#旅サラダ
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スタジオの生放送での着たものはネイビーのブルゾンに白のシャツ。 共に光沢感があって柔らかい素材なので、上品な雰囲気に。 ロケでの着たものは、お腹に大きなポケットの付いたブルゾン。インナーには今シーズン注目の明るいグリーンのニットを差し色に。 シンプルな服が似合いますね。 #池田鉄洋 #tetsuhiroikeda #池鉄 #朝だ生です旅サラダ #旅サラダ #stylist #スタイリスト https://www.instagram.com/p/Cpbisa-v4z7/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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トレンドまとめ #0059
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謎の7週間休養 神田正輝
2024年01月07日 神田正輝さんは、最近の体調不良によりテレビ朝日系列の番組「旅サラダ」において休養を取っています。報道によると、神田正輝さんは激痩せが報じられており、体のメンテナンスのために番組を休んでいるとされています[4]。また、一部の報道では、神田正輝さんがファスティング(断食)を行っていることや、精神的なストレスなどが激痩せの理由として報じられています[5]。具体的な体調不良の原因については、神田正輝さん自身や関係者からの公式な発表はされていません。 January 07, 2024 Masaki Kanda has been taking a break from the TV Asahi program ``Tabi Salad'' due to his recent poor health. According to reports, Masaki Kanda has reportedly lost a lot of weight and is taking a break from the show to maintain his body.[4] In addition, some reports have reported that Masaki Kanda's fasting and mental stress are the reasons for his extreme weight loss.[5] There has been no official announcement from Masaki Kanda or anyone related to the specific cause of his poor health. Citations: [1] https://hochi.news/articles/20230914-OHT1T51145.html [2] https://news.yahoo.co.jp/articles/78ed8ee2328576a24179ca7c25a5eccecfc22224 [3] https://news.yahoo.co.jp/articles/890a061775b773682181f463f001845e537094da [4] https://www.shihojazz.com/kanda-masaki-tabisarada/ [5] https://www.saba6.com/kandamasaki_gekiyase/
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益田恵梨菜(ますだえりな)
29歳、1995年4月12日生まれ、佐賀県出身、T165
会社員として働いていた2014年に<週刊ヤングジャンプギャルコン2014>のグランプリを受賞。その後はバラエティ番組やテレビドラマに出演するなど、タレント・女優として活躍。また、2016年からは『めざましテレビ』(フジテレビ系)のコーナーMC、2023年からは『朝だ!生です旅サラダ』(テレビ朝日系)の海外リポーターを務めている。
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Xユーザーの佐藤りえさん:「今朝の旅サラダで蓼科親湯温泉の岩波文庫の回廊が映ってた。太宰治の新婚旅行先なのか。(画像は旅館公式HPより)」
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旅サラダ、書いてあるものを読んでるだけでカメラ見ずにカンペみたいなのを追ってて「素人か」っていつも思ってました。 気持ちが入って無く、流して仕事してる感があって、ラッシャー板前のほうが地元の人との掛け合いは面白かった。 なんで上手くも無いのに、中丸くんに変わったのか不思議だった。 画面からでも人柄って、わかるものです。
「本人の希望も含め謹慎」KAT-TUN中丸雄一(40)が橋本環奈似女子大生と“アパホテル密会”休業へ 事務所は「家族やお相手に辛い思いをさせたことを深く反省」「弊社も看過できず、大変遺憾」(文春オンライン)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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2024年12月17日(火)
朝一で下京区役所に用事があったので、バス停へとやって来た。すると、交差点にもバス停にも<全国高校駅伝>の告知があるではないか。京都の冬の風物詩としてすっかり定着しているのだが、ここしばらくの私の生活はそんなことに気づく余裕が��くなっていたらしい。いかんなぁ、どんなときでも周りが見えなくなってい���のは危険だ。気持ちをリセットし、余裕を持って残り2週間を乗り切ろう。
5時30分起床。
ツレアイもすぐに起きたので、早速洗濯開始。
朝食を頂く。
洗濯物を干す。
珈琲を入れる。
可燃ゴミ、今日は多い、30L*1&45L*4。
ヤクルトさんから、野菜ジュースを購入する。
彼女は午前中に訪問1件、9時30分出勤とのことで、先に私が下京区役所へ出向く。使わなくなったテプラを処分するためだ。
帰路のバスで西大路花屋町、セントラルスクエアだココの療養食を購入する。
南側のセブンイレブンで、2/15(土)の天満天神���昌亭汗席のチケット発行、加えて大型ゴミチケットを1枚(400円)購入する。
コレモ七条店、豚肉の特売でブロック2パックを購入する。
帰宅して、豚肉を塩豚に仕込む。
タマネギ鯖を仕込む。
<浅井牛乳>に電話、12/20(金)の配達を最後にしてあとは止めるように依頼する。
彼女が仕事から帰宅する。
ランチ、息子たちにはサッポロ一番味噌ラーメン、私たちは残りもののカレー仕立て。
録画番組視聴、日本の話芸から
桂文之助 落語「軒付け」
初回放送日:2024年12月15日 桂文之助さんの落語「軒付け」をお送りします(令和6年11月7日(木)NHK大阪ホールで収録)【あらすじ】最近「浄瑠璃」に凝りはじめたという男が、知り合いの家へ遊びに行った。どれくらい腕を上げたのかと聞かれた男は、浄瑠璃の会に出たが緊張でしくじったと話す。すると、修業としてよその家の軒下に立って浄瑠璃を語る「軒付け」に連れていってもらえ、と勧められた。さっそく軒付けの仲間に入ることになったのだが…。
刑事コロンボから、
第64話「死を呼ぶジグソー」/ Undercoverシーズン 1, エピソード 64 ある夜、アパートに忍び込んだ男と住人が相打ちで死に、侵入犯から住人の男が持っていたと思われる写真の一片が発見された。次の日、コロンボの元を保険調査員のアーヴィングが訪れ、同様の一片を見せると、その謂われを語った。
私は午睡。
彼女は買物、その後歯医者へ。
夕飯準備、鶏ムネ肉に塩と大蒜を塗って寝かす。
彼女が帰宅、早速三男とココに点滴。
オーブンを使わないローストチキンの試作品・炊き合わせ・レタスとトマトのサラダ・リンゴ・スパークリングワイン。
録画番組視聴、
秋・豊肥本線、南阿蘇鉄道を呑む!
