#海の見える食事処
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tanakaeri · 2 years ago
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vol.6 新舞子ランチ会
新舞子ランチ会 2023年初の知多支部、半田支部ランチ会 常滑市 会席料理 丸十さんで開催いたしました。 お席は、オーシャンビュー 窓は大きく、解放感に溢れます 楽しみにしていた会席料理  お味がしみ込んだぶり大根 とっても柔らかく香ばしい鶏肉煮 なんとも種類が多いことに驚きでした   もちろん 海の街ですから 新鮮なぷりぷりなお刺身も堪能   和風デザートで締めくくり 食を楽しむことは毎日のエネルギーになりますね   お席からの、眺望です この景色の中、身体を緩めたりすることも できたら最高ですね   ご参加下さり、ありごとうございました。   次回も、お会いできる日を楽しみにお待ちしております。   愛知県常滑市西之口 会席料理丸十 | HOME…
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mvrider5 · 6 months ago
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島原城
島原の乱で有名な長崎県島原に1625年に築かれた安土桃山期の城
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残念ながら明治の廃城令で解体されたが1964年に復元
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青い空と有明海を背景に聳え立つ白亜の五層天守は当時も四万石の大名には過分の城だった。
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城内図
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1972年に復元された巽の櫓(西望記念館)
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三つの櫓は全て無料で内部も観覧できる
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1980年に復元された丑寅の櫓(民具資料館)
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三層の櫓も天守並みに壮麗😍
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内部の民具資料館
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最後は1960年天守より先に復元された西櫓と鐘
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観光復興記念館
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更に別アングルからの天守。どの角度から見ても素晴らしい👍
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本丸の外に出て西の櫓
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木々に隠れているが天守と観光復興記念館右手に西櫓。石垣が美しい
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更に歩いて二の丸の文化会館越しの天守と西櫓。此処から見た緑に覆われた石垣の連なりが見事
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こちらのお堀は夏場しょうぶ園になる。(お堀にはいつでも降りれる😁)
丑寅の櫓
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天守と巽櫓
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蓮池のあたりは水を湛える。
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最後に右から丑寅の櫓、巽櫓、天守の絶景
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島原城に来たら昼食はこちら💁
島原城の内部は以下から
島原に来たら雲仙温泉に
島原城下の武家屋敷は以下から
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ashi-yuri · 1 month ago
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Mouthwashing 「ある医務室の記録」
アーニャに関するごく短い掌編
<出航1週間前>
「1年ってだいぶ長いじゃない。よく受ける気になったわね。」
「かなり迷ったんですけど、終わったらいい額の臨時ボーナスが出るって。それなら奨学金の返済が楽になるし、今後のことを考えたらいいのかなって。」
「そうなの。まあ、部門縮小の噂もあるし、もらえるうちにもらっとかないとかあ。長期航海は小規模チームでも短期とはまたべつの大変さがあるから、いろいろ気をつけてね。」
「はい、メンバーはベテランぞろいらしいんですけど。自分は長期ははじめてなので、船医としてやっていけるかちょっと不安で。」
「あんまり根詰めないほうがいいのよ。そうだ、帰ってきたらお祝いに、このまえ本社のそばにできた、話題のちょっといいパフェごちそうするね!」
「気が早いんじゃないですか?でも……ありがとうございます、楽しみです。帰って来た時も、まだお店あるといいな。」
「確かにねえ。」
<発見3日後>
「そこ、3号、鼻から血を流してるほうの奴な、バイタル記録みたら二人分らしいぞ。」
「そっすか。」
お得意さんからまわってきた孫請け仕事の事故処理現場は、思ったよりきれいで助かった。ロケットの損傷は軽微、現場の保存状況は良好、内乱で死んだらしい死傷者たちの外傷・腐敗は最小限で済んでいる。空気が漏れた���宙船の破裂した人体ほど悲惨なものはないから、だいぶ運がよかったものだ。その分、苦悶の表情がよく見える。
けれど、その表情の先を読み取ることはしない。仕事を続けるためには必要なことだ。それが自分の仕事。それで金を受け取っている。3号の顔は物言わず虚ろなまま自分を見つめ返す。この船はもうすぐ爆破処理される。船は会社が抱き込んだ査定員のもとで保険金へと変わり、その金は会社と遺族へ引き渡されるだろう。仕事は終わり、金だけが巡っていく。
あなたは必要なものを受け取った?
<衝突30分前>
銃だけは、ぜったいにあの男に渡してはいけない。
緊急避妊��の使用期限は過ぎてしまった。どうしてバイタルチェックを見逃してしまったのだろう。ピルは飲んでいたはずなのに。でももう泣き言は通らない。結果だけがすべてだ。妊娠したことを告げたとたん、あの男はふらふらとなにも言わずに立ち去った。
ふしぎと驚きはなかった。期待していたわけじゃない。予想しなかったわけじゃない。けれど、強い失望だけがそこにあった。
不安とさみしさとプレッシャーの中で、あの男と関係を持ってしまったことをどれだけ悔いただろう。こちらを馬鹿にしたような素振りも、身勝手な欲望もイヤで仕方なかったけれど、決して私のことを見ることのない昏い瞳が見つめる先にいるときが、この逃げ場のない宇宙船の中での逃げ場所だった。
でもいまは、それ以上に嫌な予感がする。去る時に見た焦点の合わなかった目は、もうなにをしでかすかわからない気がした。
自分はあの男のメンタル不全の兆候を見逃したのではないか?同じく失調気味で、あの男のことに関してはまったく頼りにならない船長に、彼のメンタルチェックを任せたのは適切な判断だったか?船長の「異常なし」の所見を、本当に信じてよかったのか?精神を崩した患者に、過剰なショックを与えたとしたら……
ドンっ、と強い衝撃が襲う。バランスを崩した身体が床に叩きつけられた。
<過剰投与3日前>
『船医であるあなたが、船員のこころと体を守るの。完璧はむりだけど、せめて船を動かし続けられるように。だから、絶対に医務室では主導権を渡してはだめ。医務室の主はあなた。どんなベテランだろうと船長だろうと、みんな等しくあなたの患者なの。患者の健康管理があなたの責任。わすれないでね。』
先輩の言葉が今さらよみが��る。ここは、医務室は、もう私の場所じゃない。部屋の中央で船長だった肉塊が苦しみの声を上げ続ける。それを聞くことがつらくて、あの男に鎮痛剤の投与を任せたら、ずっとこの部屋に入り浸りはじめた。私のことも、お腹の子のことも、一度も口にせずに、船長の包帯を巻きなおし、薬を飲ませ、甲斐甲斐しく世話を焼き続ける。本当は、あの男を追い出して、私がしなければならないことだとわかっている。船長には船長として、船医には船医としての役割と責任がある。でもその苦しみを引き受ける気には、どうしてもなれない。
船医なのに、自分自身も、船長も、あの男も、この子のことも、だれの健康も守れなかった。
今となっては、この船全体が病んでしまった。船内はどこに行ってもアルコール臭いマウスウォッシュの臭いが漂い、きもちわるくて吐きそうだ。もうずっと、だれにも言えないけれど、気分がわるくてきもちわるい。媚びを売るようにして手に入れた鎮痛剤は、私ではなく船長のためのもの。食事管理もバイタル管理もなくなって、もうこの船に健康���んてどこにもない。
医務室の椅子に座って、うめき声とあの男がなにかぶつぶつ言う独り言を聞きながら、ただ失敗した、責任を果たせなかったという考えだけが頭に浮かび続ける。
<過剰投与3分後>
くるしいくるしいくるしい。
だけど最高に気分がいい!!
ロックのかかった医務室の中、なすすべなく横たわる船長と自分だけがここにいる。
今、ようやく、この部屋の主は私だ。だから私が患者の、自分の生死を決める。
あの男が逃げ出した責任、私の果たせなかった責任、すべてが身を苛んであまりにも苦しい。この身体もお腹にいる子も生きたいと叫び続けているのに、私はもうこの苦しみに耐えられない。
鎮痛剤を船長に分け与えれば、この意味のない苦しみを終わらせられるだろう。けれど私はただ、私に終わらない苦しみを与えたあの男と船長が、より長く苦しむことだけを願っている。希望のないこの場所で、生き続け、苦しみ続けることを!!
……私はどうして、医療の道へ進もうと思ったのだろう。
もう悲しくはないのに涙があふれる。口の中を埋めつくす味のしない薬を噛み砕きながら、食べに行くことのなかった生クリームと果物たっぷりのパフェのことを思い浮かべた。
あとがき
誰にもかえりみられることもなく失われたものと彼女の責任について。
労働SFが好きなので、被害者としてだけでなく労働者としてのアーニャ見たかったなあと思ったので書きました。満足。
被害者としてのアーニャについてはこちらの考察を参考にさせていただきました。深く感謝。
【Mouthwashing】感想+考察|鹿
なお、後半アーニャが自分のことをひどく責める描��になってますが、男女比率の偏った孤立しがちでプライバシーも確保できないろくでもない労働環境(会社がわるい!)と不測の事態のなかで、非熟練者なのに頑張ったと思ってます。
いつかおいしいパフェを食べてほしい。
(おまけ)
ジミーとカーリーに関する所見+Mouthwashing感想
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kennak · 9 months ago
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アマリア・ザタリ、BBCロシア語ソヴィエト連邦時代のロシアでは、隣近所の人や同僚や、赤の他人でさえ、当局に密告するのは普通のことだった。それが今では、ウクライナでの戦争に批判的な国民をロシア当局が厳しく取り締まる中で、誰かが気に食わないとか、自分には政治的な主義主張があるのだなど、様々な理由から、他人を密告するロシア人が増えている。「うちは、祖父が密告が得意だったので、どうすればいいか私は祖父に教わりました」「アンナ・コロブコワ」を名乗る女性はこう話す。ロシアの大都市に住んでいるそうだが、具体的にどこかは明らかにしなかった。広告そのコロブコワさんの祖父はスターリン時代、ソ連の秘密警察に匿名で情報提供をしていたのだという。当時は、他人を密告したり糾弾したりすることは日常生活の一部だったし、孫娘も今や祖父のあとを継いでいる。彼女は今では、ウクライナでの戦争に批判的だと思う相手は誰だろうと、片端から通報している。密告の常習者を自認ロシアによるウクライナ全面侵攻が始まって以来、自分は1397通の通報文を書いたと、コロブコワさんは言う。自分の通報によって、大勢が罰金を科せられ、解雇され、「外国の代理人」のレッテルを貼られたという。「気の毒とは思わない」と、コロブコワさんは明かす。「私が通報したおかげで罰せられたなら、とてもうれしい」。2022年2月にロシアがウクライナに侵攻してから間もなく、新しい検閲制度が法制化された。それ以来、コロブコワさんは暇を見つけてはオンラインで過ごし、「ロシア軍の信用を傷つけた」と思う人たちを次々と通報している。今の制度では、「ロシア軍の信用を毀損(きそん)」した罪で有罪となれば、最高5万ルーブル(約8万円)の罰金か、2回以上の再犯の場合は最高5年間の禁錮刑の罰を受ける。コロブコワさんは私の取材に対して非常に慎重で、メールでのやり取りにしか応じなかった。自分の顔を出すのはいやで、自分の身元を証明��るものも提示したくないと力説した。なぜかというと、「殺してやる」と脅されることが多く、自分の個人情報がハッキングされたり盗まれたりするのが怖いからだという。では、なぜ自分と同じロシア市民について、密告するのか。動機は二つあるという。第一に、ロシアがウクライナに打ち勝つための手助けを、自分はしているのだと。そして第二に、自分の経済的安定の助けにもなるからだと。コロブコワさんは独り暮らしで、人文系の教授としてパートタイムで働いているという。貯金を取り崩しながらなんとか、やりくりしているのだと。もしも戦争でウクライナが有利になれば、ロシアは賠償金を払う羽目になり、そんなことになれば国全体と国民全員の経済状態が打撃を受けかねないと、心配しているのだと話す。