#ポピュラー音楽
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最近は洋楽とイギリス漬けな日々
ビートルズにローリングストーンズにエルヴィス・プレスリーに、マイケル・ジャクソンに・・・もっといろいろ聴きたいでござる。困った! 底なし沼である 洋画は昔から大好きなのに、今の今まで洋楽はノーマークだったのが自分でも不思議。しかしイギリスってすごいですね、ロックの��地ではなくて? そして世界三大ギタリストは全員イギリス人という・・・もー何なのさいったい
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(2012.8.8.徹の部屋Vol.21「コントラバホでピアソラ〜アストル・ピアソラの音楽〜」 | Space&Cafe ポレポレ坐から)
タンゴは、世界のポピュラー音楽の中でドラムセットを使わない稀なジャンルです。 リズムもダイナミックスもコントラバホが担当します。一番小さな音に全員が合わせるのです。 ドラムセットというシステムがあまりにも「傑作」だったので、古今東西、 ポピュラー音楽のリズムの基本として使われ続けてきました。そのため、音楽の音量が大きくなってしまいました。 考えてみれば、戸外で使うためにバチをもって大きな音を出していたそのやり方が基本になっているのです。 屋内のシステムではありません。レ・クアン・ニンさんの(バチを使わない)最近の奏法は、 ドラムセットに根本的な疑問を投げかけているように思います。
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エジプトにいた増田です。 思いのほか多くの方に読んで頂けたことに当惑しつつ、大変感謝しています。 そんなに人の興味のあることではないとは思うのですが、せっかくの機会なので、自分の考える(自分の出会ってきた)アラビア語とイスラームのことを、ちょっと書かせて頂きます。 大前提ですが、自分は基本、道楽で勉強してきた人間で、職業的な研究者ではありません。大学の専門も西南アジア史とかではないです。あくまで個人の体験を元にした個人の感想で、学問的裏付けのあやふやな大雑把なお話だとご理解下さい。 (いきなり余談ですが、わたしが出会ってきた「アラビア語の達者な日本人」は必ずしも研究者ではなく、一番多いのはマリッジムスリム、つまりムスリムと結婚した日本人です。彼女たちはエジプト社会に溶け込んで普通に暮らしているので、普通は言葉が達者です……十年いても全然ダメでかつ謎の力で意思疎通できる不思議な人もいましたが(笑)。 シリア人と結婚しシリア在住の女性とは、帰りの飛行機で隣り合わせて、息継ぐ間もなく喋り続けて良い思い出です。彼女から聞いた当時のシリア事情は外から見た「残虐なバッシャールvs自由シリア軍」みたいな構図とは全然違って、目を開かされました。 また日本在住のマリッジムスリムでも、家族親族との交流やクルアーンのために熱心に勉強し、大変流暢な方がおられます。 ほとんどの場合、ムスリム男性と日本人女性で、これはイスラーム圏において異教徒の嫁を貰って改宗してもらうのは敷居が低い一方、女性をよその男性にさらすのは極めてハードルが高いせいでしょう。逆のパターンを1組だけ知っていますが、これは女性側の家が��当裕福なインテリ層で、留学経験などもあるためでした) 先述の通り、わたしがアラビア語に関心をもったのはイスラームへの興味からでした。 イラン人についての書かれた元増田の方が、「クルアーンのアラビア語はお経みたいなもの、イラン人にはわからん」といったことを記されていましたが、本当にクルアーンはお経的だと思います。 お経的というのは、意味内容以前に「音をそのまま」読誦することが重視されている、という点においてです。 日本の仏教徒で熱心にお経を読まれている方も、楽譜みたいな感じで音そのものを覚えつつ、意味も勉強すると思います。非アラビア語話者のムスリムにとって、クルアーンはちょうどそんな感じです。 何ならアラブ人にとっても、クルアーンのアラビア語は非常に古い言葉ですので、普通に読んだら意味のわからないところは沢山あります。ただ幼少期から声に出して読誦し丸暗記しているし、その意味も大抵は教えられているので、特に疑問に思わないだけです。 (お世話になっていたエジプト人の先生とクルアーンについて話していた時、「アン=ナージアートとかぶっちゃけ全然わからん!」と言っていたのを覚えています。これはクルアーンの後半の方にある非常に韻文的で語彙的に難しい章で、短いので多くのムスリムが丸暗記していますが、初見のアラビア語として見たら大学出のエジプト人でも「全然わからん」ものです) 一点留保をつけると、「古いからわからない」という意味では日本人にとっての平安時代の言葉に似てはいるのですが、前のエントリでも書いた通りアラブ世界ではフスハーという形で古いアラビア語が割と保存されているため、日本人における古語ほどは難しく感じないと思います。 ついでに言えば、少なくとも大多数のエジプト人は、アラビア語と言えばこのフスハーのことだと信じていて、学校の「国語」にあたる時間ではフスハーを勉強します。普段使っているアーンミーヤ、エジプト方言はその「崩れたもの」くらいの認識で、「勉強するに値しない」「文法なんかない」と本気で思っています。大学出の語学教師さえ、「この仕事につくまで、アーンミーヤをわざわざ勉強するなんて考えたこともなかった」「文法なんかなくて、自然にできると思っていた」とか言い出すほどです。 外国人視点で見れば、フスハーとアーンミーヤはラテン語とフランス語くらい離れていて、勉強すれば連続性がわかり、「ここがこう変化して今こうなのか!」と感動するのですが、最初に耳で聞くとまったく別言語に聞こえます。勉強しないで自然にできるわけがありません。 話がズレましたが、クルアーンは(お経のように)そのままのアラビア語を声に出して読み丸暗記するのが基本です。 キリスト教の聖書は色んな言語に訳されていて、普通は各自の言語で読むものだと思うので、その点がかなり異なります。ただ、周知の通り聖書の大衆口語への翻訳��本格的に行われるようになっ��のは宗教改革以降で、元来はキリスト教でも「音そのまま」が基本だったのではないかと思います。おそらく大抵の聖典とか、宗教的行為というのは、意味以前に音や身体操作をそのまま発して覚える、反復することが大切だったのではないでしょうか。 何が言いたいかと言うと、現代日本に生きるわたしたちは、宗教というと信念体系とか戒律とか、知的に理解できるものを第一に考えてしまいがちですが、元々はもっと音楽的で、意味や論理性よりも「ノリ」みたいなものを重視していたはず、ということです。 現代で言えば、ヒップホップみたいな感じでしょうか。ヒップホップに全然詳しくないので的外れだったら申し訳ありませんが、フロウとかライムとかは、意味的整合性が全然どうでもいいとは言いませんが、音ノリと意味があいまって全体の美しさが練られると思います。歌詞を紙に書き出して意味を深堀りする、みたいな作業は、批評的・研究的には意味があると思いますが、そこに第一義があるわけではありません。 英語のヒップホップの歌詞を全部翻訳して、その意味内容だけをじっと見つめていても、多分その曲の本質にはあまり近づけません。同様に、イスラームについて「戒律が厳しい」とか「豚肉はダメ」とかそんなところだけ見ても、実際にムスリムたちが行っている、あるいは身体化している「それ」からすると、的を外してしまっている可能性が大いにあります。