初回放送日:2024年12月12日 俳優・六角精児が「酒」と「鉄道」という偏った視点で旅する▽秋の九州、JR豊肥本線と南阿蘇鉄道の旅▽大分から熊本にかけて、名水が生み出す美酒との出会い▽語り・壇蜜 ▽自分で作った米で昔ながらの日本酒造り▽圧巻、幅120mの滝!▽熊本名物「あか牛」に舌鼓▽バスで阿蘇山中岳の火口へ。見えたものは…▽城下町・竹田市の居酒屋で元洋食の料理人が作る絶品料理▽麦焼酎をあえて米こうじで造る理由とは?▽高低差188mを克服する豊肥本線のスイッチバックを堪能▽熊本地震被害から7年ぶりに全線開通した南阿蘇鉄道で阿蘇カルデラ内部の絶景旅▽震災に負けない熊本最古の酒蔵の自慢の日本酒
刑事コロンボから
第65話「奇妙な助っ人」/ Strange Bedfellowsシーズン 1, エピソード 65 サラブレッドの牧場を経営するグラハムは借金の返済に困る弟テディに頼まれ、レースの八百長を約束する。貸主でマフェィアとも関係があると噂されるブルーノに儲けさせ、借金を帳消しにする計画だった。しかし、彼は薬を使い、勝つべき馬を負けさせてしまう。
片付け、入浴、体重は1,250g増。
ハーパーのハイボール舐めながら、日誌書く。
やはり1万歩超えると気持ちが良い。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
通巻第8070号
AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
「荒海や��渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階か��飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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2024/5/1
5月1日 奈良のホテルで、初めてテレビにyoutubeアカウントを紐付けて大画面でyoutubeを見ている。 奈良でも京都駅前のライブカメラを見ている。 本当は旅行に出ない方が良かったと思う。それ位、昨晩は目眩と吐き気があって、そんな中でも家を空ける前にするべき生活をして、へとへとになって味のしないご飯を食べた。 今日も、天気が相まってか、あまり優れない感じで生活の片づけるべきことをして、帰ってきて悲しくならないようにお部屋を整えて、へとへとになって家を出た。
良い空気清浄機付き除湿加湿器+サーキュレーター機能的な製品を見つけたい。今、全てが分離しているので忙しくなってしまう。
新幹線の中では、今回も恐ろしく眠ってしまった。 平日だったので、ゴールデンウィークでもあまり混んでいないように思えた。本当にずーっと眠りすぎて、こんなに疲れているなら家でゆっくり(無理だけど!)した方がよっぽど良いのでは?と���思いながら名古屋でやっと少しうつらうつらまで意識を戻して、京都手前でなんとか目を覚ました。
京セラ美術館へ行く予定だったので地下鉄に移動しながら、昨日からの目眩が続いている体感に、よくない!!と思い、何か食べておこうとコンビニへ入る。 いつも通りの、何もほしいものがないラインナップだった。でも京都土産コーナーにヴァッフェルの個包装売りを発見。冬にもヴァッフェルに命拾いしたので今日も買ってみる。 買ったところで満足してしまい、そのまま東山まで行って、東山駅のセブンティーンアイスを食べた。
京セラ美術館は改修した後、ずっと行きたいと思っていたところ。 ちょうどkyoto graphyが開催中で、川内倫子ので展示会場だった。同時期にジブリの金曜ロードショー展と、���上隆の展示も開催中でとても混雑していた。 でも美術館が大空間で広々していたので狭苦しさはなく、ところどころで青木淳を感じる建物だった。
京セラ美術館になんとか到着できただけでも自分を褒めてあげたい!と、展示は二の次で流すように観るつもりだったけれど、写真展、とても良かった。 写真を撮りたくなってしまう展示だった。 京都で川内倫子の作品を観ている、という事に、時々我に帰って実感しては、幸せかもと思えた。
京都は大混雑している様子だったので、そのまま三条から京阪で奈良方面へ向かう。 途中から乗車してきた女子中学生5人組は、お休みなのか休日私服スタイルで、コナンの映画を見てきた様だった(小学生時代の同級生、なっちゃんとみーちゃんも、毎年ゴールデンウィークはコナンを見に行っていた)。 1人は明日から韓国に行く、と言っていて他の4人が「いいな〜!!」と羨ましがっていた。 「どこか行かないの?」と他の子達も報告しあっていて、1人が「私は伊豆に…」と言うと「え!いいね〜〜!!」と4人とも声を上げた。 伊豆の子「え?!(伊豆だけど??)」 他4人「え??」 ???と伊豆に行く子は他4人からの予想外の反応にキョトンとし、他4人はそのキョトンの様子にキョトンとして、私はそのディスコミュニケーションを楽しんでいた。 「え?ディズニーじゃないの?」「イズ!伊にまめの方の…」「伊豆、伊豆か」「伊豆ってどこだっけ?」「うーん、あんまわからない。静岡…?」「え?本当にディズニーじゃないの?」「え?うん。伊豆って言って、みんな、わ〜ってなったから、なんでやろ?と思ってた…」と会話が続いていた。
途中で近鉄に乗り換えて、ここは修学旅行で通った駅だ…!とフラッシュバック。 班行動で奈良から宿泊先の京都の四条烏丸のホテルまで移動するミッションが課せられていて、思ったより長時間の電車移動に緊張しながら、何も見るべきものがない窓の外の風景や、特急通過待ちの停車ホームをただじっと見ていた当時の風景が重なった。
奈良に着いていったん荷物を置くともう18時。 ならまちのかわいいお店は閉店してしまい、お寺の鐘の音を聞きながら少し奈良公園を散歩。今回も夕食迷子で、でも、昨年泊まった時と同じで、近くのスーパーやコンビニを梯子してなんとか用意ができた。
