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1週間ほど前から、母は歩けなくなった。立つことも座位もできなくなった。そうすると困るのは排泄。オムツはしてるものの定期的に交換しなくてはいけない。
ただ、肺がんはもはや母の背中の輪郭を追い越すほどに大きくなり左横向きでないと痛みが激しいようで体位変換もままならない。
母の友人が二人来てなんとか排泄処理をしてくれたが、壮絶でこんな大変なことを無償で他人にさせて良いとは思えなかった。
母は10年会っていない兄と孫たちに会うまではと在宅を死守しようとしていたがここらが潮時だと判断。
数日前から顔に歪みが出てきたこともあり、救急車を呼んだ。通常の通院もできないのだから仕方がなかった。隊員の方々に運ばれるが、やはり痛みが激しく、素人ではどうやったって動かすことはできなかったなと判断は間違ってないと罪悪感を飲み込む。
痛みもあるだろうが、母の態度は誰に対しても刺々しい。ドラマや映画で見るような最後は安らかに菩薩のように。とは全然いかない。人相も悪い。
朝の10-17時頃まで検査からの入院手続きに時間がかかった。山程の書類にサインし、生活用品を買った。
主治医からは痛みが激しくじっとしてられないのでMRIは撮れなかったと言われた。おそらくは脳梗塞があるが、CTではわからないそうだ。
緩和ケアに入院。もう治療のしようもない。
どちらかといえばホッとした気持ちが大きい。人に迷惑をかけて、親族にも負担をかけている。まだ、母がも模範的な患者ならいいが、ろくに運動せず、ろくな食事をせず、薬も飲んだり飲まなかったりで、「生きたい」という気持ちと態度が合っていない。それに支える側も腹が立つ。
最後まで言ってることとやってることが違うを地で行く人だ。誰かがなんとかしてくれるはこと病気には通用しない。
身の回りの整理をして、「またくるね」と話した際に「もう、いよいよとなったら大量の痛み止めをもらってうちに帰る」とゆがんだ顔で言った母は意地の悪い魔女のようだった。
立てもしない、自分で排泄もできない人が何を言っているのか。まだ、人に迷惑をかけてまで我を通そうとするのかと自分の母ではあるが、心底がっかりした。
「母にはここで死んでもらおう」と心に誓った。その罪や罰があるならば引き受ける。これ以上人に迷惑をかけるのは違う。そう思った。
もちろん母には何も言わない。死という大きな言い訳で押し返される���弱者は強い。
帰り道歩きながら、酷く情けない気分になった。
人生の引き際がこんなにも醜く、それが自分の母なのだ。と同時に癌という病気は、少なくとも母の肺癌は治療にしがみついて、できることがなくなったときにはもう体の自由が利かない。
余命何ヶ月になり、車椅子でもいいからゆったりとした余生を送る。そんな甘い生活は、治るかもしれないという希望を早めに捨てないと手に入らないものなのだ。母は醜く執着し過ぎた。両方は手に入らない。
選ばなくてはいけないタイミングは実はずっと前でもうとっくに逃している。
「こんなんわからんよなぁ」とひとり呟く。
ここ数日の夕焼け空はその派手な色と裏腹に大気を温めてくれない。白い息が舞っていった。
新百合ヶ丘の駅前はクリスマスマーケットの準備に余念がない。どこか浮かれた人の顔にモザイクがかかる。頭の処理能力が落ちてる。早く帰ろう。
風呂に入り、少し寝て
自分のときは間違えないように。未来のために胸に刻むのだ。
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母を見ていると
もはや、自分の痛みとどこで折り合いをつけて人生から退場するかだから
これって実はどの人生の場面でもあり得るかも。
痛みの種類がその都度心なのか身体なのか変わるだけでさ。
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少し怖い夢を見た。
その夢の示唆は
過ぎ去った者にまつわる贈り物は捨てなさい。
と
その人が何も思っていなくても、自然と縛ってしまっていることもある。
だった。
夢の中で自分は泣いていた。
いつか、誰しも言葉を持たぬものになること寂しがって泣いていた。
部屋の片付けをしようと思う。もう、引っ越しも実家の整理も近い。
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自立は幻想。
自立とは他者の支えを必要とせずに生活することを言う。現代社会ではこれができている人しか人権を認めてもらえないような風潮がある。
ただ、現代に生きる僕らは本当誰かに依存して生きている。睡眠も食事も排泄も誰かの仕事に活かされている。自立は幻想であり、若さと健康に支えられた一過性の通���するべき状態なのだ。
にも、関わらずひどく誰かの迷惑になるのが苦手で。
自殺する昔の著名人にはそんな人が多い。小さいころに家庭環境の悪さから早期に自立を促されたケースが多いという。それはたぶん自分も同じで。
教科書に載るようなことをしてないくせに人に頼ることを嫌う。
老い無能になっていく恐怖。
それでも生きて良いのだろうか。
谷川俊太郎は
死ぬことを良しとし
言葉なき者たちの一員となると評した。
すごいな。たどり着けるだろうか。
自分はまだ怖い。母に
「これから死ぬのはどんな気持ち?」と聞くのが怖い。
