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#タイ:汁物
vegehana-food · 2 years
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✿ トムヤムクン | ต้มยำกุ้ง (Tom Yum Goong) ・タイ王国のスープ料理。タイ料理の中で最もよく知られているものの1つで、世界三大スープの1つとされている。日本ではトムヤンクンとも表記される。 ・唐辛子による辛味、タマリンドやマナオ(メキシカンライム)などによる酸味、そしてレモングラスやバイマックルー(コブミカンの葉)などによる香りが特徴的なスープ。 ・料理名はタイ語で「エビ入りトムヤムスープ」を意味する言葉で、トム(ต้ม)は「煮る」、ヤム(ยำ)は「和える」、クン(กุ้ง)は「エビ」という意味を持つ。エビ以外の食材を用いていれば料理名も変わり、鶏肉であればトムヤムガイ(ต้มยำไก่)、魚肉であればトムヤムプラー(ต้มยำปลา)、イカであればトムヤムプラームック(ต้มยำปลาหมึก)となる。 ・またココナッツミルクの有無により、こってりとして見た目も乳濁しているナムコン(น้ำข้น, nam khon)と、さっぱりとして見た目も淡麗なナムサイ(น้ำใส, nam sai)とに分かれる。前者はハーブ類による味付けがマイルドになる代わりにコクが増し、後者はハーブ類の風味と酸味が強調される。
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tokyomariegold · 11 days
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2024/3/23〜
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3月23日 11月23日の日記を文字起こししながら出かけた。
なかなか起き上がれなくてかなり遅くまで寝てしまった。14時に近美で待ち合わせだったので、その前に昨日一期下の方と帰りながら話に上がった人形町へ行ってみることにした。 半蔵門線と日比谷線の地上乗り換えの際に降り立った時に気になっていた街。
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人形焼屋さんは二店舗見つけた。 一つはとても行列ができていて、もう一つはそうでもない感じ。行列のお店に人形町のガチャガチャがあり思わずやってみる。中身が見えないタイプのカプセルだったので、週明けに一期下の方と中身を楽しもうと思ってまだ開けていない。
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水天宮を眺めて、明治座こんなところにあったんだ〜と、確認して、甘酒横丁は甘酒屋さんよりもなぜか潰れない婦人服屋さん、がたくさん並んでいた。 行列のたい焼き屋さんがあった。 鶏ものを売っているお店で厚焼き卵が焼かれる様子がほかほかしていてよかった。
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そのまま日本橋から大手町まで歩いて、知らない街と知っている街を繋げることができて充実感。 あまり写真は撮れなかった(撮りたくなかった)。
和菓子屋さんはたくさんあって、なんとなく入ったお店にすはまだんご(!)があり嬉しくて写真を撮ってしまった。あとギンビスの建物があった。
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友人と合流して、中平卓馬の展示を鑑賞。 夏に葉山館で観た展示に上書きする様な感覚で鑑賞していた。
その後竹橋のパレスサイドビルのスターバックスコーヒーでお茶を少しして別れた。 パレスサイドビルから出た時に、学生時代に毎日見ていた風景があって、雨上がりのやたら明るい空と春の感じに、はっ!となった。
お茶の席で友人と話した話、彼女から「日記には書かないでほしい」と言われ、私の日記に登場するかもしれない、と思ってもらえたことが嬉しかったり、日記を書かなくてもいいのか、とほってしてしまったり、彼女の話そっちのけで他人をしてしまってひとでなしだと思っている(そして少し誇っている)。
今日はこの出来事の間中、ずっとずっとめまいと吐き気がひどくて、途中何度かもう帰ろうと思っていて、でも一日過ごして、帰宅して掃除や日記の更新をしてしまった。
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掃除をするのは別に過度に脅迫的な行為ではない気がしてきた。 掃除をして綺麗になるのは嬉しい。でも今はちょっとした日常の生活行為をする体力すらない状態なのだと思う。 掃除をするのが悪いのではなく、体調が良くない。
スーパーに行こうと外に出たら、明後日の満月を控えた月が出ていた。 見切り品の野菜コーナーでズッキーニに出会ってしまいなんとなく買ってみる。お味噌汁に入れたら美味しいかな。この数日売れ行きを観察していたちいかわのランチパックは値引シールが貼られていた。
写真を見返してみたら前世はきつねなのかもね、とか可愛いことを言いたくなるくらい、最近油揚げばかり食べているみたいだった。
とにかく足がおぼつかなくなってきたので終わり!
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3月24日 心が無になる1週間を目の前に、昼過ぎから出かける予定もあったので、朝一のヨガを受けて開店したばかりのスーパーでスパイスカレーの材料を買って先に作っておく、という初めての試みをした。
野菜の見切り品コーナーにホワイトマッシュルームがいたので買ってみたけれど、なんか黒っぽくて弾力がない気がして、半分くらいは使わずに捨ててしまった。 使った分も悪くなっていないのか不安になりながら、後で調べたら断面が黒いのは通常らしい。でも弾力がなくなっていたのもあって不安(だけど調理してしまったので、食べてしまうと思う。人体実験。)。 そもそもきのこは水洗いしない?らしく、洗ってしまったから弾力がなくなってしまったのかな、とか今日はマッシュルームのことばかり考えていた気がする。
カレー作って冷蔵保存するために粗熱をとる間でお掃除などをして、初めての試みだったので出かけるまでの逆算がうまくできずにタイムトライアル的でとてもとても疲れてしまった。
最近は前より料理(っぽいこと)をしていて、でもそれは全く写真にならないな、と今日改めて思った。 CONTAXに入れたフィルムを撮りきれず、昨日から1日レンタルの期間を延長して、料理の写真でも撮ろうか、とそばにカメラを置いていたけれど、カメラとかiPhoneとかの衛生レベルが料理の現場もかけ離しておきたい気持ちが強くて無理でした。
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料理も衛生面や食材の鮮度の面で不安なことばかりだしやめたほうがいい気がする。 とにかくしなくてはいけない生活のタスクが増えるだけのような気がする。
午後の予定で会った方は昨日まで金沢と富山に行ってきたとのこと。今は金沢もちょっといいビジネスホテルは一泊20,000円くらいしてしまうらしい。 北欧に行きたい話やタイとベトナムの国民性の違いの話(タイはいつも笑顔で迎え入れてくれて、ベトナムはわりと無愛想。でもシャイ故らしい。)をした。 いま割と一番したいことは北欧に旅行に行くことかもしれない。 行った方がいいかもしれない。 パートナーと旅行に行ったその方は「やっぱりそろそろ一人旅をしないだめだ…」と言っていた。
好きなひとを好きなままでいるためには、一緒に仕事をしない、家族にならない、が、今のところの人生で私が見つけた人間関係で気をつけたいこと。
これからカレーを食べます。 お腹痛くなりません様に。
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kennak · 8 months
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探知 令和6年1月22日(月曜日)午前10時00分、千代田区内の事業所から「1月21日(日曜日)朝から本日までに92名の従業員が下痢、おう吐等の体調不良で休んでいる。体調不良者は皆、事業所内の社員食堂を1月19日(金曜日)又は20日(土曜日)に利用している。」旨、千代田区千代田保健所に連絡があった。 調査結果 千代田区千代田保健所は、直ちに食中毒調査を開始した。 患者は、1月19日(金曜日)及び同月20日(土曜日)に当該社員食堂を利用した事業所の従業員及び当該社員食堂の従業員計101名で、1月20日(土曜日)午前2時00分から同月24日(水曜日)午後6時00分にかけて、下痢、おう吐、発熱等の症状を呈していた。 患者全員の共通食は、当該社員食堂が調理、提供した食事以外になかった。 当該事業所内で事前におう吐などの感染症を疑う情報はなかった。 複数の患者のふん便からノロウイルスを検出した。 決定 本日、千代田区千代田保健所は、以下の理由により、本件を当該社員食堂が1月19日(金曜日)及び同月20日(土曜日)に調理、提供した食事を原因とする、ノロウイルスによる食中毒と断定した。 患者全員の共通食は、当該社員食堂が調理、提供した食事以外になかった。 複数の患者のふん便からノロウイルスを検出した。 当該社員食堂での食事を起点とした潜伏時間に一峰性が見られ、その長さ及び症状はノロウイルスによるものと一致していた。 当該事業所内で事前におう吐などの感染症を疑う情報はなかった。 措置 当該社員食堂は、令和6年1月22日(月曜日)から営業を自粛しており、千代田区は本日から3日間の営業停止の処分を行った。 発症関係 (1月26日午前9時00分現在) 発症日時 1月20日(土曜日)午前2時00分から 1月24日(水曜日)午後6時00分まで 症状 下痢、おう吐、発熱等 ※患者の症状は、回復傾向にある。 発症場所 自宅、外出先 等 患者数 患者数101名 男:49名(19~63歳)、女:52名(20~59歳) 入院患者数 0名 診療医療機関数・受診者数 46か所50名(男17名、女33名) 原因食品 令和6年1月19日(金曜日)及び同月20日(土曜日)に調理、提供した食事 病因物質 ノロウイルス 原因施設 屋号 エーム5631 業種 飲食店営業(給食) 営業者 エームサービス株式会社 代表取締役 小谷周 営業所所在地 東京都千代田区丸の内一丁目1番1号 パレスホテル7階 営業者住所 東京都港区赤坂二丁目23番1号 法人番号 2010401004266 連絡先電話番号 電話 03-6234-7522 備考 主なメニュー 1月19日(金曜日) 銀ヒラス西京漬け定食、味噌かつ丼、白湯ラーメン、マサラカレー、帆立風味とブロッコリーのタイ風炒め、ほうれん草と舞茸のみぞれ和え、チキンナゲット、コンビネーションサラダ、味噌汁 1月20日(土曜日) 照り焼きハンバーグ定食、コブサラダ風鶏唐揚げ丼、カレー、キャベツとアボカドの糀うま塩和え、なすとオクラの煮浸し、野菜コロッケ、コンビネーションサラダ、ベーコンと野菜のコンソメスープ 検査関係 (1月26日 午前9時00分現在) 検査実施機関:東京都健康安全研究センター 患者ふん便:細菌48検体(48検体検査中) ノロウイルス48検体(3検体ノロウイルスG2検出、45検体検査中) 従事者ふん便【注】:細���7検体(7検体検査中) ノロウイルス7検体(1検体陰性、6検体検査中) 【注】本件の患者を除く。 拭き取り検体:細菌11検体(11検体検査中) ノロウイルス2検体(2検体陰性) 食品(検食):細菌6検体(6検体検査中) ノロウイルス20検体(20検体陰性) ※「G2」の数字の正しい表記はローマ数字です。 参考 東京都における食中毒発生状況(ただし本事件は含まない。)   発生件数 患者数 死亡者数 本年1月1日~1月25日まで 3件 116名 0名 (昨年同期) (5件) (9名) (0名) 本年1月中(25日まで) 3件 116名 0名 (昨年同期) (5件) (9名) (0名) ※別紙 ノロウイルスについて(PDF:154KB) 問い合わせ先 保健医療局健康安全部食品監視課 電話 03-5320-4405
食中毒の発生 千代田区内事業所の社員食堂|東京都
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lllusioninthehead · 1 year
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2023/07/12
疲れを残さないように朝からタイ古式マッサージで身体をほぐしてもらう。
9時~24時までやっているので絶対に超過労働なんだろうなぁと思う。まぁ、基本はお店の前でスマホをいじっているか、喋っているようだけど。
1時間で300TBなので日本円で1200円程度。1200円あげるから1時間身体中をほぐしてって言われても嫌だ。安すぎるし、お店が乱立しすぎているし、ほぼすべてのお店が同じ金額。協会でもあって、談合しているのだろうか。
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午後からジェットスキーで5つの島を巡るツアーへ。
免許もなく、講習もなくいきなり運転させられる。自転車と同じようなもので、30分程度でなれる。波はデコボコしたコブのようなもので、思うように操れないし水しぶきもかなり飛ぶ。モーグルコースをバイクで走っている感覚。腕にも背中にも負担がくる。
ゆったりしたツアーかと思ったら移動は全速力で60キロ以上スピードを出す。
軽い気持ちで参加した人は面食らうと思う。いや、面食らったし。2輪免許所持者なのでなんとかなった。彼女は後ろでしがみついていた。運転したくない。怖いとのこと。まぁ、そうだよね。外国の屈強な女性は運転してたけど。
もっと穏やかに島を2つくらい回るようなツアーを作ったほうが違う層にも売れそうだけどな。と少しマーケ的なことを思ってしまう。
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ヘトヘトになり、戻ったらすぐに食事へ。
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好物のプーパッポンカリーをようやく食べる。も、日本のとはちょっと違う。
タイのはソフトシェルじゃない。カレーというよりカレー味の蟹炒め。汁も卵も少ない。味は美味しいがこれじゃない感。これで1300円くらい。そんなものかな。
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yfukuoka · 2 years
