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MOONLIGHTING - AL JARREAU LYRICS+SUBTITULADA ESPAÑOL
「Moonlighting」
このブログを10月1日に書いている。今日10月1日といえば、私が学生時代を過ごした80年代は就職活動の解禁日とされていた。
当時、会社訪問は4年生の10月1日と同時に始まり、面接を経て試験を受け「内定」が年末までに取れれば、それが就活の順当な在り方だった。現在とは違い、それはホントの「短期決戦」で、数か月という短時間をいかに動くかにより働く会社が決まり、その後に続く大半の人生までも確定してしまうというものだ。中には、私のように年が明けても会社は決まらず、卒業さえも危ぶまれる学生もいたが、それでも4月には無事に入社式を迎えることができていた。 時は昭和62年、西暦1987年。いわゆるバブル入社組は「全員入社」という意味でもバブルの恩恵を受けた「幸運な人たち」だったと思う。
「こちらブルームーン探偵社」というアメリカのテレビドラマをご存じだろうか? シビル・シェパードとブルース・ウィルスが共演するコメディタッチのドラマで、日本では80年代の後半NHKで放送されていた。日本で作られたモノもそうだが、80年代に製作された映画やドラマは、主人公たちの衣装や室内の設えに本物使いや拘りがあり、ストーリー以外にも多くの見どころがある。この「ブルームーン探偵社」でもその傾向は随所に見受けられ、いかにも高級そうなワンピースやジャケット姿で635を操るシビルや当時流行だったノーベントの上着をジャ��トフィットに着こなすブルース、そしてドラマのスタートとエンディングに華を添えるアル・ジャロウの歌など、CGが多様された今日のドラマにはない贅沢な空気感がこの作品には漂う。 ストーリーはドタバタでコメディテイストだが、衣装や車などの小道具や音楽が洗練され一流であるが故に、その対比がこのドラマを上質なエンターテイメント作品に仕上げている。吹き替え版は無いが、その映像はユーチューブで見ることができるので、興味がある方はご覧になられてはいかがだろう。
普段聴くのはジャズだが、本当はフュージョン好き。シンプルなコード進行の上にきれいなメロディが乗り、アレンジに少し捻りが利いたものをいいと感じる。特にキーボードにローズピアノのサウンドが使われていれば、私の頭の中は80年代の輝く光景で満たされる。今回ユーチューブの映像をきっかけに、80年代に録音されたアル・ジャロウのCDを数枚手に入れた。丸い声質、正確な音程、全体のサウンドは、とても私好みで耳触りが良く、もっと早く聴いていればよかったと思うほど心地よい気分と気分と時間を得ることができた。お店で聴く音楽もしばらくアルの歌声が続くことになるだろう。
アースカラーのスーツを着る男性。ハイウエストのパンツにジャケットを合わせる女性たち。シティポップが流れる街のパブは仕事帰りの男女で賑わう。 パソコンもスマホもなく、全てがアナログ。当然情報も少ないから、それを得るためには自ら体験するしかない。だから人は街へ出る。それが街の活気へと繋がる。人・街・生活スタイルが時間の経過とともに洗練されお洒落になっていったあの頃。80年代とはそんな時代だった。昨今は、便利で多くのものが手に入り、多様性が認められる文化風潮だが、なぜだか心持が豊かに感じられることがない。あの時代を過ごした人なら、きっと誰しもがそう思うはずだ。そういう観点に立てば、昭和末期の80年代は、「あのころはよかった」との懐古的感情では片づけられない「特別」な時代なのだと思う。私の趣味嗜好も当時をベースにするものが大半を締めるのだから、あの時代を生きたことを心から良かったと思うのである。
注文服ヤマキ 木下 達也
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「そなえよつねに -スカウト精神-」
襟付きのシャツを着ること。ウールのパンツを履くこと。ジャケットを羽織ること。「あんな風に歳を重ねたい」と思ってもらうには、クラシックなアイテムとほんの少しの「華」があればいい。
この春夏、顧客の皆さんへ届けたニュースレターのテーマは「服装に華を添えて」。そのニュースレターのサブタイトルに使ったのが冒頭の言葉だ。年齢と共に地味になり次第に執着を失くす男性の服装において、「場」に則した装いを今一度心がけることが、人生の「渋み」や「年輪」を表現する上で不可欠であろうと考えている。心身ともに「劣化」を感じ始める年齢において服装を整えることが、自身の「彩り」に大きく働くことを知っていただきたい、そんな思いだ。 特���高価なものは必要ない。毎日キメキメである必要もない。ただ人と会う時や街へ出る際に少しの気配りを自身の服装に持ってみたいものだ。評価は必ずついてくる。大切なのは「見られている」との意識。特に異性からの。
このブログは私の気づきや思いをその時々に書いたもので、人の目に留まるとするならそれはごく限られた人に過ぎないと思っている。それに対し、年に二回必ず手元へ届くニュースレターは、その内容の出来不出来に拘らず手にした顧客は目を通さざるを得ない。ネットブログの「出入り自由」な環境とはその点で考えを異にする。
今回そのニュースレターで誤字の指摘を顧客から頂いた。だが、私はそれが間違いであることをすぐに理解することが出来なかった。60歳も近くなって全く恥ずかしい話である。私が書いた文章はこうだ。
「モヘアを混紡させた生地は、その重さと相まってシワにならない性質と長時間に渡る着用を可能にしています」
ご指摘は、この文中にある「渡る」の使い方の間違い。この場合は、時間的な経過を表す「亘る」を使うのが正解なのだそうだ。私は稚拙な文章を隅々まで読んでくれるお客さんに感謝しながら、自分の無知を恥じた。そしてニュースレターが「読んでいただく」ことを大前提とする案内であることを再認識させられた。人前に出す「責任」。もちろんこのブログも然りである。
「お客さんが来るからシャツに襟を付けてくる。しばらく待っていてくれ」
