#清貧の心
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「清貧が尊ばれるのは貧しいものは心が清いからじゃなくて、貧しいにも関わらず心清いままでいることが果てしなく難しいからだ」ってツイートを前に見て、めちゃくちゃ納得した記憶が
Xユーザーのすのちんさ��� (via leomacgivena)
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1987年5月3日午後8時15分ごろ、朝日新聞阪神支局に、全身黒ずくめの男が散弾銃を構えて押し入った。 男は小尻知博記者(享年29)と犬飼兵衛(ひょうえ)記者(当時42)に対し、散弾銃を発射。小尻記者が殺害され、犬飼記者は重傷を負った。 ここから露見した一連の事件は、犯行声明に「赤報隊一同」と記されていたことから「赤報隊事件」と呼ばれ、世間を震撼させた。しかも、事件は未解決のまま、2002年に時効を迎えている。 「赤報隊事件には、統一教会の関連団体『国際勝共連合(以下、勝共連合)』を含め、信者が関係している可能性があると思っています。末端の信者の暴発がなかった、とは言い切れません」 そう証言するのは、大江益夫氏だ。現在75歳の大江氏は、1992年に統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の広報担当になり、翌年から1999年までの7年間、広報部長の要職を務めてきた人物だ。 その間に、桜田淳子氏の合同結婚式参加などがあり、大江氏は教団の “激動期” を目撃してきた。60年近く旧統一教会員として過ごし、教団の深部を知り尽くしている。 そんな大江氏を朝日新聞元記者で「襲撃事件取材班キャップ」だったジャーナリストの樋田毅氏は熱心に取材してきた。そこで、旧統一教会による事件への関与の可能性をめぐるさまざまな情報を得たという。2018年に『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店)も出版している樋田氏が、こう話す。 「事件前に、勝共連合の名前で『アカサタンを殺すことだけが生きがい』と書かれた脅迫状が、朝日新聞社に届いていました。信者たちにとって、“サタン” は排除すべき存在。 “サタン” が文鮮明教祖(当時)の身に危害を加えるかもしれないと考えれば、朝日は抹殺すべき存在になっていたかもしれません」 2023年2月の衆議院予算委員会で、日本共産党の宮本岳志議員も「朝日ジャーナル」編集長だった筑紫哲也氏のコラムを引用する形で、この脅迫状の存在を取り上げ、当時の谷公一国家公安委員長に対して、赤報隊事件の再捜査を求めていた。事件後も兵庫県警が統一教会、勝共連合を捜査していた。 そして、大江氏もこう話す。 「統一教会には、かつてのオウム真理教のような敵対者を『ポア(殺害)する』という発想はありません。しかし、共産勢力と戦う勝共連合の “武闘派” となると、話は別です。侵略者に対しては武器を持って戦うという軍人精神的な発想があったと思います」 樋田氏はこれらの取材をまとめ、『旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録』(光文社新書)を8月20日に上梓する。 そこであらためて、本誌は大江氏を取材した――。 事件当時、すでに教団の幹部として、日韓トンネルの建設を推進する関連団体「国際ハイウェイ建設事業団(当時)」の事務局長だった大江氏は、「赤報隊事件」の犯人像について、こう話す。 「単独犯ではなく、グループだったと思います。ヒットマン以外に逃走を助ける人物、声明文を書く人物、依頼者などがいたはず。犯行を指揮した人物は、教団関係者だった可能性が高いかもしれません。 いずれにしても、犯行に関わった人物は、全員が共同正犯。罪はみな同じだと私は思っています」(以下、断わりのない発言は大江氏のもの) 朝日新聞阪神支局に押し入ったのは、全身黒ずくめのヒットマン1人だった。大江氏は “実行犯” についてふたつの可能性を感じているという。 「赤報隊事件は用意周到に準備され、犯人が見せた腰だめの撃ち方、銃身を短く切った散弾銃の使用など、プロの犯行とみられていました。 ひとつは “ヤクザ組織” が絡んでいる可能性です。当時の教団側の関係者に “闇社会” との関わりがまったくなかったとは言い切れません。また、あの残虐な事件は、そういった人間でないとできないと、思うところもあるからです。 しかし、勝共連合のなかにも “武闘派” は存在していました。これが、もうひとつの可能性です。もともとは、旧ソ連が日本に攻めてきた場合、先頭に立つのは自衛隊ですが、その後方支援という位置づけで生まれました。勝共連合が民間防衛を担うという発想でした。 この組織に属する信者たちは、実際に軍事訓練をおこなっていたのです。私自身も、何度も陸上自衛隊に体験入隊しました。ふだんから、山中で散弾銃の訓練もやっていました。こうした信者が400人ほどおり、元自衛官や元警察官もいたのです。そうした “武闘派” の信者が実行犯だったのではないかという推測も可能だと思います」 じつは今回、大江氏が『懺悔録』を世に出すという情報が、旧統一教会内に事前に広がった。教団は出版を踏みとどまらせようと、大江氏に対して執拗に圧力をかけてきた。 「京都の山里にある私の自宅に、教団の人間が突然来るのです。これまでに十数人来ました。彼らが何を危惧しているのかといえば、やはり『赤報隊』に関する記述でした。 安倍(晋三)元首相の銃撃事件があり、2023年には宗教法人法に基づき、政府が教団に対する解散命令を裁判所に請求する事態になっています。ここにきて『赤報隊事件と統一教会が関係がある』と言われたら、教団は潰れてしまうということでしょう。 でも、私は『断定的な言い方はしていない』と言って追い返しました。自宅に押しかけてきたなかには、かつての私の部下たちもいました」 そんななか、なぜ大江氏はあえて赤報隊について語る決意をしたのか。『懺悔録』でも記したように、こういう思いがあるという。 「信者の可能性がある犯人がこの世、あるいはあの世で、のうのうと生きていることが許せないのです。犯人が口をつぐんでいるのであれば、私が犯人の代わりに、小尻さんとご遺族に謝罪しなければならない。そう考えたのです。絶対に謝罪が必要です。そうでなければ、私はあの世で亡くなった小尻さんの霊と会うことができない」 だが、大江氏は赤報隊事件について語るためだけに、樋田氏の取材に応じたわけではなかった。長年、旧統一教会内部で抱いていた教団運営への違和感があったのだ。 そして、それをすべて樋田氏に打ち明けようと思ったきっかけがある。 「樋田さんと “川口君” の五十回忌の法要でばったり会ったんです。そこで、私は『これは腹を割って話さないといけないな』と思いました」 大江氏が口にする “川口君” とは、1972年、革マル派のリンチを受けて殺害された早稲田大学生・川口大三郎さん(享年20)だ。当時、早大で旧統一教会系の学生団体「原理研究会」に所属していた大江氏は、革マル派と対峙していた。 そのため、大江氏は川口さんの死を悼み、2021年秋におこなわれた五十回忌まで供養を続けてきた。 そして、五十回忌法要には、川口さんの事件に関するノンフィクション『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)を出版した樋田氏も出席していた。 その後の交流を通じて、「最後の懺悔」を受け止めてくれるのは樋田氏しかいないと思うようになったという。 大江氏は「かつての統一教会は、こんな教団ではありませんでした。私たちは、なぜ韓国の教団本部に巨額の送金をするようになり、霊感商法といわれるような悪質な行為をおこなうようになったのか」と、次のように話す。 「私は1966年、17歳のときに統一教会に入信しました。教団には『開拓伝道』という布教活動があります。学生時代には、自分で廃品回収をしてお金を作り、屋根裏部屋のような部屋を借りる。そこを足場にし、廃品回収をしながら伝道活動をおこないました。非常に清貧な暮らしでした。自分が行く教会の教会長さんを中心にして、統一教会は家庭的な教団でした」 その教団の性質が大きく変わったのは、今から49年前の1975年のことだったという。 「それまでは伝道活動が中心でしたが、1975年から経済活動が始まります。統一教会は韓国でできた教団です。伊藤博文が初代韓国統監に就任した1905年から、日本による韓国の植民地支配が始まったと統一教会はとらえています。 それが終わる1945年までの40年間について “贖罪” しなければならない。統一教会には『40年の蕩減(とうげん)復帰』という教えがあります。なので、日本の信者は韓国の本部に40年にわたって送金を続けるとして、経済活動に励むことになった。そのスタートが、1975年だったんです。 そうすると、経済活動が強化されるなかで、霊感商法が始まりました。『先祖の霊や祟りを取り除くには、霊力のある高額な壺などが必要だ』という考え方は、キリスト教にはありません。『先祖の怨(おん)を解くための献金』についても同様です。しかも、韓国への送金は40年間を過ぎた現在も続いていて、日本の信者を苦しめ���います。 これは『40年の蕩減復帰』の教えから外れていて、約束違反ではないか。やりすぎなんですよ。全財産を捧げるような献金をさせてはいけません。教団も受け取るべきじゃないんです」 韓国の教団本部への高額の送金が、日本の教団の性格を歪め、さまざまな問題を引き起こしてきた。 「今、教団には解散命令が出されようとしています。それを回避するには過去に遡って、高額献金を反省し、被害者に補償する必要があります。自分の家族が路頭に迷うような献金を求めるのは、公序良俗に反しています。日本の教団は、多額の送金を求め続けてきた韓国の本部から独立する必要があります。それが、解散命令を免れる唯一の道です。 なぜ、こんな単純なことがわからないのでしょうか。私は、これまでもこうした問題提起を教団内でしてきましたが、“危険分子” とみなされ、意見は通らなかった。でも、教団は間違っていたのだから、反省しなければいけないのです。力不足かもしれませんが、私自身も霊感商法を後押しする側にいた問題を含めて、懺悔したいと思います」 現在、旧統一教会への解散命令請求が東京地裁で審理されているが、大江氏は末端の “純粋な信者” たちに向けて、こう提言する。 「統一教会は全国に300の教会があります。しかし、解散命令が実施されると教会施設のほとんどはなくなり、礼拝をする場所がなくなる。これは信者にとっては大変なことです。私は、家庭が教会になればいいと思っているのです。 建物がなくても、毎日礼拝する場を家庭に作ろうということです。このままだと、絶望する信者が増えていくだけです。私は、2024年6月で教団を退会しました。それでも、家に礼拝の場があります。私は退会後も、礼拝を欠かしていません」 本誌に対する大江氏の告白は2時間に及んだ。彼が長く過ごしてきた教団が、この言葉を聞いて、悔い改めることはあるのか。
「赤報隊事件」旧統一教会・元広報部長が明かす “散弾銃訓練”と “武闘派”…教団からは「懺悔本」出版への圧力も(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
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本ポスター&本予告&場面写真一挙解禁!
