいかな、ちなみに朝から大混雑でした。
TOYAMAキラリ・富山市ガラス美術館
駅から市電で10分くらい、富山市ガラス美術館と図書館が入るTOYAMAキラリへ。隈研吾氏が設計した建物は、斜めに切り開かれた吹き抜け構造と、内装に木材がふんだんに使用された特徴的て面白い建物でした。広角で切り取るのが楽しすぎた。とはいえ幅広い年層の方がいらっしゃる公共施設ということで邪魔にならないように撮影はほどほどに、したつもり。
ガラス美術館は、エミール・ガレの展覧会が開催中。折角なのでガレの作品も鑑賞してきました(こちらの作品は写真撮影・SNS投稿OKのもの)。学がないので小難しいことはわかりませんが、シンプルに綺麗だなという感想と、目に見えないものを作るITエンジニアとしては、目に見えるもの・手にできるものは長い時を経てもこうやって残されていくということにちょっと羨ましさが覚えました(戯言)。
終わりに
ガラス美術館訪問後は軽くお昼を済ませた後、早々に新幹線にて帰京しました。お天気も崩れてきていたので。
よって、かなりコストパフォーマンスの良くない旅をしてしまった気がしますが、たまにはこういうのもよいよね。1ヶ月後くらいの朝、旅路をゆっくり振り返りながらこのエントリをまとめてみた。
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【2話】 はじめてLSDをやったときのレポ 【さいばーひっぴーができるまで】
僕と友人の“しのはる”は、LSDがどういう効果をもたらすのか特に分かっていなかったが、お気に入りのプッシャーからLSDを引いてみて、早速試してみることにした。
僕らは馴染みの公園に行き、緊張の中LSDを摂取したのだが、初めてのLSDは量が少なかったのか、高揚感や感情の増大などの効果はあったものの、幻覚を見るまでには至らなかった。
ただそれでも、ファミレスで2時間ほど互いに絵を描くことに没頭して奇妙な絵を描いたり、途中で雨が降ってきたのに雨を浴びるのが気持ちいいからと傘もささずに笑顔でびしょ濡れになったりしていて、初めてのLSDは十分愉快で興味深い思い出ではあった。
―――僕らはそれからもLSDを引いて、数回ほど、1ヒット分(100μg分)のLSDの体験をしていたのだが、LSDトリップの醍醐味を味わうことができた体験は、初めてのLSD体験から約1年後のことであった。
このときは、しのはると大学時代の友人でLSD初体験の“イシカワ”を呼び、3人で公園に行って、LSDを摂取した。またこのときは、Twitter上で“地下薬局”と名乗るプッシャーから引いてきた、角砂糖に垂らされたLSDを摂ったのだが、今までのLSDの2倍ほどの効果を感じられるものだった。
摂取してから1時間ほど待つと、視界はシラフのときより俄然明るく、輝かしく見えていて、芝生の緑や空の青々しさ、駆け回る少年の頬の赤らみなどが強調されていたし、なんの変哲もないただの公園なのに、あらゆる対象物に新奇性を覚えるほど、童心に帰ったような感覚で物事を見られるようになっていた。
僕は長らく、地べたにあぐらをかいて座り、公園の池の水面に浮かんだ油膜(それは鮮やかな虹色に発光するマーブル模様に見えている)を恍惚と眺めていた。すると、飛んできた鴨がその池の上に着水したのだが、不思議なことに、その様子はスローモーションがかかったように見え、翼の動きの一つ一つを鮮明に捉えることができた。
鴨は池の上を優雅に遊泳し始め、その油膜の上を通る。鴨の後方に次々と生まれる水面に広がる波紋の一つ一つが、極彩色に煌めくマーブル模様を帯びて、ゆっくりと広がっていく……。
そしてふと、「このサイケデリックな感覚のまま大麻を吸えば、もっと高みにイけるのではないか」と思い立たった。僕は2人に声をかけると、景気良く極太ブラントを作って、3人でそれをまわすことにした。
手始めにひと吸いすると、それだけで視界の奥行き感がなくなり、平坦な2次元動画のように見えてきた。さらに、外界の全ての動きがスローになり、鳥のさえずりや車の走行音などの環境音にはエコーがかかっているように聞こえ始めた。
この時点で、すでに現実の現実感がなくなったように感じていて、「今回こそ戻れないほどやりすぎてしまった」とかなり切迫していたのだが、もうどうにでもなれという気持ちで、それからも二巡三巡とまわってくるブラントを吸い続けた。
公園に生えている木の幹は、呼吸をしているように内側に収縮したり外側に拡張したりしていて、木々が呼吸しているように思えた。さらに深く吸うと、規則性を持って複雑に変化する半透明の幾何学模様が視界全体に現れ、その半透明の幾何学模様越しに、呼吸をしている木々が見えていた。地面は海のように波打って動いているように見え、その波打ちの残像まで見えていて、波打つ地面は遠くなるに連れて微妙に反り返っている。
視覚だけではない。思考は次から次へと矢継ぎ早に連想されながら流れていて、その矢継ぎ早に流れている思考とは別に、バックグラウンド再生のように同時に矢継ぎ早に流れる思考があった。そのため、思考を一つに絞って処理するのが難しく、思考を口に出そうとしても、思考の速さに口の動きが追いつかなくなっていた。
しかも短期記憶がほとんどなくなっていて、ついさっき浮かんだ思考が思い出せなくなっていたので、なんとか紡いだ言葉を口に出しても、言葉を口にした時点で何を喋ろうとしていたか思い出せなくなっていた。
そんなこんなで、やっとのことで極太ブラントを吸い切ると、ついには“目の前の光景を細部まではっきりと見ることができているのに、見ているものがなんなのか認識できない”という状態になった。
その刹那、「もう戻れないのではないか?」という考えがよぎってしまい、その考えを元に高速で恐怖の連想ゲームが始まった。絶望感で声が出せなくなった。
しのはるも僕と同様に、声を出せないか、声を出せても支離滅裂なことしか発せられていなかったので、僕はパニック状態になりつつも、“彼も同じように狂人になっている”と悟って、少し安心した。
ところが、イシカワは平然とした口調で、「お腹すいた。寿司でも食う?」などと呑気なことを言っていた。僕としのはるは、当然まともに言語を話せる状態ではなかったので、顔を見合わせ、テレパシーを使って「こいつとは次元が違う」などと会話をした(LSDの統合失調症様の効果で、相手の思考が読み取れて自分の思考が伝わっていると思い込んでいただけではあるが)。
僕はイシカワに対して、「こんなキチガイが公園の外に出ていいわけがないし、食事するにしてもナマものは気持ち悪いから論外」などと伝えたかったのだが、イシカワも僕としのはるの異常な様子に少し脅えた表情をしているように見えたので、「一旦…それぞれ一人になって…みない?」などと必死に言葉を紡いで喋ると、しのはるはよくぞ言ってくれたという表情で「そうしよう」とだけ言って、そそくさと離れて行った。
イシカワはわけがわからないようで困惑していたが、僕も最後の力を振り絞って、「ごめん、もう…幻覚が凄くて…」などと言って、イシカワから離れた場所に歩いて行き、平たい地面の上に座り込んだ。
地面に座り込むと、現実の瑣末な事���から解放され、一気に幻覚ワールドに引き込まれる感覚があった。僕はどういうわけか、その感覚に集中できることに安心感を覚えていた。
座り込んだまま上空を見上げると、網目の中一つ一つに目玉があるドーム状の蜘蛛の巣が空の全体を覆っているように見えていた。
僕はその幻覚に圧倒されて、後ろにぶっ倒れるようにして仰向けに横たわった。仰向けになると、その幻覚は次第に色濃く迫力を増し、完全に周囲を覆っていった。
次第に、その幻覚は、視界に映っているだけという認識ではなくなっていって、“むしろ実際の現実の光景より現実っぽく思える”という、摩訶不思議な感覚になっていった。
どう考えても“まともでない側の人間”に、僕がその“当事者”になってしまったという事実に、僕は極度のスリルを感じたが、その感情と同時に、目を瞑ったらより深い幻覚ワールドに没入できるという期待もあったので、僕はゆっくりと目を瞑り、LSDに身を預けることにした。
―――僕は奇妙なフラクタル構造の幾何学模様に360度覆われた空間にいた。その幾何学模様は僕の脳に保存されている記憶とは全く関連がないような、まるで見たこともなく、この世のものとは思えないパターン・構造・配色に次々と変化をしていき、それは無限に変化していく……。
僕はいつの間にか身体感覚を認識できなくなっていて、現実世界とは切り離された、魂の空間とでもいうような世界に入っていき、現実の事象―ここがどこで、僕は誰で、今は何時で、何を摂取してこんなことになっているのか―などが、まるでわからなくなっていた。
ここから記憶は曖昧だが、気づくと、先の見えな��遥か上空まで続いている高い塔に沿って、魂だけの自分が上空に向かって凄いスピードで進んでいた。上空に進めば進むほど、現実世界がどんどん遠のいていくような感じがして、これはとても言葉では言い表せないほどに爽快だった。
すると、スピードは次第に弱まり、フリーフォールのように猛スピードで落下していった。面白いことに、落下するごとに徐々に現実の事象が思い出されてきて、地面に直撃する寸前で身体感覚や現実の記憶を取り戻した。
と、思ったら、自分の過去をプレイバックするように高速で時間の巻き戻しが始まり、一人称視点で、学生時代から少年期、さらに覚えているはずのない幼少期から乳児期まで遡り、母親の胎内へ入っていった。
すると途中で、逆再生は止まり、今度は未来方向に向かって、高速で早送りされる映像が始まった。再び一人称視点で、誕生から今生きている時間まで進んでいったが、さらに現在を通過して、数分後の未来から自分が老いて死ぬまでの主観映像を見た。不思議なことに、これらの各瞬間は主観的に現実感があり、“今”の事象として認識されていた。
それから自分が死んだ後も、映像の早送りは続き、さらにその先の自分の死後の世界の映像を少し見させられ、また逆再生が始まった。そして未来の死の状態から生の状態に、さらに巻き戻って、現在の時間に戻った瞬間、急に意識がはっきりし、僕はその勢いで目を開けて上体を起こした。辺りを確認すると、少し離れた場所にいたしのはるも、ちょうど上体を起こしてこちらを見ていた。
今でこそサイケデリック体験についてある程度理解はできているけど、当時はこの体験がなんのことかまるでわからず、SFやファンタジーのような摩訶不思議な世界に放り込まれたような気持ちだった。
しのはるも僕と同じように神秘体験をしていたようで、僕らは興奮しながら、ただ顔を合わせ、互いに言葉にできない想像を絶する体験をしたことを感覚的に共有した。
その後、僕らはとりあえず作戦会議をしようという話になり、ガストに行くことにした。言葉にするのはとても難しかったけど、どうにかお互い自分の体験を言葉にした上で、「LSDによる神秘体験を幼馴染と共有できていることの奇跡」などについて、恥ずかしげもなく語り合った。
また、僕たちはこの体験を通して、「死とは自分にも訪れるものなのだ」という本来当然の事実を、自分の肉体をもって理解することができたと感じていた。漠然と抽象的に、他人事としてイメージしていた“死”という概念の実態を掴めた気になって、死に対する恐怖心が薄れている感覚があった。
それと同時に、「今までいかに自分の人生に当事者としての自覚を持たずに、世間に合わせて流されるままに生きてしまったのだろう」とか、「どうせ死ぬのになぜお行儀よくしていたのだろう」というような後悔の念を強く抱いた。
そうして一通り話を終えた頃には、LSDの効果が下がっていて、サイケデリックな感覚は失われていってきていた。ただしかし、シラフに戻れば大丈夫という話ではなかった。臨死体験と括るだけでは物足りない神秘体験をしたということは、今後の一生を大きく変えるターニングポイントであり、一生忘れることのない体験なのだと思った。
そういえばよく覚えていないけど、トリップ中に体験していた“自分が死ぬまでのヴィジョン”は、このままの人格や生活環境であると、面白みのない人生を送って寂しく死んでいくという印象の体験だった。
