#味っ喰亭
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へきるり
碧瑠璃。家人の誕生日だった。珉亭でチャーハン食べ、『悪は存在しない』を観た。何だったんだろうね、という話をした。真摯で忍耐強いカメラの視線。車のリアガラス越しに遠ざかっていくショットがやたら多かった。会話"だけ"であんなに力強く物語が動いていく。俺は濱口竜介を心から信じている。園子温を心から信じていたこともあった。エルデンリングのDLCを見据えて愈々プレ5買うか、良いドライヤーか、良いシャワーヘッドか、プレゼントにどれか選んでくれ、と家人に迫っている。回答を待っている。
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自分を暗殺してみたい。だが、一体どのようにして。
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後輩2人連れて痛飲。ウマ娘の映画観た後に馬刺し喰ったんすよ、といって不気味に笑う甲を屠殺して、女声ボーカルが好きだという乙にリーガルリリーとkurayamisakaを勧めてやった。飲みすぎた次の日は身に覚えのない本の発送通知がくる。
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『クラユカバ』『クラメルカガリ』
『クラメルカガリ』『クラユカバ』を公開初日に続けて観てきた。面白かった。以下ネタバレがある。上の写真は3月末に閉館してしまった地元の映画館で撮った。二度と足を運ぶことのできないクラガリになってしまったが、たくさんの名画に出逢わせてもらった。
まずクラガリが「亜炭堀りの坑道」を広げる途上で発見された正体不明の地下世界である、という設定がめちゃめちゃ良い。亜炭は我々の世界でさかんに用いられていたのは昭和40年代ごろまでだったそうだが、『クラユカバ』『クラメルカガリ』の人々にとっては過去の話ではない。地下世界発見の経緯や箱庭の成り立ち、懐かしいようで見覚えのない奇妙な街並みを舞台に生き生きと描かれる人々の暮らしぶりを観て我々が抱くのは、亜炭が「現在」の彼らの生活を支える身近な資源であるという実感だ。しかしそもそも亜炭とは、かつて地上に生息していた木々や植物が腐敗する前に土の下に埋もれ、そのまま地中で何十何百何千万年という永い時間をかけて変質していった結果できあがる代物だ。あの人々の生活から匂い立つ(亜炭は燃焼すると甘酸っぱいような独特の匂いを発したらしい)亜炭の存在感は身近かもしれないが、亜炭のもとになった木々は人類がまだ生まれてもいない数千万年前から地上にいた、と考えると途端に途方もなさが際立つ。 亜炭とは人間の文明以前からそこに在り、亜炭が埋もれている深部の地層もまたそれだけ古い時代からそこに存在し続けてきた。つまり亜炭が眠り続けていた深さの地下世界とは、人知も神秘も及ばぬ遙か遠くの「過去」の世界、ということだ。 木々のように腐敗もせず水のように流転もせずただただ地中に横たわり続けた「過去」が、永い時のなかで亜炭のごとき変容を果たし「過去」ではない何か、暗がりではではない何かに変容してしまったのだとしたら。それが亜炭堀りたちの見つけてしまった世界のきざはし、見世物一座が「くらゆかば」と消え去った暗渠の向こう、あるいは虫喰いを辿った先にある未踏の暗がり────「クラガリ」の始まりとするならば。タンネやトメオミの装束が博物館を司る機関の制服に似ていること、クラガリに「曳かれた」人間が過去にまつわる譫言を吐くばかりになっていたこと、「クラガリの端にしてほとりのクラブチ」で荘太郎が過去の幻影に囚われかけたこと。これらの理由を想像するのが個人的に楽しくなってくる。
クラガリに「惹かれるな」ではなく「曳かれるな」、なのはクラガリがすすんで誰かを呼んでいるわけではないという意味かもと思う。過去を求めた人間が地下へ、あるいは自分の内側へ深く深く潜っていった結果クラガリに接触してしまう。クラガリが「せり上がってきている」時ですらクラガリに何かを惹きつける意志はなく、何かを曳いたところでクラガリが変わることはない。暗がりで道を選ばされるのはつねに曳かれたほうだ。 加えて暗がりで人が観るものといえば夢、映画、幻灯の類いだろう。荘太郎も大幻灯を浴びて人形劇や紙芝居やメリエスの無声映画のごとき幻影を彷徨ううち、父と母と平穏に暮らしていた幼い頃の「過去」へと歩き去ってしまいそうになる。父の帰りを待ちながら老いて亡くなった荘太郎の母は人形劇の世界で身体の色が金から白に変わっていったし、過去の幼い姿でどこかへ歩いていこうとする荘太郎の世界は色がなく、その背後に並びはためく幟も白い。金とか灯りは生きてる人間の色、白はクラガリに行ってしまったひとの色なのかもな、と思う。そこに見世物一座の「千里眼」の少女によく似た、白い髪の幼いタンネがやってきて、「これ、忘れ物」と掌を差し出す。 色々あってサキを福面党から取り戻すことはできたものの、見世物一座は「くらゆかば」と去り、父は帰らないままだ。それでも荘太郎が思い出したように探偵事務所の引き出しを開けると、そこには幼いタンネが届けてくれたあの金色の巻き鍵がある。それは事務所の壁にかけられた時計の巻き鍵だ。荘太郎が子どもの頃クラガリに行ったことがある記憶をちょっとしゃべる冒頭のシーンで、荘太郎の後ろの暗がりが映り込む演出があったけど、あの事務所は荘太郎の過去が留まり続けたクラガリでもあったと思う。だから巻き鍵によって再び動き始めた時計が時を刻む音の響くラストは、過去は取り戻せないままなれど、止まっていた時間をようやく進めることのできた荘太郎にとって明るいものだった気がするのだ。
クラガリに曳かれながらもクラガリから抜け出でて自分の道を進む人間たちの話が『クラユカバ』であるならば、クラガリの真上で変わり続ける街とともに変わりながら生きる人間たちの話が『クラメルカガリ』なのだろう。物語の序盤で「箱庭紡ぎ」は街の「点と点を繋いで紡いでいく」仕事だと飴屋が言うが、それは『クラメルカガリ』という物語の構造そのものでもある。クラガリに曳かれる人間、曳かれた人間、街の変化を愛する人間、街を日々変えていく人間、変わっていく人間。それらひとりひとりの足取りが繋がり合いクラガリの上にひとつの物語が編まれていく。その変容を地図に、あるいは自分の内側に留めていく少女カガリの足取りは日々に翻弄されながらもまっすぐで迷いがない。作中でははっきりと描かれないが、虫食いの話になるたびカガリの顔が曇ったりなにか言いたげな顔をするのは彼女の両親の死んだ理由が虫食いに関係あるからではと思うのだが、それでも紡ぎの仕事は「嫌いではない」と彼女は言う。ユウヤの地図をすごいと評したカガリの、虫食いのことは書いてあったけど鉱泉の川に通じてるあの道のことは書いてなかった、との指摘も彼女なら至りうる。 というか『クラユカバ』でクラガリの端にふれると『クラメルカガリ』で地下の「虫食い」に潜ってまで地図を作りしか��その生き方を楽しんでいるカガリの生き様がちょっと異様であることが分かる。亜炭の鉱脈の上に成り立つ「泰平さん」と「箱庭」、そのさらに地中深くから時折湧いて出る虫食いを辿ればおそらくクラガリに行き着くのだし、特に映画の時系列は伊勢屋曰く「今は時期が悪すぎる クラガリがせりあがってきている」のだ。「箱庭」は日々様相が変わる街だから地図が必要なのだと飴屋は語るが、街がどれだけ変わろうとクラガリは変わらないのだろう。変わっていくのは地上にせり上がるクラガリに「曳かれ」る街のほうでしかない。 そういう街で箱庭紡ぎの仕事を担うふたりの街に対する思いが対比になっているのが面白い。ユウヤが日の当たる場所に行くまでの繋ぎに過ぎないと思っていた「紡」の仕事がカガリにとっては人生の楽しみであるというすれ違いは、カガリが記憶していた地下の脇道を「こんな細い道 俺だったらいちど地図にしたら忘れてる」と呟くユウヤの台詞にも表れている。ただしカガリがその道を覚えていたのは紡の仕事を気に入っているからだけではない。「もったいない、一緒に歩いたの大事な思い出だよ」と笑ったカガリにとって、ユウヤはこの街の記憶ごと大事にしたい存在なのだろう。この台詞にはカガリの街への思い入れと日々紡いでいるものへの意味が宿る。日の当たる場所に行きたかったユウヤが街を一時去るとき、「わたしユウヤくんの地図、好きだから!」と橋の上から笑顔で手を振るカガリには昇り始めた陽の光が当たっている。カガリとは地中のクラガリを行くための篝火であり、ユウヤにとっても日の当たらない場所=箱庭=クラガリを照らす篝火だったのではなかろうか。
