#東海七福神めぐり
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《秋のおもひで》 田原市に点在する、東海七福神へ行った。 その昔は大変賑やかだったそうですねぇ。 ※そーいえばそろそろ春の大祭ですねぇ… #東海七福神 #東海七福神めぐり #東海七福神巡り #東海七福神巡り2022 #田原市 #田原市観光 #渥美半島 #渥美半島観光 (Tahara, Aichi) https://www.instagram.com/p/CpefvHXP-PZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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#新春 #東海七福神めぐり ①#大黒天 品川神社 ②#布袋尊 養願寺 ③#寿老人 一心寺 ④#恵比須 荏原神社 ⑤#毘沙門天 品川寺 ⑥#福禄寿 天祖諏訪神社 ⑦#弁財天 磐井神社 2023/01/04 #東海七福神 #品川区 #大田区 #ゆるラン #ファンラン #朝ラン #ダイエットラン #がんばラン #GARMIN #paparun の #papawalk #paparunのpapawalk #ウォーキング #ウォーキングダイエット #朝ウォーク #ファンウォーク #散歩 朝散歩 #七福神 #SEVENLUCKYGODS (東京都品川区) https://www.instagram.com/p/Cm-1lHlyBK9/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#新春#東海七福神めぐり#大黒天#布袋尊#寿老人#恵比須#毘沙門天#福禄寿#弁財天#東海七福神#品川区#大田区#ゆる��ン#ファンラン#朝ラン#ダイエットラン#がんばラン#garmin#paparun#papawalk#paparunのpapawalk#ウォーキング#ウォーキングダイエット#朝ウォーク#ファンウォーク#散歩#七福神#sevenluckygods
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--深海人形-- 受け継がれる意志(ハジケ)
※多く、Threadsより引用
※クロスオーバーネタ注意
※全体的に閲覧注意
※雑多にネタをぶち込み
※キャラ崩壊注意
※格言:私の性癖に読者は無関係である。
…。
『Effigy(生体部品)』加工なんてのをやってる時点で、ワイにEXAを批判する権利なんて無ぇよ、畜生(※何れはハマーン様辺りが其れになった系の更なるIfを描きたいです!!!!)!!!!
…Effigy作った開発チームさぁ、本当は、Effigyを、なるべく、アニメ悪魔の桃玉か某侍魂の鶴女中(※萌えの究極体)かID-F87みたいにしたかったってさ(※無理です)。…筆者は最初から無理だと思います(※ぽよ)。
…。
…公式で海腹川背の子孫、横山埜鼓たんが存在する限り、海腹川背は人生の一度だけでも、結婚して、旦那持ちで子持ちでないと話が成立しないのだ(※…少なくとも、一生独身は無��)。
…『○○は××の子孫(※時空超越ネタ込み)』ネタ自���は大変ありきたりだが、安直に入れるべきでは無かったと思う。キャラを深掘りすれば深掘りする程、今回の彼奴等みたいに脳を焼かれる奴が出て来る(※怖ろしいね)。
…世界観とか話作る能力無い人間が、ストーリー性とキャラクター性がやけに強いゲーム作ると大抵悲惨な事になる(※気がする)。
…。
…ロボアニメ(特にリアル系)全般に言えるけど、オート操作と見せ掛けて実はマニュアルなので其の隙に奇襲をするみたいな攻撃も出来る筈なのにな(※…けれど、実際は全然無い)。
…基本的に、ロボアニメで描かれる、ロボ同士の戦闘って、スタイルが鬼滅か聖闘士星矢に近い(※気がしてる)。…HxH、ジョジョみたいな『兵は詭道也(孫子)』の、相手を騙して少しでも出し抜く、知恵を使う戦い方は基本しない(※其う言う方面についての議論もされない)。
…「…此の一連の動作は全てオート操作だ!動作が終了する迄相手は隙だらけだ!!(※確信)」…と相手が思い込んで、ある程度近づいた瞬間に、実は此れ等動作は全部オート動作に見せ掛けたマニュアルで、一気に此方が詰め寄りバッサリ斬る(※…みたいな戦法全然無い)。
…宇宙世紀ガンダム履修してる時と過去拙作(特に異宇宙とボクは許さない辺り)を書いてる時によく思ってた……HxHって皆全編に渡って最高に高度な戦略を張り巡らせて戦ってたんだな……って(※其う考えると星矢は正反対)。
…The Oってどのモビルスーツ、モビルアーマーともパーツの互換性無さそうだけど、どうやって修理用のパーツ調達してんの?…真逆、わざわざ一から作ってんじゃないんだろうね?(※趣味で作ると如何しても其うなる)。
…The Oとエルガイム mk-1は割と対照的だと思う(同じ意見は全く見掛けないけど)。片方は性能重視で量産性も度外視なのに、エルガイムはパーツ一つ一つをデチューンしてでも量産性と整備性を確保したモンな(…其の御陰で、反乱軍はエルガイムを量産してポセイダル軍に優勢を取れる様になった)。
…世間は逆だと考えてるだろうけど、The Oは隠し腕だけ完全マニュアルで動かして居ると思う(※サイコミュ操作万々歳)。
…。
…コウ・ウラキ君にAT・アーマードトルーパーを見せてやりたい、どうせシロッコみたいな感想になる(※如何足掻いても最低の匂い染み付いて む せ る )。
…ポケ戦のバーニィ、ザクに乗るよりATに乗った方が戦果出せたんじゃないか説(※…ATの操縦は凄まじく簡単だし……)。
…。
…ウラキとかガトーとかも泳げると思いますよ。泳げない正規軍人とか有り得ない(※…宇宙賊とかゲリラとか宇宙戦国時代の軍隊なら幾らでも居るだろうけど)。
…宇宙世紀じゃなくこれてアナザーだけど、鉄華団とかはどうしてたんだろうな……??(※あの時に落ち所が悪かったら大打撃被ってたんじゃ……??)。
…。
ワイの歴代ネタ&(男・ショタ)リョナ用サンドバッグ(※或いはトレモの木偶かあすらん並オモチャ)一覧(※此れからの拙作で、昔の奴で復活する奴居るかも)。
…意外と少ない(※…尚、アールじみやが生存する限り無限に増えます)。
ウェイン兄弟(※元祖でありR-9A的存在)
京サマ
NAOYA
漂流者数名
俺だけひょうきん族(※史実の新撰組副長は若かりし頃、非常にひょうきんであった為、検索避け目的でも此の様な渾名で呼んで居た)
死に損ないの猿
無言の不審者
元メトロシティの英雄
某モテモテリア充武神流忍者
某盗賊団の団長
ヒソカス
交渉人(ネゴシエーター)
七瀬ちゃん
ブレア・何とか
せぇこちゃん大好き反則君
ロソ豚
イカサマタマゴ
たまのりピエロ
アナベル・コケコッコー
死因:スイカバー突撃自称一握りの天才
…他に居た様な気がする(※居たら教えて欲しい)。
…。
ジェリド「…嗚呼、…シロッコか……。…彼奴は木星時代から不健康な生活してそうだからな……、…脱いでも……ってぇ、…うわっ……、…貴様?!何故其んなに筋肉質なんだ?!???(※注:ジェリド君はシロッコ君が上半身を脱いだところを見ました)。」
シロッコ「…木星は基本的に娯楽も無くて地獄だ。其れに、暇な時は筋力鍛錬で暇を潰してたからな(※謎のドヤ顔)。」
ジェリド「…何て健康的なんだ……!!(※健康的過ぎだろ!?)。」
…。
…此のシロッコ君は長生きしそう、どこぞのヴェイガン絶対殲滅爺さんみたいに(※絶対嫌な爺さんになるww)。
…。
…新人クリエイターを寄せ集めた練習台、当の監督にZガンダムの踏み台扱いされながら、FSSとZガンダム及び以降のガンダムシリーズの基礎になれたエルガイムは、可也の幸福なアニメかもしれない(※正直ドラグナーよりも幸福だと思う)。
…レイズナーは、何とか再アニメ化して、最後迄当初の構想通りに全てを描き切れないと、何時迄経っても救われないんだろうな(※遠い目)。
…ドラグナー最大の救いはスパロボに出て再評価された事とSEEDシリーズの礎になれた事(※割と救われてる、完全にリアルロボットアニメ史に埋もれなかったのは、最早奇跡に限りなく近い僥倖)。
…ガンダムだけが勝者でエルガイムとレイズナーとダグラムとドラグナーは敗者なんだね(※辛い)。
…本当はドラグナー好きな筈なのに、すぐ「…あんなアニメ凡作レベルじゃんww此れだから、マイヨニキとミン大尉は0083のガトーとシーマに本家越えされたし、ZZより可哀想な扱いなんだわww(※嘲笑)。」…みたいな事言い出すワイ(※最高に面倒くさい)。
…頼む!!!!!!!!!!!!!!エクバのシステムでスパロボさせてくれ!!!!!!!!!!!!陽昇リアルロボットアニメ限定でも良いから!!!!!!!!!!!!!!!(※特にレイズナーとドラグナーを頼む!!!!!!!!!)。
…。
ウラキ「…ガトーを家具の椅子としてうちに置きたいなぁ……(※溜息)。」
モンチッチ「…辞めとけ……(恐怖)。」
ウラキ「…花瓶にもしたいなぁ……(※過激派)。」
モンチッチ「…ええッ……(※後のティターンズドン引き)。」
…。
…館主様かふーけつかガトーをカタリ派の完徳者(※正統派からマニ教と一緒くたにされた奴)か異端審問官(※ほぼ実質悪役)にするって言う計画のネタがありまして(※急なネタ出し)。
…。
…星乃⚪︎ってレーダーシステム無いから、本家と違ってDiscordとかで連携取り合いながらじゃないと上手く共闘出来ないって聞いて、WW2の日本軍思い出した(※日本軍もレーダー無い所為で後半になれば成る程苦戦した)。
…エクバと星⚪︎翼、連邦とジオン以上あるよな基本的な戦力差(※…然も、其のジオン側には、ソーラレイも水泳部も無いと言う……)。
…大高達帝国(※元祖機動兵器群プラモデル文化込み)vs薄っぺらい中華な山寨文化スレスレコンテンツ(※某Kansenゲー似)じゃ、…其りゃぁ、絶望的ですよ(※連邦vsジオン以上に)。
…星⚪︎翼って完全に某艦船擬人化ゲーに対するブルオ⚪︎とかブラ⚪︎ジとかアズ⚪︎ンポジションやん。本家に勝てずに敗北して行くパターンやん(※中華って基本其んなばっかりかも??)。
…と言うか、東方エクバ作ってくれよ(※切実)。
…“幻想のヴァルキューレ?” 知ってる子ですね()。
…。
※以下、クロスオーバー注意
…キリコが聞いたら、普通に祝福すると思います(※…他の二人は、脳を焼かれてたけど)。
「…そうか。男を見つけて家庭を築いたのか。…彼奴らしくも無いが。」
「…俺にも、かつては、幸せにしてやりたい女が居た。」
…。
メモ 此奴等が泳げる理由
キリコ ギルガメス正規軍が教えた
ロジャー 軍警察が教えた
シロッコ 水泳教育の機会が多かった。
坊や(没案) 同上。
後、航空機や宇宙船が海に不時着した時、泳げない故の無駄な事故死を防ぐ為に宇宙船の乗組員は必ず泳げる様に教育されて居る(此れは現実の航空機パイロットや宇宙飛行士も同じ)。
…。
にせウラキ(嶺厳偽装型)
