#精霊達のすみか展3
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The group art show "精霊達のすみか展3"(Dwelling of Spirits Exhibition 3) gets started on 13th November 2024 today! My 2 paintings including a new piece(3rd pic) are on display and on sale in the exhibition; postcards are on sale, too! Enjoy this art show and find my works when you come to Chigasaki, Kanagawa in Japan🌈✨
"精霊達のすみか展3" 13-17 November, 2024. Opening hours: 11.00 am - 4.30 pm Venue: Oriental Apartment, Kanagawa. *The venue is located upstairs of the restaurant "arecole cuisine クーカイ". Please be careful for the stairs when you come to the venue!
グループ展『精霊達のすみか展3』が本日11/13から開催です! 私は新作(画像2枚目)を含む作品2点を出展・販売するほか、ポスカも販売します。茅ケ崎にお越しの際はぜひ展示を楽しんでいただけたら、また私の作品も見つけていただけたら幸いです🌈✨
『精霊達のすみか展3』 2024年11月13日(水)-2024年11月17日(日) 開廊時間:11:00-16:30 会場:オリエンタルアパートメント 神奈川県茅ヶ崎市東海岸北2-1-4 クーカイ2F ※階段に注意してお上がりください
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いのち、ばんざい。
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いのち、ばんざい。
作家名:和田聡文 会期:2023年7月27日(木)~8月20日(日) 時間:16:00-22:00 休廊日:7月31日(月)、8月7日(月)、12日(土)~16日(水) 料金:入場無料 場所:IAF SHOP* 福岡市中央区薬院3-7-19 2F TEL:090-5475-5326(佐藤) http://iafshop.tumblr.com/
=================== 本展に関する4つの動画がyoutubeにて公開されています。
いのち、ばんざい。 https://www.youtube.com/watch?v=A6Nv8syTENs
プランクトンダンス https://www.youtube.com/watch?v=ZyDdtBkHNnk
よるのかんだた うっすらと排除される「おっさん」という属性について https://www.youtube.com/watch?v=V5GnpN0LLtU
louper digger looper https://www.youtube.com/watch?v=lFFif7LwFtw ===================
色々、五月蠅いね。
だけど、あたしは、
ポリネシアの血族。海に浮かぶ島々の者。
8人産んでも2子しか生きて残せなかった祖霊の末の子。
だけど、あたしは、
一度は魔法使いになり、
高校卒業13年目にして、
やっとこさ同級生の妻と再会し、
今は青年の一人の息子の親になった、
「うっすら嫌われる中高年のおっさん」。
だからこそ、あたしはブリジット・バルドーの側に立つよ。
あたしは、どうせ「色々分かっていないおっさん」だから、
おっさん臭いことしか思い付かないし。
ならば、いっそ、「おっさん臭さ」を引き受けて、
すごくベタに「天」と「人」と「地」のお話しをする。
「いのち、ばんざい。」
■ 天(伴天連さんの話):
「挑戦」って言葉を知ってるかい?
この島国と伴天連(バテレン)の話だよ。
最初の「挑戦」は戦国時代。「第一次挑戦」ってやつさ。
大海原を渡ってやって来たんだ。揉み手、摺り足、赤ら顔で。
でも、銃器の販売やら、人身売買やら、
伴天連同士のもめ事やら、色々あって、
お前ら、帰れって、叩き返しちゃった。
次の「挑戦」は幕末から維新。「第二次挑戦」ってやつさ。
真っ黒い船に乗って、煙モクモク、やって来たんだ。
漢字やめれ、アップデートしろ、神社、仏像打ち壊せとか、
色々やり過ぎて、嫌われて。案外、不人気。
パァとはしなかったね。
「俺らも案外とすげえ」とか逆に調子に乗られちゃうし。
近々の「挑戦」は大戦直後。「第三次挑戦」ってやつさ。
美しい、大きな銀色の飛行機でやって来た彼は、
コーンパイプをぷかぷか。
欧米様にはかなわねぇ。マッカーサー格好良いとか。
伴天連さん達、大チャンス。
天皇さんに聖書の講義したり、農業国に変えちゃうぞ、とか、
亜米利加さん、大盛り上がり。
でも、まあ、隣の半島やら、東の側やら、
ゴタゴタ、ピカピカ、どかんどかんで、
余裕無くなって、締め付け中途半端。
で、この島国のアップデート人口は1%程度。
しょぼいかぎり。
で、今。
「次にファシズムがやってくるとき、
彼らは、「反ファシズム」を掲げてやってくるだろう。」
と、「ディミトロフなんとか」が言ったとか何とか言うけど、
四回目の「挑戦」は、どんな顔をして来るのかな?
もう来てるのかしらん?
「ソドムの街を火と硫黄で焼き払う」の、逆で来るのかな?
「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」の、逆で来るのかな?
「天父神」、「長兄たる救世主」の、逆で来るのかな?
虹の橋を渡って来るのかな?「第四次挑戦」ってやつが。
ブロガー納言と、レディコミ式部と、
元祖バ美肉おじさん紀貫之と、古典BL信玄公と、
カルーセルと、明宏と、ピーターと、
おすぎとピーコと、デラックスと、マングローブと、
天宇受賣命と、阿国と、弥次喜多と、
全裸監督、村西とおると、
エロ屋/小説家/ニュースアンカー、紗倉まなと、
オスカルと、ジルベールと、
バンコランとひばりくんのこの島に。
また、来るのかな?
生まれて、まぐわって、子らにつなげる
我らの原罪を問うために。
でも、また来ても言い返すよ。あたしは。
あたしは、人間だし、生きてるし、おっさんだから。
「いのち、ばんざい。」
■ 人(カンダタさんの話):
「カンダタ」のお話って、知ってる?
お馬ぱかぱか、愛馬の「カンタカ」君じゃないよ。
芥川龍之介くん初めての児童文学
「蜘蛛の糸」のあいつだよ。
地獄と極楽の間で宙ぶらりんのお友達。
でもさあ、この話、なんか変。
違和感マシマシ。
この話の「釈迦さん」、なんか上から目線。
切羽詰まって、焦って、失敗しちゃったカンダタさんに対し、
「浅ましい」とか「ヤレヤレ愚民は。。。」感、丸出し。
しょうがないじゃん。カンダタさんは。
生まれからして元々余裕なんかないんだし。
「糸切れちゃう!登ってこないでー!」とか、
そりゃー、言いたくなるよ。安全問題だし。
なのに、何、その、ちょっと一本釣りうまく行かなかったら、
飽きちゃって、テキトーに放り出しちゃう、投げやり感。
お腹空かせた虎さんに、我が身ぽーんと投げ出す、
釈迦牟尼本来のキャラじゃないよね。。。
大体、自分は涼しい顔して、快適な場所に居て、
面白そうな奴だけ、一本釣りとか、
衆生を救おうって気概が無いよね。
福祉事業をなめてんの?
現場に飛び込んで行って、問題解決せんのかーい!
我が身ポーンと行かんかーい!!
大体、カンダタ以外の奴らはみんな、
亡者、すなわち、アウトオブ眼中。
目覚めて、アップデートした奴にだけ、
極楽から「救済」の手を差しのべるとか、
キリスト教終末論の「携挙(けいきょ)」かよ。
救ってやるのは伴天連だけで、
ハルマゲドンで亡者/異教徒は一掃かよ。
「選民思想」臭え。
手に似合わない「水掻き」なんかを付けてでも、
なんとかして、なんとかして、漏らさず衆生を救おうってな、
大乗レスキュー「阿弥陀如来」の気概はどこ行った?
で、さあ。
このへんちくりんな違和感の話を妻にしたら、
理系にして日本文学オタクの我が妻も、
「あたしもヘンだと思ってた」と��こと。
でね。。。調べてみたの。ちょっとググって、wikiにて。
そしたらさぁー。パクリだって。
ドイツ生まれアメリカ籍の作家ポール・ケーラスの著作
『カルマ』収録の「The Spider-Web」が元ネタだって。
タイトルまんまじゃん。。。。しかも、この『カルマ』、
「本場モンの仏教説話を紹介」ってな本なんだけど、
「The Spider-Web」については「創作」だって。
本物に創作混ぜ混ぜ、仏教説話の捏造じゃん。
パクリとか知らんかったわー。龍之介やらかすなー。
バチモンの仏教説話とか知らんかったわー。
ポール、やらかしおったなー。
そりゃー。「ヘン」だわな。釈迦のキャラじゃないわなー。
仏じゃないじゃん。偽仏じゃん。仏罰モンだわー。
「自分ばかり地獄からぬけ出そうとするとか、
無慈悲だわー。浅間しいわー。」とか、
「蓮の華の何とも云えない好い匂い」の
爽やかな極楽の風に吹かれて、のほほんしてる
偽仏のてめぇこそ、文句言える立場??
「どうでも良いわー。平等に地獄に落ちればー。」
とか、なにその「タワマン文学」。
「瞑想」じゃなくて、「マインドフルネス」、
「ヨガ」じゃなくて、「ピラティス」とか、
言い出すんじゃないの?
あらまー!「カッコイイ消費者」ですことっ!!
「丁寧な暮らし」ねっっ!!!
美しい、大きな銀色の摩天楼から見下ろしてる
虚業の小金持ちみたい。
カンダタ君もさあ、
タワマン野郎に「いいね!」とか声かけられて、
「一歩抜け出すチャンス!!」とか
調子に乗るの止めようよ。。
良いことないって。。
あいつらさあ、ペットか番犬探しているだけだから。
カワイソウな順か、カワイイ順に声掛けてるだけだから。
カワイソウな奴に餌やると「徳」を積めるし。
「徳」=「信用」=「クレジット」=「通貨」だから、
儲かんのよ。「カワイソウなペット」を飼うと。
大体、地獄って、年季を勤め上げると、
生前よりちょっとは良いステージに行けるし、
学校みたいなもんじゃん。
周りにいる奴らもカンダタ君と似たようなもんで、
みんな生前、色々苦労してるし、
タワマン野郎よりずっと共感できるじゃん。
鬼だって学校の先生みたいなもんで、
死なないように注意して、君を鍛えてくれてるだけで、
ちゃんと良く見てくれてんじゃん、君のこと。
ウエメセのタワマン野郎よりずっと。
ヘンな上昇志向に捕らわれて、痛い目見るより、
実直に自分の手で、地に足付いたコトをしようよ。
そうだ。友達を作りなよ。愛する人を作りな。
出来たら家族になって、子供を育てなよ。
老い��子供がもう無理なら、若い者を応援しなよ。
虚業で浮いてるタワマンの偽仏よりずっと良いよ。
地に足を付けて生きるってことだよ。
だから、「ぢごく」で結構。大「地」の「極」み。
だから、おっちゃんは叫ぶよ。
「いのち、ばんざい。」
■ 地(生き物の話):
やあ、こんにちわ。僕らの名前は「オピストコンタ」。
「尻尾が後ろ」って意味だよ。
人間の精子みたいな形なんだ。
キノコとか、ツボカビとかの菌類と、
人間とか、魚やミミズ、トンボなんかの多細胞の動物を
ザックリ含んだフレンズさ。
襟鞭毛虫なんかのちっこい奴らも僕らの仲間さ。
世の中、僕ら「オピストコンタ」だけじゃなくって、
色んなフレンズがいるよ。
土の中にも、蓮のお池の中にも、地べたの上にも。
「真核生物」に限っても色々いるよ。
「オピストコンタ」の兄弟分「アメーバ動物」
草花や樹木とかを含むフレンズの「アーケプラスチダ」
昆布とか珪藻とかのフレンズの「ストラメノパイル」
ゾウリムシとかのお友達「アルベオラータ」
有孔虫、放散虫のフレンズ「リザリア」
ミドリムシとか光合成する奴もいる「エクスカバータ」
「クリプト植物」とか「ハプト植物」とか「太陽虫」
「真核」じゃなくて、「原核」だけど、細菌も色々。
シアノバクテリア(藍藻)とかを含むフレンズ。
美しい、大きな銀色の鏡胴を持つ顕微鏡で、
小さな水滴に閉じ込められた彼らを、上から覗き込むと、
色んなフレンズが、わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、してて、
本当に、本当に、面白いよ。例えば、
放置しちゃった植木鉢の雑草の中。
劣化したプランターの壁面。
ジメジメ湿った苔の上。
蓮のお池の水の中。
只の水溜まり。
蟻の行列。
蝸牛。
藻。
蝶や蛾。
ダンゴ虫。
マルトビムシ。
苔の子実体の森の中。
くるくる回るミズヒラタムシ。
慌てて席取りをするクラミドモナス。
巨大なミジンコの屍骸を喰らう原生動物。
ほとんどが単細胞で、小さくて、単純なはずの生き物が、
くるくる踊ったり、パクパク食べたり、
ぶつかってビックリしたり、キョロキョロあちこち覗き込んだり、
居場所を見つけたり、喧嘩したり、慌てて逃げまどったり。
多細胞生物ではなく、ただの「群体」に過ぎないのに、
喧嘩せずにお互いしっかり体をつないで、
くるくるくるくる泳ぐ、ヒゲマワリ(ボルボックス)やシヌラ。
動物じゃないと思っていたら、
意外とクネクネ、クルクル、活発に動く、シアノバクテリア。
小舟みたいに、スイスイ走り回る、小さな小さな珪藻たち。
独立した多細胞生物のはずなのに、
まるで一個の生き物のように合体してしまうイトヒメウズムシ。
それに、なにより面白いのは、
ご先祖の「古細菌」から、ずっと昔に枝分かれして、
お互い全然違う見た目や、違う生き方をしている
遠く離れたフレンズたちのはずなのに、
みんな、みんな、わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、
ぶつかり合ったり、喧嘩したり、身を寄せ合ったり、協力したり、
まぐわり、接合して、次世代を作ったりすること。
知ってる?生物の世界において、
「成体(アダルト)」とは、「生殖可能となった個体」という意味。
子供を作るのが「おとな」なのさ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちょっと違う話をするよ。「シン・ウルトラマン」って映画の話。
その映画の中で、ウルトラマンは、頭の先からつま先まで、
均質な物体で出来た、微細構造を持たない完全体とされる。
「一にして全、全にして一」な完全な個体。ほぼ神。
当然、マンガ「はたらく細胞」みたいに
わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、協力し合う、
たくさんの細胞を持つ「多細胞生物」ではない。
理念、思想の固まり、孤高で単一の「思念体」。
外宇宙から来た、美しい、大きな銀色の飛行体。
よって、本質的に「個と個の(細胞)間の協力」は、
その身体自身に内在せず、
「バディー(仲間)」の意味がまったく分からない。
(映画では、故郷は「光の星」。国家は無い。)
(彼は人類と同種のものから進化した存在。)
彼は弥勒菩薩の様に完全な美(統一感)の化身だが、
無関係の子供を助けて死んだ男のことが分からない。
進化の最果てに居る彼には、「仲間」の意味が思い出せない。
遠い未来に来迎する弥勒菩薩の様なポーズをとって、
死んだ男の姿を掌に、森の中で悩み続ける。
覚えていたが、今は忘却した何かを思い出そうとして。
強くて、全知で、大きくて、けれど孤高のウルトラマンには、
起動してしまったゼットンを止める術が分からない。
なのに、弱くて、無知で、小さくて、愚かな人間たちは、
ぶつかり合ったり、協力したり、怒ったり、信じあったり、
ドキドキしたり、お尻パンパン気合を入れたり、
わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、
ゼットンを止める解決策を見つけ出す。
上から目線の外星人たちには出来なかったことを、
小さな「はたらく細胞」みたいな人間たちが成し遂げる。
VRゴーグルを付けての独り言、虚空に手をブンブン、
滑稽で、とっても格好悪いけれど。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ずっとずっと昔に進化の枝分かれをする前から、その後も、
