#中古cd
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皆さん今日もお疲れ様でした。
ニューマシン(中古)第2弾で、こんばんは^^
今夜は、10月11月のスケジュールの組み直しから
オヤスミナサイ Good night
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S.T.Break RP
アルバム re productsより
新譜「叙情 - Lyric Suite」CD ジャーナルに載りました
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Zsófia Boros - Le labyrinthe de Vermeer | ECM Records ( composed by Mathias Duplessy)
🎸 古典吉他 Classical Guitar || 出生於布拉格的匈牙利吉他手-索非亞· 波洛絲 Zsófia Boros/ Hungarian guitarist Zsófia Boros was born in Prague in 1980
“我經常認為音樂的選擇權掌握在自己手中,但後來我想知道音樂是否選擇了我作為媒介。 我的立意總是非常直覺; 當一首音樂抓住或觸動我時,我想反映它——成為一面鏡子並傳達它。 Often I think I am holding the choice of music in my own hands, but later I wonder if the music has chosen me as a medium. My approach is always very intuitive; when a piece of music grips or touches me, I want to reflect it – to become a mirror and convey it.”
-索非亞· 波洛絲 Zsófia Boros-
馬蒂亞斯·杜普萊西:維梅爾迷宮 · 索非亞 波洛絲 Duplessy: Le labyrinthe de Vermeer · Zsófia Boros · Mathias Duplessy
Producer: Manfred Eicher Studio Personnel, Recording Engineer, Mixer, Mastering Engineer: Stefano Amerio Composer: Mathias Duplessy
℗ 2023 ECM Records GmbH, under exclusive license to Deutsche Grammophon GmbH, Berlin
And 索非亞.波洛絲(Zsófia Boros)的專輯《最後的氣息》El Ultimo aliento (CD) 2023.
一則是來自阿根廷的當代作曲,另一則是法國作曲家Mathias Duplessy的音樂。《Fanfare》雜誌對這位匈牙利籍吉他手給予了極高的評價,讚揚她「清晰優美的音色、流暢的演奏、精確的旋律與伴奏結合、靈活的裝飾音以及充滿情感的演繹」。這張專輯的名字取自Carlos Moscardini的作品,也是專輯的結尾曲 - El último aliento.
Boros在專輯中演繹了其他阿根廷作曲家如Joaquín Alem、Quique Sinesi和Alberto Ginastera的作品。在第七首��《Tormenta de ilusión》中,Boros換了來自安第斯地區的傳統撥弦樂器「Ronroco」。通過將阿根廷音樂與Duplessy的曲子相結合,以悄然方式創造出一個懸疑的專輯,突顯了她獨特的音樂風格。
#zsófia boros#索非亞· 波洛絲#mathias duplessy#le labyrinthe de vermeer#album - 最後的氣息 el ultimo aliento 2023#classical guitar 🎸
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Zombie Land DEMPA!! ( ゾンビランド DEMPA!! )
Sung by: Franchouchou (フランシュシュ) & Dempagumi.inc (でんぱ組.inc) Franchouchou (フランシュシュ) Members: No.1 Sakura Minamoto (源 さくら) [CV: Kaede Hondo (本渡 楓)] No.2 Saki Nikaido (二階堂サキ) [CV: Asami Tano (田野 アサミ)] No.3 Ai Mizuno (水野 愛) [CV: Risa Taneda (種田 梨沙)] No.4 Junko Konno (紺野 純子) [CV: Maki Kawase (河瀬 茉希)] No.5 Yugiri (ゆうぎり) [CV: Rika Kinugawa (衣川 里佳)] No.6 Lily Hoshikawa (星川 リリィ) [CV: Minami Tanaka (田中 美海)] Dempagumi.inc (でんぱ組.inc) Members: Mirin Furukawa (古川 未鈴) [nickname: Mirin-chan (みりんちゃん)] Risa Aizawa (相沢 梨紗) [nickname: Risa-chi (りさちー)] Ayane Fujisaki (藤咲 彩音) [nickname: Pinky! (ピンキー!)] Rin Kaname (鹿目 凛) [nickname: Perorin (ぺろりん)] Eimi Naruse (成瀬 瑛美) [nickname: Eitaso (えいたそ)] Nagi Nemoto (根本 凪) [nickname: Nemo (ねも)] Composed by: Miyoshi Keita ( 三好啓太) Lyrics by: NOBE Album: Zombieland Pia (ゾンビランドサガぴあ) [bonus CD accompanying fanbook]
"I’m going to bet my life Turn this moment into a song Burn it! Beyond the limits and common sense The other side of soul Hurry up! Eat your despair Dance! Even if this body is exhausted It won’t rot! Hey! Like each other! SAGA saves the earth with love Zombie Land DEMPA!!"
