#生活に根���したアート
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#ウェスタ川越 にて打ち合わせ後は、 #WELOVEKASUMI バッジ #ガーリックライス と #にんにく餃子 。 久々ににんにくをチャージ〜^^ そんなわけで、19㈰は #港屋食堂 #朝活 です。 https://facebook.com/events/s/%E6%9C%9D%E6%B4%BBsunday-at-minatoya/208946121726992/ #にんにく #生活に根ざしたアート #生活にアートを #生活に彩りを #生活に潤いを #イラスト好きと繋がりたい #イラストグラム #漫画好きと繋がりたい #絵描きさんと繋がりたい #私はこんな仕事がしたい #悟水晴 #Gosuisei #アトリエライフワークス (港屋食堂) https://www.instagram.com/p/Cp5aKKGvQXL/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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母が急にスイッチを買ってそろそろ1年経つ なんかスプラトゥーン3が発売した時、急にスプラトゥーンがやりたくなったらしく、スイッチを購入して諸々の機材を揃え、ゲーム環境を整え始めた 今は実家に母用のゲームするためのスペースがある
もともとスプラトゥーンのアート好きそうだなとは思っていたので、3でいきなりスプラやりたい!とか言い出したときはなんか謎の納得があった といっても母親はJRPGで育っている人間で、FPSやTPS、アクションゲームに関してはめっきりダメ 200時間かけてクリアしたゲームの根本のアクションシステムを把握しきれていないこともザラだったりする スプラトゥーンはガワは子供向けゲームだけど内容はいわゆるオンラインシューティングなので、いやムリそ~ と思っていた
この間、なんの気なしに母親のスイッチを覗き見したら、スプラトゥーンのプレイ時間が1060時間になっていた
え何
私などそもそもゲームを四桁時間プレイしたことがない 四桁時間って相当だ よく考えたらもう長いこと母がスプラトゥーンをしていないところを見てない ずっとずっとスプラトゥーンをしている しかもほとんどサーモンランしかしてない 端的に言って狂っている ゲームはスプラトゥーン以外購入してない 1060時間プレイしたスプラトゥーンだけがあるスイッチ デフォルトのライトテーマの真っ白な背景にスプラトゥーン3のサムネイルだけがあり、なぜか死ぬほどゾッとした
よく考えたら 母はゲームを一度プレイし始めるといつもこういうことになっていた 実績をフルコンプリートするまで私生活の9割がそのゲームに吸い取られる 自分が小学生の時などは家に帰ると母がずーっとキングダムハーツでセフィロスと戦い続けていた 同じコンテンツを長期間楽しむことに全くストレスがない人間というか 侍戦隊シンケンジャーを毎日一周している時などもあった 今になって冷静に振り返るとなんか異常な感じがする
そういう人間がオンラインゲームに触れるとどういうことになるのか それが現状の1060時間になっているのだと思う スプラトゥーンに全クリは存���しないので、自分が全クリだと思うまでやめることがない そして母が、自分自身で全クリを決定したことはない ゲームが全クリの判定を下すまでゲームをやめたことがない人間による、オンラインシューティングへの傾倒 1060時間 母が育児中にMMOとかに沼らなくてよかったと心底思う
いちおう二人でIndie WorldやNintendo Directとかは見ている あ、これ面白そう~!とか言いながら見ている 一緒にやりたいねこれ~みたいな でも結局この人はゲームを買わない スプラトゥーンを全クリしていないから次のゲームを買おうという発想にならない なんならゲームをクリアせず��次のゲームを購入するみたいな人間の感覚があんまり分かっていないらしく、 職場の人間とフレンドになった時、「スプラをやる日もあればどうぶつの森をやる日もあるし今はポケモンをやっている同僚」を全く理解できてなかった 「なんでスプラやろうってフレンド申請してきたのにお前のアイコンはニャオハなんだ? おかしい」とか同僚に文句つけているのを聞いたことがある 別にいいだろSwitchのアイコンがニャオハでも 母のSwitchのアイコンはちゃんとイカちゃんだった スマホにもイカちゃんのシールを貼っている
サーモンランしかやってないのもなんかコワイ なんか気が向いた時はたまにナワバリバトルとかもしているんだけど、自分がたまに母を見かけて声をかけるときはだいたいサーモンランのあの「ドンドコドンドンドンドコドン」みたいなBGMが聞こえるし 画面もオレンジだし いやサーモンランはすごい面白いというのは分かるんだけど PvEをオンラインの見知らぬ他人と1000時間続けるというのは、自分にとって全く見知らぬ世界観すぎてよくわからない
プレイ中は常にサーモンランの配信者の過去配信とかを垂れ流しにしている サーモンランをやりながらサーモンランを見ている ええ?
なんならそれがほぼ一人で完結しているというのもなんだか変な感じがする 例えば自分の友人にもそうやってゲームにのめり込む人は結構いるけど 自分のゲームのプレイ時間とかを友人間のネタにしたり、ゲーム画面を通話越しに見せたり、あとはゲームの近況をブログに書き溜めたりしている そのゲームのファンアートを書くとか、Youtubeで配信してみるとか そういう二次的な楽しみを踏まえた上でのゲーム四桁時間プレイは正直まだ理解できる それはもはや ゲーム-自分 のみの1000時間ではなくて、 ゲーム-自分-他者 による1000時間だから そうなると自分自身の他人との関わりが少なければ少ないほどゲームのプレイ時間は伸びていくものだし そうやってゲームで友達を増やしたりもできるだろう Twitterとかやってればね
母は SNSを発信目的では一切やっていないし、スプラトゥーンをやる時は基本的に一人だし 職場では普通��人間関係を築いている たまに職場の友達と焼肉とか行くし、スプラトゥーンが間に挟まるような人間関係が一つもない この人は基本的にゲームと自分の間に何も挟まない 自分はそういうゲームとの関わり方はあんまりしたことがないし というかそういう人間を現代で見ることはなかなかない 周りの友人ですら、続けているゲームは友人間でのコミュニケーションとしての側面を持っている 自分の見える範囲で、母にそれはない オンラインのプレイヤーからちょくちょく来るフレンド申請も全て無視しているし、スプラトゥーン3をプレイする人間としてSNSでもやれば?と勧めたりもしたけど、結局スプラトゥーン3の公式アカウントだけフォローしてROM専になっている 会社の同僚とフレンドになったりもしたけど、前述の理由で結局一緒にプレイしていない(普通の人間はスプラトゥーン以外のゲームもするので)
母がゲーム中にスプラトゥーンのWikiを随時確認できるようにノートパソコンでも買ってやりたいと思っている なんというか、なにかに打ち込んでいる人間をサポートしてあげたくなる人の気持ちが今はかなり分かる 1000時間もやっているから、本当にめちゃくちゃ下手くそだった母も今はバクダンやモグラの処理がかなりスムーズになっている 正直、ずっとスピーカーでスプラトゥーン3をやっている母を見るともどかしい気持ちでいっぱいになる かなり高級なヘッドフォンでプレイしてほしい 今のモグラはヘッドフォンなら気づくことができたのに!と、横目で見ている私は常にそういうもどかしさの中で母を見ている
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さいきんのできごと
「大使館の美術展Ⅲ―文化交流随想―ブルガリア」展 記者発表会&カクテルレセプション
にうかがってきました。『令和ブルガリアヨーグルト』でお世話になったとき大使館スタッフの方に名刺をお渡しした関係で、自動的に招待状が届いたみたいです。普通に生活してたら大使公邸に入れるチャンスなんて二度とないなと思い、野次馬根性フルオープンで編集者と一緒に行ってきました。
大使館の美術展という、その名のとおり大使館が所有する絵画や工芸品が展示される催しが定期的に東京富士美術館@八王子で行われているそうで、今回それがブルガリア大使館です。 記者向けのプレゼン映像でいくつか紹介されていた絵画、主に20世紀以降の風景画を見て、ちょっとびっくりしました。というのも、私の中のブルガリア像って、小説書いてたときに読んだ資料や文学作品の印象の限り、もうちょっと寒くて曇ってる感じでした。残ってる史実がどこもかしこも悲惨すぎて、小説内でも同じ事書いた気がしますが、しかし実際にはどの絵も晴れ晴れと暖かで、光がキラキラしてた。もしかしたら資料映像以外の絵画は曇ってるかもしれないけど、なんか勝手に、よかったね!!! あったかい��!!! という気持ちになったよね。でも昔のイコンもわりとすっきりした顔だった。以外と昔からあったかかったのかもしれない。 併設のレストランではブルガリアンなメニューのアフタヌーンティーもいただけるそうです。このレストラン、めっちゃ凄腕のプロデューサーさんがプロデュースしてるらしいので食べに行ってみてね。私は会場で一部をいただいたよ。美味しかったよ。 会期:10月12日~12月22日 休館日:毎週月曜 開館時間:10時~17時 https://www.fujibi.or.jp/ ちなみに同時開催のメイン展示が「サムライ・アート展-刀剣、印籠、武具甲冑、武者絵、合戦絵-」という、一部界隈が好きそうな感じので、これ『ガラシャ』書いてるときに観たかったです。書いてるだけでどんどん痩せていくという過酷な連載でした。当時……もっと物質的な資料があれば……
近況
北米大陸の北のほうへひとり旅に行ってきました。無事戻ってまいりました。 レンタカー屋で 「海外で車運転するの初めてだから付けれる保険ぜんぶ付けて」 「それはラッキーだね! この町での運転はパリに比べればチョロいぜ! それでも保険いる?」 「イエス!」 「でもタイヤのパンクと窓ガラスの破損は保険の適用外だよ? それでもいる?」 「イエス!!」 「まあ君に貸す車もともと窓ガラス割れてるからちょっとくらい欠けても問題ないけどね!」 というやりとりをし、マジで「これをよく商品として貸せるな……」と思うレベルで窓ガラスが逝ってる車を渡され、肩慣らしのためにグーグルマップでお勧めされた絶景スポットのある近くの山に入っていったらぜんぜんチョロくなかったです。全面的に砂利道で(そりゃ飛び石で窓ガラス割れるわ)深さ30㎝くらいの穴ぼこがいっぱい空いてて、雪も積もってて、それを避けつつ崖から落ちないように山側に張り付いて走ってたら横転しそうになって入国二時間で死ぬところだったわ。しかも途中で心折れてグーグルマップのおすすめスポットまでたどり着けなかったうえに道幅狭くてUターンできなくてしばらくバックで下山する羽目になったわ。生きててよかったです。 一生のうちにやりたいことリストの中に「アラスカハイウェイを車で走る」「でかい橋を歩いて渡る」があり、今回そのふたつが叶いました。アラスカハイウェイについては検索すると画像いっぱい出てくるので興味のある方はぜひ。
もしかしてこれから初めて北米の北のほうでレンタカー旅をするかもしれない読者へ、主に私が大変だったことを書いておくね。 ・レンタカー屋では自分で駐車場へ行き、鍵オープンのボタンを押して応えてくれる車を探します。 ・行き先を設定すると「170キロ先を左折」とか普通に出てきて笑っちゃう。 ・ガソリンスタンドを見つけたらこまめに満タンにしておくといい。気づいたら目盛りが三つになってて、最寄りのスタンドが100キロ以上先とかだと冷や汗出ます。 ・スタンド併設の売店でトイレも借りておいたほうがいい。道端の休憩エリアのトイレは便器のような台がついた穴だしだいたいドアも閉まらない。 ・田舎に行けば行くほどガソリン代が高くなる。メーター見てると絶望的な気持ちになる。 ・ナビがついてても人の住む場所を大きく外れるとナビごと迷子になるからオフラインマップ必須。 ・「常に運転席が中央線の近く」を意識して走れば右車線走行も怖くないです。
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Famitsu 1820 Persona 3 Reload part scan and transcription.