地べたに這いつくばって生きる「いのち」の本質は、
わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、わちゃわちゃ、
ぶつかり合ったり、喧嘩したり、食べ合ったり、
身を寄せ合ったり、協力したり、
まぐわって、子供を作ったり、育てたりしながら、
「なんとか必死に次につなげ続けること」なんだろう。
人間も明確に動物だし、生き物だし、「いのち」。
だから、おっさんは、勇気を出して、ベタなこと言うよ。
わたしは、一人の息子の父親だから。
ショーペンハウアーとか、シオランとか、ベネターとか、
そんな馬鹿どもの言うこと知るか。五月蠅い。
「いのち、ばんざい。」
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『「呪術」の呪縛』下巻の読書ノート
江川純一・久保田浩編『「呪術」の呪縛』(下)リトン、2017年。
第一部 呪術概念の再検討
鶴岡賀雄「「呪術」の魅力:「永遠のオルタナティブ」の来歴と可能性についての試論」
「マギア」を人類学的・宗教学的分析概念としてではなく西欧精神史の構成要素として見て、古代ギリシアから、中世神学、ルネサンス、近世キリスト教、現代芸術に至るまで、マギアの位置づけを跡づける。 そこでは、マギアがつねに、公共宗教や哲学といった正統的な知や生き方に対して、劣位に置かれた人々による代替行為として位置づけられる。しかし、この民衆の低級知は正統知でないがゆえに、かえってそれを批判的��超える超高級知ともなりうるものであった。 近世神秘神学における神的/悪魔的/自然的という三分法が、人類学・宗教学における宗教/呪術/科学の三区分に改鋳されていったのではないか、という指摘はなるほどなあと感じ。また、世間的・民衆的な低級知たるマギアがつねに物を介するというのも、フェティッシュとの関係で興味深い。 「神秘主義」概念の検討については別稿に譲るとされているが、その「別稿」とはこれですね。→ 鶴岡賀雄「「神秘主義」概念の歴史と現状」『東京大学宗教学年報』vol. 34、東京大学文学部宗教学研究室、2017年、pp. 1–24。 https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/47687# なお、本論文の中で、サラマンカ大学の学士アマドール・デ・ベラスコが持っていたグリモワール(魔術の指南書)をめぐる事件の話が出てくるが、最近、魔術のことを考えすぎて、先日、江川さんから「grimoireとは魔術書のことなんですよ」と教えてもらう夢を見た。 山崎亮「社会学年報学派の呪術論素描」
ユベールとモースの「呪術論」は混乱に満ちた論文であり、その一因として呪術のアポリア(呪術は私的なものであるが、社会的な性格ももつ)が挙げられる。この混乱を理論的に整理したのがデュルケームの聖理論であるが、ユベールとモースは納得していなかった。 江川純一「「magia」とは何か:デ・マルティーノと、呪術の認識論」
イタリア宗教史学におけるマジーア概念を、特にエルネスト・デ・マルティーノの『呪術的世界』とその後の転回にしたがって明らかにする。宗教学において一般的に、「呪術」は「宗教」のネガとして語られがちだが、宗教史学はこの対比・対立を認めない。 デ・マルティーノは『呪術的世界』において、呪術的世界は「自分の魂の喪失の危機とそこからの解放」という実存のドラマによって根拠づけられるとして肯定的に評価したが、この世界を歴史的時代であるとしたがゆえに、進化主義的宗教論と見分けがつかなくなってしまった。 「呪術的心性と原始的心性を混同している」という師ペッタッツォーニらの批判を受け、デ・マルティーノは後年、「呪術的世界」という想定を取り下げ、神話ー儀礼の結合物としての「呪術ー宗教現象」を探究するようになる。 注にある、「今後、20世紀の宗教学思想を振り返るときには、ペッタッツォーニ、デ・マルティーノ、エリアーデのトライアングルによる、神話ー儀礼的技術としての「呪術ー宗教」の考察が軸となるであろう」という指摘が興味深い。
なお、A. C. ハッドンが報告したボルネオのトゥリク族の男の話(ある男は鉤形の石を頑なに手放そうとしなかった、その石は魂が自分の身体を去るのを引き留めているのだという)がラトゥールのファクティッシュのようで面白い。
第二部 事例研究:古代~中世
渡辺和子「メソポタミアにおける「祈祷呪術」と誓約:「宗教」と「呪術」と「法」」
なかなか論争的ですごい論文であった。一言ではまとめづらいが、アッシリアの『エサルハドン王位継承誓約文書』(ESOD)の構成や文法を分析することで、誓約と儀礼、「言うこと」と「すること」の宗教的な結びつきを考察する。 アッシリア学者の重鎮オッペンハイムは、西洋人として祈りと儀礼が結びつくことに耐えられず、「メソポタミア宗教」は書かれるべきではない、とまで言う。また、ESODの誓約と儀礼という形式こそが、契約(誓約)宗教としての一神教の成立と後のキリスト教の成立にも影響を与えたという。
高井啓介「その声はどこから来るのか:腹話術の魔術性についての考察」
叙述がトリッキーで面白い。腹話術が古代の神学者たちによって魔術として扱われ、近代に脱魔術化していった過程が示される。旧約聖書サムエル記上の「降霊術」がギリシア語に翻訳される際にἐγγαστρίμυθος(腹話術)と訳されたために腹話術の魔術化が始まった。 降霊術が腹話術と見なされることで、腹話術師は腹の中に悪霊をもつことになり、霊媒は魔女扱いされるようになる。しかし、腹話術の魔術性を否定し、単なるトリックだとしたのが、『百科全書』で数学に関する項目を多く書いているジャンバプティスト・ドゥ・ラ・シャペルの『腹話術』であった。
山本伸一「カバラーにおける神名の技法と魔術の境界」
ユダヤ教のカバラーにおいて、正当な呪術と禁じられた魔術の境界は不分明である。このことを15世紀のカバラー文学、ルネサンスの自然魔術の影響下のカバラー、18世紀のエムデン=アイベシュッツ論争という3つの事例に即して考える。 15世紀スペインのカバラー文学の共通点は、主人公であるカバリストが終末とメシア来臨を促すために悪魔を追放しようと立ち上がるも、悪魔に騙されて取り逃がしてしまい、逆に魔術に手を染めた悪人として非難される、という物語。��2っぽいというか、『進撃の巨人』(デビルマン)フォーマットだなと。 青木健「ゾロアスター教神官マゴスの呪術師イメージ:バビロニア文化の影響と呪術師イメージの由来」
マゴスには「呪術師」「神秘主義の達人」「放蕩」といったイメージが付与されるが、ゾロアスター教の神官の職能を検討してみると、実態は王朝に仕える官僚であり、吉凶暦や蛇占いといった副業の方がイメージの形成要因となったと考えられる。 青木健『古代オリエントの宗教』は、渡辺論文の注で、紀元前2世紀から13世紀までのオリエントの宗教史を扱うものなので、「書名と内容が一致していない」と批判されていた。 毛利晶「古代ローマにおける凱旋の儀式:トリウンプスに関する最近の研究動向を中心に」
ローマで戦争で勝利を収めた将軍が行う凱旋の儀式トリウンプス(triumphus)。そこでユピテルの扮装をする凱旋将軍の役割は神か王か。近年の論争を踏まえて、著者は元々ユピテルの儀式であったものが後に将軍自身を讃える儀式へと変化していったと推測する。 凱旋式挙行の要件が、①命令権(imperium)、②鳥占権(auspicium)、③軍隊指揮(ductus)、④幸運(felicitas)の4つだったというのが、統治(王)・呪術(宗教)・軍事の三権が一人に集中しているようで興味深い。 野口孝之「近代ドイツ・オカルティズムの「学問」における「魔術」」
19世紀後半から20世紀初頭に展開されたオカルティズムにおける「魔術」の位置づけを、キーゼヴェッター、エスターライヒ、シュティルナーという3人の思想を中心に検討する。 ドイツの代表的なスピリチュアリスト、カール・ドゥ・プレルの概念das transzendentale Subjektを「超越的主体」と訳しているけど、「超越論的主観」では。このドゥ・プレルの理論を援用するキーゼヴェッターはオカルティズムをGeheimwissenschaftと呼び、先人としてスウェーデンボルグを挙げている。 ちなみに、スウェーデンボルクを批判したカントの『視霊者の夢』の第一部第二章のタイトルはgeheime Philosophie(オカルト哲学)である。
寺戸淳子「「呪術ではない」祭儀:「秘義」としての聖体拝領」
大変勉強になった。キリスト教の「聖体拝領(聖餐)」「実体変化」「神秘的肢体」といったややこしい話を基本的なところから丁寧に教えてくれるので、これらの神学的議論に関心がある人におすすめの入門的論文。 12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよろしくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。 12世紀に「実体変化」の教理が確立したのと同時に、「神秘的肢体」(Corpus mysticum)論も確立していった。Corpus mysticumは元々、食べる方の「聖体」を意味していたが、秘義的ニュアンスがよろしくないため、それまで「教会」を意味していた「キリストの体」Corpus Christiと呼ばれるようになった。 逆に、教会はCorpus mysticumと呼ばれるようになった。つまり、聖体と教会の呼び方が入れ替わったのである。この教会を指す「神秘的肢体」がやがて法人のような擬制的人格一般を指すようになっていった。カントーロヴィチぽいなと思ったら、カントーロヴィチが参照されていた。 佐藤清子「19世紀合衆国における回心と「呪術」:チャールズ・G・フィニーの新手法擁護論とその批判を中心として」
きわめて明晰な論文。19世紀アメリカの第二次大覚醒の時代を代表する牧師フィニーは「新手法」と呼ばれる礼拝方式を導入して革新をもたらしたが、それは回心を意図的・合理的に促す手法であり、限りなく呪術に接近していく。 フィニーはスコットランド啓蒙思想の影響の下、自然法則の学習・応用という方法論を採用し、自らの回心の方法を「科学」あるいは「哲学」であると称した。他方で、呪術・宗教・科学の三区分で知られるフレイザーもまた、同じくスコットランド啓蒙の思潮に影響を受けていることは興味深い。 フレイザーは呪術を稚拙な科学であるとしたが、もし仮に「回心」を心理学的な技術によって達成できるようになったとしたら、それは科学なのか呪術なのか。実は科学と呪術の区別は、その知識や技術の程度の差異によるのではないのではないか。 フィニーの「祈り」についての議論も面白い。回心は聖霊の働きによるが、人間は聖霊をコントロールできないがゆえに、回心も究極的には神に委ねられている。しかし、フィニーは回心と聖霊の間に「祈り」という人間の行為を介入させる。とはいえ、人間は祈りによって神を操作できるわけではない。 フィニーによれば、祈りはそもそも聖霊の働きによって可能になるのだから、祈ることができること自体がそれが叶えられる可能性があることの証拠となる、という。ここには、祈りのアポリア(祈りは効果があるならば、祈りにはならず、効果がないならば、祈る必要がない)を解く鍵があるように思われる。 久保田浩「近代ドイツにおける「奇術=魔術」:奇術とスピリチュアリズムの関係に見る〈秘められてあるもの〉の意味論」
19世紀ドイツで機械仕掛けの奇術を行う奇術師は、トリックを説明(klaeren)可能なものとしながら、それを驚嘆すべきものとして提示する者であり、スピリチュアリストの種明かし(erklaeren)をして詐欺を暴く啓蒙(Aufklaerung)の意義も担っていた。 奇術師がスピリチュアリストを科学的に暴いたり、宮廷からお墨付きを得た「宮廷奇術師」が���場したりと、『鋼の錬金術師』が好きな人にお薦めしたい論文。スピリチュアリストが、奇術師は本人も気づいていないけれど実は霊媒であり、本人が奇術だと思っているのも霊媒現象なのだと主張する話が面白い。
井上まどか「ロシアにおける呪術概念の検討」
前半が現代ロシアの事典や概説書における「呪術」概念の分析、後半が16世紀に編纂された『百章』における「呪術」の用法について。「準備的覚え書き以上のものではなく」という著者の言葉通りの文章であった。 『金枝篇』の著者名が「D. D. フレイザー」となっていて、目を疑った(ロシアだとJもGもDなんですか)。それ以外にも本書は誤植が非常に多い印象。上巻目次のタイトルからして既に間違っている。
西村明「呪術としてのキリスト教受容:ミクロネシア・ポンペイ島を中心に」
最終章でいよいよ真打ち「マナ」登場。ミクロネシアのポンペイ島における宣教でキーワードとなった「マナマン」から、マジックワードとしての「マナ」概念の歴史的形成の議論へ。 まず、宣教師は植民地主義的視点で現地の宗教的・呪術的実践を裁断するが、しかし、その視線は一方向的なものではなく、現地民もまた、自分たちの価値体系の中にキリスト教を位置づけて理解する。ポンペイ島で、二つの異なる価値体系を通訳した概念が「マナマン」であった、という話が面白い。 さらに後半、この「マナマン」(ミクロネシア)と同族語である「マナ」(メラネシア・ポリネシア)という概念が辿った数奇な運命が論じられるが、これも面白い。 「マナ」とはそもそも、コドリントンが『メラネシア人』(1891)において初めて学術的議論に導入した語で、その後、超自然的力を指す普遍的な概念として人類学・宗教学で多用されていった。しかし、コドリントンが現地調査したモタ島とバンクス諸島は、当時、ポリネシア人と宣教師の影響を受けていた。 メラネシアの「マナ」が形容詞や動詞としての含意があったのに、ポリネシアでは名詞として用いられた。メラネシアの宣教師たちは先にポリネシア語に通じていたために、「マナ」を名詞的に理解してしまった。こうして、コドリントンがやってきた頃には、既にバイアスのかった「マナ」となっていたのだ。 このように、「マナ」とは、ポリネシアとメラネシア、現地民と宣教師、そして世界各地の多様な宗教間といった、異質な価値体系を通訳=通約する概念として強力な力をもつようになっていったのである。異質な体系の間の界面に生じる通約的概念という意味では、「フェティッシュ」にも似ているように思う。
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ハロー(´ー∀ー`)2023.5.6
GWはのんびりとレンタル祭りしてました〜
今回借りたのは9本!そしてレンタルしたその日にU-NEXTで1本だけ視聴しました笑
ということで簡潔に映画の感想です〜
U-NEXTで観たのはこちら
「ヘレディタリー継承」
ジャンルとしてはホラーですね。不気味な女の子が主人公と思いきや…なーんか母親が暴走してるのか母親が元凶なのかと思いきや…女の子のお兄ちゃんの存在が鍵なのかと思いきや…
という思いきやホラーでしたね
(何だそれ
結構グロいのと、私が1番言いたい感想は父親がとっっってもいい旦那さんやないの!ってこと←
おかしくなっていく妻に対しても優しさの塊だし、息子に対しても思い遣りの塊だし。
��んな素敵なお父さんは焼死しちゃったよね←
で、最大のホラーシーンはお母さんが糸鋸で自分の首をゴリゴリ切り落とすシーンです。これはもう…完全なるトラウマホラー認定ですよ。子供は見ちゃダメです。絶対に観ないで下さい。
そして最後まで観て私の一言は
「はい?」
説明をお願いします←
ということで誰かの考察レビュー見ましたよね。
タイトルからして何となく女の子に何かが宿っており、その何かは多分悪魔で、器としてお兄ちゃんの身体を狙っていたカルト教団のおばさんが母親に近づいたってことよね。
母親のお母さんがその信者で、どうやら王妃ってことになってたのでその悪魔の復活をさせる儀式はお母さんの時から続いてたってことよね。
で、その儀式を成功させるために首を落とす必要があったんだとか?その辺がよくわからないよねってこと。
母親はその儀式を成功させたくはなかったんだけど、夢遊病(精神の深い部分で操作されていたのか?)として意識下で儀式を遂行しちゃったということで、最後は悪魔が復活してチャンチャン!