ところで、イシカワはというと、そもそも僕としのはるほど大麻を吸っていなかったらしく、それによってトリップの深度の差ができていたようだった。とはいえ、イシカワも十分トランス状態ではあったので、僕としのはるが仰向けになってブッとび出したあたりで、その状況が猛烈に恐ろしくなったらしく、ひとりで電車に乗って、人混みに怯えながらどうにか帰ったらしい。
後日、イシカワにはちゃんとワケを話して、「ブッとびすぎててごめん」などと言って謝った。ただでさえイシカワは初体験なのだから、さぞかし怖かったんだろうなあと思う。
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つづく(この物語は雑誌「さいばーひっぴー」の「さいばーひっぴーができるまで」に載っている内容とほぼ同じものです)
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この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
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夏はカレーということで、たびたびランチで訪れる金沢の「スリランカキッチン」。
場所は金沢21世紀美術館前の柿木畠、観光客で溢れかえる甘味処「つぼみ」の直ぐ近くです。
店内に入って真っ先に目に入るのが、スリランカにあるコロンボ国立博物館の収蔵品の中で最も重要な文化財の仏像で、観音菩薩像の傑作といわれる「アヌラーダプラ、ヴェヘラガラの観音菩薩像」を完全再現したレプリカ。
アヌラーダプラといえば、中学の地理の時間に習ったスリランカ文化三角地帯の中心的な都市です。
そんなの知らないという方はもう一度中学生に戻って勉強し直してください。
(文化三角地帯って言葉、懐かしすぎる)
この仏像は、スリランカの最初の首都であった聖地アヌラーダプラから25km離れたヴェヘラガラの仏教寺院で1968年に発見されました。
9世紀頃に造られた金銅の鋳造物で全高49.8cm、精巧に編まれた���ジャタマクタ」という髪型で、その髪には宝石がはめ込まれており目も宝石の玉眼、シンプルな苦行服で「ラジャリラサナ」(通称:王家の安らぎ)という日本でもよく知られた水月観音と同じ楽座姿で表現されています。
多分、金沢の飲食店の中で最もクーラーが効いているのではかというくらいに涼しい店内なので、辛いカレーを食べて汗だくになっても何の問題もないユーザーフレンドリーなお店です。
見たところ、店員さんは全員現地スリランカ人のようですが、南インドの料理もあります。
スパイスたっぷりの美味しいカレーに、飲み干すのが大変なカルピスの原液のような甘さのラッシー。
近くにはインド系の姉妹店「スパイスボックス」があり、ホームページは両店とも常に「メンテナンス中です」と表示されますが(笑)、お店は毎日絶好調で営業中です。
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今回の報告書で「消滅可能性自治体」とされた自治体は、以下の通り。 【北海道】 函館市、小樽市、釧路市、夕張市、岩見沢市、網走市、留萌市、稚内市、美唄市、芦別市、赤平市、紋別市、士別市、三笠市、根室市、砂川市、歌志内市、深川市、富良野市、登別市、伊達市、北斗市、当別町、新篠津村、松前町、福島町、知内町、木古内町、鹿部町、森町、八雲町、長万部町、江差町、上ノ国町、厚沢部町、乙部町、奥尻町、今金町、せたな町、島牧村、寿都町、黒松内町、京極町、共和町、岩内町、泊村、神恵内村、、積丹町、古平町、余市町、赤井川村、南幌町、奈井江町、上砂川町、由仁町、長沼町、栗山町、月形町、妹背牛町、雨竜町、北竜町、沼田町、当麻町、比布町、愛別町、上川町、上富良野町、和寒町、剣淵町、美深町、音威子府村、幌加内町、増毛町、小平町、苫前町、羽幌町、遠別町、浜頓別町、中頓別町、枝幸町、豊富町、利尻町、美幌町、津別町、清里町、小清水町、訓子府町、佐呂間町、遠軽町、湧別町、滝上町、西興部村、雄武町、大空町、豊浦町、白老町、洞爺湖町、むかわ町、日高町、平取町、浦河町、様似町、えりも町、新ひだか町、士幌町、広尾町、池田町、豊頃町、本別町、浦幌町、釧路町、厚岸町、浜中町、標茶町、弟子屈町、白糠町、羅臼町 【青森県】 青森市、弘前市、八戸市、黒石市、五所川原市、十和田市、むつ市、つがる市、平川市、平内町、今別町、蓬田村、外ヶ浜町、鰺ヶ沢町、深浦町、藤崎町、大鰐町、板柳町、鶴田町、中泊町、野辺地町、七戸町、横浜町、東北町、六ヶ所村、大間町、東通村、風間浦村、佐井村、三戸町、五戸町、田子町、南部町、階上町、新郷村 【���手県】 宮古市、大船渡市、久慈市、遠野市、一関市、陸前高田市、釜石市、二戸市、八幡平市、奥州市、雫石町、葛巻町、岩手町、西和賀町、平泉町、住田町、大槌町、山田町、岩泉町、田野畑村、普代村、軽米町、野田村、九戸村、洋野町、一戸町 【宮城県】 石巻市、気仙沼市、白石市、角田市、登米市、栗原市、蔵王町、七ヶ宿町、村田町、川崎町、丸森町、松島町、七ヶ浜町、大郷町、色麻町、加美町、涌谷町、女川町、南三陸町 【秋田県】 能代市、横手市、大館市、男鹿市、湯沢市、鹿角市、由利本荘市、潟上市、大仙市、北秋田市、にかほ市、仙北市、小坂町、上小阿仁村、藤里町、三種町、八峰町、五城目町、八郎潟町、井川町、大潟村、美郷町、羽後町、東成瀬村 【山形県】 鶴岡市、酒田市、新庄市、上山市、村山市、長井市、尾花沢市、山辺町、中山町、河北町、西川町、朝日町、大江町、大石田町、金山町、最上町、舟形町、真室川町、大蔵村、鮭川村、戸沢村、高畠町、川西町、小国町、白鷹町、飯豊町、庄内町、遊佐町 【福島県】 会津若松市、白河市、喜多方市、二本松市、田村市、伊達市、桑折町、国見町、川俣町、天栄村、下郷町、檜枝岐村、只見町、南会津町、北塩原村、西会津町、猪苗代町、会津坂下町、三島町、金山町、会津美里町、泉崎村、棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村、石川町、玉川村、平田村、浅川町、古殿町、三春町、小野町 【茨城県】 日立市、常陸太田市、高萩市、北茨城市、潮来市、常陸大宮市、稲敷市、桜川市、行方市、鉾田市、城里町、大子町、美浦村、河内町、八千代町、五霞町、利根町 【栃木県】 日光市、矢板市、那須烏山市、益子町、茂木町、市貝町、塩谷町、那珂川町、 【群馬県】 桐生市、沼田市、渋川市、藤岡市、富岡市、安中市、上野村、神流町、下仁田町、南牧村、甘楽町、中之条町、長野原町、嬬恋村、草津町、東吾妻町、片品村、みなかみ町、玉村町、板倉町 【埼玉県】 行田市、秩父市、越生町、小川町、川島町、吉見町、鳩山町、ときがわ町、横瀬町、皆野町、長瀞町、小鹿野町、東秩父村、神川町、寄居町、松伏町 【千葉県】 銚子市、勝浦市、富津市、八街市、南房総市、匝瑳市、香取市、山武市、いすみ市、栄町、神崎町、多古町、東庄町、九十九里町、芝山町、横芝光町、白子町、長柄町、長南町、大多喜町、御宿町、鋸南町 【東京都】 檜原村、奥多摩町 【神奈川県】 三浦市、中井町、山北町、箱根町、真鶴町、湯河原町 【新潟県】 小千谷市、加茂市、十日町市、村上市、糸魚川市、妙高市、五泉市、阿賀野市、佐渡市、魚沼市、胎内市、田上町、阿賀町、出雲崎町、湯沢町、津南町、関川村、粟島浦村 【富山県】 氷見市、南砺市、上市町、入善町、朝日町 【石川県】 七尾市、輪島市、珠洲市、加賀市、羽咋市、志賀町、宝達志水町、穴水町、能登町、 【福井県】 大野市、勝山市、あわら市、池田町、南越前町、越前町、高浜町、若狭町 【山梨県】 都留市、大月市、韮崎市、上野原市、甲州市、早川町、身延町、南部町、富士川町、道志村、西桂町 【長野県】 大町市、飯山市、小海町、佐久穂町、立科町、長和町、阿南町、阿智村、平谷村、天龍村、上松町、南木曽町、王滝村、大桑村、木曽町、生坂村、筑北村、小谷村、坂城町、高山村、山ノ内町、木島平村、信濃町、小川村、飯綱町、栄村 【岐阜県】 美濃市、瑞浪市、恵那市、山県市、飛騨市、郡上市、下呂市、海津市、養老町、関ケ原町、揖斐川町、池田町、七宗町、八百津町、白川町、東白川村 【静岡県】 熱海市、下田市、伊豆市、御前崎市、牧之原市、東伊豆町、松崎町、西伊豆町、川根本町 【愛知県】 津島市、新城市、南知多町、美浜町、設楽町、東栄町、豊根村 【三重県】 尾鷲市、鳥羽市、熊野市、志摩市、木曽岬町、大台町、度会町、大紀町、南伊勢町、紀北町、御浜町、紀宝町 【滋賀県】 高島市、甲良町 【京都府】 宮津市、京丹後市、井手町、宇治田原町、笠置町、和束町、南山城村、京丹波町、与謝野町 【大阪府】 富田林市、河内長野市、柏原市、門真市、泉南市、阪南市、豊能町、能勢町、岬町、太子町、河南町、千早赤阪村 【兵庫県】 洲本市、西脇市、加西市、養父市、朝来市、宍粟市、多可町、市川町、神河町、上郡町、佐用町、香美町、新温泉町 【奈良県】 大和高田市、五條市、御所市、宇陀市、山添村、安堵町、三宅町、曽爾村、御杖村、高取町、上牧町、河合町、吉野町、大淀町、下市町、黒滝村、野迫川村、十津川村、下北山村、上北山村、川上村、東吉野村 【和歌山県】 海南市、橋本市、有田市、御坊市、田辺市、新宮市、紀の川市、紀美野町、かつらぎ町、九度山町、高野町、湯浅町、広川町、美浜町、由良町、みなべ町、日高川町、白浜町、すさみ町、那智勝浦町、太地町、古座川町、串本町 【鳥取県】 岩美町、若桜町、智頭町、八頭町、大山町、日南町、日野町、江府町 【島根県】 雲南市、奥出雲町、津和野町、隠岐の島町 【岡山県】 玉野市、笠岡市、井原市、高梁市、新見市、備前市、真庭市、美作市、久米南町、吉備中央町 【広島県】 竹原市、府中市、安芸高田市、江田島市、安芸太田町、神石高原町 【山口県】 萩市、長門市、美祢市、周防大島町、上関町、田布施町、平生町、阿武町 【徳島県】 鳴門市、小松島市、吉野川市、阿波市、美馬市、三好市、勝浦町、佐那河内村、神山町、那賀町、牟岐町、美波町、海陽町、上板町、つるぎ町、東みよし町 【香川県】 さぬき市、東かがわ市、土庄町、琴平町 【愛媛県】 宇和島市、八幡浜市、大洲市、四国中央市、西予市、上島町、久万高原町、内子町、伊方町、松野町、鬼北町、愛南町 【高知県】 室戸市、安芸市、須崎市、宿毛市、土佐清水市、四万十市、東洋町、奈半利町、田野町、安田町、北川村、本山町、大豊町、いの町、仁淀川町、中土佐町、佐川町、越知町、檮原町、日高村、津野町、四万十町、大月町、三原村、黒潮町 【福岡県】 嘉麻市、小竹町、鞍手町、東峰村、添田町、川崎町、みやこ町、築上町 【佐賀県】 多久市、玄海町、大町町、白石町、太良町 【長崎県】 平戸市、松浦市、対馬市、壱岐市、五島市、西海市、雲仙市、南島原市、東彼杵町、小値賀町、新上五島町 【熊本県】 水俣市、上天草市、天草市、美里町、和水町、小国町、産山村、高森町、山都町、氷川町、芦北町、津奈木町、多良木町、湯前町、相良村、山江村、球磨村、苓北町 【大分県】 佐伯市、臼杵市、津久見市、竹田市、杵築市、豊後大野市、国東市、姫島村、九重町、玖珠町 【宮崎県】 串間市、えびの市、高原町、国富町、諸塚村、椎葉村、美郷町、高千穂町、日之影町 【鹿児島県】 枕崎市、阿久根市、西之表市、垂水市、曽於市、南九州市、三島村、さつま町、湧水町、錦江町、南大隅町、肝付町、大和村、喜界町、天城町
【全744自治体リスト】「消滅可能性自治体」を一挙公開…北海道から鹿児島まで 出産年代の女性人口が半数以下に 日光市や草津町も |FNNプライムオンライン
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2024-11月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「運」です◆
今月は参加者の皆様に「運」のお題でアンビグラムを制作していただいております。今月も見るだけで運気が上がりそうなアンビグラムが集まっておりますので、ごゆるりとご鑑賞ください。
今号も失礼ながら簡易的なコメントとさせていただいております。皆様のコメントがいただけますと幸いです。