1800年代のイギリスを舞台にした演劇を見た時に主人公の男性が発した言葉だ。襟の取り外しが可能な当時のデタッチャブルカラーの正しい使用、そして不断と余所行きの服装の違いが表現される場面である。
人前で着るシャツが襟付きでなければならないのは200年前から続くマナーだ。また人前で上着を羽織らねばならない服装の基本ルールは、そのシャツが古代ローマ帝国時代から下着の役を果たしてきた故のものである。従うかどうかは個人の見識によるが、歳を重ねたときに私のような「無知」を晒さぬためにも服装のルールやマナーに少し耳を傾けてみるのも悪くないと思う。
ぜひお出かけの際には心がけを。
注文服ヤマキ 木下 達也
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「久しぶりの福岡」
年が明けて5日目。店休日を使い一年ぶりに訪れた福岡の街。再開発が進む天神交差点ではいくつかのビルが取り壊され、学生時代に慣れ親しんだ福ビルの温度計もすでにその姿を消していた。数年経つとそこには制限が緩和された高層ビルが建つ。そして街の様子も大きく変わってしまうことだろう。ガラス張りのビルが持つ近代的な雰囲気も悪くはないが、「趣き」を持つ建物が減ってしまうことを少し残念にも思う。
このブログやインスタの画像を撮るカメラに私はデジタルのライカを使っている。今回の福岡行は、そのライカの画像にシミができ、ライカショップにそのことを相談することが目的のひとつだった。対応してくれた50歳前後とおぼしき男性のスタッフ。身なりや佇まいが良く、説明は的確で喋りは非常に丁寧。私は上品且つスマートなサービスをする彼の薦めでライカのセンサークリーニングを決めた。そしてライカを感動的な彼に預けながら思うのだ。「こうも自分の接客とは違うんだな」と。私は久しぶりにいい接客を受けたことを喜ぶと共に「気づき」を与えてくれた彼に感謝した。
時代に「対応する」「適応できる」のはさておき、時代の流れを読む力を持ち続けることは大切なことだと思う。古いモノ好きで時流に乗ることが苦手な私でも、仕事でファッションの流行を知らずして商売を続けることは難しい。「長続き」とは自分のスタイルを持ちながら「今」を取り入れ続けること、それがポイントであり秘訣なのだろう。しかし「言うは易し行うは難し」なのだ。これが・・・
私は80年代に学生時代を過ごしこの業界に入った。トラッドやアイビーが流行り、DCブランドブームも起こり始めていた当時。時代のトレンドは、音楽・車・飲食など生活スタイル全般、またそれを楽しむ数多くの「箱」や「場」も存在し「モノ」「コト」消費はとてもバランスよく回っていた。華やかで高い文化レベルは現在と比べるべくもない。80年代とはそんな時代であった。その日本の絶頂期に、男女の日常をショートストーリーとして映像化しブームを作った「わたせせいぞう」氏。私の今回の福岡行は、開催されたわたせ氏のパネル展を見ることがそのメインの目的だった。
「シティポップが聴こえていた頃」と題された会場。そこに多数展示された80年代に描かれた「カレとカンジョ」の版画。ソフトスーツを着るカレ、ドレープがふんだんにかかったワンピースを纏うカノジョ、そして流行の品々。当時のトレンドや文化を描写したそれらは「記録」としても価値を持つ作品ばかりだ。そこに混じり添えられたタイトでシャープな服を着るカレとカンジョのパネル。80年代作品とは明確に違うそれは、今日の視点から服装のトレンドを正確に捉え描写したものであり、このような作品を通してわたせ氏が「今」と「時代」を読む力を持ち続ける人物であることが見て取れる。すでに76歳となる氏。その持てる感性・感覚に敬意を表するとともに、今後も素敵な物語を我々に届けてほしいと思っている。
ネット販売が急速に発達した今日、リアル店舗は必要ないと言われ始めてから久しい。モノや情報の多くは確かにネット上で得ることが出来るかもしれないが、現場で体験するほんの少し、その幾ばくもない中に五感を刺激する何かが潜むのではないのか。
お客さんがシェフとして勤めるイタリア料理店で、パスタと少しのお酒を頂き、5時間ほどの滞在だった福岡。食、人、作品に触れとてもいい時間を過ごすことが出来た。
注文服ヤマキ 木下 達也
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「今となっては死語、ショーウインドウという言葉」
数年前に、お店のウインドウガラス下にある腰板を張り替えたことがある。傷みに気づき知人の大工に相談し修理を依頼したが、「自分でできるでしょ」と言われ仕方なく一人で作業を行った箇所だ。その部分が同じように腐り、再び修理が必要な状況となっている。やはり「素人仕事」の典型、ツメが甘かったようだ。件の大工に相談すると今度は、「板張り後にコーキングして下さい」とニコニコ顔で言う。やっぱり仕事を受ける気は無さそうだ。やれやれ。
インショップであれ路面のショップであれ、アパレルにおけるディスプレイは商品認知の手段として不可欠である。私が若いころは、本部から販促物が送られ、ブランドの世界観を保つために国内同一ディスプレイでの展開が一般的に行われていた。しかし今日のようなアパレル衰退の状況下では、ディスプレイは各ショップが独自で行うことが常だ。そんな中で、近年ショップが「物売りの場」から「受け取りや試着の場」へとその在り方を大きく変えようとしている。商品は並べ積まれるだけで、その空間には集客を目的とするディスプレイは必要とされない。WEBだけでモノが買い続けられるとは思いたくないが、ショップは確実にストック場と化しつつある。本来なら商品の魅力を発信するはすのショップが、今その存在意義を失おうとしているのだ。すでにご存じだと思うが、街中やハコモノからアパレルのショップが無くなるスピードと言えば、それは、それはすごい。