ところで『クラユカバ』で荘太郎を福面党の一員と勘違いしてしょっぴこうとしたおっさんと『クラメルカガリ』でシィナ総長に声をかけていたおっさんが同一人物なのでこの二作はそんなに時間が離れてないんだろうな。『クラユカバ』で福面党にまぎれていたムジナの男が『クラメルカガリ』では髪が伸びた風体で石猿一家をけしかけていたあたりほぼ同時期というわけではなさそう。にしても福面党のボスが「御多福」なのは洒落がきいてる。ムジナと福面党の関係も気になるところだ。 演出面では、『クラユカバ』で車両から逃げる荘太郎が「じょうぶ~!!」て叫んでたシーンを『クラメルカガリ』のカガリがアブラムシから逃亡するときセルフオマージュしてたのが楽しかった。それと『クラユカバ』では荘太郎のお父さんが荘太郎になぜ探偵をやっているのか聞かれて「ここがむかし川だったことは知っているか?」、そんなふうに世の中に隠れている謎が好きで父さんは探偵をしているんだと答えたり、クラガリの入口を探していた荘太郎が街のじいさんに「トンネルを掘るときは一旦土地を開けてから埋める だから地図を見ればトンネルがどこを通ってるか分かる」と教えてもらったりと、『クラメルカガリ』ほどではないけど地図や土の記憶が大事��モチーフとして取り上げられてたのが良かった。荘太郎の降り立った橋のあたりとカガリが坑道から抜け出て川に流れ出たあたりはぱっと見近いかなって思ったけど実際はまったく関係ない景色なのかな。観直したさがある。 にしても『クラユカバ』を観るとこの深い深い世界のどの要素から『クラメルカガリ』が構築されたのか分かって楽しいし、『クラメルカガリ』を観てこの世界をもっと深く知りたいとおもった人に『クラユカバ』は当然充分応えてくれる。『クラユカバ』の停留所には「成田亭良悟」の名前が書かれたポスターが貼られているのだけれど、栄和島と伊勢屋とおなじく「まったくの別人」ながらもこの世界に成田良悟先生の言葉もまた息づいているのだなと思えて嬉しかった。伊勢屋に自分の留守を任せていく栄和島と任された伊勢屋の反応、原作を知ってても知ってなくても激アツだったな…… そういえば自分が映画館でこれを観ていたとき、伊勢屋の店が画面に映った瞬間後方の席から「カストリ…!?笑」て困惑した男性のデカめの声が聞こえてきて面白かった。かくいう自分は自律機関が出てきた瞬間「蒸気王じゃん!?」て叫ぶところだった。閑話休題。
ムジナの男がタンネ達と出くわす前に「ナマズとご対面だ」て言ってたのが気になってる。ナマズ=鬼(鬼灯色の瞳のタンネ)の由来がちょっと思いつかないし、地下を這う車両をシンプルに喩えた可能性はあるけれど、ナマズは地震を起こすと信じられてきた生き物だからムジナにとっては地下をわずらわすめんどくさい勢力としてナマズと呼んだのかな。だとしたらムジナたちって亜炭堀りに発見されるよりずっと昔からクラガリに潜んでる勢力なのかも。石猿一家が失敗したときも地下に帰る的なこと言ってとんずらこいてたし、新聞には浮世絵じみた絵で紹介されてるし。今後続編が制作されてムジナの行動理念が明らかになったら楽しそうだ。 ちなみに『クラメルカガリ』では蛙を鳥と云って出す屋台について「あれむしろナマズっぽいよね」とコメントしてた。箱庭はナマズ食が珍しくない文化なのか…?あとカガリとユウヤがごはん食べてた屋台の壁のお品書きに「目玉の甘」てあったけどあれなに?目玉の甘煮? 『クラユカバ』で荘太郎と稲荷坂が呑んでたお店もちょっと不思議で、荘太郎が生の中を追加したら新しいジョッキが来るんじゃなくて瓶から次いでくれるんだよね。「お兄さん!」て呼ばれた荘太郎が「ああもうそんくらいで」って止めたあと何かを継ぎ足して飲んでるあたり量でお代が決まるのか?と知りたくなった。というかあれ多分ビールじゃないよな(泡の載った金色だった覚えがない。自分が覚えてないだけかも)。テーブルにあった瓶のラベルにはホッペルと書かれてた。 『クラメルカガリ』のシィナが通信傍受機と同じ鞄に箱キャラメル入れてるのもめちゃいいし、シィナと飴屋の射的のシーンもなんてことないのに良さしかなかったな。ところでシィナさんと情報屋の伊勢屋はなんで知り合いなの?気になりすぎる。
管使いのタンネが管(たぶん管狐)のことを今いる地下より「ちょっと深いところ」の生き物だって言ってたけど、カガリも「ちょっと深いところ」の話してたんだよね~どこだったかな。管の色が金色なのも荘太郎が陥りかけたクラガリの過去の幻影に関係ありそう。そもそも見世物一座の人間たちがみんな白狐の面を被ってたからな……探訪記者の名前は稲荷坂でクラガリに近い人間の名前ぽさがある。 どちらの作品もいろんな生き物の名前や意匠が取り入れられてるの面白いよね。荘太郎に情報提供した男は兎の面つけてたし、朽縄博士(くちなわは蛇と書いてもくちなわと読む)の子どもたちは牛蛙だったり虫の姿だったり公園にはザリガニがいたり。ササラちゃんはササラ電車からの命名だったりするんかな。あとアブラムシよける機械のデザインが電動の蚊遣りぽかったなと思ってそこだけパンフ見たら名前が「ムシヨケ」だったしよく見たらデザインも蚊遣り豚だったので笑った。朽縄おじいちゃんが朽縄博士だと明らかになるシーンの真打登場感も良い。 真打といえば荘太郎を演じた六代目 神田伯山さんは講談師の方なんだよね。『クラユカバ』『クラメルカガリ』はどちらも台詞回しがきもちよいけど荘太郎の語り口は抑揚の良さも相まってなおさら好きだった。あと活弁士と稲荷坂と石猿親分を演じてる坂本頼光さんは本職の活弁士の方だし、女性声優さんたちが演じるタンネやトメオミやカガリといったクラガリを探る少女たちのまっすぐに発せられる声と、クラガリとともに生きてきた男性キャラクターたちの物語ることを宿命付けられたような声が双璧を成す、両作品のキャスティングも外せない良さだと思う。寺田農さん演じる朽縄が、老兵は去らず此処にある的な台詞を最後にクラガリじみた研究所へ帰っていくのも印象的だった。 もし今後続編が制作されるのなら「僕にもわからないんだ 自分が何者でどこへ行くのか」と語っていたタンネの来た道や行く道のこと、トメオミが珍妙な慣用句を引用するたび添えていた「その道に曰く」の「その道」の意味(クラガリに繋がってる余所の道だと思う)、「轍」や見世物一座の正体が語られたらいいなと思うし、「泰平さん」の「テリヤス工業」時代の話やこのあとの箱庭の姿もまだまだ観たい。パンフに載っていたインタビューでは、監督は『クラユカバ』『クラメルカガリ』の両作品で「まだ語られていないこと、解かれていない謎」について「世界を閉じたくない」「モヤっとしたものを残すことで観た方の記憶に残したい」から謎を残していると述べているし、成田良悟先生との対談では「ちゃんと考えてはいるんですけど」「もっと面白い設定を思いつくかもしれない」から「前もってテキストに書き起こさない」とも話している。だからここまで自分が書いた感想はあくまでも現時点で得られる情報からの推察に過ぎないし、正解は監督の頭の中にしかない。いつか続編で明かされるクラガリとその周辺の世界の正体が、今回の自分の想像よりも遙かに深く面白く最高であることを楽しみにしている。『クラユカバ』『クラメルカガリ』を観たあの日の映画館の暗がりは、それでようやく自分にとっての美しき「クラガリ」になるのだから。
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これは少しでも多くの人に伝えなければ!!