「運否天賦」鏡像型:化学氏
うんぷ(ぴ)てんぷ。幸運と不運は天に決められているということ。 字画の途切れと飾りによる切り替えが見事です。ステキなタイポグラフィです。
「逆境/成功」 鏡像型:KSK ONE 氏
不運からつかむ幸運。 伸びやかなヒゲを生かした書体で強弱の付け方がが有効的です。遊びのある筆画でも読みやすくなっています。
「ケガの功名」 回転型:てるだよ氏
「怪我の功名」とは、失敗や過ちなどから、偶然にも好結果が生まれること。 「ケガ」をカタカナにすることで字画密度がそろってうまく対応付けできるのですね。文字送りも適切です。
「家相」 図地反転複合型: いとうさとし氏
家の配置や方角・間取りから、その家の吉凶を判断するもの。 「相」を優先で「家」の形状がかなり崩れていますが、しっかり読める範囲でおさまっているのが流石です。
「運命の悪戯」 回転型(共存型):lszk氏
人知の及ばないものに弄ばれているかのような、奇妙な巡り合わせ。 作者らしい書体でうまいデフォルメですね。「の」は別字形の共存型で驚くべき形状です(cf.過去の例)。
「運命の悪戯」 回転型(共存型):douse氏
この言葉でのネタかぶりは運命の悪戯か。 かっちりとした対応と作字。lszk氏の作との違いを見るのも楽しいです。「命/悪」で字画共有するため「の」を横に置いていますが表現の仕方がよいですね。
「四柱推命/九星気学」 図地反転型: いとうさとし氏
四柱推命と九星気学は古代中国から伝わる占術で、陰陽五行説に基づく代表的な占い。四柱推命の方が九星気学よりも古い。 アンビグラマビリティが低そうなのに仕上げてしまう達人技。「学」は言葉の流れで読ませていますね。
「12星座占い」 回転型:螺旋氏
別名「星占い」、西洋占星術を簡略化したもの。 ステキな書体での作字で星占いの書籍の表紙にしたくなるデザインですね。「星/占」の密度差の解決も見事です。
「おみくじ/うらない」 図地反転型: いとうさとし氏
おみくじは運勢を全般的に占ってくれます。 この言葉同士で対応付けできる驚き。大きく崩れた「な」も流れでその文字に見えてきます。
「いのり」 図地反転型亜種:kawahar氏
水晶玉に うんと いのりをこめる。 「図」と「地」のほかの領域もあるため純粋な図地反転ではないですがいくつか作例があるタイプの作品。バランスが良いですね。
「地雷除去」 旋回型(×2):Jinanbou氏
マインスイーパーでよく起こる運命の2択。 低解像度のドット処理による作字が成功しており非常に読みやすいですね。
「ボイジャー探査機のレコード盤」 回転敷詰同一型:繋氏
1977年に打ち上げられた2機のボイジャー探査機に搭載されたレコード。地球外知的生命体や未来の人類が見つけて解読することを期待している。 とても魅力的な書体。どのように敷き詰められるのか、知的な皆さんによる解読を期待します。
「ビギナーズラック」 回転型:.38氏
初心者が往々にして得る幸運のこと 。 変わった位置につけた濁点と「ッ」の点々を中央に揃え、うまく対応付けています。楽しい作品。
「ノーペアで、挑む所以」 回転型:T.A.氏
役がない状態でもブラフで勝負に挑む理由とは…… 読点が反対側で有効に生きています。半分だけの半濁点の形が良いですね。
「単にラッキーなだけ」 回転型:無限氏
クッキークリッカーの隠し実績から。 クッキーのチョコチャンクが効果を発揮していますね。文字送りにも工夫があります。
「配牌」 回転型:lszk氏
麻雀牌モチーフによる読み方の示唆だけではなく、閉領域の並びの中間をとると五筒に近くなっています。中央部の短いはらいの共有がぴったりです。
「乱数調整」 回転型:ちくわああ氏
主にコンピュータゲームで擬似乱数の生成を調整すること。 「乱数」をはさむように「調整」がある、特殊な文字送り。プリント基板に合う書体が対応付けにマッチしていますね。「調整」の対応が気持ちいいです。
「期待値」 回転重畳型:超階乗氏
平均値のこと(確率変数を含む関数の実現値に確率の重みをつけた加重平均)。 左下は顔のようなマークでしょうか。細かい線によって文字の特徴づけに成功しています。「期」は単体では読みにくそうですが「待」に引っ張られて読みやすくなっているようです。
「四つ葉のクローバー」 回転型:douse氏
幸運のシンボル。 何処にも無駄がなく驚きました。手書きのマーカーペン風で少し字画を遊ばせているのがポイントでしょうか。
「仕合せ」 回転型:peanuts氏
運命に従って巡り合わせた相手との出会い。 流れるような美しく伸びやかな作字がステキです。「仕/せ」の切り替えがキレイですね。
「幸せ者(者)」 回転型:Σ氏
幸運な人のこと。 点付きの「者」にして手書き書体にするとぴったりはまるのですね。表現もとてもステキです。
「海野十三/運の十さ」 振動型:兼吉共心堂氏
作家「うんのじゅうざ」が「運の十さ」にも読める。 「海野/運の」の対応が流石です。筆文字のポテンシャルを本作でも感じます。
「「その男の云う事を聞くがよい。」」 鏡像型:結七氏
芥川龍之介の「運」からの引用。 略字の「亊・闻」を使っていますね。色を変えている部分はおしいですが、長文をうまく対応付けしていて素晴らしいです。
「運動量保存則」 回転重畳型:かさかささぎ氏
外力が無視できるとき、物体系の運動量の和は保存される、という法則。 対応付けの発見と巧みな文字組によって実現された素晴らしい作品。字画の強弱も生きています。
「等加速度直線運動」 図地反転鏡像型:つーさま!氏
加速度が一定かつ初期速度が加速度と平行か0で、変位が直線の運動。 どの文字も読めるようにするための調整が大変そうですが、やはり鏡像軸上の文字に注目です。
「運ぶ」 回転型:douse氏
物をほかの場所に移すこと。 「運」単体でもアンビグラマビリティは高いのですが「運ぶ」にするとさらに回しやすいのですね。ぴったりです。
「夕時を運べ」 鏡像フラクタル型:松茸氏
文字列生成で。 鳥とキラメキの図形が生きています。拡縮を絡めることで敷詰可能となる発見が素晴らしいです。
「赤血球」 回転型:うら紙氏
赤血球に含まれるヘモグロビンが酸素を運びます。 字画のカーブの具合が揃っていてまとまり感があります。共有のさせ方も見事です。
「運搬」 旋回型:ラティエ氏
人や物を運び移すこと。 アンビグラマビリティの高い言葉ですね。ベルトコンベアの表現が楽しいです。 先行作との違いもご確認ください。
最後に私の作品を。
「配送」 敷詰振動式複合型:igatoxin
物をくばり届けること。無事に届くかは運次第(?)
お題 運 のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は「時事」です。2024年を振り返り、時事ネタでアンビグラムを作ります。
締切は11/30、発行は12/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー} 2月{TV} 3月{クイズ} 4月{健康} 5月{回文} 6月{本} 7月{神話} 8月{ジャングル} 9月{日本史} 10月{ヒーロー} 11月{ゲーム} 12月{時事}
2024年 1月{フリー} 2月{レトロ} 3月{うた} 4月{アニメ} 5月{遊園地} 6月{中華} 7月{猫} 8月{夢} 9月{くりかえし} 10月{読書} 11月{運}
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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植生、昆虫類になぜだか嫌味がない。現在のアパートの踊り場で死んでいる蝉や不意に現れる蛾などには明確な嫌悪感を抱くが、故郷の往来で空薬莢のごとく死んでいるカナブンにはどこか見慣れたところがあり、生来からの親しみを覚える。郷愁の正体は得体の知れている生態系にあるかもしれない。虫は路上で死に絶え植物は跋扈する。私のように数年単位で町から町へ移動していると人生の半分を過ごしたこの場所以外に、これから先の暮らしで郷愁を覚えることはないだろう。
この汽車は日常の雑事のなかへと私が戻っていく汽車である。私のほかには先刻ホームの長椅子で隣に座っていた老婆が遠く対岸の優先席へ腰掛けているのみで、線路と車体が触れ合う規則的な音が車内へこだましている。老婆と目があって会釈をする。汽車に乗る前に、私はこの老婆が土産に買っていたお菓子の箱を地��に落とすのを見た。退屈な会話に巻き込まれることがわかっていながら私はそれを拾った、という仲である。聞けば昨日まで町を挙げてやっていた祭りを見たくて故郷へ戻ってきたのだという。私はその祭りに参加して囃子を演奏したり運行に携わってたのだからその点は悪い気がしなかったが、それ以上のことを知ったところでどこか気まずくなる。まだ往来で死んでいるカナブンの方がどこか気楽に思われて、私は再び単調な景色に視線を移している。
電車はなく燃料で駆動する汽車である。遠方で回転する風車との距離について考える。たとえ三角関数を知っていても、どこかの長さが分からなければその実像は身を結ばない。それでもこうして暫く眺めていられるのだから遥か上空を飛ぶ飛行機のように相当遠くにあるのだろう。その一台ずつに無数の企業であったり、職務へと従事する人がおり、日夜その回転に関わっているということにどれほどの人が気がついているだろう。音もなく悠々と姿を隠していく夕日を背景に見送りながら、このような全能感に掻き立てられることもある。ところがその回転している世の中にかすりもしない小市民が現在の私である。汽車は揺れ、風車は回る。
退屈凌ぎに読み始めた本に「人間ひとりのすべての細胞が一日に発散しているエネルギーを集約すれば、30Lの水を沸騰させることができる」と書いてあった。私も「スーパーなどで買った大福は冷蔵庫の中で一日ばかり乾かしてから食べるのがコシが出て美味しい」などという発見をどこかに記載したい。
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東京茶丗SOUです。
皆さまに日本茶の美味しい淹れ方をはじめ、
お茶にまつわる四季折々のお楽しみ情報等を配信しております。
お付き合いの程どうぞよろしくお願いいたします。
【丗 SOU-Letter】 Vol.65/ 令和六年十月
この道の 富士になり行く すすきかな・・・
今日10月1日は日本茶の日です。
お茶好きが集まった9月28日(土)。
「東京茶の魅力ーはじめての茶事」
初となる世SOU-Ginzashop-でのイベントは、
おかげさまで幅広い世代の方々にご参加いただき無事に開催することができました。
改めてお礼申し上げます。
イベントでは、製茶の現場を熟知した茶師・立花氏による
お茶の定義や、製茶工程のレクチャーから開始。
そして、参加者の皆さまに普段通りにお茶を淹れてもらいそれぞれの味を飲み比べ。
「違う!?」「美味しい!」「三者三様ですね」と会話が弾みました。
その後、立花茶師がお薦めする淹れ方をご紹介。
東京茶の定番緑茶、さやまかおり「摘-tsumu-」の青々しい水色を眺めながら、
和菓子と共に和やかな茶のひと時を楽しみました。
短い時間ではありましたが、皆さまに喜んでいただけたことが、
何よりも私たちの励みとなっております。
ご参加いただきました皆さまには、重ねて心からお礼を申し上げます。
今後も定期的に、お茶にまつわるイベントを準備してまいりますので、
次回もどうぞお楽しみに☆彡
『今月の主菓子』
元祖 いちご豆大福®
店名:大角玉屋・銀座店
創業大正元年、東京新宿に本店を構える大角玉屋さんは、
昭和60年に、いちご豆大福を発売。瞬く間に全国へ広まり一大ブームを起こしたそう。
今回の初イベント「東京茶の魅力ーはじめての茶事」では、
このずっしりと美味しい東京銘菓、元祖 いちご大福®をセレクトさせて頂きました。
【今月オススメの丗SOU】
巡
◆巡-meguri- ¥1,685(税込)
内藤唐辛子の甘みある辛味が新陳代謝を高めてくれます。
これからの季節におすすめの緑茶!