腐りかけた腰板の上、ウインドウガラスの奥に我が店のディスプレイはある。クロスを掛けたテーブルに洋服を着せたボディと雑貨を置き、その時々に考えたテーマのもと「流れ」や「物語」を表現する。店主は毎回真剣だ。それが出来ているか否かは別として。ただ、思いを込めているにも拘らず、そこへの注目度は顧客の方々ほど低い。何故なのだろう・・・。一方、店主の心意気を知ってか、世間にはウインドウのディスプレイに気をとめてくれる人もいる。先日、この店を正面から撮った写真を頂いた。聞けば、ウエブ上にあるライカのフォトギャラリーに投稿したところ採用されたとのこと。一面識も無い方だったので驚いたが、「記念なのでお持ちしました」とおっしゃるからその一枚を有難く頂いた。他にも、店を描いたスケッチ画を「どうぞ」と言ってくれる女性や、北九州市が主催する都市景観賞の市民投票にこの店を候補の一つとして挙げて頂いたことも過去にある。小さい店だが、こんな店の連続性が街並みを作り、延いてはランドスケープを形成しているのだ。売上や規模とは別の、「佇まい」としての「店」のチカラがあることも、広く知ってほしいと思っている。
昭和までは街角や商店街に多くあった洋服屋。そのウインドウに飾られるワンピースやスーツを眺めたことがある方もまだいらっしゃるだろう。あの頃よりもお店は減り、ウインドウを持たず、外に向かってディスプレイをしない店が増えた。ガラス越しに目にした「洋服の色やフォルム」、その光景が街中から消え去ってゆく現状はとても寂しいと思う。
多分私は、再び「素人仕事」をやる羽目になるだろう。腐食をそう長くペンキでごまかせるはずもない。レトロチックで古ぼけた雰囲気は、私の意図するところだが、「腰砕け」で大切なウインドウが壊れてしまっては本末転倒というものだ。ただ、ほんの少しだけ、「やるよ!」とプロからの言葉も期待している。なんとかお願いします。
注文服ヤマキ 木下 達也
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「街へ」
ライカのM6を使わなくなって久しい。最後にフィルムを入れたのは、もう5年程前になる。以前は「メインにM6、サブにデジカメ」で旅行や街のスナップをこなしていたが、デジカメの利便性を知るとアナログM6の出番は大きく後退し、デジタルを使うばかりとなってしまった。近年はそのデジカメでさえもスマホに取って代わられているよう��、「カメラ」という存在自体を危ぶむ状況がすぐそこにあると聞く。カメラは高級な嗜好品として生き残るしか道は残されてないのか・・・。
お店のホームページを作り替えようと思っている。グーグルから「貴店のホームページは文字が小さくスマホで見るには不適合だ」とのメッセージを頂いているので、何らかのアクションを起こさなければならない。現在のホームページは作ってすでに7年が経過し、確かに検索する側の利便性などは全く考えられていないシロモノだ。まずは検索してくれる人に迷惑を掛けないことを前提に、よりシンプルで見やすいものが作れればと今回は思う。
そのホームページの件で、「北九州をイメージできる画像があったほうがいい」とのアドバイスをお客さんから頂いた。掲載する写真はプロに依頼するとしても、とりあえず叩き台は必要だろう、そんな思いからカメラを手に街に出ることにした。もう15年近く地元の街で写真を撮ってはいない。人目を意識して出歩くことを躊躇いもしたが、そこは思い切った。以前よりも配慮をしながら普段歩かない街を進み、モノや人にカメラを向ける。異質に映るだろうことを理解する中で、いつしかイメージ写真を撮る予定は、スナップ撮影へと流れを変えていた。
今頃そんなことを言うかとお思いかもしれないが、デジカメの良さはにノーファインダーで撮影が出来ることである。風景やポートレートではさほどそれを感じることは無いが、今回のように街中で人を撮る際にその使い勝手はとても良いことが分かる。背面にモニターを持たずファインダーを覗かねば写真が撮れないフィルムカメラとは大違いだ。誤解を恐れずに言うと、「被写体に気づかれずに写真が撮れる」それがデジカメなのだ。フィルム一枚の無駄を覚悟に、絞りと距離計を頼りに目測でピントを合わせシャッターを切ったのは、もうひと昔もふた昔も前のことに なってしまったようだ。
カメラは、高級な趣味品、嗜好品としてしか生き残る道は無いと思っている。同じように私が本業とするスーツも、早晩同じ道を辿るであろうことが理解できるようになってきた。近年、環境問題やカジュアル志向への意識変化は急激で、100年男性服の最高位にあるスーツも、ビジネスウエアとして「実用」できるポジションは今後残されてはいない。生き残る道があるとするなら、、本当の意味でのオフィシャルウエア或いはプライベートでの趣味の服としてではないだろうか。
傍らに置き愛でてあげれば、必ず多くの喜びや思い出を我々に返してくれる存在、スーツ。沢山のモノが淘汰されようとする昨今のコロナ禍で、その意義を再定義することが、スーツが将来進むべき道���を示すことに繋がるのではないか、そう私は思っている。
注文服ヤマキ 木下 達也
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「英ネルがやってきた」
最近自分が歳を取ったと思うことが多くなった。記憶・体力の衰えはもちろんだが、「~十年前」との表現に驚きや感銘を受けなくなってしまったのがそうだ。時間の尺度が長くなっていること自体、冷静に考えると歳を重ねてしまっている証拠なのだが、下手に「昭和」を思い出すことが出来るから、昔を「昔」と認識出来なくなっているのかもしれない。「10年ひと昔」と言われた時代、あの頃から先が読めなくなった今日に至る年月は長い。やはり私は歳を取��続けているのだな。
服を作る際に用いる素材で、フランネルというクラッシックな生地がある。このフランネル、製品としての流通が減って随分と長い時間が経ってしまったために、その存在を知るのは限られた人なのではないかと思う。ふっくらとした風合い、朴訥とした雰囲気、そして保温性を有するその生地は、「暖かさ」という特性を生かし、織り機の性能が整わず、住環境が悪かった時代を中心に、シャツやスーツとなり人々のもとへ届けられていた。今の50代以上なら、自分の親たちが、「ネルシャツ・ネルの寝巻」などと言っていたことを記憶の片隅に留めているかもしれない。さらに遡れば、一世紀も前の小説「坊ちゃん」にもフランネルは「赤シャツ」として登場している。「ネル」「フラノ」とも呼ばれたフランネル。明治から昭和の戦前までの約50年の間に人々に親しまれた生地は、その後衰退の一途を辿り、今日では趣味性・嗜好性が高いシャツやスーツの素材として、一部の方々に重宝されるばかりとなってしまった。今後更にクラッシックへと向かって行くだろうそのポジショニング。「厚手の生地」その「生き残り」をどうするのか。今後の課題なのである。
