#長門本山駅
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2024.4.27 山口 1日3本だけ電車が来る長門本山駅
123系(123-6)到着動画 2往復目の往路
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大雄山最乗寺を散策してみた
そろそろ旅にでたい気分。程よい距離感で楽しめそうな場所を探し、大雄山最乗寺を散策してみた。
過ごしやすい気候になり、そろそろまた旅にでたいな、と思い地図を眺めること数分。小田原から伸びる大雄山線に目を付け、これに乗るとどこに行くのだろうと調べたところ、大雄山最乗寺という古刹がhit。面白そう、かつ気軽な日帰り旅には程よい距離感。ということで今回は大雄山最乗寺を散策してみた。
大雄山最乗寺は曹洞宗の寺院で、長い歴史を持つ関東の霊場として知られているとのこと。大雄山駅からバスに揺られること10分ほどで門前へ。心地よい風の吹き抜ける参道をしばし進む伽藍エリアへ。最初に本堂にご挨拶。天吊りの装飾が壮大な大きなお堂でした。ちなみに本堂へは靴を脱いであがることができます。ここは個人的に重要かつうれしいポイント。
本堂の脇を進み、結界門の先 聖域へ。身が引き締まる、気がする。��。大雄山は天狗のお寺としても知られ、結界門の左右にも天狗の像が。きっとこの先にいるのだろう。いざ天狗探しへ、ワクワク。
結果、天狗は見つかりませんでした。。。天狗が脱いだと思われる下駄はたくさんあったのですが、残念ながら姿は拝めず。道中 奥の院続く道は350段の階段。この前 身延山久遠寺の菩提梯で力尽きたトラウマが。。。同じ過ちを犯さぬよう水分補給・飴をなめて糖分補給した上で歩を進めます。比較的涼しい気候と優しい段差ということもあり、息切れこそしたものの今回は倒れることなく登り切りました、大汗かきましたが。。。
仕方がないので、そのまま下山。次のバスまで少し時間があったので、バス停横のお土産店 兼 そば屋で天狗そばセットをいただきました。椎茸煮と天かす、かまぼこののった冷たい蕎麦といなり寿司、みそおでんのセット。太めの蕎麦で食べ応えがありました。甘めのみそのかかったこんにゃくと付け合わせのお漬物もおいしかったです(いなり寿司は。。。。個人的に。。。)。お腹も満たされ満足、バスで大雄山駅、そこから小田原を経て帰路につきました。
都内から程よい距離���散策が楽しめる寺院としては私の中で得点高めのスポットだと思いました。日常を忘れてリフレッシュしたいときにおすすめ。
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモ��館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおる���ブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14��の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発���「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一��判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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【かいわいの時】明治四十三年(1910)4月15日:京阪電気鉄道(天満橋―五条間)開通。
天満橋南詰より鉄路長く駛つて京都五条橋畔に達する本線の沿道は、風景に於て他に比肩すべきものなきと同時に歴史研究の上に逸すべからざる幾多の名勝旧蹟を認むべし。今吾人をして試みに一乗客となりて本線の沿路を通過せしめんか、浪花の富を一夢と観せる古英雄の覇業を語れる大阪城を後にし。心中夫の網島の艶史を留むる大長寺の甍を左にしつつ、一路直に河北の大郊原に駛出すべし。此時後方遥かに楠氏一門の干城たりし金剛山の翠蓋を指し、右手東の方には葛城山脈の蒼々として打連なる中央に於て、生駒飯盛の翠巒を望見すべし。木村小路、守口に至れば澱江の水溶溶たるが上に軽舟小艇の去来する状、當に一幅の好画題なるを失わず(大久保透)。『最近��大阪市及其附近』1911(国立国会図書館蔵)より。*ママ。いずれも誤植。心中夫の網島→心中天の網島、木村小路→森小路。
(写真)「境内古図」(大宮神社蔵) 秀吉時代の当社を示す絵として描かれたものと伝わります(写真は複製)。寛政元年(1789)奉納。古図には本殿、拝殿の他、櫻門、高良社、北斗社、鬼門守護社、若宮八幡宮、七社相殿、三元殿等があり、南には京街道の「七曲がり」が確認できます(大宮神社=図も)。図の「一の鳥居」の附近に京阪電車の「大宮臨時仮駅」(1913~1920)がありました。
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力が漲る💪ランチたち
Energizing lunches!
ランチパワー、その311 😋
維新號 銀座本店
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13002610/
アーンドラ・ダイニング 銀座
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13136701/
居酒屋おふろ
https://tabelog.com/tokyo/A1318/A131809/13275453/
I MUSIC BAR
https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13280371/
BERG
https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13004332/
喜三郎農場
https://tabelog.com/tokyo/A1323/A132301/13093220/
石はら
https://tabelog.com/tokyo/A1317/A131709/13007101/
銀座 長寿庵
https://tabelog.com/tokyo/A1302/A130202/13007705/
さかな酒�� 魚星 小田原駅前店
https://tabelog.com/kanagawa/A1409/A140901/14087361/
雪園 京橋店
https://tabelog.com/tokyo/A1302/A130202/13002264/
随園別館 京橋店
https://tabelog.com/tokyo/A1302/A130201/13155011/
韓美膳 三井アウトレットパーク木更津
https://tabelog.com/chiba/A1206/A120602/12028661/
呑兵衛 銀座1丁目店
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13216547/
れんげ食堂トウシュウ 烏山西口店
https://tabelog.com/tokyo/A1318/A131809/13232791/
次男坊
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13021091/
ピッツェリア・サバティーニ 青山
https://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13001202/
過門香 銀座本店
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13002465/
蕎麦・天ぷら 権八 あざみ野
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山形田
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13111033/
銀座イタリー亭
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13002469/
らくだ/TUBO
https://tabelog.com/tokyo/A1318/A131809/13074320/
IKEA 渋谷
https://tabelog.com/tokyo/A1303/A130301/13257073/
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深淵を覗きたかった
舞原です。しばらく雑談が続きます。団員紹介目的の方は飛ばしてね。
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コント演出をやってみて思ったんです。オムニとかの脚本とかもっと挑戦してみても良かったんじゃないかなぁって。いや、楽しいですね〜演出って。体験版だからでしょうか。まあ好き放題させてくれたコントの役者たちにまずは感謝なんですけど。まあその上でちょこっと制作秘話なんですけど。出演者決まってから色々試行錯誤しているうちに「客役に店長役の頭をポンポンさせようかな…?」とかいう邪念がよぎったんですよ。ちょっと迷いましたが、さ~すがに申し訳ないなって思って止めました。需要があるならもうポポポポ~ンってくらいにポポンポンしてください。あたまポン♪ポンポポン♪ でも勝手に頭ポンポポンするのは失礼ですからね。
まあ人に頭ポンポポンさせている自分自身がキモくなってしまうのはありますけどね。
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ということで食パン滓絞りからは以上です。 区切りがスマホサイズに依存するのは許して。
団員紹介、続いては35期。1年半ってまじで早いね。ここからは印象に残ってる役とかセリフを添えます。(不参加公演の場合はセリフないです。ごめんなさい。)
私は代替わり部会に出席してないからギ、ギリセーフ...。
大福小餅
同じ座組になることが多かったなぁ。初めのオムニの頃から比べると本当にちゃうかに汚染されてしまったなぁって思います。ふと見るとすぐに稽古場で寝ているのでおもろいなぁと思いつつも普通に心配です。天然で急な思考��飛躍を入れてくるのが本当に面白かった。外公で舞監頑張っていましたね、お疲れ様です。もっと舞台上での存在感が大きい役が見てみたいな。どうなるか予想が全くつかないから。
こふくは楽しそうにしてる時が1番輝いてる気がする。
23秋公/息を吸う、吐く 魔女
「大丈夫、きっと全て上手くいく。」��
あろハム権左衛門
支部長さん。吹田で楽しそうにしてるなぁ、とよく思っていました。某人間とかの振り付けしてたとは聞いてたけど今公演改めてみるとめっちゃ踊れててびっくりした。自分の中の世界で強く生きてるんだろうなぁと常々思ってて、その���界をもっと覗いてみたかったけど全くタイミングなかったなぁ。チャンスはもっとあったような気はするけど。吹田の時にサイゼ擦ってくれてありがとうございました。
カルピスの原液が個人的には優勝ではあったが、しかしこっち
24新歓/夢にまで魅せられて 黒川
紫仏瑠唯
まじでそんなにお話した機会がなかった…。合宿のときにこふくといて「あれ、ここって仲いいんだ」とか思ってたけどよくよく考えたら二人とも学部一緒だということにこれを書いてるタイミングで気づきました。それくらい何も知らなかった。まあスタオンだから仕方ないかな…。
これ以外も見てみたいな。
23オムニ/オレンジ 母
「まさかネットに旦那を寝取られるとはねえ!!ネットられるとはねえ!!!」
近未来ミーラ
「詳しくは情報解禁を待て」だけど、諸々楽しみにしてます。みーらと一番お話したのはかつてのオムニの「今では考えられないようなほど静かなみーら」だったなぁ。みーらは演出を3回もやっているというのに。ふざけてる時のみーらとの会話のテンポ感は引退する前に掴みたかったなぁと思っています。あれみんなどうやって会話してるの?すごい気になる。いつか演出を受けてみたいという気持ちもありつつ。
栞の個人的推しポイントの一つ
24秋公/いつか栞を挟んで 駅員
「自分の問題でしょう!」
黒井白子
演劇サイボーグさん。もっと白子にダメとかもらいに行っても良かったのかな、とか引退した今では思っちゃいますね。頑張ろうとする人に対して、その努力に応じた強度のダメを出してくれる。経験と知識にしっかり裏付けされてるのが本当に強みですよね。舞台上とかカラオケにいるときの白子のイメージが私の中で大きいけど、日常生活でも楽しそうにしていて凄いアクティブだなぁ��て思います。
私これのキャスパまじで好きなんよ。あの白子大好き。
23新人/某人間 道化師
海泥波波美
一番関われる機会が多かったんじゃないかな。私がいるところには常にいた気が。場の空気の作り方が上手いと思います。圧倒的な潤滑油。楽しませてくれます。真面目とふざけのバランスが凄い絶妙ですよね。まあ攻めすぎてる時もある気もするけど。須藤、当ててくれてありがとうございました。ちゃうかって楽しい場所なんだなぁっていうのを1番よく実感出来た公演になりました。 またご飯とかでも。
ボスと共演出来て楽しそうにしてたのが印象的だった。
23秋公/息を吸う、吐く なおや
「いつもの時間、いつもの電車、いつものお前。つまんねえ」
帝京魂
すっかりおじさん芸が板についてしまって。オムニの初めで「僕、鯛焼きの36期にヤバい奴だと思われてないですかね…」って心配してたのは面白かった。舞台上ではやばいかもしれないけど、実際それ以外は相当まともな方に入りそうだけどどうなんでしょう。普通にいい先輩してると思います。襟をつかんで叫んでた頃が懐かしいなぁと思うこの頃です。 もう襟を掴めないとこに行ってしまったような。
Level 100
24新歓/夢にまで魅せられて 深山 登
テキストを入力
音響仕込み平班員仲間。平班員だけどしっかり有能。流石。舞台上では毎回見所がある。美味しいよね。今年のオムニから役者を始めた新星のスターだけどもうすっかり演技をすることには慣れていて凄いと思います。あとほんまに映像凄い。安定してクオリティが高い。硬すぎず柔らかすぎず、重すぎず軽すぎず、ちょうどよくバランスの取れたエピの感じがすごく接しやすかったです。
やはりお前は音響の柱になれ
24外公/タイムマシンの使い方 店員
「箸、一膳。」
西峰ケイ
おもろいすいたんちゅ。生粋の関西人ですよね。ツッコミが本当に一級品。ってか普通に演技が上手い。外公の時はすごいリードしてもらってたなぁ、と思います。ほんまにありがとうございました。せめて、最後に一個だけ聞きたいんだけど、西峰ケイを伏せるときってどの絵文字がいいん?□?■?意外と◇?それともこういう伏せって嫌いだったりします?教えてください。
外公の共演も良かったんだけどさ…新歓で脳焼かれちゃったんだよね…。あのシーンのらび本当にすっげぇなって…。
24新歓/夢にまで魅せられて 八戸
園堂香莉
ふぇーい🤟🏻これ好き。おもしれ〜やつ。どんな思想をしてるんでしょうか。鯛焼きめっちゃ楽しかったです。なぽのおかげで鯛焼きが思い出の品になりました。なぽりが飽きることが無いことを祈っておきます。鯛焼きチーフなら大丈夫か。舞台上では本番になるとよく覚醒しますよね。去年は舞台上で、今年はオペ席から見てたけど毎回本番すごいなぁって思ってました。
ぽんぽん。ポン太くん!楽ステ輝いてたなぁ。
23秋公/息を吸う、吐く ゆき
「初めまして、ゆきって言います。ふつつかものですが、よろしくお願いします!」
衿君
佐藤。ゆるふわマッスル。外公はありがとうございました。普段はめちゃくちゃ謙虚なのにスイッチが入ると強くなる。演技は上手いし、舞台の外では面白い。もっと色々見てみたかったね。私が映オペの時結構注意喚起で肩叩いてくれたんですけど、楽ステのキャスパの時普通に見とれて忘れていたので助かりました。一緒に山を登ったりバンドを組んだりできて楽しかったです。またなんか冒険とかできたらいいな。
そりゃこれ
24外公/タイムマシンの使い方 佐藤
「なるほどな、大阪から愛知に行くのはいいけど何かの間違いで大阪から岐阜に行くと世界が滅ぶってことか。滅ぼすべきは岐阜県民 」
縦縞コリー
最近とてもテンションが高いように見える。高いのはいいことです。まあ多分こっちが本来のコリなんだろうけど。でもコリちゃんはテンションが高い方が面白い気がします。そのままのあなたでいてください。あと、コリはさ!!!人の目には気をつけようね!!!ほんまにいつ誰に見られてるか分からないんだからな!!!な!!!!!!