「特別軍事作戦に反対する全員が、私の安全と生活にとって、敵です」。こう言うコロブコワさんにとって、ウクライナの勝利は自分の敗北を意味する。「貯金がなくなって、フルタイムの仕事を見つけなくてはならなくなる」政府から離れて活動するロシアの独立系人権団体「OVD-インフォ」によると、新しい検閲法が制定されて以来、軍を批判した疑いで8000件以上の事案が立件されているという。標的コロブコワさんが通報するのは主に、マスコミに話をする人たちだ。特に、BBCなどの外国メディアの取材に応じる人たちを、標的としている。人類学者のアレクサンドラ・アルヒポワさんも、コロブコワさんに通報された一人だ。画像説明, アレクサンドラ・アルヒポワさんは人類学者として、ロシアで密告が再燃している現状を研究している「彼女はもう7回、私のことを通報しています」とアルヒポワさんは話す。「密告文を書くことがあの人にとって、当局とやりとりする手段で、それが自分の使命だと思っている」。「自分にぴったりな、得意なことを見つけたんでしょう。彼女に糾弾されると、専門家や研究者は往々にして、黙るしかなくなる」アルヒポワさんは今や亡命中だ。自分が昨年5月にロシア国内法に基づき「外国の代理人」と認定されたことと、コロブコワさんの行動は、無縁ではないかもしれないと思っている。「彼女に通報された私の友人たちは、もう一切、マスコミに話をしなくなりました。なので、彼女は成功したと言えるでしょう。任務完了です」もう一人、標的にされたのは、タティアナ・チェルヴェンコさんというモスクワの教師だった。ロシア政府が2022年9月に愛国教育を導入した際、チェルヴェンコさんは独立系メディア「ドシチ(TV Rain)」で、自分は代わりに数学を教えることにしたと発言した。「ドシチ」はその後、ロシア国内では閉鎖され、今ではオランダを拠点にしている。「ドシチ」のインタビューを見たコロブコワさんは、チェルヴェンコさんを攻撃し始めた。チェルヴェンコさんの勤務先に苦情を繰り返し、モスクワの教育当局やロシアの子どもの権利当局にもクレームを重ねた。結果的にチェルヴェンコさんは、2022年12月に解雇された。画像説明, タティアナ・チェルヴェンコさんは、自分が教職を追われたのは、通報・糾弾されたからだと言うコロブコワさんは自分のしたことを、何も後悔していない様子だ。それどころか、自分が通報した人たちのデータベースを作り、その結果どうなったかも記録している。自分の通報の結果、6人が解雇されたほか、15人が罰金処分を受けたのだという。コロブコワさんは、ロシア国家の敵だと思う相手しか自分は相手にしていないと力説する。しかし、ロシア国内には個人的な恨みつらみを晴らすために通報している人もいるという話が、BBCに寄せられている。投獄され、自由を求め漁師のヤロスラフ・レフチェンコさんは、ロシア極東のカムチャッカ半島出身だ。半島は火山と珍しい野生動物で有名なだけでなく、ロシア軍が重点配備されていることでも知られる。この地域に住む人たちの多くは、ウラジーミル・プーチン大統領を支持している。レフチェンコさんの同僚たちもそうだ。画像説明, ヤロスラフ・レフチェンコさん2023年2月のことだ。レフチェンコさんの漁船は1カ月の航海を終えて、カムチャッカの港に戻った。仲間の漁師に酒を勧められたが、断った。相手の男は以前から自分に不満があったらしいと、レフチェンコさんは言う。酒を断ったことから口論になり、レフチェンコさんは頭をびんで殴られ、意識が戻った時には病院にいた。退院が許され、被害届を出そうと警察署へ行くと、通報されていたのはむしろ自分の方だと知らされた。暴行ではなく、反戦思想を理由に。愕然(がくぜん)とした。レフチェンコさんに警察は、彼を殴った同僚を訴えられるほどの証拠がないと告げたのだという。やがて7月13日になり、レフチェンコさんは逮捕された。BBCが確認した裁判資料によると、問われている罪状はテロの正当化だ。そんなことはしていないと否定するレフチェンコさんは、公判開始前という理由で勾留された。BBCと連絡をとるには、弁護士に手紙を託すしか方法がない。「私が他の船員に暴力をはたらいたと、捜査員たちは言う(中略)そして、ロシア連邦に対して敵対行為をするつもりだと、私がそう話していたことになっている」と、レフチェンコさんは私たちに書いた。画像説明, BBCが確認した書類によると、レフチェンコさんはテロを正当化した罪に問われている。本人は否認しているレフチェンコさんの友人たちは、相手の船員が自分の暴力行為をごまかし、警察の目をそらすために、彼が通報したのだろうと、私に話した。漁船内での飲酒は禁止されているのに、酒を勧めたことも、相手の男はごまかそうとしているのだろうと。「自分はただ家に戻りたい」と、レフチェンコさんは言う。「自分の牢(ろう)では、何重もの鉄格子の向こうにかろうじて、空がぎりぎり少し見えるだけで、こんなことは耐えられない」。��がこう友人に書き送った手紙を、その友人がBBCに見せてくれた。「果てしない訴え」戦争が始まって以来、あまりに大量の通報が次々とくるため対応しきれないのだと、ロシア警察��認めている。「誰かがロシア軍を批判したという訴えが、延々と届く」ため、警察はその捜査と対応に多くの時間を割いているのだと、警察関係者はBBCに匿名で明らかにした。「特別軍事作戦」をめぐり「何かしら他人を攻撃したい人たちが、常に言いがかりの口実を探している」のだと、引退間もない警官がBBCに話した。「おかげで、たとえ具体的な中身のある本物の案件がいざ来ても、捜査しようにも人手がない。みんな、ウクライナの旗に見えるカーテンを見たという、どこかのおばあちゃんの話を確認しに、出払ってしまっているので」プーチン大統領は、「裏切り者を罰せよ」と繰り返している。そして、ウクライナでの戦争に終わりは全く見えない。それだけに、コロブコワさんのような常習的な密告者も、ほかの市民について密告するのを全くやめよう��しない。「私はこれからも、通報文を書き続ける」と、彼女はメールでBBCに伝えてきた。「たくさん書かなくてはならないので、忙しい」のだという。(英語記事 Ukraine war: The Russians snitching on colleagues and strangers)
ロシアで増える密告……同僚でも他人でも - BBCニュース
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tokyomariegold · 3 days ago
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2024/5/29
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5月29日 新しい主治医の診察に30分遅れてしまい、でも自分の生活を優先(洗濯をしていたら水栓を開け忘れて、洗いが30分ストップしていた)してもいいよね、と、甘えている、というか、気を許しているのか?と思った。 新しい先生はかわいい華奢な女性の先生。 彼女こそ、ちゃんと食べているの?大丈夫?と思ってしまう。 とても頭の回転が早くて、私の話を相槌を打ちながらパソコンでメモをとり、頭の中で次にすべき対話や私の話の行先を想定しながら対応案を常に考えている感じ。 私の話が終わった途端に次に進めるべく、ふさわしい返答を間髪入れずに話してくるのでらとてもとても恐縮していた。仕事中の自分を見ているようでもあった。 「今の困り事と今後どうしていきたいかを話してください」と言われて、それっぽすぎる質問を投げかけられて、うっ…、となった。変えなくてはいけないと分かっていても変えられない、変えたいと思わないことを「わかりました」と、今のところ、今日のところは「それで良いです」と言われた。
入院を勧められ「体重回復目的でなく、生活の改善や身体を休めるために入院を使うのも手ですよ」とも言われた。 このところ、逃げきれない社会生活で、気持ちも体力も底をつきそうで、入院すれば休めるの…?と時々思っていたところ。
「今すぐでなくとも2ヶ月前からベッドの空きがあれば予約できます」とのこと。それと睡眠のお薬を処方してもらえた。処方箋を印刷する時に、プリンターに紙が詰まって後ろのフタや前のフタを開けて、詰まった紙を取り出すのを手伝ったりして、ぼーっとしていた頭がその瞬間に職場モードになる。
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やっぱり通院は診察から検査からお会計まで、いつもとても疲れてしまう。 今日は通院の後から出張して某区役所で半日窓口巡りをした。
窓口のお昼休みを挟んでしまったので、その時間は仕方なしに外を歩いたのだけれど、小さいと思っていた商店街がどこまでもどこまでも続いていてびったくりした。 もうほとんどないのであろう、町のカメラ・写真屋さん、本屋さん、おもちゃ屋さんがあった。ライフというスーパーをたこ焼き屋さん、美容室(ちゃんとおしゃれな感じの美容室と、町の美容室、どちらもあった)。八百屋さんは3軒見かけた。 ベローチェとモリバコーヒーというチェーンのカフェもあった。 まだ先が続いていたけれどカルディコーヒーファームが今日まで10%OFFセールをしているのを見つけ、アップルシナモンのハーブティーを買ってUターンした。 町の肉屋さんはお昼時用にお惣菜を販売していた。パン屋さんも何軒かあった。
今日もうとうとして家に帰りら少し早い時間のスーパーでちょうど良く値引きされ始めの時間帯に立ち会えて、それにかこつけてたくさん買い物をしてしまった。ゴマはもう売り切��ていた。海苔もあと少しで終わり。
SNSの好きな女の子と、お互いの使っているカメラを教え合う、というとても救われる夢を見た。写真のことしたい。
内祝いは、結婚などのお祝いのお返しに渡されるものらしく、何がめでたいのかも報告を受けていない人から突然内祝いののしがついたカステラをもらい、今回の状況が人生合戦の宣戦布告のように感じてしまう。 祝われる前に「ありがとう!」って言われても…。 本人に直接訊くものでもない気がして、モヤモヤしている。
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patsatshit · 1 year ago
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いきなり偉そうなことを書いて各方面から顰蹙を買いそうなんだけど、あえて言う。僕は自分の日記より面白い日記を読んだことがない。これはハッタリでもなんでもなくて、それくらいの気持ちがないと何処の馬の骨とも知れないチャリンコ屋の日記に1,500円や2,000円を出して購入してくれている方々に申し訳が立たない。ただし「自分より」と言うのには注釈が必要。『富士日記』や『ミシェル・レリス日記』みたいな別次元の傑作は対象外として、近年、雨後の筍のように量産されているリトルプレスやZINEを体裁とした日記やエッセイ群を見据えての発言と思って頂きたい。商売としての仕入れはさておき、個人的に興味があったので色々と手を伸ばして読んでみたものの、そのほとんどが「私を褒めて。私を認めて。私に居場所を与えて」というアスカ・ラングレーの咆哮をそのままなぞらえたような内容、若しくは「持たざる者同士でも手を取り合い、心で繋がっていれば大丈夫」的な似非スピリチュアルなマジカル達観思想で構成されているので、正直ゲンナリした。しかもタチの悪いことに、そういうものを書いている人たち、あわよくば商業出版の機を窺っていたりするものだから、出版社や編集者の立場からしたらまさに入れ食い状態。「ビジネス万歳!」という感じでしょう。晴れて書籍化の際には口を揃えて「見つけてくれてありがとう」の大合唱。いやいやいや、ちょっと待って、あんたら結局そこにいきたかっただけやんってなりません?これまでの人生をかけて手にした「生きづらさ」の手綱をそんなにも容易く手放すんかい!と思わずツッコミを入れたくもなる。現世で個人が抱える「生きづらさ」はマジョリティに染まらぬ意思表明と表裏の関係にあった筈なのに、どっこいそうはさせないとばかりにどこからともなく湧いてくる刺客たちの誘惑にそそのかされては、呆気なく自らの意志で握手(悪手)に握手(悪手)を重ねる。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだ。以前、僕もある出版社の編集長から「DJ PATSATの日記を当社で出版させてほしい」という誘いを受けたけれど、もちろん丁重にお断りした。僕は自主で作った300冊以上の読者を想定していないし、それより多くの読者に対する責任は負いかねるというような趣旨の言葉を伝えた。そもそもなぜ僕が友人(マノ製作所)の力を借りながらわざわざシルクスクリーンという手間をかけて制作しているのかを理解しようともしない。編集長は口説き文句のひとつとしてECDの『失点・イン・ザ・パーク』を引き合いに出してこられたのだけれど、いま思えばそういう発言自体が安易というか不遜だと思わざるを得ない。結局その方は僕を踏み台にしようとしていただけだったので、負け惜しみでも何でもなく、あのときの誘いに乗らなくて良かったといまも本気でそう思っている。まぁ、これは僕個人の考え方/価値観なので他者に強要するものでもなければ、共感を得たいと思っている訳でもない。逆に彼らも推して知るべしだ。誰もが商業出版に憧憬を抱いている訳ではない。昔から煽てられることが好きじゃないし、賑やかで華やかな場面がはっきりと苦手だ。だからと言って消極的に引きこもっているつもりもなく、寧ろ積極的に小さく留まっていたいだけ。かつては各地の井の中の蛙がきちんと自分の領域、結界を守っていたのに、いつしかみんな大海を目指すようになり、やがて井の中は枯渇してしまった。当然、大海で有象無象に紛れた蛙も行き場をなくして窒息する。そのようなことがもう何年も何年も当たり前のように続いている現状に辟易している。そんな自分が小さな店をやり、作品を自主制作して販売するのは必要最低限の大切な関係を自分のそばから手離さないためである。何度も言うているように自営とは紛れもなく自衛のことであり、率先して井の中の蛙であろうとする気概そのものなのだ。自衛のためには少なからず武器も必要で、言うなれば作品は呪いの籠った呪具みたいなもの。そんな危なっかしいものを自分の意識の埒外にある不特定多数のコロニーに好んで攪拌させたりはしない。多数の読者を求め、物書きとして生計を立てたいのなら、最初から出版賞に応募し続ける。だからこそ積年の呪いを各種出版賞にぶつけ続けた結果、見事に芥川賞を射止めた市川沙央さんは本当に凄いし、めちゃくちゃにパンクな人だと思う。不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、天与呪縛の逆フィジカルギフテッドというか、とにかく尋常ならざる気迫みたいなものを感じた。なぜ彼女がたびたび批判に晒されるのか理解できない。それに佐川恭一さん、初期の頃からゲスの極みとも言える作風を一切変えることなく、次々と商業誌の誌面を飾ってゆく様は痛快そのもの。タラウマラ発行の季刊ZINEに参加してくれた際もダントツにくだらない短編を寄稿してくれて、僕は膝を飛び越えて股間を強く打った。