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【3641日目】2023-01-05 【3642日目】2023-01-06 お正月に必ず食べるもの、アジア料理お雑煮。今年はグリーンカレーなんですね。 ウータン食堂@代々木上原 ‪____________________________________ *グリーンカレー(雑煮) ポッドキャストの番組内でも話をしましたが、お雑煮と油の相性の良さは本物ですね。 このカレーもオイルがたっぷり過ぎて透き通っているので、だし汁のようにも見えました。もう…食べる前からおいしいの間違いなし。 もっちり、パクり。じゅるり。 あ、あぁ……厚みのある餅の甘さ、スープはシルクのような滑らかな舌触り。サラサラなのに濁りが濃厚。ハーブ3倍濃縮なんじゃないかというくらい、鼻から脳へ香りが突き抜けていきます。 うまい。。。 お雑煮であることを忘れて夢中に食べてしまった。あれ?お餅…4個も入ってた?? 餅の食べ過ぎで、午後の仕事がウトウト……眠すぎてやばかったです。 美味しかったので、翌日も行ってきました。 餅は危険なのでライスでお願いします^^; ‪____________________________________ 🇹🇭 #lunch #thailand #thaifood #thai #instafood #asianfood #asia #foodpic #foodstagram #tasty #delicious #spice #curry #wutangpedal #bar #mujina #間借り #タイ #ランチ‪ #代々木上原 #ウータン食堂 #ウータンペダル ‬#タイカレー #カレー‪ ‬#‬フクドローン #ふくすたぐらむ #雑煮 ↓ウータン食堂 @wutangshokudo (ウータンペダル) https://www.instagram.com/p/CnqxI7MSsWv/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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mickeykhun · 2 years
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2023年タイの旅 
カンチャナブリ編
27日はカンチャナブリにタイのHOTTEST2人と一泊旅行。その前に一泊にスーツケースは邪魔だから、カンチャナブリから戻ってきてから泊まるホテルにスーツケースを預かってもらう事にした。そのホテルがこちら。Buddy Boysが撮影したSukosol Hotel (どこまでもヲタな私)最初に泊まったホテルと違って一応五つ星。でもびっくりするほどはお高くない。しかも空港に行くエリアリンク駅近。
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タイの友達はこのホテルまで迎えにきてくれた。
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いざカンチャナブリに出発!カンチャナブリへは車で約3時間。バンコク周辺にもゴルフ場はたくさんあるのになぜカンチャナブリまでもゴルフの撮影に行ったのか?謎、とタイペン皆言う。しかもかなり夜遅く11時くらいに出発したらしい。すると真夜中についたわけ?私らは昼ごはんを向こうで食べようという計画。
途中、ニックンのマラソン映画、Seven Something を撮影した橋を渡り1人で盛り上がる私。
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映画は見たけど実物は初。
カンチャナブリ到着後は「戦場にかける橋」の橋が見える水上レストランでランチ。コロナで観光客が少ないせいか、橋がばっちり見える席確保。食事が終わった後は1日数本しか来ない列車が橋を渡るところも見れた。列車が橋を渡る最中も観光客はその橋の端にいた😱
私らもその直後に橋を端から端まで歩いてみる。
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天気はいいし暑くないし最高の季節。
ホテルはリゾートホテル。この日は満室。ほぼ欧米人。川辺の夕焼けに癒される。
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遅めのランチにカフェ巡りもして、夕飯入るのか?でもBuddy Boysの行ったムーガタレストランにはなんとしても行かねばならぬ!ムーガタ初体験にワクワク。かなり遅い時間にムーガタレストランへ。間違いなくここだった。
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ムーガタは食べ放題。材料をテーブルに運び、焼いて、タレにつけて食べる。野菜は山型になってる鉄板の周りにぐるっとある溝に出し汁をいれて鍋のように食べる。材料がなくなったらまた取りに行き、焼いて/鍋にして、食べる。行ったり来たり、食べたり、なかなか忙しい。けど、みんなでワイワイ楽しい食事。豚肉だけだと、一人199バーツで食べ放題、飲み放題。かなりのお得感。
ムーガタにちなんだタイ語講座も受ける。よく焼けてるはマイマイ。焼けてないもマイマイ。書くと違うけど、発音は全く一緒だと😂
ご参考までに↓↓
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Buddy Boysが行ったナイトマーケットにも行った。(それぞれのプレゼントを探してたあのマーケット)ここは駐車が難しいだろうからと、ホテルからサリンという乗り物で送ってもらう。サリンはバイク版トゥクトゥク。カンチャナブリではよく見かけた。普通の三輪トゥクトゥクよりずっとスリリング。坂道とかジェットコースター並み。興奮してたのは私だけ(当たり前)夜市では私らはもっぱら食べ物の屋台ばっかり見てたw 虫は無視。
こうして最初の夜は更け、トリプルルームでまったり過ごす。TVつけたらドラマにバイフーンが出てて、ひとしきりNineが告白した話で盛り上がる。夜は熟睡の3人でした。
翌日も晴天。少し冷んやりするくらいの朝。今日はこの巨大な木を目指してドライブ開始。ここにはこの巨大木しかないのに、それなりにお土産店もある。
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私が呑気にニックンが好きなお菓子を見つけて立ち食いしてたら、運転してくれてる友達がなにやら軍人さんと長いこと話してる。どうしたのかと思ったら、ガス欠に気づいたと。あいにく近くにはガソリンスタンドはないらしい。が、ここの駐車場の入口の雑貨屋でガソリンが買えるという情報をゲット。行ってみると、見かけは全く普通の雑貨屋。でもガソリンはあった!コーラのペットボトルで持って来たぞ。これぞ究極のリッター売り😂タイ人の友達もこれは初めての体験だと。
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とりあえずこれでガソリンスタンドまで持たせる。が、その正規のガソリンスタンドはどこだ?交番見つけて寄ったけど、お巡りさんはパトロール中なのか?も抜けのから。困ってたら、近くで右折待ちしてたバイクのお兄ちゃん見つけて聞くと、ちょうどそっちの方行くからついてこいとガソリンスタンドまで先導してくれた。ガソリンスタンドに着くと、お兄さんはおトイレに入り、颯爽とバイクで走り去った。なんとイケメンな。
おかげでワットタムスワまで行けました!
最後、バンコクへの帰り道にあるレストランで遅めのランチ。これが掘り炬燵みたいになってる席の下は鯉の生簀。涼しいけど、足ぶらぶらさせてたら時々飛びついてくる(笑)ここで食べたガパオはマジで美味しかった!
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カンチャナブリに一泊し、ムーガタ食べて、ランチx2 カフェx2、さあ、しめてハウマッチ?ガソリン代込みで正解は1人1850バーツ!(7100円) 安すぎます。運転ありがとう。会計係さんもありがとう。私?何もしてない。予約から日程まで全てお任せでした。
次回はニックンが家族旅行したカオヤイに行こう!と約束して別れました。
タイ滞在も残り2日となりました。(えっ、まだ続く?)
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gyohkou · 2 years
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26/11/22
ザベストメニューオブ近所のタイ料理屋がTOM YUM FRIED RICE に決定しました。かなり辛&ちょい酸っぱの水分多めトムヤムソース炒飯で、具材はでっかいミドリイガイ(ムール貝の貝殻に綺麗な緑が混じっているような貝)×2、いか、マッシュルーム。£9.00だから円換算だとちょっとお高めだけど、他メニューよりもはるかにわたし好みの味だから明日も食べちゃうかも。旨辛な味付けによわい。
月曜日に突然英語の流暢さがアップし���、先週よりも少し長く喋れるようになった。気がする。ある言語を喋るっていうのは、文法が理解できるとか読めるとか聞こえるとかとは全く別のベクトルの技術であるらしい。(わたしはギター弾けないけど、)コードのことは全然わからないけどギターが弾けるアーティストがいると聞いたことがあり、構造としてはそういう話なのかなと思った。スピーキングっていうのは多分、もちろん基礎練習は大事だけれど、勉強というよりかはもっと身体的なこと、運動や楽器を練習するのに近い。ヨーロッパ系のクラスメイトはtenseもままならないくらい文法が不出来なのに、めちゃくちゃぺらぺらと長い文章を喋る。対してわたしは、文法や語彙はかなりできる方だが、雑談とかディスカッションには弱い。イタリア人に、あなたは文法ができないのによく喋る、わたしは文法ができるのに喋りは下手、なんでなんだろうね?と言ったら、同感だがわからないとのこと。
スピーキングは身体運動だからそれにまつわる全てが楽しい。わからないことはそのままにせず発言する欧米文化に倣って、授業進行を中断する形になっても質問を投げかけたり、自分の意見を言ってみたりするのも楽しい。わたしは多分喋ることがもともと好きなんだけど、英語はリズムがあるから喋ってて気持ちいい。リエゾン(単語と単語の音が繋がること)や、シラブル(一単語に含まれる、一度に発音する音の最小単位)がうまく再現できて、口の中で音が響く感じがすごく好き。中学生の時、英語の授業をやってくれた教育実習生がすごく綺麗に教科書を読んでいて、「発音するのが楽しくて英語教師を目指すようになった」と言っていたのを覚えているが、おそらく同じバイブス。
先週末にワールドカップが開幕してからフットボールの話が頻繁に持ち出されるようになり、ついにPubの大スクリーンでブラジル-セルビア戦を観た。ホールのように広い店内で、グラス片手に立ち見をする客に溢れてライブ会場のようだった。色んなタイミングで大きな歓声が上がったり、(店内はブラジルサポーターが多かったので)ブラジルの応援歌が歌われたりと、自由で、エネルギッシュでよかった。歓声と怒号と、厨房で割れるグラスの音が響いていた。グラスが割れたのは厨房内だけではなくて、隣の席の興奮したサポーターがビールグラスを床に叩きつけて割っていた。すぐさま箒と塵取りを持った店員がやってきて、やれやれ、とでも言いたげに、そそくさと掃除をして消えていったので、Pub観戦茶飯事みたい。ブラジルのリシャルリソン選手が決めた回転ゴールがめちゃくちゃかっこよかった。でも実はこの時、ちょうどお手洗いに立っていて、ゴールの歓声を聞いたのはトイレの中で、実は実はゴールの瞬間を見逃したんだけど...(なぜか見栄?張って、一緒に来ていたクラスメイトに「(ゴールの瞬間)観たよ!すごかったねー!」とか言っちゃったんだけど......)。わたしは昔からこういうところがあって、アルバイトしてた居酒屋の店長のお誕生日会に出席した時、お手洗いに立っている間にケーキが運ばれてきていて、席に戻ったらハッピーバースデーは歌い終わって店長の話も終わってた、という思い出がある。聞くにしのびないね。
属しているコミュニティが学校しかないから学校の話ばかりになるんだけど、先日の宿題で、継続的でネガティブなトピックをひとつ選んでプレゼンする、というものがあった。(海洋汚染、大気汚染、原子力発電、ファストフード等。)興味深かったのは、カタールで開催されるワールドカップの裏側についてのプレゼンで、会場建設に携わった多くの人が亡くなっていること、移民労働者がLGBTQだった場合はカタールの法律に則り違法とされ懲役や罰金が下されること、暑いカタールの会場を冷やす空調設備のための莫大な資金と環境汚染、が問題だという。(英語で聞いたからもしかしたら事実と異なる部分があるかもしれない、ご容赦。)このプレゼンを聞いた日にPubでフットボールを観たんだけど、ワールドカップ開催の影とは裏腹に、純粋に試合観戦を楽しむ人たちで溢れていて複雑だった。2021年に開催された東京オリンピックにも様々な批判が集まったけど、莫大な資金が投じられていて、世界規模で、メディアの注目も集まるイベント(プレゼンしてたクラスメイトはスペイン語が母国語で、mediaticと言ってた。mediaticは英語の辞書には無いらしく指摘を受けていたが、スペイン語でmediatico?はメディアに関係していること表す形容詞みたい。)を簡単には中止できないという意味で、構造が似ているなと思った。
このプレゼン関係で交わされたトピックトークで色んな史実が持ち出され、世界で起こった非人道的な事件は人類が共通して持つべき記憶であるという気づき、それらに疎いがゆえに感じるもどかしさ/恥ずかしさから、この歳にしてようやく世界情勢や歴史に興味が湧いてきた。パリの同時多発テロ事件がどのくらいの規模だったのか知らなかったし、テロとは何なのか説明できなかったし(政治的、宗教的なイデオロギー上の目的達成のために行われる暴力や犯罪のこと)、福島の原子力発電所で何が起こったのか詳しく説明できなかったし。地下鉄サリン事件もテロだよね。昨晩はパリ同時多発テロ事件のwikipediaを読んで夜を過ごした。物事に興味を持つ時は、その物事がある程度のリアリティを持って自分と関係することがきっかけになる。
ちなみにわたしは、核融合発電の問題点をプレゼンした。今世界中にある原子力発電にはウランの核分裂が使われていて、うまく管理しないと核分裂の連鎖反応が起き、福島原発のようにメルトダウンを起こして放射性物質が外に漏れ出たりする。対して核融合は連鎖反応が起こることはなく、安全性が高いエネルギー供給法と言われている。ただ、核融合に使われるトリチウムという物質が全く足りてない問題 / トリチウムを作り出すためにはウランを核分裂させる必要があるけどちょっとずつしか作れない問題 / てかクリーンなエネルギーのためにまた核分裂させるのかよ問題 / トリチウムは半減期が短いから作っても取っておくのが難しい問題 などなど、燃料供給に潜在的な問題ありらしい。ひとつの記事しか読んでないから事実とは異なるかもしれないけど、絶対実現むりじゃん。ウケた。ところで、授業の先生が物理学部卒でロケット自作したり、種子島にロケット見に行ったりしてる人で、宇宙ってロマンチックでいいよね、物理ってかっこいいよねの気持ち思い出してる。(That's why 核融合について真面目に喋ってみた。)
