#苔寺こけでら
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ぷらっと京都へ♪
城南宮っていう寺に行ってみた。梅と椿が満開でした♪朝一で行きましたが人も多く、撮影スポットでは撮り鉄のような人の数と、不自然なほど均等に置かれている椿にちょっと萎えました。笑
花と苔がすごく綺麗で、緩くさくさく撮って歩くのが楽しかったです♪可愛らしい巫女さんもパチリ。
風情があるようなないようなお寺、それなりに楽しめました。てか、どこ行っても楽しんじゃいますけどね♪次はどっかディープな寺に行きたいなぁ。。
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Last set of signs from Gioji Temple! I found a super neat site called Koke Log while doing research on the plants for this post.
1 壱両 アリドオシ [蟻通] アカネ科の常���小低木 [和名由来] 針がアリを刺し通すほど鋭いことから。 [歴史・文化] センリョウ、マンリョウと一緒に植えて、[千両万両有り通し]と縁起をかつぐ俗信がある。 拾両 ヤブコウジ [藪柑子] ヤブコウジ科の常緑小低木 [和名由来] やぶの中に生え、葉の形や果実がコウジに似ているため。 [歴史・文化] 武家の元服の髪そぎのときに、山菅に添えられた。 百両 カラタチバナ [唐橘] ヤブコウジ科の常緑小低木 [和名由来] ヤマタチバナ (ヤブコウジの古名) に対してつけられた名。 [歴史・文化] 園芸品種が多い、実の色は赤白黄茶桃色など 千両 センリョウ [千両] センリョウ科の常緑小低木 [和名由来] マンリョウ科のカラタチバナが百両とあるのに対して、それよりも美しいという意味で千両とつけられた。 [歴史・文化] センリョウはわが国原産。 万両 マンリョウ [万両] ヤブコウジ科の常緑小低木 [和名由来] センリョウ科のセンリョウ (千両) ゆりも実が美しいため。 [歴史・文化] 江戸時代の頃から園芸品種となる。
2 [Left to right] こけのいろいろ ヒノキゴケ ホソバシラガゴケ オオシラガゴケ ギンゴケ シノブゴケ [No caption] タマゴケ フデゴケ ヤマトフデゴケ ハイゴケ コウヤノマンネングサ [No caption] カモジゴケ スナゴケ ナガエノスナゴケ カサゴケ ミズゴケ
3. 4. 5 スギゴケ ヒノキゴケ (シッポゴケ) 祇王寺の苔
Vocab 壱 (いち) one [in documents] 両 (りょう) old type of coin 蟻通 (ありどおし) Damnacanthus indicus アカネ科 (あかねか) Rubiaceae 常緑 (じょうりょく) evergreen 低木 (ていぼく) shrubbery 千両 (センリョウ) sarcandra glabra/bone-knitted lotus 万両 (まんりょう) ardisia crenata/coralberry 縁起を担ぐ (えんぎをかつぐ) to be superstitious, believe in omens 俗信 (ぞくしん) folk belief 拾 (じゅう) ten [in documents] 藪柑子 (やぶこうじ) ardisia japonica/spearflower ヤブコウジ科 Myrsinaceae やぶ thicket, bush, grove コウジ malt (grows on rice, beans, etc) 元服 (げんぷく) coming-of-age ceremony (Nara-Muromachi periods) 削ぐ (そぐ) to shave (off) 山菅 (やますげ) mountain sedge 添える (そえる) to garnish, accompany 唐橘 (からたちばな) trifoliate orange/hardy orange 園芸品種 (えんげいひんしゅ) cultivar センリョウ科 Chloranthaceae ヒノキゴケ Pyrrhobryum dozyanum ホソバシラガゴケ Leucobryum juniperoideum オオシラガゴケ Leucobryum scabru ギンゴケ Bryum argeteneum シノブゴケ Thuidicaceae (the family was about as specific as I could find) タマゴケ Bartramia pomiformus フデゴケ Campylopus umbellatus ヤマトフデゴケ Campylopus japonica ハイゴケ Hypnum plumaeform Wilson コウヤノマンネングサ Climacium japonicum カモジゴケ Dicranum scoparium スナゴケ Racomitrium canescens ナガエノスナゴケ Racomitrium fasciculare var. atroviride カサゴケ Rhodobryum roseum ミズゴケ Sphagnum (genus) スギゴケ Polytrichum juniperinum 苔 (こけ) moss
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新緑の北鎌倉散策 - 長寿寺
新緑の美しい今日この頃、北鎌倉の隠れスポット長寿寺を参拝してみた。
連休明け・紫陽花ピークシーズン前、比較的落ち着いた鎌倉を楽しむのは今だ!ということで、季節・曜日(週末)限定で拝観可能な隠れスポット 長寿寺を訪ねてみた。
ゆっくり堂内を巡ることのできる好きなタイプのお寺さん。苔庭の美しい堂前の庭園を抜け本堂へ。ご本尊に手を合わせご挨拶を済ませたのち、本堂からつながる方丈へ歩を進めます。座布団と座椅子が用意された方丈に腰を下ろしてほっと一息、新緑の美しい枯山水の庭園を鑑賞。心落ち着けるひと時でした。
こちらのお寺、実は以前一度訪問していたものの、拝観期間外で。。。山門からチラッとのぞかせていただくだけでしたが、それだけでも苔庭の美しさがひかる境内が非常に印象に残り、再訪の機会を狙っていました。今回実際に中を拝観させていただき、想像を超える満足度、鎌倉エリアの個人的なお気に入り上位入り間違いなしのスポットでした。紅葉シーズンもきっと綺麗に違いないと思うので、改めて訪れたいと思います。
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【かいわいの時】元禄六年(1693)八月十日:井原西鶴没 (大阪市史編纂所「今日は何の日」)
西鶴は、「誓願寺本堂西のうら手南向、三側目中程」(滝沢馬琴)に葬られた。その墓は、誓願寺境内で3回[註]移設されている。その経緯および実行者を記すと
(1回目 1889年)幸田露伴 今や露伴幸に因あり縁ありて、茲に斯に來つて翁を吊へば、墓前の水��き樒枯れて、鳥雀いたづらに噪ぎ塚後に苔黑み、霜凍りて屐履の跡なく、北風恨を吹て日光寒く、胸噫悲に閉ぢて言語迷ふ。噫世に功ありて世既に顧みず、翁も亦世に求むるなかるべし。翁は安きや、翁は笑ふや、唯我一炷の香を焚き一盞の水を手向け、我志をいたし、併せて句を誦す、翁若し知るあらば魂尚饗。九天の霞を洩れてつるの聲 露伴。「井原西鶴を弔ふ文」『小文学 第1号』1889より。
*幸田露伴が処女作『露団々』で金港堂から得た原稿料は五十円(現在価値で約170万円)。その「資」で露伴は旅に出る。1888年大晦日から1889年1月31日まで丸ひと月(露伴来弔はこの折。移設費用は、その「資」で賄った)。「時に嚢中一銭も無くなりけれ��、自ら経済の妙を得たるに誇ること甚し」(『酔興記』)。
(2回目 1910年)木崎好尚 浮世の月二年見過ごして二百七十年の昔(略)印の墓はいつしか八丁目寺町誓願寺の無縁塔におし込められしを二十余年前幸田露伴君が旅の置みやげに現今の本堂東南手に再興されしも浮世草紙の紙よりも薄き人情今度の電路問題の墓地取払ひの憂い目見る墓のぬし誰も見返るものなく《略》二百十年忌の追善発起の手前それがし痩せ腕を揮うて施主と相成申さん四日の日曜の午後一時に形計の移転式を営んで下さいと口約して置いた《略》さて、今度の改葬場所は元の地点に近いと信ぜらるゝ本堂の西南手の樟の下陰と定めたれば鶴のなき声に尋ね寄らんとする文学上有縁の方々に此顛末を告参す(大阪にて好尚)。「東京朝日新聞 明治四十三年十二月五日」
(3回目 1933年)南木芳太郎 明治二十幾年の頃、幸田露伴氏によって無縁塔中より発見され、門内近き所に建てられてあったが、明治四十二年の冬、電車通路の爲寺域は狭められ墓地整理の止むなきに至ったのを木崎好尚氏によつて、本堂西南手の通路に面し移されたのである、その後星霜二十幾年、現在に至りては背後が隣地との境界線にあるため、いつしか建てられし古小屋の板塀は痛く損じ實に見苦しく且つ墓域もなく悄然として無縁塔に並んであるのは如何にも侘しく感じられるので、今回誓願寺住職を促し更に西北隅の好位置に再轉させ、墓域を画し松壽軒に因み大なる松樹を植え、塔上を被ふ事とした、ほんの心だけであるが、これで墓らしくなったと思つてゐる。「西鶴の墓」上方郷土研究会『郷土研究 上方 第三十ニ号』1933(=写真も)
[註]滝沢馬琴が報告した「誓願寺本堂西のうら手南向、三側目中程」を本来の位置(0)とすれば、西鶴の墓は正確にゆうと「4回」移動している。以下に。( )内実行者
0)本堂西の裏手、三側目中程(北条団水他1名) 1)無縁塔の内(誓願寺) 2)本堂東南隅(幸田露伴) 3)堂の西南手、樟の下(木崎好尚) 4)西北隅の一画(南木芳太郎)
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何度も書いているからいつもの方々はお分かりいただけてると思うが、ぼくは昭和41年の早生まれである。
1966年。
ビートルズが来日した年だ。
三丁目の夕陽という映画があったが、あれは昭和30年代を描いていた。
ぼくが幼いころの記憶は、まだあの時代に近しいものがあって、今思えばそこかしこに昭和の濃厚な空気が漂っていた。��い物は近くの公設市場、野菜なんかを買うとポリ袋ではなく新聞紙に包まれてきた。
商店街に家があったから大体のことはそこで済んでしまう。
風呂も追い焚きなんかなくて「ガチンガチン」と種火を点けるやつで、トイレも和式。小用のアサガオもあったな。