何人も看取っている介護職に聞いても「それはそれは凄い質問ですね」と誤魔化された。
とても勇気のいる言葉。
2次会をするりと抜け出して、歩き出した極寒の大坂でそんなことをぐるぐる考えていた。
すぐに一人で飲み始めたけど。
人生の課題ってやつが酷く頭をもたげているのだ。
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2024/12/6
金曜日まで駆け抜けた自分にご褒美のクラフトビール。フルーティな甘み香りとホップのほどよい苦味。これこれと言う感じ。
教育系の仕事がひとつなくなった。ことを思い出しながらちびちびやってる。
あまり乗り気でなかったので良いが、理由が気に入らなくてもやもやしてる。自分の立場を全力で守る人が本当に嫌いで、そういう人たちと仕事したくないなぁと思っていたらあっちも邪険に思っていたようでなくなったわけだけど、、まぁ、嫌な人たちには近づかないほうがいいね。ろくなことない。
今週は喉が痛かったのに、研修が重なってなんとも言えない辛さだった。1日3コマ重なった昨日がピークで今日は実家の売却手続きを進めた。
家を売る理由で母の病状を話さなきゃいけない時に「親が死ぬのはほとんどの人が経験することですし」とさらっと言えた自分に違和感を覚えた。
こうやって、全部不干渉の他人事になるのかな。と思うと少し怖い。
兄から母と会う日の連絡があり12/30しかないとのことで、もう年の瀬かという。そういえば忘年会やら新年会の予定もラインで流れてくるしね。
明日から2泊3日大阪出張です。誰か夜にお酒でもどう?笑
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昨日は人の良いバスケの後輩に「頼られてるのではなくて利用されてることもあるから気をつけてね」と伝えた。
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人生のあらゆる出来事に整合性がとれつつあって、どんどん書くことがなくなる。
とりあえず、12/7-9は大阪出張。また、少し息抜きができればいいけど。
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母の緩和ケア病棟への転院と、緊急時に延命治療はしない書類へサインをした。
肋骨の神経を圧迫し続ける癌は肥大を続け、長い痛みとの闘いを母に強いている。
どんな強い痛み止めも効かず、母にとっては煉獄の苦しみだろう。
年明けから始まった痛みは強さを増して母から生きる気力を奪っていく。諦めろ諦めろと言っているかのようだ。治療を決めた時にあった生きる意志はいまどのくらい残っているのか。
運動もせず粗末な食事を摂りどうにかなるほど甘くない。望みが行動や思考に表れないのが母の悪いところでいまはら他人に変えられるはずもない。
栄枯盛衰なく、人はずっと生きることができない。古い世代は若い人たちの足を引かず、ただいなくなる。それで良いと小さい頃母が言っていた答えがいまここにある。
小さなおばあちゃんがなくなり、現役世代の負担が減り、次の命に使えるお金が増える。
それだけだ。誰かに迷惑をかけずに完ぺきにとまではいかないが、平均余命より20年近く前に死ぬ母はそこだけは有言実行の人だ。
1日実家にいるだけで母の友人が何人も差し入れにくる様子をみると母の人生に思いを馳せずにいられない。ありがたい思いと煩わしく思っている母と、当事者でないからできる優しさを疎ましく思ったり、やはり嬉しかったり。二律相反で、両極端なものが同時に存在するということを思い知らされる。人間はカオスなもんだな。
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女性の家で留守番をするのが好きだった。
何度目か、男女の関係になった人。相手だけが仕事で自分は休みで。なんとなく帰るのがめんどくさくなっていたら「別に家にいても良いよ」と言われお腹空いたはこれ食べててとタッパーに残った肉じゃがや冷凍されたご飯やうどん。インスタントラーメンなんかを提示される。
持っていた文庫本を枕元に置いて、他人の家で寛いでいる奇妙な状況に身を沈ませてあれこれ考えてみる。
他人の部屋は、空間丸ごと��気が違っていて、時間の進み方も違うようで、日々の焦りに競争、やりかけの仕事に片付けなければならない家事をすべて停めてくれるように思える。
大抵は指示通りのものを食べずに近くのスーパーに行き夕飯を作って待っている。機を織る鶴の心境。と入ってもカレーを作ったりするだけなんだけど。
あまりプライベートの重ならない人を何度かの印象や会話や物腰とあとは好みかどうかで判断されて、許し許されてそこにいる。
ホワイトボードに貼ってある学生時代の写真を眺めて、棚にある本の趣味に思いを重ねて、冷蔵庫の食材から日々の暮らしを想像したりして。
大抵お付き合いすることはなく、何度かしんどさやどうしようもなさを交換して、どちらかが忙しくなったり、風邪を引いたりして関係が終わる。
また、いつあってもいいように。やり掛けの編物を大切にしまうように。
とても私的な(詩的な)関係のまま。
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丁寧な嘘で騙してくれればよいよ。本物はめったに落ちてないことくらいわかるし。