#Zombieland Saga#Zombie Land Saga#ZLS#Dempagumi.inc#Franchouchou#Sakura Minamoto#Junko Konno#Yugiri#Ai Mizuno#Saki Nikaido#Lily Hoshikawa#Kaede Hondo#Maki Kawase#Rika Kinugawa#Risa Taneda#Asami Tano#Minami Tanaka#Mirin Furukawa#Risa Aizawa#Ayane Fujisaki#Rin Kaname#Eimi Naruse#Nagi Nemoto#audio#Miyoshi Keita#NOBE
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最近、暑い日が続いてなんだかゲンナリとしたので、とっておきのTシャツを買おうと思い立った。
そこで白羽の矢が立ったのが、寿スタジオのTシャツだった。寿スタジオとは江口寿史の事務所のことである。beams×江口寿史×かせきさいだぁのコラボで色んなカラバリ展開をしていたが、最近は新作の発表がないので、ひたすらメルカリとヤフオクに張り付いてようやく手に入れることができた。江口寿史のイラストのTシャツはちょこちょこ巷でも目にするし、なんか銀杏boyz のファンと間違われるのもアレだしちょっと避けていた。そんな中でKOTOBUKI STUDIOと書かれたTシャツはちょうどいいな、と思って探したのだ。無事に手に入れることができたので、大事に着倒そうとワクワクしている。
そういえばいつ江口寿史の絵が好きになったのだろうと振り返ってみる。
初めて目にしたのは確か小6の頃��当時、祖父が亡くなり空き家となっていた父方の実家を整理しに行くことがしばしばあった。父の部屋は雑誌や雑貨がそのまま置いてあり若い頃のままで時が止まったような状態であった。
そんな父の部屋が妙に居心地が良かったので、たまに1人で自転車を漕いでは休みの日はそこでぼーっとしたり、置いてある雑貨や本を漁って過ごしていた。
そんなある日、古いジャンプコミックスを発見した。それが江口寿史の代表作、「ストップ!!ひばりくん!」であった。
パラっと読んで、主人公のひばりくんは主要人物の姉弟の中で一番かわいいのに男という設定にやられてしまった。こんな漫画が昔ジャンプで連載されていたなんて、と衝撃が走った。ひばりくん以外の登場人物もみな可愛いしやけにオシャレという点も惹かれた。しかも未完で放棄されているのかよ…と。
それからというもの、江口寿史の漫画や画集を父が他にも持っていることを知って読み漁った。そして鼻の穴を省かずに描いているのに綺麗で可愛い女性のイラストが描けるなんて…と改めて衝撃を受けた。よく振り返れば少し前に叔父の部屋で見て、なんだか素敵だな、と思っていたperfume のCDのジャケットも江口寿史の作であった、ここで自分の好きなモノとモノが繋がる快感も感じた。
で、Tシャツの話に戻る。
それなりにハマっていたので、寿スタジオのTシャツがbeamsから出ていたのは知っていたのだけど、江口寿史×かせきさいだぁ×beams のコラボとなっていて、かせきさいだぁって何?と引っかかった自分はしばらくスルーしていた。よく知らないモノに安易に手を出したくないな、とその時は思ったのだ。
それからしばらくして、去年の夏。パンダのオイル交換をしてもらいに主治医のところに行くと、ボルドーで右ハンドルのセレクタがいた。珍しいし程よくしけていて素敵だな、とジロジロ眺めていたら、車内にCDが山のように入っていた。その山の頂上にかせきさいだぁのアルバムがあった。
かせきさいだぁって歌手なのね、とそこで知った自分は、オイル交換の終わったパンダの中で早速そのアルバムを聴いた。それからというもの、かせきさいだぁにもすっかりハマってしまった。
自分が好きになったモノ同士が繋がるというのはとても気持ちが良いもので、それからたまに寿スタジオのTシャツを探してはいたのだけど、なかなか出てこなかった。その間にひばりくんをまた読み返すと、劇中でひばりくんが同じTシャツを着ていてまた一層欲しくなって、探して、出てこなくて諦めて、、、と繰り返してようやく買うことができた。
自分が色々調べて納得しないとモノを買わない主義というのは遠回りでめんどくさいなと思いつつ、今度こそ納得した気持ちで入手できてとても嬉しいのです。
今年はいっぱい着るぞ〜
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ようやく寒くなり冬らしい空になってきた。先週までは上着もいらないくらい暖かかったので天気大ジョーブかい?って気にしていたのに…。そろそろダウンの登場か。今年も経たねぇ……。というわけで今日は一日クローゼットの整理をしていた。ここ数年は滅多に服を買わなくなった。
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大学生の頃は今よりファッションに対するアンテナがビンビンに張っていて、特に古着に興味津々だった。自分のイメージを映画や書物から写真を撮りpinterestに保存しては似た服を探し歩いていた。例えば画家のデュギー・フィールズが被っていた歪曲なベレー帽とカウボーイワッペンが付いたブルゾンの着こなし、ダン・アンド・カンパニーのボウラー帽子の合わせ方など、主にアンティークな雑誌やポスターから頭に仕入れて、古着屋でそれっぽいものを探してはバイト代を注ぎ込んでいた。下北、原宿、高円寺へ行けば大体の理想が叶う。
