#補給艦とわだ
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ari0921 · 4 days ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
   令和七年(2025年)1月7日(火曜日)
    通巻第8584号   <前日発行>
 中国軍、最新鋭ステルス戦闘機を披露、空母も三隻の陣容だが。。。
  この二年間に14人の軍人が全人代から消えた。汚職容疑だ
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 2024年12月26日は毛沢東生誕131年にあたった。中国軍は最新鋭ステルス戦闘機J─36を公開した。いずれドローン攻撃機との共同連携による超近代的な戦争ができるようになると豪語した。
 新タイプの戦艦076シリーズは、はやければ26年末までに就航すると海軍幹部は語った(『サウスチャイナ・モーニングポスト』、25年1月6日)。076は強襲揚陸艦で第一号艦は「四川」と命名された。
近代史を回顧すると、1894年、李鴻章率いるシナの北洋艦隊には外国人顧問団が多数。猛訓練を重ねていた。司令官は丁汝昌である。ドイツから輸入した装甲艦「定遠」「鎮遠」は当時、世界最高最強と言われた。ほかに無数の軍艦。李鴻章の北洋艦隊は偉容を誇示し、日本の海軍なんぞ歯牙にもかけない風情だった。
日清戦争での海戦は黄海海戦と豊島沖海戦で、結果は日本海軍の勝利だった。シナ自慢の定遠は大破、鎮遠は日本が戦利品として鹵獲し、つぎの日露戦争に投入された。
降伏した丁汝昌は敗戦の責任をとって服毒自決、日本側は丁寧に弔い、捕虜を厚遇した。軍人にはモラルがあった。
拠点は山東省青島の北、威海衛の沖合にある劉公島である。ここには江沢民の肝いりで建造された甲午戦争博物館がある(中国では日清戦争とは呼称しない。甲午戦争と命名してはいるが日本に負けたとは展示パネルには書かれていない)。
 現在の中国海軍は空母三隻に原潜、上陸強襲艦、駆逐艦、巡洋艦など盛大な装備を誇り、空軍はアメリカのF22と並ぶ第六世代のステルス戦闘機のパイロット飛行に成功、また宇宙ロケット軍は米国より先に月の裏側に着陸し、有人宇宙ステーション、無数の通信、偵察衛星にくわえてキラー衛星も配備している。
 
壮大な軍事力である。アジア太平洋からインド洋を脅かす軍事的脅威となって西側の前に立ちふさがった。
 さて、似ていないか。「張り子の虎」のはったり、日清戦争前夜の光景に。
 空母が典型だろう。搭載機はスキージャンプで離陸は出来るが着陸がむずかしく、すでに訓練で六機が着陸に失敗し、パイロットは死亡した(うち一名は女性だったとか)。そこで垂直離着陸機を投入したら甲板に穴が空いた。二千度の高圧に耐えられる鋼材、特殊鋼ではなかった。いずれも故障ばかりで、一度訓練航海に出ると半年か一年はドックにはいる。
 空母一号は『遼寧』、ウクライナから鉄の塊を曳航し、十年かけて艤装工事を行った。二号空母は「山東」でおなじくスキージャンプ型である。
 三隻目の空母『福建』はカタパルト方式だが、訓練の模様をなかなか公開しない。どのていどの技術を計測できないと米軍専門家はいう。
 ▼西側から盗んだ技術を活かす能力が欠如している
中国のハッカーがいかにして不器用な泥棒から軍事兵器を模倣するまでに成長したか。「米国のインフラと通信に対する大規模な『タイフーン』サイバー攻撃は、貴重なデータを収集し、カウンター防諜を阻止し、西側社会を大混乱に陥れることができる態勢を整えた」とサリバン補佐官は秘密会で説明した。戦争は総力戦だから別の手で攻める訳だ。
 バイデン大統領の国家安全保障担当大統領補佐官からのメッセージは驚くべきものだったという。
サリバンは2023年秋ごろに、ホワイトハウスで秘密会議を開いた。その席で、「通信・IT企業幹部に対し、中国のハッカーらが米国の港湾、送電網、その他のインフラ施設を何十カ所も意のままにシャットダウンする能力を獲得した」と語り、「政府は侵入者を根絶するために企業の協力を必要とする」と述べた(『ウォールストリート・ジャーナル』、25年1月5日)。
 寿司職人がちゃんと寿司を握れるようになるには三年かかる。昔は飯炊き三年と言われた。寿司の一流どころの板前さんは十年の修行を積んでいる。
 中国軍が 最新の技術を盗んでも模倣しても、ノウハウがないから、つまり最新鋭の装備、兵器システムを誇示しようとも、それを使いこなせる軍人がいない。技術に追いつけないのである。
くわえて軍内の蔓延る汚職、部品���弾薬のチョロマカシ、横流し。品質管理の欠如。技術を修正し向上させようとする能力が欠如している。
 2024年9月26日の『ウォールストリート・ジャーナル』は同年五月か六月頃に中国海軍の最新鋭原子力潜水艦が「沈没した」と報じた。これは武漢の造船所で発生した事故で「周」級の第一号艦だった。現在までに放射能漏れは確認されていない。
 軍の高官で全人代委員(敢えて西側と比較すれば国会議員だ)のメンバーでもあった14人が、この2年間で失脚し、表舞台から消えた。理由は汚職容疑である。
 中国人は賄賂賄賂賄賂賄賂賄賂の世界だから驚くことはないが、それにしても何と言うことだろう。習近平お気に入りの国防大臣が不在となり、新しい国防大臣も滅多に人前に出てこない。
苗華以下、なだたる軍人は規律違反とかで表舞台からいなくなった。
 
▼中国共産党の空軍創設も日本人パイロットが協力した
 また西側では英・豪の退役軍人らが、高給でルクリートされて、中国空軍パイロットの訓練を指導していたことが判明し、問題となった。
台湾や韓国の半導体エンジニアが、やはり高給につられ、あるいはハニートラップにひっかかって中国の半導体開発と指導をしている。
日本人技術者も千名単位で中国企業に雇われていた。日本の文科省統計では日本の電気メーカーのトップクラスのエンジニアが中国へ196名、韓国へ490名、タイ、台湾へ350名が渡航したとするが、公式統計の三、四倍の日本人エンジニアが各地へ散っている
 思い出すなぁ。フライングタイガーとは米軍の「志願パイロット」が中華民国空軍だといつわって事実上、対日戦で活躍したことを。
戦後の中国共産党空軍は、満州で残った日本人軍人が教えたのだ。
初の中国共産党航空学校「東北民主連軍航空学校」創設は、林弥一郎(関東軍第2航空部隊第4練成飛行隊隊長)が中国共産党中央東北局の彭真書記に要請され、中国空軍の創設に協力したのである。
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kennak · 29 days ago
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私の手元に、古ぼけた書類の束がある。手製の表紙をめくると目に入ってくるのは軍の最高機密を意味する「軍機」の朱印だ。昭和16年12月8日、日米開戦の象徴となった真珠湾攻撃に関する詳細な計画、命令書である。なぜこんなものが私の元に来たのか、そして軍の機密のその中身とは――。 「進藤三郎」という男 昭和15年9月13日、圧倒的勝利に終わった零戦のデビュー戦を指揮し、漢口基地に帰還した進藤三郎大尉 平成12(2000)年2月2日、ひとりの元海軍少佐が88年の生涯を終えた。その人の名は進藤三郎。太平洋戦争に興味のある人ならまず知らない人はいないであろう戦闘機乗りである。 進藤は昭和15(1940)年9月13日、制式採用されたばかりの零式艦上戦闘機(零戦)13機を率い、中国・重慶上空で中華民国空軍のソ連製戦闘機33機と交戦、27機を撃墜(日本側記録。中華民国側記録では被撃墜13機、被弾損傷11機)、空戦による零戦の損失ゼロという鮮烈なデビュー戦を飾った。続いて、昭和16(1941)年12月8日のハワイ・真珠湾攻撃では、空母赤城戦闘機分隊長として第二次発進部隊制空隊の零戦35機を率いた。その後、激戦地ラバウルの第五八二海軍航空隊飛行隊長、空母龍鳳飛行長などを歴任し、筑波海軍航空隊飛行長として派遣先の福知山基地で終戦を迎えた。 戦後はトラック運転手や福島県の沼沢鉱山長などの職を転々としたのち、生家のある広島に戻って東洋工業株式会社に入社、出向した山口マツダで常務取締役まで務めた。 戦争中はその華々���い「活躍」がしばしば新聞にも載るほど著名な海軍軍人だったが、戦後は一転して平凡な会社員生活で、戦争の話はよほど心を許した相手にしか、最後まですることを好まなかった。 進藤が保管していた書類に入る前に、進藤自身の「真珠湾攻撃」について、1996年から99年にかけての私のインタビューをもとに再現しよう。 突然の転勤命令 昭和16年4月、新編された当時の赤城戦闘機隊搭乗員たち。中列中央・飛行隊長板谷茂少佐、その右・分隊長進藤三郎大尉。このメンバーのうち数人は、のちに第五航空戦隊に異動した 昭和14(1939)年、ドイツ軍がポーランドに侵攻したことに端を発する欧州での大戦は、日本がドイツと軍事同盟を結んだことで、もはや対岸の火事とは言えなくなっていた。日米関係は悪化の一途をたどり、昭和16年7月28日、日本軍の南部仏印進駐を機に、アメリカは日本への石油輸出を全面的に禁止、イギリス、オランダもこれに同調する。世にいう「ABCD包囲網」である。 この制裁措置は、石油その他の工業物資の多くをアメリカからの輸入に依存してきた日本にとって、まさに死命を制するものだったった。米英蘭との戦争は、もはや不可避と考えられた。海軍も、極秘裏に開戦準備に入る。 航空母艦赤城、加賀の第一航空戦隊、蒼龍、飛龍の第二航空戦隊を主力に、第一航空艦隊(一航艦=司令長官・南雲忠一中将)が新たに編成されたのは、昭和16(1941)年4月のことである。一航艦は、空母と少数の駆逐艦だけで編成されたが、実戦に際しては、臨時に配属する速力の速い戦艦、巡洋艦、駆逐艦などを合わせ、これが世界初の試みとなる「機動部隊」として作戦に従事することになっていた。 進藤は、機動部隊の編成にともなう人事異動で、南雲中将の座乗する旗艦赤城の戦闘機分隊長に転勤を命ぜられた。進藤の直接の上官、赤城戦闘機隊の飛行隊長は板谷茂少佐である。 「支那事変での長く続いた戦地勤務で、私の体は疲れ切っていました。できれば今度は内地の練習航空隊の教官配置につけてもらえないかと思っていた矢先の転勤命令。空母乗組は“搭乗員の華”、誰もが羨む配置なんですが、正直なところ、はじめはうんざりしましたね」 と、進藤は振り返る。 猛訓練で体が悲鳴を上げていた 機動部隊の旗艦・空母赤城。巡洋戦艦を建造中に空母に改装。当時世界最大級の航空母艦だった 空母搭載の飛行機隊は、洋上訓練や出撃のとき以外は、陸上基地で訓練を行うのを常としていた。搭乗員が揃うと、赤城戦闘機隊は、鹿児島・鴨池基地を拠点に、飛行訓練を開始した。 まずは、搭乗員全員の零戦での慣熟飛行から始まり、着艦訓練の前段階として、母艦の飛行甲板を想定した、飛行場の限られた範囲に飛行機をピタリと着陸させる定着訓練が行われる。5月になると空戦、無線電話、着艦訓練と、訓練もより実戦的になり、空戦訓練は、1機対1機の単機空戦よりもチームワークを重視する編隊空戦に重点が置かれ、2機対3機、3機対6機の編隊同士の空戦訓練が、実戦さながらに行なわれた。吹流しを標的とする射撃訓練も、さかんに行われた。 9月に入ると空母翔鶴、瑞鶴からなる第五航空戦隊が新たに機動部隊に加わり、赤城の搭乗員の一部は五航戦に転勤する。進藤の回想。 「猛訓練が進むにつれ、疲労がどうしようもないほど蓄積してきました。体がだるく、食欲もない。8月には黄疸の症状も出始め、周囲から『君の目は黄色いじゃないか』と言われるほどでした。これはもう、海軍をクビになっても仕方がない、休暇療養を願い出ようと決心したんですが……」 ところが、そう決心した矢先の、進藤の記憶によれば10月1日頃、各航空戦隊の司令官、幕僚、空母の艦長、飛行長、飛行隊長クラスの幹部が、志布志湾に停泊中の赤城の参謀長室に集められ、ここで南雲中将より、「絶対他言無用」との前置きのもと、真珠湾攻撃計画が伝えられた。航空参謀・源田実中佐からは、この作戦に対応するための訓練を急ピッチで進める旨の指示もあった。 少佐の本音 揚子江上空を飛ぶ零戦一一型。進藤大尉が撮影した 「しまった。これを聞いたからには、休ませてくれとは言えないな」 と、進藤は観念したと言う。傍らにいた板谷少佐が、やや興奮の面持ちで、 「進藤君、こりゃ、しっかりやらんといかんな」 と、声をかけてきた。だが、解散が告げられ、基地に帰る内火艇に乗り込むときに、 「俺たちはただ命令通りに死力を尽くして戦うだけだが、その後始末はどうやってつけるつもりなのかな」 と、誰にともなくつぶやいた板谷少佐の言葉がいつまでも心に残った。こちらのほうが本音なんだろうな、と進藤は思った。 昭和16年10月には、戦闘機隊の訓練は仕上げの段階に入りつつあった。訓練項目に航法通信訓練が加えられ、コンパスと、波頭を目視して判断する風向、風力を頼りに長距離を飛ぶ三角航法、無線でモールス信号を受信する訓練などが行なわれた。高高度飛行の訓練も実施され、耐寒グリスを塗った20ミリ機銃による、高度8000メートルでの射撃訓練も行われた。一航戦では、18機対18機の大規模な空戦訓練も実施された。