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【14話】 スマホを解析されて、薬物売買のログを見せられたときのレポ 【大麻取り締まられレポ】
―逮捕から7日目。この日は2回目の検事調べが予定されており、今回はワゴン車による単独の護送ではなく、護送車での複数人共同の護送になるとのことで、僕は初めて護送車に乗れることを少し楽しみにしていた。
朝8時30分頃、点呼とともに居室から出され、留置場の出入り口扉の前に連れていかれると、扉の前には既に2人の収容者が縦一列に並ばされており、僕はその2人の後尾に立つよう指示をされる。そして例によって身体検査をされると、いつもよりキツく手錠をかけられる。
その後、留置官が先頭の収容者の手錠の間の輪に、通常より長い腰縄を通してから腰に巻き付け、同じ要領で、その長い腰縄を中間の収容者、そして後尾の僕に巻き付け、見事に3人を数珠繋ぎにすると、その長い腰縄を自分の腰につけているフックに括りつけ、後尾に立つ僕の後ろについた。
それから、3人の前後に警官が3人ずつついた体制で、地下の駐車場まで連行され、しばし駐車場で待機をしていると、白色と灰青色のツートーンカラーで、黒色のスモークガラス窓のマイクロバスがやってきて、3人の手前に停車した。
僕はその時まで、護送車とは、青地に白のラインが入っている、窓に金網のついたバス型の車だと思っていたので、実際の護送車がひどく凡庸なことにがっかりした。
上が護送車、下は人員輸送車(警察官を輸送する車)
そうして、3人は連結されたまま護送車に乗せられる。護送車の車内は、右側2座席に左側1座席の3列配置で並んでおり、窓には鉄格子が嵌められていて、運転席との間には壁があって全く見えないようになっていた。
また、護送車は周辺地域の警察署を順繰りにまわり、地検に移送する被疑者らを拾っていくシステムのようで、すでに15人ほどの先客が座っていた。
彼ら15人は、非常に長いロープで数珠つなぎにさせられており、全員が上下グレーのスウェットに茶色の便所サンダルの���好で、手錠をかけられ、姿勢よく無言で着座しているので、捕虜の集団のようだった。
車内にいた警官らによって、3人は各自指定された座席に座ると、3人を連結していた長い腰縄が外され、今度は15人を連結している非常に長いロープに括り付けられる。
18人の被疑者と1本のロープによる数珠が完成すると、1人の警官が、「車内では会話や目配せはもちろん、足を組むのも禁止する」などという護送車内の規則を、大声かつ歯切りのよい口調で説明していた。
車内に5人ほどいる警官らも、これだけの逮捕者を移送するというだけあってか、非常に緊張感を持った面持ちで、ちょっとでも無駄に声を発したら怒鳴られそうな緊迫感がある。
僕は幸い、右側2座席の窓側の席であったので、外の景色でも見て気を紛らわせていようと思った。なんだったら、前回の単独移送では、両隣に警官が座っていて、窓はほぼ塞がれている状態だったので、久しぶりに外の景色を見られることは楽しみだった。
そうして、護送車が出発する。捕虜同然の惨めな状態というのもあってか、留置場では見ることのない格好や表情をした道行く人々を見ると、外の世界は自分とはもう関係がないように思えてきて、非常にセンチメンタルな気持ちになる。梅雨時で曇天模様だったのがまだ救いであった。
出発からおよそ1時間が経過し、護送車が地検に到着する。護送車のドアが開くと、地検で待機していた警官���ドア横に立ち、日本陸軍の点呼のような厳格さを感じる大声で「第三系統! 総員十八名!」と号令をする。車内の被疑者らが数珠つなぎにされたまま、1人ずつ車内から降りていくと、その警官はやはり日本陸軍のように「一!二!三!…」と点呼をとっていた。
数珠つなぎのまま連行され、待合室のある広間に出ると、そこには前回よりもはるかに多い、100人弱の被疑者らがおり、見るからに力士のような者からヤクザのような者まで、前回より威圧感のある男が多く集結していて、全体的に迫力があった。
また今回は人数が多いためか、警官の人数が多く、警官らはみな厳格な号令と点呼を行い、鋭い眼光で被疑者らを監視しているので、今までに味わったことのない張り詰めた空気が漂っている。
それから例によって、待合室という名の牢屋で、座る者の事など考えていない直角の硬い椅子にすし詰め状態で座らされ、時間もわからないままひたすら待ち、昼食時にコッペパンを食べ、いつ自分が呼ばれるか分からないまま、またひたすら待つ。相変わらず地獄。
おそらく3時くらいになってようやくお呼びがかかり、僕は一人の警官に連れられて、検事のいる部屋に入室した。あくまで検事が起訴か不起訴かを決めるので、入室の際、僕は少しでも検事の心証を良くしようと、礼節を重んじている風の挨拶を決め込む。
前回同様、義務的な質問などがされ、黙秘権について告知がされるので、僕はここぞとばかりに、昨日弁護士にアドバイスされた通りに、「担当の弁護士さんから抗議書が送られていると思いますが、昨日、留置担当官の方に「ブチ殺す」などの脅迫を受けて、警察や検察の方を信用できなくなったので、取り調べには協力できません」などと、あくまで被害者ぶった深刻な表情で言う。
すると検察官は、こちらの会心の一撃をまるで意に介さないような表情と口調で「わかりました。その件についてはこちらでも事実確認と調査を行ってまいります」などと流暢に返事をし、「ただ、本日は見ていただきたい資料があるので、応えられるものに関しては応えていただけませんか?」と尋ねてきた。
僕はその見せたい資料とやらが気になったので、「資料は見せていただきたいですが、黙秘はします」と応えると、検察官はそれを了承し、A4サイズの紙が200枚ほど綴じられている分厚いバインダーを取り出して、付箋の貼ってあるページを開き、僕に見せてきた。
そのページには、僕がプッシャーから薬物を買おうとやり取りしていた、Telegramのログ画面の写真が貼り付けてあった。
僕はまず、そもそもスマホの解析承諾をしていなかったので、無断で解析をされていたことに度肝を抜かれたし、露骨な薬物売買の��拠を見せられて、少し動揺が出てしまった。
ただ幸い、今回一緒に逮捕されたプッシャーとのやり取りのログは完全に消去していたし、見せられたログは、僕が「在庫はいかがですか?」と尋ね、プッシャーが「こちらになります」と隠語で書かれた薬物のメニュー表を画像で添付して送り、僕がそれを既読無視しているという、購入の意思を見せていない内容ではあった。
メニュー表のイメージ
ちなみにTelegramにはパスコードロックをかけていなかった。
検察官は僕が動揺している隙に、「これは、あなたが薬物を購入しようとして、売人にコンタクトをとったものじゃないですか?」と単刀直入に質問をしてくる。
僕は、このログについてはどうとでも取り��って否定できそうだったので、つい否定をしたくなったが、下手に喋ってボロを出しては検察の思う壺なので、「黙秘します」と応える。
それに対し、検察官は無言で頷き、プッシャーが提示していたメニュー表の画像を指さして、「この“罰”っていうのは、コカインのことですよね?」と尋ねてくる。
僕は反射的に、「いえ、罰はMDMAの隠語です」と本当に危うく口走りそうになったが、一呼吸置いて「黙秘します」と応えると、検察官はやはり無言で頷き、再び付箋の貼ってある別のページを開いて、僕に見せてくる。
そのページには、一緒に捕まった友人の吉岡とのLINEでのやり取りの写真が貼ってあり、どう見ても薬物を言い表した代名詞でのやり取りや、それに付随して、「悟ってる時の顔」などと言って、僕がLSDのピーク中に目を瞑って微笑んでいる顔写真を吉岡に送りつけている赤面不可避のログも載っていた。
当然、これらに関する質問にも黙秘を貫いたが、検察官は少し呆れた表情で、「…うん。でもね、小林さん(一緒に捕まったプッシャーの本名)のTwitterアカウントのリンクが、吉岡さんからあなたに送られているんですね」などと言って、今度はそのログの写真を見せてきた。
僕は吉岡とは完全にクロな証拠のやり取りをしていなかったつもりでいたので、これにはさすがに焦りを感じたが、そのメッセージの前後に脈絡はなく、リンクだけが送られているという内容のログではあったので、これだけでは証拠として不十分であろうとは思った。
検察官は続けて、「この小林さんのアカウントにコンタクトを取って、小林さんから大麻を購入したんじゃないですか?」と名推理をしてきたが、僕はなんとか無表情をキープしたまま、「黙秘します」とだけ言っておいた。
検察官は表情を変えず、「わかりました。それでは本日はこれで以上です」などと言って、この日の取り調べは終わることになり、僕は当然、調書への署名・押印を拒否して、部屋を後にした。
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つづく
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この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
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現場事務所で
片側一車線の田舎道を走っていくと、目印の看板屋が見えてきた。夜なので辺りは暗く、注意しないと見落とすほどの小さな店だった。その店の裏側の路地を回ると、道は緩やかな山道になっていった。車のヘッドライトが頼りなく真っ暗な前方を照らし出していた。ホントにこの道でいいのかと疑心暗鬼になりながら10分ほど走ると、急に道が広くなりトラックを駐めてある一角に出た。道はそこで終わっていた、どうやら私道らしかった。トラックは数台並んで駐めてあり、他にも重機が並べてあった。俺はその空いたスペースに車を止めると、現場事務所のようなプレハブに向かった。プレハブは敷地の端の方に建っておりすぐに分かった。一階部分は資材置き場らしく、窓ガラスからパイロンやらが転がっているのが見えた。俺は階段を上がり二階を目指した。二階は全ての窓部分にカーテンが閉めてあったが、その隙間から中の明かりが僅かながら漏れていた。引き戸を開けるとごつい体つきの作業服姿の現場監督が仁王立ちになって、口マンを犯しているところだった。 「よぅ、道分かったか」 「途中で引き返そうかと思うくらい不安になってきたぜ」 「ま、山ン中の作業所だからな、でもここなら心おきなくやれるってもんだ」 現場監督は缶ビール片手に咥え煙草というスタイルで、俺を振り返った。現場監督は濃紺のベトナムのチャックを下ろしマラだけ出していた。そしてそのどす黒くて太いマラに、これまた三超を穿いた若い野郎が食らいついていた。仕事場で気に入った職人がいたら手を出しているということだったが、どうやら本当のようだった。白い鳶装束を着た野郎は、会社の仕様なのか白い地下足袋を履き濃い緑色のメットを被っていた。メットには足場組み立ての会社らしい名前が入っていた。そして腰にはずっしりと重そうな安全帯を締めていた。まさに本��の職人だった、このまま現場に出しても何の違和感もないほど、鳶装束は使い込まれ汚れていた。野郎は俺の姿を見ると、恥ずかしさのためか目をそらしながらマラをしゃぶっていた。