#発菩提心
Explore tagged Tumblr posts
Quote
道元禅師は、『正法眼蔵』の「発無上心」の中で、 「一発菩提心を百千万発するなり」 と仰せになっています。
初発心の尊さ | 臨済宗大本山 円覚寺
どうげんぜんじ しょうぼうげんぞう
ほつむじょうしん
一発菩提心(いちほつぼだいしん)を百千万発(ひゃくせんまんほっ)するなり
0 notes
Quote
今から数年前に1万円で家を売った。 5月のある朝、突然携帯電話が鳴り、誰かと思ったら母からだった。 今、A県(亡き父の実家のある県)の警察から電話があって、伯父(父の兄)が遺体で発見されたと連絡が来たとのこと。家の中を捜索していたら、母の名前と電話番号があり電話してきたと言われた。しかし、持病もあるので息子と話してみると伝えたと。 簡単に言えば、遺体の引き取りの件で連絡が来たということだ。 父は今から30年ほど前にすでに他界してる。そして父方の実家には父の兄である伯父が単身で住んでいた。年にして80歳ぐらいだっただろうか。 その連絡が来る、1~2週間前にふと気になり、母に父方の実家の名義は誰になっているか尋ねたところ、私だと言う。 祖父が昭和30年代に建てたらしいが、その祖父が亡くなり、祖母の名義になり伯父は独身で祖母と伯父の二人暮らしだった。そして祖母も亡くなり、伯父の名義になっているかと思っていたが、弟、次男である父の名義であると以前聞かされていた。 そして、父はがんで今の私の年齢のぐらいで30年ほど前に亡くなった。そこで長男である私が自動的に相続していたようだ。 その後、父方とは音信が途絶え、関わりもなくなり、まさかと思い尋ねたら私名義だったと言うことだ。 これはまずいと思い、ネットで調べてみたら名義変更の相談は最寄りの法務局でとあったので、法務局の連絡先などを調べていたところ、伯父が急死した。 警察に電話をしたところ、死後3日ほど経っているが、検死の結果、事件性もないと判断した。よって遺体の引き取りをお願いできるかと言うことだった。 ふと、考え込んでしまった。あの家の名義は私ではあるが、音信不通になっていた期間は数十年。なぜ私が?と。 そこで私が迎えに行かなかった場合どうなるのかと担当刑事に尋ねたら、無縁仏に入ることになりますと。ああ、菩提寺あったなと思い出した。しかもそこのお寺のご住職は同級生でよく遊んでいたと父からも聞いていた。 仕方ない。迎えに行きますと答えた。そこからとりあえずで準備して、そのまま新��線に乗り、レンタカーを借り、夜中の10時過ぎに警察署についた。 当直の職員に名乗ると、ああ、とすでに理解しているようで担当の者を呼んできますといい、取調室のような、応接室へ通された。他の刑事さんがお茶を持ってきてくれた。遠いところお疲れ様でしたと言うような挨拶はしたと思う。 担当の刑事さんともう一人の刑事さんがやってきて名刺を渡され、状況の説明と見つかった所持品の説明を受けた。 庭で発見され、全く外傷はなく、さらに雨風もなかったので全く汚れなどもない状態で発見され、検死をお願いしている大学病院でも、CTなどを撮ったが内臓からの出血もなく、外傷もなく、事件性はかなり低く、さらに病気も見つからなかったと言う。よって自然死としか言いようがないとのことだった。いわゆるぽっくり逝ったようだ。庭で作業していて心臓が止まり、そのまま亡くなったらしい。 発見は新聞配達の方が新聞が溜まっているのを見て、地元の民生員さんに連絡してくれて、110番して、警察が発見したとのこと。ありがたい話だ。 そして遺体安置所へ案内され、遺体と対面した。冷凍で安置されていたためか少し霜柱が鼻などについていたが間違いなく伯父であった。 再度、応接室に戻り、今後どうされますかとのことだったのでできれば、明日には荼毘と納骨は済ませて帰るつもりだと伝えると、遺体を一晩預かってくれる葬儀屋を紹介してくれた。葬儀屋さんが来ると手際よく、ワゴン車に棺を乗せた。刑事さんたちにおせわになりましたと挨拶をし、葬儀屋さんへ向かった。 一晩預かってもらうことができ、明日に運良く火葬場で荼毘ができるとのことだった。明日の朝再びこの葬儀屋で待ち合わせとなった。 料金は一晩で25万円とのこと。後払いで結構ですのでと気を遣ってもらった(?)振り込み用紙を折りたたみ財布に入れた。 とりあえず遺体は置いておけるが問題は自分だ。0時も回って今から泊まれるところはありますかねと相談したところ、葬儀屋さんが探してくださり、駅前の東横インに泊まれると。そのままレンタカーのナビに目的地を入れて向かう。 ホテルにつき、カウンターで支払いをする。一晩朝食付きで1.2万円ほど。 部屋へ行き、スマホの充電を繋ぎ、シャワーだけ浴びて、そのままベッドへ。はー、来てよかったと思った。 朝、ホテルで朝食を食べ、再度葬儀屋へ。途中コンビニにより、ATMで3万ほど下ろした。 葬儀屋さんの案内で火葬場へ。そのまま荼毘へ。焼き上がるまでお茶を飲んで待つ。荼毘を待つのはいつ��来だ?母方の祖母か?あれ?どっちが先だったか? そして、骨を広い骨壷に収めてもらい。挨拶をして、骨壷を助手席に乗せて菩提寺へ向かった。着いてから気づいたのだが、事前に連絡できなかったなと。 しかし、ご住職に会うと、事情は知っておりますとのことで話は早かった。このまま納骨させてくださいと伝えるとわかりましたと。その場で埋葬許可証を渡し、父方のお墓まで行き、納骨を済ませたところで、大変少なくて失礼ですが、こちらをと先ほどのコンビニでおろした3万円を包んだ封筒を渡した。ご住職はいえいえと恐縮されていたが、こちらとしても始末をつけねばならない。 そして、帰り際にこちらから、これにてこちらの家系は終わり、最後の納骨になりましたので、ひいては年度末に墓じまいもお願いしたくと申し出た。 では、年度末ごろに改めてご連絡しますとのことになった。よろしくお願い致しますと挨拶をした。 そのあとは実家周辺のお宅全てにご挨拶に行った。私は〜家の親族のものです。この度は大変ご迷惑をおかけしましたと、決まり文句を続けた。 全ての方が、まさか私が来るとは思ってもみなかったようで、どちらにお住まいの方?と尋ねられ、伯父の弟の息子で、B県に住んでいる。警察から電話が来て昨日の夜ついて、無事納骨までできたとこれも決まり文句で話し続けた。 皆一様に驚いていたが無事解決してよかったと。 その日は陽が暮れる頃に帰途に着いた。 そして、帰宅してからは「家」をどうするかと言う点だけが気になった。 無人の家に放火、居座られる(これを一番不動産屋が心配していた)、災害による周辺宅への被害は過失になる可能性があるが火災保険には入っていない。 名義は私だが何にも関係はない。住むこともない。なぜ私の名義になったのかはわかる。そして次男である父に名義が行ったのも以前から聞いていた。事情があった。その事情で伯父は孤立無縁だった。ちなみにこの時は血縁関係者は一人も現れなかった。事情は知っているが来なかったと言うことだ。 早く私としても終わりにしたいので、このご時世だ。県名を入れて、不動産売買のサイトで5社ほどに買取の件で一斉送信した。 すると買取不可が3社。仲介販売が1社。建物をこちらで解体したら土地のみを引き取りたいと言う会社が1社返答があった。 ちなみに地域的には限界集落である。バスもない、駅もない。人気もない。 仲介販売は200万円で売りに出しましょうと言う非現実的な提案だったのでお断りした。 引き取りたいと言ってきた会社に連絡をしたところ、いつ現場でお会いできますかと言う話になり、7月ならと。電気もガスも電話も固定資産税なども事情により父、母が支払っていたので、物が腐っても解体��るのならいいと思った。冷蔵庫のものは知らんと。 ガスと電話、そして新聞を止めた。特に新聞は支店にも電話して丁重に挨拶をした。支店では事情を皆が知っているようで電話口の女性も同情してくださった。電話も遠くの地だと知るとさらに同情してくれた。 7月。不動産会社の方と現地で待ち合わせした。スーツを着た男性で30代半ばぐらいの方だろうか。お話を聞くと、東京で大手不動産屋さんに勤めていて、出身のこちらに戻ってきて不動産屋を開店したばかりだと言うことだった。 早速、解体についてお話を家の前で立ち話でした。おおよそ200万ぐらいはかかると思うと。家の前の道が狭いのでダンプなどが入れないため、余計に費用がかかるはずとの説明だった。 さらにこちらに来る前に登記簿を取ったが、複雑な登記になっており、道から家の間にお隣の方の土地があると。 お隣の方も出てきていらして、そうそうと。登記の確認の書類を持っていた。ああ、あんた、ここの持ち主さんかい?と。わかる、わかるよと。こちらは幼い頃に遊んでもらったことぐらいしかわからないのだが。 確認書には平成一桁代、つまり父が亡くなり私が自動的に相続した時に、ついでだからどこからどこまでがどうなっているのか確認しようとなり、お隣さん主導で確認し、ビス?を地面に打ってもらったと。そして、その確認のサインがあると言う。 紙をピラっと出してきた。そこには紛れもなく、私の筆跡の名前があった。私はこんな重要な書類にサインしていたのかと。驚いた。全く記憶にない。 ではということで、解体したら引き取りということで良いですかと確認したところ、不動産屋さんが、額に手を���いてしばらく考え込んでいた。 何かと思っていたら、すみません、1万円で引き取らせてくださいと言う。 え?無料でもいいんですが?と返すも、いいえ、それが無料だと色々税金やら何やらと面倒なのでと言うことだった。 売買ではなく贈与ということになるのか?まぁともかく1万円だ。これでおさらばだ・・・と思ったが、200万円の赤字だ。プラス新幹線代、葬儀場代etc...プラス100万になりそう。 話がまとまったところで、後ほど郵送で書類などお送りしますと。そして室内に入ることにした。誰もない父の実家。懐かしい。夏休みにはこちらにきていたが、祖母と父は駅前にマンションを購入し、そこで二人暮らしをしていた。 父は私が小学5年生の時に単身赴任でこちらにきていたが、それから10何年経っても、戻ることなく癌で死んだ。のちに知ったが上司と喧嘩して左遷されたそうだ。 事情により、伯父と祖母と父の3人で住むことなく、父と祖母は家を出たようだ。それも当時は祖母の通院のためと聞かされていたが・・・。今回、死亡して色々わかった。伯父は一族から絶縁されていた。絶縁に法的根拠はないが、一切関わらないということだと思う。 ちなみに村八分は火事と葬儀は協��するが他の8割は協力しないということ。絶縁ももっとすごいと思った。 まさに独居老人だなと思っていたが、生活保護を受けて、元気に自転車を乗り回していたらしい。全くの無病で、慎ましやかに生活されていたと役所の担当ケースワーカーから聞いた。 ところで、25万と火葬費用がかかったので葬祭扶助くださいと申し出たのだが断られた。生活保護は死んだら支給停止なのでと。 は?おかしいでしょ?と言ってもダメだった。 こちらで再度調べたが、やっぱり支給されるようだが・・・。 無知なケースワーカーに当たるとめんどくさい。