このたび、映画『碁盤斬り』の本ポスター&本予告&場面写真が一挙解禁となりました。本作は、ある《冤罪事件》によって娘と引き裂かれた男が、武士としての誇りを賭けた感動のリベンジエンタテイメントです!
■本ポスター
静寂と暗闇の中、精悍な表情で1点を見据える主人公の柳田格之進の横顔が大きく映し出され、ある冤罪事件に巻き込まれ、復讐を誓った男の怒りがヒリヒリと伝わってくるかのようなこのビジュ��ルには、キャッチコピーすら斬り落とされており、草彅剛さんの存在感も圧倒的な本ポスターとなりました。
■本予告
youtube
濡れ衣をきせられ、妻も喪い、故郷を追われた男・柳田格之進が、1人歩みを進めているシーンから始まります。続いて映し出されるのは、格之進の1人娘、お絹(清原果耶さん)の「父上は、一旦こうと決めたら何があっても後には引きません」という言葉と凛とした眼差し、そして囲碁や日々の暮らしに誠実に向き合っている格之進の姿。そんなある日、格之進は旧知の藩士から妻の最期に関する驚くべき事実を聞くことに…。身の潔白の証明のため自ら命を絶とうとする格之進でしたが、愛する娘・お絹の必死の訴えにより、父と娘それぞれの誇りを賭けた闘いが始まります。そして「あの日の約束を、忘れてはおらぬな!忘れてはおらぬな!」と、激高する格之進の姿など、鬼気迫るシーンの数々が映し出され、父娘による愛と感動のリベンジに期待が高まる予告編に仕上がりました。
■場面写真
《あらすじ》 浪人・柳田格之進は身に覚えのない罪をきせられた上に妻も喪い、故郷の彦根藩を追われ、娘のお絹とふたり、江戸の貧乏長屋で暮らしている。しかし、かねてから嗜む囲碁にもその実直な人柄が表れ、嘘偽りない勝負を心掛けている。ある日、旧知の藩士により、悲劇の冤罪事件の真相を知らされた格之進とお絹は、復讐を決意する。絹は仇討ち決行のために、自らが犠牲になる道を選び……。父と娘の、誇りを賭けた闘いが始まる!
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2024/11/5
また、入院すると聞いたのは今日の朝。
先週の検査結果が芳しくなく、薬を変えるそうだ。
これで4度目。その度に入院し効果と副作用を慎重に見守りながら経過観察をする。
今回いつもと違ったのは「この薬が無理ならば恐らくはもう打つ手がないと主治医に言われた」と���がこちらを見ずに言葉にしたことだ。
癌の宣告、脳への転移と言葉の重さに少し慣れてしまったので思ったより胸に響かなかった。とはいえ、平静というわけでもなくまた頭が考え事でぐるぐる回る。
単純に癌治療というのはそういうものなのかと思った。あらゆる治療法を試して効果がなければもう死ぬだけ。現状維持のない世界なのか。
仕事に向かい、母の遺言のようなものについて考えていた。とにかく兄に昔に借りた90万を返してほしいとのことだ。それが母子の仲間たがいの原因だと母は疑っておらず、清算したいようだった。
たぶん、宗教とひとこと多い性格とそして家を継がさないと言ったせいだと思うけど…。と呆れながらも承諾する。金を返せと暴れ回った結果、母と断絶した兄貴にとってそよの90万がどのような意味を持つのだろうか。救いよりも呪いになる気がした。そして、もし呪いだと思わないのであればろくな人間ではない。
ただ、兄はろくな人間ではないのでお金返ってきてラッキーの可能性もある。
カフェで撮影。
「兄貴の家族と会っておきたい?」という言葉には考えさせてほしいと口をつぐむくせに都合の良い人ばかり。
また、この話をすると連れ合いは誰に一番お世話になったのか全然考えられてないねとため息混じりに言うだろう。
また、今日も夜になり犬の散歩に向かう。
忙しさは心を亡くさせる。貧乏も病も。くわばらくわばらで避けたいのにね。
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冷や飯を食わされ続けた政治家が、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)して権力を握ると、「恨みはらさでおくべきか」という心境になるのもよくわかる。 新首相は、暗殺された元首相・安倍晋三を「国賊」呼ばわりして処分を食らった村上誠一郎を重要閣僚に据え、最盛時には100人を数えた旧安倍派からは誰一人として大臣にも党四役にも登用しなかった。絵にかいたような「報復人事」で、ここまで徹底するとかえって清々(すがすが)しい。 もし、石破が「悪党政治家」だったなら、このような人事はしなかっただろう。「悪党政治家」とは、拙著「政治家は悪人くらいでちょうどいい!」(ワニブックス)で詳しく書いたが、「あらゆる手練手管を使って国家権力を握ろうとする強い政治家」のことである。吉田茂や岸信介、田中角栄といった政治家をイメージしていただきたい。 彼らが、いま新総裁に就任したなら人気のある高市早苗を幹事長に、小林鷹之を重要閣僚に起用して総選挙と来年夏の参院選を戦い、終わったところでお役御免にしていたはずだ。あるいは、40歳代の小林だけ抜擢(ばってき)し、ライバルの高市を孤立させる策を採ったかもしれない。 12年前の総裁選で石破に逆転勝利した安倍は、大嫌いだった石破を幹事長に抜擢して挙党態勢を演出して政権奪還に成功した。政権基盤が安定してから彼を幹事長ポストから追い出し、徐々に力を削いでいった。 そんな芸当は、彼にはできなかった。結果として「石破人事」は、自民党を完全に分断した。 旧安倍派はもちろん恨み骨髄だろうし、高市や小林の両陣営で積極的に働いた面々も政権にそっぽを向き、かつての石破のように「党内野党」として鋭い言葉の刃(やいば)を首相やその取り巻きに投げつけるだろう。 もし27日投開票の衆院選で、自民党が敗北すれば、党内抗争が激化するのは必至だ。だから、新総裁は党内融和に腐心すべきだ、という陳腐な能書きは言わない。 「高市現象」は世界的潮流 他社のある先輩記者は、高市を「キワモノ政治家」と表現したが、自民党員の3割が支持した彼女は、もはやキワモノではない。 トランプばかりではなく、オーストリアでは、極右政党が第1党となり、フランスではルペンが大統領にあと一歩まで迫っているように、「自国第一主義」を掲げる政党や政治家が大きな支持を集めている。 自民党総裁選での「高市現象」は、富める者はより富み、貧しき者はより貧しくなっているグローバリズムの行き過ぎを是正しようという世界的潮流を反映したものだ。 来年、結党70年を迎える自民党に大乱の予兆がみえる。
「自民大乱」の予兆が見えた! 「悪党政治家」ではなかった石破茂 大手町の片隅から 乾正人 - 産経ニュース
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2024/2/11〜
2月11日 いま写真も日記もインターネットも心底楽しくないかもしれない!と気が付いた日だった。 お部屋を掃除して出かけて、電車で隣の人からひどい匂いがしていて丸の内で一旦降りて、セルヴォーグの限定リップはここでも売り切れで、恵比寿で友人を20分も待たせて合流して、恵比寿映像祭の展示を観て、お茶をして、帰っていている。
友人と別れた先で乗ったエスカレーターでイヤホンを落としてしまい悲鳴を上げながらもう捨てたい気持ちで、とりあえず拾い上げてどうしようかな、と思っている。 まだ歩き足りない気持ちもあり、途中日比谷で降りて少し歩いて帰ろうかとも思っている。 ほんとうはへとへとで、もう何が汚くて何が清潔で、1日何歩歩けば健康なのかなんてどうでも良いはずなのに、いろんなことにがんじがらめになっている。
心が貧しい。
2月12日 毎日撮り続けられるものがなにか見つかればいいな、と思った。それかポジティブに撮りに出かけられるものが見つかると良いな、と思いながら今日は何もなかった。 朝2本ヨガを受けてとてもスッキリしたけれど、さすがにへとへとで半分眠りながら蔵前まで出かけた。行ってみたかったコーヒーとチョコレートのお店、蕪木へ行くことができた! 外からはお店だと思えない佇まいで、一人か二人席しかない喫茶スペースは、二人席は満席とのこと。おしゃべりもあまり好ましくない感じらしく、とても二階が喫茶スペースとは思えないほど、一階の店舗は静かで人気がなかった。 でも入れ替わり立ち替わり人の出入りはあり、やはり人気店なのかも。 ピーナッツのチョコレートは売り切れだったし、ショコラサブレも私が最後の一つを買ったようだった。 チョコレートとショコラサブレを買って、でも自分では(おいしく)食べられないので、自邸が完成した職場の方へ新居祝いに渡そうかな、と思っている。 そのあとはもう一軒、行ってみたかったチェコの雑貨屋さんへ。チェコのイメージはあまりなかったけれどらみたことのあるもぐらのキャラクターグッズがあった。 ボタンやアクセサリーや食器が、派手な色だけれど品があるさわいさで、見ていて楽しい。2階のチェコの本コーナー(読めない)もみているだけで楽しかった。 そのまま遠巻きにダンデライオンチョコレートの行列を眺めて、シノノメのパン屋さんの行列に出会い、今日も知らないものを見つけた蔵前散歩だった。 早い時間に帰宅して、部屋中の掃除をして、レンジでカレーを作った。スーパーの見切り品コーナーで見つけた甘ししとうを入れてみた。
来週はosajiとミナペルホネンのコラボ商品を見に行けたら良いな。
このところ掃除や消毒に気を取られ過ぎて、よくないこと��起こしてしまいがち。 体調を悪くしたり、昨日は帰宅時に玄関で消毒をしたさ過ぎて、ドアの外側の鍵穴に鍵を刺したままだった。 死なないように気をつけたい…。
