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#肥後一文字や
ari0921 · 2 months
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 米社会の病い、性別違和に苦しむ少女達
   櫻井よしこ
日本ルネッサンス 第1094回
今日、4月9日の産経新聞に『トランスジェンダーになりたい少女たち』の広告が掲載されていた。米国人ジャーナリスト、アビゲイル・シュライアー氏の『IRREVERSIBLE DAMAGE』の邦訳で、出版元は産経新聞出版だ。
広告には「あの“焚書”ついに発刊」の字が躍る。「皆様の激励に御礼申し上げます」「Amazon総合1位」の文字が誇らしくも嬉しくも輝く。それはそうだろう。本書の出版に際して産経新聞出版も同書を扱うと推測される大手書店も、放火予告というとんでもない脅迫を受けていたのだから。
同書は当初、大手のKADOKAWAが出版する予定だった。しかしわが国の一部左翼勢力が「トランスジェンダーに対する差別を助長する」として抗議し、KADOKAWA本社前で集会を開くなどと警告した。国際社会に名を馳せる大手出版社でありながら、KADOKAWAはジェンダー思想に染まった左翼勢力の恐喝に屈した。斯(か)くしてその時点で、言論の自由も出版の自由も踏みにじられた。出版界の名門がそんなことを許したのは痛恨の極みだ。
本書の内容は後述するが、ジェンダー思想に染まっている人やWokeの人々にとっては、確かに気に入らないだろう。かと言って、それを出版禁止にせよというのは無茶にも程がある。そんな圧力に屈すれば自由と民主主義を基盤とするわが国の社会の根底が揺さぶられる。出版社の存在意義も吹き飛ぶ。KADOKAWAの情けない姿勢を見て、弱小の産経新聞出版、瀬尾友子氏が名乗り出た。するとそこに先述した放火の脅迫が降りかかったのだ。それでも産経新聞出版は遂に刊行に漕ぎつけた。しかもAmazon総合1位、だ。
日本社会も捨てたものではない。
奇妙なのはいつも言論、表現、思想・信条の自由などを金科玉条の如くに持ち上げる朝日などのリベラルメディアが同件にきわめてよそよそしいことだ。報道もしない。安倍晋三総理に対して行った「報道しない自由」をここでも発揮しているのだ。
ナブラチロワの抗議
シュライアー氏の著書は実に読みごたえがある。取材対象の当事者は200人、50家族に上る。意見を聞いた専門家の数、調べた専門書の幅広さにも感心する。彼女は驚いた。思春期に突然「性同一性障害」を発症し、「生物学的には女だけれど実は男だ」と主張する少女たちが急増していることに。2016年から17年にかけて米国では、女性に生まれついた人で性別適合手術を受けた人の数が4倍に増えた。英国ではジェンダー医療を望む10代の少女の数が過去10年で4400%増えた。
シュライアー氏は以下のように分析している。ここ10年でトランスジェンダーが目立つようになり、対照的に女性と少女が目立たなくなった。アメリカ全土の高校で最高水準にある女子選手たちは、女性を自認する生物学上は男子の選手に圧倒されている。その多くは男子チームでは月並みの選手だったのに、である。
文化面でも少女たちは支持を失った。女性専用だった場所は男女共用になり、スポーツの記録は先述のように不公平となり、抗議をすれば偏見だとどなられる。レズビアンを公表しているテニス選手のマルチナ・ナブラチロワは「トランスジェンダーの選手に女子スポーツで競技させるのは生物学上の女子に不公平だ」とサンデー・タイムズ紙に書いた。するとトランス嫌悪(フォビア)だとレッテルを貼られ、スポンサーから放りだされた。
世界でもっとも有名な同性愛者の女子アスリートであるナブラチロワが少女たちのために立ちあがったことで反トランスジェンダーの偏狭な人物だというレッテルを貼られたのなら、無名の女子選手たちが反対することはなおさら不可能だ。
そしてトランスジェンダー活動家は女性の生物学的な独自性を完全に否定しようとする。たとえば妊婦(プレグナント・ウィメン)は次第に“#妊娠中の人(プレグナント・ピープル)”と表現され、“膣(ちつ)”は“#前方の穴(フロント・ホール)”という忌まわしい言葉で表わされてしまう。トランスジェンダーを包括する語彙では、生物学的な女性は“養育者”あるいは“出血がある人”などと表現される。トランスジェンダー活動家はこのほうが繊細な言葉であり、より正確に表現することができると主張するのだという。しかし、とシュライアー氏は問うている。
「ほんとうの少女はどう感じるだろうか」と。
少女たちは女性であることに意味を見出し得なくなり、或いは居心地が悪くなり、自分はトランスジェンダーだと思い始める。そのような傾向をスンナリ受け入れて助長するのが昨今の大学だとして、幾つもの事例が記されている。
「抑うつ、自傷、薬物依存」
たとえばカリフォルニア大学ロサンゼルス校などである。そこでは、両親にはぜったいに知らせずに、キャンパス内だけ、あるいは法律上も名前を変更できるように簡単な説明と申込用紙を提供しているという。アイビーリーグをふくむ百を超える大学でトランスジェンダーのためのホルモン剤に健康保険が適用されているともいう。
こうして少女たちは男性になっていくが、その世界のことを21歳のヘレナ(米シンシナティのポーランド移民の娘)はこう語っている。
「トランスジェンダーのコミュニティにはあまりにも多くの抑うつ、自傷、薬物依存が存在しています」
ネットでトランスジェンダー・アイデンティティについて知った思春期まで性別違和を抱いたことはなかったヘレナは、途中で何とか引き返した。引き返した人をディトランジショナーと言うが、そのほとんどの人々が後悔に苦しんでいると、シュライアー氏は次のように指摘する。
テストステロンは数カ月摂取しただけでも、男性のように驚くほど声が低くなり、それは摂取をやめても元に戻らない。もっと長く摂取した場合は、通常とは異なる秘部を“肥大して小さなペニスに見えるクリトリスを”恥ずかしく思うだろう。夕方になると目立つひげや体毛もいやかもしれない。手術まで行ってしまった場合は胸に走る傷跡と一生つき合わなければならない。
シュライアー氏は、自分が語り合った全員が、自分の人生に関わった大人、とりわけ医療専門家が性別移行を促して助長したことを非難したとも書いている。
多くの少女たちがSNSでトランスジェンダーを知る。暴力的なポルノを見て正常なセックスもできなくなる。新しい傾向をもてはやすメディア、大学医療関係者がトランスジェンダー化への動きを無責任に後押しする。
トランスジェンダー問題はこうした思いやりに欠けた世界で運動家らによって尚も推進される。少女たちは回復不可能な傷を負い、少なからぬ家族が崩壊しているのがシュライアー氏の伝える現実である。この本は多くの貴重な教訓を与えてくれる。是非、わが国の政治家全員、最高裁裁判官たちにも読んでほしいものだ。
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nyantria · 2 days
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「Can You Catch A Cold?」サンプル5
字幕大王2024.06.25
サンプル4はこちら
水俣病の混乱
細菌論に夢中だったために伝染病と間違われた病気は栄養不足だけではない。1956年5月のこと、5歳の少女が日本の水俣市の病院に入院した。水俣は八代海に面した人口約5万人の小さな漁村だった。その少女は、けいれん、歩行困難、言語障害などの異常な神経症状を呈し、急速に体調を崩していた。数日後、彼女の妹と町内の他の3人もまったく同じ症状で病院を訪れた[45,46]。
その後、数週間から数ヶ月で、村の人々が病気になるケースが急増したが、罹患したのは村人だけではなかった。大量の魚が奇妙な泳ぎ方になり、やがて死んで陸に打ち上げられた。海鳥は飛べなくなり、異常な行動をとるようになった。これらの動物を捕食する猫も具合が悪くなり、口からよだれを垂らし、気が狂ったかのようにぐるぐる走り回った[47]。動物と人間の間で何らかの病原体が伝播したのだろうか。誰も確かなことはわからないが、この大流行は伝染病の特徴をすべて備えているように思われた。最初の患者が出た後、村に住む人々が次々と同じ症状で倒れ始めたのだ。そのため、ある種の「奇妙な伝染病」が発生したという噂が広まった[48]。やがて、この病気は伝染性髄膜炎であるという未確認の報道が出始め、地域社会は大きなパニックに陥ったのである[49]。
謎の病気への恐怖は極めて大きく、近隣の町の人々は水俣人を排斥し始め、長い間築かれてきた密接なコミュニティの絆は急速に失われていった[50]。伝染病まん延を抑えるため、家屋は消毒され、病人は隔離された[49]。この対策にもかかわらず、伝染病が地域住民を襲い続けた。初期の報道によれば、少なくとも55人が感染し、17人が死亡した[45]。
しかし、約3年後、研究グループはついに病気の原因が地元の肥料製造会社であると突き止めた。同社が、合成肥料製造の廃棄物であるメチル水銀27トンを水俣湾に投棄していたのだ[51]。この水銀が地元の水路を汚し、何百平方キロメートルもの海を汚染した。かつては美しく肥沃な自然の珊瑚礁であった水俣湾は、有毒な荒れ地となり、かつては豊かであったその恵みを不運にも口にした人間や動物を毒した。
1963年2月、水俣病の発生原因を調査していた研究グループから正式な発表があった。誰もが落胆したが、水俣病の原因は感染性微生物ではなく、メチル水銀に汚染された水俣湾の魚介類の摂取によるものだった[49]。長年にわたって、この環境破壊の犠牲者たちは、日常生活で出会う人々に伝染性ではないと安心させねばならなかった[52]。この災害によって900人以上が死亡し、200万人が慢性的な健康被害に苦しんだ[51]。
水銀中毒の混乱
水俣で起きた出来事にもかかわらず、医療関係者は今日に至るまで、水銀中毒を感染症として誤って診断している。2018年8月のこと、15歳女性、13歳女性、11歳男性の3人兄弟が救急外来を受診した。彼らには、発熱、筋肉痛、皮疹、倦怠感など、非特異的な症状が進行していた。検査は陰性の連続であり、その結果、「ウイルス性症候群」と診断された。子供たちは休ませるために家に帰らせられたが、その3日後、兄弟はさらに悪化した状態で救急部に戻ってきた。うち一人は神経障害を起こしていた。子供たちは溶連菌性咽頭炎(連鎖球菌性咽頭炎)と猩紅熱(しょうこうねつ)と診断された。彼らには抗生物質が投与されて退院した[53]。
その数日後、子供たちはセカンドオピニオンのために別の救急外来を受診した。この時までに、症状はかなり悪化しており、激しい頭痛、息切れ、手足のしびれ、全身の脱力感などが生じていた。結論に飛びついてウイルスやバクテリアのせいにするのではなく、救急医たちはさらに詳しく調べた。すると、子供たちが自宅で水銀の瓶で遊んでいて、それがカーペットにこぼれていたことがわかった。母親はこぼれた水銀を掃除しようとして掃除機を使った。母親はそうとは知らず、これが水銀を加熱・気化させて、子供たちはうっかり吸い込んでしまったのだ。不思議なことに、母親には何の症状も現れなかったので、この病気は小児感染症のように思われたのだ。
子供たちが水銀中毒であることを知った医師たちは、水銀除去のためにキレーション療法を開始した。二人の子供は完全に回復したが、1人は関節、背中、筋肉の痛みが続き、歩行器が必要になった。この出来事はケーススタディとして記録され、2020年2月の医学雑誌に掲載された。著者の結論としては、水銀中毒が感染症に似ている可能性があることだ[53]。子供たちは同じ家で暮らしており、似たような症状を呈していたため、最初の病院の医師は、小児期の伝染病が兄弟間で広がったに違いないと誤って考えたのだ。ここでもまた、一面的なレンズを通して世界を見ることが誤った思い込みを招き、正しい診断と治療を遅らせたのである。
なぜこれが重要なのか?
