#チリ:パン
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ichinichi-okure · 2 years ago
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2023.9.14thu_tokyo
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昨晩は疲労困憊なのに百万遍を歩き回ったのち村屋※で飲んだ 帰りに天下一品に寄ったせいか 今朝は二度寝していた
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二度寝して現場に到着
午前中はトイレ前にあったデカい鏡を移設する準備をしていた ラジオは「今夜アレになる」「18年ぶりのAREだ」と繰り返す
鏡を取り外すと朽ちた内壁がバリバリと剥がれたので修復 車があるうちに2枚多めに合板(畳サイズ)を買っておいてよかった
京都「西ノ京」に開店する珈琲ヤマグチ※の工事を請け負っている 最高気温が35度を超えたことを意味する猛暑日は37日を数えた
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クライアントと友達
午後は昨日に引き続きクライアントが友達2人と助っ人に来てくれた ニュージーランド在住?サービス業従事者&僕の母校の教員
クライアントは真名美という 5年位まえ僕の飲み屋の客だった 真名美が現場に来るとアイデアを伝えてどう形にするか相談する
京都入りしてから2か月と1週間が経つ 7月7日に銭湯で買った石鹸はすっかりちびてしまった
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7月8日天井落とし
今日はこういうかたちで「回想」することをみとめられたので 日頃反芻していた言葉の断片を1行31文字以内で書き留める
高井戸ICからイッチー※のハイエースに工具を満載し片道460km 物件は元米屋でその前はパン屋 餅屋いずれも貸主の商売だった
東京から京都へたった1人で移住した借主の行動力に感服する 工事の相方で師のイッチーと真名美で3人であちこち飲み歩いた
METROでのGiftやKyoto TSUBAKI fm 3rd anniversaryは楽園だった 京都にいる内にできるだけ多くのリスニングバーやクラブを回りたい
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DJで一級建築士のタムラさん(DoitJAZZ)
築90年の町家建築を相手に序盤のほとんどは解体で難儀した 天井を落とし壁をめくり床をこじあけた裏側に幾千の生き物の痕跡
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イッチーと彼が連れてきたアルバイト
仕事終わりには若松湯で埃りと汗を流している 町場に用事があればその周辺の銭湯巡る 10数軒は回ったか
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文化財で銭湯にプチ遠征
ひと月かけて執り行われる祇園祭にも少し詳しくなった 通りの名前も徐々にしみついてきている
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祇園祭はカッコよかった
コーヒーを淹れる台は材木屋で50年眠り続けたラワンの一枚板 材木屋は現場の近くにあり親切※美大関係者へのサーヴィスが手厚い
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材栄さん
京都入りと同時に2級建築士製図試験対策の日曜講座に通い始めた しかしオンもオフもやることが満載で宿題の半分もままならなかった
めくった壁から90年前の大工さんがつくった壁がでてきた 新しく造る壁と並列させて見えるように設えている
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A剥がして現れた壁
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B古い壁と新しい壁
8月22日 イッチーはトリツカレ男の店番と都立家政での新しい 案件に着手すべく一足さきにハイエースに工具の半分を載せて帰った
いったん東京に戻り9月10日に製図試験挑んだが十中七八アウトだ 12月7日に結果が出る そのころには珈琲ヤマグチも板についている
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二級建築士製図試験問題
言葉を尽くし手を動かし工夫を重ねた内装工事も終盤 準備した200枚の名刺は徐々に京都人たちの名刺に換わっている
いろんな店で顔なじみになり「工事終わったら帰りはるんですか」 惜しんでくれるのは嬉しいが工事はあと1週間半くらいで終わらせたい
サウナで声をかけてくれた51才の紳士は音楽通だった いまやかけがえのない京都のともだちになっている
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レコード棚も造っています
場所柄外国人��も酒を酌み交わした フィンランド人、チリ人 トルコ、中国人、モンゴル、アイルランド…7か国位?
芸大(先端芸術表現科)の同級生や先輩とも久しぶりに会えた なぜか同級生の2人が医師免許をとっているが明日その彼らに会う
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先端の先輩が自転車に載せられる美術館をつくっていた
16時半 真名美は同級生と自然派ワインの店coimo wine & cafeへ 僕は若松湯のラジオで阪神タイガースの優勝の瞬間を見届けた
最寄りの定食屋兼飲み屋「たいたん はちべゑ」へ行くと 「あとアウト1つやで」と狂喜乱舞するファンに迎えられた※
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あれに乾杯
京都でピザ屋を開きたいという同い年の夫妻に出会った※ 早く眠るつもりがCOMOGOMO JURAKUで2人の夢を語りあった
もしかしたら彼らの店を造ることになるかもしれない 25時 今日も倒れるまで眠らなかった
灼ける盆地の風にも秋の成分がだいぶん添加されてきた もう猛暑日の38日目をカウントすることはないだろう
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イッチー、フィンランド人のイラリくん、やぎ
ーーーーーーーーーーー 注釈
※村屋 出町柳のカオスな飲み屋。自然派日本酒が豊富。
※珈琲ヤマグチ 現在自家焙煎コーヒーのオンライン販売とイベント出店。 2023年9月現在。中京区西ノ京左馬寮町にて喫茶店を開業予定。 御前丸太町下ル 若松湯東入ル。 https://www.instagram.com/_3_yamaguchi/
※イッチー 高円寺のタパスバー「トリツカレ男」店主。 2017年末この店をイッチーが造っているのを手伝わせてもらったことが 僕が内装を始めたきっかけのひとつになっている。 https://www.instagram.com/toritukareotoko/
※親切な材木屋 材栄 https://zaiei.shopinfo.jp/
※阪神タイガースのリーグ優勝 日記の中にアレの瞬間が2回あるのは ラジオ放送に遅れてテレビ放送がついてくる。 タイムラグは2分近くあったと思う。 その間検閲できちゃうのでは?という時間差。 ラジオは昔も今も最速のメディア。現場でもラジオが相棒。
※ピザ屋 ヨロシクピッツァ。 ポップアップ出店と窯ごと出前ピザしている。 https://www.instagram.com/yoroshiku_pizza/
※COMOGOMO JURAKU 現場から近いし深夜遅くまで開いているので 製図試験対策で力尽きたらここで晩酌していた https://www.instagram.com/comogomo_juraku/
-プロフィール- やぎ 38歳 東京 とんち造作計画・内装業
ペーパードライバーの個人事業主の内装業。 店舗設計、解体、壁の造作、什器製作、左官、給排水配管 などおおよそ全て自前で施工している。 佐橋※介。※の部分を景に替えてお読みください。 http://instagram.com/tonch_keikaku/ http://tonch.tokyo/
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kennak · 3 months ago
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・水族館や動物園で、説明文を読んで得たばかりの知識を、同行者になぜか少し得意げに披露している人の声を聞きながら、動物や魚を見ている瞬間 ・いいパン屋でいい惣菜パンを買って、包み紙に油が染みているのを見たとき ・新しいゲーム機の初期設定をしているときの、焦れるようなワクワクするような感じ ・ロイヤルホストなどのファミレスの看板が、雲ひとつない青空をバックにゆっくり回転している ・22時22分 ・式典のために用意された、デカい花瓶に入ったデカい生花の近くを通ったときに感じる、強い花の匂い ・12月の雨の日、降っているものにあられが混じっていることに気がつく瞬間 ・春先に飛んでるオレンジ色のチョウチョ(ツマグロヒョウモン!) ・夏場に美術館や博物館に行ったときの、圧倒的な涼しさ(案外人は多くて、静かさはない) ・自転車でネコの横を通り抜けるときにネコが見せる、いつでも動けるように緊張した姿(実際には動かない) ・波止場に腰掛けたときのコンクリートの冷たさ、フナムシがそのへんをカサカサやっている感じ ・トライアルで売ってる75円のイカのフライ(チリ味) ・でかい交差点で、ピヨピヨいう音と一緒にみんなで歩き出す瞬間 ・春〜夏の夜に窓を開けたときの、生ぬるい空気 ・ひとりで無言で野良猫を構っている若い兄ちゃん ・バルセロナのムンジュイック城の中にあったアーチェリー場で、おっさんが矢を射ていたこと ・明らかに風が強い日の朝、起きた瞬間にそれがわかる ・オクトパストラベラー2 面白い! ・バター醤油というもの(うまい) ・橋桁の下の、万年日陰という雰囲気 ・スーパーで買い物してる親子連れのガキンチョが、お気に入りらしい冷凍食品をねだっている声 ・地元のゆるキャラの2パターンくらいしかない画像を酷使して作られた、コロナ対策のポスター ・明らかに古い形式で作られている個人サイトの「最近の更新」欄を見たら、2023年とかの投稿があったとき ・歩道橋で立ち止まって虹の写真を撮ってるおっさん など…
いいなと思うもの
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bakinginstruction · 10 months ago
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matomojyanakatta · 1 year ago
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 2023/11/23
 隣町にできたベーカリーへ、ずっと行けていない。眠りにつく前は、徒歩20分の行きしなと買いたいパンをシュミレーションして、頭は餡バターサンドと、アンチョビとオリーブのフォカッチャでいっぱいなのに。二度寝の誘惑に勝てず、今日も気づけば家を出るギリギリだった。
 暮らしの細々したものを揃えにIKEAへ。真っ先に駆けたレストランで、欲望のままに料理を選び笑われる。マッシュポテトに混ぜこまれたブロッコリーの緑が美しい、メダリオンを3つ、パンケーキのようにプレートに積み上げた。横にはグレービーソースがかかったマッシュポテト。見つければいつ何時でも食べたいキャロットケーキも。炭水化物の海に脳が漬けこまれ、ぽやぽやとチェックしていた商品を買う。配色に一目惚れしたキッズサイズのナップサックも、出勤用に。
 成城石井で、UNIQLOのフリースと同じ値段のイチゴを見た後で、音楽イベント。ヘアサロンとレコードショップが上下階で営業している夢のような場所で、夏から髪を切ってもらっている。美容師さんにご挨拶して、友人の方たちを紹介してもらい5年ぶんくらい自己開示をした。会場は世界の民芸品を集めたショップ。音に体をたゆたわせながら食べた、フムス(チップス付き)に悶絶。スパイスに負けない、素朴だけれど力強い豆の風味に、ちびちびとハリッサソースを添えて食べていた。思い込みと舌先の狂いで、バジルとコーディアルのドリンクがどうしたって街中華の海老チリの味。階段ですれ違って意気投合した人と、何でだろうとケラケラ笑った。網膜には、油が撥ねた赤いテーブルがずっと。
 いつかこんな大人になりたいと思う人たちと知り合えて、学生をしていた頃から探していたブルガリア民謡のレコードも発見できて、満ち足りた夜。締めは今池の中華屋へ、大所帯で。ジャガイモの細切り炒め、エビ春巻き、坦々焼きそば、ジャージャー麺、炒飯、麻婆豆腐、青椒肉絲。明日の朝は顔がパンパンだろうなと思いながら、雑念を弾け飛ばすようにモリモリ食べた。深夜の中華は、美味しさと楽しさがドンチャンやって来る。ジャージャー麺の、甜麺醤の甘さをもたつかせない、白髪ネギの辛みとのバランスが素晴らしかった。ジャガイモの細切り炒めは、火入れと塩味が絶妙でおかわり。この夜、私の内で春巻きブームがひっそり開幕した(タケノコが入った餡にとろみがある五目春巻きが食べたい!)。
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genkidesuka2022 · 2 years ago
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以外!炭水化物の過剰に気をつけたい食べ物
健康づくりやダイエットの一環として、炭水化物(糖質)の量を適正範囲に収めようとしている方は多いのではないでしょうか?