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世の中は空前のサウナブームらしい。各種情報メディアを駆使して街の銭湯にたどり着いた全国の猛者たちが昼夜問わず約50 - 120 ℃の高温室内で肌を触れ合わせる姿を想像してゾッとしない訳がない。合言葉は「整いました」とのことで、僕はこれを珍奇サウナ偏愛者による「型に嵌ったフロー」と誤読して勝手に溜飲を下げている。チンコだけに、風呂だけに。これはなにもサウナ好きを揶揄しているのではない。むしろ彼らは街の銭湯の隆盛に大いに貢献している。そんなサウナブームを皮切りにして、いまでは銭湯での音楽ライブやDJイベント、更にレコードや書籍を販売する催事までもが行われて、みな一様にそれなりの賑わいをみせているようだ。この数年で銭湯を舞台にしたMVや楽曲がどれだけ製作されたことだろう。これについても、関わった人たちは広義の意味でのリノベーションに一役買っている。公共性の再編とでも形容しておこうか。因みにカセットテープレーベル”Ital.”を主催するケイタくんはサウナ好きではなく、古参にして無類の(ただの)風呂好きである。とある書籍の記述により誤解を招いている可能性があったので、一応。かくいう僕も幼少期に住んでいた家の並びに銭湯があったので週の半分くらいは利用していた。お尻に石鹸を塗りたくって誰が一番速く床を滑ることができるかを競い合う「尻軽レース」に挑戦したり、友人とタッグを組んで肩車をする、もしくは自力で壁をよじ登って女湯を覗くなどの愚行三昧で、いずれも店主にこっぴどく叱られた。16-18歳の頃にはいまも豊津駅の近くにある福助温泉で���夜の清掃アルバイトもさせてもらっていた。誰もいない時間帯の業務目的とは言え、禁断の女湯に足を踏み入れるのは、性欲みなぎる多感な時期の男子として、当たり前にドギマギした記憶がある。ロッカーの片隅に置き去りにされた下着を見つけたときは興奮を抑えきれなかった。いま思い返せば老婆が使用している類の肌色のそれであったが、当時の自分としては貧相な妄想に薪をくべるものであれば、なんでも良かったのだ。バイト終わりにはトイレにこもって自身の陰茎を握り締めた。そんな日の翌朝は決まって寝坊してしまい、定刻の登校に間に合わなかった。そういう小さな欲望の積み重ねが、人を大人にするのだ。僕はいまでも家族で福助温泉に通っている。番台では当時と変わらぬ寡黙な女将さんが節目がちに帳面を捲っている。いまも昔もこの人に向かって性器をさらしているかと思うと、未熟な僕は今更ながらに不思議な感慨に浸ってしまう。女将さん、俺はちゃんとやれただろうか?やるべきこと、果たすべきことを全うできましたか?女将さんは大人になった僕を認識している筈だが、なにも言わない。もともと極端に口数の少ない方だったので、僕の方からも敢えて話題を持ち出すこともない。30年前、父親と一緒に股間を露わにしていた僕がいつしか父親になり、今度は自分の息子たちと共に股間を露わにしている。女将さんはすべてを見て、知っている。心底かなわないと思う。数十年間ずっと変わらぬ姿勢でペンを握る女将さんの手許にある帳面、あそこに世界の秘密、いや、もっと言えば「世紀の発見」がしたためられているのではないかと勘繰らせるほどの圧倒的な寡黙。安易に適温を求めてはならない。静寂の裏側で、湯は激しく沸いている。
もう一件、自分が子どもの頃から足繁く通い、お世話になっていた近所の銭湯、新泉温泉があったのだが、昨年惜しくも閉館してしまった。電気風呂の横に鯉が泳ぐ大きな水槽があって、息子たちも一番のお気に入りだったので、残念で仕方がない。隆盛と没落。この世の均衡が保たれたことなど、かつて一度もなかった筈だ。そもそもフロー(風呂)強者が言うほど簡単に物事が整う訳がない。新泉温泉の最終営業日、もちろん親子で最後の湯に浸かりに行った。しかしそんな日に限って長男がロッカーの鍵を紛失してしまい、浴室や脱衣場を血眼になって探し回るも見つからない。僕ら家族の異変に気がついた店主やその場にいたお客さんも誰が言い出すともなく、一緒になって鍵を探してくれた。床を這いずって探しているうちに銭湯の老朽を伴う歴史が手のひらを通じて伝わってくる。今日限りでもうこの場所には通うことができないことがわかっているので、自ずと込み上げてくるものがあった。鍵は古びた体重計の裏側から発見された。その瞬間、店主以外の全員が全裸のまま快哉を叫びハイタッチした。長男もほっと胸を撫で下ろしていた。これこそが裸の付き合いというものだ。帰り際、息子たちは自分たちで描いた新泉温泉の絵と手紙を店主に手渡した。僕は「実は子どもの頃から通っていたんです」と伝えると店主は「わかってたよ、自転車屋さんのとこの」と言ってくれた。適温を求めてはならない。いつだって現実は血反吐が出るほど残酷だ。それでも僕たちは新泉温泉の湯を忘れない。店主はその日の入浴料を受け取らなかった。
このように僕個人にとっても銭湯には様々な思い入れがあり、いまでも大好きな場所に変わりはないが、それは昨今のサウナブームとはまったく関係がないし、死んでも「整いました」とか言いたくない。そもそもが自分の性器を他者にさらすことも、他者によってさらされた性器を目の当たりにすることも得意ではない。むしろはっきりと苦手だ。世の男性の数だけ多種多様な性器が存在する。サイズ、形状、カラーバリエーション、味、ニオイ等々、どれをとってもふたつとして同じものがない。股の間にぶら下がっているという設置条件がこれまた滑稽で、あのルックスのあの人にあんな性器が、とか、あのガタイのあの人にあんな性器が……みたいな、得たくもない新規情報が視覚を通して脳内に流し込まれるので、煩わしいことこの上ない。挨拶を交わす程度だった近隣の人々とばったり銭湯で遭遇してしまったら、その日を境にして、顔を合わせるたびに性器が脳裏にチラついてしまう。実際に息子の同級生の父親数名と銭湯でチンコの鉢合わせしてしまったのだが、以降、なかなかパパたちのチンコの造形を払拭できなくなる。これはまさに不慮の追突事故、ごっチンコというやつだ。会社員時代、憧れの上司と出張先で入浴を共にする機会があったのだが、どちらかと言えば華奢に分類されるであろう上司の股間には目を覆いたくなるくらいに巨大なふたつのフグリがblah blah blah、いや垂れ下がっていたのだ。洗髪の際にバスチェアに腰掛けておられたが、信じられないことに巨大すぎるフグリはべちゃりと床に接地していた。以来、上司がどれほどの正論を振りかざそうが、客先でのプレゼン時に切れ味鋭くポインターを振り回そうが、どうしたってスラックスの内側で窒息しかけているであろう巨大なフグリを想起してしまう。程なく僕は退職した。とにかく性器というのにはそこにあるが故に素通りすることが難しく、極めて厄介なシロモノである。それが「ない」ことで逆に「有して」しまう諸問題と真摯に向き合ったOBATA LEOの最新作『目下茫洋』は、数多あるフェミニズム関連のテキストとは一線を画する。あまりにグロテスクでおぞましい、だからこそ美しいなどという常套句を粉砕する「弱さ」に貫かれた思考の遍歴。貫く我々♂ではなく、貫かれる♀の身体から滴る分泌液で書かれた紋様のようで、誌面に一定の形状で留められている訳ではない。読む者の素養に左右されるようにして、その形状は刻一刻と微細に変化する��ろう。こちらは無数に排泄するが、あちらはたったひとつで対峙している。なにも戦地は彼の地だけではない。戦場は僕やあなたのすぐそばで、いまもネバっこく股を開けている。
臍の下に埋め込まれた爆弾を抉りとるための努力を続けながら、同時にあるのかわからない最終地点に向けて爆弾を運ぶ。本当は抉り取ることはできないとわかっていても、背骨を曲げて運び続けることが、すなわち生きることになっている。『目下茫洋』
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バビロンの王は彼の両眼をつぶし、青銅の足枷をはめ、彼をバビロンに連れて行った。
列王記下25・1-12
バビロンの王は彼の両眼をつぶし、青銅の足枷をはめ、彼をバビロンに連れて行った。
列王記
25・1ゼデキヤの治世第九年の第十の月の十日に、バビロンの王ネブカドネツァルは全軍を率いてエルサレムに到着し、陣を敷き、周りに堡塁を築いた。2都は包囲され、ゼデキヤ王の第十一年に至った。3その月の九日に都の中で飢えが厳しくなり、国の民の食糧が尽き、4都の一角が破られた。カルデア人が都を取り巻いていたが、戦士たちは皆、夜中に王の園に近い二つの城壁の間にある門を通って逃げ出した。王はアラバに向かって行った。5カルデア軍は王の後を追い、エリコの荒れ地で彼に追いついた。王の軍隊はすべて王を離れ去ってちりぢりになった。6王は捕らえられ、リブラにいるバビロンの王のもとに連れて行かれ、裁きを受けた。7彼らはゼデキヤの目の前で彼の王子たちを殺し、その上でバビロンの王は彼の両眼をつぶし、青銅の足枷をはめ、彼をバビロンに連れて行った。8第五の月の七日、バビロンの王ネブカドネツァルの第十九年のこと、バビロンの王の家臣、親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て、9主の神殿、王宮、エルサレムの家屋をすべて焼き払った。大いなる家屋もすべて、火を放って焼き払った。10また親衛隊の長と共に来たカルデア人は、軍をあげてエルサレムの周囲の城壁を取り壊した。11民のうち都に残っていたほかの者、バビロンの王に投降した者、その他の民衆は、親衛隊の長ネブザルアダンによって捕囚とされ、連れ去られた。12この地の貧しい民の一部は、親衛隊の長によってぶどう畑と耕地にそのまま残された。
答唱詩編
詩編137・1+2、3+4、答5+6
エルサレムよ、おまえを忘れるよりは、わたしの右手がなえたほうがよい。エルサレムを思わず、最上の喜びとしないなら、わたしは口がきけなくなったほうがよい。
詩編137
137・1バビロンの流れのほとりにすわり、 柳にたて琴をかけ、 2シオンをおもい、 すすり泣いた。
3わたしたちをとりこにしたものが、歌をもとめ、 しいたげる者がなぐさみに 「シオンの歌をうたえ」と命じた。 4異国の地にあって、どうして主の歌がうたえよう。
福音朗読
マタイ8・1-4
アレルヤ、アレルヤ。主は私たちの病を身に負い、わたしたちの苦しみを担ってくださる。アレルヤ、アレルヤ。
マタイによる福音
そのとき、8・1イエスが山を下りられると、大勢の群衆が従った。2すると、一人の重い皮膚病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。3イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち、重い皮膚病は清くなった。4イエスはその人に言われた。「だれにも話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めた供え物を献げて、人々に証明しなさい。」
聖ペトロ、聖パウロ使徒・前晩のミサ 聖人の記念
第一朗読
使徒言行録3・1-10
わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。
使徒たちの宣教
その日、3・1ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。2すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。3彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。4ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。5その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、6ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」7そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、8躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。9民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。10彼らは、それが神殿の「美しい門」のそばに座って施しを乞うていた者だと気づき、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた。