続報
リマスターではなく、全ビジュアルを一から描き起こしている本作。3Dモデルも頭身が上がりより魅力的に。
人々との絆が“影”を切り裂く力となる
岳羽ゆかり
声:豊口めぐみ
専用ペルソナ
イオ
↑←弓を武器とするゆかり。テウルギア“サイクロンアロー”は、敵1体に相性を無視して疾風属性の特大ダメージを与える効果を持つ。
月光館学園高等部2年生で、主人公のクラスメイト。専用ペルソナの“イオ”は、ギリシャ神話で女神ヘラに仕え、主神ゼウスの寵愛を受けたという巫女がモデル。
リマスターではなくフルリメイク作品として18年ぶりに帰ってきた、JRPGの傑作『ペルソナ3』。グラフィックを一新し、システムや操作系に多くの新要素を加えるなど、現在のP-STUDIOの手で生まれ変わっている。今回は、新戦闘服や日常生活について紹介しよう。
現行機種で蘇る少年少女たちの死闘
特別課外活動部(S.E.E.S.)が新戦闘服に身���包んでタルタロスヘ
本作では、特別課外活動部のメンバーがタルタロスに挑む際の戦闘服が新たなものに。オリジナル版をやり込んだ人も、新鮮な気分でバトルに臨めるはずだ。今回は、すでに公開中の主人公に続いて、ゆかり、順平の新戦闘服アートが披露された。合わせて、新要素で戦闘中に条件を満たすと発動できる超強力なスキル“テウルギア”のスキル内容も紹介しよう。
主人公
声:石田 彰
伊織順平
声:鳥海浩輔
↑火炎、斬撃属性を得意とし、両手剣での豪快な攻撃が持ち味の順平。テウルギア“バーストスイング”も、敵1体へ相性を無視した斬撃属性の特大ダメージを与えるという、彼らしいスキルだ。
専用ペルソナ
ヘルメス
主人公とゆかりのクラスメイト。専用ペルソナ“へルメス”は、ギリシャ神話でゼウスの使いとして従事する伝令の神で、旅人や商人から崇められていた。
共用の設備を使って仲間たちとともに過ごす寮生活
主人公たちが暮らす学生寮では、寮内にある共用の設備を使って、仲間といっしょの時間を過ごすこともできる。ときに仲間の意外な一面も垣間見られる共同生活では、主人公の人間性が磨かれるだけではなく、仲間たちがバトルで役立つパッシブスキル“特性”を獲得することも。
コロマルとの散歩
テスト勉強
屋上菜園
読書
料理
DVD鑑賞
共用パソコン
寮のラウンジには寮生共用のパソコンが置いてある。プレイ中に手に入る、サイトのURLが書かれたメモを使うなどしてこれを利用すると、ソフトを使った学習や、情報収集を行うことができる。それらを通じて、主人公の人間性を表し、さまざまな行動に影響する“人間パラメータ”を上げられるほか、戦闘や探索に役立つ技能を習得できることもある。
ネット環境完備の巌戸台分寮
特性の習得
学生寮で、共用の設備を使って主人公とともに寮生活イベントを過ごした仲間たちは、“特性”と呼ばれる特別なスキルを習得することがある。特性は、任意で発動させるものではなく、つねに効果が発生している、いわゆる“パッシブスキル”と呼ばれるもの。その内容は、“クリティカル攻撃の発生率アップ”、“回復スキルの発動に必要なコストが減る”など、戦闘に役立つものばかり。時間があれば積極的に仲間と過ごそう。
放課後に学園内外で
学園で出会う“コミュ”のメンバー
→月光館学園の生徒たちは、部活動や下校時の寄り道など、おもに放課後の時間帯に交流しやすい。
“コミュニティ”、略して“コミュ”とは、主人公が多くの人々と出会い、交流していく中で生まれる辞のこと。交流を重ねてコミュのランクを上げ、特別なイベントを発生させると、主人公のペルソナ能力の強化にもつながるため、非常に重要な要素だ。本作ではコミュ対象キャラクターのイラストが新規に描き下ろされ、イベントも新キャ���トによるフルボイスで展開する。今回はコミュ対象の月光館学園の生徒たちを紹介しよう。
気のいい男子生徒。クラスメイトとなった主人公に、なかば強引に友だち宣言をした。年上好きで、主人公に恋愛相談を持ち掛ける。
友近健二
クラスメイト
声:羽多野 渉
3年生。港区中の飲食店を渡り歩き、あらゆるメニューを食べ尽くした。トラブルから助けてくれた主人公を、自身のSPに任命する。
末光望美
グルメキング
声:落合福嗣
主人公のクラスメイトで、陸上部の部活仲間。 努力と気合と根性で結果を残してきたエースだが、主人公をライバルと認めている。
宮本一志
運動部
声:宮下英治
2年生。陸上部のマネージャーで、宮本とは幼なじみ。面倒見がよく、入部したての主人公のことも気に掛けてくれている。
西脇結子
女子マネージャー
声:加藤英美里
生徒会の副会長。厳格な性格で一般生徒からの受けはおおむねよくない。美鶴の推薦で生徒会に加入した主人公に一目置いている。
小田桐秀利
平賀慶介
声:松風雅也
1年生で、生徒会の会計を務める。押しに弱く厄介ごとを押しつけられがち。男性に苦手意識があり何とか克服したいと思っている。
伏見千尋
生徒会会計
声:遠藤 綾
美術部部長の3年生。医者の息子だが、医学部進学か芸術方面での留学か迷っている。部活動見学から主人公と交流することになる。
平賀慶介
文化部
声:井口祐一
フランスからの留学生で、着物と時代劇と日本庭園をこよなく愛する大の親日家。“ふぁっしょん同好会”に主人公を勧誘する。
ベベ
同好会の留学生
声:市来光弘
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【日記】
決まった居場所もつるむ仲間も要らないし、華やかなスポットライトも受賞も求めていない。まして画像しか見ない人の暇つぶしのいいね数なんかどうだっていい。取扱先がただ増えればいいわけではないし、ぽんぽん売れさえすりゃいいわけでもない。 ただ、これだけは求めているのは、できてくる作品を真剣に見て対話してくれる人。属性でも経歴でも情報でもなく、とにかく作品を (展覧会に足を運び続けてくださる数少ない方は、結局みなそういう方だ)。そして当然ながら、作品が決して損ねられないこと。 あとは制作を持続できる環境。これは自分の努力で維持していくしかない。
・
Facebookにたまたま流れてきた、或るベテラン美術家の方の投稿に、作品を売って生きていくことの難しさ(受ける誤解のことも)が吐露されていて、色々うなずいたり考えたりしてしまった。 私の場合、とても生業にはなっていないけど、それでも、継続的に作品を制作し、ギャラリーで発表し売っているので、そこには作り手の責任も発生するし、手を抜くことなどなく、れっきとした仕事だと思っている。どんな生活をしていても、プライドを持って作品を作り続け売り続けている人はみなプロの作家だ。制作も継続も楽じゃない。でもつくることはいろんな意味で大事な、価値あることだと私は思っているので、どうにかして周囲の理解や協力も得ながら続けている。コラージュからは20年、木口木版からは15年かな。生活の変化でペースダウンしたり、思うように発表の場を得られなかったり、身を粉にして作った作品が損ねられたり、つらい思いをしたことも度々あるけど、幸いつくることが途切れたことはない。
以前、ギャラリーの個展で作品を買ってくれた友人が、自分の出した代金の半分(場合によってはそれ以上)が、ギャラリーに入ると知って、そんなに取られるのか?���驚いていた。友人の反応にかんしては、私がまだ初期の頃、スペースを借りて自主企画展をしていたのを知っているという経緯もある。友人から見れば、どこでやっていようが個展は個展なのだ。 でも、ギャラリーが、アート作品は大切なものとして価値をつけ、対話の場を設け、かつ販売するお店であることを知らない人は意外と多いのかもしれない。価値を受け止め買ってくださる方がいるから、ギャラリーも持続していけるし、作家は多かれ少なかれ、また次作に向けた活動ができるのだけど、ギャラリーって美術館���の?レンタルスペースなの?なんなの?と聞かれることは今もあるし、ただで見せてもらうのは申し訳ないからと言って、わざわざ高価なお菓子やお花を持ってきてくれる方もたまにいる(お気持ちはもちろん嬉しいけども、作品をしかと見てくださることが肝要で、そういうお気遣いは無用なのです。もし気に入ったものがあればそちらにお金は使って頂きたいし。) 私は自身が作る人になったのでたまたま知ったけど、作る人になっていなかったら、ギャラリーのことを知れる機会ってなかったかもしれない。
個展で何度もお世話になっている某ギャラリーの方は、"売り上げは半々。でも作家さんは作るだけ。展示やPRや販売はこちらに任せてください" とキッパリだった。自主企画から始まった私としては、急に価格を上げることもできず、正直当初は、5割しか入らないのはきついと思った。でも、自主活動では限界があることも重々感じていたので、こんなまだ売れていない安い作家をリスク承知で企画くださるのだから、それだけでもありがたいと思わなきゃ、という気持ちでもいた。けど今は、安心してお任せできるギャラリーならば、この配分は納得できる。 作家はつくるという領分に、ギャラリーは伝え届ける(かつ作品と作家を守る)という領分に、それぞれプライドと責任を持って全力で取り組むのだから。
でも、作家が作品を作るだけでは済まないようなギャラリーや(たとえば、DM制作費など開催費用が要ったり、作家さんの好きなようにしていいからと、撮影、宣伝、展示、接客など大方の仕事を作家にまかせ、それをネットでシェアするだけ、あとは販売事務くらいしかしないようなところ)、安心して委ねられないようなギャラリー(扱いや展示や発信が雑で、作品が損ねられるなど。はさすがに論外か;)の場合は、売れて5割はギャラリーの領分としては取りすぎだと思う。 作家に3割以下しか入らない所もあると聞く。それ相応の理由があるのだろうけど、よほど高額で売れなくては作家はとても活動を持続できないだろうし、これだけ聞くと、もはや信頼関係ではなく、上下関係や搾取だと感じてしまう。数字云々よりも、���は個別の信頼関係なのかな。