仕事したい。Pubで3パイントもビール飲んだから翌日まで酔っ払ってて、どうしてもお米とお味噌汁を体が欲っして、高いお金出してお寿司とお味噌汁をランチにしたんだけど、日本人としては納得いかないクオリティ。おいしい日本食を出すレストランへ気兼ねなく行くためのお金が必要だし、賄い目当てで日本食レストランでバイトするのもいい。タイ料理はおいしいけどタイ料理は日本料理ではない。
オフィスワークもやりたいから現地エージェントに登録したんだけど、「ご角煮おねがいします」とか、メールの誤字がすごすぎて楽しい。角煮持っていって、わたしがエージェント代わろうかな。
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ここからが本題で、日記を読んだ友人がくれた感想を引用させてもらうんだけど。
"あなたという人間から見える世界の在り方自体は何も変わってないのに、舞台がロンドンになった途端、あなたの生活にストーリー性や瑞々しさが生まれているかのように見えてくるの、おもしろい"
わたしが思っていることをとても上手に言語化してもらった気分だった。わたしは世田谷からロンドンに引っ越したみたいな感覚で、自分の生活が、人生が、場所を変えて継続していくだけで、生まれ変わったとか、輝くものを手に入れたような感覚は全くない。渡英前も、わたし本人よりも、渡英するという選択を聞いた周りの人の方がよほど嬉しそうに、感慨深そうにしていて、不思議だった。(安定と変化を天秤にかける人はいても変化を実行に移す人はそうそういない、すごい、とか、海外へ行くと決めたわたしを見て勇気と元気をもらえた、とか。)
自己認識と他者認識の相違をふまえて、
・自分が経験したことのないことに対して抱く感情は幻想、過度な美化だという可能性 ・客観的に自分の立場や能力の特異性、稀有性を捉えることの難しさ
のことを考えている。わたしは羨ましがりで、SNSで人の生活を垣間見ては落ち込み、友人の近況を聞いては焦り、つまり比較ばかりしていた。しかし、羨ましいという気持ちはわたしが頭の中で作り出した幻想や過度な美化によるものではないか?当人には当人なりの地獄、そして天国。人には人の乳酸菌。追及すべきは自分なりの幸福の形であって、羨望や嫉妬に支配されるのは間違っている。ロンドンでの生活に対する印象が自分と他者で大きく異なるという実体験から、他者を羨むことって実はあんまり中身がないんじゃないか?→過度に羨んで落ち込む必要ない、の回路が形成されてちょっと楽になった。とはいうものの、海外へ行くなんて大したことじゃないよ、と平坦に扱うことは違うとも思う。長期で海外へ行くという選択が容易にできる程恵まれた環境、タイミングであったのは事実だと思うし、それに加えて自分の適性もプラスにはたらいているだろう。わたしは新しい環境に対する適応能力が高くて、異なる価値観を"受け止める"力があるらしい(友人談)。たしかにそうかもしれない。人には各々なりの価値観に至るバックグラウンドがあって、好ましいか否か以前にそれらは全て尊重されるべきだというスタンスが根底にあって、それが異文化の人と接する上で潤滑剤になっている気がする。(好ましくなければ否定はするけど。)このような自分の特異性、稀有性に自覚的でいたい。さもないと他者を傷つけかねない。もう傷つけているんだろうか。
自分からみた世界の在り方はあまり変わっていないけど、大きな変化があったとするならば、時間が正しく流れるようになった。以前は、ひどく綺麗な夕日がとっぷり暮れた後にひとりで夜を迎えるみたいな毎日で、そういう日々の中で流れる時間というのは一方向に規則正しく進んではくれず、途方もない。ところが今は、決まった時間に起きて決まった朝ごはんを食べ、学校へ行って授業を受け、帰宅して夕飯を食べ、勉強して、ゆっくりして、眠る、ことが、無理なくできる。正しく時間が過ぎていく。
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ちょっとポエティックになっちゃったけど、いや、なっちゃったとは言いたくない。大学のサークルの先輩がわたしのTwitterを見て、ポエマーだよね(笑)と言ったのをずっと根に持っていて、今思い返しても腹が立つんだが、ポエティックな言葉はうつくしいだろうがよ。
文脈を忘れたけど、クラスメイトが授業中に Live like your last day. と言い放って、お〜ポエティックでいいね〜、てなったのよかったな。
今週はあんまり写真を撮っていないから、お寿司とお味噌汁の写真を載せる。
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usamierina · 5 months
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Trip to Taiwan, April 2024 - Day 1: Gin&Tonic Pa
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One of the purposes of this trip was the event called "Gin&Tonic Pa". "Pa” seems to stand for ‘Party,’ so it's a gin and tonic party.
今回の旅の目的の一つ、「Gin&Tonic Pa 大島琴酒節」。「Pa」は「Party」の略らしかったので、ジントニックパーティーってことね。
実は、「台北でジンのイベントがある」というXのPostを見て即チケットを買ったんだけど、どういうイベントかはわかっていなくてw 広い会場があるわけでもなさそうだし、どういうイベントなんやろかと謎のまま行ったのは秘密w
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▲受付は迪化街のお寺「霞海城隍廟」の隣にあるでかい建物のところです。
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▲「オーガナイザーのサム」がインタビューに答えていた
まずは、オンラインで購入した前売券のQRを受付で見せて、イベントのリストバンドとプラスチックグラスをゲット。迪化街に点在する会場になっているお店の中にあるブースでこれを見せると試飲ができる、という仕組みのイベントみたい。いわば「ボトル即売会の試飲し放題プラン」みたいなイベントなのね!(とここでやっと理解)
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ちなみに、私が購入した前売券 NT$150は、おみやげボトルがついてくるプランだったので、どんなのがもらえるのかなと思っていたら、
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250mlサイズの、思っていたよりもしっかりしたボトルがもらえましたw これがもらえて、さらに試飲し放題で750円なんてお得なイベントじゃん〜!(後から調べたら、このボトルは販売価格NT$1000相当だったらしい。5000円...!?!?大盤振る舞いにもほどがあるぜ)
台湾のジンだけではなく、各国から輸入されたジン・リキュールも出店しているので、とにかく飲めるだけ飲みます。 まずは受付の隣にあったエリアの「PEDDLERS GIN Co.」ブース。
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(欧州系のブランドかと思ってたら、ガッツリ中国のメーカーだった...!w 上海のメーカーなのかな。インスタもとてもオシャレである)
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この「Salted Plum Gin」が、ジンっぽくなくて(というか、カテゴリ的にはリキュールだと思う)、梅というより梅干し感のある養命酒で面白かったです。
🐰「... これは ... あぶない ... ストレートで飲んでたら死ぬぞ...」
ということで、一旦コンビニでお水と炭酸を購入。会場で試飲するものに炭酸やトニックを入れてもらうにはお金がかかるようなのですが、セルフでやる分には問題なさそう。いざ次のお店へ。
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こちらは右手にまず輸入ブランドのブース。 「GINARTE」はめちゃくちゃパッケージ(箱のほう)が可愛い、イタリアのブランド。これはFrida Kahroというメキシコのアーティストのコラボイラストパッケージのものみたい。超可愛い。
そして大好き!なタイの「IRON BALLS GIN」。ボトルが個性的で、味もとてもエスニック。ボタニカルのポイントは陳皮だったような気がする。ひっさびさに飲んだけどやっぱり好きな味。またバンコクいきたいな...
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そして左手は台湾ジンメーカー「東太陽製酒 East Sun Distillery」のブース。(ここのジン、パッケージに書かれている「WINDSPEAR」で調べても全く情報が出てこないのが謎w)
めちゃくちゃ種類があります。
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「ボトル即売会」イベントなので、購入を目的に試飲してくださいね、ということなので、私も買いますよ。
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(みんながどんどん試飲くれっていうので、すでに並び順がバラバラである)
このナンバリング系は多分シングルボタニカルフォーカスなシリーズで、この中だったら ・No.4 香菜(パクチー) ・No.7 紫蘇(しそ) が好みだったな。どっちもボタニカルをはっきり感じる良い出来。
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限定のも色々飲んで、いちばん可愛い「薔薇興虎」という限定のピンクのジンを買いました。ボタニカルは「玫瑰」(バラ)・「水蜜桃」(ピーチ)・「水梨」(なし)・「馬告」(マーガオ/山胡椒)。
たらふく飲んだので牡蠣オムレツ食べながら休憩して後半戦。
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「Fleisch」というコーヒー屋さんのブースへ。 1Fはカクテルバー営業、2Fがボトル即売ブース、3Fが季の美のイベント会場。台湾では季の美がすっごく人気なのか、入口から大行列...我々は1Fと3Fはスルーで、2Fのブースに参ります。
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▲「琴為何物」(ジンとは?)というネオンはこの日のために作ったものかな。カワイイ😍
2Fのボトル即売会ブースで、台湾ジンを狙っていただきます。
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こちらは台湾・花蓮の蒸溜所「醲 NONG DISTILLERY」。
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ここ、すごかった!!!このイベントに参加した中で一番の発見。 ここの「鰹」のジンがものすごく美味しくて、燻製した鰹チップの魚っぽいフレーバーと、なぜか感じる山椒っぽさで、コレめちゃくちゃ美味しかった!!!!わたしも友人も即決でボトル購入。いやー、いい出会いだった。
こちらは台湾ブランド「Valor」のブース。 (今みたら「Holy Distillery 合力」って書いてあったわ。台湾のクラフトジンの中では結構大きい蒸溜所だと思われる。)
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ここもいろんなの出してたので、それぞれちょっとずつ。
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最初にもらったボトルも、ここがOEMで作ってるっぽかったから、結構大手なんだろうなあ。
最後に「極」というジンブランドのブースへ。 ここだけ1SKUで1店舗確保されているから、結構大手なのかも...
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シンプルなデザインのラベルのジン。
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(TTL 臺灣菸酒股份有限公司、って書いてあるので、国営のたばこ&酒会社ですね。そりゃ大手だわ)
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ここでは3種類のカクテルを提供。1杯NT$200なり。
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「寶珠茉莉」というカクテルをいただきます。 「哈蜜瓜(ハミウリ)」というメロンとスイカの間みたいなジュースと、「茉莉緑茶(台湾ジャスミンティー)」、「桂花(キンモクセイ)」、「蘋果汁(りんごジュース)」のカクテル。
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🐰「ほぼメロンジュース!!」
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Mikkeller Taipeiでは、LONDON DRY GINの「BERRY BROS & RUDD」(イギリスの超老舗ワイン商みたい)のジンと、台湾の超有名カクテルバーのコラボがやってたみたいだけど、飲みすぎたのでここはスルー。これでほぼ全部のブースを回った感じでした。
かなりいろんなの飲んだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!気温が高かったのもあって、全部回り切った時には汗だくw 最初はどんなもんやと思ってたけど、かなり楽しめたイベントでした。特に「鰹のジン」との出会いは衝撃だったね。行ってよかった〜!こういう酒イベントには旅行含めて積極的に参加していきたいと思いましたまる。
▼(追記1)Fleischで並んでいた時のひとコマ。
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前に並んでいたおにいさんたちが、運営のおねえさんに話しかけながら、何やら自慢そうに大事に取り出したのは、「季能美」「軽井沢」「48%」と書かれた小瓶。
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横にいたおにいさんが「えっ、マジで!?!?」と言わんばかりのリアクション。(これがめちゃくちゃ可愛かったw)そしてちょっとずつみんなで試飲。うわ〜〜〜これが台湾のジン界隈の民〜〜〜!!!日本にもおるわ〜〜〜〜どこの国でも界隈の人がやることはいっしょやわ〜〜〜〜!!!
