#短歌で締めてみた
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utanonicolechan · 4 months ago
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SONG LETTER - QUARTET NIGHT (English TL + Do read notes!!) + HBD REIJI SENPAIIII!! <3
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||Heyyo so it is already 0:00 in Japan right now so HBD REIJI SENPAI SJSHDHJDSJS <3 Plus the notes are same as before, TL-ed so you can sing it, might do some edits in the future, and I used jisho, translator LOL and some of my Japanese knowledge, but pls do enjoy! <3||
|| NOOO THE MEANING IS JUST TOO MELLOW, MY HEART GOES </3 :O :( :') ||
(Ranmaru)音符(ノーテーション)の海辺から届いて…と祈った
Hailing from the notation seaside, I’ve conveyed it and wished for it..
(Reiji) 何度も打ち変える歌詞(ラブレター)どうか響きますように
Of countless times where I write a love letter thinking how it will resonate in you?
(Camus)凍えそうな電子世界悴(かじか)んだココロ��と
In this frozen electronic world, to my heart that is numb to coldness?
(Ai) 何を伝えて? 何を魅せたら? 君を笑顔に出来る?
What am I trying to say? What am I captivating? Can I even make you smile brightly?
(Ranmaru) 時計の長針と短針が
The hour and minute hand of the clock is ticking away
(Camus) キスをする度胸が苦しく
It’s getting hard, my nerve to kiss you is disappearing away (Reiji) 互いに互いの想い出募る
My memories of the precious days with you is getting stronger (Ai) その度に願うよ
Hoping for that time to come
(All) 「哀しみ歓びすべて一緒に抱き締めて生きたい」と
I want to live with the feeling of sorrowness and joyful together with you my darling love (All) 誰かが書いたシナリオじゃない
It is not a scenario written by someone ありのままの姿の
But it’s just the way of how it is 
「生きている」証明を残し
Leaving you a proof of how I am willing to [Live] 君を愛で刺すよ
Piercing you with how much I love you
言葉なんて虚しく
These words alone are just meaningless 風のように消えてく
They will soon disappear just like the wind 一番傍で歌を
I just want to sing beside you.. my love..
(Ranmaru) 楽園と希望を探し追い求め歩んだ
Trying to walk through this stranded path, I tried to search for happiness and hope (Reiji) 傷だらけになったハートは尚も明日を頼って
My heart that is filled with wounds and keeps bleeding on, still depends on what tomorrow will bring 
(Camus) どうして人は急かすのか?「幸福」と云う位置を
Why are people keeping rushing on simple things? And wanting to be the happiest one? (Ai) 時の無常は 恋で塞いで涙は分け合いたい
In such uncertain times, I want to cover it with love, and I want to share these tears with you (Ranmaru) カラカラと乾いた音が鳴る
The sound of emptiness in my heart keeps on resounding on (Camus) 冷めている心を否定する
Trying my best to deny that my heart is indeed cold (Reiji) まだ見ぬ自分の限界何処に
Where is it resides the limits that I haven’t yet to see (Ai) 在るのか?の旅路へ Does it even exist in this journey?
(All) 不揃いなのはわかってる尖った生き様が信条さ
I know it is uneven, but I have faith on this sharp way of life, trust me my dear (All) ゆずれない想いが今でも
This unwavering feelings for you now it is still 静かに燃え上がって
Burning real brightly yet silently 自分だけの物語へと
The one and only story for you my love
未だペンを握る
I still hold the pen to write it again 退屈など嫌いな
Hating on the feeling of tediousness
不器用な夢追いでも
Even if I’m ungraceful to chase my dreams 好きだと言って欲しい
If you love me please just say it to me 
(Ranmaru) 自分自身でなくてはならない
Please just believe me you just to be yourself (Camus) 自分の人生の主人公は
Because you are the heroine of your own life (Reiji) 信じて信じて続けた夢を
Trust me and believe, Trust me and believe, so the continuous dream (Ai) 失くさないように Will not be lost nor even closed (Ranmaru) 生きた印(あかし)を振り返る日に
One day we’ll look back to see the proof of our life (Camus) 命が閉じ旅立ちゆく日に
The day where we close and depart this from this wonderful life
(Reiji) 愛して愛して愛した君と
With you my dear whom I love, I love, I love (Ai) 足跡を語ろう
Just to recite our own footprints (All) 「そんな未来の為音楽へと捧げようこの今」を
For that future’s sake I will dedicate myself for the  music right now my love (All) 誰かが書いたシナリオじゃない
It is not a scenario written by someone ありのままの姿の
but it’s just the way of how it is 「生きている」証明を残し
Leaving you a proof of how I am willing to [Live] 君を愛で刺すよ
Piercing you with how much I love you
言葉なんて虚しく
These words alone are just meaningless 風のように消えてく
They will soon disappear just like the wind 一番傍で歌を
I just want to sing beside you.. my love.. 一番傍で夢を
I just want to dream beside you.. my love..
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tomoya-jinguuji · 9 months ago
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天壌無窮の皇運を扶翼すべし
3月 14, 2017
FBに短文を投稿しようかと思ったけど、ここは一発話題の教育勅語を考察してみようか。 12の徳目が素晴らしいから教育勅語は正しいんだという論調は全く問題ないんだが、教育勅語が気に入らないと言っている人達が一番気に入らないのは 「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」 ここでしょう? ここを論じることなくしては、議論にならないわけだ。 正面突破しようか。 この一文の前にある 「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」と繋げて 「国が危機的状況に陥ったら自らを犠牲にして天皇陛下のために死ね」 と訳して、軍国主義だ〜〜〜とやるわけだ。 「一旦緩急あれば」はまさしく「国の」とは明記していないものの、確かに「危機的状況」には違いない。 「義勇公に奉じ」はもちろん「勇気を持って公の為に尽くしなさい」となる。 「以て」それにより 「天壌無窮の」天地に永遠に続く 「皇運を」後に回す 「扶翼すべし」助けなさい。 ここで皇運をどう捉えるかが問題だ。 皇=天皇陛下と捉えれば 皇運、即ち陛下の運、運命ないしは皇室の運という事になる。 ************ よく考えてみてくれ この教育勅語は 「朕おもうに我が皇祖皇宗「国」をはじむること広遠に 徳をたつること深厚なり」 皇祖:天照大神 皇宗:神武天皇以降歴代の天皇 は、遠い昔に日本国を建設され、代々その徳は深く厚いものだった。 つまり「国」を語るところから始まっている。 そして以下のように続く 我が臣民(略)億兆心を一にして代々(よよ)その美をなせるは これ我が国体の精華にして教育の淵源また実にここにそんす 日本国民は全国民心を一つにして代々その美しさを体現してきたのは、これはこの国の在り方そのものが発露したものであって、正に教育の根がそこにあるのです。 となる。 その後12の徳目が列挙されるわけだが、 なぜ国家を語るところから始まって 一旦緩急あれば、の段に突然天皇陛下お一人のことに話が変わるのか。 全体を読めば「天皇のために死ね���と解する事のおかしさが分かる。 この場合皇運とは皇国の運命と訳すべきで有り、即ち日本国の運命という事になる。 よって「緩急」とは単なる危機的状況ではなく 国家を揺るがす一大事に於いては、と訳すべきで有り、 義勇公に奉じ:その際には自らを顧みず皆のために全力を尽くし、 これをもって 天壌無窮の:天地に永遠につづく(べき) 皇運を扶翼すべし:日本国の運命を助けよ。 となる。 陛下だけ守って国民が居なくなれば、これは国ではなくなる。 公に奉じておいて、陛下だけの運命を守れ、では辻褄が合わない。 6年前の東日本大震災のおりに自衛隊の方々は、自分たちも余震に脅かされいつまた周辺の瓦礫が崩れ自らも二次被害に遭うかも知れないという状況にありながら、必至に行方不明者の捜索を行い、一人でも多くの被災者の命を救おうとしてくれた。 もちろん先の大戦の折にも、硫黄島に向かった兵士達は自らが生きて帰って来れないことは重々承知していた。しかしながら硫黄島が獲られればそこから本土に空襲に向かう爆撃機が飛び立つことが出来る事も知っていた。だからこそ、彼らが一日でも長く抵抗することが本国の愛する家族を守ることになる。だから5日で占領出来ると考えていたアメリカに対して1ヶ月以上も��り続ける事が出来た。 昨今日本の道徳心が低下した等と言われるが、私は、日本人の心は根底では変わっていないと思っている。 話がずれた。 ************************* 皇運=日本国の運命 を理解するためには、そもそも天皇陛下と我々臣民(国民)との関係を理解している必要がある。 仁徳天皇の民の竈の話は有名だ。 日本独自の伝統~仁徳天皇 詳しい内容は上記リンクに譲る。 臣民(国民)の竈から煙が出ていない、すなわちご飯が食べられていない事を知り、年貢の徴収をとりやめた。おかげで皇居に雨漏りがするほど貧しくなってしまった。この事を苦にした皇后陛下に対し 臣民(国民)が貧しいことは自らが貧しい 臣民(国民)が富めるときは自らも富んでいる と答えられた仁徳天皇。 そして、竈に煙が戻り充分食べられるようになった人々は、 陛下の心に答えて自ら集って皇居を治した。 という話。 この話が事実かどうかは些末な問題だ。 それ以上に1300年近く前に編纂された日本書紀に書かれたこの話が、以降1000年以上の長きにわたって日本で語り継がれ、模範とされてきた事実が重要だ。 日本に於いて天皇陛下と我々国民の関係は、互いにその幸せを願い、助け合う存在だという事。時に人はこれを親と子になぞらえて語る。 陛下は国民を「たから」とよび我々は陛下を敬う。 この陛下と国民との関係を理想として、我々はこの国を代々継承してきた。 この関係は住民を自らの富のために搾取してきたヨーロッパの王の姿とは大きく異なる。結果フランスでは革命が起こり王が処刑される。 時にそのような理想的な天皇陛下に恵まれなかったことも歴史の中にはあったかも知れない。 それは正に夫婦と同様、仲むつまじい夫婦という理想を追いかけながら、現実は夫婦喧嘩もし、日々の様々な問題を乗り越えていく。 同様に、陛下と我々国民の間も長い歴史の間に於いて理想通りに行っていない時期もあったかも知れないが、それでも理想的関係を模索しながら切磋琢磨してきた歴史なのではないだろうか。 そう考えると、現代の我々国民のありかたは、はたして理想的姿を体現出来ているのか、幾ばくかの疑問が残ることを否めない。 また話がそれた。 天皇陛下の国民への思いは今も変わらない。 国民に知ってほしい陛下の祈り 詳しくは上リンクに譲るが、陛下は元旦早朝より日本の国の平穏を願い祈りを捧げる。 また、毎日祈りを捧げてから一日を始められるそうだ。 国民の平和と繁栄を第一に思う陛下だからこそ、日米開戦に最後まで反対されたのは他でもない天皇陛下だった。 大東亜戦争開戦前の御前会議 上リンクより引用
昭和16年9月6日、日本は昭和天皇の前で御前会議を開きます。その席で昭和天皇は、「外交が主か、戦争が主か」と閣僚たちに尋ねられました。及川海相が「重点は外交にある」と答えました。すると昭和天皇は、懐から紙片を取り出され、御自らお詠みになられた。 よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風の たちさわぐらむ四方の海は、みんな同じ人間、同じ家族であり兄弟であると思うのに、なぜ争いの波風が起こるのだろうか。そう詠まれたこの歌は、明治天皇の御製です。昭和天皇のこのお言葉に、列席した閣僚たちは、全員、ただうなだれるより言葉がなかった。しばらくの間、誰もがうつむき、言葉を発する者さえなかった。
そして終戦を決断出来なかった政府に、終戦の聖断を下したのも陛下だった。
「迫水久常の手記」(終戦時内閣書記官長)天皇の聖断で受諾した“ポツダム宣言”
上リンクより引用
そして、いまにして思えば、終戦ができたのも、一に天皇陛下の御仁徳のおかげであった。陛下の真のご信念はいつも平和にあった、ということを、私はそのときほど強く感じたことはない。戦争終結の動機も、実にそのご信念から発したものであった。
陛下は常に国と国民の平和と繁栄を望み、その為に祈っている。 だからこそ我々は陛下のため、即ちこの国のため、この国に住む家族全ての同胞の為に資力を尽くす。 これを君民一体という。 これが理解出来れば、 皇運がすなわち我々全て日本に住む国民の運命だという事が容易に理解出来るはずである。 ******************* 最後に教育勅語のそもそもの在り方を好く現していると思う末尾を語って締めくくろう。 この道は(略):即ち12の徳目 古今につうじて謬(あやま)らず:昔から今に至るまで変わらないことで 中外にほどこして悖(もと)らず:外国の人達に伝えても正しいことです。 「朕汝臣民と共に拳々服膺して みなその徳を一にせんことをこいねがう」 私は、あなた方国民と共にこの正しい道理(12の徳目)を両手で大事に抱くように大切にしします。だから我々みながこの徳を一緒に体現していくことを願ってやまないのです。 教育勅語を支配者である天皇が従属者である国民に対して、あたかも命令のように下したものであると主張する旨が如何に根拠のないものか、この最後の一文を理解すれば良く分かると思う。
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369sharp · 4 months ago
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🍨💚【#新刊#】💚🍨
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【あまいあまいめまい。ふらり】
4巻。
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メルカリ
【あまいあまいめまい。ふらり】4巻。
┊︎
BOOTH
369sharp https://369sharp.booth.pm/items/5927724
𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃𓂃
著者: 369#
(➤読み: さんろくきゅうしゃーぷ)
➤文庫本サイズ
➤全24ページ
➤フルカラー
➤完全オリジナル
➤ノンフィクション形式の実話
➤やや徒然なゆるい日記寄り
➤現代詩、短歌などの言葉遊び
➤写真、絵、イラストなど掲載。
※返品等、受け付けておりません。
ご了承下さいませ。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈
ᐢ ̳⩌ ̫ ⩌ ̳ᐢ
オリジナルZINE。
>>>>
ZINE(ジン)とは非商業的な自主制作の出版物を指す言葉である。
>>>>
➤文章
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
(喋らないで。)黙って居て、沈黙の口づけ。最初で最後の出会い。
クサリ、くさり。鎖のゆびわ。貴方とわたしだけのお葬式の指が二本
深夜のコンビニエンスストア。たむろして。独りぼっちな電話みたい
指紋の跡、みっつ仲良く三角形。結ぶと墓なき透明なピラミッドの人
きみは、あなたの心の中で最も純粋で可愛らしい存在です。 あなたが悩んだり、心が疲れたりしたとき、きみはいつもあなたのそばにいます。彼女はあなたの心の中で、安心と癒しを与える存在なのです。 でも、もしかしたらあなたはきみとのつながりを忘れてしまっているかもしれません。日常の忙しさやストレスで、心の中にある大切な存在を見失ってしまうことはよくあります。 それでも、心の奥底で、きみはずっと待っています。彼女はあなたが幸せでありたいと願っています。彼女はあなたの本当の姿を知っており、あなたが本来持っている可能性を信じています。