「はい?」
で終わりましたとさ。
「セイント・モード/狂信」
これは観なくていいやつでした←
終末期ケアの看護師さんが主人公なんだけど、その人が神様の声を聞いて頭おかしくなるというか初めから頭おかしかったんだね〜という話です←
最後は浜辺で焼身自殺。それが神様のお声だそうです👼
「バイオレント・ナイト」
お下品なサンタさんが子供を救う為に悪い人達をボッコボコに殺す映画です←
サンタっていうかもう、バイキングだよね。
脳天潰しとかいうハンマー持って次々に悪い人を殺しまくるんだよね。
ホームアローンみたいなシーンもあります。
「ブラックアダム」
DCコミックの映画は一応ジャスティスリーグとかアクアマンとかワンダーウーマンとかバットマンは観たけど、マンオブスティールとかシャザムとかザスーサイドスクワッドとか観てないんだよね…
なので「シャザム」という言葉には何の知識もなかったから何それとはなったけど、楽しめましたよ。
今回はヒーローじゃないのね、、ふむふむ細いロック様が違和感ありすぎるwって感じだったしアダムがいかにして力を得たのかその理由が悲しかったし、一応ちゃんとしたストーリーがありました。
(何様
ブラックアダムめちゃくちゃ強いし、飛び方がスーパーマンだし、ジャスティスソサエティオブアメリカ(JSA)とかいう世界秩序を守るヒーロー組織が突然出てきて誰?ってなったし、男の子のお母さんがアダムとJSAに説教してつえぇ…ってなったし←
だってさ突然骨の兵士みたいなのが現れて「地獄の兵士だわ!やっつけるわよ!」とかなるのよ←
おかしーよね😂一体どこまで予見してて覚悟してるんや←
あっここは現実世界ではなかった←
とはなったけどさ。普通逃げるよね。でもカーンダックの国民達は反骨精神が強くてきっと奴隷時代に受けた屈辱と正義を血に秘めて受け継いできたってことなんだろね…知らんけど。
それでねJSAのメンバーでドクターフェイトっておじさんがいるんだけど、私はその人が好きだったなー。ドクターストレンジがもっと歳取ったらフェイトになるのかなって感じ(違います)
大体私のお気に入りキャラは死んじゃうんだけどね←
ヒーロー対ブラックアダム
って構図が私としては戦う必要ないのに…って思ってしまってもやもやしたけど、映像はすごかったね。
戦う理由がない、ただ邪魔なだけみたいな笑
ヒーロー側からすると、やはりアダムは世界秩序を乱す存在なんだよね。
最後はまとまったけどさ。
終わり方がかっこよかったよねー!ザ・映画!って感じでした。
「ヴェンデッタ」
ブルースウィリスが悪でした。
ギャング?かマフィア?かよくわからないけど、バカ息子の組織入りの儀式みたいなもので誰かを殺したら合格みたいなしきたりがあって。
それで高校生の娘を殺された父親が復讐するみたいな話。
そこまでハラハラ感もなく、別に観なくてもいい映画でした←
警察もそのしきたりを容認してたし、分かってて捕まえないグレーな社会ってよくある話だよね。
私が思ったのは裏社会牛耳ってるようなブルースのアジトのセキュリティが激甘のガバガバでバカなの?って感じでした〜
「ブレット・トレイン」
面白くないだろうなって思いながらレンタルしたけどその通りでした〜
ブラピが観たかっただけ、とそう思うことにしました←
姉に「ブラピのブレットトレイン借りたよ」と言ったら『プラピンはサスペンス系?』(打ち間違い
だってさ!
そんな俳優はおらんのよ←
始まってすぐ木村という日本人役の俳優がめちゃくちゃカタコトな日本語で喋ってて秒で見る気失くしました←
その木村、いつのまにか流暢な英語で会話してた←
建物とか景観とかがやっぱり中国なんだけど、海外からの日本ってこう見えてるの?って思うよね。
GACKTが出てた「BUNRAKU」って映画を思い出しました。海外映画に出てくる日本の舞台って本当違和感しかない…
「ノープ」
序盤は全然面白くなかったけど、UFOが出てきて🛸それでそれで?とはなってきました。
ただそれが乗り物ではなく、それ自体が生き物ってことで「へえ」って感じで←
見た目よくわからないエイリアンってことでいいのかね?
金属と思ってたけど、ビラビラの布みたいな花びら型のでかい食虫植物みたいな?食人エイリアンw
経営困難な牧場を立て直すために兄妹はこのエイリアンを撮影して一儲けするぞ!みたいな話。
途中、人々を襲ったチンパンジーの話があったんだけどこの話がどう繋がっていたのか全くわかりませんでした…
ざっくり言うと兄妹愛が勝つ!みたいな😂
観終わって誰かのレビュー読んだら、色んな映画のオマージュが散りばめられていたらしいんだけど私には何一つ刺さりませんでした←AKIRA知らないしね…
「ラストナイトインソーホー」
怖くないホラーでしたね。
主人公の女の子が霊感があって、デザイナーになる為に服飾科へ通い始めるんだけど同室の女の子がかなり性格ブスで嫌になって部屋を借りるんだけども、そこで霊体験していくといったお話。
かつてそこに住んでいた女の子の過去を追体験していくんだけど、その女の子の正体と物語の真相は少し捻りがありました。
ありましたけど、正体は読めてしまいました。だけど、怖いだけじゃなくてそこには悲しさとか裏切りとか傷があって、結果主人公はその体験によって助けられ成功するみたいな報われ方だったのでよかったなと思いました。
「アンテベラム」
輪廻のストーリーかと思っていたら違いました。
過去の話と現在の話が交互に展開されていると思い込んで見てたけど、主人公は同一人物で発言力のある黒人ということで拉致され奴隷として働かされていたというお話。
この映画には色々な社会問題やら政治的なものも絡んでいるようなお話なのでしょうけれど、私にはとても退屈でしたね…
人種差別はとても酷い行いですが、映画としては私は視聴選択しないかな…
(つまりレンタル失敗←
人種差別問題なら以前観た「グリーンブック」の方がとてもよかったです。
ということで、私のレンタル祭り終了でございます〜👏
ゼルダの伝説ティアーズオブザキングダム発売まで1週間切りましたね!!
今年のゲーム活動はゼルダ一色で終わるだろうと思っていたし、全て配信でプレイする予定だったのに…ネット開通日未定のせいで←←
予定が全て狂いました。
ゼルダを配信でする為に、プレイをネット開通日に合わせてスタートするのか
それとも動画でアップするスタイルにするのか…
まだまだ悩み中です。
ゼルダ解禁を我慢できるのだろうか←
3ヶ月も待たなければならないけど…それはそれでいいのかもとか思ったり。
他にも色々したいゲームは沢山あるんだけど、編集が本当に嫌なんですよね←
この無駄に時間かかる作業がかなり���痛…😞
かと言ってぐだぐだNo編集のまま上げる訳にもいかず。「あーーー編集しなければーーー」って動画が溜まっていくとゲームをすることすら億劫になってくる始末←
やっぱり配信でぐだぐだのんびりリスナーさんと話しながらプレイするのが1番合ってるよねー。
私はぐだぐだしたいのです!
(知らんがな
ゼルダ寝かせる方向になりそうだね←
というかさ!NU○○光から追加のポケットWi-Fi来たって言ったけど、それもめちゃくちゃ速度遅くてなんなら1台目よりも更に遅いんだけどどういうこと?←
どっちに繋げてもクルクルクルクルなるんだが💢
これ以上イラつかせないでほしい←
結局愚痴って終わるブログです😂😂
※追記※
レンタル9本って言って一つ感想書き忘れてました←
「PIGピッグ」
ニコラスケイジがトリュフブタと山奥で生活してるんだけどある日その豚が盗まれた!!ってことでその豚を取り戻す為に奮闘するお話。
とにかくこの豚さんが可愛いかった!
でもストーリーはへんてこ←
奮闘していくうちにニコラスケイジの過去やらトリュフを売ってあげてる仲介の男性と父親の関係も深掘りされていくんだけど……
なんかただの親子喧嘩に巻き込まれて豚殺されて、世捨て人のニコラスケイジがただただ可哀想な話だったよね?←
メッセージがめちゃくちゃだよね←
せめて生きたまま豚帰ってきて欲しかった🥹またニコラスケイジと生活再開してほしかった🥹🐷
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私の好きなゲーム「サイコブレイク」
vo.のkayananbaです。
GW何してる?私は野球中継を観たり、ゲームをしたり、友達と出かけるなど(予定)。
私の住む大阪では日々20℃超えが続いてて、夏がそこまで近づいています。夏といえばホラーなので、私の一番好きなサバイバルホラーゲーム「サイコブレイク」について書いてみたいなと思います。PS4を買って初めてクリアしたゲームがサイコブレイクなので、思い入れが強いゲームです。
※一部ネタバレを含みます。ホラーコンテンツなので苦手な人は見ない方がいいかも。
あらすじ
刑事セバスチャンが要請を受けて仲間と共に殺人現場(ビーコン精神病院)に急行。殺人犯であろう人物にしばかれ気を失い、目が覚めたらそこはクリーチャーが徘徊する狂気と混沌の世界なのでした…。セバスチャン(とその相棒 ジョセフ)はクリーチャーと戦いながら狂気の世界からの脱出を試みる。みたいな話です。
2ではよりセバスチャンというキャラクターに寄ったストーリーで、娘のリリーを救うために再び狂気の世界へ足を踏み入れる。
サイコブレイクの魅力
世界観
まず最初に理不尽なほどに突飛な場面展開です。精神世界を舞台にしているので、悪夢の中で悪夢を見ているような、いわゆるなんでも有りなストーリー。次は何が来るのかワクワクしながらゲームを進めていました。ダークゴシックな雰囲気を主として様々なワールドに飛ばされます。外(村など)のワールドもあるけど、基本的には窓の無い地下空間が多いので息が詰まって���んどい。
2では主要敵キャラ ステファノの登場により、ゴシック感が強くなり、這い寄るようなじっとりとしたホラー演出が多くなったと思います。ワールドによってはオープンワールド要素もあり、自由度が高くて楽しかったです。
クリーチャー
私好みのクリーチャーが多くいます。特に好みのクリーチャーをピックアップしてみました。
ラウラ(無印、2)
手足、髪の長い蜘蛛のような女型クリーチャー。火に弱い弱点があるけどかなり苦戦した。あと怖い。表情、動きから「呪怨」の伽倻子っぽいです。
キーパーさん(無印、2)
頭が金庫になってるクリーチャー。ガタイが良くてエプロン付けてる。武器もハンマーなのでおそらく屠殺業者イメージです。屠殺といえば「悪魔のいけにえ」を思い出す。ワープする時に自分の頭捥ぐの。身体は重そうなのに意外と動きは早かった印象。マインボルトを多用して倒しました。
ラメント(2)
ガリガリの内股、引き攣った声で呻きながら謎のガスを出してガクガク��いている。こいつに見つかったらヤバいというのが感覚的にわかった。無印ではステルスで逃げ切るというクリーチャーが出てこなかったのでまた別の恐怖を味わいました。
アニマ(2)
これもステルスで逃げ切るクリーチャー。クリーチャーというよりは幽霊ですね。ふわふわと音程の狂った鼻歌を歌いながらセバスチャンを探してて怖い。サイコブレイクをした人はみんなアニマがトラウマになってると思います。
オブスキュラ(2)
2での主要キャラ ステファノのペットのような女型クリーチャーです。頭がカメラになっていて3本の足でガチャガチャと蜘蛛のように床、壁、天井を駆け回ります。異形頭と蜘蛛足の組み合わせはポイントが高すぎる。ボイスも喘ぎ声っぽくてエロいよね。
キャラクター
クリーチャー以外のキャラクターも魅力的なキャラが多いです。特に無印。むしろ無印にしかおらん。
ジョセフ(無印)
セバスチャンの相棒ジョセフ。メガネに黒グローブに口語で敬語でクールキャラってゆうのが私のタイプです。言わずもがな大好き。かっこいい。
レスリー
何かしらの精神疾患を持ってて様子はおかしい。声が高くて色白で少年のようですが、実は25歳なのポイント高すぎ。守ってあげたい。
以上がサイコブレイクの魅力のまとめですが、ほとんどクリーチャーやキャラクターの紹介でした。ゲーム自体も武器の種類が多くて頭使うし、ボスもそこそこ強くて面白いです。即死トラップや即死技が多くて死にゲーではあるけど難易度落とせば誰でも楽しめます。おすすめです。
次はちーちゃん。
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決戦!双拳の塔11
遂に辿り着く13階。アヴェック・スターの6人と、[Aile]の王達は先に辿り着き、フェリンソワ、エオレンスタ、アイヴァンヌの3人がエレベーターの近くにある椅子に横たわっていた。
イヴ、大丈夫?
13階にいた雑兵を一通り片付け、少し休んでいたジニーエイラとサンディエゴ。2人は蒼剣神、紅盾神、無限神、豊穣神、そしてファジーフェの5人が全力で挑める様に道を作るべく、戦っていたのだった。
う、うん………結構やられちゃった………。 それは僕も同じだよ。 やはり、あの3人が相手では相当に危険ですからね…。
………そう言えばシーン様とマリナ様は?
何かに気付いたトラヴェリアが、辺りをキョロキョロと見渡す。そして、サンディエゴとジニーエイラは目を瞑り、大掛かりになっている巨大な扉の先を見る。
2人なら、あの先にいる。だけど………グゥエルの事だ。何をしてくるか分からない。多分俺達の情報ですらも掴み、手を打っているはず。あくまで俺とジニーエイラは道を作っただけ。あの先で、どんな戦闘が繰り広げられているのかは分からない………。
では先に私達で………。 待て。
「アヴェック・スター」が行こうとするが、サランバートだけは止めに入った。彼がエレベーターの方に指を差すと、ぐったりしている4人が後から来た。
雨見さん、黒飴さん…。
さっきの巨大兵器との戦いでふらふらの雨見と黒飴。2人は対ユミル用の毒を受け、弱っている。おまけに力を使い果たした相当な激闘だったのか、椅子に寄りかかる様に倒れていた。
ご、ごめんね…。ちょっと休ませて。私は少し休んだら行けそう。 俺と雨見は後回しで良いから、先に行ってくれ。そして…回復したらこの辺を見張ってる。
ぶっ倒れながらそう言っていた雨見と黒飴。そして、エレベーターの方からもう2人も。
ペルピーニャさんと…ブリオッシュさん?
服がぐっしょりと濡れ、精神が乱れているペルピーニャと、見るや否や直ぐにそんな彼女の元へと駆け寄るブリオッシュ。そんな2人には、既に戦う元気は無い。
はぁー………はぁー………見ないで下さい………!うぅぅ………! ………ペルピーニャについては俺が何とかする。だから、先行ってくれ。
顔が真っ赤になり、相当恥ずかしい思いを受けてしまったのか、ペルピーニャにとってはただのダメージでは済まない様である。
随分大変そうです��………。 大丈夫かな。 俺の事は気にするな。 …あー、そうだ。3人にはこれを見て欲しい。クラムとアーシアから託された品だ。2人はさっき俺の所に来て、11階と12階にあったこいつを渡した後、クラムが持ってた天界の笛でI.A.に帰るとか言ってたな。 11階と12階………。確か、「テン・ジュエルズ」が決戦兵器[R769-Y36]と戦っていた場所ですね。一体何故?
