#神戸尊
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. 権現山から望む富士山🗻 . 🚃秦野駅〜 浅間山〜浅間峠〜権現山〜弘法山〜善波峠〜念仏山〜谷戸ノ頭〜高取山〜聖峰〜三之宮比々多神社 〜鶴巻温泉駅🚃 →14.0Km/5h58m/723m↗︎796m↘︎ (AFURI de ブランチ!時間含む) . 冬晴れの週末、ユルッと起床。 お天気がいいので近くの山でブランチしたいなぁと思い、空腹のまま電車に飛び乗って秦野駅から浅間山を経由して権現山へ。 恒例の「富士山がドン!」を拝みつつ大山を眼前に「AFURI de ブランチ!」 今日はもうキマッた、な気分😅 まぁせっかく来たし、ということで今季最後の紅葉を愛でつつ、弘法山から善波峠、念仏山からバリエーションルート、谷戸ノ頭を経て高取山が本日の最高標高、556m。 この後は大山に後ろ髪をひかれつつ(時間的に)パスして聖峰に下りて絶景を満喫、下山後は三之宮比々多神社をお参りして鶴巻温泉駅にゴールしました。 こういうのんびりチックな山行もいいなぁと思う今日この頃。 まだ紅葉が楽しめる秦野アルプス、冬枯れで木の葉が落ち登山道の至る所で富士山が拝めるのもいいですね。 低山縦走ですが満足度が高いオススメコースです😆 . #浅間山 #権現山 #弘法山 #善波峠 #名古木 #念仏山 #谷戸ノ頭 #高取山 #聖峰 #聖峰 #聖峰不動尊 #比々多神社 #大山 #丹沢 #富士山 #秋 #冬 #紅葉 #🍁 #afuri #zundbar #ブランチ #登山 #ハイキング #トレッキング #山 #山が好き #山が好きな人と繋がりたい #カメラ #写真 #写真好きな人と繋がりたい (高取山) https://www.instagram.com/p/CmjQiCir4yG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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街角地蔵尊 #神戸 #kobe #東灘区 #higashinada #御影本町 #mikagehonmachi #お地蔵さん #地蔵 #地蔵尊 #街角地蔵 #路上観察 #jizo (Mikagehommachi, Higashinada-ku) https://www.instagram.com/p/CmQKu4DP2dn/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2023.11.04(sat)
若狭路をぶらりドライブ。
「海のある奈良」「小京都」と呼ばれている小浜市。紅葉にはまだ少し早かったけれども、初めて訪れる寺院は見ごたえがあってよかった。
昼食は「うなぎ料理 徳右ェ門」さん。
他でもちょこちょこ食べたいものがあるかもっていうことで、ほどほどの量の「うな丼」を食す。肝吸いもついてます。三方五湖で獲れる鰻は、薄皮で身はふっくら絶品です。
家のお土産は、敦賀の「天清酒万寿店(てんせさかまんじゅうてん)」さんで酒饅頭、自分用に「小浜酒造」さんの「純米吟醸わかさ」を購入。
〇高野山真言宗 石照山 多田寺(御本尊:薬師如来)
この御本尊は眼病に効き目があるらしい。
〇比叡山天台宗 霊応山 神宮寺(御本尊:薬師如来)
3月2日に神宮寺の境内にある���閼伽井戸(あかいど)」で汲まれた水を、1.8km先にある「鵜の瀬」から流し(お水送り)、3月12日に奈良東大寺二月堂で「お水取り」が行われる。1300年以上続いている。
神仏習合のお寺でもある。
〇高野山真言宗 延宝山 萬徳寺(本尊 阿弥陀如来坐像)
高齢の名誉住職 田中寛孝(かんこう)さんが説明をして下さいました。
埋石式枯山水庭園が有名。庭園横の座敷の欄間には、小浜藩藩主 酒井忠貫(ただつら)公の水墨画が残されている。また高野山関連で有名な吉祥宝来の切り絵が3点ほど掲げられていた。写真は今年の干支の「兎」
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ちよ旅オカルト編2024夏③
根香寺の牛鬼(香川県坂出市)
牛鬼という妖怪、これは全国各地に分布しているのですが、中国地方、とりわけ瀬戸内海近辺にめちゃくちゃ多い
これには伝説上の「塵輪(じんりん)」という悪鬼が関係しているようで、
この悪鬼の第二形態が30メートル級の牛鬼で、その巨��を投げ飛ばすような怪力の神様と海戦を繰り広げたとかいうことです、怪獣特撮かな?
その話の要素を取り込みつつ、中四国地方の牛鬼はもっぱら海妖としての性質が強いのです
どんどん重くなる石の赤ちゃん抱かせてくる島根県石見地方の牛鬼や、その姿を模した巨大な御輿が有名な愛媛県宇和島の牛鬼なんかの有名どこはまさに海妖ですね
(下図は今日帰りがけに寄った例の海の妖怪展の牛鬼展示)
一方、こちらの根香寺の牛鬼は山の中に出てきます
中四国では珍しいタイプの牛鬼なのですが、
見てみるとわかると思いますが、腕の下に羽根のようなものが生えています
これ、もしかしてヒレなんじゃないですかね
根香寺の本尊の加護を受けた矢を受けた牛鬼は残った力を振り絞って逃走、しかし「定が渕」という場所でついに息絶えていた、と伝説では語られます
生き物が命の危機の際し逃げ帰るとしたらきっと棲家なはず
それが渕だとしたら、ヒレの特徴も加え、この牛鬼もきっと水妖なんじゃないでしょうか
海に棲む牛鬼は元ネタがあるから理解できるとして、なぜ山に出る牛鬼まで水棲なのでしょうか
川や淵や滝壺などに棲むヌシは大蛇と相場が決まっていますが、実はもうひとつ広くヌシとして知られる生き物がいます
クモです
「定が渕には恐ろしいヌシがいるそうだ」
「きっと恐ろしいと聞く牛鬼だろう」という連想ゲームで、
水妖としてのクモと、中四国で有名な海妖・牛鬼が融合したのがこの根香寺の牛鬼なのではないでしょうか
言われると有名な牛鬼図もクモっぽいですよね
根香寺が発端ではないでしょうが、クモと牛鬼の同一視はゆっくり全国で広がっていたと考えられます
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毛利家を祀る豊榮神社と野田神社 別格官幣社巡りで参拝に上がりました 山口県神社庁のお隣、豊榮神社と野田神社ですが横並びにそれぞれほぼ同じ社殿や回廊を備えどっちがどっちな豊榮神社と野田神社です 豊榮神社と野田神社は見た目ほぼ同じですが別の宗教法人でそれぞれ旧別格官幣社で別表神社となっています しかし現在両社とも古熊神社宮司が兼務されていて数々の別表神社を巡ってきた中、兼務社の別表神社ははじめてのパターンでした 参道より奥、境内東側で橋を渡り社殿前に毛利三本の矢の男爵毛利五郎、男爵小早川四郎、男爵吉川重国奉納の石灯篭があるのが初代藩主毛利元就を祀る豊榮神社です 長門に移封となった毛利輝元が萩の氏神様の春日神社境内に元就公の霊を祀ったのが前身で、江戸時代中期宝暦12年(1762)に同じ萩に元就公を遷座し、毛利家の祖神とされる天穂日命を合��し神性霊社として創祀しました また明和7年(1770)には仰徳社と改めています 明治に入り元就公による朝廷を崇敬する事跡があったことから、明治天皇より元就公に「豊栄」の神号を下賜され、明治4年現在地に社殿が造営されて遷座、明治15年に別格官幣社に列格しています その後明治6年に長州藩事実上最後の藩主で尊王攘夷、討幕、廃藩置県など明治維新の功労者である毛利敬親公を祀る社を有志によって諡号から忠正神社と称して豊榮神社の別殿として創建され、翌7年に野田神社に改称しました 禁門の変により朝敵ともされた毛利敬親公ですが防長の人々の願いが叶い明治19年に豊榮神社西隣の現在地に遷座し豊榮神社より独立、大正4年に別格官幣社に列しました 境内には山縣有朋をはじめ激動の幕末維新期を生き抜いた人々からの奉納であふれています 元藩士らの敬愛の念が伝わる境内でございました #野田神社 #豊榮神社 #豊栄神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 豊榮神社(とよさかじんじゃ) 鎮座地:山口県山口市天花一丁目1-1 主祭神:贈正一位毛利元就公 社格:別格官幣社 別表神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 野田神社(のだじんじゃ) 鎮座地:山口県山口市天花1丁目1-2 主祭神:毛利敬親公 社格:別格官幣社 別表神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#御朱印#御朱印巡り#御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築#神社仏閣#パワースポット#山口県#山口市#幕末#明治維新 (豊榮神社・野田神社) https://www.instagram.com/p/CnR7fzhPijZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#野田神社#豊榮神社#豊栄神社#神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#御朱印#御朱印巡り#御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築#神社仏閣#パワースポット#山口県#山口市#幕末#明治維新
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<正論>いま求められている「公」の復活
麗澤大学特別教授 元空将・織田邦男
犯罪白書によると令和4年の刑法犯認知件数は60万1331件(前年比5・8%増)で20年ぶりに増加に転じた。一方、自衛官をみると、罪を犯せばメディアはことさらセンセーショナルに伝えるので誤解を生みやすいが、令和4年度の自衛官免職数は138人だ。一般社会に比べれば犯罪はかなり少ない。
自衛隊といえども社会の縮図であり、社会の風潮は自衛隊に直接影響を及ぼす。にもかかわらず自衛隊は、海外での各種国際協力活動、あるいは諸外国との共同訓練などを通じて、その規律や練度の高さについて国際的評価は高い。
自衛隊の教育の成果
また読売新聞社が実施した世論調査(令和4年)によると、国民が��も信頼する組織として「病院」が1位(78%)、次いで「自衛隊」(72%)で、3位の「裁判所」(64%)より信頼度が高い。ではなぜ自衛官の犯罪率が一般社会より低く、国民から信頼されているのか。それは自衛隊の教育の成果だと筆者は確信している。
航空自衛隊は平成15年末から5年間、中東でイラク人道復興支援活動に従事した。筆者は後半の2年5カ月、イラク派遣航空部隊指揮官を務めた。平成20年、撤収が決まった時のことである。これまでの空自への支援に対する謝意を伝えるため、中東の某基地を訪れた。各国の将軍らは空自の任務完遂をねぎらい、歓迎してくれた。
ランチの席上、筆者は謝意を述べた後、自衛隊には「軍法」や「軍法会議」がないことを紹介した。その瞬間、将軍たちの表情が変わった。尋常でない驚き方に、こっちが正直驚いた。軍法がなく、「なぜ脱走兵がでない」「どうやって規律を保つのか」など矢継ぎ早の質問を受けた。筆者は予想外の反応に戸惑いながらも、そのときは一言「サムライ・スピリット」と述べ、けむに巻いた。
空自は各国と同様にC130輸送機を3機、中東に常駐させた。筆者が指揮官に就いた頃に、陸自はイラクから撤収し、空自が単独でイラク派遣の任務を継続した。バグダッドや北部のエルビルへの飛行任務は、地上から携帯式ミサイル攻撃や銃撃をうける可能性があり、空港へのロケット弾攻撃は度々あった。
各国軍からの高い評価
緊張を強いられる任務であったが、一人の殉職者も出すことなく任務を終えることができた。
任務は諸外国と全く同じ条件であり(武器、弾薬を運ばないことだけが違う)、「軍隊」ではない自衛隊だからといって特別待遇は一切なかった。劣悪な環境下、危険で厳しい任務を淡々とこなす隊員たちは見事であった。隊員の操縦技量は優秀であり、整備能力も高く、規律厳正、誠実かつ礼儀正しく、各国空軍から高く評価されていた。日本の若者がこれほど高い評価を受けていることに対し、指揮官として誇らしく思うと同時に、これまでの自衛隊の教育訓練が正しかったことを確信した。
災害派遣などで自衛隊がクローズアップされる度に、自衛隊はどんな教育訓練をしているのかと問われることが多い。筆者は一言、「公の復活で��」と言うことにしている。
日本は戦後、多様性、個人を尊重するあまり「公」の精神を蔑(ないがし)ろにしてきた。個人の自己実現の価値観は教えたが、「公」に尽くすことは教えてこなかった。入隊してくる若者たちも、「公」を忘れた虚(うつ)ろな風潮に育てられた者がほとんどである。いきなり自衛隊員になれるわけがない。
公に尽くす喜び知る教育
自衛隊員と一般公務員との大きな違いは「事に臨んでは危険を顧みず」任務を遂行しなければならないことである。自衛隊員は、「公」を喪失したまま任務は全うできない。
人間誰しも自分が一番かわいい。その自分よりも同僚を、社会を、そして国家をと、自分を捨てて愛する対象を拡大していく教育を徹底する。よく使われる〝One for All, All for One〟の実践である。自分のことよりも他者を、そして任務を優先させる。隊内生活や教育訓練、スポーツなど、あらゆる機会を通じ「公」を意識させ、「公」に尽くす喜びを体得させる。人間はもともと「公」のために尽くすことを喜びとする生き物である。これに目覚めたとき真の自衛隊員が誕生する。
米空軍のモットーは〝Service Before Self〟(奉仕優先)である。どこの軍隊でも、共通して兵士に求めるのは「公」の精神であり、普遍的価値観でもある。
犯罪の大半は「ジコチュウ(自己中心)」を原因とする。「公」に尽くすことは、戦後日本で忘れられてきた。だがこれは精強な自衛隊員を育てるだけでなく、「まっとうな日本人」を育てる教育でもある。学校教育でこそ、取り組むべき教育と思う。
人は、他人のため、社会のため、国家に尽くす時に最も生きがいを感ずる動物である。「公」に尽くす喜びを学校でも積極的に教えるべきではないだろうか。(おりた くにお)
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2023年11月12日(日)
龍谷ミュージアムで開催中の<秋季特別展「みちのく いとしい仏たち」>、終了間際の今日になってようやく行くことができた。<みちのくの厳しい風土の中、人々の暮らしにそっと寄り添ってきた、やさしく、いとしい仏たちの、魅力あふれる造形をご覧ください。>、まことにその通り、雅な都の規格化された像とは異なり、鄙の暮らしそのままの素朴で大胆な表現、つい微笑んでしまい穏やかな気持ちになることができる。会期は残すところ1週間、お近くの方、お勧めですぞ!