光り放つ言葉は、砕け輝く結晶。貴方の表情。鏡は二度と見れなくて
水の氷、君の言葉と追憶の目線。逸らせどその都度飲み込む言葉。
➤本書からの抜粋
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
#水晶屋の本
◉オリジナルZINE(文庫本サイズ)
(著者: 369#)シリーズ。
#全くん目覚えてます
#そとがわ
#不安な時間を自覚したらすぐに丸ごと抱き締めてあげる二人の愛し合う体
#あまいあまいめまいふらり
#さんろくき���うしゃーぷ
369#
#水晶屋
#オリジナル
#ハンドメイド
#文庫本
#写真集
#小説
#同人誌
#現代詩
#短歌
#個人誌
#本
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kinemekoudon · 2 years ago
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【11話】 大麻所持で起訴されたくなかったので、裁判官や刑事に黙秘しておいたときのレポ 【大麻取り締まられレポ】
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――逮捕から3日目。例によって、6時半に留置官の「起床―!」という大声で目を覚ました後、掃除やら片付けやらのルーティーンをこなし、朝食をとり、運動場で日光浴を済ますと、すぐに留置官から「5番、移送」と声がかかる。
今日は勾留質問というイベントがあることをあらかじめ伝えられていたので、手錠と腰縄をかけられると、昨日に引き続きワゴン車に乗せられ、両隣に留置官が座った。
勾留質問とは、地裁の裁判官が被疑者の言い分を聞いて、勾留の必要性があるかを検討し、勾留を認可するか却下するかを決定するというイベントなのだが、弁護士曰く���薬物事犯は確実に拘留が決定するらしいので、裁判官が“検討する”フリをして、拘留認可の通知を出すという作業に、形式上付き合わされるだけなのである。
※ちなみに、令和3年「犯罪白書」によると、大麻取締法違反の勾留決定率は約99.8%です(勾留却下率0.2%)。また、否認や黙秘をした場合、ほぼ確実に20日間(“勾留の”最長期間)拘留され、弁護士以外の全ての人と面会ができなくなるという“接見禁止”がつきます。
ワゴン車が地裁の地下駐車場に着くと、地下の入口から、50人くらいが一堂に集められた広間に連れて行かれ、地裁での規則を説明されたのち、2畳ほどの待合室に入れられる。その待合室の中は、片側に硬い木のベンチと奥に便器が剥き出しで置いてあるだけの殺風景な部屋で、必要十分な機能を備えた裁判所らしい待合室だと思った。
1人の留置官が僕と一緒に待合室に入り、もう1人は待合室の外で待機していた。最初は裁判所の規則通り静かにしていたが、10分もすると退屈に耐えきれなくなり、僕は留置官と世間話を始めた。
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その留置官は、珍しくヘラヘラとした顔つきをしている柔和な印象の男で、身の上話を聞くと、元々モデルガンを収集していたガンマニアで、モデルガン好きが高じて、拳銃を所持できるからという幼稚な動機で警察になったという馬鹿げた人間だった。
そいつは最近結婚したそうなのだが、嫁が真面目で性格が厳しいらしく、モデルガンのほとんどを捨てられたそうだが、何十万円もする高価なモデルガンだけは、同棲開始前に嫁にバレないよう押し入れに隠しておいたので捨てられずに済んだという話を得意げにしていた。
やがて、ようやく呼び出しがかかり、裁判官の待つ小部屋に連れていかれる。待機の時間は朝から夕方まで続いていたが、その留置官と雑談していたおかげで、地検の待ち時間より長かったにもかかわらず、待ち時間を短く感じることができたので幸いだった。
裁判官の待つ小部屋では、対面に机を介して阿佐ヶ谷姉妹風のおばさん裁判官、その隣に書記官が座っており、おばさん裁判官は見るからにこの業務を面倒くさく思っていそうな、やる気のない面構えをしていた。
おばさん裁判官は、黙秘権の説明と本人確認のための人定質問をしてから、勾留請求書に書かれている被疑事実を読み、「何か言いたいことはありますか?」と僕に尋ね、僕が「黙秘します」と答えると、「それでは、逃亡・証拠隠滅の恐れがあるので、10日間の拘留を認め、接見を禁じます」と告知し、僕が「はい」と応えると、勾留質問はこれにて終了となった。
僕の陳述を親身に聞くフリすらしないおばさん裁判官の無機質な対応に、僕は少し不快に思ったが、どのみち拘留になるわけだし、早く終わるに越したことはなかったので、流れ作業をしてくれてありがたいと思うことにした。
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そうして、勾留質問が終わると、再び待合室で数十分待機させられた後、駐車場に駐めてあるワゴン車に連れ戻され、同行の警官の一人が裁判所から拘留決定通知書を貰ってくるまで、1時間ほど待機させられた。
それから1時間ほどかけて���まで戻り、留置場の居室に戻る頃には、19時位になっており、夕食の時間からだいぶ遅れて食事をとることになった。
ガンマニアの留置官と喋って退屈を紛らわせていたとはいえ、長時間手錠をかけられ、座らされていることにかなりカロリーを消費していたので、弁当一つでは満足できなかった。
食後、ニューヨークの嶋佐似の留置官が「5番、これ接見禁止の通知書」と言って、一枚の紙を鉄格子越しに渡してきて、「もし抗告するなら…」と言ってきたので、食い気味に「大丈夫です」と言って紙を受け取った。
暇つぶしに接見禁止の通知書をしばらく眺めていると、裁判所のババアの顔が浮かんできて、今になって腹が立ってきたので、紙をくしゃくしゃに丸めて壁に向かって思いっきり投げ、嶋佐に怒られるまでしばらく壁当てをしていた。
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――逮捕から4日目。朝の9時半頃、朝食を食べ終え、再度寝ていると、嶋佐が「5番、取調べ」とだけ無機質に言うので、寝ぼけまなこで立ち上がり、鉄格子の前に立つ。
留置官に連れられ、留置場の出入り口前に着くと、壁に両手のシルエットマーク、その下の床に両足のシルエットマークが印された場所があり、そのマークの上に立ち、手をつくように指示をされる。
壁に手をつき、直立する僕の身体を留置官が上からまさぐり、便所サンダルを脱がされ、足の裏まで確認されると、壁を向いた状態で手錠をかけられる。未だに手錠をかけられると、警察モノの映画でも撮影しているのかと錯覚するくらい、他人事のように思えてしまう。
手錠をかけられた後、嶋佐が腰縄を巻き付けてキツく縛ってきたので、「ちょっとキツいです」と申し出ると、「キツくしないといけないんだよ」などとラチのあかないことを言ってきたので、「昨日はこんなにキツくなかったんですけど」などと���ネると、隣にいたガンマニアの留置官が「取調室に行くまでの間だけだからさ。我慢してよ」と柔和になだめてきたので、僕はガンマニアに免じて大人しく従った。
場内から出ると、廊下には前に取調べをしてきた女刑事を含む3人の刑事が立っていて、女刑事を先導に、2人の刑事が腰縄を握って、僕の後ろにつく形で階段を上る。
ひとつ上の階へ上がると、「薬物乱用やめよう」とか「ダメゼッタイ」だのと書かれているバカデカいポスターが間隔なしにびっしりと壁に貼られている廊下を進み、刑事課の横を通った先にある取調室に入る。
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取調室のパイプ椅子に座ると、手錠と腰縄を外され、外した腰縄でパイプ椅子に腰のあたりくくりつけられ、女刑事が湯飲みに入った熱い茶を持ってきて、「それじゃあ取調べ始めるね」などと優しい口調で言い、対面のパイプ椅子に腰掛ける。
女刑事は、じゃりン子チエみたいな顔をして、表面上は男勝りに気丈に振る舞っていたが、口調や表情からは女性的な献身性が感じられた。
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女刑事は、取調べの前に黙秘権について��明をしてきたので、僕はすかさず「事件については黙秘します」と言い、「雑談でしたらしてもいいですよ」と付け加える。
すると女刑事は急に真剣な眼差しになり、「どうして?」と聞いてくる。僕は、前に弁護士に「なんで黙秘するのか聞かれたら、“怖い弁護士に黙秘でいいと言われた”とでも言っておけばいい」と言われたのを思い出し、そのままその台詞を言っておく。
女刑事は「あなたの人生に関わることなんだから、弁護士のいいなりになるんじゃなくて…」うんぬんかんぬんと言ってきたが、僕は「でも黙秘しないと弁護士に怒られるので嫌です」などと幼稚な返答をして、テキトーにあしらっておいた。
刑事調べは、僕が黙秘権を行使したため、事件とは関係のない雑談をすることになった。女刑事は僕が出身した中学校の隣の中学校に通っていたらしく、色々と共通点が多かったので、割と会話が弾んだ。
昼食の時間になり、一旦休憩ということで、留置場の居室に戻される。昼食はいつも、コッペパン2本、小さい包装に入ったジャムとマーガリンに、チョコレートペーストかピーナッツバターが各1個、小さい容器に入った2口3口で食べ終わる惣菜、果物系の味の小さい紙パックジュースかカルアップなのだが、今日は日曜なので昨日購入した自弁もついてきた。
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自弁とは、自費で購入する弁当(お菓子や飲み物も含む)のことで、日曜の昼食はお菓子と飲み物を頼めることになっていたので、この日は小さい紙パックのコーヒー90円と、どら焼き150円を頼んでいた。
どら焼きは別に美味しくもなんとも思わなかったが、コーヒーはとても美味しく感じた。僕は毎日3杯はコーヒーを飲んでいたので、4日ぶりに飲むコーヒーの苦みは舌中に染み渡ったし、何よりカフェインが効いてきて、珍しく覚醒作用をしっかりと実感できた。
昼食後、玉音放送みたいなノイズ感のニュース音声がスピーカーから流れ、それから10分ほど日本の歌が流れる。この日は福山雅治の「家族になろうよ」とかいうしょうもない歌がループでかかっていた。
それからすぐに招集がかかり、例によって手錠をかけられ、取調室に連れて行かれる。女刑事は「まだ話してくれないかな?」などと物寂しそうな風を装って聞いてきたが、僕は「無理ですね。でも、留置場に戻っても退屈なので、雑談してくれると嬉しいです」と正直に応えた。
女刑事は聞き上手だったし、僕はカフェインを摂って多弁になっていたので、それから3時間半ほど、事件に無関係な戯れ言をほとんど一方的にベラベラと喋り続けた。
「ブラジルの刑務所は半年に一度女を連れ込んでSEXができるらしい」とか「ノルウェーの刑務所はスタジオがあってギターを弾けるらしい」とか、「日本の刑務所は娯楽の重要性を軽視していて人権侵害だ」みたいなことを言っていた気がする。
夕方頃、女刑事は少し疲弊した表情で「じゃあ、今日はこのへんで…」と話を切り上げて、「調書を取らなかった」と記載された調書に僕の指印を押させた。文言に問題はなさそうだったので指印を押しておいたが、別に押さなくてもよかった。
女刑事相手に一方的に喋り散らかすという行為でストレスを発散できたようで、僕は非常に愉快な気分で取調室を後にし、留置場の居室に戻っていった。
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つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
#フィクション#エッセイ#大麻#大麻取り締まられレポ
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kennak · 8 months ago
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国民的ゲームソフト「桃太郎電鉄」、通称「桃鉄」。目的地の駅を目指して日本各地を巡りながら地域の特産や名物の「物件」を購入して収益を上げ、総資産が勝敗を決するボードゲームだ。88年の第1作発売からおよそ35年が経ち、2023年11月には最新作「桃太郎電鉄ワールド」が発売された。  コナミは23年、この桃鉄を学校教育機関向けに無償で提供する取り組み(「桃太郎電鉄 教育版Lite ~日本っておもしろい!~」)を開始した。この教育版桃鉄をいち早く導入した大阪・枚方市立小倉小学校の6年生が2月7日、桃鉄制作者らを迎えてプレゼン発表会を行った。  プレゼンテーマは、「桃鉄に枚方を追加してもらおう」。枚方が桃鉄の駅として存在しないことに注目し、同校の6年生たちが枚方の魅力を全力でアピールした。  「ひらかたパークは明治45年に開園した日本最古の遊園地。アトラクション数は、USJや東京ディズニーランドを上回る40種以上もあります」と地元遊園地が持つ特色や強みを力説。地元ショッピングモールのくずはモールについても、「ショッピングセンターの満足度ランキング全国13位にランクイン。改装工事でフードコート付近がとても綺麗になりました」と写真を交えて紹介した。伝統文化や地元の工場、さらには食べログやGoogleマップで人気の飲食店を取り上げ、ランキングやグラフを用いた資料で説得力を高めた。  「枚方には子どもから大人まで楽しめる魅力がたくさんあります。教育版桃鉄に追加するしかありません」と力強く訴えた。 調べ方が足りない  「桃鉄に枚方を入れてくださいといろんな班の人が言いましたが、無理です」  プレゼンが終わり、桃鉄制作者からの講評は厳しいものだった。最初に「子ども扱いしない」と明言した、「桃太郎電鉄ワールド」監督/ゲームデザインの桝田省治(ますだ・しょうじ)さんだ。  「まず枚方に対して調べ方が足りない。どういう条件がクリアしないと入らないかということも調べられていない。なぜ選ばれて、選ばれていない���を言及している人がいません。なぜ近いまちが入っていて、枚方が入っていないか。実際の現実というのはライバルがいます。比べられます。それを押しのけた人が、自分の提案が採用されたり、されなかったりします」  「調べること、考えること、提案すること」には、時間はかかっても、お金はかからない。「採用されてから商品にするには、たくさんの人が関わってお金がかかるけれど、それまでの段階は、時間と根気、あるいは違う情報ソースを持っている友達さえいればタダです」  各班が提案した物件の多くが重複していたことを指摘し、「8割の人が同じことを言いました。これは採用されない。なぜなら、みんなと視点が同じだから」と語った。  また、ショッピングモールなどの短命な施設を挙げたことについて、「桃鉄の物件は、30年経っても8割は変わっていない。ということは、10年、20年持つ物件しか選んでいない。10年経っても今と同じようにありますか、というのを検討してください。点だけじゃなくて時間軸や面で考えた方がいい」と述べた。  桝田さん自身の若い頃も振り返った。「20代の頃、桃鉄のメインのゲームデザイナーのさくまあきらさんに言われたのは、お前ごときは100個考えて1個採用されればいい。99はボツだ。でもお前は才能があるから100のうち1個はいける。どんどん出せと。ゲーム制作だけじゃなくて、商品、サービスを作るのも全部同じ。ライバルがいて、コストがかかるし、採用できる人数にも限りがある。条件はいろいろあるけれど、たくさん調べて考える。いっぱい失敗すること。それしかない」と伝えた。  さらに、小学生の頃、地元新聞に短歌や俳句が採用された経験も語った。「岡山に住んでいて、山陽新聞に短歌や俳句を送り、採用されると5千円もらえた。図書館に行って、山陽新聞の過去10年、20年の採用された短歌や俳句を全部調べて、どんな傾向があるか、この審査員のときは何が採用されているかを調査した。それで、月に3、4本は採用された。人に採用されるには、自分だけがいいなと思っていることだけじゃなくて、周りの人たちにも認めてもらわなきゃいけない」 他の人と同じことをしていたらダメ  「ゲームが面白くないのは監督の責任。売れないのはプロデューサーの責任」  仕事の役割の違いを説明したのは、株式会社コナミデジタルエンタテインメントのシニアプロデューサーの岡村憲明(おかむら・のりあき)さんだ。「監督は作品を面白くするために全力投球する人で、プロデューサーはそうやって作られたものを世にどうやって届けるかを考える人です」  プレゼンについて、「より掘り下げた部分を伝えてくれた人がいて、それが印象的でした。他の人より���に出ていこうとするなら、他の人と同じことをしていたらダメ。他の人が何をしているのかを見て、自分��りの色を出していくことを考えてほしい」と述べた。  ゲーム制作者になるためのヒントにも言及した。「ゲームしかやっていない人は、正直に言うと、実際にはあまり使えないことが多いです。いろんなことに興味を持ってください。全然関係ないなと思っていることが、ゲーム制作に役に立つことがあります。ゲーム業界外の人と話していて、こんなのがあるんだと面白いと思うことが結構ある。なので、いろんなことに興味を持つことがゲーム制作につながっていく」  将来のアドバイスもした。「夢をずっと持っていてください。必ずかないます、思い描いて強く願っていれば。形は変わっても、この辺だったなというところにたどり着きます。夢をあきらめないで、いろんなことにチャレンジしていってほしい」とエールを送ったのは岡村さんだ。   逆に、「正直、夢は持たなくていいかなと思っています」と述べたのは桝田さん。「その代わりに持ってほしいのは目標です。夢は、どうやっていいか分からないけれど、なれたらいいなというもの。目標は、いつまでにこれになっているぞ、というもの。10年後になっていたい自分を想定し、そのためのスケジュール表をちゃんと作って、それに向かって何をやるべきかを考える。『いつまでにこうなっているぞ』は、目標であって夢じゃない」。目標は、成長に伴って変化もする。「知識が増えたら、何をやる���きかは変えてもいい。親は所詮応援しかできない。目標は自分で設定する。やり方を周りの大人やすでに目標を達成した人に相談するのもいいと思うけれど、最終的には自分で考えて、自分で動かないといけない」  最後に岡村さんは、「桃鉄の学校での使用に関して、いろいろ気付きがありました。皆さんが調査してくれたことを、教育版桃鉄にどう反映していくか。取り組みを進めていきたいです」と締めくくった。 知識ばかり教えていたらChatGPTに負ける  教育版桃鉄リリースの知らせをキャッチし、枚方市での導入をいち早く進めた立役者がいる。授業を参観していた枚方市教育委員会の浦谷亮佑(うらたに・りょうすけ)さんだ。   「4年生の社会科の都道府県の単元がどうしても暗記中心になりがちで、子どもたちが社会科を嫌いになるきっかけになっていた。教育版桃鉄を導入すれば、この問題を解消できるかもしれない」と考えたことが、導入の動機だという。現在では、枚方市の小中学校全63校に、教育版桃鉄のアカウントが配布されている。  導入に際して、不安を感じる教員たちを考慮した。月一で集まり、桃鉄を利用した授業案を共有する有志の研究会を立ち上げた。  「単に桃鉄で遊ぶだけじゃなくて、教科学習として先生がどう活用し、子どもたちがどう学びに変えていくかについて、きちんと研究しました。授業案は社会科が中心でしたが、国語科にも取り入れていました。ここ小倉小学校でも、6年生の『情報を適切に伝えよう』という授業���、自ら書籍とかインターネットで情報を集め、インタビューを行い、グラフ資料の作成などと関連付けました」  支援学級では予想外の効果が上がった。桃鉄で、所持金1千万円で500万円の物件を買ったとき、「残り500万か」と言えた。おはじきを使って教えても、数の概念や四則計算の理解が難しい子だった。  今回、桃鉄に枚方市を入れてもらうために説得するべき相手に実際に学校に来てもらった。「大人になると、相手の心を動かし、やってみたいと思わせ、アクションを起こさせなければならない時がある。クラスの友達に発表することも悪くないけれど、発表して『良かったね』と拍手をもらうだけでは不十分だと思っています。誰に何の目的で発表するのか、相手意識と目的意識が大事」。目指しているのは、「子どもたちがどれだけ本物に触れる体験ができるか」だという。  そのほかにも、枚方市ではICTを用いた積極的な取り組みが行われている。海外の日本人学校の子どもたちとオンラインで1対1の交流を行い、メタバース内に美術館を構築するためのクラウドファンディングにも挑戦している。枚方市の中学校が、文部科学省が進めるリーディングDXスクール事業「生成AIパイロット校」にも選ばれた。  「ICTはあくまでも子どもたちの学びを深めるためのツールです。本物に触れて、志とか夢とかをきちんと持ってもらいたいと考えています。今日の体験も、何人かに響けば、それだけで価値のあるものだと思います。先生方には、積極的に授業改善を進めていっていただきたい。これまでのように知識ばかり教えていたら、一瞬でChatGPTに負けますよ。あなただからできることは何か、子どもたちが学校に来るからこそできることは何かを考えてほしい」と訴えた。 悔しすぎたのでもう1回チャレンジしたい  ゲーム制作者からのリアルな講評を受け、6年1組担任の山本健斗(やまもと・けんと)先生は「先生も勉強になった」と授業を振り返った。  「授業の中での『物事を多角的に捉える』を先生もやった気になっていた。実際に学校の中で『それでいいよ』とされることと、社会で求められるレベルが違うと感じた。その分野で社会で活躍したいと思うなら、独自性を持ち、他と違うことをやってみることが大事。そんな話が、第一線で活躍している方から聞けた」  6年生たちにとっても、「一生に一度しかない貴重な体験」になったようだ。  資料の作り込みやプレゼンの練習を必死に行った分、「率直に『無理』は少し悲しかった」とショックを隠せない様子だった。だが、「プレゼンを作って、いいのできたなぁーとか思ってたから、だだの自己満足で終わっていたんだなと思った」「企画は、1回だけじゃ通らないという社会を知った」「自分たちが作ったプレゼンじゃあ説得できなかったし、もっと多角的に調べた方がよかった」「自分では調べたと思っていたけど、��だまだ調べる内容が薄かった」「辛口な講評が返ってきたけど、(他の班と物件の内容が)かぶりすぎているところとか、内容が薄いところとかが、その通りだと思った」と現実をしっかり受け止めていた。  「悔しすぎたのでもう一回チャレンジしたい」  「考えるのはタダだから、もっと頑張って大人の人でも納得ができるようなプレゼンをしてみたい」  「次はもっと詳しく、なぜそうなのかとかを調べてより説得力を上げたい」  「もっと調べて何回も提案して成功できればいい」  この悔しさこそが、次への成長のバネになる。