そして、サンディエゴから渡されたのは何かのディスクドライブと強い宝石のエネルギーが宿された結晶。フェリンソワとエオレンスタはそのディスクドライブを結晶に差し込み、映像を確認する。
………
「[R769-Y36]………『ラグナロク・ユミル』か。随分と悪趣味な名前だな」
「一旦、俺が壁になる。その間にコガネ達が攻撃を頼む」
「了解しました」
最初に動き出したのはクルシュ、ブリュッセル、コガネの3人。敵の行動パターンを見るべく、壁役の前衛をブリュッセルに任せ、その間にクルシュとコガネに削ってもらう…と言う算段である。
「ラグナロクだか何だか知らんが、此処で貴様を終わらせる。覚悟しろ」
「まだ行ってはなりません、恐らく何かしてきます」
戦闘を様子見し、作戦を立てるヨハンとキャンベル。その間にも、他の6人は宝石を用意する。
「ゲンシカイキ…見せてやろうぜ。最後になるかもしれない」
「いや、その台詞は何か嫌な予感が…まあ良いでしょう。私もやります」
「そう来るなら…俺はメガシンカを見せよう」
バレンシア、パルテノン、リューベックの3人はゲンシカイキとメガシンカで戦う予定の様だ。Ωの紅い光、αの蒼い光、そしてΔの翠の光が迸る。
「負けてられないね。僕達もやろう、ゲンシカイキと言うのを」
「あの、グリニッジ。私達は『原始回帰』じゃなくて『原点回帰』ね。微妙に違うよ」
「本気出しましょう。この機体を止めなければなりません」
グリニッジ、ウィランドラ、ヴァージニアの3人も宝石の力を浴びる。水色の輝き、桃色の輝き、そして白金の輝きの光が、これまで見た事の無い姿へと変える。
「ブリュッセルが敵の攻撃を受け止めたら、まずはクルシュとコガネの2人が攻撃を仕掛けて、後の6人は一斉に撃って下さい。ヨハンと私と、キャンベルは後に続きます。いざ!」
細かく指令を出したヴェルサイユ。そして、ブリュッセルにはあの機体には神をも殺す特殊な血統に効く猛毒が仕込まれている事を指摘して、なるべく倒されない様な立ち回りを手掛ける事を推奨した。
「たとえ絶望的な状況だとしても………私は諦めません」
メガストーンに触れ、メガシンカするヴェルサイユ。最後の止め撃ちがどうやら彼女の役回りの様だが、同時にこの作戦について上手く行くかどうか………それは彼女自身が最も気にしていた。
………「R769-Y36」起動。敵を確認………排除する。
直後、撃たれた膨大な破壊エネルギー。受けた事の無いその攻撃は、生命のエネルギーを変換して撃ち出している無限大の出力だった。そもそもこの機体自体が、巨大化した秩序神の真の姿に酷似していた事も、その恐ろしさに拍車を掛けている。
「ぐっ………………ぐおおおッ………!!此処で、負ける訳には………!!!」
白銀の潮水を周囲に展開し、必死に耐えるブリュッセル。そして、シリアルキラー[Ragnarok150]の胴体部分にコガネが黄金の火炎を放ち、クルシュは裁きの光弾で攻撃を仕掛けた。
「あれを壊せば………!」
両脚を壊しにかかるのはバレンシア、パルテノン、リューベック。隆起する地面の刃と、無数の水流の波動、そして天空落下の暴風。
「私達であの場所を撃ちましょう」
両腕に照準を向けたグリニッジ、ウィランドラ、ヴァージニア。時を狂わせる程の破壊光線、その場で空を切り裂く斬撃、そして見えない裏取りからの闇討ち。
「ヨハン、キャンベラ。今です」
待機状態にいたヨハンは常闇の世界の入り口を開き、キャンベラは突撃態勢に入る。此処で沈め!
暗黒の竜巻で機体の動きを止め、紛い物の突撃が鋭く突き刺さる。そして、ヴェルサイユが止めの攻撃を繰り出した。
「吹き荒びなさい」
ピンク色のダイヤの嵐が、機体を切り刻む。しかし、彼女は何故クリスタルがあるのに撃たないのか、それはこのRagnarok150の真の恐ろしさにあったからだった。
バリア全破壊………リミッター解除。
そう。「テン・ジュエルズ」達の攻撃はただこの兵器のバリアを破壊しただけに過ぎなかった。そして同時にリミッターも解除されてしまい、此処からが本当の戦いとなる。
「うっ!………一体何が………」
さっきの攻撃で苦しみ出すブリュッセル。神の血に対抗する手段、それこそがこのR769-Y36の特殊な猛毒だったのだ。一体どの様にしてそんな恐ろしい物を手にしたのか、それはグゥエルしか知らない。
「全て、邯鄲の夢だ」
直後、機体から発射されたのは「エレメントアロー」。これも対神用に作られたもので、全ての敵に対して驚くべき効果を発揮する。
「月日も」
手始めに狙われたのはブリュッセルとコガネだった。しかし2人も黙ってはおらず、潮水の大砲と爆発の火炎で反撃する。だが、同時に矢に被弾してしまう。
「がふっ………!!」「きゃああっ!!」
「自然も」
次に狙われたバレンシア、パルテノン、リューベック。だが攻撃を喰らう前に3人から噴き出す火山、海水、そして昇竜のエネルギーが飛ばされる。
「うわあっ!!」「いやあぁぁ!!」「ぐぅ……っ!!」
「宇宙も」
続けて狙われるグリニッジ、ウィランドラ、ヴァージニア。それでも、命を削る一撃で徹底的なビーム砲を撃ち出し、大きな波を起こす程の勢いで突撃する。
「がああぁっ!!」「きゃああぁ!!」
その間に幻影を見せ���倒された「テン・ジュエルズ」の亡霊の如き姿をぶつけていくのはヴァージニア。
「何とか間に合って下さ………きゃああっ!!!」
「悪夢も、そしてその栄光も輝きも」
クルシュは光弾で矢を破壊するのが精一杯の状態であった。その隙に、ヨハンとヴェルサイユは次の戦術を考える。
「俺が何とか、動きを止めます。後の3人で機体をどうか破壊して下さい」
「でも………それならば………」
そして単身、突撃するヨハン。その間にも、キャンベラはヴェルサイユに何かを話す。
「………。あの、ヴェルサイユ様。私にも1つだけ、お願いがあります」
「?」
「この戦いで私は、賭けに出ます。どうか、最後まで信じていて下さい」
どういった趣旨の事を言っているかはこの時未だ分からなかったが、それでもヴェルサイユはキャンベラを信じる事にした。
「しまった………不覚を………!」
そして遂に、クルシュが矢に被弾し倒されてしまう。だが時間稼ぎには十分であり、ヨハンは機体を暗黒の世界に引き摺り下ろした。
「ぐああぁっ!!!………これで何とか………止まってくれ」
同時にヨハンの方も攻撃に当たり倒されるが、その隙を見逃さなかったヴェルサイユ。機体が停止したのを確認し、彼女は水晶の光の砲撃、クリスタルレイを発射した。
しゅばああぁぁぁ………
「死を迎え入れろ」
損傷甚大………機体出力低下………
機体を半壊まで追い込んだが、未だ終わりでは無い。機体のコアが剥き出しになり、とうとう弱点が見えた。のだが………
「きゃっ!?」
追加のサウザンウェーブが飛び、エレメントアローがヴェルサイユとキャンベラを襲う。
「うわあっ!!」「きゃあああっ!!!……まずいですね………」
機体を後一歩まで追い込んだにも関わらず他の「テン・ジュエルズ」の人達は全員「R769-Y36」のダメージで既に戦闘不能であり、止めにクルシュやヴェルサイユさえも倒されたとなれば、既にもう為す術が無い。
「………まで………した」
………だが。
「え………?キャンベラ………?」
「………今まで、有難うございました。短い間でしたが私は────『テン・ジュエルズ』の仲間でいれて幸せです。彼らにどうにか、伝えて下さい」
矢によるダメージを受け、既に満身創痍のキャンベラは覚悟を決め、機体のコアに取り付く。
「クルシュ様………貴方に憧れて一緒に戦いましたが、私は最後まで貴方の様にはなれませんでした。ごめんなさい」
起爆装置を作動し、キャンベラは最終手段に出た。
「やめろ………キャンベラ………!」
「では………さよならです………!!」
どごおおおおおぉぉぉぉぉん!!!
機体が大爆発に巻き込まれ、コアが破壊され残骸と共に爆散した。命を賭けたキャンベラの作戦が、グゥエルの最高傑作の機体[Ragnarok150]を撃破する事に成功したのだった。クルシュの紛い物でありながら、最後まで役に立たないかもしれないと言っていた彼女だったが、最期の場面でその言葉は否定された。
「………。私達も、今一度帰りましょう」「………そうだな………」
既に戦えないクルシュとヴェルサイユは、その傷を癒すべく倒れた9人と共に神界へと帰る事になった。………1つのディスクドライブと、水晶を残して。
………
クラムとアーシアはかなり焦っていた様子だったが、彼らも下にいた敵との戦いで結構なダメージを受けたらしいぞ。だからこそ俺達にこれを託し、先に帰ったんだろうな。
ディスクドライブを仕舞い、サンディエゴは扉の先を見る。
そ、そんな………。 うわっ!?
話が終わった矢先、ドアの向こうから爆音が聞こえた。
………何だろう。行ってみようか?
ジニーエイラは未だにぐったりしていた雨見、黒飴、ブリオッシュ、ペルピーニャの4人に話を進めた。
ちょっと待ってね。4人は此処に残って、少し安静にしてほしい。此処から先は危険だから、私達で先に行く。良い?
…‥ああ。好きにしろ。
どの道もう戦えないと言う顔で、そう返したブリオッシュ。
良し。では行くぞ!
最後の戦いに挑むべく、サンディエゴ、ジニーエイラ、フェリンソワ、エオレンスタ、アイヴァンヌ、そして「アヴェック・スター」の6人は扉を開け、先に進んだ。
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暑さ寒さも彼岸までといいますが、まだまだ当分暑い日が続きそうですね。ベランダに出て植物とメダカの世話をするたびに滝汗をかくので、髪を耳の下ラインで切って襟足も少し刈り上げたので、少しはさっぱりし、涼しくなったような気がします。
昨日、アイイスの会員宛に事務室から一斉メールが送られてきましたね。2024年度の春学期から、アイイスは新体制となります。私も引き続きフランチャイジーとして、霊性開花を目指す方々により充実したコンテンツをお届けできるように尽力して参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。具体的には新しいクラスやカウンセリングを増やす予定ですし、状況によって対面でのクラスやカウンセリングの再開も考えています。また、Zoom形式に変更したことにより増えた関東以外の地域や海外にお住まいの会員の方々のための新たな活動も考えています。決定し次第、このブログで告知したいと思います。
さて、先日また展覧会を見に行って参りました。ロンドンにある大好きなテート美術館のコレクションの中から『光』をテーマにした作品を集めた、『テート美術館展 光 ―ターナー、印象派から現代へ』と題した国立新美術館で開催中の企画展です。イギリスの近代美術や印象派、バウハウスやモダンアート、コンテンポラリーアート等のさまざまな分野から、約2世紀に渡る時代のアーティスト達が照らし続けてきた多種多様な色や明るさを持つ光のシャワーを浴びてきました。
皆さんは『光』というと、どんなイメージが浮かんできますか?真夏の眩しい太陽光、移ろいゆく木漏れ日、静かな月の光や星々の瞬き、反射や屈折の光、蛍やクラゲが放つ淡い光、瞳の中に宿る意思を持った光、蝋燭や松明やランタンの灯り、ネオンやスポットライトなどの目に見える光や、紫外線やX線、ガンマ線などの肉眼では見えない光があります。人によって見える範囲が異なったり、文化や民族の違いによって見えたり見えなかったりする光があるそうです。例えば色もまた光の波長の一種で、虹は日本では7色で表現されますが、国によって8色や2色だった��するようです。太陽の色も日本では赤で表現されますが、実際は黄色やオレンジ色に近いですし、そのように認識される国の方が多いです。また、視力によっても明度や彩度などの光の感じ方は違いますし、動物や昆虫、植物の光の感じ方も人間とは異なります。
この展覧会では各アーティストによる肉眼を通して感じる光や、第3の目、サードアイで見えた光の表現を見ることができます。印象的だったのは『精神的で崇高な光 Spiritual and Sublime Light』と題された、幻視者であるウィリアム・ブレイクやラファエル前派のエドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ、ジョン・エヴァレット・ミレー等の作品が紹介されたチャプターと、マーク・ロスコやブリジット・ライリー、ゲルハルト・リヒター等による色彩が奏でるリズミカルな抽象画が並んだ『色と光 Colour and Light』というチャプターです。前者では目に見えなくともそこに光があると感じる能力がクレアヴォヤンスやミディアムシップに通じると確認できますし、後者の幾何学的な形で光と色の関係を描く抽象画は、オーラやチャクラなどの目に見えないエネルギーの色や形と似ていることがわかります。
ですから、ミディアムシップはミディアムやヒーラーという名のアーティストの手を借りた霊的な光の芸術なのです。たとえ相談者や周りの人にその光の色や形は見えなくとも、その行為において気づきや癒し、人生の豊かさがもたらされる点ではアートと一緒です。そういう意味で、コロナ禍のような不確実、不安定、不透明な時期において、たくさんの光をもたらす芸術活動、エンターテイメントはとても重要や役目を担っていて、決して『不要不急』なものではありません。実際に、2020年7月に当時のメルケル首相率いるドイツ政府は文化や芸術への優先順位を一番に置いて手厚い支援策を発表し、有事に於いても『アート』が必要不可欠なものであることを主張しました。世紀末や戦争も同じ意味で不確実、不安定、不透明な時期です。近代スピリチュアリズムが生まれ、急速に広がっていったのが19世紀末から20世紀初頭にかけてだったのは、人々の中に「光をより一層求めたい、広めたい」という深層心理があったからかもしれません。
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秋学期クラスへのお申込受付を開始いたしました。実りの秋、1年の霊性開花の締めくくりを共に体験してみませんか?皆さまのご参加をお待ちしています!
お申し込みはこちらからどうぞ。
継続の方は直接ショップからお申し込みください。
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今後のイベント・ワークショップ 詳細はこちらから
ドロップイン・ナイト 各回とも木曜日 19:00〜20:00
・8月31日(木)指導霊のサイキックアート
・9月14日(木)過去世のサイキックアート
・11月9日(木)指導霊のサイキックアート
お申し込みはアイイスまでどうぞ!
