#学研教育みらい
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#キッズ研究員募集中 #新年度お申込み受付中 #ワークショップ / 新年度・キッズクリエイティブ研究所 ワークショップお申込み開始❢ \ ぽかぽか暖かくなってきましたね〜🐣 なんだか新しいことも始めてみたくなる、そんな季節。 キッズクリエイティブ研究所では、 新年度もさまざまなプログラムをお届けします♪🌷 造形や身体表現、STEAM講座や対話ワークショップなどなど・・・ 参加日時や詳細はQR・WEBよりご覧ください👧👦 (順次プログラム写真を公開してまいります!) この春、みなさまにお会いできること わくわく��どきどき、楽しみにしております〜💗 https://www.canvas.ws/kenkyujo/ 🌱🌸🌱🌸🌱🌸🌱🌸🌱🌸🌱🌸🌱 キッズクリエイティブ研究所 in 竹芝 □ 原則毎月第3日曜実施 □ 3ヶ月シリーズ・年間シリーズ □ 小学生クラス(am) □ 幼児クラス(pm) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 こどもだけのミュージアム in 竹芝 □ 幼児小学生混合クラス(am / pm) □ 原則毎月第1日曜実施 □ 単発参加可能 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 STEAM講座 オリジナル工場をつくって、 カワサキエンジニアになってみよう!in 竹芝・台場 □ 小学3年生~中学生 □ 原則毎月第2日曜実施 □ 3ヶ月シリーズ 🌱🌸🌱🌸🌱🌸🌱🌸🌱🌸🌱🌸🌱 #キッズクリエイティブ研究所 #ワークショップ #幼児クラス #小学生クラス #創造力 #steam教育 #探求 #対話 #ものづくり #遊びと学び #失敗できる #試行錯誤 #親子 #子育て #こどもといっしょ #こどものいる暮らし #キッズ研究員のきろく #canvas (Canvas) https://www.instagram.com/p/Cpl7AowMZrH/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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「記憶した」だけの学習成果を「理解した」と誤認していないか
(「記憶した」だけの学習成果を「理解した」と誤認していないか: 心のうちから)
セミナーや研修・勉強会で人に教えてもらった、本で読んだ、検索したら書いてあったというので「新たに知ったこと」を何も見ずに言えるようになったら、それは確かに「一つの学習プロセス」だが、「一つ目の学習プロセス」に過ぎないとも言える。 それで何かできるようになったかというと、何もできるようになったことはないということが多いのではないだろうか。聞かれたら答えられるとか、「あぁ、聞いたことはあります」とは答えられても、それで人の役に立つことは難しい。概ね、仕事では役に立たない。キャリア上の戦力アップとも言いがたい。 アンミカさんのいう「白って、200色あんねんで」以上に、ブルームさんの「理解するって、7プロセスあんねんで」は、もっと理解されたい。図にしてみると、左から2番目のステップである(画像をクリック or タップすると拡大表示する)。
これに関連した私の気がかりを挙げると、企業の人材育成施策で、多くの学習はせいぜい「記憶した」どまりになっているのを「理解した」と誤認されているのではないかということ。学んだことを「応用する」まで持っていけていないことを問題視する声はよく聞かれるが、そもそも「理解する」に至っていない事案が多いように思うのだ。 ブルームの分類体系に照らせば、研修や勉強会で学んだことをそのまま「思い出して言える」だとか、テストをやったら「選択肢から正解を選べた」だとかは、複雑さが一番低い「記憶する」どまりである。 じゃあ「記憶した」にとどまらず「理解した」状態に達したとはどういうことを言うのかというと、図に並べた「理解する」列の7項目ができるかどうかで検証できる。 解釈すること 例示すること 分類すること 要約すること 推測すること 比較すること 説明すること といっても、こんな概念的な言葉の羅列では、まだまだ分かりづらく誤認を呼んでしまうこと請け合いなのだが、これを詳細に「理解する」となると、どうにも専門書をきちんと読む工程なしに難しいところがあるので��それは下の書籍紹介にとどめるとして。ここでは「理解する」1語を7項目で言い換えることで、いくらか詳細度をあげて「理解する」ことまでを目標としたい。かように「理解する」への到達は複雑なのだ。
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RaMu(らむ、1997年7月31日 - )は、日本のグラビアアイドル、タレント、YouTuber。埼玉県出身。マグニファイエンタテインメント所属。
生年月日 1997年7月31日
現年齢 26歳
出身地 埼玉県
血液型 A型
瞳の色 黒
毛髪の色 黒
身長 / 体重 148 cm / 37 kg
BMI 16.9
スリーサイズ 90 - 56 - 80 cm
カップサイズ H
靴のサイズ 23cm
1997年7月31日、埼玉県に生まれる。本名・蘭夢(らむ)。漫画『うる星やつら』のヒロイン・ラムとは無関係。「らむ��という名前を持つことにより、アニソンを歌ってみろなどといじられることもあるが、ラムのことは嫌いではない。
2004年4月1日、小学校入学。5年から6年にかけて女子野球をやっていた。キャプテンを務め、ピッチャー以外の全ポジションの守備をこなした。
2010年4月1日、中学校入学。3年間ソフトボール部に所属。セカンド、ショート、サード、ライト、センター、レフトを守り、背番号は3番だった。岡村拓磨によると、小柄であるがハキハキとした体育会系である。
2013年4月1日、埼玉県立松伏高等学校入学。在学中の2014年からVineおよびmixchannelに、「RaMu」のアカウントで体を張った芸の映像を投稿する。フォロワー数は10万人に達し、女子中高生の間で「RaMu教の教祖」と呼ばれるようになる。軽音楽部に所属(ドラムを担当。
2015年、海へ行った時に撮った水着姿をSNSにアップしたことがきっかけで話題になり、グラビア界へ進出。
2015年8月9日から2016年6月18日までアイドルグループKissBeeの研究生ユニット、「KissBeeZero」のメンバーとして活動。研究生のリーダーを務めていたが、本人曰く「団体行動が苦手だった」ことを理由に、脱退している。
2016年、第5回プロが選ぶアイドルDVD賞で新人賞受賞。3月、週刊ヤングジャンプで水着グラビアデビュー。11月23日よりLINE LIVE配信を開始。
2017年、週刊プレイボーイ編集部が選ぶ「2017年新人グラドル次世代ボイン番付」で「東の横綱」に選ばれる。
2017年1月にVineサービスが終了したため、同年3月4日よりYouTubeに動画配信の場を移動。12月12日、1年1か月間休まず続けたLINE LIVE配信を一旦休止した。
2017年、天木じゅん・和地つかさとともに『さんぽけ〜三国志大戦ぽけっと〜』(セガ・インタラクティブ、2017年4月20日配信)の応援隊『さんぽけ Girls★』に選ばれ、宣伝イベントなどに出演。
2017年6月19日、『ヤマダパズル たぷたん』にフクロモモンガのキャラクターが登場。自身が飼っているフクロモモンガのビビをモチーフとして自らデザイン。
2018年1月1日、DMM LIVEcommuneにて配信再開。3月17日、漫画作品『終末のハーレム』に関連する撮影会に出演。
2018年4月1日、Twitterで「実は20歳(当時の公称年齢)ではなく22歳」とつぶやいた。その日のうちにパスポートの画像を公開し、20歳であることを証明した(エイプリルフール)。
2020年10月、コスプレイヤーの火将ロシエルと二人でバンド「pretty noob」(プリティヌーブ)を結成。同年12月、「東京コミコン2020」でデビュー。RaMuがギター担当、ロシエルがDJ担当。ボーカルはいない。
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うまく騙されないように、人の思考のクセを知っておこう。
コミュニケーション
ブログ:安達裕哉の記事一覧
Twitter:安達裕哉(Books&Apps)
著作:頭のいい人が話す前に考えていること(ダイヤモンド社)
人には、どの人にもある「思考のクセ」が存在しています。
そうしたクセは、普段あまり意識されることはありませんが、「知っている」人は、それを良くも悪くも「実態を隠す技術」や「他人を操作する技術」として使うことがあります。
例えば、「アンカー効果」として知られている思考のクセがあります。
これは「予測を立てる直前に見た数字をアンカー(よりどころ)にしやすい」という傾向です。
当然これは、金儲けにも利用できます。
数年前、アイオワ州スーシティーのスーパーマーケットがキャンベル・スープのセールを行い、定価から約一〇%引きで販売した。数日間は「お一人様12個まで」の張り紙が出され、残り数日間は「お一人何個でもどうぞ」の張り紙に変わった。 すると、制限されていた日の平均購入数は七缶で、制限なしの日の二倍に達したの���ある。
このように、心理に関する知識は、成果を���きく左右することもあります。
では、このような「思考のクセ」。
他にどのようなものがあるのでしょうか。
1.直感で信じたものを覆すことはほとんどない。
言い換えれば、「第一印象で決まる」。
例えば、採用面接で面接官は
「最初の数分で得た、候補者への印象を検証するために、残りの殆どの時間を使う」
と言われています。(採用ミスはこうして起きます。)
第一印象が良ければ「採用するための質問をする」
悪ければ「落とすための質問をする」のが面接官です。
逆に言えば、候補者側は「とにかく第一印象を重要にせよ」というアドバイスに従う必要があるということです。
これは「文章」にも当てはまります。
例えば、人物描写をするときに、その人の特徴を示す言葉の並び順は適当に決めてはいけません。
明るい 素直 けち
と書くほうが、
けち 明るい 素直