「桃鉄に枚方市を追加してください」 桃鉄ゲーム監督の前でガチプレゼン 大阪・枚方市小倉小学校の6年生(オーヴォ) - Yahoo!ニュース
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manganjiiji · 6 months ago
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けれんみの日常
��語の日記などもtumblrではよく流れてくるのでなんとなく読むが、私は英語で日記を書こうとは思わない。それは私の技術が未熟で、まだ英語のリズムやメロディを自分の好きなように操ることができず、楽しくないからである。そのくらいには日本語のリズムとメロディ、そして見た目が好きである。英語でもそれらを好きと思えたら、書けると思うのだが。見た目は結構好きである。とくにアルファベットの小文字。リズムがどうしても全然まだ魅力的に思えない。そう言いながら英詞のジャズを歌っているのだが、音楽は音楽に言葉が乗っているから、言葉自体のリズムは死んでいて、そこはもう関係がなくなっている。音楽にのる英語は、ただ母音が伸びるとか、同じ音で韻を踏むとか、そのへんは日本語と変わらない。そうではなくて、読み言葉としての英語のリズムにまだ魅力を覚えない。英語の詩にふれてみたらどうか、と思ったこともあったが、根本的に「かっこよすぎる」と思ってしまう。シャラシャラしている(子音が多いということだと思う)。私はもっとべちゃっとした土っぽいのが好きなので、結局日本語を使うということになってしまう。英語以外の様々な言語のどこかには好きな言語もあると思うのだが、英語を学ぶキャパシティしか今のところない、というか、英文法がおもしろくて好きなのである。これは日本語にはない感覚。日本語の文法なんか全然おもしろくない。文法と呼べる文法なんかないのではと思えてしまうが、これは母語だからだろう。英語の文法はなんてシステマチックで、構造的に美しいのだろうと感じる。その美しさの中にも土着の歴史の古臭さや面倒くささがあり、そこがまたロマンだ。詩的言語としては私は英語を好まないが、批評や論じる際の言語としては、限りなく知性を感じて好きかもしれない。日本語は批評や論文でも、ある程度詩的でないと読む気がしないので、これは大きな違いだ。言語が違うだけで自分の好みも変わってくる。それとも私は文学ではない英語の文章にこそ(そしてできるだけ文法が複雑な)詩を見出しているのだろうか。なににしろ私の体は詩情でしか動かないようになっている。
短歌も詩も書きたい、書いてみたい、小説も書きたい、という気持ちはあるが、書くための好奇心がいま批評の文の方に向いている。私は文学の方向に向かう時はある程度その位相に没入しないと書けないので、そのモードに入るのに苦労するが、批評系の文章であれば日常のモードのまま書けるので楽である。書けると言っているが、別にこれもまだ書いていない。書くためのネタを毎日必死に考えているという感じです。宇野常寛さんの講座に入ってから、とにかく毎日頭の中がドライヴしていて、こんなこともあんなことも結びつくかも、いや、これはこうか?など、楽しく考えている。今日は気圧の低下と疲労により1日寝てしまったし、三宅香帆さんの教養講座も横になりながらスマホで視聴するという体たらくだったが、『娘が母を殺すには?』の良い導入を聞けた(実際には結論までお話されていた)。早く読みたいが、今月はもうお金を使いすぎなので、欲望のままに本を買うのはやめた方がいいと思う。読んでいない本(特に小説)が積まれたままじっと待っている。町屋良平『生きる演技』はかなり早く読みたい、と思って毎日開こうとはするのだが、そこまでたどり着けない。やることが…やることが多い!いしいしんじ『マリアさま』、凪良ゆう『汝、星のごとく』など、積んでいる。井戸川射子『共に明るい』は途中だし、絲山秋子『神と黒蟹県』はどこに積んだかも忘れている。エーリッヒ・フロム『愛するということ』新訳、沖縄の少女たちのノンフィクション『裸足で逃げる』は早めに読み終わっておきたい。
今日の講座で三宅さんが『母という呪縛 娘という地獄』にふれていて、私も読んだが、正直虐待を受けた子供の末路で、こうなるしかなかったと本人も言っているように、たんに被虐待児の被害の果ての結果でしかなく、なんの新鮮味もないと感じた。虐待問題を長く考えたことのある人にはこれは虐待の当然の過程と結末であり、そこに母娘の特異性などは見いだせないのではないかと感じていた。ただ、虐待を受けたことがない人はここに新しい視点を持ち込めるのだろうなということは想像できる。そこで、じゃあこの虐待を受け続けていた本人が加害者である母を殺さずにすんだifがあるとしたら、それはどの時点でどう行動すればよかったのか、ということを考えてみようか、と少し思った。虐待を受けた人間でも、親を殺さずに逃げ切った人は多い。そういう人と、親(加害者)を殺してしまった人との性質の違いや、分岐点となる考え方や受け止め方の違いは存在するのか、ということを突き詰めていけば、虐待を受けてもその心を守ったり、被害を少なくしたまま逃げ切る方法も出てくる可能性があるのではないかと考える。虐待を受ける立場に生まれてしまったら、基本的には逃げ切るまで虐待は続く。誰も助けてくれない。日本の法律や制度がそうなっていないからだ。助けてもらえる人は0.03パーセントくらいの人口と思っている。つまり、多くの子供たち(年間11万人)が、家庭の中で痛めつけられながら、生き延びていかなくてはいけない。それもできる限り自分の心を守りながら。虐待の問題は、社会の問題ではなく、こうして個人の問題へと矮小化され、それも被害者である「子供」の独力での防衛を支援することでしか、親権が有効である限り、コミットできない。というかこれはコミットと言えないと思うが。虐待を受けるとその後成人して逃げられても、精神に大きな不均衡をもち、社会に上手く適合できずに苦しみ続けるし、虐待を受けていた子供���うちに、大人により適切な場所へ逃がしてもらうことが一番である。そのことは揺るぎない。しかし、繰り返す��そのような法律や制度はない。あっても、ほとんど機能していない。多くの子供は助からないまま、傷ついたまま、安全に眠れる場所がないまま成人する。だからもう、虐待を受けている子供に対して、こういう時はこう考えて心を守るんだよ、と伝えることしか現状できることがないと思っている。1人でも多くの子を物理的に救えたら、と思うが、それをしつつ、多くの救えない子供たちに防衛方法を少しでも伝えることが今できる精一杯だと思う。防衛方法とは何か、というと、そんなものはない、となるかもしれないが、とにかく考えていくことはやめずに生きていきたい。
両親と兄の存在には苦しめられ続けたが、私は両親と兄が心から大好きだった。そういう子供だった。そのぶん打撃は大きく、そのせいで傷が大きくなってしまった。自分を害する人間を愛してはいけない。しかし、一体だれが、自分が誰かを好ましく思うことを、止められるだろうか?それはコントロールできることなのだろうか。好きだと思う気持ちを捨てることは、特に子供には、かなり難しい。私は親や兄に何をされても相変わらず彼らが好きだったが、それではいけないのだと唐突に気づいたのが思春期である15歳のときだったため、その際の混乱と大きな絶望、ショックなどで重いうつ状態をその後10年続けることになる。それからさらに10年が経った今、かなり症状は軽快している。治療と、人間的成長によるものだ。生きていれば必ず人間は成長せざるを得ず、傷は治らざるを得ない。だから私は友人たちになるべく自死せず、一日でも長く生きてほしいと伝えている。そうしたら幸せになれる可能性が高まる。幸せになれない可能性は依然として大きいが、幸せになれる可能性は生きれば生きるほど大きくなる。スタートがマイナスだった者たちは、この理論が適用されると信じている。スタートがマイナスでなかった人達にはどのような人生観があるのか、私には全く分からない。私は生きれば生きるほど人生はよくなっていく、と感じているので、老いや死への近づきを悲しむ心がない。顔が老けるのも、自然で、抵抗するようなことではないと思っている。生きれば生きるほどよくなっていく。25歳で治療を受けてからのこの感覚は、私が生きるのに大きく、善く、貢献している。生きることの難しさはおのおの、さまざまあると思う。私はもう無い。いちばん苦しかった時はもうとっくの昔だし、その頃の生きづらさ、脅威がないというだけで、とにかく無法に幸せである。自分を害するものがいない空間、時間、それらを噛み締めている。だから(親や兄と離れて)生きているだけでかなりの幸せを感じる。お得なことかもしれない。
しかし小さい頃に夢見たことの不達成ということは、なかなか苦しめられる瞬間がある。好きな人と付き合ってみたかったとか、家庭を持ちたかったとか、子供が欲しかったとか、高校や大学で好きなだけ思い切り勉強してみたかったとか、仕事でキャリアを積んで��たかったとか、そういう、「普通の人」がやっているようなことだ。それらが自分には与えられなかったと感じる時、途方もなく悲しくなる。過去と比べて相対的に今は幸せだが、絶対値としては、私は私の夢をあまり叶えられなかった。それでも、毎日本を読んだり、文を書いたり、文章の講座を受講したり、好きな場所でつつましく働いたりして、日々を楽しんでいる。なによりも、いつも勇気づけてくれる友人がたくさんいること。私は友人たちに囲まれてさえいれば、それでとくに不満はない。「してみたかった」の希望を上げればきりがないが、そんな無意味なことをしてもただ傷つくだけで無為だ。できてよかったことやこれからやりたいことだけを毎日考える。私たちはまだまだこれから生きる時間が残されている。やりたいことはたくさんできるし、本当に生きていて良かったと思う。
同時に、できるならもうこの生を終わりにして楽になりたいという気持ちもある。これ以上生きても、もちろん世界の足しになることはあるだろうが、この体力の低さと病気を抱えて、何も達成できないままでずるずると生きることは、時に拷問にも感じる。そう思うのは生きているうちのほんの一瞬だが、ああ、今死ぬことができたら、と思うことは全然よくある。地震の揺れを感じるたびに、地震で死ねたら楽なのになあ、と思う。これはネガティブというより、ただの「疲れ」なのだ。この「疲れ」の感覚を持っている人には、私は帯同を感じてしまう。
なんだかずっと被虐待児の話をしてしまった。あんまりそういう事を言うのもな、と思ってはいるのだが、考えていると結局全部そこに行き着いてしまう。私が救いたいのは彼らだし、正直彼ら以外のことはどうでもいい。他の人は他の人でいろいろなことに心を痛めたり活動すればいいと思うが、私がそうする先は、いつも決まっている。幼少期から虐待を受けて、死ぬ事もできずに成人して生きてゆくことが、この世でいちばん辛いことだと思っている。これは多くの、苦しんでいる人々を見てそう思うということで、私が苦しんでいるわけではないので大丈夫です。私は病院とカウンセリングに通い、それなりに安定した人生を送っていますので、自分が社会に恩返しする番だというか、とにかく「助けなきゃ」という思考に捉われがちであります。
今考えているのは、被虐待児のための、自習スペースの提供。とにかく家(危険な場所)以外に安心して過ごせる場所、勉強ができる場所をつくり、そこで1秒でも長く過ごしてもらうしかない。心は壊れる。壊れるとしても、壊れきらずに上へ向かおうとする子だけでも支援したい。本当は全員救いたいが、まずは勉強で身を立てる被虐待児の数を増やすことで、社会に虐待問題に理解のある人口を増やす。そうしてしか、法律や制度は変えられないと思う。
それとは別に、私には本屋を続けるという夢がある。ゆくゆくは自分が店主になって店を構えたい。雇われの正社員がいかにつらいかは、いままでの店舗でいやというほど見てきている。私は知性と教養のための本屋をひらき、この社会をよくしようとする人を1人でも増やしたい。チェーン店の雇われ店長では、それをするのは難しい。大きな会社は利益を出すことが最優先だから。その利益���、たくさんの人を食わせている。そこに否やはない。ただ私の目的はそこにはない。売れる本を置いて人々の知性を下げるのではなく、本屋がどんどん人を育てていく。そういう場所を作りたい。そこはさらに学際的な場所であってほしい。なんなら貸本屋でもいい。というか、積極的にレンタル業務もやって行ければと思う。
夢を語れば果てがない。あと20kg痩せたい。どうにか自炊をしてまず1kg減った。このまま減らしていく。
2024.5.21
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tutai-k · 1 year ago
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来し方を振りかえる。
大きな原稿がやっと手を離れた。九月に日々詩編集室から『ゆけ、この広い広い大通りを』という中編小説が出る。
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締め切りぎりぎりまで悩み、「小説を書ける、と思っていたのは錯覚かも。わたしは小説が書けない」と落ち込んだりしていたし、改稿もくりかえした。「小説を書く」という行為に悩まされ、死ぬ気で取っ組んだなと思うのは『幼神』『幻想生物保護官日記』で、そしてこの『ゆけ、この広い広い大通りを』が、三作目だと思う。 わたしは小説を書くことにあまり悩まないタイプで、プロットもたてずに書きはじめる。それでもなんとかなってしまうので、いつかつまずくだろうなとは思っている。そのタイプのつまづきには、いまのところまだぶち当たっていない。
大きな原稿が手を離れたが、文学フリマ大阪が迫っている。 短編もたくさんたまってきたし、『海嶺𧮾異経』『オメガのライカと、わたしたち』の在庫がなくなってしまったので、再録短編集をつくろうと思った。
わたしの活動をずっと追ってきてくれているひと、というのがどれくらいいるかわからないのだが、この短編集には『Last odyssey』という一万字程度の短編を入れる。わたしにとって自伝的な物語だが、『迎え火』と一緒に刊行したので、『迎え火』のほうがわたしの自伝として読まれていった……それを隠れ蓑みたいにして、「自分のプライベートを」語れた物語だったなといまでも思う。『Last odyssey』、『迎え火』と、この二作は、初出をたどると2015年。もうほとんど、十年前だった��� それより古いのが「ネムノタキツボ』。大学を卒業して、完���した物語というのを一つもかけないでいたころ、刀剣乱舞というゲームの二次創作や、BL短歌をしながら、「いまならかけるかも」と思って書き始めたこの小説が、わたしを「小説を書く」という場所へ帰らせてくれたと思う。 昨日、収録順などを考えるために読み返していた。十年ちかくまえの自作なんて、読むのは精神的ダメージが強すぎて寝込むかも…と思っていたのだが、存外ひどくはなく、なんなら「あれ、結構「小説」書いてたんだな……この頃のほうが「書けて」いたんじゃないか」とさえ思った。 若書きだと思う部分もあるし、おなじテーマや小物をこねくり回していることは否めない。だが、文章そのもの/技術そのものに関しては、そんなにも「ひどい」と思うことがなかった。展開を忘れてしまっている物語などもあり、けっこう面白く読めもした。
『ネムノタキツボ』を書き終えてから、『幼神』という物語を書いた。『幼神』の根っこはずっととおく、少女期に遡る。『Last odyssey』も少女期の記憶を物語にしたものだ。 『妖精王の剣』で、少女期のわたしが残してくれたものを使い果たし、いまはもう、わたしはいまの「わたし」ひとりで小説を書いている。それはとても孤独で、だが、かつての自分の顔を見なくて済むという意味では、自由なおこないだ。 あの物語を、大人になったその筆で書いて、と要望されない、ということは。
来し方を振りかえると、累々と積み重なる物語の群がある。行くべき先に、おなじ数だけの物語はあるだろうかと不安になる。
先が見えない。『ネムノタキツボ』を書いていた頃は、ファンタジーと幻想文学をずっと書いていく――いや、わたしは「それしか書けない」と思っていたけれど、どうやらそうでもないらしいし。
大人になって、見えるものが増え、書きたいものが増えたのだろう。
おかげで、どこへ行くのか、見当がつかなくなった。
だから、短編集のタイトルは『いづくにか、遠き道より』とした。
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表紙の写真は、雪が積もった、地元の浜にした。
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solitude-klang · 9 months ago
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" 埼玉乱舞 -SAITAMADANCE- Vol.01 "@越谷EASY GOINGS
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開場から開演まで爆寸みたいな感じでV系mixが流れている
覚えてるのだけ書くと
入った時かかってたのは手の鳴る方へ/アルルカン
埋葬/RAZOR
神歌/Phantasmagoria
V.I.P/NOCTURNAL BLOODLAST
迷彩/Sadie
鯖に乗って(RADICAL HYSTERIA)/BORN
朔/DIR EN GREY
君の子宮を触る/DEZERT
0/キズ
ザアザア前のDJ枠は知らない曲1曲もなかったからここ20年くらいバンギャし続けてる人なら1人でも体が勝手に振りをしてしまうくらいテンション上がる開演待ち
ステージはスクリーンで覆うスタイル
ザアザア
ステージに誰もいないままキズの0から暗転 感電のベース音が流れ始めたので手拍子をするフロア なかなか満員のお客さんに混じって亞んちゃんの金髪が
メンバーフロアから入場
(一葵さんだけステージ袖から現れてたと思う)
マイクにあり着くや否や今日一番かっこいいバンドザアザアです
ぬるいぬるい言われながら上下前後走らされ
全員左に寄ってください
ぬるいことしてんじゃねぇよ
誰の声かと思うくらい攻撃的な声色に軽率にときめいたけど一葵さんだったのかな 左に寄らない他バンギャさんをw強引に寄せて蜘蛛の糸
手扇子しながらようやくステージを見たら 黒いスーツに黒シャツなんだけどネクタイの柄がアメリカドル$…?もしかして4人で
お揃いのお土産買ってきたの??????
