私が病院の待合室で診察を待っている間の暇つぶしに書いた文章と、それ以外の時に衝動的に書いた文章です。
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2024年11月22日金曜日
病院の待合室にて30
わや
先週の水曜日にお父さんと喧嘩してから、とても調子が悪い。私が仕事に行けなくなったのは、去年の十一月六日だったのだけど、喧嘩した日から今日までの十日間は、その仕事が行けなくなった時期と同じか、ひょっとしたらもっと具合が悪い日があって、ベッドから降りられなかったり、降りられても痙攣が酷かったり、操り人形を2人で同時に動かそうとしてちぐはぐになったような歩き方をしたり、もうめちゃくちゃだった。この一年間なんだったのかと思うほどである。「もう結構よくなっているのに、傷病手当金もらってていいのかな」などと思っていた私のバカバカバカである。精神病患者がそのような良心を持つなど百年早かった。黙って金もらって寝てろと言いたい。寝てるばかりでもあれだからできることがあったら率先してやれ、と言いたい。
お父さんはどう思ったか知らないが、些細なことなようでいて、最も影響を及ぼした彼のセリフは、私が日々やっていること、読書とかエクセルとかタイピングとか楽器の練習に対する「そんなことしてなんになるん?」である。特にエクセルとタイピングに対する、それらの修練を積んだところで、果たして就職に関して有利に働くか?という問いなのだが、それに対しては、私の中にはしっかりと返答があって、それは「別に有利に働くかどうかはしらない。有利に働けばいいとは思うが、働かなくてもよい。私はこれをやりたいからやっている。タイピングとかエクセルというからすぐそういう就職に対する意識みたいな話になるが、それなら私が毎日やっているのはパチスロとオナニーだと思ってもらって構わない。ただの暇つぶし。何の役にもたたない時間の無駄遣いなのだ」という��のである。
かつて私が電子ピアノを買った時、会社の人に「そんなの買ってどうするの?」と言われたことがある。まあ弾くんだが、それがその人にはとても無駄遣いに思えたようである。確かに電子ピアノは十万円くらいした。高い買い物かもしれない。でも堂前さん(その会社の人)は、週末パチンコばっかり行ってるじゃないですか。それとピアノと何の違いがあるんですか。パチンコには勝ったり負けたりがあるだけで、基本的には装置に向かって手を伸ばして指などで触れているということに関しては全く同じである。はっきり言いますが堂前さん、あなたは月に十万円以上負けている時がありますね。そしてあなたはかつて会社の金を横領してクビになりましたね。それはギャンブルと前妻の凄まじい金遣いの荒さのせいでしょう。私の負け額は最大で十万円です。たぶん十万負けで終わるでしょう。でもこれで時間が潰せますよ。会わなくていい人に会わなかったり、行かなくていい所に行かなかったりできます。会社の金に手をつけたりというスリリングなこととは無縁な人生を送れます。ピアノの前で退屈な人間のままでいれるのです。
ひとはピアノとかエクセルとかに関しては、意識が高いとか思うところがあるのかもしれない。やっぱり他人が金を使うならゲームとかパチンコとか風俗とかごはんのほうが嬉しいらしい。つまんないのかもしれない。他人が欲望のままに堕落していく様が面白いのかもしれない。金を北斗で溶かし、自分の女を風俗で働かせてその金を巻き上げ、大麻やコカインなどを嗜み、闇バイトに初チャレンジして成功し焼肉を喰らい、二回目で失敗して強盗殺人で無期くらったりする人生の方がおもしろいのかもしれない。でも私はピアノとかエクセルとかしたいの!つまんなくてごめんね!
そういう結論は出ているのだが、いざ「そんなことしてなんになるん?」と言われると、そんなことしてなんになるのだろうという疑問が頭のなかをメリーゴーランドの白馬よろしく周回し始める。そんなことしてなんに?そんなことしてなんになる?寝てるだけでも人生は終わるのに?何かにチャレンジしても傷つくだけなのに?他人と出会っても分かり合えないのに?世の中は馬鹿ばっかりなのに?どうにもならないことばかりなのに?ガザの爆撃は止まず、封鎖も解除されないのに?ロシアのウクライナ侵攻は終わらないのに?選挙では何も変わらないのに?政治家は利権でしか動かないのに?生まれた時に性別も人種も決まっていて動かせないのに?歴史は変えられないのに?運命は変えられないのに?お前に生きている価値はないのに?なぜ、お前は、生きているのか?
こういうことばかりを考えてしまう人生だった。またお父さんは「何を言われても気にしなければいい」と言った。私は言い���した。「お前が黙っとけだ!耳には蓋がないんぞ!お前の口は結ばれへんのか?そんなクソ年寄りにもなって、そんなこともでけへんのかしょうもない!黙っとけ!お前が吐いたしょうもない一言がガラスの破片になって、お前がアホみたいにテレビ見てる間も、私は部屋でどうその破片を抜こうか考えとんのやぞ!なんで気にしないようにせなあかんのや!お前が黙っとけばええ話じゃボケ!」親に対して酷い言い草である。前回述べたように、親に対して馬乗りになったりもしているので、今更もうどうしようもない。私は酷い人間です。すみません。
何もかもわやである。一年間何の意味もなかった。またやり直さねばならない。それがどういうことかわかる?一年暇が潰せたというである。同じやり方でもう一年潰せる。よかったね。ジェンガのように、積んで抜いて崩れて、積んで抜いて崩れる。これを繰り返していずれ死ぬ。それでいい。私の超ポジティブな結論が今のところこれである。私はポジティブな人が好きだから、私は私のことが大好きです。
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2024年11月14日木曜日
Yesterday a 書店員 Saved My Life
昨日は、私に介護の仕事を勧めてきた父親と言い合いになり、取っ組み合いになってしまい(うちのお父さんは言い合いになると、必ず体を触ってくる、正確には二の腕のあたりを掴んでくるんですけど、あれ本当にやめてほしい。変なスイッチ入るから。今度本人にも言おう)、お父さんはもう年寄りなので、投げると簡単に床に寝てしまい、せっかくなので私も馬乗りのような形になると、父親が「取り返しのつかないことになるぞー」などと言うので、「確かに…テレビのワイドショーでよく見るやつや」と思い、手を離し、「じゃあ逆に殺せー殺してくれーウワー」といいながら、今現在売ってる中で最も安価なラジカセを一回り小さくしたくらいの大きさの、テレビの音を中継する中継機を自らの頭にガンガン打ちつけ(私は自傷癖もあるんですよ。常習ではないんですが)、更に壁にも頭から突っ込み(文字通り頭から突っ込んで行きました、なんでだよ)それらの行為によって頭から盛大に出血したまま、ウワー、なんでいつも私ばっか悪いんだー、ウワー、ギャアー、ヒィーと大声で喚きながら外に飛び出し、他人の畑などを盛大に踏み荒らしながらズンズン進み、近くを流れる雄大な吉野川を目指してしまっていた。川の水は冷たいだろうなあ、まあ関係ないか、死ぬし、と思いながら進んでいく途中で、まずお母さんのことが頭に浮かび、お母さんは悲しむだろうなあ、狂うかもしれん、と思い、次に猫にちゅ〜るをあげる人がいなくなるなあ、まずいなあ、と考え、なんとなく引き返したくなってきてしまった。でもね、もう死ぬと決めましたから。入水自殺すると。足がなかなか止まらないんですよね。血まみれだし。顔も泣きじゃくっていてめちゃくちゃだし、この間もずっと、ウワー、殺せーという声が徳島の空いっぱいに広がってしまっているし。いくしかない感じなんですよ。そこで私は、行動がその人間を規定するというような考えを、書店員の友達が私に勧めてくれた本、ポール・B. プレシアドの『テスト・ジャンキー』の中で読んだのを思い出した。男らしさや女らしさというものは、ある動作の反復によって生み出される、フィクションである。これはジュディス・バトラーの思想であると思うが、『ジェンダー・トラブル』はまだ積んでいて読めていないから、正確なところはわからない。今ちょっと切羽詰まっているので、厳密なところについてはご勘弁願いたい。少なくとも私はプレシアドを読んでそのような考えがあることを知った。猫背、泣きじゃくっていること、悲鳴、血まみれ、胸に当てられた両手…一概には言えないが、あまりにも精神疾患を抱えたひとの身振りである。まあ私は精神病患者なので無理もないとして、家に帰るまでの間、そのわずかな時間だけ、その逆のことをすればしてみるというのはどうか。背筋を正し、目は大きく見開きながら前を見据え、口は軽く結び、顔全体のトーンは微笑か、最低でも無表情にし、腕を軽く交互に振りながら、一歩ずつゆっくりと歩く。いかにもよい生活をしている真人間の振る舞いである(それに対しての好き嫌いは措いておく)。すらっとして美しい歩行をすることで、自らを騙すのだ。川の土手に差し掛かった所で、ファッションモデルのようにくるっと踵を返し、そのまま楽屋である家まで歩き続けた。途中で人とすれ違ったのだが、見事にフル無視だった。まあこっち血まみれなので、正しいと思う。家に着いたら、お父さんが探しに行こうか迷っていたので(行けよ)、「すみませんでした」と謝った。お父さんも反省していた。広範囲の畳に血が飛び散っていたので、雑巾で拭いた。猫のトラちゃんがいたのでちゅ~るを上げた。部屋に戻ると、窓の外で猫のクロちゃんが待っていたので、ちゅ~るをあげた。言い合いから3時間で元の生活に戻ることが出来た。よかった。ありがとうマリヤちゃん。マリヤちゃんが『テスト・ジャンキー』勧めてくれてなかったら死んでたかもしれません。一冊の本に救われるということがあるのです。今回、そのことを実感することが出来ました。
本当は明日病院に行こうと思っていたのですが、今日はベッドからほとんど降りることができずにいて、朝昼を兼ねるごはんは食べられたのですが、食欲がなく夜ごはんは食べられず、どうなるかわかりません。お風呂も入れないような気がします。昨日も再度出血が始まりそうなので、入りませんでした。仕事を休んでから一年以上になりますが、お風呂とごはんをスキップしたのは初めてです。とにかくかなしみでいっぱいです。かなしみが身体中に充満すると、鬱になるみたいですよ。
このブログは、今年の11月で記事を書き始め���から一年になるので、1周年記念��イコンをささやかですが作成しました。しばらくそれを使おうと思います。特別に何かを買うのがお得になるキャンペーンや、特別なキャラクターを獲得するためのガチャを回す石のようなものを大量配布したり、といったようなことはありません。携帯電話のアプリのパロディーをしたかっただけです。パロディーは楽しいですから。
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2024年10月16日水曜日
病院の待合室にて29
マイ・フェイバリット・ドリンクス
書くことないなあ…。万止むを得ず、これは質問箱などを設置するべきではないかと思うほどである。分かっています。質問などこない。こないのは分かっているが、何か策を講じるべきなのではないか、と思うほどに書くことがない。ただ病院の待合室で座っているだけでは駄目だ。書く気持ちはあるということを示したい。誰にも頼まれてないし、今日でやめにしても構わないこのシリーズだけれど、やっぱり病院の待合室では、Tumblrの記事を書くと決めたのだから、書いた方がいい。書かなくても、待合室の椅子に腰掛けてWikipediaとかぼんやり見るだけだ。さすがに時間の無駄である。いや時間の無駄を咎めるつもりはないし、この記事を書くことだって時間の無駄だけど、その時間を無駄にした証拠が欲しい。ここに何か書いておけば、少なくともこれを書いて時間を無駄にした、暇を潰したということはわかる。潰した暇の可視化である。ぼんやりWiki見(うぃきみ、と読みます。ぱいぱいでか美(現:でか美ちゃん)さんみたいね)だと暇をつぶしたことも忘れてしまうから。すぐ診察の順番が来たのかなと後で思っちゃうから。
少し書けた。書くことがない/書きたくない、と書くことで原稿を埋めることができるというのは、中原昌也さんの小説を読んで学びました。
せっかくだから好きなことでも書くか。私は何が好きですか。好きな食べ物とか何ですか。好きな食べ物なんなんだろうね…好きな食べ物はやめとくか。なんか浮かばなくて怖かったから。また今度考えるか。好きな飲み物にするか。何かな。
まずコーヒーね。私コーヒー好きだと思う(この話題で診察呼ばれるまで行こうと思うので、よろしくお願いします)。コーヒーには基本なにも入れません。ブラックです。こだわりとかはあんまりない。家族が挽いた豆を買っておいてくれるので(銘柄が何か思い出せない。多分UCC?金色に茶色のパッケージだと思います)、コーヒーメーカーにセットして淹れます。朝と昼に2杯ずつ飲みます。飲み過ぎだと思う。カフェインの摂りすぎはよくないと言うね。そういうネットの記事などは見ないようにしてる。落ち込むから。おいしいよねコーヒー。ホッ…とします。…もうコーヒーについては終わりかも。やばい。思い入れか文才かその両方がない。
次に水ね。水の話読みたい?水を飲むのが好きだという話。読みたくなくても書くけど。水はあんまり味がないよね。それが好き。でもおいしくない水道水もあるね。飲むとびっくりする。おいしくない…ってなる。なんか苦い?カルキ臭いのは結構大丈夫なんだけど、苦いのつらいかも。逆に、この水おいしい!買います!10ガロンください!みたいなこともないね(水に限らず飲み物を一度に10ガロン買ったことはない)。いつもある程度一定の存在。いつもそばで寄り添ってくれるような存在。なんだろうね。なんなんだろうね水って(たとえようとしたけど何も出ず)。
あと水が本当に優れてるのは、こぼしても汚れないということ!これが本当に素晴らしい。私本当に飲み物よくこぼすから。普通に水をコップで飲んでても、腹話術の人形の口の両端に、口の下部を上下させるために溝がついてると思うんだけど、あの溝のラインでこぼれていくんだよね。あれってなんで起こるんだろう。水を勢いよく流し込みすぎなのか。さらに勢いつけたら顔に水ぶっかけるみたいになっちゃうね。
レストラン。
「私」とそのパートナーであるクミが席に座っている。その前のテーブルの上にコップがふたつ。中には水が入っている。
クミ 何とか言ったら?
