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このままTwitterが居心地悪いままでいてくれたら俺はデジタルデトックスが成功するんだろうな、と思ってる。
もう疲れた、、、
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最近、暑い日が続いてなんだかゲンナリとしたので、とっておきのTシャツを買おうと思い立った。
そこで白羽の矢が立ったのが、寿スタジオのTシャツだった。寿スタジオとは江口寿史の事務所のことである。beams×江口寿史×かせきさいだぁのコラボで色んなカラバリ展開をしていたが、最近は新作の発表がないので、ひたすらメルカリとヤフオクに張り付いてようやく手に入れることができた。江口寿史のイラストのTシャツはちょこちょこ巷でも目にするし、なんか銀杏boyz のファンと間違われるのもアレだしちょっと避けていた。そんな中でKOTOBUKI STUDIOと書かれたTシャツはちょうどいいな、と思って探したのだ。無事に手に入れることができたので、大事に着倒そうとワクワクしている。
そういえばいつ江口寿史の絵が好きになったのだろうと振り返ってみる。
初めて目にしたのは確か小6の頃。当時、祖父が亡くなり空き家となっていた父方の実家を整理しに行くことがしばしばあった。父の部屋は雑誌や雑貨がそのまま置いてあり若い頃のままで時が止まったような状態であった。
そんな父の部屋が妙に居心地が良かったので、たまに1人で自転車を漕いでは休みの日はそこでぼーっとしたり、置いてある雑貨や本を漁って過ごしていた。
そんなある日、古いジャンプコミックスを発見した。それが江口寿史の代表作、「ストップ!!ひばりくん!」であった。
パラっと読んで、主人公のひばりくんは主要人物の姉弟の中で一番かわいいのに男という設定にやられてしまった。こんな漫画が昔ジャンプで連載されていたなんて、と衝撃が走った。ひばりくん以外の登場人物もみな可愛いしやけにオシャレという点も惹かれた。しかも未完で放棄されているのかよ…と。
それからというもの、江口寿史の漫画や画集を父が他にも持っていることを知って読み漁った。そして鼻の穴を省かずに描いているのに綺麗で可愛い女性のイラストが描けるなんて…と改めて衝撃を受けた。よく振り返れば少し前に叔父の部屋で見て、なんだか素敵だな、と思っていたperfume のCDのジャケットも江口寿史の作であった、ここで自分の好きなモノとモノが繋がる快感も感じた。
で、Tシャツの話に戻る。
それなりにハマっていたので、寿スタジオのTシャツがbeamsから出ていたのは知っていたのだけど、江口寿史×かせきさいだぁ×beams のコラボとなっていて、かせきさいだぁって何?と引っかかった自分はしばらくスルーしていた。よく知らないモノに安易に手を出したくないな、とその時は思ったのだ。
それからしばらくして、去年の夏。パンダのオイル交換をしてもらいに主治医のところに行くと、ボルドーで右ハンドルのセレクタがいた。珍しいし程よくしけていて素敵だな、とジロジロ眺めていたら、車内にCDが山のように入っていた。その山の頂上にかせきさいだぁのアルバムがあった。
かせきさいだぁって歌手なのね、とそこで知った自分は、オイル交換の終わったパンダの中で早速そのアルバムを聴いた。それからというもの、かせきさいだぁにもすっかりハマってしまった。
自分が好きになったモノ同士が繋がるというのはとても気持ちが良いもので、それからたまに寿スタジオのTシャツを探してはいたのだけど、なかなか出てこなかった。その間にひばりくんをまた読み返すと、劇中でひばりくんが同じTシャツを着ていてまた一層欲しくなって、探して、出てこなくて諦めて、、、と繰り返してようやく買うことができた。
自分が色々調べて納得しないとモノを買わない主義というのは遠回りでめんどくさいなと思いつつ、今度こそ納得した気持ちで入手できてとても嬉しいのです。
今年はいっぱい着るぞ〜
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ホットウィールに最近思うこと。
実は幼少の頃ホットウィールを避けていた節があります。やたらでかいリアタイヤとか、全然ライトに色が入っていないとか、なんか平べったいとか。ミニカーには精密であることを求めていた幼少期の自分にとって、ホットウィールは車種こそ惹かれるもののあまり手を出す対象ではなかったのでした。
でも、ある日ホットウィールの良さが急にわかるようになった。でかいリアホイールも、ライトの差し色が入っていないのも、妙に平べったいのも、プロポーションに振った結果だったということに気づくわけです。実写よりオレらのデザインの方がイカしてるだろう。というようなデザイナーの声が聞こえるようでした。