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でも年齢を重ねる内に服がほしいというよりも着こなしがしたいと思うようになった。自分なりの服装哲学がないままにお金やエネルギーを注ぐのは馬鹿らしい。自分の肌に合った布を選び、着心地の良い服装をする。それっぽいものを探して着ることよりも自分の生き方に合った服装をすることの方が大事な気がした。仕事着もできれば私服にしたいが、スウェットで他企業に乗り込むわけにはいかない。893じゃないんだから。ビジネス着とはいえ、できるだけ自分の雰囲気、感触に合ったものにしたい。
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クローゼットの中はほとんど学生時代に買った服ばかり。どうにか組み替えて着続けている。30越えたら服装もグレードアップさせたいな、とか思ってた時期はあるけど、趣味嗜好があの頃と変わらないから一生これやな…というモード。いいものはいい、ということは分かっているから手放す必要がない。学生時代、一生懸命アルバイトをして手に入れた91年製のAIR MAX90、バブアーのブルゾンはもちろん、傷み知らずのスティーブンアランのワークコートなど…。それぞれに思い出がいっこ乗っかってるから手放しづらいというのもある。だからアウターやトップ��に関しては出来るだけ今あるもので、着こなしを変えていきたいと思う。春夏秋冬と自分の体質(冷え性とか)、行き先などに合わせて組み合わせを考える。この時間が結構楽しい。もうあかんかなぁって思ってた「NISHIMOTO IS THE MOUTH」のえぐ重たいスウェットの使い途とかサーマルが大好きなこととか何通りもの発見があった。
↑昨年ご縁があって購入したkitai condiment さんのコーデュロイパンツ。また履ける時期がきた。嬉しい。後ろっ側バックルで絞るという発想、天才。こなれ感がかわいい。
ブランドはあまり分からないけど、季節や肌に合った布選びがしたいなと思う。
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最近またまたフラカンがキテる。Creepy Nutsのラジオ聴き直していて、2020年のどっかの回で、Rさんが「深夜高速」の歌詞にグサっときたって言ってた話にめちゃめちゃ共感した。私もふとラジオから流れてきた「生きててよかった」にジワッときた一人。同じ番組聴いとったんちゃうか…。
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最近James Herseyというアーティストを知ってずっと聴いてる。私の映画アカウントに頻繁に「いいね!」をつけてくれた縁(一方的な)でCD買いました。
最新アルバム『Let It Shine』は全体的に明るい曲調で、正直聴いたことあるメロディやなぁと思っていたのけど、陰のある歌詞にグッときた。この感じでダークな世界なんだ…!という驚き。作家性に惹かれました。James HerseyからMaël & Jonas、JEREMIASなどのジャーマン系インディーバンドを知りました。嬉しい発見。
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ここ数日、誠光社の堀部さんに借りっぱなしさせてもらってる『ガロ』をまたまたまたまた読み直してる。
やっぱり「昔は良かったなぁ」じゃないけどもこの思いつきと情熱だけで独自路線を貫いてる感じ、懐古モードに入ってアァーいいなぁってなる。矛盾を孕んだ世界を自ら選択して抑制されてんだから、やりたいことやったもん勝ちなんだと目の当たりにさせられると普通にショックを受けるわけです。いろいろばかばかしくなってくる。ハイ!放棄!ができればいいけど。人間は人間らしく生きるべきだなぁと実感。数ヶ月間のすさんだ気持ちを昇華できたのは沼田元気さんの「憩」の被写体とヒップvsスクエアの文、しりあがり寿せんせーの漫画のおかげかな。
沼田さんのヒップとスクエアの概念、そうなんだよなぁと共感得られすぎて辛くなりつつもあり、ほんのわずかに希望を持たせてくれた。常にもやもやしてること、考えてるけど吐き出せないことをハッキリ言葉にしてくれてありがとうございます。
あと個人的に面白かったのは『男の座談会』。松井良彦、中原昌也、根本敬という特殊なアーティスツによるクレイジー(猥雑)な映画談義。想像力たくましく一気に読みました。事細かに書くのは控えたいが、舞台挨拶の後に上裸の女性が自分のオートバイに股がって悩み相談、から「ブス」までのエピソードの破壊力…完全に危ない人なんだけど、それがもう治安の悪さを物語ってる。『豚鶏心中』観てファン層のヤバさ(いい意味で)に共感してみたい、とか謎の好奇心に冒される。
とにかく早く返さなきゃ。
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【イベント出店のご案内】
2024年11月5日(火)
Q.L.C #1
LIVE downt / Texas 3000 / neco眠る
DJ 慈母子
POP UP SHOP LVDB BOOKS / OASIS2 / 十四才
会場:梅田クラブクアトロ
開場:18:00 / 開演:19:00
料金:前売 3,000円 / 当日 3,500円
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[LIVE]
downt
2021年の結成以来東京のライブシーンを中心に活動スタート。 同年10月にリリースした1st『downt』(CD/CT共に完売)のリリースを受け、一躍エモ、オルタナのライブハウ��シーンにて注目を集める存在に。 今年3月、1stフルアルバム『Underlight & Aftertime』をリリース。 もはやカテゴライズはいらない存在感でジャンルの境界線を風通しよく越え快進撃中!