そしてイスラームに限らず、(現代的にはただの迷妄のように片付けられがちな)宗教行為、信仰というものは、容易に翻訳可能で知的に了解しやすい部分だけ追っても、なかなか「肝」のところが見えてこないのではないでしょうか。 特に聖典のような古い言語は韻文的性質が強いです。アラビア語とヘブライ語のような近い言語ならともかく、日本語のような遠い言語に翻訳すると、どうしても元々の「ノリ」が失われてしまいます。やはり対象言語を基本だけでも学び、翻訳と原典の両方を活用しないと、うまく「詠む」ことはできません。 クルアーン、特にマッカ期と呼ばれる初期に啓示された後半部分は、大変韻文的性質が強いです(クルアーンは概ね時系列と逆に章が並んでいます)。日本では「戒律の厳しい宗教のルールブック」みたいなイメージが強いかもしれませんが、そういう約束事みたいなことを書いている部分は、まったくないとは言いませんが極めて少なく、では何が書かれているかというと、概ね「神様スゴイ」ということを手を変え品を変え表現しているだけです。本当に同じことを言い方を変えて反復しています。あとは「現世は戯れ」「不信仰者を待つのは火獄の責め苦」「楽園には川が流れている」みたいな抽象的イメージが多いですね。 音楽的ノリが強いので「サビ」みたいな部分もあって、ごにょごにょとエピソード的な話が続くと、とてもわかりやすい言葉で「まことアッラーは慈悲深い」みたいなお決まりのフレーズがビシッと入ります。ごにょごにょのところが言語的にちょっと難しくても、サビだけは聞き取れるので外国人にやさしいです。 またヘブライ語聖書(旧約聖書)のエピソードが知識として前提されている雰囲気があり、ちょっと二次創作っぽいというか、ユースフ(ヨセフ)とかイブラーヒーム(アブラハム)とかヌーフ(ノア)とか、旧約キャラの話が脈絡なくフラッシュバックのようにパッパッと入ります。旧約エピソードがアラビア語的にカッコイイ韻文で表現されているのは、こんなことを言うと怒られそうですがファンアートっぽいというか、音楽的に昇華されている感じです。 こうしたエピソードっぽいフレーズは時系列で並んでいるわけでは全然なく、「そういえばアイツもこうだった」みたいに話題ごとに何度も引っ張り出されます。 この文体は翻訳で読むと非常に冗長で退屈極まりないのですが、音で聞くと大変心地良く、カッコイイのです。情報として全然新規性がなくても、「出ました! ムーサー(モーセ)の話!」みたいに盛り上がります。 わたしは今でも、車を運転する時は「今日はアル=アアラーフでいくか」みたいに、正に音楽をかけるノリでクルアーンの読誦を流しています。心が落ち着いて安全運転です。 良く言えばノリが良く、悪く言うと深く考えてない感じです。 余談に次ぐ余談ですが、「クルアーン」というカタカナ表記は学問的な界隈では結構前からポピュラーだと思いますが、昔から一般的なのは「コーラン」ですよね。 カタカナで正確に書けるわけがないのだからどっちでもいいんじゃない?とは思いますが、ちょっと疑問に思っていることがあります。 「クルアーン」というのは表記に忠実な感じの書き方で、あまり良い例ではないかもしれませんが、「stand up」を(ステァンダッではなく)「スタンドアップ」と書くみたいな方針だと思います。 では「コーラン」の方が音に忠実かというと、そうではなく、これは多分、英語表記からカタカナに起こしたものです。ラテン文字表記でquranとかkoranとか書かれていたのを、カタカナにする時に「コーラン」にしたのでしょう。 英語圏の人たちが一般にこれをどう発音しているのかよく知らないのですが、もしアラビア語の音に似せるなら、後半にアクセントがあるはずです。 ところが、理由はわかりませんが、カタカナにする時になぜか前半アクセントのイメージで「コ」の後に伸ばし棒をつけて、擬似的に強弱アクセントを表現したようです。 実際に耳で聞けば後半にアクセントがあるのは歴然としていて、日本人の感覚で簡単なカタカナ表記を考えるなら「コラーン」あたりが音的には一番近いと思います。これを普通にカタカナ読みしても多分通じますが、「クルアーン」「コーラン」はまずわからないでしょう。 別にどっちでもいいのですが、アラビア語には日本語のように長母音的な概念があるので、素直に似せていけばいいものを、わざわざ第三言語のラテン文字表記に引っ張られているのがちょっと悔しいです。 同様にラテン文字表記(英語圏での表記)に引っ張られているらしいものとして、「メッカ」はどう考えても「マッカ」で、これはカタカナ読みでも通じます。「カタール」は普通に聞いたら「カタル」が断然近いです。 あと不思議なのは「アッバース朝」とPLOの「アッバス議長」は同じ名前なのですが、なぜか文脈で表記が違いますよね。「アッバース」の方がアクセント的に近いです。これも多分、議長の方がラテン文字表記に引っ張られたのでしょうね。 これは完全に自分語りですが、わたしは割とキリスト教の影響のある環境に育ちました(信者ではありません)。子供時代はどちらかというと反発し、宗教とはなんてアホで小うるさいものなんだ、くらいの幼稚な考えを抱いていたのですが、肯定否定はともかく、信仰なるものについて考える機会は日本人としては多い方だったと思います。 その中でイスラームは、911やその後の騒動もあって印象が強烈でした。行為そのものは単なる殺戮で肯定できるものではありませんが、何年もかけて潜伏し飛行機の操縦を学び、自分の命を投げ捨てて突っ込むというのは尋常ではありません。一方で、世界に16億いるというムスリムが皆こんなぶっ飛んだ感覚の殺戮者であるのは、常識的に考えてありえないと思いました。 では実際のところ、平々凡々たる市井のムスリムたちはどうなのか? 彼らが信じている、その中で生まれ育ち生きているイスラームとはどんなものなのか? というのが、今思うと出発点だったと思います。 色々本を読むとそれなりにイスラームについての一般常識はつくのですが、それらはあくまで、頭の良い人が外から観察してまとめたものです。しかしわたしが知りたかったのは、もっとレベルの低い大衆的な肌感覚みたいなもので、それを知るには内的に追体験するというか、彼ら自身の立ち位置になるべく入ってみて、そこから世界を眺めてみないといけない思いました。 キリスト教でも仏教でも熱心な信徒もいればなんちゃってクリスチャンみたいのもいるわけですから、ムスリムだって色々なはずで、「さほど熱心ではないけどやっぱり信じてる」みたいな人もいるはずです。どちらかというとヘボいムスリムの感覚に同化してみたかったです。わたしはヘボい日本人ですから。 この低水準の信仰感覚というのは、あくまでわたし個人の感じてきたところでは、幼い頃から聞いている歌がつい口をついて出てしまうみたいなものかと思います。 大人ですから知的に敷衍して約束事のように語る部分もありますが、多分そこは本質ではなく(彼ら自身は見栄っ張りなので、よそ行きにもっともらしいことを語るものなのですが)、もっと身体的で音楽的なものこそが大元なのだと、自分は感じています。 そしてこの感覚は、サピア・ウォーフの仮説ではないですが、言語と密接に繋がっています。言語、文化、宗教は連続体で、どれか一個だけ取り出して眺めようとしてもなかなかうまくいきません。 まぁ、そんな風に見てみると、意味のわからない人々についてもちょっとは親しく感じられるんじゃないかなぁ、と思います。 そんなこと興味ない、親しみたくなんかない、という人が大勢でしょうが、違う場所から違う視点でものを見てみるのは、何でもすごく面白いものだとわたしは思いますよ。 人生、旅じゃないですか。
エジプトにいた増田です。 思いのほか多くの方に読んで頂けたことに当惑し..
