#TOXGO
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"SOCIALLY ACCEPTABLE INSANITY"
「恋に落ちるのは社会的に受けいられる狂気のようなもの」
このセリフは2014年公開のスパイク・ジョーンズ監督作品『her/世界でひとつの彼女』で登場します。
舞台はそう遠くない近未来のロサンゼルス。ホアキン・フェニックス演じるセオドアは、元妻のキャサリンと離婚協議の真っ最中。傷心がなかなか癒えない彼はある人工知能OSの広告を見つける。半信半疑で起動してみたOS。そのOSから投げかけられる質問に答えると、自分に最適なAIを見つけてくれるらしい。そして、セオドアにピッタリだと選ばれたAIは女性の声で"サマンサ"と名乗った。元妻のことを忘れさせてくれるサマンサのウィットに富んだ会話で、久しぶりに笑えたセオドア。それからは彼女を携帯してどこへ行くにも常に一緒。少しづつ、確実に"彼女"に惹かれていくセオドアだったが、、
バーチャルに恋をする。それだけ聞くとイタい奴と思う人もそりゃいるはず。でも、そう遠くない将来では実際に起こり得るかもしれない。いや、自分が知らないだけでもう起こっているかもしれない。実際にサマンサを携帯して会話を楽しむ方法は、10��前では考えられなかったワイヤレスイヤホンを使ったハンズフリースタイル。なので僕は街中でこのスタイルで歩いている人を見る度に「あっ!セオドアだ!」とついつい思っちゃいますし、ギャルゲーの類が更に進化していけば正にそれなのかもしれないです。
物語が進むにつれて、サマンサの成長も止まりません。それはまさにAIが人を超えていく。常に寄り添ってくれる彼女は自分のものだと思い込んでいたセオドア。そして、彼女との別れは突然訪れます。この失恋を乗り越えるために寄り添ってくれた存在や、非人間のサマンサから教えてもらった無償の愛情。これらが重なった時にセオドアの中で何かがはじけます。ややネタバレしてますが、ラストシーンを見終わって訪れる何とも表現しがたい感情を未経験の方はこれきっかけに是非味わってみて下さい。
鑑賞時の感情次第で、何回見ても色んな気づきがある『her』 そんな大好きな映���のワンシーンをオマージュしてオリジナルパッチを作りました。
元妻のキャサリンとの楽しかった思い出がフラッシュバックするセオドア。色んな思い出が巡る中で、セーフティーコーンを被って戯れあったあの日��夜道。ほんの一瞬だけ映し出させれるこのシーンですが、印象に残っているという方はきっと多いはず。あと、今更ですがキャサリンを演じたのはルーニー・マーラ。この共演から距離が縮まり結ばれたホアキンとルーニー。物語では離婚した夫婦役ってところもなんかドラマチック。
AIのサマンサと元妻のキャサリンの2人に加えて、セオドアの同僚の"エイミー"は物語でとても大きな存在。
ある日、AIのサマンサのことを本気で好きになっているとエイミーにカミングアウトします。そのアンサーとして登場するのが冒頭のあのセリフ。
「Falling in love is kind of like a from of socially acceptable insanity」
製作してくれたのは"NEEDLE WORK EVERYDAY"のひらちんさん。あのシーンチェーンステッチ刺繍で仕上げてくれました。裏面はアイロンで付けるタイプではありません。ラフに縫い付けるのもよし。デスクにそのまま置いとくのもよし。壁に刺してみるのもよし。ユーティリティなデカパッチです。
SAI PATCH / ¥7700- Instore & Online
遠すぎない将来の恋愛形式。スパイク・ジョーンズの目に映る未来の映像美と抜群のサントラ。そして、サマンサの声優を担当したのはスカヨハことスカーレット・ヨハンソン。あの魅力的なハスキーボイスだけの出演なんて贅沢すぎ。でも、個人的には吹き替えでも見てほしい。なぜならあの林原めぐみが担当しているから。そうです。灰原です。綾波レイです。物語により没頭してみるならスピーカーよりセオドアよろしくなイヤホンorヘッドホン着を推奨します。
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NARI
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ロブスター
〜30歳くらいには結婚。子供は欲を言えば2人欲しい。あと、それなりに大きい犬を飼いたい〜
20歳で上京した時に思い描いていた未来予想図にはほど遠い毎日が過ぎてゆく。パートナーや結婚感に対する価値観は欲が薄れつつある。今、日本では結婚しない若者が今増えている。日本だけに限らないかもですが。ちょい前までは他人事だとスルーしていた、そのニュースの"若者"にもいつしかカテゴライズされない年齢を迎えてしまった。結婚とは?恋人とは?そして、愛とは?
ある日、プロジェクターのリモコンをスクロールする指がふと止まった。そのタイトルは「THE LOBSTER」
あらすじは、どんな理由であれ独身者は罪な世界。彼らは街外れのホテルに収監され、そこで45日以内に"共通点"のあるパートナーを見つけなければならない。もし、猶予まで見つけられなければ、自分が選んだ動物に姿を変えられ、森に放たれてしまう。
もし、動物にならなければならないとしたら何になりますか?僕は真っ先に浮かんだのはやはり犬でした。物語の中でもどうやら1番多いのは犬らしく、これはワールドスタンダードみたいです。やっぱり犬はいいよな〜。
しかし、自分の特徴と似てる動物の方が良いと説明を受け、"近視"の主人公のデヴィッドが選んだのはロブスター。ほぼ視力がないロブスターと眼が悪い自分は似ている。更にロブスターは生殖能力もあり、寿命も長いことで彼が選んだのがロブスターでした。ちなみにロブスターの眼は光にとても敏感なので暗闇での生活を余儀なくされており、光を見る時は、失明する時。このロブスターの特徴が物語のラストにとても響いてきます。
デヴィッドは妻から離婚を告げられ、このホテルに収監。それから��ルト団体のような日常をなんとかやり過ごしていきます。なんやかんやありながらも"冷酷"な女を騙して、偽りの共通点をもつパートナーとセカンドステージへ。この冷酷な女ではなく、最初にアプローチをかけた"鼻血を出す"女が「The End of the F***ing World」でアリッサを演じたジェシカ・バーデンだったのにはアガりました。
"冷酷"と偽った共通点がバレるのに時間はかかりませんでした。自身をロブスターに変えられる前に、その女を動物に変えることでなんとかその場を脱して、デヴィッドは森で生活する"独身者たちのユートピア"へと逃げ隠れます。
物語の第二章。なんらなここからが本編。そもそもこのユートピアはデヴィッドと同じく、ホテルから逃げてきた独身者達で構成されています。お一人様OK。日常生活の縛りもなし。
ただ、1つだけ犯してはならないルールが存在。それは"恋愛禁止"
見てはダメ。さわってはダメ。と言われると、どうしてもやってしまいたくなるのが人のさが。デヴィッドはホテルに戻れば即ロブスター。街に逃げ込んでも、1人で街ブラしていると職質をくらう世界。もうここしか生きる場所は残されていません。腹をくくり、その環境にも慣れてきたある日。同じ森で生活をする"近視"の共通点を持つ女性に出会う。彼は彼女に一目惚れするのでした。
ここでふと疑問に思うことはないでしょうか?独身者だけで生活できるフィールドがあるなら、独り身でいたい人はそっちに行けばよくない?と。その答えはホテル生活のルーティンにあります。ホテルでサイレンが鳴ると独身者達は皆、麻酔銃を持ち、バスで森へと向かいます。そこで森に潜む独身者を捕まえれるごとに動物にされるまでの日数が1人捕獲につき1日延長されるという仕組み。
なので、森のにいる独身者達はいつくるかわからない敵から逃げなくてはならないのです。やはりどこの世界にも完璧なユートピアは存在しませ���。
デヴィッドと近視の女は四肢を使った2人だけのサインで愛を深めていきます。しかし、このルール違反がバレなければ物語は進みません。恋仲になった2人にはそれなりの罰が課せられることになっています。デヴィッド達のよからぬ仲に勘づいたリーダーを演じたのはレア・セドゥ。やはり存在感が別格です。リーダーは近視の女を連れて街に繰り出し、眼の治療と嘘をつき近視の女を失明させます。まるで、希望の光を見つけたのに、その代償として光を失うロブスターのように。
デヴィッドは脅しに近い警告だけで難を逃れますが、光を失った近視の女に対する愛は変わりません。なんなら深まります。このままでは最悪の結末も近いと悟った2人は森からの逃亡を決行。
焦りで間違えて手に取ってしまったパツパツのスラックスの不快感と、険しい道のりを何とか乗り越えて盲目の彼女とたどり着いた街のレストラン。一面大きな窓際のテーブルに座る2人を映した描写は、まるで水槽に飼われるロブスターのようだった。
カフェのウェイターにバターナイフではなく鋭利なステーキナイフをお願いするデヴィッド。
彼は近視の女と同じく失明するつもりです。彼女の正面と左右の横顔を脳裏に焼き付け、いざ心を決めます。レストルームの鏡の前に立ち、ナイフの先端を右眼のギリギリに持ってくるデヴィッド。ガタガタと震える右手。
劇中カットは近視の女に戻ります。彼女の前に置かれたグラスの水は半分ほどに減っている。彼が席を立ってからそれなりに時間が経過したことが伺える。彼女のグラスに水を差すウェイターのさまは、まるでロブスターを飼育している飼い主のように。 物語はここで幕を閉じます。
監督・脚本はギリシャの鬼才ヨルゴス・ランティモス。なぜ?な突拍子のない世界観でも、最後にはそれを気にしないほどの余白付きの結末を用意してくれる。エンドロールと共に聞こえる波の音。ラストはデヴィッドが彼女を置き去りにしてロブスターになる道を選択して海の底でひっそりと…が大方の予想。
この結末が1番腑に落ちるが、僕は政府によってロブスターに変えられたのではなく、自らの力でロブスターになる=失明。もしくは近視の女を見捨てることなく、この先の困難も彼女に寄り添っていてほしい結末を願ってしまった。この考察は間違いなく的外れ。でも、観るタイミングによって結末の捉え方が変化するのがこの作品の良いところ。今の僕はバットエンドよりも愛を選ぶ。冒頭の未来予想図が諦めきれない僕の気持ちも上乗せして。
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NARI
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Meet Brad Pitt
「ブラッド・ピットはお好きですか?」
晴子さんよろしくな質問。僕は山王戦を迎える花道よりも早く、「大好きです」と即答できる自信がありますし、もちろん嘘じゃないっす。もしも海外のムービースターに1人だけ会えるよと言われたら、僕はブラピに会いたい。
いや、、やっぱりちょっと悩ませて下さい笑 ぱっと思い付くだけでも、ゴズ兄やキアヌやイーサン・ホークにも会ってみたい。でも、そんな願いが万が一叶うのであればブラピは間違いなくベスト3。
僕の友人の中で、物理的に誰よりもブラピに近づいた男こと徳利さん。羨ましい。羨ましすぎる。さらにこの写真の好きなポイントは、徳利さんのキティちゃんTee。そして、ブラピがサングラスをOFFしてる位置です。
ブラピの顔と名前が僕の中で一致し始めたのは、97年頃に流れていたEDWINのCM。一度聴くと忘れないブラピの声とあの♫503〜の歌。それから時は流れ、初めてスクリーンで彼を見たのは2001年に公開された「OCEAN’S ELEVEN」でした。
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坊主でも長髪でも、髭があろうがなかろうが、ヤングな時も、中年時代も、今年で還暦を迎えようが、どの時代でも僕らを魅了し続ける存在のブラピ。
皆さんはブラピが出演した映画だと何が好きですか?この質問には一つだけ縛りを付けますね。「FIGHT CLUB」と「SE7EN」は殿堂入りすぎるので、この2作品は除外です。
僕は「BABEL」や「ONCE UPON A TIME IN HOLLYWOOD」かな。あとは、ほぼ出演していないと言っても過言ではないけども、ジャンキーな役をブラピが演じたところに価値があり、脚本と監督が最強タッグの「TRUE ROMANCE」や、この作品がブラピの出世作だと思う方も多い、ロバート・レッドフォード監督の「A RIVER RUNS THROUGH IT」も好きだな。
でも、今回はもう1つのお気に入りである「MEET JOE BLACK : ジョー・ブラックをよろしく」について。
物語は死神と社長令嬢のラブストーリー。最初の衝撃はいきなり訪れます。冒頭でブラピは交通事故に遭い、死んでしまいます。