私、押し黙っている。
クミ どうして浮気したの?
私、押し黙っている。
クミ よくできるよね、浮気?私があなたの分も働いて、ごはんもつくって、家事も全部やってるのに(クミ、徐々に目に涙が浮かんでくる)、よくクリーニング屋の女と浮気できるよね!
私、口を開こうとする。
クミ、コップの水を私の顔にかける
クミ さよなら。引越し先決まったらLINEして。荷物全部送ったげる。来週までにLINE来なかったら全部捨てるから。
クミ、出口の方へ去る。
私、黙って下を向いている。水が滴る。
ていうシークエンスがあったのかな、この人?って周りの人に思われちゃうかもね。でも映画とかドラマでもやっぱかける液体は水だね。助監督が楽なのかな。ワインとかあんま見たことないかも。熱いコーヒーを顔にかけるのは『復讐は俺に任せろ』(1953年、監督フリッツ・ラング)でリー・マーヴィンがグロリア・グレアムにやってたね。グロリア・グレアムが顔に火傷しちゃって包帯を顔半分に巻くんだけど、それがまた悲しくも美しくて…コーヒーの話に戻ってしまった。かと言って水の話もうないけど。
まだ診察呼ばれない。だから飲むヨーグルトについて書かなくてはいけない。飲むヨーグルト好きなんですよね。でも最近ずっと家にいるから飲んでない。買い物に行く家族に「飲むヨーグルト買ってきてほしいです…」とはなかなか言えない。「無職は水飲んでろ」って言われたら泣いちゃう(多分言われないけど)。やっぱ乳酸菌は贅沢品な気がしちゃうなあ。わりとドロドロしてるやつが好きです。コンビニブランド(コンビニは何でもよい)のカップに入ってて、ふたにストローぶっ刺すやつなら大体好きです。でもなんかR-1買っちゃうことが多いんよね。身体によさそう、と思ってるんだろうね。何がいいんだろうね。菌の種類かな。R-1の味はふつうだと思います。
まだ呼ばれないのでドクターペッパーについて書きます。ドクペおいしいよね。あのフレーバーなんつったらいいのかな。そもそも何が入ってるのか。
【速報】
いま病院の受付に来たおじさんの野球帽にKCUFって書いてありました(Fは上下逆さまだった)。その帽子なんなん。
【速報ここまで】
暇だから検索しよう。検索しました。アメリカン・チェリーとガラナベースで20種類以上のフレーバーが含まれてるんだって。アーモンドが含まれるので、杏仁豆腐のようなフレーバーだという人も。杏とアーモンドは同じバラ科で香りが似ているそうです。確かに杏仁豆腐みたいな感じあるかも。杏仁豆腐も好きだなあ。好きなスイーツで結構上位だと思うけど、実際にランキング作りしたら思い浮かばなそう。
最近太らないように気をつけてるので、あんまりジュース飲まないんだけど、自販機にドクターペッパーあったら飲んじゃう可能性がある。おいしいからな。ルートビアとかも、あったら飲んじゃうじゃない(あんまないけど)?そういう存在。なんだろうね。なんなんだろうねドクターペッパーって。
診察呼ばれないね。一旦頭から読み返します。
読み返しました。診察呼ばれないね。
お酒だとビールですかね。ビール好きですね。私たぶん働いてたときアル中だったんですけど、飲むのは全部ビールか発泡酒だった。毎日ロング缶4本飲んでた。2リッター。デブまっしぐら。休肝日なし。肝硬変待ったなし。飲まないと眠れなかったんですよね。たまに飲んでも眠れなかったから意味ないんだけど。どう考えても酒抜けきってないまま車運転してたと思う。恐ろしい。捕まりなよ。
ビールはおいしいね。一番搾りか黒ラベルのロング缶をよく買っていた。濃いのが好きなんだろうか。飽きたらラガーにしてた。スプリングバレーっていうのもフルーティーでよい。高いけど。キリン推しなのかもしれない。別にアサヒでもいいんですが。クラフトビール飲み比べとか楽しいんだろうなあ。酔っ払っちゃうね、どうも。
さっき読み返して思ったんですけど、まあまあ長く書いてますね。まだ呼ばれないけど終わります。読み返した時に結構待ったことが分かる分量になっていると思う。お疲れ様でした。このあとはぼんやりWiki見します。
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2024年10月2日水曜日
病院の待合室にて28
ポケットティッシュ差し出されたみたいなこと?
【注意】
この記事には痴漢行為みたいなことについての記述があります。ご注意ください!
今日はかかりつけの心療内科の待合室にいるが、先月のとある木曜日には別の病院の待合室にいた。その病院で私は全身脱毛をしてもらっていて、その日は3回目の施術を受ける日だった。私は生まれた時にお股に棒切れと玉っころとそれを入れる巾着袋が付いていたので、「見ろ!玉のような男の子だ」となった(玉いっぱいでややこしい。ちなみに玉のような女の子もその後出てきたので「双子だ!」となった。多分その前の診察で双子なことは分かっていたと思うのでここは盛ってます。ていうか全部妄想。このかっこ内全部書かなくていい)。生まれた時に男!となったので、その後何も言わなければ男性となる。ここの病院では脱毛の施術を女性(たぶん)の看護師が行うのだが、男性のお股の施術のみ男性(たぶん)の医師が行う。その日はとても混み合っているようで、女性の看護師さんが顔、上半身と施術を行い、医師が空いたところで一旦お股の施術となり、終わり次第、看護師が続きを行うという段取りとなった。
特に問題もなく施術は進んでいき(ひげの時いつも痛くて泣いちゃう…)、お股の施術も終わり、下半身、ていうか脚の施術となった。全身脱毛は長時間に渡るせいだろうか、上半身とは別の女性の看護師さんが下半身の脱毛を担当することとなった。もう私は上半身は服を着ており、パンツも履いていて、脚のみが剥き出しの状態となっている。施術する箇所以外の下半身にはバスタオルをかけて施術していく。最初にバスタオルを掛けたときに、看護師さんの手が私の棒切れに当たった。私は「なんか私の体勢がおかしかったのかも…」と思って焦ったが、どう考えても寝てるしかないので寝てるしかなかった。その後、バスタオルを掛け直す度に、手が棒切れやら玉っころ��当たる。「なぜ…」と思い、頭の中でシミュレーションをした。寝てる人の下半身にバスタオルを掛けるとする…ねえ!どう考えてもお股に手が当たることないんだけど!ていうかお股にだけは当たらないように注意するよね普通。「ち、痴漢かも…!(正確には痴女)」。
でもさあ、普通私にするか?私のお股そんなに触りたいか?触ってどうするの?反応を愉しむの?反応したら「あらあら」みたいなことになるの?したいのか?私とセックスしたいのか?そうならちゃんと言わないと駄目だとおもうよ。あらゆる人間には気持ちというものがあるというよ。口に出したらセクハラか。難しいね。最初はお食事に誘ってみるとかしたらいいのかな。どうですか。
私はかつて立川という街で、女性の友達と食事をした時のことを思い出していた。食事が終わった後で駅までの道を歩いている時に、キャバ嬢募集のポケットティッシュをキャッチの人が友達に渡してきた。それを無視した後で友達が「あのポケットティッシュさー、いつも無視するんだけど、あれを差し出されると、私キャバ嬢になれるポテンシャルあるんだ、って自信持てるんだよね。差し出されなかったら、あれ?今日調子悪いか?って思っちゃう」と言った。
エレベーターの前でその看護師さんと一緒に待ちながら、私は「この看護師さん私に魅力を感じたってことなのか?」と思っていた。ポケットティッシュ差し出されたみたいなことなのか?自信持ったらいいのか?エレベーターが私達の待つ3階のフロアに着くと、中は車椅子でいっぱいだった。4階はデイケアで、今は午後4時過ぎ。帰宅ラッシュにぶつかってしまった。私は「あっ次にしますー」と言った。看護師さんは再び下向きの矢印が書いてあるボタンを押してくれて、「じゃあ受付に行ってくださいねー」と言って、処置室の方へ消えていった。待っていると、「あの」と声を掛けられる。振り向くと看護師さん。「脚、痛かったですか?」「あっ、いつもより痛かったかも…なんでかわからないんですけど…」「少し動いてたから…なんか異常があったらすぐ病院に言ってくださいね」処置室の方へ消えていった。エレベーターが来た。車椅子でいっぱい。階段で1階に降りた。ポケットティッシュ差し出されたみたいなことだったのだろうか。
お会計して車に乗って帰る途中、「あれってわざとだったのかなー。わざとだったよなー。ごねたら料金おまけしたりしてくれたのかな?まあ、そういうのできないけど」などと思った。
なんかもっと楽しい話を書きたかったんですけど、他に書くことが思いつきませんでした。すみません。
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2024年9月17日火曜日
病院の待合室にて27
私に許されているささやかな悪事
インターネットで見かける、あらゆる言葉には背景があり、文脈がある、と思う。Xに「今日は好きぴと会えない〜😞」という一文があったとして、この一文にも背景があり、文脈がある。まず、この文を誰が書いているか考えてみる。ギャルが書いてるか、おじさんが書いてるか。おじさんが書いてるとして、本気で書いてるか、ネタで書いてるか。真実を書いてるか、嘘を書いてるか。本気も本気で真実を書いてるとして、好きぴは男性か女性かそのどちらでもないか。女性だとしてシスかトランスか。シスだとしてお付き合いをしているか。していないとして、相手は水商売の女性かどうか。水商売ではないとして、相手はおじさんのことを認識してるか。認識しているとして、おじさんはどうやってその女性と会っているのか。おじさんの都合によって会えないのか、その女性の都合で会えないのか。今日は何月何日か。何曜日か。天気はどうか。電車は動いてるか。おじさんはどこにいるか。家か。家なら家はどこか。よく朝に立ち食いそばの写真をあげているが、そば屋はどこか。なぜ立ち食いそばを朝に食べるのか。仕事に行く前に食べるのか、その他の場所に行く前に食べるのか。そもそもおじさんは仕事をしてるのか。好きぴの女性は仕事をしてるのか。してるとしたら職場はどこか。職場の最寄り駅はどこか。その駅から利用できる路線はどれか。女性の家の最寄り駅はどこか。女性は実家暮らしなのか、一人暮らしなのか、どちらでもないのか。女性にパートナーはいるのか。いるとしてパートナーは男性か女性かどちらでもないのか。男性だとしてシスかトランスか。シスだとして仕事をしているかどうか。していないとして、今日は何をする予定か。「お前に付き纏ってるおっさん、今日お前に会えないってよ」「きも。おっさん私の休み把握してんじゃん」「今度お前から誘ってみたら?金引っ張れるかもしんないじゃん」「だる。てめえが指図すんな。ヒモのくせによ」「じゃ別れる?」「それは絶対嫌だけど」「ははは。よわ」「明日仕事やだなー。もうトラック乗り飽きちゃった」「まだ3年なのに?これからでしょ」「うるせえな。てめえも仕事しろよ」「そしたらごはん作るの代わりばんこになりますけど」「それは絶対嫌なんですけど」