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1000xRESIST感想
ネタバレありの個人的な感想。すごく長い。
しみじみ良い作品でした。すきな作品ともすこし違うのだけれど、繊細で若々しくて勢いがあって、今後のADVゲームへ与える影響も大きい予感がし、日本作品へのオマージュ・リスペクトも強くて、日本でももう少し話題になったり評価されてほしいと思わせる力のある作品だった。だから、もっといろんな人に遊んでもらいたいなと思っている。
ネタバレなしの感想・紹介はこちらのブログで書いた。
雑感
世代間でのルーツとなる地域への思いのずれ、溶け込み方の違い、現地での軋轢、アイデンティティのゆらぎなど各種描写自体はこれまでの移民文学・映画で描かれてきたものであり、母権主義的な支配の継承や葛藤といったテーマも小説・映画等では見ることがあり、ゲーム内で語っている内容自体はこれまで見たことがあるものだけれど、ゲームでこれだけしっかり説得力を持って描かれるのは珍しく、キャラクター操作を通じて、過去の歴史や様々な視点をゲームというメディアの特性を活かして重ね合わせる手法は見事だった。
主人公やメインキャラクターだけでなく、敵対者や周囲の人物の背景・心情も体験させられる物語は、繊細だけれど、伝えたいことは明確にある。各種センシティブなテーマを扱う作品だからこそ作成側が何を支持していてなにをよくないと思っているのか、メッセージが最後までぶれないのも偉い。
香港での民主化運動やカナダにおける中華系移民のアイデンティティ、パンデミックなどまで入れた近過去の体験を反映して、未来のために「なにを選択するか」を体験できることは新鮮で、現在に��レイする価値をきちんと提示できてる作品だと感じた。
青春物語にあまり感情移入できるタイプではないとか、アジア系移民の物語を東アジアずっと在住の民から見るとすこしふしぎというのもあって、いい意味で自分とすこし距離感のある作品であったなと思う。そして、その距離をゲームという形で体験できるのはおもしろかった。留学や海外在住経験のある人なら、もっと理解できる作品なのかもしれない。
よい作品だけど、果樹園のむちゃくちゃでわかりにくい構造はさいごまでゆるせないからな!
キャラクターがたり
シスターたちも、両親も、装甲服の人たちも、占有者まで、みんな繊細で悩みを持ちみずみずしく描かれててたのしかった。一方的な悪役をほとんど描かずみんな同じ重さで書き込んでいるのは、この作品の良心とバランスのよさなのかなと思う。
好きなキャラクターはジョンソン50でした!中途半端に良識的で、最後まで狂えずに投げ出せないところが良かったです。反人道的な処置はぜんぶ過激派のミミに担ってもらってて、結局ふたりでバランスとってるのがお似合いですね。よわくてやさしいまま死んでしまう父親もよかった。本作の数少ない男性陣、みんなこんな感じ。
好きなコンビは、ヒーラー+バンバンファイア。ふたりともやさしいがゆえに報われない.......エンディングはかなしすぎる。やさしいままの人ほど死んでしまう.......
リトルシスター(プリンシパル)+アイリスのジャオ・ジャオタイプへの執着は、トキシックなエモさがあってよかったな。結局、プリンシパルがアイリスにいちばん似ているという。
ジャオから雑に扱うな!とち���んと反抗されているところが描かれてるのは安心できてよかった。なぞなまでに献身的なジャオ・プライムかわいい。
他作品からの引用・オマージュについて
いろんなゲームやアニメや映画のオマージュが、結構そのまま屈託なく用いられてるのはほほえましかった。ストアページにも書かれてる各種セカイ系や今敏作品やニーアは自分は通ってきていないので、そのあたり詳しい人の感想・解説が読みたいなあ。
エヴァ風のプラグスーツとか好みが分かれそうだけれど、モチーフとともに、ちょっと青臭くて青春ぽい本作のテイストに合っていると思う。
ラストの還願オマージュシーンも唐突で、最初ちょっとわらってしまったけど、思い返すと感傷的で良かったな。家族と社会の問題を、なんども記憶のなかで巡って再構成する構造がそのまま用いられていて、もう取り返せないものを語る手段として非常にエモーショナルに映った。
還願は各種圧力によりSteamから追い出された台湾の作品だけれど、香港の民主化運動の取り扱いも合わせて、今はとおく離れた場所・地域のことを、どこか自分たちの問題として引き寄せて考えたいのかな、と勝手に感傷的に考えたり。といってもカナダには中華圏からの亡命者が結構な数ほんとにいるのだろうし、コロナ下での海外での中華系移民への風当たりの強さとかを考えるとそんなに簡単に離れられるものではないんだろうけれど。
記憶の中でだけなら和解できる。
翻訳��ついて
翻訳は良好で、学生や家族を主軸とした作品として自然に読み込めてよかったな。ただ、SF用語は直訳が多かったので、雰囲気作りかねてエヴァっぽいけれんみあるともっと魅力的だったなあと、難しいの承知でないものねだりをしたくなる。
あと、差別用語や罵倒語関係や政治用語は、翻訳にあたってちょっとマイルドになっている様子。このあたりは、日本語で適切な用語・概念に置き換えるのがむずかしいし、取り扱いに一貫したポリシーがないと事故になるので、バランス大変そう。
なにはともあれ、他言語に先駆けていい日本語訳が入ったので、もうちょっと話題になるといいですね……
Kentucky Route Zeroと表現としてのゲーム
Nierシリーズやエヴァンゲリオン、今敏作品と同様に、本作に強い影響を与えていると公言されているKentucky Route Zeroとの関係について。
以下は、KRZの改訳版翻訳者としてのかなり特殊史観のはなし
作中の馬はたぶん、KRZオマージュの印かなと思ってる。
Kentucky Route Zeroが与えた影響について語る開発者インタビュー(59:19-)
youtube
※Xanathophyllum氏の情報提供に感謝
開発者インタビューから���部抜粋・翻訳
「Kentucky Route Zero」がなかったら、このゲームは存在しなかったと思う。 たしか22歳かそこらの時にプレイしたのだったかな。 あのゲームがきっかけで、そうだな、ほんとうに気づかされたんだ。 こういう作品を人生を通じてずっと待っていたんだって。Kentucky Route Zeroがその最初で、それからこのゲームについて考え始めることができるようになるまでに、さらに10年かかった。だけど、Kentucky Route Zeroを体験したことで、こういう表現が可能な空間がゲームにあると確信したんだ。
選択と結果を必ずしも決定づけない微細な言葉を選択させていくことで登場人物の性格付けをプレイヤー自身に肉付けさせることや、視点・場面を躊躇なく転換させながら、飽きさせず、同時に多くの視点を取り入れようとするところなどにKRZの影響を感じた。
KRZよりずいぶん若々しく粗削りなところもあり、社会や人との距離も生々しく近く、そのぶん素直で明朗で、プレイ後の印象はかなり異なるのだけれど、何よりゲームを通じて楽しさを提供したいというよりも、表現媒体としてゲームを選択している姿勢が近いのだろうなと感じた。
本作は、表現としてのADVゲームにおける、Kentucky Route Zero の直系の子孫であり、ひとつの発展系でもある。
独自の今日的テーマとデザインを採り、素直で明確でよりポピュラーに進化してて、間違いなく2024年のADVのマイルストーンになる作品であり、海外のゲーム関係の賞もたくさん受賞していて、影響力もあることから、今後、こういう感じのADV表現を通して現代を映す作品が別の地域含めて増えてくるはず。
開発者インタビューでも映画撮るお金や��制がなかったからゲームを作ったと語られていて、お金あまりないけど現代表現をやりたい若者にとって、ゲームがほんとに映画や小説と比較されうる表現の選択肢になったんだなとしみじみしてしまった。
たぶんゲームという表現手段でもって、現代や社会について映画や小説と同様にリアリティをもって語ることは、もう個々の作品、点と点としてではなくて、ゲームシーンとしてより広がっていくはずだと思うし、それを確信させてくれる力のある作品だった。
そして自分にとって、ずっとKentuky Route Zeroという作品はゲーム史のなかの傑出した特異点というだけでなくて、今後のゲームシーンのなかで重要な役割を果たす起点のひとつになると信じていたから、それが影響作を通じて現実になったと知れたことがほんとうに感慨深い。今後がたのしみ。
しかし、贔屓目込みだけれど、音・画面・文章・演出・物語・表現として一切隙なく完成されているKRZはほんとうになんなんだ......ポピュラーさは全然ないが......