ボトルに書いてあった内容から推察するに、季の美のバレルエイジのエディション「季能美」のレアものだったのでしょう。台湾のジン界隈のリアルな姿がめちゃくちゃ印象的でした。
※運営であろうおにいさんがめちゃくちゃ顔真っ赤で、「運営だけどこいつ飲んだな...」という顔してたのもなんか可愛かったw
▼(追記2)お土産のボトルたち
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・薔薇興虎 / 東太陽製酒 ・醲 GIN 花蓮太平洋鰹魚 / 醲 NONG DISTILLERY ・No.5 Piperaceae / 大島琴酒 - 台湾合力蒸溜所
「Piperaceae」は「コショウ科」という意味らしく、確かにかなり胡椒感のあるジン。原料は「甘蔗(さとうきび)」、「酵母菌」なので、サトウキビ原料の醸造酒をベースにしているみたい。ボタニカルに「杜松子(ジュニパーベリー)」「白胡椒」「緑胡椒」「黒胡椒」「五香粉(中国の代表的な混合スパイス)」「甘草」「大風藤(コショウ科の草で”オオカズラ”というものみたい)「海鹽(海塩)」。
飲んだ時に塩味を感じたので、なんだコレ、と思ったのですが、原料の最後に書いてある「海鹽」の「鹽」の字が細かすぎてOCRでも読み取れず...やっと今「海鹽」だということがわかりました。海水から生成した塩のことなのね。
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【2024年4月 台北の旅】 ・Day 0 ・Day 1 └ 四海豆漿大王 └ 迪化街(油飯・蚵仔煎)&WANGTEA LAB └ Gin&Tonic Pa 2024 👈THIS ・Day 2 ・Day 3
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nariwaibook · 11 months
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11月17-19日にバンブー建築の実習を開催します。
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ご無沙汰しております!(タイ武者修行として) アカ族の皆さんに竹の建築技術を教えてもらう「タイ武者修行」は2024年に再開に向けて現地打ち合わせを重ねております。
なかなかタイまでいけぬ!という声もあるし、先のことなので国内でも練習できる場をつくってもらえました。 11月17-19日の金土日にて、京都府亀岡市でアカ族の竹建築技術を学ぶイベントを開催することになり、タイ武者修行修了者2名が講師を務めます。
なかなか日本国内で練習できる機会は稀かと思いますが、一度覚えればバンブーデッキは自在に建てられるようになるかと思います。ご興味ある方はご参加ください。 参考図書やアカ族のナタも少量ですが当日頒布する予定です。 タイ武者修行(伊藤) 【民具から考える暮らしの素材と知恵の循環法】 ーー竹小屋づくり編ーー アカ族のバンブーハウスの建築技術を使って竹小屋を作ります。素材の調達から建てるところまでを実践することで、すぐにでも活用してもらえる技術を持って帰ってもらいます。本年は基礎から床づくりまでを行い、来年に屋根や壁の建築技術を学ぶ会を開催します。 講師:伊藤洋志(ナリワイ代表)・福田真澄(大工見習い) 会場:鹿谷ワンダービレッジ 日程:2023年11月17日(金)・18日(土)・19日(日) 時間:10:00–17:00(各日) 定員:10名 対象:高校生以上(中学生以下の場合は保護者も参加必須) 参加費: 1日参加/¥5,000 2日参加/¥9,000 3日参加/¥13,000 持ち物:作業服・すべりにくい靴など・軍手ヘルメット(または帽子)・竹用のこぎり又はナタ・虫よけ対策など・飲み物 ※タイ式ナタの販売とレンタル有 昼食:大人¥500・子供¥300(土鍋で炊いたお米のおにぎりと採れたて野菜の汁物) ※事前申込制 保険:各自イベント保険にご加入ください 【スケジュール】 11月17日(金) 竹の調達/竹をナタで切って運び、加工します。 11月18日(土) 基礎づくり/竹の柱を地面に埋めます。穴を掘り竹の柱を建て水平に竹を組んで基礎を作ります。 11月19日(日) 骨組みと床づくり/見どころ、丸い竹をナタで加工して一枚の板にします。竹板を基礎に固定して床をつくります。小屋の骨組みと床が完成します。 ※現地への交通手段についてはJR並河駅から「先端科学大学行き」バス(9時19分発)で「鹿谷」バス停下車、徒歩約5分 どうしても間に合わない方は送迎も応相談 ※遠方からの連日参加の場合は、寝袋持参での滞在場所を紹介できるかもしれません、申し込み時にお問い合わせください。
詳細と申し込みページ>
※現地に行けない方も11月14日にはオンラインレクチャーもあります。
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vegehana-food · 3 months
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✿ タイ風ワカメスープ ✍️ 白だし,醤油小1,鶏がら小1,にんにく,生姜,アンチョビ,水800cc
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chihiro-tiles · 1 year
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これまた ニッシンの 黒船シリーズ
タイで販売されているニッシン即席麺の
辛口エビ焼きそば
です。
あぁ、、、
ほんと美味しくないかも、、、
具材は全く付いてこないので、
冷凍のエビをボイルしてトッピング。
味は普通。辛さは確かにほんのりあります。
色々食べて思うのですが、
即席麺の焼きそば系は、失敗作が多いです。
汁物より、難しいのではないでしょうかね?
だいたい、汁なしバージョン買うと、がっかり多め。
辛ラーメンもそうだったし。
先日食べた、この汁ありバージョンは本当に美味しかったです!
もう、焼きそばは即席麺では諦めた方がいいです。
美味しさ⭐️
辛さ⭐️
残念賞⭐️⭐️⭐️⭐️
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akutukarino · 1 year
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卒業後-10
今日はようやく実写版のリトル・マーメイド観てきました。その感想です。
めっちゃ面白かったですね!!!!
映像はもちろん綺麗だし、脚本に関しても割と満足ないい改変。色々言われてた配役については元々アリエルはビジュアルよりも歌声重視で選んだんだろうなって思ってましたし、実際めちゃくちゃハマり役だったと思います。
全体的に概ね満足、アニメ版ももう一度観たくなったんですがね問題が一つ。海底のアンダー・ザ・シーの部分。いや、めっちゃ綺麗ですごく良かったんですが、配役が問題。なんで大量のクモヒトデが舞いまくってるんだよ!!!???なんでそこでフジツボのダンスなんだよ!!!!????綺麗だよ!!!!でもそいつらは気持ち悪いよりの生き物でしょう!!!!魚出せよ!!!!!!あれ?本家も魚少なかったっけ‥?いやでも本家でもクモヒトデのダンスはなかったわ!!!!!
フランダーとセバスチャンの部分で思ってましたが人間よりも魚たちをどうにかしてくれよ!!!!まぁ、海の生き物大好きなのでこれはこれで可愛いと思いますけど。まじで製作陣は魚に関する知識がおかしいっていうか、なんで魚を頑なに出さないんだ…出てるけど……なんでメインじゃないんだ……クラゲとウミウシは綺麗だしわかる。クモヒトデで吹き出しましたよマジで……。他にあっただろ………
マジでそこ以外は完璧なんですよ!!!!序盤に追加された人間側からの人魚への偏見、より魚らしさと美しさを兼ね備えた人魚のデザイン、よりリアリティの増した海の王トリトンの設定、アリエルの美しい歌声、追加されたエリック王子の歌、公式採用されたアースラ様の妹設定、アリエルが陸上に着いた経緯にエリック王子との接近の様子、追加された歌、キャラクターの掘り下げ、とにかく全てが良かった。アニメ版を基本に置きつつ大人向けというかアニメでふわふわだった部分をより突き詰めてリアリティを増した感じ。パイレーツオブカリビアンにちょっと近い感じかなってふわって思いましたね。まぁとにかく脚本は素晴らしいと思いました。そう考えればマスコットたちをリアルにしたのも納得がいくほど素晴らしい改変だった。映像も素晴らしい。
キャストの配役もいいんですよ……。アリエルが黒人なのめっちゃ批判されてましたが、私はめっちゃ好きでしたね。あの歌声は最高にアリエル。あとはビジュアルはアースラが人間に変身した姿の女優さんの���が良かったなんていう人もいるそうですが、私はアリエルは彼女で良かったと思いますよ。変身した姿の女優さん、確かに美人で綺麗ですがアリエルはあのハリー・ベイリーさんの方があの無邪気で明るく元気なイメージに似合ってると思いました。あと王子が白人なのを批判してる人もいましたが、映画みるとそもそも今回の王子は女王と血が繋がってないんですよね…それがどうしたって話かもしれないんですけど、多分なんか裏設定がすごそうで…多分その裏設定の影響も大きいんじゃないかなぁって。まとめるとポリコレもあるんでしょうけど、こだわりと細かい設定であのキャストになったんじゃないかなって思えましたね。
本当に良かった…トリトン王のマントが小魚で表現されてたりするのも美しいしアースラ様に発光する器官がついてたりタコには触手の根元にそれぞれ脳みそがあるって設定もしっかり生かされていそうな演出…本当に細かい部分はとことん良かった…。
なのになんでクモヒトデがメインキャストなんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
あれ、苦手な人もいっぱいいるようなやつだぞ!!??私ですらちょっと気持ち悪いくらいのやつが美しく踊る!!!ネタじゃん!!!!フジツボも可愛かった!!!!!でもちょっとキモい!!!!!タイとかタラとか云々言ってるじゃん!!!!魚も踊るように泳がせて良かったんじゃないか!?技術がない???嘘つけ!!!!!!!!!魚でもダンスシーンは表現できたはずだろ!!!!!ちょくちょくいい感じの熱帯魚の群れいたし!!!せめてヒトデでももっちり可愛いメジャーなやついるだろ!!!!この深度にはいないとかか??その割にはフジツボとかいたりするのはおかしいだろ!!??そのくらいのファンタジーにした方が納得いくって!!!!!アリエルを頑なに海から出さないようにした結果、カモメが海中で喋ってるシーン出しただろ!!!それが許されるなら魚のダンスシーンも許されるって!!!!!!製作陣は魚嫌いかマニアックな海中生物マニアでもいたのか!?
マジでそこだけめっちゃツッコミたい…。いや、可愛かった。綺麗だった。でもそんなに魚嫌いなの??って思いたいくらい頑なに魚がメインにならなかった気がする。泳いでる姿くらいしか記憶に残ってない。人魚のデザインはすごく魚みが増していて良かったんですよ……。すごくバリエーションのある多種多様な魚感がありつつも美しいデザイン…本物もっと出せよ……フランダーをなんで鯛寄りにしたんだよ……。あと海にグッピーみたいなやつっていたっけ……?