…館主様がウラキに擬態した姿。弁髪の様な後ろ髪を切っており、ウラキと同じ短髪である。余りにも、本人に似て居る為普段は左目に眼帯をしている(※モノアイ)。
ガトーを誘き寄せ、釣る為の『擬似餌(ルアー)』だとよく言われるが、実際、ガトーはよく騙される。声質も違うのに(※…流石、Bガンダム関係の誤報に踊らされたと噂された奴だ。面構えが違う)。
……後、『中国のアレ』とか『中国製ウラキ』とか『中国製のパチモン』言うな(戒め)。
…最後は、ケジメとして、本物にスイカバー突撃され、ド定番変な顔芸しながら戦死(※御約束)。
…と言う訳で、ウラキはZガン��ムに乗るかも?(※…但し、乗せる気は無いが)。
…。
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こんちゃ、あろハムです
つい1年前の今頃は演劇のえの字も頭になかったのに偶然が重なって今では舞台に立って新入生を演劇に勧誘している。人生って本当に不思議なもんですねえ〜。さて、本題の役者紹介ですが、あれ?独断と偏見シリーズ流行ってるの、、、?結構色々考えたのですが皆面白いのを書いてくれてるのでこれ��でふざけてた分今回くらいは自分が感じていることを素直に書いてみるのも良いのかも知れませんね。たまには、ね。さ、前置きはこれくらいにして、耳の穴かっぽじいて聞いて下さい。
園堂香莉(夢の住人α)
本当、器用な役者さんなんだなと今公演特に感じました。今回の3役とも全く性質が違うのに飄々とこなしてしまうなぽりが羨ましいです。実は稽古の時エレベーターガールのなぽりが好きすぎて気付かぬうちにガン見していたことは墓場まで持っていきます。エレガのマイムいつの間にあんな上手くなったの?5月にあるvaundyのライブ、どうだったかまた感想言いますね。
水琴冬雪(東雲)
私の演劇を好きになるキッカケを作ってくれた先輩なので、今公演でやっと役者として同じ舞台に立てるのが凄く嬉しかったです。役者として理想的すぎる発声と滑舌を持っているので演技しているところを見て自分なりにもこそっと真似してみますがまあー近づけないですよね。いつか背中が見える日が来れば良いな。あ、噛んで落ち込んでるベガさんも素敵ですよ。
緒田舞里(二宮光)
ちゃうかの大量の仕事をやりながら主役するってどんな生活、精神力してるんですか?絶対疲れてるはずなのに演技中全然そんな姿を見せないのは何故ですか?まりおさんの声の震わせ方、表情、目線の使い方がめっちゃ好きです。みんなの魅力を引き出すキャスパ、素敵すぎました。とにかくお疲れ様でした。ゆっくり休んでください。
たぴおか太郎(弁護士)
ちゃうかをイメージすると大体一番最初になすかさんが出て来ます。(withちいかわTシャツ)異議なし、毎回幕裏で笑っていました。あのなすかさんの通る声だからこそ6発6中でウケたのだと思います。オムニからお世話になっているのでなすかさんに褒められると尻尾振って喜んじゃいます。仕込み週になるとほぼ毎日全体LINEで謝ってるなすかさんが大好きです。
肆桜逸(検察官)
唯一の学科の先輩です。体験稽古でめっちゃ優しく話しかけて下さって、それが無ければ私はちゃうかに入ってなかったかもしれません。重い物持ってる時とか仕込みの時とか一番皆に声かけしてくれている優しい先輩です。オムニの時から思っていたのですが、ボケ寄りの役をやってるスチルさん���っちゃ好きです。あと、今公演の場転で行き��まった時すぐ解決策を出してくれるのがすっごく頼もしかったです。でもキャスパのカウントを勘違いしていて呆然としていたスチルさんもなかなか良かったですよ。
帝京魂(深山登)
今公演で1番関わりがあった役者です。こんの爆発力のある演技を間近で見てみたいなあとは前々から思っていたのでそれが叶って嬉しかったです。演技している時の表情とか目つきが「入っている」感じがして役者として悔しかったです。あんな素晴らしい演技をするもんだから、私の存在感が消える!負けたく無い!と思って必死に練習しました。あと、この前サッカーマシンガントークしてごめんなさい。でもあれは聞いてきたこんが悪い。
縦縞コリー(市原優)
2公演続けての主役、本当にお疲れ様でした。こりの演技を見てると「ああ〜主役だなあ〜」とひしひし感じます。主人公、という言葉がお似合いです。新入生が入ってきても変わらず主演の座に立ち続けて下さい。恐らくこりは自分の中でこう演じたいとイメージしたものをそのまま演じることができる役者さんなんだろうなと勝手に思っています。凄いなああ。私もそうなりたい。線形なんてものも簡単に攻略できるんだろうなあ。
大福小餅(裁判長)
本当に、本当に頑張ったよね。舞監としても、役者としてもめちゃくちゃ頑張ってた。ここは手を抜いてもいいかな、こんくらいで良いかみたいなことを絶対にしない。キャスパも夜遅くまで残って、周りもほとんど帰ってるのに、すごく疲れてそうだったのに、「私出来てないからまだやりたい」って言ってたこふくの顔が忘れられません。こふくを傷付けるような人は私が絶対に許しません。みんなでこの可愛く勇ましい舞監をこれからも全力で支えていきましょう。
苔丸(村上)
器用すぎる。役者としても裏方としても。かっこいいと可愛いを両方バランス良く兼ね備えた役者さん。毎公演本当見事に違う役を演じていて、稽古初日どんな演技をしてくれるのか楽しみでした。色んな役をやってみたいとは思っても実際にやるのはめちゃくちゃ難しいし、苔丸にそういう色んな幅の役が任されるのは恐らくこれまでの演出全員「苔丸なら出来る」と大きな信頼を寄せているからなんでしょう。今公演、役の相談にも乗ってくれてありがとう。役者としても人としてもすごく信頼しています。
岡崎仁美(七瀬マイコ)
先輩としての頼もしさもあるのにたまに同期と勘違いしてしまうような可愛さを持っている方です。今公演の役、恐らくカヌレさんじゃ無いとあんなあどけない無垢な少女にはならなかったでしょう。カヌレさんじゃ無かったら誰がやってたんだろ。想像つかない。立て看、良すぎです。めちゃくちゃ好き。あれに顔はめて写真撮れなかったのが心残り、、、。次も��た看板作ってくれますよね?
衿君(夢の住人β)
実はちゃうかイチオシの役者です。公演ごとの私の推しキャラは大体エリックがやってます。普段は割と大人しめ(周りがうるさい)なのに皆をツボらせたときのウケ方は間違いなくちゃうかイチだと思う。静と動の演じ分けがめっちゃ上手い。だから人の注意が飽きることなくエリックに注がれるんだと思う。ラジパ、後ろでやってたから一回も見れ無かったけど写真で見てビックリしました。あんな笑顔してたんですね。あの写真は今公演1番のお気に入りです。
海泥波波美(夢の住人γ)
この人は何にも考えてなさそうに見えて(失礼)人の観察力がすごいなと思います。だから適当に言っているように思える発言でも実はそのおかげでちゃうかの空気は澱みなく流れてるんだと思う。今公演のあさぎの不気味なシーンちゃんとめちゃくちゃ不気味で大好きです。あの笑い方、良いですよねえええ。あそこで空気がひゅんっと変わる感じが大好き。楽ステのアドリブめっちゃ面白かった。回転扉が回らなくなって焦ってる時のあさぎの顔が忘れられません。
七枚目(郷田)
マキマさーん!チェンソーマン見たことないけどマキマさんだー!郷田さん好きぃいい!私も郷田さんに肩揉んでもらいたいよーー!ぜーんぜん怖くないよ!って言って欲しいよおお!って感じでみそかの演技は脳死しちゃうくらい好きです。通しの時とかずっと周りでウロウロしててごめんね。みそかの優しさと強さを兼ね備えた声が大好き。毎回言ってるけど。一生役者していて下さい。
ミル鍋(施設長)
相変わらず動きの付け方が上手すぎる。実は今公演からゆにの動きをパクってます。というか、ここ動きどうしようって思ったらゆにならどうするかなとイメージしてからその動きを真似してます。バレて、、無いよね!?多分まだ言われたことないから大丈夫。今回も動きに関することでゆにに相談させてもらったら、良いアイデアを即座に言ってくれました。流石です。吹田で一緒に練習したの楽しかったね。またやろう。製図なんてくそくらえ。
西峰ケイ(八戸)
面白すぎです。らびの面白さがフル発揮出来る役を見れてめっちゃ良かった。あの漫才、本当に驚きました。内容もさることながらテンポ感、間、動きの付け方、完成度が凄すぎてちゃんと面白かったし、あんだけお客さんを笑わせるの普通じゃないよ。ずっと練習してたもんね。なのに、そこだけじゃない。二宮と八戸のあの2人のシーン、周りからも散々言われたと思うけど本当に良かった。2人とも演技してるようには思えない空気感だった。あのシーンが今公演で1番のお気に入りです。
あろハム権左衛門(黒川)
キャラメルメル
白子(演出補佐)
誰よりも演劇への想いが熱く、そして演技指導をする時の「こんな感じ」が、レベル高すぎる生粋の演劇サイボーグ。役のことで相談した際、わざわざ私の役の解釈を色分けした台本を作ってくれた。あれは本当に助かりました。白子には前公演も今公演も助けられてばかりです。次の公演は役者として出てくれるのでしょうか?楽しみにしています。あ、授業の方も演劇と一緒にちゃんと頑張りましょうね。
近未来ミイラ・唯端楽生(演出・脚本)
もう散々褒めたしいっか。嘘です。褒め足りません。メガホン持ってスクランブル交差点のど真ん中で「俺は天才なんだぞおおおお!」って言ってもお釣り帰ってくるくらい天才です。ミイラの脚本は、こんな感じのストーリーを描きたいからこのキャラを作る、じゃなくてこのキャラの人生、生き様を描こうとして気づいたらストーリーが出来ていたって感じがします。付け足しのキャラクターがいない。ひとつのキャラクターがいなくなっちゃうだけでもストーリーが壊れてしまうような繊細で美しい作品。黒川の解釈を聞いたらめちゃくちゃ長文ですっごく分かりやすい表現で説明してくれたとき感動しました。ひとつひとつのキャラクターにこんな細かい想いが込められているとは思ってなかったです。出来れば他の人のアドバイスとか指摘とか一切聞く耳持たずにみいらの感じたこと、書きたいことをそのまま書き続けて欲しい。演劇のルール、文学のルールとかにとらわれない自由な作品をこれからもずっと描き続けて欲しいなあと勝手に思ってます。
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2023年7月29日(土)
高齢男子と妙齢女子の凸凹コンビ、酷暑の中で3ヶ月ぶりの京都ツアーを敢行した。以前から宿題であった<松尾大社>をスタート、<鈴虫寺>は空振り、<魚問屋ととや>で美味しくランチを頂き、<安井金比羅宮><八坂神社>と経めぐって、いつもの<キリンシティ新京極店>で打ち上げ。酷暑に打ち勝つには麦酒でなければと、美味しくグラスを空けたとさ。
午前4時起床。
日誌書く。
朝食。
洗濯。
久しく使っていなかったEvernoteにログインできず、パスワードをリセットする。
今日は妙齢女子と3ヶ月ぶりの京都ツアー、阪急桂駅で待ち合わせ、松尾大社駅まで移動してまずはお詣り。
風鈴祈願 招福除災の音
~夏の境内を彩る 600個の風鈴~