むさ苦しい男だらけの作業場で、鳶の野郎に奉仕させている光景に俺のマラはたちまち反応した。俺はベトナムの上から股間を無意識に揉んでいた。そんな俺の様子に現場監督がニヤリと笑った。 「しゃぶってもらえよ、、、こいつ、上手いぜ」 俺は位置を代わり、鳶野郎の前に仁王立ちになった。チャックから飛び出た俺のマラを鳶野郎の口が覆い被さった。その生暖かい感触に思わず俺は目を閉じた。 「俺に恥かかすなよ、しっかり客人をもてなせ」 現場監督は鳶野郎のメットを叩き、檄を飛ばした。俺は咥え煙草のまま自然に腰を動かしていた。 「メチャ、気持ちいいな、、、」 さすが現場監督のお気に入りのクチマンというだけのことはあった。しばらく俺は鳶野郎のクチマンを堪能していたが、それを眺めていた現場監督が俺に言った。 「わりぃ、ちょっと代わってくれ」 現場監督はやや半立ち気味のマラを鳶野郎の口に構えると、そのままじっとしていた。しばらくしてマラの先から小便が迸ったのが見えたが、鳶野郎がすぐに先端部分を咥えてしまった。そしてそのままごくごくと喉を鳴らして小便を飲み始めた。 「ビール飲んだからな、、、どうだ、アルコール混じりの小便は旨いだろうが」 鳶野郎は現場監督の声に頷きながらも、必死でマラに食らいつき小便を飲み干していた。ようやく放尿を終え雫を舐めさせると、現場監督は俺に言った。 「お前も飲ませてやれよ、小便飲ませたことくらいあるだろ」 確かに小便を飲ませるのは俺も好きだったので、苦笑いしながら鳶野郎の顔面にマラを構えた。意識して腹圧を緩めると、小便が流れ始めた。すかさず鳶野郎がそれを受け、先端に吸い付いた。 「マジ旨そうに飲むよな、、、」 俺は鳶野郎の顔に煙草の煙を吐きかけた。目を閉じて一心不乱に小便を飲んでいる精悍な無精髭のツラは、なぜか可愛らしく見えた。 パイプ椅子に鳶野郎の手をかけさせ上体を倒させた。そして顔を上向きにさせ俺はマラを突っ込んだ。現場監督は鳶野郎の背後に回りがっしりした腰を掴むと三超の上からマラを突き立てた。どうやら三超の股の部分に切れ目が作ってあるらしかった。鳶野郎は俺達に前後から串刺し状態にされていた。現場監督のマラが侵入してくる瞬間、鳶野郎は目を白黒させて呻いていた。しかし現場監督はお構いなしにメットを殴ると、そのまま鳶野郎の腰を掴み体を進めていった。 「しっかり客人のマラしゃぶってろ、、、これくらいで根をあげるんじゃねぇ」 腰に締めた安全帯が俺達の動きに合わせてじゃらじゃら音を立てていた。鳶野郎はマラを出し入れする度にくぐもった声を上げながら、俺のマラに食らいついていた。俺もそれが面白くて、現場監督の腰の動きに合わせて腰を振った。小一時間くらい鳶野郎を犯していただろうか、現場監督が俺に言った。 「取りあえず種付けするか、、、」 「ああ、いいぜ」 現場監督は俺に茶色の小瓶を手渡した。俺はそれを深く吸い込むと、それを返した。現場監督も深く吸い込むと、急に腰のピッチを上げ始めた。鳶野郎の間に挟んでいたので、俺達の距離はかなり近かった。目前で現場監督の種付けを見ることができ、俺も興奮していた。現場監督は一層鳶野郎の腰を掴むと安全帯をたぐり寄せて、打ち付けるように掘り込んだ。現場監督の腰使いがあまりに強く、鳶野郎が倒れ込むように俺にしなだれかかってきた。しかし俺も非情なまでの激しさで鳶野郎のクチマンを掘り込んだ。鳶野郎が吐液物を流し俺のベトナムを汚したが、構わず掘り続けた。現場監督が動きを止めたかと思うと、そのごつい体を痙攣させるように何度も鳶野郎にぶつかるように腰を打ち付けた。 「おらおらっ!いくぜっ、種付けするぞ、おらっ!!」 現場監督の激しい交尾の現場を目の前で見せつけられ、俺も絶頂に達した。俺達は顔をしかめながらお互いに吠え合っていた。 「くそっ、俺も堪んねぇ、、、いくぞ、おらっ!」 俺達に挟まれたまま前後の口に激しい責めを受けながら、鳶野郎もそのまま触られずに果てたようだった。俺達が雄汁を流し尽くしてようやく体を離した時、鳶野郎は崩れ込むようにパイプ椅子に倒れ込んでしまった。 俺達は倒れるようにうずくまっている鳶野郎を横目に、缶ビールを飲み始めた。この作業場には雑魚寝の部屋もあるということで泊まるつもりだった。現場監督がポケットからカプセルのようなものを取り出すと、倒れている鳶野郎の三超の股の間に手を突っ込んだ。現場監督は振り向きざまに俺に向かってニヤリと笑った。どうやら白い粉をケツに仕込んだ様子だった。俺も笑いながら現場監督を眺めた。しばらくして鳶野郎が呻き始めた、苦しがってという声ではなく少し媚を含んだような甘い呻き声だった。 「そろそろ効いてきたようだな」 鳶野郎はトロンとした目付きで上半身を起こすと、ソファに座った俺達に近づいてきた。そして何の遠慮もなく俺のベトナムのチャックに手をかけるとマラを引きずり出して咥え始めた。俺達はその様子をただ笑ってみているだけだった。俺は咥え煙草のまま、鳶野郎のメットに手をかけると股間に���しつけ下から腰を突き上げた。鳶野郎はゲェゲェ嘔吐きながらも俺のマラに食らいついていた。 「まだ俺達のマラが食い足りねぇようだな」 「もっとしっかり食わせてやらねぇとな」 現場監督は鳶野郎が俺のマラをしゃぶるのを、間近に近づいて面白そうに眺めていた。 「おらっ、小便するぞ。飲めや」 俺はソファに座ったまま、鳶野郎の頭を固定すると小便を始めた。鳶野郎はよほど小便を飲まされて慣れているのか、大量に出した小便を喉を鳴らして飲み干していった。 「たっぷり出ただろ、旨かったか、おい」 俺の問いに、鳶野郎は焦点の定まってないような目をしたまま頷いた。肉付きのいい体をしており屈強な感じのするヤツだったが、しっかりM奴隷として現場監督に仕込まれている様子だった。そんな男臭い野郎が従順に俺の股間で奉仕している姿を眺めるのは、快感だった。 「おい、俺の小便も飲めや」 現場監督の声に、鳶野郎は俺のマラの雫を綺麗に舐め取ると場所を変え現場監督の股間にしゃがんだ。鳶野郎が現場監督のマラを咥えると同時に放尿が始まった。俺は小便を飲んでいる鳶野郎の背後に回り込み、三超の股の切れ目を探った。そこはしっとりと濡れそぼっており、俺を誘うように引くついていた。俺は再び完全に勃起したマラをあてがい、一気に貫いた。鳶野郎が俺の侵入に呻き声を上げそうになっていたが、現場監督に安全靴で蹴りを入れられていた。 「何度もマラ咥え込んでるくせに、いちいち悲鳴上げてんじゃねぇよ、しっかり小便飲んでろ」 鳶野郎のケツマンは、現場監督の雄汁でいい具合にトロトロになっていた。 「お前の雄汁がローション代わりになって、俺のマラに絡み付きやがる」 「気持ちいいだろ」 「ああ、、、」 鳶野郎は立て膝でソファに座った現場監督のマラを奉仕し続け、俺はその背後から鳶野郎のケツマンを犯しまくった。白い粉が効いているのか、やたら鳶野郎の体が熱く全身から汗が噴き出して鳶装束をびっしょり濡らしていた。そして感度も上がっているのか、鳶野郎は男臭いよがり声を上げ始めた。 「んん、、、うぐぐ、、、」 「ん、どうした、、、気持ちいいのか」 鳶野郎はマラを口に含んだまま、頭を上下に振って頷いていた。現場監督は煙草の煙を吐きながら、下から腰を突き上げクチマンを堪能していた。 「おらっ、ケツばっかで楽しんで、上の口が留守になってんぜ。しっかりしゃぶらねぇか」 現場監督はしゃぶらせながら、安全靴で鳶野郎の股間を三超の上から嬲った。 「お前は上下の口犯されて、マラおっ勃ててんのか。男に犯されて感じてんのかよ、この野郎」 現場監督の言葉責めに、鳶野郎は声にならない呻きをあげていた。 「しっかり俺のマラ味わえや、たっぷりクチマンにも種付けてやるからよ」 現場監督も鳶野郎以上にがっちりしたごつい体つきだった。ベトナムがぴっちり下半身に貼り付いていた。作業着のシャツの胸元からは剛毛の胸毛がびっしり覗いていた。それにスキンヘッドで口髭と顎髭だけを生やした格好は、まるで雄そのものという匂いを強烈にはなっていた。その鋭い眼光は、M奴隷を威圧するに十分な力があった。マラも体以上にでかくどす黒い感じのデカマラだった。その現場監督が俺が腰を振っているすぐ目の前で、大股開きのまま奉仕をさせている光景はかなりいやらしい場面だった。咥え煙草のまま目を閉じ、快感を貪っている様は堪らなく興奮させられた。 俺はラッシュを借りると、思い切り吸い込んだ。たちまちハイな気分になり、獰猛な気分が沸き上がってきた。鳶野郎の両手を後ろ手に回して固定して押さえ付けた。鳶野郎は支えるものがなく、喉奥まで現場監督のマラが突き刺さった。小便の混ざった胃液を吐き、現場監督のベトナムを汚したが気にせずクチマンを犯し続けていた。俺はその光景にたちまち上り詰め、絶頂を迎えた。片手で鳶野郎の安全帯を掴むと、たぐり寄せるように引っ張りマラを打ち込んだ。 「おらっ、俺の雄汁種付けてやるぜ、、、」 「二人分の雄汁で孕ませてやっからな、おいっ、いくぜ!」 俺の雄叫びと同時に、現場監督が吠えた。現場監督は男らしい顔を一層歪め、俺を睨み付けるように吠えた。俺も現場監督を睨み返しながら最後の突きをくれてやった。 「おぅ、、、いくぞ、飲めや!」 俺達の雄汁を散々仕込まれた鳶野郎は、そのままボロ雑巾のように隣の部屋で横になるとすぐに寝付いてしまった。俺達もそれぞれのソファで横になった。 どれだけ時間が経っただろうか、腕時計を見ると翌朝になっていた。しかし俺の股間に違和感のようなものを感じ、俺は股間に目をやった。驚いたことに現場監督が俺の股間を舐めていた。 「おぅ?お前もしゃぶりたいのか」 「いや、お前みたいな野郎を見ると堪らなくなっちまってよ、、、��の鳶野郎の前じゃこんな格好見せられねぇが」 なるほどこの時間なら、鳶野郎はまだ隣の部屋で熟睡しきっているはずだ。俺は立ち上がると、現場監督に言った。 「俺の小便飲むか」 「ああ、飲ませてくれ」 俺はベトナムのチャックから朝立ちのマラを引きずり出し、煙草に火をつけると気分を鎮め、何とか勃起を収めて現場監督の口にマラを構え放尿始めた。現場監督は小便を躊躇うことなくごくごく飲み始めた。かなりの量だったが、全てを飲み干した。 「酒臭くて旨い小便だったぜ、、、」 現場監督は男臭い顔で笑った。俺はその顔を見ていると、マラが反応してきた。 「くわえろや」 俺の命令に現場監督は素直に従った。男っぽい野郎が俺のマラに奉仕している光景はまさに勃起もんだった。鳶野郎ほどではなかったが、現場監督のクチマンもまんざらではなかった。俺はラッシュを吸い込み、現場監督にも吸わせた。現場監督は顔を紅潮させて、俺のマラを口で扱き上げた。その男臭い顔と尺八奉仕のギャップに堪らず俺は腰を弾ませた。 「そろそろあがってきたぜ、飲めよいいな」 現場監督は頷くと、必死で俺のマラに舌を絡め口を前後に動かした。 「ううっ、、、いくぞ」 翌朝にも関わらず俺は大量の雄汁を噴き上げた。現場監督はそれを全て飲み干し、終わった後も尿道に残った雄汁を吸い上げ搾り取った。 「さすがに、野郎の雄汁は旨いな、最高だ」 現場監督の声に、俺は煙草の煙を吹き出しそうになり、苦笑いを返した。 昼間、現場監督のいるプレハブ事務所に向かった。メールをもらった時にちょうど仕事の空き時間ができたので寄ってみることにした。山中へ向かう山道は大型一台が道幅いっぱいになってしまったが、私道だし他に通る車両はないはずなので気にすること無しに登っていった。