先月のゴールデンウィーク開けに、お得意さんから生地が持ち込まれた。随分前に亡くなったおじいさんの持ち物だったという生地、その名は「ブドー英ネル」という。いかにも「昭和」な名を持つ生地だが、ネルと名が付くわりに、生地表面には毛足がない。ただ、経糸にグリーン、緯糸に紺が使われた珍しい織りで、重さはフランネルらしい重量感がある。この生地に興味が湧いた私は、過去織元になっていた東洋紡に生地の出自をメールで問い合わせてみた。しかしそれに対する返事は「当社では現在取り扱いが無いため詳細は分かりかねます」というツレナイものだった。仕方なくネット検索に頼った私は、「英ネル」の「英」が「ウール」のことを指す言葉で、それは「綿ネル」の「コットン」素材と区別され使われていたことを知った。また「英ネル」の注釈は、和服関係のサイトで散見され、しかもそれが一様に50年程前を回顧するような形で語られているため、この生地の多くは、おそらく着物や羽織用として生産されていたのではないかと考えた。今回お客さんが持ち込んだ「ブドー英ネル」も少なくとも半世紀ほど前に織られた生地であるのは間違いないだろう。このおじいさんの生地、人の役に立つまでに随分と時間を要したものだ。
今から半世紀前と言えば、1970年。流行歌は「黒猫のタンゴ」、テレビ番組は、「キーハンター」「奥様は18歳」「ムーミン」などが放映されている。当時私は6歳だが、白黒テレビでこれらを見ていたのを記憶している。「ああ、あの頃か」などと思う私は、やはり時の流れが良く認識出来ていないんだと思う。
半世紀前の生地としては、保管状態が良かったのだろう、油分もしっかり残っていた「ブドー英ネル」。生れたときはこんなに長期に渡り「ほったらかし」になるとは思わず、ましてや自分が「洋服」になるとは考えもしなかったはずだ。
今度の主人は「孫」。歳は食ったが第二の人生はこれからだ。あと20年がんばってみようではないか。そんな声がこの上着からは聞こえてきそうだ。
注文服ヤマキ 木下 達也
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Johnnie Walker Blue Label presenta a Jude Law en 'The Gentleman's Wager ...
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「急かずとも」
二年ほど前になるだろうか。ハリソンズの麻、メルソレアの紺ジャケのことを、このブログで書いたことがある。それは「紺の色が退化してしまったジャケットの着用禁止を奥さんが言っているにも拘らず、まだ着ることができると夫が言い張る」という内容だった。私は当時すでに10年を迎えたジャケットをこの夫から見せられ、「どう思うか」と相談を受けたのだが、生地はしっかりしているとはいえ、ところどころ退色が見られるそのジャケットに「もうそろそろかな」との感想を持ったものだ。しかし、納得しなければ、たとえゴミ箱に捨てても拾って着るであろう本人を知る私は、「あと数年、時期が来れば着なくなるだろう」との判断のもとで、麻のジャケットを本人の手に戻した。
先日そのジャケットが再びここへやってきた。あの頃よりも毛羽立ちが増し、退色した部分も多くなっている。更に年月を重ね年季を増したその上着を前にして、件の彼は私にこう言った。「昇進しました」と。私は躊躇することなくメルソレアの紺ジャケを新調することを彼に薦め、本人もそのことを快諾した。12年の歳月をお客さんと共にした上着は、こう��て彼の手を離れこの店に戻ることになった。「やはりその時はやって来るのだな」私はそう思った。
日を経ずして、ジャケットを作りたいと連絡を頂いていたお客さんが来店された。手には、随分前に作られたジャケットがある。この上着、以前補正の依頼を受けたが、どうにもならず「騙して着ること」をその時に伝えていたものだ。それを前に彼は「これと同じものを作りたい」と言った。生地は英国のダロー・デイル。少し茶色味がある千鳥は、色を若干変えながらも毎年リピートし続ける生地である。同じ仕様、同じサイズ、そして同じ生地と順調に話が進む中で、唯一ボタンだけが廃番になって同じものが手に入らないことが分かった。似寄りを検討するも納得が行か��い中、お客さんが出した案は、今のジャケットのボタンを外し新しいものへ付けるというものだった。古株が若返る主人に再び仕える。悪くない話だ。最初は違和感があるだろう。しかしそこは勝手知るところ、間違いなく直に馴染めるはずだ。私はこの古株ボタンが、いつまで、どんな形で次の上着に仕えてゆくのか、それは楽しみなのである。
実はこのジャケットも2008年に注文を賜り、今年13年目。ボタンは次の上着へ引き継がれ、その本体は役目を終える。私は再び思った。「やはりその時はやって来るのだな」と。
ほぼ時を同じくして、同じような事例があり、長年お客さんと共にあった洋服二着が、ここへ戻ってきた。両者ともに年月なりの「傷み」を伴いながらも、それを「風格」と呼べるだけの実績は積んできたうようだ。お役に立てたことを誇りに思える、そんな上着たち。
傍らに寄り添い、決して前にでないこと。
この店から出てゆく洋服は常にそうでありたい。
注文服ヤマキ 木下 達也
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「不断着」と「余所行き」
