#いわきに行ったらいつも大ご馳走
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今年のこの日も そしていつも 皆さまを想っています 先日の配信で ご参加の方々とお送りした 祈りとヒーリングが 少しでもお役に立てますように #311 #東日本大震災 #あの日を忘れない #検索はチカラになる #検索は応援になる #福島 #いわき市 #いわきに行ったらいつも大ご馳走 #海鮮最高 #人も最高 #ご恩は忘れません #ジュネスも忘れません #ジュネス #感謝 https://www.instagram.com/p/Cpn1eV_PDlJ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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続き
その後は兄貴のセフレの糞好き交尾好きのド変態兄貴が来てくれるってことでしばし待つ。
短髪のカッコいい兄貴到着。
糞も好きだが、生交尾も大好きだそうで、この兄貴からもたっぷり糞、ションベンをご馳走してもらった。
咀嚼して口の中に残ってるとこに生チンポぶち込まれて、兄貴の糞チンポを尺八。マジで頭おかしくなる。サイコー!
そんなド変態���何度もやりながら、最後は俺の生マンコに種付!
その日はそこで解散!ホテルに戻って次の日に備える。
翌日はまた最初の兄貴とド変態やる約束してて、例の秘密の場所で待ち合わせ。
兄貴はフィストも好きらしく、俺をもっとド変態にしてくれるとのこと。
フィストは20代にやってたけど、それ以来ケツマンコの拡張はやってない。
もちろん兄貴のことなので糞を喰わせながらケツマンコ拡張してくれる。久々なのでゆっくりじっくり拡げてもらった。
かなり久々だったので貫通は無理だったが、ケツマンコが拡がっていく感じがまたサイコー。初めて貫通した時のスパーク感を感じながら、次は兄貴の腕を絶対に受け入れる決意をした。
そして時間はゆっくりできたので、ゆっくりしながらも兄貴は俺の喉マンを指で拡げてくる。
この感じ、何なんだろう。むちゃくちゃ興奮する。されているだけで俺のチンポはビンビンに。
兄貴が便意を催すと顔に跨って糞便器に。とにかく兄貴の糞はうまい。「兄貴の糞、うめえ!」っていうと、「このド変態が!」と笑ってくれる。
チンポビンビンに勃起させながら、じっくり咀嚼して、じっくり舌で味わって、口開けて味わってるの確認されて、飲み込んでいいぞの許し。
口の中の糞を舌に集めて、ゆっくり嚥下する。チンポに触れただけで、思いっきり射精しまくり。
そして喉拡張、糞便器を何度か繰り返し、2回目の射精。そしてちょうど時間が来て解散。
糞が美味すぎてヤバい。
次は兄貴の腕を受け入れる。
もっとド変態に仕込まれたい。
また東京にド変態ヤリに行く!
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米社会の病い、性別違和に苦しむ少女達
櫻井よしこ
日本ルネッサンス 第1094回
今日、4月9日の産経新聞に『トランスジェンダーになりたい少女たち』の広告が掲載されていた。米国人ジャーナリスト、アビゲイル・シュライアー氏の『IRREVERSIBLE DAMAGE』の邦訳で、出版��は産経新聞出版だ。
広告には「あの“焚書”ついに発刊」の字が躍る。「皆様の激励に御礼申し上げます」「Amazon総合1位」の文字が誇らしくも嬉しくも輝く。それはそうだろう。本書の出版に際して産経新聞出版も同書を扱うと推測される大手書店も、放火予告というとんでもない脅迫を受けていたのだから。
同書は当初、大手のKADOKAWAが出版する予定だった。しかしわが国の一部左翼勢力が「トランスジェンダーに対する差別を助長する」として抗議し、KADOKAWA本社前で集会を開くなどと警告した。国際社会に名を馳せる大手出版社でありながら、KADOKAWAはジェンダー思想に��まった左翼勢力の恐喝に屈した。斯(か)くしてその時点で、言論の自由も出版の自由も踏みにじられた。出版界の名門がそんなことを許したのは痛恨の極みだ。
本書の内容は後述するが、ジェンダー思想に染まっている人やWokeの人々にとっては、確かに気に入らないだろう。かと言って、それを出版禁止にせよというのは無茶にも程がある。そんな圧力に屈すれば自由と民主主義を基盤とするわが国の社会の根底が揺さぶられる。出版社の存在意義も吹き飛ぶ。KADOKAWAの情けない姿勢を見て、弱小の産経新聞出版、瀬尾友子氏が名乗り出た。するとそこに先述した放火の脅迫が降りかかったのだ。それでも産経新聞出版は遂に刊行に漕ぎつけた。しかもAmazon総合1位、だ。
日本社会も捨てたものではない。
奇妙なのはいつも言論、表現、思想・信条の自由などを金科玉条の如くに持ち上げる朝日などのリベラルメディアが同件にきわめてよそよそしいことだ。報道もしない。安倍晋三総理に対して行った「報道しない自由」をここでも発揮しているのだ。
ナブラチロワの抗議
シュライアー氏の著書は実に読みごたえがある。取材対象の当事者は200人、50家族に上る。意見を聞いた専門家の数、調べた専門書の幅広さにも感心する。彼女は驚いた。思春期に突然「性同一性障害」を発症し、「生物学的には女だけれど実は男だ」と主張する少女たちが急増していることに。2016年から17年にかけて米国では、女性に生まれついた人で性別適合手術を受けた人の数が4倍に増えた。英国ではジェンダー医療を望む10代の少女の数が過去10年で4400%増えた。
シュライアー氏は以下のように分析している。ここ10年でトランスジェンダーが目立つようになり、対照的に女性と少女が目立たなくなった。アメリカ全土の高校で最高水準にある女子選手たちは、女性を自認する生物学上は男子の選手に圧倒されている。その多くは男子チームでは月並みの選手だったのに、である。
文化面でも少女たちは支持を失った。女性専用だった場所は男女共用になり、スポーツの記録は先述のように不公平となり、抗議をすれば偏見だとどなられる。レズビアンを公表しているテニス選手のマルチナ・ナブラチロワは「トランスジェンダーの選手に女子スポーツで競技させるのは生物学上の女子に不公平だ」とサンデー・タイムズ紙に書いた。するとトランス嫌悪(フォビア)だとレッテルを貼られ、スポンサーから放りだされた。