6時起床。
洗濯。
昨晩のご飯が茶碗1膳分残っていたので、牛肉しぐれ煮を載せていただく。
1階の私の仕事場、MQJの荷物と私の資料類、それに食料品やワインがひしめき合って足の踏み場もない。プリンター台を1台増設して環境改善を試みる、なんとか来週末には原稿書きに専念出来るようにせねば。
龍谷ミュージアムの秋季特別展、週末の予定ぎっしりでやっと本日訪れることができた。
江戸時代、全国の寺院では、上方や江戸で造られた金色に輝く立派な仏像が、ご本尊として安置されました。一方、小さなお堂や祠、民家の仏壇や神棚などには、その土地の大工さんやお坊さんたちの手による、素朴でユニークな仏像・神像がまつられ、人々に大切に護られてきました。この展覧会では、青森・岩手・秋田の3県に伝わった約130点の仏像・神像をご紹介します。
いやぁ、良かった! 暮らしとともにある神像・仏像、初めて知ることだらけ、良い勉���をさせていただいた。
帰宅して少し遅めのランチはこのところお気に入りのUFO。
昨日生放送があった<NHK新人落語大賞>、録画を忘れたのでNHK+で観る。応援している一花さんはそこそこの出来、三実君は大爆笑だったがいかんせんローカルネタでは審査員の受けは良くない。慶次朗君の優勝は順当、文珍師の<師匠を超えた>発言には大爆笑。しかし、改めて2年前の二葉さんのインパクトの大きさを思い出した。
酢タマネギ仕込む。
半熟酢卵仕込む。
ポン酢・麺つゆ仕込む。
夕飯、鶏ムネ肉の甘辛煮・半熟酢卵、カラスミは息子たちもよく食べてくれる。
録画番組視聴。
柳家権太楼 落語「へっ��い幽霊」
初回放送日: 2023年11月12日 柳家権太楼さんの落語「へっつい幽霊」をお送りします(令和5年9月1日(金)東京・小平市 ルネこだいらで収録)【あらすじ】「へっつい」とはしっくいで固めたかまど。古道具屋が売っている「へっつい」はいい品なのだが、誰が買っても、その日の夜中になると引き取ってくれと言って返品されてしまう。わけを聞くと深夜にへっついから幽霊が出てきて「金を出せ」とおどかすらしい。困った道具屋は…
久しぶりに散髪をしてもらう、風呂上がり体重は昨晩から50g減。
日誌書く。
弁当用に里芋煮る。
ミュージアムまでのバス移動だけ、明日からちゃんと3つのリング完成させよう。
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語る
DEpartureについて思うことすべて
2024.7.6
最終公演であった、神戸公演が終わりおよそ1週間がすぎようとしている。
いつもならばレポの絵をいそいそと描いてアップするのだが、最終公演では感慨深すぎてエピソードを覚えることではなくただその公演を楽しむことだけに頭も体も集中していた。
というのもウネコンにいままで参戦してきて、いわゆる「マッコン」に参戦することが初めてだったからだ。とても感慨深い気持ちで神戸に応募して、参戦した。
それにもかかわらず今日まで個人的に環境が変わったこともあってウネコンに浸る余韻という時間が取れなかった。記憶力が乏しい故思い出そうとしても雰囲気くらいにはなるが、1曲ずつセトリをなぞってつづっていきたいと思う。その雰囲気も、神戸公演だけでなく数公演参戦したトータル的な感想になる可能性があるが…(結局なった)
1.opening
男性のダンサーさんによるギターサウンドにあわせたオープニング。
いままでのように映像はなく、ダンサーさんが空港の旅人に扮して登場し、ギターの音にあわせてエニのボルテージを高めていく。一緒に体やペンㇻを揺らす。
最初���正直映像無しの公演が初めてだったこともあり物足りなさを感じてしまったものだが、今となっては愛着のあるオープニングになった。ダンサーさんたちも公演を重ねていくごとに&にもっと盛り上がってほしいと意見を出してこのオープニングにも煽るような振付が当初よりも増えたように感じる。
2.Like That
なくてはならないオープニング曲。
ツアー開始時はリリース間もない新曲が1曲目なのかと度肝を抜かれたけれど、オープニング同様、公演を重ねていくごとに掛け声は大きくなり、神戸は一番大きかったんじゃないかなと思うほどだった。ドンヘがココで大きな声が欲しい、そんなイメージで作ったといわれれば、そりゃドンヘペンは大きい声を出さざるを得ない。サングラスを外す時、何回も見てるけどやっぱりキャーッって言ってしまう。かっこいいんだもの。
3.B.A.D
高まる振付が多い曲、ツアー後半では恒例になっていたドンヘのダブピ✌が最高にかわいい。必ず肩を組んでウネるところもあるのが最高。
個人的に掛け声がうまくいかなかった曲でもある。掛け声なんてすきにやりゃあいい派ではあるものの、やることの意味って二人に届いてこそじゃない?と思う派でもあるのでどうしたもんかと今でも思っている。
4.Here Me Are
言わずもがな、最高に盛り上がる曲!!
STYLEコンでもオープニングを飾った曲なので個人的に大変心が高揚する一曲。break itを連呼するところなんかは特に好きで、神戸もだけど神奈川だったか?二人のここの振付がすごく気合入ってると「良いねぇ…」って呟いてしまうのだが、ヒョクもみんなの熱視線で力が入ったと言っていてやはり!と思った覚えがある。
あと個人的に好きなのがBoom,boom,boomのところの顔の横で人差し指だけ立ててくるくるする振付。二人が鏡合わせのように体を揺らすのもよい。
5.LOSE IT
空港内を舞台にしたストーリー性のあるかわいらしい振付がウネちゃんにぴったり。
昔からちょっとチャラい、ナンパな男みたいなイメージがある二人の世界観、私は大好きでこの曲の振付もそんな二人を題材にしている。最後の方は二人とも遊ぶように踊っていて終始楽しそうだなと思っていた。
特にダンサーさんをエスカレーターに見立てて二人がそれに乗るような振付、ドンヘがキャリーケースに乗るところなんかも舞台を違和感なく取り込んでいた。最終の神戸では間違えてたけれどね。笑
タイムスリップのような演出で過去のウネコンの映像をまとめたVCRが放映された。何度見てもSTYLEコンのOPは心踊ってしまう。気持ちの高まっていく音楽に合わせて代わる代わる映し出される赤と青を身にまとった二人の映像。当時のライブ映像も懐かしい気持ちにさせてくれる。
6.Circus
アリーナ公演から追加となったCircus���きっかけはおそらくホール公演で歌のテストをしていた時に&から「Circus」と曲名が挙がり、ドンヘが覚えてる振付を踊っただけでも歓声が上がったからに違いない。STYLEコンを彷彿とさせるサーカスの団長のような赤い衣装で「Ooh woh oh oh oh」と拳を頭上に突き上げて踊る二人が当時と変わらず懐かしく感激した。ドンヘが落下する演出はドキドキするし最高に盛り上がる。落下前、その手前で両腕を広げて自分へ注意を惹くヒョクが素晴らしい。
7.MOTORCYCLE
こちらも追加曲。個人的にはとにかく懐かしいの一言。そしてどうしてもこの曲は「びっくり箱」やMVの黒髪リーゼントのイメージを彷彿とさせる。本公演でも二人はバイクにまたがり爆速でアリーナを駆け巡った。神戸では通路側でほぼ足元から二人をみたが、まぶしくてなによりも早すぎてよく見えなかった。スタッズだらけの重たいと言っていた衣装、懐かしすぎて泣いたよ。
8.You don't go
3曲目の追加曲。個人的には当時この曲が爆裂人気だったというイメージがあまりなかったので追加されたのは意外だったんだけれど、二人が好きだったのかな、数ある曲の中でも覚えていた曲ならばそれが嬉しいなと思った。熱唱しつつ音に合わせてフリースタイルでゆるりとダンスをする二人が好きだし、それぞれの違いが楽しめるのも良いところ。ノリノリの曲ばかりの中にこういう聴く曲があることがとてもいいことだと最近気づいた。
9.Blue Moon
인공호흡 자기야 빨리!!!!!!!!!