主役とかやってたけど何気にこれが1番好きかも。名言感?
23オムニ/怪盗とその考え方 警部
「これで怪盗コーデはコンプリートだよ…名怪盗くん。 」
中森ダリア
音響平班員仲間。でも音響として見たのは今回のバラしくらいだったかも。なんか最近更に美に磨きがかかっててびっくりした。すごいつよい。でも中身は変わらずひらりっぽい感じですよね。まあ詳しくは知らないんですけど。でもしっかりちゃうかに馴染んでますよねぇ。あとキャスパ上手すぎです。ほんまに、ダンス部強すぎる。
合いそうだなぁと思ってはいたけど初見の衝撃凄かったなぁ。
24オムニ/用もなしでは怖いし 掃除のおばちゃん
「あぁそれと、もう二度と余計なことは言わないように。もう見逃し配信はしないよぉ」
〆切三日前
音響仕込み班仲間。なんやねんこの芸名。俗にいう音響チーフの系譜ですね。本当に音響チーフなのかは知りませんが。っていうかこの人のこと全然知らないんですよね。何気に。TOP SATSUMAIMO狂であることと正欲って映画をオススメしてたことしか知りません。引退したし暇な時に見てみようと思います。なんか意外と色んな役やってますよね。上手いから気づかないんだろうな。
ずっと座って見てました。毎回圧倒されながら見てました。
23秋公/息を吸う、吐く みな
「ブス。ブスブス。ブスブスブスこのブサイクが、自分に自信もちなさいよ!!!!!」
ミル鍋
ゆに。人を+にする能力にものすごく長けていますね。色んな人に+をばらまきつつもユニ自身も色んな人に+をもらっているような気がします。『雑』談をするのがすごい上手いよねぇ。大学の課題ってクソだよねっていう話なら2,3時間くらい出来そうな気がする。吹田でかなり苦しめられているようですが、ここを自分たちのオアシスにしてあげてください。 楽しんで。
すごい ゆに
23秋公/華幻の月 辻井
「お疲れ様。一人だけどよくやったね、頑張ったね。」
苔丸
こけえもん。ありとあらゆるスタッフワークをこなしていて尊敬します。同時にありがとうございます。妄想サイゼ気に入ってくれてありがとう。苔丸に楽しんでもらえてるだけでもあれをやった甲斐があります。最近苔丸の変化率低い気がするから、もっと想像もつかない役とかもやってみてほしいなぁという気持ちです。 今度は宇宙人とかロボットとか見てみたいですね。
原点にしてこれ。
23オムニ/香夜 江崎文
「ええ加減にせんか!」
なんかこう書いてると人のこと全然見てきてなかったし、関わってこなかったなぁとか思っちゃいますね。 知らないことばっかり。悲しいね。
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2024年10月18日(金)
今日のミッションは、先日紹介した<第71回三田落語会)のチケットを入手することだ。午前10時<ぴあ>で販売開始、さすがに立ち上がりはなかなか繋がらない。それでも数分後には、昼の部・夜の部ともに座席を確保することが出来た。その後はホテルをおさえ新幹線を予約と、流れるように作業が進む。むふ、楽しみだなぁ・・・。
今日からは、日めくりではなく天気予報を(可能な限り)記録することにする。
3時起床。
日誌書く。
あれやこれや。
5時45分、ツレアイ起床。
洗濯開始。
朝食を頂く。
洗濯物を干す。
珈琲を淹れる。
今日は弁当なし。
可燃ゴミ、10L*1&30L*1。
彼女を職場まで送る、今日は昼までの勤務だ。
戻ってから、MLBをインターネットで観戦、大谷君は先頭打者ホームラン。
三田落語会のチケット、無事に確保出来た。
amazonのプライムセール、AppleGiftCard(¥50,000)とヤシノミ洗剤詰め替え用を注文、普段以上にポイントが入るはず。
三男のランチはサッポロ一番しょうゆ味。
バスで京都駅、地下鉄で御池、京都文化博物館へとやって来た。
彼女とは入口で待ち合わせ、開催中の特別展<生誕140年記念 石崎光瑤こうよう>を楽しむ。
石崎光瑤(1884〜1947)は、鮮やかな色彩で華麗な花鳥画を数多く残した近代京都の日本画家です。 富山に生まれた光瑤は、19歳で京都に出、竹内栖鳳に入門。1916年から翌年にかけてインドを旅し、帰国後、その成果として《熱国妍春》、《燦雨》を描いて文展・帝展で二年連続の特選を受け、注目を集めました。光瑤は、早くから奇想の絵師として知られる伊藤若冲に関心を持ち、若冲の代表作を発見し、雑誌に紹介、制作にも活かしました。 本展は、光瑤の故郷にある南砺市立福光美術館(富山県)のコレクションを中心に、初期から晩年までの代表作を一挙公開し、光瑤の画業の全貌を紹介します。
この種の展示は音声ガイドが欠かせない、とても興味深い展示だ。
彼女はバスで帰宅、私は阪急で烏丸から桂へ、いつもの<御膳>で惣菜を買ってから帰宅する。
<在韓被爆者を救援する市民の会・大阪支部>のI会長から連絡、被団協ノーベル賞受賞に関するメッセージをアップする。
夕飯前に、ココに点滴。大分動きが鈍くなってきたが、自分で動けるうちは現状維持に努めよう。
今夜は手抜き、これに残りものあれこれ消費メニュー。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第45話「策謀の結末」/ The Conspiratorsシーズン 1, エピソード 45 アイルランド出身の詩人、ジョー・デヴリンは、実はアイルランド共和国軍の闘士だった。彼は、今や大企業の会長や社長となっている同士達と革命用銃器の大量密輸を計画していた。ジョーは、銃器のディーラーであるポーリーと交渉を進めていたが、ポーリーは金の持ち逃げを画策していた。
片付け、入浴、体重は200g減。
電車・バスの移動ばかりのため、3つのリングならず。
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2024年9月6日金曜日
病院の待合室にて26
九月の水
朝/晴れ/パン/トラ/ミケ/CIAOちゅ〜る/身支度/ストレッチ/日焼け止め/お母さん/ミケ/お見送り/ちょっとひとりぼっち/軽自動車/高松空港/売店/山田屋のうどん/喫茶店/鶏のみぞれ唐揚げ定食/保安検査場/飛行機/飛行機から空港へのバス/羽田空港/東京モノレール/浜松町駅/大門駅/大江戸線/麻布十番駅/警察/迷子/護送車/ビジネスホテル/チェックイン/ズボンに汚れ/着替える/麻布十番駅/南北線/四ツ谷駅/中央線/よかったら座りますか?/大丈夫です/三鷹駅/折りたたみ傘/ビル/スペース/新千円札/友達/エル・デスペラードのTシャツ/烏龍茶/歌/ギター/ジャガー/コントラバス/ドラム/12弦ギター/鍵盤/本気/unrest/歌/ジャズマスター/フルート/EB/クラリネット/バスーン/ドラム/ソプラノサックス/鍵盤/二十年/DNA/アンサンブル/成立/ちょっとひとりぼっち/雨/三鷹駅/中央線/NHK-FM/アーマッド・ジャマル/四ツ谷駅/南北線/麻布十番駅/雷雨/消防車/ゴッサム・シティ/ローソン/ビジネスホテル/ネバネバそば/サラダ/シャワー/YouTuber/LGBTQ+/寛容/不寛容/差別/チャット欄/睡眠導入剤/ベッド/��岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
朝/晴れ/納豆巻/サラダ/ストレッチ/身支度/麻布十番駅/南北線/四ツ谷駅/中央線/吉祥寺駅/友達/中華料理屋/味付き卵���春巻/豆苗炒め/青島ビール/ジャスミンティーみたいな味の烏龍茶/夏になると茄子を読む/吉祥寺って自転車乗ってると/パンケーキ/コーヒー/禁物/外/クィアたち/ボーイズ・テクスチャー/完成するまでの過程/短歌/フェスセット/Arcaかわいい/高速移動/免許/北海道とかにある標識とか何もない真っ直ぐな道/事故った時にヘラヘラしないこと/Aka/透明ドロップ/be master of life/300部/版元の人/権利関係をややこしくする人/探偵/トぶ人/仕事中に飲酒する人/仕事中に大麻吸う人(CBD的な合法的なやつかも)/吉祥寺駅/井の頭線/ミーのカー/どんなものでも君にかないやしない/渋谷駅/工事/利権/消費者に皺寄せ/日本すぎる/ログアウト・ボーナス/仕事辞めたひと前来て?/失恋したひと前来て?/プライベート・スーパースター/曲先?詞先?/浮いてる/代引/慣れろ、おちょくれ、踏み外せ/本屋/バッジ/生きる演技/ノット・ライク・ディス/翻訳/あなたがたに話す私はモンスター/講演/抗議/連帯/波打ちぎわのものを探しに/鍵/商品と私物のあわい/細かく話を聞いたら全然私物/アイスコーヒー/オレンジジュース/親切人間論/これってデザイン誰/祖父江慎/クッ…/元ネタ?/アイドルの部屋/アイドルヲタの部屋/天才/ヴァレリー 芸術と身体の哲学/引用/装置/どもる体/本屋の人しか開けられない下の棚/いいんですか?/……/本に写真がない/なくてもみんな分かるから/じゃがたらも?/ジョン・ケージ 著作選/ケージ - 通路 - デュシャン/誰もわかってくれない/でしょうね/ケージとキノコの写真/ケージかわいい/面白い人の誤解は面白い/つまんない人の誤解はつまんない/ナボコフ読んで蝶大丈夫になった/チェス・プロブレムはわからない/詰将棋も/どうぶつの森/気のせい/料理本を戦わせる/これがフリー素材の/鳴き声以外食べれる/ベケットは読まれていない(ゴドー以外)/お会計/ポッドキャスト/配送できますけど?/絶対お願いしたいんですけど/これも買っていいですか?/生きる演技/お支払い方法とか聞いた?/ベトナム料理屋/フォー/生春巻き/ロータスティー/今日はパクチーありません/どうして?/台風で/ショック療法/Over Drive/YUMEGIWA LAST BOY/ラズベリーB面説/後輩を集めて読書会/カラオケとか行かないと思った/どうして?/私が行かないから/犬いっぱい/月曜日お店休みかと思ったー/最近は開けてるんですよ/月曜日お店休みかと思ったー/あー最近は開けてるんですよ/谷/ビル/しゃぶったチンポの長さの合計フィート数vsエンパイア・ステート・ビル/警察近くて便利だったのに移転した/店が?/警察が/喫煙所/男根ロゴス中心主義/六本木駅/ちょっとひとりぼっち/六本木一丁目駅/南北線/麻布十番駅/ローソン/ビジネスホテル/シャワー/一番搾りロング缶/一番搾りロング缶/一番搾りロング缶/スーパーサンクス11800円/思いの丈をぶつける/ベッド/四時頃/睡眠導入剤/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