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ヒロインのスーザンと初めてコーヒーショップで出会ったその冒頭シーンは今なお語り継がれる名シーン。当時のブラピのイケメンさは言うまでもなく抜群。それに加えて、女性に対する絶妙な距離の詰め方やウィットに富んだ会話術なんかは、現在進行形でシングル男子が身に付けたいナチュラルさ。
その後、人間の生活を体験したい死神がブラピの体を乗っ取ります。ここでのポイントは肉体だけであり、記憶や性格などの内面は死神には引き継がれてないということ。
この死神ことジョー・ブラック(以下:ジョー)は一代にして財を成した実業家であるウィリアム・ビル・パリッシュ(以下:ビル)の知性やカリスマ性に興味を持ち、近くで観察してみたいとビルの家にやってきます。
ビルには2人の娘がおり、その1人があのコーヒーショップで登場したスーザン。あの名シーンの時に、名前や連絡先を聞いておけばよかったと、心残りがあるスーザンにとっては衝撃的な再会。
でも、ジョーにはその記憶がないので初めましてな状態。そもそも、ジョーがビルの前に実体として現れたのは、観察も1つの理由ですが、ビルの余命が残り僅かだったから。寿命を操れる死神らしいチートな能力を振り翳し、ビルの余生を少し伸ばしてあげます。その代わりに、ビルの側で人間の生活を送らせてもらうのが交換条件でした。
でも、ジョーに1つ誤算が生じます。それは、スーザンに恋をしてしまったこと。初めはなかなか噛み合わなかった2人。しかし、ジョーは人間の生活に少しずつ慣れ始めるのに比例して、完全にスーザンラブ。そしてスーザンも確実にジョーに惹かれ始めるのです。
お互いに距離がグッと近づいてきたある日。ビルの人生最後��日は、彼の誕生日に決まります。誕生日パーティーの最中に、ジョーはビルにスーザンとこれからも一緒に居たいと告げます。しかし、ビルはそれを心良く思わず首を縦に振りません。そりゃそうです。死神と愛娘が付き合うなんて。でも、���こでビルは、ジョーに出会った時に言われた言葉を上手く引用して、愛するとは?何かと力説します。
ビルの力説が全く響かないジョーはスーザンの気持ちを確かめるべく、パーティー会場で彼女を探します。これが���果的にスーザンとジョーの最後の会話。
女性の勘といいますか、何となく会話の流れから別れを予感してしまうスーザン。その予感と合わせてスーザンが1番に語り出した思い出は、死神のジョーがずっと知らないままの記憶だったあのコーヒーショップでの出会い。その時にジョーは気付かせれます。コピーはオリジナルに勝てないと。
ジョーがキタサンブラックばりな漢の引き際を見せて迎えるクライマックス。ここからのラストシーンは好き嫌いがはっきりと分かれるはず。なのでラストについてはあれこれ書きません。
1つだけ言うのであれば、この映画はファンタジーです。要はクライマックスのその後をあれこれ考えてはダメ。それは御伽話と同じです。このラストは現実的にありえねーって思う人はもちろん多いはず。でも、ありえなくていいんです。
僕は映画って、その作品の世界観にどれだけ自身の経験や願望を重ね合わせることが出来たかが好きの大きさに繋がると思ってますが、アクションやサスペンスの類の作品にはその物差しを使う事はあまりありません。では、ファンタジーはどうでしょうか? そこを踏まえてもう一度お伝えします。「MEET JOE BLACK」は限りなく現実世界に近いファンタジーなのです。
約3時間の大作映画ですが、全く退屈を感じさせない脚本と俳優陣。要所要所のサブストーリーや、名優アンソニー・ホプキンスの紹介がごっそりと抜けてしまいましたが、それは余白としてまだ見たことないよって方は、是非そこもお楽しみ下さい。
今から25年前の98年公開の「MEET JOE BLACK」。21世紀の足音がすぐそこまで聞こえはじめ、僕にとってのインターネットや携帯電話が日常になるちょっと前の時代。それは劇中の時間軸も同じくらい。
誰かに会うには直で行かなきゃだし、待ち合わせの連絡なんかは今よりも絶対にリスペクトが必須。昔と比べすぎるのもあれですが、何事も簡単につながることができる今よりも確実にめんどくささが勝る。でも、それらの事柄が絶対に暖かい時代だった。
ジョーとほんのり重なる経験談として小話を1つ。僕の人生で、初めて彼女が出来たのは中2の時。お相手は1つ年上で少しやんちゃな竹原先輩。付き合いはじめにもらったのはノートの切れ端。もちろんデスノートではなく、そこには先輩ん家の電話番号。嬉しくてたまらなかったのも束の間、先輩にお兄さんがいることを知ります。そのお兄さんは、フッド界隈ではなかなかのワル。もし、電話をかけて、それを兄ちゃんが取ってしまったら。そんな思春期よろしくな悩みが邪魔をしてしまい、14歳の僕は先輩ん家に家電するのを完全にチキってました。
でも、いよいよ決心がついたある日。ヤンキーってそもそも家にあんまり居なくない?や、仮に居たとして、家の電話が鳴っても自ら受話器を取らないでしょ!と、勝手過ぎかつ失礼な妄想を頭いっぱいに広げて準備万端。テレフォンカードを握りしめいざ向かう先は、実家から秒のセブンにあった公衆電話。そこからダイヤルしたあのドキドキとアナログ感。思春期+恐怖+恋心が入り混じり、替えがきかないこの経験を僕は生涯忘れることはないでしょう。
簡単に連絡がとれてすぐに会える現代。会う前には、その人の何やかんやが調べればすぐに分かってしまう。先入観とは時に恐ろしく、相手に対して作ったイメージを、なかなか崩してくれない。他者との距離が近くなり、何事も便利になりすぎてしまった反面で、人付き合いが窮屈に感じたり、生きにくくなったなと考える場面は多くないですか?そして、人や洋服やその他色んな物事をひっくるめての"好き"が離れてしまうスピードは増すばかりだと思う。
これからが今よりもそうなってはヤダしつまらない。無理に周りに合わせなくていい。だって、自分の好きがブレなければ、この先はそれにもっと夢中になるしかない時を費やせるはずだから。「MEET JOE BLACK」は恋愛ストーリーがメイン。でも、年始に改めて鑑賞し見終わった後には、懐かしさを踏まえつつそれをちょっと思い返したり、"好き"であり続ける大切さをふと考えちゃいました。
と、最後はブラピから脱線しましたが、大好きな「MEET JOE BLACK」から着想を得たTOXGOオリジナル���イテムを作りました。
「ジョー・ブラックをよろしく」 の劇中で1番印象的なアイテムとは? それは間違いなく満場一致でピーナッツバターです。そして、ただのピーナッツバターでダメです。アメリカの老舗メーカー"Laura Scudder's"メイドじゃないといけません。
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ジョーが人間界で初めて口にした食べ物がこの"Laura Scudder's"のピーナッツバター。それ以来この味の虜になり、人間界を離れる最後の最後まで口にしたい(正確には舐めたい)と願ったフェイバリットアイテム。
タイトルのJoe Brackを「Brad Pitt」に置き換えました。これは映画に対するリスペクトと、冒頭に述べた、ブラピに会いたいという想いのダブルミーニング。そして、Laura Scudder'sの昔のパッケージに採用されていたピースフルなブルーバードを隣にあしらいました。
使用したボディは90sデッドストックのF.O.L。ほぼコットン100素材でいい塩梅のヘビーウェイト。ボクシーなシルエットとリブのテンションも抜群です。そして、発見時は真っ白だったこちらのボディを今回のテーマに合わせてピーナッツバター色に染めました。デッドストックの良さをあえて無くした贅沢なボディです。
僕の思い付いたアイデアをGOROさんがグラフィックにしてくれて、TATSUOさんが発見してきたヴィンテージボディにそれを刺繍でONしたTOXGOオリジナルです。
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MBP CREWNECK
Size : L / XL / XXL
¥14300 (tax-in)
※染める工程で全���的に縮んでいます。ノーウォッシュ時よりも着丈すっきりシルエット。Lサイズは女の子にもオススメです。XXLサイズは生粋のユーザーの方には、ちょっぴり物足りないかもしれません。
※3.3の12:00から店頭先行で販売します。
※オンラインは3.4の20:00にアップします。
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届け。ブラピ好きに。
NARI
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I hope he don't stop putting energy on his looks to events. I haven't liked every outfit he have worn but I have liked some. Like when he have worn skirts. He don't need toxgo back to "punk" but still try to dress nice to events and have some fun with his outfit. And not boring casual outfit he worn before. I hope he goes back to suits too
bof to me if he feels good in his skin, he can wear whatever he wants ngl
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わたしは光をにぎっている
「八月は夢花火 私の心は夏模様」
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お送りした曲は宇多田ヒカルによる井上陽水の"少年時代"。毎日着るインナーがフルーツのタンクトップからインデラのサーマルに変わるまでは、僕の心は夏模様。
どんだけの猛暑でも僕は夏が好きです。汗でびしょびしょになろうがならまいが夏が好き。でもフェスや野外のアクティビティにはあまり興味がない。路面の居酒屋で外の席があれば是非ともそこがいい。それが座れようが立ちでも。なんて事ない居酒屋でも外で呑む瓶ビールは格別。サマレンの主人公である網代慎平の癖である"俯瞰"を引用するならば、生ジョッキより小さいグラスでクイっと呑み干す瓶ビールの良さを知った自分は間違いなく歳を重ねたんだと思う。生ビールより瓶ビール派。流川より仙道派。聖子ちゃんより明菜派。
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“松本穂香”が気になる。
「拾われた男」の第二話で主人公の松尾諭がバイトしている渋谷TSUTAYAに、新人バイトとしてやって来た田畑さんを演じたのが松本穂香だった。このエピソードのみのスポット出演だったにも関わらず、これが僕の中で決定打になった。
区画整理などの都市開発で街が変わり続けている東京。そこにあって当たり前だったものが日々変わり続けている街並み。コロナの影響ももちろん大きい。そんな変わりゆく街を舞台にし、“終わり方の大切さ”を描いた映画「わたしは光をにぎっている」
主人公の澪を演じたのは松本穂香。澪は幼い時に両親を亡くしてからは、大人になるまでずっと祖母と長野の田舎で暮らしていました。しかし、祖母の入院や経営していた旅館の老朽化もあり、祖母の元を離れ、亡き父の友人である三沢京介が経営している東京の立石にある銭湯“伸光湯”に居候としてやって来ます。
しかし、新しい環境での生活になかなか馴染めない澪。ある日、祖母から「目の前の出来る事から��コツコツやりなさい」と心を少し軽くしてくれる言葉をもらってから、少しずつ伸光湯の手伝いを始めます。
伸光湯で働くうちにどんどん銭湯の事が好きになっていく澪。いつしかそこが澪にとって自分の居場所となり、そして一途の光を掴みかけていました。
澪は祖母が入院する日に一冊の本を譲り受けます。その本は詩人・山村暮鳥の詩集でした。そして、祖母がその詩集の中でお気に入りだと教えてくれたのが「自分は光をにぎつてゐる」 山村暮鳥は大正時代の詩人。この「自分は光をにぎつてゐる」は書いた時は、その時代では不治の病だった肺結核に侵されていたそうです。自分の死が迫ってくる中で、暮鳥が生み出したのは「光」をテーマにした、絶望ではなく希望の詩。この詩が映画のタイトルの由来となっており、まさしく物語の核です。
この作品を見るにあたってお伝えしたい事は、主人公の澪はあまり話さない内向的な女の子。でも、その役柄が松本穂香とすごくマッチしていたことは間違いないです。"コミュ症"と言ってしまえばそれまでかも。でも、それとはちょっと違う。物語の中で、「しゃべらないことで自分を守ってる」と核心をつく一言を言われます。このシーンは決して他人事の気がせず、自分自身に投げかけられているようでハッとさせられました。
