#銀座生業
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ここでもう一度大事なことを。教育ローンは返済です。
奨学金は、、、返還です。
僕が借りた奨学金は、先輩たちが学校を卒業して働いて稼いだお金を「返還」することで生まれているんです。
奨学金の返還に指定する銀行口座のことを、リレー口座といいます。
昔はその言葉の意味なんて全く考えなかったけど、日本学生支援機構のウェブサイトにはこう書いてありました。
『あなたの返還金が後輩奨学生の奨学金としてリレーされる』
だから奨学金は返済じゃなくて、返還なんですね。
今、一部の方が踏み倒そうとしているそれは、その方達の負担が軽くなるのと同時に、次の世代の若者たちが学ぶチャンスを奪うということなんです。
返還とは、なにかを元の位置に戻すということです。自分が借りて使ったものを元の位置に戻すこともできない人は、大人と言えるのでしょうか。
給付型の奨学金は増えてほしい。でも、今の日本の奨学金の形で救われている学生もたくさんいるんだと知ってほしいです。かつての僕がそうだったように。
https://x.com/gakuto_akashi/status/1767107419925360735?s=46&t=3uBU4NAcX1YMMVPF4niZ4w
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8月75日
三連休、家人の機嫌を伺いに九州へ渡っていた。ひときわ大きくなったお腹を撫でながら、適当につけた胎児ネームを呼びかけてやると、モゾモゾと力強い胎動が皮膚の下で蠢く。健診によれば、平均よりもやや大きいらしい。他にこれといってやることもないので、彼女と商業施設のシネコンに行って、ジョーカー:フォリ・ア・ドゥを観た。彼女と付き合う前に、一作目のジョーカーの話をしたのが懐かしい。いま9時半。飛行機を待ちながら、空港でこれを書いている。朝飯の代わりにビール飲んでる。全く信じられないけど、午後から出勤する。
*
九州はまだ残暑よろしく、湿って温かい気候だった。夕涼みに少し開けた掃き出し窓の側で座椅子に腰掛けてビール飲んでいると、甘苦い香りが外から漂ってきたので、金木犀ですかね? と誰に訊くわけでもなく口にしてみると、銀木犀、と彼女と義父がほぼ同時にいった。首をもたげて庭の方を見やると、よく手入れされた生垣には確かに金木犀と同じ形の、しかしオレンジではない白っぽい花が咲いていた。
*
家人に黙ってエフェクター買ったった。Fender Hammertoneのリバーブ。デジマートで¥8,800。俺はギターを一生の趣味にするのだろうか。それともいつか手放すだろうか。
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『 貨物列車で行こう!』長田 昭二 緒 (文藝春秋)
わたしも乗りたい。
第一章 ついに貨物列車に乗る! 貨物線を歩く/乗れないから乗りたい――そこにロマンがある/人知れず日本の物流を支える駅/極限までのスリム化/「拳一つ分」の隙間/動力車の拠点「機関区」/ついに貨物列車に乗る!/突然の鉄道無線/いよいよ「貨物専用線」に進入/東京で貨物列車を見ない理由 第二章 ルポ・東京貨物ターミナル 鉄道貨物の全容を見るべく「東京タ」へ/貨物列車に乗って貨物駅に向かう/「新鶴見信号場」とは/梯子段を上る「垂直乗車」/「ブレーキ、ゆるめーゆるめー!」/心躍る〝短絡線〟/「いよいよ来たか……」貨物列車は地下へ/羽田空港の下を通る点線=東京港トンネルへの憧れ/昭和で見た夢が令和に実現/添乗区間が延長した!/「東京タ」の構内をほぼ二往復/輸送量は毎年約一〇三%の伸び/高まる大型コンテナのニーズ/変わりゆく物流の仕組み/日本最大の貨物駅にある「中央研修センター」に潜入/異常生時の対応を学ぶシミュレーター/ここに座った以上は定時運行遂行の義務がある/「輸送指令」は〝二度呼び〟が基本/懐中電灯一つで長大な列車を点検 第三章 経営再建と未来の貨物輸送――JR貨物トップインタビュー 「変えるをよし」の企業風土が自��をもたらした/さらなる被害が予想される南海トラフ地震への対策/経営が厳しいJR旅客会社が増えた現状/貨物輸送の新提案・新幹線による鉄道輸送は��/総合的な輸送体系「モーダルコンビネーション」という概念/「安全」のための人材確保と労働環境の整備が不可欠/あらゆる物流の集積地点「東京レールゲートWEST」/銀行員、ハウステンボス……様々な経験から生まれた経営軸/「企業として安全はすべての基盤である」/原風景は「貨物列車のある情景」/「ベテランから若手へ」鉄道を支える、技術を受け継ぐ仕組み/運転士によるリレー方式――確立された輸送体系が強み/鉄道貨物が抱える問題をテクノロジーで解決できるか/従来の設備を有効活用「積替ステーション」/「空荷」を解消した「ビール列車」 第四章 広島車両所探訪記 重要拠点・広島/迂回運転を実現した「匠の技」/歴史を刻む広島車両所/「日本一」の車両所/全般検査と重要部検査奈々枝歴史ゆえの「使いにくさ」/「走って磨かれて輝く」車輪/時に親子、時に兄弟/機関車にはトイレがない/憧れの〝車掌車〟の現実/ベテランから若手へ「技の伝承」/車両所は「大きな家族」 第五章 「セノハチ」貨物列車添乗ルポ――広島貨物ターミナル駅‐西条駅 フィーダー輸送の拠点/数字に出てこない忙しさ/日本一のフォークリフトドライバー/営業面の司令塔/もし列車が遅れたら……信号扱い所の修羅場/〝途中下車〟できない貨物は……/鉄道マンにとっての〝難所〟はマニアにとっての〝名所〟/九州と首都圏を結ぶ物流の大動脈/居住性に優れた運転室/無線の通信に沸き上がる感動/普段乗れない貨物線を走行/本格的な上り坂へ――補機本来の業務開始/上り線には架線が二本/「ノッチオフお願いします。どうぞ」/登りきって連結を外す/「ポウッ!」遠ざかる本務機/待ち時間も切らさない集中力/「発車!」「進行!」一人ぽっちで走り始める/視界も広く、軽快に走る/帰りのほうが忙しい/シカ、イノシシ……夜に遭遇する動物たち/登りと同じ十三分で「瀬野八」を下り終える/列車は貨物���用線へ。時速八十キロで快走/廃車を待つ〝もみじ色〟の機関車/物流を支えるプロの技と知恵 第六章 「文藝春秋」を北に追え!――青函トンネル貨物列車添乗ルポ 大きなミッションを持って貨物列車に乗り込む/「文藝春秋」十月号の積み込みを見学/貨物の積み下ろしや旅客の乗降は行わない「青森信号所」へ/貨物列車でなければ通れない区間に感じるロマン/中村さんが席を譲ってくれた理由が判明/トンボが乱舞する田園地帯を疾走/青函トンネル五十三キロを貨物列車はひた走る/世界第四位、長大トンネルの入口/しばらくすると飽きてくる……運転士の眠気対策は/地上に出たと思ったら次々とトンネルが……/津軽海峡と函館山を望む〝絶景路線〟/急に無数の線路と並走するようになり……/三〇五九列車は定刻より二分遅れで到着/「北斗9号」で三〇五九列車を追跡/コンテナ貨物取扱量全国二位の「札幌タ」/十七時間五十分の鉄路の旅/「盛りだくさん」にもほどがある一日の終わり/一日半ぶりの対面/「イクラ丼」か「混載丼」か/「あとがき」に代えて