(2日目の写真これだけ…)
朝/曇り/身支度/納豆巻/サラダ/チェックアウト/麻布十番駅/大江戸線/大門駅/浜松町駅/東京モノレール/各停/羽田空港/かけそば/ミニ天丼/東京ばな奈/ANA BAGGAGE DROP/あらゆる場所にアルコールが……/アカシアあるんや/展望デッキ/コーヒー/読書/保安検査場/空港から飛行機までのバス/三十分以上の待機/書類の不備により飛行機にご案内できません/飛行機から空港までのバス/ご案内の準備が整いました!/空港から飛行機までのバス/飛行機/予定より一時間ほど遅れての出発となりまして誠に…/高松空港/予定より二十分くらい早く着いたので結果四十分の遅延/荷物受け取りレーン/軽自動車/家/トラ/CIAOちゅ〜る/お茶漬/真鰯の焼いたん/揚げ出し豆腐/シャワー/睡眠導入剤/ベッド/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
何もかも/記憶しておくことは/不可能だけれど/歌にしておけば/歌うたびに/思い出せるのかも/しれない/最後に一曲/作詞作曲/アントニオ・カルロス・ジョビン/歌/エリス・へジーナ/三月の水/
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今日は店は休みです。久しぶりに奈良に来ています。本籍を奈良に置く身としては、故郷へ戻る嬉しさです。仕事があるとはいえ、合間に興福寺で八部衆の御顔でも拝めるとなおなお嬉しいところですが。
そういえば、本日2023年12月12日はちょうど小津生誕120年、没後60年。小津で奈良、といえば『麦秋』の最後、ふっと差し込まれる麦畑の中をゆく嫁入り風景のシーンですが、あれ、どこなんでしょうか。後ろに耳成山のような山が見えるので、橿原のどこかかな。
ついでの話。このごろ書きものの仕事が多くて、頼まれもの以外の文章なぞつらつら書いている場合ではないのですが、小津についてふと気になってしまったことがあり、書いておかないと本来の仕事ができなさそうなので、合間合間に記��ていた雑文をここに置いておきます。長いですし、結論はないし、ほとんどの方が興味のない内容かと思いますが…。
ちょっとした調べものがあって雑誌『みすず』2001年12月号を読んでいたら、木村伊兵衛が小津安二郎を撮影した写真と文章「上海で小津安二郎氏をうつす」が掲載されていた。時期は1938年1月なので第二次上海事変の翌年。小津は1937年9月に出征して中国に渡り、事変の直後12月から上海にいたようで、その時に偶然木村と出会っている(その後小津は南京・漢口と転戦する)。写っている小津が携えているカメラは、木村の稿に続いて掲載されている田中眞澄氏の文章「ライカという”近代”」によればライカA型。小津関係の文章を読むと、小津は「ご愛用のライカ」をいつも手にしていたと多くの人が書いているので(同文によると山中貞雄はコンタックスだったらしい)さもありなんと思うのだけれど、田中氏の文章を読んでいくなかで、ちょっとしたことが気になるようになった。
小津は1942年から軍の依頼で記録映画撮影のためにシンガポールに滞在し、ただまあ映画製作などできる状況でもないため、自国内では上映が禁止されていたアメリカ映画をひたすら見続け、敗戦を当地で迎えている。そしてそのまま捕虜となり、抑留生活を終え1946年1月に帰国する際に小津はライカを手放しており、「彼が再びライカを所有するのは一九五四年のことである」とある。買った件の典拠はどこにあるんだっけ、と思いつつ近所の図書館に置いてある『全日記 小津安二郎』を紐解くと、なるほど1954年3月22日の項に、
> 「出京 サンにてライカを買ふ 135.000 アメリカン フアマシー 明治屋(燻製)によつて帰る」
とある。と、ここで急に話は脇道に逸れるのだが、ちなみに隣のページ、同年4月8日の項には、
> 「駒場の東大教養学部 民芸館 青山の花屋 それから 車にて銀座に出て なごやかに夕餐を喫す 野田夫妻と江原氏同道」
と日本民藝館に行った旨の記載がある。他にも、1951年11月10日に
> 「宿酔 森昌子さん達と 陶哉 たくみに寄って大船に帰る」
や、1955年5月17日には
> 「駅にて野田氏と待合せ 上野松坂屋の民芸展にゆく」
とも。ほか、パッと目を通しただけでも1952年4月8日、同年6月15日、1953年2月9日、1961年2月2日に銀座たくみに行った記載があるし、志賀直哉や里見弴についての言及は多すぎるので略す。こういうものを読むとつくづく民藝誌において特集「小津と工藝」を組みたいなと思う。白樺派との関係や小津の映画における「巧藝品考撰」について取り上げる特集。『秋日和』で原節子の後ろにかかっている暖簾は芹沢銈介だろうか、『秋刀魚の味』で中村伸郎の後ろに置かれたやちむん?はたくみで求めたものなのだろうか、やちむんであれば誰の仕事だろうか。佐田啓二と吉田輝雄がとんかつ屋で食事をするシーンには確かに芹沢カレンダーが掛かってるな、などといつも気になるので。松竹から写真借りるといくらぐらいかかるかな…。
それはさておき。この時購入したライカが、前掲日記の1961年3月23日の項に「夕方会社帰りの秀行くる ライカ借(貸)してやる」とある通り、のちに小津の甥が譲り受け、現在は茅野駅前「小津安二郎・野田高梧コーナー」に寄贈展示されているライカIIIfとズマリット5cmF1.5なのだろう。と、ここまで長々と記して、まだ前提です。
そこでふと思い出したのが厚田雄春・蓮實重彦著『小津安二郎物語』(筑摩書房・リュミエール叢書)の冒頭。ここには小津が『東京物語』と『早春』のロケハンをしている写真が2葉掲載されているのだけれど、どちらにおいても小津はバルナック型のカメラを携え、光学ファインダーをのぞいたりしている。沈胴レンズにフードをつけている様子から、あれはライカなんだろう、レンズは厚田雄春が『父ありき』において75mmを一場面で使った以外はすべて50mmだったと言っているぐらいだから同径のエルマーやズマール、ズミタールとかかな、などとうっかり思い過ごしていた。むろん『早春』については、製作年やロケハンの写真に記載されている「1955.7.20」という日付からするとまったく問題はない。しかし『東京物語』は1953年製作公開だから「再びライカを所有した」1954年では間に合わない。そう気がついて見直すと、小津が構えているカメラは、ライカIII型に似ているがファインダーの位置が違うし、そもそも1954年にあわせて手に入れたと思しきズマリットは沈胴レンズではない。
妙なことに気がついてしまったと思いつつも、ひとまずは日記記載の「サン」を手始めに調べてみようとしたが、何の会社かわからない。名取洋之助が企画編集した「週刊サンニュース」と関係はあるのだろうか。対外宣伝誌の専門家であり、銀座に店を構える森岡さんに聞いたらわかるだろうか。いずれにせよ1949年以降の小津の日記に「サン」が登場するのは、「1951年1月17日・3月21日・4月24日・11月10日、1952年4月17日、1953年6月16日、1954年3月22日(前述のライカを買った日)・10月14日、1955年4月6日、1960年7月14日、1961年2月2日(”たくみ サンに寄って三越”)」。1953年6月16日は、ちょうど『東京物語』ロケの最中だったことが気に掛かる。ほか、関係しそうな記載としては1953年3月30日に「アサヒカメラ座談会」、1954年11月5日の「シュミットに寄ってから」(当時ライカの総代理店だったシュミット商会か)、1955年2月15日「昼寝をしてゐると小尾がくる ニッコールの85m(ママ)のレンズを頼む 四万五千円を預ける」、同年3月11日「小尾に会ひ105mmのレンズを見る」、同年6月27日「小尾から電話ライカピッド(ママ。入手したライカがIIIfであれば、ライカビット SYOOMか)を頼む」ぐらいか。この「小尾」という人は何者なんだろう。
次に小津が構えているカメラの形状から何かわからないかと思い、あらためて細部を見れば、写っているカメラは戦後キヤノンが作っていたコピーライカであることがわかる。決め手はファインダーの位置。同時期の国産コピーライカであるニッカやレオタックスはライカそっくりに作っているのだが、キヤノンは誠実と言っていいのか「打倒ライカとコンタックス」の心意気の現れか、多少スタイルが違う。なお、小津が用いている機種については、この時期のレンジファインダー機は輸出用に作っていたせいか勢いがあり、すぐ新型が出るうえに、外観がどれも似すぎていて小さな写真では区別がつかない。時期を考えれば、1946年発売のSIIから1952年のIVSbの間のいずれかで、III型以降のように見受けられる。レンズもやはり形状から判断するとズマールに似ているので、1949年発売開始のキヤノン Serenar 50mmF1.9か。そう気づいて改めて調べると、「カメラ毎日」1954年6月号に掲載されている座談会「カラーは天どん 白黒はお茶漬の味」ではカメラの話がもっぱらで、その時に手にしているのはキヤノンである。このキヤノンのカメラとレンズ、そして外付けのファインダー、この時期どういう経緯で小津は使っていたのだろう。いずれにせよ、1953年の『早春』はともかく、なぜ1955年に「ご愛用のライカ」ではなく、キヤノンを用いているのか。
ついでに言うと、小津が鏡の前でカメラを向けて撮っているセルフポートレートに用いているカメラはコンタックス。日記をざっと読んだ限りではわからないけれど、これもいつ手に入れたのだろう。レンズはゾナーの5cmF1.5。明るいレンズがお好みと見える。こちらは姪が譲り受けたとのことで、今は先のライカと同じく茅野駅前にある。
長々と書いてきましたが、つまりはこれらが今回生じた疑問です。小津に詳しい人、どうか教えてください。
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2024.4.27 山口 1日3本だけ電車が来る長門本山駅
123系(123-6)発車動画 1往復目の復路
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夏旅2024 延長戦 - 身延山久遠寺
青春18きっぷがまだ残っている。ということで夏旅の延長戦、日蓮宗総本山 身延山久遠寺へ参拝してみた。
菩提梯から五重塔、本堂へ
三門を抜け緑美しい石畳の参道を進むと目の前に見えてくる絶壁の階段、菩提梯。高低差104m、段数287段、角度はおよそ45度と大変険しい道のりを途中 小休止しながら進みます。