と書くよりも、良い印象となります。
2.ベストケースしか想定しない
将来予測をするとき、人は「最もうまくいくケース」しか考えません。
しかし、実験によれば、99%の確率で終わると宣言した時間で実際にタスクを終わらせる人間は45%のみです。
これは「ホフスタッターの法則」と呼ばれ、コストを過小評価し、便益を過大評価する人間の思考の癖です。
稲盛和夫は「悲観的に計画し、楽観的に実行せよ」と述べましたが、経験的にこれを知っていたのでしょう。
3.人は独自性を誇張する傾向にある
「うちは特別だからね」という話をどの会社でも聞きます。
しかし実際にそれが特別であるケースは少なく、仮に違っていたとしても、その差はわずかに過ぎないのです。
むしろ、独自性バイアスは、必要以上のコストを掛けて、自分たちの独自性を守ろうとしますから、組織に不利益をもたらします。
むしろ「独自性を誇張しない人のほうが独自性がある」と認識すべきです。
4.物語VSデータは、物語が勝つ
人は物語が大好きなので、プレゼンテーション資料も、報告書も、物語性のあるものが好まれます。
これだけなら良いのですが、物語のできが良すぎると、人間はデータを見なくなります。
場合によっては、「データが少ないほど、物語としての辻褄が合いやすい」ので、データを排除しようとする人もいるくらいです。
ストーリーの出来で重要なのは情報の整合性であって、完全性ではない。むしろ手元に少ししか情報がないときのほうが、うまいことすべ��の情報を筋書き通りにはめ込むことができる。
賢くあろうとすれば、自分に有利なデータではなく、自分に不利なデータも集めなければなりません。
そうして初めて「物語」に騙されずに済みます。
5.確率を理解できない人は多い
まず、次の文章を読んでください。
リンダは三一歳の独身女性。外交的でたいへん聡明である。専攻は哲学だった。学生時代には、差別や社会正義の問題に強い関心を持っていた。また、反核運動に参加したこともある。
では、次の質問に答えてほしい
リンダは銀行員か、それともフェミニスト運動に熱心な銀行員か、どちらだと思いますか
聡明な人であれば、当然前者を選択するでしょう。
しかし、多くの人は後者を選択します。
複数の主要大学の学部生を対象に実験を行ったところ、八五~九〇%が、確率の論理に反して二番目の選択肢を選んだのである。しかも呆れたことに、この連中はとんと恥じる様子がなかった。 あるとき自分のクラスで「君たちは、初歩的な論理ルールに反していることに気づかなかったのかね」と怒ってみせたところ、大教室の後ろのほうで、誰かが「それが何か?」と言い放ったものである。
確率は説得の材料として、全く役に立たない事がよく分かります。
6.心配が多かったり、忙しすぎると、頭が悪くなる
多くの心理学研究によれば、自分を律することと、注意深く頭を使うことは、どちらも等しく、脳に負荷をかける行為です。
したがって、認知の負荷が高くなると、誘惑に負ける可能性が高いのです。
認知的に忙しい状態では、利己的な選択をしやすく、挑発的な言葉遣いをしやすく、社会的な状況について表面的な判断をしやすいことも確かめられている
このため、例えばある行為の結果について心配しすぎると、実際に出来が悪くなることも多いのです。
常に忙しく、給料も安い「ブラックな職場」では、利己的で、口が悪く、思慮の浅い人が増えてしまう。
ですから、これはもはや「社会悪」と呼んでも良いのではないかと思います。
7.好き嫌いで決まる
多くの人は
「それが好きな場合は、メリットばかり思い出す。」
「嫌いな場合は、リスクばかり思い出す。」傾向にあります。
スロビックのチームは感情ヒューリスティックのメカニズムを調べる実験を行い、水道水へのフッ素添加、化学プラント、食品防腐剤、自動車などさまざまな技術について個人的な好き嫌いを言ってもらったうえで、それぞれのメリットすると、二つの答はあり得ないほど高い負の相関を示した。すなわち、ある技術に好感を抱いている場合はメリットを高く評価し、リスクはほとんど顧慮しない。逆にある技術をきらいな場合はリスクを強調し、メリットはほとんど思い浮かばない。
したがって、物事を通しやすくするには、あれこれ論理を組み立てるよりも、「好かれる人」になることが最も簡単です。
SNSを見れば、多くの人は、あれこれ理由をつけて主張をします。
「ワクチンが〜」
「フェミニズムが〜」
「子育てが〜」
「社会保障が〜」
でも、一皮むけば、
肯定的な意見は、「それが好き」。
否定的な意見は、「それが嫌い」。
そう覚えておいて、ほぼ間違いありません。
8.人は慎重に考えるよりも早く一つに決めたい
いくつもの選択肢を並行して考えることは、認知的な負荷が高い状態です。
認知的な負荷が高い状態は疲れますから、仮に選択が間違っていたとしても「早く決めて楽になりたい」と、思うのです。
これを「コミットメントの錯誤」と言います。
「たまたまモデルルームを見に行ったら、そこで買ってしまったよ」
と言う発言は、コミットメントの錯誤の典型であり、家や保険など、選択肢が無数にあり、かつ高額な買いものが、想像よりはるかに簡単に行われているのは、そのためです。
なお余談ですが、人には「自分が持っているものを高く評価する」という思考のクセ(保有効果)があり、高い買い物をしたとしても、後悔することはめったにありません。
「買わせてしまえばこっちのもの」と思っている営業マンは少なくないでしょう。
9.簡単にわかるものが好かれる
認知が容易なものほど好かれます。
例えば、見やすい表示、以前に聞かされたことのあるアイデア、見覚えのあるマーク。
こういったものは認識がしやすいため、それだけで「好ましい」と感じられます。
(出典:ダニエル・カー��マン ファスト&スロー)
また、機嫌がいいときや、体調のいいときには、「好ましい」と評価することが多くなりますから、上司の機嫌を見て、何かを提案するのは正しい行動です。
ただし、これは極端な話、「内容を問わない」という事でもあります。
「鶏の体温」という表現を繰り返し示された人は、「鶏の体温は四四度である(もっともらしい数字なら何でもよい)」という文章が出てきたときに、正しいと判断しやすい。 文章の一部になじんでいるだけで、全体に見覚えがあると感じ、真実だと考えるからだ。ある発言や文章の情報源を思い出せず、手持ちの情報とも関連づけられないとき、あなたはつい認知しやすさを手がかりにすることになる。
注意をしないと、「何度も見せられている」と言うだけで、それを真実だと信じてしまうかもしれません。
10.自分の頑張りには甘い評価をつける
チームで仕事をする場合、自分のほうが他のメンバーよりがんばっており、他のメンバーの貢献度は自分より小さいと考えがちです。
例えば、各自がチームに対して、どの程度の貢献をしているかを百分率で表してもらうと、チーム内のメンバーの数値の総和は100%を超えてしまいます。
あなたはもしかすると、自分に配分された報奨以上の貢献をしたのかもしれない。だがあなたがそう感じているときは、チームのメンバー全員も同じ思いをしている可能性が高い。このことは、誰もが肝に銘じておくべきである。
これは、性格的な要因はごく小さく、誰でも同じような傾向を示します。
なぜかと言えば、「自分の貢献が一番思い出しやすく」かつ「思い出せないものより思い出せるものの方が強力な説得力を持つから」です。
投票を呼び掛ける活動は、投票日直前にやるほうが強力、という、ごく当たり前の話ではありますが。
これを利用可能性ヒューリスティックスと言います。
人事評価は自己申告を基にしてはなりません。
大抵の場合、過剰評価となってしまいます。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)1月23日(木曜日)参
通巻第8615号
連邦政府全機関、省庁はDEIオフィスを閉鎖せよ
DEIの息の根を止めろ、トランプの強襲、動きが取れなかった左翼
*************************
トランプ政権の人事管理局(OPM)は、連邦政府の全機関および省庁のトップに対し、多様性・公平・包摂性(DEI)事務所オフィスを1月22日終業時までに閉鎖し、全職員に有給休暇を与えるよう通知した。
またDEIオフィスのすべての対外広報メディア(ウェブサイト、ソーシャルメディアアカウントなど)を削除し、「連邦労働力における多様性、公平性、包摂性、アクセシビリティ」に対応して当局が発行したか、保留中の文書、指令、命令、資料、公平性計画を撤回せよとし��。
悪評高いDEI研修も中止し、関連の請負業者を解雇する。
この措置は、トランプ大統領が連邦政府内のすべてのDEIプログラムを廃止する大統領令に署名し、「男性と女性の2つの性別のみを認めることを米国政府の公式政策とする」という別の命令に署名した後に行われた。
左翼活動家たちの予防的防衛行動がとれないよう時間的余裕を与えないとういう電光石火、日本でもまずやるべきはLGBT法の廃案、疑わしい教員への休暇、関連出版や下請け業者との契約解除、学校ぐるみの教育機関へは補助金中断など、これらはすぐにも可能世はではないのか。
他方、トランプの大統領命令に出生地主義の見直し等の他、メキシコ国境への軍派遣が含まれている。
前期トランプ政権のとき、7000名の軍隊が、テキサス、ニューメキシコ、アリゾナに駐屯していた。
バイデンが不法移民の無制限解放政策をとってから現在まで2500名の州兵と予備役が国境のパトロール任務に当たっている。
ちかく1500名の正規軍を派遣するとして部隊編成の準備に着手した。
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ちょっとしたきっかけで、科学とAIについてのアドベントカレンダーの記事を一つ書くことになったのだが、書くのはいいとしてどこで書けばいいのか良くわからないので、ここで書くことにした。
ここは普段はてなブログを拠点にしている自分が軽い独り言を書くための場所で、どちらかというとX(Twitter)のような短文が中心なので、あまり長々と書く場所ではない(と自分で勝手に決めている)のだけども、内容が内容なのでここに記すことにした。