あらゆる言葉には背景があり、文脈がある、と思う。それと同じように、あらゆる人間には背景があり、歴史がある、と思う。恐ろしいことである。あらゆる人間はいろいろと考える瞬間があり、その瞬間瞬間に下した判断判断が背景や歴史を作ってきた。恐ろしい。恐ろしい?どうしてそれを恐ろしいと感じるのか、考えてみるとよくわからないが、それはさておき、さっきの架空の三人の人間の背景を考えた時、私は果たして、三人���それぞれが最終的に善人になるように考えたのだろうか。それとも悪人になるように考えたのだろうか。この先に物語があったとしたら、ハッピーエンディングを迎えるように考えたのだろうか。それともその逆か。これを読んでいる方がいたとして、あなたならどう考えただろう。いくつもの分かれ道があったと思う。その分かれ道のどちらを選んだだろうか。どちらを選んだって構わない。これはそれぞれの頭の中で考えたこと。倫理的にどうだろうと構わない。三人の内の一人を極端に悪人にすることもできただろうし、極端に善人にすることもできただろう。頭の中ではどう考えたって構わない。考えられる限り最も残忍な方法で、三人とも殺し、それをつぶさに描写したっていい。それを口に出したり、どこかに書き込んだりしなければ。
インターネットに見られる言葉について、私が思うことは、どうして黙っておけなかったのかという言葉がかなり見られるということだ。それを見て誰かが傷ついたりする可能性を大いに孕む言葉が垂れ流されている。私は想像する。その言葉を書いたのは誰なのか。そしてどういう背景や歴史のある人間がそれを書いているのか。どう想像したっていい。それを口に出したり、どこかに書き込んだりしなければ。
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2024年9月6日金曜日
病院の待合室にて26
九月の水
朝/晴れ/パン/トラ/ミケ/CIAOちゅ〜る/身支度/ストレッチ/日焼け止め/お母さん/ミケ/お見送り/ちょっとひとりぼっち/軽自動車/高松空港/売店/山田屋のうどん/喫茶店/鶏のみぞれ唐揚げ定食/保安検査場/飛行機/飛行機から空港へのバス/羽田空港/東京モノレール/浜松町駅/大門駅/大江戸線/麻布十番駅/警察/迷子/護送車/ビジネスホテル/チェックイン/ズボンに汚れ/着替える/麻布十番駅/南北線/四ツ谷駅/中央線/よかったら座りますか?/大丈夫です/三鷹駅/折りたたみ傘/ビル/スペース/新千円札/友達/エル・デスペラードのTシャツ/烏龍茶/歌/ギター/ジャガー/コントラバス/ドラム/12弦ギター/鍵盤/本気/unrest/歌/ジャズマスター/フルート/EB/クラリネット/バスーン/ドラム/ソプラノサックス/鍵盤/二十年/DNA/アンサンブル/成立/ちょっとひとりぼっち/雨/三鷹駅/中央線/NHK-FM/アーマッド・ジャマル/四ツ谷駅/南北線/麻布十番駅/雷雨/消防車/ゴッサム・シティ/ローソン/ビジネスホテル/ネバネバそば/サラダ/シャワー/YouTuber/LGBTQ+/寛容/不寛容/差別/チャット欄/睡眠導入剤/ベッド/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
朝/晴れ/納豆巻/サラダ/ストレッチ/身支度/麻布十番駅/南北線/四ツ谷駅/中央線/吉祥寺駅/友達/中華料理屋/味付き卵/春巻/豆苗炒め/青島ビール/ジャスミンティーみたいな味の烏龍茶/夏になると茄子を読む/吉祥寺って自転車乗ってると/パンケーキ/コーヒー/禁物/外/クィアたち/ボーイズ・テクスチャー/完成するまでの過程/短歌/フェスセット/Arcaかわいい/高速移動/免許/北海道とかにある標識とか何もない真っ直ぐな道/事故った時にヘラヘラしないこと/Aka/透明ドロップ/be master of life/300部/版元の人/権利関係をややこしくする人/探偵/トぶ人/仕事中に飲酒する人/仕事中に大麻吸う人(CBD的な合法的なやつかも)/吉祥寺駅/井の頭線/ミーのカー/どんなものでも君にかないやしない/渋谷駅/工事/利権/消費者に皺寄せ/日本すぎる/ログアウト・ボーナス/仕事辞めたひと前来て?/失恋したひと前来て?/プライベート・スーパースター/曲先?詞先?/浮いてる/代引/慣れろ、おちょくれ、踏み外せ/本屋/バッジ/生きる演技/ノット・ライク・ディス/翻訳/あなたがたに話す私はモンスター/講演/抗議/連帯/波打ちぎわのものを探しに/鍵/商品と私物のあわい/細かく話を聞いたら全然私物/アイスコーヒー/オレンジジュース/親切人間論/これってデザイン誰/祖父江慎/クッ…/元ネタ?/アイドルの部屋/アイドルヲタの部屋/天才/ヴァレリー 芸術と身体の哲学/引用/装置/どもる体/本屋の人しか開けられない下の棚/いいんですか?/……/本に写真がない/なくてもみんな分かるから/じゃがたらも?/ジョン・ケージ 著作選/ケージ - 通路 - デュシャン/誰もわかってくれない/でしょうね/ケージとキノコの写真/ケージかわいい/面白い人の誤解は面白い/つまんない人の誤解はつまんない/ナボコフ読んで蝶大丈夫になった/チェス・プロブレムはわからない/詰将棋も/どうぶつの森/気のせい/料理本を戦わせる/これがフリー素材の/鳴き声以外食べれる/ベケットは読まれていない(ゴドー以外)/お会計/ポッドキャスト/配送できますけど?/絶対お願いしたいんですけど/これも買っていいですか?/生きる演技/お支払い方法とか聞いた?/ベトナム料理屋/フォー/生春巻き/ロータスティー/今日はパクチーありません/どうして?/台風で/ショック療法/Over Drive/YUMEGIWA LAST BOY/ラズベリーB面説/後輩を集めて読書会/カラオケとか行かないと思った���どうして?/私が行かないから/犬いっぱい/月曜日お店休みかと思ったー/最近は開けてるんですよ/月曜日お店休みかと思ったー/あー最近は開けてるんですよ/谷/ビル/しゃぶったチンポの長さの合計フィート数vsエンパイア・ステート・ビル/警察近くて便利だったのに移転した/店が?/警察が/喫煙所/男根ロゴス中心主義/六本木駅/ちょっとひとりぼっち/六本木一丁目駅/���北線/麻布十番駅/ローソン/ビジネスホテル/シャワー/一番搾りロング缶/一番搾りロング缶/一番搾りロング缶/スーパーサンクス11800円/思いの丈をぶつける/ベッド/四時頃/睡眠導入剤/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
(2日目の写真これだけ…)
朝/曇り/身支度/納豆巻/サラダ/チェックアウト/麻布十番駅/大江戸線/大門駅/浜松町駅/東京モノレール/各停/羽田空港/かけそば/ミニ天丼/東京ばな奈/ANA BAGGAGE DROP/あらゆる場所にアルコールが……/アカシアあるんや/展望デッキ/コーヒー/読書/保安検査場/空港から飛行機までのバス/三十分以上の待機/書類の不備により飛行機にご案内できません/飛行機から空港までのバス/ご案内の準備が整いました!/空港から飛行機までのバス/飛行機/予定より一時間ほど遅れての出発となりまして誠に…/高松空港/予定より二十分くらい早く着いたので結果四十分の遅延/荷物受け取りレーン/軽自動車/家/トラ/CIAOちゅ〜る/お茶漬/真鰯の焼いたん/揚げ出し豆腐/シャワー/睡眠導入剤/ベッド/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
何もかも/記憶しておくことは/不可能だけれど/歌にしておけば/歌うたびに/思い出せるのかも/しれない/最後に一曲/作詞作曲/アントニオ・カルロス・ジョビン/歌/エリス・へジーナ/三月の水/
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2024年8月22日木曜日
病院の待合室にて25
そっ閉じ
今日私はどれくらいの数の人間とすれ違うだろう。誰かとすれ違う時に注意すべきことは、目を合わせないこと。最近の私は背筋を伸ばすように注意して歩いているから、モデルがファッションショーでランウェイを歩く時のように真っ直ぐ前を見ている。誰とも目が合わない。別に目が合ったっていいのだ。目が合ったところで何も起きない。仮に「誰にメンチ切っとんねんお前コラ」と因縁をつけられたら謝ればいい。すみません、そんなつもりは無かったんです、気をつけます。そう言えばいい。でも目は合わせない。怖いから。人間が。
さすがにつらい。見てられない。X (FKA Twitter) を開く度に信じがたい程の偏見を目にする。私にも偏見はある。たまにそれがXに漏れてしまうこともある。それはすいません。ごめんなさい。でもね。Xのおすすめ欄をうっかり見ようものなら、漏れてるなんて程度じゃない、とんでもなく攻撃的な語彙で編成された偏見が乱れ飛んでおり、ただ撒き散らされてるならまだしも、引用RPという形をとって、明らかな悪意のもとに、純粋な加害の意志を持って投稿されたりしている。ひどい。見てられない。そんなアカウントはBANされるっきゃない。訴状が山ほど届くといい。まあ、私も見に行ったりしている部分があるかもしれない。野次馬根性が高らかに嘶き、サイバースペースの荒野を走り回っているのかもしれない。だからXなんてそっ閉じするしかない。そっ閉じ一択。YouTubeを見る。ストリートファイター6のゲーム配信を見ようかな。プレイしたことはないけど、プロゲーマーの配信などは素人でも見ていて楽しいから。うっかり者の私はチャット欄を閉じることを忘れており「〇〇って顔がイマイチなんだよなー」というチャットを見てしまう。ここでの〇〇という部分に入っていたのは、スト6の女性キャラの名前である。ゲーム上の架空の女性キャラにルッキズムを爆発させている人がいる。きもい。さすがにきもいかもしれない。さすきも。架空の女性にミソジニー炸裂させないで。勝手に斧振らないで。海外サッカーについて話しているYouTuberのチャンネルを見る。試合を見ながら三人の男性で話しているのだが、そのうちの一人がもうすぐ誕生日だという。「プレゼント交換とかしないの?」というチャットが来る。もうすぐ誕生日な人とは別の男性が答える。「しないねー…男同士でプレゼン交換とかするのなんてさー…なんかカマくさくねえか?www」…………。
そっ閉じしかない!
そっ閉じこそ正義!
そっ閉じこそ正義である!
この世は地獄だと認識しろ!
カーテン閉めろ!
カーテン閉めてくれ!!!
だから読書するか楽器弾くかタイピングの練習するしかない。読書楽器タイピングのサイクル、その生み出す回転が、降り注いでくる偏見をはじき飛ばす。そう信じて毎日をやり過ごすしかない。
診察終わってから車でイオンモールまで行って、背筋伸ばして歩いてたんですけど、なんかティッシュ渡してくる男がいたので受け取ったら、「ウォーターサーバーってお家にありますか?良かったあー今なら無料で家に設置できてね、一生タダなんですよおー」という陰謀論みたいなこと���言われたので「あっ、あっ、ティッシュいりません!」とティッシュ返してフードコートに逃げてきてしまった。油断すんな!早くお家帰ろ!怖い怖い!
