#毎日 お 弁当 節約
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街中で札幌に自生しないはずの金木犀の香りを嗅ぐ。季節で香水を使い分けるなんて粋だなとと思う。でもその人は、本物の金木犀を嗅いだことがあるのだろうか。もしないのなら、札幌で唯一金木犀に会える温室があることを教えてあげよう。その温室の存在を知ってから、毎年訪れている。今年は恋人と行った。その時はまた来年も行けたら良い。
仕事が忙しいらしく、彼は毎日3時間残業している。夕飯と翌日のお弁当を作って彼を待つ日が多い。昨日もそんな日で、「ありがとう助かるよ、洗い物は俺がするよ」と言われたけど、遅い夕食をふたりで食べてそのままベッドで眠られてしまった。シャワー入った方がいいよと声をかけるが、ごめんごめんと寝言のように繰り返してまたすぐ瞼を閉じてしまう。相当疲れているらしい。夜勤の支度をするついでに結局わたしが洗い物もする。起きてきた彼がソファに来たけれど何も言われなかった。横目で見ると一瞬目が合ったが、そのままスマホを操作し始める。それならベッドで寝たふりしてて欲しかった。なんで仕事行くのに27歳のお世話までしているのだろう。虚しい。私が家を出ようとした時に「洗い物ごめん。せめて駅まで一緒に行くよ」と言われて、23時の地下鉄に向かう。
「マザーテレサじゃないんだから、愛想つかしちゃうよ」と言ったら「そういうの言わなきゃいいのに、してもらうのが申し訳なくなる」と言われて、私がしているのは善意じゃなくて、自己満足とか偽善なんだなと思った。でも申し訳なくなる前にこんなこと言わせないで欲しい。悲しくて、返す言葉が無くて突っ立ってたら「俺が甘えすぎてたね」と謝られる。感情が処理できなくて代わりに出てこようとする涙を堪えて、なんとなく笑顔を作って地下鉄に乗り込む。夜勤が終わって、冷蔵庫を見ればつくったはずのお弁当が残っている。持っていくのを忘れたのだろう。それに関する連絡もなくて、彼に対しての何かが全部がなくなってしまいそうになる。
好きって感情は、相手に尽くされて感じる部分もあるけど、自分が尽くすことで相手を好きだと認識する部分もあると思う。退勤後時間あるのにご飯���らないで待ってるとか、相手の役に立つこと喜ぶことを思いつくのにあえてしないってことは、逆に好きを薄めてしまいそうでできない。尽くし続けたいけど、返ってこないことにモヤモヤして、だからと言って尽くさないと言う選択も選べない。堂々巡り。
ありがとう、ごめんねの言葉だけでにっこり彼のために注ぎ続けられない。ケーキ買ってきてくれる行動とか「今度埋め合わせするね」って約束が欲しいのだけれど、求めすぎなのだろうか。見返りを求めているわけじゃないけれど、リターンがないとこっちが枯渇してしまいそうになる。愛された分だけ、愛されたいよね。
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「本人は一生懸命生きようと思っていた。それを奪ってしまって申し訳ない」 80歳の男は声を震わせながら法廷でこう語った。長年にわたり介護していた85歳の妻を夫が殺害した事件。“介護疲れ”による殺人だったのか、それとも“衝動的な”殺人だったのか。裁判員らが悩み抜いて出した結論は執行猶予付きの判決だった。 吉田友貞被告(80)は2023年9月30日から10月2日までの間に、東京・世田谷区の自宅で妻・節子さん(当時85歳)の首を両手で絞めつけた後、電源コードを首に巻きつけて殺害した罪に問われている。 保釈中の吉田被告は12日の初公判に、青いネクタイを締めグレーのジャケットに黒のスラックス姿で法廷に現れた。声が聞き取りづらいのか、右手を耳に当てながら裁判長らの話を聞く場面もあったが、はっきりとした口調で「間違いありません」と起訴内容を認めた。 “老老介護”の実態 食事にはこだわりも 吉田被告は50歳の時に、仕事関係で知り合った節子さんと結婚した。仲の良い夫婦だったが、2016年頃から節子さんの視力が悪化し、生活状況が変化していくことになる。ヘルパーの支援を受けることになったものの、支援は外出する時だけ。自宅での介護は、節子さんの希望もあり吉田被告が1人で担っていた。その後、節子さんはほとんど目が見えない状態となり、2023年1月には要介護の認定を受けることになった。 その後、節子さんは、吉田被告の浮気を疑う発言、「死にたい」との発言、勝手に外に出て行って徘徊、近隣住宅のインターホンを鳴らすといった言動が増えていった。 7月には神経症・うつ状態と診断されることになる。精神科医が訪問診療することになったが、節子さんが受診を嫌がったため、2回目以降は全てキャンセルすることになった。 節子さんを一人にしてはおけないと考えた吉田被告。“息抜きの場所”だったシルバー人材センターでの仕事も辞めて介護に専念することにした。 吉田被告が1人でしていた介護とはどういったものだったのか。 トイレやお風呂は節子さんだけでできたというが、吉田被告は家事全般、爪切り、毎日足湯を用意、夜中などに痰が詰まったときには背中をさすることなどをしていた。食事については節子さんの好みに合わせて作っていたという。 吉田被告の自宅(東京・世田谷区 2023年10月撮影) この記事の画像(4枚) 吉田被告: 朝はパンや牛乳、ヨーグルトに果物を入れたもの。牛乳は決まったものしか飲まなかった。昼は麺で夜はご飯。ご飯は毎回1合炊くが、1合に500mlの水を入れていた。魚は骨が駄目なのでほとんどがマグロやネギトロだった。お肉も柔らかいのしか無理なので、しゃぶしゃぶ用の肉を焼いたりしていた 弁護人: どうして節子さんのこだわりに付き合ったのか。 吉田被告: 我々の歳になると食べることくらいしか生きがいがない。なのでできるだけ望み通りにしたかった。 弁護人: 介護についてはどう思っていた? 吉田被告: 2人きりの家族なので当たり前だと思っていた。 検察官: ストレスに感じていた? 吉田被告: 自分ではストレスという認識はなかった。そんな大変な介護をしている認識はなかった。 事件の10日前、妻が錯乱状態に 吉田被告はつきっきりで介護をしていたが、2023年9月22日にある出来事が起きた。 吉田被告: この日は一日中調子が悪く、私が買い物から帰ってきたら「どこに行っていたんだ」とか「財布を返せ」とか「浮気をしているならお金を返せ」とか話の筋が通らないことを言われた。 節子さんはその後外に飛び出し、大声で叫びながら近隣住民の玄関をたたくなどの行動をしたため、吉田被告が救急隊を呼ぶといった騒ぎがあったのだ。 この出来事から約10日後、吉田被告は節子さんを殺害した。 事件直前も節子さんが大声で騒ぎ、吉田被告は話を聞いたりなだめたりしたが、手がつけられない状態が続き、「静かにしてほしい」という思いから首を絞めた。節子さんを殺害後に吉田被告は自殺をすることも考えたが、実行できないまま事件が発覚し逮捕に至ったのだ。 「限界です!!」携帯に残された日記 事件当時の吉田被告の心境はどのようなものだったのか、吉田被告の携帯電話のメールの未送信フォルダには「日記」が残っていた。 (吉田被告の日記より) 2023年9月30日午前1時2分 なかなか死ぬふんぎりができません。でも限界です!! やってみます。ご迷惑をおかけします。 2023年9月30日午前1時29分 死ねるかな?!出来るかな?!分からないけど息苦しいです。 2023年9月30日午前2時4分 刃物は傷つけてかわいそうなので首を絞めようと思います。 2023年9月30日午前2時26分 まだ勇気がでません。ありったけの酒を飲んで頑張ってみる。 2023年9月30日午後7時6分 かわいそうだな。節子の頭の中どうなっているのかな。 2人で死ぬことを考えたものの、実行できない様子がわかる。 そして、2日後。 (吉田被告の日記より) 2023年10月2日午前1時4分 ついにやりました。ずっと首を絞めて申し訳ありません。後は自分の事です!!頑張れ。 2023年10月2日午前10時33分 節子は楽になったのかな。俺はいまだに生きています。 包丁は小さい方が良いのか。頑張れ。 日記には「頑張れ」という言葉が多くあった。吉田被告によると「節子を殺してしまった以上、私が生きていることはありえない」と考えてはいたものの、「自分を刺す勇気が出なく、それを何とか振り絞ろうと自分を激励していた」という。 “生きる権利を奪ってしまった”男が語る後悔 事件から約9カ月。吉田被告は今何を思っているのだろうか。被告人質問では次のように答えた。 弁護士: 節子さんに対してどのように思っている? 吉田被告: 本人は一生懸命に生きようと思って薬も欠かさず飲んでいたのに私が生きる権利を奪って申し訳ない。節子は今怒っていると思います。 弁護士: 事件の根本的な原因は何だと考えている? 吉田被告: 私自身が古いかもしれませんが、自分の家のことは自分で片付けないといけない、人に弱みを見せてはいけないと考えてしまったことです。 弁護士: 今何か言いたいことはある? 吉田被告: 節子は昔から他人様から言われていたが、しっかりもので、きちょうめんで、仕事的にも家庭的にも強い人だとみられていたが、ここ2、3年の節子を見ていると本当は私に甘えたかったのではないかなと。それが出来なくて申し訳ないです。 「悩み抜いた」裁判所の判断は執行猶予 この事件は、“老老介護の介護疲れ”による殺人事件だと報道されている。ただ、検察側は吉田被告自身が介護をストレスとは思っていなかったこと、節子さんも吉田被告の手助けを受けてはいたがある程度身の回りのことはできていたことなどを指摘し、“介護疲れによる殺人”と見るべきではないと主張。節子さんが騒いだり、なだめても収まらないといった言動に「頭に血が上り、カッとなった」ことで殺害に及んだとして懲役7年を求刑した。 一方、弁護側は、介護によるストレスを自覚していなかったにせよ、肉体的・精神的に疲労していたこと、介護サービスを受けることを節子さんが拒否をしていたことなどを踏まえ、 “介護”が事件の背景にあり、犯行に至る経緯に酌むべき事情があるとして執行猶予付きの判決を求めた。 東京地裁は吉田被告に対し懲役3年、執行猶予5年の判決を言い渡した 20日、裁判員らが出した答えは懲役3年、執行猶予5年の判決だった。 東京地裁は判決で、「吉田被告自身、ストレスを感じていなかったと述べているが、その経緯をつぶさに見ると、家族のことで他人に負担をかけさせられないとの思いや、自らの見栄などから介助を背負い、自覚のないまま疲労や疲弊感を蓄積させていたことは容易に推認できる」と指摘。その上で「実刑を選択することも考え得るところであるが、吉田被告の置かれていた状況や事件までの経緯を考慮すると、刑務所に直ちに収容することのみが刑事責任を問う唯一の手段とまでみることはできない」「その余生において、反省を深め、被害者を弔い続けるべきものとすることが適当」として執行猶予付きの判決を言い渡した。 そして裁判長は判決を言い渡した後、「結果が大変重いということは何回も強調したいと思います。私達は悩み抜いた上でこの結論にたどり着きました」と震える声で涙ながらに諭していた。 「私だけが普通の生活をしていいのか」 吉田被告は判決後に報道陣の取材に応じた。 ――判決が出たときの率直な気持ちは? 吉田被告: 正直言って執行猶予が付くとは思っていなかった。本当にいろんな人にお世話になって執行猶予がついたが、本当にそれでいいんだろうかっていう微妙な気持ちは本当にある。 ――最後に裁判長が「私達は悩み抜いて結論を出した」って言っていたがどう思った? 吉田被告: 本当に私から見たらすごく寛大な判断をしていただいたんだと思いますけど、それが本当にいいんだろうかって、そういう気持ちがある。本当に頑張って努力しようとしていたのは私だけじゃないんだと。女房も頑張っていたのは間違いないことなんで。 ――執行猶予で本当にいいんだろうかというのは節子さんに対して? 吉田被告: はい。私だけが表で普通の生活をしていいんだろうかという気持ちがある。 周囲には吉田被告の異変に気づいている人もいたが… 吉田被告の異変に気付いていた人は周囲に多くいた。吉田被告の妹、ケアマネジャー、お寺の僧侶、近隣住民たちが吉田被告の様子を心配し、相談も受けていた。しかし最終的には吉田被告が「自分の家のことは自分で片付けないといけない。他の人には迷惑をかけられない」という考えから1人で抱えてしまい、最終的には殺人事件という最悪な結果になってしまった。 吉田被告は法廷で精神科医の訪問診療を断った時が分岐点だったと振り返り、「本人が嫌がっていても介護サービスの利用や病院に入院させるべきだった」と語った。だが、それを実際に実行するのは難しい。孤立してしいる人や十分な介護を受けられていない人をどう救うのか、高齢化が進む中で今後このような悲しい事件を起こさないためにも課題を社会全体で解決しなければいけないだろう。 (フジテレビ社会部 高沢一輝)