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シンデレラのお姉さん
指定された時間に律子の家に行ったら、律子は既に運転席に座っていた。車内はクーラーがついているのに彼女の額からは玉のような汗が顔から流れていた。開口一番にねえ痩せた?と聞かれる。わかる?お母さんはやつれたって言うんだけど、わかるよ尋常じゃない痩せ方してる、病人の顔をしてるもの、と病人を沢山見てきた彼女に言われ、ああお盆までたくさんもらったリポソームのサンプルを使いまくろうと思った。肌をピカピカにして、ついでに髪もピカピカにしておけば親戚どもにやつれたとは言われないだろう。あいつら太っても痩せても文句言うからな。そういう時、心の中で私はヨジャドル、私はヨジャドルと唱える。痩せて見えるのも太って見えるのもスタイリングの問題よ。
ナビを設定し、運転してもらってる時も一頻り体調の心配をされ、検査してもらったけどスーパー健康って言われたから大丈夫と何度も答える。クーラーの温度も風量もマックスなのに律子の汗が止まらないので、どうしたの、温度下げようかと聞くと、ギリギリまで車内を掃除してたの、汚くないからよかったら礼もドリンクホルダー使ってと言われた。すごい気の入りようだ。私車に人乗せる時にここまで気を遣ったことあったっけと考える。かぼちゃの馬車に乗るシンデレラみたいな気分。そもそも誘ったのが4日前とかだからいけなかったのかもしれない。
豊田市民文化会館には開場の1時間前には到着した。中学校吹奏楽県大会2日目を聴きに来たのだ。私も律子も元吹奏楽部なので、この会場には思い入れがある。ロビーにはそれなりに人がいたので2階席すぐ埋まっちゃうかもね〜と言いながら開場と同時に階段を上ると、びっくりするぐらい2階には人がい��かった。そうか、ロビーで待ってた人達は出演順が早い学校のご家族か関係者だねと律子と唸る。わざわざ顔の見えない2階席には来ないだろう。でも審査員席は2階なので、学生はそこへ向かって演奏する。1階と2階では響きが全く違うので、家族でも関係者でもない、吹奏楽からもとっくに離れた私達は審査員席の横を陣取った。
そういえば最初から最後までコンクールの演奏を聞いたのは初めてだ。私は姉も妹も吹奏楽部で、少しずつ歳が離れているので、各々の大会を観に行くことはあったけど、出演順に合わせて家を出発していたし、当然自分が出演する側だった時は通しで見られる訳もない。
自分が引退した後も吹奏楽のコンクールにはずっと来てみたいと思っていた。でも車を持っていない時分にはホールへ行くのが不便だったし、コロナ禍で入場規制もあった。ようやく通しで聴けて、自由に休みが取れるようにもなるまで卒業してから15年近くかかってしまった。自由曲に選ばれる曲も現代曲ばかりで当然知らなかったし(私達の時代はこぞってメリーウィドウセレクションばかり演奏していた)、課題曲をマーチにしない学校が大半で時代は変わるんだなあと思った。おかげでマーチが来る度律子とやっぱマーチだよね!と老害ムーブをかましてしまった。
演奏がはじまって何より驚いたのは、審査員の先生方がひっきりなしにメモを取っている事だった。先生によるが、学校にもらう先生からの講評は結構テキトーだったから。大変上手でした。ぐらいの先生もいる。最も私達が汚点と言われるほど下手な代だったからかもしれない。現役時代審査員の先生も飽きちゃうからと自由曲を耳馴染みのない曲にしたりしてきたけれど、先生方は真剣でちっとも飽きた様子はなかった。地区大会はまだしも県大会以降は主催が愛知県吹奏楽連盟ではなくなるから、その分ジャッジが厳しいのかもしれない。
最後の結果発表まで見てきたが、私も律子も気合いを込めて拍手をした。部長だけが壇上で証書をもらう。金賞と言われてキャァと嬌声を上げる学校にも、銀賞と言われて沈黙する学校にも。どんな結果でも涙を流せず証書を受け取り、客席に向かってお辞儀をする15歳に割れんばかりの拍手を送りまくった。不思議なもので時代は変わっても先生が変わっても強豪校は変わらない。きっといいレッスンの先生がついてるんだろうね、と話しながら帰った。
律子と早めに夕食をとる。駅前が居酒屋しかなくて、まあここならおつまみ以外もありそうだし、とやっと探し出した17時から空いている店に入ろうとすると、��酒頼まないと嫌がられたりしないかなと心配していた。なんというか、本当にこの人は普段気を遣いすぎて倒れたりしてないか心配である。ちなみにその和食居酒屋はお酒を頼まなくても嫌な顔ひとつされなかった。高い刺し盛り頼んだからだろうか。
親戚にされた酷い話をツマミにこれ笑って欲しいんだけど、という度にごめんね、ごめんね、と謝られ、次第には涙を浮かべられた。それはちょうど兄に容姿を未だにいじられるのがすごく不快だけれど、私は甥と姪の前では兄を悪く言わないで、数少ない兄との素敵なエピソードをかき集めて甥と姪には話していると言った時だった。だって嫌でしょう。自分の大好きなパパが悪く言われてるのを見るのなんて、と言った時だった。あなたがそんなふうににこにこ気を遣ってしまうのは私のせいだね、ごめんね、と泣くのだ。嫌だ泣かないでよ全部終わった話でしょ、と言いながら私も少し泣いた。
律子は私の姉だ。私は自分の姉と17歳から24歳になるまで口を聞かなかった。理由は分からない。あの時聞いても教えてくれなかった。17歳の時、何度か話しかけても無視された。無視、は私が1番トラウマであったこと、前々から感情の起伏が激しかった姉にほとほと疲れていたのもあり、私も心のシャッターを閉めた。家族もうるさい親戚も誰もその事について触れられないぐらい、7年間私たちの仲は張り詰めていた。
子供だったから仕方なかったのだ。傷ついたのはお互いさま、喧嘩両成敗と思うし今こうして仲良くやってるならなんでも良いじゃんと思うのだけれど、姉はそう思っていない。妹を傷つけ、人の顔色を伺う可哀想な子供にしてしまったと悔やんでいる。7年間の溝は私より姉の方がずっと深く感じているのだろう。律子と会う度初デートの彼氏より細やかに不器用に気を遣ってくれる。罪滅ぼしだ。
きっと被害者でいるより加害者でいたい人なのだろう。姉が謝りたいなら私は謝罪を何度でも受け入れる。でも結局それって、私はずっと被害者になり続けるということで。さだまさしの償いみたいな。島本理生の君が降る日みたいな。
最後は笑って楽しい話をして、東海大会も一緒に行こうと約束した。またかぼちゃの馬車で連れていってくれるらしい。ラッキー。
私と姉は、私が17歳になるまで仲良しだった。だからこそ空白の7年が無ければどうなっていたのか気になるし、空白の7年があったからこそ今ぎこちなくとも上手くやれてるのかもしれない。
私達はどの道あの頃には戻れないのだから、新しく作っていくしかないでしょ。何度でも。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)10月21日(月曜日)
通巻第8469号
華やかな観光地にも闇の伏魔殿、マネロンの根城がある
世界の大富豪が集結し、逆に西側先進国や中露から資金は流失した
*************************
ドバイが何故マネロンとギャング、大富豪からテロ集団の拠点となったのか?