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2024年8月5日月曜日
病院の待合室にて24
病院の待合室にて (Reprise)
現在の時刻は午前十一時。私はかかりつけの心療内科の待合室にいる。みなさん、いかがお過ごしですか?死ぬほど暑いですけど、死んでないですか。死んでいるのに気づかないまま、これを読んでいるという方はいませんか。いませんね。いませんよね。信じて次に進みますね。
油断していた。T君との一日を詳細に書き、通院五回分、つまり十週分にしたので(一回の分量を決めているのは私なので、私の匙加減ではあるんだが。ちなみに三千字程度という目安があった。理由は一回目がそれくらい��ったから)、その十週のうちに何か書きたいことが生まれる、衝動的にそれを書きつける日がある、そう思っていた。書きたいことなかったね。衝動も起きなかった。安定していたとして前向きに捉えるべきか。
最近。最近は同じ日の繰り返し。外は暑かったり雨が降ったり雷が鳴ったり死の恐怖を覚えるほど暑かったりするが、私は部屋にいて同じことを繰り返している。何してるか書く?前にも同じようなこと書いたと思うけど書く?書きましょう。書くことが思い浮かばない上に記事のストックがなく(厳密にはあるけど完成しておらず、続きを書く気が起こらない)、診察にも呼ばれないので。
朝に起きます。最近は八時が多いです。朝ごはんを食べる。お母さんが作ってくれます。優しい。パンかピザが多いです。猫にちゅ〜るをあげます。顔を洗うなどして身支度を整えて整体に行きます。整体に行かない日はストレッチします。整体に行った日もストレッチします。終わったらお昼になっています。お昼は毎日サラダと魚肉ソーセージです。お母さんが作っておいてくれています。優しい。猫にちゅ〜るをあげます。済んだら掃除をします。大掃除をずっとしているのですが、いよいよ佳境に入ってきています。次の大掃除の工程が「いらなくなった服を一か八か売りに行く」だというのが、大掃除が佳境に入ってることを象徴していると思います。掃除を一時間したら本を読みます。一時間読んだらタイピングの練習をします。一時間練習をしたら、楽器の練習をします。一時間練習をしたら読書に戻ります。あとは読書、タイピングの練習、楽器の練習のサイクルをぐるぐる繰り返し、夕方になったらシャワーを浴びます。洗濯がある時はこの時します。猫にちゅ〜るをあげます。お母さんが帰ってきたら、夕食になります。お母さんが作ってくれます。申し訳ない。食べ終わったら先ほどのサイクルに戻ります。午後十時に眠剤を飲みます。眠くなるまでサイクルの中にいます。眠くなったら寝ます。一時ごろに寝ることが多いです。
そりゃ書きたいこともないよ。何この生活。相変わらず無職なんですが��働けるのではないかと思えるほどです。でも抗うつ剤も飲んでるし。夕食後に飲むことになってる抗うつ剤を飲み忘れた日があったんですが、起きたら「何もかも絶望的やないか…」となって一日中寝ていた。極端過ぎひん。あっ、診察に呼ばれたので行くね。本当は何か書くことあったのかな。あったのかも。ごめんね。
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2024年7月22日月曜日
病院の待合室にて23
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(5)
続いて、私がTくんのバンドを見に行ったら対バンで出ていたのを見て「これは人気出そう!」と思った三大バンド、という私がよくしてしまう話をした。その三大バンドとは吉祥寺シルバーエレファントで見たandymori、相対性理論、そして吉祥寺WARPで見たきのこ帝国である。andymoriはライブの一曲目がゆったりした三人のコーラスで始まる曲で、「今こんなことをするバンドがいるんだなぁ」と思っていたら、二曲目がめっちゃ速いパンキッシュな曲で、ギャップがあってかっこよかったのを覚えている。相対性理論はどえらいポップな曲に、かわいい小さな声のボーカルが乗っていて、「これは人気出るぞー!」とはしゃいだ。『シフォン主義』のCD‐Rを物販で売っていた気がするので、『LOVEずっきゅん』とかもうやっていたと思う。そしてきのこ帝国は、声よし演奏よし出音よしで、ギターの人の佇まいがキマっていてとてもかっこよかった。この時しか吉祥寺のWARPには行ったことがないのだけど、ドラムの音がものすごく良かった印象がある。この三大バンドはどのバンドも大人気になり、やがて解散したり活動休止したりバンドの形を大きく変えたりした。何もかもが12年以上前のことであるから無理もない。ちなみに個人的な好みで言ったらホライズン山下宅配便やうずらといったバンドの方がずっと好きだった。この二つのバンドも、もう活動していないと思う。続けるということは難しい。
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もうすぐ空港に着くというところで、私の最近の生活や病気についての話をした。普段ここに書きつけているようなことについて。私が誰かに同じような話をされたら、良かれと思って変にアドバイスしてみたり、別の視点を提供しようとしたりしてしまいそうだが、Tくんはただ「そうなんだね」と相槌を打ちながら聞いていた。
車が空港に着き、お土産を買ったりした後で、ハンバーガー屋さんぽいカフェがあったので、そこでお茶することにした。私はアイスコーヒーを、Tくんはビールとフィッシュカツ(たしか)を注文した。
そこでは、私たちがバンドを組んでいた時にコピーしていたくらい好きだったバンド、Weezerについての話になった。
「仲見世のすみやの近くに、海賊盤屋さんあったじゃないですか?あそこで安倍くんが買った、すごい高くて画質の悪い非公式のウィーザーのライブビデオ何回も見ましたよね。あんなのよく買いましたよ。すごい時代」
「ああー、あのフェスみたいなやつでしょ?あれ格好よかったよね!YouTubeにあるんだよ。ちょっと待ってね…あった!これでしょう?」
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「いや、もっともっと画質が荒くて、カメラがめちゃくちゃ寄っていて、リヴァースの手元とかしか映ってなくて、”Getchoo”とか演っていて、20分くらいしかなくて…」
そんな映像全く記憶にない。Weezerのライブビデオはフェスのやつしか持ってないと思っていた。従って「えっ嘘、そんなのあったっけ?」ということになり、私がYouTubeのWeezerのライブ映像をどんどん見せては、Tくんが「違う…違う…もっと円盤みたいに近くて…」という、重要参考人の取り調べのシークエンスみたいになってしまった。あと円盤というのは東京都は高円寺にかつてあったお店のことで、夜は決して広いとはいえない店内でライブをやっていることが多く、出演者と最前列のお客さんの距離がとても近かった。ここで言っているのはその感じのことだと思われるが、そのお店では店内ライブの撮影もしており、それはレジ横に置いてあるビデオカメラで撮影していて、客席の最後列よりも後ろからの俯瞰気味のショットになるので、その喩えは微妙にややこしい。探してくうちにYouTubeにアップされた1992年から2000年までのWeezerのライブのブートレグ・ビデオのプレイリストというとんでもないものを発見したりした(ちなみにWeezerのデビューは1994年。92年てあんた)。
しかし、映像は見つからなかったので、「そんなのもあったかー、そうかそうか」ということに話は落ち着いた。そのうちに、「我々にとってのウィーザーは、やっぱりマット・シャープのことだよね」「だよねだよね」という話になったり、人気スケーターを撮影したスケートボードのビデオがストリートで取引されていたという良い話や、実はiPhoneは我々の会話を全て聞いていて…というお伽噺にもなったりしているうちに、出発の時間となってしまった。その時にもう一度Weezerの話に戻り、「私たちはウィーザーのグリーン・アルバムにがっかりしたじゃない?アメリカのリアル・エステイトっていうバンドも同じような経験をしたってインタビューで言ってたよ」と言って、彼らの代表曲のひとつである”It’s Real”のビデオをYouTubeで再生したら、そこに「12年前」と出て、Tくんのバンドと同時期のバンドだったんかい!となった。そりゃ聞いてきたものも近いはずである。私は、Tくんのバンドに限らず、あの頃の東京にシーンのようなものがあったと仮定するなら、きっとUSインディーとの同時代性みたいなものもあったんだろう、でもそんなことはみんな忘れ去られてしまった気がする、と妙にしみじみしてしまった。あの頃のことで、私が見ることのできたものに関しては、私の中に残っているが、私が見ることができなかったものや、私の中に残っているものでさえ、私の外にそれを見つけることは、現在容易なことではないし、私の記憶だって、きっとどんどん薄れていってしまう。そのことが良いことなのか悪いことなのかは、正直私には分からない。
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お別れの時間が来てしまった。保安検査場の前で私は「見えなくなるまで手を振ったりしてると、本当に寂しくなるから行くね。ごめんね。またね!」と言った。Tくんは笑いながら「あはは。わかったー。またね」と言った。お互いに軽く手を振って踵を返し、私は振り返らないように努め空港の出口へ向かいズンズン歩いて外に出て、そのまま車に乗って逃げるように家に帰った。
4日後の23日の木曜日にTくんからショートメールが、何枚かの写真と共に送られてきた。写真はすべて私とTくんのツーショットだった。
「ありがとうございました!
田口さんの本が気になったので注文しました、またねー」
そういえば、私たちは一軒目の居酒屋で、Tくんのバンドが撮った「マイリトルラバー」という映画の話をしたのだった。それは、先述の円盤というお店からT君のバンドに企画の誘いが来て、映画を撮ることになり、そのころ映画をそれなりに見ていた私は、彼らに吉祥寺のお好み焼き屋さんに呼び出され、どんな映画を撮ったらよいか、TくんとベースのHさんと企画会議を行うことになった。どういういきさつかは忘れたが、最終的には「南くんの恋人」みたいな映画を撮ろうということになり、TくんとHさんは「いやー決まって良かったー」とご満悦だったのだが、私は大丈夫かなぁ…と思っていた。そして後日仕上がった映画「マイリトルラバー」を見たら、まあまあ「南くんの恋人」でびっくりしたということがあったのだが、「その映画について、円盤の(店主であった)田口(史人)さんが『二〇一二』というご自身の著書の中で触れているよ」と酒席で伝えたのだった。そういえば、Tくんは最近読書をしている���言っていたので、ちょうど良かった。Tくんのバンドが唯一発表したフルアルバムのタイトルは『映画館』だった。どうして『映画館』というタイトルだったのだろう。まだTくんはその理由を覚えているだろうか。今度会ったら聞いてみようと思う。
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くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?
