#いわきに行ったらいつも大ご馳走
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sigyofujimura · 2 years ago
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今年のこの日も そしていつも 皆さまを想っています 先日の配信で ご参加の方々とお送りした 祈りとヒーリングが 少しでもお役に立てますように #311 #東日本大震災 #あの日を忘れない #検索はチカラになる #検索は応援になる #福島 #いわき市 #いわきに行ったらいつも大ご馳走 #海鮮最高 #人も最高 #ご恩は忘れません #ジュネスも忘れません #ジュネス #感謝 https://www.instagram.com/p/Cpn1eV_PDlJ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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namasukitanemanko · 5 months ago
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続き
その後は兄貴のセフレの糞好き交尾好きのド変態兄貴が来てくれるってことでしばし待つ。
短髪のカッコいい兄貴到着。
糞も好きだが、生交尾も大好きだそうで、この兄貴からもたっぷり糞、ションベンをご馳走してもらった。
咀嚼して口の中に残ってるとこに生チンポぶち込まれて、兄貴の糞チンポを尺八。マジで頭おかしくなる。サイコー!
そんなド変態を何度もやりながら、最後は俺の生マンコに種付!
その日はそこで解散!ホテルに戻って次の日に備える。
翌日はまた最初の兄貴とド変態やる約束してて、例の秘密の場所で待ち合わせ。
兄貴はフィストも好きらしく、俺をもっとド変態にしてくれるとのこと。
フィストは20代にやってたけど、それ以来ケツマンコの拡張はやってない。
もちろん兄貴のことなので糞を喰わせながらケツマンコ拡張してくれる。久々なのでゆっくりじっくり拡げてもらった。
かなり久々だったので貫通は無理だったが、ケツマンコが拡がっていく感じがまたサイコー。初めて貫通した時のスパーク感を感じながら、次は兄貴の腕を絶対に受け入れる決意をした。
そして時間はゆっくりできたので、ゆっくりしながらも兄貴は俺の喉マンを指で拡げてくる。
この感じ、何なんだろう。むちゃくちゃ興奮する。されているだけで俺のチンポはビンビンに。
兄貴が便意を催すと顔に跨って糞便器に。とにかく兄貴の糞はうまい。「兄貴の糞、うめえ!」っていうと、「このド変態が!」と笑ってくれる。
チンポビンビンに勃起させながら、じっくり咀嚼して、じっくり舌で味わって、口開けて味わってるの確認されて、飲み込んでいいぞの許し。
口の中の糞を舌に集めて、ゆっくり嚥下する。チンポに触れただけで、思いっきり射精しまくり。
そして喉拡張、糞便器を何度か繰り返し、2回目の射精。そしてちょうど時間が来て解散。
糞が美味すぎてヤバい。
次は兄貴の腕を受け入れる。
もっとド変態に仕込まれたい。
また東京にド変態ヤリに行く!
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ari0921 · 9 months ago
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 米社会の病い、性別違和に苦しむ少女達
   櫻井よしこ
日本ルネッサンス 第1094回
今日、4月9日の産経新聞に『トランスジェンダーになりたい少女たち』の広告が掲載されていた。米国人ジャーナリスト、アビゲイル・シュライアー氏の『IRREVERSIBLE DAMAGE』の邦訳で、出版��は産経新聞出版だ。
広告には「あの“焚書”ついに発刊」の字が躍る。「皆様の激励に御礼申し上げます」「Amazon総合1位」の文字が誇らしくも嬉しくも輝く。それはそうだろう。本書の出版に際して産経新聞出版も同書を扱うと推測される大手書店も、放火予告というとんでもない脅迫を受けていたのだから。
同書は当初、大手のKADOKAWAが出版する予定だった。しかしわが国の一部左翼勢力が「トランスジェンダーに対する差別を助長する」として抗議し、KADOKAWA本社前で集会を開くなどと警告した。国際社会に名を馳せる大手出版社でありながら、KADOKAWAはジェンダー思想に染まった左翼勢力の恐喝に屈した。斯(か)くしてその時点で、言論の自由も出版の自由も踏みにじられた。出版界の名門がそんなことを許したのは痛恨の極みだ。
本書の内容は後述するが、ジェンダー思想に染まっている人やWokeの人々にとっては、確かに気に入らないだろう。かと言って、それを出版禁止にせよというのは無茶にも程がある。そんな圧力に屈すれば自由と民主主義を基盤とするわが国の社会の根底が揺さぶられる。出版社の存在意義も吹き飛ぶ。KADOKAWAの情けない姿勢を見て、弱小の産経新聞出版、瀬尾友子氏が名乗り出た。するとそこに先述した放火の脅迫が降りかかったのだ。それでも産経新聞出版は遂に刊行に漕ぎつけた。しかもAmazon総合1位、だ。
日本社会も捨てたものではない。
奇妙なのはいつも言論、表現、思想・信条の自由などを金科玉条の如くに持ち上げる朝日などのリベラルメディアが同件にきわめてよそよそしいことだ。報道もしない。安倍晋三総理に対して行った「報道しない自由」をここでも発揮しているのだ。
ナブラチロワの抗議
シュライアー氏の著書は実に読みごたえがある。取材対象の当事者は200人、50家族に上る。意見を聞いた専門家の数、調べた専門書の幅広さにも感心する。彼女は驚いた。思春期に突然「性同一性障害」を発症し、「生物学的には女だけれど実は男だ」と主張する少女たちが急増していることに。2016年から17年にかけて米国では、女性に生まれついた人で性別適合手術を受けた人の数が4倍に増えた。英国ではジェンダー医療を望む10代の少女の数が過去10年で4400%増えた。
シュライアー氏は以下のように分析している。ここ10年でトランスジェンダーが目立つようになり、対照的に女性と少女が目立たなくなった。アメリカ全土の高校で最高水準にある女子選手たちは、女性を自認する生物学上は男子の選手に圧倒されている。その多くは男子チームでは月並みの選手だったのに、である。
文化面でも少女たちは支持を失った。女性専用だった場所は男女共用になり、スポーツの記録は先述のように不公平となり、抗議をすれば���見だとどなられる。レズビアンを公表しているテニス選手のマルチナ・ナブラチロワは「トランスジェンダーの選手に女子スポーツで競技させるのは生物学上の女子に不公平だ」とサンデー・タイムズ紙に書いた。するとトランス嫌悪(フォビア)だとレッテルを貼られ、スポンサーから放りだされた。
世界でもっとも有名な同性愛者の女子アスリートであるナブラチロワが少女たちのために立ちあがったことで反トランスジェンダーの偏狭な人物だというレッテルを貼られたのなら、無名の女子選手たちが反対することはなおさら不可能だ。
そしてトランスジェンダー活動家は女性の生物学的な独自性を完全に否定しようとする。たとえば妊婦(プレグナント・ウィメン)は次第に“#妊娠中の人(プレグナント・ピープル)”と表現され、“膣(ちつ)”は“#前方の穴(フロント・ホール)”という忌まわしい言葉で表わされてしまう。トランスジェンダーを包括する語彙では、生物学的な女性は“養育者”あるいは“出血がある人”などと表現される。トランスジェンダー活動家はこのほうが繊細な言葉であり、より正確に表現することができると主張するのだという。しかし、とシュライアー氏は問うている。
「ほんとうの少女はどう感じるだろうか」と。
少女たちは女性であることに意味を見出し得なくなり、或いは居心地が悪くなり、自分はトランスジェンダーだと思い始める。そのような傾向をスンナリ受け入れて助長するのが昨今の大学だとして、幾つもの事例が記されている。
「抑うつ、自傷、薬物依存」
たとえばカリフォルニア大学ロサンゼルス校などである。そこでは、両親にはぜったいに知らせずに、キャンパス内だけ、あるいは法律上も名前を変更できるように簡単な説明と申込用紙を提供しているという。アイビーリーグをふくむ百を超える大学でトランスジェンダーのためのホルモン剤に健康保険が適用されているともいう。
こうして少女たちは男性になっていくが、その世界のことを21歳のヘレナ(米シンシナティのポーランド移民の娘)はこう語っている。
「トランスジェンダーのコミュニティにはあまりにも多くの抑うつ、自傷、薬物依存が存在しています」
ネットでトランスジェンダー・アイデンティティについて知った思春期まで性別違和を抱いたことはなかったヘレナは、途中で何とか引き返した。引き返した人をディトランジショナーと言うが、そのほとんどの人々が後悔に苦しんでいると、シュライアー氏は次のように指摘する。
