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ぐで
趣味でかなりデカい長文書いた 文��書くのかなり好きな気がすると思ったのが高校生の頃で そっから長いことやっているからそれなりに言いたいことがまとめられるようになっていて人間の成長感じるなど 読める文章も高校の頃に比べて増えた気がする
なんかやたらと小難しい本とか読むには読むんだが だいたい日本人の本しかちゃんと読めない というのも本を読んでいる最中は「こいつこの言い回し好きすぎだろ」とか「この言い回しかっこよすぎる」とかしか考えて無くて 多分中身とかちゃんと読んでいないんだろうと思っている これは何かしらの自虐とかではなく10年くらいの読書の記憶をたどってかなり論理的に考えてそうだろうと 言い回しの雰囲気ばかり覚えていて中身はとんと覚えてない なんか雰囲気を接種している 悪しき読書だとは思わない
既に文章を書く場所は3つとなり 連載してる漫画の本数より多くなっている PixivFanboxはある程度砕けた敬語で平易な日記を hatenaBlogには気合を入れた硬めの文章を このTumblrは思いつきを雪崩のように描くように noteは嫌い
悲しくなり始めのサインが訪れたとき、なんとなくエモめの空気が流れる それを文章に流し込むと、そこまで悲しくならない こういった防衛としての役目も果たしている
なんなら 絵や漫画以上にこの「文章に自分の気持ちを落とし込む」みたいな行為の方が明らかに上達してるように自分では感じる あと、何かしら感じたものの言語化…とかの能力だったり、ある程度楽しくそれを説明できるような能力など ほとんどが錯覚だろうとは思うんだけど これも仕事になればもっと上手くなったんだろうか しかし別に上達したいと思っているわけでもない 不思議なことに
知り合いが口ずさんでる歌が懐かしくて ズーキーパーの最初の方のステージのBGMだった 私のお母さんズーキーパーめっちゃうまかったよと言ったら、自分の方が確実に上手いという特に根拠のない主張をされて非常にかわいかった覚えがある
急に書きたいこと忘れた 何の話してたんだっけ
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あおいお
カレント今号のってるやつ最終回です あと2話ある(?)ので次も一応のりますが まあとりあえずかんけつ
アオキシには打ち切りの概念がないので、これは自主的に決めたおわり ずいぶん前に、それこそ1巻が出るあたりの頃に、3巻で終わらそうと決めてた それはなんというか、自分が何を描こうとしたのか分かったし、そんなに長く描ける気がしなかったし
こういう、さくしゃが何を思っていたかみたいなことを外部に記述するのはよくないという思い あるし��ちろん、同様にもういいだろもう…みたいな気持ちもある
はあ
よそに言いふらさないでね
ぬ…を今は商業でやっているけど(もう5年目に突入しているのまじ?) 別に「この漫画を商業でやりましょ!」とか言われたわけじゃない ほんと、ただ自分が新しく他の設定とか漫画とか考えれる気がしなかったから だから同人で描いてた漫画のキャラをほぼそのままに商業漫画にした 編集者に推されたりはしてないし、ていうかむしろ無理矢理ヌを描かせてもらった いい感じにそこそこ売れてる(らしい)ので続けさせてもらってるけど、ぜんぜん2巻で終わると思ってやってた で、まあどっちにしろ漫画は別にもういいかな、、、て気持ちだった
別に商業でやってみてつまらなく感じたとかそういう話しじゃない 普通に、ぬ以外を何も描くつもりがなかった 自分は別にわざわざ漫画にして描きたいことがほとんどなくて、ただのSNSで絵書いてるだけの人だし、もともと漫画はあんまり読まないし ぬ終わった後も漫画やる理由とくになかった
とか言ってたら、新しい漫画描きましょう なんて声がかかって なんかよくわかんないままに描くことになった 私は良く知らないけど、アシスタントの経験もないし漫画をまともに描いたことなんてない 漫画もろくに読まない 何も別に描くことがない ヌの中に描きたいことは全部詰め込んでいる 同人誌の頃みたいな漫画を描けばいいのか?と思ったけど 別にあれを今更どうこうするつもりはなかった
ヌを商業化して、なんで同人の頃の設定変えてるのか聞かれたりするんだけど それは単純に4コマでやっても面白くないと思ったから それに性質上、それを商業の方単体で理解できる形にするのは不可能だった 理解できなくてもいいじゃんとか適当なこと言うなよ 殺すぞ
なんか漫画家を目指してる人とか漫画家をやってる人はとにかくいろんな話を考えてていろんな話を描いてる 結局なんかそういうのはわかんなかった そういうのない
ないな~って思って なんか始まったのが、カレント すごいよね 好きにやっていい 何をやってもいい っていう雑誌に、今ちょうど何ひとつとして描きたいものがない私が参戦 周りが言った感想の中で「どういうこと?」っていうのが一番納得できた どういうこと?って感じ
自分の作為性みたいなものを取り除きたかったというのは覚えてる やりたいことなんですかって言われて必死に考えてそれしかなかった 何いってるかわかんないと思うけど、物語をやる意味が感じられなかった 無作為に出来事が乱立していく、非物語 不安定とか、無言とか、微妙な不条理とか、どうしよう���なくなったもの いくつかの物語の種がそのまま芽吹かずに終わることや 物語の連鎖反応が起こらないこと でも、これは意味がなくて キャラクターをどんどん描いていくと、意志の強いキャラクターからどんどんと物語になろうとする キャラクターを描きたいけど物語を排斥しようとするっていう行為自体が矛盾してる ああ、なんかこれ、企画の段階でおかしいんだな…って気づいたのは1巻出た時だった 遅くね? ていうか関係ない 描いている人間がどう思っていても、物語になる時はなるしならない時はならない
あとはもう、どうにでもなれと それぞれのキャラクターに抱いている自分のイメージをなんとか崩さないように物語の歩みを進める 3巻というのはテキトーに決めたけど今考えるとまあまあ丁度よかっただろうと思う どう考えても漫画は物語を描くためにあり 自分はなんというかその辺の感覚が曖昧だった 別にそうでもないような形式っていうのはいっぱいある 話が裏でつながってる短編集とか、日常系4コママンガとか、ある種の実験漫画系とか なんかそういうのをやろうという気もなかった(4コマはやってるし) そこで選んだものをつなぎ合わせたのが、カレントだったんだけど
ここ数年、ほんと前にも増してよく見るようになった 物語という言葉をこんな感じで定義曖昧のままに語る言説 とりあえず言っとけみたいな 私もそれらと同じ
カレントの感想をうっかり見てしまった時、「◯◯の漫画に似てる」みたいな感想が多くあって 以前はそういった感想を見ると嬉しくなってたんだけど カレントの時はそういう気持ちにならなかった その◯◯さんや◯◯さんの漫画を読んだことがなかったから 今までだいたい自分が好きなものを詰めて描いてたから、見た人がアレに似てる~!って言うとき そこにはもしかしたら悪意を持ってる人もいるかもだけど、自分はなんかそういう、自分の好きなものを共有できる感じが嬉しかった でもカレントの場合全部わからないから はあ、、そうなの、、?誰、、?みたいな気持ちになる
自分がそれまでまったくやらなかった考え方で作品を作ってみたら そこには自己顕示も読者への思いも、そういったあらゆるものが存在していなかった 金払ってこんなもん読まされたら自分ならブチ切れるな…とか思いながら でも描く中でキャラクターに愛着が湧くのを避けられない でもこれ描いてどうするんだよ って思い続ける 誰かに相談しても、「どういうこと?」ってなる 何いってるのか、自分でもわからず