あと本当にちょっとだけ、ちょっっっっっっっっっとだけ文句言いたいのは、セバスチャンは最初の音楽家のままでよかったんじゃないかなぁって……。音楽家が王の相談役っていうのに違和感持つのはわかるけど…。この執事長音楽に長けてるな……って違和感が出てきちゃった……。
マジで魚のキャスティングとセバスチャンの設定の変更の二点以外はめちゃくちゃよかったのでそこが気にならない人にはオススメできますね。すごく面白かった。
ここからはどうでもいい話なんですが、映画の時間を見間違えて予定してたのは1時間前に終わって次がどうあがいても今から2時間近くあとって言う。もっと寝れたな…って。仕方がないので先に見たいものみたり買い物したり、お昼食べておきましたよ。
レジンやりたいので構想練りつつ材料買ったり、東京リベンジャーズの続き買っちゃったり。
数年ぶりにオムライスのポムの樹に入ったんですが、すごい、変わってた。メニューはタブレットはわかるんですが、ドリンクは使い捨てのカップだし小さい紙コップでお味噌汁出てきたし。そこはすごくよかった。ただシンプルオムライスに添え合せになんか漬け物ついてるのだけがちょっと残念。でもチキンもゴロゴロで美味しかったです。
ここ数年くらいぼんやりと「めっちゃ綺麗でうまいオムレツが食べたいなぁ」って考え、でも食べる機会がない。あと親子丼も食べたい。オムライスはここ数年ずっとザ・普通のケチャップがかかってるオムライス食べてる。あれ美味しい。オムレツ…頑張って作ってみるかなぁ……。
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doctormaki · 1 year
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あー午後になって気温上昇。午前中は洗濯してバタバタして、昨日の残りのカレーでランチしたら、やる気無し。。。やる気の持続はむずい。
そこで、だらだらしながら、徒然なるままに日暮らしである。今回、帰独して気付いたビックリ事件を書いておくことにする。
エピソード1: エプロンは首かけである
ワシは日本人。快適性と利便性をこよなく愛する。したがって、エプロンの首かけは、あまり好きじゃない。首の後ろが常にエプロンの重みで気になるし、まるで絞首刑を待っとるような重み。ワシはこう見えても姫なので、身体に重みがかかるのは嫌だ。なんならずっと夏ならシルクタフタ、冬ならシルクとカシミアだけ着とりたいタイプ。だから首かけエプロンは嫌じゃ。
というわけで、ジャパニーズホスピタリティ宜しく、日本で買える肩紐で、背中で肩紐をバッテンにする、否、今どき風にいうと、背中で肩紐がクロスになる肩紐タイプのエプロンを、クッキングクラブのメンバーに購入した。
これが驚き桃の木山椒の木である。なんと、外人共は、肩紐エプロンを着られないのだ。アホか。。。とワシ絶句。エゲレス人のBrunoがワシが着ている着方を見て、こうするのか!と感動しながら着る。でも、インド人もハンガリー人も、着ることができない。。。やっと首にかけても、肩掛けのコンセプトが理解できないので、紐に腕を通す事ができない。なんなら腕通さずにそのまま、腰紐を結ぼうとする。ワシ、呆れる。言葉も出ない。エプロン好きのワシは、もうマジで絶句。
でも、ワシの父もそんなもんかとも思う。常識が無いと言うか、どうしてそのように設計されているのかを汲み取れず、理解できないから、全ては不便だ!と即効怒りに変わる。アホな奴には首かけエプロンで良いという事が分かった。インド人も、ハンガリー人も、肩掛け紐エプロンのさして難しくもない着方に戸惑う。エゲレス人Brunoだけが、あーこれって首の負担なくて楽で良いねと言う。当然、他の二人のおばちゃんはおバカちゃんなので、やれエプロンがどーだの、ナイフがこーだのと普段は蘊蓄をのたまう割に、Brunoの言っている意味は不明らしい。まぁそんなもんらしい。
バカにはバカ相応の、ダラけた奴にもそれ相応の世の中が上手く展開されゆくのがこの三次元ワールドです。かくいうワシも無知なので、無知の知で乗り切っています。
エピソード2: 塩分濃度高めなエウロッパ
ワシ、ドイツのスナックは塩なので嫌い。塩加減やばすぎ。塩の塊ポテチや塩の塊スナックには辟易。だけど、チョコ食ったらなんかお口直しに塩っぱいもの食べたいし、その逆も然りと、延々と甘辛街道をおやつだけで楽しみたい。そこで見つけたのが、塩っぱさはスライス加減で調整してねと、チーズとサラミがおやつになる。太ること間違いなし。でも、人間とは、貧すれば鈍さない限り、一日の潤いでおやつタイムは必須。おやつタイムない人生なんて、我が家の愛犬ベムりんでさえ、無理ムリムッリー、絶対無理というだろう。
ってなわけで、ワシ今回、トンガリコーンを密輸。ギャー酷人どものパーティーに持って行って惜しみなくくれてやったつもりが。。。やはり。彼らには味がしないというのだ。マジか?と思い、トンガリコーンを口にしても、ワシにはしっかり塩味となんならアミノ酸の味しますけど。。。でも、彼らには味がしないらしい。ドン引き。汗。マジでスカイ。晴天の霹靂。おかげさまで、ワシは苦手な塩っぱいドイツのマズイポテトチップスの代わりに、トンガリコーン独り占め。しかし、さすがにギャー酷人どもよ、お前らの味覚ひどすぎでしょ。
でも、通りで分かった。お澄ましをハンブルグ大学大教授のお宅で作った時に、大教授の30も年下の移民の嫁ドブコちゃん、ドブラフスカが言えないので、ワシはドブコちゃんと密かに呼んでいるが、このドブコちゃんは醤油瓶をにわかにガッシリと掴んで、ドバドバと醤油瓶から直にお椀に醤油を入れていた。出汁の香りもなにもあったもんじゃねー。さすがドブコ。溝水でも飲んでろボ~ケと思ったが、多分思うに、塩味の感度が恐ろしく低い。そして、ドイツでは日本食ブームの割にダシの味が分かる味覚を誰も持ち合わせていない。
だからなのだろうか。こちらのベトナム移民の開くベトナム料理屋では、美味しいと噂の立つ店ほど、アミノ酸地獄なのだ。ワシはアミノ酸アレルギーなので、気をつけていないと、下手なベトナム料理やタイ料理、中華料理に行くと、その夜から、全身カユカユ地獄に加えて、唇や口内の粘膜が腫れまくる。しかし、奴らは、このアミノ酸地獄を美味しいという。ワシは単なるアミノ酸地獄で、なんなら調整された日本のカップヌードルの方がよっぽどマシだと思う。オマケに、NYの方がよっぽど、MSG使っていません表示を出していて、アミノ酸アレルギーへの理解がある。こちらでは、やれグルテンフリーだのヴィーガンだのなんだのとかんだのと、アレルギーや嗜好にはめちゃくちゃウルサイが、MSGは平気で感知せず、ワシは大迷惑。アジア系レストランでの外食がほとんどできないのだ。醤油だって、味噌だって、みーんなアミノ酸漬けじゃけのぅ。中国製の精製が悪いアミノ酸は、ワシはアレルギーで死ぬじょ。
エピソード3: アレルギーとグルテンとカフェイン恐怖症
そうそう。ドイツは食べ物にスゲーコダワリを見せる屈強なバカが、笑える位にわんさかおる。グルテンフリーに拘る輩は、シッタカブッタになって、醤油には小麦粉が入っているからグルテンフリーじゃないと言って世界最強の発酵調味料ザ醤油に難癖つける。その癖、MSG山盛り食って元気なんだからオメデタイ。あのね、グルテンって小麦粉のデンプン質に含まれたタンパク質を言うんですよ。つまり、グルテンは小麦粉に水加えて、ネリネリしないとできない。醤油はモロミ発酵ですけど。。。と思うが。。。兎に角、グルテン、グルテンと避けたがる。そういう奴に限って、平気でパンとかビールとか食っているから、ずっこける。うどん食って、食後に麩饅頭食って、死ねるかどうか試してみぃや。。。とダークサイドマキは思う。ビール良いのになんで醤油イヂめやねん。アホか。
アレルギーは、ある種の蛋白質から引き起こされるので、大豆アレルギーのワシはマジで、豆腐だけじゃ無くて、醤油も味噌も納豆も食えなくなるのか。。。と愕然とした事がある。しかし、蛋白質は、発酵過程を経ると、ある程度分解されるので、ビールや醤油の発酵過程を経たグルテンは、いわゆるグルテンとは異なった組成になっているはずだ。したがって、有り難い事に、ワシは納豆食べられますのよ。オホホ。嬉しゅうざーます。豆腐は麻婆豆腐を食べたい一心から、なるべく遺伝子組換え大豆の豆腐は食べないザマス。
カフェインを避けたがる熱狂的なカフェイン嫌いも多い。カフェインは脳内の薬物を堰き止める関門をくぐるから、ヤバイというのが、多分、カフェインを避ける科学的な後ろ盾だろうが、カフェインを極端に避けている癖に、酒を飲んでいる奴を見ると、ワシはこいつはバカだと確信する。ワシは化学物質過敏症なので、ホルムアルデヒドなど化学物質が怖い。アルコールは消化吸収の際に体内でホルムアルデヒド化するために、自家製の化学物質で脳がクラクラして酔うという構造になっとる。だから、ワシは呑んでいる奴の隣でそいつの呼気を吸うだけで、十分二日酔いになれる。つまりだ。脳へのダメージは明らかにアルコールの消化吸収過程に発生する化学物質の方がヤバイ。脳への様々な作用を恐れてカフェインを接種しないのであれば、カフェインよりもアルコールの方が脳への作用はヤバイ。
また脳内環境を慮るのであれば、糖分もヤバイ。飴やミルクチョコなどの砂糖の塊は、糖分の消化吸収に伴った血糖値スパイクを引き起こす。つまり、血糖値スパイクで脳内の血管は傷付きやすくなってしまう。血管健康を思うと、塩分も怖いけれど、塩分よりも、実は糖分に気をつけなくてはいけないというのが最近の研究だ。脳がぼーっとするから飴やチョコや、甘い清涼飲料水やジュースで糖分補給という考えは、甘い! 実は最近の研究では、脳にはさほど糖分は必要なく、適度な油脂が、ケトン体が実は有効と分かってきているらしい。つまりだ。油脂を含むチョコの方が飴より好ましく、ダークチョコなら糖分も相対的に少なくて好ましい。午後のお茶には、砂糖よりもハチミツを落として、脳に味覚を通した満足感を与えつつ、穏やかな糖分吸収を心がけた方が良いという事だ。
糖分もアルコールもカフェインも、脳への作用が大掛かりな分、脳は快楽と認識し、それをより欲するようになり、自制が効かなくなる。そういう脳内メカニズムを理解した上で摂取しないと、特に糖分と塩分のバランスが認知症に与える影響とはデカいらしい事が最近分かってきている。食事とは、何を摂取するかとは、より良い人生のためには、とてつもなく深い問いなのだ。
アレルギーのフリする自称身体弱いバカと、本当にヤバく身体弱い奴の違いは何か。それは、マジで、身体弱い奴は、倒れたくないから、最新版科学で理論武装します。ワシは後者。だから、前者を見ると、マジで羨ましいっす。巷にあふれる情報洪水から適当に自分がピックアップした情報に踊るバカを演じている自称アレルギー野郎は、多分、健康的なバカ���コダワリを持っているワタシってステキと自分酔いして、最新版科学にマインドアップデートせず、過去の迷信信じて踊っているだけ。ご苦労さまです。チャンチャン。本当に病気になった時、焦り狂うのは、身体弱いフリして周囲の無知どものアテンションプリーズしている幸せな方々なのだろう。ワシはマジで身体弱いので、雑草魂でいかせていただきやす。こっそり倒れて、人知れず痛みや痒み、ダルさと微熱と戦いつつ、マックスでイライラしながらも、なるべく表向きには、にこやかにいられるように精神統一。なんの修行やねんて。。。
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tagchan · 2 years