壊血病、ペラグラ、水銀中毒といった病気の原因を正しく特定することが重要だったことは明らかだ。しかし、いずれの場合も、細菌論というレンズが真実を邪魔し、調査者を無益な捜索に向かわせ、一般大衆を無用なパニックに陥れた。これらの事例だけを見ても、間違った説明モデルを適用したことによる影響を定量化するのは難しい。数え切れないほどの資源、時間、人命が、存在もしない敵と戦い、追いかけて失われたのだ。また、どれだけの人々が仲間はずれにされ、孤立し、非人道的な扱いを受け、タイムリーで効果的な医療を拒否されたかを考えると胸が痛む。それは伝染病だからではなく、伝染病であることを恐れたからである。このように、我々が世界を見るレンズは強力だ。良くも悪くも、レンズは我々のあらゆる知覚を彩り、我々の見方に一致する結果をもたらす。
もちろん、今では良くわかっており、これらの病気を伝染病と見なすことはない。壊血病、ペラグラ、水俣病のような病気を振り返り、その過ちに気づくのは簡単なことだ。現在の我々から見れば、人間がハンセン病患者のような烙印を押され、治療を拒否され、檻に入れられた動物のように閉じ込められていたのは野蛮なことのように思える。後知恵とはおかしなものだ。我々は今、すべての答えを持っていると思い込んでいる。しかし、我々がいまだに伝染病だと考えているが、そうでない病気が他にもあるとしたらどうだろう?ここまで来たと誇らしげに振り返っても、まだ同じ過ちを犯しているかもしれない。プライドと甘さに目がくらみ、過ちを犯し続けていることに気づかないまま、我々は突き進むのだ。
今にして思えば、過去の研究者の一部が傲慢でなく、型にはまっていなかったのは幸運だった。彼らは謙虚であり続け、心をオープンにし、勇気を持って行動した。もし彼らが、受け入れられているパラダイムに挑戦しようと思わなかったら、今日の世界はどうなっていただろう?我々はまだそれらの病気を伝染病とみなし、かつてと同じ非効率的で非人道的な治療法を続けていたかもしれない。単純な食生活改善の代わりに、重金属を注射し、ペラグラのために隔離されることを想像してみてほしい。壊血病や脚気、くる病に他人から感染することを恐れて暮らすことを想像してみてほしい。おそらく我々は、ワクチン接種、手洗い、社会的距離、抗生物質、抗ウイルス薬、マスク、ロックダウンといった現代的な方法で、これらの(存在しない)細菌から身を守ろうとするだろう。そのあいだ、人々はライフスタイルや環境によって不必要に死に続けるのだ。そういった想像は難しくはない。例えば風邪やインフルエンザなど、他多くの病気についても、今日の世界はこのような方法で対処しているからだ。ただひとつ違うのは、現代の研究者たちが、伝染病モデルによってこれらの病気を正確に説明できると信じてこんでいることだ。この信念は現在、集団心理に深く刻み込まれており、間違いの可能性を受け入れるのは難しい。文化もまた変化しており、受け入れられているパラダイムに異議を唱える者は、狂った陰謀論者のレッテルを貼られる。
我々はあまりに自身を確信しすぎてしまっている。しかし、本章で示すことは、結果を観察して原因を誤って帰することが、いかに物事を間違えやすいかである。また、結論を急ぐのではなく、厳密に管理された(controlled)科学実験によって因果関係を確認することがいかに重要であるかを強調している。我々は過去にも過ちを犯したし、因果関係を正しく理解しなければ、我々自身がどれほど進歩していると考えていようと、過ちを犯し続けるだろう。誤った例が強調しているように、病気を伝染病と誤って診断することは、あらゆる種類の悪影響をもたらす。病人にとっては、適切な診断や治療へのアクセスが遅れ、より深刻な機能障害や身体障害につながる可能性がある。総合的には、これは広範囲に及ぶ影響をもたらす。実際、病気の原因を伝染病と混同してしまえば、より恐れを抱く回避的な社会が培われ、資源の配分を誤り(研究助成金など)、誤った経済(医薬品など)を支え、組織(政府など)に権力を譲り渡し、誤った道を進む間に、より多くの人々が病気になり、命を落とすという機会損失を最終的には被ることになる。
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「Can You Catch A Cold?」サンプル5 | 字幕大王
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hachikenyakaiwai · 11 months
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【かいわいの時】元禄六年(1693)八月十日:井原西鶴没 (大阪市史編纂所「今日は何の日」)
西鶴は元禄6年(1693)に亡くなったが、その墓は長い間不明であった。明治20年を前後するころ誓願寺境内で発見され再���されたという。発見者についてはいくつか説があり、幸田露伴であるとも、朝日新聞記者の木崎好尚であるともいう。
(1693年)下山鶴平・北條団水、西鶴の墓を建立 墓石は位牌型の砂岩製のもので、「仙皓西鶴 元禄六癸酉年 八月十日 下山鶴平 北條団水 建」と刻まれている。この墓碑を建立した下山鶴平については、西鶴の版元ではないかといわれている。北條団水は京都生まれの文人で、橘堂、滑稽堂と号した。西鶴を慕って来阪し、西鶴の死後7年の間、鑓屋町の庵を守ったことで知られている(大阪市指定文化財)。
(1801年)太田南畝(蜀山人)、書肆山口屋の案内で西鶴の墓に参る 寺町をすぎ 誓願寺に入る、甃庵中井先生の墓あり《略》 此寺に西鶴か墓ありと書肆山口屋かいへるによりて墓はらふ下部にとふに志らず、つらつら墟墓の間を見るに一ツの石あり、仙皓西鶴とゑれり。右のかたに元禄六癸酉年八月十日としるし左の方に下山鶴平北条団水建と有り。也有翁の鶉衣にも、作文に名を得し難波の西鶴は、五十二にして世を去給ひ「秋風を見過ごしにけり末二年」といふ句を残せりとかけり。げに八月に終りぬるには折からの句成へし(太田南畝)。『葦の若葉』四月廿一日条より。句読点後付け。ママ。
(1802年)滝沢馬琴、太田南畝に紹介された田宮盧橘の案内で西鶴の墓に参る 西鶴が墓は、大坂八町目寺町誓願寺本堂西のうら手南向にあり。〈三側目中程〉七月晦日蘆橘と同道にて古墓をたづぬ。はからず西鶴が墓に謁す。寺僧もこれをしらざりし様子なり。花筒に花あり。寺の男に何ものが手向たると問ふに、無縁の墓へは寺より折/\花をたつるといふ。
棹石高サ二尺余ヨコ一尺 台石高七八寸 大字 総高サ二尺八九寸
元禄六 癸酉年八月十日 仙皓西鶴 右ノワキ 下山鶴平 北条団水 建
團水は西鶴が信友なり。西鶴没して後、團水京より來り、七年その舊廬を守れり。そのこと西鶴名殘の友といふ草紙の序に見へたり。追考 難波鶴に云。西鶴は井原氏、庵は鑓屋町にあり(滝沢馬琴)。『羇旅漫録』より。句読点後付け。(写真参照)
(1889年1月)幸田露伴、誓願寺無縁墓にある西鶴の墓を探し当て、卒塔婆を立てる 露伴は住職に供物を出して、 お墓をちゃんとしてほしいと言い、香を焚き、水を手向け、卒塔婆を立てて去るわけです。それが、明治22(1889)年の1月のこと。その卒塔婆には、「元禄の奇才子を弔ふて 九天の霞を洩れてつるの聲」と書いた(肥田晧三)。「上町台地から本をめぐる時空の旅へ」『上町台地フォーラムvol.9』2018より。
(1889年8月)尾崎紅葉、西鶴の墓を訪れ、卒塔婆を残す 紅葉も、同じ明治22年の8月に西鶴の墓を訪れ、「為松寿軒井原西鶴先生追善」と書いた卒塔婆を残した(肥田晧三)。
それではなぜ、この二人は西鶴を知ることになったのか。露伴は帝国図書館、今の国会図書館にあった西鶴の本を随分と勉強したんです。また当時、東京に淡島寒月という人がいましたが、彼は時代に先駆けて西鶴を評価し、自身でも作品を手元に持っておりました。その寒月と仲が良かったのが露伴で、彼の西鶴作品を借りて徹底して読んだわけです。紅葉も、露伴に遅れてですが、やはり淡島寒月から西鶴の作品を教えられたんです(肥田晧三)。
(1889年11月)木﨑好尚、読売新聞に「西鶴の墓」を寄稿 大阪朝日新聞の青年記者だった木﨑好尚は、後に頼山陽や田能村竹田の研究で知られるようになる人です。この人が、明治 22 年にやはり誓願寺に行くわけです。すると新しい卒塔婆が二つ西鶴の墓に立てかけてある。一つは幸田露伴、一つは尾崎紅葉。それで、大阪の青年がびっくりするんです。東京の輝かしい新進の作家二人がここに来ている!大阪の自分たちはちっともお参りせんのに、あの二人が西鶴の墓にお参りしていると。そして 明治22年11月に、東京の読売新聞に「西鶴の墓」という題で書く んです(肥田晧三)。ママ。木崎が朝日新聞に入社したのは明治26年(1893)。
(1889年11月)幸田露伴、「井原西鶴を弔ふ文」を雑誌『小文学』に発表 露伴もまた、「井原西鶴を弔ふ文」という題で、明治22年11月に雑誌『小文学』に発表します。「今や露伴幸に因あり縁ありて、茲に斯に來つて翁を吊へば、墓前の水乾き樒枯れて、鳥雀いたづらに噪ぎ塚後に苔黑み、霜凍りて屐履の跡なく、北風恨を吹て日光寒く、胸噫悲に閉ぢて言語迷ふ。噫世に功ありて世既に顧みず、翁も亦世に求むるなかるべし。翁は安きや、 翁は笑ふや、唯我一炷の香を焚き一盞の水を手向け、我志をいたし、併せて句を誦す、翁若し知るあらば魂尚饗。九天の霞を洩れてつるの聲 露伴」(肥田晧三)。
(1890年5月)尾崎紅葉、「元禄狂」を「国民新聞」に寄稿 西鶴に心酔しているということを���き、その中で、「明治二十二年八月、大阪八丁目寺町誓願寺に、 西鶴翁の墓に詣でゝ」と記し、「ででむしの石に縋りて涙かな」という句も詠んだ(肥田晧三)。
木﨑好尚を除き、全員、江戸っ子です。
(写真)「仙皓西鶴」『壬戌羇旅漫録 2巻 [3]』1802-1812(東京大学学術資産等アーカイブズポータル)より。 注記:写本 注記:目首の書名: 著作堂羇旅漫録 注記:題簽の書名: 羇旅漫録 注記:本文末に「享和二壬戌年八月廾四日筆同十一月朔日挍合畢 曲亭瀧澤觧戯記」とあり 注記:[跋]末に「享和二壬戌年冬十一月二日 著作堂馬琴再識」, 「壬申春日 曲亭主人書」とあり
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recoo-tomioka · 3 months
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まとめ。これも誰かに向けてではなく、5年前まで使っていた父性の富岡と両親から与えてもらった名前とDJ名と。一人称を色々使うことが多く、基本的には英語ではIです。日本語、難解ですが、本名も同じくらい大切。
芸名で活躍されてる方もいます。人それぞれ。自認というか、芸名での活動のなかで。
DJ始めた時期、人それぞれ前提ですが、フランキー・ナックルズというDJが
※概念の話。DJを始める前の友人を大切に、という言葉を残していて、自分という存在を実感させてくれる、知っていてくれる、見失わないようにいてくれる存在は本当に大切です。
学生時代も人それぞれですが、俺は1人だけ。本当に救われてます。
突然、数年振りに連絡がきた友人もいます。飲みに行ってみようかなとも思ってますが。
お酒、過ぎないというか、度を越さないことですね。楽しく酒を飲むという当たり前に帰って来れそうです。公共の意識は持ちます。
多感と呼ばれる時期は色々あるものです。これも人それぞれ。殆どクラブカルチャーが出会いの場でした。一個人としては。
アイコン 苔玉
自分の誕生花のうちのひとつ。苔。他にも誕生花はありますが、花言葉がとても気に入っています。
正直、視野をもっと広く保ててたら、もっと良い文章かけていたのかな、と実感してます。しかし、この場所で続けること以上に、丁寧な形を取ることが最も適切かと思います。
一個人として自律も大切なことでした。。
そして、生まれ持ったものや、何か事故など天気のように、選ぶことのできなかった環境や、助けが必要な人には、率先して手を伸ばすという行為。よくで動く人もいるので、行動というか、受け入れる塩梅が難しいところもあります。信用、というものは本当に難しいです。
社会に対して、訴える必要のあることも。正直、社会派とは言えない立場です。
素直な気持ちと、意識と、傍観しないことなのかなと思いますが、薄っぺらくならない、言葉を意識的に選ばせていただきたいです。
近い感覚の意識として、そして敬意も必要なことなので。この話に限った次第ではございません。
そして、昨年から音楽で作品作りを始めた大きな理由として
自信を持つことが今までできていなかったので、少しづつですが、やっと自分を見つけられ、これから新しく始められるのかなと。。
かなり長い期間、作品と作家くらいしか信じることができていなかったのかもしれません。
今まで長い時間、最も寄り添ってくれたのが作品と作家ですが、
今まで、人に頼れなかった部分というか。事前に相談したりできて自ら進んで行うこと、文体の配慮。
作品作りが第一優先の一年になってしまいました。
内容として、社会との意識を外さないと作れなかった部分もあります。
最も偽ることのできない形なので。社会の中で必要な調和、というものをよく考える実感があります。
環境と作品につきましては、後日書かせていただきます。
自分を信じられるようになるには、一個人としては必要なことでした。進むために、未熟な自分を変えるべく。
自信があり過ぎるのも問題だとも思います。。
自信があることが決して良いことでもなかったりします。普遍と変化と。面白さと。
家族も友達も動物も身近な存在を少しづつ信じられるようになったのも、去年から大きく変わりました。やっと実感に至ったくらいです。身近でも疑うことも必要です。それが助けになることもあります。きょくたんに全員を信じ過ぎた教訓。塩梅
わるい人って表にもいると思います。皆さんも気を付けてほしいです。社会の外側と内面ばかりの日記より。
私自身がたどうであることも、抱えているものも、昨年に初めて自認に至りました。そして自分の人生を生き始めたくらいの実感もあります。一つずつ、コミュニケーションの形を模索してます。
これに関しては、具体的にまた別の形で。
理解や認識、気付くという行為に時間がかかってしまうので、どういう言葉を選ぶか、慎重に選ぶ必要があります。事前に信頼できる、傍にいてくれる友人��いるのに、独断が続いてしまいました。
決断は常に自分自身ですが。。
素直さ、というのはとても危ういもので、世の中、本当に色々な人がいますし、自分は今までクラブカルチャーばかりで、日中の生活をされている方たちとの接点が少なく、今までわかっていなかったことがとても多いです。
言葉の危険性というものは、受け取り方もそうですが、言葉を発信することにも、善性やわるい影響以外にも、気を付けないといけないこともあります。
英語にすると両面的ですが、コントロール、凄い力ですから。お袋が親父と祖母を守って管理してくれた。母、強し。様々な家庭があると思います。
逆に、開き直った人というのは、本当に見かけによらぬもの。身近な人の言葉がきっかけで何か変わっていくこともあると思います。
言い訳は仕方なかったですが、これに関してはもう迷いません。
そして、共感や、寄り添いのなかにも、個人として繊細さと豪快さの両方を抱えながら、塩梅をとれるような人になれるように進みたいですね。