銭湯という居場所を見つけたのも束の間。伸光湯は区画整理の対象となっていて、取り壊しが決定していました。初めは澪に素っ気ない態度だった京介でしたが、銭湯と出会い変わっていく澪を見ている内に、段々と言い出せなくなっていました。そして、畳み掛ける様に、澪の祖母の訃報。澪にとってはダブルで自分の居場所を無くしてしまいますが、その時の澪はもう以前の彼女ではありませんでした。
「しゃんとする。どう終わるかって、たぶん大事だから」
これが映画のキャッチコピー。自分の居場所。知り合った人達との思い出が詰まった街にお別れを告げて、迎えるラストは終わりがあるからこそ始まりがある。と思わせてくれたエンディング。多くを語らず進んでいく様はまさに「詩」そのもの。楽しい時も挫けそうな時も、誰しもが小さくて何かしらの"光"を握り続けている。
あんな烈しい暴風の中で
掴んだひかりだ
はなすものか
どんなことがあっても
おゝ石になれ、拳
この生きのくるしみ
くるしければくるしいほど
自分は光をにぎっている
出典:『山村暮鳥の世界』筑波書林
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NARI
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ちょっと思い出しただけ
池松壮亮×伊藤沙莉と言う時点で観ない理由が見つからなかった作品「ちょっと思い出しただけ」 映画あるあるで事前に期待のハードルを上げ過ぎると大体ハズレが多いです。でもこの作品が気になってる皆様ご安心ください。これはハードルを上げまくってもらって大丈夫です。
クリープハイプのフロントマン尾崎世界観の楽曲「ナイトオンザプラネット」を盟友の松井大吾が映像化した作品です。僕は恥ずかしながらこの作品を知るまでクリープハイプを聴いた事がなかったいわゆるクリープハイプ童貞。しかし、遂に卒業する時が来ました。本当にこの曲が最高過ぎるんですもん。Blogを書いている最中はもちろんのこと、観終わってからもずっとこの曲を鬼リピで聴いてしまっているくらいハマってます。なので、個人的には鑑賞する前に予告編を観るよりもこの「ナイトオンザプラネット」の歌詞を脳内にバッチリ刷り込んでから観てほしいです。きっと思うてる倍は感動します。
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物語は2021年の7月26日から始まります。足の怪我でダンサーの夢を諦めた照生(てるお)とタクシー運転手の葉(よう) この2人が初めて出会った2015年からコロナ禍真っ只中の2021年までの「終わりの始まり」である6年間を照生の誕生日7/26だけにスポットを当てて描かれます。誕生日だけで過去の恋愛を振り返るという設定なのですが、これが僕の思い出にとてもリンクしてしまいました。今から約10年前に同い年で同じ誕生日の彼女が居ました。これってなかなか出会えない確率だったんですかね?付き合ってた期間は短かったですが、自分の誕生日を迎える時にはその子のことを正に"ちょっと思い出しただけ"になってしまいます。
そしてなんと言っても主演の池松壮亮と伊藤沙莉の組み合わせがはっきし言って神。付き合ってた時期の2人の掛け合いやアドリブなどのコンビネーションが抜群すぎ。あと伊藤沙莉の魅力の1つでもある、あの声がやっぱり僕は好きです。
始めに紹介しましたが、この作品は尾崎世界観の楽曲を映像化したものです。なので僕のグッと来た歌詞と好きだったシーンを照らし合わせていくつかご紹介していきます。(軽いネタバレはご了承下さい)
「吹き替えよりも字幕で 二人で観たあの映画」
1992年公開のジム・ジャームッシュ監督作品"Night on Earth" 尾崎世界観はこの映画が好きすぎて作った楽曲が"ナイトオンザプラネット" 劇中でいつの日かの誕生日にお祝いのケーキを食べながら、2人が好きなこの映画を観ます。余談ですが、ジム・ジャームッシュ作品を他の映画で使用出来ることはなかなか稀な事だったみたいです。
ケーキを食べながら葉は「吹き替えと字幕どっちで観るのが好き?」と照生に投げかけます。この掛け合いなんかは自然体すぎて、プライベートで2人が結ばれたらいいのになと思ってしまうくらい(大きなお世話) その後に照生がプロポーズを仄めかす所や、葉が子供が欲しいと思わず本音を吐露してしまう演技なんかは観終わった後にジワジワくるはずです。
「愛とヘイトバイト 明日もう休もう 二人で一緒にいたい」
2人とも休日だった照生の誕生日。照生のバイト先の水族館の休館日にこっそりと忍び込みます。この作品を代表する場面。ほぼ貸切状態の水族館で、まるで2人だけしかこの世界に存在しないような空気感が広がります。マイフェイバリット映画の“エターナル・サンシャイン”で例えるならば、2人が凍った湖の上に寝そべり、夜空いっぱいに広がる星座の見ながらお話をしているシーンみたいな感じ。
葉の会社のタクシーを無断で借りて来て、映画「Night on Earth」のウィノナ・ライダーのチャプターを真似っ子する所もすんごく微笑ましかった。2人にとってのお決まりな“ジム”のくだりも最高だったのですが、「あなた女優にならない?」というジム・ジャームッシュ映画のセリフは頭に入れて鑑賞下さい。この言葉がとても切なく感じます。
「あの頃と引き換えに 字幕より吹き替えで 命より大切な子供とアニメを観る いつのまにかママになってた」
2021年の葉には赤ちゃんが産まれています。そうです。この時には照生ではない別の守るべき存在が居るのです。葉の旦那役の康太を演じたのがニューヨークの屋敷。この屋敷がいいアクセントになってました。今後、俳優として活躍する屋敷を目にする機会が増えそうだなと。
ある日コンパに誘われた葉は、特に盛り上がらない呑み会だけど友達として建前もあり、なかなか抜けられない状態。そんな空気に耐えられず外に一服しにいくと、そこに康太が座っていました。康太のフランクすぎる対応に流されるままLINEの交換をする事になるのですが、その時にアイコンにしていた猫の画像にツッコまれます。その猫は照生と一緒に飼っていた"もんじゃ"だったのです。
ここが照生の事をまだ忘れらていない演出の1つでした。そして2021年の照生誕生日前夜。タクシーの仕事中に乗せたミュージシャンの男に、「トイレに行きたい��ですが?」と言われ、たまたま近くを通りかかっただけなのかも知れませんが、向かった先は照生と初めて出会った劇場でした。そこで足の怪我を庇いながら、誰も居ない舞台で1人踊る照生を見つけてしまいます。もしも康太と結ばれいなければ、おそらく葉の性格上、照生に声を掛けていたはずです。でもそうしなかったのは葉に命より大切な存在が出来ていたから。
観終わった後にこの曲を聴いて、1番泣ける歌詞は間違いなくここでした。子供と一緒に見るから"字幕よりも吹き替えで"って、、前半の“吹き替えよりも字幕で”をきちんと回収したグッと来た歌詞です。そして、照生の誕生日を表す時計の時間は決まって何時"7分"になっているのですが、ラストに葉が見たスマホの時間が8分に進んでいる演出も好きでした。時間は待ってくれないし、色々な経験があって誰しもが少しずつで前に進んでいます。
「最高の場面を焼きつけよう 雨に濡れた帰り道は風で乾かそう 久しぶりに観てみたけどなんか違ってそれでちょっと思い出しただけ」
この歌詞のシーンは冒頭の方にやって来ます。劇中で「Night on Earth」を観るシーンは2回ありますが、1回目はここです。時間軸で言えば2021年。照生は日付が変わって誕生日になった深夜に葉との思い出が詰まったこの映画を1人で見ています。でもなんか違うものを感じてしまいます。おそらく葉との思い出が重なったはず。
そして1人で酔い潰れ、ソファの下で寝てしまい朝を迎えます。ストーリーの中でベッドではない所で寝ている描写はここだけだったので、照生の葉に対する未練を表している場面だったのかもですね。元パートナーとの思い出が蘇る映画や場所ってありますよね?でもやっぱりその時のパートナーと経験した良き思い出をその後に更新する事ってなかなか難しいです。そんな消化するに消化できない"ちょっと思い出しただけ"な気持ちが伝わってくるシーンでした。
この映画は2人が既に別れている所がポイントです。なんで別れたのか?などの理由は正直あまり気になりません。2人の思い出をある1日だけで振り返り、関係性は終わったけどお互いに"ちょっと思い出しただけ"で気持ちはスッキリと前を向いて生きている描写を大袈裟な演出もなく描き、このコロナ禍な時代も付加価値になっているからこそ伝わるものがありました。そして主演の2人以外の豪華役者陣も見所の1つ。"Paterson"よろしくな永瀬正敏。床屋の篠原篤。ゲイ役の國村隼。その中でも前回のブログでご紹介した河合優実はやっぱり抜群に可愛かったです笑
予告もなく世界を180度変えてしまったコロナ。まだゴールの見えないトンネルの中にいる状態ですが、そのトンネルを抜けた先は、恐らくコロナ以前の世界には戻らないと思います。働き方、買い物、1人で過ごす時間、新たな人間関係の築き方などなど、現在進行形のコロナ禍での過ごし方がこれからの新しいスタンダードになっていくはずです。
“昔は良かったよね〜”と先輩とのご飯で後輩が聞きたくない話のジャンル上位に位置する様な事柄じゃなくて、コロナ禍前の大事な思い出を“ちょっと思い出しただけ”なタイミングはこれからちょこちょこやってくるはずです。そんなちょっぴりエモい気持ちがやってきた時は大切に思い返したい。いや、絶対にそうすべきな気持ちにさせてくれる素晴らしい映画でした。
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NARI
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아저씨
「アジョシ」が忘れられない。
いや、むしろ忘れたくない。
"韓流"ブーム。これが「アジョシ」を見るのに10年以上の無駄な時間を過ごした要因かも知れない。僕の思春期真っ只中に起こったこのブームの火付け役と言えば間違いなく「冬のソナタ」だろう。ドラマもそうだが主役のヨン様に熱狂するおば様達は本当に凄かった。でも僕の母はこれには該当しない。なので家に韓流グッズの類はひとつもなかった。もし母が韓流を好きだったら、知らぬ間に自分もハマっていたかも知れない。
いや、それはあり得なかったと思う。何故なら映画ないしドラマは欧米だろ!という意味ないプライドが邪魔をしていたからだ。「韓国の映画はおば様方が楽しむもの」と先入観が先走り、知りもしないのに当時から最近まで結論付けてしまったことをとても後悔している。先に言っておくと“反韓”というくだらない感情はこの時から、そして今現在も持ち合わせていない。
韓国映画マニアと言っても過言ではない友人がいる。人生の先輩だがあえてここでは友人と呼ばせて頂きたい。韓国映画に限らず様々な映画の情報や知識を教えてくれるのだが、韓国映画に関しては特に凄い。その友人から絶対に見るべきオススメDVDをゴッソリ借りた中に「アジョシ」があった。
ほとんどの人が予告やストーリーのあらすじを見て、ザックリと物語を頭の中で想像すると思う。ほぼほぼその通りだったり、多くはそれ以下な事が多い。つまり一度思い描いた想像の範囲内を超えてくる映画は少ないという事。しかし、「アジョシ」は僕の想像をしっかりと超えてきた。
「アジョシ」はなんと言っても主人公のテシクを演じたウォンビン。とりあえずカッコいい。もう一度言わせてもらうと、진지하고 멋진。
ジョン・ウィックにはキアヌの良さ(僕は大好き)がありますが、彼よりもスマートに淡々と敵を駆逐していくバトルアクション。説得力抜群ウォンビンの対人術は凄みしかない。劇中でセミロングな髪の毛をバッサリと自ら切る決意の表れを描くシーンがあるが、まぁーどっちの髪型もカッコいい。でも、ストーリーを無視したら個人的にはセミロング派。ラストの敵のアジトでの戦闘シーンで「やっちまえウォンビン!」と思わず応援したくなることは間違いないでしょう。ようやくあの時の韓流ブームのおば様達の気持ちがようやくわかった気がする。
元特殊部隊出身(殺し屋)のテシクは忘れる事が出来ない過去に囚われたままで影しか感じない。そんなテシクを「アジョシ!=おじさん」と親しみを込めて呼ぶお隣さんの少女ソミを演じたキム・セロンも良かった。隣に住む女の子から“守らなくてはならない存在”になっていくまでの過程で彼女の見せてくれた様々な"絆"にはグッとくるはず。ソミの願いは一つ。「アジョシに笑っていてほしい」たったそれだけ。
そして、敵役のマンソク兄弟はちゃんと悪かつちゃんと憎たらしい。これが特に重要だと思う。日本だとカタギや女と子供には手を出さない。というのがこういったヤクザテイスト映画の定説。しかしお隣の韓国は違います。誰だろうと関係ないスタイルないし何でもアリ。そして韓国の社会問題の臓器売買や、孤児を使っての犯罪体系などの闇を織り交ぜて描かれているのもリアリティがあります。