世界でもっとも有名な同性愛者の女子アスリートであるナブラチロワが少女たちのために立ちあがったことで反トランスジェンダーの偏狭な人物だというレッテルを貼られたのなら、無名の女子選手たちが反対することはなおさら不可能だ。
そしてトランスジェンダー活動家は女性の生物学的な独自性を完全に否定しようとする。たとえば妊婦(プレグナント・ウィメン)は次第に“#妊娠中の人(プレグナント・ピープル)”と表現され、“膣(ちつ)”は“#前方の穴(フロント・ホール)”という忌まわしい言葉で表わされてしまう。トランスジェンダーを包括する語彙では、生物学的な女性は“養育者”あるいは“出血がある人”などと表現される。トランスジェンダー活動家はこのほうが繊細な言葉であり、より正確に表現することができると主張するのだという。しかし、とシュライアー氏は問うている。
「ほんとうの少女はどう感じるだろうか」と。
少女たちは女性であることに意味を見出し得なくなり、或いは居心地が悪くなり、自分はトランスジェンダーだと思い始める。そのような傾向をスンナリ受け入れて助長するのが昨今の大学だとして、幾つもの事例が記されている。
「抑うつ、自傷、薬物依存」
たとえばカリフォルニア大学ロサンゼルス校などである。そこでは、両親にはぜったいに知らせずに、キャンパス内だけ、あるいは法律上も名前を変更できるように簡単な説明と申込用紙を提供しているという。アイビーリーグをふくむ百を超える大学でトランスジェンダーのためのホルモン剤に健康保険が適用されているともいう。
こうして少女たちは男性になっていくが、その世界のことを21歳のヘレナ(米シンシナティのポーランド移民の娘)はこう語っている。
「トランスジェンダーのコミュニティにはあまりにも多くの抑うつ、自傷、薬物依存が存在しています」
ネットでトランスジェンダー・アイデンティティについて知った思春期まで性別違和を抱いたことはなかったヘレナは、途中で何とか引き返した。引き返した人をディトランジショナーと言うが、そのほとんどの人々が後悔に苦しんでいると、シュライアー氏は次のように指摘する。
テストステロンは数カ月摂取しただけでも、男性のように驚くほど声が低くなり、それは摂取をやめても元に戻らない。もっと長く摂取した場合は、通常とは異なる秘部を“肥大して小さなペニスに見えるクリトリスを”恥ずかしく思うだろう。夕方になると目立つひげや体毛もいやかもしれない。手術まで行ってしまった場合は胸に走る��跡と一生つき合わなければならない。
シュライアー氏は、自分が語り合った全員が、自分の人生に関わった大人、とりわけ医療専門家が性別移行を促して助長したことを非難したとも書いている。
多くの少女たちがSNSでトランスジェンダーを知る。暴力的なポルノを見て正常なセックスもできなくなる。新しい傾向をもてはやすメディア、大学医療関係者がトランスジェンダー化への動きを無責任に後押しする。
トランスジェンダー問題はこうした思いやりに欠けた世界で運動家らによって尚も推進される。少女たちは回復不可能な傷を負い、少なからぬ家族が崩壊しているのがシュライアー氏の伝える現実である。この本は多くの貴重な教訓を与えてくれる。是非、わが国の政治家全員、最高裁裁判官たちにも読んでほしいものだ。
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今日新しく出た曲です❗️
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歌詞
とある一品を境に
突如、担がれ方だけ、三ツ星。
そんで、分不相応な店舗を構えて
勝手が分からず、撃沈。
正味、礼儀作法や、
テーブルマナーとか、
なんのこっちゃでして。
加えて、勝手な推知で、
形成されていく、パブリック・イメージ。
嗚呼!ただただ、
話題性だけが先行していて
碌に咀嚼せず嚥下か。
実は、見かけの映えだけ
意識していれば、
味はどうだっていいらしい。
必死こき、拵えたメニューも、
伝わ��なけりゃ、無意味と同義?
兎角、嘲笑塗れのレビューサイトでは
流言飛語って、やんなっちゃう!
続々と現る新フード
全量を食べてちゃ追いつけない;;
一片食べたら、後はもう、
適当に遊んでしまえ。
塞がった声は影も無く、
ただ、給仕の枷になり得るの。
並々ならぬ思いとか、
それは、塵も同然。
偏食傾向の神様に、
また同じ味を捧ぐ奴隷。
「あなたに満足してもらえたなら
私の気持ちはどうでもいいですわ!」
新たな食事が出る度、
何処からか湧いてくる、ノスタルジー
なんか、毎年いつも同じムーブだね。
それこそ、お腹がいっぱい。
もう、主観と、客観が、
ごっちゃになっている
カスのサラダボウル?
はたまた、事実に反する
確証バイアスか?
じゃあ、例えば。
数年後には、脚光の主役が
取って代わられているとして、
その時、あなたはそれでも
私の隣に居続けてはくれるのかな。
流行り廃りの延長線に、
腐り落つ私達が有って。
賞味期限も過ぎずに、
とっとと廃棄で、
「次の注文」って…
大前提な、公然の秘密、
嬉々として宣って、何番煎じ?
こうなった以上、もう是非もない。
冷めきっている残飯を召し上がれ。
後続狙った功名心
欲張りすぎたって空回り?
変わらず抱いている矜持だけ、
捨てないように。
飽和してしまった供給で、
そのサイクルすらも速くなる
下馬評なんて気にせずに、
好き勝手やろうぜ。
模造品ばっか食べていりゃ、
そら、同じ味に飽きは来よう。
直に此処いらも、お釈迦になるから、
お好きな加減で、食い散らした後、
お手々を合わせて、ご馳走様でした。
1時間も経ってないのに高評価1万!?
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2024.08.01
都内滞在中は、関係者の挨拶周りとか
動き回ってるんだけど、
昼の空いてる時間に食事をしましょう!
と、誘って頂き高級ランチをご馳走になりました
そもそも、ソバ食べに行きましょう!
と言われたのですが
そのソバってのは、フカヒレがガッツリ乗った
餡掛け焼きそばの事。
このフカヒレの大きさヤベーよ
しかも、めちゃんこ美味しかった!
これは、とんてもないわ
夜は元々、予定してた食事会。
こちらも、めちゃんこ楽しかった(^^)
にいやん行きつけだし、業界関係者の
隠れ家的お店なので、記載はしませんが、
久々に楽しかった。また寄ります!
2次会は、まさかの流れに…
こちらも割愛。
でも、東京ラストナイト
最高に楽しい時間をありがとうございました!