テレビもまだ白黒のテレビを見ていた記憶がある。
両親は戦前の生まれで、ぼくは当時としては「遅い子」であった。
親が戦前生まれだから、というわけでもないだろうが食い物も煮物が中心で、ほとんど肉は食わなかったと思う。
たまに食卓に上がっても鶏肉や豚肉で、父が牛肉が苦手だったこともあって、挽肉ですら鶏か豚であった(これは今も変わらない)
さすがに気の毒に思うのか、稀にハンバーグなんかがぼくだけに出てくることがあったが、そんな時はマルシンハンバーグなんかだった。
そんなころ。
朝飯にはどんなものを食っていたかというと、こんな感じである。
これに前の日の残りもの。
新たになにか焼いたり煮たりはしていなかったと思う。
納豆、ごはん、みそ汁。
他に何かないか、というと海苔の佃煮か、あるいは台所にある焼き海苔を指差された。
今のように味付け海苔の1人分がパックされているものではなく、大きな海苔が缶に入っているものだった。
それを1枚取り出してガスコンロに行き、火を最小にして両面炙る。
しんなりとしていた海苔に若干の皺がより、手触りがざらっとしてきたらタイミングだ。
それくらいになると海苔は食べやすい大きさに折っただけでパリッと割ける。
納豆も藁に包まれたもので、それを小鉢に出してしょうゆと練り辛子を入れてかき混ぜる。納豆に付属のタレなんかなかった。
ぼくは納豆ごはんを海苔で巻いて食うのが大好きだった。
写真を撮り忘れたが、今朝は海苔もコンロで焼いて割いたものを添えた。
みそ汁には根深。
納豆を飯にかけて海苔を少ししょうゆをつけ巻いて食う。
やはりぼくはこれが好きだ。
昼飯はポークチャップパスタを作った。
非常に簡単なので思い出したように作るが、未だかつて失敗したことがない。というか失敗しようがない。
豚に焼き色をつけて取り出しておき、玉ねぎやきのこなど好きなものをバターで炒め豚肉を戻してからケチャップを焼き付けるように入れ赤ワインで煮込む。
あらかた水分が飛んだら出来上がりである。
野菜はなんでも好きなものを入れたらいい(けんた食堂風)
晩飯は近所の揚げ物屋さんで。
ごちそうさん。
丸愛
042-321-5995
東京都国分寺市東元町2-11-11
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苔玉は要らない
春の行事
周りに緑が多い環境ってありがたい環境ですけど、庭の手入れとかも大変です。
その辺が苦手な方々は管理されている住宅に暮らすのもありですが、その管理費が近年かなり高騰してまして、住宅価格の高騰と合わせてかなり痛手です。
以前日本の動画で苔玉(こけだま)が流行ってるとか見たことがあったけど、アウトドアの憧れからでしょうかね?昔から由緒ある寺院や日本庭園、それから盆栽とかに苔をはらせるのもありますけど、庭の芝には天敵であります。(笑)
これも、ところ変われば
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役者紹介🚃💨🍩🍗
どうも、らびです。ビアゲ編も書き足したぞ。34期の皆さんは最後まで読んでくれると嬉しいな
【栞編】
今回のキーワードとなる「環状線」にちなんで、おそらくこの中で最も環状線を知ってるであろう私が、皆さんに似合いそうなオススメの大阪環状線の駅を書いていきたいと思いま��。被っても知らん。
〇園堂香莉
大阪城公園
お散歩してそう。あの辺はお散歩にちょうどいいですからね、自然も綺麗でお城もあるし。かなりオススメです。古墳好きな人はお城も好きなんでしょうか
〇近未来ミイラ
寺田町
あの、ほんま、この駅ってなんも無…簡素で素朴なエリアなんですよね。素朴な舞台が好きなみーらのセンスと近しいものがあるような気がしなくもない。それにしてもほんまに何も無いこの駅。でもみーらなら独自の着眼点で何かを見出せそう
〇たぴおか太郎
大阪
キディランドもユザワヤもありますからね。間違いなく大阪駅でしょう。それはそうと、あそこのちいかわらんどって絶対にもっと広くするべきだと思いませんか?
〇錫蘭リーフ
福島
オフィスカジュアル的な衣装がとても似合ってるのでオフィス街でおなじみのこの駅で。でもほんまにあのオシャレなオフィス街歩いてそうなんだよな
〇帝京魂
京橋
京橋怖いよな。特に夜なんて怪しげな人が沢山いるし…でもこの辺色々ラーメン屋さんとかあるイメージですね。でもあんまり知らない。京橋怖いので
〇森々仙入
西九条
ユニバが似合いそう。ということでユニバに繋がってる西九条駅をチョイス。ユニバのクルーにいそう。私もユニバ行く時にしか使ったことないので西九条に何があるかが分かりません。
〇箏
福島
中之島の近くでもあるのですが、中之島のあたりは景色が美しいですねー。川沿いにおしゃれな建物が沢山立ち並んでいて緑も多くて…そんな景色がルーベにピッタリではないかなと
〇苔丸
弁天町
駅に隣接して空庭温泉という大型温泉施設があります。温泉だけでなく写真スポットやらレストランやらが沢山融合していて楽しい場所なので是非
〇響夜
芦原橋
ここには教習所があります。ここの教習所はなかなか難易度が高く、普段から千日前筋など大都会を走ります。ここに最狂のドライバーなびやをブチ込んだら一体どうなるんでしょうか。
〇ミル鍋
桃谷
この辺はオシャレなお家が多いですからね〜お金持ちの凝りに凝った家がちらほらあります。建築巡りしても楽しそうです。
〇あろハム権左衛門
福島
福島には美味しい飲み屋が沢山あるので、オーストラリアのパーリーで初手ジントニックをキメたあろハムならやっていけるでしょう。
〇アリリ・オルタネイト
玉造
住宅街のイメージなので街にいるネコちゃんと触れ合いますね。あと近くの空堀商店街には猫カフェがいくつかある。オススメです。
〇〆切三日前
天満
商店街があって美味しい飲食店が沢山あります。かなりオススメ。市場もあるから芋も売ってるかも…新鮮な食材が勢ぞろいしてます
〇黒井白子
森ノ宮
森ノ宮には実は漫才劇場があります。ここでよくお笑いライブがやってるんですよねしかもなかなか豪華!あと普通に劇場もある。演劇も観れてピッタリやん
〇中森ダリア
鶴橋
コリアタウンあるからね、間違いない。鶴橋は少々治安が悪いのですが、あのゴチャゴチャ感はアウトロー好きのひらりなら問題ないでしょう。
〇きなこ
桜ノ宮
環状線で春にここを通ると川に沿って桜がいっぱい咲いててすごい綺麗なんですよね。雰囲気的に桜が似合いそうだなぁと思ってのチョイスです
〇暁レミエル
天王寺
放課後の天王寺にいそう〜〜JKが似合うのでJKが沢山いる天王寺です。画材屋さんもあるよ。あとアクセスが良い!でも阪大からは遠い
〇肆桜逸
大阪
都会の眩しさに圧倒されてほしいです。ちなみに大阪駅には「LUCUA1100」って建物があるのですがこの読み方ご存知ですか?
〇埖麦
天王寺
めっちゃ放課後天王寺にいそう2。高校生が似合うからかな。この辺の高校生は放課後天王寺のフードコートやらでたむろしてます。いそう
〇紫苑
新今宮
カオスと混沌の街、新今宮———。こんな場所になつめを突っ込んだらどうなってしまうのでしょうか…そのカオスさを見てみたいですね。でも新今宮に行くのはオススメしません。どっちやねん。オススメしろよ。
〇水琴冬雪
大阪城公園
カメラをやっているので。何と言って���景色が綺麗で撮りごたえのある場所なのではないかなと思います。春は梅や桜が沢山咲いててカメラマンも多いですよ
【BE YOU AGAIN 編】
BE YOU 「揚げ」INということで、みなさんにオススメの揚げ物を書いていきたいと思います。みなさんにオススメのと言いつつも、みなさんを揚げ物に例えると、みたいな趣旨になっているかもしれません。
東愛莉
ごまだんご
おさげ髪がよく似合うので。両手に持ってて欲しい
大良ルナ
ハムカツ
ピンク色がよく似合うので。頬張っててほしい
児
カキフライ
独特の雰囲気がありつつも魅力的である
うみつき
白身魚のフライ
サッパリしている、ぽい
統括のフォーニャー
チーズホットグ
キラキラしているから
緒田舞里
エビフライ
みんな大好きで華がある
白
大葉の天ぷら
爽やかだが渋さもある
埖麦
ポテトフライ
若者のジャンキーな雰囲気がぽい
岡崎仁美
竜田揚げ
唐揚げではなく竜田揚げ
雨々単元気
ししとうの天ぷら
辛いやつに当たって良い反応しそう
舞原の絞り滓
オニオンリング
めっちゃなんとなくやけど、ぽい
じゃがりーた三世
串カツ
中身が全然わからない
オーム
コロッケ
声の雰囲気がコロッケの中身の感触に近い感じがするので
テキストを入力
ごぼうのの唐揚げ
細い
縦縞コリー
唐揚げ
唐揚げバカ
大福小餅
揚げパン
甘党すぎるから
叶イブ
チュロス
甘くて可愛いものが似合う
アリリ・オルタネイト
揚げ春巻き
グローバルな感じがするからです
はぜちかきつ
カツ
王道。似合う。
おや…役者紹介の様子がおかしいぞ…
▶︎役者紹介が団員紹介に変化した!
という訳で34期の皆さんには真面目なやつを書いていきたいと思います。
◯たぴおか太郎
稽古日誌とかコラ画像の感じとか見ていたら一見激ヤバな狂人だと思いきや、誰よりも優しくて気遣いの天才で努力家な素敵な方です。なすかさんがいないと成立しなかった事、沢山あるかと思います。あとセンスも大好き。今度の公演も楽しみにしています!
◯岡崎仁美
もはや友達。いっぱい遊びに行ってるもんね〜☺️時にはズバッと厳しい意見も言い場を締める役割は、下手したら嫌われ役になってしまう可能性もあるのに、それが出来るのは普通じゃないです。すごい。ヌピというデカい柱が無くなってしまうこと��少し不安もあります。引退しても遊びに行きましょうね!
◯水琴冬雪
オムニに出てなかった私にとっては感謝してもし足りない人です。「らびはもうオレンジ班だからねー」って終礼に入れてくれた事にも大入りを書いてくれた事にも助けられました。嬉しかったです。今役者を出来ているのもベガさんのおかげだと思っています。宣美も、最後にまたベガさん脚本の担当が出来て良かったです。
◯緒田舞里
色んな意味でこうなりたい人。活動内容の特性上でしょうか、ちゃうかを楽しいとは思いつつもその下にはずっとしんどさもあって、でも外公終わりに色々お話しした時にそんな自分がなんかもう色々成仏しました。ありがとうございます。まりおさんは、「この人にそう言ってもらえるなら」と思わされる位偉大で、でもどんな人にも寄り添える素晴らしい先輩です。こうありたいと思う人です。
◯肆桜逸
絶対稽古場作業場吹田にいて欲しい。この人がいれば絶対その場が面白くなるからです。今年入ってから急激に仲良くなった気がします。インターネットの話するの楽しいですね😃引退しても吹田支部(旧)しましょうね。俺は吹田が大好きなんだよ!!