二航戦は9機対9機、五航戦は3機対3機までしかできなかったという。 11月に入ると、志布志湾に機動部隊の6隻の空母と飛行機が集められ、11月3日、南雲中将より機動部隊の各艦長にハワイ作戦実施が伝達された。その日の夜半、「特別集合訓練」が発動され、翌4日から3日間にわたって、全機全力をもって、佐伯湾を真珠湾に見立てた攻撃訓練が、作戦に定められた通りの手順で行なわれた。 〈十一月四日 「ハワイ」攻撃ヲ想定 第一次攻撃隊 〇七〇〇(注:午前7時)発進、第二次攻撃隊〇八三〇発進。十一月五日 第一次〇六〇〇、第二次〇七三〇。十一月六日〇五〇〇ヨリ訓練開始〉 と、進藤はメモに書き残している。11月6日には、戦闘機隊が半数ずつ、攻撃隊と邀撃(ようげき)隊の二手にわかれ、攻撃隊はいかに敵戦闘機の邀撃を排除して攻撃を成功させるか、邀撃隊はいかに攻撃隊を撃退するか、という訓練も行なわれた。激しい訓練で、攻撃隊の九九式艦上爆撃機のなかには不時着する機も出た。 特別集合訓練が終了すると、赤城、蒼龍は横須賀、加賀、飛龍は佐世保、翔鶴、瑞鶴は呉と、それぞれの母港に入って準備を行い、飛行機隊はふたたび、陸上基地に戻って訓練を続けた。このとき、戦闘機が洋上で単機になってしまった場合に備えて、無線帰投方位測定機(クルシー)を使っての帰投訓練が熊本放送局の電波を利用して実施されている。 覚悟を決めた日 第二次発進部隊制空隊(零戦)指揮官・進藤三郎大尉の命令書(軍機) 11月中旬には、各母艦は飛行機隊を収容し、可燃物、私物の陸揚げや兵器弾薬、食糧の最後の積み込みを終え、佐伯湾に集結した。 赤城が佐伯湾を出たのは、11月18日のことである。行動を隠匿するため、出航と同時に、各艦は厳重な無線封鎖を実施した。 空母6隻を主力とする機動部隊は北へ向かい、千島列島の択捉島(えとろふとう)単冠湾(ひとかっぷわん)に集結した。湾の西に見える単冠山は、すでに裾まで雪に覆われていた。11月24日、6隻の空母の全搭乗員が赤城に集められ、真珠湾の全景模型を前に、米軍の状況説明と作戦の打ち合わせが行われた。機動部隊の行動についてはもちろん、攻撃隊の編成や各隊ごとの無線周波数など、詳細な作戦計画が、すでにでき上がっていた。進藤が保管していた機密書類はこの日の日付から始まっている。 11月26日、機動部隊は単冠湾を抜錨、各艦、単冠山に向かって副砲、高角砲の試射を行った。凍てつく空気に、砲声が轟いた。艦隊はそのまま針路を東にとった。 「自信を持って戦いに臨める。しかし、今度こそは生きて帰れないだろうな」 と、進藤は、遠ざかってゆく雪の単冠山を見ながら、しばし物思いにふけった。 時化模様の航海が続いた。護衛の戦艦、巡洋艦、駆逐艦、補給船、潜水艦など、総勢31隻もの艦隊を、隠密裏にハワイ北方までたどり着かせなければならない赤城艦上の機動部隊司令部は緊張の連続だった。 12月1日、機動部隊は日付変更線を越えた。機動部隊は日本時間で行動するので、時差で時間感覚がずれてくる。この日の御前会議で、日本は英米との開戦を決定する。 12月2日、「新高山ノボレ 一二〇八」 という暗号電報が、聯合艦隊司令部より届いた。これは、「X日(開戦日)を12月8日とす」という意味である。開戦は、12月8日午前零時と決まった。ただし、日米の外交交渉次第では、まだ作戦が中止になることもあり得る。しかし反転命令は出ず、矢はついに弦を放れた。 12月8日午前1時半(日本時間)。第一次発進部隊が次々と6隻の空母を発艦した。 第一次発進部隊は、零戦43機、九九艦爆51機、九七艦攻89機(うち雷撃隊40機、水平爆撃隊49機)、計183機で、総指揮官は淵田美津雄中佐である。第一次攻撃では、雷撃隊が二列に並んで停泊している米戦艦の外側の艦を攻撃、水平爆撃隊が上空より内側の艦を爆撃する。さらに艦爆隊は飛行場施設を爆撃することになっていた。 そこらじゅうで火柱が 九九式艦上爆撃機。急降下爆撃を行う 機動部隊の各母艦では、第一次の発艦後、すぐに第二次発進部隊の準備が始められた。 第二次は零戦36機、九九艦爆78機、九七艦攻(水平爆撃のみ)54機、計168機が発艦し、うち零戦1機と艦爆2機が故障で引き返している。こんどは、艦爆が第一次で撃ちもらした敵艦と飛行場を狙い、艦攻が敵飛行場を水平爆撃することになっていた。 赤城から発艦するのは、零戦9機と九九艦爆18機。2時13分、進藤の搭乗する零戦、A1(本来はローマ数字だが、機種依存文字のためアラビア数字で表記)‐102号機は、その先頭を切って発艦した。第二次発進部隊の総指揮官は瑞鶴艦攻隊の嶋崎重和少佐、進藤は、制空隊(零戦隊)全体の指揮官を務める。 「第一次の発進を見送ったときにはさすがに興奮しましたが、いざ自分が発進する段になると平常心に戻りました。真珠湾に向け進撃中、クルシーのスイッチを入れたら、ホノルル放送が聞こえてきた。陽気な音楽が流れていたのが突然止まって早口の英語でワイワイ言い出したから、これは第一次の連中やってるな、と奇襲成功を確信しました」 第一次に遅れること約1時間、真珠湾上空に差しかかると、湾内はすでに爆煙に覆われ、ものすごい火柱が上がっていた。心配した敵戦闘機の姿も見えない。空戦がなければ地上銃撃が零戦隊の主任務になる。進藤はバンクを振って(機体を左右に傾ける合図で)各隊ごとに散開し、それぞれの目標に向かうことを命じた。 「艦攻の水平爆撃が終わるのを待って、私は赤城の零戦9機を率いてヒッカム飛行場に銃撃に入りました。しかし、敵の対空砲火はものすごかったですね。飛行場は黒煙に覆われていましたが、風上に数機のB-17が確認でき、それを銃撃しました。高度を下げると、きな臭いにおいが鼻をつき、あまりの煙に戦果の確認も困難なほどでした。それで、銃撃を二撃で切り上げて、いったん上昇したんですが」 頭によぎった最悪のシナリオ 開戦を告げる昭和16年12月9日の新聞紙面 銃撃を続行しようにも、煙で目標が視認できず、味方同士の空中衝突の危険も懸念された。進藤は、あらかじめ最終的な戦果確認を命じられていたので、高度を1000メートル以下にまで下げ、単機でふたたび真珠湾上空に戻った。 「立ちのぼる黒煙の間から、上甲板まで海中に没したり、横転して赤腹を見せている敵艦が見えますが、海が浅いので、沈没したかどうかまでは判断できないもののほうが多い。それでも、噴き上がる炎や爆煙、次々に起こる誘爆のすさまじさを見れば、完膚なきまでにやっつけたことはまちがいなさそうだと思いました。胸がすくような喜びがふつふつと湧いてくる。 しかしそれと同時に、ここで枕を蹴飛ばしたのはいいが、目を覚ましたアメリカが、このまま黙って降参するわけがない、という思いも胸中をよぎります。私は昭和8年、少尉候補生のときの遠洋航海でアメリカに行き、そのケタ違いの国力と豊かさをまのあたりにしていますから、タダで済むはずがないことは容易に想像できる。これだけ派手に攻撃を仕掛けたら、もはや引き返すことはできまい。戦争は行くところまで行くだろう、そうなれば日本は…………負けることになるかもしれないと、このときふと考えました」 空襲を終えた攻撃隊、制空隊は、次々と母艦に帰投し、各指揮官が発着艦指揮所の前に搭乗員を集め、戦果を集計した。進藤は、赤城の艦爆隊と合流して帰還した。南雲中将が、わざわざ艦橋から飛行甲板上に下りてきて、「ご苦労だった」と進藤の手を握った。 ほどなく、最後まで真珠湾上空にとどまっていた総指揮官・淵田中佐の九七艦攻が帰艦する。大戦果の報に、艦内は沸き立った。しかし日本側にとって残念なことに、いるはずの敵空母は真珠湾に在泊していなかった。 艦上では、第三次発進部隊の準備が進められている。蒼龍の二航戦司令官・山口多聞少将からは、蒼龍、飛龍の発艦準備が完了したとの信号が送られてきた。しかし、南雲中将は、第三次発進部隊の発艦をとりやめ、日本への帰投針路をとることを命じた。 激しい戦闘の代償 日本機の空襲を受けるハワイ・真珠湾の米艦隊 「当然もう一度出撃するつもりで、戦闘配食のぼた餅を食いながら準備をしていましたが、中止になったと聞いて、正直ホッとしました。詰めが甘いな、とは思いましたが…………�� 体調不良を押してここまできたが、ようやく任務が果たせた。緊張の糸が切れた進藤は、そのまま士官室の祝宴にも出ず、私室で寝込んでしまった。 真珠湾攻撃で日本側は、米戦艦4隻と標的艦1隻を撃沈したのをはじめ、戦艦4隻、その他13隻に大きな損害を与え、飛行機231機を撃墜、あるいは撃破するなどの戦果を挙げた。資料によって異なるが、米側の死者・行方不明者は2402名、負傷者1382名を数えた。いっぽう、日本側の損失は、飛行機29機(第一次9機、第二次20機。うち零戦9機、九九艦爆15機、九七艦攻5機)と特殊潜航艇5隻で、戦死者は64名(うち飛行機搭乗員55名。別に、12月9日、上空哨戒の零戦1機が着艦に失敗、搭乗員1名死亡)。米軍の激しい対空砲火を浴びて、要修理の飛行機は100機あまりにのぼった。 ――ちなみに、真珠湾攻撃当時、連合艦隊司令長官・山本五十六大将57歳、機動部隊指揮官・南雲忠一中将54歳、航空参謀・源田実中佐37歳、攻撃隊総指揮官・淵田美津雄中佐39歳、第二次発進部隊指揮官・島崎重和少佐33歳、雷撃隊指揮官・村田重治少佐32歳、第一次制空隊指揮官・板谷茂少佐32歳、第二次制空隊指揮官・進藤三郎大尉30歳、加賀戦闘機分隊長・志賀淑雄大尉27歳、そして昭和天皇40歳だった。 真珠湾攻撃の帰途、二航戦の蒼龍、飛龍は、ウェーク島攻略作戦に参加するため、本隊を離れた。残る赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴は、12月23日から24日にかけ瀬戸内海・柱島の泊地に投錨する。各艦の飛行機隊は、零戦隊は佐伯基地経由で岩国基地へ、艦爆、艦攻は鹿屋基地経由で宇佐基地へと向かい、ここでしばしの休養が与えられた。 進藤は、12月25日、岩国基地から呉海軍病院に直行し、軍医の診察を受けた。診断の結果は、「航空神経症兼『カタール性』黄疸」、二週間の加療が必要とのことで、そのまま入院することになった。十二月三十日付で赤城分隊長の職を解かれ、さしあたって任務のない「呉鎮守府附」の辞令が出る。この日から広島の生家での転地療養が認められ、進藤は、ひさびさに正月を両親と迎えることができた。 再び始まる苦しい戦い 昭和17年11月、進藤大尉がラバウルに向け出発直前、東京駅にて 「海鷲・進藤大尉」の帰郷は誰からともなく近所に伝わり、毎日のように真珠湾の話をねだりに客がやってくる。子供たちは、道で進藤の姿を認めると、憧憬のまなざしで、直立不動になって挙手の敬礼をした。 真珠湾攻撃から帰った進藤は、療養生活を送ること2ヵ月半、ようやく黄疸の症状もおさまり、昭和17(1942)年2月12日、〈大分海軍航空隊司令ノ命ヲ受ケ服務スベシ〉の辞令を受けて大分空に着任。四月一日、戦闘機搭乗員の訓練部隊として徳島海軍航空隊が新たに創設されると、その飛行隊長兼教官に補せられた。 最前線・ニューブリテン島ラバウルで作戦中の第五八二海軍航空隊飛行隊長兼分隊長への転勤辞令が出たのは、昭和17年11月8日のことである。処分しそびれていた真珠湾攻撃の軍機書類の保管を元海軍機関大佐の父に託してラバウルに向かう。五八二空に着任したとき、進藤は新たに部下となる隊員たちに、 「海軍戦闘機隊のモットーは編隊協同空戦だ。搭乗員が戦果を挙げる陰には、整備員や兵器員といった裏方の努力が不可欠である。けっして一人の手柄を立てようなどとは思わず、より長く、より強く、一致団結して戦い抜くように」 と訓示をした。そして、進藤の長く苦しい戦いがここから始まる。
1941年12月8日の「真珠湾攻撃」に「零戦35機」を率いて参加した当事者の「貴重な証言」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
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akirateranishi · 6 months ago
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書籍カバーイラスト
『原子力戦艦「大和」(1) -マレー沖Z艦隊撃破!-』 (林譲治著/電波社)
架空戦記小説。昭和初期、世界情勢の緊張感が高まるなか、海軍技術者の吉田は軍艦の動力として原子力を利用することを思いつく。さまざまな試行錯誤の結果、試験的な原子力機関改装が行われた戦艦伊勢は、最大速度の増加、太平洋を無補給で渡りきる機動力など、艦船にとって非常に強大な力を手にいれることとなった。続いて、思わぬ副産物となった新型爆弾や、蒸気カタパルト搭載の原子力空母を造りあげた日本は、ついに本命とも言える巨大原子力戦艦「大和」を誕生させる。戦艦の原子力機関化に端を発し、次々と新技術を会得した日本海軍は、大和率いる原子力艦隊により、大胆不敵にもハワイ真珠湾への砲撃作戦を決行するのだが……。
2024年7月
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hitujijp · 11 months ago
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要衝を抑えれば他は殆ど関係ない
