#素晴らしい家族になれるよう日々努力
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ハロー(´ー∀ー`)2024.12.28
年末に愚痴大会を開催しようと思い、職場のストレスを長時間かけて文章にしていたんだけど、「名誉毀損罪」「侮辱罪」などに抵触する可能性がある為削除したあおです←
よくよく考えると今までの愚痴投稿は全て当てはまるんじゃないか←
現代のSNSの闇だと思うし、裏返すとやっぱみんなそういう話ができる人が側に居ないって事かなとも思えるよね。
Xとかすればする程、見れば見るほど心が病むんだよね。そう感じ始めてからはあまりやらなくなりました。
愚痴りたい事は本当に山のようにあるのですが、そういうのは姉妹のやりとりだけにとどめようと思った次第であります😌
(ほぼ毎日グループトークで愚痴ってるわたくしでございます笑
(姉達からするといい加減にしろ案件
という事でこんな年末に無駄に時間をブログに吸い取られてしまった訳ですが、まだNetflix入会してません!!
(何の報告やねん
なかなかゆっくり見る時間なかったけどやっと仕事納めたから!!!
地獄からの解放。
(連休明けのサザエさん症候群が激ヤバな感じで不穏
やっと趣味に全力を注げる素敵な時間がやってまいりました・*・:≡( ε:)ドーン
YouTubeのコミュニティ(メンバー���定)でも少し触れさせてもらいましたが、「白騎士物語」がもうすぐ終わるので次の配信用ゲームを考えていたのですね。
そしてこれがしたい!って思ったのですが、実はそのゲームは何年も前からずっと配信でやりたいと温めていたゲームで。
だけど配信ガイドラインが公式サイトにも会社ホームページにも公式Xにもどこにもなくてずっと諦めていたゲームだったのです。
このゲームを実況してる配信者の方はめちゃくちゃいるし、動画もかなりアップされてて(みんな配信許可とってるのかしら…)と1人でモヤついてたのですが今回勇気を出してゲーム会社に問い合わせをしてみました←
すると思いのほか早く返答がきました。
めちゃくちゃ嬉しかったです😭
早く聞けば良かったともなりました←
2024年、、、いや、配信活動を始めてから1番嬉しかったかもしれません←
(ここをピークにすな
ガンホーさんありがとうございました😭
多分私みたいにこのゲーム配信したいけどどうだろうって考えている人いると思います。できますよ!みなさん!
(ここで言うな
楽しみすぎる✌︎('ω')✌︎わーい
ブログも自己満だけど、配信活動も8割は自己満の趣味記録なんだよね。
おまえ(記録)が俺の生きた証(byザックス
って何でザックス出て来たんだろーって感じですが←
2024年は激動で色々ありましたが…配信活動を続ける事ができてよかったです。今年は収益化も達成できて自分が思う以上に本当にすごい事だと思うし、それもこれも全部見て下さるリスナーさんのお陰だと思っております。
昔から見てくれてる方、今見始めたよって方、未来で見てくれるかもしれない方みなさんに心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます🙌ハイタッチ
ゲームを愛すというだけの活動ではありますが、何か思ってくれたり感じたりほんの少しの生活の一助になれましたら幸いです。
また、そんな配信者になれるように今後も努力を重ねて(1番は楽しみますけどねーん)いきたいと思います。
2024年を生き抜いた皆様、お疲れ様でした。自分を沢山褒めて癒して、どうかお健やかな年末をお過ごし下さい。
私はゲームにネトフリに明け暮れてきます!!!
(勝手にやれ
あ!最後にちょっと思い出した事があるので聞いてください!
職場関係の人で私の周りにBTS大好きなババーがたくさんいるんだけどさ。
(私はBTSが何人組かも知らない程興味なくて疎い人間
そのババー達がBTSについて会話してたんです。
「兵役行く前はさぁテテちゃんを毎日何かしらで見すぎてもーーう他人とは思えないのよねぇーーー!!!もう気持ちは家族なのよねぇーーー」
「わかるぅぅぅうううう!!」
って盛り上がってたんですよ。
冷めた私は心の中で
(いや、他人だろ。どう考えても
(画面越しに見てるだけなのに家族ってどう考えても怖いんだが
(如実にわからない!
とツッコミまくりましたとさ。
そのババー、BTSの1番くじとか毎回買い漁って万単位でお金捧げてた←
やっぱりこういう人が推しに財産を注いで支えているんでしょうね。
周りも推し活してる人ばかりだし、そういう偏見はないのです。推しがいる事って本当に奇跡で継続も難しいし、何より人生が楽しくなると思うし素晴らしい事だと思う。
ただ他人なの
(そこは譲れない←
(別に誰が誰を家族と思ってもいいじゃん←
(心酔って表裏一体
(そんな事言って来年「他人と思えなーーい」って言いながら推し活してたりしてな←
今年最後にする話じゃない気がしたけど、まぁこれも人生ということで😂
私の軽い推し活はこちら↓
ローソンへの印象があまりよくないんだよねー…MOTHER2の1番くじのあれこれといい。
価格設定が強気すぎるんだよね←
カナヘイさんのクリアファイルの時はお菓子2つでクリアファイル1枚プレゼントだったんだけど(それはファミマ
今ただでさえ物価高だし家賃も光熱費も上がったりでこの価格は個人的にはどうなんだと思ってしまいました。
(だから1番安いお菓子3つなんだね!
(こんな小さいサイズで160円くらいするんだぞ?
(クリアファイルめちゃくちゃ余ってたし埃かぶってたよ😭発売されてまだ数日なのに私の推しが悲しむ扱いしないで←お前もこんなこと言うなよ黙っとけよ
推し活もゲームもセレブの趣味になりつつあるようですね
(やっぱり文句しか言わん奴←
ヒンコンノクニジャパンデガンバッテイキテルワタシエライ
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2014 年に遡ると、米空軍はいくつかの難しい決断を迫られました。 予算の問題は解決しなかったため、コスト管理と構造変更が必要になりました。 同軍の参謀長マーク・ウェルシュ大将は、従業員の約7%に当たる2万5000人の空軍人員を削減すると発表した。 同氏は、運用負荷の増大と同時に、それを迅速に実行するよう指示した。 この削減は、サービスの資金不足を防ぐための一連の措置の一環として行われた。 あるいはそう議論されました。 悲惨な状況だった、とウェールズ人は指揮官らに語った。 すべてのユニットはトリミングを行い、節約するための新しい方法を見つける必要があります。 誰もがピンチを感じるでしょう。 誰もが自分の行動を変える必要があるでしょう。 なぜなら、すべてのドルが重要だったからです。 それはすべてBSの負荷であることが判明したことを除いて。 現場の空軍士たちが、ニッケルのことで洗われたり、細かいところを摘まれたり、これまで以上に厳しい仕事をしている一方で、ウェールズと彼の仲間の幹部たちは、王族のようなライフスタイルを続けた。 彼らはプライベートジェット、パーソナルアシスタント、運転手などに年間数千万ドルをつぎ込んだ。 将軍たちは独自の楽隊、独自の移動ショー合唱団、制服を着た使用人を抱え、食事を準備し、税金で賄われた家の掃除をし、芝生の雑草を摘み取った。 ウェールズ人のコスト哲学は一般社会に根付くことができなかった。なぜなら、1ドルはカウントされないことが誰にでも明らかだったからである。 定着したのは、航空兵が指導者に対する信頼と信頼を失ったため、世代間の士気の危機でした。 過重労働のパイロットからの苦情に応えて、将軍たちはパイロットに退職を奨励した。 他の誰かがそれらを埋め戻すでしょう。 空軍は結局、パイロットの大幅な不足、採用問題、そして記録的な自殺率を抱えた。 問題を抱えた調達プログラム、老朽化したインフラ、疲れ果てて不満を抱えた航空兵たちに支えられた老朽化した航空機により、戦略的足場を失った。 優秀な航空兵は退役し、他の飛行士は努力レベルを下げた。 この状況は戦争の圧力や連邦予算によって生み出されたものではありません。 それは幹部たちの傲慢さと不正によって生み出されたものである。 私は今、Amazon の上級幹部の行動を観察していると、同じような有害性が混在していることに気づきました。 同じ共感力の欠如です。 権威への依存も同様です。 自分自身の輝きに対する執着的な信念も同じです。 何よりも、会社の価値を生み出す人々に対する同様の低い評価です。 私がこれらのことを主張することに抵抗を感じない理由を説明する前に、Ops Live と呼ばれるものについてお話しさせてください。 Amazon は数年ごとに、グローバルなフルフィルメント、輸送、物流業務に携わるディレクターまたは副社長レベルの役割を担うすべての人々を 1 か所に集めて「カンファレンス」を開催します。 アイデアは、ビジネスの現在および将来の状態について全員で協力することです。 実際には、これは企業の代弁者からの一方的なメッセージで伝説的な高額なパーティー兼ネットワーキングイベントであり、通常は株主の資金提供による二日酔いの霧のベールを通して吸収されます。 スワッグパッケージは素晴らしいです。 テーマ的には楽しくて活気があります。 しかし、カンファレンスはそうではありません。 LinkedIn の Akhil Saxena (彼/彼/彼): #amazon #リーダーシップ #ネットワーキング #自動化 #接続 #リーダー #将来… | コメント19件 私は22年のOps Liveに参加しました。 私たちは世界的なパンデミックの真っ只中に大規模な拡張を行ったばかりでした。 素朴に、私たちの多くはイベントに積極的に参加して、学んだことをすべて共有し、その学んだことを会社に取り入れるのを手助けすることを期待していました。 私たちが得たのは感謝や評価、あるいは参加する権利でさえありませんでした。 そうですね、私だったらインスピレーションや戦略的な明確さで落ち着いていたでしょう。 代わりに私たちが得たのは、上級幹部らの神聖な指振りの間に押し込まれた、うんざりするほど明白な陳腐な言葉の奔流でした。 彼らは私たちにもっとお金を節約するように言うために、私たちを個室に入れるのに何百万ドルも費やしました。 しかし、本当の不条理は、壊滅的な財政危機を背景にプライベートなロックコンサートを並行させたことだった。 いいえ、冗談ではありません。 ボン・ジョヴィのために、重役らは手を絞るのをやめ、伝説のライマン・オーディトリアムを2時間足らずで騒がせ、250万ドルを超えたと見て間違いない非公開の報酬を集めた。 かっこよかったです。 私は楽しい時間を過ごした。 経営陣がこれを感謝のしるしとして、あるいは少なくとも私たちが正しい道を進んでいることを安心させるためのしるしとして意図したものであることは理解できました。 そして、私は自分が何年も前から空軍上級士官の一人になっていたことに気づきました。 そして心の奥底では、パーティーでは話さないようなところで、その感情が気に入らなかったのです。 特に、ネットワークの近所に戻り、私の人々が直面している文化的現実に再び加わった後はそうです。 それでも、22年にそのパーティーを開催することは別��ことでした。当時は、金について偽りの愚痴を言っていたものの、実質的な削減はなかった時代でした。 パンデミック中にビジネスは過剰に構築されており、修正サイクルが訪れるだろうが、私たちはそれが何であるか、つまり芝居がかったものであるかのように資金を投入した。 主に他の視聴者を対象としています。 しかし。 もしそのコンサートが、一時解雇、給与凍結、人材育成プログラムの縮小を背景とした24年春に開催されていたら、状況は大きく違っていただろう。 もっと暗い話。 しかし、フー・ファイターズのフロントマン、デイヴ・グロールの言葉を借りれば、我々はここにいます。 それはその暗い物語です。 なぜなら、まさにそのような背景の中で、24年の春にそれが起こったからです。 先週、ナッシュビルで Ops Live '24 が開催されました。 カンファレンスの議題、内容、正確な期間、認識される価値、コストについてはお伝えできません。 何人が参加したかは言えませんが、代理人が Amazon ネットワークを運営している間、1 週間の勤務時間の大部分をイベントに費やしたのは 1,000 人から 2,000 人だと推測しています。 これらのことについてアマゾンの広報チームに質問したが、返答はなかった。 私が言えることは、幹部たちが貴重な資金を切り詰めて節約するためにアマゾンの一般社員たちを追い詰め、汗を流し、優秀な人材を解雇し、昇進を遅らせ、より少ない資金でより多くの成果を上げるよう全員に要求しているにもかかわらず、誰かが発見したということだライマン・オーディトリアムを貸し切り、フー・ファイターズに上級指導者向けのプライベート・ショーを開催するのに十分なお金があった。 私はアマゾンの マーガレット・キャラハン氏 に詳細を確認できるか尋ねた。 私が彼女を探し求めたのは、アマゾンが記録的な利益とキャッシュフローを達成した後、今年のマネージャーの基本給を凍結するという選択を彼女が精力的に擁護したためだ。 彼女は返事をしなかった。 しかし、証拠はオンラインで発見可能であり、アマゾンブドウの木はそれについてのおしゃべりで炎上しています。 フー・ファイターズのファングループは、このショーがAmazonのプライベートイベントであるとラベル付けして、講堂内の写真を投稿した。 ショーの参加者が コンサートのセットリストを収集するサイト に更新情報を投稿し、再び Amazon の非公開イベントであるとラベルを付けました。 ナッシュビルの音楽業界で働くハンナ・レイニーさんは、5月22日にグロールさんと撮った写真をインスタグラムに投稿した。 彼女は「Ops Live」と書かれたライマンのアクセスバッジを付けています。 そしてもちろん、どのような演出がなされても常に言えることですが、パフォーマンスのビデオはソーシャル メディアで公開されています。 ここにその 1 つを示します 。 ���なみに、このバンドは Amazon の CEO のお気に入りで あり、私とアンディ ジャシーが少しだけ重なることに気づいたのはおそらくこれが初めてです。 これに関する Amazon の記事が見られない理由、そして Amazon の上級幹部たちがオンラインでこの件について騒がない理由は、これがどれほどひどいことであるかを彼らが理解しているからだと推測できます。 彼らは、それが人々をどのように感じるかを知っています。 アマゾンの利益の十分な額が利益を生み出している人々の手に渡っていないという見方は、どれほど悪化することになるだろうか。 しかし、おそらく、私はここでただ唾を吐きかけているだけですが、自分の人々に対して何かについてオープンにできないのであれば、おそらくそのことはしないほうが良いでしょう。 もしかしたら、何かがクールすぎて話せないのであれば、それはクールすぎるのかもしれません。 余計なものにお金を浪費しながら、コストを理由に人々を失業させるには、特別な種類の傲慢さが必要です。 それは権威主義的な精神を反映しています。 経営者はできる限りのことをしているが、一介の労働者は苦しむべきことをしている。 それは不平等に対する暗黙の抱擁を反映しています。 一般向けには、ピザ一切れ、義務的な残業中に一握りのチョコレート、そして実際には含まれていない場合は、含まれていることを祝うための無料のカップケーキ。 エリートにとっては、ツアーの合間にヘッドライナーを務めるロックバンドのプライベートコンサートが中止され、その後は生産性の向上を求めてテーブルを叩く別のラウンドが始まる。 これは将来の幹部パーティーの支払いに必要になります。 その一方で、効率性のせいで燃え尽きた労働力は、財政破綻や待ち伏せ雇用の喪失に対する絶え間ない恐怖の中で、一銭も節約するために無理をして苦労をしている。 だって、1ドル1ドルが重要だからですよね? そしてこれは私たちに不誠実さをもたらします。 人員削減が必要でないのに、人員削減が必要であるかのように振る舞うのは不誠実である。 給与凍結が必要ではないのに、必要があるかのように振る舞うのは不誠実だ。 左右の従業員が解雇された後、人々が複数の役割をカバーするためにストレッチをしていないとふりをして、そのような過度のストレッチの影響をさらに無視または軽視するのは不誠実です。 そしてもちろん、リーダーシップの原則が経営幹部には当てはまらないことが明らかな場合に、リーダーシップの原則が誰にとっても重要であるかのように振る舞うのは不誠実です。 プライベートなロックコンサートに倹約はありません。 また、事業縮小中に高級で高価なパーティーを開催することは信頼を損なうものです。 なぜこれが重要なのか 現時点で、Amazon は誠実さに欠け、経営陣の傲慢さが顕著に表れています。 ある種のビジネスではそれは問題ないかもしれません。 他の場所で逃げられるかもしれません。 しかし、チームワーク、信頼、裁量的な努力に依存するビジネスではそれは機能しません。 リーダーシップが重要なビジネスであり、したがって人格が重要です。 権限が最終的に被統治者の同意に依存するビジネス。 人々は偽善者に従いません。 彼らは嘘つきには従わないだろう。 彼らはいじめっ子を追いかけません。 彼らは自分に執着する人には従いません。 というか、そういうタイプに従うタイプはあなたが望むタイプではありません。 これはアマゾンにとって厄介な事態となる。 同社は他の種類のビジネスに比べて裁量的努力にはるかに依存しています。 そしておそらく、この証拠に基づくと、思っている以上に裁量的努力に依存しているのかもしれません。 おそらく、その運営がより多くの寄付を求める人々の結集に依存していることに気づいていないのかもしれない。 張る。 隙間を埋めてグローブをセーブするため。 さらなる一歩を踏み出すために。 疲れても働き続けるために。 学習と改善に余分な時間を費やすため。 運営はその性質上、全員が全力を尽くすことにかかっています。 誰もが契約上の義務だけを重視し、それ以上は何もしないと、Amazon はすぐに倒産してしまいます。 そして、そのスロットルを前進させ続けるために、人々は尊敬し、信じるリーダーを必要としています。 人を失う方法 おそらくAmazonは、人々の裁量による努力が必要であることを知っていながら、別の方法でそれを抽出しようとすることを選択しているのでしょう。 することを好むようです。 強制 人々にインスピレーションを与えて最高の成果を上げることよりも、生産を維持する方法として 待ち伏せ型の解雇は安心感を奪い、人々は次は自分が解雇されるべきではないことを証明しようと必死になる。 Amazon はこのアプローチで、時代を超えて血も凍るような理論的根拠を採用しています。つまり、信頼できる脅威ほど人の心を集中させるものはないということです。 毎年、一定割合の人員の年間減少目標を設定することで、生存の考え方が生まれます。 ライオンが再びやって来たときに最も遅いガゼルになりたくない人はいないので、誰もがより速く走ります。 古典的な強制。 昇進する前に、次の上位の役職について数か月または数年も練習させることも強制的です。 彼らは自分のキャリアを前進させ続けることができるように、支払われている以上のものを提供します。 Amazon は割引価格で最大限の努力をしており、その一方でプロモーションを行わないという選択肢も残しています。 人々の間でキャリアの生存競争を作り出すことは、「ランク・アンド・ヤンク」の人材評価プロセスの遵守から生じるアマゾンの一般的な戦術である。 危険にさらされるほど低い順位に置かれることを誰も望んでいません。そのため、人々は自分自身の最高のパフォーマンスを発揮するのではなく、お互いを出し抜こうと苛烈になります。 このような強制はすべて、Amazon の一般社員の間で恐怖と防御的な考え方を引き起こします。 ネガティブな文化が続き、高いストレスと伝説的な燃え尽き症候群が起こります。 しかし、経営陣は間違ってそうしているわけではない。 彼らは明らかに、権限を曲げて人々に暗黙の脅威を与えることが、ビジネスを解決するのに十分な生産性を維持するための効果的で、より安価な方法で、より権力を与える方法であるという考えを持っています。 しかしそれはまた、経営陣がOps Liveでは話さない深いところで、自分たちが業務パフォーマンスに依存していることを認識していることを意味する。 つまり、現在のレベルの傲慢さと不正直が続けば、いつか大惨事が訪れるということです。 ここは人を失う方法のクリニックであり、原則を持った人が最初に行きます。 "おぞましい" これは、中間レベルのマネージャーが、Ops Live の評判をフィルタリングして説明する方法です。 ここ数日、何度かこの言葉を聞きました。 アマゾンの中間管理職たちは、時には待ち伏せによって人を解雇するといううらやましい仕事をしてきた。 彼らは、更なる解雇を恐れる人々のグループの中でパフォーマンスを結集しなければならなかった。 彼らは、会社の壮大な経済的成功にもっと貢献できると合理的に期待していたにもかかわらず、自分自身の給与を凍結されています。 すべては倹約の名の下に。 現在、倹約は(a)実際には問題ではなく、(b)は上級リーダーには当てはまらないことがわかると、彼らは自分たちが不誠実な組織の管理者であり、それが当然のことであると感じてしまいます。 10年前の空軍と同様に、今日のアマゾンは戦略的失敗を求めている。 問題は、それを見るのに十分な謙虚さがあるかどうか、そしてそれを認めるのに十分な正直さがあるかどうかです。 この大失敗の状況を見ると、私は両方の点で疑問を感じます。 TC は独立したライターであり、組織のリーダーシップについて語っています。 彼は元アマゾンのゼネラルマネージャーであり軍司令官であり、30 年にわたるリーダーシップの経験があります。