やっと帰ってきたところで、買ったばかりのサラダをひっくり返してお部屋のカーペットに千切りキャベツが散乱。できるだけ拾い集めたけれど、ごめんなさい。明日の清掃の方、ごめんなさい。
長島先生から「ちょうどその日だけ出ちゃってるの!なかなか合わないね〜」とお返事が来ていた。なかなか会わな��ぎる。先日、西洋美術館の展示観てきました!とお返事した。
明日はまだ帰れない。なんで2泊の旅行にしてしまったんだろう!と、やり過ごせるように、なんとか楽しめるように。 かれこれ45分日記を書いているので、さらにへとへとです。 日常を愛すために旅行という負担を自らに課している(修行)、としか思えない今回の奈良旅行。 ホテルのアメニティが、たまに出会えるペリカン石鹸のアーモンドの香りのボディソープで嬉しかった。
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ハンブルグに戻ってから、2日間、研究所の会議に出ずっぱりだった。今年度は、あの有名な斎藤◯平が来ている。本人も含めてミーハーなバカどもは良い気になっているが、二日間、観察していて思ったのだが、やはり貧相。育ちが知れる。挨拶すらできない人間を雇う大学なんかに戻る必要なしと、改めて思う。今の総長もちゃらちゃらしていて、学者の風格無し。東大はゴミ溜めである。あの大学で博士を取ったことが恥ずかしくなるような大学。それでも、無知なミーハーは、ブランド名だけで判断するから、しばらくは東大マジックで延命するのだろう。実に下らない。
研究所に所属した人々の出入りを、改めて振り返る。玉石混淆だった。年々、レベルが下がっているなぁと感じていたが、今年度は更にレベルがガックリと下がっている。私と話したいとか言ってくる奴もいるが、適当にお付き合い。所詮、関係ない。パリ・ウィーンの旅から戻ったら話そうと言ってくる研究者もいるが、keine lustである。ワシもドイツ語が、割とすんなり出てくるようになったが、もうすぐに忘れるだろう。マラケシュで思ったが、ワシはフラ語の方が好き。ドイツ語はフラ語より音が汚いので嫌い。
帰宅した日は、夕食会もあったのでそちらで夕食を取る。流石にモロッコであまり食べていなかったので、ドイツに戻り、食事を安心して摂れるのはありがたい。下痢は、多分、水だと思う。九十年代のアジアのように、ペットボトルの水を買っても、栓が空いているようなものもあり、つまりは、適当に使い捨てされたペットボトルに水道水を入れて再販しているのだ。まぁ、途上国アルアルだが、なま水でやられていたように思う。
昨晩は、久しぶりに夕食を家で摂る。梅干しにキムチに、おかゆに、人参のサラダ。やっぱり、手料理一番美味しい。手料理がまずいとか思っている人は、大学とか行く以前に生活能力無いと思う。
ドイツにいて良かったのは、こんなド田舎でも、スペイン語やフラ語、イタ語を耳にする機会が多く、忘却と再訓練の頻度が高かったことかな。
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1123-1129
1123 宇都宮の正嗣の餃子。フライパンをあたためてサラダ油とごま油を多めに引く。大さじ1ずつくらい。凍ったままの餃子を並べる。5人前の箱だと26センチのフライパンにぎっしり丸く並べられる(正嗣の餃子は小さいのでふたりで食べるなら5人前でちょうどいい)。そこに熱湯をまわしかけ、餃子が半分浸かるくらいにして強火で焼く。ふたをして5,6分。作り方の紙には「絶対に途中で弱火にしないでください」と書いてあって、絶対にって言われるの面白いなと思う。他人に絶対を求めることも求められることもそうそうない。水気が飛んで焼き目がついたらできあがり。 皮がパリッとしていて、具は野菜が多め。生姜がきいている。いたってシンプルなのになんでこんなに美味しいんだろう。冗談抜きに世界で一番美味しい餃子だと思っている。前に「水ギョーザとの交接」という小説を書いたのでいろんな人が餃子を食べに連れて行ってくれるんだけど、申し訳ないけどどこの餃子よりも正嗣の餃子が美味しい。本当に一番美味しい。 あとこの冷凍のは、家で焼いてもちゃんと美味しいのがすごいと思う。わたしの焼き方が上手いとかでもなく、紙に書いてあるとおりにやるだけでたぶん誰が焼いてもこうなる。ほかの冷凍餃子だと皮が破けたり焦げついたりけっこう失敗するんだけど、正嗣のは毎回パリッと焼ける。 正嗣のお店には「餃子専門店なのでライスやビールはありません」と書いてあってひたすら餃子だけを食べるストロングスタイルの店なんだけど、FCの駒生店のみライスがある。ので、宇都宮に住んでいたころはよく駒生店に行っていた。
1124 どうにも調子がよくない。きのうは同人誌の通販で本を入れまちがえて送ってしまった��うで、一冊入ってませんでしたよとメールが届いた。ああついにやってしまったと思った。あわてて追加で送ったけどいつもできていることができなかった自分がショックで、きのうはそれを日記に書けなかった(それで餃子のことを書いた気がする)。 こういうメール送るのしぬほどめんどくさいよな…ほんとに申し訳ない。やっぱ疲れてんのかな。そしてついにやってしまったと思ったけど、もしかしたらこれまでもまちがえたことはあったのかもしれなくて、でもしぬほどめんどくさくて言い出せなかった人もいたかもしれないよな…と詮無いことも考えた。 えもとLINEで通話した。わたしのようすが明らかにおかしいのだろう、ちょっと休んだ方がいいよと言ってくれた。同時に「でも休んだ方がいいって言われるとなんかムッとすることはあるよね…」とも言ってくれたので、だめなときの気持ちがわかる人は優しいよな…と思った。だめなときほど焦ってしまう。送ってくれたナポリの男たちの動画を見た。