テストステロンは数カ月摂取しただけでも、男性のように驚くほど声が低くなり、それは摂取をやめても元に戻らない。もっと長く摂取した場合は、通常とは異なる��部を“肥大して小さなペニスに見えるクリトリスを”恥ずかしく思うだろう。夕方になると目立つひげや体毛もいやかもしれない。手術まで行ってしまった場合は胸に走る傷跡と一生つき合わなければならない。
シュライアー氏は、自分が語り合った全員が、自分の人生に関わった大人、とりわけ医療専門家が性別移行を促して助長したことを非難したとも書いている。
多くの少女たちがSNSでトランスジェンダーを知る。暴力的なポルノを見て正常なセックスもできなくなる。新しい傾向をもてはやすメディア、大学医療関係者がトランスジェンダー化への動きを無責任に後押しする。
トランスジェンダー問題はこうした思いやりに欠けた世界で運動家らによって尚も推進される。少女たちは回復不可能な傷を負い、少なからぬ家族が崩壊しているのがシュライアー氏の伝える現実である。この本は多くの貴重な教訓を与えてくれる。是非、わが国の政治家全員、最高裁裁判官たちにも読んでほしいものだ。
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ekimemo-blog · 2 months ago
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駅メモ!アプリ版10周年特別レポートおまけ #でんこたちからの質問状2024 まとめ
いつも駅メモ!をご利用いただきありがとうございます。制作チームのコンノです。
昨年に引き続き、今年も実施しました「でんこたちからの質問状」。 マスターの皆様、たくさんのご回答ありがとうございました! 「でんこたちからの質問状2024」の質問・回答結果、でんこたちからのコメントをまとめて公開いたします。
質問①メロ
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チョコレートが大好きなメロからの質問。 どうやら最後には質問の内容よりもチョコを食べることに意識が向いてしまったよう! ぜひ一緒に、美味しいチョコをたくさん食べてあげてくださいね♪
質問②ルナ
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夜型の代表格・ルナからの質問。 マスターの皆様がお疲れのご様子なのが、どうやら気になったよう。 でも考えてくれたおでかけプランは……夜がメインかもしれませんね。
質問③みろく
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アイドルイベン���を経たみろくからの質問。 アイドル総選挙は、まもなく決勝戦がはじまります! 最後まで全力で応援しつつ……歌ったり踊ったり、ぜひ一緒に楽しんでくださいね。
質問④ナギサ
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仲良しのマオが現代に来てくれたのが嬉しい様子のナギサからの質問。 マオに感化されてハワイへの興味が高まっているよう。ハワイへの旅行計画をたてつつ、ひとまずは……おうちの中でハワイパーティーでもいいかもしれませんね。
質問⑤あけひ
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ヒーローごっこを楽しんでいるあけひからの質問。 先日公開された「【アプリ版10周年】Denstagramを覗いてみよう!その3」ではヒーローごっこを楽しむあけひの投稿も載っています。 まだご覧になっていない方は、ぜひ合わせて見てくださいね!
質問⑥なな
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アイスを愛するななからの質問。 皆様の回答に大満足の様子で、カチカチのアイスを作ろうと頑張っているよう。 なお、この結果に納得がいかず、カチカチのアイスを柔らかくしようと画策しているでんこがいるとか、いないとか……
質問⑦ありす
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独特の字でプロフィール帳を書いてくれたありすからの質問。 字について練習するべきか真剣に悩んでいたようですが……このままでいいと吹っ切れたよう。 うーん、まあこれも、ありすの個性ですね。
質問⑧りょう
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最後は11月に赴任してきたばかりのりょうからの質問。 皆とご馳走をわいわい食べるのが好きな彼女らしい内容ですね。 ちなみに……独特の彼女の表現でわかりにくいですが、料理は淡雪の宝鱗が蒸し鯛、故郷の豊饒が田舎すし、青銀の舞がさばの姿ずしを指しているそうです!
終わりに
改めまして、「でんこたちからの質問状2024」にご参加いただいたマスターの皆様、ありがとうございました! 今年もマスターの皆様のことが知れて、でんこたちも嬉しかったようです。 また他のでんこたちからの質問があった場合にも、ご回答をよろしくおねがいします。
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kennak · 2 months ago
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大阪地検の検事正在任中に部下の女性検事に対して性暴力を行ったとして準強制性交罪に問われた弁護士の北川健太郎被告(65)の初公判が大阪地裁で行われ、北川被告は「認め、争うことはいたしません」と起訴内容を認めた。  また、初公判後に、女性と代理人弁護士が会見を行い、告訴に至った経緯や、逮捕・起訴後に地検内で「虚偽告訴」と噂を流されるなど「セカンドレイプ」にあたる状況があったことを���らかにした。女性は10月1日に、女性副検事を名誉毀損や情報漏洩(国家公務員法違反)などで告訴。現在は休職中という。 「家族が心配しているから帰りたい」 「これでお前も俺の女だ」  女性は��阪地検に勤務していた2018年9月12日、北川被告の検事正就任を祝う懇親会の幹事を任され、18時頃から懇親会に出席。その後、日頃の疲れもあり酩酊状態になった女性を同僚たちがタクシーに乗せると北川被告が一緒に乗り込み、そのまま自宅のある官舎へ向かった。女性は懇親会の途中から記憶がなく、目が覚めると「性交されていた」。  ショックで凍りつきながら「家族が心配しているから帰りたい」と訴えた女性に対し、北川被告は「これでお前も俺の女だ」と言ったという。  女性は翌朝に知人に泣きながら電話をかけたり、懇親会に参加した後輩に当時の状況を確認したりした。また、数日後に被告に対して行為を非難した際には「警察に突き出してください」と言われたものの「時効が来るまでご馳走する」などと軽い調子で言われ、憤りを強めた。  しかし、被告から「事件が公になったら自死するしかない。大阪事件(※)に匹敵する大スキャンダルで、組織として立ちいかなくなる」「私の命にかえてお願いしたい」などと書かれた書面を受け取ったこともあり、他の同僚に迷惑をかけられないと思い、告訴を躊躇したという。(※)2010年に発覚した証拠改竄事件  その後、北川被告は検事正を辞職したものの、「盛大な退官パーティー」を開き、弁護士として活動。現職の検事たちと交流を持ち、検察に影響力を持ったままである様子を目の当たりにした女性は体調を崩し、2024年2月にPTSDによる就労困難と診断された。  女性は4月に被害申告を行い、北川被告は6月に逮捕された。しかし9月に入って地検内で「セカンドレイプ」にあたる状況があったことを知り、再び体調を崩し休職中という。 大阪地方裁判所 「私は現職の検事です」 女性が会見で語った言葉  以下は会見で女性が語った内容の一部。 「みなさま本日はお忙しい中このような場を設けていただきまして、本当にありがとうございます。私は元大阪地検、検事正による凖強制性交等事件の被害者です。そして私は現職の検事です。 本日は、大阪地裁で初公判があり、被告人が控訴事実を認め、検察官の提出した証拠の大半に同意し、裁判所が証拠の取り調べを行いましたので、このタイミングでお話をしようと決めました。 公判を終えての感想ということですが、被害を受けてから、約6年間、苦しんできましたので、なぜもっと早く罪を認めてくれなかったのか、もっと早く罪を認めてくれていたら、もっと私は早く被害申告をできて、この経験を過去のものとして捉える���とができた。 彼は逮捕された当初は否認をしていて、捜査官の捜査してくださった証拠を見て争う余地がないということで認めたのだと思いますので、認めたとしても、私の処罰感情が和らぐはずもありません。 