でも漫画を描くのはどんどん楽しくなってしまって どうすればいいのかわからない なんでなんだろう? 最初からどうすればいいかなんてわからなかった それでこの話はおしまいカレントはおしまい あんまり編集の話してないから「こんな悩んでるのに編集はなにやってたんだよ、、、」みたいな感じになっているけど���集はめちゃくちゃ助けてくれたよ はあ、、、
一体なんだったんだ 「なんだったんだ…(絶望)」じゃなくて 「なんだったんだ…?(疑問)」みたいになってる なんだったんだろう なんだったか見つけないとだめだ
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ああ
どうせやるんだろうなと思ってる どうせ買ってしまうしどうせやってしまう ずっとこんなことばかりしている 好きだったIPはみんなゾンビになっている ゾンビになったものをわざわざ見に行ってしまう ゾンビだなと思う ゾンビだった ゾンビなのかもしれないと思いながら多分買うし多分やる テセウスの船のことばかり考えてしまう
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ディスガイア7クリアした
なんか勢いで買ってクリアした 自分はずっと最近の日本一ソフトウェアからは距離を置いていた
あ~~~ もうその辺から全部もうかいとこ…
中学生の時にプリニーの体験版をPSPでプレイしてからこのシリーズにのめりこんでいた 1234とプレイし、青春はディスガイアの中で過ごした
自分がディスガイア周りに「ん…?」ってなりだしたのはD2からで プレイ開始直後からバストアップイラストの異様な数の少なさや、なんか面白みのないGUI、キャラクターのアイコンイラストが新規でない、などの、細かいところがすごく気になっていた いざクリアすると、初代ディスガイアの続きのストーリーなのに影も形もなくなった地球勇者一行とか、なんかよくわからない女体化エンドや突然に現れたメインキャラの兄・妹 なんか、怪しい雰囲気がしていた
しばらくして発売した5で、「ん…?」は「んんん…………??」くらいになってた 発売前はドット絵のクオリティが4以上に上がっていたり、キャラデザがカラフルでわくわくしたし、GUIもかなり仕上がっていて今までにないディスガイアを体験できると楽しみにしていたんだけど とにかくシナリオが変で、なんだ、これ…?みたいになっていた
5のストーリーはそれまでと比べても特に王道っぽいんだけど 妙にノリが強いというか ディスガイアのキャラにしては、なんかアクのない面子が集っている感じがあって それぞれが自分たちの心に何か重たいものを抱えていて、それを一人ずつ克服して「家族」になっていく そういう、自分がディスガイアに求めていない優しさみたいなものが作品にすごい詰まっている感じがして 妙な違和感 キャラクターが出会って面子が揃うと、そのままそれぞれのキャラクターの過去克服成長パートが始まる 一章につき一人一人が順番に過去を克服して成長していく ここらへんで「なんか、順番にやってんな…」みたいな感じになってかなり変な感じがするんだけど キャラが自分たちで「今度は◯◯さんが過去を克服するんだね!」みたいな感じで自分たちでそのシナリオを茶化し始める え、え…?みたいになったのを今でも覚えてる
やっていることはこれまでのシリーズも同じようなもので キャラクターが一人ずつ増えていき、パーティメンバーが揃い、そしてそれぞれの過去を克服して、黒幕を倒す 同じはずなのになんか、なんかメチャクチャ雰囲気違うな…と思った
ノリが寒いとか言いたいのではない ディスガイアはそもそもノリが寒い 俺はそのノリの寒さがメチャクチャ好きだったんだけど 寒さの種類が変わっちゃった感じがあって 急にいきなり受け入れられなくなった
で、ディスガイアRPGっていうソシャゲが出るわけですが ここで、なんか決���的にノリの合わなさを感じて、日本一ソフトウェアと距離を置いた ここらへんで気づいたんだけど多分おれはなってしまっている、反転アンチに 自分が見ていた頃のディスガイアのスタッフではない人が作っているディスガイアを受け入れられなくなって発狂してしまった
6が発表されて、キャラグラフィックが3Dになった時は仰天した ここまでドット絵のクオリティを上げてきたのにここで3D サモンナイトが死んだ道を歩き始めたと思った 3D化があまりにショックで6はシリーズで初めて買わなかった いずれやろうとは思っているんだけど、値段に尻込みしてしまう シリーズにのめり込んでる時は値段とか全然見てなかったのに
それで、6から間もなくしてすぐ7が発表されて…
7を買ったのにはいくつか理由があった ・ピリリカがかわいい ・ピリリカの声がかわいい ・鬼滅ブームにスーパースピードで乗っかるのおもろい ・7なので7人の侍ってこと?おもろ! ・公式サイトに書かれてるあらすじがいい感じに怪文書っぽくてディスガイアらしさを感じた
そしてなにより、「ガレリア」のこともある D2に疑問を感じ、5にショックを受けている間、自分はずっと魔女シリーズの方にのめり込んでいた 初めてプレイしたのが「プリニー」だったのもあって、泉氏がディレクションするディスガイア感がすごく肌に合った 魔女と百騎兵に衝撃を受けて、「ルフラン」の完成度の高さに惚れ込んで、「ガレリア」もプレイしたんだけど 「ガレリア」には、正直なところ複雑な気持ちがある ストーリーもぼろぼろ泣いたんだけど、それ以上に未完成なゲーム部分がすごく目についてしまって(公式設定資料集の1ページ目がディレクターの謝罪文から始まるゲームってどうなの?の気持ち) それに、なんかシナリオ部分も妙な尖り方をしていて… ディスガイアシリーズとはまた違った意味で、こちらにもなんというかすごく複雑な思いを抱くことになってしまった 好きなんですけどね
そういうのもあって長らく目を背けていたディスガイアシリーズにもまた触れてみようかなという気持ちになっていた
それで、7をクリアしたんだけど もうディスガイアは完全に自分の知らないものになってしまった
まず、3D空間上のイベントシーンが一つもない 全てがバストアップイラストの掛け合いで行われる その場で起きている出来事を絵で説明できないから、キャラクターが出来事をすべてセリフで喋る 「ものすごい勢いで◯◯さんが建物を破壊しながらこっちに近づいてきます!!」みたいな チュートリアルもキャラ同士のかけあいの中ひとつひとつ教えるのではなく、ゲーム開始直後にいきなり17ページある文章を読まされる こういうの細かい部分だとは思うし作り手側の様々な気持ちを組み切ることはできないんだけど 私にはこれらがとにかく印象として悪かった
ストーリー部分も、自分はほとんどついていけなかった ノリは相変わらずだと思う キャラクターが仲間になる過程、それぞれの抱えてた問題が発覚する過程、いろんな部分に極端な描写不足を感じる 成り行きで集まったメンバーのはずなのに、なんかいきなりみんなメチャクチャ仲良く打ち解けているというか あまり具体例を上げたりするとちょっと悪口っぽくなって嫌なんだけど
例えばこういうところで、「いや、お前が言う…?」みたいな気持ちになったり(他のキャラからフォローがない) シーフォーとスイセンは特にヤバかった印象 次回予告はこれまでのパロディに加えてネットネタも多く、にぎやかだったとは思うけど これもほぼついていけなかった
ディスガイアは、4以降明確に「絆」を描くことに徹底している印象がある 私は4の、主人公の思い描く絆のイメージ像が一般的なものと少しズレているような、それでいて、他のキャラクターたちもちょっと困惑しているような、ああいった部分に味わいを感じていた 5,7で描かれている絆に、正直私は平坦な印象を受けた キャラクターの相関の矢印がどれも同じ大きさの友愛であり、感情に大小がなく、一致団結している