◯児
もう奇怪な動きをしたり美声を響かせてるこたちさんの姿が稽古場から無くなると思うと寂しいですね。自分の中でがっころの演出を出来た事は色んな意味で大きかったと思っていて、その点ではめちゃくちゃ感謝しています。次の公演も楽しみです。
◯らっしー
座長になるべくしてなった方ですね。らっしーさんのホワッとした雰囲気はちゃうかに安寧をもたらしていることでしょう。個人的には私服がカッコよくてめっちゃ好きです。進撃の巨人の服もかっこいいと思ってます。本当です。
◯統括のフォーニャー
なんでも肯定してくれる優しいネキ。個人的にはもっとお話ししてみたかったし、役者ももっと見てみたかったなと思っています。全然関わりの強い訳でもない私が言うのもなんですが、強くてしたたかな方だなと思っています。
◯舞原の絞り滓
外公で共演できて嬉しかったです。もっとお話ししたいと思ってたので。横から聞こえるまほろさんのクソデカ声、いまだに恋しいです。だーがーしかーし‼️まだまだ知らないこともあると思います。願わくばまたその機会があらんことを…
◯じゃがりーた三世
結局この人のことを何も分からないまま引退してしまいそうです。本当不思議な方です。なんでそんな、後輩にもめちゃくちゃ敬語なんですか…?でも時々芯食ったことを言うので怖い。
◯アリリ・オルタネイト
ボス。舞美のね。猫みたいにフラッとどっかに行ったかと思えばフラッと戻ってきて頼りになる人。かっこいい。よくよく考えたらめちゃくちゃハイスペックなことを思い出してすげぇ…となるやつを何回もやってます。
34期、フォーエバ��
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2024.10.13
映画『HAPPYEND』を見る。父の時代の学生運動のような雰囲気と、街の風景のクールな切り取り、存在感があり重厚な音楽の使い方から愛しいものとしてのテクノの使い方まで大変気に入り、今度会う人に渡そうと映画のパンフレットを2冊買う。その人と行った歌舞伎町時代のLIQUIDROOM、どんどん登らされた階段。小���学生の時に自分がした差別、あの分かっていなさ、別れた友人、まだ近くにいる人たち。
2024.10.14
銀座エルメスで内藤礼『生まれておいで 生きておいで』、ガラスの建築に細いテグスや色のついた毛糸が映える。日が落ちて小さなビーズが空間に溶けていくような時間に見るのも素敵だと思う。檜の「座」で鏡の前にいる小さな人を眺める。「世界に秘密を送り返す」を見つけるのは楽しい。黒目と同じだけの鏡、私の秘密と世界の秘密。今年の展示は上野・銀座ともに少し賑やかな雰囲気、外にいる小さい人たちや色とりどりの光の色を網膜に写してきたような展示。でも相変わらず目が慣れるまで何も見えてこない。銀座にはBillie Eilishもあったので嬉しくなる。
GINZA SIXのヤノベケンジ・スペースキャットと、ポーラアネックスでマティスを見てから歩行者天国で夜になっていく空を眺めた。小さい頃は銀座の初売りに家族で来ていたので、郷愁がある。地元に帰るよりも少しあたたかい気持ち、昔の銀座は磯部焼きのお餅を売っていたりしました。東京の楽しいところ。
2024.10.18
荷造り、指のネイル塗り。足は昨日塗り済み。年始の青森旅行時、2泊3日の持ち物リストを作成し、機内持ち込み可サイズのキャリーに入れ参照可能にしたところ、旅行のめんどくさい気持ちが軽減された。コンタクトや基礎化粧品・メイク用品のリスト、常備薬、安心できる着替えの量。持ち物が少ない人間にはなれそうにない。日常から多い。部屋に「読んでいない本」が多いと落ち着くような人間は持ち物少ない人になれない。
2024.10.19
早起きして羽田空港。8:30くらいに着いたらまだ眺めのいいカフェが開いておらず、とりあえず飛行機が見える屋上に行く。このあと雨が降るはずの曇り空からいきなり太陽が照り出して暑くなり、自販機でマカダミアのセブンティーンアイスを買い、食べる。突然の早朝外アイス。飛行機が整列し、飛び立つところをぼんやりと眺める。飛行機は綺麗。昨夜寝る前にKindleで『マイ・シスター、シリアルキラー』を買って「空港ではミステリー小説だろう」と浮かれて眠ったのに、100分de名著のサルトルを読み進める。実存主義を何も分かっていないことをこっそりとカバーしたい。すみませんでした。
10:15飛行機離陸。サンドイッチをぱくぱく食べたあとKindleを手に持ったまま眠ってしまい、11:55宇部空港着。
宇部空港、国内線のロビーは小さく、友人にすぐ会う。トンネルを抜ける時、窓が曇り、薄緑色の空間に虹色の天井のライトと車のライトがたくさん向かって来て流れる。動画を撮影しながら「綺麗くない?」と言うと「綺麗だけど本当は危ない」と言われる。かけるべきワイパーをしないで待っていてくれたんだと思う。
友人のソウルフードであるうどんの「どんどん」で天ぷら肉うどん、わかめのおにぎりを食べる。うどんは柔らかく、つゆが甘い。ネギが盛り放題。東京でパッと食べるうどんははなまる系になるので四国的であり、うどんのコシにもつゆにも違いがある。美味しい。
私は山口市のYCAMのことしか調べずに行ったので連れて行ってもらう。三宅唱監督の『ワイルドツアー』で見た場所だ。『ワイルドツアー』のポスターで見た正面玄関を見に芝生を横切ったが、芝生は雨でぐずぐずだった。でも全部楽しい。
広くて静かで素敵な図書館があり、心の底から羨ましい。小さな映画館もあり、途中入場できるか聞いたおじいちゃんが、「途中からだからタダにならない?」と言っていたがタダにはなっていなかった。一応言ってみた感が可愛らしい範囲。
YCAM内にあるのかと思っていたら違う倉庫にスペースのあった大友良英さんらの「without records」を見に行く。レコードの外された古いポータブルレコードプレーヤーのスピーカーから何がしかのノイズ音が鳴る。可愛い音のもの、大きく響く音のもの。木製や黄ばんだプラスチックの、もう存在しない電機メーカーの、それぞれのプレーヤーの回転を眺めて耳を澄ませてしばらくいると、たくさんのプレーヤーが大きな音で共鳴を始める。ずっと大きい音だと聞いていられないけれど、じっと待ってから大きな音が始まると嬉しくなる。プログラムの偶然でも、「盛り上がりだ」と思う。
山口県の道路はとても綺麗で(政治力)、道路の横は森がずっと続く。もとは農地だっただろう場所にも緑がどんどん増えている。私が映画で見るロードムービーはアメリカのものが多く、あちらで人の手が入っていない土地は平らな荒野で、日本の(少なくとも山口県の)土は放っておくとすぐに「森」になるのだ、ということを初めて実感する。本当の森の中にひらけた視界は無く、車でどんどん行けるような場所には絶対にならない。私がよく散歩��する所ですら、有料のグラウンドやイベント用の芝生でない場所には細い道を覆い隠す雑草がモコモコと飛び出して道がなくなってゆく。そして唐突に刈られて草の匂いだけを残す。私が「刈られたな」と思っているところも、誰かが何らかのスケジュールで刈ってくれているのだ。
山口県の日本海側の街では中原昌也と金子みすゞがそこかしこにドンとある。
災害から直っていないために路線が短くなっているローカルの汽車(電車じゃない、電車じゃないのか!)に乗って夜ご飯へ。終電が18:04。霧雨、暴風。一瞬傘をさすも無意味。
焼き鳥に挟まっているネギはタマネギで、つきだしは「けんちょう」という煮物だった。美味しい。砂肝、普段全然好きじゃないのに美味しかった。少し街の端っこへ行くとたまに道に鹿がいるらしく、夜見ると突然道路に木が生えているのかと思ったら鹿の角、ということになり怖いらしい。『悪は存在しない』のことを思う。
2024.10.20
雨は止んでいてよかった。海と山。暴風。人が入れるように少しだけ整えられた森に入り、キノコを眺める。
元乃隅神社、123基の鳥居をくぐり階段を降りて海の近くへ。暴風でiPhoneを構えてもぶれて、波は岩場を越え海の水を浴びる。鳥居の上にある賽銭箱に小銭を投げたけれど届くわけもない。車に戻ると唇がしょっぱかった。
山と海を眺めてとても素敵なギャラリー&カフェに。古い建物の改装で残された立派な梁、屋根の上部から太陽光が取り込まれるようになっていて素晴らしい建築。葉っぱに乗せられたおにぎりと金木犀のゼリーを食べる。美味しい。
更に山と海を眺めて角島へ。長い長い橋を通って島。古い灯台、暴風の神社。曇天の荒れた海も美しいと思う、恐ろしい風や崖を体感としてしっかりと知らない。構えたカメラも風でぶれるし、油断すると足元もふらつく風、窓につく塩の結晶。
山と海を眺めて香月泰男美術館へ。友人が見て良い展示だったからもう一度来て見せてくれたのだ。
全然知らなかったけれど、本当に素晴らしい絵だった。油彩なのだけど、質感が岩絵具のようで、フレームの内側に茶色のあやふやな四角が残っているのがとても良い。
フレーミングする、バチッと切り取ってしまう乱暴さから離れて、両手の人差し指と親指で四角を作って取り出したようなまなざしになる。
山口県の日本海側の山と畑と空の景色、荒い波、夜の静けさや月と雲、霧の色を見てから美術館へ連れて来てもらえたから色と色の境目の奥行きを知る。柿はずっしりと重く、花は鮮やかだ。香月泰男やシベリア抑留から帰ってきた画家で、この前読んだ『夜と霧』の暗さと冷たさを思い返した。絵の具箱を枕にして日本へ帰る画家が抱えていた希望、そのあとの色彩。
夕飯は友人の知り合いのハンバーガー屋さんへ。衝撃のうまさ。高校生の時に初めて食べたバーガーキングの玉ねぎの旨さ以来の衝撃、20年ぶりだ。そんなことがあるのか。