縁を早く切りたかったので再度役所に出向いたりするのも嫌なので、連絡を取るのはやめた。 室内は死んだ時の状態そのままかなと思えた。布団は万年床になっている感じ。 小さなブラウン管のテレビがあるところに布団が敷かれていた。 電話は薄緑色の回転式の電話。これ。 NTTに解約の電話をしたところ、最後のお支払いで「買取」をしてくれればそのまま捨てても良いとのことだった。数百円だったと思う。で、そのままにしておいた。 問題はこれから真夏の7月に電気を切るので、冷蔵庫の中身だった。 物は独居老人だったので少なかったが、腐り始めているのもあって面倒だったがコンビニで買ったゴミ袋に全て突っ込んで捨てた。 ちなみに靴は脱がなかった。足の怪我が怖かったし、もう思い入れもない。 以前からあった場所に仏壇があった。そこには父からの手紙もあった。どうやら色々と揉めていたらしい。90年代の手紙だった。~の親族には挨拶に行けなど指示的な内容が多かった。 差し出しの住所は父が癌で入院していた病院だった。そして、仏壇の引き出しからは、若い頃の祖母と父、伯父、見知らぬ女の子が写っている写真が出てきた。 その女性は戦前食糧難の時に青梅を食べて食中毒を起こして亡くなったらしいと聞いている。 伯父は結婚したものの、一人娘を交通事故で亡くしており、その後離婚。相手方を見た記憶は私にはない。 さらっと家の中を片付けて、このまま全て処分してくださいとお願いした。 あ、あとケースワーカーから聞いていた、保護費が振り込まれる口座のある銀行にお金が少しは入っているのでそれを葬儀代に当てて欲しいと言われていたので、印鑑と通帳を見つけた。すぐに見つけられるところにあるのは、男一人って感じ。 ではと解体をお願いし、その足で銀行へ行ったところ、受けてくださった行員さんは大変困惑し、私は一体何者なのかという点と、すでに死亡しているので相続の問題があるとのことだった。 何者かを証明するには戸籍謄本などが必要だが・・・と。しかも相続の対象になるかどうか、ここの口座から引き出すことも閉じることも、事実上不可能だと。 相続の対象者は過去に離婚した奥様、そのお子さんなど全てで、私が現金を手にするには、その全員から印鑑をもらわないととダメだという。す���と不可能なことになる。これが億などの大金なら、弁護士や何やら雇って解決する方法もおすすめできるが、おそらくそんなに多くはないはずで、他の多くの方もそれで諦めてしまうことが多いと。そのお金はどこへ?と聞くと、不明金として一旦本社に行き・・・おそらく国庫かとという回答だった。 しかし、そこで行員さんが少々お待ち下さいと、上席の方に相談してくださり、支店長まで来てくださり、今回は支店長決済ということで、私の身分証明書、伯父の印鑑、通帳があれば、引き出しと解約をさせていただきますとのことだった。大変助かった。 引き出せた金額は一桁万円。しかも年金だった。保護費は残っていなかった。つまりこの金額だから、支店長決済で対応もらえたのだと思った。 年金が振り込まれているが・・・。これはどうすればいいのかと銀行の方に尋ねるも、これは年金事務所へ行っていただかないと分かりませんということだった。 車で数十分、最寄りの年金事務所へ行った。事情を話したところ、全くどうなるか、わからない、本体の年金機構に尋ねるので時間が欲しいと。どれぐらいかかりますか?と尋ねると。わからないという。 では、年金機構の対応部署を教えて欲しいと尋ねるも、わからないという。どうやって尋ねるのですか?と聞くと、わからないですという。じゃあ、とりあえずどこに尋ねるかわからないけれど、相談は受けるということか。 じゃあ連絡待ってますと伝え年金事務所を後にした。 その後、半年経っても何も連絡が来ないので、年金事務所に連絡したが、わからないという。年金機構のどこに連絡したのかと聞いてもわからないという。 もう流石に話にならないので年金機構の問い合わせに電話したところ、そのような事情はわからないと。担当部署が対応していると思うので年金事務所がそう言っているのなら、連絡を待って欲しいと。え、担当部署はどこですか?と尋ねると、年金機構でもわからないという。あの、仕事していますか? その後、今に至るまで連絡なし。私は葬儀代として考えている。これから返せと来ても一生かけて争ってやる。 さて、家のその後だが、7月に解体のお願いをして、8月に永田町の司法書士事務所にて1万円で売買した。その時に司法書士の立ち会いのもと行われましたという旨が書かれた書類をもらい、名義変更も終わった。これで何があっても私の責任は無くなった。 これで終わりだと思った。一応不動産屋からは解体が終わったらご連絡しますと言われていて、9月とか10月には来るのかなと思っていたら、次の年の2月に連絡が来て、メールには解体されて更地になった土地の写真が添付されていた。土には雪が積もっていた。 今、ストリートビューで見てみたが、まだ家が残ってる。とても嫌な気分だ。 追記、その年度末には一通の手紙が税務署から届いた。何か不動産の取引をしましたよね?納税はありませんか?と。ない、むしろマイナスであると書き込み返信した。すごいよ、税務署の仕事ぶりは。年金機構も見習って欲しい。
1万円で家を売った - カメラが欲しい、レン��が欲しい、あれもこれも欲しい
6 notes
·
View notes
Photo
The Quest for Buddhism (120)
Buddhist cosmology
Samatha-vippasana – Buddhist yoga
Samatha-vipassana is the main form of Buddhist meditation and yogic practice, yoga. In a broad sense, it is part of Zen.
Buddhist yoga practice is samatha-vippasana, in which samatha (stillness: Ref) and vippasana (insight: Ref2) take place simultaneously. The emphasis on observation as well as cessation is characteristic of Buddhist meditation methods. Cessation and contemplation are often compared to two wheels, which are inseparable. The diverse development of this technique of prayer and meditation, incorporating yogic contemplation (meditation), is a characteristic of Buddhism.
Buddhist yoga encompasses a variety of methods which aim to develop the 37 aids to awakening (Ref3). Its ultimate goal is bodhi (awakening) or nirvana (cessation), traditionally seen as the permanent end of suffering (dukkha) and rebirth. Buddhist texts use a number of terms for spiritual praxis in addition to yoga, such as bhavana ("development": Ref4) and jhana (dhyana: Ref5).
In early Buddhism, yoga practices included:
the rupa dhyanas (four meditations or mental absorptions: Ref6),
the four satipatthanas (foundations or establishments of mindfulness),
anapanasati (mindfulness of breath: Ref7),
the four immeasurable minds (supranormal states of mind),
the brahmaviharas (divine abodes: Ref8).
Anussati (contemplations, recollections)
*Note: the four satipatthanas are the most central and most important contemplation for attaining enlightenment since the time of the Buddha's early Buddhism, and the core contemplative practice of the main Buddhist meditation of samatha-vipassana.
These meditations were seen as supported by the other elements of the Noble Eightfold Path (Ref9), such as ethics, right exertion, sense restraint and right view. Two mental qualities are said to be indispensable for yoga practice in Buddhism: samatha (calm, stability) and vipassanā (insight, clear seeing). Samatha is a stable, relaxed mind, associated with samadhi (mental unification, focus) and dhyana (a state of meditative absorption). Vipassana is insight or penetrative understanding into the true nature of phenomena, also defined as "seeing things as they truly are" (yathābhūtaṃ darśanam). A unique feature of classical Buddhism is its understanding of all phenomena (dhamma) as being empty of a self (Pali: anatta Skt: anatman, literally "non-self").
