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#鶏づくし重
wankohouse · 3 months
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栗浜陽三 (文・写真) 『九十九里浜』 より 雑誌MLMW (ムルム) No.5 (1978年5月号) 掲載記事
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栗浜陽三 九十九里浜(写真)
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栗浜陽三 九十九里浜(文・写真)
 
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九十九里浜・しなやかな風景 写真と文 栗浜陽三 
九十九里浜が、何県にあるかを知らない人でも、その名の持つ雰囲気に、何か特別のイ メージをお持ちであろうと思う。太平洋に面した、その茫漠たる長い長い浜の風物は、浜というものが持つ様々の要素を凝縮させて、 我々の期待感や夢を満たしてくれるかのように思える。しかし残念ながら今では九十九里浜の魅力の殆どは、過去のものとなってしま った。一体、十数年前の、あの素朴で夢のよ うに美しかった九十九里浜は何処に行ってしまったのか。この僅か数年の間に、都会人の荒々しい神経で浜は汚され、美しい砂の起伏は姿を消し、近代化の手は浜に沿って長々とハイウエイを引いてしまった。九十九里浜にとって、全く無意味としか思えないこのハイウエイプランを耳にした時、私は自分の心の中の大切な部分を引きさかれる思いがしたが、土地の政治家というある人は、それは芸術的
↑栗浜陽三 九十九里浜(文)
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栗浜陽三 九十九里浜(写真)
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栗浜陽三 九十九里浜(写真)
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栗浜陽三 九十九里浜(写真)
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栗浜陽三 九十九里浜(写真)
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栗浜陽三 九十九里浜(文・写真)
 
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しなやかな風景●九十九里浜
・・・は黒ダンの前袋の両脇から黒々と毛をかき出して男らしさを競ったといい、亦、漁から浜に帰って来る舟は、長い竿を舟の両側につき出して、その先に黒褌を結びつけ、尾長鶏の尾羽根のように海風になびかせてもどって来たと話してくれた。
私がせめて十数年早く九十九里を訪れていたら、目にしたであろうこれは誠に九十九里の匂いのする昔語りであった。 それでも私は消えてゆく残り火の色を見る ように、時折浜で数少ない漁師の浜仕事や、 女達のフラミンゴの踊るような鮮やかな作業っぷりを見る事が出来た。
度び重なる私の九十九里訪問につれて、私の仕事友達や学生達が浜を訪ねるようになり、若々しい彼等の裸身が浜をにぎわすようになった。彼等はアっと いう間に海風にやけ、町中まで褌姿でのし歩き地引網を楽しみ、九十九里独特の丸板の波乗りをし、別人のように生き返った。
私は丸裸で浜仕事をする漁師をたびたび目にしたが、 この風俗は戦後アメリカ人の手前禁じられてしまったその名残りであった。中年の漁師が性器の先をワラシベや布切れで結んで褌の代用としている様も、決して雑でも奇異なものでもなく、浜の風物の中ではごくノーマルに感じられた。これは海水に濡れたままの褌の不衛生さを彼等がきらったからだという。
浜の女達はよく働いた。小柄でたくましいマイヨールの彫刻のような彼女達は、舟を浜に 引き上げる時には男以上の働きを見せた。母 親の仕事を見ている少女の背中の、赤ン坊の顔には、一刷毛はいたようにウッスラと砂が乗っていた。
十年以上訪ね続けている私の目には、浜の舟の数が年々少くなって行くのがよく解った。最初一、二年の間、浜にそびえていた何艘かのK家の船もいつしか姿を消した。民宿が急激に増え、そしてドカンと音のするようにハイウエイが浜に沿って走り、浜と村を引きさいたのである。庭から海に裸で飛び出してゆけた私達もトンネルをぬけて海に出る為に廻り道をしなくてはならなくなった。浜は見る見る中にゴミが打ち上げられ、マイカーが波打ぎわを走りぬけ、ビーチパラソルが立ち、その下で一日中マージャンをするという馬鹿げた男達が東京からやって来た。日本人は本当のゼイタクの楽しさや味わい方を知らないし、知ろうともしない。なぜ九十九里に都会生活をそのままズルズルと引きづって来る必要があるのだろうか。彼等は潮騒をきく代りに、浜でトランジスタラジオをきこうとする訳なのである。民宿になった素朴な土地の家で、海の香りを味い、あるがままの九十九里の生活に思いきり身をまかしてこそ、本当のゼイタクの楽しさではないだろうか。ハイウエイは私如き人間の知らない理由で必要なのかも知れないが、その代り、日本一のあの美しい浜の風景は二度ともどってこないのである。
K家にはその頃四年程続けて、ある外国の大使館の青い目の客が来るようになった。映画スターのような見事な美女達であった。私の友人の若者達とこの美女達は、伸々打ちとけ合う機会がなかったのだが、ある日、彼女達がK家の前庭の椅子に腰をおろして読書を楽しんでいる最中に、この若者達が海からもどってきたのである。彼等はオイルで鋼のように輝く背中をみせてタオルやマットを干し始めた。その姿を一人のブロンド娘がしみじ ・・・
↑栗浜陽三 九十九里浜(文)
 
以上の写真と文は雑誌MLMW(ムルム) No.5 (1978年5月号) 掲載記事『九十九里浜』より
これらの文章を読むと、栗浜は性的にも、性的な物を離れても伝統を残したままの海やそこに暮らす漁師を愛していたことが判る様だ。また、他の記事を読むと祭りについても性的にも、性的な物を離れても愛していたことが判ると思うよ。
栗浜のオリジナルは持ってないからウェブから集めた画像だけど、九十九里浜は良い画像がなかったんだ
一応拡大して補正はしておいたけど画質はちょっと残念だね
世間一般では本名の藤井千秋でイラストレーターとして有名な人なんだよ~
藤井千秋は画像検索したらいっぱい出てくるよ
2つの名前の作風の違いに驚くよー!
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myonbl · 3 months
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2024年6月21日(金)
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今日は<夏至>、旧暦では皐月十六日、言葉通り夏真っただ中だ。とは言え、現行カレンダーで天気予報を見ると連日の雨、どうみても梅雨真っただ中である。そんな思いで出勤すると、<関東甲信越・東海・近畿が梅雨入り>とのニュースが流れてきた。平年より14〜15日遅いとのことだが、これで紫陽花もカタツムリもアマガエルも喜んでいることだろう(知らんけど)。
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4時起床。
日誌書く。
朝のあれこれ。
5時15分、シャワー。
5時30分、ツレアイ起床。
朝食準備。
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朝食を食べ出してから、洗濯をセットしていないことに気づく。
珈琲。
弁当*2。
洗濯物を干す。
可燃ゴミ、20L*1&30L*1。
彼女の職場経由で出勤する。
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このところ、R171小野原交差点から阪大口まで時間がかかることが多いが、今朝も雨の影響もあってかノロノロ運転が続く。
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今日は給料日、例の<定額減税>を確認する。見事に、所得税・住民税の欄が真っ白だ。私自身は現政権は打倒すべきものであり、国民生活の健全化のためには消費税を廃止すべきとの立場だ。このような小手先だけの対応には反対だが、値上げラッシュの現状でこれを歓迎する向きも多いのだろう。
金曜日2限・3限は<スタディスキルズ(栄養学科)>、今週の課題は論文型レポートを仕上げて発表用スライドを作ること。蒸し暑い中で2クラスとも予想以上に頑張ってくれた。
ツレアイからメッセージ、ランチ後にココの点滴を済ませ、第二京都南病院で心臓のエコー検査とのこと。
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O姉と一緒に帰宅する、エアコンの影響でこのところ帰路の燃費が悪い。
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夕飯は彼女が用意してくれた無水地鶏カレー、息子たちにはスパークリングワイン、私たちは🍶+🍷。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第11話「悪の温室」/ The Greenhouse Jungle 深夜、キャシーのもとに夫トニーを誘拐したという電話がかかってくる。キャシーは、トニーの秘書グロリアに電話をかけた後、叔父ジャービスに電話をかける。ジャービスは、1時間経ってトニーが帰ってこなければ、警察に連絡するようアドバイスするが、実は、誘拐はジャービスとトニーの狂言だった。
入浴、体重は3日間で600g減。
パジャマに着替えて布団の中へ。
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hakkaoil · 3 months
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『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』 若林正恭
友人のAちゃんが貸してくれた本。
辛いことが重なって、鬱になっていた私を助けてくれた。Aちゃんには感謝してもしきれない。
内容は、若林がニューヨーク、キューバ、モンゴル、アイスランド各国への旅を通して、現在の日本と自分自身の今後の在り方を見つめ直すといったもの。
キューバ
父の死をきっかけに、若林がキューバへと初1人海外旅行に挑戦する。人見知りの現地ガイドや闘鶏観戦、共産主義国ならではの光景など盛りだくさんの内容だった。読んでいて楽しかったが、暑そうなので実際に行ってみたいとは感じなかった。
キューバの章の終盤で、観光を一緒に楽しんだ現地の人たちと、連絡先も聞かずに爽やかに別れるシーンが特に印象的だった。
この部分を読んで、いつの間にか自分の中の「人付き合いへのスタンス」が歪んでいたことを認識した。相手と「いつでも連絡が取れる」という考えが、自分の中に前提として存在していて、実際に会って会話することを軽んじていた気がした。
モンゴル
モンゴルに1人で旅をして、現地の大自然や人々との交流を楽しむ内容だった。
若林による丁寧かつ精緻な情景描写と心理描写のおかげで、彼と同じ目線になって旅を楽しむことができた。特に、草原を馬に乗って走る場面は爽快感を得られた。
この本で読んだ中で、モンゴルに1番行きたいと思った。
あとがき
旅を経た若林による、日本の現状の分析と今後の生き方について。
あとがきを読んで、自分がこれまでの人生で感じてきた「生きづらさの正体」を明確に理解することができて、本当に嬉しかった。また、旅を経た若林から、今後の生き方についてのヒントをもらえて、少し救われた。
「日本特有の“世間”信仰」と「新自由主義」の相性の悪さは、一部の人間に居心地の悪さを感じさせていて、それは今後も続く。その上、「新自由主義」と「資本主義」による格差と分断は今後さらにエスカレート。つまり、今よりもっと生きづらい未来がこれから待っているのは確実と考えられる。
そんな絶望的ともとれる状況下で、これからの私たちに重要なのは“没頭”と“血の通った人間関係の構築”ではないか。
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eldstorm · 2 months
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うまく騙されないように、人の思考のクセを知っておこう。
コミュニケーション
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ブログ:安達裕哉の記事一覧
Twitter:安達裕哉(Books&Apps)
著作:頭のいい人が話す前に考えていること(ダイヤモンド社)
人には、どの人にもある「思考のクセ」が存在しています。
そうしたクセは、普段あまり意識されることはありませんが、「知っている」人は、それを良くも悪くも「実態を隠す技術」や「他人を操作する技術」として使うことがあります。
例えば、「アンカー効果」として知られている思考のクセがあります。
これは「予測を立てる直前に見た数字をアンカー(よりどころ)にしやすい」という傾向です。