米やパン、麺類などの主食は意識していても、普段よく食べるものから、知らないうちに炭水化物を摂りすぎている事があると言われてらどうします。
せっかく頑張ってるのに知らない内に、我慢してた以上炭水化物を摂ってしまっていたら。
今回は炭水化物の過剰になりやすい食べ物の例をご紹介します。目次
意外と知らない 主食は3食とっても過剰にならない!
炭水化物に気をつけたい食べ物・飲み物
炭水化物制限時気を付けたい食べ物1.スポーツドリンク
炭水化物制限時気を付けたい食べ物2.栄養ドリンク・エナジードリンク
炭水化物制限時気を付けたい食べ物3.果実酢
炭水化物制限時気を付けたい食べ物4.野菜ジュース
炭水化物制限時気を付けたい食べ物5.乳酸菌飲料
炭水化物制限時気を付けたい食べ物6.加糖ヨーグルト
炭水化物制限時気を付けたい食べ物7.かぼちゃ・芋類
最後に
関連
意外と知らない 主食は3食とっても過剰にならない!
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米やパン、麺類などの主食は、適量であれば3食とっても炭水化物の過剰になる心配はありません。
主食は私たちのカラダや脳の大切なエネルギー源となるため、なるべく減らさずに毎食しっかり食べたいもの。気をつけたいのは、主食以外の食べ物です。
もし「主食を減らそうかな?」と考える方がいたら、以下の食べ物をとりすぎていないか、まずは確認してみてはいかがでしょうか。
炭水化物に気をつけたい食べ物・飲み物
甘いジュースや砂糖入りコーヒーなどの飲み物や、���菓子や和菓子、菓子パンなどの菓子類は、イメージの通り炭水化物を摂りすぎやすい食べ物です。
気を付けているかも多いと思います。
それ以外にも、体に良いと思っているものが実は炭水化物が多かった……などというものもあります。
あくまで一例ではありますが、7つご紹介します。
炭水化物制限時気を付けたい食べ物1.スポーツドリンク
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スポーツドリンクは約5%の炭水化物が含まれ、500mlのペットボトルでは25.5gの炭水化物を摂る計算になります。これは砂糖に換算すると、大さじ3杯弱の量です。
熱中症対策として、大量の汗をかいたときはスポーツドリンクや経口補水液の摂取が勧められますが、室内など汗をさほどかかない状況で喉が渇いたときに水分補給代わりに飲むのは炭水化物の摂りすぎにつながりかねません。
普段の水分補給にスポーツドリンクをよく飲む方は注意が必要です。
炭水化物制限時気を付けたい食べ物2.栄養ドリンク・エナジードリンク
もうひとがんばりしたいときなど、栄養ドリンクやエナジードリンクを頼る方もいるかもしれませんが、中にはジュースと同じくらいの炭水化物が含まれるものもあります。
量が多いタイプのエナジードリンクは、大さじ3~5杯もの砂糖をとる計算になるものもあります。
どうしても取り入れたいときは、糖質オフタイプなどを選ぶと良いでしょう。
炭水化物制限時気を付けたい食べ物3.果実酢
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健康効果が期待される果実酢。
意外とりんご酢やザクロ酢、ぶどう酢などの果実酢は、酸味をやわらげるために砂糖などが使われているものが多くあるんです。
酢にはさまざまな健康効果が期待されていますが、飲みすぎは控え、選ぶときは炭水化物の量をチェックするのも大切です。
炭水化物制限時気を付けたい食べ物4.野菜ジュース
野菜不足の方は野菜ジュースを上手に活用するのも方法のひとつではありますが、果実酢同様、意外と思われるかもしれませんが炭水化物が含まれています。
野菜100%のタイプでも、にんじんやかぼちゃなど、甘みのある野菜が使われていることが理由のひとつとして考えられます。
炭水化物の量が気になるときは、なるべく食べ物から野菜を取るのが基本となります。
炭水化物制限時気を付けたい食べ物5.乳酸菌飲料
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乳酸菌飲料は100ml程度と量が少ないものから、500mlサイズのペットボトルのものまでさまざまですが、これもジュースと同じように炭水化物が含まれます。
もし量が少なくても、「チリも積もれば山となる」で、ほかの甘い飲み物をとっていれば、知らなうちに炭水化物を摂りすぎているかもしれませんね。
炭水化物制限時気を付けたい食べ物6.加糖ヨーグルト
腸内環境を整えるのに役立つヨーグルトですが、加糖タイプを選んでいる方は要注意です。
なるべくプレーンタイプを選び、甘さを足したいときはプレーンヨーグルトをフルーツと一緒に食べるなどの工夫を取り入れてみてはいかがでしょうか。
炭水化物制限時気を付けたい食べ物7.かぼちゃ・芋類
かぼちゃや芋類は、野菜の中でも炭水化物が多く、主食に分類されることもあります。
食物繊維やビタミン、ミネラルの良い補給源ではありますが、ほかの野菜のように「たっぷり」食べると炭水化物を摂りすぎてしまいます。
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他にも以下のようなものにも意外と炭水化物が含まれています。
果物:果物には自然に含まれる糖質が含まれています。特にドライフルーツは、糖分を濃縮しているため、同量の新鮮な果物よりも炭水化物が多く含まれています。
豆類:豆類は、良質のたんぱく質や食物繊維を含むため、健康的な食品として知られていますが、同時に炭水化物の多い食品でもあります。特に、豆腐、納豆、枝豆などが炭水化物の多い食品として挙げられます。
ナッツ類:アーモンド、ピスタチオ、カシューナッツなどのナッツ類にも炭水化物が含まれています。ただし、同時にタンパク質や良質の脂質も含まれているため、栄養バランスの良い食品としても知られています。
最後に
これらの中に、普段よくとっているものはありましたか?
食品に含まれる炭水化物の量は、品種や栽培方法、加工方法、調理法などによって異なることがあります。
したがって、栄養成分表を確認することが重要です。
また、個人的な健康状態や栄養摂取目標に応じて、炭水化物を含む食品を選択する量や頻度を調整する必要があります。
炭水化物の摂りすぎが気になる方は、主食を減らす前に一度、習慣的に食べているものを振り返ってみてはいかがでしょうか。
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ya-da · 6 years ago
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自家製チリビーンズ。 キドニービーンズを水に晒す→1日経過→柔らかくなるまで弱火でコトコト→(塩かけて摘んでみたらうめえ。これだけで酒呑めそう) 後はほぼボローニャソースと同じ。スパイスでクミンオレガノカイエンペッパー七味(一味がなかったので)加えるだけ。レッドチェダーをトッピングしてみたけど要らなかった。 #チリビーンズ #チリ #自家製酵母 #自家製酵母パン #マンゴー酵母 #マンゴー酵母ストレート #経堂 #蛸唐草 #古伊万里 #ストウブ #ラム #chili #chilibeans #anti_texas #anti_american #samurai_chili #homecooking #homemadebread #staub #koimari #rum #myers #tokyo #japan (経堂) https://www.instagram.com/p/BtGuczlAStO/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1x0n7d4t8gqdn
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jinnseigame · 2 years ago
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私の大好きなマーメイドのパン
こっちにはパニーニのチリが置いてない
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kuronoko · 3 years ago
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今日の料理教室成果!