仏教の探求 (120)
仏教の宇宙論
止観 〜 仏教ヨガ
止観 (しかん、梵: サマタ・ヴィパッサナー) とは、仏教の瞑想の主なものであり、ヨガ行である。広い意味で禅の一部に組み込まれている���
仏教のヨガ行は、サマタ (止: 参照) とヴィパッサナー (観: 参照2) が同時に行われる止観である。サマタ (止) だけでなくヴィパッサナー (観) も重視するところに、仏教の瞑想法の特徴がある。止観は、しばしば2つの車輪に例えられ、不離の関係にある。ヨーガ観法 (瞑想法) を取り入れて、この祈りと瞑想の技術が多様に発展したことが、仏教の特徴であるといえる。
仏教のヨガは、悟りを開くための37の修行項目(参照3)を開発することを目的とした様々な方法が組み込まれている。その究極の目標は菩提 (覚醒) または涅槃 (止)で、伝統的には苦 (梵・巴: ドゥッカ) と転生の永久的な終わりと見なされている。仏典では、ヨガ行に加えて、瞑想の発達 (バーヴァナー: 参照4) や禅定 (ぜんじょう、梵: デイヤーナ、巴: ジャーナ: 参照5) など、精神修養のための用語がいくつか使われている。
初期仏教では、ヨガの修行には以下のようなものがあった:
四禅 (しぜん、梵: ルーパデイヤーナ、四つの瞑想または精神的吸収: 参照6)
四念処 (しねんじょ、巴: チャッターロー・サティパッターナー、マインドフルネスの基礎となるもの)
安那般那念 (あんなはんなねん、巴:アーナーパーナ・サティ、呼吸を意識すること: 参照7)
四無量心 (しむりょうしん、巴: アッパマナー、心の超常的な状態: 参照8)
四梵住 (しぼんじゅう、梵・巴:ブラフマーヴィハーラ、神聖な住まい)
アヌサティ(観想、想起)
*注)四念処 (しねんじょ、巴: チャッターロー・サティパッターナー)とは、釈迦の初期仏教の時代から、悟りを得るための最も中心的で最も重要な観想であり、仏教の主要な瞑想である止観の中核をなす観想法である。
これらの瞑想は、倫理、正しい努力、感覚の抑制、正しい見方など、八正道(参照9)の他の要素によって支えられていると考えられていた。仏教では、ヨガの練習に欠かせない2つの精神的資質があると言われている。それがサマタ (静寂、安定) とヴィパッサナー (洞察、明察) である。サマタ (止) とは、安定したリラックスした心のことで、サマディ (��昧: 精神統一、集中) やディヤーナ (禅定: 瞑想的吸収の状態) に関連している。ヴィパッサナー(観) は現象の本質に対する洞察や浸透的な理解であり、「物事を本当にあるがままに見る」とも定義されている。古典仏教の特徴は、すべての現象(ダンマ)を無我 (むが、巴: アナッター、梵: アナートマン) のものと理解することである。
#buddhist yoga#samatha-vippasana#buddist meditation#buddhism#buddha#awakening#meditation#mindfulness#zen#wisdom#philosophy#shaolin#yoga#nature#art#bodhi#nirvana#maitreya
152 notes
·
View notes
Text
生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ
国立近代美術館で「生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」を見る。版画(板画)を中心としつつも、それだけにはとどまらない棟方作品を幅広く取り上げた大規模な回顧展である。
1928年の油絵「雑園習作」。
「東京弁稽古の��」。自伝『板極道』の中の、上京が決まった頃の場面の挿絵。
「歌舞伎版画勧進帳」(1931年)。歌舞伎座で上演された勧進帳の役者を描いたもの。後年の棟方らしさバリバリの作品とは異なるテイストの版画を見るのは初めてで物珍しく、こういう仕事もしていたのかと驚かされた。役者は左から順に、初代中村鴈治郎、初代中村吉右衛門、市川中車(キャプションには書かれていないが、おそらく七代目)。
「観音経曼荼羅」(1938年)。裏彩色を初めて本格的に取り入れて成功した作品とのこと。
「華厳譜」(1936年)の風神。個人的に好きな棟方作品のひとつ。
青森ゆかりの能「善知鳥(うとう)」をテーマにした「善知鳥版画巻」(1938年)の中の「鉄嘴」「浪声」。
西洋モチーフの作品もある。「基督の柵」(1956年)。
「ホイットマン詩集抜粋の柵」(1959年)。
「神祭板畫巻」(1943年)。国画会展に出品されたものの、「皇大神宮」の文字の途中で改行されているのが不敬にあたるのではないかと主催者側が恐れ、撤去されたという。内容は思いっきり天皇賛美に見えるのに、改行すらもはばかるとは……言論統制および自主規制ほんとこわい。
棟方が請われて揮毫した書「無事」。説得力のある「無事」である。
「二菩薩釈迦十大弟子」(1939年)。「須菩提」は版木と見比べることができる。
襖は大きいので全体の写真を撮るのが難しい。
「いろは板画柵」の右隻。
「谷崎歌���板画柵」の左隻。谷崎潤一郎の歌に絵をつけたもの。
谷崎潤一郎の小説『鍵』の挿絵。
切手になった棟方。
パッケージデザインも引き受け��棟方。
「華狩頌」(1954年)。モチーフはアイヌの儀礼に発想を得、構図は坂本万七が撮影した高句麗古墳・舞踊塚の壁画からヒントを得たという。
青森凧絵。
棟方デザインの浴衣。
「東海道棟方板画」(1963-64年)。このシリーズは、棟方作品の主なイメージ(民藝とか宗教モチーフとか)から離れて、工業化する日本の姿が描かれているのが気に入った。
「大印度の花の柵」(1972年)。ゴッホのひまわり図に入り込んだ棟方。作者の顔が浮かび上がる花瓶がちょっとキモおもしろい。
棟方の道具。
2 notes
·
View notes
Text
Here are some interesting things from PERSONA3 THE MOVIE #1 FANBOOK.
The interesting english names
PEOPLE OF GEKKOKAN GAKUEN(月光館学園の人々)
TAKEHATU KIRIJO(桐条武治)
WHAT PERSONAS TAMER NEEDS TO KNOW ABOUT THE 9 TOPICS(ペルソナ使いが知っておきたい9つのこと)
Arousal(覚醒)
GEKKOKANGAKUEN(月光館学園)
IWATO-DAI BUNRYO(巌戸台分寮)
PORTISLAND STATION(ポートアイランド駅)
IWATO-DAI STATION(巌戸台駅周辺)
NAGANAKI SHRINE(長鳴神社)
YAKUSHIMA ISLAND(屋久島)
VELVET ROOM(ベルベットルーム)
TARTAROS(タルタロス)
SHAMP DE FLEUR(シャン・デ・フルール)(love hotel)
MONORAIL(モノレール)
IMPERIAL JAPANESE ARMY FACILITY(旧日本軍施設)
Evoker
召喚器
ペルソナ使いたちが使用する “召喚器” と呼ばれる道具は、それ自体がペルソナを召喚するわけではなく、能力者に、“死を意識させる”ためのものである。拳銃の形をしていて、その銃口を自らに向けて引き金を引くという動作が、潜在意識に働いてペルソナを発動しやすい状態にするのである。
もちろん、召喚器から弾丸が発射されることはない。
Dark Hour
影時間
影時間の発生はポートアイランドの月光館学園を中心とし、観測される範囲も月光館学園を中心としたある程度の範囲までに限られる。もっともポートアイランドが人工島で海上での観測が困難なことと、観測できる範囲自体にも日によって違いがあるようで、距離は特定できていない。ペルソナ能力を持ってはないが、影時間に動ける者は数は少ないが存在している。
零時になった瞬間から影時間が始まるが、人間の象徴化などの変化はタイムラグなしに一瞬で起こる。
Greater Shadows
大型シャドウ
他のシャドウとは、その大きさの点で著しく異なるため “大型シャドウ” などと呼ばれているが、それらは一般的なシャドウ以上に謎が多い。満月のときにのみ出現する。
Weirdly, the names of the arcana next to the Shadows are katakana loanwords rather than the usual kanji.
Velvet Room key
放課後の夕暮れ時、刹那の瞬間、理の意識は夢と現実、精神と物質の狭間にあるというベルベットルームへ移る。そこで部屋の主であるイゴールから客人として認められた理は1本の鍵を贈られる。それこそが持ち主を非日常へといざなう、運命の鍵に他ならなかった。
Shadow that attacked the dorm
寮を襲った巨大なシャドウ
���術師 (マジシャン) の名を持つ大型シャドウで、複数の腕から繰り出される強力な斬撃を主な攻撃手段としている。タナトスにそれらの腕を切り落とされたのち、倒された。
Difference between Makoto and Junpei
理と順平の違い
順平が真田に誘われたのは、影時間中に棺桶だらけのコンビニで泣いていたことがきっかけ。影時間に平然としていた理と異なり、取り乱していた順平。しかし彼が語るように、パニックになるほうが普通なのだ。
Persona attrition
ペルソナの消耗
ペルソナにスキルを使わせたり酷使することで、召喚者の精神力は擦り減っていく。順平のように単に召喚できなくなるだけでなく、初戦闘後の理のように倒れしばらく寝込むこともある。ペルソナは、無限の力ではないのだ。
Ken and Koromaru
大切な人を亡くしたひとりと1匹
コロマルは飼い主だった神主を亡くして以来、まるで亡き主人の菩提を守るように、神社に留まり続けていた。そんな彼の姿に共感を覚えた天田は、定期的にコロマルのもとを訪れては、餌を与え続けていたようだ。
This is just nice
駆けつけた荒垣の助けを借り、地下施設における窮地を乗り切った理たち。ペルソナ使いであった荒垣はそのままに彼らと合流し、大所帯となった特別��外活動部のメンバーたちは、夏祭りなど大切な仲間と過ごす充実の日々を心から誰歌していた。
Shinjiro's portrait(this is where the spoilers are)
壇上に飾られた遺影
荒垣がタカヤに撃たれ亡くなった後、学園では彼の告別式が行われた。そこに遺影として飾られていた写真は、神社の夏祭りの日に撮影したものである。
#persona 3#p3#p3m fanbook#spoilers#its one bit and everythings in japanese but its there#there are interviews that i couldnt be bothered to put into google translate#im not going to scan it because that RUINS the book#theres no english name for the dark hour an evoker or the greater shadows#most of this can probably be applied to the games
3 notes
·
View notes
Text
旅の記録
12月3日~4日、友人と鎌倉・江ノ島旅行をする。
鎌倉文学館で没後35年特別展、澁澤龍彦・高丘���王航海記の展示があったので、鎌倉へ行こうと計画をしていたところ、友人が声をかけてくれて、ひとり旅でなくなった。
ひとり旅だと、どうしても鳥を探したくなって重いカメラを担いで、ワークマンの服を着て出かけることになる。鳥を撮影するようになってから、文化財を巡るような「旅」とは疎遠になっていた。
旅のルートは、 一日目 北鎌倉・浄智寺(澁澤龍彦の菩提寺)―鎌倉・鶴岡八幡宮/大河ドラマ館/鳩サブレーで有名な豊島屋のカフェ「置石」/クルミッコ/桜貝アクセサリー店/鎌倉文学館 二日目 江ノ島(特にどこという予定は決めずに江ノ島とだけ決めていた)
