#満員電車に染まる頃には
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昨日は、今井柊斗監督・主演作品「満員電車に染まる頃には。」の完成披露試写会でした。主催のエッグスタッフありがとうございました♪撮影スタッフありがとうございました♪共演者ありがとうございました♪ そして、お越しいただいた多くの皆様本当にありがとうございました♪ 今井くん東京での活躍を楽しみに全力で応援します! 山本くん、川瀬くん一緒に北海道で映画を作っていこうね♪ 素敵な才能に出会えて仲間になれたことがとても嬉しかったです! さぁ、みんなも行動してみよう! ウツワツクルではこれから北海道���のオリジナル作品を作っていきますよ〜♪♪ #満員電車に染まる頃には #頑張れ今井柊斗 https://www.instagram.com/p/CqKuC8ip4Oe/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2024/9/16
神奈川県と東京都を隔てる河を渡るときに、遠くにラブホテルが2つ見える。通っていた高校ではそのホテルのどちらかで女性と初めてをするのが定番(未成年かのチェックも甘いことから)で、彼女ができる度にもう〇〇(ホテル名)行った?とからかわれたものだった。
ついぞや、高校の頃にいくことなかったなと思うと同時にひょんなことから20代の中盤に行ったことも思い出す。
馴染みのバスケの飲み会で出会ったその娘は家がなかった。正確に言うと一人暮らしの家を乗っ取られたようだった。悪い男と付き合い、その男が毎晩友人を呼び、家に帰ってはお酒やたばこを勧められるので帰りたくないと泣いていた。
飲み会の時から泣いてくれればよかったものの、帰り道が同じで駅までの途中2人きりになった時に泣き出すのでたちが悪い。
ひとりではホテルにも泊まれないと言われ、入ったのが高校の時についぞ行くことのなかったラブホテルだった。
入ったは良いものの、もちろん性行為をするわけはない。彼女は自分の現状と不満、そしてどうしようもなく怖くて彼氏を追い出せないでいる弱さを口に出しては捨てていく。マシンガンのように話し始めてそれが水鉄砲になるころに女の子は寝てしまった。用意された数本の缶チューハイは1本も飲みきれらないまま。丸くなった身体に毛布をかけるとシャワーをひとりで浴びて、ビールとスミノフを数本飲んで早く朝にならないかなとソファーでひとりで映画を見ていた。何度も見た殺し屋と少女の同居生活と復讐の映画。
平凡から、よすがのない人生へと転落するのはあっという間である。
守ってくれる人や法はあれど声をあげないことには何も始まらない。
ほんの一握りの勇気を持つのは難しく、会ってまだ24時間も経っていない他人が与えられるものでもない。付き合う気もない。
結局は始発の時間までその娘は起きなかった。しばらく悩んでからホテル代に足りるだろうお金より多い金額を置いてホテルから出た。
哀れみではなく、なんとなくそれがマナーな気がした。
朝焼けが目に痛かった。川沿いではランニングをしてる人や犬の散歩をしている人、朝から釣りをしている人がいた。
どう考えても、一晩ホテルで過ごしたところで彼女の問題が解決するとは思えない。それでも、いろんな人がいるもんだなと他人事ゆえに面白くもあった。
石川台というところにあるハスキーカフェに行ってきた。
良く手入れしている毛並み。犬は大人しくて可愛いのは間違いない。
ただ、ずっと寝ていて(まぁ、犬は大抵寝ているけど)人なれしすぎるとこうなるものだなぁと思った。
おやつの時間だけ達者な子は起きてくる。
不機嫌そうに客をさばく飼育員の女の子も
電車待ちで列に並ばずしれっと横から入り席に座ってしまう老人も
胸がこぼれんばかりのワンピースを着た外国人観光客も
ひっきりなしに仕事の報告をしてくるスマホの向こうにいるプロジェクトの仲間も。
どんな人も、それぞれの物語を持っている。その平凡さや普通さ、そしてどうしようもなさに触れるたびに、「誰にも見つからずに消えていくだろうな」とその感情や物語になんともいえない気持ちになる。
けして誰も隠そうとしないのに、だれもスポットライトを当てない。
細胞が死んで生まれるように、その平凡な、そして固有な、物語は生まれ、また死んでいく。
なんとなく、その物語を集めることが、自分だけは覚えておくという行為が好きだったんだなと思えた。
なかなかその機会がなくて単純に寂しいのだろう。これも小さな物語のひとつか。寂しいにあまり名前をつけてはいけない。動き出してしまうから。
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置き去り
大人になるなんて死ぬまで死ねないだけだ
小学校の卒業式をひかえて、将来の夢なんて作文を書かされたのを憶えている。
違和感はそのときから感じていた。何で、もう未来のことを決めなきゃいけないんだろう。僕の未来なんて、きっと大して輝くものでもないのに。
働いて、食べて、眠って、また働いて──そんなもんだろ。
教室が暗くなってもできあがらなくて、結局宿題になった作文は、家のPCで“将来の夢”“作文テンプレ”を検索にかけて、ヒットしたもので埋めた。そんなズルをした日から、僕の感覚は周囲から外れていった気がする。
中学生になったら、あれがしたいとか。高校生になったら、これがしたいとか。同級生たちのそんなきらきらした話に、混じることができなかった。
大人になるなんて、死ぬまで死なないのが憂鬱なだけじゃないか。人生なんか、早送りで終わってしまえばいい。
志望。進路。就職。歳を重ねるほど、将来を枠にはめて決めつけようとする周囲が鬱陶しい。
「やりたい仕事はないのか?」
「したいことはあるだろ?」
「大学には進んでおかないと──
やりたいことなんてない。何もしたくない。モラトリアムに大学に進むなんて妥協には、吐き気がする。
いずれにしろ僕は、機械のような、ろくでもない大人になるだけだ。
だから、叶うのならば、早く死にたい。
気づけば、高校を卒業していた。結局医療系の専門学校に進むことになった。頭がおかしいぐらいに、死にたい、と一日じゅう願っている僕なのに、人の健康をサポートする勉強をするなんて、いよいよお先が暗い。
大学生になって、ケータイをガラケーからスマホにした。機種変のとき、連絡先は転送したけど、連絡が減ってやがて途切れた奴から、容赦なく削除していった。
どうせ、愛想咲いで何とか合わせていただけの友達だ。向こうにだって、僕はそんなものだろう。僕から何も連絡しなかったら、問い合わせてくる奴もいなかった。
大学でもなるべく深いつきあいはせず、連絡先交換もかわした。教えろなんて、わざわざ食い下がる奴もいなかった。
僕のスマホは、SNSの鍵アカウントで脈絡なく吐くか、それなりに世界を知っておくために、ハイライトニュースを見るためだけのものだった。
そして留年もなく、二年生になった。
じわりと覚醒してきた頭の上で、鳥がさえずっている。平日の朝は、五時半に起きる。そして、一時間以上かけて市内にある例の専門学校に通う。
スマホの��ラームを止め、腕を伸ばしてカーテンをめくった。初夏の青空が薄目に射しこむ。身を起こして、窓に透けて映る、光のない腐った目つきを見た。老けて見えて、吐き気がする。
頭が少し痛い。だるい動作でベッドを降りると、黒のジャージのまま部屋を出てダイニングに向かった。
「おはよう」
共働きの両親が、すでにいそがしそうに身支度を整えていて、ばたばたしながら僕にそう声をかける。僕は同じ言葉を返しながら、テーブルにあったふくろから食パンを取り出して、トースターにかける。
待つあいだにインスタントコーヒーを淹れてすすっていると、ベルが鳴ってトーストが焼き上がった。それにマーガリンを塗って、甘い匂いの蜂蜜を少し垂らす。リビングに移動し、さく、とトーストをかじりながらテレビをつける。
朝のワイドショーではなく、報道が映った。どうでもいい政治の話題の次に、女子中学生が踏切から線路に飛びこんだというニュースが流れた。部屋から遺書も見つかり、自殺とみられているということだ。
ダイヤの乱れが出ているとまくしたてるキャスターを無機質に眺め、マーガリンの塩みと蜂蜜の甘みが溶けこんだトーストをかじっていく。半分ぐらいで食べる気がなくなったけど、安い苦みのコーヒーで無理やり胃に押しこんだ。
中学生の弟がかったるそうに起きてきて、すでに三十分経っていて六時が近いのを知る。僕は部屋でジャージからシャツとジーンズに着替え、歯を磨いたりトイレに行ったり、身支度を整える。
僕より先に両親は出勤してしまう。だから、いつも僕が弟に戸締まりをしていく確認をして、いい加減に返事されると、さっきレースカーテン越しに見たときより光が強くなっている空の下に出て、駅に急ぐ。
五月になって、連休も終わったところだ。もう真夏日もある。熱中症とか、水分補給とか、そんな言葉を早くも見かける。
雨の日は、服や靴が濡れるから鬱陶しい。でも、こうして晴れた空の下を歩くのも息苦しい。
まるで罪の意識があるみたいだ。実際、僕は白日に晒されたら、心が自殺願望で腐りきっていて、とても醜いけれど。いい天気の日は、リストカットに依存する子が、長袖しか着れないみたいな気分になる。
駅はラッシュが始まって騒がしく、たくさんの人がホームで電車を待っている。学校まで乗り換えは一度だけど、この人たちを全部詰めこむ満員電車だから、座れるわけもなく、長く揺られることになる。
乗りこんだ車内は蒸し暑く、誰かがちょっと汗臭い。ヘッドホンで曲をシャッフルで聴きながら、僕は倒れないように地味に踏ん張りながら、スマホをいじる。
SNSのハイライトに、朝テレビで見た中学生の飛びこみ自殺のニュースが上がっていた。タップしてコメントを目でたどる。
『まだ電車止まってるんだけど。いつ復旧するの?』
『イジメかなあ?』
『朝のラッシュ止めて、金払うのは残った親だろ』
『まだ中学生? 可哀想……』
『イジメだろうな~加害者が死ねよ』
『樹海で首吊ればいいのに。飛びこみって一番迷惑』
僕はこめかみのあたりにゆがみを感じ、眉を顰めて、スマホの画面を落とした。
別に、それくらいいいじゃないか。そう思った。死ぬときぐらい、こんなに生きていたくなかったのだと、気づいてもらえていいじゃないか。そうでもしなきゃ、この子はどんなに傷ついていても、みんなに見て見ぬふりをされていたのだろう。
「死にたい」とひと言吐ける相手がいたら、この子もこんな悲鳴は上げなかった。誰もいない、誰も見てくれない、誰も聞いてくれない、きっとひとりぼっちで突っ立っていたのだ。
だったら、迷惑であったとしても、軆を飛び散らせた一瞬くらい、人に振り向いてもらえないと浮かばれない。
顔を伏せて、またスマホを起こしながら、無意識にちょっと嗤ってしまった。そんなふうに考える僕は、だから生きているのがこんなに苦しいのだろうか。
世界と感覚がかけはなれている。普通の思考でものを見れない。すごく冷めていて、とても虚しくて、やたら刺々しい。
裾のほころびのようにいつのまにか生まれて、歳を重ねるほどふくれあがっていく、「死にたい」という想い。イジメも虐待も、何にもない人生を送っているけど、家族も友達もそれなりの僕だけど、その虚しいほどの日常に滅入る。
このまま、僕の人生は安全に過ぎて、達成感のない死を迎えるのだろうか。子供の頃、大人になりたくないと思っていた。今、社会人になるのが嫌だ。そして社会人になったら老後が怖いのだろう。
平坦に過ぎていくだけの未来を思うと、ひどくぞっとする。そんな植物人間みたいな将来しかないなら、いっそとっとと死んだほうがマシだ。
死にたい。せりあげてくるその想いを、僕も誰にも打ち明けられずにいる。
家族に? 分かってくれない。
友達に? ヒカれるに決まってる。
心を、喉を、頭を支配していく黒い霧のような希死念慮で、僕は朦朧としている。ああ、もう、はなから生まれなきゃよかったな。どうせくだらない未来しか待っていないし、そんなのただ死にたいだけだ。
僕も今朝命を絶ったその女の子みたいに死にたい。こんな人生は願い下げだと訴え、その絶叫で喉をはちきれさせて死にたい。
かたん、かたん、と電車が小さく揺れている。汗ばむ温度。煙草、あるいは香水が染みついた服の臭い。曲と曲の三秒間に聞こえる��音。
電車の中にいると、とりわけいろんなものが神経に障って、黒い想いが強くなる。背広のサラリーマン。スーツのОL。学生は眠そうだったり、ゲームをしていたり。
そんな中に混じっていて、自分もまた見分けのつかない大人になろうとしていることに愕然とする。僕がダメになっていく。このままじゃ、腐った世界を見るこの目から全身が腐っていく。
早く死ななきゃ。限界だ。毎日この想いに耐えて、生きていくなんてつらすぎる。自殺願望が背骨に食いこむほどのしかかってきて、もはやまっすぐ立つこともできない。
重い。痛い。死にたい。逃げたい。今日こそ終わらせたい。
そう、こんな毎日はたたき折るのだ。どこにだってつながっているあの駅から、僕も旅立つ。
乗り換えの駅でいったん電車を降りて、路線を変える。早歩きの人たちが放射状にうごめく、大きな駅の構内の気持ち悪い光景の中を縫っていく。
この駅からは、いろんな路線が出ている。さまざまな場所へと連れ去ってくれる駅だ。なのに、誰もが毎日決まったホームに向かう。
そんなふうにせわしなく生きて、ひとりも疑問はないのだろうか。どうして、こんな行き先が決められた朝が、当たり前みたいに生きていられるのだろう。消費するだけの日々に無抵抗で、平然と改札を抜けている。
みんな死にたくならないのだろうか。なぜ、こんな昨日と同じ朝が普通だと納得できるのだろうか。
僕は嫌だ。こんな朝に溶けこみたくない。ホームへの階段を降りている。目的地への列に並んでいる。そんな自分に、本当は悲鳴を上げたい。
前方を薙ぎ倒し、線路に飛び降り、ばらばらに轢き殺されたい。怖いという感情は日に日に薄れていく。ただ、それがこのホームにいる人全員のトラウマになると思うと、荷が重い。
でも、分かっている。いつかそんな気遣いも壊れていって、僕は電車につぶされて上半身と下半身がちぎれるのだ。
頭の中が、ゆらゆらしている。毒を受けたように隈のついた暗い目が、無数の人の中を泳ぐ。甲高い女子高生の笑い声がして、舌打ちを殺して、音楽のボリュームを上げた。それでも、いらいらはまとわりついて、今にも発狂しそうな自分を必死に抑える。
死にたい。いや、ダメだ。何で? 死にたい。電車が来たとき、あの線路に飛び降りれば楽になれる。
楽になりたいだけなんだ。人並みに息抜きをしたいだけなんだ。死ねば、僕はやっと生まれてよかったと思えるんだよ。
なのに、どうして死んではいけない?
一歩、踏み出しそうになる。それを必死にこらえる。こらえる理由は分からない。
いや、たぶん、勇気が足りないのだ。死ぬ勇気。消える勇気。それは僕のこの上ない望みなのに、結局、僕は怖い。この意識が、感情が、思考が蒸発するのが怖い。その矛盾が歯がゆくて、���っそう僕はいらいらしてくる。
僕は��気地なしだ。ひと思いに死ねば、少しは自分を見直すのに。躊躇う自分が、うざったい。
もし僕が死んだら、ここで電車に飛びこんで死んだら、今このホームにいる人たちは僕を憎むのだろう。
ばらばら死体なんか見せやがって。電車を遅らせやがって。何でひっそり死なないんだよ。そんなに可哀想だと言ってほしいのか? お前がどれだけ苦しいかなんて知るかよ。ただ迷惑なんだよ。お前は最後の最後まで迷惑だったんだよ!
息が引き攣って、まばたきをした。幻聴と思えないほど、僕の死体への罵声が聞こえた気がした。
迷惑、か。僕がここで死んだら迷惑がかかる? じゃあもう、お前らが死ねよ。みんな死ぬなら、僕の死なんてそれこそ些末なものだろう?
世界なんか滅亡してしまえ。何だっていい、みんな死んでくれ。そして僕のことも殺してくれ。神の裁きみたいに、こんな世界のほうから終わってくれ。
そんなことを考えている自分を、ぼんやり観察する外側の僕がいる。外側の僕が、僕を正気みたいに見せて整える。
死にたいとか。殺してくれとか。すべて終わってくれよとか。そんなイカれた思考回路を、もうひとりの僕が黒子みたいに立ちまわって偽る。
奇声を上げて線路に飛びこむのを我慢しているあいだに、そいつによって、僕の本当の心は、自傷痕を隠す包帯を巻いたように包み隠される。
ホームの中の人たちは、みんな生きている。みんな動いている。笑って、話して。スマホをやって、文庫本を読んで。何気ない朝がそこにあって、その景色の中で、僕の気持ちだけ取り残されている。
今日もまあ頑張ろうと思っている人たちの中で、僕はその線路に飛びこんで死のうと思っている。
そんなの、誰も理解してくれないよな。このホームで僕だけ違う。僕だけみんなに染まれない。僕だけ醜く浮いている。
……無様だな。本当はそれが寂しいんだろ? みんなに溶けこみたくないとか思って、僕は誰よりもみんなと咲えたらいいのにと思ってるんだろ? でも、それがきっと一生できないから、死にたいんだろ?
鋭利なナイフをぐさぐさと突き立てるように、自分に対して思って、泣きそうになった。
いつも通り、目的の駅に止まる電車が入ってくるアナウンスが流れる。ああ、死ぬのが電車に乗るだけだったら楽なのにな。今日だけ、天国行きって言ってくれないかな。いや、僕は地獄行きかな。どっちだっていいや。
混ざれないいつもの場所に行きたくない。僕はただどこかに溶けこみたいだけなのに。受け入れてほしい、認めてほしい、分かってほしいだけなのに。
電車が迫ってきて、僕は小さく口を開く。
「……死にたいな」
電車が起こした風の轟音で、それは誰にも聞こえない。
こんなふうに毎朝、やってきた電車で僕は心を押し殺す。このホームに心の死骸を何度も何度も捨てて、それで何とか自分を取り繕って、今日を始める。
扉が開き、列が動いて、人は電車に乗りこんでいく。それに従って、電車に踏みこんで、僕の心はいつもこのホームに置き去りにされる。
そして、今日という日も、何の爪痕も残らない日になるのだ。
FIN
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【満洲・北京引揚体験】「現在の北京から引き揚げた105世帯は、日本に到着した時には3世帯だった」
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頭でっかち、理屈だらけ、殴り合いすらした事ない、ホワイトカラーは、
軍備増強
を叫ぶ…
サステナビリティだか何だか知らんが、
現実を見ろ!、大卒のくるくるパーども。
これが、
戦争だ。
戦争とは、殺し合いだ。
目を覚ませ、耳かっぽじって、戦争体験者の話を聞け!
