#下午茶時間
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kwytlife · 2 years ago
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a-wei-lin · 1 year ago
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台中饗食天堂LaLaport | 台中三井南館分店新開幕!數百道美食無限制吃到飽~
剛開幕的《台中饗食天堂LaLaport》你吃過了嗎?台中三井LaLaport南館剛開幕的饗食天堂LaLaport台中店好評壞評都有,阿偉自己給這間台中吃到飽也是好壞參半,這家台中美食的食材料理很新鮮,吃起來是十足的美味,假日人潮非常多,吃東西要排隊很正常,但有些部分還真需要《台中饗食天堂LaLaport》去解決~ Continue reading Untitled
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shunya-wisteria · 2 months ago
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秋旅2024 - リゾートビューふるさと + 富山市内旅
秋は旅に限るよね、どこへ行こうか?そうだ富山いこう!
はじめに
どこかへ旅行したい気分、でもちゃんと考えて計画するのはめんどくさい気分。そういう時は一度行ったことのある場所の再訪が楽ちん。ということで今回は、2年ぶりに2回目の「リゾートビューふるさと」へ乗りに長野へ、そのまま終点の南小谷まで進んだ後、大糸線 糸魚川、えちごトキめき鉄道線・あいの風とやま鉄道線を乗り継ぎ富山まで行ってみました。いつも素敵なお写真が並ぶケイスケさんのブログでちょうど紹介されていた富山駅周辺にも惹かれたため。
リゾートビューふるさと 信越線・篠ノ井線・大糸線経由 長野���南小谷
リゾートビューふるさとの紹介は前回訪問時に記載しているので詳細は割愛。簡単にいうと土日を中心に運行されるリゾート快速で、長野から姨捨、松本、穂高を経て、緑(JR東日本)と青(JR西日本)の境界駅である南小谷に至るというもの。途中の姨捨と穂高では30分ほど停車し途中下車が楽しめるというもの。前回はまだ某疫病が終息しきっていないこともあり、神社参拝時の案内や車内での民謡演奏等、一部サービスは割愛されていましたが、今回はそれらも再開されていた点が大きな違いかな(あとは、指定券が300円くらい値上がりしたのと。。。)。あまり変わり映えしませんが、写真も何枚か。
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1枚目、朝一は立ち蕎麦で朝ごはん。長野駅には立ち蕎麦屋が何軒かありますが、今回はそのうち改札外 東口の榑木川にて、山菜キノコ蕎麦をいただきました。ひんやりした朝に温かい蕎麦は染みる。
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2枚目、穂高駅にリゾートビューふるさとに使用されるHB-E300のお顔。よい面構えですね。
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3枚目、車窓から楽しめる仁科三湖。訪れた日はお天気が微妙で。。。アルプスの山々は全然見えませんでしたが、仁科三湖(青木湖・中綱湖・木崎湖)は綺麗にみえました、山々の紅葉と合わせて一枚(これが何湖だったかは覚えていません。。。)。
4枚目、終点 南小谷駅周辺にて乗り換え待ち30分で散策。事前情報として認識はしていましたが、川の様子を見に行く以外は特にすることがないですねぇ、天気が良ければ遠くの山々の景色も楽しめるのかもしれませんが、あいにくの曇り空。
大糸線 南小谷→糸魚川
大糸線はこの先 JR西日本管轄の非電化エリア。輸送密度も小さく1両のディーゼル列車とローカル線の香り。列車は姫川に沿って右へ左へゆらゆらと、眠たくなりますね。
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1枚目、車窓から1枚。ガラスの反射と揺れに悩まされながらなんとか撮れたもの。ずっと川沿いを走るため大体景色はこんな感じ。
2枚目、終点 糸魚川にて1時間ほどの待ち時間。隣接するヒスイ王国館内のカフェでおやつタイム、わらび餅セット。上品なわらび餅とたっぷりの温かいお茶でほっと一息。ずっと座って列車にのっていただけでも疲れるものですね。
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3枚目、4枚目、ここまで運んでくれた列車と駅舎からの夕焼け。近年開業した新幹線の駅舎って大体同じような構造(既存の地上駅の横に背の高い新幹線駅舎を作って橋上駅舎で無理やりつなぐ形)に見え、この光景もやや見慣れたものに。
えちごトキめき鉄道 日本海ひすいライン・あいの風とやま鉄道線 糸魚川→泊→富山
ここから日本海沿いを進み富山へ。えちごトキめき鉄道とあいの風とやま鉄道の境界 市振の2つ先 泊にてえちごトキめき鉄道の車両からあいの風とやま鉄道の車両へ乗り換え。同一ホーム上に縦列駐車する2つ列車間の乗り換えという面白い体験。よく考えるとここからがこの旅の在来線で初の電車でしたね(リゾートビューふるさとはハイブリット気動車、大糸線・日本海ひすいラインはどちらも気動車)。JR西日本の近郊形車両ベースの車両は内装や音含め、何だか東海道本線の米原から先、琵琶湖線を走っている気分。
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日中であれば日本海の景色を楽しめるのかもしれませんが、時はすでに夜。真っ暗で何も見えませんでしたので、糸魚川駅での待ち時間に撮影したえちごトキめき鉄道の観光急行を。何やら撮り鉄っぽい方が何名かいらっしゃるなと思っていたら、こちらがお目当てのようでした。貴重な国鉄形の気動車は重厚感が違いますね。
富山城ライトアップ
富山駅には夜の到着。そのままホテルに直行したい気分でもあったのですが、富山城がライトアップしているとのことで重い腰をあげ。歩いても行ける距離ですが折角ならと市電に乗車。富山市内は市電が充実、かつ高頻度で運転されていて便利でした。富山駅の乗り場案内もわかりやすく好印象。
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訪れたときは世界糖尿病デーということでブルーにライトアップされていました。明りにいざなわれ城内へ、ゲームだったらこの後 ボスが出現しそうですね。。。
富岩運河環水公園
2日目は運河沿いに設けられた富山市民の憩いの公園。紅葉はじめのシーズンということもあり、紅葉と青空、それらが水面に映り込む景色が素敵でした(この日は午後から雨予報でしたが朝はご覧の通りの快晴でした)。
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ここには世界一美しいといわれている(?)スターバックスもあり、一応 こちらもからめて写真におさめてみました。アクセントにはちょうどよいかな、ちなみに朝から大混雑でした。
TOYAMAキラリ・富山市ガラス美術館
駅から市電で10分くらい、富山市ガラス美術館と図書館が入るTOYAMAキラリへ。隈研吾氏が設計した建物は、斜めに切り開かれた吹き抜け構造と、内装に木材がふんだんに使用された特徴的て面白い建物でした。広角で切り取るのが楽しすぎた。とはいえ幅広い年層の方がいらっしゃる公共施設ということで邪魔にならないように撮影はほどほどに、したつもり。
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ガラス美術館は、エミール・ガレの展覧会が開催中。折角なのでガレの作品も鑑賞してきました(こちらの作品は写真撮影・SNS投稿OKのもの)。学がないので小難しいことはわかりませんが、シンプルに綺麗だなという感想と、目に見えないものを作るITエンジニアとしては、目に見えるもの・手にできるものは長い時を経てもこうやって残されていくということにちょっと羨ましさが覚えました(戯言)。
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終わりに
ガラス美術館訪問後は軽くお昼を済ませた後、早々に新幹線にて帰京しました。お天気も崩れてきていたので。
よって、かなりコストパフォーマンスの良くない旅をしてしまった気がしますが、たまにはこういうのもよいよね。1ヶ月後くらいの朝、旅路をゆっくり振り返りながらこのエントリをまとめてみた。
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yoooko-o · 1 year ago
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21/01/2024
今日は一昨日購入した新しいベッドを組み立てます🔩🛏️
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13:00 朝一番にベッドの組み立て部品を分けて運び込むのに1階から2階を何度も��復してバテバテに😵💫 午前中はここまでで終了。 今から遅い昼食を食べます🍙
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14:40 2人以上での作業を、と書かれていましたが、片足をつっかえにしたり、無茶苦茶な体勢でビス留めしました🔩 ここまでに1時間近く経過💧