この曲が公開されたときから大好きだったので初日は本当にきけることが嬉しすぎて鳥肌がたった。キラキラな青い月をバックに真っ白な衣装で出てくるドンヘが尊いし、ドンヘが月って言葉を使うだけでありがたいでぃえにペンがここにいます…。
冒頭に書いた「人工呼吸してよハニー 早く」という歌詞、途中でドンヘが掛け声してほしいと言っていた回から毎回叫んだけど、コンサートが終わっても聴いてると言いたくなってしまう程に中毒化している。ドンヘさん助けて…またライブで歌ってくれよな…
10.Beautiful Liar
神セトリ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!の一言。
この歌も大好きで。当時公開されたドンヘの声に合わせて踊るヒョクのソ��ダンスティーザーも胸がアツアツすぎたんですけど。フルで最初から最後まで二人で踊ってくれるのは嬉しかった。最後のDon’t say goodbyeで引き裂かれるようにすれ違う二人がお互いに手を掴み合うところなんかはスタンディングオベーションをしたいくらいに衝撃を受けたし、やっぱり네 환영에 취한 채로 눈이 먼 나のところのドンヘが好きだ。あの部分こそドンヘのダンスのアイデンティティだと思っている。
11.Illusion
blue moonからの流れを考えると幸せでキラキラとしていたものがどんどん深い闇へ落ちていくような世界観もまたいいなと思いながらこのパートをセット感覚で楽しんでいた。
代々木公演の時に特に思ったのだがこの曲中(特にダンスブレイク中)は、照明演出、LED映像、ダンサーさんをすべてヒョクが操っているようにぴったりと連動して動くので、引きで見ていると気持ちがよかった。もちろんヒョクの表情や指先の動き一つまで美しいので細部をみたい気持ちもあるのだが。最後の手を掲げるシルエットが美しすぎる。黒髪も良い。
12.Danger
最強パートを締めくくるdanger。真っ赤なライトの中で二人が蛍光に光る鎖を持ちながらパフォーマンスする姿はまさに「危険」な香りしかしない。特にダンサーさんを椅子にみたてて足を大きく広げて座すつょつょのヒョクさんが客席中を狙い撃ちするところ、表情も含めて大好き。ラストのサビ部分で遠吠えみたいに叫ぶところなんかは一緒に共鳴したくなるくらいにこちらのテンションを最高潮に盛り立ててくれる。なくてはならない曲。
13.I wanna love you
でぃえにペンの中では伝説の1曲なんですけれど、今回のダンサーさんとの激しい絡みは正直虚無虚無プリンになってしまいそうなところをグッと堪えつつ二人のパフォーマンスに全集中!した&も多かったのではないか。衣装を1枚脱ぎ捨てて身軽になった二人のダンスに心臓が大丈夫じゃなくなりそう。リズムになんて乗らずに手を引いてグイグイ椅子に連れて行くドンへと、あくまで音楽に合わせて歩いて行くヒョクちゃんがとても対照的でその違いを楽しむ時間でもあった。ドンへのパートの時に暗闇の中であろうとリズムを崩さずにソファまで優雅に歩いて行くヒョクが好きだった。
14.Rose
二人がそれぞれの場所から現れて最後二人並んで座って歌うこの構成や&たちが見守るように聴いている雰囲気が心地よかった。ドンヘのこの歌への愛の深さが伝わってきたし、ヒョクもどの曲よりもラップに気合が入っていたように感じる。ひとつひとつの言葉に感情が込められていて、力強く伝わるように歌っていたのも良かった。広島あたりでこのRose大合唱が生まれて、ドンヘも嬉しそうだったの��印象的。
15.君が泣いたら
&にとっても二人にとってもおそらく思い出がたくさん詰まっていて、2ndツアーではウニョクが涙した歌でもあり、これこそ名曲ではないかと。ツアーの中盤からはLEDに歌詞も映し出され&たちも大合唱。最終公演もとびきり大きな歌声が会場中に響いて、みんなの心が一つになった気がした。切ない歌だけれど二人とも笑顔だった。個人的にはぜひ今後のツアーでも外さずに大事にしてほしい。
16.Wings
開演前に途中から会場に流れるようになったがライブは地味に初披露なのではないか。曲中にもあるように二人が「翼を広げて光の中へ」ステージを飛び出して&たちのもっと近くへ来てくれた演出がまた良かった。二人の姿がまぶしい。あまりライブシーン向きな曲ではないかもしれないけれど、コロナ禍に私たちを明るく照らしてくれた、連れ出してくれたような1曲なのでまたライブで聞けたら嬉しいなと思う。
17.24Lovers
アリーナで先行解禁となった新曲。
しっとりきれいな音色に二人のラップも溶け込んでいる、甘さと切なさが入り混じった曲でいままでにあまりなかったジャンルかなと思った。初お披露目になってまだリリースされていないが早く音源が欲しい。ダンスはゆったりと、ダンサーさんは白い衣装で透明感のある照明もまた曲の雰囲気にマッチしていてよい。もっと繰り返し映像で見れる日を待っています…
18.너는 나만큼
無数に散りばめられた暖かい色の星屑のような、散っていく葉のような照明演出と混じる寒色の照明がとてつもなく儚くて。当時のカムバック映像にもこんな照明演出があったなと懐かしくもあり胸がいっぱいになった。ヒョクもこの曲で皆さんの掛け声がなかったら寂しい。皆さんがいないと歌えない、成り立たないというようなことを言ってくれて純粋に嬉しかったし二人がこの歌を歌うときは必ず声を届けに行きたいと思った。
ところで根本さんは二人が「のぬんな…」っていうとちゃんと「growing pains」と訳すんだけどそれちゃんとセットで覚えてくれてるのすごすぎないか。お母さんありがとう。
19.YOU&ME
リリース・MV解禁となる前からずっとツアーを通して披露してくれた1曲。天才作曲家のドンヘの作った曲と言われなくてもかわいらしく、キャッチーなサビで名曲の予感しかしなかった。神戸公演ではMV解禁後だったので、37歳かわいい論争が勃発したわけだが、こんなにかわいい曲にあんなにかわいいコンセプト、衣装ができるのに、これが最後は勿体ない。ドンヘ頼みます。ツアー中も何度もレポしたが、「君がくれた勇気で」のところでヒョクの揺蕩うダンスを見るのが一番の楽しみだった。ぜひこの部分についてリリイベでは語ってほしいところ。
20.Sunrise
ダンサーさん(主にチャリさん)と二人がどんな風に遊ぶかなと���回楽しみにしていた。決まって同じところでドンヘ、ヒョクの順にチャリさんとふざけあう、まるで兄弟。チャリさんも乗り気でいつも楽しそうにしているのでこういう恒例になる曲、毎回あるといいなと思う。神戸でもヒョクとチャリさんはホワホワしていた。かわいい。
最後のサンライズポーズではヒョクがハートにするか、まんまるのままかどうかもいつも注目していた。気分なのかもしれないけどそんなのも気になってしまう。
21.I wanna dance
毎回何かしらの競技がスタートするこれも恒例行事となった。神戸公演では大玉転がし。アリーナ通路を大玉を転がして速さを競うというもの。二人は戸惑いつつもすぐにすべてを理解し大玉を転がす。目の前を通る二人は笑顔が光りすぎていてとにかくまぶしかった。そして&を見ずに競技に集中するドンヘがドンヘらしくて良い。こういうイベントも以前からかかわりのあるマサオさんやチャリさんがいるおかげで楽しくできているはずなので、関係者各位の方々には感謝をするしかない。
22.떴다 오빠
二人の代名詞と言える最強の曲。単独コンサートでないとフルバージョンはもうなかなか聴けないので嬉しい。そしてアリーナ公演ならではのセンステへ飛び出してくる二人の迫力といったらない。神戸と代々木ではダンスタイムで二人で息ぴったりのダンスを披露。アリーナ公演だけの特別感と「懐かしい・珍しい・変わらない」演出で、こちらのボルテージも最高潮に。
23.もっとぎゅっと
ザ・多幸感。このイントロが流れるだけでその名の如くこころが「ぎゅっと」なる。
振り付けも毎回楽しく踊る。後半は手の動きが複雑でごちゃごちゃするけどそれすらも楽しんでいる自分がいる。レポでも描いたが、最後の最後のサビのところでケンケンしながら飛び出すドンへは最終公演も健在。大変ニコニコしてこちらを見た後、メンステへ戻るヒョクを追いかけるように駆けて行った。チャリさんがドンへを振り返ってニコニコしていて素晴らしいチームだと思った。
24.GGB
アンコールの声が今までで一番聞こえたかもしれない最終日。ウェーブもしながら楽しく過ごして二人を待つ。そうして、キラッキラの二人が口笛と共に登場し口笛を吹くような振り付けからスタート。我々は如何にしてビデオに二人を収めながらペンライトを振り、掛け声を完璧にこなせるかというマルチタスクを何度も試されていた…。だがどんな形で応援したって良い。それぞれに楽しむ&の姿を見るのも楽しみのひとつだった。
ドンへはどんなにアップテンポな曲でも笑顔でずっといることがないが、この曲に関してはずっと笑顔でいるのでファンとしてはそこも嬉しいポイントである。そんなこんなでこの曲は本当にあっという間に終わってしまうのだ。
25.Kiss Kiss dynamite
アリーナ公演でSaturday nightがひっそりと削られ、トロッコに乗る二人と目を合わせながらダンスをするキスダイ。「みなさんちゅーしましょ」って結構パワーワードだよなと思��ながらソンキスを遠くへ投げるヒョクを見上げた。本当にお尻がなかった。そして、ドンへは思ったより腰でパンツを履いてるんだなぁとお尻を見て思うなどしながらも振付だけは完璧にこなした。
26.촉이 와
アリーナから追加となったこれまた思い出いっぱいの1曲だ。マサオさんの演出だからこそ、ドンヘがバットを振ると恒例のホームランの文字。ダンサーさんと連動するところも楽しい。以前のツアーのようにもう1回、もう1回とは言わないけれど、気持ちは言いたいぐらい楽しかった。
27.Hello
あぁコンサートが終わってしまう…とこの曲のイントロのギターの音が寂しい気分にさせる。その一方でいそいそとタオルを準備して、サビでは懸命にタオルを振るのも忘れない。
最後のラスサビ前、「一瞬でいい、すべてを預けて」という歌詞に乗せて、最終日はドンヘがヒョクの膝の上へゴロンと寄りかかるように本当にすべてを預けるようにしていた。ここのモーメントは何をしてくれるか毎回楽しみに待っていたなと思う。多分これからも。
ちなみに冒頭のドンヘパートの時、ヒョクがギターをつま弾くようなフリをするのが好きでよく見てしまう。
突如暗転し、ピアノの音が流れた。それを合図に、練習と同じように&たちは宿題であった歌を完璧に歌い、それに合わせて急遽公演前にひっそり練習した振付も完ぺきにこなして二人を驚かせた。驚いた二人は&たちを見つめながら目を次第にうるませて、タオルを口にあてたり、じっとしたりして堪えていた。たたみかけるようにふたりにありがとうを叫び、天井にはありがとう、最高などの二人を激励する文字が次々に浮かんでいった。
大きな歓声がなかなか鳴りやまずに二人もしばらくじっとしていた。少ししてから「もしかしたらサプライズはあるかもなと思っていた。けれどこんな形だとは思っていなかった」と冗談をまじえながらも嬉しさを言葉にしてくれた。気持ちが届いたようでそれがなによりも嬉しかったし、サプライズをやってよかったと思ったし、それを用意してくれたマサオさんには感謝でしかない。
総括すると、以前よりも公演を重ねていくごとに新曲に愛着が湧いたり、途中で演出が変化したり、各地方で練習を重ねて掛け声が大きくなっていったり…。以前に比べても一緒に歩む、進化が色濃いツアーだなと感じた。
本当にツアーの名の通り、新しい「出発」。旅が始まったようなそんなツアーだった。
結局、セトリを思い出しながら感想をつらつら書いてはみたものの、最終日のことを思い出せたのはほんのわずかだった。しかしこれはこれで細かい部分について自分が思ったことを記録できてよかったかもしれない。
最後に
ウネちゃんへ
ツアーを完走してくれて、毎公演大切に一生懸命にパフォーマンスしてくれてありがとう!