次日本がまた戦争したら、間違いなく、本土決戦、次こそは、
日本人は皆殺しにされます。
何が国益だよ、おまえらは戦いの何たるか知らず、俺たち庶民に、実際の殺し合いをさせた。
次、本土上陸されたら、てめらの温かいオフィスも、国会議事堂も、鮮血で染まる…
庶民だけじゃなく、作戦だの寝言こいてきたてめえら上級な国民も、皆殺しだよ。
その時になって初めて、
『戦争は良くなかった!!』
と後悔しても、もはや日本は無くなってんだよ。
プライド叫ぶ軍備増強の馬鹿どもよ、
現実を見ろ!これが戦争だ。
冷静になれ。
いくら成長良くなったとて、体のでかい西洋人と、殺し合いで勝てるわけないだろが!
馬鹿なのか?インテリ層は全員?
合気道の、精神しかないんだよ。
戦う者は、必ず負ける。
そうではなく、��が皆、自分を高める事を考えればいいと思う。
全体主義、合理主義、数の論理、金の亡者、西洋人の真似して、西洋人の土俵で、我らアジア人が勝てないのは、当たり前なんだ。。
私達の、路線をゆきましょう。
西洋的価値観を、無視だ。
それは、長い憧れだったのかもしれない。
だがしかし、我らの目は青くないし、肌も白くない。
そしていくら忖度し、背伸びしようが、永久に目は青くならないし、肌は白くならないw
顧みましょう。
私達の良さを。
気功を知り、易経や陰陽道を知り、木の家を愛し、自然を楽しんだ我ら日本人。
何を西洋にいつまで憧れる?
電気じゃなく、行灯でもいいはず。
私達が西洋人にイエローモンキー言われるなら、西洋人はさしずめ、
白い豚どもだよ。
ま、悪口はお互い良くないw🤣
要するに、お互い過干渉すべきじゃない。
憧れも、もう要らないでしょ。
私達は、私達がストレスなく生きれる、そんな世の中を目指しましょう。
西洋的インフラを全て失っても、牛や馬は、助けてくれる。
未開人言われたとこで、地球🌏を捨てた西洋人より、よっぽど日本人は🌍を愛してるんだ。
アメリカは、下手したら砂漠化するんじゃないか?
もうそうなったら、私達はおしまいだと、もう一度、頭を冷やし、私達は地球🌏の動物であり、決して機械ではない事、思い出した方がいい。
歴史上、同じ失敗を繰り返すのは、バッタ並みの知能、
いくら東大や京大出ようが、馬鹿は馬鹿なんだ。。
追記:
私は1967年生まれ。
七五三は綺麗な洋服を着せられ、ラジコンを買ってもらい、プラモデルを買ってもらい、肉はたらふく食い、日曜日は遊園地に連れて行ってもらってた…
今考えたら、まるで王様のように育ったw🤣
改めて、父や母の戦争世代を、想う…
そんなみじめな敗戦下、物も、食料も無い…
だからこそ、働いた、子供を持った、子供に贅沢をさせた、自分達が子供の頃、何も無く、虚しかったから。
だから、私は過去の私が、恥ずかしい…
父と揉め、18歳で家出した。
だから、わかった…
いかに、金銭面では、贅沢をさせて貰っていたかを。。
だから、56歳、父は亡くなり、思う。
金銭面で、必死にくれた、父母。
だとしたら、僕らの世代は、
『心の面での、日本回復』
に、尽力をしたいね。
焼け野原の、敗戦日本。
そこに心の回復など、まだまだ無い…
闇トラックが物資運び、���しずつ、食生活は回復した。
でも、その反動で、日本までもが、物質主義、金の亡者大国になったんだ…
高度経済成長、乱れた男女関係、西洋文化、ゴーゴーダンス、コインロッカー・ベイビーズ…
バブルとは、決して良い側面だけじゃない…
そんな闇も、あった…
僕らは西洋人に憧れ、西洋人になろうとした。
お人好しの我ら日本人は、明治以降、2度も同じトラップに引っかかった…
第一次世界大戦。
日本は、漁夫の利を得た。
繊維、紡績が盛んだったイギリスが戦争し、物資不足で、その調達先が、日本になった。。
1919年、日本は牛や馬を追い払い、自動車を走らせ、第一次世界大戦で、儲けたわけだ…
《大国にならねば!》
…しかし、日清戦争も、日露戦争も、ユダヤに金借りてまでして、勝った。
しかし、内需もボロボロ、物資もボロボロ…
要するに、イギリスやアメリカのトラップに、まんまと引っかかった…
そして、敗戦後の、高度経済成長。。
経済大国になるかと思いきや、
日航機123便虐殺事件、消費税開始、プラザ合意…
そしてパンデミック、ワクチン接種…
我ら日本人は、アメリカ、イギリスに、持ち上げられては、叩きつけられ、持ち上げられては、叩きつけられた、2回も!!!
簡単な話。
福沢諭吉を西洋に連れ回し、世界中の女を抱かせ、梅毒にもなりw🤣、富国強兵を打ち出させた。。
大日本帝国をかかげ、西洋かぶれ日本が、誕生したわけだ。。
私達日本人が、ストレスを感じない社会に戻すのが、先決。
それには、我々一人一人の自立、西洋インフラからの、離脱だと思う。
簡単な話が、AmazonやTemuの中華粗悪品の拒絶、自家発電の開発、1日1食、そんな地味な活動こそ、西洋インフラにとり、悪夢だと思うw🤣
毒親たちが、一斉に受験社会からの離脱、不登校中学生を、許容。
そして、新しい食生活、新しいインフラ。
私達庶民が、変わる。
グローバリストたちは、ぶら下げた人参を追いかけない日本人には、困り果てるだろうw🤣✨
人民服を捨て、アメリカ人のコピーみたいになった、中国人たち…
アメリカに戦争で勝ったが、まるでアメリカ人のコピーみたいな生活習慣の、ヴェトナム人たち…
じゃあ日本は?
アダルトビデオの次は、港区パパ活…
せどり、転売などの、詐欺まがい…
最終的には、家に引きこもり、ゲーム、働かない…
これが、アメリカかぶれの結果じゃん、答えはもう見えてる。。
日本は、自滅を始めたんだよ…
だからこそ!!!
修験道、修験宗であり、合気道なわけ。
肉体、なんだ。
人間��、肉体を使い、生きる生き物。
日本人の多くは、それを知っていたはず。。
自立であり、回帰だ。
西洋人の中ですら、禅の素晴らしさを知る人らも、増えた。
西洋人が絶対にしなかった、
“内観”
、己を見つめ直し、己を高める…
日本人はそれが出来てたのに、失ったんだ。。
簡単な答え、失ったんなら、また取り戻せばいい😉✨✨✨
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予想外と予想的中 懇親会
Sunday 26 January 2014
ハルオは、5時半に起床し東名御殿場バス停6時50分発のバスに乗った。早起きは、昨年からの禅寺通いで苦ではなくなっていた。順調にバスは東京に向かい8時半頃バスは新宿に着いた。今日は、学校で卒業制作の選抜講評会が開かれる日。ハルオは、学校に10時少し前に出講し講評会の開かれる教室へ入る。そして一番前の中央の席に座った。どうせ、どうせという言葉は好きではないがどうせならしっかりとこの講評会に参加したい。それとハルオにはもうひとつその理由があった。それは自分の教え子3人がこの講評会で自身の作品をプレゼンするのだがその時の模様を動画にして残したかった。ハルオは、躊躇なく三脚を自分の席の前に立てて準備をした。講評会では35作品がプレゼンされた。ハルオの前には、審査員の方々が4人座って各作品について批評をした。ハルオは、講評会の進行(生徒の名前、作品タイトル、プレゼンでの本人&審査員が述べた気になる言葉)を画家の叔母からもらったスケッチブックにメモをした。そのメモは、10ページに及んだ。手書きのメモは、最近手に入れた時が消せるボールペンの御陰で捗った。手書きを癖にすることはハルオの必須科目になっている。ハルオは、メモの内容を後で整理して次回の授業に役立てたいと思ってそうしていた。自分の教え子のプレゼンは、講評会の後半にやって来た。この時は、メモを取らずに動画のみを撮影し記録した。自分の教え子ではないが2人の生徒がこの講評会に参加出来なくて作品だけ紹介されたのだがハルオは咄嗟に閃きこの2人の生徒の作品についての審査員の批評も動画に残した。後でその動画を本人たちに渡そうと思ったからだ。ハルオは思う、自分がされて嬉しいことで自分が出来ることなら実行する。これは、時にはただのおせっかいになる時もあるが閃いた以上自分に対し知らんぷりをすることが出来ない。この講評会での予想外の展開があった。自分の教え子がグランプリを取れなかったことだった。僕の落胆はさておき本人はどうその結果を受け止めて行くか?その方が気になった。誰が取ろうと自分の学校の生徒なのだから素直に喜びたいとハルオは思った。予想的中は、ここでは避けておこう。講評会が終了し、グランプリを取れなかったその教え子の元へ行きハルオは前々から用意して静岡から持参したフレーム入りの写真を彼に渡した。その写真は昨年彼と仲間の生徒たちが学校のギャラリーで写真展を開催した時、ローライフレックスで撮った彼のポートレイトだった。グランプリを取ったらその場でメッセージも添えようよポストカードを2枚一緒に用意したが何も書かずに写真を入れた封筒に忍ばせておくことにした。すでにメッセージはポストカードを見れば伝わるかもしれないと。
学校を出てすぐに市ヶ谷駅に向かう。駅でUさんに今回の講評会の結果を電話で伝える。Uさんには、昨年末今回の講評会でプレゼンした3人の内2人の生徒とUさんに引き合わせ作品のアドバイスをしてもらいお世話になっていたからだ。今後一段落してこの2人の生徒は直接Uさんに結果報告お礼をするかは本人たちに任せようと思う。自発的にそれが出来たなら素晴らしいことだと思う。ハルオは、急いで新宿から4時発のバスに乗った。ハルオにはまだ摂心会が残っているからだ。バスは、満席で補助席に座るしかなかった。しかし補助席についてあまり不満はない。乗車して少しでも早く静岡に帰れるだけで十分だからだ。夕焼けで赤く染まった富士山をフロントガラスの先に見た。
バスは渋滞もなく順調に静岡に向かった。東名御殿場のバス停でバスを降り車に乗り換えて裾野に戻る。すぐにも禅寺に戻りたかったがその前にもう一つしなければならないことがあった。それは、市長、市議会議員選挙の投票だった。摂心会の間禅寺の外で選挙カーが大声を張り上げて指示を訴えていた。坐禅には不必要だがこれも仕方ないと言える。誰に入れるかはすでに決めてあった。投票後、いつもの「Today's Fashion」を投票所の入り口近くで撮影。 今日は、帽子も冠っていたがその帽子は車の中に置いて来た。撮影のために取りに行くのも問答だったので帽子なしで撮影。そしてすぐに茶畑庵に戻りシャワーをして禅寺へと車で向かった。
摂心会4日の夜は、懇親会が開かれた。摂心会は、明日の昼で終えるからだ。7時半少し前に禅寺に着くと懇親会は始まっていた。懇親会の料理も典座(てんぞ)さんが拵えた様でハルオにもその料理を残しておいてくれた。どの料理にどんな名前があるのか特に聞いた訳でもなかったので説明が難しいが湯葉が絶品だった。今回の摂心会には禅寺と縁のある別のお寺から来られた3人の方丈さんと典座さんがいた。ある方丈さんは本格的にクラシックを勉強された方で声楽を得意としていた。そして参禅者のリクエストにすんなり応じてくれその素晴らしい歌声を披露してくれた。この方丈さんの読経も素晴らしいと今回の摂心会中参禅者の1人が言っていたことは頷ける気がした。人柄も奔放でどこか作家でお坊さんだった今東光を思い出させた。続けて余興というかもう一人参禅者の方で尺八の演奏を披露してくれた。その尺八は、3尺ある少し長い尺八で煤竹製だと聞く。お2人のキャラクターは正に洋と和の対照的で自己表現の違いを見せてくれた。ハルオは、両方の名演を動画に録った。カメラは、常に手元に、やはりそうだといハルオは納得した。そしてもう一つ。今回の参禅者の内2人女性が参加していたがその女性の一人が「結婚相手は尊敬出来る人」とハルオの座っていた席の前で言ったのでハルオはその言葉に食いついてしまった。その女性の横に例の奔放な方丈さんが座っておられ軽く話題が下ネタになったので食いつきは下ネタを例にしてしまった。寺で話すのは不謹慎かとも思ったが話す前に皆に断わって意見を言った。「尊敬出来る人と言われても大抵の男は実に困る。例えば出会った当初は尊敬出来る下半身を持ち合わせるとする。だが歳と共にその元気さ/強さは残念ながら衰えて行く。男という生きものはプライドの生きものでその弱くなった下半身が尊敬から外れることを恐れる」こんな内容を言った。実にくだらないが大抵の男はそうだと思う。ハルオの意見をある人は達観しているといい、ある人はそれは違うと言った。当の言われた女性はちんぷんかんぷんなことを言ってるなこの人は、と思っていただろう。ハルオは、その場では言わなかったが逆に「あなたはダメダメな人だけど好き」と言われた方が男性としては楽で嬉しいと思う。「結婚相手は尊敬出来る人」=男性の立場から言えば「結婚相手は美しさを維持出来る人」と似ている。その場はそれで終ってしまい特に意見のぶつかり合いはなかった。ハルオは、後になって失敗したと反省した。一言多いぞ、と。「あ〜そうですか、いい人が見付かればいいですね〜」と言えば良かった。でももう取り返しが出来ない。その女性を傷つけたとは思わないが余計な一言だった。懇親会の後も休憩所でその女性と話す機会があったがその時は他の話題だったがやっぱり会話がスムースに行かなかった。ハルオは、懇親会でビールと日本酒を2合強飲んでいた。この冬になってから熱燗を好んで飲む様になった。最終日の今夜、残った参禅者は、ハルオを入れて7人に減っていた。
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23歳の囁き
春に就職してから資格勉強も終わり、ひと段落したから久しぶりにここに戻ってみる。わたしは昔から文章を書くのが好きで、(おそらく)17歳からやっているこのアカウントももう6年目だろうか。大学生になってからも恋愛で事あることに傷付き、悩み考え耐え忍んできたのはTumblerのおかげに違いない。Tumbler、ときにはTwitter、ときには対人を使って自分の心を外から観察し続けてきた人生だった。
大学3年、20歳になったあるときわたしは、自分が突然思春期を抜けたのを感じた。徐々にではなく、本当に唐突に自分の中の価値観が変わったのを感じた。ぼんやりとしていて主観的で自分ではどうにもできず、どうしたらいいかもわからないが故にひどく甘えていた世界の見方から、自分の「行動」と「責任」に重きを置く見方にがらりと変わった。それはまるで霧の中や暗く長いトンネルから突然抜け出たようで、視野が広がり地に足がつき腹も据わった感じがした。「この世界はどこまでいっても自己責任でしかない。自分の行動には責任が伴う。何も行動しなくても、何も行動しないという選択をしたのは自分。すべては自分に降りかかる。だからこそ、自分に決定権があり、自分の人生なら自分で操縦しなければならない」ーーー。
そう思うようになったのはきっとフリーターくんとの恋愛と、当時のバイト先で年上組になりいつまでも”新人ちゃん”や”可愛い誰かの後輩”ではいられないと肌で感じたことだろう。わたしはただそこにいて誰かから何かを与えられるだけの赤ちゃんではない。わたしの行動により好きだった男が号泣しているという事実。一年経てば新しい世代が繰り上がってきて元気さやかわいらしさを求められるより、信頼されたり何かを任せられるようになるという事実。その二つの事実が唐突にわたしの目の前の霧を晴らした。自分がしたことの責任を取るということ。結果が不満ならばたとえ苦痛でも自ら選択し続けれなければいけないということ。また、わたしたちは知らぬ間にベルトコンベアーに乗っているということ。後ろが詰まるから、ある程度歳をとったら次のステップに行かなければならない。スキルも経験も知識もあるならば、それを下の代に受け継いで次の世代のために身を引かなければいけない。そう思うようにもなった。不安定だった心もかなり落ち着きを見せはじめ、思春期のホルモンバランスを恐ろしく思うのと同時に、歳を取ればとるほど生きるのが楽になるんだろうなぁとわたしは気付いてしまった。
失恋のどん底の中で就活をして、同級の誰より早くつかみ取った内定先はわたしにとても合っていた。規則正しい生活、ストレスのない人間関係、達成しやすい目標、やりがい、憧れだった東京での生活。そしてなにより自分を必要としてくれる人がいることが一番大きい。わたしのように打ち込める趣味もなく友達もおらず、常に孤独で寂しい人間はなにかに依存するしかない。今までが恋愛なら、これからは仕事なんだろう。わたしの承認欲求と依存心は、ただの負けず嫌いと向上心に形を変えて、仕事での成果を上げることに一躍かっている。わたしは働くことが好きだ。働いてさえいれば自分の居場所ができるし、なぜかお金ももらえるし、傷付かない距離感で笑い合える人間関係も手に入る。小さい頃から見ていたネットには社��やニートがたくさんいて、自分もいつの間にか働きたくないんだと洗脳されていたけど、ネットで声高々に言わないと耐えられない人々はリアルでは少数派だ。それでいえば趣味があって打ち込めるものがあって、SNSでなにかを発信しようと思う人も少数派だ。才能や情熱のある人達は少ない。働かなくても心を病まない人はわたしが思うより少ないはず。大多数の人はきっとそうじゃない。わたしも才能のある少数派ではない。暇すぎると自分を見失う。趣味も友達も何もないわたしにとっては会社が生きる場所だ。だから大多数に紛れて、大多数に紛れていることに心底安心しながら毎日会社に行くのだ。合法的に人と触れ合える満員電車もさほど嫌いではない。スーツを着る理由、メイクをしなければいけない理由、残業をする理由、飲み会に行く理由、上司のグラスより下に下げて乾杯する理由。わたしは全部分かってしまった。学生の頃はあんなに反発していた社会人の悪しき文化にもっともらしい理由をつけて消化して、全部が全部、わたしの一部になった。
でもわたしは社会に染まったとは思わない。この道を選んだのはわたしだから。悪しき文化にも理由がある。実際それでうまく行ってるからこんなにも広まっているのだとも思う。ネットにはいない、見えない大多数の人はこの悪しき文化に救われているのかも。服を考えるのが面倒だからスーツを着る、周りと浮きたくないからメイクをする、仕事が終わらないから残業をする。酒を飲んだ翌日はよく知らない同僚も気心が知れて仕事がしやすいとか、上司は立てておいた方が仕事がしやすいとか。全部が全部自分のため。誰に強要されたわけでもない。昔の自分が見たら、この思想すらも染まっていると思うのかもしれないけれど。
思春期が終わって社会に出て半年。自分の責任で毎日を過ごす。規則正しい生活。認めてくれる人たちと、与えられた自分の役割をこなす中で精神も安定していく。資格取得のために時間を削って勉強をして、結果がどうであれ死ぬほど充実していた半年。もともとASD気味で勘の悪い方ではあったけど、相手の気持ちも分かるようになってきた。少なくとも、中学の頃みたいに自分の気持ちをぶつけることはしなくなった。インスタの意識高い系を参考に、結論から話したり0秒思考なんかをやってみたりして、思考もかなり洗練されてきた。そもそも日常に暇がない。朝どれだけいい天気でも、蛍光灯の輝くオフィスに足を運ばないといけない。朝家を出る瞬間とか、お昼残り5分とか、夜家まで歩いているとき、もしくは寝るその瞬間とか、ときどき胸の上に石を置かれたみたいに息苦しいときがあるけど、それも別にどうってことない。やるべきことがないと死ぬ人間だ。もっと追い込みが足りない、別の資格勉強を始めようとも考える。ただ、もう少しゆとりがあればいいなとも思うけど、今だって十分恵まれている。これ以上ないも望むことはない。わたしの欲しかったすべてが手に入った。それは過去のわたしの努力と選択があったからこそ。これからも欲しいものは自分でつかんでいく。
ただ恋愛だけは努力だけではどうにもならない。生物だから人との関係性が一番難しい。全部自己責任とか、うまくいかないことはやらなくていいとかの精神で過ごしてきたわけだから、頑張ってもうまくいかない恋愛はもうやめて、自分から行くのもやめて、ひたすら待とうと決めた半年間だった。でも特に何もなかった。自分から行動しないならもっとチャンスが減るだけなのは当たり前だった。だからこそ、久しぶりに会った同期たちと朝3時まで酒を飲み明かす合宿研修をして、春からいいなと思っていた男がそこにいれば、それは部屋にも行きたくなるよな。普段はつんつんして平気で人を傷付けることを言ってくるくせに、酒を飲むと目を見て話してきて、膝枕を強要したり、簡単に抱き着いてくる。言動や顔つきまで変わって、何度酒が抜けないでと願ったことか。そうしてギャップ沼のある男と、都合のいい女ムーブにリーチをかけながら、わたし自身の下心と、数日間しかない合宿研修と酒と男と女と、いろいろなものが相まってわたしはわたしの気になっていた同期と一緒に寝ることを選んだわけです。付き合ってもうまくいくわけない、お互い血だらけになるって分かってるのに、結局向こうから身体接触された人を好きになるのは、フリーターくんのときと何も変わっていない。今回幸いだったのは、その同期とは飛行機で1時間くらいかかる距離にいるってこと。この物理的距離がわたしたちの関係をゆっくり進ませてくれるのか、はたまた障壁になるのか、それは分からない。ただわたしは自己責任かつ理性的に考えて、いつもみたいにアプリで見つけたポッと出の男にイラつきながらデートをするより、多少物理的距離があっても、多少傷付く可能性があっても、友達とも恋人とも違う大事な大事な同期と少しだけお近づきになりたいなと思うのです。
さすがに書いていたら眠くなってきた。明日も仕事だ。
2023/10/30 22:52
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TEDにて
スティーブン・ピンカー:データで見ると、世界は良くなっているのか、悪くなっているのか?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
誰かがそう信じさせようとしているように、2017年は、本当に「最悪の年」だったのでしょうか?