下の写真は、過去に開催したドロップイン・ナイトで行った指導霊と過去世のサイキックアートから抜粋したものです。
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海泥です。僕は元気です。
海泥波波美ことアサギです。
ちなみに、読みはパパミです。
本番も迫ったD脚本のゆかいな仲間達を紹介す
るよ。
でもね、みんなの事、まだまだ分かんないから
ChatGPTにも聞いてみるね。
海泥波波美
僕です。A役です。ちゃうかの馬
海泥波波美の存在は、演劇の世界において不気味さと魅力を兼ね備えた重要な役割を果たします。海泥波波美は、過去の海難事故によって亡くなった女性の霊として描かれます。彼女は深海の底に眠る海底墓地から呼び出され、主人公や他の登場人物に対して不気味な出来事を引き起こします。
彼女の特徴的な姿は、透明な白いドレスに包まれた姿であり、顔は陰影に隠れて見えません。彼女の髪は長く、濡れたような質感を持っており、ほとんど透明に近い色合いです。彼女の存在は、舞台の照明や効果音を駆使して、幽霊舞台効果を引き立てます。
近未来ミイラ
みーら君です。B役です。相方
物語は、遠い未来の地球で展開されます。科学技術の進歩により、人々は長寿化し、死者の身体を保存する新たな方法が発見されました。その方法とは、身体を特殊な液体に浸し、組織の崩壊を防ぎ、長期間にわたって保存することです。近未来ミイラは、この保存技術によって作り出されたミイラの一種です。彼らは人間の姿を保ちながら、長い年月を経てもなお生命を保っています。近未来ミイラは、科学の進歩と人間の欲望が交錯する未来世界において、不気味さと恐怖を演出する役割を果たします。
大福小餅
こふくちゃんです。C役です。しれっと乗ってく
る人
大福小餅(だいふくこもち)は、小さな町で有名な和菓子職人です。温和で優しい性格の持ち主であり、村人たちに愛されています。しかし、ある日突然、大福小餅は奇妙な変化を遂げます。彼女の作る大福餅が、人々を食べるという怪奇な噂が広まったのです。村人たちは驚きと恐怖に包まれ、大福小餅に対して不信感を抱くようになりました。
君安飛那太
コルクさんです。霊A役です。見守ってくれる
人
君安飛那太、その名は戦士のように響きます。彼の魂は闘志に満ち、不屈の精神を持っています。彼の存在感は、宇宙をも揺るがすほどです。舞台に登場すると、彼のスーツがキラリ��輝き、まるでメカニカルな鎧のように見えます。君安飛那太の姿は、まさにガンダムそのもの。彼の動きは迅雷の如く、敵の攻撃を華麗にかわし、敵を圧倒します。彼の声は重厚で、一つ一つの言葉が鋼のような強さを持っています。
彼の役どころである霊Aは、恐怖の中でも決して屈しない闘志を持つ存在です。彼は演劇の舞台上で、恐怖を打ち破り、観客に勇気を与えるのです。その存在感とカリスマ性は、まさに宇宙の戦士のようであり、観客の心に深い感動を与えることでしょう。
ミル鍋
ゆにちゃんです。霊C役です。被害を広げる人
ミル鍋は、舞台上に現れる霊Cとして恐怖の存在です。彼女は漆黒の闇の中から姿を現し、不気味な面影と謎めいた音楽と共に観客を恐怖へ誘います。彼女の身体は漆黒の煙で包まれ、悪夢の絵画を描き出すようなエネルギーを放ちます。彼女の声は低く咆哮し、聞く者に凍りつくような恐怖をもたらします。ミル鍋の存在は、「怖い話でもしよう」の最も恐ろしい瞬間を演出し、観客に心臓の鼓動を激しくさせる恐怖をもたらします。彼女は触れることも見ることもできない闇の深淵から生まれた存在です。
舞原まひろ
まほろさん。店員役。多分抑えてる人
舞原まひろは、演劇「怖い話でもしよう」の店員役を演じる俳優です。彼は若くて魅力的な容姿を持ち、明るく親しみやすい性格です。まひろは客の注文を素早く正確に受け付け、笑顔でサービスを提供します。彼の演技は自然でありながら、舞台上での存在感も兼ね備えています。まひろの役どころは、客たちを物語の世界に引き込むための重要な役割を果たします。彼の出演によって、観客はより一層興奮や緊張感を味わうことができるでしょう。
Aru=R
ホバさん。例1役です。多分こっちの稽古もっ
と出たかったと思ってる人
Aru=Rは、謎めいた存在です。彼は長い黒いマントで身を包み、顔は常に仮面で覆われています。その仮面には奇妙な模様が彫り込まれており、どこか不気味な雰囲気を醸し出しています。
タピオカ太郎
なすかさん。例2役です。コンビニによく来る人
彼女は陽気でお調子者の性格であり、常に明るい笑顔を絶やしません。たぴおか太郎は、観客を楽しませるために、コミカルな言動やユーモアのセンスを持っています。彼女の登場する場面では、緊張感を和らげる役割を果たしながら、笑いを提供することで観客をリラックスさせる役目を果たします。たぴおか太郎の存在は、物語の緊迫感を和らげつつも、一時的な安堵感を観客に与える役割を果たします。
黍
黍さん。例3です。我ら��BIGBOSS、想像以上
に乗ってくれる人
ある小さな村には、人々が恐れる存在として知られる「黍(きび)」という存在がいました。黍は、3つの異なる姿で現れ、人々を恐怖に陥れると言われていました。
肆桜逸
スチルさん。不審者(師匠)。せせさんを守護る
人
不審者(師匠)役の肆桜逸は、まるでカニのような風貌を持つキャラクターです。彼は不気味な笑い声と共に現れ、その異様な外見は人々に戦慄を与えます。肆桜逸は素早い動きと鋭い爪を駆使し、舞台上で独特のしぐさや奇妙なポーズを披露します。彼の存在感は、観客に不安と緊張感をもたらし、演劇「怖い話でもしよう」における不可解な事件の鍵となるキャラクターとして大いに注目されます。
楽しい1ヶ月でしたねぇ。本番まであと残り数
日走り抜くぞ、俺たちのちゃうかはこれから
だ!!
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20230121 Haseさん展示風景
おそらく、ほぼひとりかふたりのために捧ぐ(笑)、 恒例の展示風景写真。 そこそこに撮れた写真は、全部上げていきます。 あ、残念なお知らせです。 マクロモードを切り忘れて撮りました。
最後に気づいたけど、撮り直す気力はなく。 なんか目で見た感じに近い?気がして。(え? 気のせい?) むしろ今度からマクロモードで撮るか?とか バカなことを思ったりした。
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これが今回新しく投入した展示備品。
「画鋲二つでとまる竹」 吊るし飾りを壁から離してくれる頼もしい人。
天井に達磨ピンがさせないところで これからも活躍してくれることだろう。
今回初投入の布も、お店さんの什器と馴染んでくれたみたい? 枚数もちょうど足りて、よかった。
吊るし飾りは、吊るしたほうが楽しいが。 全部吊るすとうるさいので、一部だけ吊るす。
気になるものがあったら、手に持ってみたり、吊るしてみたりしてほしい。
前々回の帰り道。 ひとり大反省会で思いついた棚の展示用品。 (前回は自分で設営できず、今回やっと!)
まあね、カッコイイかどうかと聞かれたら微妙ではあるが。 かさばらずに送れるという課題をクリアする中で、現時点での最適解かな?と。
次は、今回のDMの品。 置きでもいけます。 入口すぐだから、きっと見逃されがち。 もしも、連れて帰ってくれたなら。 つるの先っぽを少し外に出してやるといいかも。 (今は、折れちゃうと悲しいから針金の線の内側に入れ込んである)
次の人も置きでもいける。 その時のあだ名は「船」
その下のネックレスは。 ロウソクの火で炙って、色が少し変化した。 曲がりもちょっとスムーズな感じになったよ。
この展示とは関係ないけど。 バカな景色を一緒に見よう! と、これを50個~100個つくることになった。 タイサンボクの実の魔力!
たぶん、これが今回最高の写真。 団地で拾ったアジサイ。最後の寄り道。
斜め横から見ても楽しい。
少し潰れたカタチが完璧に見えたお気に入りのアジサイ。 搬入で、欠片が落ちてしまった。 ギャラリーさんのアドバイスで、そのコもちょこんと傍に。 気に入っている。
一部分しか撮ってなかったけど。 吊るしてないけど。 このコも吊るすと「船」を感じる。
今回、この人がいちばんよく回っている。 空調とのポジションの関係か、それとも紙の配置がよいのか。
この写真も好きだ。ユーカリ。
ネックレスとしてつくり始めたが、最終的にはオブジェとなった。 次は、最初からオブジェ狙いでつくってみたいんだよな―。
壁のひびとの競演。 この写真もかなり好き。 でも、何かが足りない。なんだろ?
sumさんで展示をさせてもらった頃だろうか。 ハッキリと気づいた。 展示風景と言いながら、いつもピアスの写真が少ないことに。 ピアスが束になると決まらない展示になっていることに。
しかし、今回、ピアスの展示方法に少しの光明が見えた気が。 やっぱ種類ごとに分けるのが正解やんね。 (そのために、ピアスを数えることを放棄した!)
だが、エリア分け?の方法は、もう少し上達させたい。 なんか決まるのと決まらないのがあるんだよね―。
このテーブルの布を3枚にしたのは正解だった。 影が楽しいよ。
真ん中の枠の什器。 これも竹を利用。 もっとつくってもいいかもしれない。
ブレスレットの展示、気に入っている。
ネックレスは最適解が他にありそうだが、今、思いつけたのはコレ。
以上。 フォトジェニックなのも、そうでないものも、いろいろいたな。 とにかく持ってるものは出して、置いてきた! と思える展示になったよ―!
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最後はHaseさんのところにいる精霊。 もっといい感じに撮れたと思ったんだけどなー。 パソコン画面で見ると、ダメだった・・。
一緒に楽しく設営し、 初日を過ごしてくださったHaseの浅井さん、長谷川さん、 ほんとうにありがとうございます。
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✨Upcoming Exhibition✨
I'd like to let you know about the upcoming group art show "精霊達のすみか展3 (Dwelling of Spirits Exhibition 3)" held in this mid November at Oriental Apartment, Kanagawa. My 2 paintings, "Our New Order"(1st pic) and a new artwork(work in progress), will be on display and on sale at the exhibition. I'm excited for the show and working for the new piece of the spirits (and preparing for my solo show held before this group art show, of course!) now. Stay tuned!
"精霊達のすみか展3" 13-17 November, 2024. Opening hours: 11.00 am - 4.30 pm Venue: Oriental Apartment, Kanagawa. *The venue is located upstairs of the restaurant "arecole cuisine クーカイ". Please be careful for the stairs when you come to the venue!
✨新しい展示のお知らせ✨
来月11月中旬に茅ヶ崎のオリエンタルアパートメントさんで開催のグループ展『精霊達のすみか展3』に参加いたします。私は2作品を展示・販売予定です(画像1枚目の"Our New Order"と、現在制作中の新作)。新作の制作に励みながら(勿論、その前の個展の準備も進めながら!)今年のすみか展の開催を今から楽しみにしています。お見逃しなく!
『精霊達のすみか展3』 2024年11月13日(水)-2024年11月17日(日) 開廊時間:11:00-16:30 会場:オリエンタルアパートメント 神奈川県茅ヶ崎市東海岸北2-1-4 クーカイ2F ※階段に注意してお上がりください。
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わたしたちは詩のようなものを求めている。
ベルギー出身のシュルレアリスムの画家ルネ マグリットは、「絵の題名は説明ではなく、絵は題名の図解ではない。題名と絵の関係は詩的である。つまり、この関係によって、二つの相反するものに共通する側面が表現されなければならない。」と語ったという。
フランスの哲学者ミシェル フーコーが1973年の著書『これはパイプではない』で、マグリットの『イメージの裏切り』という(パイプの絵の下に「これはパイプではない」という文が書かれている)作品について論じ、そこから、15世紀以降の西洋絵画を支配してきた二つの原理が存在すると指摘した。 その第一の原理とは、「造形的表象(再現。類似を前提とする)」と「言語的対象指示(類似を排除する)」を分離する原理であり、第二の原理とは、「似ているという事実と、そこに表象(=再現)のつながりがあるということの肯定(=断言)とのあいだの等価性」を定立する原理であり、つまり「類似と肯定(=断言)とは分離できない」。ざっくり言ってしまうと、パイプが描かれた絵を見たら(どう見てもパイプの絵だったら)、パイプを描いたんだな(パイプだな)って思う。 類似によって語る「イメージ」と、差異によって語る「言語」は、同時に与えられることはなく、交叉することも融合することもない。何らかの仕方で従属関係がなければならない。 マグリットもフーコーも、言葉とイメージ、あるいは言葉と物の関係について考察し続けた。
シュルレアリスムは1924年にフランスの詩人アンドレ ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を発表し、本格的に始まった文学芸術運動で、 フロイトの精神分析とマルクスの革命思想を思想的基盤とし、��意識の探求と表出による人間の全体性の回復を目指した。 シュルレアリスム運動を牽引したブルトンらは1910年代末から1920年代初頭にかけて起こった文学芸術運動ダダイスムにも参加していたが、ダダイズムの創始者であるフランスの詩人トリスタン ツァラとブルトンが対立し、分裂した。既成の秩序を破壊し、すべてを無意味化しようとするダダイズムに対し、シュルレアリスムは、無意味、あるいは従来無意味とされてきた夢や無意識のなかに意味を見いだそうとした。 第一次世界大戦開戦直後、HGウェルズが使った「(すべての)戦争を終わらせる戦争」という理想主義的な言葉がキャッチフレーズとして流布したが、戦争が終わるころには皮肉となり、その後は軽蔑的に使われる言葉になった。ウェルズ自身も後にこの言葉を皮肉として使った。第一次世界大戦は多くの人の理想を打ち砕き、世界認識を揺り動かした。 第一次世界大戦が終わった1918年の前後に多くの作家が新しい作風を模索し始める。ダダイズム、シュールレアリスムもこの流れにある。 第一次大戦前後に投機マネーが絵画に流れ込んで、一部の絵画の価格が暴騰するのを見て、お金の流れを引っ張ってこようとするための美術評論合戦があることも感じていた作家の一部は、そこへの皮肉や挑発を仕掛ける一方で、表現に込めた意味などは伝わらないという虚無主義的な感覚も抱く。一枚の絵画を見た時の感想は、それを見る前に与えられた言葉によって操作され得る。
フィンセント ファン ゴッホは1880年頃から絵を描き始め、1890年に亡くなる。絵を描き始めてからわずか10年の間に、当時の実験的な手法を自分なりに理論化し取り入れ、自身の作風に昇華させた。高く評価され始めて半年で亡くなる。 1891年から各地で回顧展が開かれ、複数の作品が展示された。独特の作風で共通してるようにも見えるけど、作品ごとに変化し進化してるようにも感じられるというような、絵と絵の間に何かコンテクスト(文脈)のようなものが立ち現れた。 コンテクストだけが立ち現れてくるという不思議な感覚を埋めるために、多くの人が、伝え聞いた風変わりなエピソードや絵から受けた印象を組み合わせて、ゴッホの人物像や作品に込められた想いなどを想像し、色々な物語を作っていった。
ゴッホは、印象派が生み出した「筆触分割」という技法を取り入れている。筆触分割とは、絵の具の色は混ぜるほど黒に近くなり明るさが失われてしまうため、混ぜずに小さなタッチ(筆触)で並置して、見ている人の目の中で混ぜる(視覚混合効果)技法で、白黒の漫画のトーン(点々が並んでるやつ)でグレーを表現するのもこれの一種で、点が線になると視線が誘導されて動きを感じるようにもなる。 印象派が筆触分割を生み出した背景には、同時期にカラー写真の開発または白黒写真に着色をするための色彩理論が考察されていたことがある。1839年に「パリの科学と芸術の合同アカデミー」で公式に「写真の誕生」が宣言され、19世紀後半徐々に写真が普及していく。1891年に3色干渉によるカラー写真が開発されたがこの技術は実用化されず、カラー写真(カラー乾板)が最初に市場に現れたのは1904年で、最初の近代的なカラーフィルムが発売されたのは1935年。