最後に
好きなシーンをぺたぺた貼って終わる。
みんなも1000xRESISTのすきなスクショをぺたぺた貼るだけの感想記事を書いてくれ。
ずっとかっこいいノウワー
お洒落でたのしい占有者
最後にみんなとおわかれできたので満足!
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"Terrorizer"DISPATCHED
所謂「ダサい」と言われがちな音楽は、大抵曲の構造に問題があるのだが、その問題というのは「陳腐」という表現が最も適しているのだと思う。音楽の素人である我々ですら鼻歌で作れてしまうようなフレーズの塊。特にロックなどのポピュラー音楽は短い尺でひっかかりを盛り込むことが肝要となるので、それがない楽曲は気恥ずかしさだけが残る。それでは、そうした楽曲は価値も異議もないものなのかというとそんなことはなく、実直、純朴な印象を与える効用はあると思う。
DISPATCHEDは一応スウェディッシュデスメタルのカテゴリーに入る音楽をやっているが、マイナースケールの塊であるその楽曲は、原初的なパワーメタルそのもの。それでいてシンセのアレンジを利かせているあたりが涙ぐましく、OLD MAN'S CHILDあたりの線を狙ってこうなったんじゃないかなあという気がしてくる。
そして僕は、大好きなんだなこれ。このダサクサさが醸し出す、実直さ、純朴さがいとおしくてたまらない。METAL-ARCHIVESのレビューではX-JAPANを引き合いに出されているが、あーまさにそんな感じですねー。結局僕はXっこだからさあ!いくらクサイダサイ言われても、こういうのが一番なじむんだー。最近の通勤時の愛聴盤。出勤前は和むし退勤時は癒される。
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なんでもいい。スカートの丈。ネクタイピン。紋付袴の柄。ちょっとした違いの中にこそ私の姿がある。
【リレーコラム】私はだれとして踊るのか:ポピュラー音楽とファッションの (ごく)一側面について(加藤賢) | Fashion Tech News
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尾崎豊が『15の夜』で唄った「盗んだバイクで走り出す」というフレーズは、学校や家庭に縛られて自由にならないと感じる若者が、その自由に憧れや共感を示すものだが、現代の若者は「盗んだバイク」という時点で拒否反応を示し共感ができないという話がある。この話がどれくらい本当で普遍性のあるものかは定かではないが、法を破ることや、他人に迷惑をかけることを極端に嫌う今の日本社会に、なぜ舐達麻のアウトローは受け入れられたのか。YouTubeの『BUDS MONTAGE』が4600万回再生*1されているのみならず、なぜ地上波のテレビ番組*2 にも出演することができたのだろうか。
それはポピュラー音楽研究者の大和田俊之が言う*3ように彼らの持つ<詩情>、つまりポエジーの力に他ならないのではないか。社会と反社会という二項対立において、近年、強く嫌忌される反社会的な行動であっても、その<詩情>によって、幅広いリスナーからの支持を集めることができることを示したのだ。つまり、舐達麻は自身のアウトローとして生きる哀愁とビート、リリックが一体となった<詩情>の力によって、この二項対立を脱構築し、常識の外側に行くことができたのだ。なにも法を破ることやアウトローであることが常識の外側ではない。法を破ってもアウトローであっても世間に受け入れられたことが常識の外側なのだ。
AVYSS magazine » Thinking Framework – 考える枠組み vol.6
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『The Songs of Carole King』(Not Now Music)の全曲解説 Disc 1
イギリスのレーベル「Not Now Music」から出たキャロル・キングの作品集。彼女が作曲家としてアーティストに提供した楽曲、また地味な存在ながらも歌手としてリリースした自身の楽曲をコンパイルした3枚組で、いわゆる著作権切れCD。その関係で、収録曲のリリース年も1962年頃までとなっている。この「Now Now Music」のCDは輸入盤として日本の大きなCDショップでもよく置かれているので入手は簡単。値段もこのボリュームにしては格安。バラツキのある音質や、どういう基準でそうなったのかよくわからない曲順など、もちろん普通のCDに比べると難ありな代物だが、こうしたグレーゾーンなCDならではの適当さはとりあえず置いておいて、全曲の解説をしてみたい。ディスク2までほぼ書き終えていて、ディスク3はほぼ手つかず。いつ書き終わるかわからないので、とりあえずディスク1の分だけここに書き残しておく。 ◎超有名曲/◆知っておきたい佳曲/☆レア曲 ※作品は基本的にすべてジェリー・ゴフィンとの共作。それ以外の曲については個々に表記。
1-1 Carole King It Might As Well Rain Until September ◆キャロル・キングが60年代に歌手としてリリースしていた5、6枚ほどのシングルの中でもっとも成功した曲。「泣きたい気持ち」の邦題で日本でも発売されている。全米22位、全英3位という好成績ではあったが、これ以上のヒットが続かず、ひとまずは裏方として作曲家のキャリアを重ねていくことになる。
1-2 The Drifters��Up On The Roof ◎黒人男性ヴォーカル・グループのドリフターズに書いたヒット曲。のちに彼女もシンガーソングライターとして仕切り直しとなった最初のアルバム『Writer』でセルフ・カヴァーしている。
1-3 Little Eva The Loco-Motion ◎作曲家時代のキャロル・キングの代表作といえる大ヒット曲。ゴフィン&キング夫妻のベビーシッターだったリトル・エヴァに歌わせた、という話はキャロルの半生を描いたミュージカル『ビューティフル』にも採用されたほど有名は逸話であるが、これはいわゆる伝説や神話のたぐいで、リリース当時、宣伝のために広められた作り話だと思われる。1970年代のグランド・ファンク・レイルロードによるカヴァーでも有名。
1-4 Bobby Vee Take Good Care Of My Baby ◎この時期のアメリカン・ポップスを代表するティーンポップ・アイドルのひとり、ボビー・ヴィーのヒット。他の男のもとに走った元カノを心配する切ない曲。ビートルズがデビュー前に受けたデッカ・レコードでのオーディションで、ジョージ・ハリスンのヴォーカルで披露したことでも知られている。当時の邦題は「サヨナラ・ベイビー」。
1-5 The Cookies Chains ◎リトル・エヴァと同じ、ディメンション・レコードのガール・グループであるクッキーズに書いた曲。これまたビートルズがジョージ・ハリスンのリード・ヴォーカルでカヴァーしており、ファースト・アルバムの『Please Please Me』に収録されている。
1-6 Steve Lawrence Go Away Little Girl ◎もともとはボビー・ヴィーのアルバム曲だったが、イーディー・ゴーメとの夫婦デュエットも有名なスティーヴ・ローレンスがカヴァーしたことで全米ナンバー1の大ヒット。ポップスよりもよりジャズに近いポピュラー/スタンダード歌手がとりあげたことは、作曲家としては他のポップス作家よりも1ランク上とみなされる栄誉だったのではないだろうか。1971年にはオズモンド・ブラザーズのドニー・オズモンドがリメイクし、こちらもヒット。その余波を受けてか、日本でも郷ひろみがデビュー・アルバム『男の子 女の子』でカヴァーしている。
1-7 Billy Fury Halfway To Paradise ◆クリフ・リチャードとともにビートルズ登場以前のイギリスでロック・アイドルとして君臨していたビリー・フューリーが歌う全英3位の大ヒット。この曲を歌った1961年の頃、心臓の弱い彼はロックを歌い続けることができなくなり、バラード歌手として路線変更をしたのだそう。しかし結局は心臓発作によって若くして亡くなってしまった(享年42)。
