#科目終末試験
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ちょっとしたきっかけで、科学とAIについてのアドベントカレンダーの記事を一つ書くことになったのだが、書くのはいいとしてどこで書けばいいのか良くわからないので、ここで書くことにした。
ここは普段はてなブログを拠点にしている自分が軽い独り言を書くための場所で、どちらかというとX(Twitter)のような短文が中心なので、あまり長々と書く場所ではない(と自分で勝手に決めている)のだけども、内容が内容なのでここに記すことにした。
普段は独り言なのでいきなり本題から入ってしまうが、今回はアドベントカレンダーなので自己紹介をしなければならない。自分は、AlphaFold2というAIに自分の専門分野の中核を撃たれたこと(そしてそこからある種のドミノ倒しが起きたこと)で、学生の頃から数えて20年あまり所属している分野が混乱とともに「バラバラ」になっていくのを見ている、大学の一教員である。
世間はAlphaFoldがノーベル賞を取ったこともあり、かなりの歓迎ムードだが、分野史を追えばAlphaFold2を作ったDeepMindがある種の侵略者・征服者(他分野からいきなりやってきて、コンテスト荒らしどころか20年以上続いたコンテストそのものを数年で終わらせた)であるのは明らかで、この個人的な体験が今回のこのポストを書く上での発端になっている。
正直なところ、実際に科学研究というものを曲がりなりにも職業として行っている立場として、科学分野の大きな問いや分野そのものが「唐突に終わりうる」ということ、特に当該分野で長年知見を積んできた人間ではなく、全く異なる技術を持って横から来た人間が分野を終わらせることがあるという事態に直面すると、専門性を維持するモチベーションを保つのが難しくなることを、じわじわと実感しつつある。自分は大学の講義などでこの一連の歴史の流れを年に数回口にすることもあってか、そのたびに少しずつ心の中に澱のようなものが溜まるように思う。
AlphaFold2の存在が明らかになったのは2020年の11月末だが、一般に公開されたのは2021年7月のことだった。DeepMindは前バージョンのAlphaFoldを出し渋ったこともあり、AlphaFold2が計算済み予測モデルのデータベースと共に全面フリーで公開されたことは今思い返しても信じがたい。当時の混乱をエッセイとして書けと言われればいくらでも書けるくらいで、たぶん同分野の自分と同世代~上の世代の人たちはみな同じだろう。
そしてそれから1年半ほどあとの2022年11月末、ChatGPTが世に出た。ChatGPTを使ってみてしばらくして思ったのは「自分たちが味わった衝撃を、全ての分野の全ての人が味わうのか」という感覚だった。ただ、この時点では、AlphaFold2にしてもChatGPTにしても、単独の機能に優れたAIであって、それほど広がりを持たないものだったように思う。もちろんこの時点では、だけれども。
さらにあれから2年弱が経ち、自分の分野はAlphaFold2が引き起こしたドミノ倒しによって次々と問題が解かれるようになり、「解く問題がなくなる」という方向で分野が崩壊しつつあるが、世界はまだAIによってすべてが崩壊する程ではない。ちょうどこのアドベントカレンダーを書く予定になっていた12月20日にOpenAIからo3が発表され、ベンチマークの都合か数学方面が狙い撃ちされつつあるようだけれども、まだAlphaFold2ほどの衝撃はないように見える(ひょっとしたらAlphaFold1の瞬間かもしれない)。
これまでの4年間、AlphaFold2からo3までを自分の立場で振り返ると、研究分野は中核を撃たれる(重要な問題を解かれる)とそこからドミノ倒しが発生し得る・次々と問題が解決していく可能性があること、撃ってくるのは分野外の人間かもしれずタイミングは分からないこと(ここが一番つらい)、ドミノ倒しが始まると分野の流れが急激に速まり、多くの研究者はいわば土砂崩れから逃げ惑うような苦しい立場に立たされること、だろうか。この苦しさから逃れるため(そして研究業績を上げ続けるため)に、多くの研究者は当然もがきながら方針転換するのだけども、転換するより早く分野が崩壊する可能性もあって、正直なところこれが他分野でも同様に起こるとすると、あまりにも厳しすぎるし、気の毒すぎるように思う。
この苦しさは崩壊の過程が引き延ばされればされるほど長く続くと思われる(もちろん、従前のように崩壊が非常にゆっくりであれば問題ないが、もはやそこまでスローダウンすることは考えられない)ので、AIの進歩が加速し科学のすべてを「早く終わらせる」ことでしか、この苦境を脱することはできないのではないかと感じている
…というのが、過去4年を踏まえた2024年末の現在の心境だが、また来年再来年には考えが変わっているかもしれない。それと、自分がここに書いた分野観はそれほど異端ではないはずだけども、まだあからさまに口にできる状況でもない(皆悪いことはあまり口に出したくない)ので、できればそろそろ自分の分野以外にも、AIで崩壊し始める分野が出てきてくれて、こうした見方が一般化してほし��ものだ。
追記: 今年の1月に似た話題(AIと科学研究と自身のキャリア)について独り言を書いていた。自分がこの崩壊の中である程度冷静でいられるのは、「自分は他人にとって代わられて当然である」という価値観であるからかもしれない。 https://mbr-br.tumblr.com/post/739340490648043520/
追記2: 自分が科学の発展に何を望むかについて書いたものがあったので、参考としてここにつけておく。正確には「科学の発展で何が可能になって欲しいか」という問いで、自分の回答は「生死の境界・生物無生物の差異・自他の区別を完全に破壊したい」である。書いたのは3年数か月ほど前だが、そこにある「現在ほぼ全ての人に植え付けられている生命とか自我とか社会とかの概念をぶち壊して、その先に何が出てくるか見てみたい」のは今でもそうで、現在のAIは生物無生物の壁を破壊しつつある点で、自分にとってはとても好ましい存在だと感じている。 追記3(2024年12月31日6:41AM): アドベントカレンダーに載せたせいかそれなりに読んでもらっているようで、某所では面白いと評してもらったりもしてやや恥ずかしい気分になっている。せっかくなので、このブログポストに関連する話題としてVirtual Lab論文にも触れておきたい。これは2024年11月半ばに発表されたAIによる生命科学(タンパク質工学)研究自動化の試みで、取り組みとしては課題設定も含めそれほど目新しいものはないのだけども、研究チームを率いるAIを設定し仮想のチーム作りからAIにやらせるところと、AIが計算で設計したものを人間が実験で検証するところがやや新しい。12月初旬にNatureのNewsで取り上げられて、12月下旬には日本国内のSNSでも生命科学者の間で(恐怖を伴いながら)話題になった。
すでに書いた通り、GPT-4oなどの商用AIを活用した研究自動化の取り組み自体は新しくないし、生命科学者が自分がAIに代替されるかもしれない未来に思いを馳せながら、あれこれ騒ぐのも理解できる。ただ自分としては、論文のイントロダクションにあった「学際領域の研究は大事だが、そういう研究者は少ないのでAIで代替する」という文言が一番堪えた。実際、この論文ではComputational BiologistとMachine Learning SpecialistがAIチームメンバーとして登場するが、これらはまさに自分たちをリプレースする存在である(つまり、多くの生命科学者と違い、自分は「すでにAIに代替されうる」側に立たされている)。
これがただでさえAlphaFoldで崩壊しつつある自分の分野に何をもたらすのか。元々、この展開は予想していたことではあるし、書けることもたくさんあるのだけれど、一つ言えるのは「人間が学際領域を研究するインセンティブ、そういう人材を教育するインセンティブが極端に減ってしまう」ことだと思う。もともと複数の学問領域にまたがる分野を研究するのは複数の分野の知識が必要な点でやや大変だし、そういうところを目指す学生もそれほどは多くないので大事に教育してきたつもりだけども、最初から無数の分野のそれなりのエキスパートとしてAIが降臨してしまうと、新しく分野に参入する気持ちはくじかれてしまうだろう。企業研究者であれば新卒の代わりにAIを雇用することでとりあえずは解決できるかもしれないが、教育を担う大学教員としてはこれをどのように扱えばいいのか正直まだ答えはない。そして、流入する人間が減ってくると分野は実質的に「蒸発」するだろう。
結局のところ、AIによって分野の問題がすべて解かれるという崩壊と、AIによって研究者が代替されるという蒸発の二方向から、研究分野は消滅に追い込まれていくのかもしれない。
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*受験期の頃に書いた日記です
傷 kiss
友人たちが次々と大学に合格していく事実が今もずどんと馬鹿でかい劣等感と化して心臓の上で横たわっている、昨日も同じ夢を見た。不安な気持��ばかりが先走るけれど、かっかしていても何も変わらなかった。他人と比べて自分の優れているところを必死に探していないと自己を保てない自分がほんとうにほんとうに惨めで、マスクが無ければたぶんぼろぼろ泣いてしまっていたと思う。心の底に横たわるみずうみが氷っていくの、口元が覆われているとそれだけで自分が自分じゃない感じがして冷淡になれた。わたしは自らの足音にだけ集中して、ただ早足で行き交う人々のあいだをすり抜ける。ずーっと頭の中を同じ映像が流れるのをむりやり切り落として、でんしゃを滑らせる線路をじっとみつめる。夕陽の光が錆びたその金をうつくしく縁取る様子が痛々しいくらいにまぶしい。��かった瞬間に内職をぱたんと辞める同級生。せーので問題を皆んな一緒に解き始めるとき、隣の子が必死に解答を隠すように背中を丸めて腕を机の上に伸ばす。そういうのばかり見ているとほんとうに、ほんとうに。言葉もでなくなってしまう。なにをそんなに誰かのことを気にするの?と、母の言葉が反芻する。光がまばらに散らばる街並みをみて、光も照らすものを選ぶのかしら、とかおもった。まいにちずっと罰を受けているみたいな日々、冬が近づくにつれて正気を失ってゆく街の様子にそれはもう痛いくらい同情してしまうし、ひたつやふたつ良いことがあっても誰かのそれと比べて自ら幸福の値段をどんどんさげてしまう。ずっとそばにいてほしい。幸福に値段なんてないよ、とかそんなこと言わなくていいの、わたしだってそんなことはわかっているし、いいの。天使とか悪魔とか神さまじゃなくて、ただわたしはわたしにそばにいてほしいし、そこにすきなひとたちがいてくれたらもっとうれしい。何も着ないでぶるぶる震えるわたしのからだを愛しているひとが白いバスローブで包みこんでくれたこと、カチカチに凍ってしまったアイスクリーム。減ってゆく数字。つめたいのにあつい、霧のカーテンの向こうに浮かぶ満月。目の前を歩いている女の子が落としたカードのようなものを拾い上げて渡す。肌寒くはないよ、いっぱい着込んであるから。舌に吸い付いた生ぬるい塩っぽさを誤魔化すために、瞬きもせずその息を呑んだ。
落ちてゆく流星群
不確かなものに心を揺さぶられながらもそれを掴んで決して離そうとしない自分の必死さに、自分で傷ついている。教科書を開いて新しい知識を得るたびに、脳内にびっしりと張り巡らされた細い糸のようなものがぴんと鋭く光って、しずかに緊張する。その感覚をわたしは思い出そうとすればいつでも思い出せるし、べつに勉強が嫌いなわけじゃない。ただ、生きているなあ、と、胸に広がるあたたかさを抱きながらそっと泣いたりする夜が少なくなった。そもそも生きていながら生きているという実感が欲しい、なんてことを考えている時点で可笑しい話かもしれないけれど。
中学の頃、冬になると毎年マラソン大会が開催された。今日みたいな寒い日にふと当時の怠さを思い出したりする。校庭の砂に石灰で大きく楕円が描かれ、その周りをひたすら走るだけの超つまらないイベント。冬の、鼻先をつんとすり抜けるような寒さと冷たい風の乾いた匂い。忍ばせたカイロと、白く上がる息。
このごろのわたしはちょうどその��長線上を生きているような感じがする。毎日同じ景色の中をぐるぐるとまわ��続け、いっそのこと軌道から外れてすべてを諦めてしまいたいと思うけれど、そんな勇気も出ないまま、結局は体力と時間だけをひたすら消耗しながらゴールへ向かって淡々と走ることしか出来ない。気を緩めると涙がぽろぽろ溢れてくる。生きているという事実だけでくるしい。日に日に遠のいていく同級生の背中がいつだって意図せずとも視界に入ってきて、やるせない気持ちになる。地に足付かずでいたい、なんてことを随分と昔に書いたような気がするがとうとうそんなことも言えなくなってしまった。未来のことを考えましょうと言う先生の言葉を聞くたび、わたしは勝手に銃口を突きつけられているような感覚になる。もはや自分が果たしてどこにいるかもわからない。
来月には部活の大会を控えているし、予備校の冬季講習に加えて学校の講座を受けないといけない。三者面談と進路選択。期末試験。呑み込めずに舌の裏で転がるC判定という言葉を噛み砕くのにまだ必死なのに。