・サクサクとろーり五目おこげ
・海老チリ春巻き
・わかめとザーサイの和え物
・レモンティーゼリー
・抹茶コルプ
料理は人数が多かったせいもあるが、担当した作業が少なくて不完全燃焼😱
その分パンはタブレットレッスンで自分のペースで作れたから良かった😄
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yfukuoka · 4 years ago
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【3002日目②前半】2021-04-06 3000日の記念に。銀座を一望できるワンフロアを一人で貸切状態。自作自演の祝宴の宴のはじまり。 . SPICE LAB TOKYO@銀座 ‪_______________________ 1000日ごとに高級カレーを食べる恒例(なのかな)。今回は3回め。2000日めの三重志摩への小旅行も今や懐かしい思い出です。今回は、世界のガストロノミー料理界の頂点、コペンハーゲンの「noma」で学び、インドのラグジュアリーホテル「AMAN」で副総料理長を務めたTejas Sovani氏のお料理をいただくことにしました。 . ◎Mocktail Spicy Mary まずは、乾杯をしましょう。マンゴーとシトロンベースの甘いモクテル。チリやコリアンダーのスパイスを効かせた1杯。ローズマリーの香りも面白い。 . スパイスラボトウキョウは、アラカルトメニューは無く、コース料理のみの提供。この日はお祝いなので、全てを味わう“Incredible Spices”コースを選びました。 それぞれの料理のテーマが決まっていて、そのインスピレーションに合わせて、言葉と料理が生み出されます。さぁスパイスをめぐる9つの旅へお出かけしましょう。 . ___________ ◎Offering 捧げ物 〜inspiration from Temple 寺院 韮でくるっと巻いた油揚げの巾着の中には、タピオカとピーナッツ。ワサビとナッツのチャトニを添えて。もっちりした食感と少し歯応えを残したナッツの食感の違いも楽しい。ホールのクミンシードが適度に弾けるのも良いアクセント。これらをワサビのナッツの甘いペーストに付けて…あぁ新体験。 . ◎Spring 春 〜inspiration from Season 旬 エスプーマ状の軽い泡立ちが特徴的なセロリと豆乳のクリームスープ。なめらかな舌触りと温かな味わいにホッと一息。少し苦味のある柑橘のような香りは柚子胡椒?グレープフルーツ?泡の上には爽やかな香りのタイムリーフが飾られています。飲みすすめると気がつくアジョワンの隠し味。泡が落ち着くと、だん��ん味が重く変化するのもとても興味深い。春の高揚した心を沈めてくれます。 . ◎Pride 誇り 〜inspiration from Street 街路 モダンインディアンスタイルでありながら、あのインドの雑踏の中で食すストリートフードを「誇り」と捉えるところに、インド食文化の懐の大きさを感じます。 右から、ウルイの葉のパコラ(フリッター)にマヨヨーグルト、ミントチャトニ、タマリンドソースを添えたいわゆるストリートスナックであるチャート。インド料理に欠かせない「酸味」という要素がいろんな形で一つにまとまっています。ウルイの葉も甘くて良し。 . 中央は、チキンローストにブラックセサミソース。いわゆる日本料理の黒ごま風味なだけでなく、少し中華テイストに感じたのはごまのオイル油脂分だろうか。甘くて奥深い味わい。 . 左は、グジャラート州中北部のベジバーガーであるダベリィ。スパイシーマッシュポテトのコロッケをバンズに挟んでタマリンドチャトニを載せて。これも美味。 . ◎バタークルチャ、菜の花のグリーンクルチャ こちらは、シェフからのサービスでいただきました。薄焼きの発酵パンにバターを塗ったものと、菜の花のペーストを詰めてのばしたもの。菜の花のサーグは春の香りです。 . ◎Modern 最先端 〜inspiration from Contemporary 現代 シェフの研鑽によって得られた世界各国の料理…とのこと。この料理も普通ではありません。「西ベンガル州の海を発想のもととした一皿」であると説明を受けましたが、想像していたベンガル料理とは、まったく違うアプローチ。 殻ごと焼かれた手長海老の身は半生状態でぷるぷる。口に含むと炭火で焼いたBBQのような香りが口いっぱいに広がります。卵付きで、海老ミソまで食べられる豪快なシーフード料理。 もう一方は、ホワイトアスパラガスをイタリアの塩漬け豚肉パンチェッタで巻いたもの。こちらは不思議なことに、アサリやホタテの貝類を焼いたかのような甘みと香りがしました。繊細な味わいなのに、どこか無骨で荒々しい旨味。 それらをまとめるのは、口当たりの軽いムース状のマンゴーカレー、そして、柑橘とバターのオランデーズソース。絶妙な組み合わせです。 . ‪(後半へ続く) ____________________________________ 🇮🇳 #‪india #indianfood‪ ‬#modernindian #asianfood #asia #tokyo #ginza #lab #labo #foodpic #foodstagram #instafood #tasty #foodstagram #dinner #spice #dinner #curry ‪#インド #モダンインディアン #スパイスラボ #銀座 ‬#東京 #スパイス #カレー #カレー好きな人と繋がりたい #フクドローン #ふくすたぐらむ #毎日カレー #3000日の祝い ↓SPICE LAB TOKYO @spicelabtokyo (SPICE LAB TOKYO) https://www.instagram.com/p/CODBI79gB7t/?igshid=179miac0056n6
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skf14 · 4 years ago
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11060007
間接照明なんて小洒落たものは、この部屋には置いていない。それは私の生活に、そんなオプションにまで気を配るほど金銭的にも精神的にも余裕がないせいでもあったし、そもそもワンルームの狭い部屋でテレビ以上に程よく光を与えてくるものなどないからでもあった。
「そろそろ照明買えよ。」
「なんで。」
「だってお前、セックスする時暗いと何も見えないじゃん。かと言って部屋の電気は付けさせてくれないし。」
「明るいの恥ずかしいから付けない。それに、テレビつけてるじゃん。十分見えるでしょ。」
「そのせいで俺らは深海魚に見守られながらハジメテを迎えたわけだけど。」
「素敵な初夜じゃない。それに、強いて言うなら今日も、ね。」
そう、今日も、私と彼は、狭いシングルベッドの上で、深海のドキュメンタリー映像に見守られながら繋がった。夏の暑い日、地球に鞭打ってクーラーをガンガンに効かせ、程よい室温の中で体温を分け合った。光る四角の中では、ゆらりゆらりと奇抜な形と色をしたクラゲが、波も音も光も何もない水の底を揺蕩っている。まるで私たちみたいだ、とその様子を自嘲すれば、彼は、詩的なことはよくわからない。と眉を下げるんだろうか。
「嫌い?深海魚。」
「いや、嫌いじゃないけどさ。」
「なら良かったじゃんか。何、それともガキ使でダウンタウンに見守られながらしたかった?」
「色々アウトだよバカ。何が悲しくて、おっさんがケツしばかれるとこ見ながらイかなきゃいけないのさ。」
「ふは。」
あいにく私はブルジョアな身分じゃないただの派遣社員だし、いつ切られるか分からない首を皮一枚つなげて、なけなしの賃金は生活に消えていくし、彼は輪郭の曖昧な夢と、どこかにあるはずだと信じて疑わない「自分にしか出来ないこと」を追いかけるだけのフラフラした大人だし、未だにどんな仕事をしているのかすら知らないし、間接照明は大体部屋が沢山ある家に住むちゃんとした大人が所持するものだろう。私の家には、相応しくない。この価値観はいつどこで拾ったものなのか、どう育ったものなのか、最早分からない。
彼が煙草をやめてから、どのくらい経っただろう。気を遣って、彼が初めて家に来る時買っておいた百均の灰皿は、シンク下の扉の中で埃を被っている。別に嗜好品まで支配する気はない、と遠回しに伝えた私に彼は、「でも好きじゃないんでしょ?なら、キスもするし、辞めるよ。」と笑った。あぁ、ダメになる。と思う。私は、いつまでも私のまま、立っていたかった。
「あ、出た、お前の好きなやつ。」
「そろそろ名前覚える気ない?」
「覚えらんないよ。こんな難しい名前。」
「ミシシッピアカミミガメより短いし、簡単でしょ。カイロウドウケツ。」
「ヘチマ乾かしたやつにしか見えねぇ。」
「もうヘチマにしか見えない。」
画面の中で、海綿体の仲間、カイロウドウケツがゆらゆらと海底に生えているのを、大して興味もなさそうに彼が私の身体越しに見ていた。偕老同穴。言葉を先に知っていた私は、己がそれを好きになった皮肉をひしひしと感じていた。いや、別に関係はない。ただ、その二酸化ケイ素、いわゆるガラスで作り上げられた骨格が美しく、惹かれただけだ。
テレビに夢中になっていた私を、彼は抱き寄せて頸にキスをして、好きだと言っていた腰のラインを撫でて、まるで愛用の抱き枕のように優しく扱う。彼にとって心地良い存在になっていることを、微塵も疑わなかった。少なくとも身体に関しては、細く、白く、肌触りが良いように気を付けていたし、それを褒められるのはとても幸せなことだった。少し無骨で私よりも大きな手が私を撫でる時間が、夢のような心地を私に与えた。
私と彼、どちらがエビなのだろう。カイロウドウケツは、網目構造内、胃腔の中にドウケツエビ、というエビを住まわせている。このエビは幼生のうちにカイロウドウケツ内に入り込み、そこで成長して網目の間隙よりも大きくなる。つまりは外に出られない状態となるのである。
寄生、依存、嫌な言葉はいくらでも思い浮かぶ私の脳は、「共存」というたった一言を導くことが出来ない。そう、私たちが、将来的に分化し、雄と雌の番になって一生を過ごすエビ同士だと、どうしても思えないように、私は彼のもの、彼は私のもの、そんな歪んだ物差しで、いつも彼を見つめていた。