ここまでの経緯を振り返ると、公判を傍聴してくれた人ならわかると思うのですが、検察組織や検察職員を人質にして、私に口止めをして、「公にされたら死ぬ」と脅され、私は被害申告できませんでした。 被害や口止めされたときの状況が6年間ずっと、頭の中をぐるぐる回りながら、検察官の傍聴陳述や証拠調べの手続きを聞いていました」 声を上げても届かない 被害者に寄り添いたい気持ちから検事に 「この場をお借りして、被害から6年間、家族や代理人の先生をはじめ、私を支えてくださった先輩検事や同僚、友人、医師や心理士などの皆様に心より感謝を申し上げます。また本日、面識のない有志の方々が、地裁前でフラワーデモをしてくださったと聞きました。そのようなみなさまの温かい支援が、とても心強く感じました。 被害から6年間、本当に苦しんできました。ほぼ誰にも言えず、苦しんできた期間が長かった。強い恐怖や孤独、事件が闇に葬られるかもしれないと不安も大きかったですが、温かく見守ってくださったみなさまが、私の選択を応援して支援してくださったことで今日の初公判を迎えることができました。本当にありがとうございます」 女性は会見で声を震わせながら被害からこれまでを語った 「次に会見を開いた理由です。大きく2つあります。 1つ目は、性犯罪や虐待被害など、声を上げられずに苦しんでいる被害者の方々や、勇気を振り絞って声を上げてもずっと苦しみ続けている被害者の方がたくさんいらっしゃいます。 私は若い頃、電車内での強制わいせつ被害に遭ったことがありましたが、恐怖で逃げるのに精一杯で、警察に届けることができませんでした。 また、ストーカー被害に遭った際は、警察に被害を届け出ましたが、まともに捜査してもらえませんでした。 私は、被害を受けても声をあげられない、声を上げても届かないということを身をもって体験して参りました。ですから私は、被害を受けて苦しんでいる方々に寄り添い力になりたいと思い、検事に任官しました。 これまで検事としてたくさんの被害者の方とともに泣き、寄り添ってきました。そして今、私自身の経験をお話しすることで、今まさに苦しんでいる被害者の方に寄り添うことができればと思い、会見を開くことにしました。 また性被害は知人間で行われることが多く、客観証拠が乏しいことが多いため、加害者が性暴力をしていない、同意があった、同意があると誤信していたと主張することが多く、司法にたずさわる者が懸命に捜査をしなければ、あるいは正しく事実認定しなければ、法的評価をしなければ、勇気を振り絞って声をあげた被害者をさらに傷つけることになり、さらには性犯罪を許すことになり、傷つけられる被害者が絶えないという悲劇をもたらします。 ですから、性犯罪の本質を正しく理解していただき、性犯罪被害者の過酷な実態を正しく知っていただくことで、性犯罪を撲滅したいという思いから会見を開くことにしました」 「被告は罪を隠して円満退職 検察に影響力を持ち続けた」 「2つ目は私自身のためです。 私は法令を遵守し、傷ついた被害者に寄り添い、犯罪者を適正に処罰することを使命とする検察庁の、しかも私が所属する大阪地検のトップの検事正から突如性被害を受け、全てを壊されました。 女性として妻として母としての、私の尊厳、そして検事としての尊厳を踏み躙られ、身も心もボロボロにされ、家族との平穏な生活も、大切な仕事も全て壊されました。 それでもすぐに被害申告できなかったのは、被告人から「公にすれば死ぬ」「検察が機能しなくなり、検察職員に迷惑がかかる」と脅され、口止めをされ、懸命に仕事をしているたくさんの職員に迷惑をかけられない、検察を守らなければならないと思ったからです。 私は自分が泣き寝入りさせられたことで、それまで以上に勇気を振り絞って被害申告してくれた被害者の方々に寄り添い、力になりたいと思い自分の苦しみに蓋をして、被害者の方々と共に戦ってきました。 少しでも孤独に苦しんでいる被害者の方々の力になれたら、自分自身も生きられると思っていたからだと思います。 一方被告人は、重大な罪を犯したことで、刑事処罰を受け、懲戒免職され、法曹資格も失うべきであったところ、その罪を隠して円満退職し、多額の給与や退職金も得て、弁護士になり、企業のコンプライアンスなどに関わり、多数の検察職員に囲まれて盛大な退官パーティーを開き、検察の現職の職員と夜な夜な酒を飲み歩き、部下との関わり方などを語り、検察に大きな影響力を持ち続けていました。 被告人は私を脅し、口止めをした際、「公にならないなら喜んで死ぬ」とまで言っていましたが、実際の行動はまるで、自分の犯した罪などなかったかのような、傷つけた被害者の存在など忘れてしまったかのような振る舞いで、被害感情を逆撫でし、必死に苦しみに蓋をして検事の仕事に没頭し、そうやってなんとか生きていこうとしていた私を踏み躙ってきました。 検事正だった人間がこれほどまでに罪深く、不道徳で、非常識であることを誰も気づいていない。 処罰されるべき人間が処罰されていない。被害者を救い、犯罪者を適切に処罰し、国民の安全と安心を守り抜くことが検察官の使命であり、私の使命であるのに、被害者である私自身は誰からも救ってもらえず、罪を犯した被告人を適切に処罰できていない。その怒りや悔しさで、PTSDの症状が増悪(ぞうあく)し、私の心身は限界になり、休職せざるを得なくなりました。自分の生きがいであった仕事まで奪われてしまいました。 私自身を取り戻すためには、私のアイデンティティを守ることしかない、被告人を適切に処罰することしかない。被告人に真に自分の罪と向き合わせ、同じような被害者を二度と生み出してはいけないと思い、覚悟を決め、被告人の処罰を求めました。 適正な処罰をして、被告人の処罰をしてほしい。私を救ってほしいと何度も何度も書面を作成して、検察庁に訴えました。持っていた証拠も全て提出しました。起訴していただくまでの間は、事件を潰されるかもしれないという恐怖に怯え、とても苦しかったですが、担当してくださったみなさまが懸命に捜査をしてくださり、起訴していただくことができました」 会見に同席した女性の代理人弁護士 「PTSDも詐称」「金目当ての虚偽告訴」 地検内での「セカンドレイプ」 「私は少し救われた気持ちになりました。 少しずつ日常を取り戻していくために、休職期間を利用して登庁の練習を始めました。起訴していただくまでは、登庁すること自体が恐怖で、泣きながら震えながら登庁していましたが、検察庁が被害者情報や内容の秘匿を徹底してくださったので、この職場は安全であると信じていました。 ところが、今回の事件の関係者である、女性副検事が、内定捜査中の時点で、被告人側に捜査情報を漏洩し、被告人が当初弁解していた内容の、事実と相違する供述をしていたことがわかりました。 さらにその女性副検事は、検察庁職員やOBに対して、被害者が私であることを言った上で、私が事件当時、飲酒酩酊のため抗拒不能の状態になかったので、性交に同意していたと思う、PTSDの症状も詐病ではないか、金目当ての虚偽告訴ではないかという趣旨の、私を侮辱し、誹謗中傷する虚偽の内容を故意に吹聴していたことがわかりました。 さらにその嘘は、検察庁内に広く伝わり、私が信頼していた上級庁の検事までもが、証拠関係も知らないのに、被害者を誹謗中傷し、被告人を庇うような発言をしていたこともわかりました。 性被害を受け、苦しんでいるにもかかわらず、検察内からこのような被害を受け、さらに傷つけられてしまいました。 女性副検事の一連の行為については、私が知った9月3日以降、検察庁に対して、何度も速やかに適正に処分していただきたいと訴え、10月1日に告訴、告発しました。 また、検察庁に対する信頼を損なうことになるので速やかに副検事の職から離れさせるよう訴えてきましたが、いまだ女性副検事は検察庁で仕事をしています。 女性副検事の、捜査段階での捜査情報の漏洩などを把握していながら、適正な処罰や処分をせず放置し、しかもあろうことか被害者である私にその情報を伏せ、私をその女性副検事と同じ職場に復帰させたのです。 私は安全だと思っていた職場に、被告人と内通していた職員がいて、それを知らず、必死に復職しようと思って、毎日を過ごしていたわけですが、その事実を知り、私は誹謗中傷されるのではないかと怖くなり、すぐにその方は私の職場から離してほしいというふうに求めましたが、検察庁の動きは遅く、先ほど言ったような、名誉毀損の実害が発生してしまいました」 「性被害を受けたことは恥だとは思っていません」 「私は性被害を受けたことは恥だとは思っていません。悪いのは犯罪者で、北川健太郎です。私は堂々としていたい。検事の仕事もしたい。被害者に寄り添って、一緒に戦ってあげたい。 けれど、検察庁内で、私が虚偽告訴をしたというような噂が広められていることを知って、絶望して、再び休職せざるを得なくなりました。 なぜ私に、この副検事が捜査段階でこのような行為をしていたことを、私に言わず、私を彼女と同じ職場に復帰させたのかについて、検察庁、最高検含め、何度も何度も説明を求めてきましたが、一切説明はされず……。 