Texas 3000
Texas 3000は「矛盾」に満ちた存在である。 2019年、幡ヶ谷FORESTLIMITでのパーティ"K/A/T/O MASSACRE"にてJojo(Gt/Vo)と崎山(Dr)が出会い結成。2023年1st アルバム「tx3k」リリースと同時にkirin(Ba)がメンバーとして加入、3人でライブや創作を精力的に行う。 シリアスなのかふざけているのかわからない支離滅裂で無秩序を表現するかのようなサウンドとリリック。ポップでありながら、どこか掴みどころのないキャラクターと謎の虚無感が同居した佇まい。Texas 3000はそんな新世代の異形オルタナティブロックバンドである。
neco眠る
2002年大阪にて結成。オシリペンペンズ、DODDODOと共にレーベル「こんがりおんがく」を主宰。 大小様々なイベントやフェス等で、ユニークかつ妙にダンサブルな音楽を極限までマイペースに鳴らし続け、はや20年。その音楽性をわかりやすく説明すると「先輩に素晴らしいアーティストがたくさんいて、どうしたら彼らと違うことができるか考えてるうちに訳が分からんくなって、力抜けた時に出た屁」の様な音楽。 ただ、その屁は妙に良い音だった。 現在のメンバーは森雄大(Gt)、伊藤コーポレーション(株)(Ba)、BIOMAN(SYNTH)、栗原ペダル(Gt)、三木章弘(Dr)、おじまさいり(SYNTH)の6名、メンバーそれぞれが様々なユニット/バンドやソロ等で活動もしており膨大なピープルツリーを形成している。
[DJ]
慈母子
2019年結成された大阪在住の自炊とobocoによるDJコンビ。音波の中で事故と放浪を繰り返しながら情熱活動中。2023年にDJ実弾とのスワッピングMIXテープをリリース。2024年2月より難波ベアーズにて、毎月最終水曜開催の創造パーティ『慈愛/THE I』を開始。音楽による魂の救済を目指し、永遠に続ける予定
[POP UP SHOP]
LVDB BOOKS
LVDB BOOKSは大阪・東住吉区の書店+ギャラリーです。
OASIS2
京都の街外れにて不明瞭なvintageを販売、既存の古着価値の剥離作業を日々行いつつ、モード圏外でのファッションの境目、及びその和訳や誤訳の着地点を模索中。
十四才
店主がブルーハーツと岡本太郎から受けた衝撃を独自の解釈で古着に落とし込んだ変なお店
[VISUAL]
六根 由里香
1995年大阪府生まれ。周囲にあるモノが咄嗟に目の端に飛び込んでくる経験をチャンスイメージと見なし、リトグラフやシルクスクリーンなどの版画技法を用いてイメージの諸相を再提示する作品を制作する。 9月21日ー10月6日まで GALLERY | BOOK & CD/RECORD SHOP POLにて個展「hit-and-miss」開催。
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よしもとかよ「日々是好日」。vol.110 (2023/6/21 + 6/28)
2023 21st + 28th june
M1 空はふきげん (金延幸子)
M2 your rainy days (Joshua Radin) M3 あめふりヒヤデス (UA)
M4 花・太陽・雨 (おおたか静流) M5 あめふりくまのこ (Pernika Trio) M6 beautiful rain (Little Tempo feat. Eddi Reader) M7 la pluie et le beau temp (Austine) M8 laughter in the rain (Ashley Maher)
< 好日の素 …古書を手にすること >
先月下旬に 富山駅で開催されたBOOK DAYの 影響もあり、 あいかわらずスローな読���手ながらも 読書が進んでいるこのごろのわたしなのです。 BOOK DAYは 10周年ということもあって 古書はもちろん新刊、リトルプレス、ZINEなどの さまざまな印刷物に レコードやCD、関連するグッズなど 盛りだくさん。 じっくり見て回るには 2日あっても足りないのでは、と 思うほど。 県外からの出店者も多く、とても充実していました。 古書ですから、内容としては 最新の情報が記されているわけではないのですが、 出版された当初は それが最新だった、という ある意味記録でもありますし、 店頭や図書館などの棚から いつの間にかいなくなってしまった作品に 思いがけず再会できたりもして、 やっぱりたのしいものだなぁ、と思いました。 ページをめくると 気になったフレーズに 線が引かれていたり、 書き込みがされていたり。 (たまに落書きも…笑) そういった、以前の持ち主の空気を まとっていることもときおりあって、 それもおもしろい。 学生時代に持っていた雑誌に 再びときめいて買ってしまう!なんてこともあります。 富山駅でのBOOK DAY は今後もありますし 7月にはRECORD DAYも開催されるということで そちらも今からとてもたのしみです。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * < 日々是食べたい! … のど飴 >