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「ととと便り」 『チョウン!』 タイ語で乾杯は「チョウン!」と言うのだそうな。 というわけでチョウンフォトを撮ったのでした。 先日の「ととと的語る部」はタイの方が2名参加。 タイと日本の文化についてたくさん話した夜でした。 ちなみに、鍋はせんべい汁にしました。 タイのゲストさん達がスーパーでおでんを買ってきたので タイでおでんが食べられるのか聞いてみたら タイのファミマでおでんを売っているそうです。 ゲストさんはアピチャッポンという映画監督を知ってる? と聞いてみたら、若者たちは知りませんでした。 ボクも知らないのだけど、有名な人? 好きなドラマや映画を聞いたら 「ウェンズデー」と言われ 知らないなーと思いながら���を進めたら アダムスファミリーのウェンズデーが今はドラマになっていることを教わりました。 今はクリスチーナ・リッチではないウェンズデーがいるんですね。 最近、海外ゲストさん率が少しずつ上がってきたととと。 「ああ、これがゲストハウスだよね」 って思える光景を見られる機会が少しずつ増えてきました。 英語を話す機会も増えてきたので、 ボクの英語脳も回路がバシバシつながり始めましたよ。 盛岡では英語を話す機会がない皆さん、 ぜひ、とととに来てみてくださいね。 ※次の日曜は休館なので 次の「ととと的語る部」は2月5日開催です。 #ととと #ととと盛岡 #ととと便り #ととと的語る部 #盛岡 #岩手 #morioka #iwate #もりおか #岩手においでよ #盛岡のととと #盛岡ゲストハウス #岩手ゲストハウス ------------------------------------------------------- ととと -盛岡の泊まれるたまり場- 住所:岩手県盛岡市鉈屋町1-2 [宿泊] チェックイン 17:00-20:30頃到着まで ※泊まったのことのある方は21時到着まで 宿泊料金 1名1泊3,850円(税込)~ [たまり場利用] たまり場営業時間 17:00-23:30 ※最終入館 初めての方は21時まで 利用料 1時間まで:600円 / 1時間以上:1,000円 ※学生料金あり とととのたまり場(リビング&キッチン)は泊まらなくても利用できます。 宿泊ゲストの皆さんとの交流をぜひお楽しみください。 飲食物持込自由。キッチンで自炊可能。 ※来館前にあらかじめ連絡をください。10分前でもかまいません。 ※宿泊がない場合は休館の場合もあります。 ※現在、夜以外の時間のたまり場営業を検討中。曜日、時間帯などご希望があれば教えてください。 ※営業時間内の見学無料。お気軽にお越しください。 ご予約、詳細な情報はHPから! https://bokunohosomichi.fun/ ------------------------------------------------------- (ととと ―盛岡の泊まれるたまり場― Tototo Morioka) https://www.instagram.com/p/Cn1i8ANBIFU/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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zo-sunz · 2 years
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   仏教は何を教えているのか
一、「愛してはならない」という教え
 世間の物差しに支配されない「出世間」こそが、仏教の基本原理
 私自身は、仏教原理主義者を名乗っている。仏教にかぎらず、宗教はすべからく原理に忠実でなければならない。そのため、わざわざ仏教やユダヤ教、イスラム教のあとに原理主義をつける必要はないのだが、最近は宗教であるにもかかわらず、ご都合主義に流されているものがあまりにも多い。そのため、あえて原理主義をつけているのだ。
 すでに述べたように、キリスト教はご都合主義に隠してしまいやすい要素を、本質的にもっている。だからといって、キリスト教のすべてがご都合主義に隠してしまったかというと、けっしてそうではない。
 キリスト教がローマの国教となって、世俗主義との妥協を余儀なくされたとき、それを反省する動きがカトリックの内部から起こった。世俗を離れて、祈りと労働の厳しい生活をするという修道院文化がそれである。カルバンやルターによる宗教改革も、世俗との妥協を排して、最初のころの清新な息吹を取り戻そうという動きであったということもできる。
 現在の米国のなかにも、南部ファンダメンタリズムと呼ばれているグループがあり、そこでは文字通り文化=原理主義的なキリスト教の信仰生活を送っている。
 古今東西どの宗教にも原理に忠実に信仰を成就しようという人たちがいて、その人たちによって信仰の核が守られているのである。
 釈迦にはじまる仏教は、インド、中国、朝鮮半島、タイ、ミャンマー(ビルマ)、スリランカなど、ほぼアジア全域に広まっていた。そのことにより、これまで見てきたイスラム教の分派よりも多くの宗派、分派を数えることができる。イスラム教にくらべて歴史が長いゆえに、その分派も複雑である。教典あるいは経典の数については、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教とは比べものにならないほど多く、複雑である。
 その仏教のいちばんの原理は何かというと、私は「出世間」であると思っている。世間の物差しに支配されず、世俗の垢に汚れないというところに、仏教の基本原理を据えたいのである。
 その仏教の原理主義を、さらに具体的に述べると、三つになると私は思っている。
 愛してはならない。
 がんばってはならない。
 希望を持ってはならない。
 このように言うと、おそらく読者はびっくりされるであろう。私は逆説的にものを言う癖があるので、このような表現になるのだが、これはたんなる逆説ではない。
 仏教徒は、愛してはならない
「愛してはならない」というのはどういうことか。「愛する」というのは、相手を自分の思うままに支配したいと思うことである。「親が子どもを愛する」というのは、親が都合がよいから愛するのであり、親の言うがままになっている子どもは愛することができるが、ちょっとでも反抗しようものなら、それは憎しみにに変わってしまう。
 愛と憎しみとは、そのようにワンセットになっていて、自分の子どもを愛すれば愛するほど、自分の子どもと競争する他人の子どもが憎くなる。だから仏教徒であるかぎり、「愛してはならない」のである。なぜならば、それが仏教の原理だからである。
 では、愛のかわりになるものは何か。仏教では「慈悲」を教えている。慈悲とは何か。相手をあるがままに認めることである。「かくあってほしい」という自分の物差しで、よい子と悪い子とに分けて、よい子を愛し悪い子を憎むのではなく、よい子も悪い子も分別しないで両方とも愛することができる。それが慈悲である。
 私たちはとかく、勉強ができる子は愛することができても、勉強ができない子に対しては冷たい態度を取ってしまったりする。しかし、それは間違っている。たとえ勉強ができなくても、器量がさほどよくなくても、その子をそのまま、まるごと愛すること、それが慈悲である。
二、「諸法実相」とは、「味噌も糞も••••••」ということ
 万物はみな真実の姿をしている
『法華経』のなかに「諸法実相」ということばがある。法とは「もの」を指し、宇宙に存在している諸々のものはみな真実の姿をしているという意味である。だから、そのような見方をしなさいと、『法華経』は説いている。
 この「諸法実相」を、私は講演会などで、できるだけ簡単な言葉で説明しようと、
「これは、味噌も糞も一緒だという意味です」
 と言ってみる。するとあるとき、真ん前に座っていたおばあさんが、「ヘェーッ!」と素っ頓狂な声をあげた。
「それなら、ひろ先生のお宅では、糞で味噌汁を作っているのですか」
 これには、私も驚いた。
「いくら私が変わっているからといって、そんなことは••••••」
 と言って、次のような説明をした。
 おばあさんが言ったことこそ、「諸法実相」の反対である。おばあさんは、味噌がよくて糞は悪いと思っている。もちろんそれは当然のことなのだが、味噌がないときは仕方がないから糞を代用品として使おう(代用品になるかどうかはわからないが)という発想なのだろうが、それは間違っている。
 味噌は味噌のままで最高なのだ。だから「味噌さん有難うございます」としっかり拝むのだ。では糞はどうか。糞は糞のままで最高なんだ。だから「糞さん有難うございます」としっかり拝むのだ。
 そう言ったところ、そのおばあさんはしぶとくて、
「人をはぐらかそうとしたってあきまへん。なんぼなんでも、糞を拝んだりしますかいな」
 と言う。そこで、
「それならおばあちゃんは、これまでいっぺんも便秘したことはないんですか」
 と聞くと、素直に「あります」とうなずく。よし、しめたとばかりに私は、
「便秘のとき、台所から味噌を持っていって便器に放り込んだところで、何もありがたくはないでしょう。糞が出てくれるから嬉しいんでしょう」
 と、しっかりとおばあちゃんの目を見て言った。そこではじめて、件(くだん)のおばあちゃん、
「わかりました。これからは糞を拝みます」
 と納得してくれたのである。
 幼子をなくしたガウタミーは、そのとき気づいた
 お釈迦さまの時代に、クリシャー・ガウタミーという女性がいた。クリシャーというのは「痩せっぽち」という意味である。彼女はあまりにも痩せていたので、「痩せのガウタミー」と呼ばれていたのだ。
 そのクリシャー・ガウタミーが、生まれたばかりの子ども(仏典には書いてないが、おそらく生後四~五ヶ月ぐらいではないだろうか)を亡くしてしまう。彼女は悲しみにうちひしがれて、死んだ男の子を抱いて町中を走り回り、
「どなたか、この子が生き返る薬を作ってください」
 と訴えた。それを聞いたお釈迦さまが、
「それなら、私が作ってあげよう」
 とおっしゃった。そして、
「その薬の材料になるカラシ種をもらってきなさい。ただし、そのカラシ種は普通のカラシ種ではない。これまで一度も死者を出したことのない家からもらったものでなければならない」
 と、教えられた。そこでガウタミーは、死者を出したことのない家を探しはじめる。
 だが、死者を出していない家は見つからない。
 やがてガウタミーは、手ぶらのままお釈迦さまのところに戻り、次のように言った。
「子どもを生き返らせる薬は、もういりません。この子をこのまま安らかに眠らせてあげます」
 それを聞いて、お釈迦さまは静かに微笑まれた。
三、「がんばってはならない」という教え
 八割の怠け者アリのおかげで、二割の働き者アリが出現する
 このクリシャー・ガウタミーの話は、いろんな仏教学者が良く引用するの��が、解釈を間違うことが多いようだ。
 ──これは「諸行無常」を教えたものだ。「命ある者、必ず滅する」ということを、お釈迦さまは教えられたのだ。
 そのように解釈する人がほとんどだ。もちろんそれはそのとおりではあるが、実はもっと大事なことを教えているのである。それは何か。
 お釈迦さまはクリシャー・ガウタミーに、ほんとうはこう教えたのではないか。
「生きている子どもはよくて、死んだ子どもはだめなのだろうか。生きている子どもは、生きている子どもで最高だ。それと同時に、死んだ子どもは死んだ子どもそのもので最高なのだ。死んだ子どもを、死んだそのままでしっかり愛することができたとき、あなたは人間として完成される」
 そして、これこそが仏教の説く慈悲なのである。
 勉強ができない子は、勉強ができない子として最高であり、死んだ子も死んだ子として最高なのである。それと同じように、怠け者は怠け者で最高なのだ。みんなを勤勉な人間にしようとしても、それは無理なのである。
 昆虫学者も言っている。アリは、みんなが働き者ではない。アリのうち、真面目に働いているのは二割ほどで、あとの八割は仕事のようなことをやっていない。たしかにチョコマカ動いてはいるが、仕事はしていないのだ。
 ただし、まったく何の役に立っていないのかというと、そうではない。八割のアリがそうやってチョコマカ動いているおかげで、真面目に働いている二割のアリは方向がわかり、道に迷わないのだそうだ。
 そこで昆虫学者は、二割の働き者のアリたちばかり集めて一つの集団を作るとどうなるかという実験をした。すると、その働き者のアリばかりのなかの八割が怠け者に回ったそうだ。
 次に、今度は八割の怠け者ばかりを集めて一つの集団を作ってみた。すると、そのうちの二割がしっかり働き始めたのだそうだ。
 ここで余談ながら、私は次のようなことを考えた。読売ジャイアンツが、各チームの四番バッターばかり集めてチームを作っても、それほど強いチームにはならないのではないか。その逆に、実力はあっても何らかのことで各チームで冷や飯を食っているバッターを、わが阪神タイガースによんできたならば、案外優勝したりするのではないか。
 所得分布の不平等度に関する法則を、パレートの法則として定式化したイタリアの経済学者パレート(一八四八~一九二三)も、同じようなことを指摘している。優秀な二割のセールスマンが全体の八割を売り、残りの八割のセールスマンであとの二割を売っているというのだ。
 それなら、全体の二割にあたる優秀なセールスマンだけを集めれば、売り上げはそうとうに伸びると思われがちだが、実際にはそうはいかない。たとえ優秀なセールスマンばかりを集めて最強の営業集団を作ったとしても、やはり二割のセールスマンが全体の八割を売るというのである。簡単にいえば、何を告げているのであろうか。怠け者がいてくれるおかげで、勤勉な者が出現できるということではないか。そしてそれこそが、あるがままの人間の世の中であり、すべては縁に依って生じる「ご縁の世界」なのである。
 二人の人間がいれば、どちらかが勤勉となり、どちらかが怠け者となる。そのふたりのなかから勤勉な者を選びだして、勤勉な者同士のカップルをつくっても、どちらかが勤勉で、どちらかが怠け者になる。それが、私たち世間のありようなのである。そういうなかで、すべてをあるがままに、しっかりと認め、受け取る。それが「慈悲」なのである。
 アメリカのワシが教えてくれること
 私たちは、いつも愛情を中心において物事をとらえようとする。しかし、イエス・キリストの言っている愛とは、そのようなものではない。むしろ慈悲に近い意味での愛なのだ。そうなると「愛」という言葉自体がよくないということになる。
 小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」に、「愛があるからだいじょうぶなの」という一節があるが、あれは嘘である。愛があって結婚をしても、新婚旅行から帰ってきて成田空港に着いたとたんに離婚する「成田離婚」だってけっこうある。むしろ「金があるからだいじょうぶなの」と言ったほうが、現実的かもしれない。