1-8 Jackie DeShannon Heaven Is Being With You ☆そのキャリアと功績の割にいまひとつ評価が低いような気がするアメリカの女性歌手ジャッキー・デシャノンの曲。1961年のシングル「Thinnk About You」(こちらは彼女の自作)のB面曲。ハスキーな彼女の歌声がよく生かされている。 ※作詞はジェリー・ゴフィンに加え、彼らの良きライバル、良き友人であるシンシア・ワイルが手伝っている。
1-9 Ben E. King Show Me The Way ☆「スタンド・バイ・ミー」で有名なベン・E・キングによる歌唱。ドリフターズのリード・ヴォーカリストだった彼はグループを脱退し、独立。そのソロ第1弾シングルとして書かれたもので(「Brave Yourself」のB面に収録)、作風もドリフターズと似たようなドゥーワップ色の強い雰囲気である。
1-10 The Crystals No One Ever Tells You ◆大プロデューサー、フィル・スペクターのもとで「Da Doo Ron Ron」などの大ヒットを生んだガール・ポップグループ、クリスタルズへの提供曲。恐ろしいDV肯定ソング「He Hit Me」のB面に収録された、A面同様に浮遊間のあるメロディのバラード。A面共々このB面も埋もれることとなった。 ※作者にはフィル・スペクターの名前もクレジットされているが、これはプロデューサーであるスペクターが印税を作曲家から横取りするために仕組んだもので、おそらく曲作りにはタッチしていない。
1-11 Gene Pitney Every Breath I Take ◆日本では「ルイジアナ・ママ」のオリジナル歌手として知られているジーン・ピットニーの初期のヒット曲。プロデュースはフィル・スペクターで、すでに尋常でなく壮大で重量感のあるサウンドを生み出している。
1-12 Carole King Nobody's Perfect ☆「It Might As Well Rain Until September」のB面曲で、オーソドックスなロッカ・バラード。
1-13 Paul Petersen Keep Your Love Locked (Deep In Your Heart) ◆アメリカでは俳優や作家などマルチに活躍しているらしい、ポール・ピーターセンへの提供曲。この時期はティーン歌手として人気を博していた模様。
1-14 Connie Stevens Why'd You Wanna Make Me Cry ◆女優で歌手でもあるコニー・スティーヴンスに提供した、1962年のシングル曲。全米50位程度のソコソコのヒットとなった。ハリのある歌声が印象的。
1-15 The Shirelles What A Sweet Thing That Was ☆バート・バカラックが書いた「Baby It‘s You」でも知られるセプター・レコードのガール・グループ、シレルズへの提供曲で「A Things of the Past」のB面に収録された。同じく彼女たちが歌ったゴフィン&キングによる名曲「Will You Love Me Tomorrow」の焼き直しのような気がしないでもない。
1-16 Curtis Lee Just Another Fool ☆フィル・スペクターのプロデュースで「Pretty Little Angel Eyes」をヒットさせたティーンポップス歌手への提供曲。牧歌的な��ウンドが魅力的だが、少々平凡で全米110位に終わった。
1-17 Annette Dreamin' About You ☆初期ビーチ・ボーイズとの共演でも知られるアネットの1961年のシングル。ディズニーが制作した一連のティーン向けコメディ映画のヒロインでもあった彼女のレコードは、もちろんディズニー傘下のブエナ・ビスタ・レコードからリリースされていた。
1-18 Bobby Vee How Many Tears ◆彼の初期の代表曲「Rubber Ball」と先ほどの「Take Good Care of My Baby」と間に当たる時期にリリースされた1961年のシングル。ストリングスが印象的な忙しないリズムは翌年の大ヒット「The Night Has A Thousand Eyes」の予告編という感じで、これがリバティー・レーベルのサウンド。プロデュースはもちろんスナッフ・ギャレット。
1-19 Vinnie Monte Follow That Girl ☆Jubileeというちょっとマイナーなレーベルの歌手、ヴィニー・モンテが歌うコミカルな曲。その後、彼はジョニー・ソマーズの大ヒット曲「Johnny Gets Angry(内気なジョニー)」のアンサーソング「Joanie Don’t be Angry」(直訳:怒らないでジョニー)というを歌ったりもしていたが、割と最初からネタっぽい立ち位置だったのだろうか。1965年を最後に徐々にフェードアウトしていった。
1-20 Tony Orlando Happy Times (Are Here To Stay) ◆かなり後になってから「幸せの黄色いリボン」「ノックは3回」のヒットを飛ばすことになるトニー・オーランドの1961年のシングルで、キャロルの他にもバート・バカラックなど、その後にビッグネームになる作曲家の初期作品を歌っている重要なシンガーである。プロデュースはドン・カーシュナーとジャック・ケラー。アレンジにキャロル自身も携わった鉄壁の布陣である。 ※作詞にはシンシア・ワイルが加わっている。
1-21 Andy Williams Help Me (Find The Way Back To Your Heart) ☆この時すでにベテランになりつつあったアンディ・ウィリアムスのシングル「The Wonderful World of the Young」のB面曲。すでに確立されていた彼のスタイルで朗々と歌い上げている。こちらも1ランク上のお仕事という感じで、大手レーベルの録音なのでサウンドが豪勢である。 ※ゴフィン&キングとクレジットされているがこれは誤りで、シンシア・ワイルとの共作のようである。
1-22 Ann Margret I Was Only Kidding ◆エルヴィル・プレスリーと映画で共演するなど日本でも人気の高いアイドル女優、アン・マーグレットへの提供曲。彼女はやはり大手のRCAビクター所属で、「Jim Dandy」のB面とはいえ着実にステップを重ねていったようだ。キャロル・キングらしいちょっと粘っこいメロディが彼女のコケティッシュなヴォーカルによくマッチしている。当時同じカップリングで日本でもリリースされており、「ゆうべのはほんの冗談よ」という邦題で紹介されている。
1-23 Billy Fury I'd Never Find Another You ☆「Halfway to Paradaise」に続く、ビリー・フューリーのシングル。前作のイメージを引き継いだ堅実なサウンド。
1-24 Craig Douglas When My Little Girl Is Smiling ☆引き続きイギリス勢からクレイグ・ダグラス。もともとはドリフターズに提供した曲で、イギリスでは彼(トップ・ランク・レコード)とジミー・ジャスティス(パイ・レコード)のバージョンが競作になったようである。
1-25 Carole King Under The Stars ◆キャロルの2枚目のシングル「Baby Sittin’」のB面曲だが、ニール・セダカもよく使うおなじみのリズムでキャッチーに聴かせてくれるなかなかの楽曲。ABCパラマウントでのリリースはここまで。A面同様こちらも彼女の単独作曲。
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Sadao Watanabe Quartet 2023 @ 相模湖交流センター ラックスマンホール 貞夫さんの旅がまた始まりました。私のお相手はベーゼンドルファーのModel 275。コンサートグランド290 インペリアルと比べるとこちらの方が音像が近くでシャープに聴こえて取り回しも楽な感じがします。ポピュラーやジャズにはこっちの方が向いているのかな。それにしてもこの蒸し暑さは音の響きに悪影響を及ぼします。早くカラッと晴れた秋になって欲しいものです。 楽屋にはこんなメッセージカードが。嬉しいですね。美味しいコー��ー豆もいただきました。ありがとうございます。
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昔の音楽を語りたくなった時自分の年齢を感じる。