カイロウドウケツにとって、ドウケツエビを住まわせるメリットは何もない。知らぬ間に己の中へ勝手に入り込み、出られなくなるほど大きくなり、カイロウドウケツに引っ掛かった有機物や、食べ残しを啜りながら、そのガラスの網目に守られ、身勝手にもオスメスに分裂し、安寧の中で呑気に繁殖する存在だ。これを共存などと呼んでしまえるほど私の神経が図太ければ、よかったのに。
彼は、私がなぜこの生き物を好きなのか、知らない。
「片利共生。」
「ん?何?」
「ううん、何もない。」
「そう。そろそろ寝よう。もう眠いよ俺。」
「うん、明日何時に起きる?」
「予定もないし、起きた時に起きれば良いじゃん。」
「だね。で、パン屋行って昼食にしよう。」
「だな。」
「じゃあ、おやすみ。」
「ん、おやすみ。」
テレビに釘付けな私の背後で、背中を向けた彼は布団を鬱陶しそうに胸元まで押しのけ、眠る体勢へと入った。暖かい体温を背中に感じながら、私の思考はまたカイロウドウケツへと戻ってくる。彼らのような関係を、片利共生、と呼ぶらしい。片方がメリットを享受し、片方にはメリットもデメリットもない。これが仮に、片方に寄生することで害を及ぼす場合、片害共生、と呼び名が変わる。互いに利益を及ぼす場合は、相利共生。
彼と私のような関係は、どれに当てはまるのだろう、と、カイロウドウケツを見る度に思う。勿論、人間関係が、恋愛感情が、メリットデメリットで全て片付くなんて、そんな機械的思考は持ち合わせていない。が、しかし。私は彼のガラスで出来た繊細な檻の中で自堕落に自由を堪能している能無しなのかもしれないし、彼を囲うように己の身体を組み替えて腹の中に収めている傲慢な女郎蜘蛛なのかもしれない。考えは広がり、収集がつかなくなってゆく。彼はとっくに眠りに落ち、すぅすぅと穏やかな寝息が聞こえてくる。寝つきがいいのが自慢だと、小学生のような誇らしげな顔で彼は言っていた。私はそれをBGMにしながら、思考の海を漂うのが好きだった。
揺蕩う思考の中は掌で温めたローションみたいで、冬場にしっかり保湿した私の二の腕の内側みたいで、要するに、柔らかくて気持ちがいい。微睡みにも似ているこの感覚が好きで、私は脳を休ませない。
私が彼を家に誘った時、意を決して彼にのし掛かったら、「我慢出来なくなるからやめてくれ。」なんて泣き言を言われて、柄にもなく興奮した。可愛い、と思った。だから私は、いいよ。と、ただ一言、それだけ言って、身を委ねた。初めての経験だった。苦手だった人肌も体温も、彼のものであれば共有したいと思えた。不思議だ。人間というのは、杓子定規にはいかない。私は、彼と、恋人をした。ありとあらゆる思いつくことをした。させた。付き合わせた。楽しかったのだ。どうしようもなく、まるで初めておもちゃをもらった子供のように、際限なくはしゃいだ。あれは間違いなく、初めての、恋だった。
画面の中、私の目に四角く映る白い画面の中では、名前すら判明していないカニの一種が寄り添い合って、海底に沈んだ鯨の骨を啄んでいた。ふわふわと千切れて漂う頭蓋のふやけた脂肪が、いつか北海道で見た大きな綿雪のようで、私は寒くもないのに布団に潜って、彼の背中に寄る。丸くて、暖かい。生きている人間がこうして、隣にいる。私はダメになりそうになって、ダメになってもいいか、と自分を甘やかして、明日なんて別にどうでもいい、と、心の蟠りを全部捨てて、意識はまた脳内の深海へと戻っていく。
私、貴方に、ずっと言えなかったことがあるの。そう。私、貴方の前ではそれなりにちゃんとしてたけど、本当は全然ちゃんとしてないのよ。仕事から帰ったら服は脱ぎ散らかすし、好き放題開けたピアスは毎日どこか付け忘れてみっともなく穴だけ取り残されてるし、キャッチはすぐ無くすし、しょっちゅう転がってるの踏むの。勿論、貴方から貰ったのは、ちゃんとケースに飾ってあるけど。子供は嫌いだし、マトモな生活だってしないし、ファーストフード大好きだし、お肌はたまに荒れちゃうし、それに、人の愛し方が分からなかったの。
尽くせば気持ちが伝わるって、それはただの自己満足だって、言われたわ。見返りを求めてるように見える、って。そうよね、当たり前だわ。分かってた、私。でも、それ以上の正解が見つからなかった。私に愛されちゃ��た貴方が可哀想で、申し訳なくって、ごめんなさいって、考える度そんな気分になるわ。謝るのだってきっと、自己満よね。
「愛、って。なんだっけ。」
ぼそり、溢れた言葉を拾う人間はいない。ゆらりゆらりと画面を横切る脳のないクラゲには、そんな芸当させられない。美しいものは、美しいというだけで、もうそれ以上すべきことはない。人間ばかりがどうにも醜いから、世界のアレやコレやをせずにはいられない。愛。愛って、何?義務?オプション?幸運?麻薬?どんな例え方をしても、しっくりこない。ただ、私は貴方を愛だと例えるし、貴方は私を愛だとは例えないだろうってことは、分かる。悲しいわ。私、貴方のことになると、年甲斐もなく悲しくなる。
窓が白んでいるのに気付いて、私はそっとスマホを傾け、時刻がもう朝の4時を迎えようとしていることに気づいた。3:58。偶数は、割り切れるから気持ちがいい。今から眠ればきっと目が覚めるのは11時過ぎで、私よりもゆっくり眠る貴方は私に起こされて、ぐずりながら私を抱き寄せるのね。
テレビを消し、意識しなければ消えていきそうな光を捕まえて、彼の方を向いて見た。相変わらず背中しか見えない。着ているスウェットからは、私の使ったことのない柔軟剤の匂いがして、私の好きな香りじゃないのに、落ち着いてしまうのが妙に悔しかった。貴方が愛されてる匂いだわ、なんて、捻くれた私は胸がチリっと焼ける気分になる。貴方のお母さんが、貴方を思って洗った服。羨ましかった。愛されても愛されても、飢えてしまう病気なのだと、私は彼の憎らしい香りを胸いっぱいに吸い込んで、軋む肋骨を摩った。
普段無駄にある語彙を尽くしても、結局、好きだと、それだけが彼に抱いていた感情だった。馬鹿みたい、そんなはしゃげる歳でもなかったのに。彼よりも歳上で、しっかりしなきゃいけなかったのに。
私は彼の背中をそっとなぞり、そして、息を潜めてぴったりくっついた。
微かに聞こえる鼓動の音。
私と同じ形の、身体。
馬��ね、私も貴方も。セックス、なんて、覚えたての中学生みたいに茶化しあって、感覚で快楽を共有して、繋がれるモノも場所もないのに、歪な形を自覚した上で、ここに存在するのが最上の愛だって、信じてやまないの。違和感だらけの世界で、何も考えず貴方を見上げてた刹那が、どうしようもなく、幸せだった。こんな思考なんて今すぐにでも燃えるゴミに出してしまえそうな、堕落を悪だと思わない洗脳にも近い、強烈な幸せ、だった。
うん、幸せだった。私。今更理由が分かったの。きっとあれは、私が、貴方で幸せになってた時間だったんだわ。貴方と幸せになりたかった私の傲慢さが、私にしか見えない世界で、私を道化にしたのね。
貴方がいなくなってからもう、随分��時が経った。のに。未だにベッドに眠る度、私の顔の横へ肘をついてキスに耽る貴方を思い出す。私の好きなぬいぐるみを枕に惰眠を貪る貴方を思い出す。五感に結びついた記憶は厄介だと、貴方が身をもって教えてくれた。
今更、もう一度貴方と共に、なんて、そんなことは思わない。ただ、もう少しだけ、せめて深海に潜る時だけは、貴方を思い出すことを、許して欲しい。
共に幸せになれなかった、懺悔を込めて。
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ichinichi-okure · 1 year ago
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2024.4.3wed_tokyo
4月からフリーになった。 つまり、会社員ではなくなった。 2月まではそんな予定はなく、会社に属しながら少しずつ自分の仕事をしていくつもりだったのだが、色々あって、結局いわゆるフリーランスになることになってしまった。「しまった」と書いたが、最終的には自分で望んだことだ。 というわけで、4月3日は期せずしてフリーになって3日目である。その日の出来事をつらつらと書いていく。
朝は遅い。昨夜3時近くまで仕事とも趣味ともつかない作業に没頭していたため、9時頃起床して、シャワーを浴び、朝食を済ませた時点で11時近い。できればこのくらいには外にいる予定だった時間だ。いきなり躓いたような気分になる。
ふと見たスマホで、台湾で大きな地震があったことを知る。半壊した建物の写真、知らない街の名前。まだどの程度の被害があったのかはわからないが、決して小さくないことは確かなようだ。能登の地震を思い出す。思い出す、と言う程度に自分の記憶の奥に遠ざかっていることが少し辛い。わたしにはわたしの日々があるとは言え。
結局そのあと少し仕事をして、13:00過ぎに家を出て、社会保険からの切り替えのため最寄り駅近くの役所へ向かう。まだ新しく小綺麗で、役所然とした暗さや野暮ったさがない建物だ。用件を伝え、書類を記入して提出し、しばし手続きを待つ。その間、多くの人が役所を訪れるのを見るともなく見て、その会話を聞くともなく聞く。
「海外に赴任することになったのだけど」と窓口で切り出す50歳くらいの男性。運転免許証に関する何かで訪れた20歳前後の女性。書類の書き方について、若干のイラ���きと共に職員と話す60歳くらいの男性。「コンビニだと10円ですが、ここだと300円です」という女性職員の声が聞こえる。一体なんの話だ。私が待つソファーの隣には、高校生くらいの男の子が4人ほど。そのうち3人は中国語と思しき言葉で喋り、もう1人の欧米系の顔立ちの少年とは英語で会話している。
30分もかからずに切り替え手続きは終わる。プラスチックのカードだった保険証は、厚手の紙製のものになった。保険証の裏には臓器提供の意思表示用の署名欄がある。注意書きの項目には「提供したくない臓器があれば×を付けてください」とある。心臓、肺、肝臓、じん臓、すい臓、小腸、眼球。いったいどういう事情で選ぶのだろう。この記載は前のカードからあったのだが、ほとんど意識していなかったことに気づく。いろんなことを見落としている。
次は開業届を出すために税務署へ向かう。その前にいくつかメールの返信や税務署での必要書類を確認するため、駅前のチェーンのコーヒーショップへ。そこはタバコが吸える。いまだに紙巻タバコを手放せない私にとってはありがたい場所の一つだ。