普段は独り言なのでいきなり本題から入ってしまうが、今回はアドベントカレンダーなので自己紹介をしなければならない。自分は、AlphaFold2というAIに自分の専門分野の中核を撃たれたこと(そしてそこからある種のドミノ倒しが起きたこと)で、学生の頃から数えて20年あまり所属している分野が混乱とともに「バラバラ」になっていくのを見ている、大学の一教員である。
世間はAlphaFoldがノーベル賞を取ったこともあり、かなりの歓迎ムードだが、分野史を追えばAlphaFold2を作ったDeepMindがある種の侵略者・征服者(他分野からいきなりやってきて、コンテスト荒らしどころか20年以上続いたコンテストそのものを数年で終わらせた)であるのは明らかで、この個人的な体験が今回のこのポストを書く上での発端になっている。
正直なところ、実際に科学研究というものを曲がりなりにも職業として行っている立場として、科学分野の大きな問いや分野そのものが「唐突に終わりうる」ということ、特に当該分野で長年知見を積んできた人間ではなく、全く異なる技術を持って横から来た人間が分野を終わらせることがあるという事態に直面すると、専門性を維持するモチベーションを保つのが難しくなることを、じわじわと実感しつつある。自分は大学の講義などでこの一連の歴史の流れを年に数回口にすることもあってか、そのたびに少しずつ心の中に澱のようなものが溜まるように思う。
AlphaFold2の存在が明らかになったのは2020年の11月末だが、一般に公開されたのは2021年7月のことだった。DeepMindは前バージョンのAlphaFoldを出し渋ったこともあり、AlphaFold2が計算済み予測モデルのデータベースと共に全面フリーで公開されたことは今思い返しても信じがたい。当時の混乱をエッセイとして書けと言われればいくらでも書けるくらいで、たぶん同分野の自分と同世代~上の世代の人たちはみな同じだろう。
そしてそれから1年半ほどあとの2022年11月末、ChatGPTが世に出た。ChatGPTを使ってみてしばらくして思ったのは「自分たちが味わった衝撃を、全ての分野の全ての人が味わうのか」という感覚だった。ただ、この時点では、AlphaFold2にしてもChatGPTにしても、単独の機能に優れたAIであって、それほど広がりを持たないものだったように思う。もちろんこの時点では、だけれども。
さらにあれから2年弱が経ち、自分の分野はAlphaFold2が引き起こしたドミノ倒しによって次々と問題が解かれるようになり、「解く問題がなくなる」という方向で分野が崩壊しつつあるが、世界はまだAIによってすべてが崩壊する程ではない。ちょうどこのアドベントカレンダーを書く予定になっていた12月20日にOpenAIからo3が発表され、ベンチマークの都合か数学方面が狙い撃ちされつつあるようだけれども、まだAlphaFold2ほどの衝撃はないように見える(ひょっとしたらAlphaFold1の瞬間かもしれない)。
これまでの4年間、AlphaFold2からo3までを自分の立場で振り返ると、研究分野は中核を撃たれる(重要な問題を解かれる)とそこからドミノ倒しが発生し得る・次々と問題が解決していく可能性があること、撃ってくるのは分野外の人間かもしれずタイミングは分からないこと(ここが一番つらい)、ドミノ倒しが始まると分野の流れが急激に速まり、多くの研究者はいわば土砂崩れから逃げ惑うような苦しい立場に立たされること、だろうか。この苦しさから逃れるため(そして研究業績を上げ続けるため)に、多くの研究者は当然もがきながら方針転換するのだけども、転換するより早く分野が崩壊する可能性もあって、正直なところこれが他分野でも同様に起こるとすると、あまりにも厳しすぎるし、気の毒すぎるように思う。
この苦しさは崩壊の過程が引き延ばされればされるほど長く続くと思われる(もちろん、従前のように崩壊が非常にゆっくりであれば問題ないが、もはやそこまでスローダウンすることは考えられない)ので、AIの進歩が加速し科学のすべてを「早く終わらせる」ことでしか、この苦境を脱することはできないのではないかと感じている
…というのが、過去4年を踏まえた2024年末の現在の心境だが、また来年再来年には考えが変わっているかもしれない。それと、自分がここに書いた分野観はそれほど異端ではないはずだけども、まだあからさまに口にできる状況でもない(皆悪いことはあまり口に出したくない)ので、できればそろそろ自分の分野以外にも、AIで崩壊し始める分野が出てきてくれて、こうした見方が一般化してほしいものだ。
追記: 今年の1月に似た話題(AIと科学研究と自身のキャリア)について独り言を書いていた。自分がこの崩壊の中である程度冷静でいられるのは、「自分は他人にとって代わられて当然である」という価値観であるからかもしれない。 https://mbr-br.tumblr.com/post/739340490648043520/
追記2: 自分が科学の発展に何を望むかについて書いたものがあったので、参考としてここにつけておく。正確には「科学の発展で何が可能になって欲しいか」という問いで、自分の回答は「生死の境界・生物無生物の差異・自他の区別を完全に破壊したい」である。書いたのは3年数か月ほど前だが、そこにある「現在ほぼ全ての人に植え付けられている生命とか自我とか社会とかの概念をぶち壊して、その先に何が出てくるか見てみたい」のは今でもそうで、現在のAIは生物無生物の壁を破壊しつつある点で、自分にとってはとても好ましい存在だと感じている。 追記3(2024年12月31日6:41AM): アドベントカレンダーに載せたせいかそれなりに読んでもらっているようで、某所では面白いと評してもらったりもしてやや恥ずかしい気分になっている。せっかくなので、このブログポストに関連する話題としてVirtual Lab論文にも触れておきたい。これは2024年11月半ばに発表されたAIによる生命科学(タンパク質工学)研究自動化の試みで、取り組みとしては課題設定も含めそれほど目新しいものはないのだけども、研究チームを率いるAIを設定し仮想のチーム作りからAIにやらせるところと、AIが計算で設計したものを人間が実験で検証するところがやや新しい。12月初旬にNatureのNewsで取り上げられて、12月下旬には日本国内のSNSでも生命科学者の間で(恐怖を伴いながら)話題になった。
すでに書いた通り、GPT-4oなどの商用AIを活用した研究自動化の取り組み自体は新しくないし、生命科学者が自分がAIに代替されるかもしれない未来に思いを馳せながら、あれこれ騒ぐのも理解できる。ただ自分としては、論文のイントロダクションにあった「学際領域の研究は大事だが、そういう研究者は少ないのでAIで代替する」という文言が一番堪えた。実際、この論文ではComputational BiologistとMachine Learning SpecialistがAIチームメンバーとして登場するが、これらはまさに自分たちをリプレースする存在である(つまり、多くの生命科学者と違い、自分は「すでにAIに代替されうる」側に立たされている)。
これがただでさえAlphaFoldで崩壊しつつある自分の分野に何をもたらすのか。元々、この展開は予想していたことではあるし、書けることもたくさんあるのだけれど、一つ言えるのは「人間が学際領域を研究するインセンティブ、そういう人材を教育するインセンティブが極端に減ってしまう」ことだと思う。もともと複数の学問領域にまたがる分野を研究するのは複数の分野の知識が必要な点でやや大変だし、そういうところを目指す学生もそれほどは多くないので大事に教育してきたつもりだけども、最初から無数の分野のそれなりのエキスパートとしてAIが降臨してしまうと、新しく分野に参入する気持ちはくじかれてしまうだろう。企業研究者であれば新卒の代わりにAIを雇用することでとりあえずは解決できるかもしれないが、教育を担う大学教員としてはこれをどのように扱えばいいのか正直まだ答えはない。そして、流入する人間が減ってくると分野は実質的に「蒸発」するだろう。
結局のところ、AIによって分野の問題がすべて解かれるという崩壊と、AIによって研究者が代替されるという蒸発の二方向から、研究分野は消滅に追い込まれていくのかもしれない。
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昔から、他人を頼ることがすごく苦手だ。だれかの手を煩わせたくない、という気持ちが大きすぎる。
おそらくこれは幼少期から強く根付いた意識だった気がする。小学校低学年のとき、わからない宿題を父親に尋ねたら、「そんなこともわからないのか」と言われたのがたぶんすべての始まりだった。わたしはそこで、「じゃあ自分で解決するわ~、お父さんきら~い」という方向に舵を切った(父親の名誉のために補足すると、父親自体が大悪人というわけではなくて、たぶんその日はお酒を飲んでいた気がするし、わたしが大学を学科トップで卒業したことを報告したあの日は涙を流して喜んでくれるような、人間味にあふれる人だ。だがあまりにもわたしと性格が似すぎているので、わたしは父に対して同族嫌悪をしている。育ててくれた恩とか、そういうのとはまた別の話だよね)。
まあ、それがあってかどうかは定かではないけれど、昔からなんでも一人で解決してしまいがちだ。勉強をしていてわからない問題があれば自力で理解できるまで教科書を引っ張り、インターネットで調べ、解説を一行ずつ読み進めたり、みたいなことをしていた。むしろ、他人に聞いて物事が解決した試しがない。数学みたいな答えがはっきりしている問題であっても、誰かを頼って明確な回答が得られ��いことばかりだったから、たぶん人生スパンで、物事をほとんど自分一人で解決してきた、ような気がする。いま、この現実世界で頼れる人というのは、母親と同居している彼の二人だけ。わたしはきっと、それ以外の人をうっすらと信頼できていない。たぶん、一番仲の良い親友よりも、インターネット上の知り合いの方が頼みごとをしやすいまでもある。インターネット上の人格は現実世界のわたしとは別物なので、多少図々しくなれるんだよね。
ここからが本題。他人を頼ることが苦手なわたしが修論を執筆するこの時期に一番こまること。それは、絶妙に知らない学生たちに質問紙調査の回答をお願いすることである。
わたしの研究分野は人間を対象に調査を実施するので、誰かにアンケート調査をお願いすることがある。これが本当に無理。最悪。やりたくない。お願いというものをしたくない。とにかく人間と、話したくない!!!!