現職の検事正から性被害を受け、現職の女性副検事から名誉毀損などの被害を受けているにもかかわらず、検察庁からは謝罪もなく、非常に孤立させられ、そういった状況であることから、会見の理由としては、検察庁に適正な捜査、速やかに捜査していただき、適正な処罰、処分をしていただきたい要望があり、それをお伝えしたかったの��、私の名誉を回復する機会にしたいと思い、この会見を開くことにしました」 初公判、会見を取材しての感想  北川被告が、事件後すぐから女性の被害感情を認識していたにもかかわらず、仕事にやりがいを感じ誇りを持っていた女性の気持ちを利用するかたちで口止めをしていたことに驚いた。また、事件が報道された後に、地検内で女性への典型的な「セカンドレイプ」があったようであることについては、聞いていていたたまれない気持ちになった。  女性は会見で声を振り絞るようにして、約1時間にわたってこれまでの経緯などを話した。性犯罪事件や刑法について熟知している検事同士での事件だが、北川被告が事件後に口止めする書面などの「証拠」を残していた点が意外だった。「自死」をちらつかせたり、「���検の仕事が立ち行かなくなる」と言ったりすれば、女性が沈黙せざるを得ないという自信があったのではないかと感じた。被害者がつらい立場に置かれる無罪主張でなかったことだけが救いだ。 ※記事内の写真はすべて筆者撮影 ※引用元を記載しないスクリーンショットによる転載はやめてください。
「私は堂々としていたい。検事の仕事もしたい。けれど……」女性が記者会見で語る 大阪地検元トップ初公判(小川たまか) - エキスパート - Yahoo!ニュース
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blogyuusato · 2 months ago
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土田真樹さんのこと
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10月29日、Facebookの投稿で映画ライターの土田真樹さん訃報を知った(しばらくして、審査員として出かけていたゆうばり国際ファンタスティック映画祭のオープニングの翌日、10月25日の朝に亡くなっていたことがわかった)。とても驚き、ショックを受けたと同時に「ついにこの日が来てしまったか……」という思いが頭をよぎった。ここ数年の土田さんの健康状態は、それほど悪くなっているように見えていたからだ。
コロナを経て、地元から韓国に戻った後の土田さんは就労ビザでなかったせいもあってか、決まった住居を持たず、いくつかのゲストハウスを転々としていた。炊飯器を持って釜山国際映画祭に来たこともあった。彼のSNSを見ていた人であればよくわかるように、食事はどうしても不規則になり、そうした生活を続けること自体が体を蝕んでいるように感じられた。そのことは私だけでなく、釜山や富川国際ファンテスティック映画祭などで土田さんと会っていたライター仲間は皆、気づいており、集まって言葉を交わす度に「どうにかしたほうがいいよね」と話していた。しかし、私自身はコロナ禍のあるときに、お願いした原稿がいただけないままになってしまった経験(後で心臓の病気で倒れ、入院していたと人づてに聞いた)があった��となどから、心理的に距離をとるようになっており、10月のはじめに釜山に行った際も、土田さんに連絡しなかった。
最後に会ったのは7月の富川。旧知の韓国人カメラマンOさんと食事をすることになり、彼女から「真樹さんにも連絡ついたから3人で食べましょう」と言われ、2人して御馳走になった。セルフサービスでおかずのおかわりができる店で、土田さんは奥に座っていたにもかかわらず、私たちのために甲斐甲斐しくおかずをとりに行ってくれたことを覚えている。
土田さんが亡くなってしばらくして、故郷の山口県阿武町で葬儀とお別れの会が開かれると知った。コロナによって日韓の行き来がストップしていた頃、ご実家に戻っていた土田さんが親しくされていた地元のみなさんとご家族が中心の会のようだったが、韓国から友人Yさんらが参加すると聞き、急遽、行くことに決めた。訃報を知って以来、もやもやしていた気持ちの整理がつくかもしれないという思いもあった。新幹線・新山口駅からの行き方を調べるために地図を見ると、阿武町は海に面した街で、海を挟んだ向こう側は釜山だった。
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当日移動だったため葬儀には間に合わず、道の駅に隣接する、土田さんがよく仕事をしていたという眺めのいいカフェで行われたお別れの会に滑り込んだ。遺影のほかに、たくさんの写真が飾られている前で、おいしい��弁当をいただきながら、参加者それぞれの知る土田さんのエピソードが次々と披露された。ご家族や近しいみなさんが話す抱腹絶倒のダメダメぶり(それでも、なぜか許してしまう)や、同級生の語る若い頃の姿について聞きながら、なかなか掴むことができなかった(そのためにすごく親しくはなれなかった)土田さんの輪郭が少しずつはっきりしたような気がした。コロナが落ち着き、韓国に戻れることになったときのうれしそうな顔は格別だったという。
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お別れ会がお開きとなる頃、韓国からいらしたIさんから「土田さんの残した功績はなんだと思いますか?」と質問され、とっさに言葉が出なかった。それは、たぶん、土田さんだからではなく、私を含め、ライターという職業を持つ人たちが、仕事でなにかを残すのは、とても難しいことだからだと思う。日々、目の前にあることを書いて、記事という形で誰かに手渡す。私たちの仕事はたいてい、そこで終わる。運よくそれをまとめて単行本にでもしない限り、なかなか形にならない。でも、目の前にあることを書くためには、その場にいて目撃したり、映画を見たりしなければならない。土田さんの場合であれば韓国に居続けることがなによりも大事だった。そして、それはとても大変なことだった。
最後に映画ライター、土田真樹さんが00年代初期に書かれた記事のごく一部を我が家にあった資料から紹介する。韓国映画の隆盛を最初に現地から伝えてくれたのが彼であったことがよくわかる。
土田真樹さん、長い間、ありがとうございました。そして、おつかれさまでした。いつかどこ���で、또 만나요!(また会いましょう)。
雑誌『キネマ旬報』
2000年1月下旬号 特集「「シュリ」公開! 韓国《映画》を知ろう」「韓国映画A to Z」
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2002年2月上旬号 特集「「ソウル」&ソウルで映画を観よう!」
「2002年2〜3月 話題の映画をピックアップ」
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2003年6月上旬号 特集「“韓流” 韓国映画&テレビドラマ2003」
「太極旗を翻して 現場レポート」「チャン・ドンゴン、ウォンビンインタビュー」ほか
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「韓国映画界の勢力図」
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2004年1月下旬新春特別号 特集「KOREAN MOVIE STAR 2004」
「2004年上半期韓国での公開情報」
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単行本への寄稿
『21世紀をめざすコリアンフィルム』1999 パンドラ
『韓国シネマコレクション』2006 キネマ旬報社
ほか多数
近年は主にウェブサイト『シネマトゥデイ』で、現地からのレポートを届けていた。 
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kyokutoukou · 2 months ago
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今日新しく出た曲です❗️
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歌詞
とある一品を境に
突如、担がれ方だけ、三ツ星。
そんで、分不相応な店舗を構えて
勝手が分からず、撃沈。
正味、礼儀作法や、
テーブルマナーとか、
なんのこっちゃでして。
加えて、勝手な推知で、
形成されていく、パブリック・イメージ。
嗚呼!ただただ、
話題性だけが先行していて
碌に咀嚼せず嚥下か。
実は、見かけの映えだけ
意識していれば、
味はどうだっていいらしい。
必死こき、拵えたメニューも、
伝わらなけりゃ、無意味と同義?