こうして話したり ごくまれにうたったりする身としては 欠かせないもののひとつ、のど飴。 さまざまなタイプのものが 店頭に並んでいるので、 きっとそれぞれに 好みがあるだろうと思います。 わたしも、これまで いろんなのど飴のお世話になってきました。 子どもの頃は 花梨やミントなど ハーブ系のものが主流で たいていは メントールのスーッとするタイプのものでしたが、 この頃は メントールの感じがないものや はちみつが中心のもの、また ハーバルチュウなるソフトタイプの のど飴まで、ほんとうに多彩。 大根や生姜といった、 昔ながら���素材のものや 薬剤師さんのオススメ!というものもありますね。 わたしの最近のお気に入りは フルーツの味ののど飴。 スーッとする成分は入っていないようですが、 口に一粒入れていると いつの間にか のどがうるおって、落ち着いている感じがします。 色もカラフルで フレーバーも選べるたのしみがあって、 出かける際の必須アイテムになっています。 ちいさな一粒でも、 ほっとさせてくれたり 元気をくれたりする、 たいせつな存在です。
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明日から沢山野外フェスというモノに出させてもらう ひと足先に夏がやってくるらしく 流石の俺も日焼け止めを買った 6月で真っ黒とか いくらなんでも夏男にも程があるって そもそも11月生まれだし 俺は夏に憧れてるだけの分際
この夏の皮切りはフリーダム名古屋
19歳の時ボランティアスタッフをやった そこから幾度となく憧れ続けてきたし あの売れっ子バンドに 楽屋はどこですか?と聞かれた時 俺恥ずかしくて悔しくて バンドやってるんですなんて言えなかった 今なら自信持って言える
24歳の夏 一緒に住んでいた母方の祖父が亡くなった 俺が大企業やめてバンドをやるって伝えた時 何も言わず黙って聞いてくれた CDをこっそり買ってくれた 親戚中に自慢してくれた
本当に時に父のような祖父だった お通夜はフリーダム2022の日 俺はライブハウスステージで神戸太陽と虎に出る予定だった 行く気はなかった
憔悴しきった家族は おじいちゃんなら行けと言う 絶対に待ってる人のため お前の未来のためにライブしてこいと言って送り出してくれた
その日に携わるすべての人が計らってくれて 俺はライブ後新幹線に乗って通夜に向かった
涙が溢れる中書いた文章 する必要のなかったツイート でも忘れたくなくて 俺もじいちゃんも繋がってた証を残したくて あの時に涙を堪えて綴った文字がFREEDOM2024に繋がった
去年立たせてもらったスカイエキスポ でも俺の本命は 大高緑地だ 今年やっと巡ってきた
じいちゃん、俺FREEDOMで大高緑地に立つよ
朝早いけど そっちの世界で少し早起きして
俺のライブ見といてね あの時繋いでくれた時間が 今の俺の全てだ 自慢させてくれ
皆には関係のないこと でもみんなのおかげで繋がったこと 明日は楽しもうな
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数ある選択肢の中から死を選ばずに生きる事
それだけでも十分過ぎるし、偉いと思う
偉い という表現が正しいのか適切なのか
わからないけど
もう今日はそれだけで『よし』として
中古で買ったCD流して、ダラっと過ごそうよ
もうすぐ大嫌いな夏が終わるって
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中古レコード屋を巡る方は、国内の7インチを掘っているとだいたい落合博満とか増位山のレコードにぶち当たると思いますし、店によっては「相撲」「野球」という仕切り板に遭遇することもあるかと思います。 仕切り板はある意味店のアイデンティティでもありますので、「相撲」「野球」「プロレス」「お笑い」「外国人」とかの仕切り板があるレコ屋は、それだけで自分にとってその店はリスペクトの対象になります。
プロレスラーと大相撲力士とプロ野球選手が歌うCD/レコードのこと - WASTE OF POPS 80s-90s
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2024年3月12日(火)
近鉄百貨店@あべのハルカス9階の<SPACE9>で開催される<ハルカス寄席>、原則火・木の開催で低料金、可能なら毎回聴きたい番組が多い。後期授業が終わってから1月・2月・3月と、それぞれ1回ずつ通うことができた。今日は3月最後の鑑賞日、京都駅で早めのランチ=かき揚げうどんを頂いて、京都→大阪→天王寺、一部二部を通しで楽しんだ。テレビのお笑い番組など観ることはなくなったが、落語のライブは飽きることがない。反知性主義の現政権に対抗するには、歴史/文化/生活の上に成り立つ大衆芸能としての落語、強い味方になるのだよ。