世界一の高層ビルや豪華リゾート、七つ星のホテル、世界の大富豪達の別荘が海を埋め立てた景勝地に並ぶ。
この富に目がくらんで世界各地から新興企業や妖しげなビジネスマンがあつまり、加えて犯罪集団のマネロン基地、中国の地下銀行など何でも御座れ。日本でもドバイからメッセージを発信して、あろうことか、参議院議員に当選し、一度も登院しなかった男はドバイを根城にしていた。
英紙『タイムズ』は「コカイン・インク──英国の麻薬取引の決済金がドバイで純金に変わる仕組み」という特集を組んだ。
英国の犯罪集団もドバイと深く関わっている事実を明らかにしたのだ。UAE(アラブ首長連邦)の中心ドバイに「現金運び屋」と渾名された闇のシンジケートが形成され、英国の麻薬や詐欺、犯罪組織の拠点となっていた。
密輸される金の中継地でもある。表の顔は国際都市、チャイナタウンもあれば、広大な売り場面積の紀伊國屋書店もある。日本語書籍は片隅で、諸外国語のベストセラ-、英訳された日本の漫画も売っている。
ドバイ当局は無策ではない。
「マネーロンダリング・テロ資金供与・違法組織資金供与対策委員会」(NAMLCFTC)はインターポールなど国際警察と緊密に協力し犯罪集団の摘発に努力している。
英国の違法薬物取引は100億ポンド(132億米ドル)規模と見積もられ、2016年から2022年の6年間に67億ポンド(88億9000万ドル)がマネロンされた。その洗浄された「きれいな資金」は英国に環流し、不動産に投資され、そのうち15億ポンド(19億9000万ドル)は汚職や正体不明のロシア人と関係していると前述英国紙が報じた。
UAEは毎年、世界の金の20~30%を取引している。UAE の金市場は宝飾品だけではなく、金地金や金貨の需要が高い。
英国における拠点はバーバーだった。「パンデミック以降、繁華街のあちこちで理髪店の開店ラッシュが見られました。こうした店の多くは、何千ポンドもの機器を持っているのに、客がいません」と捜査関係者が語る。
英国の犯罪集団は毎年1,500億ポンド(1,990億米ドル)を資金洗浄しており、米国に次いで世界第2位の「マネロン経済」となっている。
英国で増え続ける麻薬、大量の���法移民の乱入に納税者が悲鳴を上げる。この構造はアメリカと同じである。英国は歴史的に移民に寛大で、「合法移民」はナイジェリア、インド、パキスタン、香港など旧植民地や、英国と関わりが深いイラン、アフガニスタン、エチオピア、エリトリアなど。不法移民は多彩で、昨今はルワンダからの難民が目立つ。
▼不法移民の潜入ルートが代わった
「主にフランスから小型船舶で不法に入国する移民の急増によって起きている。英国の社会問題(となった)。小型船舶による不法入国は2020年に約8500人だったが、21年は約2万8500人、22年には約4万5700人に増えた。新型コロナ禍での入国規制で、英仏海峡トンネルをトラックで移動することが困難になり、小型船舶で不法入国が行われるようになったことが背景にある」(『ジェトロ海外報告』、24年5月2日)。
英国は移民に寛容だったうえ、彼らにも福祉政策が適応された。そのうえ不法滞在でも職を得やすいとされたが、欧州連合(EU)離脱後、経済が低迷し、不法入国者の収容に多額の公費が投入された。国民保健は、2024年7月時点で762 万件の待機リスト、約430万人の子供たちが貧困生活を送っているとされる。
英国納税者の歳入から年間140億ポンド(185億7000万米ドル)を割いて不法移民を養っていることになる。(因みに日本への不法移民(日本は『不法残留者』という)の五傑はベトナムが15,806人、タイ:11,494人、韓国:10,869人、中国:6,881人、フィリピン:5,069人、インドネシア:4,537人ほか)。
あまつさえ治安が悪化し、国民の不法移民への警戒と不満が拡がった。凶悪犯罪が急増し国民生活の安寧が覆った。この深刻な問題は英国ばかりか米国、独・仏などEU諸国に共通である。
ドバイに話を戻すと、世界一の富裕層を引き寄せる国であり、2024年末までに過去最高の6,700人の億万長者の流入が予想されている。対照的に英国は2028年までに億万長者の凡そ17パーセントを失うだろうと予測される。
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カレンチャン-WORK-
ウマ娘 プリティダービーより
Cerberus Project フレンチドール様のガレージキット カレンチャン
製作工程まとめです。
トレフェスオンライン12にて購入
出戻りでガレキをやり始め(といっても美少女ガレキは今作で人生6体目)た為トレフェスオンライン自体初でした。いい時代になったものです。
早速仮組
いくつか埋めた気泡はあるものの微細気泡もなくパーティングラインもそこまででした。
もうカワイイ
台座は100均フォトスタンドにそれっぽいフェルトを敷いてます。
面相
いつものリキテックスソフトを使用
下描きが馴染む気がするのでプライマー→クリアコート後に目を描いてサフレス塗装
ただオーバーコートを吹きすぎてまつ毛が消えすぎたので後に修正してます。
髪
キャラデザの原画とゲーム内で微妙に違うのと(ゲーム内は赤が強め?)寒色と暖色の間といえばいいのかこれが微妙な色で寒色系の銀髪好きの自分は大苦戦。
FGプラチナブロンドから立ち上げた結果
まぁ黄色い
流石にドボンしてベースにラスキウスの亜麻色を使用したものがこちら
ラスキウス使っとけばなんとかなるのでは?
他の作例より寒色寄りな気もしますがゲーム内はこれくらいの印象なのでこれでよしとしました。
さらにゲーム内で特徴的なハイライトもマスキングで塗り分け
脚���赤タイツの塗装は初めてでしたが中々いい感じ
太ももと一緒に全体を肌色で塗った後マスキング後クリアレッドを重ね塗り、シャドウはクリアパープルで 最後にクリアイエローをオーバーコート
勝負服等
シャドウにココアブラウンを吹いた後フィニッシャーズのクリアブラックで調整(茶系なので助かります)
艶消し前はかなり濃淡を出せたと思いましたが艶消しで仕上げるとあっさりめに
今回の反省は今後の参考にします。 やはり黒は難しい。
フリル含め勝負服自体の白はナッツホワイトベースで暖色寄りに仕上げてます。
ストライプ柄も初でした。 これもなかなか難しい。
途切れた細い線は面相筆でちまちま修正しました。
今作の難所 金色の装飾部分
フチはマスキング、正面の細かい部分は4アーティストマーカーにて筆塗り。
シルバーに近い上品な金にしたかったのでEXゴールドを使用、マーカーも金と銀を混ぜて近い色にした上で塗ってます。
ペチコート(スカート裏)こちらも難所
そのまま接着しても見えずらい部分ではあるのですがスカートを着脱仕様にするとやはり見られる部分の為一応合わせ目消しを行いました。 もはや気分の問題。
塗装後の作業なので気を使います。
ところどころ筆入れ、修正を行なって組み付けたら…
完成!