当然これは、金儲けにも利用できます。
数年前、アイオワ州スーシティーのスーパーマーケットがキャンベル・スープのセールを行い、定価から約一〇%引きで販売した。数日間は「お一人様12個まで」の張り紙が出され、残り数日間は「お一人何個でもどうぞ」の張り紙に変わった。 すると、制限されていた日の平均購入数は七缶で、制限なしの日の二倍に達したのである。
このように、心理に関する知識は、成果を大きく左右することもあります。
では、このような「思考のクセ」。
他にどのようなものがあるのでしょうか。
1.直感で信じたものを覆すことはほとんどない。
言い換えれば、「第一印象で決まる」。
例えば、採用面接で面接官は
「最初の数分で得た、候補者への印象を検証するために、残りの殆どの時間を使う」
と言われています。(採用ミスはこうして起きます。)
第一印象が良ければ「採用するための質問をする」
悪ければ「落とすための質問をする」のが面接官です。
逆に言えば、候補者側は「とにかく第一印象を重要にせよ」というアドバイスに従う必要があるということです。
これは「文章」にも当てはまります。
例えば、人物描写をするときに、その人の特徴を示す言葉の並び順は適当に決めてはいけません。
明るい 素直 けち
と書くほうが、
けち 明るい 素直
と書くよりも、良い印象となります。
2.ベストケースしか想定しない
将来予測をするとき、人は「最もうまくいくケース」しか考えません。
しかし、実験によれば、99%の確率で終わると宣言した時間で実際にタスクを終わらせる人間は45%のみです。
これは「ホフスタッターの法則」と呼ばれ、コストを過小評価し、便益を過大評価する人間の思考の癖です。
稲盛和夫は「悲観的に計画し、楽観的に実行せよ」と述べましたが、経験的にこれを知っていたのでしょう。
3.人は独自性を誇張する傾向にある
「うちは特別だからね」という話をどの会社でも聞きます。
しかし実際にそれが特別であるケースは少なく、仮に違っていたとしても、その差はわずかに過ぎないのです。
むしろ、独自性バイアスは、必要以上のコストを掛けて、自分たちの独自性を守ろうとしますから、組織に不利益をもたらします。
むしろ「独自性を誇張しない人のほうが独自性がある」と認識すべきです。
4.物語VSデータは、物語が勝つ
人は物語が大好きなので、プレゼンテーション資料も、報告書も、物語性のあるものが好まれます。
これだけなら良いのですが、物語のできが良すぎると、人間はデータを見なくなります。
場合によっては、「データが少ないほど、物語としての辻褄が合いやすい」ので、データを排除しようとする人もいるくらいです。
ストーリーの出来で重要なのは情報の整合性であって、完全性ではない。むしろ手元に少ししか情報がないときのほうが、うまいことすべての情報を筋書き通りにはめ込むことができる。
賢くあろうとすれば、自分に有利なデータではなく、自分に不利なデータも集めなければなりません。
そうして初めて「物語」に騙されずに済みます。
5.確率を理解できない人は多い
まず、次の文章を読んでください。
リンダは三一歳の独身女性。外交的でたいへん聡明である。専攻は哲学だった。学生時代には、差別や社会正義の問題に強い関心を持っていた。また、反核運動に参加したこともある。
では、次の質問に答えてほしい
リンダは銀行員か、それともフェミニスト運動に熱心な銀行員か、どちらだと思いますか
聡明な人であれば、当然前者を選択するでしょう。
しかし、多くの人は後者を選択します。
複数の主要大学の学部生を対象に実験を行ったところ、八五~九〇%が、確率の論理に反して二番目の選択肢を選んだのである。しかも呆れたことに、この連中はとんと恥じる様子がなかった。 あるとき自分のクラスで「君たちは、初歩的な論理ルールに反していることに気づかなかったのかね」と怒ってみせたところ、大教室の後ろのほうで、誰かが「それが何か?」と言い放ったものである。
確率は説得の材料として、全く役に立たない事がよく分かります。
6.心配が多かったり、忙しすぎると、頭が悪くなる
多くの心理学研究によれば、自分を律することと、注意深く頭を使うことは、どちらも等しく、脳に負荷をかける行為です。
したがって、認知の負荷が高くなると、誘惑に負ける可能性が高いのです。
認知的に忙しい状態では、利己的な選択をしやすく、挑発的な言葉遣いをしやすく、社会的な状況について表面的な判断をしやすいことも確かめられている
このため、例えばある行為の結果について心配しすぎると、実際に出来が悪くなることも多いのです。
常に忙しく、給料も安い「ブラックな職場」では、利己的で、口が悪く、思慮の浅い人が増えてしまう。
ですから、これはもはや「社会悪」と呼んでも良いのではないかと思います。
7.好き嫌いで決まる
多くの人は
「それが好きな場合は、メリットばかり思い出す。」
「嫌いな場合は、リスクばかり思い出す。」傾向にあります。
スロビックのチームは感情ヒューリスティックのメカニズムを調べる実験を行い、水道水へのフッ素添加、化学プラント、食品防腐剤、自動車などさまざまな技術について個人的な好き嫌いを言ってもらったうえで、それぞれのメリットすると、二つの答はあり得ないほど高い負の相関を示した。すなわち、ある技術に好感を抱いている場合はメリットを高く評価し、リスクはほとんど顧慮しない。逆にある技術をきらいな場合はリスクを強調し、メリットはほとんど思い浮かばない。
したがって、物事を通しやすくするには、あれこれ論理を組み立てるよりも、「好かれる人」になることが最も簡単です。
SNSを見れば、多くの人は、あれこれ理由をつけて主張をします。
「ワクチンが〜」
「フェミニズムが〜」
「子育てが〜」
「社会保障が〜」
でも、一皮むけば、
肯定的な意見は、「それが好き」。
否定的な意見は、「それが嫌い」。
そう覚えておいて、ほぼ間違いありません。
8.人は慎重に考えるよりも早く一つに決めたい
いくつもの選択肢を並行して考えることは、認知的な負荷が高い状態です。
認知的な負荷が高い状態は疲れますから、仮に選択が間違っていたとしても「早く決めて楽になりたい」と、思うのです。
これを「コミットメントの錯誤」と言います。
「たまたまモデルルームを見に行ったら、そこで買ってしまったよ」
と言う発言は、コミットメントの錯誤の典型であり、家や保険など、選択肢が無数にあり、かつ高額な買いものが、想像よりはるかに簡単に行われているのは、そのためです。
なお余談ですが、人には「自分が持っているものを高く評価する」という思考のクセ(保有効果)があり、高い買い物をしたとしても、後悔することはめったにありません。
「買わせてしまえばこっちのもの」と思っている営業マンは少なくないでしょう。
9.簡単にわかるものが好かれる
認知が容易なものほど好かれます。
例えば、見やすい表示、以前に聞かされたことのあるアイデア、見覚えのあるマーク。
こういったものは認識がしやすいため、それだけで「好ましい」と感じられます。
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(出典:ダニエル・カーネマン ファスト&スロー)
また、機嫌がいいときや、体調のいいときには、「好ましい」と評価することが多くなりますから、上司の機嫌を見て、何かを提案するのは正しい行動です。
ただし、これは���端な話、「内容を問わない」という事でもあります。
「鶏の体温」という表現を繰り返し示された人は、「鶏の体温は四四度である(もっともらしい数字なら何でもよい)」という文章が出てきたときに、正しいと判断しやすい。 文章の一部になじんでいるだけで、全体に見覚えがあると感じ、真実だと考えるからだ。ある発言や文章の情報源を思い出せず、手持ちの情報とも関連づけられないとき、あなたはつい認知しやすさを手がかりにすることになる。
注意をしないと、「何度も見せられている」と言うだけで、それを真実だと信じてしまうかもしれません。
10.自分の頑張りには甘い評価をつける
チームで仕事をする場合、自分のほうが他のメンバーよりがんばっており、他のメンバーの貢献度は自分より小さいと考えがちです。
例えば、各自がチームに対して、どの程度の貢献をしているかを百分率で表してもらうと、チーム内のメンバーの数値の総和は100%を超えてしまいます。
あなたはもしかすると、自分に配分された報奨以上の貢献をしたのかもしれない。だがあなたがそう感じているときは、チームのメンバー全員も同じ思いをしている可能性が高い。このことは、誰もが肝に銘じておくべきである。
これは、性格的な要因はごく小さく、誰でも同じような傾向を示します。
なぜかと言えば、「自分の貢献が一番思い出しやすく」かつ「思い出せないものより思い出せるものの方が強力な説得力を持つから」です。
投票を呼び掛ける活動は、投票日直前にやるほうが強力、という、ごく当たり前の話ではありますが。
これを利用可能性ヒューリスティックスと言います。
人事評価は自己申告を基にしてはなりません。
大抵の場合、過剰評価となってしまいます。
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manganjiiji · 10 days
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宿痾のグラデーション
疲れている。昨日から今日にかけて2日間寝たきりである。やはり4日続けて活動すると、私は次の日全く体を動かせない。このことはよく自分で気をつけてスケジュールを決めなければならない。これがわかっていても活動せざるを得ない時(病院や仕事の予定が詰まる時など)があり、それってどうすればいいんだろう。無理なものは無理なのだが、こっちもあっちも無理で、無理同士がぶつかって、まあどっちかが崩壊する。主に私の体が崩壊してだいたい仕事を休み職場の人の負担を増やす。これが最悪なのだが、じゃあどうしろってんだよ、という感じで、こういう時、もう全ての思考を放棄してただ寝続けることになる。このままじゃあ永遠に「ちゃんとした大人」になれないので、対策を考えたい。体力をつけるとか。とずっと言っているが、言っているだけで結局体力は落ち続けているような気がする。焦らずに、「スモールステップ」「できるところまで戻る」の実践だ。何をどうやったら意志を強くできるのだろう。やる気が出るのだろう。私はいろいろな希望を持って明るく楽しく生きているけれど、そういった「理想」の部分、かすみのような、まやかしの部分を取り去れば、これは単に、「1人で死にゆく人間の残りの時間」でしかない。そこに私は希望を詰め込んでいるが、これをしなかったら、相当暗く悲しい毎日になると思う。家族を持ちたいという夢は17歳で諦めてしまい、もう叶うことはなかったし、夢はあったが、健康な体と頭には恵まれず、ようやく回復したところで37歳。ここからでも入れる保険があるんですか!?無いです。すでに障害年金を受給しているし、ないです。なんか、もう、ないんです。ほんとうに、残りの人生をいかに悲しくなく過ごすかしか、もう無いのかもしれない。パートナーがいるとか、子供がもてるとか、そういうことが許される人生では到底なかった。でも、表向きは、そういう人たちとなんら差のない人生を送ってきましたよ、という顔をしなければならない。人は、自分より恵まれていない人がその場にいると、かなりのストレスを感じるからだ。だから私はつねに「恵まれてきた」という態度で存在するよう心がけてきた。そうしないと一瞬で社会からは弾かれる。そういう緊張感がいつもあった。ひとたび自分の「現状」が知られ、私がその事に悲しみでもしようものなら、もうそのコミュニティにはいさせてもらえない。でも私は、不幸を嘆いている人達ばかりのコミュニティには興味がない。なんらかの悲しみがあったとしても、前を向いて自分の豊かさをきちんと見つめている人が好きだ。言っていることが混乱してきたが、ようは、恵まれて育ってきた人間の方が、思考が健全だし、恵まれなく育ってきた人間でも普段はそれを隠している人の方が思考が健全であるということだ。思考が健全である方が、この世の真理に近づけるし、早くたどり着けると思う。そういう意味で、私はその方向を好む。思考が健全というのは、ノイズが少ないということだ。自分が生育環境から受けてしまった独特の思考や歪み、偏見、先入観は、真理から遠ざかる、または、たどり着くのに時間がかかる障害となる。真理というものがあると思っている。この世に正しさがあると思っている。そんなものはないという態度の人は不誠実であると思っている。人間には目指すべき姿があると思っている。私はそちら側の人間である。そうは言っても現実はこうで、こういう人もこういうこともあって、正しさなんて言い出したらきりがないんだし、目の前の生活をちゃんとできたらそれでいいじゃない。みたいな考えの人とは、もう一線を画しまくる。目の前の生活なんてどうでもいいのだ。正しいことは正しい、やるべきことはやる、なぜ生まれて生きているのか考える、生まれた以上はこれ以上世界を悪くしない方法を考える、例えそれが止められないことだとしても考え続ける。プライベートなんかいらない。公生活のみで結構だ。そう思うくらいには、プライベートを大切にする、つまり世界に利する行為ではない自分のための時間をもつ、ということに興味がない。全てを世界に利するための時間に使わないともったいないと思う。こんな過激な思想をしているんだからパートナーなんかできるわけがない。というのは、鶏と卵論争になってしまうと思う。正直、結婚と出産を為せた人生だったら、私はここまで世界のことを考えなかったと思う。家族をもてるなら、家族との生活に全振りして、他のことは別にどうでもよかった。家族を持てないから、こんなぎりぎり苦しい毎日を送っているわけである。(?)