私には音楽(ポピュラー音楽)を聴く趣味があまりなく、好きな曲や好きな音楽のアーティストがないわけではないが、気に入ったいくつかの少ない曲をずっと聞いているだけである。聞いているといってもそこまで強くファンでもないし作業BGMは苦手なため音楽は音楽を聞こうと思ったときにだけ聞くので音楽ジャンキーでは全くない。ただ好きな曲がある、というだけである。基本的には大ヒットでこっちがわざわざ能動的に摂取しようと思ってなくても入ってくる音楽つまりCM曲かラジオで死ぬほど流れた曲か、たまたま見た映画やドラマやアニメ作品等々のテーマ曲のうち、ぐっときたものだけ覚えており、そうでないものは本当に私の頭はザルか? というほど覚えていない。曲を聞けばかろうじてあ~あれか~とわかるものもあるが歌っている人・バンドの名前も曲名も言われてもピンとこない、みたいなことになる。同年代と十代の頃聞いた音楽の話題で盛り上がるということがあんまり得意でないのは本当に興味がないので全然記憶にないからだ。カラオケも興味がなくて人生で片手で数えるほどしか行ったことがないし全部つきあいである。自分の意識は舞台を観る趣味が軸にあるため観た舞台で使われた音楽は買うし聞くのと、身近な人が好きな音楽は覚えるが、これらは一般的なポップスではないマイナージャンルと呼ばれてしまうものかクラシック曲かなんらかの実験音楽とか日本ではないどこかのローカル曲になるので当たり障りない話題とするにはハードルが高く、会話に出すことがほぼない。
ところで昔、この世の方が狂っていて私は正気だ、と思って暮らしていた時期がある。いや、今もそうなんだが、社会生活上の理不尽をどうにかしたいと言っているのに、気の持ちようで楽になるよと言われたり宗教の勧誘にあったり我慢して頑張ればいいことあるよとかとにかく自分を変えて社会に合わせろ、もしくはお前の信条を捨てて我々の仲間になれば救われるというアドバイスを親しい人たちからやたらもらう時期があり、クソが!!!!!!という気持ちで生きていた。自分が遭遇している理不尽を解決しないままやりすごすことがかしこい対処みたいなことをなんども言われることに本当にムカついていた。自分が苦しい・辛いと思っている物事をなんらかの意識で肯定したところで状況は変わらないのだから楽になるわけがないだろう馬鹿なのかと思って過ごしていた。
そのころエンドレスで聞いていたのがThe Black Eyed PeasのPump Itで、MVを買ってエンドレスでずっと流していた。ということを思い出した。割とつらい時期だったので当時の生活の記憶はほとんどなくなっているが、Pump Itすごい好きだったなと思い出す。気持ちが上がる。つらい時期に何度も聴いた音楽はつらい気持ちとセット記憶になっており曲を聞くとつらい気持ちも思い出してしまう、という話があるが私の場合はそうではなく、今聞いても新鮮にやってられるかクソがこっちは勝手にやってくぞという気持ちが新たになる。気持ちを上げたいときにかける曲となって思い出しては聞いてを繰り返していたと思う。
youtube
ファーギーかわいい。
なんかたまたま久しぶりに聞いてびっくりするほど元気が出たので日記として書き留めておく。私の行動力は怒りや不満でできている。怒りや不満は他人を怒鳴ったり暴力的になるということではなく、自分が行動するためのエネルギーだと実感する。
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『ナイトクラビング:マクシズ・カンザス・シティ』公開決定
伝説的ナイトクラブ、マクシズ・カンザス・シティの歴史を綴った初のドキュメンタリー!!
世界の音楽やファッションなど、あらゆる芸術と文化に強烈なインパクトを与え、またヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ニューヨーク・ドールズの拠点であり、NYパンク・ロックシーンを生み出したことでも知られる伝説的ナイトクラブ、マクシズ・カンザス・シティ(1965-1981)。
本作『ナイトクラビング:マクシズ・カンザス・シティ』はこのクラブの歴史を綴った初のドキュメンタリー作品である。かのCBGBより8年ほど歴史は古く、芸術家、作家、俳優、ミュージシャンなど文化人の社交場でもあったこの店は、アンディ・ウォーホルと彼の取り巻きたちが集い、デヴィッド・ボウイとイギー・ポップ、ルー・リードが同じテーブルを囲み、ジョン・レノンやミック・ジャガーらも度々訪れ、ピストルズ解散後のシドもステージに立った場所。
マクシズ・カンザス・シティの成り立ちから終焉までの全軌跡を、本作で初公開となる映像やエピソードの数々を交えながら、当時を肌で経験したスターたちが振り返る歴史的にも稀少な映像作品である。
「音楽のムーブメントには、必ず発祥の地がある」 ソウル・ミュージックがポピュラーになったのは1960年代のデトロイトであるし、ヒッピーとヘッド・ミュージックは、スピリチュアルの総本山サンフランシスコを中心とした西海岸で進化をとげた。パンクという名で知られるようになった音楽のルーツはニューヨーク、特にダウンタウンのナイトクラブ「マクシズ・カンザス・シティ」にあると、断言してもいいだろう。 ルー・リードは、ロックンロールのリリックスへの新たなアプローチを打ち出し、70年代冒頭にマクシズのハウスバンドのような存在となる“ヴェルヴェット・アンダーグラウンド”でそれを結実させた。同時代に登場した“ニューヨーク・ドールズ”もまた重要な意味を持つバンドで、マーサ・アーツセンター崩壊後は彼らもマクシズを拠点とした。 アメリカのとある一角で、ヴェルヴェッツとドールズがパンクの道を切り開いた。 それを可能にしたのがこの、パークアヴェニューサウスにあるマクシズ・カンザス・シティである。ここで生まれたムーブメントは後に続くポピュラー音楽の波に変化を与え、そして今もなお、影響を与え続けている。 これはパンクが生まれた物語であり、それを生み出したナイトクラブの物語である。 (ジミ・ラルミア)
本作は、ニューヨークで最もクールで影響力のあるナイトクラブ“マクシズ・カンザス・シティ”の15年以上にわたる歴史を記録した、ダニー・ガルシアによる新たな形のドキュメンタリー映画である。
1965年から1981年まで、マクシズはアンディ・ウォーホルと彼の取り巻きをはじめ、マンハッタンとその周辺に住むアーテイストたちの格好の集いの場となった。画家、作家、詩人、俳優、映画監督、ミュージシャン、モデル…ドラッグ・ディーラーや売春婦までもが、ウォーホルが鎮座するかの有名な“楽屋”に集っていた。この店のオーナー、ミッキー・ラスキンはひよこ豆とボウルに山盛りになったサラダを提供し、食えないアーティストの多くはそれで飢えをしのいでいた。 「サラダにはよく虫が混じっていたけれど」ウォーホルのスーパースターの一人で1968年からこの店のレギュラーであったルビー・リンは振り返る。ペニー・アーケードもまた、68年の半ばに、ジャッキー・カーティスと一緒にフリーフードを狙って通い始めたという。
「ドラァグクイーンが欲しがるものといえば、タダ飯だから」 マクシズはニューヨークのLGTBコミュニティにとって安全な場所であっただけでなく、世界初のトランスセクシャルDJウェイン・カウンティ(現ジェーン・カウンティ)が2階の小さな部屋で60年代のレコードを回していたことでも有名である。 店の常連だったドアーズの広報担当兼ストゥージズのマネージャー、ダニー・フィールズはミッキーにバンドのライヴ演奏を提案し、やがてヴェルヴェット・アンダーグラウンドやストゥージーズ、アリス・クーパーらが2階のステージに立ち始める。その後Suicide、ニューヨーク・ドールズと続き、マクシズは次世代ミュージシャンの革命的拠点となるのである。パンク・ロックと70年代のニューヨーク・ロック・シーンの誕生である。 「本当に多様なだった」とエリオット・マーフィーは語る。「フォークシンガーもいたし、アーロ・ガスリーやジョン・フェイヒーもいて、俺もそこにいたんだ」。 マーフィーも友人のブルース・スプリングスティーンとともにマクシズのステージに立ち、大手契約を結んだ。同じくエアロスミスも、マクシズでのステージをCBSのトップであったクライヴ・デイヴィスが気に入り、その年にレコード契約に至ったのである。