いくつか確定した予定があり、カレンダーに反映する。フリーになって変わったことの一つは、Googleカレンダーでスケジュール管理をし始めたこと。メール、カレンダー、ドライブ、そして検索。Googleが急に身近になる。そういえばyoutubeもGoogleか。
15:00過ぎまで作業し、いよいよ税務署へ。外は雨。わたしはあまり傘を使わない。ナイロンの帽子を被って、撥水効果の高いジャケットを着ているので、多少の雨は気にならない。ついでに言うと、靴も防水だ。
16:00過ぎに税務署に付く。書類の書き方からよくわからず窓口の人の質問しにいくと、わたしの住所はこの税務署の管轄外であり、別のところに行く必要があるという。そういえば、以前予習をした際にそんな記載があったことを思い出す。すっかり忘れていた。
今からそっちに行ってもギリギリ間に合うかという時間だが、どうするか。ふと、今いる税務署の建物の一階が図書館だったことを思い出す。ついでだから、探している本があれば図書館の貸し出しカードを作って借りてしまおうと思い立つ。税務署は別日でも行けるので、今日は資料探しに切り替える。
運良く探していた本の在庫があったので、貸し出しカードを作って借りることにする。思い返せば、図書館で本を借りるのは学生時代以来か。図書館を見に行くことはあっても借りることは全然なかったので、新しい発見をした気分。会社員からフリーに社会的環境が変わったことをきっかけに、そんなことも知らなかったのか、ということが結構出てくるものだ。
17:00近くなり、3冊の本を借りて帰途につく。帰りがてら、普段あまり来ない駅の周辺���少し歩く。喫茶店が空いていれば入りたかったが、どこも休みや閉店済みでいいところが見つけられず。ここは運がなかった。店じまい間近な様子のパン屋さんでお土産にシュークリームを買う。一つ180円。安い。
来る時は電車だったが、帰りはバス一本で自宅近くまで行けるようだったので、少し待ち時間は長いがバスで帰ることにする。相変わらずの雨。屋根のないバス停で長時間待つのはさすがにつらい。バス停の反対側にある立派な建物の軒先で、雨宿りしながら持参した本を読む。チリの作家ベンハミン・ラバトゥッツの『恐るべき緑』という小説。実在した科学者たちを主人公に、嘘か誠かわからないような短編が並ぶ。流石に外ではあまり集中して読むことはできず、バスで続きを読む。面白い。これは面白い。バスは思ったより家から遠い場所に着いた。Googleマップは時々バス停の位置が違う気がする(またGoogleだ)。
少し買い物をして、結局19:00前くらいに帰宅。食事を済ませて、仕事に関わる作業を進め、わたしよりだいぶ後に帰宅したパートナーとシュークリームを食べ、今日の出来事を話す。台湾の地震のニュースがどんどん増えている。0:00頃ベッドに入って『恐るべき緑』の続きを読んで1:00頃眠る。最近の私にしては早い。
そんな1日だった。
あとで知ったことだが、私がバスを待つ間雨宿りをしていた建物は、日本の近代建築の巨匠・前川國男によるものだそうだ。なんとなく撮ったその建物の写真をここに載せておく。いつまでも目の前に不意に現れるものごとに驚いていたい。
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-プロフィール- 工藤眞平 40歳 東京 Books and Places @bp_shimpeikudo @spt.r.r
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myonbl · 5 years ago
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2020年5月12日(火)
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Facebook で回ってきた【7日間ブックカバーチャレンジ 】
これは読書文化の普及に貢献するためのチャレンジです。 参加方法は、好きな本を1日1冊、7日間投稿するというもの。 本についての説明なしにカバー画像だけをアップし、毎日1人のFBの友達をこのチャレンジに招待して参加してもらいます。
迷うことなく上記の7冊に決定。しかし、GooglePhotoの画像処理は見事、7枚の画像の配置が見事に私の指向と一致しているのに驚かされる。
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昨晩ツレアイが半額でゲットしてきたいなり寿司を頂く。
ツレアイと三男は出勤、次男は休み。
可燃ゴミ、30L*2。
火曜日は次男が洗濯当番。
ヤクルトさんから、野菜ジュース購入。
火曜日は「スタディスキルズ(看護学科)」、連休をはさんだので今日が5週目。課題は「図書館の使い方」、日本十進分類法とOPAC(検索システム)の練習。ところが、時々図書館のデータベースが落ちてしまう。担当者に照会すると、5月になってアクセス量が先月の10倍になって負荷がかかっているとのこと。なるほど、「遠隔授業」の影響がここにも出ているのか。
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Facebookのブックカバーチャレンジ、今日は露の五郎兵衛。
西大路七条・ライフで買い物、ブロッコリースプラウトと食パン。
ランチ、息子たちには素麺、私はピザトースト。
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<note>の次回記事のために、三代目桂文我について復習。四代目の襲名記念として編集された書籍を再読。当時、三重県松阪市に単身赴任中、四代目の出身地が松阪、市民会館で開催された襲名公演にでかけ、限定本を購入したのだった。
夕飯用に「ダイコン・ベーコン」を仕込む。
先日見た「新日本風土記−松本清張」がよかったので、再度見る。「点と線」「砂の器」はよく覚えているのだが、「ゼロの焦点」がはっきりとは思い出せない。kindle library で再読、納得。
「スタディスキルズ」の課題チェック、昨日図書館データベースのトラブルで「食物栄養学科」の締切を本日まで延長したこと、今日の「看護学科」分も含めてかなりの数になる。一部、「請求記号」の意味を理解していないものもいて再提出を求める。
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三男は夜勤入り、いつもより早い時間の夕食。「さんだかん」で仕入れた無添加ベーコンを使った「ダイコン・ベーコン」、味噌汁は昨日の残りのジャガイモを使う。
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ツレアイも程なく帰宅、さすがに暑かったので白を冷やしていただく。チリのワンコインであるが、十分に美味しい。
「桂文我」を読みながら、いつの間にか寝てしまった。
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今日も暑かった、用事のないときは無理しないのだ。
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daysonme · 5 years ago
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2019.11.02 夜
ふたり家ごはん
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大きなパンをもらったのでお夜食的につくる。
奥のはハムチーズのホットプレスサンド、わたしのはハムチーズのオープンサンド。おまけでベジタブルヨークスープ。
結果、パンもスープも酸味が効いた感じになった。次はアボカドとチリのオープンサンド作ろう。大きなパンには夢がつまってるね。
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mark311text · 6 years ago
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mark=311
私は宮城県名取市閖上(ゆりあげ)出身です。
今日は2011年から7年。2018年3月11日、午後2時46分から1分間の黙祷を終えたところです。
2011年3月11日
私は中学2年生で、卒業式の予行練習で午前授業だった。お昼過ぎには家に帰って、両親の部屋でテレビを見ていた。高校生だった兄も帰宅していて、家には私と兄と猫の太郎がいた。
こたつに入って横になっていると、突然、「ゴー���ーー」というものすごい音がした。長かった。びっくりして固まっていると、次は激しい地震がおこった。体がゆさぶられるような揺れだった。太郎は驚いてこたつの中にとびこんだ。見ていたテレビが倒れ、画面が割れ、ここにいては危ないと思った私は、ベッドの上にあがり、上になにもない部屋のすみに避難した。クローゼットの扉は全開になり、中の荷物が全て床に落ちた。お母さんが使っていた、普段はうごかせないほど重いドレッサーも、揺れに合わせて生き物のようにズ、ズ、と前に動いていた。ガタガタと揺れる音や、ガシャーンと1階の台所からか食器の割れるような音が聞こえ、すごく怖かった。揺れはなかなか収まらず、もしかしてこのままずっと揺れているんじゃないかと怖くなり、耳をふさぎながら「あーあー!」と大きな声で叫んでやりすごした。
しばらくして揺れがおさまったので、自分の部屋に戻ろうとすると、ふた間続きになっている手前の兄の部屋は、タンスの引き出しや勉強机の上にあったものが全て落ち、足の踏み場がなくなっていた。地層みたいだった。物を踏みながら奥の自分の部屋に行くと、そこも同じように物の海になっていた。
兄に「とりあえずお父さんのところに行こう( お父さんは家の近くの公民館職員)。」と言われ、部活で使っていたエナメルバッグに持ち出せそうなものを入れ、ラックの上にひっかかっていた薄手の黒いジャンパーを着た。
もしかしたら役に立つかもしれないとお母さんドレッサーの引き出しに入っていた、カード会社や保険会社からの郵便物もカバンに入れた。無意識だったけど、もう家に戻ってこられないかもしれないと思ったのかもしれない。