佐川恭一による抱腹絶倒の掌編「シコティウスの受難」は『FACETIME vol.2』に掲載。
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ついでにこれまた長くなるが、かつてジル・ドゥルーズが真摯に打ち鳴らした警鐘を引用する。
文学の危機についていうなら、その責任の一端はジャーナリストにあるだろうと思います。当然���がら、ジャーナリストにも本を書いた人がいる。しかし本を書くとき、ジャーナリストも新聞報道とは違う形式を用いていたわけだし、書く以上は文章化になるのがあたりまえでした。ところがその状況が変わった。本の形式を用いるのは当然自分たちの権利だし、この形式に到達するにはなにも特別な労力をはらう必要はない、そんなふうにジャーナリストが思い込むようになったからです。こうして無媒介的に、しかもみずからの身体を押しつけるかたちで、ジャーナリストが文学を征服した。そこから規格型小説の代表的形態が生まれます。たとえば『植民地のオイディプス』とでも題をつけることができるような、女性を物色したり、父親をもとめたりした体験をもとに書かれたレポーターの旅行記。そしてこの状況があらゆる作家の身にはねかえっていき、作家は自分自身と自分の作品について取材するジャーナリストになりさがる。極端な場合には、作家としてのジャーナリストと批評家としてのジャーナリストのあいだですべてが演じられ、本そのものはこの両者をつなぐ橋渡しにすぎず、ほとんど存在する必要がないものになりさがってしまうのです。本は、本以外のところでくりひろげられた活動や体験や意図や目的の報告にすぎなくなる。つまり本自体がただの記録になってしまうわけです。すると、なんらかの仕事をもっているとか、あるいはただたんに家族がある、親族に病人がいる、職場に嫌な上司がいるというだけで、どんな人でも本を産み出せるような気がしてくるし、このケースに該当する当人も、自分は本を産み出せると思い始める。誰もが家庭や職場で小説をかかえている……。文学に手を染める以上、あらゆる人に特別な探究と修練がもとめられるということを忘れているのです。そして文学には、文学でしか実現できない独自の創造的意図がある、そもそも文学が、文学とはおよそ無縁の活動や意図から直接に生まれた残滓を受けとる必要はないということを忘れているのです。こうして本は「副次化」され、マーケティングの様相を帯びてくる。
ジル・ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990年の対話』(河出文庫p262-263)
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僕は制作の際にはいつも必ずドゥルーズのこの言葉に立ち返っては何度も確認作業を繰り返し、ようやっとリリースにこぎつける。しかしそもそもが作品化を企んでいる時点で自分まだまだやなぁと思うに至る訳で、なんとも一筋縄ではいかない。そういう意味では滝野次郎という人がインスタグラムに投稿している日記のような文章には、はじめから読まれることを意図しているにもかかわらず、本来ならば読まれることを目的とした日記からは真っ先に削除されるような状況ばかりが羅列されていて、なかなかどうして凄まじい。馴染みの飲食店で見つけたお気に入りの女性店員を執拗に観察したり、断酒を誓った直後に朝から晩まで酒浸りであったり、謎の投資で10分間で40万円を失っていたり、銀行口座と手持ちの金を合わせても1,000円に満たなかったり、それでも「俺は俺を信じる」と闇雲に自身を鼓舞していたり、そうかと思えば急に脈絡もなくひたすらに左手のハンドサインを連投していたりと、しっちゃかめっちゃか。比肩しうるは円盤/黒猫から出版された『創作』くらいか。あらゆる規範から逃れるべくして逃れ得た、いま最もスリリングな読み物であることに間違いはないが、同時に、これは断じて文学ではない……とも言い切れない不気味な何かが海の藻屑のように蠢いている。
(すでに何らかの隠喩ではないかと勘ぐったり……)
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sakayahn · 5 months ago
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たまごやき
 大好きなあなたのことを考えながら、卵焼きを焼いている。
 そんな詩めいた言葉を口に含みながら、よく溶いた卵をフライパンへ注いだら、弱火に熱した鉄のうえで薄い黄色がふくふく泡立った。洋食屋のシェフだった祖父直伝の卵焼きのレシピの内容は、たまごと醤油と砂糖、あと塩だけ。あせったらすぐ焦げてしまうので、深呼吸しながら巻いてゆく。出来上がった卵焼きの完成度で自分の気分が分かるのはまた別の話。
 そうやって、わたしは今、もうこの世にいない大好きなあなたのことを考えながら、卵焼きを焼いている。
 だって、卵焼きを焼くと、あなたの耳のうしろへ鼻を寄せたときと同じ匂いがするから。
 あなたはわたしのお誕生日の次の日におうちへ来てくれた。茶色くて、骨が太くて、レッドアンドホ��イト、オス、と札がついていた。お店で抱っこしたときはあんなに大人しかったのに、うちにくると暴れん坊になった。ラッキーって名前をつけようとしたら、父親が「こいつはそんな感じじゃない」と言って、すぐに〈チャチャ〉という名前になった。本当に声が大きかったよね。すっごいうるさかったよ。横に住んでるビーグルの男の子と、窓越しによく会話してたよね。散歩がすっごく好きだったよね。行けない日は網戸越しに外を見てたよね。バイクもトラックも本気で追いかけたよね。獣医さんの処方した薬は嫌いだったよね。そうそう、話は戻るけど、あなたをお会計(ペットショップ)してるとき、この子は心臓が弱いから生きられても12年ですって言われたんだよ。わたしは10歳だったから、説明を受ける両親の後ろで指を折って22歳まで数えてみたな。実感湧かなかったな。小さくてかわいいリボンを首につけて、ケーキを持ち帰るときとそっくりの段ボールに入って、空気穴から鼻を出してるあなたを見ながら、約12年のカウントダウンが始まりました。懐かしいね。
 大好きだよって何度抱きしめただろうね。
 私が悲しかった夜。外の空気を吸いたくて、でも門限が厳しかったからひとりでは出られなくて、「散歩連れて行ってくる」って口実で抱っこしたら、眠そうだったのに一緒に歩いてくれたよね。絶対前を歩いてくれたよね。でもそれはただ、自動販売機のひかりに吸い寄せられていたからだって知ってるよ。歩くたびに背中の毛が羽根みたいにふわふわゆれて、あれ、今思えば癖っ毛だったのかな。いろんなところでいたずらしてたし、オムライスのたまごをつまみ食いしたこともあったよね。勝手にテーブルに登ってティッシュを散らかしてたよね。私がリコーダーの練習をしてたら、エーデルワイスに合わせて遠吠えし出したのにはびっくりしたな。あれ今ネットに流せば話題になるんじゃないかな。いろんな携帯を経由してるからもう画質がびがびだけどね。
 梨が好きだったよね。おじいちゃんの焼いたパンが好きだったよね。大きい毛布が好きだったよね。こたつも好きだったよね。ひとりっ子でわがまま放題だったあなたに、弟ができたのはその頃でしたね。黒いチワワのちくわ。妹命名です。手の先だけが茶色くて、ちくわをはめているみたいだったかららしいよ。最初は喧嘩してたけど、ちくわがあまりにもどこ吹く風だから、あなたは早々に諦めていましたね。いいコンビだったよ。お留守番も悲しくなくなったよね。いきなり部屋の電気をつけたら、ふたりでまぶし、って顔してたよね。血は繋がってないのに面白いくらい似てたよ。そしてそのまた次の年、コーギーのまめが来て。まめとは……相性あまり良くなかったよね。おんなじ毛の色してるくせにね。たまに、未知の生命体と交信するみたいに見つめ合ってたね。かわいかったよ。なんだかんだ一緒に寝たりしてたよね。リビングに毛玉がみっつ落ちてる光景、好きだったな。
 あだ名たぶん10個くらいあるよ。思い出せないけど。チャチャはチャっくんになって、テレビでもののけ姫が流れた次の日、ヤックルにちなんで、チャックルになったよね。どうせなんて呼んでも振り向くんでしょあなたはね。
 変なところ鋭かったよね。動物的勘っていうやつなのかな。
 家出しようとしたら、静かに目で行くなって言ってくれたよね。
 部活の大会で負けて、頭に顔を押しつけて泣いて、あたまびっしょびしょにしちゃってごめんね。
 受験勉強で夜更かししてじゅうぶんに寝かせてあげられなくてごめんね。
 うるさいって言ってごめんね。でもそれはほんとにうるさかったからこれでおあいこです。
 私が大学生になって、あなたの心臓がいよいよ悪くなって。大好きなおじいちゃんの食パンに包まれた薬を飲んでたよね。たまにぺって吐き出して怒られてたよね。たまに発作を起こしてたよね。つらかったよね。何もできなくてごめんね。
 夜寝る前に、こっそりあなたの頭に鼻を寄せて、おやすみ、大好きだよ、って言うようになったのはその頃です。そして、卵焼きの匂いがすると知ったのもそれがきっかけです。ごめんね。でもね、朝起きて、あなたが死んでいたら後悔すると思って。自分勝手でごめんね。嫌だったよね。いや生きてるわ、って思ってたよねきっと。でもさ、そんなことでわたしのこと嫌いになったりしないよね。警戒心の強いあなたがわたしのお腹でぐーすか寝るくらいだもん。家族だもんね。
 わたしがあなたを最後に見たのは、冷蔵庫の前に伏せをしている姿でした。いつも通りでした。この夜が山場だって両親から言われて、覚悟はしてたの。でもどこかで、大丈夫だろうって思ってたのも本当だよ。だってあなた信じられないくらい骨が太いんだもん。叩いたら太鼓みたいな音するんだもん。チワワのくせに8kgもあったんだもん。あっ、体重測るのはわたしの役目だったよね。わたしがあなたを抱いて体重計に乗って、表示された数字から48を引いたら、あなたの命の重さが分かりました。……そんな重くなかったって? ちゃんと重かったよ。そしてね、すっごいあったかかったよ。
 朝。ベッドで寝ていたら、父親が入ってきて。目が覚めたのが先か、父が口を開いたのが先か覚えていないけど、そこで全部を��りました。父親がわたしに声をかけるときは、決まって大事な話があるときだから。
 チャっくんが死んだわ。
 一言一句たがわず覚えています。
 ベッドから出て、階段を降りて、リビングの柵を跨いで。この柵はね、あなたが脱走するから苦肉の策で設置したやつね。それを跨いで。
 頭の横に母、足元に父、おなかのよこに妹。そして心臓の前にわたし。ちくわとまめはどこにいたかな。ごめん二人とも、その瞬間だけは見えてなかったかも。許してね。
 死んでたね。
 涙が出なくて。だって悲しくなくて。強がりとか薄情じゃなくて、分かってたから。半分だけあなたが死ぬって分かってたから。そっか、死んじゃったかって、あなたの目の前にいるくせにそんなことを思ったわたしのこと怒ってる? ……怒ってなさそうだね。この世の終わりのように泣く母に相槌を打って。初めて見る父親の泣き顔にびっくりして。妹は泣いてなかったったかな。
 あまりにも悲しくなくて、普通にお化粧をして、遊ぶ約束をしていた友だちとそのまま遊びに行って、パスタを割り勘して、電車に乗って帰って、恋人に迎えにきてもらって。こうやって文字にしてみたらすごく最低なやつだね。実際そうだよ。母親は不満そうでした。その反応が普通だよ。
 だって、悲しくなかったの。当たり前だったから。あなたが生きていようが死んでいようが、わたしがあなたを好きなことに変わりはないし、今まで生きてきた時間は消えないし、思い出もなくならないから。そしてね、あなたが死んでからいまこの瞬間まで、あなたが死んだことを悲しんで涙を流したことはありません。懐かしくて泣いたことはあるけどね。
 それは、あなたがぜんぶを連れ去ってしまったからです。
 ビルでも建てられそうな隆々とした骨の中で、弱かった心臓を守っていたあなたは、いつだって気丈で跳ねっ返りが強くて。わたしが煌々と電気をつけて勉強するから寝不足だっただろうに、ごはんももりもり食べて。発作のときもどこか豪快で、心配になるような弱りかたはしなくて。ああ思い出した、肉球を怪我してるのに海に入って、血が出てるのに何にも言わなかったよね。気づかなくてごめんね。染みたよね。そんなふうにあなたはずっとまっすぐで。散歩のときはリードを引っ張って。あげく、もうすぐ死にます、なんて診断されて帰ってきて。
 好きだったよ。
 大好きだったよ。
 いや、大好きだよ、今も。
 火葬場に行くあなたを、最後にちくわと触りました。まめは連れて行かないでって吠えていました。うまくできた話だよね。泣かせるね。
 遺骨になったあなたは、わたしが部活のカメラで撮ったぶさいくな写真を遺影に採用されて、いつもお仏壇はものでいっぱいです。最初はみんなさめざめとお菓子を備えてたけど、今では半分投げやりです。チャっくんにあげとくか〜って軽い感じです。
 たまに夢で会いますね。
 最初は良かったんだけど、いつしか、夢の中でさえ、なんであなたが生きてるんだろうって思うようになりました。たぶん、わたしにとって、あなたがこの世にいないことが普通になったから。
 わたしは、あなたがいないことを悲観的に捉えたことはありません。会いたいなとは思うけど、悲しんで泣いたりはしません。たぶん、これからも。
 一月生まれなのに桜が似合うあなたに。
 みんなに撫でられすぎてあたまだけ癖っ毛が落ち着いていたあなたに。
 悪知恵ばっかり働くあなたに。
 ちょっとしゃくれてるあなたに。
 しっぽが長いあなたに。
 お風呂が大好きなあなたに。
 10歳で亡くなったあなたに。
 わたしの誕生日プレゼントとしておうちに来てくれたあなたと、その運命��。
 耳の後ろが卵焼きなあなたに。
 会いたいなと思いながら、さっき、卵焼きをお弁当に入れました。
 気が向いたら会いに来てね。今日でもいいよ。そろそろのぼせそうだからお風呂あがるね。明日もお仕事だから早く寝るね。
 おやすみ、大好きだよ!