今回の調査は、学歴によって回答の偏りが生まれやすいテーマを扱っているので、その要因を統制するために、同じ大学の学生を対象にしなければならない。だからこそ、大学内での人脈が広ければ広いほど、そして多くのコミュニティに所属していれば所属しているほど、アンケートの回答は集まりやすい。
さて、大学院からの外部入学で、もちろんサークルにも部活にも所属していないわたしは、当たり前に詰んでいる。知り合いなんて、彼氏の男友達が一人いるだけです。連絡先なんて知らないし。
とか言いつつ、一つだけ研究室以外のコミュニティに所属している。それが学位プログラムだ。その学位プログラムには50人近くの学生が所属しているけれど、みんな学部や研究室はバラバラなので、ここを狙うしかない。少しでも関わりのある人に個人的に連絡して、「知り合いの人に質問紙回してもらえませんか…!?」とお願いするしかないのである。
そう、これが問題なの。他人を頼ることが苦手なので、その連絡が本当に無理なの。本当に、いやだ。メッセージの一言一句に気を遣って、相手からの返信を待つ瞬間の、動悸が収まらない感じがほんとうにいやだ。
こんなことになるのなら、行動科学とか、社会学とか、もっとビッグなデータをデータベースから集めて分析する系の分野か、哲学とか倫理学みたいな文献研究メインの研究室に進学すればよかったんだ…(泣)そうしたらデータを集める苦悩なんてほとんどないのに。
というわけでわたしは今、泣きそうになりながらみんなに質問紙の回答と共有をお願いするメールの下書きを作っています。下書きがないと安心できないので、こんな無駄なことをしている。こんなことをして、こんな弱音を吐く時間を、修論の原稿の執筆に使えたらどれだけ良いのだろう。とってもくるしいです。読んでくれてありがとうね
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(...) 例えば、ケンブリッジで開かれた若手研究者が集まる日本人会で、話題が恋愛トークになったときのことだ。
「隙のある女性って、やっぱりかわいい」と30代の男性が女性の好みを語ると、「あ-、それ、わかります」と40代の男性が大きくうなずいて共感を示す。
日本人男性はいまだにこんなことを言っているのかと、私はぞっとした。女性に「隙」を���めるなんて、日本人以外に聞いたことがない。
彼らが言う「隙」って、一体��んなのだろう。恋愛コーチたちによれば、誘いやすい雰囲気、素直で甘え上手、親しみのある笑顔……、という意味だそうで、男性にモテる要素なんだとか。さらに恋愛上級者を目指すなら、「たまに、わがままに振る舞ってみる」ことも必要らしい。
幼い頃から「わがままを言ってはいけない」「素直なよい子でいなさい」と家や学校で言われて育ったのに、大人になっていざ恋愛の重大な局面で「わがままに振る舞え」って。日本人男性が好む「隙を見せつつ、自己主張をする」方法なんてだれも教えてくれなかった。
父よ、たぶん、もう間に合わない。「隙なんか見せてたまるか」と思っている底辺研究者の私に、日本という受け皿はない。
イギリスで学歴と年齢だけが上がって痛感した「日本に帰れない」
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Q.氷河期世代が「死ぬまで踏み台」と話題のようですが、いったい何が問題なんですか? A.問題の根源を解決しないまま先送りすることを「将来世代にツケを回す」などと言いますが、まさにその「ツケ」を集中的に回され、絶望的な貧乏クジを引かされた世代だからです。 具体的には、 「就職時に不景気で、既存社員の雇用を守るために採用枠が減らされ」 「不本意ながら非正規雇用を選ばざるを得ず、キャリア形成機会を逃し」 「『非正規は自己責任!』『仕事があるだけ幸せと思え!』『お前の代わりなんていくらでもいる!』とパワハラで使い潰され」 「結果的に給与アップは見込めないのに、高齢化社会を支えるために搾取され続け」 「歴史的な賃金上昇率の中でも自分たちの賃上げは抑制され、その分を若手の賃金アップに回され」 「自分たちが高齢者になる頃には年金や医療も充分な恩恵を受けられそうになく」 「当然ながら子供を持つ余裕なんて全然なく、少子化で介護してくれる人もおらず、野垂れ死にするイメージしか持てない、完全に見捨てられた世代」 という状況ですね。 また、その被害が「氷河期世代自体」のみならず、「会社組織」、そして「社会全体」と広範に及んでいることも根深い問題です。どういうことなのか、氷河期世代ど真ん中、1999年大学卒の私が説明しますね。 (1)「氷河期世代自体」の被害 彼らの新卒当時は正社員の求人が乏しく、不本意ながら非正規雇用を選ぶ人も大勢いました。彼らは「頑張って働いていれば、景気が回復した暁には正社員として雇ってもらえる」と期待して不安定な状況に耐え続けましたが、結果的に景気回復期となっても、正社員への転職はなかなか進みませんでした。 なぜなら、雇用が安定している会社の多くは「年功序列制度」をとっており、そういった会社で中途採用の対象となるのは、「会社から折に触れて教育研修を施され、将来の幹部候補としてのキャリアを積んできた正社員」が中心。社会人スタート時点で非正規雇用の人や��職期間が長かった人は、採用対象とは見なされなかったからです。 そういった就業環境や社会構造も非正規化の要因であることが当時はあまり理解されておらず、氷河期世代は世間からは「就職できなかったのは自己責任!」「選り好みしなければ仕事などいくらでもある!」などと批判され、厳しい環境でも本人にとっては「やっとの思いで得た職」でもあるため転職にも踏み切れず、求人を出していた所もブラック企業が多かったりするなど、辛い立場に置かれました。 (2)「会社組織」の被害 氷河期世代の就職時点で正社員の求人が乏しかった理由は、景気後退期と重なり、各企業が既存社員の雇用を守るため、その調整手段として「新卒採用を極端に絞り込んでしまった」からです。結果として、その時点では確かに既存社員の雇用は守られました。しかし年を経るにつれて組織の年齢構成はいびつになり、氷河期から約20年後には「次世代を担うべき中間管理職の層が薄い/空洞化している!」と危機感を抱くハメになってしまいました。 また氷河期世代は劣悪な労働環境下でも低賃金でもよく働いたので、一部の経営者や管理職は当時の非正規労働者の働きぶりがいまだに一定の基準となっており、彼らと引き比べて「最近の非正規の若者は働きが悪い!」「打たれ弱い!」などという不満に繋がっているケースもあります。実際、いまだに「最低賃金スレスレの時給で正社員レベルの仕事を求める企業や店舗」が多いのは、当時の残痕ではないかと思われます。 (3)「社会全体」の被害 我が国では構造上、非正規雇用のままではいくら経験実績を積んでも給与アップは見込めません。一方で当時はまだ「結婚して所帯を持って一人前」といった価値観も一般的でしたので、家族を養えるだけの余裕が持てない以上、結果として氷河期世代の非婚化、晩婚化にも繋がってしまいました。 タイミングが悪いことに、この就職氷河期は人口ボリュームゾーンである団塊ジュニア(第二次ベビーブーム)世代がちょうど社会に出る時期と一致しました。彼らが滞りなく安定した正社員として就職でき、相応の金銭的余裕が確保できていれば、「第三次ベビーブーム」が訪れ、今ほど少子化対策で右往左往することもなかったかもしれません。 氷河期世代に対しては「自分たちの苦境をなんでも社会とか時代のせいにするな!」「他責が過ぎる!」といった批判が寄せられることがあります。たしかにどんな世代にもそれぞれの苦労があったことと思いますが、氷河期世代はとくに「身近に前例がない状態で、心の準備が間に合わないまま、不遇と冷遇に押し流されてしまった世代」と言えるのではないでしょうか。 先般のコロナ禍中における採用抑制も同様ですが、新卒就職時の景気次第で特定の年代が理不尽を押し付けられ、職業人生が左右されてしまい、単なる雇用形態の違いが、将来の社会保障を脅かす問題になるなんておかしいのです。幅広い年代で雇用調整を請け負えるような仕組みが必要ですね。 しかし少々気になるのは、最近やたら「就職氷河期世代の悲哀」を扱った報道を目にすることです。もしかしたらマスコミの皆さん方は、既に国として氷河期世代の救済を諦めたことをどこかで察知していて、一応アリバイとして氷河期世代に同情的な報道をしておき、いざ氷河期世代を本格的に見捨てた際に「あのとき我々メディアは警鐘を鳴らしたのに、政府は何もしなかった!」と批判する準備をしているのではないかと勘繰ってしまいます。
Xユーザーの新田 龍さん
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TBSテレビの学園ドラマにみる政治哲学
自分の好きなドラマの一つにTBSテレビ、日曜劇場「ドラゴン桜」がある。
大学卒業後、地元の大手進学塾の社員として小学4年生から中学3年生の学習指導、社会科の教科主任としてカリキュラム、教材、テストの開発ならびに講師の採用、研修などの業務を行ってきた経験がある。
また主演の阿部寛は中央大学の同じ学年ということもあり(但し在学中に彼をキャンパスで見かけたことはなかったが…)とても親近感を持っており、ドラマをTVerで見て楽しませてもらっている。
TBSテレビには「ドラゴン桜」の他にも「金八先生」や「スクールウォーズ」といった名作学園ドラマがある。さて、この3つのドラマは、「ハーバード白熱教室」で知られるマイケル・サンデル教授の政治哲学における代表的な4つの立場を理解するのにとてもわかり易い学習材料となっている。
マイケル・サンデル教授は「ハーバード白熱教室」で、政治哲学における基本的な4つの考え方を整理した。 1.功利主義 2.リバタリアニズム 3.リベラリズム 4.コミュニタリアニズム
これを図式化するとこうなる。
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(橘玲「正義をめぐる4つの立場」)
サンデルの政治哲学についてはこちらの記事がわかりやすい。
功利主義は置いておいて、残りの3つの政治哲学をTBSの学園ドラマ、「ドラゴン桜」「金八先生」「スクールウォーズ」に当てはめてみると
1.リバタリアニズムの「ドラゴン桜」 「バカとブスこそ東大に行け」という名台詞は、市場原理、自己責任を重視するリバタリアニズムを体現している。
2.リベラリズムの「金八先生」 「人という字は人と人とが支え合う」という名台詞は、相互扶助、福祉を重視するリベラリズムを体現している。
3.コミュニタリアニズムの「スクールウォーズ」 「One for all, All for one」という名台詞は、共同体、共通善を重視するコミュニタリアニズムを体現している。
自分は、その人の政治哲学を探るために『TBSテレビの3つの学園ドラマ「ドラゴン桜」「金八先生」「スクールウォーズ」のどれに一番共感しますか?』という質問をすることがある。
自分の答えはもちろん「ドラゴン桜」だ。橘玲の著作を愛読書にしており、35歳で「FIRE(ファイア:Financial Independence, Retire Early)経済的自立による早期退職」を実現した自分にとっては、「ドラゴン桜」が最も共感できるドラマだ。
リバタリアニズムについては橘玲「これからのリバタリアニズム」の連載記事が参考になる。
自由に生きることは道徳的である――人生って、なんて簡単なんだろう! 橘玲「これからのリバタリアニズム」第1回|Hayakawa Books & Magazines(β)
チンパンジーも「自由」「平等」「共同体」を重んじる!? 橘玲「これからのリバタリアニズム」第2回|Hayakawa Books & Magazines(β)
平和→格差→絶望死。残酷すぎる「現実」が明らかに! 橘玲「これからのリバタリアニズム」第3回|Hayakawa Books & Magazines(β)
ディストピアを拒絶しユートピアを実現する、たったひとつの冴えたやりかた(なのか?) 橘玲「これからのリバタリアニズム」最終回|Hayakawa Books & Magazines(β)
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人々の自然とのつながりの感覚について、諸外国と比べて日本が極端に低い、という論文がX(Twitter)で紹介されていた。
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関係があるかわからないけれど、生物多様性や自然そのものに対する人々の忌避反応には、自然との接触が、便利で快適な都市生活を送る人々に「罪悪感」を喚起しうる、という根源的な理由が潜んでいる、とネイチャーガイドの現場に立つ中で、個人的にずっと考えてきた。
あるいはガイドが自然保護を訴える場面に立った場合(私自身のガイドは必ずしも保全意識の訴求が目的でない場合が多いけれど)、そのガイド自身が現代文明の大きな恩恵を受けている一種のパラドックスに常に自覚的でなければ、参加者は鋭敏にそこに不信感を嗅ぎつけうることを実感してきた。
それは「教師が熱心に環境教育を行うほど子供が自然嫌いになる」という、米国の環境教育者デイヴィド・ソベルが「エコフォビア(自然恐怖症)」と呼ぶ現象にも通じる。ソベルはその回避のために、まず身近な自然への親しみ・共感を育むことからスタートすることを唱えた(『足もとの自然から始めよう』2009)
自分なりに翻案すれば、生の自然に触れる「原体験」の喪失は、現実の複雑な自然のありようと距離があるまま、イメージや知識によって実態から離れた自然観の構築につながってしまうだろう。そこに上記のような自然と都市社会の二項対立の価値観の淵源の一つがあるのではないか、と考えたのが、私自身10年ほど前にネイチャーガイドの活動を始めたきっかけの一つだった。
近年、まさに幼少期の自然体験が成人後の自然観��強い影響を及ぼすという研究が次々に発表され始めている(Soga and Gaston 2016, Hosaka et al. 2017 など)。
ネイチャーガイドには、参加者に受動的に知識を与えるだけでなく、「実体験」を通じて参加者が能動的/内発的に好奇心を発揮する場を醸成できる強みがある。それは自然のみならず、自然を掘り下げる科学の視点に対する「原体験」をも創出しうる、というのが私がいま実践の中で考えていること。
しかし自然も科学も、その意義・魅力がいかに大きいものであっても、どう受け取りどう捉えるかは、人それぞれであるはず。私にできるのは「選択肢」を提示することにすぎない。「実体験」を通じてそのプロセスをいかに豊かなものにできるか、引き続き現場に立ちながら試行錯誤していきたい。
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TEDにて
マチウ・リカール:幸せの習慣
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
幸せとは、何で、どうやったら幸せになれるのでしょうか?
