#晴明節
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✿ 青团 | Qingtuan ・青団(チントゥアン)。青団は、又称艾団や清明団子とも呼ばれる江南地域の伝統的なもので、その起源は唐の時代にまで遡り、もち米粉とヨモギの汁を混ぜて、餡を包んだものです。青団は、江南の人々が清明節に食べる伝統的な団子です。調査によると、青団という名前は唐の時代に始まり、千年以上の歴史があります。清明節には必ずと言っていいほど、青団が蒸しられます。青団は、浆麦草(ジアンマイツァオ)を使ったもの、艾草(ヨモギ: アイツァオ)を使ったもの、青葉野菜の汁やもち米粉を使ったものなどがあり、餡が入っています。
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[Hanfu · 漢服]Chinese Early Qing Dynasty Traditional Clothing & Qingming Festival/清明節
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Han ethnic Women's attire & Hairstyle ”Peony Head (牡丹头) in the Early Qing Dynasty
Han ethnic Women's attire and hairstyle in the early Qing Dynasty was not like men that force to change by the Qing government. Women's attire and hairstyle were not particularly different from late Ming Dynasty.
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【Qingming Festival/清明節】
The Qingming festival or Ching Ming Festival,also known as Tomb-Sweeping Day in English (sometimes also called Chinese Memorial Day, Ancestors' Day, the Clear Brightness Festival, or the Pure Brightness Festival), is a traditional Chinese festival observed by ethnic Chinese in mainland China, Hong Kong, Macau, Taiwan, Malaysia, Singapore, Cambodia, Indonesia, Philippines, Thailand, and Vietnam.
During Qingming, Chinese families visit the tombs of their ancestors to clean the gravesites and make ritual offerings to their ancestors. Offerings would typically include traditional food dishes and the burning of joss sticks and joss paper.The holiday recognizes the traditional reverence of one's ancestors in Chinese culture.
The origins of the Qingming Festival go back more than 2500 years, although the observance has changed significantly. It became a public holiday in mainland China in 2008, where it is associated with the consumption of qingtuan,green dumplings made of glutinous rice and Chinese mugwort or barley grass.
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【Qingming Festival Customs: 插柳/戴柳 put willow/wearing willow 】
“清明不插柳,红颜变皓首”:
As the saying goes, it means in Qingming Festival, in the first ten days of March of the lunisolar calendar every year, is the day when traditional customs go to graves to worship ancestors. According to the old custom, when returning from worshiping ancestors during the Qingming Festival, people have to break off willow branches and wear them on head.It is said that if people don’t do this, young people will become old people with white hair.
According to the "Qing Jialu/清嘉录" written by Gu Lu of the Qing Dynasty:
「清明日,滿街叫賣楊柳,人家買之插於門上,農人以插柳日晴雨佔水旱,若雨,主水。」
every Qingming Festival, "willows are sold all over the street, and people buy them and put them on the door.
Q:why wearing willow or put willow on the door?
Jia Sixie(贾思勰)of the Northern Wei Dynasty(386-535) said in "Qi Min Yao Shu/齐民要术": “取柳枝著户上,百鬼不入家。”
“Take the willow and put it on the door/house, and a hundred ghosts will not enter the house”
It is said that a hundred spirits come out on Qingming Festival, and people need to worship their ancestors while carefully keep a certain distance from other spirits and keep them out of house. Willow has become a weapon for people to avoid evil spirits and protect people from them.
The custom is still widespread in parts of China especially Wudi(吴地) area: area in the south of the Yangtze River
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In ancient times, there were many interesting Qingming Festival customs. Apart from visit the tombs of their ancestors to clean the gravesites and make ritual offerings to their ancestors, there were also a series of custom sports activities such as spring outing, swinging, Cuju (蹴鞠:is an ancient Chinese ball game) , playing polo etc.
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🧚🏻Recreation Work:@吃货娃娃
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#Chinese Hanfu#hanfu#early qing dynasty#Ming Dynasty#Late Ming Period#Qingming Festival/清明節#Chinese Culture#chinese customs#hanfu accessories#chinese traditional clothing#chinese#chinese historical fashion#historical fashion#吃货娃娃#插柳/戴柳