数台トラックが駐めてあるスペースに横付けすると、プレハブに向かって歩き始めた。すると男の泣き声が微かに聞こえてきた。今日は温かいしもしかして野外で犯っているのかと思っていたら、私道からは死角になっているプレハブの裏手の足場置き場から声が漏れているようだった。裏手に回ると、上半身裸の鳶野郎が体にトラロープを巻き付けられて縛られ下半身は三超に地下足袋というスタイルで、三超に開けた裂け目から現場監督のデカマラを突き刺され、よがり狂っている真っ最中だった。鳶野郎の筋肉質な上半身には細めのトラロープがきつく縛られ皮膚に食い込むほどだった。しかも鳶野郎の両手首はこれまたトラロープで足場に括り付けられていた。鳶野郎は上半身を倒した格好で両手首の自由を奪われ、ケツマンを作業着来たまま犯されていたのだった。俺に気づくと現場監督は咥え煙草で片手を上げた。 「よぉ、来たか」 「相変わらず派手にやってんなぁ、声丸聞こえだぜ」 「こんな山ン中、気にするヤツいねぇよ」 現場監督は濃緑の作業着に身を包み安全靴を履いていた。ベトナムのチャックからはどす黒い太マラが顔を覗かせており、その大半が鳶野郎のケツマンに埋め込まれていて、オイルのせいなのか全長を光らせながら三超の裂け目部分を出入りしていた。現場監督が腰を突き出す度に、鳶野郎はよがり泣き体を震わせていた。 「おらっ、オメェの好きなマラがもう一本来たぜ。嬉しいだろうが」 現場監督は咥え煙草のままニヤニヤ笑いながら、腰をいやらしく突き動かしていた。そして鳶野郎の腰を三超の上からがっしり掴むと、覆い被さるようにして腰をグラインドさせた。 「まずは俺のを種付けしてやるぜ、いいな」 「は、はい、、、お願いします、、、」 「濃いヤツを種付けてやるぜ、おらっ、俺のガキ孕めや!おらおらっ!!」 現場監督はがっしりした腰つきで、ガツガツと鳶野郎を掘り込み打ち付けるようして体をぶつけ雄汁を種付けた。現場監督がマラを引く抜くと、雄汁がドロッとケツマンから溢れ出た。鳶野郎は崩れるように体の支えを失いかけたが、足場に縛られた手首がそれを邪魔した。 「またお前の種マンかよ」 「贅沢言うなって」 俺は煙草を安全靴で踏み消すと、鳶野郎の両手の拘束を解いた。鳶野郎はその場に崩れかかったが、ヤツの髪の毛を掴み頭を上に向けさせた。鳶野郎はそうするのが自然な感じで、口を開け舌を出した。俺はベトナムからマラを引きずり出すと、ヤツのクチマンにねじ込んだ。 「なかなか具合良いクチマンだぜ」 俺は笑いながら腰を動かし始めた。抜歯済みのクチマンは歯が当たる心配もなく、やたら良い感触だった。ヤツの舌が絡み付いた俺のマラが次第に頭をもたげ始め、鳶野郎の口一杯に大きくなった。俺は凶器を片手で扱き上げながら、鳶野郎に笑いかけた。 「おい、ケツにぶち込んでやるよ」 鳶野郎は積んであった足場に手をかけると腰を突き出した。三超の裂け目にマラを入れると、ケツマンへねじ込んだ。現場監督の雄汁が潤滑油になってすんなりマラが入った。俺が腰を動かし始めると、すぐに鳶野郎は喘ぎ声を漏らし始めた。 「すっかり感度が良くなってんじゃねぇのか。ずいぶん犯られた割には締まりもいいしよ」 マラを引き抜く時はヤツのケツマンのヒダが名残惜しそうにマラに絡み付き、ぶち込む時には締まり始めたケツマンのヒダを無理矢理こじ開けて侵入する快感があった。そしてカリの部分にケツマンの粘膜が絡み付き何とも言えない快感だった。 「よし、小便するぞ。おらっ、しっかりしろや。マラぶち込まれてよがりまくってんじゃねぇぞ」 現場監督がポケットから取りだしたスタンガンを、鳶野郎の首に当てた。バチッと音がして、鳶野郎が跳ね返ったように体を反らした。 「小便するぞ、飲め」 鳶野郎はまだ大きいままの太マラを咥え、流し込まれる小便を喉を鳴らして飲み干していった。その間も俺は腰を激しく動かして犯しまくっていた。現場監督が放尿を終えた頃、俺は絶頂がやってくるのを感じた。 「おらっ、顔向けろや。ぶっかけてやるぜ」 小便を飲み終えたばかりの鳶野郎を足元に跪かせると、髪の毛を掴み顔を上へ向けさせてマラを構えた。現場監督の種に塗れた俺のマラは、いやらしく粘っこく光っていた。鳶野郎の顔面に夥しい雄汁が降りかかった。ヤツはそれを地面に落とすまいと必死で顔で受け止めていた。 「ずいぶん早かったじゃねぇか」 「あんまし時間ねぇんでな」 「それなら二発目俺が仕込むのを見届けてから行けよ」 「マジかよ、、、」 現場監督はすっかり回復したマラを俺に見せつけながら言った。 「こっちへ来い」 鳶野郎をプレハブ横の仮設トイレへ連れて行った。そして中の小便器に鳶野郎の顔を押しつけた。 「小便器舐めて掃除しろや、オメェが小便器掃除してる間に俺が掘ってやるよ。変態野郎には嬉しいだろ」 鳶野郎は膝を突いて薄汚れた小便器を抱え込むようにして、小便器に顔を突っ込んだ。小便器には小便滓がびっしりと付いており、誰かが用を足したのだろう小便の雫が黄色っぽく溜まっていた。それを躊躇することなく鳶野郎は舌を出し舐め始めた。近づくとムッとするような雄臭い小便臭が漂っていた。現場監督は小便器に頭を突っ込んだままの鳶野郎の三超を抱え込むと、三超の裂け目部分にマラを突き立てた。小便器を舐めていた鳶野郎が、呻くような声を上げた。 「しっかり掃除してろよ」 「すっげぇな、おい」 俺は現場監督の考えつくプレイに舌を巻いていた。 「お前の雄汁がローション代わりになって滑り良いぜ」 「言ってろ」 俺は現場監督の言葉に笑いながら煙草に火をつけた。現場監督は最初から飛ばして腰をガンガン打ち付けていた。現場監督の腰に巻いた安全帯と、鳶野郎が腰にぶら下げた安全帯が激しい腰の動きにガチャガチャぶつかり音を立てていた。俺は小便器に顔を突っ込んでいる鳶野郎の背中を跨ぐ形で、小便器にマラを突き出した。 「小便したくなったんで、このままお前の頭の上からぶっかけてやるぜ。ついでに掃除しろや」 鳶野郎の後頭部へそのまま小便をぶっかけた。流れ出る小便は後頭部を濡らし男の顔面を伝い小便器の中へ消えていった。鳶野郎は現場監督の腰の動きに翻弄されガンガン頭を小便器にぶつけていた。俺の小便でベトベトになった坊主頭の鳶野郎は、それでもなお小便器を舐めることを止めなかった。 「よし、二発目種付けてやるぞ。いいな!いくぞ、おらっ!!」 現場監督は吠えるように怒鳴ると、思いっきり体を鳶野郎にぶつけていき幾度も律動を繰り返して雄汁をケツマンに叩きつけた。その度に鳶野郎の背中の筋肉が痙攣したように動き、その体の中に雄汁が飛ばされているのが傍目にもはっきり分かっ���。現場監督の腰の動きに合わせ、鳶野郎も痙攣を繰り返し、現場監督がようやく体を離すと鳶野郎は小便器に顔を突っ込んだまま動かなくなった。俺は現場監督にじゃあなと片手をあげると、そのまま大型に乗り込んだ。現場監督はベトナムのチャックを上げベルトを締め直すと、鳶野郎を放置したままプレハブに消えていった。
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松本城
現存十二天守の一つ国宝松本城。内堀にかかる朱塗りの埋橋が美しい
黒門まで内堀の周りを歩く
一番好きなこの角度からの松本城。左から乾小天守、天守、辰巳付櫓、月見櫓
月見櫓が映える
本丸に続く黒門のニノ門高麗門
ニノ門を潜って桝形の一の門
門内の櫓に甲冑
反対には歴代の城主
本丸御殿跡
間近に見る天守の美しさ
連立式天守の威容。右から乾小天守、渡櫓、天守、辰巳付櫓、月見櫓
同じく右から乾小天守、天守、奥に辰巳付櫓とその前の月見櫓
月見櫓
本丸を出て二の丸に
残念ながら修復工事中だった太鼓門
立派な櫓
天守内部は以下から
桜の時期の松本城は以下から
夜の松本城は以下から
#photographers on tumblr#travel#cool japan#castle#photography#photo#instagood#tour#landscape#nagano#国宝#信州#長野県#日本の城#日本の建物#日本の歴史#日本の景色#history
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公開された情報には「ありえない」日本が多く描かれている。「日本の専門家が監修した」といっても、「日本人」の監修者は入っていないのだろう。畳は正方形ではない。畳の縁は踏まないし武士は正座をしない。家紋の扱いが違う。世が世なら打ち首だ。左右反転した中国の仏像も写りこまれている。これは、中国のものが日本の背景に使用されたことだけが問題ではなく、左右の概念に大きな意味を持つ仏教に対する冒涜である。 コンセプトアートにはAI生成だからだろうか、1500年代が舞台であるにもかかわらず1700年代から現代のものが描かれる。農作業の風景が現代のミャンマーやタイの写真の複製であることも判明した。ガードレールや軽トラックが戦国時代に「存在しなかった記録」はないので、「想像で補った」のだろうか。 これだけなら、歴史フィクションのトンデモ描写として笑い飛ばせるかもしれないが、著作権違反も判明している。関ケ原のPRのため平成元年より活動している関ケ原古戦場おもてなし連合“関ケ原鉄砲隊”の旗が無断使用されており、UBI日本支社はXで「当該アートはコレクターズエディション内のアートブックに収録されることを除き、以降は新たな使用・配布等は行われません」と謝罪した。同団体はアートブックからも削除を依頼している。 また、複製が許可されていない文化財の「二条城の屏風画」「東大寺の八角燈籠」と思われるものが画像内で確認されており、盗用の疑いがもたれている。 ��らに、日本向けに公開した動画(英語音声)が中国語字幕だったことなども重なり、日本だけでなく中国や韓国からも「アジア軽視だ」と批判の声が上がった。日中韓の意見が一致するという異例の事態となった。 先日パリで開催されたジャパンエキスポのUBIブースでは、「弥助の刀」として日本刀が展示されたが、すぐに漫画『ワンピース』のゾロの特徴的な刀「三代鬼徹」と指摘された。ワンピースの作者「尾田栄一郎」を「織田信長」と間違えたのだろうか。
『アサシンクリードシャドウズ』が炎上する理由 | JAPAN Forward
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飯塚駅前のラーメン屋さん(3)
昔懐かしい筑豊の味(あくまで私見)
しょうゆ・みそ … 前は480円だった。(10年位前かも)
小さい頃の記憶に残るのは後藤寺駅前の「ホームラン」(店名)のチャンポンです。とんこつではありません。今でも地域によって残る薄味の鶏ガラ出汁ですが、ノスタルジックな思い出として忘れられません。(実際の味は覚えてないです。鶏ガラだったのかどうかもわかりません。)
店内は調理場に近い方からカウンター席 … 座った後はすぐ出入り口。(ガラスサッシの引き戸)
味はみそ、しょうゆ、和風の3���類。
調理場は意外に幅がある … 建物が細長い三角形みたいです。
テーブル席もあり … 外から見るより意外に空間があるのに驚き。
テーブルに置かれたセットがおしゃれに感じた。
↓テーブル席から調理場方向
ここでの和風味が思い出の「ホームラン」の味に近いのでしょうが、醤油ラーメンと半チャーハンを頼みました。
醤油ラーメンはちょっと甘めかな?(九州醤油?)