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郵便局が「お客さま感謝デー」と銘打ったイベントなどで、ゆうちょ銀行の個人データ(非公開金融情報)が顧客の同意なしにかんぽ生命の保険営業に流用されていたことがわかった。かんぽ生命は20日、保険業法違反の恐れがあるとして、金融庁に報告。日本郵便は同日、全国の郵便局に対し、銀行データを使ったイベントは企画中のものも含めてすぐに中止するよう指示を出した。 日本郵便の20日付の指示文書などによると、保険勧誘が目的の来局誘致に銀行の顧客データを使った不正が全国で見つかっている。銀行システムで貯金残高や年齢���条件に合う顧客を検索・リスト化し、一時払い終身保険などを売るために来局を促すのが典型だ。景品をプレゼントするイベントや、銀行キャッシュカードのIC化を口実に来局させる手口もある。 ただ、ゆうちょ銀行の口座開設時に保険勧誘の同意を原則的に求めるような仕組みはない。 日本郵便は指示文書のなかで、顧客が来局したあとに同意を得れば問題ないと認識していたとしている。かんぽ生命は金融庁へ問題を報告し、今後、調査を続けて再発防止策を検討する。 郵便局が来局を促す「お客さま感謝デー」などのイベントをめぐっては、近畿支社が金融商品を売り込むために実施するよう指示していたことが9月初めの朝日新聞報道で判明した。商品販売の目的を隠した勧誘を禁じる自治体の消費生活条例に反する恐れがあるのに、社員の通報を受けた日本郵政の社外通報窓口は「問題なし」として取り合わなかった。
ゆうちょ顧客データ、かんぽ営業に不正流用 郵便局で保険業法違反か(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
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いきなり偉そうなことを書いて各方面から顰蹙を買いそ��なんだけど、あえて言う。僕は自分の日記より面白い日記を読んだことがない。これはハッタリでもなんでもなくて、それくらいの気持ちがないと何処の馬の骨とも知れないチャリンコ屋の日記に1,500円や2,000円を出して購入してくれている方々に申し訳が立たない。ただし「自分より」と言うのには注釈が必要。『富士日記』や『ミシェル・レリス日記』みたいな別次元の傑作は対象外として、近年、雨後の筍のように量産されているリトルプレスやZINEを体裁とした日記やエッセイ群を見据えての発言と思って頂きたい。商売としての仕入れはさておき、個人的に興味があったので色々と手を伸ばして読んでみたものの、そのほとんどが「私を褒めて。私を認めて。私に居場所を与えて」というアスカ・ラングレーの咆哮をそのままなぞらえたような内容、若しくは「持たざる者同士でも手を取り合い、心で繋がっていれば大丈夫」的な似非スピリチュアルなマジカル達観思想で構成されているので、正直ゲンナリした。しかもタチの悪いことに、そういうものを書いている人たち、あわよくば商業出版の機を窺っていたりするものだから、出版社や編集者の立場からしたらまさに入れ食い状態。「ビジネス万歳!」という感じでしょう。晴れて書籍化の際には口を揃えて「見つけてくれてありがとう」の大合唱。いやいやいや、ちょっと待って、あんたら結局そこにいきたかっただけやんってなりません?これまでの人生をかけて手にした「生きづらさ」の手綱をそんなにも容易く手放すんかい!と思わずツッコ��を入れたくもなる。現世で個人が抱える「生きづらさ」はマジョリティに染まらぬ意思表明と表裏の関係にあった筈なのに、どっこいそうはさせないとばかりにどこからともなく湧いてくる刺客たちの誘惑にそそのかされては、呆気なく自らの意志で握手(悪手)に握手(悪手)を重ねる。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだ。以前、僕もある出版社の編集長から「DJ PATSATの日記を当社で出版させてほしい」という誘いを受けたけれど、もちろん丁重にお断りした。僕は自主で作った300冊以上の読者を想定していないし、それより多くの読者に対する責任は負いかねるというような趣旨の言葉を伝えた。そもそもなぜ僕が友人(マノ製作所)の力を借りながらわざわざシルクスクリーンという手間をかけて制作しているのかを理解しようともしない。編集長は口説き文句のひとつとしてECDの『失点・イン・ザ・パーク』を引き合いに出してこられたのだけれど、いま思えばそういう発言自体が安易というか不遜だと思わざるを得ない。結局その方は僕を踏み台にしようとしていただけだったので、負け惜しみでも何でもなく、あのときの誘いに乗らなくて良かったといまも本気でそう思っている。まぁ、これは僕個人の考え方/価値観なので他者に強要するものでもなければ、共感を得たいと思っている訳でもない。逆に彼らも推して知るべしだ。誰もが商業出版に憧憬を抱いている訳ではない。昔から煽てられることが好きじゃないし、賑やかで華やかな場面がはっきりと苦手だ。だからと言って消極的に引きこもっているつもりもなく、寧ろ積極的に小さく留まっていたいだけ。かつては各地の井の中の蛙がきちんと自分の領域、結界を守っていたのに、いつしかみんな大海を目指すようになり、やがて井の中は枯渇してしまった。当然、大海で有象無象に紛れた蛙も行き場をなくして窒息する。そのようなことがもう何年も何年も当たり前のように続いている現状に辟易している。そんな自分が小さな店をやり、作品を自主制作して販売するのは必要最低限の大切な関係を自分のそばから手離さないためである。何度も言うているように自営とは紛れもなく自衛のことであり、率先して井の中の蛙であろうとする気概そのものなのだ。自衛のためには少なからず武器も必要で、言うなれば作品は呪いの籠った呪具みたいなもの。そんな危なっかしいものを自分の意識の埒外にある不特定多数のコロニーに好んで攪拌させたりはしない。多数の読者を求め、物書きとして生計を立てたいのなら、最初から出版賞に応募し続ける。だからこそ積年の呪いを各種出版賞にぶつけ続けた結果、見事に芥川賞を射止めた市川沙央さんは本当に凄いし、めちゃくちゃにパンクな人だと思う。不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、天与呪縛の逆フィジカルギフテッドというか、とにかく尋常ならざる気迫みたいなものを感じた。なぜ彼女がたびたび批判に晒されるのか理解できない。それに佐川恭一さん、初期の頃からゲスの極みとも言える作風を一切変えることなく、次々と商業誌の誌面を飾ってゆく様は痛快そのもの。タラウマラ発行の季刊ZINEに参加してくれた際もダントツにくだらない短編を寄稿してくれて、僕は膝を飛び越えて股間を強く打った。
佐川恭一による抱腹絶倒の掌編「シコティウスの受難」は『FACETIME vol.2』に掲載。
ついでにこれまた長くなるが、かつてジル・ドゥルーズが真摯に打ち鳴らした警鐘を引用する。
文学の危機についていうなら、その責任の一端はジャーナリストにあるだろうと思います。当然ながら、ジャーナリストにも本を書いた人がいる。しかし本を書くとき、ジャーナリストも新聞報道とは違う形式を用いていたわけだし、書く以上は文章化になるのがあたりまえでした。ところがその状況が変わった。本の形式を用いるのは当然自分たちの権利だし、この形式に到達するにはなにも特別な労力をはらう必要はない、そんなふうにジャーナリストが思い込むようになったからです。こうして無媒介的に、しかもみずからの身体を押しつけるかたちで、ジャーナリストが文学を征服した。そこから規格型���説の代表的形態が生まれます。たとえば『植民地のオイディプス』とでも題をつけることができるような、女性を物色したり、父親をもとめたりした体験をもとに書かれたレポーターの旅行記。そしてこの状況があらゆる作家の身にはねかえっていき、作家は自分自身と自分の作品について取材するジャーナリストになりさがる。極端な場合には、作家としてのジャーナリストと批評家としてのジャーナリストのあいだですべてが演じられ、本そのものはこの両者をつなぐ橋渡しにすぎず、ほとんど存在する必要がないものになりさがってしまうのです。本は、本以外のところでくりひろげられた活動や体験や意図や目的の報告にすぎなくなる。つまり本自体がただの記録になってしまうわけです。すると、なんらかの仕事をもっているとか、あるいはただたんに家族がある、親族に病人がいる、職場に嫌な上司がいるというだけで、どんな人でも本を産み出せるような気がしてくるし、このケースに該当する当人も、自分は本を産み出せると思い始める。誰もが家庭や職場で小説をかかえている……。文学に手を染める以上、あらゆる人に特別な探究と修練がもとめられるということを忘れているのです。そして文学には、文学でしか実現できない独自の創造的意図がある、そもそも文学が、文学とはおよそ無縁の活動や意図から直接に生まれた残滓を受けとる必要はないということを忘れているのです。こうして本は「副次化」され、マーケティングの様相を帯びてくる。