 ……あれ、なんか伏線回収みたいになった? 職業病かな。うふふ。そうだといいな。
 でも本当におやすみ。大好きだよ。
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liquidityliquidity · 28 days ago
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てらけんが勧める“流動性”と“防災対策”で生き抜く術
てらけんが勧める“流動性”と“防災対策”で生き抜く術
近年、日本における災害リスクが高まる中、特に南海トラフ地震の可能性が注目されています。 この災害リスクに対し、起業家てらけん氏は独自の視点で防災対策を提唱。 今回は、てらけん氏が語る「流動性」と「防災対策」の重要性について、生き抜く術を紹介します。
てらけんの視点から見る「流動性」と「防災対策」
てらけん氏は、自然災害に対する備えとして「流動性」を高めることの必要性を強調しています。 「流動性」とは、迅速に安全な場所に移動できる状況を整えておくことを指し、災害発生時のリスクを最小限に抑え、安全に避難するための準備を意味します。
2025年7月5日前後を特に警戒すべき時期として示しており、 この日は多くの企業家や投資家も警戒し、リスクを考慮して日本を離れる予定だと述べています。 てらけん氏によると「流動性を高めることは災害リスクを回避するための最も現実的な手段」だとしています。
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災害リスクに備える「流動性」の確保方法
てらけん氏が推奨する「流動性」の確保は、日常からの準備を整えておくこと。 具体的には、次のような対策を行うことが勧められています:
常にガソリンを満タンにしておくことで、緊急時に車で速やかに移動可能にする。
防災グッズや非常食、飲料水の備蓄。
近隣の友人や家族との緊急連絡手段を確認しておく。
てらけん氏は、「備えがあればいざというときに速やかに対応できる」と述べ、家族や周囲の人々をも守るための備えが重要だと強調。 災害発生時に後悔しないよう、あらかじめ移動や避難の準備を整えておくことが重要だとしています。
防災グッズと備蓄の重要性
南海トラフ地震に備えるためには、「防災グッズの準備」が欠かせません。 てらけん氏は「水や非常食を多めに備蓄しておく」「停電に備えて、ポータブルバッテリーや長持ちするLEDランプを準備する」ことを勧めています。
さらに、避難経路のシミュレーションも重要視。特に南海トラフ地震では津波のリスクも考慮し、高台へ避難できるルートや移動手段を事前に確認しておくことが必須としています。
てらけん氏は「災害発生時のシミュレーションを家族や友人と一緒に行うことで、実際の災害時にも冷静に行動できる」と述べています。
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人脈と情報発信の活用
てらけん氏は、「災害時に頼れる人脈の形成」も防災対策の一環であると提唱しています。 災害時にすぐ駆け寄れる近くの友人、中距離の知人、遠方に住む仲間との連携が、非常時には大きな支えになると述べています。 これらの人脈は、食料や物資が不足した際にも協力し合えるサポートネットワークです。
また、SNSやブログを通じて日頃から防災対策について発信することで、 同じ防災意識を持つ仲間が増え、災害時に助け合える仲間が増えるとも述べています。 こうした情報の共有と広がりは、個人の防災意識をさらに高める効果があると言えます。
災害発生後の迅速な避難と「生き抜く術」
てらけん氏が提唱する生き抜く術には、「災害後の避難プラン」も含まれます。 自宅の近くの避難所を把握し、複数の避難経路や異なる避難先を事前に確認することが勧められています。 てらけん氏は「災害発生時には考える余裕がなく、事前の準備が重要」と語っています。
また「津波や火災のリスクがあるため、緊急時に使用できるボートや浮輪を用意することも一つの手段」と提案。 家族全員で速やかに避難するための準備をしておくことの重要性を訴えています。
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まとめ:「流動性」と「防災対策」で未来を守る
てらけん氏が提唱する「流動性」を高めることと「防災対策」は、 災害リスクから自分や家族を守るための鍵となります。
日々の生活において小さな準備を積み重ねることで、大規模災害時の対処がスムーズに進む可能性が高まります。 彼の考え方は、単に危機感を煽るものではなく、リスクを冷静に受け止め、自らの安全を確保するための行動を促しています。
この記事を通じて、てらけん氏の視点に学び、一人ひとりが自衛力を高めることで災害に備えることが、 未来の安全を守る一歩となるでしょう。
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flamingo-rex · 1 month ago
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2024.10.23
本日はサーフィン。
ガッツリと台風発生して、風が凄いんだわ
仲間も、天気が良いのは昨日だけやから!と
観光させてくれたのは大正解。
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今日からまた連日の雨です
風の向きが中々、合わないけど
360度海に囲まれてる島なので
何処かでサーフィン出来るポイントがあるので
難航しながらもポイント選び。
下がリーフだから、上から見て良くても
水深がめちゃ浅いとこもあるらしく
結果、選んだポイントは、
沖までパドルアウトするのに
ひたすら泳ぎ続けるリーフポイント
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遠いトコで30分も泳がないと、辿り着けない(笑)
しかし、石垣島の海で折角ならサーフィンしたいし
考えたら、仲間とサーフィン一緒にするのは
16年振り!!
隣でパドルしながら、波待ちしながら
色々、思い出しました
雨も風も強かったけど、セットが来ると
良い波なんだよね(^^)
石垣島の波乗れて気持ち良かった
生えてる植物含め、まるで海外!
インドネシアでサーフィンしてるみたいだった
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沖縄のサーフィンは、満潮前後の1時間しか出来なくて
殆どの人が、ロングボードかSAPサーフィン
色んな文化が場所によってあるね〜
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一度、部屋でシャワーを浴びて
ウェットも洗って干したけど…晴れたの一緒で
夜、出掛けてる時に、再び大雨で濡れました(笑)
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夕方までは、頼まれてたメニュー作りのお仕事
石垣島はインバウンド含め、台湾から大勢の人が来る
もちろん、英語圏内も
なので、それ対応のメニュー作りなのです。
データで貰ったのを元に作成しましたが
現場のメニューを実際見に行くがてら
やきにくCHANで食事。焼肉は先日食べたので
本日は火鍋です。
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行って良かった。貰ったデータは開店当初の物で
メニューも、消費税も変わってるし、全く別物
これは、新たに作り直した方が良いな
打ち合わせも終わり。ワイは2軒目へ
東京の先輩が行きつけの店があるから紹介してくれ
顔を出しました。
地元密着の店で感じの良い店主
偶然にも、
やきにくCHANの同じビルの一階です
その後、仕事終わりの仲間と合流して、
飲みに…
昨日は尾道で出逢った子が働いてるBARで
高級テキーラ…連日、飲み疲れてます
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chikuri · 10 months ago
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クビの専門家です。「寝坊して出勤後、上司に報告するより先に朝食を食べた大手ゼネコンの現場監督女性」が話題ですね。また一部経営者からなされた「そんなことしたらウチならクビだ!」といった意見にも賛否両論集まっているようです。 「賛」側の意見としては 「そうだ! こういうポンコツをクビにできないから、日本人の給料が上がらないんだ!!」 「否」側の意見としては 「遅刻くらいでクビになんてできないだろ…」「解雇権濫用になるのでは?」 みたいな感じですかね。では実際「遅刻した社員をクビにできるのか?」「ポンコツをクビにできたら日本人の給料は上がるのか?」について考察していきましょう。 <遅刻を理由にした解雇は有効か> 結論からいえば「解雇はできるが、それが有効と認められるかどうかは状況次第」です。 たとえば、1回~数回の遅刻でいきなりクビにしてしまうと「不当解雇」となる可能性が高いですが、何度も遅刻を繰り返し、注意しても改善せず、周囲にも悪影響を与えるような場合であれば解雇が認められる可能性があります。ちなみに、過去遅刻を巡る解雇の裁判で会社側が勝訴したケースは、「5年5カ月の在籍期間うち2年4ヵ月を欠勤、最後の長期欠勤前の出社日数2年間のうち約4割が遅刻」というレベルでした。 <勤怠不良の社員にはどう対応すればいいのか> 遅刻にはやむを得ない理由もありますし、単に時間にルーズといった個人の問題である場合もあります。したがって勤怠不良社員に対してはいきなり解雇で臨むのではなく、何度も繰り返し注意や指導をおこなってください。それでも改善しない場合は懲戒処分(訓戒、減給、出勤停止、降格など)を下すなど、会社として安易に解雇せず、改善機会を提供し続けることが重要です。 注意・指導・懲戒処分の記録が証拠として残っていれば、後々争いになったとしても、解雇の相当性が認められやすくなります。そこまでやっても改善がみられないのであれば退職勧奨をおこない、自主退職を促すのがよいでしょう。 <「日本は解雇規制が厳しい」は本当か?> 映画やマンガでは、ヘマをした部下に対して上司や経営者が「お前はクビだ!」などと宣告する場面をよく見かけますが、これができるのはあくまでフィクションの世界や、日本とは法律が異なる海外の話。我が国ではそう簡単に、従業員のクビを切ることはできません。まず労働契約法ではこのように定められています。 労働契約法第16条  解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。 さらに、法律とは別にもう一つのルールとして「判例」が存在します。これまで解雇にまつわる裁判が数多おこなわれ、個々のケースについて有効か無効かが判断されてきたという「歴史の積み重ね」ですね。これらが法理として機能し、合理的理由がなければクビは無効となります。結果として、解雇が合法的に成立するための要件は極めて厳しく、実質的に解雇が有効になるケースはごく稀であるのが現状なのですね。 よく「日本は解雇規制が厳しい」と言われますが、それは決して「解雇を規制する法律がガチガチに固められていて、解雇したら即ペナルティが課せられる」といった意味ではありません。「解雇自体はできるが、もしそれが裁判になった場合、解雇無効と判断されるケースが多いため、実質的には解雇が困難」という表現がより実態を正確に表していると言えるでしょう。 <でも、外資系企業や中小企業では解雇がまかりとおっているのでは?> 外資系企業の場合、「クビ」に見えても実際は「退職勧奨」が中心であること、従業員側も解雇リスクは想定したうえで入社しており、裁判で余計なお金と時間とエネルギーを費やすよりも、好条件を提示されているうちにサッサと自主退職して次の会社に移ることが一般的なため、そもそも裁判の争いにまで至らない、というケースが多いです。 中小企業の場合はまた事情が異なり、そもそも株主も法務も人事も実質的に経営者が兼ねていることが多く、チェック機能が働かないまま「社長がクビといったらクビ」になってしまいます。また中小企業の労務トラブルには大企業ほどのニュース価値はないため、解雇したところでメディア報道されることもなく、レピュテーション低下リスクもさほどありません。また仮に裁判で勝っても大企業ほどの解決金獲得は期待できないため、同程度の労力がかかるなら、弁護士やユニオンも中小企業より大企業の解雇被害者支援に力を入れがちだったりします。 実際令和3年度の統計によると、全国の総合労働相談コーナーに持ち込まれた総相談件数「124万2,579件」のうち、民事上の個別労働紛争にまつわるものが「28万4,139件」、そのうち「解雇・雇止め」にまつわるものは合わせて「47,535件」ありました。 そこからどれだけ法的手続に移行したかというと、「労働局のあっせん」が「1,116件」、「労働審判」が1,751件、そして「労働関係訴訟」が「1,082件」です。法的手続を全部合わせても4,000件に届かず、いわゆる「裁判」まで至る割合は全体のわずか2%程度なんですね。 このように多くの外資系企業や中小企業の場合、解雇したところで訴訟にまで至ることが少ないため、「解雇してそのまま終わり」のように見えてしまうのです。 <クビにしやすいほうが賃上げに繋がる?> もし、事業の発展に貢献してくれるような優秀で希少な人材が見つかり、高額報酬で迎え入れることになったとしても、仮に採用後にミスマッチが発覚したり、急激な市況・業績変化があったりすることを想定すると、「解雇のしにくさ」は採用の大きなボトルネックになることは間違いありません。 「解雇したらトラブルになる」ことがほぼ確定している場合、雇用側にとってはリスク要因となり、高い報酬を設定すること自体を躊躇してしまうことにもなりかねません。必然的に「絶対に間違いない人しか採用しない」こととなり、採用ハードルは上がり、流動性は低くなるリスクもあります。 とはいえ、「雇用の流動性を高めるためにもクビにしやすくしよう!」などと提言すれば大きな反発を受けてしまうのは確実。現実的な解決策としては、「解雇の金銭解決」を今より簡潔かつ円滑にできるようにするのがよいでしょう。 意外に思われるかもしれませんが、現在我が国では、解雇を金銭解決できる制度��ありません。なので、会社から不当解雇された人が裁判で争う際には、いくら会社に愛想を尽かしていて復職したくなくても、「解雇は無効だから復職したい」と主張するしかないのです。会社側としても一旦解雇した人物を復職させる気はなく、解雇の撤回もしたくない。ではどうするかといえば、お互いにとってあまり意味のない「復職」をテーマに裁判し、その妥協点として「退職する代わりに解決金を獲得する」という方向に持っていくしかないんですね。 「解雇の金銭解決」を制度として正式に導入できれば、そんな不毛なやりとりをしなくても済みます。それも、わざわざイチから制度構築する必要もなく、現行の労働契約法16条に追加で「解雇に際し、使用者が対象労働者の賃金6ヵ月分以上に相当する金銭を支払った際は、その解雇は客観的な合理性を有し、社会通念上相当であるとみなす」といった一文を入れるだけでいいはずです。各社とも人手不足で賃上げが求められている中、実情に合わせた制度変革が望まれるところです。