朗読は 冷熱 ジャケットの袖を肘下で捲ってベースを低くして弾く零夜さん(ゴクリ…
夕焼けは春さんのギター前振りで入るバージョン(良かった)
ただいまー おかえりー!
僕達あの アメリカ帰りなんで
まだ時差ボケしてるんだけど
帰りに お土産屋さんでこれ(ネクタイ)買ってきました
か わ い い(ネクタイがというよりその柄とお揃いにしちゃうこととそれを衣装にするということがかわいい)かわいいじゃねぇよ
アメリカで一体何がと思うほど いつになく強気で攻撃的で全員が見るからに自信に満ちていた
推しが良すぎたから今日はもうこれで帰りたいまであった
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色々な十字架
転換中に下手ギターの人がエフェクターボード高く掲げて見せてくれた(笑)
メンバーのヴィジュアルは思っていたほどピンクハレルヤではなく 普通のV系に見えないこともない 笑
上手ギターの人は技術面含めて見せ方が熟れてたように思うけど前盤普通のV系じゃないのかな
上手側の後ろの方に 白い布でちゃんとV系ぽく装飾されたスクリーンが設置されそこに歌詞(MVある曲はMV)が流れる
最初の曲は「近所の犬に勝手に名前を付けて呼んでそれを浸透させた」とかいう歌詞だった
小学校5年生くらいの男の子が言う下ネタがふんだんに盛り込まれた歌詞を 90年代V系に多い独特の歌��癖に乗せてw 声量なくはないし結構な高音が地声で出てたので真面目に練習したら普通に上手くなりそう
NoGoDのアトリアをちょっと歌ってたけどそっちのが上手いw
ドラムのdagakiさんとボーカルのtinkさん 埼玉の人らしく 越谷ではなく松伏町?の出身だとか
ベースのmisujiさんはどこの人かわからんけどdagakiさんが埼玉でのバイト経歴を発表し続けているのに突っ込みを入れ2人が張り合う流れに(無理やりw)
リズム隊がバトミントンのラケットを持って前へ出てきて同期に乗って演奏される曲があったけどこれといって決着はついていない模様
tink:終わりですって言って曲が終わった(笑)
テニプリのやつでした
( 'ᵕ' )
どんどんどんどん 応募して
何を?誰に?
( ◜-◝ )
今日のためにいっぱい曲作ってきたから
前からある 前からある 前からある
前からある曲やりますこれはちょっと
何を言ってるのかわからない系ボーカルさんのMCを幾度となく拾ってきた 経験値がまったく活かせないレベルの圧倒的何を言ってるのかわからない系ボーカル(笑) MCというかスタジオセッションの雑談みたいなノリで喋るんだけど先輩や女の子に可愛がられそうなタイプです 上ギとベースいなかったらまとまらんw
弦楽器隊は思ったより全然ちゃんと演奏してて(失礼w)ステージ慣れしている様子なんだけど ボーカルさんだけステージに立たない仕事を生業にしてる感ありました(ベーシストさんらしい ?)
白ミサっていうくらいだしもっとなんか祈りとかさせられるのかと思っていたので想像より普通のV系に近いという第一印象
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NoGoD前の転換はZOMBIEとかギルガメとかlynch.とか流れてた
NoGoD
楽器隊板付き 袖から赤いスーツに身を包んだ赤髪団長(かっこいい♡)
とはいえ1~2曲目知らなかったw これだけ行ってなかったら知らない曲やらなかったら逆に心配なので良かった
さっき ザアザアが… 越谷そんなもんかって言ってたけど…
いつもこんなんじゃないよな?今日いつも以上だよな?(そっちw)ここは埼玉じゃない
タイトル思い出せないけど体が振りを覚えていていやー懐かしいーと思ったのは愚蓮だった 少し前にBLAZEで見た時にもやってたな
タイトル思い出せないけど体が振りを覚えていて(コピペ)これなんだっけなって思ったのは球根だった
ギターソロ見応えやばい 前任も涼し顔して難解な曲を弾く人だったけど今の上手ギターも笑顔でとんでもねぇことやってる凄腕
越谷 俺の地元です 正確にいうと隣町の岩槻市なんだけど 最寄り駅はせんげん台
地名は漢字だけど電車の駅は平仮名のあのせんげん台です!
いつも浦和あたりで地元です!って言うのちょっとなんか 申し訳ない気持ちがあったんだけど 今日はいいよな 自信持って 越谷 地元です!
こんなに地元アピっといて
でも…実を言うと…今の住所は 東京都ですって言ってブーイング浴びてたw
言いたいこと全部短い時間に収めるようになっただけで喋る量は変わってないからMC半分以上端折りますけど若い頃渋谷の居酒屋でバイトしててせんげん台までの終電がないから店の締め作業に参加したことが無いって話も面白かった(笑)
団長ダンスって言うから乱知気でもやるのかと思って焦った 大サァカス 体が覚えてた(笑)(笑)
神風もカクセイも通ってた頃に出た曲で団長大好きすぎた時代の自分に戻ってしまうw凄まじい演奏力だし良い曲だな かっこいい
確実に笑わせるMCを挟みながらも後半に向けて盛り上がっていくムードを創るのはどこよりもプロ
Never fade awayのコーラス (合唱になったのこれだっけ?)感動しちゃったよ
ザアザアは 勢いがあって なんか 凄かった…対バンするのは久しぶりなんだけど ああゆうのいいなって思いましたって言ってた
色々な十字架についてはアトリアの話してたかなぁ 忘れちゃった
NoGoDはアンコールが���ーゴッド!なんだよね 懐かしい
さっき ザアザアが 前後左右にすごい動かしてて 俺達もああゆうのやりたいなぁ?って思っちゃったから
NoGoDにもそういう曲があります(^ω^)
両手をくるんてして折り返す時にハートにする振りがあるけど 桃源郷へようこそのその部分は♡を逆さにした桃なんだよねw
曲終わってから 4/20にもここで埼玉乱舞?あるらしくて団長がDJとMCで出るとかって言ってた
バンド演奏終わってすぐDJブースからROCKET DIVE流れて来たの熱かったな
4/20のイベントはザアザアもまた出るのかなと思うようなこと言ってたけど(?)その日チッタのバンギャルフェス行こうと思ってるんだけど?w
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22ki310 · 2 years ago
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駆け込みもいいところですが、今年度の締めとして2022年4月以降に掲載していただいた冊子をご紹介しておきます。もっと早く記事を上げたかったのですがタイミングを逃し続けました…
素敵な本にお招きいただきありがとうございました!
『本と街を楽しむ雑誌 松本の本 第3号 2022年版』
短歌と豆本について取材して記事にしていただきました。丁寧な記事を書いていただけてとても嬉しいです。
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『工芸の五月Official Book vol.12 2022』
私のエッセイと絵を掲載いただきました。今年の号も引き続き載せてもらえるみたいなので、発行が楽しみです。
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monthly-ambigram · 1 year ago
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2023-10月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「ヒーロー」です◆
今月は参加者の皆様に「ヒーロー」のお題でアンビグラムを制作していただいております。  古今東西のヒーローにまつわる逆さ文字の数々をご覧ください。
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「勇者」 回転型:peanuts氏
勇者といえばヒーローの筆頭ですね。ゲームだけではなく神話においても英雄としての勇者は数多く語られています。 全体を斜めにすることで「勇」のパーツのずれの違和感を和らげています。正統派で王道を行く作品だと思います。ペンで書いたような作字もステキです。
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「正義」 回転重畳型:いんふぃにてぃ氏
正義こそヒーローの行動原理ですね。正義の反対はまた別の正義、という言葉もあり、真実と同じような意味合いを持つ言葉かもしれません。 「正」「義」それぞれを回転重畳型にしています。「回転重畳型×2」として並べることもできましたが、縮尺を変えることで一つのアンビグラムにまとめ上げているのが作者の工夫ですね。
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「英雄」 回転型:海氏
ヒーローは日本語で「英雄」ですね。 英雄という言葉にまつわる作品はいくつか寄せられましたが、まず正統派の回転型です。字画密度の差は「厷」を中心に据えて解決、字画の角度を一定のルールに揃えることで読みやすくまとまっています。
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「必殺技」 図地反転回転型:いとうさとし氏
ヒーローならば必殺技の一つや二つ使いたいものです。 見事な「殺」を中心に読みやすい図地反転アンビグラムに仕上がっています。ドット表現がゲームにマッチしそうで、必殺技を決めるヒーローの背景で光らせたくなるデザインです。
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「自己犠牲」 図地反転型:梅氏
自己犠牲の精神はよくヒーローと共に語られますね。 こちらのデザインは「犠牲」のほうに字画の区切り線があるため完全な図地反転の関係にはなっておりません。その意味で純粋なアンビグラムではないのですが、アンビグラム的表現の一つとして面白いデザインになっており作者の工夫が光っています。
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「大活躍」 回転型:lszk氏
ヒーローならば大活躍が確約されているものなのか、大活躍したからヒーローなのか。 氏には久しぶりに作品を寄せていただきましたが、相変わらずデフォルメした形状による作品が絶妙に読めるバランスで素晴らしいです。本作では翼のような形状が万能ですね。
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「ひろいんとひいろう」 旋回型:kawahar氏
ヒーローとともによく語られるヒロインですが男女の違いだけではなく非対称性がある点は興味深いところ。 氏は多面相旋回型を得意としていますが本作でも六面相に仕上げていて感心します。鏡像と回転により文字が変化する、バランスの調整具合をご覧ください。
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「スーパーヒーロー」 回転型:lszk氏
スーパーヒーローは主にフィクションで超自然的な力を持つヒーロー。人により思い浮かべるスーパーヒーローも違うでしょう。 デザインとしては中央に力が集中していくかのよう。後半「ーロ」の部分の重ね処理を自然に見せるため「パーヒ」の部分も重ね処理をしており、文字列の配置が絶妙です。
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「英雄/色を好む」 振動型:ヨウヘイ氏
「英雄色を好む」とは「英雄は活力にあふれ何事にも精力的に活動するため女性関係も積極的で派手」という意味。英雄ならそれでも許される、というニュアンスもあります。 「英/色」の下部分の処理、「隹/好む」の対応がうまく調整されています。太い文字なので切り欠きをうまく使うことができるのですね。言葉の選択が面白いです。
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「ダークヒーロー」  回転型:mishima氏
ダークヒーローは正義の味方として描かれない主人公でアンチヒーローとも。 ダークヒーローのシルエットをロゴに取り入れていてかっこいいですね。オーラのように燃え上がる形状が文字のゲシュタルトにうまく取り入れられておりステキです。
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「剛烈/疾風」 回転共存型:兼吉共心堂氏
仮面ライダージオウに登場する「仮面ライダーゲイツ」の強化フォーム「仮面ライダーゲイツリバイブ」の二つの変身フォームが「剛烈&疾風」だそうです。 この二つの言葉の相性が良すぎますが、氏の書道風の筆致によりより自然な仕上がりになっていると思います。気持ちよい作品です。
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「響鬼」 振動型:.38氏
「仮面ライダー響鬼」より。 決して近くはない「響/鬼」の二文字の中間点をうまく探し出して仕上げられています。実際のタイトルロゴに似せたデザインなのもよいですね。
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「科学忍者隊ガッチャマン」 図地反転回転型:いとうさとし氏
1974年から放映された変身ヒーローアニメ。タツノコプロの代表作の一つです。 「科学忍者隊」「ガッチャマン」がそれぞれ図地反転回転型の作品になっています。「ガッチャマン」はカタカナで字形を崩すと読めなくなりやすいのですが、しっかり読めるようになっている配置が魔術的です。
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「僕のヒーローアカデミア」 鏡像型:ぺんぺん草氏
ヒーローと名の付く漫画といえばこれでしょう。種々メディア展開された人気作です。 本家ロゴに似せたステキな作品ですね。「僕/デミア」のハマり具合が楽しいです。本家ロゴのテイストでアンビグラム化できるかは運命的なところもあり、奇跡的な作品ともいえます。
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「秘密戦隊ゴレンジャー」 図地反転型:いとうさとし氏
所謂「スーパー戦隊もの」の第一作。集団戦隊ヒーローのフォーマットが第一作にして確立されました。 「秘/密」「戦/隊」「ゴレン/ジャー」がそれぞれ図地反転の関係です。対応付けの仕方に統一性がありながらどの文字の可読性も確保されており、さすが達人の仕事です。
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「シン・仮面ライダー/第1バッタオーグ」 回転共存型:兼吉共心堂氏
シン・仮面ライダーと、それに登場するショッカー上級構成員の対応。「第2~」でもできそうです。字画密度の差がある言葉同士を対応付けようという発想がいつもすごいと思いますし、それを作品に仕上げる力量が素晴らしいです。
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「五右ヱ門」 鏡像型:うら紙氏
安土桃山時代の盗賊の首長であった石川五右衛門、彼を創作材料とした作品は多くその中にはこの表記としたものもあります。 環状配置の作品ですが、上下左右に文字が配置される点が珍しいです。略字の「门」にしているのがぴったりですね。左に45度回転させると隈取のようにも見えてきます。
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「天下人」 鏡像型:.38氏
天下人は全国の政権を掌握した人のことで、ヒーローともダークヒーローとも見ることができそうです。 「天/下人」でシンプルな対応ながらパースをかけたようなデザインにより「天」第2画の短さと「下」の点の突き出しが自然に見えるようにしています。周りにある隠し文字もよいですね。
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「桃太郎」 回転型:オルドビス紀氏
おとぎ話のヒーローといえば桃太郎を連想する人が多そうです。 余る字画がほとんどなく仕上がっているのにも驚きですが、余った分も横画が細い様式と左上優先の法則の活用で全く気にならないですね。美しく素晴らしい作品です。
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「野茂英雄」 回転型:douse氏