「限界です!!」老老介護の実態…介護中の妻を殺害した男に執行猶予付き判決 裁判長涙ながらの判決「悩み抜いた結論」 東京地裁|FNNプライムオンライン
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2024年2月2日(金)
1/31(水)に出勤したものの、やはり風邪を治さねば仕事に集中出来ない。2/1(木)2(金)の両日、有給休暇をとって自宅で安静することにした。昨日の朝は起きられなかったが、今朝は普通のリズムで起床、朝食も頂いた。毎日の血圧測定、アプリが週毎/月毎の平均値をレポートしてくれる。さすがに冬場の朝は高いがこれとても私にとっては季節を映す鏡、素直につき合っていこう。
5時15分起床。
日誌書く。
体温は37℃。
朝食は奥川ファームのパン。
ツレアイ用に弁当を入れる。
可燃ゴミ、20L*1&30*1。
彼女を職場まで送る。
奥川ファームの地鶏と大根で、鶏大根を仕込む。
9時からはカーリングの中継、11時からはポワロの録画。
教学センターからメール、<インターンシップ>のシラバス修正の件、提案通りの更新を依頼する。
ランチ、面倒なのでカップヌードルで済ませる。
体温、36.5℃。
カーリング/ポワロ/午睡。
夕飯準備、ツレアイも底素に帰宅して、一緒に夕飯開始。
録画番組視聴。
第4話「なぞの遺言書」/ The Case of the Missing Willシーズン 5, エピソード 4 次回放送日: 2024/03/17(日)23:35〜 ポワロはヘイスティングスと共に友人アンドルーの邸に招かれる。妻子のないアンドルーは友人の娘バイオレットを養育しており、遺言書の内容を変え、全財産を彼女に相続させたいとポワロに告白する。だが翌日、アンドルーの死体が敷地内のはなれで発見される。
例年開催される<薬害エイズ裁判和解記念集会>、ツレアイが毎年参加するが今年は3/23(土)とのこと。それならと、夜の落語協会真打ち昇進披露興行@鈴本演芸場に行くことを決定、<ぴあ>でチケットをとり、宿舎を予約する。
入浴は我慢して、早めに就寝する。
家から一歩も出ず、水分は1,180ml。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払���密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠���距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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秋の彼岸もすぎ
じわりと日の長さも変わりつつ
鈴虫の声
季節を感じる
彼岸の花は何処へ?
西方の酉月
旺盛に何かがはじまり
九月が終える
世は何か、視線を自然から背けさせ
何かの終演を演じ
何かが芽吹く
・
【リタcoffee】Open lab
あっーーーっと
サッサッとサッと
9月も終了
先の
『別冊リタの市』
@kometoyasai_shokukobo
@huahua_mina
『月刊リタの市』
@atuko_g
@ouchikaradabu
@meaw.33.m
@motylpet
@u_____t_____ 米粉スイーツ
#みち草 お花ちゃん
共々ありがとうございました😊
ゆるゆると継続の企画もの^ ^
※次回は、10/26(土)を予定しています。
・
日日の経過のスピードに
なんとも付いていけない感覚
しばし季節のアレルギーなのか
喉をこの数年はやられがち
声が出せないってしんどいです。
※今は復活の減らず口(笑)
珍しくお休みした出店やら
台風騒動やら
世を見渡し、
自分に出来ることを
じみにじみに各々やるしか無いな
そのうち大きく動くタイミングがくるからなぁ、
不変の変化は普遍の変化
���のココロが動く
・
そして先日の、
ドキュメンタリー映画
『Pale Bule Dot〜君が微笑めば、』上映会
個人的には、故郷を眺めるような情報達
二部構成の、
各回の個性の違いにニヤニヤしてました😁
「ゆゐのね食堂」@yuwi.none37
提案者のサナキチおむすび弁当
なんとも師匠の顔が相変わらず過ぎる😁
美味しく懐かしく頂きました✨
ヒトとヒトの響き合わせの日々
どんな状況下でもコレが人間の醍醐味だーっと、この九月の締めくくり
この月も沢山のご贔屓を賜り
毎度の事ながら感謝しかありません
ありがとうございました😊
10月もイベント多め?
どうぞ宜しくお願いいたしまーす🤲✨
#リタcoffee
#今日やってます。
・
【宣伝】
リタcoffeeのWebショップ
ご活用頂けましたら幸いです^ ^
リタ商店『リタcoffee』Webショップ
https://officerita-shop.crayonsite.com
6~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~9
2017.6.9. Open lab
『リタcoffee』
住所/612-8113京都市伏見区向島中島町112-6
tel/075-622-1608
mail/[email protected]
web/ https://officerita.com/
営業時間/11:00am ~(時事に応じて)
「火〜土曜」やってます。
「日・月曜」氣まぐれでやってます。
※リタBal(金)は予約制21:00まで
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6~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~9
#リタコーヒー #ritacoffee
#京都伏見珈琲 #京都伏見コーヒー
#京都珈琲 #京都コーヒー
#自家焙煎 #手廻しロースター
#富士珈機 #京都伏見 #伏見向島
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バレエの発表会に出るまでの体づくり記録
気が向いたらここで更新する
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9/23
バレエの練習。柔軟。秋で涼しいから長袖で。
Y字バランス、出来ないと思うと絶対出来ない、出来そうと思うと出来そう。
先週のレッスンで5番ポジション良くなってきたと褒めてもらった。褒められてのびる、褒められたくてのびるタイプなのでプリエ・タンジュ・ジュッテの練習もはじめた。ただし、基本の姿勢ができてないので無意味に感じなくもない。
このあいだ便秘で失神するかと思った日から、水を1にち2L飲むというやつやってる。
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9/24 -0.3kg
今月の目標体重まで��と0.5kg。生理のあとはむくみとれて体重おちる。10月中に体脂肪率測りに行く。
トレーニングは気合いが必要だけどストレッチは毎日してる。体硬すぎる。
そもそも結局トレーニングって何をすればいいのかわからない。わからないので発表会の曲を練習をしてる。汗だく。
シンメの方は10年ほどの経験者でトゥシューズ履いてるレベルだからついていきたいのと、振りの確認だけでレッスン終わるのがもったいなくて、発表会の全体曲のイントロは1週間で覚えていった。負けへんでって気持ちで。
レッスンの映像見ると1人だけ体が重そうでこのままではダメだと毎週思う。筋肉量あまりにも少なすぎる。
Y字バランスの練習が楽しすぎる。
夜は市販の出汁でお鍋。
ヘルシー🎶と思ったら深夜にパスタ。あー
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9/25 +0.4kg
深夜のパスタなければ。後悔。今日は気をつける。
ダイエット中は朝にバナナ。カロリーと糖質高いけど、手軽だし甘いもの食べたい気持ち落ち着く。時間あれば、焼いてシナモンかける。またはピーナッツバター塗る。
バナナ、午後の紅茶おいしい無糖、りんご、ミンティア、プロテインで甘いもの欲をおさえる。
とか言ったものの、寒さで元気があまりにもなかったため、こういう時のために買ってある小分けのお菓子を食べた。今日はスーパーの小さいチーズケーキ。トレーナー着て、着る毛布かけて、チーズケーキ食べたら元気になった。
お昼寝てた。クリームチーズ、はちみつ、シナモンかけたライ麦パントースト。
Y字バランス、左右左が気になる。
体調不良でバレエ休み。家でできるストレッチ。
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9/26 -0.4kg
きおうりんご。アイス。
Y字バランス、ストレッチすべき部分わかってくる。
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9/27 -0.1kg
9月の目標体重達成。週末に不摂生しない。
よかったこと、続けること。毎日2Lの水。ストレッチ。バレエの練習。Y字バランスの練習。好きなもの少量食べる。朝のバナナ、フルーツ。
クッキー2枚。
夕飯の残り。糖質オフ米。
外で20円引きのおにぎり2こ。
ピラティス。終わりでプロテイン飲みながら歩く。運動後のプロテインは食欲に直結する。
スーパーの焼き芋を買う。割引。ラッキー。
焼き芋とプロテインは割高だとしても手間を考えると既製品を買った方がいい。手間に負けてお菓子つまむ人間。ここだけは節約できない。
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9/28 -0.8kg
めちゃくちゃ寝ると体重減ります。水分を摂ってると体重落ちる気がする。標準ではなく肥満なので、これくらいの変動もある日はあると思う。
あと1.5kg減ったら、筋トレ強化する。
お刺身、お惣菜のキノコと鳥のソテー、トマトサラダ。
Y字バランス、
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9/29 +0.2kg
バナナ。
1時間歩いてスタジオ。ピラティス。
すぐプロテイン飲む。
麻辣担々麺とタピオカ
夜にあま〜いパンとアイス。
歩きまくったので、この夜の食欲抑えるためにプロテインもう1本いけばよかった。
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9/30 +0.5kg
9月計 -2.5kg
今月の目標達成のまま。ギリギリおさえた。
体脂肪率が全く減らなかった。
朝はバナナ。水分をよく摂る。
お昼はさつまいも。
夜は漬けサーモンと冷凍しゅうまい。
胸椎の伸展わかってきた。ピラティス効いてる。
毎日ストレッチ。
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10月
・お菓子の代わりに、ナッツ類、バナナ、リンゴ、さつまいも、デーツ、ヨーグルト、フルーツ全般。
・水2L
・Y字バランス、バレエの練習
・朝昼しっかり食べる
・お腹すいたら我慢しすぎない(反動があるから)
・1日に何かしらのトレーニングはする(お腹周り5分、ピラティス10分、腕10回でもOK)
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10/1 -0.1kg
朝はバナナ。水2L。お昼軽くパン。仕事後にさつまいも1/3にクリチはちみつシナモン。
きのこご飯とチキンのお弁当。
アイスやめられない。お菓子食べてない。
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10/2 +0.1kg
朝はバナナ。ナッツ、ヨーグルト、干し芋ちょっとずつ。お昼ちりめん高菜・納豆・ネギ・キムチ混ぜたのごはんにのせて海苔で巻いて食べる。うまい。
夜は蒸したブリともやし。
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10/3 +0.1kg
きのうバレエで1.5時間ほぼ動き続けてもこれか。
多分最近4〜5時間しか寝てないから。
朝はバナナ、アイス。
おやつナッツとデーツ。
お昼さつまいも。
夜………(とんカっぅ…)
よく寝たら痩せるから大丈夫!