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複数の女性への性的行為疑惑が引き金となり、活動休止という選択をとったダウンタウン・松本人志。レギュラー番組の多くは早くも、彼がいない体制での収録が始まっているという。そんな中、過去の様々な発言がクローズアップされることに。まずは「障害者イジメ告白」だ。 2013年6月、松本は自身Twitterで、次のようにカミングアウトした。��小学生の時。岡田って奴が居てね。足が悪くてね。片足引きずるように歩くの。オレ何度かイジメた事が有ってね〉〈でも子供って気まぐれで。いちど家に遊びにいったの。友達でもないくせに。。。そろそろ帰ろかなって思ってたら岡田のお母さんがパートから帰ってきてね。。。〉〈なにより。岡田がお母さんの前でオレと親友のふりしたのが切なくて。辛くて。。。オレ心の中で。岡田と。お母さんと。いろんなもんに何度もゴメンなさいって思って。。。〉 イジメた同級生とその母親に懺悔したのだった。 これを告白した当時、「まるで美談のようにしている」などと非難の声が上がったが、「封印していた過去をつまびらかにしたことは、評価できると思います」(放送作家) 2019年、川崎・登戸で通り魔事件が発生し、2名の尊い命が奪われた。当時、松本は「ワイドナショー」(フジテレビ系)の中で犯人について、「僕は人間が生まれてくる中で、どうしても不良品っていうのは何万個に1個(あると思う)…。これは絶対に、僕はしょうがないと思うんですよね。それを何十万個、何百万個にひとつぐらいに減らすことはできるのかな、っていう、みんなの努力で。まぁ正直、こういう人たちはいますから絶対数、もうその人たち同士でやりあってほしいっすけどね」 どんなに善良な人間にも、何かを契機に暗黒世界に落ちる危険性はある。社会に絶望した結果、人をあやめた者を「不良品」という言葉で片付けてしまうことに、賛否はあるだろう。 2017年に神奈川県座間市のアパートの一室で9人の女性を殺害・解体した猟奇犯についても、「ワイドナショー」で同様に言及。「人間を工場でたとえるなら何千、何万個に1個出てくる不良品なんでしょうね。そいつがたまたま座間に住んでいた」
松本人志 過去の発言に注目も|au Webポータル芸能ニュース
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鳳凰 龍 細密石彫刻製作 石基壇 聖徳太子殿 念佛宗仏教美術 The Prince Shotoku Hall The Buddhist Art of Nenbutsushu Stone carving
聖徳太子殿 The Prince Shotoku Hall
念仏宗無量寿寺(念佛宗) 総本山 佛教之王堂〜三国伝来の佛教美術 日本では類例を見ない四手先総詰組様式、および三手先腰組付縁の八角堂 It is a grand octagonal shrine with four-stepped intermediate bracket complexes under the eaves and three-stepped bracket complexes under the veranda, which is peerless in Japan.
概略 高さ17.2m(基壇、棟飾り込) 側通り柱間4.85m
輪島塗による高蒔絵、及び彫金が施された厨子に、中華人民共和国、工芸美術大師・佘國平佛師制作の「和国の教主」とうたわれる聖徳太子像がお祀りされている。
念佛宗(念仏宗)無量寿寺 聖徳太子殿 建築的特徴
他に類を見ない様式 四手先総詰組、三手先腰組付縁の八角堂は他に類を見ない。特に四手先総詰組は、日本建築史上初めての独自の変形組み手である。特殊な組み方をすることにより、組み手同士の立体的干渉を回避している。この念佛宗(念仏宗)ならではの、独創的な手法は、専門家をも捻らせている。日本の大工の始祖とも崇められる聖徳太子も、きっと納得されているに違いない。 天平の文化が華やかなりし頃、神社仏閣は、鮮やかに朱で彩られ、外国文化を吸収、醸成され、それはきらびやかなものであった。 そして今また千年の時を超え、念仏宗 佛教之王堂における聖徳太子殿は、天平時代の華やかさを凌ぐ存在感で、参詣者を迎える。 外装壁部には「天女」、阿件形の「鳳風」、衆生を導かんと雲を従えて天下る阿件の「龍」が、また蛙股部には「宝相華」が、胡粉の白一色に塗られた彫刻で荘厳されている。腰組部と階段脇の耳石にも阿件の精緻に「鳳風」が彫刻されている。 これら数多くの彫刻、彩色で彩られた御堂は、典雅な趣にみあふいざな満ち溢れ、訪れる者を夢の世界へと誘う。 桟唐戸は丹青技法による極彩色が施された「宝相華」��「転法輪」、「鳳凰」の彫刻で荘厳され、八方を守護している。 世界に誇る槙の日本庭園に囲まれた姿は、飛鳥・天平時代を偲ばせる典雅な趣に満ちている。 軒裏に扇垂木を用いており、内部は韓国人間国宝・李萬奉大僧正猊下、及び、直弟子洪昌源師制作の、韓国古来の伝統的丹青技法による彩色が施され、合計428点の彫刻が太子を賛嘆している。 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 聖徳太子殿 建築的特徴 三国伝来の佛教文化 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂の聖徳太子殿は、かつて、聖徳太子が御堂にこもって、経典の解釈に没頭しておられる時、夢告(むこく)で教えを賜った(たまわった)との伝説から、法隆寺などでは平安時代より、「夢殿」(ゆめどの)とも呼ばれてきた。 ここ念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂における聖徳太子殿は、���本の建築技術と韓国の丹青(たんせい)技法、そして中国の彫刻が見事に調和し、三国伝来の佛教文化の粋を見ることができる。 例えば四手先総詰組様式及び三手先腰組付縁(こしぐみつきえん)は、他に比類なき日本建築の最高峰といえるもの。 また、内部に施された極彩色(ごくさいしき)は、韓国の丹青技法が日本で独自発展を遂げた平等院鳳凰堂の様式を踏襲したものであり、天井画写真下方の緑色部、「ぼかし」のような繧繝(うんげん)彩色や、全体的な白く縁どられた紋様等が特徴的である。 和国の教主 聖徳太子 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂 聖徳太子殿には、聖徳太子像をお祀りしている。天竺(インド)から唐土(中国)へ伝わった佛教の尊さを悟られ、神佛が習合する中、日本へ佛教を根付かせた「日本佛教の父」が聖徳太子。 「和を以て尊しとなす」 これは世界的に有名な聖徳太子『十七条憲法』の根幹(こんかん)をなす第一条の言葉。『十七条憲法』は、我が国最初の憲法であり、佛教精神を基(もとい)とした平和国家日本の建設に臨まれた聖徳太子の決意を表している。推古(すいこ)天皇即位の時、聖徳太子を摂政(せっしょう)とし、すべての政治を委ねられた。『日本書紀』には、その時、もろもろの豪族らは、君主と先祖の恩に報いるために競って佛をお祀りする場所を造ったとされ、以来、それが「寺」となった。つまり恩に報いるために寺が建てられ、佛教が興隆していった。 第二条に「篤く三宝を敬え。三宝とは佛・法・僧なり」そして「何れの世 何れの人か この法を 尊ばざる」として、どの時代、いかなる人であってもこの法を尊ぶべきことを明断しておられる。 そして佛教を基調とした国づくりをして、日本を統一国家に相応しい姿にされた。それによって寛容の心が根付き、民の争い事が減った。そして佛教伝来から僅か数十年で、当時の世界最新建築の佛教伽藍(ぶっきょうがらん)「四天王寺」「法隆寺」を建立した。聖徳太子が、「和国の教主」と呼ばれる所以。太子の願いは、大和の地に佛教を興隆させ、人々に平和をもたらすことでした。 丹生(たんせい)技法に彩られた堂内 青丹によし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり 聖武天皇(しょうむてんのう)の御代、奈良で一世を風靡した丹生技法は、今、ここ社の地で大きく華開いている。 渡来して日本的発展を遂げた密度濃やかな繧繝(うんげん)彩色や、白縁模様で荘厳された極彩色の天井を、吉野檜の銘木に、拭き漆と熨斗(のし)模様を施した八角柱が八方から支える。 聖徳太子殿の「八角宮殿」 扉に描かれた阿吽の鳳凰は、聖天子(せいてんし)の出現を待ってこの世に現れ、飛天は、釈尊説法時に舞い降り、奉楽し、天華を散らし空中で舞う、とされている。 宮殿は、もともと、天竺(てんじく)における塔やその下の小室である「龕」(がん)を源流とし、後世、これが厨子(ずし)や仏壇に変化した。 法隆寺玉虫厨子や橘夫人念持佛(たちばなぶにん)などは、その代表例。 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂 聖徳太子殿の「宝珠」 宝珠は、災いを除き、願いをかなえる力を持つとされ、聖徳太子殿の屋根に聳える宝珠は、聖徳太子の佛教興隆の成就を象徴しています。 この宝珠を護法神である、八頭の象が支えており、八方から佛敵より佛法を護り、宝珠の周りには、凡夫の煩悩を焼き尽くす火焔(かえん)が、勢いよく燃え盛っています。 聖徳太子殿の「輪島塗 高蒔絵」 日本の伝統技法の輪島塗りによる高蒔絵は、最高品質の漆を盛って、乾かないうちに松煙(しょうえん)を蒔きこみ、盛り上げ固めます。入手困難な「舟鼠(ふなねずみ)の蒔絵筆」を用い、輪島塗職人の二年間にわたる努力の末に完成しました。十枚の扉に浮かび上がる金色の『十七条憲法』の銘文は、職人会心の傑作です。 松竹梅と獅子 念佛宗(念仏宗)無量寿寺の宮殿下部には獅子が八方を護り、吉祥紋様の松竹梅が施されています。 風雪や厳寒に耐えて緑を保つ常磐木(ときわぎ)の「松」と「竹」、春、百花に先駆けて花開く「梅」を長寿・高潔・節操・清純などの象徴として「歳寒三友(さいかんさんゆう)」とも呼び、その吉祥紋様を背景に、獣類中、最も勇敢で高貴な、百獣の王の獅子が、宮殿を護っています。
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2024.05.21
結婚をひかえようが、愛いの彼の無限残業は変わりません。 というわけで、帰りが零時をまわった彼のことを駅で待つ私。 すでに日づけ的には結婚予定日当日。 彼と落ち合うと、タクシーで役所に向かいます。