ここには書かない方がいいような気もするんだけど、まあこれは日記なので書くんだけど、ZINEフェス長野、noteの告知には出展者30人程度を予定って書いてあるんだけど開催前々日で集まっているのは10人(10組)っぽい。これって10人だけなんですかと軽い感じで出展者用のLINEグループでたずねてみたら、2日経って主催さんから「そうなんです…」と返事が返ってきた。こじんまりしてるのはそれはそれでいいと思うんだけど、お客さんから入場料300円とることになっているイベントで出展者10組だとちょっときびしくねえか…と思った。今からでも入場料無料にできたらいいんだけど。 わたしはこういうときすごく疑り深くなってしまうし性格がとても意地悪なので、もしかしたら主催さんも損切りを始めてるのかなーとか思ってしまった。ZINEフェスのtwitterアカウント、来年の吉祥寺回に関するリツイートはしてるけど長野はスルーしてるし。えーっどうしよう。遠出したい、ともかく電車に長く乗って遠くに移動したい…という気持ちで申し込んだから本をたくさん売ろうとは思ってないんだけど、やっぱりハラハラはする。 とりあえずペーパーを作る。だいたいおすすめみたいな本を一日一冊並べた読書カレンダー。そして文フリで使った優人さんのポスターをスチレンボードに貼ってみたらいい感じのパネルになった。これを文フリでやれって感じ。��ることが2週間遅い。長野に持って行こうかなと思って作ったけど初めて行く場所でこれは目立ちすぎるし荷物になるよな…。
1125 明日ほんとに長野行くのかよ〜と思いつつゴルフの練習。ゴルフは小説の活動とあんまり関係なくやっている。こういうルーティンみたいなものがあるのはちょっといいかもなと思う。ゴルフ自体は、男!女!というスポーツでけっこうきついけど。 土曜だけどパートナーは在宅仕事で、仕事��前に肉を食べて元気を出したい…と言いお昼はブロンコビリーへ。いや食後ぜったい眠くなって仕事やらないだろ〜。と言ってみて、あっ完全にフリをやっちゃったなと思った。家に帰るなりちょっと食休みと言って布団に潜ってしまった。わたしは午後出かける用事があって、帰ってきたら同じ姿勢のまま寝てるパターンだな…と思ったし言った。言っちゃったから本当にそれをなぞっちゃいそう。フリとボケみたいな。悪いことしたなと思った。
渋谷ハチ公前のデモに参加。ガザの犠牲者の名前が読み上げられていく。一人一つ赤い涙を描いていく。名前はぜんぜん読み終わらない。名前と一緒に年齢も読み上げられる。ゼロ歳の名前が続き胸が苦しくなる。肌寒い日だった。通りすがりの人も参加しているように見えた。描くというアクションによって参加しやすい空気があったように思う。 小さな男の子が「Free Free Palestine!」と声を上げ、近くにいた大人たちもあとに続いてコールになった。男の子の(たぶん)お父さんは隣にいて横断幕を持っていた。自分が叫ぶと大人も叫ぶから男の子はちょっと楽しそうで、和やかな、けれども力強い時間だったと思う。デモのハッシュタグを検索したら西川火尖さんと冬野くじさん(きさめさん)の名前が見えて、自分が(一方的にでも)知っている作家の名前が見えるとなんだかほっとするなと思った。なのでデモのようすをツイートした。このあいだとぜんぜんちがう気持ちになっている。
渋谷◯◯書店の棚の補充。『顔たち、犬たち』など持って行った。久しぶりにのぞいたら思ったより本が売れていてわかりやすくうれしい気持ちになった。これもこないだと言ってることがちがうと思う。自分は現金だと思う。 明日のコピー本とペーパーの印刷でキンコーズへ。キンコーズのコピー機ってなんか難しいというか意地悪というか、いつもうまく扱えない。まあでもできたものはなかなかよかった。
帰ってきたらパートナーはやっぱり昼寝していて、いやでもやらなきゃだよな〜とかなんとか唸ってなんとか起きた。自分を見ているようだと思った。わたしも在宅のときってだいたいこう。 遅めの夕飯。トマトとじゃがいもとツナのパスタを作った。にんにくと玉ねぎのみじんぎりを炒め、じゃがいもとツナとホールトマトを入れて煮る。ほうれん草もちょっと入れた。かなりじょうずにできて自分で自分にびっくりした。なんか疲れていたので明日の準備も夕食の後片付けもせず寝た。
1126 ZINEフェス長野。暗いうちに家を出た。といっても朝6時の電車なのでぜんぜん始発とかではない。朝が来るのが遅くなった。空気がきんと冷えている。冬だなと思う。夜勤明けっぽい人やこれから仕事に向かう感じの人、朝まで飲んでいたっぽい人、大きなスーツケースを引いた人…。案外駅は人が多くて、みんな冬っぽい格好をしていた。遠出の気持ちが高まってワクワクした。優人さんのデカパネルは結局持って来た。ものすごく雑に梱包したけど、一回使ったポスターだからまあいいかと思った。でかいけど軽いし。リュック、トートバッグ、パネル。さほど本は持っていかないので身軽に荷造りできた。 電車で寝ていたらすっかり明るくなっていて、立川からあずさに乗り換え。寝てたからだと思うけどあまりに寒くてタイツを買った。あずさのトイレで履いた。 寒くてやけに腹も減っていた。ツナおにぎりと焼きそばパンとスコーンを買って食べた。あったかいミルクティーとコーヒーも。食べすぎだと思ったけどほんとに寒かったのでしょうがない。スコーン、かりっとしてふわっとしていてすごくおいしかった。駅のポップアップみたいなところでパッと買ったけどちゃんとお店の名前見ておけばよかったな…。津島佑子『笑いオオカミ』を読みながらうとうとした。松本に着いたのは10時前。息が白くて驚いた。山が近くて眺めのいい街。
イベントとか旅行とか楽しいことがたくさんあった日の日記ってうまく書けない。たぶんぜんぶ書こうとしちゃうからだと思う。結論からいうとすごくいい一日で、いいイベントだった。出展者は結局10組。それゆえの親密さがありのびのびしたイベントだった。 自分としては旅先の気安さもあったと思う。知っている人が誰もいない、初めて行く街の初めて参加するイベント。いつもより自由にふるまえた気がする。まったく知らない人、その場限りの人しかいない場所はあまり気をつかわない。リラックスして自分を開示できた気がする(とするとふだん自分が何をストレスに思っているのかがわかってくるな…)。 お客さんはけっこう来ていたように思うし、思ったより本も手に取ってもらえた。何よりお客さんとも参加者さんともたくさん会話ができてうれしかった。これ伝わるかわかんないんだけど、交流をしたい(人間関係をやりたい)わけではないんだけど、人と話はしたいんだよな…。 きのうまでの不安はどこへやら、じゃないな。この「開催前のもろもろに不安な要素がある」と「行ってみたら気さくでいいイベントだった」は表裏一体なんだなと思った。意外とか挽回とかではなくてこの雰囲気はこうでなくては出てこない。これについては別途イベントレポ的にまとめたいつもり。