3月があまりに暖かかったせいだろう、平年通りの気温であるにも拘らず、この4月は肌寒さを感じる日々が続く。早期にコートを不要としたその3月、顧客の皆さまへいつものように春夏のニュースレターをお送りした。今回は「CLASSY」とタイトルを付け、「インフォーマル」の服装について書いた文面である。その「インフォーマル」は、「フォーマル」「カジュアル」と並び、3つに区分されたドレスコードのうちの一つで、招待状には通常「平服でお越しください」と書かれていることが多い。「礼装」でも「不断着」でもない、文字解釈だけなら3つの中で最も分かりづらいこの「平服」は、中心となる「ダークスーツ」を軸に、シャツ・ネクタイ・靴などを、法則通りに用いていただければ、スーツの着こなしとして最高位の服装を作り上げることが出来るものだ。また、ドレスコードが無いビジネスの場でも、この服装ならば間違いなく第一級として機能する。もしご存じでない方がいらっしゃれば、かかりつけのショップで相談され習得されることをぜひお薦めしたい。「知る」と「知らぬ」では、あなたへの「評価」が想像以上に分かれるはずだ。そして、それは仕事の実力差にも匹敵すると思っていただいていいのではないだろうか。
Vゾーンが広く取られ、胸元が強調された2つボタン・サイドベンツの上着。インナーは、ダブルカフにカフリンクスが施された白いブロードシャツ。そこにシルバーと紺で織られた明るいジャガード調のネクタイをセンターディンプルで締め、麻のチーフをスリーピークで胸ポケットに挿す。そして、内羽根の黒い靴にワンブレイクでかかる長さのノータックシルエットのパンツ。このスーツに使われている生地は、細いヘリンボーンの織りがあるネイビーだ。
方や、オーバーサイズのために、胸元を貧弱に見せてしまうセンターベントの上着。シャツは同じ白でもシングルカフでカフリンクス無し。その袖口は、袖丈が短いのか、はたまた上着の袖が長いのか、なかなか顔を出さず、目立つのは左手首に付く金属ブレスの腕時計ばかり。水色とシルバー織りのネクタイはディンプルを作らず、胸ポケットにはチーフも無い。更にタック入りのパンツに至っては、ヒップやワタリが明らかに余り気味。このネイビー無地のスーツに合わせた靴は、どうやら外羽根式だったようだ。
いかがだろう。この服装の違い。前者は「インフォーマル」のルールに則ったもの。そして後者は街で良く見る「ビジネススタイル」の服装である。
前者はジョー・バイデン大統領。後者は菅義偉総理。昨日生中継された日米首脳共同記者会見のテレビ画像から見えた両者の服装を文字に起こすとこうなった。全世界が注目する最高の外交舞台である。アメリカはドレスコードに基づき賓客を迎え、わが日本は、囲み取材時と同じ服装で相手国を訪問し会見に臨んだ。この政治レベル以前の「温度差」を世界の要人たちはどう見るのだろう。
そのニュースでは、同時に総理がアーリントン墓地で献花する姿も映していた。私が見間違っていなければ、菅総理は綿コートを着て献花に臨んでいる。そうであるなら、この人は本当にルールやマナーを知らない人物だ。会見を終え、バイデン大統領が菅総理の背の手を添え建物内へと去る後ろ姿を見る時、両者の服装の違いは歴然だった。ただただ残念でならない。
最近お客さんからお褒めの言葉がいただけるようになった。多くはビジネスより格式がある場面で「服装を褒めて頂いた」や「自信を持って臨むことが出来た」というもの。当然そう言って頂けることは、私の誇りでもあるし喜びでもある喜びでもある。しかし、お客様方が手にする「いい評価」とは、私がモノを提供する以上に「場」に則した服装を心がけようとするお客さん自身の努力に起因するところが大きい。特に、スーツはその「思い」を表現するに最適・最高の男性服。決してその存在を疎かにしてはならないし、上手く利用しない手もない。
「礼」を失することがない服装が出来ること。それが服装術の基本である。決してそのことを忘れないでほしい。
注文服ヤマキ 木下 達也
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「マインドを取り戻せ」
今年も立春が過ぎた。先の二日間は寒さが戻ったが、2月の北部九州は昨年より暖かいように思う。例年ならそんな暖冬傾向でも、夜の食事や出張などでカシミヤのコートを使う機会が多かったが、この冬は通勤に着るばかりで、その良さをなかなか享受できていない。 「服」には「身体を守る」という本来の目的に加え、デザインや素材を工夫することでより沢山の魅力が備わっている。そしてその魅力という付加価値は、毎日の生活よりも非日常のシーンで実感できることのほうが多い。 「場」を失くした現在、我々は「装うことへの楽しみ」や「服を所有する喜び」も失くしつつあり、同時にそれは「お出かけ服」の存在意義をも消失していくことを意味している。少しでも早く事態が改善することを願うばかりだ。
昨年末のことである。20年近く前、私が良く通っていたバーのマスターがこの店を訪ねてくれた。当時私はマスターが弾くピアノと歌を聞き、時に拙い私の楽器演奏でもセッションをやっていただくことがあった。しかし、7,8年前を最後に、自然と足が向かなくなり、近年私は久しくご無沙汰をしてしまっていた。そんなときに突然やってきたマスターは、驚く私を前に、「昨年お店を閉めた」と言った。そして「あの頃お世話になっていたから挨拶だけはしとこうと思って」と加えた。私はその言葉にマスターへの非礼を悔いた。
しばらく足が遠のいていたとはいえ、「いつでも行ける」と考えていた。昨年春の緊急事態宣言後に、お店に灯が燈らなくなっていたことも知っていた。楽しい時間を与えてくれていたマスターとお店に最後何もできなかったことがずっと気になっていた。そんな折だ。わざわざ足を運び、ひと回りも年下の私に「礼」を尽くしに来てくれたのは。
リモートワークや会食・移動の制限など、単調な日々が続くとき、人の五感は刺激を失い、本来生れるはずの感性や感覚は間違いなく鈍化してゆく。私にとって「お店」とは、その「五感」を維持するための「装う場」であり「創造性を深めるための場」だ。その数は決して多くは無いが、どこの店主も快く受け入れてくれ、私はそこでの時間を楽しみ多くの知見を得ることが出来ている。にも拘らず、今回のような「失礼」を、私はとても���し訳なく思うとともに、自分の行動を考え直すきっかけとさせて頂いたことに大変感謝している。