・北鎌倉 浄智寺 北鎌倉で待ち合わせをした。そのまま浄智寺へ。地図を見なくても、なんとなく歩いて行けばたどり着けた。 人生で一番通っている寺というのは、どう考えても地元の檀家になっている寺だが、そのつぎがたぶん、東大寺だろう。地元の友人とよく奈良へ行くし、奈良は鳥がたくさんいるので、バードウォッチングを始めてからも何かにつけて出かけている。だがその次は?となるとおそらく浄智寺ではないかと思う。 そんなに通っているのに、じつは一度も澁澤龍彦の墓にたどり着いたことがない。浄智寺は、拝観料が必要な文化財としての寺だけれど、檀家もいて、お墓があるのだ。それはつまり、地元のひとびとの暮らしと地続きの場所で、そこを、ただ澁澤龍彦のファンであるというだけの自分が「墓参りに来ました」と言っていいものか、というのをずっと迷っていて、聞けずにいて、見つけることができなかったのだ。 だが今回、どうしても澁澤に報告したいことができたので、澁澤の墓前に立ちたかった。寺の受付のひとに聞くと、わかりづらい場所にある、と言いながら親切に教えてくれた。いままでたどり着くことのできなかった墓前にたどりついて、いろんな報告をした。 澁澤にしてみれば赤の他人が急に墓にやってきて、あなたのファンです、やっとここまで私の人生がたどり着きました、なんて報告をされても知ったことではないだろうと思ったが、人生の一つの区切りとして訪れることができてよかった。矢川澄子は岩波の校正員時代に、龍子さんは芸術新潮の編集者のときに、澁澤と出会っている。 御朱印をもらって帰るとき、そのふたつ前のページが、以前訪れたときの浄智寺のものだった。文化財から足が遠のいている自分を発見してすこし苦々しく思う。
・鶴岡八幡宮/大河ドラマ館 カモメが群れになって飛んでいた。七五三の子供がたくさんあるいていて、成人式の前撮りの人たちもいた。 今期の大河ドラマを見ていないのでついていけるかどうか不安だったが、楽しそうにする友人を見ているだけで楽しかった。映像資料やジオラマ、体験コーナーなど、ドラマを見ていない人間でも楽しめた。舞台セットの時代考証の映像がとてもよかった。 ハトがたくさん歩いている。
・クルミッコ/置石/桜貝のアクセサリー店 前回鎌倉旅行をするときに、地元の友人に「クルミッコ」というお菓子がおいしいと教えてもらった。そのときはお昼過ぎに店舗に立ち寄ったのだが、行列ができていてなかなかお店に入れなかった。「並ぶんだよ~」と言いながらお店にいくと、列ができていない…。もうクルミッコブームは終わったのか? とお店に入ると……クルミッコ、売り切れていた。まだおひるすぎだというのに。 置石へむかう。エクレアサンドとチョコレートパフェをたのむ。紅茶がとてもおいしいと友人が教えてくれたのでそれも注文する。紅茶はとてもおいしかった。そして……チョコレートパフェ、800円という金額なのにとても巨大だった。エクレアサンドを食べたあとに食べるサイズではなかった。ふつう、コーンフレークがいるところにおそらくは粉砕されたハトサブレが陣取っていて、それがとてもおいしかった。巨大だったが、おいしかったのでつるっと食べられた。 その後、桜貝のアクセサリー店へ行くまでに、鳩サブレー本店にたちよる。鳩サブレーグッズを買う。ここも行列。宿で食べるおやつに矢口餅を買う。大河ドラマに登場した餅らしい。何も知らずに求肥に釣られて買った。 桜貝のアクセサリー店も長蛇の列だった。列に並んでいるあいだ、「桜貝ってわれわれでも拾えるのかな」「由比ヶ浜にいくから打ち上げられてないかな」などと話をしていたら、前に並んでいた人が、「六時半くらいに行くと拾えますよ」と拾った桜貝の写真を見せてくれる。早起きして桜貝探しをすることを誓い合う。 どれもかわいくて迷いに迷って、桜貝のヘアピンを買う。
・鎌倉文学館 鶴岡八幡宮の門前町を楽しみすぎて、文学館が16:30閉館なのにたどり着いたのは16:00だった。高丘親王航海記の展示を見る。こぢんまりとした展示だったし、見たかったのは創作メモだけだったので、そこだけ重点的にみる。三島の影響を感じる部分などある。 リスが木を歩いていた。鎌倉にはたくさんリスがいると警備員さんに教えてもらう。宿までの道すじでもリスがいて、うんこされる。
二泊目
・由比ヶ浜 約束通り6時に起きられたので、6時半に由比ヶ浜に到着する。もうサーファーが海にたくさん入っていておどろく。 桜貝を探す。海で貝を探すときは、一点を見ない方がいい。とはいえ、タカラガイを探すことは得意でも、桜貝用の「目」ではない。一つ目を探すのに苦労する。それでも一つ見つけると目が慣れてぽつ、ぽつと見つけられる。メダカラを一つだけみつけるが、擦れていたので拾わずおいてゆく。桜貝に孔をあけるツメタガイも打ち上げられている。 「朝日曇っているから見えないのかなあ」と言っていたら、背後の山のほうから日が昇る。朝日はいつでも海からのぼると思っていたが、そうでもないらしい。
・江ノ島 江ノ島へ行く前に、クルミッコへもう一度。開店直後にお店に到着したのに、お店のかげまで行列ができていておどろく。ほしかったカンカン入りのクルミッコが買えたので満足する。 江ノ電に載り江ノ島へ。 江ノ島までの道にたくさんお店が並んでいる。家族には「わざわざ江ノ島まで行ってしらすを食べなくても地元で食べればいいじゃないか」と言われながら出かけたのだが、しらすピ��は地元にはない。絶対しらすピザをたべたいと言い続ける。 弁天橋から鳥を見る。見たことのない鳥だったのでコンデヂだったが撮影する。帰ってから調べるとカツオドリで、どうして重いからという理由でミラーレス×超望遠を置いてきたのかと後悔する。 江ノ島神社への参道には、貝を売る店がおおくある。夜光貝やナンヨウダカラを見てはほしいほしいと騒ぐ。 江島神社へ到着する。弁財天をまつる神社もある。わたしは弁財天を見つけると必ずお参りするようにしている。弁財天は芸能の神様なので、小説の上達を必ず祈ることにしているのだ。弁財天のお守りももらう。新しい仕事の鞄につけようと思っている。 山頂まではエスカーにのる。エスカー、ケーブルカーのようなものだと思っていたらエスカレーターだった。だからエスカーか……。 参道で行列ができていたタコせんべいのお店が山頂にもある。そこも行列ができていたが、参道ほどではない。生のタコをまるまる一匹、プレスして作るせんべいは、タコをおしつぶすとき、悲鳴が聞こえる。あつあつのを、トンビに狙われながらたべる。 シーキャンドルという展望塔に向かう途中、鳥のような鳥じゃないような鳴き声が聞こえる。近づいていくとリスだった。至近距離でも逃げない。奈良の鹿のように、鎌倉にはリスが多い。クルミッコにリスが描かれていることに納得する。 シーキャンドルにのぼる。眺めがよく、ずっと見ていられそう。富士山がとても近い。わたしたちの住んでいるところでは、富士山は条件のいい冬にしか見られないが、関東では天気がよければそうめずらしくないらしい。 念願のしらすピザをたべる。めちゃくちゃ大きい。鎌倉野菜としらすのピザだった。とにかく大きい。おなかがいっぱいになりながらそれでもおいしいので完食する。はじめてクリームソーダを食べる。おいしかった。窓からは湘南の海だろうか、海と富士山が見える。SUPのひとたちがときどき通り過ぎてゆく。
電車に乗り、友人と別れる。 先週の横浜行きでは売り切れていた崎陽軒のシウマイ弁当を食べる気満々でいたものの、しらすピザが大きすぎて全然おなかがすいていなかった。崎陽軒のチャーハン弁当(シウマイが2コ入っている)と、真空パックじゃない方のシウマイを買う。新幹線で食べるつもりだったが全然おなかがすかなくて、帰りの近鉄電車で食べた。おいしかった。
コロナ禍に入ってからバードウォッチングをはじめ、神社仏閣をまわったり、博物館へ行ったり、素敵なカフェやお土産を探したり、観光地をぶらぶら歩く旅から遠ざかっていたので、今回の旅ではそれができたことがとてもうれしかった。 いつのまにか、旅=探鳥になっていたけれど、こういう旅を好んでしていたなあ……旅といえば、博物館や美術館を探し、神社仏閣を巡っていたのは、つい二、三年まえのこと。それなのに、なんだかはじめての旅をしたような心地だった。
12 notes
·
View notes
Text
スリランカで古代のアーユルヴェーダの技を発見
スリランカのコロンボで飛行機から降り立ったとき、私は興奮と緊張を感じずにはいられませんでした。スリランカで何千年も実践されてきた伝統的な医学体系である古代のアーユルヴェーダの技を探求する一人旅に出発しようとしていたのです。私はずっとホリスティックヒーリングの概念に魅了され、それについてもっと知りたいと思っていました。スリランカツアー を専門とする評判の高いツアーオペレーター、コンクツアーズが私のためにカスタマイズされた旅程を作成し、自己発見と健康の旅へと連れて行ってくれると約束してくれました。
最初の目的地はネゴンボの町で、豊かな緑に囲まれた美しいアーユルヴェーダリゾートにチェックインしました。部屋に入ると、アーユルヴェーダの医師が温かい笑顔で迎えてくれ、アーユルヴェーダの原理と滞在中の施術方法を説明してくれました。私は、ヴァータ、ピッタ、カパという 3 つのドーシャの概念と、それが私たちの心身の健康を左右する仕組みに魅了されました。その後数日間、マッサージ、ハーブ風呂、瞑想セッションなど、ドーシャのバランスを整え、全体的な健康を促進するための一連のトリートメントを受けました。
滞在中のハイライトの 1 つは、古代のアーユルヴェーダ料理の技術を学ぶ機会を得たことです。午前中はリゾートのシェフと一緒にキッチンで過ごし、伝統的なアーユルヴェーダ料理に使われるさまざまなハーブやスパイスについて学びました。リゾートの庭で採れた新鮮な食材を使って、一緒においしい食事を作りました。味の複雑さと、各料理の準備に込められた細部へのこだわりに驚きました。アーユルヴェーダ医学では食べ物が重要な役割を果たしていることは明らかで、私はこれらの原則を自分の料理に取り入れたいと思いました。
スリランカ中を旅していると、多くのアーユルヴェーダの施術者に出会い、彼らの知識と専門知識を教えていただきました。ハーブ園を訪れ、さまざまな植物やハーブの���効について学びました。熟練した職人が何世代にもわたって受け継がれてきた技法を使って伝統的なアーユルヴェーダ薬を調合する様子を、私は畏敬の念を抱きながら見ていました。どこへ行っても、この古代の伝統を守ることに尽力する人々の情熱と献身に感銘を受けました。
もちろん、スリランカの豊かな文化遺産を探索しなければ、スリランカへの旅は完結しません。私は古代都市アヌラーダプラを 1 日かけて探索し、真鍮の宮殿の遺跡と神聖な菩提樹に驚嘆しました。キャンディの象徴的な仏歯寺を訪れ、信者が日々の儀式を行う様子を畏敬の念を抱きながら見ました。どこへ行っても、この素晴らしい国の鮮やかな色彩、音、匂いに心を打たれました。
旅の間中、コンク ツアーズは素晴らしいサポートとガイドを提供してくれました。私の運転手であるランガさんは知識が豊富で、私たちが訪れた場所についての物語や洞察を共有してくれました。彼は地元の人々を紹介してくれました。彼らは私を家に招き入れ、伝統を教えてくれてくれました。私は旅程の柔軟性に感謝しました。そのおかげで、途中で思いがけず立ち寄ったり、隠れた名所を探索したりできました。
スリランカ アーユルヴェーダ ツアーを振り返ってみると、それが私の人生に与えた大きな影響に驚かされます。私はリフレッシュし、元気を取り戻し、インスピレーションを得て帰国しました。アーユルヴェーダの古代の芸術と現代生活への関連性について、より深く理解することができました。スリランカの美しさと多様性に対する新たな認識が生まれ、旅の途中で出会った人々と有意義なつながりを築くことができました。
スリランカへの一人旅を考えているなら、アーユルヴェーダの世界を探索することを強くお勧めします。この素晴らしい国の中心部へとあなたを導く旅で、豊かな文化遺産、見事な自然の美しさ、そして深い幸福感を発見することができます。コンク ツアーは、スリランカに関する専門知識と情熱を持ち、この旅を案内するのに最適なパートナーです。さあ、あなた自身の自己発見と健康の冒険に乗り出してみませんか? 今すぐスリランカ アーユルヴェーダ ツアーを予約して、この古代の伝統の変革力をご自身で体験してください。
実用情報
スリランカを訪れるのに最適な時期: 12 月から 4 月
推奨滞在期間: 7 ~ 10 日間
宿泊施設: アーユルヴェーダ リゾート、ブティック ホテル、ゲストハウス
交通手段: 専用車とドライバー、公共交通機関、徒歩
アクティビティ: アーユルヴェーダ トリートメント、料理教室、ハーブ園訪問、文化ツアー、ハイキングやサーフィンなどのアウトドア アクティビティ
言語: 英語、シンハラ語、タミル語
通貨: スリランカ ルピー (LKR)
結論
スリランカのアーユルヴェーダ ツアーは、私にとって一生忘れられない人生を変える体験でした。自己発見、健康、文化に浸る旅でした。アーユルヴェーダという古代の芸術に対する新たな認識とともに、リフレッシュし、新たな気持ちで、刺激を受けて帰国しました。ユニークで変革をもたらすような旅行体験をお探しなら、スリランカでアーユルヴェーダの世界を探索することを強くお勧めします。今すぐ Conch Tours でツアーを予約して、忘れられない発見と健康の冒険に乗り出しましょう。
0 notes
Text
TEDにて
サム・ハリス: 道徳観「moralityモラリティ」にまつわる科学
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
前提として、道徳や倫理も概念が異なります。
一神教や多神教でも概念は異なります!
