#社寺建���
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明けましておめでとうございます🎍2024辰年🐉
happy new year 1.1.2024
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一夜のうちに山が花で覆われたという伝説を持つ花岡八幡宮 和銅2年(709)に宇佐八幡宮より勧請し創建したと伝わる古社です その勧請の際、一夜のうちに山が花で覆われたという伝説から「花岡」と称したと伝わります 見ものは江戸末期文化13年に建立された楼拝殿です 楼拝殿は特に大内文化の影響を受けその後毛利家による統治の中でも継承された周防独特の建築様式です 拝殿の扁額は近衛忠熈卿の筆による「永受嘉福」、普段は一般公開されていませんが長さ4.65m、重さ75kgで日本一の大きい日本刀とされる「破邪の御太刀」など見どころが多い周防国有数の大社でした #花岡八幡宮 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 花岡八幡宮(はなおかはちまんぐう) 鎮座地:山口県下松市末武上400 主祭神:誉田別命、市杵嶋姫命、田心姫命、多岐都姫命、息長足姫命 社格:県社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#temple#寺#仏教#御朱印#御朱印巡り#御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築#神社仏閣#パワースポット#山口県#下松市#破邪の御太刀#刀剣 (花岡八幡宮) https://www.instagram.com/p/Cnrkpi3P7Zb/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#花岡八幡宮#神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人���繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#temple#寺#仏教#御朱印#御朱印巡り#御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築#神社仏閣#パワースポット#山口県#下松市#破邪の御太刀#刀剣
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桜と桃
念仏宗
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夏がどんどん長くなってきたら秋が無くなるかと思いきや、
そうあっさり冬に変わるものかと土俵際いっぱいのこす秋。
おかげで本日も暖かい☀
ということで本日も作業着の上着は現場でお泊まりです(^_^;)
水間寺の紅葉も赤く染まってきました。
日曜日はお正月のお酒を買いに久しぶりに奈良県御所市に
御所市の酒造蔵御三家。
油長酒造 ・・・風の森
千代酒造・・・篠峯、櫛羅
葛城酒造・・・百楽門
どれも酒飲みには嬉しいお酒で、本当に御所市はレベル高いよねw
東川酒店をでると車で3分
近所の和菓子屋 虎屋さんに寄って
お米で作ったみたらし団子を焼いてもらって
食べる。
帰りに
丹生酒殿神社(にうさかどのじんしゃ)に大銀杏の黄色の絨毯を見に行きましたが、まだ少し早かったですね。
樹齢300年、高さは25Мとジュディーも小さくみえるわw
夜はライトアップもしてるので来週あたり絨毯見れるかもですね。
本当に暖かいと現場の作業��気持ちよく捗ります。
屋根も城戸商店の親方は勿論作業してくれたんですが、
仕上げはジュニアが一人���複雑な屋根でしたが綺麗に仕上げてくれてました。
ありがとうございました。
建物内部も工事が進んできました。
天井の下地ができて
吹き抜け部分もできてきました。
あと1ヶ月で、本年もおしまいです。
残り少ない2024年��振り返りそして惜しみながら
今週も少し遅い秋を楽しんで頑張りましょうか。
よろしくお願い致します。
貝塚市 岸和田市 泉佐野市 泉大津市 和泉市 泉南市 阪南市 熊取町 忠岡町 田尻町
天然素材スイス漆喰カルクオウォール
リボス自然塗料取扱店
貝塚市水間寺前古民家リフォーム工事
貝塚市水間寺前古民家屋根葺替え工事
和歌山県かつらぎ町 丹生酒殿神社
丹生酒殿神社の大銀杏
奈良県御所市風の森
アンティーク雑貨 古材 One Bee🐝
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『P-act文庫』、京都での1日
昨日4月16日(日曜)は、以前『メフィスト』で共演した白樫由紀子さんの朗読のイベントを見に、妻と二人で京都へ行きました。
妻はともかく私は京都へ行くのは久しぶりです。
お昼前に四条河原町に着いて、『権太郎』という蕎麦屋で私は天ざる、妻は鳥なんば御膳を食べて、祇園・花見小路を歩いて建仁寺を見学。
建仁寺は建仁寺垣の語源になった寺だと思うのですが、行くのは初めてでしたし、そもそも「建仁寺垣」というのがどういうものなのか私は知りません。
こんな近くにこんないい寺があるのにどうして知らなかったんだろうと思うほどいいところで、期間限定で見られる講堂の天井画・双竜図もなかなかのもの。講堂の周りの牡丹も盛りは過ぎている感じでしたが見事でした。
近くには猪を祀った寺もありました。今年は卯年ということで、1月に兎を祀った岡崎神社へ行きましたが、十二支それぞれを祀った神社仏閣があるのですかね。寺と神社では意味が違うのかもしれませんが、私は亥年生まれなのでちょっと得をしたような気分です。
そこから四条通りまで戻って京阪で出町柳まで出て、ちょっと遠いかなと思いましたが下鴨神社まで足を伸ばし、境内近くの茶屋で私は冷やし汁粉、妻は申餅という餅を食べ、南に下ってP-actまで歩きました。
P-actは河原町今出川を下ったところにある小さな劇場で、雑居ビル(なのかな)の2階。キャパは15(詰め込めばもっと入るのかもしれませんが、コロナ対策もあって15にしているとか)。
「本日のお題」は3作ーー
田丸雅智作『同期で一番(白雪姫)』、読み人:白樫由紀子 夏目漱石作『変な音』、読み人:杉江美生 大倉燿子作『和製椿姫』、読み人:飛鳥井かがり
全部で70分ほどの朗読会です。
最後の読み人飛鳥井かがりさんがこのP-actの責任者のようで、この朗読会を毎月1回開催し、もう113回目ーー朗読会を2回以上見た人なら誰でも読み人になれるそうで、来年3月まですでに予定が決まっているとか。
大したものです。
正直、朗読と聞いて楽しめるかどうかちょっと不安でした。別に朗読してもらわなくとも自分で本を読めば���いじゃないかと思ってしまったのです。また、一日中歩いてかなりくたびれてもいました。
でも、お三方とも立ったり座ったり声色を使ったり、実に芸達者で、最後まで全く飽きることなく楽しむことができました。
ただ一つ残念だったのは、主催者の意向だったのでしょうが、お三方ともマスクをして朗読していたことです。
司会の分寺裕美さんも言っていましたが、読み手の表情や動きも表現の一つです。その表情が見えないのはちょっと残念でした。
そういえば……とふと思い出したのが、中��生の時マイブーム(?)だったNHKの「お母さんといっしょ」の「お話こんにちは」のコーナーです。
中学生が「お母さんといっしょ」を見るのはどうかと思う方もおられるでしょうが、女優の田島令子さんが毎回10分程度の短いお話を読むこのコーナーが私は好きでした。
作者は毎回違いましたが、かなりのヘビーローテーションで別役実先生のお話を朗読していました。私はこの番組で別役先生の名前を知り、その後別役先生の小説や戯曲を愛読したので、ピッコロ演劇学校の特別授業で別役先生を目の前にしたとき感動のあまり震えました(だから演劇界で私が「先生」と呼ぶのは別役実先生だけです。演劇学校でお世話になった本田千恵子さん、島守辰明さんも先生には違いありませんが、ちえさん、辰さんと呼んでいます)。
別役先生の前で先生作の『あーぶくたったにえたった』の一部を学生劇団時代からの友人ホイコと読んで「よく練習してるね」と褒めていただいたことは、私の一生の宝です。
それを思えば、私の最初の演劇体験は朗読だということになるのかもしれません。
それもこれも含めていい1日でした。
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Buddha to his disciples, mini-series (14)
4 Types of people - Human Nature
Human nature is difficult to understand. It is like a bush with no visible entrance. In comparison, animal nature is easy to understand. This incomprehensible nature can be divided into 4 categories:
Those who suffer themselves and are based on wrong teachings.
Those who cause suffering to others, killing, stealing and committing other misdeeds.
Those who suffer themselves and cause others to suffer.
Those who do not suffer themselves and do not cause others to suffer, who live peacefully and free from greed, who abide by the Buddha's teachings, who do not kill or steal, and who live in clarity.