ロールモデルになるようなきっかけを与えてくれる先人たち、クラブカルチャーにも沢山います。恵まれた環境に感謝し続けてます。優しい人も沢山います。それだけじゃないのが、夢とリアルですね。
油断しないで生きていきたいです。
リリースする前に長くならないようにと、言葉を残させていただきました。
これは富岡と肥後、両親の苗字のフィードバックとして3つのSNSを相互作用させていた部分もあります。厳し過ぎない優しさを取り戻す為。良い影響の与え合いがやっぱり最高。そしてそれだけじゃない部分、身近にいないと、そがいかんの強さがある人のセーフティネットとして活用できる場所、としてはSNSにも救済の側面もあるのではないでしょうか。
弱さも強さも両方とも、人それぞれのバランス。
俺はあくまで音楽や創作が軸なので、ケアに至っては、お医者さんやカウンセラーのプロに任せたほうがいいと思います。少しづつですが、生きやすくなってきました。
どうみられても、自分は自分。そして、俺、個人の話。それでも誰かの為。 
タイムラインのあるSNSは全部チェックできておりません。。しんどい時は無理しないことにしてます。
忍耐は美徳ですが、誰も我慢を選ばず犠牲にならない世界になることを願っております。表面的かもしれませんが、たまには綺麗事くらい。。
誰でもって言葉、難しいですね。差別にならないような意味合いでは倫理観のもと、ということになるのでしょうか。。
以上になります。
読んでくださった方々、ありがとうございました。感謝しております。
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venir-le-vendredi · 2 months
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定期的に長文を書きたいなと思っては、Noteやらなんやらを開くが、読み手の多い媒体に気が引けていつのまにか辞めてしまう。tumblrの規模感はちょうどいいので、名前もなにも変えて再開しようと思う。あまりにも文章を書くことから離れていたので、だいぶ読みづらいが、自分のためのものなのでよしとする。
自分には幼いときから躁鬱の傾向があって、今思えば国籍を持たない中卒の親がいたわけだから、むべもないことだった。最近は数字がよくわからなかったり、ADHD的な行動をとったりもしていて、やはり親の年齢と教育・生活水準は重要だったのだと感じている。
そんなわけだから、すこし気を抜けば簡単に希死念慮に打ち負けてしまい、なにもかも辞めてしまいたくなる。「なにもかも」というのは、仕事、生活、友人関係、恋人関係、といったもののことで、それらを「辞めてしま」うというのは、端的に死ぬということである。「死にたい」と言わないのは、恋人にそういう言葉を使うなと言われているからである。標準的な知能をもたない自分は、ルールや規範がないとなにをどうすればよいのかわからなくなるので、その正しさや妥当さを問わず、「こうしろ」「こうするな」と言われたことには従おうとしている。そうした自分の性質をマゾヒズムと理解して生きてこれたので、不自由はなかった。感謝だ。
なにがいやなのか、どうしたいのか、と聞かれることが苦手だ。ルールや規範に従わないとなにもできないから。なにかがいやなわけではなく、自分の知能の低さと躁鬱の性質がそうさせているだけだから。私が答えをもたないことにまた苛立たれて、悲しませてしまう。本当は(私の自我のようなものは)それを不快に思っていないはずなのだが、ちょっとした異性とのやりとりや言われた言葉が、なぜか悲劇的に感じられてしまう。もう終わりだと思う。この人はたくさんの他の選択肢をもっていて、私はそのうちの一人でしかないのだと感じる。なにを言われても、自分が愛されていることが理解できない。理屈で説明できるもの以外を信じられない。どんなに楽しい時間を過ごしても、死にたいという気持ちから離れることができない。
昔はたくさん文章を書いていたし、小説も短歌もつくっていたから、そこそこ言葉を使うことに自信があったのだが、あまりに長く離れていたから気持ちよく文章を書けない。何度も書いて、消して、下手だなと思って、もうどうすればいいかわからなくなって、今ここにこの言葉がある。
パニックや癇癪を起こした私に、恋人が「マッチポンプみたいだ」と言った。私もそう思う。ずっとそう思っていた。苦しかった。意味がないと思った。これを続けることで彼の人生がよくなると思えなかった、今も思っていない。改善や向上を目指そうという話なのだが、20を超えたあたりからやっと私は、一人でうまく静かに生きる方法を会得してきた。予定の入れ方、時間のつくり方、睡眠や食事、他人との距離感。一人暮らしをはじめてやっと、パニックにならない一人の生活を手に入れた。25(先日26になりましたが25とさせてください)になって、今から二人でうまく生きていけるように、また一から生活をつくってください、と言われても、なにもわからない。
これがただの恋人ならここまで悩まないのだが、半年後に結婚を控えているとなると話が変わってくる。今からたくさんの人に、やっぱり辞めますというわけにはいかない。たいていのことは自分一人が辞めたところで誰も困らないのだが、結婚となるとそうはいかない。その覚悟がなかったわけではないのだが、私の希死念慮が想像よりしつこかった。はやく死にたい、死んで彼の人生をより良くしたい。そう思ってとっさに、出せるだけの貯金を彼の口座に振り込んだ。本当に私は小さい人間だなと思った。
検索よけのためにアーティスト名を伏せるが、「ハルジオン」という曲を鬼リピしている。これはADHD特有の、同じものだけを繰り返したり好んだりする傾向の一つである。定期的にやってきては、何か一つを馬鹿のように繰り返してしまう(その結果適正体重から7kg太った)。さておきこの曲が今の私に刺さっている理由はきっと、彼に言われた「マッチポンプ」という言葉を引きずっているからだろうと思う。なにもないところに水をかけつづけてやがて芽が出ること、でもその行動の目的は芽を待つことではなくて虹を見ること、そういう苦しさに覚えがあった。いつも誰かに助けてほしいと思っている。でも助けてくれる人の好意を信じることはできない。一人で「虹をつくってる」私に、肥料や日当たりのよいところを与えてくれる人がいても、どうしたらいいのかわからない。助けてほしいのだが、虹をつくることのなにを助けてもらいたいのかわからない。すくなくとも、花の芽を見たいわけではない。その「マッチポンプ」のような徒労感から逃げたいと思っているのだが、人生をいまさら辞めることができないから、虹でもつくるしかない。そういう私が誰かに助けてもらうとか、誰かと人生をやるとか、はじめから間違っていたのかもしれない。
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kennak · 7 months
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当方、お医者さんである。国民民主党の玉木議員の医者の給与を減らせというツイートが昨今話題になっている。その理由は医療に金がかかりすぎ、成長と全体の幸福を損ねているから、らしい。ここに、手っ取り早い解決法を提案したいと思う。国民皆保険制度を廃止すれば良い。国民皆保険制度、そして高額医療制度は非効率な医療サービスのバラマキを行っている。発熱すらしていないコロナ患者に対するラゲブリオや末期肝硬変患者の貧血に対するエリスロポエチン。どうしようもなくボケちまった爺さん婆さんはあめ玉のようにアリセプトを舐めている。大正生まれのご老人に順内と血外の連中がTAVIやらEVAR,TEVARをするせいで、ピンピンコロリへの道筋が絶たれていく。一種の老人病である心アミロイドーシスという病気にタファミジスのような冗談みたいな価格の薬が投与される。PD-1阻害薬なんて薬ができたせいで森○朗が復活してしまい、東京五輪で遺憾無く老害っぷりを発揮したのは記憶に新しい。ヤニカスは年金を受け取る前に早く死んでくれるから財政的にトントンだったのであって、延命してしまえば単なる息の臭い金食い虫だ。糖尿病で腎臓をぶっ壊せば医療費がタダになる上に週3人工透析をする権利が付与される。これは米国だと週2回である。別に週2でも死にはしないのだが、政治家にとっての票田、透析病院にとってのアクティブユーザー数を維持する為に週3となった。そして今後これにレカネマブが加わる。この話を欧米の医者にすると、イかれてんなwどこからその金が出てんの?、と言われる。納税者の財布からである。日銀が円債を引き受け、円の価値を希釈させることでそれを行うこともやっている。世間のイメージとは裏腹で、日本の医療従事者の人件費はとても安い。これは一人当たり医療費支出を見れば明らかだ(4,691ドルでOECD加盟中15位/38位)。上述のような無意味なバラマキをしており、かつ失敗国家のような人口比率であるのにもかかわらず、日本の医療支出は相対的に低い。何故か?それは医療従事者の人件費が安く押さえられているからだ。米国の医者や看護師の給与水準は日本の5〜6倍くらいはある。最近は円安でそれにブーストがかかった。米国の一人あたりGDPが日本の2倍程度であるのを考慮しても、単純計算で3倍もらっていいことになる。しかも、日本は医療サービスを必要とする高齢者の割合が高く、富は高齢者に集中している。その上、日本の人口あたりの医者数は米国の二分の一強しかいない(看護師数は知らん)。自由競争が許されれば、価格はどこまで上げて良いのだろうか?社会主義的な医療制度を採用しているカナダ、オーストラリア、イギリスと比較しても日本の医療従事者の待遇は地を這うような水準だ。この差は、これら国々は費用対効果に見合う医療のみ提供する事より生まれる。そして、費用対効果という言葉は日本で最も忌み嫌われる言葉だ。医は算術ではなく、バラマキなのである。少々話が脱線するが、日本の医療は安いだけでなく、質が良い。看護師の方々の礼節は海外と比較するとびっくりする程だ。大して金を払っていない患者に対して奴隷の如くクソ丁重にもてなす(個人的にやめたほうがいいと思っている)。消化器の先生は海外ではまず不可能であろうESDなどを華麗にこなしてみせる。外科の先生はクソ面倒くさいリンパ節郭清などを毎回丁寧にやってらっしゃる(あれエビデンスあるんすか?)。心外、脳外、婦人科の先生方はキチガイじみた24hオンコールを律儀に請け負っている。ネットに出没する出羽守の方々が海外で稼げなくなってから日本に凱旋するのはまさにこれが理由である。医療が安いだけが理由であったのなら、金が腐るほどある金持ちは海外で医療を受け、そこを終の住処とするだろう。要するに国民皆保険制度は医療従事者を抑圧する制度でもあるということだ。この手の話題では、医業の独占を医者から譲り渡すべきだという議論になりがちがだが、別にそうすればいいと思う。chatGPTの言われた通りに動けば素人でも9割方正解を出せる(残り一割はとんでもなく間違う)。ただ、麻薬とか向精神薬とか抗癌剤など人を殺せる系薬剤の処方権をお譲りするのは難しいと思うし、無免許医が患者に不利益を及ぼした場合、たとえ事前の患者の同意があったとしても殺人罪やら傷害罪が適応されるべきだと思う。じゃないと麻薬密売やら自殺幇助などがはびこるだろう。血圧とか糖尿病の薬程度であれば各々自由にやればいいんじゃないかな。ここら辺も匙加減間違うと死ぬけどね。ネット上では医者が率先して寝たきり患者を量産していることとなっているが、それは嘘だ。寝たきり患者が増えることで得をするのは病院であって、医者ではない(そして、病院にも大した得にならない)。医者が胃瘻やら中心静脈栄養やら喉頭気管分離を行うのは、家族から「できることはやってあげてください」、或いは「昇圧剤と心マは希望しないけど、他はやってください」と言われるためである。一度そう言われてしまうと、文字通りできる限りの事をしないと訴訟や医師免許お取り潰し、場合によっては殺人罪を着せられることになる。延命を行わないことのデメリットが甚大である一方で、メリットは皆無なのだ。そんな中でも過去にALS患者を安楽死させようとした医者や、透析を中断させようとさせた医者が過去に居たが、日本人はその行為の是非を議論しようとはせず、彼らは司法やらメディアの袋叩きに逢い、無事死亡した。「寝たきり患者量産」は、国是であり、日本国民の総意なのだ。医療従事者は、低所得者や生活保護者ともっとも交流する職業のうちの一つだ。実際に相手をしてみると解るが、大抵彼らは愚かで、卑しく、救い難い。そんな人々を相手にしたくないし、彼らのために真面目に労働し納税している人々の税金を注ぎ込む際には良心が痛む。だが、そうせざるを得ない。国民皆保険制度がそうさせているのだ。国民皆保険制度を廃止することのメリットは以下の通りだチューブ老人というグロテスクな存在が激減する財政が健全化するあなたが不摂生でない場合 (現状の社会保険料 - 民間保険料) は正の値になる 老人が減るので年金・介護・福祉に支払う支出が減る。 高齢化問題が緩和される介護に使う時間と金が減るので少子化解決の道筋が開けるあなたが介護・医療関係者の場合、待遇が良くなるデメリットは以下の通りであるあなたが金のない高齢者であった場合、死ぬあなたが生保であった場合、死に近づく喫煙、肥満、2型糖尿病などプリベンタブルなリスク因子を抱えている方々の民間保険料は、恐らく高額になる上記社会的弱者を糧とする方々が困る(透析病院とか、自民、立憲、共産、社民、れいわの先生方など) 超富裕層が困る(治安が悪くなるため。社会保険料は端金であり、円安は海外の資産でヘッジすればよい。道端でジョーカーみたいなのにぶっ○されることが彼らの最も恐れることなのだ。)要するにフリーライダーが死ぬということである。ただ、想像してみてほしい。ご高齢の方々は、周囲から疎まれながら、そんなに長く生きたいだろうか?役目を終え、尊敬される老人のまま、死にたくないか?デブやアル中、ヤニカスの皆様方は、太く短い生涯を送りたくて、そういったライフスタイルを営んでいるのではないだろうか?そしてなんといっても皆さん、フリーライダーは、お嫌いでしょう??「お前もいずれは高齢者になる」と言われるが、私の経験では生産可能年齢を過ぎてからの延命は本人含め、誰も幸せにしない。病院に巣くうご老人方は醜く礼節に欠きそれでいて生産性は皆無である。家族含めた周囲は陰に陽に早く死んでほしいと考えている。そんな中貴重な医療資源を浪費し、死ぬはずであった今日を先延ばしにしているご本人は少しも幸せそうでなく、それどころか不機嫌な顔をしている。飯塚○三のような、あの顔である。医療に縋らないと生きられない時点で、生物として破綻しているのである。そんな中長く生きても、なーーーーーーーーーーーんもいいことないよ。私は、基本的には人の為になりたくて医者になった。給与や労働条件が他国に比べてイけてないのはまだ我慢できる。だが、劣悪な労働条件で滅私奉公し、それが故に国賊の様に扱われるのは納得がいかない。国民皆保険制度は医療従事者の待遇を悪化させているだけではなく、医療従事者が頑張れば頑張るほど、日本国民、および患者とその家族に不利益を及ぼすような制度設計になっている。悪いのは制度であって、医療従事者でも、患者でも、老人でもないのだ。皆保険制度は捨て去られるべきだ。レッツ、レッセフェーーーーーーーール!!!!!!!!!