答唱詩編
詩編19・2+3、4+5
天は神の栄光を語り、大空はみ手のわざを告げる。
詩編19
19・2天は神の栄光を語り、 大空はみ手のわざを告げる。 3日は日にことばを語り継ぎ、 夜は夜に知識を伝える。
4ことばでもなく、話でもなく、 その声も聞こえないが、 その響きは地を覆い、その知らせは世界に及ぶ。 5神は天に太陽の幕屋をすえられた。
第ニ朗読
ガラテヤ1・11-20
わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。
使徒パウロのガラテヤの教会ヘの手紙
1・11兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。12わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。13あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。14また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。15しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、16御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、17また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。18それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、19ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。20わたしがこのように書いていることは、神の御前で断言しますが、うそをついているのではありません。
福音朗読
ヨハネ21・15-19
アレルヤ、アレルヤ。あなたはいわお。この岩の上にわたしの教会を建てよう。地獄の門もこれに勝つことはできない。アレルヤ、アレルヤ。
ヨハネによる福音
イエスは、弟子たちに御自身を表され、食事を共にされた。21・15食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。16二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。17三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして���った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。18はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」19ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。
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「お金持ち清潔おじと飲むんですけど来ますか?」前のガルバの女の子からのLINEに、ついに私にもこういうお誘いがくるようになったか〜と感慨深くなった。東京っぽい。無料コンパニオンだろうが経験に昇華、と思って挑む。サラダ取り分けて気持ち良くよいしょして3時間で解散。帰りに万札握らされた。なるほどそういうことね。都会の女の子ってみんなこういうことしてるのかしら。現ナマって生々しくて嫌だな。
経営者だ弁護士だといっても結局「これ」かあと思うと切なくなった。お金と人脈でしかバリュー出せないでみんな本当に幸せ?こういう余白を作らないために人って家庭を持つんだろうな。どんなに生き様の多様性を声高に叫んでも、通り一遍の幸福ってたぶん本当に幸福だから擦られている。
女も女で。若い女という属性なんて目減りしていくだけなのに。受付嬢に転職したと言っていた。給料もキャリアもせいぜいたかが知れてるのに、こんな片手間で生活レベルの高い下駄を履いて大丈夫なのかと心配になる。まあ、大丈夫か。こういう子って強かだったりするし。
終電待ちのホームにスマホ落として終電逃す。一斉に憐憫の視線が集まったの、なんだかその瞬間だけは私が主人公みたいだった。ギャラ飲みをしてもなお1000円のタク代をケチって歩いて帰る。貧乏性に乾いた笑いが出そうになるけど、私がそれで良かった。あぶく銭も、身につける。
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【変見自在】歴史の作り方
高山 正之
賽金花は日本で言えば明治維新のころ、安徽省の貧しい家に生まれた。
妓楼に売られ、13歳、半玉で34歳年上の洪鈞に身請けされ愛人になった。
洪鈞は科挙をトップ合格した清朝末期を代表する外交官だった。
2年後、駐独支那公使を拝命して賽金花はその幼な妻として同行した。
彼女はそのころの支那の女、とくに妓女では当たり前の纏足をしている。
小さいころに足の指を内側に曲げて布で縛り、人工的な小足にする。10センンチくらいが最も美しい。三寸金蓮なんて言われたが、健康な足をたわめるからこれほどの激痛はない。
石平は『三大中国病』の中で、女の人権を蔑(ないがし)ろにしたおぞましいまでの蛮風とこき下ろす。 実際、金蓮とか囃されても女性は満足に歩けないし、歩けば激痛が走った。それでも賽金花はその代償に公使夫人になれた。
ただそんな足で欧州社交界に出たところで踊れるわけでなし。奇異の目に曝されるだけだが、同時に男たちの関心は集めた。実際、洪鈞は彼女を伴ってウイルヘルム2世に拝謁したし、モルトケの右腕ワルデルゼー参謀次長にも親しく会っている。
彼はことのほか興味をたぎらせ、何度か纏足女の味を楽しんだという。
洪鈞もそのつもりで不相応の女を妻にしたと言われる。いかにも支那人らしい発想だ。4年の任期の間に賽金花は独語をマスターし、皇帝ははっきり支那贔屓になって日清戦争の三国干渉を生み出す。
洪鈞は任期を終えて帰国して間もなく病死する。洪家は格式の合わない賽金花を追い���し、彼女は再び北京の花街「八大胡同」に戻っていった。
そして山東省で外人、別けても独人を嫌う義和団の乱が起きる。
20万に膨れ上がった暴徒は北京の外国人居留区を包囲し、これに西太后の正規軍も加わった。
柴五郎ら各国の警備隊員500人はよく戦い、籠城55日間を耐えたところに8か国連合軍がやっと到着する。総司令官は独軍の��ルデルゼーで、義和団を蹴散らした後、最初にやったことが「独皇帝のための3日間の略奪」だった。3日間が明けると今度は「兵士のための3日間の略奪」を許可した。
これに米、仏、露の兵士も加わり、北京市内は殺戮と略奪で混乱。市民は日本軍が守る「北城」に逃げ込んだ。ここだけは秩序が維持されていたからだ。この間、ワルデルゼーは昔なじみの賽金花を探して再会を果たした。彼は総司令官の特権を使って紫禁城に入り込み、西太后の寝所で賽金花とともに皇帝の夜を楽しんだ。占領地の夜を満喫する欧米人の姿がよく出ている。
そういう思い上がりをワルデルゼーが象徴して風にも見えるが、習近平の御代になったらこの話が全く変わっていった。まず賽金花は「公使夫人として欧州社交界に登場するとその話術や華麗なダンスステップで一躍社交界の花になった」と曾樸「ゲツ海花(ゲツカイカ)」は書く。纏足の彼女は踊るどころか満足に歩けないはずなのに、そういう些細なことは気にしない。
帰国後、義和団の乱が起きる。北京で独公使フョン・ケトラーが暴徒に殺されると夏衍の「賽金花」ではここに彼女を登場させる。「激昂する公使夫人を独語で慰めた」と。さらに8か国連合軍が北京に入城すると「旧知のワルデルゼー司令官を訪ねて報復しないように頼んだ。
同司令官も説得に応えて北京市内に秩序を回復させ、同時に連合国将兵に報復や略奪を行わないように厳に戒めた」と。北京大教授の劉半農も「賽金花本事」で「彼女は西太后より立派」と称賛する。かくて纏足の売笑婦が北京を救ったヒロインになりあがった。
そうまで加工しないと習氏が望む国民的ヒ^ロが出来上がらない。可哀想な国柄にも見える。
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「関心領域」を観た。以下ネタバレあり。
ネットでわりと色んな人が話題にしてて、詳しくは知らなかったけど見に行ってみたらものすごくよかった。もちろん楽しい映画ではないし、かなり重くつらい気持ちになった映画ではあるんだけど、今を生きる人が観るべき映画なのではないかと思った。第二次大戦やホロコースト、アウシュヴィッツのことを考えるきっかけにもなると思うし、それよりも現代の戦争や社会的問題を考えるきっかけになると思う。
あらすじや解説は色んな所ですでに結構出ているので(自分も観たあと調べて色々読んだ)、細かくは書かないけど、アウシュビッツの隣に住んでいた所長一家の話。映像では直接的な虐殺のカットとかはないんだけど、音でかなり表現していた。
で、とにかくその音が気持ち悪くて良かった。映像的にグロいホラー映画より全然怖い。音楽はほとんどかからないんだけど、効果音がすごい。映像的には主人公一家の平和なシーンでも塀の向こう、つまりアウシュヴィッツから悲鳴やなにかの機械の音なんかが常に聞こえてくる…。映像で直接惨劇は表現されないものの、というか表現されないせいか、平和な一家の映像との対比がかなりえぐい…。音に限らず全体的にこういう対比がえぐくなるようにわざと描かれていた気がする。それがテーマの一つだったんだろう。なので、この映画は映画館で観ることにすごく意味があるなと思った。ステレオじゃなくて多チャンネルなのもいい気がする。
映像的にはフィックスの画が多いとか小型の定点カメラで撮ったとか色々解説してるサイトなどに出ていたけど、個人的には特にそんなにと言う感じだった。ただ、今こういう昔が舞台の映画をやるとだいたいカラコレで黄色っぽい感じというか、レトロ調にすることが多い中、あんまりそれをやっていないのは逆によかったというか、やはり「歴史的史実を伝える」ということよりも現代人に対してのメッセージが強いのかなと思った。