子供は無理でも、パートナーはいてもいいんじゃないかと思うので、とりあえず痩せたい。この太ったままの体で誰かと共同生活を送る気になれない。体についた20kgが落ちる日は来るのだろうか。体が重くて毎日泣いています。
2024.9.12
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oka-akina · 1 year
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0721
 昨日は財布とスマホを忘れて労働に出かけてしまった。気づいたのは電車の中で、あちゃーとは思ったけどまあでもパスモ(クレカと一体型のやつ)があるからべつに平気だなと思ってすぐあきらめた。待ち合わせの予定とかもなかったし。こういうときに限って何か緊急の連絡が…とはちょっと思ったけど、一月に義父が亡くなったばかりだからしばらくそういうことはあるまいと思った。またそういうことがあるかもとはあんまり考えない。こういうのって性格なのかな。誰からも何も来ないに千円と頭の中で賭けた。  つまりわたしは労働に遅刻しないよう、わざわざ引き返さなくたって平気だと自分に言い聞かせているのだろうかとちょっと思った。そんなに遅刻をおそれているのか。ちょっとくらい遅刻したって気にしない感じの方がいいのになと思う。自分も周囲も。わたしは電車とか待ち合わせとか映画の上映開始時間とか、いつもいろんなことがギリギリで、ギリギリまで仕度ができないタイプなんだから大手を振って遅刻しちゃえばいいのに毎度バタバタ走って大汗をかいている。悪あがき。一生こうやって走っているんだろうかとときどき恥ずかしくなる。
 さっき電車に乗り込むとき、ホームと電車のすきまに靴を落としてしまった人がいた。すきまにかかとを引っかけて転んでしまったようで、一瞬迷ったけどわたしも電車を降り、大丈夫ですかと声をかけた。このときはまだ自分が財布とスマホを忘れてきたことに気づいていないのが、なんか昔話の正直者っぽいムーブだな……。人助けってほどのことでもないけど、うっかり者で正直者のなんとか太郎的な。  でもそんなんではないな、昔話の無償の正直さではないな。自分も乗りたい電車に遅れそうでしょっちゅう走っているタイプだから味方したくなったってだけかもしれない。自分ももうずっと前、学生時代、靴をホームのすきまに落としたことがあって、東中野の駅で足を踏み外して体ごと落っこちかけたのを近くにいた人がすぐ引っ張り上げてくれた。そのときは演劇のフライヤーを業者に届けに行く用事でかなり重たい紙袋を持っていた。よく引っ張ってもらえたなと思った。そういう善意の循環……みたいなこと���考えるとなんかちょっと気味が悪いような気もする。これはわたしがひねくれているだけかも。  転んだ人は声をかけられてかえって恥ずかしいかもしれないと思って、駅員さんが来るまでなんとなく近くで見守り、駅員さんはすぐ来たので車輌ひとつぶんくらい離れたところに移動した。そして、電車一本くらい見送ったっていいや、多少遅刻してもいいやという判断をした自分に酔っていないか?みたいなことも思った。多少の遅刻は気にならない自分をやりたかったんではないか。なんだか心臓がばくばくし、さっきその人が転んで尻もちをついたとき、プリキュアみたいな絵面と一瞬重なった。スカートが広がった感じと手に握ったままのハンディ扇風機がなんか魔法少女みたいだなと思った。それがうしろめたくて声をかけたのかもしれない……とかも考えた。  なので財布もスマホも忘れてきたと気づいたときちょっとほっとした気持ちもあった。慣れない善意のようなことをしたからそれと釣り合いがとれているような気がした。バチが当たるの逆みたいな。
 そういうことを考えていたら電車はすぐ着いて、財布もスマホも持っていないのに水筒と読みかけの本は持って会社に出かけるのなんか優雅だな…と思った。あとタオルと日傘と飴。リュックの中で水筒の氷がカラカラ鳴って、このごろ水筒には冷たいお茶を入れているから、歩くたび遠足の子どもみたいな音がする。  読みかけの本はレアード・ハント『インディアナ、インディアナ』。柴田元幸訳。柴田元幸だから読んでみるというのは武豊が乗るから買っておくみたいな感じ? わかんない。インディアナ〜は難解な小説ではないと思うんだけど、ゆっくり読まないとすぐなんだかよくわからなくなる小説。もうあと少しで読み終わるんだけど、読み落としているところがたくさんある気がして行きつ戻りつ読んでいて、今はもっかい最初からゆっくり読み直している。 「ヴァージルの死ぬ間際にノアはもう緑の印は見つかったかとヴァージルに訊いて見つかったならどこにあるのか教えてくれと頼んだがヴァージルは長いあいだノアの顔を見てそれから眠りに落ちそれから目ざめてノアの顔を見てそれからまた眠りに落ちた。」だいたいこういう感じ。辛抱強く話を聞くみたいな小説で、いつかこういうの書きたいな、書けたらなあと思う。このそれからが3回続くの、自分だと書くのに勇気がいると思うし、書いたとしても書いたぞってあざとさが出てしまう気がする。
 お昼は会社の横に来ていたフードトラックでタコスを食べた。パスモで支払えた。白いタコスには鶏肉、ピンクの生地には牛肉の赤ワイン煮込み、黒っぽい生地にはサボテン?を何か和えたやつ。三個入り。キウイのサルサが辛くて美味しかった。スマホを持っていたらぜったい写真を撮っていたなと思った。  並んでいるとき、トラックに据えた鉄板の火が消えてしまったようで店の人が五分くらい格闘していた。しばらくチャッカマンをカチカチやっていたけどたぶんチャッカマンも燃料切れのようで、ぜんぜん火がつかない。ライターでやろうとしてなかなかうまくいかず、昼休みの��分くらいってけっこう長く感じるしかなり人も並んでいたんだけど、その人はまるで焦らず黙々とやっていたのですごいなーと思った。焦りが顔に出ないタイプなだけかもしれないけど。べつに誰にも謝らず、普通に注文を受け普通にタコスを包んでとやっていて、そうだよなあと思った。
 労働を終えまっすぐ帰宅したらスマホにはやはり誰からも連絡は来ていなくて、千円勝ったと思った。千円くらい何か食べようと思った。わざわざ夜出かけるのめんどくさいなとは思ったけど、金曜の夜でほんとは寄り道したかったのだから出かけたい気持ちが勝った。  ぶらっと出てみたらいつもより涼しくて、どこまでも散歩できそうな気持ちのいい晩だった。ぶらぶら歩き、なんとなく電車に乗っていた。夜だから上り電車は空いていて、定期圏内の、でもあまり降りる用事がない駅のちょっと歩いたところにある中華料理屋というか定食屋というか、カツカレーが美味しいらしいので前から行ってみたかった。ふだんぜんぜん用事のない、買い物に行くような街でもない、誰も知り合いもいない駅。ここでわたしが何か交通事故とかにあって死んじゃったりしたら、なんであんなところにいたんだろうと家族は不思議に思うんだろうな……とあまり行かない場所に出かけるたび思う。  駅を降りたら書店があったので覗いてみた。雑誌と漫画と学参の棚が大きい、ちょっと広めの店舗の懐かしい感じの書店。気になっている本のリストを頭に浮かべながら物色し、目当てのいくつかは置いていないようだったけど、そういえばしゃしゃさんの本が今日発売日じゃなかったっけと思って探した。『蒼き太陽の詩』。1,2巻は棚に差してあったけど今日発売の3巻はなかった。レジに持って行って、これの3巻もありますかと尋ねたら奥から出してきてくれた。ラスト一冊でしたと教えてくれた。あっ善意と思った。カツカレーを食べながら読んだ。  『蒼き太陽の詩』は、アラビアンファンタジーというのかな、双子の王子が国王の座をめぐって殺し合う……というワクワクハラハラする物語。砂漠の王国が舞台の大長編で、読みやすくてぐいぐい進んだ。『インディアナ、インディアナ』を読んでいたから余計にそう思うのかも。壮麗な織物みたいな物語で、読んでいるとキャラクターたちの声が聞こえてくるし人や周りの風景が目に浮かぶ。生き生きとしている。これアニメになったらいいなーと思った。赤将軍のユングヴィはファイルーズあいさんがいいな……。
 カツカレーの店は、客はわたしだけで、店のおじいさんは座敷でテレビを見ていた。テーブルにハイボールのコップとつまみがいくつか並んでいて、わたしが来たのでおじいさんはちょっと慌てたようすで、でもにこやかに注文をとってくれた。すっかりすり減った畳が赤くなっていて、ちょっと緊張した。あまりきれいでない状態に緊張するのもあるし、よそものが入ってきてすみませんみたいな緊張感もある。テーブルはきれいに拭かれていた。揚げたてのカツが大きくて、油と肉汁がジュワッと溢れてきてすごく美味しかった。カレーは濃くて、柔らかくほぐれた牛肉もけっこう大きいしたくさん入っていた。たしかにうまい。がつがつ食べるうちにだんだん体のこわばりがほどけた。  テレビの音がものすごく大きくて閉口したけど、カツを揚げ終えたおじいさんが汗をぬぐいながら夢中で見ているのがなんかよかった。『チコちゃんに叱られる』というやつ?初めて見た。音が大きいから見てしまう。ボーッと生きてるんじゃねえよってこれかと思った。Vtuberっぽい。おじいさんが何度もはははと笑った。どうしてゴルフボールの表面にでこぼこがあるのかというのをとても真剣に見ているので、ひととおり解説が終わるのを待って会計を頼んだ。
 家に帰ったら板垣さんがツイッターでスペースをやっていたので、洗い物や洗濯物などを片付けながら聞いた。どうやら同じ大学出身だったことがわかって思わず話しかけてしまった。一日いろいろカラフルでなんか気持ちが興奮していたのか、やけにたくさんしゃべってしまって、恥ずかしくなって寝た。文フリの話とか小説の話。  千葉雅也『エレクトリック』、わたしは父親がエロいのがいいと思った。と言ったんだけど、なんていうの、エロいって言い方はちょっとちがう気もするんだけどエロく書くことのすごさがあってそれをそう受け取りたいというか……。これは『サバービアの憂鬱』で読んだんだったかな、「男性は会社(仕事)に嫁ぐ」というのを思い出したの。大場正明『サバービアの憂鬱 「郊外」の誕生とその爆発的発展の過程』。うろおぼえだからちょっとちがうかもだけど、男性が会社(仕事)に対して「嫁」になってしまう、みたいな。父親の人妻的な感じ。そういうエロさ。舞台の宇都宮も郊外(サバービア)だなと思った。そしてそういう小説の、文章自体がヘテロでない感じがあって、すごくよかった。多くの小説の文章が意識的にも無意識的にも備えている、当然の「調べ」みたいなものがあんまりない文章だと思った。
 『エレクトリック』の前後で読んでいた、数年前の文藝賞の作品が、なんかこうすごくどヘテロだったのもあってそう思ったんだと思う。ヘテロが悪いわけではもちろんないけどよくもわるくもどヘテロ、ザ・調べという感じで、この作品のどこらへんがわたしは苦手だったのかを語ろうとすると、そこに糸口があるみたいな話。  なんていうの、村上春樹に文句言ってる場合じゃないくらい若い作家の新しい作品がめちゃめちゃ古いジェンダー観で、読んでいて作品の面白さとかすごさはわかるような気はしたんだけど、でもこれをよしとするんだなあ、帯に誰々氏が激賞と書いてあるけどそうなんだ?!みたいな驚きは、やはりあった。ジェンダー観もそうだし、地方や精神障害者への偏見を強化するような感じもあって気になった。「壮大な作品」「圧倒的な熱量」「知識と想像力を駆使し」と帯に書かれていたけど、わたしは読んでいて小ささや狭さの方が目についた。  いやわざとそう書いている、いかにもなステレオタイプをやることに意味がある作品なんだろうとは思った。仕掛けというか。でも意味があるんですよと書くずるさというか……。ステレオタイプをなぞり続けたい、そのようにして書けるものに作家は意味を見出したいし、どうしても興味がある。それってフェチではあるよなあと思うんだけど、ステレオタイプをフェチと指摘されることってあんまりない気がする。  偏見の強化によって生まれる痛み、それを感じない場所に作家は立っていて、痛みを感じる人のこともあまり見えない。いや見えてはいるかもしんないけど、自分の書くこの作品とはさほど関係ないと思っている? それは別の作家、何かそれにふさわしい属性を持った作家がやることであって自分の作品では関係ない。おそらくは無自覚な特権があり、特権って言うと反発したくなると思うけど……みたいなことを思って、うーーんとなった。やつあたりかもしんないけど。作品名出さずに書いてるからなんのこっちゃって感じだと思うけど。  まあ小説ってそんなに読まれないんだろうなと思った。読む人そんなにいないから、これのここってどうなのみたいな話題にのぼることってあんまりない。漫画とはそこがちがう。あとまあわたしが純文学、文芸誌とその賞にそれなりに夢をもっている(もっちゃっている)ふしはあるな…。
 そしてこの作品の直後にC・パム・ジャン『その丘が黄金ならば』を読んであーーーこういうのが好きだ〜〜と思って、なんかそういう不満のようなものはふっとんだ。大きい。大きい小説。こういうのがいい。小さい小説がだめなわけではぜんぜんないけど、大きい話を書こうとしたものが狭苦しく感じられるのはやはりつらい。あと長さもよかった。四六版で384ページ。父親が亡くなり子どもたちが埋葬の旅に出る…という筋書きで、本のけっこう前半で埋葬は済んじゃう。その後が長いのがよかった。純文学系の賞はちょっと短いのかもしれない。「自分の書くこの作品とはさほど関係ない」と書いたけど、まあだって短いもんなー。読む人にも書く人にも。この長さの話はもうちょっと掘り下げたい。日記に書きたいことっていろいろあるな。長くなったのでまた今度。
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patsatshit · 10 months
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ようやく寒くなり冬らしい空になってきた。先週までは上着もいらないくらい暖かかったので天気大ジョーブかい?って気にしていたのに…。そろそろダウンの登場か。今年も経たねぇ……。というわけで今日は一日クローゼットの整理をしていた。ここ数年は滅多に服を買わなくなった。
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大学生の頃は今よりファッションに対するアンテナがビンビンに張っていて、特に古着に興味津々だった。自分のイメージを映画や書物から写真を撮りpinterestに保存しては似た服を探し歩いていた。例えば画家のデュギー・フィールズが被っていた歪曲なベレー帽とカウボーイワッペンが付いたブルゾンの着こなし、ダン・アンド・カンパニーのボウラー帽子の合わせ方など、主にアンティークな雑誌やポスターから頭に仕入れて、古着屋でそれっぽいものを探してはバイト代を注ぎ込んでいた。下北、原宿、高円寺へ行けば大体の理想が叶う。
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でも年齢を重ねる内に服がほしいというよりも着こなしがしたいと思うようになった。自分なりの服装哲学がないままにお金やエネルギーを注ぐのは馬鹿らしい。自分の肌に合った布を選び、着心地の良い服装をする。それっぽいものを探して着ることよりも自分の生き方に合った服装をすることの方が大事な気がした。仕事着もできれば私服にしたいが、スウェットで他企業に乗り込むわけにはいかない。893じゃないんだから。ビジネス着とはいえ、できるだけ自分の雰囲気、感触に合ったものにしたい。
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クローゼットの中はほとんど学生時代に買った服ばかり。どうにか組み替えて着続けている。30越えたら服装もグレードアップさせたいな、とか思ってた時期はあるけど、趣味嗜好があの頃と変わらないから一生これやな…というモード。いいものはいい、ということは分かっているから手放す必要がない。学生時代、一生懸命アルバイトをして手に入れた91年製のAIR MAX90、バブアーのブルゾンはもちろん、傷み知らずのスティーブンアランのワークコートなど…。それぞれに思い出がいっこ乗っかってるから手放しづらいというのもある。だからアウターやトップスに関しては出来るだけ今あるもので、着こなしを変えていきたいと思う。春夏秋冬と自分の体質(冷え性とか)、行き先などに合わせて組み合わせを考える。この時間が結構楽しい。もうあかんかなぁって思ってた「NISHIMOTO IS THE MOUTH」のえぐ重たいスウェットの使い途とかサーマルが大好きなこととか何通りもの発見があった。
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↑昨年ご縁があって購入したkitai condiment さんのコーデュロイパンツ。また履ける時期がきた。嬉しい。後ろっ側バックルで絞るという発想、天才。こなれ感がかわいい。