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15:00 もう片方も設置完了し、ようやくベッドフレームの原型が見えてきました🛏️
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すのこ、重すぎます泣
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16:04 敷いてみたら上下反対だったので、回収して、四苦八苦しながら、すのこをベッドに敷き直しました😭 ベッドは説明書が分かりにくいところもあって組み立てに四苦八苦。
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16:24 最後はマットレスに取りかかります。 何気に重いです😵
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16:35 マットレスの設置完了 これでベッドの組み立ては完了👏 結局1日がかりになりました😅 因みにニトリの説明書によると、所要時間は2人以上で30分。 たとえ2人いても、その時間で組み立てできるなんて、プロだよ。
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castatratewriter520 · 9 days ago
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武林-桃花寶典(二)
昊天根據自己平日的觀察,夢瑤都會在午時來到回韻樓看鯉魚跟喝茶和寫詩,直到申時才會離開,昊天和澤宇決定要趁夢瑤來回韻樓時,一定要讓夢瑤記得昊天這個人,昊天生性本就很樂觀,常常一股腦兒就衝了,沒什麼思考過,與澤宇剛剛好相反,直接表白恐怕不妥,於是選擇用行動表達自己的心意。他每天早晨都比其他追求者早到回韻樓等待,只為在夢瑤的桌上放上一壺熱茶;他悄悄記下夢瑤愛看的書籍,愛喝的茶飲,然後假裝不經意地唸了幾首陸游的詞。他總是在夢瑤需要幫助時第一個出現,無論是搬重物還是找什麼書籍,他總是默默地付出。夢瑤漸漸注意到了昊天的存在,開始發現這個男孩的真誠與細心。她開始期待每天桌上的那壺熱茶,也開始習慣在遇到困難時第一時間想到昊天。她的心不知不覺地被這份溫暖包圍,對昊天的感情也悄然發生了變化。終於,在一個微風輕拂的午後,昊天鼓起勇氣向夢瑤表明心意,而夢瑤只是微笑著,輕輕點頭。那一刻,他們的世界彷彿只剩下彼此,所有的等待與努力,終於有了最美的回應。一直躲在一旁看戲的澤宇,替自己的好朋友感到開心,也替他鬆了一口氣,心想昊天應該不會再說出想自宮這件事情了吧,這段時間下來,透過彼此之間的互動交流,夢瑤對於昊天和澤宇有了更進一步的了解,但是悲慘的結局還是出現了。
夢瑤到了婚嫁年紀了,村長大人將替夢瑤挑選適合的結婚對象,對於農家出身的昊天,根本不可能入了村長大人的眼,也因為夢瑤長得非常漂亮,很多人為了自己的官位,分分將適合的人選提供給了宮廷,村長也不例外,夢瑤也就被村長大人推舉入宮為妃,但是夢瑤因為有了這段時間的相處,他一點也不想嫁給皇帝,他只想嫁給一個普通男人,而昊天那單純善良的模樣,讓第一次戀愛的夢瑤很感動,想跟昊天他們在一起,但是皇帝不是一個可以講公平的存在,更別說一個23歲的年輕人,沒權沒勢的,這件事情讓昊天他們心急如焚,夢瑤也到了平時昊天他們待的山中小屋,試圖改變夢瑤入宮的事情,但是現在的他們根本就無能為力,昊天心想,如果夢瑤入宮為妃,那他也不想再愛上別的女人了,夢瑤對於昊天的真情告白很感動,但是夢瑤依然希望昊天能找到一個真正適合的人陪伴他一輩子,昊天表示,在他第一次遇見夢瑤的時候,就認定了夢瑤是自己這輩子的唯一,假如他們沒有辦法結婚,那他也願意守護著她,於是昊天告訴夢瑤,我和澤宇發現了一本武功秘笈,當初發現時,如果不是因為有妳,我跟澤宇早就已經自宮成為了太監,這是這本武功需要符合的條件之一,如今我已經下定決心不再愛上妳以外的女人,所以夢瑤,我把我的命根子交由妳來決定,夢瑤疑問的說,為什麼要由她來決定,此時的昊天很乾脆的脫下他的衣物,昊天頓時一絲不掛的站在了夢瑤跟澤宇面前。
夢瑤立刻害羞的遮住了眼睛,但是還是忍不住多看了一下昊天的身體,此時的澤宇生氣的問到,昊天你到底在幹什麼,昊天很冷靜���表示,既然我跟夢瑤這輩子沒有辦法結婚了,那我願意自宮練成絕世武功後,永遠的保護夢瑤,昊天的命根子很長,兩顆蛋蛋也垂的低低的,陰毛蠻濃密的,昊天的命根子或許是因為興奮開始硬了起來,那個長度大小真的很驚人,夢瑤適應了以後,總算放下了雙手,也坦然的看著昊天的命根子,昊天問了夢瑤,你真的希望我去跟別的女人在一起嗎,我的命根子只願意跟妳結合,由於入宮是要驗身的,昊天的命根子根本不能插入夢瑤的穴中,但是肛門還是可以的,於是夢瑤希望昊天將命根子插入她的肛門,算是將彼此的第一次給了對方,夢瑤露出了她雪白柔嫩的屁股,昊天撫摸著夢瑤的屁股,此時的昊天早已受不了,命根子也硬的不像話,龜頭也流出不少透明液體,昊天���夢瑤的菊花周圍不停的滑動,並沒有直接插入她的菊花,夢瑤催促他趕快放進去,昊天一直撫摸著夢瑤水嫩的肌膚,用手指輕輕的撫摸著夢瑤的菊花,慢慢探索菊花的深處,此時昊天開始慢慢將命根插入夢瑤的菊花,隨著慢慢被撐開,夢瑤開始覺得疼,她感受著昊天的熱莖在她的體內滑動,兩顆蛋蛋也不停的撞擊她,這感覺很棒,夢瑤用她的手指一直愛撫她的穴,此時的穴早已濕透,夢瑤催促著昊天再快一點,躲在一旁的澤宇看的興奮不已,褲子裡的命根子早已硬到不行,他伸手開始摸著撫摸自己的硬根,昊天開始冒汗,聲音也越來越急促,此時的夢瑤也快高潮了,兩人突然間都達到了高潮,一股熱流沖刷著夢瑤的體內,昊天發出了滿足的呻吟,夢瑤也因為高潮而淫叫,昊天慢慢拔除自己變軟的命根,問夢瑤他的表現如何,夢瑤滿足的依慰在昊天身上,此時此刻的兩人,完全不想有旁人的打擾,而昊天對夢瑤發誓,這輩子除了夢瑤,他不願意再跟其他女人同床,夢瑤也貪心的說,你的命根子是屬於我的,我不要你有了別的女人,昊天說,那你把我閹了吧,我願意讓你把我閹割了,夢瑤看著昊天表示,你是認真的嗎,你真的願意讓我把你閹割掉嗎,昊天點頭表示同意,說他的命根子只屬於夢瑤的,夢瑤說那就等我準備入宮那天,我就來幫你閹割吧,昊天同意了這件事,一旁看著他們的澤宇,覺得很無語,原本以為只要昊天有了夢瑤,就會忘記桃花寶典這件事,沒想到依然沒有辦法阻止昊天自宮這件事,眼看昊天心意已決,澤宇也不再多說什麼,但是澤宇對於自己是不是要陪昊天一起自宮去練神功,這件事其實是很猶豫的,甚至是有點排斥,夢瑤與昊天道別後,昊天還沒有從幸福的感覺中脫離,昊天看著澤宇說,我終究還是要去練神功,澤宇願意陪我一起練嗎,澤宇很生氣的表示,你自宮是因為跟夢瑤約定好了,我可沒有答應你要去練神功,我可不願意自宮,昊天此時竟然開始情緒勒索了起來,昊天看著澤宇說,難道我們不是好朋友嗎,你不願意跟我一起練嗎,澤宇堅定的回答,沒錯我不願意,兩個人都不歡而散,回到自己的家,連續了好多天都沒有在一起出去玩,而這幾天的昊天依然與夢瑤在山上小屋裡翻雲覆雨,但是昊天沒辦法將命根子插入夢瑤的小穴,都只能夠在外面探索,昊天表示他真的很想插進夢瑤的小穴,不然他就要被夢瑤閹掉了,但是夢瑤表示入宮的檢查非常嚴謹,很容易就會被查到我不是處子之身,這可是會讓家族蒙羞的,我們不能這麼自私,昊天非常的失望,此時的夢瑤撫摸著昊天的命根子,表示自己也很希望能讓昊天放進去,但是我們也沒有辦法阿,此時的老翁回來了,昊天和夢瑤趕緊把衣服穿回來,此時的老翁問,你們有沒有做愛,兩人立即搖頭否認,但是老翁表示,你們可千萬別犯了這錯誤,你知道夢瑤入宮是要檢查的,雖然我也有辦法讓宮裡的嬤嬤檢查不出來啦,但是我一點也不想替你們解決麻煩,老翁繼續嘮嘮叨叨的念著,可是夢瑤他們卻聽見了關鍵字,那就是可以復原,這讓昊天立刻制止老翁繼續念叨,要老翁趕緊說明要怎麼復原,老翁說他曾看過一本書的內容,內容就有寫到該如何復原,老翁立刻在箱子裡翻找了很久,終於找到了,書上寫著神癒,裡頭就清楚寫著很多治療的奇特方法,斷指復原、傷口縫合等,其中一個竟然就是寫到女性陰道的修復術,這讓夢瑤和昊天開心壞了,沒想到竟然有這種醫術,老翁說道,他從沒真的試過上面的方法,也不知道是否能行,但是看著書上寫的如此詳細,想必應該是真的,老翁將書交給了夢瑤。
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jaunepastel · 7 months ago
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百老匯的貓
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此刻,我坐在空蕩蕩的台北家中,距離出發只剩下倒數二十八天。
車子收走最後一箱回收,三十坪的的老房,頓時像剪掉多年長髮的少婦,輪廓活靈活現,展露最原始的模樣。回憶如老照片被翻出,熱戀的歡愉,熟稔的默契,爭執的苦語,新生的喜悅,呱呱墜地的女兒溫溫,際遇如候鳥過境,隨著即將而來的遷徙,沾了邊又得離去。
「喵喵,你也要離開我了嗎?」肥肥的肚腩,在我大腿間形成一顆抱枕,接著掙脫,跳了下去。
大概是低估了紐約租房市場的險惡,以及租客間的競爭火熱。這幾個月,每天早上醒來,我就像緊咬股市開盤的投機客,杵在電腦前,看好目標,下好離手。剪下貼上剪下貼上,有時一口氣連發十幾封郵件和私訊,不小心把開頭的房東人名給貼錯,也是常有的事。
例行公事,我打開收件夾,畫面好似當機:
Inquiry about rental in New York
Inquiry about rental in New York
Inquiry about rental in New York
每封信標題內容都大同小異,不外乎身家背景介紹,幾歲哪裡人什麼職業,不煙不酒品行良好,搞得跟相親一樣,最後的最後才會提到我有一個可愛又文靜的一歲半女兒,會跟著我們一起前行。心想說篇幅這麼少,房東應該不會介意吧。事實證明是我想太多。