マスターが来店した後、私は年末の少ない時間の中、自粛して行っていなかったお店を訪ね、挨拶をすませた。いずれも私より年上の店主だが、「まだやる」と言う。件のマスターも音楽ができる「場」を再び設けたと聞く。
迎える次の冬。ロングコートを羽織りお店に向かう自分を想像してみる。 ドアを開けた先、そのカウンターにはにっこりほほ笑む店主の姿が見えている。
注文服ヤマキ 木下 達也
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「青い子とツィード」
もう10年近く前だ。お客さんからトライアンフのスピットファイアを預かっていたことがある。「しばらく乗って」と言われ、やってきた水色のその車��、相方から「青い子」と呼ばれ半年ほど家にいた。ブリティッシュライトウエイトのオープン2シーター、年式は70年代半ばのものだったから当時でもすでに30年が経過した車だった。
私は「青い子」がいる間、この時とばかりに車と洋服のコラボを楽しんだ。夏は麻のシャツやジャケット、冬はツィードジャケットやハーフコート・ハンチング・グローブの「フル装備」ドライブといった具合である。好きだったのは、やはり秋冬。この季節は小物が増え、いわゆるフルアイテムを使った車と乗り手の「雰囲気」を、上手く作ることが出来たからだ。当時信号待ちで幾度か声を掛けていただくことがあった。出で立ちが功を奏したのかどうかは分からないが、車を共にした私なりの「演出」が悪くなかったということなのだろう。50代半ばの今なら、あの頃以上の着こなしで上質なドライブが出来るのではないかと思ったりしている。
実家の母親は「初めて天井が無い車に乗った」と喜んだ。相方は、髪が乱れ化粧が取れても「青い子」と呼び隣に乗った。おおよそ実用とはかけ離れた車だったが、カエルを潰したと揶揄された小さな2シーターは以外にも皆に好かれていたようだった。私を含め、一時の間でも楽しい時間を共有させてくれた「青い子」、そしてそんな貴重な経験の機会を頂いたオーナーには今でも深く感謝している。
8月終盤。梅雨明けが遅れたことで、今年も残暑が続く。近年「秋」を感じることがめっきり減ってしまったように感じるが、落ち葉が舞う季節は短いながらも必ずやって来る。そんな時節に備えるべく、今回顧客の皆さまへのニュースレターは「ツィード」をテーマにしたものを準備した。ツィードはその定義を「手紡ぎの紡毛糸を平織で双糸の綾に織ったスコットランド特産の毛織物」としている。その使用目的は、敷物や掛け物あるいは人の身体を守る衣類であるが、生産過程の根幹となる羊の生育地、糸染め、紡績にはスコットランドの自然が大きく関わっている。レターは、ツィードの素朴な風合いや色合いに触れた相変わらずの抽象的な内容、稚拙な文章となっているが、お読みいただいた方には、ツィードにより一層の興味を持って頂ければ幸いである。
ここ数年自分のツィードを持っていない私は、この冬ジャケットを新調しようと思っている。
「そなえよつねに」
ボーイスカウトは準備に怠りがあってはならない。いつ何時「青い子」のように五感を刺激する車がやって来るかもしれないのだから。
注文服ヤマキ 木下 達也
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「選択と集中」
梅雨の合間の休日、街に出た際に写真展に足を運んだ。「日本の写真史を作った101人」というタイトルが付いた、フジフィルム主催の展覧会である。会場には写真技術が日本に導入された明治から現在に至るまでに、国内で活躍した写真家やプロカメラマンの作品が、大小のパネルで展示されている。このご時世だからか、午後遅い時間の会場には、私と係員以外誰も居ない。私はゆっくり時間を取りながら、会場内を進んだ。
「ミレニアム記念に」との理由だったと記憶するから、私が最初のライカ、M6を買ったのは多分2000年だ。その後このブログのためにデジタルのX2を、3年前にはマクロが付いたQを買い足した。今回そのQで撮った画像にはM3が入っているが、これは父親の遺品である。都合4台、当然メインはX2とQになり、アナログはめっきり出番が減ってしまった。しかし「好きなものは?」と問われれば、私はやはり「M6とズミクロン、そしてモノクロフィルムの組み合わせ」と答える。もちろんカラーが嫌いという訳ではないが、モノクロに、より奥行や深みを感じるから、色が付く写真への興味が薄いのである。そんな個人的嗜好のままスタートさせた店のホームページやこのブログ。「見ていただく人に色への配慮が無い」「店からの訴求力も欠ける」と一時は後悔したこともあったが、今更カラーへという訳にもいかず、お付き合いいただかねば仕方ないと思っている。
以前にも触れたことがあるが、遠い場所のモノを人に認識させる条件の一番は「色」である。アパレルのVMDあるいはマーケティング理論の最初にある「認知」に「色」という条件は欠かせない。その本来あってしかるべき「有彩色」をあえて手放し、情報量が大きく減衰する「無彩色」を表現のベースにしたもの、それがアパレルのブラックアンドホワイト、あるいは写真のモノクロームである。私はこの「無彩色」の表現法を、黒と白そしてその中間に存在する無数のグレイを使い、主題の輪郭を作りあげる作業だと考えている。エッジを効かせるのか、あるいはなだらかな階調を作り輪郭に迫るのか、いずれの場合もそこに「有彩色」表現以上のシビアさが必要なのは間違いない。上質な素材感とシルエット、主題をまとめる構図と光のコントロール。色を失くした服や写真に必要なのは、より掘り下げられた選択と集中ではないだろうか。さもなければ「無彩色」はただの無機質な表現となり、人の目に訴えるチカラを失う。
話を写真展に戻そう。
あくまで私個人の感想だが、この写真展は失敗だと思っている。主催側では「ビックネームの代表作101点が一堂に会す」をキャッチにしているのだろうが、見る側の私にとっては「主題・コンセプト・作風がバラバラな101点が一堂に会す」内容であった。先に書いた私のライカ話や「講釈たれ」のモノクロ話は、そんな期待を大きく裏切った会場内を一人歩きながら考えていたことである。展示作には、木村伊兵衛、ハービー山口ら私が好きなライカ使いの代表作と言われるものもあったが、何一つ心に残っていない不思議な催しだった。