おわり
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2024年7月8日月曜日
病院の待合室にて22
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(4)
他にもいろいろな昔話をした。その中で久しぶりに聞いた言葉があった。その言葉とは「安倍教」である。安倍、とは私の苗字なので、きっと私が開いた新興宗教なのであろう。しかし、この言葉を作り出したのはTくんである。私とTくんがバンドを組んでいた時、私がポップ・ミュージックについて過度に考え、頭でっかちになってしまった挙句、明文化されたわけではないが、様々な決まりが生まれ、我々はそれに雁字搦めになってしまった。その悲劇の元凶となった思想を揶揄して、Tくんは「安倍教」と呼んでいるのである。安倍教の戒律には「しなければならない」とか「してはならない」という風に結ばれる文が多かった。例えば、「他の人と同じことをしてはならない」。シンプルな戒律であるが、実現するのは大変である。ただこの戒律に関していえば、「我々が他の人と同じような事をした場合、��り上手く仕上がっているものを人々は買うことになるだろう(ここで買うものとして念頭に置かれているのは、CDやライブのチケットになります)。だからなるだけ人と違う事をして、出来は今いっちょうかもしれませんが、オリジナリティーでひとつ、どうですか、ということで買ってもらおう」という魂胆があった。少しでいい、一歩でいい、半歩でも、四分の一歩でもいいから、他人と違う事をする。たとえば十分の曲を書くとか。Eメロまである曲を書くとか。五拍子の曲を書くとか。曲の中に登場人物が四人出てくる曲を書くとか。何でもいい。ここまでに挙げた例は、ポップ・ミュージックの歴史の中で誰かがやっていることである。それでもいい。やっている人数はきっと少ない。それくらいのことでいい、とにかくチャレンジしなくてはならない。まかり間違っても「四分半くらいで、四拍子で、ABサビという構成の、僕は君のこと大好きなんだソング」だけは書くな、とそういうことである。
改めて考えると、最初は誰もが書くような曲を書いたっていいと思う。少しずつでいいから形にしていくことが重要なのだ。そして次に書く曲が、これまでの曲と少しだけでも変わっていればいい。大切なのはプロセスである。他者との比較ではない。自分がどう進んでいくか。そして自分の思ったこと、やりたいことを、素直に、無防備に、真摯に行うように努めること、それこそが肝心なのであり、それこそが新しいものを生んでいくのだと思う。ただ、私は十代の若者のこういった頭でっかちなところも嫌いではないし、正しい部分もあると思う。だから仕方ない。Tくんがその後バンドでやったことや、私がひとりで書いた曲は、その時期に対する批判という風に捉えられるものも少なくない(例えばTくんのバンドの『世界史』という曲の1stヴァースからコーラスにかけての歌詞は「僕と君が出会った/ハイカラの町で/ごめんね/今日は下北で練習だ/ごめんね/今日は会えそうにはないよ/それでも君を殺しはしないよ」というもので、何の変哲もないボーイミーツガールで始まる曲が、私小説味を帯びていき、突拍子もないコーラスの歌詞へと繋がり、オリジナリティーを生んでいる。ていうかタイトル『世界史』って)。だが最後まで安倍教の教義として我々の中に残ったもの、それが「新曲至上主義」である。とにかく新しい曲を絶えず書き、アレンジし、リハし、ライブで下ろしているバンドないしはシンガーソングライター、それこそが真にかっこいいミュージシャンであり、そうでなければやっている意味などない、という教義である。今でもちょっとその価値観は残っている。でも。でもでも。新曲なんてやんなくてたって別にいい。続けることが大事だという価値観もあるし、その中でひょんなことから曲が生まれることだってありうる。ここでも尊重されるべきはやはりプロセスである。続けなければ過程など生まれない。だからそんな教義捨てていい。かっこいいかもしんないけど捨てていい。まず何より大事なのは、形はどう��れ楽しむことである。そのことも今だからこそ分かるような気もするし、やっぱり全部間違っているような気もする。それでいい。すべては途中経過なのだから。
店員さんがラストオーダーの注文を取りに来て「あっ特にないですー」と答えた次の瞬間、「お会計ですー」という言葉と共に伝票が来る。とにかく生中のエンドレスワルツを踊っていた私は結構酔っ払っていた。会計を済ませて店を出ると、隣のビルの二階が居酒屋だったので、すぐさま我々は入店した。何を食べたのかあまり覚えていないが、スウィートハート生中は常に私の傍にいた。鯖の塩焼きを食べましたかね。鯖はおいしいね。私は何かを喋っていたが、もうどうにもこうにも瞼を開けていられなかった。目を閉じたまま、Tくんと話していて、そのうち血流が良くなった影響なのか、体のあちこちがかゆくなってきた。それに気付いたTくんが「ホテルに戻ろうか」と気を回してくれた。私に拒否権などなかった。店を出て、ホテルに戻った。Tくんは「また持ち直したら部屋で飲もうよ」と優しい言葉をかけてくれた。「そうだねー、明日の朝ごはんもねー、一緒にねー、なるー、かもねー」と私はヘラヘラしながら言い、おやすみと声を掛け合ってお互いの部屋に戻った。なんと時刻は午後八時前。早い。夜通し飲むはずだったのに。でも今日はTくんとたくさん話せてよかったし、今はなんだか頭も痛いし、ひとまずはベッドに横になろうかな。
ベッドに横たわって、テレビをつけた。テレビではTHE SECONDというお笑い賞レースをやっていた。今夜は一晩中飲むつもりだったので、リアルタイムでは見られないと思って録画してきた番組だが、あまりに早く部屋に戻ったために、ほとんど見ることができてしまった。ザ・パンチかタイムマシーン3号が優勝したらいいなと思っていたが、どちらも優勝しなかった。番組が終わって、シャワーを浴びた。睡魔の気配が全くしなかった。いつも���らここで眠剤を飲むはずだが、アルコールを飲んだ日には眠剤を飲む気になれない。そんなことをしたら二度と目が覚めなさそうだから。ホテルの自販機に行って一番搾りのロング缶を買って、また一人で飲み始めた。
目が覚めると朝五時だった。朝食バイキングにはまだ早いようだったので、日課のストレッチをした。ストレッチをじっくりやって、身支度を整えたくらいで、Tくんからショートメールが来た。そこには「おはよう、10時にロビーで待ち合わせでいいかしら?」とあったので、「いいよー」と返した。朝食バイキングの会場であるロビーに下りると、大きな窓の向こうで雨がザンザン降っているのが見えた。Tくんの来徳が昨日で良かったと思った。必要以上にウインナーやスクランブルエッグを食べた後、コーヒーを淹れて部屋に戻った。まだかなり時間があったので、ひたすらゆっくりした。二度寝したら終わりだなと思いながらも二度寝しそうなくらいゆっくりした。十時五分前になったので荷物を持ってロビーに戻った。十時きっかりにTくんが下りてきた。おはよう。聞くとTくんは昨夜、部屋に帰るやいなや眠ってしまい、次に目が覚めたら朝だったという。長旅と仕事(と観光)で疲れていたのでしょう。私もそれを聞いてちょっと罪悪感が薄れました。続いて、これからどうしようか?という話になったのだが、もう飛行機までの時間もそんなにないし、とりあえず空港まで行って、時間までお土産買ったりお茶したりしようということになった。チェックアウトを済まし、中がどうなっているか結局わからなかったエレベーターみたいな立駐からオンボロ軽四を取り戻して出発した。
降りしきる雨の中、空港まで向かう車の中で話したことの一つはandymoriのことだった。「昔のandymoriの曲がTikTokで凄いバズってるんだよ」とTくんに話すと、「どの曲?」と言うので「『すごい速さ』っていう曲だよ」と言ってメロディーをハナモゲラで歌った。適当に打ち切った後で「andymoriってフォークみたいなメロディーが多いから、鼻歌だと分からないかもしれないけど…」と私が言うと、Tくんは「ああ、フォークミュージックだよね」と言った。私は、上手く言えないけど、自分の言った意味がすんなり正確に伝わったような気がして何だかびっくりしてしまった。こういう経験は久しぶりな気がした。文脈や前提が説明しなくても予め共有されている感覚。こういう友達がいることに改めて感謝(驚)しなくてはいけない、と思うや否や私は、「我々は定期的に会う必要があると思う!一年に一回とか!」と無意識のうちに言っていた。Tくんは「そうだね」と言って笑っていた。
つづく
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2024年6月27日木曜日
病院の待合室にて21
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(3)
私が道を盛大に間違えたおかげで(せいで、じゃないです)、ビジネスホテルに着いた頃にはもう午後四時過ぎになっていた。中がどうなっているか未だによくわからないエレベーターみたいな立駐に車を突っ込んでチェックインし、荷物を部屋に放り込んで街へと繰り出した。駅の近くにホテルを取ったと思っていたのが、間違えて歓楽街の近くにホテルを取っていたおかげで(せいで、じゃないです)、すぐに良さそうな飲み屋があった。準備中とある。「何時からですか!」「五時!」まだ五時にもなってなかった。何軒か見て回ったが、最初のところが良さそうだったので、歓楽街をぶらぶらしたり、ソープランドのキャッチのおじさまに「どうですか?」と聞かれたのに対して「お疲れ様です!」と返したり(私が)、全ての成人した徳島県民が一度は待ち合わせしたことがあるであろう「アクティ前」の植え込みの階段になっている部分に腰を下ろしたりして時間を潰した。五時になった。「いいですか!」「七時までな!(七時からは予約でいっぱいでよ)」ということで無事に居酒屋に入店した。ビールだー!やったー!私がアルコールを口にするのは去年の忘年会/送別会以来のことなのだ。Tくんも私と同じように盛り上がっていたが、この人お昼もラーメン屋で瓶ビール飲んでました。私は忘れていません。ともかく乾杯だ。
あなたの人生には後悔がありますか?私にはあります。ここのお店で私たちが注文したメニューは、鯖の棒鮨、阿波尾鶏の唐揚げ、馬刺し、そして多量の生ビールだった。ねえ…お料理少ないって。どれもめちゃくちゃおいしかったのに、話に夢中で全然追加注文しないでやんの!ビールばっか飲んで!もっとお料理注文しないと!本当に後悔!いや、私が悪いよ、Tくんは全然悪くない。私がどんどん食べてどんどん注文すべきだったよね。そうしないとTくんも食べづらいよね。徳島の美味しいものをこれでもかと持ってきてもらうべきだった。何のために徳島に来てもらったのか。あのお店また行こう。今度は予約していこう。それは別の誰かと行くか、一人で行くということになるような気がする。ごめんねTくん。Tくんがまた来るって言うんなら止めないけどさ。(お料理の写真も当然撮ってません)
私たちが夢中になって話していたこと、そんなのはもちろん昔話だった。今年で四十歳になる中学の同級生ふたりが居酒屋で夢中になって話すことなんて絶対に昔話だった。例えば。
「あのさ、僕ら主催ライブをやったよね?あれってさ…高校生になってたっけ?」
「いや、あれは中三の時だよ。あの時ね、なんかみんな煙草吸ってたでしょ?ガイアの前の道でもみんな普通に吸ってたから、近所の人なのか分からないけど、知らないおばさんに『あんたたち中学生でしょ?みんな煙草吸ってるけど、いいと思ってんの?』って言われて、『ああー、私高校行けない可能性出てきたなあ』ってぼんやり不安になったもん」
「あれ中三の時だったんだね。信じられないなあ。今でも夢だったんじゃないかと思うよ」
そう、私とT君で組んでいたバンドは主催ライブを行った事がある。あれは中三の…あれ?なんとなく春休みにやった記憶があるから、まだ中三になってないのかな?それとも中学卒業と高校入学の間の春休み?まあともかく、バンドメンバーである私とT君ともう一人のドラムを叩いてた子は、まだ全員十四歳か十五歳だった、と思う。会場はclub gaiaというクラブだった。JR沼津駅から徒歩六分(今調べました)、現在はもう閉店してしまったようだが、当時はもちろん営業中で、おそらく昼から夜にかけてはバンドのライブなどをやっていて、深夜帯はパーティーを中心としたクラブ営業をやっていたのではないかと思う。今ですらこんなあやふやな想像しかできないが、当時はそんなことは何ひとつ知らず、ありきたりな憶測すら出来ていなかったはずなのに、よくやったもんである。そもそも我々はこのclub gaia を電話帳で発見した。我々は電話帳を本当によく活用していたバンドだった。練習スタジオ(いわゆるリハスタ)が実はもっと近所にあるのではないか、と思って電話帳で探し、「スタジオなにがし」みたいなのを見つけて「あった!」と思いチャリで行ってみると、「バレエ・スタジオだった!がっかり」ということはザラだった(電話してから行きなよ。電話帳でしょ)。レコ屋を探してみたり、ライブハウスを探してみたり、同級生の自宅の電話番号を探してみたり(本当の話である。当時の我々は電話帳から同級生の家電(いえでん)を探し当てるくらいの能力は備えてしまっていた。携帯なかったしね。いきなり自宅に直電し、「君!ドラムに興味ないか!あるなら我々とバンド活動をしようではないか!」と勧誘したりしていた。今考えると完全にどうかしている)電話帳は情報の宝庫だった。そして電話帳の「ライブハウス/クラブ」の欄に載っていたお店のひとつがclub gaiaだった、と思う。我々捜索隊はそれを電話帳に発見するやいなや、ただちに現場に急行した(電話しなよ。まあ今考えるとビビってたんだと思われる。あと電話する用件がない。建物を見たいだけだから)。gaiaは割と住宅街の中にあり、我々の持つ手がかりは住所しかないため(実際は電話番号も知っているけども)捜索は難航したのだが、日没前に見つけることができた。「おおー、あるんだ」と言ってその日は帰った。中学生は本当に暇である。本日の我々くらい時間が有り余っていた。