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道明寺で大島餡を包み込み、梅の花の焼印を押した季節感のあるお菓子です。道明寺の生地は勿論、黒糖の味わいが素晴らしく美味しいお菓子です。
名古屋の川口屋の早春です。
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大体の家庭では"足りない"でしょ。明日の飯に困るレベルの貧困の話ではなく、老後の事を考えて節約・貯金したい妻(or夫)と、将来に無頓着な夫(or妻)で揉めてるイメージ。
[B! togetter] 夫が6万円超の玩具(ロボットの下半身)を買うことをなぜ許せるのか?を言語化した妻のnoteが素晴らしいと話題に
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梅雨明けである。
すこーんとまではいかないが晴れた。
昼飯は「ブカティーニ・パスタ・コン・サルデ」にする。
なんやそれ。
要はイワシとフェンネルのパスタである。
本気で作ると死ぬほど面倒くさいが無印良品にお願いすると袋入りで手に入る。
ただ温めただけではアレなのでパン粉を炒ってプロの技を繰り出してみる。
パセリは気分だ。
フェンネルとはウイキョウの葉らしいが、そんなもんがどこで手に入るのかも知らない。
キャブに付けるのはファンネルだ。
ファンネルならライコにある。
イワシが効いていて旨い。
こういうのはイタリアンの店の黒板に書いてある「今日のパスタ」くらいでしかお目にかかれないので、ウチで食えるのは福音である。
ホントはセブンイレブンのパスタでなく「ブカディーニ」とかいうのを使うらしい。
ディアゴスティーニではない。
うむ、たしかにこれは遠目に見ると焼きそばか焼きうどんにしか見えない。
しかしまあ梅雨明けと同時に暑い。
なんか中間の季節がないというか、移り変わりみたいなものがなくなっていく気がしている。
晩飯は「ひよこ豆とトマト、サバ缶のカレー」と「ナスとがんも、厚揚げの田舎煮」
和とインド。和インド折衷。
ひよこ豆が好きなのでチリコンカンでもと思っていたが、今日はカレーにする。
ちなみにレンズ豆というのがあるが、あれはレンズの形に似てるからレンズ豆ではなくて、レンズがレンズ豆に似ているからレンズらしい。
これマメな(うまい。座布団10枚)
ごちそうさん。
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20240621 23:45 今日ももう終わる
随分とのんびりだった梅雨がようやくこの辺りにもやってきた。
昨夜は地震があった。仕事中だったので夜勤の相方さんと、今揺れたよね?一瞬だったけど結構揺れたね。とぐるっと見回った。それ以降何もなかったから良かった。
日付が変わる頃から雨が降り出し、窓ガラスにあたる雨の音が大きくて、大雨を告げるアプリの通知が何度も来ていた。夜が明けてからも雨足は強いままで、ゴミ捨てに行ってくれた相方さんが 「思ったより降っててびしょ濡れになった」 と髪を拭きながら戻ってきた。
勤務が終わる頃もまだ止まず、この雨じゃ帰って洗濯しても仕方ないなと思ってさっさとシャワーを浴びて寝た。
夜勤明けは眠たくてたまらなくても2時間〜3時間も眠れたら良い方で、すぐに目が覚めてしまう。昼間は寝るべき時ではないのでそうなっているのかも。とはいえ夜寝てもそんなに変わらない。もう長い間、私の夢は長時間眠ること。だ。
今日からライブチケットの抽選予約開始。当たるかどうかも分からないけれど友人に一緒にどう?と聞いたら、いいよ!と言ってくれた。2枚で申し込んだ。当たりますように。
夜遅くに友達とサイゼに行ってペンネアラビアータを食べた。こんな時間に食事をしてたらデブになると笑いながらも完食した。家に帰ろうかと思ったけど、もうちょっとドライブしよう!となって海まで行った。朝は土砂降りだったのにすっかり晴れて、まんまるの月が明るかった。
夜の海は怖い、と友達は言ったので一人で車を降りて堤防のような所に座って海を眺める。湿った潮風が肌を撫で、海の匂いを運んでくる。まだ少し肌寒い。
車のドアが開いて、こちらを覗いていた友達が恐る恐る降りてきた。それなら、とエンジンを切って海辺まで行くことに。夜の砂浜をきゃーきゃー言いながら波打ち際まで行く。暗さと音が怖いのだと友達は言う。確かに写真に撮るとナイトモードで明るい感じになっているけれど、満月の月明かりをもってしても夜の海は暗闇が深い。
大きな闇と響くような波の音に、得体の知れない怖さを抱くことは何も持たない人間として至って普通の感覚なのかも。
満月って人恋しくなる。そう友達は言った。なんだか人恋しいなと思ったら満月だった、のか、満月だと思うから人恋しくなる、のか。月の満ち欠けや潮の満ち引きに動かされるような説明のつかない感情はきっと自分でもどうしようもない。取り扱い困難だね、と笑い合う。
季節が変われば思い出し、きれいな月夜には恋しくなる。色々にかこつけて私たちは寂しくなったり会いたくなったり。
書いている間にいつの間にか寝落ちてしまい、書きかけの日記が下書きにたまっていく。すっかり今日が昨日になった。明日だった今日は買い物に行く予定。
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Recommended Books 【京都・Kyoto】
&Premium特別編集 まだまだ知らない京都、街歩きガイド。 (MAGAZINE HOUSE MOOK) 雑誌 – 2024/8/6
マガジンハウス (編集)
雑誌「&Premium」発、人気の京都ガイド第5弾! 混雑する観光地から離れて、暮らす人だからこそ薦めたい15のエリアと8つのテーマ、全316軒を紹介します。 ■大和まこの京都さんぽ部 暮らすように歩く、京の街
【紹介エリア・テーマ】 静かに過ごす時間/七条通/四条南/御所南再訪/自分みやげ/叡電/現地系中華/老舗の味/賀茂川/河原町松原/栗の菓子/鹿ヶ谷通/アペロの時間/二条城南/東大路通/冷泉通/吉田&聖護院/壬生/整える/北野天満宮界隈/栗の菓子2/御所西再訪/京丹後
女人京都 ペーパーバック – 2022/9/28
酒井 順子 (著)
京都に通い続けるエッセイスト・酒井順子による、全く新しい視点から切り取った京都エッセイ&ガイド。 女性の生��方、古典、旅、文学など幅広く執筆活動を行う著者が、小野小町、紫式部、清少納言、日野富子、淀君、大田垣蓮月、上村松園など歴史上の女性たち43人の足跡をたどる旅に出た。
「京都の中でも、京都らしさを最も濃厚に抱いている存在は、名所旧跡でも食べ物でもなく、京都の『人』なのではないかと私は思います。(中略)京都の都会人の中には、今も、平安以来続く都会人らしさのしずくが、滴り続けているのです。」(「はじめに」より)
京都に暮らした女性たちの生き様を知ることは、現代の京都の人々、そして京都の街を知ること。 この本を片手に歩いてみると、平安時代の遺構がそのまま残っているところもあれば、貴族の屋敷が今は児童公園になっていたりすることにも気づく。京都の通りを上ル下ルし、西へ東へと歩き回り、時代を行ったり来たりして、新たな旅の提案を教えてくれる。 この本を読むと京都の歴史や文学がぐっと身近になること間違いなし。
京都散策に便利な地図付きです。
お茶の味 京都寺町 一保堂茶舖 (新潮文庫) 文庫 – 2020/5/28
渡辺 都 (著)
ゆったりと流れる時間、その時々で変化する風味、茶葉が持つ本来の美味しさ──お湯を沸かし、急須で淹れてこそ感じられるお茶の味わいがあります。江戸時代半ばから京都に店を構える老舗茶舗「一保堂」に嫁いで知った、代々が受け継ぎ伝えてきた知恵と経験、家族のこと、お店のいまと未来、出会いと発見に満ちた京都生活。お茶とともにある豊かな暮らしを綴った、心あたたまるエッセイ。
京都、パリ ―この美しくもイケズな街 単行本 – 2018/9/27
鹿島 茂 (著), 井上 章一 (著)
◎26万部『京都ぎらい』の井上章一氏、フランス文学界の重鎮である鹿島茂氏が、知られざる京都とパリの「表と裏の顔」を語り尽くす。たとえば、 ・日本には「怨霊」がいるが、フランスにはいない ・日本のお茶屋とパリの娼館は、管理システムが似ている ・パリの娼館は、スパイの温床だった ・日仏では、女性のどこに魅力を感じるか ・洛中の人にとっての「京都」はどこ? ・パリの人にとっての「パリ」はどこ? ・パリと京都の「汚れ」に対する意識の違い など、知っているようで知らなかった「京都とパリ」の秘密がわかる。
京都のおねだん (講談社現代新書 2419) 新書 – 2017/3/15
大野 裕之 (著)
お地蔵さんの貸出料は3000円、発売第一号の抹茶パフェは1080円、では舞妓さんとのお茶屋遊びは? 京都では値段が前もって知らされないことも多く、往々にして不思議な「おねだん」設定に出くわす。京都を京都たらしめているゆえんともいえる、京都の 「おねだん」。それを知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。京都歴二十余年、サントリー学芸賞受賞の気鋭の研究者が解読する、京都の秘密。
なぜこれがこんな高いのか、あんな安いのか、なんで無料なのか、そもそもあんなものになんでおねだんがつくのか―― 大学進学以来、京都住まい二十余年。往々にしてそんな局面に出くわした著者が、そんな「京都のおねだん」の秘密に迫る。 そもそも「おねだん」の表示がされていない料理屋さん、おねだん「上限なし」という貸しビデオ屋、お地蔵さんに生ずる「借用料」。 そして究極の謎、花街遊びにはいくらかかる?