– Buddha (Majjhima Nikāya 51)
[Note: Images are the oldest surviving sculpture of saint Kūya (b. 903-d. 972). He was an itinerant Japanese Buddhist monk, or hijiri (lit. ‘saint’). In Kyoto, he helped people suffering from plague and poverty, and also developed social projects such as drilling wells, and at the age of 48 he founded Saiko-ji temple, the predecessor of Rokuharamitsu-ji temple. ]
ブッダから弟子たちへ、ミニシリーズ (14)
四種類の人 〜 人間の性質
人の性質は、ちょうど入り口のわからない薮のようにわかりにくい。これに比べると、獣の性質のほうが分かりやすい。このわかりにくい性質を分類して、次の四つとする。
自ら苦しむ人で、まちがった教えに基づいている。
他人を苦しめる人で、殺しや盗み、非業の行為をする。
自らも苦しむとともに他人を苦しめる人。
自らも苦しまず、他人をも苦しめないで、欲を離れて安らかに生き、仏の教えを守り、殺しも盗みもせず、清らかに生きる人。
― ブッダ (マッジマ・ニカーヤ 51)
[注:上の写真は、空也上人(903年生-972��没)の現存する最古の彫刻である。遍歴僧または聖 (ひじり)。京都で疫病や貧困に苦しむ人々を救済し、井戸を掘るなどの社会事業を展開、48歳で六波羅蜜寺の前身である西光寺を創建した。]
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Pazuribe Event Translation - “VS Blue Lock!? Let’s settle it with soccer!” — Part 1
Some of the members from Toman mysteriously end up in Blue Lock! Follow Mikey, Takemichi and Mitsuya's side of the story!
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☆ Please give credit in case of use.
☆ I'll do my best to update the second part of the event once it's released on May 31st!
☆ I'm not a professional translator and I'm still learning Japanese. That's why some things might not match exactly/could have been better translated/there might be mistakes. This is a great way for me to learn. I put a lot of effort into making the translation as good as they can be!
☆ Find more pazuribe translations here!
☆ If you have any comment, question, correction or suggestion, please let me know! Interactions are appreciated (^^ゞ
OPENING STORY
場地 圭介:集会終わったしバイク流しながら帰るか
Baji: Meeting’s over, so let’s ride around on my bike on the way home.
松野 千冬:そっスね!
Chifuyu: Sure!
佐野 万次郎:おーい2人ともこれからヒマ?
Mikey: Heeey, are you guys free right now?
場地 圭介:あ?今から帰るトコ
Baji: Hah? We’re just about to go home.
佐野 万次郎:じゃあヒマだな!おーい!タケミっち〜!場地と千冬もいけるってさ
Mikey: Then you’re free! Heey! Takemicchi〜! Baji and Chifuyu said they’re coming.
場地 圭介:おい!!マイキー勝手に話進めんな!
Baji: Hey!! Mikey, don’t make decisions by yourself!
龍宮寺 堅:おっ場地も来たのか
Draken: Oh, so Baji is coming too?
三ツ谷 隆:結構人数集まったな
Mitsuya: So we ended up being a good amount of people.
松野 千冬:何かするんスか?
Chifuyu: What are we gonna do?
佐野 万次郎:タケミっちのヘタクソライディングの特訓がてら海の方まで行こうと思って
Mikey: I was thinking we could head down to the sea while we do a special training for Takemichi’s shitty driving.
場地 圭介:ほぉ~?そんなにヘタクソなんか?
Baji: Ohoo~? Are you really that shitty?
松野 千冬:まあ上手くはないっスね
Chifuyu: Well, he’s really not that good.
花垣 武道:千冬~!そんなにはっきり言うなよ~
Takemichi: Chifuyu~! No need to put it so bluntly~
佐野 万次郎:よしじゃあ出発だ!
Mikey: Alright then, let’s go!
・・・
花垣 武道:ん?
Takemichi: Mh?
佐野 万次郎:え、何ここ
Mikey: Eh, where are we?
松野 千冬:今オレたち神社にいました・・・よね?
Chifuyu: We were just in the shrine… right?
龍宮寺 堅:あぁ・・・なんだココ何かの施設か・・・?
Draken: Aah… What’s this, some kind of institution or…?
三ツ谷 隆:同じようなドアが並んでるな
Mitsuya: There’s similar doors lined up.
場地 圭介:神だのみじゃねぇ?
Baji: A plea to the gods, isn’t it?
松野 千冬:場地さんそれ言うなら「神隠し」っスよ
Chifuyu: Baji-san, if you say that, it’d be “spirited away”.
場地 圭介:あーそれだワ
Baji: Oh– well then.
龍宮寺 堅:とりあえず進んでみねぇ?誰かいるかもしれねぇし
Draken: For now why don’t we move forward? There could be someone else.
花垣 武道:そうですね・・・誰か探すのはアリがも
Takemichi: Right… Might be someone to look for.
場地 圭介:よっしゃさっさと行こうぜ
Baji: Okay let’s get moving.
花垣 武道:(なんなんだ・・・?ナオトもここにはいないし、タイムリープ・・・じゃないよな?)
Takemichi: (What’s going on...? Naoto isn’t here either, and it isn’t a time leap, is it?)
松野 千冬:おい、タケミっち何してんだよ置いてくぞー
Chifuyu: Hey, Takemicchi, what are you up to? We’re leaving you behind–
花垣 武道:あぁ置いてかないで!今行く!!
Takemichi: Aaah don’t ditch me! I’m going!!
STORY BEFORE THE BOSS
花垣 武道:完全に迷った・・・
Takemichi: I have no idea where we are…
佐野 万次郎:同じ風景ばっかだな~ ぐるぐる回ってるみてぇ
Mikey: It’s all the same sight~ It’s like going aroound and aroound.
三ツ谷 隆:ココ、さっきも通らなかったか?
Mitsuya: Didn’t we go through here before?
花垣 武道:いつの間にか千冬たちともはぐれたし・・・・・探しに行きますか?
Takemichi: We somehow got split up from Chifuyu and the others… Should we go find them?
佐野 万次郎:アイツらならなんかあっても大丈夫だろ
Mikey: Whatever happens to them they’ll be okay.
三ツ谷 隆:まぁでもココがなんなのかもわかんねぇし早めに合流したいな
Mitsuya: Yeah but we have no clue what this place is so I wanna meet up with them as soon as possible.
佐野 万次郎:お!扉はっけ~ん!とりあえずここの扉開けてみようぜ!
Mikey: Oh! Foound a door~! Let’s open it for now!
花垣 武道:え!マイキーくん!少し警戒したほうがいいんじゃ・・・!?
Takemichi: Eh! Mikey-kun! Shouldn’t you be a little bit careful…!?
ウィーン
Wiiin
???(潔 世一):くぞぉ・・・!まだまだ!!
??? (Isagi): Shit…! Not there yet!!
???(糸師 凛):フン・・・
??? (Rin): Hmph…
花垣 武道:あ!誰かいた!よっかた~!!あの~すみませんちょっといいですか?
Takemichi: Ah! There was someone! I’m glad~!! Umm sorry, do you have a minute?
???(潔 世一):え?誰?
??? (Isagi): Eh? Who is it?
???(糸師 凛):誰だ
??? (Rin): Who’s that?
花垣 武道:いや、あの~怪しい者ではないんですが・・・ちょっといつの間にかこの建物の中にいまして・・・ここがどこか教えてくれませんか?
Takemichi: Oh boy, well~ I’m not someone suspicious but… before we knew it we were inside this building… Could you tell me where this place is?
???(潔 世一):”ココ”のこと知らないのか?
??? (Isagi): You don’t know about “this place”?
花垣 武道:え?あ、はい・・・
Takemichi: Eh? Ah, yeah…
???(潔 世一):”ココ”に関係無いやつが出入りできるようになってるわけないよな?
??? (Isagi): There’s no way guys unrelated to “this place” can go in and out, right?
???(糸師 凛):当たり前だろ しかもこいつらの服見てみろどうみても不良だ 何しに来たのかしらないがさっきと出ていけ、邪魔だ
??? (Rin): That’s obvious. And look at their clothes, they look like delinquents. I don’t know why you came here but it’s about time you leave, you’re on the way.
???(潔 世一):ちょっ!凛!
??? (Isagi): Wait! Rin!
花垣 武道:え!すみません!話聞いてください!
Takemichi: Eh! I’m sorry! Listen to me!
パシッ!
Snap!
???(糸師 凛):触るな
??? (Rin): Don’t touch me.
佐野 万次郎:オレの仲間に手ェ出してんじゃねぇよ
Mikey: Then don’t mess with my mate.
???(絵心 甚八):そこまでだ
??? (Ego): That’s it.
ピタッ
Clunk
???(絵心 甚八):拳だの暴力だのに頼るのはナンセンスだ ここは”青い監獄(ブルーロック)”勝敗はサッカーで決めろ
??? (Ego): It makes no sense to rely on fists and violence. This place is “Blue Lock” and we decide the outcome with soccer.
佐野 万次郎:は?そもそもテメェ誰だよ
Mikey: Hah? Who are you anyway?