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10/4 +0.1kg
朝はバナナ。アイス。お昼焼き芋半分。
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10/5 +0.1kg
朝はバナナ1本、棗2粒。
あんみつ。カレー。
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10/6 + 0.3kg
バナナ1本。棗2粒。
お昼食べてなかった。
甘いパン3つ、唐揚げのお弁当。1からやり直し。
お腹空くとほんとにダメ。おなかぺこぺこのときはひとまずプロテイン飲むっていうことすっかり忘れてた。
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10/7 -0.3kg
バナナ1本。棗2粒。
お惣菜の大学芋1パック。
お昼ちりめん高菜・納豆・ネギ・キムチ混ぜたのごはんにのせて海苔で巻いて。
夜は蒸篭で豚こま、白菜、小松菜、にんじん蒸したの。
焦ってきた。明日からのこと。
・お腹空いたらブロッコリー、ナッツ、りんご、デーツ、ヨーグルト
・さつまいもは1日1/4まで
・筋トレ20m、バレエ発表会の練習20m、ステッパー20m
・朝1時間早く起きて歩く(っていう暮らしを目標に…!)
・よく寝る(寝ると痩せるというのは本当だと思う)
・立ち上がったら10回スクワット
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10/8 -0.1kg
バナナ1本。棗2粒。きおうりんご小。夕飯適当。
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10/9 -0.2kg
バナナ。棗2粒。ナッツ。酸辣湯麺。バレエ前にウィダーみたいなの。お寿司。芋けんぴ。
食べすぎた。
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10/10 +0.2kg
たべすぎたのもあるけど、運動した翌日って別に体重減らない気がする。カロリーそれなりだと思うけど糖質とりすぎ。バレエあると夕飯遅くなる。解決したい。
バナナ。芋けんぴ残り。棗2粒。ほしいも。焼き芋ブリュレのさくさくぱんだ3つくらい。バレエ後にキムチスープ。
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10/11 -0.2kg
延々と0.2kgくらい増えたり減ったりしてる。来週は平日4日だし、気合い入れて減らしたい。
バレエ1時間弱踊り、1万波弱歩いたのにこれか。という気持ちと、これは数日後に効いてくるからという気持ちとがある。
体づくりはじめて1番変わったこと。便通の良さ。万年便秘だったから、今すごい。朝にバナナと棗食べること、そしてなにより思ってるより水分とることが大事っぽい。
バナナ。棗2粒。さくぱん1つ。糖質オフカップ麺。
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10/12 +0.2kg
増えましたね。
ウィダーみたいなの。いろいろ。
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10/13 +0.4kg
明日からまた戻す。
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10/14 +0.4kg
生理前なのでしかたないです。
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10/15 +0.5kg
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10/16 -0.6kg
めっちゃ寝てた。
バレエ。
バナナ。糖質オフ麺。焼き芋。バナナ。プロテイン。お刺身。糖質オフ米。
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10/17 -0.3kg
バレエ後に食べすぎないのがだいじかもしれない。
バナナ。生姜スープ。おにぎり。小さいチョコのお菓子5こくらい。ハンバーガー。プロテイン。ねばねばサラダ。煮卵。
ハンバーガーか…。
バレエ。
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10/18 -0.3kg
バレエ後というか夜食べすぎないの大事すぎかもね。
できれば、夜は卵、サラダ、豆腐、お肉魚50g以下とかで過ごしたい。ダイエットすると睡眠の重要性を強く感じる。
キウイ。
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10/19 +0.5kg
いろいろ。
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10/20 +0.1kg
ピラティス。パンケーキ。カツ丼。生理。
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10/21 +0.5kg
バナナ。棗2つ。バナナ。
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再開。
10/29 +0.6kg
バナナ。青汁。バナナ。
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11/5
ジム。サーキット2周。
inbodyはじめて測ったけど、毎日の体組成計に甘やかされてた!と思うほどのありさま。
厚労省も認める肥満。バレエも何も。
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11/6 +0.7kg
全然痩せない。お菓子も食べてないのに。
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「アカシックレコードと奥河内音絵巻の話」
アカシックレコードという言葉を知ったのは、高校生の頃。
当時、不登校だった私は地元・河内長野市の図書館に入り浸っていました。その図書館の隅の方の棚���いわゆるオカルト本のコーナーがあって、ある本の背表紙に「アカシックレコード」と大きく印刷されているのを見たのが最初。なんのレコード?LP?などと思いながら手に取ったのを覚えています。
アカシックレコードとは
“元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念でアーカーシャあるいはアストラル光に過去のあらゆる出来事の痕跡が永久に刻まれているという考えに基づいている。宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報がたくわえられているという記録層を意味することが多い“(Wikipediaより引用)
というもの。
アーカーシャとはサンスクリット語、古代イン��の言葉で五大の一つ「天空」を指します。アカシックレコードというのは古くからの宗教観から派生した、オカルティズムの言葉だと私は認識していて、私はその概念が好きなんです。
そして世の中には「アカシックレコードにアクセスする方法」を謳ったオカルト本・スピリチュアル本なんかもたくさんあります。面白いね。わかります、そのロマン。オカルト雑誌「ムー」やオーパーツの謎、レガシーに抱いちゃう憧憬。たまらんよなあ。
ただ、私はオカルトという分野には興味があるんですが、スピリチュアルという分野には少しばかり抵抗がありまして。何が違うの?っていう話なんですが、以前SNSにも書いたんですがあくまで私の感覚として、スピリチュアルは人智を超えたものを実用的に取り扱い救いを見出すみたいな感じがして、オカルトは人智を超えたものに対する興味や探究心、敬意や憧れみたいなものがメイン、そもそも救いもクソもあるかいな、調子乗って近づきすぎたら痛い目見まっせ、という感じがします。なんだか人智を超えたものを現世での苦しみの解消に上手いこと活用しようというのは、私の感性とはちょっと違うかなと思うのです。
さて、先日、地元・河内長野市のラブリーホールというところで「奥河内音絵巻」という舞台がありました。河内長野市在住の音楽家であるサキタハヂメさんが芸術監督を務める舞台で、毎年新たな作品を公演され、今年は記念すべき10回目。
サキタさんの下には出演者として、プロアマないまぜに河内長野で芸術活動をする人や一般の市民の方総勢200名以上が集結し、全員を巻き込んで作り上げる舞台芸術。
実は私も一曲だけ演奏に加えていただき、ステージに上がらせていただいておりました。
去年は客席から観た音絵巻。今年はほぼ全編を控え室のモニターから眺めておりましたが、クライマックスはゲネプロから、3回公演の本番全て、毎回震えるような感動がありました。河内長野という街の自然、歴史、伝統、民族、風習、宗教、信仰などあらゆるものが、コンサート、ミュージカル、演劇、全ての要素がありながら決して一言では言い表せない芸術作品として昇華されるさま。日々芸術を追求しているプロの芸術家の皆さんだけではなく、大勢の一般の方々も一緒になって共に全力で完成させようとするその画を見るのは、同じ河内長野で生まれ育った私にとってはえも言われぬ感慨がありました。
楽団の皆さんのリハーサルから拝見していた私は、その時サキタさんが「会場一体を一つの花にする」とおっしゃった意味をあまり理解できておらず、実際どんな舞台になるんだろう?とハテナがたくさん浮かんでいました。リハーサルの時点でもいまいちイメージが掴めていなかったのですが、ゲネプロそして本番で初めて全貌が見えて、その意味がやっと理解できました。
サキタさんの音楽を河内長野に関わるたくさんの人たちが演奏し、たくさんの布を使って市民の皆さんが会場に花弁を作り出し、そこに声明が混じり合う。声明というのは古代インドの五大学科の一つで音韻論・文法学が、仏典に節をつける仏教音楽に転じたものだそうです。
その声の響きは本当に荘厳で、玄奥で、素晴らしかった。モニターから拝見しながら、この完成図がサキタさんの頭の中ではずっと描かれていたんだろうか?と。
私はアカシックレコード、世界の記憶という言葉を思い出しました。もしアカシックレコードに本当にアクセスすることができるなら、こういう方法なんじゃないかなと。
人間の触れられない、本当には知ることのできないような深層・神性に対するピュアな探究心や敬意がそこにはある気がして、それこそが、これに何の意味があってどう活用できて何故こうなっていて……なんて風に現世でわちゃわちゃと計算をする私たちの小さな脳みそをぶち抜いて、ただただその先にある美しい灯りみたいなものを覗き込むための唯一の鍵なんじゃないかなあ、みたいなことを思ったのでした。
2025年、大阪関西万博に音絵巻での出演が決まったそうです。河内長野、そして大阪から音絵巻が世界を目指していく、それを考えるとワクワクしますね。河内長野のみんな、ワクワクしてるんじゃないかと思います。
ぜひ河内長野以外のたくさんの方にもご覧いただきたい芸術作品だなと思います。サキタさんはじめ、関わる皆さんがみんな素晴らしい。本当にピュアなエネルギーが集約されたパワースポットみたいな舞台です。
河内長野のラブリーホールにアカシックレコードの如き舞台芸術があったよ、というお話でございました。
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今週末は「菊の節句フェア」来週9/9は重陽の節句、菊の節句と言った方が通りがいいですね。重陽の節句は五節句のひとつですので毎年恒例でうんちくを。