2024.10.21
晴天。海は穏やかで、深い青、テート美術館展で見たあの大きな横長の絵みたい。初めて見た海の光。
海と山を眺めて秋吉台へ。洞窟は時間がかかるので丘を散策、最高。
風光明媚な場所にしっかりとした情熱が無かったけれど、「好きな場所だから」と連れていってもらえる美しい場所は、友人が何度も見るたびに「好きだなぁ」と思っただろう何かが分かり、それは私が毎日毎日夕陽を眺めて「まだ飽きない」と思っている気持ちととても近く、感激する。
今までの観光旅行で一番素敵だった。
道々で「このあと窓を見て」と教えてもらい、味わう。
ススキが風に揺れて、黄色い花がずっとある。山が光で色を変え、岩に質感がある。
山口市、常栄寺、坂本龍一さんのインスタレーション。お寺の庭園が見られる場所の天井にスピーカーが吊るされ、シンセサイザーの音を演奏しているのは色々な都市の木の生体信号だ。鳥の声や風の音と展示の音は区別されない。砂利を踏む音、遠くから聞こえる今日の予定。豊かなグラデーションの苔に赤い葉っぱが落ちる。
宇部空港はエヴァの激推しだった。庵野さん、私も劇場で見届けましたよ。
行きの飛行機は揺れたけれど、帰りは穏やかに到着、家までの交通路がギリギリだったため爆走、滑り込む。
東京の車の1時間と山口の1時間は違う。
何人かの山口出身の友人が通った空と道と海と山の色を知ることができてとても嬉しい。
「好きな場所」「好きな風景」ってどういうものなんだろう。
私が通う場所、好きな建築、好きな季節と夕陽。あの人が大切にしている場所に吹く風、日が落ちる時刻が少し違う、友人のいる場所。
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📸三千院庭園(京都市左京区) Sanzenin Temple Garden, Ohara, Kyoto ——京都・大原の代表的寺院の京都市指定文化財庭園『三千院有清園庭園及び聚碧園庭園』。桃山〜江戸時代の武将&茶人 #金森宗和 が手掛けた“聚碧園”と、国指定重要文化財の往生極楽院から眺める“有清園”。 ———————— 「三千院」は京都・大原の代表的な寺院/観光名所。平安時代から約1200年の歴史を持ち、代々皇室/皇族の出身者が住職を務めた“門跡寺院”の中でも『青蓮院門跡』などと共に“天台宗三門跡”(五箇所門跡)などに挙げられる高い格式の寺院。 境内にある2つの庭園が“三千院有清園庭園及び聚碧園庭園”の名で京都市指定文化財(京都市指定名勝)。そのうち『聚碧園』の作庭・修築を手掛けたのは戦国時代〜江戸時代の武将/茶人・金森宗和と伝わります。 2022年秋に約3年ぶりに訪れたのでその時の写真を追加して更新。 ■聚碧園 拝観受付の後に最初に鑑賞する庭園が、客殿の前に広がる“聚碧園”(しゅうへきえん)。石橋まで苔むした一面の緑と小さなサツキの刈込の美しい池泉鑑賞式庭園で、現在の庭園への修築を手掛けたのは桃山時代〜江戸時代の武将茶人・金森宗和。氏が作庭ではなく修築を手掛けたということは、年代的には桃山よりもっと古いのかも…。西行法師または陵阿上人のお手植の桜は近年5月初旬に白い花を咲かせるとか。 なお客殿には竹内栖鳳、今尾景年、鈴木松年、望月玉泉、菊池芳文といった近代の京都画壇で活躍した日本画家により明治時代に奉納された襖絵を見ることができます。 ▼他の写真や解説のつづきは @oniwastagram のプロフURLかこのURLから。 For more photos and commentary, please visit @oniwastagram 's profile URL or this URL. https://oniwa.garden/sanzenin-temple-kyoto-%e4%b8%89%e5%8d%83%e9%99%a2/ ———————— #japanesegarden #japanesegardens #japanesearchitecture #japanarchitecture #kyotogarden #zengarden #landscapedesign #beautifuljapan #beautifulkyoto #japanarchitect #japandesign #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #kyototrip #kyototravel #kyototemple #庭院 #庭园 #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #京都寺院 #京都旅行 #京都観光 #大原 #京都大原 #おにわさん (京都大原三千院) https://www.instagram.com/p/Cpu5p4GvVQs/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#金森宗和#japanesegarden#japanesegardens#japanesearchitecture#japanarchitecture#kyotogarden#zengarden#landscapedesign#beautifuljapan#beautifulkyoto#japanarchitect#japandesign#jardinjaponais#jardinjapones#japanischergarten#jardimjapones#kyototrip#kyototravel#kyototemple#庭院#庭园#庭園#日本庭園#京都庭園#京都寺院#京都旅行#京都観光#大原#京都大原#おにわさん
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2024年4月7日(日)
拙宅から徒歩10分の梅小路公園、週末になればなにがしかのイベントが開か���ているが、今日は<循環フェス 2024>の日だ。先日町内の回覧板で知ったのだが、早速リユース価値のある古着を用意して会場へと乗り込んだ。午前10時オープンなのだが、すでに<0円マーケット>には長蛇の列、好きな古着3点まで無料とのことで人気があるのは納得。わたしはと言えば入口左側の古着回収ボックスに大きな紙袋一杯の夫婦の古着を投入してミッション完了。断捨離を要求される身には、次回の開催が待ち遠しいことだ。
5時15分起床。
日誌書く。
朝食には、昨日文楽劇場でいただいた<黒門市場200周年>記念の餅を頂く。
珈琲。
洗濯。
ツレアイは奈良での太鼓練習の日、近鉄東寺駅まで送る。
糠床メンテナンス、奥川ファームの大根と人参を漬ける。
コレモ七条店で買物、コンニャク・チクワ・飛竜頭、今夜は関東煮。
大根の下茹で。
出汁を取って関東煮の用意、小ゑん師のグツグツには登場人物が少ない。
梅小路公園まで古着を持��、オープンすぐだが多くの人が集まっている。何であれ、近くで断捨離の機会があることに感謝。
ランチ、息子たちはサッポロ一番味噌ラーメン。
しばらくしてツレアイから連絡、近鉄東寺駅まで迎えに行く。
遅い時間のランチ、そば+🍶。
軽く午睡。
ツレアイは買物に、私は資料整理。
早い時間に夕飯準備、今夜は関東煮。
録画番組視聴、サラメシ
(1)瀬戸内のり漁師夫婦▽53年使い続けた弁当箱 最後の日
初回放送日: 2024年4月4日 冬から初春に旬を迎える岡山県の海苔(のり)。栄養豊富な海水と冬の晴天に育まれ、甘みのある上質な味が特徴。代々漁師の家に生まれた妻と結婚を機に漁師になった夫。仲良し夫婦は漁港そばの食堂のお好み焼きがお気に入り▽神奈川県内の消防署で救急隊員として働く門倉正道さんは、中学生から50年以上同じ弁当箱を使い続けてきたが、今年2月に定年退職。最後の出勤日に密着!▽テレワーク中のランチをのぞき見「テレメシ」も。
落語研究会。
再放送だが、やはり「百年目」は上方でないとねぇ。
片付け、入浴、散髪。
体重は50g増、明日からランチ抜きで頑張るのだ。
パジャマに着替えて日誌書く。
明日から授業開始、このリズムをキープせねば。
何であれ、歩数を稼げば後はついてくるのだ。
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各地句会報
花鳥誌 令和5年5月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和5年2月2日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
厨女も慣れたる手付き雪掻す 由季子 闇夜中裏声しきり猫の恋 喜代子 節分や内なる鬼にひそむ角 さとみ 如月の雨に煙りし寺の塔 都 風花やこの晴天の何処より 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
暗闇��のチャペルの春は明日あたり きみよ 長すぎるエスカレーター早春へ 久 立春の市の算盤振つてみる 要 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ きみよ 伊達者のくさめ名残りや南部坂 眞理子 慶應の先生眠る山笑ふ いづみ 豆源の窓より立春の煙 和子 供華白く女優へ二月礼者かな 小鳥 古雛の見てゐる骨董市の空 順子 古雛のあの子の部屋へ貰はれし 久
岡田順子選 特選句
暗闇坂のチャペルの春は明日あたり きみよ 冬帝と暗闇坂にすれ違ふ 同 大銀杏八百回の立春へ 俊樹 豆源の春の売子が忽と消え 同 コート脱ぐ八咫鏡に参る美女 きみよ おはん来よ暗闇坂の春を舞ひ 俊樹 雲逝くや芽ばり柳を繰りながら 光子 立春の蓬髪となる大銀杏 俊樹 立春の皺の手に売るくわりんたう 同 公孫樹寒まだ去らずとのたまへり 軽象