「英雄」といえばこちらに発想を飛ばすのも自然。名前もさることながら野球選手としての実績もヒーローといってよいでしょう。 「野茂/英雄」がハマりすぎで気持ちよいです。作字としても最高ですね。ストレートとフォークボールを連想させるモチーフがステキです。
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「さらば一昨日殺人ライナー」 回転型:Σ氏
HACHI(米津玄師)の楽曲「パンダヒーロー」の一節。 巧みな文字組と掠れ処理の組み合わせで文字の切れ目をコントロールしています。中央の「日」を「昨」のひへんの字形と揃えているのは作字面でのこだわりですね。カッコいいです。
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「Q.17 ヒーローを右のコンテナに入れろ」 回転型:いんふぃにてぃ氏
パズルゲーム『Q』より、17問目からの引用とのこと。 180度回転型というのは解き方を示唆している、のでしょうか……? 発想の飛ばし方がさすがです。長い文字列への挑戦もよいですね。
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「痛みを知るただ1人であれ」 回転型:螺旋氏
シン・ウルトラマンの主題歌『M八七』の中の一節。映画の内容にマッチした印象的な歌詞です。 とにかく細かいところの対応をじっくり見てしまいます。特に曲線がきれいに調整されていてので見ていて気持ちよく、カッコいい作品です。
 最後に私の作品を。
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「英雄/悪役」 回転共存型:igatoxin
ヒーローと対立するものとしてヴィランが描かれますが、対極にあるものではないのかもしれません。
ヒーローがお題のアンビグラム祭、いかがでしたでしょう。皆さんの発想に触れヒーローとは何たるものかに思いを馳せ、幾重にも楽しめるものになったのではないでしょうか。お忙しい中 御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は『ゲーム』です。ゲームから連想する語句、ゲームタイトル、ゲームキャラクター、なんでもOKです。締切は10/31、発行は11/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
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2023年 1月{フリー}   2月{TV}        3月{クイズ}        4月{健康}   5月{回文}    6月{本}               7月{神話}   8月{ジャングル} 9月{日本史}  
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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tailormadeyamaki · 1 year ago
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MOONLIGHTING - AL JARREAU LYRICS+SUBTITULADA ESPAÑOL
「Moonlighting」
このブログを10月1日に書いている。今日10月1日といえば、私が学生時代を過ごした80年代は就職活動の解禁日とされていた。
当時、会社訪問は4年生の10月1日と同時に始まり、面接を経て試験を受け「内定」が年末までに取れれば、それが就活の順当な在り方だった。現在とは違い、それはホントの「短期決戦」で、数か月という短時間をいかに動くかにより働く会社が決まり、その後に続く大半の人生までも確定してしまうというものだ。中には、私のように年が明けても会社は決まらず、卒業さえも危ぶまれる学生もいたが、それでも4月には無事に入社式を迎えることができていた。 時は昭和62年、西暦1987年。いわゆるバブル入社組は「全員入社」という意味でもバブルの恩恵を受けた「幸運な人たち」だったと思う。
「こちらブルームーン探偵社」というアメリカのテレビドラマをご存じだろうか? シビル・シェパードとブルース・ウィルスが共演するコメディタッチのドラマで、日本では80年代の後半NHKで放送されていた。日本で作られたモノもそうだが、80年代に製作された映画やドラマは、主人公たちの衣装や室内の設えに本物使いや拘りがあり、ストーリー以外にも多くの見どころがある。この「ブルームーン探偵社」でもその傾向は随所に見受けられ、いかにも高級そうなワンピースやジャケット姿で635を操るシビルや当時流行だったノーベントの上着をジャストフィットに着こなすブルース、そしてドラマのスタートとエンディングに華を添えるアル・ジャロウの歌など、CGが多様された今日のドラマにはない贅沢な空気感がこの作品には漂う。 ストーリーはドタバタでコメディテイストだが、衣装や車などの小道具や音楽が洗練され一流であるが故に、その対比がこのドラマを上質なエンターテイメント作品に仕上げている。吹き替え版は無いが、その映像はユーチューブで見ることができ���ので、興味がある方はご覧になられてはいかがだろう。
普段聴くのはジャズだが、本当はフュージョン好き。シンプルなコード進行の上にきれいなメロディが乗り、アレンジに少し捻りが利いたものをいいと感じる。特にキーボードにローズピアノのサウンドが使われていれば、私の頭の中は80年代の輝く光景で満たされる。今回ユーチューブの映像をきっかけに、80年代に録音されたアル・ジャロウのCDを数枚手に入れた。丸い声質、正確な音程、全体のサウンドは、とても私好みで耳触りが良く、もっと早く聴いていればよかったと思うほど心地よい気分と気分と時間を得ることができた。お店で聴く音楽もしばらくアルの歌声が続くことになるだろう。
アースカラーのスーツを着る男性。ハイウエストのパンツにジャケットを合わせる女性たち。シティポップが流れる街のパブは仕事帰りの男女で賑わう。 パソコンもスマホもなく、全てがアナログ。当然情報も少ないから、それを得るためには自ら体験するしかない。だから人は街へ出る。それが街の活気へと繋がる。人・街・生活スタイルが時間の経過とともに洗練されお洒落になっていったあの頃。80年代とはそんな時代だった。昨今は、便利で多くのものが手に入り、多様性が認められる文化風潮だが、なぜだか心持が豊かに感じられることがない。あの時代を過ごした人なら、きっと誰しもがそう思うはずだ。そういう観点に立てば、昭和末期の80年代は、「あのころはよかった」との懐古的感情では片づけられない「特別」な時代なのだと思う。私の趣味嗜好も当時をベースにするものが大半を締めるのだから、あの時代を生きたことを心から良かったと思うのである。
注文服ヤマキ  木下 達也
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anzunote · 2 years ago
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Rebirth
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あっという間に今年もあと10日。 街にはクリスマスの洋とお正月の和が混在する面白い時間。
もう少ししたら私の大好きな、年末年始の東京。 しんとしていて誰もいないみたいな街。非日常のようなワクワク感。
日にちが経ってしまったけど、 12月2日のワンマンライブ「Rebirth」お越しくださったかた、 配信でみてくださったかた、ありがとうございました。
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鍵盤の中込さんと2人編成というのも、 全編映像を映しながらライブをするというのも (そんな長尺な映像を撮る、編集するというのも!) 初めての試みだったのでどんな風にお届けできるか試行錯誤しながら ドラムレスで、ただでさえ曲の尺は自由度たっぷりなのに ライブが終わる時間と映像の尺を合わせなくては!ということに ドキドキしながら、、
でもいざライブがはじまったらそんなことも吹き飛ぶような 心がもえる時間でした。 みなさんにとってもそんな時間になっていたら…本当に嬉しいです。
活動をしてきた時間も長くなってきて、その年齢ごとに思うこととか 表現したいこと、音楽はもちろん変わってきたけれど 底の底の根底の部分は嫌になるほど変わっていないんだなと この日、昔の曲を歌いながら思いました。
音楽があったからここまでこられて、 音楽があるからここにいられる。
まだまだなりたい自分には程遠いけど あなたの人生のワンシーンでBGMとして流れている音楽になりたいです。
何度でも生まれ変わりながら。
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そんなライブのことや、おすすめの曲など 毎週ポッドキャストでも話していますのでよかったらそちらも きいてみてください!
anzu no Bedroom Radio https://open.spotify.com/show/52xrjdhKIruH0azH7TfCXP?si=93097d4086fb4f04
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そしてまさかの、大晦日にもライブがあります。 オープニングアクトなので短い時間ですが今年の締めくくりとして ぎゅっと詰まった時間をお届けしたいと思います。 もしお時間が合えば今年の最後、一緒に楽しみましょう。
12/31(土)@下北沢440 440 New Year’s Eve 勝井祐二 × U-zhaan × オオヤユウスケ(Polaris) open 14:30  start 15:00 O.A  Qnel / anzu 詳細・チケット↓ http://440.tokyo/events/2022-1231-15/
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tokyomariegold · 2 years ago
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2022/12/5〜
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12月5日 昨晩、ギャラリーへ提出する展示の応募要項の打ち合わせをした。タイトルや展示内容のすり合わせをして、今週の早いうちに応募しよう!となった。打ち合わせを終えてから、展示のキャプションやポートフォリオ用にtumblrのページを選んだり、目下の“やらなくてはいけないこと”ができてわくわくしつつ気持ちが焦っている。朝から頭の中でぐるぐる考えながら、行きの電車でステイトメントを一気に文字に打ち、一緒に展示を計画している相手のラインへ送って出勤した。
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今日が寒すぎる話から、一昨日の結婚式も寒かった、と言うと「結婚したいっスか?」と訊かれる。いろいろ今の社会での結婚がもっと変わったらしたいって思うかも…と含みあり的な答えかたをしてしまって後悔。 最近は、結婚してないことで、結婚以上の何かをしているのでは?と思われるのがだるいな〜、となってきている。
夜にどんなものを、みる・きく問題。ずっとある。何を聞いても観ても、少しずつ知りたくなかったことが挟まっていて、でも工場動画はつまらなくて、安心してみられるものは、もう知っていることなのでわざわざ観なくてよくて、どうすれば良いのわからない。
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12月6日 今日はオンライン打ち合わせをして、ギャラリーの応募をする日!なので、できるだけ最短で良いペースで帰宅してきた!20:30から打ち合わせどう?とラインを開くと、なんとギャラリーは応募者多数のためもう募集を締め切ったとのこと… でもこの数日、写真や展示のことを考えられてとても楽しかった。そして、一緒に展示を企画した相手のアイデアも楽しくて、1人で写真をすることが好きだけれど、人と関わるときは、写真や作品を通して関わっていくことを増やしたいし、写真を続けたいな、と思っ��。
今日はとても冷えるけれど、夜は澄んだ冬の空になっていて月が青くて白い。確か明後日は満月。
上司が、愛犬について歌われた最近の曲で泣いたエピソードを聞いて、私は、自分の周りで発生したフィクションばかりに日々泣いている、と実感した。作品に涙を使えなくて、毎日怖くてショックで泣いてしまう。
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369sharp · 5 months ago
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【不安な時間を自覚したらすぐに丸ごと抱き締めてあげる二人の愛し合う体】3巻。
著者: 369#
(➤読み: さんろくきゅうしゃーぷ)
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➜メルカリにて。
https://jp.mercari.com/user/profile/905045193
(水晶屋)
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➤文庫本サイズ
➤全24ページ
➤フルカラー
➤完全オリジナル
➤ノンフィクション形式の実話
➤やや徒然なゆるい日記寄り
➤現代詩、短歌などの言葉遊び
➤写真、絵、イラストなど掲載。
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➤文章
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*さようならオレンジ色の、高速道路の街灯群。あんまりにも沢山の人間人間
結局、二三枚撮ったら飽きてしまった。理由は今のところ向いてない。
花の見る夢、遠い永劫のように不安でこの身をどうか全て捧ぐから彼の人を
タイトル:「あなたとは、あなたの心の中の可愛い存在」 あなたの心の中には、特別な存在がいることを知っていますか?その存在の名前は「全てあなた」と呼ばれています。わからない、馬鹿なんだなあって思うけど君より、思いやりあるよ。ひとりで入れます。ひとりで、僕は、入れます。
日本語の勉強、繰り返し。
言葉の勉強を繰り返し。
貴方はいつも居ない。居ない。
繰り返し、繰り返し。普通。
おはようまた新しい朝。
今日は何だか雨、ただの雨では、いつも違うよ。違います。どうかお幸せに、さようなら。さようなら、いち。いち。いち。
「例えば、……。譬(たと)えば。」
「もう話しかけないで下さい。」
雨が降ったら雨が、降っている。
忘れたくはない。ずぶ濡れの、……。
➜本書より抜粋。
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#水晶屋の本
オリジナルZINE(文庫本サイズ)
(著者: 369#)シリーズ。
【全くん、目、覚えてます。】 1巻
【そとがわ】2巻
【不安な時間を自覚したらすぐに丸ごと抱き締めてあげる二人の愛し合う体 】3巻
#全くん目覚えてます
#そとがわ
#不安な時間を自覚したらすぐに丸ごと抱き締めてあげる二人の愛し合う体
#さんろくきゅうしゃーぷ #水晶屋
#オリジナル #ハンドメイド #文庫本
#個人誌 #本 #ZINE
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hideki-kaji · 2 years ago
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2022.12.07 「A ROOM WITHOUT YOU e.p.」
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カジヒデキ「A ROOM WITHOUT YOU e.p. 」 [CD] 2022.12.07 Release
BBC-014 1,500円税別
CD収録曲 1. きみのいない部屋(Hideki Kaji / Hideki Kaji) 2. A Merry Jingle [ performed by DOTS + BORDERS ] 3. ハローとスマイル - HOMEMADE session version(Hideki Kaji / Hideki Kaji)
カジヒデキ、2022年を締めくくる冬の歌をリリース!