ジル・ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990年の対話』(河出文庫p262-263)
僕は制作の際にはいつも必ずドゥルーズのこの言葉に立ち返っては何度も確認作業を繰り返し、ようやっとリリースにこぎつける。しかしそもそもが作品化を企んでいる時点で自分まだまだやなぁと思うに至る訳で、なんとも一筋縄ではいかない。そういう意味では滝野次郎という人がインスタグラムに投稿している日記のような文章には、はじめ��ら読まれることを意図しているにもかかわらず、本来ならば読まれることを目的とした日記からは真っ先に削除されるような状況ばかりが羅列されていて、なかなかどうして凄まじい。馴染みの飲食店で見つけたお気に入りの女性店員を執拗に観察したり、断酒を誓った直後に朝から晩まで酒浸りであったり、謎の投資で10分間で40万円を失っていたり、銀行口座と手持ちの金を合わせても1,000円に満たなかったり、それでも「俺は俺を信じる」と闇雲に自身を鼓舞していたり、そうかと思えば急に脈絡もなくひたすらに左手のハンドサインを連投していたりと、しっちゃかめっちゃか。比肩しうるは円盤/黒猫から出版された『創作』くらいか。あらゆる規範から逃れるべくして逃れ得た、いま最もスリリングな読み物であることに間違いはないが、同時に、これは断じて文学ではない……とも言い切れない不気味な何かが海の藻屑のように蠢いている。
(すでに何らかの隠喩ではないかと勘ぐったり……)
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事件当日の36期たち
スチルです。これからみなさんの事件当日の出来事について紹介します。今日が最高の日になるように、頑張ってください。
うみつき
あなたは人を殺した。それも1人ではない。大勢の人を殺した。殺した理由は不本意だったのかもしれないし、やるしかないと思ったからかもしれない。木の下に隠したそれらは見つかることはなかった。高校の頃の友達と会う日があった。場所は通っていた学校の裏。他愛もない会話を楽しんでるうちに事態は仕方なくなってしまった。増えた死体は体育倉庫に隠した。きっと今日の事件のせいで、あなたも何かしら聞かれることがあるだろう。もしあなたのことを知ってしまった人がいたなら、そいつも隠さないといけない。あの木の下には座長が眠っている。今日さえ隠し通せれば、それで終わる。
東愛莉
事件が起こる前の日、あなたは店の締め作業を行なっていた。こんな田舎では街灯も少なく、これから1人で帰るのが億劫だと思っていた時にそれを見つけた。人が倒れていた。ナイフか何かで刺されたのだろうか、血溜まりの中に女性はいた。とっさに駆け寄るが、なぜか女性は消えていた。常連客の声がしたと思った時、あなたはコンビニにいた。目の前には常連客と和服��男がいた。あの和服の男を引き止めなければ。今日を逃せば、なにかが終わる。
月銀蓮
あなたは毎日幕の調整を行っていた。任せられた大きな仕事。ないがしろにするわけにはいかない。やり遂げる責務がある。毎日のそのおかげか、異常は何も起こらなかった。事件当日、幕が落ちた。自分の仕事が甘かったのだろうか?誰かが故意に故意に落としたのだろうか?何か細工がなされていたのだろうか?そうだとしたら、一体誰が?過程がどうであれ、結果は最悪だ。何があったか突き止めないと。今日、全てが片付けられてしまう。
オーム
バックドラフト現象というのがある。可燃性の一酸化炭素ガスが密閉性の高い部屋に溜まっている状態で、勢いよくドアや窓を開けることによって酸素が急速に取り込まれると発生する。一酸化炭素は酸素と反応して二酸化炭素へと変わり、爆発が起こる。あなたはこの現象が簡単に起こることを知っていた。この現象を知っている人は少ないだろう。あなたがやったと疑う人は少ないはず。そういえば34期にはこれに詳しい人間が何人かいたはずだ。今日さえ終われば、あなたの勝ちだ。
雨々単元気
人生において最も大事なことは芯を持つことだ。大学生になるまで、あなたは厳しい環境に置かれ続けた。仲間と助け合い励まし合い磨き合い、時には仲間に裏切られることもあったがそれでもあなたは友人たちと夢のために進み続けた。結果だけを追い求めるのではなく、真実に向かい続ける意志が大事だと信じ続けてきた。今日こそ、向かうべき日だ。この事件の真実を突き止められるのはあなただけ。今日それが出来なければ、意志は継がれないかもしれない。
きなこ
いつも同じ夢をみる。その夢ではいつもパンを作ていた。暗い部屋でパンにシロップをかけている夢だ。あたかも腐っていそうなパンを作る。その夢を見なかった日は、いつも嫌なことが起こる。パンのおかげで嫌なことが起こらなかったとさえ思ってしまう。事件前日、夢を見なかった。今日は夢を見た。ならばきっと事が起きたのは昨日。今日、すべてが解決するはずだ。
大良ルナ
自分が誰なのかわからなくなる。ゾンビになった夢を見た。肉が剥がれ落ちる。目が充血する。食べ物が喉を通らない。ニュースを見た時、そのニュースキャスターも私だった。頭の中に自分じゃない声が響くこともある。仕込みの夢を見た。釘を打つ。クランプで止める。インパクトを打つ。私は舞台班なはずなのに、向こうで私がスピーカーを括り付けているのが見えた。私が誰なのか、今日わかる気がする。
紫苑
事件が起きたらしい。そんなことより、オペの脚本がない。どこに置いてきたのだろうか。オペ席だろうか。電車の中だろうか。それとも箱?心当たりのある���所が多すぎる。セールスとして行った時にパンフレットと間違えたかもしれない。脚本がないのはまずい。急がなければ。今日は最後だ。今日で終わるとしても、ないのはまずい。
張潤玲
マーダーミステリーというのがあるらしい。それぞれに台本が渡される。台本にはそれぞれの事件当日の出来事が書いてあり、これからの方針が示されている。きっと他のみんなにも渡されているのだろう。前回の私は大勝した。全てを騙し切った。きっと今日も騙し切れる。全ての真相を伝えるのはリポーターの私だ。今あそこにいなくても、きっと今日私が勝つ。
はぜちかきつ
あなたは朝よりは夜がいいと考える。夜は人も少なく、あなたのことを見ている人も少ない。ならば、事件当日のあなたを見ている人は少ないだろう。1人にバックドラフト現象の知識を与えただけで、すべて思った通りに動いてくれた。全て台本通りに進んできた。今日、その台本が正しかったことが証明される。
箏
目が覚めると弥生時代にいた。なぜそこが弥生時代だとわかったか、それはあなたには前世の記憶があるからだ。あなたは前世で同級生に殺された。校舎の裏で殺され、死体は体育倉庫に入れられた。あなたは復讐を誓った。弥生時代に転生させられたからといって、諦める理由にはならない。弥生時代を統一し、タイムマシンを作り上げ、再びこの現代にたどり着いた。今年は2024年。今日、終わらせよう。いつまでこの奇跡が続くかはわからない。
暁レミエル
あなたは今日何時に帰ったかは覚えていない。そもそも昨日だろうか。曖昧だが、家に帰ったことは覚えている。あなたは野原で1人で踊る夢をよくみる。獣の声が聞こえる気がするが、気のせいのはずだ。あなたはなぜか、その夢を誰かに伝えないといけないという意識にとらわれる。その夢を継がないといけない気がする。今日なら継げるかもしれない。
錫蘭リーフ
落ち着いて聞いてほしい。あなたにとってこの情報は衝撃的なものかもしれない。あなたは弥生時代から来た。自分が弥生人だとバレてはきっと周りの人間にも危害が加わる。あなたは正体を隠すためにとっさに「錫蘭リーフ」と名乗りこの劇団に転がり込んだ。あなたには主がいる。弥生時代から使えてきた、心の主が。誰が主かはわからない。この劇団にいるかもわからない。でももし今日去る人の中に主がいたら、きっと後悔するだろう。今日、その忠誠を確認するのだ。