ブランドはあまり分からないけど、季節や肌に合った布選びがしたいなと思う。
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最近またまたフラカンがキテる。Creepy Nutsのラジオ聴き直していて、2020年のどっかの回で、Rさんが「深夜高速」の歌詞にグサっときたって言ってた話にめちゃめちゃ共感した。私もふとラジオから流れてきた「生きててよかった」にジワッときた一人。同じ番組聴いとったんちゃうか…。
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最近James Herseyというアーティストを知ってずっと聴いてる。私の映画アカウントに頻繁に「いいね!」をつけてくれた縁(一方的な)でCD買いました。
最新アルバム『Let It Shine』は全体的に明るい曲調で、正直聴いたことあるメロディやなぁと思っていたのけど、陰のある歌詞にグッときた。この感じでダークな世界なんだ…!という驚き。作家性に惹かれました。James HerseyからMaël & Jonas、JEREMIASなどのジャーマン系インディーバンドを知りました。嬉しい発見。
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ここ数日、誠光社の堀部さんに借りっぱなしさせてもらってる『ガロ』をまたまたまたまた読み直してる。
やっぱり「昔は良かったなぁ」じゃないけどもこの思いつきと情熱だけで独自路線を貫いてる感じ、懐古モードに入ってアァーいいなぁってなる。矛盾を孕んだ世界を自ら選択して抑制されてんだから、やりたいことやったもん勝ちなんだと目の当たりにさせられると普通にショックを受けるわけです。いろいろばかばかしくなってくる。ハイ!放棄!ができればいいけど。人間は人間らしく生きるべきだなぁと実感。数ヶ月間のすさんだ気持ちを昇華できたのは沼田元気さんの「憩」の被写体とヒップvsスクエアの文、しりあがり寿せんせーの漫画のおかげかな。
沼田さんのヒップとスクエアの概念、そうなんだよなぁと共感得られすぎて辛くなりつつもあり、ほんのわずかに希望を持たせてくれた。常にもやもやしてること、考えてるけど吐き出せないことをハッキリ言葉にしてくれてありがとうございます。
あと個人的に面白かったのは『男の座談会』。松井良彦、中原昌也、根本敬という特殊なアーティスツによるクレイジー(猥雑)な映画談義。想像力たくましく一気に読みました。事細かに書く���は控えたいが、舞台挨拶の後に上裸の女性が自分のオートバイに股がって悩み相談、から「ブス」までのエピソードの破壊力…完全に危ない人なんだけど、それがもう治安の悪さを物語ってる。『豚鶏心中』観てファン層のヤバさ(いい意味で)に共感してみたい、とか謎の好奇心に冒される。
とにかく早く返さなきゃ。
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israeeel · 1 year
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ペテロは、ちょうど裁判を終えて
通りかかられた主イエスの御顔を見て
「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、
三度わたしを知らないと言う」
と言われた主のみことばを
思い出しました。(ルカ22:61)
すでに、鶏は泣いていたのです。
しかし自分のための快適な場を
作ることで懸命になっていたペテロは、
自分のことに夢中で、
その鳴き声には気がつきませんでした。
しかし、
二度目に鶏が鳴いた時、彼は気がつき、
そこを通りかかられた主の御顔を見たのです。
あの大祭司の官邸でさばきを受けられた時、
吐きかけられたつばきが、
主の御顔に飛び散っていました。
またなぐられたこぶしのあとと、
平手打ちのあととが、
あざとして残っていたのです。
その御顔を見た時、ペテロはわれに返りました。
すべてが悪夢のごとく、
彼はようやく目がさめたのです。
しかしマタイは、その後、
ペテロが立ち直った時のことは、
何もしるしていません。
それは、あたかも
重大な罪を犯したのは、
ユダヤ教の指導者だけでなく、
自分たち十二使徒さえも、
主を否んだのだと言って、
自分の罪を告白しているかのようです。
このペテロを立ち直させたもの、
ペテロの信仰がなくならないようにさせたものは、
いったい何だったでしょうか。
それは、ペテロが三度主を否むという警告を
主から与えられた時に、
主がさらに言われたみことばです。
「シモン、シモン。見なさい。
あなたがたを麦のように
ふるいにかけることを願って
聞き届けられました。
しかし、わたしは、
あなたの信仰がなくならないように、
あなたのために祈りました。
だからあなたは、立ち直ったら、
兄弟たちを力づけてやりなさい。」
(ルカ22:31〜32)
ペテロが主を否んで、
堕落の坂をまっさかさまに
ころげ落ちていた時、
二度目の鶏の鳴き声を
聞き分けることができたのも、
ちょうどその時、
そこを通りかかられた主の御顔を
見ることができたのも、
またその時、主が三度否むと言われたみことばを
思い出すことができたのも、
そして悔い改めの涙を流すことができたのも、
主が彼のために祈っていてくださったからに
ほかなりません。
私たちがたといつまずいても、
また立ち上がることができるのも、
また、つまずかずに歩くことができるのも、
それは主が私たちのために、
天にあって絶えず
祈っていてくださるからにほかなりません。
【本当の祈り/尾山令ニ】
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ari0921 · 1 year
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我が国の未来を見通す(85)
『強靭な国家』を造る(22)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その12)
宗像久男(元陸将)
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□はじめに
前回も書きましたが、私は、1978年から2年間、
アメリカに留学し、航空宇宙工学という工学部では
当時、最先端を走る分野を学ばせて頂く機会があり
ました。
これもすでに触れましたが、当時はアメリカ経済が
停滞し、その反動で円高が進み、毎月の円建て給料
がベースアップするなどお陰で助かりました(今は
その逆で、留学生は日々の生活も大変だと聞いてい
ます)。また、アメリカ国内にはベトナム戦争の
“後遺症”が残っていて大学構内でも反戦集会が開
かれるなど、アメリカ全体の“士気”が落ちている
ような時期でもありました。
この間、アメリカ人の他、留学生仲間で親しくなっ
たのは台湾人、韓国人、ベトナム人、フランス人、
エジプト人、アルジェリア人、イラン人、コロンビ
ア人などで、当時は中国大陸からの留学生はおりま
せんでした。
滞在間に、イラン革命が発生し、イラン人留学生が
帰国するかどうか悩んでいたこと、そして台湾が国
連から脱退し、台湾人留学生を慰めたことなどが昨
日のことのように思い出されます。
留学先のコロラド大学はコロラド州立ですが、アメ
リカでは規模もレベルも中堅クラスの大学でした。
大学が所在するボルダー市は標高(約1マイル〔1
600m〕)が高いという立地条件も手伝って、航空
宇宙工学などは割と有名でしたが、ほかの学部にも
日本からの留学生がたくさんおりました。
また、大学には、夏季を利用した留学生のための英
語の集中講義があり、秋に全米のビジネススクール
などに入学する日本人も夏季期間中だけキャンパス
に滞在していました。当時は、数多くの名立たる企
業が優秀な社員をアメリカのビジネススクールに留
学させていたのです。前回、“日本にも誇らしい時
代があった”と書きましたが、現在はどうなってい
るかについては本論で触れましょう。
もう一つの思い出が、大学の研究費のほとんどが政
府や州、それに軍などの公共セクターや企業から援
助を受け、割と潤沢だったことです。ほとんどの教
授たちがそれを当たり前のように活用していました
が、大学では「基礎研究のための資金を集められる
教授が優秀な教授」というレッテルが貼られていた
ことをおぼろげながら覚えています。
わが国では、いわゆる「産軍学複合体」を悪いこと
の象徴のような観点からの解説が多いですが、アメ
リカのみならず、中国やロシアを含む先進国はすべ
て、政府も産・軍・学も共同して、必死になって
「国益」を追求しているような現実を、私は40数
年前に(その一端ではありますが)を自分の経験と
して触れることになりました。
もう一つの思い出が「よく勉強した」ことです。私
の人生の中で、まさに“寝食を惜しんで”あれほど
勉強したのは後にも先にも経験がありません。英語
のハンディもあったとはいえ、「アメリカの大学は
入るのは簡単だが、出るのは難しい」と言われるよ
うに、授業では毎回、課題(宿題)が出ますし、半
年の学期の間に中間試験が3回もあったります。そ
れらはすべて成績に反映され、及第点をとれなけれ
ば容赦なく「F」(Failure:不合格)と判定されま
すので、学生はみな、必死でした。
さて現在、わが国の「教育」はどうなっているので
しょうか。本論で日本の「教育」に関する諸問題を
取り上げ、いかに「国力」に影響を与えているかな
どについて考えてみましょう。
▼「教育」が「国力」に与える影響
 
わが国の「教育」の現状についての“切り口”はた
くさんありますが、いつものように国際比較からス
タートしましょう。最初の出典は、「大学教育が普
及し、教育水準が高い。そんなニッポン像はもはや
幻想」として教育の構造的な問題をあぶり出してい
る『「低学歴国」ニッポン』(日本経済新聞社編)
です。書籍のタイトルのように、「教育もここまで
落ちたか」というのが正直な読後感です。
目についた所を少し紹介します。まずは次の数字で
す。日本人120人、米国人281人、韓国人28
4人、ドイツ人336人、英国人374人……読者
の皆様は、これが何を意味する数字かわかるでしょ
うか。
答えは、「人口100万人あたりの博士号取得数」
の2018年のデータです。(前回も少し触れまし
たが)10年前の2008年より減少しているのは
日本だけだそうで、修士課程を経て博士課程まで進
んだ学生は、2003年度の1万1637人をピー
クに減少し続け、2018年度は約半分の6022
人まで落ち込んだようです。その原因として、博士
号をとっても正規雇用で安定した研究ポストが減り、
その先の展望を描きにくいことが背景にあるといわ
れます。
実際に、2019年度のデータによると、米国の博
士は、企業で21万5千人、大学で24万1千人働
くなどその差はほとんどありませんが、日本の場合、
企業ではわずかに2万4千人余りしか働いておらず、
博士号保持者の75%に相当する13万6千人が大
学で働いています。企業の研究者に占める博士の割
合も、フランスの12%、米国の10%を大きく下
回り、韓国(7%)、台湾(6%)にも後れをとる
4.4%に留まっています。
その結果として、前回紹介しましたように、注目度
の高い科学論文数の順位が落ちつつあること、そし
て鉄鋼や造船のような重厚長大型産業のみならず、
ハイテク分野などの産業競争力の低下が進む要因に
もなっているのです。
経営者の学歴も違いは鮮明です。日本の時価総額上
位100社のうち、84%の経営者が大卒ですが、
米国の経営者の67%が大学院卒で博士課程修了者
も約1割おります。つまり、経営者の「低学歴」も
日本企業の競争力向上を妨げているとの見方も出来
るのです。
個人的な体験に戻れば、コロラド大学の修士課程に
は、陸海空軍の将校たちもたくさんおりました。時
々、校内で軍事訓練をしている光景も目にしました
が、当時、アメリカの将校の約30%は修士以上の
学歴を保有していました(陸上自衛隊では、約30
0名の同期のうち、米留と国内留学合わせて5名ほ
ど、防大の研究科を加えても10数名でしたので、
その差は歴然です。今も変わらないと思います)。
話は変わりますが、だいぶ前に“リケジョ”という
言葉が話題になりました。理工系の学部に進む女性
の割合に関するOECDの2019年の調査結果で
は、工学・製造・建築分野における女性割合は16
%、自然科学・数学・統計学では27%でした。い
ずれも36カ国中、日本は最下位の36位です。そ
の要因として、工学部の就職先は多様で、進学した
後の将来像が見えにくいことがあるようですが、時
代が変わり、工学部卒の女性は産業界から引く手あ
またで、“女性の発想が不可欠になっている”と言
われているにもかかわらず、女性の割合は増えてい
ないようです。“リケジョ”が少ない原因に、その
ような「産業界の実態を高校の教員がほとんど知ら
ない」ことにもあるようで、今後の普及が望まれて
います。
さて、歴史をさかのぼれば、明治期には、近代国家
の国づくりの担い手となる官僚の養成機関として東
京大学などの帝国大学が創設されました。しかし、
近年は、東京大学卒でキャリア官僚を目指す若者が
減り続け、2020年合格者は349人と1999
年以来最少となっています。
法学部卒の優秀な学生は官僚よりも外資系コンサル
タントを選ぶことが珍しくなくなっているとのこと
です。外資系のコンサルでは20代から高給が得ら
れ、各省庁などからの委託を受けて政策立案にも携
われるなど、官僚より“うま味”があることにその
理由があるようです。
かつては、「立志」と「立国」が同時に実現できた
のが、現在は、日本の「国力」が落ち、国際社会の
地位が相対的に低下しているなど、国の将来像が不
透明なうえ、人々の価値観も多様化して、“志と倫
理意識が希薄化している”との分析があります。な
かでも、「今の受験エリートは、勉強するのは自分
のためと教えられて育つため、ノブレス・オブリー
ジェ(高貴さに伴う義務感)や社会に恩返しする感
覚がない」(昭和女子大総長・坂東真理子氏)のよ
うな危機意識を持つ見方もあります。
これらから、「教育」の分野も「鶏が先か卵が先か」
の議論が当てはまるようです。つまり、「このよう
な若者の価値観の変化が『国力』が低下する要因と
なっている」と考えるか、「『国力』の低下が若者
の価値観を変化させている」と考えるか、悩むとこ
ろではありますが、将来の解決に向けて、一つのヒ
ントを与えてくれていることは間違いないでしょう。
本書には、「ゆとり教育」をはじめ、その他の「教
育」に関して山積している問題や課題がほぼ網羅さ
れていますが、良し悪しは別として「Z世代」とい
われるような若者の資質が育まれる、その要因の一
つも「教育」があると考えられます。紙面の都合で
細部は省略します。
本書以外の「教育」に絡む国際比較を少し追ってみ
ましょう。はじめにアメリカに留学している最新
(2021/22年度)の国別ランキングを見てお
きましょう。第1位はダントツで中国(29万人)
であり、2位インド(20万人)、3位韓国(4万
人)、4位カナダ(2.7万人)、5位ベトナム
(2万人)と続きます。1990年代から中国とイ
ンドの留学生が急増し、全体の約半数を占めている
ようです。
中国人がアメリカに留学する理由はさまざまあると
は思いますが、逆に中国に留学しているアメリカ人
は、2020/21年度には382人まで減り、全
体でも1.1万人ほどにしかいないことからすると、
両国の“教育格差は歴然”と言って過言でないと考
えます。
さて日本です。日本からアメリカへの留学は、19
50年ごろから1990年代前半までは増加の一途
をたどります。特に1980年代中頃から急速に増
加し、90年代前半には約4万7千人に及びます。
しかし、2000年代に入った頃から急速に減り続
け、最新のデータで1.3万人余り(11位)まで
減っています。その原因の筆頭に挙げられるのが日
本経済の長期停滞にあると言われています。
経済の長期停滞は国内の教育支出にも影響があった
と推測されます。OECDによると、2019年時
点の「GDPに占める教育機関への公的支出の割合」
は、日本は2.8%であり、37か国中36位でし
た。前年の同率最下位からは改善しましたが、依然
として低い状況が続いています。ちなみに上位3か
国はノルウェー(6.4%)、コスタリカ(5.6
%)、アイスランド(5.5%)で、主要な先進国
は3%半ばのようです。
これに関しては、わが国は、2008年、福田内閣