兎角、嘲笑塗れのレビューサイトでは
流言飛語って、やんなっちゃう!
続々と現る新フード
全量を食べてちゃ追いつけない;;
一片食べたら、後はもう、
適当に遊んでしまえ。
塞がった声は影も無く、
ただ、給仕の枷になり得るの。
並々ならぬ思いとか、
それは、塵も同然。
偏食傾向の神様に、
また同じ味を捧ぐ奴隷。
「あなたに満足してもらえたなら
私の気持ちはどうでもいいですわ!」
新たな食事が出る度、
何処からか湧いてくる、ノスタルジー
なんか、毎年いつも同じムーブだね。
それこそ、お腹がいっぱい。
もう、主観と、客観が、
ごっちゃになっている
カスのサラダボウル?
はたまた、事実に反する
確証バイアスか?
じゃあ、例えば。
数年後には、脚光の主役が
取って代わられているとして、
その時、あなたはそれでも
私の隣に居続けてはくれるのかな。
流行り廃りの延長線に、
腐り落つ私達が有って。
賞味��限も過ぎずに、
とっとと廃棄で、
「次の注文」って…
大前提な、公然の秘密、
嬉々として宣って、何番煎じ?
こうなった以上、もう是非もない。
冷めきっている残飯を召し上がれ。
後続狙った功名心
欲張りすぎたって空回り?
変わらず抱いている矜持だけ、
捨てないように。
飽和してしまった供給で、
そのサイクルすらも速くなる
下馬評なんて気にせずに、
好き勝手やろうぜ。
模造品ばっか食べていりゃ、
そら、同じ味に飽きは来よう。
直に此処いらも、お釈迦になるから、
お好きな加減で、食い散らした後、
お手々を合わせて、ご馳走様でした。
1時間も経ってないのに高評価1万!?
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flamingo-rex · 6 months ago
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2024.08.01
都内滞在中は、関係者の挨拶周りとか
動き回ってるんだけど、
昼の空いてる時間に食事をしましょう!
と、誘って頂き高級ランチをご馳走になりました
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そもそも、ソバ食べに行きましょう!
と言われたのですが
そのソバってのは、フカヒレがガッツリ乗った
餡掛け焼きそばの事。
このフカヒレの大きさヤベーよ
しかも、めちゃんこ美味しかった!
これは、とんてもないわ
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夜は元々、予定してた食事会。
こちらも、めちゃんこ楽しかった(^^)
にいやん行きつけだし、業界関係者の
隠れ家的お店なので、記載はしませんが、
久々に楽しかった。また寄ります!
2次会は、まさかの流れに…
こちらも割愛。
でも、東京ラストナイト
最高に楽しい時間をありがとうございました!
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myonbl · 1 year ago
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2023年8月6日(日)
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2日目の朝、前日に買っておいたコンビニのサンドとホテルの味噌汁・珈琲で朝食をいただく。8時15分にチェックアウト、まずは<南紀グリーンハウス>でS翁に焼香した後、Sさんから珍しいエアープランツのレクチャーを受け、お土産まで頂く。<丸山千枚田>へ移動し、昨年亡くなられたKさんを偲ぶ。<奥川ファーム>で定期便を直接受け取り、<奥伊勢PA>でランチ、13時51分に帰宅した。走行距離は518km、燃費は24.9km、愛車の初仕事は無事終了だ。楽しかったなぁ、お世話になったみなさま、ありがとうございました。
5時30分起床。
日誌書く。
当初は七里御浜を散歩する予定だったが、雨が降っているので中止する。
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Sさんとは<東紀州��性化大学>からのお付き合い、電話すると在宅とのことで<南紀グリーンハウス>にお邪魔する。社会調査実習で学生たちが大変お世話になったS翁に線香を手向ける。ハウスで最近の仕事ぶりを拝見し、珍しい<ヒガクシダ>の解説を受け、流木にセットしたサンプルを土産としていただく。
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<丸山千枚田>に移動、Kさん宅の横を通過するがガレージに車がないのが寂しい。広島に思いを馳せながら、静かに手を合わせる。
<浜峰浜街道店>に立ち寄り、昨日のお礼を申し上げると、こちらでも土産を頂戴した。
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紀北町の<奥川ファーム>に到着したのは11時過ぎ、用意していただいた定期便を車に積み、久しぶりなので記念撮影。奥川さん、いつもありがとうございます。
<奥伊勢PA>で早めのランチ、私は松阪牛うどん、彼女は伊勢うどん。
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順調に走行して帰宅、自分にお疲れさま。
まずは2日分の洗濯をする。
定期便の荷物をほどき、鰹が1本入っていたのですぐに生姜煮にする。
唐辛子は酢に漬け、蕎麦とパンは冷凍する。
ツレアイは買物に、私は軽く午睡。
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冷蔵庫掃除メニューで早めの夕飯、息子たちには珍しいイギリスのスパークリングワイン、私は一昨日届いた<瑞冠>をいただく。
録画番組視聴。
▽森乃石松「寄合酒」
初回放送日: 2023年8月5日
土曜の早朝は、関西の笑いを、たっぷりと!今回は森乃石松さんの落語『寄合酒』です。▽ご案内は河島あみるさんとらくご男子の皆さんです。
(28)「ボスコム渓谷の惨劇」
ジェレミー・ブレットが演じた<世界一有名な探偵>シャーロック・ホームズのドラマシリーズ。ボスコム渓谷で農園主が殺される。口論していた息子が犯人なのか?それとも…
ボスコム渓谷の沼地でオーストラリア出身の農園主が殺され、息子のジェームズが逮捕される。事件直前、父子は口論していたことが判明。地主の娘アリスとの結婚を父に強制され、ジェームズが反発したことが原因だという。ジェームズとアリス��幼いころからの友人だが、なぜジェームズは結婚を拒んだのか?それが犯行の動機なのか?ホームズの捜査の結果、新たな犯人像が浮かび上がる。イギリス1991年制作。
片付け、入浴、体重は一昨日から550g像、当然の結果だ。
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さすがに車移動なのでこんなもの、水分は1,795ml。
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moja-co · 1 year ago