心理学者のスティーブン・ピンカーは、殺人、戦争、貧困、汚染。その他に関する最近の統計データを分析することで、今の世の中は30年前に比べ、そのいずれにおいても改善していることを見出しました。
しかし、進歩というのは必然的に起きるものではなく、また、常にすべてがあらゆる人にとって良くなるわけではない!と彼は言います。
進歩とは問題解決であり、気候変動や核戦争といったものは待ち受けている終焉としてではなく、解決すべき問題と捉えるべきなのだと。
「完全な世界というものは存在しないし、そんなものを求めることは危険でさえある!しかし、人類の繁栄のために、知識を応用し続ければ、我々に実現できる改善に限りはない!」と彼は述べています。
多くの人たちが、毎朝ニュースを見て不安や恐怖を感じています。
毎日のように発砲事件だとか、不平等、汚染、独裁政治、戦争、テロ。それに核の拡散に関する記事を目にします。
そういったこともあって2016年は「史上最悪の年」だと言われました。それも2017年が、そう言われるまでのことでしたが。
そして、多くの人が数十年前を懐かしんでいます。世界はもっと安全できれいで平等だったと。
しかしこれは、21世紀の人類が置かれている状況に対する理にかなった見方なのでしょうか?
フランクリン・ピアース・アダムスは言っています。
「古き良き時代というのは物覚えの悪さの産物である」
みなさんも世界は悪くなっていると思い込んでいることでしょう。
こんにちの血塗られたニュースの見出しをバラ色に染まった昔のイメージと見比べるなら同じ物差しで世の中の幸福度を測ったら世界の変化はどのように見えるのでしょう?
最新のデータを使って同じ尺度で、現在と30年前を比較してみましょう。
昨年のアメリカにおける殺人件数は、10万人あたり5.3人。貧困層の割合は7%。微小粒子状物質(PM)の放出量は、2100万トン。二酸化硫黄の放出量は、400万トンでした。
一方、30年前はと言えば殺人の犠牲者は10万人あたり8.5人、貧困層の割合は12%。PMの放出量は3500万トン。二酸化硫黄の放出量は、2000万トンでした。
世界全体で見たらどうでしょう?
昨年、12か所で戦争が起きていました。独裁国家の数は60。極貧層は全人口の10%。核弾頭の数は1万発以上。
30年前はというと23か所で戦争が起きていて独裁国家の数は85。極貧層は全人口の37%。核弾頭の数は6万発以上でした。
確かに、昨年は、テロにより西欧で238人が犠牲になったというひどい年でしたが、1988年はもっとひどく440人もの犠牲者がいました。
???
どういうことなんでしょう?
TVやマスメディアのプロパガンダ?
1988年が特にひどい年だったのでしょうか?
それともこれは、様々な困難があるにせよ世界は良くなっているというしるしなのでしょうか?
「進歩」に対する古臭い見方を呼び起こしたものでしょうか?
そうするのは嘲りを招くことになるでしょう。なにしろ知識人は進歩を嫌いますから。
自ら進歩主義者を名乗る知識人というのは、進歩を本当に嫌っています。
別に彼らも進歩の成果を嫌っているわけではありません。学者先生の多くは、手術を麻酔なしでやるよりは、麻酔ありでやる方を好むでしょう
「おしゃべり階級」を苛立たせるのは、進歩という考えそのものなんです。
こんな風に言われたことがあります。人間が自らの運命を改善できると信じるとしたらそれは時代遅れの迷信や進歩は変わることなく続いていくという誤った展望を半宗教的に盲信しているということだ。
アメリカの通俗的な「できる主義」の応援団長であり、脳天気な役員室のイデオロギーやシリコンバレーや商工会議所に毒されているホイッグ史観の実践者
世間知らずで超楽観主義のポリアンナ「この存在しうる最善の世界において、すべては最善の状態にある」と言うボルテールの小説の登場人物。パングロスみたいなものだと。
でもパングロス博士は、悲観主義者だったんです。真の楽観主義者なら今よりもずっと良い世界があると信じていますから。
でも、そんな議論は無意味です。世の中が進歩したかどうかは、信条や楽観性の問題ではなくコップに半分の水をどう見るかとも関係ありません。
これは検証可能な仮説なのです。
様々な見解の違いはあれ幸せの要素が何かについての人々の意見は、概ね一致しているものです。
寿命、健康、暮らし、繁栄、平和、自由、安全、知識、余暇、幸福感。
これらのものは、どれも数字で表せます。時と共にその数値が上昇していれば進歩していると言えるでしょう。
データを見てみましょう。
まずは最も大切なもの。寿命から。
人類の歴史のほとんどの期間において平均寿命は30才程度でした。今では、世界平均で70才以上、先進国では80才を超えています。
250年前には、最も豊かな国でも子供の3人に1人は、5歳の誕生日を迎えられませんでした。
死亡リスクが百分の1に低下する前のことです。今では、最貧国でも乳幼児死亡率は6%未満です。飢饉はヨハネの黙示録の四騎士の1人であり、世界中のあらゆる場所に打撃を与えるものでした。
現在では、飢饉はとてもへんぴな場所か戦争により荒廃した地域に限られます。200年前には、世界人口の90%��極度の貧困にあえいでいました。今では10%未満です。
人類の歴史の大部分において強国や帝国同士は、ほとんどいつも互いに戦争していて平和は、戦争の合間のつかの間のものでした。今では、大国同士は決して戦争などしません。
最後の大国同士の戦争は、65年前の米中間の争いでした。その後は、いかなるタイプの戦争も数が減り死者が減っています。
年間の戦死者数は1950年代前半には、10万人当たり22人だったのが今では1.2人となっています。
民主主義は、ベネズエラ、ロシア、トルコで明らかに後退しており、東欧やアメリカでは権威主義的ポピュリズムの台頭で危機にさらされています。
それでも、この10年で民主主義がかつてない広がりを見せており、世界人口の3分の2が民主主義国に暮らしています。
無政府状態や復讐の掟(憎しみの連鎖)が、法律に置き換わるとき殺人の頻度は、急激に減少します。
これは、欧州が封建主義から中央集権国家に移行したときに起こり、現在の西欧で人が殺される確率は、中世に比べ35分の1に過ぎません。
同様の減少は、植民地時代のニューイングランドや保安官が街に駐在し始めた開拓時代のアメリカ西部。それにメキシコでも起きました。
実際のところ、あらゆる面で安全になっています(違うと思う人は、TVやマスメディアが悪用してプロバガンダをし、不安をあおっているだけ。鵜呑みにしないように)
20世紀を通して自動車事故で死亡する確率は、96%減少し歩道にいながらも車にひかれる確率は88%減少。飛行機の墜落事故で命を落とす確率は99%減少。仕事中の事故で命を落とす確率は95%減少。天災によって命を落とす確率も89%減少しています。
干ばつ、洪水、山火事、嵐、噴火、地すべり、地震や隕石の落下といったものですが、それは、神の人間への怒りが納まったからというよりは、インフラの耐久力が高まったおかげです。
神の業の中でも代表的なゼウスが放つものはどうでしょう?落雷によって命を落とす確率も97%減少しています。
17世紀以前には、欧州における識字率は、15%未満でした。欧米では20世紀中頃までに識字率がほぼ100%になり、他の国もこれに追いつきつつあります。現在では、世界全体で25才未満の人の90%以上が読み書きできます。
19世紀には西洋人は、週に60時間以上働いていましたが、今では40時間未満です。
水道や電気が、先進国の至る所で整備され洗濯機や掃除機、冷蔵庫、食器洗浄機、コンロや電子レンジが普及したおかげで家事に追われる時間は、週あたり60時間から15時間未満になりました。
健康、富、安全、知識、余暇といったものが改善されたことで我々はより幸せになったのでしょうか?
答えはイエスです。この数十年の間に、86%の国で、幸福度が高まりました。
納得して頂けたことを願いますが、進歩したかどうかは信条や楽観的であるかと���関係のない人類史上の事実であり、それも最も素晴らしい事実なのです。
このことはニュースで、どのように報道されてきたでしょう?(TVやマスメディアが悪用してプロバガンダをし、不安をあおっているだけ。鵜呑みにしないように)
報道記事に出てくるポジティブとネガティブの感情語を数えると、人類がより健康に、豊かに、賢く、安全に、幸せになったこの数十年の間にニューヨークタイムズ紙はよりネガティブな傾向を強め、世界の報道でもますます陰鬱な言葉が使われるようになっています(TVやマスメディアが悪用してプロバガンダをし、不安をあおっているだけ。鵜呑みにしないように)
なぜ人々は進歩を認めようとしないのでしょうか?その答えの一部は、認知心理学にあります。
我々は「利用可能性ヒューリスティック」で手っ取り早くリスクを評価します。思い出しやすいものに基づいて判断する傾向が強いということです。
また答えの残りの部分は、報道の本質にあり、それは風刺サイト「The、Onion」の見出しに見てとれます。
「今日は誰をパニックに陥れるか、議論するCNNの朝の会議」何かが起こるからニュースになるのであり、何も起こらなければニュースになりません。
だからリポーターが「40年間平和な国から生中継でお届けします」とか「テロ攻撃を受けなかった都市からお届けします」と言うのを目にしないのです。
悪用して言えばいいのに言わない。それに、悪いことは突然起こるものですが、良いことというのは「1日にしてならず」です。
新聞は、25年間毎日「昨日、13万7千人が極貧状態から抜け出しました」という見出しを載せ続けることだってできたんです。
12.5億人が貧困から抜け出したということですが、良い記事を書けばいいのに悪用して、そんな記事を目にすることはありません。
またニュースというのは、悪化するものに対する我々の関心に悪用してつけ込むもので、それは「流血優先」という記事選別基準に現れています。
認知的なバイアスとニュースの本質を合わせて考えれば、世界がなぜ長年にわたり「終焉を迎えつつ」あるのか理解できます。
きっと多くの方が抱いたに違いない進歩に対する疑問にお答えしましょう。
1つ目は、悲観的な見方には利点があるのではという考えです。現状への満足に陥ることへの予防線となり、重要人物の汚点を明かし不都合な真実を権力者に訴えられるとそうとも限りません。
正確であるのは良いことです。もちろん災難や危険が、起きている時はいつだってそれを認識すべきです。しかし、そういった問題の軽減策についても知るべきです。
良いことというのは「1日にしてならず」なら少しでも生活の向上を毎日報道すればいいだけなのにしない。不思議です。
見境のない悲観主義は、危険を伴うからです。
その一つが運命論です。世界を良くしようという努力が、すべて無駄だったならば、なぜ無駄な努力を続けるのでしょう?
貧窮にあえぐ人は、いなくならないし、世界はやがて終焉を迎えます。気候変動が人類を滅亡させなくとも暴走した人工知能が、そうするでしょう。それに対する自然な反応は「どうせ明日、死ぬんだったら今��うちに飲み食いし、せいぜい楽しくすごそう」というものです。
無分別な悲観主義のもう一つの問題は、過激主義です。
この世の制度がとことん破綻し、改善の見込みが立たなければ、きっと人々は、機械を破壊し、悪者を一掃し、体制を打ち倒そうとするでしょう。灰じんから新たに興ってくるものは、どんなものであれより良いに違いないと期待するからです。
進歩などというものが、あるのだとしたら何がそれを引き起こすのか?
進歩は神秘的な力でも弁証法的に我々を向上させ続けるものでもありません。摩訶不思議な力で歴史が、公正へと向かうわけでもありません。
進歩は思想によって導かれた人間の努力の結果です。
それは18世紀の啓蒙主義に端を発する思想、つまり、人間のあり方を改善する理性と科学の力を用いることで我々は徐々に成功を収めることができるという考え方です。
進歩は必然なのでしょうか?もちろん、違います。進歩が、絶えずあらゆる場所であらゆる人にあらゆることの改善をもたらすわけではありません。
そうだとしたら魔法のようですが、進歩は魔法なんかではなく問題解決です。
問題は必ず起こるものであり、問題を解決すると別の解決すべき問題が出てきます。人間は一人で生きてるわけではないので大きい規模で関連してきます。
現代の世界が直面する未解決問題は、規模が非常に大きくそれには気候変動や核戦争などのリスクが含まれます。
しかし、それは来るべき終焉としてではなく、解決すべき問題として捉えるべきであり積極的に問題解決にあたるべきです。たとえば、気候変動対策として脱炭素化を強力に進めるとか核戦争を避けるため核兵器を全廃するといったことです。
最後に、啓蒙主義は人間の本質に反するのかを考えましょう。これは、私にとってとても鋭い疑問です。
短所や屈折した部分も含め人間の本性というものを私は強く支持するものだからです。拙著「人間の本性を考える」で述べたのは、人類の見通しはユートピア的であるよりは、悲劇的であり星屑のようでも金のようでもなく
エデンの園に戻る道はないということです(ここは、一神教ではなく多神教のテーラワーダ仏教で「悟り」を開く方法でブッダが道を説いています)
しかし、私の世界観は、あの本の出版後の15年間にだいぶ明るくなりました。人類進歩に関する統計に親しんだことで、それは暴力に関するものに始まり今では幸福度に関するあらゆる側面に及んでいますが。
私は確信を強めました。苦難や災難を理解すると人間の本性が、元凶になっていますが啓蒙主義の規範と制度に導かれた人間の本性は、問題解決の鍵にもなるということです。
確かに、私のデータに基づく人間性一般についての洞察は、身に付けるのが容易ではないでしょう。知識人の中には、私の著書「Enlightenment、Now」に怒りを示す人もいます。
第1に、知識人が進歩を毛嫌いするとは何事だと。第2に、進歩があったなんて何て馬鹿げたことかと。
彼らも他の人たちと共に「進歩なんて」と冷ややかな目で見るだけです。何十億もの人命を救い病気を根絶し、飢餓にあえぐ人に食べ物を与え子供たちを教育するって?そんなの退屈だと。
一方で、読者の多くから感謝の言葉もいただいています。世界観を変えてくれたという感謝で無感覚で無力感しかない運命論から救い出し、より建設的で壮大とさえ言える見方に変わったと。
私は、啓蒙主義の理想には、人々を鼓舞させるような語りがあると信じていて、私なんかより芸術的センスがあって美しく表現できる人ならもっと上手く説明し、広めてくれると思いますが、それはこういうものです。
我々は無慈悲な宇宙に生まれ生命を可能にする秩序のわずかな勝算を前に、常に崩壊の危険にさらされている我々は容赦ない競争的なプロセスで形作られた曲がった木から作られ、幻想や利己主義という弱さを持ち時に驚くような愚かさを見せる。
それでも人間の本性は、自らを救うための場を開く資源に恵まれているアイデアを再帰的に組み合わせる力を与えられ、自分の考えについて考えることができる言語の素養を持ち、自らの創意と経験の果実を共有できる共感と哀れみと想像力と思いやりと同情の力による深みを持っている。
これらの資質は、その力を拡大する道を見出した書かれ、印刷され、電子的になった言葉よって言語の及ぶ範囲は拡張されている。
我々の共感の輪は、歴史とジャーナリズムと物語の技術により拡大され、我々の貧弱な理性的能力も高められてきた理性的な規範や制度によって知的好奇心や開かれた議論、権威やドグマに対する懐疑、現実に突き合わせることでアイデアを確かめる。立証責任によって。
再帰的な改善の循環が、勢いを増し、我々を押し潰そうとする力や我々の本性の暗い部分に勝利を収める生命や心を含む宇宙の謎に切り込んでいる。
我々はより長く生き、苦難を減らし、よりよく学び、より賢くなり、より多くの小さな喜びや豊かな体験を楽しんでいる。
他の者に殺され、襲われ、奴隷にされ、利用され、虐げられる者は減っている。わずかなオアシスから平和と繁栄の地は広がり、いつか地球全体を包み込むだろう。
多くの苦難や大きな危機は、まだあるが、それを減ずるアイデアが出されまだ考え出されていないアイデアが無限にある。
完璧な世界などなく、それを求めるのは危険でさえあるが、人類の繁栄のために知を適用し続ける限り、我々になせる改善に限りはない。
この英雄的な話は単なる伝説ではない。伝説は作り事だが、これは真実である。
我々の最善の知識においてではあるが、それが我々に持ちうる唯一の真実なのだ。学ぶにつれてどれもが真であり得、どれもが誤りになり得る中から話のどの部分が真であり続け���の部分が誤りか示せるようになる。
この物語は、特定の集団のものではなく、人類全体のものであり、論理的能力と生きようとする衝動を持つ知覚力のあるどんな生き物にも属するものである。
それに必要なのは、生は死よりも良く、健康は病気よりも良く、豊かさは欠乏よりも良く、自由は抑圧よりも良く、幸福は苦難よりも良く、知識は無知や迷信よりも良いという信念だけなのだから。
ありがとうございました。
2020年の新型コロナウイルスのパンデミックは、戦争やテロなんかよりも人命を遥かに多く奪っています。これが真実。
2020年の新型コロナウイルスのパンデミックは、戦争やテロなんかよりも人命を遥かに多く奪っています。これが真実。
2020年の新型コロナウイルスのパンデミックは、戦争やテロなんかよりも人命を遥かに多く奪っています。これが真実。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(個人的なアイデア)
当店は、新型コロナウイルスのパンデミックで明らかになったこととして・・・マイケル・サンデルも言うように
職人のクリーニング店は服をきれいにするだけではなく・・・
同時に、100年前からエッセンシャルワーカーとして公衆衛生体験という経験も安定して提供しています。
安定以外の究極的な公衆衛生体験にはロックダウンや緊急事態宣言などが含まれた形になります。
<おすすめサイト>
ダン・アリエリー:人はどれだけ平等な世界を求めているのか?―驚きの実態
ポール・ピフ:お金の独占が人と大企業を嫌��ヤツにする?