(追追記致しました)(追記致しました)国民皆保険制度になくなってほしい
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sakura-zakki · 10 months
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読書の記録
美人の日本語 山下景子
1年365日のその日やその季節に纏わる美しい日本語の由来や本来の意味等を、人生観等になぞらえながら美しい文章で完結にまとめています。
知らない言葉も沢山、言葉は知っていても意味や由来は知らないものも沢山で、全部は覚えきれませんが読むとほっこり心が温かくなる本です。
電子書籍で買ってしまったけれど、これもまた紙の本で欲しいな~
【メモ】
✏切り株や根元から出てきた新芽のことを蘖(ひこばえ)といいます。~中略~何年も何十年も、年輪を重ねて、枝をのばし、葉を茂らせてきた営みが、切り倒されれば、すべて無になってしまいます。それでも、何も言わずに新しい芽を出していく……当然のように、新しい一歩を踏み出しているのです。
✏元気は、天と地、そのすべてのものにある根本の「気」だそうです。生命のエネルギーということですね。「元」と書くとおり、もともと、この世界に溢れていて、誰でもが持っているものだそうです。
✏一般に細石(さざれいし)は単なる小石を意味しますが、石灰質角礫岩の小石の場合、溶けだした���酸カルシウムが沈着して、やがて岩となるそうです。私たちひとりひとりは、細石のようなちっぽけな存在。でも、その小さな思いが集まって、大きな奇跡を呼ぶこともあるということですね。
✏手弱女(たおやめ)-やさしく、しなやかな女性のことです。~中略~突っ張った枝は、強そうに見えても、ポキンと折れてしまいます。本当の強さは、柔軟さと粘り強さにあるのではないでしょうか。
✏静寂(しじま)-口を閉じて黙っていること、または、物音ひとつしない静けさのこと~中略~音楽でいえば、休符です。休符は、お休みではなく大切な音符。すばらしい演奏家が、音符だけでなく、休符も美しく演奏します。そして、文章でいえば、行間。静寂の中に溢れている、声にならなかった言葉に、いつも耳をすましていたいですね。
✏誰でも、ここが正念場と思えば、何が何でもがんばろうとしますね。でも、本来の意味からすれば、無理して、ふんばるところではないのです。役者なら、その役になりきる。あなたは、いつもあなたになりきればいいのです。
✏侘助(わびすけ)-椿の一種です~中略~「わび」とは、心の中にある、わびしさ、さびしさなどの満たされない感情を、認めてあげることから始まるそうです。満たされようとすればするほど、永遠の不満足が残るだけ。欠けていてもいのです。
✏心根(こころね)-心にも花が咲きます。そして枯れてしまうこともあります。そんな時でも、根だけは枯らさないように、土を耕したり、肥やしをあげたりすることが大切なのですね。下へ下へと丈夫な根を伸ばせば、今度は、きっと前よりもすばらしい花が、咲くことでしょう。
✏冬に草の芽や木の芽がわずかに萌え出していうことを冬萌(ふゆもえ)と呼ぶそうです。落葉樹の場合、本当は葉を落とした後、ちゃんと次の準備をしていて、冬を越すのですね。冬眠する動物たちとよく似ています。春になると、突然、芽をふき、花を咲かせるような印象を受けますが、そうではないのです。
✏「忙」という漢字は、心を表すりっしんべんに、亡くすと書きます。あなたの心は生きていますか。
✏「そこに美しいものがあるから美しいのではなく、美しいと思う心があるから美しいのだ」といいますが、「美しい」という言葉を知らなければ、美しいと思うことさえできません。心は、言葉を通して育つものなのですね。
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vegehana-food · 2 years
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✿ パチャマンカ | Pachamanca ・南米のペルーとボリビアにおける伝統的な調理法の一つで、肉や根菜などの食材を焼け石とともに土中に埋めて蒸し上げるアースオーブンの一種である。 ・「パチャマンカ」の語は、ケチュア語やアイマラ語で大地を意味する「パチャ」と鍋を意味する「マンカ」に由来する。文字通り、大地そのものを鍋とする調理法で、インカ帝国の時代から食されていた。大量の食材を一度に調理でき、さらに調理に多くの人手を要するため、ハレの日の祝宴として催される場合が多い。 ・かつてはクイ(モルモット)、アルパカ、ジャガイモ、ユカ(キャッサバ)、トウモロコシや魚介類など南米土着の食素材のみが調理されていたが、コロンブスの新大陸到達以後は牛肉、豚肉、鶏肉なども素材に加わり、現在でも広く親しまれている。この調理法は、食材が灰や土で汚れぬよう、あらかじめバナナや椰子などの葉で包む必要がある。そのため、パチャマンカは大型の葉をつける植物が生育しない地域ではマイナーな調理法と言える。 ・歴史によると、この料理はアンデスの神々が肥沃な土地と収穫を許してくれたことに感謝する儀式として作られました。アンデスの宇宙観では、主な神々のいくつかは太陽神、月、パチャママ (母なる大地) であることを思い出してください。パチャマンカは、「フアティア」と呼ばれるコロンブス以前の料理の派生物であると言われています。 ・特定の地域では、このシチューには、埋められた食べ物に十字架と花を置くことがあります。アンデスのお祭りやカーニバルの習慣です。
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violence-ruin · 2 years
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丑の刻の平安京に羅城門が顕現し、下人が侍を鞭打ちしこと
 今は昔、さる山中を根城とする盗賊の砦に、のちに都で下人をすることになる子供がいた。砦に囲われた女たちの一人が産んだ男の子だった。子供は口減らしのために棄てる決まりだったが、時々首領が気まぐれを起こして育てさせることもあった。それで、下人にとって女たちは母たちでもあった。
 母たちは下人をかわいがった。乳をやり、口々にことばを与えた。
 お前の本当の母さんは死んじゃってね。産んですぐ後にね。かわいそうにね。
 下人には「本当の母さん」という言葉の意味するところがわからなかった。母はつねに複数いた。赤ん坊は横で頭を潰されて死んでいった。生かされた兄弟たちは、自分と同様に母たちに可愛がられていた。
 盗賊たちは街道を通る商人や役人の一行を襲い、身ぐるみを剥いだ。男は報復を防ぐため皆殺しにした。女は裸のまま逃したり、時には何人かさらってきて元からいた女を代わりに捨てたりした。母たちの顔ぶれは入れ替わった。
 成長すると、下人も盗みに駆り出された。
 初めての仕事は、寺の鐘を盗み出す手伝いだった。まず老法師に扮した爺さんが寺に行き、うまく鐘堂に泊めさせてもらい、そのまま死んだふりをする。下人は、兄弟の一人と共に寺に赴き、激しく泣いて見せ、夕方に引き取りに来ると行って立ち去る。寺の僧たちは貰い泣きをしていた。あとは年上たちの仕事だった。死体を運ぶふりをして鐘を盗み出す者。鉦を叩き経を上げさせる俗法師の仲間たち。鐘堂の穢が明けて小僧が鐘堂を開ける頃には、鐘を鋳融かして加工し市で売りさばいた後だった。
 母たちは下人がどんどん一人前の盗人になっていく様を見て嘆き悲しんだ。
 ある日連れてこられた母は元は都で女房をしていたといい、男たちの目を盗んで地面に木の枝で読み書きを教えてくれた。下人はすぐに女手と男手のどちらも覚えた。女は夜みなを集めて「光る君」の話を諳んじてみせ、皆で貴人の生活や恋愛に思いを馳せた。あまり娯楽のない砦の生活で、「光る君」の朗読は女たちにとってお楽しみの時間となった。
 やがて下人は成長したが、母たちは相変わらず母たちだった。寝ていると母たちの上に覆いかぶさって揺さぶる男たちを嫌悪していた。
 自分も「光る君」のような男と「契り」を結んでみたいと思っていた。
 そう女房の女に言うと笑われたが、下人が笑わないのを見て口をつぐみ、都に行くんだね、でもなきゃ寺にでも入りな、と言い捨てて母たちの集まりに戻った。
 ほどなくして、役人と貴族たちの軍団が砦に攻め入ってきた。
 女房は知らせを聞くなり下人を殴って昏倒させ、盗品から密かに隠しておいた女房装束を着せた。下人が目覚めた時には、男は子供に至るまで皆殺しにされ、女たちは砦の前に立たされた。貴族の一人が、何人かを奴婢として持ち帰りたい、と言うと、女房が下人の手を引き前に進み出て、これはかつては宮仕えをしていた女房だ、どうかこの女はそういうものとして扱ってくださらんか、と言った。本当かと訝しむ役人たちだったが、下人が漢籍をすらすらと諳んじて見せるとすっかりそれを信じ、貴族が都に持つ邸宅に仕える家女房として引き取られることになった。
 母たちは何も言わず、ひとり都へ向かう牛車に乗り込もうとする下人を涙ながらに送り出した。
 掠奪品と共に運ばれた男たちの首は日に日に腐っていき、都で晒される頃には誰が誰のものなのか区別が付かなくなっていた。
 都は「光る君」の話から受けた印象とはとうてい異なる場所だった。
 正門であったという羅城門はずっと前に倒壊して、柱の残骸のようなものが残るだけになっていた。路上に死体と糞便が溢れているのに文字通りに閉口した。牛車の暖簾の間から、山では見たこともないほど肥え太った蝿が、何びきも入ってくるのだ。少し人通りの少ない所に入ると餓えた犬たちに襲われ、御者と兵が棒や刃物で殴り殺そうと大騒ぎになった。
 受領の邸宅は七条と東洞院の交差する所から二町ほど下った所にあった。確かに内裏の近くではないが周りの家と比べては大きいように見えた。塀の中に複数の建物が集まっていて、池や金目のものを集めた倉庫すらあった。感心していると、非常にしばしば集団強盗や放火に遭うから少し離れた所にある別宅に住まうことになる、ここへは物を取りに来ただけだ、と言われた。
 別宅はもっと内裏に近い所にある小さな屋敷だった。受領の娘はここで下人を数人従えて住んでいた。もともと居た家庭教師は、さる歌合で才を見出され、女房として出仕することになったそうだ。そういう者にものを教えられたせいもあってか、娘はまだ幼いのにとても利発で、歌や漢籍に関してはもう教えることがないほどだった。その代わり笛や箏は苦手なようで、自分にも教えられることがあることに下人は安堵した。毎日管弦の稽古をして、飽きると歌を作ったり、「光る君」の巻物を読んで感想を語ったりして過ごした。
 数年経って娘の女房仕えの話がまとまりかけた頃、都に疫病が流行りはじめた。まず赤い発疹が腕や顔に現れ、数日で高熱を伴って全身に広がる。かすかに肉が焼けるような臭いがし始めると今度は代わりに血を吐き、青白くなって息絶える。下人の数人が倒れ、次は娘だった。
 娘が苦しみ悶えながら死ぬ様を呆然と見送った。使いを送ってしばらくのち、受領が悲嘆に暮れつつ下人の前へと現れた。
 ひどい有様だ。本当にひどい。鬼が……千切れた腕や、頭を持って、走り回っているんだ。
 受領は、あなたを養子として迎える準備がある、と微かに涙の残る声で下人に告げた。思ってもいない話だった。下人は少し考えたのち、微笑みながら首を横に振り、立ち上がって服を脱ぎはじめた。単衣を床に落とすたび少し赤らんだ受領の顔が、肌を曝すと再び血の気を失い、袴を脱ぐ頃には昏倒した。
 下人は死んだ下人の服に着替えた。
 *
 下人となった下人は、女房装束や日用品を一揃い背負い籠へ入れて家を出て、その辺をぶらぶらした。
 疫病は大量の死を生み出していた。庶民の死は単なる悲劇だが、貴人のそれは大量の失業者の発生を意味し、路上には常ではありえないほどの路上生活者がいた。みな妊婦のような腹をしていて、何も身に付けておらず、土や垢で汚れきっており、老若男女の区別も付かぬような状態だった。力なくへたり込んでいるように見えて、屋内で出た死体が外に投げ出されると驚くほどの俊敏さで群がった。なるほど、鬼かもしれない、と納得した。しばしば彼らは疫病で死んだり、犬に襲われて死んだり、暴漢に殴られて死んだりしていた。
 内裏の近くまで行くと、なぜかバラバラになった死体を集めているものたちに出くわした。ひとりの男に話を聞いてみると、怪訝そうな顔をしながらも、烏や鳶が途中で落としてしまうのだ、自分たちは刑吏や死体の廃棄を生業としている者たちで、内裏や貴族の家の近くで発生した死体を片付けると、検非違使が彼らに金を与えてくれるのだと言った。そういう利権で食っている集団が複数存在し、穢れの度合いで報酬も変わってくるのでどの集団がどこのどんな死体を拾うというのが大変微妙な機微をはらむ問題らしかった。話をしている間にも遠くの方で小競り合いが起き、加勢しなきゃ、と言いながら男は去っていった。
 夜な夜な下人は死体が発生したという独居人の家に忍び込み、死体を運び出して空き地に捨てた。それから家に戻り、女房装束を着て笛を吹いた。しばらくすると、簾の向こうに人影が見え、細紙が簾の隙間から差し入れられた。「夢のような笛の音色に引き寄せられてたどり着いたこの破れ庵に美しいあなたが垣間見えたことだよ」という歌が書きつけられてあった。下人は少し考えて、「夢に見たあなたのことを思って笛を奏でておりました、夢であなたが教えてくださった曲を」という歌を書いて返した。
 男は簾をくぐって入ってきた。下人は扇で顔を隠し、窺い見た。特に光り輝いてはいなかったのでがっかりした。
 この家に住んでいたものは、亡くなったはずではなかったか。
 こうして生きておりますわ。
 女ではなかったはずだ。
 そういうこともございますわ。
 男は出口を塞ぐように立ち塞がって抜刀した。
 そなたはあやかしか? それとも強盗か?