京都人が何にどれだけ支払うのかという価値基準は、もしかしたら京都を京都たらしめているゆえんかもしれない。 京都の「おねだん」を知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。 2015年サントリー学芸賞芸術・文学部門を受賞、気鋭のチャップリ���研究者にして「京都人見習い」を自称する著者による、初エッセイ。
京都 ものがたりの道 単行本 – 2016/10/28
彬子女王 (著)
「京都という街は、タイムカプセルのようだ」と著者は言う。オフィス街の真ん中に聖徳太子創建と伝えられるお寺があったり、京都きっての繁華街に、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された地の石碑がひっそりと立っていたり。そこには人々の日常があり、みなが変わりない暮らしを続けている。そんな石碑になど目を留めない人もたくさんいるはずだ。 それでも著者は、そんな場所に出会う度に、タイムカプセルを開けたような気持ちになるのだという。幕末の争乱期の京都へ、平安遷都する以前の京都へ、近代化が急速に進んだ明治・大正時代の京都へ……。さまざまな時代の“時"のカケラが、街のそこかしこに埋まっている。この場所で徳川慶喜は何を思ったのだろう。平家全盛のころの六波羅は、どんな景色だったのだろう。安倍晴明はここ��何を見たのだろう。その“時"のカケラは、一瞬の時間旅行へと誘ってくれる。 日本美術研究者として活動する著者が、京都の通り界隈にまつわる逸話から、神社仏閣の歴史、地元の人々の季節折々の暮らし、街歩きでの目のつけどころや楽しみどころ、京都人の気質までを生活者の視点から紹介する。さらに、自身のご家族のこと、京都府警と側衛の方たちとのやり取りなどの日常生活の一端を、親しみやすい文体でつづる。6年以上、著者が京都に暮らす中で感じ、経験した京都の魅力が存分に語られており、「京都」という街の奥深さと、「京都」の楽しみ方を知る手がかりとなる。 新聞連載の24作品に、書き下ろし3作品を加えて刊行。京都の街歩きに役立つ「ちょっと寄り道」情報や地図も掲載。
京都はんなり暮し〈新装版〉 (徳間文庫) 文庫 – 2015/9/4
澤田瞳子 (著)
京都の和菓子と一口で言っても、お餅屋・お菓子屋の違い、ご存知ですか? 京都生まれ京都育ち、気鋭の歴史時代作家がこっそり教える京都の姿。『枕草子』『平家物語』などの著名な書や、『鈴鹿家記』『古今名物御前菓子秘伝抄』などの貴重な資料を繙き、過去から現代における京都の奥深さを教えます。誰もが知る名所や祭事の他、地元に馴染む商店に根付く歴史は読んで愉しく、ためになる!
京の花街「輪違屋」物語 (PHP新書 477) 新書 – 2007/8/11
高橋 利樹 (著)
京都・島原といえば、かつて興隆をきわめた、日本でいちばん古い廓(ルビ:くるわ)。幕末の時代、新選組が闊歩したことでも有名である。その地でたった一軒、現在でも営業を続けるお茶屋が、輪違屋(ルビ:わちがいや)である。芸・教養・容姿のすべてにおいて極上の妓女(ルビ:ぎじよ)、太夫(ルビ:たゆう)を抱え、室町の公家文化に始まる三百年の伝統を脈々と受け継いできた。 古色なたたずまいを残す輪違屋の暖簾をくぐれば、古(ルビ:いにしえ)の美しい女たちの息づかいが聞こえてくる。太夫のくりひろげる絢爛な宴は、多くの客人たちを魅了し続けている。 本書では、輪違屋十代目当主が、幼き日々の思い出、太夫の歴史と文化、お座敷の話���跡継ぎとしての日常と想いを、京ことばを交えてつづる。あでやかでみやびな粋と艶の世界----これまでは語られることのなかった古都の姿が、ここにある。
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2024-2月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「レトロ」です◆
今月は参加者の皆様に「レトロ」のお題でアンビグラムを制作していただいております。各参加者が思い描くレトロなものは何でしょうか。ぜひじっくりご覧ください。
「懐古趣味」 旋回型:きいろいビタ氏
レトロをそのままとらえれば、「Retrospective=懐古趣味」。レトロ文字風にきれいにまとまっています。既存作との違いにも注目してみてください。装飾によりエレガントに仕上がっていますね。
「懐古趣味」回転重畳型:Σ氏
一見同じ対応付けのように見え��すが、字画の差分を重畳型で解決し自然に仕上げています。足し引きの調整が絶妙です。対応付けを読み解いてみてください。
「レトロゲーム」鏡像型:ヨウヘイ氏
ドット絵にするとレトロ感を感じるのは、実はある程度以上の世代だけなのかも知れません。 ロゴ的にまとまっているのと、ドット表現がぴったりなこともあり、変形していても何となく読めてしまう面白さがありますね。
「アーケードゲーム」 旋回型:つーさま!氏
同じ形が「アー/ケー/ド/ゲ/ーム」の5とおりに読める力作です。前後の言葉のつながりにより「ケー/ゲ」を振動させているのも面白いです。
「ブラウン管のレトロなテレビ」 回転型:超階乗氏
ブラウン管のテレビ、今は教科書から知る人も多いでしょうね。 ブラウン管の画像の乱れのような表現が解釈に自由度を持たせているようです。
「しろくろテレビ/ちゃぶ台」 図地反転型: いとうさとし氏
1950年代のお茶の間の光景ですね。 7文字と4文字で対応付けできてしまうのが神業ですね。文字数の差をどのように吸収しているかに注目してみてみると面白いです。
「pixel」回転型:繋氏
液晶パネルや電光掲示板なども昔はピクセルがしっかり見えているのが普通でした。 「pi/el」を切り替える共有部分の表現がピクセルにマッチしていて自然ですね。読みやすいです。
「古びた箱庭の下、広い芒畑が昭和の幻影と馨.辺境が甦る」 鏡像型:ちくわああ氏
文字列生成の大作が仕上がってきました。とにかく解読するのが楽しい作品、すごいです。ぜひじっくり読み解いてみてください。
「ガリ版」 回転型:lszk氏
謄写版の俗称。昔はテストや学級新聞などもガリ版で刷っていました。 輪郭の角度調節が上手なので、ここまでデフォルメしても容易に読めてしまいます。匠の技です。
「大正ロマ��」 回転型:peanuts氏
大正時代の雰囲気を伝える思潮や文化事象。 既存作とは対応解釈が異なり、余計な線がなくなるように作字している点が優れていますね。作字としてもステキで素晴らしいです。
「レトロモダン」 図地反転回転型: いとうさとし氏
古いながらも現代的で洗練された意匠。 レトロキネマ風の文字を彷彿とさせるデザインでステキです。「ロ/モ」が裏表にできるのが驚きです。
「明治モダン」回転型:無限氏
昭和レトロ、大正ロマンときたら明治モダン。 右から左に読むようにデザインすることで対応付けがしっくりくる一石二鳥の解決策です。字形もハイカラでよいですね。
「セピア色」 振動型:lszk氏
色あせてセピア色になると古さと共にエモさも感じます。 切り替わる字画は一本だけできれいに読みが変わります。素晴らしい発見と表現力です。
「三丁目の夕日」 鏡像型:kawahar氏
昭和30年代の東京を舞台にしたお話。 影のような表現で斜めになっており純粋な鏡像型アンビグラムとはなっていませんが、この表現が雰囲気と可読性向上につながっていて面白いです。