我々のバンドは「パンジー」と言って、もちろん花の名前からとったのであるが、「パンクでノイジー」というとても中学生的な意味もあった。パンジーは後に「ルーラ」という名前になったり、「べとべとさん」という名前になったり、「べとべとさんとぶるぶるちゃん」という名前になったりしたが、ここではパンジーという名義で統一する。パンジーはgaiaで主催ライブをする前に、国道一号線のとある交差点の北東にあったすみや(同じ交差点に「すみや」というグループのお店は三店舗あり、北東にあるのが楽器屋とスタジオ、南東がパソコン館、南西がCD屋だった���ちなみに北西はファミマ)の二階のスペースで開催されていた”Get in Live”(「入れライブ」て)で2回演奏した事があった。その二回のライブを経て、我々はライブハウスなどでも演奏したい!と思ったのだ。普通はブッキングライブに出よう、となりそうなもんなんだが、そういう仕組みは知らなかったのかな。あと沼津にはそういうライブハウスが多分なかった。三島にはゴリラハウス、富士にはアニマルハウスというライブハウスがあって(動物ばっかり。かわいい)、多分ブッキングライブなどもやっていたと思うが、我々は沼津市民だから沼津でライブしよう、レペゼン沼津!…と思ったのかな?忘れました。
中学生で主催ライブを行うなんてもの凄いことのような気がするが、細かいことは全然覚えていない。ここから先は(何ならここまでも)すべてうろ覚えですので、そこんとこよろしくお願いします。我々も含めて多分バンドは四つ出た。パンジーと飲波波波(ヤンパパパと読みます。金岡中のバンド)とあと二つのバンド(名前は失念)。もちろん昼の時間帯。私たちはなぜか最初に出たような気がする。演奏は多分めちゃくちゃ。コピーがメインだけど、オリジナルも演奏したような気がする。演奏が終わって誰かに「お疲れ様です」って言われて、「わあ、ミュージシャンみたい!」って嬉しかった記憶がある(そこ?)。クラブを借りるお金を捻出するために前売りチケットを売ったと思う。チケットはgaiaの人がデフォルトみたいなやつを作ってくれたのか、我々で作ったのか覚えていない。当日券で来る人もいた気がするが、いずれにせよライブの途中から適当になり、最終的にはフリーライブみたいになった。めちゃくちゃお客さん入ってた。そしてほとんどの人が煙草を吸っていた(みんな中坊。高坊もいたのかな?)。ライブはかなり盛り上がっていたと思う。gaia使用料の精算時、あんなに人が入っていたのに、お金が少し足りなかったので、「どうしよう…」となっていたら、対バンの誰かが「なに?足りないの?じゃあちょっと金作ってくるわ」と言って街へ消えていき、金を作って戻ってきた。お金って作れるんですね。全て終わって最後にみんなでフロアを掃除した。めっちゃ吸い殻落ちてた。あんなに大量の吸い殻を見たのは、四十年近く生きてきたがあの時だけである。
確かに今でもこんな主催ライブをしたのはあんまり信じられない。というか飲んでる時はこんなに細かく話していない。細かく話せば良かった。絶対盛り上がったのに。あとこの文章を書くに当たっても、あの時話しておけば、視点がもうひとつ増える事で正確性を増す事ができたのに。またしても後悔。後悔ばっかり増えている。酒の席の反省なんてしてはいけないのかもしれない。
つづく
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2024年6月13日木曜日
病院の待合室にて20
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(2)
まだ13時過ぎなんだけど。楽しいのになぜか時間が過ぎないという、最高なような不気味なような現象が起こっていた。でも大丈夫。鳴門といえば渦潮だから。まだ渦潮見てないから。徳島と淡路島を結ぶ大鳴門橋、その橋の中がトンネルのようにくり抜かれており、そこに遊歩道が作られていて、鳴門の渦潮に徒歩で近づく事ができる、その名も『渦の道』。そこに行くことにした。私は多分行くの3回目ぐらい。結構好きな観光スポット。たくさん歩けるし。渦が見えるかもしれないし(満潮とか干潮とかちゃんと渦が出るタイミングを狙わないと見えない事が多い)。
渦の道に車で向かっている道中では、私達はフィッシュマン��の話をしていた。Tくんは中学生の頃からフィッシュマンズを聞いていて、これは私の当時の感覚だと相当早かったように思う。私たちが13歳から15歳というと、1997年から99年に当たる。フィッシュマンズにとっては、『宇宙 日本 世田谷』、『8月の現状』、『���らめき IN THE AIR』、男達の別れツアー、佐藤さんの逝去、そしてライブ盤『98. 12. 28 男達の別れ』という激動の3年である。今でもありありと思い出せるTくんの部屋には、フィッシュマンズのCDが何枚か置かれていて、私は『ゆらめき IN THE AIR』や『宇宙 日本 世田谷』のジャケットを見て、かっこよいと思ったりしていた。私はTくんに、最近フィッシュマンズが海外で高く評価されていて、音楽の食べログことRate Your Musicでも『男達の別れ』が金字塔のように扱われていたり、ついこないだもPitchforkのSunday Reviewで『ロングシーズン』が採り上げられていたんだよ、と早口でまくし立てていた。どうして早口になったかというと、こんな話ができる人はあんまりいなくて(でもよく考えると今も私の友達でいてくれてる人は、多分この話みんなできる)嬉しくなっちゃったから。Tくんはそういったことを全然知らなかったが、東京から福岡までの飛行機の中で『ロングシーズン』を聞いていたらしい。無意識で世界とシンクロしていく人間。ホンモノとはこういう人のことを言うのだと思う。
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「そのピッチフォークのレビューでね、「走ってる…」のところが”Driving…”って訳されてたの。あれって車の歌だったの気づいてた?よく考えたら夕暮れ時を二人で走って東京の街のスミからスミまで行かないよね」
「気づいてなかった!そっか」
Tくんに「どうしてフィッシュマンズ聞くようになったの?」と尋ねてみた。きっかけは、彼がかつて好きだった女の子、彼がバンドをやってる時に歌にまでした女の子が、フィッシュマンズを好きだったことだという。Tくんは最初に『Neo Yankees’ Holiday』を買ったらしく、一枚目としてはまあnice choiceだと思うのだが、その女の子は「まあ、あれもいいよねー」ぐらいの感じだったらしい。Tくんがすばらしくnice choiceであるためには、いわゆる世田谷三部作に手を出さなくてはいけなかったのだった。そして私はこの話を聞きながら、こんな素敵な話は、当然むかし一度聞いたことがあったのを思い出していた。でもそんなことは言い出せずにいたし、こんな話は何度聞いたって素敵なのでよかった。
渦巻は巻いてるのか巻いてないのかよく分からなかった。私が行く時はいつも、巻いてるのか巻いてないのかわからない状態である事が多い。時間とか潮の満ち引きとか考えず、適当に行ってるからだと思う。橋をその内側から見るのも、私は楽しいから大丈夫なのだが、相当歩いたので疲れてしまった。もう一箇所、鳴門には霊山寺という四国八十八箇所巡礼の一番札所であるお寺があり、そこも観光名所として有名なのだが、疲れてしまったので、行くかどうかを決める会議が私とTくんとで開かれた。そして、入るかどうかは別として、ドライブがてら行ってみようとなった。なんとなく高速に乗りたかったので、鳴門北ICから板野ICまで乗ろうと思った。せっかくだから音楽をかけようと思い、Apple Musicで、『はじめてのフィッシュマンズ』というプレイリストを掛けた。一曲目は『いかれたBaby』だった。やっぱり初めて買うフィッシュマンズは『Neo Yankees’ Holiday』で全然いいと思った。ほとんど誰も走っていない高速に、少し傾いてきた陽の光が射して、そこに音楽が混ざって気持ちよかった。鳴門の街のスミからスミまで、僕ら半分夢の中…もちろん運転中だから完全覚醒中だったけども。Tくんを無傷で東京に帰す事も運転手としての責務である。
高松道を降りて、霊山寺に着くまでの間に少しだけ、音楽ではなく、Tくんの私生活について話す時間があった。その内容については当然ここに書く事は出来ない。唯一言えることと言えば、Tくんは本当にエンターテイナーだということだけである。
霊山寺に来たのは私個人としては2回目だけれど、記憶よりこじんまりとしていたので、車から降りて参拝することにした。霊山寺は天井から多数の灯籠が吊ってあるのがとにかく綺麗でかっこよいのですが、それをTくんに見てもらえてよかった。ここは八十八箇所巡礼の一番札所なので、RPGの最初の町のように、お遍路さんになるための装備品、白衣や輪袈裟や遍路笠や金剛杖や納経帳などが全て揃えられるお店があり、入って眺めていると、「僕、数珠とか持ってないんだよね」と言って、Tくんが数珠を買おうとしていた。お店の中なのであんまり言えなかったが、数珠はいちばん安価なもので1600円くらいして、上は8000円くらいするものもあり、私は「高くない?」と思っていた。「数珠は高い方がいい。法事の価値観ではそう定義されています」みたいのは聞いたことがないけど、まあ本人が納得してたらいいか。Tくんはいちばん安価ではあるがしっかりしていると思しき数珠(数珠の審美眼など私にあるわけないけど)を購入していた。法事の度に私と四国のことを思い出すか、あっけなく失くすかのどちらかになるだろう。
午後三時を過ぎたので、本日宿泊予定のビジネスホテルにチェックインすることが可能になった。ホテルは徳島市内にあって、ここから三十分くらい。いったん。いったんチェックインしてみようか。しなくてはならないことを早めにやって、気持ちに余裕を蓄えていこうじゃないか。ホテルまでの道中では、Tくんがやっていたバンドについての話をしたと思う。彼らが発表したCDやCD‐Rのうち、私が一番好きなのは最初のミニアルバムである『ワンダフルまたはフレッシュ』、二番目に好きなのはその次のミニアルバムの『ギターでおしゃべり』という作品で、初めてこれらの音源を聞いた私は感動のあまり、この二枚の解説を頼まれもしないのに書き上げ、それがバンドのウェブサイトで公開されるということがあった(追記:改めて思い返すと、一枚目の『ワンダフルまたはフレッシュ』には解説を書いていないような気がしてきた。二枚目の全曲解説は書きました。これは間違いありません)。私はあの解説を書いたことを、どちらかと言えば良かったことだったと思っているが、割と最近になって、解説を書くのではなく、バンドにインタビューをした方が良かったのかもしれないと思ったのだった。なぜなら例えば、私が彼らのレパートリーで一番好きなのは、最初のミニアルバム所収の『湯河原で男女』という曲だが、このマジカルな曲をどうやって書き、どうやってアレンジし、どうやって録音したのか、ということをあいつらは絶対忘れてしまっているからだった。そういうことをつぶさに訊いて、記録に残しておけば良かった。誰のために?もちろん私のためにである。他の人も読みたかったら勝手に読めばいいと思うけど。一応車の中でTくんに『湯河原で男女』を書いた時のことを訊いてみたが、やっぱりあんまり覚えていなかった。しかし、彼自身のこの曲についての解釈と、自分自身の作家性への分析のようなものが聞けたので、それは嬉しかった。それをここで書いてもいいのだが、彼のバンドは一応現在「曲作り中」であるらしいので(12年くらい曲作り中みたいです)、万が一の時のために書かないでおく。なんか種明かしっぽくなりそうだから。他にも『国鉄に乗って』という曲を書いた時の大変面白いエピソードなどを聞けたので、ファンの私は大満足だった。まあ話に夢中になって、途中かなり道を間違えたりしたが、言わなかったので多分ばれてないと思う。土地勘の��い人とするドライブにはこういう好都合な面がある。あと売るほど時間があるから大丈夫。時間の叩き売り。持ってけ時間泥棒。
つづく
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2024年6月1日土曜日
病院の待合室にて19
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(1)
「5/18(土)の午後か5/19(日)って空いてますか?徳島行ったら会えるなら安倍さんに会いたいです!」
「Tです」
Tくんからショートメールが来たのは4月の19日だった。彼と最後に会ったのは2018年に挙げられた彼の結婚式だったから、もう6年振りになる。その間一回だけ私が酔っ払って電話をかけたことがあるのだけど、連絡を取ったのはそれだけ。だから「Tです」とだけ書いてある2通目のショートメールが来たのは、こちらが電話番号を電話帳から消したりしていた場合に「誰だろう…」となるのを予め防ぐための措置だと思うのだが、私はあんまり電話帳をいじったりしないから、大抵、相手が誰かわかっているのである(と言いつつもこないだ前職の会社の人間の電話番号をあらかた消してしまった。理由は、私の兄貴が前職の会社ないしは会社の人間��電話をかけようとしたためです。兄貴というのは私の別人格ではないかと思っているなにかの、便宜上の名前です)。
「空いてるよー 会おうね」
という、私には珍しく窓を全部開け放った日本家屋くらい風通しのよい返事をして、私たちは会うことになった。5月の18日に会って、19日に別れる。18日は私が空港に迎えに行き、移動はそのまま私の軽自動車を使用する。ドライブしたり観光したりして、夜は徳島の歓楽街、栄町とか秋田町とかで飲むので、2人ともビジネスホテルに泊まる。帰りは私が空港まで送る。計画は以上である。前日になってもお互い「明日よろしくね」みたいなメールはしなかった。だって私たちが中学生の時は携帯電話なんて無かったんですよ。そんなもの無くても会えていたし、来なかった時は、なんか会えなかったな、マルサン寄って帰るか、くらいのことにしていたのである。まあでも、前日に軽い挨拶くらいはした方がいいのかもしれない。2人とも今年で40知っとるけのけだし。親しき中にも礼儀みたいなことで。まあいくら後悔したところで、しなかった事実は揺るがないけどさ。