ストーリー的には、見る前は勘違いしていたけど、アウシュヴィッツについての歴史を伝えたい映画ではなくて(もちろんそれもあるとは思うけど)、現代人に向けて戦争や、戦争に限らず貧困とか差別とかをちゃんと見てるのか? あなたの関心領域に入っているのか? というメッセージがすごく強い映画だと思った。 分かりやすいのはラストで「現代のアウシュビッツ」が出てくるシーンかなと思うけど、その現代のアウシュビッツもかなり風化されてしまっている感じに描かれていて(スーパーの開店前の清掃、みたいな雰囲気がした)、「ここまで映画を観ていたあなたはアウシュヴィッツがとてもひどいこだと思ったでしょうが、今起きている戦争についてこうやって未来が見えたらどう思うでしょうか? こういう歴史的事実から何かを学んだのですか?」と聞かれているようで、つらいというか衝撃だった。 映画としては結構変わった構成というか作りになっていると思うんだけど、ものすごくテーマに合っていると思うし、これを今作って公開しようと思った監督や制作陣はほんとにすご��なと思った。 この映画を見たあと自分は色々気になってネットで解説とかを検索して読んだし、昔買ってずっと読んでいなかった「夜と霧」という本を少し読み始めてみたりしたし、観たあとの人に影響を与えるという点でもすごい映画なのではないかと思う。
「関心領域」という言葉はナチスがアウシュヴィッツの周囲の地域を指すのに使った言葉らしいけど、主人公で言えば組織内での昇進・名誉や動物、奥さんで言えば豪華な家や花とかを指しているような気もした。なので、「あなたの関心領域は?」と言われている気がすごくした。
この映画には原作本があるようで、近所の本屋でも平積みになっているのを少し前に見かけた。でも少し調べてみたところ、映画は原作とかなり違う話になっているらしい。原作は「ブラックコメディ」になっていると紹介に書いてあったけど、この映画見たあとだと全然笑えないんじゃないの…という気がする…。とはいえちょっと気になるので、そのうち読んでみようか…。
監督のジョナサン・グレイザーはなんとJamiroquaiのVIrtual Insanityを撮った人だった。このPVは若い頃観てすごく影響を受けたけど、まさか今になってまたこの人に映画でびっくりさせられるとは…という感じですごく不思議。他の映画は観たことないけど、観てみようかな。「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」は、あらすじを読むといかにもつまんないSF映画っぽいけど…(笑)。
A24は何本か見たけどどうも自分的にはいまいちだな…と思う映画が多かったけど、これは文句なしにすごい映画だったと思う。つらいけど。予想と全然違ったこともあって、かなりの衝撃作だった。映画というメディアをすごくうまく使った作品だったなあ、と思う。少しでも気になった人はぜひ映画館で観てください。
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「清貧が尊ばれるのは貧しいものは心が清いからじゃなくて、貧しいにも関わらず心清いままでいることが果てしなく難しいからだ」ってツイートを前に見て、めちゃくちゃ納得した記憶が
Xユーザーのすのちんさん
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日本は1910年の韓国併合後、朝鮮半島出身の移民を大量に受け入れることになります。日本人と朝鮮人移民のコンフリクトがあちこちで発生し、苦慮した日本政府は「朝鮮人移民の日本流入を抑制し、朝鮮・満州に向かわせる」ことによって事態の打開を図ろうとしました。 目次 1. 日本本土を目指す朝鮮人 2. 「朝鮮人を管理せよ」 3. 満州へ移住する朝鮮人 まとめ 有料マガジン公開しました! 1. 日本本土を目指す朝鮮人 韓国で言うところの「日帝強占期」の間、多くの人々が朝鮮半島から日本帝国の支配地域へ移住を行いました。1930年の時点で東アジア各地域に居住した朝鮮人の人口は以下の通り。 日本本土:42万人 満州 :60万人 ソ連 :19万人 その他、中国に1万人、アメリカに1万人ということで、当時の朝鮮の人口が約2000万人なので、約6%の人口が半島外に移住した計算になります。現在の日本で例えたら、埼玉県民(約720万人)が全員移住をしたようなレベル感です。 なぜこのように多くの朝鮮人が移民をしたかと言うと、理由は以下が考えられます。 植民地化と中央集権システムの導入で旧来の方法で生きる農民が困窮したこと 日本資本主義の発展で安価で高品質な労働力への需要が高まったこと 日本と朝鮮半島を結ぶインフラが整備され移動が容易になったこと 日本語教育が普及し本土で暮らすことへの心理的障壁が下がったこと では、貧しい農民が働き口を求めて日本に殺到したのかというとそうではなく、農民の中でもある程度カネを持った中〜上層の農民が日本に渡る傾向にありました。 鉄道や客船により日本行きが容易になったとはいえ、日本に行くには高額な運賃が必要だったので、「ある程度教育を受け、カネもあり、日本で一山当てようという気概を持つ者」が日本に渡ったわけです。 農民の中でも一層貧しい者やヤル気のない者は、困窮化する農村で貧しさに耐えながら生きていくしかないのでした。 ただし、「ジャ��ニーズ・ドリーム」を抱いてやってきた者全員が成功できるわけもなく、就職難・経済困窮・言葉の壁による社会不適応など、失敗して故郷に戻る者のほうが多く、特に1930年代の世界恐慌の時は帰還者が圧倒的に多かったのです。 それでも努力して生活基盤を日本に作った朝鮮人は、正月や先祖供養のために故郷に帰ったり、親兄弟を日本に呼び寄せたり、日本から故郷に送金したり、故郷から日本に懐かしい味を送ってもらったりと、様々な形でヒト・モノ・カネを流通させていきました。 2. 「朝鮮人を管理せよ」 韓国併合により朝鮮人は「日本帝国臣民」になったわけで、戸籍も自由に日本に移動できて然るべきなのですが、最後まで政府は朝鮮人の日本本土への戸籍の移動を認めませんでした。政府内には「民族ノ混淆、同化乃至純粋保持当ニ関スル根本問題」があるとして反対意見が根強く、建前は平等を訴えておきながら、最後まで日本人と朝鮮人を区別する政策を採りました。 また日本帝国臣民となった朝鮮人は、「日本国籍から離脱できない」とされました。仮に朝鮮人の日本国籍離脱を認めると「不逞ノ企画ヲ起シ、内外総呼応シテ治安ヲ害スル」者を取り締まれなくなるからというのがその理由。特に三一独立運動や満州建設以降、治安維持や保護・取締りを名目に、朝鮮人を故郷の戸籍に固定し戸籍の離脱を禁じることで、政府は朝鮮人を強い統制下に置くことに成功しました。 日本が近代化して以来、十万単位の多民族の来訪と定着は、日本社会に大きなインパクトを与え、朝鮮人に対する偏見や差別意識から様々な形でコンフリクトを起こすことになりました。関東大震災の「朝鮮人虐殺」は、震災という極限状態で日常の不安や不満が最も残酷な形で爆発した事件でした。 三一独立運動以降、「暴動を起こす朝鮮人を本土に入れてはならぬ」という治安維持の観点から、それまで比較的自由だった朝鮮人の日本への渡航は「警察が発行する証明」が必要になりました。一方で朝鮮国内に入るには「在外帝国公館の証明」が必要になりました。日本本土と朝鮮内の運動家のネットワークを遮断することを狙ったわけです。また証明制度にすることで日本にやってくる朝鮮人の数を少なくし、質を上げることで、社会的軋轢をなるべく少なくしようという意図もありました。 渡航の証明制度は、当たり前ですが当の朝鮮人には大変不評でした。 故郷では適当な仕事がないため仕事を求めて日本にやってくる者が一定数おり、そのような「とりあえず日本行けば何とかなるだろ」的意識の労働者はブローカーの斡旋で日本海を渡り日本本土に密航しました。警察は摘発を強化し、年間で2,000〜5,000名ほどの密航者が摘発され本土に送還��れました。 そもそも「日本帝国臣民」であるにも関わらず、日本本土への密航で捕まるという事自体がおかしいのですが…。 1934年頃から帝国全体で朝鮮人移民に対応する方針の策定が始まり、 日本本土に渡る朝鮮人を一層減らすこと 朝鮮内に朝鮮人を安住させられる環境を作ること 満州や朝鮮北部に朝鮮人を移住させること 日本本土の朝鮮人を日本に融和させること の4項目がまとまり、これに伴い朝鮮内で半島出身者の失業者を吸収することと、さらなる発展が見込める満州や朝鮮北部へ労働力を振り分けることが企画されました。 1930年代に朝鮮半島は工業化が急速に進展するのですが、それは朝鮮人の日本本土への流入を防ぐこと、ひいては治安維持や社会秩序維持がその背景にあったのでした。 3. 満州へ移住する朝鮮人 満州、現在の中国東北部への朝鮮人の移住は、古くは19世紀半ばにロシアが沿海州を手にしてから始まり、豆満江以北の間島地方の開墾を清朝政府が許可してからさらに進展しました。 満州に移住した人の多くは貧しい農民で、生活苦で故郷を棄てて新天地に一家をあげて移住するケースが大半でした。一方で韓国併合後は、朝鮮人の抗日武装勢力が満州に逃げて本拠地にし抵抗を続けるケースも見られました。 満州帝国成立後、日本政府は満州への朝鮮人の移住を促進しようとしますが、満州国を支配する関東軍は抗日武装闘争の激化を懸念し朝鮮人の大量移住に反対しました。しかし結局政府との調整が図られ、1937年以降に毎年1万戸とする取り決めがなされ、1941年までに約2万6000戸、10万7800人が満州に入植しました。 満州への朝鮮人の大量の移住が行われたことは、中国人と朝鮮人の間に新たな緊張関係をもたらしました。 日本は朝鮮人を保護する立場にあったので、朝鮮人の利益を優先し中国の主権を侵害するケースがあり、一般の中国人の目から見たら朝鮮人は日本の手先になって自分たちの生活を脅かす存在に見え警戒感を強めたのでした。 例えば、1931年に満州の長春近郊の万宝山で、中国人地主から借りた土地に水路を引こうとした朝鮮人農民と中国人農民との間に小競り合いが起き、中国側の警察と日本側の警察が両方出動しにらみ合いする事件が勃発(万宝山事件)。 万宝山事件 このニュースが伝わると、朝鮮人の間で反中感情が高まり、朝鮮と日本で朝鮮人による中国人襲撃事件が発生。109名が死亡し160名が負傷したのです。 一方で日本の侵略に抵抗するという点で中国人と朝鮮人の協調が図られたケースも多く、例えば中国人民解放軍の東北部隊、東北人民革命軍の幹部には後の北朝鮮のトップ金日成が就いていますし、大韓民国臨時政府は上海に設置されました。 しかし1936年以降、関東軍のゲリラ取締りが厳しくなり、朝鮮人の抗日ゲリラ運動は壊滅状態になり、金日成もソ連に越境し、戦後に朝鮮に帰還しています。
大日本帝国の朝鮮人移民と移民政策|尾登雄平(世界史ブロガー・ライター)
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2024年1月30日(火)
昨年11月に<Makuake>で支援したプロジェクト、<PLAUD NOTE ChatGPT連携AIボイスレコーダー>が届いた。薄くてとてもコンパクト、試しに文庫本1ページを朗読して起こしてみると、いやぁなかなかの精度である。会議録やインタビューの記録、エクスポートして編集すればあっという間にテキストの完成、カセットレコーダーを止めたり巻き戻したりしてテープ起こしをしていた頃の苦労が夢のようだ。少々お金ははったけど、これ、使えるね!