ゴッホに大きな影響を受けて、物事の外面的な特徴を描写する印象派とは対極の、個人の内面と探求の表現を目指した、主観的ともいえる感情を作品中に反映させて表現する表現主義(ドイツ表現主義)が現れる。さらにその表現主義への反発として、社会の中の無名性や匿名性として存在している人や物に対し冷徹な視線を注ぎ、即物的に表現するという新即物主義が現れる。 1925年、ドイツのマンハイム市立美術館で開催された「ノイエザッハリヒカイト(新即物主義)」展で展示されていた美術作品群について、ドイツの写真家で美術評論家のフランツ ローは、「冷静に現実を表現することによって現れる魔術的な非現実」を感じるということを「魔術的リアリズム」という言葉を使って表現した。 新即物主義の影響により1920年代後半にドイツで新興写真(ノイエ フォト)運動が起こり、世界各国に波及し、報道写真、前衛写真等の様々な分野の写真作品へと浸透していった。 「魔術的リアリズム(マジックリアリズム)」は、魔術的な非日常、非現実と、リアリズムの日常、現実という相反した状態を同時に表現する技法を指す言葉として、文学や美術に影響していった。マグリットもこの技法を使った。 絵と絵の間に、テクストはないのに現れるコンテクストや、無感情に切り取った現実と現実の間に現れる非現実がある。 20世紀前半の特にモダニズムと呼ばれる芸術運動は、この「間」の領域、あるいはそれを無意識と呼んで、そこに到達しようと試みるが、成果を残したのはナチスドイツとソ連だった。つまりモダニズムは敗北する。 ナチスドイツは、 近代美術や前衛芸術を、道徳的、人種的に堕落した、身体的、精神的な病気の表れで、ナチスドイツの社会や民族感情を害するものだとし、「エンタルテテクンスト(退廃芸術)」と呼んだ。退廃芸術は病であり、いかに社会に悪影響を及ぼすかということを論じ、理論を積み重ねていった。1937年「退廃芸術展」の来場者は、作品を見て作品に対してため息や怒りの声を上げた。このことや、第二次世界大戦中にドイツで行われたイギリスへの憎悪キャンペーンはイギリスに漏れ伝わってイギリスの風刺家などが風刺し��。オーウェルの『1984』ではこれと、双方の砲兵が敵の作業を妨害すること目的として日課のように行う短時間の砲撃が「二分間の憎悪」と呼ばれていたことなどを基にして、画面に憎悪をぶつける「二分間憎悪」という日課を描いている。 ソ連では、「あらゆる芸術の中でわれわれにとって最も重要なのは映画である」「ソビエトの現実を映し出す新しい映画作品の創造は、まずニュース映画から始めなければならない 」というレーニンの宣言に即して映画を発展させた。映画作家のレフ クレショフは、1922年に後に「クレショフ効果」と呼ばれる認知バイアスの一種を実験によって示す。クレショフ効果とは、映像群がモンタージュ(編集)され、映像の前後が変化することによって生じる意味や解釈の変化のことをいう。一般に映像の意味や解釈は、ほかの映像とのつながりのなかで相対的に決定されていく。1925年には 映画監督セルゲイ エイゼンシュテインがモンタージュ理論(エイゼンシュテイン モンタージュ)を確立する。
ドストエフスキー(1821年-1881年)が1866年に『罪と罰』を出版(後期五大長編小説最初の作品)、マルクス(1818年-1883年)が1867年に『資本論』第一部を出版 、また1886年にニーチェ(1844年-1900年)が『善悪の彼岸』を出版、同じ1886年にフロイト(1856年-1939年)が精神分析を創始する。ゴッホ(1853年-1890年)が生きていた時代は、20世紀を貫く思想が作り出されていく過程にあり、またスピリチュアリズム(心霊主義)がアメリカからヨーロッパへ広まりブームになっていた。スピリチュアリズムは、1848年にアメリカでフォックス姉妹がポルターガイスト現象を体験したというハイズヴィル事件の噂が広まってブームになっていったとされる。現在から見るとこのブームは、当時最新のテクノロジーだった電信技術と写真から受けた衝撃に対する心理的なリアクションで、1861年から1865年の南北戦争前後の社会不安によって拡大されたものだと推測できる。モールス信号など当時の電信技術で使われた発想が、霊との交信などとして転用され、1865年に暗殺されたリンカーン大統領が心霊写真に数多く登場した。世紀末が近づくにつれ、終末思想としての千年王国思想とユートピア的生活共同体を作ろうという社会改革思想に結びついていったが、20世紀に入るころにはブームとしてはすっかり終焉していた。ブームの間、科学的方法論に基づく調査と研究が行われ、多くの科学的な理論も発表され、有名な科学者も参加したため、科学として信じられ、ブームが終わった後の20世紀以降も様々な形で影響を与えた。理想社会を実現しようとする点において、19世紀前半の特にフランスの革命思想などの初期の社会主義とも、また20世紀後半から現在にかけての世界的な社会運動とも思想や手段を共有する部分が多い。
イギリスの哲学者ギルバート ライルは、1949年の著書『心の概念』において、西洋哲学の主調をなしてきた心身二元論(霊肉二元論)を誤りであると批判する時に、「機械の中の幽霊(ゴースト イン ザ マシーン)のドグマ」という表現を使った。
盛期ルネサンス(1490年代から1520年頃)のイタリアの芸術、特に絵画の技術は、フラン��ル(フランダース。現在のオランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域)の画家ヤン ファン エイクが1420年代の作品で確立した革新的な油彩画の技法による滑らかな色彩や明暗の表現と緻密な描写から大きな影響を受けている。イタリア ルネサンスはこの技法を取り入れ、理論化して、自身の作品に反映させた。古代文化と当時のキリスト教文化という相反するものを調和させようと共通点を探した。
色彩理論に関して、ニュートンは、白色光はそれ以上分光できない単色光の混合色であり、白色光がガラスなどを通過して屈折した際に虹色になるのは各単色光の屈折率の違いによるものであるとして、この事をプリズムを用いた実験により確かめ、1672年に王立協会(王立学会)で発表し、1704年に『光学』を出版した。 王立協会は実験哲学好学者たちのサークルとして始まり、「Nullius in verba」(ラテン語「言葉によらず(誰の言葉でもなく)」)をモットーとして掲げている。これは古代ローマの詩人であるホラティウスからの引用で、原文は「権威者の伝聞に基づいて証言しない」。つまり、権威に頼らず証拠(実験、観測)をもって事実を確定していくという客観性を強調している。 ニュートンが王立協会の会長になると、理論を重視する姿勢をここに持ち込んだ。 ルネサンス以降勢力を増したアリストテレス主義と新しく出てきた機械論は、その当時信じられていたが現在では呪術的思考や迷信と呼ばれる考えの数々を批判した。 ヨーロッパでは初期近代まで、神によって創造された世界は意味と目的に満ちたものであると考え、世界のあらゆるものの間に類比的なつながりを期待した。類比やシンメトリーは、神によって埋め込まれた隠された結びつきを示す合図だとされ、そのような事象の結びつきは共感によって機能しており、その媒介が世界精気であると考えらえていた。その共感による力というのを、善に対しても悪に対しても差別がない力によって支えられたものであるため魔術的な力だとして、批判する立場もあった。それらの考えは、当時入手可能な思想や情報から合理的に到達した考えだった。 例えば錬金術医療における武器軟膏(共感の粉)という、薬を傷口ではなく傷つけた武器の方に塗るというのが信じられていたが、アリストテレス主義と機械論は、離れた物体の間に力は働かないという観点から批判した。 ニュートンが発表した万有引力の法則も、離れたものの間で働く力であったため、機械論などはニュートンの理論を非難した。 ニュートンは、引力がなぜ発生するか、あるいは引力が何のために存在するのかということではなく、引力がどのような法則によって機能するのかという説明をし、その説明を数学的に証明した。 ニュートンが分析(観察と実験)と総合(証明と理論化)という対概念の間に筋道を提示して、近代科学は形成され始めた。
日本語の「解釈」には「アナライズ(分析)」と「インタープリテーション(説明)」の二つの意味がある。アナライズはバラバラに分解して調べることで、インタープリテーションは自分の表現に置き換えること。 意識的でも無意識のうちにでも、何か信じていたものが崩れると、心の一部も崩れて混沌が広がっていく。 秩序は、言葉とイメージが出会う場所から始まる。
2021年11月 魔術師ではなく、愚者ではなく
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2021.7.24
今日は、はじめてちゃんと解説書を読んだので(あることを知らなかった)、Tree of Lifeのかたちで手順にのっとって引いてみた。カードの上下が必要だった気がするが間違えちゃった……… とりあえず結果から。
4. Hot Seat [HEAD] (Intellect)
54. Asylum [THROAT] (Dream)
30. Castles in the Clouds [HEART] (Emotions)
female side: 18. Soma & 3. Scarlet Woman
male side: 10. Wheel of Great Time & 45. Like a Bubble
58. Chameleon [NAVEL] (Vitality)
24. Solar Return [SPLEEN] (Health)
15. Ally [BASE] (Sexual)
まずはBASEから。
15. Ally
ここのbase centerにぴったりすぎてびっくり&笑ってしまった。色も赤だし。raw power of unconscious、まさに!base centerのパワー自体がrawのこういうパワーなんよね。そしてbase centerもそうだし、このAllyもsexual, eroticなsenseです。わたしは前々から思っていて最近確信したのだが、性のエネルギーとの関わりが深い。太陽牡牛座で月が蠍座、どちらもかなりセクシーな星座のエネルギーだし、興味のある道教や密教もかなり性を重要視している。���からこそ地に足がついていない(赤が足りない)とすぐふらつくのでは…… やっぱTao practiceやってみたくなったな。
ふつふつするマグマの湖の岸にいるAllyは、ギザギザの歯の間から炎を出している。これはAllyの、「破壊」と「むさぼり食う」の象徴。両手に二股の鎌を持っていて、それはAllyが「魂の捕獲者であり支配者」である(彼がcontrolする)ことを示す。彼の身体は、下位の存在の姿をした鎧で覆われている。彼の頭には、6つのグロテスクな獣の頭が飾られており、肩の飾りは動物の頭、そして下半身にはもう一つ悪魔のような顔がある。彼のここでの機能は「敵の撲滅者」である。敵とは、隠し事がある者や恐れを持つ者を捕らえるものである。 下位である顕在意識を乗り越えるための助けを与えられている。Allyは、根源的な生のクンダリーニの炎のかたちであり、Tree of Lifeにおける根本となる蛇(クンダリーニ)のエネルギー。状況が好ましくないとき、それを打ち破るために、身体を通じて使われるエネルギーだと理解すると良い。自己の退行や破壊の側面が強く出てきているときには、もうすぐで助けがやってくることを暗示する。Allyを恐れる必要は決してない。彼は守護者である。このカードがbase centerにあるときには、無意識を示す。
次、SPLEENは。
24. Solar Return
大宇宙と小宇宙の関係をあらわす数字。時間の参照点。バランスをとって両極を統合する。 日食。黒い太陽と、中心に寄せては返すコロナの光。これは、星・惑星・月のサイクル(公転)による運命の満ち引きという、天空、宇宙のちからを象徴する。永遠の循環、長い時をかけて伝わる光。黒い太陽、またはブラックホールを連想させる。これはGreat Timeの抽象的表現であり、すべての経験の根本原理を滅ぼしかつ創造するというMahakaliのもう一つの面である。 個性や性格の根本への回帰。現在の状況の中でいちばん楽な方法へ至る道を見つけるために、生まれたときの星たち(占星術的な)の影響を考えてみなさい。未来を予言するためには、過去を解読しようと試みなさい。未来を現在に連れてきなさい。個人と集合的無意識との関係を考える必要がある。障害は、self-natureの認識によって出現する。それは、ある人間の進化の方向(ある人がどうやって成長していくのが望ましいか)を計算するような、外側の影響力による打算である。夢や前兆といった、吉兆のサインに注意深く気づく能力を身につけ、洗練しなさい。ポジティブなカードで、戦士としての路をだいぶ進んできている。対立や対決によって何かを得るチャンス。カルマを燃やし、根源に帰る。永遠への道。
これがわたしを構成する、あるいはわたしの気質である。そうかも……… Tree of Lifeを維持するための活力が、このエネルギー。根源への回帰とか、永遠への道を、自然と求めてしまうのかも。自然な生命のリズムのcenterなので、それが宇宙と共鳴する(大宇宙と小宇宙)ことを身体が、そして霊的身体が求めている。太陽、そして宇宙って根源的なエネルギーだから、それが身体と密接に関わってるのは素敵かも。
次はNAVEL。
58. Chameleon
ここは、自己変容のcenter。わお、それでカメレオンが出るの?シンクロしすぎでは。カメレオンって、状況や環境に自分を適応させていくエネルギーかな?「質問者の周りの状況」をあらわす。このcenterは、すべてのエネルギーが精錬される場所である。質問者が何を消費してどのように活力を凝集させるか、変容と作用にどのくらい気づいているか。質問者の態度。
今の状況でいちばん楽なのは、周りに適応することだよ、したほうがいいよってことなのか?というか自己変容なのだとしたら確かに、周りに適応したことないからしてみなよ、なのかも。
カメレオンは、「適応」への道をあらわすカード。カメレオンの顔が、蝶の翅の上にある。これは、置かれた環境に身体の色を合わせることによって、精神が発展する可能性を示す。カメレオンはどんな色にもなることができる。蝶の翅は、美と無常をあらわし、かんたんにひらひら飛び回りながら生命から出たり入ったりする(現世と夢を行き来する)。カメレオンが一時的に決定した色は、決して長い期間価値を持つものではない。諸行無常、盛者必衰。カメレオンは、制限された知能(動物?)のなかで最も完成しており、常に脅威に注意を払い、捕食者から身を守るためにその適応性を使うのである。 すべての周囲の状況を見ることはできるが、リスクを取りたくない人物のことを伝えているカード。質問者が簡単に周囲に影響されることは、世界の圧力から身を守るためである。これがNAVELにあれば、「心理的に適応できる姿勢」を伝える。精神状況(感情の状態)にどうやって適応するかを理解するために、気まぐれで移り気な自然のような心と、心に生起する影響の流れを併合させる必要がある、ということ。
最近感情揺れてたしなあ。本当に。周囲の状況によって。どうしたらいいかわかんなかった。心は移り変わって当たり前なんだから、その流れに身を任せるというか素直になるというか、それをやってみよってことかも。抑えようとしちゃうから。
お次はHEART、5枚。
30. Castles in the Clouds
HEARTは、感情。感情の部分で何を解決すべきか。また、質問者の将来の人生に何が影響してくるかを示す。それでこのカードなの、アツいね!空想、理想よ。それが心の真ん中にあるんよ。
意思のちからによる、より高い達成、発展。心の空に浮かぶ雲の中、高いところに、おとぎ話の城が浮かんでいる。雲は、こうありたいという自分を映し出すスクリーン、城は質問者の望みと吉兆のしるしそのもの。この城は、空想からパワーを引き出して得るという性質を持つ、空を渡る人の家である。このカードは、平凡な俗世に代わる新しい現実をあらわし、城は想像、イマジネーション、精神からできている。 あなたのいちばん深い望みに、意思のちからをもって従いなさい。現実になりつつある内なる欲望を妨げる身体的な怠惰に、決して屈してはならない。あざやかな想像力を示す。heart centerにあるときは、質問の結果として引っ越しがあることが暗示される。空想や想像のちからとともに、行為がなければ達成はないということも覚えておきなさい。今すでにある一つの目標に向かってひたむきに進みなさい。
周りの4枚は、心や感情への影響と捉えることもできるし、3の場所(今回は3. Scarlet Woman)が「意識的な考え」、4の場所(45. Like a Bubble)が「無意識の思考」、9の場所(18. Soma)が「望み」、7の場所(10. Wheel of Great Time)が「自己」をあらわすとしてもよい。
一つ目のペアは、徐々に自我を無くしていく過程において、永遠の、時代を超越するような美を守る、ということに対するバランスの取れた態度。
3. Scarlet Woman 「意識的な考え」
トリニティを司る。活動・不動・柔軟、過去・現在・未来、運命の三つのサイクル。 小さな赤い花たちの向こうから、真紅の女神の大きな黒い目が二つこちらを見ている。地球の豊かさ、肥沃さ、豊穣と、彼女が大きな赤い芥子の花によって結びつけられている。彼女はその姿を通して、女神の性的な側面をあらわす。もうためらう必要はない、実用的な行為によって準備が整い、結果を操縦することができる、ということを強調する。 赤は、自己実現のプロセスにおける、女性的な生のエネルギー(熱と湿気)を象徴する。芥子の花は、女神の子宮が神秘的な招待へと開かれていること。眉間のルビーは、彼女の炎のような超自然的な性質、そして彼女が権威を持っていることを示す。 わたしにとってのシャクティもしくは女性エネルギーの重要性をあらわす。そして、彼女は、世界の神秘的な片割れであるとともに、自己へ帰属しているという、両方を示すしるしである。隠れているにせよ表現されているにせよ、わたしの心にある、感覚からスピリチュアルの領域へと立ちのぼる、強い情熱という性質。これは多分にHeartのカードである。精神的なものと物質的なものの間の不和の解決を象徴し、素晴らしい創造的な成果が、彼女の原型と折り合うことによって得られる。創造的な女性原理。
マジでハートのカード!