無事に5月18日は訪れたようだったので、私は軽自動車を飛ばして、「踊る阿呆に飛ぶ阿呆、同じ阿呆なら飛びながら踊らにゃ損々、ってそれだと意味変わってきちゃうね」でお馴染みの徳島阿波おどり空港にやって来た。空港に入ると、彼が乗ってくるであろう10時55分着の便が、到着の掲示板に「順調だからたぶん時間通りに着くよ」みたいな情報と共に載っていたのだが、「福岡発」となっている。てっきり東京から来ると思っていたのだけど、それに対しては特になす術もないのでベンチで待っていた。すると中学生の頃から、全く変わっていないシルエットが、全く変わっていない動きと共に現れ、あのいわく言い難い独特な調子でこちらに手を振りながら走ってくるではないか。これはTくんに違いない。T氏来徳である。手には明太せんべいという福岡っぽさと味の間違いなさの最大公約数みたいなお菓子の紙袋を持っており、こちらに渡してくる。「ありがとう!よく来てくれたね!福岡から来たの?」と尋ねると、会社の出張で福岡に行っており、仕事が終わって福岡の親戚の家に泊まり、ついでに徳島に寄ったという。地理にお詳しい皆さんはなんとなくお気づきかも知れませんが、福岡→徳島→東京はあんまついで感のない行程である。しかしそれに気づかなかったことにより再会を果たせたので、本当に良かった。挨拶もそこそこに私の黄色いオンボロ軽四に乗ってもらって、当てもなく出発した。
徳島空港は、住所的には徳島市ではあるものの、その北の端の松茂という場所にあって、そこは私の前職の高知在住の先輩に言わせれば「もうほとんど鳴門」である。だから『くるくる鳴門』に行くことにした。道の駅の。近かったから。めっちゃ混んでた。車が順番に並んで待っているのを見るとさすがに焦る。しばらく並んで警備員の誘導に従って車を停め、中に入り外に出て、車に乗った。めっ混み。やめました。徳島ラーメン食べようね。鳴門病院という名前の、「鳴門になかったら嘘だろそんなのTDLだろ」と言うほかない病院のそばに、『三八』という、気合の入った漫才コンビの全国ツアーのタイトルみたいなラーメン屋があるのを私は知っていたので、そこに行った。
そのラーメン屋に入る頃にはもう、私たちは音楽の話をしていたと思う。私もTくんもかつて音楽をやっていた。人前でライブをしたりしていた。もう12年くらい前のことである。そもそも私とTくんは、静岡県は沼津市という街に住んでいた中学生の頃にバンドを組んでいた。それが高校2年生くらいの時に自然消滅してしまって、Tくんは自分のバンドを組んで音楽をやっていくようになった。私のほうはひとりでやっていこうとして曲を書いたりしていた。ふたりとも進学を表面上の理由にして上京したり。もう遥か昔のことである。私とTくんはバンドを組んだぐらいの頃からほとんど、音楽とそれにまつわる諸々の話しかしたことがない。だから…だから?だからなのかはわからないけど、すぐに音楽の話になってしまう。この日もそうだった。最近何聞いてるの?という話になってしまった。恐ろしい。何年も会っていなくても昨日まで一緒にいたみたいに話ができる友達、そんな凡庸極まりなくて、それでいてかけがえの無い友達がいたんだ、私にも。知らなかった。
Tくんがラーメンに続いてあまりにもスムーズに瓶ビールを注文したのを聞いて私は大笑いしてしまった。ずるい。運転しないからって。コップは二ついりますか?とか聞かないでいいから店員さん。Tくんのお父さんは車を運転する時にあろうことか缶ビールをドリンクホルダーに装填するようなドリーミーな人間だったけど、私は違うから。最近のTくんはSpotifyで音楽を聞いているようだった。まず聞きたい曲を聞いて、その後はSpotifyがこれも好きなはずだ!と次々に掛けてくれる曲を聞いているらしい。好きじゃない曲は(厳密にいうと好きじゃないミュージシャンは)飛ばすという。あまりにも12年前の続きだったせいか、何を話したのかあんまり覚えてないのだけど、この辺で我々はサニーデイサービスを褒め称えたと思う。サニーデイは素晴らしい。サニーデイのライブ見たい。今のサニーデイのライブ見たいよね。我々にそのように思わせてくれるサニーデイよ、ありがとう。三八を出た後セブンイレブンに行ったのだけど、Tくんはせっかくだからとコンビニのコーヒーを買っていた。かわいいやつめ。
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この時点でまだ12時10分くらいである。やばい。中学生くらい時間ある。あの頃と違って油断すると飲み屋に入店しそうなので次の場所に行かなくてはならない。鳴門…鳴門鳴門…競艇場だ!
と思って行きました。初めて行った。入場料100円取られるの知らなかった。食堂に蛭子能収さんのイラスト付きのサイン色紙が飾ってあったのを、Tくんが見つけてくれた。最近…リニューアルした…のかな?内装がものすごく綺麗だった。でもいい感じにヨレヨレのおっさんがいっぱい座っており、生きた阿波弁がたくさん飛び交っている。Tくん聞こえるか。これが阿波弁だ。ようこそ徳島へ!
一応賭けてみることになった。Tくんはギャンブルはしないらしい。私はTくんを待つ間に空港から一番近いパチ屋で4500円分の景品を取ったんだけど、��れはギャンブルじゃないから…2人ともギャンブル初心者だね!破産しないようにしよう。
それにしても競艇についての知識がない。買い方もあんまりわからない。舟券を買うためのマークシートの塗り潰し方も相当手探りである。我々はわざとらしく声をひそめて相談しあう。「ねえ…ボックスってなに…?」「しらない…」「…なんて?」「…わかんない!」マークシートを券売機にぶっこむと600円寄越せと言うので支払う。券が出てきた。何もかもわからないので、舟に乗ってる人の名前を見て決めました。この日は女性のような名前の人ばかりが舟に乗っていました。理由は分かりません。
私は入場料も含めて1300円失くしてしまった。Tくんも同じくらい失くしていたような気がする。そもそも舟が何周するのかもわかっていないので、まだゴールしてないのに「なんだよー!くやしいー!」と言ったり、もうゴールしているのに「あるある!まだあるぞ!」と言ってたりしていて(主に私が)、地獄だった。Tくんは競艇用語を携帯で調べて教えてくれて優しかった。私はロレッタセコハンのアルバムに『まくり差し』というのがあったね、聞いたことないけど、という豆知識を挟み込んでいた。音楽の話やめてお前も調べろよな。そういうとこだぞ。楽しかった。
つづく
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2024年5月14日火曜日
病院の待合室にて18
杉は悪くない、もちろん檜も、ついでにダニも
私は花粉症で、特にスギとヒノキの花粉が飛んでいるとくしゃみが出るのと、それ以上に目が痒くなり、顔も赤くなったり痒くなったりしてしまう。だから、私は2月の下旬から5月の上旬にかけてあまり外出しないようにしている。外出する場合は必ずマスクをする。本当は水中メガネのようなものを着けたり、目出し帽のようなものを被ったりしたらさらに良いのかも知らないけど、それはそれでストレスになる。アレルギーにはストレスも良くない。だから春の間は、ずっと地雷メイクをしてるみたいになる。まあ実際に泣いているから地雷メイクをするというか地雷女になる。泣いてるの。春の間ずっと。あなたのせいで。
でもスギは悪くない。もちろんヒノキも。何らかの理由で、恐らくはどなたかがまとまった金を手にするために、やたらめったら植えられ、そのせいでもう大量の花粉が飛び、さすがに入ってくる量が多すぎじゃないかと身体が判断し、アレルギー反応を起こし、花粉症の人間が出来上がる。スギやヒノキはまさかそんなことになると思っていない。時期が来たので花粉を飛ばす。それだけだ。我々花粉症患者は、それを避けるために、外出を控えたり、マスクをしたり、ゴーグルや目出し帽の代わりに薬を飲んだりしてごまかすのである。誰も花粉を咎めないし、花粉を避けようとするのも非難されない。アレルギー体質の人間がアレルゲンを回避しようとするのは当たり前のことである。
だから私は回避する。何を?人間を。私には苦手なタイプの人間がいる。例えば、決めつけて来る人間。私に対して、「君はこれこれこういう人間だね。だから駄目だ。直した方がいい。若いうちなら直せる。早い方がいい。私くらいの歳になったらもう直らないよ」。本当に勘弁してほしい。全く当たってない。当たってたとしても言わなくていい。言われたくない。反論だってできますよ。全力で反論してやろうか。本気を出したら逆にお前の骨の髄まで否定することだってできる。私にはわかる。お前の言われたくないことが全てわかるんだ。それを「そんなこと言ったらちょっと可哀想かな…」という私の良心が堰き止めているだけだ。私が本当はどう思っていようと関係ない。お前が言われたくないことを端的に指摘するだけで、お前は怒り狂うだろう。その顔も見たくない。赤く血管の浮き出たお前の顔、赤ならまだしも紫色に変化していく中年の、シス男性の、ヘテロセクシュアルのセックス依存症の、全く自分の思う所に疑問を持って来ず、周りも面倒だから指摘して来なかっために全く改善されなかった、そんなお前の内面を3Dプリンタで削って人間の顔面のような形にし、欲望のままに食らった塩と油でギトギトにした馬鹿みたいな飯が循環をまずくしてしまうことで作り上げた汚く鮮やかなお前自身の血液の色である赤紫色をぶっかけて、クソ退屈な1000円カットが量産している髪型をその上から叩き込んだ貴様の顔を見たくないんだ。わかるか?これがアレルギー反応だ。貴様というスギ花粉やヒノキ花粉、いや、ダニが俺のアレルゲンなんだよ。お前が俺の目の前から立ち去った後も、お前が残していったアレルギー反応と俺は戦わなくてはならない。オカマ?気持ち悪い?それでも男か?クネクネすんな?結婚してない?子ども作んねえの?モテねえか?マザコンか?ずっとサボってきたんだもんな?メンヘラが?うつ病が?神経症が?お前みたいな奴は国の恥だ?売国奴だ?国から出ていけ?死ね?ひとりで死ね?こうした言葉が、お前が去って家で何も考えずにハイボールの500缶を飲んでいる時も俺の頭の中では鳴り響いている。ずっとだ。皮膚がアレルギーで炎症を起こした時、絶え間なく痒みと痛みが続くように、ガンガン鳴り響いている。私はステロイドに似たようなものを探して、それが安定剤なのか、漢方薬なのか、抗うつ剤なのか、睡眠薬なのか、本なのか、CDなのか、とにかくなにかのアートなのかはわからないけどそうした炎症を抑えるものを探している。そうしたもので何とかしないと、ずっと心臓の動きが早いし、目からは血液が透明になったものが流れそうなんだ。お前なんかに何がわかる。私の何がわかる。お前らには何にもわからない。わからないくせに、ひとつも真剣に考えたことなどないくせに、私を定義するな。私に物語を押し付けるな。私をお前のちっぽけな価値観に幽閉するな。いっそお前も道連れにしてやろうか。お前のちっぽけな価値観にお前自身を引き摺り込んで、檻ごと海に落ちてやる。
ダニは悪くない。一生懸命生きてきた部分もある。ダニを作り上げたのはダニ自身では勿論ない。ダニを作り出したのは環境である。周りの人間であり、出来事である。ダニを責めてはいけない。それならどうするか?離れればいい。ダニがいるところにはいかない。そこにいるダニを駆除するのでは遅い。ダニの死骸もアレルギーになる。だからダニと接触しない環境をつくる。ダニが近寄りたいと思わないようにする。こちらからも出向かない。人間が集まりそうなところには出向かない。どの人間がダニかわからない。そこには天使がいるかもしれない。人魚がいるかもしれない。でもダニもいるかもしれない。ダニに接触するのは絶対に避けたい。だから行かない。人混みには近寄らない。繰り返しになるが、ダニは悪くない。生きているだけだ。これは私のコミュニケーション拒否になるのだろうか?もっとしっかり他人と向き合った方がいいのだろうか?そういう人ともしっかり話し合って本当の相互理解というものを実現した方がいいのだろうか?私はもう信じない。アレルゲンにわざわざ近づく人は医師からきつく言われるだろう。アレルゲンに接触しないことで、アレルギー反応が出ないようになり、最終的にアレルギー体質でなくなる人もいる。それを目指すべきである。わざわざ近づいてどうする。それと同じこと。私には家族がいるし、友達も(すこし)いる。もう無理に新しい知り合いを作らなくていい。そうすることで、逆に誰とでも打ち解けるという可能性も、どういうからくりかは分からないが、あるかもしれない。とにかく当面の指標はそれである。とにかくアレルゲンを避けること。アレルゲンを責めても仕様のないことなのだから。それこそがアレルギー体質の人間の行動指標なのである。
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2024年5月2日木曜日
病院の待合室にて17
夏だって
私にとって五月になったということは、花粉の季節が終わったということだ。気分はほとんど夏。実際にはいったん梅雨が挟まるのであるけれど、スギ花粉とヒノキ花粉を目の敵としている私としてはかなり解放感があって、夏だなーって気持ちになる。夏だって。夏なんか来るんだね。私のところにも。
先週の木曜日に、通っていた脱毛サロンで癇癪を起こしてしまったので、そこに通うのはもうやめて他に移ろうか、だったら医療脱毛だよね、ていうかなんで最初から医療脱毛にしなかったの?だって医療脱毛とか知らなかったんだもん、ということで、医療脱毛のできる病院に来ている。ここは、かつて巨大な布を天井などに付いているレールに吊ったり外したりする仕事をしていた時の、取引先だった���院なので、すこし懐かしい。ブラインドを洗うために確保されたスペースが狭くて大変だった。内視鏡室がなかなか空かなくてカーテンを持ったまま結構待った。今待っているのも同じ待合室である。そういう記憶もいつかなくなってしまう。まあ、これは比較的なくなってもいい記憶だけど。
夏だって。どこに行こう。無職だから時間がものすごくあるよ。こんな風に時間があったらあなたはどこに行きますか?どこでも行ける。夏は、私にどこでも行けることを思い出させる。実際にはいつだってどこだって行けるんだけど、なんか忘れてしまっている。
診察が終わった。今日はカウンセリングだけだから早かった。軽い感じのお医者さんで、ふつうは四回くらい通って脱毛して、あとは気の済むまでどうぞ、という感じだった。カジュアルでいいような気がした。そのつど支払いなので、なんだったら一回でやめてもいい。楽ちん楽ちん。
明日解約する脱毛サロンには6回通っていて、髭以外は結構つるつるである。誰に見せる予定もない裸。毛がなくなって食べやすくなっただけかもしれない。髪の毛はあるけど、どうせ頭なんか捨てるでしょ。夏だから泳ぎに行く?海に。車で。女の子と。永遠でも見つける気なの?