やりたいことを一つに絞るということは、それ以外を切り捨てるということ。ここから気になる大学を選んでくださいと、大学の名前と学科の一覧が記載された辞書のように分厚い本が配布された。今のわたしには、その厚さの分だけ未来の選択肢がある。そこに記載されている言葉の数だけ莫大なあたらしい世界が。そこから否が応でもたったひとつのものを掬い上げないといけない、その事実が少しだけ重苦しい。けれどそれに値するほどの価値が、これから先の時代を生きるわたしにあるということが同時にちゃんと嬉しい。
疲れた、という言葉にふさわしい努力をしていないのに、毎日すこしずつ疲れている身体はまさに地平線すれすれを生きているような具合で、わたしには喜びのほんの些細な余韻に浸れるほどの余裕もあまりない。なのに、そういうときに限って世界の美しさはいやに眩しい。たくさんのことを書き残したいと思うけれど降ってくる感情をひとつずつ捉えることはそう簡単なことでないし、そのくせして必ず少しの苦しみを伴うのだ。インターネットさえなければ言葉に残せなかったことを後悔することなんて無かっただろうに、それでも縋ろうと踠きながら残すべき自分を探してしまう自分をわたしは可哀想だと思う。わかっている。
もう秋も終わってしまう。寒いね、寒い、とぽつぽつ浮かんでくる言葉を拾いながら、誰かと手のひらを重ねたい。人と比べてしまう限り、わたしはこれからもずっと孤独をひとりで噛み締めないといけないから。胸をきゅうとさせる寂しさにもそろそろ慣れてしまいそうだから、はやくすべてが終わってほしい。はやく好きなことの勉強だけに追われる生活がしたい。そういう思いでひとつずつ過ぎ去っていく毎日の、行き場のないもどかしさも冬の寒さに凍ってしまえばいいのに。ううん、ほんとうはわたしが自分のからだで寒さを耐え凌いで、自分の力だけでもって愛すべきものたちや些細な記憶を守るべきなのだ。だけど、それが出来るほど強くないだけのこと。
無題
銭湯に行きたい。受験して、でもいいところにひとつも合格しなかったら巫女のアルバイトでもしながら京都で浪人生活をしたいな、とかんがえていた。ひさしぶりにおふろで哀しい音楽を聴いた。なんでもない日に哀しい歌をきくと、より一層哀しさが加速されるというよりなんだか心が細く研ぎ澄まされていく感じで今までの日々がきゅうっと音をたてる。雑巾をさいごまで力強く捻って絞り出す汚水、長距離走の最後の2分間、なみだが出る前の喉元になにかが込み上がってくる感じ、そういうの。とてもぼろぼろなんだけど、それと同時になにか澄み渡っていくものがある。だれかのがんばりと比べると劣るかもしれないけれど、ようやく夏も終わろうとしていることに救われる。ふつうの日々が、たくさんあつまって束になる。ぺたぺた歩く、濡れた髪にドライヤーをあてると耳の中に残っていた水があったかくなってきもちわるい。わたしは顔が良いわけでも、精一杯の力で努力できる力量もない。かといって特別な才能だって持ち合わせていないし、たまに数え切れないほどきらきらしたものを抱えている人をみると妬みと自分への劣等感で自らを押し潰れてしまう。だれかの人生で自分自身が、自分のうみだしたものが、かけがえのない財産になれるってとてもうつくしくてズルいと思う。数字がどこでもすべてにレッテルを張るから、それなりのレッテルを貰えなかったらどれだけ美しいものを持っていても誰にも見つけてもらえずにおわってしまう。わたしはそれを未だ求めてしまうほど本当は幼稚で、幼稚で可哀そう。ねえこういうのって黒歴史になっちゃうと思う?今年の夏は滝をみるはずだったけど、それすらまぼろしになっちゃった。ずーっと空白の未来の下準備を重ねているような現実から離れて、すこしはずれた小さな町で虫捕りしたり桃を買って丸噛りしたりしたかった。大学に入ったらどんなひとがわからないけれど、自分がもっているものと同じくらいのものをもっている人がいるのかなと思うとすこし楽しそうかもという気持ちになる。免許を取りたいけれど友だちにありじの運転は危なっかしそうだから乗るのこわい〜と言われた。そういうふうに笑ってくれる友だちがいるだけで、わたしはもうすでに色々な人の中で財産なのかもしれない。そうじゃなくても、かけがえのないものに出逢えるきっかけになれているかもしれないと薄ら感じてしまってまた胸がきゅうってなる。だれにもわからないことがあっても、言葉にされない何かがあっても、それを価値のないことと結びつけること���暴力じみた愚行かもしれない。自分の中にもまたいろいろな自分が内在していて、自分でも翻弄されてしまうことがあるし、文章を書いていても一貫性がなくて凛としない。英文法の参考書をぱらぱら眺めていたら、into the blue というのがあった。遠いところへ、彼方へ、という意味らしい。あーあ、しんじゃいたいね。
無題
予備校が終わって帰ろうと駅へ着いたけれど、次の電車が10分もあとにくるのでホーム内にある明るい禁煙スペースに入る。寒くなってきたので制服のブレザーを卸した。おおきな硝子に自分の閉じた長い足が映る、ひとが一人ずついなくなっていって、さいごには結局がらんどうの箱のなかでひとりただじっと電車を待つことになった。曖昧な形の◯とか△とか、がさがさ、つやつや、さらさらとか、そういうふうに不確かな輪郭だけ残してことばが次々とその形を変える。一つずつ掴んで物語を紡いで美しく完結させたいのにビー玉とか乱射する光みたいに思い浮かんだことすべてが一種の暴力を伴って脳内を猛スピードで駆け巡る。すぐそこにあるのに実態がわかんないし、むかつくむかつくむかつく、自分を飼い慣らすことでさえこんなに疲れる、もうだれとも話したくない、と消化しきれない感情がずっと身体の皮膚の内側のいちばん近いところで叫ぶこともできずにちりちりと火花を放っている。ロックとかやさしさとか愛とかそういうのぜんぶ病名みたいなものなのかもしれない、ひとつの感情にもその後ろにはそれをそれたらしめる色〜んな歴史があるし、たぶんこの不甲斐なさもいつかコピーペーストを重ねるうちにすこしずつ美化されてしまう。線路にわざと隙間があるのはとりわけ夏あたりに摩擦熱で鉄が溶けてしまわないようにするため、というのを授業できいた。がちがちに隙間のひとつも有さずに固められたものがいちばん揺るぎないもののように思えるけれど、実はちがくてそういうのが最も脆いものらしい。ともだちにしろ恋人にしろ自分の将来とか自分のアイデンティティも然り、全てに対して揺るぎなさ、安定とか、そういうのをひっきりなしに求めていたけれど、もっと流動体のような観念で受け止めたい。ずっとそこにある月でさえ欠けたり満ちたりするし、花の一つをとってでさえその形や色はすべて毎日かわってゆくけれど、それはそれらが美しくないことの理由付けにはならないし、信用に足らないことの言い訳にもならない。情報として飛び込んでくるいろいろなものを変に調律したり濃く輪郭をなぞったりするのではなくて、ぜんぶ自分のもって���るものの周りに飾っていきたい
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筆者の友人の女性との話題で、女友達が妊活に苦労していて大変そうみたいな話をよく聞く。身の回りの男性もすでに既婚者となるなか独身を貫く筆者にはおおよそ無縁な話であるが、女性の子供が欲しいながら恵まれなかったという話に相槌を打つのである。 しかし教養として知る話として、不妊の原因の半分は男性にあると言われている。子供ができないことにヒステリックになる背景に、男性が他人事になって検査もしてくれないと聞く。プライドはわかるが検査はした方がいいと思った。 それはそうとして、そもそも諸君は自身の精子を見たことがあるだろうか。毎日出している白いやつと言えば半分は合っているのだが、実は精子は白くないのを知っているだろうか。そもそも毎日向き合っているものを知らずして他人に押し付けてよいものなのだろうか。 「精子は青い」そう教えてくれたのは、高校の保健の先生だった。高校生とはいえ筆者の性の目覚めは遅めだったので、当時はフーンというくらいに聞いていたが、大人になって不妊治療だとか性教育とかそんな単語が現れると、ふと思い出すのであった。 そんな中、あるネットニュースで「精子観察キット」というものが紹介されていた。スマホのカメラに顕微鏡のようなレンズを取り付けて精子を可視化できるのだという。興味が湧いたが、それを読んだ当時はそんなものを買う度胸はなかった。 転機が訪れたのは2020年、新型コロナウイルスのワクチン接種が始まった頃。 「ワクチンを接種すると精子の質が落ちて不妊になる」という噂話がSNSを駆け巡った。今後これを読む人のために補足をすると、今でこそワクチンデマと一蹴されるこうした根拠のない医療情報が、当時は社会問題になったのである。そんな中、コロナ対策チームはよく頑張ってくれたと思う。 人類の新たな危機と言える新型コロナに対抗すべく、一個人としてできることをやらなくてはならない。そんな使命感に駆られた筆者は、自らの精子を精子検査キットで観察し、ワクチン接種の前後で精子がどう変わるのかを調べてみることにした。 まずはキットの選定が重要だ。童貞の筆者は知らなかったのでここで啓発しておくと、コンドームや精子検査キットはアダルトショップで買うものではなく、妊娠検査薬などと一緒にドラッグストアに普通に並んでいる。当時はリクルートが発売していたSeemというサービス(サービス終了)と、TENGAが提供していたメンズルーペという商品があった。試しに両方買ってみることにした。レジに持っていくとスッと茶封筒にしまってくれ、こんな配慮サービスがあるのかと驚いた。化粧品の充実したドラッグストアだとレジ前に女性が多いので少し勇気がいるが、気になるならペットボトルでも買ってカゴに混ぜておけば良いのだ。 いずれも箱の中には精液採取用の���具とレンズが付いている。これをスマホカメラに装着し、レンズに精液を垂らすと、カメラに精子が映る。この動画をサーバーに送ると、精子を画像認識し、精子の数と、よく泳ぐ精子の割合を示してくれるのである。 性教育をあまり受けてこなかった人のために補足すると、精液は精子のほかに前立腺など様々な液が合わさってできていて、射精直後は粘り気の強い塊になっていて、一丸となって送り込まれる。そして時間が経過すると透明でサラサラになり、卵子めがけて泳ぐ精子を助ける潤滑剤となるのである。つまり、活発に泳ぐ精子を見るためには、精液を30分ほど放置してサラサラにしなくてはならない。 ところが実家暮らしの筆者にとってこの作業は困難を極めた。筆者の部屋にはわりと気軽に家族が会話しに来訪するので、普段はトイレでこっそり致している。ということで、部屋で致そうとすると緊張して奮い立たないし、隠しておくにしてもビクビクしている。ビクビクしているゆとりもないのだ。偶然もらったお菓子の空缶があったので、そこに隠して放置する。サラサラになった精液をスポイトでレンズに注入すると、精子が見える。測定上の注意事項として、最近のスマホのレンズは大きいので、ここに傷がついていても飛蚊症のようになり綺麗に映らないので注意が必要だ。そしてLED照明など点滅する照明を顕微鏡のライトにするとチカチカしてとても見るに耐えないので、ライトにも気を配る必要がある。 ドキドキの対面である。精子の姿がスマホに映った。Seemのレンズで見た精子は、確かに青かった……。 早速精子を動画に撮り、サーバーに送ると、しばらくしてその結果が送られてくる。筆者の精液には1mlあたり2400万の精子がいて、そのうち活きているのは6割という結果だった。TENGAメンズルーペには精液採取のカップに目盛がついていて、量を測ることができた。測ってみると5〜6mlの範囲に収まっている。これも保険の教科書通りだった。基準はWHOが定めているので気になった人はググってみて欲しい。 ワクチン接種は筆者にとって地獄であった。腕はパンパンになり、高熱が出て1週間寝込んだ。精子は熱に弱いので、この熱では死んでしまうのかもしれないと思った。しかし少し落ち着いてから測定してみると、4200万匹、運動率は6割でほぼ倍増である。減るどころか増えているではないか。色々考察してみたが、夏の筆者は繁忙期で、寝ても覚めても仕事していた。これがワクチンの熱で1週間寝たきりになったことで、睡眠不足が改善されて精子が増えたのではないかという仮説に至った。 2回目の接種でもためしたが、寝込んだ後に精子を調べると精子の濃度が高くなることがわかった。そして年末の繁忙期にも試してみたところ、この時期になると精子の運動量が2割程度に落ち込むのである。主観的な意見と言わざるを得ないが、精子が疲労のバロメーターになっているように感じられた。 ���まり、我々は日常的に精液を放出しているつもりでも、その中にいる精子は健康状態……たかが寝不足程度でも、日々増減したり、中身がほぼ死滅していたりするのである。女性は月に一度しか妊活のチャンスがないと言われるが、一方で男性にも毎日チャンスがあるわけではないということをこの実験は示した。 自分の身体にこんな秘密が隠されていたとは思わず、外出自粛の間、メンズルーペを使って精子を調べることに没頭した。画面の中で精子たちは、腕時計の中で動く歯車のようにピコピコと機敏に動いている。そうやって頭を振りながら泳ぐ精子たちを観察しているうちに考えたことがある。それは 「女性だけが命を宿すことができるというが、男性だって命を宿している」ということだ。 精子は人体で最も小さい細胞であるが、父親の遺伝子を母親に届けるという役割のために泳ぎ回っている。