 歌を解し文を書いて贈るあやかしや強盗など、聞いたことがございませんわ。
 そう返すと男は納得した様子で刀を鞘に戻し、なるほど、貴人とは虫のように単純な頭をしているのだな、と思った。契りを結ぼうと鼻息荒く覆い被さってくるのを「このような夜を寝るだけで過ごすのは風情がないことだよ」とか何とか言って押しとどめ、娘の家からくすねてきた酒を飲ませた。
 あなたは人を殺めたことがございますの。
 なぜそのようなことを訊く。
 武の道に秀でた殿方は素晴らしいと思いますわ。
 そう煽てると男は敵対する貴族を刀で斬り殺しただの手際の悪い牛飼童を殴り殺しただの自慢しはじめた。こいつは「光る君」とは似ても似つかぬ下郎だなと思った。「光る君」は人を殺さない。男を手刀の一撃で昏倒させると、身ぐるみ剥いで背負いかごに突っ込んで家を後にした。
 それからも何度も同じことを繰り返したが、その度に失望を味わうこととなった。誰に聞いても快楽殺人を一度は行なっているとは一体どういうことなのだろうか。都人たちを見ても、けだものが職と服を身につけて歩いているとしか思えなくなってきた。
 それでもいつかは「光る君」のような有徳の者が垣間見てくれるのではないかと期待していた。
 ある日、簾の前にすらりと高い影が差すのが見えた。笛を吹くのをやめて見上げたが、じっとそこに立って動く様子がない。じれったくなって「なぜそのようにじっと立っているのでしょう、私の心まで見透かしているなら中に入っていいとわかっているでしょうに」という内容の歌を書きつけた細紙を出し出すと、男は黙って簾をくぐってきて、下人の前に立ち塞がった。
 何の御用でしょうか、と訊ねると、男は急にもじもじし始め、消え入りそうな声で話しはじめた。
 頼みたいことがあるのです。
 侍は俯きながら乗馬用の鞭を手渡してきた。
 これは何でしょうか。
 鞭です。
 それは分かります。何故こんなものを渡してきたのかをお訊きしているのです。
 男は答えず、着物をはだけて上半身を顕にし、後ろを向いた。毛深い背中には幾百幾千の傷跡が斜めに走り、醜く盛り上がっているのが見えた。
 お帰りください。
 男は下人の膝元に蹲り、涙ながらにこれまでの事の顛末を語った。元は侍として内裏に仕えていたが、ある女と共寝をしてこれを妻とした。しかしある日突然妻から鞭で何百回も叩かれ、なぜか強盗団の幹部として働くことになった。数年経ったある日のこと、愛する妻は家や家財もろとも蒸発してしまい、男は検非違使にひっ捕らえられて獄に入れられた。刑期を終えて宮中を彷徨っても結局妻を見つけることはできず、悲しみに暮れていたところ、笛の音が聞こえてきたのだという。
 前の妻と出会ったときも、その曲を吹いておりました。きっとこれは宿世の縁です。さあ、私を打ってください。
 理解はいたしました。お帰り願えますでしょうか?
 侍はその格好のまま惨めに泣き始めた。身体の震えで着衣はますます乱れ、尻や腿までもが同じような傷に覆われているのが目に入ってしまった。
 下人は肚を決め、衣をはだけて上半身を顕にした。
 騙す形になってしまい申し訳ございません。私は女性ではございません。あなたの妻になることはできませんから、お引き取り下さい。
 構いません。妻も私を鞭で打つ際は男装をしておりましたから。
 そういう問題ではないのではないか? と下人は思った。侍は泣きながら遺品だという水干袴と烏帽子を見せてきた。
 仕方ないので打ってやることにした。
 試しにどんなものか一度叩いてみると、腐っても鞭、軽く打つだけで厚く堅くなったはずの侍の背中には鋭い傷が残り、血が滲み出した。侍がぐっと何かに耐えるような声を漏らしたのが真に迫っている感じで嫌になった。あんっ♡とかそういう、ちょっと楽しげな感じだと思っていたのに。
 気を取り直して、何回打てばよろしいでしょうか、と訊ねると、妙にはっきりとした声で八十回よろしくお願いします、と返ってきた。
 八十回打ち終わる頃には背中が一面血塗れになったが、男は、平気だ、と言うばかりだった。流石にこれを放置するわけにはいかぬという気持ちになり看病をしていると、下人は言い知れぬ理不尽さを感じ、涙が流れた。
 ここを離れようと思い服を着直していると、侍がお待ちください、と手���握ってきた。
 礼を言わせてくださいませんか。ご迷惑をおかけいたしました。
 その真摯な眼差しから何故か目が離せなくなり、下人は無意識にいつもの質問をした。 
 あなたは意味もなく人を殺めたことはございますか。
 侍は少し考えてから、ないと断言した。下人は、なぜ自分がそんなことを訊いたのかもわからぬまま、その家を立ち去った。
 下人はその日を境に垣間見待ちをやめた。再びあの侍が来そうで恐ろしかったのだ。それから、食い扶持を稼ぐために盗賊団に入ることになった。
 あんたも都にさえ生まれればね。こんなけだもの共とは無縁の現世だったろうにね。何にだってなれたのにね。
 母たちはよくそう言ったものだった。実際、何にでもなった。女房のようなことをしたあとは、貴族から強奪した所持品を売り飛ばすために行商の変装をした。それで何とか生計を立てていた。今は強盗団だ。強盗団は強盗だけをして生きている人間ばかりではない。商人や聖職者、役人や女房のような者たちすらいた。貴族の家で働く使用人や侍はしばしば情報を売り渡し、自分で屋敷に火を放ちすらした。彼らもけだものだ。下人も仲間の手引きで貴族の家に下人として働きに行き、強盗を行うときは偵察や暗殺を行った。
 朱雀大路にやってきた旅芸人の一座を見て、自分の生まれを思い出さずにはいられなかった。偵察し、場所を開けるよう頼む者がいる。声を出して人の気をひく者がいる。演じる者がいる。道具を運び、組み立てる者がいる。金を集める者がいる。彼らもきっと盗むのが上手いだろうと思った。
「光る君」のことを諦めた訳ではなかった。本物の下人として内裏へと出入りするようになった。しかし幾度宴を覗き見たところで、どの男も光り輝いていなかったので、いよいよ失望を覚えた。宇治にでも行った方がよいのだろうか、と思い始めた矢先に、腕の内側に赤い発疹ができた。信じられないような早さで熱が上がり、内裏の中で動けなくなった身体を下人たちが引きずり出して、路地に捨てた。
 目を開けていることもままならなかったが、それでも飢えた犬と飢えた人間たちが近づいてくるのを感じた。襲い掛かられることを覚悟した瞬間、何かが自分を背負い上げた。まだ死んでいないのに河原に捨てられてしまうのだろうか。いったい私の穢れはどの程度、どのくらいの価値があると判断されたのか。
 下人の意識はそこで暗転した。
 *
 下人は小さな部屋で目覚めた。見知らぬ部屋のようでもあったし、これまで一夜を過ごして貴族を殺した部屋のどれかであるようにも思えた。簾が風にはためく音が耳に入り、目を向けると人影が見えた。すらりとした長身で、かすかに光り輝いていた。
 簾の外に出ると、男の姿はなく、かすかな光が尾を引くのみだった。その光を辿っていくと朱雀大路に出た。南の果てが金色に光っているのが見えた。ふらふらと歩み出した。死人もなく、野犬もいないことに下人は気付いていなかった。
 七条を過ぎる頃に、見慣れない建物が見えてきた。京の南端にたどり着くと、羅城門の跡地に巨大な建物が建っていることが分かった。朱雀門に似ていた。
 門扉を開けると、上階から光が漏れ出ていた。階段を登ると老婆が死体の髪の毛を毟っているのに出くわしたが横を素通りした。廊の突き当たりに、薄金色に発光するものが見えた。近寄ってみると、あの侍が正座しながら発光していた。下人が追ってきたことを後悔して帰ろうとすると、またも鞭を手渡された。
 さあ、私を打ってください。
 お断りします。
 打ちなさい。あなたは私を打たなければなりません。
 なぜ。
 なぜでも。 
 無視して帰ろうとすると、後ろから「わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと云うて、太刀帯の陣へ売りに往んだわ…」とぶつぶつ喋る声が聞こえてきて、横を通り過ぎて帰るのが嫌になってしまった。あの老婆が毟り終わって帰るまでここを動きたくない。
 仕方ないので打ってやることにした。
 今回は何回ほど打ったらよろしいでしょうか、と訊いたらまたも一時の逡巡もなく、八十回、と返ってきた。どうもその回数に拘りがあるらしい。
 気乗りがしないままに叩きはじめると、また男が濁声で耐え忍ぶような声を上げはじめたのでうんざりした。どうせ叩かせるのなら、もっと気持ち良さそうにしてくれた方がまだ叩き甲斐があるのに、と思っていると、突然男が振り向いた。
 手を抜いているでしょう。
 はあ。
 あなたはよっぽど度胸のないかたですね。
 下人はその言葉を聞かなかったことにし、無心で八十回打ち据えた。侍の背中は樫の幹のように硬く頑丈で、手が痺れてしまった。こんなことをしてもらって悦ぶようになる前はきっとさぞかし立派な侍だったに違いないのに、どうして……。下人は、虚しくなってしまった。
 終わりましたよ。
 ありがとうございます、と言いながら侍は立ち上がり、下人の方に向き直った。
 では、今度は腹を八十回お願いいたします。
 ご冗談でしょう、と下人は叫んだ。背中はすでに裂傷でズタズタになり、どんな悪人でももうこれ以上は打たないのではないかと思うような状態になっていた。死んでしまいますよ。
 これしき何でもありません。この傷跡が目に入りませんか?
 侍は胸を張って見せた。確かに胸から背中ほどに掛けてびっしりと傷跡が隆起しているのが見えた。
 下人は言葉を失ってしまった。老婆の声が再び響く。「…せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」
 下人は共感した。一緒に髪をむしりに行ってもいいかな、と思った。下人には地上の法が理解できない。下人は強盗だった。人を殺し、物を盗んで暮らしてきた。
 下人が振り向こうとした瞬間、肩を強い力で掴まれ制止された。
 そちらへ行ってはなりません。
 なぜですか。
 ならぬからです。
 罪のある者たちの物や命を奪うよりも、あなたを鞭で打つほうがよほどならぬことだと思われるのですが。
 侍はこれを聞いて、それはどうしてですか、と不思議そうに聞き返した。下人は答えに窮した。
 あなたが死んでしまいそうで恐ろしいからです。
 こんな程度で死にはいたしません。それに、私が死んだところであなたに何の問題がおありですか。
 いけないことです。
 なぜいけないと思うのでしょうか。
 必要のない死、必要のない暴力だからです。強盗とは違います。強盗は生きるために行うことです。
 私は必要としています。生きるために必要なことです。
 私には必要がありません。
 だからよいのです。人に施しを与えることは功徳を高める行いです。さあ、私をお打ちください。
 全く納得のできない論理であった。躊躇していると、お打ち願おう! という大音声と共に間合いを詰められた。もう逃げ場がない。
 仕方ないので打ってやることにした。
 八十回でよろしいですか、と訊ねると、そうだが、とでも言わんばかりの慇懃さで頷かれて腹が立ち、思わず加減をせず一発目を叩いてしまった。
 ぐっ……いい打ち加減だ。その調子です。
 心底気持ちが悪いと思った。下人は何も聞かなかったことにして無心に叩こうとした。しかし背中を叩くのとは違って表情で反応がわかってしまう。普段通りの力で叩いたら物足りなさそうな顔をするのが見えてなんとも不愉快な気持ちになり、顔を背けてしまった。
 なぜ……。なぜ私は、このような様子のおかしい者を殴らなければいけないのでしょうか……。御仏様、これが、私が今まで犯してきた罪に対する報いなのでしょうか……。生まれてきたことが、間違いだったのでしょうか……。
 侍の腹は樫の幹のように硬く頑丈で、八十回打ち終える頃には手が痺れてしまった。
 いいですか。これで最後ですよ。もう二度と絶対に叩きませんからね。
 下人が顔を上げた。侍は全身からぼたぼた血を垂らしながらこちらを観察していた。鬼のようだった。
 私を打って、楽しかったですか。
 いいえ。
 二百四十回も打ったのに、ただの一度も。
 苦痛でした。
 ならばあなたは暴力がお嫌いなんですね。本当は、人を殺すのも、人から物を盗むのも嫌いなはずだ。あなたは女手を理解し、管弦の扱いにも長けたお方。好きなはずがない。
 強盗だって読み書きや管弦の扱いくらいわきまえていることくらいありましょう。
 それにあの服。なぜ女房装束を着ていたのですか。
 あなたの奥様が男装をしたように、私も女装をしていただけでございます。
 では、どうしてあんなことを訊いたのです。あなたは意味もなく人を殺めたことがありますか、と。
 下人には答えられなかった。黙っていると、侍は下人を抱擁した。自分が震えているのがわかった。なぜ震えているのか分からなかった。血の匂いが濃く香り、自分の着物を熱く濡らすのが感じられ、一層大きく身震いした。
 強盗のあなたと女房のあなた、どちらが本当のあなたなのですか。どちらが本当の望みなのですか。
 *
 答えようとしたところで目が覚めた。
 見知らぬ部屋に寝かされていた。頰が涙で濡れているのは意味のわからない夢を見たせいだろう。羅城門が再建されるなどという話は、聞いた覚えもない。いや、そんなことよりも。
 生きている……。
 弱った腕を持ち上げて、発疹がないことを確認した。信じられない。あの病に罹って生き延びたものなど、聞いたことがなかった。御仏の加護だろうか。この私に。
 外から、貴人と思われる男が入ってきた。
 目が覚めましたか。
 ここは……。
 私の家ですよ。部下の一人があなたをここまで運んできたのです。
 家の中で死んだら大変なこと(内裏に出仕できなくなるなど)になるはずだった。よく匿ってくれたものだ。奇異の目で見ていると男は、私は自由の効く身なのです、と言って微笑んだ。
 運んできて下さった方は……もしかして、身体中が傷だらけで赤い髭の方でしょうか。
 そうです。
 お礼を言いたいのですが。
 死にました。
 死んだ?