そのスピードについてゆけていないけど、今や、SNSなどで作家が自己発信し、よかれあしかれ、直にファンもつき得る時代。ギャラリーを介した仕事の仕方も変化を求められ、改めて手探り期に入っているのかもしれない。作家たちはとにかく作り続けているけれど、作品に真剣に対面してくれる方と出会い続けていくにはどうしたら良いのか、少なくとも私はいつも暗中模索で、はっきりしたアテはなく、また、色んなリスクに怯えて身動きが取れないことも多々ある。ただ、私は、幸か不幸か、こちらからガツガツ動いてうまく行った試しがなく、むしろ予期せぬところからやってきた出会いによって動かされて来た部分が大きい気がする。でも何もしなければそれもない。だから焦ったり、時には無理をしたりする。なんと無駄の多いことか。 "貧乏になるかもしれないけど、これは良いものだから、続けて" と、背中を押してくださった方もいた。本当に、着々と貧乏になり続けている苦笑。色々簡単じゃないけど、25歳頃ようやく、作品をつくることに開眼?して以来、これはきっと良いものに違いない、やめてはいけないと、根拠なき自信だけは失うことなく(一時的になくすことはありますが;)、好捕手がどこかにいてくれると信じて、どうにか投げ続けている。そんな実情だ。
と、無知を承知で長々偉そうに書いたけど、概ねは、日常の諸々にまみれ、流されそうになりながら、笑ったり怒ったりして凡庸に暮らしている人間です。本当に。でも不思議と、そんな隙間から作品が生まれてくる。
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九月はあっという間に過ぎていった。彼岸花の最盛期を見逃す。夏の間は休止していた近くのトマト農園の直売がまた始まった。台風がウヨウヨしていてまだ湿気はあるけど、夕方はずいぶん涼しくなり、空気が少しずつ落ち着いてきている。街灯が寂しげに灯り始める頃、近所を歩けば、みんな家にいて、ご飯やお風呂の匂い、テレビの音が漏れてくる。そういうのがどこかもの哀しくもあり、愛おしくも思える。
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
【自己紹介 2024年8月3日追記 4335文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある お兄さんいるらしいがあった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 上野城のお堀の高さ日本2位? 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は���校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった 小学校までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタ��ジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから だからそういう人には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から ���RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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Art and Fashion Photography: A Japanese Renaissance Hayashi Fumihiro 今の日本に、本当の意味でのファッション・フォトグラファーは、僅かな例外を除いて存在しない。広告写真の影響力が強い日本の写真界では、広告、芸能といった商業写真での成功が、ほとんどの写真家の目標であるといっていい。ファッション写真は、広告カメラマンになるためのプレゼンテーションに過ぎない場合が多く、ファッション写真だけを撮り続ける写真家は皆無といっていい。さらに、欧米の文化���セレブレティーに対してコンプレックスの根強い日本のファッション写真界は、海外でこれほどまでに日本文化が注目されているにも関わらず、欧米の有名写真家の表層的な模倣に執着する。そのことは、東京の街に氾濫するファッション企業のビルボードや広告ポスターを見れば一目瞭然だ。日本人の白人コンプレックスは根深い。また、最近のファッション誌は、ユニークな才能を持つ新人のファッション・フォトグラファーの作品よりも、素人の芸能人、スタイリスト等の知名度のほうに価値を感じるようである。大多数の日本の雑誌のファッション・ページは、美意識やクオリティーに対する判断力を利益至上主義で失ってしまい、さもしいカタログ的な自己顕示欲の坩堝と化してしまった。 ただ、これは90年代後半、バブル経済崩壊から続いた経済的不況に影響された、日本の“失われた10年間(ジャパニーズ・ロスト・ジェネレーション)”時代の話である。この10年間で、日本人の美意識、倫理観、価値観は、大きく変化、堕落し、虚無主義と拝金主義が世の中全体を覆っていった。そして、壊滅的なモラルの崩壊、無秩序な混沌が極まった今やっと、日本文化は、ルネッサンス的な新しい変革の時代を迎えようとしている。その最も大きな流れは、まず白人コンプレックスからの脱却から始まった。子供たちを熱狂させるマンガ、アニメーション、コンピューター・ゲームなどのオタクカルチャー、健康志向からの日本食や禅、高性能のハイテクノロジー、海外の人々が伝統文化のみならず、日本の現代文化に大きく影響を受ける現状を実際に感じた、欧米(特にヨーロッパ)で教育を受けたクリエイター達の帰国は、その変革の重要なきっかけとなった。彼らは、海外の地において、“オリジナリティーとは何であるか”という事を徹底的に教え込まれる。そのことは、自分は日本人であるという事を強烈に再認識させることになる。欧米文化への憧れ、模倣ではなく、欧米文化との違いが創造の源であることに気づくのである。彼らが、影響を与える時代、ポスト・ロストジェネレーションが始まったのである。今考えれば、“失われた10年間”は、DJ的なサンプリング・カルチャーとアメリカ的な大量消費文化に、日本のファッション界が大きな影響を受けた時代であったと言えるのではないか。サンプリング、コラボレーションという心地よい英語のフレー��によって、模倣に何の疑問を持たなくなった日本のファッション界は、オリジナリティーを片隅に追いやり、業界自体を異形で未熟な物質主義に変容させてしまった。 このような、現在の日本のファッション写真界を取り巻く状況を理解した上で、読んでもらいたい。 日本のファッション写真の大きな転機は、やはり90年代であった。そして、この90年代の東京のイメージを決定付け、その後の日本の写真界全体に、最も影響を与えたのがホンマタカシであろう。日本人独自のロリータ趣味を全面に押し出した現実感溢れるポートレイト風のファッション写真は、アートとファッション写真、ドキュメンタリーとファッション写真の融合であり、彼の写真から強烈に感じられるニヒリズムは、近未来の日本への警鐘のようであった。無機質に殺菌されたシステムの中で、自らのアイデンティティーを見失い、凶暴なグローヴァリズムに翻弄される日本への、誰しもが持つ漠然とした不安、終末の予感。ホンマタカシの写真は、ジャンルを超えて多くの人々に支持され、多くのフォロワーを生み出す。今や日本を代表する作家となった、ヒロミックス、佐内正史、本城直季らは、多かれ少なかれホンマタカシが切り開いたスタイルの延長上に独自の世界観を築き上げたといっていい。そして、彼の広告、アート、ファッション、ヌード、グラビア、建築、編集、映画等のあらゆる分野へボーダレスな進出は、良しにつけ、悪しきにつけ多くのカメラマンの指針となったのである。 もう一つ、90年代の日本のファッション写真に大きな影響を与えたファッション誌が、パリで出版されるPURPLE誌である。アートとファッションの融合をテーマに、一貫したインディーズ・スタイルで数多くの新しい才能を世に送り出してきたこの雑誌は、日本のカルチャー、サブカルチャーにも早い段階から興味を示している。そのため、日本人アーティストも多く参加しているが、その中でも別格なのが、このPURPLE誌で創刊以来、ファッション写真をとり続けている鈴木親であろう。鈴木親は、今の日本では数少ない純粋な意味でのファッション・フォトグラファーであり、世界に通用するオリジナリティーを持ち合わせている。彼のファッション写真は、マルタン・マルジェラに代表されるアントワープ系の内向的なデカダンスの影響を色濃く受けながらも、日本の伝統的な文化の品と静謐さを感じさせる。そこには日本人しか表現する事の出来ない情緒がある。彼は、ファッション写真家であることにこだわり、ファッション写真と作品以外は、ほとんど撮影しない。商業主義一辺倒の今、鈴木親の隠者のような撮影のスタイルは、彼のオリジナリティーを磨き上げた。その独特の色彩と間を感じさせる作風は、世界に影響を与えるファッション写真家になることを予感させるに十分である。 ただ、このような日本のファッション写真界の曖昧なあり方は、決して悪い事ばかりでもない。その、通過儀礼的なポジションから、様々な分野の写真家がファッション写真を撮るために非常に多様性のあるものになっている。例えば、アフリカ、中東、東南アジア、南米等の“滅びゆく少数民族”のポートレイトの作品で、ファビアン・バロンに絶賛され、写真集“TRIBE”を出版した小林 響は、欧米のファッション界では、90年代最も評価された日本���写真家であろう。荒木経惟、植田正治、ヒロミックス、新津保建秀、富永民生、久家靖秀、佐内正史、石坂直樹、ザ・グレート・ザ・歌舞伎町、平野太呂、本城直季、米原康正、井賀孝といったアート、グラビア、広告、ルポルタージュ、スポーツ等のジャンルで活躍するファッション写真家以外のファッション写真をこれほどまで沢山見る事のできるのは日本だけだろう。そして、ファッション写真を変革するのは、実は、他のジャンルから来た異端者の価値観である。マーティン・ムンカッチは、スポーツカメラマン。アーヴィング・ペンは、画家。ヘルムート・ニュートンは、報道カメラマン。スティーヴン・マイゼルは、ヘア&メイク。マリオ・ソレンティは、モデルであった。そう考えると日本のファッション写真界は、可能性に満ち溢れている。止まれる者の出現。。日本人としてのオリジナリティーを追求して、美意識と技術を極めた上で、ファッションという世界に魅せられ、美の本質を探究したい写真家が現れたときに、きっと日本のファッション写真界はドラマティックに変わるはずである。サンプリングの達人から、オリジナリティーへ、欧米コンプレックスからジャパニーズ・ルネッサンスへの意識の変化。それが、近い将来であることだけは間違いない。