4は良くも悪くもシリーズの方向性を決定付けたような印象があり、そこに自分と制作スタッフの解釈の違いが生まれてしまっているのだろうと思う
総評として、このシリーズと自分には大きな距離があることを再確認してしまったことになるんだけど 7はユーザーにとにかく好評で、6で失った信用を見事に取り戻した印象がある 自分はここまでダラダラと文句を言ったわけだけど、自分以外はとくにこういう問題を感じていない メインのユーザーが満足しているならシリーズの作品として何一つ文句はない
自分は魔女シリーズ��大好きだけども 毎回のように延期して、挙げ句ガレリアに至っては未完成品を提供して画集で謝罪しているDを見て、かなり複雑な気持ちになった 対してディスガイアは、6でユーザーから出た不満を全て解決した上に、かなり短い開発期間の中で削れるところは削り、力を入れるところはとことん力を入れて、延期もせず予定通り発売して5万本を売り上げている。6があれほど酷評されたというのに… 失った信用を迅速に取り戻し、これからのシリーズに繋げながら一作としてもとても良い作品になっている そういう意味で、自分の離れてしまったシリーズが今もちゃんと生きていることを確認できたような感覚があって、そこはすごい嬉しかった 今作を担当したDや、現在のディスガイアスタッフにたいする巨大な尊敬があります それに7は、テキストの節々に「ディスガイア節」のようなものを感じることがたくさんあって、それもなんか嬉しかった 全体のノリにはずっと馴れなかったものの、「これこれ!」みたいになるシーンはとても多かったように思う
インフィニットの「俺様が暗殺されたぞ~!」といい、ディスガイアにはこういうテキストをよく見かけるイメージがある
ピリリカは喋るたびに面白い
この辺は、「おお、俺はディスガイアのテキストを読んでいる・・・!」みたいな大きな感動がありましたね 「悪魔将棋」に関してはいかにもディスガイアの世界に存在するバカすぎるゲームって感じで、ノリに懐かしさを感じます
それに、いろんな部分で過去作から削られたものを感じながらも、新しい「魔界観光」システムなんかは作品に対するスタッフの愛を感じてなんか嬉しくなった このパスタ屋さん、こうやって後から話しかけることができるだけで、ぽっと出のキャラとしても印象がガラッと変わる 過去作ネタの入れ方とかも、しれっとバレないように仕込んでる感じがあって、スタッフはシリーズが好きなことがすごく伝わってくる
今作は「ピリリカ」と「フジ」、どちらも主人公だと捉えられるようなストーリーになってたけど、そこにも納得があった ピリリカ、(物語の役割としての)ポジションはフロンなんだけど、同時にこの��ャラクターはヴァルバトーゼ的でもある(執事がいるし、超・性善説の描写を見るに明らかに意識されていると思う) 2つをうまく混ぜたような造形で(まあそれより遥かにマチカネフクキタルなんだけど) 彼女が物語の中で主人公がいるべき場所に居続けるのには大きな納得があった フジはラハールのように自分の父親を乗り越えるのだけど、過去に抱えた問題にはキリアを彷彿とさせる部分もある ピリリカが死んだフジを蘇らせるシーンには、初代ディスガイアに対する大きなアンサーのようなものを感じた 死ぬ方と生き返らせる方が、ディスガイア1と反対になってる ネタ部分で今作はジェンダーレス的な部分に触れまくっていた感じもあって、ここらへんかなり楽しめた って、ストーリーの骨組みだけを見ると、自分は結構この作品が好きで ただノリだけがずっとわからなくてついていけなかった 彼らの間にある絆やそれぞれの思いみたいなものが、描かれていることだけはわかるけど、描かれているということ以外はわからなかったというか まあどう考えてもユーザーとしての自分が間違えてる
ようはシリーズに対しての愛情の方向性が、1ユーザーとしての自分と、制作者の間で少しだけズレていただけなんだろう
魔女シリーズの方も、ディスガイアに対する愛情を節々に感じるのですが こちらはこちらで愛情が歪な形すぎてちょっと困惑するところがあります 魔女シリーズって新作出るのかな…
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カレントの2巻が発売した
1巻よりは比較的よくなっていると思いたい ただ、何を描こうとしているのか、と、それがどれくらい達成できているかが1巻に比べて非常に分かりづらくなってしまった 言ってしまえば8割くらいは諦めている やりたかったこと1割でも達成できたならそれで
これを描くのにいろんな漫画を参照させてもらった 参照させてもらうのはほとんど描く上で当然のことなんだけど 自分は漫画をほとんど読まないから、これまではずっとアニメとかゲームばかり参照していた 今回は困るたびに様々な漫画を開いたけど、当然、漫画は漫画の参考になる かなり分かりやすい参照ポイントもあるので、おや、と思ったら手元にある漫画をいくつか開いてみると もしかしたら
この漫画は、自分がうすらぼんやりと思い描いている生��の根やオブジェクトの素朴さや現在の物語に対する一旦の結論みたいなものを、自分の中で解像度を上げるために描いている部分が多くあって 読まされる側はたまったもんじゃないだろうなということを最近とても意識するようになった 実際たまったもんじゃない 雰囲気アニメとクソアニメの間を反復横とびしている あまりに自分のための作品であり、その辺は1巻が出る少し前くらいにかなり「やってしまった・・・」みたいな気持ちになったけど ここまで来たならとりあえずはそれを通すしかない というような2巻になった 人から742円取るという事実に震えている セールになったPortalを7つ買えてしまう 最後まで読めるものになっているだろうか
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AC6マジで良かった
ネタバレするけど
個人的に、トレイラーがイマイチピンとこなかったからどうなんだろうって気持ちだった 自分はBloodborneの日本語版の台詞とかちょっと恥ずかしいな~って思うから アート感に対して激情的すぎる台詞回しがなんかね という気持ち
ディレクターが山村勝さん、ということで購入するか~の気持ちにすぐ変わった 山村さんはSEKIROの際に大きく携わった人 くらいの認識なんだけど、SEKIROの完成度から山村さんには謎の期待の高さがあった なので、ストーリーやアートはともかくゲームとしては確実に面白いはず という思いで発売直後に買って一気にクリア
なるほど山村フロムゲーはこういう味付きになるのか
SEKIROのインタビューで、SEKIRO本編のテキストには宮崎さんが一切手をつけてない というような話があった なので山村さん(とか山村さんの周囲の人)がSEKIROのストーリーの端々に関わっているんじゃないかなと思っている
この辺は若干妄想になるんだけど 上の話も合わせて、BloodborneとSEKIROの構成感がかなり似ているので、両作に宮崎/山村の作家性というか個性の差のようなものをなんとなく感じてたりした
Bloodborneはとにかく主人公に表情がなく、世界がナチュラルに狂っている。想像の斜め上どころではないビジュアルが次々に登場して、意味不明なボス戦を強いられる。ゲーム性を用いてアートを振り回している感じがあるけど、根幹のゲームシステムやキャラクターの細かいモーションがとても丁寧に作られているからこそ世界観と同時にゲームを受け入れることができる。
SEKIROは反対に、主人公に存在感と意思があり、そして多くの登場人物が主人公を見守っている。狼は為すべきことを見つけ、多くの強敵と戦う。革新性がありつつも奇麗に完成されたゲームシステムとシナリオが貫通していて美しい