生化学者から仏門を選んだマチウリカールは、我々の心を鍛えて満ち足りた状態を習慣にすることによって、心の奥底からの静かな充足を生み出すことができると言います。
これもグローバリゼーションのおかげなのでしょうね。
エベレストの山頂にコカコーラの缶、モントレーに僧侶(私はちょうど、2日前。皆さんのお招きに上がりヒマラ��山脈から来ました。ですから、皆さんをしばらくの間。ヒマラヤ山脈に招待したいと思います)
そして、私のような修行僧がいる場所にご案内しましょう。
私はパスツール研究所の分子生物学者でしたが、山に入る道を選びました。さてと、幸福について語りましょう。私は、フランス人ですが、フランスには幸福に全く興味のない知識人が多いです。
では、幸福または満たされた状態について話しましょう。
まず、最初にフランスの知識人がなんと言おうと朝から「今日も一日苦しむだろうか」と考えながら起きる人は誰もいません!つまり、意識しようがしまいが、直接であれ間接であれ、すぐのことでも将来のことでも我々がすること。
望むこと。夢見ること。そういったこと全てが心の奥底で幸せを求めることにつながっているのです。
東洋や西洋の書物を調べれば、幸せの定義は驚くほど多彩でしょう。こう言う人がいます。「過去の記憶を信じて、将来を想像し、現在は念頭にない」こう言う人もいます。「幸せとは、今という瞬間。今という瞬間の新鮮さの度合いである」
そして、これは、フランスの哲学者アンリベルクソンにこう言わせました「すべての偉大な人文科学の思想家は、幸せを曖昧なまま残した彼らが自分達の言葉で幸せを定義できるように」
人生において幸せにそれほど関心がないならかまわないでしょう。しかし、幸せが人生のあらゆる瞬間の質を定めるものだとしたら?私たちは、それが何であるかを知り、はっきりした考えを持った方が良いでしょう。
そして、おそらく私たちが幸せについてよく知らないことが理由となって、しばしば、幸せを求めながらそれに背を向けてしまうのでしょう。
苦しみから逃れたいのに苦しみに向って走っているかのようです。それはある種の勘違いが原因かもしれません!
喜びを、幸せと思い込む事は、よくあります。
この2つの特徴をよく見てみると喜びは、時間、目的、場所に左右されます。その本質は相対的に変わりうるものです。チョコレートケーキの最初の一切れはおいしいです。二切れ目はそれほどでもなく、三切れ目には嫌気がさします。
それが人間の欲望の本質です。
飽きが来ます。私は、昔、バッハが大好きでギターで弾いたりしました。5回聴いても飽きません。もし、24時間休みなしで聴くことになれば飽きるかもしれません。寒いとき、火のそばに近づくのは気持ちがいいです。
そして、しばらくすると少し後ろに下がります。それからすごく熱く感じます。
喜びは経験とともに消費されるかのようです。
そして、それは、あなたから発せられるものではありません。あなたが強い喜びを感じることでまわりの人が大いに苦しむこともありえます。ゲーム理論のゼロサムゲームのこと
では、幸福とはいったいなんでしょう?
幸福というとあまりにも漠然とした言葉なので満ち足りた状態と定義しまし���う。
仏教徒の見解から、最もふさわしい定義は、満ち足りた状態とは、ただ楽しいという感覚ではないということです。
それは心の奥底を静かに満たすものです。
人生におけるあらゆる心の働きや喜びや悲しみにも、しみ渡ってその根底に横たわっています。皆さんは驚くかもしれません。悲しみのさなかでも満ち足りていることは、ある意味可能です。なぜなら、私たちは別のレベルの話をしているからです。
岸辺に寄せる波をごらんなさい。波の谷間にいれば、海底に当たります。
堅い岩にあたります。波の上にのっているときは意気揚揚としています。海面は上へ下へと揺れ動きます。外洋をごらんなさい。そこには鏡のように美しく穏やかな海があるかもしれません。嵐の海かもしれません。
しかし、海の深さはそこにあり変わらないのです。どういうことでしょう?それは、つかの間の感情や感覚でなく、そのものの状態です。喜びもまた幸福の源となりえますが、誰かの苦しみを喜ぶというような邪悪な喜びもあります。
ではどのように幸せを探しましょうか?
たいていは外界から探し出そうとします。「幸せ」になるためにすべての状況。すべての条件を満たせば幸せになれると考えます。すべてを得ることで幸せになる!
こんな考え方の幸福には、崩壊が待ち構えています!!すべてを持つこと。何かが欠ければそれは崩れます。
何かがうまく行かないといつも外界を修正しようとします。しかし、私たちが外に及ぼす力は限られたもの。一時のもの。錯覚かもしれません。では、内部の状況を見てください。それらはより強くありませんか?
外界から幸福や苦しみを捉えるのは心ではないですか?心の影響が強くないですか?小さなパラダイスのようなところに住んでいてもまったく不幸せなこともあるのをご存知でしょう。
ダライラマがポルトガルに行ったとき、そこでは、至る所で建設工事が行われていました。ある晩、彼は言いました「立派な建物を建てるよりも、心の中に何か築き上げるのが良いのではありませんか?」
そして、こう言いました「もし、あなたが素晴らしくモダンで居心地の良いハイテクのマンションの100階に住んでいても内面でひどく不幸だったら飛び降りるための窓を探してしまうでしょう」
では、反対に非常に厳しい状況下でも落ち着き、芯の強さ、自由、信頼を失わない人が沢山います。では、内面の条件が強ければどうか?もちろん、外部状況は影響するでしょう。
そして、健康に長生きすることや情報が得られ。教育が受けられ、旅行が出来。自由でいられることは素晴らしいことです。大変望ましいことです。
しかし、これだけでは十分ではありません。補助的な条件に過ぎないのです。
すべてに解釈を与えるのは、心の中に存在する経験です。内面の幸せの条件をどうはぐくむかと自問していくと幸せを妨げるものが自らの内面に見出されたりもします。これを解るにはいくらかの経験が必要です。
ある種の心の状態があることに気付かなければなりません!
それは、この幸せ、この満ち足りた状態につなが���心の状態でギリシア人がユーダイモニアと呼んだものです。
こんな満ち足りた状態の妨げとなるものもあります。自らの経験の中から探しても怒りや憎悪、嫉妬、ごう慢、しつこいほどの欲望、執着。そんな感情にとらわれた後はあまりよい状態とはいえません。
そのうえ、それらは他人の幸せにも有害です。これらのものが心に侵入すればするほど、連鎖反応のようにますます惨めになり苦悩を感じます。憎しみの連鎖とも呼ばれてます。
逆に、誰もが知っていることですが、献身的で、寛大な行為の奥底では、遠くからであっても、他の誰に知られることがなくても、子どもの生命を救い。誰かを、幸せにすることができます。
我々は、認識されることも、感謝されることも必要としません。ただ、そうする事が、心の深みにおいて、満ち足りたものを与えます。それは、常にそうありたいと思う「姿」です。
では、生き方を変えて心の在りようを変容させることが可能でしょうか?
生まれつき心が持っていた否定的な気持ちや破壊的な感情を?我々のムードや特徴。そして、感情を変化させることは可能でしょうか?そのためにはこう尋ねなければなりません。
心の性質とは何でしょう?
経験的な観点から見れば、意識の主な性質というものは、単に事実を認識し、気付くことなのです。
意識は、すべてのイメージを映し出す鏡のようです。
醜い顔も美しい顔も鏡は気にしません。鏡は汚されず、イメージによって変質する事もありません。同様にすべての思考の背後には、ありのままの意識。純粋な認識があります。
そういう性質なのです。意識は、憎悪や嫉妬によって損なわれるようなことはありません。全体が、染料で染められても、布は布であるように、常に、意識は、そこにあります。
我々は、いつも怒っていたり、嫉妬深かったり、気前がよかったりするわけではありません。意識という布地は、純粋に認識をするというその性質において、石とは違っていて、だから、変化の可能性があります。
すべての感情は過ぎ去っていくからです。それが、心の訓練の基盤です。
心の訓練は、2つの対立する精神要因が、同時に起こり得ないという考えに基づきます。愛から憎しみへ行くことはできます。でも、同じ時間に同じもの。同じ人に対し、害悪を願いながら、善を願うことはできません。あなたは、握手しながら殴ることはできません。
我々の内面が、満ち足りようとするのを妨げる感情に対して、自然の特効薬がある!!ということです。
そこに進むべき道があります。
嫉妬に対しては、喜び。貧欲な執着に対しては、内心の自由。憎悪に対しては、慈愛あふれる親切。もちろん、それぞれの感情ごとに、特定の解毒剤が必要です。
これは、仏教の最古の経典とされる南伝パーリ語のスッタニパータにもある「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」の克服方法です!!