“鈴” は神代の昔より神事にも用いられ、音の “涼しき” より名付けられました。その音色は神様をお慰めすると同時にご自身の罪穢れを祓い、清々しくするものと伝えられます。
日々の穏やかな願いを短冊に記し、風鈴の音色と共に皆様の祈りを松尾山の風が松尾(まつのを)の大神様にお届けします。短冊祈願料500円 当社、授与所にて受付中。
皆様よりお預かりした風鈴は、松尾大社八朔祭9月3日まで境内にお供え致します。
とても綺麗で涼やか。
本来のターゲットは<鈴虫寺>、ところが門前の列に恐れをなしてすごすご退散、上桂駅まで汗をかく。
桂駅まで戻ってバスへ、七条千本で下車して<ととや>、15分程度待ってからの入店、日替わりの刺身定食+🍺を美味しくいただく。
タクシーで東山まで移動、安井金比羅宮へとやって来た。
なんとこちらも<縁切り縁結び碑>にお詣りする人が長蛇の列、とっとと退散して八坂神社へと向かう。
疫神社夏越祭 素戔嗚尊が南海に旅をされた時、疫神社の御祭神蘇民将来に手厚くもてなされたことを喜ばれ、疫病流行の際、蘇民将来之子孫は疫病より免れしめると誓約された故事により鳥居に大茅輪を設け、参拝者は之をくぐって厄気を祓い、又「蘇民将来之子孫也」の護符を授かります。
夏越の祓は他では6/30だが、こちらは祇園祭の最後に執行される。茅の輪をくぐって邪気を払っていただいた。
よく歩いて汗びっしょり、仕上げはやはり美味しい麦酒。
<SOU・SOU伊勢木綿店>に立ち寄る、相変わらず圧倒的に女性客で賑わっている。
阪急で桂駅まで移動して解散、本日もお疲れさまでした。
帰宅してすぐに<鈴本演芸場>にアクセス、8/12(土)の夜席チケットを無事に確保できた。
ツレアイが買い物してくれていたので適当に見繕っての夕飯、彼女も美術展めぐりから汗だくで帰宅、早い時間にみなでいただく。
録画番組視聴。
(59)「鳩(はと)のなかの猫」
世界が愛した名探偵、エルキュール・ポワロ。アガサ・クリスティー原作の人気ドラマシリーズ。名門女子校で教師が殺害される事件が起きる。さらに学園の生徒が行方不明に…
名門女子校のメドウバンクを訪れたポワロは、校長のバルストロードから「次期校長の人選で悩んでいるので助言してほしい」と頼まれ、しばらく学校に滞在することに。そんな中、体育教師のスプリンガーが、深夜に体育館で殺されるという事件が起きる。スプリンガーは嫌みな性格で、教師や生徒たちから好かれていなかった。さらに学園の生徒でラマット国から来た王女が行方不明になる。ラマット国は政変で揺れていた。
片付け、入浴、体重は2日前から450g増、まぁよく食べてよく飲んだからね。
さすがによく歩いた、水分は2,060ml。
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泉に戻ることを望む者は、流れに抗して泳がなくてはならない
[東ドイツ ある家族の物語] P.265
しかし日本は、国を失ったことはないでしょう
[また、桜の国で]P.115
今、僕の国では、未だかつてないほどに、武士道や大和魂という言葉が使われているよ。でもね、覚えておくと良い。濫用される時は必ず、言葉は正しい使い方をされていない。
[また、桜の国で]P.482
誤解せんで欲しいが、資��主義が勝利するわけではないぞ。敵を見失った資本主義は、これまた果てしなくモラルを失っていく。どんな形で崩壊するのか、それとも再生できるのか。
[プラハの春 下]P.366
犠牲者を追悼する際、たとえ何百万単位で数えられたとしても、彼らは個人であり、集団ではないと覚えておかねばならない。どのような形であれ、殺された人々を集団として記憶しようとするのは死者を否定し、還元し、再び消滅させてしまう行為である。まさに犠牲者を殺害した人たちの思うつぼなのだ。さもなくば記念碑は忘却と否定の文化に取り込まれてしまう。私たちが忘れてしまうのは単純に忘れた方が楽だからであるが、不安や恐怖の時代にそれをしてしまっては無責任である。忘却は無知に自由な支配を許すことになる。つまるところ、心に留めておきたい歴史が何であるのか、あるいは過去を意図的に消そうとする理由は一体何か内省してみれば、私たち自身が何者であるのかが見えてこよう。
[ポスト・ヨーロッパ 共産主義後をどう生き抜くか]PP.214-215
あたしはずっと歴史を教えてきたけど、歴史上の出来事のどれひとつをとってもわたしたちが最後まで知っていることってありません。経験したどれをとっても。真実のすべてを......
[戦争は女の顔をしていない]P.46
僅か十日のあいだに、日本の国民はこれだけの大きな自由を奪い去られたのだ。
[風にそよぐ葦(上)]P.199
そしてこの動乱の時代には、すべての愛情が悲劇の原因になるのだ。裏切られなかった愛情がどこにあるだろう。悲劇をもたらさなかった愛情がどこにあるだろう。人間と人間のつながりが、兵役法だの徴用令だの動員規定だの、その他無数の法令によってばらばらに切りはなされ、愛情の幸福はその根底を失ってしまった。
[風にそよぐ葦(下)]PP.76-77
榕子は日の丸の旗が嫌いであった。それは残忍きわまる国家権力の象徴であった。ここ数年来、国家とは国民の不幸の象徴ではなかったかろうか。良人を奪い子を奪い富を奪い食を奪い、あらゆる生活の根底を破壊し去ったものはこの日の丸の旗であった。
[風にそよぐ葦(下)]P.93
道徳も義理も人情も、そういう美しいものはすべて生きるための邪魔ものであった。
[風にそよぐ葦(下)]P.198
国家が国民に要求する犠牲がその極限に達し、その極限を過ぎて、血をすすり肉を啖い尽してから、戦争指導者と重臣たちとはようやく降伏を決意した、それまでは決断がつかなかったのだ。
[風にそよぐ葦(下)]P.271
古今��歴史は、為政者たちの暴政や侵略者たちの暴虐による人間の悲劇を、幾つとなく記録しているが、どれほど凶暴な力に打ちたおされても、それが人間の本質的な姿を変えることはできなかった。ヒトラーやムッソリーニや東条が、あのなさけ容赦ない強制と圧迫とを加えてみても、ついに蹂躙することのできなかった(人間の最後の自由)というものがあるのだ。ソヴィエトの圧制者たちがあれほどの秘密警察と懲罰主義とをもって、幾度か血の粛清を行なって見ても、どうしても奪い去ることのできなかったスラヴ人の自由というものがあるのだ。全体主義者たちが最後につきあたるものは、この、人間が人間であるという真実であるに違いない。自分の思考をもち、自分の欲望をもち、自分の理想をいだき自分の幸福を求める、人間としてのその本質的な希望は、国際関係が緊迫してきた現代の社会ではほとんど許されなくなってしまった。しかし、最後に残るただ一つの自由は、拒否するという意志に於いて表現されるのではあるまいか。
[風にそよぐ葦(下)]PP.464-465
しかし、どんな時代が来ても、人間の心の奥底にある、孤独感というか、一人きりでは生きて行けない、誰かを愛し、誰かを信じないでは居られない、そういう本質的な弱さ、・・・弱さと言ってもいいだろうね。・・・そういうものの美しさを信じることはできるんだよ。
[風にそよぐ葦(下)]P.536
私は罰を受けている・・・でもどうして?もしかして、人を殺したから?時々そんなふうに思います。年をとると、昔より時間がたくさんあって・・・あれこれ考えてしまう。自分の十字架を背負って行くんです。毎朝、ひざまずいて、窓の外を眺める。みんなのことをお願いするの。すべてを。夫を恨んではいないわ。許しました。彼のために祈ります。責めません。私が女の子を産んだ時、彼はしげしげと眺めて、すこし一緒にいたんだけど、非難の言葉を残して出て行ったんです。「まともな女なら戦争なんか行かないさ。銃撃を覚えるだって?だからまともな赤ん坊を産めないんだ」私は彼のために祈るの。もしかして彼の言うとおりかもしれない。そう思うことにする......これは私の罪なんだって......私はこの世で何よりも祖国を愛していた。私は愛していたんです。誰にこんなことをいま話せます?自分の娘......あの子にだけ......私が戦争の思い出話をすると、あの子はおとぎ話を聞いているんだと思ってるんです。子供用のおとぎ話を。子供のおそろしいおとぎ話を。
[戦争は女の顔をしていない]P.369
スターリンは結局民衆を信じなかった。祖国は私たちにそういうお礼をしてくれたの。私たちが注いだ愛情と流した血に対して。
[戦争は女の顔をしていない]PP.430-431
だって、人間の命って、天の恵みなんだよ。偉大な恵さ。人間がどうにかできるようなも��じゃないんだから......。
[戦争は女の顔をしていない]PP.480-481
「本当の親か、本当の子かなんてことはね、誰にもわかりゃしないんだよ」良太郎は仕事に戻りながら、いかにもやわらかに云った、「お互いにこれが自分のとうちゃんだ、これはおれの子だって、しんから底から思えばそれが本当の親子なのさ、もしもこんどまたそんなことを云う者がいたら、おまえたちのほうからきき返してごらんーーおまえはどうなんだって」
[季節のない街]P.276
「おてんとさまばっかり追いかけるなよ」
何のことなのか理解出来ず、私は父を見た。七十年生きてきて、ようやく判ったのだと父はつづけた。自分は、日の当たっているところを見て、いつも慌ててそこへ移った。けれども、辿り着くと、そこに日は当たっていず、暗い影になっている。また焦って走る。行き着いて、やれやれと思ったら、たちまち影に包まれる。振り返ったら、さっきまで自分のいた場所に日が当たっている。しまったとあと戻りしても同じことだ。
[血の騒ぎを聴け]P.23
私は深夜、寝つけなくて、無数の映像と無数の音楽について考えた。どのような映像の彼方にも見えないものがあり、いかなる音楽からも聴こえないものがある。それを立ちあがらせるのが言語ではないか。文学は、終わるどころか、これから真の力を発揮する時代に入る。そう確信して、夜明け近くまで起きていた。文学が負けるのではない。虚無や時代への迎合というらくな階段を昇り降りし、訳知り顔に民衆をなめる作家や編集者が負けるのだ。
[血の騒ぎを聴け]P.47
文学が、結局は、死と恋に集約されざるを得ないのは、その哀しみと、そこから得るものが、数学の試験のように、一プラス一イコールニとはならないからであり、いかなる言葉を尽くしても、自分の心を表現することができないからであり、「別れ」が、なぜか個々人の人間のグラスを、ほんの少し大きくしてくれるからである。
[血の騒ぎを聴け]PP.287-288
われわれが実際に建設しているのは、投機を行うための都市であって、人々が住むための都市ではない。
[反資本主義]P.107
人が受け取ることのできる他人のあり方などほんの断片であり、一個人の持つ複雑な内面の全てを推し量ることなど決してできない。
[歌われなかった海賊へ]PP.362-363
王や神は書く必要がない。その存在は自己自身のうちで絶対的に充実しており、他者との関係を必要としない。王は書くことなく語る主体であって、自分の声をただ書きとらせるだけなのだ。
[デリダ]P.73