確かに赤ん坊は女性から生まれるが、この精子たちもその命の構成要素の一つだ。精子は生きていた。この目ではっきり見たのだ。 顕微鏡に注いだ精液は、スマホで観察するために照明に照らされ、蒸発しやすくなる。その中を泳いでいる精子がどうなるか知っているだろうか。だんだん身動きが取れなくなり、必死に尻尾を振りながら息絶えていき、やがてレンズにはさっきまで活発だった精子たちの死骸が映るのである。いくら単細胞とはいえ、ふだんトイレに流していた命の源を直視すると、少し堪えるものがある。 卵子が受精する瞬間を奇跡とか神秘とか称する教育ビデオは学校でも見てきた。確かに命は尊いものだ。ただ精子を一人称とすれば、彼らは生きた状態で放たれるとも限らず、その行先もゴミ箱やトイレやゴムの中かもしれない。生涯に1兆匹生み出されながら、ヒトとして生を受けるのは数匹である。1匹や、0匹かもしれない。生存競争にすら立てなかった精子の生き様を見て、掴んだ命に誇りを持って生きていこうと思った。本当は身近な人にこそこういう話をしたいが、頭のおかしい人だと思われたらどうしようという思いで二の足を踏む。誰かに届くことを願って、ネットに垂れ流しておこうと思った。 さて、それぞれのサービスの違いだが、Seemは1回3000円という結構お高い装置だったが、鮮明に精子が泳ぐ様子を眺めることができた。いっぽうTENGAメンズルーペは1500円で4回分というお買得な商品だが、そのせいか鮮明さでは少し劣るところがあると思う。しかし安いので、定期的に精液チェックをするにはもってこいである。 それとは別に、ロートが精子観察用のレンズを売っているそうで、ピント調節もできる高性能なものらし��、大いに興味を抱いている。しかしこれが通販でしか買えないらしいので、家族にバレないように買う方法を探している。 最近はスマホのカメラがAIで画像を補完するようになり、精子の動きがカメラの古典的な画像処理なのかAIの補完なのかわからなくなってしまったようで、いい映像が撮れない。この影響か、テンガもついに解析サービスをやめてしまって、目視で精子を見るアプリと化した。なのでこの手法で手軽に判定することはもう叶わず、定量的な評価をするには泌尿器科に行かなくてはならない。だが1500円ほどで精子が見れるので、一度は自分の目で我が子の泳ぐ姿を見る経験をしてもいいのではないかと思う。 というか、妊活する男性にとってはこれこそがチントレであろう。精子は簡単に弱る。せっかくなら自分の精子の動きから戦闘力とか算出して遊ぶゲームとか作ったら楽しそうだなんて妄想すらする。流石にゲームは難しいかもしれないが、少なくともただ排泄する粘液と思わず、自分の生み出す命と気軽に向き合ってみてもいいじゃないか、という気がした。
精子観察キットを使ってみて感じたこと
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2024年12月2日(月)
12月に入って最初の出勤、まずはカレンダーをめくる。今日から後期授業は11週目、年内最終授業は12/23(月)、年明けは1/6(月)に授業再開となる。週に3日の出勤、2週間の冬休み、世間の勤労諸氏には申し訳ないのだが、私自身が選択した金より時間の働き方改革。ボチボチと最後まで頑張るフリをするのだ。
5時30分起床。
MQJ News No.111 のメール配信。
洗濯開始。
朝食を頂く。
洗濯物を干す。
ツレアイと三男の弁当を用意する。
時間の都合で珈琲はなし。
彼女は午後から訪問2件、一人で出勤する。
順調に到着する。
レターケースから、授業アンケート用紙とsampe兄が用意してくれた授業用資料を受け取る。
総務課職員から<年末調整>の提出書類の催促、次男の障害者手帳の再発行が遅れていることは連絡済みだが、それはあとで良いとのことで、用意しておいた書類を提出する。
換気、ラジオ体操第一、お茶。
iPhone の保証、今回は2年以上使う予定なので AppleCare+ に登録する。
毎日新聞販売店に電話、購読量に使用しているクレジットカードの変更を伝える。登録用紙をすぐに届けるとのこと。
<情報機器の操作Ⅱ>の11週目は入力試験、Excelはグラフの書き方、例題を解いて確認する。
昼にラジオ体操第二。
3限・4限<情報機器の操作Ⅱ(看護学科)>、入力試験はざっと見たところ3/4以上はクリア出来ている様子。Excelのグラフ、先週の棒グラフを復習し、円グラフ・複合グラフと進む。実習問題を各���で解かせたが、教科書で解説した手順を理解出来ていない者が結構いる。今年はとくに感じるのだが、教科書を読んでいないというよりも<読めない>学生が多い印象だ。
終了してすぐに退出。
順調に帰宅する。
毎日新聞からすでに用紙が届けられていたが、私の理解不足でWebでも可能とのこと、すぐにカードの変更を申し込む。
iPhone15 Plus をリセット、金曜日の回収を待つ。
彼女から仕事終わりとの連絡。
夕飯準備開始。
彼女が帰宅、すぐにココの点滴。
息子たちの夕飯、昨日の特売コロッケ・ポークソテー・彼女がつくっておいてくれた千切り大根・レタスとトマト・具沢山味噌汁、スパークリングワイン。
我々は、奥川ファームのしめ鯖を焼き、🍶+🍷。
録画番組が無いので、小三治のCDから<付��馬>。
今夜も下げ前でダウンしてしまった。
月曜日だから仕方なし。
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成績発表がありました!
実はかなりギリギリのところで、、
期末試験で勉強の山を大はずししたり、持ち込み可のテストで紙に何も書かず挑んだり、課題を2ヶ月遅れて出したり…
大方どころか100%私が悪いのですが、再履修になると来年度の負担や、再テストになると白馬と被るかもしれないという状況で
も��全てが終わった時から祈りはじめました
毎度のことながら全部自分が悪いので、悔い改めから始まり最終的には縋るように…
いざ成績を見ると心配だった科目は全て取れていて、むしろ全体的に前期よりも上がっていました!!
なんでアレで取れていたのか。神様の守りでしかありません
無事成績発表も終わり、白馬もより集中して参加できそうで良かったです
ギリギリ大学生なんとか一年時終了!
2024.2.23
(鋭すぎ!)
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イニシャルC
稽古日誌‼️
を当てられてから早2週間…ずいぶん滞納してしまいました。本日の稽古はおそらく発声とエチュードとシーン練をやったと思います。あと、地獄の古今東西も。
こんにちは。らびです🐰さて、最近の私は稽古に行けない太陽なのですが、それは再び車校に通い始めているからです。
今年の2月から通い始めたはいいものの、新歓が思ったより���しく、オムニが普通に忙しく、かと思えば中間が始まり、オムニが終わったかと思えば期末が始まり、終わり、息をつく暇も無く外公が始まり、台湾に行き、合宿に行くなどしていたらもう9月になっていたのです。
教習所には教習期限というものが存在して、通い始めてから9ヶ月に以内に卒業検定に合格しなければならない決まりとなっています。つまり私の期限は11月………非常にまずいです
母さん、そっちは元気でやってますか?
私は元気です。最近は教習所内のみきわめに5回落とされたり、学科試験の勉強をして無さすぎて修了検定が受けられなかったり、ようやく路上に出たかと思えば教習項目で落とされまくったりしていますが、まぁ楽しくやってます。
そういえば母さんも昔クランクでポール全部なぎ倒した、って言ってたよね。血は、争えないのかな
じゃあ、また今度。ダイニングで
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Citizen Sleeperと模範的な宇宙都市
都市に溶けて
現代欧州の都市を一宇宙船へと翻案しサイバーパンクに味付けした模範的SF小説がするっと読めました。良質都市小説でもある。
以下、実験的なテキストゲーム、SF・都市小説についてのとりとめない感想。DLC含めてネタバレ
直前にディッシュの「SFの気恥ずかしさ」を読んでたせいか、SFに期待しすぎてるめんどくさいマニアの感想になっちゃった。
最初の眠りでの自我の語りのシーン、いろんなひとが指摘してるとおりすごくDisco Elusiumオマージュ。テキスト表示欄も意識的に寄せてるはず。
テキストメインの実験的ゲームとして、Disco ElysiumとかKentucky Route Zeroあたりと比較されるのも見るけど、本作はわりと素直な模範的ゲームだと思う。
ゲームシステムはダイスロールや選択肢によるダイナミックな変化とかはなく、遊びやすく簡素な印象。
硬派めSF小説を読ませるため、ページをめくる代わりにダイス振りと魅力的な立ち絵とクールでシンプルなUIを用意することは、テキストへの感情移入を容易にし、あまり小説読まない人など含めてより広い層へテキストを届ける試みとしてうまくいってるのだと思う。
淡々としたプレイフィールも文章を読むことを阻害せず、端正な読書体験として自分は楽しめた感じ。
基本的に、UIやインタラクティブ性やゲームプレイではなく、テキストそのもので素直に語りたいゲームという印象だった。
逆に、UIそのものが語りと演出の機能を強くもつ前作“In Other Waters”と比べると、実験性は薄れた代わりにふつうに読みやすく遊びやすくなってるんだと思う。
SF小説・SFゲームとしては自分は前作の方が好きだけれど、Citizen Sleeperはより広い層に向けて訴求するゲームとして進もうとしてるのかもしれない。前作の3倍以上のSteamレビュー数は、この試みがちゃんと目的を達成したことを証明しているのだろう。日本語翻訳もとてもSFとして質が高くてよかったし。
肝心のテキストについても、素直で模範的なところは物語そのものに結構ダイレクトに出ていて、善人と悪人はかなりはっきりわかるようになってるし、でてくる人たちの9割は模範市民だし、展開も最後まで素直だし、現代欧州都市が持つ労働・移民・環境・政治などの課題はSF的に翻案されつつ現実そのままの手触りで持ち込まれ、SFとしては手堅くオーソドックスな手法で解決される。バイオオルタナ生物としてのきのこの話や自我論とかも出てくるけど、SFとしての奇抜さや飛躍は少なめ。
SFとしてはAIの擬人化などベタに感じる部分もあるけど、生々しいテーマを、フィクションとして丁寧で魅力的なコーティングを行なうことでより広い層に届ける役に立っているのだと思う。
SF小説好きとしては、本作のテキストは手堅く良質だけど、もうちょっと科学とフィクションの力で跳んでくれたら嬉しかったなという印象。一方、その手堅さや淡々とした模範性が本作のいいところかなあと思う。
自分はプレイ始めてから、記憶もなく得体の知れない異邦人である主人公に対して出会う人みんな最初から好意的でやさしすぎるし、やたらと仕事を頼んで頼りにしてくるのがずっと引��かかっていて、人情噺としてはいいけど、資本主義崩壊後の辺境都市としてのリアリティは削がれてると感じる。そのあたりは、Disco Elysiumはじめ都市を描いたゲームや都市小説と比較すると、都合の良いフィクションぽい感じが強い。
でもそれは物語の都合なのかもしれないし、深読みすれば、登場人物たちはみな傷ついた労働者であり、おなじく傷ついた労働者たる主人公に対する共感・連帯によるものなのかもしれない。
逆に後半は、主人公が「瞳」という都市に対して献身的で、勤勉な労働者であることが実感できてくるので、出会う人みんな親切で頼りにしてくれることに納得感があった。(逆にDLCまで行くと主人公がなんでもできすぎる無双感が出てくる)
「どんな者でも労働による社会参加を通じて、その場所に受け入れられることができる」という感覚が本作にはある。だから真面目に都市の中で働けば、市民として受け入れられ、物語は報いてくれる。そして、労働を放棄した賞金稼ぎや奪うことしかできない傭兵、労働者として団結しえない者は悲しい結末を迎えてしまう。
この作品は資本主義が行きすぎた都市のリアリティより、危うい立ち位置にある現代都市でもこうあってほしいという労働者の模範性を描く。困っている隣人には手を差しのべ、勤勉に働き、労働者みなが都市というコミュニティの健全な存続を願い、行動することの価値を。都市が生み出す不道徳・罪悪を書くことを選ばず、あるべき労働者の姿を描写することを、作品はすでに選んでいる。だから本質的にプレイヤーの選択は不要で、ゲームはほぼ一本道のルートとなる。
欲望と資本主義の最果てを題材とするサイバーパンクにおいて、まっとうさと真面目な労働を真正面からよしと描くことは稀有な試みでもある。プレイヤーの欲望・願望により奉仕的なゲームというメディアでは特に。
In other watersのようなオリジナルな実験性を勝手に期待してたところがあるので、Citizen Sleeperの真面目で模範的な姿勢にどこか物足りなさを感じつつも、でもやっぱりそういうゲームがしっかり人気を博す位置にいることは大事だなと思う。
その模範的な姿勢は今のゲーム、フィクション、そしてそんなフィクションが描かれる現代の都市に求められているものだとも思うので。
DLCクリア後の追記
労働、対話、寛容こそが私たちの信じる価値
すごくよかった!