登り切れば涅槃(煩悩が絶たれた安らぎの気分)に達し、心穏やかに先の伽藍へ足を進められる、はずなのですが。。。登り切ったところで立ち眩みがしてしまい、近くのベンチで10分強ダウン。(自分より年長者や小さな子供が通り過ぎていく横で)思った以上に体力が落ちている情けない事実に悲しくなりました(涙)持ち直したところで五重塔、本堂を見学。
身延山山頂・奥之院へ
ロープウェイで身延山をさらに登り奥之院へ。山頂に降り立つと心地よい風がお出迎え。涼しい、と思わず声が出てしまうほどの気温差がありました、快適!そのまま奥之院 思親閣へと歩みを進める。静寂と澄み切った空気に包まれた厳かなお堂、素敵でした。
近くの展望台からは身延の街並みを見下ろすことも。この時点では良いお天気でしたがちょっと入道雲のボリュームが心配。。。足早に山を下りて帰路へ。
蛇足
今回は、都内から東海道線 熱海・富士を経由し富士から身延線にて身延へ。帰りは身延線でそのまま甲府に進む中央線経由で帰る予定でしたが、怪しい雲行きの予感が的中し、身延線 甲府方面はゲリラ豪雨により運転見合わせに。1時間ほど待ったところ富士方面の電車がやってきたため、予定を変更し来た道を折り返すことになりました。久しぶりに雨男の宿命を感じました。
というわけで東海道線経由で帰ったわけですが。。。旅で心は満たされたけれど、お腹がちょっとひもじいな(さっそく煩悩にまみれだした)、ということで熱海駅で途中下車。駅の商業施設にてさくっとお寿司でお腹も満たして、のんびり帰りました。
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人生初めての新宿御苑。 かつて、桜を見る会は総理公邸で開催されていたはずだが、いつの頃からか新宿御苑。 天野秘書に車で送ってもらい、大木土門に到着。 人ごみ。 かき分けて受付に向かうと、おお、ちょうど、石川県からご招待した米川女性局長や野口幹事長や自民党石川県連の岡部さんと合流。 すると、そこにやってきたのは、高見恭子さんが所属する「ナベプロ」の渡邊ミキ社長。 かっこいい! オレンジ色のスーツを着こなして、てきぱきと動くキャリアウーマン。 「どうしたの?」 「うちのタレント連れて行くんです。ここで待ち合わせなんです!」 とのこと。 高見さんも「うちのタレントの一人」なのだが、今日ばかりは、国会議員夫人。 そのうち集まってきたのは、ボクシングの具志堅さんとか、中山秀征さんとか、恵さんとか、しょこたんとか、井上純一さんとか、東尾理子さんとか、東尾監督とか、アイドルのみなさん・・・・・・・・・・ そっか、みなさん、ナベプロなんだ。 あらためて、幅の広いタレントさんが所属されているんだなと、実感。 渋谷のホテルからタクシーで向かっていた小矢部の両親も、迷子にならずに到着し、いよいよ会場へ! といっても、広い広い会場いっぱいに紅白の幕を垂らしたテントがいくつもあり、簡単な食事が提供されているだけ。 でも、安倍総理はじめ閣僚のみなさんや、タレントの皆さんも参加されており、全国から招待された国民にとっては晴れ舞台。 にぎやかで和やかなひと時。 惜しむらくは、もう3週間前に開催すれば、本当に桜満開だったのにな、ということ。 本日は、うすら寒く、葉桜もしぼみがち。 そんな中、自衛隊音楽団の皆様のかなでるメロディに、あちこちで、記念撮影や歓談の輪が広がる。 われわれも、メインテントで北村茂男ご夫妻や、顔見知りの皆様と、懇談。 神田うのチャンもご来場であり、よくわからないけど、なんかゴージャスな気分。 ちょっとお寿司が冷たくて硬かったけどね。 こないだオーストリアとウクライナの出張に同行してくださった外務省の西林文化交流大使や、JSCの河野一郎理事長や、石川県建設業協会の北川会長もご夫妻でお見え。 はせ浩 オフィシャルブログ「はせ日記」Powered by Ameba はせ浩 オフィシャルブログ「はせ日記」Powered by Ameba 金沢からお招きした紐野県議や村田信親後援会長なども、のんびりと新宿御苑を堪能。 はせ浩 オフィシャルブログ「はせ日記」Powered by Ameba 小矢部の両親にも、少しは楽しんでもらえたかな。 最初は行くのが億劫だったと言っていた千尋特別秘書も、 「来てよかったです!」 と大喜び。 マチコデラックス秘書は、地元のみなさんをかいがいしくお世話し、大活躍。 こういう大掛かりなパーティに来て、いろんな人たちに逢うことも、これもまた社会勉強の一つ。 国会議員仲間���も、あちこちでご挨拶。 はせ浩 オフィシャルブログ「はせ日記」Powered by Ameba 萩生田光一代議士など、地元の皆さんと一緒に、バスを借り切ってお見えであったし。 10時半、終了し、いったん帰宅。 大混雑でちょっと人疲れしたので、しばしシンバルをいじって休憩。 13時45分、自宅を再出発。 おりんさんの高校保護者会に出席。 クラスには高見さんが向い、なぜか俺は、校長室へ。 教育問題について、世間話。 15時過ぎには一足早くお暇し、羽田空港へ。 16時前、ぎりぎりに羽田空港貴賓室到着。 16時15分発のJAL機にて、小松空港へ。 17時到着。 ここで、小矢部の両親とも合流し、秘書の車のハンドルを握り、一路富山県へ。 18時05分、山辺県議の南砺市連合後援会総会到着。 地元福野町での開催。 5月2日には夜高祭りで再訪するので、今夜は堂故参議院候補の応援演説。 わずか5分滞在。 小矢部の実家で両親をおろし、金沢へととんぼ返り。 19時04分、金沢エクセル東急ホテルへ。 新神田校下各種団体連合会懇親会にお招きいただき、全テーブルへとご挨拶。 19時35分金沢駅へ。 小松からやってきた大学時代の同級生をピックアップ。 19時50分、笠舞の居酒屋で懇親会をしている大桑団地町会の皆様のもとへご挨拶。 20時10分、青柳。 マスコミのみなさん、各種団体代表の皆さんと、情報交換会。 21時50分、退出。 22時10分、金沢駅へと同級生を送り届け、帰宅。
桜を見る会~4月20日~ | はせ浩 オフィシャルブログ「はせ日記」Powered by Ameba
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1123-1129
1123 宇都宮の正嗣の餃子。フライパンをあたためてサラダ油とごま油を多めに引く。大さじ1ずつくらい。凍ったままの餃子を並べる。5人前の箱だと26センチのフライパンにぎっしり丸く並べられる(正嗣の餃子は小さいのでふたりで食べるなら5人前でちょうどいい)。そこに熱湯をまわしかけ、餃子が半分浸かるくらいにして強火で焼く。ふたをして5,6分。作り方の紙には「絶対に途中で弱火にしないでください」と書いてあって、絶対にって言われるの面白いなと思う。他人に絶対を求めることも求められることもそうそうない。水気が飛んで焼き目がついたらできあがり。 皮がパリッとしていて、具は野菜が多め。生姜がきいている。いたってシンプルなのになんでこんなに美味しいんだろう。冗談抜きに世界で一番美味しい餃子だと思っている。前に「水ギョーザとの交接」という小説を書いたのでいろんな人が餃子を食べに連れて行ってくれるんだけど、申し訳ないけどどこの餃子よりも正嗣の餃子が美味しい。本当に一番美味しい。 あとこの冷凍のは、家で焼いてもちゃんと美味しいのがすごいと思う。わたしの焼き方が上手いとかでもなく、紙に書いてあるとおりにやるだけでたぶん誰が焼いてもこうなる。ほかの冷凍餃子だと皮が破けたり焦げついたりけっこう失敗するんだけど、正嗣のは毎回パリッと焼ける。 正嗣のお店には「餃子専門店なのでライスやビールはありません」と書いてあってひたすら餃子だけを食べるストロングスタイルの店なんだけど、FCの駒生店のみライスがある。ので、宇都宮に住んでいたころはよく駒生店に行っていた。
1124 どうにも調子がよくない。きのうは同人誌の通販で本を入れまちがえて送ってしまったようで、一冊入ってませんでしたよとメールが届いた。ああついにやってしまったと思った。あわてて追加で送ったけどいつもできていることができなかった自分がショックで、きのうはそれを日記に書けなかった(それで餃子のことを書いた気がする)。 こういうメール送るのしぬほどめんどくさいよな…ほんとに申し訳ない。やっぱ疲れてんのかな。そしてついにやってしまったと思ったけど、もしかしたらこれまでもまちがえたことはあったのかもしれなくて、でもしぬほどめんどくさくて言い出せなかった人もいたかもしれないよな…と詮無いことも考えた。 えもとLINEで通話した。わたしのようすが明らかにおかしいのだろう、ちょっと休んだ方がいいよと言ってくれた。同時に「でも休んだ方がいいって言われるとなんかムッとすることはあるよね…」とも言ってくれたので、だめなときの気持ちがわかる人は優しいよな…と思った。だめなときほど焦ってしまう。送ってくれたナポリの男たちの動画を見た。
ここには書かない方がいいような気もするんだけど、まあこれは日記なので書くんだけど、ZINEフェス長野、noteの告知には出展者30人程度を予定って書いてあるんだけど開催前々日で集まっているのは10人(10組)っぽい。これって10人だけなんですかと軽い感じで出展者用のLINEグループでたずねてみたら、2日経って主催さんから「そうなんです…」と返事が返ってきた。こじんまりしてるのはそれはそれでいいと思うんだけど、お客さんから入場料300円とることになっているイベントで出展者10組だとちょっときびしくねえか…と思った。今からでも入場料無料にできたらいいんだけど。 わたしはこういうときすごく疑り深くなってしまうし性格がとても意地悪なので、もしかしたら主催さんも損切りを始めてるのかなーとか思ってしまった。ZINEフェスのtwitterアカウント、来年の吉祥寺回に関するリツイートはしてるけど長野はスルーしてるし。えーっどうしよう。遠出したい、ともかく電車に長く乗って遠くに移動したい…という気持ちで申し込んだから本をたくさん売ろうとは思ってないんだけど、やっぱりハラハラはする。 とりあえずペーパーを作る。だいたいおすすめみたいな本を一日一冊並べた読書カレンダー。そして文フリで使った優人さんのポスターをスチレンボードに貼ってみたらいい感じのパネルになった。これを文フリでやれって感じ。やることが2週間遅い。長野に持って行こうかなと思って作ったけど初めて行く場所でこれは目立ちすぎるし荷物になるよな…。