「公正」の定義は、「公平」の「判断や言動などがかたよっていないこと」に加えて、「正義」の方向に現在進行形で進んでいる事象のこと。
「正義」の定義は、この場合、マイケルサンデルによると、ジョンロールズの格差原理から最下層の便益に合わせて社会を動かすことが正義である!と言っています。
知ってるつもりで思い違いしてること!
公平概念は「ハンデをつけて上限を公平に!」
平等概念をわかりやすく言葉にすると「上限の公平ではなく底上げの平等!」みたいな感じで、これ以上でも以下でも概念が変わるから拡大解釈しないこと。
法人の平等な競争はあまり聞いたことない。公平な競争がしっくりくる
人間の善悪に関わる問題や、正しいことと間違っていることに関する問題は、科学から答えを導くことができないと思われがちです。
しかし、サム・ハリスは、科学は人間の価値観を形作り、良い人生を構成しながら道徳観の問題点のよりどころになりうると同時によりどころであるべきだと語ります。
道徳観や人間の価値観を述べているものは、どれも人間の意識や意識の変化と関係しているそうです。
われわれが脳レベルで、人間の心を理解する方向に向かっていると認めたら、生理学的な面からわれわれ自身の肯定的、または、否定的な素質を理解することになると認めなくてはいけません。
共感や思いやりのような肯定的な社会的感情を理解し、それを促進する要素を理解するようにします。
遺伝学的なものなのか?人間同士の歩み寄りの仕方なのか?経済システムなのか?という要素のことです。
現在、世界レベルで統合することは、困難を極めます。
日本での、道徳は古代中国の「タオ(道)」と「テー(徳)」ですが、世界では「morality」で英語のmoralは、ラテン語のmoresから由来しており「習慣」という意味です。倫理とは、異なります。
ジョン・ロールズやピーター・シンガーもいろいろ提唱してます。理論物理学者のエドワード・ウィッテンも登場します。
人間社会が栄えるには、理解するかどうかに関係なく、知っておかなくてはいけない事実があり、道徳観はこの事実と関係性があります。
ですから、価値観を論じるときは事実を論じているわけです。
我々の存在は、様々なレベルで把握できます。ゲノムのレベルから経済的システムのレベル。政治協定のレベルです。しかし、健全な暮らしを話題にするならば、人間の脳は切り離せません。
なぜなら、我々がこの世で経験することは、死後にどんなことが起ころうとも脳で現実化しているからです。
ですから、諸文化が、人間の安泰をどう考えようとも、それは共通理解が進んだ神経科学や心理学のような科学から理解できるのです。
道徳という言葉の概念が、漠然としているために皆の見解が一致しないと思う人は少なくないでしょう。では、どうやって道徳の概念を定義づけられるでしょうか?
でも、いつの日か人間の脳をリアルタイムでスキャンして傾向をシュミレーションで把握できるようになるかもしれません。
以上が、一神教の視点から見た風景です。
日本では、多神教の視点からなので・・・
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てんじく)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。
サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。
武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも呼ばれる。
数十年単位では、悪性でも数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
宗教の創始者たちの概念上の教え。
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装置をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強調する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
��ジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。人間の心理への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、組織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
これらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです。
そして
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教って、すべて一神教。数学の群論、トポロジーの圏論で多神教の仏教の視点で俯瞰すると、ある意味、多神教の一形態とも言えるんだよな。
インドでも似たようなのあるからね。ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神など。
なお、日本では、あまり知られていないヴィシュヌ神は、日々、時空を超越して、同時に姿を変えて人々を救っていたという場の量子論的な特徴があります。
その時のそれぞれの姿は化身を意味する「アヴァターラ」と定義されており、オンラインゲームなどで呼ばれる自分の分身となるキャラクター「アバター」の由来ともされています。
日本では、観自在菩薩に似ていますが、シヴァ神よりも強くて最強。宇宙を維持する役割もあるので、最新物理学では、イメージ的に不確定性原理に近く、スーパーストリング理論や陰陽五行理論も含まれています。
日本人は皆、神社にいくでしょ!
あれ神道で神社庁も公的にありますよ。
お寺にいくでしょ!あれ仏教ですよ。
お盆やお祭りや年中行事に参加するでしょ!あれ仏教ですよ。
これらに関わらない人も・・・
数%の大企業を中心にしたマスメディアやテレビなどもナショナリズムと言うカルトの定義になるんだけどね。
カルトの定義「中立的なバランスの欠けた極端な思想を対象にする少人数の狂信的な崇拝を持つ教団」に当てはまる?
カルトを論じる前にカルトの定義をしないと風評被害になります!
ご��意下さい。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
テーラワーダ仏教では「色」も定義されていて、「色」とは「五蘊(ごうん)」の一部であり「存在する物や事を視覚で認識」すること。
「色即是空」の「色」です。
「五蘊(ごうん)」は「五根(ごこん)」という身体の感覚器官から執着が生じていると論じています。
偶然の一致か否か?不思議なことに・・・
「量子力学」という分野を開拓し、発展させた三人の物理学者「ニールス・ボーア」「ヴェルナー・ハイゼンベルグ」「エルヴィン・シュレーディンガー」たちは
とても奇妙なことに気がつきました。
素粒子の物理学を究極まで追求していくと、驚いたことに、はるか昔の東洋の賢者たちが説いた哲学に
どんどん接近してしまうのです。
これは何を意味するのでしょうか?
次に
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出てきた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたいな道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先端を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
バラモン教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも。
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
現在のEUは、NATOがウクライナ侵攻でクローズアップされたこと。さらに、13の暦がひと回りして2000年前位の状況も含めて考えると
トルコまで領土にしたローマ帝国の民主主義版をフランス、ドイツは構築しようとしてる?
イギリスがブレグジット(Brexit)で離脱したのは、かつてのローマ帝国の過ちを回避した可能性も?
もし、以前、機運が高まった時にロシアがEUに加盟していれば、古代ローマ帝国2.0(民主主義版)が建国してい���かもしれない。
大西洋を超えてアメリカ大陸からロシアを含めて、北半球に巨大なモンゴル帝国を超えた人類史上最大の領域が誕生するので・・・
今からでもロシアは遅くないので加盟したほうがいいような気がします。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレーションとして出てきた。
仏教最高レベルの奥義が「中道」と言葉で言うのは簡単だけど、体得して実践するのは至難の業。
ピータードラッカーも言っている。
それを可能にする方法を段階を踏んで導いた最初の人が釈迦です。
初心者向けとして、アビダンマや八正道がそれに当たります。具体的な方法を体系化しています。
極端な見解にとらわれない(顚倒夢想:てんとうむそう)よう人が心の苦しみから逃れるには、八つの道を守れば良い。
正しい見かた、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断。そして、正しい考えかたである。
ところで「正しい」とは、何をもってそう言うのだろうか?
ここでは、アリストテレス(サンデルの正義)の定義ではありません。
この場合の定義は、ブッダの説いている「中道」が「正しい」という意味です。両極端にとらわれない正しい立場(中道)が悟りへと導く唯一の道なのです。
悟りから始まり、この世は、様々な概念が重なり合うため、概念の機微や均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
最初は大変だが、ドラゴンボール���登場するスーパーサイヤ人みたいに、これを大変なレベルじゃなくなるくらいに習慣化することがコツです。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
続きは、後ほど。倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権なので
アリストテレスのニコマコス倫理学には、快楽的生活、社会的生活、真理を追求する生活がある。
思考の知的な徳は、形式知の根本?
もう一つ、性格の徳は、暗黙知の根本?
アリストテレスのいう定義である悪徳の反対は、有徳。有徳に転換する努力が必要。
悪徳に似た概念として、仏教でも、具体的に邪道四つと定義されている。
テーラワーダ仏教に似ている。顚倒夢想(てんとうむそう)になるため悪行為を段階的に最小限する努力が善行為。
こうすることで「パワーか?フォースか?」の書籍でいうパワーが人類全体で平等に底上げされる。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です
そして、ブッダの説いている「中道」は、「パワーか?フォースか?」の書籍でいう「意識のマップ」内の「中立」レベルに当たるかもしれない。
アビダンマとは異なる領域なので、うつ病、ADHD、自律神経失調症、発達障害などは、精神科医や心療内科へどうぞ。
もう少し、テーラワーダ仏教で教え伝えられている経験則を初心者向けから二、三歩、歩みを進めると「預流道心」と言われる悟りの最初の心が生まれる瞬間があります。
自力で到達するのは危険なので、お寺のお坊さんに詳しくは聞いてください。
自分の解釈では、ここに到達する感覚としては、量子力学の本質である「場の量子論」を本当に理解した瞬間が一番近い感覚です。しかし、検証できないので本当に到達したかわかりません。
テーラワーダ仏教のアビダンマでは、「預流道心」に到達すると自然と悟りの道に自動的に回帰できるようになるそうです。次に、七回生まれ変わるまでに完全に悟りの流れに乗れる。
前世で「預流道心」に到達してると子供の頃から、桁の違う天才になりやすい傾向が発現してくるそうです。
そして、六道輪廻するのは、人間界か天界のみだそうです(一神教では、天国に近い領域に似ている)他にいくつか特徴があります。
「預流道心」に到達すると「第一禅定(ぜんじょう)」状態に自動的になります。
一神教では「天国」に相当することですが、テーラワーダ仏教には、この先がありますが、ここまでにします。
厳密には違うけど、わかりやすく言うと精神領域がスーパーサイヤ人に到達するようなイメージ。しかし、すぐ心の状態は普通になります。
漫画のイメージのように身体は強くなりません。
言葉の定義として「禅(Zen)」は、ブッダが伝授された「第一禅定(ぜんじょう)」が起源。
言葉の定義として、ここでの「定」は、サマーディとも「梵天」の「梵」とも呼ばれます。
日本語ではわかりずらいけどサンスクリット語などにすると全て関連してることがわかります。
サマーディ瞑想とも深く関連していて、瞑想しすぎると「あの世」の人になってしまうので、ほどほどの八正道で「この世」の状態を維持しないと危険です。
戻ってこれなくなります。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
歴史に耐え抜いた哲学の基盤がない権力者が最も危険な存在です。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
<おすすめサイト>
日本テーラワーダ仏教協会
仏教と物理学
ルネデカルトの「方法序説」についてOf Rene Descartes on “Discourse on Method”
デイヴィッド・ブルックス:人間の本質と社会的動物
マイケル・サンデル:失われた民主的議論の技術
ボブ•サーマン:私たちは、だれでも仏陀になれるという話
ロブ・ウィラー:政治的な問題をうまく議論するには!