「一者」への結集は、「他の他者たち」に対してのみならず、「自己における他者たち」に対しても「暴力」��なる。
[デリダ]P.293
そういう生まれつきの能を持ってる人間でも、自分ひとりだけじゃあなんにもできやしない、能のある一人の人間が、その能を生かすためには、能のない幾十人という人間が、眼に見えない力をかしているんだよ。
[さぶ]P.291
この世から背徳や罪悪を無くすことはできないかもしれない。しかし、それらの大部分が貧困と無智からきているとすれば、少なくとも貧困と無智を克服するような努力がはらわれなければならない筈だ。(略)「世の中は絶えず動いている、農、工、商、学問、すべてが休みなく、前へ前へと進んでいる、それについてゆけない者のことなど構ってはいられない、ーだが、ついてゆけない者はいるのだし、かれらも人間なのだ、いま富栄えている者よりも、貧困な無智のために苦しんでいる者たちのほうにこそ、おれは却って人間のもっともらしさを感じ、未来に希望が持てるように思えるのだ」
[赤ひげ診療所] P.178
見た眼に効果のあらわれることより、徒労とみられることを重ねてゆくところに、人間の希望が実るのではないか。
[赤ひげ診療所]P.298
「……そういう人たちと別れ、戦地から戻って日銀に復職したら、なんだか妙にシャクにさわってむかむかしてきたんだな。わが身が大事のエリートが威張りくさって、トラックでわたしが一緒に働いたような、学歴のない人たちが、ここでもやっぱり下っ端として馬鹿にされて理不尽な目にあっている。こりゃなんだ、戦争は終わったのに、何も変わっていないじゃないか、と」「わたしはトラック島で部下だった工員たちに救われていた部分がずいぶんあった。そんなかれらが価値のないものとして否定されて、軍人より先に死んでいかなきゃいけないのが戦争だった。同じことが、まさにわが職場で行われているとわたしの目には映った。こりゃあ黙って見過ごしちゃいかん、と思ったんだな。大げさに聞こえるかもしれないが、それはわたしなりの、死者への責任でもあったんだ」
[昭和二十年夏、僕は兵士だった]PP.60-61
彼らにとっての祈りとは、死者を自分の裡に住まわせてこの世を生きる、その生き方そのものではないかと思った。→デリダの幽霊
[昭和二十年夏、僕は兵士だった]P.121
われわれの歴史だって、いつか、誰かによって演じられたものなのかもしれない。そしてわれわれは、その時と同じような敗北に向かって、同じような手で、コマを進めているのかもしれない。このベラミとそっくりのきちんとしておとなしい男が、かつては、象牙海岸で黒人狩りをおこない、ハイチやルイジアナへ船で運び、その途中、船倉でくたばるものはくたばるにまかせていたこともあり得る。そのベラミには、当時なんの悪気もなかったのである。いつの時代でも、ベラミには悪気はなかった。だから、始末にこまるので��る。
[山椒魚戦争] PP.242-243
市民であることとは、市民をケアすることでもあり、民主主義そのものをケアすることである。
[ケアリング・デモクラシー] P.ⅻ
「巡礼だ、巡礼だ」暗い土堤を家のほうへ歩きながら、私は昂奮をしずめるために、声にだして呟いた、「苦しみつつはたらけ」それはそのころ私の絶望や失意を救ってくれた唯一の本、ストリンドベリイの「青巻」に書かれている章句の一であった、「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」
[青べか物語] -留さんと女 P.317
私は若くて阿保だったから女の絶望や不幸が情事と悦楽にひりひりした辛味をそえてくれる気配だけをむさぼっていた。甘さは苦みと手を携えて進んでいかなければ完成されないが、そうと知るにはおびただしい自身を殺さねばなるまい。当時の私は自身を殺さないでおいて、貪慾だけに没頭していたのだ。
[夏の闇] P.58
私は自身すら愛していないのかもしれない。女のいうとおりだ。自己愛をとおして女を愛することもできないのだ。私は自身におびえ、ひしがれていて、何かを構築するよりは捨てることで自身に憑かれている。
[夏の闇] P.207
東は暗くて広く、西は明るくて広かった。けれど、止まったり、かけぬけたり、おりていく背も見ず、乗ってくる顔も見ず、暗いのが明るくなり、明るいのが暗くなるのを、固い板にもたれて凝視していると、東も、西も、けじめがつかなくなった。あちらも、こちらも、わからなくなった。走っているのか、止まっているのかも、わからなくなった。明日の朝、十時だ。
[夏の闇] P.
一〇〇メートルか一五〇メートルくらいのものである。たったそれだけ離れるともう人は夜店の空気銃におとされる人形と同じに見えてくる。渇望がびくぴくうごいた。面白半分で私は人を殺し、そのあと銃をおいて、何のやましさもおぼえずに昼寝ができそうだった。たった一〇〇メートル離れただけでビールの缶でもあけるように私は引金がひけそうだ。それは人殺しではない。それはぜったい罪ではなく、罰ももうけない。とつぜん確信があっあ。かなたの人物もまた私に向かっておなじ心をうごかしているにちがいない。この道具は虚弱だ。殺人罪すら犯せぬ。
[輝ける闇] P.50
使命は時間がたつと解釈が変わってしまう。だけど匂いは変わりませんよ。汗の匂いは汗の匂いだし、パパイヤの匂いはパパイヤの匂いだ。あれはあまり匂いませんけどね。匂いは消えないし、変わらない。そういう匂いがある。消えないような匂いを書きたいんです。使命も匂いをたてますからね。
[輝ける闇] PP.108-109
南でも北でも人びとは政治された。或る哲学者の悲痛な饒舌に私は従いたい。人びとは資格も知識も徳もない輩によって、きびしく監視され、検査され、スパイされ、指揮され、法律をつくられ、規制され、枠にはめられ、教育され、説教され、吟味され、評価され、判定され、難詰され、断罪された。
[輝ける闇] PP.140〜141
青年はやせこけて、首が細く、とまどったようにうなだれて口をとがらしていた。シャツがよごれたズボンのうえにはみだし、はだしの足が土によごれていた。誰かが叫んだ。一〇人の憲兵の一〇挺のカービン銃が、一人の子供を射った。子供は膝を崩した。胸、腹、腿、にいくつもの小さな、黒い穴があいた。それぞれの穴からゆっくりと鮮血が流れだし、細い糸のような川となって腿を浸し、舗石へしたたった。少年はうなだれたまま声なく首を右に、左に、ゆっくりとふった。将校が近づいて回転式拳銃をぬき、こめかみに一発射ちこんだ。血が右のこめかみからほとばしった。少年は崩れおち、柱から縄で吊され、うごかなくなった。頬と首が真紅の血に浸り、血は長い糸をひいて鼻から頭から錘のように舗石へ堕ちていった。記者やカメラ・マンたちが靴音をたてて走り、棺のまわりに群れて閃光をとばしあった。
[輝ける闇] P.181
わしらはキリスト教国の人間なのに汝の敵を愛せよという言葉を忘れてしもうた。それもはずかしいのじゃ。国の連中も毎日の生活にいそがしゅうてな。税金が上がったり、物価が上がったり、徴兵カードが来たときだけ本気になる。自分に関係ないことは誰も、何も、気にしよらんのだ、いまはそういう時代じゃ。恥を知らん時代じゃ
[輝ける闇] P.216
飛行場には飛行機が一台もなくて滑走路に芋畑をつくり、その芋からアルコールをとって飛行機をとばすのだと将校たちは中学生に真摯、激烈な演説をした。私は仲間といっしょに腹をかかえて笑いころげたが、その愚劣と一日も早く玉砕したいという憧れとは矛盾しなかった。むしろ愚劣を知れば知るだけそれは昂進していくようですらあった。
[輝ける闇] P.231
けれどわかったのは殺されたくなければ殺せということだけだった。 → 戦争の論理(フーコー)
[輝ける闇] P.281
人と人のあいだの最も人間らしい関係は静けさなのだということも知った。
[わたしは英国王に給仕した] P.190
この意味で、他者に対する暴力とは自分自身に対する暴力であって、このことが明らかになるのは、暴力とは私たちの社会的世界である、あるいはそうであるべき生者の相互依存を攻撃するものだ、と私たちが認識するときなのである。
[非暴力の力](ジュディス・バトラー)P.33
他方で、哀悼可��性の基準は、移民の諸人口はそもそも哀悼可能ではない、という仕方でこれらの決定へと組み込まれている。私たちは、哀悼され得ない人々を失うことはできない。彼らは喪失を超えたもの、既に失われたもの、決して生きたことのないもの、決して生きる資格を与えられたことのないものとして扱われているのだ。
[非暴力の力] P.128
世界は分断されている。「知らない」とか、「関係ない」とか、「敵だから」とか、いろんな認識での壁で分断されている。この関係の断絶は、ぼくらの倫理性を麻痺させる。人を殺すことだって、人が殺されているのを無視することだって、できてしまう。だからこそ、他者に向き合い、その姿にみすがらを映しながら、いろんな「つながり」を回復する必要がある。
[うしろめたさの人類学] P.20
ぼくらの手で変えられる社会のありさまに目を向ける。世の中を動かす「権力」や「構造」、「制度」といったものは、とても強大で強力だけれども、まずはそのすべてをその「せい」にすることをやめてみる。(中略)社会の現実は、ぼくらが日々、いろんな人と関わり合うなかでつくりだしている。あなたが、いまどのように目の前の人と向き合い、なにを投げかけ、受けとめるのか。そこに「わたし」をつくりだし、「あなた」という存在をつくりだす社会という「運動」の鍵がある。
[うしろめたさの人類学] PP.77,83-84
社会の格差を是正したり、公平さを回復したりすることは国の仕事だとされる。個人や企業は市場で稼ぎ、国はそこから税金を集めて再分配を行う。世の中はこうしてできあがっている。だから自分には直接関係ない、と。この「あたりまえ」の市場と国家の境界の線の引き方が、公平さをつくりだす「わたし」の役割をみえなくしている。
[うしろめたさの人類学] P.178
ファシズムをうけ入れたものはすべての人の心の襞にひそむ感情である。中心的な持続的な人格が崩壊して瞬間だけがあり、本能の親和力を蔑んで、不浸透性への野望だけに窒息する衝動である。自己を他者から切り離し、省察と内面凝視に赴いて帰らず、その不毛を知ってついに自分を他者から見られるままの存在としてしか機能を意識できなくなる。(中略)この人間の原子化の時代にある私たちの不断の日常の感覚である。(中略)この時期の世界ほど、人間が過去に���するときほど、現在と未来に対して賢くなり得ない原則をさらけだしたものはほかにない。日本についてはいうまでもないことだ。
[過去と未来の国々] PP.228-229
心に感じる苦しみやつらさは人間が人間として正常な状態にないことから生じて、そのことを僕達に知らせてくれるものだ。そして、僕たちは、その苦痛のおかげで、人間が本来どういうものであるべきかということを、しっかりと心に捕えることが出来る。
[君たちはどう生きるか] P.252