列車撮影などでまた行く機会があれば、次は和風チャンポンを試してみたいです。
YouTube(12分)
2024.7.27 ~ 列車旅につづく
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私の手元に、古ぼけた書類の束がある。手製の表紙をめくると目に入ってくるのは軍の最高機密を意味する「軍機」の朱印だ。昭和16年12月8日、日米開戦の象徴となった真珠湾攻撃に関する詳細な計画、命令書である。なぜこんなものが私の元に来たのか、そして軍の機密のその中身とは――。 「進藤三郎」という男 昭和15年9月13日、圧倒的勝利に終わった零戦のデビュー戦を指揮し、漢口基地に帰還した進藤三郎大尉 平成12(2000)年2月2日、ひとりの元海軍少佐が88年の生涯を終えた。その人の名は進藤三郎。太平洋戦争に興味のある人ならまず知らない人はいないであろう戦闘機乗りである。 進藤は昭和15(1940)年9月13日、制式採用されたばかりの零式艦上戦闘機(零戦)13機を率い、中国・重慶上空で中華民国空軍のソ連製戦闘機33機と交戦、27機を撃墜(日本側記録。中華民国側記録では被撃墜13機、被弾損傷11機)、空戦による零戦の損失ゼロという鮮烈なデビュー戦を飾った。続いて、昭和16(1941)年12月8日のハワイ・真珠湾攻撃では、空母赤城戦闘機分隊長として第二次発進部隊制空隊の零戦35機を率いた。その後、激戦地ラバウルの第五八二海軍航空隊飛行隊長、空母龍鳳飛行長などを歴任し、筑波海軍航空隊飛行長として派遣先の福知山基地で終戦を迎えた。 戦後はトラック運転手や福島県の沼沢鉱山長などの職を転々としたのち、生家のある広島に戻って東洋工業株式会社に入社、出向した山口マツダで常務取締役まで務めた。 戦争中はその華々しい「活躍」がしばしば新聞にも載るほど著名な海軍軍人だったが、戦後は一転して平凡な会社員生活で、戦争の話はよほど心を許した相手にしか、最後まですることを好まなかった。 進藤が保管していた書類に入る前に、進藤自身の「真珠湾攻撃」について、1996年から99年にかけての私のインタビューをもとに再現しよう。 突然の転勤命令 昭和16年4月、新編された当時の赤城戦闘機隊搭乗員たち。中列中央・飛行隊長板谷茂少佐、その右・分隊長進藤三郎大尉。このメンバーのうち数人は、のちに第五航空戦隊に異動した 昭和14(1939)年、ドイツ軍がポーランドに侵攻したことに端を発する欧州での大戦は、日本がドイツと軍事同盟を結んだことで、もはや対岸の火事とは言えなくなっていた。日米関係は悪化の一途をたどり、昭和16年7月28日、日本軍の南部仏印進駐を機に、アメリカは日本への石油輸出を全面的に禁止、イギリス、オランダもこれに同調する。世にいう「ABCD包囲網」である。 この制裁措置は、石油その他の工業物資の多くをアメリカからの輸入に依存してきた日本にとって、まさに死命を制するものだったった。米英蘭との戦争は、もはや不可避と考えられた。海軍も、極秘裏に開戦準備に入る。 航空母艦赤城、加賀の第一航空戦隊、蒼龍、飛龍の第二航空戦隊を主力に、第一航空艦隊(一航艦=司令長官・南雲忠一中将)が新たに編成されたのは、昭和16(1941)年4月のことである。一航艦は、空母と少数の駆逐艦だけで編成されたが、実戦に際しては、臨時に配属する速力の速い戦艦、巡洋艦、駆逐艦などを合わせ、これが世界初の試みとなる「機動部隊」として作戦に従事することになっていた。 進藤は、機動部隊の編成にともなう人事異動で、南雲中将の座乗する旗艦赤城の戦闘機分隊長に転勤を命ぜられた。進藤の直接の上官、赤城戦闘機隊の飛行隊長は板谷茂少佐である。 「支那事変での長く続いた戦地勤務で、私の体は疲れ切っていました。できれば今度は内地の練習航空隊の教官配置につけてもらえないかと思っていた矢先の転勤命令。空母乗組は“搭乗員の華”、誰もが羨む配置なんですが、正直なところ、はじめはうんざりしましたね」 と、進藤は振り返る。 猛訓練で体が悲鳴を上げていた 機動部隊の旗艦・空母赤城。巡洋戦艦を建造中に空母に改装。当時世界最大級の航空母艦だった 空母搭載の飛行機隊は、洋上訓練や出撃のとき以外は、陸上基地で訓練を行うのを常としていた。搭乗員が揃うと、赤城戦闘機隊は、鹿児島・鴨池基地を拠点に、飛行訓練を開始した。 まずは、搭乗員全員の零戦での慣熟飛行から始まり、着艦訓練の前段階として、母艦の飛行甲板を想定した、飛行場の限られた範囲に飛行機をピタリと着陸させる定着訓練が行われる。5月になると空戦、無線電話、着艦訓練と、訓練もより実戦的になり、空戦訓練は、1機対1機の単機空戦よりもチームワークを重視する編隊空戦に重点が置かれ、2機対3機、3機対6機の編隊同士の空戦訓練が、実戦さながらに行なわれた。吹流しを標的とする射撃訓練も、さかんに行われた。 9月に入ると空母翔鶴、瑞鶴からなる第五航空戦隊が新たに機動部隊に加わり、赤城の搭乗員の一部は五航戦に転勤する。進藤の回想。 「猛訓練が進むにつれ、疲労がどうしようもないほど蓄積してきました。体がだるく、食欲もない。8月には黄疸の症状も出始め、周囲から『君の目は黄色いじゃないか』と言われるほどでした。これはもう、海軍をクビになっても仕方がない、休暇療養を願い出ようと決心したんですが……」 ところが、そう決心した矢先の、進藤の記憶によれば10月1日頃、各航空戦隊の司令官、幕僚、空母の艦長、飛行長、飛行隊長クラスの幹部が、志布志湾に停泊中の赤城の参謀長室に集められ、ここで南雲中将より、「絶対他言無用」との前置きのもと、真珠湾攻撃計画が伝えられた。航空参謀・源田実中佐からは、この作戦に対応するための訓練を急ピッチで進める旨の指示もあった。 少佐の本音 揚子江上空を飛ぶ零戦一一型。進藤大尉が撮影した 「しまった。これを聞いたからには、休ませてくれとは言えないな」 と、進藤は観念したと言う。傍らにいた板谷少佐が、やや興奮の面持ちで、 「進藤君、こりゃ、しっかりやらんといかんな」 と、声をかけてきた。だが、解散が告げられ、基地に帰る内火艇に乗り込むときに、 「俺たちはただ命令通りに死力を尽くして戦うだけだが、その後始末はどうやってつけるつもりなのかな」 と、誰にともなくつぶやいた板谷少佐の言葉がいつまでも心に残った。こちらのほうが本音なんだろうな、と進藤は思った。 昭和16年10月には、戦闘機隊の訓練は仕上げの段階に入りつつあった。訓練項目に航法通信訓練が加えられ、コンパスと、波頭を目視して判断する風向、風力を頼りに長距離を飛ぶ三角航法、無線でモールス信号を受信する訓練などが行なわれた。高高度飛行の訓練も実施され、耐寒グリスを塗った20ミリ機銃による、高度8000メートルでの射撃訓練も行われた。一航戦では、18機対18機の大規模な空戦訓練も実施された。二航戦は9機対9機、五航戦は3機対3機までしかできなかったという。 11月に入ると、志布志湾に機動部隊の6隻の空母と飛行機が集められ、11月3日、南雲中将より機動部隊の各艦長にハワイ作戦実施が伝達された。その日の夜半、「特別集合訓練」が発動され、翌4日から3日間にわたって、全機全力をもって、佐伯湾を真珠湾に見立てた攻撃訓練が、作戦に定められた通りの手順で行なわれた。 〈十一月四日 「ハワイ」攻撃ヲ想定 第一次攻撃隊 〇七〇〇(注:午前7時)発進、第二次攻撃隊〇八三〇発進。十一月五日 第一次〇六〇〇、第二次〇七三〇。十一月六日〇五〇〇ヨリ訓練開始〉 と、進藤はメモに書き残している。11月6日には、戦闘機隊が半数ずつ、攻撃隊と邀撃(ようげき)隊の二手にわかれ、攻撃隊はいかに敵戦闘機の邀撃を排除して攻撃を成功させるか、邀撃隊はいかに攻撃隊を撃退するか、という訓練も行なわれた。激しい訓練で、攻撃隊の九九式艦上爆撃機のなかには不時着する機も出た。 特別集合訓練が終了すると、赤城、蒼龍は横須賀、加賀、飛龍は佐世保、翔鶴、瑞鶴は呉と、それぞれの母港に入って準備を行い、飛行機隊はふたたび、陸上基地に戻って訓練を続けた。このとき、戦闘機が洋上で単機になってしまった場合に備えて、無線帰投方位測定機(クルシー)を使っての帰投訓練が熊本放送局の電波を利用して実施されている。 覚悟を決めた日 第二次発進部隊制空隊(零戦)指揮官・進藤三郎大尉の命令書(軍機) 11月中旬には、各母艦は飛行機隊を収容し、可燃物、私物の陸揚げや兵器弾薬、食糧の最後の積み込みを終え、佐伯湾に集結した。 赤城が佐伯湾を出たのは、11月18日のことである。行動を隠匿するため、出航と同時に、各艦は厳重な無線封鎖を実施した。 空母6隻を主力とする機動部隊は北へ向かい、千島列島の択捉島(えとろふとう)単冠湾(ひとかっぷわん)に集結した。湾の西に見える単冠山は、すでに裾まで雪に覆われていた。11月24日、6隻の空母の全搭乗員が赤城に集められ、真珠湾の全景模型を前に、米軍の状況説明と作戦の打ち合わせが行われた。機動部隊の行動についてはもちろん、攻撃隊の編成や各隊ごとの無線周波数など、詳細な作戦計画が、すでにでき上がっていた。進藤が保管していた機密書類はこの日の日付から始まっている。 11月26日、機動部隊は単冠湾を抜錨、各艦、単冠山に向かって副砲、高角砲の試射を行った。凍てつく空気に、砲声が轟いた。艦隊はそのまま針路を東にとった。 「自信を持って戦いに臨める。しかし、今度こそは生きて帰れないだろうな」 と、進藤は、遠ざかってゆく雪の単冠山を見ながら、しばし物思いにふけった。 時化模様の航海が続いた。護衛の戦艦、巡洋艦、駆逐艦、補給船、潜水艦など、総勢31隻もの艦隊を、���密裏にハワイ北方までたどり着かせなければならない赤城艦上の機動部隊司令部は緊張の連続だった。 