「九」は「苦」につながるとして忌み嫌う人や地域もあるようです。でも、これは近代以降の考え方のようで、もともとは、中国渡来の陰陽思想が日本に根を下ろした頃から、奇数は縁起のよい「陽の数」とされ、一番大きな陽の数である「九」は究極数として崇高なものの象徴とされていました。
九重(ここのえ)という言葉の意味も、単に「物が九つ、または、いくつにも重なっていること」の意にとどまらず「宮中(中国の王城は門を九重に作ったことから)」を指す意味も込められているのです。ですから九月九日は「九」が二つ重なることから「重陽(ちょうよう)」と呼ばれて非常に縁起の良い日とされていたのです。古代中国では、この日、菊の花弁を浮かべた菊酒を酌み交わして、長寿と無病息災を願う風習がありました。この風習が、日本に伝わって「重陽の節句」となったのです。
この菊酒ですがほんとの菊酒は菊を浸した水で作ったお酒のことで菊の花びらを浮かせて飲むのは菊酒を疑似的に楽しむ習慣です。 平安時代には重陽節として宮中の正式な行事にもなっていました。当時の宮中では「菊花の宴」が催され、菊酒を飲んで天皇の長寿を祝ったそうです。当時、菊には不老長寿の霊力が宿っていると信じられていたので��重陽の日の前夜、綿に菊の香や露をしみ込ませ、節句当日にそれで体を拭いて長寿を祈ったのです。皇室の紋章として「菊花」が用いられていることからも、「菊」に対する想いは古くから特別なことがあった事を感じさせますね。
江戸時代になって、一月七日の人日、三月三日の上巳、五月五日の端午、七月七日の七夕とともに五節句として武家の祝日になり、この日には参勤交代で江戸城下の屋敷に駐留していた各藩主が登城して将軍家にお祝いをしたのだそうです。 そして、藩主達もこのような風習を良いこととして国許にも伝えたところ、江戸武士の習慣であった節句祝が日本中に根を下ろしていったそうです。
もとは旧暦での日程設定だったものを明治政府による改編で約一か月ほどずれた現在の暦の設定になりました。ですので旧暦、現在では10月中旬ごろなら菊の花も盛りなのでしょうが現在の9/9はまだ菊真っ盛りとは言えない時期です。というか夏です、まだ。
菊の節句なのに菊の流通量が少ない、なので価格も高い!という花業界あるあるの季節イベントですが菊が旬な時期、11/6には「いいマムの日」があるのでそこでたくさん楽しんでもらおうと思います。今日は輸入のマムにも手伝ってもらい店頭販売をしていますので、菊を愛でながら菊酒を楽しんでください。
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2024年7月26日
8月15日に終わった戦争などない 「平和報道は9月にシフトを」(朝日新聞)
毎年8月にメディアにあふれる風物詩的な戦争・平和報道は、半ば揶揄を込めて「8月ジャーナリズム」とも呼ばれてきた。加害性の視点の欠如や、内容の定型化も指摘されて久しい。そもそも「8月15日=終戦日」という日本の常識自体が内向きの8月ジャーナリズムの産物で、国際的には非常識であり、世界との対話を阻んでいる――。そんな刺激的な議論を世に問うたのが、佐藤卓己・上智大教授(メディア史)だ。それなら本来の終戦日はいつなのか。先の戦争が人々の「記憶」ではなく「歴史」に変わりつつあるいま、私たちはそれをどう論じていけばよいのか。8月ジャーナリズムは乗り越えられるべき過去の遺物なのか。疑問をぶつけた。
「終戦の日」は8月ジャーナリズムの産物
――今年も8月を迎えます。8月15日をピークとした日本メディアの戦争・平和報道「8月ジャーナリズム」は、他者の存在と降伏の事実を忘却したものだと指摘し続けてきました。
「1945年8月15日に終わった戦争は存在しないからです。日本が連合国にポツダム宣言受諾を伝えたのは8月14日ですが、15日は、どの前線でも戦闘が続いていました」
「『終戦』は相手国のある外交事項です。米戦艦ミズーリ号で降伏文書に調印した9月2日が国際法上の終戦日であり、翌3日をロシアも中国も対日戦勝日としています。交戦国ではなく、あくまでも『臣民』に向けた昭和天皇による終戦詔書の放送、いわゆる『玉音放送』があったに過ぎない日を節目としていること自体、極めて内向きの論理に基づいています」
「そもそも、千島列島や旧満州は8月15日以降もソ連軍の侵攻を受けており、終戦どころではない。放送局が破壊され物理的に『玉音』体験が困難だった沖縄も同じ。ゲリラ戦を続けていた残存在沖日本軍が降伏文書に調印したのは9月7日で、アジア各地の日本軍が降伏したのも9月2日以降です。『8.15=終戦記念日』は、沖縄や外地の邦人、南方の戦地に取り残された兵士らの記憶を捨象し、周縁化することで成立しているのです」
「8月15日が終戦日と明記されたのは1963年の閣議決定で、その正式名称『戦没者を追悼し平和を祈念する日』が決まったのは、連合国軍総司令部(GHQ)が廃止されてから30年も経った1982年です。今ではそのことを知らない人がほとんどでしょう」
「創られた記憶」に基づくエモい報道
――「8.15=終戦の日」という日本人の「記憶」自体、8月ジャーナリズムの産物だとも指摘しています。
「8月ジャーナリズムが確立されたのは戦後すぐではなく、多くの新聞が終戦10年特集を組んだ1955年です。この時の紙面に掲載された、玉音放送を流すラジオの前でうなだれたり泣き崩れたりする国民を写したとする新聞写真は、実は撮影日時や状況が不確かなものや、『やらせ』も含まれていました。宮城(皇居)前でひざまずく人々の姿を伝える1945年8月15日の記事も、見てきたように書かれているものの、多くは予定稿に基づくものでした」
「また日本人の多くは、あの日を『じりじり照りつける太陽の下』の出来事として記憶しています。『暮しの手帖』の花森安治は『あの日は誰でも知っているように日本じゅうがたいへんな晴天で(略)非常に暑かった』と書いています(『一億人の昭和史』第4巻)。ですが、東北は曇りだったし、北海道の一部は雨でした」
「記憶のウソは『8.15』だけではありません。8月6日も、国民的な平和反核運動の起点となるのは戦後すぐではなく、独立回復で原爆報道の統制が解かれた後、1954年の第五福竜丸事件以降です。広島市生まれの私の記憶では、被爆者への差別はかなり後々まで残っており、被爆体験は完全に自由な語りの中にあったわけではなかった。しかし、放射能雨や放射能マグロの恐怖とともに、広島と長崎という地方都市の悲劇が突如、国民的な原水禁運動の『起源』に据えられたのです」
「8月前半に集中する戦争回顧の報道をつぶさに調べてみると、いかに『創られた記憶』が多いかに、驚きます。通常の報道をする際には当たり前の真偽の検証すら不十分という点で、8月ジャーナリズムは『ジャーナリズム』の名にも値しないものが少なくありません。昨今、ネット上の『エモい』記事に対する批判が高まっていますが、伝統芸能化した8月ジャーナリズムの多くも、残念ながらそれに陥ってしまっている」
「戦後長らくメディアが作り上げた『記憶』は、引用や孫引きが繰り返されることで、国民の集合的記憶=体験として歴史化していく。それはもはや『神話』と言えます」
「8月革命論」と「記憶の55年体制」
――その「神話」が浸透・定着したのには、戦後の政治・思想空間が大きく作用していたようですね。
「戦後憲法に深く共感した政治学者の丸山真男は、1945年8月15日に日本が国体の呪縛から解放され、人民主権への変革が起きたとする『8月革命論』を唱えました。一方、保守派は天皇の御聖断によって戦争が終結し国体も護持されたという物語を信じてきた。これらは正反対に見えて、左右のイデオロギーが背中合わせにもたれ��かる心地よい均衡であり、双方が『降伏』に目を背けることで一致した『記憶の55年体制』とも言うべきものです」
「『8.15』を境に日本に『自由なる主体』が生まれたというのは、明らかに虚妄です。丸山はそれを承知のうえでその虚妄に賭け、8月ジャーナリズム最大のイデオローグとして戦後言論界に君臨しました」
「しかし、戦前と戦後の断絶を設定する『8.15神話』は、両者の連続性を隠蔽する効果をもたらしてきました。その意味で、8月ジャーナリズムは『戦争の記憶』ではなく、『戦後の忘却』の上に存在しているのです」
「戦前」と「戦後」の断絶史観、世界と乖離
――世界との対話を阻む障害となっている8月ジャーナリズムではなく「9月ジャーナリズム」を展開すべきだと提唱しています。
「私はメディア論の学者なので、報道や言論の『内容』だけでなく『効果』に関心があります。内容の真偽や善悪を問題にするジャーナリズム論に対し、効果の程度や射程を問題にするのがメディア論です」
「終戦の日に首相や天皇が反省の弁や世界平和を口にしても、靖国神社に閣僚が参拝する報道とともに伝われば、本心では反省していないと世界からは見られます」
「8.15終戦記念日は、周辺国との歴史的対話を困難にしてきました。いくら私たちが戦後の象徴たる平和憲法にコミットする姿勢を示しても、その前提となる内向きの『あしき戦前』と『良き戦後』の断絶史観は外国と共有されていない。外部の他者に開かれていない空間で、いくら自己反省を繰り返しても、対話なきゲームです。『8.15』をリセットタイムとする日本史において、『戦後』は世界史との経路を遮断され、その記憶は自閉化されています」
「本当に世界史への接続を考えるなら、7月7日(盧溝橋事件)や12月8日(真珠湾攻撃)を国家的記念日にしてもよいでしょう。でも、そんな試みはほぼありません。だったら、8月ジャーナリズムを9月にシフトし、世界標準の終戦日である2日、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約の調印日である8日、そして満州事変が勃発した18日まで、新学期の教室でも議論できるものにすべきです」
「もっと言うなら、私の提唱する9月ジャーナリズムは、8月29日から始まります。何の日かご存じですか?」
――……。
「日韓併合記念日です。この日を国恥日としている朝鮮半島だけでなく、戦後しばらくは日本人もみな覚えていましたが、今やすっかり忘却されています。9月1日の関東大震災後の朝鮮人虐殺も、植民地支配を背景にしたものです。戦争と平和についてさらに広く考えるなら、米同時多発テロが起きた『9.11』や、戦後70年の節目だった安保法制の成立日(9月19日)も射程に入れてもよいでしょう」
戦没者追悼と歴史的対話、記念日の分離を
――8月ジャーナリズムは内容的にも、被害や受難の語りに偏重してきた���言われています。
「8月6日や9日、あるいは空襲や引き揚げ、特攻や玉砕の体験は、紛れもなく悲劇の記憶です。それを前提にする限り、報道やドラマの内容が『犠牲』に偏るのは避けられない。侵略や植民地支配の加害性を見つめなくてはいけない、といくら主張しても戦災者には響かないし、この語りの傾向を変えるのは難しいでしょう。お盆の8月15日は、戦前から慰霊と供養の日としても定着していました。宗教的追悼と政治的議論を同時に行うことは、ふつうの人にはなかなかできることではない」
「だから私は、終戦の日を二つに分け、8月15日を『戦没者を追悼する日』、9月2日を『平和を祈念する日』にすべきだと訴えています。8月15日はこれまで通り死者に祈りを捧げ、9月2日は戦争責任や加害の事実に冷静に目を向け、諸外国と歴史的対話をする日にする。政教分離の観点からもそれがよいでしょう。その意味では、9月ジャーナリズムは8月ジャーナリズムの全否定の上にあるわけではなく、その内向きさと情緒性を省みたうえで、理性的で対話的な新たなジャーナリズムを構築する試みです」
歴史対立踏まえ、未来志向のジャーナリズムへ