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2024/11/20
最近はひとりだなぁと思いながら日々生活をしている。
家族の負担、生活の煩わしさ、生きる喜びあらゆるところで自分はひとりだ。でも、いつからひとりが好きになったのだから仕方ないと諦めている。
ずっとひとりでいたいとはまた違う。ひとりのままで誰かと会い、ひとりのままで何かを始めて、喜び、悲しみ、楽しみ。混ざりたくないのだなと思う。
連れ合いといても、こっそりと別の何かを生活のどこかで見つけて、それは読書だったり、映画だったり、お気に入りのラジオだったり、散歩だったり、ふらっと入る飲み屋だったり、わけもなく10駅くらい歩いてみたり、まったく合理的でないが、そのあたりの揺らぎがないと苦しくて死んでしまうみたいだ。
せっかくできたひとりの時間なので切り替えようと思う。ひとりになる良い口実ができたと思おう。認めてしまえば楽なものだ。
冬に近づくと大気の濁りがとれて清々しい。遠くまで物事が見渡せるような感覚になる。月も綺麗だ。
新しい散歩コースを犬と見つけたりもしている。
防空壕きくらげなる、なんとも妙な気持になる自販機があった。怖くもあり、不謹慎でもあり、でも再利用であり前向きななにかも感じる。
母が今週末に退院するそうだ。何も変わらない。猫の餌と犬の餌はあげてくれるのでほんの少し楽になる程度。古くなった実家に帰り隙間風の多い中で身を丸くして寝る。たまに犬が一緒に寝てくれるが暖か��というよりはスペースが狭くなって布団をとられる感じ。良いことばかりではない。悪いことばかりでもない。
寒くなると元気になるのは不思議だ。街に人が少なくなるからかな。
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何人もの死に際を看取ってきた有名な介護の先生が「人は死ぬ間際母性を求める」つまり子供帰る。と言っていた。
母の母はまだ生きている。90歳も超える年齢が全然足るを知らない人で、おいしかったお菓子は人の分まで持って帰り、服や宝石を欲しがり、150歳まで生きたいと認知症でふわついた頭で言う。
どうしようもないなと思う。思えばこの人からお小遣いをもらった記憶すらない。
闘病中の母もこの祖母については持て余している。来るとあれやこれやと聞かれて家事もせずに世話を要求し、何度も同じことを聞かれてとにかく疲れるようだ。
母はこの人を死ぬ間際に求めるのかなと懐疑的な目で見ている。
母が死ぬという行為がなぜ悲しいのか考えてみた。
ひとつは母が死ぬことをによって自分が死ぬことへの予行練習として疑似体験してしまっているように思える。
母は酒とたばこと宗教と友達とのお喋りあたりが楽しみとしていたと推察するが、
死ぬということは、少なくとも癌で死ぬということは生きる楽しみをひとつひとつもがれながら墜落していく行為に思える。
酒、たばこを止め、友人とも体力精神力の低下から会わなくなりあとは宗教だけ。宗教活動もできなくなっているから心から信じるという純粋な行為に帰還してるともいえる。
自分は何を楽しみにしているのかをひとつひとつ思い浮かべたときに、まだ死ねないなと生きる気力が湧いてくるが、それがひとつひとつ消えていったらやはりもう死にたいと思うのだろうか。
もうひとつは、家族の絆というもの薄い家系の中で唯一長いこと一緒に暮らしていたのが母で、家族=絶対的な後ろ盾と考え���とそれをなくすのが不安だということだ。
犯罪を犯した子供を必死に庇う親がいる。醜いと思うが、子供にとっては心強くもあるのかもしれない。聡ければ。それで漬け上がる醜い人もいるか。
もう少し何か出てくるのかと思ったがうちはこの2つか。
経済的に自立している(むしろ母が負担になっている)というのは割り切りとして悪くないことなのかもしれない。
その分、死んでホッとする気持ちと死んでほしくない気持ちの両端をいったりきたりしなければいけないのでしんどいけど。でも、それも人間的なのか。
母が断絶している「兄家族に会いたい」というので年末年始に会うことになりそう。兄はあまり頭が良くなくて、鬼嫁は邪悪な人なので醜悪なことになりそうだが、思い残すことはないようにとは思う。あちらからしたら残念ながら実家の名義は母にしてないので遺産はない。期待外れの見当違いな心無い言葉がでてくるのかもしれない。
親をあちらに送るというとのも人の務めか。深く関われば関わるほどしんどい。近くにおらず、日常生活の補助もせず、たまに会いに来て「元気出して」「きっと良くなるよ」と声をかけておみやげの1つを渡すだけの人にはわからないつらさがある。
でも、人は基本的には経験したことしかわからないから、仕方ないとは言わないけどその醜さも人なのか。まだ、許せそうもない。
ちゃんと息抜きもしてます。ご心配ありがとうございます。
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能動的に巡る。勝手に流れる動画よりも現実を忘れさせてくれる。お笑いはもはや行動心理学に近い。
そんなものをぶっとばすくらいのパワーをM1とかには求めてしまうけど。
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