 あなたはここに運ばれてすぐ血を吐きはじめ、もういつ息絶えてもおかしくない状態でした。あの男は熱心に看病をしていましたが、あなたの身体が青白くなる頃には黙って泣いていました。それが丑の時にもなろうというころに突然「行かねばならぬところがある」と屋敷を出ていったのです。そして今朝、羅城門の跡で、死体になって見つかりました。身ぐるみ剥がれた上に髪の毛まで抜��れており、体中に謎の鞭傷が残っていたそうです。……どうかしましたか?
 いえ。悲しいことですね。
 下人の頭には先ほどまで見ていた夢の光景が急速に蘇りつつあった。
 貴人は、好きなだけここで身体を休めてくれて構わないと鷹揚に言い残してどこかに去り、それきり顔を見せなかった。頼りない、なよやかな首の感じが妙に印象に残る、美しい男だった。
 下人は横になりながら、答えられなかった最後の問いについて考えていた。
 ──私は「光る君」に会いたかった訳ではなかったのかもしれない。「光る君」の話に出てくる者たちの生活に憧れていただけかもしれない。暴力もなく強盗もない美しい世界のように思われたのだ。そして、それは「垣間見」でしか得られないものであるような気がした。きっ���、あの砦で一緒に話を聞いていた母たちにもとってもそうだったに違いない。
 ──私は色々なものになった。男にもなったし、女にもなった。どんな職業にも成りすまして、盗み、殺してきた。でも、私は母親にだけはなれなかった。母親になれなければ契ることはできない。母たちはきっと、そこに目を瞑っていた。それでも私に女房装束を着せて、生き延びさせてくれた。
 ──自分にはどうしようもできないことだ。どうにもやりきれない。そして、私たちの早急で不実な考えは、あの男に死をもたらした……。
 下人は、枕の上ではらはらと涙を零した。大きな声を出して往来を走り回りたいような気分だったが、身体は相変わらずうまく動かなかった。
 *
 ある晩、夜半に目を覚ました。簾が風にはためく音が耳に入り、目を向けると人影が見えた。すらりとした長身で、かすかに光り輝いていた。
 簾の外に出ると、男の姿はなく、かすかな光が尾を引くのみだった。下人は、光の後を辿って、歩みはじめた。身体の重みは感じなかった。
 下人の行方は、誰も知らない。
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poddyshobbies · 2 years
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787系 特急かもめに乗って(2)グリーン個室
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(写真が多いです。There are many photos.)
> 前回の投稿(DXグリーン)
西九州新幹線の長崎区間開業によって無くなる、博多-長崎の特急かもめ 787系に乗車しました。行きは DXグリーンを、帰りはグリーン個室を利用してみました。
長崎駅 ~ 新幹線とともに高架化された(2020年)在来線のエンド側。
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1号車(博多向きは最後尾)
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かもめ30号に乗車しました。
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新幹線の開業に合わせて駅名がかわる肥前山口は停まらず、博多の手前の二日市には停まります。
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グリーン個室はグリーン席の手前、乗降ドアから近い位置。
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席番は8。
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室内は、
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窓2つ分を一人(~4人)占め ~ かもめの場合は海側です。
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↑↓ 1人掛けの席と↓3人用ソファー(↓ テーブルは手前の1枚が未展開の状態)
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(↓ 松?… 余談ながら「竹」がない?~ 「梅」「松の文字」はDXグリーン席の前にあった。)
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長崎-諫早の山線には長いトンネルがあります。(余談ながら)
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途中すっ飛ばして佐賀 ~ 何か時間が過ぎるのが早いぞ。
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車内その2 ~ 車内放送のON/OFF・音量調整とSOSボタンあり。その横はクローゼット。
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ドアロック可(?)使ってないので不正確。
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長崎を出てグリーン車側から検札がありました。博多について降りる時に、車掌さんがドアをノックして声をかけてくれました。(寝過ごして取り残される心配なし。乗車した列車は一旦回送でホームを出て、少しして「きらめき」になって入線でした。)
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テーブルを全展開(3方向)~ 30年の古さは隠くせてる?
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(たたむと隠せない。)
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門司港行き特急きらめき ~ にも付いてるグリーン個室にDXグリーン。
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そのうち検証してみようかな。
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気になる料金ですが、乗車券+特急券の2枚きっぷ(福岡市内-長崎)を使いました。
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グリーン個室の料金は JR九州のページにあります。他の席料と同じく100キロまで、200キロまで、201キロ以上の料金区分があります。長崎-博多の場合は 3200円の追加です。
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「切符が横長や~」~ 1人から4人までこの料金は同じです。(各人の乗車券+特急料金が必要。逆を言えば4人で使えばえらい割安、1人800円!)
JR の料金案内では「※JR九州内のグリーン個室(定員4人)をご利用の場合は、ご利用の人員にかかわらず、グリーン料金2人分と実際にご利用になる人数分の運賃及び特急料金が必要です。」と書かれています。これはど��言うことことかと言うと、上の例でいうなら博多-長崎の通常のグリーン席料金は1600円なのでそのx2の3200円ということです。なので利用人数にかかわりなく室料ととらえればよいようです。(1人で使うからと言って、表にあるグリーン個室料金の2人分ではありません。表のまま、この場合は3200円、つまり通常のグリーン料金1600円の2人分でOKです。)
YouTube > 車窓から(2時間7分)
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takashimatsui1960 · 17 days
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2024−06−11
梅雨入り前の晴れが続く。今週いっぱいは天気が保ちそうだから、がーんと片づけをしろというお天道さまのおぼしめしかもしれん。ちょっと断捨離作戦を練る。
原正人先生が訳した『ルーカス・ウオーズ』を読むかどうか迷い、サンプルを読むと大体先が読めてきたが、絵がかっこいいので手を出すかもしれん。判型がでかいので置き場に困る。kindleにするか。
『正蔵戦中日記』を読んでいる。八代目正蔵、のちの彦六師である。昭和16年12月に始まり、翌17年6月まで来た。6月末日の記述に「ひほし狩」という語が出てくる。「潮干狩」のことなのだが、単なる江戸訛と片づけていいのか立ち止まって考える。「干干し狩」と師匠が思い込んでいたフシもあるんじゃないか。多分、日記帳の原文があってそれを文字に起こしているのだろうが、口述という可能性もあるのか。だとすれば「し」が「ひ」になる、またはその逆も起こる。が、まだこのころは女性や子供が潮干狩に出かける余裕があった。
また、文中しばしば正蔵師は自ら便所の汲み取りを行っている。戦中に一般家庭の糞尿汲み取りが行われなくなり、市民が汲み出していた(肥取りの車を軍が使うため)という記述は『淑子の日記』(昭和20年4月~6月)にもある。東京市中ではもうこの時期からそうだったのだ。終戦間際になると紙も欠乏して、用を足した後に使うのもしまいには新聞紙になったと聞く。
この日記には野村無名庵、正岡容、安藤鶴夫も出てくる。野村無名庵の『落語通談』はおれがずっと手放さずにいる唯一の落語本だ。
中部電力の株主総会案内が来る。スマホから議決権を行使。
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ari0921 · 1 year
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我が国の未来を見通す(68)
『強靭な国家』を造る(5)
「世界で最初に飢えるのは日本」なのか(その3)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
 やはりG7サミットについて私の感想を述べてお
きたいと思います。まず、G7のメンバー以外に、
グローバルサウスの代表や韓国大統領、それに戦時
下のウクライナのゼレンスキー大統領まで遠路はる
ばる飛来して参加したにもかかわらず、何事もなく
無事閉幕した今回のサミットが「これまでにない成
果」と評価されていることにケチをつける気は毛頭
ありません。
一方、被爆地・広島で開催したことから、「核兵器
のない世界」という“人類の理想の世界”実現に向
けた「広島ビジョン」を自画自賛するのは時期尚早
と考えます。と言いますのは、本サミットに対して、
中国は「西側の少数の先進国が他国の内政に理不尽
に干渉し、世界を操る時代は過去のものとなった」
とのいらだちを強めれば、ロシアは、G7を「世界
の安定を揺るがす破壊的な決定のふ卵器だ」と厳し
く批判しつつ、「世界の多極化を受け入れられない
G7は、反露・反中のヒステリーを起こしている」
と主張しました。つまり、中国やロシアに加え、北
朝鮮などが素直に「広島ビジョン」に賛同して受諾
するとは到底思えないからです。
元外交官の佐藤優氏は、先の「対独戦勝記念78周
年」で明らかにしたプーチンの「戦争論理」につい
て、「これまで“戦争”という言葉の使用を避けて
きたをプーチンが、初めて“戦争”言葉を使用し、
『米国を中心とする西側連合がウクライナを使って
“戦争”を仕掛けてきた』、つまり『ロシアがウク
ライナに“戦争”を仕掛けた』とは考えてない」と
解説しています。
また、「第2次世界大戦において、『ロシア人が多
大な犠牲を払ってナチズムから人類を救った』とい
う事実を西側諸国は忘れた」として、「文明は再び
決定的な転換点を迎えた」とも語っています。
中国もほぼ同様の歴史観を有しているでしょうから、
G7サミットは、「世界が再び『分裂の世界』に突
入した」ことを決定づけたともいえるのではないで
しょうか。つまり、考えようによっては、「核廃絶」
という“人類の理想の世界”の実現がますます遠の
いてしまったとの見方も出来るのです。
歴史的にみても、一方の「正義」や「美談」が相対
する側にとっての「憎悪」や「拒否」となって「対
立の原点」となってきましたし、「独自の論理を振
りかざして自らの利益拡大を広げてきたのは西側世
界の方である」という見方は、人類の歴史を子細に
見れば、あながち間違っておらず、実際に、欧米諸
国は反対する勢力を力づくで次々に排除してきまし
た。
ところが、今は互いに核兵器を保有していることか
ら、一方的に排除するのは簡単でないことから、
「排除も共存も遠のく」という結果に陥っているの
ではないでしょうか。
当然ながら、ウクライナを支援する必要性にはつい
ては理解しますが、G7がもたらす未来を冷静にイ
メージアップすると、広島サミットを手放しで称賛
する気にはなれない自分がいることに気がつきます。
私のような見方をする有識者は少ないのかも知れま
せん。立場上、声を上げられないのだと想像してい
ます。もちろん、私だけの“独りよがり”なら、そ
れはそれでよいのですが。
振り返ってみますと、実現は無理だったかもしれま
せんが、習近平をオンラインでも拡大会議に参加さ
せ、「何を発言するか」を聞くべきだったと思いま
す。千載一遇のチャンスを逃しました。
▼日本の農業は過保護か?
 
さて、ここまで農業を追い込んだ、その原因はどこ
にあるのでしょうか。我が国は戦後のドン底から、
「貿易立国」として発展し、GDPが世界第2位に
まで発展してきました。そのため、自動車などの輸
出を伸ばすために貿易自由化、そして規制緩和政策
を幾度となく繰り返してきました。また、時には
「聖域なき構造改革」などの勇ましいキャッチコピ
ーに対して誰も面と向かって反論をしないまま時が
過ぎてしまいました。
一方、そのような政策を推進するために、「農業は
過保護だ」という“刷り込み”を、メディアを総動
員して続けてきた結果、私たちの頭の中には、いつ
の間にか「農業は様々な規制に守られた『既得権益』
を有し、『過保護』な業界だ。その結果、農業の競
争力が低下してしまった」、つまり「日本の農業が
『過保護』だから自給率が下がったり、耕作放棄が
進んだ」とイメージが出来上がってしまいました。
しかし、本当にそうなのでしょうか。また諸外国の
実情はどうなっているのでしょうか。少し解き明か
してみたいと思います。
これまで何度も紹介しました『世界で最初に飢える
のは日本』の中で、著者の鈴木氏は、日本の農業に
は「3つの虚構」があると指摘します。
「虚構」の1つは、「日本の農業は高関税に守られ
た閉鎖的世界だ」というものです。OECDのデー
タによれば、日本の農産物関税率は11.7%です
が、この数字は、主要列国と比較しますと、インド
の124.3%、ノルウエーの123.7%を双璧
に、韓国(83.8%)、スイス(62.2%)、
インドネシア(47.2%)などが続き、ブラジル
(35.3%)。タイ(34.6%)、EU(19.