教訓、「広く浅くは武器になり得ない」そして「多くを望まない」である。
注文服ヤマキ 木下 達也
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「11年目のメルソレア」
梅雨に入った。昨年は雨も少ないまま、早くに開けてしまったと記憶している。今年は「マスク」を着けて迎える初めての梅雨と夏。間違いなく不快であろうが、麻など素材を工夫して上手く乗り切りたいものだ。
先日お客さんからジャケットの補正依頼を受けた。持ち込まれたのは麻のネイビージャケット。生地はハリソンズのメルソレアだ。片側のベントにホツレが出たための修理だが、それ以外は至って「元気」な上着である。ただこの上着、今年で11年目の夏を迎えるため、若干の色の退化と生地表面の毛羽立ちが目立ち始めた。それでも年数の割にはいい状態を保っているので、持ち主も私も「まだいける」との判断を下している。しかし、持ち主によれば、「嫁」からはすでに「着用禁止」が出されていると聞く。確かに「女性」或いは「嫁」の立場でこの上着の存在を見たとき、「もういいでしょう」と引導を渡したい気持ちは分からないではないが、上着は「まだやれる」と言っている。旦那思いのいい奥さんへ私からのお願いだ。今しばらく、旦那とこの上着の付合い継続を認めて頂く訳にはいくまいか。数年後、私が必ず旦那から取り上げることを約束するから。
この上着はお直しがなされたのち、検品用のボディに着せられて数日店頭にあった。その間、数人の男性の目に触れた。皆、少しくたびれたその上着の存在が気になったようだ。特に同じメルソレアの上着を持つ人にとっては、自分の服の「先の姿」を見るようで感慨深かかったようである。
服は着続けることで当然草臥れる。しかし想いや愛情を受けたもの、そうでないものとでは同じ草臥れでも「表情」が違う。「麻ですよね」「夏って感じよね」「俺のと同じ」など、様々な声が掛かったのは、この上着が見た人に訴えるだけのいい表情を持っていたからだ。その雰囲気は、長く大切に扱われてきたモノだけが醸し出す独特のもので、ただ経年劣化しただけの「長物」に出せるものでは決してない。
日々刻々と状況が変わり、早々に時間が流れる現代。そんな中において、好きなモノを共にし、愛情を持って大切に育て、自分自身の上質な時間を創り上げる。そのことが10年後、「いい表情」へ繋がる。落ち着かない昨今においても、状況に翻弄されることなく物事の本質を見極めたいものだ。
注文服ヤマキ 木下 達也
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「品番 81R45505C PIERO DIMITRIのスーツ」
2月も半ば過ぎて、この冬は雪を見ることはないと思っていたが、やはり「一度も」ということは無かったようで、強い風の中「綿毛」のような白い粒が舞った。
先日、70代半ばになるご夫婦が来られた。目的はサイズが合わなくなったスーツをお直しするためだ。 すでに「現役」を退かれて10年以上のご主人。今は日常��ーツを着ることはほとんどなく、カジュアルな服を着て日々の生活を送られている。来店された際も、コートにハットを共にされ、本人はとても気になるという「杖」を合わせた出で立ちだった。
「杖」に対する失礼は承知の上で、そんな「いい雰囲気」を持つご主人が今回持ち込まれたのは、自分が一番気に入っているというグレイのダブルスーツだった。「足腰が立つうちに、もう一度スーツを着て街に出たい」と思い立ち、それなら「お気に入りを」との考えに至られたようだ。
すでに20年以上前にライセンス生産も無くなり、ブランド自体も消滅したであろうそのスーツは、とてもいい状態で残されていた。「いつかそのうちに」と大切に保管されていたと想像するが、細くなっていく自分の身体と、バブル期の匂いを残すスーツサイズの間には、時間とともに大きな差異が生れてしまっていたようである。 本人は、補正品を持ち込むだけで新調しないことを申し訳ないと言われるが、私はそんなことは一向に気にしない。むしろその「前向きな気持ち」に「少しでも役に立てれば」と強く思う。さらに言えば、20代で担当していたブランドに再会できた懐かしさ、そしてこの機会が、アパレルの仕事を変えることなく続けているから得られた事であるならば、顧客の皆さんからのご支持の有難さを実感しないではいられない。
私はこのスーツを預かった後、内ポケットにある品番から、この商品が22年前に製造された事を確認した。そしてご主人の年齢、自分の年齢、22年という数字を基に、様々な事を考えた。 22年前、私は34歳だった。当時想像していた50代の私と、今の私とでは全く違った生き方をしている。さらに22年後といえば78歳。これから次第ではあるが、元気でいるならば、このご主人のように「前を向いて」スーツを着続けられるようにありたいと思っている。勿論年齢や職業により個人差はあるが、男性とスーツにおいて、その関係性が完全に切れてしまうことはない。それは、スーツが男性服の中で「最も男性たる服装」であり続けること、それゆえ「男」として存在意義を感じた時、人は必ずスーツを着たいとの思いを抱くからだ。女性がずっと綺麗でありたいように、「いつまでもカッコつけたい」のが「男」なのだな。
冬に雪が降らなければそれを見たいと思うように、男とスーツお互いの存在は、どこかで繋がり続けている。
注文服ヤマキ 木下 達也
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「クリスマスディスプレイ」
令和最初の年もあと一週間ほどで終わりを迎える。おかげで店は特段問題を抱えるわけで���なく、一年を終えられそうだ。それに対しプライベートは例年にはないトピックがいくつかあって、変化に富んだ年だったように思う。とはいっても「負」に関することは一切ないので、良いほうに気持ちや感情が振れた一年を過ごせたのはありがたいことである。