春に「APRIL FOOL」、夏には「SUMMER SUNDAY SMILE」と、その時々の季節の風景を盛り込んだ楽曲をリリースしてきたカジヒデキの2022年を締めくるる冬の楽曲たちが完成いたしました。 今年のウィンターソングは、レイモンド・カーヴァー風な(?)どんでん返しでハッとしてグーな、切なくもふわっと温かいラブソングです。 僕自身、クリスマスソングや冬をテーマにした歌を書くと、なぜか別れの歌や、ひとりぼっちの歌になってしまう。それはきっとAztec Cameraの「Walk Out To Winter」や、フリッパーズ・ギターの「すべての言葉はさようなら」と言った冬の歌が好きだったから。そう、WHAMの「Last Christmas」とかね。今年こそはハッピーな冬の歌を書こうとしたところ、堀江プロデューサーから「一人で過ごす冬の一日、みたいな歌詞がいいんじゃない?」とアドバイスを受けたので、やっぱり僕には一人きりの冬が似合うんだなと「きみのいない部屋」を書きました。ただ、寂しい歌にはしたくなかった。一見、別れの歌なのかと思わせて、全然違う結末を迎える。まるでレイモンド・カーヴァーの短編小説にありそうなストーリー。もしくは数年前、上野樹里さんと中村倫也さんが出演されていた大和ハウスのCM。怖がりの頼りない夫だけど、とても優しくて信頼がおける人物。そんな人を主人公にしてみた切なくも温かいラブソングです。 この曲のサウンドの肝は、堀江博久くんのキーボードと、とても古い付き合いながら僕のレコーディングでは初登場の深沼元昭くんのギター!深沼くん率いるPLAGUESで20年以上ライブ活動を共にしてきた二人のアンサンブルは極上です。ネオアコ心も持つロッカー、深沼くんのアルペジオやフレーズのエモさにどうぞ泣いて下さい。MIXも深沼くんに初依頼し、僕が求めて来たネオアコの真髄に、また一歩近づくことが出来ました! 2曲目のカヴァーは堀江くんの発案。以前からこの曲を演ろうってよく言われていた、ハッピー極まり無いクリスマスソング! 昨年リリースしたウィザードの「毎日がクリスマス」に続き、ヴェリー・ブリティッシュな70年代の名曲。そう、僕らは完全に英国派であり、ロンドナーを気取りたいんです笑!久しぶりにDOTS + BORDERS名義で。これは来年活動再開するのか!? 3曲目の「ハローとスマイル」はスウェーデンの冬をテーマに作ったコンセプトアルバム「SWEET SWEDISH WINTER」収録曲のセルフカヴァー。この曲の歌詞は、1995年6月に僕が初めてスウェーデンを訪れた時、シェレフティオと言う最北の街で開催されたフェスを観に行き、その時に出会った当時大好きだったバンドのボーカルの男子と意気投合した実話が、元になっています。もちろんニューヨークの話は脚色ですが、バンドマンはみんなこんな夢を持っているよね!と言う歌です。 PET SHOP BOYの「LONDON」と言う、僕の大好きな曲にもインスパイアされて作った曲です。 カジヒデキ 全曲解説でした! ※2曲目の「A Merry Jingle」はThe Greediesが1979年に唯一発表したシングル曲のカヴァー。 メンバーはThin Lizzy、Sex Pistolsのメンバーからなる所謂スーパーグループになります。 「きみのいない部屋」 Hideki Kaji / Hideki Kaji produced by Hirohisa Horie and Hideki Kaji Hideki Kaji : vocal, chorus, bass Hirohisa Horie : keyboards, programming Hideki GEN Hara : drums Motoaki Fukanuma : acoustic guitar, electric guitar recorded by Kosuke Takahashi at STUDIO K5 vocal and chorus recorded by Shuhei Ueda keyboards recorded by Hirohisa Horie electric guitar recorded by Motoaki Fukanuma mixed by Motoaki Fukanuma 「 A Merry Jingle」performed by DOTS + BORDERS produced by Hirohisa Horie and Hideki Kaji Hideki Kaji : vocal, chorus, bass Hirohisa Horie : vocal, chorus, guitars Hideki GEN Hara : drums, chorus recorded by Kosuke Takahashi at STUDIO K5 additional chorus recorded by Shuhei Ueda mixed by Kosuke Takahashi 「ハローとスマイル - HOMEMADE session version」 Hideki Kaji / Hideki Kaji produced by Hirohisa Horie and Hideki Kaji Hideki Kaji : vocal, chorus, acoustic guitar Hirohisa Horie : rhodes piano, synthesizer mixed by Hirohisa Horie Mastering Engineer : Shuhei Ueda Hitoshi "KINK" Suzuki : design Tetsuya Yamakawa : photography
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hachinana87 · 2 years ago
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The New Yorkerのハミルトン特集翻訳
The New Yorkerの2015年のハミルトン特集の翻訳してみた。1万7千字ぐらいなっちゃってますが。。。できてすぐの記事なので、のちの評価の俯瞰はないのですが、創作過程とミランダのキャリアがわかる記事です。締めがエモい。
【このカッコが私の注釈です。例のごとく誤訳マシンなので気になる人は原文を読もう!】 
ハミルトンについてのすべて 
The New Yorker, FEBRUARY 9, 2015 ISSUE  
レベッカ・ミード 
2009年4月、作家・作曲家・パフォーマーのリン=マニュエル・ミランダは、ホワイトハウスからの連絡を受けた。新しい大統領とファーストレディが「アメリカの経験」をテーマにしたライブ・パフォーマンスを企画し、ミランダは招待されたのだった。当時29歳だったミランダは、前年に彼が作曲・作詞したブロードウェイ・ミュージカル「イン・ザ・ハイツ」に出演していた。ワシントン・ハイツを舞台に、サルサとメレンゲをラップやヒップホップと融合させた音楽と、ブロードウェイにありがちな展開を効果的に混ぜた物語だ。「ハイツ」はベスト・ミュージカル賞や作曲賞などのトニー賞を受賞し、後者の受賞の際には「Sunday in the Park with George」を引用した快活なラップを披露した。“Mr. Sondheim / Look, I made a hat! / Where there never was a hat! / It’s a Latin hat at that!”(そしてタキシードのポケットからプエルトリコの旗を取り出した)ホワイトハウスはおそらくミランダからラテンアメリカンの経験を期待していたのだろう。「イン・ザ・ハイツ」からの曲でも良いと提案された。 
ミランダはもっと違うことを考えていた。数ヶ月前、彼と彼のガールフレンド、ヴァネッサ・ナダルは結婚し、メキシコへ新婚旅行へ出かけた。プールの浮き輪に揺られながら、彼は気まぐれに読書を始めた:ロン・チャーナウによる800ページ超の、アレクサンダー・ハミルトンの自伝だった。ミランダはハミルトンの初期の人生に魅了された。婚外子で、セント・クロワ島で極貧のうちに育った。父に捨てられ、幼い頃に母を亡くし孤児となり、ハミルトンは青年期に自力で革命の熱気高まるニューヨークに移民した。雄弁で筆の早い文筆家で、フェデラリスト・ペーパーの2/3を執筆した。独立戦争でジョージ・ワシントンに仕えた後、アメリカ初の財務長官となった。のちに、不倫問題が明るみになり、政界初のセックス・スキャンダルにより悪名を集めた政治家となった。その後閣僚に入ることはなく、50代になる前に死んだ。個人的不和が修復不可能となったために、決闘で副大統領のアーロン・バーに殺されたのだ。 
ミランダはハミルトンの波乱万丈な人生、才気、言語の巧みさ、そして自己破壊的なまでの頑固さを、独特のレンズを通して眺めた。それは、ヒップホップの物語、移民の物語としての視点だ。ハミルトンは彼の父、ルイス・ミランダJr.を思い起こさせた。プエルトリコの地方で生まれ育った若く野心的な男で、18歳になる前に大学を卒業し、ニューヨーク大学で学業を治めるためにニューヨークに移住した。ルイス・ミランダはエド・コッホ市長のヒスパニック関連の特別顧問をつとめ、その後政治コンサルト会社のMirRamグループを設立し、フェルナンド・フェラーなどの顧問を行った。高校の夏休みには、リン-マニュエルも父の会社で働いた。のちに、彼はエリオット・スピッツアーの2006年の知事選などの、MirRamグループの顧客の政治広告のための宣伝曲を書いた。チャーナウの1800年選挙の描写はーー現代の政治キャンペーンの起源だーーミランダの政治キャンペーンに対する内部の視点と共鳴した。ハミルトンと同胞たちが行った政府の目的に対する議論は、MSNBCとFOXの対立のごとく今も活きている。 
ミランダはまた、ハミルトンのなかにトゥパック・シャクールを見た。西海岸のラッパーで、1996年に射殺された。シャクールは複雑な、社会派の歌詞を書いた。ミランダは特に“Brenda’s Got a Baby,” に魅了された。21歳の娼婦になった女の子が暴行者のこどもを産む物語を描いたヴァースだ。シャクールはまた極端に気難しく、気に入らないラッパーのことを公に罵倒した。ミランダはハミルトンの中に同じ言語的才能と、これまた似たような、致命的な、引き際の知らなさを見た。これらはハミルトンの物語の中でとてもドラマティックな要素だった。彼がのしあがるために必要だった性格が、彼を転落させると言う点だ。ホワイトハウスのイベントの主催者が電話した時、ミランダはハミルトンについてのラップを提案した。彼らは了承した。 
5月の夜、ミランダと他のパフォーマーたちはーージャズベーシストでボーカリストのエスペランザ・スポルディングや、ジェームス・アール・ジョーンズがいたーー大統領に紹介された。ミランダは彼に空港で買った”Dream from My Father”にサインを頼んだ。ステージで、ミランダはハミルトンのコンセプト・アルバムに取り組んでいると発表した。「ハミルトンはヒップホップを体現していると思う」と彼は言い、人々は笑った。まだ一曲しか書いていないとは言わなかった。ミランダはハミルトンが「言葉が違いを見せる」ことの体現をしていると説明した後、ハミルトンの最初の20年の人生を4分の複雑な歌詞で要約して見せた。華奢で、黒く短い髪で濃い髭のミランダは跳ねるようなエネルギーをまといながら、ステージを歩き回り、ラップした“the ten-dollar Founding Father without a father / Got a lot farther by working a lot harder / By being a lot smarter / By being a self-starter.” 彼のパフォーマンスは観客から歓喜の呟きを引き起こし、オバマ一家は熱狂した。(ミランダは後から、大統領の最初のリアクションは「ティモシー・ガイトナー【オバマ政権の財務長官】も見るべきだったな」というものだった、と教わった。) 
6年後、その歌は、2月17日からパブリック・シアターで開幕した「ハミルトン」のオープニング・ナンバーとなり、ミランダがタイトルロールをつとめた。ヒップホップに根付いているが、R &B、ジャズ、ポップ、ティン・パン・アレー【ブロードウェイの音楽を起因とした商業ポップス】、現代ブロードウェイの合唱などを包括した。「ハミルトン」は歴史と文化の再イメージ化の到達点である。ミランダの語りの中では、成り上がりで向こうみずな移民の物語は、アメリカの物語となる。ハミルトンが自ら宣言するリフレイン“Hey, yo, I’m just like my country / I’m young, scrappy and hungry / And I’m not throwing away my shot,”は、その戯曲家にも言えることだ。ミランダは自分のツイッターのアイコンをハミルトンの10ドルの肖像に、自分のニッと笑った口、黒い眼、あごひげを抜めなく重ねている。 
「ハミルトン」はアメリカの歴史を現代の設定に置き換えたものではない。ミランダの建国の父たちはヴェルヴェットのフロックコートと半ズボンを着る。フーディやジーンズではない。デヴィッド・コリンのセットは、裸のレンガに木の足場。暖かな照明は蝋燭の光を思い起こさせる。ロープと金具の固定具で飾られたステージは、船の建設ーーそして建国、または18世紀のニューヨークの構築ーーを思い起こさせる。  
ミランダはアレクサンダー・ハミルトンを眩いばかりの焦点を持って描き出す。多才で、抑えるのがやっとの怒り。ハミルトンは条約を書く時歩き回り独り言をいうことで知られていたが、舞台ではラップでの独白は驚くほどの自問で彩られる。「死のことを思い出の様に想像する/いつ掴まるか/眠りのうちか/7フィート目の前か/逃げるか受け入れるか」“I imagine death so much it feels more like a memory / When is it gonna get me? / In my sleep? / Seven feet ahead of me? / If I see it coming do I run or do I let it be?”ミランダは閣僚会議を、囃し立てるサポーターたちに囲まれたラップバトルに置き換える。州の債務を補償するために設立を目指した国立銀行ーーハミルトンの先見的な発明だーーに関する議論は生き生きしたやりとりを生む。ハミルトンは悪意を込めてトマス・ジェファソンを貶す。“Always hesitant with the President / Reticent—there isn’t a plan he doesn’t jettison.” 
「ハミルトン」が初のアフリカン・アメリカンの大統領在職期間に創られたのは偶然ではないようだ。このミュージカルは国の誕生を意外にも、しかし必然的に、軽く描き出す。エリートの白人による荘厳な所業としてではなく、全てのアメリカ人の創造の物語として描いている。トマス・ジェファソン、ジェームス・マディソン、そしてジョージ・ワシントンはアフリカン・アメリカンによって演じられる。ミランダはまた、女性たちにも重要な役割を与えている。ハミルトンの妻イライザ・スカイラー(フィリッパ・スー)や義理の姉アンジェリカ・スカイラー(レネー・エリーズ・ゴールズベリー)だ。3人目の妹が加わったジグザグのハーモニーはまるでデスティニーズ・チャイルドのようだ。ミランダは建国の父たちを高尚な政治家とではなく、孤児や、無鉄砲な革命家として、時にはケチなライバルとして、極端に不安定な機運、機会、リスクを抱えて生きる。この瞬間の業績と危機はーー国の境の島で生まれた、移民の息子、父無し子の大統領の時代に生きる今にとってーー、決して時代の遠い出来事ではない。 
今年でパブリックの芸術監督就任10年目を迎えるオスカー・ユスティスは、「ハミルトン」はここ数年で最もエキサイティングな作品だというーーたぶん、1992年に彼が依頼し、プレミアのプロダクションを監督した、トニー・クシュナーの「エンジェルス・イン・アメリカ」以来の。彼はミランダのこの作品と、シェイクスピアの初期の史劇であるヘンリアド【リチャード2世、ヘンリー4世第一部・二部、ヘンリー5世を一塊としてみる言い方】との関係をみた。「リンがしていることは、国の市井の声を韻文に昇華しているということだ。それがヒップホップのしていることだし、強弱韻文がしてきたことだ。リンは彼の国の創造の物語を、現在のわたしたちのこの国がしているのと同じように語っている。韻文の形で、シェイクスピアは英国の物語をグローブの観客たちに語り、英国を英国たらしめる手助けをしたーー英国人としての意識を持つことに貢献したのだ。それをリンは「ハミルトン」でやっている。彼は建国の物語を『私生児の、移民の孤児』の目から、有色人種の目を通して語りこう伝える、『ここは俺らの国だ。俺たちのものだ』と」。 
10月の晴れた日、ミランダと彼のコラボレイター、「イン・ザ・ハイツ」と「ハミルトン」の演出家トマス・カイルは、パブリック・シアターを出てニュージャージーのウィーホーケンにあるハミルトン公園に向かった。「ハミルトン」を考えついて数年の間に、彼は数個のプロジェクトに携わった。チアリーディング映画のミュージカル化「Bring It On: The Musical」を共作、2012年にブロードウェイで上演された。「モダン・ファミリー」と「ママと恋に落ちるまで」に出演。即興ヒップホップ・コメディ・グループのFree Style Love Supremeとして、ジョーズ・パブやその他でパフォーマンスし、去年の秋にはTVシリーズが放送された。その間中もずっと、製作中の作品のために歌を書き、歴史書を読み続けた。2012年、彼は「ハミルトン」のコンサート・プロダクションをリンカーン・センターのアメリカン・ソングブックシリーズで上演した。タイムスでは、スティーブン・ホールデンが「ゲーム・チェンジャーとなることは明らか」と称えた。 