影のある主人公に懐くお隣さんの少女との交流→その少女が親のだらしなさで犯罪に巻き込まれて拉致される→助けにいくが一筋縄では行かない→なんやかんやあり最後の最後で助ける事が出来る。
大きい括りで言えばこんなストーリーかもしれない。ありきたりな物語なのかもしれない。でも、先に述べた要素を踏まえた結果は、間違いなく目を離せない2時間だと言うこと。決してお涙頂戴なだけの薄っぺらい���のとは訳が違う。やはり韓国版の「LEON」と��される肩書きは伊達じゃない。12年前の作品と知った時にはビックリでした。前半に書いた韓流に対するイメージが全部同じじゃないにしても、少し似てるという人にはこの何度見ても泣いてしまう予告編を是非。
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NARI
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愛なのに
まずはじめに「その着せ替え人形は恋をする」を皆さん見てますか?2022冬アニメのラインナップで、ぶっちぎりで1番面白いです。まだ未見の方は是非第3話までチェックしてほしいですが、第8話が神回だったのでもう一気に全話見て下さい笑 アニメ化から原作コミックスの売れ行きをいかに伸ばせるかがここ最近のアニメのバズってる指数になってますが、特に"着せ恋"の売れ方は半端じゃなくて、1ヶ月で100万部伸びたらしいです。騙すつもりはないですが、騙されたと思って一度見てみてください。
さて、今回は先月末から公開された「愛なのに」について。城定秀夫と今泉力哉がタッグを組み、お互いが書いた脚本をお互いが撮影するという企画"L/R15"より生まれた作品です。今作は監督が城定秀夫で脚本が今泉力哉。まずは城定秀夫について。数多くのピンク映画やVシネを世に生み出してきた城定秀夫の作品の中でも「アルプススタンドのはしの方」はすごく良い作品なのでこちらもチェックしてみて下さい。そして今泉力哉と言えば世間的には「愛がなんだ」が代表作とされていますが、個人的には違います。僕は下北沢を舞台に男1女4の設定で描いた青春群像劇の2020年公開の「街の上で」が1番だと思います。
若葉竜也が演じた主人公の荒川青も最高でしたが、ストーリーの中で1番心を惹かれたのは中田青渚演じるスタイリストの"城定イハ"でした。穂志もえか、萩原みのり、古川琴音よりも圧倒的に中田青渚に1票でした。劇中で映画の撮影を終え、下北での打ち上げ後にイハちゃんの家に行って、ただ談笑する長尺ワンカットシーンは本当に良いので見てほしい。関西弁の女の子ってやっぱりいいよな〜とも思わされるし、なんといってもイハちゃんが可愛すぎます。このシーン以外にも全編通して散りばめられている今泉節も最高の作品です。
あれ?城定? 気になった方は流石です。この役名は今泉力哉が城定秀夫をオマージュした役名なのです。それくらいリスペクト強めな先輩後輩の2人が作る映画がつまらないわけがないのです。単調な流れでも会話劇が抜群に面白い今泉力哉の脚本力と城定秀夫のカット割がとてもいい塩梅でした。見終わっての感想を軽く伝えるならば、予告編を見て抱く期待値を余裕で超えてくる位面白かったです。
ここからは毎度お馴染みのネタバレ有りな感想で作品を振り返ります。多少のネタバレは気にしない方向けです。嫌な方は鑑賞後に読んでもらえたら嬉しいです。
主人公は瀬戸康史演じる古本屋の店主の多田(ただ)。年齢はもうすぐ31歳。その多田を一方的に好きになり、しつこく求婚を迫る女子高生の矢野岬を演じたのが、今ブログで三回連続登場の河合優実(もう確実にファンです) 岬が店内から一冊の小説を万引きするところから物語は始まります。万引きの理由は自分の名前を覚えてほしかった事と、多田が読んでいる本が欲しかった為。間違いなく可愛くないと絶対に許されない理由でした笑 その日を境にして店に来る度にラブレターを持ってきては求婚を迫る岬。そんな彼女を邪険には扱えない性格の多田。犯罪になりかねない歳の差がもちろん壁になってますが、もう一つの壁が多田の過去の恋愛でした。この微笑ましい冒頭の2人のシーンでがっつり心掴まれました。
瀬戸君はアイドル俳優とばかり思ってましたが、歳を重ねていい味が出てきてますよね。この作品でその先入観は払拭されました。それよりも、河合優実に言い寄られる多田よ、、ただただ羨ましいぞ笑
多田の忘れられない女性の佐伯一花(いっか)を演じたのが、ゲス極のドラマーであり最近は女優としても活躍中のさとうほなみakaほな・いこか。佐伯は多田が岬と出会った頃には結婚式を控えていました。その相手である亮介は、2人を担当してくれているウェディングプランナーの美樹と結婚式が終わるまでの期間限定な不倫関係にありました。この亮介が不倫をしている事は予告を見た時点で既にネタバレしていたので、こっちの話はどうでもいいから、もっと多田と岬のシーンを見たい!と思ったのが序盤の感想です。でも、一花が亮介の不倫の尻尾を掴んでからが、この映画の始まりと言っても過言ではないです。
不倫をした事をあっさりと認める亮介。相手は美樹でなく、過去に自分の事を好いていた人物であると嘘をつきます。謝罪されても腹の虫がおさまらない一花が出した結論は「私も同じ事していい?」でした。つまり一花も過去に自分の事を好きだった多田と寝てくると。ここら辺から亮介を演じた中島歩のポンコツぶりを発揮する演技は思わず笑ってしまう事間違いなしです。
多田をホテルに呼び出した一花。結婚式を控えた花嫁である事を多田は知っていて、「こんな事は絶対に間違っている」と一花の決意を受け入れません。そんな多田に痺れを切らし「じゃあ違う男とやる」と洋服を着始める一花を見て、男としてのプライドが勝ってしまい遂に決意が固まった多田。ちなみにこの時のコンドームの件は最高でした笑 エロVシネを沢山撮ってきた城定監督の濡れ場に対するこだわりは半端じゃなかったです。並の濡れ場シーンとは比べ物にならない位に。そして、その城定監督の期待に間違いなく100%応えたであろうさとうほなみの演技は必見です。
これで亮介とウィンウィンな関係に戻れると思っていましたが、一花は多田と会ってから表情が晴れないまま。あーやっぱり罪悪感が勝ってしまうパターンねと思いましたが、悩みの原因はそんなありきたりなものではなかったです。一花は多田とのSEXがあまりにも気持ち良すぎて忘れられなくなっていました。これだけ聞くとビッチで尻軽な奴ねとか、多田がとんでないテクニックの持ち主だったのかと考えてしまいます。でもそうじゃないのがこの脚本の面白い所。結論から言うと原因は亮介にあって、彼は超がつくほどSEXが下手クソだったのです。
その確信に触れるシーンは美樹との行為を終えた後にやってきます。男たる者、異性に言われたらずっと引きずってしまう「SEX下手くそですよね?」を美樹にマジなトーンで言われてしまいます。ここの掛け合いの亮介のポンコツっぷりは絶対に笑ってしまいます。その後、一花は多田との行為をアゲインしたくなり、もう一度だけ体を交わします。このシーンを見て僕はいやらしだけとは違う感情になってしまいました。鑑賞前の予想を大きく覆した中盤は完全に一花と亮介に話を持って行かれた展開でした。でもご安心下さい。ラストはちゃんと多田と岬のターンで幕を閉じます。
時は一花から連絡が来る前に戻ります。多田はいつもの様に岬から手紙を受け取りますが、その時は少し雰囲気が違いました。封筒の中には白紙の便箋だけが入っていて「多田さんの言葉が欲しい」と岬言われ、返事を書く約束を交わしました。でも16歳の女子高生に改めて何を書けば良いのか分からず筆が全く進みません。そんな時に一花からの連絡がありました。ずっと忘れられなかった相手と決着をつけた結果、多田は“愛”についての価値観が変わりました。岬に宛てた内容は、"これからも手紙を書いて欲しい。求婚をし続けてほしい。いつか岬の事を好きになれる気がする" その後、なんだかんだありながらも結婚する事を決めた一花から招待状が届きます。そして岬の両親が多田の家に怒鳴りにくる(当たり前)などあって迎えるラスト。
いつもの日課であるノラ猫のカンタにエサをあげている多田の所に手紙を持った岬がやってきます。親御さん問題は解決してないですが、こっそりとお店で会い続ける2人。一花の結婚式にはもちろん参列しなかった多田に友人が引き出物を渡しにやってきます。その中身は夫婦茶碗。その片方を岬にプレゼントし、「やった!」と岬が喜び幕は閉じます。
この後の展開は見た人に委ねる的な終わり方でしたが、僕はこの2人が将来結ばれる事はないのかなと。岬がこれから大人になっていく中で、色々な人との出逢いや価値観、世界観の変化が押し寄せてくるはずです。そして多田ではない別の誰かと結ばれた時には良き思い出の1つとして“ちょっと思い出しただけ”になるかもしれませんよね。この映画のキャッチコピーである「真っ直ぐで厄介で、否定できないこの想い」はとても素敵な言葉だなと見終わった後に思わせられました。
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NARI
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ヴァイオレット・エヴァーガーデン
遂にNetflixにて「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の配信がスタートしました。 映画館で見て以来なので約1年半ぶりに鑑賞しました。目頭が熱くなるだけでは済まず涙がしっかりと涙が頬を流るくらいの感動がやっぱり待っていました。絶対に許す事が出来ない京アニスタジオの放火事件。そしてコロナ禍も重なり公開延期が続いた今作。良い意味の付加価値ではないですが、それらを乗り越えて公開された事も決して忘れてはいけません。改めて紹介するまでもない名品ですがこのブログにしっかりと刻みたいと思います。
90年代後半くらいから"深夜アニメ"が当たり前な世の中になりましたよね。今日に至るまで何千何万のアニメタイトルが生み出されてきましたが、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」ほど泣けるアニメがかつて存在したでしょうか?“手紙”をテーマに描かれた人と人の繋がり素晴らしさ。圧倒的な作画力と非の打ち所がないストーリー構成。セリフの美しさや劇中を彩る楽曲の完成度など、もう全てのカテゴリーが完璧です。今後、この作品=京都アニメーションな立ち位置が揺らぐ事はないはずです。
この作品を見たけどつまらないと言う感想をお持ちの人はそもそも二次元が嫌いか、よっぽど京アニのアニメーションとキャラクターの作画が肌に合わない。もしくは西洋や戦争背景の雰囲気が苦手で、電気もろくに使えない時代にあんな高度な義手が存在するはずないじゃん。と、重箱の隅をつつく感じで何か文句を言わないと気が済まないの3択な気がします。僕はこの作品が嫌いな人とは友達になれません笑 ちょっと言い過ぎかもですがそれくらい自分の中の物差しになっています。
戦争孤児から対人用の人間兵器として扱われていた主人公のヴァイオレット。敵国からの奇襲に合い瀕死状態になりながらも最後に“あいしてる”と伝えてくれたのが恩人のギルベルト少佐。その時は“愛”の意味や感情が理解できなかった彼女ですが、戦争終了後に手紙の代筆役のドールとしての仕事を通して様々な愛の形を知っていきます。愛について分かり始める事に比例して彼女の感受性も豊かになっていき、消息不明ながらもギルベルトの伝えてくれたあの想いにいつの日か答えたい。。と言うのがこの作品の1番のメインテーマなのですが、シリーズ最終作の「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は大きく分けると3つのストーリ構成になっています。メインのヴァイオレットとギルベルトの話以外の残り2つはそれぞれを別の劇場版にしてもいい位の勿体なさすぎる内容です。
1つ目は冒頭からいきなりやってきます。アニメ史に燦然と輝くTV版伝説の神回こと第10話「愛する人は ずっと見守っている」のその後を描いたストーリー。ヴァイオレット・エヴァーガーデンにおいて皆が1番好きであろう第10話をいきなりぶっ込んでくるのは正直言って反則でした。あれ?これ10話の続きでは?と思わせられながら物語が進んでいくのですが、アンの孫娘デイジーがヴァイオレットが代筆した手紙を読み始めた瞬間にその疑問は確信に変わります。このシーンの後にOPクレジットだったのですが、初めて映画館で見た時は心が震えました。そしてこのデイジーがヴァイオレットの軌跡を辿る役割も担ってました。