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「御即位式」  大正天皇の御即位式が行われたのは、青島陥落の翌年、大正四年十一月十日だった。御即位式のことを、一般に御大典といったが、明治天皇の御大葬が、日本が文明開化の代になってから初めての出来事であったと同じように、御即位式もここ数十年の間かつてなかったことではあるし、欧州戦線のあおりを受けて、丁度日本が好景気のさなかだったので、全国民挙げてお祝い申し上げたのであった。その時僕は、五年生になってゐた。  その日は、学校で祝賀式があって、新しい天皇陛下の御真影を拝み、「君が代」を斉唱し、教育勅語の拝読のあと、校長先生から色々のお話があって、天皇陛下万歳を三唱して、その日の授業はお休みになった。  明治天皇の御真影はどうなったか知らないが、新しい天皇陛下の御真影を頂く行事があったことを覚えている。尤も、それが何年の何月だったか忘れたが、御即位式よりも前だったことは確かである。  多分、神戸の県庁で、校長先生が頂いて帰られたのだらうと思う。��時何分に御真影が姫路駅にお着きになり、何時何分に学校にお着きになる、と時刻予定がきまって、全校生徒は、校門の前にズラっと両側に整列して、お迎えした。その時刻の少し前から、学校前の道路は一般の通行禁止になって、警官が警戒に立ってゐた。  待つほどに、京口橋の方から、人力車がボツボツ来るのが見えて、「気をつけ!!」の号令がかかった。見てゐると、警官が一人、車の前をテクテク歩いて、人力車の上には、校長先生が白手袋の両手で、大きな紫色の風呂敷包みを、おもそうに捧げて居られる。それがやっと見えた頃に「最敬礼!!」の号令がかかった。しばらくすると、警官の足と、車夫の足と人力車の車輪、その後にもう一人の足が、目の前を通って行った。  その日しばらくしてから、講堂で、御真影奉戴式があった。明治天皇が崩御になってから、三大節にも、講堂の御真影の棚は開かなかったが、新しい天皇陛下の御真影を頂いてから、前通に、御真影奉拝の最敬礼が、よみがえったのであった。  御即位祝賀式のときには、校長先生から、御即位式について色々お話があった。万世一系の日本では、一日一刻も天皇陛下のない時があってはならぬので、明治天皇がなくなった時、すぐに、当時の皇太子殿下が三種の神器をお受けになって、天皇の位につかれた。それを践祚(せんそ)といったが、天皇陛下がその位におつきになったことを、天照大神その他の御先祖に報告されなければならぬし、国民一般に又外国にも、そのことをハッキリ知らせなければならないので、先帝陛下の喪が明けてから、その儀式を行われるのである。この御即位式は、大昔から続いてゐる儀式だから、昔からの仕来り通りに、元の皇居である京都御所の、紫宸殿という第一の御殿で、古式通り厳かに行われるのである、というようなお話であった。  御即位式の日取りがきまると、その儀式のことや日程が、次々に新聞で細かく解説予告されてゐたが、いよいよ式が始まると、天皇陛下が東京を出て、京都に向かわれる鹵簿((注)ろぼ=天子の行列のこと)や、関連の色々な写真が、その記事と共に、次々に掲載された。新聞もここ数年の間に非常に発達して、写真版などもきれいになってゐた。  又、前年の青島陥落のときと同じように、全市を挙げての祝賀行事が催され、我々小学生は、日の本の小旗をかざして、町々を旗行列をし、夜は夜で、色んな団体の提灯行列が、いくつもいくつも、「祝えや祝え!!」と歌いながら、又、それぞれで万歳万歳!!と、市内を行進して、大変な賑やかさだった。  御即位式のときに、国家社会に功労があって勲章を頂いてゐる人に、天皇陛下からごちそうを下される、ということがあった。特別立派な勲章を貰ってゐる人は、東京に召されるのだが、勲五等だった父には、神戸の県庁でごちそうを賜るというので、菊の御紋章のついた御召状が届けられた。  父は以前に、広島や大阪に勤めて、軍需品の納入その他のことで、功績があったのだそうで、勲大等の旭日勲章を頂いたが、僕がごく幼い頃、専売局に勤めてゐた時に、一段進んで、勲五等になり、瑞宝章を頂いてゐた。だから、今では民間の塩田業者であったが、御即位式の御馳走に召されたので、大変の喜び方で、あちらやこちらで、大自慢にしてゐたが、いよいよその日には、朝早くからフロックコートを着て、これが勲五等の瑞宝章だ、これが勲大等の旭日章である。旭日章は本当に手柄がなければ頂けないので、一段下ではあるがこの方が立派なのだ。これが日清戦争の従軍章、これは北清事変(明治三十三年)の従軍章、これが日露戦役の従軍章だと、一つ一つ、僕に説明しながら、それを胸にズラッと吊り並べて、シルクハットをかぶって、意気揚々と停車場に向かった。  その日、もう日が暮れてから、父は、胸いっぱいに勲章を飾ったまま、人力車から自分独りで降りるのが危ないほど酒に酔って、それでも白い風呂敷包みだけは、大切に持って、帰ってきた。その風呂敷包みには、その日の御馳走が入ってゐたのである。素木の足のないお膳と、素焼きのお皿や瓶子(へいし)のようなものと、銀色のボンボニールとかいうものを取り出して、これには何が入ってゐた、これに何がと、一つ一つ説明してくれたが、どれも空だったことを記憶してゐる。
大正天皇の即位式の日のことが、大伯父(祖母の兄)の遺した回顧録に記されてました。 従兄弟が見つけて、文字起こしまでしてくれた! けっこう貴重な資料だと思う。
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yukinotrinko · 1 year ago
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数日前に祖母が亡くなった。享年92歳だった。
八王子の浅川沿いに佇む祖母の家を訪れたのは15年ぶりで、これは祖母と会っていない期間だった。
家に駆け込み、祖母に対面したとき、祖母は声も出せない状態で、もう長くないことを悟りながらも、母方の兄弟たちが健気に声をかけ看病をしていた。
この家を訪れるのはいつも教会に行ったあとだった。教会に行くことが嫌だったせいで、祖母の家に着いたあともずっと不貞腐れていたあの頃の自分に、祖母はいつも優しく声をかけてくれた。祖母はよく、じゃがいもばかり入っている味の濃いカレーを作りご馳走してくれた。その当時、食べる前のお祈りは、味が美味しくなるおまじないだと思い込んでいた。
キッチンで叔母がカレーの支度をしていたとき、母に促された私は祖母の前に立っていた。何か言いなさいと言われるも、15年も会っていないせいで、感情ばかりが溢れ言葉が出てこない。不器用に手を握ると、弱った彼女の手はそんな自分を受け入れてくれるように温かった。
翌朝、祖母が静かに息を引き取ったあと、牧師がやってきて、母を取り囲んで讃美歌を合唱しお祈りを捧げた。
お祈りは、まやかしやおまじないではなく、自分の人生をかけて培った、今すぐには言葉に出来ない、祖母に対する後悔や感謝の念に向き合う時間の流れだった。
自分が子供だったあの頃から、祖母がこの景色を少しでも見せようと、家族を取り囲んだ食事の度にお祈りを捧げてくれていたとしたら。そう思うと涙が止まらなかった。
悲しくないと言ったら嘘になる。でもこの考えを持てたことで、これからはいつも祖母が側にいてくれるような安心感も感じている。
本当にありがとう。どうか安らかに。
出来ていない自分がこんなこと言うのもあれですが、大切な人には会える時に会って、あなたが出来うる方法で、彼らに感謝を伝えてください。
My grandmother passed away a few days ago. She was 92 years old.
It had been 15 years since I had visited my grandmother's house, which is located along the Asakawa River in Hachioji, and this was the first time I had not seen her for a period of time.
When I ran into the house and met my grandmother face to face, she was unable to speak, and my mother's siblings were cheerfully calling out to her and nursing her, even though they knew she did not have long to live.
I always visited my grandmother's house after going to church. Because I hated going to church, my grandmother always spoke kindly to me, even after I arrived at her house, as I had always been unfaithful. My grandmother used to make a strong tasting japanese curry with potatoes in it and serve it to me. At that time, I thought that praying before eating was a trick of a spell to make it taste better.