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2023年8月6日(日)
2日目の朝、前日に買っておいたコンビニのサンドとホテルの味噌汁・珈琲で朝食をいただく。8時15分にチェックアウト、まずは<南紀グリーンハウス>でS翁に焼香した後、Sさんから珍しいエアープランツのレクチャーを受け、お土産まで頂く。<丸山千枚田>へ移動し、昨年亡くなられたKさんを偲ぶ。<奥川ファーム>で定期便を直接受け取り、<奥伊��PA>でランチ、13時51分に帰宅した。走行距離は518km、燃費は24.9km、愛車の初仕事は無事終了だ。楽しかったなぁ、お世話になったみなさま、ありがとうございました。
5時30分起床。
日誌書く。
当初は七里御浜を散歩する予定だったが、雨が降っているので中止する。
Sさんとは<東紀州活性化大学>からのお付き合い、電話すると在宅とのことで<南紀グリーンハウス>にお邪魔する。社会調査実習で学生たちが大変お世話になったS翁に線香を手向ける。ハウスで最近の仕事ぶりを拝見し、珍しい<ヒガクシダ>の解説を受け、流木にセットしたサンプルを土産としていただく。
<丸山千枚田>に移動、Kさん宅の横を通過するがガレージに車がないのが寂しい。広島に思いを馳せながら、静かに手を合わせる。
<浜峰浜街道店>に立ち寄り、昨日のお礼を申し上げると、こちらでも土産を頂戴した。
紀北町の<奥川ファーム>に到着したのは11時過ぎ、用意していただいた定期便を車に積み、久しぶりなので記念撮影。奥川さん、いつもありがとうございます。
<奥伊勢PA>で早めのランチ、私は松阪牛うどん、彼女は伊勢うどん。
順調に走行して帰宅、自分にお疲れさま。
まずは2日分の洗濯をする。
定期便の荷物をほどき、鰹が1本入っていたのですぐに生姜煮にする。
唐辛子は酢に漬け、蕎麦とパンは冷凍する。
ツレアイは買物に、私は軽く午睡。
冷蔵庫掃除メニューで早めの夕飯、息子たちには珍しいイギリスのスパークリングワイン、私は一昨日届いた<瑞冠>をいただく。
録画番組視聴。
▽森乃石松「寄合酒」
初回放送日: 2023年8月5日
土曜の早朝は、関西の笑いを、たっぷりと!今回は森乃石松さんの落語『寄合酒』です。▽ご案内は河島あみるさんとらくご男子の皆さんです。
(28)「ボスコム渓谷の惨劇」
ジェレミー・ブレットが演じた<世界一有名な探偵>シャーロック・ホームズのドラマシリーズ。ボスコム渓谷で農園主が殺される。口論していた息子が犯人なのか?それとも…
ボスコム渓谷の沼地でオーストラリア出身の農園主が殺され、息子のジェームズが逮捕される。事件直前、父子は口論していたことが判明。地主の娘アリスとの結婚を父に強制され、ジェームズが反発したことが原因だという。ジェームズとアリスは幼いころからの友人だが、なぜジェームズは結婚を拒んだのか?それが犯行の動機なのか?ホームズの捜査の結果、新たな犯人像が浮かび上がる。イギリス1991年制作。
片付け、入浴、体重は一昨日から550g像、当然の結果だ。
さすがに車移動なのでこんなもの、水分は1,795ml。
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「御即位式」 大正天皇の御即位式が行われたのは、青島陥落の翌年、大正四年十一月十日だった。御即位式のことを、一般に御大典といったが、明治天皇の御大葬が、日本が文明開化の代になってから初めての出来事であったと同じように、御即位式もここ数十年の間かつてなかったことではあるし、欧州戦線のあおりを受けて、丁度日本が好景気のさなかだったので、全国民挙げてお祝い申し上げたのであった。その時僕は、五年生になってゐた。 その日は、学校で祝賀式があって、新しい天皇陛下の御真影を拝み、「君が代」を斉唱し、教育勅語の拝読のあと、校長先生から色々のお話があって、天皇陛下万歳を三唱して、その日の授業はお休みになった。 明治天皇の御真影はどうなったか知らないが、新しい天皇陛下の御真影を頂く行事があったことを覚えている。尤も、それが何年の何月だったか忘れたが、御即位式よりも前だったことは確かである。 多分、神戸の県庁で、校長先生が頂いて帰られたのだらうと思う。何時何分に御真影が姫路駅にお着きになり、何時何分に学校にお着きになる、と時刻予定がきまって、全校生徒は、校門の前にズラっと両側に整列して、お迎えした。その時刻の少し前から、学校前の道路は一般の通行禁止になって、警官が警戒に立ってゐた。 待つほどに、京口橋の方から、人力車がボツボツ来るのが見えて、「気をつけ!!」の号令がかかった。見てゐると、警官が一人、車の前をテクテク歩いて、人力車の上には、校長先生が白手袋の両手で、大きな紫色の風呂敷包みを、おもそうに捧げて居られる。それがやっと見えた頃に「最敬礼!!」の号令がかかった。しばらくすると、警官の足と、車夫の足と人力車の車輪、その後にもう一人の足が、目の前を通って行った。 その日しばらくしてから、講堂で、御真影奉戴式があった。明治天皇が崩御になってから、三大節にも、講堂の御真影の棚は開かなかったが、新しい天皇陛下の御真影を頂いてから、前通に、御真影奉拝の最敬礼が、よみがえったのであった。 御即位祝賀式のときには、校長先生から、御即位式について色々お話があった。万世一系の日本では、一日一刻も天皇陛下のない時があってはならぬので、明治天皇がなくなった時、すぐに、当時の皇太子殿下が三種の神器をお受けになって、天皇の位につかれた。それを践祚(せんそ)といったが、天皇陛下がその位におつきになったことを、天照大神その他の御先祖に報告されなければならぬし、国民一般に又外国にも、そのことをハッキリ知らせなければならないので、先帝陛下の喪が明けてから、その儀式を行われるのである。この御即位式は、大昔から続いてゐる儀式だから、昔からの仕来り通りに、元の皇居である京都御所の、紫宸殿という第一の御殿で、古式通り厳かに行われるのである、というようなお話であった。 御即位式の日取りがきまると、その儀式のことや日程が、次々に新聞で細かく解説予告されてゐたが、いよいよ式が始まると、天皇陛下が東京を出て、京都に向かわれる鹵簿((注)ろぼ=天子の行列のこと)や、関連の色々な写真が、その記事と共に、次々に掲載された。新聞もここ数年の間に非常に発達して、写真版などもきれいになってゐた。 又、前年の青島陥落のときと同じように、全市を挙げての祝賀行事が催され、我々小学生は、日の本の小旗をかざして、町々を旗行列をし、夜は夜で、色んな団体の提灯行列が、いくつもいくつも、「祝えや祝え!!」と歌いながら、又、それぞれで万歳万歳!!と、市内を行進して、大変な賑やかさだった。 御即位式のときに、国家社会に功労があって勲章を頂いてゐる人に、天皇陛下からごちそうを下される、ということがあった。特別立派な勲章を貰ってゐる人は、東京に召されるのだが、勲五等だった父には、神戸の県庁でごちそうを賜るというので、菊の御紋章のついた御召状が届けられた。 父は以前に、広島や大阪に勤めて、軍需品の納入その他のことで、功績があったのだそうで、勲大等の旭日勲章を頂いたが、僕がごく幼い頃、専売局に勤めてゐた時に、一段進んで、勲五等になり、瑞宝章を頂いてゐた。だから、今では民間の塩田業者であったが、御即位式の御馳走に召されたので、大変の喜び方で、あちらやこちらで、大自慢にして��たが、いよいよその日には、朝早くからフロックコートを着て、これが勲五等の瑞宝章だ、これが勲大等の旭日章である。旭日章は本当に手柄がなければ頂けないので、一段下ではあるがこの方が立派なのだ。これが日清戦争の従軍章、これは北清事変(明治三十三年)の従軍章、これが日露戦役の従軍章だと、一つ一つ、僕に説明しながら、それを胸にズラッと吊り並べて、シルクハットをかぶって、意気揚々と停車場に向かった。 その日、もう日が暮れてから、父は、胸いっぱいに勲章を飾ったまま、人力車から自分独りで降りるのが危ないほど酒に酔って、それでも白い風呂敷包みだけは、大切に持って、帰ってきた。その風呂敷包みには、その日の御馳走が入ってゐたのである。素木の足のないお膳と、素焼きのお皿や瓶子(へいし)のようなものと、銀色のボンボニールとかいうものを取り出して、これには何が入ってゐた、これに何がと、一つ一つ説明してくれたが、どれも空だったことを記憶してゐる。