「湯沸かし器」振動型:海氏
昭和の台所には湯沸かし器が設置されているものでした。 各文字とも大胆な解釈ですが、確かにそう読めます。「器」の略字を知っているとより読みやすそうです。
「高度経済成長」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
日本においては1955年頃から1973年頃が高度経済成長期とされます。 さすがの仕上がりです。3組分きれいに対応付けできる言葉を見つけるのも関心です。隙間で調整している部分が気になって文字として読めない人は、薄目でぼんやり見るなどすると読みやすくなるかもしれません。
「鉄人28号/横山光輝」 回転共存型:兼吉共心堂氏
昭和30年代に描かれた、同時代を舞台にした漫画。 赤字と黄色の縁取りのカラーリングは実際のロゴのうちの一つに似せたものですね。黄色部分をうまく利用して字画あまり部分を処理しています。
「ティファニーで朝食を」 回転型:.38氏
1958年小説発表、61年オードリー・ヘプバーン主演で映画化。 「朝食」を手掛かりに解読可能なデザインになっていて、「ティファニー」部分の組み方を読み解くのが楽しいです。
「写ルンです」 鏡像型:douse氏
1986年発売開始、レンズ付きフィルムの先駆け。 「写/す」がピッタリすぎますね。全体的に作字としてステキで、レトロ文字の香りもします。
「純喫茶」 回転型:螺旋氏
酒類を扱わない純粋な喫茶店のこと。特殊喫茶と区別するため昔は純喫茶と名乗る喫茶店が多かったようです。 随所に思い切った解釈がされていますが、うまい字画配置により読みやすく仕上がっています。レトロ文字風の書体でまとまっていてステキです。
最後に私の作品を。
「感慨」 旋回型:igatoxin
昔を思うといろいろと感慨深いものがあります。レトロ文字風に仕上げてみました。
お題「レトロ」のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。昔を感じさせつつ新しい風も感じさせる作品が集まったと思います。
さて次回のお題は「うた」です。カラオケ、歌謡曲、和歌、現代詩、Ado、替え歌、ファルセットなど 参加者が自由にうたというワードから発想 連想してアンビグラムを作ります。
締切は2/29、発行は3/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
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2023年 1月{フリー} 2月{TV} 3月{クイズ} �� 4月{健康} 5月{回文} 6月{本} 7月{神話} 8月{ジャングル} 9月{日本史} 10月{ヒーロー} 11月{ゲーム} 12月{時事}
2024年 1月{フリー}
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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2024/9/26
少し前の天気予報を覚えている人がどれだけいるかわからないが、当初、先週の金曜日くらいには涼しくなるはずだったのに、天気予報を見るごとに涼しくなる日が土曜日、日曜日と遠ざかっていき、私はアキレスと亀のアキレスよろしく永遠に秋にたどり着けないかと思っていたが、ようやく秋に追いついた。ところが、涼しさにあまりにも慣れていないせいもあって、気温でいえばたいして低くないのに寒くて困っていた。今日はまたうってかわって秋の晴れ間というよりかは、残暑のそれが強かった。「その前の文章をうけて、それらしく」という意味での「よろしく」という表現が好きで、この書き出しになった節がある。
ちょうど先週であったが、ノベンバのリリースツアーファイナルを観に行った。チケットをとったのが3月くらいでそもそも日程を忘れかけていたこともあるし、そもそもどういう体のライブなのかということもわからなかった。先に書いたように、アルバムのリリースツアーだったらしい。それにふさわしいセットリストで、噂に聞くラッセーラータイムを初めて観て当惑した。今作からの曲ではないが、Ghost Riderをあらためてライブで聞いて、出来る限り一つのリフで曲を構成するということの良さを思い知る。
たまたま何かを受容することが重なったが、月曜日には『悪は存在しない』を観た。涼しくなっていた日であったが、雪景色というのはいいもので、観ながらずっと雪っていいなと思っていた。まず音楽がとても良かった。途中くらいまで地域開発もので、こういう「説明会」あるある、東京の玉川上水近辺の道路開発でもあったと思っていたが、そうではなく、結局、タイトルにある「悪」がいかなる意味なのかはよくわからなかった。形而上学、道徳的、倫理的、あるいは構造的不正義的な意味など色々考えられるが、どれかのカテゴリーの悪はまあ存在するだろうとは思うのだが。ラストで東京からきた人の首を絞め、少しカットがあったあとにタイトルとなり、「悪あるじゃん!」と思わず突っ込みたくなってしまった。まあこれは冗談で、特定��行為に対して悪を帰責するという、アウグスティヌス的な責任の��デルを掘り崩したかったのだろうが、本当のところはどうだか知らない。あとは話に聞いていた謎のおかわさび視点のカットを観れてよかった。
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ハロー(´ー∀ー`)2024.9.13
最近観た映画の感想
『ロストケア』
介護士の松山ケンイチが介護苦で辛く苦しみ悩みながら生活している人を救う為に介護老人を42人殺めたというお話です。
殺人をお願いされた訳でも何でもなく、自らの判断で殺めた事。それは紛れもない殺人なのだけど、実際には「救われた」と述べる家族もいたりして介護の闇や苦労、認知症の方とその家族の生活がかなり現実と直結していて、誰の身にも起こりうる事だと思うので鑑賞がかなり辛い作品ではありました。
ただの殺人、という訳でもなくその根底にあるのが犯人の壮絶な過去があったからで。その部分は悲しすぎて涙が溢れました。
色々考えさせられましたね〜。
検事の長澤まさみちゃんも、自分の母親とのエピソードがあってこの事件に本気で向き合い、それをきっかけに母親の介護に対して逃げていた事や自分自身を見つめ直し、殺人犯である男性の人生を
心から思った…そんな重いストーリーでした。
『ミンナのウタ』
和ホラーらしいゾッとするシーンもいくつかありましたが、とにかくGENERATIONSに興味のない人には少しだるい←ホラーではありましたね🥱
ミンナノウタってそういう意味なのね!って思う部分もあったりして途中までは面白かったんだけども、ラストでね元凶の女の子の自宅2階からバーンってお化けが出てきた時に口から掃除機のプラグが出てたんですよ。
そこで私は「?…なぜプラグ?🔌?」ってなって、しかもなぜ口から??って疑問だらけで笑いが出て、プラグかーらーの、ドアが外れてその上に2人乗った状態での階段スライダーが本当にダサすぎて(何ならスローモーションだった気がする)一気に興醒めって感じでしたよね😂
ほんでラストの極めつけがGENERATIONSのライブ映像😂
いらねー←
(ファンの人すみません
本日も言いたい放題の私でございます。
批判・中傷に敏感な現代でもギリギリを攻めていくスタイルです!