――戦後生まれが人口の85%を超え、戦争の記憶の継承が課題です。「新しい戦前」というきな臭い言葉も飛び交っています。
「今は『記憶の歴史化』の潮目です。平均寿命に近い80年という時間の経過は、生存者の反証を物理的に不可能にします。そのため、『戦争の記憶』は『記憶の戦争』の中で再編されていく。それは、事実関係よりも表現の効果に人々の関心が向けられていく時代に、今後は突入するということです」
「すでに近年、終戦や戦争をめぐる『歴史のポリティクス』は過熱しています。中国は従来、靖国参拝問題などで歴史カードを切れる8月15日を重視してきましたが、日中の経済力が逆転した2010年代以降、改めて9月3日を抗日戦争勝利記念日と明確に定めました。ロシアも昨年、9月3日を『軍国主義日本に対する勝利と第2次大戦終結の日』と名称変更し、ウクライナを支援する日本を強く牽制しました。歴史戦や情報戦という不穏な言葉を使うのは適切ではないでしょうが、私たち自身が内向きな『記憶の55年体制』に閉じこもっている限り、こうした他国の功利的な歴史利用に対峙することはできません」
「情緒的で紋切り型の8月ジャーナリズムがもたらしてきたものは、現代の戦争や安全保障問題に対するイメージの貧困化です。日本人は『豊かで平和な戦後』において、米国の核の傘の下、周辺国との敵対性を無視することができました。しかし、国家利害の対立が深まるなか、現実に目を背けることは、あまりに反政治的���す」
「外交とは、敵対性を討議性へと開く技術です。歴史の対立が存在することを前提に、それならどのような対話が可能��のか、私たちは模索し続ける必要がある。戦争の記憶の問題にメディアが果たす役割とは、本来そうした未来志向のものでなければならない。だからこそ、他者と向き合うための9月ジャーナリズムが必要なのです」(聞き手・石川智也)
佐藤卓己 さとう たくみ 1960年生まれ。上智大教授、京大名誉教授。専門はメディア史、大衆文化論。著書に「『キング』の時代」「言論統制」「八月十五日の神話」「輿論と世論」など。
広島原爆の日の式典、周辺での「平和運動」を締め出しへ 公園一帯で「入場規制」、プラカードやのぼりは禁止(東京新聞)
8月6日の広島市の平和記念式典で、原爆ドーム周辺を含めた平和記念公園の全域に入場規制を広げる市の方針が波紋を広げている。メイン会場から離れたエリアも手荷物検査を受けないと入れず、プラカードやのぼりの持ち込みを禁止。安全対策を理由とするが、法的根拠はなく行きすぎた表現規制との懸念も。背景には近年の平和行政の変質も指摘される。(山田雄之、山田祐一郎)
◆物議を醸した「園内での禁止行為」
広島市は5月、平和記念式典で、入場規制エリアを昨年まで対象外だった原爆ドーム周辺を含む公園全体に広げる「安全対策」を発表した。当日午前5〜9時に入場規制し、6カ所のゲートで手荷物検査を行うとした。
広島市の平和記念公園で、松井一実広島市長(左から5��目)から説明を受けるG7首脳ら=2023年05月
これに加えて物議を醸したのが園内での禁止行為。「式典の運営に支障を来す」としてマイクや拡声器のほか、プラカードや横断幕の持ち込み、はちまきやゼッケンの着用まで禁じ、従わなければ退去を命令することがあるとした。
規制強化の理由としたのは昨年の式典の際、原爆ドーム周辺で市職員に活動家の集団が腕を組んでぶつかるなどした「衝突事案」だ。5人が暴力行為法違反の疑いで逮捕、起訴された。
松井一実市長は記者会見で「参列する市民の安全を最優先に考えての措置」と強調。「原爆ドームや供養塔の周辺で毎年、慰霊に関する行事をしている団体もあると思うが」と問われると、「今までのような集会はできなくなるかと思いますね」と淡々と応じた。
◆「核廃絶の思いを自由に伝えたいと考える人は多い」のに
被爆者たちの受け止めはさまざまだ。広島県原爆被害者団体協議会の箕牧(みまき)智之理事長(82)は「こちら特報部」の取材に「騒動を起こす人がいることも事実。犠牲者を追悼するために厳粛に式典を行いたい。規制は仕方ない」と理解を示す。一方、もう一つの県被団協の佐久間邦彦理事長(79)は「祈る場所は必要以上に制限されるべきではない。反戦や核廃絶の思いを自由に伝えたいと考える人は多い」と話した。
6月上旬、日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島は「ゼッケンなどの着用禁止は表現の自由に抵触する。取り消すべきではないか」と市長あての質問状を出した。JCJ広島幹事の難波健治さん(76)は「そもそも式典を巡る問題は騒音だった。いつのまにか安全の問題にすり替わった」と強調する。
◆「条例は関係なく法的根拠はない」
どういうことか。会場周辺のデモで拡声器が使われたことを受け、市が2019年に参列者に行ったアンケートでは、音が聞こえたという人の約6割が「式典に悪影響がある」と回答。市議会は21年、議員提案された「市民の理解と協力の下に、厳粛の中で行う」と定めた市平和推進基本条例を賛成多数で可決した経緯がある。ただ「厳粛」の具体的な規定はなく、県弁護士会などは「市民の表現を萎縮させる」と懸念を示していた。
公園からの退去などを市民に強制できる根拠はあるのか。市の市民活動推進課の担当者は取材に対し、手荷物検査や禁止行為による退去命令について「条例は関係なく法的根拠はない」と断言。「安全な式典にするための必要最小限の規制。表現の自由を制限するとは思わず、あくまでご協力いただくもの」と述べた。プラカードなどを使って平和や核廃絶を訴えたい人については「規制終了後や公園外でして��しい」と話した。
◆「ここまであからさまな表現の自由の制限は…」
デモの音量に対する「騒音規制」の問題だったはずが、いつの間にか目的が「安全対策」にすり替わったという今回の出来事。広島大の田村和之名誉教授(行政法)は「別の場所から大音量が発せられる可能性があり、騒音問題の解決になるのか疑問だ」と話す。
「式典が安全に行われることに異論はないが、論理の飛躍だ。差し迫った危険の発生が具体的に予見されるわけでないのに、短時間とはいえ拡声器やプラカードといった表現活動を禁止するのは言論の自由や集会の自由の制限に当たる」と憲法違反を指摘する。その上で「ここまであからさまな行政による表現の自由の制限は最近、目にしたことがない」とあきれる。
松井市長は5月の会見で、衝突事故の再発防止のため、式典会場外の区域も式典会場と位置付けて規制する考えを説明した。田村さんは「式典として使用実態がない場所は自由利用が原則であり、市長の説明は詭弁だ」と批判。都市公園法の原則に反し、正当な理由なく住民の公共施設利用を拒んではならないとする地方自治法にも違反するとした上で「屋外の平和公園で式典を行う以上、騒音は避けられない。行政が必要以上に規制すれば、異を唱える人を排除することになる」と危ぶむ。
◆広島の平和行政が変質していないか
2023年度に差し替えられる前の平和教材の「はだしのゲン」のページ
近年、広島の平和行政を巡っては平和団体が懸念を示す問題が相次いできた。広島市教委は、平和学習教材に引用掲載してきた漫画「はだしのゲン」や、1954年にビキニ環礁で米国の水爆実験で被ばくした「第五福竜丸」の記述を2023年度から削除。市民団体が実施したオンライン署名では、約半年間で削除に反対する声が5万9000筆以上寄せられた。
昨年6月には広島市の平和記念公園と、旧日本軍の真珠湾攻撃を伝える米パールハーバー国立記念公園が姉妹協定を締結。同年9月の市議会で市幹部が、米国の原爆投下の責任議論を「現時点では棚上げにする」と答弁し、被爆者団体などから批判を受けた。今年の式典を巡っても、パレスチナ自治区ガザへの攻撃を続けるイスラエルを招待する方針を表明。ウクライナ侵攻以降、招待していないロシアへの対応との違いを「二重基準」と会見で指摘された松井市長が声を荒らげて否定する場面もあった。
「根拠やプロセスを説明しないという松井市長の政治姿勢が年々、顕著となっている」と指摘するのは広島市立大の湯浅正恵教授(社会学)。「行政は法律や条例の規則に基づいて政策決定をするべきなのに、納得できる説明がない状況が続いている」。7月には突如、来年以降の式典招待国の基準も見直す考えを示した松井市長���湯浅さんは「近年にない特殊な状況」と受け止める。
◆「アメリカのご希望に沿う岸田首相、追従する広島市」
平和記念公園で記念撮影に納まるG7首脳ら=2023年5月
「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」は先進7カ国(G7)広島サミット後の昨年7月、「広島市平和行政の変質を問う声明」を発表し、現状への危機感を訴えた。
共同代表を務める森滝春子さん(85)は「広島市の平和行政の変質は、原爆被害が見えなくなることを望む米国に沿った岸田首相の政策に、市が追従していることによって起きている」と危ぶむ。「G7の広島ビジョンも米国の核の傘の下での核抑止論を肯定する内容。その場所に広島が利用された」と批判する。
今回の入場規制が原爆被害の実相を伝える上での悪影響を及ぼすのではないかと懸念する。「世界や日本から原爆被害者を悼みに来るのに、法的根拠なく入場を厳しく規制すれば、近づかない方がいいという人が出るかもしれない。被爆者が減る中、マイナスの効果しかない。それを止められないのは歯がゆい思いだ」
◆デスクメモ 前に公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に足を運んだ。日本は米国の原爆の被害者だが、アジアとの関係では加害者でもある。立場の違いも含め原爆の実相を知り、犠牲者を悼み、核なき世界を願う場と思ってきた。戦後79年の夏空に「NO WAR」と掲げられる公園であってほしい。(恭)
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【お弁当で節約上手!】簡単レシピと節約のコツで、美味しくてお財布に優しいランチを実現♪
毎日のお弁当作りをもっと楽しく、お得に!この記事では、初心者さんでも簡単に作れるお弁当レシピ5選、食材選びや詰め方のコツ、そして節約に役立つ情報をご紹介。 作り置きを活用すれば、忙しい朝も楽々。今日からあなたも、美味しくて経済的なお弁当作りを始めてみませんか?
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お弁当
スタバで何の躊躇いもなくフラペチーノを買えるようになったのは、アルバイトを始めてからだったと思う。
社会人になって、給料をもらい、ボーナスを知り、先輩から譲り受けたマイカーを持つようになってからは、1万円以上する服を躊躇わずに買えるようになってしまった。10万円以上する航空券をポチッと予約できるようになってしまった。
学生時代から唯一変わらないのは、お弁当で昼食代を節約していることくらい。
こうも変わったのは、入ってくるお金の額のせいか。
食事も、インテリア1つ買うのも、週末のドライブも、すべてが自分の生活に直結していて、日々を豊かにすることにかけるお金がよくよく見えるようになった。
自分を癒すことも大事で、週末を楽しむことも必要で、それにはちょっぴりお金がかかるみたい。「自分で自由に使えるお金が増えて、大人って楽しいよ」と前に教えてもらったけれど、本当にそう。楽しいことに、お金が直結し過ぎている。
どこか心がざわつくのは、貧乏性だった昔の私が顔を覗かせるからか。自分がハイソであることに自覚的ではない人々に囲まれ、ざらっとした世界に目を背けている気がするからか。
善人ぶるつもりはないけれど、どこまでが許されるご自愛で、どこからが贅��なのかな。そんな線引きあるわけないけれど。少なくとも毎日のお弁当作りは、自分が変わっていくことへのささやかな抵抗でもあるのかもしれない。
奮闘の記録、?