When my aunt was preparing japanese curry in the kitchen, my mother urged me to stand in front of her. My mother told me to say something to my grandmother, but because I had not seen her for 15 years, I was so overwhelmed with emotion that I could not to say something. I clumsily held her hand, and her hand was warm as if to accept me.
The next morning, after my grandmother quietly breathed her last, a pastor came and we surrounded her, singing hymns and offering praying to her.
The praying was not a trick or a spell, but a flow of time to face the regrets and gratitude for my grandmother that I had spent my life cultivating and that I could not put into words right now.
What if, from that time when I was a child, my grandmother had offered prayers to us at every meal surrounding the family to show us this view as much as possible. I couldn't stop crying when I thought of that.
I would be lying if I said I wasn't sad. But now that I have this thought, I feel a sense of security as if my grandmother will always be by my side from now on.
It is strange for me to say this, as I have not been able to do so, but please see your loved ones when you can. And in your own way, express your gratitude to them.
love you grandma!
rest in peace.
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ari0921 · 6 months ago
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桜林美佐の「美佐日記」(263)
潜水艦修理中の物品・飲食供与について思うこと
桜林美佐(防衛問題研究家)
────────────────────
おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、263回目となりま
す。
 海上自衛隊の潜水艦修理中に乗員が物品���飲食な
どの供与を受けていたということで「特別防衛監察」
が実施されています。
 これまで防衛産業について書いてきた私としては、
これを無視するわけにはいかず、先週の夕刊フジで
の連載では、まずこのことについて触れました。
 その原稿を書きながら、私は色々なことを思い出
していました。
それは私が自衛隊や防衛産業について書くようにな
ってから、多くの所に行き、多くの人に会いました
が、その時の食事代は誰が払ってくれたのだろう、
ということです。
 といっても、講演で訪れた部隊での昼食や、夜の
居酒屋(隊員クラブなどの)の代金のことです。今
思うと、自衛隊のどなたかが払ってくれていたのだ
と思います。実は、講演後の懇親会で会費を徴収さ
れたことがあり、その時に初めて自衛隊ではそうし
た経費というものがないのだということに気づいた
のです。
 貧乏だった私は、いつも適当なお菓子やパンなど
を食べて暮らしていましたので、ああ今日、誰かと
ばったり会って「ランチをご馳走するよ」なんて言
われないかなあと妄想していたくらいでしたから、
講演に行って会費を取られた時はあまりに衝撃が大
きかったことを今でも忘れません。
 知り合いで自衛隊で講師などをしている方が数々
いますが、私のように誰かが払っていることを知っ
ているのは少数派かもしれません。おせっかいばば
あのように私はこの事実を教えてあげているのです
が、皆さん恐縮して、今度からは自分で払うとか言
われます。
 そうなると、お互いに気を使い合ってまで講演会
をする必要はないという気持ちになってもおかしく
ありません。
 飲食代だけでなく、経費を領収書で落とすなどと
いう概念がない自衛隊ではとにかく手出しが多い。
そう考えると、乗員と企業側は造船所で膝詰めで真
剣な作業を行っているわけですから、企業が手を差
し伸べてもおかしくないでしょう。
 ただ、いずれの企業も昨今は経費が認められるた
めには、領収書に相手の名前を書くとか、その「成
果」を問われるなど、管理が厳しくなっていると聞
きますので、今回、資金捻出のために架空取引のよ
うな手段をとってしまったのか、分かりませんが、
いずれにしても、潜水艦の乗員に何か供与しても、
潜水艦の受注に繋がるとか、営業成績にはならない
のです(もうすでに受注しているのですから)。
 もし、乗員が造船所に言えば何でも買ってくれる
くらいの態度で要求していたというなら、そのいび
つな構造を厳に改めなくてはなりませんが、新聞や
ニュースがイメージしているものとはちょっと違う
のではないかという気もします。
 昨今は各所で倫理規定を気にする余りの光景をし
ばしば目にし、私はそちらの方が違和感があります。
 自衛隊の高官が何らかの行事に招かれ、自腹で高
額な会費を払い、会場に行って名刺交換をひたすら
して帰る。これが1週間のうち何度もあります。
このところ官用車の使用も神経を使うため、自衛隊
トップクラスが雨の中とぼとぼ歩いて、会場まで電
車などで向かっているという、こんな姿、本当にあ
るべき姿なのですか?と強く思います。
 風雲急を告げる安全保障環境、いつ起きるか分か
らない自然災害、そんなことを誰もが当たり前のよ
うに言う割には、これが「危機管理組織」の実態で
す。
 これで自衛隊は本当に強くなるのでしょうか。
 
 最後に、これまで私の分の代金をそれと気付かれ
ないように支払って下さった皆様へのメッセージを
この場を借りて。いつかビッグになってきっと恩返
しをいたします!待っていて下さい。その日まで
!! 
今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
皆様にとって素��らしい1週間となりますように。
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misatovan · 8 months ago
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もう感情をあまり揺れ動かさずに生きていきたいという気持ちになることがある。どうせ嫌なことばかり根に持ってしまうのだし、怒ったり泣いたりしたくない。いやな気持ちになるのがこわい。でも、その反対側に揺れれば、嬉しい感情もそこにはあるわけで。いやなことを思い出しそうになったときは、心の中で「ストップ」と唱えると良いらしい。本当に? 本当にストップして良いのだろうか……。
新年度、わたしは少しだけ昇進してしまった。去年、仕事がつらくて泣いたことが課長から部長まで伝わっていたことが歓送迎会で判明した(定年退職する部長が気遣って声をかけてくれた)。
そこまで下書きに書いて止まっていた。4月の半ばぐらい?何か悲しい気持ちになっていたんだろう。でも、振り返れば4月は、中学生のころから好きなAJICOというバンドのライブに行き、関東と関西の友達に会うために東京に行き、なんだか華やかな日々だった。
仕事は年度替わりの人事異動があって、大変な部分もあるけど、良かった部分もある。昇進と言っても部下をもつとかでは全然なくて、ちょっとチームリーダー的な肩書きが名札に加わっただけ。でも、そうなってみたら思っていたよりは気持ちがピシッとした。長いことお世話になっているパートさんが、「お祝い」と言ってランチをご馳走してくれて、「若い人が頑張って昇進していくのは嬉しい」と言ってくれて、とても嬉しかった。
ゴールデンウィークはシフト勤務でときどき出勤ではあったけど、週休をキュッと集めて3泊4日で実家に帰ってきた。妹も帰省していて、子どものころ、よく連れて行ってもらった中華料理屋さんにみんなで行ったりして楽しかった。
昨日は仕事で、数年前に担当の仕事でお世話になった方たちに一瞬だけ再会したら、わあ久しぶり!と喜んでくれたので嬉しかった。今日は、夫と義母と三人でちょっと遠出。夫が運転してくれてわたしは座っていただけなんだけど、なんだかたいそう疲れた。義実家で出かけるのはなにかと疲れるので、いつものこと……。でも、景色が綺麗だったし、なんだかんだ言いながら義母も喜んでいたので、よかった。
実家では趣味の小説を書いたりもした。また次もなにか書けたら良いなと思う。無駄かもしれない感情のゆらぎは、小説を書くときには役に立つ。難しいときも多いけど、できるだけ良いことに目を向けて暮らしたい。
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fuuuuareyou · 9 months ago
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2nd date.