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
敬な信徒にあらず寒椿 美穂 梅ふふむ野面積む端に摩天楼 睦子 黄泉比良坂毬唄とほく谺して 同 下萌や大志ふくらむ黒鞄 朝子 觔斗雲睦月の空に呼ばれたる 美穂 鼻歌に二つ目を割り寒卵 かおり 三路のマネキン春を手招きて 同 黄金の国ジパングの寒卵 愛 潮流の狂ひや鯨吼ゆる夜は 睦子 お多福の上目づかひや春の空 成子 心底の鬼知りつつの追儺かな 勝利
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月6日・7日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
潮騒を春呼ぶ音と聞いてをり かづを 水仙の香り背負うて海女帰る 同 海荒るるとも水仙の香の高し 同 坪庭の十尺灯篭日脚伸ぶ 清女 春光の中神島も丹の橋も 同 待春の心深雪に埋もりて 和子 扁額の文字読めずして春の宿 同 砂浜に貝を拾ふや雪のひま 千加江 村の春小舟ふはりと揺れてをり 同 白息に朝の公園横切れり 匠 風花や何を告げんと頰に触る 笑子 枝川やさざ波に陽の冴返る 啓子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月8日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
雪を踏む音を友とし道一人 あけみ 蠟梅の咲き鈍色の雲去りぬ みえこ 除雪車を見守る警備真夜の笛 同 雪掻きの我にエールや鳥の声 紀子 握り飯ぱり��と海苔の香を立て 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
東風に振る竿は灯台より高く 美智子 月冴ゆる其処此処軋む母の家 都 幽やかな烏鷺の石音冴ゆる夜 宇太郎 老いの手に音立て笑ふ浅蜊かな 悦子 鎧着る母のコートを着る度に 佐代子 老いし身や明日なき如く雪を掻く すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
朝光や寺苑に生るる蕗の薹 幸風 大屋根の雪解雫のリズム良き 秋尚 春菊の箱で積まれて旬となる 恭子 今朝晴れて丹沢颪の雪解風 亜栄子 眩しさを散らし公魚宙を舞ふ 幸子 流れゆくおもひで重く雪解川 ゆう子 年尾句碑句帳に挟む雪解音 三無 クロッカス影を短く咲き揃ふ 秋尚 あちらにも野焼く漢の影法師 白陶 公魚や釣り糸細く夜蒼し ゆう子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
犬ふぐり大地に笑みをこぼしけり 三無 春浅しワンマン列車軋む音 のりこ 蝋梅の香りに溺れ車椅子 三無 寒の海夕赤々漁終る ことこ 陽が風を連れ耀ける春の宮 貴薫 青空へ枝混み合へる濃紅梅 秋尚 土塊に春日からめて庭手入 三無 夕東風や友の消息届きけり 迪子 ひと雨のひと粒ごとに余寒あり 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
浅春の眠りのうつつ出湯泊り 時江 老いたれば屈託もあり毛糸編む 昭子 落としたる画鋲を探す寒灯下 ミチ子 春の雪相聞歌碑の黙続く 時江 顔剃りて少し別嬪初詣 さよ子 日脚伸ぶ下校チャイムののんびりと みす枝 雪解急竹はね返る音響く 同 寒さにも噂にも耐へこれ衆生 さよ子 蕗の薹刻めば厨野の香り みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月14日 萩花鳥会
水甕の薄氷やぶり野草の芽 祐子 わが身共老いたる鬼をなほ追儺 健雄 嗚呼自由冬晴れ青く空広く 俊文 春の園散り散り走る孫四人 ゆかり 集まりて薄氷つつき子ら遊ぶ 恒雄 山々の眠り起こせし野焼きかな 明子 鬼やらひじやんけんで勝つ福の面 美惠子
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令和5年2月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
吹雪く日の杣道隠す道標 世詩明 恋猫の闇もろともに戦かな 千加江 鷺一羽曲線残し飛び立てり 同 はたと止む今日の吹雪の潔し 昭子 アルバムに中子師の��み冬の蝶 淳子 寒鯉の橋下にゆらり緋を流す 笑子 雪景色途切れて暗し三国線 和子 はよしねまがつこにおくれる冬の朝 隆司 耳目塗り潰せし如く冬籠 雪 卍字ケ辻に迷ひはせぬか雪女 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
指先に一つ剥ぎたる蜜柑の香 雪 大寒に入りたる水を諾ひぬ 同 金色の南無観世音大冬木 同 産土に響くかしは手春寒し かづを 春の雷森羅万象𠮟咤して 同 玻璃越しに九頭竜よりの隙間風 同 気まぐれな風花降つてすぐ止みて やす香 寒紅や見目安らかに不帰の人 嘉和 波音が好きで飛沫好き崖水仙 みす枝 音待てるポストに寒の戻りかな 清女 女正月昔藪入り嫁の里 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月17日 さきたま花鳥会 坊城俊樹選 特選句
奥つ城に冬の遺書めく斑雪 月惑 顔隠す一夜限りの雪女郎 八草 民衆の叫びに似たる辛夷の芽 ふじほ 猫の恋昼は静かに睨み合ひ みのり 薄氷に餓鬼大将の指の穴 月惑 無人駅青女の俘虜とされしまま 良江 怒号上げ村に討ち入る雪解川 とし江 凍土を突く走り根の筋張りて 紀花 焼藷屋鎮守の森の定位置に 八草 爺の膝捨てて疾駆の恋の猫 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
古玻璃の奥に設ふ古雛 久 笏も扇も失せし雛の澄まし顔 眞理子 日矢さして金縷梅の縒りほどけさう 芙佐子 梅東風やあやつり人形眠る箱 千種 春風に槻は空へ細くほそく ます江 山茱萸の花透く雲の疾さかな 要 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 ぽつねんと裸電球雛調度 要
栗林圭魚選 特選句
紅梅の枝垂れ白髪乱さるる 炳子 梅園の幹玄々と下萌ゆる 要 濃紅梅妖しきばかりかの子の忌 眞理子 貝殻の雛の片目閉ぢてをり 久 古雛髪のほつれも雅なる 三無 老梅忌枝ぶり確と臥龍梅 眞理子 山茱萸の空の広さにほどけゆく 月惑 八橋に水恋うてをり猫柳 芙佐子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
師を背負ひ走りし人も雪籠 雪 裏庭開く枝折戸冬桜 同 天帝の性こもごもの二月かな 同 適当に返事してゐる日向ぼこ 一涓 継体の慈愛の御ん目雪の果 同 風花のはげしく風に遊ぶ日よ 洋子 薄氷を踏めば大空割れにけり みす枝 春一番古色の帽子飛ばしけり 昭上嶋子 鉤穴の古墳の型の凍てゆるむ 世詩明 人の来て障子の内に隠しけり 同 春炬燵素足の人に触れざりし 同 女正月集ふ妻らを嫁と呼ぶ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月26日 月例会 坊城俊樹選 特選句
能舞台昏きに満ちて花を待つ 光子 バス停にシスターとゐてあたたかし 要 空に雲なくて白梅すきとほる 和子 忘れられさうな径の梅紅し 順子 靖国の残る寒さを踏む長靴 和子 孕み猫ゆつくり進む憲兵碑 幸風 石鹸玉ゆく靖国の青き空 緋路 蒼天へ春のぼりゆく大鳥居 はるか
岡田順子選 特選句
能舞台昏きに満ちて春を待つ 光子 直立の衛士へ梅が香及びけり 同 さへづりや鉄のひかりの十字架へ 同 春の日を溜め人を待つベンチかな 秋尚 春風や鳥居の中の鳥居へと 月惑 料峭や薄刃も入らぬ城の門 昌文 梅香る昼三日月のあえかなり 眞理子 春陽とは街の色して乙女らへ 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
ポケットの余寒に指を揉んでをり 勝利 黒真珠肌にふれたる余寒かな 美穂 角のなき石にかくれて猫の恋 朝子 恋仲を知らん顔して猫柳 勝利 杖の手に地球の鼓動下萌ゆる 朝子 シャラシャラとタンバリン佐保姫の衣ずれ ひとみ 蛇穴を出て今生の闇を知る 喜和 鷗外のラテン語冴ゆる自伝かな 睦古賀子 砲二門転がる砦凍返る 勝利 小突かれて鳥と屋や に採りし日寒卵 志津子 春一番歳時記の序を捲らしむ 愛
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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『第65回 2024年報道写真展』
期間:12月11日(水)~22日(日) 午前10時~午後7時
会場:日本橋三越本店 本館7階 催物会場 【入場無料】
久々に参りました、日本橋三越さん。
全くもって嬉しい限り。大感激です。
今年一年の締めくくり、写真で振り返る、世間の出来事。
本当に有難く、誠に大感謝、関係者の皆様方へ厚く御礼申し上げます。
あっという間でした、この一年。皆様方は如何でした���?
そう、そう、そう、明年への準備ですよね。
クリスマス、そしてお正月、エトセトラ。。。
寒さ厳しくなりましたので、皆様方もお身体に気をつけて、
お過ごしくださいませ。
それでは、また!