最近のホットウィールは、車種選択にはとても惹かれるし、リアル志向なのもいいな、とは思うのだけど、俺らの方が実写よりカッコよくできる、といったようなデザイナーの自信が感じられないというか、「カーマニア」に媚びてる感じがして、どうも「?」という感じになってしまうわけで。ソアラを見比べるとよくわかるような気がします。
あの頃はよかったとは言いたくないけれど、昔のホットウィールに惹かれる理由が最近何となくわかってしまった今日この頃。まぁ結局好きな車種が出たらいいな、と思って買っちゃうんで、まんまと戦略に乗せられているわけですが、、、
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これ。セブンイレブンで安くなっていたので買ってしまった。
ガムを食べていて、ゆで卵みたいなら買うのになぁとか思う人がいるのだろうか。
味は白葡萄。味と見た目の乖離が激しくて怖い。
ジウジアーロはパンダの造形には全て意味があると語っていたが、このガムからはゆで卵の形である意味が全く感じられず、恐怖感すら抱く。しかも食べたら普通の白葡萄のガムである。捻りがない、怖い。
実はホラーというのはこういう意味を全く感じられないところに見出す感覚なのかもしれない。。
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ヒュンダイ、ちょうど自分がメーカーを認識したのはソナタのCMをみた約20年ほど前のことだろうか。
当時イケイケだったヨン様が出演するCMをぼんやり覚えている。ソナタよりヨン様の笑顔の方を。
そういえば母親のママ友もヨン様のポスターに釣られて眼鏡市場でメガネを買っていた覚えがある。
それから20年後。まさかヒュンダイ(今はヒョンデって呼ぶらしいですね、慣れないのでそのままで。)に進んで試乗することになるとは。しかも人生初のEVとして。
初めてアイオニック5の写真を見た時は、デルタみたいでかっこいいな、という印象であった。実際ジウジアーロがデザインしたポニーをオマージュしているわけで、デルタに似てくるのは合点がいく話である。
しかし、実際に姿を見ると想像以上の大きさにトミカとミニチャンプスを並べた時のような印象が勝ってしまった。
で、実際に乗ってみて。
それが普通に乗れてしまった。EV特有の静かさや、鋭い加速、回生ブレーキによるワンペダル操作など、最初はすげぇとなるのだが、しばらくすると普通に慣れてしまうのだ。トミカタウンにミニチャンプスで突入したような状態も、至る所についているカメラとセンサによって全く気にならなかった。表記がちゃんとした翻訳になっていたり、ウインカーレバーが右側にある辺り、相当気合が入っていて好感触であった。スイッチ類の押し心地もなんとも心地よく、志の高さを感じた。
しかし、少し考えてしまったのは、合皮に覆われたインテリアや、EVそのものの寿命。気合いを入れた車であることはよく伝わるのだが、この車、いつまで乗れるんだろうな、というのが悩ましいなと。なんだか車というより家電の延長線にいるあたりが、少し���寂しく感じてしまった。
エコロジーについて迫られる社会とクルマ趣味のバランス。これからどうなるんだろうか…こういう転換点にいることを楽しめるようになれたらいいな、なんて所まで考え込んでしまった。
何はともあれヒュンダイ=ソナタ=ヨン様のイメージを払拭できてよかったな、と振り返る1日だった。
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自分の趣味は叔父からの影響が強いのだと思う。
自分がまだ幼い頃、母方の実家にあった叔父の部屋は今思えば面白いものに溢れていた。MacやiPod をはじめ、イームズチェアだったり、深澤直人のデザインした加湿器と言った素敵なプロダクトに囲まれた部屋だった。そういうものに囲まれて叔父に遊んでもらったのは、後々の自分のデザイン雑貨が好きな趣味に大きな影響を与えていると思う。電気グルーヴやスチャダラパーを聴かせられたのは、自分の音楽趣味に後々影響があったなとも思っている。
叔父の最初の愛車はインプレッサのワゴンだったが、流石に自分が幼さすぎるため記憶がない。だが、次に乗っていたスマートはとても思い出深い一台であった。
買い替えるとなった時にカタログを見せてもらった記憶がある。自分はもうすでに車が好きだったので、とても喜んだ。自分の親族に初めての「ガイシャ」が来るというのは大変嬉しかったのだ。
納車された時はわざわざ見せびらかしにも来てくれた。上の写真はその時の写真である。幼い私の喜びようがわかる。ちなみに横で👍をしているのは叔父。この叔父が着ている服は今でも自分が着ている。
内装が特に可愛くて好きだった。キーシリンダーの位置や、ドアノブの形、エアコンの吹き出し口など、他にないワクワクするディテールに溢れていた。なんともいえない室内の香りも好きであった。とにかく、家の車含め、身近にある車とは全く異なる雰囲気が大好きだったのだと思う。