4.15(月)
この日、朝から俺は仕事で。でも夜から逢えるって思ったら苦じゃなくてさ。そりゃもう…、ワクワクしちゃってたよね。あからさまに上機嫌だったと思われる(笑)ちょっと仕事が押しちゃってて、「 あっ。これ遅れるかも 」 って危機を感じてマッハで終わらせた俺を褒めて欲しいレベル。
仕事を無事に終わらせて、向かう先は羽田空港。コンビニで飲み物買いつつ、高速走らせて迷わず到着。方向音痴炸裂しなくて良かった(笑)ターミナル向かって、何処から来るのか分かんないからとりあえず大吾が着くまで椅子に座って待ってたんだけどさ、目の前がお土産屋さんが並んでて。大吾が好きなお菓子発見して買っちゃった。
その後無事に大吾も到着したんだけど、まあ合流に時間かかって(笑)何階の〜なんて説明してもなかなか来なくて。俺が動けば良くね?って事で待たせて移動し、2ヶ月ぶりの大吾と合流。なんて言うんすかね。あのー、前回とはまた違った可愛さにちょっとにこにこした。…つか、ひたすら鼻の下伸ばしてにやけてたと思う。
お土産渡して車に行こうって移動したものの、そこで俺の方向音痴爆裂。停めた所を写真撮っといて良かったー。車に乗り込んで行き先調べて。ずっと共有アプリで離れてた距離が重なってて、嬉しくて思わずスクショ。やっと逢えたんだなぁ。一緒に居る。って嬉しかった。2ヶ月ぶりのハグはまた格別。この大吾の甘い香りが俺は大好きなんだよな。…安心するよね、好きな人の香りって。この日の為に頑張った甲斐があるね。次の日が水族館の予定だったから、そっち方面で泊まろうって話してて。近くのホテルへ2人仲良く向かいました。
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ホテル入る前コンビニ寄って、お酒と飲み物とつまみ買って飯はホテルで頼もー。ってなったから一旦チェックイン。飯を頼みつつ、CAS開いて。その間に飯が来たはいいんだけど、部屋の鍵が全然開かねえの。2人でガッチャガチャしてて、外でスタッフさん待たせちゃってほんまごめんやでー。(笑)頼んだチキンカレーがめちゃくちゃ辛くて。全然食えず。なんなら大吾見てるだけで満足だからご馳走様ー。仕事終わりだったから早く風呂入りたくて。一緒に入ろうと思ったけど、…ね。俺のお願い叶えてくれる為に別々で入って、先に入った俺はベッドにゴロゴロしながら大画面でなにわTube鑑賞しながら待機。その後、大吾が出てきて。……うん、最高。やっぱり俺の恋人最強に可愛い。その日の夜の事は以下省略で。ご想像にお任せします。てへぺろ。
この逢えない2ヶ月間、お互い毎日逢いたいを伝え合った毎日。カウントダウンしながら、あと何日って。毎日電話しても、テレビ電話をしてても、やっぱり触れたくて、抱き締めたくて仕方なかった2ヶ月。1時間、1分1秒があっという間に過ぎて行く中、この瞬間を大切にしたくて、確かめるように何度も抱き締め合ってキスをして。愛おしい君を感じ素敵な夜を過ごせました。
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recipe-cookingclass · 9 months ago
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兵庫県の三木グルメ『さぬきうどん 川久 麦笑』
主人と訪れたお店です。主人が会議で珍しく三木へ訪れました。
こちらのお店は以前、家族で三木の和食店へ行ったその、息子さんがやってらっしゃる手打ちうどん屋さんだそうです。
なので割烹、仕出しということで、ご飯物にも期待あり。
バラ寿司、いわゆるちらし寿司などが美味しいと
評判があり行ってまいりました。
がいな製麺所で修行されたとかだそうです。
がいな製麺所はうどんを食べるだけには、あまりにも遠過ぎるので訪れておりませんが。
よく行く讃岐うどんの手打ちのお店でも、物価高騰での相次ぐ値上げで、訪れることもなくなりましたし、やはりお値段がぐんと上がると、客側としても『美味しさなどの価値』で判断することが厳しくなってしまいますので、ラーメン店などと一緒ですね。
なので、新たなる美味しいうどん店を探し試してみようかと思い、訪れました。
お店の中は1人がけのカウンターの席もありで、4人がけも多く回転もよいお店。
お昼時は、アルバイトさんも多かったですね。
レジ横には持ち帰りできるばら寿司などもおいており、買って帰る方も。
メニューも豊富でセットも数豊かです。
ひやかけを目当てで訪れましたので私は『ひやかけ』
主人はちらしのセットでワカメと温玉とろろの冷やし。
うどんのコシは好みで剛力系の太いうどん。
喉越しが大変よくとても美味しいです。
ひやかけの出汁が私的にですが、もっと塩分は落とした方がいいかなと思うぐらい濃いめでした。
甘さもそこそこありますが、よい出汁です。
うどんの塩分と出汁の強さがわかります。
卓上の調味料も多くよいですね。
そして味見をしたお寿司は素朴で美味しいです。
三木という少し田舎の素朴な甘めのちらし。
お酢がキツくなく、甘味が強い。
具材が素朴で美味しいです。懐かしい。
お値段もいい感じでまた訪れようかなとも
おもえる美味しいお店でした。
うどんを純粋に味わうのにもいいお店。
兵庫県で人気1位だった手打ちうどんやさんよりも
私的に上位に入るうどん屋さんとなりました。
ご馳走さまでした。
料理研究家 指宿さゆり
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#料理研究家指宿さゆり
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nostalblue · 10 months ago
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移住した経緯(その拾)
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最初の物件を見た後、一旦山を下って国道に戻り、そこからまた別の山道を上っていくと、その終点の辺りに次の物件はあった。そこにはまだ家族3人が住んでいて、その日は夫人が応対し説明をしてくれた。
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家屋は簡素な木造平屋で、屋根はガルバリウム鋼板葺き。築30年ほど経っているので外回りはそれなりに劣化してきているが、早急あるいは大きく手を入れなければいけない箇所は見あたらない。家屋面積は約100平方メートルで、薪ストーブが付いた10帖のリビングルーム、8帖のダイニングキッチン、それ以外に8帖の部屋が1つ、6帖の部屋が2つ、いわゆる3LDKの間取り。現況で居住者がいるからどの部屋も綺麗に保たれている。この広さと部屋数は無駄な物持ちの自分にとって魅力的で、工作室やゲスト滞在ルームも設けることが出来るなと想いを馳せる。ただ必要以上に広くても管理が大変だから、これぐらいが丁度良いかも知れない。
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家屋の周囲に付随する土地(地目は山林・原野)は約2000平方メートル。現状ではその一部を家庭菜園や花壇として利用しているが、他の部分は未開拓な状態。日照や水はけが著しく悪いような場所は除くとしても、これらをきちんと整備して活用すれば多くの作物を栽培できるだろう。一部は果樹園のようにしてもいいよね。自給農暮らしを目指す身としてはこの土地の広さは魅力的で、特に家屋に隣接していることは大きな利点だ。かつてホームステイした場所では、遠く離れた圃場まで長いこと車で走らねばならなかったり、途中の開かずの信号機に毎度捕まり延々待たされるなんてことがあり、相当な時間を無駄にしていると感じたからだ。それでも体が若いうちは何とかなるだろうけど、年齢を重ねると負担は大きくなってくるかも知れない。圃場管理の観点からも近いに越したことはないだろう。ここなら窓から覗けば大方見渡せる。
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一通り見回った後、庭に置かれたテーブルセットで休憩しながら、茶を淹れてくれた夫人と話をして情報を収集する。
・この集落は古くから住んでいる人はごく一部で、ほとんどが他の地域からの移住者であること。
・自治会の催しなどは全くなく、みんな好き勝手に暮らしているとのこと。
・日用品の買い物は下田市街地まで出向く。自動車やバイクで片道30分程度かかるが苦にはならないとのこと。
・テレビや携帯電話の電波は受信しにくいが、有線でのインターネットは可能だと言うこと。
・野生の鳥獣は多く、近年特に鹿と猪が急増して被害にあっている。一方で猿は昔いたが他に行ってしまったらしい。
・本物件は築以降4人オーナーが変わってきたこと。
・現居家族は6年この場所に住み、気に入っているが、家庭の事情により交通アクセスの良い場所に移らなければならないとのこと。
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(終章に続く)
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