満員列車がやがて平野の夏のかなたからやってきた。車内の人ひどはみんな日本の無条件降伏を知っているようであったが、怒号する人もなく、嗚咽にむせぶ人もなかった。疎外荷物や、魚の罐や、イモの風呂敷包みや、バケツ、七輪、ふとん、リックサックなどのなかで人びとはおしひしがれ、体を折ったり、曲げたりして、ときどき吐息をついたりしながら窓から射しこむはげしい日光に煮られておとなしく苦しんでいるだけであった。
ただ人びとは汗ばんで苦しんでいた。ただ"夏"だけがあった。
ナンナン、ナンナン南京さん 南京さんの言葉は南京言葉
かけっぱなしにしてあったラジオがとつぜんうたいはじめた。 明るく、朗らかで、清潔な、少女たちの合唱であった。
ふと母が怪訝そうに顔をあげた。 「ええのんかいな、こんな歌うとて」 彼女は困惑したようにつぶやいた。 「戦争に負けたのに支那人のことかろこうて、こんな歌うとて、ええのんかいな。南京さんやなんて…」
ラジオは明るく、朗らかに、清潔に中国を侮辱しつづけた。
[青い月曜日] PP.174-177
ーわしにとっては、心のある道を歩くことだけだ。どんな道にせよ、心のある道をな。そういう道をわしは旅する。その道のりのすべてを歩みつくすことだけが、ただひとつの価値のある証しなのだよ。その道を息もつかずに、目を見ひらいてわしは旅する。(中略)知者は行動を考えることによって生きるのでもなく、行動をおえた時考えるのだろうことを考えることによって生きるものでもなく、行動そのものによって生きるのだ
[気流の鳴る音] P.34
日本社会にはどうやら大きな変化があったらしかった。怜悧で、確実で、逸脱を知らない、時計のように平安で冷酷なものが主役として登場したのだ。まだ焼跡はいたるところにあった。しかしいたるところに家やビルが建ちはじめていた。商人たちは戸外で叫ばなくなった。闇市は市場となった。物や食品はいくらでもあふれ、人びとははそれを並べることよりは飾ることに心を砕いていた。新聞や雑誌に登場する知識人たちの声はたちあがるまえにすわることを考える姿勢を匂わせた。
[青い月曜日] P.412
〈外の世界〉から来たものや帰ってきたものが、その内面の世界を共有することなしにたんに外面からながめられるとき、それはこの世界の秩序へのたんなるスキャンダルとして、すなわち欠如や違和として存在する。いいかえれば痴者、あるいは狂者として対他存在する。
[気流の鳴る音] P.77
今日の世界状況のなかでは知識人に残された選択の道は、三通りあるように思われます。それは共犯か��病か拷問です。もしかしたら、第四の道が残っているかもしれません。自分の精神的規範を裏切らないこと。いかなる状況の下でも、いかなる抑圧にも自分のなかにある絶対的な明確な視野をもった精神を否定しないこと。このなかに、唯一、精神のかけがえのない自由と高貴さがあります。
[カレル・チャペックの警告] PP.67-68
私たちに代わって行動し決定する全権をその一枚の投票権で与えるというのは、そう些細なことではありません。もし人物によって決定しようとするのだったら、単に言葉によってではなく、誰が何をしたかによってもその人物を考えてもらいたい。政治を耳だけで判断しないこと。
[カレル・チャペックの警告] PP.101-102
行動の「意味」がその行動の結果へと外化してたてられるとき、それは行動そのものを意味深いものとするための媒介として把握され、意味がふたたび行動に内化するのでないかぎり、行動それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。生きることの「意味」がその何らかの「成果」へと外化してたてられるとき、この生活の「目標」は生そのものを豊饒化するための媒介として把握され、意味がふたたび生きることに内在化するのでないかぎり、生それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。
[気流の鳴る音] P.151
いっさいの価値が空しくなったとき、かえって鮮烈によみがえってくる価値というものがある。
[気流の鳴る音]P.210
恐ろしいのは、このような集団的残虐行為を見てもほとんど苦痛も軽蔑も感じなくなる、それどころか、そのうち今日の全世界の状況をみても恐怖も反感も感じなくなくなるのではないかということである。(中略)犯罪は犯罪であり、常に犯罪として宣告され、また未来においても宣告されるだろうことが、執拗に繰り返されなければならない。(中略)無関心な沈黙は悪しき行為である。それは悪逆非道な行為にたいする共犯である。だから、私たちは人類社会の大きな連帯から離反せずに、せめてこの共犯だけは犯さないように、精一杯、心を引き締めていよう。
[カレル・チャペックの警告]PP.140-141(1938)
あなたはいったい今日、今、この瞬間を生きていて?
[クリスタ・Tの追想] P.129
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▪️危機の日本 首相奮起を
【櫻井よし子 美しき勁き国へ】
令和5年は尋常ならざる危機の年だ。戦争を大前提にして準備しなければ取り返しのつかない事態に陥る。戦争回避には強い軍事力と経済力が必要で、抑止力を飛躍的に高めずして、私たちが享受する平穏な生活は守れない。
だが、わが国は準備不足だ。第一に継戦能力がない。軍事力増強を支える経済力は財務省主導の財政・金融政策で弱体化されつつある。憲法と法律は自衛隊の手足を縛り続ける。日本国と日本人全体の危機意識が薄いのだ。
かつて、わが国は列強の脅威にさらされ、開国��、富国強兵政策を実行した。発足時には独自の軍隊さえなかった明治政府と、軍事的に中国に圧倒されている現在の日本の姿が重なる。
日清戦争前夜の明治26(1893)年、山縣有朋は国民に軍備増強で重い負担をかける心苦しさを語り、「国家の安全と人民の福利を購(あか)ふの資本だ」と説いた。彼は清国の向こうのロシア、フランスの野望を見てとり、10年もしない内に「東洋の禍機」が暴発すると考えた。弱肉強食のこの時代、わが国が他のアジア諸国のように植民地にされなかったのは、わが国に先を見通す戦略とそれを支える死に物狂いの戦術、富国強兵政策があったからだ。
かって清国の脅威の先に列強諸国の野望があったように、いま、ウクライナと台湾の先に中露による冷徹かつ壮大な世界秩序の書き換えの野望がある。昨秋の中国共産党大会で、習近平国家主席は中国主導の「人類運命共同体」が世界の前途だと語った。中国は、米国は衰退期にあり、西側の民主主義は機能停止の陥ったと信じ、中華の価値観とルールが世界秩序の基盤をなすべきだと考えている。
この異形の大国を受け入れるわけにはいかない。彼らの価値観に太古からあがなってきたまれなる国がわが国だ。604年の「十七条の憲法」も明治元(1868)年の「五箇条の御誓文」も、一人一人を大事にする精神に貫かれている。明治期、軍事に特化した印象を与える山縣も、「(身分の)上下を平均し人権を斉一にする道」を説いた。人権は万人に平等だとする日本の考え方は、第一次世界大戦後の国際連盟創設時に人種差別撤廃条項創設の提唱に発展した。実に開明的な日本の主張はウイルソン米大統領が不条理に葬り去った。
だが、今、世界がかつての日本の主張に追いついた。中国のウイグル人に対する弾圧非難が一例だ。それなのに、日本に輝きを添えてきた大事な価値観を、肝心なわが国が忘れ去っている。日本にこそ中国政府を非難する資格がある。ロシアに領土を不法に奪われている日本こそウクライナを積極的に支援すべき立場にある。日本国の歴史やその歩みを支えた価値観を忘れてしまってどうするのだ。
迫り来る中国の脅威の前で、わが国はいま、米国との軍事力強化に取り組んでいる。この努力が単なる軍事協力に終われば、日本は精神的に米国に追従するだけの国になる。中国も日本を侮り、からめとり戦術に出るだろう。
だが日本が日本らしさを発揮するとき、状況は劇的に変わるだろう。中国は、反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有などを盛り込んだ日本の新たな「安保3文書」に激しく反応した。わが国への恐れゆえであろう。日清、日露以降、世界戦争を戦った日本人に対する記憶がそうさせるのだ。
人間にとっても国家にとっても当然のことなのだが、気概を持つことの大事さを再確認したい。気概は力の強化と揺るぎない自信につながる。私たちが強い精神を取り戻すことが、中国に対しては日本国の抑止力を大いに高め、同盟国の米国に対しては信頼を深めることになる。
本紙8日付の朝刊における台湾の李喜明元参謀総長の指摘は冷静だった。米台間には共通の指揮・通信体制も作戦計画もなく、台湾有事で米台が共同作戦を行うことは難しい。「日本が台湾を助けてくれるとは思わない」が、「事前に台湾の防衛戦略を知り、準備することが日本の国益になる」との内容だ。
ウクライナでロシアのプーチン大統領に勝利を与えてはならないように、台湾で中国の習近平国家主席に勝利を与えてはならないのは明らかだ。そのための唯一の道は日米台の協力体制を築くことだ。米国がウクライナ問題でアジアに軸足を移しかねているいま、わが国こそ、米国に働きかけなければならない。対中国で日本は生まれ変わる決意で抑止力を高めると説き、具体策を示すのだ。
たとえば、中国は尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺海域や南シナ海で、少しずつ着実に、継続的に状況を有利にする「サラミ戦術」を展開し、影響圏を
拡大してきた。いま、私たちが「逆サラミ戦術」を展開する場面ではないか。日米台で情報を共有し、有事対応についてシミュレーションを繰り返すのだ。回数を重ねれば、事実上の日米台同盟につながり、中国の台湾攻略を防ぐ一手となる。習氏が権力基盤の浮沈をかけて台湾攻略に出てこようとするのに対し、抑止を確実にするには日米台の覚悟が必要で、日本は日本の国益のためにこそ、その覚悟を促す立場に立つのがよい。
世界史大転換の今、国政に携わる政治家、とりわけ岸田文雄首相は幸運である。怠惰な眠りの中で長く自立しなかった日本を鮮やかな目覚めに導き、新たな国家像を打ち立てることができる。国の形を大きく変えた明治維新では多くの人材が日本国の未来に命をささげた。いま、政治家たる人々は、その政治生命を賭けて日本のために働くことができる。これ以上望めない幸運な巡り合わせではないか。
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コジ・ファン・トゥッテ または恋人たちの学校
AP_2021 / 名古屋芸術大学 舞台芸術領域 1期生 卒業公演
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オペラ コジ・ファン・トゥッテ ーまたは恋人たちの学校ー Così fan tutte, ossia La scuola degli amanti
全2幕 原語上演(イタリア語)日本語字幕付き
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オペラって沼!