オレは割と何処へ行っても酷評を受けている訳で、敵対者も多い。いわゆる評価的なものは常に平均を著しく下回っている。客観的に分析するとそう述べる事が出来る。
しかし、それが大して問題にならないのはオレが色々な裏技を使っているからだ。中でもオレが最も重視しており、むしろそれが全てだと述べても過言では無いぐらいの要素が「位置取り」だ。距離と位置、それだけで無能さや評価如き問題無く覆せる。
静かに、影の如く、しかし素早く一番嫌がられる位置を抑えろ。味方にとってその位置に居るヤツはどんなに無能だろうが無碍に出来ないし、敵にとってはその位置に居るだけで身動きを封じられ邪魔で仕方が無い。そういう要衝が必ず有る。
どんなに優秀だろうが適切な位置に配置されないまま、ついに一度も活かされなかった事例など歴史を振り返れば幾らでも有る。例えば一度も日の目を見る事無く時代遅れになり、サンドバッグになった某巨大戦艦の様に。
しかし位置取りをする上で、避けなければならないのは価値の低い位置を避ける事だ。具体的には幾らでも代わりが居て、補給も競合も多い位置は要衝では無い。要衝を確保したら、次にすべきは独占と情報操作だ。共有は甘い汁を吸い尽くすまで考えない方が良い。そして味方は将来裏切り敵に回る存在だと理解し、重要な情報は後になって利用され寝首をかかれない様に秘匿しておく事も大切だ。そうやって自らの位置取りを固めると同時に、しかし固執せず餌として利用し尽くす。
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falseandrealultravival · 11 months ago
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Does North Korea have a concept of logistics? (Essay)(Logistics-7)
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©Thomson Reuters Canada (fools on a picnic)
Modern warfare has three main areas: operations, intelligence, and logistics. The most important of these is logistics, which governs the supply of weapons, food, fuel, clothing, and medicine. It's the most humble field, but in Europe and America, the most talented people become logistics staff.
In preparation for war with Japan, the USA carefully planned for years to cut off Japan's logistics lines and tighten Japan. It's called the Orange Plan. Meanwhile, the Japanese Navy repeatedly practiced fleet battles with the USA. The emphasis was on strategy. “Logistics” versus “strategies.” As a result, Japan suffocated and the USA won completely. To begin with, in the case of Japan, both the army and navy had a tradition of neglecting logistics, believing that as long as the tip of the spear was sharp, one could win with mental strength even on hunger.
Today's North Korea can be seen as a caricature of Japan. Missiles, nuclear weapons, military reconnaissance satellites... ``These ``tips of the spear'' are, of course, for operational purposes, but in the first place, the North Korean people, who have been starving and weakening due to years of failed agricultural policies, how will the North Korean government be able to feed them when war occurs? Isn't the logistics just being handed over to the military? Even if you tried to obtain goods from rich China or Russia, it would be impossible if we destroyed the railways and sunk the cargo ships that provided transportation there. The USA will not hesitate to take that action. This is because it is a shortcut to bring North Korea to its knees. Japan has proven that you cannot win by sharpening only the tip of your spear. North Korea has no concept of logistics. Poor North Korea.
Rei Morishita
北朝鮮は、ロジスティクスと���う概念を持つか?(エッセイ)
現代の戦争においては、作戦、情報、ロジスティクスの3大主要分野がある。中でも、最重要なのは、兵器、食糧、燃料、衣服、医薬品の補給を司るロジスティクスである。最も地味な分野だが欧米では最も優秀な人材がロジスティクス参謀になる。
USAは、日本との戦争に備えて、日本のロジスティクス線(補給線)を断ち、締め上げる計画を、何年も周到に練った。オレンジ・プランという。一方日本海軍はUSAとの艦隊決戦の演習を繰り返し行った。作戦を重視したのだ。「ロジスティク」対「作戦」。結果は、日本は窒息し、USAの完勝に終わった。そもそも日本の場合、陸軍も海軍もロジスティックスを軽視する伝統があり、言わば「槍の穂先さえ鋭ければ、空腹でも精神力で勝てる」という思い込みがあった。
この日本の戯画とも思えるのが、今の北朝鮮だ。ミサイル、核兵器、軍事偵察衛星・・・「これらの「槍の穂先」は、もちろん作戦用のものだが、そもそも積年の農業政策の失敗で、飢えて衰えている北朝鮮国民を、戦争が起こったとき、どうやって食わせていけるのだろうか?ロジスティクスは、軍に回すだけで手一杯ではないのか。豊かな中国やロシアから物資を入手しようとしても、その交通手段の鉄道を破壊し、貨物船を沈めれば、不可能になるのだ。USAはその行動をためらわず実行するだろう。北朝鮮を屈服させる近道だからだ。「槍の穂先」だけを鋭く鍛えても、勝てないことは日本が実証している。北朝鮮は、ロジスティクスという概念を持つまい。哀れな北朝鮮。
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mari8log · 2 years ago
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2023/05/13
ベイブレード16話を観て夢女子の私が暴れた結果、最終的に夢ハリマロンをベイキャラにヨチヨチしてもらうことで意識を保とう…となった時の絵。
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カイ様の胸筋と腕筋しか勝たん!
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自病の推し×リマ。
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れいりま。
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轟音上映にいってきました!実に7年ぶりの映画館での劇場版マジェスティックプリンス。
実はマジェプリ劇場版は最低でも14回は観ているはずなのでまあまあ知識や記憶に自信があった方なのですが、やはり当時はロボアニメの知識もなくただなんとなくの雰囲気で観ていた節があったので見逃していた観点も多々あり軽くショックを受けました。私はこの7年いったいなにを観ていたんだろうか……。
以下感想です。
・轟音と言うので初めは音デカッ!?になったけど、それは上映前の館内が静かなだけですぐ音に慣れて楽しめたのでノー問題、マジェプリと轟音上映、とても相性がいい。
・ファフナーEXODUSのディアブロ型を通った2023年の私。ディオルナ機の動きのキショ禍々忌々しさがより理解できるようになった。さして記憶以上に地球軍機体を虐殺している。
・のんびりとお父様達を待つのもいいかな〜と言うディオルナのシーン、台詞と目の前で起こってる惨禍(地球防衛軍がしたっぱウルガルのビームでことごとく死んでる)との対比が気持ち悪くて好き。あぐらをかきながらそれを見ている白イカのようなディオルナ機の生き物感も気持ち悪くて好き。
・ブラックシックスも腕や武装ガンガン斬られてるの初めて目視認識できた。あの時レッドファイブプラスが来なかったら本当に命危なかったんだなぁ…青1の肢体もぎは遊びみたいなキショさがあったけど黒6戦中はガチで殺しにいってたから助からなかったかも…。
・やっぱり…アンジュ…覚醒欲しい!!既に覚醒に近い形態とはいえ、なんかいい感じに光シュワ〜ン機体バキボキガシャン!になってほしかった。今更当時のアンジュファンの気持ちがわかるようになってしまった。つらい。
・ただアサギイズルの近接フォワードが戦闘不能になった+スルガ達の雑魚狩りをすりぬけてくるヤツがいる+かなり地面スレスレ腕もがれの戦いでイズルが来るまで持ち堪えたアンジュちゃんさん様はやっぱりめちゃめちゃ強いのだ 大画面でじっくり見ると余計この人の強さがわかった。
・はやすぎてなにやってるかわからん!は相変わらずで、このデカイ画面でコマ送りしながらギャーキャー見たいなぁになった!
・2016年の頃は「ディオルナ死んだだろ、生存ifはないわよ」派だったのに、ファフナーのみさおちゃんを見たおかげで今なら生存ルートも楽々想像できちゃう。ギャーギャー騒ぐディオオナちゃんにウルガル語で嗜める天才アンジュちゃん、いい。
・アッシュは入力稼働だけでなく搭乗者の意識でも動かせる設定なので、キャラ設定以上に動かしてくるオレンジさんの手癖が大暴走している。アッシュ達の覚醒、特に金4の首ポキ、ピット艦出撃前ポーズ、チーフォンのブラストオフ前のくるくる!よしっ!えいえいおー!のあたり。特にチーフォン機体の動きはまるで人間みたいでとてもかわいい。
・グランツェーレ戦でディオルナ直属機体は精鋭でスルガの弾薬ですら避けるやつもいる、おまけにチーラビは地上戦で補給ができないので弾薬を節約しながら確実に当てないといけない状態に銃系組は陥っている…。そんな中、タマキのローズスリーが実態弾ではなく機体内のエネルギーをビーム砲にできる覚醒をとげた、そのおかげで弾薬不足もある程度解消できた。当時は把握できていなかったけどちゃんと話の流れに沿った覚醒だったんだ〜と。
・ローズスリー覚醒で最初のババババババ!ってウルガルを倒すシーン、全部ピンクパープル系のカラーのモブウルガルだった。薔薇3の活躍シーンのためにわざわざ薔薇3カラーのモブ光を集めていた。
・「イズル、私のヒーロー」はめちゃめちゃいいシーンなのに、眠るイズルと顔を近づけるケイの間に例の上手い萌え絵が挟まっているので、ラブロマンスと萌え絵のアンバランスさでときめけばいいのか笑えばいいのか不思議な気持ちになった。あんなに萌え絵の位置がイズルの顔の近くだったの忘れてた。
・地球降下・高高度からの落下・土舐め・病み上がり即搭乗謎の飛行形態・投げ技かけられ・輪っかぐりんぐりん投げ飛ばし等等をくらって最後ピンピンしながらラベンダー畑に立ってるあいつらに恐怖を感じた。強すぎる。
・イズルがみんなから落書きをされているのを見たダニールさんが「彼は目を覚ますでしょうか」ってイズルを心配するようなことばを言うのなんか良かった。TVシリーズだとイズルの股間掴んだりイズルに名前を呼んでもらえなかったり地球人よくわからんと言っていたダニールさんがイズルを心配してた。「心配ですか?ダニール」とテオ様に気遣われてて、えっ…ダニイズ……???になった。なんで?