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アサガオの約束 - ChatGPTと書いた小説
前回ChatGPTを使って書いた短編小説を全体的に加筆修正して一通り繋げたものになりやす。だいたい6200文字くらいの小説になったわ。
幼馴染の男の子と女の子がいました。二人は喧嘩をすることもありましたが、互いの家へ遊びに行くほどの仲でした。しかし、男の子の家庭はかなりのお金持ち、方や女の子の家庭は貧乏でした。 女の子は男の子の家に行くといつも美味しいお菓子をご馳走になっていました。男の子はある日、高級クッキーを餌に女の子へ自分の宿題を差し出しました。「宿題やってくれたらクッキーあげる」「本当?」女の子は疑いながらも宿題をさらさらと終わらせました。男の子は約束通りクッキーをあげました。女の子は喜んでパクパク食べました。
二人は夏休みを迎えました。自由研究をどうしようか、と男の子は考えていました。先生は友達と共同でやっても良い、と言っていました。そんな時、女の子が遊びにやってきました。クーラーの効いた涼しい環境で女の子は宿題をやろうと思って来たそうです。男の子の母親は彼女の家庭が共働きで留守だった事も知っていたので笑顔で彼女を家に通しました。男の子はラッキーだと思いました。部屋にやってきた女の子にまたお菓子をチラつかせて自分の分の宿題を差し出しました。「自分でやらないと怒られるよ?」女の子にそう言われた男の子は「じゃあ、答えを見せて」と言いました。女の子は、しょうがないなぁ、と言いながら自分が終えた宿題を彼へ渡しました。
そうして男の子は続けて自由研究について話し始めました。「植物の観察でもしようかなって思ってたんだけど」女の子の提案に男の子は乗りました。アパート暮らしの女の子へ男の子は自分の家の庭でやることを勧めて自分も自由研究をやろうと思いました。 しかし、いざアサガオの種を植えて自由研究を開始すると、男の子は面倒になって女の子に全て任せてしまいました。女の子は毎日水やりをし、丁寧に観察記録をつけていました。男の子は、また女の子に「自分の分も書いて」とノートを差し出しました。「もー、本当に怒られるよ?字も全然違うのに私が書いて良いの?」と女の子は言います。男の子は仕方なく女の子の記録を見ながら自分のノートへ書き写しました。男の子は一応、記録を見せて貰ったお礼に自分のプリンを女の子にあげました。女の子は笑顔でそれを食べました。
夏休みはあっという間に過ぎていきました。女の子は相変わらずしっかりと宿題をやり、既に全てを終わらせていました。男の子はダラダラと女の子の宿題を隣に置いて丸写しをしていました。女の子は「ちゃんとやりなよ」と言いますが、お菓子を出されると断れず、男の子に宿題を貸してしまいます。男の子は女の子が単純で助かったと思いつつ、お菓子を食べる女の子をチラリと見ました。ポッキーをポリポリ食べる彼女はまるでペットとして飼える小動物みたいでした。試しに男の子は自分のポッキーを一本、女の子の口元へ差し出すと女の子は嬉しそうにそれをポリポリと食べました。
「……」その時、男の子は心臓がドキッとしたのが分かりました。慌てて宿題の方へ向き直りましたが、男の子は心臓の高鳴りが何なのか今はまだ分かりませんでした。
夏休みは終わりました。結局、自由研究は女の子が殆どやったような物でしたが、先生は気づかず、二人の自由研究のノートに花マルをつけてくれました。男の子は女の子が怒って先生に密告するんじゃないかと思いましたが、そんな事はありませんでした。
男の子はあの日の胸の高鳴りについて考えていました。あの日、男の子は初めて女の子を可愛いと思いました。今まで女の子と一緒に遊んでいてもそんな事を考えて見たこともありませんでした。しかし、今は他のクラスメイトの女子と見比べると女の子が何か特別に見えるような気がしました。これが何なのか男の子は理解できそうで理解できません。ただ、彼はこの事を誰かに話す事は絶対にしませんでした。
ある日の放課後、男の子はランドセルを家に置いてから宿題とお菓子を片手に女の子の家へ向かいました。古いアパートの呼び鈴を押すと女の子が出ました。「もー、また宿題を見にきたの?」そう言われるのが分かっていた男の子はお菓子を見せびらかしました。「むー、しょうがないなぁ」女の子はそう言うと、家へ男の子を招きました。
女の子の両親はまだ仕事から帰っていませんでした。暗くならないと親は帰ってこない、と前に聞いたことがありました。男の子はアパートのちゃぶ台で宿題を広げながら女の子の答えを丸写しし、さっさと宿題を終わらせました。そしてそのままゴロリと横になりました。「お行儀がわるいなぁ」と女の子に言われましたが、男の子はこの古いアパートの居心地が好きでした。テレビもない、スマートフォンもない環境ですが、女の子がいます。自分が持ってきたお菓子を女の子と食べながらダラダラする放課後が一番楽しいと思っていました。
二人の学年が一つ上に上がりました。幸い二人共同じクラスにはなれました。しかし、周りのクラスメイトの雰囲気に合わせて男子グループと女子グループに自然と分かれていきました。男の子は他の女子生徒と談笑する女の子をチラリと見ました。段々と距離が出始めている事に焦りを感じていましたが、クラスメイトの中には女子と絡む男子を笑う者もいました。男の子は学校で女の子に話しかける機会をすっかり無くしてしまいました。
そんな時に学校行事のバス遠足がありました。皆で自然と触れ合い、お弁当を食べます。男の子は女の子と一緒に過ごしたいと思っていましたが、男子のグループから外れることもできず、諦めていました。しかし、弁当を広げる時に、たまたま女子のグループと近くで食べる事になりました。他の女子生徒とお弁当を食べる女の子を見ると、地味な弁当を食べていました。そうして、おやつの時間になると、女の子は弁当を仕舞ってお菓子を食べる友達を見ていました。女の子はお菓子を買って来なかったようでした。去年の遠足も彼女はお菓子を買ってきていませんでした。 男の子は男子のグループを少し離れる事になりますが、去年と同様に自分のお菓子を彼女へ上げました。「……今年も良いの?」「良いよ。その代わり、また宿題見せて」女の子は照れながらお菓子を受け取りました。男子のグループに戻ると、からかってくる者もいましたが、男の子は気にしない事にしました。
ある日、クラスメイトの噂話が男の子の耳に入ってきました。何組の誰々が誰に告白した、といった感じの話でした。男の子は、噂話に女の子の名前が出てこなかった事に安心しました。女の子は相も変わらず学校生活は真面目で、他の女子と談笑していました。 男の子は、段々と自分のこの気持ちを理解し始めていました。しかし、この気持ちを女の子へ伝えるにはまだ勇気がありません。周りから今の噂話のようにからかわれる恐れも感じていました。男の子は、いつまでもお菓子を使って女の子の気を引くことしかできませんでした。まぁ、それでもお菓子で宿題と女の子が釣れるので、ある意味、一石二鳥ではありました。
そうこうしていると、バレンタインの季節がやってきました。男子生徒は皆、浮足立ったり、ショックを受けたり、悔しがったり、様々な様相を浮かべていました。しかし、男の子は何も変わらない一日だと思っていました。女の子の家はチョコレートを買って誰かにプレゼントするような余裕のある家庭ではありませんでした。男の子は女の子からチョコレートを貰えない事は分かっていたので何も期待していませんでした。
しかし、自分の下駄箱を開けて驚きました。小さな箱が三つも入っていました。彼は頭の中が真っ白になりました。女の子以外の女子生徒からチョコレートを貰ってもどうしたら良いのかわかりません。手にとって悩んでいると友人の男子生徒がラッピングされた箱を指指して「三つも貰ってる!」と叫びました。男の子は慌ててカバンへ仕舞いましたが手遅れでした。噂は広まりチョコレートを貰えなかったその他の男子から恨みや羨望の眼差しを浴びることになりました。
放課後になって男の子は自分で選んで買ったチョコレートと宿題を持って女の子のアパートへ行きました。女の子は驚きましたが、笑顔で受け取ってくれました。女の子は貰ったチョコレートを食べながら男の子へ聞���ました。「三つもチョコレートを貰ったんでしょう?お返事はちゃんとしたの?」男の子は言葉に詰まりました。貰ったチョコレートにはそれぞれラブレターが入っていました。しかし、男の子はそのラブレターに応えるつもりはありませんでした。 「……」黙っていると女の子は「ちゃんとお返事しないと可哀想だよ」と言いました。女の子の言葉を聞いた男の子は宿題を写し終えてから家に帰り、便箋を取り出しました。三枚も手紙を書かなければならない状況でしたが、男の子は何とか書き終えました。宿題より疲れた……。男の子は来年のバレンタインがどうなるのか怖くなってきました。
学年がまた一つ上がりました。そして、とうとう中学校受験がスタートします。男の子は両親の期待を背負っていました。しかし、女の子は受験の必要がない中学校へ行くことになりました。男の子は薄々分かってはいましたが、やはり同じ学校へ通えないことがショックでした。
男の子は自分より女の子の方が頭が良いことは分かっていました。はっきりと言えば自分が行く中学校に相応しいのは彼女の方だと思っていました。経済の理由が進学の選択になる事にモヤモヤした気持ちにさせられましたが、彼にはどうする事も出来ませんでした。それに、これから宿題を見せて貰う事もできません。彼女に会う理由をどうやって見つけようか彼は悩みました。
悩みながらも男の子は無事、受験を合格しました。卒業が近づいた頃、アパートへ行って男の子は女の子に聞きました。「またお菓子を持ってくるからさ、違う学校へ行っても遊びに来ても良い?」女の子は笑顔で「もちろん良いよ!」と答えてくれました。男の子は安心しました。
中学校生活が始まりました。男の子は教科書の進む速さに驚きました。宿題を丸写ししてきたツケが回ってきたのかもしれません。男の子は何とか成績を落とさないように勉強時間を増やしました。しかし、結果的に女の子と会う機会を全くと言っていい程、なくしてしまいました。
そして、そんなある日、塾へ向かう道すがら、女の子が他の男子と談笑しながら帰宅している所を見てしまいました。男の子は、やはり同じ学校へ行けなかった事を深く後悔しました。
次の日、男の子は、塾の合間に女の子のアパートへ行きました。久々すぎて女の子は凄く驚きましたが、変わらない笑顔で出迎えてくれました。「全然、来れなくてごめん」「ううん、大丈夫だよ。久々に会えて嬉しい」彼女の言葉に男の子は心底安心しました。「今度はちゃんとお菓子を持ってくるから」塾の時間が迫ってきていたので男の子はそう言ってアパートを後にしようとしました。しかし、女の子は「ううん、何も持って来なくて良いよ!」そう言って手を振ってくれました。
中学生になって初めての夏休みがやってきました。男の子は中学校の課題や宿題の量に驚きました。それでも夏休み前に女の子と会う約束が出来ていました。 夏休み二日目、女の子が家にやってきました。男の子の母親は久々に会う女の子を笑顔で迎えてくれました。 男の子はいくつかの課題を女の子へ差し出してみました。「もー、宿題を手伝わせる為に私を呼んだの?」「そうじゃないけど、今はそれもアリだなって思ってる」と笑って答えると女の子も笑ってペラペラと男の子の宿題を見てみました。「凄いね、全然教科書の進み方が違う」「やりたかったらやっても良いよ」「遠離しておく」彼女は笑って宿題を返しました。