1125 明日ほんとに長野行くのかよ〜と思いつつゴルフの練習。ゴルフは小説の活動とあんまり関係なくやっている。こういうルーティンみたいなものがあるのはちょっといいかもなと思う。ゴルフ自体は、男!女!というスポーツでけっこうきついけど。 土曜だけどパートナーは在宅仕事で、仕事の前に肉を食べて元気を出したい…と言いお昼はブロンコビリーへ。いや食後ぜったい眠くなって仕事やらないだろ〜。と言ってみて、あっ完全にフリをやっちゃったなと思った。家に帰るなりちょっと食休みと言って布団に���ってしまった。わたしは午後出かける用事があって、帰ってきたら同じ姿勢のまま寝てるパターンだな…と思ったし言った。言っちゃったから本当にそれをなぞっちゃいそう。フリとボケみたいな。悪いことしたなと思った。
渋谷ハチ公前のデモに参加。ガザの犠牲者の名前が読み上げられていく。一人一つ赤い涙を描いていく。名前はぜんぜん読み終わらない。名前と一緒に年齢も読み上げられる。ゼロ歳の名前が続き胸が苦しくなる。肌寒い日だった。通りすがりの人も参加しているように見えた。描くというアクションによって参加しやすい空気があったように思う。 小さな男の子が「Free Free Palestine!」と声を上げ、近くにいた大人たちもあとに続いてコールになった。男の子の(たぶん)お父さんは隣にいて横断幕を持っていた。自分が叫ぶと大人も叫ぶから男の子はちょっと楽しそうで、和やかな、けれども力強い時間だったと思う。デモのハッシュタグを検索したら西川火尖さんと冬野くじさん(きさめさん)の名前が見えて、自分が(一方的にでも)知っている作家の名前が見えるとなんだかほっとするなと思っ��。なのでデモのようすをツイートした。このあいだとぜんぜんちがう気持ちになっている。
渋谷◯◯書店の棚の補充。『顔たち、犬たち』など持って行った。久しぶりにのぞいたら思ったより本が売れていてわかりやすくうれしい気持ちになった。これもこないだと言ってることがちがうと思う。自分は現金だと思う。 明日のコピー本とペーパーの印刷でキンコーズへ。キンコーズのコピー機ってなんか難しいというか意地悪というか、いつもうまく扱えない。まあでもできたものはなかなかよかった。
帰ってきたらパートナーはやっぱり昼寝していて、いやでもやらなきゃだよな〜とかなんとか唸ってなんとか起きた。自分を見ているようだと思った。わたしも在宅のときってだいたいこう。 遅めの夕飯。トマトとじゃがいもとツナのパスタを作った。にんにくと玉ねぎのみじんぎりを炒め、じゃがいもとツナとホールトマトを入れて煮る。ほうれん草もちょっと入れた。かなりじょうずにできて自分で自分にびっくりした。なんか疲れていたので明日の準備も夕食の後片付けもせず寝た。
1126 ZINEフェス長野。暗いうちに家を出た。といっても朝6時の電車なのでぜんぜん始発とかではない。朝が来るのが遅くなった。空気がきんと冷えている。冬だなと思う。夜勤明けっぽい人やこれから仕事に向かう感じの人、朝まで飲んでいたっぽい人、大きなスーツケースを引いた人…。案外駅は人が多くて、みんな冬っぽい格好をしていた。遠出の気持ちが高まってワクワクした。優人さんのデカパネルは結局持って来た。ものすごく雑に梱包したけど、一回使ったポスターだからまあいいかと思った。でかいけど軽いし。リュック、トートバッグ、パネル。さほど本は持っていかないので身軽に荷造りできた。 電車で寝ていたらすっかり明るくなっていて、立川からあずさに乗り換え。寝てたからだと思うけどあまりに寒くてタイツを買った。あずさのトイレで履いた。 寒くてやけに腹も減っていた。ツナおにぎりと焼きそばパンとスコーンを買って食べた。あったかいミルクティーとコーヒーも。食べすぎだと思ったけどほんとに寒かったのでしょうがない。スコーン、かりっとしてふわっとしていてすごくおいしかった。駅のポップアップみたいなところでパッと買ったけどちゃんとお店の名前見ておけばよかったな…。津島佑子『笑いオオカミ』を読みながらうとうとした。松本に着いたのは10時前。息が白くて驚いた。山が近くて眺めのいい街。
イベントとか旅行とか楽しいことがたくさんあった日の日記ってうまく書けない。たぶんぜんぶ書こうとしちゃうからだと思う。結論からいうとすごくいい一日で、いいイベントだった。出展者は結局10組。それゆえの親密さがありのびのびしたイベントだった。 自分としては旅先の気安さもあったと思う。知っている人が誰もいない、初めて行く街の初めて参加するイベント。いつもより自由にふるまえた気がする。まったく知らない人、その場限りの人しかいない場所はあまり気をつかわない。リラックスして自分を開示できた気がする(とするとふだん自分が何をストレスに思っているのかがわかってくるな…)。 お客さんはけっこう来ていたように思うし、思ったより本も手に取ってもらえた。何よりお客さんとも参加者さんともたくさん会話ができてうれしかった。これ伝わるかわかんないんだけど、交流をしたい(人間関係をやりたい)わけではないんだけど、人と話はしたいんだよな…。 きのうまでの不安はどこへやら、じゃないな。この「開催前のもろもろに不安な要素がある」と「行ってみたら気さくでいいイベントだった」は表裏一体なんだなと思った。意外とか挽回とかではなくてこの雰囲気はこうでなくては出てこない。これについては別途イベントレポ的にまとめたいつもり。
どういうイベントになるか不安だったので、ネットプリントで印刷した「END WAR NOW」のプラカードを机に貼ることにした。あずさの中でふと思いついて、何かネプリないかなーとツイッターを検索した(戦争じゃなくて虐殺だと思うけど「STOP GENOCIDE」はネプリの期限が切れていた)。水色、ピンク、黄色。パンセクシャルフラッグのカラーだなと思った。 イベントの案内に政治的なことはだめって書いてあって、は?という気持ちがありつつ参加している。は?と思うならやめときゃいいんだけどなんだろう…。ダメって言われたら帰ったろと思って貼った。なんか試し行動みたいだ。 新しくてきれいな会場で、大きな窓から日が差し込んで明るかった。空も山もきれいで、ああ遠くに来たなあと思った。机は5台ずつ向かい合わせに置かれていて、机半分という話だったけど一人一台になった。奥行き60センチのでかい机。当然持ってきた布は大きさが足りないんだけどのびのび使えてよかった。いつになくちゃんと設営できた気がする。優人さんのデカパネルを机の前に立てかける。こういうのは文フリではできない。蹴飛ばされそうだし「スペースからはみでる」に抵触すると思う。自由にふるまえている。 そう、自由にふるまえている。リラックスしている。プラカードを貼って、新刊のでかいパネルを置いて、いつもはイベントに置かないコピー本『小説を書くquuerのzine』も机に並べた。「陰気なクィアパーティー」用に作った、通販はしたくないコピー本。いろんな人ともう一回初めましてからやり直したいみたいな気持ちってあるよな…と思う。
主催さんいわく、想定より規模が小さくなってしまったので入場料は無料にし、事前決済の人には返金したとのこと。そして今日参加している人は吉祥寺のシェアカフェを一日無料で使ってOKにしますとのことで、えっラッキーと思ってしまった。ほんとにわたしは現金なのだと思う。 イベントは11時から16時まで。全部のブースをまわっていろいろ話をし、全部のブースで買い物した。べつに義理とかではなくて、人の話を聞くのって面白いから、気になるものがなにかしらいっこはあるものだと思う(こういうとき思想的に苦手だな、無理だなと思うものはもちろんあって、それはそっと避ける)。 ただこういう場で小説って難しいかもなーとは思った。これは何ですか、どういうものを作っているんですか、あなたは誰ですかみたいな自分のことを話す場だと、フィクションの世界にチューニングを合わせるのはしばしば難しい。気になるものがぜったいいっこはある、にはなりにくい面がある。まあぶらっと来たお客さんにとってはそうでもないかも。長くなりそうなのであとはイベントの記事で書きます。
1127 尻が痛い。きのう帰りの新幹線、『笑いオオカミ』の真似をしてデッキの床に座ってみたのがきっとよくなかった。冷たい床だった。たぶんまた痔が破裂するだろうなと思う。最近イベント終わるたびにこうだと思う。 『笑いオオカミ』を読んでいたら、自分はこう見えてけっこう大食いでカレーを12皿おかわりしたことがあったとしゃべるシーンがあって、ZINEフェスで買った日記の本に「かきあげが美味しすぎてごはんを5杯もおかわりした」というくだりがあり、どっちがどっちだっけと一瞬混ざった。 長い小説は当然ひと息では読みきれないので何日もかけてちょっとずつ読み進める。その間に読んだほかの文章や生活の中で見聞きしたものと混ざってどこからどこまでが小説だったかわかんなくなる。それがけっこう好きだし醍醐味だと思う。 どこからどこまでが小説だったかわかんなくなるというのは小説そのものにちゃんと集中していないようでうしろめたさはあるんだけど、なんというか、わたしは人格全部で小説をやっていたいんだよな…と思う。物語に振り回されてうわの空で仕事したり、夢中で読んで寝落ちたり、べつのことをしているときにふっと思い出したり、目の前の景色と小説の情景が混ざり合ったり。みたいなの。なので書評とか感想とかがあんま���上手じゃない。そして、上手な感想とそれを述べる人がちょっと怖く思えてしまうことさえある(これはやつあたりかもしれない)。
1128 痔が痛いし生理も来た。イベントが終わると本当に毎度こう。ヨロヨロしていてなにも進まなかった。とても眠かった。労働のメールを書いていたら簡単な言葉なのにパッと出てこなくて自分で自分にがっかりした。本当におまえは小説を書いているのか、文章ぜんぜん書けないじゃんと思う。元気なときは、いやべつに文章うまくなくても小説は書けるでしょ(どのように書いても小説にはなるでしょ)と思うのに。