ふたりでどきどきしながら時間外受付に向かいます。 婚姻届は事前に私が役所でチェックしてもらってるので不備はないはず。 身分証明書や戸籍謄本も持っていきました。
「受理しますね」
受付の人が言ってくれた瞬間、彼は真っ先に「本当に!?」って目を見開いてました。 そして、ちょっと泣きそうになってました。いや、それは私もですが。 本気で視界がゆらゆら潤みましたよね…… そしたら、彼は私の涙を優しく拭きながら「泣かないでよ」と微笑んでくれました。 「これからは幸せの涙しか流さないでね」と抱きしめてくれて。 私は感動が言葉にならず、幸せ過ぎて怖いぐらいで、少し手が震えました。 そうしたら、彼の手が安心させるように私の両手を包んでくれました。
「君は泣き虫だなって思っていたけど、その喜びの涙は何よりも美しいと思うよ」
泣き虫……私、泣き虫か?いや、彼の前では確かによく泣いている気がします。 泣きたくても泣けないような人間だったのに。 彼といると、素直に涙があふれてくる。何だろう、心が豊かになっている。
「俺はこれまで自分を蔑んでいた。でも、君に出逢えて生きる価値を見出せた気がする」
そう言った彼の柔らかな笑顔が、本当に嬉しくて。 そのあと、いったん家に戻って休むことにします。 慌ただしいですが、結婚式も本日挙げる予定なのです。 気持ちが高揚して眠れず、何かいちゃいちゃしてると、幸せピークの彼が「あの職場の上司も、もはや気にならない」と言ってちょっと笑ってしまって。 明日はおいしい朝ごはんを食べよう、と約束したらやっと眠りにつきました。
──朝です。彼が先に起きて、私を起こしてくれました。 ぐっすり眠れて気分はすっきりしています。
結婚式は挙式のみです。豪華な披露宴や、にぎやかな二次会などはなし。 誰も呼ばない、ふたりきりの結婚式にしました。 彼が私の希望を受け入れてくれたかたちです。
朝ごはんは焼き鮭とたまご焼き。焼き鮭は私も彼も大好きです。 婚姻届を提出したときは泣いてしまったので、結婚式ではいっぱい笑いたい。 彼はいつも、私の笑顔が大切だと言ってくれるから。 そんなことを思いながら、いざ教会へ出発。
支度に入ります。私も彼も純白のすがたに。 白いタキシードの彼はひかえめに言ってかっこよすぎました。 私は……まあスタイルのいい女子ではないので……痩せてたらもっと綺麗だったかな、変じゃないかな、などと不安です。 そしたら、「何を言ってるんだよ、似合ってるんだから。天使みたいだよ」と彼は言ってくれて。
「君がどんなすがたでも、俺には美しく見えるんだよ。痩せてようが太ってようがそんなの構わない」 「でも、正直に言うと、ドレスを着てるから君が綺麗ってわけじゃないんだ」 「俺にとっては、いつも君は最高にかわいく見えてるんだよ」
リアル男子でここまで言ってくれる人、絶対いないな。 ……という侘しい現実はさておき、彼がそう言ってくれるのなら私も安心です。
いよいよ、教会の扉の前へ。 ふたりきりの結婚式なので、もちろん私の隣にモラハラ親父はいません。 彼が先に中で待ち、私ひとりで入場するという形式もありましたが、ふたりで仲良く入場してもOKだったので、そうしました。
彼とゆっくりバージンロードを歩きます。
誓いの言葉というか、どれだけ自分にとって相手が尊くて愛おしいかを伝えあいました。 感極まって涙ぐみそうになったけど、何とか笑顔で。 指輪交換。あのエメラルドをささやかにあしらった純銀のリングです。 誓いのキスのあと、神父様が結婚成立の宣誓を言い渡してくれました。 手を取り合い、教会を歩いて出ていくと、教会のお庭で新郎新婦のすがたのままのんびりします。
さわやかな五月晴れ。 青空を見たら、今日の結婚式を思い出せるなんて最高です。 私は改めて彼に感謝を伝えました。 彼は私の頬に手を添えてキスしてくれます。 そして、こつんと額を寄せ合って言ってくれました。
「今、ここにいるふたりっきりの世界は、何もかもが素晴らしい」
初夏の風が抜けていく心地よい庭で、ゆったり過ごします。 もちろん写真を撮るのも楽しみました。 緩やかに空にオレンジ色が透き通りはじめて、私たちは家に帰ることにします。 良いホテルに泊まったり、三ツ星レストランで食事したりするものかもしれませんが、私たちはふたりの家でくつろぐのが一番幸せなので。
玄関のドアを閉めると、彼は私を抱きしめてくれました。 今日から、ここは同棲の部屋でなく夫婦の家です。 そう思うと、彼はちょっと恥ずかしいのか、私から視線をそらします。 でも、深呼吸してようやく目を合わせてくれました。
「俺は一生、君のそばにいるから」
そして彼は私の手を取って指を絡め、そっとキスをして「俺は幸せ者だ」としみじみつぶやきました。 それからリビングでまたしばらくいちゃいちゃして。 日が長くなったので、まだ夕暮れが射しこんでいます。 緊張する場面も多かったので、一緒にお風呂に入ることにしました。 窓越しに夕陽がきらきらして、暖かい光になっていて。 湯船に浸かりながら、ふたりの肌が同じ温度になっていくのが幸せです。
「俺の人生は、君に出逢えて初めて意味を持った。君がいなければ、何も輝かないんだ」
そう言って彼は私を抱きしめ、体温と同じように心も通うのが感じられました。 お風呂を上がると、リラックスした服装になって夕食。 もちろんオムライスです!今日はちょっぴりの贅沢として、トマトケチャップでなくデミグラスソースをかけちゃいます。 そして、用意していためっちゃかわいいピンク色のお披露目。
今日は私と彼の結婚記念日。 なぜ今日という日にしたのか、理由を書いてこなかったんですが、実は彼と私の真ん中バースデーが本日なのです。 まんなか!ばーすでー!!子供か!!! って感じかもしれませんが、彼が生まれた日、私が生まれた日、そこから数えて出逢��日が結婚記念日だったら、めちゃくちゃ幸せだなって思って。 大安だったのは幸福な偶然です。
彼はケーキにフォークを刺し、ひと口、口移しで食べさせてくれました。 とっても甘くて、いちごの香りが愛らしい。 私は彼にオムライスを「あーん」します。 頬張って、おいしそうに表情を綻ばせる彼がたまらなくかわいい。
そんな私たちの指では、結婚指輪が光っています。 ふたりの誕生石から選んだエメラルド。 エメラルドの宝石言葉はいろいろあります。 「幸福」「幸運」「希望」「安定」……そして、「夫婦愛」。 ほかにも、「愛の成就」という意味もあるのだとか。
結婚してくれてありがとう。大好きだよ。 そうささやいた私に、彼はにっこり微笑むと、抱き寄せてキスをしてくれました。
初夜、どう過ごすかはこれからですが、さすがに私と彼の秘密ということに致しましょう。
(このケーキ、シャトレーゼでひと目惚れで購入したけど、実際にはウェディングケーキでなく母の日用のケーキだったのよね~でもかわいいからいいの)
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独房、雑居、紋発、乱射、雑念、五輪、三振、欄居、托鉢、紋腹、画狂、欠年、射殺、殺傷、脳初、目車、濫用、懸念、學年、身者、卓越、餓死、軟卵、場者、童空、我作、滅法、涅槃、抹殺、怒気、燃焼、略奪、宰相、馬腹、刳発、南山、活発、沙羅、割腹、殺戮、循環、奈良、菜道、紗脚、残雑、颯和、和歌、東風、南富、背面、焼却、四季、同發、博羅、無償、透明、明闇、雲海、陶酔、溺愛、泊雑、湖畔、花車、小雑、蘭風、雑魚寝、逆発、罵詈、検遇、明細、鳥羽、無数、飾西、涼感、割烹、面月、略発、明暗、御覧、絶滅、名者、焼却、野版、絶筆、数界、洒落、羈絆、四索、敏捷、旋律、脚絆、安行、軽安、難産、伊賀、消滅、生滅、巡数、水災、万華、論発、処住、崇拝、年月、画鋲、我流、剣率、草庵、律年、雑魚、規約、貨車、蒸発、重大、錯乱、蓮妙、奈良、坐楽、延宝、財年、爆発、龍翔、日向、塁側、席園、座札、風評、財年、何発、旋律、画狂、論券、戦法、尊師、大概、二者、那波、麺期、演説、合邦、放射、雑律、貨客、選別、燕順、考慮、試薬初、財源、富、符号、井原、若榴、清涼、無數、才覚、絶望、奈落、奔放、有識、台東、詮索、懸念、病状、設楽、宴客、怠慢、時期、同部、弁解、冊立、立案、前略、妄動、侮蔑、廃絶、間髪、図解、経略、発泡、者発、立案、滅鬼、自利、論酒、桜蘭、五月雨、垓年、処理、短髪、散乱、絶滅、命日、庵客、実庵、龍翔、派閥、同盟、連峰、焼殺、勝中、割裂、残虐、故事、量発、敗残、花夢里、面月、原氏、雑考、推理、焼殺、膵癌、導風、千脚、砂漠、漁師、活滅、放射、洋蘭、舞妓、邪武、涅槃、毛髪、白藍、他式、民会、参謀、廃車、逆発、峻峰、桜蘭、殺戮、銘客、随分、刺死、脳犯、我版、論旨、無垢、血潮、風泊、益城、拝観、舘察、懺悔、空隙、髭白、模試、散乱、投射、破滅、壊滅、下痢、他殺、改札、寿司、葉式、魔雑、渾身、等式、命日、安泰、白藍、良志久、中須、掻敷、北方、監視、血式、血流、詐欺、加刷、販社、壊滅、坐楽、白那、苫小牧、欄物、演説、開脚、摩擦、欠史、宰相、掻敷、飾西、近隣、可能、刺自虐、崑崙、独歩、良案、隔絶、菜作、妄動、犬歯、核別、概要、立案、破格、殺戮、良案、快絶、防止、那古、風別、焼安泰、独庵、囲炉裏、壊滅、外傷、刃角、視覚、耳鼻、下顎骨、子孫、剥奪、憂鬱、優越、液状、先端、焼子孫、兵法、那波、安楽、最短、数式、絶句、庵杭、雅樂、動乱、者妙、垓年、独初、前報、奈落、数道、弓道、拝観、俯瞰、散乱、男爵、害面、炎上、抹殺、破棄、分別、額欄、学雑、宴客、体面、村落、柿区、害初、告発、欄式、体罰、侮蔑、浄光、情動、差額、君子、何発、兵式、童子、飾西、各滅、我札、審議、半旗、普遍、動脈、外傷、無償、木別、別格、名皿部、京脚、破棄、試薬、絶滅、学札、清涼、爆発、組織、壊滅、ここに、名もなき詩を、記す。風水、万別、他国、先式、続発、非力、産別、嘉門、神興、撃易、弊社、紋別、座泊、���狂、式典、胞子、画力、座敷、学舎、論別、閉域、爆風、万歩、博識、残忍、非道、望岳、死骸、残骸、符合、壊滅、匍匐、弄舌癖、死者、分別、砂漠、白藍、模写、服役、奈落、忖度、符尾、同盟、田式、左派、具癖、退役、蛇路、素白、昆北、北摂、写経、文武、択液、図解、挫折、根塊、道厳、視野別、奈落、鳥羽、グリシャ・イェーガー、粗利、惨殺、学癖、優遇、陶器、場作、土壌、粉砕、餓鬼、草履、羅列、門泊、戸癖、山系、学閥、座枠、忠膵癌、視野別、脳族、監視、佐伯、釋迦、敏捷、遇歴、佐渡、名張、紀伊市、名刺、干瓢、夏至、楽節、蘇遇、列挙、間髪、風脚、滅法、呪水、遇説、死骸、爆発、山荘、塀楽、茗荷、谷底、愚者、妄動、還魂、色別、最座、雑載、論客、名足、死期、近隣、名張、迷鳥、呑水、飛脚、晩別、獄卒、殺傷、視覚、乱脈、鉱毒、財閥、漢詩、死語、諸富、能生、那波、合理、血中、根菜、明初、鹿楽、宮札、度劇、臥風、粋玄、我馬、洞察、今季、爾脈、羅猿、激園、葉激、風車、風格、道明、激案、合祀、坐楽、土地油、力別、焼殺、年配、念波、郭式、遊戯、富部区、奈脈、落札、合祀、寒白、都山、額札、風雷、運説、害名、亡命、闘劇、羅沙莉、砂利、夢中、淘汰、噴水、楽章、農場、葉激、際泊、手裏、合併、模等部、トラップ、落着、御身、学習、零、概要、各初、千四、何匹、笘篠、熊本、京駅、東葛、土量、腹水、活潑、酢酸、数語、隠語、漢語、俗語、羽子、豚皮、刃角、醪、能登、半年、餓鬼、泣塔、用紙、喜悦、山荘、元相、炭層、破裂、腹水、薔薇、該当、