5時30分起床。
6時、洗濯。
朝食。
珈琲。
弁当*3。
可燃ゴミ、30L*2&45L*2。
ヤクルトさんから、野菜ジュース購入。
8時30分、ツレアイ(訪問看護師)は雨の中を自転車で出勤、午前中に訪問2件。
Mac用の外付けCDドライブ、ダイブ長い間使っていなかったが、久しぶりに繋いでみても反応しない。仕方なく、amazonで新しいものを発注したのが昨晩到着、以前購入した(中古の)<栄光の上方落語>CD10枚を読み込んだ。
今日は<ハルカス寄席>に露の新治師匠の出番、強い雨の中を梅小路京都西駅11時1分の電車、すぐに京都駅着、ホームで早めのランチにうどんを頂き、新快速で大阪、環状線内回りで天王寺、近鉄百貨店に到着する。
一部・二部通しで2,000円、雨の平日にしては結構な客の入り、十分に楽しませていただいた。
同じルートで帰宅、すぐに今日の簡単なレポートを<まいどおおきに露の新治です>の管理人に送信する。
ツレアイは午後には帰宅、あれこれ買物。
私が夕飯準備している間に、彼女はココに点滴。
🍶+🍷で慰��会。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第50話「殺��のキャンバス」/ Murder, a Self Portraitシーズン 1, エピソード 50 天才画家マックス・バーシーニは、妻でマネージャーのヴァネッサ、前妻のルイーズ、モデル兼愛人のジュリーと共に生活し、奔放な創作活動をしていた。ある日、ルイーズが心理学者シドニーと暮らすと宣言するが、バーシーニは、ある秘密がシドニーに漏れることを恐れ、ルイーズ殺害を企てる。
片付け、入浴、体重は250g増。
パジャマに着替えて日誌書く。
なんとか3つのリング完成、あたたかくなるまでは無理しない。
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23-6-15
art-schoolの新譜、友人との話題に上るときには心配だとしか言葉になっていなかったのが申し訳なくなるようないい曲が多くって行き帰りの移動中に聞いている。CDも注文した。floraのようなギターの積み重ねが美しく、浸っていたくなる。昔メインで使っていたデジタルカメラの充電器を購入して、充電したところ無事に動いた。10代の終わりに表現としての写真を撮りはじめた時に使用していたカメラで、持ち歩くのに丁度良い大きさ、青が特徴的にでる、ものの本当になんでもないような普通の少しだけ古いコン��クトデジタルカメラで、当時はそのことを引け目に思っていた部分もあったけれど、今となってみると写真を撮ることの楽しさはこのカメラだったからこそ知ることができたと思う。「何でも出来てしまう」一眼レフではなくて、できることの限られているコンデジで自分らしい・自分が好きと思える写真を撮るための試行錯誤の楽しさ。2003年のカメラなのでもう20年ものだとすると、「レトロ」等と言ってみてもよいのかしら。インスタグラムに投稿する写真はgizmon half-dで撮ったものを中心にするつもりで、今日の画像もそうなのだけど、このOLYMPUSの古いコンデジで撮った写真も少しずつ上げてゆきたい、となった時にフィードの統一感をどう保とうか、という悩みも生じてくる。解像度の違い。元々統一感なんて有って無いようなものではあったから気にする必要は無いのかもしれないが良い方法があればよいと思う。夜が暑くなってきて寝苦しい。夜中に何度か目が醒めてしまう。
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とっくの昔に旬を過ぎている質問と思われますが、面白そうなので回答します。 一般的に思われている「クラシック」とは、ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽です。古典派の時代くらいから市民階級を対象とした「コンサート」が行われるようになり、レパートリーとして交響曲をはじめとする器楽曲が数多く書かれ、19世紀を通じて隆盛を極めました。はじめは存命の作曲家の作品ばかりが演奏されていたようですが、コンサートの数が増えるにつれ、曲が足りなくなり、「すぐれた作品であれば、故人のものでも演奏しよう」ということになります。数々の音楽雑誌が創刊され、音楽に関する言論が盛り上がります。シューマンが創刊した「新音楽時報」が代表格で、これは現在も刊行されています。音楽雑誌の主要な関心は、「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定」でした。現在コンサートのプログラムを飾る数々のクラシックのレパートリーは、こうした中で選ばれてきたものです。バロック時代の作品はいわば「前史」として、後に発掘されたものです。メンデルスゾーンがバッハを発掘した例はあまりにも有名です。 