もう一つの方法は、全ての感情の特質を分析することで、対抗手段を見出そうとするものです。
通常、我々が、誰かに対し、不快や憎しみ。動揺を感じたり、何かに執着すると我々の心は、その対象��ことを繰り返し考えます。その対象に思いを寄せるたびに、執着心や不快感が増します。
その過程は、際限なく膨らみ、繰り返されていきます。今、我々が見るべきなのは、外を見る代わりに、内観するということです。
「怒り」そのものを「ああっ自分は怒ってるな〜」と注視してください。それは、非常に恐ろしげに沸き立つモンスーンか雷雲のように見えます。その雲に座ることすらできそうに見えますが、近づけばただの霧にすぎません。
同様に、あなたが怒りという感情を直視すると、それは、朝日のあたった霜のように消えます!!こ��もブッタのプラスサムの智恵です。
何度も繰り返して、怒りの感情を直視して、解消しているうちに、怒りの繰り返しは、解消するたびに、だんだん小さくなります。そして、ついには、たとえ怒りが生じても心をかすめるのみで、空を渡る鳥のように痕跡も残さなくなります。
これが心の訓練の基本であるウィパッサナー瞑想法です!!
時間はかかります!心の欠点や性癖を積み重ねるのに、時間がかかったように、それらを解きほぐすのにも時間がかかります。
しかし、それしか方法はありません!!
心の変容こそが、瞑想の意味することろです。新しい在り方やものの受け止め方を習熟することです。そのほうがより現実であり、相互に支えあい。流れのように連続的な変化であるもの。
それが、我々の存在であり意識であるのです。それでは、認知科学との接点について、この話をする必要があります。短い限られた時間で話さなければなりません。
脳の可塑性に関して、以前は、脳の機能は不変のものと思われていました。20年ほど前までは、すべての神経の接続の総数は、成人した後には、ほとんど変化しなくなるものと考えられていました。最近では、それは大きく変化しうることが解かっています。
10,000時間。バイオリンの特訓をしたバイオリン奏者の話を聞きましたが、指の動きを制御する脳の部分は大いに変化して、シナプス接続が強化されます。人間の品位において、愛あふれる慈悲や忍耐強さ。開かれた心によっても同じことができるでしょうか?
これは、それらの偉大な瞑想家が行っていることです。ウィスコンシンのマディソン。
または、バークレーの研究室に来た達人の中には、2万から4万時間も瞑想をした人がいます。彼らは、3年間ほどの隠遁生活を送り、その間、毎日12時間、その後も毎日3-4時間瞑想します。彼らは、心の訓練の真のオリンピック勝者です。
何が明らかになったでしょうか?
さきほどの話と同じです。研究に関しては、まだお話できないのですが、この研究では、無条件の慈悲について調べました。何年も何年もかけて、心の中に慈しみをあふれるさせることができるようになった瞑想家に実験をMRIにて手伝ってもらいました。
そこに至る訓練の途上では対象として、苦しんでいる人々のこと。愛する人々のことを考えますが、やがて、慈しみがあふれて、全てを覆い尽くすことができるのです。科学的な結果の全てを述べる時間はありません。またの機会があることを期待し��しょう。
肝心なことは、この実験は、サーカスのように特別なことができる人を見せようというものではなく、精神鍛錬は、重要だと言いたいのです。これは、ただの贅沢ではなく、精神のビタミン栄養剤でもありません。
これは、我々の人生のすべての瞬間の品質を決定するものです!!
皆さん。教育には、すすんで15年を費やし、ジョギングやフィットネスなど、表面上の美貌を維持するためにあらゆる事を行います。しかし、心の動かし方、心の美貌などという最も重要なことには、驚くほど無関心で訓練に時間をかけません。
それは、我々の経験の質を決定する根本的なことなのです!!
または・・・
皆さんにも、「イラっ」とした感覚が生じる瞬間があるはずです。これは、「憎しみ」と誤解して、表現する書物がたくさんある。
しかし、誤りです。ブッタによると、「憎くて憎くて、あんたが憎い!だから、私の最大の敵なんだ〜」として、「イラっという感覚」と「目の前の敵」をリンクさせたがる。
これも、誤りです。ブッタは「私は、おまえの敵ではない!おまえの敵は自分自身なのだ!」と言います。自分自身ほど手強いライバルはいないとも言います。つまり、人間の特質がそうさせる自我がライバルです!
アインシュタインの相対性理論によるとある時点で光が、トポロジー的に反転して、今、自分の見ている対象が、自分自身の姿として写って脳内が認識してしまう!という現象も計算で判明しており、鏡のようになってしまうこともあり得ます。
「イラっという感覚」と「他者を敵という概念」は、リンクせず、関連もない!ただ単に、自分自身の勘違いと言うこと。これが理解できれば、憎しみの連鎖は断ち切れます。他人に教えても減らないプラスサムのブッタの知恵です。
また、ネイティブアメリカンでも、「イラっ」とする感情は、慈愛、慈しみと言うらしいです。
そして、親、兄弟姉妹は、ウザいという感情表現は、最高の慈愛、慈しみを感じてるから!らしいです。最悪、感情を自分自身で消化できないなら、物理的な距離感を大事にすればいい。ということになります。
これと似た現象に、政府の陰謀?影の政府?誰かの陰謀と具体的でない言葉で発言して自分以外の責任になすりつける人物や団体には、盲点があります。
つまり、邪悪な影の政府は具体的に発信している本人自身ということ。
なぜ?言葉の定義もなく指摘も抽象的ならその人や団体自体が最も具体的だから!
自分自身が、真の影の政府になるというパラドックス
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てんじく)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも呼ばれる。
数十年単位では、悪性でも数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
宗教の創始者たちの概念上の教え。
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装置をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強調する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
ロジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。人間の心理への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、組織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
これらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです。
そして
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教って、すべて一神教。数学の群論、トポロジーの圏論で多神教の仏教の視点で俯瞰すると、ある意味、多神教の一形態とも言えるんだよな。
インドでも似たようなのあるからね。ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神など。
なお、日本では、あまり知られていないヴィシュヌ神は、日々、時空を超越して、同時に姿を変えて人々を救っていたという場の量子論的な特徴があります。
その時のそれぞれの姿は化身を意味する「アヴァターラ」と定義されており、オンラインゲームなどで呼ばれる自分の分身となるキャラクター「アバター」の由来ともされています。
日本では、観自在菩薩に似ていますが、シヴァ神よりも強くて最強。宇宙を維持する役割もあるので、最新物理学では、イメージ的に不確定性原理に近く、スーパーストリング理論や陰陽五行理論も含まれています。
日本人は皆、神社にいくでしょ!
あれ神道で神社庁も公的にありますよ。
お寺にいくでしょ!あれ仏教ですよ。
お盆やお祭りや年中行事に参加するでしょ!あれ仏教ですよ。
これらに関わらない人も・・・
数%の大企業を中心にしたマスメディアやテレビなどもナショナリズムと言うカルトの定義になるんだけどね。
カルトの定義「中立的なバランスの欠けた極端な思想を対象にする少人数の狂信的な崇拝を持つ教団」に当てはまる?
カルトを論じる前にカルトの定義をしないと風評被害になります!
ご注意下さい。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
テーラワーダ仏教では「色」も定義されていて、「色」とは「五蘊(ごうん)」の一部であり「存在する物や事を視覚で認識」すること。
「色即是空」の「色」です。
「五蘊(ごうん)」は「五根(ごこん)」という身体の感覚器官から執着が生じていると論じています。
偶然の一致か否か?不思議なことに・・・
「量子力学」という分野を開拓し、発展させた三人の物理学者「ニールス・ボーア」「ヴェルナー・ハイゼンベルグ」「エルヴィン・シュレーディンガー」たちは
とても奇妙なことに気がつきました。
素粒子の物理学を究極まで追求していくと、驚いたことに、はるか昔の東洋の賢者たちが説いた哲学に
どんどん接近してしまうのです。
これは何を意味するのでしょうか?
次に
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出てきた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたいな道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先端を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
バラモン教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも。
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
現在のEUは、NATOがウクライナ侵攻でクローズアップされたこと。さらに、13の暦がひと回りして2000年前位の状況も含めて考えると
トル���まで領土にしたローマ帝国の民主主義版をフランス、ドイツは構築しようとしてる?
イギリスがブレグジット(Brexit)で離脱したのは、かつてのローマ帝国の過ちを回避した可能性も?
もし、以前、機運が高まった時にロシアがEUに加盟していれば、古代ローマ帝国2.0(民主主義版)が建国していたかもしれない。
大西洋を超えてアメリカ大陸からロシアを含めて、北半球に巨大なモンゴル帝国を超えた人類史上最大の領域が誕生するので・・・
今からでもロシアは遅くないので加盟したほうがいいような気がします。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレーションとして出てきた。
仏教最高レベルの奥義が「中道」と言葉で言うのは簡単だけど、体得して実践するのは至難の業。
ピータードラッカーも言っている。
それを可能にする方法を段階を踏んで導いた最初の人が釈迦です。
初心者向けとして、アビダンマや八正道がそれに当たります。具体的な方法を体系化しています。
極端な見解にとらわれない(顚倒夢想:てんとうむそう)よう人が心の苦しみから逃れるには、八つの道を守れば良い。
正しい見かた、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断。そして、正しい考えかたである。
ところで「正しい」とは、何をもってそう言うのだろうか?
ここでは、アリストテレス(サンデルの正義)の定義ではありません。
この場合の定義は、ブッダの説いている「中道」が「正しい」という意味です。両極端にとらわれない正しい立場(中道)が悟りへと導く唯一の道なのです。
悟りから始まり、この世は、様々な概念が重なり合うため、概念の機微や均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
最初は大変だが、ドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人みたいに、これを大変なレベルじゃなくなるくらいに習慣化することがコツです。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
続きは、後ほど。倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権なので
アリストテレスのニコマコス倫理学には、快楽的生活、社会的生活、真理を追求する生活がある。
思考の知的な徳は、形式知の根本?