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hitsujipocket · 6 days ago
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ロシア、ウクライナに「もし勝利」でも大損失が確実 地政学・軍事・経済の全てで〝赤字〟
ロシアによるウクライナ侵略の早期終結を掲げるトランプ次期米大統領は1月20日の新政権発足後、本格的にロシアとウクライナに停戦を働きかける見通しだ。仮に一部のウクライナ領の実効支配をロシアに認める条件で停戦が成立すれば、ロシアは一定の「勝利」を収める形となる。ただ、その場合でも、過去約3年間にわたる侵略戦争でロシアが払った代償は地政学、軍事、経済の全ての面で膨大で、差し引きで言えば大赤字が確実だ。
【画像】ウクライナ新兵器「ドラゴンドローン」…2200度の溶解鉄降らせる
■一部領土で実効支配を受忍も
トランプ氏の停戦案の一部には、現在の前線を停戦ラインとして紛争を凍結させることが含まれているとされる。そうした中、ウクライナのゼレンスキー大統領は最近、北大西洋条約機構(NATO)からウクライナの安全が保証されるのであれば、占領下にある一部領土についてロシアの実効支配を受忍することは可能だとの考えを表明。「停戦には全領土からの露軍の撤退が必要だ」としてきた従来の立場を緩和した。 これに対してプーチン露大統領は、ウクライナがNATO加盟方針を放���して「中立化」することや、ウクライナ南部クリミア半島と東・南部4州をロシアに割譲することを停戦条件に掲げている。ただ、プーチン氏は24年秋以降、詳細への言及は避けつつも、ロシアには「合理的な妥協」を行う用意があるとも発言。ウクライナのNATO加盟や既存占領地の放棄は容認しないとしても、現在の前線で停戦することには同意する可能性がある。 この場合、ロシアは事実上、ウクライナ領の一部を獲得し、軍事作戦の開始当初に掲げた「ウクライナ東部のロシア系住民の保護」という目標の一つを達成する形となる。 しかし、仮にロシアが一部ウクライナ領の支配という「利益」を得たとしても、そのために被った損失は多岐にわたる。 その一つは地政学的損失だ。ロシアは早期にウクライナを降伏させることに失敗し、軍事大国としての威信に傷が付いた。また、従来は中立を維持していた隣国フィンランドとスウェーデンのNATO加盟を招き、露欧間の戦略海域であるバルト海は「NATOの海」と化してしまった。
■「勢力圏」を相次いで喪失
ロシアはウクライナ侵略戦争に専心した結果、旧来の「勢力圏」も相次いで喪失した。
23年9月、南カフカス地方の旧ソ連構成国アゼルバイジャンが、隣国アルメニアに実効支配される係争地ナゴルノカラバフの奪還作戦を行った。ロシアはアルメニアと軍事同盟を結んでいるが、ウクライナ侵略戦争で余力がないためにアゼルバイジャンを止められず、アルメニアの敗北を容認せざるを得なかった。この結果、アルメニアはロシアに不信感を募らせ、ロシアとの同盟関係を事実上停止した。
24年12月には、ロシアを後ろ盾としてきたシリアのアサド政権が反体制派の攻勢を受けて崩壊した。ロシアがシリア国内に租借してきた海軍基地と空軍基地の先行きは不透明になった。シリアの新政権が両基地の租借契約解除に動いた場合、ロシアは地中海地域に持つ唯一の軍事拠点を失うことになり、軍事的影響力の低下は避けられない。
アルメニアとシリアの情勢に共通するのは、ロシアが現地に駐留させていた部隊を引き抜いてウクライナに投入した結果、アゼルバイジャンやシリア反体制派への抑止力が低下していたことだと分析されている。「ロシアは頼むに値しない国だ」とのイメージが付けば、「非欧米諸国の結集による欧米陣営への対抗」というロシアの世界戦略には大打撃となる。
12月にはアゼルバイジャン航空機の墜落も発生した。ロシア人のほか、アゼルバイジャン人やカザフスタン人ら計38人が犠牲になった。仮に露軍の防空ミサイル誤射で墜落したことが確認されれば、旧ソ連圏でのロシアのイメージはいっそう悪化する。
■軍再建には膨大な費用と期間
ウクライナ侵略に伴ってロシアが被った軍事的損失も膨大だ。ロシアは自軍の損���の全体像を公表していないが、米欧諸国やウクライナ、専門家らの分析を総合すると、戦死者だけで少なくとも10万人を超えているとみられる。負傷者はその数倍に上る見通しだ。
さらに、ロシアは黒海艦隊の旗艦「モスクワ」など主力艦の多くをウクライナ軍の攻撃で喪失。旧ソ連時代から備蓄してきた数千両とされる戦車もかなりの部分を失ったとの観測が強い。仮に停戦に至った場合でも、ロシアが軍再建のために相当な期間と費用をつぎ込まざるを得ないのは確実だ。
■軍需偏重でインフレ、政策金利21%
ロシアが受けた経済的損失も大きい。ロシアは侵略で欧米諸国などから大規模な経済制裁を科され、先進技術のサプライチェーン(供給網)から切り離された。重要な外貨獲得源だった石油や天然ガスなどエネルギー資源の輸出では、主要顧客だった欧州が購入を大幅に減少させた。ロシアは中国やインドへの輸出を拡大しているが、足元を見られて割引価格での販売を強いられており、対欧州輸出の減収分を補えていないとみられている。
ロシアの国内景気は軍需生産の拡大で活況を呈し、賃金も上昇しているが、その反動としてインフレが加速している。露中銀によると、24年のインフレ率は9%を超える可能性がある。中銀はインフレを抑えるために24年秋、政策金利を21%に引き上げた。借入金を抱える企業は高金利のために利益を出すのが難しくなっており、銀行借り入れによる新規投資にも慎重になっている。
ウクライナ侵略がどのような形で決着しようと対露制裁は続く公算が大きい。現在の露経済を支える軍需産業も消耗品の武器・弾薬を製造しているのであり、富の蓄積にはなりがたい。
ある露経済の専門家は「停戦後、ロシアが平時の経済に戻る際にはハードランディングが起きる可能性が高い」と予測した。(小野田雄一)
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takahashicleaning · 1 year ago
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TEDにて
セス・バークレー:ワクチンの開発を執拗に阻むある事実
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
セス・バークレーは、ワクチン市場の現状を展開しながら、世界的脅威となる疫病のワクチン開発が遅れている原因は、その裏にある社会的アンバランスから来る経済的リスクにあると解き明かします。
その子の症状は、微熱と頭痛、筋肉痛に始まり、嘔吐に下痢が続き、その後、口や鼻そして歯茎から出血し、最終的に低血圧から来る臓器不全で死に至りました。
これはきっとエボラだと思っておられるかもしれませんが、実はこのケースはそうではなく、蚊媒介病、デング熱の特に重篤なケースなのです。
この病気も効果的な治療もワクチンもなく、年に2万2千人程の命を奪っています。この数は、過去40年間程でエボラで命を落とした人の2倍だという事が分かっています。
最近よくニュースになる麻疹といえば、その死者数は十倍にも膨れ上がります。なのに去年、エボラは広く大きくニュースに取り上げられ、その恐怖が蔓延しています。
1976年以来、エボラを観察してきた私たちはその怖さを知っています。これまでに、世界で24ケースの集団発生が起き、研究する時間は十分ありました。現に、ワクチン候補は、この十年以上、存在していたのです。
では、何故、今、やっと、そのワクチンの臨床試験が行われているのでしょう?これが感染病のワクチン開発における根本的な問題なのです。
どういう事かと言うと、こういう病気にかかる危険性が最も高い人々は、ワクチンの支払ができない最も貧しい人々でもあるのです。これでは、製薬会社がワクチンを開発して市場に出したとしても全く儲けがないのです。
富裕国で多くの人にかかる危険性がある。と言うなら別ですが、つまり、営利面から見て危険すぎるというのです。
エボラはと言うとその市場は全くありません。なのに、今、2種のワクチンが後期臨床試験の段階に至っているのは、報道で煽られた人々の恐怖が唯一の原因なのです。
かつては、エボラは、比較的、無視されていたのですが、9.11と炭疽菌事件後、突然、人々は、エボラがバイオテロの武器に使われる可能性に気づきました。
流行性インフルエンザもある意味バイオテロかもしれません。
では、何故、エボラワクチンが、この時点で開発されなかったのでしょう?その開発が非常に難しいという事もありますが、このウイルスは、武器には使い難いと思われたからです。
それよりも一番の理由は、開発に於ける財務リスクがあるからです。これが私が言いたい事です。
この残念な現実は、病原体が人々に引き起こすリスクでなく、経済的なリスクの度合いに基づき、ワクチン開発が行われているのです。ワクチンの開発は複雑で膨大な費用を要します。
一般的な抗原でさえ、効果のあるワクチンにするには、何億もの費用が掛かります。幸運にもエボラのような疫病には、そんな障害の一部を取り除く方法があります。まずは、市場が正常に機能する事は期待しない事です。
それでも、ワクチンが必要となれば、何らかの経済的支援やある種の補助が必要となってきます。又、どの疫病が一番脅威となっているか、うまく見極める必要もあります。関係国での疫病対処体制を創出し、疫学研究団体による病原体を集め分類化する ネットワークを作り出せます。
そこからのデータで、地域的、遺伝的な病原体の多様性が分かり、また、それらのデータは、病原体がどのように免疫学的に変化しているのか理解し、その対処法の進め方を研究する助けとなります。
こういう事は可能な事ですが、これらを実現する為に正常に機能しない市場に対応するには、感染病に対する見解やその抑止法を変えなければなりません。
パンデミックになる前に疫病の広がりを食い止める必要があります。ワクチンの候補薬は、他にも準備されています。
毎年、何十億ドルも費やし、原子力潜水艦で海上を常時パトロールし、あり得そうもないような脅威から私たちを守っているのに明らかに人類の未来がかかっているような流行感染症予防策に対しては、全くと言っていい程、予算を組んでいません。
言っておきますが、これは仮想の話ではなく必ず起きる事です。
2020年に、現実に新型コロナウイルスがパンデミックを引き起こしています。
これらのウイルスは、進化を続け、世界中を脅かしているのです。ワクチンが一番の防衛策です。
エボラのような疫病の流行を防ぎたいなら、リスクを承知で思い切ってワクチンの開発に投資し、ワクチンを備蓄しなければなりません。
これを私たちができる究極の伝染病の抑止策と見なし、確実に常備しておく必要があります。
最後に、細菌(微生物)とウイルスは異なります。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
(合成の誤謬について)
合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが、合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じること。物理学では、相転移みたいな現象です。性質が変わってしまうということ。
ミクロのメカニズムが個人同士の経済における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは、国家間や経済全体の循環における仕組みだからである。
例えば、家計の貯蓄などがよく登場するが悪い例えです。前提条件が、所得が一定の場合!!所得が一定じゃない増加する場合は?これは、論じていませんので参考になりません!!(法人が提供する製品やサービスの価格も一定の場合も前提条件です)
1930年代のアメリカ経済が金融危機2008と似たような状態に陥った時、ケインズは、「倹約のパラドックス」というケインズ経済学の法則を発見しています。
それは、ポール・A・サミュエルソン(1915-2009)が、近代経済学の教科書「経済学」の冒頭で「個人を富裕にする貯金は、経済全体を貧困にする!(所得が一定の場合)」というわかりやすい言葉で表現しました。しかし、庶民の所得が増加し、貯蓄が投資、消費に回る場合には、「倹約のパラドックス」は生じません。
その後、この「倹約のパラドックス」は、アメリカの経済学者・ケネス・J・アロー(1921- )が「合成の誤謬」を数学的論理に基づいて「個人個人がそれぞれ合理的選択をしても、社会システム全体は合理的選択をするとは限らない」を検証してみせた。 要するに、部分最適ではなく、全体最適させていくということ。
つまり、新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との 戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!ということに集約していきます。
なお、金融危機2008では、マイケル・メトカルフェも言うように、「特別資金引出権(SDR)」は、2008年に行われた緊急対策で、一国だけで行われたのではなく、驚くほど足並みの揃った協調の下に国際通貨基金(IMF)を構成する188ヶ国が各国通貨で総額2500億ドル相当を「特別資金引出権(SDR)」を用いて世界中の準備通貨を潤沢にする目的で増刷してます。
このアイデアの根本は、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」です。この研究がなければ、誰一人として、変動相場制での当時の状況を改善し解決できなかったと言われています。
それ以前では、固定相場制でのマーシャルプランが有名です。
続いて、トリクルダウンと新自由主義
インターネットの情報爆発により隠れていた価値観も言葉となり爆発していくことになった。
しかし、法定通貨の方が、その価値、概念に対する通貨量拡大として価格で応じることができず、圧倒的に通貨量が足りない状況が生まれていたのが、2010年代の問題点のひとつでした。
リーマンショックの後に、新自由主義が誤りであることが、ピケティやサンデルによって指摘され、当時のFRBバーナンキ議長が、通貨供給量を大幅に増やした対策により、ベースマネーの金融、銀行間の相互不信を解消して収束した。
それでも、まだ足りないが、適正水準に収まったことで、さらに価値も増幅され、マネーストックの財政政策から再分配、事前分配を大規模に行い、さらなる通貨供給量が重要となっている現在の日本国内。
例えば
Googleがしようとしてた事は、まだ新産業として、基礎研究から発展できない機械学習の先端の成果をすべて持ち込んだ社会実験に近いこと。
シュンペーターの創造的破壊は、一定数の創造の基礎を蓄積後に、未来を高密度なアイデアで練り上げてから破壊をするのが本質です。
こうして、憎しみの連鎖や混乱を最小限にする。
アルビン・トフラーの言うように、法人と行政府とのスピードの違いが縮まらないのは、構造上の違いであって、それを補うためにプラスサムな連携するということが、必要になってくることを説いています。
三権分立が、規制のないGAFAMを非政府部門としてMMT(現代貨幣理論)からプラスサムに連携したらどこで均衡するのか?という社会実験も兼ねています。
このような前提で、あらゆるインターネット企業が、創業時、貢献するためコンセプトの中心であったものが、今では、悪性に変質して違う目的に成り下がっています。
再分配、事前分配の強化がスッポリ抜けてる欠点があり、ここに明かしたくないイノベーションの余地があります!!