???(絵心 甚八):俺の名前は絵心甚八 その部屋にストラックアウトが出るようになってるから じゃーね
??? (Ego): My name is Ego Jinpachi. Soccer goal targets are supposed to appear in that room so… See you.
???(潔 世一):あ!切れた!何の説明にもなってない!!
??? (Isagi): Ah! He cut off! That doesn’t explain anything!!
佐野 万次郎:今のやつを探して話聞いた方が早そうだ 行くぞ二人とも
Mikey: It’d be quicker if we found that guy and asked him. Let’s go, you two.
???(潔 世一):お、おい!
??? (Isagi): H-Hey!
???(糸師 凛):ほっとけやってもどうせ勝つ
??? (Rin): Even if you leave it as it is, I'll win anyway.
佐野 万次郎:ハァ?んな訳ねぇだろ さっさとオマエ潰してアイツ見つけ出してやる
Mikey: Hah? You’d say that. We’ll find them and then I’ll crush you.
STORY AFTER THE BOSS
佐野 万次郎:ホラッ!!
Mikey: Come on!!
バンッ!!
Bam!!
???(糸師 凛):力任せでサッカーができると思うな
Rin: Don’t think you can play soccer using all your strength.
バンッ!!
Bam!!
花垣 武道:き、気づいたらサッカーで勝負することになってる・・・
Takemichi: Before we knew it this became a soccer competition…
???(潔 世一):てか、結局君らは何者なんだ?
??? (Isagi): I mean, who are you all anyway?
花垣 武道:何者と言われても・・・強いて言えばさっきの人が言ってた通り不良になるんスけど・・・本当に怪しい者じゃないです!何回も言ってると逆に怪しく見えるかもしれねえけど・・・
Takemichi: Who are we… If you ask me, we’re a bunch of delinquents, like that other guy said before but… We really aren’t shady! Though it might seem fishy if I keep on repeating it…
三ツ谷 隆:オレらなんでココにいるのか本当にわからないんだ
Mitsuya: We really don’t know how we ended up here.
花垣 武道:神社にいたんですけど、鳥居を潜った瞬間にここにいたんです!信じてください!
Takemichi: We were at a shrine, but we suddenly were here when we went through the toori! You gotta believe us!
???(潔 世一):うーん・・・(まぁ必死っぽいし本当・・・なのか?)
??? (Isagi): Mhhh… (Well, he looks desperate so… it might be true?)
三ツ谷 隆:そういや 自己紹介がまだだったな オレは三ツ谷隆だ
Mitsuya: Come to think of it… We haven’t introduced ourselves yet. I’m Mitsuya Takashi.
花垣 武道:あ!オレは花垣武道っています アナタの名前は・・・
Takemichi: Ah! I’m Hanagaki Takemichi. Your name is…
潔 世一:ああ!俺は潔世一 あっちで勝負してるのは糸師凛ね
Isagi: Aah! I’m Isagi Yoichi. That guy over there competing is Itoshi Rin.
花垣 武道:えっと、潔・・・クン 携帯借りることとかできますか?もしかしたら迎えを呼べるかも
Takemichi: Mh, Isagi… kun. Do you have a phone I could borrow or something? Maybe someone could pick us up.
潔 世一: あ~ごめん 懈怠貸せないんだ
Isagi: Ah~ Sorry. Can’t lend you a phone.
花垣 武道:やっぱり不良だからっスか!?悪い事には使いません!!
Takemichi: Is it because I’m a delinquent!? I won’t use it for bad stuff!!
潔 世一:いや、違う違う!オレ今没収されてて手元に携帯ないんだ
Isagi: No, you got it wrong! I don’t have my phone with me right now because they took it away.
花垣 武道:え・・・?没収って?
Takemichi: Eh…? Took it?
潔 世一:”青い監獄(ブルーロック)”には入る時携帯は没収されたんだよ サッカーに集中するために
Isagi: When we arrived at Blue Lock, they confiscated it. So we can focus on soccer.
花垣 武道:さっきの人言ってたその”青い監獄(ブルーロック)”って何ですか?
Takemichi: What’s all about this Blue Lock that guy mentioned before?
潔 世一:今全国の高校生ストライカー300人を集めて世界ーのストライカーを育成するっていうプロジェクトがあってさ それがここ”青い監獄(ブルーロック)”ってわけ
Isagi: There’s a current project to bring together 300 high school students from all over the country and train them to be the world’s best striker, that’s Blue Lock.
花垣 武道:はぁ~最近のサッカーはすごいですね
Takemichi: Woah~ Soccer is amazing these days.
潔 世一:ってそれ置いといて花垣くんたち帰りたいんだよな やっぱ絵心さんのところに行くべきかな・・・それとも帝襟さんか・・・? よし!外部と連絡取れそうなところに案内するよ
Isagi: But putting that aside, Hanagaki-kun and the rest want to go home. Maybe we should go to Ego-san… or maybe Teieri-san…? Alright! I can take you to some place where you can contact the outside world.
花垣 武道:え!いいんですか!?アザーズ!!マイキーくーん!!
Takemichi: Eh! Are you sure!? Hey!! Mikeeey-kuun!!
佐野 万次郎:何?タケミっち今いいところなんだけど
Mikey: What? Takemicchi, we’re at the best part…
花垣 武道:潔クンが外と連絡取れるところに連れてってくれるみたいです!
Takemichi: Isagi-kun seems to be taking us to a place where we can reach the outside world!
佐野 万次郎:フーン
Mikey: Mhhhh.
三ツ谷 隆:その前にドラケン達探さなきゃな・・・
Mitsuya: We gotta find Draken and the rest before that…
潔 世一:他にも誰がいるのか?
Isagi: There’s more people beside you?
花垣 武道:はい あと3人とはぐれてしまって
Takemichi: Yes, we split up from three other friends.
潔 世一:多分それも絵心さんのところに行けばわかると思うから とりあえず行こうか 凛も行くかー?
Isagi: Probably you’ll find out about that when we go to Ego-san’s. For now, let’s get going. Rin, you coming?
糸師 凛:どうでもいい
Rin: Whatever.
佐野 万次郎:なぁ、オマエなかなかやるじゃん また会えたら続きやろうな!
Mikey: Hey, you play quite well. Let’s pick it up where we left off next time we see each other!
糸師 凛:フン
Rin: Hmph.
潔 世一:じゃあ案内するよ
Isagi: Then, follow me!
花垣 武道:お願いします!
Takemichi: Thank you so much!
STORY AFTER DEFEATING BOSS LVL. 2
糸師 凛:力任せでサッカーやってんじゃねぇ
Rin: Don’t play soccer with brute force.
STORY AFTER DEFEATING BOSS LVL. 5
糸師 凛:オマエなんかに負けるかよ
Rin: I’m not letting you win.
STORY AFTER DEFEATING BOSS LVL. 10
糸師 凛:素人にしてはやるな
Rin: You played well for an amateur.
You can read part 2 here!