独房、雑居、紋発、乱射、雑念、五輪、三振、欄居、托鉢、紋腹、画狂、欠年、射殺、殺傷、脳初、目車、濫用、懸念、學年、身者、卓越、餓死、軟卵、場者、童空、我作、滅法、涅槃、抹殺、怒気、燃焼、略奪、宰相、馬腹、刳発、南山、活発、沙羅、割腹、殺戮、循環、奈良、菜道、紗脚、残雑、颯和、和歌、東風、南富、背面、焼却、四季、同發、博羅、無償、透明、明闇、雲海、陶酔、溺愛、泊雑、湖畔、花車、小雑、蘭風、雑魚寝、逆発、罵詈、検遇、明細、鳥羽、無数、飾西、涼感、割烹、面月、略発、明暗、御覧、絶滅、名者、焼却、野版、絶筆、数界、洒落、羈絆、四索、敏捷、旋律、脚絆、安行、軽安、難産、伊賀、消滅、生滅、巡数、水災、万華、論発、処住、崇拝、年月、画鋲、我流、剣率、草庵、律年、雑魚、規約、貨車、蒸発、重大、錯乱、蓮妙、奈良、坐楽、延宝、財年、爆発、龍翔、日向、塁側、席園、座札、風評、財年、何発、旋律、画狂、論券、戦法、尊師、大概、二者、那波、麺期、演説、合邦、放射、雑律、貨客、選別、燕順、考慮、試薬初、財源、富、符号、井原、若榴、清涼、無數、才覚、絶望、奈落、奔放、有識、台東、詮索、懸念、病状、設楽、宴客、怠慢、時期、同部、弁解、冊立、立案、前略、妄動、侮蔑、廃絶、間髪、図解、経略、発泡、者発、立案、滅鬼、自利、論酒、桜蘭、五月雨、垓年、処理、短髪、散乱、絶滅、命日、庵客、実庵、龍翔、派閥、同盟、連峰、焼殺、勝中、割裂、残虐、故事、量発、敗残、花夢里、面月、原氏、雑考、推理、焼殺、膵癌、導風、千脚、砂漠、漁師、活滅、放射、洋蘭、舞妓、邪武、涅槃、毛髪、白藍、他式、民会、参謀、廃車、逆発、峻峰、桜蘭、殺戮、銘客、随分、刺死、脳犯、我版、論旨、無垢、血潮、風泊、益城、拝観、舘察、懺悔、空隙、髭白、模試、散乱、投射、破滅、壊滅、下痢、他殺、改札、寿司、葉式、魔雑、渾身、等式、命日、安泰、白藍、良志久、中須、掻敷、北方、監視、血式、血流、詐欺、加刷、販社、壊滅、坐楽、白那、苫小牧、欄物、演説、開脚、摩擦、欠史、宰相、掻敷、飾西、近隣、可能、刺自虐、崑崙、独歩、良案、隔絶、菜作、妄動、犬歯、核別、概要、立案、破格、殺戮、良案、快絶、防止、那古、風別、焼安泰、独庵、囲炉裏、壊滅、外傷、刃角、視覚、耳鼻、下顎骨、子孫、剥奪、憂鬱、優越、液状、先端、焼子孫、兵法、那波、安楽、最短、数式、絶句、庵杭、雅樂、動乱、者妙、垓年、独初、前報、奈落、数道、弓道、拝観、俯瞰、散乱、男爵、害面、炎上、抹殺、破棄、分別、額欄、学雑、宴客、体面、村落、柿区、害初、告発、欄式、体罰、侮蔑、浄光、情動、差額、君子、何発、兵式、童子、飾西、各滅、我札、審議、半旗、普遍、動脈、外傷、無償、木別、別格、名皿部、京脚、破棄、試薬、絶滅、学札、清涼、爆発、組織、壊滅、ここに、名もなき詩を、記す。風水、万別、他国、先式、続発、非力、産別、嘉門、神興、撃易、弊社、紋別、座泊、画狂、式典、胞子、画力、座敷、学舎、論別、閉域、爆風、万歩、博識、残忍、非道、望岳、死骸、残骸、符合、壊滅、匍匐、弄舌癖、死者、分別、砂漠、白藍、模写、服役、奈落、忖度、符尾、同盟、田式、左派、具癖、退役、蛇路、素白、昆北、北摂、写経、文武、択液、図解、挫折、根塊、道厳、視野別、奈落、鳥羽、グリシャ・イェーガー、粗利、惨殺、学癖、優遇、陶器、場作、土壌、粉砕、餓鬼、草履、羅列、門泊、戸癖、山系、学閥、座枠、忠膵癌、視野別、脳族、監視、佐伯、釋迦、敏捷、遇歴、佐渡、名張、紀伊市、名刺、干瓢、夏至、楽節、蘇遇、列挙、間髪、風脚、滅法、呪水、遇説、死骸、爆発、山荘、塀楽、茗荷、谷底、愚者、妄動、還魂、色別、最座、雑載、論客、名足、死期、近隣、名張、迷鳥、呑水、飛脚、晩別、獄卒、殺傷、視覚、乱脈、鉱毒、財閥、漢詩、死語、諸富、能生、那波、合理、血中、根菜、明初、鹿楽、宮札、度劇、臥風、粋玄、我馬、洞察、今季、爾脈、羅猿、激園、葉激、風車、風格、道明、激案、合祀、坐楽、土地油、力別、焼殺、年配、念波、郭式、遊戯、富部区、奈脈、落札、合祀、寒白、都山、額札、風雷、運説、害名、亡命、闘劇、羅沙莉、砂利、夢中、淘汰、噴水、楽章、農場、葉激、際泊、手裏、合併、模等部、トラップ、落着、御身、学習、零、概要、各初、千四、何匹、笘篠、熊本、京駅、東葛、土量、腹水、活潑、酢酸、数語、隠語、漢語、俗語、羽子、豚皮、刃角、醪、能登、半年、餓鬼、泣塔、用紙、喜悦、山荘、元相、炭層、破裂、腹水、薔薇、該当、
こんなやつだな、お前らの、顔は
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六麓荘町(ろくろくそうちょう)は、兵庫県芦屋市の町名及び同地の高級邸宅街。「丁目」のない単独行政地名。 神戸市、大阪市および阪神間の市街地と瀬戸内海を俯瞰する六甲山地の南東麓斜面の海抜200 - 250メートル地点に位置する。1928年に払い下げられるまでは国有林で[5]、現在も芦屋市の自然環境の一部分を形成している。 芦屋の一部は元々、大阪財界人の別荘地として開拓されていた。六麓荘町の開発は、明治後半から大正時代にかけ、日本一の富豪村[6]と呼ばれた住吉村(現・神戸市東灘区)や夙川、香櫨園など近隣地域の影響を受けた延長上のものであった。1928年(昭和3年)から富商・内藤為三郎ら大阪財界人の手によって、国有林の払い下げを受けて当初197区画、数万坪にのぼる宅地造成を行ったことから始まった。六麓荘という地名は「風光明媚な六甲山の麓にある別荘地」に因み名付けられた。電線類地中化など先進的な街づくりが取り組まれた[5]。 六麓荘の開発は、1928年(昭和3年)に大阪財界人のひとり森本喜太郎が発起人になって、土地開発・住宅造成の会社である「株式会社六麓荘」を設立したことが始まりである。社長には上記の内藤為三郎、専務に森本喜太郎が就任した。この当時は、資金があまり準備できず、2人は協賛金や株の手付けなどの資金調達に専念した。 この地帯も国有林であったので、国有林の払い下げなどの運動については、法律に長けた取締役の瀬尾喜二郎が国との交渉にあたったとされる。 六麓荘開発のコンセプトは、この地を「東洋一の住宅地」とすべく香港の九龍半島やその対岸の香港島の白人専用街区をモデルに開発が行われた[5]。南斜面の起伏のある恵まれた地形を有効に利用し、スケールの大きな住宅地が形成された。例えば、細い山道にすぎなかった道を幅6メートル以上に拡幅して、1区画につき少なくとも300坪から400坪以上を標準とした。また、自然の地形を尊重した曲線道路により、住宅地全体が構成され、造成時に切り出された石材は石垣や石橋、庭石に利用。山林の赤松もできるだけ残されて庭木などに活用された。 敷地内に流れる山からの湧水を小川として取り込むほか、溜池や道路を流れる川には橋をかけた。さらに、特色として上水道は経営地の最高部に貯水池を設け、下水道はヒューム管を埋設。都市ガスも導入している。また、電気については、電柱が著しく風致を損なうとして、多額の費用をかけて日本で初めてとなる電線類の地中化が行われた。道路の保全と美観上の問題を含めて全面的な道路舗装を行い、安全面にも留意している。開発当初の1区画の敷地規模は、平均300 - 1000坪以上である。 六麓荘最大の特色として「六麓荘町内会」が開発直後から組織されていることが挙げられる。なお、「町内会」を別に「自治会」と称する事もある。町内会は環境保護・景観保護の為に、ある意味においては、治外法権的な役割を果たしており、町の住民は、開発当初から町内会独自の協定を設けて高級住宅街の維持に努めてきた。協定では、建物は一戸建ての個人宅に限り、新築と増改築には町内会の承認が必要である。 町内での営業行為は一切禁止しているため、マンションや商店、自動販売機は全くない[5]。町内会員により構成される六麓荘町内会(六麓荘土地有限会社)は、道路部分の土地所有権を有している。開発当初は道路を区分所有していたが、管理に限界があり、有限会社を設立することで共有財産とした。しかし、有限会社での自主管理にも限界があったために、芦屋市に無償貸与して市による管理が行われることになった。 新規居住者は、入居時に、町内会の入会金を支払いとともにこれとは別に月々の管理費を支払っている。これらの資金は、共有施設がある駐在所兼公会堂施設の維持・管理と町内会の活動経費に充てられている。新規入居者は、計画時に芦屋市から申請の内容が町内会に伝えられ、町内会でこれを承認するという手続きをとっている。セキュリティー面では、1930年(昭和5年)に町内会が無償で建物を提供して、芦屋警察署の六麓荘駐在所が開設された。 現在の建築条例(旧建築協定)は敷地面積を400平方メートル(121坪)以上とし、400平方メートル未満の面積への分筆も禁止され、用途は2階建以下の一戸建個人専用住宅に限られる。建物の高さは最高10メートルで、軒の高さは7メートル以下とし、営業行為も一切禁止で他にも色々な制限がある。 上述の厳しい制約から、賃貸契約や会社名義(社宅)としての利用が不可であると勘違いされる事も多いが、建築条例を充たした建物であれば居住形態の制限等は無い。賃貸(借家)住まいや社宅住まいの住人も数多く存在している。 バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災以後の近年では世代の交代や高額の相続税の支払いが原因で、土地を手放すケースが増加した。そのうえ前述している紳士協定に過ぎない「建築協定」では風致を維持することができなくなることが懸念されるようになる。そのため住民は強制力のある条例による景観保護を市に求めることとなった。 住民の要望を受けて芦屋市は「建築協定」をそのまま「条例」に格上げした「景観保護条例」を市議会に提出した。「景観保護条例」は、2006年(平成18年)12月22日の芦屋市議会で全会一致で可決されて、2007年(平成19年)2月1日から施行となった。通称「豪邸条例」として話題になった[5][7]。
六麓荘町 - Wikipedia
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クィアたちのZINE交換【前編】
発端