の頃、文部科学省がGDPの3.5%(当時)の教
育支出を10年間で5%に引き上げる数値目標を盛
り込むことをも目指し、教育会や自民党の文教関係
議員の賛同を得るところまで漕ぎつけましたが、財
務省の反発にあって“頓挫”したという経験がある
ようです。
「国家100年の計は教育にあり」のように、人材
育成こそが国家の要であり、長期的視点に立って人
を育てることが即、「国力」に影響を及ぼすことは、
時代の変化や洋の東西を問わず、普遍の真理である
はずなのですが、財務省の抵抗とそれを跳ね返す力
が当時の政府になかったことが、結果として、「低
学歴国」の“現状”を招いているとすれば由々しき
問題であるのです。
それだけではありません。その結果として、大学な
どの高等教育を受ける学生の「私費負担」の割合は、
日本は67%と、OECD平均の31%を大きく上
回っています。つまり、“子育てには金がかかる”、
よって“子供をあまり作らない”との少子化の要因
にもなっているのです。今頃になって、慌てて育児
手当などを引き上げようとしていますが、当時の
「国家100年」の大義など全く頭になかった罪は
大きいと言わねばならないでしょう。
まだまだあります。2020年時点の高等教育を受
ける学生の私立教育機関に在籍する割合も79%と、
OECD平均(17%)の4倍以上になっています。
再び上記『「低学歴国」ニッポン』によれば、「東
大生の世帯年収は950万円超が5割を超す」との
結果も明らかになっています。つまり、「所得格差」
による教育機会の差異が生じているのです。さらに
は、「東京と沖縄の大学進学率は26.9ポイント
の差」があるなど、「地域格差」による教育機会の
差異も明らかになっています。
面白いデータもあります。の東京都の合計特殊出生
率(2020年)は1.08で47都道府県中ワー
ストですが、沖縄県は1.86で、1974年以降
47年連続で全国1位を維持しています。当然、
「教育」以外の要因があるとはいえ、ここにも将来
のヒントがあるような気がしてならないのです。
▼「教育」は、「未来の国力」維持増強の“一丁目
一番地”
 
改めて、戦後GHQの占領政策以降の我が国の教育
体制を振り返ってみましょう。GHQの教育改革は、
戦前の教育の抜本的に改革を狙いとして5本の柱を
建てて断行しました。つまり、(1)軍国主義や国家神
道を排除するための「教育関係者の追放」、(2)思想
の自由化を推進するための「教育勅語の廃止」、
(3)性別による教育差別をなくす「男女共学の導入」、
(4)地域ごとに教育内容を決定する「教育の地方分権
化」、(5)「6・3・3・4制度」の確立と小・中学
校を義務教育化、でした。この改革にはさまざまな
意見がありますが、現在のわが国の教育体制の基礎
となりました。
戦後のわが国の「教育」を抜本的に見直そうとした
のも安倍元首相でした。首相着任前から、イギリス
のサッチャー首相の教育改革を参考に、「教育再生」
を推進しようと決意されたようです。安部氏の『美
しい国へ』から抜粋しますと、サッチャー教育改革
の柱は、(1)自虐的な偏向教育の是正、(2)教育水準
の向上にありました。あまり知られていませんが、
当時のイギリスも、歴史教育において、長い間の植
民地政策の「負」の側面を重視するあまり、わが国
と同じような“自虐的な自国の歴史観”が生まれて
いたそうです。
サッチャーは、歴史の否定的な部分と肯定的な部分
のバランスのとる方向で教科書を書き直すとと���に、
教育水準の向上のために、教育省から独立した「学
校査察機関」をつくり5千人以上の査察官を全国に派
遣して徹底的にチェックし、水準に達していない学
校は容赦なく廃校にしたようです。当然ながら、学
校現場からはデモやストライキなどの猛反発を受け
ましたが、サッチャーは一切妥協せず、ついに改革
をやり遂げました。
安倍元首相は、幹事長時代にイギリスに調査団を派
遣し、その実態を研究するともに、首相に就任する
や「戦後レジームからの脱却」を掲げ、「教育再生」
にも取り組みました。
そのために、「教育再生実行会議」を設置し、「教
育の質の向上」「教育機会の均等化」「生涯学習の
推進」「国際理解教育の強化」「道徳教育の位置づ
けの明確化」などの改革の方向を定め、GHQによ
る教育改革の結果として、“国に対して誇りを持っ
ている若者が少ない”現状を改善するために、「日
本の伝統や愛国心を育むことを教育の目標」に掲げ、
「我が国の郷土を愛する」という文言を条文に追加
するなどの「基本教育法」の改正を実行しました。
案の定、「戦前の価値観に回帰する可能性がある」
とか「行政がゆがめられた」など論理矛盾している
ような批判が文部科学省内部からも噴出しました。
さて、その成果が現在の若者教育にどのように反映
されているのでしょうか。聞くところによると、小
中学校では、「道徳」の時間がいじめ防止を目的に
「特別の教科」に格上げされたり、大学では返済不
要の給付付奨学金が導入され、授業料減免も拡充さ
れるなど「所得格差」による教育機会も改善されつ
つ、現在に至っているのでしょう。
岸田政権は、これらの教育改革を継承して「教育未
来創造会議」を立ち上げ、昨今のさまざまな環境の
変化を受けて、「オンライン教育体制の推進」「リ
カレント教育の強化」「拠点大学を指定して再編を
先導する大学改革」などに取り組んでいるようです
が、それらを含め、近年の「教育改革」の成果が見
えるのはもっと先なのかも知れません。
一方、わが国の「少子高齢化」は待ったなしです。
現在大学進学率は50%を超えていますが、私立大
学の定員全体に占める入学者数は100%を切り、
大学の50%超が定員割れを起こし、定員50%に
満たない大学も約5%あるようです。しかも首都圏
など都会地の大学と地方の大学の定員充足率も広が
りつつあり、将来、少子化と過疎化が加速すること
によって、この現象がますます顕著になることでし
ょう。
すでに、「東京工業大学」と「東京医科歯科大学」
が統合するとか、「早稲田大学」と「慶応大学」ま
でも近い将来、統合するとの話も出ているようです
が、遅かれ早かれ大学の統廃合は避けられないので
す。
政府は、2022年に「国際卓越研究大学法」を制
定し、この大学に認定されれば600億円規模の予
算が投入されることを担保しているようです。学生
や研究者から「選ばれる大学」を政府が支援をする
のは当然としても、前述したような過疎化を助長す
るようなものであってはならず、ほかの政策との連
携は必須でしょう。
将来の「教育改革」は、純粋に「国家100年の計」
に基づくものであるべきで、予算投入の条件として
“無用な縛り”を加えたり、文科省役人の天下り先
の確保のようなものにならないことを国民は注視し
なければならないでしょう。
バイデン大統領は、今後10年間、幼児教育や子育
て支援などに4000億ドル(約45兆円)を投じ
る計画を打ち出し、同様に、中国は、2035年の
「教育強国」実現に向かって高等教育の機会拡大を
目論んでいるなど、「国家100年の計」はどの国
も同じです。改革する側が、大義を忘れて姑息な思
惑で目先の結果だけを追い求めていると、現時点は
おろか、50年先、100年先の世代も「戦わずし
て負ける」ことになりはしないかと懸念します。
改めて、「教育」は、「未来の国力」を維持増強の
ための“一丁目一番地”であることを肝に銘じる必
要があるのです。
次回は、「国力」を構成する「ハード・パワー」の
最後である「文化」を取り上げ、その後、「ソフト・
パワー」を取り上げて読者の皆様とともに、わが
国はいったいぜんたいどうすればよいのか、考えて
みたいと思います。長くなりました。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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kennak · 8 months
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この文は似たような業種の会社に勤めていた時の事情を元にたぶんそうじゃないかなあ、程度の俺のあくまで勝手な妄想です。 -- 冷凍ケーキの件だけど、ブランド先製造ってこの手の大規模な製造問題を起こさない、または起きても責任の所在をはっきりさせるために、定期的に工場監査して問題発生時のトレース能力の確認を求めてくる。分かりやすく言えば金と工数だけかかるクソ面倒なISO認証(食品だとFSSC)とかも求めてくるし、力量怪しければ信頼できる業界大手を元請けに入れたりコンサル投入してくる。なんでクリティカルポイントの管理や記録確認程度ではなく、受託製造の人間による記録外の原因究明力とか改善力とかそこまで見ている。  そんな状態で製造ラインに乗せて出ていった冷凍ケーキの多数が崩れていましたなんて明らかに製造・搬送ラインまたは付帯設備のコントロールポイント管理を極めて重篤に怠ってないと出てこないので受託製造の社員クラスなら原因100理解ってるし、発注元のブランドも検討つく程度には理解ってる。  ではなぜ原因特定不能と言い張るのか。これは断片的な報道からの俺の予想というか、受託製造あるあるだけど製造ロット数の見極めやら、発注元の要求による難製造工程でライン大規模調整とか発注自体がかなり遅いとか、原料入手の情勢が極端に悪化とかで(ケーキで言うと濃縮乳、鶏卵、生果物とか怪しいよね)結果的に発注側の責任か情勢悪化による、受託側に責任のない難納が発生するときがある。 そんなときでも特定の期間商品では結構な割合で発注側の利益優先で、万が一があっても知らんですよと受託側が折れて製造することがある。まあそうよね、超超超特定の期間商品で大した違いもないのに百貨店ブランドで安くない値段取ってAmazonのセール期間みたくお届け遅れました原因は百貨店側ですなんて、百貨店ブランドの面で客に言えるわけがない。 受託「この納期無理です」発注「いやなんとか!ここなんとかすればいいでしょ、後の責任持つんで~」みたいな風景、B2Bの会社だったらあるでしょ、風景見えてこない?見える見える。結果理解してたのか理解してなかったのか、見えないアウトの線を踏み越えて製造をしてしまったことになる。見えないアウトの線ってのが今回のミソ。  製造の話に移るけど、食品製造ラインは一定の品質保つために工程毎の温度管理と時間管理を徹底していて、これは基本的には食品の汚染を防ぐ事が主目的であるんだけど、形状とか見た目の品質維持にも効果がある。ある程度経験上や理論上の安全率を付加した設定になってて、大きく逸脱しない限りはほぼ同質の製品が得られるようにされている。似たような物を扱っていた会社にかつて居たので冷凍ケーキの経験はないが、まあ下記の工程が標準工程として監査や認証時、そして試験製造にて確認されているはず。 滅茶苦茶ざっくり書けばスポンジは何処其処でウン度の低定温庫で入庫ウン時間からウン時間で使用してクリームの温度はウン度冷蔵で仕込みはウン日前で、オーバーランのエアはウン度で粘度はどうだ。充填と手加工や機械加工の通過時間はウン分までで定期的な風味検査。窒素トンネルはウン度でウン分、トンネルフリーザーはウン度ウン時間で定期的に固化状態見る。箱詰めのタイミングは冷凍前か後か知らんが、恐らくトンネル出てからウン分の間に封函。冷凍工程に紙入れたら結露してふにゃってコーティング紙でもかなり強度落ちるからたぶんそう。パレ積みされてリフトで冷凍倉庫に置いてその間に細菌検査の結果見て出荷準備して、細菌検査の結果次第でブランド元の出荷許可が降りたら出荷。 ここでちょっと考えてほしいのが冷凍の工程で、冷凍ケーキほどの大きさでなくても、窒素トンネルやトンネルフリーザー程度では表面が固化するだけで、サニタリサーモぶっ刺して-18℃でも中のスポンジは良くて5℃とかそんなもんと思われる。(空気の層ってかなり冷えづらくて、家を二重窓にしたらなかなか屋外と熱交換しないのと一緒) 現実問題、中身の固化は冷凍倉庫で入っている間に進んでいて、通常の期間商品であれば中継の冷凍倉庫で場合によっては1ヶ月以上保管されることもあり、その間に固化している。これは結構暗黙知な部分で、冷凍倉庫で固化が進むことを製造工程として書きたくても、自社倉庫を出庫してからは運送屋や倉庫屋に固化の責任を負わせられないし、では完全に固化するまで自社の冷凍倉庫に入れる事は現実的に無理。ここに保管期間という見えないアウトの線が引かれている。   これ出荷指示してる人間が理解ってんだか理解ってないんだか知らないけど、工程管理上にも書いてないんやからええやろ、クリスマス間に合わんかったらどうすんねん転がすぞコルァ!と報道でもあるように冷凍時間を2週間から25時間に短縮すると、(これを冷凍時間と呼ぶのかは微妙なところで諸事情で保管期間と言いたいが)それはまあサーモグラフィで見ると真っ青で、抜き取りサンプルにサーモぶっ刺して-18℃の記録が取られてても、中は全然凍ってませんがな、ということになる。 冷凍車やってる運送屋さんは、この手の事情は多少知っているので万が一があると丁重に扱うけど、物流拠点のそれも冷庫仕分けなんて、息ゎ苦しいしマヂ苦しい酸欠で死にそうシュワッチ…シュワッチ!なマジのキツイ職場なんで、そんな暗黙知は知らないし教えても理解しない奴しか来ないので、やっぱり雑に扱われて凍ってなければグシャッとなる。ただ物流拠点に来た時点で中身凍っていることはそもそも前提だし、凍ってないものを一般的な所作で流して潰れた責任までは彼らは負わされていない事だけは擁護したい。  よって 百貨店「運送屋が雑すぎ」運送屋「落としてもないし荷崩れもないが?」百貨店「物流拠点どうなってんねん」物拠点「凍ってないもの扱わせて責任問うんか?」百貨店「受託の製造がおかしい」受託側「お宅の無茶な要求と出荷指示晒したろか?」 百貨店「(なんでや!俺悪ないのになんで俺が悪い言われるんやねん)」←悪い御客様「オラァ!どないなってんねんや!ケーキみたいにグシャッと転がすぞコルァ!!」百貨店「原因特定不能です(すっとぼけ)」 こうなります -- 余談なんだけど、受託側の責任で難納期発生や製造上の問題が発生したら、機会損失も含め損害賠償する契約になってることが結構あって、ブランド元が顔真っ赤で乗り込んでくるんよな。もう受託側は全面謝罪と補償するしかない。でも今回は報道で取材されてた受託側責任者が、百貨店に聞いてくれ責任はあっちなんて言う状況。百貨店が青い顔してすっとぼけてのは、百貨店が何かしらでチョンボしてると見る。 あと一般的な期間商品の冷凍品てのは大体半年前までに試験製造入れて、消費者に渡る2ヶ月前に生産ラインから製品として出てくる。この消費者に渡るまでの時間差が倉庫料として効いてきて、俺が知ってる頃でも倉庫料きつい言うてたので今はもっとギリギリ攻めてるかもしれん。  もっと余談なんだけど、冷凍庫の保管を冷凍工程としないのは品質保証の規定作成に深く関わったことが無いから想定だけども、恐らくそれはHACCPで定める清潔区域に出来ない都合であって、例えば倉庫がトラック搬出の都合で外部と貫通せざるを得ないので汚染区域にするしかないとか。 結局工程扱い出来ないのだから冷庫保管の時間の根拠を示すことはないのだが、実質工程扱いなので時間と根拠を示したら示したで汚染区域で製造工程とはけしからん。となるはずなので現場の人間は、冷庫保管はあくまで検査結果待ちとか出荷指示待ちの建前で、暗黙の了解で運用して���たと考えている。 これは誰がやり��したんか知らんけど、冷凍品の製造業と冷凍倉庫の関係を無視した汚染作業区域とか清潔区域を設定させて冷庫で保管中の製品は保管中であり製造ラインではないし、凍結具合を管理してないしコントロールしてないならそれ工程じゃないよね。更に清潔区域ではない場所で製品凍結させてるとか駄目でしょ。(超要約)とか言い出して杓子定規に適用しないと超絶難癖つけてくる認証機関とか、現実知りつつ一度出た認証を突くのはやぶ蛇と放置してきたせいだと、今回の冷凍ケーキ事件について俺は勝手に思ってる笑
冷凍ケーキの件
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akikohatase · 1 year
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レポート 親子で参加!農業体験ミステリーバスツアー
夏休み企画の「農業体験ミステリーバスツアー」があり、8月6日(日)に息子と参加しました。
到着まで目的地は秘密。「農業」といっても、米も野菜も畜産もありますから、どこに向かうのかドキドキ。
結果から申し上げると、今回は、オーガニックの卵を生産する養鶏所と、最先端の植物工場、を見学したあと、農産物加工品のお買い物を楽しんで、最後に地元食材をたっぷり使ったスペシャルランチを食べました。詳細は下記からどうぞ!