危うく騙されるところでした。
皆さんお気をつけください。
今日は日曜日、
少しゆっくり寝て目が覚めた、
すると 携帯電話に着信が!
番号を見ると、フリーダイヤルでもない、なんやら国際電話のような番号!
ちなみにこちらの番号です。
「+184433391263」
嫌な予感はしましたが、とりあえず出た。
すると 男性の声と言っても肉声ではなく、
緊急地震速報やJアラートの時の声で自動案内です。
男性のこの声はちょっと威圧感を感じる!
そしてその内容は
「NTTファイナンスです。
現在ご利用中の電話回線で未納料金があり、法的措置をとります。」
とにかく寝起きで 、変な電話番号で自動音声の男性の声、
プチ錯乱に
するとここが怖いんです、最後に
「ご不明な方は」やったか忘れたんですが、
「直接オペレーターと話す方は、数字の1を押してください」
って言うんですよ、
昭和のオッサンはオバハンはややこしいことが起きるとシステムがわからないからオペレーターと直接話したくなりますよね。
私も意味がわからないんで何度も「1」を押して直接オペレーターと話しようかと考えましたが、
ちょっと待て、
早くから起きてるジュディーのとこに行き、スピーカーフォンにして聞いてもらうと、
さすが肝っ玉母ちゃん、
「引き落としは月末やから、この時期��電話はおかしい!」
と言われ我に帰って電話を切り、
その番号をネットで調べると、
https://www.ntt-finance.co.jp/lp/scam/
詳しくはこちらをご覧ください。
最近とにかく あの手この手と新手の詐欺が蔓延!
こんなの私の親の世代に電話あったら必ず、「1」押してしまいますよね。
みなさん、どうぞこんな詐欺もあるよと身近な年配の方に教えて上げて下さいね。
最近ほんまバタバタしてブログ書いてなかったら、
「なんや入院か、だんだんかと思ったぞとよく言われてます。」
ご心配おかけしてますが、元気です。(^_^;)
元気なんですが、日々目まぐるしく活動中でして(^_^;)
先日も、岸和田市の岡山町で新築の上棟式を終えたばかり。
土台を敷いて
上棟式に
たいした雨にも合うことなく、無事外壁はアルミサッシまで入って、やっと一段落。
そして昨日は義父の法事にと飛びまわっております。
食事ではちゃんと春を感じてます。
毎年恒例のタケノコに蕨ちゃん
昨日はタラの芽にクレソンをいただいて
たのしんでおります。
どれも写真の色悪いね(^_^;)
またゴールデンウィークが来ますのね、
誰かタケノコ掘りたい人来てくださいよ。
掘ったらお持ち帰りできますよ。
そんじょそこらタケノコちゃいますから、料亭に出たらええ値段しますからねw
白いタケノコ掘りにおいでよ。
詐欺にはご注意くださいね。
今週も、いや、今週からまたよろしくお願いいたします。
貝塚市 岸和田市 泉佐野市 泉大津市 和泉市 泉南市 阪南市 熊取町 忠岡町 田尻町
貝塚市水間町 新築 リフォーム坂口建設
天然素材スイス漆喰カルクオウォール
リボス自然塗料取扱店
岸和田市岡山町新築工事
貝塚市水間町民泊の家。
#リフォーム#貝塚市水間町 新築 リフォーム坂口建設#新築 家を建てる#リボス自然塗料取扱店#天然素材スイス漆喰カルクオウォール#坂口建設#貝塚市塗装工事#貝塚市水間寺境内さくらのテラス改修工事#水間寺境内観音院改修工事#貝塚市水間民泊の家リフォーム工事#岸和田市岡山町新築工事
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今日は夫婦揃って病院通いとなり、じゃあついでにカミさんの誕生日を前倒しして美味いものでも喰おうと言うことで佐久市の和食店「磯すき亭 市(いち)」にやってきました。 自慢の海鮮は、豊洲市場を中心��料理長が厳選しており、特にマグロにはこだわっていて、同市場の仲卸「やま幸」から仕入れているそうです。 オーダーしたのは「板前さんおまかせお造り御膳」(税込2,970円)。いやあ、超新鮮です。エビはまだ足が動いているし、トロは甘〜くとろけてきます。ガツガツと一気喰いしてしまいました。このネタだったらかなり安いと言えるんじゃないかな。山に囲まれた信州で美味い魚が喰える。お勧めです。 お店のURLは https://www.slow-style.com/gourmet/isosukitei-ichi/ (2023/2/18)
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🎼 1578 「All Grown Up」。
えっと、2021年の終わり頃に観た映画を書き留めた それをテキトーに載せます。
"この作品は 家田荘子の原作をもとにフィクショナルに作られたものであり、登場する人物及び団体等の名称は架空で、実在するものとは何等関係ありません" という前書きと、エキスポランドと書かれた大観覧車の下で 岩下志麻さん似の女性が "凶" のおみくじを引いたところから始まります、シリーズ8作目な東映映画 「極道の妻たち 赫い絆」 を観ています。関本郁夫監督作品。突然に 古田新太さん似の男に襲われた 岩下志麻さん似の女性クムラ・キワは、割れた鏡の破片を握り 返り討ちを喰らわせたことで 5年の懲役刑を受けます。5年後、亭主とも別れ、総武線を降りた新宿近くのあたりで一人暮らしを始めたキワは スーパーで働きはじめるのですけれど、次から次へとお客さんが現れたりして なかなかしずかに働くことが出来ません。ある日の仕事中には命を狙われたりして これではいけないと 東京を離れます。そんなところに父が何者かによって暗殺され、葬儀に駆けつけるのですけれど、そんな中で 元亭主の夢の事業 (ドリームランド建設) が頓挫して 煙草を吹かす余裕も無くなってしまいますこの映画、エキスポランドも大観覧車も現在は無いみたいで さういう意味では貴重な映画です。
つづいて
木造の家の扉が開き、小さな和服姿の女の子の元に 岸田今日子さん似の女性がバナナを手渡すところから始まります、幼少時 母親に 復讐を吹き込まれた娘の 残酷な日々を描いた 松竹角川映画 「この子の七つのお祝いに」 を観ています。増村保造監督作品。とある女性が惨殺され、その事件を追っていた警察と新聞記者は 犯人探しに躍起になるのですけれど、そんな最中、新聞記者が自宅で変わり果てた姿で発見されます。そんなこんなで 会津若松に飛んでまもなく亡くなった新聞記者の後輩が事件を追うことと相成ります この映画、新幹線ひかりが 劇中ビューンっと駆け回ります。
つづけて
"この物語は、家田荘子の原作をもとに、フィクションとして創作したものであり 登場する人物、団体等の名称は架空で、実在のものと何ら関係ありません" といった前書きと 手術中と点灯された手術室の前に 岩下志麻さん似の女性が駆け込んだところから始まります、シリーズ10作目 「極道の妻たち 決着 けじめ」 を観ています。中島貞夫監督作品。物語は 三ヶ月前に遡り、組織同士のお金の揉み合いの中で強風が吹き荒れる中、キンキンが巻き込まれてしまう この映画、さくらやがあったころの新宿の街並みがチラッと映ります。
つづけて
しっとりと雨が降る中で おいちゃんの夢を見て涙した 寅さんが目覚めたところから始まります、シリーズ第5作目 「男はつらいよ 望郷篇」 を観ています。山田洋次監督作品。おいちゃんが長くはないという (うそ) 知らせに 上野からタクシーに乗って飛んで帰って来た 寅さんは "かつがれた!" と おいちゃんに食ってかかって喧嘩になってしまいます。そんなところへ 札幌のマサキチ親分が危篤との知らせが届いた寅さんは なけなしのお金を持って 北海道に飛びます。ということで、小樽に飛んで (蒸気機関車の車両基地がどでんと映ります) タクシーで小沢駅まで D5127を追い掛けてどうのかうのする この映画、柴又駅前の売店に置かれた雑誌が時代を物語っていました (下手上段から 少年キング、少年サンデー、少年マガジン、明星、平凡、週刊TVガイド、週刊実話、別冊少年サンデー、旅行読売、情報トップ、漫画ストーリー、漫画ボイン、平凡パンチほか)。
つづけて
"この物語は、家田荘子の原作をもとに、フィクションとして創作したものであり 登場する人物、団体等の名称は架空で、実在のものと何ら関係ありません" なんて前書きのあと、なっかなか 岩下志麻さんの姿が見えなくてドキドキさせられます、シリーズ9作目な東映映画 「極道の妻たち 危険な賭け」 を観ています。中島貞夫監督作品。いつの世の中も 跡取りというものは 平和的には解決されないやうで、とある組織の四代目の跡目争いは 肉を斬り、血を噴き出させても なかなかビシッと決まらなかったりして それらに属する男どもは イライラします。そんなこんなで 跡取りをどうしやうかで悩みまくりなこの映画、返り血を浴びまくりな 岩下志麻さん似の女性が美しすぎて 何の映画を観ているのか分からなくなります。
つづけて