一個人找房,深諳室友之道,想離曼哈頓近一點不是難事;兩個人找房,下點功夫還是能找到合租公寓,當起二房東的大有人在;三個人找房,已讀不回是常態,歉聲連連說房子太小不適合,建議我們自己租個1B1B好區套房,人生就此飛黃騰達。偏偏,我沒那個錢,也不求飛黃到哪,只想尋個短暫停留的家,得在兩個人找房的預算間,找出三個人的各種可能。
一天一天過去,那些可能,隨著我的Inquiry們,一同消失在茫茫網海裡。
『沒有室友就是爽!三四月曼哈頓套房短租。』
我被這則發文的豪邁給吸引住。 「······我們找房好一段時間了······衷心希望有機會入住您的套房。」
雖然依舊是剪下貼上,但文字背後的焦慮無助,或多或少成功傳遞到銀幕外的另一個空間去了。同一時間,我正糾結於三四個物件當中,短租的日期該如何兜湊,才能無縫接軌這半年;森林小丘上課要通勤一個小時,曼哈頓一樓要擔心老鼠和醉漢入侵,威廉斯堡房租要六個月全付會不會是詐騙,我像童話故事裡撿石頭不能往回走的女孩,再挑下去可是一顆石頭都沒有了。距離出發還有兩個多禮拜。 「小孩我是沒問題,只是我家在四樓沒有電梯,你們會不會不方便?」 莎拉簡短的答應,讓我想起她發文時的爽朗用字。「住很重要!我會幫你們打點好,請好好享受我的公寓。」這麼一句話,彷彿給我吞了顆定心丸,安撫行前騷動的思緒。搭機前一晚,包袱所剩不多,不安盡拋腦後,心情輕鬆的不可思議。我看著逐漸縮小的地表樓房,龐雜的台北城,我的故鄉,想著哪天我會不會愛上這輕飄飄的感覺。 於是,我們擁有了第一個結尾是New York的地址,位於曼哈頓百老匯區。
「早知道不要租四樓了!」西恩氣喘吁吁,將最後一個三十公斤重的行李箱拖上樓,一進房門就癱坐在地。「下次搬家可不可以找一樓的。」「我盡量囉。」想到三個禮拜後又要再將所有家當搬下樓,我不禁打了個冷顫。一回生二回熟,我一邊安慰西恩,順手從行李箱拿出一小包烏龍茶,轉頭尋找廚房裡的熱水壺。
十二點十分,東部標準時間。與台北相隔十二個小時的曼哈頓午夜。從甘迺迪機場搭上華人計程車,行駛在平板無憂的快速道路上,兩旁盡是皇后區黝黑大遠景,此時還感覺不到紐約的形貌。空氣粒子旋轉收縮,直到出了中城隧道,我們隨著車流,一舉穿進曼哈頓的心臟。高樓百窗,霓虹街燈鼓譟,打亮了巨大看板上的秀顏,女明星眼眸深邃,企圖引人犯罪。三十七街經過第五大道,塞車的步調,讓我用慢動作欣賞了帝國大廈,那棟建築是你一看到就會認得,不需贅述的經典,這不是夢,卻像夢遊迷幻沈醉,我正在電影場景裡。 夜深,暖氣徐徐放送,驅散我體內的累積疲倦,遠方傳來救護車的高頻呼喊與零星槍響。我閉上雙眼,腦海不由地響起���計程車司機》中憂鬱的薩克斯風,寂寞都顯得立體。喝完母奶的溫溫被西恩抱在懷裡,早在柔軟大床上睡去,只留我與這城,遲遲捨不得入眠。 ♦
初春的光,灑進十坪米的套房,我吸進一口冰涼,清醒地環視四周。對我來說,到一個落腳處,第一件事就是確認廚房。烤箱冰箱洗碗機,醬油麻油中西調味料,麻雀雖小五臟俱全,滿意極了。房子中央擺著一張小巧的鵝黃色木桌,波浪弧形的斑駁桌腳,想必是古董老件吧,突然想起莎拉是學藝術的,牆上掛滿湖水藍綠的動物畫像,獨角獸的尖角孤傲揚起,擠得扁扁的壓克力顏料罐則充滿了生活的氣息。紐約的氣息。
溫溫的雙手扶在起霧的窗上,留下不完整的掌痕,熊熊圖案的米白睡袍還穿在身上,模樣甚是可愛,繼續在窗上拍了幾個小手印,看來她很喜歡這裡,一切如此新鮮有趣。
簡單梳洗,我們輕裝上街。地底白煙卷卷升起,南北向的道,費里尼電影般的靜止車陣,幾何玻璃帷幕,抬頭讚歎資本主義的雄偉;東西往的街,消防梯鏽得煙灰,鷹架層層堆疊,衰敗與生長同時交織成紐約的血肉。小販高聲兜售自由女神,芭蕾女伶頂著包頭,黑衣曲線魚貫沒入窄門,三件式西裝的俊俏男子,用力咬了手上的貝果,一步作兩步橫越馬路。 售票亭外熱熱鬧鬧,我和巷口的《貓》四目交接,黑底黃目如紐約客犀利,這貓名氣響亮,而我竟然一次也沒走進去過;徘徊中城一圈,在Wholefoods超市採購生鮮、酒足飯飽後,金黃燈光齊下,十字路口變成大型伸展台,時髦男女自信耀眼,提著大包小包的我們硬生生穿過《芝加哥》滿溢的開演人潮,美腿包圍爵士樂,上一秒還沈浸在感官享受,下個轉身就被《西方壞女巫》的綠臉紅唇給嚇個正著,衛生紙差點從紙袋裡滾了出來。
開學在即,除了扮演觀光客,還有正事要辦。郵件傳來,通知我去中國城的廚藝用品店,領取已經繡好名字的制服,還得���穿廚師鞋。
「你好了嗎?」西恩熟稔地將溫溫裝在背巾裡,露出兩隻小腿晃呀晃。
「都好了,我查一下。等等可以在附近找個中菜館。」我穿上鞋,低頭盯著手機推開房門。
「打不開!」我大力扭轉把手,門還是一動也不動。
「怎麼可能,你的鑰匙咧?」西恩接手開門,我摸摸外套牛仔褲口袋,脫了鞋在地上裡翻找包包。
「看來我們被反鎖了,你打給房東吧。」西恩將溫溫放下,開冰箱裝了杯柳橙汁。
我打給莎拉求救,太過緊張以致於忘了她在地球的另一端,好在莎拉接了起來,給了我Super的電話號碼,說是管理員會幫忙,要我別擔心。許久沒說英文的我,要打給陌生人,還真有點語言障礙。不管了。電話接通,我的心跳也跟著嘟嘟響。
「我是莎拉的房客,曼哈頓八大道,我們房門被鎖起來,你能來開門嗎?」第一句話順暢說完,我輕鬆許多,等待對方回應。
「我在長島······放假······再見。」這個Super大概是拉丁裔,捲舌音吃掉了話中好多字,我只聽到幾個令人崩潰的重點,接著是一陣沈默。莫名其妙被掛電話後,我也不好再打擾莎拉,決定打給附近的鎖匠碰碰運氣。殊不知,鎖匠在電話那頭嘰哩咕嚕一長串,我一個字也沒聽懂,濃郁口音令人費解。西恩和溫溫坐在餐桌喝果汁吃餅乾,彷彿看我在演哪一齣鬧劇。
我用力敲了房門幾下,宣洩怨氣,金色門把都快被我轉鬆。此時,我聽見開門聲從隔壁傳來,像是轉開保險箱的勝利喀噠聲。
「哈囉,請幫我開門,嘿嘿!」我一邊拍門,試圖將聲音穿透金屬門板傳送到外。所幸,鄰居老先生正要外出,把插在大門上的鑰匙取下,解救了我們。一出家門,熟悉的《貓》埋伏街角,琥珀雙眼大膽直視初來乍到又莽撞的我,這回連貓都在取笑,笑問我準備好了沒有,迎接紐約這場大戲。
走著走著,在百老匯,我們的新家,歌詞的最後一句悠揚地唱著。 
A new day has begun. 明天又有什麼等著我呢? 寫在2017年.春
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outsidetaiwan · 4 months ago
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ACT安娜普納大環線,Jagat to Chyamche
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我的安娜普納大環線開始於Jagat。
前一天一早從波卡拉(Pokhara)搭巴士到貝西沙爾(Besisahar),因為抵達時間才中午,所以還有充裕的時間再搭一段吉普車往上,但我又不想花太多錢,也不想再搭三四個小時的車,所以折衷搭到Jagat。
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吉普車把我放在村子中心,我下車時正好有一婦人在路邊,她問了吉普車司機我是不是要住宿,於是問我要不要去看一下她的房子。我本來心裡有網友推薦的一間飯店備案,但想說跟去看看也無妨,沒想到一看見房間我就覺得喜歡,一問如果在這裡吃飯的話,房間就可以不算錢,當下就決定住了。
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沒想到晚上陸陸續續有鄰居來院子裡聊天,我就坐到院子和大家一起亂聊,開始學了幾句尼泊爾語,然後深深感覺接下來我都會想要住這種民宅。
住宿:peaceful hotel,共用衛浴。
費用:晚餐 (onion soup + veg curry rice) 950rs + 茶 (masala tea) 150rs + 隔天早餐 (breakfast set) 1000rs
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第二天我就算正式起走了,Jagat - Chyamche,6公里,2小時
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出了Jagat 村子後沒有太遠,就可以彎進徒步小徑,這段路算是走在峽谷裡,不會太曬,兩旁峭壁上不時有些大大小小的瀑布,然後很快就可以看到下一個Chyamche村了。
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一進Chyamche 村子馬上就看到有家屋頂有露台雅座的民宿,直接先上去喝杯茶。一面喝著茶一面看著前面瀑布的景色,我突然就不想走了,又看到這家露台上可以洗衣服,還可以晾曬衣服,我馬上心動想住下來。看了房間還是有附衛浴的,而且確認在這裡吃飯就不用住宿費,我立刻決定今天就在這過夜了。
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接下來的時間很多,我就在這個小小的村子裡閒晃,跑去他們的小學校參觀���一下,正好看孩子們練習過幾天Tihar燈節要表演的舞蹈。
午餐也練習用手吃Dal Bhat,就是想多認識一些尼泊爾。
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住宿:Potala Hotel Guesthouse
費用:午餐 (dal bhat) 650rs + 茶 (milk tea) 100rs + 晚餐 (veg momo) 550rs + 隔天早餐 (breakfast set) 1000rs
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myonbl · 15 days ago
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2025年1月26日(日)