男の子は夏休みの間だけでも女の子と何かしたいと思いました。「……またアサガオを植えてみない?」「えー、また私だけ水をあげることにならない?」笑う女の子に男の子は「今年はちゃんとやるよ。約束するから」女の子は少し考えているようでしたが、笑顔で「それじゃ庭に行こう」と言ってくれました。
今度こそ二人で育てて花を咲かせるつもりで植えました。夏休みの間だけでも、彼女と何か共通のものを持てる事が彼は嬉しいと思っていました。そうしてアサガオは見事に咲きました。「今年はちゃんと出来て良かったね」女の子がそう言って笑うので男の子もつられて笑いました。
その後、季節はどんどん巡っていきました。そうしてまたバレンタインの季節がやってきました。男の子は恐る恐る下駄箱を開けました。今年は四つのチョコレートが入っていました。男の子は、どうしたものかと思いつつ、急いでカバンへしまいました……が、またも友人に見られてしまいました。「毎年毎年、お前ばっかり貰いやがってー!」友人の恨みと羨望の眼差しと叫びに彼は苦笑いで逃げました。 男の子は四通のラブレターの返事を書き終えてから自分で選んで買ったチョコレートを持って女の子の家へ行きました。女の子はチョコレートを見て喜びましたが、「でも、私は何もお返しできないよ?」と言います。男の子は、「何もいらない」と言いました。本当は自分もチョコレートに手紙を入れようかと思いましたが、まだ自分の気持ちを言葉や文字にする勇気がありませんでした。
更に月日は流れ、高校受験が始まりました。男の子はまた両親の期待を背負って名門の高校を受験することにしました。しかし、やはり女の子と同じ学校へは行けそうにはありませんでした。彼女は就職に力を入れている高校へ行くと言っていました。大学へは行かず、そのまま働くのだと言います。彼は彼女こそ大学へ行き、能力に似合った仕事へ就くべきだと思っていましたが、彼女の選んだ選択を応援するしかありませんでした。
高校へは無事に二人とも合格しました。新しい環境に慣れるのに苦労はしましたが、勉強についていこうと思えば、あっという間に馴染んでいきました。
高校生になってから初の夏休みが始まりました。彼は夏祭りへ彼女を誘いました。高校生になった彼女は女の子ではなく女性になっていました。彼は彼女へポッキーを差し出した時の事を思い出しました。それと同時にまた心臓がドキッと脈打ちました。彼は、夏祭りでようやく彼女の手を取り、繋ぎました。彼女は驚きましたが、同時に微笑んでくれました。祭りの帰り際に二人は昔植えたアサガオの近くで昔話をしました。そして、彼はやっと言葉にして彼女へ気持ちを伝えました。
彼女は、彼の気持ちを受け入れました。通う学校も目指す将来も全く違う二人でしたが、絆は本物でした。
その後、二人は高校を卒業しました。彼は大学へ、彼女は就職しました。彼女は仕事先で男性からお付き合いを申し込まれる事もありましたが、全て断っていました。彼もお金持ち故か、女性からのアプローチもたくさんありましたが、早く彼女の為に自分も働くことを考えていました。
二人は長い長い付き合いになりました。彼は働く彼女を迎えに行って、二人は無事に結ばれました。その後、彼女は彼の勧めで大学へ入り、新たな挑戦を始めることにしました。彼はやっと彼女を支えることができるようになり、自分が男の子から一人の男になれた気がしました。
二人の家の庭には毎年アサガオが咲き続けました。
おわり
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岸田文雄政権下の約3年間で、日本ではさまざまな物やサービスの値段が上がった。食料品の値上げは今も続き、庶民の負担は増大。子どもやその保護者、高齢者など地域の住民に食事を提供する「子ども食堂」には、さまざまな境遇の人が集う。2人の子を育てるシングルマザーは「将来が不安」と話す。物価高に苦しむ中、政治にどんなことを求めているのだろうか。 肉や卵もぜいたく品に 「みんなの食堂ころあい」が入る吉川団地=埼玉県吉川市で2024年9月11日、新宮巳美撮影 9月上旬の午後4時。食堂が開くと予約していた4、5人のお年寄りが集まり始めた。この日のメニューは、天ぷら、ひき肉とナス、ピーマンの甘辛炒めなど。1人暮らしの女性(69)は「1人で料理するのは大変。特に野菜がたくさん入った温かいみそ汁がうれしい」と顔をほころばせる。 ここは、埼玉県吉川市の吉川団地内にある「みんなの食堂ころあい」。ボランティアの女性らが丹精込めて作る無料の料理が人気の子ども食堂で、独居の高齢者など団地に住む人の憩いの場となっている。運営は介護事業などを営む社会福祉法人が担う。 この女性は週に1度買い物に出るが、数年前と比べ1~2割ほど出費がかさむようになり、物価高を痛感している。「切り詰められるのは食費くらい。特にコメが高いね。好物の果物もあまり買わないようにしている」という。 約7年前に脳内出血で倒れ、右半身に後遺症を負った。治療やリハビリにはお金がかかる。月10万円弱の年金だけで生活するのは難しく、家賃は別居する長男に払ってもらっている。物価が上がり続けたら生活していけるだろうか――。同じ団地に住む1人暮らしの友人と、そんな話をするようになった。「せめて最低限の衣食住がそろい、安心できる暮らしが続けられたら」と話す。 午後5時を回ると、学校帰りの子どもらが加わり、食堂はにぎやかさを増す。シングルマザーの女性(39)は離婚後、1年ほど前から通うようになった。週5日の工場勤務のアルバイトで月収は10万円弱。児童扶養手当と元夫からの養育費はあるが、小学1年の長男と幼稚園の長女を養うのは大変だ。 「日常生活にまつわるほぼ全てが値上がりしている印象。肉や卵もぜいたく品になってしまった」。肉を買う頻度を週1回に減らし、魚も切り身ではなく缶詰を買う。生活はどうにかなっているが「子どもの進学や習い事など将来を考えると不安がこみあげてくる」と話す。 女性は最優先で実現してほしい政策として「小中学校の給食の一律無償化」を挙げる。文部科学省によると、全児童・生徒対象の完全無償化に踏み切った自治体は2023年9月時点で約3割にとどまる。「正直、不公平感は否めない。子どもがどこでも安心して食事ができる社会になってほしい」と地域格差の解消を望む。 栄養バランスの取れた食事や交流の場を提供する子ども食堂は、子どもの居場所作りへの関心が高まる中で年々増加している。認定NPO法人「全国こども食堂支援センター・むすびえ」によると、23年度調査では全国に9132カ所あり、子ども以外にも高齢者など多様な人が利用している。食事は多くの施設が無料か安価で提供している。 3年で7万品目値上げ 食品の大規模な値上げは2年以上続いている。22年2月のロシアによるウクライナ侵攻などで穀物や原油など資源価格が世界的に高騰。歴史的な円安が重なり、食品や原材料の多くを輸入に頼る日本にも、物価高の波が押し寄せた。 帝国データバンクによると、主な食品メーカー195社が値上げした飲食料品は、22年で2万5768品目(平均値上げ率14%)、23年で3万2396品目(同15%)に上った。24年も11月までに1万1872品目(同17%)が値上がりし、この3年で延べ7万品目に達した。 加工食品や調味料、飲料の値上げが目立ち、他にも菓子や乳製品、パンなど多岐にわたる。ニッセイ基礎研究所の久我尚子上席研究員は「購入頻度の高い物の値段が上がり、上昇率も高かった」と指摘する。 運営側も「厳しい」 慌ただしくおかずを弁当に詰める運営スタッフ=東京都板橋区の「まいにちおいで子ども食堂」で2024年9月10日、安藤龍朗撮影 物価高で子ども食堂の運営も各地で厳しさを増している。東京都板橋区の「まいにちおいで子ども食堂」は月曜を除く週6日、夕飯の弁当を作っている。10日にマンションの一室を訪ねると、運営スタッフがおかずを容器に慌ただしく詰めていた。1日40~50食ほどを用意するが、予約制で2週間先まで埋まっている。 24年4~8月の食材費は前年同期の1・5倍ほどに膨らんだ。高騰する光熱費や部屋の賃料も大きな負担となっている。運営するNPO法人「キッズぷらっとフォーム」理事長の武井重雄さん(73)は「頑張って毎日開くほど運営は厳しくなる」とため息を漏らす。 約40人の運営スタッフはボランティアで、運営費は寄付金のほか、大人の利用者の弁当代(300円、子どもは無料)と公的機関や民間の補助金で賄っているが、コストが膨らみ運営は苦しい。物価高が続けば、弁当代の値上げを検討せざるを得ないという。 仕事帰りに弁当を受け取った女性(42)は子ども3人を1人で育てており、「家に帰ったら家事が山積み。料理したくても時間がないので本当に助かる」と話す。進学費用を工面するにも残業する時間はなく、「物価高で子どもたちにお菓子を買うことは減った」という。 1人暮らしの女性(71)は両股関節の手術後、食堂に通うようになった。「台所に長時間立つのは難しいし、1人分の煮物を作るのも大変。弁当の提供はお年寄りにもありがたい。足が良くなったら恩返ししたい」と感謝した。 武井さんは「半年後には収支がマイナスになってもおかしくないが、必要とする人がいる以上、やめるわけにはいかない」と語る。 日本「豊かではない国」へ 物価高対策などについて記者団の質問に答える岸田文雄首相(左)=首相官邸で2022年9月8日、竹内幹撮影 総務省によると、家計の消費支出に占める食費の割合を示す「エンゲル係数」は27・8%(23年)。調査対象が異なるため単純比較はできないが、1983年以来40年ぶりの高水準となった。エンゲル係数は生活の豊かさを測るバロメーターとされ、数値が低いほど家計に余裕ができ、生活に不可欠な食べ物以外にお金を回せることを意味する。第一生命経済研究所の熊野英生首席エコノミストは「日本が豊かではない国に変わりつつあることを象徴している」と話す。 負担軽減策を連発した岸田政権 岸田政権は物価高の負担軽減策を手当たり次第に打ち出してきた。22年にガソリンや灯油などの価格を抑える補助金制度を始め、23年から電気や都市ガスも補助金で価格を抑える仕組みを導入。23年3月まで半年間は、輸入小麦を企業に売り渡す価格を据え置き、パンや麺類の小売価格抑制策を打った。低所得世帯を中心に現金などの給付も繰り返し、24年6月には納税者と扶養家族を対象に、1人4万円の定額減税を始めた。 ただ、給付や減税はいずれも1回限りの措置。ニッセイ基礎研究所の久我氏は「負担軽減にはつながるが、可処分所得の増加は一時的に過ぎない。将来不安がある中で消費者は手元にお金をとどめやすい」として、負担軽減策による消費活性化の効果は限定的とみる。 「誰にも期待しない」 子ども食堂「100人カレー弥永」で昼食を取る地域の子どもやお年寄り福岡市南区の弥永公民館で2024年9月8日、植田憲尚撮影(画像の一部を加工しています) 物価高を受け、各地の子ども食堂に多くの人が集まっている。福岡市南区の公民館で月1回開いている子ども食堂「100人カレー弥永」。野菜や果物を煮込んでからミキサーにかけて仕込んだ特製カレーが定番メニューで、高校生以下と60歳以上は無料(大人は200円)で提供している。 8日昼には近所の親子連れやお年寄りら約80人が集まった。3人の子どもを連れて参加した20代の主婦は「定額減税だけでは(生活費が)足りない」と話し、安いスーパーでまとめ買いをする日々だ。 