5時起床。
夜中に体調が回復したので、咳はまだ少し出るがもう心配ない。
日誌書く。
朝食。
洗濯。
可燃ゴミ、20L*1&30L*2。
ヤクルトさんから野菜ジュース購入。
ツレアイは8時30分に自転車で出勤する。
<PLAUD NOTE>を早速試用、
1)生産性爆上がり「録音 ➤ 文字起こし ➤ 要約作成」が即時に完了 2)ワンタッチするだけで、通話も対面会議もクリアに録音し、57カ国語対応の高精度文字起こし 3)ChatGPT連携で、文字起こしデータを議事録や講義ノートなど選べる5つの形式に即時に要約可能
いやぁ、凄いとしか言いようがない。
ちなみに、私の場合は<早割26%OFF>で24,500円、決して高いとは思わない。
11時を待って<ポワロ>を録画、テレビではカーリングを楽しむ。
ツレアイは昼前に帰宅、ランチは全員<日清冷凍お好み焼き>、30%引きでまとめ買いしたがこれが実に美味いのだ。
<胃がん検診>の回覧用紙を、町内(5組)の組長宅に届ける。
ツレアイはあちこち買物に走る。
私は月1の歯医者、西村歯科の予約は16時15分、10分前に入るとすぐに呼ばれる。年末から左下の歯茎が腫れていたのだが、ドクターの判断は大分マシになっているのでもう少し様子を見ようとのこと。いつもの通り、丁寧にクリーニングしていただく。
途中でツレアイか連絡、同居猫・ココをクリニックへ、貧血対応の注射をしてもらい、体重は3kmで少し回復したとのこと。便が溜まっているので、下剤を処方していただく。
早い時間にみなで夕食、今夜は奥川ファームの野菜をフィーチャーした寄せ鍋、ワインはスペインのオーガニック。
録画番組視聴、ポワロから・・・
第2話「100万ドル債券盗難事件」/ The Million Dollar Bond Robberyシーズン 3, エピソード 2 次回放送日: 2024/03/10(日)17:00〜 ロンドン・スコテッシュ銀行がアメリカでの事業拡大のため、債券100万ドルをアメリカへと輸送することに。だが、これを運ぶ役目のショーが不審な車にはねられた。心配した重役はポワロに調査を依頼。ショーは単なる事故と主張するが、再び命を狙われる。
片付け済ませて三日ぶりの風呂へ、気持ちいいー!
体重は、3日前から750g減。血圧もそこそこ。
明日は久しぶりの出勤、早めに寝ることにしよう。
さすがに歯科受診すると、勝手に歩数が伸びてくれる。
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2023/01/09
無事に入籍。
杉並区役所の受付へ。貧乏ゆすりが激しい嘱託員であろうおっちゃんの「はい、以上です」の言葉で提出が済んだ。現実はこんなもの。不備があったとしても日付がズレることはないらしい。阿佐ヶ谷の街を歩きながら実感ないねと言い合った。
誰もいま自分たちが入籍したことなんで知らない。
商店街は惣菜屋さんを中心に混雑していた。
二人だけの理由でそれが続けばいい。もちろんそう思ってるけど、変な感じだった。
未だ、結婚というやつの正体がわからずに生きている。未来を1つ選んでも、さらに先に確証のない未来が広がっているだけで、途方に暮れる。
どこにたどり着くのか、できれば言葉遊びではなく実感のこもった言葉でそれを綴れるようになりたい。
おでんの出汁割りを飲みながら次は結婚式の相談。
隣の席では女性二人が街コンやらパブスタやらマッチングアプリのことを話している。
彼女探しやセックス目的のための出会い。
出会ってからの振る舞い、開拓したお店や話法。見た目の工夫など、何もどこにもノウハウとして残らずに消えていく。
男の愚かしさや、冷たさ。女性の繊細さ。ある意味での図太さ。
過去のもの、置き去られたもの、風化して砂と消える。
例えば誰かに相談されたとして、「おんなじようなことあったな」と振り返ってみても、もはやそれは静かに腐敗していて、語れることもなくなっているのだろう。
すべてなかったことにして、幸せというベールを纏わされて、清廉潔白のような顔つきで次の舞台へ。
さて、何がある。
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泉に戻ることを望む者は、流れに抗して泳がなくてはならない
[東ドイツ ある家族の物語] P.265
しかし日本は、国を失ったことはないでしょう
[また、桜の国で]P.115
今、僕の国では、未だかつてないほどに、武士道や大和魂という言葉が使われているよ。でもね、覚えておくと良い。濫用される時は必ず、言葉は正しい使い方をされていない。
[また、桜の国で]P.482
誤解せんで欲しいが、資本主義が勝利するわけではないぞ。敵を見失った資本主義は、これまた果てしなくモラルを失っていく。どんな形で崩壊するのか、それとも再生できるのか。
[プラハの春 下]P.366
犠牲者を追悼する際、たとえ何百万単位で数えられたとしても、彼らは個人であり、集団ではないと覚えておかねばならない。どのような形であれ、殺された人々を集団として記憶しようとするのは死者を否定し、還元し、再び消滅させてしまう行為である。まさに犠牲者を殺害した人たちの思うつぼなのだ。さもなくば記念碑は忘却と否定の文化に取り込まれてしまう。私たちが忘れてしまうのは単純に忘れた方が楽だからであるが、不安や恐怖の時代にそれをしてしまっては無責任である。忘却は無知に自由な支配を許すことになる。つまるところ、心に留めておきたい歴史が何であるのか、あるいは過去を意図的に消そうとする理由は一体何か内省してみれば、私たち自身が何者であるのかが見えてこよう。
[ポスト・ヨーロッパ 共産主義後をどう生き抜くか]PP.214-215
あたしはずっと歴史を教えてきたけど、歴史上の出来事のどれひとつをとってもわたしたちが最後まで知っていることってありません。経験したどれをとっても。真実のすべてを......