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三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、今回も平飼い有精卵(30個)・特別栽培米(5kg)・畑無農薬野菜・手作りパン・地鶏・手打十割蕎麦が届いた。大きな白菜が入っていたので、明日は鍋にしていただこう。手打蕎麦、冷凍保存したものを1把ずつ解凍して朝食にいただく。糖質制限のためにそば湯は我慢しているが、冬の寒い朝などネギと天かすを利かせて熱い汁でいただくと体が温まる。奥川さん、いつもありがとうございます!
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5時30分起床。
洗濯開始。
朝食準備。
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朝食は温かい蕎麦・野菜あれこれ・フルーツとヨーグルト・牛乳。
洗濯物を干す。
珈琲をいれる。
露の新治師匠から着信、今日午後の落語会のネタについて、配慮ご無用と返事する。
奥川ファームから定期便、蕎麦は冷凍庫へ、タマゴは冷蔵庫へ。大きな白菜があるので、明日の夕飯は鍋に決定。
早めのランチは辛ラーメン+残りご飯、バスで阪急桂駅、天下茶屋行き準急で日本橋、地下鉄千日前線に乗り換えて鶴橋まで。
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今日は<先発完投型落語会〜露の新治の巻〜>、鶴橋駅から徒歩2分程度の会場は細長いビルの6階、折しも国際女子マラソン開催中、ヘリコプターの音がけたたましいが、一席目のマクラの途中で収��ってホッとする。「狼講釈」「風呂敷」「柳田格之進」の三席、久しぶりの柳田が秀逸、ディテールの説明が丁寧、登場人物のキャラクターがとても克明な描写で素晴らしい。
終演後は<茶話会>とのことだったが、お先に失礼する。
いつも通り、阪急桂駅の<御膳>で揚げ物購入して帰宅する。
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鶏の唐揚げ・竜田揚げ・イカ��磯辺揚げ、残りもののイカの天ぷらにレタスとトマト、キュウリのぬか漬け、干し芋。
録画番組視聴。
サラメシ(32)福岡・真夜中のごみ収集▽テレメシ▽三重・ラッコ飼育員
初回放送日:2025年1月23日 真夜中に家庭ごみの収集が行われる福岡市。深夜、ごみ収集車が出発し作業員たちがごみを収集していく。サラメシタイムは休憩時間に車の席で。真夜中のサラメシで選ぶ食事は?▽テレワーク中のランチにお邪魔する「テレメシ」。オフィスは東京、でも自宅がある三重県で週5日在宅勤務という男性のサラメシ▽三重の鳥羽水族館で40年以上ラッコを飼育してきたベテラン飼育員。昼のサラメシタイムも気になるのは…。
男はつらいよ 葛飾立志篇 公開日:昭和50年12月27日 / 上映時間:100分
寅さんを訪ねた女学生・最上順子(桜田淳子)は、もしや寅さんが実父ではないかと、さくらたちを困惑させる。ひと騒動あって、寅さんはまたもや旅の人。その間に、御前様の親戚の大学助手の筧礼子(樫山文枝)がとらやに下宿することになる。柴又に戻ってきた寅さんは、俄然向学心に燃え、礼子が家庭教師となる。伊達眼鏡をかけて猛勉強する寅さんは、やがて礼子の恩師・田所教授(小林桂樹)と意気投合する。その田所は礼子に思慕を寄せていた…  寅さんが決然と「己を知るために」学問を志す。その動機はなんと、美しきマドンナという不謹慎さ。喫茶店で寅さんが初対面の礼子に「何のために学問をするのか?」と質問をするが、それは旅先で出会った僧侶(大滝秀治)の言葉を鵜呑みにしたもの。マドンナに樫山文枝を迎え、映画やテレビの『日本沈没』で地震学者を演じていた小林桂樹が、役名も同じ田所先生として登場! 巻頭で寅さんを「瞼の父かも?」と、訪ねてくるのは、人気アイドルだった桜田淳子。
片付け、入浴、体重は50g増。
パジャマに着替え、ホワイトホースのハイボール舐めながら日誌書く。
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明日は有休取得、原稿執筆再開するのだ。
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kwytlife · 2 years ago
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#這款茶飲新品也太順口! #下午茶時間就愛手作餅乾配茶飲 🔥茶控舉手! 每天必喝至少一杯茶,走進超商常買的人氣TOP就是它─純喫茶,近期購買的時候注意到了這款:0~7度冷藏直送的純喫茶綠茶。 ✨冷藏茶小知識 味覺對於溫度低的茶飲,感受到的茶感相對於熱茶明顯降低不少。 在喝冷藏茶時,喝一口 →進入嘴裡,藉由嘴裡的溫度使得茶湯升溫,蘊藏於茶湯裡的香氣在整個嘴裡縈繞著,韻味悠長。 🎊下午茶時間,幫自己擺個有儀式感的下午茶桌, 手工蝴蝶酥跟鮮、萃、順、爽口純喫茶綠茶的組合,很搭! 即使買不到手搖飲的深夜,走到超商買一瓶純喫茶綠茶,也可以享受有如現作手搖飲的自然茶香。😋 #純喫茶 #純喫茶綠茶 #新鮮好喝試過就知道 #保鮮15天 #0到7度冷藏直送 #超商美食 #超商新品 #超商 https://www.instagram.com/p/Co8_HF3hRYv/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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iamnothizanourahayao · 15 days ago
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ザーヒーのいちばん長い日~ハムちゃんはもっと長かった日~
 令和七年のはじめ、小春日和の陽気が消えようとしている夕方に息子(ハード上男児であるため、特段上の理由がない限り、以降もそう表記する。なお、この文章の時間軸上においては胎児として存在している場合も同様に表記する)が生まれた。
 あっけなくすとんと、というわけには全然いかなかったので、ひとりの新米父親として、ざっとレポートしようと思う。
 まず、いくつか、前提としてここまでのハムちゃんの情報を書いておく必要がある。
 ハムちゃんは結局37週に入って妊娠高血圧で入院し、そのまま2週間近く入院していた。入院時に子宮口が1センチ開いていたが、そこからあまり伸びず、2週間かかってようやく3センチ弱だったので、ラミナリアという棒状の海綿のようなものを挿入され、子宮口を拡げる処置をされた。そういう処置があるかもしれないとは最初に説明があったものの、いつまでにどういう条件だったらそうなるのかがわからないまま突然処置をされ、ハムちゃんはたいそうショックを受けたし、実のところおれも病院の説明体制にかなり疑問を持ったところだった。
 ただ、結局その処置によってその日の深夜に子宮口5センチまで拡がったため、ラミナリアを抜いて、LDRという陣痛を耐えて分娩を行う部屋に通された。ちなみに、ここに入れる部外者は立ち会い研修を受けた配偶者、つまり夫であるおれだけである。
 そういうわけでハムちゃん本人からLDRに向かうよう指示されたわけだが、時刻はちょうど零時をまわったところで、ハムちゃんのいる病院までの交通機関などあるわけがなく、タクシーを使わざるを得なかった。さすがのおれも歩いて1時間以上かけて向かうほどの無鉄砲なことをやっている場合じゃないと思ったので、必要そうな装備(ゼリー飲料とか、カロリーメイトとか)をあらかたそろえてアプリでタクシーを呼んだ。
 タクシーの運転手はかなり若いギャルっぽい人で、5人乗りのでかめのタクシーを軽々と乗りこなしながら、病院まで淡々と乗せてくれた。実を言うと、身近でよしおより運転が巧いひとを知らないし、運転技術で言えばよしおはたいていのタクシードライバーにもひけをとらないだろうと思ってはいるが、さすがにこのギャルドライバーはよしおより巧いんじゃないかと思った。ごく普通のタクシー用ワゴンでよしお号と同レベルの乗り心地なのかなりすげえと思うんだよな。そんなわけでアプリでチップを送ってあげた。
 LDRに到着するとハムちゃんは分娩用の病院着になっていて、分娩台もかねるベッドに寝かされていた。すでに陣痛は来始めていてしんどそうだった。ブレスを深く吐いて陣痛を逃がそうとしていた。ハムちゃんいわく、寝れはしないけど知らない痛みじゃないし、全然耐えられるとのこと。おれはそこで少し安心したのを覚えている。
 なお、おれたちは、このときのハムちゃんの痛みが「陣痛」ではなく、いわゆる前駆陣痛の大きいやつ程度のものであったことをあとで知ることになるわけだが、もちろん今、この時点ではそんなことは知るよしもなかった旨付け加えておく。
 どちらにせよ、子宮口が全開、つまり10センチ開大しないことには分娩ができないので、それまでは子宮口を拡げるためにどうにか陣痛を耐えていかなければならず、このLDRという部屋はまさに「赤ちゃんが出てくるまで出られない部屋」そのものであった。
 もっとも、おれは医療的な管理が全く必要のない、いわゆる面会者扱いの人間なので、例えば病院の中にある売店とかでおにぎりやお茶を買うことはふつうにできる。明け方くらいまでは陣痛は5分おきから10分おきを前後しており、かなり余裕があったので、隙を見て売店に行ったり、トイレにいったりできた。また、翌朝の診察で子宮口の進捗がいまひとつであった場合、陣痛誘発剤を打っていくという説明も受けていたので、陣痛タイマーでその間隔をつぶさに観測していた。