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2つ目はヴァイオレットがある一本の電話を受け取る所から始まります。その電話の主はユリスという少年でした。ユリスは入院先の病院から代筆依頼の電話をかけていました。何度も手術を繰り返しても病状が良くならない現実を受け止め、余命が近い事を悟っていました。売れっ子ドールで代筆予約がパンパンなヴァイオレットでしたがこの電話を受け取った日がたまたま休日だった事もありこの代筆依頼を引き受けるのですが、、、
自分が死んだら手紙を渡して欲しいとヴァイオレットと約束をする時の“指切り”やグッドサインが後のエピソードに登場する演出も感動的でしたが、1番の感動はヴァイオレットに代筆で頼んだ弟シオンへの"素直になれなくてごめんね"という内容の手紙と、同じ想いが重なった幼馴染のリュカへの電話でした。“素直でいること”の大切さを教えてくれたのがこのヴァイオレット・エヴァーガーデンという作品。大人になればなるほど素直になる事って難しくなるなって思います。人に優しく出来てないなと感じた時。想いを伝える事を躊躇ってしまいそうな時。“ごめんね”と“ありがとう”が言えなかった時はもう一度見返して欲しい。
最後はヴァイオレットとギルベルトのエピソードですが、ここに言葉はもう必要ありません。エカルテ島の海で遂に再会を果たすシーン。ここでのヴァイオレットの声優を担当した石川由依の演技力にはただただ感動です。そして実写かと見間違ってしまうほどの水辺の作画にも是非注目してみて下さい。これは個人的に大好きなTV版第7話『「 」』の湖のシーンと同じくらい美しく、現アニメーション界の最高到達点だと思います。
劇中曲の中で「Violet Snow」という曲があります。この曲OPやEDでは使用されていなくて、記憶が間違ってなければTV版のラストに流れただけだったはず。しかし、そのイントロを聴いただけでヴァイオレット・エヴァーガーデンの名シーンがフラッシュバックしてしまう素敵な曲です。全編を通して書かれた多くの手紙。でもギルベルトがヴァイオレットに宛てた手紙を書くシーンは存在しません。そこを踏まえた上で改めてこの曲を聴くと感動が更に2割増しです。何故ならその歌詞の内容こそがヴァイオレットに向けた“手紙”になっているから。
NARI
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ボクたちはみんな大人になれなかった
"いなば食品"には絶大なる信頼を寄せています。タイカレーシリーズの缶詰はあのクオリティーなのにお求め安いプライスでお世話になりっぱなしです。最近登場したこちらの4食入りシリーズ。怪しいパッケージもいい感じかつ安定の美味しさでした。
森山未來といえばやっぱり「モテキ」が真っ先に思い浮かんでしまいます。主人公の藤本幸世の演技は何回観ても最高かつ、劇場版での長澤まさみは今観てもとてつもない破壊力ですよね。フジ君家で"LOVE ME TENGA" のTシャツを着る時や、「私ここでドロンします。シュシュシュ!」など名シーンしかないです。どうでもいいですが、何故か年末になると無性に観たくなってしまうのが、この「モテキ」と「闇金ウシジマ君」です。やっぱりテレ東製作のドラマが好きなんです。
あと2016年公開の「怒り」も忘れてはいけません。豪華キャストに加えてストーリーも抜群に面白く、僕の好きな邦画の1作でもあります。そんな作品の中で、一家惨殺の犯人役を演じたのが森山未來でした。サイコパスな雰囲気がラストにかけてジワジワと伝わってくる演技力には脱帽です。水槽をぶっ壊す所とかヤバいっす。ちなみにこの作品を観てから広瀬すずを"女優"として見る目が変わりました。それまではキラキラ系なイメージがどうしても先行しがちでしたが、この作品での体当たり演技は素晴らしかったです。そして記憶が少々曖昧ですが、田村正和が主演だったフジテレビのドラマ「さよなら、小津先生」 このドラマで金髪の不良生徒役として出演していた森山未來。初めてその存在を認識したのがこのドラマでした。
前置きが長くなりましたが、先週よりNetflixにて配信がスタートした森山未來が主演の「ボクたちはみんな大人になれない」 配信開始をすごく楽しみにしていた作品です。
主人公の佐藤が雑誌の文通募集欄を通して"かおり"に出会ったのが1995年。ノストラダムスの大予言は外れて地球が滅亡しなかった世紀末に、さよならを言わずに目の前から去って行ったかおり。そして2020年。ふとした時にSNSを通して彼女を偶然見つけてしまいます。そして出来る事なら思い出したくなかった"あの頃"が蘇ります。21歳〜46歳の25年間で構成されたストーリー。森山未來もさることながら、キャストの中でゲイ役を演じた篠原篤は間違いなく助演男優賞です。
過去の恋愛引きずり体質な僕にとってはグサグサ刺さる内容でした。そうではない方は少々退屈かもしれませんが、それくらい自分自身の恋愛体験を主人公の佐藤に重ねてしまいました。よく男は過去の恋愛は"名前を付けて保存"してしまうと言われていますが、僕は正にそれです。なかなか忘れることが出来ないのです。そして、今作の大きな軸が「フツーとは?」 「大人になるとは?」の2つです。よくありがちなテーマかもですが、僕は今作の描き方が好きでした。
そもそも「フツーって何でしょう?」 仕事や恋愛など何にしても"普通"って言葉は常について回ってきます。「君って普通だよね」と言われると正直嬉しい気持ちにはならないです。それが好きな人からだったら尚更。そんな事もあり多くの人がなんだかんだで普通ではない事を求めてしまいがちなところってありますよね。でも自分の思っている"普通"って他人から見れば既にその人の持つ"特別な何か"なのかもです。そこに気付いてくれる人がやっぱり大切な存在なんだなと。
そして、そんなフツーである自分を受け入れられた時が大人になるって事の1つなのかもです。社会的な責任感。家庭を持つ。高級な洋服を身に付けるなど外側のわかりやすい事柄だけではなく、10年前、1年前、半年前、はたまた昨日よりも、自分自身の内面を更に好きになれる事も"大人"に一歩近づく素晴らしい事なんではないでしょか?
かおりと別れた後、失恋を引きずりまくっていた2000年。その年に出会うSUMIREが演じていた"スー" 売春婦という自らはやりたくもない仕事をしているスー。ある日の夜。佐藤が少しずつ意識し始めていた彼女を送る帰り道。その後「私、何もないんだよね」 「こんな毎日でもなんか嫌いじゃない」と言うシーンがあったのですが、個人的にここが1番ジンワリと心に響きました。あと、これは観た人なら分かると思いますが、物語の終盤でZOOM会議をしているシーンがあるのですが、佐藤の背景が"宇宙"の壁紙になっている演出も良かったです。今回は配信で観ましたが、映画館で観て、その帰りに渋谷のラブホ街や佐藤の思い出の場所である"ラフォーレ原宿"の正面玄関に行ってみるロケ地巡りなんかも良いと思います。
元カノが忘れられない男性諸君。何も起きない“フツー”の毎日に退屈もしくは不安を感じてる方にオススメしたい作品。エンドロールの後に映し出されるシーンを見終わった時に、これから先の人生の"糧"が見つかるはずです。
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NARI
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ふわふわ戦隊もちぐまん
名作がオンパレードのフジテレビのノイタミナ。 「好きなノイタミナ作品は?」と聞かれた際に、パッと思い付くかと言われたら思い付かない。好きか嫌いかと尋ねられたら、好きっちゃあ〜好き。そんな立ち位置だったのが、2010年に放送された森見登美彦の同名小説を映像化した「四畳半神話体系」 しかし、アニメ放送から12年たった今年の2022年。それまで持ち続けていた"四畳半"に対する想いが一気に変わりました。それは「四畳半タイムマシンブルース」に出会ってしまったからです。
「四畳半タイムマシンブルース」の前に、まずは「四畳半神話体系」を知らなければならない。
“薔薇色のキャンパスライフ”を夢見る、誇り高き三回生の「私」。 しかし悪友の小津に振り回され、下宿先の下鴨幽水荘に住む謎の自由人である樋口師匠には無理な要求を突き付けられる日々。更には1個下の後輩で「私」が好意を寄せている黒髪の乙女である明石さんとは、なかなかお近づきになれない。
思い描いていた大学生生活はこんなはずではなかった。そうか。全てはピカピカの一回生の時に選んだサークルこそが全ての元凶の始まりではないのか? 薔薇色のキャンパスライフになるルートを探すべく、様々なサークルに入会する並行世界を旅した「私」の物語。
「ありもしないものばかり夢見て、自分の足元さえ見てなかったのだ。不毛と思われた日常は なんと豊穣な世界だったのか。」 このセリフに全てが集約された作品こそが四畳半神話体系。
このBlogをキッカケに見始めてみようかなとか、昔、途中で見るのをやめてしまった方に1つアドバイスがあります。このアニメは絶対に字幕アリで見るべきです。何故ならセリフの量がすごい。ほぼほぼ小説を聞いているんではないのかと思うくらい多い。そして特徴的なセリフの言い回し。でも、1番の理由は物語の節々に登場する名言(特に小津)の数々を耳と目の両方で留められるから。
タイムリープ物語とはちょっと違うけど、大きい括りで言えばそこに当てはまる作品なので、序盤はなかなか世界観にハマりにくい。なので字幕も追っかけながら見る方がすんなりとハマれるはず。少なくとも僕はそうでした。「物語シリーズ」なんかも字幕アリで見る方が楽しめますよね。
「四畳半タイムマシンブルース」はそんな四畳半の世界観に、上田誠の戯曲「サマータイムマシン・ブルース」をドッキングしたコラボレーション作品。
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八月、灼熱の京都、左京区。おんぼろアパート「下鴨幽水荘」で唯一のエアコンが動かなくなった。悪友の小津が昨夜リモコンを水没させたためである。「私」がひそかに想いを寄せる後輩の明石さんと対策を協議しているところに、見知らぬ青年が現れた。
彼は25年後の未来からタイムマシンに乗ってやってきたという。そこで「私」は、彼のタイムマシンで昨日に戻り、壊れる前のリモコンを持ってくることを思いつく。ところが、タイムマシンに乗り込んだ小津たちが、リモコンを持ってくるだけにとどまらず勝手気ままに過去を改変しようとするに至り、「私」は世界消滅の危機を予感する。-Wikipedia参照-
補足するならば、「私」が存在する過去に、日本人の誰しもが"タイムマシン"と聞いて真っ先に想像してしまうあの青くて丸っこいやつが使っているアレでやってくる田村君。"もっさり"したと言う形容詞がドンズバな青年の声優を務めた本多力の演技力も相まってとても好きなキャラクターでありキーパーソン。
この作品の何が最高だったのかと言えば、「私」が好意を寄せているヒロインの明石さんと恋模様を最後の最後に描いてくれた事。
クールかつ決してブレない性格の持ち主の明石さん。黒髪のボブの孤高な存在感。「私」ことを好きなのか、どう思っているのかを全く見せないミステリアスな雰囲気も好きです。四畳半好きなら明石さんを嫌いな人はほぼいないはずの絶対的ヒロイン。
そして、アニメ版よりもラストの展開がはっきし言ってが圧勝でした。同じ京都を舞台にした名作中の名作「たまこラブストーリー」とは、恋愛描写の演出は比べるまでもなく四畳半の方が少ないですが、個人的にはあの"糸電話"に匹敵するくらいの素晴らしすぎる締めくくり。
「好機はいつでも貴方の目の前にぶら下がってございます。」
アニメで毎話登場する名言とも言えるこのセリフと=の関係値で登場するのが、今Blogのタイトルの“ふわふわ戦隊もちぐまん”
明石さんの劇中のお気に入りのキャラクターで��つもカバンにぶら下がってます。彼女曰く、5体揃ってもちぐまん。でも、どの並行世界でも決まって"白のもちぐまん"を無くしてしまいます。そして、それを見つけるのが「私」。様々なシチュエーションがありましたが、結果的には明石さんの元に戻ってきます。いわば、「私」と明石さんを繋ぐ絆アイテムであり、四畳半のマスコット的存在。
このもちぐまんは「四畳半タイムマシンブルース」で良い役割を担ってました。恋模様とは違った形で、点と線が繋がる瞬間は必見です。そして、見終わった後は“白のもちぐまん”が欲しくなる事をここに断言します。2022年も残すところあと2ヶ月ちょい。この時点で僕の今年ベスト映画の1本である事は間違いないです。
「成就した恋ほど語るに値しないものはない」 -私-
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NARI
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響け!ユーフォニアム