大正天皇の即位式の日のことが、大伯父(祖母の兄)の遺した回顧録に記されてました。 従兄弟が見つけて、文字起こしまでしてくれた! けっこう貴重な資料だと思う。
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数日前に祖母が亡くなった。享年92歳だった。
八王子の浅川沿いに佇む祖母の家を訪れたのは15年ぶりで、これは祖母と会っていない期間だった。
家に駆け込み、祖母に対面したとき、祖母は声も出せない状態で、もう長くないことを悟りながらも、母方の兄弟たちが健気に声をかけ看病をしていた。
この家を訪れるのはいつも教会に行ったあとだった。教会に行くことが嫌だったせいで、祖母の家に着いたあともずっと不貞腐れていたあの頃の自分に、祖母はいつも優しく声をかけてくれた。祖母はよく、じゃがいもばかり入っている味の濃いカレーを作りご馳走してくれた。その当時、食べる前のお祈りは、味が美味しくなるおまじないだと思い込んでいた。
キッチンで叔母がカレーの支度をしていたとき、母に促された私は祖母の前に立っていた。何か言いなさいと言われるも、15年も会っていないせいで、感情ばかりが溢れ言葉が出てこない。不器用に手を握ると、弱った彼女の手はそんな自分を受け入れてくれるように温かった。
翌朝、祖母が静かに息を引き取ったあと、牧師がやってきて、母を取り囲んで讃美歌を合唱しお祈りを捧げた。
お祈りは、まやかしやおまじないではなく、自分の人生をかけて培った、今すぐには言葉に出来ない、祖母に対する後悔や感謝の念に向き合う時間の流れだった。
自分が子供だったあの頃から、祖母がこの景色を少しでも見せようと、家族を取り囲んだ食事の度にお祈りを捧げてくれていたとしたら。そう思うと涙が止まらなかった。
悲しくないと言ったら嘘になる。でもこの考えを持てたことで、これからはいつも祖母が側にいてくれるような安心感も感じている。
本当にありがとう。どうか安らかに。
出来ていない自分がこんなこと言うのもあれですが、大切な人には会える時に会って、あなたが出来うる方法で、彼らに感謝を伝えてください。
My grandmother passed away a few days ago. She was 92 years old.
It had been 15 years since I had visited my grandmother's house, which is located along the Asakawa River in Hachioji, and this was the first time I had not seen her for a period of time.
When I ran into the house and met my grandmother face to face, she was unable to speak, and my mother's siblings were cheerfully calling out to her and nursing her, even though they knew she did not have long to live.
I always visited my grandmother's house after going to church. Because I hated going to church, my grandmother always spoke kindly to me, even after I arrived at her house, as I had always been unfaithful. My grandmother used to make a strong tasting japanese curry with potatoes in it and serve it to me. At that time, I thought that praying before eating was a trick of a spell to make it taste better.
When my aunt was preparing japanese curry in the kitchen, my mother urged me to stand in front of her. My mother told me to say something to my grandmother, but because I had not seen her for 15 years, I was so overwhelmed with emotion that I could not to say something. I clumsily held her hand, and her hand was warm as if to accept me.
The next morning, after my grandmother quietly breathed her last, a pastor came and we surrounded her, singing hymns and offering praying to her.
The praying was not a trick or a spell, but a flow of time to face the regrets and gratitude for my grandmother that I had spent my life cultivating and that I could not put into words right now.
What if, from that time when I was a child, my grandmother had offered prayers to us at every meal surrounding the family to show us this view as much as possible. I couldn't stop crying when I thought of that.
I would be lying if I said I wasn't sad. But now that I have this thought, I feel a sense of security as if my grandmother will always be by my side from now on.
It is strange for me to say this, as I have not been able to do so, but please see your loved ones when you can. And in your own way, express your gratitude to them.
love you grandma!
rest in peace.