基本的なことは上の印象から大きく変わってはいないけれど、自分たちの住む場所から離れざるを得なかった避難船団の人々、ヨーロッパに押し寄せる難民をモチーフとするであろう彼らの背負うものが多様で切実で魅力的で、ひとつの都市をさまざまな視点から否応なく見させられることで、都市、そしてHomeを描くテキストとしてぐっと厚みが増している。
故郷を捨てざるをえなかった人、終の住処として残る人、矛盾に縛られながら守る人、しがらみとともに捨てる人、生きるために去る人、過去を見る人、未来を見る人、誰もが物語を持ち、出会いと別れが交錯する、儚く忘れがたい場所としての都市の物語。
価値重視の理想主義的なところ含めて、ヨーロッパの先進都市から生まれるべくして生まれた作品なんだと思う。
最近ちょっと町の持続性とかよその国の都市のこととかいろいろ思うところがあったので、今の自分の気分にもはまってよかったな。
行動範囲が広くなってお散歩気分が増えたことと、限られたターン内にひたすら単調な物資集め・労働ターンを反復するタスク感も、「労働してる」という感じがして好感触。期限内にタスク全部こなせるとやっぱりうれしいね。
Citizen Sleeper2では銀河のはみだしもの・賞金稼ぎ的な世界が描かれるみたいなので、「労働による社会参加」が困難なひとたちのサイドからまたこの宇宙が描かれるのかなあと予想してる。今作で拾えなかったことをしっかり拾っていこうとする、そんなテーマ設定も真面目で模範的だね。
あとがき
いろいろぐだぐだ書いた結果、最初クリアしたときより満足してきたかも。
非常にウェルメイドで気持ちよくプレイできたし、やっぱり一市民として都市に溶けていくようなエンディングはとてもよかったし、きのこになれるのも楽しかった。次回作も楽しみ。
(おまけ)
Night Call
薄いフィクションの膜で包んだだけの、現代パリを克明に描くビターでずっと薄暗いタクシー会話シミュレータ。都市の包容力と矛盾、都市市民の失望と矜持を表わす80人を超す多様な登場人物のリアルな会話テキストがほんとにいい!すごいテキスト量にもかかわらず、苦闘の末に個人翻訳MOD作っていただいてほんとうに感謝。
バグの多さやゲームシステムのこなれなさなど大きな欠点をいくつも抱えているけれど、現代欧州の一都市を描いたゲームとしてとても好み。
※スクリーンショットは非公式日本語MOD使用
日本語MODへのリンク
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属性による平等をやりすぎると、分断が生じる
「被害者ポジション」をめぐって、争っている人たちについて。 | Books&Apps
例えばハーバード大学の合格最低点は黒人とアジア・白人系とでは全く異なるものとなっており、それが加速した今現在、願書にアジア系民族と書かれているだけで合格難易度が桁違いにあがる。
具体的にいえば「高校の成績は常にトップクラス。討論や数学の全国、州の大会で何度も入賞した。それなのにハーバードを含めた上位30校全てが入学を認めなかった」という事例もあるのだそうだ。*後述:マイケル・ワン
結果の平等によって努力が否定されたことは、正義なのか?(逆差別)
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平均点を引き上げられた”普通の人”が、被害者ポジションを作ることで元の評価に引き下げようとする運動が起きてしまう懸念。
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アファーマティブアクション最大の問題点は、過去の問題を現在/未来の人が被ること。若年時の学や職(キャリア)は人生を左右するため補償できる問題ではない。
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応募者全員が”下駄枠”の場合、機会の平等に戻るのか?
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・南川文里『アファーマティブ・アクション』(中公新書) 8点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期
序章 なぜアファーマティブ・アクションが必要だったのか 第1章 いかに始まったのか―連邦政府による差別是正政策 第2章 それは「逆差別」なのか―転換点としてのバッキ裁判 第3章 反発はいかに広がったのか―「文化戦争」のなかの後退 第4章 いかに生き残ったのか―二一世紀の多様性革命 第5章 なぜ廃止されたのか―アジア系差別と多様性の限界 終章 どのように人種平等を追求するのか
それでも黒人の雇用が少ないのは能力に基づいた結果だという主張がありましたが、それに楔を打ち込んだのが1971年の合衆国最高裁判所によるグリッグス対デューク・パワー社判決でした。デューク・パワー社は公民権法の成立とともに卒業証明に代えて昇進試験を導入しましたが、このやり方でも黒人が昇進できない状況は変わりませんでした。最高裁は「現状を『凍結』する」ような制度だとしてこれを差別だと認定したのです。こうして過去の差別の補償のために政府が積極的に介入すべきだという「補償的正義」の考えが確立していきます。 こうした中でAAが導入されていくことになり、女性にも対��を拡大させながら進んでいくことになります。
論争で焦点となったのは、カラー・ブラインド(人種を意識しない)か、それともカラー・コンシャス(人種を意識する)というものです。
この裁判で注目されたのは成績優秀でSATで満点近い成績を取りながらアイビーリーグの大学にことごとく不合格になったマイケル・ワンであり、また、公民権政策の停止をライフワークとしてきた白人活動家のエドワード・ブラムでした。 この裁判はメリトクラシーを信じるアジア系エリート移民と、白人優位の社会を維持しようとするバックラッシュ運動の利害の一致によって進められたのです。
合衆国最高裁は、「人種」を考慮するステップを含んだハーバード大とノースカロライナ大の入試は、憲法に違反していると結論付けました。最高裁の多数意見は両大学の入試が人種という「疑わしい区分」を用いてまで実現しなくてはならない利益があるのか。といった点を指摘し、さらにAAは目的達成のための一時的手段のはずなのにAAを終了する具体的なポイントを設定してないことも問題視しました。 *平等の基準値不在なので不平等解消時期が設定できない。
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【統計の悪用】男性の多い一次産業を引き合いに『女性管理職が多い職場のほうが生産性が高い』という理屈をメディアスクラムで作ってくるのでは?という予測 - Togetter [トゥギャッター]
Sato_海外の経営者から見た日本@hetare_keieisha
これね凄い嫌な予感というか、 いまのうちに予言しておきたいことがあるんですどね。 日本をディスする目的でよく使われる生産性と同じ理論を使ってくると思っている。 結論からいうと 女性管理職が多い職場のほうが生産性が高いという理屈をメディアスクラムで作ってくると思う。
まず傾向として男性が多い職場はインフラ系・機械系とか一次産業だと思います。 次に傾向として女性が多い職場はWEB系とかデザイン系とかだと思います。
このとき当たり前なんだけど前者はそもそも利益率が低めの基幹産業なわけです(原価も高い) 後者は利益率が高めに出ます。
労働生産性なんてものは 日本みたいな産業立国では低めに出るのは当たり前なのですが、
元ポストの方の想像通り女性が多い職場のほうが女性管理職が多いですよって形になると思います。
連中もそう思っていると思います。
したがって労働生産性を引き合いに出して、
���性管理職が多い会社のほうが労働生産性が高い、だから女性管理職を増やせ、
という報道をメディアと関連する左翼インフルエンサーが一斉に言い始めると思います。 そして何らか立法で罰則だとか規制を作ろうとするでしょう。
しかし本質としては そもそも男性が多い職場は基幹産業だったり一次産業だったりで労働生産性という評価軸では高く出てきません。
したがって彼らはそれを悪用して上記のような主張をしてくると思います。 ということで今の内に予言を置いておきますね。
かわなんとか(カワナ=N=トーカ) @kawananikasann *労働生産性は虚業ほど高く計上されるので注意 例:) カタギの農家で稼ぐ男 VS 膣土方でアブク銭つかむズベタ(売春女)
単純な生産性で言えばそりゃ、後者のほうが高くなるんだよね
株ちゃむ @owakon888 中卒の詐欺師が運営してるマルチビジネスの方が
東大or海外大卒が運営するマッキンゼーより
ROEもROICも高いので
中卒の詐欺師が労働生産性を高めます!!
日本の大手企業は前科持ちを社外取締役に据え置くべきだ!!
デジタルおちゃらけ @netagire111 @hetare_keieisha 社員一人あたりの生産性が高いから女性を多く抱えておけるっていう本末転倒な話になってくる気がする
山の手@Yamano_te
日本の男女差の傾向として、女性のほうが男性よりもキャリア志向を持つ人が少ないんですね。本来はここをどうにかしなきゃならない。アファーマティブアクションってのは大義(男女比や人種比の是正)の為に個を無視して属性ごとに一律処理ってやつなので、実はフェミニズムの唱える「個人差は性差を凌駕する」(個々の努力、特性が大事である)とは思想的には食い合わせが悪いです。
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我が国の未来を見通す(96)
連載最終回を迎えて
宗像久男(元陸将)
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□おわりに──「今」の取り組みが「未来」を創る
思えば、109回に及んだ『我が国の歴史を振り返
る』の続編のような格好で、『我が国の未来を見通
す』と題したメルマガを発信開始したのは、202
1年11月8日でした。あれから2年あまりの歳月
が流れ、今回で96回を数えます。
本メルマガは、我が国の未来に立ちはだかることが
予想される課題のうち、(1)少子高齢化問題、(2)農
業・食料問題、(3)気候変動・エネルギー問題の3大
課題から始めました。いずれも私の専門外でしたが、
第1話でも告白しましたように、「もとより歴史の
専門家でない自分が、歴史の書籍を刊行したのだ��
ら、それぞれの分野の専門家でなくとも、躊躇する
必要はないのではないか」との“陰の声”が騒ぎ出
し、逆に勇気が湧き、このテーマで書く決心をした
のでした。
「未来がどうなるか」など神様以外だれにもわから
ず、未来は不確実・不透明で予測困難です。一方、
歴史を研鑽してわかった重要な1つとして、「歴史
の時間軸・空間軸のつながり」がありました。時間
軸で過去を振り返れば、江戸、明治、大正、昭和と
その時代時代の国の「舵取り」をはじめ、様々な事
象が次の時代、つまり「未来を創ってきた」ことは
否定できませんし、空間軸でいえば、我が国の動き
と諸外国の動きを切り離して論じた歴史は真実を物
語っていません。
よく言われるように、「過去はやり直すことができ
ないが、未来は創り出すことができる」との立場に
立てば、国家が直面する様々な課題に対する「今」
の取り組みが「未来」を創ることは当然なのです。
そのような視点に立って、“いかに「未来」を創り
出すか”について取りまとめたのが第4編でした。
本音を言いますと、“のたうち回りながら”考え抜
いた結果、「『強靭な国家』造り」というキーワー
ドが“降りて”きました。
「『強靭な国家』造り」を目標として、では“どの
ようにして「強靭な国家」を造るか”に関しても、
具体案を提示することから“逃げたくない”との決
意もあって、ずいぶん悩みました。しかし、これに
ついても、突然、“降りて”きました。
言葉を代えれば、インスピレーションでしょうか。
前回のメルマガでも不思議な体験を何度か経験しま
したが、今回の連載は、何も考えないでパソコンに
向かって原稿を書き始め、一挙に4000字ほど書
き上げるようなこともしばしばでした。いま思うと、
とても奇妙でした。本屋で必要な書籍を見つけた経
験談についてはすでに紹介しましたが、自分で書い
た原稿を後で読み直し、「誰が書いたのだろうか」
と首をひねりながら推敲したこともありました。
こうして、第4編だけで32回、7カ月ほどかかり、
しかも1回あたりほぼ6千字~7千字のボリューム
になってしまいました。時を合わせたように、ウク
ライナ戦争が佳境に入り、ガザ地区の紛争が勃発し
たことなどもあって、これらについても、そのつど
自分が認識している範囲で触れましたので原稿は膨
らむばかりでした。
さぞや、読者の皆様には読むだけでも大変だったも
のとお詫びかたがた反省しております。このテーマ
で第4編のようなまとめ方が適切なのかどうかにつ
いては、読者の皆様を始め、他の有��者などの評価
を頂かなければならないのですが、その中で、「国
力」という言葉も“降って沸いた”ように頭に浮か
んだのも事実でした。
この「国力」という言葉自体も外交文書などでは使
われなくなって久しいこともわかりました。そこで、
現役時代に読んだ書籍を再び開きながら、現在の我
が国に相応しい「国力」については自分で“定義”
するしかないことに気がつき、大胆にもそれを実施
し、それぞれの要素をさらに現状分析してみました。
そうしたところ、我が国の現状の課題は上記3分野
に留まらず、経済力や政治力や科学技術力や教育な
ど「国力」を構成する「ハード・パワー」の実際の
データをチェックしてみると、軒並み「下降期」に
あることを理解しました。これらを知った時のショ
ックはとても大きいものがありました。
さらに、「国力」を構成する「ソフト・パワー」の
うちの「国家戦略」となると、戦後の我が国では検
討された歴史がなく、戦前の歴史を辿ってみても、
明治維新の「富国強兵」「殖産興業」しかないこと