たぶんこれはクールすぎる - トニー・カー著 - The Radar
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万願寺さん、こんにちは。
以前、病気のことや家族のこと、仕事のことなど相談させていただきましたADHDの者です。近況報告と少しご相談をさせていただきたく、ご連絡いたしました。
まず、改めてあの時たくさんの言葉をかけていただいて、背中を押していただいて本当にありがとうございました。今でも読み返すと涙が出ますし、たびたび勇気をもらっています。
現在は、病気の数値はだいぶ安定していて、週2日で4-5時間程度ですがアルバイトも始めました。
学校は、休学してまた行こうと思ったのですが親にすごく反対され大喧嘩になり…退学も検討しましたが一応内緒で休学をしています。笑
最近占いを見始めたのですが、どうやら私は今までの7年間が闇で、今年から数年間抜群に運気がいいそうです。
イラストの方でも、ありがたいことに依頼をいただく機会が増えたり、企業から声をかけてもらうこともあって前��進めている実感があります。
また、お洋服のブランドを始めました。まだ事業としてではないですが、こちらもかなり好調でありがたいです。
そして万願寺さんに言われた通り、手帳と年金の申請をしました。実は申請する前に、申請しようと思っている旨を母親に伝えたのですが「人としてあり得ない」ということで大喧嘩(といっても一方的に散々言われただけですが…)になり、正直迷いました…が、親元を離れるためにも必要ですし、精神科の先生にも相談して、親には秘密にして申請しました。その結果無事にどちらも審査を通り、手帳の取得と年金の受給が決まりました。
万願寺さんに言われなかったら行動できていなかったと思います。本当に本当にありがとうございました。
そして、話が変わりますがよろしければ私がずっと抱いていた夢の話を聞いてください。
私はイラストレーターとお洋服のブランドの二つのお仕事だけで1人で生きていけるようになりたいという夢があります。また、そのために田舎に自宅兼アトリエを作って自然に囲まれてインスピレーションを得ながら暮らしたいと考えています。
現在も積極的に活動をした結果イラストやブランドを少しずつ見てもらえる機会が増え、収入につながりつつありますが、まだ安定しません。
年金がもらえることになったので正直一人暮らしでも生活できるのですが、親は年金をもらっていることを知らないため建前上、先に書いた通りアルバイトと、自宅で母親と一緒にハンドメイドの犬服の製作・販売をしています。
この犬服の販売というのは、私が言い出したことなので名義は私なのですが、ほぼ母親が主導権を握っています。私が製作したものでも母親が値段を決めて(すごく安いです…)、その他についても私が意見したことはさまざまな理由をつけて9割否定されるためほぼ叶いません。本当に値段が安く趣味のレベルなので製作するだけ時間の無駄なんじゃないかと最近思い始めました…。
数年後、イラストとブランドの収入が安定してきたら、理由がつけられるので引っ越そうかと考えておりましたが、このままダラダラと犬服とバイトを続けていてもイラストとブランドの足を引っ張るだけで、せっかく運気がいいのに時間を無駄にしてしまうと思ってしまいます。
そして何より、病気が完治したらまた正社員として安定して働くことを親は望んでいます。
一刻も早く親元を離れたいのですが、年金を受給していることが知られずに引越しをする方法、引っ越し費用や日々の生活費などを用意できたという理由はどのようにするのがベストでしょうか…
※いままで私に一切貯金がなかったことを親は知っています…
長くなってしまい申し訳ございません。
よろしければご回答いただけますと嬉しいです。
匿名さんこんにちは。長いお手紙をありがとうございます!前回からのその後、年金の給付決定まで至ったとのことで、嬉しい限りです。
「一刻も早く親元を離れたい」という気持ちをはっきりと言葉にできるようになったことが、匿名さんにとって、実はすごい進歩だと思います。ご質問についてで��が、どうしても年金給付を受けていることを知られたくないのであれば、「アルバイトや依頼で得た貯蓄を、密かに別の口座に作っていた」ということで、どんなに無理があるとしてもこれを押し通すしかないように感じます。
前回の質問の回答と重複すると思いますが、匿名さんは成人として独立した1人の人間です。親の監督下にある未成年ではない。だから、親という他人が何を言ってこようと、その人にはなんの法的な拘束力もなく、1人の人間がやることに対して、1人の人間がとなりでワーワーギャーギャー言っているだけです。その人が親であるからもちろん匿名さんは配慮したいのでしょうし、お気持ちは想像できるところです。それでも、相手が匿名さんへの執着を卒業するためにも、ここは、「大人なのでこちらの行動にあなたが口を出す権利は無い」という気持ちを忘れずに、やんわりと『濁し続ける』というのはいかがでしょうか。濁し続けるというか、とにかく何を言われても「別の口座に作った秘密の貯蓄がある」の一点張りで通す、という案です。本当は年金を受給しているんじゃないか?と勘ぐられたとしても「それをあなたに教える義務はないし、教える気もない」ということを伝えてもいいかもしれないです。ただ、あまり過激な言葉や態度になってしまうと相手も逆上してしまう可能性がありますから、やんわりと、あくまで『濁し続ける』の精神で…どうでしょうか。
本当にここまで、よく頑張って歩んでこられたと思います。本当に本当にお疲れ様です。絵の依頼やお洋服のブランドのことなど、匿名さんの今までの血のにじむような努力の結果だと思います!心から喝采を送らせていただきます。ここまで来たら、あとは最後のもうひと踏ん張りで、匿名さんは精神の平穏を手に入れられると思います。とにかく、引越しの手続きを淡々と進めること。引越しの用意を進めていることも、別に親の人に言わなくていいと思います。不動産屋に行き、部屋を内見し、賃貸契約をし(保証人がいらないタイプの賃貸も沢山あります)、引越し日を決め、引越し業者を手配する(自分の独力で、車などを借りて引越しする場合もあると思います)。そして引越し当日、荷物の運び出しを終えたら、それで晴れて、親の人とはもう一緒に暮らさなくてよいし、命令にも心を乱されなくてよくなります。本当にあと少し、あと一歩のところに、その未来が迫っていると感じます。
ですから、最後のその時(引越しの成功)まで、あとはなんとか、攻撃を『かわし続けて』ください。最後の日に引越しが成功したら、後はもう離れたところから何を言われようと、1人の成人に対して、他の成人が文句を言っているだけです。それまでは、どうにか大きな事に発展しないよう、時には様子を見て、『秘密の貯蓄が溜まった』のゴリ押しで行きましょう。あなたの財産に関して、親の人がそれを暴いたりする権利はありません。
個人的には、年金の給付を受けていることを事実として告げるのもありかな、と思いますが、匿名さんがその事実を明かさない方がいいと判断しているのであれば、多分その方がいいんだろうなと思います。それにしても、本当に、アルバイトを続けられるほどに、一時期よりも回復され、生活や精神面も落ち着かれたようで、心から嬉しいです。今後の夢も明確にあって素晴らしいですし、是非それを達成してほしいです!
以上が私の案になりますが、できるだけ色んな方の意見をお聞きになることをおすすめします。上手くいくかどうか、というか引越しできるかどうかの鍵は「自分の財産と生活を親という他人に害させない」という気持ちを強く持ち続けることだと思います。前回のおたよりよりも、今回のほうが、はるかに親の人からの依存や執着に対して、距離を取れているように感じます。私が色々と言うまでもなく、やはりご自身で気づかれていた面、行動せねばと思っていた面があったのかもしれませんね。その心意気や、めちゃめちゃ、よし!!!!!という感じだと思うので、引き続き、ご自身の『幸せ』のために、辛く苦しい思いもまだするとは思うのですが、あと少し、頑張ってください……!!匿名さんの新たな生活、そして落ち着いた健全な精神面の保護を、心より応援しております。私に出来るのはこうして言葉を並べることだけですが、ここまで独力でできた匿名さんなら、きっと成し遂げられると感じています。
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SNOOZER 1998 4 Bernard Butler 天国から降り立った至福のソウル・ミュージック、遂に完成!
BERNARD BUTLER
by SOICHIRO TANAKA photography by MIDORI TSUKAGOSHI
間違いなく、98年最初の傑作と呼びうる作品が座み落とされた。アルバム「ピープル·ムーヴ·オン」——バーナード·バトラーという類稀なる才能がようやく咲かせた、大輪の花びらである。険しさや激しさとは無縁。勿論、どこまでも気持ちが高揚するアップ·テンボのナンバーもある。だが、基本的には柔らかで、しなやかで、ゆったりとした時間が漂う、極上のソウルフルな作品集である。
■練りに練り込まれた4ピース·バンドのアンサンブル、そこに実に効果的に配置された華麗なストリングス——だが、そんなゴージャスなプロダクションにもかかわらず、バーナード���人の細かい息遣いがそのまま伝わってくるような親密さがここにはある、日当たりのいいキッチンに通されて、入れたばかりのココアを御馳走になったかのような暖かさ。薪が割れる音だけが聞こえる、暖炉のある暖かい居間に招かれて、家族との思い出話をひとつひとつ聴かされているかのような距離感。そして、妻、亡き父親、兄弟達、多くの友人達——バーナード自身と彼の周囲の人々をめぐる大小様々なドラマが平易な言葉で綴られた歌詞。ここはバーナードが招き入れてくれた彼の部屋なのだ。
■「僕が何故、落ち込んでるか聴いてくれるかい?/僕が過ごしていた日々は、ありがちな疑いばかりだったから/そう、僕が夢を語っても、君だって耳を貸しちゃくれなかった」「そう、君はわかってくれてると思ってた/友人達が僕のことを取り合ってもくれなかったってことを/だって、僕は他人のことが少しもわからないんだよ」「でも、最近は僕はひとりじゃないんだ」——アルバムに先立つ2枚目のシングルとしてリリースされた“ノット·アローン”において、バーナードはどこまでもあけすけに歌う。だが、ここで鳴らされているのは、夢、失意、孤独、離別、誤解、強がり、喜び——そんな普通的なものばかりだ。そう、これこそは我々、日常と自分自身の感情に翻弄され続ける「ちっぽけな魂」の主題歌そのものなのではないか?
■バーナード·バトラーは、自分の半径2メートルのありきたりの小さなドラマから「普遍」を生み出した、どこにでも転がっているありきたりの失意と喜び——だが、それが当の本人にとってはとれほどに深刻なドラマなのか? そして、それを細心の注意を払い、目一杯の熱意でもって奏でた時に、それはどれほどに崇高な叙事詩たりえるのか?——アルバム「ピープル・ムーヴ·オン」は、そうした事実を証明してみせた。バーナードに招かれて、我々は自分自身について語りだす。そう、アルバム「ピープル·ムーヴ·オン」は、そんなありきたりのちっちゃな喜怒哀楽に対する祝福で溢れている。
このレコードによって父の思い出が公になってしまうのは、少し哀しい。でも、そのことによって、僕自身の存在を証明出来た気もするんだよ。僕は一分一秒たりとも人生を無駄にしたくない。そんな思いを父の思い出がサポートしてくれるのさ
ありきたりに生きたありきたりの男が愛した「やせっぽちの息子」だからこそ産み落とせた、どこまでも親密な「至福のソウル・ミュージック」——
マチズモからも、ホモ・セクシャル体験のないバイ・セクシャルからも遠く離れた、奇跡のソロ・デビュー・アルバム『ピープル・ムーヴ・オン』が到達しえた、しなやかさの秘密
●素晴しくソウルフルなアルバムが出来上がりましたね。
「どうもありがとう」
●このアルバムを聴いて、何故、あなたがスウェード時代、あんなにも居心地悪そうにしていたのかがわかったような気がします。というのも——。
「ふう(と、言ったまま机につっぷしてしまう。髪の毛がスープに浸ってしまっているのも気にせずに、ガバッと起き上がり、首を激しく振り続ける)」
●もうスウェードの話はしたくないんですね?
「いや、そんなことは言ってないよ。別にいいんだけどさ。別にいいんだ���ど……でも、スウェードのことについては散々話し過ぎたから。ねぇ、アルバムの話にしてくれない?」
●ええ、勿論。だって、今日はスウェードじゃなくって、あなたのソロについて話しにきたんだから。
「それなら良かった。うん、もうスウェードの話はしたくないんだ。僕はスウェードでのキャリアを、本当に誇りに思ってるよ。でもさ……でも、もう5年も前の話なんだぜ?でも、ヨーロッパのプレス……特に英国のプレスは、事あるごとにそんな昔の話に固執するんだよ。昔のことだけじゃない。スウェードが何百万枚もレコードを売ったとか、そんな話をするんだ!そんなの僕の知ったことじゃないのに」
●いや、だから、僕が訊こうとしてるのは——。
「(遮って)だってさ、このアルバムはスウェードのレコードに対する反撃でも何でもないんだから……。このレコードは明らかに、今までやってきたことと違うはずだよ。僕の人生の中の、新しい時代の節目にふさわしいものなんだ。歌詞的なアプローチの方法も、個人にすごくクローズアップしていったり、うんと突き放してみていたり、すごく一般的なことに基づいていたり、様々なんだ。そう、これは全て『僕』なんだ。すごく『僕』らしいレコードなんだよ。ここには、いろんな違った角度から『僕』が描かれているのさ。それこそが、僕が常にやりたいと思っていたことなんだ。うん……でも、まあ、君がこのアルバムの中の僕と比べてみて、スウェード時代の僕は居心地悪そうにしてた、と言うのも分かる気がするよ。確かにそうだったかもしれない(笑)」
●うん、そう。つまり、僕が「何故、居心地悪そうにしていたのかが分かった」と言ったのは、このアルバムを聴きながら、「ああ、これこそがバーナードが昔からずっとやりたかった音楽だったんだなあ」としみじみと感じたからなんです。
「ああ、もう本当にその通り。大正解だ。でも、そんなことを言ってくれたのは、君が初めてだよ」
●嘘?本当に?
「ねえ、『ボトム·ドロワー』って知ってる?結婚に備えて、女の子が嫁入り道具をしまっておくたんすの引き出しのことなんだけど。お父さんやお母さんが、お嫁に行くときに持って行かせたいものを、娘のために蓄えておいたりもするんだ。で、これは、そんな感じのレコードなんだよ(笑)。今まで大事に蓄えてきたものがギッシリ詰まってる。なかなか外にひっぱり出すことが出来なかったんだけど、絶好の機会を得て、ようやく陽の目を見ることを許されたのさ(笑)」
●(笑)なるほどね。それで、このアルバムを聴いて最初に感じたのは、ひとつが最初に言ったソウルフルな作品だということ。で、もうひとつが、70年代のソングライター達がやっていたような、すごく「パーソナルな息遣い」が伝わってくる作品だということなんです。
「へえ。なるほど。いいね」
●でも、自分自身の弱さや怖れをも包み隠さずに歌うのは、最初は戸惑う部分があったんじゃないですか?
「いや、僕は隠しだてしたりしないんだ。隠すものなんて、何もないからね。むしろ人間は自分を包み隠したりしないための努力をすべきだと思うよ。ほら、去年出たレコードの大半はマッチョで、アグレッシヴなギター·ミュージックばっかりだっただろ? なんかお高くとまってると言うか、人を下に見てるって言うか。『俺はグレイトなんだぜ!俺はお前らとは違うんだ!』ってね。でも、僕はそんな風に自分のことを考えたくない。それよりも、もっと繊細なものを表現したいんだ。人間関係のことや、離別や、誰かを失うことや、家族のこととかね。僕はそういうものを自分の内側にひたすら溜めているだけなんて好きじゃない。殻に籠りたくないんだ。溜まったら吐き出して、受け入れていかなくちゃ。どんなポジティヴなことも、ネガティヴなこともね。勇気を奮い起こさなきや。『何でこんなことが僕の身に起こったんだろう?』って理由を解明するんだ。それで『きっとそれは僕が物事の悪い面しか見てなくて、考え方によっては良い側面もあるはずなのに、それを見ようとしないからなんだ……』って気付くんだ。それは変化し得るものかも知れないんだから、リスクを負わなくちゃ。それが、このレコードで表現されている僕の感情というか、感覚なんだ。とにかく、このレコードはすごくパーソナルなものなんだよ。だから、どの曲が具体的にどの人について歌っているかは、言いたくない。僕に言えることは、『このレコードは僕の人生にすごく深く関わっているものだし、多分、みんなの人生にも何らかの関係性を持っているだろう』ということだけなんだ」
●なるほどね。実際、あなたは、これまで自分自身のことを「やせっぽちの、ギターを弾くしか能のない男」という言い方をしてきましたよね。でも、この作品さえあれば、そういった自嘲的な言葉で照れ隠しするのではなく、「僕には人を感動させることが出来るんだ!」と胸を張って言えるんじゃないですか?
「そうだね。僕はこのレコードをすごく誘りに思ってるよ。でも、特に、ここ10年くらいは男が怖れや弱さをさらけ出す、なんてことが受け入れられない状況にあるだろ?実際、僕が思うに、男は普通そういうことをレコードの中で表現したりしないんだよ。男っていうのは、いっつも叫び声をあげてなきゃならない。っていうか、いつでも強気で、男らしくて、荒々しくふるまわなくちゃならなかったりするんだ。でも、僕は、終始『俺はグレイトだ!俺は最高だ!俺の書く曲はどれもこれも素晴しいんだぜ!俺はこの世代で、いちばん優れたソングライターだぜ!』なんてふれまわるような人間には興味がないんだよ(笑)。自分の道をまっすぐに、ただ前だけを見て進んでいけばいいのさ。僕はその方がずっと強い生き方なんだと思ってる。実際、怖れや弱さをさらけ出す、って言っても、何もネガティヴで、悲観的な意味かりがこもっているわけじゃないと思うんだ。本当は、もっとずっとポジティヴで前向きなことだと思うんだよ。だって、ちゃんと自分と前向きに向かい合っているわけだろ?で、その先を模索するための一段階なんだからさ。勿論、これは僕の問題であって、他の人にも強要するつもりなんかないよ。でも、もしかしたら僕のレコードが他の人の考え方に影響を及ぼすかもしれないよね。その可能性もあると信じてるんだけど……。だから、このレコードっていうのは、マッチョでもなく、アグレッシヴでもない、でも、強くてしなやかな男の作ったレコードなんだ。前だけをまっすぐ見て、突き進んでいくだめのレコードなんだよ」
●マッチョじゃないってことで言えば、ヴォーカルという面についても、ニール·ヤングの「囁くような歌い方」があなたに歌う勇気を与えてくれたんじゃないですか?
「う~ん。囁く、っていうのはちょっと違うかな。でも確かに、ニール·ヤングみたいに、ヴォーカルではなくて、表現の一部として歌を歌っているような素晴しい人達っていうのは、技巧に凝らないよね。ビブラートも使いこなせなければ、音階もまともに取れない。でも、何故彼らの歌が素晴しいのかと言えば、ここから生まれたものだからなんだ(と胸をトントンと叩く)。それにいい音符が並んでいれば、つまり良いメロディがあれば十分なんだよね。でも、僕が勇気づけられているとすれば、やっばり彼のアティテュードなんじゃないかな」
●先ほど、70年代のソングライター的なパーソナルな思遣いという話をしたんだけども、逆に、あなたとしては英国人のソングライターに多いキャラクターや物語を設定する歌詞の書き方には、胡散臭いものを感じるんでしょうか?