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08.16-17.2023の日記
私に17日は存在しません、それは16日の残影としてあるもので、昨日着た服のまま馴染みのない町を歩いた時もほとんどずっと16日の反芻に費やされてしまった。
でもこのピザのお店は入りたかった。
16日は君島大空合奏形態を観に行きました。渋谷のクラブクアトロ。ちょっと訳わかんないくらい久しぶりに行ったけど柱が邪魔、ということと、駅までの道のりは記憶していて、私は渋谷だけどれほど人が多くてもなめらかに早く歩くことができる、ということを思い出しました。新宿で同じように歩くと必ず誰かにぶつかるんですよね。ぶつかってくる人がいる、が正しいかもしれない。腕で制御されたこともあります。あの種の人たちになぜか渋谷で会ったことはないです。足が浮くほどの満員電車やそのどさくさに紛れて体を触ってくる人たちはそう変わらないのに、何が違うのでしょう。
君島大空さんを観るのは6月ぶりです。前回は西田修大さんというギタリストと二人組の鏡鏡鏡鏡というユニットの演奏でした。対面する2人を360度囲むように用意された観客席で私は西田修大さんの真後ろ、君島大空さんの正面を最前列で観て、こんな近くで観ることがあるんだと思っていたけど今回のクアトロでも最前列の小柄な方2人の隙間に立つ形で視界を遮るような人の姿はなく、ほとんど真正面から君島大空さんを観るような位置でした。映画館と同じで、前に行けば行くほどみあげるように首を後ろに傾ける必要があり、終盤は若干首が疲れました。もちろんそんなことはどうでもよかった。どうでもよくなるようなものを観ました。
今回は君島大空合奏形態という4人編成での演奏です。鏡鏡鏡鏡でも観た西田修大のギターに、もうあらゆる所で名前を目にする石若駿さんという人のドラム、king gnuでの活躍が知られる新井和輝さんのベースが加わっていて、それぞれの演奏者のファンなのだろうという方々も会場には足を運んでいます。私は君島大空ばかりすきですが、君島大空の少し後ろの奥まった場所でベースを弾く新井さんの佇まいを今回初めてまともに拝見したら確かにこれはすかれるだろうな、と思いました。決して前に出ることはないのにずっとにこにことしていて、
でもなんか、私は結局君島大空さんのファンなので、真正面に立ってしまうと他の方々のことはどうもうまく観ることができませんでした。他の方が何をしているかよりも君島大空さんのひどく薄い生地で作られたチャイナシャツがかわいいこと、照明の加減によってはその布で覆われた腕の形が影になってはっきり見えること、どうやら薄くペイズリーのような模様があしらわれているらしいこと──などを観ていました。あのー、私も最近チャイナシャツみたいな拳法着をよく着ているので尚更に気になったのです。君島大空さん、最近はただただ見目がよくなったように思います。演奏それ自体にびっくりすることにならんで時々ハッとするほどその容姿にも驚くことが増えました。
合奏形態での演奏をいままでこんなに近い距離で観たことがなかったのですが一人での演奏とは楽曲の響き方がまるで違うので、そのことにいつも笑ったり驚いたりしていて、ずっと面白かったのですが、今回こと、印象に残っているのはアンコールの手拍子の後一人で現れた君島さんが普段は禁止している録画を解禁、どころか推奨するのでぜひカメラを向け、撮影したものをぜひインターネットに載せて欲しいと言ったことです。
私は普段撮影自体が可能な演奏会場であっても撮影、録画、録音をすることがまずありません。踊りにくくなるし腕も疲れるし。撮り始めるとカメラ越しの視点になってしまいせっかく目の前にあるステージを観なくなるので、でも今回はiPhoneのカメラを立ち上げました、さすがに!──それで、撮影が許されたのは新しく発売される君島大空さんのフルアルバムの予告編だったのですがその場で即興的に刻んだり音声を重ねている君島さんはどちらかというとDJのような佇まいで、去年、DJデビューしたいな、とそういえば言っていたことを思い出したりして、8分弱のその短い動画を私は繰り返し観ているのですが、なるほどすきな人を動画に収めるということは本当に面白いことだと知りました。
私はフィルムカメラをけっこうよく使っていた時期があるんですけど、殆どはロシアが他の国で生まれたカメラを模して作った結果奇妙な光の入れ方をするようになってしまい、果てはそれが個性としてあいされるようになった種類のもので、トイカメラと呼ばれている気がしますが私の使っていた機種はKIEV35だとかLC-Aだとか、それにしてはやや重ためのもので、だけどまぁ共通して嘘つきです。
これらを私が中高生の頃購入した渋谷にあったlomographyという会社がやっていたお店のコピーは〈目に映るすべて〉みたいな言葉だった気がします。〈目に映るものすべて〉だったかな、とかく、映したものを写しだすことを謳っていましたが、それらのカメラで何かを写しだすと表れるのは自分の目にいれたものとはまるで違う光の取り込み方をした別の目による対象でした。私によって押されたシャッターは、しかし私ではない目でそれらを焼き付けるのです。
私はそのことがずっと面白かった。大体は暗すぎたりぶれすぎたりで何が写っているのかも判別できないものでしたがだからこその奇跡も頻繁にありました。大嘘つきだから書ける詩のようです。何十枚の中に数枚出てくるその詩をたのしみに私はシャッターを押し、現像屋さんに足を運びました。そこにはいつも見てはいないものが写っていました。でも時々、見たものを見るよりもずっと、そこにいたことを思い出すことのできる装置が存在してました。嘘は詩で、詩は装置です。
私はそのくらいの頃から、ありとあらゆる詩になり得る嘘がすきです。それはただの嘘つきにはもちろん書けないものですが、最近のインターネットには模造品がたくさん存在しています。模造品の嘘に装置としての機能はありません。
そして動画、最近のiPhone程度の性能で撮影されたものであれば、それはかなり目に近い、ということを知りました。腕の位置があまり動かないように気を遣いながらiPhoneの画面からは視点を外してステージを眺めていましたが、渋谷を離れる電車の中小さな画面に収まった動画を再生してみるとなるほど、先ほど眺めていた君島大空さんの姿がほとんどそのまま手元に残っている気がしたのです。
近すぎる位置から見上げるような角度から眺めた人の顔というのは大抵が正面から見る時と雰囲気を変えるので、例えばこれがプロによる撮影であればこの角度からカメラを向け���ことはないだろうな、という位置で映していてそれが惜しいといえば惜しいのですがでもだからこそ尚更、〈私が、ここで、この位置で、君島大空を観ていた〉ことの記録に変換されました。視点の外部委託です。カメラという体外の眼球!
この体験はすごく興味深いです。演奏をずっとカメラまわして観ている方々ってわりとよく見かけますがなるほど、こういう面白さをずっと知っていたからなのか、と思います。なんで教えてくれなかったの?
夜が深くなっていく電車の中で発表されたばかりの君島大空さんのフルアルバムリリース情報は私のTwitter(まだTwitterって呼びます!)のタイムラインを賑やかにしていて、ずっとそわそわしていた私はそのいちいちを追っていましたが色々なサイトで同じように引かれている2nd album conceptの一部にはこう書���れていました(一部抜粋、とどこにも書いてありますが全文はどこですか?隠し扉を見つけないと読むことはできないみたいな感じなのですか?)。
"今作は季節に並走し、今自分が出したいものが集まった場所から見える景色や匂いを体内/体外へ(再)提示したいと思ってます"
この文章を読んだ時に外部委託した眼球、みたいなカメラで収めた動画を何度も実際の目で取り込み直すことをあの時、あの会場にいた全員に推奨したのは次に出るそのアルバムで君島大空さん自身がしようとしていることに重ねてだったのかしら、と、ひどく腑に落ちました。
再生はいつだって体験の更新です。再現にはなりえず、でもそれと錯覚してしまう。私が録画した動画の再生を繰り返すことも、本当はもちろん忠実な記憶の反芻ではありません。その場では見えなかった細部に目を渡すことになるし、繰り返していくたび定着していく一語一句や音の記憶と共に、その場で感じた空気を手放します。だから記憶の再現をしたければその記録を再生するよりも詩の力が必要になる。
正直で凡庸なiPhoneより嘘つきなトイカメラが書く詩が、という話です。
そしてそれは君島大空さんの得意分野という気がします。前回のアルバムを制作時にはずっと『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』という伊藤亜紗さんの著作を読んでいたという話をしていましたが、私はこの話を一生します、うれしかったので!、まさにヴァレリー自身が忠実な記録としての言語よりも何かを想起させるための装置として詩を捉えていました。
君島さんはずっと、説明のためではなく詩をかくために言葉を扱う人だと思っています。インターネットで模倣品の詩がごろごろ転がっていることにけっこう辟易していた頃に読んだ君島大空さんのnoteに私はずっとびっくりするような衝撃を受け続けているんですけど、正確であることから離れることでむしろ想起には近づくことをすごく感覚的にわかっていて、実行している。私は君島大空さんの音楽を聴くようになってからそのことにずっとたすけられています。
"アルバムには“no public sounds”と名前を付けました。
SoundCloudで公開された音源に、再びアクセスしたとき、その楽曲が削除されていた場合にブラウザに出るメッセージです。
なくなってしまった場所に克明な居場所を見つけようとする実験です"
装置によって想起されるものはでも手元に形として残りません。再生はいつだって体験を更新してしまう。私たちは音楽を、詩を、繰り返したのしむことはできても二度と初めて聴くことや読むことができないし、あの時、あの場所で再生した自分とは違う取り込み方をしている。
だから私たちはいつだってその形のない想起を期待して再生します。それは私とあなたの会話のようなものです。対面してやりとりをしても、何を感じとられたのかを知ることはできない。あなたの頭が、耳が、目が私をどう捉えているのか知ることはできない。
だからいっそ私でもあなたでもない所を分かち合う、という共有です。それが、言葉です。過度に自分のものにしてはいけないし、過度に相手に委ねることも違って、お互いの間に、手の届く場所になんとなく置いておくようなこと、
(これは最近職場のえらい人のTwitterみて影響された言葉です)
手元に形として残っていないもの、場所、人や記憶、あったのか?と時々自分をひどく心細くさせるものたちの存在を、君島大空さんの音楽はただ頷くように肯定してくれるようなところがあるので、先ほどから言っているように、もう私はそれにたすけられているので、いまさらそれを実験?とすら思うのですが、たのしみです、たのしみですねぇ!だから、この全文はどこですか?
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短編映画 #満員電車に染まる頃には。 監督・主演 今井柊斗 2023年3月23日 開場/19:00 上映/19:20 上映後、登壇あり♪ ユナイテッドシネマにて一夜限りの上映会があります。 高校生が作った映画。 こちらに山崎も出演♪現場楽しかった〜! 完成楽しみ〜!皆さん一緒に若い才能を観ませんか? そして高校生の彼らがゼロから作り上げられたのだから、みんなやれるぜ!と感じて欲しい! #短編映画 #自主映画 #満員電車に染まる頃には #リクオ #満員電車 #今井柊斗 #菊地梨希 #山崎大昇 #サトウヒロキ #小林泉水 #小野晴子 #山本寛也 #河瀬翔太 https://www.instagram.com/p/Cpz6GjZJWJm/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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桜林美佐の「美佐日記」(225)
後ろ向き思考からポジティブ思考へ
桜林美佐(防衛問題研究家)
───────────────────────
おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、225回目となりま
す。
秋頃にインドに行くかもしれないということで、
その期間の仕事依頼を断り、心の準備をしていまし
たが、予定がなくなりました。
この時に思い出したのは、自分の運命は自分が決
めるという教えです。コロナの後遺症がすでに1ヶ月
も続き、ちょっと電車に乗るだけでも乗り物酔いの
ようになってしまうのに、海外に行くなんていかに
も大変そうだという思いがどこか片隅にあると、な
ぜかその計画は実現しなくなるのです。
もちろん、健康な状態に戻りたい!と思っている
ことには間違いありませんが、一方で、自分が弱く
なっている状態が当然と脳が覚えてしまったり、何
らかのメリット(というと大変語弊がありますが)
を見い出してしまう、それも「無意識に」というの
が人間にはあるのかもしれません。
例えば、ハラスメントの問題などでも「被害に遭
っている」という状態が心にインプットされてしま
い、その状態を変えないことがノーマルな状態にな
ってしまうということです。
改めてそのことに気付かされた私は、全ての行動
に先入観や潜在意識により左右されていることがな
かったか思い起こしてみました。
う~ん、確かに、ある!掘り起こすとけっこうあ
るんですよ。
例えば、先日は15年も前に書いた拙著『終わらな
いラブレター』(PHP)を読んで下さった方から、
この本についての講演を依頼されたのですが、この
ような話がウケるのだろうか、という懸念が勝手に
浮かんできてしまい、変な汗をかきっぱなしでした。
また、別の日には防衛関連企業の新入社員向け研
修の講師を務めたのですが、これはすでに昨年も経
験していたものの、アンケートに「分かりにくい」
「話が長い」と書かれていた記憶が蘇り、目の前の
人たちにまた同じように書いている映像が見えてき
てまたも変な汗が止まらないわけです。
そう、もうお気付きだと思いますが、私は超ネガ
ティブThinking人間なのです。そして、ほとんど自
覚がないのです。勝手に映像が出てきてしまうので
す。それを止める努力をすると、なんと日中ではな
く夢の中で酷い目に遭い、うなされて飛び起きるの
です。
潜在意識の中に染み込んでいるのでしょうか・・。
小学生の頃に微熱が続き入院したことがありますが
「考えすぎ」病みたいな診断を出されたことを思い
返すと、やはり全く悩みがないつもりなのに知らず
知らずの「考えすぎ」の癖があるのでしょう(その
まんまですが!)。
この問題の難しいところは、何も考えないように
しようとか、それらに向けて「努力しよう」とする
と、私の場合、寝ている間に悪夢に襲われたりする
ため、どうも「努力する」という姿勢は好ましくな
いようです。
リラックスしたらいいとよく人は言いますが、こ
れはけっこう難しいのです。そこで今回、コロナに
かかったことのメリットを発見したのですが、それ
は思考能力が低下したことです!