Bloodborneは人知を越えた何かや悍ましいものをベースに、それによって振り回された多くの人間や組織の複雑に絡み合った関係性をテキストの裏に隠している SEKIROに出てくる「悍ましい何か」にはどういうものなのかの作中での明確な提示があるし、それによって振り回された多くの人間がいても、その中で作中で示す人物の数を絞っていて、かつ役割に応じてキャラクターが立っている
Bloodborneの最後に現れる老いた赤子(生まれたばかりなのにジジイなゴースの遺志)はマジでヤバい見た目をしていてマジで怖いし意味がわからない武器を持っているけど、SEKIROの最後に現れる老いた赤子(黄泉返ったばかりの葦名一心)はめちゃくちゃかっこいい顔でめちゃくちゃかっこいい台詞を喋る
なんとなくこれらはAC4とAC6の雰囲気感の違いとも似ているように思えた 山村さんのゲームの方がとにかく分かりやすく、そしてプレイヤーにかなり近い位置でストーリーを語る 複数の企業の絡み合った関係というものをもっと分かりやすくするため、代表格の人物のキャラクター性を際立たせる(ミシガン隊長とか、ラスティとか)
結果的にAC6はめちゃくちゃすんなり受け入れられたというか 宮崎さんのゲームのシナリオは、例えるならノベルゲーって感じがあって、根幹にはADVとかに通ずるオタク臭さのようなものがある(表現方法はとにかく独特だけど) ただ山村さんのゲームシナリオは、これまた雑に例えるけど「覇権アニメ」っぽさがあるというか、両者ともにフロムソフトウェア流の同じストーリーテリングをしているはずなのに、纏う雰囲気がガラッと変わるような感覚がある
もちろんどのゲームも宮崎さんや山村さんが単体で作っているわけではないけど、なんとなく神社長の時���に作り上げた語りの手法を二者がまったく別方向で受け継いでいるようなイメージを抱く
宮崎ゲーには曖昧があり、山村ゲーには明解がある どっちもすき~!
AC6、そういう意味では宮崎さんのゲームでテキスト裏に隠してきたロマンをキャラクターがそのまんま口に出すので、かな~りびっくりしてしまう なにより、そこに居心地の悪さを感じないことにびっくりしてしまう 借り物の翼、とか、あまりにもラノベみたいな台詞回しなのにアート感にピッタリ合っていてめちゃくちゃにキマっている 主人公に対して周りが何かしらの大きな思いを抱いていて、そのなかで主人公が何か「為すべきこと」を見つける という構成にはSEKIROを大きく感じた イグアスの立ち位置は源一郎にも似たものを感じたり…
AC6は本当に面白くキャラクターの立ち方も奇麗で、こんなに面白いとは思ってなかったのでテンションがすごいことになった あ~このゲーム、ほんと、おもしれ~ってなった最後にもろPPの台詞が出てきて笑っちゃった
アクションに関しても山村さんっぽいというかSEKIROっぽいというか、理解してから急激に面白くなるハードルの高いシステムを用意してくるあたりにその辺の血を感じた スタッガーシステム自体は体幹ゲージとは全然違うんだけど、それらの要素を自分の中でうまく飲み込めた瞬間にゲームが変わる感じ
もうあと実績がオールSしか残ってないんだけど、本当に終わってほしくないというかもっと無限に遊びたいと思えるゲーム 直近だとQuadrilateral Cowboy以降初めての感覚で、凄まじく好きなゲームだった
ELDENRINGがピンとこなかった(とかいいつつ100時間ちょい遊んでる)から、単純に新しいフロムゲーに対する期待値自体が下がっていたというのもある エルデよりこっちのDLCつくってほし~よ
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母が急にスイッチを買ってそろそろ1年経つ なんかスプラトゥーン3が発売した時、急にスプラトゥーンがやりたくなったらしく、スイッチを購入して諸々の機材を揃え、ゲーム環境を整え始めた 今は実家に母用のゲームするためのスペースがある
もともとスプラトゥーンのアート好きそうだなとは思っていたので、3でいきなりスプラやりたい!とか言い出したときはなんか謎の納得があった といっても母親はJRPGで育っている人間で、FPSやTPS、アクションゲームに関してはめっきりダメ 200時間��けてクリアしたゲームの根本のアクションシステムを把握しきれていないこともザラだったりする スプラトゥーンはガワは子供向けゲームだけど内容はいわゆるオンラインシューティングなので、いやムリそ~ と思っていた
この間、なんの気なしに母親のスイッチを覗き見したら、スプラトゥーンのプレイ時間が1060時間になっていた
え何
私などそもそもゲームを四桁時間プレイしたことがない 四桁時間って相当だ よく考えたらもう長いこと母がスプラトゥーンをしていないところを見てない ずっとずっとスプラトゥーンをしている しかもほとんどサーモンランしかしてない 端的に言って狂っている ゲームはスプラトゥーン以外購入してない 1060時間プレイしたスプラトゥーンだけがあるスイッチ デフォルトのライトテーマの真っ白な背景にスプラトゥーン3のサムネイルだけがあり、なぜか死ぬほどゾッとした
よく考えたら 母はゲームを一度プレイし始めるといつもこういうことになっていた 実績をフルコンプリートするまで私生活の9割がそのゲームに吸い取られる 自分が小学生の時などは家に帰ると母がずーっとキングダムハーツでセフィロスと戦い続けていた 同じコンテンツを長期間楽しむことに全くストレスがない人間というか 侍戦隊シンケンジャーを毎日一周している時などもあった 今になって冷静に振り返るとなんか異常な感じがする
そういう人間がオンラインゲームに触れるとどういうことになるのか それが現状の1060時間になっているのだと思う スプラトゥーンに全クリは存在しないので、自分が全クリだと思うまでやめることがない そして母が、自分自身で全クリを決定したことはない ゲームが全クリの判定を下すまでゲームをやめたことがない人間による、オンラインシューティングへの傾倒 1060時間 母が育児中にMMOとかに沼らなくてよかったと心底思う
いちおう二人でIndie WorldやNintendo Directとかは見ている あ、これ面白そう~!とか言いながら見ている 一緒にやりたいねこれ~みたいな でも結局この人はゲームを買わない スプラトゥーンを全クリしていないから次のゲームを買おうという発想にならない なんならゲームをクリアせずに次のゲームを購入するみたいな人間の感覚があんまり分かっていないらしく、 職場の人間とフレンドになった時、「スプラをやる日もあればどうぶつの森をやる日もあるし今はポケモンをやっている同僚」を全く理解できてなかった 「なんでスプラやろうってフレンド申請してきたのにお前のアイコンはニャオハなんだ? おかしい」とか同僚に文句つけているのを聞いたことがある 別にいいだろSwitchのアイコンがニャオハでも 母のSwitchのアイコンはちゃんとイカちゃんだった スマホにもイカちゃんのシールを貼っている
サーモンランしかやってないのもなんかコワイ なんか気が向いた時はたまにナワバリバトルとかもしているんだけど、自分がたまに母を見かけて声をかけるときはだいたいサーモンランのあの「ドンドコドンドンドンドコドン」みたいなBGMが聞こえるし 画面もオレンジだし いやサーモンランはすごい面白いというのは分かるんだけど PvEをオンラインの見知らぬ他人と1000時間続けるというのは、自分にとって全く見知らぬ世界観すぎてよくわからない
プレイ中は常にサーモンランの配信者の過去配信とかを垂れ流しにしている サーモンランをやりながらサーモンランを見ている ええ?