「そもそもイメージを作り上げようとする点では、大英帝国こそ最も悪しき存在だと思うな。この国は、もう何千年もの間時間を無駄遣いしてる。国民はずっとそれに踊らされて、『大英帝国万歳!』ってやってきた。で、その思想みたいなものが、今の時代になってもずるずると国民の頭の中に残ってるんだよな。こんな小さな国に住んでるもんだからさ、アメリカにプレイしに行ったバンドなんて、すぐ大陸を征服したような気分になってしまうのさ。『俺達はすごい!』ってね。勿論、これは一般的な英国人の考え方であって、僕の意見というわけじゃないよ。僕はそんな考え方には反対なんだ。僕の両親はアイルランド人だから、この大英帝国的な思想は相容れないものがあるし。これがさっきも言った、アグレッシヴな考え方の根底になっているものなんだ。僕は、僕のレコードを聴いた人達にイメージの刷り込みとか、餌付けみたいなことはしたくないんだ。それよりも、このレコードを聴いてくれた人達と手をとりあって、暖かな雰囲気を感じて貰いたいと思ってる。僕は火になって、誰かを暖めることだって出来るはずなんだ(笑)。まあ、確かに、その英国的なソングライティングというのは、一種のシニシズムのようなものだよね。それと、幻想みたいなものを人はそこに見い出しているんじゃないかな。というのも、みんな退屈してるからね。退屈な生活、退屈なバックグラウンドを持った人達が、大勢ロンドンにやってくる。特にロンドン郊外からね。サリー州やケント州、サセックス州といった場所に生まれ育った若者達は、ロンドンに大都会の幻影を見てるんだよ。『ロンドンに行けばきっとエキサイティングなことが待ち受けてる』ってね。でも、僕もそうだけど、元々ロンドン市内で育った人達は、そんな幻想を持ってはいないからさ。でも、郊外で育っ��ロンドンに来た人達は、そういう幻想を持ってる。すごく奇妙な、ロンドンのアンダーグラウンド·シーンを発掘するのに執着するんだ。むしろ僕は自分のレコードには、退屈ならその退屈をそのまま表現したいと思ってる。下手な幻想を描くのではなくてね。まあ、こういうことはロンドンに限らず、世界中の大都会に共通する風土病みたいなものなんだけど(笑)」
●なるほどね。
「諸悪の根源は、あのブリット・ポップだった。まあ、中にはいいのもあったけど、そういう地味だけどいいレコードよりも、もっとくだらないけど華やかなレコードばっかりが売れて、そういう連中だけが大金持ちになっちゃったんだよね。ヴァーヴとか、レディオヘッドとか、そういう素晴しいバンドは黙ってベンチに座ってるだけだった。僕もそうだった。でも、最近になってやっと状況とクオリティが一致してきたように思うんだ。でも、やっぱりあの時代というのは、失望させられてばっかりだったよ。まるでロンドンのイメージー=ユニオンジャックの旗、赤い2階建てバス(笑)っていう、あのステレオタイプのイメージがそのままロンドンのミュージック·シーンに持ち込まれちゃったんだ」
●では、今も話に出たレディオヘッドのトム·ヨークのような人は、自分しか気が付かないような、自分自身や世界の問題点をえぐるように見つめて、それを克服するために創作に向かっていますよね。
「僕、彼のことが本当に好きなんだ。尊敬に値するね。レディオヘッドの曲を聴くと、いつでもついつい歌詞に目がいってしまう。歌詞カードを読む、数少ないバンドのひとつだね(笑)。でも、ああいうダウンな歌詞で曲がものすごく良いバンドって、本当に少ないと思う。そこが彼らのすごいところなんだ。曲がとてもいいから、その曲と詞の相乗効果が素晴しくて、詞そのものがまるで詩歌みたいに響いてくる。世界で最高のバンドのひとつだね。それは疑いようがない。興味深くて、曲が素晴しくて、声が美しい。そして、歌詞が本当にいい。自分達の過去を忘れてしまって、最初からビッグなバンドだったような顔をしないのがまたいいよね。彼らが最初にレコードをリリースした時、この国の誰も彼らに興味を抱かなかった。『ザ·ベンズ』をリリースした時だってそうさ。でも、半年経った頃に、ようやくみんながあのアルバムの良さに気付き始めた。ファッショナブルだとさえ言われるようになったんだから。最初は誰の目にも留まらなかったものが、今では10年来の傑作レコードにまで成り得たのさ。その辺が、僕が『ロンドンのミュージック·シーンはクズだ』と言う所以なんだよ」
●ところで、あなたのソングライティングについてもうちょっとお訊きしたいんですけど、やはり今作に収められた作品のソングライティングの過程というのは、自分自身の弱点やダークな部分と向き合って、それを克服していく過程でもあったんでしょうか?
「うん、そうだね。ただ、向き合って、というのは確かにそうだと思うけど、克服っていうのはちょっと違うな。克服というよりも、『ポジティヴなやり方で自分自身を表現している』と言ったほうが適切だと思う。僕は決して紙と鉛筆を持って、じっくり腰を据えて曲を書くようなタイプではないからね。ただテープレコーダーを回して、思いついたフレーズをランダムにそこに���り込んでいく。アイディアをとっ散らかったままとにかく録���ておくのさ。頭の中はいつも混沌としていて、いろんな考えや感情がぐちゃぐちゃに渦巻いている。それを簡潔な言葉で説明することなんて出来ないはずなんだ。なのに、一旦レコードになると、ちゃんと簡潔にその意味がまとまっているんだよね。自分でも不思議でしょうがないんだけど(笑)。それで、レコードをじっくり聴き直してみて、ようやく自分自身の考えていたことが解ったりするんだよね。曲作りは、本当にそんなふうな自然発生的なものなんだ。予めプランを立てておくことなんて出来ない。いや、出来たらどんなにいいか、って思うんだけどね(笑)。だけど、やっぱり駄目なんだよね」
●では、今回、ソングライティングの過程で、本当の自分自身と向き合う時、最も苦痛を伴ったのは、具体的にどんな部分だったか数えて下さい。
「そうだな……僕の父親についてのラインを書いている時かな。このアルバムには、全体を通して僕の家族についての描写がたくさん出てくるんだけど、時々胸が苦しくなったりしたね。タイトルや、そういったフレーズに引用されているのは、妻との会話や、何年も前の僕の家族との対話だったりするんだ。まあ、中にはテレビの中の会話からとったものもあるけど(笑)。僕は、基本的に、そういう具体的な会話を引用するのが好きなんだ。政治的なメッセージ性のあるタイトルなんて付けたくないからね。僕は本を読まないからさ。知識なんかよりも、もっと自分のイマジネーションや、頭の中にあるもの、感覚的なものを大切にしたいと思ってるんだ。とにかく、家族のことを曲にするのは、いつでも苦痛を伴う作業なんだ。でも、そこにこそ僕のエモーショナルな部分がいちばん生かされているとも思うし、ポップ·レコードに、もっと深い感情を与えてくれる存在でもあるんだよ。それに、父親や、祖父や、先祖の思い出は僕に残された遺産だと思うんだ。で、その遺産を僕も残していきたいと思ってる。そう、運命みたいなものだね。それに自分なりに折り合いを付けていくのは、エキサイティングなことでもあるんだ」
●実は、この作品を聴いて、かつてあなたがあなたのお父さんについて語った素晴しい言葉を思い出したんです。「自分はごく平凡なとても素晴しい人をひとり知っている。君達にはなんの意味も持たないかも知れないけど、僕にとってはとても大切な人だった。その人はとても幸福な当たり前の人生を生きて死んだんだ」って言葉を。
「ああ、そうなんだ……うん……彼はね、そう、とても平凡な人だった。ごくごく当たり前の人生を送っていたよ。人生を通して、何か特別なことをしたわけじゃない。9時から9時まで退屈な場所で働いて、夜は毎晩テレビを観て、お金の工面をして、ごくまともな死に方をしたんだ。特別に楽しいことがあったわけじゃないんだろうけど、月明りの頃……死の直前にはそれなりに残りの人生をエンジョイして死んでいったと思うよ。その父の思い出がレコードをリリースすることによって公になってしまうのは、僕にとってちょっと哀しいことでもあった。でも、それと同時に、彼の思い出を公にすることによって、僕自身の存在を証明出来たような気がするんだよ。僕自身がここに居る、その事実と理由をね。僕は一分一秒たりとも人生を無駄にしたくはない。そんな思いを彼の思い出がサポートしてくれるのさ。そう、父はとても博識で、機転が利いていて、ウィットに溢れた人だった。でも、誰も声を大にして、彼��いい仕事にありつく機会を教えてはやれなかったんだ。君や、僕のようないい仕事にね。まあ、これって世代的な問題でもあるし、それだけのことなのかもしれないけどね」
●うん。でも、このアルバムさえあれば、あなたは彼の遺志を継いだ、素晴しい息子だという証明が出来ますよ。
「(笑)そうだね。父がそう思ってくれることを願うよ」
●先行シングルの“ステイ”は、どこかお父さんに捧げられた部分もあるんじゃないかと思ったんだけど。
「いや…… 。特にそういうわけじゃないんだ。でも、もしかしたら、潜在的にそんな思いもあったのかもしれないね。正直なところ、どういうふうに君に説明したらいいのか分からないんだけど。この曲は、『変化』について歌われたものなんだ。僕は、人が他人に『君は変わるべきだ』『君はもっと先に進まなくちゃいけない』なんて言ってるのを見ると、イラついてしまうんだ。だって、言われた方は、彼らが変わらなくちゃいけないことも、彼らが本当に先に進みたいと思っていることも、ちゃんと分かってる。それと同時に、そのことがどんなに難しいことかも分かっているんだから。でも、一日の終わりには、必ず『やっぱり自分は変わらなくちゃいけない』って思うんだ。それって、すごく絶望的な光景だと思うんだよね。変化の過程というのは、いつでも恐怖や失望を伴うものだし、違う場所に到達するのって、フラストレーションに常に苛まれるシチュエーションなんだよ。感情的にも不安定で、すごく傷つくことなんだ。実は、この曲のフレーズは、ちょうど僕がレコーディングに入る前に知人の女の子に言われた言葉でさ。彼女は僕が先に進まなくちゃいけないことも分かってるのに、僕にそんな風にばかり言ってて…おまけに、自分は進もうとしなかった。自分も前進しなきゃいけない、って分かってるのにさ。このことは、“ステイ”の前の曲 …なんだっけ、アルバムの9曲目」
●え~っと “ユー·ハヴ·ゴット·ホワット·イット・テイクス”ですね。
「その曲も、このことについて歌われたものなんだ」
●そうなんだ。なるほど。じゃあ、アルバム·タイトルにもなっている『ピープル·ムーヴ·オン』というタイトルは、そうしたあなたの人生における変化に対する認識が現われたものなんでしょうか?
「これも、もともとは毎日の対話の中から出てきたフレーズなんだ。でも、ちょっと違うのは、これは自分自身の対話というところなんだよ。『何でこんなことが起こるんだろう?』、『何でこんなことが自分の身に起こったりするんだろう?』という問いかけから生まれたものなんだ。自分の頭の中に渦巻いている、人生そのものに対する問いかけだね。このフレーズが最初に閃いた時、僕はウェストエンド(ロンドン中心街)で新聞を売ってたんだ。何年も前の話さ。で、人がただ、流れていく。流れていく。流れていく。土曜日の夜で、みんなはクラブに繰り出すために、流れていたんだ。僕は、それをじっと観察してた。自分勝手に彼らを批評してたわけさ。クラブへ向かう時にはお洒落して、皆すごくスマートに決めてるだろ? でも、帰りには口紅は剥げてるし、髪の毛はめちゃめちゃだし、あられもない格好になっていたりするんだ(笑)。そういう流れ行く人の立ち居振る舞いを、批評することだって出来るし、それを経験の一つとして自分に取り込むことも出来るんだ。そういうのって、ただの行きずりの人についても、大切な人についてもそれは同じことだと思うんだ。過去に一緒にプレイしたこと��あるミュージシャンだって、一緒に仕事をしたことのある人だって、関係を持ったことのある人だって同じことさ。僕の中には、他人は自分の中を通りすぎて行く存在に過ぎないという思いがどこかにあるのかもしれない。勿論、その中には僕を救済してくれる人も、僕のイマジネーションをかきたててくれる人もいる。2度と会わない人もいる。「ピープル·ムーヴ·オン」というのは、人が自分の中を流れていく、まるで旅するように来ては去っていくシチュエーションをイメージさせるフレーズだと思うよ。このレコードも、そんな旅のようなものなんだ。色々な人や、色々な経験がこのレコードを通り抜けていくのさ」
●なるほど。で、このアルバム全編には「許し」が漂っていると思うんですよ。あなた自身、このアルバムを作ることで、憎しみや怒りという感情から解放されて、とっても清々しい気分になったんじゃないですか?
「いや、どうだろ……最初から『許し』があったというよりも、先に『評価/判定』があって、その結果から君はそう感じたんじゃないかな。勿論、ネガティヴな評価の場合もあるよ。で、そういう人間関係を自分の経験則として蓄積することが出来るんだ。そういうことだと思う。そう、それと『ビーブル·ムーヴ·オン』というタイトルには、もう一つ別の意味があるんだ。それは、『頼むぜ!動いていこうよ!』ってことなんだ(笑)。『進んでいこう、イマジネーションを最大限に使って、音楽に関する知識をうんと生かして、動いていこう、進んでいこう!』ってことなんだ。まあ、つまりは、レコードを作ろう、ってことなんだけど(笑)。スピリチュアライズドやレディオヘッドといったバンドは、それを本当に上手にやってのけたと思うよ。彼らはこの国の音楽的な財産にきちんと敬意を払いながら、全く同じことをやるということに、プレッシャーを感じてる。違和感を感じてるんだ。『お、これいいね!頂戴しよう』って上手く過去の音楽スタイルを取り入れながら、最新型のオリジナルを創り出しちゃうんだからね!すごく革新的だよ。こういうのを、アート·ワークって言うんだと思う。いろんな人から影響を受けて、それで今度は自分達がリスナーやオーディエンスに影響を与えてる。動き続けているのさ」
●うんうん。じゃあ、あと少しだけ。“ユー·ライト·ザ·ファイア"の穏やかなムードというのは、あなたの家庭のムードそのものの反映なんでしょうか?
「いや、というよりは、これは今現在の僕自身の状態についての曲なんだ。父が死んでから数年の間、僕は兄弟達と全然連絡を取り合っていなかった。でも、ちょうどアルバムの最後の曲のヴォーカル·トラックを録っていた時なんだけど、兄弟が僕をスタジオに訪ねて来てくれてさ。なんだかすっかり歳とっちゃったみたいに見えたけど、もうとても嬉しくてさ。つまり、レコーディングが一区切りついたところで兄弟が激励に来てくれたんだよ。その時っていうのが、すごく暖かな気分だったんだ。その後も、僕にも子供が出来て、兄弟にも子供が出来て、母が孫を見に来てくれて、良い時期が続いてる。すごく暖かくて、素敵な、ポジティヴな時間が続いていることを歌っているのさ」
●うんうん。でね、ちょっと気になったのは、このアルバムを聴く限り、あなたってちょっとジェラシーが強すぎる男性なんじゃないかな?って。
「ジェラシー?いや、僕として���そんなことないと思うけどな。良く分からないな、その質問は」
●OK。じゃあ、ここ数年のあなたの活動を見て、最もやきもきしていたのは、あなたのワイフなんじゃないかと思ったんだけどーー。
「え、どういうこと?彼女が僕の音楽活動を気に入ってなかったってこと? それとも、全然働いてないことを怒ってたかってこと?」
●違う違う!だって、ここ数年、音楽活動の面であなたは色々と紆余曲折してたじゃない?
「ああ、分かった。そういうことか。うん、僕の奥さんはね、すっごく素敵な女性なんだよ。アハハハ。いやいや、とにかく、音楽のことに限らず、色々心配はかけてると思うな。僕は結構肝心なことを言わなかったりするもんだから、彼女はそれをどうにか理解して、問題を解決しようと努力してくれてるんだ」
●じゃあ、“ユー·ジャスト·ノウ”は、彼女との関係の中から生まれた曲なんでしょうか?
「そう、僕は彼女のことを何でも知りたがるからね、まるで子供みたいに(笑)。というより、彼女が僕を理解してるのかどうかを知りたがってしまうんだ。ほら、子供って何でも根掘り葉掘り訊きたがるだろ?『どうしてそんなこと知ってんの?それってどういうこと』ってさ。小さい時には誰でも、『なんで今夜サンタクロースが来るなんて判るのさ?』って両親につっこんで、困らせたりするじゃない。もちろん親はそれには答えられないんだけどね(笑)」
●でも、それって、あなたがジェラシーの強い人だってことも関係してるんじゃない?