 ハムちゃんが臨月にさしかかる頃から、なんとなく、おれは「息子が異次元空間から自分でロケットを組み立てて、それに乗って脱出することでこの世に登場する」ようなイメージをもっていた。ロケットに点火され、強烈な噴射とともに、(概念上の)息子が生きていた次元から離れた状態がハムちゃんに陣痛を起こさせているようなイメージである。オンラインの両親セミナーで、「赤ちゃんも頭蓋骨を折り畳んだりして狭い中出てくるから、赤ちゃんも相当頑張っているんですよ」みたいな話を聞いたときから、なんとなく頭に浮かんでいた。ロケットの推進力に身体を押されるような理不尽な苦しみを受けながら、ようやく住み慣れた異次元空間を旅立つ息子の��細さを思った結果のように思う。
 しかし、この陣痛(正確に言えば前駆陣痛であるがおれたちにとってはどっちも陣痛だと思っているので以降同様に表記する)に耐えるため、ハムちゃんの腰をさすったり、痛いところを懐炉を包んだ手ぬぐいで温めてあげたりしながら、イメージがちょっとずつ変わってきた。ロケットはどうにも始まりが急で、しかも着地点がわかっているような感じがする。今のこれは予想していたものよりもずっとおだやかで(もっとも、これは本陣痛ではなく、あくまで前駆陣痛の域を出ないものだったのでおだやかなのは当たり前なのだが)、ただ波が無数に来ていて、終わりが確実にあるのはわかっているが、肝心のそれがいつ、どのような形でくるのかわからない。さらにいえば、ハムちゃんはそういった「終わりがわからない」ものに対して非常にネガティブな感情を抱きやすく、実際に朝の時点ですでにその際限のなさに心が折れかけていた。ハムちゃんの子宮に息子が宿ってから、実際に出てくるまでおれができることは、ハムちゃんが無事に息子を産みだすために支えつづけることだけなので、少しイメージを変えてみようと思った。息子が会いに来るわけではなくて、おれたちが息子に会いに行くと考えよう。おれたちが鈍行列車に乗って、息子のいる終点まで迎えにいく。例えば、熱海から浜松までを走っている東海道線の鈍行を想像する。青春18きっぱーたちにはおなじみであるが、鈍行列車で東海道・山陽本線を移動するとき、乗っている列車がどこまで行くのかいちばんわからなくなるのがその辺で、とにかくそれなりの間隔で駅がある割に長距離なので、どこまで走るのかが全くわからないが、ずっと乗っていればいつかは終点にたどり着くだろうと思って乗っている、あの感覚を思い出したかったし、ハムちゃんに伝えたかった。つまり、「今を耐えて次の駅に向かいつづければ、必ず終点にたどり着く」というイメージを共有したかったのである。ハムちゃんはおれが鉄道好きだということを知っているから、そういうことにしようと言ってくれた。
 結果的に、子宮口はそこからあまり開かず、朝9時ごろから誘発剤の点滴が始まった。徐々に点滴量を多くしていき、量を調節していくとのことで、NSTという、子宮の張り具合や息子の心拍を確認するためのモニターをつながれ、ハムちゃんはだいぶ身体の自由度が下がった。許可なく分娩台からは降りられず、トイレに行くのもナースコールが必要になった。
 誘発剤を投与しても、陣痛の波はあまり安定せず、10分おきになることもあれば、3分くらいでやってくることもあった。ただ、おれから見ると、ハムちゃんは徐々に苦しそうな仕草をすることが増えてきたので、おそらくではあるが痛みは増えてきているだろうと思った。
 陣痛というものは波があって、非常に痛い時間と、痛みが引く時間が交互にくるのが正常な陣痛らしい。ただ、おそらくは誘発剤の影響か、昼に近づくにつれて痛みは増え、その波もかなり不規則になってきていた。ひどいときには波がきて、その痛みが引ききらないうちに次の波がくるような、痛みの無間地獄のような時間もあり、ハムちゃんはかなり消耗していった。誘発剤の量もそういった経緯をたどり増やしたり減らしたりしながら調整していったが、肝心の子宮口が5センチから進んでおらず(診断としては非常にゆっくり進んではいる、とのことではあったが)、結果だけみるとおれが入ってから12時間で、子宮口は1センチ程度しか拡がらなかった。
 この時点でおれは、自分の予想がいかに軽いものであったかを痛感し始めていた。正直な話、ハムちゃんは、管理入院こそしてはいたものの、栄養管理やもともとの体質、これまでの検診の結果から考えてもお産のリスクが高いとは思えず、むしろ、陣痛さえきてしまえば意外とすぐに産まれるんじゃないかとすら思っていたのである。ハムちゃんはもとより、おれもかなり体力を消耗しはじめていた。なにしろ売店までモノを買いにいけるような暇はなく、ひたすらハムちゃんの背中をさすったり、臀部や会陰を圧迫したりしていきみ逃しをしたり、アクティブチェアという、陣痛を呼び込んだりするための椅子に座ってもらったり、いろいろな方法でとにかく痛みに耐えながら子宮口を開くための努力をし続けた。
 午後3時くらいになって、子宮口が7センチくらいまで拡がった頃、それはやってきた。
 ハムちゃんが「あああああああああああああ」と絶叫し始めた。もう叫ばないとやってられないくらいの痛みになっていて、息を長く吐くためにあえて声を使うことにしたらしい。
 いきみ逃しのために会陰を思い切り拳で圧迫したとき、明らかに息子の頭部であろうものと触れた。相当な力だった。元来腕の筋肉がつきにくく胴の割に異常に細い腕であることでおなじみのザーヒーくんであるが、まさか産まれる前の息子の頭にすら押し負けそうになるとは思わず、少し情けなくなった。また、この作業をすでに何十回何百回とくり返しているので二の腕が限界に近づいていた。その様子を見ていたハムちゃんが、別件で訪れた助産師さんに「夫が限界です」とこぼすくらいにおれの表情はひどかったらしい。助産師さんは笑いもせずビニール袋に包まれたテニスボールを差し出して「これで押して」と言って去った。出産なめてんじゃねえぞ、と言われた気分だったが、実際におれが出産をなめていたことは(残念ながら)事実であったし、なにしろ痛みに絶叫するハムちゃんが「押せえええええええええええ」というのだからやることはひとつである。テニスボールを装備して押し込んでやるしかない。
 おれはハムちゃんの絶叫に負けじと「うおおおおおおおおおお」と声を張り上げ、ハムちゃんの会陰にテニスボールを押し込みつづけた。LDRの外にも響いていたかもしれないが、助産師さんに聞かれて恥じることはないと思っていた。おれとハムちゃんは大学の合唱団の先輩と後輩、もっといえばおれはベースの一番端でハムちゃんはソプラノの一番端という組み合わせである。現役時代共演した定期演奏会はたったの一度であるが、その一度の両翼を担った夫婦ということになる。だから一定の声量と呼吸の質を長時間維持することにかけてそこそこの自信があったし、なによりとにかく陣痛を耐えるためには息を長く吐き続けることが重要だと助産師さんたちから耳にたこができるほど聞かされていたので、声があろうがなかろうが息を吐き続けて耐えることが重要で、おれはハムちゃんがそうできるように積極的にアシストすることが最重要課題だったから、恥もへったくれもなかった。
 おれが、文字通り全身全霊で息子の頭と力(と体力)比べを重ねる様は端からみたら滑稽そのものかもしれないが、この時、たしかに、おれのなかに入っていた「父親になること」に対する、よどんだ邪念のようなものが消えた。出ようとしている「もの」はどう考えてもこれまでハムちゃんのおなかで動き回っていた「奴」そのものだったし、おれはどうやったってその父親であるのだ。その事実は、おれや息子がいつ何時どう思おうがもはや覆らない。であるならば、もうこいつを「息子」にしてやるほかないのだ。おれにとって最も大切なのは自分ではなくハムちゃんなのであるが、そのハムちゃんが今まさに産み出そうとしているこいつも、今まさにおれの「息子」として産み出されようとしていて、おそらくはハムちゃんの最も大切なものになろうとしている。そういう意味で、おれはふたりが今築こうとしている強固な関係性の中に入れないことを実感した。けれども、入れないからこそ、ここで踏ん張って二人を助けてやらねばならない。そんな思いがよぎった。ここでこいつに負けるということは、最悪の場合ハムちゃんの子宮が圧力に負けて裂けてしまい、ハムちゃんはもちろん息子も死んでしまう。だからおれは必死にテニスボールでハムちゃん越しにこいつの頭を押さえ続けた。
 こうして本物の陣痛と格闘していくうち、明確な波をお互い察知できるようになり、陣痛がおさまっている間にハムちゃんにペットボトルを渡し、ハムちゃんは力を抜ききって休むことに専念できるようになった。
 猛烈な陣痛の波をどれくらい超えたかわからないうち、ハムちゃんが「破水したかも」と叫んだ。確かにそれらしい液体が出てきていたので、ナースコールして確かめてもらった。医師は破水は間違いないと告げたが、それでも子宮口は全開になっていない旨も告げた。「もうすぐだから」と言われても、あとどれくらいで全開になるのかわからずほんの少し呆然とした。とはいえ実際は呆然としている暇などなく、陣痛が来ればさっきと同じようにテニスボールでやつを押さえ込むしかなかった。最初に腰が限界になった。立て膝で押し込んだ。次に腕が限界になった。おれは両手を使うことにした。
 「出る出る出る出る!」
 ハムちゃんが叫んだ。今にも出てきそうだという。これは抑えるのは無理だと。すぐさまナースコールをして見てもらうと、全開になっていたらしく、すぐに分娩の準備が始まった。今まで1、2名くらいしか入室していなかったのが、4、5名の助産師、医師が入れ替わりたちかわり入ってきて、めいめいにガウンを着てビニールシートなどを用意していく。午後5時を過ぎ外が薄暗くなってきたので部屋の照明がつけられ眩しかった。これならわかる。終点が近づいてきたことが。
 分娩台と化したベッドで両足を開き、分娩の態勢にして��らった。おれは急に役目を終えてしまったのと、終点が近づいたことがわかったこと、急に眩しくなったことで涙がにじみ、全く前が見えなくなった。さりとて、ただ突っ立っているだけでは立ち会っている意味がない。おれはハムちゃんの頭に近づいて、扇風機をあててあげた。お産は医師や助産師といったプロが淡々と準備を進めていっているので何もする必要がないし、素人はかえって邪魔になるような雰囲気だった。