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今年の8月末日、短編小説と音源がセットになった『JAGUAR』というZINEを制作した。200冊限定ナンバリング入りで、現時点(10/13)での在庫が30冊程度となった。ところが4月にリリースした『ほんまのきもち』と違って、本作についての感想がほとんど聞こえてこない。もちろん直接口頭、あるいはソーシャルメディアのダイレクトメッセージで読後感を伝えて下さった方々は沢山いる。しかし書評と呼べるものは実はいまのところ皆無に等しい。批評することを躊躇わせる斥力のようなものが作品に内包されていたのかもしれないと密かに勘繰ってみたりした。虚しかった。そこで、である。敢えてこの場を借りて、稀有で貴重��『JAGUAR』評を紹介しようと思い立つ。当ブログへの転載を快諾してくれた評者の方々にはとても感謝している。ほんまにありがとう。早速おふたりの素晴らしいレビューを読んで頂きたいのだが、いましばらく当方の四方山話にお付き合い下さい。
まず最初に『JAGUAR』という物語がかれこれ10年以上も前に執筆していたものであるということを前提に、すでに読んで下さった方々には当時の僕の意識混濁っぷりが窺い知れる内容になっていると思う。ビルメンテナンス会社の営業職に就いて忙殺される日々、精神と肉体が泥のように疲弊していくなかで書き上げた小説。大袈裟でなく、このままでは生きるという行為を自ら手放してしまうのではないかという危うい精神状態だったが、幸運にも当時に知ることができた偉大な哲学者、思想家、精神科医たちの言葉に背中を押され、結果的に今日まで生きのびた。以下に引用した名著の言葉たちが『JAGUAR』と僕を根底から支え、励まし、作品を世に放つ機会を与えてくれた訳だ。特に大気を裂く稲妻のように強烈な『千のプラトー』は、書かれている内容がわかるわからないというスノッブな価値観を遥かに超越した位置から自分を叱咤激励してくれた。こんなにぶっ飛んだ内容の読み物は他にないし、未読の方は絶対、ぜぇぇったいに読んでほしい。
小説は、自分の名も、自分が探しているものも、していることも、すべて忘れ、記憶喪失、運動失調症、緊張症となった登場人物、なすすべを知らない登場人物の冒険によって定義されてきた。(中略)。宮廷愛小説の騎士のすることといえば、自分の名前、自分がしていること、人が自分に言ったことを忘れること��あり、どこに行くのか、誰に話しているのかも知らずに、たえず絶対的脱領土化の線を引き、またたえず道を失って立ち止まりブラック・ホールに転落することである。『千のプラトー』ドゥルーズ+ガタリ著
各人は、他者の世界の中での一客体であるばかりではなく、自分の世界の中で自分の体験や構成や行為がそこから生じるところの、時空間における一つの場所でもある。人は自分自身の視点をもった自分自身の中心である。そしてわれわれが見つけたいと思っているのは、まさに、他人と共有する状況において各人がもつところのパースペクティヴである。『狂気と家族』R.D.レイン/A.エスターソン著
私にはひとつ、ことばを≪見る≫という病気がある。ある風変わりな欲動があり、それは、願望がまちがった対象に向かうという点で倒錯的な欲動なのだが、そのせいで、本来なら単に聴くべきものが、私には一種の≪ヴィジョン≫として現れるのだ。(中略)。言語活動に関して、私は自分が幻視者で、また、のぞき見の倒錯者であるような気がしている。『彼自身によるロラン・バルト』ロラン・バルト著
そして小説版『JAGUAR』と一蓮托生の身である特級呪物、音源版『JAGUAR』については、僕が最も敬愛する女性DJにその制作を依頼した。マルコムXの演説を逆再生させたところから始まるMIXは、いくつかの世界線が交錯と混濁を繰り返し、正気と狂気の狭間を湿気をたっぷり含んだ低空飛行でかいくぐり、やがてひとつの景観ヘと辿り着くまでの過程をコラージュを交えた手法でドキュメントした、とんでもない内容に仕上がっている。揺るぎないベースライン、不意に降り注ぐ天啓となる言葉の数々、妖艶極まりない夜の気配、そして匂い。ぜひとも爆音で体験してほしい。以上のことをふまえて、OBATA LEO、moanyusky両名による書評をご覧下さい。
「JAGUAR」評① :評者OBATA LEO(ROLLER SKATE PARK作者)
土井政司の新作「JAGUAR」を読んだ。内容の理解云々以前にまず、地を這いずるような具体性の塊、描写に喰らった。自分が普段労せずざっくり物事を把握するための便利な道具として使っている言葉という同じものを使って、この作品はレンズのように細密にものを描き出す。ひとがきちんと見ずに済ませているような部分にまで光を当てる。そんな驚きもありつつ、やはり気になる。「JAGUAR」とは何なのか?
-「彼女は常に超越的な地位にあり、私たちとは隔たれた外部に位置している。そうであるにもかかわらず内部であるここにも存在しているのだからタチが悪い。絶えず外にいて内にあるもの、それがJAGUARだ。」最も端的にJAGUARについて書かれたこの部分���読んで、体内・体外の関係を想起した。普段「体内」と何気なく口にしているが、胃袋のように体には空洞がある。皮膚や粘膜などの体表に覆われて血液が流れている内部を体と呼ぶのだとしたら、その空洞は体に囲まれた「体外」ともいえて、私たちは体内に体外を���えているという言い方もできるというわけで。それで繋がるのは、口腔内の歯の溝に落ちたタブレットを舌で触る場面である。「体内」でありながら自分では視認することのできない、舌で探るしかないその空間は確かに「体外」であるし、JAGUARもまた、己にとって内なるものでありながら断絶した他者でもあるような何かとして捉えられるのかもしれない。そんな線で読んでいくと、-「だが実際に私の目の前で何者かの手によって鍵の施錠は実行され、おまけに用心深くレバーハンドルを何度か動かしてしっかりと鍵がかかっていることを確認した。」という作品の終盤に出てくるこの部分で、文法的なエラーに感じる違和感は、そのまま私とJAGUARとの関係の違和感そのもののように思えてくる。得体の知れない何かに鍵をかけて、何食わぬ顔で電車に乗って仕事場へ行くなかでの体の軋み、のような何か。体といっても、いわゆる「(近代的な)身体」というキーワードで片付けるにはあまりに繊細な、大いにパーソナルな部分を含む体の感覚が、この作品にはあると思う。
出かけた「私」は、電車のなかで女性が着ている服のボーター柄の反転を目にするが、ここまで読み進めてくると、気持ちの良い幻惑に襲われはじめる。異常にディティールが詳しいのでそうと気づいていなかったが、やはりこのフィクションの中で起こる出来事たちは、出来事の形をとった何か夢やイメージのようなものだったのではないか。そして冒頭のリフレインまで突き当たると、この作品は初めから何についての話だったのだろうかと、今までひとつひとつ理解しながら読んできたはずの物語が全く違う相貌を携えているように見えてくる。そんなぐにゃんとした気持ちになるのは、良い小説を読む醍醐味のひとつだ。
「JAGUAR」評②:評者 moanyusky(音楽レーベルprivacy主催)
当たり前の様に無造作にある事で、それを見るか見ないか、それだけのことだと思います。土井政司の最新作「JAGUAR」を読みました。ここではJAGUARとなっていますが、人によってそれの名称は変わると思っています。よくわからぬ相手との対話や闘いがあるかどうかというところが、この作品の感じ方が分かれるところだと思っていて、私はどちらかといえば、その相手に困らされた事があったので、この作品を読んで、え!土井さんもやったんやとびっくりしました笑。ここは勘違いして欲しく無いところなのですが、人それぞれという言葉があるようにそれは一緒ではないのですが、構造はかなり近いと言ったような事でした説明がつかないわけですね。私は人の「想像」は人を殺しにかかるような死神として、隙があれば、それは現れるわけです。世の中ではアートであったり、想像力は良いように言われていますが、全くもってそれは何かが隠されているわけで、私は良かった試しが無いわけです。出来れば普通のルートで現代社会を楽しみたかったです。でも多分知っていくという事はそういう事なのかもしれない。想像力に悩まされてきた身としては、この作品は、別の場所で、それと闘って、きっちり答えが出ているというところ、しかも、10数年前の作品という事で、私は土井さんに出会って、色々な対話を交わして、初めて彼の濃厚な苦悩との生活に出会う事となったわけです。各人の時間軸が理解の範疇を超えて、重なり合って手を取ったのだと思っています。その時に置いてきぼりになってしまう、その真ん中で産まれゆく、刻まれた何かがずっとどこかで成長していたら、人は正気を保てるだろうかと思ってしまいます。誰かが入ったであろう、部屋のノブをあなたは回せるかどうか。私はそれには名前をつけなかったが、もう二度と会いたくないですし、いつまた来るのだろうと、恐れを感じます。彼は人が地面を無くした時に現れるように思います。浮遊した瞬間、命をもぎ取ろうとする。
でもそれはオカルト的なアレとか、スピリチュアル的なアレなんてものではないのですね。確実に自分、自分を構成する設計図の謎のようにも思え、それが薄らぐために生活をやり、音楽をやり、愛し合い、話し合い、何かを育てるのだと思います。現実社会で経験した摩擦は地面をはっきりさせ、そいつのいる世界から距離が出て、薄めてくれるように思うわけです。だからこそ。JAGUARの言葉を借りれば「痛みと不安から自分自身を取り返し、その自分に立ち止まるために語りを紡ぎ出す」。が救いの言葉となっているように思います。2部構成で出来上がる、この作品のバランス感覚は、人と創作の関係性をSFとして描いているように感じます。同じ場所にて語る事は嫌がられるかもしれませんが、私が映画を観に行った時に続々と子供たちが外へ出て行った宮崎駿の最新作「君たちはどう生きるか」を出したタイミングと、土井政司がこれはいけると思ったタイミングで出されたJAGUAR。それは何もかもを抜きにして考えると、世の中の人たちに対して彼らは同じことを思っているのだと思います。今それを出さなければならなかった。その「灯り」の意味を考えなければならないのです。
〆はもちろんこの曲で!