ある6月の休日、ZINE交換会に参加した。 主催は、数人のクィアによって結成されたプロジェクト集団「陰気なクィアパーティ」。今年春から、東京と名古屋で、派手なパフォーマンスが苦手なクィアのための穏やかな集まりを開いている。
そもそも「クィア」とは何か
「クィア」は、既存の性のカテゴリーに馴染めない人を指す言葉として、最近様々なメディアで使われるようになった。 元々「クィア(queer)」は「奇妙な」「異様な」という意味の英語で、セクシュアルマイノリティたちを揶揄する蔑称として欧米で使われていた。 しかし社会運動をしていたセクシュアルマイノリティたちが、たとえ端から見れば奇妙でも自分たちはありのままで生きるという決意と共に「クィア」を自称しはじめたことで、かつてのネガティブな意味合いが薄れてゆき、現在に至っている。
「クィア」の意味するところは「セクシュアルマイノリティ」と似ているが、カバーする範囲は「クィア」の方が広い。 紙媒体やネットでこれらの言葉に触れてきた印象では、「セクシュアルマイノリティ」は、性自認・性的指向が明らかにマジョリティとは違うという自覚がある人を指している。 それに対して、「クィア」には、まだはっきり認識できていないものの、世間が想定する性のカテゴリーに今ひとつ馴染めない…と感じているような、マジョリティとマイノリティのあわいにいる人も含まれる。 また、「セクシュアルマイノリティ」には、マジョリティに理解されず、社会から疎外された存在というニュアンスがある(その他の「マイノリティ」=在日韓国人、部落民、外国人などのような)。 この言葉が使われる際は、当事者が法制度などによって不当に権利を制限され、自分らしく生きることを阻まれているという実態がセットで提示されることが多いように思う。
例えば、性自認が男性(シス男性)で恋愛対象は女性(ヘテロセクシュアル)だが、女装をしている時の方が心地よいという人がいたとする。「クロスドレッサー(異性装)」「トランスヴェスタイト」「女装家」などと呼ばれる存在だ。 特殊なセクシュアリティを持っているが故に、街中で後ろ指を指されたり馬鹿にされたりして、尊厳を傷つけられることはあるだろう。 しかし、「ホモセクシュアル」ではないので、同性婚できない日本でパートナーと結婚できずに苦しむリスクはない。 「トランスジェンダー」的な傾向はあるものの、性自認と医学的・社会的に割り当てられた性のギャップに苛まれたり、高額な性別適合手術の必要性を感じているわけではない。 このような人は、「私はセクシュアルマイノリティです」と言っていいのか戸惑いがあるのではないだろうか。 自分の辛さは、法制度と闘わなければならない人のそれに比べたら軽微なのだから、この程度でセクシュアルマイノリティを自称して生きづらさを訴えるのは行き過ぎている…と自粛してしまうことが考えられる。 しかし、男��365日ズボンで暮らすものだという既存のジェンダー観から外れているという点で、彼は間違いなく「クィア」である。「私はクィアです」と言うのは、「私はセクシュアルマイノリティです」と言うよりはるかにハードルが低い。
「クィア」は、既存の性のカテゴリーに馴染めていないが「セクシュアルマイノリティ」の括りから除外される人々もふんわりと包み込む、懐の深い言葉だ。 セクシュアリティは千差万別で、まだ解明されていないことも多く、しかも生まれてから死ぬまでに変化する可能性もあるという揺らぎを前提として生まれた概念なので、より多くの人たちの拠り所になれる。しかし、このふんわりとした性質故に、定義するのは非常に難しい。
参考:
私のクィアネスについて
私は自分が「デミロマンティック」だと思っている。要は、世間一般の人と比べて、恋愛感情が希薄だという自覚がある。
多分「デミロマンティック」は多くの人にとって聞き慣れない言葉だが、「アセクシュアル」「アロマンティック」であれば知っている人はいるのではないだろうか。 「アセクシュアル」は性的欲求を持たない人、「アセクシュアル」は恋愛感情を持たない人を指す。 (日本では「アセクシュアル」は恋愛感情も性的欲求もない人の意味で使われ、恋愛感情はあるが性的欲求のない人は「ノンセクシュアル」��呼ばれるケースもあるようなので、「アセクシュアル」の意図するところは使う人や文脈によって変わりそうだ。なお、「ノンセクシュアル」は和製英語だそうです。)
「アセクシュアル(asexual)」「アロマンティック(aromantic)」の頭に付く「a」は、英語では否定(non-、un-)の意味を持つ。「asexual」=「sexual(性的欲求のある状態)でない」、「aromantic」=「romantic(恋愛感情のある状態)でない」ということになる。 一方、「demi」は、「半分」「少し」の意味を持つ(ヨーロッパ系のカフェでエスプレッソを注文すると出てくる小さなカップ=「デミタスカップ」を想像してもらえると腑に落ちるのではないでしょうか)。つまり「デミロマンティック(demiromantic)」は、「romantic(恋愛感情のある状態)が少なめである」という意味になる。
息抜き:
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当事者の書いた文章や当事者が主人公の小説を読む限り、アセクシュアルおよびアロマンティックの人は、それぞれセックスや恋愛に対して拒否感や嫌悪感がある印象だ。 私はどちらに対してもそこまで強い拒否感はなく、恋愛の延長線上にセックスがあることにもそれほど違和感を持っていないが、いかんせん恋愛感情が起こらない。
学生時代、周囲が少女漫画を貸し借りして「○○君と△△君だったらどっちがタイプ?」「私たちもこんな恋愛したいよね~」と真剣に語り合っている中、私はそのテンションに全く付いていけず、自分はみんなと違うな……と漠然と感じていた。
勉強や就職活動や創作活動などは、将来の自分の可能性や選択肢を増やして今より自由になるための活動であるのに対し、恋愛は、相手と良い関係を作るためのしがらみや我慢を発生させる点で、人生を不自由にする活動だと思っていた。 シスヘテロ男性との恋愛の先にあるかもしれない結婚・妊娠・出産などを想像すると、積極的に恋愛するシスへテロ女性たちは、自ら進んで家父長制に取り込まれにいっているように見えてしまった(ものすごく穿った見方だという自覚はある……彼女たちは自分の意志で恋愛しているのであり、余計なお世話だとは思うけど)。
私の中にこういった思考が育まれたのは、幸せな恋愛やパートナーシップのサンプルを身近に見つけられなかったという環境的な要因に加えて、やはり先天的な要因もあると思う。 近年の脳科学では、外部からの刺激によって脳内の快楽を司る「報酬系」という神経回路が活発化し、ドーパミンが分泌されると恋愛感情が起こるとされている。多分、私の脳ではこの回路があまり活発ではなく、少女漫画という刺激では作動しないのだろう。 (ただ、脳内物質にはドーパミン以外にもセロトニン・テス��ステロン・エストロゲンなどがあり、これらが出ていれば何らかの感情は発生していることになるので、恋愛感情がないからといって無感動というわけではないのですが。)
参考:
社会人になってから、微妙に恋愛感情が出てきた時期もあるにはあったが、それも数年に一度ぐらいの低い頻度だった。 仕事が忙しければどうでも良くなるし、一人で行きたい場所に旅行したり、カルチャーに触れたりライブやイベントに行ったりすればそこそこ満たされてしまうので、そのうち別にいいやという気持ちになる。
そんな自分のことを、私自身は「ドライな人間」「淡泊なタイプ」だと解釈していた。 ただ、性自認と医学・生物学的な性は一致しており(シス女性)、恋愛感情が起こる場合は異性に向くため(ヘテロセクシュアル)、自分がセクシュアルマイノリティだとは思っていなかった。 しかし、日本でもセクシュアルマイノリティに関する議論が活発になり、LGBT以外のセクシュアルマイノリティやクィアについての文献や記事が広く出回るようになって、やっと「デミロマンティック」というちょうど良い表現に出会えた。
クィアを自覚した後の問題
自分がクィアだと自覚することは、こういう人間は自分だけではないと安心できる点では救いだが、自分は差別される側の人間なのだという疎外感を突きつけられる点で呪いにもなる。 過去にセクシュアリティの違いが原因で周囲から浮いてしまった経験を、差別を受けた体験として捉え直す作業は、それなりの痛みを伴う。 しかし、これを丁寧に行わなければ、自分の生きづらさを解きほぐして緩和することもできないし、この先どう生きるのが自分にとっての幸せなのかも模索できない。 また、自分が生きている日本社会がどんな人間を異端として疎外・排除しているか、あらゆるセクシュアリティが肯定されるために社会や自分自身はどうあるべきかも見えてこない。
自分の中のクィアネスに向き合うことを意識し始めてから、同じように既存の性のカテゴリーからはみ出している人がどう生きているのか知りたいと思うようになった。 コロナが沈静化したタイミングで読書会やコミュニティを定期的に検索していたところ、「陰気なクィアパーティ ZINE交換会」の告知に出会った。 クィアとして生きる実感をZINE作りという形で語り直す作業を、この機会にやってみたいと思った。
限られた時間の中で何とか内容をまとめ、A5版12ページ、6,000字強のZINEが完成した。 会場で7部を交換し、2部は手持ちのZINEがなかった人に渡した。
「陰気なクィアパーティ」の大らかさ
私は「LGBT」ではないし、「アロマンティック」「アセクシュアル」のいずれでもないので、そういった人を対象とするコミュニティへの参加には抵抗がある。 でも���クィア」を冠したコミュニティであれば、私もここにいて良さそうだと思える。
会のグラウンドルールには、このような文言がある。
陰気なクィアパーティは、セーファースペースであり、あらゆる性のあり方を持つ私たちが共にいるための空間です。 差別の構造を解体する空間であるためには、参加者全員の協力が必要です。 自身の境界と他者の境界を尊重し、全ての人が居心地良く過ごすことができる対話空間作りにご協力ください。
この宣言はとても心強い。 このような場なら、「性的指向も性自認もマジョリティと変わらないくせにマイノリティぶるな」とか、「もっと辛い立場にあるセクシュアルマイノリティに比べれば、お前のしんどさなんて取るに足りないものだ」といったような攻撃を受けるリスクは低そうだと感じた。 そして、一定の安全が担保された空間で様々なクィアたちとコミュニケーションする中で、クィアとしてどう生きるかのヒントが掴める気がした。