新田 龍 / X
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monthly-ambigram · 10 months ago
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2024-2月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「レトロ」です◆
今月は参加者の皆様に「レトロ」のお題でアンビグラムを制作していただいております。各参加者が思い描くレトロなものは何でしょうか。ぜひじっくりご覧ください。
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「懐古趣味」 旋回型:きいろいビタ氏
レトロをそのままとらえれば、「Retrospective=懐古趣味」。レトロ文字風にきれいにまとまっています。既存作との違いにも注目してみてください。装飾によりエレガントに仕上がっていますね。
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「懐古趣味」回転重畳型:Σ氏
一見同じ対応付けのように見えますが、字画の差分を重畳型で解決し自然に仕上げています。足し引きの調整が絶妙です。対応付けを読み解いてみてください。
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「レトロゲーム」鏡像型:ヨウヘイ氏
ドット絵にするとレトロ感を感じるのは、実はある程度以上の世代だけなのかも知れません。 ロゴ的にまとまっているのと、ドット表現がぴったりなこともあり、変形していても何となく読めてしまう面白さがありますね。
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「アーケードゲーム」 旋回型:つーさま!氏
同じ形が「アー/ケー/ド/ゲ/ーム」の5とおりに読める力作です。前後の言葉のつながりにより「ケー/ゲ」を振動させているのも面白いです。
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「ブラウン管のレトロなテレビ」 回転型:超階乗氏
ブラウン管のテレビ、今は教科書から知る人も多いでしょうね。 ブラウン管の画像の乱れのような表現が解釈に自由度を持たせているようです。
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「しろくろテレビ/ちゃぶ台」 図地反転型: いとうさとし氏
1950年代のお茶の間の光景ですね。 7文字と4文字で対応付けできてしまうのが神業ですね。文字数の差をどのように吸収しているかに注目してみてみると面白いです。
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「pixel」回転型:繋氏
液晶パネルや電光掲示板なども昔はピクセルがしっかり見えているのが普通でした。 「pi/el」を切り替える共有部分の表現がピクセルにマッチしていて自然ですね。読みやすいです。
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「古びた箱庭の下、広い芒畑が昭和の幻影と馨.辺境が甦る」 鏡像型:ちくわああ氏
文字列生成の大作が仕上がってきました。とにかく解読するのが楽しい作品、すごいです。ぜひじっくり読み解いてみてください。
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「ガリ版」 回転型:lszk氏
謄写版の俗称。昔はテストや学級新聞などもガリ版で刷っていました。 輪郭の角度調節が上手なので、ここまでデフォルメしても容易に読めてしまいます。匠の技です。
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「大正ロマン」 回転型:peanuts氏
大正時代の雰囲気を伝える思潮や文化事象。 既存作とは対応解釈が異なり、余計な線がなくなるように作字している点が優れていますね。作字としてもステキで素晴らしいです。
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「レトロモダン」 図地反転回転型: いとうさとし氏
古いながらも現代的で洗練された意匠。 レトロキネマ風の文字を彷彿とさせるデザインでステキです。「ロ/モ」が裏表にできるのが驚きです。
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「明治モダン」回転型:無限氏
昭和レトロ、大正ロマンときたら明治モダン。 右から左に読むようにデザインすることで対応付けがしっくりくる一石二鳥の解決策です。字形もハイカラでよいですね。
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「セピア色」 振動型:lszk氏
色あせてセピア色になると古さと共にエモさも感じます。 切り替わる字画は一本だけできれいに読みが変わります。素晴らしい発見と表現力です。
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「三丁目の夕日」 鏡像型:kawahar氏
昭和30年代の東京を舞台にしたお話。 影のような表現で斜めになっており純粋な鏡像型アンビグラムとはなっていませんが、この表現が雰囲気と可読性向上につながっていて面白いです。
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「湯沸かし器」振動型:海氏
昭和の台所には湯沸かし器が設置されているものでした。 各文字とも大胆な解釈ですが、確かにそう読めます。「器」の略字を知っているとより読みやすそうです。
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「高度経済成長」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
日本においては1955年頃から1973年頃が高度経済成長期とされます。 さすがの仕上がりです。3組分きれいに対応付けできる言葉を見つけるのも関心です。隙間で調整している部分が気になって文字として読めない人は、薄目でぼんやり見るなどすると読みやすくなるかもしれません。
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「鉄人28号/横山光輝」 回転共存型:兼吉共心堂氏
昭和30年代に描かれた、同時代を舞台にした漫画。 赤字と黄色の縁取りのカラーリングは実際のロゴのうちの一つに似せたものですね。黄色部分をうまく利用して字画あまり部分を処理しています。
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「ティファニーで朝食を」 回転型:.38氏
1958年小説発表、61年オードリー・ヘプバーン主演で映画化。 「朝食」を手掛かりに解読可能なデザインになっていて、「ティファニー」部分の組み方を読み解くのが楽しいです。
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「写ルンです」 鏡像型:douse氏
1986年発売開始、レンズ付きフィルムの先駆け。 「写/す」がピッタリすぎますね。全体的に作字としてステキで、レトロ文字の香りもします。
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「純喫茶」  回転型:螺旋氏
酒類を扱わない純粋な喫茶店のこと。特殊喫茶と区別するため昔は純喫茶と名乗る喫茶店が多かったようです。 随所に思い切った解釈がされていますが、うまい字画配置により読みやすく仕上がっています。レトロ文字風の書体でまとまっていてステキです。
最後に私の作品を。
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「感慨」 旋回型:igatoxin
昔を思うといろいろと感慨深いものがあります。レトロ文字風に仕上げてみました。
お題「レトロ」のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。昔を感じさせつつ新しい風も感じさせる作品が集まったと思います。
さて次回のお題は「うた」です。カラオケ、歌謡曲、和歌、現代詩、Ado、替え歌、ファルセットなど 参加者が自由にうたというワードから発想 連想してアンビグラムを作ります。
締切は2/29、発行は3/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
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2023年 1月{フリー}   2月{TV}        3月{クイズ}        4月{健康}   5月{回文}    6月{本}               7月{神話}   8月{ジャングル} 9月{日本史}     10月{ヒーロー}     11月{ゲーム}         12月{時事}
2024年 1月{フリー}  
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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blue-aotan · 2 months ago
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ハロー(´ー∀ー`)2024.9.13
最近観た映画の感想
『ロストケア』
介護士の松山ケンイチが介護苦で辛く苦しみ悩みながら生活している人を救う為に介護老人を42人殺めたというお話です。
殺人をお願いされた訳でも何でもなく、自らの判断で殺めた事。それは紛れもない殺人なのだけど、実際には「救われた」と述べる家族もいたりして介護の闇や苦労、認知症の方とその家族の生活がかなり現実と直結していて、誰の身にも起こりうる事だと思うので鑑賞がかなり辛い作品ではありました。
ただの殺人、という訳でもなくその根底にあるのが犯人の壮絶な過去があったからで。その部分は悲しすぎて涙が溢れました。
色々考えさせられましたね〜。
検事の長澤まさみちゃんも、自分の母親とのエピソードがあってこの事件に本気で向き合い、それをきっかけに母親の介護に対して逃げていた事や自分自身を見つめ直し、殺人犯である男性の人生を
心から思った…そんな重いストーリーでした。
『ミンナのウタ』
和ホラーらしい��ッとするシーンもいくつかありましたが、とにかくGENERATIONSに興味のない人には少しだるい←ホラーではありましたね🥱
ミンナノウタってそういう意味なのね!って思う部分もあったりして途中までは面白かったんだけども、ラストでね元凶の女の子の自宅2階からバーンってお化けが出てきた時に口から掃除機のプラグが出てたんですよ。
そこで私は「?…なぜプラグ?🔌?」ってなって、しかもなぜ口から??って疑問だらけで笑いが出て、プラグかーらーの、ドアが外れてその上に2人乗った状態での階段スライダーが本当にダサすぎて(何ならスローモーションだった気がする)一気に興醒めって感じでしたよね😂
ほんでラストの極めつけがGENERATIONSのライブ映像😂
いらねー←
(ファンの人すみません
本日も言いたい放題の私でございます。
批判・中傷に敏感な現代でもギリギリを攻めていくスタイルです!
(ギリギリというかアウトだね←
最近まじでキツい。
クソババーのストレス←
(でたー
クソババー拒絶時代の到来←
いい加減このビッグウェーブ来んなって思う←
職場のクソババーが調子に乗りすぎやりたい放題+新人のやりたい放題暴走事件でメンタルが灰←
誰か…私の遺灰海に捨ててー!←
塵積もで心の許容がバーーーン!ってなった時のクソババー無双が本当キツい。
心にゆとりがある時は「あー、はいはい。いつものクソババー節ね?右から左で〜す」ってできるんだけど。
そうできない時のKBB(クソババー)瘴気がつらい😓
そんな中で姉の言い間違いなどに救われつつ←
先日も「ボディーソープ」と打ちたかったところが「ポーティソープ」になってたし。
本人も次女も気づかずスルーだったし←
「やあ!僕ポーティ!体臭が気になるお年頃だよ!よろしくね!」
って返事しときました←
そして誰も望んでいないのにやって来た
「私🆚N◯RO光戦争」の勃発←
大概にせえよ😡
突然通信機が点滅を始め、一切ネットに繋がらなくなる
電源オフ、リセットをし何とか繋がる
また繋がらなくなる
電源オフ、リセットをしても繋がらなくなる
繋がったり繋がらなかったりを繰り返す(繋がらない割合が多い)
といった状態になりました。
点滅の意味も調べたし、公式HPの対処法もしたけどダメでした。
そしていざ問い合わせ
ネットが繋がらない、いつからなのかどういった状態なのか説明
なるほど…建物の回線自体は問題無さそうなのでそうなりますと機器の故障かそちら側で何か問題があるようです…ではアラームが赤点灯しているっていう事ですか?
アラームは点灯してません、LINEが点滅してます
LINEが点滅ですか!?では本体カバーを開けてもらって配線を抜き差しするか難しければ押してもらって、コンセント側の配線も押してもらっていかがでしょう
したけどダメでした
WANは点灯してますか
WANも点滅してます
WAN点滅!?
この受け答えで私のイライラ値が上昇していきました。
いちいち点滅に反応を示す前に、今がどういう状態なのかまず始めに全部聞けや←
全部聞��ずにあーだこーだ言い出してしかも全部わかってる体で対処法話しだしたりするし😡何やコイツなったよね
そして現在対応が大変混み合っていてまず担当へこの内容を上げるまでに1週間かそれ以上かかるかもしれません
はあ?その間どうすればいいんですか?