も知りました。これも我が国の「国柄」なのでしょ
うが、戦前は国家目標として「国防」、つまり「安
全」重視であり、戦後は「経済」、つまり「富」重
視と、著しくバランスを欠いていたこともわかりま
した。
戦前の関係者の名誉のために少し補足しますと、戦
前も「国是」とか「国家目標」とか「国家戦略」と
いう概念はあるにはありましたが、それらよりも
「国防」の方が上位に位置していたなかで、4度に
わたる「帝国国防方針」が定められ、紆余曲折の中、
実際の「国家運営」がなされてきました。なかには、
「国是」や「国家戦略」が省略され、「国防の本義」
として要約された方針もあったようです。
余談ですが、戦後は「国力」のみならず、「国益」
「国防」、もはや死語になっている「国体」など、
「国」を冠した言葉が公の場で使われなくなって久
しいですが、昨年末に「国家安全保障戦略」ととも
に策定された「国家防衛戦略」の前身は「防衛計画
の大綱」と呼ばれていました。その源流は、昭和3
2年に策定された「国防の基本方針」でした。
「国防の基本方針」は、米ソ対立の冷戦が激烈さを
増したこともあって、「安全」をアメリカに丸投げ
し、経済一辺倒の「吉田ドクトリン」の中で、“せ
めて「基本方針」ぐらいは”と考えて策定したので
しょう。アメリカから圧力もあったのかも知れませ
ん。わずか8行の中に4つの基本方針を述べている
だけなのですが、当時の状況からするとなかなか内
容にある方針だったと考えます。
しかし、いつの間にか、その「国防」から「防衛」
とか「安全保障」と“柔ら��い表現”になり、長文
で複雑な計画にもなって、その上に「基盤的」など
の形容詞がつけられたこともあって、「防衛力」の
“本来あるべき姿”から離反し続け、その分、“ツ
ケ”が溜まってきたと思えてならないのです。私は、
昭和32年以来一貫して「国防」という言葉を使い
続けていたら、現在の「防衛力」はその名称も中味
もかなり違っていたものと考えるのです。
話を戻しますと、この「国家戦略」については、そ
の策定の必要性を訴え、具体的な提言を試みた書籍
は、私自身は1冊しか発見できず、驚きと同時に寂
しさを覚えました。
それでも「国家戦略」については、誰かが強いリー
ダーシップをとって、知恵者を数人集めて研究させ
れば、その策定は不可能ではないと考えますが、大
方の国民の精神を集大成した「国家意思」の統一と
なると一層難しいと考えました。
しかし、研鑽を重ねるうちに、我が国の憲法の精神
ともいうべき「基本的人権」、しかもそれを「公共
の福祉」に使用する「責任」があるというくだりは
活用できると閃きました。なぜならば、「強靭な国
家」を造ること、そしてそのために「国力」を増強
することは、「公共の福祉」そのものであると考え
たからでした。
つまり、現憲法下においても、憲法の精神にのっと
って「国家意思」を統一しつつ、「強靭な国家」を
造ることは可能と判断したのでした。なにしろ残さ
れた時間は短く、憲法改正の議論をする余裕がない
と考えていますので、この発見は嬉しいものがあり
ました。
しかし、このようなことについて理論的には実行可
能としても、だれが国家・国民の先頭に立って舵取
りをするか、と問えば、それこそは国民に後押しさ
れた「政治家」の仕事であることには論を俟たない
でしょう。
本メルマガでは、「国力」の「ハード・パワー」の
一要素として「政治力」を取り上げ、素人の域を超
えない範囲で現状分析を試みました。まだまだ言い
足りないことはあるのですが、マックス・ヴェーバ
ーの『職業としての政治』の中の最後の文章、私が
最も感銘を受け、納得した部分を(少し長いですが)
紹介しておきたいと思います。
「政治とは、情熱と判断力の2つを駆使しながら、
固い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いて
いく作業である。もしこの世の中で不可能事を目指
して粘り強くアタックしないようでは、およそ可能
なことの達成もおぼつかないというのはまったく正
しく、あらゆる歴史上の経験がこれを証明している。
しかし、これをなしうる人は指導者でなければなら
ない。いや指導者であるだけでなく、英雄でなけれ
ばならない。(中略)自分が世間に対して捧げよう
とするものに比べ、現実の世の中が──自分の立場
から見て──どんなに愚かであり卑俗であっても、
断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても『そ
れにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間。
そういう人間だけが政治への『天職』を持つ」
このような気骨があり、政治を行なうことを「天職」
と認識している政治家(達)の出現が待望されます。
最近の政治家の不祥事についてのコメントはあえて
避けますが、政治家の先生方にこの一文を読ませて
あげたい衝動にかられます。
一方、民主主義国家である我が国の未来は、つまる
ところ、マックス・ヴェーバーがいう、政治を「天
職」と認識している政治家(達)を輩出する国民に
かかっているとも言えるでしょう。国民の側もカー
ライルの「この国民にしてこの政治あり」をしっか
り認識する必要があるのです。
戦後の歴史教育を批判した1冊として有名な『日本
の歴史の特性』も紹介しましたが、著者の歴史家・
坂本太郎氏は、「どこの国の教科書も、自国の立場
を正当化し、過去を美化していないものはない。ひ
とり日本だけ自国の立場を冷淡に批判するというの
は常識にはずれている」として、「青少年の心に訴
え、明日の活躍への希望をつちかうものは、愛情に
根ざした歴史でなければならぬ。2千年もの長い間、
1つの民族をもって1つの国家を造り、輝かしい平
和と独立とを保ちつづけた日本の歴史を、世界一の
存在だと知るとき、国家愛、民族愛、伝統愛は、油
然として沸き起こらねばなるまい、と思うのである」
と結んでいます。
坂本氏のこの指摘は、まさに“我が意を得たり”で
あり、改めて、「歴史のつながり」の重要性を訴え
るものと考えます。過去・現在・未来はつながって
います。改めて、“過去は変更することはできませ
んが、未来は創り出せる”のです。
そして「国家100年の計」とはこのようなことを
指すのだろうと考えます。私は、「我が国の歴史を
振り返る」として主に「国防」の分野の歴史を振り
返り、史実を知ってから先人たちに敬意を表してい
る自分自身を発見しました。それもあって、「我が
国の未来を見通す」としてメルマガを発信し続けな
がら、現在の我が国の課題を引き起こした最大の要
因は、戦前の歴史を否定し、歴史を分断したことあ
るのではないだろうか、と考えるようにもなりまし
た。
百田尚樹氏は、近著『大常識』の中で、「日本人の
平和ボケは不治の病」と断定していますが、その原
因こそ、戦前の歴史を否定し、あえて学ぶことを避
けてきたことが、多くの日本人から“現実をしっか
りとらえる”知性を奪って、それが「平和ボケ」に
つながっていると思えてなりません。今こそ、しっ
かり軌道修正する必要を感じます。
また、元国連職員の谷本真由美氏も近著『世界のニ
ュースを日本人は何も知らない』の中で面白い指摘
をしています。つまり、「日本は世界の文化の最終
終着地である」として、日本は、国内文化のみなら
ず、“イギリスや中国国内などもはや(現地には)
存在しないそれぞれの伝統文化さえも大事にしてい
る”「良さ」があると解説しています。このような
日本文化が将来、“世界を救う”ことにつながる可
能性もあるでしょう。
このようにあれこれか考え、悩んだ結論として、我
が国の「統治のかたち」あるいは「国のかたち」は
現在のままでよいのだろうか、という点については
今も頭に残ったままです。本文では少し触れました
が、結論はどうあれ、そのための憲法改正を含み、
勇気を振り絞ってその議論に立ち向かうのは、戦後
世代に課せられた「宿題」のような気がするのです。
260年あまりの徳川幕府に終止符を打った幕末の
志士たちは、吉田松陰が唱えた「草莽崛起」(そう
もうくっき)〔志を持った在野の人が立ち上がり、
大きな物事をなす〕によって心を動かされ、命を賭
して行動したと言われます。
講話の行脚をしている時、偶然にも何人かの人が熱
い気持ちを込めて「草莽崛起」という言葉を口にし
ておりました。現在、本当に「明治維新」ならぬ
「令和維新」として、心ある在野の人が立ち上がる
時が到来しているのかも知れないのです。後世に我
が国の有形無形の”資産“を残すために戦後世代が
覚醒して立ち上がり、やがて「巨大なパワー」に成
長する・・・本メルマガがそのような輪が広がるこ
とに少しでも貢献できるのであれば本当に望外の喜
びです。
12月12日は「漢字の日」でした。今年の漢字は
「税」だそうで、京都清水寺の森清範貫主が本殿の
前で揮毫されているお姿を拝見しました。実は、大
阪の講話の折に、京都清水寺に立ち寄って貫主にご
挨拶させて頂く機会を得て、漢字1文字を揮毫して
いただきました。
私は、「我が国の未来」が「明るく、輝かしい未来」
になることを心より祈念し、「輝」という漢字を揮
毫していただきました。私自身は今なお、心ある多
くの日本人が覚醒し(「荒魂」が眠りから覚め)、
力を合わせて、様々な障害を乗り越え、必ずや明る
く、輝かしい未来を創り出す、そのような日本の
「国柄」は変わらないと信じていることを付け加え
ておきたいと思います。
まとまらない「あとがき」になってしまいましたが、
これをもって「我が国の未来を見通す」完結です。
読者の皆様、長い間、お付き合いいただき、本当に
お疲れ様でした。元自衛官としてあるまじき暴言の
数々について心よりお詫び申し上げ、重ねての御礼
とさせて頂きます。
最後になりましたが、毎回、私の誤字脱字だらけの
つたない原稿に目を通していただき、メルマガ軍事
情報と仲介の労を取り続けて頂いた並木書房の奈須
田社長、そして、毎回のように、冒頭で過分なご紹
介を賜り、時に極めて適切なコメントや叱咤激励を
頂いた上、「我が国の未来を見通す」のバックナン
バーも残して頂いているメルマガ軍事情報オーナー
のエンリケ氏に心より感謝申し上げ、結びと致しま
す。長い間、本当にありがとうございました。
(おわり)
(むなかた・ひさお)
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コレクションハンター - Part2
今回は、残りのポストカードを集める為に小動物4匹を買い始める所からスタート。
初見プレイ時に餓死させまくったけど、まぁ今回は大丈夫……なハズ。
で、そんなこんなしてたらエイリアンの赤ちゃん誕生。即、故郷へ送り返す事に。
エイリアンコレクションも揃った今、エイリアンシムを世帯に入れるメリットもないしなぁ。世話するだけ面倒臭すぎる……。
あと、「願望:途方もないお金持ち」とかやって満足ポイントが溜まったから特質の「常に満腹」と「お気楽」をここら辺で購入。
ベッド、トイレ、食事が要らなくなった所で小動物を一旦、世帯の持ち物に入れてから遠征開始。
(試してないから分からんが、区画に小動物を置いたまま何日も出かけたら餓死しそうだなって思ったんで世帯の持ち物に入れた。設置してなければガーデニングの作物も枯れないし、時間止まってそうな気もしたんだが……ぶっちゃけ、遠征から帰って来たら即、寿命迎えて二匹目を購入するはめになったZOY。状態は変わらないが時間経過は避けられないっぽい。)
んで、出かける理由は魚集め。釣りと言えばSulaniか?とか思ったが、ここは久々に特殊エリアに行ってみるか、って思ったんでWillow Creekの不思議な木の元へ。
すげぇ久々にシルバン・グレード来たww 何年ぶりだ?ww 4、5年くらいは来た記憶���ないww
ここでしか取れない物ってあんまりないんだよな。ベースゲーム以外の魚も少し釣れるんでちょい来てみた……けど、ここだけでコンプリート出来る訳じゃないから直ぐに移動したわ。
そんな感じで次の釣り場へ。(一匹狼のモヒカン野郎が独り夜釣りを楽しむ図↑)
あと、インベントリ内の大量のカエルは餌用。繁殖でコレクション完成させる際にダブって増えたカエルを売らずに取って置いた物だZOY。
でも、餌が無いと釣れない魚って確か5種類くらいしか居なかった気がする。ここまで過剰にカエルを用意する必要は無かったww あんまりスッタク数多いアイテムが増えるとFPSがガタ落ちしてプレイに支障が出るから数は考えた方が良かった。
んで、Selvadoradaにも遠征。しかし目当ての最奥マップの釣りポイントには行けず……。ランダムで行ける所が毎回変わるのがSelvadoradaの辛い所。最奥でしか釣れない魚が一種類だけあるんだが、ここでも屑運を発揮するとは思わなかったZOY。
あと、やっぱまだSelvadorada来るのは早かった模様。安全に探索するのに必要なスキルが足りな過ぎた。Jungle Adventure専用のコレクションやる時にまでにスキル鍛え直してから出直しすることに。
で、結局Sulaniへ到着。Jungle AdventureとOutdoor Retreatの魚以外をここでコンプリートしつつ、Island Livingのコレクション集めを開始。
こんな事を言われるが、お構いなしに獲りまくるZOY。コレクションの為だからね、しょうがないね。
魚が無事に終わって次は「貝殻」集めを開始。
んで、サクッと終了。種類も少ないし場所によって出る物が違う、とか無いから直ぐ終わった。
ただ、「埋もれた宝」が何気に手ごわい印象。釣りだけでコンプリートは無理なんだよな。
砂浜のガラクタ探しやらせ続けたが、なかなかコンプリートできず……。しゃーないから水泳でフィットネススキル少し上げてダイビングをやらせる事に。
ダイビングとガラクタ探しを交互にやらせてたら環境改善が完了したわww
貝殻集めでも相当ゴミを拾ってたのが理由っぽい。カメのイベントが見れるようになるんだっけか。コレクションには関係ないから今回は行かないと思うが。
で、結構な時間かかって「埋もれた宝」をコンプリート!