兄が「避難所では猫の食べるようなものはもらえないと思う」と言うので太郎のご飯が入ったタッパーも鞄に入れた。太郎が怖がってこたつの中から出てこなかったので、兄に頼んで無理やり引っ張り出してもらった。このとき、兄は膝を悪くしていて、無理をすると膝の皿がずれてしまう状態だった。太郎を無理にだしたので膝が痛んだようで、少し休憩してから家をでた。その間も何回か揺れがきていて、家の壁には亀裂が入っていた。
外にでると、道路はでこぼこになっていて、マンホールからは水が溢れていた。家や電柱は傾いて、いつもの景色がゆがんでいるようだった。私たちと同じように、みんな近くの避難所へ移動しようとしている様子で、公民館に向かった。公民館のグラウンドでは小さい子たちが楽しそうに遊んでいた。状況がよくわかっておらず、興奮しているようだった。
公民館の中で誘導をしていたお父さんに会いに行くと、「津波がくるそうだ。公民館は津波の指定避難所ではないから( 公民館は二階建てで低い建物) 小学校か中学校に誘導するよう連絡がきたから、お前たちもそっちに早く避難しろ。」と言われた。
お父さんに話しかけるまで舞台の上で座っているときに、自分の膝から血が出ていたことに初めて気づいた。どこかにこすったようだったけど、不思議と痛くなかったことを覚えている。
お父さんから、津波がくると言われたけど、いつも津波がきても何センチかで結局大したことなかったので、今回もそんなもんだろうと思っていた。いつだったかのチリ地震の際もそうだったからだ。同じようなことを話している人もたくさんいた。私たちは2キロ先の小学校に向かった。
小学校に向かう途中、生協の前でNちゃんに会った。お兄ちゃんとはぐれたらしく、家に一回戻ると言っていた。私は津波が来るらしいから戻らないほうがいいと言ったが、大丈夫だからとNちゃんは戻ってしまった。
Nちゃんは津波にのまれて死んでしまった。
もっと強く引き止めていればよかった。
消防車が走って避難を呼びかけていた。
いつも何かあると鳴る、町のサイレンはこの日、鳴らなかった。
中学校の前で兄の膝が痛み出したので、予定を変更して中学校に避難することにした。中に入ると誰かが「3階か屋上へ!」と叫んでいた。兄と私は上へと向かった。外階段から中へ入られるドアをガンガン叩く音が聞こえ、見ると女の人が必死にドアを叩いていた。ドアの前に机が置いてあり、開かないようだった。でも、みんな自分の避難に必死で誰もどかそうとはしなかった。兄と机をどかし、ドアを開けた。「津波だ!」と、窓の外を見た。黒い水がじわじわと学校の駐車場に流れてくるのが見え、おじいちゃんが一人、まだ外にいるのを見つけた。「逃げて!」と叫んだけど、そのおじいちゃんが助かったかはわからない。
少し遠くを見ると。ず……、と、景色がそのままゆっくりゆっくりと動いた。町の中に船が見えた。船が家にぶつかり、家はぼろぼろになって崩れていった。あちこちに水の上なのに火が見えた。町全体が濃い灰色だった。兄と三階の教室から、水没したグラウンドを見た。水でいっぱいで、まるで映画を見ているようだった。夜になるにつれてどんどん暗くなり、懐中電灯を教室の真ん中あたりに置き、壁や周りにアルミホイルを貼って反射させて明かりを作った。持ってきたラジオからは、「絶対に水辺には近寄らないでください。被害の状況は­———」というような声が繰り返し聞こえていた。私は湿った教室の床に横になり、太郎を抱いていた。何も食べていないはずなのにお腹は空いていなかったし、眠気も全く来なかった。気づいたら朝になっていた。
朝になると水は引いていた。町を見たくて屋上にいった。それと、太郎がトイレをするかなと思って。屋上から見た景色に、町はもうなかった。グラウンドには車や船や瓦礫のようなものがぐちゃぐちゃになっていた。目の前にあった生協もなかった。今度は町が茶色だった。
あのときのトイレは今でも思い出すと吐きそうになる。人の用を足したものが積み重なり、ひどい臭いだった。吐きそうになりながら用をたした。学校には知ってる人がたくさんいて、Sちゃんに会った。Sちゃんは学校のジャージで、お腹から下は泥まみれだった。津波に少し飲まれたらしい。Sちゃんはお母さんとまだ合流できてない、小学校の方にいるかなあと言っていた。あとから知ったが、Sちゃんのお母さんは津波で死んでしまっていた。
お昼前ぐらいに兄が自宅の様子を見に行くと言って、少しして戻って来た。うちがあった場所には、うちの二階の屋根があっただけだったようだ。まだ実感がなく、そうなんだうちはもうないのか、と冷静に思った。
そのうちに大人の人たちが崩れてしまったお店から、食べ物や飲み物を持ち出してきた。避難した時に食料を持ち出すことのできた人たちから少しだけお裾分けをもらった。でも全員分はもちろんないので、たしか私はベビーチーズのようなものを一口分食べた。太郎にはお水を少しだけもらえたのでそれをあげた。
安全な内陸の避難所に全員移動することになったが、中学校の出入り口やバスが迎えに来てくれるおおきな道路にでるまでの道には、船や車や瓦礫などがたくさんあって、大勢の人が移動できるような状況ではなかった。なので自衛隊が道を作ってくれるまで待機するように言われた。
暗くなる前に作業は終わり、みんなでバスのところまで歩いた。海水のようなにおいと、ものが燃えたこげたにおいとガソリンのようなにおいがした。いたるところに車や船があって、きっと中には人がいたかもしれない。水は引いていたけど泥がすごくて、靴はすぐにぐしゃぐしゃになった。靴にビニールをかぶせていた人もいたけど、結局みんなどろどろになって歩いていた。
私と兄と太郎は、内陸の小学校の体育館に避難することになった。着くとすでに近隣の地域の人も避難していて、人がいっぱいいた。入り口でおにぎり一つと使い捨ておしぼりを一つずつ配られた。どこか寝る場所を確保しようとしたけど全然場所がなくて、体育館の中のゴミ回収のスペースの前が少し空いていたのでそこに落ち着いた。おにぎりを食べて、おしぼりで足を拭いた。毛布やシートも物資で配られたりしたようだったけどわたしたちがついた頃にはもうなかったので、余っている段ボールをもらって、段ボールを床に敷いて横になった。近くから避難してきた人たちは、自分の家から持ってきた毛布や服などであたたかそうで、わたしたちみたいな海から逃げてきた人たちとはギャップを感じた。目も怖かった。太郎も不安なのか、私のジャンパーの中から出てこようとしなかった。でもそのおかげで、すごく寒かったけど、お腹はあったかかった。中学の先生が状況把握のため点呼をとっていて、太郎をお腹に抱えた様子をちょっと笑われた。
夜、暗い中で何回か余震があって、そのたびに体育館の照明が大きく揺れて、ざわざわした夜だった。
朝になると支援物資が届いた。飲み物はコップがないともらえないと言われて、考えて、ひとり一個もらえるパンの中からサンドイッチ用のパンを選んで、その空き容器で飲み物をもらうことにした。兄はマヨネーズ入りのカロリーの高いロールパンを選んで、とにかく栄養を確保するように2人で食べた。トイレは、���ールの水をバケツでくんで流せたので困らなかった。古着も物資で届いたので、パーカーなどの着られそうなものをもらった。わたしたちの隣にいた老夫婦が小さな犬を連れて避難していて、太郎は犬に懐かれていて面白かった。
兄と座っていると、名前を呼ばれた。お母さんとお��ちゃんが走ってこちらに向かって来ていた。
生きててよかったと抱きしめられた。みんなで号泣した。
お母さんは仕事で内陸にいて、お姉ちゃんもバイトで海からは少し離れたコンビニにいて、津波が来る前に東部道路に避難して助かっていた。2 人は違う小学校で合流できていたようで、わたしたちの地域の人たちが避難している場所を探していてくれたようだった。お母さんが働いていた保育所の休憩室を間借りしていいといわれたらしく、そこに移動することにした。車できたからそれでいこうと外にでると、血の繋がっている方の父がいた( 私の両親は離婚していて、お母さんは再婚して、新しいお父さんがいます)。私は父のことを嫌っていたし、何年も会ってなかったけど、そのときはなぜだかとっても安心して、頭を撫でられて肩を抱かれると泣いてしまった。非常事態だったので、お母さんも連絡をとって食料や布団などをわけてもらったらしい。
車に乗り、保育所に向かう途中、太郎が安心しておしっこをもらした。避難所では粗相をしなかったので、太郎もがんばっていたのだなと思った。
保育所の休憩室は、5畳ないくらいのスペースで小上がりの畳になっていた。畳の上に段ボールを敷いて、布団を敷いて、家族で川の字になって眠った。やっぱり寒くてなかなか寝付けなかったけど、お母さんが抱きしめてくれたおかげで、よく眠れた。
次はお父さんと合流しようと、情報を求めて市役所に向かった。市役所の中に入ると、壁いっぱいに「◯◯に避難しています◯◯みたらここに連絡をください」といったような内容の紙がびっしりと貼られていた。その中には知っている名前も幾つかあって、ああ無事だったのだなと安心したこともあった。お父さんの名前を見つけたけど、けがをしている、というようなことが書いてあったので焦った。とりあえずお父さんがいるという避難所へ向かうと、お父さんは元気そうに出入り口近くの椅子に座っていた。安心したお母さんはへなへなになって笑った。あのときは情報が錯綜していたので、間違ってそう書かれてしまったらしい。すぐに同じ場所にお父さんも移動したかったけど、お父さんは公務員なので被災者の誘導等の仕事があったのですぐには保育所に一緒に戻れなかった。
保育所での生活は体育館にいるときよりずっと過ごしやすかった。狭かったけど、家族がみんないて、人の目を気にしなくていいのはすごく救われた。電気はまだ復旧していなかったけど、水道が使えて嬉しかった。ごはんも、お母さんの仕事仲間の人が炊き出してくれたりして、あたたかいものを食べられた。ずっとお風呂に入れてなかったので気持ち悪くなって一度、水で頭だけ洗ったけど、寒すぎて凍えた。被災してから一週間たたないくらいに、電気が復旧し始めて、近くの家に住んでいたお母さんの職場の人の好意でお風呂に入らせてもらった。久しぶりのお湯はあったかくてきもちよかった。
お店もすこしずつものを売られるようになって、学校もない私と兄と姉はそれぞれ生活に必要なものを行ける範囲で探し回った。持ち出せたお小遣いをもって、とにかくいろんなお店でなにか買えないか歩き回った。個数制限で、ひとり3個までしかものが買えなかったり、なにも残ってなかったり、3時間以上並んだりした。