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フェランドとグリエルモは、フィオルディリージとドラベッラ姉妹と熱愛中。恋人の愛を疑わない男2人に、哲学者アルフォンソは賭けを持ちかける。その賭けにのった男2人は、変装してお互いの恋人を取り換えて、口説いていく。女中のデスピーナに自由な恋愛を勧められ、徐々に恋に落ちていく恋人にショックを受ける男2人を、アルフォンソは「女はみんなこうしたもの」(コジ・ファン・トゥッテ)と諭し、新しい恋人たちと結婚式を挙げる。誓いに署名した後、変装を解いた男2人は姉妹を責め、姉妹は心変わりを釈明し、アルフォンソはネタバラシをして4人に和解を勧める。
中世イタリアが舞台の原作を現代に置き換え、日本語字幕付きで上演。
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作曲:W.A.モーツァルト 台本:L.ダ・ポンテ
指揮:柴田 祥 演出:鳴海康平
合唱:NUA音楽領域声楽コース有志合唱団 管弦楽:NUA舞台芸術領域オーケストラ
フィオルディリージ:山田 知加 ドラベッラ:菊池 京子 フェランド:大久保 亮 グリエルモ:西元 佑 デスピーナ:佐藤 安莉 ドン・アルフォンソ:高柳 耕平
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開演日時
2025年2月2日(日)13:00 ※12:15より開場 / 終演予定 15:30(途中休憩あり)
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料金(全指定席)
一般 / S席 5,000円、A席 4,000円 U25 / S席 3,000円、A席 2,500円 高校生以下 / S席 2,000円、A席 1,500円
※当日券は +500円 ※未就学児入場不可
●事業団友の会会員および障だい者等:各種500円引き 事業団友の会会員、障がい者手帳等をお持ちの方は購入時に会員証、障がい者手帳をご提示ください。障がい者の方は、ご本人と付添1人まで割引料金でお求めいただけます。
●車椅子席(一般 4,500円/U25 2,500円/高校生以下 1,500円)あり。 介助席は車椅子席1席につき、1席まで同額でお求めいただけます。席数に限りがありますので、お早めにご購入ください。
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チケット取り扱い
11月1日(金)より発売開始 ※10月23日(水)〜10月31日(木)、友の会先行発売
●名古屋市芸術創造センター TEL 052-931-1811 (令和6年12月28日までは休館日(日曜日)を除く9:00~17:00、令和7年1月4日からは休館日(原則月曜日)を除く9:00~20:00)
●名古屋市文化振興事業団チケットガイド TEL 052-249-9387(平日9:00~17:00/チケット郵送可)
●名古屋市文化振興事業団が管理運営する文化施設窓口(土日祝日も営業)
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会場
名古屋市芸術創造センター
愛知県名古屋市東区葵 1-3-27
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舞台プロデュースコース
大橋結音、橋本みのり、湯原 桃
舞台美術コース
伊藤智与、岩原由季、大橋咲蘭、小川莉奈、小野花弥 垣内維月、加藤 愛、加藤杏菜、酒井 新��鈴木美生、高橋彩羽 谷口小春、永村清華、林 夏里奈、細川暁生、山本翔太
演出空間コース(音響)
飯田凌矢、井上裕貴、勝川美海、木村日菜 西郷卓哉、中根美咲、福浦雅楽、福冨隼大
演出空間コース(照明)
浅田彩友、石井日凪代、前田遥音、松原沙耶華
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指導教員:
浅井信好、石黒 諭、市来邦比古、稲葉直人、岡野憲右、梶田美香、加藤えつこ、金井勇一郎、神谷怜奈、丹羽康雄、乗峯雅寛、堀場智宏、山口 剛
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イラスト:Tomatomayu フライヤーレイアウト:橋本デザイン室
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名古屋芸術大学 舞台芸術領域について
「あなたが舞台をつくる」をコンセプトに、舞台芸術作品を製作・上演するための知識と技術を専門的に学ぶことのできるカリキュラムで、未来の舞台芸術シーンをけん引する人材の育成をおこなう。
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※やむを得ない事情により出演者が変更となる場合がございます。 ※演出の都合上、開演後はすぐに入場できない場合がございます。 予めご了承ください。 ※公演内容の変更を除き、いかなる場合もチケットの払い戻しは行いません。
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X / @NUA_AP instagram / nua_ap
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主催:名古屋芸術大学 舞台芸術領域、公益財団法人名古屋市文化振興事業団 芸術創造センター 協力:名古屋芸術大学 音楽領域、馬場 浩子、久米 愛香、第七劇場
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お問い合わせ:名古屋芸術大学 舞台芸術領域
mail / [email protected] tel / 090-6798-8035(平日10:00〜17:00)
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2024年5月4日
Youは何しに海外へ?超円安のGWに「裏金」議員含む多くの自民議員が渡航 事前提出の「渡航計画書」は非公開(MBSニュース)2024年5月4日
円安、超円安である。一時1ドル160円台に突入した。政府・日銀による為替介入の可能性も指摘されるが、それでも150円台で推移している。ゴールデンウィークとはいえこんな時期に海外旅行するのは大変である。日本から食材を買ってしのいでいるハワイ旅行の映像などを見るとなかなか涙ぐましいものがある。
さて、そんな円安の最中、このゴールデンウィーク期間中(4月27日~5月6日)に国会議員も海外へと渡っている。
岸田総理はフランスやブラジルなどを訪問
まず、岸田内閣からは14人が渡航している。岸田文雄総理が5月1日~6日の日程でフランス、ブラジル、パラグアイを訪問。フランス・パリでのOECD閣僚理事会や各国首脳との会談を行う。上川陽子外務大臣は同じくフランスを始め、マダガスカル、コートジボワール、ナイジェリア、スリランカ、ネパールと多彩。閣僚の場合、���記OECDの理事会があることに加え、国会日程の合間を縫って外交日程を組まざるを得ない事情もある。
自民党は4月28日の衆院補選で「3敗」したが、党内には岸田総理“お得意”の外交で支持率を少しでも上向きにできれば…との淡い期待もあるようだ。
GW中に登院できない議員はほとんどが自民党…萩生田、塩谷氏など「裏金」処分議員の名前も
一方で、そのほかの国会議員。GW中に国会へ登院できないという届け出をした衆議院議員はのべ34人。写真は4月25日付けの公報に掲載されたもの。衆議院の公報上ではこの期間に国会へ出られないということしか確認できないため、34人すべてが必ずしも海外渡航とは限らないのだが、政権中枢に近い木原誠二議員、ベテランの船田元議員、甘利明議員のほか渡海紀三朗政調会長の名前がある。なかには派閥の政治資金パーティーをめぐる「裏金」事件で、2728万円の不記載があった安倍派「5人衆」の1人、萩生田光一元政調会長や、安倍派の座長だった塩谷立議員の名前もある。パッと見ただけで自民党の議員が圧倒的に多いことがわかる。塩谷議員は処分を受けて離党し無所属となったが、あとは立憲民主党の中川正春議員を除くとすべて自民党所属で、たまたまかもしれないが公明や維新、共産の議員はいない。実に34人中32人が自民党だ。
「エッフェル塔」写真で物議の松川るい議員はGW期間中2回渡航
続いて参議院議員はのべ17人。参議院の場合、公報上に日程とともに渡航先、ごく簡単な目的も確認できる。こちらも安倍派に所属し「裏金」事件で問題となった議員がいる。政治資金収支報告書に2400万円の不記載があった山谷えり子議員(全国比例)はアメリカへ。876万円不記載の堀井巌議員(奈良選挙区)はグアテマラへ、306万円が未記載だった佐藤啓議員(奈良選挙区)は韓国へ、それぞれ渡航する。
また、去年夏、自民党女性局の研修で訪れたフランス・パリにあるエッフェル塔前で撮った写真がSNS投稿され、批判を受けた松川るい議員(大阪選挙区)はこの間2回渡航する。政治経済事情を視察するため前半の4月26日から6日間はオーストラリアへ、後半の5月2日から3日間は韓国へという予定だ。観光産業復興の状況視察のためタイへ赴くれいわの山本太郎議員、シンガポールで政治経済事情を視察する社民党の福島みずほ議員などもいるが、それでものべ17人中11人と多数を占めるのは自民党であった。
国民の目から見えにくい議員の渡航…その中身と費用の実態は?