2021年には、新自由主義のような弱肉強食では自然とトリクルダウンは生じないことは明らかになる。
確かに、トリクルダウンは発生しないが、法律で人工的に同じ効果は、貨幣の再分配、事前分配という形にできる可能性は高い。
再分配や事前分配をケムにまく「金持ちを貧乏にしても、貧乏人は金持ちにならない」「価値を生み出している人を罰するつもりがないのであれば税に差をつけないほうがいい」(サッチャー)
とあるが、新自由主義は誤りで、ピケティやサンデルによると違うみたいだ。
(個人的なアイデア)
当店は、新型コロナウイルスのパンデミックで明らかになったこととして・・・マイケル・サンデルも言うように
日本独自の職人のクリーニング店は服をきれいにするだけではなく・・・
同時に、100年前からエッセンシャルワーカーとして公衆衛生体験という経験も安定して提供しています。
安定以外の究極的な公衆衛生体験にはロックダウンや緊急事態宣言などが含まれた形になります。
実用化は至難の業とまで言われていたが、昔は、共産主義だったハンガリーからアメリカに移民として渡り・・・
苦難の末に新型コロナウイルスのmRNAワクチンを最速で開発できるようになった。普通は、実用化まで最速で10年は余裕で経過します。
これが基準です。ここから、当時、トランプ元大統領が発言していたワープスピードな方法。いかにもの凄い異次元な貢献をしたかがわかります。
そのmRNA基礎技術の確立に貢献したということでカタリン・カリコとドリュー・ワイスマンが2023年にノーベル生理学・医学賞受賞しました。
mRNA基礎技術は、インフルエンザや癌など応用範囲は、たくさんあると言われています。
続いて、後遺症を含めた治療薬も・・・
テロで何人なくなった?
新型コロナウイルスのパンデミックでは万単位!!
東京都は、202207現在で2万人超えてるし、世界ではそれ以上。これは、ポルポトの大虐殺以上で数百万人単位。
致死率が、風邪の場合に近づいてきてもワクチンの集団免疫で相対的に近づいてるだけの可能性は高い!
国内は、マスクも併用して致死率が低いが、世界では、高めの致死率傾向があるため、いかなる理由であれ断固。
新型コロナウイルスを軽んじてはいけない!!
空港の人の往来を拡大するなら、致死率も上がるような比例関係もあるかもしれない。知名度のない無名の庶民はないがしろか?
テロを行う人以上の大虐殺な日本の知事や政治家?自発的に責任を取らない極悪人だから・・・
このようなパンデミック条件の場合も戦争犯罪人としてカウント。A級からZ級まで。
国連は、軽犯罪的な戦争犯罪人カテゴリーを創設し、罰則付きで責任を取らせて世界的に発信して扱うべきです。良識を疑います。
ロングcovidのような後遺症は、風邪と違い、症状が、数ヶ月続くという事例があるので
主な症状であるブレインフォグや倦怠感を感じたらウイルス量を下げる薬を処方してほしい。効果がある?
これらのデータがオープンに広く世間に認知されてない?現在の治療プロセスがどうなるのかが不明。
新型コロナウイルスで炎症が発生したりアトピー性皮膚炎、鼻炎や喘息など鼻が詰まって頭がモヤのようにボーとする症状も似ている。
ワクチンの三回目完了後。
数ヶ月して目に加齢黄斑変性のような感じが?
調べるとワクチンから来る合併症の可能性?
一、二回目はファイザーで問題なかったけど、三回目はモデルナだからかもしれない?
血管を攻撃するウイルスの特徴があるから眼球の血管に影響を与えているかもしれない。
検査すればわかるかと思い眼科に行って検査してもわからないから大丈夫だろうか?
緑内障や老眼と間違うらしく、たくさんの症状があらわれてるらしい。
長年、アレルギー性鼻炎やアトピー性皮膚炎に苦しめられてきた自身の体験から・・・
医者よりも研究は、子供の頃から数十年もの蓄積はあるんだけど
功をあせったテレビや医学者から嫌がらせされるので助けて欲しいんだけどね。
もしも、そうなら医者の風上に、おいとけない非道い連中だ。
コロナ後遺症ブレインフォグ���症状を調べるとある事に気づいた!それは日本人に多いアレルギー性鼻炎!
どういうことかというと・・・
日本人に多い新型コロナの症状に似ているアトピー性皮膚炎や喘息に切り替わりやすく
鼻が詰まって頭がモヤのようにボーとする症状も似ている。
原因不明も同じ。ワクチン打ったら改善してる?どういうことなのか?
先入観を変えて、実は・・・
日本人に多いアレルギー性鼻炎やアトピー性皮膚炎、喘息は世間にあるような軽視するべき病気ではなく
とても重症度の領域にも入るようなインフルエンザよりも危険な新型コロナウイルス対策にもなる
ファクトチェックのない巨大な独占国家、巨大な独占法人の常識は世間の非常識?
優先的に治療をしなければいけない病気なのかも?しれない。
人里離れた場所にいる賢者の理由?
出エジプト記の根拠として・・・
追い出されたのを良い口実にしてエジプトなど強欲な都市に蔓延してたウイルス対策、将来のユダヤ人の一族を守るためもあるかもしれない。
古代エジプトは数千年の歴史があるので、ミイラ作りのため、解剖学も発展していただろう(逆に、解剖学を発展させるためにミイラを流行させた?)
細菌やウイルスに近い概念を発見していても不思議ではない。
古代遺跡もこつぜんとそこにいた人々が、一夜にして消え去る理由もコレかも。
この視点から全世界を見渡すと東西の宗教も問わず、古代中国の仙人や孔子、太公望、諸葛亮孔明も人里離れた場所に住んでいるのが良い証拠。
ブッダはこう言ってます。
「おまえは確かに人間の社会システムでは勝ち組に選ばれた人間かもしれないが
梵天(神)や大自然に選ばれる資格はない!そんな値打ちのある人間ではない」
とインスピレーションが来たので書いておきます。
現時点で、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の症状は、皮膚に現れる症状だけは、アトピー性皮膚炎に適合する。つまり、似ていることに気づいた!しかし、発熱・せき・おう吐・下痢といった症状はない。BCGで緩和されてる?
日本人に多いアレルギー反応である喘息やアトピー性皮膚炎は、もしかして、コロナウイルスが要因にあるかも知れない。毎年感染してるが未知のウイルスだったため、認識できなかったりしていた?
サイトカインストームもアトピー性皮膚炎が重症化すると出てくるところも似ている。
軽症治療薬。リジェネロン他は、抗体カクテル療法用、アトピー性皮膚炎の予防にも効くか?国はテストして欲しい。
ワクチンは二回目完了後、一回目より倦怠感が激しくなるが、数日でケロっと回復。筋肉注射だから、筋肉が傷つき、痛みや腫れが多少でます。
経過観察して、アトピー性皮膚炎も皮膚の炎症が、二回目後、二週目以降も抑えられてるような感じもする。
そういえば、関節の軽い痛み��2018年あたりから月に数回あったが無くなったのも気になる。
ジェフリー・ゴールドによると「新型コロナウイルスとは別のヘルペスウイルスが再活性化し��ことがロングCOVIDに関係している」らしい。
以前は、新型ではないコロナウイルスが引き金で関節の痛みがあったのかもしれない。
抗体カクテル療法をまとめると軽症も中等症のように2つに分類しろ!わかりにくい。現実的なリジェネロン、カシリビマブ、イムデビマブをワクチン後の予防として、すべて混ぜて軽症治療薬として統一した方がいい?
出来るなら新薬がでたら、それも後から混ぜてほしい。
その数年後2022年には、調べてみるとリジェネロンはオミクロン型に効果が薄いことが確認されてます。
ソトロビマブ・カシリビマブ/イムデビマブは「中和抗体薬」としてまとめてますが、オミクロン型には効果が低くなってます。
BA.4株・BA.5株に対しても効果の高い薬は「ベブテロビマブ」というのが登場してます。これは、オミクロン型には効果ありません。
そして、オミクロンに効果が高いものとしては、ラゲブリオ、パキロピットの他に、国産ゾコーバが登場してます。
2023年には、パキロピットと国産ゾコーバが、ロングCOVID後遺症にも効果がある?とされている。
現在、これらを組み合わせた抗体カクテル療法も効果があるかはわかりません。
今後の研究次第なため詳しくは専門家に聞いて下さい。
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kennak · 2 years ago
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ある重工業の第四工作課(FXとかH2ロケットとか最新鋭機器の部品作る部署)で働いた中の人が思うこと。知らない人が多いんだけど、最先端技術って最終的には「人の手」に委ねられるところがかなり大きい。町工場みたいな現場で、ピンセット持っておばちゃんとかおじちゃんがせっせとロケットに使われるハニカムの一枚一枚を垂直に立てる作業してるの。機械を使っても検出できないような凹凸を、おばちゃんやおじちゃんが手で触って検出するような世界。脱線すれば地味に日本の潜水艦の静音性は世界一なんだけど、その技術って町工場のおっちゃんが作り出してるの。きれいなラボでアームがギュイーンって動いてガーって作るような世界じゃなくて、油と汗に塗れた泥臭い現場で最先端技術って作られてるの。第四工作課の給料は毎日残業すれば手取りで30万円いくくらいのレベルだけど、町工場のおっちゃんは20万円も貰えない。補助金なんて町工場に届くころにはスズメティアーズ。さらに増税の影響もあって、生活が成り立たなくなって閉める町工場が増えた。そこに���ロナが直撃して、結構もうダメな状況。そんな現場に若い子は誰も行きたがらないから技術継承ができなくなった。手取り数十万円で油塗れの生活をして、かたや技術を持たないラクラクちんちんな中抜き企業の社員は高級マンションに住んだりしてね。誰が好き好んで生活が厳しくなるのが目に見えてる町工場で働くよ?って状況になった。今の町工場のおっちゃんとおばちゃんが居なくなると日本の潜水艦の静音性はロストテクノロジーになるって言われて久しい。というか潜水艦の静音性に関してはロストテクノロジーになるのが確定してる。本当に手仕事の職人の世界で、機械じゃまだまだ到れない世界なの。ロケットも同じで、第四工作課や町工場のおじちゃんとおばちゃんが一生懸命になって作ってきた結晶だった。だけどその技術も継承ができずに、なんか今までの部品とは形とか似てるからオッケーでしょみたいな状況になった。政府は町工場を軽視し過ぎだし、あまりにも中抜きが多くなって町工場は潰れ、第四工作課もなくなって、最先端技術を持ったおじちゃんとおばちゃんが現場を離れた。国家予算が町工場に来るまでには1部品が良くて10円くらいの単価になるんだもん。物づくりでご飯が食べられなくなったんだから、みんな辞めちゃうよ。税金など国民負担があまりにも大きくなったのと、現代の町工場軽視と、中抜き企業の多さが今回の失敗の一因でもあるんじゃないかと、おじちゃんとおばちゃんと一緒に働いてきた中の人は思う。
H3ロケットの失敗に思うこと
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kurano · 2 years ago
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※ Ukraine Situation Report: Advances Made In Grueling Fight
https://www.thedrive.com/the-war-zone/ukraine-situation-report-advances-made-in-grueling-fight
*This is a video of an offensive battle
https://t.co/3nd2C8W3kK
 上の Twitter に埋め込まれた20分の動画を見たわけですが、ため息が出ますねorz。ドローンが飛び交い、誘導爆弾がピンポイントで攻撃できる時代になっても、結局は、最後は歩兵が自分の足で、ブッシュに分け入り、敵の塹壕に肉薄し、手榴弾を一個一個投げ入れて駆逐掃討していくしかない。
 戦場のその最後の局面だけは、百年前も今も全く変わらない……。
 この動画を見た全世界の陸軍関係者はどんな思いを抱くのか。たとえば、陸自幹部なら、たとえ魚釣島に敵の上陸を許したとしても、こっそり陸兵を上げて、山間部に立て籠もれば、十分時間稼ぎが出来ると判断するのか?