そう思うと、コロナで長期間グダグダになったこ
とはかなり良い面がある���けです(前向き!)。
さて、ネガティブ思考といえば、防衛省・自衛隊
もその代表格と言えるのではないでしょうか(失礼
お許しを!)。
考えてもみて下さい、防衛費が大幅に増額され、
これからどんどん今までの不足分が満たされていく
はずなのに、なんだか明るい空気が伝わってきませ
ん。
それどころか、予算を使うのが大変、製造能力が
追いつかないというマイナス要素が湧き上がってい
ます。
例えば、この時期いつも話題になるエアコン問題
も、早急に基地・駐屯地で暮らす自衛官たちがしっ
かり寝られるよう整備を進めてもらいたいですが、
かなり時間がかかる様子です。
昨今、民間でもエアコンの修理や取り付けをする
人員不足で数週間待ち、1か月先も、などという状態
ですので仕方がないのかもしれませんが、何か解決
手段はないのか、もっと考えてもらうことはできな
いものか、と思います。
なんとなく、自衛隊における隊員のいわゆる「快
適化」に向けた動きというのは遠慮がちなのではな
いかという印象を持ちます。これを優先すると批判
されるかも、ということがどこかに残っているので
はないかと。
しかし、エアコン(が無い)問題は、河野太郎防衛
大臣の頃から公然と指摘していたことからも、この
まま着手が進まないと、国会で問題視されたり、予
算増を認めたのに何をしているんだということにな
りかねず、立派な「優先事項」だと私は思います。
そして、募集が厳しいのでその対策に知恵を絞っ
ているようなことを言っていますが、入隊したら暑
くて夜寝られないということでは人気が出るはずが
ありません。
そしてもう一つ、前向きに捉えてもらいたいと思
っているのは、私がかねてから提案しているものの、
どうも評判が悪い、いわゆる「貧困層」へのアプロ
ーチです。
2019年の調査では国内の13.5%の子ども(1
8歳未満)が貧困状態であるとされています。日本
の7人に1人の子どもが貧困に陥っているというので
す。
特にひとり親家庭の子どもが貧困状態となってい
て、その貧困率は50.8%と先進国の中でも最悪の水準
なのだそうです。
以前も、自衛隊による「子ども食堂」への支援を
呼びかけたことがありますが、多くが猛反発。
簡単にその理由をまとめると「自衛隊が非難され
る!」ということでした。とはいえ、そんなことは
想定内なのです。
実際「子ども食堂」に自衛隊募集担当者が訪ねる
などしたこともあるようですが、案の定「札束で子
どもを釣るのか」といった非難を浴びたようです。
こうした支援団体は左翼グループが多くを占めて
います。でも、弱者に手を指しのべることはイデオ
ロギーを超越すべきことです。
防衛費を増やしたことと貧困家庭が増えているこ
とを関係があるかのような言説もあるようですので、
むしろ防衛省・自衛隊がここに乗り出すのは必要で
はないかと思います。
そのためにはこれまでの後ろ向き思考を捨てて、
力まずにポジティブな態度が求められる気がします。
今日も最後までお付き合い頂きありがとうございま
した。皆さまにとって素敵な1週間となりますように。
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11.「個人の判断」の話
3月13日から、マスクの着用について、屋外屋内ともに「個人の判断」に委ねられることになった。その日一日を過ごした感想としては、それまでとほぼ変わらないなと思った。そもそもなんでこんなにマスクをしてたんだっけ、とふと思っただけだった。人の目の前で咳払いやくしゃみをすることは、いちおうコロナ以前からよくないとはされていて、顔を逸らしたり、口元に手を当てたりして回避するというのは常識、というくらいだった。それがコロナ禍では、同じ空間にいる人が大声を出したり、たくさん喋ったりしているだけでも感染が拡大する、というので、みんなマスクをつけましょう、となったのだ。また、感染しているのに症状がほとんどないために自覚がない人もいるので、全ての人がマスクをすることが必要になったわけだ。それも、義務として強制されているのではなく、あくまで「お願い」ベースではあった(そういえば、コロナ禍最初の頃の緊急事態宣言下での外出をできるだけ減らす(不要不急の外出はしない)というのもまた「お願い」であった)。でもこの「お願い」が、日本人の集団意識にどのくらい影響を及ぼしたかは、言うまでもない。いまだに、誰かに何か文句を言われるくらいなら、とかなり多くの人がマスクをし、屋外で外していたとしてもポケットなどに入れて持ち歩いていると思う。
ここまでくると、マスクをすること以上に、マスクをしないことに強い思想信条があるように思われるようになった。実際にそのような人もいるのだろうが、もともとマスクはあまり好きではなく、花粉症の時期でもほとんどマスクをしないで過ごしていた私にとって、マスクをしないことの方が何らかの強い意志があるとみな���れそうだと感じた時が、マスクをつけて出かけるようになった転機ではあった。今となってはもはや日常に溶け込み過ぎて、何も考えずにいても自然とマスクをつけて家を出るようになった。屋外ではマスクは息苦しいので外している(正確には、下にずらしている)ことが多いが、花粉症なのでせっかくだからつけようかなと気まぐれでつけてたり、屋内に入る時は何となく気まずいからつけるかと思ってつけてみたり。もはや感染するかどうかとかはほとんどの場面で頭になかった。
そんな中、今から1ヶ月以上前、コロナを5類に分類する前段階として、3月13日からマスクは個人の判断にすると報じられた。もはや感染者が増えていようと減ってきていようと、その増減自体が人々の「マスクをしようかどうか」という意識に影響することもなくなった。そんなことより、マスクをしてないことで気まずいかどうかと、マスクしている環境に慣れ過ぎてマスクなしで密度の高い場所にいるのが生理的に嫌な感じがする、というところのような気がする。コロナ禍になる前は、満員電車に平気で乗り、赤の他人との顔の距離が20センチとかなんてザラだった。私はというと、小学生から満員電車を使って通学したことで、すっかり懲りて満員電車に極力乗りたくない大人に育ち、大人になってからは満員電車に乗らなくて済む生活をしている。満員電車に日常的に乗っている大人たちの多くはおそらく、初めは違和感を感じたとしても、周りの人がそうしているのを見て「そういうものなのだ」と理解し、あるいは諦め、そして慣れることで、それを日常の中に落とし込んだのだろう。コロナ禍では、感染予防という目的のために、みんなが一斉にマスクをつけ始めた。そして逆に、いよいよマスクを外す時��なった今はどうだろうか。感染予防という目的が終わったかどうかというよりも、周りの人の目や世間の雰囲気を見計らっている。これは果たして、「個人の判断」といえるものなのだろうか?
マスクが個人の判断とされて翌々日くらいに、図書館からの道を歩いていると、後ろから救急車がやってきて、私を追い越して少し前で止まった。そそくさと出てきた数人の救急隊員は、普段そのへんを歩いている人はとてもしていないような、硬い素材で作られ真ん中に何かがついているタイプの、なんだかすごいマスクをつけていた。分厚くて、この陽気じゃ暑くて蒸れそうだし、顔に当たる部分は痛くなりそうなマスクだった。それは感染した人を運ぶためだからなのか、その可能性があるからなのか、それとも医療従事者だからなのか、周りの人を安心させるためなのか。そこに本当に個人の判断はあるのだろうか。医療従事者は衛生面などもあるから、完全にマスクを外すことはないのかもしれないが、その本人や周囲の人の感染から守るためのマスクは、それよりもむしろ面倒な他人の目線から我が身を守るためのものなのかもしれない。マスクは、皆がつけ始めるまでよりも、皆が外すまでのほうが、何倍も時間がかかりそうだ。(2023.3.18)
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貝塚市水間寺会館リフォーム工事
貝塚市木積小屋修復工事
貝塚市水間町 新築 リフォーム坂口建設
私が小学生1年のはじめの頃
帰り道のお地蔵さんまで迎えに来てくれてる母のもとにトボトボ歩いていた。
すると道端に百円玉が。
何故か百円を拾ったことより、母にそれを自慢できる気持ちが大きく、走ってお地蔵さんに。
「みてみて百円拾った」
と報告すると、それを派出所のお巡りさんに渡しておいでと言われ、近所の派出所に。
恐る恐る派出所に入ると奥から子供やっからかがたいの良いお巡りさんが出てきて、どうした?と聞かれた。
なんとか拾った時の説明をしたと思う。
するとお巡りさんはニコニコしながら大きな手で頭を何度も撫でられ
ひとしきり褒めてくれた気がする。
そして褒め終わると、
「よしっ、着いといで」と言って派出所を出ると私の手をひいて、近くの八百屋さんに連れていかれた。
ちなみに日高の八百屋さん。
お店に入ると、八百屋さんですがお菓子の棚があり、お巡りさんはその棚から3つほどのお菓子を選んで素早く会計を終えると、
店先でボッーと立っている私の前にかがんで、両手にそのお菓子を持たせてくれこう言った
「お金を正直に届けてくれたお礼や、家に持って帰ってたべや」
そのお菓子がロリータとルマンド、もうひとつはカステラだったような。
あの百円はどうなったかのかは、分からない。
でも50歳になった今でもエエ思い出。
善き頃の日本もうないかな?
とそしてこの今日のお話
昨日仕事帰りにホームセンターにネジを買いに、ホームセンターでの支払いはホームセンターの専用クレジットカードを使う、
いつものようにカバンから財布を出して決まったポケットからクレジットカードを、
精算を終えてまたカードを財布に、財布をカバンに入れて車で帰宅。
その後夕食を終えてコンビニに買い物に行き支払いをと財布を取り出そうとカバンを見ると財布がない?
おかしいなと思いつつも精算はスマホで決済!
家に帰って財布を探すが見当たらない。
落とした??
と記憶をたどり最後に財布をだしたホームセンターにと思ったが既に閉店。
そして今日、朝から起きてホームセンターの開店と同時に向い、昨日車を停めた駐車場あたりを見回すがあるわけがない。
店内で知り合いの店員さんを呼び止めて、事情を話して落とし物を調べてもらうがやはり届いてない。
財布には免許証に保険証、クレジットカードと、ありとあらゆる個人情報が、
たいしたことないんですけど、いやいや現金が、
それもあんまりたいして入ってないけど一万円未満かな?
諦めて近所の先程の三ケ山派出所に紛失届を出しに、
もちろん免許証がないのでジュディーの介護付き(-_-;)
クレジットカードを一時停止してもらうにも、警察にまず紛失届を出してそこで受理番号が必要。
三ケ山派出所は警察官が常駐してなく、留守の時はそこにおいてある固定電話から決められた番号に連絡すると貝塚警察署に繋がり、近くにいる連絡を受けた警察官が来てくれる。
待つこと10分、一人の警察官がバイクに乗ってきてくれた。
中に入って一通り説明をして書類を作成してもらう、そして警察官が貝塚警察署に受理番号をとるのと同時にとりあえず落とし物のとどけがないか確認の電話をしてくれた。
その会話を少し遠くで聞きながら壁に貼ってある三ケ山派出所周辺の大きな地図を眺める。しかし頭の中では帰ってからのクレジットカードの停止の電話や免許証の再交付などの手順を考えていた。
すると電話してる警察官の声のトーンが一気にあがり
「はいっ!えっ、えっ、えーー!」
このリアクションはまさか?財布あったとか?
いやいやそんなはずはない、変に期待をするのはやめよう、警察官同士の別件の話をしてるのだろうとまた地図をながめようとしたら警察官が受話器を外し手でおさえながら私に
「坂口さんに財布にICOCAカード入ってました?」
確かにはいってた、警察官には財布の中身を聞かれて、クレジットカードや免許証などの説明はしたが、どうせ見つからない財布にポイントカードや少額しかチャージされていないICOCAカードの説明は省略したのだ。
そしてICOCAカード入ってましたと伝えると続けて
「印鑑証明証カードとかも?」
と聞かれ少し前に印鑑証明証を上げることがあり財布に入れたままの事を思い出す。
入ってました!!
そして警察官はこう続けた
「財布ありましたよ、届けがあったみたいです、ただ、坂口さん濃い緑とおっしゃったんですが、なんか焦げ茶と言ってるんですが?」
と不思議そうな警察官。
それを聞いた私は恥ずかしくなった。
というのも、皮の財布が好きで使い込むと馴染んで使いやすい形になるのが好きで結構使い込む。
今回のやつも最初は綺麗なオリーブ色。
それが作業着のポケットに入れたり長年持つとどうしても汚れがでてくる。
ジュディーにも変えたらと言われつつも今に至る。
オリーブ色が焦げ茶か!
「すいません、焦げ茶でした(^o^;)」
その後電話で少し話した警察官、その電話の内容を親切に説明してくれた。
「昨晩、財布を拾ってくれた方が、この派出所に届けに来てくれ��のですが、警察官がやはり居なくて、私と同じように置いてある電話で貝塚警察署に電話をかけた、そして電話に出た警察官が対応するとどうも外国人の方らしく日本語がカタコトで話せず、とりあえず財布を拾ったのでここに置いておきますといって電話をきったらしい。
貝塚警察署から付近にいる警察官に連絡が入り慌てて三ケ山派出所に来るも、既にその人はいなかった。」と言う。
えっ?お礼も言えないのですか?
しかも日本語を話せない外国人の方が、派出所まで来て財布を届けてくれた?
なんとも、私にとっては偶然とはいえ感謝の言葉しかありません。
最近 家の近所にも外国人労働者の方が沢山来ていて、勝手な想像で少し治安の面なども気になっていた。
そんな私の財布を届けてくれたのが、外国人の方とは、
ダメですね、何でもひと括りにして決めつけてしまうのは、反省です。
お陰様で今日はお昼から嫌な気持ちで地味な作業をしなければと思っていたのが、
それがそれが、ゆっくりハートフルな気持ちで過ごさせていただきました。
ちなみに拾得物のお礼は5%〜20%というような説明も警察官からうけたのですが、今回はそれすらもお返しす���ことができませんでした。
どうか皆様、三ツ松付近で知り合いの外国人の方が財布拾って三ケ山派出所に届けたという話を耳にしたら、是非教えて下さい。
ちゃんとお礼をお伝えしたいと思ってます。
善き日本、いや、善き世界!
明日からも真面目に頑張ります。
神様今日もありがとう。
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鳴尾・武庫川女子大前駅
こんばんは。
・
僕は電車で手持ち無沙汰になるといつも路線図を探す。
路線図が近くにあるとラッキーなんて思ったりしてしまう。
行ったことのない駅、読み方の分からない駅、そんな土地に思いを馳せて、どんな街なのか、あれこれ妄想に耽ってみる。
・
先日、午後に空きができた。
ちょっとプチ旅でもしたい。
でもどこに行ったらいいものか。
そんな訳で、ルーレットを作り、行く場所を決めた。
服屋をしているのだがら、折角ならその日の装いに当店の取引先のアイテムを着ていこう。
結果、「阪神本線」の「鳴尾・武庫川女子大前駅」に「YUKI SHIMANE」のアイテムを着て行くことが決まった。
降りたことのない駅に期待は高まり、先月の"YUKI SHIMANE" のイベントで、デザイナーからも着用して違和感が無いと、お墨付きをもらったこのトップスをコーデに取り入れて行くことにした。
蛍光イエローのニットキャップに、青のパンツ、そして、水色と黄色がアクセントになったスニーカー。
派手な色のアイテムばかりになるのだが、"YUKI SHIMANE"のトップスが全てを受け止めてくれた。
"YUKI SHIMANE" のトップスを最大限活かしたコーデになるのではないか。
自画自賛。
そんなコーデが組めたと思う。
基本、この旅は事前に何があるかなんて調べない。
全て、行き当たりばったりの旅だ。
でも、一つだけ決めていたことがある。
阪神本線を引いたからには、必ず南側へいこう。
海を見にいこう。
それだけは決めて電車へ乗り込んだ。
・
夕方ということもあったせいかなのか、大学前の駅にしては思った��上に静かだ。
改札をくぐり、まずは南側へ。
43号線沿いに歩き、武庫川女子大学前の歩道橋を渡り、路地へと入る。
ここからは、面白そうな雰���気のある方へと、ただブラブラと向かうだけだ。
・
早速、歩いて数分経つと、公園を見つけた。
シーソーやブランコなど定番の遊具から、見たことのないジャングルジムのような遊具まで。
公園の半面はグランドのようなスペースになっており、小学生がサッカーをしている。
陽射しが傾く公園の片隅でそんな様子を見つつ、赤く色づいた木々を見上げる。
夕日が照らす木々の葉は、一層赤く、美しく見えた。
・
公園を後にすると、今度は銭湯が見えてきた。
青空に映える銭湯の煙突。
そんな風景が、どこか懐かしい気持ちを呼び起こす。
思わず、立ち止まり煙突を眺めてしまう。
そして、少し先には、酒屋が並ぶ。
チラッとみると、どうやら角打ちができるようだ。
まだ16時過ぎだというのに、既に店内には常連さんがいる。
なんだかそんな様子を見たら、妙に信頼がおける店のような気がして、
「今日の帰りはここで1杯引っ掛けてから帰ろう。」
なんて心に決めた。
しばらく、細い路地をフラフラと彷徨っていると大きな通りに出た。
「臨港線」と書いてある。
なんて、響きの良い路なのだろうか。
素敵な名前「臨港線」。
そう、心の中で呟きながら道路を横断すると、徐々に海の気配が漂い始める。
すると、西日の中に、一際高くそびえる建物が目に入る。
その正体が気になり、海へ行く前に寄り道がてら、その建物を目指して歩き始める。
徐々に近づくにつれ、その建物が周囲の他の建物に比べ、異様に高いことを実感する。
そして、ついにその麓まで来ると校門が見えた。
遠くから見えた建物は、武庫川女子大学付属中学・高等学校の時計塔だった。
校門前でそれを見上げていると、中から生徒が出てきた。
皆、校門で振り返って、校舎に礼をして帰路へ着く。
それは学生だけでなく、中で働く職員の方も行っていた。
西日がさす校舎に向かって礼をする姿が、どこか儀式的で、思わず目を奪われてしまった。
・
さて、進路を再び南へ。
おそらく海はもう目と鼻の先だ。
あちらこちらにコスモスが咲く、小さな川沿いを歩いていると、支柱が連なる建物を発見した。
西日を浴びて、不気味な雰囲気を醸し出すその建物。
どうやら公園の一部らしい。
その支柱は、少しだけ階段を登った場所にあり、下には広場が見える。
僕は、その建物を「鳴尾のパルテノン神殿」と名づけた。
不思議なもので、名前をつけた途端、先ほどまで放っていた不気味な雰囲気は一瞬で取り払われた。
僕は「鳴尾のパルテノン神殿」に立ち、周囲を見渡す。
下の広場では、バレーボールをやっていたり、ランニングをしていたり、親子で野球をしていたり。
どこか懐かしい風景が目の前にあり、小学生の頃、友達と日が暮れるまでボールを追いかけていた頃を思い出した。
・
少し離れた場所から夕陽の差す「鳴尾のパルテノン神殿」を振り返ってみると、さっきより、ちょっと威厳に満ちているような気がした。