ダブりが凄いww 「希少度:レア」はマジでレアな感じ。全然出て来ないわ。2、3週間くらいSulaniにずっといた気がするww
ここまでで冬の13日目とかになってたわ。
あと、インベントリの整理してて驚いたのが砂浜で「特質リセット薬」を拾ってた事だよ。満足ポイント5000も消費するアイテムも落ちてるのか……今まで知らなかったww(ちなみにダイエット薬とラージ薬も拾ってた)
次はなにすっかなぁ、と考えた結果、Get To Work関係のコレクションをやって行くことに。
手始めに科学者キャリアへ就職。
で、空いた時間はスキル訓練。Jungle Adventure攻略に必要なスキルって結構多いんだよなぁ。まぁアイテム買ってゴリ押しも出来るけど。
出勤して同僚から金属とクリスタルをいくつか貰ってみたが、Get To Workで追加される物は貰えないか。
やっぱ特殊エリアに行かないとダメなんだっけ? もう記憶があやふや過ぎてプレイもグダグダや!
なんか研究所内の機械で研究だか実験すれば元素もらえなかったっけ?とか思ってやってみたがダメだったww
私の攻略記憶はもうボロボロだぁ。
で、そんなこんなでブレイクスルーを決めつつ昇進目指してプレイしてたらハムスター達がポストカードを7種類集め終わったZOY。
これにてポストカード、コンプリート! やったぜ。
そんで、週末はSelvadoradaへ遠征。今回は最奥の釣りポイントに行けた。
これで残りはOutdoor Retreatの魚だけになったZOY。
しかし、「疲れ知らず」で夜中も作業やらせまくってるせいなのか、キャリアの影響なのか……科学者やってる間に4回も誘拐イベント発生したわww
幸い妊娠はしなかったけども……多すぎぃ!
そんな境遇に負けずにモヒカン野郎を出世させて無事、ワームホール発生器作成まできた。
ただ、これ、作れるようになるだけじゃダメで、更にキャリアレベル10にしてアップグレード項目をアンロックして初めて特殊エリアに行けるようになるんだよな……割と面倒な工程でワロタ。
ベースゲームのロケットでもシグザムへは行けた……気がする。どうやって行くのかは綺麗サッパリ忘れたww ロケットをアップグレードするんだったか、2択のチャンスカードで行くんだったか……そんな感じだったような気はするが、思い出せないから今回は科学者キャリアを真面目に攻略してるって訳よ。
ただ、科学者キャリアで作れるクローン装置はコレクション集めにかなり優良だから無駄ではないぜ!
Selvadoradaで取って来た岩をコピーしまくって化石ガチャの開封祭り開催。
って感じで化石コレクションをコンプリート。やったぜ。
んで、平日は真面目に出勤して仕事の項目処理してたが、何回か出来ないタイプの項目で埋まってゲームが詰んだわ。
なんか、ちょい前のアプデでパイメニューがカテゴリー分けされるようになってからこの手のバグが発生してるっぽい。どこ探しても「今日の事を聞く」「𠮟りつける」「腹筋する」ができなくなったZOY。
一応、このバグの事を知ってたから、出勤30分前でセーブしてから出社して詰んだらロードし直してプレイしてたわ。やっぱまだ直ってないんだな。
そんな感じでバグにイラつきながらもプレイしつつ、休日は考古学者として遺跡へ遠征。途中でガイコツが話しかけて鬱陶しいから凍らせてやったぜ! 話すたびに作業中断させられるんだもんなぁ。こちとら一匹狼だから社交とか全く必要ないんだよぉ!
んで、考古学スキルもMAXになって「古代のオミスカの遺物」をコンプリート。
問題はこっちの「オミスカの宝物」だよ。一回の探索で大体1個か2個手に入るんだが……まぁ、ダブりが凄い。
Jungle Adventure初見プレイ時、13種類しかないのに遺跡探索50回くらいしてもコンプリート出来なくて��めた記憶があるww(物欲センサーと屑運を遺憾なく発揮)
でも、チート使わずそれなりの正攻法で攻略できるんで、次回はそこからスタート予定。 そんな感じで次回へ続く。
次回へ
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今年の8月末日、短編小説と音源がセットになった『JAGUAR』というZINEを制作した。200冊限定ナンバリング入りで、現時点(10/13)での在庫が30冊程度となった。ところが4月にリリースした『ほんまのきもち』と違って、本作についての感想がほとんど聞こえてこない。もちろん直接口頭、あるいはソーシャルメディアのダイレクトメッセージで読後感を伝えて下さった方々は沢山いる。しかし書評と呼べるものは実はいまのところ皆無に等しい。批評することを躊躇わせる斥力のようなものが作品に内包されていたのかもしれないと密かに勘繰ってみたりした。虚しかった。そこで、である。敢えてこの場を借りて、稀有で貴重な『JAGUAR』評を紹介しようと思い立つ。当ブログへの転載を快諾してくれた評者の方々にはとても感謝している。ほんまにありがとう。早速おふたりの素晴らしいレビューを読んで頂きたいのだが、いましばらく当方の四方山話にお付き合い下さい。
まず最初に『JAGUAR』という物語がかれこれ10年以上も前に執筆していたものであるということを前提に、すでに読んで下さった方々には当時の僕の意識混濁っぷりが窺い知れる内容になっていると思う。ビルメンテナンス会社の営業職に就いて忙殺される日々、精神と肉体が泥のように疲弊していくなかで書き上げた小説。大袈裟でなく、このままでは生きるという行為を自ら手放してしまうのではないかという危うい精神状態だったが、幸運にも当時に知ることができた偉大な哲学者、思想家、精神科医たちの言葉に背中を押され、結果的に今日まで生きのびた。以下に引用した名著の言葉たちが『JAGUAR』と僕を根底から支え、励まし、作品を世に放つ機会を与えてくれた訳だ。特に大気を裂く稲妻のように強烈な『千のプラトー』は、書かれている内容がわかるわからないというスノッブな価値観を遥かに超越した位置から自分を叱咤激励してくれた。こんなにぶっ飛んだ内容の読み物は他にないし、未読の方は絶対、ぜぇぇったいに読んでほしい。
小説は、自分の名も、自分が探しているものも、していることも、すべて忘れ、記憶喪失、運動失調症、緊張症となった登場人物、なすすべを知らない登場人物の冒険によって定義されてきた。(中略)。宮廷愛小説の騎士のすることといえば、自分の名前、自分がしていること、人が自分に言ったことを忘れることであり、どこに行くのか、誰に話しているのかも知らずに、たえず絶対的脱領土化の線を引き、またたえず道を失って立ち止まりブラック・ホールに転落することである。『千のプラトー』ドゥルーズ+ガタリ著
各人は、他者の世界の中での一客体であるばかりではなく、自分の世界の中で自分の体験や構成や行為がそこから生じるところの、時空間における一つの場所でもある。人は自分自身の視点をもった自分自身の中心である。そしてわれわれが見つけたいと思っているのは、まさに、他人と共有する状況において各人がもつところのパースペクティヴである。『狂気と家族』R.D.レイン/A.エスターソン著
私にはひとつ、ことばを≪見る≫という病気がある。ある風変わりな欲動があり、それは、願望がまちがった対象に向かうという点で倒錯的な欲動なのだが、そのせいで、本来なら単に聴くべきものが、私には一種の≪ヴィジョン≫として現れるのだ。(中略)。言語活動に関して、私は自分が幻視者で、また、のぞき見の倒錯者であるような気がしている。『彼自身によるロラン・バルト』ロラン・バルト著
そして小説版『JAGUAR』と一蓮托生の身である特級呪物、音源版『JAGUAR』については、僕が最も敬愛する女性DJにその制作を依頼した。マルコムXの演説を逆再生させたところから始まるMIXは、いくつかの世界線が交錯と混濁を繰り返し、正気と狂気の狭間を湿気をたっぷり含んだ低空飛行でかいくぐり、やがてひとつの景観ヘと辿り着くまでの過程をコラージュを交えた手法でドキュメントした、とんでもない内容に仕上がっている。揺るぎないベースライン、不意に降り注ぐ天啓となる言葉の数々、妖艶極まりない夜の気配、そして匂い。ぜひとも爆音で体験してほしい。以上のことをふまえて、OBATA LEO、moanyusky両名による書評をご覧下さい。
「JAGUAR」評① :評者OBATA LEO(ROLLER SKATE PARK作者)
土井政司の新作「JAGUAR」を読んだ。内容の理解云々以前にまず、地を這いずるような具体性の塊、描写に喰らった。自分が普段労せずざっくり物事を把握するための便利な道具として使っている言葉という同じものを使って、この作品はレンズのように細密にものを描き出す。ひとがきちんと見ずに済ませているような部分にまで光を当てる。そんな驚きもありつつ、やはり気になる。「JAGUAR」とは何なのか?
-「彼女は常に超越的な地位にあり、私たちとは隔たれた外部に位置している。そうであるにもかかわらず内部であるここにも存在しているのだからタチが悪い。絶えず外にいて内にあるもの、それがJAGUARだ。」最も端的にJAGUARについて書かれたこの部分を読んで、体内・体外の関係を想起した。普段「体内」と何気なく口にしているが、胃袋のように体には空洞がある。皮膚や粘膜などの体表に覆われて血液が流れている内部を体と呼ぶのだとしたら、その空洞は体に囲まれた「体外」ともいえて、私たちは体内に体外を抱えているという言い方もできるというわけで。それで繋がるのは、口腔内の歯の溝に落ちたタブレットを舌で触る場面である。「体内」でありながら自分では視認することのできない、舌で探るしかないその空間は確かに「体外」であるし、JAGUARもまた、己にとって内なるものでありながら断絶した他者でもあるような何かとして捉えられるのかもしれない。そんな線で読んでいくと、-「だが実際に私の目の前で何者かの手によって鍵の施錠は実行され、おまけに用心深くレバーハンドルを何度か動かしてしっかりと鍵がかかっていることを確認した。」という作品の終盤に出てくるこの部分で、文法的なエラーに感じる違和感は、そのまま私とJAGUARとの関係の違和感そのもののように思えてくる。得体の知れない何かに鍵をかけて、何食わぬ顔で電車に乗って仕事場へ行くなかでの体の軋み、のような何か。体といっても、いわゆる「(近代的な)身体」というキーワードで片付けるにはあまりに繊細な、大いにパーソナルな部分を含む体の感覚が、この作品にはあると思う。
出かけた「私」は、電車のなかで女性が着ている服のボーター柄の反転を目にするが、ここまで読み進めてくると、気持ちの良い幻惑に襲われはじめる。異常にディティールが詳しいのでそうと気づいていなかったが、やはりこのフィクションの中で起こる出来事たちは、出来事の形をとった何か夢やイメージのようなものだったのではないか。そして冒頭のリフレインまで突き当たると、この作品は初めから何についての話だったのだろうかと、今までひとつひとつ理解しながら読んできたはずの物語が全く違う相貌を携えているように見えてくる。そんなぐにゃんとした気持ちになるのは、良い小説を読む醍醐味のひとつだ。
「JAGUAR」評②:評者 moanyusky(音楽レーベルprivacy主催)
当たり前の様に無造作にある事で、それを見るか見ないか、それだけのことだと思います。土井政司の最新作「JAGUAR」を読みました。ここではJAGUARとなっていますが、人によってそれの名称は変わると思っています。よくわからぬ相手との対話や闘いがあるかどうかというところが、この作品の感じ方が分かれるところだと思っていて、私はどちらかといえば、その相手に困らされた事があったので、この作品を読んで、え!土井さんもやったんやとびっくりしました笑。ここは勘違いして欲しく無いところなのですが、人それぞれという言葉があるようにそれは一緒ではないのですが、構造はかなり近いと言ったような事でした説明がつかないわけですね。私は人の「想像」は人を殺しにかかるような死神として、隙があれば、それは現れるわけです。世の中ではアートであったり、想像力は良いように言われていますが、全くもってそれは何かが隠されているわけで、私は良かった試しが無いわけです。出来れば普通のルートで現代社会を楽しみたかったです。でも多分知っていくという事はそういう事なのかもしれない。想像力に悩まされてきた身としては、この作品は、別の場所で、それと闘って、きっちり答えが出ているというところ、しかも、10数年前の作品という事で、私は土井さんに出会って、色々な対話を交わして、初めて彼の濃厚な苦悩との生活に出会う事となったわけです。各人の時間軸が理解の範疇を超えて、重なり合って手を取ったのだと思っています。その時に置いてきぼりになってしまう、その真ん中で産まれゆく、刻まれた何かがずっとどこかで成長していたら、人は正気を保てるだろうかと思ってしまいます。誰かが入ったであろう、部屋のノブをあなたは回せるかどうか。私はそれには名前をつけなかったが、もう二度と会いたくないですし、いつまた来るのだろうと、恐れを感じます。彼は人が地面を無くした時に現れるように思います。浮遊した瞬間、命をもぎ取ろうとする。
でもそれはオカルト的なアレとか、スピリチュアル的なアレなん��ものではないのですね。確実に自分、自分を構成する設計図の謎のようにも思え、それが薄らぐために生活をやり、音楽をやり、愛し合い、話し合い、何かを育てるのだと思います。現実社会で経験した摩擦は地面をはっきりさせ、そいつのいる世界から距離が出て、薄めてくれるように思うわけです。だからこそ。JAGUARの言葉を借りれば「痛みと不安から自分自身を取り返し、その自分に立ち止まるために語りを紡ぎ出す」。が救いの言葉となっているように思います。2部構成で出来上がる、この作品のバランス感覚は、人と創作の関係性をSFとして描いているように感じます。同じ場所にて語る事は嫌がられるかもしれませんが、私が映画を観に行った時に続々と子供たちが外へ出て行った宮崎駿の最新作「君たちはどう生きるか」を出したタイミングと、土井政司がこれはいけると思ったタイミングで出されたJAGUAR。それは何もかもを抜きにして考えると、世の中の人たちに対して彼らは同じことを思っているのだと思います。今それを出さなければならなかった。その「灯り」の意味を考えなければならないのです。
〆はもちろんこの曲で!