一ヵ所目「ファーム アグリコラ」
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ファーム アグリコラは、札幌の隣町「当別町」にある養鶏所です。代表の水野さんが、アグリコラの特徴や、大切にしていることを話してくださいました。
アグリコラのこだわり01「飼料も国産オーガニック」
日本の飼料はほとんどが輸入。輸入飼料の大豆やトウモロコシは一般的に、遺伝子組み換えが使われています。アグリコラの特徴は、輸入飼料ではなく、国産飼料を使っていること。近隣の有機栽培をしている生産者と連携しているそうです。
また、人間と同じくニワトリも、腸内環境を良くすることが重要だそうで、サツマイモを発酵させた餌も食べさせています。
見た目ウケのために黄身の色を濃くしないので、飼料に着色料を混ぜたりもしていません。
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水野さんのこだわり02「平飼い、放牧」
アグリコラでは、人も家畜も心身ともに健康であることを大切にしています。そのため、平飼い&放牧スタイルをとっているそうですが、おかげで鳥インフルなどかかることもなく健康なんだそうです。
キッズの質問「平飼いと放牧って何が違うの?」
「鶏舎の中で放し飼いの状態で飼育するのが平飼いで、屋外でニワトリたちが外で自由に走り回れる状態の飼育が放牧です。」と水野さん。
一般的な養鶏の「ゲージ式」は、一羽あたりiPad一台分程度の広さのゲージの中で過ごし、鶏舎には窓がないそうです。
アグリコラのニワトリは、土を掘ってみたり、草をついばんだりする姿がほほえましく、みんな元気いっぱい。ずっと見ていられるくらいかわいかったです。
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水野さんが大切にしていること03「農福連携」
「アグリコラは、障害のある方が活躍できる農福連携の取り組みを行っています。」と水野さん。
就労継続支援A型事業所、つまり障害のある方も「仕事として」農業に従事できるということです。
「持続可能な農業」は、言葉にすると短いですが、ここに至るまでの相当なご苦労があったはず。人とニワトリの健康、食べ物としての品質、環境、きれいごとではなく全部大切にしながら、商売としても成立させていく。本当にすごいなぁと思いました。
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キッズからの質問タイム
Q. ニワトリは一日に卵を何個生むの?
水野さん「1日一個生めばいい感じです。ニワトリは25時間ごとに一個生みます。なので、毎日ちょっとずつ生む時間が少しずつずれて、午後3時くらいになったらその日は生むのをお休みします。なので、10日間で8~9個生みます。」
Q. このニワトリの卵からはヒヨコは生まれるの?
水野さん「ここにはメスのニワトリしかいません。メスのニワトリだけで卵を生むのだけど、人間と同じく、赤ちゃんが生まれるためにはオスのニワトリの精子が必要です(受精)。この卵は受精していないため、卵は孵らないのです。」
Q. ニワトリは何年くらい生きているの?
水野さん「ニワトリにも寿命があります。ただ、人間のおばあちゃんが赤ちゃんを生まないように、ニワトリも齢をとると卵を生めない身体になるの。私たちはニワトリからもらった卵を売ってお金にしています。ニワトリから卵がもらえなくなってしまうと、お金にすることもできません。なので、ニワトリには申し訳ないけれど、役目を終えてお肉になるということをしています。ちょっと悲しいけれどね。」
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二カ所目 現代式トマト栽培!?「Jファーム」の植物工場
夏は野菜がたくさん収穫できる季節ですが、北海道の冬は雪が積もります。当たり前ですが、冬は野菜の露地栽培ができません。一年中安定して栽培するために、巨大なハウスの中でトマトを栽培するJファームの「植物工場」を見せていただきました。場所は、札幌市東区。
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苗の見た目にビックリ!
中に入ってまず驚いたのが、ミニトマトの苗の背の高さ!全長はなんと7メートルくらいあり、長~いトマトの苗を天井から紐を使って吊るるように支えて、光の当たりやすい高さに調整しています。家庭菜園だと、1.7メートルくらいの苗を支柱で支えているので、その違いに驚きました。そして7メートルもあるのに、茎の太さは親指程度しかなく、思ったよりも太くないことに驚きました。
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トマトの生育環境に合わせて徹底管理
ハウスの中に入ると、モワッとした熱気が立ち込めるのかと思いきや、意外と過ごしやすい温度帯。この日がたまたま涼しい日だったというのもありますが、トマトが生育しやすい環境に温度管理は徹底しているのだとか。「水は肥料分を溶かしたものをチューブを使って与えています。時間帯や量を管理し、あえて根元が乾く時間帯を設けています」と工場長。
トマトの原産はアンデス山脈の乾いた高山地帯ですから、「暑すぎない」「乾いている」という環境をハウス内で���り出しているということですね。
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収穫量は一日4トン!
今回見学させてもらった品種は、「ダルダリー」というオランダ産のミニトマト。苗が長持ちするため、長期間の収穫にむいている品種ということで、今年から取り扱いを始めたそうです。
収穫量は現在、多い日で一日4トン程度。さらに最終目標は、その3倍以上の収穫量を設定しているそうです。
キッズの質問「もっといっぱい収穫するには、栄養の量を増やせばいいの?」
工場長「重量を上げるには、栄養も関係するけれど、二酸化炭素の量も大切です。光合成に必要なのは二酸化炭素。だから天井の窓を開けてハウスの中に外気を取り入れる調整が欠かせないのです。窓はコンピューターで自動制御しています」
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ちなみに、工場というイメージから収穫作業は機械なのかと思いきや、昇降機にのって人が手摘みしているそうです!
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車内では「野菜○×クイズ大会」
移動車の中では、○×クイズ大会。大人でも迷うくらいの絶妙な問題で、大盛り上がり。
司会の“みっちゃん”がさらに盛りあげてくれて、目的地まであっという間に到着する楽しい時間を過ごしました。
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思春期に突入した息子。周りよりも少しお兄さんだったため、最初は遠慮がちでしたが…しっかり楽しんでいるし(笑)
お待ちかねのランチタイム!
「サッポロさとらんど」に戻り、調理室でランチタイムの準備開始!部屋に入るとスパイスの匂いが…お、お腹が空いちゃったよ~!
サラダ作りプチ講座
子どもたちは、各家庭分のサラダづくりにチャレンジ!レタス類もフリルやベビーリーフなど何種類かあって、少しずつ形が違うだけで、玉レタス一種類だけで作る時と比べて見栄えが良くなることもわかりました。そして、野菜ソムリエプロの大澄さんが、サラダを美味しく作るコツを教えてくれました。
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美味しくなるポイント01「レタスのちぎりかた」
大澄さん「コツは、横にちぎるのではなくて、葉の繊維にそって縦にちぎると美味しくなります」。「ちょっとしたこと」なんだけど、試してみると本当に歯ざわりが違ってくるから、不思議!
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美味しくなるポイント02「ドレッシングの和え方」
ドレッシング…上からかけていませんか?「レストランではドレッシングは上からかけていないけれど、美味しいですよね?」と大澄さん。たしかに、ドレッシングが一ヵ所だけ集中してかかっているとしょっぱいですが、全体に均一に味がついている方が美味しいです。(なので、この見出しも「和える」という表現にしました)
均一に味を付けるコツは、ビニール袋に野菜とドレッシングをスプーン二杯入れて……フリフリ~!このやり方ならば、子どもでも楽しくお手伝いできそう!
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そして、まんべんなくドレッシングが行き渡ることで、ドレッシングの油分が野菜をよりツヤツヤに魅せてくれます。
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完成した、スペシャルランチはこちら!
食材は、ほぼ北海道産です!
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手前のミニトマトは、先ほど見学した「Jファーム」のトマト。 ピカピカで宝石みたいです!