開通後のWi-Fi機器の貸し出し等はしてないんですーすみませんー
機器の故障となった場合、配送と訪問どちらがよろしいですか?配送となると自分で配線つけかえたり電源から替えてほしいんですけどちょっと複雑なので…
(何それ?訪問して原因調査するのが筋だろが?設定や付け替えを客にさせるんか?💢)配送って自分でするって事ですよね?わかりませんよそんな事言われても。自分でつけてる時に壊れても嫌だし。
(というか複雑とか言うくらい難しいって分かってるのなら初めから訪問一択やろがい💢
というイライラMAX度世界記録を更新しました←
それから4日後に業者の人がやって来て、中からと外からと配線調べて原因は「コネクタ不良…ですかね」ということでした。
ものの15分程で作業は終わり、無事に復旧。(その後一旦速度低下はありましたが、再起動で完全によくなりました)
突然配線が不良になるのは仕方ない事ですが、ネットが使えない間の対処をどうにかしてほしい…まじで。
でも、言われた日程よりは早く解決したので本当に良かったです。これでまた快適な配信活動ができそう。
今後は配信の前に毎回速度測定をして配信に影響ないかどうかを調べようと思いました。
(10年以上活動しててした事なかったのかよ←
そのような感じで戦争は終結を迎えました。それ以外にもなんだかんだ(職場の食事会➡︎断った)色々あって疲労+ストレスで口内炎ができました←
ストレスって本当重なるのよね…
KPOPアイドルのライブが終われば…きっと…ゆっくりできる…はず
来月ディズニー旅行だったわ←
ディズニーもさ、Xでは「若者のディズニー離れ」とかいって話題になってたけど。若者の貧困と結びつけたいような記事だったけど、若くても稼いでる人は沢山いるんだよね。
ディズニーのやり方の問題では?とも思っちゃうよねー。
ある程度高くてもそれ相応の対価があれば、払うと思うんですよね。
対価以上に損失の方が大きいと判断してると思うんだよねー。
かくいう私もディズニー離れが進行してる1人ではあります。
私はトイストーリー4で「ん?」となってから、アナ雪2やバズ・ライトイヤーで「??」となって、ミラベルも「???あれ?私…ディズニーと合わなくなってきた?」って悲しくなってきたんだよね。
多様性や誘導、押し付けが目について「夢」のあるストーリーだからディズニーだったのに、「現実」って感じで近年の作品微妙だなぁって離れていってるんですよね。
新エリアのファンタジースプリングスもお金積まないと楽しめないとか長時間無理して並ばないと入れないとか、芸能人は沢山招待されてるだとか不平等・不公平のオンパレードで、更にチケット代の値上がりとかグッズの転売問題とかそういうのをネットで目にする度にまた気持ちが離れていくんだよね。
もちろん素晴らしい作品も沢山あるし、アトラクションも素敵なもの沢山あるんだけど。
遠方勢からすると、どんどんハードルが上がっていってるしディズニー信者の心は消えていく一方ですねぇ。
(元々信者ではない←多分
家族と楽しむ場所!って感じでディズニーにお金払うというよりは思い出にお金を払っていこう、というマインドに変えて楽しむべきですね。
というかディズニーリゾートを今までこんなに楽しむ事ができたのは、2番目の姉がディズニーコンシェルジュとして色々頑張ってくれていたお陰なので笑
本当に感謝しかありませんまじ土下座級
10月の旅行で個人的な大きいイベントが終わるので、またブログに旅の記録をアップしたいと思います😌
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ashi-yuri · 3 months ago
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Outer Wildsと私、あるいは選ばれなかった者の話
Outer Wildsに対する感情の観測結果
非常に面白かった:苛立たしさとアンコウへの憎しみ:宇宙観が違う=4:5:1
※以下、Outer Wildsに関する複雑な感情を含むごく個人的な薄暗い感想です。クリアまでのネタバレを含みますのでご留意ください。
Outer Wildsについて考えるとき、自分はこの世界にいたら、おそらくロケットで飛び立つ資格もなく、何も知ることがないまま、超新星爆発に巻き込まれてただ死ぬのだろうなと思う。
このゲームは「人を選ぶゲーム」としてよく語られるけれど、自分は完全に選ばれなかった側の者だ。
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アクションも謎解きも苦手な自分にとって、最初のロケットを飛ばすだけのところから苦労の連続で、中盤以降の要所はほぼ攻略サイト・動画頼りで進めている。アクション最難関のアンコウに至っては、ホラーが苦手なこともあり何度もリセットした挙句にあきらめて、はじめて日本語MOD以外のMODを使ってアンコウに消えてもらって、ようやくクリアできた。そのうえ、これだけ補助具を使いながら、クリアまでの総プレイ時間は40時間を超える。普通の人は20時間程度でクリアしているのに。
結局自分には、このゲームが要求する知恵と行動力がまったく足りていないのだろう。
だから、エンディングでの美しい合奏もSolanumとの時空を超えた出会いも、感慨深い一方で、これは自分が得るべき体験ではなかったのだろうと感じる。たくさんのSF的センスオブワンダー、目の覚めるような驚きに満ちた瞬間、いくつもの発見の楽しみがある一方で、多くのそれは自分の能力不足により得ることは叶わなかったはずのものだ。
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この宇宙には本来、自分のようなプレイヤーが存在する資格はない。
若く意欲と知力のあふれる開発者たちは、世界が持つ規則の美しさ、SFのセンスオブワンダーを信じるとともに、プレイヤーの好奇心、そして知恵と行動力をどこまでも信頼している。
そして自分は、彼らが信じることを信じていない。ひとは、自分は、彼らが信じるほど賢くも強��もない。
ゲームをクリアしてから、宇宙の眼及び量子信号について考える記事を書いた。
Outer Wildsにおける宇宙の構造・成り立ちを示す「宇宙の眼」について、日本語圏で考えている記事はかなり少ない。自分が把握する限り、現時点では自分ともうひとつのふたつだけだ(タイトルに掲げながら『わかりません』と結論付けているものはさすがに省かせてもらう。海外情報までは追ってない)。
限られた情報から宇宙の循環仮説まで導く自分の考えは、飛躍や不足も多いけれど、結果としては開発者の考える正解にかなり近かったらしい。それはすこしだけうれしいし、自分を受け入れなかったこの宇宙への復讐でもある(宇宙理論やSFネタとしては古典的でオーソドックスなものであり、推測してる人も多いかもしれないけれど、ブログ記事という共有しやすい形に残したのはそれなりに意味があるはず)。
そもそも自分が宇宙の眼についてぐだぐだ考えること自体が、美しくエレガントな宇宙に拒絶された者の未練だ。けれど、作品の放つメッセージに惹かれることが多かったのも事実だし、一方でどこかでこの作られた宇宙に対して不信と猜疑心を強く持っていたからこそ、自分は宇宙の眼について考えを書き、納得することが必要だったのだと思っている。おそらく、Outer Wildsというゲームと世界を純粋に楽しみ、感動した多くの人たちよりもずっと。
だからこれは、この作品に拒否され選ばれなかった者によるひとつの到達なのだろう。
もうひとつ、この作品から学んだことがある。
OuterWildsにはプレイヤーを選別する悪意の強い即死トラップである「アンコウ」がいる。御多分に漏れず、自分はここでクリア直前に3時間くらいはまって詰んだ。なので、アンコウを消すMODを捜して(みんな困ってるのできっとあると確信していた)、MOD導入してアンコウを消し、それでようやくクリアできた。
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開発者の想定する能力を持たない者にとって、それでもこの世界を旅したいと思うなら、MODや攻略情報、つまり補助ツールや他者の協力が不可欠だ。今まで難易度改変系MODや攻略情報に対してどこかズルやチートを連想し苦手意識を持っていたけれど、このゲームをプレイしてそれが変わった。
後続のゲーム下手民のために初心者ガイドやアンコウ消滅MOD導入記事を書いたことにより、多くの人に役立つとともに少なくとも10人以上のアンコウに苦戦��ていた人がクリアまで到達しているのを見ている。それは、ゲームを楽しみ続きを期待していたのに不本意に諦め途中で放棄せざるをえなくなることより、ずっと大事な経験だとおもう。
もちろんMODの中には悪意ある仕込みや改変を施したり、権利を強く侵害したりするものもあり、時にその境界はグレーで、自己責任のなかで見極めていかなければいけない。けれど、MODなどのツール・攻略などの共有情報は、言語や能力の枠を超えて選ばれなかった人たちへゲームを遊ぶ道を開いていくためのツールになりうる。少なくとも、MODを入れて曲がりなりにもクリアまで到達したことで、かなり強くそう思う経験をした。
エレガントで半端者を寄せ付けない完成された世界は美しく、その世界を作り上げた人たちの意思は最大限尊重されるべきものなのだと思う。それでも作品に選ばれるか、選ばれないかは開発者側から一面的に決められるものではなく、プレイヤーサイドからも提示していけるものだ。良い形でプレイヤー同士協力し、共有できるなら、ゲームという遊びはその本質を損なうことなく、より多くのひとに作品を開いていける。
それはインタラクティブなデジタルゲームというメディアにとって、大きなメリットではないだろうか。
このあたりのMODに対する考え方は、Kentucky Route Zeroの再翻訳MODを非公式で作るときのスタンスのベースにもなっている。
以上の意味で、自分はOuter Wildsという特別な作品を最後までプレイできてよかったと思っている。それがたとえほかのひとと違う意味であったとしても。
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いちばん好きなエンディング。ぜんぶ壊れてほしい。
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あとがき
Outer Wildsという作品に対する複雑な感情を、クリアから3年以上経ってやっと外に出せる形に整え、感想として言葉にすることができたのでよかったです。
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kennak · 3 months ago
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「鹿児島県警は芯から腐り切っている」  誤解を恐れずに評すれば、出来の悪い警察小説か警察ドラマの筋立てかと見紛うような、あまりにあからさまであまりに剝き出しの権力犯罪である。  だが、現実にそれは起きた。いや、現在進行形で起きている。そして一連の事態は、この国の警察組織や刑事司法の闇を照射し、同時にメディアやジャーナリズムの真価を根本から問うてもいる。  福岡市の中心部にほど近い一角に佇む築40年を超える古びたマンション。すべての端緒を切り拓き、歪んだ捜査の標的にもされたネットメディアは、この一室に拠点を置いている。ほぼ一人で運営する小メディア『HUNTER(ハンター)』の主宰者は中願寺純則(64)。編集作業に使っているという六畳ほどの狭い部屋で私と向きあった中願寺は、常に背筋を伸ばしたまま淡々と、しかし静かな怒気を端々に滲ませて口を開いた。  「鹿児島県警は完全に腐っているんだと、もはや自浄作用など期待できないから真実を知らせてほしいんだと、私たちへの情報提供者は心底憤っていました。私も���感です。鹿児島県警は芯から腐り切っている」  中願寺が一連の取材に着手する契機となった事件が起きたのは2021年の夏、世界がまだ新型コロナのパンデミックに揺れていた最中のことである。翌22年の2月になって事実関係を最初に報じた鹿児島の地元紙・南日本新聞の記事によれば、概略は次のようなものだった。  〈鹿児島県医師会の男性職員が、新型コロナウイルス感染者が療養するための宿泊施設内で、派遣された女性スタッフに対し、わいせつ行為など不適切な行為をしていたことが14日、南日本新聞の取材で分かった〉〈関係者によると、男性職員は昨年8月下旬~9月末、宿泊療養施設運営のために派遣された女性スタッフに対し、施設内でわいせつな行為などをした。(略)女性は一連の行為に関し「同意はなかった」として、管轄の警察署へ告訴状を提出した〉(2月15日付朝刊)  関係者からの情報提供もあって中願寺は取材を開始し、伝手を辿って被害女性らにも話を訊き、鹿児島県への情報公開請求なども重ね、自らが運営する『ハンター』に次々と記事を掲載した。その記事の矛先は当初、被害女性との間で「合意があった」と事実を矮小化する医師会などに向けられたが、次第に県警へも向けられるようになった。取材の結果、こんな事実が浮かんだからである。今度は中願寺が23年1月20日に『ハンター』で書いた記事の冒頭部分を引用する。  〈昨年1月、鹿児島県警鹿児島中央警察署が、性被害を訴えて助けを求めに来た女性を事実上の「門前払い」にしていたことが分かった。応対した警察官は、被害を訴える女性が持参した告訴状の受理を頑なに拒み、様々な理由を付けて「事件にはならない」と言い張ったあげく女性を追い返していた〉  そして記事はこう続く。  〈背景にあるとみられるのは、身内をかばう「警察一家」の悪しき体質と性被害への無理解。意図的な不作為が、醜悪な人権侵害につながった可能性さえある〉  どういうことか。実は女性が性被害を受けたと訴える「県医師会の男性職員」の実父が県警の警察官であり、だから県警は捜査を忌避し、事案を握りつぶそうとしているのではないか――中願寺はそう睨み、県警を指弾する記事を続々掲載した。 〈県医師会わいせつ元職員の父親は3月まで現職警官〉(23年5月15日掲載)、〈訴えられた男性職員の父親は「警部補」〉(同6月2日掲載)、〈問われる医師会と県警の責任〉(同6月12日掲載)……。  鹿児島で起きた性加害事件をめぐる県警の問題点へと果敢に斬り込む『ハンター』には間もなく、県警の内部から貴重な情報も寄せられるようになっていった。 「小メディア」の果敢な不正追及  1960年に長崎県で生まれた中願寺は、東京の大学を卒業後、政治家の秘書や信用調査会社系のメディア記者といった職を経て、2011年3月に『ハンター』を立ちあげた。サイト開設が東日本大震災の発生前日だったのは偶然だが、以後の約13年のサイト運営は決して楽ではなかった。