学生時代は何の部活に入っていましたか?僕は小学生の時は野球部でした。ポジションはライトで、イチローに憧れていたのでグローブはもちろんイチローモデル。中学生では坊主にしないといけない暗黙のルールに納得が出来なかったので野球は続けずに、同い年の従兄弟に勧められて軟式テニス部に入りました。高校では軟式からレベルアップして硬式テニス部で汗を流していました。でも、高二の秋からはどうしてもバイトして欲しい服(この頃は初期おしゃれKINGのCHOKiCHOKi世代)を買いたい欲求を抑えきれず部活をサボりがちになってしまいました。
でもテニスは現在進行形で追いかけてます。高校生の時から自分と同じレフティーで、コートの中外どちらでもジェントルマンな姿勢を見せてくれる“ラファエル・ナダル”のファンです。サーブを打つ前の仕草や、ドリンクのラベルの向きを同じ方向にキチッと並べるルーティンも好きです。僕とほぼ同い年で、今この瞬間も歴史を塗り替えている彼のプレーをリアルタイムで見れるのは間違いなく凄い事です。
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アニメや映画を見ていると、学生時代には全く興味がなかった部活に心を惹かれる作品が多々あります。その中でも度々羨ましく思ってしまうジャンルが"音楽"です。僕は幼い頃、音楽幼稚園に通っていました。その当時の写真を見ると満面の笑みでアコーディオンを弾いている自分がいるのですが、今では何の楽器も演奏出来ないうえに、楽譜すら全く読めません。なんなら幼き日の自分に教えてもらいたいです笑 そんな気持ちもあってか楽器が出来る人を激しくリスペクトしています。
話を戻しますが、"部活"という括りで言うならばそれは吹奏楽部。放課後になるとどこからともなく聞こえてくる音色。何の楽器の音色かはよくわかってはなかったですが、いま思うと"放課後のBGM"的なエモさを感じてしまう部活こと吹奏楽部です。夏の風物詩でもある甲子園は僕の毎夏の楽しみです。何度“熱闘甲子園”を見て泣かされたことか。そして、"古賀シュウ"のお箱でもある長島三奈のモノマネに何度笑わせられたことか笑 高校球児の活躍以外にも応援団の吹奏楽部(厳密にはブラスバンドらしいですがここでは吹部とさせて下さい)の演奏も見所のひとつですよね。千葉の習志野高校の"美爆音"はその代名詞ですよね。前置きが長くなりましたが、今回はそんな吹奏楽部をテーマに作られたアニメ「響け!ユーフォニアム」について。
武田綾乃の同名小説をアニメ化した作品「響け!ユーフォニアム」 2015年にTVシリーズ第1期が放送され、その後2016年に総集編劇場版と第2期。2017年に第2期の総集編劇場版。2018年にスピンオフ作品「リズと青い鳥」 2019年に完全新作の劇場版。スピンオフ作品を合わせると合計6作が存在します。制作はこのBlogではお馴染みの“京都アニメーション” 何度も紹介して同じ事を書いてるかもですが、京アニが作るアニメで面白くな���作品なんて存在しません。それくらい絶大な信頼をおいてます。何かアニメを見たいなと思った時は“京アニ縛り”で見てみるのもあり寄りのアリ。とりあえず迷ったら“京アニ”です。
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主人公の黄前久美子(おうまえくみこ)が京都府立北宇治高校の吹奏楽部に入部する所から物語は始まります。物語の割合をザックリとお伝えすると、先輩や後輩の人間関係ドラマが70% 黄前ちゃんとお姉ちゃんのエピソードが20% 恋愛模様が10%な感じ。恋愛エピソードが少なめな所も結果として良くて、そこをあまりフォーカスしない分、登場人物の悩みや葛藤を余す事なく描かれています。余談ですが、吹部経験者の人からすると演奏シーンの完成度がハンパじゃないらしいです。小説では伝わりにくい“音”を経験者の人達からのお墨付きをもらえるほどのクオリティーに仕上げた制作スタッフには脱帽です。
1〜3年生の全学年に主役が務まるキャラクターが多いのも見所のひとつ。スピンオフ作品の「リズと青い鳥」なんかは正にそれですし、これ以外にもまだまだ作れそうなサブストーリーが沢山あります。その中でも僕が一番好きなのは、黄前ちゃんと同じ楽器のユーフォニアムを担当している副部長の田中あすか先輩とのエピソードをメインに作られた、TV版第二期の総集編である「響け!ユーフォニアム〜届けたいメロディー〜」です。再編集しただけのよくある総集編みたいな感じでしょ?とお思いの方は甘いです。京アニがそんな安っぽい作品を作る訳がありません。新作映像の差し込み方やカット割など、エヴァの新劇場版「序」に負けず劣らない再編集作品だと思います。でも、それだけではなくエヴァと同様にTV版をしっかりと見て劇場版を見てほしいです。絶対に感動の割合が3割増になるので。
ユーフォニアムと言う楽器はギリシャ語の「よく響く」や「心地よい」という意味の"ユーフォニア"が名前の由来。柔らかくてよく響く音色で、フォルムは白菜みたいな楽器です。トランペットやホルンと同じ金管楽器の仲間で低音を担当している縁の下の力持ちな存在。正直このアニメを見て初めてその存在を知りましたし、少し地味な楽器なんだろうなと思ったのが第1印象。でもそのイメージが主人公の黄前ちゃんにピッタリでした。そんなユーフォニアムを担当しているのが黄前ちゃんとあすか先輩。あと2年生の夏紀先輩というすごくいいキャラもいますが、そこまで書くととんでもなく長々しい内容になるので、2年生編はまたの機会に。今回は黄前ちゃんとあすか先輩の2人について。
「響け!ユーフォニアム〜届けたいメロディー〜」は新しい顧問として赴任した滝先生の力で、近年は弱小だった北宇治吹奏楽部が地方大会と関西大会を突破して全国大会の切符を手に入れた所から始まります。しかし、吹部のみんなの悲願であった全国大会に対する思いが皆と違う人物が1人いました。それは吹部の副部長で誰よりも大人っぽくて、普段はおちゃらけているのに時々ミステリアスな一面を見せるあすか先輩でした。あすか先輩の両親は幼い時に離婚しています。小学生になったある日。お父さんからとても大きな荷物が届きます。その中身はユーフォニアムと一冊のノート。
あすか先輩のお父さんはユーフォニアムの初心者向けの本を出版するくらいの有名な演奏者でした。ピカピカなユーフォニアムに一目惚れしたあすか先輩はお父さんとの絆としてのめり込むように練習していきます。そして高三になって初めて掴んだ全国大会。その審査員の中にお父さんの名前があることを見つけてしまいます。絶対にお父さんに自分の演奏を聞かせたい。皆んなを利用してでもそれを実現させたい。これがあすか先輩の全国にかける誰にも言えない秘めた思いでした。全国大会が行われるの秋の終わり。受験生でもあるあすか先輩のお母さんは大事な時期なのにまだ吹部を続けている事をよく思っていませんでした。それは自主退部を促すほど、、なかなか���ステリーなお母さんですが、反発や文句を言わないあすか先輩でしたが、ある条件を切り札にしようと考えていました。
一方、黄前ちゃんが吹奏楽部を始めたキッカケは少し歳の離れたお姉ちゃんの存在でした。いつかお姉ちゃんと一緒に演奏することが夢でしたがその願いは叶いませんでした。大学受験を理由に吹部を退部したお姉ちゃん。その後大学生になり、自分が辞めた歳になっても吹部を続けている黄前ちゃんに少し嫉妬しています。そんなお姉ちゃんとのコミュニケーションはどんどん薄くなっていきます。でも、全国大会前にお姉ちゃんの本心を聞かされます。そして部活に向かう電車の中で黄前ちゃんが泣いてしまうシーンがあるのですが、ここはかなりグッときます。そんなお姉ちゃんとは叶えられなかった一緒に演奏するという夢を黄前ちゃんはあすか先輩に重ねていたはずです。
お母さんの厳しい眼もあって部活に顔を出さなくなってしまったあすか先輩。そのあすか先輩を何とか説得して一緒に全国で吹きたい黄前ちゃん。でも、黄前ちゃんは始めからあすか先輩の事を尊敬していた訳ではありません。どこか掴み所のない独特な性格。華型であるトランペットのソロパートは誰が吹こうか興味がないと言い放ったり。本当にこの先輩はコンクール行きたいの?と信用できない状態で、どちらかと言えば苦手な先輩でした。しかし、夏の合宿の早朝にあすか先輩が1人で奏でていたユーフォニアムの優しい音色を聞いた時にその気持ちは一変します。あすか先輩は誰よりもユーフォニアムが好きなんだということに気付きます。
全国模試30位以内。これがあすか先輩がお母さんに吹部を続けるために出した条件でした。これを見事に達成して全国大会で演奏することが叶ったあすか先輩。しかし、結果は一番欲しかった金賞ではなく銅賞でした。でも全国で北宇治の音を響かせる事ができ、滝先生を経由して審査員を勤めたお父さんさんからのメッセージを受け取れたあすか先輩に後悔は残ってませんでした。物語の中で度々あすか先輩は黄前ちゃんに「ユーフォニアムは好き?」と聞くことがあります。この問いかけの意味がようやくわかるのがこの大会が終わった時。そしてあすか先輩にハッキリと「大好きです!」と胸を張って答える黄前ちゃんのシーンはこの作品の名場面ベスト3です。
そして物語のラスト。時は三年生の卒業式。黄前ちゃんはあすか先輩にどうしても伝えたい事があり、走って探し回ります。「ご卒業おめでとうございます」的な湿っぽいのが嫌いなあすか先輩は1人で帰ろうとしていました。そんなあすか先輩をようやく見つけた黄前ちゃん。このラストシーンは絶対に見てほしいのでここだけに限ってはネタバレを控えます。でも1つだけ言わせて下さい。高校生活最後の2人だけの会話の中で、あすか先輩は一冊のノートを黄前ちゃんに託します。
それはあすか先輩のお父さんがユ��フォニアムを送った時に一緒に入れていたノート。内容はある曲の楽譜でした。その曲は夏の合宿で黄前ちゃんが心を奪われたあすか先輩が1人で奏でていたあの曲。その曲のタイトルが分かるシーンが本当のラストですが、そこは間違いなく鳥肌+感動が同時に襲ってくるはずです。2019年公開の「響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」で黄前ちゃんが2年生になってからの物語が描かれています。当たり前にこちらの作品もいいのですが、僕はこの黄前ちゃんとあすか先輩の物語の方が大好き過ぎます。現在は、HuluかU-NEXTで見る事が出来ます。無料トライアルを駆使してでも見る価値がある作品である事は間違いないので是非です。ちなみに黄前ちゃんの3年生編も制作も決定しています。いつ頃公開されるのかは未定ですが、黄前ちゃんの卒業を描かれるであろう新作はとんでもない感動が待っているはずです。
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NARI
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佐々木、イン、マイマイン
映画仲間にオススメされて以来ずっと観たかった「佐々木、イン、マイマイン」 この後色々と書く前に率直な感想は最高すぎました。この映画に出会えて良かったと思ったくらいに。よく価値観を変えてくれた映画や、生涯でなんちゃらなテーマがありますが、僕の中では正にそれにカテゴライズされてしまった作品。ちなみにもう1作品選ぶならば「宮本から君へ」です。
あらすじは、高校卒業後に上京して俳優の道を志している石井悠二。でも鳴かず飛ばずな道のりで軽く挫折し始めています。そんな時にバイト先で高校の同級生の多田と再会します。そして一緒に呑みに行った後の帰り道。通称“佐々木コール”と呼ばれる掛け声が始まると教室で全裸になって踊り出し、男子から絶大なる人気を集めていた「佐々木」のことを思い出します。そこから佐々木を軸にして、悠二の恋愛と俳優業の現状、高校時代の出来事を上手く重ねていき、多くを語らない内容で展開していく青春物語。
佐々木は父親との二人暮らし。父親はほぼネグレクト状態で家にほぼ帰ってきません。そんな親父でも佐々木は大好きでした。劣悪な家庭環境でも悠二、多田、木村の4人といる時には常に明るく振る舞っている佐々木。高校卒業した後でもこの三人の事を新しく出会う後輩や、友達に自慢する位の友達思いな奴なんです。その中でも悠二だけには本音を語っていました。細かい所ですが、その悠二だけを苗字ではなく下の名前で読んでいた設定も良かった。
人前では弱さを見せない佐々木が一度だけ泣くシーンがあります。ある日、佐々木の父親が亡くなってしまいます(恐らく自殺) 佐々木を心配した三人は放課後、佐々木の家を訪れます。多田、木村の2人が帰る前に悠二は寝落ちしてしまいます。夕方過ぎに目を覚ますと、1人テレビのニュースをボーッと見ている佐々木が居ました。2人だけの空間になり親父の事を聞こうと思う悠二でしたが、佐々木は軽くはぐらかします。とても辛い状況のはずでも佐々木は悠二に、「やりたい事をやれよ。お前は大丈夫だから。堂々としてろ」と伝え、ぽろりと涙を流します。このシーンは元々泣く演技の台本ではなく、佐々木役の細川岳のアドリブが採用されたみたいです。