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「光へ漕ぐ舟 ~手から生まれるはるかな広がり~ 浜口陽三と桑原弘明、高島進、前田昌良」展
ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションで「光へ漕ぐ舟 ~手から生まれるはるかな広がり~ 浜口陽三と桑原弘明、高島進、前田昌良」展を見る。
桑原作品は、小箱の穴から懐中電灯で光を当て、のぞき穴から中を見るスタイルで鑑賞する、ミクロの世界である。光の当て方によって中の光景が違って見える、精巧な作り。スマホでは展示風景しか撮れない……
おとぎの国のような雰囲気の前田作品は、平面と立体とが多数並んでいた。本の装丁に用いられた作品もあるようで、当該書籍も一緒に展示されている。動く彫刻の数々は、らせんを物理的に活かして作られており、かなり賢い。自由に動かすことはできないが、定時にスタッフ��動かして見せてくれる。
高島作品は、根気のない人間から見ると気の遠くなりそうなドローイング。制作風景を記録した映像が流れていたが、あまりにも根気仕事が続くので、全部通して見るのを断念したほど。ペンのインクがかすれるまで書き続けたり、どの色を使うかサイコロで決めたりと、極力主観を排した作風が、かえって個性を際立たせているのは現代アートらしいおもしろみ。
浜口作品は地下の展示室のいちばん奥に14点。お馴染みの作品もあれば、初見のような気がする作品もあり。
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"欲望や体力の赴くままにめちゃくちゃな生活をしていて、持て余した力によって自分の人生をダメにしていたかもしれない奴らが、「スポーツ」という一種の秩序をそのエネルギーに与えることで、自分でも思ってもいなかったほど"高く跳べる"ようになる、という物語が『SLAM DUNK』の根本なのだと思う。無法図な力に一定の「秩序」を与えて飛躍させることがスポーツ(だけでなくアートでも学問でも漫画でもあらゆること)の可能性なのだとしたら、そのために最も大事なことは、やはり地道な練習と基礎なのである。"
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#ミャクミャク くんが頭から離れないからか、#ミスド の #ポンデリング を購入した先日。 たまに食べるとうまいんだよね^^ #ミャクミャク様 #生活に根ざしたアート #生活にアートを #生活に彩りを #生活に潤いを #イラスト好きと繋がりたい #イラストグラム #漫画好きと繋がりたい #絵描きさんと繋がりたい #私はこんな仕事がしたい #悟水晴 #Gosuisei #アトリエライフワークス https://www.instagram.com/p/Cp4L2FULfp0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#ミャクミャク#ミスド#ポンデリング#ミャクミャク様#生活に根ざしたアート#生活にアートを#生活に彩りを#生活に潤いを#イラスト好きと繋がりたい#イラストグラム#漫画好きと繋がりたい#絵描きさんと繋がりたい#私はこんな仕事がしたい#悟水晴#gosuisei#アトリエライフワークス
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4泊5日のプラハの旅は、まるで夢のように、忙しく断片的イマージュに切り取られていく時間を過ごしたような感じだった。帰り際に、宿屋の伯母さんKristinaが、Neroがマキになんか用意したみたいよと愛犬Neroのベッドの毛布を指差す。ちなみに15歳のミニチュアダックスフントのNeroは、客間のソファからソファへと、短い足で器用に飛び越えつつ、犬用ベッドに辿り着くと、器用に毛布をかぶって、毛布の中で寝る。ネロの毛布をそっと開けて見ると、寝床の中にネロからのプレゼントが入っていた。開けろというので、開けると、プラハの観光名所を印刷したピンク色のTシャツが入っていた。なんだか感動して涙が出る。そんなこんなしている間に、電車に乗り遅れそうになり、慌ててタクシーでプラハ中央駅へ。
チェコは本当の人間が暮らす所と言うけれど、本当の人間、real peopleって、優しさと、周りや未来、過去への気遣いなのかなと思った。一人の人間にできる事なんて小さい。その一人一人が、どれだけ、自己犠牲と他者への優しい気持ちを態度で表すことができるのか。それだけで、その社会の在り方は変わると思う。チェコと日本の類似性を、Kristina伯母さんは毎朝のように言っていた。電車でお年寄りに席を譲るとか、隣の家の人が風邪引いたって知っているから買い物してあげるとか、そういうのが、本来の人間らしさであり、観念や理念だけで、やれ差別だ平等だと自由だと騒ぎ立てる前に、自分の日々の行動の中で、どれだけ他者に関心を持てる余裕が備わっているか、という事だと、Kristina伯母さんは力説していた。
プラハの人々の議論好きは、ドイツ人の議論好きに引けを取らない。今回は、プラハの東大、カレル大学(プラハではチャールズ大学といったり、シャルル大学と言ったりする。つづりがCharleだから仕方がないが、困惑した)の建築や演劇の教員達と議論の機会があったが、ドイツ人や、日本人の知識層と自認している人との議論と根本的に違うところがある。それは、議論の位相をズラス事による批判はしないという点にあろう。
彼らが射程に入れているのは、根底にある人間や社会の問題。だから表面的な所で安直な問題設定をしていなかった。深いところで問題設定ができているという事は、昨今の日本を含めた欧米で流行っている、表面的な言葉尻を捉える批判をしないという事だ。誰だって、言い間違いや誤解を与えるような事を言ってしまう。でも、話す人の、議論の全体的俯瞰や、議論の根底にある考え方を捉えていれば、言葉尻や言い方だけで批判、批評はしないものだ。
逆に、表面的な議論だけを捉えて、挙げ足取りのように、それも、そんな下らん事を、まるで勝ち誇ったようにやる人間との議論は、はっきり言って、議論にならない。多分、そういう表面的な議論で自分の優位性を信じ、他人を簡単に批判できるオメデタイ馬鹿どもは、自分の事を自分で、言語を完璧に操っていると、自分を過信できるからこそ、そこまで居猛々しくいられるのだろう。東大に生息する奴で、できの悪い奴のやる学問と称する言説批判のほぼ9割はこれ。実にshallowで下らない。逆に、そういう人たちは、自分の言語操作能力への自信に加えて、言葉への信頼が高いとも言える。兎に角、立派な人とは私は話するのは苦手だ。私も、チェコ人知識層も、言語を感性的に操っているのだと思う。感性的だから、言葉で捉える事のできる事の限界を知っている。だから、言葉を実験的に使っているのと、言葉だけを信じる人との違いが、議論に現れてしまう。
ちなみに、チェコ人は、昔から英語は完璧に話すらしい。彼らの複雑なチェコ語文法では、ドイツ語の男性、女性、中性名詞に加えて、男性名詞は、生命あるものと、生命無いものとで、男性名詞が二種類に別れているらしい。簡単に言うと、生きているものと、生きていないものなんだよ、と現地で生まれ育つ12歳になるカノンちゃんは説明してくれる。でも、例外もあってね、そこが難しいんだよ!って笑う。英語は超簡単!と笑う。もう、英語だけでタジタジのオバハン、ついていけまへんわ。ヨーロッパ人の英語上手なランクには、スウェーデンやフィンランド、チェコが必ず入るらしいが、米軍基地の存在と難しい母国語が、街中の一般人でも英語を話す諸要素として考えられているらしい。日本は、日本語が簡単すぎるか、英語教えるセンコーが馬鹿か、民衆がアメリカ拒否っているかの何れなのだろうか。日本では最近、意味も分からず、クリスマスに加えて、ハロウィンまで喜んで真似ているので、アメリカは好きみたいなのだが。。。ヨーロッパは知らないから、アメリカで人気ないイースターは存在すら知らないらしい。
プラハでは、芸術は、共産主義への対抗手段としてあったので、芸術が豊かだ。ブルジョアの嗜みであるオペラ、コンサート、美術に対して、volksによる、一般民衆による演劇、音楽、絵画がある。そして、それら芸術を通して社会批判を行っている。だから、アート界隈は知識層が多い。ブルジョア的知識層とは異なる地に足ついた知識層は、volksなので、幻想主義でもなく、生活に根差した批判を行う。言語化するとヤバイものは、言葉ではない演劇表現を借りて表現する。つまり、共産主義体制において、言葉狩りを経験している人々は、言葉に頼ることの危うさを知っている。逆説的に、ドイツも日本も、言葉への信頼が高いという事は、言葉狩りによる弾圧や差別を知らない平和ボケの結果なのかもしれない。平和ボケている奴ほど、凶暴なのだ。辛さを知らないから。実に色々な意味でオメデタイのだ。
プラハ。また帰ります!ネロとKristinaの家へ。そして、豊かな議論をしてくれ���チェコの知識層の元へ!まだ生息している、真の人間に会いに。。。チェコに生まれなかった真の人間が疲弊した時に、安らぎにいく場所、プラハへ。
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第49,50回活動
2024/11/13 2024/11/15
最近かなり冷え込みますね。コートやジャケットが必要になりそうです。後期も後半なので頑張っていきましょう! 今回は今後の予定決めや実験結果の振り返りを行いました。
2024/11/13
活動内容
(1)やることの確認(2分) (2)本日の雑学(8分) (3)システムの名前について(10分) ・案があれば考えてきてほしい (4)福岡の発表について(10分) (5)各グループの作業(~12:10まで) ・実験の結果のまとめ、共有 ・ポスター制作作業 (6)次回の予定(5分)
(1)やることの確認(2分)
(2)本日の雑学(8分)
大浦さん 仏教と蓮 文学作品に蓮が登場するのは仏教の教えが関係している 蓮華の五徳 蓮の生態にまつわる仏教の教え
(3)システムの名前について(10分)