 あるいは解放軍幹部は、台湾本島に着上陸するのは簡単、平野部を占領して台湾奪還を宣言するのも簡単。でも、東側の山間部に立て籠もる残党を掃討するのは事実上不可能。そして彼らには、日本から潜水艦を使って半永久的に補給が届くが、どうしたものか……、と懸念するのか。
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tangojmsdf · 2 years ago
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補給艦とわだ #フリートウィーク #フリートウィーク呉 #フリートウィーク2022 #aoe_towada #aoe422 #補給艦とわだ #海上自衛隊呉基地 #海上自衛隊 #jmsdfkure #jmsdf #コンデジ写真部 #olympusstylus1 https://www.instagram.com/p/CkChbSlBvab/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kulasan3 · 6 years ago
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補給艦ましゅう&とわだ
JS Masyu, AOE-425 and   JS Towada、AOE-422
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kennak · 1 year ago
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2023年10月7日から現在まで続いているイスラエル・ハマース戦争において、イスラエル・エジプト・キプロスを中心とする東地中海ガス開発への損害は、意外なほど限られている。ハマースによる侵攻直後から、イスラエル第2のガス田であるタマルガス田、そしてイスラエル・エジプト間をつなぐ東地中海ガス(EMG)パイプラインが侵攻から1カ月程度停止したものの、あくまで短期間の供給量減少にとどまっている。エジプトからのLNG(液化天然ガス)輸出も11月中旬から再開し、東地中海での長期的なガス供給途絶という最悪のシナリオは、現時点では回避されている。「戦後」の東地中海ガス開発は、これまでと同様、「脱ロシア天然ガス供給源」候補としての強い推進力をもとに順調に進展するのだろうか。  東地中海のガス開発は2010年代から「反トルコ」「脱ロシア」といった政治的要因によって推進されてきた。そのため、「戦後」の東地中海ガス開発を考えるにあたっては、物理的・経済的なインフラ状況のみならず、同地域を取り巻く政治的コンテクストやそれに伴う事業環境を検討することが欠かせない。  本稿では東地中海ガス開発がこれまでどのような政治的コンテクストの中で推進されてきたかを分析し、そのうえで、今回のイスラエル・ハマース戦争前後の環境変化によって生起した、今後のイスラエル・キプロスのガス開発におけるそれぞれの事業課題を検討する。 1. 東地中海ガス開発に対する政治的な推進力  2010年代に東地中海において大規模なガス田が発見された時期から、すでに「反トルコ」や「脱ロシア」といった政治的要素の萌芽が見られた。「反トルコ」要素については、ガス田の発見を機に、イスラエル・キプロス・ギリシャの間でガス開発に関する緩やかな協調が形成され始めた。イスラエルは2010年、パレスチナ支援団体の船団とイスラエル軍との衝突で50名以上のトルコ人死傷者が出た事件からトルコとの関係が悪化したことを機に、トルコとの間にキプロス内戦を通じた緊張関係を有するキプロス・ギリシャとの関係を強化してきたのである。エネルギー協力は3カ国関係の中核に位置付けられており、2010年ごろから東地中海パイプライン構想の���型やキプロスでのLNG輸出施設の建設などのガス開発オプションの検討が進められていた。また、「脱ロシア」要素については、2014年のロシアによるクリミア併合を機に、EU(欧州連合)はロシアへの天然ガス依存を低減させる手段の一つとして東地中海ガス田からの供給に注目した。2015年には東地中海パイプライン構想をはじめてEUのインフラ支援対象である「共通関心プロジェクト(PCI)」リストに加えている。  2010年代後半になると、東地中海ガス開発における「反トルコ」的性格はより強まる。2018年ごろからキプロスでの探鉱活動が活発化したことで、トルコが軍艦を伴う示威行動によって外国企業の探鉱活動を頻繁に妨害するようになった。これに対して2019年1月、イスラエル・キプロス・ギリシャ・エジプトが中心となって、東地中海でのガス開発を促進する「東地中海ガスフォーラム」を設立することを発表した。孤立したトルコは同年11月にリビア国民合意政府(GNA)との間で、エジプトやギリシャの排他的経済水域(EEZ)主張を無視する形で、トルコ・リビア間EEZ画定に関する基本合意(MOU)を締結した。このように、トルコと「東地中海ガスフォーラム」の対立にリビア内戦などが重なり合うことで、複雑なトルコ対「反トルコ連合」の対立が固定化されたのである。 2019年時点のトルコと「反トルコ連合」の対立構図[JOGMEC作成資料より]  2022年2月のロシア・ウクライナ戦争が生じると、この状況に「脱ロシア」の政治的コンテクストが加わることとなる。2022年までは東地中海ガス開発がトルコをめぐる国家間対立のアリーナ、あるいは各国の外交的ツールとして活用されてきた。しかしこの侵攻により、EU主要国はロシア産化石燃料からの脱却を真剣に検討し、東地中海ガス田のエネルギー供給源としての本来的な価値が注目されるようになった。このモメンタムが生まれる以前の2020年にシェブロンが東地中海の主要ガス田に参画していたことで、同社を中心にエジプトの既存LNG輸出施設の活用や各国におけるLNGインフラの新設など、具体的な開発に向けた動きが加速していく。  ここで留意したいのが、この「脱ロシア」による東地中海ガス田への注目も、単に各企業がガスポテンシャルや経済性を評価しただけではなく、EUによる脱ロシア天然ガス供給源候補の追求という政治的な推進力が不可欠な役割を果たしたということである。実際に、2022年6月のEUとイスラエル、エジプトによる東地中海から欧州へのLNG供給増加に関するMOUなど、東地中海ガス田の開発・生産・輸出に向けた動きは、政府間合意や多国間協調を中心に推進されてきたのである。
東地中海ガス開発「政治主導」の脆弱さに加わる「イスラエル・ハマース戦争」:豊田耕平 | 立ち上がる中東エネルギー新秩序 | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト
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warehouse-fujiki · 3 years ago
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アメリカン・アヴィエータ―の黎明期
今や世界有数の軍隊を誇る大国となったアメリカ。
しかしほんの100年前、第一次世界大戦の頃は、まだあらゆる軍隊の統率がとれておらず、すべてにおいてイギリスをはじめとするヨーロッパの大国をモデルに、軍備を整えているような状態であった。アメリカの空軍(US AIRFORCE)の前身である、アメリカ陸軍航空機部門(AERONAUTICAL)が創設されたのは1907年である。正式にはアメリカ陸軍通信隊の一部であった。(SIGNALCORP)1914年には、ようやく航空機部門は航空部(Aviation section)に改編された。アメリカが第一次世大戦に参戦したのは1917年だが、そこで航空部隊は妓軍事航空機部門となり、さらに1918年にはアメリカ陸軍航空部(US ARMY AIR SERVICE)USAASと改編されている。
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陸軍航空部はアメリカ外征軍(AMERICAN EXPEDITIONARY FORCE)としてフランスで活躍した。1926年、陸軍航空部はアメリカ陸軍航空隊(US ARMY AIR CORP)USAACに改編された。そして第二次世界大戦時の1941年には(US ARMY AIRFORCE)USAAFに改変されている。このように、空軍の歴史をとっても極めて短期間に大きな成長を遂げていることに目を見張るものがあるが、こと空軍、アメリカの戦闘機の今日があるのは、この人物のおかげといっても過言ではない。
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「ウィリアムミッチェル」である。
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コロンビア大学の卒業を待たずに志願兵としてアメリカ陸軍の入隊し、1898年の米西戦争では1兵卒としてキュー��、フィリピンに従軍。その後23歳にして大尉となったミッチェルは、通信科に転科となる。1917年、第一次世界大戦さなかのフランスに先遣航空連絡員として現地に赴き、イギリス空軍の司令官に積極的に教えを受け、アメリカ人として初の適地を飛行した将校となった。ミッチェルはアメリカ外征軍としても多くの戦闘を経験し、大規模な航空部隊を指揮した。終戦後は、当時の陸海軍が航空戦力の意義を過小評価する傾向にあるなかで、公然と政府を批判、空軍を独立させ、戦闘機を拡充し、戦艦を縮小させる運動を行った。実際に1921年、大規模な戦艦に対する爆撃実験を行ったが、これで海軍をはじめ、多くの部門からの不興を買うことになった。
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*戦艦に対する爆撃実験 を描いたスポルディングのアビエーターカタログ。
その後、ミッチェルは左遷され、閑職を強いられることになり、1926年には現役を退いた。1936年没、その後、彼の名誉はマッカーサーらの推薦とともに回復した。政府は1946年、第二次世界大戦後に彼を少将に任命するとともに、議会名誉黄金勲章を授与した。
ミッチェルが指揮した、この爆撃実験の様子が表紙に使用された1925のスポルディングのアヴィエーターエキップメントカタログには、ミッチェル自身がこのようなメッセージを残している。
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 「アメリカ陸軍航空局は最高の飛行要員を擁していますが、より多くの飛行機を必要としています。爆撃実験や東海岸での戦艦の撃沈は航空局ができるほんの一例に過ぎません。人々は国防計画における航空戦力の重要性を認識し始めています。他の国々は、航空戦力が第一の防御線であることを認識しており、その目的のために努力しています。米国もそれを実践しなければいけません。1924年の世界一周旅行は、世界に道を切り開いた重量級の航空機の運用には限界がないことを明確に示しました。この飛行の結果は、彼らが飛行したすべての航空を刺激しました。モーガン中尉による大西洋岸から太平洋岸への夜明けから夕暮れまでの飛行は、世界の航空業界に大きな影響を与えた。過去二年間に行われた太平洋岸での燃料補給飛行、大西洋から太平洋へのノンストップ飛行などの実験は、国防計画における航空サービスの活動に重要な影響を与えています。
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ミッチェルのコメントを掲載していることからも分かるように、1910年代の終わりから1920年代にかけて、アメリカのフライトジャケットのベースを築いたのは「スポルディング」であるといっても過言ではない。
次回はそのアメリカのパイロット達が第一次世界大戦時に着用した飛行服について、掘り下げたいと思います。
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xf-2 · 3 years ago
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政府が英国との間で、自衛隊と英軍が相互訪問する際の手続きを簡素化する円滑化協定の締結を検討していることが25日、分かった。英海軍の最新鋭空母「クイーン・エリザベス」の日本寄港や、哨戒艦2隻によるインド太平洋地域での恒常的な活動など、英国が同地域への関与を強めていることを踏まえ、日英の相互運用性を高めて中国を牽制する狙いがある。
20日に行われた日英防衛相会談では、クイーン・エリザベスを中心とする空母打撃群の具体的な寄港先が公表されたほか、英海軍の哨戒艦2隻がインド太平洋地域で今後、恒常的に活動することも明らかになった。
英政府は哨戒艦2隻の恒常的な展開に関し、日本、オーストラリア、シンガポールなどから協力を得る見通しを示しており、補給などで日本に寄港する頻度が高くなる可能性がある。