 自分の好きなものは愛することができるが、嫌いなものは愛さない。それが愛ならば、愛というのは、むしろ醜いものではないか。親が子どもを愛するというけれど、自分が可愛いから愛しているにすぎない。遺伝子というのはもともと利己的なもので、自分(遺伝子)を残したいだけだという「利己的遺伝子」というようなことも言われはじめているが、これはやはり、そのとおりなのではないか。
 たとえばアメリカに棲息するワシの一種についての話を、ノンフィクション作家の竹内久美子さんが書いている。そのワシは一週間あいだをあけて卵を二つ生むという。そうすると、先に孵化したヒナは、あとから生まれてくる弟か妹のヒナを殺してしまうそうだ。それを、親鳥はじっと見ているという。なぜならば、このワシは餌を取るのが下手で、ヒナを一匹育てるのが精一杯だからである。
 それなら、なぜ卵を二つ産むのか。はじめから一つだけ産めばよいのではないか。そう誰もが思う。しかし、実際にはまれに先に孵化したヒナが、蛇や獣などに襲われて殺されてしまうことがある。そのときのために、もう一つ卵を産んでおくのだそうだ。
 子どもの泣き声は不快なものだと教えるべきだ
 最近、幼児虐待が深刻な社会問題になっている。これについて評論家の多くが「愛情がなくなったから虐待するのだ」などと、いとも簡単に言ってのけている。そして、「もっと深く豊かな愛情を持った人間を育てなければならない」のであり、道徳教育に力を注ぐべきだという結論にもっていくことも多い。私に言わせれば、そんなものは嘘である。
 だいたい子どもの泣き声というのは、不快なものなのだ。そばでギャーギャー泣かれては、うるさくてたまらない。
 A・ザハヴィというイスラエルの生物学者が提唱している理論に「きつねさん、きつねさん理論」がある。鳥のヒナが鳴けば、それは「きつねさん、きつねさん、ここにおいしい餌がありますよ」と教えているようなものである。そこでヒナが鳴くと、母親はヒナがきつねに食べられてはたいへんと、慌てて餌を運んできて鳴きやませる。だから、ヒナは鳴くことで、餌を強制しているというのである。
 人間の赤ん坊の泣き声も、それに似たところがあることは否めないだろう。おなかがすきた、のどがかわいた、あつい、さむい、おむつをかえてくれ、そのように要求をし、親に働くことを強制しているというところが、なくはない。
 そう考えると、赤ん坊の泣き声は実に不快なものである。それをあまりにも、愛情、愛情というから、母親たちも錯覚して、「私はこの子を愛していないのではないかしら」と悩むのである。
「子どもの泣き声というのは、親にとって不快なものなのだ」ということがわかれば、「子どもを愛せない」などと悩む親は、もっともっと少なくなるはずだ。だから、最初から正直に
「子どもの泣き声は、不快なものなのだ」と教えておくべきなのだ。
 なぜ昔の人は今の人よりも、その不快な子育てという仕事に耐えられたのか。それは、はっきりしている。老後を自分の子どもに養ってもらおうと思っていたからである。
 人間ほど子育てに時間がかかる動物はいない。それと同時に、老後を全うできるのも人間だけだ。人間以外の動物は、自分で餌を獲れなくなると、もうその時点でさっさと死んでいく。それを人間だけが、子どもが親の面倒を見るというシステムを作り上げた。だから自分の老後の保証のためにと、昔の人は我慢して子育てをしたのである。
 そのようなシステムが、日本では戦後になってがらりと変わった。米国が日本の民法を変え、長子相続制度を廃止してしまい。日本の伝統的な「家」を解体してしまった。
 そのかわりに導入したのが年金制度である。子どもではなく年金によって、老後の安心を得ようというわけである。だから今の日本では、子どもに老後の面倒を見てもらおうと思っている親など、ほとんどいない。私だって、そうは思っていない。
 ペットになってしまった子ども
 昔は、子供に自分たちの老後の面倒を見てもらおうと思っていたから、子育てにも耐えてきた。ところが今は子どもに面倒を見てもらう必要がなくなったわけだから、子育ても必要ではない。では、なんのために子どもを産むのだろうか。
 昔ほどには、子どもを産む必要性はなくなってきている。それにつれて、子どもが欲しいという切実な思いも、なくなってきている。
 これは、厳然たる事実である。それは、数字がよく示している。現在、ひとりの女性が産む子どもの数は一・三七人である。夫婦は二人なのだから、本来なら子どもは最低二人は必要である。統計的には、最低でも二・一二人いなければ、人口は限りなく減少し、民族は衰微していくといわれている。
 そのことはみんなわかっているはずなのだが、それでも少子化傾向に歯止めがかからない。それは、それほど産む必要はなく、産みたくないからである。
 では産んだ人は、なぜ産んだのか。言ってしまえば、ペットが欲しかったからである。子どもを可愛いと、ペット的に思うから産むのである。
 ところが生まれてきた子どもは、ほんとうに可愛いだろうか。汚くてうるさい存在そのものではないか。犬もそうだ。はじめは可愛いからと飼い始めたものの、うるさく吠えるからといって、声帯手術をして吠えないようにしているケースもけっこう多い。そもそも犬そのものが、家畜化され飼い慣らされている。
 それと同じように、人間の赤ん坊もまたペットになっているというわけである。だから、泣かれると腹が立って仕方がない。しかし、それは当たり前の感情なのだ。ペットであれば、可愛いから育てるのであり、可愛くなければ育てたくなくなるのが普通なのだ。それを「愛情が足りない」などという言い方をして責めるのは間違っている。
 では、そんな社会を救う手はないのだろうか。それに対して私は、「もっと捨て子をうまくできるシステムを作れ」と言っている。もっと上手に「子捨て」ができるようにしなさいというわけだ。昔はそれができた。お寺の前などに捨てると、なんとかなったものである。
 いま養子縁組をすると、遺産相続まで絡んでくる。遺産相続とは関係なしに、孤児を引き取り自分の子どもにできるような制度を作るべきである。それに、ボランティアで子どもを育てようとする人たちが、育てやすい環境もつくる必要がある。
 病人に「がんばれ」は言うな
 愛するがゆえに恐れがあり、憂いがある、だから愛を離れよということも、仏教が教えている。そのことについて、作家の安倍譲二さんから聞いた話をご紹介したい。
 かつて、安倍さんは刑務所にいたことがある。あるとき、お母さんが面会に来た。さすがの安倍さんも、面会に来たお母さんに頭を下げて謝った。するとお母さんは、こう言ったそうである。
「あなたが刑務所に入ってくれたおかげで、わたしはめったに見ることができない刑務所の中を見ることができた」
 そのことはが私を更正させてくれたのだと、後に安倍さんは言っている。
「もしあのとき母親が怒ったら、私は立ち直れなかっただろう」
 ところが、この話を講演などで紹介すると、ときどき錯覚する人もいて、
「先生、それなら刑務所に入ってもいいんですか?」
 などと聞いてくる。
 私は、これをAB型論理と言っている。仏教の問題を考えるときには、AとBをはっきりさせましょうというものである。Aはアフターで、Bはびふぉーである。やる前と後とは違うという意味である。
 つまり刑務所に入る前なら「入るな」と言うべきであるが、入ってしまったらなら、入っている人間に「入ってよかったね」と言ってやる。それが「慈悲」なのだ。
 自殺についても、自殺する前なら「自殺はするな。自殺したら地獄に堕ちる」��説く。それは仏教の経典にもある。
 しかし、自殺してしまった後、その親御さんなどに向かって「自殺すべきではなかった」と言ってもしかたがない。だから「よかったじゃないか。仏さんは『生きていては辛かろう。早く浄土に帰っておいで』と、迎えてくださったんだ。よかったんだ。よかったんだ」と言ってあげるのが、仏教の「慈悲」なのである。
 病気もそうだ。病人のお見舞いに行って「がんばれ」などと、平気で励ます人がいる。がんばれないから病院にいるにもかかわらず、「がんばれ」などと言うのだ。病気になる前なら「病気にはなるべきではない」でよいが、病気になってしまったら「よかった」と言う。それが「慈悲」なのである。
 だから私たちは、誰に対しても「あるがまま」の姿を肯定するところから始めなければならないのである。
 学校に行けなくてもいいじゃないか
 登校拒否した子どもに、親が無理やり「学校に行け」と言うのは、かわいそうなことなのだ。行けなくなった子どもには、「行かなくてもいいじゃないか」と言ってやってほしいのである。
 兵庫県に、不登校児の問題と一所懸命に取り組んでいるお坊さんがいる。そこでは不登校児の親御さんたちの甲斐を開いている。その例会に、私は取材のために出席したことがある。その席で、ひとりのお金が、
「うちの子は三年も登校拒否になっていて、困っている」
 と言った。すると別の人が、こう応じた。
「三年で困ったなんて言わないでください。うちなんか六年も登校拒否を続けているんです」
 その人は、はじめのころはなんとか学校に行かせようと、柱にしがみついている子どもを殴ったりもしたそうだが、今では反対にこっちが殴られていると、悩みを打ち明けていた。
 そういうなかで、私はある人の次のような言葉が、とても強く印象に残っている。
「私は三年も五年もこのことで悩んで、精も根も尽き果てました。そうしているうちに、そんなに子どもが学校に行きたくないのなら、行かなくてもいいじゃないかと思えるようになったんです。踏っ切れたんです。そうして私がそう思えるようになったとたんに、子どもはコロリと変わりました」
 もちろん、それで子どもが学校にいくようになったわけではない。しかし、それまで暴れ回っていたのが、急に優しくなったそうだ。そればかりか「お母さん、手伝おうか」などと言ってくれたりするという。
 学校に行く子どもはよい子で、行かない子は悪い子だという物差しを、実は子ども自身も持っている。それを押しつけられて悩んでいるのである。学校に行かないのは悪いことだとわかっているからこそ、子どもたちは悩むのである。だから、親がその物差しを振り回している間は、ぜったいに解決できない。
 子どもが学校に行かなくなったならば、行かなくなった子どものまま愛してあげなさい。そう私は言っている。すると、
「そんなことを言っていたら、子どもが勉強嫌いになったり、落ちこぼれになったりしないともかぎらない。そうなったら、どうするんですか」
 と聞いてくる人もいる。そういう人に対して、私はこう答えている。
「落ちこぼれになったら、落ちこぼれるだけですよ。でもあなたが、むりやり学校に行けと言い続けたならば、彼は自殺するかもしれないんですよ。そうなったら、それこそどうしようもないじゃないですか」
 四、「いい加減」は「よい加減」で、これがいちばん
 「がんばるな」とは「中道」を取れということである
「がんばってはならない」を仏教の言葉にすると「中道」ということになる。
 お釈迦さまは出家された後、猛烈な苦行をされた。ところが、いっこうに覚りを開けない。そんなある日、ネーランジャラー河のほとりを、鋤(すき)を担いで帰っていくひとりの農夫が民謡を歌うのを聴いて、はっと覚った。その民謡を、私はサンスクリット語から次のように訳した。
 琵琶の糸、キリリ締めればブツリ切れ、
 さりとて緩めりゃベロンベロン
 締めすぎるのはよくない。かといって緩めてもだめである。「いい加減」がよいのだという「いい加減のすすめ」である。
 このようなことを言うと、怒り出す人がいるかもしれないが、お風呂の湯加減を思い出してほしい。熱い湯が好きな人にとっては熱い湯が「いいゆ加減」であり、ぬるい湯が好きな人にとってはぬるい湯が「いい湯加減」なのだ。だから、けっしていい加減なことを言っているわけではない。
 それぞれの人の「いい湯加減」があり、「よい加減」は人それぞれなのである。だから、それぞれの「いい加減」をしっかり見つめてあげることが大切なのだ。それは親子関係についてもいえることであり、親が子に「いい加減」を見つけてあげないといけないのだ。
 ところが今の日本はどうだろう。全部が全部「がんばれ、がんばれ」で、まるで「がんばれ、がんばれ」の大合唱ではないか。百人の子どもに、一番から百番まで順番をつけておいて、みんなに「がんばれ、がんばれ」とやっている。これでは子どもがかわいそうだ。
 中学生のころ、道端で運動靴を売っているおじさんがいて、
「この運動靴は、よい靴だよ。これをはいて走ったら、あしたの運動会で一等になれる」と言った。
 私は子どものころから理屈っぽかったので、さっそくおじさんに議論を吹っ掛けた。
「おじさん、これをはいたら人はみんな本当に一等になるのか」
 おじさんは、にこりと笑って、
「そうだよ」と言う。
「それじゃあ、みんながこの靴をはけば、全員が一等になるんですか。そんなことはないでしょう」
 と私は、おじさんがぎゃふんと言うことを期待して、ほっぺをふくらませた。すると、おじさんはこともなげに、
「お前はアホか。みんながこれをはけば、足の早いやつが一等で、遅いやつがビリになるに決まってんじゃないか」と言って、かわいそうにというように、私を見つめた。