1129 引き続きいろいろ痛い。なんも進まない。『不思議の国の少女たち』を読んでいる。 異世界へ行って帰ってきた子どもたちの集まる寄宿学校の話。死者の国から帰ってきたナンシーが寄宿舎に入るところからはじまり、異世界から「帰ってきたくなかった」子たちが集まっている学校。 まだ読み始めたばかりで、ヤングアダルトはチューニングを合わせるのが難しいなと思う。でも急にカチッとはまる瞬間がある。 「王は敵だったけど、人生ではじめて俺をまともに見た大人だったよ」、これは妖精界から帰ってきたケイドのせりふで、あっいいなと思った。どうやらケイドはトランスジェンダーの男の子のよう。 そしてナンシーのルームメイトのスミが「あたしがオナニーしたらいや?」とあっけらかんとたずねるところでめっちゃいいな!と思った。夜遅くにルームメイトが自慰をしてもいいか。見たくはないからそんなこと言わないでくれとナンシーは困惑し、まあそれはそうなんだけど、なんていうのかな…女の子の生活に自慰があると書かれていることにほっとした。「女の子だと扱われる子の生活」にそれがありますと書かれているのがうれしい。 子どものころ長期休みにホームステイとかサマースクーリングとかよく案内が来ていたけど、それをやってみたいかどうか考えるより先に、あるいは費用の捻出のような実際的なハードル以前に、長い期間他人の家に泊まったらそういうのどうするんだろうと思っていた。だから自分には無理だと思っていた。すごくばかみたいだけどほんとに。そしてあるとき友だちが「ホームステイって生理とか気をつかいそうだよね〜」と言い、わたしはそれに強く同意した。自慰の話をする代わりに生理の話をした。
日記、毎日更新するとバラバラうるさいかなと思って1週間分まとめてみたけど、これはこれで長いな…。
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クマに襲われ、「命に別状はない」とされた80代男性の症例写真を見て、あまりのすさまじさに言葉を失った。額から上あごにかけて顔がなくなっているように見える。左の眼球はだらりと飛び出ている。 「クマは明らかに顔を狙って攻撃していると感じます」 こう語るのは、秋田大学医学部付属病院の高度救命救急センターでクマ外傷の治療にあたった土田英臣医師だ。 この男性は15時ごろ自宅前の畑でクマに襲われた。意識は明瞭で、自ら119番通報したという。 「鼻が取れ、皮膚が左右に裂けていました。救急隊員が道端に落ちていた鼻を見つけて運んできてくれたので、形成外科の先生が手術して、くっつけたのです」 傷の見た目はひどいものの、出血量は比較的少なかった。血圧や呼吸などの全身状態は安定していたので、すぐに手術できたことも幸いしたという。 ■容貌が変わるほど重大なけが 昨年度、クマに襲われた被害者は過去最多の219人。その大半がツキノワグマによる被害者で210人、約96%を占める。ツキノワグマは主に人の顔や頭に一撃を与えた後、すぐに逃走する場合が多く、いわゆる「人食いグマ」による「食害」はまれだ。 だが、クマに人が襲われ、「命に別条はありません」と報道されても、実際は顔貌が大きく変わるほどに重大なけがであることが少なくない。 昨年度、クマによる人身被害が最も多かったのが秋田県だ。死者こそ出なかったものの、70人が負傷した。このうち、重傷者20人が同病院に搬送された。18人が顔を負傷。失明は3人、顔面骨折は9人にのぼる。 冒頭の男性の被害は、搬送されたなかでは特別深刻なケースではないという。 ■クマによる外傷は「特殊」 一般的に外傷は、交通事故や転落事故などによる「鈍的外傷」と、ナイフなどによる「鋭的外傷」に分けられるが、クマに襲われた際のけがはその二つの特徴をあわせもつ「特殊な外傷」だという。 「強いパワーによって骨折し、傷口は深く、筋肉までぱっくりと開く」(土田医師) ■小さな傷でも「細菌」で化膿 別の70代男性は早朝、山中で植林作業をしていた際、クマに襲われた。自力で道の駅まで車で移動し、救急要請をした。 頭部と顔面に裂創を負い、左ほおの傷は口の中まで貫通していた。口腔内にたまった血で呼吸が困難になった。病院に到着したとき、意識は薄れつつあった。 「出血がひどく、血圧が下がってしまった。『出血性ショック』という状態で、緊急輸血を行いました。圧迫止血を行うとともに、耳鼻科の医師が電気メスで動脈を焼いて出血を止めました」 その後、頭骨の骨折や、頭蓋内の出血などを治療する緊急手術が行われた。 「クマ外傷」は傷の状態がひどいだけでなく、細菌に高度に汚染されることも特徴だ。外傷ではなく、敗血症で亡くなった人もいる。そのため、大量の生理食塩水による傷口の洗浄や、抗生剤治療などの感染対策が必須になる。土田医師はこう訴える。 「クマの牙による傷は一見、ぽちっと穴が開いているだけですが、深い傷です。後で化膿する患者さんもいます。クマに襲われてけがをしたら、どんなものでもすぐに病院で治療を受けるべきです」 ■顔面の筋肉や骨がボロボロ 秋田赤十字病院の形成外科部長・渡邊理子(あやこ)医師は「クマに引っかかれた」と報じられることに違和感を抱いてきた。昨年、同院にはクマによる外傷で7人が搬送された。 「実際は顔の中心、特に目のまわりをものすごく強い力で殴打される。皮膚を引きはがされる剥脱創(はくだつそう)が目立ちます。顔面の筋肉や骨はボロボロになる」 皮膚組織を欠損してしまうことも珍しくない。そのため、傷を縫い合わせた後、皮膚を移植し、傷痕を目立たなくするなど、複数回の手術が必要となることが多い。 一般的な骨折と違って、顔面の骨は細かく砕けていることが多く、骨片をパズルのように元の位置に戻し、金属製のプレートでつないでいく。それもできない場合は破片を取り除いた後、骨の代わりとなる大型のプレートを埋め込むこともある。 筋肉の挫滅がひどかったり、神経が傷ついたりすると、顔面をうまく動かせなくなる。傷が治っても痛みや違和感を訴える人����い。 こうした恐るべき被害の実態が十分に伝わっていないため、クマからの防御手段が軽視されている。それが被害を広げる一因にもなっていると、指摘する専門家がいる。 ■致命的なダメージ防いで NPO日本ツキノワグマ研究所の米田一彦所長は、10年前からこう訴えてきた。 「クマに遭遇した場合、立った状態で攻撃を受けるのが最も危険です。ただちにうつぶせになり、両腕で頭部を覆ってください。致命的なダメージを防ぐことが重要です」 3年前に改訂された環境省の「クマ類の出没対応マニュアル」にも、うつぶせになって頭部を守れ、と記述されるようになった。 ところが、インターネット上では「机上の空論」「うつぶせになって顔や頭を守っても食われるだけ」「攻撃こそ最大の防御!」と、防御姿勢を軽視するコメントを見ることがある。背景には深刻な人身被害の実態が十分に理解されていないことがあるのだろう。 前出の渡邊医師は言う。 「顔面は社会生活を営むうえで非常に重要です。人の顔面は頭部に比べて脆弱ですから、クマに攻撃された際、うつぶせになって身を守るという方法は妥当だと思います」 ■口腔顎顔面の再建治療を 島根県ではクマの目撃が年間1000件前後にもなる。島根大学医学部歯科口腔外科学講座の臨床講師を兼務する雲南市立病院の歯科口腔外科部長・小池尚史医師は、クマに顔面を攻撃された際、負傷者を迅速に大学病院、またはそれに準ずる高次医療機関に搬送することの重要性を強調する。防災ヘリやドクターヘリも有用だという。 「例えば、顔面の涙小管や耳下腺管、三叉神経や顔面神経などを損傷した場合、時間との勝負になってきます。緊急手術を行って、即時再建できる病院に搬送することが大切で、これが遅れるほど機能回復に遅れが生じてしまいます」 島根大学医学部付属病院の高度外傷センターでは、救命医をはじめ脳神経外科医、歯科口腔外科医、整形外科医など、複数の医師が密な連携のもと治療にあたる体制が整っている。 クマ外傷の場合、あごを負傷することも珍しくない。あごを骨ごと持っていかれてしまう場合もある。 「口元がなくなってしまうと、摂食、嚥下、咀嚼、咬合など社会生活に大きな影響が出ます。外傷によってあごの骨や歯を大きく失った際、歯科インプラントも公的医療保険制度の対象となる場合がありますから、機能と審美の両面から、あごと口を再建して社会復帰していただきたいと強く思います」 (AERA dot.編集部・米倉昭仁)
クマは「明らかに顔を狙って攻撃」「骨もボロボロ」と医師たちが証言 「命に別状はない」の実態(AERA dot.) - Yahoo!ニュース
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2023/12/25
12:30新大阪 御堂筋線なかもず行 12:45心斎橋 長崎堂 ホテル
13:30ホテル 13:35堺筋本町 堺筋線高槻市行 14:09南茨木 大阪モノレール門真市行 14:24万博記念公園 徒歩 14:40国立民族学博物館
16:25国立民族学博物館 16:42万博記念公園 大阪モノレール 16:44山田駅 阪急千里線天下茶屋行 17:26堺筋本町駅 17:29ホテル
10:30ホテル 10:41堺筋本町駅 中央線コスモスクエア行 10:53大阪港駅 10:58大阪税関
11:27大阪税関 11:33大阪港駅 11:44本町駅 四つ橋線西梅田行 11:58西梅田 12:01梅田
大阪に来ています。 体調とか心配事とかが多くて今回は帰るのが楽しみな大阪旅行になってしまった(よくない!)。 行きの新幹線で今日と明日のタイムスケジュールを立てて、そのまま名古屋から新大阪までずーっとうとうとしっぱなしだった(よくない!)。 せっかくの窓側の席を取ったのに。 そして年末のまずまず混雑する車内で、私の隣2席はずっと空席だった。
うとうとしながらあのちゃんのアルバムを聴いて、曲名はわからないけれどとてもポップで良い曲があった。
新大阪駅から御堂筋線で心斎橋で下車。 地下鉄から大丸とPARCOに直結している!と訳もなく寄り道したくなってしまう。 大丸の前の道は歩道の工事をしていた。 東京もだけれど、大阪も至る所で工事をしていて、思った以上に万博ムードを高めるキャンペーンがされているようだった。
今回のお土産はここで買いたい!あわよくばクリスタルボンボンも…と調べていた長崎堂へ。名前の通りカステラが名物らしく、大阪なのに長崎…と、違う焼き菓子とクリスタルボンボンを購入。 クリスタルボンボン用の紙袋も入れてくれた。
一旦ホテルに荷物を置いて、万博記念公園へ向かう。大阪から1時間もかかるし、めっちゃ広いと聞いていたので予定を立てて疲れてしまいあまり気乗りせずだったけれど行って良かった。 地下鉄から阪急電車に乗り入れている路線で、京都まで行ける。京都・大阪・奈良・神戸などアクセスしやすい関西圏の感じがとても好き。それぞれに文化があって、ちょっと遊びに行ける近さが共存している。
万博記念公園は若い子がたくさん下りるな〜、意外、と思っていたら、みんなららぽーとに吸い込まれていって今住んでいるアド街ック地獄を思い出した。でも観覧車のある超巨大!ららぽーとの様でバイキングもあった。 そして舞浜駅からディズニーランドの入り口までのペデストリアンデッキみたいな道から太陽の塔がずっといる。 モノレールの駅から高速道路を挟んだ向こう側が公園で太陽の塔がいる。「万博のために交通網が発達したのよ」と関西出身の職員さんが教えてくれた風景だった。