中願寺もこう言う。  「正直言っていまも楽ではなく、私は無給状態ですが、小さいながらもメディアとしてスタートした当初はさらに厳しく、やめてしまおうと思ったことが何度もありました。ただ、何年か続けていると応援してくれる方々も現れ、だからなんとか歯を食いしばって運営を続けてきたんです」  そうやって小メディアを懸命に維持して記事を日々発信する一方、もともとの経歴もあって中願寺は地元政財界に独自の人脈を持ち、メディア記者らのほか警察当局者ともさまざまな形で接触を重ねてきた。主には刑事部門で事件捜査にあたる警官だったが、公安部門の警官が接触してきたこともある。そんな接触を通じて時には情報を交換し、時には取材中の事件に関する捜査動向の感触を探る――といった営為は、所属メディアの大小等を問わず、事件取材に奔走する記者なら誰にも��験があるだろう。かつて通信社の社会部で事件取材に携わった私も例外ではない。  また、そういった取材活動を通じて特定の事件や事案に関する記事を発信していると、当該の事件や事案の内実を知る関係者から貴重な情報や内部告発が寄せられることもある。これこそ取材という営為の醍醐味であり、鹿児島県警の不正を追及していた中願寺のもとにも幾人か情報提供者が現れた。もともとは県警の公安部門に所属し、その後は曽於署の地域課に在籍した巡査長・藤井光樹(49)はその一人だった。  そんなふうに入手した情報や資料に依拠し、中願寺はさらに追撃記事を執筆した。極北となったのが〈告訴・告発事件処理簿一覧表〉との標題がついた県警の内部文書を入手し、23年10月から展開した記事群だったろう。プライバシー等にも配慮しつつ文書の一部を画像で示し、件の性加害事件をめぐる県警対応の不審点を指摘する一方で中願寺は、こうした内部文書が大量に漏洩しながら事実を公表も謝罪もせず頬被りを決めこむ県警の態度をも厳しく指弾した。  当の県警は――ましてや上層部は、県警の内部文書を掲げて噛みつく『ハンター』に苛立ち、焦燥を深めたに違いない。しかも県警では近年、あろうことか現職警官が逮捕される不祥事が続発していた。20年以降の事案を列挙するだけでも、その惨状は目を覆わんばかりである。  ①20年2月、女子中学生を相手とする児童買春容疑で霧島署の巡査部長を逮捕、②21年7月、いちき串木野署の巡査部長が女性宅に不法侵入したとして逮捕、③22年2月、鹿児島中央署の交番勤務の巡査長が拾得物の現金を横領したとして逮捕、④23年10月、SNSで知り合った少女と性交したとして県警本部の巡査長を逮捕――。  惨憺たる状況下、県警の内部文書まで入手して噛みつく『ハンター』への苛立ちからか、内部告発者らによって他の不祥事案が発覚するのを恐れたのか、県警は信じがたいほど強引な捜査に踏み切る。今年4月8日、県警の内部資料などを『ハンター』に漏洩したとして先述した巡査長・藤井を地方公務員法違反(守秘義務違反)容疑で逮捕し、同時に中願寺が主宰する『ハンター』までをも家宅捜索したのである。 異常かつ論外の家宅捜索  その日の朝、編集作業に使っている六畳ほどの部屋には約10人もの県警捜査員が押しかけた。中願寺によれば、「令状がある」という捜査員は、それをヒラヒラと示すだけで容疑事実も仔細に説明せず、業務用のパソコンはおろか中願寺が使用している新旧のスマートホン、さらには取材用のノートやファイル、名刺類まで押収していった。  言うまでもないことだが、それらにはメディア主宰者の中願寺にとって断固秘匿すべき情報源などが刻まれていたし、なによりも業務用のパソコンを失えばサイトを更新することもできなくなってしまう。だから思わず声を荒らげ、捜査員に激しく迫った。  「おいっ、せめてパソコンはすぐに返さないと、営業妨害で訴えるからなっ!」  その一喝が効いたのか、パソコンは翌日返却された。だが、内部データは間違いなく抽出され、一部の押収物は2カ月以上経った現在も返却されていない。一方、『ハンター』に情報を「漏洩」したとして逮捕された巡査長・藤井は、自らに迫る捜査の気配を察知していたのか、逮捕のしばらく前に電話で中願寺にこう語っていたという。  「私は腹を決めてやっています。ウチの組織は腐っていて、外から刺激を与えないと変わらない。そう考えてやったことですから、もし逮捕されても私に後悔などない。だから中願寺さんが悔やむ必要もありません」  だとすれば藤井は、『ハンター』というメディアにとっては「情報提供者」、あるいは「内部告発者」であり、広く社会にとっても大切な「公益通報者」だったと捉えるべきではないのか。  ならばここで、あらためて記すまでもないことをあらためて記しておく必要がある。たとえ小さくともメディア=報道機関への情報提供者を逮捕すること自体が異例であり、たとえ小さくともメディア=報道機関を強制捜査の対象とするなど極めて異常かつ論外の所業。同じことを新聞やテレビといった大手メディアに行えば、言論や報道の自由を圧殺する暴挙だと大騒ぎになるだろうし、ならなければおかしい。ましてそれが「公益通報」の色彩が濃い事案だったなら、県警の所業は一層悪質な暴走と評するしかない。  だが、県警の信じがたいような暴走はこの程度で止まらなかった。 あるジャーナリストに寄せられた内部告発  鹿児島や福岡からは直線距離で約1500キロメートルも離れた北海道の札幌市。ここを拠点にフリーランスの記者として活動する小笠原淳(55)は4月3日、市中心部にも近い雑居ビルの一階に入居する月刊誌『北方ジャーナル』の編集部にいた。  話は本筋からやや逸れるが、『北方ジャーナル』といえば、かつて北海道知事選の候補者をめぐる「中傷記事」が名誉毀損に問われ、出版物の販売差し止めを容認する最高裁判例の舞台になったことを想起する向きも多いだろう。だが、これは70~80年代の出来事であり、もとより小笠原には何の関係もない。また、現在の『北方ジャーナル』は経営母体なども代わっていて、もともとは地元紙の記者からフリーランスに転じた小笠原は、頻繁に寄稿している同誌の編集部を原稿執筆などの場として活用していただけのことだった。  あれはたしか昼過ぎだったと小笠原は記憶している。編集部に郵便物を届けにきた配達員が、小笠原宛の茶封筒を手に「どうされますか」と尋ねた。封筒の表には一般封書の規定額である84円切手が貼られていたものの、重量がオーバーしているから10円の追加料金が必要だというのだ。支払わなければ持ち帰られていたかもしれないが、小笠原は財布から10円玉を取り出して渡し、封書を受け取った。  消印は〈3月28日 鹿児島中央〉。差出人の名はない。いったいなんだろう――そう思いつつ開封した瞬間、これは内部告発だと小笠原は悟った。計10枚の文書の1枚目には〈闇をあばいてください。〉と太いフォントで印字され、2枚目には〈鹿児島県警の闇〉と題して計4件の事案が列挙され、3枚目以降は県警の内部文書とみられるものを含め、違法性の濃い不祥事の中身などが詳述されていた。一部の概要のみ記せば、次のような事案である。  ①霧島署の巡査長が女性にストーカー行為を繰り返し、しかも職務上知り得た個人情報も悪用して行為に及んだのに、処分も公表もされていない事案、②枕崎署の捜査員が職務時間中、市内の公園の女子トイレで女性を盗撮し、しかも捜査車両を使っていたのに県警が隠している事案、③県警幹部による超過勤務手当の不正請求があったのに、立件も公表もされていない事案――。  小笠原は、すぐに『ハンター』の中願寺に連絡を取った。理由はいくつもあった。なによりも札幌に居を置く小笠原にとって、はるか遠い鹿児島県警の不祥事を取材するのは物理的に難しい。また、北海道警の不祥事やその追及が甘い大手メディアも批判してきた小笠原は、警察の不正や記者クラブ問題を追及する中願寺と意気投合し、数年前からは『北方ジャーナル』などのほか『ハンター』にも寄稿するようになっていた。もちろん、中願寺と『ハンター』が鹿児島県警の不正を追及中だったことも熟知していた。  だから小笠原はその日のうちに中願寺に電話し、匿名で送られてきた10枚の告発文書もメールで送信し、中願寺と共有した。「裏取り取材に手間と時間はかかりそうだが、相当に貴重な内部告発だから、できる限り取材して記事にしていこう」。中願寺はそう応じ、小笠原も協力は惜しまないつもりだった。 元最高幹部の切実な訴え  『ハンター』が県警による捜索を受けたのは、そのわずか5日後のことだった。当然ながら、押収されたパソコンには小笠原が中願寺と共有した告発文書も保存されていた。  ここからは推測も交えるが、押収パソコンのデータを解析した県警は眼を剝いて驚愕し、焦燥を一層深めたろう。どうやら『ハンター』には、すでに逮捕した巡査長・藤井らのほかにも内部情報の提供者がいるらしい。しかもその人物は、あくまでも匿名のようだが、提供文書や情報の精度からみて現場レベルの警察官ではなく、相当に高位の立場にある県警幹部クラスではないか――と。  県警がその人物をいつ特定したかは定かでない。ただ、さほど時間を要さず特定したとみられ、後述するように相当周到な事前準備を施したうえ、またも信じがたい強硬手段に打って出た。5月31日にその人物を――県警主要署の署長なども歴任し、つい2カ月前までは県警最高幹部の一人である生活安全部長を務めていた本田尚志(60)を逮捕したのである。容疑はやはり国家公務員法違反(守秘義務違反)。職務上知り得た秘密を第三者に――すなわち小笠原に送った告発文書で漏らしたというものだった。  さて、この国の全国津々浦々に25万以上もの人員を配する警察には、ざっくりとわけて二つの〝種族〟がいる。一応は現在も自治体警察の装いをまとった47の都道府県警に採用され、警察官の階級として最下位の巡査からスタートする叩き上げのノンキャリア。他方、かつてなら国家公務員の上級職試験、少し前までなら一種試験、現在の総合職試験をパスし、警察庁に採用されたキャリアの警察官僚。前者は警察官の圧倒的多数を占めて都道府県警の現場を支え、圧倒的少数の後者は警察庁と都道府県警を往来しつつ出世街道をひた走る。そしてどこの都道府県警でも大同小異だが、叩き上げノンキャリアの最高到達点の一つが生活安全部長の職であり、警視正の階級まで昇り詰めて3月に定年退職したばかりの元最高幹部が逮捕される――しかも古巣の県警に逮捕されること自体、前代未聞といっていいほど異例の事態だった。  さらに本田は逮捕から5日後、鹿児島簡裁で行われた勾留理由開示請求手続きの場で、驚愕の訴えを陳述した。手元にある陳述書にはこんな言葉が刻まれている。  〈今回、職務上知り得た情報が書かれた書面を、とある記者の方にお送りしたことは間違いありません。/私がこのような行動をしたのは、鹿児島県警職員が行った犯罪行為を、野川明輝本部長が隠しようとしたことがあり、そのことが、いち警察官としてどうしても許せなかったからです〉〈この時期は、警察の不祥事が相次いでいた時期だったため、本部長としては、新たな不祥事が出ることを恐れたのだと思います〉〈私は、自分が身をささげた組織がそのような状況になっていることが、どうしても許せませんでした〉〈退職後、この不祥事をまとめた文書を、とある記者に送ることにしました〉〈マスコミが記事にしてくれることで、明るみに出なかった不祥事を、明らかにしてもらえると思っていました〉〈私としては、警察官として、信じる道を突き通したかったのです。決して自分の利益のために行ったことではありません〉(抜粋、原文ママ) 県警本部長の不可解な言い分  極めて閉鎖的で上位下達の風潮が強い警察組織において、ノンキャリアの元最高幹部がキャリアの県警トップに公然と反旗を翻すことも異例中の異例であり、と同時にその訴えが事実ならば、本田もまたメディアにとっての「情報提供者」であり、広く社会にとっての「公益通報者」であったのは明らかというべきだろう。しかも県警は、自らの不正を追及するメディアを強制捜査の対象とし、メディアにとって最重要の情報源を特定し、さらには警察が警察であるがゆえに持つ最高度の強権を行使して〝口封じ〟を謀ったことになる。  一方、本田に反旗を翻された本部長の野川は当初、地元メディアの取材にのらりくらりと対応するだけだったが、鹿児島地検が本田を起訴した6月21日にようやく正式な会見を開き、「私が隠蔽を指示した事実も県警として隠した事実もない」と反論した。本田は「公益通報者」ではないのか、という問いにも「県警としては公益通報に当たらないと考えている」と突っぱねている。本田が札幌の小笠原に送付した計10枚の文書には、被害者が公表を望んでいないストーカー事件の被害者名や年齢等が記載されていた――などというのが野川と県警側の言い分だった。  だが、その言い分はあまりに弱く、事実経過からみて素直に頷くことなどできはしない。  前述したように、本田の告発文書には複数の県警不祥事が具体的に列挙され、霧島署の巡査長によるストーカー案件のほか、枕崎署の捜査員による盗撮案件もそのひとつだった。この盗撮案件が発生したのは昨年の12月15日。直後に県警は事実を把握し、犯行時に捜査車両が使われたことも確認していたが、問題の捜査員は逮捕も処分もされないまま放置された。  ところが約5カ月も経った今年の5月13日、当該の捜査員は建造物侵入などの疑いで突如逮捕された。いったいなぜか。県警が『ハンター』を捜索してパソコンを押収したのが4月8日。これを解析して本田の告発を把握し、本田逮捕に踏み切ったのが5月31日。そのわずか半月前に盗撮捜査員を逮捕したのは、時系列的にみて本田が文書で訴えた「隠蔽」を否定し、事前に打ち消すための周到な〝準備〟であり〝工作〟ではなかったか――。  ここまでお読みになった方は、まさに鹿児島県警は「腐り切っている」と感じられただろう。私も同感だが、果たしてこれは鹿児島県警だけに特有の腐敗か。いや、そんなことはあるまい。いかに小さくとも、メディアを強制捜査の対象とする判断を県警だけで行うとはにわかに考えにくく、ましてや最高幹部だった前生活安全部長・本田の逮捕は、警察庁の裁可や指示を仰がずに独断で行われたはずがない。畢竟、その過程では本田の告発がどのように行われ、県警がそれをどう特定したかを含め、すべてを把握した上で警察庁がゴーサインを出したのは間違いなく、一連の問題からはこの国の警察組織全体に巣喰った腐臭が漂う。さらにつけ加えるなら、一連の問題からはこの国の刑事司法が抱える根深い悪弊の一端も浮かびあがる。 証拠類を「廃棄」せよとの呼びかけ  話はやや前後するが、県警を追及する過程で中願寺と『ハンター』は、別の重大な文書も入手していた。中願寺は「取材源の秘匿」を理由に入手先を明かさないが、おそらくは『ハンター』に情報を寄せていた巡査長・藤井からもたらされたのだろう。これについては一部メディアでも大きく報じられて波紋を広げているが、文書の標題は〈刑事企画課だより〉。わずか2枚の文書には漫画風のイラストも添えられ、県警捜査部門が作成して内部閲覧に供する、さして秘匿性の高くない文書と思��れるが、そこにはやはり眼を剝くようなことが公然と記されていた。  