 そのことで、私はずいぶん落ち込んだものである。そのことと、いま学校で行われていることとが、どこか似ている。いま学校では
「がんばれ、がんばれ」といって、みんな背伸びをさせている。
 みんなが背伸びをすれば、いちばん背の高いのがいちばん高くなり、いちばん背の低いのがいちばん低くなる。そして、背の低い者が、
「なんだお前は、背伸びがたらんじゃないか。もっと背伸びしろ」と叱られる。
 それが、今の教育のあり方なのではないか。
 だから、私は言いたい。もう、みんな背伸びはやめよう。みんなで助け合って、ゆったり生きていこうと終えるのが、ほんとうの教育なのではないか。
 一番から百番まで順番をつけていけば、誰かが百番になる。百番のビリの子はいらないといって退学させれば、今度は九十九番の子がビリになる。つまりは、そういう話なのだ。
 日本人は、とかく励ましたがる
「がんばる(頑張る)」ということばは、もともとあまりいい意味ではないにもかかわらず、いつのまにかいい意味のことばになってしまった。「頑張る」は、広辞苑に次のように記載されている。
「頑張る」は当て字。「我に張る」の転。
 我意を張り通す。「まちがいないと─・る」
 どこまでも忍耐して努力する。「成功するまで─・る」
 ある場所を占めて動かない。「入口で─・る」
「我意を張り通す」とは、他の意見をはねのけて自分の意見を貫き通すという事だ。人の意見と自分の意見とを比べて、日本人はすぐに白黒をつけたがる。
「俺の意見とお前の意見とどっちが正しいか。ひとつ勝負をつけようじゃないか」
 白か黒かというのは、百点か零点かということだ。しかし、そんなことがあるはずがない。たいていは灰色だ。それを百点か零点かとなれば、誰だって自分の意見に零点はつけたくないから百点をつけたがるだろう。だからといって、人の意見は零点などという馬鹿な話もない。自分が九十点ならば、相手だって八十七点ぐらいかもしれない。わずか三点の差なんて、どうでもよいではないか。
「がんばる」には「ある場所を占めて動かない」という意味もある。たとえば満員電車のなかで、ちょっと席をずらして開けてあげればよいものを、デンとして動かないでがんばっている。この場合の「がんばる」とは、けっしていい意味ではない。
「どこまでも忍耐して努力する」といういい意味もある。おそらく多くの人は、この意味を取り上げて、がんばるという言葉を使っているのだろう。しかし、もう一歩踏み込めば、これはヘンである。
 なぜ、どこまでも忍耐して努力しなければならないのか。もう忍耐の限界だ、これ以上忍耐する必要などないとなったら、努力をやめてもいいのではないか。苦しかったら負ければよいではないか。
 たとえば、五人のグループで山登りに出かけた。そのうち一人が体調を崩し、下りたいと言いだした。すると、あとの四人は、
「もう少しで頂上じゃないか。がんばれ」
 と必ず励ますにちがいない。しかし、そのように無理をして登ったところで、たかが山上ではないか。宇宙空間まで行くわけではないのだ。だから、一人が苦しくて下りたいと言いだしたならば、
「よし、それじゃあ下りようか。下でビールでも飲もうか」
 くらい言ってあげてもいいじゃないか。大切なのは、みんなが楽しむことなのである。
 ところがそんなとき、日本人はきまってがんばってしまう。一人がへたばったならば、おそらくあとの四人は、彼を見捨てて自分たちだけで上を目指すだろう。
 「いい加減」がいちばん
 塚原ト伝のところに弟子入りを請うてきた者がいた。塚原ト伝に「なかなか筋がいい」と言われた弟子は、
「先生、何年で私は免許皆伝になりますか」
 と尋ねた。ト伝は、少し考えて、
「五年はかかるじゃろ」
 と言った。それを聞いた弟子は、うれしくなって、
「私は寝食忘れて、剣に打ち込みます。そうすれば何年ですか」
 と、さらに尋ねた。するとト伝は、
「それなら、十年はかかる」
 と、ぶすっとして言った。慌てた弟子は、
「いや先生、私は死に物狂いでやりますから」
 と食い下がった。と、ト伝は、いよいよ苦い顔になって、
「死に物狂いでやるのなら、一生免許皆伝ならんぞよ」
 と言ったという。
 私は、この話を小学生に解説しようとして悩んだ。このまま伝えたのでは、小学生には難しすぎてわからないだろう。そこで、次のように変えて話したのである。
「東京から大阪まで、五百キロあります。ある人は一日十キロずつ歩きました。おいしいごちそうを食べて、旅館でぐっすり寝て、また次の日に十キロ歩くという旅をしました。そして五十日で大阪に着きました。
 もう一人の人は、寝ることも食べることもしないで夜まで走りました。その結果、大きな石につまずいて転んで怪我をしたために、二十日も寝込んでしまいました。怪我が治ると、また夜まで走ったために病気になり、三十日も寝込んでしまいました。その結果、とうとう百日もかかってしまいました。
 三人目の人は、箱根の山を死に物狂いで越えようとして心臓麻痺を起こし、死んでしまったために大阪には行けませんでした」
 つまり、私たちは「いい加減」に生きるのがいちばんよいのである。人によってペースは違うから、十キロ歩く人もいれば、九キロの人、十一キロの人もいるだろう。しかし、間違っても三十キロ歩こうとしてはいけないのである。
 そして、旅の途中で道連れができたならば、その道連れに合わせてゆっくりいくという足袋の仕方を身につけるべきなのだ。道連れとともに、おいしいご飯も食べ、温泉につかってゆっくり休む。それが、よい生き方なのではないか。
 仏教は、そのような「中道」を説いている。
 過去を追うな、未来を求めるな、現在をしっかり生きろ
 三番目に私は「希望を持ってはならない」ということをあげた。「希望を持つ」ということは、先にあげた安倍さんのことで言えば、「早く監獄から出たい」というものだ。ところが、いくら監獄から早く出たいと焦っても、出られるものではない。まして脱獄なんて馬鹿なことは考えない方がよい。すべては無駄な努力なのである。
 真面目に服役すれば早く出してもらえるなどと言われているが、それとて並大抵ではない。人におべっかを使い、監獄長の言うなりになるほど、卑屈ではないか。それほどまでして早く出るよりも、時期がくれば出ることはできると愁然と構えたほうがよいのではないか。そして、一日一日を楽しくしていく工夫をすることのほうが、よほどたいせつなのではないか。
 病気になったならば、病人のままでいいではないか。早く治るように希望を持ったところで、治るときが来るまでは治らないものなのだ。だから、病気の間は病人として幸せに生きればよいのである。
 今の現実を肯定することを忘れ、未来に希望ばかり持とうとするのは間違っている。お釈迦さまの教えとは、
「過去を追うな、未来を求めるな、ただ現在をしっかり生きろ」
 というものなのである。それと同じことを、イエスもこう言っている。
「明日のことを思い煩(わずら)うな」
 あくまでも今の瞬間を大事に生きろというのが、宗教の原理なのだ。
 「インシャラー」は、神がお望みならということ
 イスラム教徒には、「イン・シャ・アッラー」ということばがある。彼らはこれを「インシャラー」と発音する。これは、「もしも神さまがお望みならば」という意味である。『コーラン』の18章23節にも、
「何事にもよらず、『私は明日これこれのことをする』と言いっ放しにしてはならない」
 と書いてある。「明日のことは言うな」というわけである。
 そして24節には、
「必ず『もしアッラーの御心ならば』と(つけ加える)ように」
 とある。
 つまり、「神さまがお望みならば、明日これこれのことをします」というわけである。
 未来というものはわれわれの支配下にはない。未来について権利を持っているのは神さまだけである。未来はどうなるか、明日どうするかなどすべて神のおはからいなのである。
 私たちは、人間の努力によって未来を改変できるかのように思っているが、それは大間違いだ。宗教の根本原理は、あくまでも「未来は私たちの権利ではない」ということなのである。だから、それに対して諦める、権利放棄をする。そこから宗教は始まるのだ。
 そういう意味から考えても、今の先進国を中心にした物質主義の生き方というのは、未来を自分たちの権利下におきたいという欲の現れであり、原理主義運動の反対ということになる。
 実は、私はこの「インシャラー」ということばが大嫌いだった。
 かつてパキスタンに行ったとき、ガイドに、
「明日は遠くまで行きたいから、朝の八時にホテルに迎えに来てくれ」
 と頼んだ。パキスタン人の彼は、すぐさま、
「はい、行きます」
 と言ってくれたのだが、そのあとに「インシャラー」を付け加えることを忘れなかった。私はそれを聞いて、チラッと不安がよぎったのだが、翌朝、案の定、彼は二時間くらいも遅刻してやってきた。私がカンカンになって怒ると、
「あなたには怒る権利がないじゃないか」
 と言う。
「私は昨日、神さまが望んでおられたら来ると約束した。ところが神さまは望んでおられなかったから、八時には来なかっただけである」
 と言うのである。そこで私は、
「なぜ神さまがそれを望んでいないということがわかるのか。御告げというのなら、どうやってそれを聞いたのだ」
 と問うた。
 すると彼は、こう答えたのである。
「私は目覚まし時計をかかて寝た。もし神さまが八時に私がここへ来ることをお望みならば、私にはその目覚まし時計の音が聞こえたであろう。しかし聞こえなかった。聞こえなかったときうことは、神さまがそれを望んでおられなかったからである」
 なるほど、論理的な話ではある。
 そのときは、何を言うかと腹も立ったが、しばらくして「やはりそうなのだ」と思うようになった。
 砂漠の土地においては、砂嵐が吹いたら、いくら目と鼻の先の距離でも行くことはできない。砂嵐が吹くか吹かないか、いつ吹くかは、人にはわからない。神さまが望むか望まないかなのである。
 「神下駄主義」こそが、宗教の普遍的な原理
 先日、私が敦煌(とんこう)を訪れたときのことである。
 そこで私は、砂嵐に遭った人の話を聞くことができた。その人が砂嵐に襲われたとき、なんと四十分もの間、夜中より暗い状態が続いたという。その間中、それこそ恐怖のど真ん中にいるようで、命の危険さえ感じたと言っていた。砂漠に吹き荒れる砂嵐は、それほどに恐いものだそうだ。
 そのようなこともあって、かの地で「インシャラー」ということばを聞くと、実感がともなうようになった。時間の約束をしても、砂嵐が吹けば、もうそれだけで約束の実行は不可能になってしまう。
 だから私は、それらのことを「神下駄主義」と名付けた。神に下駄を預けて生きていくということである。もっとも私は仏教徒だから「仏下駄主義」と言おうか。これは、聞きようによっては、奴隷的な生き方にも聞こえるが、これこそ宗教の原理なのである。
 キリスト教とて例外ではない。基本的には、やはり「神下駄主義」なのである。人間はそんなに大それたことができるわけがない。未来がどうなるかは神さま次第なのだということである。ところが、今の日本人はこれを忘れてしまっている。
 私は、ご都合主義の生き方はしんどいと思う。世の中のご都合に自分を合わさないといけないからだ。それよりは原理主義の生き方のほうが楽である。日本人にもう一度、仏教原理主義のよさを知ってほしいと願っている。
2001年12月15日ビジネス社発行
ひろさちや著
「宗教激突」(第九章 仏教は何を教えているのか)より
著者 ひろさちや
宗教評論家。1936年大阪生まれ。東京大学文学部印度哲学科卒、同大学院人文科学研究科印度哲学博士課程修了。立正大学客員教授。さまざまな問題を仏教的な視点からわかりやすく説くその切り口は、心を楽にし新しい視野を広げると、幅広い支持を受けている。現在、執筆・講演などで活躍中。著書『ひろさちやの般若心経88講』『仏教とキリスト教』『仏教と神道』『仏教と儒教』『まんだら人生論』など多数。はじめての小説に『阿闍世王(あじゃせおう)物語』がある。
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やすらぎの里養生館でのワーケーション。 4日目は朝ヨガ、散歩の後の酵素ドリンクと朝食。 酵素ドリンクは、巨峰酵素ドリンク。 写真撮ったはずなんだけど忘れたみたい。 朝食は ・玄米 ・味噌汁(大根、揚げ、ワカメ、青菜) ・自家製漬物 ・青菜の卵とじ ・海藻サラダ ・人参じゃこ炒め ・りんご 朝食後にオプションのタイ式古式マッサージ。 ストレッチもあって、気持ちよかった。 今日は休日でお仕事はなし。 屋上の露天風呂を堪能しました。 昨日と同じぐらいの気温(25℃)ですが、風が強いので雲がないです。 #やすらぎの里 #やすらぎの里養生館 #断食 #養生食 #伊豆高原 #ワーケーション #温泉 #���天風呂 #屋上の露天風呂 #絶景 (やすらぎの里 養生館) https://www.instagram.com/p/CkfNeptLJkp/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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