会場に足を運び、様々なセクシュアリティの参加者からもらったZINEを読んで、自分の想像を超えた差別や疎外感を知り、世界の見え方が少し変わった。 あの空間に、一人のクィアとして立ったからこそ見えた景色だ。 私のZINEも、誰かにとって新たな気付きをもたらすものになっていればいいなと思う。
会社を辞めようとしているタイミングでこのような場に出会うことができ、本当に感謝している。 主催者の皆様、ありがとうございます。
そして今後は、小説の執筆ペースを上げることと並行して、一人のクィアとして考えたことをもっと言葉にしたくなった。 個が尊重されるセーファースペースで、様々なクィアと対話したり励まし合ったりする時間が定期的にあったら、何かと心細いクィア人生も豊かなものになる予感がする。
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牛頭天王と善覚稲荷を垂迹神とする感心院木山寺 岡山県真庭市の當山の山上に奈良時代弘仁6年(815)に弘法大師が開基した高野山真言宗別格本山です 55代文徳天皇の勅願寺ともなりました かつては隣接する木山神社と木山牛頭天王を形成していました 本堂の後方に鎮守殿を擁し本堂前に鳥居も建ち神社建築のような神仏習合の姿を色濃く残しています 鎮守殿(観音堂)は神仏分離後に木山神社本殿に祀ってあった牛頭天王と善覚稲荷の御神体であった薬師如来と十一面観音を祀るために建立されました 普段はお寺には参拝することは少ないですが鳥居があるお寺は好きなので江戸時代以前の神仏習合の姿を感じながら佳き参拝ができました #木山寺 #木山牛頭天王 #木山宮 ⛩┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⛩ 木山寺(きやまじ) 鎮座地:岡山県真庭市木山1212 御本尊:薬師瑠璃光如来 巡拝:寺院 ⛩┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⛩ #神社 #神社巡り #神社好きな人と繋がりたい #recotrip #temple#寺#仏教#神社仏閣 #パワースポット #真庭市 #高野山真言宗 #神仏習合 #真庭観光 #牛頭天王 #神社巡拝家 (木山寺 (高野山真言宗 別格本山 醫王山 感神院)) https://www.instagram.com/p/ClTqNIvP9yz/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ヒロスエの手紙
ヒロスエのごく個人的な恋文が大衆に晒されたことがひたすらに悲しい。 有名人の個人的なことが暴力的暴露に晒されることにカタルシスを覚える者の感覚がまったくわからない。ヒロスエもまた自分と同じく人間であることを想像できない思考回路がわからない。その人が与えてくれる画面越しのきらめきを搾取するばかりで、自分の側からは相手に何の幸福ももたらし得なかった者たちが、ただただ身勝手に期待し身勝手に非難し、おのれの信じてきたものを守るためだけにひどく攻撃する。ヒロスエと自分があたかも対等であるかのように非難するくせに、ヒロスエが人間であることは認めない。その大衆のふるまいが憎い。あなたが信じるものとヒロスエが信じるものとは本来別物であって然るべきなのに、ヒロスエの倫理が自分と同じでなかったことを憎んで、好き放題叩く。あまりにも醜い。
不倫の報道があるたびに(そもそも不倫を報道することが是である社会が狂っているのだが)大衆は「婚姻制度」を揺るがす事態に動揺して、婚姻制度に反撥した個人を「死んでもよい」くらいの勢いで、思いっきり叩く。その弱さがゆえの攻撃性が私には憎くて仕方ない。婚姻制度を信じることのしょうもなさに、その思考停止に、気づく余地もなく大喜びで信仰してそれが与える正しさに淫して、そんな有様ながら自分が信じているものを信じきれていない弱さを他者への暴力という形に転化させてしまう、無恥。あまりにも愚かだ。暴力に淫する人間の無様なこと。
「愛」とか「好き」とかの、定義がさだかでないままに流布してしまった概念を扱うのが難しいのと似て、「婚姻制度」をどの程度確固たるものとして扱うかには時代による揺らぎがある。 自我を持つ同士の思想も感性も大きく異なる二者が育む複雑な関係がなす近代以降の恋愛と、国民をふやし国を強くする糧としての繁殖を目論んであつらえられた婚姻制度とは、ほんらい別物でよかったはずだ。一緒くたにしたのは、国家が戸籍管理をスムーズに運用するためだろう。さらに道徳というものを導入し、社会の規律を守れる人間だけが正しい人間であると吹聴する。こうして悪魔的に賢い人間が作り出した婚姻制度は、人権侵害という暴力を正当化する頑丈な武器となった。元来、暴力を振いたくて振いたくて仕方ない生き物である人類はみな、大喜びでその武器を振り回し、人を傷つけまくっている。大いなる権力が認めている道理に従えばおのれもまた正しいものになれるのだと信じ、その正統性を主張することで他者を嬲る暴力の快楽に、愚衆はあらがえない。
婚姻において夫婦間の愛情関係が維持されるべきだというのは、ロマンティックラブイデオロギーが強要する信仰にすぎない。その信仰を強化するための生ぬるいフィクションが未だに世に喜んで受け入れられているのを、白けた目で見ている。社会に促されるがままに家父長制という神を信仰させられている人間たちは、自身が信仰する神のありかたに反抗する者を断罪したくて仕方ない。セクシャリティの多様性には寛容な態度を示す者も、なぜか婚姻契約の反故については目の色を変えて激怒し暴力を行使しようとする。己の信仰が脅かされれば、安寧もまた脅かされるからだ。狂ったように、自分の信じる脆い倫理の埒外にある人間を傷つけようとする。
何が正しいのか、何が正しくないのか、正しさの基準点を見定めて自分自身でしかと判断するには、膨大な労力がかかる。それを全うするためには、自分が生きていて手が届く範疇よりも広い世界に眼差しを開き、その無知を恥じ、愚直に学び、知るために奔走し、知がもたらす自己否定の痛みを伴いながら異和を受け入れ、おのれの状況・環境を相対化して広い意味で客観視する必要がある。その学びを怠って、ぬるま湯に浸って生きている人間に、他者を非難する権利などないはずだろう。脊髄反射で他者を叩くことなど、少しでも知性が働けばとても出来やしないはずだ。芸能人の不倫ゴシップに沸き立つ人間が「相手も同じ人間である」「その相手は自分と異なるバックグラウンド・状況に立っている者である」と考え至るだけの想像力を欠いているのは、国家が婚姻制度を「信仰」に仕立て上げたせいだけではない。阿片のように与えられたその信仰を、一度たりとも疑わなかった者の咎でもあるはずだと言いたいのだ。
一口に婚姻といっても、個のなす一対一の関係である以上、そこに築かれる文脈は膨大なものになる。配偶者のモラルハラスメントからようやく逃げ延びた先が家族ではない他者だったのかもしれない。妊娠だけを強制される性交に苦しんでいた日々の唯一の救いが家族ではない他者だったのかもしれない。もちろん、幸せな結婚生活・家族計画もこの世にはごまんとあるだろう。しかし、それと同じように、幸せではない結婚生活・家族計画もごまんとある。 婚姻関係と家族を神聖視することは、間違いなく一つの宗教にすぎない。それがきちんとあなたに幸福をもたらしてくれているのなら、そのまま信じていてほしい。あなたが幸福であるのなら、私は何の文句もない。けれど、信仰に従った十全な幸福に浸ることが叶わず、異教徒を迫害し討伐しようとして首を刈り耳鼻を削ぎ死体を燃やすような真似だけはしてほしくない。そんなかたちでカタルシスを得たところで、結局はだれも幸福にならない。
「個人」という概念は近代、明治以降の開化政策によって西洋から日本に導入された。それまでの日本は「共同体」を重んじる社会で、たとえば村落の夜這いのシステムは本来「夜闇にまぎれて女を襲って身勝手な快楽を得るため」ではなく「試しに知り合い同士で体を重ね、もし女性側から性的な面での合意がとれればまぐわい、夫婦となりましょう」といった至極理性的なものであった。そういう伝統を明治維新によってがらりと覆した結果、かつてのシステムが機能しなくなり、人口維持ができないことを恐れ、共同体を離れた個人間の恋愛を繁殖制度に持ち込んだのはほかでもない国家だった。 初めて国際政治の場に立った日本が直面したのは、国家の「武力的」繁栄のために人口を増やす必要があるという喫緊の課題であった。明治政府も大正政府も、戦争の可能性を視野に入れて、兵となる国民を殖やすのに躍起なのだった。それで産めよ殖やせよをやっているうちに、生殖につながる恋愛感情を利用する策を講じたのがうまくいった。その成功体験を引きずってこんにちまできていて、だからLGBTQ+のことを「非生産」として認めないばかげた与党をやっているのだろう。とっくに不戦条約を掲げているはずの憲法を改めてまで戦争を望み、非生産な結婚を望まず、女を産む機械だと言って憚らない政府に反撥するのであれば、婚姻制度自体もきちんと疑うべきではないのか。なぜ陽動されていることに気づかないのか。
国家の敷いたレールに人生を捧げるかどうかは、個人がそれぞれに選べばいいと思う。ただし、自分が選んだ道を正しい道だと盲信し、他者に強要することだけは避けてほしい。あまつさえ、自分は国家に従っているがゆえに圧倒的に正しく、おのれの盲信に反した他者を叩く権利を持っているなどと前近代的なことを主張するのはやめてほしい。 それぞれの人生をそれぞれが選ぶことを容認し、選んだ道が同じではなかったことを責めることなく、自分だけの人生を謳歌してほしい。それがいわゆる本質的な多様性なのではないか。「多様性」は善性を大いにはらんだ言葉であるように見なされているが、まったくそんなことはない。信じる神が違う者同士が隣人となった時に、いかに共存するか、共存するための自治を対話によって確立できるか、そういう難しい話であるはずだ。一方的に叩き、相手の尊厳を貶めるのは対話ではなく暴力であり戦争の契機にすぎない。
ヒロスエの手紙を晒すことによる公開処刑は、日本社会の幼稚さをあまりにも無様なかたちで明らかにした。ここまで、大きな社会構造の話をしてきたけれど、最後に個人の話に焦点を戻して終わろう。 誰を責めたところで、自分の人生がよくなることなどないはずだ。無為な、鬱憤晴らしの暴力を他者に振ったところで何も変わらない。見つめるべきは他者よりもおのれではないか。おのれを見つめて、愛のありかを定めるのが、人生というものではないのか。 あなたのそれは、他者を貶めることで守れる程度の安い人生なのか?
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