《写真の185年〔2024年)》
<写真展>
箱根駅伝100回記年
報道写真で振り返る箱根駅伝展
日本橋三越本店 本館1階
2023年12月27日(水)〜2024年1月9日(火)
中平卓馬 火―氾濫
東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー
2024年2月6日(火)~ 4月7日(日)
没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる
東京都写真美術館
2024年3月16日(土)~5月12日(日)
アンセル・アダムス作品展「ポートフォリオIV:偉大なる啓示」
フジフイルム スクエア 写真歴史博物館 企画写真展
2024年3月28日(木)~5月22日(水)
没後70年 戦争を越えて―写真家ロバート・キャパ、愛と共感の眼差し―
東京富士美術館
2024年4月9日(火)~2024年6月23日(日)
写真展「明治通りを走った都電―金子芳夫撮影写真から―」
白根記念渋谷区郷土博物館・文学館 特別展示室
2024年4月23日(火)〜6月30日(日)
マイケル・ケンナ写真展「JAPAN / A Love Story 100 Photographs by Michael Kenna 」
代官山ヒルサイドフォーラム
2024年4月17日(水)~5月5日(日)
写真展「In Focus: Yuzuru Hanyu Lensed by Jiro Konami」
グッチ銀座 ギャラリー
2024年5月22日(水)– 6月30日(日)
田原桂一『OPÉRA de PARIS』
ポーラ ミュージアム アネックス
2024年6月21日(金)~2024年7月28日(日)
ロバート・フランク生誕100周年記念展
「もう一度、写真の話をしないか。フランクと同時代の写真家たち」
清里フォトアートミュージアム
2024年7月6日(木)~9月29日(日)
ポール・マッカートニー写真展 1963-64~Eyes of the Storm~
東京シティビュー(六本木ヒルズ森タワー52階)
2024年7月19日(金)~9月24日(火)
山岸伸写真展「KAO」日本の顔 scene1072-1140
オカムラ ガーデンコートショールーム
2024年7月16日(火)~7月27日(土)
ニコンミュージアム リニューアルオープン
2024年10月12日(土)
※ニコンミュージアムは、2017年7月にニコン創立100周年を記念して品川インターシティに開設。新本社移転に伴い、リニューアルオープンした。
第65回 2024年報道写真展
日本橋三越本店 本館7階 催物会場
12月11日(水)~22日(日)
<展覧会>
開館20周年記念展/帝国ホテル二代目本館100周年
フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築
パナソニック汐留美術館
2024年1月11日(木)〜 3月10日(日)
【特別展】山本陽子さんと山本海苔店-写真で振り返る57年
山本海苔店日本橋本店内特設コーナー
2024年3月8日(金)~3月31日(日)
生誕100年記念 特別展「高峰秀子が愛したきもの」
日本橋三越本店本館4階 呉服特選サロン
2024年3月月27日(水)〜4月9日(火)
生誕100年記念 東京タワー大特別展
「逆境を乗り越えた大女優 高峰秀子の美学」
東京タワー1F RED°TOKYO TOWER特別会場
2024年3月28日(木)~5月6日(月・休)
虎ノ門ヒルズ ステーションタワー
2024年4月12日(金)〜6月23日(日)
<映画>
映画『オペラ座の怪人 4Kデジタルリマスター』
2024年6月14日(金)〜
全国ロードショー
『フェラーリ』
2024年7月5日(金)〜
全国ロードショー
ゴジラ博 in東京ミッドタウン日比谷
2024年8月13日(火)~2024年9月1日(日)
東京ミッドタウン日比谷 6F BASEQ HALL
主催:ゴジラ博実行委員会
共催:三井不動産/東京ミッドタウン日比谷企画
監修:東宝公式サイト
https://www.godzilla-tokusatsu.com/
ブリジット・バルドー レトロスペクティヴ BB生誕90年祭
2024年9月13日〜
東京・新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、他、全国の劇場で順次開催。
第76回エミー賞 主演男優賞 真田広之
ドラマ「SHOGUN 将軍」
2024年9月15日(日)
※(日本時間16日)
<文学>
寺山修司展
世田谷文学館
2024年10月5日(土)〜2025年3月30日(日)
※生誕90年を記念
<美術館・博物館>
建立900年 特別展「中尊寺金色堂」
東京国立博物館
2024年1月23日(火)~4月14日(日)
大吉原展
東京藝術大学大学美術館
2024年3月26日(火)~5月19日(日)
名古屋刀剣博物館「名古屋刀剣ワールド」
2024年5月1日(水) 開館
お茶の文化創造博物館
お~いお茶ミュージアム
伊藤園
2024年5月1日(水)オープン
UESHIMA MUSEUM
渋谷教育学園 植島タワー
2024年6月1日(土) オープン
生誕140年 YUMEJI展 大正浪漫と新しい世界
東京都庭園美術館
2024年6月1日(土)〜8月25日(日)
カルティエと日本 半世紀のあゆみ 『結 MUSUBI』展
東京国立博物館 表慶館
2024年6月12日(水)〜7月28日(日)
<商業施設>
内幸町一丁目再開発
2024年2月から着工、全ての完成は2039年度の予定。
東京都立代々木公園が拡張整備され、2024年3月供用開始予定。
あべのハルカス開業10周年
2024年3月7日
<観光業>
観光施設「豊洲 千客万来」開業
2024年年2月
山の上ホテル
2024年2月13日 全館休業
※休館理由:竣工から86年を迎える建物の、老朽化への対応を検討する為。
追記
明治大学は2024年11月15日、東京・神田にある「山の上ホテル」の土地と建物を取得した。
帝国ホテル 東京 建て替え計画
※国際的ベストホテルを目指し、2024年から2036年頃までの期間、グランドホテルとなる新本館と複合ビルの新タワー館を建設。
「食のサステナビリティフォーラム2024」
~“今”の時代の料理人を作る~
帝国ホテル 東京
2024年4月16日(火)
パーク ハイアット 東京 開業30周年
2024年5月7日より、改修工事のため約1年半にわたり全館休業。
HOTERES EXPO 2024 東京
テーマ「より深く知り、より広く活かす」
ヒルトン東京
2024年6月4日(火)
虎ノ門ヒルズ アンダーズ 東京 開業10周年
2024年6月11日(火)
ホテルニューオータニ 開業60周年
2024年9月1日(日)
https://www.newotani.co.jp/tokyo/60th/
東京プリンスホテル 開業60周年
2024年9月1日(日)
https://www.princehotels.co.jp/tokyo/contents/60th/
<教育機関>
東京科学大学 発足
2024年10月1日
※東京工業大学と東京医科歯科大学が統合。科学大は理工学と医歯学との「医工連携」で、新しい研究分野の開拓を掲げる。
<法律>
現行の健康保険証を2024年冬に廃止し、マイナンバーカードと一体化した「マイナ保険証」に切り替える。
2022年10月13日(木) 政府発表
自転車に関する道路交通法の改正について
2024年11月1日施行
<自然災害>
能登半島地震
2024年1月1日(月) 震度7
<コロナ>
コロナ公費負担全廃 2024年4月
<その他>
ヒロタ創業100周年
2024年10月1日
ハローキティ発売50周年
https://hellokitty50th.sanrio.co.jp
富士フイルム 創立90周年
2024年1月20日(土)
バービーデビュー65周年
グランドセイコーミュージアム 開館
セイコーミュージアム銀座6階
2024年4月2日(火)
迎賓館赤坂離宮 開館50周年
2024年4月11日(木)
モンチッチ 誕生50周年
東京バレエ団 60周年
カシオウオッチ50周年https://www.casio.com/jp/watches/50th/
安部公房 生誕100年
日本武道館 開館60周年
※1964年10月3日 開館
<訃報>
写真家 篠山紀信
2024年1月4日 83歳
写真家 細江敏広
2024年9月16日 91歳
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七篇 下 その四
京見物をしている弥次郎兵衛と北八。 ハシゴのせいで持ち上がった騒動もなんとか収まって、二人は、伊勢で知り合った男の所に尋ねていくことになった。
北野の下の森という所で弥次郎兵衛は、店の一つに声をかけた。 「もしもし俺たちは天神さまへ参詣して帰りにお前の所で休むつもりだから、このハシゴをここに置いておいておくんなせえ。」 「はいはいお預かり申ましょわいな。お早くお出なされ。」 「おたのみ申しやす。」 とハシゴをその茶屋の角に立てかけておき、そこを行き過ぎると、 「やれやれ、重荷おろした。 どうせ帰りによるものか。どうだ、北八、ハシゴを捨てた知恵は。」 「ははは、おもしろくもねえ。」 と二人は経堂前より、右近の馬場に着いた。
ここでは賃銭とって貸す馬がたくさんおり、その馬の稽古をしている。 それを見る人が大勢いる。 「おや、すさまじい人だかりだな。何かあるようだ。」 と北八が人を押し分けてみてみると、馬に乗って駆け足に走らせる人がいるのが見えた。 「ひゃあ、とうとう。」 それに答えるかのように、見物人から、「わあっ。」と、いっせいに声が上がる。 「皆えらい下手じゃな。七軒の茶屋まで戻るだけなのに、腰がふらふらしておるわ。 まあ、あのこんにゃく玉のような親父ぐらいのもんだ。ふらつかないのわ。」 「そうりゃそうじゃわいな。ありゃ、馬方の元締めじゃ。」 「そうかいな。あれ、あっちゃの男をみてみなせえ。 手綱を編み物をしているように、もってじゃわいな。 ありゃ、おおかた織物屋の手伝いじゃあろぞい。 そしてあれは小坊主が、数珠をまさぐるような手つきじゃわいな。 どうやら、どこぞの寺のもんじゃろわいな。」 などなど見物人の声が聞こえる。
「俺もひとつ乗りてえもんだ。向こうに見える女に。」 と北八。 そちらを見ると人ごみの中、女づれが二、三人たっている。 北八はその女連れの後ろに回りこむと、見物している娘の尻をちょっとつねった。 「おお、痛やの。誰じゃ。これおまるさん。 おまい、こっち来てくれんかいな。」 と尻をつねられた娘が、別の女にいう。 「なんじゃいな。」 「誰じゃやら、わしがお尻をつねったわいな。」 と別の年増の女が答える。 「そりゃ、女のない国で生れた人さんじゃあろぞいな。 かまわんすな。ほっておかんせ。」
弥次郎兵衛は北八を追いかけるように来たが、その様子に、 「ええ、北八。お前は、悪い洒落をするな。」 「なに、俺は、しらねえ。」 と北八は知らん振りである。 北八はさっきの女の言い方が気に入らないので、その女の尻をつねってやろうと人を掻き分け側によると、憎らしい年増の女のお尻と思える尻をおもいっきりつねった。 それは年増の女が背負っていた子どもの女のお尻をだった。 すると、 「ああ、痛い、痛い。」 とわっと泣き出した。 年増の女が、 「誰じゃいな。悪いことさんすわいな。」 「あの、おじさんがつねったわいのう。」 とおぶさっている女の子は、北八と弥次郎兵衛の方を指差している。 「ええ、すかん人さんじゃわいな。」 「堪忍して下せえ。それにしても、恥ずかしいことをする男だ。」 と弥次郎兵衛は驚いてポカンとしてる北八に代わって、謝ると早々にそこを立ち去った。