(ギリギリというかアウトだね←
最近まじでキツい。
クソババーのストレス←
(でたー
クソババー拒絶時代の到来←
いい加減このビッグ��ェーブ来んなって思う←
職場のクソババーが調子に乗りすぎやりたい放題+新人のやりたい放題暴走事件でメンタルが灰←
誰か…私の遺灰海に捨ててー!←
塵積もで心の許容がバーーーン!ってなった時のクソババー無双が本当キツい。
心にゆとりがある時は「あー、はいはい。いつものクソババー節ね?右から左で〜す」ってできるんだけど。
そうできない時のKBB(クソババー)瘴気がつらい😓
そんな中で姉の言い間違いなどに救われつつ←
先日も「ボディーソープ」と打ちたかったところが「ポーティソープ」になってたし。
本人も次女も気づかずスルーだったし←
「やあ!僕ポーティ!体臭が気になるお年頃だよ!よろしくね!」
って返事しときました←
そして誰も望んでいないのにやって来た
「私🆚N◯RO光戦争」の勃発←
大概にせえよ😡
突然通信機が点滅を始め、一切ネットに繋がらなくなる
↓
電源オフ、リセットをし何とか繋がる
↓
また繋がらなくなる
↓
電源オフ、リセットをしても繋がらなくなる
↓
繋がったり繋がらなかったりを繰り返す(繋がらない割合が多い)
といった状態になりました。
点滅の意味も調べたし、公式HPの対処法もしたけどダメでした。
そしていざ問い合わせ
↓
ネットが繋がらない、いつからなのかどういった状態なのか説明
↓
なるほど…建物の回線自体は問題無さそうなのでそうなりますと機器の故障かそちら側で何か問題があるようです…ではアラームが赤点灯しているっていう事ですか?
↓
アラームは点灯してません、LINEが点滅してます
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LINEが点滅ですか!?では本体カバーを開けてもらって配線を抜き差しするか難しければ押してもらって、コンセント側の配線も押してもらっていかがでしょう
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したけどダメでした
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WANは点灯してますか
↓
WANも点滅してます
↓
WAN点滅!?
この受け答えで私のイライラ値が上昇していきました。
いちいち点滅に反応を示す前に、今がどういう状態なのかまず始めに全部聞けや←
全部聞かずにあーだこーだ言い出してしかも全部わかってる体で対処法話しだしたりするし😡何やコイツなったよね
そして現在対応が大変混み合っていてまず担当へこの内容を上げるまでに1週間かそれ以上かかるかもしれません
↓
はあ?その間どうすればいいんですか?
↓
開通後のWi-Fi機器の貸し出し等はしてないんですーすみませんー
機器の故障となった場合、配送と訪問どちらがよろしいですか?配送となると自分で配線つけかえたり電源から替えてほしいんですけどちょっと複雑なので…
↓
(何それ?訪問して原因調査するのが筋だろが?設定や付け替えを客にさせるんか?💢)配送って自分でするって事ですよね?わかりませんよそんな事言われても。自分でつけてる時に壊れても嫌だし。
(というか複雑とか言うくらい難しいって分かってるのなら初めから訪問一択やろがい💢
というイライラMAX度世界記録を更新しました←
それから4日後に業者の人がやって来て、中からと外からと配線調べて原因は「コネクタ不良…ですかね」ということでした。
ものの15分程で作業は終わり、無事に復旧。(その後一旦速度低下はありましたが、再起動で完全によくなりました)
突然配線が不良になるのは仕方ない事ですが、ネットが使えない間の対処をどうにかしてほしい…まじで。
でも、言われた日程よりは早く解決したので本当に良かったです。これでまた快適な配信活動ができそう。
今後は配信の前に毎回速度測定をして配信に影響ないかどうかを調べようと思いました。
(10年以上活動しててした事なかったのかよ←
そのような感じで戦争は終結を迎えました。それ以外にもなんだかんだ(職場の食事会➡︎断った)色々あって疲労+ストレスで口内炎ができました←
ストレスって本当重なるのよね…
KPOPアイドルのライブが終われば…きっと…ゆっくりできる…はず
来月ディズニー旅行だったわ←
ディズニーもさ、Xでは「若者のディズニー離れ」とかいって話題になってたけど。若者の貧困と結びつけたいような記事だったけど、若くても稼いでる人は沢山いるんだよね。
ディズニーのやり方の問題では?とも思っちゃうよねー。
ある程度高くてもそれ相応の対価があれば、払うと思うんですよね。
対価以上に損失の方が大きいと判断してると思うんだよねー。
かくいう私もディズニー離れが進行してる1人ではあります。
私はトイストーリー4で「ん?」となってから、アナ雪2やバズ・ライトイヤーで「??」となって、ミラベルも「???あれ?私…ディズニーと合わなくなってきた?」って悲しくなってきたんだよね。
多様性や誘導、押し付けが目について「夢」のあるストーリーだからディズニーだったのに、「現実」って感じで近年の作品微妙だなぁって離れていってるんですよね。
新エリアのファンタジースプリングスもお金積まないと楽しめないとか長時間無理して並ばないと入れないとか、芸能人は沢山招待されてるだとか不平等・不公平のオンパレードで、更にチケット代の値上がりとかグッズの転売問題とかそういうのをネットで目にする度にまた気持ちが離れていくんだよね。
もちろん素晴らしい作品も沢山あるし、アトラクションも素敵なもの沢山あるんだけど。
遠方勢からすると、どんどんハードルが上がっていってるしディズニー信者の心は消えていく一方ですねぇ。
(元々信者ではない←多分
家族と楽しむ場���!って感じでディズニーにお金払うというよりは思い出にお金を払っていこう、というマインドに変えて楽しむべきですね。
というかディズニーリゾートを今までこんなに楽しむ事ができたのは、2番目の姉がディズニーコンシェルジュとして色々頑張ってくれていたお陰なので笑
本当に感謝しかありませんまじ土下座級
10月の旅行で個人的な大きいイベントが終わるので、またブログに旅の記録をアップしたいと思います😌
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20230325(土)
いつの間にか桜の季節がきていた。
ふくい桜まつりが開催されるという本日、足羽山(asuwayama)の愛宕坂(atagozaka)を登ったところにある足羽神社までしだれ桜を見に行ってきた。
桜並木が続く足羽川堤防を横目に見ながら幸橋(saiwaibasi)を渡り足羽山に向かっている途中、何気なくかけていたカーラジオから kelly chen の懐かしい「A Lover's Concerto」が流れてきた。
桜が咲く花曇りの街の風景とよくあっていた。
足羽神社のしだれ桜はいつ見てもすばらしい。晴れているともっとよかったんだろうけれど、天気ばかりはどうしようもない。
愛宕坂の途中にある愛宕坂茶道美術館の紅しだれ桜も色が濃くて見とれてしまう。
明日は雨らしいが、昼から夕方頃まで仕事で出社するので、次の花見は来週の土日に期待したい。
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8月11日(日)
一日中、実家に居た。洗面台の汚れと床にふわふわと落ちている猫の毛玉が気になり、掃除。祖母家の猫は大丈夫だけれど、実家猫に対しては何故か強くアレルギーが出てしまう。猫パワーが強過ぎるのか?目が痒いと何にもできない。朝、黒糖ロールパン1つ。昼、冷凍のドリアと赤ワイン?と梅酒が混ざってる異様に美味しい不思議なお酒(サッポロの『3種のポリフェノール赤梅酒』)夜はあったかい蕎麦を。日記を更新したり、企画を考えたりなどなど。思い返せば具体的に企画内容を決めたり、まとめたのはこの日だった。(『67号室の秘密』)実家の私の部屋は母の部屋になってしまっているけれど最近、無印良品のソファーベッドがこの部屋に導入されたことにより、昔の自分の部屋のように寝転びながら作業をすることができた。考え事をしたり、本を読んだり、文字を書くときは寝転ばないと集中できない。この部屋から全ての思考がスタートしていると言っても過言ではない。その時の感覚を思い出した。