もしかすると、鳴尾の謎の公園の建物も、僕が「パルテノン神殿」と名づけたことで、その自負が芽生えたのかもしれない。
そんなことを思いながら公園を後にした。
そしてようやく、今日の一つの目的でもある海へ辿りついた。
夕日が沈む直前の海。
あまりの美しさに、頭を空っぽにして見入ってしまった。
・
水面にも空にもオレンジのグラデーションが広がる。
空を見ると、飛行機雲が見えた。
あの飛行機はどこへ向かうのだろうか。
青からオレンジのグラデーションに彩られた空を走る飛行機雲を眺めながらそんなことを考えていた。
そしたら、いつの間にか飛行機雲は消えていた。
・
日も沈み、あたりが暗くなり始めた頃、僕は海を後にした。
帰りは来る時と違った道を選んで、フラフラとしながら帰路に着いた。
・
勘を頼りにして、来る途中に見つけた酒屋を目指す。
この旅に地図など不要だ。
全ては、その日の出会い次第。
もし、見つからなければ、それはそういった運命なんだろう。
・
すっかり日も沈み、あたりは暗くなる。
各家ではご飯の準備をしているのだろう。
街を歩いていると様々な匂いが漂ってくる。
・
フラフラと鳴尾の住宅街を彷徨していると、暗闇の中に例の煙突のシルエットが見えた。
「見つけた。」
前まで行くと、常連の方々が中で盛り上がっている。
一瞬怯み、思わず通り過ぎてしまった。
でも、ちゃんと戻って来れて、ここで入らなかったら僕はきっと後悔する。
それに、この街で僕はまだ誰とも話せていない。
・
思い切って中に入ってみた。
すると、一瞬皆が止まった。
・
「1杯飲んでもいいですか?」
なんかいつもと比べて、声が変な感じに出た。
すると、常連さんが荷物を寄せて、席を作ってくれた。
「何飲む?」
「瓶ビールを」
「大中どっち?」
「中で」
「アサヒとキリンがあるけど」
「キリンで」
全国共通。
居酒屋で行われる儀式的なやりとりを一通り終わらせると、クラシックラガーの瓶が目の前に出された。
クラッシクラガーの瓶を見ると、なぜか安心してしまう。
ビールの中で、最も安心を与えてくれるのがクラッシクラガーだと僕は思っている。
この店に入って良かった。
この時点で確信に変わった。
・
ただ、さすがに急に入ったため気まずい。
酒だけが進む。
常連さんの会話の後ろから、冬眠を前に、猪が街に出てきたという被害を伝えるニュースが聞こえてくる。
「そういえば、昔、営業で向かった芦屋の山手で猪を見たなぁ。
あれも今頃だったかなぁ」
ビールを片手に猪との思い出を振り返る。
・
「なんでここに来たんだ」
それはあまりにも唐突な出来事だった。
急に、常連さんに話しかけられた。
「あっ。なんとなく、駅をふらっと降りて、気づいたらここに。」
油断していたこともあり、気の利いた一言も出なかった。
「なんだそりゃ。笑」
確かに、僕も「なんだそりゃ」だわと思った。
「ですよねぇ。本当に。でも、夕方に見た時に、この店には来たいと思ったんですよ。」と素直に伝えた。
「お兄さん。つまみここから好きなの選びな。」
ソーセージを1本とった。
「大将。このソーセージ。私につけといて。」
「えっ。それはさすがに、申し訳ないので。」
「いいのいいの。これくらい。」
断ろうと思ったけど、僕もきっと中津でこんな出会いがあったら、それくらいしちゃうなぁと思い、ここは気持ちよく奢ってもらうことにした。
「ご馳走様です。ありがとうございます。」
そこから常連さんと共に世間話をした。
ゴミ袋の話、大阪の話、いつもここに来ている話、世間は思った以上に狭い話。
なんだか、よくある話だ。
この駅だけが特別な訳もない。
どこでもできるたわいも無い会話。
ただ、今日の僕には全てが新鮮だった。
・
19時頃、お礼とお別れを告げ店を後にした。
暦では冬を迎えたというのに、夜になっても心地が良い。
それはほろ酔いのせいなのか。
それとも楽しい時間を過ごせたからなのだろうか。
・
駅に戻ってきた。
頭上には「阪神電車 鳴尾・武庫川女子大前駅」という文字が見える。
最初に見上げた時より、なんだか馴染みのある駅に感じられた。
この街に来れて良かった。
心から思えた。
僕は心の中で街に頭を下げた。
そして、改札をくぐり帰路に着いた。
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2022年12月5日
広島城「三の丸」整備と運営事業予定者に RCC代表の企業グループ(RCCニュース)
民間の資金やノウハウを活用して広島城のにぎわい創出を目指す広島市の事業で、施設の整備と運営を担う事業予定者に、RCCを代表とする企業グループが、選ばれました。
広島市は、民間事業者に商業施設の営業を許可し、その収益を施設の整備費などに充てる「パークPFI」と呼ばれる手法で広島城三の丸を整備します。
その事業者予定者として、RCCが代表で、TBS・中国新聞社・フジタなどあわせて11社でつくるグループ「広島城アソシエイツ」を公募で選びました。市の公募に応じたのは、このグループだけでした。
広島城アソシエイツは、2025年以降、三の丸に飲食店や土産物店を開業するほか、イベントなどに活用する多目的広場や駐車場を整備する計画です。
事業者予定者に選ばれたことについて代表企業のRCCは、「当社は広島城址に社屋を構えるロケーションをこれまで番組やイベントの制作に生かしてきました。中央公園一帯で新施設の整備が進む中、広島城をさらに魅力的なスポットにし、その価値を広く発信していけるよう関係事業者や行政とも連携し取り組んでいく所存です」とするコメントを発表しました。
広島市は、三の丸に歴史博物館を建設するほか、松井市長が天守閣の木造復元を目指す方針を表明するなど、広島城の観光拠点化を進めています。
「この価格そろそろ限界かも」 激安弁当、広島のスーパーがポップに込めた切ない思い(中国新聞)
食料品や電気代の値上げラッシュで、10月の消費者物価(生鮮食品を除く)は40年ぶりの歴史的上昇率となった。そんな中、スーパーの300円未満の「激安弁当」が家計の味方として存在感を増す。原材料の値上げは店にも大きな打撃。超低価格の裏側にある思いとは―。広島市のスーパーを訪ねた。
「ノドの渇きは肉汁で潤せ」。ユニークな手書きポップの並ぶ南区のスーパーたかもり宇品本店で、ひときわ切なさが漂う文言があった。「原料高騰しすぎ この価格そろそろ限界かも」。13年間続く250円(税込み270円)弁当のコーナーだった。
開店まもなく来店した無職女性(75)=南区=は息子のために酢とり弁当と牛カルビ弁当を選んだ。「おいしいから喜ぶんよ。売り切れる前に買っておきます」と、ジムに行く前に立ち寄った。電気代の節約のため部屋にビニールカーテンを取り付けたという会社員男性(61)=同=は「安くてボリュームがある。そりゃ家計は助かります」と、さけ弁当を手に取った。
大型店の進出で瀬戸際の経営を迫られていた2009年、起死回生を期してディスカウント路線にかじを切った。その象徴が250円弁当だった。安いといえどもサケやサバは脂の乗った海外産を目利き。調理済みキットはかえって割高になるため使わず、味付けも自前でする。売れ残った肉や魚を弁当に回すわけでもない。副社長の伊木英人さん(49)は「うちは手作りの『人間味』で挑むしかありません」と言い切る。
週末には広島市外からもファンが訪れるが、2年前にはもうけの出ない商品になった。さらに物価高騰が続き、サバの仕入れ原価も当初の2倍以上に。以前はたびたび補充したが、今は翠店(南区)と合わせ200食前後の数量限定にせざるを得ない。ブラジル産の鶏を使っていた唐揚げ弁当は250円での提供を諦めた。一方、より良い肉を使って適正価格で買ってもらう模索も始めた。
天候の影響を受けやすい生鮮食品を除く消費者物価指数は10月、前年比で3・6%上がり、1982年2月以来の伸び率となった。一方、原材料の仕入れの際の企業物価指数は9・1%の上昇。乖離分を小売店が負担するのももう限界という。伊木さんは「お客さんを呼んでくれた250円弁当をやめる度胸がないのが正直なところかもしれません。何とかインフレを乗り切り、お客さんも店も笑顔になれれば」と切望する。
「物価の優等生」鶏卵も値上がり…卸値は過去30年で最高値、鳥インフルも直撃
輸入飼料高 鳥インフル 直撃…経済再開 需要も増加
店頭価格が比較的安定していることから「物価の優等生」とされてきた鶏卵が値上がりしている。原材料高と円安による輸入物価の上昇を背景に、11月の卸値は過去30年で最高値となった。飼料価格の上昇や例年にない鳥インフルエンザの流行も重なり、高騰に拍車がかかれば家計の負担はいっそう重くなる。
逆風
鶏卵卸最大手のJA全農たまご(東京)によると、11月の1キロ・グラムあたりのMサイズ(東京地区)の卸値は前年同月比26・6%上昇の262円。11月としては猛暑の影響で秋以降の産卵数が減った2013年の260円を上回った。
値上がりの背景には、供給面での逆風に需要の拡大が重なったことがある。
鶏卵生産のコストはトウモロコシなどの飼料費が約半分を占めるとされるが、飼料の9割近くは輸入に頼る。コロナ禍による海上輸送の混乱や、ウクライナ危機に端を発した国際的な穀物価格の上昇で、9月の配合飼料価格は1トンあたり10万287円と前年同月比で2割、20年9月比で5割上昇した。
鶏卵は手頃なたんぱく源として生食のほか幅広い調理に使われ、もともと消費量が多い。とくに年末はケーキやおでんなど鍋物の需要が高まるため価格も上がりやすい。今年はコロナ禍からの経済活動再開で外食需要も回復し、需要がさらに押し上げられている。
猛威
鳥インフルの猛威も、価格の押し上げ要因となりそうだ。
今年度は岡山や鳥取、鹿児島県などで感染が確認され、12月5日朝時点で殺処分数が約399万羽と、過去最多だった20年度を上回るペースにある。このまま感染が拡大すれば、年明け以降も需給が逼迫する恐れがある。
すでに店頭価格も値上がりしている。11月の東京都区部の鶏卵(10個)の店頭価格は前年同月比5%上昇の247円だった。
東京都足立区の「スーパーさんよう」で仕入れを担当する阿部芳邦取締役(47)は、購入頻度の多い鶏卵の値上がりに「ライバル店との競争を考えると、上昇分全てを価格に転嫁するのは難しい」と話す。サイズの小さい卵を増やすなどして価格を抑えることを検討しているという。
牛乳も
鶏卵以外にも様々な食品で値上げが広がっている。
輸入品が多いバナナ(1キロ・グラム)は、11月の東京都区部で前年同月比13%高い277円となった。日本が輸入するバナナの76%を供給するフィリピン政府は今年6月、生産や輸送にかかるコストが上昇しているとして、日本の小売業界に店頭価格の引き上げを求める要望を行った。
原料の大豆の高騰などで豆腐(1キロ・グラム)は同じく11%高い266円、乳牛の飼料コスト増で牛乳(1リットル)が9%高い235円など軒並み価格が上昇している。
スーパーなどの店頭で集客の目玉商品となり、安値で販売されることも多い食料品の値上がりは家計にとって一段の負担となりそうだ。
山崎製パン「薄皮シリーズ」内容量5→4個に ランチパックも値上げ(ITmedia 12月6日)
製パン大手の山崎製パンは、2023年1月1日出荷分から「薄皮シリーズ」(全7品)の内容量を変更すると発表した。「ランチパック」3品(ピーナッツ、たまご、ツナマヨネーズ)も価格改定する。小麦粉などの原材料価格の高騰に対処するため。
薄皮シリーズは01年発売の「薄皮つぶあんぱん」を皮切りに、5個入りでシェアしやすいスタイルが長年支持されてきた。内容量は4個に変更する。
1984年に開発したランチパックは、かばんに入れて携帯できる便利さで人気を博してきた。ピーナッツ、たまご、ツナマヨネーズの3品の出荷価格改定率は平均4.7%としている。
同社は今年1月と7月にも食パンと一部菓子パンの値上げを実施したが、油脂類や糖類など原材料価格の高騰やエネルギーコストの上昇が現在も続いて��り、「企業努力による吸収の範囲を超えた大変厳しいもの」であるとして値上げに踏み切った。同社は「経営の効��化とコスト削減に向けた努力を継続する」としている。
大塚製薬「ポカリスエット」「エネルゲン」など値上げ、2023年4月1日価格改定(食品産業新聞 12月6日)
イチゴに小麦粉、牛乳も…2022年冬シーズン「クリスマスケーキ」価格調査
大塚製薬は12月6日、一部製品の値上げについて発表した。2023年4月1日納品分から、「ポカリスエット」などを対象に実施する。
メーカー希望小売価格ベースで、「ポカリスエット」の価格改定率はプラス5.9%~10.0%。「ポカリスエット イオンウォーター」はプラス6.3%~10.0%。「エネルゲン」は7.1%~15.2%。「アミノバリュー」は4.8%~11.9%。「ジョグメイトプロテイン ゼリー」は15.2%。
「ポカリスエット」500mlペットボトルの値上げは2000年以来、23年ぶり。現行価格の税別140円から、税別150円になる。
大塚製薬によると、生産効率の向上や経営の合理化などで価格を維持しつつ製品の安定供給に努めてきたが、原材料価格やエネルギーコストの高騰などにより企業努力だけでは現行価格を維持することが困難な状況となったという。
クリスマスケーキの平均価格は前年から約200円のアップに
相次ぐ値上げ「クリスマスケーキ」にも 平均価格は約200円アップ、価格は平均3800円台 → 4000円台へ(帝国データバンク 12月6日)
物価高騰や円安による値上げの波が「クリスマスケーキ」にも及んでいる。全国の大手コンビニエンスストアや百貨店、スーパー、著名な洋菓子店など計100社で販売される2021-22年シーズンで比較可能なクリスマスケーキの価格(苺ショート・5号サイズ、税抜)を調査した結果、今年の平均価格は前年(3831円)から約5%・209円アップした4040円となった。
クリスマスケーキの平均価格
背景には、店頭価格ベースでも1.5倍に上昇した小麦粉(強力粉)のほか、イチゴなどのフルーツや砂糖、牛乳、鶏卵など原材料のほとんどが値上がりしていることがあげられる。また、10%程度値上がりしたテイクアウト用の化粧箱や食品フィルムなどの資材費、さらに電気・ガス代、物流費なども高騰が続いており、前年価格から10%以上の大幅な値上げに踏み切ったケーキが目立った。他方で、前年から価格を据え置いたケーキもあり、商品の値付けに苦戦する様相もみられた。
ケーキの「値上げ幅」動向
前年から価格が上昇したケーキをみると、値上げ幅として最も多いのは「200円台」で23社に上った。特に量販店やスーパーなどで販売される3000円台のケーキに多く見られた。次いで多いのが「300円台」の19社で、イチゴやチョコレートを多く使用した4000~5000円台の中高価格帯ケーキが目立つ。以下「100円台」(16社)、「500円台」(10社)、「400円台」(5社)と続き、調査対象の100社のケーキのうち79社で値上げが判明した。原材料費の高騰を要因にあげる企業が多く、「今回の値上げは最低ライン」など、今後もやむを得ず価格転嫁せざるをえないとった声が多かった。また、値上げのショックを和らげるためイチゴを増量したものの、「粗利益を削っておりかなり厳しい」といった声も聞かれた。
一方で、店頭価格が前年から変わらない「据え置き」も21社確認できた。多くのケーキが値上がりするなか、コスト削減などで対応し「戦略的に値上げしていない」などのケースがみられた。
原材料価格の上昇が続き、クリスマスケーキの値付けは「難しい」と指摘も
クリスマスケーキは平均価格が前年から約200円アップするなど値上げ傾向が鮮明となった。クリスマスケーキは2~3日で多くの販売量が確保できるなど収益面でメリットも多い反面、イチゴなど生もので日持ちしない原材料が多く、事前の量産が難しい面もある。そのため、昨今続く物価高の影響など、原材料価格の動向が読めないなかでの価格設定は難しく、価格を据え置いたケーキと値上げを実施したケーキ、値上げ幅などで動向にばらつきがみられた。
一方、今年1年間で値上げされた食料品は約2万800品目に上り、来年も4000品目超の値上げが控えている。こうした食品値上げにより、世帯平均で年間約7万円、平均支出額の約2%に相当する家計負担増が見込まれ、今冬シーズンは家計に厳しい冬となる見込みだ。そのため、嗜好性の強いクリスマスケーキは価格帯や値上げの有無によって傾向が分かれることも予想され、年に1度の特別なケーキの値上��をめぐる企業と消費者の「駆け引き」が続きそうだ。
自民・萩生田氏「増税は間違ったメッセージ」防衛費(産経新聞 12月6日)
自民党の萩生田光一政調会長は6日の党会合で、防衛力の抜本的な強化に向けた防衛費増額の財源について「全てを税でまかなうとか、来年から増税が始まるような間違ったメッセージを統一地方選前に出すのは大きなマイナスだ」と述べ、増税議論が先行することを牽制した。
萩生田氏は岸田文雄首相が5日に来年度以降5年間の防衛力整備に関する総経費として約43兆円を確保するよう関係閣僚に指示したことについて「重く受け止めながら、国民の生命・財産を守るという本質的な目標をしっかりと見定めながら、与党間、政府との間で詰めの調整をしていきたい」と述べた。
財源については「将来の財源確保の議論を始めると承知をしているので、税制調査会とも連携を取りながら対応していきたい」とも語った。
中期防衛力整備計画(5年間)での防衛費の推移
防衛費5年で最大43兆円 政府検討、来年度から(共同通信 12月2日)
政府は、今後の防衛装備品などの経費額を示す「防衛力整備計画」を巡り、2023年度から5年間の総額について、最大43兆円とする方向で検討に入った。最低40兆円は確保し、43兆円までの間で収めたい考え。43兆円となれば、現行の中期防衛力整備計画(19~23年度)の27兆4700億円程度から1.5倍超となる。中国や北朝鮮の軍事動向を踏まえ、岸田文雄首相が掲げる「防衛力の抜本的強化」を裏打ちする内容。首相が来週にも最終判断する。関係者が1日、明らかにした。
防衛費の大幅増額は、軍事大国にならないとしてきた日本の安全保障政策の大きな転換となる。
【本日(12/5)の広島県内の感染状況】(広島県)
新型コロナ 県内で1509人感染確認 1人死亡(5日発表)(NHKニュース)
広島県では5日、新たに1509人が新型コロナウイルスに感染したことが確認され、1人が亡くなったと発表されました。
感染が確認されたのは▼広島市で610人、▼福山市で322人、▼東広島市で122人、▼尾道市で77人、▼廿日市市で61人、▼呉市で54人、▼府中町で48人、▼三次市で38人、▼府中市で30人、▼庄原市で28人、▼三原市で27人、▼海田町で14人、▼熊野町で13人、▼安芸高田市で11人、▼大竹市と江田島市で9人、▼竹原市と神石高原町で8人、▼世羅町で7人、▼安芸太田町で5人、▼坂町で4人、▼北広島町で3人、▼大崎上島町で1人のあわせて1509人です。
1週間前の月曜日より185人多く、これで県内での感染確認はのべ54万9637人となりました。
また、県内では患者1人が亡くなったと発表されました。県内で新型コロナウイルスに感染し、その後、死亡した人は887人となりました。