円滑化協定は武器の持ち込みや���制、相手国で罪を犯した場合の刑事裁判権など、隊員の法的地位や手続きを明確にするもので、協定が発効すれば部隊間の行き来がよりしやすくなる。
日本は米国との間で地位協定を結んでいるほか、昨年11月の日豪首脳会談で米国以外では初めて豪州との間で円滑化協定が大枠合意に至った。日本政府関係者は「豪州の次は英国だ」と強調する。
今後、英国との防衛協力は進展していく余地が大きい。今年9月に寄港するクイーン・エリザベスと自衛隊は共同訓練を行う予定で、クイーン・エリザベスは短距離離陸・垂直着陸が可能な最新鋭ステルス戦闘機F35Bを搭載している。
航空自衛隊は令和6年度からF35Bを新田原基地(宮崎県)に段階的に配備していく計画で、海上自衛隊はF35Bの運用を可能にするため、全通式甲板を備えるヘリコプター搭載護衛艦「いずも」と同型艦「かが」の改修を進めている。
将来的には、〝空母化〟した護衛艦に英軍のF35B、英空母に空自のF35Bが発着することも視野に入れており、相互運用性を高めるための態勢整備を急ぐ。
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petapeta · 4 years ago
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「次室士官心得」 (練習艦隊作成、昭和14年5月) 第1 艦内生活一般心得 1、次室士官は、一艦の軍規・風紀の根源たることを自覚し、青年の特徴元気と熱、純  真さを忘れずに大いにやれ。 2、士官としての品位を常に保ち、高潔なる自己の修養はもちろん、厳正なる態度・動  作に心掛け、功利打算を脱却して清廉潔白なる気品を養うことは、武人のもっとも  大切なる修業なり。 3 宏量大度、精神爽快なるべし。狭量は軍隊の一致を破り、陰欝は士気を沮喪せし  む。忙しい艦務の中に伸び伸びした気分を忘れるな。細心なるはもちろん必要なる  も、「コセコセ」することは禁物なり。 4 礼儀正しく、敬礼は厳格にせよ。次室士官は「自分は海軍士官の最下位で、何に  も知らぬのである」と心得、譲る心がけが必要だ。親しき仲にも礼儀を守り、上の   人の顔を立てよ。よからあしかれ、とにかく「ケプガン(次室士官室の長)を立てよ。 5 旺盛なる責任観念の中に常に生きよ。これは士官としての最大要素の一つだ。命令を下し、もしくはこれを伝達す  る場合はは、必ずその遂行を見届け、ここに初めてその責任を果したるものと心得べし。 5 犠牲的精神を発揮せよ、大いに縁の下の力持ちとなれ。 6 次室士官時代はこれからが本当の勉強時代、一人前になり、わがことなれりと思うは大の間違いなり。 7、次室士官時代はこれからが本当の勉強時代、一人前にをり、わがことなれりと思うは大の間違いなり。公私を誤  りたるくそ勉強は、われらの欲せざるところなれども、学術方面に技術方面に、修練しなければならぬところ多し。  いそがしく艦務に追われてこれをないがしろにするときは、悔いを釆すときあり。忙しいあいだにこそ、緊張裡に修  業はできるものなり。寸暇の利用につとむべし。   つねに研究問題を持て。平素において、つねに一個の研究問題を自分にて定め、これにたいし成果の捕捉につと  め、一纏めとなりたるところにてこれを記しおき、ひとつひとつ種々の問題にたいしてかくのごとくしおき、後となり   てふたたびこれにつきて研究し、気づきたることを追加訂正し、保存しおく習慣をつくれば、物事にたいする思考力  の養成となるのみならず、思わざる参考資料をつくり得るものなり。 8、少し艦務に習熟し、己が力量に自信を持つころとなると、先輩の思慮円熟をるが、かえって愚と見ゆるとき来るこ  とあるべし、これすなわち、慢心の危機にのぞみたるなり。この慢心を断絶せず、増長に任じ人を侮り、自ら軽ん   ずるときは、技術・学芸ともに退歩し、ついには陋劣の小人たるに終わるべし。 9、おずおずしていては、何もできない。図々しいのも不可なるも、さりとて、おずおずするのはなお見苦しい。信ずる  ところをはきはき行なって行くのは、われわれにとり、もっとも必要である。 10、何事にも骨惜L誤をしてはならない。乗艦当時はさほどでもないが、少し馴れて来ると、とかく骨惜しみをするよう  になる。当直にも、分隊事務にも、骨惜しみをしてはならない。いかなるときでも、進んでやる心がけか必要だ。身  体を汚すのを忌避するようでは、もうおしまいである。 11、青年士官は、バネ仕掛けのように、働かなくてはならない。上官に呼ばれたときには、���ぐ駆け足で近づき、敬  礼、命を受け終わらば一礼し、ただちにその実行に着手するごとくあるべし。 12、上官の命は、気持よく笑顔をもって受け、即刻実行せよ。いかなる困難があろうと、せっかくの上陸ができなか   ろうと、命を果たし、「や、御苦労」と言われたときの愉快きはなんと言えぬ。 13、不関旗(他船と行動をともにせず、または、行動をともにできないことを意味する信号旗。転じてそっぽを向くこと  をいう)を揚げるな。一生懸命にやったことについて、きびしく叱られたり、平常からわだかまりがあったりして、不  関旗を揚げるというようなことが間々ありがちだが、これれは慎むべきことだ。自惚があまり強過ぎるからである。  不平を言う前に已れをかえりみよ。わが慢心増長の鼻を挫け、叱られるうちが花だ。叱って下さる人もなくなった   ら、もう見放されたのだ。叱られたなら、無条件に有難いと思って間違いはない。どうでも良いと思うなら、だれが  余計な憎まれ口を叩かんやである。意見があったら、陰で「ぷつぷつ」いわずに、順序をへて意見具申をなせ。こ  れが用いらるるといなとは別問題。用いられなくとも、不平をいわず、命令には絶対服従すべきことはいうまでもな  し。 14、昼間は諸作業の監督巡視、事務は夜間に行なうくらいにすべし。事務のいそがしいときでも、午前午後かならず  1回は、受け特ちの部を巡視すべし。 15、「事件即決」の「モツトー」をもって、物事の処理に心がくべし。「明日やろう」と思うていると、結局、何もやらずに  沢山の仕事を残し、仕事に追われるようになる。要するに、仕事を「リード」せよ。 16、なすべき仕事をたくさん背負いながら、いそがしい、いそがしいといわず片づければ、案外、容易にできるもので   ある。 17、物事は入念にやれ。委任されたる仕事を「ラフ」(ぞんぎい〕にやるのは、その人を侮辱するものである。ついに    は信用を失い、人が仕事をまかせぬようになる。また、青年士官の仕事は、むずかしくて出来ないというようなも   のはない。努力してやれば、たいていのことはできる。 18、「シーマンライク」(船乗りらしい)の修養を必要とす。動作は「スマート」なれ。1分1秒の差が、結果に大影響を    あたえること多し。 19、海軍は、頭の鋭敏な人を要するとともに、忠実にして努力精励の人を望む。一般海軍常識に通ずることが肝要、   かかることは一朝一夕にはできぬ。常々から心がけおけ。 20 要領がよいという言葉もよく聞くが、あまりよい言葉ではない。人前で働き、陰でずべる類いの人に対する尊称    である。吾人はまして裏表があってはならぬ。つねに正々堂々とやらねばならぬ。 21、毎日各室に回覧する書類(板挟み)は、かならず目を通し捺印せよ。行動作業や当直や人事に関するもので、    直接必要なる事項が沢山ある。必要なことは手帖に抜き書きしておけ。これをよく見ておらぬために、当直勤務   を間違っていたり、大切な書類の提出期目を誤ったりすることがある。 22、手帖、「パイプ」は、つねに持っておれ。これを自分にもっとも便利よきごとく工夫するとよい。 23、上官に提出する書類は、かならず自分で直接差し出すようにせよ。上官の机の上に放置し、はなはだしいのは   従兵をして持参させるような不心得のものが間々ある。これは上官に対し失礼であるばかりでなく、場合により   ては質問されるかも知れず、訂正きれるかも知れぬ。この点、疎にしてはならない。 24、提出書類は早目に完成して提出せよ。提出期口ぎりぎり一ぱい、あるいは催促さるごときは恥であり、また間違   いを生ずるもとである。艦長・副長・分隊長らの捺印を乞うとき、無断で捺印してはいけない。また、捺印を乞う    事項について質問されても、まごつかぬよう準備調査して行くことが必要。捺印を乞うべき場所を開いておくか、   または紙を挾むかして分かりやすく準備し、「艦長、何に御印をいただきます」と申し出て、もし艦長から、「捺して   行け」と言われたときは、自分で捺して、「御印をいただきました」ととどけて引き下がる。印箱の蓋を開け放しに   して出ることのないように、小さいことだが注意しなければならぬ。 25、軍艦旗の揚げ降ろしには、かならず上甲板に出て拝せよ。 26、何につけても、分相応ということを忘れるな。次室士官は次室士官として、候補生は候補生として。少尉、中尉、   各分あり。 27、煙草盆の折り椅子には腰をおろすな。次室士官は腰かけである。 28、煙草盆のところで腰かけているとき、上官が来られたならば立って敬礼せよ。 29、機動艇はもちろん、汽車、電車の中、講話場において、上級者が来られたならば、ただちに立って席を譲れ。知   らぬ顔しているのはもっとも不可。 30、出入港の際は、かならず受け持ちの場所におるようにせよ。出港用意の号音に驚いて飛び出すようでは心がけ   が悪い。 31、諸整列があらかじめ分かっているとき、次室士官は、下士官兵より先にその場所にあるごとくせ。 32、何か変わったことが起こったとき、あるいは何となく変わったことが起こったらしいと思われるときは、昼夜を問わ   ず第1番に飛び出してみよ。 33、艦内で種々の競技が行なわれたり、または演芸会など催される際、士官はなるべく出て見ること。下士官兵が    一生懸命にやっているときに、士官は勝手に遊んでおるというようなことでは面白くない。 34、短艇に乗るときは、上の人より遅れぬように、早くから乗っておること。もし遅れて乗るような場合には、「失礼い   たしました」と上の人に断わらねばならぬ。自分の用意が遅れて定期(軍艦と陸上の間を往復し、定時にそれら   を発着する汽艇のこと)を待たすごときは、もってのほである。かかるときは断然やめて次ぎを待つべし。    短艇より上がる場合には、上長を先にするこというまでもなし。同じ次室士官内でも、先任者を先にせよ。 35、舷門は一艦の玄開口なり。その出入りに際しては、服装をととのえ、番兵の職権を尊重せよ。雨天でないとき、   雨衣や引回しを着たまま出入りしたり、答礼を欠くもの往々あり、注意せよ。 第2 次室の生活について 1、我をはるな。自分の主張が間遠っていると気づけば、片意地をはらす、あっさりとあらためよ。  我をはる人が1人でもおると、次室の空気は破壊される。 2、朝起きたならば、ただちに挨拶せよ。これが室内に明るき空気を漂わす第一誘因だ。3、次室  にはそれぞれ特有の気風かある。よきも悪きもある。悪い点のみ見て、憤慨してのみいては   ならない。神様の集まりではないから、悪い点もあるであろう。かかるときは、確固たる信念と決心をもって自己を修め、自然に同僚を善化せよ。 4、上下の区別を、はっきりとせよ、親しき仲にも礼儀をまもれ。自分のことばかり考え、他人のことをかえりみないよ  うな精神は、団体生活には禁物。自分の仕事をよくやると同時に、他人の仕事にも理解を持ち便宜をあたえよ。 5、同じ「クラス」のものが、3人も4人も同じ艦に乗り組んだならば、その中の先任者を立てよ。「クラス」のものが、次  室内で党をつくるのはよろしくない。全員の和衷協力はもっとも肝要なり。利己主義は唾棄すべし。 6、健康にはとくに留意し、若気にまかせての不摂生は禁物。健全なる身体なくては、充分をる御奉公で出来ず。忠  孝の道にそむく。 7、当直割りのことで文句をいうな。定められた通り、どしどしやれ。病気等で困っている人のためには、進んで当直を  代わってやるぺきだ。 8、食事に関して、人に不愉快な感じを抱かしむるごとき言語を慎め。たとえば、人が黙って食事をしておるとき、調理  がまずいといって割烹を呼びつけ、責めるがごときは遠慮せよ。また、会話などには、精練きれた話題を選べ。 9、次室内に、1人しかめ面をして、ふてくされているものがあると、次室全体に暗い影ができる。1人愉快で朗らかな  人がいると、次室内が明るくなる。 10、病気に羅ったときは、すぐ先任者に知らせておけ。休業になったら(病気という程度ではないが(身体の具合い   が悪いので、その作業を休むこと)先任者にとどけるとともに、分隊長にとどけ、副長にお願いして、職務に関する  ことは、他の次室士官に頼んでおけ。 11、次室内のごとく多数の人がいるところでは、どうしても乱雑になりがちである。重要な書類が見えなくなったとか  帽子がないとかいってわめきたてることのないように、つねに心がけなければならぬ。自分がやり放しにして、従  兵を怒鳴ったり、他人に不愉快の思いをきせることは慎むべきである。 12、暑いとき、公室内で仕事をするのに、上衣をとるくらいは差し支えないが、シャツまで脱いで裸になるごときは、   はをはだしき不作法である。 