[戦争は女の顔をしていない]P.46
僅か十日のあいだに、日本の国民はこれだけの大きな自由を奪い去られたのだ。
[風にそよぐ葦(上)]P.199
そしてこの動乱の時代には、すべての愛情が悲劇の原因になるのだ。裏切られなかった愛情がどこにあるだろう。悲劇をもたらさなかった愛情がどこにあるだろう。人間と人間のつながりが、兵役法だの徴用令だの動員規定だの、その他無数の法令によってばらばらに切りはなされ、愛情の幸福はその根底を失ってしまった。
[風にそよぐ葦(下)]PP.76-77
榕子は日の丸の旗が嫌いであった。それは残忍きわまる国家権力の象徴であった。ここ数年来、国家とは国民の不幸の象徴ではなかったかろうか。良人を奪い子を奪い富を奪い食を奪い、あらゆる生活の根底を破壊し去ったものはこの日の丸の旗であった。
[風にそよぐ葦(下)]P.93
道徳も義理も人情も、そういう美しいものはすべて生きるための邪魔ものであった。
[風にそよぐ葦(下)]P.198
国家が国民に要求する犠牲がその極限に達し、その極限を過ぎて、血をすすり肉を啖い尽してから、戦争指導者と重臣たちとはようやく降伏を決意した、それまでは決断がつかなかったのだ。
[風にそよぐ葦(下)]P.271
古今の歴史は、為政者たちの暴政や侵略者たちの暴虐による人間の悲劇を、幾つとなく記録しているが、どれほど凶暴な力に打ちたおされても、それが人間の本質的な姿を変えることはできなかった。ヒトラーやムッソリーニや東条が、あのなさけ容赦ない強制と圧迫とを加えてみても、ついに蹂躙することのできなかった(人間の最後の自由)というものがあるのだ。ソヴィエトの圧制者たちがあれほどの秘密警察と懲罰主義とをもって、幾度か血の粛清を行なって見ても、どうしても奪い去ることのできなかったスラヴ人の自由というものがあるのだ。全体主義者たちが最後につきあたるものは、この、人間が人間であるという真実であるに違いない。自分の思考をもち、自分の欲望をもち、自分の理想をいだき自分の幸福を求める、人間としてのその本質的な希望は、国際関係が緊迫してきた現代の社会ではほとんど許されなくなってしまった。しかし、最後に残るただ一つの自由は、拒否するという意志に於いて表現されるのではあるまいか。
[風にそよぐ葦(下)]PP.464-465
しかし、どんな時代が来ても、人間の心の奥底にある、孤独感というか、一人きりでは生きて行けない、誰かを愛し、誰かを信じないでは居られない、そういう本質的な弱さ、・・・弱さと言ってもいいだろうね。・・・そういうものの美しさを信じることはできるんだよ。
[風にそよぐ葦(下)]P.536
私は罰を受けている・・・でもどうして?もしかして、人を殺したから?時々そんなふうに思います。年をとると、昔より時間がたくさんあって・・・あれこれ考えてしまう。自分の十字架を背負って行くんです。毎朝、ひざまずいて、窓の外を眺める。みんなのことをお願いするの。すべてを。夫を恨んではいないわ。許しました。彼のために祈ります。責めません。私が女の子を産んだ時、彼はしげしげと眺めて、すこし一緒にいたんだけど、非難の言葉を残して出て行ったんです。「まともな女なら戦争なんか行かないさ。銃撃を覚えるだって?だからまともな赤ん坊を産めないんだ」私は彼のために祈るの。もしかして彼の言うとおりかもしれない。そう思うことにする......これは私の罪なんだって......私はこの世で何よりも祖国を愛していた。私は愛していたんです。誰にこんなことをいま話せます?自分の娘......あの子にだけ......私が戦争の思い出話をすると、あの子はおとぎ話を聞いているんだと思ってるんです。子供用のおとぎ話を。子供のおそろしいおとぎ話を。
[戦争は女の顔をしていない]P.369
スターリンは結局民衆を信じなかった。祖国は私たちにそういうお礼をしてくれたの。私たちが注いだ愛情と流した血に対して。
[戦争は女の顔をしていない]PP.430-431
だって、人間の命って、天の恵みなんだよ。偉大な恵さ。人間がどうにかできるようなものじゃないんだから......。
[戦争は女の顔をしていない]PP.480-481
「本当の親か、本当の子かなんてことはね、誰にもわかりゃしないんだよ」良太郎は仕事に戻りながら、いかにもやわらかに云った、「お互いにこれが自分のとうちゃんだ、これはおれの子だって、しんから底から思えばそれが本当の親子なのさ、もしもこんどまたそんなことを云う者がいたら、おまえたちのほうからきき返してごらんーーおまえはどうなんだって」
[季節のない街]P.276
「おてんとさまばっかり追いかけるなよ」
何のことなのか理解出来ず、私は父を見た。七十年生きてきて、ようやく判ったのだと父はつづけた。自分は、日の当たっているところを見て、いつも慌て��そこへ移った。けれども、辿り着くと、そこに日は当たっていず、暗い影になっている。また焦って走る。行き着いて、やれやれと思ったら、たちまち影に包まれる。振り返ったら、さっきまで自分のいた場所に日が当たっている。しまったとあと戻りしても同じことだ。
[血の騒ぎを聴け]P.23
私は深夜、寝つけなくて、無数の映像と無数の音楽について考えた。どのような映像の彼方にも見えないものがあり、いかなる音楽からも聴こえないものがある。それを立ちあがらせるのが言語ではないか。文学は、終わるどころか、これから真の力を発揮する時代に入る。そう確信して、夜明け近くまで起きていた。文学が負けるのではない。虚無や時代への迎合というらくな階段を昇り降りし、訳知り顔に民衆をなめる作家や編集者が負けるのだ。
[血の騒ぎを聴け]P.47
文学が、結局は、死と恋に集約されざるを得ないのは、その哀しみと、そこから得るものが、数学の試験のように、一プラス一イコールニとはならないからであり、いかなる言葉を尽くしても、自分の心を表現することができないからであり、「別れ」が、なぜか個々人の人間のグラスを、ほんの少し大きくしてくれるからである。
[血の騒ぎを聴け]PP.287-288
われわれが実際に建設しているのは、投機を行うための都市であって、人々が住むための都市ではない。
[反資本主義]P.107
人が受け取ることのできる他人のあり方などほんの断片であり、一個人の持つ複雑な内面の全てを推し量ることなど決してできない。
[歌われなかった海賊へ]PP.362-363
王や神は書く必要がない。その存在は自己自身のうちで絶対的に充実しており、他者との関係を必要としない。王は書くことなく語る主体であって、自分の声をただ書きとらせるだけなのだ。
[デリダ]P.73
「一者」への結集は、「他の他者たち」に対してのみならず、「自己における他者たち」に対しても「暴力」となる。
[デリダ]P.293
そういう生まれつきの能を持ってる人間でも、自分ひとりだけじゃあなんにもできやしない、能のある一人の人間が、その能を生かすためには、能のない幾十人という人間が、眼に見えない力をかしているんだよ。
[さぶ]P.291
この世から背徳や罪悪を無くすことはできないかもしれない。しかし、それらの大部分が貧困と無智からきているとすれば、少なくとも貧困と無智を克服するような努力がはらわれなければならない筈だ。(略)「世の中は絶えず動いている、農、工、商、学問、すべてが休みなく、前へ前へと進んでいる、それについてゆけない者のことなど構ってはいられない、ーだが、ついてゆけない者はいるのだし、かれらも人間なのだ、いま富栄えている者よりも、貧困な無智のために苦しんでいる者たちのほうにこそ、おれは却って人間のもっともらしさを感じ、未来に希望が持てるように思えるのだ」
[赤ひげ診療所] P.178
見た眼に効果のあらわれることより、徒労とみられることを重ねてゆくところに、人間の希望が実るのではないか。
[赤ひげ診療所]P.298
「……そういう人たちと別れ、戦地から戻って日銀に復職したら、なんだか妙にシャクにさわってむかむかしてきたんだな。わが身が大事のエリートが威張りくさって、トラックでわたしが一緒に働いたような、学歴のない人たちが、ここでもやっぱり下っ端として馬鹿にされて理不尽な目にあっている。こりゃなんだ、戦争は終わったのに、何も変わっていないじゃないか、と」「わたしはトラック島で部下だった工員たちに救われていた部分がずいぶんあった。そんなかれらが価値のないものとして否定されて、軍人より先に死んでいかなきゃいけないのが戦争だった。同じことが、まさにわが職場で行われているとわたしの目には映った。こりゃあ黙って見過ご��ちゃいかん、と思ったんだな。大げさに聞こえるかもしれないが、それはわたしなりの、死者への責任でもあったんだ」
[昭和二十年夏、僕は兵士だった]PP.60-61
彼らにとっての祈りとは、死者を自分の裡に住まわせてこの世を生きる、その生き方そのものではないかと思った。→デリダの幽霊
[昭和二十年夏、僕は兵士だった]P.121
われわれの歴史だって、いつか、誰かによって演じられたものなのかもしれない。そしてわれわれは、その時と同じような敗北に向かって、同じような手で、コマを進めているのかもしれない。このベラミとそっくりのきちんとしておとなしい男が、かつては、象牙海岸で黒人狩りをおこない、ハイチやルイジアナへ船で運び、その途中、船倉でくたばるものはくたばるにまかせていたこともあり得る。そのベラミには、当時なんの悪気もなかったのである。いつの時代でも、ベラミには悪気はなかった。だから、始末にこまるのである。
[山椒魚戦争] PP.242-243
市民であることとは、市民をケアすることでもあり、民主主義そのものをケアすることである。
[ケアリング・デモクラシー] P.ⅻ
「巡礼だ、巡礼だ」暗い土堤を家のほうへ歩きながら、私は昂奮をしずめるために、声にだして呟いた、「苦しみつつはたらけ」それはそのころ私の絶望や失意を救ってくれた唯一の本、ストリンドベリイの「青巻」に書かれている章句の一であった、「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」
[青べか物語] -留さんと女 P.317
私は若くて阿保だったから女の絶望や不幸が情事と悦楽にひりひりした辛味をそえてくれる気配だけをむさぼっていた。甘さは苦みと手を携えて進んでいかなければ完成されないが、そうと知るにはおびただしい自身を殺さねばなるまい。当時の私は自身を殺さないでおいて、貪慾だけに没頭していたのだ。
[夏の闇] P.58
私は自身すら愛していないのかもしれない。女のいうとおりだ。自己愛をとおして女を愛することもできないのだ。私は自身におびえ、ひしがれていて、何かを構築するよりは捨てることで自身に憑かれている。
[夏の闇] P.207
東は暗くて広く、西は明るくて広かった。けれど、止まったり、かけぬけたり、おりていく背も見ず、乗ってくる顔も見ず、暗いのが明るくなり、明るいのが暗くなるのを、固い板にもたれて凝視していると、東も、西も、けじめがつかなくなった。あちらも、こちらも、わからなくなった。走っているのか、止まっているのかも、わからなくなった。明日の朝、十時だ。
[夏の闇] P.