作曲家たちは、こうした中で勝ち残りつつ、世俗的な成功をおさめようとしのぎを削っていました。みんな「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を目指していた、といっていいと思います。が、19世紀後半に爆発的な数の作曲家が出て、個性を追求しようにも、もはや音の組み合わせが尽きつつあるのではないか…その問題から逃れようがなくなっていきました。そもそもオクターブに12音しかないものを、多くの作曲家が競争して曲を書いて行ったら、可能性を汲みつくしてしまうのではないか…そういう種類の問題です。 その問題の処し方は、ヴァーグナーが切り開いた半音階和声の道や、国民楽派が切り開いた民族性追求の道、フランス人たちが切り開いた旋法や非機能的和声の活用の道でした。 20世紀に入っても、少なくとも第一次世界大戦まではこの延長上で数々の作曲がなされていました。民族性追求はジャズやガムランなど非ヨーロッパ音楽への関心を生み、そのよって立つ民族を広げながら続いていきます。フランス人たちの切り開いた道も、それはそれで継承されていきます。 が、半音階和声の追求の中からシェーンベルクが無調の道を開き、一般の聴衆と決別する傾向が出て来ます。複調を多用した作品でスキャンダルとなったストラヴィンスキーの春の祭典も、同じように言えるかもしれません。新しい作曲技法の追求は、第1次世界大戦前の段階で、「クラシック」の前提であった「市民階級を対象とした芸術音楽」から外れ始めたのです。簡単に言えば、「最新の技法で曲を書くと、市民に聞いてもらえない」「市民を置き去りにしないと、最新の技法を試せない」という状態に陥ったのです。 第1次世界大戦以降、ロマン的な感覚が毛嫌いされ(民族主義を盛り上げる=ナショナリズムに訴える=戦争に結果的に協力する部分があったのは否定できません)、クラシック界は新古典主義の時代となります。シェーンベルクは十二音技法を開拓しますが、これも言ったら無調のシステム化であり、理性的です。中には新古典主義の語法を適度に取り入れつつもロマン的な曲を書いた人もいますし(バーバーとか)、ルネサンス期の舞曲や民謡を編曲した懐古的な作品も見られますが、例外的です。 ただ、この新古典主義ですが、形式への回帰とロマン的な感情表現の否定、下手をするとオリジナリティの否定(民謡と現代的な作曲技法を結びつけたりしています)ですので、大物は出て来にくいです。最大の大物はラヴェルとバルトークだと思いますが、フランス6人組といっても一般的には知られていないでしょうし、コダーイやカゼッラやマリピエロも通常は知らないでしょう。 何より、第1次世界大戦が、それまでの「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定を行う市民階級の共同体」に物理的・経済的に深刻なダメージを与えたことは間違いないでしょうし、それまでのようにナイーブに共同体の共同主観を信じることも難しくなったでしょう。ナイーブに自国の素晴らしさと誇りを信じた結果、破局的な大戦に至り、ドイツ・ロシア・オーストリア・オスマンの4帝国は解体となりました。フランスは人口構成が変わるほどの大ダメージです。ロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」という理想自体が、技術的にも理念的にも疑わしくなったと言えるのではないでしょうか。 悪いことは続くもので、ソ連では社会主義リアリズムが叫ばれるようになり、音楽は大衆に奉仕するものとして、人為的に古めかしい様式で書くことを強制されるようになりました。ナチスは実験的な音楽とユダヤ人の音楽を抑圧しつつ東方に勢力を広げました。ここでもロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を試みるための自由が奪われたわけです。結局、そうした自由が残っているの��実質アメリカだけのような状態になりました。ガーシュウィンやグローフェやコープランドやバーバーやケージなど、アメリカだけがかなり元気に見えるのは、絶対に偶然ではないでしょう。 要するに、戦間期の段階で、すでに「クラシック」を生み出してきた種々の条件が大幅に崩れています。オリジナリティの余地は狭まり、オリジナリティ自体の正当性が疑われ、クラシックを支えてきた市民階級の共同体は物理的・経済的・精神的に力を失い、やがては全体主義国家による抑圧も行われるようになった、ということです。こうした時代に、ベートーヴェンのような素朴な市民共同体の信奉者や、ショパンのような詩人や、ヴァーグナーのような誇大妄想狂が伸び伸びと作曲できたでしょうか。 さらに、凄惨な独ソ戦はドイツ以東を滅亡の淵に突き落とします。一応戦勝国のはずのフランスも、ドイツに率先して協力した者を糾弾するなどで戦後は内輪もめです。クラシックを支えてきた市民階級の(ある意味のんきな)共同体など、大陸諸国では崩壊したものと思われます。