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2023.9.14thu_tokyo
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昨晩は疲労困憊なのに百万遍を歩き回ったのち村屋※で飲んだ 帰りに天下一品に寄ったせいか 今朝は二度寝していた
二度寝して現場に到着
午前中はトイレ前にあったデカい鏡を移設する準備をしていた ラジオは「今夜アレになる」「18年ぶりのAREだ」と繰り返す
鏡を取り外すと朽ちた内壁がバリバリと剥がれたので修復 車があるうちに2枚多めに合板(畳サイズ)を買っておいてよかった
京都「西ノ京」に開店する珈琲ヤマグチ※の工事を請け負っている 最高気温が35度を超えたことを意味する猛暑日は37日を数えた
クライアントと友達
午後は昨日に引き続きクライアントが友達2人と助っ人に来てくれた ニュージーランド在住?サービス業従事者&僕の母校の教員
クライアントは真名美という 5年位まえ僕の飲み屋の客だった 真名美が現場に来るとアイデアを伝えてどう形にするか相談する
京都入りしてから2か月と1週間が経つ 7月7日に銭湯で買った石鹸はすっかりちびてしまった
7月8日天井落とし
今日はこういうかたちで「回想」することをみとめられたので 日頃反芻していた言葉の断片を1行31文字以内で書き留める
高井戸ICからイッチー※のハイエースに工具を満載し片道460km 物件は元米屋でその前はパン屋 餅屋いずれも貸主の商売だった
東京から京都へたった1人で移住した借主の行動力に感服する 工事の相方で師のイッチーと真名美で3人であちこち飲み歩いた
METROでのGiftやKyoto TSUBAKI fm 3rd anniversaryは楽園だった 京都にいる内にできるだけ多くのリスニングバーやクラブを回りたい
DJで一級建築士のタムラさん(DoitJAZZ)
築90年の町家建築を相手に序盤のほとんどは解体で難儀した 天井を落とし壁をめくり床をこじあけた裏側に幾千の生き物の痕跡
イッチーと彼が連れてきたアルバイト
仕事終わりには若松湯で埃りと汗を流している 町場に用事があればその周辺の銭湯巡る 10数軒は回ったか
文化財で銭湯にプチ遠征
ひと月かけて執り行われる祇園祭にも少し詳しくなった 通りの名前も徐々にしみついてきている
祇園祭はカッコよかった
コーヒーを淹れる台は材木屋で50年眠り続けたラワンの一枚板 材木屋は現場の近くにあり親切※美大関係者へのサーヴィスが手厚い
材栄さん
京都入りと同時に2級建築士製図試験対策の日曜講座に通い始めた しかしオンもオフもやることが満載で宿題の半分もままならなかった
めくった壁から90年前の大工さんがつくった壁がでてきた 新しく造る壁と並列させて見えるように設えている
A剥がして現れた壁
B古い壁と新しい壁
8月22日 イッチーはトリツカレ男の店番と都立家政での新しい 案件に着手すべく一足さきにハイエースに工具の半分を載せて帰った
いったん東京に戻り9月10日に製図試験挑んだが十中七八アウトだ 12月7日に結果が出る そのころには珈琲ヤマグチも板についている
二級建築士製図試験問題
言葉を尽くし手を動かし工夫を重ねた内装工事も終盤 準備した200枚の名刺は徐々に京都人たちの名刺に換わっている
いろんな店で顔なじみになり「工事終わったら帰りはるんですか」 惜しんでくれるのは嬉しいが工事はあと1週間半くらいで終わらせたい
サウナで声をかけてくれた51才の紳士は音楽通だった いまやかけがえのない京都のともだちになっている
レコード棚も造っています
場所柄外国人とも酒を酌み交わした フィンランド人、チリ人 トルコ、中国人、モンゴル、アイルランド…7か国位?
芸大(先端芸術表現科)の同級生や先輩とも久しぶりに会えた なぜか同級生の2人が医師免許をとっているが明日その彼らに会う
先端の先輩が自転車に載せられる美術館をつくっていた
16時半 真名美は同級生と自然派ワインの店coimo wine & cafeへ 僕は若松湯のラジオで阪神タイガースの優勝の瞬間を見届けた
最寄りの定食屋兼飲み屋「たいたん はちべゑ」へ行くと 「あとアウト1つやで」と狂喜乱舞するファンに迎えられた※
あれに乾杯
京都でピザ屋を開きたいという同い年の夫妻に出会った※ 早く眠るつもりがCOMOGOMO JURAKUで2人の夢を語りあった
もしかしたら彼らの店を造ることになるかもしれない 25時 今日も倒れるまで眠らなかった
灼ける盆地の風にも秋の成分がだいぶん添加されてきた もう猛暑日の38日目をカウントすることはないだろう
イッチー、フィンランド人のイラリくん、やぎ
ーーーーーーーーーーー 注釈
※村屋 出町柳のカオスな飲み屋。自然派日本酒が豊富。
※珈琲ヤマグチ 現在自家焙煎コーヒーのオンライン販売とイベント出店。 2023年9月現在。中京区西ノ京左馬寮町にて喫茶店を開業予定。 御前丸太町下ル 若松湯東入ル。 https://www.instagram.com/_3_yamaguchi/
※イッチー 高円寺のタパスバー「トリツカレ男」店主。 2017年末この店をイッチーが造っているのを手伝わせてもらったことが 僕が内装を始めたきっかけのひとつになっている。 https://www.instagram.com/toritukareotoko/
※親切な材木屋 材栄 https://zaiei.shopinfo.jp/
※阪神タイガースのリーグ優勝 日記の中にアレの瞬間が2回あるのは ラジオ放送に遅れてテレビ放送がついてくる。 タイムラグは2分近くあったと思う。 その間検閲できちゃうのでは?という時間差。 ラジオは昔も今も最速のメディア。現場でもラジオが相棒。
※ピザ屋 ヨロシクピッツァ。 ポップアップ出店と窯ごと出前ピザしている。 https://www.instagram.com/yoroshiku_pizza/
※COMOGOMO JURAKU 現場から近いし深夜遅くまで開いているので 製図試験対策で力尽きたらここで晩酌していた https://www.instagram.com/comogomo_juraku/
-プロフィール- やぎ 38歳 東京 とんち造作計画・内装業
ペーパードライバーの個人事業主の内装業。 店舗設計、解体、壁の造作、什器製作、左官、給排水配管 などおおよそ全て自前で施工している。 佐橋※介。※の部分を景に替えてお読みください。 http://instagram.com/tonch_keikaku/ http://tonch.tokyo/
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私は外科医です。 私は医学部と厳しい外科訓練を経たので、回復力があり、うまく適応していると思いたいです。 私は医師になって13年になりますが、その期間の多くは、可能な限り優れた外科医になるための訓練に費やされてきました。 私には素晴らしい家族のサポートがあり、私の仕事を理解してくれる医師の妻がいます。そして私は精神疾患と診断されたことはありません。 ブリスベンの胃腸科医アンドリュー・ブライアント医師が先週自殺したことは、生々しい神経を直撃した。 彼の妻はこの正直で勇気ある手紙を書きました。 抱いたことはありませんが 私は深刻な自殺願望を 、他の多くの医師と同様に、暗い時期を何度も経験してきました。 うつ病、不安、燃え尽き症候群、自殺願望、絶望、無気力、無快感、気分の落ち込み、心配などはすべて、同じ現象、つまり内的または外的ストレス要因に対する人間の否定的な反応の異なる性質です。 もちろん、原因は常に複合的です。 家族歴、遺伝、行動の欠陥、劣悪な環境、不十分な社会的サポートなどに単純化しすぎてはいけませんし、そうすべきでもありません。 を注意深く分析すると 自分の暗い季節 、いくつかの共通のテーマが浮かび上がってくることがよくあります。 このような暗い時代においては、仕事が状況を悪化させ、永続させる重要な要因となることがよくあります。 外科医として、私は生涯の大部分を仕事に費やしているため、そこで何が起こるかは、結婚、家族、社会生活を含む私の人生の他のすべての側面に影響を与えます。 私を絶望の暗い穴に放り込んだ共通の事柄が 3 つあります。 1. コントロールの喪失 私は日々のコントロールを失ってしまいました。 私は病院で働いていましたが、14 日中 12 日は 24 時間年中無休でオンコールがあり、隔週の週末が休みでした。 外科試験の準備をしていたとき、私は毎日午前6時半から午後10時まで仕事と勉強をし、家族に会えるのは週末の昼食時だけでした。 私は 4 つのキャンパスをカバーする病院ネットワークで働いており、これらの現場を取材する際には週に 500 キロメートルを運転していました。 私は病院で働いていましたが、何日も家に帰れず、病棟や外来診療所のベンチ、車の中で一晩寝ていました。 、洗面用具、着替えを車のトランクに入れていました 私は寝袋 夜も家に帰れるかどうか分からなかったので、 。 緊急事態のため、職場では毎日計画が変更されます。 オンコール中は次の 1 時間がどうなるかさえわかりません。 なぜ仕事を減らすことができないのかと疑問に思うかもしれません。 そんなに簡単なことではありません。 私が仕事を減らすことにした場合、病院の費用は誰が負担するのでしょうか? 病院が他の医師を雇用していないのであれば、患者を野放しにするわけにはいきません。 私は待機する注意義務があるという事実を受け入れます。 このようなオンコール期間の激しさと人的被害は忘れられがちです。 それだけではなく、私たちは医療全般のコントロールを失いつつあります。 毎日、新しいフォーム、新しいガイドライン、新しいプロトコル、新しい医療ソフトウェア、新しいポリシーが登場し、すべて臨床医の活動を指示、制限、変更します。 これらのポリシーの中には、患者を診察していない人々によって書かれたものもあります。 コストを削減し、生産量を増やすために、医師や看護師の業務を再構築することに専念している有給業界全体が存在します。 2. サポートの喪失。 ただ想像します。 私の一日は朝6時に始まります。 朝起きると、完了していない退院サマリーの数と、完了しなければならないさまざまなコンピューターベースのモジュール (手洗い、プライバシー、患者の昇降など) を知らせる電子メールが届いていました。 ラウンドは午前7時に始まります。 記入が必要なさまざまな旅行書類、証明書、台本を持った 15 ~ 20 人の患者を診ています。 すべて電子医療システム経由で行う必要があり、使いにくく、ユーザーフレンドリーではなく、ログインに時間がかかります。その後、午前 8 時にオーバーブッキングされた手術リストを開始します。 7件の予約が入っています。 誰が手術リストに載るか、患者の順番については私には何も言えません。 最初の患者はまだ診察を受けていない。糖尿病患者は低血糖症だ。 幼児は機嫌が悪い。 自��症の子供が逃げています。 通訳はまだ来ていません。 コンピュータはまだログインしていません。パスワードの有効期限が切れています。 一部の操作は他の操作よりも時間がかかることがわかっていたので、以前は操作リストを整理することができました。 しかし現在、予約オフィスは私の扁桃摘出手術にはすべて 14 分かかると判断しています。これはコンピューターに記録されている平均時間だからです。 スクラブした瞬間にタイマーがスタートします。 スクラブを外した瞬間にタイマーが停止します。 クリック。 クリック。 クリック。 劇場の予約には通訳の時間、治療前の期間、ICUへの転送が考慮されていないため、リストは遅れています。 担当の看護師は時間通りに終わるように私の首に息を吹きかけてくれています。 私は依然として各症例に約 14 分かかりましたが、チームは外部の臨床的理由により遅れています。 演劇チームは終わらせることに熱心で、すべてが急いでおり、間違いは必ず起こります。 その間、私は救急病院、一般医、その他の部隊からの 12 件の電話に対応しています。 現在までに 3 人の患者が救急病院で私を待っており、1 人は別の病院から飛行機で運ばれてきました。 運行リストの完成が遅れています。 私は急いでEDに行き、 インスタントコーヒーを 飲み干した。 それから午後の診療所に遅く到着しましたが、ここも予約がいっぱいでした。 クリニックの看護師たちは満足していません。 さらに多くの電話を受けながら、8〜10人の患者を診察しています。 私は複雑な手術について患者と話し合おうとしていますが、電話や事務手続きによって中断されてしまいます。 それから緊急事態に備えて劇場に戻ります。 この時点で私は失敗する準備ができています。 私は疲れていて、機嫌が悪くなり、頭はやるべき仕事でいっぱいです。 私は午後の回診をし、より多くの診察を受け、より多くの患者を受け入れ、手紙の口述筆記をします。 24 時間の通話期間中に最大 70 件の電話を受けました。 午後6時までに完全に疲れ果てました。 私はポテトチップスのパケットとジンジャービールを手に取り、書くはずだった書類に取り組み始めました。 今後数日間、事件のメモを見直します。 午後7時から8時の間に帰宅します。 夕食を食べて、子供たちを寝かしつけます。 