〈最近の再審請求等において、裁判所から警察に対する関係書類の提出命令により、送致していなかった書類等が露呈する事例が発生しています〉〈この場合、「警察にとって都合の悪い書類だったので送致しなかったのではないか」と疑われかねないため、未送致書類であっても、不要な書類は適宜廃棄する必要があります〉〈再審や国賠請求等において、廃棄せずに保管していた捜査書類やその写しが組織的にプラスになることはありません!!〉(原文ママ)  問題点は明白であろう。現在再審公判が行われている袴田事件にせよ、布川事件や松橋事件などにせよ、いまなお数々発覚する冤罪事件の大半は、警察や検察が隠していた証拠類が再審請求の過程などで示され、ようやく罪が立証されている。なかには警察が検察に「送致」すらしていない証拠類もたしかに多く、警視庁公安部の不当捜査を受けた横浜の化学機械メーカー・大川原化工機が起こしている国賠訴訟では、公安部内に残されていたメモ類が公判の大きな焦点にもなっている。  つまり文書は、そのような事態は「組織的にプラスにならない」から、「裁判所の命令」などで「露呈」することがないよう、「不要な書類」等は「廃棄」してしまえ――と県警が内部に堂々そう呼びかけていたことを示す。このようなことを許せば、この国の刑事司法に巣喰う悪弊は一層慢性化してしまいかねず、しかもこの文書の秘匿性がさして高くないとみられることを踏まえれば、県警の勝手な判断に基づく所業だったか、との疑念がここでも湧く。警察庁あたりからそうした指示や示唆があり、だから深慮なく内部閲覧文書に明示したのではなかったのか、と。 ジャーナリズムの二重の敗北  再び福岡市にあるマンションの一室。鹿児島県警を追及し、数々の不正を明るみに出した中願寺は、「最後にこれだけは強調したい」と言って姿勢を正した。  「私が取材を始める契機となった強制性交事件の被害者は、いまも精神的に不安定なまま必死に真相解明を訴えています。また鹿児島では警官が逮捕される事件が続発し、被害者のほとんどは女性です。たしかに報道への弾圧は大問題ですが、大元にもっと眼を凝らさなくてはいけない。警官や警察一家の人間によって女性が被害を受けた事件こそが原点であり、それをすっ飛ばして報道弾圧だと訴えても、市民の共感は得られないんじゃないでしょうか」  一方、札幌を拠点にフリーランス記者として活動する小笠原は、「すべての元凶は鹿児島県警とはいえ、私に情報を寄せてくれた本田さんを守れなかったことは、いち記者として忸怩たる想いがあります」と唇を嚙みつつ、いまこんなふうに訴えている。  「いくら小さなメディアとはいえ警察がガサ入れし、情報源を暴いて逮捕してしまった。そのことに全メディアがもっと本気で怒るべきです。小さなメディアだから構わない、などという理屈を許せば、雑誌ならいいのか、スポーツ紙なら構わないのか、と対象が広がりかねない。ただでさえメディア不信が根深い昨今、このまま傍観していれば、新聞やテレビにガサが入っても誰も味方してくれなくなりかねません。本来なら新聞協会や民放連といった組織が「このような暴挙は断固許さない」といったメッセージを明確に発するべき局面でしょう」  いずれもその通りだと深く頷く。と同時に、メディア界の片隅で長年禄を食む私を含め、鹿児島県警をめぐる一連の事態からメディアやジャーナリズムに関わる者たちが一層真摯に捉え返さねばならない課題にも、最後に触れざるを得ない。『ハンター』に情報を寄せて逮捕・起訴された巡査長の藤井にせよ、小笠原に文書を送って逮捕・起訴された前生活安全部長の本田にせよ、足下の地元には大手メディアの記者も多数いたのに、なぜ貴重な情報提供先に福岡の小さなネットメディアや札幌のフリーランス記者を選んだのか――。  本田の弁護人を務める鹿児島の弁護士・永里桂太郎によれば、その理由について本田は「県警の問題に関心のある記者なら、積極的に取材してくれると思った」と話しているという。逆にいうなら、大手メディアに情報を提供しても警察の不正に関心を持たず、積極的にも取材してくれない、と告発者側に認識されてしまっていることになる。  だとすれば、大手メディアそのものが貴重な情報提供者や内部告発者からの信頼をすでに失いつつあるという、あまりに惨めな事実がここから垣間見えはしないか。そのうえに今回の事態に心底から憤らず、傍観してやりすごせば、この国の主要メディアとジャーナリズムは二重の敗北を喫することになってしまいかねない。(文中敬称・呼称略)
〈特別公開〉警察腐敗 内部告発者はなぜ逮捕されたのか(青木理) | WEB世界
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nyantria · 5 months ago
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「Can You Catch A Cold?」サンプル5
字幕大王2024.06.25
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水俣病の混乱
細菌論に夢中だったために伝染病と間違われた病気は栄養不足だけではない。1956年5月のこと、5歳の少女が日本の水俣市の病院に入院した。水俣は八代海に面した人口約5万人の小さな漁村だった。その少女は、けいれん、歩行困難、言語障害などの異常な神経症状を呈し、急速に体調を崩していた。数日後、彼女の妹と町内の他の3人もまったく同じ症状で病院を訪れた[45,46]。
その後、数週間から数ヶ月で、村の人々が病気になるケースが急増したが、罹患したのは村人だけではなかった。大量の魚が奇妙な泳ぎ方になり、やがて死んで陸に打ち上げられた。海鳥は飛べなくなり、異常な行動をとるようになった。これらの動物を捕食する猫も具合が悪くなり、口からよだれを垂らし、気が狂ったかのようにぐるぐる走り回った[47]。動物と人間の間で何らかの病原体が伝播したのだろうか。誰も確かなことはわからないが、この大流行は伝染病の特徴をすべて備えているように思われた。最初の患者が出た後、村に住む人々が次々と同じ症状で倒れ始めたのだ。そのため、ある種の「奇妙な伝染病」が発生したという噂が広まった[48]。やがて、この病気は伝染性髄膜炎であるという未確認の報道が出始め、地域社会は大きなパニックに陥ったのである[49]。
謎の病気への恐怖は極めて大きく、近隣の町の人々は水俣人を排斥し始め、長い間築かれてきた密接なコミュニティの絆は急速に失われ��いった[50]。伝染病まん延を抑えるため、家屋は消毒され、病人は隔離された[49]。この対策にもかかわらず、伝染病が地域住民を襲い続けた。初期の報道によれば、少なくとも55人が感染し、17人が死亡した[45]。
しかし、約3年後、研究グループはついに病気の原因が地元の肥料製造会社であると突き止めた。同社が、合成肥料製造の廃棄物であるメチル水銀27トンを水俣湾に投棄していたのだ[51]。この水銀が地元の水路を汚し、何百平方キロメートルもの海を汚染した。かつては美しく肥沃な自然の珊瑚礁であった水俣湾は、有毒な荒れ地となり、かつては豊かであったその恵みを不運にも口にした人間や動物を毒した。
1963年2月、水俣病の発生原因を調査していた研究グループから正式な発表があった。誰もが落胆したが、水俣病の原因は感染性微生物ではなく、メチル水銀に汚染された水俣湾の魚介類の摂取によるものだった[49]。長年にわたって、この環境破壊の犠牲者たちは、日常生活で出会う人々に伝染性ではないと安心させねばならなかった[52]。この災害によって900人以上が死亡し、200万人が慢性的な健康被害に苦しんだ[51]。
水銀中毒の混乱
水俣で起きた出来事にもかかわらず、医療関係者は今日に至るまで、水銀中毒を感染症として誤って診断している。2018年8月のこと、15歳女性、13歳女性、11歳男性の3人兄弟が救急外来を受診した。彼らには、発熱、筋肉痛、皮疹、倦怠感など、非特異的な症状が進行していた。検査は陰性の連続であり、その結果、「ウイルス性症候群」と診断された。子供たちは休ませるために家に帰らせられたが、その3日後、兄弟はさらに悪化した状態で救急部に戻ってきた。うち一人は神経障害を起こしていた。子供たちは溶連菌性咽頭炎(連鎖球菌性咽頭炎)と猩紅熱(しょうこうねつ)と診断された。彼らには抗生物質が投与されて退院した[53]。
その数日後、子供たちはセカンドオピニオンのために別の救急外来を受診した。この時までに、症状はかなり悪化しており、激しい頭痛、息切れ、手足のしびれ、全身の脱力感などが生じていた。結論に飛びついてウイルスやバクテリアのせいにするのではなく、救急医たちはさらに詳しく調べた。すると、子供たちが自宅で水銀の瓶で遊んでいて、それがカーペットにこぼれていたことがわかった。母親はこぼれた水銀を掃除しようとして掃除機を使った。母親はそうとは知らず、これが水銀を加熱・気化させて、子供たちはうっかり吸い込んでしまったのだ。不思議なことに、母親には何の症状も現れなかったので、この病気は小児感染症のように思われたのだ。
子供たちが水銀中毒であることを知った医師たちは、水銀除去のためにキレーション療法を開始した。二人の子供は完全に回復したが、1人は関節、背中、筋肉の痛みが続き、歩行器が必要になった。この出来事はケーススタディとして記録され、2020年2月の医学雑誌に掲載された。著者の結論としては、水銀中毒が感染症に似ている可能性があることだ[53]。子供たちは同じ家で暮らしており、似たような症状を呈していたため、最初の病院の医師は、小児期の伝染病が兄弟間で広がったに違いないと誤って考えたのだ。ここでもまた、一面的なレンズを通して世界を見ることが誤った思い込みを招き、正しい診断と治療を遅らせたのである。
なぜこれが重要なのか?
壊血病、ペラグラ、水銀中毒といった病気の原因を正しく特定することが重要だったことは明らかだ。しかし、いずれの場合も、細菌論というレンズが真実を邪魔し、調査者を無益な捜索に向かわせ、一般大衆を無用なパニックに陥れた。これらの事例だけを見ても、間違った説明モデルを適用したことによる影響を定量化するのは難しい。数え切れないほどの資源、時間、人命が、存在もしない敵と戦い、追いかけて失われたのだ。また、どれだけの人々が仲間はずれにされ、孤立し、非人道的な扱いを受け、タイムリーで効果的な医療を拒否されたかを考えると胸が痛む。それは伝染病だからではなく、伝染病であることを恐れたからである。このよう��、我々が世界を見るレンズは強力だ。良くも悪くも、レンズは我々のあらゆる知覚を彩り、我々の見方に一致する結果をもたらす。
もちろん、今では良くわかっており、これらの病気を伝染病と見なすことはない。壊血病、ペラグラ、水俣病のような病気を振り返り、その過ちに気づくのは簡単なことだ。現在の我々から見れば、人間がハンセン病患者のような烙印を押され、治療を拒否され、檻に入れられた動物のように閉じ込められていたのは野蛮なことのように思える。後知恵とはおかしなものだ。我々は今、すべての答えを持っていると思い込んでいる。しかし、我々がいまだに伝染病だと考えているが、そうでない病気が他にもあるとしたらどうだろう?ここまで来たと誇らしげに振り返っても、まだ同じ過ちを犯しているかもしれない。プライドと甘さに目がくらみ、過ちを犯し続けていることに気づかないまま、我々は突き進むのだ。
今にして思えば、過去の研究者の一部が傲慢でなく、型にはまっていなかったのは幸運だった。彼らは謙虚であり続け、心をオープンにし、勇気を持って行動した。もし彼らが、受け入れられているパラダイムに挑戦しようと思わなかったら、今日の世界はどうなっていただろう?我々はまだそれらの病気を伝染病とみなし、かつてと同じ非効率的で非人道的な治療法を続けていたかもしれない。単純な食生活改善の代わりに、重金属を注射し、ペラグラのために隔離されることを想像してみてほしい。壊血病や脚気、くる病に他人から感染することを恐れて暮らすことを想像してみてほしい。おそらく我々は、ワクチン接種、手洗い、社会的距離、抗生物質、抗ウイルス薬、マスク、ロックダウンといった現代的な方法で、これらの(存在しない)細菌から身を守ろうとするだろう。そのあいだ、人々はライフスタイルや環境によって不必要に死に続けるのだ。そういった想像は難しくはない。例えば風邪やインフルエンザなど、他多くの病気についても、今日の世界はこのような方法で対処しているからだ。ただひとつ違うのは、現代の研究者たちが、伝染病モデルによってこれらの病気を正確に説明できると信じてこんでいることだ。この信念は現在、集団心理に深く刻み込まれており、間違いの可能性を受け入れるのは難しい。文化もまた変化しており、受け入れられているパラダイムに異議を唱える者は、狂った陰謀論者のレッテルを貼られる。
我々はあまりに自身を確信しすぎてしまっている。しかし、本章で示すことは、結果を観察して原因を誤って帰することが、いかに物事を間違えやすいかである。また、結論を急ぐのではなく、厳密に管理された(controlled)科学実験によって因果関係を確認することがいかに重要であるかを強調している。我々は過去にも過ちを犯したし、因果関係を正しく理解しなければ、我々自身がどれほど進歩していると考えていようと、過ちを犯し続けるだろう。誤った例が強調しているように、病気を伝染病と誤って診断することは、あらゆる種類の悪影響をもたらす。病人にとっては、適切な診断や治療へのアクセスが遅れ、より深刻な機能障害や身体障害につながる可能性がある。総合的には、これは広範囲に及ぶ影響をもたらす。実際、病気の原因を伝染病と混同してしまえば、より恐れを抱く回避的な社会が培われ、資源の配分を誤り(研究助成金など)、誤った経済(医薬品など)を支え、組織(政府など)に権力を譲り渡し、誤った道を進む間に、より多くの人々が病気になり、命を落とすという機会損失を最終的には被ることになる。
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「Can You Catch A Cold?」サンプル5 | 字幕大王
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fukagawakaidan · 3 months ago
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られてい���い。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金��準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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