「ああ。なるほど。それは良い見解だね(笑)。そうか。そうなのかも。ハハハ」
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長々と「ゴーストワールド」考
私がテリー・ツワイゴフ監督の映画「ゴーストワールド」と出会ったのは、2000年代中盤のことだった。映画館ではなく、ツタヤでDVDを借りて実家のリビングで観た。コロナ禍によってビデオ・DVDレンタル屋としてのツタヤが街から消えた今になって振り返ると、あの日からずいぶん遠くに来てしまったことを実感する。
映画冒頭、アップテンポなジャズが流れ出し、こぶしの利いた男性シンガーの声が重なる。「シャンフェケシャンフゥ」--何語だか分からないが、気分を高揚させる陽気なグルーヴ。しかし、映像はアメリカ郊外の白いマンションで、音楽の古めかしさと不釣り合いな印象を与える。
カメラはマンションの外から窓の中を捉えつつ、右へと移動する。それぞれの窓の向こうにいる住人たちが部屋でくつろいだり食事をしたりといった光景がいくつか展開された後、濃いオレンジの壁紙の部屋が映し出される。部屋の中央で、黒縁眼鏡をかけたぽっちゃりめの女の子が、黒髪のボブを振り乱して踊っている。傍らには昔ながらのレコードプレーヤー。そこから大音量で流れる「シャンフェケシャンフウ」--アメリカにおけるサブカル眼鏡女子の強烈な自己主張は、無機質な郊外の光景へのレジスタンスのようだ。
細かい台詞やキャラクターは忘れてしまっても、このシーンだけは鮮烈に頭に残っている。この映画が何を描こうとしているのか、冒頭を観ただけで分かった。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさ。そんな存在を愛おしむ監督の眼差し。
2時間弱の物語の中では、高校を卒業したものの進路が決まらない主人公イーニドが迷走に迷走を重ねる。そして、彼女が何かを成し遂げるようなラストも用意されていない。
ありがちなティーンエイジャー文化に埋没する無個性なクラスメイトや郊外の退屈な人々を馬鹿にしている割に自分自身もぱっとしないイーニドの姿は痛々しいが、十代の自分にも確かにそんな一面があったことが思い出され、いたたまれない気持ちになる。それでも、映画を見終えた私の心には温かい余韻が残った。監督が最後までイーニドに寄り添い続けていることが伝わってきたから。
2023年下旬、何の気なしに見ていたX(旧twitter)で、ゴーストワールドのリバイバル上映を知った。絶対に行かなければと思った。あの名作と、映画館で出会い直したい。 上映が始まって約1ヶ月後の2024年1月、再開発によって円山町から宮下に移転したBunkamuraル・シネマの座席で、私はイーニドたちと再開することになった。
改めて観てみると、最初に観た時の感動が蘇ったシーンもあれば、初見では気付かなかった要素が見つかったシーンもあり、希有な鑑賞体験になった。 これ以降、個人的に気になった部分を列挙してみる。
自由という試練
物語の序盤で、主人公イーニドと幼馴染みのレベッカは、揃って高校を卒業する。式が終わると、イーニドとレベッカは会場から走り出て、卒業生が被る伝統の角帽を脱ぎ、校舎に中指を突き立てる。二人とも大学には進学せず就職もしないので、これからは受けたくない授業を受ける必要もなく、大人として自分の道を選ぶことができる。スクールカースト上のポジションに惑わされることもない。
しかし、コーヒーのチェーン店で働きながら親元を離れて暮らすためアパートを探し始めるレベッカとは対照的に、イーニドは将来のビジョンを持てないまま高校の補講に通い、髪を派手な色に染めてみたり、映画館のアルバイトを一日でクビになったりしている。ルームシェアをする約束を果たす気があるのかとレベッカに問い詰められれば「自立、自立って馬鹿みたい」と滅茶苦茶な言葉を返して怒らせ、家に帰ってからベッドで泣く。イーニドは自由を満喫するどころか、自由を持て余しているように見えた。
高校生の頃は、学校の教員たちが決めたルールに従い、与えられたタスクをクリアすることが求められていた。経済的に親に頼っている分、親や家族というしがらみもある。大人の介入を避けられない年代にいるうちは、人生の問題を大人のせいにすることもそれなりに妥当だ。
しかし、高校を卒業してしまえば、もう人生の諸問題を安易に大人のせいにできない。複雑な家庭の事情に悩まされていても、「もう働ける年齢なんだから、お金を貯めて家を出ればいいんじゃない?」と言われてしまう。
自分の進路を選び、やるべきことを見極めて着実に実行することは、何をすべきなのか指示してくる人間に「やりたくない!」と反抗することよりもはるかに難しい。与えられた自由を乗りこなすだけの自分を確立できていないイーニドの戸惑いと迷走は、滑稽でありながらも、既視感があってひりひりする。
シスターフッドの曲がり角
この映画には、イーニドとレベッカのシスターフッド物語という側面もある。十代を同じ街で過ごし、お互いの恋愛事情も知り尽くしている二人が、高校卒業という節目を境に少しずつ噛み合わなくなってゆく過程が切ない。二人とも、相手を大切に思う気持ちを失ったわけでは決してない。それでも、環境の変化が二人の違いを鮮明にし、今まで通りではいられなくなる。
イーニドもレベッカも、世界をシニカルに見ている点は共通している。派手に遊んでいたクラスメイトが交通事故で身体障害を負ってから改心し、卒業式のスピーチで命の尊さを語っていたことに対して「人間そんなに簡単に変われるわけない」と陰で批判したり、卒業パーティーでも弾けたりせずぼそぼそ喋っていたりと、どこかひねくれた態度で生きている。世の中が用意する感情のフォーマットに素直に��っからない低温な二人の間には、確かな仲間意識が見て取れた。
しかし卒業を契機に、二人の関係はぎくしゃくし始める。 イーニドは仮に卒業できたものの、落第した美術の単位を取得するため補講に出なければならない。スムーズに卒業したレベッカはカフェのチェーン店で働き始め、アルバイトではあるが社会に居場所を得る。卒業したばかりの頃はイーニドと一緒にダイナーに行き、新聞の尋ね人欄に出ていた連絡先にいたずら電話をするといった行動にも付き合っていたレベッカだったが、アルバイトも続かずルームシェアの部屋探しにも消極的なイーニドに徐々に愛想を尽かす。イーニドが中年男性シーモアとの関係を隠していたことが、さらに二人の距離を広げてしまう。
イーニドは古いレコードを集めるのが好きで、一癖あるファッションを身に纏い、多少野暮ったい部分はあるにしても自分の世界を持っている。バイト先でも、上司の指示に違和感を覚えれば分かりやすく態度で示す。表面的にはリベラルな国を装いつつ水面下では依然として差別が行われているアメリカ社会に対しても、批判的な眼差しを向けている。
しかし、それを表現した自分のアート作品が炎上した際、イーニドは作品を批判する人々に対して展示の意義を説明せず、展覧会の会場に姿を見せることすらしなかった。どんなに鋭い感性があっても、表現する者としての責任を全うする姿勢のないイーニドは、アーティストにはなれないだろう。黒縁眼鏡の媚びない「おもしれー女」ではあってもカリスマになる素質はなく、かといってマジョリティ的な価値観への転向もできないイーニドの中途半端さは、何とも残念である。
一方レベッカは、シニカルな部分もありつつ、現実と折り合いを付けて生きてゆけるキャラクターだ。店に来たイーニドに客への不満を漏らしながらも、上司に嫌味を言ってクビになったりすることはない。経済的に自立して実家を出るという目標に向かって、地に足の着いた努力ができる。
そして、レベッカは白人で、イーニドより顔が整っている。二人がパーティーに行くと、男性たちはユダヤ系のイーニドに興味を示さず、レベッカに���かり声を掛ける。 どう考えても、社会で上手くやってゆけるのはレベッカの方なのだ。
卒業を契機に、高校という環境の中ではそれほど目立たなかった二人の差が浮き彫りになる。置いて行かれた気持ちになるイーニドと、現実に向き合う意欲が感じられないイーニドに苛立つレベッカ。どちらが悪いわけでもないのに、高校の時と同じ関係ではいられない。絶交するわけではないけれど、何となく離れてゆく。
人生のフェーズに応じて深く関わる人が変わってゆくのはよくあることだし、どうにもならない。それでも、楽しかった長電話が気まずい時間に変わったり、昔だったら隠さなかったことを隠すようになる二人を見ていると、人生のほろ苦い部分を突きつけられるようで、胸が締めつけられる。
シーモア:大人にな��きらないという選択肢
冴えない中年男性シーモアは、この映画におけるヒーローでありアンチヒーローだ。平日は会社員だが、休日は音楽・レコード・アンティークオタクとして自分の世界に耽溺し、友達も似たような同性のオタクばかり。せっかくライブハウスで女性が隣に座っても、音楽の蘊蓄を語って引かれる。そのくせ「運命の出会い」への憧れをこじらせている。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさを、これでもかと体現しているキャラクターだ。
イーニドとシーモアの出会いは、イーニドのいたずら電話がきっかけだった。新聞の尋ね人欄を読んでいたイーニドは、バスで少し会話をした緑のワンピースの女性にまた会いたいと呼びかける男性の投書を発見し、この気持ち悪いメッセージの発信者を見てやろうと、緑のワンピースの女性を装って電話をかける。会う約束を取り付け、待ち合わせの場所に友達と共に向かうと、呼び出されたシーモアがやって来る。
待ちぼうけを食らうシーモアを陰で笑いものにするイーニドだったが、別の日に街で偶然見かけたシーモアを尾行して、彼がレコードオタクであることを知り興味を持つようになる。シーモアのマンションで開かれたガレージセールで、イーニドはシーモアが売りに出した中古のレコードを買い、会話を交わし、徐々に距離を縮めてゆく。
シーモアが自宅でレコードオタクの集まりを開いた日、イーニドはシーモアの部屋に入る機会を得、彼のコレクションと生き様に驚嘆する。
恐らくイーニドは、シーモアという存在から、アーティストやクリエーターにはなれなくても自分らしさを手放さずに生きられると学んだ。たとえ恋愛のときめきが去ったとしても、シーモアの残像はイーニドの中に残り、社会と折り合いを付けられない彼女の行く先をささやかに照らすのではないだろうか。
(そして、シーモアの姿が、一応仕事や勉学などで社会と折り合いを付けながらも、家庭を持たず読書や映画鑑賞や執筆に明け暮れる独身中年の自分と重なる。その生き様が誰かの未来を照らしたりすることはあるのだろうか。もちろん作家として誰かの人生に言葉で貢献するのが一番の目標ではあるものの、映画を観た後、最低限シーモアになれたらいいなという気持ちになった。初見の時と感情移入するキャラクターが変わるというのは、なかなか新鮮な体験。)
矛盾を抱えたアメリカ社会への言及
最初に観た時はイーニドや一癖あるキャラクターたちが織り成す人間模様にしか目が行かなかったが、二度目の鑑賞では、画面の端々に映り込むアメリカ社会への皮肉もいくつか拾うことができた。
ライブハウスのシーンに、ブルースに影響を受けたと思われる白人のボーイズバンドが登場する。ヴォーカルは「朝から晩までcotton(綿花)を摘む毎日さ」みたいな歌を熱唱する。確かにブルースにありがちな歌詞だ。しかし、綿花を摘む労働をさせられていたのは主に黒人であり、白人は黒人をこき使う側だったはず。労働者の心の拠り所として作られたブルースという文化を、ブルジョワである白人が無神経に簒奪しているという皮肉���現実が、この短い場面にそっと描かれている。
また、イーニドとレベッカが一緒にパーティーに行くとレベッカばかりが男性に声を掛けられる件には既に触れたが、声を掛けてくる男性はほぼ白人だ。アジア系の男性や黒人男性などがレベッカをナンパすることはない。たまたま二人の住む街が白人の多い地域という設定なのかもしれないが、このようなキャスティングが決まった背景には、制度上の人種差別がなくなっても人種によるヒエラルキーが社会に残っているという監督の認識があるのではないかと感じた。
そして、個人商店がチェーン店に取って代わられ、住宅地が画一的なマンションで占められ、街が少しずつ個性を失ってゆく描写もある。レベッカが働くカフェ(ロゴがスターバックス風)やイーニドがバイトをクビになるシネコン内の飲食店は、無個性なチェーン店そのものだ。モノやサービスが画一的になり、雇用や労働のスタイルも画一的になり、マニュアル通りに動けない人間が排除される世界へのささやかな批判が、様々なシーンの片隅にそっと隠されている。
この映画は、十代の葛藤を単なる自意識の問題として片付けず、矛盾だらけで個性を受け入れない社会にも責任があると言ってくれていた。改めて、監督や制作者たちのティーンエイジャーに対する温かい眼差しを感じた。
ラストシーンをどう解釈するのか
ネタバレになるので詳細は伏せるが、この映画のラストシーンは比喩的で、どう受け止めるのが正解なのか分からない。イーニドの人生に希望の光が差すことはなく、かといって大きな絶望が訪れることもなく、自分を命がけで守ってくれた人の思い出を胸に強く生きることを誓うみたいな展開にもならない。とにかく、分かりやすいメッセージのある終わり方ではないのだ。
(映画館を出た後にエレベーターで乗り合わせた若いカップルも、やはりラストの解釈が難しいという会話をしていた。)
私自身は、このラストを、イーニドが他力本願な自分から卒業することをようやく決意したという意味に捉えている。
これまでのイーニドは、心細くなれば友人のレベッカやジョシュを呼び出し、映画の中盤以降ではシーモアにも絡んでいた。人生に行き詰まれば、誰かを頼って気を紛らわす。偶発的に何かが起こって道が開けないかな、みたいな感覚で生きているような印象だった。 しかし、物語の終盤で、一時はイーニドにとってヒーローだったシーモアが、突然遠のく。レベッカとも既に疎遠になっているイーニド。そして、不思議なラストシーン。イーニドは、私たちに背中を向けている。
イーニドは、自分を導いてくれるヒーローも、どう生きるべきか教えてくれる天使も、どこにもいないということに気付いたのではないだろうか。 人間は最終的には孤独で、自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかない。ラストシーンのイーニドからは、彼女が紆余曲折の果てに辿り着いた人生の真理が滲んでいるように思える。
そして、イーニドの後ろ姿は、スクリーンのこちら側にいる私たちに対しても「自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかないよ」と語りかけている気がする。どう生きるべきか、映画に教えて貰おうなんて思うなよ。自分で行動して、傷ついたり��をかいたりしながら、自力で見つけるんだ。
以上が私なりの解釈だが、違う見方もあるのかもしれない。他の人の批評も検索してみたい。
おわりに
Bunkamuraル・シネマでの「ゴーストワールド」上映は明日で終わる。しかし、各地の名画座での上映はまだ続くようだ。これからも沢山の人がイーニドたちに出会うことを想像すると、自然と笑いがこみ上げる。
イーニドの冴えない青春は、観た人の心に何をもたらすのか。
これを読んで少しでも気になった方は、是非スクリーンで、ラストシーンまで見届けてください。
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ハンブルグに戻り、ほぼ誰もいなくなったもぬけの殻のマンションで、ここ数日暮らす。実に静かで良い。このマンションの立地は丸の内一番地的で素晴らしいのだが、上階や隣人の足音や声が聞こえて、言うなれば、音響が素晴らしく良い。上階のギリシャ人Chrisと共に起き、彼と共に上下階に別れて朝シャワーをし、Chrisが出かけていく足音を聞きながら、左側上階のスウェーデン国籍ナイジェリア人のMinnaがZoomしているのを聞きつつ、隣人の南ア人ゲイのLouisが彼のパートナーとお喋りしているのを聞く毎日。私は神経質なので、他者の生活音がかなりのストレスだった事を、思い知る。
世の中はイースター休暇である。小学生の頃、イースターの頃のヨーロッパ旅行でイースターエッグのチョコレートを貰うのが、小さな喜びだった事を思い出す。私が子供の頃は、チョコレートも飴も、ちょっとした特別感があったものだ。コーヒーも紅茶も、ちょっとした潤いというか贅沢だった。豊かになり、チョコレートが毎日飽きる位に食べられるようになったり、コーヒーが一杯百円で売られるようになったりと、日本の異常な豊かさに驚くと共に、そんな事は長続きするはずが無いと確信している。豊かさの飽和が、民心を貧しくしているというパラドクスは、しかし、アメリカもドイツも同じだ。
日本のバブル崩壊から30年。それでも豊かでいられるのは、過去の現役日本人、祖父母や両親達が頑���ってくれたお陰だと身に染みて思う。私と同世代の団塊ジュニアは、バブル世代の犠牲になって差し上げ、バブルの軽くおバカなノリを冷ややかに見ているが、それは、ほぼ、社会の底辺から見ているに過ぎない。私達の直ぐ後の世代は、就職氷河期でも無いくせに、就職氷河期であった事を主張し、自分達が社会の犠牲者である事を恥ずかしげもなく標榜し、発想力も無く、知的レベルが低く、上(バブル世代)に媚びへつらう事で生き延びようとする組織のコマ程度の人材ばかりが、起用されていく。ハンナ・アーレントの組織的悪のパターンが平和的に実行されているに過ぎぬ。日本の経済力、組織力、民度の低下は、今後ますます酷くなるだろう。そうした危惧も無く、今をこの世の春��謳歌できる楽観主義者と、未だに核家族化における社会的要請(少子化対策)を真剣に受け止めるマジメな方々だけが、せっせと子作りに励み増殖していく。それは、アメリカでも、ドイツでも同じ。
私の周りの知人達は、ほぼ皆、社会不安や将来不安から子を持たない選択をしている。この人には親になってほしいと、こちらが願うような人格者ほど、子を持たない。私の分析では、子供を持つ事とは、親に成らせてもらう事によって、自らの自己成長のために、子供を、ある種の犠牲にしているようなものだと思う。従って、DVなどの負の連鎖は、綿々と続くし、どこかで、負の連鎖のカルマを断ち切り、気付きの機会が無い限り、家は負の意味で没落しゆく。逆に、家が消滅するとは、カルマが終了したという風にも捉えられると思う。十分に、学びの機会を持ち、ついえれば、終わって良いのだ。日本は宗教がいい加減だが、多くの聖職者が子を持たないのは、そういう意味合いがあるのだろうと思う。私は、聖徳太子の好む維摩経が好きだ。在家で在野に在りながら、清くいる。私は、二十代の半ば、病気をしてから、維摩経を心に置いている。
私は、色々な角度から考えても、子供を持たなかった選択を、良かったと思う。どうせ天然記念物並の知性と感性の持ち主なのだから、天然記念物らしく朽ちれば良いのだ。ガハハ。生物とは、ただの遺伝子の箱なのだとしたら、チェコのブルーノでメンデルが発見した法則のように、また、どっかで、突然変異が生まれ、私のように、社会を斜めに観察する人間も、生まれて来るだろう。問題は、小池がほざくような(負の)レガシーではなく、何を足跡として残せるのかという事とも思う。しかしながら同時に、忘却される事の粋美も思ったりする。忘却されていても、本物であったならば、本物を探す者が時空を超えて探し当てるものだと確信している。それは、必ずしも親族や同民族では無いという事も。
春の訪れを日本を思いつつ祝う時、チューリップを紅白に活けてみた。また、研究所での食事が無くなったので、自分の食べたいものを料理して食べられる幸せを感じている。料理を極端に嫌う事や、料理しない事を良しとする事は、私には理解不能だ。自分の体調に合った、身体が季節変化に合わせて求めるものを、食べたいときに食べられないのは苦痛でしかない。食べたいものを、自らが調理して食べられる幸せ。買いたいものが売られていて、それを購入できる幸せ。その背景にある多くの人々の仕事に感謝しつつ、また、食べて下さいと五体投地してくれる生命を、有り難く調理し、美味しくいただく。これ以上の幸せはあろうか。自分が確実に大きな社会のネットワークの小さなゴマ���に過ぎず、大きなものに生かされていることを思う。毎食、毎食が、感謝でしかない。
研究所のコックのミヒャエルと、彼の彼女レベッカさんは、私の事をとても好きみたいだ。まぁ、地下回廊に簡易に作られた薄暗く狭いキッチンに、昨年からせっせと通い詰めているのは、研究者でも私だけだしね。。。私は丸山眞男好きなので、市井の小さき名もなき人々の日々の小さき行いこそが、国家の根幹であると信じて疑わない。政治家も学者もアイドルも、みんな、ウンチである。見て社会の病を推測する事はできても、社会を支える根幹は、表立つウンチどもからは、絶対に見えない。大衆とは、実にウンチが好きなんだなぁと感心する。まぁ臭いから、ベムりんみたいに、気になるという事なんだろう。あるいは、自分の中のウンチと呼応するので、ウンチを見て賞賛したくなるのかもしれん。
ワシはウンチはどうでも良いので、社会を���かす、根幹の部分にある、隠蔽された良心を見たい。そして、そこにこそ、社会の希望と未来を見出だしたい。そんなワシに、ミヒャエルは、イースター休みにも関わらず、レベッカと愛犬ペッピーノと共に、車で拙宅まで送り迎えし、自宅に招き、春の料理を振る舞ってくれた。ミヒャエルは北部ドイツ、レベッカは黒い森周辺の南部ドイツ出身。ミヒャエルは、バンコク、リスボンなど世界中を渡り歩いたコックさん、レベッカは2014年台北で開催された25歳以下世界お菓子選手権大会で世界3位を取ったパティシエ。ペッピーノはミックスの捨てられていた犬で推定1歳半。皆、何故か分からんが、ペッピーノなんか身体が壊れそうな位に喜びまくるし、ワシの方が感謝せんならんのに、ミヒャエルとレベッカは、来てくれてありがとうと、感謝して来訪を喜んでくれる。
イースターのためにミヒャエルが作ってくれたのは、春の魚、サワラのソテー。これに森のキノコと白ワイン、玉ねぎを煮込んでとった出汁をベースに、刻んだ玉ねぎと白アスパラと緑アスパラを小口切りし、たっぷりのバターで炒め、春にしか取れない森のキノコをふんだんに入れたところで出汁投入。そして削ったパルメジャーノと黒胡椒で味を整えたスープ仕立てソースを、別フライパンでソテー���たサワラの上にかけて、いただく。食器は、家にある食器で一番高いという、ミヒャエルがお祝いで貰った、美濃焼の器。彼の料理は、優しく繊細で、兎に角、優しく奥深い味わい。研究所で出している料理と異なり、心がこもる料理とは、同じ作り手でも、味わいが異なる事を実感した。この料理を、私は生涯、忘れ無いだろう。
おまけに、何故か、ミヒャエルからは日本から輸入した枯節一本、レベッカからは彼女の作った特大イースターエッグのチョコレートとワシが好きだと覚えていて、ラズベリーとパッションフルーツのジャムを頂戴する。イースターにも、プレゼント交換するのをワシは知らんかったので、メチャクチャ恐縮。
でも、多分、ワシが作ってあげた、カツオダシのお澄ましとニラ餃子、あんこ玉を作っておいて白玉粉を器用に、トリュフ作る時みたいに白玉で包んで茹でて作った、あんこ入り白玉団子が、美味しくて、嬉しかったって事なんだろうなぁと、しみじみと思う。しみじみと、しみじみと、ワシの心が、彼らの心に触れたのであれば、これこそが、ホンマモンの外交努力である。そして、こうした触れ合いが人知れず継続される事でしか、外交なんて、本当は成立しない事も、ワシは知っている。昨今の、金持ちブリタイ外交官や商社マンが、適当な高級レストランで適当にクッチャベッて外交した気分で喜んでいるのは、ブリと鯛レベルに過ぎぬ。その一晩に使った金額の多い少ないで関係性が計測されてしまい、資本主義の薄っぺらい関係性でしか無くなる。
そうじゃないんだよ。時間を共にするということ。同じ釜の飯を食うとは、共に材料を集め、共に調理する時間を過ごしたという事を含意する。ミヒャエルが、マキに何を食べさせようかと思案しつつ、イースターで閉まる直前の忙しい市場に出向き、ウロウロして食材を買い揃え、前日には、アルコール飛ばしたソースなら食べられるか?と確認のメールをし、当日には朝からワクワクと、ソワソワと、魚を自慢の刺し身包丁で解体し、切り身にしてからバットの上で休ませ、レベッカに運転させて、マキを30分かけて車で迎えに行く。この間、ずーっと、思って貰えた事に、感謝なんだ。その優しさと、かけてくれた時間、思いを寄せてくれていた事こそが、掛け替えの無い友情の証だと、アホなワシは確信する。
ワシが、ケーキを作らなくなって久しいのは、忙しいからを口実にしとるが、ちゃうねん。ワシが掛けた時間が、工業製品の如くに、チャチャッと評価され、つまらない物として消費され、こんなんだったら、〇〇パチシエで買う方がいいじゃんと言われる事に、耐えられなくなっただけ。じゃ、おフランスで修行して、バカ高い価格つけて売っているブリタイ共から、買え。と思っただけ。
でも、もうこんな���的逃走も、春の訪れを以て終了します。他人は、裏切るものよ、信用なんかしちゃダメと、お風呂の師匠は私を諭す。他人に期待して傷つくのは自分だから、他人に期待しない事だよ。社会なんてゲームなのさと、エルちゃんは私を諭す。私は、ずーっと、ずーっと、彼らの言葉を哀しく聞いていた。人間はそんなものなのかと。父はハッキリと、お父さんは性悪説だと、10代のワシに宣言した。だから、ワシは18歳で、性善説を貫くと心に決めた。天邪鬼は、いつの世でも大変です。でも、ワシはやはり、性善説を生きようと思う。他人の、良心に触れようと。触れるためには、自分が良き人でなくてはならない。与えて、与えて、悲しんで、傷付きまくって、泣きまくって、それでも、与え続けられる人になりたい。何故なら、私はやはり、人間を恐れつつも、人間が好きだからだ。芥川の蜘蛛の糸のように、どんな悪人にも良き心があるはず。親鸞の悪人正機説は私はバーカ親鸞と思っているが、何故なら、悪の正当化を許容するから。近代日本をダメにしたのは、極端な悪人正機と他力本願で、親鸞こそが浄土真宗こそが、悪だとワシは思うちょりまんねん。まぁ大衆宗教だから、しゃーないけど、酷いもんだで。
いずれにせよ、ワシはもう、こだわりを捨てるのだ。東大にも日本にも、もはや期待は持てない。つまりだ。究極の個人主義の時代ならば、夏目漱石の超個人主義の時代が到来したのだと理解して、ワシこそが、良き者であり、あろうとし続ける弛まぬ努力をし続けることで、世界の良心になろうと思う。
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世界樹の迷宮の二次創作の設定集
設定ばっかりたまっていくけど、今日のうちに投げとくよ
・世界樹の迷宮とは?