日雇いの建設現場で働く男性(64)は、持病や体力の衰えに連日の暑さが重なり、この3カ月間は仕事に出られていない。所持金が尽き、初めて食堂を訪れた。最近は炊き出しの列に並ぶか食パンだけの日々が続いていたという。 男性の手取りは今年になって1日8000円から8500円に増えたが「(物の)値段が上がり、(生活費が)ぜんぜん足りない。自民党は世襲議員ばかり。私のような人間の気持ちなんて分からない」とこぼす。党派閥の裏金問題が発覚し、総裁選は「誰にも期待できない」とあきらめたように話す。 「持続的な賃上げを」 物価変動を考慮した1人当たりの実質賃金は、6、7月と2カ月連続のプラスとなっている。ようやく物価上昇に賃金上昇が追いつき始めたが、庶民の財布のひもは固い。総裁選では物価高対策が争点となり、候補者から「低所得者への給付を拡充する」「電気・ガスの抑制策は続けたい」と家計支援を訴える声が相次ぐ。 第一生命経済研究所の熊野氏は「賃上げの裾野が広がらなければ、物価上昇を上回る賃金の伸びは実現できない。新政権は企業の競争力強化や生産性向上を支え、持続的な賃上げを実現させる必要がある」と指摘する。【成澤隼人、植田憲尚、安藤龍朗】 編集後記 食事の提供だけでなく、地域の交流の場としてニーズが高まる子ども食堂。世代も職業も異なる利用者からは、先の見えない物価高を憂う声が多く聞かれた。 あらゆる物やサービスの価格上昇が続く中、生きる上で必要不可欠な「食」への影響は特に大きい。主食のコメも高騰し、手に入りにくい状況が続く。おかずの品数を減らしたり、肉や魚を買う頻度を少なくしたりしている――。多くの人が物価高を強く意識し「節約疲れ」が顕著になっていると感じた。 物価と賃金がともに上昇する好循環の兆しが見えつつある一方、生活必需品の値上がりは、中低所得者と富裕層の格差拡大を生んでいる。これからの暮らしはどうなっていくのか。次期総裁候補の経済政策に注目が集まっている。 ※この記事は、毎日新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
「肉や卵もぜいたく品」不安抱えるシングルマザー 続く物価高、子ども食堂に集う人々のため息(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
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2023年6月21日(水)
朝の日めくり、季節毎の多様な表現が紹介されていつも楽しみにしている。今朝は<峰雲>とあるがもちろん聞いたことはない、<夏の到来を教えてくれる空からの手紙のよう>とは上手い表現だなぁ。そして日付の下に小さく<夏至>、ををそうだったのか。早速<月読君>をチェック、旧暦では<皐月4日>、<夏季の真ん中>などと言われると余計に暑さが増しそうだ。夏休みまであと一ヶ月、まだま���頑張らねば。
4時45分起床。
朝食、洗濯、弁当*3。
空きビン缶、45L*1。
ツレアイの職場経由で出勤する。
順調に到着、換気・ラジオ体操・お茶。
水曜日は2限・3限<情報機器の操作Ⅰ(栄養学科>>、11週目からはExcelの学修に入る。Excelの画面構成を確認し、データの入力・編集・数式の使い方などを解説する。早めに切り上げ、残り時間で<入力再々試験>、2クラスで対象者は3名、何とかみな乗り切ってくれた。
3限終わりですぐに退出、今日は月1歯医者だ。
西村歯科の予約は16時30分、10分前に入るとすぐに呼んでくれた。いつものクリーニング作業の後にドクターのチェック、心配な箇所が数カ所あるが特に酷くなってはいないとのことでホッとする。
帰路のバスから、3男が動物クリニックの前で待機しているのが見えた。
私が夕飯を用意しているところへツレアイ帰宅、すぐにクリニックに向かうが<土曜日まで入院することになった>との連絡が入る。
昨日用意した蒸し鶏、さんだかん燻製工房の骨付きハムとタマネギのサラダ仕立て、フライドポテト、レタス+トマト。3男の慰労に、ConoSurの白を開ける。
録画番組視聴、落語研究会から「妾馬」柳家さん喬、安心して聴ける。
片付け、入浴、体重は50g増。
下で日誌をつけようとしたが睡魔に負ける。
久しぶりに13,000歩越え、水分は1,180ml。
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次回営業日のお知らせ
4/20(土)〜21(日)
11時〜18時
おやつ営業+お弁当(ご予約)
*イートインはございません。
今週はお弁当+おやつ営業です。
すっかり春本番ですね。
今週はおやつ営業の予定でしたが、お弁当をお作りします。
乾物や豆を取り入れつつ、春めいてきた食材も取り入れながらなお弁当を予定しております。
"さくらのおこわと手毬寿司"のお弁当を予定しております。
*いつものお弁当よりごはんの比率(お米)が多めで、おかずは少なめな内容となります、予めご了承いただきご注文くださいますようお願いいたします。
写真は昨年の手毬寿司のお弁当なので、内容は異なります。
季節を感じながら楽しんでいただけましたら幸いです。
内容はお任せで1300円です。
また、今週はおやつ営業もしっかりご用意したいため、お弁当の数を数量限定とさせていただきます。
特に①はご用意数少なめです。
時間帯や日にちによっては予約状況によりお受けできない場合もございますのでどうかご了承くださいませ。
毎回ご注文いただいている方は優先的にご用意したいと考えておりますので、早めにご予約いただけますと幸いです。
菜食対応も可能ですのでご予約の際にお知らせください。
ご予約方法について
⚠︎はじめての方はプロフィールにある通販サイトのお問い合わせフォームからお願いいたします。
いつもの方はメールで◎
○お名前
○お電話番号
○個数
○受け取り日、時間
ご記載の上ご連絡ください。
①11時-12時
②12時-14時
③14時-18時
受け取りの時間は上記からお選びください。
⚠︎必ずお返事を差し上げております。
2日経っても返事が来ないという方はなんらかのトラブルが予想されますため、再度ご連絡をいただけますと幸いです。
ご予約のご協力、いつもありがとうございます。
極力ロスを出さないようにしてお作りしておりますので、ご予約いただけると安心🙆♀️です。
定番のマフィン、スコーン、クッキーなど焼き菓子も切らさぬよう焼きながら営業いたします。
ご予約なしでもふらりと是非どうぞ◎
エコバッグのご持参にご協力いただけますと幸いです。
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【バンバンバザール「Turn of the Tide Tour 2024」@キレドベジタブルアトリエ】
今年も来てくれます!バンバンバザール! 今年はキレドベジタブルアトリエでのワンマンライブ!畑でのライブとはまた違った雰囲気のライブをお楽しみいただけます。バンバンバザールはライブ&トークが絶品!笑 季節の野菜料理と一緒に楽しんでくださいねーー!!
■バンバンバザール「Turn of the Tide Tour 2024」@キレドベジタブルアトリエ 2024/5/28 日 17:30open and dinnerTime / 18:30start 前売り:¥4000 当日:¥4500 (+1drink order) (4歳〜小学生2200円、3歳以下無料)
去年まで音楽イベント「勝手に畑ストック」を主催してくれていたバンバンバザールがキレドベジタブルアトリエにワンマン登場!お客さんをたちまち笑顔にしてしまうごきげんなサウンド、軽快なリズム、楽しいトークをキレドのアラカルト料理とともにお楽しみください。
当日キレドのディナーアラカルトプレートやアルコール/ノンアルコールドリンクをご用意します。
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前売りご予約はこちらのフォームより。 https://forms.gle/MpNC4oyKsCW6f4SC6
または店頭・お電話(043-232-3470 営業中)・FB/InstagramDM/LINEより承ります。
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店頭・お電話でのご予約の場合、お名前・ご予約人数・ご連絡のとれやすいお電話番号をお伝え下さい。入場料と1ドリンクの料金は入場の際にいただいております。3日前〜:50%、当日:100%キャンセル料をいただきます。
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■バンバンバザール www.ban-ban-bazar.com 1990年結成。 ストリートの演奏がきっかけでギタリスト吾妻光良氏に見いだされ、1stアルバム「リサイクル」でデビュー。JAZZ、JIVE、 JUMP BLUES、FOLK、COUNTRY、LATIN、HAWAIIANなどオールドタイミーで様々なルーツの香りのするGOOD MUSIC作品をこれまで発表し続けている。
バンバンバザールは現在、福島、黒川の2人を中心にメンバー、音楽性、演奏スタイルともに常にフレキシブルで あるものの、結成以来一貫して「ライブ!」生の音楽にこだわった活動をし続けている。もちろんまさに日本全国またにかけたツアーもライフワークとなった。2002年より既成の音楽イベントに飽きたらず、シーンの交流をはかるため、キャンプ場を借り切っての屋外イベント「勝手にウッドストック」を毎年開催、ステージ設営、フード、運営までしっかりこだわり数多くのアーティスト、ファンと一体化した盛り上がりを見せている。自らのレーベル「HOME WORK」を立ち上げ、アーティストのCDプロデュース、活動のサポート、2006年よりFM NACK5で「GOO GOO RADIO」のパーソナリティも務め、まさにGOOD MUSICの種をまき続けている。
メンバー ◯福島康之 Yasuyuki FUKUSHIMA [Vo,Guitar] 1968/07/10 東京都新宿区出身 趣味:ギャンブル、旅 ◯黒川 修 Osamu KUROKAWA [Bass,Cho] 1977/02/07福岡県北九州市出身 趣味:オートバイ、酒
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—————————— 野菜農家キレドのお店 野菜料理とクラフト 『キレド ベジタブルアトリエ』 木〜日曜日営業 11:00〜16:00(ランチラストオーダー14:30) 043-232-3470 千葉市若葉区小倉台5−13−4 —————————— kiredo Instagram:@kiredo_vegetable_atelier kiredo HP:https://www.kiredo.com/ kiredoVEGETABLEAtelier:https://www.kiredo.com/atelier kiredo WEBSHOP:https://kiredo.shop-pro.jp/ キレド公式LINE:https://lin.ee/rri9Sxp
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