土手で、4人の小学生が揉めていた のちの世界、とある眼鏡男子が 見てはいけなさうなものを見てしまったところから始まります、とんでもない世界に足を踏み込んでしまった とある書店員の日々を描いた、ホラーな松竹映画 「さんかく窓の外側は夜」 を観ています。森ガキ侑大監督作品。物語はさておき、今の横浜ってこんな感じなんですねって思いました。
つづけて
"グリニッヂ標準時 3時0分、ニューヨーク時間 22時0分、パリ時間 4時0分、モスクワ時間 6時0分、ブラザビル時間 4時0分、ペキン時間 11時0分、サイゴン時間 11時0分、日本標準時" という文字のあと 一昔前の新宿駅前で 男が褌一丁になるところから始まります、シュールさが眩しい 表現社映画 「新宿泥棒日記」 を久しぶりに観ています。大島渚監督作品。未だ 新宿駅東口前に カメラのさくらやや銀座ワシントン靴店がどがでんとお店を構えていた頃の 新宿、1968年夏、土曜、午后五時半。懐かしさが心に沁みる 紀伊國屋書店新宿本店で ひとりの青年がお金を払わずに本を持って2階の階段を潜り抜けお店を出て行かうとします。捕まります。盗んだ本は "泥棒日記 (ジャン・ジュネ)" ほか。翌日も懲りずに 青年はお金を払わずに 本を持って行くかどうかのところで捕まります。途端に物語は 男女の性がどうのかうのといった話になって 映画に置いて行かれていかれさうな気持ちに (何度観ても) なってしまいますこの映画、突然に カラー映像に切り替わってドキッとさせられますし、一昔前の紀伊國屋書店の店内に下がった "お勘定場" って案内にキュンとさせられますし、佐藤慶さんの声がステキ過ぎて痺れますし (映画のラスト、1968年6月30日 淀橋署東口派出所を破壊する輩の映像も含めて) もう大変です。
..
#崩壊3rd#tokyo#テリ子#極道の妻たち 赫い絆#岩下志麻#この子の七つのお祝いに#岸田今日子#極道の妻たち 決着#愛川欽也#極道の妻たち 危険な賭け#さんかく窓の外側は夜#平手友梨奈#新宿泥棒日記#佐藤慶
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Reposted @omoomo115 〜 〜 今日のお弁当 ✳︎チキン南蛮 ✳︎カラーピーマンの肉巻きソテー ✳︎紫キャベツのコールスロー ✳︎白ネギの��モンマリネ ✳︎蛇腹キュウリの浅漬け ✳︎赤ウィンナー ・ ・ ・ こんにちは〜 月曜からお寝坊してしまい(๑•́ ₃ •̀๑) 起きねば!と意識ははっきりしてるのに どうして起きれなかったかな〜🥺 詰め方も撮り方も酷いですが 記録に失礼します🥺 ・ ・ チキン南蛮は @official.foodone フードワン様にいただいた #鶏もも竜田揚げ でお手軽に✨ でもめっちゃ美味しい❣️ いつもありがとうございます😊✨ ・ ・ 今週もお仕事ハードで💦💦 なかなか伺えずごめんなさい🥺🙏 今週もよろしくお願いします✩°。⋆ ・ ・ ・ #高校生男子弁当 #高校生弁当 #息子弁当 #男子弁当 #今日のお弁当 #手作り弁当 #お弁当 #おべんとう記録 #お弁当作り楽しもう部 #お昼が楽しみになるお弁当 #おべんとう #ベルクお弁当部 #obento #lunch #delimia #秋のお出かけ弁当 #カラフル弁当部 #おうちごはんlover #wp_deli_japan #フーディーテーブル #旦那弁当 #豊かな食卓 #キッチングラム #フードワン #鶏喰い亭 https://www.instagram.com/p/CJjNR0WAqRP/?igshid=1jw6euldbgxua
#鶏もも竜田揚げ#高校生男子弁当#高校生弁当#息子弁当#男子弁当#今日のお弁当#手作り弁当#お弁当#おべんとう記録#お弁当作り楽しもう部#お昼が楽しみになるお弁当#おべんとう#ベルクお弁当部#obento#lunch#delimia#秋のお出かけ弁当#カラフル弁当部#おうちごはんlover#wp_deli_japan#フーディーテーブル#旦那弁当#豊かな食卓#フードワン#鶏喰い亭
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長野市「ほっともっと 長野稲田店」進化のり弁 場所 長野県長野市稲田3-45-2 電話 026-263-1861 駐車場 あり ジャンル 弁当屋 バリアフリー ◯ URL https://www.hottomotto.com 含予約システム 弁当を持ち歩くという習慣がない。 今までなかったわけではない。優しい家内にもお願すれば作ってくれるしその方が安くつく。経済的にも万々歳!すべてこの世は丸く納まるのだ。ところが、商売柄出歩くことが多いのだ。それだけならよいのだが自動車での移動となってしまう、季節によっては放置できないし、まさか現場に持ち歩くわけにもいかない。メシ喰いながら打ち合わせしようや、という事も頻繁にある。したがって外食中心のランチタイムとなる。 そもそも弁当は好きなのだ。 特別感があってよいではないか。旅行のとき、遠足のときや給食がお休みのときその他様々なお弁当を持っていくというシチュエーションそのものが好きなのかもしれないが。 お弁当はのり弁をデフォルトなのだ。 母親の作る弁当は、ほぼすべてがのり弁だった、という事情からなのだが、だからといってこれほ���美味いものはほかにあるのか?ご飯をよそって海苔を敷き込み上から醤油をジャぁっとかけ、その上にまたご飯をよそって海苔を敷き込みまた醤油をジャぁっとかけ。持ち歩くにつれ、メシが偏りおかずがあちらこちらにぶっ飛んでしまっている。あまりみっとものよいものではないが、弁当といえばそんなものであると思っている。 そうした古典的のり弁当はほっかほっか亭もしくはほっともっとのような弁当専門店の登場で一気に進化した。熱いご飯におかかと昆布の佃煮。無愛想に敷き込まれた一枚海苔、その上には白身魚のフライとちくわの磯辺揚げ、キンピラゴボウというあらたな構成は、まさしく革命といえた。その革命も、35年を経て更なる進化を遂げた。海苔の下にチーズを敷き込んだ「チーズおかかのり弁」、目玉焼きとソース焼きそばがビルトインした「BIGのり弁当」そして今回の注文はこれだ。 ほっともっと稲田店「特のりタル弁当」420円 ごくデフォルトなのり弁の上にはいつもの白身魚のフライ、キンピラゴボウ。しかし、そこにあるのはちくわの磯辺揚げではなく鶏の唐揚げとメンチカツであり、それをなんとタルタルソースでいただくという。まさに新機軸、進化の果てといって過言ではなかろう。まことに素晴らしい。 そしてお腹いっぱいの午後。次回ののり弁に想いを馳せつつ、自堕落かつだらだらの午睡にふけるのである。 #長野 #長野市ランチ #テイクアウト #テイクアウトランチ #テイクアウトグルメ #テイクアウト弁当 #テイクアウト長野 #テイクアウト長野市 #弁当 #唐揚げ #メンチカツ #白身魚のフライ #弁当おかず #弁当日記 #のり弁 #のり弁当 #タルタルソース #ほか弁 #ほっともっと #ほっともっと弁当 #グルメな人と繋がりたい #グルメ好きな人と繋がりたい #食べるの好きな人と繋がりたい #飯 #飯スタグラム #飯テロ #美味しい #コロナに負けるな #좋아요_한국 #좋아요_일본 http://araralunch.work (ほっともっと 長野稲田店) https://www.instagram.com/p/CBjLo2DAuDQ/?igshid=16hy5v5ogp0vw
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炭火焼肉 牛心亭@天神
2019年9月25日 水曜日13:08:51
昼間っからダラダラ呑んで喰う。
カルビランチに単品の上ミ��付けてまったりやりましょう。
ハイボールが美味いね。
住所:福岡��中央区天神2-10-12
TEL:092-738-3181
営業時間:11:00〜23:00
定休日:年中無休
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今日は、前から気になってた、どん亭の肉炒め弁当を、テイクアウトしてみた😋 味は、まあまあ、いけました😊 #立喰処どん亭 #肉炒め弁当 #にく弁 #テイクアウト #晩ごはん (どん亭) https://www.instagram.com/p/CBYQjGOALvW/?igshid=11x39906ka62b
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大谷さん、デカいデカいと思てたけども、
1m93Cmもあるんですか(@_@;)
貝塚市水間寺会館リフォーム工事
貝塚市水間町 新築 リフォーム坂口建設
最近スポーツというもの��ら離れてしまってるんですが、
WBCはちょっと見てしまいますね。
おーたーにさーーん!!