なんならそれがほぼ一人で完結しているというのもなんだか変な感じがする 例えば自分の友人にもそうやってゲームにのめり込む人は結構いるけど 自分のゲームのプレイ時間とかを友人間のネタにしたり、ゲーム画面を通話越しに見せたり、あとはゲームの近況をブログに書き溜めたりしている そのゲームのファンアートを書くとか、Youtubeで配信してみるとか そういう二次的な楽しみを踏まえた上でのゲーム四桁時間プレイは正直まだ理解できる それはもはや ゲーム-自分 のみの1000時間ではなくて、 ゲーム-自分-他者 による1000時間だから そうなると自分自身の他人との関わりが少なければ少ないほどゲームのプレイ時間は伸びていくものだし そうやってゲームで友達を増やしたりもできるだろう Twitterとかやってればね
母は SNSを発信目的では一切やっていないし、スプラトゥーンをやる時は基本的に一人だし 職場では普通に人間関係を築いている たまに職場の友達と焼肉とか行くし、スプラトゥーンが間に挟まるような人間関係が一つもない この人は基本的にゲームと自分の間に何も挟まない 自分はそういうゲームとの関わり方はあんまりしたことがないし というかそういう人間を現代で見ることはなかなかない 周りの友人ですら、続けているゲームは友人間でのコミュニケーションとしての側面を持っている 自分の見える範囲で、母にそれはない オンラインのプレイヤーからちょくちょく来るフレンド申請も全て無視しているし、スプラトゥーン3をプレイする人間としてSNSでもやれば?と勧めたりもしたけど、結局スプラトゥーン3の公式アカウントだけフォローしてROM専になっている 会社の同僚とフレンドになったりもしたけど、前述の理由で結局一緒にプレイしていない(普通の人間はスプラトゥーン以外のゲームもするので)
母がゲーム中にスプラトゥーンのWikiを随時確認できるようにノートパソコンでも買ってやりたいと思っている なんというか、なにかに打ち込んでいる人間をサポートしてあげたくなる人の気持ちが今はかなり分かる 1000時間もやっているから、本当にめちゃくちゃ下手くそだった母も今はバクダンやモグラの処理がかなりスムーズになっている 正直、ずっとスピーカーでスプラト��ーン3をやっている母を見るともどかしい気持ちでいっぱいになる かなり高級なヘッドフォンでプレイしてほしい 今のモグラはヘッドフォンなら気づくことができたのに!と、横目で見ている私は常にそういうもどかしさの中で母を見ている
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ネームにつまったので何か書き散らす
BombRushCyberfunkの発売を控え、またもJetSetRadioFutureを再プレイしながら、特にいまはスペースチャンネル5について考えている
スペースチャンネル5、もちろん子供の頃はけっこうハマっていた まだ園児だった頃に初めて触ったゲーム機はDreamcastで、当時は他にも色々と遊んでいた クルクルトゥーンとかセガラリーとかも好きだった ただスペースチャンネル5だけが放つ異様な気配みたいなものがある
もちろん他のソフトも個性に満ちあふれていて、SEGAは10年早かった…などと言われたりするのだけど、10年どころか20年経ったいま、実際にSEGAは時代を先取りしていたかと言われると結構怪しいと思う まあみんな言わないだけだとは思うけど、正直べつにDreamcastのゲームは最先端だったわけじゃない 奇抜だっただけ ゲームとして優れていないものも沢山ある
ただ、スペースチャンネル5だけはその中でも特に抜きん出た異常さを感じる
あのゲームの中には、踊りだけが存在する まずゲームメカニクスありき、というゲームの世界の作られ方は、昔からのアーケードの流れだとは思うけど、それにしたって世界設計が異常極まりない
https://www.youtube.com/watch?v=reNNpZhY41c&t=3266s&pp=ygUc44K544Oa44O844K544OB44Oj44Oz44ON44OrNQ%3D%3D
「宇宙人の侵略によって、人々が踊らされています!」と、リポーターでありプレイヤーであるうららが叫ぶ 彼女はスペースチャンネル5という番組の視聴率を上げるため、踊らされている人々を踊りで助ける
敵であるモロ星人は人間を強制的に踊らせているが、プレイヤーはその踊りを完璧に踊り返すことによって彼らを救う 救われた人がどうなるかというと… うららの後ろに出現し、うららの後ろで踊りだす
つまり、この世界で踊っていない人はいない
これはもうシュールとかそういうものではなくて、なんというか価値が一つしかない 踊るか踊らないか、ではない 「踊らない」が選択肢に存在せず、彼ら彼女らは例外なく踊っている!人間であるかどうかすら関係なく 「踊らされている」か、「踊っている」かの違いだけがある…
そしてこの、異常なんだけど完璧な世界設計とゲームメカニクスは、ゲームのプレイ開始からクリアまで一貫して存在しつづける プレイヤーが救った人間が、プレイヤーの後ろに出現し、ともに行進し踊る という、最初のシーケンスを通過した時点で、実は最後にどうなるのかプレイヤーには予想可能なんです。つまるところそれは、「全員で踊ってラスボスを倒す」という、唯一のエンディングへの光の道筋
この神々しい道筋をうららがメチャクチャかっこいい歩き方で行進しつづける このゲームは、ハッキリいって完全に完成している 足したり引いたりするべきものがなにもない 他のSEGAの作品と比べてもあきらかに一線超えている
一部のゲームは、プレイすると「景色」を理解させられる と思ってる 景色 というのはつまり、文字通りの景色…グラフィックであったり、美しいデザインであったり、つまりは直感的に感じるゲームの表面のあらゆる部分のことで 「理解できない景色」を「理解させてくる」ゲーム、というのがある