74年の終わり、ミッキーは負債を抱えそのままマクシズを閉店してしまったが、トミー・ディーンとその妻ローラが、すでに知名度が高かったこの店を引き継いで再オープンさせた。 新しい経営者のもと、2階の部屋は拡大され、ブッカーのピーター・クローリーの目利きにより、マクシズは再びニューヨーク・ロックのメッカとなった。 70年代半ばにはバワリーの新しいスポットCBGBが台頭してくるが、映画の中でエリオット・マーフィーは、CBGBが嫌いだったと語る。「ゴミ溜めみたいな場所だった。マクシズは好きだったよ」。
ドールズの終焉後、新世代のアーティストたちがマクシズ・カンサス・シティとCBGBのステージを奪い合い、そして歴史を積み上げていく。 ブロンディ、ラモーンズ、トーキング・ヘッズ、テレビジョン、パティ・スミス、ハートブレーカーズ、クランプス、ウェイン・カウンティ、バックストリート・ボーイズ、デッドボーイズなどは氷山の一角に過ぎず、その下には何百ものバンドが毎晩両クラブのヘッドライナーとサポートの地位を巡り、知名度とレコード契約を求めて戦っていた。 いつの時代もそうであるように、多くの者は敗れて散ったけれども、70年代はニューヨークで歴史が作られたのである。エリオット・マーフィーは回想する。「あの時は黄金時代だった」まさにその通りだった。 「1981年になるとシーンはかなり悪化していた」とジェシー・マリンは語る。ネオン・レオンは「シーンを殺したのはシドとナンシーの死だ」と言う。 81年にはマクシズでスティミュレーター、ミスフィッツ、バッド・ブレインズ、ハート・アタック、レーガン・ユースといったバンドによりハードコア・シーンが始まり、さらにドールズとラモーンズが積み上げた歴史を塗り替える新しいバンドの波が押し寄せてきていた。
マクシズの終わり方は、あまりにもシビアで突拍子もなく、すべてを語ることに躊躇するほどだが、トミー・ディーンとローラ、アトランティックシティ、コカイン、そして偽ドル札が関わっているとだけ述べておこう。 このドキュメンタリーで綴られるこの一連の軌跡、こんな最高にクールなナイトクラブがどのようにして出来上がっていったのか、そしてどのような終焉を迎えることとなったのか、それは知っておくべき歴史のひとつであることは間違いない。
4.29(土)新宿K’s cinemaにて公開 全国順次上映
『ナイトクラビング:マクシズ・カンザス・シティ』 (2022年/スペイン/英語/89分/カラー・モノクロ/16:9) 監督:ダニー・ガルシア(『Looking for Johnny ジョニー・サンダースの軌跡』『Sad Vacation ラストデイズ・オブ・シド&ナンシー』)
<出演> アリス・クーパー、ジェーン・カウンティ(ウェイン・カウンティ)、ビリー・アイドル、シルヴェイン・シルヴェイン(New York Dolls)、ルビー・リン・レイナー(Ruby & The Rednecks)、エリオット・マーフィー、アラン・ヴェガ(Suiside)、スティーヴ・スティーヴンス、ペニー・アーケード、ジミー・ゼロ(The Dead Boys)、レニー・ケイ(Patti Smith Group)、ハーレイ・フラナガン(Cro-Mags/Stimulators)、ニック・マーデン(Stimulators)、フランク・インファンテ(Blondie)、ジェイ・ジェイ・フレンチ(Twisted Sister)、ジェシー・マリン(D Generation/Heart Attack)、ソニー・ヴィンセント(Testors)ドクター・ノウ(Bad Brains)、H.R.(Bad Brains)、ミッキー・リー(Mutated Music/The Rattlers)、ジョン・ホルムストロム、ボブ・グルーエン、マーティ・ソウ、ピーター・クローリー、ジミ・ラルミア and more
配給・宣伝:CURIOUSCOPE
© Chip Baker Films / Dudeski Ltd.
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「趣味はなんですか?」
「休日は何をして過ごしていますか?」
新しい場所に行くと高頻度で聞かれるこの質問。本当は「音楽を聴くこと」と答えたい。いや、もはや長年続けているし、趣味というより生きがいに近いかもしれないけれど一番に思いつくのがこれだから本当はこれが言えたらスッキリするのに。と毎度思っている。じゃあなんで言えないのか?それは具体例を挙げた時に毎度微妙な反応をされるからである。私はクリープハイプというバンドが大好きだ。私の中には大好きなんて言葉じゃ語りきれないほどの歴史がある。高校生の時バイトに行くのが嫌な時、学校に行きたくない時、人間関係に悩んだ時、全てが嫌になった時、クリープハイプの曲を聞いて励まされていた。クリープハイプの音楽が表出する怒りや不満は私の心の中を代弁してくれている様でとても安心した。心の中ぐらい悪態ついたって許されるんだ。不満があるのは私だけじゃないんだ。そう思うと、とても安心できた。しかし、クリープハイプが一般的に爆受けする楽曲じゃないことは確か(失礼)鋭角で一部の人間にブッ刺さる曲だと思っている。平成のJ-popのように若者の一定の時間に広く浅く共存していてその時代のみを懐かしむことができるそういったポピュラーな音楽とは違う。だから「音楽聴くのが好きなんだ〜何をよく聴くの〜?」と聞かれた時に「クリープハイプ」と返答が来て反応に困るのはわかる。普通だったら相手が困っててもあいつ聞いたくせに困ってるわ、聞くぐらいなら向こうの返答も予測した上でいくつか答え作っとけよ。ぐらいだと思う。でも私は傷ついてしまう。なぜなんだろうって考えたけどそれだけ私にとって音楽が大事なものなんだろうと思う。無言、無反応という形で私の好きな音楽延いては私の人生を否定された気持ちになるからなのだろう。長々と語りましたが趣味を聞くということはその人の人生を覗くことに近しいものがあるので、聞くのならせめてどうか会話のラリーを続ける努力くらいはして欲しい。
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こういう棚卸しは面白いな。関西も乗っかるわ。東京みたいに全部が一点に集中してないからエリアは京阪神+αで許してや。1 演劇あんま詳しくないけど、なんつっても宝塚やな。大箱は梅田芸術劇場、京都劇場、オリックス劇場あたりかな。それから、生き残ってる大衆演劇は阪神地域が中心なんちゃうかな。京都は学生が多いから小劇団もいっぱいあるで。増田はヨーロッパ企画のサマータイムマシンブルースを西部講堂で見たのがちょっとした自慢や。2 美術・建築建物が古いからな、世界遺産が5件あるで。姫路城、法隆寺、京都、奈良、百舌鳥古市古墳や。建物の中にも美術品がたくさんあるから、重文が町のそこらへんに転がっとるで。一見ただのベッドタウンでもいきなり西国三十三所に出くわす楽しみもあったりするしな。曜変天目基準やと関西は2点あるから関東より多いで。伝統建築だけやのうて、近代建築も京都・大阪・神戸の中心地に点在してるな。京都は南禅寺の水路閣、大阪は中之島の日銀、神戸は旧居留地が増田の好みや。もちろん現代建築も充実しとるで。ガラス張りの京都駅と梅田スカイビルは原広司の代表作やな。国立美術館・博物館やと、京都と奈良の博物館、大阪の国際美術館、それから万博記念公園の民族学博物館や。みんぱくはいいぞ3 メセナさすがにこれは大企業が多い東京の方が有利や。サントリーはなんで東京でがんばってるんやろな?ローム、京セラ、竹中工務店、神戸製鋼あたりが有名なんかな。4 伝統芸能落語は上方で成立して現代に至るからな、さすがに譲れんで。人形浄瑠璃もほぼ大阪の独自芸能や。歌舞伎は南座と大阪松竹座で盛んにやっとるで。能楽は明治期に東京に行ったけど、華道と茶道はほぼ京都文化ちゃうか?5 サブカルチャー関西やとほぼメインカルチャーな気もするけど、このカテゴリーでお笑いを外すのはありえんな。関西弁が方言の中で唯一全国どこでも意味が通じるのは7割ダウンタウンのおかげやと増田は思っとる。増田の経験やから今も盛んか分からんけど、京都にはオシャレ~な本屋やら雑貨屋もめっちゃあったで。6 漫画・アニメ出版社とテレビ局が東京に集中しとるからこれは東京が強いな。ただ京都には有名なスタジオがあるで。同人イベントはコミケほどやないけどCOMIC CITYが大規模にやっとる。インテックス大阪でやるから通称インテやな。7 音楽・映画元増田が書いてないけどこれも挙げとくで。