すごい人気で、やっぱりメジャーリーガーでホームラン王争いするだけあって、デカいすね!!
もっと驚いたのが、
ダルビッシュ有くんなんですが、
身長196Cmであんなにシュッとしてるのに体重が100キロですって、
私にも知り合いで何人か体重が0,1㌧超えてる人知ってますが、
みんな肥満はアカン!!
選手の皆さん頑張ってください。
。
いつも突然ですが、
今年になって巷でよく聞く、
「死ぬまでにしときたい事100」というものを作りましてね。
なかなかめちゃくちゃあるで〜と思いながら書き出すと以外と少ないという話。
行きたいお店リストはいっぱいあるけど、ついつい行きつけの店が安心安全やからそこに行ってしまうみたいな?
うん? 私、今何言うてる?
ぜんぜんちゃうな(^o^;)
とにかく勢いよく書いたけど、100に全然届けへんから、
例えば「東北地方を制覇する」が
「山形制覇する」、「岩手制覇する」と小分けにしてしまった件w
みたいな(^o^;)
まぁとにかく、日本の都道府県は全て通過ではなく滞在してみたいなと。
行ったことない都道府県結構あるのよね。
九州の下の方とかディズニーも行ったことないから千葉県とか、そして先程話した東北地方ですね。
宮城は数年前に福島県に私の理想とする工務店の師匠がいましてね、
ちなみに「無添加あいの家」さんてとこなんですが、
ホームページをみましてね、一目惚れして、すぐメールして遊びに行っていいですか?って
気になったからって、メールして遊びに行かせてって頼む私も私ですが、
師匠は凄いですよ、二つ返事で◯!!
早速飛行とりましてね、
一応監査役にジュディ−に付き添いお願いしまして、行ったんです。
すると師匠は話だけでなく、1日監督さんを私に同行させてくれて、工事中の家や引き渡し後の現場を見せて回ってくれたんですよね。
師匠コロナでご無沙汰しております‥
落ち着いたらまたお伺いさせていただきます。
その福島県には仙台空港に降りレンタカーで行ったので、一泊して帰り半日だけ観光しただけ。
と言うことで、今年は宮城県をじっくりまわって、
来年から山形、岩手、秋田と最終目標の青森ねぶた祭まで5カ年計画をたて、
早速今年宮城県をじっくりまわろうと決めたので、先日いきな���行ってきたw。
Peachは安いね。
これがあるからこそなのですが、
往復12000円。
しかも関空7時の飛行機に乗ると9時にはレンタカー乗ってますからね、近いですね。
色々回ってきました。
2日のレンタカーの走行距離320キロ!!
走りすぎやでてね、高速も安くてつい(^o^;
仙台ついたら、まずこの方にご挨拶!!
伊達さんね。
ええ天気でしょって、カメラをひくと
なんと伊達さん前回の地震で傾いてしまっていましてね、今回修理することに。そして工事中!!
って わかってたんですが、これもレアかと見に行ってきました。
定義山西方寺の厚揚げ食べたかったのね。
ニッカウィスキー宮城峡も酒飲みにははずせません。
海の杜水族館も楽しかったか
久しぶりにイルカショー見たから感動!!
旅行いくと必ずすることなんですが、夜お酒飲みに行って現地の方にイチオシ教えてもらうんです。
今回も あちこちでいくつか教えていただいたんですが、ここは美味しいから是非行ってみてと教えてくれたのが、
仙台から少し車を走らせて、北上川を北上すると
宮城県登米市(とめし)というところにある、
「うなぎの東海亭」
創業明治八年の老舗のうなぎ屋さん。
和歌山県御坊の川常さんに負けず劣らずの外はカリカリ中はホクホクでめちゃくちゃ美味しかしかったです。
やっぱジモピーに聞く生の情報が1番ええよね。
その帰り飛行機の時間までまだまだ時間があるので下道をゆっくり走って帰ることに。
石巻市に来ると、石ノ森章太郎記念館があり、懐かしく仮面ライダーとも2SHOT
ライダー足長いは
そして記念館を出ると、空に戦闘機が!
そういえば朝から松島に行ったとき、2機のブルーインパルスが煙を出して飛んでいた。
松島に航空自衛隊があるんですね。
一緒にいった友人が、航空自衛隊が好きで、
「ちょっと基地が近いからまわってみろよ」
時間もあるので基地の近くまで行くと、たまたまなんですが戦闘機F2が2機でタッチアンドゴーの訓練をしてたんです。
基地の近くを見ると数台の車が停まってる、
「あそこやーー!!」
と近づいて行くと、ビンゴーー!
キャノン砲みたいなカメラを持ってるマニアさん達。
ということはこの場所が特等席。
そんな横でたまたま来たド素人感満載でスマホ片手に撮ってみました。
とにかく3分おきに2機で入れ代わり立ち代わりタッチアンドゴーの訓練してるので、わずか20分くらいの間にスッカリお腹いっぱい。
肉眼ではパイロットも見える近さで、これが今回の旅行の1番の盛りあがりでしたかねw
スマホでは発着するときは西日の逆光でとれなかったんですが、気流が渦になっててね、
頭の中では🎵ケニー・ロギンスのデンジャー・ゾーン流れてました🎵
最後にもう一つ旅行に行くと地元のスーパーマーケットをできる限り入店してます。
地元の食文化がよくわり、たまに掘り出し物がある!
今回も1軒目のスーパーで牛タンのミートソース煮って缶詰がありましてね、その前に
「人気のため再入荷しました」というポップ
野生の勘!!
これは買わねばと450円で残り5つを買い占めた‥。
そのあと水族館に行くと、780円になってみんなで笑ってたら、帰りに空港行ったら980円もしてた、ひくわw
そして最後に入ったスーパー、元イトーヨーカドー系列のヨークベニマルという名前のお店、今はセブン&アイホールディングスが経営ですかね?
お店の前にこんなコーナーがあるんです。
これはダンボールやペットボトルをリサイクルするための捨てる場所なんですが、ここに入れると重量が計られて、そこにnanakoカード入れるとポイントつくんです。
みんなおっちゃんおばちゃんもカード片手にペットボトルやダンボール入れてるんです。
何故?大阪にはこんなのがないのですかね?