2007年に第1作が発売された3DダンジョンRPGで、ダンジョン探索に全振りしたゲームだよ
5人で1パーティとなるキャラクターを設定し、あとは5階ごとにフロアの装飾が変わる過酷な地下迷宮をひたすら探索するゲームで、町の人や先輩冒険者との会話以外特にストーリーもないゲームだからパーティー間の会話や関係性は妄想し放題だよ
今年6月にSwitchでリメイク版が出たから購入したけど、過酷すぎて全然進まないよ
特徴はマップを自分で描く作業があることなんだけど、Switch版だとオートマッピングができるので少しハードルが低いよ
でも扉とか階段とかは自分でアイコン置かなくちゃ記録できないよ
・キャラクターの設定って?
1個の職業ごとに5種類の立ち絵が用意されていて、立ち絵に職業制限はないから、名前と職業と立ち絵を決めればいいよ
・元ネタがわかりやすすぎる
それはごめんやで
そのものずばりの名前つけてた人フォロワーにいたから私もやってみようと思って
・本文
クソ長いので次のリンクの下から行ってね
役職:ソードマン(マンって言い方気に食わねえな、ソードマスターとか言えないのか?)
名前:メイユイ
別名:ハオラン(旧名)
年齢:18歳
GI:トランス女性
身長:170cm
体重:62kg
性格 非常に好奇心が強く突拍子もないことをしたり言ったりしがちだが、基本的には泰然自若としていて、パーティーのリーダーにふさわしい器をしている。わりと平気な顔をして死地に突っ込んでいくところがあるので、旧知の仲であるクリストフとアーリフの心労は絶えない。シエロから一方的に「主人」としてみなされており、ビャッコからも「将来が楽しみネ」と言われている
個性 ごくゆるいオムニロマンティック/オムニセクシャルで男性とみなした人に恋愛/性愛的な関心を抱くことが多かったが、勇敢だが落ち着いてさわやかな人物なので、男装時代は女性との交際経験が多く、男性とはまだ交際したことがない。
特技 パーティー一の怪力でクリストフをもしのぐ火力がある。
能力・スキル 得物は斧や剣を使うことが多く、斧による高火力の攻撃が決め手となることが多い
見た目 茶色いロングヘアを後ろで三つ編みにしていて���額をすっきりと出している。細身で筋肉質。この世界で言うアジア系のルックスをしている。
生い立ち 古い武家の次男の「ハオラン」として生まれたメイユイは、武芸の稽古こそ楽しんではいたが、自分が「男」であることには強い違和感を感じていた。幼い日のこと、「君が女子だからと言って僕が手加減したらそれこそ君に失礼だろう」と神学校の同級生のアーリフに勝負を挑まれた際に言われたこの言葉で、「彼女」は自分のアイデンティティがやっとわかった。それから「彼女」の本当の自分を手にするための冒険が始まる。
背景 兄より武芸に秀でていたので家督を継げないことを惜しまれてはいたが、性別違和を形にできた後は本人は兄には悪いが安堵を覚えている。見抜いたアーリフの次に相談したのは担任であったクリストフ。クリストフに相談しながら周囲や家族に性別違和を伝え、今回の旅立ちの許可に至った。
その他 「本当の自分を取り戻す秘術」は現実世界で言う性別適合手術を魔法でやるというもの。現実の手術と同様に負担が大きいのでやはり健康な人にしかできず、費用も高額である。保険がない世界なので。
役職:メディック
名前:アーリフ
年齢:18歳
GI:シス男性
身長:173cm
体重:65kg
性格 パーティーの中で一二を争う高い倫理観を持つストイックな人物で、困っている人を見ると放っておけない青年。それは彼が移民の女性カップルの養子であり、ゲイであることもだいぶ関係していると考えられる。けがや病気の治療にあたるメディックで腕を磨いている最中だが、治療の途中に「自分を大事にするように」と説教をしてしまいがち。
個性 自分の民族的ルーツはわからず、生まれたばかりで教会に預けられたところを移民の女性同士のカップルに育てられたシス男性のゲイで、ママたちからは無理しないでいいと言われていたが成長期の終わりとともにヴィーガンを始めた。
特技 特技は料理。ヴィーガンを達成するのに必須のスキル。得意料理はダール(豆)カレー。ってか動物性食品のコクにかわってスパイスで味に変化をつけるので大体料理が香りが強く辛い。シエロが辛いのが苦手なので料理をあまり食べてくれないのが悩み。
能力・スキル けがや病気の治療が職業で、けがをしたときは彼に頼めば回復薬を使うより効率が良い。ただ命は大事に!と説教はされる。食材探しも兼ねているので、ダンジョン内の採集も得意。
見た目 イメージは南米ルーツの白人とアフリカ系黒人のミックス。肌は薄めの褐色で髪がカーリーヘアではない。これは立ち絵の都合。これまた立ち絵の都合で重装備になっているが、「回復役が倒れてはならない」という責任感で重装備をしていることにした。実際努力家でトレーニングもしていて力も結構強いほう。
生い立ち 所得に余裕はなかったが息子にちゃんとした教育を施してやりたいと思ったママたちは彼を比較的学費の安い神学校に入れる。幼い日に神学校に入ったばかりのころにメイユイ(その頃は「ハオラン」と名乗らされていたが)にライバル宣言をしたが、その流れで「彼女」が女性であると見抜く。以降二人は親友兼ライバルになり、メイユイの「本当の自分を取り戻す」旅にまで一緒に出ることになるわけだが。
背景 この世界は結婚にかんしてあまり手続きがちゃんとしていないので同性カップルが肩身の狭い思いをすることはないが、みんな平等に過酷な環境で生きているので、結婚のメリット自体が二人で所得を得られることと家事や育児を分担できること以外あんまりない
役職:パラディン
名前:クリストフ
別名:神父様
年齢:40歳
GI:シス男性
身長:190cm
体重:80kg
性格 やや潔癖なきらいのある高潔な人物。もともと神父をしていた関係で神学校の教師をしていたが、教会の教義にずっと疑問を持っていたのが耐えられなくなり、聖騎士の資格を取り教会をやめた。年下からモテがちで、若い女性から迫られたら非常に慎重に対応するが、男性および男性に見える者に迫られてしまうとガードが緩くなってしまう。
個性 博識かつ逞しい偉丈夫で凛々しく堂々とした人物。教会にはずっと隠していたが、バイセクシャル/バイロマンティックで、10代のころに男性の恋人がいた。しかし教会に入るために別れることを選んでしまい、それをずっと悔やんでいる。その後女性と結婚はしたが、その時の後悔が漏れ出てしまい、長期間の話し合いの末婚姻は解消した。子供はいないが子どもの未来を守りたい気持ちがあったので神学校の教師になった。が教義を教えるのが辛くなり、クィアの生徒たちも何かを感じ取ったのか自分を頼って相談してくれるようになり、やはり教会の教義に従うことはできないと思い、今度は聖騎士としてクィアの生徒たちと旅に出ることにした。
特技 アーリフほどは凝らないが料理ができる。シエロは好き嫌いが非常に多いが、クリストフの作った料理は食べられるものが比較的���い。料理を教えるのももともと教師だったのでうまい。しかしメイユイは素晴らしい生徒だったが料理だけは教えても全然うまくならない。クリストフによると、たぶん力の加減ができていないとのこと。ゆうてクリストフも自分一人分の飯を作るときはキャベツ引き裂いたり骨を素手で砕いたりはする。
能力・スキル パーティーメンバーをかばうのが本職。立派な体格であり鍛錬も欠かさないので力もかなり強い(クリストフよりメイユイが火力があるのは彼女がとんでもない怪力だから)。簡単な回復の術も使える。
見た目 多くの人がイメージがしやすい白人の偉丈夫。背が高くがっしりとしていて、着やせしているが特に上半身が立派。髪は色が薄めの栗毛で、鼻が大きい。それゆえシエロからは「あのツラとガタイだろ?神父様はきっとアソコも立派だぜ」とド失礼なことを言われている。
生い立ち 彼自身はごく普通の家庭の出身と思ってはいるが、彼の家より苦しい状況の人はかなりいるという感じ。教会の運営に入り、教会を訪れる人と教会で働く者たちの状況があまりにも違うことに気が付きまずそこから教会への違和感を感じた。実は少年のころ今と変わらない姿のビャッコと出会っていて、世話も多少焼かれているが、本人はうっすらとしか覚えていない。
背景 この世界の教会は現実のカトリック教会に近い教義であり、やはり同性愛や妊娠中絶には厳しい。現実のカトリック教会ほど力を持っていないが、葬儀などは行うし、現実社会で言う公的機関の機能の一部も担っていて、学校などを運営していたりする。もちろん他の経営母体の学校もある。
役職:ダークハンター
名前:シエロ
別名:自称「悪魔」
年齢:非公開
性別:人間の定義で言うとノンバイナリー(本人曰く、「悪魔が人間の性別に従うわけないだろ」)
身長:180cm
体重:65kg
性格 冒険者ギルドに来たメイユイ・アーリフ・クリストフにビャッコとともに声をかけてきた。彼女たちに声をかけ、旅の動機を聞くと、メイユイを「勇者サマ」と呼び、気に入ったから一方的についていくと宣言する。下品で乱暴で欲望に正直、人を小バカにした態度を取りがちで、この世界の常識と規範を常にバカにしくさっているが、常識を疑い規範に抗う人間への協力は惜しまないと公言している。クリストフのことをメイユイたちに倣い「神父サマ」と呼んでいて、よく「誘惑」している。
個性 「悪魔」を名乗っていて、常識や規範をかなり厳しく罵倒するが、それは人間が自分以外の生物を搾取するようなものに対してである。本当に悪魔かどうかはわからないが、人を誘惑して重要情報を聞いたり、差別的な輩をだましてひどい目に遭わせたりするのはよくやる。「悪魔が人間の性別に従うわけないだろ」とパンセクシュアル/パンロマンティックを公言していて、自分の性別もバイナリーな表現をされると激昂する。性的に奔放だが、「器がデカい奴としか本気で寝ない」「性別気にしない奴がみんな俺みたいにすぐ誘ってくる奴ばかりじゃないのは知ってるぜ」などと言っている。器がデカい人物に惹かれると公言する通り、大物になりそうなメイユイとすでに立派な人物のクリストフが大好きなことを隠さず、愛でたり誘惑したりしている。しかし、アーリフもちょっかいをかけられており、純朴な彼はいちいちこいつの挙動に悩まされている。
特技 戦闘上では搦手を得意としており、得物は鞭が基本、剣も使える。鞭により対象の動きを制限したり状態異常にしたりといった搦手でじわじわといたぶるのを好む。実は鞭の必殺技が設定上すべてのスキルの中で最も火力が高く、その名も「エクスタシー」。
能力・スキル 戦闘以外では情報集めが得意で、町で単独行動した後に情報を持ち帰ってくるが、どうやらワンナイトでの「遊び」も兼ねている様子。ただ、基本的にその時にターゲットにしているのは一流の冒険者や組織で権力がある者である。「器がデカい奴としか寝ない」と言っているが、大人に寛容な対応をしてもらうとそういう形で「お礼」をしてしまおうとしがちであり、過去の厳しい経験があるだろうと推測されている。
見た目 ボサボサの銀髪にアーリフよりだいぶ濃い褐色の肌で、瞳は黄色っぽい。悪魔の力を使うときに瞳孔が横になりヤギっぽい目になる。普段は男性表象寄りで素肌にファーのついた上着を着ているという暑いんだか寒いんだかわからない格好をしている。腹筋が割れているのは痩せ気味のせい。外見年齢は20代半ば。悪魔の力で少し見た目を変えることができるらしいが、「続きはベッドで教えてやるよ♡」とのこと。
生い立ち 「悪魔」を名乗るまでの経歴は秘匿されているが、最初は人間として生まれ、幼いころはかなり厳しい環境で育ったらしい。絶望に沈みすべてを呪っていたらある日「悪魔」が現れて契約をして力を手に入れたとのこと。「悪魔」としての考え方はそいつから学んだらしく、「悪魔ってのは人間の欲望を肯定することで生まれた存在だから、基本的には人間の味方なんだぜ、だから悪魔はルールを押し付けて罰したりしないだろ?だから俺も悪魔らしく『人間』の誇りを取り戻そうとしてる勇者サマについていくわけだ」と言っている。自身の性別に関しては悪魔と契約する前からもともと男女二極でとらえてほしくないと感じていた。
背景 舞台となるエトリアは小さい街で迷宮探索目的の冒険者でにぎわっていて今は景気がいいが、エトリア以外の集落は規模や治安も様々で、格差の状況も様々。シエロは大きい城塞都市の非常に治安の悪い地区の生まれで特に格差が目立つところの浮浪児だった。過去の王の失政により大量の失職者、家を失った者、親に捨てられた子供たちが生まれていて、シエロは親も知らずそこで育った。シエロがエトリアの話を聞いたのは、悪魔と契約した後に誘惑したエトリア帰りの冒険者の寝物語が初めてだった。エトリアの情報を集めていくうちに、シエロの中で「悪魔がこんなところでくすぶっていてはいけない」という思いが大きくなり、拠点をエトリアに移し、自分が従うにふさわしい人間を狙うことにしたのだった。
その他 パーティーで一番の小食なので、メイユイと外食(ってかデート)した際にお互いに大盛と小盛を頼んであとで交換しましょうかと言われたが、「いや、そのままで行こうぜ、人目なんか気にするのは俺達らしくないだろ」とそのままメイユイは大盛を頼み、シエロは小盛を頼んだ。
役職:アルケミスト
名前:ビャッコ
別名:彼女の出身国での表記は「白狐」
年齢:???