埖麦
あなたの最近の記憶は少し変だ。明瞭としているのは母校の裏で同窓会をしたあたりまで。気がつけば高校の頃の制服を身に纏っていた。タイムスリップか何かが起こったのだろうか。いまだにあの時何が起こったかはわからない。だがきっとどこかに手がかりがあるはず。あの時一緒にいたはずのもう1人の同級生も探さなくては。今日何かが出来なければ、終わってしまうのかもしれない。
叶イブ
かつて戦い、意見をぶつけた相手の様子がどこかおかしいような気がする。記憶がないのだろうか、たまに話しが噛み合わない。一人称もどこか変だ。確認しなくてはならない。そして���もう1人、また先輩になった人がまた先輩じゃなくなる。確認しなくては。今日はそれにうってつけの日だ。
響夜
何か大切なことを忘れている気がする。なにを忘れているか、検討がつかない。事件当日に何が起こったかを確認しようと思いTwitterをみたが、結果は変わらなかった。きっととても大事なことだろう。と思っていたら、そもそも今日は事件当日ではなかった。確かこれはこの前の夏の出来事だったはずだ。あなたは一体何を考えていたのだろうか。今日は忘れないようにしなければ。
森々仙人
昨日の夜は長かった。見てはいけないものを見てしまったと、そう思った時にはこの全てが終わっていた。早くこの場を去らなくては、そう思ったと同時にそれがかつての仲間だと気付いた。あなたは誰がこの事件の犯人か知っている。告発するかはあなたの自由だ。その仲間の姿が、過去の自分に見えるからこそ、笑いのためにお互いに磨いたある日があるからこそ、今日はその決断をする日だ。
白
ともに同じ夢を追いかけた仲間の様子が少し変だ。消灯時間のはずなのに、どこかに出かけているようだ。しかし、今日はそんなことに構っている暇はない。少し見ない間にどこか薄くなってしまった昔の人と、少しだけ会う日だ。盆ではないが、一つの境目。夜が長く続けば、会える時間も長くなるはず。今日こそはゆっくりしておきたい。
またね。
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るんぺんパリ【RunPenParis】
自己紹介 2024年11月4日追記 6116文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している それは去年に末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 観光施設って感じ 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 今年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が降ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件回って、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて上野天神祭へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 夜の19時から同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったガキさんは すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので閉店の1時までカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の20(日)は上野天神祭に参加している同級生のオデに会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く紅梅屋でおみやげを結構買って 桔梗屋で上生菓子とお茶を飲んで 静岡へ帰った 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく上野城をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった この子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある ただダーツバーらしく 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど バーの扉って感じで雰囲気はあった 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で それにしても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリ��ナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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警察は暴力団に銀行口座を作らせず、社会的に抹殺することで、生業をさせないよう追い込んでいる。暴排条例は暴力団との取引は、いかなる理由があっても違法になる。が、個人の飲食店で、おいしい料理を提供し、常連客がつけば、暴排条例の中でもまっとうな商売はできる。警察とて店を訪れ、「ここはヤクザの店だ」と、客に喧伝したりはしない。銀行口座がなくても現金で買い物をすれば仕入れもできる。
山口組系組長のラーメン店店主が厨房で銃殺 ラーメン屋が暴力団の「シノギ」として人気になった背景|NEWSポストセブン
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ニッポンの唐揚げは銀座生まれ
昭和7年に東京・銀座の三笠会館が、営業不振の打開策として考案したメニューが若鶏の唐揚げでした。今朝は鶏モモ肉を、おろしニンニク&ショウガ、水、醤油、黒糖でよく揉み込み、米粉を全体に混ぜ、オリーブ油でカラッと揚げて青ユズを搾る〰️😋
美味しく健康に、自然の恵みに感謝して頂きます(合掌)。
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無題
言及すべき事象の多すぎ(る気がし)て、畢竟沈黙してしまう。本気で悲しんだり怒ったりしたい、と思うのは姑息ですか、傲慢ですか。目の届く範囲、手の届く範囲のことしかわからない。
*
彼女の病院に付き添った。制服の高校生カップルが待合でお互いの指を絡め合い寄り添い座っていた。銀だこの明太チーズを食べた。歯医者に行った。齲歯だと思ったら歯肉炎だった。粘度の濃い血がドバドバ出た。業者を呼んでエアコン掃除してもらった。真っ黒い水がドバドバ出た。熱っぽい気がして測ったら37.1℃だった。
*
花腐しの映画が良くて、彼女は気持ち悪いといって本当に具合悪くなっていたけれど、俺は美容室で綾野剛の写真を見せて、これにしてくれ、といってあつらえた。後ろ髪の長さが足りないといわれた。伸ばしていく。
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8月11日(日)
一日中、実家に居た。洗面台の汚れと床にふわふわと落ちている猫の毛玉が気になり、掃除。祖母家の猫は大丈夫だけれど、実家猫に対しては何故か強くアレルギーが出てしまう。猫パワーが強過ぎるのか?目が痒いと何にもできない。朝、黒糖ロールパン1つ。昼、冷凍のドリアと赤ワイン?と梅酒が混ざってる異様に美味しい不思議なお酒(サッポロの『3種のポリフェノール赤梅酒』)夜はあったかい蕎麦を。日記を更新したり、企画を考えたりなどなど。思い返せば具体的に企画内容を決めたり、まとめたのはこの日だった。(『67号室の秘密』)実家の私の部屋は母の部屋になってしまっているけれど最近、無印良品のソファーベッドがこの部屋に導入されたことにより、昔の自分の部屋のように寝転びながら作業をすることができた。考え事をしたり、本を読んだり、文字を書くときは寝転ばないと集中できない。この部屋から全ての思考がスタートしていると言っても過言ではない。その時の感覚を思い出した。