そもそも国会議員の海外渡航はどういった手続きを経て行われるものなのか。衆議院事務局に問い合わせると、いまの通常国会など国会開会中は各議員が「請暇(せいか)」を届け出るのだという。聞きなれない言葉だが、暇(いとま)を請うという意味で一定の期間、国会へ登院がかなわないことを願い出るという主旨だそう。渡航の期間が7日以内の場合は議長の許可が、7日以上の場合は本会議での了承が必要だという。実際に海外へ渡航する場合、各議員は所属会派に請暇届と渡航計画書を出し、あらかじめ議会運営委員会の理事会で了解を得るのだという。
ただ、問題は、残念ながらこの海外渡航の中身やお金が一般には見えづらいことだ。例えば先日、自民党の麻生太郎副総裁はアメリカへ渡航した。4月22日からむこう4日間渡航するとの届を出して許可されている。たしかにこの事例などはアメリカのトランプ前大統領に面会するなどしたことがニュースとなり、何を目的に渡航したかは一般の方の目にも触れることとなった。
しかし、一方で多くの議員の場合、海外渡航の実態はなかなか見えない。事前に会派や議運に提出する「渡航計画書」なるものは非公開だ。また、あくまで議員個人の活動であるため、渡航後、国会などで活動報告が義務づけられてもいない。さらに、渡航費については各委員会や公式な議員派遣団とは異なるため予算がついておらず、各議員が処理する形で公表が義務付けられているわけではないため、どのように渡航費をねん出しているのかもわからない。毎年この時期に議員団として海外渡航し議員外交をしている例もあり、個々の議員がSNSなどで発信している例もあるのだろう。ただ、当方のようなメディアがよほど細かく各議員の活動をチェックし、渡航の中身や費用について問い合わせでもしない限り広く知られるところとはならないだろう。
国会議員たるもの海外で研鑽を積み議員交流を深めることは必要で、海外渡航すべてを否定するものではない。届や渡航計画書を出して議運の了解を得ての渡航だけに「旅行」ではないと信じたいが、あまりに議員の裁量と性善説にたった運用だとも感じる。Youは何しに海外へ。今後の議員活動や国会での質疑にどう生かされていくのか。連休明け以降の仕事でまた見ていきたい。(MBS東京報道部記者兼解説委員 大八木友之)
「行かないことが支援」善意の拡散が変質 能登にいま漂う空気は(朝日新聞 連載:増幅の先に 「みる・きく・はなす」はいま 第6回)2024年5月4日
「『みる・きく・はなす』はいま」は、1987年5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃され、記者が殺傷された事件をきっかけに始まりました。憎悪、差別、不寛容……。今回は、デジタル空間で増幅された感情が現実社会にもたらす影響を報告します。
元日の能登半島地震。二次災害の懸念があり、道路事情の問題もあって、報道機関もなかなか被災地に入れない。どこで何が起きているのか、情報は乏しかった。
翌2日、主に石川県のグルメ情報を発信していたX(旧ツイッター)のアカウントが呼びかけた。
「被災地にボランティアや支援物資を届けに行く人はちょっと待って! 先の熊本地震でも個人支援に起因した渋滞が問題になっていました」
何度か投稿するうち、語気は強まる。
「もういいや、はっきり言います。災害直後に一般車両が現地に乗り入れることは『本来助かるはずだった方の生命をみすみす失わせる行為』です」
瞬く間に拡散し、表示回数は1800万を超えた。
県も能登方面への外出自粛促す
県にも、渋滞の情報が次々と寄せられた。個人ボランティアの受け入れ態勢も整っていなかった。県や県警も3日以降、「能登方面への不要不急の車での外出は控えて」などと被災地入りの自粛を促すメッセージを出した。
「行かないことが支援」。そんな言葉が、SNSで広まっていった。
東京都内の自営業男性は4日、「やっぱりまだ早いかもな。状況見て考えたい」と投稿した。過去の災害でボランティアの経験があり、自身も被災地の力になりたいと考えたという。
1月6日からの3連休を控えた5日には、石川県知事の馳浩が「現在、個人のボランティアは受け付けておりません」と投稿。表示回数は3千万を超えた。都内の30代男性も5日、写真投稿サイト、インスタグラムのアカウントで「この三連休は絶対能登に行かない!」などと投稿した。被災した石川県七尾市の出身。「少しでもふるさとの役に立てればと思った」
だが、善意で拡散された呼びかけは、違った意味を持っていく。
「自粛の空気が続いたことはさみしい」
「正直邪魔だと思う」「無計画に現地入り」。災害救援のNPOに同行して3日から被災地に入ったジャーナリストの津田大介(50)は、SNS上で批判を受けた。被災地入りした政治家らも「炎上」した。
東日本大震災以来、何度も被災地を訪れ、ツイッターで発信もしてきたが、こんなことは初めてだった。昨夏から仕様が変わり、表示回数に応じて収益が入るようになったことで、扇動的な投稿で数字を稼ぐ人が増えた影響もあるとみる。
「ガソリンを現地で調達した」。事実ではないことも広まった。NPOに迷惑をかけないよう、5日になって、どんな準備をしてどうやって現地に入ったかをXで詳細に説明した。
地震発生直後に被災地入りしたNPO法人カタリバ(東京都)は、これまで8カ所の被災地で支援してきたノウハウ通り、自活できる道具を持って向かった。だが、5日夜、避難所の一角に子どもの居場所スペースをつくる活動についてネット上で報告すると、「ボランティアごっこしか出来ないゴミ」などとXに中傷の言葉が並び始めた。
4人の子がいる石川県七尾市の女性(43)は当時、SNSを見る余裕もなかった。避難所の一部屋で5日ごろから子どもを預かってもらい、炊き出しの手伝いや被災した家の片付けができた。津波から逃れた時のフラッシュバックが出た際は、専門スタッフから助言ももらった。「本当にありがたかった」
重機操作などの技術を持った職人らによるボランティアネットワーク「DRT JAPAN」の吉村誠司(58)は1月2日から被災地に入った。1995年の阪神・淡路大震災以降、数々の現場に赴いてきた。
活動に対し、ネット上では「自衛隊や警察、消防の邪魔をするな」という声もあった��いうが、被災地では一度も非難は受けなかったという。
行くべきか行くべきでないか。それぞれの人の状況も異なり、明確な正解があるとは思わない。ただ、能登では時間が経ってからも、経験や技術のある人たちが目立ち、これまでの被災地とは異なると感じた。
「技術や経験がなくても人の役に立ちたい。そう素直に思った人がなんとなく排除されてしまう、自粛してしまう空気が続いたことはさみしい」
悩み続けた自治体「難しかった」
石川県輪島市の自宅が地震で倒壊、火災で全焼した漆芸家の桐本滉平(31)は、3カ月近く過ぎても知人らから「手伝いに行きたいけど、迷惑になるからやめた方がいいかな?」と言われることがつらかったという。
「被災地でやれることは今もたくさんある。何より思いを寄せている人たちにいまの被災地の姿をみてほしい」。3月22日、「1月に『まだ能登に行くな!』とSNSで大拡散してくださっていたみなさま、もういつでも能登にいらして大丈夫ですよ」とXに投稿した。
県戦略広報課長の素都明子は「決して一律に支援を拒んだわけではなかったが、様々な組織や部署の要望を、短く明確なメッセージにするのは難しかった」と振り返る。得られる情報は限られ、刻々と変化した。いつ、誰に、どんな支援を求めるのか。それともまだ控えてもらうのか。悩み続けたという。=敬称略
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各地句会報
花鳥誌 令和6年4月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年1月6日 零の会 坊城俊樹選 特選句
ドッグラン鼻と鼻とで交はす賀詞 荘吉 裸木のはるかを白く光る街 要 頰切るは鷹の翔つ風かもしれず 順子 人波をこぼれながらの初詣 光子 焼芋の煙たなびく志んぐうばし 和子 群衆といふ一塊の淑気歩す 順子 寒雀神馬と分かちあふ日差し 光子 寒雀入れ神苑の日のたまり 同 寒の水明治の杜のまま映す 小鳥
岡田順子選 特選句
跼り清正の井を初鏡 昌文 本殿につぶやく寒紅をつけて 光子 楪の浴ぶる日我にゆづらるる 慶月 肺胞に沁み込んでゆく淑気かな 緋路 冬草や喧騒去りて井戸残し 眞理子 馬見えぬ乗馬倶楽部の六日かな 六甲 寒鯉来おのれの色の水を分け 緋路 寒椿落つれば湧くや清正井 眞理子 寒の水明治の杜のまま映す 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月6日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
一束もいらぬ楪もて遊ぶ 成子 深井より羅漢に供ふ冬の水 かおり 赤なまこ横目に買ひし青なまこ 久美子 畳みたるセーターの上に置くクルス かおり 再会のドアを開けばちやんちやん�� 朝子 半泣きのやうに崩るる雪兎 成子 火を見つめ男無口に薬喰 かおり 歳晩の一灯母を照らすため 朝子 悴みて蛇となる能の女かな 睦子 その中の手話の佳人やクリスマス 孝子 悪童に悲鳴をはなつ霜柱 睦子 凍空とおんなじ色のビルに棲み かおり かくも典雅に何某の裘 美穂 唐突に雪投げ合ひし下校の子 成子 楪や昔硝子の磨かれて かおり 奥伝の稽古御浚ひする霜夜 愛 出会ひ重ね寿限無寿限無と年惜む 美穂 冬灯一戸に遠き一戸あり 朝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月8日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
流れ来し葉屑も霜を置いてをり 昭子 御慶述ぶ老いも若きも晴れやかに みす枝 初春の光りまとひし石仏 ただし 神なびの雨光り落つ氷柱かな 時江 地震の中産声高き初笑ひ ただし 歌留多とり一瞬小町宙に舞ふ みす枝 まだ誰も踏まぬ雪道新聞来 ただし 奥の間に柿餅吊し賑はへり 時江 さびしさの枯野どこまで七尾線 昭子 万象の音の鎮もり除夜の鐘 時江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月9日 萩花鳥句会
初句会吾娘よりホ句のファクシミリ 祐子 書き初め震何んぞ訳あり辰に雨 健雄 吹雪突き突進するエネルギー 俊文 日本の平安祈る今朝の春 ゆかり こがらしが枯葉ころがしからからと 恒雄 平穏な土地にて食べる七草粥 吉之 御降や茶筅ふる音釜の音 美惠子
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令和5年1月10日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
被災地にすがりし木の芽盛んなる 世詩明 的中の乾いた響き弓始 誠 初場所の桟敷の席の晴れ着かな 同 初御空耶馬台国は何処にぞ 同 石段を袖振り上がる春著の子 同 細雪番傘粋に下駄姿 幸只
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月11日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
年上の夫に引かるる初詣 喜代子 地震起こり慌てふためく大旦 由季子 曇り拭き笑顔映りし初鏡 さとみ 地震の地にぢりぢり追る雪女 都 冴ゆる夜の天井の節をまじまじと 同 男衆が重き木戸引き蔵開き 同 寒月や剣となりて湾の上 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
海鳴や雪の砂丘は祈りめく 都 初電話卒寿は珠のごと笑ひ 同 針始友が未完のキルト刺す 同 授かりし神の詞や竜の玉 悦子 蜑に嫁し海山詠みて老いの春 すみ子 焚上げの火の粉��勢や冬銀河 宇太郎 古傷を思ひ出させて寒四郎 美智子 枯葦の透き間に光る水一途 佐代子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月12日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
寒の雨誦経とよもす陽子墓碑 文英 寒林を上り来よとて母の塔 千種 顔消えし元禄仏へ寒菊を 慶月 道祖神寄り添ふ寒の雨うけて 慶月 就中陽子の墓所の蕗の薹 幸風 裸婦像の背にたばしる寒の雨 同
栗林圭魚選 特選句
信州へ向かふ列車の二日かな 白陶 寒林を上り来よとて母の塔 千種 晴天の初富士を背に山降る 白陶 大寺の太き三椏花ざかり 幸風 空までも続く磴なり梅探る 久 はればれと良き顔ばかり初句会 三無 就中陽子の墓所の蕗の薹 幸風 五姉妹の炬燵の会議家処分 経彦 走らざる枯野の車両咆哮す 千種 凍蝶のポロリと落つる影哀れ れい 三椏の開花明日かと石の門 文英
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月13日 枡形句会(一月十三日) 栗林圭魚選 特選句