もう一つ、性格の徳は、暗黙知の根本?
アリストテレスのいう定義である悪徳の反対は、有徳。有徳に転換する努力が必要。
悪徳に似た概念として、��教でも、具体的に邪道四つと定義されている。
テーラワーダ仏教に似ている。顚倒夢想(てんとうむそう)になるため悪行為を段階的に最小限する努力が善行為。
こうすることで「パワーか?フォースか?」の書籍でいうパワーが人類全体で平等に底上げされる。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です
そして、ブッダの説いている「中道」は、「パワーか?フォースか?」の書籍でいう「意識のマップ」内の「中立」レベルに当たるかもしれない。
アビダンマとは異なる領域なので、うつ病、ADHD、自律神経失調症、発達障害などは、精神科医や心療内科へどうぞ。
もう少し、テーラワーダ仏教で教え伝えられている経験則を初心者向けから二、三歩、歩みを進めると「預流道心」と言われる悟りの最初の心が生まれる瞬間があります。
自力で到達するのは危険なので、お寺のお坊さんに詳しくは聞いてください。
自分の解釈では、ここに到達する感覚としては、量子力学の本質である「場の量子論」を本当に理解した瞬間が一番近い感覚です。しかし、検証できないので本当に到達したかわかりません。
テーラワーダ仏教のアビダンマでは、「預流道心」に到達すると自然と悟りの道に自動的に回帰できるようになるそうです。次に、七回生まれ変わるまでに完全に悟りの流れに乗れる。
前世で「預流道心」に到達してると子供の頃から、桁の違う天才になりやすい傾向が発現してくるそうです。
そして、六道輪廻するのは、人間界か天界のみだそうです(一神教では、天国に近い領域に似ている)他にいくつか特徴があります。
「預流道心」に到達すると「第一禅定(ぜんじょう)」状態に自動的になります。
一神教では「天国」に相当することですが、テーラワーダ仏教には、この先がありますが、ここまでにします。
厳密には違うけど、わかりやすく言うと精神領域がスーパーサイヤ人に到達するようなイメージ。しかし、すぐ心の状態は普通になります。
漫画のイメージのように身体は強くなりません。
言葉の定義として「禅(Zen)」は、ブッダが伝授された「第一禅定(ぜんじょう)」が起源。
言葉の定義として、ここでの「定」は、サマーディとも「梵天」の「梵」とも呼ばれます。
日本語ではわかりずらいけどサンスクリット語などにすると全て関連してることがわかります。
サマーディ瞑想とも深く関連していて、瞑想しすぎると「あの世」の人になってしまうので、ほどほどの八正道で「この世」の状態を維持しないと危険です。
戻ってこれなくなります。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
歴史に耐え抜いた哲学の基盤がない権力者が最も危険な存在です。
(個人的なアイデア)
2019年に日本では、元号も「令和」に変わっていくため、ここで記しておくことは、今後の人類の発展に貢献できるかもしれないためでもあります。
マインドフルネスという瞑想法が流行していますが、個人的には危険性が高いと思っています。まだ科学的とはいえ「魔境」の克服が解明されていません。
仏教は、長い年月で練られた瞑想法が確立されているので、克服法も適切な指導者にて行わないと日常生活に支障が生じる恐れがあります。
瞑想法は気軽にするものではなく、自己責任でどうぞ。警告として、記入しておきます。
続いて
2020年後半くらいから様々な占いで出てきてた時代の変わり目。それが、西洋占星術で具体的に「風」の時代という形で出てきました。
私が、感じとってたインスピレーションは、たぶんこれかな?
兆しは、世界的な金融ビックバンの1970年代、IT革命のミレニアムの前から出ていたけど。
これは、これまでの約200年間。物質やリアリティの影響力優位「土」の属性の時代から、量子コンピューター、ビットやインターネットなどといった物質ではないものに影響力が増していく「風」の属性の時代に。
そして、本格的に軌道にのっていく属性は、今後200年程続くことになるのです(2020年12月22日から、2100年当たりをピークに少しずつ衰退していく2220年まで)
<おすすめサイト>
エピソード9 Episode9 - 各宗教と政治のチェックと指標について「パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon」
ポール・ピフ:お金の独占が人と大企業を嫌なヤツにする?
ショーン・エイカー :幸福と成功の意外な関係
バリー・シュワルツ:選択の自由パラドックスについて語る
ダン•ギルバート:私たちが幸せを感じる理由
日本テーラワーダ仏教協会
仏教と物理学
ボブ•サーマン:私たちは、だれでも仏陀になれるという話
マチウ・リカール:慈しみと愛他性(アルトルーイズム)に導かれる生き方
カイラシュ・サティーアーティ:怒りの昇華で世界に平和をもたらす方法?
<提供>
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2025年2月12日(水)
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三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、今回は2/10(月)にお願いしていたものが、大雪の影響で遅延、本日到着した。いつものように平飼い有精卵30個、畑無農薬野菜、地鶏、手打十割蕎麦に加え、友人の有機栽培茶と干物が入っていた。自分の農産物に留まらず、地域の魅力的な生産物をともに届ける、まさに地域連携・地域交流の実践だ。奥川さん、いつもありがとうございます!
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5時30分起床、今朝もよく冷えた。
洗濯開始。
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蕎麦の解凍を忘れたので、朝食には雑炊をいただいた。
珈琲いれる。
洗濯物を干す。
彼女は午後から出勤なので、弁当はなし。
空き瓶、45L*1。
一人で出勤する。
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MK石油で給油、@179*34L=¥6,086。
順調に到着する。
私学共済の継続書類、二男の分を法人事務局に提出する。
「教育研究活動報告書」を作成、メールで提出する。
資料の分別、必要なものはカバンに入れ、そうでないものは廃棄処分にする。
作業終了、早々に退出する。
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順調に到着する。
ランチを済ませ、彼女は自転車で出勤する。
3/22(土)には、例年通り彼女がMQJ代表として薬害エイズ被害者の会の総会に出席、今年はそれに合わせて浅草演芸ホールの夜席を楽しむことに決定、ホテルを予約する。
コレモ七条店で買物、レタス・トマト・ブロッコリー。
ユニクロからウェブで注文した肌着が五条丹波口店に届いたとのメール、雨模様なので車でとりに行く。
奥川ファームから定期便到着、そばを冷凍庫へ、卵を冷蔵庫へ、他の野菜類はとりあえずベランダに出す。
灯油の移動販売、18L*2。
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夕飯は鶏ムネ肉のロースト・大根とゆで卵の煮物・キュウリのぬか漬け・レタスとトマト。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第43話「秒読みの殺人」/ Make Me a Perfect Murderシーズン 1, エピソード 43 TV��CNCの辣腕プロデューサー、ケイ・フリーストーンは、支局長マークのチーフアシスタントでもあり、彼の恋人でもあった。ある日、マークにニューヨーク本社への栄転が決定する。ケイも自分のことのように喜ぶが、マークはケイを後任に推薦する気もなく、関係も終わらせようとしていることに気づく。
片付け、入浴、体重は600g減。
パジャマに着替え、焼酎舐めながら日誌書く。
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歩数は届かないが、なんとか3つのリング完成。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)10月29日(火曜日)弐
通巻第8480号
中国の『国防七大学』OBが中国軍のなかに新派閥形成
台頭する理工系エンジニアのテクノクラート集団
*************************
中国の『国防七大学』とは北京航空航天大学, 北京理工大学, 南京航空航天大学, 南京理工大学, 西北工業大学,哈爾浜工業大学、哈爾浜工程大学をさす。
米国はこれら七校が中国の軍需産業と密接に結びついているため、交流を禁止しているが、日本の大学のなかには相変わらず、無頓着に交流し技術提携関係を持続している。
日本の国公私立大学計45校が、中国人民解放軍と関係があり、軍事関連技術研究を行う国防七大学と大学間交流協定を結んでいる。しかも9校は共同研究の実績がある。
これら七校の出身者が、最近、軍エリートとして新興の派閥を形成している。
習近平は最近しきりに「軍民融合」というタームを使う。そのうえ19回党大会のあと、「軍産幹部」をつぎつぎと上位に昇進させており、2022年の第20回党大会以降は、副大臣クラスで「軍産エリート」たちの存在感が高まっている。まさしく中国共産党内の潜在的な新興派閥である。
トウ小平はベトナム懲罰戦争を仕掛けたが、ボロ負けした。階級章が曖昧で、命令系統がわからず、武器は旧式だった。にもかかわらずトウ小平があえて戦争を仕掛けてた理由は、戦争に打って出ることで軍をトウ小平主導のもとに整合させるという隠された目的があった。
以後、しゃかりきとなって推進したのが『軍の近代化』だった。ハイテク武器の開発、軍の効率的運営、海軍の充実。そして地方軍閥をなくし、軍のシステムを総政治部、総参謀部、総装備部、総後勤務部の四つにはっきりと統合した上で、陸海空の三軍と七大軍管区にわけ分割統治を謀った。
「中国海軍の父」といわれたのが劉華清だった。彼は党小平の信任厚く、人民解放軍海軍司令員(司令官)、第14期中国共産党中央政治局常務委員、党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席などを務めた。最終階級は上将。
江沢民は軍歴もなく軍人のだれもがせせら笑っていた。なぜこんなエンジニア出身の党官僚が軍に命令する権利を持つのか、と憤懣やるかたがなかった。そこで江沢民は懐柔策にでて軍人のアルバイトを黙認し、江沢民に忠誠を誓う胡麻擂り軍人にばんばんと上将(大将)辞令を乱発し、手なづけた。よって軍は腐敗した。
習近平は、おそるおそると軍の改革に手をつけ四大総部体制を掻きあらして十五の局として再編、ついで七大軍管区を五大戦区に転換した。