一〇〇メートルか一五〇メートルくらいのものである。たったそれだけ離れるともう人は夜店の空気銃におとされる人形と同じに見えてくる。渇望がびくぴくうごいた。面白半分で私は人を殺し、そのあと銃をおいて、何のやましさもおぼえずに昼寝ができそうだった。たった一〇〇メートル離れただけでビールの缶でもあけるように私は引金がひけそうだ。それは人殺しではない。それはぜったい罪ではなく、罰ももうけない。とつぜん確信があっあ。かなたの人物もまた私に向かっておなじ心をうごかしているにちがいない。この道具は虚弱だ。殺人罪すら犯せぬ。
[輝ける闇] P.50
使命は時間がたつと解釈が変わってしまう。だけど匂いは変わりませんよ。汗の匂いは汗の匂いだし、パパイヤの匂いはパパイヤの匂いだ。あれはあまり匂いませんけどね。匂いは消えないし、変わらない。そういう匂いがある。消えないような匂いを書きたいんです。使命も匂いをたてますからね。
[輝ける闇] PP.108-109
南でも北でも人びとは政治された。或る哲学者の悲痛な饒舌に私は従いたい。人びとは資格も知識も徳もない輩によって、きびしく監視され、検査され、スパイされ、指揮され、法律をつくられ、規制され、枠にはめられ、教育され、説教され、吟味され、評価され、判定され、難詰され、断罪された。
[輝ける闇] PP.140〜141
青年はやせこけて、首が細く、とまどったようにうなだれて口をとがらしていた。シャツがよごれたズボンのうえにはみだし、はだしの足が土によごれていた。誰かが叫んだ。一〇人の憲兵の一〇挺のカービン銃が、一人の子供を射った。子供は膝を崩した。胸、腹、腿、にいくつもの小さな、黒い穴があいた。それぞれの穴からゆっくりと鮮血が流れだし、細い糸のような川となって腿を浸し、舗石へしたたった。少年はうなだれたまま声なく首を右に、左に、ゆっくりとふった。将校が近づいて回転式拳銃をぬき、こめかみに一発射ちこんだ。血が右のこめかみからほとばしった。少年は崩れおち、柱から縄で吊され、うごかなくなった。頬��首が真紅の血に浸り、血は長い糸をひいて鼻から頭から錘のように舗石へ堕ちていった。記者やカメラ・マンたちが靴音をたてて走り、棺のまわりに群れて閃光をとばしあった。
[輝ける闇] P.181
わしらはキリスト教国の人間なのに汝の敵を愛せよという言葉を忘れてしもうた。それもはずかしいのじゃ。国の連中も毎日の生活にいそがしゅうてな。税金が上がったり、物価が上がったり、徴兵カードが来たときだけ本気になる。自分に関係ないことは誰も、何も、気にしよらんのだ、いまはそういう時代じゃ。恥を知らん時代じゃ
[輝ける闇] P.216
飛行場には飛行機が一台もなくて滑走路に芋畑をつくり、その芋からアルコールをとって飛行機をとばすのだと将校たちは中学生に真摯、激烈な演説をした。私は仲間といっしょに腹をかかえて笑いころげたが、その愚劣と一日も早く玉砕したいという憧れとは矛盾しなかった。むしろ愚劣を知れば知るだけそれは昂進していくようですらあった。
[輝ける闇] P.231
けれどわかったのは殺されたくなければ殺せということだけだった。 → 戦争の論理(フーコー)
[輝ける闇] P.281
人と人のあいだの最も人間らしい関係は静けさなのだということも知った。
[わたしは英国王に給仕した] P.190
この意味で、他者に対する暴力とは自分自身に対する暴力であって、このことが明らかになるのは、暴力とは私たちの社会的世界である、あるいはそうであるべき生者の相互依存を攻撃するものだ、と私たちが認識するときなのである。
[非暴力の力](ジュディス・バトラー)P.33
他方で、哀悼可能性の基準は、移民の諸人口はそもそも哀悼可能ではない、という仕方でこれらの決定へと組み込まれている。私たちは、哀悼され得ない人々を失うことはできない。彼らは喪失を超えたもの、既に失われたもの、決して生きたことのないもの、決して生きる資格を与えられたことのないものとして扱われているのだ。
[非暴力の力] P.128
世界は分断されている。「知らない」とか、「関係ない」とか、「敵だから」とか、いろんな認識での壁で分断されている。この関係の断絶は、ぼくらの倫理性を麻痺させる。人を殺すことだって、人が殺されているのを無視することだって、できてしまう。だからこそ、他者に向き合い、その姿にみすがらを映しながら、いろんな「つながり」を回復する必要がある。
[うしろめたさの人類学] P.20
ぼくらの手で変えられる社会のありさまに目を向ける。世の中を動かす「権力」や「構造」、「制度」といったものは、とても強大で強力だけれども、まずはそのすべてをその「せい」にすることをやめてみる。(中略)社会の現実は、ぼくらが日々、いろんな人と関わり合うなかでつくりだしている。あなたが、いまどのように目の前の人と向き合い、なにを投げかけ、受けとめるのか。そこに「わたし」をつくりだし、「あなた」という存在をつくりだす社会という「運動」の鍵がある。
[うしろめたさの人類学] PP.77,83-84
社会の格差を是正したり、公平さを回復したりすることは国の仕事だとされる。個人や企業は市場で稼ぎ、国はそこから税金を集めて再分配を行う。世の中はこうしてできあがっている。だから自分には直接関係ない、と。この「あたりまえ」の市場と国家の境界の線の引き方が、公平さをつくりだす「わたし」の役割をみえなくしている。
[うしろめたさの人類学] P.178
ファシズムをうけ入れたものはすべての人の心の襞にひそむ感情である。中心的な持続的な人格が崩壊して瞬間だけがあり、本能の親和力を蔑んで、不浸透性への野望だけに窒息する衝動である。自己を他者から切り離し、省察と内面凝視に赴いて帰らず、その不毛を知ってついに自分を他者から見られるままの存在としてしか機能を意識できなくなる。(中略)この人間の原子化の時代にある私たちの不断の日常の感覚である。(中略)この時期の世界ほど、人間が過去に対するときほど、現在と未来に対して賢くなり得ない原則をさらけだしたものはほかにない。日本についてはいうまでもないことだ。
[過去と未来の国々] PP.228-229
心に感じる苦しみやつらさは人間が人間として正常な状態にないことから生じて、そのことを僕達に知らせてくれるものだ。そして、僕たちは、その苦痛のおかげで、人間が本来どういうものであるべきかということを、しっかりと心に捕えることが出来る。
[君たちはどう生きるか] P.252
満員列車がやがて平野の夏のかなたからやってきた。車内の人ひどはみんな日本の無条件降伏を知っているようであったが、怒号する人もなく、嗚咽にむせぶ人もなかった。疎外荷物や、魚の罐や、イモの風呂敷包みや、バケツ、七輪、ふとん、リックサックなどのなかで人びとはおしひしがれ、体を折ったり、曲げたりして、ときどき吐息をついたりしながら窓から射しこむはげしい日光に煮られておとなしく苦しんでいるだけであった。
ただ人びとは汗ばんで苦しんでいた。ただ"夏"だけがあった。
ナンナン、ナンナン南京さん 南京さんの言葉は南京言葉
かけっぱなしにしてあったラジオがとつぜんうたいはじめた。 明るく、朗らかで、清潔な、少女たちの合唱であった。
ふと母が怪訝そうに顔をあげた。 「ええのんかいな、こんな歌うとて」 彼女は困惑したようにつぶやいた。 「戦争に負けたのに支那人のことかろこうて、こんな歌うとて、ええのんかいな。南京さんやなんて…」
ラジオは明るく、朗らかに、清潔に中国を侮辱しつづけた。
[青い月曜日] PP.174-177
ーわしにとっては、心のある道を歩くことだけだ。どんな道にせよ、心のある道をな。そういう道をわしは旅する。その道のりのすべてを歩みつくすことだけが、ただひとつの価値のある証しなのだよ。その道を息もつかずに、目を見ひらいてわしは旅する。(中略)知���は行動を考えることによって生きるのでもなく、行動をおえた時考えるのだろうことを考えることによって生きるものでもなく、行動そのものによって生きるのだ
[気流の鳴る音] P.34
日本社会にはどうやら大きな変化があったらしかった。怜悧で、確実で、逸脱を知らない、時計のように平安で冷酷なものが主役として登場したのだ。まだ焼跡はいたるところにあった。しかしいたるところに家やビルが建ちはじめていた。商人たちは戸外で叫ばなくなった。闇市は市場となった。物や食品はいくらでもあふれ、人びとははそれを並べることよりは飾ることに心を砕いていた。新聞や雑誌に登場する知識人たちの声はたちあがるまえにすわることを考える姿勢を匂わせた。
[青い月曜日] P.412
〈外の世界〉から来たものや帰ってきたものが、その内面の世界を共有することなしにたんに外面からながめられるとき、それはこの世界の秩序へのたんなるスキャンダルとして、すなわち欠如や違和として存在する。いいかえれば痴者、あるいは狂者として対他存在する。
[気流の鳴る音] P.77
今日の世界状況のなかでは知識人に残された選択の道は、三通りあるように思われます。それは共犯か臆病か拷問です。もしかしたら、第四の道が残っているかもしれません。自分の精神的規範を裏切らないこと。いかなる状況の下でも、いかなる抑圧にも自分のなかにある絶対的な明確な視野をもった精神を否定しないこと。このなかに、唯一、精神のかけがえのない自由と高貴さがあります。
[カレル・チャペックの警告] PP.67-68
私たちに代わって行動し決定する全権をその一枚の投票権で与えるというのは、そう些細なことではありません。もし人物によって決定しようとするのだったら、単に言葉によってではなく、誰が何をしたかによってもその人物を考えてもらいたい。政治を耳だけで判断しないこと。
[カレル・チャペックの警告] PP.101-102
行動の「意味」がその行動の結果へと外化してたてられるとき、それは行動そのものを意味深いものとするための媒介として把握され、意味がふたたび行動に内化するのでないかぎり、行動それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。生きることの「意味」がその何らかの「成果」へと外化してたてられるとき、この生活の「目標」は生そのものを豊饒化するための媒介として把握され、意味がふたたび生きることに内在化するのでないかぎり、生それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。
[気流の鳴る音] P.151
いっさいの価値が空しくなったとき、かえって鮮烈によみがえってくる価値というものがある。
[気流の鳴る音]P.210
恐ろしいのは、このような集団的残虐行為を見てもほとんど苦痛も軽蔑も感じなくなる、それどころか、そのうち今日の全世界の状況をみても恐怖も反感も感じなくなくなるのではないかということである。(中略)犯罪は犯罪であり、常に犯罪として宣告され、また未来においても宣告されるだろうことが、執拗に繰り返されなければならない。(中略)無関心な沈黙は悪しき行為である。それは悪逆非道な行為にたいする共犯である。だから、私たちは人類社会の大きな連帯から離反せずに、せめてこの共犯だけは犯さないように、精一杯、心を引き締めていよう。
[カレル・チャペックの警告]PP.140-141(1938)
あなたはいったい今日、今、この瞬間を生きていて?
[クリスタ・Tの追想] P.129
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