アーサー・ブルックス:政治家の保守派もリベラル派も一致団結して問題解決に取り組もう!
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷高橋クリーニング店Facebook版
#サム#ハリス#jwave#wave#道徳#正義#価値#生活#マイケル#サンデル#倫理#脳#宗教#テーラ#ワーダ#仏教#教育#ジョナサン#ハイト#善玉#悪玉#アビダンマ#NHK#zero#ニュース#発見#discover#discovery
0 notes
Text
0 notes
Text
じゃれ本 1卓目の作品
「じゃれ本 オンライン試用版」を使ったセッションで紡がれた物語たちです。前の文の前後関係がわからずに何かを書こうとするとこうなります。参加した本人たちはめちゃくちゃ楽しかったです。
お題:ホラー ページ数:8P
『忘れられた木』
幻視を見た。夕日を背中に浴び、吊るされた死体。枝という枝に麻紐で吊るされていた……これは幻。 私は小さい頃から良くこういったモノを見た。
そして、私がそういう幻視をすると決まって何か似たことが起こる。建設現場の作業員が、足を踏み外して死んでいた。首には命綱が絡まっていたそうだ。幻視が正しかったことを確かめるためにSNSを漁った。
スクロールしながらふと、特定の話題に連なるコメントをまとめて「木」と呼んだなと思う。ああいう掲示板やwikiには、時折得体のしれない信憑性があったものだ。 ふと検索欄に指が向く。ある単語が「浮かんだ」
「菩提樹」 小さな検索窓に、たった三文字の言葉を打ち込んだ。 すると、ひとつのスレッドか過去ログ倉庫から発掘された。 無数の話題「木」の中に埋もれた、1本の「忘れられた木」。
昔々の事であった。その村は絹を生業としていた。土地には良質な桑の木々があり、蚕を育てるにはうってつけだったのだ。そんな桑の原の真ん中にポツンとある「菩提樹」それがその木である。
その「菩提樹」のために、囲いを作ったのが悪かった。人間の余計な世話で水が溜まって流れていかなくなった。根が腐り、どうしようもなくなってしまった。だから先祖は、「菩提樹」を失ってしまった。
菩提を失う。――悟れない。涅槃に至ることはない。そうして行き場を失った亡者どもが、今も私が見続けているものたちなのだろうか? だとしたら私の務めは、囲いを崩すこと。 それで蘇るのは、本当に木だろうか?
ふと、私は背後を見やった。 暗い部屋の中、ディスプレイのみの明かりで照らされた私の影。それに無数の「別の影」が纏わりつき、まるで菩提樹のような影を落としていた。 ああ―― 私も、忘れられた木になるのだ
『仄暗い水死体』
じいさん曰く、死体の色には明るいのと暗いのがある。明るいのは悪くて、暗いのはいいんだと。明るいのはまだ魂が引っ付いてるんだ。明るいのを見っけたらわざとしばらく見ないふりをして”干し”とくんだと。
すると目の前にあるずぶ濡れのこれは"干す"必要がある。人ん家の屋上でなんという仕打ちだ、と舌打ちした。頭にあるのはこれで値打ちがどれほど下がるかということばかり。一番怖いのは人間の欲だと我ながら思う。
だが"干す"となると、ここ以上に適任の場所はあるまい。止むを得ず、僕はそれを屋上に放置することにした。 もちろん、そのまま置いておいては騒ぎになるだろう。 そこで一計を案じた。
「工事中・立ち入り禁止」 安直だが準備無く出来るのはこれが最善だろう。もちろんここの管理者が見れば不信がるのは避けられない。エレベーターの無い屋上の管理を真面目にこなさないことを祈った。
あれは明るい死体だった。現代日本で死体が見つからないわけがない。時間を稼げたらいい……。 僕の頭はあの死体でいっぱいだった。白熱電球のような明るい死体だった。時間だけがほしい。
どうすれば? ――翳を作ればいいんだろう。暗くすればいい。夜を、もっと早く夜を。夜を呼ぼう。太陽も星も沈めてしまえ。ストロボライトもカメラのフラッシュも、みんな空に向いちまえ。死体が干上がるまで。
そうだ。――視界に、あるものが止まった。 浄水槽。百均の網を使えば、あの暗闇の中でこれを干せる。
網を取る。広げる。置く――死体を。ツンとした腐敗臭に目をしかめ、手早く、手早く行う。 そして暗い円筒へ。
水死体は仄暗い闇の中。
『包帯はまだありません』
残念ながら私の右腕には呪いが掛かっている、と言われた。中学生の妄想ではない。浮き出た痣のような模様はどことなく死んだ祖父に似ている。 一応は隠すかと包帯を探していたら、声が聞こえた。「まだだ」と。
ぎょっとして右腕に目をやった。浮き出た痣が心なしか濃くなり、祖父が死んだ時の――棺の小窓から覗いた時のあの顔を思い出させるような模様になっていたが、他に異変は無い。
僕はその腕を用心深く長袖に隠した。消えるわけではないができる限り目には入れたくない。もちろん見られるのも困る。挙動不審にならないよう辺りを見回し皆のところに戻った。
「あのね」 ほとんど話したことのないクラスメイトに話しかけられた。僕が腕を隠しているのは、リストカットの類ではない。僕はそういう苦労を背負っているわけではない……。 「わかるよ」と言われ申し訳な思う。
解られたところで仕方がないのだ。適当に会話から離脱するため、教科書など開いたところで耳に届く。 「お祖父ちゃんだった? それともお祖母ちゃん?」 手から滑り落ちた本は、机上で「雨月物語」の項を開く。
雨と月の物語。 それがこの痣と関係あるとしたら。 脳裏にあるビジョンが浮かぶ。祖父が亡くなる前、裏山のお社に連れて行かれた事があるのだ。天気雨の降る真夜中。辺りをぼんやり照らすおぼろ月。
周りは不思議に明るかった。 僕は空気に飲み込まれそうになって祖父の手を握り込んだ。 ――次の瞬間だ。影が動いた。明るい、恐ろしい月明かりの中影が動いたのだ。
祖父の影は僕の影を林檎の皮をむくようにくるくると剝ぎ取る。そして毛糸玉を丸めるように身にまとっていった。僕はまだ影だ。身体の内側にも影があることを悟った。影と陰が。
『邪神の霊安室』
僕がその存在を知ったのは、古本屋で買ったオカルト誌の記事がきっかけだった。 神というだけでもいかにも胡散臭いのに、それが霊安室に眠っているというのだから。それも、神田駅から徒歩15分圏内に。
時はもうすぐGW。ブラックだった弊社もとうとう有給を使って長期休暇を取らせてくれるようになった――有給を強制という点は目をつぶった――つまり丁度僕には時間があるわけだ。
「病院?」恋人がさりげなく言った。カウンセリング?いやだ。せっかくもぎとったGWを埋めるものは娯楽ではなくてブラック労働でぶっ壊れた心身のマイナスをゼロに戻すことだなんて。それよりディズニーとかさ……
「ほら、一種のアトラクションには違いないでしょ。体験型アクティビティ、ってやつ」 癒やし系ってやつか。私は頭を振り、心を温めたいわけじゃないんだと示す。どうせなら底の底まで行きたいんだ。
息を止めると、思い切って温水プールに飛��込んだ。 底へ。底へ。底へ。 違和感があった。 このプール、こんなに深かっただろうか…?