#gotta thank peke j land server for all the help#so big shout-out to them for replying all my questions <3#translating this was something... never again /j#pazuribe translation#pazuribe#puzz reve#tokyo revengers#hanagaki takemichi#tokyo revengers takemichi#sano manjiro#tokyo revengers mikey#sano mikey#baji keisuke#tokyo revengers baji#matsuno chifuyu#tokyo revengers chifuyu#mitsuya takashi#draken#tokyo revengers mitsuya#ryuguji ken#tokyo revengers draken#blue lock#ego jinpachi#isagi yoichi#itoshi rin
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あけましておめでとうございます。
地震発生当時、金沢の自宅におりまして半年ぶりにお酒を飲もうとしたところに大地震のサドンストライクでございました。
(金沢であれだけ揺れたので、能登では尋常じゃなかっただろう)
夕暮れの空を見上げれば「かりんとう」のような形をした巨大な自衛隊のヘリコプター何機も行ったり来たり。
(確かにかりんとうに見える)
映画「プラトーン」のような世界・・。
輪島には日頃、やせの断崖とか、千枚田とか、千里浜なぎさドライブウェイとか、日本小貝三名所のひとつで、日本最大級のキャンプ場がある能登リゾートエリア増穂浦海水浴場とか、七尾の野生のイルカとか、イケテル寺社仏閣鑑賞とか、牡蠣を食べに行ったついでに時々立ち寄っていました。
(とかが多い)
小学生の時、初めて友達と鉄道三人旅をしたのも輪島と珠洲で、以前飼っていた猟犬のイングリッシュ・ポインターが亡くなって数年後に同じく猟犬のルーエリン・セッターを貰いに行ったのも能登の田鶴浜で能登は山ほど思い出がたくさんあります。
(人も優しい)
車で行ったことのある人はわかると思うけど国道で、あの水面と同じ高さの道路の海岸沿いをドライブするスリル感とファンタスティック感は能登でしか楽しめません。
(のと里山海街道が使えないのが辛すぎる)
写真は以前撮った朝市とかがある輪島のメインストリート。
木造菩薩面(重文)で知られ、1300年の歴史を誇る重蔵神社は大丈夫だったそうですが、もうこの街中の建物群は跡形もなく消滅してしまいました。
復活の暁には、また能登に出かけに行きますので、何とか今を耐えて頑張ってほしいものです。
(※後日、重蔵神社も壊滅的な被害とSNSで確認、無念・・。)
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Sean bienvenidos japonesitasarqueológicos a una nueva entrega, en esta ocasión tenemos la colaboración de la cuenta @historia.belica.mundial, en la que hablaremos de la empresa más antigua del mundo ¿ Donde se localiza? dicho esto pónganse cómodos que empezamos. - Kongo Gumi tiene un grupo de artesanos llamado "Takumikai" formado por carpinteros de santuarios dedicados. El Kongo Gumi ha transmitido las técnicas que se han transmitido de discípulo a discípulo durante más de 1.400 años y para transmitirlas a la próxima generación. Son el principal grupo de carpinteros que hacen los templos y santuarios de todo Japón, utilizando técnicas tradicionales y avanzadas, como juntas y juntas de madera. - ¿Cuándo se estableció la empresa? Se estableció en el Séptimo año del trigésimo emperador Bidatsu del período Asuka 578 d. C fueron responsables de la construcción del Templo Shitennoji y el Templo Horyuji. Ahora el Templo Horyuji ha sido catalogado como Patrimonio de la Humanidad. En Japón, hay 7 "empresas del milenio" como King Konggumi, y hay más de 130,000 "empresas de longevidad" con más de 200 años, ocupando el primer lugar en el mundo. - Finalmente, en 2006, anunció su liquidación. Los activos fueron absorbidos por la empresa subsidiaria del mismo nombre "Kongo-gumi" establecida por Takamatsu Construction en noviembre de 2005, y Kongo-gumi volvió a su antiguo negocio, especializado en arquitectura de templos. Antes de la liquidación, los ingresos del año fiscal 2005 de King Kong Group fueron de 7.500 millones de yenes, con 100 empleados. - Espero que os haya gustado y nos vemos en próximas publicaciones de japón ¿Conocían esta empresa? - Welcome Japanese archaeologists to a new delivery, this time we have the collaboration of the account @historia.belica.mundial, in which we will talk about the oldest company in the world. - Kongo Gumi has a group of craftsmen called "Takumikai" made up of dedicated shrine carpenters. The Kongo Gumi has passed down the techniques that have been handed down from disciple to disciple for over 1,400 years and to pass them on to the next generation. They are the main group of carpenters who make temples and shrines all over Japan, using traditional and advanced techniques, such as wooden joints and joints. - When was the company established? Established in the 7th year of the 30th year of Emperor Bidatsu of the Asuka period 578 AD, they were responsible for the construction of Shitennoji Temple and Horyuji Temple. Now Horyuji Temple has been listed as a World Heritage Site. In Japan, there are 7 "millennium companies" such as King Konggumi, and there are more than 130,000 "longevity companies" with more than 200 years, ranking first in the world. - Finally, in 2006, it announced its liquidation. The assets were absorbed by the eponymous subsidiary company "Kongo-gumi" established by Takamatsu Construction in November 2005, and Kongo-gumi returned to its former business, specialising in temple architecture. Prior to the liquidation, King Kong Group's 2005 fiscal year revenues were 7.5 billion yen, with 100 employees. - I hope you liked it and see you in future posts from Japan. Did you know this company? - 日本の考古学者を迎えての新しい配信、今回は@historia.belica.mundialというアカウントの協力で、世界で最も古い会社についてお話します。 - 金剛組には「匠会」と呼ばれる、こだわりの宮大工の職人集団があります。金剛組は、1400年以上にわたって弟子から弟子へと受け継がれてきた技術を、次の世代に伝えるために継承しています。 日本各地の寺社仏閣を、木組みや継ぎ手など伝統的な技術と高度な技術を駆使して作る大工の中心集団である。 - 会社が設立されたのはいつですか?飛鳥時代の578年、美達天皇30年7月に設立され、四天王寺、法隆寺の建立を担った。現在、法隆寺は世界遺産に登録されている。日本には金剛組など7つの「千年企業」があり、200年以上の「長寿企業」は13万社以上あり、世界第1位である。 - そして、2006年、ついに清算を発表した。2005年11月に高松建設が設立した子会社「金剛組」に吸収され、金剛組は寺院建築に特化した旧来の事業へと回帰した。清算前のキングコンググループの2005年度の売上高は75億円、従業員数は100名でした。 - この会社は知っていましたか?
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『 京都不案内』 森 まゆみ 著 (世界思想社)
よき京都ガイド
はじめに 第1章 樹木気功で体を治す 第2章 バスと自転車 第3章 ゲストハウスとアパート探し 第4章 カフェとシネマ 第5章 がらがらの京都 インタビュー① 法然院貫主・梶田真章さんに聞く――学びの場としてのお寺 第6章 散歩で建築を楽しむ 第7章 古都の保存と開発 第8章 宿の周りでひとりごはん 第9章 京料理屋の大忠にて 第10章 吉田山の話 インタビュー② 女性史・生活史研究の西川祐子さんに聞く――偶然を必然に変えて 第11章 鴨長明『方丈記』と「足るを知る暮らし」 第12章 子規の京都 第13章 吉井勇と祇園 第14章 漱石の女友達・磯田多佳 インタビュー③ 染織家・志村ふくみさんに聞く――“見えないもの”に導かれて 第15章 つたちゃん、たねちゃんのこと 第16章 ヒッピーとタイガース 第17章 居酒屋で聞く話 第18章 五代友厚と二人のスリランカ人 インタビュー④ 田中ふき子さんに聞く――農婦として六〇年 京都リヴ・ゴーシュ――あとがき
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【かいわいの時】明治四十五年(1912)7月3日:大阪土地建物株式会社、新世界ルナパークを開業。初代通天閣開業(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
明治44年(1911)9月、当時としては珍しい一大レジャー施設「新世界」の建設に着手し、翌45年5月に竣工した。新世界は芳五郎も参加して設立された大阪土地建物会社が、第5回内国勧業博覧会跡地の払下げを受けて建設するもので、工事を当社が受注した。天王寺公園に隣接して面積は2万5,000坪(8万2,500㎡)に及び、ここにコニー・アイランドを模した遊園地「ルナパーク」を設け、その周囲に鉄骨高塔、映画館、食堂などを配した盛り場をつくる計画で、この種の施設としてはわが国最初のものであった。鉄骨高塔は勧業博当時、当社が独自に建てた木造150尺(45m)の「大林高塔」の考えを踏襲し、脚部を含めて地上64mとし、「通天閣」と名付けられた。通天閣は大阪南の一つのシンボルとなり、後にその名は全国的となった。このほかの遊戯施設にはスケート場、ロープウエイ、ドリームランド、失笑館などがあり、小劇場を兼ねた映画館は13号館まであった。新世界は庶民的な盛り場として、戦争が近づく昭和初年まで多くの人々に親しまれ繁盛した(『大林組百年史』)。第2章 全国規模の事業へと飛躍 2 全国に名を馳せる ■―新世界「ルナパーク」より。
(写真)「大阪新世界(ルナパーク)」1912(東北芸術工科大学東北文化研究センターアーカイブス)※東北文化研究センターの活動休止に伴い、2018年2月公開終了。
タカイヤロー、コレカ通天閣デ三百尺*オマンノヤ自働昇降器デジットシテ上レマツカラ一ペン昇ツテ見メヘンカ、ソラ一番高イ所デスヨッテ遠方迄見エルナンカ天王寺公園ヤ新世界ノ活動寫眞館ナドハ足許ニ見エマツセ *ママ。実際は二百尺。
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念佛宗総本山佛教之王堂総門
増長天と多聞天 高さ5m 念佛宗総本山
佛教之王堂 持国天、広目天と共に、佛法を護る四天王に数えられ、多聞天は、逞しい腕で舎利容器を掲げ、先ず釈尊の説法を聴聞して実践することが佛教の要諦である故、幾度も幾度も聴聞することが大切であると示している。 また、増長天は、煩悩を打ち砕く金剛杵を持して、増長慢を起こさず謙虚に佛道を歩むべし、「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」と教えている。
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05:↓名無し:23/01/31(火) 12:29:26 ID:GC.sv.L1 夫の実家は、ある有名な寺社仏閣のすぐ近く その付近は昔ながらの家を改装しながら代々長く住んでいる家系が多い 夫実家も古くて駐車スペースはないが、隣の空き地(夫実家所有)に夫は車を停めていた 観光シーズンには無断で車を停める不逞な輩が発生していたらしいが、対策して停められないようにしていた
夫が私と結婚して家を出た後、夫の車があった場所に、近所の若夫婦が「ちょっと車置かせてください」と頼んできた 夫両親は「自分の実家に滞在する時間くらいなら」と許可した ところが「ちょっと」が「永久に」に変わっていった (若夫婦がその近所の実家と本格的に同居を始めた) 夫と夫両親、さすがにずーっとというわけにはいかない、車は停めないでくれと話しに行った ご近所のご両親は驚いて若夫婦を叱ったが、若夫婦は「空いてるんだから良いじゃない」「駐車代払えば満足するわけ?」 とどこ吹く風 若夫婦は最終的に「あの空き地寄越せ、どうせ夫氏も居なくなったんだし有効活用してやる」と行ってきた
その土地、将来的に夫と私で家を建てるために空き地のままにしていた土地なんだ 夫両親とも話し合い、もっと先の予定だったけど空き地に家を建てることにした 夫発案の元、駐車スペースはシャッターを着け他人が車を停められない造りにした
若夫婦は車を停められる場所が無くなった 元々古い門前町で、駐車場という概念がなかった頃の街なんだ 他の家は改装したり、離れたところで月極駐車場を借りたりしてなんとか車の置き場所を確保している
706:↓名無し:23/01/31(火) 12:56:08 ID:GC.sv.L1 続き
若夫婦は、借金だかなんかで他に住むところがなく実家に転がり込んでいたところだった 近所家はワガママで金を一切落とさない若夫婦に早く出ていって欲しがっていたが、若夫婦は拒否 おまけに先祖代々からの付き合いのうちの義実家と揉め事を起こし謝罪もしない若夫婦に激怒 若夫婦は追い出されたと聞いた、最近は全く姿を見ない
実は、夫実家はその地区の中ではなかなか大きめの家で発言権もそれなりにある家 (この辺、他所から嫁いだ私にはよく分からんのだが) ご近所の親夫婦は私夫婦と夫両親に平謝りしていたが、夫達は笑って許していた これは「あの愚か者共を追い出したから」なんだろうなと思うとちょっとビビってる
ちなみに、私はこの若夫婦に違う揉め事をおこされていたことがある 実は、夫実家地区の1番大きく古いお家(庄屋みたいな?)の一人娘(A子とします)が、偶然私の同級生だった 学生時代は仲が良かったが、家に遊びに行ったりしたことはなかったので、A子の家のことは夫と結婚して初めて知った A子お嬢さんの友達ということで、夫実家やご近所たちの私への評価は爆上がりだった (正直すんなり結婚できたのはA子のおかげだと思う)
若夫婦、もちろんこのことを知らず、他所から嫁いできた私を舐めまくり貶しまくりだった (同じ田舎県の県庁所在地ってだけなんだけど…) 結婚前、夫実家に顔を出した時に「夫くんの嫁、顔微妙だねwww」と面と向かって言われた このことを聞いていた夫激怒。夫両親激怒。うちの嫁に、A子お嬢さんのお友達になんてこと言うんだ、 若夫婦親に「あいつらは追い出した方が良い」と刷り込み始めたところだった そんなところで駐車所の揉め事を起こしたから、若夫婦親は飛び上がるほど怖がり、速攻で追い出したみたい。
A子の威を狩る狐状態なんで、私自身は本当になんにもしていない。 ちなみにA子はお婿さんを貰い、しっかりと実家を切り盛りしている。
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2024年まとめ
今年は水彩作品の制作をがんばりました。昨年「来年展示やりたいな」と思ったので実行したというのもありますが、いまだにスタイルの確立ができとらんな~と思っており、試行錯誤があります。
というか静物画と植物画のスタイルは自分の中で確実に手応えがあるのでそれはいいんですが(私のイラストレーションの得意分野はモノ・植物です)、もうちょっとなんとかならんかなと思っているのは漫画絵に寄った人間を描くときのスタイルです。昨年第五人格のファンアートを描いて「キャラクターのスタイルこういう感じならいけるかも」という方向性がうっすらつかめた感じがするのですが、第五人格は根本的にキャラデザが死ぬほどうまいので自分の力じゃないんですよね。というわけで、今年は「月に1作は自主制作水彩絵を描く」を実行しました。イラストはこちらのポートフォリオにまとめています。