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もう感情をあまり揺れ動かさずに生きていきたいという気持ちになることがある。どうせ嫌なことばかり根に持ってしまうのだし、怒ったり泣いたりしたくない。いやな気持ちになるのがこわい。でも、その反対側に揺れれば、嬉しい感情もそこにはあるわけで。いやなことを思い出しそうになったときは、心の中で「ストップ」と唱えると良いらしい。本当に? 本当にストップして良いのだろうか……。
新年度、わたしは少しだけ昇進してしまった。去年、仕事がつらくて泣いたことが課長から部長まで伝わっていたことが歓送迎会で判明した(定年退職する部長が気遣って声をかけてくれた)。
そこまで下書きに書いて止まっていた。4月の半ばぐらい?何か悲しい気持ちになっていたんだろう。でも、振り返れば4月は、中学生のころから好きなAJICOというバンドのライブに行き、関東と関西の友達に会うために東京に行き、なんだか華やかな日々だった。
仕事は年度替わりの人事異動があって、大変な部分もあるけど、良かった部分もある。昇進と言っても部下をもつとかでは全然なくて、ちょっとチームリーダー的な肩書きが名札に加わっただけ。でも、そうなってみたら思っていたよりは気持ちがピシッ���した。長いことお世話になっているパートさんが、「お祝い」と言ってランチをご馳走してくれて、「若い人が頑張って昇進していくのは嬉しい」と言ってくれて、とても嬉しかった。
ゴールデンウィークはシフト勤務でときどき出勤ではあったけど、週休をキュッと集めて3泊4日で実家に帰ってきた。妹も帰省していて、子どものころ、よく連れて行ってもらった中華料理屋さんにみんなで行ったりして楽しかった。
昨日は仕事で、数年前に担当の仕事でお世話になった方たちに一瞬だけ再会したら、わあ久しぶり!と喜んでくれたので嬉しかった。今日は、夫と義母と三人でちょっと遠出。夫が運転してくれてわたしは座っていただけなんだけど、なんだかたいそう疲れた。義実家で出かけるのはなにかと疲れるので、いつものこと……。でも、景色が綺麗だったし、なんだかんだ言いながら義母も喜んでいたので、よかった。
実家では趣味の小説を書いたりもした。また次もなにか書けたら良いなと思う。無駄かもしれない感情のゆらぎは、小説を書くときには役に立つ。難しいときも多いけど、できるだけ良いことに目を向けて暮らしたい。
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2nd date.
4.15(月)
この日、朝から俺は仕事で。でも夜から逢えるって思ったら苦じゃなくてさ。そりゃもう…、ワクワクしちゃってたよね。あからさまに上機嫌だったと思われる(笑)ちょっと仕事が押しちゃってて、「 あっ。これ遅れるかも 」 って危機を感じてマッハで終わらせた俺を褒めて欲しいレベル。
仕事を無事に終わらせて、向かう先は羽田空港。コンビニで飲み物買いつつ、高速走らせて迷わず到着。方向音痴炸裂しなくて良かった(笑)ターミナル向かって、何処から来るのか分かんないからとりあえず大吾が着くまで椅子に座って待ってたんだけどさ、目の前がお土産屋さんが並んでて。大吾が好きなお菓子発見して買っちゃった。
その後無事に大吾も到着したんだけど、まあ合流に時間かかって(笑)何階の〜なんて説明してもなかなか来なくて。俺が動けば良くね?って事で待たせて移動し、2ヶ月ぶりの大吾と合流。なんて言うんすかね。あのー、前回とはまた違った可愛さにちょっとにこにこした。…つか、ひたすら鼻の下伸ばしてにやけてたと思う。
お土産渡して車に行こうって移動したものの、そこで俺の方向音痴爆裂。停めた所を写真撮っといて良かったー。車に乗り込んで行き先調べて。ずっと共有アプリで離れてた距離が重なってて、嬉しくて思わずスクショ。やっと逢えたんだなぁ。一緒に居る。って嬉しかった。2ヶ月ぶりのハグはまた格別。この大吾の甘い香りが俺は大好きなんだよな。…安心するよね、好きな人の香りって。この日の為に頑張った甲斐があるね。次の日が水族館の予定だったから、そっち方面で泊まろうって話してて。近くのホテルへ2人仲良く向かいました。
ホテル入る前コンビニ寄って、お酒と飲み物とつまみ買って飯はホテルで頼もー。ってなったから一旦チェックイン。飯を頼みつつ、CAS開いて。その間に飯が来たはいいんだけど、部屋の鍵が全然開かねえの。2人でガッチャガチャしてて、外でスタッフさん待たせちゃってほんまごめんやでー。(笑)頼んだチキンカレーがめちゃくちゃ辛くて。全然食えず。なんなら大吾見てるだけで満足だからご馳走様ー。仕事終わりだったから早く風呂入りたくて。一緒に入ろうと思ったけど、…ね。俺のお願い叶えてくれる為に別々で入って、先に入った俺はベッドにゴロゴロしながら大画面でなにわTube鑑賞しながら待機。その後、大吾が出てきて。……うん、最高。やっぱり俺の恋人最強に可愛い。その日の夜の事は以下省略で。ご想像にお任せします。てへぺろ。
この逢えない2ヶ月間、お互い毎日逢いたいを伝え合った毎日。カウントダウンしながら、あと何日って。毎日電話しても、テレビ電話をしてても、やっぱり触れたくて、抱き締めたくて仕方なかった2ヶ月。1時間、1分1秒があっという間に過ぎて行く中、この瞬間を大切にしたくて、確かめるように何度も抱き締め合ってキスをして。愛おしい君を感じ素敵な夜を過ごせました。
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桜林美佐の「美佐日記」(263)
潜水艦修理中の物品・飲食供与について思うこと
桜林美佐(防衛問題研究家)
────────────────────
おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、263回目となりま
す。
海上自衛隊の潜水艦修理中に乗員が物品や飲食な
どの供与を受けていたということで「特別防衛監察」
が実施されています。
これまで防衛産業について書いてきた私としては、
これを無視するわけにはいかず、先週の夕刊フジで
の連載では、まずこのことについて触れました。
その原稿を書きながら、私は色々なことを思い出
していました。
それは私が自衛隊や防衛産業について書くようにな
ってから、多くの所に行き、多くの人に会いました
が、その時の食事代は��が払ってくれたのだろう、
ということです。
といっても、講演で訪れた部隊での昼食や、夜の
居酒屋(隊員クラブなどの)の代金のことです。今
思うと、自衛隊のどなたかが払ってくれていたのだ
と思います。実は、講演後の懇親会で会費を徴収さ
れたことがあり、その時に初めて自衛隊ではそうし