プレートの中央にあるカボチャは、札幌市手稲山口の特産「大浜みやこかぼちゃ」、そして今が旬のトウモロコシ。
写真奥のカレーは、トマトと牛肉の夏カレー。牛肉は道内産で「キタウシリ」というホルスタイン種の肥育牛がたっぷり入っています。
そして、アグリコラの卵も「玉子サラダ」になっていました。 見てください、このクリーム色の黄身を! ”見た目ウケのために飼料に着色料を混ぜたりしない“とは言ってましたが、着色しないと黄身がこんなに色が薄いことを知りませんでした。
そして、黄身の色が薄くても、味はしっかり。それでいて全く臭みを感じない、澄んだ味でした。
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まとめ
近郊農場をめぐり、生産者さんの話を聞いて、最後は採れたて野菜や地元の食材たっぷりのランチで締める!農場見学もランチも大満足!頭も心もお腹も満たされる一日でした。
主催 農業魅力再発信プロジェクト推進協議会 運営・企画 HERB & COOKING KINA
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#05 中沢レイ
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一日の流れ
朝は6時半くらいに起きて朝ご飯とお弁当をつくります。家は私と息子と私の母の3人暮らしです。息子に持病があって、12時間おきに飲まなきゃいけない薬があるので、彼が寝てようが何してようが飲ませてから出かけます。職場は三重県内の市役所で、移住関係の仕事をしています。非常勤で働いてもうすぐ3年になります。
家から市役所までは車で山道を走って40分ぐらいで、道が混んでいたら小一時間ぐらいかかるときもありますね。仕事は17時15分までで、時間になったらすぐ家に帰ります。以前、息子と二人で暮らしていたときは夕飯のお弁当を買って帰っていましたが、今は母親が夕飯の支度をしてくれているので、それをありがたくいただいています。夕食後はだいたいぼーっとスマホを見たりして、気づくと2時間ぐらい経ってたりします。息子はゲームが好きで、夜はゲームのコアタイムだから私とは全然話をしてくれないんですよ。みんなが思い思いに過ごしているのを確認してからお風呂に入って、寝るのは23時ぐらいです。
市役所の仕事のほかにヨガを教える仕事もしていて、レッスンがあるときは、仕事のあと家に一旦帰って晩ごはんを食べて、借りているレッスン場に出かけます。土曜日はバレエ教室で子どもたちにコンテンポラリーダンスを教えています。ダンスというか、キャッキャ言いながら自由に動いたり、何でも試してみようというクラスですね。日曜は基本的に休みですが、移住の仕事は土日にイベントがあることが多いので、結構出張したりもしています。空いている日は子どもと一緒に過ごそうと、何をするわけじゃないけど、家にいるようにしています。
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生い立ち
生まれは岐阜県岐阜市です。母方の祖父母が縫製業を営んでいて、一家総出で服をつくっていました。両親は朝から晩まで、すごくうるさい工業用ミシンを踏んでいて、家には有名なブランドの布が置いてありました。だけど、私が小学校1、2年生の頃に景気が悪くなったのか、父が仕事を辞めて養鶏場に働きに出るようになりました。それまでは家にずっと親がいたけど、突然鍵っ子になって、弟は泣いていましたね。姉である自分はしっかりしなくちゃと思っていた記憶があります。
中学3年のときに親が頑張って家を建てて、引っ越しをしたんですよ。私は転校もしたんだけど、ある日修学旅行から帰ってきたら両親に「離婚するわ」って言われて。私から見たら仲は悪くなかったんだけど、実際はそうじゃなかったみたいです。せっかく建てた新居も出ることになって、その家は私の叔母さんが住むことになりました。弟は父に、私は母についていくことになったんですが、母の家に引っ越すと中学校を変わらなきゃいけないと言われたので、卒業までは叔母さんのもとで居候をしていました。叔母さんは私のことをかわいがってくれて、叔母さんというよりお姉さんという感じでした。
母は家を留守にしがちだったので、高校からは一人暮らしのような感じでした。家の下がうどん屋さんだったので、母が置いていったお金で天丼の出前を頼んだりしていました。高校3年のときに母が再婚して新しい家族ができましたが、私はもう高校生だし「あなたたちとは関わらないので」と言って、学校もあまり行かずに好きなように過ごしていました。高校卒業後は好きな英語を勉強するために、英語の専門学校に入りました。
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仕事のこと
私が専門学校に入った頃は超バブルの時代で、成績が良い子は先生の薦めで在学中から証券会社とか銀行に就職するんですよ。私も1年の終わりには学校に籍を置きながら商社で働きはじめました。同じころ、音楽をやっている友だちから「岐阜放送っていうラジオ局で話す人を探してるんだけど」と言われて。当時はバイリンガルのDJが流行っていて、私が英語を話せると思って声をかけてくれたんですね。実際はそんなに話せないんだけど、洋楽を聴いていたからそれっぽくは話せるんです(笑)。それでラジオ番組のDJをやることになりました。商社は1年勤めて辞めました。
田舎の放送局だけど案外仕事はありました。レコード会社の人がプロモーションで名古屋に来たときに、そんなに回るところがないから岐阜放送まで来てくれるんですよ。「若くてちょっと変わった子がいる」みたいな感じでいろんな人に良くしてもらって、外タレのアーティストに直接インタビューさせてもらったりもしましたね。でも、DJとかタレントになりたいという気持ちはまったくなかったです。どちらかと言うと裏方や制作をやりたくて、19歳ぐらいから台本や企画書を書いたりしていました。自分の番組では選曲も全部自分でやっていたし、そうした仕事が周囲に伝わって愛知や東京でもDJをやるようになりました。
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踊りのこと ラジオと平行してやっていたのが、幼少期から続けていたダンスです。うちの親は全然そういう素養はなかったんですが、私が幼稚園のころに「バレエをやりたい」と言ったみたいで、母が習わせてくれました。ただ、習っていた先生が怪我をしてバレエをやめることになってしまい、次に入ったのがモダンダンスの教室でした。少しして「これはバレエじゃない」って気づいたんですが、それがかえって良かったんです。というのも、その先生は生徒にお手本を見せないんです。「シュッとなってパッよ」というふうに擬音で振り付けをするので、みんなそれぞれの「シュッとなってパッ」をやるんですね。中学高校と、その先生のもとでダンスを続けました。
あるとき、名古屋で開かれたダンスの大きなコンクールに通訳として参加したんですが、そこで出会ったのが(舞踏家の故・)和栗由紀夫さんです。和栗さんに「お前、踊りやってるのか。うちに遊びにこいよ」と言われて、東京に行ったら板橋にあった和栗さんの家に遊びにいくようになりました。ある日、和栗さんの家に行ったら、ベニヤ板を2枚出してきて、「ここに座って」と言われて。言われたとおり座ったら今度は「右手をこう出してみな。左手は上から出して。これが閉じてさ、開くんだよ」とか言われて。「こうですか?」みたいな。それで「今度舞台やるんだけど出ない?」とくるわけです(笑)。
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それで出演したのが、新宿のパークタワーホールでやった和栗さんの『エローラ〜石の夢』という作品です。その後、和栗さんが主宰していた「好善社」に入るとともに、東京に引っ越してきました。好善社の男の人たちは、それまでダンスをやったことがなくて突然踊りを始めているから、発想がとても面白かったんですよ。そこから結局6、7年は東京に住んでいたと思います。
その後、もう踊りはやめようと思うことがあって、カポエィラに打ち込んでブラジルに行ったりもしました。ダンスの世界は、なんだかんだ言って身体を動かすことが得意な人しか入ってこないけど、カポエィラは、趣味でやってますみたいなお姉さんとか、イケイケの男の子とか、格闘技好きのオタクっぽい子とか、いろんな人がいるんです。一般社会では絶対に仲良くならないような人たちが嬉しそうに一緒にやっているのがすごくいいんですよね。でも、ブラジルにいたとき、テレビから流れてきた音楽に合わせて、やめたつもりの踊りをふと踊っていたときがあって、やっぱり踊りはやめられずにいます。
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妊娠・出産
出産したのは38歳のときです。妊娠がわかったときは、当時結婚していた夫とフランスに住んでいました。日本では私がダンスをやっていると言うと、初対面の人にさえ「いつまでそんなことやってるの」と言われたりしましたが、フランスではまったく逆で、みんな興味を持ってくれました。現地の人たちと仲良くなって一緒に作品をつくったり、小劇場で即興の企画をやったりもしましたが、一方で自分の底が知れた感じもあって、妊娠を機に日本に帰ることに決めました。
出産はだいぶ時間がかかって大変でした。それでも元気に生まれて良かったと思っていたんですが、生まれてからがさらに大変だったんです。とにかく夜まったく寝なくて、ベッドに置いたらどれだけ寝ていても起きて泣いて……。子どもってそんなもんなのかなと思ってたけど、自分も寝れないから信じられないくらい痩せてしまって、布団で寝ていても背骨が痛くなってしまうほどでした。夫は仕事に行ったきりほとんど帰ってこなくて、赤ちゃんと二人暮らしみたいな感じです。しかも、夫の希望で都内からもう少し田舎に引っ越すことになって、それまでは遊びに来てくれた人たちも来れなくなって、本当に孤独になってしまいました。
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それでも息子を地元の幼稚園に入れてなんとか生活していたんですが、2011年の1月末に、幼稚園に息子を迎えにいったら、先生から息子の様子がおかしかったと言われました。確かに、家に帰っても何もしゃべらないし、ご飯も食べないんです。病院に連れていって、インフルエンザの検査をしたりしたけどなんともなくて。食塩水を点滴してもらって、ちょっと良くなったように見えたんですが、次の日にはもっと具合が悪くなってしまって。抱っこしたらびっくりするぐらい重たくて、これはおかしいと思いました。
再度病院に行って尿検査をしたら、測れないぐらいたんぱくが出ていて、大きな病院に行くように言われました。行った先で「これはネフローゼという病気で、治療に長い時間がかかります」と言われて、そのまま入院です。ステロイドを大量投与する治療をはじめたんですが、息子はステロイドを半量に減らしたところで再発してしまい、それから一切ステロイドが効かなくなってしまいました。
これはもう救急車で運ばなければという状態になってしまって、埼玉から東京の世田谷にある成育医療研究センターに救急車で運ばれて入院しました。それが2011年の3月11日です。病院について、しばらくしたらダアーッと揺れて点滴は倒れるわ、壁に亀裂が走るわで大パニックです。しかも原発事故で放射能がどうこう言われていたから、ガラケーで一生懸命情報を調べました。食事も大変で、子どもには病院食が出るけど、自分の食事は出ないからコンビニに行くんだけど食料がないんです。なんとかゲットしたパンひとつで一日過ごすなんてこともありました。
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生きていてほしい
入院して息子の具合は良くなるどころか、同室の子から風邪をもらったのがきっかけで敗血症になってしまいました。ICUに入って人工呼吸器をつけられて、カテーテルを入れられて……まだ小さくて暴れてしまうので、鎮静をかけられて眠らされていました。そんな息子の姿を見たときに、親としてこんなことを言っていいかわからないけど、この子は何ヶ月も苦しんできて、これ以上苦しむなら、楽になって逝ってしまった方がいいのかなとも思いました。
でもあるとき、私が「今日はもう帰るね」と言ったら、小さくイヤイヤしたんです。鎮静をかけられていて目は開かないけど、耳は聞こえていたみたいで。ICUで隣だった女の子も、私からすると寝てるだけに見えるんだけど、その子のお母さんが「この子は嵐が好きなのよ」と言って、嵐の曲をかけると「喜んでる」って嬉しそうにするんですよね。それまで私は、寝たきりの人や重い障がいのある人が生き続けるのってどうなんだろうと正直思っていたんです。
だけど、1ヶ月ぐらい経つと、嬉しそうな感じがするとか、これは嫌なんだなって分かるようになるんです。それで、やっぱり息子には生きててほしいって思うようになりました。なんて言っていいかわからないけど、何もできなくても生きているという事実が目の前にあるだけで、周りの人が安心するというか。息子がイヤイヤする姿を見て「ああ、とにかく頑張るしかないな」って思ったんです。息子の病気をきっかけに、私の考えはすごく変わりました。
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やってみたいこと
治療は長くかかりましたが、幸い息子に合う免疫抑制剤が見つかって、1年くらいかけて普通の暮らしができるぐらいまで回復しました。何かあったときのために、そのまま入院しておくこともできたけど、外に連れていこうと思って思い切って退院させました。その後、息子が4歳になる前に埼玉から三重に移住して、間もなく夫とも離婚しました。 息子は小学校4年生ごろに自閉スペクトラム症の診断を受けて、学校生活も苦労しましたね。小学校1年生からずっと行き渋りで、6年生まで毎日送迎していました。下駄箱でしばらく入れずにいるのですが、なんとか中に入っていくのを確かめてから自宅に戻り、学校からの電話があるといけないので待機していました。中学3年間は完全不登校でしたが、この春から通信制の高校生になりました。
息子が東京で入院していたときは、家と病院が離れていたので、病院の近くにある(ドナルド・)マクドナルド・ハウスという入院患者の家族のための施設で寝泊まりしていました。そこには、地方から出てきて泊まり込みで付き添いをしているお母さんたちがいて、中には子どもが生まれてから10年間そういう暮らしをしている人もいました。みんな自分のことは置き去りで子どもに付き添っているんです。
そういうお母さんたちのために何かできないかと思ったけど、「ダンスしましょう」とは言えないじゃないですか。「ダンスなんてハードルが高いし、そんな気分じゃないわよ」って言われると思うんですよね。でも、みなさんマッサージとかにはお金を払って通っていたので、ヨガだったらやってもらえるかなと思って。これまでも障がい者施設や高齢者施設ではヨガやダンスをやってきましたが、病気の子どもたちに付き添っているお母さんのためのヨガも、いつか実現したいことのひとつです。
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みんなに場をつくりたい
私は踊るのは好きだけど、舞台の真ん中で踊りたいとは案外思っていないんですよ。私が踊りをやるのは「みんなに場をつくりたい」からです。1998年に「オービタルリンク」という即興のイベントをはじめたのも、あらゆるジャンルのパフォーマーが自分の表現を模索しながら、やる側も観る側もジャンルの垣根を超えて出会ってほしいという思いがあったからです。ラジオDJをしていたときも、自分が面白いと思ったら無名の人でもゲストに呼んだりしていましたからね。当時から今にいたるまで、やっていることは変わらないと思います。
今日撮影をしたアトリエ第Q藝術も、大きすぎない規模だからこそ「個人」が見えて好きなんです。劇場が大きくなればなるほど、後ろの方まで届くように表現しようと思って動きが大きくなり、身体の動きだけを見せることになることが多いと思うんです。そうすると結局、どれも同じような作品になってしまうというか。私は、踊りの完成度はどうでもよくて、その人が踊りを通して「本当のこと」を言ってるかどうかを知りたいんです。そういうことが見えるのは、このぐらいの規模の劇場かなと思います。チーフディレクターの早川誠司さんには以前からお世話になっているし、舞踏や演劇関係の友だちもよくここで公演をしているので、私のルーツのような場所でもありますね。
人生って、「あのときあそこに行ってなかったらあの人に出会ってない」とか、そんなことばかりじゃないですか。でも本当に好きなことを続けていたら、絶対にまた元のところに戻ってくるし、ずっと会っていなかった人ともまた会えるんですよね。もっと別の仕事をする機会も、別の人と付き合う機会もあったろうけど、そのときの自分がそれをやりたくて選んだんだしなって。自分は、いつも「こういうことを考えている人がいるなら、こういう場所をつくったらいいんじゃないかな」と思って、場所をつくって人と人をつなげてきたんですよね。さらに、自分の場合はそこに「踊り」がありました。そうしてここまでやってきて、今の自分があると思います。
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(2023年3月26日収録) 取材協力=アトリエ第Q藝術
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myonbl · 2 months
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2024年7月13日(土)
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三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、今日も無事にやって来た。いかにも夏らしいメンバーだが、珍しいのは<茎漬け>、八頭の茎を塩漬けして紫蘇で色づけたものだ。これは紀北地方の郷土料理、夏の暑いときにこれと鰹の生節を一緒に頂くとご飯がすすむのだ。おまけで私の好きな<伊勢うどん>も同梱されている。奥川さん、いつもありがとうございます!