5%)といずれも日本より高い関税率をかけていま
す。食料輸出国の米国のみが、食糧輸入から自国の
農業を保護する必要がないのか、5%に留まってい
ます。
そして、我が国の場合、実際には、こんにゃくのよ
うに1700%の高い関税率もあるにはありますが、
大半の農産物の関税率は3%程度になっています。
そもそも、食料自給率38%の国の農産物関税が高
いわけがなく、「日本の農業は高関税に守られた閉
鎖的世界だ」というイメージとは、全く正反対の
“現実”があるのです。
 「虚構」の第2は、「日本は世界から遅れた農業
保護国であり、政府が農産物の価格を決めて買い取
っている」です。
これも間違いです。政府が農産物の価格を決めて買
い取ることを「価格支持政策」といい、かつて米に
ついては、「生産者価格」と「消費者価格」の2種
類の価格がありました。政府が「生産者からは高く
買い取って消費者には安く提供する」というもので
した。しかし、米の生産や流通を厳しく規制した
「食糧管理法」は1995年に廃止され、それ以降
は、政府を介さずに流通する「自主流通米」が増加
し、価格も競争原理で決められることから「生産者
米価」と「消費者米価」という制度は廃止されまし
た。
実は、日本は、WTO加盟国の中では唯一、農業の
「価格支持政策」をほぼ廃止��た国で、自由貿易を
推進する「優等生」にほかならないのです。他国は、
自由貿易の看板をあげても、農業など自国にとって
必要な産業については、“したたかなまでに死守し
ている”のが現実です。
「価格支持政策」とは異なり、生産者に補助金を支
払うことを「直接払い」と言いますが、「価格支持
から直接払いに転換した」といわれる欧米諸国は、
実際には「価格支持+直接払い」と表現する方が正
確なようです。つまり、価格支持の水準を下げた分
についてはしっかりと「直接払い」によって置き換
えているのです。
「虚構」の第3は、「農家は補助金漬け」というも
のです。これが最大の「虚構」ともいえるでしょう。
鈴木氏が様々なデータを取りまとめて分析したとこ
ろ、日本の農家の「所得」のうち、補助金が占める
割合は3割程度ですが、スイスはほぼ100%、イ
ギリス・フランスは90%以上、ドイツは約70%
です。アメリカは、日本とほぼ同じで約35%と先
進国では低く抑えられています。
ちなみにここでいう、農家にとっての「所得」とは、
「農業粗収益-支払経費+補助金」ことを示します。
フランスやイギリスの小麦経営は200~300ヘ
クタール規模が一般的ですが、そのような大規模穀
物経営であっても、市場の販売収入では肥料や農薬
代も払えないので補助金で経費をまかないつつ、残
りを「所得」にしているとのことで、「所得」に占
める補助金の割合の100%超えが常態化している
のだそうです。
日本は、野菜や果実の補助金率も5~7%と極めて
低く、酪農は約30%、肉牛は約48%ですが、フ
ランスは、野菜や果実は30~50%、酪農は76
%、肉牛は何と179%にも及んでいます。
一方、農業生産額に対する農業予算比率は、日本は
38%程度ですが、米国が75%と最も高く、英国
(66%)、ドイツ(61%)、フランス(44%)
と続きます。また、上記の価格差には、「国内価格」
と「輸出価格」のようなものもありますが、米国は、
食料を輸出する際の差額補填など、実質的輸出補助
金などへの支出も含まれているようです。つまり、
米国のような食料輸出国であっても農家を保護して
いるのです。
先進国は、農業が“命を守り、環境を守り、地域コ
ミュニティを守り、国土を守っている”ことを知っ
ており、そのような農業を「何よりも優先して国家
を挙げて支える」ことを“当たり前だ”と思ってい
るのです。
農家が離農して農業が崩壊し、食料自給率がますま
す低下してきたことに目をつぶり、農業の保護を
“当たり前ではない”と考えているのは日本だけで、
だから自動車などの輸出を増大させる代償として農
業を“差し出す”こと、そして米の生産に待ったを
かけて自給率の低い小麦を原料とする洋食の拡大に
も躊躇しなかったのであり、長い間、そのような政
策の是非を顧みないままここまで来てしまったので
す。今こそ、“我が国が例外である”ことを思い知
る必要があるのです。
最後に、農業支援がどれほどのお金がかかるかを概
算しておきましょう。米1俵つくるのにかかるコス
トは頑張っても1.2万円ほどですが、実際に買い
取り額は、ブランド米など高額なものもありますが、
約9000円ほどです。その差額を国が全額を補填
した場合、約700万トン全量でも3500億円程
度にしかなりません。
また全酪農家に生乳キログラム当たり10円を補填
した場合の費用は750億円程度と言われます。こ
れらの額は多少の幅はあるとは思いますが、国の予
算の規模からしてさほど大きな額ではないことは間
違いないでしょう。
『世界で最初に飢えるのは日本』と題して、我が国
の食料事情に危機意識を持った鈴木氏の“警鐘”に
納得するのは私だけではないと考えます。正直申し
上げ、日本は、「食料安全保障」に関して、戦後大
きな“戦略的過ち”を犯したと考えざるを得ないの
ですが、いつの時点で、だれの責任でそうなったか
を追及してもこれから未来の対策は案出できないこ
とも間違いないでしょう。「食料安全保障」の必要
性を訴え、根本から農業政策を見直せば、今からで
も農業の救済は可能であると私は考えます。他国を
見習うべきでしょう。
▼総括
最近、日経新聞社がかなり時間をかけて分析したと
いわれる『国費解剖』という書籍に目を通す機会が
ありました。そこには、財政赤字の一方で、膨張を
続ける国家予算を紐解けば、莫大な“ムダ使い”が
あることが随所に指摘されています。読むと本当に
呆れます。
つまり、国防もエネルギーも食料も、やがて人口減
から来る労働力の確保なども、将来を見越した“戦
略眼”を持たないまま、政治家、官僚、専門家とい
われる一部の人たちなどによって、その場しのぎの
政策が案出され、時には国会対策上各党の言い分を
刹那的に取り入れ、その時々の勇ましいキャッチフ
レーズのもと、マスコミなどもこぞってそれを指示
し、「国の舵取り」を行なってきた“ツケ”がいよ
いよ白日の下にさらされたということなのではない
でしょうか。
このような「国の舵取り」は今に始まったことでは
ありません。余談ですが、東京裁判の起訴状で「共
同謀議」が読み上げられた時、「共同謀議をもっと
うまく実施していたら戦争にはならなかった」とA
級戦犯の被告たちが呆れるシーンが記録されていま
す。戦前においても、国家戦略など無きに等しいま
ま、その場その場で「よかれ」と思って実行してき
た延長で大東亜戦争に突入してしまったのでした。
ようやく少子化対策に本腰を入れるようですが、そ
の対策も“異次元”というにはほど遠い内容からか、
国民が“しらけている”ように見えるのが残念です。
もはや一国でもって、国防のエネルギーも食料も、
そして労働力でさえ確保できない時代が到来してい
ることは時代の流れとしても、これらのうち、一つ
として自力ではまかなうことができない国家、つま
り、あらゆるものが“他力本願”の国家が「独立国」
と言えるのでしょうか。ことの重大性に気づかず、
いや、気がついても知らないふりをして、ノウテン
キを装っているのが、現代を生きる私たち日本人な
のではないでしょうか。
冒頭に述べたように、「分裂の時代」を間近にした
今日、このままで「我が国の未来が安泰である」と
はとても考えられません。現在の日本は、戦前の日
本人を批判する資格など微塵にもないし、将来の��
本人に“合わせる顔”があるだろうか、と考えてし
まいます。
なぜこうなってしまったのでしょうか。根本的原因
はどこにあるのでしょうか。これから先、我が国の
現状や風潮を覆す“特効薬”はあるのでしょうか。
当然ながら、そのための対策は、私などが考え及ぶ
べき領域をはるかに超えていると思いながらも、い
よいよ「『強靭な国家』を造る」と題した第4編の
主テーマについて、皆様と一緒に試行錯誤してみよ
うと思います。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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nyantria · 2 years
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これはフェイスの物語である。
私の名前はフェイス、16歳で、もうすぐ17歳になります。私のことはジェラール・レニックやチャンネル7のニュースなどですでにご存知のことと思いますが、私は6ヶ月前に起こったコビッドの副作用で最初に公表された被害者の一人です。
この事件が起こる前、私は学校に通い、パートタイムの仕事をし、車の運転を学び、参加したほとんどのことにおいて成功していたのです。私は健康で、身体的にも健康で、精神的にも安定した幸せな女の子でした。副作用の話も聞いたことがなかったし、私の仕事は薬局だったので、副作用の話を聞くたびに、これはいい考えだと思いました。 結局、タスマニア州政府は、この薬がいかに安全で効果的かをしつこく宣伝していました。私は同年代の中ではいち早くロンセストンで取得しました。もっと調べておけばよかったと思います。
2021年7月24日、初めてファイザー社のCOVIDワクチンを接種しました。 私はいつものように腕が痒かったのですが、それ以外はすべて順調でした。私は2021年8月7日に2回目のファイザーCOVIDワクチンを接種しました。最初の24時間は腕の痛み以外何も感じませんでしたが、3日後に胸郭の下に10段階中9.5の刺すような痛みがあり、吐き気がして嘔吐したくなり、目が覚めてしまいました。その日のうちにかかりつけの病院に行くと、医師は盲腸の疑いがあると言い、病院に直行する必要があると言いました。
病院に着くと、血液検査、超音波検査、レントゲン検査、そして待合室で点滴を打たれ、6~7時間待たされましたが、これは違法だとわかりました。その後、鎮痛剤を大量に飲まされ、胃の病気だからもう大丈夫だと言われ、家に帰されました。私は24時間家にいて、鎮痛剤はかなり効きましたが、まだ気分が良くなかったので、母が私を病院に連れて行ってくれました。病院に着くと、前の晩に行ったことを告げ、事情を説明すると、外科医の一人が来て、私を見てくれました。そして6時間後、私のビタミンDが低いことを告げ、ビタミンDの点滴をし、ロンセストン総合病院の小児病棟に入院させました。そして、盲腸に異常がないかを調べるために、予防的に盲腸の顕微鏡手術を行うと言われました。
翌日からずっと手術を待ち、24時間水なしで絶食させられました。その夜、私は手術に入った。手術の1時間後に激痛で目を覚ますと、盲腸を切除することになり、翌日まで小児病棟に寝かされました。翌朝になると、手術は成功し、すべてが順調で、そのおかげで早く退院できたと言われました。
家に帰り、それから2週間はずっと休んでいましたが、相変わらず胸郭の下に鋭い刺すような痛みがあり、食欲もなく、あまり眠れず、手術が終わったばかりだったので、回復しているのだろうとばかり思っていました。
2週間後、手術後の検診のためにかかりつけの病院に戻りました。医師は私がポルフィリン症に苦しんでいるのではないかと心配し、血液専門医の診断を仰ぎましたが、すべて異常なしとのことでした。ループス、肥満細胞症、甲状腺など、思いつく限りの検査をしましたが、すべて異常なしでした。
その時、盲腸にも異常がないことを告げられました。虫垂炎はないと書いてあったのです。ただ、「本当は必要ない」ので取ったと言われました。
母が初めてファイザーワクチンの話をしたら、外科医が笑いながら、そんなバカなことを言うなと言った。
どうしたらいいかわからず、鎮痛剤をもらって家に帰りました。
翌日、私は全く調子が良くなかったので、母はテレヘルスに電話をかけ、起こったことをすべて説明し、そのまま病院に戻るようにと言われました。病院到着後、鎮痛剤と吐き気止めの錠剤を渡され、婦人科と小児科の医師が来てくれました。その後、2晩入院し、痛みと吐き気の治療を受け、せめて少しは休めるようにと、最終的には自宅でも発症する可能性があると言われ、家に帰されました。
それから1週間、私はまだたくさんの痛みに耐えながら薬を飲み、水分補給をし、できるだけ安静にしていましたが、痛みは治まりませんでした。そして、免疫学の教授と小児科医を紹介されました。
免疫学の教授に会ったとき、母はコビド・ワクチンのせいかと尋ねました。しかし、書面ではファイザー製薬のワクチンによるものだと断り、その代わりに、ウイルス感染後の症状だと書きました。私たちは、レニック議員と同じように病院に公式に苦情を申し立てました。教授は手紙を書き直し、報告書を訂正して、これはファイザー・ワクチンによる遅発性副作用であると言いました。
それから1週間後、痛みはもうどうにもならないところまで来ていたので、また病院へ行きました...。小児科の医師が来るまで4時間半ほどそこにいましたが、すぐに小児病棟に入院し、睡眠薬を処方されました。その日の午前2時、私は初めて経験するチックで目を覚ましました。看護師は私の母に、この映像が必要だと言って、カメラを出して撮影を始めるよう伝えました。登録医が呼ばれ、彼女は恐怖の表情を浮かべ、こんなことは見たことがないと言い、どうしたらいいかわからないと泣いていました。その間も私は激しいチック症状を起こしていました。医師は私にバリウムを投与することにしました。
翌日、目が覚めると、10kmのマラソンを終えたような気分で、そこから日中チックが始まりました。
その後、薬が変更され、3日間入院しましたが、薬以外は何も飲まずに家に帰され、依然としてチックが続いています。彼らはチックについて全く気にしていないようでした。現在もチックは止まらず、さらに悪化して毎晩起こり、1回のエピソードが4時間も続き、非常に苦痛です。
10段階中10の筋肉痛のような痛みで、体中の筋肉が引っ張られて痙攣しているような、痙攣のような、自分ではコントロールできない、やればやるほど痛くなる、だから自分を解放するしかない。12月初旬、事態が悪化したため、再び病院に戻ることになりました。トリアージの看護師は、「COVIDにならなくて本当によかった、もっとひどくなって死んでいたかもしれないからね」と言いました。
私はママと一緒に4時間待ち、パナドールを頼んだのですが、それさえももらえませんでした。その後、歯医者のような椅子のある小さな部屋に通されました。そこには上級小児科医と登録医が2人いて、そのうちの1人が私の試練を知っていました。彼は、なぜか私たちの車がどこにあるのか何度も尋ね、それから私のママを指差して「フェイスにしっかりしなさい」「これはすべて画面の見過ぎが原因なんだ」と言い続けました。その時、ママは腹が立って、私たちはそれを最終的なものとして受け入れず、うんざりして帰ってしまいました。
3週間前、ひどい痛みと吐き気に襲われ、再び病院に戻るよう言われました。輸液が必要だと言われ、行きたくなかったのですが行きました。医師は何が起こっているのかわからず、点滴はできないと言い、鎮痛剤も出すつもりはないと言われました。担当医は急用ができたので、その場を離れました。���ってきた先生は、私を病院の奥の部屋に連れて行き、EDの私に鍼を打ってくれました痛みに耐えながら呼吸をするようにと、恩着せがましいことを言われ、文字通り痛みに泣きながら耐えるしかないのです。結局、家に帰されました。私は3日間、水さえも飲まず、何も喉を通らず、いつ吐いてしまうかわからない状態でした。氷柱で無理やり水分を補給するのが精一杯でした。それ以来、病院には行っていませんし、行きたくもありません。
10月末にメルボルン小児病院の思春期クリニックを紹介され、キャンセル待ちをしたところ、紹介状が受理されました。しかし、私の病状は雪だるま式に悪化しているため、紹介状を更新するためにGPに戻りました。雪だるま式に病状が悪化し、毎週大変なことになっています。
2022年1月28日、これまで問題にならなかった地域外であることを理由に却下されたことがわかりました。コードブラウンのせいなのかどうかはわかりませんが、GPと小児科医はこの15年間、問題なく紹介をしてくれています。今、私たちはどこか他の病院を探しています。