8月12日(月)
朝、マフィンに卵とチーズを挟んで食べた。お昼は妹が作った焼うどん。銀色夏生の『偶然』を読了。知っている詩がいくつかあった。夏生さんの詩は緩急とリズムが良い。夕方から予定があり、父に駅まで送って貰った。父の凄いところは何があっても時間をきっちり守るところだなって思う。時間潰しのためにブックオフへ行き、夜ご飯はスープストック。グリーンカレーと台湾出汁なんちゃらと少なめご飯。スープが二つだとあっさりお腹がいっぱいになる。CCさくらを観た。ミッドランドのドーナツを初めて食べて感激。ふわふわでとても美味しい。次も絶対ドーナツを食べると心に決めた。寧ろ、ドーナツを食べるために映画を観ようかとすら思う。CCさくらは言わずもがな素晴らしい作品。新たな気づきをインスタに書いた。この日辺りからSNS無理だな症候群から解放されつつあり、積極的に投稿を始めた。インスタとの和解。兎も角、自分のことを見失うことがなければ悪い物ではないはず。
8月13日(火)
ノン氏とロイホ。キノコのパスタをセットで頼んだらお会計が2,400円になってしまって焦った。全くそんなつもりではなかった。1,100円になるのかと思っていたら、それがセットの値段だった。キノコのパスタはキノコのパスタの値段だったのだ。ロイホにしてはお得すぎると嬉々として注文してしまっただけに、寝耳に水って感じでショックをショックと捉える隙がなかった。いくらのジュレ、サラダ、オニオングラタン、スイートポテト、ドリンクバーのお茶や珈琲全部美味しかった。値段をもしも知っていたら食べられなかったということになる。そう考えると幸せだったんじゃないか?と思える。新しいイベントへ向けての話し合い。話が進み早速、現地の外観の下見。9月に予定が詰まっていた為、開催日はどうしても8月中が良くて、8月31日に決まった。ここまで短い準備期間で企画を組むのは初めて。通常であれば2ヶ月ほど前から始める。異例中の異例。どうなることやら。下見を終え、一休みをするためにロイヤルへ。ロイヤルからのロイヤルとボソッとノン氏が呟いて、妙にツボに入ってしま��た。バニラアイスが暑くて疲れた身体によくしみた。
8月14日(水)
お墓参り。早朝だった為眠たくて仕方なかった。その後もずっと眠たくて、無理矢理外出。図書館に行ったら入り口のところで人がずらっと並んでいて、なんで?と思ったら、まだ営業前だった。図書館に入るために並ぶということを初めて経験した。人生何が起こるかわからない。図書館へ来たものの、借りていた本を全く読み終えられていなかった為、椅子に座ってしばらく読書。その間も眠たくて、うたた寝。集中できず返却。スガキヤへ。見慣れない『ワンタンラーメン』というものがあり、え?と思いながら注文。大きめのワンタンが5つくらいわんぱくに浮かんでいた。しれっと参入していたワンタンラーメン。今後果たして愛されていくのであろうか?ワンタンラーメンの行く末を案じている間に完食。そして、先日ゲットしたクーポンを使おうと思い、お目当てのドトールキッチンへ。かぼちゃのタルトと沖縄黒糖ラテ。ケーキセットにしたら結局クーポンは使えなかった。かぼちゃのタルトは常に美味しい。ほのかにりんごの味もする。何かでSaToAのメンバーのうちのお一人がドトールではかぼちゃタルトを食べるという話をしていた気がする。その話を知ってからSaToAのこともかぼちゃタルトのこともより好きになった。沖縄黒糖ラテはドトールの最高傑作だと思っている。これを超える癒しドリンクにはまだ出会えていない。というか、地名さえ入れば大体全て美味しそうだなと思う。ドトールを出たのち、再び図書館へ。今度は初めて行った図書館だった。小さいのであまり期待していなかったけれど、小さい分本を探しやすくてよかった。大きければいいってもんでもない。そこで、くどうれいんさんの本を見つけられてラッキーだった。読んでいく内に元気が出てきた。生活をちゃんとしたいという気持ちになり、バスを使わず歩いて帰宅。お盆ということで従姉の家族が大集結していた。私の分のお寿司と揚げ物と和菓子とケーキがずらっと並んでいて「誕生日みたい!」と思わず言ってしまった。従姉とは定期的に会うようになり、会話を交わす時間が増え、価値観が似ていることがわかり、数年分の気まずさが解消されつつある。良いことだなと思う。
8月15日(木)
もうすぐ手帳を書き終えてしまう。来年の手帳はどんなものにしようかなと考える時期になってきた。心配しなくとも時間はちゃんと流れていく。前の職場の給与が振り込まれ、お金の整理をしていたら節約意識が高まった。RECによる出費がかなり大きい。無駄に使えるお金なんてない中でいかに工夫して楽しむのかが重要。お金を生み出す仕組みも考えていきたい。まずは部屋の片付けと基本を大切に生きてみよう。
8月16日(金)
会場の下見と練習日。良い場所だったなと思う。駅近でこういう自由に使えるスペースがあってよかった。隈なく探すと見つかるものなんだな。恐らく今後もこちらでお世話になる予定。理想はやっぱり自分たちの場所を作ること。それに向けて面倒だなとか思うことから目を背けずに動いていきたいなと思った。暑くてどうしようもなくて、練習後すぐに帰宅。バスを待っている間にお土産で貰った『ふところ餅』を食べた。国産米粉使用��いうことでとてもおいしかった。空腹感に支配されずにバスを待つことができた。好みを熟知されているということはすごく嬉しいことだ。帰宅後、説明動画の編集を開始。夜遅くに就寝。
8月17日(土)
『67号室の秘密』の発表日。朝から説明動画の編集の続き。それからフライヤーと説明画像の編集。短い期間の中でロゴ作りを担当してくれたはんどまりくんには頭が上がらない。こんな無茶振りを引き受けてくれてどうもありがとうという気持ち。見た目の可愛さだけでなく、意味もしっかりと込められていて、イメージの共有がスムーズで毎回とても助かっている。ありがたや。改めて依頼してよかったなあと思う。開催日の場所の確保のために思い切って管理者の方に電話をしたら、向こうの尊敬語が移り、変な話し方になってしまった。つくづく電話が向いていないなあと思った。それでもなんとか場所をしっかり押さえることができて、無事にイベントの発表もすることができた。インスタ投稿をするために文章を書いていたら、活動を続けていく中で自分がふわっと思ってきたことがスルスルと言語化されていって書きながら、なるほどなってなった。手を動かすって大切だ。これは人間にしかできないことだなと思う。
8月18日(日)
お盆休み最終日。あっという間だ。悲しみに支配されないようにこの日記を書こうと思った。思い返せば随分と溜め込んでしまっていた。現実をうまく掴めない時、日記は書けなくなるものだ。今という時間を自分のものにするために私は日記を書くのだと思う。今回はPCからこうして文字を打っている。スマホではやはりどうしても集中力が途切れてしまう。PCだとあれも言いたかったんだ、これも言いたかったんだと言葉がうわんうわん溢れてくる。この自由を忘れずに労働に勤しみたいなと思う。数日間の空腹感の原因が解明され、毎月のことながら、ホルモンってのは厄介だなと思う。減量開始宣言をしたけれど、今回はゆるゆる長期的にやっていこうと思う。運動と食事と睡眠に対する考え方を丁寧にしていこう。あと、自分に対して健康的に接してみようと思う。スマホを枕元に持っていくのをやめるとか、水をたくさん飲むとか。そういう良いとされていることを一つ一つやってみよう。やってみないとやる気は起きない。わかっていてもできなかった。わかっていても、いなくても、まずはやってみよう。
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国境
イスラエル・パレスチナ・ガザ等々、及ばない場所に名前をつけて構図を把握しようとするのが良くないと思う。無宗教を自認しながら初詣に行き、葬式をして、教会に行き、ムスクにも立ち入る。儀式を礼節と捉え、しかしその場所にそぐう祈り方は知らない。馬鹿馬鹿しいと思う。踏み荒らしていると思う。その場所に赴くなら、その場所の意味合いを知るべきだ。意味合いを知った上で、そこでどう振る舞うかをしっかり把握すべきだ。礼節で片付けてはいけない。マナーとは、思いやりであり、教えられるものではない。そして、自らが考えるマナーが全てだと思うのも間違いだ。葬儀のマナーはもちろんあるが、実際のところ、親族がそんなに準備万端だと、それはそれで気色が悪い。黒い革靴と言われても、実際に動く人物が革靴なんて、無理かろう。大雨の中で機動力を発揮する靴を履くべきだ。弔いの儀式のそれはそれとして、実際のところ弔いながら生きている皆々が繋がりを再確認する場所だ、と思っている。