あるとき、ひとりでお店の列に並んでいると、知らないおじいちゃんに話しかけられた。どこからきたのかなんでひとりなのか聞かれ、答えると「大変だったね」と自分が買ったバナナを分けてくれた。少し泣いてしまった。いろいろなところで食べ物などを買えてうれしかったけど、そのころは物資不足で窃盗や空き巣が多発していたので、ビクビクしながら保育所に帰る道を早歩きでいつも帰っていた。
銀行でお金をおろせるようになり、保育所も再開するので長くはいられないと、アパートを借りることになった。お父さんががんばって見つけてくれた。引越して、いろんな人の好意で家電や家具をもらって、なんとか避難所生活はひとまず終わった。
アパートで炊飯器をつかって炊いた、炊きたてごはんをたべたときはすごくすごくおいしくて、おかずは缶詰の鯖だったけど、何杯もおかわりをした。あのとき食べたごはん以上に美味しいと感じたものは今もない。
アパートで暮らし始めて少しして、携帯の電話番号を覚えていた友達に電話をかけてみた。その子は飼っていたペットたちは犠牲になってしまったけど無事だった。ただ、その子との電話で「Aちゃん残念だったね。」と言われた。Aちゃんは私のすごく仲良しの女の子で、どういうことなのか理解できなかった。
Aちゃんの妹の名前と避難先の書かれたメモを市役所でみていたので、Aちゃんもきっと無事だろうと思っていた。「新聞の犠牲者の欄に名前が載っていた」そう言われて、後の会話は覚えていない。電話の後に新聞を読み返して犠牲者の欄を探したら、Aちゃんの名前を見つけてしまった。新聞に名前が載っている,という証拠のようなものをつきつけられて、一気に怖くなり、悔しくて信じられなくてまた泣いてしまった。
兄もその欄に仲の良かった友達の名前を見つけてしまったようで、リビングのテーブルに突っ伏して、「なんでだよ」とつぶやきながらテーブルを叩いていた。
4月のある日の夜、また大きな地震が起こった。また津波が来るのではないかと家族全員で車に乗り、指定避難所に急いだ。幸い、なにもなかったが、その日の夜は怖くて車から降りられず、朝まで起きていた。
通っていた中学校から一度学生も職員も集まるよう連絡が来た。当日は市の文化会館に集合し、そこからバスで市内の小学校に移動した。久しぶりに同級生と再会して、今どこに住んでいるのか家族は無事だったのかたくさん喋った。そしてみんなが集まった前で先生が、犠牲になった同級生の名前を読み上げた。Aちゃんの名前も呼ばれた。先生の声は震えていて、最後は泣きながら私たちに向かって話していた。7人の友達が死んでしまった。学校全体では、14人の生徒が犠牲になった。
私はすごく後悔していることがある。遺体安置所に行かなかったことだ。市内のボーリング場が安置所になっていて、そこにAちゃんがいることもわかっていたが、怖気づいていけなかった。私とAちゃんともう一人とで三人で仲良くしていて、そのもうひとりの子は会いに行っていた。顔中があざだらけでむくんでいた、と言っていた。お化粧をしてあげたよと聞いた。私も会いに行けば良かった。
学校は市内の小学校の旧校舎を間借りして再開した。歩いて行ける距離ではなく、駅から毎日臨時のスクールバスが出ていたので、私はそこから毎日学校に通った。文房具や教材は支援物資が届いて、しばらくは制服もなかったので私服登校だった。何週間も字を書いてなかったので、文字が下手くそになっていた。遠くに避難して、転校してしまった子もいたけど毎日家族以外の人とも会えるのは嬉しかった。でも、間借りしていることは肩身が狭かった。間借り先の小学校の子とは話した記憶がない。支援物資や有名人がきた時は「ずるい」、「 そっちばっかり」と言われるようなこともあった。自分は生徒会役員だったため、お礼状や物資管理を手伝っていたけど、千羽鶴や「頑張って!」、「絆」などのメッセージを見るたびに複雑な気持ちになった。無理やり前向きになれと言われているようだった。
学校も落ち着いた頃、同級生の一人のお葬式に参加した。小学校の頃から係活動で仲良くなった子だった。その子はお母さんも亡くなって、その子のお父さんから良かったらきてほしいと連絡があった。とても天気のいい暑い日で、田舎の方の緑がたくさんあるところでお葬式が行われた。久しぶりに会ったKちゃんは小さな箱になっていた。焼かれて骨になって骨壷に入ったKちゃんは、軽くて白かった。お墓にお箸で骨を一つ入れさせてもらった。「ああ、Kちゃんはもういないんだ」と、「こんなに小さくなってるなんて」と、脱力した。
私は夢を見るようになっていた。夢の中で津波から逃げたり、友達と会ったりしていた。その中でも強烈だったのが二つ
ある。一つは、どこかのホテルに友達と泊まりに来ていて、ホテルのベッドで飛び跳ねて遊んでいた。途中までは私も遊んでいたけど、何か変だと感じて、だんだん飛び跳ねている音がうるさくなってきて、「ねえもうやめようよ」と声をかけた。するとその音は「ゴーーーー」という地鳴りの音に変わって、私は耳を塞いでしゃがみこみ、叫んだところで目が覚めた。自分の叫び声で起きた。
もう一つは、なぜか私は小学生で、小学校の帰り道をAちゃんと何人かの友達と歩いていた。夢の中では納得していたけど、不思議なことにみんなでAちゃんのお葬式に行こうとしていた。道の途中で、2本に分かれているけど少し行くとまた繋がる道があり、そこで私はAちゃんをびっくりさせようと「また後でね!」と違う方の道を走って待ち伏せしていた。でも、だんだん不安になって、泣きながらAちゃんを探した。立ち止まっているAちゃんを見つけて、「 行かないで!」と抱きついた、Aちゃんは静かに「なんで私のお葬式があるの?」と、聞いてきた。
そこで目が覚めた。しばらく体は動かず、寝ながら泣いていたようで、頬が涙でカピカピになっていた。
冬になって、12月11日の早朝、お母さんとお姉ちゃんの声で起きた。どうしたのかとリビングに行くと、2人が「お父さん!」と声をかけて、体を揺すっていた。後から聞いた話によると、朝、お姉ちゃんがバイトの支度をしているときに、お父さんから寝息が聞こえず、お母さんに「変じゃない?」と言って、2 人で起こそうとしたようだった。私も声をかけたが起きず、お母さんは「かなこ!( お姉ちゃんの名前) 救急車!」と叫んで、心臓マッサージを始めた。バキバキと骨の折れる音が聞こえた。お父さんの胸はベコベコにされていたが、起きない。私も交代でマッサージをして、救急車を待った。救急車が到着して運ばれる直前、そっとお父さんの足を触った、氷のように冷たくて硬かった。救急車を後ろからお母さんの車で追いかけ、病院についた。ドラ��で見たような部屋に運ばれ、看護師に心臓マッサージをされていた。心電図はまっすぐで、「ピー」という音がなっていた。何分間かどれくらい経ったか、マッサージが止まり、瞳孔を見られていた。「すいません」と看護師の方が言い、「ご臨終です」と、初めて聞く言葉を耳にした。病室には「ピー」という音とが響いていた。
みんな無言で家に戻り、お母さんがリビングに座ったところで、「どうして!」と泣き叫んだ。お母さんがそんなに泣いているところを初めて見た。お父さんのことはまだショックでよくわかっていなかったけど、その姿がどうしようもなく悲しくて、お姉ちゃんと抱き合って泣いた。
中学校には、お母さんが色々な手続きで忙しそうだったので、自分で電話をした。担任の先生に繋がり、ほぼ文章になっていなかったけど泣きながら事情を説明した。先生はゆっくり聞いてくれて、学校のことは心配しなくていいよと言ってくれた。
お葬式までの間、斎場でお父さんと過ごした、ドライアイスで冷やされて、冷たかったけど、箱の中にはずっといて、怖くもなかったし、もしかしたら起きるんじゃないかなんて思ったりもした。まあ、当たり前にそんなことはなく、火葬の日がきた。
お父さんが焼かれる場所へ、親族一同で向かった。炉の中へ入れられるとき、もう体さえもなくなってしまうんだと、お父さんに会えなくなるんだと理解した私は一気に悲しくなり、「お父さん」とつぶやいた。涙が止まらなくなり、「行かないでよ」とつぶやいた。お母さんが私の背中をさすった。兄が私の頭に手を添えた。
お父さんは焼かれた。ちゃんとお骨を拾い、壺の中にお父さんは収まった。
お父さんは公民館職員で、そして糖尿病を患っていた。震災の日、公民館は建物が低いので、違う避難場所に誘導している途中で津波が来た。目の前で他の職員が流されるのを見たそうだ。公民館にいた人はギリギリ二階に登り助かったものの、船が建物にぶつかって半壊し、もう少しでみんな死んでしまうところだった。でも、避難途中で犠牲になった人の遺族からすれば、いたら助かったじゃないか! とひどく責められていたらしい。
避難場所でも、公務員はずるい優遇されていると同じ被災者なのに責められ、ストレスで体がおかしくなっていた。持病の糖尿病が悪化し、20キロ体重が増えていた。お母さんから後から聞いた話によると、毎晩のように公民館のグラウンドいっぱいに遺体が並び、こっちに来いと呼ばれる夢を見ていたそうだ。死因は無呼吸からの心肺停止だった。
お父さんは震災に殺された。
お父さんの死と、自分の受験のシーズンが重なり、私は少しおかしくなっていた。受験している場合なのかと悩んで、身が入らなくなっていた。トイレで隠れて手首を切るようなこともあった。今思えば、なにも考えたくなかったからそういうことをしてしまったのかもしれない。様子がおかしいと思われたのか、スクールカウンセラーの先生に、週1回、カウンセリングを受けることになった。行きたくなくてサボった日もあるけど、先生は怒らなかった。優しくいろんな話をしてくれた。友達にも支えられて、なんとかいつも通りに過ごせるようになった。
高校受験もおわり、合格発表の日、私は1人で受験した高校に結果を見に来ていた。無事番号を見つけてお母さんに連絡すると、すぐにメールで返事が帰ってきた。メールが2通届いて、確認してみると、もう1通はお父さんの携帯からだった。「合格おめでとう!」と、本当にお父さんからきたかと思って嬉しかった。すぐにお母さんがお父さんの携帯で送ってくれたのだろうと気づいたけどとっても嬉しかった。
高校では美術科に在籍していたため、常にコンペに向けて制作をしていた。一度だけ、Aちゃんを描いたことがあったけど、周りには誰ということはなにも言わずにただ描いた。それっきり震災関連で制作をすることはなかった。