8月12日(月)
朝、マフィンに卵とチーズを挟んで食べた。お昼は妹が作った焼うどん。銀色夏生の『偶然』を読了。知っている詩がいくつかあった。夏生さんの詩は緩急とリズムが良い。夕方から予定があり、父に駅まで送って貰った。父の凄いところは何があっても時間をきっちり守るところだなって思う。時間潰しのためにブックオフへ行き、夜ご飯はスープストック。グリーンカレーと台湾出汁なんちゃらと少なめご飯。スープが二つだとあっさりお腹がいっぱいになる。CCさくらを観た。ミッドランドのドーナツを初めて食べて感激。ふわふわでとても美味しい。次も絶対ドーナツを食べると心に決めた。寧ろ、ドーナツを食べるために映画を観ようかとすら思う。CCさくらは言わずもがな素晴らしい作品。新たな気づきをインスタに書いた。この日辺りからSNS無理だな症候群から解放されつつあり、積極的に投稿を始めた。インスタとの和解。兎も角、自分のことを見失うことがなければ悪い物ではないはず。
8月13日(火)
ノン氏とロイホ。キノコのパスタをセットで頼んだらお会計が2,400円になってしまって焦った。全くそんなつもりではなかった。1,100円になるのかと思っていたら、それがセットの値段だった。キノコのパスタはキノコのパスタの値段だったのだ。ロイホにしてはお得すぎると嬉々として注文してしまっただけに、寝耳に水って感じでショックをショックと捉える隙がなかった。いくらのジュレ、サラダ、オニオングラタン、スイートポテト、ドリンクバーのお茶や珈琲全部美味しかった。値段をもしも知っていたら食べられなかったということになる。そう考えると幸せだったんじゃないか?と思える。新しいイベントへ向けての話し合い。話が進み早速、現地の外観の下見。9月に予定が詰まっていた為、開催日はどうしても8月中が良くて、8月31日に決まった。ここまで短い準備期間で企画を組むのは初めて。通常であれば2ヶ月ほど前から始める。異例中の異例。どうなることやら。下見を終え、一休みをするためにロイヤルへ。ロイヤルからのロイヤルとボソッとノン氏が呟いて、妙にツボに入ってしまった。バニラアイスが暑くて疲れた身体によくしみた。
8月14日(水)
お墓参り。早朝だった為眠たくて仕方なかった。その後もずっと眠たくて、無理矢理外出。図書館に行ったら入り口のところで人がずらっと並んでいて、なんで?と思ったら、まだ営業前だった。図書館に入るために並ぶということを初めて経験した。人生何が起こるかわからない。図書館へ来たものの、借りていた本を全く読み終えられていなかった為、椅子に座ってしばらく読書。その間も眠たくて、うたた寝。集中できず返却。スガキヤへ。見慣れない『ワンタンラーメン』というものがあり、え?と思いながら注文。大きめのワンタンが5つくらいわんぱくに浮かんでいた。しれっと参入していたワンタンラーメン。今後果たして愛されていくのであろうか?ワンタンラーメンの行く末を案じている間に完食。そして、先日ゲットしたクーポンを使おうと思い、お目当てのドトールキッチンへ。かぼちゃのタルトと沖縄黒糖ラテ。ケーキセットにしたら結局クーポンは使えなかった。かぼちゃのタルトは常に美味しい。ほのかにりんごの味もする。何かでSaToAのメンバーのうちのお一人がドトールではかぼちゃタルトを食べるという話をしていた気がする。その話を知ってからSaToAのこともかぼちゃタルトのこともより好きになった。沖縄黒糖ラテはドトールの最高傑作だと思っている。これを超える癒しドリンクにはまだ出会えていない。というか、地名さえ入れば大体全て美味しそうだなと思う。ドトールを出たのち、再び図書館へ。今度は初めて行った図書館だった。小さいのであまり期待していなかったけれど、小さい分本を探しやすくてよかった。大きければいいってもんでもない。そこで、くどうれいんさんの本を見つけられてラッキーだった。読んでいく内に元気が出てきた。生活をちゃんとしたいという気持ちになり、バスを使わず歩いて帰宅。お盆ということで従姉の家族が大集結していた。私の分のお寿司と揚げ物と和菓子とケーキがずらっと並んでいて「誕生日みたい!」と思わず言ってしまった。従姉とは定期的に会うようになり、会話を交わす時間が増え、価値観が似ていることがわかり、数年分の気まずさが解消されつつある。良いことだなと思う。
8月15日(木)
もうすぐ手帳を書き終えてしまう。来年の手帳はどんなものにしようかなと考える時期になってきた。心配しなくとも時間はちゃんと流れていく。前の職場の給与が振り込まれ、お金の整理をしていたら節約意識が高まった。RECによる出費がかなり大きい。無駄に使えるお金なんてない中でいかに工夫して楽しむのかが重要。お金を生み出す仕組みも考えていきたい。まずは部屋の片付けと基本を大切に生きてみよう。
8月16日(金)
会場の下見と練習日。良い場所だったなと思う。駅近でこういう自由に使えるスペースがあってよかった。隈なく探すと見つかるものなんだな。恐らく今後もこちらでお世話になる予定。理想はやっぱり自分たちの場所を作ること。それに向けて面倒だなとか思うことから目を背けずに動いていきたいなと思った。暑くてどうしようもなくて、練習後すぐに帰宅。バスを待っている間にお土産で貰った『ふところ餅』を食べた。国産米粉使用ということでとてもおいしかった。空腹感に支配されずにバスを待つことができた。好みを熟知されているということはすごく嬉しいことだ。帰宅後、説明動画の編集を開始。夜遅くに就寝。
8月17日(土)
『67号室の秘密』の発表日。朝から説明動画の編集の続き。それからフライヤーと説明画像の編集。短い期間の中でロゴ作りを担当してくれたはんどまりくんには頭が上がらない。こんな無茶振りを引き受けてくれてどうもありがとうという気持ち。見た目の可愛さだけでなく、意味もしっかりと込められていて、イメージの共有がスムーズで毎回とても助かっている。ありがたや。改めて依頼してよかったなあと思う。開催日の場所の確保のために思い切って管理者の方に電話をしたら、向こうの尊敬語が移り、変な話し方になってしまった。つくづく電話が向いていないなあと思った。それでもなんとか場所をしっかり押さえることができて、無事にイベントの発表もすることができた。インスタ投稿をするために文章を書いていたら、活動を続けていく中で自分がふわっと思ってきたことがスルスルと言語化されていって書きながら、なるほどなってなった。手を動かすって大切だ。これは人間にしかできないことだなと思う。
8月18日(日)
お盆休み最終日。あっという間だ。悲しみに支配されないようにこの日記を書こうと思った。思い返せば随分と溜め込んでしまっていた。現実をうまく掴めない時、日記は書けなくなるものだ。今という時間を自分のものにするために私は日記を書くのだと思う。今回はPCからこうして文字を打っている。スマホではやはりどうしても集中力が途切れてしまう。PCだとあれも言いたかったんだ、これも言いたかったんだと言葉がうわんうわん溢れてくる。この自由を忘れずに労働に勤しみたいなと思う。数日間の空腹感の原因が解明され、毎月のことながら、ホルモンってのは厄介だなと思う。減量開始宣言をしたけれど、今回はゆるゆる長期的にやっていこうと思う。運動と食事と睡眠に対する考え方を丁寧にしていこう。あと、自分に対して健康的に接してみようと思う。スマホを枕元に持っていくのをやめるとか、水をたくさん飲むとか。そういう良いとされていることを一つ一つやってみよう。やってみないとやる気は起きない。わかっていてもできなかった。わかっていても、いなくても、まずはやってみよう。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)8月7日(水曜日)
通巻第8359号
バングラデシュは暴動から政権転覆。「黒幕はパキスタンと中国」とインド
インド紙は「イスラム過激派のテロリストが政変を計画していた」と報道
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8月5日、ハシナ首相はヘリコプターにとりあえずの財宝(スーツケース数個)を積んでパキスタン空軍基地からインドへ脱出した。嘗て「民主主義のイコン」といわれた彼女も15年間、権力の座にいるうちに“腐った”林檎になったのか。