 扇風機とペットボトルの麦茶、タオルをもって、常に扇風機の風をあて、喉が渇いてきたら麦茶を飲ませ、汗がにじめばタオルで拭いた。本当にそれくらいしかやることがなかった。
 すぐ隣のLDRでは一足先にお産が進んでいて、遠くで新生児の産声があがった。元気そうだった。息子もそうなるといいな、と思ったことをよく覚えている。
 何度か検診でお世話になった、若い産婦人科医がガウンを着て現れた。この病棟ではたぶん一番若い医者で、最初見たとき、多分おれより年下なんじゃねえかと思うような感じだったが、この時ばかりはそこそこの貫禄があるように思えた。ちなみにこの病院の産婦人科医は全員女性であるし、助産師も当然に全員女性であるうえ、なぜか若い人が多いものだから入る度におれは少しだけ居づらさを感じることがあった。
 ハムちゃんは順調にいきみ続け、助産師にいいですよその調子と褒められながらお産を進めた。モニターを見ていた助産師がなんだか心配そうな表情で医師に耳打ちしているのが気になった。しばらくして、酸素配管とマスクが据え付けられた。どうやら、息子の心拍が落ち気味で、臍帯から酸素が十分にいっておらず、酸欠になっている可能性があるから、高濃度の酸素を吸入してもらって息子に酸素を送って欲しいとのことだった。ゆっくり深呼吸してくださいね、とマスクをはめた助産師が言った。ちょうどこの時、すぐ横を見慣れない男性医師が通り過ぎた。少し後に小児科医であることがわかった。この時点でおれは、どうもこのお産に「万一のこと」が起きる可能性があるらしいということを察知していたが、そんなことをハムちゃんに言えば、不安でお産が進まなくなってしまう(現に、この場の全員がそれをしていない)し、それをおれが「考えること」自体に、そうなる可能性を大きくしてしまう要素があるような気がして、考えないことにした。
 ここまで読んでいただけばおわかりの通り、陣痛を耐え、分娩が始まったLDRは、これまでとはうってかわって相当数の人間が出入りしており、非常に混沌とした場になっていた。とにかく多くの医療者がいれかわりたちかわりおれたちの様子を見ていく。その中に、痩せぎすで赤い服を着たボブカットの医師がいた。産婦人科医たちのリーダーとなっている医師であり、明晰だが人間味が少し欠けたような言動が印象的で、おれたちは陰で「ボス」と呼んでいた医師である。ボスは担当医と二、三言会話すると別の現場へ行ったが、モニターとハムちゃんを少し注視したような気がした。いやな予感が頭をよぎった。
 おれの予感とは逆に、ハムちゃんのお産は順調に進んでいるように思えた。ただ、徐々に現場の人数が増えていっており、最後には助産師が5、6人になっていた。いよいよというところで、ひとり恰幅のいい助産師が「もうちょっとだからお手伝いしますね」と言って、ハムちゃんのお腹を大きく押した。頭出ました、いきまなくていいですよ、と声が聞こえ、担当医が何かを引き上げた。この時、おれは現実に息子と対面した。担当医、助産師、小児科医がくちぐちに「でか」とぼやいた。確かに思っていたよりも大きかった。
 この時、息子は産声をあげることなく身体が紫色で、おれが「予習」していた新生児の姿とは少し異なっていた。しかし、事前に別の(転院前の)クリニックで見せてもらった4Dエコーの顔そのものだったことに少し驚いた。ただ、とにかく息子に何らかの異変が起きていることは明らかで、おれは対面したことよりもそちらに感情が引っ張られてしまった。
 小児科医は息子を用意していた装置に寝かせ、長い管を口に挿入し、液体をかきだしていた。おそらく羊水だろうと思った。それにより息子はようやく産声をあげた。隣で聞いたものよりずっとか細く、余計に心配になった。
 心配といえば、ハムちゃんの方も、担当医が「ちょっと傷が出てきて出血が多いから縫合します」と言ってずっと糸で縫っているのも気になった。かなり長い。最初麻酔なしだったのが、痛み止めの点滴が入り、局所麻酔が入り、と規模が大きくなってきて、気がついた時には担当医の隣にボスがいて、ふたりがかりでハムちゃんの股を縫っていた。どうも出血している部分が非常に多かったようだ。
 息子は徐々に血色を取りもどしていった。泣き声もだんだん大きくなり、ふつうの赤ちゃんになっていった。小児科医は口や鼻に小さな管を入れて何かを吸引したり、マスクを当てて口に何かを 吹き込んだりをくり返していた。そういった地道な処置によって、息子はようやく赤ちゃんたりえるようになるのか、と思った。
 あとからわかったことだが、息子は3200グラム余りくらいの体重で産まれてきたが、これ自体はそこまで大きな身体ではなかったにせよ、医師たちの事前診断とかなり異なっており(これがぼやきの理由と思われる)、またハムちゃんの体格や初産婦であることを考えるとかなり「立派」な大きさであったことから、ハムちゃんの産道に想定以上に大きな負荷がかかり、ずたずたになっていたようだった。実際、ハムちゃんを縫っている時、ボスは「ずいぶん産道が狭いね、こりゃ大変だ」とぼやいていた。
 息子の側に立てば、誘発剤でいきなり子宮を追い出されたかと思ったら狭い産道を通り抜けざるを得ず、ハムちゃんの懸命ないきみにもかかわらず、それでもなかなか酸素が行き渡らなくて苦しかったのだろうと思う。
 縫合と息子の処置にだいぶ時間がかかり、息子が産まれてきたのは午後6時すぎだったが、息子がハムちゃんの胸に抱かれ初乳をあげる頃には午後7時を回っていた。
 出てきた当初から感じていたが、息子の顔には「我が一族」の人間という面影が強くでている。どうやらみんなそう思うらしく、ここにいた助産師さんや何人かの友人はもとより、ハムちゃんやハリネズミ先生(注:ハムちゃんの母親。つまり義母)ですら父親(つまり、おれ)に似ていると評していた。もちろん、すべてがおれに似ているわけではなく、たとえば口元なんかはハムちゃんそっくりなわけであるが、全体としてやはり「我が一族」の風貌があるというのが不思議でしょうがなかった。
 そこから夕食をとって片付けを始めて、これからのスケジュールの説明などを受け、LDRを出ることが出来たのは午後11時ごろであった。丸一日近くこの部屋にいたことにおれは驚いた。しかも、助産師さんたちいわく「相当な安産」の範疇に入るということにさらに驚かされた。
 これで、おれのいちばん長い日は終わりである。いや、本当にいちばん長い日だったのかどうかはまだわからないが、少なくとも、この日がおれにとってそういう日であったことをここに書き記す。
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longgoodbye1992 · 9 months ago
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畔の蕎麦屋
家から約四十分くらい車を走らせた所に、山の中に小さな池がいくつも点在する観光スポットがある。有名なのはその中の一つ、鮮やかな青緑のインクで出来ているような青い池。先日たまたま見たクイズ番組でも出題されていた。
そこから少し離れた所にある、著名な訳でもない池の畔に蕎麦屋が出来たと知ったのは、去年の晩秋だっただろうか。その場所は冬になると立ち入れない所だから、行ってみようと思った頃にはもう時期を外れていた。
なんてことの無い初夏の晴れた土曜日の午後にそこへ行ってみる事にした。
蕎麦屋と言ってもメニューには珈琲やら甘味があるとの事で、敢えて昼を避けて十五時を目安にそこへ向かった。
海沿いの道を走り水面の乱反射する日差しに目を細めながら車を走らせる。海から少し離れて��中のくねくねとしたカーブを七つ越えた所にその店がある。
建物の前にメニューや案内が書かれてある。古い旅館か店をリノベーションしたのだろう。新しい店という雰囲気ではなく、元々の店を少し改装したのかというくらいの、懐かしさを感じる外観だった。
中へ入ると右手側に池が見える。その窓辺に机と椅子が置かれて客席になっている。
奥へ進むと下駄箱がある。そこまで進むと小上がりの向こうから店主と見られる女性が現れた。
「お食事ですか、お飲み物ですか」
「飲み物です」
「そちらの席か大広間にどうぞ」
窓際の椅子席も日向でよかったが、せっかくなので大広間を選ぶことにした。
靴を脱いでスリッパに履き替える。旅館の名前が印字されていた。やはりここは元々旅館だったらしい。何度も来ている所だったが、ここが旅館だったということを初めて知った。
女性の後を付いて大広間へ行く。
スリッパを脱ぎ大広間へ入ると、目の前には広い広い畳の部屋と大きな窓があり、その向こうには池と緑豊かな森が広がっていた。
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ピークを過ぎた頃なのだろう。他に客はいなく、好きな場所を選ぶことが出来た。
入って正面と右側に池が見えたので、一番奥の角に座った。
珈琲と蕎麦茶のプリンをオーダーする。テーブルの上にガラスの器があって、ここにお金を置いて会計をするそうだ。
蕎麦茶を啜りながら窓の外をぼんやり眺める。
揺れる湖面に青々とした木々。それをフレームのように切り取る、大きな窓のサッシが実に芸術的だ。
網戸越しの風が涼しい。ぽちゃりぽちゃりと魚が跳ねる音が聞こえる。スマートフォンを開くと電波は微かに入る程度で、じっくりのこの時を堪能出来る環境だった。
本棚を見つけたので覗いて見た。川上未映子やよしもとばなな、江國香織など女性作家の本が多く、きっと店主の好みなのだろう。その中にあった寺山修司が集めた名言集を借りた。
席に戻ってパラパラとめくっていると一つ気になる言葉があった。
「死んだ女より、もっとかわいそうなのは、忘れられた女」マリー・ローランサン 鎮静剤
別にこれは女性に限った事ではない。
さて自分は出会った人たちの何人の記憶に残っているだろう。
そんな事を考えていると珈琲と蕎麦茶プリンが運ばれてきた。