どういうイベントになるか不安だったので、ネットプリントで印刷した「END WAR NOW」のプラカードを机に貼ることにした。あずさの中でふと思いついて、何かネプリないかなーとツイッターを検索した(戦争じゃなくて虐殺だと思うけど「STOP GENOCIDE」はネプリの期限が切れていた)。水色、ピンク、黄色。パンセクシャルフラッグのカラーだなと思った。 イベントの案内に政���的なことはだめって書いてあって、は?という気持ちがありつつ参加している。は?と思うならやめときゃいいんだけどなんだろう…。ダメって言われたら帰ったろと思って貼った。なんか試し行動みたいだ。 新しくてきれいな会場で、大きな窓から日が差し込んで明るかった。空も山もきれいで、ああ遠くに来たなあと思った。机は5台ずつ向かい合わせに置かれていて、机半分という話だったけど一人一台になった。奥行き60センチのでかい机。当然持ってきた布は大きさが足りないんだけどのびのび使えてよかった。いつになくちゃんと設営できた気がする。優人さんのデカパネルを机の前に立てかける。こういうのは文フリではできない。蹴飛ばされそうだし「スペースからはみでる」に抵触すると思う。自由にふるまえている。 そう、自由にふるまえている。リラックスしている。プラカードを貼って、新刊のでかいパネルを置いて、いつもはイベントに置かないコピー本『小説を書くquuerのzine』も机に並べた。「陰気なクィアパーティー」用に作った、通販はしたくないコピー本。いろんな人ともう一回初めましてからやり直したいみたいな気持ちってあるよな…と思う。
主催さんいわく、想定より規模が小さくなってしまったので入場料は無料にし、事前決済の人には返金したとのこと。そして今日参加している人は吉祥寺のシェアカフェを一日無料で使ってOKにしますとのことで、えっラッキーと思ってしまった。ほんとにわたしは現金なのだと思う。 イベントは11時から16時まで。全部のブースをまわっていろいろ話をし、全部のブースで買い物した。べつに義理とかではなくて、人の話を聞くのって面白いから、気になるものがなにかしらいっこはあるものだと思う(こういうとき思想的に苦手だな、無理だなと思うものはもちろんあって、それはそっと避ける)。 ただこういう場で小説って難しいかもなーとは思った。これは何ですか、どういうものを作っているんですか、あなたは誰ですかみたいな自分のことを話す場だと、フィクションの世界にチューニングを合わせるのはしばしば難しい。気になるものがぜったいいっこはある、にはなりにくい面がある。まあぶらっと来たお客さんにとってはそうでもないかも。長くなりそうなのであとはイベントの記事で書きます。
1127 尻が痛い。きのう帰りの新幹線、『笑いオオカミ』の真似をしてデッキの床に座ってみたのがきっとよくなかった。冷たい床だった。たぶんまた痔が破裂するだろうなと思う。最近イベント終わるたびにこうだと思う。 『笑いオオカミ』を読んでいたら、自分はこう見えてけっこう大食いでカレーを12皿おかわりしたことがあったとしゃべるシーンがあって、ZINEフェスで買った日記の本に「かきあげが美味しすぎてごはんを5杯もおかわりした」というくだりがあり、どっちがどっちだっけと一瞬混ざった。 長い小説は当然ひと息では読みきれないので何日もかけてちょっとずつ読み進める。その間に読んだほかの文章や生活の中で見聞きしたものと混ざってどこからどこまでが小説��ったかわかんなくなる。それがけっこう好きだし醍醐味だと思う。 どこからどこまでが小説だったかわかんなくなるというのは小説そのものにちゃんと集中していないようでうしろめたさはあるんだけど、なんというか、わたしは人格全部で小説をやっていたいんだよな…と思う。物語に振り回されてうわの空で仕事したり、夢中で読んで寝落ちたり、べつのことをしているときにふっと思い出したり、目の前の景色と小説の情景が混ざり合ったり。みたいなの。なので書評とか感想とかがあんまり上手じゃない。そして、上手な感想とそれを述べる人がちょっと怖く思えてしまうことさえある(これはやつあたりかもしれない)。
1128 痔が痛いし生理も来た。イベントが終わると本当に毎度こう。ヨロヨロしていてなにも進まなかった。とても眠かった。労働のメールを書いていたら簡単な言葉なのにパッと出てこなくて自分で自分にがっかりした。本当におまえは小説を書いているのか、文章ぜんぜん書けないじゃんと思う。元気なときは、いやべつに文章うまくなくても小説は書けるでしょ(どのように書いても小説にはなるでしょ)と思うのに。
1129 引き続きいろいろ痛い。なんも進まない。『不思議の国の少女たち』を読んでいる。 異世界へ行って帰ってきた子どもたちの集まる寄宿学校の話。死者の国から帰ってきたナンシーが寄宿舎に入るところからはじまり、異世界から「帰ってきたくなかった」子たちが集まっている学校。 まだ読み始めたばかりで、ヤングアダルトはチューニングを合わせるのが難しいなと思う。でも急にカチッとはまる瞬間がある。 「王は敵だったけど、人生ではじめて俺をまともに見た大人だったよ」、これは妖精界から帰ってきたケイドのせりふで、あっいいなと思った。どうやらケイドはトランスジェンダーの男の子のよう。 そしてナンシーのルームメイトのスミが「あたしがオナニーしたらいや?」とあっけらかんとたずねるところでめっちゃいいな!と思った。夜遅くにルームメイトが自慰をしてもいいか。見たくはないからそんなこと言わないでくれとナンシーは困惑し、まあそれはそうなんだけど、なんていうのかな…女の子の生活に自慰があると書かれていることにほっとした。「女の子だと扱われる子の生活」にそれがありますと書かれているのがうれしい。 子どものころ長期休みにホームステイとかサマースクーリングとかよく案内が来ていたけど、それをやってみたいかどうか考えるより先に、あるいは費用の捻出のような実際的なハードル以前に、長い期間他人の家に泊まったらそういうのどうするんだろうと思っていた。だから自分には無理だと思っていた。すごくばかみたいだけどほんとに。そしてあるとき���だちが「ホームステイって生理とか気をつかいそうだよね〜」と言い、わたしはそれに強く同意した。自慰の話をする代わりに生理の話をした。