これとペアになるのは、斜め上、お向かいの「自己」。
10. Wheel of Great Time 「自己」
ペアとして考えると、「過去・現在・未来」というところが共通しているな。
剣を持つ手は、過去・現在・未来を立ち切り、分けるちからを象徴する。そのほかの二本の手は、血で満たされた頭蓋骨を持っており、同情・自制の統合をあらわしている。炎は、行為の完遂によって過去のカルマが燃え、運命そのものがその姿を変容させることを示す。時計の周りの目や頭骸骨は、死を超えた生の輪廻をあらわす。真ん中の目は全てを見通す目であり、「全て移り変わる」という常に変わらぬ中心があることを思い出させる。火の玉のような二つの目は、宿命と運の世界の流動性と無常を示している。
すべては常に移り変わる。周辺ではなく、中心に集中し��さい。正しい行動によって過去のカルマを燃やし、現在と未来の支配者となりなさい。運命を自分の手の中に取り戻す。
そして次のペア。神秘的な啓蒙に対する魂の傾向と、欲望と対になる知恵を示す。
45. Like a Bubble 「無意識の思考」
自己が世界のものと結びついているという認識への道。女性の頭と胸は、色のついた水から現れ出て見えている。水は世界の物事のさまざまな側面をあらわし、女性は、純粋な意識が上がってくる(あらわれる)ためにはリラックスした態度でいることが必要であることを伝える。蜻蛉の透明な翅は、全ての経験の薄弱な性質、生と死をあらわす。紗のベールは、プールの表面を色づいたように(右の赤)、あるいは泡の表面をチラチラと揺らめかせる(左)幻想である。泡は、壊れやすいが、確かに存在し、そのあとは無に帰す。「泡のように、夢のように、それが現実だ」。 予断や偏見を手放そう。その自然でオリジナルな性質に、みずからの心を開こう。どんな形にも固着させずに、浮かび流れる喜びと絶頂の瞬間瞬間を大事にしよう。世界に、あるいは色とりどりの現象に執着しないように。これがHeartにある場合、感情を我慢しようと思ってしまう傾向と、ロマンティックな性質が一緒になっているから、信念が必要だ。
18. Soma 「望み」
心の隠された領域からのパワーの認識、それらのパワーを達成のために融合すること。聖なるきのこは、宇宙の明かりの家として描かれており、蒸留した個性のエッセンスの容器である。きのこは、鏡像もしくは影として描かれており、白い氷河のなかで明滅している。この魔法のきのこは、地球圏外のちから、スピリチュアルな悟り、そして隠された知識の領域への通路を開くが、それらは決してその中にはない。このきのこは、ただ通路となるだけ。きのこは触れることのできない、実体がないものの象徴であり、この氷河は、底知れないほど大きな氷山のような集合的無意識、普遍的な心性の、ほんの一角であるように見える。きのこは月の直喩であり、光の反射と知恵の蒸留という性質を示す。きのこは万能薬であり、悟りの味がし、月の知恵の雫。Head centerに位置付けられ、三日月の下の先端から滲み出てぽつりと頭に落ちる雫である。 直観、想像力。知恵は、全ての経験の蒸留物を通して獲得できるということを伝える。夢の世界、幻影や夢のような経験の領域に説得力を持たせる。女性的な直観の知恵(月)を象徴する。チャクラを通るエネルギーの上昇の完了である(上昇したエネルギーが月で冷やされ、それが知恵の雫として頭に落ちてくる、という仕組みなので、もう身体にエネルギーは十分通ってますよの意味なのかも)。
わたしはまさにこういう状態を望ん���いるな。ぴんとくる、みたいなのに憧れがある、いいなと思う。チャクラをいい感じに全部通したいからいまどうなってるか知りたいし。
ペアで考えると、感じられないような深いところから、何かが浮かび上がってくる、または落ちてくる、みたいな共通項が感じられる。
次は、THROATです。
54. Asylum
これぱっと見て笑っちゃった。休息のカード。休んでたいのかしら。というかわたしの夢はまさにこういう、のんびりした生活を送ることだからなあ。魔女になって、本を読んだり手紙を書いたり、花を摘んで活けたり庭でお茶会をしたり、草原でピクニックをしたり…… それをやっていきたい。ということで見てみよう解説!
speechのパワーのセンター。創造的な想像力、夢と空想の世界をあらわす。(わお!上で書いたことまんま。いまはまだ空想で夢だもん。)すべての物質が持つ振動というちからと関連している(喉、声も振動でつくられるもんね)。このcenterに置かれたカードは、質問者が好んで居る(精神もしくは身体的な)環境をあらわす。シンボルカラーの明るい青は、すべてに充満する、想像という性質の象徴。そして、このcenterは、知恵と方法の統合という側面を教えてくれる先生あるいはガイドの、平和的なしるし。経験から引き出される知恵と行動を象徴し、特に、「理想」の例、先生、あるいはガイドに関する神秘的な感覚の理解を示す。
イニシエーションの特徴としてのバランス。ユニコーンが木の上に休んで、美しい草原を見渡している。そこは牧歌的かつ神秘的な場所、想像のおとぎ話の地(それはユニコーンが象徴している)。休息し、世界のいたわり、ケアを受け取る。ユニコーンは真実と洞察をあらわし、母なる自然の庭でくつろぎ、完全な平和を感じている。 療養できる安全な場所を見つけ、あまねく心配や懸念から自由になる。想像のパワーを信じて、どんな問題や疑問に関しても、熟考するという立場を取りなさい。直観の純粋なパワーを信頼すれば、迷うことはない。あまねく問題から遠く離れて、ひとりでいるときのウェルビーイングな感じを示している。ポジティヴな状態の神秘的な前兆である。これがThroatにある場合、強い想像の傾向、空想の世界に生きることができる能力、神秘的な経験への導きを示す。
わーーー!うれしい!!!!!ファンシーで生きます。
長かった、最後はHEAD!
4. Hot Seat
かっこいいカード。自分の人生の主人公は自分。自分の椅子に堂々と座りなさいのカード。これが知恵として出ているの、なんだかすごいなあ。
質問に対する最終的な結果、生起したエネルギーの解答、それまでのカードを通して明らかになったことをあらわすcenter。抽出されたエッセンスであり、霊的な達成の錬金薬、神の美酒である冷たい「月の雫」。捜す者、求める者の最も高い望み、結果として生じる成就、実現。二元性の領域を超越した知恵と方法の双方をともに用いることによってもたらされる、精神的、霊的な変容。月、知恵の雫のcenter。
しっかりした基盤と信念に根ざしたより深い自己をあらわす。 この玉座は宇宙にあり、太陽の炎と火の玉に取り囲まれている。玉座の脚にはライオンの顔が彫られており、この位の高い高貴な場所に座る人の、莫大なパワーあるいは大きな権力を象徴する。重大な責任のある立場。玉座から出ている炎は、そこに内在する、とてつもない男性的な変容のパワー。このパワーは、霊的・俗的な権威と関連している。この席は、宇宙の支配者のものである。この地位につく準備ができている者は、十分に仕事を達成していること、そして責任を負う覚悟ができていることが確かでなければならない。 権威ある立場にいること、もしくは、質問者に押し付けられた責任があることをあらわす。緊急に決定がなされなければいけない立場にあり、リーダーシップを取るパワーと内なる信念を要求する。大志の実現の活路、とりわけ権威と権力を示す。より高次の意思のエネルギーで、精神を変容させなさい。
それがあなた自身であり、あなたの道だよ、と言われているみたい。
うわーん長かった。とりあえず終わりました。うおー。後で見返したりしちゃお!
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Sims4 - 不倫プレイ(Part18)
月曜日は何もなし。お泊りしただけで終了。
で、火曜日。 お泊りした次の日は9時に帰っちゃうから8時くらいにデート誘ってSan Myshunoの公園へ移動。 朝っぱらから展望台でウフフをさせて適当に会話するの眺めてた……その時! 特別な時のBGM流れたと思ったらアリアナが跪いてプロポーズ!!
うおー! 自律でプロポーズされたー!って感じで喜びながら近場に設置してあるアーチで早々に結婚。本当ならケーキ用意して客呼んで盛大に結婚式だ!ってところなんでしょうが、アリアナと関係を築くのに必死すぎて仲の良い友人がファーザーウィンターとデニスくらいしか居なかった……。 ファーザーウィンターはともかく、デニスはさすがに呼べねぇ! それにぶっちゃけこの2人の結婚見るのこれが3回目(前のセーブデータでの初婚と幽霊になってからもう一回結婚してたり)だったりするのでもう結婚さえできれば良いかなって感じでした。
結婚し終わってアリアナが世帯に加わった瞬間にアリアナの願望をディエゴと同じソウルメイトに変更。「2回デートする」を達成するためにすぐさまディエゴをデートにお誘い……したものの、両者の体力が黄色くなって結局2人そろって居眠りするだけのデートに……。 でも、お昼寝デート(ただの添い寝)でも願望達成はできるので、起きたらそのまま2回目のデートもアパートでして願望の一段階達成!「一生の友達と結婚」もたった今達成したので一気に3段階目へ。
次のデートにも行きたかったけど、欲求度がもろもろ下がってたので、日を改めることに。 そんなこんなしてたらファーザーウィンターから結婚のお祝いがきた。交際(不倫)をスタートした時も電話くれたけど、ホントお前さんから祝って貰えるとは思わなかったよww
で、何気なくアリアナの人間関係みたらやっぱりデニス消えてた。デニスの娘とかも綺麗さっぱり消えてるところを見ると、MODの仕様なのかね?再婚だけど初婚扱いになってる?まぁ、あまり深くは考えないけども。 でも、不倫がバレてしまったから評判は下がったみたいだ。ディエゴはむしろ上がったというのに……解せぬ。
結婚生活スタートさせた所でアリアナには無職に。 やっぱりランダムに就職してただけだからスキル全くないのにキャリアレベルMAXだったし、ディエゴの収入が1週間で8400シムオリオンくらいだし、「特質:利口」で所持金の5%入ってくるので、もう働く必要はないからね。 「願望:ソウルメイト」も最終段階に入ってもうゴールは目前だー!
ゴールドメダルのデートを目指しつつ、灯台でウフフ。ディエゴの評判が「良い」の状態なのでデート開始時点でブロンズメダル確定だし、10回交流するだけでゴールドメダル貰えるので凄い楽。2人で座る指示とウフフくらいの指示しか出してない。
残り2回のデートもサクッと終わらせて、後は誘惑し合えば終了!ここでアリアナはディエゴに対してプラスのメモリーをMAX4つ取ることもできました。
プレイ開始から2回目の秋。最終目標「願望:ソウルメイト」を達成!!
これで「精神的な支えになる」が使えるようになりました。個人的に「せっかち・陰気・正気でない」の特質持ってるシムと結婚する時はたいていソウルメイトを達成させます。 パーティーとかデートのイベント中にマイナスの感情が出てもこれさえあれば一瞬で消せるのがなかなか便利だったり。
さて、これにて不倫&略奪結婚の記録は終了になります!
見て下さった方々、いいね!&リツイート&コメント下さった方々、本当にありがとうございました!!
おまけへ>> 目次へ>>
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TEDにて
アラン・ド・ボトン:無神論2.0
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
価値観を分ける一般的な方法は、神を信じるもの。信じないもの。ですが様々な価値のひとつです。無神論者が、宗教から���敬意を持って)取り入れられるものに、どんなものがあるでしょう?
アラン・ド・ボトンは「無神論者のための宗教」(無神論2.0)として、人間的な繋がり、儀式、超越的存在への要求を満たすために、科学的にフレームワークで宗教的な作法や伝統を、ブランド的に取り入れることを提案しています。
いわば、これは宗教の大枠の構築に関する提案であり、Wikiみたいなもののようなことです。教育によって道徳を保つには、いかにすれば善いか?文化である!というアイデアはすでに崩壊しています。
では、何か?
説教と講演は似てはいますが、非なることです。では、宗教は?ここから物語が展開していきます。数千年にも及び練り上げられた手法には、詳細に観察し分析してからですが、手本として学ぶべきことがあるそうです。
この十年くらい。無神論者がどういうものかは、すごくはっきりしていました。とても、声の大きな無神論者達がいて宗教は 間違っているだけでなく、馬鹿げていると言っています。
そういった人の多くが、北オックスフォードにいて彼らに言わせると 神を信じるのは、妖精を信じるようなものであり、子どもじみた遊びに過ぎないというのです。
宗教全体をそのように切って捨てるのは簡単なことです。私が今日お話ししたいのは、無神論者の新しいあり方についてです。お望みなら、その新しい無神論を「無神論2.0」とでも呼びましょうか。
無神論2.0とは何でしょう?
まず、ごく基本的な前提ですが、「神はもちろんいません。神々もいなければ、超自然的な精霊も天使もいません。」と定義して先に進みましょう。
これで話は終わりではなく始まりなのです。文化圏からすると西洋のキリスト教での神はいない?
前提条件として、一神教の中での無神論ということです。多神教では、無神論という概念はありません。
詳しくは、多神教であるテーラワーダ仏教の「アビダンマ」という書籍に書いてあります。
データとして検出できる?
神の定義も決まっていないのに、いるもいないも存在するもしないも、本当のところは誰にもわからないため「無神論2.0」のテーマでの中だけの発言だと思います。
さて、難しい選択ですが、別な道があります。その道とは、全く不信心ながら、敬意を持って宗教から学ぶのです。宗教を信じていないなら、宗教の良い部分だけ選び取りミックスしていけない理由は何もありません。
私にとって無神論2.0とは、敬意と不信をもっていろいろな宗教を見て「この中で使えるのは何かな?」と考えることです。
世俗の世界は、科学的に観ると穴だらけです。世俗化をやり損なったのです。宗教をよく研究することで、人生のあまりうまくいかない側面についてあらゆる洞察が得られます。今日は、そのいくつかを簡単に見ることにしましょう。
まずは教育です。教育は世俗社会が強く信じているものです。世界をどう良くしていけるかと考える時、私達は教育のことを考え、そこに多くの投資をします。
教育は、商業や技術のスキルを与えてくれるだけでなく、より良い人間にもしてくれます。19世紀初期に、西欧で教会に行く人の数が急速に減り、人々はパニックを起こしました。
彼らはこう自問しました。みんな、道徳をどこに見出すつもりなのか?どこに導きや慰めの源を見つけようというのか?影響力ある声が1つの答えを出し���した。
「それは文化だ」と文化にこそ、導きと慰めと道徳を求めるべきであるとシェークスピアの劇を見。プラトンの対話を読み、ジェーン・オースティンの小説を読もう。
かつては、ヨハネの福音に見出していた真実をそこに見出せるだろう。これはとても素晴らしい。とても正しいアイデアだと思います。彼らは、聖書を文化で置き換えたいと思ったのです。
うまいアイデアだったと思いますが、忘れられてしまいました。現在では、必要なのは情報やデータであって救いではないと考えています。
教育についてはもう1つあります。現代の世俗社会では、誰かに何かを一度教えれば足りるものとしています。
20歳でプラトンについて習ったら、その後経営コンサルの仕事を40年やっていても教わったことは、ずっと身についているものと考えます。宗教は「ナンセンスだ」と言うでしょう。
「教えを日に10遍繰り返す必要がある。跪いて繰り返すんだ」と。それがどの宗教でも言っていることです。「跪いて日に10回でも20回でも繰り返しなさい」人類の頭は、脳の構造上、ザルのようなものです。
宗教は繰り返しの文化であり、偉大な真理の周りを繰り返し回るのです。一方、私達、人類は繰り返しを退屈に感じます。「新しいやつがいい」といつも言っています。
宗教は、また時間を設定します。主要な宗教はどれも暦を持っています。暦とは何でしょう?暦は、一年を通じて様々な重要な考えに間違いなく出会うようにする方法なのです。
宗教がよく分かっているもう1つのことはうまく語るということです。私は、あまりうまくできませんが、修辞というのは宗教にとって鍵となるものです。
世俗的な世界では、大学教育を受けてもスピーチは下手で、それでも仕事はこなせます。しかし、宗教の世界はそうではありません。語る内容は、説得力ある語り口に支えられている必要があるのです。
今度は、芸術に目を向けてみましょう。芸術は、世俗的世界において高く評価されているものです。芸術は、とても重要なものと考えられています。
2つの非常に間違った考えが、現代社会に漂っていて芸術から力を引き出す能力を妨げています。1つは芸術のための芸術というものです。馬鹿げた考えです。
芸術は、密封された泡の中にあって騒然とした世界とは、関わるべきでないというのです。私はまったく反対です。もう1つの思い込みは、芸術は自らを説明すべきでない。
芸術家は解説すべきでないというものです。それをやると魔法が解けてしまい、簡単になりすぎてしまうからです。美術館で受けるあの感覚はこのためです。皆さんも覚えがあるでしょう。
「これ、いったい何なのかわからない」生真面目な人は、認めようとしませんが、あの困惑の感覚は現代芸術の構造的な問題なのです。
宗教の芸術への態度は、ずっとまともで芸術の意味を説明するのに躊躇いません。主な信仰で芸術の役割は2つ。
第1に、愛すべきものを思い起こさせること。第2に怖れ。憎むべきものを思い起こさせることです。それが芸術です。芸術は信仰における重要な観念を、腹の底から感じる体験なのです。
教会やモスクや聖堂を歩き回るときにしようとしているのは、通常は頭で理解するところの真理を目を通し、感覚を通して吸収するということです。実質、これはプロパガンダです。
レンブラントはキリスト教的世界観のプロパガンダをしていたのです。「プロパガンダ」と聞くと、皆、警戒し、ヒトラーやスターリンを思い浮かべますが、本来、プロパガンダは何かを笠に着て説教する方法のことです。
それが、良いものであるなら何も問題はありません。
美術館は、宗教を見習うべきです。美術館に歩み入ったとき・・・私が作るとしたら、愛の部屋や寛容の部屋を設けるでしょう。芸術作品は、すべて私達に何かを語ります。
様々な作品に出会い。そこで語りかけられ、作品によって観念を心に刻めるよう展示スペースを構成できるなら、芸術からもっと多くを得られるでしょう。
間違った考えのため無視されてきた芸術本来の役割を取り戻せるでしょう。芸術は社会を良くするための道具でもあるべきです。芸術は説教的であるべきです。
別なものを考えてみましょう。現代の世俗的世界では、魂に関すること。精神に関すること。高次の霊的なものなどに関心のある人は、孤立した存在になりがちです。
詩人、哲学者、写真家、映画制作者など。彼らは自分だけでやる傾向があり、家内産業的で弱い一個の人間です。1人でいると絶望や悲観をしがちです(色々な過去の実験で確認もされています)
そして、あまり影響力を持つこともありません。
今度は、組織的な宗教を考えてみましょう。組織的宗教がするのは何でしょう?集まって組織を作ります。これにはあらゆる利点があります。第一に、規模と力があります。
これらは、すべてとても良い資質であり、企業にも見られる特質です。実際、企業(法人)は様々な点で宗教に似ていますが、マズローのピラミッド底辺の欲求に応え、靴や車を売るという点が違っています。
まとめたいと思います。私が本当に言いたかったのは、様々な異なる領域で活動されている皆さんは、たとえ宗教を信じていなかったとしても宗教を手本として学べることがあるということです。
何か共同的なこと。大勢で一緒にやることに関わっているなら宗教には参考になるものがあります。旅行業界に何らかの形で関わっているなら、巡礼に目を向けてみることです。
じっくり、観察してみることです。旅行がどんなものでありうるか?私達は、表面的にしか理解していません。宗教が、旅行で何をしているか見ていないからです。
芸術の世界にいるのなら、宗教が芸術で何をしているか見ることです。教育者なら、宗教が思想を広める方法に目を向けることです。思想の中身は置いておくとしても、宗教は思想を広めるための非常に効果的なメカニズムなのです。
だから、私の結論は宗教に同意しなくとも、宗教は様々な面で、歴史の長さを見てもとても巧妙であり、複雑であり、知的であり、信者だけのものにしておくのは、もったいないということです。私達みんなのものにすべきです。
なお、ビックデータは教育や医療に限定してなら、多少は有効かもしれません。それ以外は、日本の場合、プライバシーの侵害です。
通信の秘匿性とプライバシーの侵害対策として、匿名化処理の強化と強力な暗号化は絶対必要です!