10/30(水)の議事録 名前の候補(全体) ARTHONA(企画を説明した時のお名前です)(ART + PERTHONA(人格など))読み方は?=>アルソナです。⭕️⚪︎ MPtoAR(Music Prompt to AR)
なんとかシーカー(なんとかの部分が思いつかないです) O-SUGI YABA-SUGI なんちゃらART かのん SOUL SOUND ART PersonARt ⭕️⭕️ ARTHONA SEEKER アートピア ARTunes ⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⭕️ 音見えるん MUSICART(ムジカルト)
⭕️
ARTHONA ⭕️⚪︎ PersonARt ⭕️ ARTunes ⭕️⭕️⭕️⚪︎⭕️⭕️
決定 ARTunes
(4)福岡の外部発表について(10分)
スケジュール
~12/18までに概要 ~1/8までに論文の第一稿(草案のようなもの) ~2/12までに予稿集論文(説明する時の原稿?) ~3/19までに最終論文
原則的にオンライン(口頭発表)+対面(ポスターなど使った発表) やむを得ない場合はオンラインのみでも可 論文のフォーマット(2024年):https://www.dropbox.com/scl/fi/0qdszpa6gqwa1ltqd4ivw/format_docx_deim2024_j.docx?rlkey=0v38fa807wr42ay9h46gpy2er&e=1&dl=0
論文の投稿料:1万円
論文例(2024年)
【意見】 ・論文を書く時間が日程的に難しくないか → ポスター作成や、専修の最終レポートと内容が近いのでできるのでは ・オンラインのみ参加は発表会参加の姿勢としてふさわしくない → 全員が福岡に行けるのか ・前回の内容を読んでみると、自分たちのプロジェクトの成果が達していない →出す前から諦めるのはよくない ・金額の問題 学生参加費1000円? プロジェクト費用から出すのか ・旅費は自腹 飛行機4万くらい?
(5)各グループの作業(~12:10まで)
フォームの回答 だれか!!! 集計ファイルのURLください ありがとう
form https://docs.google.com/forms/d/1zB_wagDb9IvexKOmpTymb75Wb-dU-39mzqT0YQJyox8/edit#responses 11/8小杉プロジェクト外部実験アンケート(回答)
(6)次回の予定(5分)
外部発表、ポスター含め 今後の具体的な流れの確認 外部発表について ポスター作成
2024/10/15
活動内容
(1)やることの確認(2分) (2)代表者会議の共有(3分) (3)外部発表について(10分) (4)今後の流れについて(20分) (5)各グループの作業(~12:10まで) (6)次回の予定(5分)
(1)やることの確認(2分)
(2)代表者会議の共有(3分)
会議資料 第6回 11/13
✅今日までの提出物
(3)外部発表について(10分)
3/3~3/4福岡行けない人 ・家の用事 浅野 ・お金の問題 (峯島) (飯沢) (加来) (古賀)
論文発表までの日程上厳しいので無しになりました
(4)今後の流れについて(20分)
最終発表までの予定 ・小杉先生にポスター披露 11/27 ポスター仮完成 ~11/20 ・発表練習 ~11/27 先生に見せれる形まで ・Webサイト ~11/29 ・成果物 ~12/13 音楽生成 ・外部実験結果の修正 ・プログラムの完成 AR ・外部実験結果の修正 ・プログラムの完成 アート ・外部実験結果の修正 ・計算式の再考 ・基準点(朝,冬)の調整
最終報告書の予定 ・最終報告書 ~1/22 18:00 取り掛かれるの三週間ちょっと ・映像 ~1/22 18:00 プロジェクトの成果を3分程度の動画 最終発表会の前とかにメンバーで利用しているのを撮影 カメラ借りる(かも)
学会用論文の予定 実験の概要 ~12/14 論文の期限 ~⅛
まとめ ・ポスター仮完成 ~11/20(水) ・小杉先生にポスター披露 ~11/27(水) ・発表練習 ~11/27(水) ・Webサイト ~11/29(金) ・成果物 ~12/13(金) ・最終報告書 ~1/22 18:00(水) ・プロジェクト映像 ~1/22 18:00(水)
(5)各グループの作業(~12:10まで)
印象空間計算表(時間帯) 外部発表フォーム 実験からわかったこと
ARアート ・時間帯が朝しか選ばれない問題 →朝の距離が原点から近いため、小項目に対するプロンプトの座標がおのずと朝の座標と近くなる →割合だけ出せばいける?
Webのタスク ・文章かえるところ(探す+直す) ・プロフィール 開いたら詳細情報が出るようにする ・プロフィール 背景を変える ・全体的なデザインが稚拙 ・アバウトアスの文章を短くしたい ・フォントを検討 ・ロゴ
ポスター及び最終発表準備につき ~11/20 <ポスター作成> ・デザイン:堀内 ・文章:加来、村木、浅野、根本、飯澤、大浦 ・大浦:1枚目(既) ・村木、根本:2枚目(修正があれば) ・加来、大浦:3枚目(修正があれば) ・堀内、峯島、浅野、飯澤、[村木、根本];2枚目終了後、[加来、大浦];3枚目終了後、 :4枚目(できる範囲で) <発表準備> ・堀内、加来、村木、浅野、根本、飯澤、大浦 _発表原稿作成、発表ロールプレイ練習 ・浅野、飯澤:1枚目(発表は短めで大丈夫です) ・村木、根本:2枚目 ・大浦、加来:3枚目 ・堀内、峯島、浅野、飯澤:4枚目(できる範囲で)
11/20 発表ロールプレイ_1 ポスターα版を使用
11/20~ <ポスター作成> ・堀内(必要に応じて峯島さんにお手伝いお願いできますか?) <発表準備> ・加来、村木、浅野、根本、飯澤
11/27 発表ロールプレイ_2 ポスターβ版を使用
11/29 発表ロールプレイ_3 ポスターリリース版を使用
[ポスターのバージョンについて] α版:おおよそ形になっているもの。4枚目以外は文章含めて完成していること。4枚目は書けるところだけ文章含めて完成していること。 β版:完成形に限りなく近い形。基本的にこれ以上修正はしない。 リリース版:β版で修正があれば修正を行う。
(6)次回の予定(5分)
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2024/11/15 11:00:02現在のニュース
2年前に落馬事故で車いす生活 高知・妹尾将充騎手、引退を発表 レース復帰目指すも「期待に添えられず」(スポニチ) | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/15 10:57:08) 103万円? 106万円? 財源は? パズルのような「壁」見直し論議 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/15 10:57:08) 三笠宮妃百合子さま逝去 101歳 皇室最高齢、宮家を支え | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/15 10:57:08) 「肌管理」にもAIを 新興テックも注目のスキンケア - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/11/15 10:54:19) ヤマトHD、生成AIキャラが手荷物や観光案内 羽田空港で - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/11/15 10:54:19) ゲームのアプリ外決済拡大「巨大IT新法が空気変えた」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/11/15 10:54:19) 一人勝ちスズキに漂う暗雲、インドで変わる人気車種 花田亮輔 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/11/15 10:54:19) みずほ木原社長「預金の粘着性高める」 楽天カードに出資 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/11/15 10:54:19) KDDIのpovo2.0、スマホ改革「トッピング」 月数百円でデータ必要分 トリセツ×カイセツ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/11/15 10:54:19) 前衛芸術家「瑛九」オマージュ アトリエの記憶 アートや記録、浦和で企画展:東京新聞デジタル([B!]東京新聞, 2024/11/15 10:52:23) 百合子さまは「三笠宮家を守った要」 防空壕で戦争継続の激論も目撃(朝日新聞, 2024/11/15 10:50:29) 「子供は必ずかかる」定説変えた水ぼうそうワクチン 3歳息子の重症化と根性の開発物語([B!]産経新聞, 2024/11/15 10:45:33) トランプ氏、厚生長官に反ワクチン論者のケネディ氏起用 「米国は再び健康に!」([B!]産経新聞, 2024/11/15 10:40:37) 緊迫の激論、三笠宮さまの悔い…百合子さまが見つめた玉音放送の前後(毎日新聞, 2024/11/15 10:39:17) APEC閣僚会議閉幕 自由貿易の促進を確認、保護主義に対抗(毎日新聞, 2024/11/15 10:39:17) 東大・阪大・筑波大・東京科学大、量子ビームで結晶中の水素配置を可視化 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/11/15 10:36:34) トランプ次期大統領、EV税優遇の廃止検討 マスク氏も支持の意向(毎日新聞, 2024/11/15 10:31:37) 在日米軍司令部、横田基地から六本木に移転案 準機関紙報道 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/11/15 10:30:28) サントリーのジン「ROKU」、世界3位に 原料は桜やユズ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/11/15 10:30:28)