日記、毎日更新するとバラバラうるさいかなと思って1週間分まとめてみたけど、これはこれで長いな…。
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https://music.apple.com/jp/album/%E7%94%B0%E5%9C%92%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%82%BD%E3%82%A6%E3%83%AB/1755083662?i=1755083673
Monday,Jul29,2024
一年半ぶりに福岡に帰る日だ。昨日の夜に久しぶりにしたパッキングはすぐに終わ���た。慣れている、夏の衣服は薄いからかさばらなくて楽だ。予定してた時間より二時間くらいはやく起きてコーヒー淹れて、野菜を冷蔵庫に残さないようにサラダにして食べる。片想いの新譜を聴いていなかった。「田園都市ソウル」、下北の440でも三月のWWWでも見た好きな曲。音源になっていて嬉しい、夏のアジアの音。一週間家を空けるのはあまりない。色んなコンセントを抜いて、20時間ある今年のプレイリストをダウンロードして、換気扇を消して出た。シャッター、閉めてくればよかっただろうか。
山手線に乗りたくないから、中井まで行って大江戸線とモノレールの乗り継ぎ。モノレールで隣に座った男の子と、窓の外の港区の景色をぼうっと眺める。変な街。飛行機に乗るのもなんかあまりない。羽田から福岡空港にはすぐに着いた。隣の家族はずっと寝てた、寝てる窓際の人の代わりに外の景色を見てあげたかった。関東から九州ってこんなに早く着いてしまっていいものだっけ?すこし拍子抜け。福岡空港を歩きながら、高校の修学旅行でみんなで空港に集まって北海道に行ったことを思い出した。みんな元気にしてるかな?
地下鉄空港線で中洲川端。福岡の地下鉄のマークひとつひとつはかわいい。稲吉さんともこの前話した(稲吉さんは祇園のマークが好き)。行きたかった店は並びすぎててすぐに諦めた、炎天下の中でスーツケースを引いて近くの喫茶店に入る。コーヒーしかないお店。かわいいおじいちゃんに「旅行ですか?」と聞かれて、「帰ってきました」と答えた(逆でしたね、と言われて二人で笑う)。帰ってきました、と自分の声で発音してから帰ってきたことに気づいた。またスーツケース引いて天神の地下街を歩く。福岡って意外と都会だな。
天神から電車で20分くらいで最寄りに着く。相変わらず実家の前にある私立高校の学生しかいない。駅前の畑はなくなっていて、たくさんのトラクターが止まっていた。インターホンも押さずに鍵を開けて実家の扉を開けたら、親は拍子抜けしてた。冷やしぜんざいに白玉を入れたやつを出してくれて、冷たいお茶と食べた。実家は相変わらず��潔なにおいがする。五年前とほぼ何も変わらない自分の部屋で、見たことがない自分の小さい頃の写真を見た。若い姉と両親がいた、写真の中の自分はよくわからなかった。ここまで来たことの証拠だった、不思議だった。
夕方は地元の温泉街(わたしの中の星野源の「季節」の景色)でごはんたべて、温泉入った。ひとりで暗い道を散歩して、コンビニでスコール買って飲みながら帰った。
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https://music.apple.com/jp/album/summer-we-know/1740508536?i=1740508646
Tuesday,Jul30,2024
朝起きるサイクルができてきつつある。起きてパン食べてコーヒー飲んで、近所の散歩。ありえないくらい蝉が鳴いている。近所の大きな公園への行き方を忘れていた、住宅街の同じ場所を何度もぐるぐるする。平日の朝なのに人と全くすれ違わない。高台から見える実家のマンションは巨大で異様だった。昔はこの場所から見えるこのマンションがなんとなく怖かった。
汗だくで帰って車乗る。柳川に行く。うなぎのせいろ蒸しおいしかった。なんか穏やかすぎて、また今の生活のこと全部忘れそう。柳川は異様に暑すぎる。暑すぎて、ほぼ記憶がない。昔のお金持ちの人の家を見学して、開け放されたでっかい和室の縁側で寝た。父親も寝てた。
熊本の滝に行く。後部座席でいつの間にか寝てた。久しぶりに子どもだ、子どもをやった(自分がシャッフルで流してたテレビ大陸音頭に異常を感じて起きた)。両親におニャン子クラブの岩井さん(ゆうゆ)を布教した。温泉も入った。パワフルなおばあちゃんたちの熊本の言葉が飛び交う脱衣所で、わたしは完全によそ者として存在していた。「ここ涼しいなあ〜!」と勢いよく入ってくる地元の顔なじみだろう少年、輝いてた。なんかうらやましかった。