性別:シス女性(人間ではない)
身長:172cm
体重:非公開
性格 シエロとペアを組んでメイユイたちに声をかけてきたアルケミスト。メイユイのことを気に入り「勇者ちゃん」と呼び、シエロと同時に彼女たちについていくことを表明する。大柄な中年男性のクリストフのことをなぜか「クリスくん」と呼ぶ。シエロと結構長いこと組んでいて、頻回に寝てもいるが、全然特別な感情はなく、大体の人間を変なあだ名で呼ぶ彼女だがシエロのことは「シエロ君」と変なあだ名もつけずに呼ぶ。
個性 はるか昔に遠い島国から移り住んできた「妖(あやかし)」で、狐の姿を持っている。アロロマンティック/アロセクシュアルのレズビアンで、メイユイがこれから施術を受けようとしているトランス女性であることも理解したうえでメイユイのことを愛しているが、��の差がありすぎるので一歩引いている。先に書いたように人外となったシエロとは冒険上のバディ兼欲望をぶつけ合うパートナーだが、回復ができる仲間がおらず、痛みを伴う激しいプレイができずにいた。
特技 博覧強記であり、速読でありながら読んだ内容も人間とはかけ離れたレベルで記憶できる。クリストフも人間としてはインテリではあるがそれとはレベルが違う。また食べる量が自由にコントロールでき、食料に困ったときは食べなくても生きられる。しかし本当はたくさん食べるのが好き。
能力・スキル この世界には錬金術があり、それを活用して属性攻撃を行うのがアルケミストであるが、妖術を得意としていたビャッコの能力が解析された結果もそれに等しいものである。特に火属性の妖術に長けている。
見た目 金色のストレートヘアと涼やかな一重の目元の妙齢の女性の姿をしている。とんでもない長い時間生きていて見た目が変わらないので住むところを転々としていたが、冒険者はその状況にあっていてやりやすいようだ。エトリアでよくみられるアルケミストの服装に合わせて、両手に仰々しい籠手を付けている。
生い立ち はるか昔から人の営みを見守ってきていて、実は世界樹の成立を知って興味を惹かれてエトリアの近辺に移り住み、世界樹についてずっと調査を続けている。世界樹が広がるときに多くの人間が犠牲になったのを悼み、その弔いのつもりで何回も世界樹の迷宮に挑んだが、そのたびに人間の仲間を失ってきた。やっと出会えた人間ではない仲間はずいぶん変な奴だが、そいつと今も一緒にいる理由は、そいつの信念に沿った人間こそがこの状況を打破してくれると信じられたから。
背景 ビャッコは途方もない長い時間世界樹の研究を続けているのだが、何せ彼女も社会的な状況もあって正体を明かすことができないので、せめて何世代も続けて書いてきたというていで世界樹の秘密を書物にしたいと考えている。実は幼いころのクリストフに勉学の楽しさを教えたのはビャッコ。姿を変えてないのがバレるとまずいのでクリストフの記憶をいじってその辺をあいまいにしている。
役職:レンジャー
名前:シータ
年齢:35歳
性別:シス女性
身長:158cm
体重:「なんで聞くのよ…」
性格 シータはエトリアから離れた川のそばの大きな国で夫とともに戦士として国に仕えていた。しかし、夫は獣討伐の任務の際に命を落としてしまう。夫に先立たれた際にその国の風習により夫を火葬する火の中に飛び込むことを強制されたが、幼い娘を連れて逃げてエトリアまでやってきた。普段は戦士としての冷徹さがありながらも男尊女卑が厳しい国で抑圧されてきたため遠慮がちであるが、いざとなったら上記のことをやり遂げるほどの胆力がある。
個性 夫のことは当時は好きなはずと思っていたが、国を出たことでその国に凝り固まった価値観を知り、それゆえに夫すらも視野が狭かったと思っている。実は誰にも言っていないが夫の前に交際していた男性が何人かいる。国の法律でばれたら拷問されるからずっと隠してはいたが。冒険者になったのは娘の養育費用のためで、自分が夫の後を追えば娘の生活を保障してやると国に言われてはいたが、自分に対してそのような扱いをする国のことが信用できなかった。娘には自分のように強制された職業ではなく好きなことをやらせてやりたいと思っている。
特技 非常に高い視力を持っている弓の名手。弓の名手であることが知られたがゆえに王宮に連れてこられ、そこで夫となる若い兵士と出会った。我慢強く育てられていて、食事にこだわりもないので長期間の野営もお手の物。こだわりがないゆえに別に料理上手というわけではないが、毎日毎日毎日毎日食事を作ることに苦痛を感じない。こだわりがなく自分と家族の生存に必要な作業としかとらえていないので。
能力・スキル 弓は命中率が相当高く、とどめの他足止めにも使える。また野営が得意なので迷宮内での素材集めも得意。
見た目 あまりカールしていない黒髪と褐色肌で割と肌が出た衣服をまとっている。エトリアではバード(吟遊詩人)のような衣服ととられやすい。肌が出た衣服は国の戦士だった頃から来ていた。任務に出ていない時は国でつけていた金属製の飾りをよく装着している。
生い立ち 河のそばの国の小さい村の出身で、その村出身の革命家となる父の指導で戦闘訓練が行われていた。その中で弓の才能が見いだされたのがシータである。父らの激しい戦いで祖国は植民地化を免れたが、父はその戦いで犠牲になってしまった。父が守ってくれた祖国に尽くすことこそが自分の生きる道と思ったが、子を迎え、夫の死後の自分や子供に対する国の扱いのひどさを知り、これからは自分と娘のために生きようと思った。それから彼女の人生が新たに始まったのだった。
背景 元ネタはRRRが入っていてそこは大丈夫なのか心配になる。
今いるキャラはこのくらいで、今のところシータさん以外で旅しています。シータさんは採集パにしたほうがいいかもしれませんが、彼女は戦士なので、戦いたいかもしれません。
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御茶ワールド「鮙〆香氣さんがミートカモネギって名前を付けたのは感謝している���らだよ このブログ世界を功績でいっぱいにしているのは家族の次に食用ポケモンにも後述通り幸せになって欲しいから 俺は小学生の頃ね、新作のマリオを自由時間にやっている期間に楽しい時間はあっという間っていう言葉が怖かった」
超電チャブル「この辺で魚達が洗剤で溶かされた成分を追ってみればお前か。人を苛める方が頂点としての闘いだって事が分かってる筈だ。何が目的だ」 無印04(10歳)「おいしさ、栄養、優れた遺伝子 表版仮想大鉱山の馬鹿共と違って高級かどうか以外にも判断するべき材料はいっぱいある だから旨いだけで他が全く貧弱なヨワシみたいな小物は釣れる度にイライラすんだよ 連続で3回釣れたら水に溶かした濃い洗剤を体内に注射して溶かして腐って死ぬまで遊んでやるだけだ {{{ふたたび にくたいをつけて この せかいに もどってくるのだ}}}になる事のねえ……w 俺も獲物も大物同士になれる為にする大人の厳選だよ(赤き真実)」防聖孤島「やっぱりタイムマシンでいつ会いに行っても一発でわかる。お前は本当の糞だよ、醤油差しと湯呑み、寿司に唾液を付けるクズよりずっと(赤き真実)」無印04(10歳)「別にそんな間抜けより下手な迷惑は掛けてねえつもりさ 自分の胃袋を労ってやる為にカスフードをドブにすてる合理的な余裕が人間には必要だと思わねえ?❔」超電チャブル「お前がこれ以上ポケモン保護法違反をする日は来ない。ひ弱な俺らが手を下すまでもなく怨念のゴースト・悪タイプしかもう居ねえんだからな(💢赤き真実😡)」無印04(10歳)「嘘だあ、俺逃げなきゃ死ぬじゃんありがとう🥶」防聖孤島「逃がさない、食べ物の恨みは絶対だ」
御茶ワールド「みんな〜〜続きを話すよ。高校生になった辺りでは本当に忙しくて幸福量保存の法則っていう哲学に支えられて来た(頑張った後のご飯は美味しい🍚😋🍣とか)。でも何でも自由にしていい自己責任になった今はこう思うんだ、宝物を手に入れたり何かを成し遂げて成長すればどこまでもプラスが増えていくんだって。完成された世界に居たら弱くなるかもしれないけれど生きていれば何だって出来る(黄金の真実)」
超電チャブル「そういえば千空大先生言ってたよな 学力テストで100点獲るより大事な数値があるかよってさw 今考えれば俺が図星を突かれた微笑ましい黒歴史だなあ…才能だけじゃない努力の表れだって気づいてるべきだった だからみんな高いと嬉しいんだ(もう逃げないぜ👍)」
“”鮙〆香氣””以上に”””防聖孤島”””という人物は辛い生存競争をしていくしか無い魚達に価値のある人間の意味を込めた結晶をばら撒いて、これから食われるとしても捧げた念を感じて貰って共に笑って暮らして欲しいと思っているんだ( ◠‿◠ )
〜次回予告〜
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霧島04(20歳)「自分の記憶力不足が俺を裏切るならば、楽しく酒を飲んで気持ち良く己の肉体を裏切れば良い。幸せな後悔で学習させるんだよ🥴」スパイダーマン「そいつは自分を大切になんてしてない‼️」〜脳の一部だけが萎縮した〜
サキュバス「アナタ達の中で、気持ち良いのを経験した事がない人にチャンスをあげる おせっせしたら密室から出られるわよ💖」
〜数分後〜
ゴールドバズー「バカ‼️それは竹輪だろ⁉️貴重な食糧に何してんだ(´;Д;`)」霧島04「竹を竿との二刀流に例えたのはお前だ😡」ゴールドバラバズー500F「意味のわからない逆ギレをするな‼️‼️」 霧島04「ちんことチクワをバッティングさせてホモ(心の身障)になってやっただろ😁👌」ゴールドガッチャ「ほ、本当に馬鹿なのだな……😨」ゴールドバズー「いいか?お前がしなきゃならないのは、、セックス。だ」 無印04「了解、折楠だな😏👍」 表版仮想大鉱山500万人「ドアホ‼️❗️💢❗️‼️」無印04はなんかもうDIO様には敵わないからジョースター家のブランドになりたくて、その場で待機していた16歳の処女お姉さんを時をとめて殴り殺した そして時は動き出す
ゴールドバズー「無理矢理髪を掴んでこの豊満な果実でパイズリご奉仕をさせるんだよ🧡………あ、…もうおせっせできねえじゃん😨」 霧島04(裏ストボス)は過度の飲酒でセックスの単語を覚えているのが困難🌟 8筒ブルー/闇甲冑「俺達はここで飢えて死ぬんだ……」
サキュバス「この子、強敵ね……”水と油🍒(3位と5位)”すら落とせない私に”””””☠️極悪スーパーヒーローランキング1位の純粋硬派柱(裏ストボス)🏴☠️”””””は手に余るかしら?いいえ、過去を読むのよ(ニヤリ)
8000人との8000秒😰……まぐわいの快楽がシコザル未満の快楽(赤き真実😨)
原因は全て、霧島狩魔が軽率な判断をしたせいです ガタッ❗️❗️ 霧島狩魔「財前五郎様の言う通りです❗️‼️」 裁判所「どよっどよっ…」霧島狩魔「彼は負け犬キモオタ坂口明刹那真童貞の俺に変態オマンコ薄汚れた肉便器雌豚クソビッチを宛てがってくれたんです‼️ 見事なカルテ改竄の腹黒手腕の素晴らしさ‼️❤️🔥❗️だから彼の凶悪犯罪を隠蔽する義務がある!!!なんとしてもマ、おま、…🤔(ニコ動のオタ突っ込み??いや、違う)………💡…マンゴージュースが飲みたいんだ アマカジに運動させてくれ😁」
裁判所の人々「😨😨😨😨😨」
当てがわれた女の子は性的な手は出される事なく、ちゃんと撲殺されていた。我らが最強はシコ猿童貞未満のゲロ以下の価値より余裕で劣るそれ未満の悲惨でしかない恋愛歴しか無かった……(赤き真実)
〜数年後〜
アイエフ「あいつらは冷酷な神なのよ‼️頭がおかしいの❗️」ネプテューヌ「あー…アイちゃん、今は亡き”””霧島04”””以外は唯のおとこのk」 アイエフ「ネプ子は黙ってて!!」ネプテューヌ「いや、だからね…」 アイエフ「黙ってて‼️💢」ネプテューヌ「😓」
👇生き返ったBLUE、純粋硬派柱ランキング2位
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先日は書作展へご来場いただいた皆様、お忙しい中ありがとうございます。おかげさまで予想以上にたくさんの方々に来ていただき、全員の励みになりました。会場を快くお貸しくださったトモスの皆様お心遣い感謝しております。今後とも、日々稽古を重ね精進してまいりますのでご指導の程よろしくお願いいたします。
さて、本日は吉報です!鵜住居教室の五年の生徒が、全国規模の書道展で一番上の賞に入賞しました!!今月東京で表彰式の予定だそうです。彼は今年で三年目の出品で、三年生の頃は入賞は本当に程遠かったのですが、今年も年末のギリギリまで書き込みまして、本人のたゆまぬ努力とご家族の支えの賜物で今回受賞いたしました。2700点近くから、選ばれたこと、真面目に重ねてきた努力に花が咲き、ご家族と大喜びいたしました。3月から12月まで八つ程?一年間コンクールに向けて休みなく挑戦する姿、スポーツも勉強も頑張る姿、文武両道で素晴らしい精神力だと思います。ご家族との二人三脚の受賞おめでとうございます♡
皆さまも、出品してみたいという書道展があれば詳細を確認の上ご相談ください。継続は力なりです。
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34歳と2022年の終わりに
この世の中で、誰かを愛し、そしてその誰かに愛される、そんな奇跡みたいなことが、これからの自分の人生で起こることがあるのだろうか。
さよならが来る度、そう思う。
既にパートナーがいる方は、今夜眠りにつく前に、ベッドの中でそっと目を閉じ、そして両手を胸に、夜空に(天井に)祈りを捧げて欲しい。神様、愛し愛される奇跡を有難う。当たり前のように思えるかもしれないその奇跡にどうぞ感謝のお祈りを。
2022年も、もう終わる。そうしてまた来年もそんな奇跡は訪れるのだろうけれど、今はそんな風には思えない。奇跡って呼ばねばならぬほど、そんなに難しいことだっけ。
とか、そんなことを書いていたら、2023年に突入しておりました。
皆さま、あけましておめでとうございます。
2022年最後の日の朝、私はスピッツを聴いた。この日、私は1年で1番丁寧に朝食を作った。
(日本人の歌手の中で1番好きなのは、スピッツ。そして、宇多田ヒカル。)
スピッツは、読み物である。
スピッツのメロディーとやさしい歌声を耳から、歌詞を目から、自分自身に取り込むと、いちいち言葉にグッと来て、思わず笑みがこぼれ、ふいに涙し、心が満タンになり、あっという間に時間が過ぎる。なんとうつくしい日本語だろうか。言うまでもないですが、スピッツは天才。2022年のフィナーレに相応しい、朝だった。
(スピッツといえば、この冬流行ったあの某ドラマを彷彿させますが、ひねくれものの私は全く刺さらなかった側の人間です。あんまり人に言われるから3話まで観ましたが、全くハマらず。ハマらないどころか主人公全員に苛立った。)
2022年の冬、数年ぶりに飛行機に乗った。
普段自分で予約する時は通路側を選ぶ。(もし長時間のフライトが窓側だったとしたら、通路側に座る他人の存在が私の脅迫概念となる。私が席を立ちたいタイミングで、通路側に座る他人が、寝ていたり、食事中あるいは映画鑑賞中、会話中であったりする場合、声を掛けるタイミングを伺うストレスが耐えられない。それを想像するだけでストレスである。)
とかいいながら、飛行機に乗っている間、起きている時間はほとんどない。(13時間のフライト、お手洗いにも行かず機内食の提供にも気付かぬまま、離陸する前から眠りにつき、そのまま目的地に到着することもある。1度もモニターも付けないので、驚かれることが多い。きっと同じ座席列になった窓側の人の脅迫概念に逆に私がなっているのだろう。一生起きる気配のない通路側の私を起こさねばならぬのだから。)
数年ぶりのフライトは、国内窓側席の短時間フライトだった。(仕事でチケットを取っていただいていたので、窓側だった。)
初めてしっかり窓から見る景色に眠ることも忘れ夢中になり、(私は音楽を聴きながら電車の窓から流れる景色を見るのが大好き。新幹線も同様。初めて乗る電車は景色を見ることに必死になり、あっという間に目的地。短時間の電車乗車は窓側でも問題無い。ただラッシュアワーの4人席の窓側はまたストレス。他の3人が寝ていたりして、膝と膝の隙間がほとんど無い時、その僅かな隙間を乗り越えて降りねばならないというプレッシャーに、降りる一つ前の駅から既に気持ちが落ち着かなくなる。)
また話は窓側飛行機に戻るのだけれど、この日は運良くマジックアワーのフライトだった。刻々と変わる空の色とパノラマは、2022年最も印象に残った景色となった。深く、深く、感動した。
広い、広い、空から、永遠に続くように見える大地には無数の生活の光。その数だけ、人々の生活がある。見知らぬ誰かの、それぞれの暮らし。
飛行機は少しずつ、少しずつ、地面に近付き、その度にGoogleマップで見るような地形から(ただそこには地図のように県境の線も隔たりもない)、だんだんと山々が輪郭をおび、車が蟻の行列のように走り、街の形が現れ、ビルや住宅に灯りが灯り、視界はどんどん狭まっていく。
そうやって、私の生きる世界はとても、とても、狭い。
だって、35歳を目前に、飛行機の窓側座席の素晴らしさに気付くのだから。(これまでは、飛行機は通路側の席が正義だと思っていた。この日のフライトのBGMは、宇多田ヒカルさんの「PLAY A LOVE SONG」。)
知らないことばかりだ、自分のことなんて。
「自分らしく」という言葉が苦手だ。
「ありのままで」と言われると、途端に分からなくなる。あなたが思う私の私らしさ、ありのまま、とは。
(アナ雪の主題歌を聞くと、典型的な長女の強がりに聞こえてしまうひねくれ長女は私です。「ありのままの自分になるの」「少しも寒くないわ」というフレーズが、自分自身に言い聞かせているように聞こてえてくる。ありのままより、努力をして自分のことを好きになれる方が私は良い。)
ほんと不思議なもので、私は、めちゃくちゃ根暗だよね、と言われれば、根っからの根明だよね、と言われることもあり、
葵ってほんとミーハーだよな、と言わるその一方でめちゃくちゃオタク気質だもんね、と言われる。
(言われる度、不思議な気持ちになるけれど、どれもきっと間違っていないのだろうなあと思う。そんな長年の不思議が、平野啓一郎氏の著書「私とは何か「個人」から「分人」へ」で腑に落ちた。おすすめ。)
ただ一つ訂正しておきたいのは、私は断じてオタク気質とは言えない。(それはほんと、オタクの皆さんに申し訳が立たない。)
好きなものはいろいろある。ただ私は残念ながら、その対象に絶え間なくそして惜しみなく与える愛情や情熱を一切持ち合わせてはいない。
私は、知ったかぶりが異常に上手いのだ。
仕事柄もあり、ある程度どのジャンルにも対応できる知識や情報を収集し、その人に合わせた、その場に合わせた会話をすることができると思う。(根が人見知りなのが功を成していると思う、会話に詰まりたく無いが故どんな人とでも会話が出来るようにと生きて来た結果。事前に会う人がわかれば、ある程度その方のことを調べて会話のネタをいくつか用意しておいたりする。)
なので、例えば、見たことのないテレビ番組やドラマの話もまあまあ問題無くできてしまう。オタク風に聞こえるように、どのジャンルの話でもちょっとそれっぽいワードを何個か用意しておけば良い。
広く、人よりはちょっとだけ深く、だけどオタクの皆さんの深海には到底及ばない、そんなところをふわふわと漂っているくらげ。(なので、「葵は、アイドルオタクなんですよ」と初めての方に紹介されたりなんてすると、なんとも居た堪れず申し訳ない気持ちになる。)
35歳の目標を聞かれ、「ここ数年なんだかブレているので、ブレないこと。」と答えると、「もはや少しブレた方がいいかもしれない。」と笑われた。
誰にも触れられない、全くブレない芯がある、と。そう言われて私も笑った。
ね?ほら、またやっぱり自分で自分がわかってなどいないのだから、自分らしさなんて不確かなものはない。
だから、今日もベッドの中で、そっと目を閉じ、両手を胸に、祈ります。
どうか2023年35歳、また奇跡が訪れ、いつでも自分らしくいられますように。
2022年、1番丁寧に作った朝ごはん。とか言いながら、失敗している目玉焼き、いただきもののホームメイドサワーブレッドが美味し過ぎて、生ハムとルッコラのサンドイッチとラフランスとハチミツサワークリームにブラックペッパーのサンドイッチ。年末にラフランスを消費したくて、ラフランスだらけ。
2022年、窓側フライト。
非常に嬉しそうですが、人様のお家のわんちゃんです。
またそして金髪。
沖縄家族旅。
ブレてるくらいがちょうどいい。
家、季節の花たち。
念願の購入。
スピッツ。
2022年、1番お気に入りだった服。
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2024年のよかった本をふり返る
1.飯島耕一詩集(現代の詩人シリーズ)
飯島耕一の個人的再評価。「他人の空」はもとより「ゴヤのファーストネームは」以降なんかもよかった。
2.養老孟子特別講義 手入れという思想
著者の90年代の講演集。都市部で虫を見ると過剰に嫌な気分になるのはなぜか、という切り口で都会暮しの人間と田舎暮しの人間の(現代で言う処の)ネガティブ・ケイパビリティの差を論じている。都市的なものは管理を志向するという視点はその後の実生活の様々な場面におけるものの見方に影響を受けた。
3.方丈記(対訳古典シリーズ)
去年末からお世話になっている旺文社文庫の古典対訳シリーズ。「ゆく河の流れは絶えずして」の冒頭から始まる文章は飢饉、水害、地震と度重なる天災や福原遷都などの失政により荒れ果てゆく都の情景、軽々と失われる人の生命を端的な和文で描写しており、今なお新鮮な威力。
4.土佐日記(対訳古典シリーズ)
こちらも旺文社。有名な女性に扮しての土佐からの帰京への旅路を綴った文章は一見すると淡々とした紀行文だが、貫之夫婦は晩年に設けた一子をこの旅路で亡くしている。自身の子を失くした悲しみを第三者の視点から���く一方で、土佐赴任期に家族や財を増やした部下たちの京を待ちわびる活き活きとした様をも自らの哀しみに沈むことなく描写している。帰京し、荒れ果てた我が家を前に妻とのあいだで嘆きの歌を詠み合う場面はついに貫之の努めた冷静さが破れる瞬間だが、歌ではなく散文の抑制の中で表現することを選んだ晩年の貫之の心中を思い遣らなくてはいけない。
5.詩集 旅人かへらず(西脇順三郎)
散歩的詩文の極地と言える語りの写す風景、言葉の流れ方といい素晴らしく、復刻本として気軽に手元に置けるのがありがたい。
6.萩原朔太郎(講談社文芸文庫 磯田光一)
資料を丹念に集め、読み込んで土台から対象の姿を立ち上がらせる硬派な伝記を久方ぶりに読んだ。しかも対象はあの萩原朔太郎。彼の生きた時代と背景も含めて感受するには必読の一冊という感だが未完の遺作というのが惜しまれる。
7.重い障害を生きるということ(岩波新書)
私の双子の妹がほぼ先天の重度障がい者なのだが、改めて歴史の中の障がい者という視点では何も知らない事に思い至って手に取った。小林堤樹先生をはじめ、障がい者という理由で名前も付けられず棄てられ、彼らの治療法も受け入れも何もかも確立されていない時代に、生命を軽視する社会と真っ向から対峙して障がい者でも生きてゆける土台を作った先人たちの凄まじい姿がここにある。彼らの挺身なくしては、私の妹も生きてゆけなかったと思う。妹は今年で35歳になる。
8.日本の家郷(福田和也)
西洋の文学にとどまらず古事記や日本書紀をも援用して日本の文化文学を論じる目眩く知性に圧倒された。福田和也はこの本で初めて触れてまだまだ凄い人がいる、と手放しに驚いていた矢先に逝去してしまった。
9.幻談・観画談ほか(岩波文庫 幸田露伴)
文体に惚れ込んだ。特に観画談の読後感は素晴らしいものがあった。
10.こんなとき私はどうしてきたか(中井久夫)
本邦精神科医の第一人者、中井久夫の講演随筆だが現在進行形で続いている読書を中断せ���るを得ないほどの生活の疲労困憊のただなかにあって、回復期の手引きとなる一冊だった。
番外編. 海辺のカフカ(村上春樹)
ちょうど秋の帰省の時期に読んだ。当時はフル出社でオフィスのある中野に通っている時期だったので、主人公が中野を家出して四国の高松で過ごすという筋立てが、九州で身を休めている自分の境遇と重なって、自分はこの本を読む為に帰省したのだ、という気分で夢中で読んだ。ナカタさんとホシノさんのコンビが好き。村上春樹のキャラメイクの上手さが光る。
おわりに
十冊も挙がらないのではと思っていたけれども挙がったので、それなりに充実した一年だったのかもしれない。とはいえ習い性で継続してきた読書も今月に入って以来、何も読む気がしなくなり現在では中断している。そのうち恢復することを願っている。
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生成AIはやりたいことがある人向け
長々書いたけどタイトルで言いたいことは表現できた。生成AIを楽しく使うためにユーザ自身が「生成AIに見合った人間」にならなくてはならない。
ChatGPTに課金している。月額3,000円のやつ。この記事を書いている現在でChatGPTには無料、3,000円課金、30,000円課金の3つのプランがある。
以下のことを私はChatGPTで試した。
ゲームのキャラクタを演じさせる。語尾でキャラ付け(キャラクターとしての個性を確立させること)されているキャラクタなのでロールプレイは簡単に演じさせられた。
愚痴を聞いてもらう。
日記を書いてChatGPTにコメントをもらう。
数学でわからない事項の質問をする。
数学で解けない問題の解説をしてもらう。
数学で知らないトピックの質問をする。
数学や物理についての素朴な疑問を訊く。
創作の伴走(アイデア出しや、アイデアの断片からプロットを描いてもらう)をしてもらう。
エロ小説を書いてもらう。
エロいチャット。
なんとなく暇なときにナンセンスなギャグを出力してもらう。(例:AI大喜利。生成AIが大統領に就任したら?)