再び呼び出され、緊急処置のために患者を劇場に連れて行きます。 夜中過ぎに帰ってきて寝ます。 深夜0時から朝6時までの間にさらに4回電話がかかってきます。 午前6時。 繰り返す。 私は日々のコントロールを失い、サポートも失いました。 実際にいつサポートを見つけることができますか? 同僚と人生について話す時間がありません。 家族と過ごす時間がありません。 友達と連絡を取る時間がありません。 医学部に足を踏み入れると、社会的なつながりは失われます。 人生の重要な出来事(誕生日、記念日、同窓会、学校の発表会、初めての散歩など)を逃した回数は数え切れません。 産科医が渋滞に巻き込まれたため、私は3人目を自分の手で出産しました。 翌朝、私は仕事に行きました。そうしなければ、12人の患者が手術を逃すことになり、2人の麻酔科医と約8人の看護師がその日の収入を失うことになるからです。 さらに重要なのは、手術リストのキャンセルは病院にとって多大な経済的損失となるため、管理者は満足しないでしょう。 どこでサポートを受けられるかはわかっていますが、実際には、いつ、どのようにサポートを受けられるのでしょうか? さらに、助けを求めて叫ぶ医師は正式に報告される可能性があり、そのため診療が制限され、場合によっては高額な医療費が支払われることになります。 助けを求めた研修生は成績不振のレッテルを貼られ、試用期間または是正措置を受けなければならない場合があります。 頻繁に宣伝されているサポートを実際に利用できない場合があります。 3. 意味の喪失 興味深いことに、上記の身体的および感情的ストレス要因は、私にとってはかなり対処可能です。 私は自分自身の身体的、精神的な限界を理解しています。 これらのストレス要因は疲労を引き起こしますが、仕事の興奮と知的挑戦は個人的に大きな満足感をもたら���ます。 瀕死のガン患者、緊急気道事故、複雑な病気の子供たちを相手にしているため、時々感情的に動揺することもありますが、なんとかやっています。 私に最大の苦痛をもたらしているのは、患者との有意義な臨床活動を奪う執拗な管理上の圧力であることをますます認識しています。 そして、これは多くの若い医師も同様に経験していることなのではないでしょうか。 かつて医学は有意義な追求でした。 今では面倒な業界になってしまいました。 医療の喜び、目的、意味は成文化され、無菌化され、プロトコル化され、工業化され、体系化されてきました。 医師はビジネスの網の中に囚われており、もはや崇高な職業ではありません。 若い医師の利他主義は、効率、生産性、主要業績評価指標という束縛に取って代わられています。 私自身の手術リストや診療所の整理についてはほとんど発言力がありません。 手術リストを再注文する権限さえも外科医から奪われている。 私が好きなこと(手術と患者の診察)は、測定され、記録され、ベンチマークされることです。 クリニックは予約が殺到しており、番号を確保するのが困難です。 患者と接するたびに必要な事務手続きは年々増加しています。 私が何をすべきか、そしてそれを行う最善の方法を指示するのは、臨床以外の部門が他にもたくさんあります。 合言葉は「費用対効果と生産性の向上」です。 に進みました ことを承知して医学の道 私は患者のために多くの犠牲を払わなければならない 。 私が実感しているのは、今日の現代医学において、医師はこの複雑な業界の数多くの商品の 1 つにすぎないということです。 それはもはや患者の問題ではありません。 病院の業務についてです。 患者満足度担当者、劇場利用担当者、患者フロー コーディネーター。 これらはすべてビジネス上の役割です。 外科医として、私は病院で 1 年間を過ごし、通勤中に笑顔で仕事に就くことができたことにとても感謝しています。 自分がやっていることが重要だとわかっていたので、長い日々を楽しみにしていました。 さらに一年、別の病院に入院したとき、私は仕事に行くのが怖かった。 電話に出るのが嫌いでした。 私は燃え尽き症候群になり、仕事でも家庭でも感情をコントロールできなくなりました。 私は本質的に攻撃的で無礼な人間ではありません。ただ限界に追い込まれ、仕事を取り巻く状況のせいで失敗しそうな人間です。 同じ外科医でも仕事は違う。 私を感情のコントロールを失うように押し込んだ力は、おそらく私たちの一部を自殺に追い込むかもしれない力と同じです。 一部の病院とそのビジネスにとって、私は外科医ではありません。 私はただの従業員です。 過労、焼損、交換可能。 医学への崇高な呼びかけは、医療業界としての官僚的な力によって窒息させられてきました。 私の考えに同意しますか、それとも反対しますか? 他にどのような「医師の闇」の問題が考えられますか?
医師であることの暗い側面 - DrEricLevi のサブスタック
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2023/08/26
BGM: 大江千里 - 夏渡し
今日は早番だった。昼休み、いつものように詩を書く。天気がとても良かったのだけれど、こんな天気のすばらしさも明日になれば忘れてしまう。それを記録しておきたいという思いを詩にこめてみた。井上陽水「少年時代」を聴き返しつつ木曜日(月末の31日)のプレゼンテーションのための資料をチェックする。最近翻訳を試みてみたルイス・キャロルの詩、あるいはぼくが好きな井上陽水や大江千里の詩についても(もちろん著作権に気をつけて扱う必要があるにせよ)話せればと思い始める。仕事が終わったあと歯科に行く。そこでふと、今日は24時間テレビの日だったことを思い出す。歯科のモニターで錦鯉の2人のネタを見ていて、ふと「『これからだ』と自分が本気を出して生きたのはいつだっただろうか」と思い始める。いつも書いているが、あの酒に溺れていた時期は自分なりに無我夢中で「自分はこんなところでは終わりたくない」「何が何でも勝利者になるんだ」と思ってもがいていた。あの時期はそれでも酒に勝てず、まだ「最大公約数的なものではない、『自分がほんとうに思う』幸せ」というものが何なのかもわかっていなかった。だからずっと何か書いていてもとにかく「プロデビュー」して「名を売ろう」とばかり考えていたのだった……。
最近になって、松下育男が書いた詩や講演集を繰り返し読むことが増えた。彼の言葉はまるで良質なジャズやブルースのような、まろやかに感じられるぬくもりや優しさがある。そして同時に毅然としたポリシーと厳しさも備えられた、奥が深く滋養があるものだと思う(もちろん、喩えに出した音楽はあくまで「ぼくにとって」の話だ)。とりわけ昨日だったか読んだ「詩人のデビューとは」という文章から、ぼくはあらためて「きみはなぜ詩や文章を書くのですか?」という問いかけをもらったような気になった。そして、この問いは「なぜ生きるのですか」「なぜ読むのですか」といった問いと同じでシンプルで、だがいざ本格的に答えようとするととてもねばり強い思考が必要となるたぐいのものでもあると思った。ぼく自身、過去のことを思い出す……20代・30代は「まあ、若かったからなあ」で終わるかもしれないけれど、すでにいい年した40をすぎても「一攫千金」「人生一発逆転」なんて考えて小説を書いていたことを思い出す。自分の書くものは絶対に読まれる、受け容れられてヒットする……そんなたぐいの「自信」だけはあったのである(それを思うと、人は「自信を持って生きること」よりも「自信がなくても虚心に、目の前のことに堅実に取り組んで生きること」の方が大事なように思う)。
そこで見失っていたもの。それはつまり「書くこと」「語ること」、そしてそれが他者に「受容されること」について感謝することではなかったか。平たくいえばそうした「話す・書く/聞く・読む」といった関係で相手(聴衆や読者)とコミュニケーションを取ることの楽しさやありがたさを見直すことだっただろう。ぼく自身がそんな「一攫千金」マインドから変わったなと思うのはたぶん断酒会に通わせてもらうようになって、そこでさまざまな方に自分の体験談を自分なりに嘘偽りなく話すことを始めたからだ。そしてそれと同時期に発達障害がらみのミーティングに参加させてもらって、そこで料理やライフハックなどの披露を通して「やっちゃいました~」と恥をかいたりして……そうして「ああ、確かにぼくは受容されている」と思い始めて、そうなるとあれほど肥大していた承認欲求も消えてきたのである。いや、いままったくそんなものと無縁に書いているなんてことは言わない。いまだってどこかで「ぼくの書いたものがもっと読まれてバズらないかなあ」なんて子どもじみたことを考える。なんなら、「いまだって」考えている。「これからだって」そんな夢想を抱えつづけて生きるだろう。ぼくはこれからの一生をきっとこうして(たとえお金にならなくても)書きつづける。
それはそれでぼくの人生なのでぼくが責任を取ることではある。でもその人生を決めるのが「プロデビュー」や「名を売る」といった他者の評価に相当に依存した判断基準・価値基準のままだったならば、ぼくは一生「こんなはずじゃない」「おれはもっとビッグになる(なれる)」と思いつづけて生きたかもしれない。そしてややもすると「なぜ世の中は認めないんだ」「世の中間違っている」と考えてしまい、そのまま繁華街なりデパートなりで包丁を振り回して暴れる……なんてこともありえたかもしれない。そんなことを思うといまこそ幸せなのかな、と思う。書きたいものを書き、そして出てきた自分の言葉と日々向き合い、そこに変化を見出し、「自分はともかくも『止まってない』し、そのまま『腐って』もいないのかな」と思えるからだ。ただ、それを「自分は成長している」とも言いたくない。いや、言いたいけどそう言ってしまうと「手前味噌」というもの。ぼくの書くものは傍から見ると「そんなに退屈なことを毎日毎日書いて何が楽しいの?」な話なのかもしれない。そして、それもまた客観的な評価として「妥当」「実に的確」でありうるから面白いと最近は思うようになってきたのだった。いや、そうだとしてもぼくは炎上沙汰になるようなキャッチーなテーマを探して書くなんて芸当はできないので、明日もこんなことを書くつもりだけど……。
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2024年7月8日(月)
私の職場(私立女子大学)では、今日から前期授業が13週目に入る。月曜日は出勤すると、最初に総務課に設置してあるメールボックスをチェックする。期末に実施する<授業アンケート用紙>が9クラス分、人数は少ないが封筒の数は教員の中で一番多いかもしれない。しかしよくみると、実施期日が<7月21日(月曜)>となっているではないか。こんなミスを見つけるとつい嬉しくなってしまう、あまりいい人間ではないのがバレてしまうね。あ、担当者から後ほどお詫びと訂正メールが届いたことも記録しておこう。
4時45分起床。
体重は、週末で950g増加。
CleanMyMac X を立ち上げて、MacMini のスキャン、週に1回の作業だが週末にやるのを忘れていた。何も問題なし。
洗濯。
朝食。
珈琲。
弁当*2。
大型ゴミ3点をガレージに並べ、一人で出勤する。
順調に到着する。
レターボックスをチェック、授業アンケート用紙と自己点検評価レポートを受け取る。
ラジオ体操第一、左腕は痛みがあるがとにかく続けるのだ。
外気がぬるいので、冷房を入れる。
午後の授業内容をチェックする。
書棚の整理、世界遺産関係のDVD、売れるようなものではないので<廃棄>と明記してゴミ捨て場へ。
昼になってラジオ体操第二、やはり体を動かすと気持ちよい。
ツレアイから連絡、買物済ませ、ココに点滴してから出勤するとのこと。
月曜日3限・4限<情報機器の操作Ⅰ(看護学科)>、先週のエクセルの復習(数式の使い方)、次に関数の使い方、前半は私が解説し、後半は自習させ、出来たものは提出フォルダに提出して終わり。2クラスとも、ほぼ問題はないようだ。来週には試験を実施することを告知して、早めに終了する。
帰路も順調。
まずは、ベランダの洗濯物を取り込む。
しばらくしてツレアイ帰宅。
地物のトマトとナス、それに安売りの鶏ムネ肉を使って<茄子と豚バラ肉の甘辛炒め><蒸し鶏のマヨネーズソース>。お日様を一杯に浴びたごついトマトが美味しい。肴は昨日2割引で買った鱧を煮る、3日ぶりの日本酒が嬉しい。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第16話「断たれた音」/ The Most Dangerous Match 現チャンピオンのクレイトンと対戦するために、前チャンピオンのデューデックがチェスの世界に復帰した。2人は互いを意識していた。レストランで一緒になると、テーブルの上で非公式なゲームを開始し、ホテルに戻ってからも部屋でゲームの続きが行われた。デューデックは常に優勢だった。
片付け、入浴。
明日はツレアイが早出なので、早めに休む。
月曜日にしてはいい数字、そうか、ラジオ体操が効��ているのだ。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏��酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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