現在、ガラス製のコップやマグカップは、誤って投げて壊してしまわないか心配で、使うことができません。
もう運転はできないし、仕事もできないけど、良くなったら復帰できると言われたし、キャリアも積めないし、学校にも半年間行っていません。私は光と音に極端に敏感でいたりいなかったりします。一日平均20錠の薬と飲み薬、物忘れ、集中力低下、最近では突然足が崩れて担がれるようになりました。
Faith Ranson - 16歳、Pfizer COVIDワクチンによる重篤な副反応について
ディープル翻訳
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yotchan-blog · 20 days
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2024/6/7 14:01:25現在のニュース
米坂線の不通区間「JRによる復旧と運営求める」 山形・吉村美栄子知事([B!]産経新聞, 2024/6/7 13:54:25) 東北・山形新幹線が合流する「アプローチ線」、ループ状の姿現す JR福島駅([B!]産経新聞, 2024/6/7 13:54:25) はるかなり秘境駅⑦ 駅弁と銘酒の出会い 帰ってきた令和阿房列車で行こう 第一列車([B!]産経新聞, 2024/6/7 13:54:25) 改正再生医療法が成立 体内での遺伝子導入・改変も規制対象に(毎日新聞, 2024/6/7 13:53:45) <社説>国の指示権拡大 恣意的運用の懸念残る:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/6/7 13:51:31) 鹿児島県警「本部長が不祥事隠蔽」主張の前部長、漏えい文書に前刑事部長の連絡先を同封([B!]読売新聞, 2024/6/7 13:48:40) 木次線協議向け県庁で説明 JR西・山陰支社長 /島根 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/6/7 13:45:29) 九州新幹線長崎ルート 4者協議、知事否定 /佐賀 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/6/7 13:40:01) 利用促進、具体策を検討へ JR肥薩線、県と沿線自治体 ワーキンググループを設置 /熊本 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/6/7 13:40:01) 専門学校、2026年から単位制に 大学編入促進する改正法が成立(毎日新聞, 2024/6/7 13:39:15) 外国人観光客に「白タク」 容疑の経営者ら逮捕 奈良県内初(毎日新聞, 2024/6/7 13:39:15) 誰かに頼る子育て、当たり前に ママ助産師がカフェ付き産後ケア施設(毎日新聞, 2024/6/7 13:39:15) 電気機関車今秋に引退 JR東・高崎支社 ディーゼルも 計5両([B!]読売新聞, 2024/6/7 13:36:46) トキ鉄利用増で赤字圧縮 23年度決算 コロナ5類移行や少雪([B!]読売新聞, 2024/6/7 13:36:46) 鉄道代替バス廃止「2度目の廃線」…乗客減、自治体の負担重く([B!]読売新聞, 2024/6/7 13:36:46)
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tepota-nanako · 2 months
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2024年4月 てぽたのお茶
 皆さま、こんにちは。新茶の季節がやってきましたね~。早い地域では既に新茶の便りも届いているようですが、2024年はお茶にとってどのような年になるのでしょうか。楽しみです。
 新茶も待ち遠しいですが、4月のおまかせ定期便は、滋賀県信楽・朝宮地区のお茶をお届けいたします。毎年この時期てぽたでは、釜炒り茶だったり、じっくり寝かせたなど、新茶とは違った風合いを持つお茶を選ぶことが多いですが、今月は日本茶には珍しいヴィンテージ茶、滋賀県産「朝宮茶 在来 2022年度産」です。朝宮茶はずっと気になっていてアンテナを張っていたところ、1月末に出向いたイベントで朝宮茶の生産農家さんとご縁ができました。
 そこではたくさんの種類のお茶を淹れていただくことができ、その中でも特に、定期便でみなさまにお届けしたいと思うお茶に出逢いました。イベント参加した翌月の2月は佐賀の在来茶をお届けすることを決めていましたので、異なった地域の在来のお茶をお届けするのも面白いかな?飲み比べていただけるかも!とも思いました。お茶の生産者さんから(朝宮茶 昇龍園さん)とても丁寧なご説明をいただきましたので、そのままご紹介いたします。
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2022年は4月の気温が比較的低く推移したこともあり、茶の新芽はゆっくりと成長をしました。新芽は成長を始めると気温と比例して一晩でも違いがはっきりとわかるほどに大きくなります。茶農家の観点から新芽の「旬」を狙って収穫をすることを心がけています。ときには気温が高く新芽の成長に対して収穫作業が間に合わないかもと追われる年もありますが、先に書いたように2022年は気温が低く新芽がゆっくりと成長したこともあり、新芽の成長を待って収穫をすることができました。
この在来煎茶の茶の樹は種で植えられ、農薬・除草剤・化学性肥料不使用の有機栽培(有機JAS認証を取得しています)を行っています。挿し木で作られた茶園ではないので、一株一株の特性が違う茶畑です。成長の早い株・成長の遅い株が同じ茶畑にあるため、先に書いた「収穫の旬」というものを正確に見極めることはできません。ある程度新芽が伸びたことを確認して収穫作業に入っています。
言い換えれば、旬のものもそうでないものも、優秀な茶葉もそうでない茶葉も“すべてを収穫し茶畑で勝手にブレンドされた茶”ということになります。
優良品種のヤブキタが普及する以前(大正~昭和初期)はどの土地にも存在した在来茶園。最近では気候こそ変わってきましたが、その当時のままの栽培方法で作る煎茶を楽しんでいただければと思います。
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 イベント用にわずかな量を残しておられたそうで、てぽたの定期便用に購入させていただいた後、在庫終了だったそうです。美味しい上に、貴重なお茶に出逢えてラッキーでした。
 わたくしごとで恐縮ですが、3月末頃から風邪をこじらせて副鼻腔炎になりました。1週間味覚嗅覚不全となり、しばらくの間、試飲できませんでした。何を飲んでも白湯・・・。この間、鼻腔が商売道具であることを(大袈裟ですが笑)実感させられました。定期便を準備する直前にお茶の風味がわかるようになり、最終チェックができ、文字通りスッキリしました。グリーニッシュな風味(荒茶なので青さもありますが)と、花のような香りが同時に感じられ、あと味はほんのり甘みもあり美味しいです。高温でサラッと淹れていたくのがおすすめです。今月のお茶も皆さまのお口に合えば嬉しいです。
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たっぷりのお湯でゴクゴク飲めますので、今月はてぽたのleaf cupにいれてみました。
以下、4月番外編の写真です(^^)
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ちょうど4月のお茶を準備しているころ、解体間近の中野サンプラザ周辺は桜が咲いていました。
「あ~この景色を観るのは今回で最後かな」と少し感慨に耽りながら、周辺に咲いている桜と一緒に建物の写真を撮りました。その翌日春の大嵐がやってきましたが、まだ桜は残っていて、しばらく楽しませてくれました。
嵐の前(前方からの写真)と嵐の後(建物側面)の写真です。
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takahashicleaning · 6 months
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TEDにて
ヴィージェイ・クーマー:空飛ぶロボットの未来
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
ペンシルベニア大学の研究室でヴィージェイ・クーマーのチームは、蜜蜂の動きに触発された自律飛行ロボットを作りました。
彼らの最新の成果は、精密農業への応用で、ロボットの一群が果樹園にある個々の果樹や果実を解析してモデルを作成し、収穫量を増やしたり水の管理を改善する上で重要な情報を農家に提供するというものです。
私の研究室では、ご覧のような自律飛行ロボットを作っています。今時、お店で売っているようなドローンとは違って、GPSは搭載していません。GPSなしでは、このようなロボットが自分の位置を特定するのは困難です。
このロボットの場合、搭載したセンサー、カメラ、レーザースキャナーで周囲を走査していて、周りにあるものを検知し、三角測量によってそれらに対する 相対的な位置を把握しています。
それらのデータをまとめて、後ろに出ているようなマップを構築することが出来ます。こうやってマップができるとどこに障害物があるか分かり、ロボットは衝突することなく飛行することが出来ます。
このロボットは、秒速2-3メートルで動き、方向転換をするときには上下運動や回転運動を素早く行います。重要な点は、小さなロボットは、素早く動け、障害の多い環境中をうまく移動できることです。
これはミツバチの動きをまねた小型ロボットです。小さいほど慣性力が小さくなるので都合がいいのです。慣性力が小さいと衝突に対し強くなります。より、丈夫になるということです。
そういうわけでミツバチのように小さなロボットを作ります。これは、僅か25グラムしかありません。消費電力はほんの6ワットです。秒速6メートルまで出せます。ボーイング787の大きさだったら音速の10倍に相当する速さです。
大型のロボットから始め小型のものへと移っていきました。これまで研究室で発注した絆創膏の数をヒストグラムにしたらどんどん小さくなっていることが分るでしょう。ロボットが安全になってきたからです。
小さいと不利な点もあります。自然はこの不利な点を補う方法を進化させてきました。基本的には集団や群れを作るということです。
我々の研究室でも同様に人工的なロボットの集団を試してみました。これはかなり難しい技術です。ロボット間のネットワークを考慮しなければならないからです。
各ロボットのセンサー、通信、計算の連携を考えなければなりません。このネットワークの制御、管理が実にやっかいなのです。自然から3つの(自己)組織化の原理を見習うことによって制御のアルゴリズムを開発することができます。
1つ目のアイデアは、ロボットが近くの個体を認識することです。近隣の個体を認識して互いに通信できなければなりません。このビデオは、その基本原理を示しています。4機のロボットがいます。その内1機が文字通り人間のオペレータによってハイジャックされています。
ロボットは、互いに相互作用し、近くの個体を認識しているので動きに追従します。この例では1人の人間が追従するロボットを先導しています。どのロボットもどこへ行くべきか分っているわけではなく、ただ近くのロボットの位置に対し反応しているだけです。
次の実験は、組織化の2つ目の原理を示すものです。���の原理は、匿名性の原理と関連しています。ここで基本となる考えは、ロボットは近隣の個体を識別していないということです。
円陣を組めという指令を受けると編隊を組むロボットの数をいかに増やそうとあるいは、何体か取り除こうと各ロボットは単に隣にいるロボットに反応するだけなのです。
円陣を組むという指示を受けるものの隣のロボットと協調するだけで中央制御によって編隊を形成しているわけではありません。
これらのアイデアを一緒にすると3つ目のアイデアが得られます。
ロボットに編隊の形の数学的記述を与えるということです。形は時間と共に変わっていきます。ご覧の様に円形から始まり、長方形を形作った後、直線状に広がりまた楕円に戻ります。
自然界における生物の群れと同様に、瞬間、瞬間の協調によってこういったことを成し遂げています。
なぜ、群れについて研究しているのか?我々がとても興味を抱いている2つの応用があります。1つ目は農業に関するものです。ロボットに何が出来るでしょう?この分野で精密農業(プレシジョンファーミング)と呼ばれる手法を取り入れてみました。
基本的な考えはこうです。果樹園にロボットを飛ばし、個々の木の精密なモデルを作成します。
個々の患者の遺伝体質に合わせたオーダーメード医療のように個々の木のモデルを製作することによって農家はそれぞれの木が必要とするもの。この場合、水、肥料や殺虫剤といったものですが、それを知ることができます。
2つ目に可能なことは、木のモデルに基づき3次元形状を再構成し、そこから樹冠の面積を推定することで土地単位面積あたりの葉面積を求めるということです。
これは、葉面積指数と呼ばれます。葉面積指数は、それぞれの木がどれだけの光合成を行っているかの指標となり個々の木の健康度を示します。
可視光と赤外線データを組み合わせると正規化植生指標といった指標を計算することができます。ご覧の例では、ある作物が他の作物に比べて状態が悪いことが見て取れます。
これは通常の可視光だけでなく、可視光と赤外線イメージを組み合わせることで容易に識別できるようになります。
これは、どう言うことかと言うと
ドローンと言うカテゴリーの枠内に収まらず、ロケットエンジン、空飛ぶ自動車、空中の自立運転やその範囲を遥かに超えた未来への始まりです。
(個人的なアイデア)
MITの物理学者であり、AIの研究者であるマックス・テグマークの言うように・・・
ロケットの話と似ていて技術が単に強力になれば良いというものではなく、もし、本当に野心的になろうとするなら、コントロールの仕方と、どこへ向かうべきかも理解しないといけません。
エリエゼル・ユドカウスキーが、「友好的なAI」と呼ぶものです。そして、これができれば素晴らしいことでしょう。病気、貧困、犯罪など苦痛というマイナスの経験を無くすことができるだけではなく、様々な新しいプラスの経験から、選択する自由を与えてくれるかもしれません。
そうなれば、私たちは自分の手で運命を決められるのです。そして、準備がないままにつまづきながらアジャイル(=機敏さ)で進んで行くとおそらく人類史上最大の間違いとなるでしょう。
それは認めるべきです。冷酷な全世界的独裁政権が可能になり、前代未聞の差別、監視社会と苦しみが産まれ、さらに、人類の絶滅さえ起こるかもしれません。
しかし、注意深くコントロールすれば、誰もが裕福になれる素晴らしい未来にたどり着くかもしれません。貧乏人は、金持ちにより近づき、金持ちはさらに金持ちになり、みんなが健康で夢を追い求めながら自由に人生を送れることでしょう。
その他に、行政府自身が社会システム全体の資源配分の効率化を目的とする保証はないため政治家や官僚は自らの私的利益のために行動を歪め、市場の失敗を矯正するどころか資源配分をより非効率にする可能性すらあります。
続いて
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
<おすすめサイト>
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Drone Racing League - Episode 3: Finals (LEVEL 1: Miami Lights) - DRL
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