さて二人はそこを離れると、南の御門より入って天満宮の本社に参ることにした。
お守りを 首にかけてつつ 尊まん 宰府(さいふ)のみやを うつす神垣
この北野天満宮は昔、近江国、比良社の神主���良種の神勅をこうむり、朝日寺の僧、最珍右京の文子等と力を合わせて霊詞をつくり、天徳三年、右大臣、絢爛たる大きな建物を建てて、営んだそうだ。 今の北野宮は、こうして出来たそうである。 社頭の渡辺の網が収めたいう石灯籠が、苔むしている。
網の名は いまだに朽ちぬ 石灯籠 むかしを今に 三つぼしの紋
それから東向観音は梅桜の二本の木で、管神の御手みずから給う所なりということだ。
御利益は 四方にかおれる 観世音 梅さくらにて つくりたまえば
それより社内をぬけて、平野の社に着いた。 この御神は四座あり、今木神、久度神、古開神、比羊神である。
こころよく 飯くうために 本膳の 平野の神を 祈りこそせめ
二人は参詣をすますと紙屋川のほとりにある、二軒茶屋で休憩をとることにした。 女中が出てきて、 「よう、お出たわいな。ついっと奥へ入りなされ。」 「なんか、ウマいもんはあるかね。飯も食いたいし、酒も飲みたい。 まあ、ちょびっとしたもので、一杯早く頼みやすぞ。」 と弥次郎兵衛が奥のえんさきに腰掛けると、女中は銚子を持ってきた。 肴に干し鮎の煮びたしを添えている。 「いやあこれは、ありがたい。女中、ひとつ注いでくれ。おっとと。」 と弥次郎兵衛は、女中にしゃくをしてもらいながら、 「お肴、あぎよわいな。 こりゃ、私が心に思う分量じゃろぞえ。」 と女中が言うので、 「はあ、この鮎がお前の心いきとはどういうことだ。」 と弥次郎兵衛が聞くと、 「私はなお前さんが、川鮎(かわいい)というこっちゃわいな。」 と答える。 「こりゃありがてえ。そんならお前にも、あげましょう。 どれ俺も、心いきの肴をあげましょう。」 と弥次郎兵衛も言い出した。 「おほほほ、この生姜がどうして、お前さんの心じゃえ。」 「わしゃ、はじかみい(生姜の別名)。」 「ははは、こじつけるもんだ。」 と北八。
「ところで、女中。田楽飯を早くくんなせえ。」 「はいはい、只今。」 と女中は一旦奥に引っ込むと、田楽と飯を持って来た。 二人は食事をしながら見れば、座敷を仕切るように置かれているついたての先からむさくるしい出家が、二人みえる。
汚れた麻の衣を着てこれも田楽で飯を食いながら、一人の僧の言っていることを聞けば、 「なんと、役戎坊。きさま、髪はどこでゆうぞいの。」 役戎(やっかい)と呼ばれた男は、 「おお、持戒(もっかい)坊。おぬしもわしがゆう所でゆわんせ。 あこは、べらぼうに巧くゆうわいの。 わしゃずっと、のんびんにゆうていたが流行おくれじゃさかい、雷子にゆうて貰うたんじゃが、これが、えろう気持ちがようて、たまらんわいな。」 といいながら麻木の頭巾をとると、芝居で主役を演じるかのと言うほどの綺麗な髪形をしている。 弥次郎兵衛と北八はこれを見てびっくりすると、おかしさ半分で不思議そうに伺い見ていた。
「ははあ、なるほど、ようゆいくさった。 わしゃ又、自分の弟子坊にゆわせておるが、もうもう月代がさみしくなったさかい見て下さんせ。」 とこれも頭巾をとると、まげは頭の後ろのほうにある。 弥次郎兵衛は、なんとなくきになって、 「もし、お隣のお客さま。俺たちは遠国のものでございますが、所々歩いているうち色々さまざまな珍しいことも見聞きしましたけれど、出家されている人の髪がゆわれているのを見るは、今が初めてでございます。 どうも、納得がいきません。 はばかりながら、お前様方は、どこのお方でございやすね。」 と聞かれて、役戎が答える。 「ははあ、この頭にを不思議に思うてかな。 私たちは、空也堂の僧じゃわいな。」 「なるほど、話に聞いていたことがございます。 茶筅(ちゃせん)を売っているお方だな。」 と弥次郎兵衛が、うなずくと、 「さよじゃわいな。私どもの宗派は昔から由緒があって、墨染めの衣を着ておおかた大俗凡夫じゃわいな。」 「なるほどそれで、わかりましたがなぜ、お前様がたのいるところを、空也堂というんです。」 と尋ねてみた。
ちょっと間をおいて、役戎が答える。 「それは、こういこっちゃ。 代々、みんな大食いで、飯じゃあろがなんじゃあろがなんぼでもよう食うさかい、催事によばれていても無理に勧められてもっと食うや、どないじゃと、人が言うので空也堂と言うわいな。」 「そじゃさかい、これ、見やんせ。ちょとここへきても二人でお鉢に三杯食うたわいな。」 と持戎。 弥次郎兵衛は、驚いて、 「そりゃ、とんでもない大食漢だ。 もっとも俺たちも、食ったものさ。 ちょっと前にも信濃へ行ったときに、さすが、飯どころのことはある。 朝起きると茶請けにと、座頭の頭程あるにぎりめしを出してきたんだが、それをそのあたりの子どもでも、十四、五ほども食ってしまいまして、たまたま俺は、気分が悪くてろくに食えなかったんだが、それでも、十七、八ばかりも食いました。」 「・・・」 「そしたら飯が出来たといって、そこの亭主がやってきました。 その亭主が言うには江戸のお客さんは、気分が悪いということだから、今朝は麦飯を焚きましたとって、なんととろろ汁をすり鉢に二十ばかりもすってきて、そこに並べてあると思いなせえ。」 「・・・」 「そうすると椀へ盛るのが面倒だと、家内のやつらは皆そのすり鉢に麦めしを入れて、山のように盛って食いだした。 さすがに呆れてみていましたが麦は大好物で、堪えられなくなってきましてせめてすり鉢ひとつでも食ってみようかと食べ出すと、口当たりがいいからずるずると、なんのことはなしにすべりこんで、とうとうすり鉢に五、六杯も食いましたが、今ではもう、そんなには、食べられません。」 と口から出任せを言い出した。 それを役戎らは、感心したように聞いている。
つづく。
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懐かしの滋賀と紫式部の逆鱗
こんばんは。
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先日、久しぶりに滋賀に遊びに行ってきた。
毎年、京都に紅葉狩りに行くのだけど、今年は急遽滋賀へ。
僕にとってはとても思い入れのある街になる。
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僕は学生時代を滋賀で過ごした。
京都の大学を受けたので、憧れの京都ライフを送れるものかと思っていたら、どうやら僕の学部は滋賀にあるようで、憧れの京都ライフは目の前で崩れ落ちた。
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そんな思ってもみなかった僕の滋賀ライフ。
気がつくとその魅力の年々ハマっていき、大学を卒業する頃には滋賀に永住してもいいと思うほど大好きな県になった。
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何がいいかと言われると、「程よい」としか言えないのだけど、都会からの距離感であったり、自然の近さであったり、様々な面においてとても程よい県なのだ。
そんな滋賀に住んでいた頃、定期的に僕が訪れていたお寺がある。
それが今回の目的地「石山寺」である。
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紫式部が源氏物語を書いた地ともされており、今年の大河ドラマ「光る君へ」の反響も多いのでは無いだろうか。
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僕は、そんな紫式部とか源氏物語とは一切関係なく、この「石山寺」と言うお寺がとにかく好きなのだ。
好きなお寺を聞かれたら、福井の永平寺かこの石山寺を挙げたい。
麗らかな春も、新緑に溢れる夏も、色づく秋も、ピリッとした冬も。
自然に溶け込むようなお寺で、春夏秋冬、どの季節に行っても気持ち良い風景を見せてくれる。
そんな訳で、15年ぶりに、大好きな石山寺へと行ってきた。
行きは気持ちよく懐かしの瀬田川を30分くらい散歩しながら。
元々歩こうと決めていたので、この日の足元は、こちらも大学生の頃、滋賀で仲良くさせてもらっていた古着屋で買った”Danner”のマウンテンブーツを選んだ。
そんな滋賀との思い出を取り入れたコーデで臨んだ。
琵琶湖を始まりとし、のちに淀川へと続く瀬田川。
学生の頃、朝から晩まで、時には3日くらい家にも帰らず、瀬田川沿いでずっとバカな話をしながら釣りに明け暮れていた時期もある。
そんな知人たちとくだらないことで笑い合った日々を思い出す。
懐かしい思い出に浸りながら歩いていると、遂に石山寺へ。
実は、今回、ちょっと紫式部に対して挑発的な態度を僕は取ってしまった。
この旅のお供に選んだ1冊「枕草子」
ここで言いたいのは、たまたま「枕草子」を読んでいたことだけは理解して欲しい。
とはいえ、家を出る前にこれは「挑戦」だなんて思ってしまったので、確信犯ではある。
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絶対に、紫式部の前で見せてはいけない作品だろう。
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ちなみに紫式部はめちゃくちゃ清少納言のことをディスっていることで有名だ。
紫式部より清少納言派の僕からすると、敵の総本山に出かけるようなものだ。
なんだか、石山寺はめちゃくちゃ好きなのに、とても複雑な気持ちだ。笑
「親友の友達がめっちゃ苦手な奴」的な感じだ。
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だから、こちらも負けていられるかと。
「清少納言」だぁぁくらいの勢いで行ってやろうと。
そもそも読みかけの本を中断させるものかくらいの勢いで乗り込んだ。
お寺はやっぱりとても気持ちよかった。
じっくりゆっくり。
美しい紅葉であったり、苔であったり、秋の匂いであったり。
この季節を堪能した。
本当に気持ちの良いお寺だ。
一応、紫式部さんにも挨拶だけはしてきた。
多分、この瞬間に目をつけられたのだろう。。
のちに、この対峙が災いを招くこととなる。
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そんな石山寺をゆっくりと堪能した後は、僕は学生の頃住んでいた街へ足を伸ばしてみた。
駅で言うと隣の駅になるで、懐かしの街を歩いてみたりした。
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ふと僕が住んでいたマンションはまだあるのか気になったので、近くまで行ってみると、あの頃と何も変わらずまだあって、それがちょっと嬉しかった。
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滋賀のちょっとした旅の最後は行きつけだったカフェに。
最後に顔を出したのは7年前くらいになるのだけど、未だに覚えていてくれて、お互いの近況報告もできて楽しく、懐かしいひと時を楽しむことができた。