現場でもダンボールが山のように出る。
めちゃくちゃ入れにいくのに。
オークワさん松源さん宜しくお願いします。
頑張れ大阪!!
とまた今日も長々すいません。
皆さん50歳超えたら、死ぬまでにしたい事100書いてみてくださいね。
本日もお疲れ様でした。
貝塚市 岸和田市 泉佐野市 泉大津市 和泉市 泉南市 阪南市 熊取町 忠岡町 田尻町
天然素材スイス漆喰カルクオウォール
リボス自然塗料取扱店
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_________________ 🍜:ラーメン 🏠:ラーメン住吉亭(博多駅南5丁目)  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 【サラうまとんこつ】 博多来たら外せない「味の正福」で、焼き生さば定食を喰らい、念願の「かろのうろん」でごぼう天を喰らっての住吉亭。身体の肥大が止まらない… . ちゃっくどぉ〜ん!! . デフォでこのきくらげとねぎの量。きくらげねぎラーメンなんじゃないかと錯覚するくらい多い。スープは長浜系なライトとんこつタイプ。豚の出汁って感じの味わいで、えんみもある。麺はパツっとはしてなく、水分吸うタイプ。やっぱり、とんこつは奥が深いわ。 (ラーメン住吉亭) https://www.instagram.com/p/B6Dk7MoAWVM/?igshid=1rqdebmfyt4w8
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お昼はどんどん亭でお好み焼き❤️ 美味しかった❤️ お好み焼きは一本松のもっちゃんか、田川伊田駅近くの船場か 今は無き…後藤寺銀天街の「いつき」のお好み焼きが最高❤️ たまに…食べたくなる❤️ 外で食べるお好み焼きはぴぃーちことは初めてやん(^◇^;)💦 粉もんはたこ焼きしか喰わんので、最後の一切れをぴぃーちこから貰ったつぅ〜やつwww ご馳走様でした^ ^ ぴぃーちこのひっくり返し方がぎこちなくてワロタwww #お好み焼き#どんどん亭 (どんどん亭柏の森店) https://www.instagram.com/p/B8F-97LgKgU/?igshid=1apouaaxcgzs1
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2019年6月24日(月)
普段の通勤ルートは、自宅→ツレアイの職場→名神高速京都南IC→茨城IC→R171→私の職場となる。今日はツレアイが夜の会議での移動があるため自転車で出勤、こんな時は九条大宮の東寺前を通過する。雨、降るのかなぁ。
昨日 au でゲットした新しい充電器を用いて、早速モバイルルーターの充電開始。2時間弱でフル充電、よしよし。
今年度の人権研修会、先日事務局長から提案のあった「ゲートキーパー養成研修」について各委員に打診、賛同をいただいたので勧めることに。
「ゲートキーパー」とは、自殺の危険を示すサインに気づき、適切な対応(悩んでいる人に気づき、声をかけ、話を聞いて、必要な支援につなげ、見守る)を図ることができる人のことで、言わば「命の門番」とも位置付けられる人のことです。 自殺対策では、悩んでいる人に寄り添い、関わりを通して「孤立・孤独」を防ぎ、支援することが重要です。1人でも多くの方に、ゲートキーパーとしての意識を持っていただき、専門性の有無にかかわらず、それぞれの立場でできることから進んで行動を起こしていくことが自殺対策につながります。(厚生労働省)
「スタディスキルズ」、今週の資料作成、課題は「レポートを仕上げる」。
「現代社会論」、今週の資料作成、課題は「国家の崩壊」。
今日から週2回、各4回の English Cafe が始まる。11:30〜13:00の90分間、土曜日の子ども向け英語学校の講師に協力を依頼し、学生の多文化理解に興味を惹くための試み。もっとも、すべて sampe 兄にお任せしてしまったが。
「残り物弁当」、具沢山で楽しい。
3限・4限は看護学科「情報機器の操作Ⅰ」、今日から Excel の学習、まずは画面構成の理解、データ入力と編集、簡単な作表。授業後、先週までの「入力課題」に合格できなかった1名の学生に個人指導。やはり、自宅にパソコンがないためにあまり練習できないとのこと。大学へ来たときに、授業の空きコマを利用して取り組むこと、ホーム・ポジションについて指導。もう少し、早く対応してあげるべきだったと反省。
図書館へ出勤、全同教機関誌の今年度分会費「であい」6月号を配架依頼。Twitter の bot 修正、G20のために土曜は閉館するため。
息子たちの夕飯、ポークソテーカレー醤油に下茹でしたサンドマメをあしらう。
ツレアイは「第9回AIDS文化フォーラムin京都」の実行委員会、今回から熊野つながりの M姉も参加とのこと。「ちりめん山椒」を託しておいたが、無事手渡したとのこと。
冷やしておいた白ワインで遅い晩酌、録画番組視聴。
日本の話芸 三遊亭遊三 落語「宿屋の富」
第718回東京落語会から三遊亭遊三さんの「宿屋の富」をお送りします(平成31年4月19日(金) 東京・虎ノ門 ニッショーホールで収録)【あらすじ】馬喰町の汚い宿屋にとまった男。宿の主人に、自分はたいへんな大金持ちで、金がありすぎて邪魔だ、家では千両箱が漬物石がわりだ、などと語る。主人が内職で富くじを売っていることから成り行きで一枚買うが「当たっても金などいらぬ、主人に半分やる」と言うのだが…
やはりこの噺は「高津の富」でなければしっくりこない。
帰宅してからのドタバタで、何とか3つのリング完成、今週も頑張ろう。
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精神医療改革運動の中で当事者運動は、もっと言えば『精神病患者会』ほどないがしろにされてきたものはない。当事者運動の中で最も大きな顔をしてきたのは、全家連を中心とする家族会であり、活動家団体としての全国「病」者集団であり、精神医良心派改革派のプシ共闘なのであり、それこそ、運動体としてのナンタラ共闘会議ドウタラ連絡会議等々全国ナンタラ日本ドウタラ等々であった。もちろん、その意義は一定程度はあったのだと想う。特に政治的運動的には。そもそも、そう「当事者運動」と云うのなら、家族も精神医も看護士も当事者だ。だが、そうだからこそ、我々のようなキチガイのキチガイによるキチガイのための「精神病患者会」為る在り様からの異議もまたアッタのである。
Ⅱ. 地を這う患者会列伝
大体が、名前からして全く違う雰囲気を醸し出している。愛媛松山の「ごかい」(言わずと知れた「わしらの街じゃあ」「天上天下病者反撃」のキーサン患者会の親分である。キーサン患者会、地を這う患者会の希望の星であった)静岡藤枝の「藤枝友の会」(地元の精神病院内の患者自治会から発展して地域患者会として作業所に変化も拒否し、徹底して会員の会費だけでたまり場を維持し続けている類まれな患者会である)神戸の「ニューカトレア会」(阪神三人衆と言われたカチコミの親分達が言っていた、山本深雪氏が大阪人権センターだの大精連だのと目立ち始める前は、ここにパラシュートして来て元々から居るような顔して、クスリ飲んでるとこなんかいっこも見たことない、と)博多の「福岡わらびの会」(今現在に至っても手書きの会報を発行し続けている凄いトコロである)東京亀戸の「新松橋亭」(しんまつと親しみを込めて呼んでいた。東京の下町で、「天上天下病者反撃」を読んで感動して作ったのだとのことで、クボタクリニック脱藩組の支援者たちもナカナカの人物である)大阪高槻の「灯会」(言わずと知れた精神病患者会の老舗中の老舗、俳句を作り続けている)堺の「ガンバロー会」(全国各地にあった精神病院の患者自治会出身の会である。このころは、浅香山病院、岩倉病院、光愛病院等々の全開放を目指した病院には、もれなく患者自治会があったものである)住吉の「旅立ちグループ」松江の「つぼみ会」「麦の会」山形の「こまくさ会」信州の「プチノマド」「ひなたぼっこの家」広島の「モスク」(南座を惜しむすき者の会の頭文字をとったそうである)名古屋の「雑草会」清瀬の「一寸五分の会」(ここの会報は毎回面白いものだった)岡山の「すばる」鹿児島の「わかち会」土佐の「西風の会」北海道の「すみれ会」(回復者クラブと自称し始めた最初だと想う。道回連も名乗っていたかも。その後セルフヘルプグルーブだのマインドだのと、イロイロな名乗りがうまれたが、その後どうなったのだろうか。但しココは、セーカツの匂いはとてもしていたと想う)東京の「友の会」(患者会の元祖かもしれない)富山の「ルナの会」福井の「らばの会」いや「ろばの会」だったか記憶が定かではない。