このゲームはまず、見たことがない異常な景色を提供してくる 宇宙人によって踊らされる人々と、それを救うスラリと手足の伸びたうららという謎の少女 ゲームは、物語や言葉ではなく「遊び」を通してプレイヤーと対話することができるので、この異常な景色を理解せずともプレイヤーはこのゲームをプレイすることができる 宇宙人が「アップ」と言えば、↑ボタンを押せばいいだけ それだけで楽しくなれてしまうから そしてプレイヤーは「アップ」だけでなく、「チュー」ができるようになり、「アップダウンアップダウンチューチューチュー」ができるようになり、「アップアップアップライトライトライトダウンダウンダウンチューチューチュー」ができるようになる そうしてプレイヤーは、ゲームメカニクスを通してゲームに洗脳されていく 何をされたら何をやればいいのか、という、そのゲームをやる時以外には絶対に使わない脳の回路を生成していく こうしてプレイヤーとゲームは高揚感の中で一体化する するとわかってくる どうしてみんな踊っているのか どうして私は踊っているのか その理由
このゲームは通常のゲームと同様、プレイする時間が長くなればなるほど難易度も上昇していくようになっているけど、ラスボス戦になると、いきなり1面と同じくらい簡単な踊りをやらされる仕組みになっている
つまりプレイヤーは、自分がまだ何一つ理解していなかった時のゲームのシーケンスを再プレイさせられることになる そうして気付く 自分が全てを理解していることに アップダウンアップダウンチューチューチューとはなんだったのか、というのをプレイヤーは理解する というか、「理解していることを理解させられる」
そうして銀河中の人々と踊りながら銀河の果てまで大行進するんだけど…
ゲームメカニクスという、言語や物語に依存しない感覚の楽しさに訴えかけるカタチのあるもの(再現性のあるもの)で何かを伝え理解させることができるという点において自分はゲームに(他のメディアには存在しえない)真実性みたいなものを信仰してしまっている
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本の自炊機材を買った 10万円くらいした 完全に電子書籍大好き人間なので、普通に本は電子で買うんだけど これぞという本が電子化されていないことが結構ある 基本的に部屋の電気をつけて作業できないので 暗い部屋で物としての本は読めない 資料は電子に限るのに、肝心の資料が電子化されていないということが結構ある 自炊、たけーしだりーし、でも買わないとなあ とか思ってたけどついに買った 「本 自炊 感想」とか「本 自炊 後悔」とかで色々調べまくる日々が続いていたんだけど、資料を資料として保存するために電子化している人のレビューが全然なくて、断捨離目的の人しか出てこないから参っていた まあでも買うしかないよな…と思って買った 前に専用機材を使わないで自炊したことがあるんだけど、まじで死ぬほど疲れたから 今回はまじで高いやつを買った
とりあえず手元の資料をバラす 紙の本はすげえいいものなので、なんかバラすのは勿体ない気もしてくるけど 読んでないし参考にしてない本ってなんなんだよ みたいな気持ちになって 全部めちゃくちゃに破壊した スキャナーの画質を最高にしたらかなり綺麗に出力されて満足 誰かに見せたいけど見せたら法的に危なそう とりあえず持ってる絵コンテ集とか同人誌、電子化されることがなさそうな漫画とかを片っ端から電子化していった
なんか電子データとして持っている方が安心する 世代的なやつなのかな よく物を失くすので、紙の本を信用できない これ信用してないのは自分か
絵コンテ集だけは電子化した方がいいと思う 絵コンテ集とかいう意味不明な本 画面を見ながら絵コンテを見たりして楽しむのが絵コンテ集だと思っているんだけど 基本的に絵コンテ集ってくそ分厚いし開きにくい 意味ねーだろ…みたいな気持ちになる これが一番電子化してスッキリした
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しんかめん
見ました!シン仮面ライダ
最近はペン入れの佳境だったので映画をBGV的にあほほど見てました 全部アニメだけど で、シン仮面公開してる~!と思った日がちょうどペン入れ終わった次の日だったので見ちゃおと いちおうこれまでシン・ナンチャラのやつ全部見てるしね 全部元ネタしらんまま見たけどウルトラマン以外は全部まあ面白かった印象 ゴジラはSPの方が面白いけど、、
仮面ライダの話に戻るけど メッチャくちゃ良かった 仮面ライダーは知らないし監督のこともそんなに知らないけど、仮面ライダーがコート着てんのが変!ってのはわかって、それがかっこいい バイクやば~!ってなった ライダーキックもすごい 仮面ライダーって平成のを何作か(ファイズとオーズとダブル)見たことあるけど、デザインとか技とかをかっこいいと思ったことはなかった(話が面白いから見た)ので、人生で初めて仮面ライダーのことかっこいいって思ったかも 敵もなんかファッション×怪人 みたいなキモかっこよさがあってよかった こう、FFじゃなくてダクソみたいな でもストーリーはまじで超めちゃくちゃ面白くなくて、やばい やばすぎ
ひたすらカットがかっこよくて音とかBGMもよくてテンポもめっちゃいいみたいな バトルが始まったらもうグシャ!ドシャ!キック!死!みたいな 改造!悲しい!敵出た!殺!敵!殺!味方死亡!涙!敵!涙!死!完!!
言い訳してないフリクリみたいな クソ映画だ 見ろ! みたいな? なんかカットがウテナみたいじゃなかった?気のせいかも 暗いトンネルで集団戦闘してるとことかカッコイイ
クソ映画だったけど笑いながら楽しむタイプじゃないから真面目に見た みたいな奇妙な体験 キャラの心情とかまじずっとわからんけど、それを見る映画じゃないのかな~っていうのは冒頭で結構もうわかったから上澄みだけツツーって眺めた感じ キャラが泣き始めると「なんで泣いてんの?」って全部思うけど、別にそれで萎えたりせずちゃんと見続けられるみたいな良さがあった 雰囲気アニメみたいな感じ!わかる?
でも俺は楽しかったけどシン・ナンチャラって結構でかいプロジェクトだからこれ大丈夫なんか…?って気はした これ仮面ライダわかる人にとってはちゃんと面白い映画なんですかね? ラスボス戦とかまじでヒマ…って感じだったし… 遺言のとここれみんな寝るやろ…って感じだったし… これで原作の仮面ライダーも見てみようとか思わんし…
でも見終わったあとめっちゃ面白かった~!って思いました!なので自分の中では最高!!!