11月はキャンドルのシリーズを描いていましたがそれ以外は人間・キャラクター絵を描くという方向でやっていました。振り返ってみて思うのは、やっぱり物語が明確にあるものは一枚絵だとしても作品になりやすいという感触で、アリス展合わせで描いたものは「漫画絵寄りで且つまとまりがうまくいったのでは」と思っています。正方形だったのでバランスのとりやすさもあった。習作で描いた他の正方形の絵も人物にフォーカスする時はかな���いい形式だなと感じました。
構図は、迷ったらメイン人物をセンター正面+背景を物尽くしにするor世界観の表象を入れる、と決めているのでまあまあの割合でそういう絵になっています。これは数年前からやっているので「この構図前にも見たな」ってなると思いますが、ワンパターンだとしても全く問題ないなと感じています。
7月の水彩月間では毎日風景スケッチを描くのを一ヶ月完走したのもいい思い出です。風景うまくなりたいね。
水彩画の展示は大阪・京都・東京の企画展に参加しましたので、おおざっぱすぎる区分ですが西日本と東日本とで展示ができてよかったです。これは有言実行できてよかった。水彩紙や額装マットのメーカーであるオリオンさん主催の展覧会(メインはオンライン)に参加して、原画ではなくプリント展示でしたが銀座の月光荘で自分の絵を展示してもらえたのはめちゃめちゃ嬉しかったです(水彩の制作を再開する時、道具をそろえたのが月光荘だったので)。
今年描いた絵で言えば、制作してはいるけどまだ発表はしていない水彩画のシリーズもあるので、来年はこのあたりをまとめて出したいなと思います。
自主制作以外だと、skebのほか、今年も装画をご依頼いただけたり、毎年恒例の定期案件があるのですがそれで絵を描いたり色々できて楽しかったです。
アリス展に参加したことで、イギリス文芸題材の絵を描くテーマに着手できたのでよかったなと思っています。というか長年ぶつぶつと唱えている、ビクトリアン・パークというレトロゲームの元ネタになっているイギリス文芸作品の絵を描く、というテーマ、思い入れがありすぎると逆になにも手につかない的な感じなので展覧会に参加してほんとによかった。覚悟が決まる。残るはブラム・ストーカー「ドラキュラ」、スティーブンスン「宝島」、あとビクトリアン・パークの内容本体ではないけどキャラデザでかすっているのでメアリー・シェリー「フランケンシュタイン」です。小説自体は何度も読んでいるのだけど、ほんと絵にするとき「どうやって……!?」というのと「自分の絵で自分の中の小説のイメージが固定するの結構嫌だな……!」という気持ちがめちゃある。でもなんらかの形にはしていきたいですね。自分の趣味趣向のかなり強めの影響もとなので。
来年のイラストレーション制作の目標も人物系のスタイルの確立、文芸題材のイラストレーション制作、というここ数年変わらない内容ですが引き続きこれでやっていこうと思います。
漫画に関しては、『せんせいとぼくと世界の涯』がマグカンの漫画賞でノミネートに入ったので編集の方がついてただくことになり、成り行きで演劇の話で盛り上がってシェイクスピア戯曲題材で漫画のネームが出来上がったが100ページ超えたので「これはこれとしてとりあえずいったん別の短いの描くか」ということで留保になったという愉快な出来事があります。別途描いてるネームは私が仕事&生活優先にしているため忙しくてあまり進めておらず、今からがんばりますという感じなのでどうなるかわからないですが来年なんらかの読み切り漫画は出来上がると思うのでそのうち発表すると思います。
今年発表した漫画は『ギャスケル夫人の庭』のみでした。同人誌も発行しました。この作品は自分の創作の棚卸案件だと思っているのですが、これもほぼ2023年に描いていたものを今年仕上げて発表した形です。私の制作スパンが長めというか描かない(漫画描いてる暇がない)時期をはさむので変に間があくんだよな。
ともあれ9年ぶりに同人誌のイベントに直接参加したので、「ああーそうだこんな感じだったなー」となりました。
なんだかんだで忙しかったため、逢断は進められなかったのが心残りです。収入にならんものごとの優先順位が下がってしまうの、仕方ないけどほんと悔しいな。春までに数話分ネーム作ってあともう淡々と描くだけを一年やるとかにしたらいけるのかも。
今年は意識的に作品制作に時間を割いたので、例年と比べて舞台や展覧会を見る量が明らかに減りました。そう、土日を制作にあてると鑑賞機会がかなり減る。平日も動ける身なのだから平日にねじ込めばいいんですがあんまりうまくいかんのよね。とはいっても色々見に行きまして、今年は特に節分会の芸能行脚をしたこと(コロナ禍前に始めたのですがコロナ禍で中断したので久々の再開でした)が収穫でした。あまりピンとこないひとのほうが多いかと思うので説明すると、正月より節分のほうが季節行事としては強めの節目という文化形態に日本の芸能はなっていて、節分の日に社寺で行われる各種の芸能を見て回る趣味というのが民俗芸能というか郷土芸能というかそういう方面の趣味者にはあるのですね。追儺式と呼ばれたりします。ただし節分の日の行事なので節分の日にまわるしかなく、一人の人間が一日で回り切れる量ではないため「今年はあそこへこれを見に行くか……でもそうするとこっちは行けないな……」となったりするので年単位で行脚したりするのです。私は大念仏踊り、念仏踊りの類をできるだけ見たいと思っておりまして、これは節分に限ったものではないんですが、まー全然見れてないけど可能な範囲でがんばりたいんですよね。見るのを。 他には、建築と写真関係の企画や展覧会を巡ったりベケット映画祭で耐久戦のように上映を見たり、スペインへ行ったので建築がっつり見れたのよかったしプラド美術館も行って「時間が無限に足りない」になったりしました。
作品制作は毎日ちょっとずつやり続ける以外の正解は存在しないのですが、それにしたって時間が有限すぎるなあと感じます。「何をやらないか」を判断するというの、歳を食ったことでやりやすくなった部分はあるかなという気もするので鑑賞も制作も生活も、うまいことやっていきたいところです。
来年は世界が今よりよりよくなりますように。
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職業としての売春は、古くから存在する。職業とは、ヒトのみが行う社会的かつ文化的営為であり、富・付加価値の交換により形作られる経済活動の手段としては、売春は人類最古の職業の一つでもある。 現代の売春とは取引契約に基づくものであり、売春の歴史とは売春仲介の歴史でもある[5]。また、売春という職業が成り立つ為には、貨幣経済の浸透と、家父長制や嫁取り婚が成立していないといけない[要出典]。ヨーロッパでは古代ギリシャ以降になる。 古代 →「公娼」を参照 史上初めて管理売春すなわち売春を国家の登録制度のもとに管理し、公認したのはギリシャのソロンといわれ、国家によって女性の奴隷を「購入」し、「ディクテリオン」という売春施設へといれた[6]。ローマ帝国でも売春仲介業者は法的な認可をうけ、届出をするだけでなることができたため、売春は広く行われていた。しかしローマがキリスト教徒の迫害をやめ、それを国教としたことをうけて、売春を禁ずる法が登場する。ユスティニアヌス法典は、売春仲介業者の責任を問い、売春婦たちを「不幸な運命から救いだす」ことをうたう画期的なものであった[7]。 キリスト教が普及するにつれて、売春を含めた性の問題はすべて宗教の領域で扱われるようになる。キリスト教は売春はおろか婚姻生活以外での性交渉を禁止した。一方で国家は売春の禁止と公認を繰り返してきた。公序良俗を保つためであり、税収を確保するためであった。中世に入ってキリスト教の影響はさらに強まり、例えば、シャルルマーニュの勅令は売春の完全な禁止を謳っている。こちらは業者へは少量の罰金刑を課し、売春婦を「みだらな女」として広場で鞭打ちに処すなど重い罰を規定している。 近代 このように近代まで、国家は売春を両義的なものとして扱っていた。登録制度という公認であっても女性を監視し縛り付けるものだとする「廃娼論」が出現するのは20世紀以降のことである[8]。そして「醜業ヲ行ハシムル爲ノ婦女賣買取締二關スル國際協定」が1904年に採択され、「醜業ヲ行ハシムル爲ノ婦女賣買禁止二關スル國際條約」が1910年に制定され、1921年に国際連盟によって「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」、1933年に「成年婦女子ノ売買ノ禁止ニ関スル国際条約」がそれぞれ採択された。さらにそれらの協定や条約を統合する形で「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」が1949年に国際連合によって採択され、1951年に発効した。 現在、フランスの社会史学派、アナール学派の研究によれば、売春は逆にキリスト教によって誕生したと論じている。本来、男女は対等であったが、キリスト教の「弱者である女性は、保護を行う男性の支配を受けなければならない」という教義から家父長制が強力になり、支配される性としての女性が誕生した、という考えである。[要出典] 日本 →詳細は「遊女」を参照 阿部定が最後に勤めた遊廓大正楼(兵庫県丹波篠山市) 万葉集に掲載されている歌の解釈から、この時代から日本でも売春は行われていたと考えられる。ただし、古代の記録に見られる売春は、都周辺に限られており、地方における実態は不明である。日本において職業としての売春が成立するのは、中世後期の室町期以降である。平安時代に至っても、さらには鎌倉期においても、妻問婚がメインであり、貨幣経済と男性優位の家父長制や嫁取婚はいまだ浸透していなかった。平安時代と同じく母方の父が優位という執権政治の形態が続いていたことからも明らかである。座や町衆などによる市の支配の確立と、惣領制や嫁取婚が成立するまでは、職業としての売春は広がりを見せなかった。 売春は神道において、巫女によって行われたこともあった[9]。