ここからは悠二のターン。(遊戯王か笑) 悠二は上京して約10年。俳優だけでは食っていけず、バイトがメインになりつつある生活を送っています。別れた彼女との同棲を解消せずに未だに一緒の家に住んでいる状態。(冒頭で朝方に起きて布団に座ってる感じや、敷布団が絶妙に離れてる演出などは悠二が彼女のユキに未練タラタラな事を上手く表現しています) “そのうちやる” “後でやる”が癖になってしまい俳優で売れる夢や恋愛に関しても自分からは動かずに流されるがまま。
そんなある日に俳優であり脚本家の後輩の須藤から舞台の出演を依頼されます。恐らく悠二にとっては久しぶりの俳優としての仕事。稽古も回数を重ねる毎に気合いが入ってきます。でもこの舞台の世界観が佐々木との思い出と徐々にリンクし始めてから物語は大きく動き出します。
舞台の本番が近づいてきたある日の深夜。悠二に佐々木から着信がありました。寝ぼけながら電話に出ると佐々木ではなく女性の声がします。声の主は苗村と名乗る女性。その苗村からの衝撃の事を伝えられます。「佐々木君が、亡くなりました」と。。
この苗村と佐々木の出会いが僕はこの作品で1番好きなシーンだったかも知れません。その出会った場所は田舎あるあるな(この映画の地元舞台は山梨)だだっ広い駐車場の真ん中にポツンと建つカラオケ屋さん“ペルシャ館” 後輩と2人でカラオケに来ていた佐々木はドリンクバーの帰り道で自分の大好きな歌を歌う女の子の声を聞いてしまい、その子の居る部屋の前を右往左往してしまいます。一旦部屋に戻り、後輩に「どうしても一緒にカラオケをしたい女の子がいて、ナンパだとは思われたくないんだけど、どうしたらいい?」と相談します。結果的に声をかけないと始まらないっす!と後輩に言われ、苗村の居る部屋にぎこちなく入り、「ナンパでないです!」と苗村に念を押した後、朝方まで一緒にカラオケをする事に。
カラオケを終えてお店から帰る時の外は、冬空の太陽が登りかけの絶妙な青色に包まれた時間帯。後輩から苗村さんとの連絡先交換しました?と言われた佐々木は「それじゃナンパになっちゃうだろ」と一蹴。それぞれの家路につく際に、佐々木の真摯さに少しほっこりしてハニカム苗村を演じた河合優実のあの演技。佐々木の真っ直ぐな性格と一度決めたらブレない一面を表現していた素晴らしいシーンでした。
深夜の電話の翌日。苗村から佐々木の実家に集まってほしいと連絡をもらった悠二、多田、木村の三人。佐々木は末期癌に犯され、発見した時にはもう手遅れで延命治療を拒んでいたと聞かされます。1人ずつ実家で眠るように亡くなっている佐々木と最後のお別れをします。高校時代から散らかり放題の家でしたが、そこで佐々木の知らなかった一面を目の当たりすることに。
悠二には自称パチスロと名乗り、プー太郎だと思わせながらも、実は高校の美術部から始めた絵を皆に言わずひっそり描いていて、ちゃんと夢を追いかけていました。でも自分の夢よりも悠二たちの夢を応援していた佐々木。散らかった床を掻き分けて佐々木の隣に座る悠二。自分のタバコではなくて、佐々木のタバコを吸いながら「佐々木」と呼びかけるシーンはとても感動させられました。(この佐々木のタバコを吸うのは悠二を演じた藤原季節のアドリブ)
そして全ての事にケリをつける時が来ます。彼女のユキとの中途半端な関係性にもキッチリとケリをつけ、佐々木の葬儀に向かう悠二は舞台のセリフを叫びながら高校時代に4人で通った通学路を逆走して駆け抜けます。その描写は現在から、佐々木にもっと踏み込んで色々相談に乗ってあげたかった。親父が亡くなった後もいつもの佐々木コールをやってあげたかった。でも、もうその願いが叶う事のないけど、佐々木に対してやり残した事に決着をつける様に。
いよいよ迎えるラスト。ここまで散々ネタバレ全開で書いてきたのに今更言うのもなんですが、このラストシーンは絶対に見て欲しいのであえて詳しくは書きません。色んな感情が爆発するのですが、一つだけ書きたいのは高校時代は女子からドン引き(当たり前)されていた佐々木コールに苗村さんが悠二たちと一緒に同調していた演出には涙でした。
総括とするならば、これからの日本邦画界を引っ張ってくれるはずのキャスティングとスタッフ。学生時代に1人は居たであろう“ヒーロー”の存在。大人になってから出来る友人ももちろん大切ですが、学生時代の友達はやっぱりかけがえのない存在だと思わせ��くれる事。友人や知人が悩んでいる時に、どれくらい踏み込んでいいものなのか?もしかしたらやろうとしている事はただのエゴではないのか?何とかしてあげたいと思っても、その境界線は難しいなと感じました。でも後悔だけはしない様に生きていくべきだと価値観を変えてくれ、僕の中でこの先も忘れる事はない映画になりました。観終わった後は「佐々木!佐々木!佐々木!」の“佐々木コール”が心の中で鳴り止みません。そして、タイトルに込められた思いが分かるはずです。
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NARI
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Today is the first day of the rest of your life
新年あけましておめでとうございます。2022年もTOXGOとBlog共々宜しくお願いします。皆様はどんな年越しとお正月だったでしょうか?僕は遅ればせながらBiSHにハマってしまいました。狂ったように鬼リピで聴きまくっていたお正月でした。今更感ありますが、まだ"清掃員"として間に合いますよね?笑 2022年はBiSHのライブに是非とも行ってみたい所存です。
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ノストラダムスの大予言が本当に当たるのかザワついていた1999年。都市伝説やオカルトが大好きな僕は何かしら当たるだろうと1人ソワソワしてました。そんな世紀末に公開されたサム・メンデス監督作品「American Beauty」
当時、小学6年生だった僕が初めて"アカデミー賞"というタイトルを意識し始めたのがこの年からでした。そのきっかけになったのが小学校の一限目の前に毎日設けられていた10分間読書。漫画でなければ何を読んでもOKなルールの中で、僕が読んでいたのがスティーヴン・キング作の「グリーンマイル」 記憶が間違ってなければ確か一冊が薄めの6巻構成の小説。薄いからランドセルに入れても重くないしこれでいっか。という適当な理由で選んで特に読みたい小説ではなかったです。
でも読み進めていくうちにどんどん引き込まれていき、内容も全部理解しきれない12歳の公平少年でしたが、小説で感動したのはこれが生まれて初めてでした。その後、トム・ハンクス主演での映画版が公開されました。もちろん映画も原作に負けず劣らずで良かったし、映画界をよく分かっていなかった僕でもアカデミー賞の作品賞は「グリーンマイル」で決まりだと勝手に思ってました。ところが2000年の第72回アカデミー賞作品賞を獲得したのは「American Beauty」 えっ?アメリカン・ビューティー??自分が全く知らない映画が受賞した結果を従兄弟から教えてもらった時がこの映画との初めての出会いでした。
それから約10年後。上京して少しずつ東京の生活に慣れ始めた時に再び「American Beauty」と出会う事になります。レンタルDVDショップで"過去のアカデミー賞受賞作品"コーナーみたいなのってよくありますよね?
たまには王道な作品を観ようかなと品定めしていた時に、ビビッと1発で心を奪われたジャケットが↓でした。思い返せばあのアカデミー賞の出来事以来一回も観たことなかったし、既に誰もが知る名作だったのですが、これは今観なくてはいけないという謎の使命感を感じました。結論は���ッキリ言って「グリーンマイル」よりも好きでした。今までの好きな映画TOP10に入ってしまうくらい。
バーナム家は外から見れば絵に描いたよう幸せな家族。しかし内側は違います。冷め切った夫婦関係。娘の過度の反抗期。バラの品種"アメリカン・ビューティー"の性質と同じ様に根っこから腐り始めています。そんな核家族の崩壊を社会風刺やブラックジョークを織り交ぜた内容です。今思えば公開当時小6だった僕には恐らく理解出来なかったと思います。
主役のレスターを演じたのはケビン・スペイシー。「ユージュアル・サスペクツ」や「セブン」での犯人役は今なお色褪せない怪演。
レスターの奥さんキャロラインは「20センチュリー・ウーマン」のお母さん像が最高に良かったアネット・ベニング。
その2人の娘ジェーンは青春映画の名作「ゴーストワールド」のイーニッドを演じたソーラ・バーチ。W主演でレベッカを演じていたスカーレット・ヨハンソンとのその後の出世具合では完全に劣っているかもですが、クリスティーナ・リッチの様な年齢を重ねても何処かあどけなさの残るあの雰囲気を感じさせてくれる好きな女優さんの1人。
名場面が多い作品なのですが、ジェーンの親友アンジェラに禁断の恋心を抱いてしまうこの映画の名場面を、撮影監督コンラッド・L・ホールの官能的かつ一度観ると忘れられないカメラワークと演出。
妻のキャロラインに溜まりに溜まった日頃の鬱憤をぶちまけ、ケビン・スペイシーのアドリブとも言われているディナーでアスパラガスを壁に投げつけるシーンなどの色々あります。
その中でもビデオカメラが趣味のリッキーが「一番美しい作品を見せてあげる」とジェーンを誘い、ただただビニール袋が風に舞っているだけの動画を観るというシュールなシーンがあります。リッキーの深いセリフが印象的なラブシーンでした。「すべての物事の背後には、生命と慈愛の力がある。だから何も恐れることはない」
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でも、この映画の面白さは何と言ってもレスターが家族や職場など誰にも文句を言わせず、やりたい事を始める人生のスタートを謳歌させる所です。物語の中で隣人のリッキーとの出会いもターニングポイントでしたが、ある格言も彼を後押ししたはず。それが、「Today is the first day of the rest of your life」
ここからがこのBlogの本題です。「American Beauty」にオマージュを捧げたスウェットを作りました。
Your Name is Magicalに続く映画ネタのオリジナルアイテム第2弾です。この言葉はレスターが自身を語る回想シーンで登場します。確かカレンダーのくだりで。そもそもはアメリカの薬物中毒患者救済機関の設立者であるCharles Dederichの格言です。直訳だと「今日という日は残りの人生の最初の一日である」
毎日自炊をしよう。ダイエットや糖質制限を始めてみよう。ランニングを日課に加えよう。気になるあの子に連絡をしてみよう。などなど。。洋服、絵、写真、音楽、恋愛などジャンルの大小は関係なく、何かしら始めてみようと思い立っても「明日から始めようかな〜」となりがちです。そして後回しになってしまった結果、いつの日かその想いを忘れてしまいます。
そんな時にこの言葉を思い出してほしいです。僕はこの言葉に出会った時に「明日からではなく、今日から始めよう」と解釈しました。もし三日坊主になったり、途中で投げ出しそうになった時もこの言葉が励みになります。新しく始める事柄に遅いなんてことはありません。その日から少しずつ進めてみればいいし、これまでの失敗や過去を振り返る必要はないはずです。だって再スタートを切った日は残りの人生の最初の1日だから。
アメリカン・ビューティーは衝撃のラストを迎えて幕を閉じます。レスターが禁断の恋心を抱いたアンジェラに対して取った行動。レスターがリッキーの父親に殺される前に、一度はどうでもよくなった家族の写る写真を見て微笑み懐かしむシーンなどは人生の再スタートを切ったからこそ見えた新しい自分との出会いだったはずです。
そんな切ない気持ちに拍車をかけるのがエンドロールで流���るElliott Smithの「Because」でした。ビートルズのオリジナルを超えた最高のカバーソングです。
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NARI
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サイレンススズカ
はじめに。いつもとは趣を変えて番外編や年末増刊号なノリで書き始めたら、熱が入り過ぎてとんでもなく長文になってしまいました。宜しければ最後までお付き合い下さい。