公園の中は人がとても少なくて、ところどころにあるスタンド型の飲食園の感じ(ちょっとおしゃれ風にしたクレープ屋、ベビーカステラ、タンドリーチキンなど)とか、ゴミ箱が大きい感じとか、なんか全然可愛くもおしゃれでも経年したレトロ感でもない、表面的な明るさと侘しさが西武遊園地と似ていた。
(もしかしたらあの時代のテーマパークは、大阪万博をお手本にしているのかも。) イベントスペースのラーメン博は、今日はお休みでただの白いテントの屋根だけが並んでいた。
そしてお目当ての民俗学博物館はとても良かったです! 建物もメタボリズム的ユーモアと巨大なスケール感。大阪の友人が教えてくれた様に、とっても展示がたくさんあったので駆け足で鑑賞。いろんな民族の衣食住、ハレとケ、音楽、教育をみることができる。アーカイブの対象や展示方法が楽しい。 スイカの種とかカレンダーとかあらゆるパンとかさまざまな用途のカゴやパンの焼印など。 友人にポストカードを送ろうと物販コーナーへ。 オリジナルグッズに後ろ髪引かれつつタイ族のポストカードを購入。
そのままサクサクと太陽の塔と月とお祭り広場を眺めつつホテルへ戻った。博物館はまた行こう。
“名建築で昼食を”と“わたしの一番最悪な友達”のロケ地の建物が近くにあり、お散歩がてら行ってみる。生駒ビルディングと青山ビル(市川実日子のクリーニング屋さん)と綿業会館。途中、川のほとりでイルミネーションが開催されていて、BGMにももクロのサンタさんが流れて楽しくなって写真を撮った。知らない街だから夜もフラフラ歩けてしまう。(だからやっぱり住んだりしない方が良いのかな。)
コンビニを梯子して食事を用意してホテルでこれを買いています。明日無事帰れて、なるべく健康でいられます様に。 12階のホテルの窓が開けられず息苦しい。 大阪でも月ばかり撮ってしまった。
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まりおりの力でぐーるぐる パート2
35期の分!!書き始めたら止まらなくなっちゃった。まあ纏まらないで定評のあるまりおなんでね。許して。35期と2年間も一緒にやれたのが嬉しかった。追記の有無に意味は無いよ!!今回は好きな役とセリフを添えてます。
吹田、愛してる。
〇大福小餅
こふくちゃん!!台湾マジで楽しかった😭😭誘ってくれてありがとう!!こふくにこんなにバイタリティがあったなんて誰が思ったでしょう。そんなこふくでも臭豆腐は食べなくてちょっと安心しました。あれは本当にやばい。こふくに声をかけると必ずニコニコで「ま↑ーりおさーん♪」と帰ってきます。癖になる。そして頭を撫でるのが上手い。数多のちゃうか民に頭を撫でてもらった私が断言します。さすが長女。こふく本当にナレーション向きの声と話し方だから来年ももう1回ぐらいやってそう。次もらいらの心の声だったらどんなにシリアスでも必ず笑ってしまうかも。こふくはみんなが自然と助けたくなる人です。それは人徳であり、日頃のこふくの行いの結果だと思う。他の人と同じようにやる必要はないし、こふくにあったやり方で統べていけばいいと思うな!
ーーーずっと耳に残ってる
「息を吸う、吐く」 魔女
『きっと、きっかけになってくれるわ。大丈夫、上手くいく』
〇あろハム権左衛門
あろちゃん!支部長!めっちゃ真面目にやってるんだけどごめん、ビアゲ場当たり中聞こえて来る、外で1人で詐欺師と吹田練習してるアローの声に笑ってた。迫真すぎる。今回のセリフで「行ってらっしゃい」が表情動き含めて一番好き。アローはやっぱり淡々と話す中にちょっと入る感情の機微が本当に良い。いつも効果的に使ってて、優母で参考にしてました。キャスパもセンス爆発で、どうやったらその動きででくんねんって終始思ってた。実は一緒に作るのだいぶ緊張してたんだけど、合宿の時もう1人誰と作ろうってなって、「え、まりおさん作らないんすか。ほなまりおさんで」って言ってくれたの本当に嬉しかった。startだいぶ気に入ってくれてて作成者としてはまじでにやにやが止まりません。まだまだ整え終わってないんだけど、これからのキャスパ班をよろしくね!!
追記:栞楽st、サングラスで目元隠してるのまじでアローらしくて笑っちゃったwそのままでいてね
ーーーほんのり明るくて、ランタンの火みたいな気持ちになったなあ
「夢にまで魅せられて」黒川
『大丈夫だよ。どう転んでも、ゴミ箱の中よりは、明るくて賑やかで楽しいところなんだからさ』
紫仏瑠唯
るい!!当制の神になられてる。当パンとか挟み込みとかみーらよりも当制やってる。もっと話したかった!!めっちゃ面白いってきいてます。その機会なく終わりそう😭教職に学芸員のやつもとってると聞いて、そのバイタリティはどこから来てるんだろ。時間割聞いてビビった記憶。勝手に、興味が色んなところに向いていて、上手いことこと全部回収してるんだろうなって思ってます。普通できません!!器用!!るいはるいのペースでちゃうかにいて欲しい。きっとそれを受け入れてくれる同期だと思う。でも!!役者も!!みたい!!全て終わった卒公とか行けるんじゃない!?いける!!オレンジの母まじハマってた。自分より上の年齢ができるってまじすごいこと!!またみたいな。
ーーー喝!!!って感じが本当に癖になる
「オレンジ」母
『どうせ年下の可愛い子にデレデレしてるんでしょ!』
〇近未来ミイラ
みーら!!生協の犬ですね。嘘です。マジですごい脚演家。絶対に面白くなるって確証があるのはなかなかない。新歓マジで楽しかったし、やりがいしかなかった。演補にもまさか選んで貰えるとは思わなかった。個人的だけど、あ、私ってこういう風に思われてるんだ、こういう時頼られる存在なんだって思った。本当に嬉しかったし、まだ新歓に囚われてる。秋の駅員もめっちゃ好き。ハマってる。めっちゃ緊張とか苦手とかTwitterで言ってたけどまじ?普通はあんなにサラッとアドリブ入れられないのよ。本当にセリフみたい。2stみてて、やっぱ度胸は35期一なんじゃないかなって感じました。だからこそあんなに脚演が面白いのかも。飄々とした役させたらピカイチなんじゃないかな。役者も見たいけど、脚演もみたい。選べない!!!
追記:いや役者紹介すげえな。全部見たい
ーーー突きつけられる感じ。本当に怖かった
「いつか栞を挟んで」駅員
『自分の問題でしょう』
〇黒井白子
白子!!香夜の子だね〜白子にとってちゃうかはどんな場所なのかな。馴染めるかな、楽しいかなと不安でしたが杞憂でした。自分で自分のニーズにあった居場所を探してる。思ってた何倍もすごい子だった。思うところがあっても実際に何とかしようと行動に移せる人はこの世で何人いるんだろう。それが出来る数少ない人です。演劇に対して本当に貪欲。白子が後輩にいることが、嬉しくもあり、少しだけ恐ろしくもありました。でも色んな場面で助けてくれて、白子がいなければどうにもならなかった場面が沢山あって、今では本当に出会えてよかったと思います。こんな考え方、感じ方をする人が身近にいて良かった。間違いなくたくさんの影響を受けました。ありがとう。
ーーーこれをオムニで見れるのか...って稽古で驚いたなあ
「香夜」一の過去
『アマチュア演劇の脚本ごときやと!?金でしか物の価値を測れへん貧しいやつに俺の脚本がわかってたまるか。』
〇海泥波波美
あさぎ!!名づけ親。何度も書いてるような気がしますが、初対面と今の印象が違い過ぎる。クレイジー感出しといて一番他人を見ている。彼ぐらい人の気持ちに寄り添える人になりたい。というかそんな考え方ができるようになりたい。人一倍楽しんでるように見せて1番考えてる。でもめっちゃ親しみやすくて話しやすい。人として次元が違うとまで思う。外公、マジ楽しかった。あさぎだからこその良さが細部に宿ってて、ちゃうかの強みをここまで引き出せる舞台ってない!!人をよく見て接してるからこそたどり着いた完成度だなって思った。ちゃうか史に残るレベル。誇れ。でもそろそろ君の役者も見たいよ!!舞台のレベルが回を追うごとに上がっているのに震えます。きっとこれから外部公演も増えるんじゃないかな。楽しみにしてる。新歓、託したぞ。
ーーー気持ちよさそうだった
「愛があるかい?」栗栖裕也
『今からコイツ殺しまあああああああす‼』
〇帝京魂
こんちゃん!!稽古見てくれてありがとう。香夜のときは正直ここまで仲良くなれるとは思ってなかった。やっぱ新歓の影響かな。彼は本当に演補に向いてます。教えるのがうまいけど、どこか押しつけがましくない。しれっと提案してくれるからどんな時でも聞きやすい。しかもその内容がめっちゃいい。え、すごくね?お客さん目線というか、このシーンはどこを見てほしいのか、見てほしいならこんな工夫をしてみたら?等、この見方をしてる人ってなかなかいないんじゃないでしょうか。この2つが揃っているのはなかなかない。少なくとも私にはなくて新鮮だ、こんちゃんやべえなと思った大集のトイレ前でした。そろそろまじめな役を期待しています。あれだけ努力できる人なんだから真ん中で輝いてる所を見たいです。主役、待ってます。
追記:最近過去公演を色々見てるんですが、読みや相手とのセリフの間とか本当に上手くなったね。びっくりした!元々上手かったのがさらに磨きがかかってますね〜
ーーーいっぱい悩んでた印象。袖から見れてよかった
「夢にまで魅せられて」深山登
『やめてくれ!夢なんて忘れたんだ!もう十分だ!早くもとの規則的な生活に戻らせてくれよ!昔から好きだったこととか、望んでいた人間関係とか、そんなのもうどうでもいい!だから、だから、だから!』
〇テキストを入力
エピ🦐 味占めてますね~~本当にオムニで共演できてよかった。てにと話してるのを見るとニコニコします。あれがなければこんなに話すことはなかったし、気まずい阪急電車のまま引退を迎えていました。ワードセンスがおもろい。というか色んなセンスにあふれた人だなと思います。あと何気に面倒見がいいよね。えぴさん!!!って声を各所から聞いてます。真顔でさらっと決めるとこを決められるというか、度胸がある。それって誰にでもあるものではないし、えぴの強みだなって思います。誰が役者二回目で歌い出すねん。ずっと映像褒められてにちゃにちゃタイムをしててくれ。いつだって褒めるから。後本当にスマホにクレカはやめた方がいいぞ。吹田、愛してる。
追記:オムニでえぴの映像を初めてみんなで見た時のどよめきを本当に体感してほしかった。全員すごいしか言ってなかったぞ
追記追記:さすがにここに書けば、クレカの位置変えるよな!!