他方、自宅監禁になっていたジア前首相は自由の身になった。ジアは大統領未亡人で1991年に夫が暗殺されると首相となり五年間、バングラ国政を担った。BNP(バングラ・ナショナル党)党首でもあり、反ハシナ路線を唱え、2014年と2024年の総選挙をBNPはボイコットしてきた。
学生による暴動で死者は430名以上、負傷者数千。幕切れは呆気なくハシナ逃亡とともに軍が暫定的に権力を掌握し、新政府顧問にムハメド・ユヌス(2006年度ノーベル平和賞、84歳)を迎える。ユヌスは”亡命先“のフランスからダッカへ戻る。
当面は陸軍司令官のウエイカー・ウズ・ザマンが暫定政府を舵取りし「早い時期に総選挙を実施する」としている。
学生たちの最初��要求は公務員枠の撤廃だった。これは建国の英雄(アブドラ・ラーマン)が主導した独立戦争で犠牲となった遺族の子供達が公務員の枠で優遇され、これが不公平というものだった。ハシナはラーマンのむすめである。なにしろバングラでは1800万人の若者に職がなく、数少ない輸出産業の繊維産業もコロナ禍以後、ZARAなどが工場を縮小したため不況に陥っていた。若い女性の500万人が繊維産業に従事しているが、中国資本の人使いの荒さにも不満が昂じていた。
暴動は公務員枠の不公平が原因とされるが、これは口実でしかなく(すでに数年前にハシナ政権が撤廃を声明)、実際の狙いは政権転覆にあった。
中核となったのは「ジャマート・エ・イスラミ」というテロリスト集団だ。現在の指導者は不明。だが、インド情報部によればアフガニスタンで軍事訓練を受けた形跡があるという
「ジャマート・エ・イスラミ」は1975年に結成され、一時期はBNPと連携していたが、ヒンズー撲滅などを唱えて過激化し、非合法とされて地下に潜った。
「ジャマート・エ・イスラミ」の過激学生セクトが「シャハトラ・シビル」と呼ばれ、イスラム同胞団、イスラムジハードならびにハマスと連携している。この「シャハトラ・シビル」が暴動を煽ったプロ活動家である。
▼習近平は「貸したカネを取り戻せるのか」と心配
インドのメディアは政変の黒幕はパキスタンと中国とした。しかし中国は、むしろハシナ政権との癒着、巨額の汚職が問題であり、政権転覆でメリットはない。
中国のBRI(一帯一路)は、合計1兆3400億ドルを世界165ヶ国に投じて、合計20000件の��ロジェクトを展開している。
ハシナ首相が訪中はつい先日、24年7月10日のことである。
北京の人民大会堂でバングラデシュのハシナ首相と会談し、両国関係を「包括的戦略協力パートナーシップ」に格上げしたばかり。中国はバングラデシュに50億ドルを投じ、さらにハシナ政権は追加50億ドルを訪中時に要請した。習近平は、とりあえず10億ドルでどうかと打診していた。
またハシナは23年4月に訪日しており、独立以来バングラへの支援は巨額に登る。バングラ進出の日本企業はすでに340社、在留邦人は千名を超えており、安全確保が急務とされている。
バングラデシュは世界銀行から195億ドルを借りており、年間の利払いだけでも2・5億ドル。日本のバングラデシュ援助は
バングラデシュのテロ組織は、ほかにJMB(ジャマトゥル・ムジャヒデン・バングラ)がISILの影響下にあって、その分派が2016年に日本人7名を殺害したテロ事件を起こした。他にAAI(アンサール・アル・イスラム)がアルカイーデの流れを組むとされる。
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なんか印象に残っちゃって忘れられなくなった会話ってありませんか?私はよくあるんですが、その1つに前職で飲み会の後に帰りの電車で一緒になった先輩(以下、読書先輩)が何気なく言った
「スマホゲーなんかやってる奴らは負け組だからな。本も読まねーでよ。」
というのがある。
それ自体は読書先輩も帰りの電車でスマホを弄っているオッサンを見て何の気なしに言った事で、然したる興味や関心の上に言った事でも無かったと思う。もしかしたら「俺は本を読んで通勤時間も有効活用してる」アピールだったのかもしれない。私は特に深く考える事も無く「そっすねー」で流してそのまま先輩と解散し、その内そんな会話があったこと自体も記憶の奥底に沈んで行った。
時は流れ、先日取引先との会食の後で、先方の副部長と帰りの電車が同じになってしまった。内心舌打ちしたくなるのを隠しつつ、営業の顔を顔面に張り付かせていると、部長は徐にスマホを取り出し画面を擦り始めた。そう、その時確かに見えてしまった。スマホゲーだ。自分がやってないので何のタイトルかは分からない。でもそれは確かにスマホゲーだった。日本を代表する、例えば巷で言う就職偏差値で言えば60後半の、超一流企業の副部長が目の前でスマホゲーをやっていた。私は思わず目を見開いてしまった。
「スマホゲーやられるんですかっ!?」
が喉元まで出か��ったのだが、まさかスマホ覗いちゃいましたとも言えず、結局何のタイトルかは分からないまま、発狂するくらい気になりながら部長は会釈して電車を降りて行った。そして同時に読書先輩の事を鮮烈に思い出してしまった。取引先の副部長と当時のパイセンは例えば年収で言えば少なくとも倍半分は開きがあり、今後の昇進可能性も踏まえるとそれどころではない。肩書で言えば豚と真珠だ。読書先輩、負け組は貴方でした。それから、その事実が何となく気になり、なんで偉い人がスマホゲーしてたのか考えているのだが、以下何となく考えて見た事を書きたいと思う。
2010年代前半、東大生の就職先はスマホゲー開発会社だった。それが社会的に良い事か悪い事かと問われればそれは分からないのだが、とにかく儲かったので皆社会最高の頭脳をスマホゲー作りに捧げに行っていたし、それは一つの大きなトレンドだった。そういう事実は私も知っているけども、私はそれ以上に深く突っ込もうとも、調べてみようとも、ましてスマホゲーを実際にやってみようとはしなかった。
スマホゲー副部長は、先方の社内では結構異例の出世をした方だ。仕事はスマホゲーとは掠る事も無い程遠い分野の企画系。話していてもとてもアンテナが高く(話の長い)方だった。思うに、スマホゲー副部長はそうしたトレンドの中で、実際に自分もやってみようと思ったのではないか。これは半分冗談で半分本気だ。自分が転職して事業会社に来てから好きになった座右の銘が一つある。「神は細部に宿る」という奴だ。
私は今事業を企画したり評価したり、そんな立場で仕事をしているが、以前別の記事でも書いた通り、事業の成否を握るのは専門性、もっと言えば当該事業について、箸の上げ下ろしまでの細部をどれだけ知っているかだ。例えばスマホゲーという領域において、殆どの銀行員の意識は自分が直接担当していない限りは「スマホゲーが流行っていて東大生が行っている」止まりだと思う。良くてどんなプレイヤーがいるかを少し知ってるくらいだ。自分で実際にやってみるか。まで辿り着く人間はほぼいないと思う。
事業会社に来て、特に技術系の人間のヲタク度合いは凄い。何が凄いって、実際に自分がやってみるのだ。書籍を読むのは入り口以前で、論文や最新の見解を調べて、その内に休日を返上して現場に行き始める。多分彼らは分からない事、知らないことが気持ち悪いんだと思う。恐ろしい知識欲だ。それを50とかになってもまだやってる。大きな子供みたいだ。そしてこれが日本を焼け野原から世界に冠たる技術立国に押し上げた恐るべきパワーの源泉だったのではないかと思う。
読書先輩は確かに読書していた。新書とか好きなんだろう。でも彼は浅く広い。そこから先に進めない。だからその程度。スマホゲー副部長は技術系だ。多分、何となく気になってしまったのではないか。滅茶苦茶流行ってる、東大生がこぞって行く、「スマホゲー」、少し前の日本の最先端のトレンドに。そして、自分も実際にやってみようと思ったのではないか。そういう探求心が、彼をそこまで押し上げたパワーの源泉だったのではないか。
ということを色々グルグルと考えているのだが、もしかしたらただCM見て「面白そうだな」と思っただけかもしれない。私の考え過ぎだとは思う。ただ、少なくともこの話で一番の負け組は読書先輩であることだけは間違いないので、とりあえず自分が被弾しない様に特定のカテゴリの人を負け組と呼ぶのは止めておこうと思う。
https://note.com/bank_of_itabashi/n/n6e187a9cc05a
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