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
【自己紹介 2024年5月3日】 三重県伊賀市出身 旧名の上野市に 1976年から 1996年6月まで住んでいた
伊賀市で有名なのが 伊賀流忍者 伊賀牛 松尾芭蕉 俳句 上野城 小学校までは依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごし 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ その時が一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 スレスレ生活 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった
1997年から パソコンを38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説が出ていた 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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人の暮らし方
ブログが好きだった私はログインしてないと見られないとかスマホでないと使いづらいとかいったSNSはどうしてもチェックするのが億劫なので、結局なんだかんだ言って最近はYouTubeを見るようになってしまいました。しかしアルゴリズムはうざいし広告ブロック入れるとスムーズに動かない時があるしなかなか好みのYouTuberがいません。
サブカル育ちでコンサバなものが嫌いな私は、洋の東西を問わず小綺麗でほっこりしたのとついでにあったかそうな国の動画は見る気しません。どうもライフスタイル系のVlogはほっこり・読書・ゆっくりおうち時間・ていねいにコーヒーをドリップみたいなのが根強いのですが、そんなもん見てもちっとも面白くないのです。かといって欧米の女の子のVlogのカワイイ系はおたくが多くてこれもあんまり面白くない。(ほほえましいけど。でも海外のおたく系の人って平気で自分で描いたトトロやセーラームーンのグッズ作って売ってたりするので気が散る)
田舎の古い家をリフォームしてるみたいなのも嫌いではないのですが、そりゃこんな静かで人のいないところだったら家も飾りがいがあるし絵になる暮らし方も好きなことに集中もできるわさと思ってしまいます。やっぱり都会の狭いアパートで案件はあるけどそんなにお金ないみたいな、あとできれば猫とか犬とか飼ってないほっこり系ではない女の子というのがこっちは見たいのです。
私は前にも書いたけどシェイナ・クリーというアーティストのチャンネルをよく見ています。彼女のようなガーリーで風変わりな人はあんまりいないので好きでしたが、そしてシェイナはわりと自分を取り繕わない正直さが魅力でしたが、ぶっちゃけ最近はアートではなく音楽の方に力を入れていてつまらなくなりました。初期の人妻アートスクール生だったころは良かったけど、離婚して前からやりたかったという音楽を始めて自身の作品もスピリチュアルなものになってきて、アーティスト同士の繋がりが大事!みたいなことばかり言うのであんまり面白くなくなってきました。ずっとやりたかったという音楽活動ですが、それはそれでもちろん不満や納得できないことが出てくるわけです。しかし彼女は昔ほどあけっぴろげに語るのをやめてしまったのもあって(ストーカーみたいな人とかいたらしい)、いったい何について不満を述べているのかわからないという動画も増えてきました。「個人的なことだから詳しくは言わないけど失望するようなことがあって…ごにょごにょ…なんやかんや…でもこのインターネットのコミュニティは素晴らしい可能性があります💖エンジェルのみんないつもありがとう💖」みたいなのは、自動翻訳で見てるこちらとしては「ハァ?」となってしまいます。
それでもアート作品は好きなので見るのやめたわけではないのですが、途中でやめちゃうことが増えました。ていうかVlogにくらべてMVの再生回数少ないんだけど…みんな同じこと思ってるのかな…。アパートを買ってからローンがあるのでスタジオを別に借りないと言っていましたが、前の元は修道院だったアーティストヴィレッジみたいなところで撮ってるVlogが好きでした。あと私みたいなひねくれた人間からすると、ポジティヴでスピリチュアルなことを言ったってどうにもならないことはどうしてもあるんだよなーと思ってしまいます。パリ市民権を得て終の住処も見つけたのはすごいけど、引き寄せで家買ったとか言ってるとおぅ…となってしまいます。しかしシェイナは自由奔放に見えて、ショートカットにすると女性はあまり良く見られないけどやってみた、とかブラしたくない、とか改めて宣言しないといけないことなのかというような発言をしていてちょっとびっくりします。割とスピかつフェミニストっぽい活動が多いように見えるけど、こういうことは欧米ではわざわざ主張しないといけないんだなというのを実感しました。シェイナが意外と保守的でこだわってるだけかもしれないけど。あとシェイナはあんまり食に力を入れてないところと、棚の中がすぐ乱雑になるところも好きです。
そんな私が最近好きなYouTuberがフィオナという女の子です。パリに住んでるけど多分アメリカ人で、なにをしてるのかいまいちハッキリとはわからないのですが時々エージェントと言ってたり、ファッションウィークのイベントの招待状が来たり服や靴が送られてきたり、インスタにはVlogより随分ちゃんと撮影した写真が載ってたり腹筋が割れてたりもするのでモデルかなーと思っているのですが、自分で髪の毛いじってるしリサイクルショップで古着を見つけて売ってもいるようだし本人もホームレスと言ったりよくわかりません。
リサイクルショップやスリフトショップでめぼしい古着を見つけてきて売ってる女の子というのはブログ時代にもけっこういましたが、これがそれほど儲かるのかといつも思います。私はめんどくさがりなので、多少上乗せされててもある程度セレクトされた古着屋に行くことはあるけど、有���無象のなかからキラリと光るものを見つけるなんて割にあうのかなーと思ってしまいます。お店でもやってるならまだしも。でもやってる人がいるということは手間を引いてもやる意味があるんだろうなぁ。シェイナは自分で手を加えたりするため数が出せなくてこのビジネスは自分に向いてなかったと言っていましたが、フィオナは独自のカジュアルの好みがあって目ぼしいものを見つけたらとりあえず買って、気に入らなければ通販サイトに出すという感じで雑なのですがそのぐらいの方がいいのかも。というか海外の人は不用品は基本的に売る、だめなら寄付、よっぽどのゴミになったら捨てる、という感じなので、見ている私もそういう姿勢になってしまいます。日本でもフリマアプリが定番になった一方で、売れるまで保管しておくのが嫌だから全捨てという人も多くいます。個人的には、日本でも売ると捨てるの間がもう少し気安いポジションになってくれるといいのになーと思います。欧米の人の動画を見てると、使い古しの文具や画材も児童館などに持って行けば受け取ってくれるらしくてうらやましい。
それはさておき、パリに住んでいるYouTuberはフィオナもシェイナもそうだし他にもたくさんいるので、やはりパリという場所にはまだまだ伸び代があるというか味がするというか、人を惹きつけるものがあるんだなーと思います。パリに住んでるくせに普通の服とインテリアの人もたくさんいますが、それでYouTuberでーすて舐めてんのかと思います。パリのYouTuber同士どこかですれちがったりしているのでしょうか。
それから、フィオナの好きなところはほとんど一人でいるところです。最近の動画では友達を作ろうとしたりしてるし妹とはとても仲が良いみたいだけど、友達が少ないと言っていたり、人と一緒にいたいと思わないのが私の問題だと言っていたり、なんかわかる〜。別に寂しくないのです。私の周りも人とつながらないと、たわいないおしゃべりが大事みたいなこと言う人ばっかり��けど、まぁなくても平気なの。それがどうしてもわかってもらえない。アーティストでもそうじゃなくても、女の子でもそうじゃなくても、人はひとりにならなくちゃいけないと思うのです。私は中居正広がどちらかというと好きじゃないけど、一人の時間を大事にしているというその一点だけでどうしても嫌いとまではならないです。しかし姉妹で仲の良い人はうらやましい。あとフィオナはあんまりお金がないらしくて、でもブラックコーヒーが飲めないのでミルクをカフェに持ち込むとか、ただでコーヒーが飲めるとなったらわざわざもらいに行ったりカップを再利用したり、私こういうケチり方を見るの大好きなので楽しいです。
もう一人好きなYouTuberはモデルのミーガンです。彼女はアジア系の人らしく日本の雑誌やアパレルでも活躍していて、自撮りを始めるとカメラ目線でしばらくあれこれやっているのはいまどきの子というか職業病なのかなーと思います。フィオナもよく何度もポーズをとっているけど、あんまりここまであからさまに自撮りの顔をあれこれ写しているYouTuberって見たことない。ミーガンはかわいいのですが高橋一生に似てると思います。高橋一生はべつにかわいいと思わないのですが。ミーガンの動画はとても素敵だしよく日本にも来ているようですが、どこへ行っても電車とか街中で平気で他人のことを写しているのがイヤです。しかしシェイナはシットとかビッチとかよく使うけどフィオナとミーガンは使わないのもちょっと面白い。アーティストとモデルの違いなのでしょうか。ミーガンはYouTuberの中ではまっとうにモデル活動している方だと思いますが、先日はファッションウィークに行ったけど仕事が得られなかったというようなことを言っていて、YouTubeで見てる分にはあちこち飛び回って絵やzineを描いたりしてお気楽に見えるけど、実際のモデルというのはなかなか厳しい道なんだなーと思いました。