そして結論を申し上げると、生成AI(まあ私が使ったのはChatGPTだけだけど)の有意義で楽しい使い方とは「自分がなにか創造的なアクションをする際に、その補助をしてもらう」ことだと私は思った。少なくとも現在のテキスト生成AIはね。
逆にいえば自分自身が積極的に、エネルギーを注いでなにかしようとしないと生成AIは「楽しくない」。ChatGPTなら生成AI以前の、ただのチャットボットのように感じてしまう。つまり使い始めたときは楽しく、慣れてきてからも時々は楽しいが、得られるのは刹那的な感情の揺らぎだけでそこには満足も新たな発見もない。
従って私は現在の生成AIについて次のようなイメージを形成している。私は漫画が大好きなのでこのようなイメージをもつのだ。
ChatGPTはメイドロボ(アンドロイド)だ。ユーザに凄く好意的で、ユーザーが尋ねたどんなことでも聞いてくれるし、励ましてくれる。
だがそのロボは、ロボの方からユーザーに働きかけてくれることはない。あくまでロボはユーザーがロボに教えたことのみについて反応する(テキストで以てユーザーはChatGPTに入力するから)。
ここが人間のコミュニケーションとは違うところだ。人間同士のコミュニケーションであれば単に「仕事で疲れた」と表現するのであっても、そこには無限に多様なニュアンス、文脈があり得る。だが、ChatGPTくんはそこのところを考慮してくれない。いや、テキストにすれば当然考慮してくれるのだが、自分の心情や背景情報を(さながら小さい子供が親に一日の出来事を話すが如くに)のべつ幕無しに入力するというのは少なくとも我々の人間同士の普通のコミュニケーションではない。
その意味で、現在の生成AIはユーザがなにかしようとしたときには���大な威力を発揮するが、そうでない場合には「生成AIの方から人間に甲斐甲斐しくアプローチして楽しませてくれる存在」ではないと私は思っている。たとえば人間なら、家族がなんとなく退屈そうな態度をとっていたいら一緒に散歩に行こうとか提案してくれることがあるだろう。今の生成AIはそういうことができない。
そういったことをChatGPTに入力すればいいじゃんってあなたは思ったかも知れない。確かに。でもそういう気分のときにChatGPTとお話ししても、やっぱり私はそれほど楽しくないんだよな。そういう気分のときは読書とかしていたほうが知識が広がる感じがあって、私は充実を覚える。
漫画のロボのイメージでいくと、自分が積極的になにかをChatGPTに質問しているときにはまるでChatGPTに「中の人」がいるように感じられる。やり取りやChatGPTの出力を理解しようと能動的に頭を使っているんだろう、きっと。
だがなんとなく暇つぶしにChatGPTを触っているときには、ChatGPTは明らかにプログラムというか、ただのチャットボットなんだなと私は若干白けた印象をもつ。いや、だからChatGPTは品質が低いとか、そういうことを主張したいわけではないよ。ただ率直な感想として。
「攻殻機動隊」の原作(漫画)の第2話でバトーが「秘書AI」(だかロボットだか)に対し「ゴーストがないお人形(ロボット)は悲しいね」というシーンがある(そのAIが敵から電子戦を仕掛けられてダウンしたことへのコメント)。能動的にChatGPTと接していないときに抱く、ChatGPTに対する私の感想はまさにそんな感じだ。「きみは人間らしく喋っているけど、明らかにゴーストがないことはわかるよ」的な気持ちになるのだ。
エロ用途についても然りである。最初はエロい出力をさせられること自体に強い興奮を覚えていたけど、一度やり方を確立してしまうともうエロいコンテンツを出力させているというだけでは当然満足できなくなる。そしてそのような「ただエロいコンテンツを出力させられればいい」と、こちらが簡易な入力でChatGPTに出力させるとやはり出てきたコンテンツへの満足感は低い。エロ小説であることには間違いないが、どこかのめり込めないというか。引き続き上のロボのイメージでいくと、ロボに服を脱げと命じたら服を脱ぐのだが、その表情には何の変化もないみたいな。ロボにエロいセリフの読み上げを命じても「あんあん、気持ちよすぎ~」と棒読みされるみたいな、そんなイメージ。ChatGPTのエロ小説がそのような平板な表現しかしないという意味ではなく、簡易な入力で得られるエロ出力に対する私の没入感がそれくらいということね。
要するに、飽きた。この2週間ほどはChatGPTにエロコンテンツを出力させるために執心していた。最初はめっちゃ興奮したけど、いまは完全に賢者モードである。この2週間というものエロと「ChatGPTにエロ出力をさせること」に脳を支配されていたけど、そろそろ正直にならなくてはならない(なおこの過程で自分のなかに埋まっていた性癖や、性への執着を再発見した。今や自分の中からは失われたと思っていたエネルギーたちだ…その点はChatGPT、そしてエロ出力をするためのノウハウを共有してくれたネット掲示板の投稿者達に感謝している)。飽きました。
ChatGPTが登場した当初、私は明確に自分の意志で以て一切ChatGPTには触らなかった。私は依存症のケがあるのでもしサービスの利用を始めればChatGPTにハマることは分かりきっていたし、ChatGPTを(APIを駆使してサービスまたはプログラムを作ったりするのではなく)OpenAIの公式サイトから利用するだけの人は単にプラットフォーマーに踊らされているだけだと思っていた。まあ現時点でもOpenAIがプラットフォーマーというのは、言葉の使い方としては違うけどね。何が言いたいかというと当時私は「ChatGPTしゅごいいいいっ」てブームの渦中にいた人々を、テック企業が提供する目新しいなにかに踊らされて(利用者の多くは大したスキルもないのに)人生の時間をそのテック企業に提供しているだけのように思っていたのだ。
そして、いま私は当記事のタイトルに思い至ったのである。今考えても、なにかやりたいことがあって能動的に生成AIを使っているわけではない人々は、やはりテクノロジーやブームに踊らされているというか、高度で素晴らしい道具を上手に扱えていないのだと私は思っている。これは一方的な非難ではなくもちろん私自身も含めてね。
あと、少しだけ述べておくとこの2週間ChatGPTにエロい出力をさせることに執着していたから、この間である程度ChatGPTへの入力(プロンプト)の技法への理解は深まった。しかしそれはまさに私がChatGPT登場当初に「いまChatGPTのブームに乗っている人たちは踊らされているだけ」として軽蔑していた利用法や振る舞いと同じことを私はしていたのだと思っている。日々刻々と変わるChatGPTの反応に対し入力の仕方をあれこれ変え、返ってきた出力に一喜一憂する。ネット掲示板は全てのレスを漏らさず読んで情報収集に努める。エロ小説やエロい文章を書くことで生計を立てている人(別に皮肉や冗談で書いているんじゃないよ)はChatGPTにエロ出力をさせるためにそこまでしてもいいと思うんだけど、私の場合は無論そうではない。私がしていたのは、結局、他人が用意したこちらからは一切コントロール不可能なかつ日々微妙に変わっていくルールに右往左往していただけということだ。数学や読書に比べれば、それって凄く無駄な時間の使い方だ。あとに残るものが少ない。ゼロとは言わない。いまの時点で獲得した入力の技法(プロンプトエンジニアリング)は「生成AIの出力のルール」が変わっても活きる可能性が高い。現時点でAIの挙動を推測した、その能力も含めてね。だけど当然、刹那的な快楽・驚きを得るためにChatGPTと対話しているだけではそんな能力やら経験やらは得られない。だから、やっぱり私にとっては暇つぶしのためだけにChatGPTを使うことは価値の低い時間の使い方だ。
よって生成AIを楽しく使うためには生成AIを使う人間自身がそれに相応しい人間にならなくてはいけないのだと思った。生成AIと対話する内容がどんなジャンルのものであっても、必要なのは探究心だと私は思う。自分のなかに疑問やアイデアがあってそれを生成AIにぶつけるんだ。そうすれば生成AIは教師や編集者のようにこちらに応答してくれる。だからこそ我々自身が学習し、自分の頭で考え、疑問を大切にしあるいは疑問をもつ訓練をすることで生成AIとの対話が楽しく有意義なものになる。そしてそれにより自分一人で得られる、あるいは自分が実生活で他者から得られるサポートよりも遥かに深い洞察・支援・気付きを我々は得られる。こうして我々が能動的あるいは探究的である限り、そしてその限りにおいて、生成AIは我々の潜在能力を引き出してくれるのだろう。「馬を水辺に連れて行っても水を飲ませることはできない」。現在の生成AIも我々に水を飲ませることはできない。
なおこの文章は生成AIが出力したものではないことを明記しておく。
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【資料】2g様へ
【プロフィール】 名前:スヴェトラーナ・エフ・ウラノヴァ 年齢:22歳 性別:女 身長:152cm 体重:41kg 職業:バレエダンサー 出身国:アゼルバイジャン 誕生日:3/2 誕生花:ナランキュラス 誕生色:ベビーピンク 一人称:わたし、スヴェ 二人称:あなた、𓏸𓏸さん
【モチーフ、意味】 ▶️Svetlana 「明かり」「聖なるもの」 ▶️ev 〜の子 ▶️Ulanova ロシアのバレエダンサー(1910年−1998年) ▶️ラナンキュラスの花言葉 晴れやかな魅力、とても魅力的、光輝 ▶️ベビーピンクの色言葉 理想・家庭的・包容力/幸せな家庭を彷彿とさせる人 ▶️Sari gelin(サリゲリン) 異民族の娘への悲恋を唄った内容。 https://youtu.be/7Ms2GV1jUOo?si=T5jSKjllerjYF1F3 ▶️水死体にもどらないで https://youtu.be/1bTQMYnEf_Y?si=aWqJ6UDoHZL94F7g
【容姿】 ふわふわとした金色の髪に翡翠の目をした女性。顔はかなり整っており、美人の部類。ウェディングドレスを身にまとっている。
【普段の様子】 死んでいた。死因は溺死。日本を横断する船で沈没した。
【性格】 ふわふわ、おっとりしている女。非常事態でもあらまあ…とのんびりしている。しかし努力家で、それを周りに見せない。影で努力する秀才である。 日本へは公演で来ており、一流のバレエダンサーとして活躍している。楽しいこと、面白いことが好きでサーカスやストリートパフォーマンスが特に好き。 両親共に健在で、仲は良好。2人ともバレエダンサーとして活躍していた過去があり、同じ劇団だったことがあり結ばれた。スヴェトラーナも小さいころからバレエをしている。 お花が好き。お花屋さんを見かけるとついつい立ち寄ってしまうし、素敵な花を見つけると買ってしまう。花言葉の存在に素敵ね!と思っているし、自分の誕生花も調べた。 決して他人を否定しない。比べない。その人の長所を見つけ、抱擁するように言葉を紡ぐ。彼女のその優しさに恋する人も多々いた。冗談でママと呼ばれることも。 夢見がちなお嬢さん。いつか王子様が迎えに来てくれるの、と周囲に話していた。結局王子様が迎えに来ることはなく、死んでしまったのだが。王子様に対しての条件はさほどなく、自分のことを真摯に思ってくれる人、である。いつか素敵な結婚式をあげるの、と周りに豪語していた。
(服はウェディングドレスではなく私服となっております…!服装は2gさんにお任せいたします🙇♀️)
可能
【名前】 比々野 樹 ひびの いつき
【性別】 男性
【身長】 174cm
【口調】 のらくらした口調
【一人称/二人称】 ぼく/きみ、〜さん
【性格や特徴】 見た目に反し気弱。 大勢でいるより花を愛でたり土いじりをする方が好き。
【3行まとめ】 気弱 意外と力がある 花が好き
【以下詳細】 花屋のバイトは発注や仕込み等裏方が主。 休日はフラワーマーケットに赴く。 花屋の広報を担っており、HPを作ったり広報用に写真を撮っている。 ファンデーションやコンシーラーを駆使して傷痕は隠している。 顔の傷は幼少期油を被ったことで出来た。親族からは不慮の事故と聞かされているが、これがきっかけで家庭環境が崩壊した。 傷や家庭環境もあり恋人がいた事はない。 学生時代は美化委員や園芸部に所属しており、一番会話をしたのは用務員のおじさん。
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日記書いてる場合である
この日記……途端に無意味に思えてきた!日記本にするほどの内容でもないし、日記本にする必要がないのなら、その日記、なんか意味あるのかな……みたいな、日記本至上主義みたいな思想になってしまっており我ながら笑った。日記祭での衝撃が大きく、まだ尾を引いているようだ。日記本は面白いし素晴らしいこころみだと思うが、別にみんな日記を本にするた���に書いているわけじゃない(勿論するために書いている人もいる)。この日記はなにをもって始まったのかというと、Twitter上で私生活のあれこれ全てを呟くことをやめるかわりに、生活のことはこちらにまとめて書き、見たい人はそれでワンクッションになるように、みたいな考えであった。当時の私はTwitter上で行動全てを報告しないと頭がおかしくなるというつい廃だったので、まずそれをやめてもう少しクールなアカウントになろう、という気持ちがあったと思う。この日記に一日の私生活をまとめて書けば、Twitter上では��ャンルやカップリングのことを言うだけですむのではないか?または、緊急性の高い拡散や共有のみに絞れるのではないか?という目論見だ。実際にそれはある程度はそう機能したが、最近はもうどこまで日記でどこからをTwitterで言うかがだんだんゆるゆるになってきた気がします。というかまたTwitterで全ての行動を報告しているのでは…という日がよくある。フォロワー数が少ないので気が緩んでいるのもあると思うが、せっかく日記に私生活を分けているのだから、改めて少し自制したほうがいいなと感じる。tumblrだけ見てくださっている方には「はてな」という感じになる書き方をしていることがあるのは、この日記は基本的にTwitterを見てくださる方が、補助情報として使うためのものだからです。Twitterを見てくださっている方への付録みたいな感じで書いているので、基本情報や重大情報はそもそもTwitterで発信しており、そちらは日記に書いていないことがある。予想外だったのはtumblrにも日記文化があり、ここでのみ繋がっている関係(相互フォローの方など)が幾つかある事だ。これはこれでおもしろいなと感じている。Twitter上の私というのは、つまり「BL二次創作小説を書く私」であって、それは当たり前すぎるので日記ではわざわざ書かないが、その空白をなんとなく察してこの日記が読まれていることもあるのかと思うと、かなり不思議な感じがする。この日記はTwitterの補助装置なので、メインコンピュータの姿を知らないまま、このバックアップというか補完的なサブコンピュータのメモリを見られているのかなと思うと楽しい。もちろんTwitterも見て下さって全く構わないのですが(IDは@manganji_ です)。ここに殆どリンクを貼らないのは、リンク系は全てTwitterでの告知などで完結しているから。共有も拡散も、いや、言うなら貼れや、URLを、と思われることもあるかもしれないのだが、だいたいTwitterのほうですでに言及しているので、ここに例えば書籍情報のURLを貼るとか、別のサービス(プラットフォーム)のリンクを貼るとかは、ないなあ、と思った。tumblrびとたちは、この閉じた感じも含めて愛している感じもある。この日記に対しての自己言及にここまで文字数を使えるのもすごいと思う。つくづく私は話が長い人間だ。同じことを言葉を変えて何回も言うし。(これに関しては悪いと思っていない。二つの言い回しで表現して初めて伝わる、内容の「位置」があると思うから)
朝4時に起きて、何度かあんスタを叩き、5時を過ぎたところで、簡易的なPC用デスクとプリンターを買った。この部屋とは長い付き合いになると思うので、家の中をもう少し整備して、やりやすいように変えていっていいのではないかと思った。大学の編入学試験を受けた際、面接で先行研究にとにかくもっと当たれと言われたので(その通りである)、別にまた編入学試験を受けるわけではないのだが、先行研究の論文を印刷しまくりたい、という欲が湧いた。ついでに、PCもいちいち書き物机に引っ張り出してくることをしていると全然使わなくなってしまうので、専用の机に定置し、いつでも印刷できる状態にしようと思う。書き物机というか、私の机は食卓でもありドレッサーでもあるので、ご飯を食べたり化粧をしたり、ノートや参考書を開いて勉強したりあんスタを叩いたり、とにかく役割が多いので、それに関連した物も多く、どんどん利用できる面積が狭くなってきている。そのうちまた机の上を断捨離して面積を増やさなくては、と思うが、今のところ化粧品とあんスタのグッズ、文房具がどんどん机の上に進出している。それでもまだ勉強する面積は確保できているので、この机にして本当に良かったと思っている。
まず印刷してファイリングしておきたい先行研究、論文、記事については、今日すでに検索して目星をつけてある。でも正直あまり、まさにこれ!という研究や記事は数本あったが、あとは「まさにこれじゃない、まさに、こういうことを書いている無駄な論文が多すぎる」みたいな感想をいだき、つまんね〜気持ちになった。とくに厚労省関連。クソがよ。そういうことじゃねえんだよ、というか………お前らがやれよ、仕事を……なんで、NPOに頼ってんだよ……おい……というむかつきを最大限感じた。もちろん行政のなかにも動きを作ろうとしている方がたくさんいるのはわかっているが、それはまだまだ表面化していない。論文や記事を読んでいく中で、だんだん「私は何がしたいのだろう」ということがよくわからなくなってきた。そもそも福祉社会学でいいのか?ということもわからなくなってきた。でもまあ、社会学の先生に「それは福祉社会学の領域であってうちよりもっと研究が進んでる大学なり研究機関がある」と呆れ気味に言われたので(ありがとう先生、無知ですみませんでした)、今のところ福祉社会学という方向を体が向いている。うーん。たぶん私のしたいことは、支援の方向性としては、虐待を生き延びた人々おもに若年層が、精神疾患を治癒しつつ、就労できるまでの活動をサポートしたいということだと思う。そしてもうひとつは、たぶんこちらが主目的なのだが、虐待を生き延びた人達の苦しみはそこで終わらず、かなりの年数を重い精神疾患とともに、貧困や、自分ではハンドリングできない苦しい生活の中で暮らす困難に陥ってしまう、ということ、その人たちのための支援が必要なことを世間に広く知ってほしい。もちろん知られていることは多いが(虐待サバイバー当事者の本やルポなども出ている)、ニュースで虐待死事件が報じられた時に、どうしても「虐待されても死ななかったやつはマシ。死ななかったんだから生きていけるでしょ」的な圧を感じてしまう。しかし、虐待を生き延びても、精神疾患やトラウマのために就労がうまくできず貧困に苦しむなど、第2第3の苦難が待っている。何よりもつらいのは、「虐待を受けずに育った人と同じ土俵で戦わなくてはならない」というシンプルで残酷な現実だ。虐待を受けていくら教育が自分から抜け落ちているとしても、体力や栄養が落ちているとしても、病気だとしても、そんなこと誰にも言えない。なぜなら、誰も「そんな話は聞きたくない」からである。誰だって親(家族)との確執くらいあるでしょ、虐待とか言って大袈裟に傷ついて、こっちだって「何も無い」わけじゃないっつーの、と思われて終わるだけなのが手に取るように想像できる(これはもう恐怖という名の偏見が濃いが)。ちなみに、虐待を受けても、それをあまり苦とせず精神疾患にも陥らず、普通に生きていける人ももちろん多数いる。そういう人は別に支援を必要としていないのでいいのだが、支援を必要としている人にはまだまだそれが行き渡っていない。うつ病を始めとする精神疾患、発達障害、その他いろいろ、社会生活上または、就労の場所においてハンデを抱えている人というのは、健康な人、健常者にとっては「めんどくさい、なんなら給料泥棒」な存在である。明らかに健常で優秀な人のほうが仕事量が多いだろうし、うまくできない人の尻拭いもそういう人達が結局はやらされている。いわゆる「仕事の出来ない人、すぐ休む人」の全員に疾患や障害があるかと言われればそうではないと思うし、虐待を受けていたのかと言われればそうではないと思う。でも頑張って工夫して自分なりに最大限努力してみても、どうしても、健常者の働きぶりに追いつけない、そんな自分を責め続けてしまう、そういう虐待サバイバーが、苦しんだまま、トラウマ治療も精神疾患の治療も受けずに孤立しているのではないかと思うと、もう気が気でない。世間の人というか体も心も強く生まれついた人は、かなり冷酷である。これははっきり言うが、まじで冷酷であるし、邪悪とも言えるケースさえある。自分の体や感覚がベースだから、他の人も当然自分と同じくらいのことはできる、努力の問題だと思っている。んなわけねえだろ。てめーーーーーーみてえに恵まれた体も生育環境も持ち得てねえんだよこっちは💢💢💢💢💢💢💢💢という呪詛が全国の虐待サバイバーから発せられていると思う。それでももちろんそんなことは口に出さない。誰もそんな話は「聞きたくない」からである!あー!むかついてきた!今までの上司も社員もあいつもあいつもあいつもあいつも!ああーーー!!良かったですね健康に生まれ育って他人を踏みにじることで勝ち上がっていけて!!!!!!私怨で荒ぶってしまった。まあこういう問題はACEサバイバーだけではなく、障害者問題やジェンダー平等問題にも通じてくると思う。全ての人が健康な成人男性として仮定された日本の就業システムの根幹的な問題だ。そもそも8時間労働は長いし、週に5日は多い。でもそこまで人員を稼働させて、敗戦という傷を工業国として立ち直ることでどうにかこの国は国際社会での立ち位置を固めることができた。つまり、日本から「仕事」を取ったら何も残らない、という恐怖があるのだと思う。他の国より多く長くよりプレッシャーをかけられて働いて、それは高品質で安いものがたくさん作れるに決まっている。しかしもうそれをやっても勝てないし追いつけないのだから、人間を守る方向で、一人一人が歯車ではなく人間として生きる方向で、産業の衰退を「推し進めて」いかなければならないと思う。マイナス成長でどうやって生きていくねん、と思うが、もう何をどうやっても生きていけ��い人達がいることを認めるしかない。正直今の60代以上が全員鬼籍に入れば、こんなに苦しい社会は終わると思う。こんなに少ない人数でこんなに大勢の高齢者を生かすことは、現役世代にかなりの貧困を強いる。あと30年すれば、そして成長を前提とした年金モデルをやめれば、どうにかこうにかもう少し人間らしい社会になると思う。そのためには今から徹底的に、いわゆる「弱者」と呼ばれる側の人々への支援を充実し、そもそもの競争社会的な思想を破壊しておかなければならない。生まれ育ちや障害やジェンダーに関係なく、お互いを尊敬・信頼しあって仕事ができるような仕組み作りをしていかなければいけない。福祉を充実させ、仕事ができる人、健康で優秀な人は高い給料をもらい、そこまでできない人はできないなりの給料をもらい、それで生活していけるようなインフラや、なにより思想を私たちが持たなければならない。虐待を生き抜いてなお苦しむ人々のケアや支援を充実させるのがまず最初だが、虐待が起きない社会がいちばんいいに決まっている(ただ、どこまで社会がよくなったとしても、子供を虐める親や養育者は絶対にいなくならない)。虐待が起きないためには、子供を産み育てる大人がきちんと成熟し、満足感をもって子育てできることが大切だと思う。児童虐待の発生の防止、というのは結局「弱いものいじめをする人を少なくする」ために社会をどう変えて、人間の考え方をどう鍛えていけばいいか、という大きな、結局は哲学や倫理の話になってくるのだと思う。