キリスト教系を前面に打ち出した「心の泉会」(各地の教会に集う月一くらいのたまり場をたくさん網羅していたので、考えてみれば、ココこそがある種実質的な全国的連合体だったかもしれない)全国「病」者集団の名古屋分会「ゼロの会」京都分会「ひまわりの会」全精連の県連としてあった「松ぼっくりの会」(ココは本当に患者会としてのセーカツの実質があった)全精連とは独立した立場の「兵精連」(全精連系の活動家が名乗る前に勝手に名乗ってしまおうと云うノリであった。実質はあったのかなかったのか)「大精連」(「病」者集団とも全精連とも独立した第三の制度政策提言路線政治大好き山本深雪氏の牙城と言っていいだろう)などもある。
そして我が京都山科の「前進友の会」(1976年十全会病院を脱走した病者、命からがら退院した患者、アルバイトスタッフだった学生たちで結成した。初期のころは学生部隊の反十全会闘争と多彩なレクに特徴があった。88年からは、患者会が設立母体で運営主体である共同作業所も運営しつつ)である。こうやって、ココに想い付く限りの患者会の名前を並べ得ただけでも、書かせてもろうただけでも、ありがたいことなのである。地を這うように70年代から80年代にかけて、精神病患者同志のレクと食事会とたまり場から澎湃としての沸き起こり活動を続け、全国ドウタラとか少しもかかわりも持たず、90年代少しづつ減っていきそして大方は21世紀には、消えていた。
Ⅲ. 全国「病」者集団的なるものとの対決
ところが不思議なことに全精連為る団体が93年に、厚生省の役人を発足大会に来賓として迎え、鳴り物入りで出来上がってくるのである。何が不思議かと言えば、各地の特色ある患者会は段々と活動を縮小していっているときに全国の連合体が出来ていったのである。ご丁寧なことには、県連と云うものもできていった。本当に実態があったのだろうか。現在の全精連の現状を考えてみれば、答えはおのずから明らかであろう。もう一つおまけには「病」者集団はこの動きに対して「歴史的な意義がある」として賛成しその宣伝ビデオに赤堀さんまで出演させてしまった。当時、不思議でかなわんかった。だって、全国「精神病」者集団と云う歴史ある全国組織があるのだから、結集したければソコに結集すれば良いことだったから、、、「地を這う」ように各地にあった患者会は、結局はその「病」者集団にも、新手の全精連にも積極的に合同していこうと云う動きには為っていかなかった。では何故にそうはならなかったのか。結論から言えば、このあたりから、「ごかい」「藤枝友の会」「前進友の会」と云う「キーサン患者会」「地を這う患者会」と自称していた我々と「病」者集団との対立が決定的になっていったのである。それは、当事者運動総体の歴史から見れば、ある種不幸なことだったかもしれない。もちろんその責めはえばっち自身もキーサン患者会も負わねばならぬが、また、大野萌子氏も「病」者集団も負わねばならぬだろう。
ここで重要なのは、本質的には、大野萌子氏と対立していたのであって、山本真理氏と対立していたと云う事ではない事だ。山本氏は大野氏の『代貸』に過ぎなかったのだから、当然であろう。90年代を通して我々が対立していたのは大野萌子氏の路線であった。70年代80年代、偉大な先駆者であり指導者だった大野氏は、誰もが敬い「世話になった」と言うほどの存在であった。それは確かなことだと想う。当事者としての大野氏の存在がどれほどのものだったのか、全国精神「病」者集団がどれほどの存在であったのかは、筆者が書く必要もあるまい。この資料集成のそこかしこにちりばめられているはずである。だが、その「偉大なる」大野萌子氏も、赤堀さんを奪還して以後は決定的に路線を誤った、とそう想う。90年代以降、個人的にも運動体としても誰もが逆らい得ななかった大野氏に面と向かっておかしいと言い始め、問い続けたのが、キーサン患者会だったわけだ。
はっきりとした対立軸は、ナンだったのだろう。全精連をどう規定するかは、大きかった。キーサン患者会は「アリャ御用団体だ」とそう公言していたところに、「病」者集団は「歴史的意義がある」と、言ってしまった。手帳制度の問題も大きかった。大阪での手帳のヒアリングを「ごかい」がカチコミを掛けて、完全に粉砕してしまったぐらいだった。我々は反対の立場だった。保安処分の『監察札』になってしまうぞ、と言っていた。一方「病」者集団は精神障害者にも手帳をとばかりその名も『赤い手帳』が欲しいと、ニュースに書くありさまだった。大野氏の路線だった。この辺から「制度政策提言路線」に急速にはまり込んでいく。その延長線上に山本真理氏や関口明彦氏らの活動家が、30万を超える入院中の患者を、圧倒的なナニも知らずに呻吟している病者を鉄格子とあの厚い鉄の扉の向こうに『置き去りにしたまま』国会の参考人になったり与党か野党か知らんが政党の検討委員やナンかの公的な機関の審議委員やあまつさえ精神医の学会の理事に為ったりしていった。それどころか、自分に敵対する者の口を封じるのに刑訴や民訴や第三者機関やらの権力に売り渡すことまで平然として、他の患者を脅しながら自分から手を挙げて国会の参考人になりに行くという桐原尚之氏のような若手を作り出してしまった。大野萌子氏の「病」者集団型制度政策提言政治活動家論客路線の当然の帰結であろう。
しかし、そもそもの対立軸は、根本的な精神病患者会の存在自体をどうとらえるかと云う点にあったと想う。「病」者集団の立場は、つまるところ、大野萌子氏は、常々こう言っていた。「医者が作ったものは、患者会とは認めない、だから「ごかい」や「藤枝友の会」は、患者会では、ないのだ」と。これは、筆者が、「病」者集団の事務局会議に参加していたときに、直接そう聞いた。コレを聞いたとき、チガウなぁぁぁぁぁーーと想った。実際に「藤枝友の会」や「ごかい」の食事会に参加させてもらっていて、ソウ感じた。デモ、なんとなく、少しは、少しは、当たっているようにも想えた。「ごかい」と笠陽一郎医師との関係や「藤枝友の会」と中江清員医師との関係のことを言っていたのだろうが、そうはっきりと斬って捨てられるような薄ぺらたいものではないんですよ。だが、その上で、笠医師も中江医師も、精神医たちは相当強く患者会の意思決定に影響を与えているのもまた事実であった、と、そう想う。それを全否定してしまうのもまた、事実とはチガウと想うのである。今にして想えば、相互にその微妙なトコロを理解し合えていれば、と、そう想う。患者会とはキーサンのセーカツと病状と支援者のノリの上に微妙に成り立っているものなんですよ。