再来週末に友達が徳島に遊びに来てくれる。この人は女の子じゃないから永遠は見つからないと思うけど、楽しみ。夜は信じられないくらいビールを頂こうと思う。ビジネスホテルも取って、準備万端。それにしても、なんで徳島なんか来るんだろう?全然聞いていない。なぜか聞く気も起きない。車で迎えに言って、その後どこに行けばいいのか。積もる話を話せばいいのか。彼とは遊びに行ったことがほとんどないような気がする。東京タワーで蝋人形館に行って、出たところにあったお店で試聴機に入っていた何十枚かのCDを、隅から隅まで試聴して、2枚だけ選んで買ったら、店員のお姉さんが「こんなに熱心に試聴する人いないから」と、お店の名前が入ったライターをもらった。それくらいしか遊びに行った思い出がない。遂に思い出を更新する時が来たのか。時は来た。
昨日ショートメールで聞いたら、彼はまだホテルを取っていないということだったので、私が一緒にとってあげた。「タバコは吸わないけど喫煙の部屋でもいいよ」と言っていて、タバコやめたんだと思った。私もタバコはやめてしまった。あの時もらったライターも、もうどこかへ行ってしまった。
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2024年4月22日月曜日
大丈夫
名前も知らない彼女の冒険の話。いつも優秀な姉と比べられていた彼女は家出をした。絵の勉強をしたくて高松から和歌山の方へ行くつもりだった。和歌山に彼女の憧れの絵描きがいたから。連絡も取ったことがあるから大丈夫。とても綺麗な顔立ちの少女が着の身着のままで家を出る。一応大きなトランクに荷物を詰め込んで。なぜ旅立ちの日が冬の雪の降る日だったのかは知らない。天気はいつも思い通りにいかない。野良猫の出産の日に雨を降らしたり、疫病が流行ってるのにピーカンにしたりする。彼女はトランクから着れる服全てを出し、小さめの衣服から着ていき、重ね着でまんまるになった。まんまるで駅のベンチに横たわる。夜だから。朝が来るまで、始発が来るまで横たわる。雪が降っている。悪意が示し合わせたように雪が降っている。まあ別にこのままあの世行きでもいいのかもしれない。どうせこの世に居場所はないし。なんとなく明るくなってきたので、朝が瞼の外に来ているのかもしれないと思って目を開けると、知らない男の人と目が合った。
「大丈夫だったの?」
「私その時、髪短かったんですよ、だからよく男の子に間違えられて。その時もそれで大丈夫でした」
そんな訳ないと思うが、彼女の話だと大丈夫だった。寒くて雪が降ってるから大丈夫かなと思った、俺も家がないから気持ちがよくわかった、とにかく心配になったと、捲し立てるように彼女と同じくまんまるになった年老いた男は言ったのだった。やがて始発電車が来て、彼女は和歌山に向けて出発し、和歌山に辿り着き、憧れの絵描きの家に押しかけ、住み込みの弟子のようになり、やがて師匠と喧嘩別れして、今はマッサージの仕事をしながら、絵を描いている。Instagramに絵を載せているんです、と言うので見ると、釣り堀の壁に描いた、綺麗な魚の絵が載っていた。
「すごく上手なんですね」
「このくらい描けるひとはいくらでもいますから」
彼女はとても綺麗な顔立ちをしているので、それを褒めると、でも姉の方がもっと美人なんです、と言う。このセリフを何度も言っているのだろう、妙に生気の抜かれたその声は、サンプラーにアサインされたボイスサンプルのようだった。他のボタンにアサインされていたのが、このくらい描けるひとはいくらでもいますから、だった。そのInstagramには筋骨隆々の、退屈な柄のタトゥーが入った太い腕をタンクトップから生やし、首元に金ネックレスを光らせている男性が映っていて、誰かと聞くと彼氏だと言う。格闘技やってるんですよ、とのこと。
ねえ
どうせあなたも
最後にはつまんない男と結婚しちゃったりするんでしょ
あなたは私の憧れだったのに
くだらない
とにかくうまくいかなかった。何もかも思い通りにならなかった。でも今の私は、元気になっていってる。大丈夫。普通に考えたら四十歳で無職ってやばい。しかも六ヶ月くらい何もしてない。何もしてないことはないけど、その内容を詳細に話して他人はきっとこいつなんもしてないと思うだろう。でも大丈夫。私は前に進んでいる。毎日全力で生きている。そう思える。四十歳で無職で無資格(車の免許以外)で無気力だったのが、四十歳で無職で無資格(車の免許以外)になっている。大丈夫。これだけ冷静に分析しても死にたくならない。地獄だと思わない。何もうまくいってない。でも私は大丈夫。天気と元気を聞き間違えてしまうおっちょこちょいだけど、私は大丈夫。前に進める。私は全然元気じゃないのかもしれない、他の人と比べたら。でも大丈夫。前の自分と比べたら元気だから。大丈夫。大丈夫だと思える時は大丈夫。そしてこの後大丈夫じゃなくなったとしても、それに対して全力で挑んだかどうかが大事なの。そこが肝腎要。全部やって駄目だったら仕方ない。その時はあの世行きでもいいのかもしれない。この世に居場所なんてなかったってことなんだから。それがわかったというだけでも儲け物だよね。ちょっと!もう5時じゃん!朝がカーテンの外に来ているかもしれない!
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2024年4月16日火曜日
病院の待合室にて16
声を大にして言え ー 私はストレッチとマッサージを自分でするし、誇りもある!
最近ストレッチを始めた。相変わらず無職なので、朝起きて、洗顔やら保湿やら髪を整えたりして、朝ごはんを頂いて、その後に1時間くらいかけて伸ばしている。顔のマッサージもしている。顔のマッサージは少し前から、おでこの皺が気になって始めた。最初はおでこの皺対策のマッサージだけだったのが、今では眉間の皺対策のもの、小顔になるためのものもしている。皺は少し薄くなったかなと思う。もともと浮腫みやすい顔だったので、小顔マッサージをするとだいぶスッキリする(でもすぐ戻る)。
ストレッチを始めた理由はふたつある。ひとつはおでこの皺対策のマッサージをしていて、途中で棒状腱膜というおでこと髪の境目から、首の方まで頭蓋骨を覆っている膜をほぐすという動作があるのだが、この棒状腱膜は首や肩のあたりの膜や筋肉と繋がっているので、首や肩が凝っていると全然ほぐれない。そのため首や肩も伸ばしたりほぐしたりする必要があるからだ。
もうひとつは本を読んでいて、動作や行動がその人を規定するということがあるのを知ったので、アクションやパフォーマンスを狙ったように行うため、身体を思ったように操作できた方がよいのではと思い、まずはストレッチかなと思ってやっている。アクションと言っても飛び蹴りとか蜻蛉返りなどではなく���しぐさや表情や姿勢といった程度のものである。しかしいざストレッチをしてみると、気持ちよすぎてそういったことはある程度どうでも良くなってしまう。私の身体凝りすぎ。特に首。まあこんなにも携帯依存症の私は当然猫背であり巻き肩でありストレートネックである。
そういったマッサージやストレッチはYouTubeを見ながらやっている。無職になってYouTubeの素晴らしさをひしひしと感じている。どうしてこんなにみんな色々教えてくれるんだろうか。収益のため?本当に収益のためだけにこんなに?マッサージやストレッチだけでもものすごい種類と数の動画がある。本業は整体師だったりヨガ・インストラクターだったりインフルエンサーだったりする様々なYouTuberが、それぞれこれがベストだという方法を教えてくれる。
私は小さい時から人に聞いたり教わったりという事が苦手だったので、あの頃YouTubeがあったら良かったなぁと本当に思う。メイクもコーデもギターもセックスも何もかも、いったんYouTubeに相談する、ということができたのに。生まれるのがちょっと早かったかもしれない。
人に聞いたり教わったりする事ができないという悩みを話すと、プライドが高いんでしょと言ってくる人がいる。私はこの場を借りて言いたい。そのことにプライド関係なくないですか?なぜこの話になるとプライドを持ち出してくる人がいるのか。まずしっかりプライドを定義してもらいたい。そしてプライドについて定義したのち、人に何かを聞くとか教わるとかいうことは、その人にプライドを差し出す行為なのかどうか、教えてほしい。私はむしろ、高圧的に何かを教えてくる人(下手すると教えてとも言ってない)、「そんなこともわかんないの?」とか「しょうがないから教えてやるかぁ」とか冗談でも言ってくる人の態度の端々に、その人のプライド、いやそんなもんじゃなく不遜で尊大な部分をバッシバシに感じるのだがどうだろう。ぺこぺこ頭を下げて「すいやせんねェ〜教えて下さいよォ〜」と言えば満足なんだろうか?そのくだりいる?時間の無駄じゃない?大体プライドは高いとか低いじゃなくて持ってないと駄目だと思うよ!
そういう教える人は何か得した気分になりたいのかもしれないが、教えるという事は、すでに知っていることをアウトプットすることによって自分の中に再定着させるという意味で、かなり有益である。だからスッと教えてほしい。ノーモーションで。わかりやすく。やる気になる言葉を添えて。それを実現しているのがYouTubeである。YouTube最高。これからもYouTubeで一旦検索するということは続くだろう。こういう何でもかんでもYouTubeに訊ねる人は、たやすく陰謀論に嵌りそうなので、そうなったら助けてください。他人に陰謀論を放棄させる方法は3つ前の記事、病院の待合室にて13でChatGPTに訊いてますので、参考にしてくださいね。
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