それからは叔父のスマートでいろんなところに遊びに行った。飯田にできたばかりのケンタッキーにドライブスルーしてもらったり、タイコクラブというフェスにも行った。テント泊だったので、狭い車内にキャンプ道具をぎゅうぎゅう詰めに積んで行ったのは冒険っぽくてワクワクした思い出がある。そのフェスでは石野卓球がライブしていたらしいのだが、深夜だったために興味がなかった自分は寝てしまっていた。今になって結構後悔している。
その後しばらくして叔父はFJクルーザーに乗り換えた。FJクルーザーもとても好きな車であったが、自分の中ではスマートへの思い入れの方が強い気がする。
そして2020年になりスマートに乗せてもらえる機会がやってきた。10年ぶりのスマートはあのころと全く同じ匂いがして、一気にいろんな楽しい記憶が蘇った。あの頃は運転できなかったけれど、運転させてもらってさらに感激してしまった。フレームの剛性感とユニークさだけでなく使いやすい内装のデザインはよく考えて設計された車なんだな、という��とを実感した。
そんなスマートとはさようならということで、色々と小さい頃からの思い出が蘇ったので色々と書いたら長くなってし��った。小さい頃の思い出補正だけでなく、今乗っても感動できる車というのはそうないのかもしれないと思う。
スマートにまた乗ることができて、小さい頃の思い出がよりいいものに感じられた気がする。
ありがとうございました。
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ふと自分の人生の中で思い出深い一台ってなんだろう、と考えた。初めての愛車であり、乗れるだけ乗り続けたいと思うパンダはもう殿堂入りだろう。
ではそれ以外では何が思い出深い一台か?答えは案外すぐに出た。ラグレイトだ。
2021-2022年は本当によくお世話になった。皆でワイワイ大洗に行ったり、京都に行ったり。MVの撮影をするときにも世話になった。
さようならをする前にはわざわざ記念撮影まで。
人の家のクルマでここまで思い入れのある車はないな、と思う。
それまでオレは、車は運転してナンボだと思っていた。小さいパンダでちょこちょこと走るのが好きだった。ミニバンなんて、と正直思っていた節もある。
でも、ラグレイトはそれを全く覆してくれた。皆でワイワイと同じ空間を共有しながら移動する喜びを教えてくれた。ふっと平日の夜に皆でワイワイと温泉に行くような遊びもいっぱいやった。
そんな、自分のモラトリアムの中の幸せを象徴するような一台。上のジェレミークラークソンのジ��ークとは全く反対の存在とも言える。だからこそ、より特別な存在に思えるのかもしれない。今でも街中でラグレイトを見かけるたびに、その時の楽しかった思い出��蘇る。多分自分の最期の時までそれは変わらないだろうな、きっと。
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ここ最近食べた美味しいものの数々。
1人で暮らしてた頃は結構食に無頓着で、スーパーで半額になった菓子パン2つとか、ごつ盛りをルーティンのように食べていた。当時はそれで満足していたのだけど、最近はいろんな美味しいものを知りたいな、という気持ちが強くなってきた。これを食べずに死ねるか!という感じ。美味ければ別に安かろうが高かろうが関係はないのだけど、でもルーティンのように同じものを食べるみたいな昔の食生活には戻れないな〜なんて。今でも���子パンやごつ盛りは好物だけどね。
ここ最近思うのは、歳を重ねてだいぶ服とか音楽とか冒険できなくなってきた感じがしてきて、気軽に冒険できるのは食事だったりするのかな、ってこと。
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コロナ禍に入ってただでさえ怪しかった自分の将来が何も見えなくなった。
ただ陽さんと生活を共にしたいという一心で親に半分黙って上京して早3年。
大学は卒業でき、就職もできて陽さんとは今でも仲良く暮らせていて。自分が一番実行したいと思ったことを進めていくと、見えなかった将来がじわじわと見えてきて、いつのまにか3年経っていた。
これからも自分が実行すべきだと思ったことをまず進めて、周りをそれに合わせて動かして、1日1日大切に過ごしたいと思う。もちろんそれには周囲の理解がなければいけないので、常に自分を取り巻く環境への感謝は忘れないように、生活したい。
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就職してはや3ヶ月。試用期間も終わっていよいよ本採用されまして。
おかげさまでいいご縁があって、穏やかに働けています。
しかし、自分の元からの抜けっぷりと言いますか、自分で何度も確認してもやっぱミスってることが多いと言いますか、その度にがっかりしちゃいまして。
自分はダメだなぁと責める一方で、自分への期待値が高い自分のプライドの高さにもムカついて、なんか怒りの矛先が自分自身への感情全てになってしまうことがあります。