キーサン患者会、全国の地を這うような患者会とは、本当に、重たい病者中心のセーカツ共同体的な側面が強かった。だからこそ、レクと食事会であった。一緒によく飯を喰った。患者会には患者会独自の味があるのです。「藤枝友の会」の駿河親子は、うまかった。「ごかい」で食べたあのカレーの味は忘れられない。「福岡わらび」のあの博多水炊きは激ウマだ。「しんまつ」で食べた、あれはナンだったのか冷しゃぶだ、美味しかった。たしか「ごかい」でも食べた。みんなで、お皿を回して、あれは高知全家連大会にカチコム前日の夕食だったか帰ってきてからの夕食だったか。だから、「病」者集団の食事会に参加させてもらっていた時に、コレは患者会の食事会じゃないな、会議参加者の休憩時間だなとは想ったし、「病」者集団の名古屋分会「ゼロの会」の食事会は、確かに患者会の食事会にはチガいないものの、参加者全員が大野萌子氏に過剰なくらいのおべっかを使いながら食べているのがよく分かった。本当に過剰なまでの阿諛とお追従に満ち満ちていた。味なんか忘れてしまった。そうそれは、患者会の食事会ではなかったのだ、まさしく、大野萌子氏を囲む会だったのだし、大野萌子氏の食事会であった。 だから、「病」者集団は、活動家集団から、一歩も出ずじまいだった、のだ。本当に重たい病者中心の患者会ナンて、出来るはずがない。本当に口の重い身体の重い病状の重いクスリの重い病者たちが集まってくるには、そう、やはり精神医は必要なことだったのだ。重たい病者たちは、活動家風の健病者風の患者を、最初のとっかかりには決して信用はしないのだ。だって、部屋長と配膳係と、そしてすぐに退院していくヤツ等なんだから、、ソコのトコロを分かってはいないと、キレい事風の活動家集団になるだけのコトだ。そしてそのキレい事が、大野萌子氏の独裁体制を担保していた。ジッサイのところ、本当に患���会を作り、維持し、活動し、セーカツし続けていくのは、ムズカシイことなのだ。その最初のとっかかりに、そしてその継続にも、精神医や医療従事者や、健常者や健病者達は、必要だったのだ。モンダイは、その後、患者会側と、精神医とが、どのような関係性を構築するか、なのだ。特に、主治医ー患者関係にある精神医が、患者会の設立メンバーである場合には、その関係性によって、患者会側の主体性と精神医側の医療内容が、問われることに為るの、だ。患者会を維持するにあたっても、実は、健常者も、精神医も、そして、健病者も、居る必要があるのだ。だって、維持するには、ケッコウな金も、パワーも、手仕事も、必要になってくる。精神病患者会とは、結構な手間ひまと気力体力が必要なのである。その時の役割分担を考えてみたら、よい。モンダイは、分裂病圏、うつ病そう病躁鬱病圏、精神医はじめ支援者達、AC気味不登校気味やノイローゼや神経症圏の屈折した青年健病者達、四者の関係性に在るのだ。役割分担の在り方と、発言力の調整と、人間関係にアルのだ。支援者としての、形式会員でよい我が医療の監視をしてくれ、口は出さぬが手は貸そう、口も出さぬしカネも出さぬがヤレルことはヤルと云う精神医、看護婦看護士、ワーカーが必要なのだ。だが、発言力に制限を設けねばならぬ、そして、ドウいうなかまたちの意向が、まず優先なのか、、、、なのだ。ソコの微妙なトコロを分かり合えなかった「病」者集団も伝えきれなかったキーサン患者会も相互に誤っていたのだ。今なら、両方の誤りが見える、気がするのだが、、、、えばっちの妄想か幻覚か、、、 ハナシを戻そう、それでいて、大野萌子氏は、プシ医師達からの積極的カンパを当てにしていた。精神神経学会での募金箱を持っての金集めには、ビックリした。学会最終日の総会議場でのあの光景は、実に異様なモノだった。アレじゃあ確かに、総会の壇上占拠ナンて出来るはずはない。理事会や運営委員会に、当事者を入れろと云う方向に走るハズである。一方キーサン患者会の側は、90年代を通じて、学会レク「カチコミ」をぶちまかしていた。松山学会、長崎学会、大阪学会、長岡学会、仙台学会、高知全家連大会、静岡全家連大会、大阪手帳ヒアリング、我々にとってはレクだった。シンドいキビシい病状を掛けたレクだった。クルシカッタ。精神病患者の病状を伴った怒りの爆発をソノマンマ、レクとして壇上占拠して叫び続けるのである。「造反無理」であった。造反するものに理屈は無いのである。大野萌子氏は「論客になって論破せよ」とのことであった。それが出来得る精神病患者がどれだけ居ると云うのだ。「造反有理」と「造反無理」の対立であった。
Ⅳ. 岡田さんとの出会い、それは羅針盤の意味
最後に岡田さんとの出会いと驚きを書いておこう。それが「羅針盤」の意味となろうから、、、あれは、15年の春、八王子ホットスペースの20周年記念の御祝い会の場で同じテーブルに座ったのが、キッカケだった。どちらが先に声を掛けたか記憶が定かではない。たった3年前のことなのに。戦後版の精神医療資料集成をしているとのことだった。その後、手紙の��り取りから、反十全会市民連合の資料などを送るようになった。その中で、これほどの資料を残そうとしている人が、なんと精神病患者会の会報を何一つ持っていないことが分かった。驚愕した。「ごかい」のあの大部の「3冊セット会報縮刷版」も、「藤枝友の会」が毎年23号にわたって作り続け、病地学会で一冊一冊手売りしていた「ひとりぐらしのうた」も、前進友の会の「兄弟だろ」も「友の会通信」も、各地のたくさんの「地を這う患者会」の会報を、実物を何一つ持っていないとのことだった。精神病当事者団体で、ちゃんと持っているのは「病」者集団関係のモノだけ、とこれは電話口で言われたのか、その時の驚きは本当に曰く言い難い。なんというコトだと、参ってしまった。だからこそ、即座にミカン箱一箱に、友の会の事務室で目につくものはあらあら送った。「興奮している」と云うお返事を頂いた。ぎりぎりで間に合ったのだと想った。助かったとそう想った。これで、少しは遺せそうだと想った。ただ、これだけ「地を這う患者会」があって、それぞれ特色ある会報を出し続け、「キーサン患者会」がバクチクをぶん鳴らし、叫びまくって学会の壇上占拠をし続けていたが、歴史史料として、残すことがどれだけ難しいことか、想い知った。この出会いがなければ、全国にこれほどの「地を這う患者会」が活動をし続けていたことが、忘れ去られていくだけであっかもしれない。この資料集成に、いかばかりかでも精神病患者会の会報が掲載されたことは、感謝のみである。我々「キーサン患者会」が『敗北』していったとは、実に、こういうことではなかろうか。「病」者集団の方は、桐原尚之氏はじめ、国会の参考人として、17年の国会は勝利だ勝利だと大宣伝中である。我々の方は、高齢化し、亡くなる者はみんなあちらに行き、精神病院へ死にに戻っていく、そして、最終的に患者会なるものは、ほぼ無くなっていくことだろう。バラバラになりつつである。そも、どのくらいの会が今の日本で残って活動しているのだろうか、とも想う。『敗者』とは実にこう云うことではなかろうか。
この資料集成を読むにあたって、研究するにあたって、キーサン革命の鬼からの「羅針盤」が、以上である。これが羅針盤に当たらないと思われる方々は、出来得る限り、せめて作業所や精神病院やデイケアや診療所などといった直接に精神病患者と付き合うような場には来ないで頂きたい。コンなコトを言いつのっているのだから『敗北』するはずである。
「キーサン」とは、「ヤクザ」が「ヤーサン」なら、わしら「キチガイ」は「キーサン」やと云う誇りを持った生命の底で居直り、セーカツの底で居直り、街に居座り精神病院で生き延びるための自尊自衛自主自立の自称である。
キーサン革命バンザイ!!!!!
献呈 この拙文を故桜庭章司さんに献呈したい
桜庭章司さんは、僕が知る限り、唯一の、たった一人の『精神医に直接的実際的オトシマエをつけた偉大な先輩病者』である。若い時分、短期間の間文通させていただき、拘置所からのご本人の依頼で、何回か裁判資料などを全文コピーさせて頂くと云うお手伝いをしたことがある。少しは、お力になれたのだろうか。桜庭さん、桜庭さんの『オトシマエ』には、及ばないかもしれませんが、えばっちの『オトシマエ』は、患者会を維持し続け、最も身近な精神医療と福祉に文句を言い続け、精神病患者会のことを世間様に遺し続けるのが、僕の『オトシマエ』ですよ。ゆっくり眠ってください。キーサン患者会は、叫び続けます。
六花出版 「精神障害者問題資料集成 戦後編 第十巻患者会運動」 所収原稿
2017年11月14日
前進友の会 キーサン革命の鬼えばっち 江端一起
えばっちのホームページ 乾坤一擲
http://ebacchihomepage.dousetsu.com/index.html
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