箱の話がメインになるけどな。増田はクラシック畑やからいいホールが点在してる印象が強いんや。大阪のシンフォニーホールとフェスティバルホール、西宮の兵庫県立芸術文化センター、京都の京都コンサートホールあたりにはちょくちょくお世話になるで。でも海外オケの公演がなかなか来ないのは事実や。悲しいわ。ポピュラーやと大阪城ホールが一番有名やろ。ライブハウスがたくさんあるはずやけど、よく知ってる人が補完してくれるのを期待しとくわ。ジャズは神戸かと思ったらなぜか高槻で盛んやな。映画は(追記:単館が)京阪神合計で東京の半分くらいみたいやね。増田は行ったことないわ。8 食関西でこれを書かんと片手落ちや。京都と大阪の懐石、京都の精進料理とそばとラーメン、大阪の粉もんとスパイスカレー、神戸の鉄板焼きと芦屋の洋菓子、みんな最高やな。もちろんパンも充実しとるで。(追記)トラバとブコメのおかげでいろんなこと知れたから増田は嬉しいわ!ブログでなく増田に書いてよかった!トラバでも書いたけど、ゲームは活動範囲が関西に収まってないかなって思って外したんや!アリスソフト好きやで!はてな?あかんあかん!お茶の一杯も出してから出直しや!スポーツは野球とかラグビーとか考えたけどガンバのしょっぱい成績が頭をよぎって外してしまったわ!エリアは東京と比べるために京阪神+αに絞ったから滋賀と和歌山は入れてないし奈良も世界遺産でしか入れてないんや!すまん!石山寺も黒壁スクエアも高野山もパンダも大好きや!猛虎弁みたいな妙な関西弁は書き文字にするとなんかポロッと出てしまうんや!堪忍な!
関西の文化(追記)
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Album of The Year 2022(HipHop R&B)
自分でも何書いてるのかよく分からない拙い文章ですが、2022年のBest Album HipHop R&B編です。ケンドリックとか、ドレイクは無い。
10."Jazz Codes" by Moor Mother
フィラデルフィアの詩人/ラッパーMoor Mother。Noise,Electronic,AmbientとJazzとHipHopを融合させた実験的傑作。アヴァンギャルドになり過ぎず、かといってポピュラーでもないちょうど良い絶妙な立ち位置。
Best song:MEDITATION RAG feat.Aquiles Navarro & Alya Al Sultani
9."Alone" by OMSB
日本のHipHopクルーSIMI LABに所属するラッパーOMSB。初期の挑発的で危険な雰囲気を纏った彼も好きですが...弱い部分や苦悩を超えた、日常の幸せを歌う等身大のOMSBが素敵です。2022年日本語RAPの中で一番感動した作品でした。
Best song:波の歌(Album mix)
8. "RUFFS" by Kenny Mason
アトランタ出身で、JIDとも頻繁に交わっている今年28歳のラッパーKenny Mason。Nirvana,My Bloody Valentineなどを愛聴している彼らしく、TrapBeatを中心にRockやMetalを取り入てDreamvilleなどメジャーに近い音にまとめる感覚が凄い。激しさとエモさ両方感じるRapもかっこいい。
Best song:NOSEDIVE feat.Jean Dawson
7."No Liquor Before 12" by Mickey Diamond
Griseldaと並んで、Undergroundで勢いに乗るHipHop集団The Umbrella Collectiveに所属するデトロイト出身のRappr Mickey Diamond。アルバムの背景にあるのは、Bangkok Dangerous3の制作過程で陥った自身のアルコール中毒の体験、人間誰しもが持っている内側に潜む悪の表現。タイトルも朝から飲んでいたことを示唆してますね(多分)。多作な彼の作品の中でも、群を抜いた完成度の高さでした。フィジカル再発しろ。
Best song:Happy Hour
6."PARASAiL-18" by The Growth Eternal
ロサンゼルスのJazzベーシスト、ソングライターであるThe Growth Eternal。電子音楽レーベルLeaving RecordsからリリースされたElectronic R&B作品。全編ボコーダーを通した歌声と、輪郭の薄い電子音で特別な浮遊感があるアルバムです。世の中の重圧からの解放を表すPARASAiL。
Best song:Huntress
5."Intros, Outros & Interludes" by Domo Genesis
Odd FutureのメンバーでもあるロサンゼルスのラッパーDomo Genesisと、ベテラン(みんな大好き)Evidenceが4年ぶりに帰ってきましたね。Evidenceの作るどこかサイケデリックさを感じるLoopはDomo Genesisのラップと相性良くて、英語何言ってるのか分からないけどホッコリしながら何回も聞いてました。中毒性高い。
Best song:Trust the Process
4."Fair Exchange No Robbery" by Nicholas Craven, Boldy James
今年一番過労が心配された(?)ラッパーBoldy Jamesと、Nicholas Cravenのタッグということで...悪いわけがないですね。4小節で繰り返されるミニマルなトラックだけで、音風景をはっきり感じるNicholasのビートは最近のベストワークかと。ジャケも良い。
Best song:Scrabble
3."Working Title For the Album Secret Waters" by Cities Aviv
JEPEGMAFIAとは逆ベクトルでHIPHOPの枠を広げ続ける素晴らしいアーティストCities Aviv。曲自体はオーセンティックなsampling musicですが加工され、さらに本人の不気味なrapが乗ることで、異形な状態に(今作は控えめですが)。スリリングでサイケデリックな危ないSoul Music。
Best song:Chozen / The Prevalence of Issues
2."Grotto" by Wilma Vritra, Wilma Archer
聞くたびに感じる消化不良を解消するために、気がつけば繰り返し聴いていた中毒性MaxのAlbum。陽気だがどこかメランコリックな雰囲気があるトラックと、曲に寄り添うようなPyramid VritraのRapが素晴らしい。全編チェロやバイオリンなどの楽器も取り入れていて、Cities Avivとは対照的で計算された変態性を感じます。
Best song:If Possible
1."But could the moments in between" by Manana
南アフリカのJazz Piano Player/SingerであるManana。Jazz/NeosoulグループのSeba KaapstadのVocalの人でもあります。Jazzyでアコースティックなサウンドを中心に、陽光の温かさと、多幸感に満たされた素晴らしいアルバム(EP)。ファルセットの効いたMananaの柔らかい歌声を聴いただけで心揺さぶられる感じです。もっと日本での知名度上がって欲しいですね。
Best song:Patiently
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2024/11/5 23:00:11現在のニュース
ユネスコ無形文化遺産へ「新たなチャンス」 伝統的酒造り保存会長 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/5 22:55:15) 香港の民主化運動「雨傘運動」から10年……ポピュラー音楽に郊外の団地に息づく自由への思い([B!]読売新聞, 2024/11/5 22:54:06) バスケ日本男子「世界トップは超近い」 ホーバス監督が続投会見(毎日新聞, 2024/11/5 22:43:12) 時速194キロで衝突、死亡事故 「危険運転に」初公判に臨んだ遺族(毎日新聞, 2024/11/5 22:35:46)
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