帰りの車では、19:30を過ぎても明るい外の景色に驚いた。あとは久しぶりに見た広大な段々畑、サマーウォーズの屋敷みたいな家が立ち並ぶ景色。こういう景色を知っている、東京のみんなは本当に知らないのかな。こういう場所で住むってどういうことなんだろうと思っていたらまた寝てた。ラーメン食べて、中学校から知っている友だちと少しだけ散歩する。父親がたまに二人だけの時連れて行ってくれた、汚くて暑い中華料理屋はまだあった。変わってないよ、と言われることには安心する。自分でも、変わったけど変わってないと思う(というかもうあまり地元にいた時の自分のことが思い出せない)。友だちはもう四年も会っていなかったのに、「那珂川の温泉がよかったから連れていこうと思ってた」「(わたしの)日記も読んでる、小説読んでるみたいでたのしい」と言っていて、そんなことあるのかと思った。友だちはなんにもない商店街にひとりで住んでる。自転車で20分の、大きいショッピングモールの近くで働いているらしい。友だちは「わたしは平坦でもいいから同じ場所で平穏に暮らしてたい」みたいなこと言っていた。わたしは正直全然わからなかったけど、別にもうそういうのは悲しくなかった。もうこういう場所では暮らせないんだろうなと思いながらも、ニュートラルに移動できていたい(どこにいても自分を見失いたくはないな)と思った日。
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https://music.apple.com/jp/album/i-want-you/1537148471?i=1537148482
Wednesday,Jul31,2024
もうあんまり寝てないけどなんかフル回転で動ける。朝は父親が走りから帰ってきたらコーヒーを淹れてくれる。ロールケーキ食べた。居間で化粧して、日傘を掴んでひとりで中洲川端に向かう。福岡の電車は空いている、地下鉄の一日乗車券を買った。高校の頃はまったく乗れなかった地下鉄が簡単で仕方がない。東京で暮らすと大体どこでも移動できるようになると思う。
一日目に諦めた鈴懸本店で30分くらい待ってランチ食べられた。待ってる間に二日分の日記を書いた、ベビーカーで泣いていた子どもと見つめ合う。アジア美術館に行った。東京で逃したエルマー展、福岡の地下鉄の広告で見てちょうど開催されてたから行こうと思ってた。本当に人が少なくてよかった。ぬいぐるみを抱いて自宅の庭で写真撮影しているルース・スタイルス・ガネット、素敵だ。ああなりたい。エルマーの冒険した島々の地図が描かれた薄いハンカチを買った。東京の家に帰ったら壁に飾る。
また地下鉄に乗って箱崎。誰もいない筥崎宮を歩く。暑すぎて鳩が水浴びしてた。暑い、と何度も独りごと言いながらブックスキューブリックに行く。いい本屋、(タトゥーを入れるにあたって知っておく必要があると思ったから)ディック・ブルーナの本、茨木のり子詩集、和田誠と平野レミの旅行記を買った。旅行してる時に他人の旅行記読みたい。ナガタパンに寄って���夜に会う友だち家族へのパンをお土産で買う。昔その友だちと、いつか一緒に行けたらいいねと言ってたお店。福岡の地下鉄沿線に住むのってすごくちょうどいいかもしれない。
天神で乗り換えたからついでに大名も見てきた。10代のわたしたちがなぜか足繁く通った、何にもない遊び場。高校の時にかなり高かった記憶のある古着屋に訪れたら、店員のお姉さんに捕まって、東京の古着屋と福岡の古着屋の違いを力説される。途中めんどくさくなって逃げた、しかもやっぱり社会人になって訪れても、東京より全然高かったし。
地下鉄乗って赤坂。前に高校の友だちが教えてくれた喫茶店に行ったらピンポイントで昼休みだった。大人しく地下鉄の椅子に座って一旦休み、開店したお店に行く。すごくいい場所だった。冷たい飲み物を頼んだはずがアツアツのものが出てきたけど。マスターの荘厳なおじいちゃんはパイプを吸いながら「男はつらいよ」を見てて、かなり九州のイケてる老人だと思った。カウンターでさっき買った本読んだ。ブルーナ、素敵な人。
ひと駅も歩けずに電車で大濠公園。ちょくちょく休みながらだらだら歩いてたら一周してた。本当にいい公園。あんまり人がいなくて、気を抜いていても全然大丈夫。井の頭公園も大好きだけど、公園って本来こういうものなのかも。ひとりで福岡を遊び、目が覚めるような気分だった。福岡にいた10代までの自分は、どこに行くにも人の目が気になってうまく街を歩けなかったのに。ここ五年間でだいぶ、かなり自由になったと思う。歳を重ねていいことは、よくも悪くもどんどん図々しくなっていくことだと思う。これからだってどんどん自由になりたい。
赤坂でいちばん長い付き合いの友だちと合流する。2022年〜2023年にかけての一日を一緒に過ごしたっきり会ってなかった(連絡も、別に取ってない)。誰とも久しぶりな感じがしない。取り立てて昔の話も別にあんまりしない。連れて行ってくれたお店、居心地がよかった。博多から帰った。博多駅はいつまでもラーメンとクロワッサンのにおい。生ぬるい風を浴びた。コンビニで友だちがアイスを買ってくれて、話しながらわたしの家まで帰った。中学生の時なんであんなに一緒にいたのか、何を話していたのか、わたしたちは二人とも何も思い出せなかった。最近のこともあんまり知らないし、何を考えてるのかもあんまり知らない。だけどなんかこれからもたまに会っている気がする。友だちが車から手を振ってくれて別れた。だいじな友だち。
なんかあっという間の福岡だった。東京でのこともちょっと遠くなった、楽だったな(関東は豪雨だったみたいだけど、わたしはなんの関係もない気持ちだった。距離はやっぱり自然に無関心を生むんだよね)。ただぼんやりしたり、歩いたり寝たり食べたりしてた。実家のベランダからの夕暮れを見忘れた、また行く。
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久々の旅 最終日
最終日も朝は早く7時前にホテルを出た。
近くにあったデニーズで朝食を食べる。
母は柄にもなくパンケーキとサラダを食べ、パンケーキを半分俺に渡した。
食べ終わって向かったのは磐梯吾妻スカイライン。
一度は走りたい道として雑誌にも載る絶景が広がる道である。
過去に二回通ったことがあるが、いずれも十年以上前。
久々に走りたいと俺が言って通ることにした。
つづら折りを上っていくと福島市街地が見える。
更に上がれば浄土平。
運転していたのでこれくらいしか撮影できなかったが、実際はもっと圧巻の景色が広がり、異国感というか浄土感とも言える感覚が楽しい道だ。