ーーー笑い!堪えた!!
「学園天獄」吉田喜一
『嫌だ!!東京に行って、秋葉原通うんだ!!!』
〇西峰ケイ
らび🐇 今年めっちゃ話した!!きっと名づけ親。らびのお芝居大好きです。声も好き。もう全部好き。読み方がいやらしすぎず、間が心地いい。掛け合いが死ぬほど楽しい。もう一度でいいから共演したかった。オムニ、らびの演出に出れて本当に嬉しかった。大入りのメッセージ見て泣きそうになりました。外公で動きをめっちゃ意識したって言ってたけどまじレパートリー多くて、活き活きしてるな思って見てた。え、つまり完璧な存在ってコト!??でも、外公3st後や秋のゲネ日にコントやった時とかのらびを見てると、その真面目さが随所に現れてるからなのかなって思います。授業忙しいだろうけど、大きい役を沢山みたい。私は吹田から見守っています。吹田、愛してる。
追記:役者紹介ずるいよ。泣いた。それだけの物をあげれてたなら嬉しいな!!びっくりだ!!それからコント誘ってくれてありがとう!!不安にさせちゃってごめんね。ほんっっとうに楽しかった!最後に舞台上で話せて嬉しかった!大好き!!
ーーー楽しかったああああ
「夢にまで魅せられて」八戸
『2人で、辞めよ』
〇園堂香莉
なぽちゃん!!たい焼きチーフ就任おめでとうございます。もう権力で次のオムニもやろう。四季ちゃんまじで良かった。「そうだよ、友達なんていないんだよ!!」さいっっっこう。上からになっちゃうけど第2回通しからゲネで個人的に1番良くなった部分だと思ってる。みーらの「自分の問題でしょう」のテンションも相まって毎回楽しみにしてたシーン。泣きそうな声がすっごく聞きやすいのにこっちまで泣きそうになる。耳にすっと入ってくる読み方が上手だなって思ってたけどこんなに感情込めるのも上手なのか...って新境地を知りました。照明仕込み楽しかった!!なぽりがチーフの時はみんな必殺仕事人みたいな感じになるのが楽しかったです。またやりたいな〜!今度はお菓子なにあげよう!
ーー怖かった。脚本の中で1番好き
「いつか栞を挟んで」 清水四季
『そうだよ、友だちなんて居ないんだよ!!!』
〇衿君
えりちゃん!!ついに主役を見れました。しかもオムニと外公。えりちゃんらしさを存分に活かした役だなあと思いながら見てました。まじで本番で覚醒するタイプだと思ってます。香夜楽ステしあらさんとそろって泣いたんだから。お客さん泣かせたんだから。あの時の怒鳴りを見て、この子はきっと羽ばたくなあと思いました。なんだろう普段を知ってるからより表情筋が宿った本番が輝いて見えるというか、表情の勢いと声量が合ってるから目で追いたくなるというか、全身を使ってそんな引き出しあるの!?というか、上手く言い表せないね!!ブレないようでめっちゃ遊ぶところは遊ぶ。間違いなくどちらの佐藤も輝いてた。それから映像。35期映像強強の一角をなしてるね。私は新人で挫折したのでマジで尊敬します。新座長だそうですね!頑張って💪最後の引退挨拶今から楽しみにしてます!!
ーー動き顔声全部最高!!!
「タイムマシンの使い方」 佐藤
『パンはパンでも、食べられないパンを、たーべた』
〇縦縞コリー
こりちゃん!!35期第1号!!なんで新歓の終礼にいたんでしょう...こりちゃんは優しい人です。だからこそ弄りたい。おろかわ。素晴らしいね。発声はちゃんとやりなさい。でもめっっちゃ声出るんよな...元々堂々とした演技がすっごく上手でThe主役って感じだったけど、細かい感情の表し方であったりっていうのがすごく上手くなったなと個人的に思います。ちゃうかだとなんか慣れてしまってましたが、いきるひで見て、うん、やっぱ上手いって再確認した最近です。まじで受けが上手い。やりやすい!!!会話するとより顕著。どうやら後輩からは優しい人枠に収まってるようですよ。知らんけど。なんかムカつくっちゃムカつくけど事実なんでしゃーない。着眼点とか凄くいいから是非後輩といっぱい話して、37期とも仲良くなってください。いける!!こりちゃんならいける!!
ーー脳内再生余裕なぐらい自然。やりやすかった
「夢にまで魅せられて」 市原優
『ニノもやれば良かったのに』
〇中森ダリア
ひらり!!私は本当にひらりと台湾に行けて良かったと思ってる。めっちゃ喋れた!!!ココジャ可愛かったねえ...悪魔召喚。生みの親ありがとう。ひらりまじでぶっ飛んだ役できるの凄い。1番お気に入りにはT婆なんだけど、おばあちゃんっぽく話してるのになんで声そんな出るん。意味わからん。メイクとかも相まって目と耳の情報がバグってた。ひらりは、あ、いる〜!!!みたいに本当にいそうって思う時がまじで多くて、それは秋の女子生徒みたいな役でも、T婆みたいな役でも一緒。なんでだろう。個人的には動きがリアルなのが理由かなって思います。違和感なく立って歩いて座って、ていうのが毎回出来てるからかな?って思います。変にスイッチが入ってなくて普通に生活してる人が舞台に来た感じ。私にはついぞできなかった...来年はどの公演出るんだろう?いっぱいみたいな!!!
ーー最高of最高
「用もなしでは怖いし」Y婆
『もう見逃し配信はしないよう』
〇〆切三日前
みそか🍠 ついに吹田送りになりましたね可哀そうに。それはさておき、香夜で最初からの付き合い。西南で読み方練習してたのが昨日の事のようです。オムニの打ち上げで言われたこと本当に嬉しかった。思わずもらい泣きしちゃった。オムニやって良かったなって思った瞬間だった。楽stは優奈ずっと見てたんだけど、最初とか別に悲壮感がめっちゃある訳でもないのに怖かった。いじめって確かに自然に始まるわ...って���ったし気づけば過激化してるしスマホのとことかまじで恐怖。私はおみその自然な演技が大好きです。ちょうど私が自然な演技できるようになりたいって思って時にみそかが入ってきてくれたから、言い方や動き方とか沢山参考にしてました。多分気づいてないと思う笑 今年は全然稽古場で会えなくてちょっと寂しかったんだよ!!でも会えば変わらず話しかけてくれて、美味しいご飯の話をしてて安心感が半端なかったです。ありがとう!!大好き!!
追記: 祝!!ハートコンプリート!!
ーーーいっぱい練習したねえ
「香夜」京子
『あー、疲れた。人おおすぎ』
〇ミル鍋
ゆに!!建築の柱ですね。課題量えぐすぎて吹田ご飯の時ビビりました。ちゃうかが癒し、言ったらみんな褒めてくれる、優しいけどやりすぎちゃうのが嫌になると言ってたけど、それが許される場所なんじゃないかな。だってゆにも誰かがしんどい時励まして、褒めてくれる。ご飯やワンちゃんを分けてくれる。そんなゆにちゃんだからみんなゆにを助けてくれるんだと思うよ!!偉い役からのふざける役でここ一年全く違う役どころになってるけど、全部上手い。動きとセリフ、どっちも上手いんだよな~説得力がある。舞台上に慣れてるというか堂々としてるっていうか。こってこての感じがはまってるからちゃうかのどの役も自分色に染めれるんじゃないかな。マジでどの役も印象に残る。アンケート総ナメ出来ちゃう。そろそろ人外攻めるらしいですね。今度はどんなゆにが見れるんだろう!
ーー想像通りの読みだった。ガチ楽しかった!!
「タイムマシンの使い方」杉本
『9と4分の3番線?フフフ心配ないわよ。9番線と10番線の間の壁に向かって歩いて行くの。怖かったら小走りで行きなさい。』
〇苔丸
苔丸!!香夜の子!!マジで努力の人ですね。信じられないくらい声量出るようになったし、全部が細かい。苔ちゃん声量頑張って!って言われてたの信じられないでしょ。特徴を捉えるのが本当に上手い。動きとか、姿勢とか歩き方とか全部変えれるのってマジですごい。どんなに自分とかけ離れた役でも苔ちゃんならこなせる、そんな確信をずっと持っています。そしてハンドメイドの鬼。こけえもんの名を欲しいままにしてるね!後輩からの苔丸さんスゴすぎるって声を色んなところから聞きます。好きな事、やりたい事をとことんつきつめて挑戦してる。新歓でも書いたけど苔ちゃん見てると本当になにか作りたくなる。これは確かに朝弱くないと帳尻が合わない。意外と弱いってゆにから聞いてますよ👀👀苔丸にあったペースでやりたいことをこれならもやり続けて欲しいな!!
追記:イラストとか追い出し会とか色々やってくれてありがとう!!幸せだなあ
ーー震えた。喧嘩を止めれるセリフだった
「香夜」 江﨑文
『ええ加減にせんか!』
いっぱいになってしまった。楽しかったなあ〜〜沢山話したし、稽古したし、遊んだ。後輩が35期で幸せでした。ありがとう!!
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