夏でも個人経営の喫茶店では温かい珈琲を飲むことにしている。冷たい珈琲は業務用の注ぐだけのものがあるが、温かい珈琲は確実に店の人が淹れてくれるからだ。
プリンのカラメルソースが別の入れ物で来たのが嬉しかった。
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まずは一口珈琲を飲む。苦みは少なく仄かな酸味がある。万人受けする味でプリンにも合いそうだ。
プリンをカラメルソースをかけずに一口食べる。そば茶の素材の味が生かされていて甘みはそれほど強くない。優しい味だった。
少しずつカラメルソースをかけて食べ進める。美味しくてすぐに食べ終わってしまった。
閉店時間まで四十分余り。ぼんやり外を眺めたり、この文をまとめたりしていると、あっという間に時が流れてしまった。
次は蕎麦を食べよう。そう決めて帰宅の途に着く。
そして秋の紅葉が今から楽しみになった。
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kennak · 1 month ago
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22日未明から早朝にかけ、千葉県内の民家で強盗致傷事件が2件相次ぎました。 警察によりますと、22日午前5時半ごろ、旭市三川の住宅で69歳の男性が寝ていたところ、窓ガラスを割って侵入してきた男に背中を刺されました。男性はケガをしましたが、命に別条はないということです。 男は身長180センチくらいのがっちり形、茶髪で上下黒色の服装で、警察は盗まれた物がないか調べています。 一方、柏市布瀬の住宅では午前2時半すぎ、66歳の男性が物音を聞いて階段を上がると、男と鉢合わせとなり、無言で押し倒された上、首を絞められ、軽いケガをしました。 被害に遭った男性「おふろ入って、出たらバタバタいうので、ネコかアライグマかと思ったが、そうじゃなかった。人間とバッタリあった。2階の(屋根の)瓦に逃げ込んで、110番した」 男はその後、逃走しましたが、盗まれた物はありませんでした。 男は身長160センチから165センチくらいのがっちり形で、上下黒色の服装に黒い覆面姿で、現場での会話から、犯行にはもう1人が関わっているとみられています。 警察はいずれも強盗致傷事件とみて、関連がないか調べるとともに、逃げた男らの行方を追っています。
千葉で強盗致傷が相次ぐ…2件の関連は 旭市、侵入男に背中刺されケガ 柏市「屋根に逃げて110番した」(日テレNEWS NNN) - Yahoo!ニュース
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sannneryi · 5 months ago
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9/24
心靈有點感冒。嘗試做了心裡量表,網頁上說的。
發覺交了男朋友之後就是這樣,有些時候吵架吵的快死掉,難過的狠狠寫了幾段字在日記之後,反倒是之後翻到的時候才震驚,原來很早就這樣了。
但今天不是男朋友問題。
從大一下開始就有點跡象,我開始找不到讀書的意義了。今天坐在課堂上就痛苦的要死掉,渾身不舒服到想要躲起來,沒點到名、狹窄的課桌、聽不懂又沒有錄影的生理學、不到冰涼的冷氣、沒有訊號的4G+、連不上的學校網路。只能形容成張愛玲的蝨子一般啃食著,啊,不如形容成我房間面臨的蟻患,找不到窩,天天爬到我身上用力一咬,但早上的狀況大概是很多隻,就算我點上了名,也還是無法消除那個渾身難受的感覺。
反覆躲去廁所,對,就連該死的廁所,1樓的廁所太多人用我都不喜歡,同時最順路的樓梯都鎖起來,我要繞路去2樓廁所。我也不知道怎麼了,我只覺得怎麼沒有一點喘息空間呀,我是焦慮的在滑手機,沒有什麼內容好看,我想買點東西發洩,但都下不了手,覺得我這樣花錢越花越少,可是我好想要買,我很焦慮,我滑手機不過就是在徒撞幾個我捨不得真的撞進去的南牆。
然後我覺得很不知所措,這個無能為力的慌張感讓我掉了幾個淚,我終於知道身心假是用在什麼時候,但我都來學校了,可惡,又沒有錄影,這樣考試的時候會完蛋,我只能反覆開了3次的筆記錄音,連帶上次逃離,已經4個錄音檔了,我會聽嗎?目前不。
那時候中午想到的方法是去吃想吃很久的壹三找餐,難得沒有大太陽,我想要自己去,慢慢吃慢慢享受,很久沒吃了,因為總是沒有空堂半天課,8、9點走進校園3、5點的我只想逃回家。終於悠悠閒閒的買了五桐奶霜點了我的定番,胡椒鹽還是少了,吃起來沒有如我所想念的好吃,但還是不錯。吃完回來又要上課,我還是焦慮的滑著手機。
我覺得目前的我很混亂,有好多想要的,但我怕我什麼都一直買下去又會沒錢,這幾天很容易餓,上一週已經爆預算了,我也很害怕這次拿回來的錢越來越少,每次混亂的時候,腦袋像是被霧遮住很大一部分(對就是腦霧),或是禪根錯節的,反正,我的電腦系統會直接罷工,於是交通癱瘓。
可能是大二的生活還沒適應,換到一個差的教室、環狀線歪掉、提早了出門還是遲到、下了課什麼也不想做,打工上完課會直接斷電,在家裡會在床上不想動,不想去圖書館怕被說話、家裡沒什麼讀書環境看到一切亂糟糟只覺得糟心,不太知道努力地意義是什麼,我連我的成果都看不到,成果是不可量化,我已經得不到實質的成就感,我整個人就像那個躺在地上哭的meme人一樣,我不想做任何事、不做任何事讓我更覺得自己很爛。
明天要考片假名,我的注意力現在變很爛,遇到要認真上課的我都只想逃避,專心不了,看了教學要跳出去個好幾次,我不想念,我知道我明天想要穿黑色長裙外面套白色衣服,我只知道我想要這樣,還有我想要中午再去上課,帶杯鶴茶樓去學校,像以前那樣。
可是明天要考試、中午就下課。為什麼每天都是9點上課、為什麼星期六也要上課。我覺得我就這樣被佔滿了時間,疲倦也佔滿了我的時間。
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runpenparis · 3 months ago
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るんぺんパリ【RunPenParis】
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自己紹介 2024年11月4日追記 6116文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している それは去年に末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 観光施設って感じ 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 今年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が降ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件回って、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて上野天神祭へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 夜の19時から同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったガキさんは すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので閉店の1時までカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の20(日)は上野天神祭に参加している同級生のオデに会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く紅梅屋でおみやげを結構買って 桔梗屋で上生菓子とお茶を飲んで 静岡へ帰った 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく上野城をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった この子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東���で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさ���興味すらなくなった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある ただダーツバーらしく 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど バーの扉って感じで雰囲気はあった 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で それにしても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さん��の かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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palakona · 4 months ago
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踊る浮子
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2024年10月 西池(堺市) iPhone11
どうも、こんにちは。10月16日(水)は、西池に半日釣行で行ってきました。