新型コロナ 広島県内の病床使用率 46.5%(4日時点)(NHKニュース)
4日時点で病床の使用率は46.5%です。(確保病床数776床、入院患者361人)。
このうち重症患者用の病床使用率は20%です。
(確保重症病床50床、重症の入院患者10人)。
軽症の人や症状がない人が入る宿泊療養施設は1022室を確保し、317人が過ごしています。
(利用率31.0%)。
直近1週間の人口10万人あたりの新規感染者数は709.28人です。
現在、広島県の感染状況はレベル0から4の5段階のレベルのうち、医療体制への負荷が生じはじめていることを示す「レベル2」です。
【新型コロナ 厚労省まとめ】117人死亡 4万7621人感染 (5日)(NHKニュース)
厚生労働省によりますと、5日発表した国内の新たな感染者は空港の検疫などを含め4万7621人となっています。また国内で亡くなった人は117人で、累計5万461人となっています。
東京都 新型コロナ 14人死亡 5388人感染確認 前週比380人減(NHKニュース)
大阪府 新型コロナ 4人死亡 新たに2329人感染確認(NHKニュース)大阪府内の感染者の累計は231万2422人となりました。府内で感染して亡くなった人は合わせて6783人となっています。
【決戦考察】W杯、今夜対戦の「クロアチア」が手強い理由
ミキッチのInstagramのストーリーで、今日がサンフレッチェ広島の引退セレモニーから丸5年ということで動画が上がっています。同じ日にクロアチアと日本が対戦するとはこれまた運命的。
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響け!ユーフォニアム
学生時代は何の部活に入っていましたか?僕は小学生の時は野球部でした。ポジションはライトで、イチローに憧れていたのでグローブはもちろんイチローモデル。中学生では坊主にしないといけない暗黙のルールに納得が出来なかったので野球は続けずに、同い年の従兄弟に勧められて軟式テニス部に入りました。高校では軟式からレベルアップして硬式テニス部で汗を流していました。でも、高二の秋からはどうしてもバイトして欲しい服(この頃は初期おしゃれKINGのCHOKiCHOKi世代)を買いたい欲求を抑えきれず部活をサボりがちになってしまいました。
でもテニスは現在進行形で追いかけてます。高校生の時から自分と同じレフティーで、コートの中外どちらでもジェントルマンな姿勢を見せてくれる“ラファエル・ナダル”のファンです。サーブを打つ前の仕草や、ドリンクのラベルの向きを同じ方向にキチッと並べるルーティンも好きです。僕とほぼ同い年で、今この瞬間も歴史を塗り替えている彼のプレーをリアルタイムで見れるのは間違いなく凄い事です。
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アニメや映画を見ていると、学生時代には全く興味がなかった部活に心を惹かれる作品が多々あります。その中でも度々羨ましく思ってしまうジャンルが"音楽"です。僕は幼い頃、音楽幼稚園に通っていました。その当時の写真を見ると満面の笑みでアコーディオンを弾いている自分がいるのですが、今では何の楽器も演奏出来ないうえに、楽譜すら全く読めません。なんなら幼き日の自分に教えてもらいたいです笑 そんな気持ちもあってか楽器が出来る人を激しくリスペクトしています。
話を戻しますが、"部活"という括りで言うならばそれは吹奏楽部。放課後になるとどこからともなく聞こえてくる音色。何の楽器の音色かはよくわかってはなかったですが、いま思うと"放課後のBGM"的なエモさを感じてしまう部活こと吹奏楽部です。夏の風物詩でもある甲子園は僕の毎夏の楽しみです。何度“熱闘甲子園”を見て泣かされたことか。そして、"古賀シュウ"のお箱でもある長島三奈のモノマネに何度笑わせられたことか笑 高校球児の活躍以外にも応援団の吹奏楽部(厳密にはブラスバンドらしいですがここでは吹部とさせて下さい)の演奏も見所のひとつですよね。千葉の習志野高校の"美爆音"はその代名詞ですよね。前置きが長くなりましたが、今回はそんな吹奏楽部をテーマに作られたアニメ「響け!ユーフォニアム」について。
武田綾乃の同名小説をアニメ化した作品「響け!ユーフォニアム」 2015年にTVシリーズ第1期が放送され、その後2016年に総集編劇場版と第2期。2017年に第2期の総集編劇場版。2018年にスピンオフ作品「リズと青い鳥」 2019年に完全新作の劇場版。スピンオフ作品を合わせると合計6作が存在します。制作はこのBlogではお馴染みの“京都アニメーション” 何度も紹介して同じ事を書いてるかもですが、京アニが作るアニメで面白くない作品なんて存在しません。それくらい絶大な信頼をおいてます。何かアニメを見たいなと思った時は“京アニ縛り”で見てみるのもあり寄りのアリ。とりあえず迷ったら“京アニ”です。
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主人公の黄前久美子(おうまえくみこ)が京都府立北宇治高校の吹奏楽部に入部する所から物語は始まります。物語の割合をザックリとお伝えすると、先輩や後輩の人間関係ドラマが70% 黄前ちゃんとお姉ちゃんのエピソードが20% 恋愛模様が10%な感じ。恋愛エピソードが少なめな所も結果として良くて、そこをあまりフォーカスしない分、登場人物の悩みや葛藤を余す事なく描かれています。余談ですが、吹部経験者の人からすると演奏シーンの完成度がハンパじゃないらしいです。小説では伝わりにくい“音”を経験者の人達からのお墨付きをもらえるほどのクオリティーに仕上げた制作スタッフには脱帽です。
1〜3年生の全学年に主役が務まるキャラクターが多いのも見所のひとつ。スピンオフ作品の「リズと青い鳥」なんかは正にそれですし、これ以外にもまだまだ作れそうなサブストーリーが沢山あります。その中でも僕が一番好きなのは、黄前ちゃんと同じ楽器のユーフォニアムを担当している副部長の田中あすか先輩とのエピソードをメインに作られた、TV版第二期の総集編である「響け!ユーフォニアム〜届けたいメロディー〜」です。再編集しただけのよくある総集編みたいな感じでしょ?とお思いの方は甘いです。京アニがそんな安っ��い作品を作る訳がありません。新作映像の差し込み方やカット割など、エヴァの新劇場版「序」に負けず劣らない再編集作品だと思います。でも、それだけではなくエヴァと同様にTV版をしっかりと見て劇場版を見てほしいです。絶対に感動の割合が3割増になるので。
ユーフォニアムと言う楽器はギリシャ語の「よく響く」や「心地よい」という意味の"ユーフォニア"が名前の由来。柔らかくてよく響く音色で、フォルムは白菜みたいな楽器です。トランペットやホルンと同じ金管楽器の仲間で低音を担当している縁の下の力持ちな存在。正直このアニメを見て初めてその存在を知りましたし、少し地味な楽器なんだろうなと思ったのが第1印象。でもそのイメージが主人公の黄前ちゃんにピッタリでした。そんなユーフォニアムを担当しているのが黄前ちゃんとあすか先輩。あと2年生の夏紀先輩というすごくいいキャラもいますが、そこまで書くととんでもなく長々しい内容になるので、2年生編はまたの機会に。今回は黄前ちゃんとあすか先輩の2人について。
「響け!ユーフォニアム〜届けたいメロディー〜」は新しい顧問として赴任した滝先生の力で、近年は弱小だった北宇治吹奏楽部が地方大会と関西大会を突破して全国大会の切符を手に入れた所から始まります。しかし、吹部のみんなの悲願であった全国大会に対する思いが皆と違う人物が1人いました。それは吹部の副部長で誰よりも大人っぽくて、普段はおちゃらけているのに時々ミステリアスな一面を見せるあすか先輩でした。あすか先輩の両親は幼い時に離婚しています。小学生になったある日。お父さんからとても大きな荷物が届きます。その中身はユーフォニアムと一冊のノート。
あすか先輩のお父さんはユーフォニアムの初心者向けの本を出版するくらいの有名な演奏者でした。ピカピカなユーフォニアムに一目惚れしたあすか先輩はお父さんとの絆としてのめり込むように練習していきます。そして高三になって初めて掴んだ全国大会。その審査員の中にお父さんの名前があることを見つけてしまいます。絶対にお父さんに自分の演奏を聞かせたい。皆んなを利用してでもそれを実現させたい。これがあすか先輩の全国にかける誰にも言えない秘めた思いでした。全国大会が行われるの秋の終わり。受験生でもあるあすか先輩のお母さんは大事な時期なのにまだ吹部を続けている事をよく思っていませんでした。それは自主退部を促すほど、、なかなかヒステリーなお母さんですが、反発や文句を言わないあすか先輩でしたが、ある条件を切り札にしようと考えていました。
一方、黄前ちゃんが吹奏楽部を始めたキッカケは少し歳の離れたお姉ちゃんの存在でした。いつかお姉ちゃんと一緒に演奏することが夢でしたがその願いは叶いませんでした。大学受験を理由に吹部を退部したお姉ちゃん。その後大学生になり、自分が辞めた歳になっても吹部を続けている黄前ちゃんに少し嫉妬しています。そんなお姉ちゃんとのコミュニケーションはどんどん薄くなっていきます。でも、全国大会前にお姉ちゃんの本心を聞かされます。そして部活に向かう電車の中で黄前ちゃんが泣いてしまうシーンがあるのですが、ここはかなりグッときます。そんなお姉ちゃんとは叶えられなかった一緒に演奏するという夢を黄前ちゃんはあすか先輩に重ねていたはずです。
お母さんの厳しい眼もあって部活に顔を出さなくなってしまったあすか先輩。そのあすか先輩を何とか説得して一緒に全国で吹きたい黄前ちゃん。でも、黄前ちゃんは始めからあすか先輩の事を尊敬していた訳ではありません。どこか掴み所のない独特な性格。華型であるトランペットのソロパートは誰が吹こうか興味がないと言い放ったり。本当にこの先輩はコンクール行きたいの?と信用できない状態で、どちらかと言えば苦手な先輩でした。しかし、夏の合宿の早朝にあすか先輩が1人で奏でていたユーフォニアムの優しい音色を聞いた時にその気持ちは一変します。あすか先輩は誰よりもユーフォニアムが好きなんだということに気付きます。
全国模試30位以内。これがあすか先輩がお母さんに吹部を続けるために出した条件でした。これを見事に達成して全国大会で演奏することが叶ったあすか先輩。しかし、結果は一番欲しかった金賞ではなく銅賞でした。でも全国で北宇治の音を響かせる事ができ、滝先生を経由して審査員を勤めたお父さんさんからのメッセージを受け取れたあすか先輩に後悔は残ってませんでした。物語の中で度々あすか先輩は黄前ちゃんに「ユーフォニアムは好き?」と聞くことがあります。この問いかけの意味がようやくわかるのがこの大会が終わった時。そしてあすか先輩にハッキリと「大好きです!」と胸を張って答える黄前ちゃんのシーンはこの作品の名場面ベスト3です。
そして物語のラスト。時は三年生の卒業式。黄前ちゃんはあすか先輩にどうしても伝えたい事があり、走って探し回ります。「ご卒業おめでとうございます」的な湿っぽいのが嫌いなあすか先輩は1人で帰ろうとしていました。そんなあすか先輩をようやく見つけた黄前ちゃん。このラストシーンは絶対に見てほしいのでここだけに限ってはネタバレを控えます。でも1つだけ言わせて下さい。高校生活最後の2人だけの会話の中で、あすか先輩は一冊のノートを黄前ちゃんに託します。
それはあすか先輩のお父さんがユーフォニアムを送った時に一緒に入れていたノート。内容はある曲の楽譜でした。その曲は夏の合宿で黄前ちゃんが心を奪われたあすか先輩が1人で奏でていたあの曲。その曲のタイトルが分かるシーンが本当のラストですが、そこは間違いなく鳥肌+感動が同時に襲ってくるはずです。2019年公開の「響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」で黄前ちゃんが2年生になってからの物語が描かれています。当たり前にこちらの作品もいいのですが、僕はこの黄前ちゃんとあすか先輩の物語の方が大好き過ぎます。現在は、HuluかU-NEXTで見��事が出来ます。無料トライアルを駆使してでも見る価値がある作品である事は間違いないので是非です。ちなみに黄前ちゃんの3年生編も制作も決定しています。いつ頃公開されるのかは未定ですが、黄前ちゃんの卒業を描かれるであろう新作はとんでもない感動が待っているはずです。
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NARI
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伊藤詩織氏が告発した山口敬之氏の独占手記
「詩織」と名乗る女性の勇気ある告発!
2017年5月29日、「詩織」と名乗る女性が、東京・霞が関の司法記者クラブで、たくさんの記者とテレビカメラを前に、私から性的暴行の被害を受けたと主張した。
「性犯罪の被害者と主張する女性が顔を出して記者会見を行った」ということで、多くの新聞、テレビ、週刊誌が大きく扱った。この女性は自らの主張を詳細に説明するとともに、2016年7月の検察の不起訴処分について検察審査会に不服申請を行った、と述べた。
この問題は、この会見に先立つ5月中旬、なぜか『週刊新潮』が「安倍総理べったり記者の準強姦逮捕状」というセンセーショナルなタイトルで報じていた。
私は、週刊誌報道の段階から一貫して疑惑を全否定し続けた。しかしメディアの大半は、「勇気ある告発をした」として女性に寄り添い、私を犯罪者と断定するかのような報道が少なくなかった。
また、複数の野党議員が国会の内外で、女性側に寄り添い、事実認識を誤った質問を繰り返した。そしてなぜか、これら野党の主張に共鳴する集団も、ネット上で女性の主張を鵜みにして私を糾弾し、私や私の家族には「死ね」などという誹謗中傷のメールが殺到した。
事実と異なるあなたの主張によって私は名誉を著しく傷つけられ、また記者活動の中断を余儀なくされて、社会的経済的に大きなダメージを負いました。私は虚偽の訴えに強い憤りを感じました。
しかし4カ月あまりの審理の末、検察審査会は9月21日、「不起訴処分は妥当」との最終結論を出した。「犯罪行為があった」という女性の主張は退けられ、刑事事件としては完全に終結した。
この間、私は様々な判断から基本的に沈黙を守ってきた。しかし、女性が民事訴訟を提起したことで状況が変わった。これまでの沈黙の理由も含め、私は自らの見解を「当該女性への書簡」という形で申し述べることにした。
いままで私が、沈黙を守ってきた理由
詩織さん、
あなたは性犯罪被害者ではありません。そして、自分が性犯罪被害者でない可能性があるということを、あなたは知っています。
検察審査会は、一般国民から無作為に抽出された11人のメンバーによって構成されます。
そして、あなたの「犯罪行為があった」という主張と、私の「犯罪行為はなかった」という主張、さらに当局が収集した膨大な客観的な物証に基づく4カ月あまりの審査の結果、検察審査会は「不起訴処分は妥当であった」という結論に達しました。
これにより、刑事裁判によって私に犯罪者という汚名を着せようというあなたの企ては、最終的に失敗したわけです。
もしあなたが民事訴訟に打って出なければ、私はこれ以上の議論をしないつもりでいました。それは、これまで沈黙を守ってきた判断と同様に、傷ついているように見えるあなたがさらに傷つく危険性があると判断したからです。
しかし、あなたがあえて「不法行為があった」との主張を民事訴訟の場で繰り返すのであれば、無関係な他者を巻き込んで騒動を継続しようとするならば、私は自らの主張の中身を公表せざるを得ません。
それは「あなたの主張が事実と異なっている」ことを示すことを一義的な目的としますが、そのために「全く根拠がないことを事実だと思い込むあなた特有の傾向」まで指摘することになります。
残念ですが、あなたが選んだ道ですから、冷静かつ論理的に、私の主張の一部をここに示すこととします。
あなたの主張は、要約すれば「2015年4月3日の夜、抗拒不能な状態で意に反して性行為をされた」ということになります。そしてそれは、「飲食店のトイレから翌朝5時まで継続して意識を失っていた」というあなたの認識に立脚しています。
それは全く事実ではありません。また、あなたは自らの主張が正しいと立証することが絶対にできません。このことは、実は捜査段階ですでに明確に示されていました。
だからこそ検察官は不起訴処分という結論に達し、検察審査会もその判断が妥当という最終結論に至ったのです。私はこれから、その詳細を5つの事象に分けて説明します。
①「デートレイプドラッグ」
②「ブラックアウト」(アルコール性健忘)
③詩織氏特有の性質
④あとから作られた「魂の殺人」
⑤ワシントンでの仕事への強い執着
①「デートレイプドラッグ」――間違った主張のはじまり
あなたの「犯罪被害に遭った」という主張は、「私はお酒ですっぽり記憶を失くした経験はない」から、「山口氏にデートレイプドラッグを混入されたと思っている」という点からスタートしています。
私はそれを聞いて本当に驚きました。私はそもそも、デートレイプドラッグというもの自体を知らなかったからです。しかも、当夜の状況を見れば、私があなたのグラスにいかなる薬物も混入させることなどできなかったことは明白です。
2015年4月3日、我々は東京・恵比寿の2軒の店で飲食しました。1軒目は庶民的な串焼き店、2軒目はカウンターの寿司店。2軒とも、10数人も座ればいっぱいになる、小さいけれども明るいオープンカウンターの店で、客は店主と向き合って座ります。
1軒目の串焼き店はほぼ満席で、我々の両サイドにお客さんが座っていました。2軒目の寿司店もたくさんのお客さんで賑わっており、ほぼ満席でした。
当地で生まれ育った私にとって、両店は20年以上通う行きつけのお店です。あなたも記憶していると希望しますが、私はどちらの店でも、馴染みの店主やその奥さんと親しく談笑しました。
あの夜、あなたはいろいろな種類の酒を飲みましたね。1軒目の店に座ってほどなく、私はあなたの飲むペースが非常に早く、かなり強いお酒をぐいぐいと一気飲みのように飲むことに気が付きました。
少し心配になり、
「大丈夫ですか?」
と訊きました。するとあなたは、
「喉が渇いているので。お酒は強いほうだから大丈夫です」
と答え、その後もハイペースで飲み続けました。
私は少し驚きながらも、いい大人なのだからと、それ以上は警告をしませんでした。もちろん、私があなたに飲酒を強要したことは一切ないこともお認めになりますね?
結局、あなたは2軒の店でビール、サワー、ワイン、日本酒を飲んだ。そして2軒目の寿司店で、当夜1回目のトイレに立って、そこで酔いつぶれた。あなたは記憶を失ったのは2回目だったと主張しています。
しかし、あなたが寿司店でトイレの場所を私に訊いてから席を立ち、その後、戻ってこなかったので私はよく覚えているのです。酔いつぶれてしまった女性が、直前のトイレの回数を正確に覚えているというのも不思議な話です。
あえて2回目と主張しているのは、そう主張することで私に薬を入れる機会があったと主張するためではありませんか?