おまけに戦後は鉄のカーテンで、東欧は全てソ連の影響下となり、抑圧体制となります。社会主義リアリズムは粛清を伴う形になり、自由な創作は生命の危険を伴う状態にすらなりました。社会主義リアリズムとは「強制されたロマン主義音楽や民族主義音楽」と言えると思います(ショスタコーヴィチやハチャトゥリアンを聞けばわかります)。ソ連の音楽界は、西側諸国から離れ、ガラパゴス的な世界となりました。 対抗上、西側諸国では、いわゆる前衛音楽が各国政府によってバックアップされ、自由のアピールとされました(ロマン主義・民族主義・新古典主義のどれをやっても、社会主義リアリズムと被ってしまいます)。前衛音楽は新しくていいのですが、一般市民にアピールする力はありません(ヨーロッパの音楽愛好者が、「前衛音楽は、風変わりな音が古い城の大広間などで演奏される様が最初は非常に新鮮で面白かったが、すぐに飽きた」などと書いています。一番好意的な反応でこのくらい、と考えられます)。受け取り手の共同体が崩壊し、作品をつくる側が市民階級から背を向けていたとしたら、巨匠が出てくる余地があるわけがないではありませんか。 一応、メシアンだのブーレーズだのケージだのライヒだのと、主要な作曲家を挙げることはできますが、おそらく一番影響力があって楽壇をリードしていたブーレーズが、ある時期からほとんど作曲をしなくなり、指揮ばかりするようになってしまったのが象徴的です。要するに、「クラシック」を生み出してきた種々の条件が完全に崩れてしまったのです。質問に対する直接のお答えは、これです。 戦後に起きた大きな変化としては、世界の中心��ヨーロッパからアメリカに移ったこと、旧体制(ナショナリズム的な国家体制)が若者世代から各国で猛��発を食らい無視できなくなったこと、貴族主義やエリート主義の崩壊(といって悪ければ地下化)などがあるでしょうが、これもすべてクラシックの首を絞めています。代わりに台頭した音楽が、アメリカ起源のロックで若者対象の音楽であることが象徴的です。 それでもクラシックに関心のある層は、クラシックの新作ではなく、指揮の巨匠によるレコードの演奏の違いに関心を寄せるようになりました。が、徐々に生演奏のハッタリ要素は自粛され、レコードにしても傷のない演奏をコンサートで行うのが当たり前になり、クラシックは新作という意味でも、演奏という意味でも、活力を削がれる形になっていきます。1960年代くらいのライブ録音など聴くと、相当にロマン的な無茶をやっていて楽しいですし、各国のオーケストラにもまだ明確にエスニシティがありますが、70年代以降どんどんそれは消え失せていきます。演奏に全く傷のない録音とそれとそん色ない生演奏の極北は、シャルル・デュトワとモントリオール交響楽団だと思いますが、あれはあれで尖った個性だったと思います。しかし、もはやその路線もありません。クラシックのCDは、どれをとっても似たような穏健な解釈とそこそこ傷のない演奏により、聴く人の「既存の曲のイメージ」をほぼ再確認するだけのものになっているように思います。おまけに値崩れも甚だしく、昔の巨匠と世界的オーケストラの録音が、500円くらいで投げ売りされていたりします。 それでも、宮廷料理に起源のある高級料理が滅びないのと同様、クラシック音楽が絶えることは一応ないでしょうし、また映画音楽などのネタ元として、クラシック音楽は活用され続けるでしょう。もしかしたら、一応西欧文明の影響下にある国々に普遍的に流行する音楽も書かれる余地はあるかもしれません(クラシックではありませんが、Let it goが世界43か国語に訳されて歌われたのはなかなかエポックメイキングだと思います)。が、その時に使われる作曲技法は絶対に最新の前衛的な技法などではなく、多くの人にわかりやすいロマン的あるいは民族的あるいは新古典的な様式でしょう。 クラシック的(あくまで「的」ですよ)な作曲法で大流行した例としては、パーシー・フェイスとか、ヘンリー・マンシーニとか、ポール・モーリアとかが挙げられるでしょう。映画音楽は後期ロマン的な様式で書くというルールがハリウッドで確立されており、ジョン・ウィリアムスはその巨匠です。日本だと久石譲ですね。こうした音楽は、おそらく今後も書かれ続け、一定程度の人気を得る曲も出てくると思われます。 が、クラシックの系譜に直接つながる音楽=ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽で、作曲家が世界で自分にしか書けない鮮やかな個性を目指して最新の技法で書き、多くの人に受け入れられた上、歴史の審判を経て残る音楽=はもはや、存在しえないと思います。
なぜ、現代に、クラシックの大作曲家が輩出されない��ですか?大昔の作曲家のみで、例えば1960年生まれの大作曲家なんていません。なぜでしょうか? - Quora
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