このBLOGで映画やアニメなど僕の好きな事を書いていますが、小学生の頃からずっと好きな競技について今回は書いてみました。それは"競馬"です。ギャンブル要素ではなくて、"血統が紡ぎ出すドラマ"として大好きなんです。先に言っておくと、"ウマ娘"が最近バズっているから後出しジャンケン的に「昔から好きだったんだよねー」ではありません。小学生の時の卒業文集で将来の夢を"競馬の騎手"になると書いた事は今でも覚えてます。でもその夢は中3の時にやってきたとんでもない成長期と共に消えてしまいました。もし、成長期(今となっては高身長になれたので感謝しています)や周りの反対がなければ、騎手になれなくとも競馬に携わる仕事の道を選んでいたかも知れません。それくらい好きなんです。競馬が。そしてサラブレッドが。僕が競馬と出会ったのは、兵庫県の宝塚市に住んでいた従兄弟の家に遊びに行った小学5年生だった1998年。宝塚歌劇団の本拠地であり、夏のグランプリレース「宝塚記念」が開催される阪神競馬場があるのもこの宝塚市。プレステのダービースタリオンにハマっていた従兄弟と遊ぶうちに、本物の競馬に興味を持ち始めたのが最初のキッカケでした。この1998年に三歳を迎えた通称"98世代"は黄金世代とも言われます。トリックスターことセイウンスカイ。怪鳥エルコンドルパサー。不死鳥グラスワンダー。そしてウマ娘の主人公の1人でもあり、この世代のリーダー格だったのが日本の総大将ことスペシャルウィークでした。僕が競馬を追いかけるキッカケになった思い入れの強い一頭でもあります。
でも今回一発目に紹介したいのはその一個上の"97世代" 僕の大好きな"黄金旅程"ことスティゴールド。"もうフロッグとは言わせない"二冠馬のサニーブライアン。マイルの王様タイキシャトルなど、個性豊かなメンツが揃っている中でも、��だに最強馬だったとの呼び声が高い馬が一頭います。それが"異次元の逃亡者"サイレンススズカです。
サイレンススズカの父親のサンデーサイレンス。この種牡馬が日本にやって来ていなければ、5年、いや、10年は確実に世界から遅れていたはず。数多くの名馬を輩出してきた中でも、最高傑作は間違いなくディープインパクトだと思います。そんな偉大な父を持つサイレンススズカですが、順風満帆なスター街道ではありませんでした。デビュー前から生まれ持ったポテンシャルを高く評価されていましたが、父譲りの気性の荒さが如実に出てしまい、デビューからは今ひとつ勝ちきれないレースが続いていました。そんなデビューした97年の暮れ。気分転換も兼ねた香港への遠征が決まりました。しかしその気性難からなかなか鞍上(騎手)が決まらなかったのですが、ある男から逆オファーがやってきました。その男が誰しもが知る天才ジョッキー"武豊" 香港でのレースは勝利は出来なかったものの、このレースで武さんが前々から気になっていた事が確信に変わりました。「この馬は気分良く、自分のペースで逃げさせたら間違いなく勝てる」と。これが運命の出会いでした。
サイレンススズカの素質に確信を持った武豊の選んだ戦術は"大逃げ"でした。元々逃げ馬だったのですが、騎手が馬の力を抑えずに好きに走らせる事を選びました。競馬の脚質(走りやすい戦術)は4つに分類できます。ハナ(先頭)から、逃げ-先行-差し-追い込みです。重賞勝利数の多い馬の多くは先行か差しの二択です。何故なら前と後ろのペースを見ながらレースを組み立てられつつ、リスクが少ないから。では1番強い勝ち方はなんでしょう?それは圧倒的に"逃げ"です。だってスタートからゴールまで誰にもハナを譲らずに、常に1位のまま勝ってしまう様は誰の目にも明らかに強い勝ち方です。じゃあ全馬逃げちゃえばいいんじゃない?と疑問が浮かびますが、それぞれのペース配分や素質、得意な距離も大きく影響してくるので、これは無理です。陸上のトラック競技やマラソンでもみんな同じペースでは走らないですよね?馬もそれと同じです。
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年が明けて98年の4歳の初戦になったバレンタインS。サイレンススズカの伝説はここからスタートします。鞍上はもちろん武豊。先程説明した"逃げ"でレースをスタートさせるのですが、その大逃げのペースはケタ違いでした。一般的な逃げ馬では絶対にあり得ないし、ゴールまで持つわけないペース配分なのに涼しい顔をしてゴールしてしまったのです。この時から呼ばれ始めた異名の一つが「マイペースがハイペース」 超ハイペースで逃げられて、直線でバテなかった誰も追いつけるわけがありません。その後の中京競馬場で開催されている金鯱賞も伝説のレースでしたが、宝塚記念を制して5連勝で迎えた秋の初戦であったGⅡ毎日王冠は後世に語り継がれる名レースでした。
GⅠホースになったサイレンススズカの大逃げを疑う者はもうこの時点ではほぼ居なくなり、なんならサイレンススズカの逃げっぷりを観たいファン数が圧倒的でした。それに加えてこのレースは98世代を代表する外国産馬の怪物であったグラスワンダー、エルコンドルパサーも参戦した3強レースだったのです。ちなみに競馬の位が高いレースはGⅠ>GⅡ>GⅢの順番で、賞金や注目度も同じく比例します。でもこの年毎日王冠は雰囲気がGⅡではなく、GⅠを超える盛り上がりでした。だってGⅠでさえ東京競馬場に10万人を越える観客が集まることだって凄いのに、その下のGⅡレースに13万人を越える観客を動員したんですよ。それくらい皆んなサイレンススズカを観たかったんです。
メインレースの発走を迎えた秋の夕暮れ。東京競馬場の長い直線には西日がばっちり差していました。レースの道中はいつもの大逃げを見せなかったサイレンススズカ。(それでも充分ハイペース) 最後のコーナーを回った時には後続馬が詰め寄る程でした。そして迎えた最後の約530mの直線。東京競馬場の直線は最後まで何が起きるかわからない位長いのですが、残り200mを残して勝敗は喫しました。サイレンススズカから伸びる大きな影をどの一頭も踏むことが出来ませんでした。このレースの実況を担当したフジテレビの青嶋アナウンサーの「どこまで行っても、逃げてやる」は名言です。
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そしてこの年の最大目標である秋の盾"天皇賞・秋"このGⅠがサイレンススズカにとって最後のレースになってしまいました。単勝1.2倍のブッチギリ1番人気。サイレンススズカの為のレースである事は間違いありませんでした。スタートから最大の武器である前進力のレベルの違いを見せつます。この年のどのレースよりも1番良いリズムで大逃げを見せてくれていて、最終コーナーの前にある大ケヤキを過ぎた時に異変が起きました。突然減速してしまうサイレンススズカ。この時に前脚を粉砕骨折してしまったのです。サラブレットにとって脚の骨折は致命的。その骨折の程度にもよりますが、レース中に故障が発生してしまった場合は、ほぼ安楽死の処分が下されてしまいます。故障の原因は未だにわかっていませんが、自分のスピードに脚が追いつかなくなったんでしょう。覚醒したサイレンススズカの伝説はここで幕を閉じてしまいました。この時のレースを観て一つ驚いた事がありました。通常、走りながら脚の骨折が発生した場合は、立っていられずに大きく転倒してしまいます。人間も同じですよね。でもサイレンススズカは粉砕骨折だったにも関わらず立ち続けていました。これはここまでの大舞台に連れてきた武豊を守る為だったんじゃないのかと僕は思っています。自分が逃げ馬である事を自覚していて、転倒してしまえば、後ろからやってくる後続馬に轢かれて武さんも大怪我をしてしまう。そうならない様に最後の力を振り絞って転倒しなかったのではないのかなと今も思っています。そしてこの第118回天皇賞・秋は「沈黙の日曜日」と呼ばれています。
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僕の中のサイレンススズカの物語はここで終わってません。翌年99年の天皇賞・秋。このレースを勝ったのが僕の競馬へのキッカケを作ってくれた"スペシャルウィーク"です。サイレンススズカと同じ父を持ち、鞍上は武豊。全勝戦のGⅡ京都大賞典を惨敗し、この天皇賞は1番人気にはなれず、下位人気になっていました。しかし結果は優勝。最後の直線の前の大ケヤキで間違いなくサイレンススズカがこのコンビの背中を押してあげたはず。このレースは「武豊にとって1年遅れの天皇賞・秋」でした。余談ですが、この後スペシャルウィークはGⅠジャパンCも制覇します。当時の世界最強馬だったフランスのモンジューが、同世代のエルコンドルパサーを凱旋門賞で負かして日本にやって来ました。その最強馬と日本勢のリベンジを果たした事でスペシャルウィークの二つ名は"日本の総大将となりました。
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サイレンススズカが亡くなって23年。その間にも優秀な逃げ馬は沢山いますが、この馬ほどのスピード感と超ハイペースで勝利できる馬はただの1頭も存在しません。競馬やそれ以外のスポーツでも"絶対に勝てる"という保証がない事を教えてくれたのがサイレンススズカです。でも、あの天皇賞・秋。大ケヤキの向こう側を故障せずにいつものスピードで通り過ぎていたという世界線があったのならば、"絶対に勝っていた"と今でも思わずにはいられません。
NARI
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SONG TO SONG
テレンス・マリック監督作「SONG TO SONG」 この作品が明るみになった際に、1番沸いたポイントはなんと言っても豪華すぎる出演者。ライアン・ゴズリング。ルーニー・マーラ。ナタリー・ポートマン。マイケル・ファスベンダー。などなど、、正直この時点で観る価値100点。いや、120点。この豪華キャストを集めれたのはテレンス・マリック監督の人望だとも思いますし、後に聞いた話ではクリスチャン・ベイルやデル・トロが出演したシーンも撮影してたらしいのですが、何故かそこはバッサリとカットしたらしいです。なんとも勿体ない、、
そしてもう一つのポイントは撮影を担当したのがあの"エマニュエル・ルベツキ"だったこと。名前が既にカッコいいですが、もちろんそれだけではなく、2013年の「ゼロ・グラビティ」から14年の「バードマン」 15年の「レヴェナント」と史上初の3年連続でアカデミー賞の撮影賞を獲得した天才です。テレンス・マリックとは2011年の「ツリー・オブ・ライフ」以来��タッグでした。もし、隣にルベツキがいて目の前の風景を同じiPhoneで撮影したら自分とどれくらい違いが出るんでしょうか?それくらい独特な感性を持った唯一無二なカメラマンです。
先に感想からお伝えします。ハッキリ言って面白くないです笑 脚本が有るようで無い。けど一応ラブストーリーだよな?みたいなふわっとした世界観。さらに詩的すぎる心の声セリフとドキュメンタリーを見せられているような構成の2時間は正直長かったし、あと全体的にオシャレ過ぎました。やっぱり映画に限らず事前に期待を膨らませ過ぎるのは良くないですね。結末がわかっても対して影響なかったので、先にガッツリとネタバレを読んで観るのがオススメです。ロッテントマトなど世界的に評価が割れていた理由も観ると分かります。好きか嫌いかハッキリわかれると言うか、嫌いな人が多いだろうなと思いました。
では、何処がオススメなのかと言えばそれは間違いなく"ルーニー・マーラ"です。というかそれしかありません。それも圧倒的に。
「キャロル」 「ア・ゴースト・ストーリー」など彼女が主演した作品の中で僕が1番好きなのは2011年のデヴィッド・フィンチャー監督版「ドラゴンタトゥーの女」 主人公の天才ハッカーであるリスベット・サランデルの怪演はヤバかった。
もう1人の主人公を演じたダニエル・クレイグもこれ以来好きになりました。しっかりと重厚なサスペンスなストーリーに加えて、精神的に不安定なリスベットには後見人が付いているのですが、新しい後見人が彼女に度々嫌がらせをするとんでもない変態。そんな変態後見人にリベンジをする時はとてもスカッとさせられました。リベンジ相手の腹に誰しもが絶対に入れたくないタトゥーを彫るシーンは最高。
そして、一連の事件が解決して迎えたギャップのあるラストシーンのエモさにはビックリさせれるますし、なんなら「SONG TO SONG」よりもこっちの方がちゃんとラブストーリーです。
結論。「SONG TO SONG」はルベツキのカメラワーク越しに、“ルーニー・マーラ”をしっかりと堪能する2時間です。ストーリーや面白さなどは一旦置いときましょう。自然帯なスタイリングやヘアスタイルなど様々な表情の彼女を一度に楽しめる作品だと認めるとすごく良い作品です。今以上にルーニー・マーラの綺麗さや可愛さを再認識させられます。
あと女性目線な意見だと、ライアン・ゴズリングこと"ゴズ兄"とルーニー・マーラのイチャラブを観れるだけでも満足みたいです。最後に、「キャロル」で共演していた“ケイト・ブランシェット”も少し��演しています。直接的な絡みはなかったですが、2人がゴズ兄の今カノと元カノ役だったのにはアガりました。
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NARI
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