ミランダはミュージカルに取り組みつつ、ハミルトンの膨大な手紙や出版物を読み、独立戦争の名残の残るニューヨークのさまざまな場所を訪れた。パール・ストリートにあるフランシス・タバーンは、英国軍に敗北した後のジョージ・ワシントンが将校たちと涙の別れを告げた場所だ。しばらく、ミランダは西162番街のモリス=ジュイメル・マンションで執筆する許可を得られた。国の歴史的な建築物で、マンハッタンで現存する中では一番古い建物だ。ワシントンは邸宅をハーレム・ハイツの戦いでの司令部として使用し、のちには副大統領のバーの居住となった。「アメリカ金融博物館の館長に会ったんだけど、彼は建物の表札を見せてくれて『ここはトマス・ジェファソンのニューヨークでの家だったんですよ』って教えてくれたんだ」とミランダは言った。「僕たちはこの大騒ぎの地層の上にいるっていうのが良いんじゃない?」ロン・チャーナウはホワイトハウスのパフォーマンスの数ヶ月前にミランダと出会い、作品の歴史監修となった。「リンは無駄な発明はしなかったよ」とチャーナウ。「まずは史実に忠実にしようと努めた。それでもし事実から逸脱しなきゃいけない時は、大体納得がいく理由があるのがわかるんだ。彼に尋ねたんだ、『もし歴史的に間違ってたら指摘したほうがいいか?』と。彼は答えた。『もちろん。歴史家にもこの作品を尊敬してほしいからね』」 
ウィーホーケンへの小旅行はミランダにとっては初めてだった。決闘はここで、1804年の7月に行われ、バーはハミルトンを撃ち、彼はその負傷が元で翌日に死んだ。当時、決闘はニューヨークでは禁じられていたが、ニュージャージーでは許容されていた。「ハミルトン」では3つの敵同士による3つの決闘がドラマ化され、そのうちの2つが致命的なものである。死者の中にはハミルトンの息子フィリップを含む。「決闘は現代の仲裁裁判みたいなものだったんだ」とミランダは驚きを含めながら言った。「まるで『おい、納得できないんだったら、ニュージャージーの広場に行くぞ。武器と医者を連れてこい』みたいなノリだよ」 
台本を作る中で数年を費やしてもなお、ミランダはハミルトンの最期の瞬間をどう描けばいいかわからなかった。さまざまな困難があったが、歴史の記録が曖昧だったことが一つの理由だ。バーはハミルトンを最初の一撃で撃ったが、のちにハミルトンの行動がー銃を確かめる様子や、眼鏡をかけていたという事実がー自分を本気で殺しに来たことを示していたと主張した。ハミルトンはしかし、多くの手紙の中で、彼はバーを外して撃つつもりであるーーショットを投げ捨てるつもりだーーということを示唆していた。目撃者はのちに、ハミルトンは空に向かって撃ったと証言した。 
5月のワークショップ・プロダクションでは、ミランダはハミルトンに決闘の準備のラップを与えた。「目に日が入り思わず目が眩む/私のニューヨークがゆっくり立ち上がるのを見た」“The sun is in my eyes and I’m almost giddy / As I watch it slowly rise over my New York City”ーそしてバーを殺すか殺すまいかと考えあぐねた。音楽的にも歌詞的にも、この歌はミランダが捉えようとした賭けを捉えることはできなかった。 ハミルトンがバーに対して持っていた誠意の欠如への不信は、国の不透明な行く末への恐怖と重なった。その歌は、ハミルトンの柄にもない躊躇と、バーの柄にもない積極性がもたらす、避けられない悲劇への予感を表現することができていなかった。ミランダは再び歌を作り変えつつも、リハーサルへの心配もしていた。彼は言う。「存在しないもの、どうしても現れてこないものがあるのに、役者たちが部屋に入ってきちゃって『うわー!』ってなる」。カイルはミランダに締切を設けて、全ての歌の草稿に反応した。彼がいうに。「プレッシャーがある時のリンの反応はもっと多くのものを生み出す起爆剤なんだよ」 
バーとハミルトンの危険を孕んだ関係は、ミランダのショウの肝だ。オープニング・ナンバーでバーはハミルトンのことを「私生児、孤児、売女の子でスコットランド人」と紹介する。この歌詞はジョン・アダムスのハミルトンに対する侮蔑に由来している。バーは特権を持って生まれた。父はプリンストン大学となる学校の学長で、母方の祖父はジョナサン・エドワーズ【著名な神学者でプリンストン学長】だった。ただ、ハミルトンと同じく、彼は若くして孤児となり、法律を学び、政治の世界へ足を踏み入れていった。ミランダの語りでは、彼らはお互いの反転図だった。ハミルトンの熱心なまでの無鉄砲さはバーの冷たい慎重さと対を成している。「ハミルトンは失うものもない孤児だけど、バーは失うものしかない孤児なんだ」とミランダは言う。 
バーをハミルトンの引き立て役とすることは、史実に沿うばかりでなくミュージカルの前例からも必然だった。「ジーザス・クライスト・スーパースター」はユダが物語を語る。ミランダは宿敵の視点からハミルトンを見せるというアイディアに魅せられた。スティーブン・ソンドハイム(2009年の「ウエストサイド物語」のリバイバルの時、劇をスペイン語に訳すためにミランダを採用した)はミランダが払うミュージカルの歴史に対しての尊敬の態度を称賛した。「現代の劇作曲家の多くはあまりこの業界の歴史に興味を払わない。でもリンはミュージカルシアターがどこから来たのか知っている。ミュージカルがどこから来たかを大事にしている」。ミランダはハミルトンの初期の曲を数年前、ソンドハイムに披露している。「圧倒されたよ。素晴らしいと思った」ソンドハイムは言う。「とても新鮮で、念が入っていて、舞台的��と思う」 
ミランダはソンドハイムのように、音韻構成と音楽のフレーズの組み合わせに注意を払っている。だが「ハミルトン」を作曲する際、商業的ブロードウェイ音楽からもインスピレーションを得た。「”レミゼ”的な音楽を作りたくてね。テーマを再登場させるのに賢い手が必要だった」彼は言う。「涙腺に直接響くと言う点では、あの作品の上を行くものはないよ」。「ハミルトン」はまた、ミュージカルの先人たちにもちょっとしたリスペクトを払っている。アーロン・バーがハミルトンや未来の革命家たちに怒りを鎮めるように忠告するせりふは、「南太平洋」からの引用。“I’m with you but the situation is fraught / You’ve got to be carefully taught.” 「これはロジャー&ハマースタイン的レイシズムの引用」ミランダは言う。ちょうど車はニュージャージーに向かうリンカーントンネルを通ったところだ。クリストファー・ジャクソン(彼は「イン・ザ・ハイツ」でも出演した)演じるジョージ・ワシントンは、自分のことを皮肉っぽく語る(“The model of a modern major general / the venerated Virginian veteran whose men are all / Lining up, to put me on a pedestal.” )が、これは「ペンザンスの海賊」からの引用で、ミランダ曰く、ギルバート&サリバンの改善である。「mineralは一番ベストな韻じゃないっていつも思ってたんだよね」 
ミランダのスコアは音楽のジャンルに対しても意味を込めた。キング・ジョージが去りゆく植民地に歌う曲は“You’ll Be Back”。��リティッシュポップ的なーーただしハープシコードでーーウィットと美しい旋律に満ちた悪意。(“When push / Comes to shove / I will send a fully armed battalion / To remind you of my love,” と高慢な王を演じるブライアン・ダーシー・ジェームズ【オフ・ブロードウェイでの時は彼がジョージ3世を演じた】は歌う。)ミランダはハミルトンとジェファソンの世代の違いを、音楽で表現する。ジェファソンはハミルトンよりも一回り以上も年上なので、ちょうどパリから帰ってきた彼に屈折したジャズナンバー “What’d I Miss?” を与える。ジェファソンはラッパーのダヴィード・ディグスが演じる。彼は「ハミルトン」のために、国際ツアーを延期しなければいけなかった。彼は言う。「リンは普段滅多に交わらない世界の交差点に存在してるんだよ。ラップ音楽の熱心なファンで、とても優秀なラッパーでフリースタイラー。そして偶然にもミュージカルシアターと非常に親密な中で育った。その全部がオーセンティックに感じるんだ。」 
90年代初期のポップ音楽ーーミランダの青春時代のサウンドトラックだーーが、スコアの中に織り込まれている。聴衆はフージーズやモブ・ディープ、ブランド・ヌビアンの要素を聞きつけるだろう。作品はノートリアスB.I.G.ことクリストファー・ウォレスにさまざまな形で言及している。ニューヨークのラッパーで、1997年に24歳で射殺された。ハミルトンが自己紹介する時、自分の名前のスペリングをテンポに乗せて歌うが、これはウォレスが“Going Back to Cali.” でしたことだ。ミランダは特に楽しんだのは“Duel Commandments”において、ウォレスのドラッグ取引入門の曲“The Ten Crack Commandments”のリフを使った部分だ。この歌は作品の最初の決闘で現れる。ここではハミルトンとバーは敵手のセコンド同士だった。5月のワークショップでは、ミランダはハミルトンとバーの決闘でもこのカウンティングの構造を用いることにした。演出家のカイルが説明する。「ハミルトンとバーの決闘のために準備をする必要があった。ハミルトンは死ぬことになるからね。だから構造的にもその下準備が必要だって僕らは思ったんだよ。同時にヒップホップファンが愛する何かを入れることは、15年前にビッギーが言ってたようなことを、ずっと昔のやつらもやってたってことを表してるんだ。」ミランダは頷く。「これは不法な行為についての曲で、それがどう行われているかについての歌なんだ」彼は言う。「そして僕らも彼も両方ともモーゼからの盗用した構造で作っている」 
ウィーホーケンの柵に囲われた広場についてから、ミランダとカイルは不毛にもハミルトンが倒れた方向の手がかりを探した。1806年の初めには決闘のハミルトンの立ち位置に大理石のオベリスクが建ったが、数年のうちに壊された。のちに、崖の尾根に列車のレールが敷かれ、決闘場を根こそぎ無くしてしまった。最終的にミランダとカイルは1919年にハミルトンの胸像が立っていた柱を見つけた。 42番街の向かいにあるそのメモリアルは、驚くほど小さかった。ジェファソンやワシントンなら全身の像が建っていただろう。 
メモリアルは閉じられた門の向こうにあった。ミランダが低い壁を登って崖の端から見下ろすと、茂みと木々の間から、下にあるアパートメントの建物が見えた。「こんなに手入れされているとは思わなかった。歩いて入れる林を想像してた。頭の中では、僕が生まれ育ったところの林みたいに、鬱蒼として隠れたところを考えてたよ。その想像がこれに置き換わることはないかな」ミランダは携帯電話でハドソン川の向こう側にあるマンハッタンを撮った。「聖地巡礼」、のちにそうツイートした。 
「イン・ザ・ハイツ」の作曲家はワシントンハイツではなく、そこから30ブロックほどアップタウン側の、インウッド・ヒル・パークの近くで育った。マンハッタン最後の自然の森があるところだ。ミランダは2人姉弟の末っ子。姉のルツ・ミランダ-クレスポはエンジニアとして鍛錬し、今はMirRamグループのCFOである(リン-マニュエルの珍しい名前は、プエルトリコの作家ホセ・マニュエル・サンティアゴのベトナム戦争に関する詩“Nana Roja Para Mi Hijo Lin Manuel”から取っている。ルイス・ミランダが10代の頃に読み、将来のために取っておいた名前だ)。母は、プエルトリコで生まれたが赤ん坊の頃にすぐニューヨークに移民した、病院の心理士だ。 エドムンダ・クラウディオは住み込みの乳母で、プエルトリコから来た親戚。ミランダは彼女をアブエラ(おばあちゃん)と呼んだ。「うちの両親はずっと働き通しで、週末しか会わなかった」と彼は言う。「父と僕はアクション映画を見に行って、卓球やビリヤードで遊んだよ。同じ家に住んでるのに、週末だけ遊びに来る人みたいだった」 
夏には、彼と姉はプエルトリコに行き祖父母の家に滞在し、言語の上達に努めた(ミランダのスペイン語は流暢だが、ネイティブスピーカーのそれとは違う)。子供たちは学問の面でも文化の面でも、多くを期待されていた。ルイスは彼らにサルサの踊り方を教えた。「僕にとっては、踊りを教わったことは本当に本当に大事なことだった」彼は言う。家族は経済的にはさまざまな背景があった。ミランダの父方の大おじはプエルトリコ独立党の創設者だったが、基本的には親類は労働者階級だった。5歳の時、ミランダはハンター高附属小学校の試験を受けたが、そうしたのは近所では彼だけだった。「プエルトリコ人の父にとってどんなことだったか、僕には想像もつかない」彼は言う。「僕の友達はみんなユダヤ系だった。ハンターに行くのはそうだからね。僕は学校ではリンで、家ではリン-マニュエルだった。学校と家では別人だった。友達はみんなアッパー・ウエスト・サイドやアッパー・イースト・サイドに住んでいて、僕は彼らのナニーたちとはスペイン語で話してた」 
ミランダは6歳の時にピアノレッスンを受け始めた。「先生がリサイタルを催した。子どもたちがそれぞれ何曲か弾くんだ」ルイス・ミランダは思い返す。「リン-マニュエルが最初の曲を弾いて観客が拍手して、2曲目を演奏する。その時彼は『これもできる、これも知ってる』っていう感じになっちゃって。ピアノから引きずり下ろさなきゃならなかった。彼は拍手が大好きだからね」。彼のショーマンシップは時に宿題にも現れた。3年生の時の宿題、ジーン・メリルのThe Pushcart War(手押し車戦争)についてのレポートとして、彼は家族を巻き込んで本の中の出来事を再現したショートビデオを提出した。その中で彼はニュースキャスター風のスーツを着て、気取ったナレーションをした。「賢い子どもたちの中での必要通貨はファニーなこと。ファニーになれるなら大丈夫。だから僕はとても楽しい」(ミランダは今でも友人や家族を彼の創作意欲に巻き込んでいる。企業弁護士のナダルと2010年に結婚した時も、招待客を巻き込んで「屋根の上のバイオリン弾き」の”To Life”の寸劇で彼女を驚かせた。40万人がYouTubeでその様子を見ている) 
両親はミュージカルの愛好家だった。「たくさんパーティをしたけど、流している音楽はほぼラテン音楽だった。サルサやエル・グラン・コンボ」彼は言う。「でも掃除の時の音楽はいつもキャスト・アルバムだった」ブロードウェイに頻繁に行くほどのお金はなかったが、ミランダは”聖なる3作”「レミゼ」「ファントム」「キャッツ」に連れて行ってもらった。「7歳の時にレミゼを見に行ったのを覚えてる。フォンテーヌが死ぬところで泣いて、少し寝て、ジャベールの自死のシーンの時にはまた起��てた。あのショウを体験するにはすごくいい方法だったと思う。『キャッツ』を見たときは、花道を走り抜ける猫たちに触れられたのを覚えている。『ファントム』を見たときは『うわマジか!』て感じだったね。だって醜い作曲家が自分の意志を世界に押し付ける話だろう。親近感が湧いた。」 
ミランダは音楽を正式に勉強したことはない。ピアノレッスンは小学校を卒業するころには行かなくなっていた。ただ、ベッドルームのキーボードで、趣味としての音楽は続けた。高校で、彼はミュージカル演劇を始めた。9年生の頃、「ペンザンスの海賊」でシニアの生徒を負かして役を得た。「まだあの時の拍手を覚えてるよ。僕の人生で一番お気に入りの歓声だ」彼は言う。最終学年では、「ウエストサイド物語」を監督した。「シャークスにはラティーノがいなくて。いろんな濃さのブラウンと、アジアンの生徒たちだった」ミランダは思い返す。「だから父に来てもらって、シャークスのアクセントをつけてもらった。他の子たちにどうやってラティーノになるか教えたんだ。学校では全然ラティーノとしての自分は出してこなかったから、『ウエストサイド物語』はそのための方法だったね」ミランダが『ウエストサイド物語』の作詞家ソンドハイムと初めて道を交えたのはハンター高でだった。ソンドハイムは、同級生の父親(彼が生徒のためにアレンジを頼んだのだった)の友人だった。「彼はどうやってショウができるのかについて、素晴らしい話をしてくれた」ミランダは言う。「彼は僕らに、どうやってオープニング・ナンバーと台詞を書いたか教えてくれたーー歌詞に載せて歌い始めたーーでもジェローム・ロビンスは『いや、全部踊りで行こうと思う』と言ったんだって。すごく印象的だった。その時が初めてミュージカルが本当に作られるのか見た瞬間だった」 
1997年、17歳の誕生日の時、ミランダは『レント』をブロードウェイで見た。「僕は思ったよ、これならできる!って。今のことをミュージカルにしてもいいんだ」。彼は学校の文化祭で20分ほどのミュージカルを描き始めた。MSNBCのブロードキャスターで、その時ハンター高の生徒だったクリス・ヘインズは、ミランダの初期作品の「ニ長調の悪夢“Nightmare in D Major” 」を演出した。ヘインズが思い返す。「主人公の名前はディランで、悪夢の中にいる。彼の過去から愛は奪い去られ、その途中で邪悪な豚が出てくる。悲しいバラードがあって、忘れ去られた恋愛に関する歌なんだけど、今でも歌えるよ」ヘインズによると、ミランダは自分の才能に気づいていた。「それが彼の力だったと思うんだよ。自信と自尊心が彼のカリスマの一部なんだ。変に謙虚ぶらないんだよ。遠くから眺めてて、想像したよ、『あいつ、自分のことをなんだと思ってるんだろうな?』答えは、”世代に一つあるかの音楽の天才”だ」 
ハンター高を卒業した後、ミランダはウェズリアン大に行き、高校の頃の作品を再演した。「天国での7分間」という作品で、7年生のファースト・キスに関するミュージカルだ。「ウェズリアンはハンターに似ていて、頭にある馬鹿げたアイディアにを具現化することができるんだ」彼は言う。2年生の頃、ミランダはラティーノ文化センター兼寮のラ・カーサに移り住んだ。そこには8人の移民一世の生徒たちがいた。「この時が初めてラティーノの友達ができた時だった」彼は思い返す。「初めてマーク・アンソニー絡みのジョークと‘The ThunderCats’とか馬鹿げたアメリカ文化に関するジョークが、同時に通じる瞬間だった。『レント』が僕にミュージカルを書く許可を与えたみたいに、自分のホームについて書く許可が与えられた瞬間だった」 
2年生の頃、彼はワシントン・ハイツを舞台にしたミュージカルを書いた。ラテンミュージックとヒップホップで近所の音を再現した作品だ。ラテン音楽も、ヒップホップも、それまで作曲したことがなかった。苦しい三角関係を取り上げたストーリー自体に新鮮味はなかったが、2000年の春に作品が上演されたとき、ミランダはヒップホップが席にいる観客との距離を縮めることに気づいた。「ラテン音楽とヒップホップの融合は強い効き目がある。このグルーブには何かがある。」 