なので今年、下期の目標は自分に期待しないで、やれることを落ち着いてやるとかそれくらいにしておこうとぼーんやり考えています。
あとはいっぱい遊びたいな、車に乗ってもいいし美味しいもの食べてもいいし。
落ち込んでる時間をなるべく楽しい時間へ変換したいな、なんて思ってます。
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ダムドを初めて聴いた時、僕は中1だった。
当時セックスピストルズ(というかシドヴィシャス)にハマり、クラッシュを聴いて、ではロンドン3大パンクという今となっては謎の括りの中にあるダムドも聴いて見ましょうと親のCDを漁って聴いたのだった。
しかし親が持っていたのは当時のライブ盤で、音はざらざらでこもってるし曲も速すぎてわからず、おまけにアーティスト写真の珍妙な感じも相まっていまいちピンと来なかった。ボーカルはドラキュラみたいだし、もこもこした服を着たやつがバイオリンベース弾いてる様は流石に理解できなかった。
そこからしばらく経って、高校2年のある日、なんとなくNeat Neat Neatを聴いて、どハマりした。アルバム音源はこんなに速くてかっこいいロックンロールだったのかと。政治的な要素は何一つないしふざけているのだけど、パンクロックの初期衝動は一番感じるなと。
しかもパンクロックのバンドとして一番最初にレコード発売して、すぐに解散。また再結成を繰り返しまくるというのもよかった。この短絡的な感じにとても魅力を感じたのだった。まず、唯一三大パンクバンドの中でオリジナルメンバーが全員生き残ってる。なのに、印税とかで仲違いして、同じ日にそれぞれ違うライブ会場でNeat Neat Neatをやってる。いい歳こいたおじいさんが何してんだよって思いつつ、大人になりきれない感じがよかった。
パンクに限らず、ゴスとかいろんな要素を吸収しているのに、伝説になりきれない。それを本人たちもわかっているけど、いつか成功するさ、といまだに思い続けてやり続けているのもいい。ダムドは最近オリジナルメンバーでライブをやったそうだ。だけどそれはあくまで一回だけ(もしかしたら撤回するかもだけど。それでもダムドは許せる。)でいまの編成でずっとやっていくみたいだ。
常に進化して、継続し続けるのはバンドとして一番かっこいい姿勢だと思う。ダムドのような長いキャリアのバンドなら尚更。多分ダムドが愛すべきバンドであるのはこの点なんだな、と。
いつまでも続いてほしいと願う。
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blink-182にまたトムが戻ってきてCoachellaに出演しましたね。中学の時にハマってずーっと聴いていたので非常に嬉しいです。
blink-182にハマったのは中2の時。What’s my age againのバカなMVからでした。
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本当にバカすぎる。人生において一番バカな時期である中2の俺にはそのバカさが本当に刺さった。そして何よりハマったのは彼らのファッション。Hurley のTシャツにDickiesの874にvans。ギターとベースはめっちゃ低い位置で構えてる。全部マネしてたな〜。
すっかりblinkの虜になった俺はEnema of statesから発表順に彼らのアルバムを聴いて、ついに2003年発表のセルフタイトルアルバムに出会うのです。
当時はアルバム聴く前にレビューをネットで探してから聴いてました。このアルバムのレビューを見ると「音はパンクじゃない」「ヒップホップやエレクトロニカの要素が入っている」と言った情報が目に留まり、パンクロック以外は音楽じゃないとまで考えていたバカな俺は、好きになれるか不安になりつつアルバムを聴きました。
結果、大ハマりしまして。
ポップパンクの爽快さはしっかり残りつつ、ヒップホップやエレクトロニカの要素が入った飽きのこないバリエーション豊かな音楽にすっかりのめり込んだのでした。途中でインタールードも挟みつつ一曲目の「Feeling this 」から最後の「I’m lost without you」までダレることのない完璧なアルバム構成。��だのバカなガキだと思っていたらロバートスミスをフィーチャーしたニューウェーブっぽいダークな曲をアルバムにぶちこんでいるというギャップもまた良かったのです。ニューウェーブっぽい曲を874を履いてギブソンのセミアコで奏でてもかっこいいんだ!という発見があり、頭の硬かった当時の俺にとって大きな衝撃でした。それからというもの、パンクというジャンルに対する呪いが解けたようにいろんなジャンルの曲を素直にいいな、と聴けるようになったのです。
今となってはあまり聴く機会も減りましたが、このセルフタイトルアルバムは自分の音楽に対する見方を広げてくれた素晴らしいアルバムだと思います。