鎌倉時代には巫女を養っていた多くの神社や寺院が破綻し、生活の糧を求めて旅に出る巫女が現れ「歩き巫女」と呼ばれるようになった。巫女は主に宗教的なサービスを提供していたが、売春とも広く関係していた[9]。 安土桃山時代に豊臣秀吉が大坂道頓堀において、遊女を一箇所に集めた遊���を作って以後、江戸時代でもこうした遊廓を設置した。特に吉原遊廓、島原遊廓、新町遊廓は三大遊廓と呼ばれるほどの隆盛を誇った。ただし、遊廓などではいまだ女性の「神」性視が行われ[独自研究?]、遊廓は非日常の空間であり、世俗の法律が通用しなかった。吉原の監督官としての武士も、武家出身者ではなく忍者出身者が行い、公儀とは距離を置いた[要出典]。江戸幕府は、江戸および関東八州については、公的に売春を認めつつ[注釈 3]、散在する遊女屋を特定地域に集合させ、1617年(元和3年)、日本橋葺屋町界隈に遊郭の設置を許可し、吉原遊廓とし、この他の地での売春を禁じた。この禁を破って売春がなされる場所を岡場所といい、その遊女らは、後任の吉原におけるものと異なり、私娼であって取り締まりの対象とされた。私娼は発覚・奉行所などに捕縛されると、新吉原で女郎として3ヵ年の年季奉公が科せられ(公事方御定書[11])、そのような女郎は「奴女郎」と呼ばれ最下級の扱いを受けた。このように、建前上は、吉原以外での売春は禁じられていたが、岡場所は江戸時代を通してところを変えながら存続し続けたし、特に、近郊の品川宿、内藤新宿、板橋宿、千住宿など、近郊の宿場町の宿屋では、泊り客に飯盛女と称した私娼の斡旋を行っていた。 1958年(昭和33年)4月1日に売春防止法が施行され、赤線も廃止されソープランドとして残る(神戸福原) 明治維新以後もこのような遊廓は存在していたが、転換点となったのは1872年(明治5年)である。この年、マリア・ルーズ号事件が発生し、大日本帝国政府はペルー船籍の汽船船内における中国人(清国人)苦力に対する扱いを「虐待私刑事件」として日本の外務省管下で裁判を行ったが、この裁判において被告側より「日本が奴隷契約が無効であるというなら、日本においてもっとも酷い奴隷契約が有効に認められて、悲惨な生活をなしつつあるではないか。それは遊女の約定である」との主張が為された。 この主張に対して、特命裁判長を務めた神奈川県権令大江卓は「日本政府は近々公娼解放の準備中である」と公娼廃止の声明を発し、1872年10月2日、芸娼妓解放令が出された[12]。これにより、女衒による遊女の人身売買は規制されることになったが、娼婦が自由意思で営業しているという建前になっただけで、前借金に縛られた境遇という実態は変わらなかった。 また、この時期に数多くの女性が女衒の斡旋により、日本の農山漁村から東アジア・東南アジアに渡航し、遊廓で働いた。こうした海外渡航した女性たちは「からゆきさん」と呼ばれた。このように世界への渡航を手配した、女衒として有名な人物に村岡伊平治がいる。 第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)、日本の統治を担当していたGHQは公娼廃止指令を出し、女給による売春を行う赤線を除いて遊廓は廃止されることになった[注釈 4]。 また、1955年(昭和32年)最高裁判所は、売春を��提とした前借金について『公序良俗に反するものであるとして無効』とする判例を���定させた[13]。さらに、上記「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」を批准するための国内法である売春防止法が1956年(昭和31年)5月に公布、1958年(昭和33年)4月1日に施行され、これによって赤線も廃止されることになった。 これら赤線地帯にあった店は、その後も小料理屋やトルコ風呂(現:ソープランド)などと名称を変え、管理売春や勧誘・斡旋などの売春助長行為ではなく、個人の自由意志での性行為の場所を提供する、という法令に抵触しない範囲で営業を行っている。なお、トルコ風呂の名称については、トルコ人留学生・ヌスレット・サンジャクリが厚生省(現:厚生労働省)に名称変更の訴えを起こし、名称がソープランドに変わった経緯がある[注釈 5]。 →詳細は「ソープランド § 改名問題」を参照 各国の概況
売春 - Wikipedia
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今から数年前に1万円で家を売った。 5月のある朝、突然携帯電話が鳴り、誰かと思ったら母からだった。 今、A県(亡き父の実家のある県)の警察から電話があって、伯父(父の兄)が遺体で発見されたと連絡が来たとのこと。家の中を捜索していたら、母の名前と電話番号があり電話してきたと言われた。しかし、持病もあるので息子と話してみると伝えたと。 簡単に言えば、遺体の引き取りの件で連絡が来たということだ。 父は今から30年ほど前にすでに他界してる。そして父方の実家には父の兄である伯父が単身で住んでいた。年にして80歳ぐらいだっただろうか。 その連絡が来る、1~2週間前にふと気になり、母に父方の実家の名義は誰になっているか尋ねたところ、私だと言う。 祖父が昭和30年代に建てたらしいが、その祖父が亡くなり、祖母の名義になり伯父は独身で祖母と伯父の二人暮らしだった。そして祖母も亡くなり、伯父の名義になっているかと思っていたが、弟、次男である父の名義であると以前聞かされていた。 そして、父はがんで今の私の年齢のぐらいで30年ほど前に亡くなった。そこで長男である私が自動的に相続していたようだ。 その後、父方とは音信が途絶え、関わりもなくなり、まさかと思い尋ねたら私名義だったと言うことだ。 これはまずいと思い、ネットで調べてみたら名義変更の相談は最寄りの法務局でとあったので、法務局の連絡先などを調べていたところ、伯父が急死した。 警察に電話をしたところ、死後3日ほど経っているが、検死の結果、事件性もないと判断した。よって遺体の引き取りをお願いできるかと言うことだった。 ふと、考え込んでしまった。あの家の名義は私ではあるが、音信不通になっていた期間は数十年。なぜ私が?と。 そこで私が迎えに行かなかった場合どうなるのかと担当刑事に尋ねたら、無縁仏に入ることになりますと。ああ、菩提寺あったなと思い出した。しかもそこのお寺のご住職は同級生でよく遊んでいたと父からも聞いていた。 仕方ない。迎えに行きますと答えた。そこからとりあえずで準備して、そのまま新幹線に乗り、レンタカーを借り、夜中の10時過ぎに警察署についた。 当直の職員に名乗ると、ああ、とすでに理解しているようで担当の者を呼んできますといい、取調室のような、応接室へ通された。他の刑事さんがお茶を持ってきてくれた。遠いところお疲れ様でしたと言うような挨拶はしたと思う。 担当の刑事さんともう一人の刑事さんがやってきて名刺を渡され、状況の説明と見つかった所持品の説明を受けた。 庭で発見され、全く外傷はなく、さらに雨風もなかったので全く汚れなどもない状態で発見され、検死をお願いしている大学病院でも、CTなどを撮ったが内臓からの出血もなく、外傷もなく、事件性はかなり低く、さらに病気も見つからなかったと言う。よって自然死としか言いようがないとのことだった。いわゆるぽっくり逝ったようだ。庭で作業していて心臓が止まり、そのまま亡くなったらしい。 発見は新聞配達の方が新聞が溜まっているのを見て、地元の民生員さんに連絡してくれて、110番して、警察が発見したとのこと。ありがたい話だ。 そして遺体安置所へ案内され、遺体と対面した。冷凍で安置されていたためか少し霜柱が鼻などについていたが間違いなく伯父であった。 再度、応接室に戻り、今後どうされますかとのことだったのでできれば、明日には荼毘と納骨は済ませて帰るつもりだと伝えると、遺体を一晩預かってくれる葬儀屋を紹介してくれた。葬儀屋さんが来ると手際よく、ワゴン車に棺を乗せた。刑事さんたちにおせわになりましたと挨拶をし、葬儀屋さんへ向かった。 一晩預かってもらうことができ、明日に運良く火葬場で荼毘ができるとのことだった。明日の朝再びこの葬儀屋で待ち合わせとなった。 料金は一晩で25万円とのこと。後払いで結構ですのでと気を遣ってもらった(?)振り込み用紙を折りたたみ財布に入れた。 とりあえず遺体は置いておけるが問題は自分だ。0時も回って今から泊まれるところはありますかねと相談したところ、葬儀屋さんが探してくださり、駅前の東横インに泊まれると。そのままレンタカーのナビに目的地を入れて向かう。 ホテルにつき、カウンターで支払いをする。一晩朝食付きで1.2万円ほど。 部屋へ行き、スマホの充電を繋ぎ、シャワーだけ浴びて、そのままベッドへ。はー、来てよかったと思った。 朝、ホテルで朝食を食べ、再度葬儀屋へ。途中コンビニにより、ATMで3万ほど下ろした。 葬儀屋さんの案内で火葬場へ。そのまま荼毘へ。焼き上がるまでお茶を飲んで待つ。荼毘を待つのはいつ以来だ?母方の祖母か?あれ?どっちが先だったか? そして、骨を広い骨壷に収めてもらい。挨拶をして、骨壷を助手席に乗せて菩提寺へ向かった。着いてから気づいたのだが、事前に連絡できなかったなと。 しかし、ご住職に会うと、事情は知っておりますとのことで話は早かった。このまま納骨させてくださいと伝えるとわかりましたと。その場で埋葬許可証を渡し、父方のお墓まで行き、納骨を済ませたところで、大変少なくて失礼ですが、こちら���と先ほどのコンビニでおろした3万円を包んだ封筒を渡した。ご住職はいえいえと恐縮されていたが、こちらとしても始末をつけねばならない。 そして、帰り際にこちらから、これにてこちらの家系は終わり、最後の納骨になりましたので、ひいては年度末に墓じまいもお願いしたくと申し出た。 では、年度末ごろに改めてご連絡しますとのことになった。よろしくお願い致しますと挨拶をした。 そのあとは実家周辺のお宅全てにご挨拶に行った。私は〜家の親族のものです。この度は大変ご迷惑をおかけしましたと、決まり文句を続けた。 全ての方が、まさか私が来るとは思ってもみなかったようで、どちらにお住まいの方?と尋ねられ、伯父の弟の息子で、B県に住んでいる。警察から電話が来て昨日の夜ついて、無事納骨までできたとこれも決まり文句で話し続けた。 