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3時45分起床。
日誌書く。
二度寝。
5時起床。
体重、600g増。
週末なので、CleanMyMacX で Mac Mini をスキャンする。
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お蕎麦がなくなったので、朝食にはうどんを頂く。
珈琲。
洗濯。
奥川ファームの定期便、初物の小さな西瓜が入っている。
きゅうりのしょうゆ漬け仕込む。
酢卵仕込む。
唐辛子酢仕込む。
枝豆ゆがく。
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<天満大阪昆布>から、夏の味!ボリュームセットが届く。毎年のことだが、いろいろ入っていて楽しい。
クロネコが集荷に来てくれる、<もったいない本舗>への段ボール5箱を渡す。
<ゆうちょ銀行>からMQJへの問合せ、<人格なき社団>を証明しなければ口座を解約するとのこと。会則や会計報告、議事録などを揃えて返送する。締切は先週末だが、何とかなるだろう。
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ランチ、息子たちには素麺、私たちはツレアイが冷蔵庫の残りものをシチュー仕立て、届いたばかりの奥川ファームのパン+🍷。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第17話「二つの顔」/ Double Shock 富豪クリフォード・パリスは、トレーニングと健康管理に熱心で、孫のように若い女性と婚約していた。ある晩、彼の甥で料理研究家のデクスターが結婚祝いを言うためにクリフォードを訪ねた後、再び現れた。入浴中のクリフォードに対し、突然ハンドミキサーを取り出し浴槽に投げ込んだ。
ツレアイはあちこち買物へ、私は午睡。
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セントラルスクエア花屋町店で猫砂・介護食、コレモ七条店で鶏もも肉・うどん。
クロネコが先日地球洗い隊に注文した<夏の福袋>を届けてくれる。
ゆうパックが、びーんず亭の珈琲を届けてくれる。やたら配達の多い日だ。
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夕飯、豚バラ肉と残り野菜の蒸し煮・鶏もも肉とピーマンの甘辛煮・レタスとトマト・きゅうりのぬか漬け。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第18話「毒のある花」/ Lovely But Lethal ビベカ・スコットが社長を務めるビューティマーク化粧品は、「ミラクル」という皺取りクリームの開発に成功した。これでライバル会社のラング社を出し抜けると喜ぶビベカだったが、「ミラクル」のサンプルをラング社に持ち込まれた、という情報が飛び込んでくる。
残っていた日本酒を片付けたので、あっという間に睡魔到来。
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歩数は届かないが、辛うじて3つのリング完成。
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littlesallywalker · 1 year
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日記
ただいま。おかっぱのおねいさんからたばこを買った。
傘の重なる音。そちらも雨で生きていてよかったです。
遠く秋のような焦げた匂い、換気扇のもとにいる。
しばらく食事も余りとらなかったので今夜は作った、
頂いたキャベツと、鶏との蒸し。またもや。くせになる。
作りながら友とメール。かつて片思いしてくれた子で、
その熱にやられて、共倒れしてからしばらくぶりだった。
さいきん縫いをして作品作りをしていることは知っていて、
その画像をみたらお見事で、ぱちぱちと絵文字もふまえて、
そしたら急にお腹がすいてそぼろごはんにしてめちゃ食べた。
長く話すと刺激してしまうようで、つれづれぬようにして。
焚火をしようと(みんなで)なった。うれしい。飼われよかな。
伝雨が横髪を通じて口にはいる。エンジンいかれちまう。
瞬く信号を窓から視て、たばこは結局まだ吸ってしまうね。
ベビースターって名前が好きです、baby the stars shine bright
歯みがいたのに食べたくなってぼりぼり今また食べてる。
半日は籠り日、三枚つづりをえらぶ夜。桃味の炭酸水。
候補をじぶんで出すってのぼせるようでイヤんだおら。
トマトが恋しくてかじる心は真夜中。
わたしの最近もらって潤った言葉。
”君をみて、ぼくの目をみたら「おかえり」って言ってほしい”
いったいぜんたい、いつまでこんな暮らし?
あしたはロールキャベツと高菜飯です。
大根もらったので葉を漬けよかなとおもう。
茄子漬でごはん、とかもおいしくて好きです。
漬物食べられる?はやくかえってきてください。
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ここへ行きたい。誰かおとも願います。
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tutai-k · 1 year
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【新刊のお知らせ】けものと船乗り
5月21日(日)に東京流通センターにて開催される文学フリマ東京にて刊行予定の新刊『けものと船乗り』の通販の予約受付を開始しました。
けものと船乗り B6サイズ/42ページ BASEにて予約受付中 5月20日頃発送予定
自己紹介的な小さな幻想小説の冊子です。
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 ★こんなお話★ 船を沈めてしまうという「けもの」が棲む島と水道を挟んで向かい合う街、その街の灯台に棲みついているもう一匹の「けもの」の物語。 街の人に灯台の「けもの」と思われているアーシアは、ある日磯で船乗りを拾って…。星の見方も、風や波のことも忘れてしまった船乗りに、海への漕ぎ出し方を思い出させようと、記憶のかけらを求めて街へ通うアーシア。たけど街は、島のけものをおそれて、船や船乗りに関するものを商うのをやめていたのだった…。
 ★試し読み★
 あの島にはけものが棲んでいる。けもの―そんなものはあの島だけじゃなく、どこにだって棲んでいる。陸路でやってくる旅人たちは鼻で笑って相手にしないが、船旅……いや、船乗りたちはそうは言わない。あの島にはけものが棲む、とどこまでも真面目くさった表情で声を低くして、航路を変える。  アーシアはその島に臨んだ港町の、灯台に棲んでいた。  アーシアは灯台守ではない。灯台には大昔の魔法使いがかけた魔法がまだ機能していて、守がいなくとも日が陰れば自動で点灯し、仕事をはじめる。もうこの灯台を必要とする船など絶えて久しいのに。  新しく安全な航路が発見されて、灯台のある岬と、あの島、けものが棲む島のあいだを船は通らなくてよくなったから。  灯台のある岬の坂をくだると、街がある。山裾にはわずかに平らな土地があり、山を切り開いて斜面にひとが棲んでいる。街の人間はだれもが、あの島を一日一度、かならず目にする。島にけものがいることを、思い出さずにはいられない。  アーシアは街へほとんどいかない。必要なものが出たときだけ、磯で拾った貝や海藻を持って街へゆく。街の人間はアーシアを灯台に棲みついた、二匹目のけもののように遇していて、アーシアが貝や海藻いっぱいのバケツを持って商店街を歩く姿を見て、灯台に二匹目のけものが棲んでいることを思い出した。  潮の匂い、海水で真っ赤に焼けたちりぢりの髪、黒光りするほどに焼けた黒い肌……岩のあいだに挟まっている貝や海藻を採るために、真っ黄色になった分厚い爪。かつて港町として栄えていたこの街で、人間と数えられて住んでいたかも知れないすがたをしていた。  アーシアは双眼鏡を持っていた。  これは灯台のなかにあった―魔法使いが魔法をかけるまえに灯台の世話をしていた灯台守のものだろう。フジツボのような錆びが全体を覆っていて、レンズの部分だけがおそろしいほどに透明なその道具。街やあの島を見ることもたまにはあったが、アーシアは主に空を見る。灯台の上空を通る竜を見るためだ。竜のほかに、上空を鳥も通る。鳥も竜も視線には敏感で、双眼鏡を顔に当てて見上げていると、不思議そうにアーシアを見た。  竜も鳥も、灯台にけものが棲んでいることを発見しながら飛んでいた。  その日、アーシアはめずらしく、空ではなく磯を双眼鏡で見下ろしていた。握りこぶし大の磯鳥が灯台のてっぺんの風見鶏から、岬の下の磯へぴょんと飛び移っていったからだ。そしてそこに、倒れている存在を見つけた。  船乗りだ。なんの根拠もなくそう思った。  わくわくした。  磯へおりる急な階段を急ぎ足で降りた。船乗りは真っ白な顔をしていたが死んではおらず、カニやフナムシが体を這うと、不快そうに眉をひそめる。甲虫たちを振り払い、アーシアは船乗りを背負う。体はびしょ濡れで、潮の匂いがした。船乗りの体は大きくて、足をひきずることになった。重い。階段を昇りはじめると、すねや足の甲がこすれて皮膚がめくれて痛んだのだろう、おろせ、とうめいた。 「歩ける?」 「足の骨は折れてない」  船乗りを下ろした。細い階段にふらつきながら立ち、斜面に生えた松をつかんでバランスをとり、アーシアに頼らずに歩きはじめた。 「おまえ、なんなんだ」 「なにって、街のひとには、けものだと思われている」 「へえ。おまえもけものなのか」船乗りは青白い顔をくしゃりとくずして笑った「あの島には、船と交尾したがるけものがいるって聞いたけど、こんなところにも棲んでいるのか。島のけものが親か?」 「しらない。島のけものは、見たことがない」 「そうかい」船乗りはしずかにうなづいて、「―船がほしいなあ」と、足をとめて島を見た。 「船。―船があると、どうなるの」  アーシアは船を見たことがなかった。船が、船乗りを乗せて運ぶものだということは、知っていたけれど。 「船があれば、けものに抱いてもらえるだろ」  船乗りの視線が島からもどってくる。 「泳いでいけると思ったのになあ」  街の港からならば、船を使わなくても、泳いで到達できそうな距離に、島はある。街の人間は、あの島と港に挟まれている海を水道と呼んでいる。大昔、船が多く通ったときの名残だという。水道はもう使われない。船も船乗りも、街にはいなかった。旅人は、陸路で街におとずれる。  灯台に着いた。船乗りは灯台を見上げる。 「ばけものみたいな灯台だな。登れるのか」 「登れる」 「登らせてくれ」  アーシアがいいと答えるまえに、船乗りはさっさとかんぬきを抜いて中に入ってしまう。  まあ、棲みついてはいるけど、灯台は、アーシアのものではない。  くちゃくちゃにまるめた毛布や、汚れた食器は見ずに螺旋階段をのぼっていくので、アーシアはあとをついていく。船乗りは、狭く低い螺旋階段で何度も頭をぶつけてふらついた。  ―倒れていたのだ。どこか具合が悪いのかも。先導してやったほうがいいのかも。だが、船乗りを追い越せない。  踊り場に出た。船乗りは迷わず島を見られる方角をえらんだ。貸してくれと言われなかったのに、アーシアは双眼鏡を差し出していた。 「見えないなあ」  渡された双眼鏡を、船乗りは目にあてがってつぶやく。 「調整しなくちゃ。船乗りなのに、双眼鏡の調整もできないの」 「船乗り? だれが」 指さすと、はっはっは、と大きな声で船乗りは笑った。目は双眼鏡に当てたまま。 「船乗りなもんか。船乗りだったら、―船乗りだったら」  船乗りだったら、を繰りかえす。  船乗りだったら……。 「あの島が好き?」  上空を、双眼鏡を貸しているこんなときにかぎって竜が横切っていく。春の渡りがはじまりつつある。猛禽に混じって、若い竜たちも盛んに水道を越えていく。竜のうしろには、過酷な旅路をすこしでも楽にしようと数羽のハト。竜の羽ばたきの気流を利用しているのだ。  肉眼で竜を見ることに夢中になっていたから、問いに返事があったのかなかったのか、聞き漏らしたのかどうかもアーシアはわからなくなってしまった。双眼鏡がいつまでもかえってこないので、アーシアは螺旋階段を降りた。
日々詩編集室からでる別名義の本も予約を開始しています。 『存在している1 編集室編』 新採の仕事を半日で辞めるほうがわたしです。仕事を半日で辞めたこと、BL短歌をはじめて、自分で本を作るようになったこと……。HIBIUTA AND COMPANYにたどり着くまでを12000字程度のエッセイにまとめました。よかったらどうぞ。
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jinmakazuhiro · 2 years
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朝ごはん 2023/01/14  ▼今日の献立▼ ─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─ ⌘ 紅茶とりんごのすてきな出会い ⌘ 香ばしツナパン @aubonpain.i さん ⌘ 蒸し鶏のカラフルソース ⌘ ゆで卵 ⌘ ルッコラとサニーレタスのサラダ🥗 ─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─・・─ おはようございます😃 パンの買い置きがなかったので、朝に買い出しに行ってからの朝食でした。 8時台からOPENしているお店のうち、最近顔を出していないパン屋さんへ。 オウボンパンディワモトさんに行ってきました。紅茶とりんごのパンと、香ばしツナパンを今日のプレートに。 その他には、レーズンとレモンパンも購入しました。 相変わらず、とても優しいおじちゃんさん達がパンを作っておられまして、女子ウケしそうなパンだし、そのネーミングセンス。いつもギャップを感じています😅 もちろん、お味は申し分ない。 ところで、ディワモトさんって朝、良いですね。 焼き立てパンで温かいハード系のパンがあって。 さて、 今日のおかずはというと、この2~3か月で体重を落とそうと思っているので、蒸し鶏にしました。昨年1年間で身体づくりは失敗しているので、再スタートして、半年くらいでコミットさせる。 えっと、話は戻りまして、 ソースは手作り。 人参をすりおろして、マヨネーズ2と粒マスタード1、塩ひとつまみ、オリーブオイル1.5、酢0.5を混ぜ合わしてソースを作りました。(数字は大体の割合です) 料理の方は、手作りソースも取り入れていきたいと考えております。 ┈┈┈┈┈┈ ┈┈┈┈┈┈ ┈┈┈┈┈┈ #朝ごはん #朝ごはんプレート  #ワンプレート #ワンプレート朝ごはん #料理 #料理日記 #朝食レシピ  #クッキングラム #おうちごはん #デリスタグラム #朝食プレート #おうちカフェ #朝ごぱん #パンスタグラム #パンのある暮らし #パンとコーヒー #パ���好きな人と繋がりたい #パンスタグラム #レシピ #愛媛パン屋 #松山パン屋 #オウボンパンディワモト #diwamoto #ディワモト #紅茶とりんごのすてきな出会い #香ばしツナパン #蒸し鶏のカラフルソース #ゆで卵 #ルッコラ (Matsuyama, Ehime) https://www.instagram.com/p/CnZDoIUSv1S/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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