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わかんね 全てわかんない
思ってることって100くらいあって、100のうち50と50は矛盾してる互いに それってよくねえかなとか思ってたけど、よく考えたら別に誰とでも仲良くなる必要とかなくて 文体が記事ごとに違うとかまじでどうでもよくて 明日全部のペン設定捨ててまた1から作り直してもいい
文章書くの控えてたし Twitterで意味わかんねーこと言うのもやめてたし ぬるめたを読んでくれた人にノイズかなと思っていろんなオリキャラ押し留めてたけど もういいの
わかんない なんか色んなことナメすぎ なんかわかんないんだけど、私は松本監督が大好きで 松本監督の関わった映像なら全部見たいと思ってる でもそもそもなんか色んなモチベが終わってるから ネットに転がってない松本の映像はちゃんと見たことなくて 血界のOVAとマリガリのパイロット版を買って、DVDプレイヤーを買って、
とかさ、そもそも そもそもなんか見るの怖くて全体的に全てが
大量の我慢のボタンを外している 背中についた骨の羽 葦名弦一郎に顔向けできない��ら 選んだ色で塗った世界 しんどそうなやつだなって思うでしょ 全然そんなことはないよ 今日もうんちした
記事を書いていて、最初に書きたいと思った内容がある でもなんかそれがテンポとして乱れていれば変える たとえ全く違うことが伝わる文章になろうとリズムを優先してる だから嘘ばっかし でもここにしか本当のこと書いてないよ 日記だと思ったでしょ これぜんぶ歌詞なんだ 私も知らなかった 歌ないけど
物語という言葉はもともと ももがたりという桃の甘さについて語る文化を指す言葉から派生したもので 松本監督はさ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 ほんと… ほんとまじで…… あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 宇河弘樹ーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
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ELNERUEてゲームやったんだけど
https://automaton-media.com/articles/newsjp/20221221-231444/
「ただ廃墟をうろつくだけのゲーム」って言われたら なんか廃墟ウォーキングシミュレーターとかそういうのに対する謎のアレルギーみたいなのあってやる予定なかったけどドット絵の感じが思ってた感じじゃなかったからかわいいと思って買った 廃墟系に対するアレルギーわかる? 廃墟を白黒写真で撮って映え~みたいなのFUCK YOUみたいな 別にそこまで露骨じゃなくてもなんか陰鬱系の作品ってフーンてなりがちだし ていうかウォーキングシミュレーターが本当にウォーキングシミュレーターだったことってゆめにっき以降ほんとうに何回あった???って感じだし なんか既にキレそうになってるんだけど キレません
ELNERUEあんまりにもドットがかわいかったからなにこれ~!って買ったんだけど ウォーキングシミュレーターよりウォーキングシミュレーターしていたからまじでびっくりしたというか、、 「廃墟」「ウォーキングシミュ」「女の子」「孤島」みたいなワードから想像される「こういうものでてくるんだろうなあ~~~(期待or辟易)」みたいなものが全く出てこず まじであらすじのままのゲームがお出しされて… ていうかこれは��義にはゲームですらない感じがあり
まじでプレイ時間20分くらいで終わるんだけど ゲームの体を成していないので、申し訳程度の収集要素みたいなものがあるだけで基本的にはひたすら移動だけしかすることがない 廃墟になんか変な生き物がいっぱいいて話しかけることができるんだけど 「空き瓶を持っている…」みたいなことをキャラが喋るだけでまじで何も発生しない なんかこちらがインタラクトしたことに対して何一つ帰ってくるものがない
なんなら主人公の女の子の設定もメチャクチャで 裏話とかほぼ語られない ゲームをプレイしてると「タカナリア王」とかいう
あーもうなんか書くのつかれた
前じぶんようにかいたメモはっとく
https://gyazo.com/b6e13a2f4389c19dcb49c4656a5e2a7c
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モ
https://www.youtube.com/watch?v=_ZJ8MrEXIio
odayakaが担当したミュージックビデオが公開されたぞい odayakaと一緒にプレミア公開でみたぞい!
自分はこちらのイラストで参加させていただきました あと1枚兎田さんをかいてます 探してみてね!
制作の様子を結構横でずっと見てたので反響を見てやたら自分でも嬉しくなってしまいます ほぼほぼ関わってない立場なのに人生でいまが一番エゴサしてる このお仕事自体、受けたばかりの時期に本人から話を聞いていて、どうなるんだろうな~という不安のようなものが少しありました
(本記事内では音MADとytpmvを特に分けずに記述します)
というのもまあ完成したもの���見れば一発で分かるけどこれはまあめちゃくちゃそういう流れの中にある作品なので、、 結構複雑な経緯があって発生した案件というのもあって、最初にodayakaが「音MAD作者を呼ぶぞ」とか言い出した時はメチャクチャ不安でした それで出来上がるもののイメージが特に浮かばなかったし、ホロライブの視聴者がそれで喜ぶかもちょっとよくわかんなかったので さらに言えばこれは彼の初ディレクション映像作品となるので、無難なものにもなってほしくないけど滑り倒したりしたら怖いなとも 全然関係ない立場でそこまで思う?って感じなんですけど odayakaは存在自体が自分と濃い繋がりがある上に趣味も近いので変にいろいろ考えてしまいましたね
色々あって「聖なるバリアミラーフォースを呼ぶことに決まった」と言い出した時には不安が半分くらい消える感覚がありました 「インドア系ならマキシマイザー」とかもそうですが、なるバリさんの映像は音MAD文脈と無縁の人にも伝わる映像感だと思います なるバリさん経由で集まった作者メンバーが kyoro , 葉月味 . 瀬畑黒 こうなるともう曲を聞くだけでだいぶ映像が浮かびますね 私は個人的にかなりkyoroさんのファンだったのですごく嬉しかったです
実際の制作はずーっと近くで覗き見していました(というのも、自分が当時別件の仕事でodayakaに個人的に相談したいことが多々あったため) 音MAD作者を表舞台のアーティストのMVに起用する となると、不安なパターンがいくつか存在します
・音MADらしさが消え、結局ただのMVになる
・アーティストを活かせず身内ネタ寄りになる
これは担当MAD作者が決定した後も正直不安でした odayakaの中でどれくらい完成像が見えてるか次第でどうとでも転ぶ感じがあり、実際の編集者は全員音MAD作者です 音MAD作者がふざけまくったり、案件に日和りすぎたら完全に終わる 今思い返せばこの段階で不安がってたのは傍から見てた自分だけだった気もしますが
実際、映像が出来上がる過程はまじで凄まじいものがありました スプレッドシートを用意して素材製作者の進捗を細かく管理しながら、 ものすごい細かい映像チェックを毎日しつづけては、素材と映像の整合性をあわせるために新規発注やら新規素材作成をこなしつづけるodayaka 各パートのreferenceをそれぞれ確認しながら、参考にする部分としない部分をパート作者と練り合わせてちまちました作業を延々やってました なんならパートの作者が苦手とする演出を実現するために突然新しいメンバーをアドバイザーとして加えたりしてました 行動力こわれてるまじで なるバリさんが兎田ぺこらさんを高速回転させながら画面外に吹き飛ばした時は本当にビックリしました 色々とネタ要素には○をだしたり(そんなに出してないけど)☓を出したりしていたodayakaが、あれをしっかり許可して押し通したところには鋼の意思を感じましたね
問題の箇所
なんかodayakaの熱気というかパワーに全員当てられていた雰囲気があります それは音MAD作者だけでなく、宝井さんや海さんを始めとするアニメーター陣にも伝わっていたようで、アニメパートはTVアニメさながらの完成度でしたね 結果的にアニメーションのおかげで映像がメチャクチャ引き締まった印象があります koyaさんがこんな贅沢に使われるMVなかなかありえないでしょ 音MAD側から見ても、アニメ側から見てもありえない感じになっていますね
大量の素材は自分を含めてodayakaが知り合いの知り合いづてに頼みまくった形となっています 自分も昔なじみの知り合いとこういった形で公式の場で共演できるとは思ってなかったので謎の感動があります (ちなみにカヅホ先生を呼ぼう!と提案して連絡をとったのは私です!!!!!!!!!!!!!カヅホ先生ありがとお!!!!!!!)