12月1日、機動部隊は日付変更線を越えた。機動部隊は日本時間で行動するので、時差で時間感覚がずれてくる。この日の御前会議で、日本は英米との開戦を決定する。 12月2日、「新高山ノボレ 一二〇八」 という暗号電報が、聯合艦隊司令部より届いた。これは、「X日(開戦日)を12月8日とす」という意味である。開戦は、12月8日午前零時と決まった。ただし、日米の外交交渉次第では、まだ作戦が中止になることもあり得る。しかし反転命令は出ず、矢はついに弦を放れた。 12月8日午前1時半(日本時間)。第一次発進部隊が次々と6隻の空母を発艦した。 第一次発進部隊は、零戦43機、九九艦爆51機、九七艦攻89機(うち雷撃隊40機、水平爆撃隊49機)、計183機で、総指揮官は淵田美津雄中佐である。第一次攻撃では、雷撃隊が二列に並んで停泊している米戦艦の外側の艦を攻撃、水平爆撃隊が上空より内側の艦を爆撃する。さらに艦爆隊は飛行場施設を爆撃することになっていた。 そこらじゅうで火柱が 九九式艦上爆撃機。急降下爆撃を行う 機動部隊の各母艦では、第一次の発艦後、すぐに第二次発進部隊の準備が始められた。 第二次は零戦36機、九九艦爆78機、九七艦攻(水平爆撃のみ)54機、計168機が発艦し、うち零戦1機と艦爆2機が故障で引き返している。こんどは、艦爆が第一次で撃ちもらした敵艦と飛行場を狙い、艦攻が敵飛行場を水平爆撃することになっていた。 赤城から発艦するのは、零戦9機と九九艦爆18機。2時13分、進藤の搭乗する零戦、A1(本来はローマ数字だが、機種依存文字のためアラビア数字で表記)‐102号機は、その先頭を切って発艦した。第二次発進部隊の総指揮官は瑞鶴艦攻隊の嶋崎重和少佐、進藤は、制空隊(零戦隊)全体の指揮官を務める。 「第一次の発進を見送ったときにはさすがに興奮しましたが、いざ自分が発進する段になると平常心に戻りました。真珠湾に向け進撃中、クルシーのスイッチを入れたら、ホノルル放送が聞こえてきた。陽気な音楽が流れていたのが突然止まって早口の英語でワイワイ言い出したから、これは第一次の連中やってるな、と奇襲成功を確信しました」 第一次に遅れること約1時間、真珠湾上空に差しかかると、湾内はすでに爆煙に覆われ、ものすごい火柱が上がっていた。心配した敵戦闘機の姿も見えない。空戦がなければ地上銃撃が零戦隊の主任務になる。進藤はバンクを振って(機体を左右に傾ける合図で)各隊ごとに散開し、それぞれの目標に向かうことを命じた。 「艦攻の水平爆撃が終わるのを待って、私は赤城の零戦9機を率いてヒッカム飛行場に銃撃に入りました。しかし、敵の対空砲火はものすごかったですね。飛行場は黒煙に覆われていましたが、風上に数機のB-17が確認でき、それを銃撃しました。高度を下げると、きな臭いにおいが鼻をつき、あまりの煙に戦果の確認も困難なほどでした。それで、銃撃を二撃で切り上げて、いったん上昇したんですが」 頭によぎった最悪のシナリオ 開戦を告げる昭和16年12月9日の新聞紙面 銃撃を続行しようにも、煙で目標が視認できず、味方同士の空中衝突の危険も懸念された。進藤は、あらかじめ最終的な戦果確認を命じられていたので、高度を1000メートル以下にまで下げ、単機でふたたび真珠湾上空に戻った。 「立ちのぼる黒煙の間から、上甲板まで海中に没したり、横転して赤腹を見せている敵艦が見えますが、海が浅いので、沈没したかどうかまでは判断できないもののほうが多い。それでも、噴き上がる炎や爆煙、次々に起こる誘爆のすさまじさを見れば、完膚なきまでにやっつけたことはまちがいなさそうだと思いました。胸がすくような喜びがふつふつと湧いてくる。 しかしそれと同時に、ここで枕を蹴飛ばしたのはいいが、目を覚ましたアメリカが、このまま黙って降参するわけがない、という思いも胸中をよぎります。私は昭和8年、少尉候補生のときの遠洋航海でアメリカに行き、そのケタ違いの国力と豊かさをまのあたりにしていますから、タダで済むはずがないことは容易に想像できる。これだけ派手に攻撃を仕掛けたら、もはや引き返すことはできまい。戦争は行くところまで行くだろう、そうなれば日本は…………負けることになるかもしれないと、このときふと考えました」 空襲を終えた攻撃隊、制空隊は、次々と母艦に帰投し、各指揮官が発着艦指揮所の前に搭乗員を集め、戦果を集計した。進藤は、赤城の艦爆隊と合流して帰還した。南雲中将が、わざわざ艦橋から飛行甲板上に下りてきて、「ご苦労だった」と進藤の手を握った。 ほどなく、最後まで真珠湾上空にとどまっていた総指揮官・淵田中佐の九七艦攻が帰艦する。大戦果の報に、艦内は沸き立った。しかし日本側にとって残念なことに、いるはずの敵空母は真珠湾に在泊していなかった。 艦上では、第三次発進部隊の準備が進められている。蒼龍の二航戦司令官・山口多聞少将からは、蒼龍、飛龍の発艦準備が完了したとの信号が送られてきた。しかし、南雲中将は、第三次発進部隊の発艦をとりやめ、日本への帰投針路をとることを命じた。 激しい戦闘の代償 日本機の空襲を受けるハワイ・真珠湾の米艦隊 「当然もう一度出撃するつもりで、戦闘配食のぼた餅を食いながら準備をしていましたが、中止になったと聞いて、正直ホッとしました。詰めが甘いな、とは思いましたが…………」 体調不良を押してここまできたが、ようやく任務が果たせた。緊張の糸が切れた進藤は、そのまま士官室の祝宴にも出ず、私室で寝込んでしまった。 真珠湾攻撃で日本側は、米戦艦4隻と標的艦1隻を撃沈したのをはじめ、戦艦4隻、その他13隻に大きな損害を与え、飛行機231機を撃墜、あるいは撃破するなどの戦果を挙げた。資料によって異なるが、米側の死者・行方不明者は2402名、負傷者1382名を数えた。いっぽう、日本側の損失は、飛行機29機(第一次9機、第二次20機。うち零戦9機、九九艦爆15機、九七艦攻5機)と特殊潜航艇5隻で、戦死者は64名(うち飛行機搭乗員55名。別に、12月9日、上空哨戒の零戦1機が着艦に失敗、搭乗員1名死亡)。米軍の激しい対空砲火を浴びて、要修理の飛行機は100機あまりにのぼった。 ――ちなみに、真珠湾攻撃当時、連合艦隊司令長官・山本五十六大将57歳、機動部隊指揮官・南雲忠一中将54歳、航空参謀・源田実中佐37歳、攻撃隊総指揮官・淵田美津雄中佐39歳、第二次発進部隊指揮官・島崎重和少佐33歳、雷撃隊指揮官・村田重治少佐32歳、第一次制空隊指揮官・板谷茂少佐32歳、第二次制空隊指揮官・進藤三郎大尉30歳、加賀戦闘機分隊長・志賀淑雄大尉27歳、そして昭和天皇40歳だった。 真珠湾攻撃の帰途、二航戦の蒼龍、飛龍は、ウェーク島攻略作戦に参加するため、本隊を離れた。残る赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴は、12月23日から24日にかけ瀬戸内海・柱島の泊地に投錨する。各艦の飛行機隊は、零戦隊は佐伯基地経由で岩国基地へ、艦爆、艦攻は鹿屋基地経由で宇佐基地へと向かい、ここでしばしの休養が与えられた。 進藤は、12月25日、岩国基地から呉海軍病院に直行し、軍医の診察を受けた。診断の結果は、「航空神経症兼『カタール性』黄疸」、二週間の加療が必要とのことで、そのまま入院することになった。十二月三十日付で赤城分隊長の職を解かれ、さしあたって任務のない「呉鎮守府附」の辞令が出る。この日から広島の生家での転地療養が認められ、進藤は、ひさびさに正月を両親と迎えることができた。 再び始まる苦しい戦い 昭和17年11月、進藤大尉がラバウルに向け出発直前、東京駅にて 「海鷲・進藤大尉」の帰郷は誰からともなく近所に伝わり、毎日のように真珠湾の話をねだりに客がやってくる。子供たちは、道で進藤の姿を認めると、憧憬のまなざしで、直立不動になって挙手の敬礼をした。 真珠湾攻撃から帰った進藤は、療養生活を送ること2ヵ月半、ようやく黄疸の症状もおさまり、昭和17(1942)年2月12日、〈大分海軍航空隊司令ノ命ヲ受ケ服務スベシ〉の辞令を受けて大分空に着任。四月一日、戦闘機搭乗員の訓練部隊として徳島海軍航空隊が新たに創設されると、その飛行隊長兼教官に補せられた。 最前線・ニューブリテン島ラバウルで作戦中の第五八二海軍航空隊飛行隊長兼分隊長への転勤辞令が出たのは、昭和17年11月8日のことである。処分しそびれていた真珠湾攻撃の軍機書類の保管を元海軍機関大佐の父に託してラバウルに向かう。五八二空に着任したとき、進藤は新たに部下となる隊員たちに、 「海軍戦闘機隊のモットーは編隊協同空戦だ。搭乗員が戦果を挙げる陰には、整備員や兵器員といった裏方の努力が不可欠である。けっして一人の手柄を立てようなどとは思わず、より長く、より強く、一致団結して戦い抜くように」 と訓示をした。そして、進藤の長く苦しい戦いがここから始まる。
1941年12月8日の「真珠湾攻撃」に「零戦35機」を率いて参加した当事者の「貴重な証言」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
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三高山砲台跡
広島湾要塞の一角として西日本最大規模を誇る防衛拠点
北部砲台跡への入り口
ラピュタの様な石積みの遺跡
砲座跡
弾薬庫
階段で上に上がれる
上から見た砲座
観測所
広島湾を見下ろす絶景😁
こちらは雰囲気あるレンガ造り
中に入ると😲左奥から隣に繋がっている
こちらは兵舎と竈門
なんと❣️兵舎の中にも入れます
続きは以下から
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