た経費というものがないのだということに気づいた
のです。
貧乏だった私は、いつも適当なお菓子やパンなど
を食べて暮らしていましたので、ああ今日、誰かと
ばったり会って「ランチをご馳走するよ」なんて言
われないかなあと妄想していたくらいでしたから、
講演に行って会費を取られた時はあまりに衝撃が大
きかったことを今でも忘れません。
知り合いで自衛隊で講師などをしている方が数々
いますが、私のように誰かが払っていることを知っ
ているのは少数派かもしれません。おせっかいばば
あのように私はこの事実を教えてあげているのです
が、皆さん恐縮して、今度からは自分で払うとか言
われます。
そうなると、お互いに気を使い合ってまで講演会
をする必要はないという気持ちになってもおかしく
ありません。
飲食代だけでなく、経費を領収書で落とすなどと
いう概念がない自衛隊ではとにかく手出しが多い。
そう考えると、乗員と企業側は造船所で膝詰めで真
剣な作業を行っているわけですから、企業が手を差
し伸べてもおかしくないでしょう。
ただ、いずれの企業も昨今は経費が認められるた
めには、領収書に相手の名前を書くとか、その「成
果」を問われるなど、管理が厳しくなっていると聞
きますので、今回、資金捻出のために架空取引のよ
うな手段をとってしまったのか、分かりませんが、
いずれにしても、潜水艦の乗員に何か供与しても、
潜水艦の受注に繋がるとか、営業成績にはならない
のです(もうすでに受注しているのですから)。
もし、乗員が造船所に言えば何でも買ってくれる
くらいの態度で要求していたというなら、そのいび
つな構造を厳に改めなくてはなりませんが、新聞や
ニュースがイメージしているものとはちょっと違う
のではないかという気もします。
昨今は各所で倫理規定を気にする余りの光景をし
ばしば目にし、私はそちらの方が違和感があります。
自衛隊の高官が何らかの行事に招かれ、自腹で高
額な会費を払い、会場に行って名刺交換をひたすら
して帰る。これが1週間のうち何度もあります。
このところ官用車の使用も神経を使��ため、自衛隊
トップクラスが雨の中とぼとぼ歩いて、会場まで電
車などで向かっているという、こんな姿、本当にあ
るべき姿なのですか?と強く思います。
風雲急を告げる安全保障環境、いつ起きるか分か
らない自然災害、そんなことを誰もが当たり前のよ
うに言う割には、これが「危機管理組織」の実態で
す。
これで自衛隊は本当に強くなるのでしょうか。
最後に、これまで私の分の代金をそれと気付かれ
ないように支払って下さった皆様へのメッセージを
この場を借りて。いつかビッグになってきっと恩返
しをいたします!待っていて下さい。その日まで
!!
今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
皆様にとって素晴らしい1週間となりますように。
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兵庫県の三木グルメ『さぬきうどん 川久 麦笑』
主人と訪れたお店です。主人が会議で珍しく三木へ訪れました。
こちらのお店は以前、家族で三木の和食店へ行ったその、息子さんがやってらっしゃる手打ちうどん屋さんだそうです。
なので割烹、仕出しということで、ご飯物にも期待あり。
バラ寿司、いわゆるちらし寿司などが美味しいと
評判があり行ってまいりました。
がいな製麺所で修行されたとかだそうです。
がいな製麺所はうどんを食べるだけには、あまりにも遠過ぎるので訪れておりませんが。
よく行く讃岐うどんの手打ちのお店でも、物価高騰での相次ぐ値上げで、訪れることもなくなりましたし、やはりお値段がぐんと上がると、客側としても『美味しさなどの価値』で判断することが厳しくなってしまいますので、ラーメン店などと一緒ですね。
なので、新たなる美味しいうどん店を探し試してみようかと思い、訪れました。
お店の中は1人がけのカウンターの席もありで、4人がけも多く回転もよいお店。
お昼時は、アルバイトさんも多かったですね。
レジ横には持ち帰りできるばら寿司などもおいており、買って帰る方も。
メニューも豊富でセットも数豊かです。
ひやかけを目当てで訪れましたので私は『ひやかけ』
主人はちらしのセットでワカメと温玉とろろの冷やし。
うどんのコシは好みで剛力系の太いうどん。
喉越しが大変よくとても美味しいです。
ひやかけの出汁が私的にですが、もっと塩分は落とした方がいいかなと思うぐらい濃いめでした。
甘さもそこそこありますが、よい出汁です。
うどんの塩分と出汁の強さがわかります。
卓上の調味料も多くよいですね。
そして味見をしたお寿司は素朴で美味しいです。
三木という少し田舎の素朴な甘めのちらし。
お酢がキツくなく、甘味が強い。
���材が素朴で美味しいです。懐かしい。
お値段もいい感じでまた訪れようかなとも
おもえる美味しいお店でした。
うどんを純粋に味わうのにもいいお店。
兵庫県で人気1位だった手打ちうどんやさんよりも
私的に上位に入るうどん屋さんとなりました。
ご馳走さまでした。
料理研究家 指宿さゆり
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20240324 noon
朝から降る小雨は3時頃完全に止む予報で、不安定に止んでいた昼過ぎ、隙を見計らい傘を持たずに家を出た。
きっと明日の朝、傘が邪魔になると思ったから。
私は3時頃まで屋外を歩けない。
週末で混み合う東京駅の地下通路をつたい、居場所を探す。
八重洲ミッドタウンでコーヒーを飲みながら小一時間読書。江國香織の神様のボートを読了した。あらすじでは狂気という言葉で表されていたが、恋愛で発生する普遍的な盲目状態という感想をもった。
感想を引きずった頭のまま、雨が止んだ地上へ出る。目的があって八丁堀へ足を進める。
霊岸橋から川面を眺める。それは私が秘書だった頃に毎朝決まって遡上したクラゲを探す習慣。今同じことをしてみても、"あの頃に浸る"ということは起こらなかった。思ったよりも薄情な自分を意外に感じる。そういえば強風の日に、スヌーピーの折りたたみ傘の外袋を盗ったのはこの橋だった。
私が勤めていた会社はもうなかった。
会社だった場所はフェンスで覆われていて、私は工事看板を眺める。
隣で同じく工事看板を熱心に眺めるご老人がいる。
私は咄嗟に、ここに建っていた建物をご存知ですかと声をかけた。
ご老人は私が勤めていた建物を知っていた訳ではなく、隣のビルの居酒屋で飲み会があるため、店が開くまで待っていたそうだ。
少し話���ているうちに、私もその飲み会に参加する運びになった。
ベイエリアの同じ高層マンションに住む大型バイク愛好家達の集まりだそうだ。