数日前に最後の一冊となっていた夏目漱石の「明暗」を読み終えた。少しづつ読み進めたため約2年を要したが、これを最後に新潮から出された漱石の本全てを読了した。若いころには「坊ちゃん」一冊ですら読めなかったが、歳をとるとはそういうことなのか、明治大正に生きる男女やその生活ぶり、また時代背景に伴う当時の考え方など大いに興味を持ちながら読み続けることができた。何より漱石が表現する「服装描写」は、現在書かれる服飾歴史本と多くの一致部分があり、彼が紳士服のルールやマナーを熟知した人物であったことは間違いないと思う。そして彼自身もウェルドレッサーであったことは想像に難くない。 幾度かこのブログで取り上げていることからも分かるように、私は漱石の小説が気に入っている。読むことを薦めてくれた友人に改めて感謝する。
先日BSで「ノッティングヒルの恋人」が放送されていた。部屋のソファーでその映画を見ながら私は、主人公のウイリアムが営む小さな書店に昔自分がひどく憧れていたことを思い出していた。もう20年近く前のことになる。
地域と接しながら、街角にたたずむ小さな店。「今月も赤字だ」と言いながら何とか店をやりくりする店主。そして店主が住む、青いドアを持つ内装がステキなフラット。勿論現実ではありえないラブストーリーは魅力だが、それ以上にノッティングヒルで日々を過ごすウイリアムの生活スタイルに私は今でも憧れを持っている。
朝、ご近所の顔見知りに挨拶しながらお店に入る。そして前の歩道を掃いて水を撒く。 うちの店のドアは赤いが、内装はあの青いドアのフラットを参考にした部分が多くある。 そう儲かった店ではないが、多くのお得意さんが助けてくれてウイリアムのように「赤字だ」とは言わなくていい。 アナ・スコットは来ないが、親子連れがディスプレイを見て微笑んでいる。
そして夜、ご近所の顔見知りに挨拶しながら家路につく。その毎日の繰り返し。
だから「負」の無い一年が過ごせる。
と私は思っている。
注文服ヤマキ 木下 達也
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「白い襯衣(シャツ)であること」
以前友人に奨められ夏目漱石を読んでいる事を書いた。不確かだが、読み始めは昨年の始めくらいで、現在最後の一冊となった「明暗」を読んでいる。少しずつ読み進め、約2年近くかかったが、何とか本年度中には全巻読了できそうだ。
このブログではこれまでも、漱石が表現する男性服の着こなしをいくつか紹介してきた。今回も少し前に読んだ「文鳥・夢十夜」の中から二つほど抜粋しておくことにする。
まず「クレイグ先生」の項にはこんな一節がある。 「先生の白襯衣や白襟を着けたのは未だ曾て見たことがない。いつでも縞のフラネルをきて、むくむくした上靴を足に穿いて、その足を暖炉の中に突き込む位に出して・・」
次に「ケーベル先生」ではこのような描写がなされている。
「この卓を前にして座った先生は、襟も襟飾りも着けてはいない。千筋の縮みの襯衣を着た上に、玉子色の薄い背広を一枚無造作に引掛けただけである。始めから儀式ばらぬ様にとの注意であったが、あまりに失礼に当たってはと思って、余は白い襯衣と白い襟と紺の着物を着ていた。君が正装をしているのに私はこんな服でと先生が云われた時、正装の二字に痛み入るばかりであったが、成程洗い立ての白いものが手と首に着いているのが正装なら、余のほうが先生よりも余程正装であった」
この二つの節で漱石は、明治期において男性服の正装に「白シャツ」「白襟」「白カフス」が必要不可欠であったことを言っている。ことさら「シャツ」「襟」「カフス」とパーツごとに「白」が強調されているのは、当時のシャツは襟・カフスが脱着式で今のように身頃と一体ではなかったからである。ではなぜ脱着式であったか。 服飾史家の中野香織氏は自著の中でこう書いている。
「シャツの白さ、清潔さを常に完璧にしておくことは非常にお金とヒマがかかることなのである。白いリネンのシャツを買うと��うことは、その白さを維持できる経済力がある、ということを示し続けることなのだ。とりわけ汚れが付きやすい襟、袖口を常に完璧に清潔にしておくことは、何よりもわかりやすい冨と美意識の指標となった。 襟と袖口の清潔さの維持はかくも難しい。となると、どうしてもクリーニング代を節約しなければならない男のために、とりはずし可能な襟やカフスやシャツ・フロントが考案される。エナメルの防水襟あり、セルロイド版あり、ついには紙製の使い捨て版も出回るようになる。それでも洗濯代よりははるかに安上がりだったらしい」
と中野氏が取り上げているのは、1800年代の初頭のことである。当時男性服は、英国ダンディズムの考え方に大きく影響され、高級素材を用いシンプルなカッティングのもと、高い美意識を持ち作りあげられていた。その服作り・着こなしの「思想」をベースに現代まで継承されているのがドレスコード付きの正装及びインフォーマルのスーツスタイルである。 長年に渡り削り落とされシンプルとなった機能美、だからスーツやドレスシャツドレスシャツは美しい。
漱石が生きた時代からすでに100年が過ぎた。しかし変わらないのは白い襯衣が今でも正装であることだ。大切な場で相手への敬意を考えるとき、襯衣はやはり白に限る。ただしその白は、どこまでも白くなければならない。白さがキープされた襯衣には、礼節、美意識への思いが込められ込められ、そしてお金がかけられている。
折り返された袖口にカフリンクスを伴った白い無地の襯衣。クラッシックで上質な装いを知る男性は、決して襯衣の存在を疎かにしないものだ。
注文服ヤマキ 木下 達也
ーお店に立つ際、スーツやジャケットに合わせるシャツは、白かサックスの無地です。特に白は定期的に新しいものに替えるようにしています。モノを大事に長く使いたい私としてはとても心苦しいのですが、「白を着る」と割り切ってー
本文中、「中野香織著 スーツの神話」より一部抜粋・流用いたしました。
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