スカイラインを下りてコンビニでコーヒーを買い、道の駅でお土産のままどおるを買って猪苗代湖畔へと。
大きいスワンボートがある桟橋や野口英世記念館を超えて会津若松市へ。
俺にTumblrを教えてくれた子は確か会津の出身だった。この街で彼女は育ったんだなと思いながら先を急ぐ。
新潟方面へ車��走らせながら、寝不足の俺は母が運転する横でかなり眠ってしまった。
麒麟山温泉を過ぎたあたりで昼前。
昼ごはんにラーメンを食べたくなった母と俺はラーメン屋を調べ、通り沿いにある満月という店に入った。
辛味噌ラーメンが売りの新潟の名店らしいが、あっさりしたラーメンが食べたかったので中華そばを食べた。写真は失念したがあっさりしながらコクのあるラーメンでとても美味だった。
ここからは日本海を北上する。
海沿いを走りながら母が昔研修で働いたホテルがある瀬波温泉を通った。
そのホテルはもうないのだが、面影が残る通りを見て懐かしそうにしていた。
次にたどり着いたのは笹川流れ。
奇岩があるが波の落ち着いている海岸線。
海の向こうに見えるのは粟島。
ここでソフトクリームを食べようと列に並ぼうとしたときに、地震警報の音がけたたましく鳴り響いた。震源は石川県と表示されていた。
目と鼻の先には海。
一瞬脳裏に死が過った。
すぐに外へ出ようとしたが、周りの人々は逃げようとしない。その様子が今の人々の危機感の薄さのような気がして少し呆れたが、落ち着いてニュースを見ると津波の心配は無いとの事。
揺れはもうおさまっていたらしく、特に気が付かずに終わった。
一安心したが、大きな被害があったことは帰ってからのニュースで知った。
気を取り直して北上する。
鶴岡の由良海岸を眺めたりしながら帰路へつく。
帰りはステーキ店に入って母はビールを俺はノンアルコールビールを飲んだ。
また旅をしようと約束して家路へ。
東北をU字型にまわった旅は終わった。
次の旅はそう遠くないはずだ。
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よしもとかよ「日々是好日」。vol.114 (2023/8/16 + 8/23)
2023 16th + 23rd august
M1 pacifique (Deep Forest)
M2 里帰り (やまも) M3 antena (Isabelle Antena)
M4 les fleurs (Austine) M5 roots (LSK) M6 Ahabushi (琉球アンダーグラウンド) M7 夏のページ (おおたか静流) M8 manos al aire (Nelly Furtado)
< 好日の素…ちいさな偶然をたのしむこと >
ふとした瞬間に 素敵だな、と思えるようなものが 視界に飛び込んできたり 聴こえてきたりして 口角が上がる、ということ、 誰しもあるのではないでしょうか。 何かしらジンクスのように 実際にいいことが起こるかどうかは 置いといて、 思いがけなくそんな光景に出会うと うれしいものです。 おおきな虹を見た、とか お買い物に行ったら レシートの数字がゾロ目だったとか。 すれ違う車のナンバーが ゾロ目だと、それはさらに 一期一会でレアな感じがしたり(笑。 何かとストレスを感じてしまうことが 多いこの頃だから��そ、 じぶんでじぶんの機嫌を取る方法を ストックしておくことが大切だな、と 感じるようになりました。 なんてことないことかもしれないけれど、 ため息をつくよりは ささやかだけどうれしい、とか なんかたのしい、とか 不思議だな、あるいは よかったな、と感じるクセを持っておく、というのも 方法のひとつかもしれません。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * < 日々是食べたい! … ゴーヤーとパプリカのサラダ >
祝祭日に担当させていただいている 特別番組 [ パンジエア - 旅する鼓膜 - ] の 先日のテーマが 沖縄だったこともあり、 このところずっと ゴーヤーが食べたい!と思っていたのです。 父がいた頃は 8月の中旬から10月初旬ごろまで グリーンカーテンとして植えていた ゴーヤーが実り 収穫しきれず 爆発?させてしまうほどでしたが、 父が亡くなって、さらに 生活の場も変わって ゴーヤーは 買わなければ口に入らない食材になりました。 なので、余計さら 食べたかったのだと思います(笑。 ゴーヤーの調理の仕方もいろいろで チャンプルーや天ぷらも もちろん好きなのですが、 手に入ったらまずつくるのが、このサラダ。 ゴーヤーの苦味とパプリカの甘み、 ツナや鶏肉のうまみとごまの香ばしさが いい塩梅で、とてもおいしいのです。 パプリカの色が鮮やかで 見た目もたのしいし、 特別な調味料がなくても マヨネーズと塩があればできちゃう 手軽さもうれしい。 わたしにとっては 夏を乗り切る元気をくれる一品です。
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20240224土曜日 雪のち晴れ
朝 お雑煮、キウイ
昼 舞茸おこわおにぎり、唐揚げ棒、和風ポテサラ、ワンタンスープ
夜 レトルトカレー、ごはん、インスタントお味噌汁、むらさきキャベツのサラダ
新しい家に来て1日過ぎた。ぼんやりしたままコンビニに買い物へ。いつものコンビニなのに、旅行先の知らないコンビニに来たような気持ちになりながら買い物をした。全てがよそよそしい、みたいな感じ。
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海外旅行中では野菜不足になるのは当たり前。
アメリカだとウォルマートに行けば割高なサラダがあるが量が多くて困る。バナナは安いなって感じた。
外食だとよほど意識高いところでないと肉、メキシカン(タコスやトルティーヤ)、脂っこい中華、味の濃いなんちゃって和食ばっかりで困った覚えがある。
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