little tiny eggというアーティストの方も好きです。彼女(クリステン)はユタ州に住んでいるのですが、ユタ州というかソルトレイクシティにはパリやニューヨークやLAとは異なるアーティストコミュニティやアートシーンがあり興味深いです。都会や芸術の街ではアーティストなんてのはいくらでも湧いてくるもので、どんどん篩にかけられていくものという感じですが、クリステンの動画を見る限りソルトレイクシティではアートを公共のものとして育てているという印象があります。クリステンはとても真面目でローカル性のあるアーティストなので、これが全てというわけではないとは思いますが。クリステンは癌の闘病歴やその後の持病などがあり体の弱い私は共感してしまいます。あとパートナーがいい人そうで、身体はともかくメンタルは安定してるところも安心して見られます。そんなクリステンもネットのアルゴリズムには4文字言葉を吐いていて、それもわかる。アルゴリズムってクソだよね。それと彼女の動画を見ていると、ユタ州って白人ばっかりだなーと改めて思います。
男性のYouTuberは基本的に持ち物が面白くないので見ないのですが、death by thriftingという人は面白いです。センスもめちゃくちゃ好き。男性の動画と女性の動画ってなんかやっぱりテンポが違うなーと思います。パッパッパッて場面が変わることが多い。
しかし基本的に男性のライフスタイル系YouTubeの面白くなさは、多分ファッションを極めた男性がオーダーメイドに行き着くのと同じ理由のような気がします。かといってさらば青春の光の森田のように物欲のかたまりみたいな人もそれほど面白くない。ていうかさらばはお笑いとしても面白くないし、森田も面白くないしなんか悪いけど背伸びしてるというかセンスが好きじゃない。男性にありがちな、物の中にある歴史や物語を好む傾向がこっちからすると真顔になってしまうところがあります。私個人としても機能性とデザイン性の混じり合ったアイテムは好きだし愛用してるけど、情報食ってんじゃねぇと思います。
そういう自分の気持ちにぴったり来るVlogを見るのとはまったく別に、国内のアラサーからアラカンぐらいの人のしみったれたVlogを見たくなる時もあります。顔を出さずにひたすら自炊しながら不幸を語ってるような動画は業者が作ってるという噂も聞いたことがあるし面白くないけど、リアルな生活感があふれているVlogが時々見たい。くすんだ色合いのワードローブ、あるいはピンクや薔薇やリボンなどのある種の傾向が伺える持ち物、食べかけのフルグラや調味料が百均のカゴで整理されているキッチン、クレーンゲームのポケモンやカービィのぬいぐるみがぽつんとあるソファー、そして身内なら面白いと思えるのかもしれないけどあんまり連発されるときついセルフツッコミなど、正直言って私の周りにはあまりいないタイプの人たちの生活に興味があります。私の周りにいる人たちはどちらかというと、特別にオシャレでもお金持ちばかりなわけでももちろんないのですが、オタク系から意識高い系まで趣味が多くてこだわりの強いマキシマリストタイプが多いので、ほそぼそとした暮らしを送っている人たちを見るとこういう生活を送る人の方が圧倒的に多くて少し私の周りの人たちは享楽的すぎるのではないかと思ってしまいます。
少し前からマキシマリストとはまた違うクラッターコアというインテリアのトレンドがあるらしいですが、元cutie読者の私としては懐かしいものを感じます。この流行について言えば、これは若い(主に)女の子たちがやるものであるなら、そういう時期に自分の部屋をこういう風にするのは健全なことだと思います。少なくともYouTubeで見る限りはただのゴミ屋敷でもないし、好きなものに囲まれた自分の城、自分のテリトリーを作りたくなるのは結構なことです。これを賃貸の床が抜けるほどやったりするのは良くないですが、ミニマリストの人たちが批判するのはちょっと違うという気がします。若者というのは、一生のうち一度くらいは壁に雑誌の切り抜きやレコードジャケットなどをびっしり張り巡らせてみてなんぼのものなのです。それをやってみて初めて自分というものを理解する。私は基本的に若い人の方が優れているなどとはまったく思っていませんが。たまにやたら若者にまかせましょうよ、我々は感性が衰えているのですから、みたいなことを言う「わかってます感」を出す人がいますがそんなわけあるかい。若者なんか基本的にイキってるだけで物も知らないクソのバカでしょ。もちろん誰にだってクソのバカの時期はあります。困るのはクソのバカのままの人が多いということです。それはそれとして私がcutieを読んでいた頃と違うのは、今は値段の安い服や雑貨の背景に強制労働や環境破壊といった問題が潜んでいたり、ヴィンテージ、スリフトショップ界がエグいビジネスになっていたりすることであって、これはなかなか世知辛いなぁと思います。風の噂では70年代ぐらいから古着の世界はエグいと聞いていますが、それでも私は、投資目的でブランド品を買う人たちにくらべたら好きという価値で判断してる人たちの方がまともで可愛げがあると思います。
その逆のパターンでもう少し年齢の行った人たちがやる動画でno spendとかno buy challengeとかいったのがあって、必需品以外の服やコスメ、コーヒーなどを買うのをやめようという運動なのですが、これはとても興味深いテーマなのに実践中を撮ったものがほとんどなくてどの動画もやってみてどうだったか、としゃべっているのばかりなのでいまいち面白くない。
もう少しつっこんで消費社会に物申すみたいなのも場合によっては見ることがあります。物欲を抑えたい時とか。先日家電が壊れたので買いに行った時ショッピングモールを見たのですが、セールの時期だったのもありますがちょっとあまりにも安い新品の服がたくさんあって驚いて買いそうになってしまいました。こらえたけど。しかし私はほとんどの日にはあまりパーッとお金を使って山のように物を持ちたいとは思っていないので、外出すると欲望渦巻くショッピングモールやデパートに疲れてしまうことが増えました。
老いも若きもちょっといいお菓子のお店とかデパートの銘菓コーナーとかに行列してるのを見ると虚しくなってきて、仙人のような暮らしがしたいと思います。時々どこかへ持っていくのにデパ地下でお菓子を買う必要に迫られますが、銘菓コーナーの欲の渦巻き方はえげつないと思います。買う方は血眼になって食い切れるのかと言う量を買い、売る方は「マツコの知らない世界で紹介されましたー」とか「本日特別に入荷しましたー」とかマイクでしゃべっている。そしてどうせsnsに載せるんでしょ誰も見てないのに。そのへんのつまらない人間の考えるちょっとした贅沢、同じような店ばかり入った駅ビル、同じような見た目の都市開発(水と緑と木目を取り入れたやつ)、スタバの新メニュー、それを持って歩いてるイキってるだけの若者、態度のでかい外国人観光客。全部うんざりしてくる。でも少数の人間が仙人のような暮らしを極めたとて別に世の中は良くならないと思うと生活ってなんなんだろうという気になってきます。
ギャルやおたく自称ズボラなどを除くと日本の動画はどうしても真っ白い部屋に「捨ててよかったモノ30」とか「手放したら見えてきたこと」とかいうポエムの皮を被った説教くさいサムネが多くて見る気も起きない。もっとこう物欲はあるけどちょっとヤバいから頑張ろうみたいなのが見たいのに、すでに真っ白になった部屋から「他人と比べない」とか、白っぽいグレーや薄青緑色の茶��でお茶飲みながら達観したようなこと言われてもなにも響かないそして日本人の持ち物は面白くない。あのライフスタイル系YouTuberやsnsの説教くささはなんなんだろう。あれこそが現代人の病ではないかと思います。説教したい、なんかいいこと言いたいみたいなの。パリ在住やミニマリスト系の日本人はやたらと「人と比べない」という言葉を使いますが、お前がいちばん比べてるだろという気持ちにしかなりません。それとパリに住んでるくせにもうタイトルとサムネの時点でほっこり蚤の市と手しごと、みたいな面白くないのがわかる奴とかなんなんだよと思います。また、海外の動画は翻訳で見るからポエム説教が気にならないのはありますが、なんか申し訳ないけどなんにも理由はないのに無性に腹の立つ顔をしてる人は見ません。
しかしコーヒーを買うとかネイルの限定色を買うとかいうのはえげつない誘惑なので、私も今年は地味に買わないチャレンジに挑戦中です。まだ私は仕事に使う物を買っているので買い物欲が抑えられてる部分はあるのですが、時々ちいかわグッズを全キャラ分とか使い切れるわけのないコスメなどを買いたくなることがあり、持っている物を出してきて見えるところに並べて「こんだけあるんだぞ」と自分に言い聞かせてみたりしています。こんだけあるけど、あれは無いんだな…となってしまうこともありますが。
(こんなふうな下書きを保存していましたが、結局新しいコスメを買う必要が出て来てしまいました。コロナ前に買ってマスク生活で使わなくなったアイテムを買い替えないとならない時期が来たからです。それで、今はアイラインやマスカラより眉毛用のアイテムが売り場の大きなスペースを占めているということを、自前の眉毛を整えてなんとかなってる私は知りませんでした。90年代には私も細眉でしたが、どういうわけか私の眉毛は抜いても剃っても生えて来てくれるのでラッキーでした。そしてコスメを買うのはやはりちょっと楽しかったのですが、かわいいパッケージだなと思うとほとんど韓国製なんですね。日本の可愛い系パケは乙女チックや魔法少女、サンリオとアニメコラボみたいな私がときめかない系統が多くてつまらない。いつもやっている昔は良かった話になりますが、urban decayとかstilaとかああいうのはどうして日本で定着しないんだろう。そしてデパートには買いに行かないです。私の年頃の女性たちは二言目にはデパコスデパコスと言いますが、高いし匂いがきついしデカくて使いきれないし、つきっきりで接客される割にピッタリなのを見つけてくれないから嫌い。でも必要に駆られてひととおり買ったんだからこれでしばらく買わなくてもいいはず。)
どっちにしろ私がお手本にしたい生活というのは基本的には質素だけど色味があるチープシックな暮らしです。あーほっこり手しごとじゃまくせぇし「モノ」を捨てたら見えてきたことなんかなんもねぇし。片仮名で書くのきもいし。
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