東京モーター(サイクル)ショーの開催に合わせて集まるらしい。
刺身や煮魚、焼き魚ととにかく海鮮料理を堪能させてもらい、そしてまた来週銀座で鰻をご馳走になる予定までもいただき、ほろ酔いでご機嫌になる。
このハプニングのような思わぬ縁が新鮮な話題のうちにと、"今の仲良し"に連絡を入れた。
八丁堀から六本木は日比谷線ですぐだ。
予め、この後予定がありますと言っていたから、宴を途中で抜けることは自然だった。(当初のニュアンスで言えば断れないに近い巻き込まれた形での参加で、逃げ道を作っていた。)
ワインが飲みたい。
親密になりたいと思った人に対して、自分が行きたい場所やしたいことを素直に伝えることが苦手な私は、たぶん初めてちゃんと願望を発した。
そのとき地下鉄から送った文字全て、躊躇いはなかった。
スプリングコートを着た彼。
偶然、初めて会った日と同じ場所で待ち合わせをしたため彼の装いの変化で季節を感じた。
住宅街の中にある彼の好きな店(リーズナブルで美味しいワインが飲めらしい)は休みだったため、結果的にただの肌寒い夜の散歩をした私達。
同じ道、彼がまだダウンを着ていた頃の私達の会話は確かもっと自然だったと思う。
いつからか、会話をするたびに息が詰まるような空気感がうまれた。
こんなにぎこちないコミュニケーションをするくらいなら会わなければ良いのに、やめる必要が見つからなかった。そしてお互いに何かから逃避していた。
結局待ち合わせ場所の東京ミッドタウンに戻り、赤ワインとチーズを買って、すっかり来慣れたビンテージマンションに入る。
彼が作ったボロネーゼと、ジャガイモとサワークリームの美味しいつまみをあてにワインを飲んだ。
少し前から、彼と私の潮時がそろそろだとわかっていた。しかしそれまでにきっとあと1回だけ会うだろうとも思っていた。
私は、私自身の大して面白くもないインモラルな話をお披露目して最後の夜に興を手向けた。もう戻れないように、いままで繕っていた私を手放して、浅ましい人間だと話した。
一番良かった。
私はショートスリーパーだと思う。
目が覚めてから2時間後、白々しく眠いふりをした。
まだワインが残った朝、会話はぎこちなく、一刻も早く不自然ではないように帰りたいと思った。
毎回淹れてくれるモーニングコーヒーの豆が変わったこと、今朝初めて朝ごはんを作ってくれたこと。
もしここに忘れ物をしてももう取りに来ないな、とか。
ほら、傘はいらなかったな、とか。
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移住した経緯(その拾)
最初の物件を見た後、一旦山を下って国道に戻り、そこからまた別の山道を上っていくと、その終点の辺りに次の物件はあった。そこにはまだ家族3人が住んでいて、その日は夫人が応対し説明をしてくれた。
家屋は簡素な木造平屋で、屋根はガルバリウム鋼板葺き。築30年ほど経っているので外回りはそれなりに劣化してきているが、早急あるいは大きく手を入れなければいけない箇所は見あたらない。家屋面積は約100平方メートルで、薪ストーブが付いた10帖のリビングルーム、8帖のダイニングキッチン、それ以外に8帖の部屋が1つ、6帖の部屋が2つ、いわゆる3LDKの間取り。現況で居住者がいるからどの部屋も綺麗に保たれている。この広さと部屋数は無駄な物持ちの自分にとって魅力的で、工作室やゲスト滞在ルームも設けることが出来るなと想いを馳せる。ただ必要以上に広くても管理が大変だから、これぐらいが丁度良いかも知れない。
家屋の周囲に付随する土地(地目は山林・原野)は約2000平方メートル。現状ではその一部を家庭菜園や花壇として利用しているが、他の部分は未開拓な状態。日照や水はけが著しく悪いような場所は除くとしても、これらをきちんと整備して活用すれば多くの作物を栽培できるだろう。一部は果樹園のようにしてもいいよね。自給農暮らしを目指す身としてはこの土地の広さは魅力的で、特に家屋に隣接していることは大きな利点だ。かつてホームステイした場所では、遠く離れた圃場まで長いこと車で走らねばならなかったり、途中の開かずの信号機に毎度捕まり延々待たされるなんてことがあり、相当な時間を無駄にしていると感じたからだ。それでも体が若いうちは何とかなるだろうけど、年齢を重ねると負担は大きくなってくるかも知れない。圃場管理の観点からも近いに越したことはないだろう。ここなら窓から覗けば大方見渡せる。
一通り見回った後、庭に置かれたテーブルセット���休憩しながら、茶を淹れてくれた夫人と話をして情報を収集する。
・この集落は古くから住んでいる人はごく一部で、ほとんどが他の地域からの移住者であること。
・自治会の催しなどは全くなく、みんな好き勝手に暮らしているとのこと。
・日用品の買い物は下田市街地まで出向く。自動車やバイクで片道30分程度かかるが苦にはならないとのこと。
・テレビや携帯電話の電波は受信しにくいが、有線でのインターネットは可能だと言うこと。
・野生の鳥獣は多く、近年特に鹿と猪が急増して被害にあっている。一方で猿は昔いたが他に行ってしまったらしい。
・本物件は築以降4人オーナーが変わってきたこと。
・現居家族は6年この場所に住み、気に入っているが、家庭の事情により交通アクセスの良い場所に移らなければならないとのこと。
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(終章に続く)
⇨ 移住した経緯一覧へ
#移住した経緯#田舎#田舎暮らし#里山#自然#移住#脱サラ#転職#自給農#自給自足#物件探し#不動産#土地#家屋#内見#伊豆#下田市#countryside#rural life#nature#reason#farming#cultivation#agriculture#self sufficiency#story#history#housing#house#japan
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2023.10.5thu_kyoto
曇天。雨が降るかどうかをチェックしなくちゃと思い、7時に起床。今日は遠出なので、荷造りと身支度に1時間かかる。そこから美味しいお米と梅干しをいただく。今日も楽しむぞと気合いを入れながらも東京から来た現在居候中の牡蠣居酒屋経営のヨッシー(マルショウアリク:現在京都で出店中)が昨晩は帰ってこれなかったので、今日いつ帰宅するのかと気になっている。そうこうしているうちに出発時間。空を見つめながら雨が降りそうだと感じつつも、調べる時間を見失った。ヨッシーが帰ってきた。よかった。忘れ物チェックをしたようなしてないような気持ちで8時44分の電車に乗る。 天気予報は電車の中で調べることはできるが傘を持ってこなかったので、調べるのに心が手間取る。もし雨なら残念だし、雨だと思って傘を買っても降らなかったら意味ないし、どうかこのまま天気が守ってくれることを祈る。東福寺でJRへ乗り換え。京都駅に着いたなら新幹線だ。