後の大学の二年間には、彼はそのミュージカル(初期の「イン・ザ・ハイツ」)の台本は棚にしまった。しかし、演劇関係の学生のあいだで評判は回って行った。2002年、ミランダの4年生でのプロジェクト“On Borrowed Time”がウェズリアンの劇場で上演されていた。2年上の卒業生トマス・カイルは劇団の立ち上げの手助けをしていて、劇場に立ち寄っていた。「イン・ザ・ハイツ」を気に入っていた彼は“On Borrowed Time”にはあまり興味がなかった。終了後ミランダと握手をして、横柄にも、「楽しめよ」と告げた(二人はいまだにこのフレーズを週に何度かお互いに言い合っている)。一ヶ月後、ミランダとカイルはニューヨークの西14番街にあるドラマ・ブック・ショップの地下で待ち合わせ、5時間話し込んだ。「『イン・ザ・ハイツ』のことを二年間ずっと考えてたから、話をはじめたら止まらなかったよ」カイルは言う。 
ミランダがウェズリアン大を卒業した後、父は彼をロー・スクールに行かせたがった。ルイス・ミランダはルーベン・ブラデス【作曲家でサルサ歌手。アメリカに亡命する前はパナマで弁護士をしていた】を引き合いに出し、大成する前に法律の学位を取って保険をかけておけば、と説得した。そうはせず、ミランダはハンターに戻り、7年生の英語の代用教師となった。���文法の授業をしたね。僕たちの頃はやらなかったんだけど。だから子どもたちに教えるために文法を勉強した」。同時に彼は「イン・ザ・ハイツ」の制作に取り組んだ。数ヶ月の間、彼とカイルは役者を交えて素材を試した。ミランダはボデガの店主でナレーターのウスナビを演じることにした。「この契約でいちからラップを習ってくれる人が見つからなかったから、僕に回ってきたようなもんだね」 
作品は最終的に数人のブロードウェイ・プロデューサーの目に留まった。「アベニューQ」などを手掛けることになるケヴィン・マクコラムもその一人だ。「彼は『なんの話かわかってきたらまた来な』て感じだったね」とミランダは言う。(マクコラムは「ハイツ」のブロードウェイでのプロデューサーとなった)2004年、ミランダとカイルは若き戯曲家キアラ・アレグリア・ヒュデスを雇い、脚本を書き直した。ヒュデスは大胆な書き換えをした。三角関係をなくし、ウスナビを謙虚ながらもカリスマのあるアンカーとして中心に据えた。【ハイツのメイキング本曰く、ベニー、ニーナ、リンカーン(ニーナの兄)の三角関係をなくしたのはプロデューサーの提案だったそうです】ミランダの愛するホームを描いた物語の中心だったロマンスは、二次的な要素になった。 
2007年、数回のワークショップを経て、作品はオフ・ブロードウェイで上演された。翌年ブロードウェイに移った。いくつかの感情的・ストーリー的矛盾はあったが、その独創性と中毒性は多くの賞賛を得た。タイムスのチャールズ・イシャーウッドはこう書いた「『イン・ザ・ハイツ』は+サルサ・フレスカ−(セックス、ドラッグ、病気)のアップタウン版『レント』である。」 
ミランダは動きの中で作詞をしている。アパートメントの近くのフォート・タイロン・パークを散歩しながら。または181番街からダウンタウンにゆく地下鉄の中で。彼のiTunesのフォルダはミュージカルのかけらでいっぱいだ。”Battle Loop”、”Burr-Hamilton Loop”はLogic Proで作曲した。「いいなとか面白いなとか、キャラクターに話してほしい片鱗とかを思いついたら8から16小節ぐらいの音楽をまず書く。そしてヘッドフォンをつけて出掛けて、犬の散歩をしながら独り言を言ってる」。時には作曲中の節をボイスメモに吹き込みながら、他のものをループで聞く。アーロン・バーを象徴する”Wait for It”のリフレインは夜地下鉄に乗りながら思いついた。「ダンボでやってる友達の誕生日パーティに行く途中だった。メロディをiPhoneに録音して、15分パーティに出て、帰りの電車で後の部分を作曲したよ」 
長い間、ミランダはハミルトンか、アメリカの歴史の中では悪役となることの多いバーか、どっちを演じたいか決めることができなかった。ハミルトンの死後、バーは南西部で謀反を画策したとの疑いをかけられた(最終的には無罪となったが)。ミランダは多くの歴史家とは違い、バーに同情的だ。「バーには同じぐらい親近感があるよ」彼は言う「バーはハミルトンと同じぐらい賢くて才能があった。それにハミルトンと同じぐらい失ってきた。ただ、だからこそ、ハミルトンが前に進むところでバーは一歩引いてしまった。人生の中で、自分がハミルトンのようだと思うのと同じぐらい自分はバーだったと思う。誰しもこう言うことがあるだろう、友達や仲間が自分を通り過ぎて、成功したり、結婚したり、家を持ったりする。自分は一文なしで、独身で、仕事もなくもがいているのに。そして自分に言い聞かせる、『機会を待て』と。」ミランダは最近35歳になった。「ハミルトンがこの歳に達成したことを考えると、すごくバーみたいな気持ちになる。それか、ポール・マッカートニーと比べたりとか。ソンドハイムとか。ガーシュインとか。アウトキャストとか。彼らの業績を考えると驚いてしまう。」 
最終的には、キャリアの面を見通した打算が勝った。「ハリウッドから連絡があると、大体は白人の主人公の友人役。もし主人公を演じたいなら自分で機会を見つけて、自分で書くしかない。ジョン・レグイザモもおんなじことを言っていた」(パブリックでは、バーは最近のNBCのドラマシリーズ”SMASH”に出演したレスリー・オドムJr.が演じている)ハミルトンを演じることは、ミランダいわく「本当の自分よりも生意気に、賢く、衝動的にならなきゃいけない。2時間半は自分の手綱を外さなきゃいけないね」 
トマス・カイルはミランダが最終的にハミルトンを選んだこと��は驚かなかった。彼いわく「ハミルトンが自分を時限爆弾のように感じてるのは、リンの性質ととても合ってる」。「ハイツ」のブロードウェイ公演のリハーサルの時に、開演前に死んでしまうという迷信的恐怖を発達させた。「いつもジョークを言ってたよ。『無名の作曲家、マンホールに落下』『無名の作曲家、バスに轢かれる』」ミランダはいう。「ハミルトンの『死はいつも思い出のように感じる』と言う歌詞を書いた時、『ああこいつのことは知ってるな』って思ったよ」 
親友となったキアラ・ヒュデスいわく、「ハイツ」は自伝的処女作である。「これが僕だ、これが自分が来た場所だーそれを爆発的なエネルギーで表現する必要があった」。対して「ハミルトン」は、彼女いわく、ミランダが大人として書いた初めての作品である。そしてこの作品も、彼のさまざまなアイデンティティと強く関わっている。「彼はプエルトリコで、彼はニューヨーク、彼はヒップホップで、彼はブロードウェイ。彼は異なる世界の全てだと言うこと。それを一つの部屋に全部持ってくると、人々は熱狂するって彼は気づいた。だってそれはこの国そのものだから。」 
パブリックシアターのミランダのチームは、このショウがヒップホップミュージカルと表現されるのを好まなかった。それも妥当な反論だろう。色々なジャンルを含んでいるから。また、戦略の面でもそうだった。そういったカテゴライズは聴衆の興味を限定する恐れがあった。特にブロードウェイ(最終的にそこを目指していた)では。(「ハミルトン」は2014年の終わりにはパブリックでソールド・アウトし、2回公演を延長した) 
ヒップホップは音楽シーンでは世代を制覇しているが、ブロードウェイでは影響が小さい。3年公演が続いた「イン・ザ・ハイツ」以外で試みがあったとしたら、去年の“Holler if Ya Hear Me”(トゥパックの歌詞を元にしたミュージカルで、6週間の公演だった)が唯一だろう。「ハイツ」のプロデューサーで「ハミルトン」に大金を注ぎ込んだジェフリー・セラーいわく。「誰も一晩中ずっとヒップホップを聴きたいわけじゃないし、こっちもそうするつもりはない。『ハイツ』を三年間公演したけど、もしヒップホップミュージカルと言われていなかったら、もっと長くできてたと思う。美しくて感動的なショウだったからね」 
「ハミルトン」宣伝の障壁は音楽の認識だけではなかった。セラーは観客たちが「誰がアメリカの官僚についてのショウを見たいんだ?」と言っているのが想像できた。同じ問題は、2010年のブロードウェイ作品“Bloody Bloody Andrew Jackson”でも起こった。7代目大統領についてのエモ・パンクミュージカルだ。評価は高かったが、興行面で振るわず四ヶ月の公演を終えた。 
セラーの警告に反して、ミランダの独立戦争についてのラップ・ヒップホップを作曲する才能は、アウトキャストを聞いたこともないであろう聴衆に受け入れられた。戯曲家のジョン・ゲールは去年の春、友人にワークショップ公演に誘われた。「ショウを見ながら、こんなに生を感じたことはなかった」ゲールはいう。「ドアを開けて新鮮な風が吹き込む時のあの爽快な気持ち。彼はハミルトンの精神をとらえ、ロン・チャーナウの本の空気をとらえ、時代の精神をとらえた。おかしなことだが、それを優雅さと注意深さと統制と、狂気を持ってしてやり遂げた」。ミランダのヒップホップ・フリースタイラーとしての才能の証明はまた、新しい観客も捉えたようだった。ブルックリンを拠点にしたパフォーマンスアーティストのレモン・アンダーソンは「ハミルトン」をこう表現する。「劇場に行ったこともないコミュニティが、これを見にくる。いつも自分達の文化圏のみんなに言ってるんだ、『ラップの観点からもこんな歌詞が凄いショウはないよ』って」。ミランダと「ティモシーの小さな奇跡」で共演したコモンは言う。「ランチタイムにセットでフリースタイルをした時のことをいつも思い出すよ。『うわ、こいつは凄い才能があるな』と思った」 
ミランダの作品はオペラのように歌い通しなので、キャラクターがラップに移っても違和感がない。「ハミルトン」のジェファソンを演じるダヴィード・ディグスは、そのことをアメリカをステージで表現したものだと言う。「それがお互い会話する唯一の方法なんだよ。それが大事だと思う。いつも省かれてきた自分達を、歴史の一部として見ることができる。ラップは僕たちの世代の声なんだ。有色人種の人々の声だ。それがこの作品の中にただ存在して、特異な扱いをされないと言うことが、歴史は僕たちのものだと言う感覚をもたらす。」威厳に満ちたジョージ・ワシントンを演じるクリストファー・ジャクソンは、低く響くヒップホップのビートに乗せるラップから、朗々とR&Bバラードまでを歌い上げる。彼いわく、この作品は奴隷制の構造とその悪影響について潜在的に批判している。「ブロードウェイの観客は説教されるのは嫌いだから。多人種のキャストにすることで、有色人種である我々役者たちがキャラクターを演じると言うことだけで、追加的な文脈を加えることができる。」 
「ハミルトン」のリハーサルは、タイムズ・スクエア近くの貸スタジオで行われた。12月初旬のある午後、キャストは”My Shot”に取り組んでいた。独立戦争前夜の活気に満ちたナンバーだ。出演者ほとんどが出てくるヒップホップダンスを、振付師のアンディ・ブランケンビューラーが振り付けていた。ミランダの音楽は、今やアレックス・ラカモアによってオーケストラ化され、力強いクレッシェンドを作り上げていた。彼もブランケンビューラーと同じように、「イン・ザ・ハイツ」からの付き合いのベテランだ。若き俳優アンソニー・ラモスが、舞台の向こう側から怒りを込めて突進する。彼はハミルトンの親友で、奴隷所有者の息子のジョン・ローレンスを演じている。独立戦争の頃、ローレンスは奴隷たちを兵士としてリクルートし、勝利のあかつきには身分を解放すると約束し、黒人連隊を作ろうとした。彼は1782年の終戦間近に戦死する。“Don’t this shit make my people wanna rise up!” とラモスは歌い、反乱者たちのコーラスをリードする。 
役のために髪を肩まで伸ばしていたミランダは、心配そうな空気を纏い、目は疲労に縁どられていた。11月の初めに、長男セバスチャンが生まれていた。それにも関わらず、ミランダは役としていきいきを動き回っていた。あるときはアンサンブルとダウンステージを踏ん反り返って歩き、指を頭の上に高く上げる。まるで銃を撃つように。次の瞬間にはパソコンやスマホに何かを打ち込む。「頭の中のアプリがたくさん開いてる。台本、振付を覚えること、ツイッター。それからニュース」 
その午後、ニューヨークでは、大陪審は警官のダニエル・パンタレオを殺人罪では起訴しないことを決めた。ステタン・アイランドのエリック・ガーナーは、去年の夏単本のタバコを売っていたことで逮捕された際、首を絞められ死んだ。その1週間前はミシシッピのファーガソンで暴動が起こった。これもまた大陪審がアフリカン・アメリカンのマイケル・ブラウンを射殺した白人の警官ダレン・ウィルソンを起訴できなかったことがきっかけだった。「『立ち上がれ』と僕らは叫んでいるけど、多くの人も同じように思っている」ミランダは言った。 
2009年、ミランダのホワイト・ハウスパフォーマンスのあと、パーティはロビーのレセプションエリアに移った。そこではDJがヒップホップを流していた。ミランダは驚いた。アメリカはついに昔の人間ではなくて、自分達と同じ時代を生きる人間が大統領をしてるんだと思った。もしここ最近の社会がその包括の約束を裏切る辛い証拠だとしても、ミランダはまだ言葉の力を示すことができると思った。デモの参加者がマンハッタンでのデモを始めた時、ミランダは”My Shot”からの歌詞を呟いた。“If we win our independence / Is that a guarantee of freedom for our descendants? / Or will the blood we shed begin an endless / Cycle of vengeance and death with no defendants?”  
午後のリハーサル室は静かだった。ミランダとジャクソンはカイルと別のシーンに取り組んでいた。1776年の8月、絶望的なブルックリンの戦いの後の、ワシントンとハミルトンの出会いのシーンだ。”Right Hand Man”の中で、ワシントンはハミルトンを召集し兵士として���なく秘書として働くようにオファーする。“Head full of fantasies of dying like a martyr? / Dying is easy, young man. Living is harder.” ハミルトンは反論する。彼は連隊の指揮権が欲しいのだ。 
カイルはミランダにハミルトンは何を考えているのか尋ねた。「保身モードになってる。ワシントンが正直になるまでは」とミランダは返答した。「『ゴッドファーザー』でアルパチーノが列車の音を聞いて、行くか行かざるか、と考えているところみたいな感じ。警察署長とソロッツオのところに行くか?それとも、ディナーに行くか?」ハミルトンは、ミランダが言うには、「勝利のための生贄」になる決心をしていた。戦場を離れるのはいつも最後だった。今やハミルトンはワシントンの側に着くことの将来の利点を素早く計算していた。この計算は一小節で示される必要があった。「この瞬間、彼はいう。『これをのしあがる手段にしよう』と。『戦場で成り上がると思っていたが、この方法で行くしかない』」 
数回歌を繰り返して、ミランダはワシントンへのハミルトンの返事を考え出した。“I am not throwing away my shot.” 数曲前では、ハミルトンの戦場で命を投げ出す決意を示すフレーズだった。今ここでは、彼の人生よりも続くレガシーを築くチャンスを掴んだ瞬間を示すものだった。台本では、ワシントンはハミルトンを���言で遮るーー「息子よ」ーーこれはワシントンの若い部下に対する親心が現れている。(チャーナウは、ハミルトンは根拠なくワシントンの私生児であると噂された、と書いている。)だがジャクソンの「息子」の言い方はまた、ヒップホップ風の、ブラザーフッドや対等さもまた示している。 
ミランダとジャクソン、そしてカイルは台詞を繰り返し、ワシントンのハミルトンの新しい目的に対する理解をどう表現するか探っていた。兵士から未来の政治家になるハミルトンの変化を聴衆に感じ取ってもらいたかった。ミランダは自分の原稿を確認した。「息子よ、じゃなくてシンプルに『いいぞ』と言った方がいいかな?」と言った。「『いいぞ』ってことは『お前を雇うぞ』てことだし。それでハミルトンは新しい才能が開花するんだから」 
ミランダの台本はまだ草稿状態だった。ハミルトンの死のページは「新曲製作中」と書いていた。数週間後、まだミランダは旋律に悩んでいた。「最後の瞬間ハミルトンは何を考えるだろうか?」彼は言った。「トミーが筆を置けと言うまでずっと考え続けるだろうね」続けて、「目の前のバーは、彼が10代の頃から知り合いだ。そのことを考えるだろう。たくさんの子供たちと共に置き去りにすることになる妻のことを考える。負債と、それに対する罪悪感について。でも彼はクリスチャンだったし、また会うことができる息子がいる。ジョージ・ワシントンともまた会える。たくさんの愛する人が、彼を向こう側へと呼んでいる。弾丸が銃を離れるまで、そのことを表現する時間がどれだけあるのか」 
決着はほとんど最後の瞬間に訪れた。元旦の早朝のこと。眠る赤ん坊の息子を胸に置いて彼はベッドに横たわっていた。隣ではナダルが寝ている。長いことなかった静かな時間だった。静寂。彼は考えた。それは「ハミルトン」でまだ演奏していないものだった。何も音楽がないのはどうだろうか。犬の散歩に行く。この時はヘッドフォンは家に置いていった。時々ノートにメモするために立ち止まった。次の日の朝5時まで起きて、ハミルトンの最後の瞬間をついに聴いた。 
3週間後、パブリック・シアターでプレビューが始まった。ロビーにはニューヨーク・ヒストリカル・ソサエティから借りた、バーとハミルトンが向かい合わせで銃を引く銅像が立っていた。舞台では、ミランダのキャストは慣れない衣装を着て心地よく、観客の祝福を楽しんでいた。宝石に飾られたキング・ジョージの尊大な忠告は笑いを呼び、“Duel Commandments”でのビッギーのオマージュは喜んで迎えられた。「レ・ミゼラブル」“One Day More” のスタイルを恥ずかしげもなく拝借した一幕の最後は歓声で迎えられた。ハミルトンの自慢の息子、フィリップの痛ましい死は、観客の涙を誘った。 
2時間半の音楽の嵐の後、バーとハミルトンの決闘の瞬間が訪れた。バーが致命的な銃弾を放った後、ハミルトンは長く思い描いた死が訪れたことに気づくと、音楽は消えた。黒の喪服に身を包んだミランダはラップではなく、詩を語った。彼の最後の思考と感情のひらめきはもはやビートや旋律にはつながれていなかった。「誰かが私のために歌う旋律を書く/アメリカ、素晴らしき未完成の交響曲/あなたが私を呼んだ」と静かに語った。ハミルトンは妻や友人たちを思い、思考は飛び交い、昔の歌を歌う。言葉はばらばらになり、儚く浮かび上がる。彼はよろめき、そして静寂が落ちた。◆
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