マナー度外視で相手を見て何が必要か推測すること。優先事項はなんであるか、しっかり確認すること。相手の文脈を把握して、相手にそぐう振る舞いをすること。自分が普通だと思っている人こそ、危ないのだ。人間はグラデーションだ。個人の中にもグラデーションがある。さらには多面体であり、竹を割ったような人物は存在しない。地中で根を共有していても、この竹は曲がり、この竹は枯れて、これは若い、など、立体で示さなくともそんな事象はたくさんある。その一本をこの場では提示しているんだな、とまず個人を見なければならない。
国籍がどうあれ、その個人をどう評価するかは対話によってのみ可能だ。しかし、第二言語として英語を学んでいるのに、インド訛り、オーストラリア、イスパニッシュ、そもそも日本人のなまりさえ、自覚しない。世界で通用する言語が英語だ、と思っているのは日本人だけだろう。観光客が白人だった。英語でアナウンスすればいけるだろう。そんなわけあるかいな。英語を知らないフランス人もいる。北欧もまた理解が及ばない人物がいる。しかし、「ワタシニホンゴワカリマセン」とお前らが気に食わない彼らの発言は、お前らがあらゆる国で発した、I can not speak English. と本質は変わらない。手元にあるその端末はなんだ?自動翻訳が可能だろ?「デーエックス化」とかじゃなくてさ、てめえがその手元の端末でやれよ。「わからないからできない」素晴らしいことですね。「わかるように説明してくれ」と言われて説明し出せば、合間合間で話を遮って、「どういうこと?」とてめえで考えろ。考えられないなら、流れに任せて粛々と自分の可能事をやって、他は人に頼れ。
という、及ばない複雑性を簡略化して教える、というのがTVショウである。イスラエルもパレスチナも、実は境界線があまり確固たるわけではなく、あのあたり、としか述べられないのが実際のところだ。それがまた、「この国はハマスと呼ばない」だの「イスラエルが敵でパレスチナが被害者なんじゃないの?」とか、「ガザ地区が大変なんだよね?」とか、名付けてしまって自分の吸収しやすいように加工する。あの場所を簡略化することはできません。複雑になりすぎているから世界中が把握しようにもできないという歴史を知っていますか?「そんなことは知らない」いや、自分も知らん。というか誰もわからん。ただ、混沌がぐるぐると掻き回されていることだけは理解でき、人が死んでいることもわかる。
そういう漠然とした認識をする他ないのがもどかしいが、しかしそこに一つの命がある。「一つの命は地球より重い」忘れてないか?というか、お前ら目の前にいる店員さんを人間扱いしてるか?「お願いします。ありがとうございます。」を言え。金払えばてめえが偉いんじゃない。モノに金払っているだけで、その店員さんをどうでも扱っていいわけじゃない。
金で人は動かない。が、金を払えばみんな動く、と思っている奴らが多い。心を金で買う勿れ。モノを買って、そのお礼になんらかの感謝を述べろ。あるいは、店の内装を褒めろ。心遣いに目礼しろ。余裕があるようなら話せ。
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道明寺の芯を紅色の餡で包み、その周りに真っ白のそぼろを斑にまぶし、白の中からところどころに下の紅色が覗ける姿は積もる雪の隙間から梅の花が覗ける様子を模しています。真冬の季節感のある美しいお菓子ですが、勿論、味わいもじょうよ生地、白小豆餡の旨味と道明寺の食感があわさった素晴しいです。
名古屋の川口屋の雪中梅です。
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そのじいさんが亡くなった。 昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。 安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のbB(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。 そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。 正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。 実家の所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロックの会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律の目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。 母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越え��時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。 じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合は公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。 じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身で晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから、今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。 寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。 じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。 そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親��がすぐにかけつけ、発見ははやかった。 その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報に接し、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。 そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分の精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任(良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。 それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。 死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。 最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。 最初に友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき、友達がわたしの隣にいないという人は��っといない。 父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。 父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後の最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。 父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEのトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。 亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEをわたしに送ってきた。車というものは私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮の時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。 ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。 (ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった) そんな感じの人だったので、この世に未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかったことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。 こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。 生まれてから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。 生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。 じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。 それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。 ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。 私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても���いたい。だから、次の帰省のときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。 私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。
実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後
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小詩集『Poetry Showcase Vol.09 : 真夏の花を探して』
小詩集『真夏の花を探して』
1.「月光浪漫」 2.「恋仲アシンメトリー」 3.「あなたに返す花がない -No War, No Nuke.-」
1.「月光浪漫」
月明かりに照らされて 僕らは愛の言葉を交わした この夏、最初の花火 見上げた二人は恋人になる
人生の意味なんかわからない 今日までただ生きてきた なんでもない日々に祝福を 君と出逢って僕は変わった
月明かりに照らされて 僕らは愛をたしかめあった 永遠に続く片想いは 不安な昨日に置いてきたのさ
大好き 大好き 大好き 明日まで見つめ合いたい
月明かりに照らされて さっきまで降ってた雨も止んだ 今まで誰も好きになれなかった 君がほんとうに初恋なのさ
やりたいことなんかわからない 進路希望は白紙で出した 9 to 5 ただ繰り返し このまま死んでくのは嫌だった
君とふたり歩いていこう 僕らは愛に生きるのだ さらば昨日 よろしく未来 夜空に響く青春の鐘
大好き 大好き 大好き 明日は希望の中にある
月明かりに照らされて 浴衣でポテトをつまむ君は 絵画のように美しく すべてを塗り替えていった
大好き 大好き 大好き 月明かりは浪漫を呼ぶ
月明かりに照らされて 僕らは愛をたしかめあった 君と僕の初恋 すべては運命のまま愛になる
君とふたり歩いていこう 僕らは愛に生きるのだ さらば昨日 よろしく未来 夜空に響く青春の鐘
大好き 大好き 大好き 夜明けはすぐそこに 影すらも抱きしめて
八月の夜空へかき鳴らせ ふたりの青春の鐘
2.「恋仲アシンメトリー」
もう、あなたには疲れたの これ以上付き合えないわ 傍にいるだけで倖せだった 数ヶ月前の日々を返して
別の女がいることくらい ずっとわかってたわ もし、身体だけの関係でも 私はあなたを求めてた
たとえ腰掛けだったとしても 私といる時くらい 私を見てくれてもいいじゃない でもあなたが見るのはスマホの画面ばかり 相手は私の幼馴染
知らない誰かと浮気するなら 好きにしたらいい 私なんか踏み台にしてさ 良い人と付き合えばいいんだ
でも子どもの頃から友達だった あいつだけは奪わないで 私からすべてを奪わないで これ以上好きにならないで
あの日も君の傍にいた ただ抱きしめられていた いけないことだと解っていても 君が手を離してくれなかった
恋人を失っても二番目でいたかった 他人の一番よりも君の二番目になりたかった ずっと好きだった君に再会して また夢中になったんだ
さらば恋人との素晴らしき日々 僕は君を選んだ 僕なんかさっさと忘れてくれ でもカメラロールの写真は正直で 見つめるたびに愛おしくなるのは何故なんだろう?
突然恋人から別れを告げられ 心が壊れそうだ 僕はあまりにも無垢すぎて すべてを抱きしめていた
君をどんなに愛しても 君の一番にはなれない わかっていても���めきれない 僕を殺してくれ
青春の影に映る 涙の痕がもしあなたなら その対岸に立つ私が太陽になる 棄てられたからこそ美しい そう思い込むしかない
風になりたい 空気になりたい ここから空に向かって 最後に奏でよう 悲劇という名のバラッド 高らかに……
ふたりが愛し合って ひとりが奪い去り ふたりは生きてるだけ ひとりは壊れてく
そして僕は君を憎んで 私はあなたを好きなまま 僕はここでクラリネットを吹き 私はその音色を聴く
これから先の人生に君の姿はない 僕が愛した恋の歌 すべては水の泡 思い通りにいかない日々
愛して 愛して ただ愛してよ……
やっぱりあなたが好きなんだよ あなたと別れたくないんだよ
恋仲アシンメトリー それは行く宛のない幻想 恋仲アシンメトリー ふたりの叶うはずのない幻想
3.「あなたに返す花がない」
風もない 愛もない そんな街の中で 溶けた皮膚 爛れたビル 時代は終わった 私たちが信じた あの幻想 すべて時に消えて 生き残った者たちが 静かに 河を目指した
あれから七十年近く 私は ここにいる あの街で 今生きる あなたの声が返る
軍靴の音がする この時代に 何を伝えるか 何を話せるか
旗もない 意志もない こんな時の中で 心なき鳥 逃げる民 歴史は繰り返す 平和と反戦 今声にせず いつ声を上げるか 何度踏み躙られても…… いつか季節は変わる そう信じて
百年後の子どもたちへ 私は 何が言える? 見逃して 沈黙する そんな私で良いのか?
戦争の風が吹く この八月に 何を感じるか 何を求めるか 今日だけでもいい 歴史に還ろう
零戦が空を飛ぶ いつかの夏が呼ぶ ありふれたこと いとおしいひと 私が この夏を守る……
あれから八十年近く 私は ここにいる あなたに 花を手向け 風の中に叫ぶ
綺麗事の味がする この時代に 何に学ぶか 何に活かすか すべて私が 決められる
どんな時代も どんな季節も 何か出来ることがあるさ
風もない 愛もない そんな街に生きた あなたの命と向き合う 私は この街で生きる……
小詩集『Poetry Showcase Vol.09 : 真夏の花を探して』Credits
Produced by Yuu Sakaoka
All Words Written by Yuu Sakaoka Drafted by Sakura Ogawa(No.1) / Koharu Takamoto(No.2)
Management by G.Slope & Hill’s Planet
Dedicated to all victims of war and conflict.
Very very very thanks to my friend, my familly, and all my fan!!
2024.8.7 坂岡 優
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