さらに、オープンデータは、特定のデータが、一切の著作権、特許などの制御メカニズムの制限なしで、全ての人が
望むように再利用・再配布��きるような形で、商用・非商用問わず、二次利用の形で入手できるべきであるというもの。
主な種類では、地図、遺伝子、さまざまな化合物、数学の数式や自然科学の数式、医療のデータやバイオテクノロジー
サイエンスや生物などのテキスト以外の素材が考えられます。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任です! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
<おすすめサイト>
ロジェカイヨワ戦争論と日本の神仏習合との偶然の一致について2019
サラ・パーカック:宇宙から見た考古学
現時点2015年での時間の概念の解釈について
日本テーラワーダ仏教協会
仏教と物理学
ユバル・ノア・ハラーリ:人類の台頭はいかにして起こったか?
古代エジプト - Wikipedia
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最近になって再びシュタイナーの本を手にとってみた。この冗長な文章を初めて読み進めることができた。私は教義の全てが邪悪だとは言わないが、やはり注意深く見ると、まちがいなく問題のある記述がたくさんある。(信奉者たちはこんなひどいことをシュタイナーが言うはずがないと言うので、その言葉を正確に伝えるため出典を細かく記した。)このエッセイには、シュタイナーの初期の驚くべき言葉を載せた。もう少し書き加えさせてもらいたい。
まず、充分説明のできなかった部分から詳しく述べたい。人智学には奇妙で非科学的な進化理論がある。少数からなる下部組織の人間(秘儀参入した人智学徒、主に正しい習慣の身についたシュタイナー学校卒業生)は神のような完全へ向かって進化している。そして、ある日全世界を引き継ぐ。悲しいことだが、進化していない人間たちはこの過程のどこかで潰される。民族紛争は歴史の必然である。ファシズムを覚えている人には思い当たる節があるだろう。「(進化の次段階には)離れた地域のあちこちで白色人種と有色人種の暴力闘争が起こる。人種間の小さな戦いが白色対有色の大きな人種戦争に行き着くまで続く。これを精神科学の多様性という観点からみると、我々は非常に大変な事態の前にいると言える。そして、この戦争は将来歴史の必然とみなされるだろう。」[20]シュタイナーのもつれた糸のような繰り返しの多い言い回しを簡潔にするとこうなる。最も進化した人間は進化が正しく進行してゆくために程度の低い人間の影響を克服しなければならない。そして、新たな高い精神段階が許されるのである。
シュタイナーは、あらゆる民族の外見の肉体的特長が民族の内面の価値に影響していると教授している。髪の毛と瞳の色はとりわけ重要である。「ブロンドと青い瞳の人種が死に絶えたら、人類は愚かになるであろう・・・ブロンド人種が知性を与えている。正しい人間には瞳と髪には栄養分がまわらず、栄養分は頭脳に残り知能となる。茶色または濃い色の髪をもつ人間は、正しい人間が脳に留めたものを瞳と髪にまわしてしまう。」[21]
人類史はアトランテイスまで遡る。我々は現在アトランテイス後第5期に属していることになっている。アーリア人はアトランテイスが沈んで以来優秀民族である。[22]黒色人種や黄色人種とは対照的に、アーリア民族が精神的に向上してゆくことになっている。言い換えると、白人が人類の先頭ということになる。我々が次の第6期へと人類を案内するべく充分進化したとき、民族の目的が達成されたことになる。
シュタイナーは髪の色も瞳の色も濃かった。それが、彼の場合には重要ではなくなる。シュタイナーは超越した知能を神から与えられた予言者である。シュタイナーはおびただしい数のあらゆる種類の霊を感知することができ、膨大な霊的生物、事実、姿をしたものが天と地にあふれていると言っていた。[24]シュタイナーはよく肉体を離れて力を蓄えるために霊的王国へ帰っていた。[25]そのため、あらゆる知識を直接受取れるのだと言う。たとえば、イエスについても聞いており、あらゆることを知っている者として振舞い聴く人に印象付けた。ただ、シュタイナーの「知っている」救世主は福音書に書いてあることとは違う点が多い。事実、シュタイナーのキリスト教は異教と魔術が奇妙に絡み合ったものである。「イエス・キリストの行いが常に精神世界を表象する物質太陽との関連でみることができるという事実は重要である。精神世界はキリストの身体が動いている点で受取られる。たとえば、イエス・キリストが癒すとき、太陽が癒している。しかし、太陽は空の上で正しい場所になければならない。(その夜、日没のとき、人々はキリストの元に病人や悪魔に住み着かれた人を全員連れてきた。)この癒しの力が、太陽が定位置にあり精神的に働くときに現れるということは重要な指摘である。」[26]
シュタイナーの言葉は、(聞くところによる)LSDのトリップに失敗したときのようでもある。思考がとび、感覚的現象が変化し砕け散る。正常な現実は消えてゆく。しかし、これが肝心な点だろうか。シュタイナーや信奉者たち多くの信仰深い人にとっては、肉体の感覚で知覚できる客観的な物質宇宙には実体がない。そういう人にとって、本当の現実とは合理主義者が神秘的、隠された、おそらく存在しないとまでいう王国の方である。子どもに真実を真実ではないと言い、真実ではないことを真実であると示すことは、精神的虐待の深刻なケースといえよう。
シュタイナーは自分の教義が真実であり、予言者として直接感知したものであると主張している。しかし、シュタイナーの作品を読むと、実際には神智学をくまなく引っ掻き回したということがすぐに分かる。バラ十字、神話、寓話、古代カルト物語、おとぎ話、あらゆるファンタジーと夢である。人智学で使う伝説は、世界中から少しずつ収集した想像上の思索、空想物語の一覧表である。一例を挙げよう。小人である。「地球上のあらゆる場所には予言者の視界で見える生き物がいる。・・・小人は大勢が集まってうずくまっていることができるらしい。そして、地表が開いたとき、バラバラになって飛び散るのである。・・・小人にはたくさん名前がある。ゴブリン、ノームなどである。」[27]
もう、たくさんだ。ルドルフ・シュタイナーは歴史上、星の数ほどいた精神錯乱した予言者の一人である。この人間には何もない。ただ、その他大勢を代表しているだけである。また、狂った教義にも何もない。ただ、教訓的な例にはなる。こんな代物にどうやって信頼をおくことができようか。我々ホモ・サピエンスはもっと知能が高いはずである。
ここまでで読者に納得してもらえたことと思う。そうでなければ、読者を傷つけていることだろう。読者の胸の中にガラガラと音を立てるくらいの危機感を抱かせることができれば、私のエッセイは成功である。もっと早く公表できなかったことが残念である。「これが子ども達の精神を歪めた事実です。ここにいるのがそのときの少年です。展示A。」しかし、私の洗脳がまだ解けていないうちは、話すことができなかった。それまで私にははっきり見えるものは何もなく、はっきり言えることもなかった。
また、私にはもう一つ公表を遅らせる事情があった。先に触れたが、母はジョン・フェントレス・ガードナー氏の秘書であり、死ぬまでガードナー氏を立派な人物であると信じていたし、3人の子どもをシュタイナー学校へ通わせたことは正しかったと心から信じていた。母が生きているうちは、このエッセイを発行することができなかった。(母を苦しめることはできなかった。今母は亡くなっており、私は母の安らかな眠りを信じている。)そして今、私は真実を語ることができる。
これがあちこちのセクトで、たくさんの子ども達が強いられていることである。これが神秘的ナンセンスという名の人類の長い暗黒の旅の繰り返しなのである。
なぜ、通りで出会った占い師の二人は笑い出さないか[28]とキケロ(古代ローマの哲学者・政治家・雄弁家)は言った。しかし、神秘主義者は上手く振舞うものだ。しかも、自分の言ったことを本当に信じている者もいる。たぶんシュタイナーは自分の言ったことを信じていたのだろう。それなら、ペテン師ではなく狂人だ。しかし、どちらにしてもさほど差がないことで議論する必要はない。いずれにしろ、シュタイナーは危険な神秘差別主義の悪党である。(きわめて明白である。シュタイナーを真剣に受け止めると、誰もがシュタイナー学校を設立しようとするのに驚く。狂った予言者の崇拝者は途切れることがない。弟子達は極端主義のご神託に束になって熱狂している。)
黙示を早めたいという人、異端に対する厳しい尋問や聖戦に喜びを感じる人、神の意思に確信をもっている人、こういう人は他人を非難し切り捨てることに恐れがない。我々の時代の聖なる狂人たちは誤った道に人を導き、ずいぶん遠くまで来てしまった。しかし、狂人たちより大きな過ちを犯したのは支持者の方である。私たち自身である。宗教と愛国心を安易に混同し、(神の下に我らは結束する、アメリカに神のご加護を、神の下我らの国家は・・・)神がその刃で殺戮を行う歌を歌い、愛する子どもを「白色人種と有色人種の暴力的な戦い」などという残虐行為へ送り出そうとしていたのである。
私たちは別の道を見つけなければいけない。メシアのファンタジーにではなく、現実にしっかり根をおろし、人間の品格を保たなくてはいけない。別の道といっても、神を否定する必要もなく、謙虚な真の信仰を非難するものでもない。敬虔な心を持たないのではなく、もっと真剣な敬虔な心を持つことである。私たち全員に不可欠な態度として再確認すべきは謙虚さであろう。私たちの誰もが、どれほど本当に物を知っているといえるのだろうか。観測可能な宇宙の96%は暗黒エネルギーと暗黒物質でできているという。(暗黒とは何か分かっていない。私たちは物質宇宙のことを何も知らないということだ。それなら、存在するかもしれない精神王国の神秘について、私たちがどれほどの確信を持てるというのだろうか。私たちは全員が人類の知識探求の扉のそばに立っている。)宇宙の内側からか、宇宙を越えたところからか湧き上がる人間と世界とを統括する力への知識探求である。最後の答えには、はるかに遠い。
シュタイナーのように、ひとつの「神の宇宙計画」という知識を絶対かのように主張することは、惑わされやすいばかりでなく残酷である。人に精神的指導をして理想世界へ導き、どれほど多くの被害を与えただろうか。私たちに真に必要なものとは、謙虚さよりも先に求められているものとは、真実を求める者同士の思いやりではないだろうか。
邪悪な秘密
(幻想を追いかけて過す日々)
Roger Rawlings / Unholy Secret
Waldorf in General, Description & Critique
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毎日暑いですが、我が家のメダカやバラは太陽光を存分に浴びて元気です。メダカ鉢のホテイアオイも巨大化しているし、バラの新芽も次から次へと現れるし、室内のコンシンネの新芽も毎日1センチくらい伸びていて、記録的な猛暑という環境の変化にも難なく順応しているように見えます。
先日、東京都現代美術館で開催中の『デイヴィッド・ホックニー展』へ行ってまいりました。ホックニーといえば、スイミングプールを描いた涼しげな作品が有名です。暑気払いも兼ねた美術鑑賞…と、あまり下調べもしないまま行きましたが、約半分の作品がコロナ禍でiPadを使って描かれた最新のデジタルアート作品でした。齢86にして新しいことに挑戦し続けるアーティスト魂は、環境の変化に難なく順応している自然��姿にも似ています。イギリスのロンドン、アメリカのロサンゼルスそしてフランスのノルマンディーと、拠点や視点を変えながら描き続けてきたホックニーらしいチャレンジ精神に驚かされます。特にノルマンディーの四季を描いた長さ91メートルにも及ぶ風景画『ノルマンディーの12か月』は、パリにあるオランジェリー美術館の『睡蓮の間』を思わせる迫力でした。ホックニーは『睡蓮』の作者であるフランスの画家クロード・モネに共感していたと言われています。両作品の全長が同じなのも、モネが過ごしたノルマンディーに移り住んだのも偶然ではないでしょう。季節ごとに変化する自然光が、デジタルアートという手法や見せ方によって新たな輪郭と輝きを現しています。スイミングプールの水面に揺らぐ光を探求してきたホックニーにとって、デジタルデバイスはおあつらえむきの画材なのかもしれません。もしもまだモネが生きていて、iPadを使っていたら…と想像が膨らみます。(ホックニーのスピリット・ガイドかも?)
モネをはじめとする印象派の画家達の願いのひとつに、光の移ろいを作品の上に映し取ることがありました。3年以上続くコロナ禍という特殊な状況の中で、私たちもより多くの光を求めているのではないでしょうか。それは太陽光であり、希望という名の光であり、人々の間の絆という名の光なのかもしれません。他にも光をテーマとした展覧会が開催されています。夏は太陽のパワーが最大化される季節です。私も夏の光を謳歌したいと思います。
モネ、ルノワール 印象派の光 松岡美術館
テート美術館展 光 ターナー、印象派から現代へ 国立新美術館
ブルターニュの光と風 福島県立美術館
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下の写真は、過去に開催したドロップイン・ナイトで行った指導霊と過去世のサイキックアートから抜粋したものです。
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