喉に手を当てる。不思議に肺も苦しくなかった。……死んだ? 背筋に汗が、いや、今はプールの水の中なのだから水圧か? とにかく深く進んだ。
肺に水が溜まりきってからというもの、不思議と苦しくはなくなった。大理石に埋もれた魚の化石が欠けた目玉でこちらを見つめている。
帰れない。 僕は悟った。 生きてはいられる。 でも僕は水の生き物だ。
水を得た魚とはいうけれど、この水はきっと良い交わりなど運んではこない。鱗のような空から降る雨のように、やがて僕の血を烏賊のそれと同じ色に変えるだろう。
お題:特になし ページ数:4P
『大げさな本』
この本を読んでいるあなたはとっても幸運だ。この本を読めば人生が変わること間違いなし。成功まったなしだ。何々をするとかそういう面倒なことは一切なし。『読むだけ』だ! つまりこの文が読めていさえすれば、
あなたはすぐさまハッピー!人生の勝ち組というわけなのです!ああ、本はまだ閉じないで。始まったばかりですからね。ここまで見ている賢明なあなたならこの本を読破するのにそう時間がかからないであろうことが、
全知全能の神が地を見そなわすごとく一目瞭然です。 改めて書きましょう。今後読み進めるにあたって、たった一つの手順を守るだけで、あなたはまさに時代の寵児、人類の救世主。守らなければ? あなたは死ぬ。
私は恐ろしくなって本を落とした。だが何ともない。 このような書き方はビジネス書や自己啓発書にはよくあることじゃないか。ただの大げさな本だ。 それを廃品回収に出しに行こうとした私に、トラックが迫っていた
『口紅と串刺し』
それを買ったのはデパートのとある化粧品売り場だった。 買うつもりなんて微塵もなかったはずなのに、鋭利なそれにひと目で心を奪われてしまったのだ。 「これはどうやって使うんですか?」 アドバイザーに尋ねる
「つまり」アドバイザーは答えを溜めた。「なすがままにです」 気が付けば包装紙に包まれた口紅を持っていた。 形状からいって、これを唇に塗りつけるとは思えない。鋭利にとがりすぎている……。
「……これはペンですか?」 拙い中学生の英文のような質問をしてしまう。 鋭利に尖った口紅。身を飾るものではなく筆記用具なのではないか?そうであってくれ。
「いいえ、口紅です。…教科書どおりじゃなくてごめんなさいね」 薔薇色の先端に鋼のハイライト。次の瞬間、僕の口から同じ色の液体が溢れ出す。いま唇は真っ赤に濡れている。
『最高のドーナツについて論じよ』
最高のドーナッツを語るにはまず「ドーナッツ」の定義を定める必要がある。もちろん料理の歴史の本を確認すればある程度先行研究の結果が分かるのだが、ここはあえて改めて定義し直したい。
さもないとX(旧twitter)でどこからともなく、「ドーナッツではなくドーナツです」、なんてbotに絡まれ…ることはなくなったが、同様の事態を引き起こしかねない。 一つ譲れないのは、そう、穴だ。
なんとしても、ダース買いしてしまったこのカスタード&エンゼルクリームの山に穴を開けなくては。全てはそれからだ。 私は手始めに、オールドファッションを最高にインスタ映えしそうな角度で撮った。
ここのドーナツはやたらと写真写りが良い。普通のドーナツの写真なのに、またたくまに恐ろしいほどのリアクションが付いた。 やれやれ。『絵に描いた餅』……こと映えるドーナツである。さて、あと11。
『髪の間から覗くピアス』
それまで誰かの耳を特別だと思ったことはなかった。パーマを当てすぎた髪の間に、赤くぷっくりとした粒が見えたときまで。 思わず「耳んとこ、血が」なんて言いかけて、それが彼女の意志表示だと気付く。
それは、赤い石だった。 如何せん、宝石には詳しくないもので、何という石かはわからない。彼女の耳元で艶やかに存在感を放つ、ささやかな意思表示。 思わず声をかけずにはいられなかった。
「どなたの石ですか?」 え? ――え? どうしてそういう言葉が出たのだろう? 女性の様子も変だ。さっと顔を青くして、ピアスをもぎ取ると逃げるように去っていった。残されたそれをなぜか手に取っている。
――ま、そういうこともあるか。 なんとか自分をなだめ、残ったそれをポケットの奥に突っ込んでおく……あのピアスが女性の耳を輝かす姿でも想像しながら。
お題:特になし ページ数:8P
『背びれアラビックヤマト』
子供の頃から魚になりたいと思っていた。最初は「人魚になりたい」だったのが、自分はそんなメルヘンに相応しい存在ではないという自覚だけはあったせいだ。私には鰭がないから、厚紙で作って背中に貼る。
だから、なるべきは「魚」だ。人魚はずうずうしいかもしれないが、鮮魚売り場に並んでいる魚には別に文句もあるまい。あら珍しい魚だわ、なんて思われるくらいだろう。どうやって煮つけにするか調べられるだけで。
来てくれないだろうか。麗しきマダム。あるいは朗らかな料理番。もしくは小さなお使いさん。「魚」扱いしてくれる魅力的な来客よ。
だけどそれは叶わない。なぜならこの身には背びれがあると同時に――「液状のり」の刻印が刻まれているからだ。 案の定、その来客は私など眼中に無いようだ。 私は心の底で叫んだ。
くそったれ。お前のそのふざけた帽子の下にはでんぷん糊でも詰まってるのか。今日び人の肌色を論うのは道義的問題が生じるから、その目に痛い黄色のことは勘弁してやるが、帽子のセンスは許しがたいぞ。
編集長の後ろ向きな承認の言葉で締めくくられた手紙を、私は勝利宣言とらえた。やった! これで、私の人魚を修正しなくてすむ。私の理想を資本主義に売り渡さずにすんだ! 人間性だ。これぞヒューマニティだ。
今晩は最高のパーティを開こう! 使用人も全員参加だ! 隣のケチババアもこの際呼びつけよう。なにせ資本主義に勝ったのだから! 私の持つ資産をなげうって盛大な祝いをするのだ!
私は自らの手で招待状を送ることにした。何せこんなに目出度いことは無いのだから! そしてその招待状の糊付けに使うのはもちろん、消えいろPITなのだった。
『サラサラシンギュラリティ』
私は自慢じゃないがこのキューティクルが自慢だ。 陽光の元燦然と輝く天使の輪。 歩けば誰もが振り返る、そんな美しいキューティクル。 だけどある日私は、出会ってしまった。いつもの薬王堂で、それに…
「シンギュラリティ」。 普通AIとかで用いられるやつだろう? 知ってる知ってる。でも、目の前にある玩具みたいな瓶には、さも当然とばかりそのバズワードが踊っているのだ。ここはシャンプー売り場だぞ?
たかだかシャンプーで人間を超えようというのだから大きく出たものである(消費者庁案件か?)。 つくりもののラベルにAmazonの詐欺レビュー画面みたいな大げさな演出。なるではなくなりますと書いてある。
(特許庁案件かもしれない)良く見たら自分の会社が持っているハズの技術名が書かれている。いやなんでだ。こんなシャンプーに? もしかしてGoogle検索でなんとなく技術名をググったのか。
恐る恐る、私はその場でスマホを取り出し我が社のその技術名をぐぐってみた。すると、なんということだ!検索結果はゆうに5万件を超えたのだ。技術漏洩?まさか、そんなはすはない。
我が社のシステムは最新鋭の技術で保守されている。「excelがある程度使える方」とか「タッチタイピングができる方」とか、そんな感じの募集要項で採った平成初期の人材ではない。だが、今や令和。 …よもや。
今やアシスタントAIはなんでも、「できない層」を優しくあやし、母親のようになんでもかんでもやってやるようになった。だから時代が一周してそういう層が出てくるのもおかしくはない。若社長でなければな。
問題は私がその若社長だって事なんだ。甘やかされたい。母親のように……いや、姉のようならどうだろう。マザコンの時代は終わりシスコンの時代がやってくるのだ。 私は姉AIの開発へと歩を進めた……
『紅い茶の密室』
しくじった。 停電により電子錠が動かなくなってしまったせいで、ここから出られない。出ることができない。 ……。 誰かが来てくれれば……。
「パンパカパーーーン★ 王子様登場だゾ★ ゾ★」 そんな声の後ドカンと一発破壊音が響く。何らかの力でとじられていた木の扉が粉々になった。 ……ウソだろ? 鼻先スレスレを破片が飛んだ。
(VFX:Car on Fire) なんてことだ!粉々になって吹き飛んだ木の扉が、表に止めてあったプリウスのエンジンを貫いた! 王子様と名乗るその男は、炎を背に歯を光らせている。
遍くこの世の乗り物はナマの力で動くべきだと信じているんだろう。勝手に犯行動機を想像でもしないとやっていられない。確かにそれは高貴でもクールでもない乗り物かもしれない。だが、私にとっては「愛馬」なんだ。
私は呼んだ。口笛で彼女を呼んだ。密室から外に向かって馬を呼んだ。駆けてきてくれるように祈りながら。絶対に成功しないように見える? 『ばかげていて、全く実用性がない』。それがトリックだ。
ピーー! ヒヒーーン! ピーーーーーー! ヒヒヒヒヒーーーーーン! リズミカルに繰り返される呼びかけ合い。私と彼女の華麗なるハーモニー。 トリックなんてクソ喰らえ。
ここはリオだ!リオのカーニバルだ!! ピーピーピピー!ドンシャカドンシャカ!! 私の彼女のハーモニーがクライマックスを迎えたその時、不思議な事が起こった! 木の扉が元通り塞がってしまったのだ!
どうしたってこれは密室だ。せっかく今の今まで、開放そのものの空気に満ち溢れていたのに。風通しが良いなんてもんじゃなかったのに。私は諦め、床に散らばった紙吹雪を片付ける。冷めた紅茶のような気分だった。
『正方形は溶けてなくなる』
「はい、どうぞ」 男は私に未完成のそれを渡した。 白と青の幾何学図形が……って高尚なこと言おうとしたけれど要は折りかけのオリガミ。 「キミなら分かってくれるよね」
「ううん、わからない。」 私は折りかけのそれの続きを折り始めた。 山折りで膨らみを作り、そっと隙間に差し込む。 「でも、貴方が求めてる答えは、きっとこれじゃないわよね」 私はそれを、手裏剣に折り直した
ただの紙切れごときが人の手にかかれば真心の証にもニンジャの武器にもなる。それは折り紙に限ったことじゃあない。人の手にかかれば… 「《彼》の手に掛かった者の行方を。谷折りの線みたいに辿れれば」
「アイヤアアーーー!」 その時。書架の隙間から、雄たけびを上げてニンジャが飛び出してきた。これが《彼》の追っ手か。私はページをちぎり取ると指示に従ってスリケンをつくった。キーは谷折りだ。つまり……。
私はすごい速度で谷折りを行った!爪の先を使い背中に隠し持っていた30cmの定規を使い折り曲げる。1mmのズレもない。完璧な仕事だ!これはオリガミ界のシンギュラリティだ!