結果的に、「完全に音MAD」なのに「めちゃくちゃMV」していて、それでいて「それぞれのパートが誰の制作か見ればすぐ分かる」のに「ちゃんとライバーのファンに好評」という映像ができています キルミーパートとか奇跡でしかないです わりと泣きそうになります
音MADは基本的にグレーゾーンな文化ですが、時代が進むにつれ作風が多様になった今となって、こういう形で音MADの文脈がポコッとオーバーグラウンドに顔を出す様はなかなか感動的なものがありますね といってもこのMVは、音MAD文化が技術的に進歩したから実現できた というわけでもなく、音MADっぽい文化を用いて目新しい映像を作ろうという意図があったというわけでもなく 単純にodayakaが極度に優秀なディレクターでありながら音MADが大好きなイカれ人間だったからこうなった というだけでしょう このMVはodayakaの作風の一端なのだろうと思います
楽しかったです odayakaはこれからもめちゃくちゃな映像制作をしてくれるでしょう 楽しみです わたしも深く関わる気満々です
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11月ぜんぜんFANBOXになにかかけるテンションじゃない
テンションとかの問題じゃなくて 時間もないわけでもなくて 体に力が入らない なんとなく眠っている なんとなく眠ることとても増えた困る なんか寝っ転がりつづけているともう既にないであろう筋肉とかが衰えているような感じがしてより寝っ転がり続けてしまう 立てないはずはないけど立てないような気分になる どういうことだ
どういうことか全部わからない いろんなものとの距離感がわからないまま更にわからなくなりつづけている 絵とかマジでよくわかんないし 漫画とか本当によくわかんない 歌とかもよくわかんない 会話とかもマジでよくわかんないまま
なんかFate見てたら泣いてた よくわかんな
本当はたぶんゲームに溺れたりできなくて なんかMinecraft適当につけてはひたすら西とかにあるき続けてる なんかよくわからないけど今のMinecraftにはクロスボウをもった敵人間みたいなのがいて殺される 殺されないために鉄とかで全身をよろう こういうゲームだったのか? 自活できない 現実生活と同じくらいゲームの世界で自分の生活ができない なんかやることいっぱいあるような気がして家とかから逃げてしまう 自分の生活がそのままグリッドの中に形として存在していて ほうっておいても散らからないから現実よりMinecraftのほうが綺麗 でもなんか飯ゲージみたいなの回復するの本当に面倒くさいし なんか夜とかになって食料もなくてゾンビとかいてどうしたらいいかわからないまま なんか死んでも特に問題ないし 金のりんごとか拾ったけど何? 森ばっかりで 木の種類やたら多いし 手持ちのアイテムはすぐいっぱいになるしどれが捨てて良いもので捨てちゃだめなものかわかんないし とりあえず火打ち石とかずっと持っててなんかあるたびに地面をかなり燃やしている 火まで四角形で何様のつもりだ?
なんか遠くで眺めてたアカウントが変に触られてるようなの見ちゃったし
いきなりぼっちざろっくの悪口みたいなの聞かされるし
意味もなく知らない人のネットの評判とか見に行ったりして
でなんかよくわかんないけどMMDにブチギレてるブログ見て橋本商会の記事のこと思い出したりする
美文章滅ぼす
この時間無駄だなとおもったら布団に入ってる そしたらまた肉が衰え始め二度と布団から出ることない 英語の歌は何いってるかわかんない 何もかも自分から遠くてビックリしてしまう 悲しいが満たされ帰れなくなった 俺は��つに設定資料集とかじゃなくて 飯とか食うし寝るんだが
Overwatchとかやってるとなんか意味不明な気持ちになる 色んな意味で真剣性に欠けてる 真面目にやるかテキトーにやるか決めてやればいいのになんかよくわかんないけどずっと無言でやってしまう ずっと無言だし楽しくないわけでもないし楽しいわけでもないし 本当はゲームのこと楽しいと思いたいのに絵描いてる方が楽しいし Overwatchをやり始めたら人生が溶けたりしてほしくて とか言っても意味なくなんかやたらと解説動画とか見て無言で考える 無言で考えるけどそれなりにちゃんと向き合う人間の領域に到達できず スプラトゥーンなんかほぼやんなかった
FPSとかに限らずなんのゲームやっても同じで
なんかポケモンとかやったことあるけどクリアしたことないし ドラクエとかやったことあるけどクリアしたことないし FFもクリアしなかったし マリオもクリアしたことないし メタルギアも途中でやめたし なんか全て途中でやめてる
いつ見ても全ての画面が同じな気がして Youtubeスクロールしても全て同じ動画でprime videoとかつけても全部同じ映画あとはみんな光と闇 なんかいい絵かけた 寝ていいか?
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このあいだ、夢に虫が出てきて 長い触手を使って遠心力で飛んできた ゲームの空中浮遊バグのような奇妙な飛び方で、少しずつ少しずつ上昇する それが自分の顔に迫ってきて、払おうにも払えない 見た目はゴキブリよりちょっと大きくて、体に白い斑点があり、足が10本ほど生えたようなそういう見た目で 心底気持ち悪く、顔に当たる直前で目が覚めた
ネームが進まないから何もしてない
ゲームの中で草を払いたい 疲れていたい なんでゲームの中なんだろう 虫に襲われないからかもしれない 帰路を考慮しなくていいからかもしれない 私が私ではないから なにより現実は、Source EngineやX-Ray Engineによって表現される世界に劣る 現実はユーザビリティに欠ける そうまでして表現したいことの意図も読めない
座るとか寝るとか 寝るとどういった作用がプレイヤーに発生するかとか 持ち物をどうやって管理するかとか 数字で管理されるわけではないがゲーム的に処理されるもの 棚
今から武器を構えることができる
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