要するに、あの夜、あなたが飲んだ全てのアルコールのグラスは、ずっと��なたの目の前にあったのです。
百歩譲って、あなたがつぶれたのが2回目のトイレだとしても、ほぼ満席の客でごった返す明るいカウンター席の店で、顔馴染みの店主や従業員のいる前で、女性のグラスに薬品を入れることなどできるはずもありません。
「山口に違法ドラッグを飲まされた」
しかも驚くべきことに、あなたは薬を入れているところを見たわけでも、その後、目撃証言を得たわけでもなく、「私は酒に強いはずなのに、急に酔いが回ったから、山口に薬を盛られたに違いない」と言うのです。
失礼千万な話です。
あなたの言う「デートレイプドラッグ」は、その後、調べてみたところ、町の薬局で手に入るものではなく、ほとんどがインターネットを通じた取引だということですね。
私は所有していたすべてのパソコン、携帯電話、タブレットなど、ありとあらゆる物を警察に提供しましたが、違法薬物の購入や使用に繋がる物証は一切ありませんでした。
もし私が違法薬物を入手したり使用したりしたのであれば、日本の優秀な警察機構は何らかの手掛かりを見つけたはずですが、あなたの主張を聞いたにもかかわらず、そんなものはなかった。
串焼き店、寿司店でも捜査員が証言を集めに回ったことが確認されていますが、そこでも薬物混入を示す証言は一切なかったのです。
当たり前です。繰り返しますが、私はあなたの言う「デートレイプドラッグ」などというものは、聞いた��とも見たこともないのです。
あなたはただ、「自分の酒量を過信して飲みすぎた」だけなのです。それはよくあることで、そのこと自体を強く責める気はしません。
しかし恐るべきは、その後のあなたの見解です。自分の飲みすぎを認めないばかりか、何の証拠もなく、「山口に違法ドラッグを飲まされた」という前提で主張のすべてを組み立てている。
記者会見で、デートレイプドラッグを盛られたという主張をした際に、あなたは「他に思い当たる節もある」と述べました。それは何を指しますか? 明確に示して下さい。
そんなものはあるはずがない。あなたの勘違いと思い込みなのだから。ありもしない証拠や傍証を、あたかも存在するかのように記者会見の場で匂わせるのは、卑怯なやり方です。
②ブラックアウト(アルコール性健忘)
繰り返しますが、あなたはいかなる薬物も混入されていません。ただ、飲みすぎただけです。
その一方で、あなたは記者会見で「私は酒に強く、泥酔したり酔いつぶれたりしたことはない」と主張しました。ということは、あのように泥酔してしまったのは人生で初めての経験ということになりますね。
それならば、あなたは酒の過剰摂取の影響下で、自分がどう行動するか、そして、その行動をどこまで記憶しているか、経験がないから類推できない。これが、今回の問題の核心部分です。
寿司屋でトイレに入ったあなたは、長い間出てこなかった。心配になった店の方に促されて、ようやく出てきたあなたは、見るからに酔っぱらっていました。驚いた私は、やむなく急いで会計を済ませました。
店を出たのは22時半から23時頃だったと思います。店を出る段階で、あなたは足元が覚束なかった。そして、店の入り口左手にあった荷物置きの棚から、あなたは自分のショルダーバッグに加えて、他のお客さんのカバンも持って出てしまったことが、あとになってわかっています。
誰が見ても、一人で電車に乗って帰すことは困難な状態でした。
しかし、私は当時、TBS報道局のワシントン支局長を務めていたので、ワシントン時間の午前中、すなわち日本時間の23時過ぎまでに済ませなければならない作業(メール確認やパソコンでの調査・連絡)を複数抱えていました。
神奈川県に住んでいるあなたを送っていったら作業が時間内に終わらない。しかし、あなたは自力では帰れそうにない。私はやむなく、当時逗留していたホテルで休んで酔いを醒ましてもらい、自分の作業を終えてから送って帰るしかないと判断しました。
「意識のない状態で部屋に連れ込まれた」
あなたはタクシー運転手の証言を元に、「『駅で降ろしてください』と言ったのにホテルに連れて行かれた。だからその段階で犯意があったのだ」というストーリーを作ろうとしているが、とんでもないことです。
そもそもあなたは、「寿司店のトイレ以降、記憶がない」と主張しています。あなたが相当程度酔っていたことは、あなたも認めているのです。
実際、あなたはそのタクシーのなかで���吐したではありませんか。嘔吐し、朦朧とした泥酔者が「駅で降ろしてください」と言ったからといって、本当に駅に放置すべきだと思いますか?
私が宿泊していた白金高輪のシェラトン都ホテルに到着すると、私は泥酔しているあなたがタクシーから降りるのを手伝いました。あなたはタクシーのなかで嘔吐したこともあって、傍目には少し回復したように見えました。
そして、千鳥足ではありますが、自分の足で歩きました。
このホテルでの移動について、あなたは「意識のない状態で部屋に連れ込まれた」と主張していますが、それはあなたが何と言おうと物理的に全く不可能です。ホテルの1階ロビーは、車寄せからエレベーターホールまで100メートルほどあります。
もしあなたの主張どおり、全く意識がない状態だったとしたら、私はあなたを抱えて、どうやって100メートルも移動したというのでしょうか?
衆人環視のなか、正体不明の大人の女性を荷物のように背負ったり、引きずって歩いたりしたとでもいうのでしょうか?
あのホテルは、車寄せから入り口を入ると、まずドアマンや荷物係が待機しており、正面には24時まで営業している大規模なラウンジ、そして右手に曲がるとホテルフロントがあり、レセプションの人やコンシェルジェ、案内係がズラリと並んでいます。
意識を失っている、あるいは意に反して無理矢理移動させられている女性がいたとして、一流ホテルの訓練された接客のプロたち全員が、それを見逃すということがありうるでしょうか?
しかも、4月3日は金曜日で、ロビー階では多くの宿泊客やレストランの利用客が往来していました。あなたの主張がいかにありえないかは、金曜日の夜11時に、都ホテルに行ってみればすぐにわかります。
実際のあなたは、2つのカバンを自分で持って、自分の足でヨタヨタと歩いたのです。もちろん、千鳥足ではありましたから、私はあなたが転ばないように注意はしましたが、移動を無理強いしたり、あるいは担いだり引きずったりは一切していません。
防犯カメラに映っているのも、「意識のないあなた」ではなく、「酔っぱらっているけれども何とか自力で歩けるあなた」です。
要するにあなたは、犯罪行為が行われたという主張の根幹をなす「意識のない状態が朝まで続いた」という認識の一環として、「ホテル到着時も意識がなかった」との立場をとっていますが、あなたの主張は物理的にありえないのです。
私の部屋がある階でエレベーターを降りたあとも、あなたは自分の足で普通に歩きました。私が部屋の鍵を開けると、あなたは私を押しのけて先に部屋のなかに入り、小走りに窓際に向かいました。そして、いきなり嘔吐しました。
あなたは、いびきをかいて、寝ていた
私は翌朝、アメリカに帰ることになっていたので、パッキング前の荷物を窓際にまとめて置いていましたが、その上にも吐瀉物が飛び散りました。
自分の荷物を汚されて少なからず驚いていると、あなたは今度は踵を返して、無言でトイレに駆け込みました。あなたの吐瀉物をタオルで拭いておりますと、トイレのなかから嘔吐する大きな音が2度しました。
正直に言って、本当に迷惑でした。やらなきゃならない仕事を抱えて、翌日の移動のためにパッキングもしなければならないのに、荷物をゲロまみれにされたうえにトイレを占領されている。
しかし、早く済ませなければならない作業が複数あったので、私はやむなくパソコンに向かいました。仕事が一段落してもあなたがトイレから出てこないので、私は心配になってドアをノックしました。
すると、なかからかすかな声が聞こえたのでドアノブを回すと、ドアは施錠されていなかったため、ドアを開けてなかを見ると、あなたは尻もちをついて、トイレとバスタブの間に座り込んでいました。ブラウスとスラックスは、大量の吐瀉物で汚れていました。
私は吐瀉物が苦手なので自分も吐きそうになりましたが、このまま放置すると喉に物を詰まらせて事故を起こす可能性もあったので、やむなくなかに入って吐瀉物をタオルで拭い、あなたを起こそうと努力しました。
あなたは謝罪ともうめき声ともつかない声を上げながら、なんとか自ら起き上がりました。そしてゲロまみれのブラウスを脱ぎ、部屋に戻るとベッドに倒れ込み、そのまま寝てしまったのです。
私はあなたのあまりの痴態に怒り呆れましたが、翌日着るものがないとかわいそうだと思い、トイレに放置されたあなたのブラウスのゲロを拭って浴室に干しました。
また、バスルームの床面もゲロまみれだったので、シャワーで洗い流すなどして部屋に戻ると、あなたはいびきをかいて寝ていました。
部屋はツインで、シングルベッドが2つありました。前日まで私が寝ていたベッドはあなたに占領され、もう1つのベッドは、ベッドメイキングを壊さないままパッキング前の衣類などを並べていました。
私が全ての仕事を終えても、あなたは相変わらずいびきをかいて眠りこけていたので、私は荷物置き場にしていたベッドの、わずかに空いたスペースに身を横たえました。
下着姿でミネラルウォーターをごくごく。そして――
部屋に入ってどのくらい時間が経ったのか。
私がまどろんでいると、あなたが突然起き出して、トイレに行きました。ほどなくトイレが流れる音がして、下着姿のあなたが戻ってきました。
「喉が渇いたのですが、飲み物をもらってもいいですか?」と言って、あなたがホテルの冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、自分でキャップをひねって開けて直接飲みました。
下着姿であることを全く気にしていないのには少し驚きましたが、外国生活が長いせいかなと類推したのを覚えています。
そして、ペットボトルの水を何度かごくごくと飲んだあなたは、私が横たわっているベッドに近寄ってきて、ペットボトルをベッドサイドのテーブルに置くと、急に床に跪いて、部屋中に吐き散らかしたことについて謝り始めました。
面食らった私は、ひとまずいままであなたが寝ていたベッドに戻るよう促しました。
ここから先、何が起きたかは、敢えて触れないこととします。あなたの行動や態度を詳述することは、あなたを傷つけることになるからです。
はっきり言えるのは、私はあの日、あなたに薬物を飲ませたり、いやがるあなたを部屋に連れ込んだりしなかったのと同様に、部屋のなかでもあなたの意思に反する行動は一切していないということです。
もし、あなたが覚えていることがあり、自分で差し支えないと考えるなら遠慮なく言って下さい。
誰も証明できない「密室」での出来事
もうひとつ強調したいのは、トイレから戻ったあとのあなたは、立ち居振る舞いもしゃべり方も正常で、すっかり酔いから醒めたように見えたということです。
それまでに複数回にわたって大量に嘔吐したあと熟睡したので、それで楽になったのかなと思いました。その後しばらくして、あなたはまた眠りに落ちました。
要するに、あなたは「朝まで意識がなかった」のでは決してなく、未明の時間に自ら起き、大人の女性として行動し、そしてまた眠ったのです。
あなたはこのことを覚えていないのかもしれない。あるいは覚えていたが忘れてしまったのかもしれない。あるいは覚えているのに黙っているのかもしれない。
それは私にはわからない。密室での出来事ですから、誰も証言してくれる人はいない。
しかし、1つだけ客観的な事実を示すことができます。私は一時帰国の期間中、1度もホテルの冷蔵庫の飲み物を消費していません。室内のミニバーの飲料はどれも高価で、好みのものもなかったので、飲み物はコンビニで買って持ち込んでいました。
だから、7日間の滞在で、唯一の冷蔵庫の出費こそが、あなたが飲んだミネラルウォーターだったのです。
このことは、ホテルの領収書によって簡単に証明できます。あなたは、未明に自分で起きて、トイレに行ったあと、自ら冷蔵庫を開け、自分の力でペットボトルのふたを開け、飲んだ。
これはあなたの「朝まで全く意識がなかった」という主張とは完全に矛盾します。
その後、あなたが被害届を出して、私は警察の聴取に全面的に協力しました。そのなかで、深夜のあなたの覚醒と再睡眠について何度も質問されました。
ペットボトルのことも含め、私は覚えていることを繰り返し詳細に話しました。おそらく捜査員は私から聞いたことを踏まえてあなたに確認し、その答えを踏まえてまた私に聞き直すということを繰り返したのでしょう。
何回か聴取が繰り返されたあと、捜査員は私にこう言いました。
「あなたの供述は何度聞いても詳細で矛盾がない。他方、詩織さんは朝まで記憶がなかったと言っている。双方の主張は一見矛盾しているようだが、2人ともウソをついていない可能性が1つある。それは『ブラックアウト』だ」
英語でブラックアウトと言えば、真っ先に浮かぶのは停電です。しかし、捜査員の言うブラックアウトは違いました。アルコールの影響で、記憶の一部または全部が欠落してしまう現象のことをいうらしい。
たしかに、酒を飲みすぎてどうやって家に帰ったか覚えていないという話は珍しいものではありません。自力で歩き、自分でカギを開け、部屋まで辿り着いて寝たが、ただその経過の記憶だけがすっぽりと抜け落ちている。
それでも、最初に捜査員にブラックアウトの可能性を指摘された時には、私はにわかには信じられませんでした。
というのは、トイレから戻って再び眠るまでのあなたの行動は所作も会話も全く正常で、のちに記憶を失うような泥酔した状態とは到底思えなかったからです。そのことも捜査員に指摘しました。
しかし、医学的に「アルコール性健忘」といわれるこの現象は、アルコールの過剰摂取によって、脳内で記憶を司る「海馬」という組織の機能だけが低下することによって起きるため、傍から見ると当人の行動は、まったく酔っていないように見えるといいます。
普通に歩き、しゃべり、飲食をしているが、その状況を記憶として脳に保存することだけができない。もし当夜、そういう状況にあったのであれば、「朝まで記憶がなかった」とあなたが主張したとしても、辻褄が合うのです。
(つづく)
(初出:月刊『Hanada』2017年12月号)
【独占手記】私を訴えた伊藤詩織さんへ「後編」
③詩織氏特有の性質――「盗撮されたに違いない」
捜査員が示した可能性は、簡単に言えば「飲みすぎて記憶が飛んでしまった」という、酒飲みにとってはよくあるありふれた話です。
しかし、しかしです。私と同じく、あなたも捜査員からブラックアウトの可能性について説明を受けたはずだ。そして、あなたは記憶がないからこそ、「ブラックアウトではなかった」と断言することは絶対にできない。
しかも、あの夜は人生で初めて自分の酒量の限度を超えて飲んでしまったのだから、なおさらです。
それまでの人生でアルコール性健忘の経験がなかったからといって、その現象が自分には絶対に起こりえないと断定するのは、少し独り善がりが過ぎませんか?
そして、「自分が飲みすぎたはずはない」という無理な論理を補強するために、根拠もないのに「デートレイプドラッグ」などという違法薬物の話を思いついたのではありませんか?
そこで、私が指摘せざるを得ないのが、あなた特有の思考傾向です。
たとえば、あなたは朝起きてテーブルの上に私のパソコンがあるのを見て、咄嗟に「盗撮されたに違いない」と思ったと述べていますね。そしてそれが、警察が強制捜査に着手するきっかけになったとも言っています。
私のような仕事をしている人間は、例外なくパソコンを使っている。部屋にパソコンがあるからといって、自分が盗撮されたと思い込むというのは、あまり普通の思考回路ではない。
実際、そのパソコンは警察に提出され、盗撮映像など一切出てきませんでした。当たり前です。私は盗撮などしていないからです。
それから、あなたは「独自調査の結果、得られた新しい証拠を検察審査会に提出した」とも述べました。そこで例示したのがタクシー運転手の証言でした。しかし警察は、そのタクシー運転手から早い段階で聴取を行っていました。
その証言に基づいて、私は捜査員から何度も質問されている。そのことはあなたも知っている。その証言も踏まえた捜査が行われ、検察官は不起訴という判断を下したのです。
「自分は酒に強いから薬物を盛られたに違いない」
「ブラックアウトは、自分には起こり得ない」
「パソコンがあるなら盗撮されたに違いない」
「自分は初めて聞いたから、新証拠だ」
あなたの思考パターンには、まず強い自意識があって、自分を被害者、私を悪意ある犯罪者と思い込むことによって、全ての事象をそのストーリーにはめ込もうとしているのではないか。
その結果、冷静な判断ができなくなり、結果として事実ではないことや根拠のないことを、自ら信じ込んでしまっているのではないか。そう考えざるを得ないのです。
④あとから作られた「魂の殺人」――「レイプは魂の殺人です」
ここまでは、「~に違いない」というあなた特有の思考パターンから、私を犯罪者と思い込むに至った流れを類推しました。
しかしこれから述べることは、アルコールという外的要因によって起きた、いわば不可抗力的なものではありません。事後、あなたの心の内部で時間の経過とともに深まっていった、不可解な「後付けの被害者意識」についてです。
あなたは記者会見で、「私はレイプされました」 「内側から殺されました」 「レイプは魂の殺人です」と、非常にエモーショナルに訴えた。
しかし、その激しい怒りと憎悪は、最初から一貫したものではなかったことを証明します。それは、事後のあなたの行動と発言を精査することによって、はっきりと浮かび上がります。
あなたは「給水タンクに寄りかかってから朝まで意識がなかった」という前提の下で、自分がレイプされたと朝の段階で確信し、口論の末に逃げるように部屋を出たと主張している。
しかし、あなたの翌朝の行動は、明らかにあなたの主張と矛盾しています。まずは翌朝のあなたの様子について、私の覚えている限り記述します。
1度未明に起きたあと、再び眠りに落ちたあなたは、朝になってもう1度起きた。そして、私とごく普通の会話をし、ごく普通にホテルの部屋を出ていった。途中、1回だけ英語で少し大きな声を出しました。
「I fucked without contraceptives.」(避妊しないでやっちゃったわ)
急に英語で大声を出し、しかもfucked というあまり上品でない単語を使ったので、私は違和感を覚えましたが、あなたがすぐに日本語に戻ったので、特に気にしませんでした。
日本語の会話は、通常の音量で平穏な口調で、その日の予定や今後の連絡の取り方など、差し障りのない雑談でした。「口論の末逃げ帰った」というあなたの主張は、事実とかけ離れています。
なぜ「レイプ犯」のTシャツを着て帰ったのか?
しかし、もしあなたが朝の段階で私にレイプされたと思っていたのであれば、絶対にしないはずの行動をし、絶対にしたはずの行動をしていない。
まず、絶対にしないはずの行動について説明しましょう。
朝起きてトイレから戻ってきたあなたは、浴室に干されていたブラウスを手に、
「ブラウスが少し生乾きなんだけど、Tシャツみたいなものをお借りできませんか」
あなたのブラウスは化繊の薄手のもので、朝までに相当程度乾いていたため、濡れて着用できない状況ではないように見えました。
しかし、私としては別に断る理由もなかったので、パッキング途中のスーツケースを指し、
「そのなかの、好きなものを選んで着ていっていいですよ」
と言いましたね。
あなたはスーツケースから、私のTシャツのうちの1つを選び、その場で��肌に身に着けました。覚えていないとは言わせません。
レイプの被害に遭ったと思っている女性が、まさにレイプされた翌朝、レイプ犯のTシャツを地肌に進んで身に着けるようなことがあるのでしょうか?
私はこのTシャツの末についても、捜査員に伝えました。そして、できれば返してほしいとお願いした。
しかし捜査員は、
「いまはまだ捜査の途中だから、物品の返却についてはもう少しあとで考えましょう」
と言われました。
結局、私はそのTシャツを未だに返してもらっていません。そのTシャツの存在を認めると、自分の主張の辻褄が合わなくなるからですか?
あなたは記者会見で、自分が受けたと主張する「被害」について、「レイプという行為は私を内側から殺しました。レイプは魂の殺人です」とまで表現しました。
そこまで言うのであれば、いまのあなたは、私のTシャツを素肌に身に着けることなど、おぞましくて決してできないでしょう。
それならば、「あの朝のあなた」と「いまのあなた」の感情は、全く種類が異なっていることは明らかです。すなわち、あなたの強い被害者意識は最初からあったのではなく、あとから時間をかけて醸成されたものだということになります。
「レイプ犯」に送った「お疲れ様です」メールの謎
そしてもう1つ。「薬物を盛られてレイプの被害に遭った」と思っている人ならば、絶対にしたはずの行動をあなたはしなかった。それは病院での検査内容にかかわることです。
あなたは、ホテルを出て数時間後に婦人科に行ったと証言しているが、そこでどんな検査を受けましたか?
妊娠していないかどうかだけを検査し、ピルをもらったと言っている。ホテルの部屋での、英語の独り言の内容と符合します。
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