朝は、喫茶店のモーニングサービスの美味しいコーヒーとジャムトーストで満足満足。西池の近くにもコメダがあるんですが、地元の老舗に軍配を上げるw。そのあと、捨てられずに困っていたMacBookAir11inの使用済みバッテリーを大阪市の環境事業センターに捨てにいった。リチウム電池のバッテリーは長く使っていると膨らんでくるんですが、当時、MacBookPro13inはアップルにバッテリー交換に出して、MacBookAir11inは自分で交換したんですが、バッテリーの処分に困ったんですよね〜。ジョーシン電気にバッテリーの回収ボックスがあるらしいので捨てに行ったが見当たらず、業種的にやむなく設置場所になってるだけなんだろうなあと思い、訊ねることもなく持って帰ったんですわ。月日が経ち、膨らんだバッテリーが発火することもあるという記事を目にして、処分方法を検索したら、大阪市の環境事業センターで回収してくれるらしいので持っていったのです。やっと処分できたわ。
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2024年10月 西池(堺市) iPhone11
環境事業センターから西池まで約40分、10時5分ぐらいに到着しました。西池の料金は2500円ですが、10時〜2000円、11時〜1800円なので、2000円ー金券200円(前々回ゲット)=1800円をお支払い。
屋内釣り場があって全天候型が自慢の西池ですが、今日来たのは降雨予報だったから。天気は保ちそうだがどうしようかな〜。屋外に出て雨が降ったらめんどくさいし、ウドンを炊いてないからダンゴで振り切りできないし長い竹竿で送り込みは穂先がお辞儀するので苦手。久しぶりに屋内釣り場の70番台に座りました。75番やったかな。
そおや、書きながら思い出した。屋外と屋内の出入り口になってる72番(屋外側)に座ってる人がデカいパラソルを出してたので後ろが通られへんかったのもあったw。
さて準備を始めますか。アオコが出て浮子が汚れそうなので、クルージャンに比べて冷遇しているw「青葉」の「二十二」を使います。22cmってことなんでしょうね。「23cmまで」の浮子規定がある岩田池用に買った浮子です。
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2024年10月 西池(堺市) iPhone11
竿は、最近9尺を使ってない気がするので9尺。今日持ってきたのは「若駒 最上作 9.1尺」です。ダンゴでスタートなのにグルテンポンプを出してます。手水で調整できないんですけど、なるたけ手を汚したくないので。ブレンドは、「芯華」+「ペレ底」です。
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2024年10月 西池(堺市) iPhone11
釣り開始は10時40分ぐらい。数投でサワリが出てワクテカ。食事までに1枚釣ったると思いましたが、エサが中層で煽られるのか浮子が挙動不審で踊りまくる。そのうちに宙で食われました〜。上ずりはスレ扱いでノーカンです。
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2024年10月 西池(堺市) iPhone11
30分ぐらいしか釣りしてないけど午前中はボウズ。11時をすぎたので食堂でお昼ごはん。今日は親子丼+ざるそばセットにしました。まいうーw。
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2024年10月 西池(堺市) iPhone11
午後の釣り開始。床休めになったのは一瞬で、やがて浮子が踊り出す。エサが中層で煽られているなあ。だが、不思議と喰いっ走りはなく、踊る浮子を見ているとやがて馴染んで着底する。ジワージワーと浮子が抑えられた後、ググっと一節入った。ダンゴってこんな感じやったっけ?ウドンのカチッとした魚信に慣れてるから違和感w。
とりあえず、ボウズ脱出〜!
つかマブナですね。西池は、初夏までヘラブナばかり釣ってた気がするけど、10月以降はマブナばかり。ヘラブナが上ずってるから?
why?
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2024年10月 西池(堺市) iPhone11
ダンゴで寄りすぎてるような気がして、「芯華」10cc+「ペレ底」10cc+「わたグル」20ccのグルダンゴに替えました。あんまり変わらへんな〜。2枚目。両目は開きました。
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2024年10月 西池(堺市) iPhone11
山が動いた!いやその…めんどくさいの嫌いですが、まだ13時にもなってないし、仕掛けを変える気になりましたw。上ズリ対策に、持ってきた浮子で一番オモリが載りそうな浮子。舟水の「PCオールマイティー(期間限定)」の15番です。鉤もケチな僕には珍しく、切れてもないのに下鉤を切って、上鉤(ハリス33cm)をそのまま下鉤にして、上鉤を25cmに設定。
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2024年10月 西池(堺市) iPhone11
浮子のダンシングは完全には抑えられないが、かなりマシになりました。やるやん僕w。3枚目ゲット!
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2024年10月 西池(堺市) iPhone11
今日は、朝のモーニングコーヒーと食後の缶コーヒーだけだったので、喉が乾いたな〜と思っていたら、西池のコーヒーサービスの時間になりました。4枚釣れてました。
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2024年10月 西池(堺市) iPhone11
5枚目。やっとヘラブナが釣れた。
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2024年10月 西池(堺市) iPhone11
お腹空きすぎて「へ」の字?
www
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2024年10月 西池(堺市) iPhone11
9枚目。あと1枚で「つ」抜けや!西池は過去最高で13枚ぐらいしか釣ってないので、午後だけで9枚っていいんじゃね?浮子を替えた甲斐があったわw。
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2024年10月 西池(堺市) iPhone11
だが、しかし…詰めが甘いのはいつも通り。15時になったら常連さんは次々帰り始めるし、ソワソワして落ち着いて釣り出来へん(言い訳)。15時45分までに竿を納めましたが、ご覧の通り、みなさん帰ってしまって最後の一人でした。
ということで、10月16日はフナ9枚でした。別途スレ扱いの上ズリ2枚。
では、また。
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outsidetaiwan · 4 months ago
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ACT安娜普納大環線,Timang to Thaleku
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Timang - Thanchowk - Chame - Thaleku,11公里,4.5小時
在Timang一大早醒來,正好天上無雲,可以清楚看見馬納斯魯呢!
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等太陽出來,雲層馬上就又把山頭遮住了。
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今天在Timang 多看了一會景才出門,反正預計只走到Chame,距離也不會太遠。
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途中經過Thanchowk 村,這裡算是老村,Timang很多人都是從這搬過去的。
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快進Koto之前,天空有烏雲,似乎要飄雨了。本來想停下來吃個午餐順便觀察一下雨勢,結果檢查哨遇到對台灣太不友善的警察,我也不想多逗留,乾脆雨衣一穿直接往Chame 去。
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還好雨也只飄了一會,進Chame 就停了。不過在Chame 問了幾家住宿,房間大部分都要收錢,有可能是因為這裡是很多團體的起站,所以住宿有點不好找。
再加上這裡似乎正在修下水道,馬路挖得都沒地走了,也不知道是不是這原因,整個村子全部沒電。
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總之,我對Chame 沒什麼好感,連即使知道這裡有溫泉我也放棄了,乾脆再往前走半小時,到Thaleku 這個很小很小,可能都稱不上村子的聚落落腳,這裡只有兩家住宿,不但乾淨又還可以吃飯免房錢。
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住宿:New Mountain View Hotel & Restaurant
費用:晚餐 (dal bhat) 800rs + 茶 (masala tea) 200rs + 隔天早餐 (coffee+apple porridge) 650rs
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