そんなこんなで、姫路へ。今日は初めて会う方々と作品撮影。どんな作品になるのかなとワクワクドキドキ。新幹線が直前で急停止ボタンのため運転再開に時間がかかったが、無事姫路駅到着。 今日お尋ねするスタジオに車でお迎えしてくれたカメラマンの奥様。なんとも素敵な雰囲気のお方。車に乗りながら雨が降る。あ、ギリギリ助かった。やっぱり今日は雨だったの…? そう思ったのも束の間、雨は止んだ。 いろいろお話ししながらスタジオに到着するとここは森???と思うような素敵な入口が迎えてくれた。
とっても素敵なこの扉。家を作る、または住むならこんな扉がある家がいい。私の大好きな秘密の隠れ家への入り口みたい。
中に入ると、とんでもなくセンス溢れる空間が存在してた。 和気藹々とした声が聞こえて、会ってみると皆様初めてとは思えないくらいアットホームな雰囲気。 もう1人被写体の方がおられたのだが、なんと東京の時に知り合った方で、それも驚き! その方の撮影は終わったとのことで、私の順番に。あれ、とてもいい日差しが入ってきた。白いリネンのカーテンの木漏れ日、玄関にある石たちの佇まい、椅子の影が美しい。
3人の写真家が居たのでどのように作品を作って行くのかなと思いきや、本当に三者三様。仕上がりが楽しみ。見たこともないレンズで撮っている。
写真から学ぶことが多いけど、自分と向き合うことを実感する。逃げたくなる側面もあるけど、撮られることで、表面ではなく内面と向き合わざるを得ない瞬間がある。いつも思うけど写真家の方達は光を操り、映し出すことがとてつもなく上手いし、世界を作る面白さが映画とはまた違っていて面白い。天気や空間、人と人とのセッションでもあるし、そこにある物全てを味方にして臨機応変に撮影していく。こんなふうに映画を撮ってみたいと思ってしまう。 ある写真家の方は動画も撮っていたのだけど、それはもう短編映画のよう。
私の好きなデヴィッド・リンチ作品のイレイザーヘッドを思い出した。
私も趣味で人を撮ることはあるけど、人を撮るって思っているより奥深く、信頼関係があってこそのもの。それに撮影者によって演出も違えば撮り方も違い、私自身が私じゃ無くなる時があって、それは私の中に撮影者が乗り映るような感じでなんだかとっても面白かった。
こうやって初めての人と作品を作り、演出を受ける立場になること、一緒に考えることはすごく刺激になる。今後も映画を切り取ったかのようなシーンを写真で作ってみたいし、まだ現実化していない執筆した短編映画の作品を写真でも表現してみたい。 撮影後みんなに劇場公開が控えている製作、監督作「ロマンチック金銭感覚」の宣伝をし、その場を後に。最高の時間を共有。
撮影終了し、姫路駅まで送ってもらう。何度も手を振って、送ってくださったお二人を見届ける。 空を見るとすがすがしい空が私を見ていた。
次はいつ姫路に来るだろうとぼんやり、駅に立ち尽くして今日の思い出に浸る。
飲みたくなって三宮駅にて1人で飲みに。奇跡が起こる。 カウンターでごはんを食べていたら、隣のサラリーマン風の2人が話しかけてくれ、一杯ご馳走に。話の流れで映画の話をすると、観に行くよと。お金の本質や価値の話をしていたら、盛り上がる。お会計の時に払おうとしたら、なんとその方々が払ってくれるという。私は払うつもりだったんだけど、それも映画の投資だと。何かの形で返したい旨を伝えると、誰かに同じように優しくしてくれとのこと。まさにロマンチック!これも映画「ロマンチック金銭感覚」のテーマの一つじゃないか!ありがとうございます。勘を働かせてたまたま入ったお店、ありがとう。 その後、友人の紹介のお店で飲む。するとそこは昔から知っているかのような場所。みんな映画の話で盛り上がる。映画を作ってよかった。みんなに見てもらえる可能性があってよかった。このお店に行ってよかったと思えた。ありがとう。もう、すぐにでも会いに行きたい気分だ。帰宅するとヨッシーも含め、東京からの友人、りゅうじゅくんも来ていた。その日はみんなでお酒を飲みながらお金って何だろう?価値って何だろう?生きていくために必要な本質について眠くなるまで語り合った。その日は夢の中でもそんな話をしていたように思う。
ープロフィールー 緑茶麻悠 京都 俳優、画家、映画監督 Instagram/ https://www.instagram.com/ryokumayu/ X/ https://twitter.com/ryokumayu WEB/ https://www.steam-of-greentea.com/
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2023年8月5日(土)
今年の夏のミニ旅行、第一弾は夫婦としては5年ぶり(?)の東紀州訪問である。尾鷲市の<三重県立熊野古道センター>で特別展を学び、隣接する<夢古道おわせ>でランチをいただく。熊野市へ移動して友人たちとの再会、夜は<浜峰商店ファミリー>と<鮨割烹 徳川>で会食(もちろん一方的にご馳走になる)。美味しく楽しい1日はあっという間に更けていったのだ。
2時30分起床。
日誌書く。
二度寝する。
朝食を頂く。
今日は久しぶりの東紀州訪問、ところが朝から名神は事故渋滞、いつもの京都南ICから渋滞の中へ突入するのは避けたい。MK石油で給油の後、稲荷山トンネルを抜けて山科へ、本当に久しぶりの京都東ICから名神高速道路・新名神高速道路・東名阪道・伊勢自動車道・紀勢自動車道・熊野尾鷲道路を経て、昼前には尾鷲市に到着した。
まずは夢古道おわせ・イサバヤでランチ、迷わず海鮮丼を頂く。ついで熊野古道センターへ移動し、御浜町の写真展を興味深く拝見する。
熊野市へ移動、晴れてはいるが雨が降り出した。
浜峰商店・浜街道店でK夫婦・T兄と久しぶりの近況報告、互いの加齢情況を確認しあった。
新宮市へ移動して速玉大社へ参拝、神木の大梛はいつ見ても凄い。
コンビニで寝酒用に🍷を購入してから今夜の宿の<フェアフィールド・バイ・マリオット・三重御浜>にチェックイン、もちろん初めてお世話になる。
浜峰夫妻に迎えに来ていただき、新宮市へ移動していつもの店で歓待を受ける。帰路はファミリーでホテルまで送っていただく、大感謝!
シャワーで汗を流し、テレビで女子サッカーの勝利を知り、少し🍷をいただいて大満足の1日を閉じたのだ。
さすがに長距離の車移動、3つのリングはこんなもの。水分は1,860ml。
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