皆一様に驚いていたが無事解決してよかったと。 その日は陽が暮れる頃に帰途に着いた。 そして、帰宅してからは「家」をどうするかと言う点だけが気になった。 無人の家に放火、居座られる(これを一番不動産屋が心配していた)、災害による周辺宅への被害は過失になる可能性があるが火災保険には入っていない。 名義は私だが何にも関係はない。住むこともない。なぜ私の名義になったのかはわかる。そして次男である父に名義が行ったのも以前から聞いていた。事情があった。その事情で伯父は孤立無縁だった。ちなみにこの時は血縁関係者は一人も現れなかった。事情は知っているが来なかったと言うことだ。 早く私としても終わりにしたいので、このご時世だ。県名を入れて、不動産売買のサイトで5社ほどに買取の件で一斉送信した。 すると買取不可が3社。仲介販売が1社。建物をこちらで解体したら土地のみを引き取りたいと言う会社が1社返答があった。 ちなみに地域的���は限界集落である。バスもない、駅もない。人気もない。 仲介販売は200万円で売りに出しましょうと言う非現実的な提案だったのでお断りした。 引き取りたいと言ってきた会社に連絡をしたところ、いつ現場でお会いできますかと言う話になり、7月ならと。電気もガスも電話も固定資産税なども事情により父、母が支払っていたので、物が腐っても解体するのならいいと思った。冷蔵庫のものは知らんと。 ガスと電話、そして新聞を止めた。特に新聞は支店にも電話して丁重に挨拶をした。支店では事情を皆が知っているようで電話口の女性も同情してくださった。電話も遠くの地だと知るとさらに同情してくれた。 7月。不動産会社の方と現地で待ち合わせした。スーツを着た男性で30代半ばぐらいの方だろうか。お話を聞くと、東京で大手不動産屋さんに勤めていて、出身のこちらに戻ってきて不動産屋を開店したばかりだと言うことだった。 早速、解体についてお話を家の前で立ち話でした。おおよそ200万ぐらいはかかると思うと。家の前の道が狭いのでダンプなどが入れないため、余計に費用がかかるはずとの説明だった。 さらにこちらに来る前に登記簿を取ったが、複雑な登記になっており、道から家の間にお隣の方の土地があると。 お隣の方も出てきていらして、そうそうと。登記の確認の書類を持っていた。ああ、あんた、ここの持ち主さんかい?と。わかる、わかるよと。こちらは幼い頃に遊んでもらったことぐらいしかわからないのだが。 確認書には平成一桁代、つまり父が亡くなり私が自動的に相続した時に、ついでだからどこからどこまでがどうなっているのか確認しようとなり、お隣さん主導で確認し、ビス?を地面に打ってもらったと。そして、その確認のサインがあると言う。 紙をピラっと出してきた。そこには紛れもなく、私の筆跡の名前があった。私はこんな重要な書類にサインしていたのかと。驚いた。全く記憶にない。 ではということで、解体したら引き取りということで良いですかと確認したところ、不動産屋さんが、額に手を置いてしばらく考え込んでいた。 何かと思っていたら、すみません、1万円で引き取らせてくださいと言う。 え?無料でもいいんですが?と返すも、いいえ、それが無料だと色々税金やら何やらと面倒なのでと言うことだった。 売買ではなく贈与ということになるのか?まぁともかく1万円だ。これでおさらばだ・・・と思ったが、200万円の赤字だ。プラス新幹線代、葬儀場代etc...プラス100万になりそう。 話がまとまったところで、後ほど郵送で書類などお送りしますと。そして室内に入ることにした。誰もない父の実家。懐かしい。夏休みにはこちらにきていたが、祖母と父は駅前にマンションを購入し、そこで二人暮らしをしていた。 父は私が小学5年生の時に単身赴任でこちらにきていたが、それから10何年経っても、戻ることなく癌で死んだ。のちに知ったが上司と喧嘩して左遷されたそうだ。 事情により、伯父と祖母と父の3人で住むことなく、父と祖母は家を出たようだ。それも当時は祖母の通院のためと聞かされていたが・・・。今回、死亡して色々わかった。伯父は一族から絶縁されていた。絶縁に法的根拠はないが、一切関わらないということだと思う。 ちなみに村八分は火事と葬儀は協力するが他の8割は協力しないということ。絶縁ももっとすごいと思った。 まさに独居老人だなと思っていたが、生活保護を受けて、元気に自転車を乗り回していたらしい。全くの無病で、慎ましやかに生活されていたと役所の担当ケースワーカーから聞いた。 ところで、25万と火葬費用がかかったので葬祭扶助くださいと申し出たのだが断られた。生活保護は死んだら支給停止なのでと。 は?おかしいでしょ?と言ってもダメだった。 こちらで再度調べたが、やっぱり支給されるようだが・・・。 無知なケースワーカーに当たるとめんどくさい。縁を早く切りたかったので再度役所に出向いたりするのも嫌なので、連絡を取るのはやめた。 室内は死んだ時の状態そのままかなと思えた。布団は万年床になっている感じ。 小さなブラウン管のテレビがあるところに布団が敷かれていた。 電話は薄緑色の回転式の電話。これ。 NTTに解約の電話をしたところ、最後のお支払いで「買取」をしてくれればそのまま捨てても良いとのことだった。数百円だったと思う。で、そのままにしておいた。 問題はこれから真夏の7月に電気を切るので、冷蔵庫の中身だった。 物は独居老人だったので少なかったが、腐り始めているのもあって面倒だったがコンビニで買ったゴミ袋に全て突っ込んで捨てた。 ちなみに靴は脱がなかった。足の怪我が怖かったし、もう思い入れもない。 以前からあった場所に仏壇があった。そこには父からの手紙もあった。どうやら色々と揉めていたらしい。90年代の手紙だった。~の親族には挨拶に行けなど指示的な内容が多かった。 差し出しの住所は父が癌で入院していた病院だった。そして、仏壇の引き出しからは、若い頃の祖母と父、伯父、見知らぬ女の子が写っている写真が出てきた。 その女性は戦前食糧難の時に青梅を食べて食中毒を起こして亡くなったらしいと聞いている。 伯父は結婚したものの、一人娘を交通事故で亡くしており、その後離婚。相手方を見た記憶は私にはない。 さらっと家の中を片付けて、このまま全て処分してくださいとお願いした。 あ、あとケースワーカーから聞いていた、保護費が振り込まれる口座のある銀行にお金が少しは入っているのでそれを葬儀代に当てて欲しいと言われていたので、印鑑と通帳を見つけた。すぐに見つけられるところにあるのは、男一人って感じ。 ではと解体をお願いし、その足で銀行へ行ったところ、受けてくださった行員さんは大変困惑し、私は一体何者なのかという点と、すでに死亡しているので相続の問題があるとのことだった。 何者かを証明するには戸籍謄本などが必要だが・・・と。しかも相続の対象になるかどうか、ここの口座から引き出すことも閉じることも、事実上不可能だと。 相続の対象者は過去に離婚した奥様、そのお子さんなど全てで、私が現金を手にするには、その全員から印鑑をもらわないととダメだという。すると不可能なことになる。これが億などの大金なら、弁護士や何やら雇って解決する方法もおすすめできるが、おそらくそんなに多くはないはずで、他の多くの方もそれで諦めてしまうことが多いと。そのお金はどこへ?と聞くと、不明金として一旦本社に行き・・・おそらく国庫かとという回答だった。 しかし、そこで行員さんが少々お待ち下さいと、上席の方に相談してくださり、支店長まで来てくださり、今回は支店長決済ということで、私の身分証明書、伯父の印鑑、通帳があれば、引き出しと解約をさせていただきますとのことだった。大変助かった。 引き出せた金額は一桁万円。しかも年金だった。保護費は残っていなかった。つまりこの金額だから、支店長決済で対応もらえたのだと思った。 年金が振り込まれているが・・・。これはどうすればいいのかと銀行の方に尋ねるも、これは年金事務所へ行っていただかないと分かりませんということだった。 車で数十分、最寄りの年金事務所へ行った。事情を話したところ、全くどうなるか、わからない、本体の年金機構��尋ねるので時間が欲しいと。どれぐらいかかりますか?と尋ねると。わからないという。 では、年金機構の対応部署を教えて欲しいと尋ねるも、わからないという。どうやって尋ねるのですか?と聞くと、わからないですという。じゃあ、とりあえずどこに尋ねるかわからないけれど、相談は受けるということか。 じゃあ連絡待ってますと伝え年金事務所を後にした。 その後、半年経っても何も連絡が来ないので、年金事務所に連絡したが、わからないという。年金機構のどこに連絡したのかと聞いてもわからないという。 もう流石に話にならないので年金機構の問い合わせに電話したところ、そのような事情はわからないと。担当部署が対応していると思うので年金事務所がそう言っているのなら、連絡を待って欲しいと。え、担当部署はどこですか?と尋ねると、年金機構でもわからないという。あの、仕事していますか? その後、今に至るまで連絡なし。私は葬儀代として考えている。これから返せと来ても一生かけて争ってやる。 さて、家のその後だが、7月に解体のお願いをして、8月に永田町の司法書士事務所にて1万円で売買した。その時に司法書士の立ち会いのもと行われましたという旨が書かれた書類をもらい、名義変更も終わった。これで何があっても私の責任は無くなった。 これで終わりだと思った。一応不動産屋からは解体が終わったらご連絡しますと言われていて、9月とか10月には来るのかなと思っていたら、次の年の2月に連絡が来て、メールには解体されて更地になった土地の写真が添付されていた。土には雪が積もっていた。 今、ストリートビューで見てみたが、まだ家が残ってる。とても嫌な気分だ。 追記、その年度末には一通の手紙が税務署から届いた。何か不動産の取引をしましたよね?納税はありませんか?と。ない、むしろマイナスであると書き込み返信した。すごいよ、税務署の仕事ぶりは。年金機構も見習って欲しい。
1万円で家を売った - カメラが欲しい、レンズが欲しい、あれもこれも欲しい
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