13、食事のときは、かならず軍装を着すべし。事業服のまま食卓についてはならぬ。いそがしいときには、上衣だけ  でも軍装に着換えて食卓につくことになっている。 14、次室士官はいそがしいので一律にはいかないが、原則としては、一同が食卓について次室長(ケプガソ)がはじ  めて箸をとるべきものである。食卓について、従兵が自分のところへ先に給仕しても、先任の人から給仕せしむる  ごとく命すべきだ。古参の人が待っているのに、自分からはじめるのは礼儀でない。 15、入浴も先任順をまもること。水泳とか武技など行をったときは別だが、その他の場合は遠慮すべきものだ。 16 古参の人が、「ソファー」に寝転んでいるのを見て、それを真似してはいけない。休むときても、腰をかけたまま、  居眠りをするぐらいの程度にするがよい。 17、次室内における言語においても気品を失うな。他の人に不快な念を生ぜしむべき行為、風態をなさず、また下士  官兵考課表等に関することを軽々しく口にするな。ふしだらなことも、人秘に関することも、従兵を介して兵員室に  伝わりがちのものである。士官の威信もなにも、あったもので��い。 18、趣味として碁や将棋は悪くないが、これに熱中すると、とかく、尻が重くなりやすい。趣味と公務は、はっきり区別  をつけて、けっして公務を疎にするようなことがあってはならぬ。 19、お互いに、他の立場を考えてやれ。自分のいそがしい最中に、仕事のない人が寝ているのを見ると、非難した   いような感情が起こるものだが、度量を宏く持って、それぞれの人の立場に理解と同情を持つことが肝要。 20、従兵は従僕にあらず。当直、その他の教練作業にも出て、士官の食事の給仕や、身辺の世話までするのであ   るからということを、よく承知しておらねばならぬ。あまり無理な用事は、言いつけないようにせよ。自分の身辺の  ことは、なるべく自分で処理せよ、従兵が手助けしてくれたら、その分だけ公務に精励すべきである。釣床を釣っ  てくれ、食事の給仕をしてくれるのを有難いと思うのは束の間、生徒・候補生時代のことを忘れてしまって、傲然と  従兵を呼んで、ちょっと新聞をとるにも、自分のものを探すにもこれを使うごときは、わがみずからの品位を下げゆ  く所以である。また、従兵を「ボーイ」と呼ぶな。21、夜遅くまで、酒を飲んで騒いだり、大声で従兵を怒鳴ったりす  ることは慎め。 21、課業時のほかに、かならず出て行くべきものに、銃器手入れ、武器手入れに、受け持ち短艇の揚げ卸しがある 第3 転勤より着任まで 1、転勤命令に接したならば、なるべく早く赴任せよ。1日も早く新勤務につくことが肝   要。退艦したならば、ただちに最短距離をもって赴任せよ、道草を食うな。 2、「立つ鳥は後を濁さず」仕事は全部片づけておき、申し継ぎは万遺漏なくやれ。申し  継ぐべき後任者の来ないときは、明細に中し継ぎを記註しおき、これを確実に託し   おけ。 3、退艦の際は、適宜のとき、司令官に伺候し、艦長・副長以下各室をまわり挨拶せよ4、新たに着任すべき艦の役務、所在、主要職員の名は、前もって心得おけ。 5、退艦・着任は、普通の場合、通常礼装なり。 6、荷物は早目に発送し、着任してもなお荷物が到着せぬ、というようなことのないようにせよ。手荷物として送れば、早目に着く。 7、着任せば、ただちに荷物の整理をなせ。 8、着任すべき艦の名を記入したる名刺を、あらかじめ数枚用意しおき、着任予定日時を艦長に打電しおくがよい。 9、着任すべき艦の所在に赴任したるとき、その艦がおらぬとき、たとえば急に出動した後に赴任したようなと時は、  所在鎮守府、要港部等に出頭して、その指示を受けよ。さらにまた、その地より他に旅行するを要するときは、証  明書をもらって行け。 10、着任したならば、当直将校に名刺を差し出し、「ただいま着任いたしました」ととどけること。当(副)将校は副長に   副長は艦長のところに案内して下さるのが普通である。副長から艦長のところへつれて行かれ、それから次室  長が案内して各室に挨拶に行く。艦の都合のよいとき、乗員一同に対して、副長から紹介される。艦内配置は、   副長、あるいは艦長から申し渡される。 11、各室を一巡したならば、着物を着換えて、ひとわたり艦内を巡って艦内の大体を大体を見よ。 12、配置の申し継ぎは、実地にあたって、納得の行くごとく確実綿密に行なえ。いったん、引き継いだ以上、全責任  は自己に移るのだ。とくに人事の取り扱いは、引き継いだ当時が一番危険、ひと通り当たってみることが肝要だ。  なかんずく叙勲の計算は、なるべく早くやっておけ。 13、着任した日はもちろんのこと、1週間は、毎夜巡検に随行するごとく心得よ。乗艦早々から、「上陸をお願い致し  ます」などは、もってのほかである。 14、転勤せば、なるべく早く、前艦の艦長、副長、機関長、分隊長およびそれぞれ各室に、乗艦中の御厚意を謝す   る礼状を出すことを忘れてはならぬ。 第4 乗艦後ただちになすべき事項 1、ただちに部署・内規を借り受け、熟読して速やかに艦内一般に通暁せよ。 2、総員起床前より上甲板に出で、他の副直将校の艦務遂行ぶりを見学せよ。2、3日、当直ぶりを注意して見てお   れば、その艦の当直勤務の大要は分かる。しかして、練習艦隊にて修得せるところを基礎とし、その艦にもっとも  適合せる当直をなすことができる。 3、艦内旅行は、なるぺく速やかに、寸暇を利用して乗艦後すぐになせ。 4、乗艦して1ヵ月が経過したならば、隅々まで知悉し、分離員はもちろん、他分隊といえども、主たる下士官の氏名  は、承知するごとく心がけよ。 第5上陸について 1、上陸は控え目にせよ。吾人が艦内にあるということが、職責を尽くすということの大部である。職務を捨ておいて   上陸することは、もってのほかである。状況により、一律にはいえぬが、分隊長がおられぬときは、分隊士が残る  ようにせよ。 2、上陸するのがあたかも権利であるかのように、「副長、上陸します」というべきでない。「副長、上陸をお願いしま   す」といえ。 3、若いときには、上陸するよりも艦内の方が面白い、というようにならなけれぱならない。また、上陸するときは、自  分の仕事を終わって、さっぱりした気分で、のびのびと大いに浩然の気を養え。 4、上陸は、別科後よりお願いし、最終定期にて帰艦するようにせよ。出港前夜は、かならず艦内にて寝るようにせよ。上陸する場合には、副長と己れの従属する士官の許可をえ、同室者に願い、当直将校にお願いして行くのが慣例  である。この場合、「上陸をお願い致します」というのが普通、同僚に対しては単に、「願います」という。この「願い  ます」という言葉は、簡にして意味深長、なかなか重宝なものである。すなわち、この場合には、上陸を願うのと、  上陸後の留守中のことをよろしく頼む、という両様の意味をふくんでいる。用意のよい人は、さらに関係ある准士   官、あるいは分隊先任下士官に知らせて出て行く。帰艦したならば、出る時と同様にとどければよい。たたし、夜   遅く帰艦して、上官の寝てしまった後は、この限りでない。士宮室にある札を裏返すようになっている艦では、か   ならず自分でこれを返すことを忘れぬごとく注意せよ。 6、病気等で休んでいたとき、癒ったからとてすぐ上陸するごときは、分別がたらぬ。休んだ後なら、仕事もたまってお  ろう、遠慮ということが大切だ。 7、休暇から帰ったとき、帰艦の旨をとどけたら、第1に留守中の自分の仕事および艦内の状況にひと通り目を通せ。  着物を着換え、受け持ちの場所を回って見て、不左中の書類をひと通り目を通す心がけが必要である。 8、休暇をいただくとき、その前後に日曜、または公暇日をつけて、規定時日以上に休暇するというがごときは、もっと  も青年士官らしくない。 9、職務の前には、上陸も休暇もない、というのが士官たる態度である。転勤した場合、前所轄から休暇の移牒があ  ることがあるけれども、新所轄の職務の関係ではいただけないことが多い。副長から、移牒休暇で帰れといわる   れば、いただいてもよいけれども、自分から申し出るごときことは、けっしてあってはならぬ。 第6部下指導について 1、つねに至誠を基礎とし、熱と意気をもって国家保護の大任を担当する干城の築造者たることを心がけよ。「功は部下に譲り、部下の過ちは  自から負うは、西郷南洲翁が教えしところなり。「先憂後楽」とは味わうべき言であって、部下統御の機微なる心理も、かかるところにある統御者たるわれわれ士官は、つねにこの心がけが必要である。石炭  積みなど苦しい作業のときには、士官は最後に帰るようつとめ、寒い  ときに海水を浴びながら作業したる者には、風呂や衛生酒を世話してやれ。部下につとめて接近して下情に通せよ。しかし、部下を狎れしむるは、もっとも不可、注意すべきである。 2、何事も「ショート・サーキット」(短絡という英語から転じて、経由すべきところを省略して、命令を下し、または報告する海軍用語)を慎め。い  ちじは便利の上うたが、非常なる悪結果を齋らす。たとえば、分隊士を抜きにして分隊長が、直接先任下士官に命じたとしたら、分隊士たる者いかなる感を生ずるか。これは一例だか、かならず順序をへて命  を受け、または下すということが必要なり。 3、「率先躬行」部下を率い、次室士官は部下の模範たることが必要だ。物事をなすにもつねに衆に先じ、難事と見ば、 真っ先にこれに当たり、けっして人後におくれざる覚悟あるべし。また、自分ができないからといって、部下に強制  しないのはよくない。部下の機嫌をとるがごときは絶対禁物である。 4、兵員の悪きところあらば、その場で遠慮なく叱咤せよ。温情主義は絶対禁物。しかし、叱責するときは、場所と相  手とを見でなせ。正直小心の若い兵員を厳酷な言葉で叱りつけるとか、また、下士官を兵員の前で叱責するなど  は、百害あって一利なしと知れ。 5、世の中は、なんでも「ワソグランス」(一目見)で評価してはならぬ。だれにも長所あり、短所あり。長所さえ見てい  れば、どんな人でも悪く見えない。また、これだけの雅量が必要である。 6、部下を持っても、そうである。まずその箆所を探すに先だち、長所を見出すにつとめることが肝要。賞を先にし罰を  後にするは、古来の名訓なり。分隊事務は、部下統御の根底である。叙勲、善行章(海軍の兵籍に人ってから3  年間、品行方正・勤務精励な兵にたいし善行章一線があたえられ、その後、3年ごとに同様一線あてをくわえる。  勇敢な行為などがあった場合、特別善行章が付与される)等はとくに慎重にやれ。また、一身上のことまで、立ち  入って面倒を見てやるように心がけよ。分隊員の入院患者は、ときどき見舞ってやるという親切が必要だ。 第7 その他一般 1、服装は端正なれ。汚れ作業を行なう場合のほかは、とくに清潔端正なるものを用いよ。帽子がまがっていたり、「  カラー」が不揃いのまま飛び出していたり、靴下がだらりと下がっていたり、いちじるしく雛の寄った服を着けている  と、いかにもだらしなく見える。その人の人格を疑いたくなる。 2、靴下をつけずに靴を穿いたり、「ズボン」の後の「ビジヨウ」がつけてなかったり、あるいはだらりとしていたり、下着  をつけず素肌に夏服・事業服をつけたりするな。 3 平服をつくるもの一概に非難すべきではいが、必要なる制服が充分に整っておらぬのに平服などつくるのは本末  顛倒である。制服その他、御奉公に必要をる服装属具等なにひとつ欠くるところなく揃えてなお余裕あらば、平服  をつくるという程度にせよ。平服をつくるならば、落ちついて上品な上等のものを選べ。無闇に派手な、流行の尖   端でもいきそうな服を着ている青年士官を見ると、歯の浮くような気がする。「ネクタイ」や帽子、靴、「ワイシャツ」  「カラー」「カフス」の釦まで、各人の好みによることではあろうが、まず上品で調和を得るをもって第1とすべきであ  る。 4、靴下もあまりケパケパしいのは下品である。服と靴とに調和する色合いのものを用いよ。縞の靴下等は、なるべく  はかぬこと、事業服に縞の靴下等はもってのほかだ。 5、いちばん目立って見えるのは、「カラー」と「カフス」の汚れである、注意せよ。また、「カフス」の下から、シャツの   出ているのもおかしいものである。 6、羅針艦橋の右舷階梯は、副長以上の使用さるべきものなり。艦橋に上がったら、敬礼を忘れるな。 7 陸上において飲食するときは、かならず一流のところに入れ。どこの軍港においても、士官の出入りするところと、  下士官兵の出入りするところは確然たる区別がある。もし、2流以下のところに出入りして飲食、または酒の上で  上官たるの態度を失し、体面を汚すようなことがあったら、一般士官の体面に関する重大をることだ。 8、クラスのためには、全力を尽くし一致団結せよ。 9、汽車は2等(戦前には1、2、3等の区分があった)に乗れ。金銭に対しては恬淡なれ。節約はもちろんだが、吝薔  に陥らぬよう注意肝心。 10、常に慎独を「モットー」として、進みたきものである。是非弁別の判断に迷い、自分を忘却せるかのごとき振舞い  は、吾人の組せざるところである。
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