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そして、ここで僕は大きなショックを受けることになる。
15年寄り添ってきたブックカバーをどこかに落としてしまったのだ。
石山寺で「枕草子」を見せつけるために外したことは覚えいる。
つまり、あの後僕は、大切に使ってきたブックカバーを落としてしまったのだ。
マジでガチ凹みしたけど、冷静に考えると、確かに今日の僕の行為は「紫式部」と言う女性に対して、大変失礼なものだったと。
全くもって敬意を払っていなかったと。
調子に乗っていたと言わざるをえない。
「清少納言」もそんなことは望んでいなかったはずだ。
・
自業自得。
思いっきり反省した。
次は源氏物語を持って行こう。
そして、心から謝罪をしよう。
・
そんな理由をつけないと立ち直れないくらいショックだ。
思い出の滋賀巡り。
懐かしさや気持ちよさを存分に感じつつ。
一方では急に雨に降られたり、大切なものを失ったり。
もう、「喜怒哀楽」ここまで感情を揺さぶられることになるとは���わなかった。
・
色んなことが凝縮された半日だったけど。
やっぱり滋賀は心地よい場所だ。
また、季節を変えて改めて来たいと思った。
皆さんも、訪れる場には敬意を払うようにしましょうね。
そんな教訓を得た旅となった。
・
それでは次回もお楽しみに。
マジで一夜明けて。
未だにブックカバーは凹んでます。
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【かいわいの時】元禄六年(1693)八月十日:井原西鶴没 (大阪市史編纂所「今日は何の日」)
西鶴は元禄6年(1693)に亡くなったが、その墓は長い間不明であった。明治20年を前後するころ誓願寺境内で発見され再興されたという。発見者についてはいくつか説があり、幸田露伴であるとも、朝日新聞記者の木崎好尚であるともいう。
(1693年)下山鶴平・北條団水、西鶴の墓を建立 墓石は位牌型の砂岩製のもので、「仙皓西鶴 元禄六癸酉年 八月十日 下山鶴平 北條団水 建」と刻まれている。この墓碑を建立した下山鶴平については、西鶴の版元ではないかといわれている。北條団水は京都生まれの文人で、橘堂、滑稽堂と号した。西鶴を慕って来阪し、西鶴の死後7年の間、鑓屋町の庵を守ったことで知られている(大阪市指定文化財)。
(1801年)太田南畝(蜀山人)、書肆山口屋の案内で西鶴の墓に参る 寺町をすぎ 誓願寺に入る、甃庵中井先生の墓あり《略》 此寺に西鶴か墓ありと書肆山口屋かいへるによりて墓はらふ下部にとふに志らず、つらつら墟墓の間を見るに一ツの石あり、仙皓西鶴とゑれり。右のかたに元禄六癸酉年八月十日としるし左の方に下山鶴平北条団水建と有り。也有翁の鶉衣にも、作文に名を得し難波の西鶴は、五十二にして世を去給ひ「秋風を見過ごしにけり末二年」といふ句を残せりとかけり。げに八月に終りぬるには折からの句成へし(太田南畝)。『葦の若葉』四月廿一日条より。句読点後付け。ママ。
(1802年)滝沢馬琴、太田南畝に紹介された田宮盧橘の案内で西鶴の墓に参る 西鶴が墓は、大坂八町目寺町誓願寺本堂西のうら手南向にあり。〈三側目中程〉七月晦日蘆橘と同道にて古墓をたづぬ。はからず西鶴が墓に謁す。寺僧もこれをしらざりし様子なり。花筒に花あり。寺の男に何ものが手向たると問ふに、無縁の墓へは寺より折/\花をたつるといふ。
棹石高サ二尺余ヨコ一尺 台石高七八寸 大字 総高サ二尺八九寸
元禄六 癸酉年八月十日 仙皓西鶴 右ノワキ 下山鶴平 北条団水 建
團水は西鶴が信友なり。西鶴没して後、團水京より來り、七年その舊廬を守れり。そのこと西鶴名殘の友といふ草紙の序に見へたり。追考 難波鶴に云。西鶴は井原氏、庵は鑓屋町にあり(滝沢馬琴)。『羇旅漫録』より。句読点後付け。(写真参照)
(1889年1月)幸田露伴、誓願寺無縁墓にある西鶴の墓を探し当て、卒塔婆を立てる 露伴は住職に供物を出して、 お墓をちゃんとしてほしいと言い、香を焚き、水を手向け、卒塔婆を立てて去るわけです。それが、明治22(1889)年の1月のこと。その卒塔婆には、「元禄の奇才子を弔ふて 九天の霞を洩れてつるの聲」と書いた(肥田晧三)。「上町台地から本をめぐる時空の旅へ」『上町台地フォーラムvol.9』2018より。
(1889年8月)尾崎紅葉、西鶴の墓を訪れ、卒塔婆を残す 紅葉も、同じ明治22年の8月に西鶴の墓を訪れ、「為松寿軒井原西鶴先生追善」と書いた卒塔婆を残した(肥田晧三)。
それではなぜ、この二人は西鶴を知ることになったのか。露伴は帝国図書館、今の国会図書館にあった西鶴の本を随分と勉強したんです。また当時、東京に淡島寒月という人がいましたが、彼は時代に先駆けて西鶴を評価し、自身でも作品を手元に持っておりました。その寒月と仲が良かったのが露伴で、彼の西鶴作品を借りて徹底して読んだわけです。紅葉も、露伴に遅れてですが、やはり淡島寒月から西鶴の作品を教えられたんです(肥田晧三)。
(1889年11月)木﨑好尚、読売新聞に「西鶴の墓」を寄稿 大阪朝日新聞の青年記者だった木﨑好尚は、後に頼山陽���田能村竹田の研究で知られるようになる人です。この人が、明治 22 年にやはり誓願寺に行くわけです。すると新しい卒塔婆が二つ西鶴の墓に立てかけてある。一つは幸田露伴、一つは尾崎紅葉。それで、大阪の青年がびっくりするんです。東京の輝かしい新進の作家二人がここに来ている!大阪の自分たちはちっともお参りせんのに、あの二人が西鶴の墓にお参りしていると。そして 明治22年11月に、東京の読売新聞に「西鶴の墓」という題で書く んです(肥田晧三)。ママ。木崎が朝日新聞に入社したのは明治26年(1893)。
(1889年11月)幸田露伴、「井原西鶴を弔ふ文」を雑誌『小文学』に発表 露伴もまた、「井原西鶴を弔ふ文」という題で、明治22年11月に雑誌『小文学』に発表します。「今や露伴幸に因あり縁ありて、茲に斯に來つて翁を吊へば、墓前の水乾き樒枯れて、鳥雀いたづらに噪ぎ塚後に苔黑み、霜凍りて屐履の跡なく、北風恨を吹て日光寒く、胸噫悲に閉ぢて言語迷ふ。噫世に功ありて世既に顧みず、翁も亦世に求むるなかるべし。翁は安きや、 翁は笑ふや、唯我一炷の香を焚き一盞の水を手向け、我志をいたし、併せて句を誦す、翁若し知るあらば魂尚饗。九天の霞を洩れてつるの聲 露伴」(肥田晧三)。
(1890年5月)尾崎紅葉、「元禄狂」を「国民新聞」に寄稿 西鶴に心酔しているということを書き、その中で、「明治二十二年八月、大阪八丁目寺町誓願寺に、 西鶴翁の墓に詣でゝ」と記し、「ででむしの石に縋りて涙かな」という句も詠んだ(肥田晧三)。
木﨑好尚を除き、全員、江戸っ子です。
(写真)「仙皓西鶴」『壬戌羇旅漫録 2巻 [3]』1802-1812(東京大学学術資産等アーカイブズポータル)より。 注記:写本 注記:目首の書名: 著作堂羇旅漫録 注記:題簽の書名: 羇旅漫録 注記:本文末に「享和二壬戌年八月廾四日筆同十一月朔日挍合畢 曲亭瀧澤觧戯記」とあり 注記:[跋]末に「享和二壬戌年冬十一月二日 著作堂馬琴再識」, 「壬申春日 曲亭主人書」とあり
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フレグランスライン 「BAKS」を始めます
前略。
この度、新しくフレグランスラインである「BAKS」を始めます。実験的な試みではありますが。
良い香りを吸いたい。良い香りしか吸いたくない。そんな気持ちで約8年間やってきました。
香りを楽しめて禁煙にも役立ち節約にもなる(節約になるとは言っていない)、そんなVAPEにどっぷりと浸かっている日々ですが、探求心は留まることなくフレグランス香料にも手を出しました。
フレグランスはリキッド作りとの親和性どころかほぼそのものだったのでとっかかりやすかったです。
ただ一つ違うのは、香料の構成。
VAPE用食品香料はそれ単体としても成立するのですが、フレグランス用香料はあくまでひとつの化合物に過ぎず、4~7種類組み合わせることによって「アコード(和音の意)」という香りの束のようなものを作り、さらにアコードを5~8種組み合わせることによって全体の構成を作っていきます。なので最終的には30~50種の合成香料・天然香料・精油を使用することになります。
気に入ったアコードを数種類組み立てて大まかな狙いをつけ、じゃあこのアコードを作るには…と海外のDIYフォーラムとにらめっこすること数か月。ようやく人様に出せるレベルの物が完成しました。
まずは3種類のフレグランススプレーを発売します。以下詳細です。
#01
木の皮、苔、寺院、森林浴。
Top: 沈香、カルダモン、ローズウッド、ラベンダー
Middle: ベチバー、パチョリ
Bottom: サンダルウッド、ムスク
成分:香料、植物性発酵エタノール (香料濃度15%)
#02
朝露が残る果樹園、太陽が注ぐ午後、日が沈む海岸。
Top: ベルガモット、カシス
Middle: ブルガリアローズ、ジャスミン
Bottom: 白樺、アンバーグリス、アクアマリン
成分:香料、植物性発酵エタノール (香料濃度15%)
#03
都会、男性的、スパイス。
Top:ベルガモット、シトラス、四川花椒
Middle:ゼラニウム、パチョリ
Bottom: アンブロセニド、ピンクペッパー
成分:香料、植物性発酵エタノール (香料濃度12%)
《重要事項》
製品は【香水】ではなく【フレグランススプレー】です。肌に直接塗布しないで下さい。お部屋の空間や衣類、リネン、家具のファブリック生地などにスプレーしてお楽しみ下さい。あくまで化粧品ではなく雑貨です。また、一部天然香料を使用している為白い生地、明るめの色の生地に至近距離からスプレーするとシミになる場合がありますので20cmほど離してスプレーしてください。
たまたま成分が香水と同じなので私は自己責任において肌に付けていますが、ご購入頂いた方は決して真似なさらないようにお願いいたします。肌に塗布して何かトラブルがあっても私は一切の責任を負いかねます。
(なぜこんな遠回しな言い方をするのかは化粧品製造業許可、薬機法などでググってください)
(そして色々と察してください)
《重要事項ここまで》
現在進行形でどんどん香料を買い漁っているので新作も引き続きリリースしていきます。VAPEリキッドも同時進行で開発してますよ。楽しいね。
海外では自己表現としてフレグランスを利用する人が多いようですが、日本では「香害」「スメハラ」なんて言葉があるぐらい公共の場での香りに敏感な方が多いイメージです。
なのでBAKSでは自己表現というよりは自分自身のリフレッシュや自宅でのリラックスタイムに使用して頂けるようなフレグランスを目指していきます。
私は風呂上りに#01を使用しています。香りに包まれながら眠るのはなかなかいいですよ。家族にも好評です。
#02は軽く爽やかな香りなのでオンでもオフでも使いやすいと思います。
#03だけ濃度が12%と少し低めです。アンブロセニドの鋭く冷たいドライダウンが特徴的。もし公共の場に付けていく際は1時間ほど前に使用するとちょうどいいかもしれません。私は独りの仕事場で気にせずバシャバシャ使ってます。
カード型のムエットにスプレーしてクローゼットや衣装ケース、財布に忍ばせておいてお気に入りの香りを移すのもオススメです!
まずは試してみたいという方にもムエットも販売しているので是非。
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