すると、私の肩を叩く人がいた。 何気なく振り向くと、そこには驚愕の人物が立っていた。 「あなたは……SEIKOの社長さん!!」 「君、素晴らしい技術を持っているね」
どうしよう。気まずい。私は悟られないように、何気ない素振りで袖に手首を引っ込める。つい先日スマートウォッチに変えたばかりだ。まさに正方形の液晶画面を持つ… いや、待てよ。正方形じゃない。盲点だった。
このスマートウォッチには緊急通報をする機能がある。外部と通信しているのだ。私は通気口になんとかねじ込ませると、棒の先につけたスマートウォッチをさらに奥に突っ込んだ。思い切り投げる。鍵が開く音がした。
0 notes
Text
釈尊成道会・報恩一日坐禅
12/7
水戸市天徳寺様をお借りして、釈尊成道会・報恩一日坐禅を行いました。
お釈迦様は6年に渡る苦行を経て、前正覚山を発ちました。苦行をやめ尼連禅河のほとりでスジャータという娘から乳粥の供養を受け、河のそばの菩提樹下において坐禅瞑想をされ、仏道を成就されました。そのことを成道と言います。
12/8はそのお釈迦様が成道された日として私たちに伝わっております。その故事に倣い、禅宗寺院では12/1〜8日まで坐禅を集中して行う臘八摂心が営まれます。
また、8日にはお釈迦さまの成道を祝し、御遺徳を偲び"成道会"が営まれます。
本日は半日ではありましたが会員が集って坐禅を行い、天徳寺様の釈迦出山図を須弥壇上にお祀りして成道会を営みました。
0 notes
Text
第54回護法大会 Lascia ch’io pianga ~私を泣かせ給へ~
11月10日(金)能勢浄るりシアターにて、第54回護法大会(主催:豊能宗務所後援:豊能檀信徒協議会)が開催されました。
今年の護法大会は、ウクライナ人のオペラ歌手であり世界的なバンドゥーラ奏者であるオクサーナ・ステパニュックさんとピアニスト比留間千里さんをお迎えし、ウクライナ支援チャリティコンサートを開催しました。 コロナ禍以来、中止・縮小という変則日程を乗り越え、昨年に続き入場制限無しでの開催が叶い、会場には町内外より300人を超える檀信徒が集いました。
近年においては、阪神淡路大震災や東日本大震災に代表される激甚災害が頻発し、またこの度の未曾有のコロナ禍の中で、人間の死生観という���のが大きく変容しました。
ついに今しがたまで、自分のすぐ側で元気に過ごしていた大切な人が、ある日突然大波にさらわれ、或いはウイルスに蝕まれて命を奪われてしまう・・私の大切な人は今生きているのか、死んでいるのか分からない。 頭で理解しようとしても、心がその死を認めることを許さない。そんな「曖昧な死」というものに苦しんでおられる方が、今でも大勢いらっしゃると聞きます。
それでも、あの 得体の知れない、目には見えない ウイルスの脅威に怯え、唯々身を縮めてやり過ごすしかなかった初期の頃に比べると、仏天のご加護と共に、人類の英知を結集した結果、今ではこのように元の平穏を取り戻しつつあります。
一方で、そんな 神仏の加護や人間の智恵を今最も必要としているのは、悲しいかな人間自身が引き起こした戦争、その戦時下で生きる戦争弱者の人々ではないでしょうか。 そのことには、先ほどの被災者の件と同じく、私たちは常に関心を寄せる必要があると思います。
当管区眞如寺の植田観樹僧正も仰るとおり、今こんな時だからこそ何かをしなくてはいけない、直ちに何かに取り組まなきゃいけない、そんな思いに駆られつつ何もできないでいる自分を責める人がいらっしゃいます。
しかし、大切なことは、その苦しみや悲しみに少しでも長く寄り添い、そしてその厳然たる事実をいつまでも忘れないでいること。 死者に二度の死を迎えさせないこと。 一部の人間のエゴのために、尊い命を犠牲にしなければならなかった多くの ウクライナ人、そしてロシア人を忘れることなく、その菩提を篤くお祈り申し上げたいと思います。
そのようなコンセプトで、本年は遠く身延山久遠寺から豊田慈證布教部長にお越しいただきました。豊田僧正はこの護法大会開催に合わせ、15名からなる布教隊をお連れくださり、開会式に花を添えていただきました。
ご法話の後には、オクサーナ・ステパニュックさんと比留間千里さんが、ウクライナ人の不屈のスピリット���音楽を通して伝えてくださいました。
オクサーナさんは、昨年11月の当山御会式にてバンドゥーラ演奏を披露していただいて以来、2度目の能勢となります。 同日、オクサーナさんとともに見事なバンドゥーラ演奏を披露してくれたアナスタシアちゃんは、父が住む戦禍の故郷へ帰国しました。
オクサーナさんは明日仙台へ移動、比留間さんも明日は埼玉でお仕事。大仕事の合間を縫って、小さなコミュニティーでの触れ合いを大切に思い我々の要請に応えてくださいました。
音楽は素晴らしい!
素晴らしい音楽を、自在に奏でる選ばれしアーティストは誇らしい!「奏」という文字が伝えるとおり、音楽を万人にすすめ、演じ、成し遂げている方々の取り組みは誠に尊いと感じました。
迦陵頻伽が舞い降りたかのような・・美しいコロラトゥーラ・ソプラノとピアノから奏でられる妙音。 時に歌い手に寄り添うように・・時に後押しするかのように・・ 互いを思い遣りながらの付かず離れずのイメージは、DNAの二重らせん構造のよう・・・ 門外漢には比喩的な例えしか思い浮かばなかったけれど、心地よい非日常のひと時に、私は舞台袖であふれる涙を拭うことさえ忘れました。
そして、今この時も、土砂にまみれ、黒煙に遮られ、砲弾に傷つく戦禍の人々に届くこと叶わずとも、我々のようにアーティストのメッセージに奮い立った者一人一人が、たとえ小さな一歩でも踏み出すことで必ずやムーブメントになる。音楽にはそんな力があると、確信しました。 大切な人を失った戦地の人々を想い、私からのリクエスト「私を泣かせ給へ」をはじめ、アンコールを含む全12曲。 当に、魂のステージでした。
「汝、すべからく一身の安堵を思わば、まず四表の静謐を祈るべきものか」 私たち僧侶は、世界(四表)の安穏(静謐)のために祈り、行動して参ります。
Слава Україні! Героям слава!
Program Note
Oksana Stepanyuk presents Charity Concert
ピ ア ノ : 比 留 間 千 里
🌻オペラ 「ノルマ」より ベッリーニ作曲 清らかな女神よ
🌻オペラ 「リナルド」より ヘンデル作曲 私を泣かせ給へ
🌻ピアノソロ 映画「ひまわり」より ヘンリー・マンシーニ作曲 テーマ
🌻キーウの鳥の歌 ビラシュ作曲
🌻うぐいす クロピニツキー作曲
🌻私のところへ来ないで下さい ウクライナ民謡
🌻メロディー スコーリク作曲
🌻ミュージカル 「サウンドオブミュージック」より リチャード・ロジャース作曲 サウンドオブミュージック
🌻ミュージカル 「マイ・フェア・レディ」より フレデリック·ロウ作曲 踊り明かしたい
🌻ヴェニスの謝肉祭 ベネディクト作曲
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
🙏E N C O R E🙏
🌻見上げてごらん夜の星を
🌻ふるさと
全12曲
0 notes
Text
織田信長が愛好していたと言われる、幸若舞「敦盛」は源平の合戦の一ノ谷の戦いで討死した平敦盛と、敦盛を討った熊谷直実が戦後出家する話。
「人間五十年……」は直実が菩提心を発するシーンだけど、直実自身は66歳くらいまで生きてる。敦盛は16歳で討死。
信長は49くらいで討死したので幸若舞「敦盛」のフレーズと重なるのだが、同時代の家康は75まで生きてる。秀吉も61くらいだから、落ち着いて暮らしていれば、鎌倉時代から戦��時代でも70くらいまでは生きられたのではなかろうか。
“30代になると人生の結果発表が始まり、40代になると人生の清算が始まり、50代になると人生のエンドロールが始まる。人生100年時代と呼ばれてはいるが、伸びたのは夢を叶える時間ではなく人生を振り返る時間である。年老いたときに振り返って反芻できるだけの実りある人生を送れなかった人にとって、人生100年時代はあまりに長すぎる。医学がいくら進歩しても、実は人が何かを成すために与えられたタイムリミットは織田信長が敦盛の舞の中で”人生50年”と唄ったころから変わっていないのだ。”
— 夢とお別れするとき|ポンデベッキオ|note
438 notes
·
View notes
Text
布施(寄付)は、「慣習」や「当事者間との話し合い」で決まることではない。布施はあくまでも出す側の篤志によって決まることであり、そのためには菩提(ぼだい)寺と檀信徒との関係性が良好でなければ、成立はしない。
0 notes
Text
今週末は今年最初の「ぶらぽ倶楽部」
通算60回目と���ります。
〜紅花商人の町から最上義光公菩提寺へ〜
出発日時 5月20日(土)9時出発
集合場所 霞城セントラル1階アトリウム
昨年ご覧いただいた勝因寺の襖絵の続きをご覧いただけます。
ぶらぽ倶楽部も12年目を迎えました。
このコースの魅力を再発見しましょう!
悪天により中止となる場合は、当日このページでお知らせします。
スタッフ一同、心よりお待ちしております。
1 note
·
View note
Video
tumblr
今日の東京は朝から強風が吹いています。ベランダのバラの鉢を移動して倒れないようにしたり、枝が折れないように支柱を付けたりと慌ただしく過ごしています。
昨日、石川県珠洲市で昼すぎに震度6強、午後10時に震度5強の地震が起きました。その後も50回以上震度1の地震が続いているそうですし、今夜は雨になる予報が出ています。土砂災害などにも十分注意が必要です。どうぞ十分に気をつけてお過ごしください。
また昨日、WHOの会見でテドロス事務局長が新型コロナウイルスの感染拡大を受けて出している「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」宣言を発表しました。この3年間でほとんどの人々にライフスタイルや価値観の大きな変化が訪れたと思います。リモートワークにシフトしたり、ネットショッピングを多用したりなどの行動の変化もそうですが、心理的な変化の方が大きかったのではないでしょうか。特に家族や友人、知人や仕事仲間など、周りの人との接触が閉ざされたことで、人と人との繋がりについて色々と考えさせられたことも多かったように思います。
さて先日、高輪の高野山東京別院にて、初めて結縁灌頂を体験して参りました。結縁灌頂は宗旨や宗派、人種や性別を問わず誰でも参加できる平安時代から続いている尊い密教儀式です。春には胎蔵界、秋には金剛界の結縁灌頂がそれぞれ行われ、何度でも入壇できます。
結縁灌頂に先立ち、華麗な袈裟を身に着けた僧が庭儀結縁灌頂三昧戒を行っているのを見学しました(上の動画)。この儀式では受者を代表して乞戒師(こっかいし)が、大阿闍梨様より三昧耶戒(さんまやかい)を授かると同時に「仏さまのいのちと、私たちのいのちは本来一つである」という真言密教の根本を授かります。独特な発声の「声明」を唱える声、シンバルのような鐃祓、法螺貝や錫杖の音が周囲に鳴り響き、神聖なエネルギーが伝わってきます。この儀式に関しては、誰でも無料で見学が可能です。
その後、堂内で阿闍梨様のお話を聞き、目隠しをして両手で印を結びながら真言を唱え、順番に胎蔵界曼荼羅のある場所へ誘導されます。印を結んだ両手の中指で挟んだシキミの葉を胎蔵界曼荼羅の上へ落とし、落とされた花のある場所に描かれた仏さまと縁を結ぶ『結縁』、その後大日如来の智恵の法水が頭頂に注がれる『灌頂』を受けます。頭に水を注ぐ儀式はキリスト教の洗礼を彷彿とさせます。儀式の詳細はこちらから。
この儀式の目的は、心の中に溜まっていた埃や垢を隅々まで掃き清め、クリアにし、自らの心の浄化や再生をはかり、本来の清浄な心(菩提心)に気づき、それを取り戻すことです。つまり、アウェアネス。私も儀式の中で神聖なマントラを唱えながら浄化され、自分の中の光をリチャージし、タップリとバッテリーを蓄え、夏学期クラスに備えたいと思いました。
夏学期クラス(5月〜7月)へのお申し込み受付中です。今学期から新しく『サンスクリット般若心経クラス』が始まります。インド・チベット密教で現在も唱えられている、サンスクリット語での般若心経を学ぶクラスです。5回に分けてゆっくりと発音を確認しながら学んでいただけるので、マントラやサンスクリット語が初めての方でも安心してご参加ください。日本語の般若心経との違いを比べてみるのも楽しいと思います。また、トランスクラスも水曜日クラスが新た��加わります。
夏学期クラスへのお申し込みはこちらからどうぞ。継続の方は直接ショップからお申し込みください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今後のイベント・ワークショップ
・5/18(木) アイイス・ドロップイン・ナイト お申し込みはこちらまで
0 notes