さらにロケット戦略軍を新設し、理工系エンジニアを大量に採用���、ハイテク兵器の開発功労軍人を矢継ぎ早に昇格人事をおこなった。宇宙航空関連の軍人が、軍内でエリートと見做されるようになった。
ということは並みの軍事訓練をうけてきた兵隊からすれば体力も戦闘経験もない頭でっかちが、軍エリーとなっていくことに強い反発と嫉妬、怨念を抱いた。
▼とはいえ、国防軍事産業は閉鎖的社会である
新派閥は理工系、数学とコンピュータに強い教育的背景と防衛産業の運営モデルを通じて人間関係のネットワークが形成され、相互信頼、ならびに同質性が育まれる可能性が高いため、結束力が異様に強い派閥となった。
コンピュータの軍事エリートが世界最大のハッカー軍団を取り仕切っていると推測される。
この『軍産エリート集団』は共産党中央委員会のなかに独自の軍産複合体閥を形成し、幹部が資源配分、政策立案、規制、現地調整、意見伝達などで重要な役割を担い、防衛産業の発展を統括している。
2024年6月には黄強(元国防科学技術委員会書記長、国防科学技術局副局長)が吉林省党委書記に任命された。異例の出世である。遼寧省の赫鵬、黒龍江省の徐勤と並んで、中国東北部の主要軍事産業基地の省党委書記3人全員が防衛産業出身者となったのだ。
習近平氏は近防衛産業の発展と拡充を強く支援しており、防衛産業出身の幹部昇用が目立つことは述べたが、これら新エリートのほとんどは国防七大学を卒業している。
しかし基本的な特質を述べれば、中国の防衛産業は閉鎖的な社会で、より広範な官僚制度を特徴付ける「ブロック論理」(日本で言うところの「省益」は防衛産業にも存在し、研究開発は特定の防衛企業または研究部門に限定される。セクト主義だ。
さはさりながら共産党のピラミッドの頂点である中央委員会メンバーのうち、防衛産業出身者は21名となった。第20期中央委員会では、劉国忠、張国清両副首相、馬星瑞新疆ウイグル自治区党書記、袁家軍重慶市党書記の4名が政治局に昇進した。習近平をのぞく政治局23名のうち、軍エリートは四名である。
国務院人事をみても、多くの省庁が軍産関係者を重要な役職に据えている。
20期中央委員会では、国務院内の軍産資源や関連産業部門を実効管理する人物として、張国清副首相(工業担当)と劉国忠副首相、呉正龍国務委員、金荘龍工業情報化部長、懐金鵬教育部長などがいる。
地方レベルでも21人の軍産幹部が14の省、直轄市、自治区で党書記または省長を務めた。
就中、東北三省である。遼寧省、吉林省、黒竜江省の重工業地帯は、ずばり日本の満州国建設時代に鉄鋼、造船、機械工業を育成発展させて基盤がある。
この三省が中国軍事産業にとって不可欠な研究企業や研究所の本拠地である。例えば、黒龍江省にはハルビン航空機工業集団(HAIG)、遼寧省には大連造船工業集団(DSIC)、ついでにいえば陝西省には中国航天科技集団(CASC)の第四研究所と第六研究所がある。
中央委員会の軍産関係者の人脈を分析すると、多くが学歴や職歴を共有していることも分かる。学閥もまた習近平が清華大学閥を形成しているように中国の人脈地図に於いて重要である。
全国人民代表大会副主席の張清偉がこのネットワークの中心人物とされる。張清偉は航空宇宙分野で長いキャリアを積んできた。このため、航空宇宙分野の役人のほとんどつながりを持つ。重慶市の袁家軍・党書記、新疆ウイグル自治区党書記の馬興鋭、中央軍民融合弁公室の雷帆培副主任、工業情報化部長の金荘龍は副官を務めたことがある。
もう1人の中心人物は、副首相の張国清だろう。国務委員の呉正龍と陝西省長の趙剛は、一緒に仕事をした経験があり、張と呉は2013年から2014年まで中国共産党重慶市委員会で一緒に働いていた。
ただし中国共産党の最高機関である政治局常務委員に昇格した軍産関係者はいない。党の活動歴がないうえ、習近平のとの個人的な絆が薄いからだ。
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2024 年 8 月、私は 20 歳の若者の投稿を偶然見つけました。その若者は、大量の郵送部品を使って自宅で核融合炉を組み立てました。さらに重要なのは、彼がこれを Anthropic の Claude AI サービスの指導を受けながら行ったということです。 核融合炉とは何でしょうか?クロードはこう言います。 フューザーは、核融合を実現できる最もシンプルな装置の一つとして注目されており、適切な安全プロトコルの下で上級アマチュア科学者によって構築されたバージョンもあります。 核融合装置は、静電場を利用してイオンを核融合条件まで加速する装置です。この装置は、接地電位の外側のグリッドと高い負電圧の内側のグリッドの 2 つの同心球状グリッドで構成されています。重水素ガスが導入されると、電界によって重水素イオンが中心に向かって加速され、衝突時に核融合が発生する可能性があります。 核融合炉は核融合を実現できますが、生産するエネルギーよりも消費するエネルギーの方が多いです。核融合炉は発電用ではなく、主に研究、教育、中性子源として使用されます。
若者がAIを使って核融合炉を作ったが、私は泣かざるを得ない
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はく製は絶滅したニホンオオカミか 気づいたのは都内の中学生 | NHK | サイエンス
以下引用
国立科学博物館で「ヤマイヌの一種」として保管されてきたはく製が、現在では絶滅したニホンオオカミとみられることがわかりました。ニホンオオカミではないかと最初に気づいたのは都内の中学生で、専門家とともに研究を進めてこのほど発表しました。
論文を発表したのは都内の中学1年生、小森日菜子さんと国立科学博物館などの研究チームです。 小森さんは小学4年生だった4年前、茨城県つくば市にある国立科学博物館の収蔵庫の特別公開イベントを訪れたときに保管されている動物のはく製標本1点が図鑑などで見たニホンオオカミと似ているこ��に気がつきました。
このはく製は「ヤマイヌの一種」として博物館に保管されてきたものでしたが、小森さんが専門家とともに詳しく調べた結果、体の大きさやはく製のラベルに基づく過去の記録などから100年以上前に現在の上野動物園で飼育されていたニホンオオカミの可能性が高いことがわかり、2年がかりで論文にまとめて今月、発表しました。 研究チームによりますと、ニホンオオカミはかつて日本に広く生息していましたが、およそ100年前に絶滅したとされ、はく製や毛皮の標本は国内外でわずかしか残っていないということです。
小森さん「これはニホンオオカミだなと ピピッときた」
論文を発表した小森日菜子さん(13)は都内の中学校に通っている1年生です。 小学2年生のころにニホンオオカミに興味を持ち、国内で保管されているはく製を見学したり、図鑑や学術書を調べたりしてその特徴について学んできたといいます。 ニホンオオカミと特徴が似ていることに気がついた当時の心境について小森さんは「額から鼻にかけての形が平らになっていることや、前足が短く、背中に黒い毛があるといった特徴を見つけて、これはニホンオオカミだなとレーダーみたいな感じでピピッときました。すごい頭の中で、踊り出したいというか、舞を始めるというかそんな感情でした」と振り返りました。 その後、このはく製は「ヤマイヌの一種」として扱われ、よく調べられていなかったことを知った小森さんは、専門家に相談しながら博物館などが公開している過去の記録を調べ上げて考えをまとめていき、5年生の時、自由研究で博物館で見つけたはく製はニホンオオカミではないかとレポートにまとめて発表しました。
このレポートは図書館振興財団が主催するコンクールで文部科学大臣賞を受賞したほか、相談していた専門家の1人で、標本の歴史に詳しい千葉県にある山階鳥類研究所の研究員の小林さやかさんから「この調査結果をぜひ学術論文として世に残して欲しい」と提案を受けることにつながり、論文の作成を目指すことになったということです。 論文として客観的な根拠をもった考察を行うため、さらに2年にわたって分析や検討を重ねて執筆を進め、専門家による査読を経たうえで今月22日に国立科学博物館が発行している電子ジャーナルで論文を発表しました。 論文を発表する原動力になったのは探究心だったということで、小森さんは「調べていくなかで新たな謎が出てきて、そこをさらに調べて解くことが大変でしたが楽しかったです。ニホンオオカミはたくさん研究されていますが、真の姿は分っていないので、色々な謎が残されています。真の姿を知りたい、解明したいというのがやっぱり一番です」と話していました。
論文の共著者「日菜子ちゃんはすごい観察力」
論文で発表することを勧めた共著者の1人で、千葉県にある山階鳥類研究所の研究員の小林さやかさんは「最初にレポートを見た時から、かなり研究になるなと思っていたので、論文にまとまってよかった。日菜子ちゃんはすごい観察力というか、そういう面で才能があるなと思っています。私は手法を教えただけなんですが、好きなことを極めて、最終的にニホンオオカミの可能性が高いというところまで近づけたのはすごいよかったです」と話していました。 そして「興味を持ったことを1つ調べてみると、その先にどんどん広がる世界があると思うので、自分が関心を持った分野をどんどん深めていってほしいと思います」と小森さんにエールを送りました。
国立科学博物館の担当者「今後もいろんな発見を」
国立科学博物館の収蔵庫から新たにニホンオオカミとみられるはく製が見つかったことについて、論文の共著者の1人で、国立科学博物館動物研究部研究主幹の川田伸一郎さんは小森さんが小学生の時に発見して中学1年生で論文を書いたことは「すごいことだと思います」と評価しています。 そして「ちゃんと学んでいくプロセスを歩めば、研究というのは小中学生でも高校生でもできるのだと思います。小森さんは今後もいろんな発見をするだろうなとこれからが楽しみです」とエールを送っていました。 国立科学博物館には今回のニホンオオカミとみられるはく製をはじめ、100年以上前の歴史的に貴重な標本が保管されているほか、新たな標本や資料も毎年増え続け、その数は500万点以上と国内最大規模です。 貴重なコレクションの管理に充てるため、国立科学博物館は去年8月、クラウドファンディングを行ったところ、5万人以上から支援が寄せられ、目標額を大幅に上回る9億円あまりが集まりました。 川田さんは博物館に保管されている膨大な動物のはく製を管理する立場でもありますが、今回の発見を通じて貴重なコレクションを未来に引き継いでいくことの大切さを再認識したといいます。 川田さんは「100年前の標本を調べて今回の成果が得られたわけですが、ニホンオオカミに限らず素性がわかっていない標本は結構あります。できるだけ未来につないで、これから新しい技術の発達でもっと別の方面から調べていくことも可能になってくると思うので、未来のために標本を残していくことが大切なんだなと改めて感じました」と話していました。 今回のはく製はバックヤードで保管しており公開する予定は当面ないということですが、別のニホンオオカミのはく製は東京・上野にある博物館で展示されていて、見ることができるということです。
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