高校生活の中で辛かった授業がある。保健体育の授業だ。心肺蘇生の心臓マッサージを学ぶ授業の時は、お父さんの感触を思い出して辛かった。避難について学ぶ授業では、ふざけた男子生徒が、避難のシミュレーションを発表するときに「津波だー!」とヘラヘラしながら津波のモノマネをしていて腹がたった。そういう授業があった日は、その日1日は震災のことなどで頭がいっぱいになり、帰ってからいつもお母さんやお姉ちゃんに慰めてもらった。
そして何度か震災復興のためのアートプロジェクトに参加した。被災者として何かしなければと義務感に駆られて、割と積極的に参加した。でも、いつも心の隅には、こんなことをしてなにになるのだと皮肉な自分もいた。震災の時のことを公演してくれ、文章にしてくれ、という依頼は全て断った。語ったりはしたくなかった。
高校の卒業制作展で、ゲストを迎えたパネルディスカッションを行った。ゲストは有名な大学の先生で、私は卒展の実行委員長としてトークをした。その中で、「地域復興」の話題を担当し、いろいろなことを話したけど、「私もゆくゆくは自分の地域をなにかしら盛り上げたい」と口にした後は「本当にそう思っているのか?」と、苦しい気持ちになった。立派なことを言わなければ、というプレッシャーがあった。
いつも3月11日は家で家族と過ごすようにしていたけど、2015年のその日は、震災以来初めて閖上にいた。
京都に引っ越す前にみんなに挨拶がしたいと思ったからだ。お花を持って友達と待ち合わせをして、久しぶりに来た日和山は、前はみんなで鬼ごっこをして遊んだ場所だったけど、今は慰霊の場所になっていて、上から街を見渡すと、何にもなかった。まっさらでたまに草が伸びている、そんな景色だった。
中学校に移動して、2時46分を待った。鳩の形の風船が配られて、メッセージを書いた。「行って来ます。」と。そして2時46分、みんなで風船を飛ばした。
でもその瞬間はひどいものだった。多くの人がスマホを構えて、風船を飛ばす瞬間を撮っていた。カメラの音がたくさん聞こえて悲しくなった。なんのためにやっていることなのか、気持ち悪かった。一緒に来ていた友達も怒っていた。イベントじゃないんだ、と叫びたかった。
京造に進学してからは、震災の話題に触れることは少なくなった。し、自分でも避けるようになった。
宮城出身です、というと大体「震災大変だったでしょ?」と言われた。「そうですね」と正直に言うと、気まずそうな申し訳なさそうな対応をされた。それが嫌で、出身は言いづらくなって、「震災大変だったでしょ?」と言われても、「大丈夫でしたよ」と言うようにした。一回生の授業である先生が、どんな内容で言ったのかは忘れてしまったけど、「津波はあっけなく人を殺すからね〜。」と、さらっと言ったことがあった。私はショックで涙がとまらなくなった。俯いて、寝てるふりをした。周りの子にはバレていたかもしれない。その日はずっと気分が上がらず、帰ってからお母さんに電話をした。当時一緒に住んでいたルームメイトに抱きしめてもらった。
二回生の時は、授業中に阪神淡路大震災の映像が流されて、震災の時の記憶がフラッシュバックしたこともあった。イヤホンをつけて目をつぶってやり過ごして、大階段を登ってすぐ横の芝生のベンチで家族に片っ端から電話をかけた。午前中でなかなか繋がらず、体育すわりをしながらずっと待っていた。お姉ちゃんとつながって、落ち着かせてもらって、その日は授業があったけど、一度家に帰った。夜は眠れなかった。
7年経った今でも、津波の映像や写真は見ることができない。彷彿とさせるようなものも苦手だ。3月はいつものように睡眠を取ることもできなくなる。11 日は家族と実家で過ごすようにしている。閖上の方向を向いて必ず黙祷をして、黙祷している時は、悲しい、悔しい、いろんな感情が混ざったように涙が出る。
私はずっと震災に潰されている。それが、とても嫌だ。
——
でも、このままでいるのはもっと嫌だ!
だから私は向き合うことにした。
制作をはじめると同時にひまわりの種を植えた。ひまわりは、お父さんの1番好きな花だったから。
だけど、ひまわりは咲かずに途中で枯れてしまった。
私にはもう少し、時間が必要なようだ。
もうすぐ、8年目の3月11日がくる。
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kennak · 2 years ago
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・水族館や動物園で、説明文を読んで得たばかりの知識を、同行者になぜか少し得意げに披露している人の声を聞きながら、動物や魚を見ている瞬間・いいパン屋でいい惣菜パンを買って、包み紙に油が染みているのを見たとき・新しいゲーム機の初期設定をしているときの、焦れるようなワクワクするような感じ・ロイヤルホストなどのファミレスの看板が、雲ひとつない青空をバックにゆっくり回転している・22時22分・式典のために用意された、デカい花瓶に入ったデカい生花の近くを通ったときに感じる、強い花の匂い・12月の雨の日、降っているものにあられが混じっていることに気がつく瞬間・春先に飛んでるオレンジ色のチョウチョ(ツマグロヒョウモン!)・夏場に美術館や博物館に行ったときの、圧倒的な涼しさ(案外人は多くて、静かさはない)・自転車でネコの横を通り抜けるときにネコが見せる、いつでも動けるように緊張した姿(実際には動かない)・波止場に腰掛けたときのコンクリートの冷たさ、フナムシがそのへんをカサカサやっている感じ・トライアルで売ってる75円のイカのフライ(チリ味)・でかい交差点で、ピヨピヨいう音と一緒にみんなで歩き出す瞬間・春〜夏の夜に窓を開けたときの、生ぬるい空気・ひとりで無言で野良猫を構っている若い兄ちゃん・バルセロナのムンジュイック城の中にあったアーチェリー場で、おっさんが矢を射ていたこと・明らかに風が強い日の朝、起きた瞬間にそれがわかる・オクトパストラベラー2 面白い!・バター醤油というもの(うまい)・橋桁の下の、万年日陰という雰囲気・スーパーで買い物してる親子連れのガキンチョが、お気に入りらしい冷凍食品をねだっている声・地元のゆるキャラの2パターンくらいしかない画像を酷使して作られた、コロナ対策のポスター・明らかに古い形式で作られている個人サイトの「最近の更新」欄を見たら、2023年とかの投稿があったとき・歩道橋で立ち止まって虹の写真を撮ってるおっさんなど…
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recipe-cookingclass · 2 years ago
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主人特製『本格キッズスパイスカレー3種プレート』 我が家では食育の一環のひとつとして「こどものグルメ」を楽しませております。(※主人の手作りスパイスカレーです※) 昨日はうどん屋たぬき庵 その前は洋食のムッシュ・イ・ブーブ(笑) などなどで、実際に体験を楽しませています。 我が家はすぐに作ることができるので思い思いをオーダーしてもらいます。 メニューも、メニューの値段も実際に話し合ってつけてもらう。 今回のメニューは 本格スパイスカレー店。 まずはカレーの種類を選びます。 本日のカレーは3種 ⚫︎ベジカレー ⚫︎エビカレー ⚫︎チキンカレー 米やパン類は 子供が好きな米の品種リクエストで ⚫︎sanda米 中、大 ⚫︎ロティ ⚫︎ターメリックライス(sanda米) サイドメニューはまた面白い ⚫︎納豆のチリ和え ⚫︎きゅうりスライス ⚫︎にんじんスライス ⚫︎ダイコンのスライス ⚫︎トマトサラダ ⚫︎油たまご? 新メニューは ⚫︎青汁ラッシー? ⚫︎ブロッコリーのクミン炒め ⚫︎ライタ(さとう)? ドリンク ⚫︎あおじる ⚫︎オロナミンc ⚫︎ラッシー(白) ⚫︎グングングルト などなどで とてもユニーク(笑) 『腹が。。。。。減った』(笑) そしてここにしようからお店へ入り いらっしゃいませーから、座ってメニューをオーダーして始まります。 ここで思うのですが、ちゃんと味を言えることがすごいのです。 素材の味ももちろん、細かな野菜やスパイスの味も敏感に覚えているからか 実に面白いのです。 食べ方もちゃんと知っている。 そして料理を多く知ることで、オリジナリティのある食べ方を自分で作り上げることができることってなかなか、小学生では難しいはずです。 メティの味も、リーフの形状や味わいも、ユニークな表現ができるってとても良いことです。 世界観が一番広がるのです。 グローバル化に伴うコミュニケーション能力は、食文化が一番です。 日本に来られる在外の方々との共通点を持てる能力は本当に役に立つのです。 私たち親としても人生の中の大きな影響を与えつつも、ファミリーで楽しみつつそんな学びを学ばせれる環境はとても羨ましいぐらい。 我が家は多くの世界中の料理をしっかりと手作りで、子供に伝えることがやはり大変大切と考えます。失われている家庭料理や義務とは言いませんが、愛情だからこそ健康と美味しいで笑顔に栄養をつけさせたいという、昔ながらの愛情。 それが大人になった時に精神的な支えとなるのは現代の問題点でも分かりきっているのですから。 けれど親も子供も楽しんで、食文化を学びつつ、愛情を受け、栄養を吸収すること。これほど難しいものはないと言えます。 けれどご家庭でのお料理はぜひ、大切に。 料理研究家 指宿さゆり ーーーーーーーーーーー #料理研究家指宿さゆり #レシピ開発 #レシピ制作 #レシピ制作専門スタジオ #料理は教養 #食は品性 #スパイス料理 #スパイス #カレーマニア #教育 #currystagram #スパイスカレー #インスタグルメ #curry #カレー #お子様スパイスカレー #カレーマニア #飯テロ #こどもごはん カレー #カレーマニア #本格 #スリランカカレー #神戸料理教室 #神戸グルメ #カレー弁当 #甘口カレー #カレースタグラム #スパイスカレー作り #spicecurry #こどもスパイスカレー (Kobe, Japan) https://www.instagram.com/p/CofOTiryghy/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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