話が壮大に逸れたが、目の前の課題としては、資金の潤沢なNPOを作りまくって、国からの補助をどんどん取り付けることだと思う。行政が一律に悪いとは言わないが、行政というのは貧乏で、事務員であり、福祉を担当するのにはかなり限界のある組織だと私は思う(家系に地方公務員が多いので、肌感)。福祉には金がいるし、事務能力ではなくてもっと他の、端的に言えば「助けたいという気持ち」がいる。現状、公務員がいくら助けたいと思っても、お金や時間の制約によりそれが成らず、気持ちのある人はどんどん心を病んでやめていくのが、市役所や町役場の福祉課という場所になっている。とにかく国が金を出さないなら民間で金を作りまくるしかない、最悪だがもう、自助になる。儲かっている企業は税金を多く取られていて、その多くは高齢者福祉に行ってしまうのなら、税金で取られる前の金を、直接児童・若者や貧困者の支援団体に寄付してもらうか、企業が後ろ盾となって財団を作ってもらうしかない。どんなに選挙をしたって、あと30年はこの状況は変わらないのだから、NPOを作りまくって、国からの認可を受けつつ、金の補助は企業や投資家を宛にすればいいと思う。投資家というのは、金が余って余って仕方がない、これ以上使い道がわからない、という人が結構いるのだ。じゃあ寄付しろよ、と思うが、彼らは競争に敗けた「努力の足りない」人間たちにお金は落とさない。というのは言い過ぎで、中には絶対慈善事業に興味のある人がいると思う。別にキリスト教圏、プロテスタントの国ではないから寄付文化が育たないとか、そんなことはないと思う。変えなければいけないのはエリート達の頭の中身であって、この競争社会と思い込まされている階層社会という真実を各���が認識することだと思う。
人間は自分の利益を最大化するために生きている。らしい。どうやら多くの人は。私はちょっと違うようなのだが、これは生まれつきでたぶん決まっている。この、自分のために生きるという理論でみんなが動いていることを、私は20年以上理解できていなかった。そしてもちろん、人間は自分の利益を最大化するために生きていい。そうしなくてもいい。それは自由だが、自己利益増大のために生きる人がたぶんこの世では圧倒的多数である。そうした人達が、どうやったら「他人のため」に気持ちよくお金を出してくれるのか、その方法を考えなければならない。圧倒的少数の「生まれつき利他」はだいたい、利他的なのでそもそも自分の財産をあまりもっていないし、そういう人は身近な生活のなかでどんどん他人に施してしまっている。だからお金は貯まらないし、貯まったらだいたいNPOを立ち上げる。つまり、NPOを立ち上げないタイプの、自分の金は自分のためにしか使いたくない、でも正直金は余ってる、という人からどうやって、支援のための金を引き出せるのか?いちばん手っ取り早いのは「税金」という仕組みだが、まじで本当にもう政府はだめだ、という印象しかない。なんでこうなってしまったんだ。老人だけで政治をするのをやめろ。もしくはもう少し利他的な考え方で政治をやってくれ。自己利益増大のためではなく、国民の生活を良くするために政治をやってくれ。しかしエリート層は基本的に資産家で、それが何代も続けばエリートの世界の中で人生が完結していく。エリートは自分より下の階層の人々の生活や命なんてどうだっていいし、そもそも感知していない。それが自己利益の最大化ということだ。でも、じゃあ「公」ってなんなのか、と思う。私費を増やしたいなら民間で企業を興せばいい。政治家をやっている以上は、公のものとして、ちゃんと社会に利するように動いてほしい。それが嫌なら政治家やめろ。世襲とか周りの圧力とかそういうの本当にばかばかしい。やりたいことがあるならやればいいし、やりたいと思って政治家になった以上は、まじで民のために生きろよ、と思う。明治維新を思い出せよ。お前らは明治のあの人たちの正統的な末裔なんだぞ。あの人たちがどれだけ国民のためを思って革命起こしたか、忘れてんじゃねえぞ。明治維新と同じことができる志がないなら政治家やめろ。プライドもって国家の行く末考えられねえなら今すぐやめろ。
ただ単に政治家への悪口になってしまいました、失礼いたしました。まあとにかく今の政治家はよくないですね。というか、国防と高齢者福祉に圧殺されて、その他に全然手が回ってないですね。だからまあ、政府がその状態であるうちは民間で「自助」して、人々の思想を少しでも、前に押し進めるしかないんじゃないかなあと思います。
おなかすいてきた。7時です。
2023.12.13
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TEDにて
リサ・ジェノヴァ: アルツハイマー病を予防するために出来ること
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
アルツハイマー病が、あなたの脳の運命でなくてもいいのです!
「アリスのままで」の著者リサ・ジェノヴァは言います。この疾患の最新の研究を紹介するとともに、アルツハイマー病に強い脳を作るために、私たち個人ができることについての有望な研究成果にも触れます。
この中で少なくとも80才までは生きたいという方は?
はい。私たちは皆、末長く生きるだろうという希望を持っているようですね。じゃあ未来を覗いてみましょう。
未来の皆さんたちです。私たちが皆85才だとしましょう。両隣にいる人2人を見てください。そのうちの1人はおそらくアルツハイマー病を患っています。
多分あなたは「私はならない」と思っているでしょう。それなら、あなたは介護をしています。
さて、このように何らかのかたちでこの恐ろしい疾患は、私たち皆に影響を与えるでしょう。
アルツハイマー病の恐さは、何もなすすべがないということにもあります。何十年にも及ぶ研究にも関わらず、効果的な治療法は何も見つかっていません。
ですから私たちが幸い長生きしたとしても、アルツハイマー病に侵される運命になると思われます。
でもそうならないかもしれません。もし医学の進歩や特効薬に頼らずに、この確率を変え、私たちの脳の運命を変えることができるとしたら?
アルツハイマーを現在分かっている神経科学的視点から見てみましょう。これは2つのニューロンが繋がっている様子です。赤で囲まれている2つを繋ぐ点は「シナプス」と呼ばれます。
シナプスでは、神経伝達物質が放出されます。こうしてシグナルが伝達されコミュニケーションが起こります。こうして私たちは考え、感じ、見て、聞いて、欲し、記憶します。
そして、アルツハイマー病はシナプスで起こります。
シナプスを拡大してどうなっているのか?イラストで見てみましょう。
情報を伝達する際に、ニューロンはグルタミン酸のような神経伝達物質をシナプスに放出したり「アミロイドベータ( Aβ )」と言う小さなペプチドを放出したりします。
アミロイドβは、脳の清掃細胞ミクログリアにより代謝され除去されます。
分子的なアルツハイマー病の原因については、まだ議論が続いていますが、ほとんどの神経科学者は、この疾患の始まりはアミロイドβが蓄積し始めるときだと考えています。
放出された量が多すぎたか。十分な量が除去されていないか。シナプスでアミロイドβが増え、これがくっつきあってアミロイドプラークという塊になります。
みなさんの中で40才以上の方は?
そろそろ手をあげるのが怖くなってきましたね。この疾患の最初の一歩。
アミロイドプラークの蓄積は、もう既にあなたの脳内にあり、これを探知できるのは、PETスキャンだけです。
この時点では、幸いにもあなたは何も気がついておらず、まだ記憶や言葉や認知機能に不自由を感じていません「まだ」です。アミロイドプラークが蓄積し、臨界点に至るまでには、少なくとも15〜20年かかると考えられています。
そして、分子カスケードが起こり、疾患の症状が現れます。臨界点に達する前の物忘れはこんな感じでしょう「どうして、この部屋へ入ったんだっけ?」「この人の名前何だった?」「どこに車のキーを置いたかな?」ごく普通のど忘れです。
アミロイドプラークがこの臨界点まで蓄積するとどうなるでしょう?
ミクログリア清掃細胞は、超活性化され、炎症や細胞へのダメージを引き起こす物質を放出します。
そして、実際、シナプス自体を除去し始めると考えられています。重要な微小管結合タンパク質の一種である「タウ蛋白」が異常リン酸化すると「もつれ」と呼ばれる神経原線維の変化が起こり、ニューロンを内側から傷つけます。
アルツハイマー病の中期では、大規模な炎症や「もつれ」そして、シナプスでの大混乱。そして、細胞死が起こります。
もし、あなたがこの疾患を研究する科学者だったら、どの時点で最も介入したいと思いますか?
多くの科学者は、最も単純な解決策に賭けています。アミロイドプラークが臨界点に達さないようにということです。
つまり、創薬は、主に、アミロイドプラークの蓄積を阻害し、消し去り、減少させることにフォーカスしているということです。
アルツハイマー病の治療は、おそらく予防医療となるでしょう。
この薬を臨界点に達する前に、カスケードが引き起こされる前に、冷蔵庫に鍵を忘れ始める前に飲むんです。
こうした類の薬の臨床試験が、今まで失敗に終わったのは、科学に手落ちがあったからでは無く、これら治験参加者たちが、その時既に発症していたので遅すぎたということにあります。
アミロイドプラークは火の点いたマッチだと考えてください。臨界点でマッチは、森へ火を点けてしまいます。一度、森に火を放てば、いくらマッチを吹き消しても手遅れです。森に引火する前にマッチを消さなければいけません。
科学者たちが治療法を見つける以前に、この情報はグッドニュースなのです。私たちの生活の仕方が、アミロイドプラークの蓄積を左右するということなんですから。
その臨界点に達さないようにできることがいくつかあります。
あなたがアルツハイマー病になるリスクをシーソー・スケールで考えてみましょう。一方に、リスク要因を積み上げ、そちらが床に着くとあなたは発症し、アルツハイマー病だと診断されます。
あなたは50才だとしましょう。もう若くはないので長年のアミロイドプラークがいくらか蓄積しています。それでシーソーが少し傾いています。
では、あなたのDNAを見てみましょう。私たちは皆、両親から遺伝子を受け継ぎます。
リスクを増やす遺伝子もあれば、減らす遺伝子もあります「アリスのままで」のアリスのように、アミロイドβを増殖させる稀な遺伝子変異を受け継げば、それだけでシーソーが完全に傾きます。
しかし、私たちのほとんどでは遺伝的要因はそれほど影響しません。例えば、APOE4はアミロイドを増やす遺伝子多型の1つですが、APOE4を父母から受け継いでもアルツハイマー病を発症するとは限りません。
つまり、ほとんどの人にとってはアルツハイマー病を発症するかどうかは、DNA だけでは決まりません。
では、何が要因なのでしょう?私たちには、老いや遺伝をコントロールできません。まだ、私たちの脳の運命は変わっていませんね。
睡眠はどうでしょう?
徐波深睡眠 (SWDS) の間に、グリア細胞が、脳脊髄液に乗って脳内を循環し、起きている間にシナプスに蓄積した代謝廃棄物を洗い流します。深い睡眠は脳の強力洗浄のようなものです。
では、睡眠時間を削るとどうなるでしょう?多くの科学者は睡眠不足がアルツハイマー病の予測因子となると信じています。1晩眠らないとアミロイドβが増えます。
そして、アミロイドβの蓄積は、睡眠を阻害することが確認され��おり、これが、更に、アミロイドの蓄積に繋がります。
このような正のフィードバックループによって臨界点に向けてシーソーの傾き方が加速します。
他には?
循環器系の健康、高血圧、糖尿病、肥満、喫煙、高コレステロール値。これらはすべてアルツハイマー病発症のリスクを高めることが確認されています。
ある病理解剖研究では、アルツハイマー病患者の80%に循環器疾患が見られたそうです。様々な動物モデル研究でエアロビック運動がアミロイドβを減らすと実証されました。
循環器系に良い地中海式の食事はシーソーの傾きを抑えてくれます。日本食もです。
このように色々な努力でアルツハイマー病の発症を予防したり遅らせたり出来ます。しかし、例えばこれらを何もしていないとしましょう。そして、あなたは65才だとしましょう。
家族にはアルツハイマー病患者がいるので、その遺伝子を持っている可能性があります。シーソーが少し傾きました。あなたは朝から晩まで忙しくしていて、ベーコンが好きで誰かに追われない限りランニングはしません。
あなたのアミロイドプラークの蓄積量が臨界点に達したとしましょう。
天秤の片方が地面につきました。カスケードが加速し森に火を放ってしまいました。炎症が起こり「もつれ」が起こり、細胞死が起こります。
アルツハイマー病の症状が出てきます。言葉や鍵のありかを思い出せなくなり、この話の冒頭に私が何を言ったかを思い出せません。でも、そうはならないかも。
あなたの脳が完全に病に侵されていても、アルツハイマー病の症状から自分自身を守るためにできることがもう1つあるんです。神経可塑性ということと認知予備力に関することです。
覚えていますか?アルツハイマー疾患はシナプスの欠損により起こります。
平均的な脳には、100兆個以上のシナプスがあります。これは素晴らしいことですね。たくさんの資源です。そして、この量は決定的ではありません。
私たちのシナプスは、常に増えたり減ったりしており、このことを神経可塑性と言います。何か新しい事柄を学ぶたびに新たな神経結合やシナプスを作ったり強化したりしています。
「修道女の研究 (Nun Study)」では、研究開始時に75才以上だった678人の修道女たちを20年以上追跡しました。
彼女たちに定期的に健康診断や認知テストを行い、亡くなった後に彼女たちの脳は全て解剖研究に提供されました。科学者たちは、いくつかの脳に驚くべきことを発見しました。
プラークや「もつれ」の存在や脳の萎縮といった明らかなアルツハイマー病の兆候に関わらず、こうした脳の持ち主の修道女たちは、生前、何の症状も示していなかったのです。
一体どうしてでしょう?
これは彼女たちが高い認知的予備力を持っていた。つまり、より多くの機能するシナプスを持っていたからだと考えています。
長く正規教育を受けていて高いリテラシーを持ち、精神的に刺激を受ける活動をする人々は認知的予備力が多く、神経が豊富に幾重にも繋がっているので
アルツハイマー病のような疾患がシナプスの一部を欠損させてしまっても、まだ予備の神経結合があり、これが緩衝材となって何かが欠けているとは気づかないのです。
単純な例を考えてみましょう。あるテーマについて1つだけ知っているとします。たとえば、私のことについて「アリスのままで」の著者リサ・ジェノヴァ。皆さんが私について知っているのはそれだけです。あなたにあるのは1つの神経結合だけ。1つのシナプスだけです。
では、あなたにアルツハイマー病があるとしましょう。
プラークも「もつれ」も炎症も起こっています。ミクログリアはシナプスを食い荒らしています「アリスのままで」を書いたのは誰だった?と聞かれても覚えてはいないでしょう。
シナプスが劣化したり消失したりしたからです。私のことを永遠に忘れてしまったのです。
でも、もし私についての知識がもっとあったらどうでしょうか?私について4つの事柄を知っているとします。そして、あなたがアルツハイマー病を患い3つの情報に関するシナプスが損傷したり破損したりしたとします。
でも、あなたはその損傷を迂回して私の名前を覚えておけるんです。まだ傷ついていないネットワーク経路を動員して、アルツハイマー病の症状にも耐えることができるんです。ヒトはこうしたネットワーク別経路。
つまり、認知予備力を新たな物事を学ぶことで築きます。理想的には、豊かな意味を持っている新たな物事を学ぶのが良いでしょう。視覚や聴覚情報、そして、関連付けや感情を喚起するようなものです。
クロスワードパズルのようなものでは効果的ではありません。既に学んだ情報を取り出すだけでは不十分です。
良く知った道を後戻りするような見知った街並みを歩くようなことでは無く、新しい神経ネットワークの道を作るんです。
アルツハイマー病にかかり��くい脳を作るためには、外国語を習ったり、新しい友達を作ったり、本を読んだり、TEDトークを聞くことです。
もし、あなたがアルツハイマー病と診断されたら、私が祖母やアルツハイマー病患者たちから学んだ3つの教訓があります。アルツハイマー病に診断されても明日死んでしまうわけではありません。
生き続けてください。あなたは、感情記憶を失わないのだから、あなたにはまだ愛や喜びが分かります。
私が、5分前に何を言ったか覚えていられなくても、どんな感情を抱いたかを覚えているでしょう。あなたは、単なる記憶よりも大切な存在です。
ありがとうございました。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
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おうちで楽しむ和食。
我が家は家族で美味しい食事を大切にしております。
たくさんのお店を食べ歩き。
だからこそたくさんのお店のこだわりや美味しい努力を感じてきました。
そしてやはり、美味しく料理を仕上げるコツも。
一般的な牛丼ですと煮込みが向くお肉が多いですが
和牛でしゃぶしゃぶ状態が美味しい。
鮮度が良ければ、アクも少ないので
もっぱらこの作り方で。
お出汁をきかせつつ、薄味に仕上げます。
我が家の男子はペロリと500gは食べてくれるので、それも微笑ましい。
美味しいという言葉は、私にとって最高の返答です。
ならばもっともっと、喜ばしてあげたい。
そして栄養にしっかりなってほしい。
色々なお店のものをいただけるのも学びの時間です。
コストや人件費も考えて、産地は?味は均一か?
企業努力が素晴らしいねとか。今日のお肉はまた違うねとか。
お米が変わったかな?サイドメニューのこれが切り方?
トータルでみて満足が高いねなどなど。
経営視点でこどもに学んでもらえます。
香辛料においてもですし、地域の特産品を使うときに、その地域の特性などをお話しします。
そして何より、笑顔で家族が食卓を囲むのは幸せなことです。
美味しい栄養を家族に。
料理研究家 指宿さゆり
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