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なんか目が冴えているのでTwitterを始めたばかりの自分の投稿を振り返っていた。
当時の自分は初々しいと言うか、免許取り立てでパンダを所有して(これは家族や周りの方々のおかげ)Twitterを始めて、なんかちやほやされて調子づいていたんだろうなっていう投稿が多い。ちょっと恥ずかしい。でも、そこから半年ほど経つと投稿のペースは落ち始めている。きっと鍵垢に篭るようになったんだな、この頃から。この辺りから私生活も雲行きが怪しくなった。人格否定されたし、自己肯定感はダダ下がりでよくストゼロでビッグマックとかカップ麺を流し込んでは作品を作ることに必死になってたっけ。なんとなくこのころ聴かされた音楽を聴いて見たのだけど、いまいちピンとこない。たった4年前のことだけど、辛かった時の記憶はぼんやりさせてくれるんだな、と自分の脳に感心した。今では本当に毎日幸せに過ごさせてもらっているし、これからどうなるか分からないけど1日1日を以前より大事にできている気がする。それは一緒に住んでくれている陽さんのおかげであるし、仲良くしてくれてる友人、家族のおかげだ。常に感謝が尽きない。
やはり自分の置かれている状況に対しての感謝は常に忘れないことが大事だなと思う。2018年ごろの自分の思考は恥ずかしいけれど、それがなければ今の自分はいないのだから、否定せずにまた今日も過ごそう。(なんの話だこれ)
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ブックオフの値札って時期によって色変わるんですよ。
黒が1月から3月、緑が4月から6月、青色が7月から9月、赤色→10月から12月っていう流れで変わるんすよ。
例として写真にあげた「地平線の相談」は、5月に売られてきてプロパーで販売してみたものの売れず、12月にサービス品に値下げされた���のってことがわかります。ちなみにもう一つのみうらじゅんの本の方はハナからサービス品に落とす値段とジャンルなのでそのままプロパーに行くことなくサービスに行った品ってことです。
このラベル、剥がさずに取っておくといつごろ買った本なのか。またどんな感じで値下げされていった本なのかわかって面白いかもな〜って最近思いまして。だから最近は備忘録的な感じで貼りっぱなしにしてます。いやでもダサいかな、まぁいいやって感じです。
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お茶の水駅のトイレにて(食事中になんとなく開いた人はごめんなさい)
びっくりするのはこの落書きをするためにわざわざ油性ペンを用いている点。用を足しながらペンを出して描いたのでしょうか。落書きに対する熱意を感じます。
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朝、私は眠い目を擦りつつ出勤するため、電車に乗った。
そこで、金髪ボブのお姉さんが一緒に乗ったのだが、何かがおかしい。私が違和感を覚えた理由はすぐにわかった。金髪ボブのお姉さんが携えているトートバッグにロン毛にサングラスの男の絵、つまりみうらじゅんの絵が描いてあったのだ。「みうらじゅんのトートバッグ!?」となった私はすっかり目が冴えてしまい、座席に座るや否や
「みうらじゅん トートバッグ」
で検索をかけていた。
しかし、ヒットしたのは星野源が扮する「ニセ明」のトートバッグであった。デザインもまさに金髪ボブのお姉さんが持っていたトートバッグそのものであり、なんと紛らわしい真似をしてくれたんだ、と若干星野源とその金髪ボブのお姉さんに怒りを覚えてしまった。
しかし、よく見るとヒットしたページというのはメルカリの出品画面であり、よく見るとそこに出品されていたのはみうらじゅん仕様に魔改造されたニセ明のトートバッグであった。
「星野源のニセ明のトートバッグでしたが、みうらじゅんにしか見えなくなったので、もっとみうらじゅんにしてみました。」(出品者の説明から引用)
私はああ〜全くおんなじこと思う人もいるんだなぁ、と安心すると共に、改造する人まで存在するのかよと動揺もしたのであった。そして星野源、あと金髪ボブのお姉さんに「先ほどは若干怒ってごめんなさい。次はみうらじゅんと間違えないよう気をつけます。」と心の中で謝罪したのであった。
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将来への不安でヤケクソな考えになりかけた。もう就職して老後貯金とかそう言うこと考えてもしょうがないじゃねえか、とか。ヤケクソになっても良い方向には転がらないのでとりあえずできることをした。姿勢を正して歩き、近所の肉屋で唐揚げと焼売を買う。それを食べ授業を受ける。まずは自分がきちんとしなければ。
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