嗽ぐをどる喉越し寒の水 幸風 七福神ちらしの地図で詣でをり 多美女 七福神詣りしあとのおたのしみ 白陶 凍て鶴の青空渡る一文字 幸子 金継ぎの碗に白湯汲む女正月 美枝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月15日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
曇天に寒紅梅や凜と咲く のりこ 寒梅のつぼみの枝の陽の仄か 貴薫 青空に白き寒梅なほ白く 史空 朝の日に紅色極め寒椿 廸子 我が机散らかり初めし二日かな 和魚 倒れ込む走者にやさし二日かな 三無 釦穴に梃摺る指や悴かみて あき子 夢てふ字半紙はみ出す二日かな 美貴 二日早主婦は忙しく厨事 怜 りんご飴手に兄妹日向ぼこ 秋尚 雪遊びかじかむ手の子包む母 ことこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月16日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
幼子の運を担いで福引へ 実加 寒空や命尊きこと思ひ みえこ ことわざを子が覚えをりかるた取り 裕子 元旦の母と他愛もない話 同 元旦や地震の避難を聞くことに みえこ 初詣車椅子の児絵馬見上ぐ 実加
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
古里に温石と言ふ忘れ物 雪 師の墓に愛子の墓に冬の蝶 清女 寒の月見透かされたり胸の内 眞喜栄 鴨浮寝無言の中にある絆 同 降る雪を魔物と今朝を天仰ぐ 英美子 藪入りも姑の一言行けぬまま 同 庭仕事今日冬帝の機嫌よき かづを 玻璃越に霏々と追はるる寒さかな 同 正月が地獄の底に能登地震 みす枝 雪しまき町の点滅信号機 ただし お御籤の白き花咲く初詣 嘉和 若狭より繋がる水脤やお水取 やす香 水仙の香りて細き身の主張 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月17日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
寒紅の濃き唇が囁きし 世詩明 お雑煮の丸と四角と三角と 同 正月の馳走其々ある謂れ 千加江 新年の風も言の葉も美しく 和子 磯の香も菰巻きにして野水仙 泰俊 捨て舟を取り巻くやうに初氷 同 左義長や炎崩れて闇深し 同 去年今年形見の時計よく動く 同 ふと今も其の時のマフラーの色 雪 天地に誰憚からぬ寝正月 同 迷惑を承知の猫に御慶かな 同 不器用も父似の一つ初鏡 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月17日 鯖江花鳥句会(一月十七日) 坊城俊樹選 特選句
而して九十三の初鏡 雪 蛇穴に入り人の世は姦しく 同 紅を差し眉ととのへて近松忌 同 懐手おばあちやん子を憚らず 同 鬼つ子と云はれて老いて近松忌 同 着膨れて顔ちさき女どち 一涓 歌かるた子の得て手札取らずおく 昭子 年新たとは若き日の言葉とも やす香 新年を地震に人生うばはれし 同 元旦を震はせる能登竜頭めく 同 裂帛の気合を入れて寒みそぎ みす枝 風の神火の神乱舞どんど焼き ただし 八代亜紀聞きをり外は虎落笛 清女 寒怒濤東尋坊に砕け散り 同 波の腹見せて越前浪の華 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月19日 さきたま花鳥句会
月冴えて城址うろつく武者の翳 月惑 仲見世を出て蝋梅の香に佇てり 八草 枯菊や木乃伊の群の青き影 裕章 寒鴉千木の反り立つ一の宮 紀花 合掌す金波銀波の初日の出 孝江 青空に白き一機や寒紅梅 ふゆ子 初詣令和生まれの児と犬と ふじ穂 白鼻緒水仙の庫裏にそろへあり 康子 激震の恐れ記すや初日記 恵美子 お焚き上げ煙を浴びて厄払ひ 彩香 我が干支の年につくづく初鏡 みのり 家篭りしてをり冬芽萌えてをり 良江
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令和5年12月1月 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
師を越ゆる齢授かり初鏡 雪 初笑玉の如くに美しく 同 大晦の右大臣左大臣 同 猫の名は玉と答へて初笑 同 天が下縁深めゆく去年今年 数幸 能登の海揺るがし今日の空冴ゆる 和子 しろがねの波砕かれて冴え返り 笑子 語り継ぐ越前の秘話水仙花 同 雪降れば雪に従ふ越暮し 希子 皺の手にマニキュア今日は初句会 清女 初電話親子の黙を解きくれし 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
蟷螂を見て戻りたるだけのこと 雪 もて余す老に夜長と云ふ一つ 同 蟷螂の緑失せつゝ枯れんとす 同 小春日や袱紗の色は紫に 泰俊 正座して釜音聞くや十三夜 同 海沿ひにギターの調べ文化の日 千加江 枝折戸をぬけて紅さす返り花 笑子 祇王寺の悲恋の竹林小鳥来る 同 大胆な構図を取りし大銀杏 和子 宿の灯も消して無月の湖明り 匠 秋の海消えゆくものにますほ貝 天空 落葉降る賽の河原に降る如く 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
異ならず枯蟷螂も人老ゆも 雪 世の隅に蟷螂は枯れ人は老い 同 無造作に残菊と言ふ束ね様 同 冬ざれや汽車に乗る人何を見る 泰俊 石膏でかたまりし腕冬ざるる 和子 山眠る小動物も夢を見る 啓子 路地裏の染みたる暖簾おでん酒 笑子 冬ざれや路面電車の軋む音 希子 おでん屋の客の戯れ言聞き流し 同 風を背に連れておでんの客となり かづを にこにこと聞き役おでん屋の女将 同 冬紅葉地に華やぎを移したり 同 街師走見えざるものに背を押され 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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2023年の文化活動(一��)
昨年もたくさん行脚しました。特筆すべきはコロナ禍からの本格的な脱却、夏休みの北海道旅行、勤続30年目のリフレッシュ休暇で西日本周遊、だろうか。行きつけの美術館は展示替えの都度、再訪するルーチンが確立。思ってたよりコンサートにもたくさん行ってた(クラシック系が多い)。地方の美術館(県立レベルの)を攻略する楽しさを知ってしまったので、今年も隙を見て行ってみたい。
星野道夫 悠久の時を旅する@東京都写真美術館
プリピクテジャパンアワード@東京都写真美術館
野口里佳 不思議な力@東京都写真美術館
パリ・オペラ座─響き合う芸術の殿堂@アーティゾン美術館
ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台@東京都現代美術館
MOTコレクション コレクションを巻き戻す 2nd@東京都現代美術館
DOMANI・明日展 2022-23@国立新美術館
クリストとジャンヌ?クロード 包まれた凱旋門@21_21 DESIGN SIGHT
ハンドメイドジャパンフェス冬2023@東京ビッグサイト
室内楽・シリーズNo.22 デュオの世界 <チェロとピアノのための>@東京文化会館
驚異の声、驚異の言葉─未体験の音空間へようこそ!@横浜みなとみらいホール
Sit, Down. Sit Down Please, Sphinx.:泉太郎@東京オペラシティーアートギャラリー
3331によって、アートは『 』に変化した@3331 Arts Chiyoda
恵比寿映像祭2023@東京都写真美術館へ
同潤会アパート渋谷@白根記念渋谷郷土博物館・文学館
引き寄せられた気配@トーキョーアーツアンドスペース 本郷
東京都水道歴史館
開館60周年特別展「横山大観と川端龍子」@龍子記念館
0~8848M・地上の紋――中国空撮写真展@日中友好会館美術館
毎年恒例の岡本太郎現代芸術展@岡本太郎美術館
六本木クロッシング2022展:往来オーライ!@森美術館
わたしたちは生きている!セタビの森の動物たち@世田谷美術館
それぞれのふたり 萩原朔美と榎本了壱@世田谷美術館
平原まこと 50周年 メモリアルコンサート@東京国際フォーラムCホール
吉松隆オーケストラ傑作選 吉松隆の<英雄>@東京芸術
動物会議 緊急大集合!@ギンザ・グラフィック・ギャラリー
VOCA展2023@上野の森美術館へ
藤子不二雄のまんが道展@豊島区立トキワ荘マンガミュージアム
昭和レトロ館
ヴォクスマーナ 第49回定期演奏会@豊洲シビックセンターホール
第52回邦楽演奏会@国立劇場
ダムタイプ|2022: remap@アーティゾン美術館
アートを楽しむ 見る、感じる、学ぶ@アーティゾン美術館
画家の手紙@アーティゾン美術館
重要文化財の秘密@東京国立近代美術館
明治美術狂想曲@静嘉堂@丸の内
今井俊介 スカートと風景@東京オペラシティアートギャラリー
収蔵品展076 寺田コレクションハイライト(前期)@東京オペラシティアートギャラリー
ブルターニュの光と風@SOMPO美術館
情景の地 ブルターニュ モネ、ゴーガン、黒田清輝が見た異郷@国立西洋美術館
エドワード・ゴーリーを巡る旅@松濤美術館 応挙と蘆雪@東京黎明アートルーム
「ラ・フォルジュルネ2023」 公演番号:313止まらない!若き活力の横溢と抒情 公演番号:324大作曲家に楽器の制約ナシ!SAXカルテットによる名曲の解答
島じまん2023@竹芝桟橋
デザインフェスタ vol.57@東京ビッグサイト
東京みなと祭@東京国際クルーズターミナル
ルーヴル美術館展@国立新美術館
清澄庭園
大阪の日本画@東京ステーションギャラリー
第63回 海王祭@東京海洋大学 越中島キャンパス
マティス展@東京都美術館
都美セレクション グループ展 2023
夢と自然の探求者たち―19世紀幻想版画、シュルレアリスム、現代日本の作家まで@群馬県立館林美術館
原始神母 THE DARK SIDE OF THE MOON 50th ANNIVERSARY@日比谷公園大音楽堂
本橋成一とロベール・ドアノー 交差する物語@東京都写真美術館
TOPコレクション セレンディピティ 日常のなかの予期せぬ素敵な発見@東京都写真美術館
田沼武能 人間讃歌@東京都写真美術館
発掘・植竹邦良 ニッポンの戦後を映す夢想空間@府中市美術館
プレイプレイアート展@ワタリウム美術館
下町七夕まつり@かっぱ橋本通り
モネ・ルノワール 印象派の光@松岡美術館
フィンランド・グラスアート 輝きと彩りのモダンデザイン@東京都庭園美術館
川崎水族館
F.A.T.2023 Summer Concert FireBird & AzBand & TAKEBAN@月島社会教育会館ホール
山下清展 百年目の大回想@SOMPO美術館
ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ@アーティゾン美術館
野又 穫 Continuum 想像の語彙@東京オペラシティー アートギャラリー
没後10年 映画監督 大島渚@国立映画アーカイブ
熊谷守一美術館
三井高利と越後屋@三井記念美術館
北海道旅行 ファーム富田 旭山動物園
恋し、こがれたインドの染織@大倉集古館
ブラチスラバ世界絵本原画展@うらわ美術館
特別展 古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン@東京国立博物館
誰かのシステムがめぐる時@TOKAS本郷
東京大学総合研究博物館
第21回東京音楽コンクール(ピアノ部門)の本選@東京文化会館
テート美術館展@国立新美術館
ガウディとサクラダファミリア展@国立近代美術館
ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会@森美術館
コレクション展2023-3@青森県立美術館
大巻伸嗣 地平線のゆくえ@弘前れんが倉庫美術館
弘前昇天教会
旧五十九銀行本店本館(青森銀行記念館)
旧東奥義塾外人教師館
旧弘前市立図書館
山車展示館
弘前城
津軽藩ねぷた村
カトリック弘前教会
荒木珠奈 展@東京都美術館
ARTBAY TOKYO アートフェスティバル2023 CIRCULATION -ひともまちもせかいもめぐる‐@臨海副都心エリア
生誕140年 モーリス・ユトリロ展@横浜高島屋ギャラリー
全日本模型ホビーショー@東京ビッグサイト
デヴィッド・ホックニー展@東京都現代美術館
「あ、共感とかじゃなくて。」@東京都現代美術館
ステファン・サグマイスター ナウ・イズ・ベター@ギンザグラフィックギャラリー
福田美蘭 「美術ってなに?」展@名古屋美術館
生誕120年 安井仲治YASUI NAKAJI: PHOTOGRAPHS@愛知県美術館
フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築@豊田市美術館
漆の彩り・黒と金の幻想 - 高橋節郎@豊田市美術館(髙橋節郎館)
コレクション展 歿後20年 若林奮@豊田市美術館
2023年度 第2期 コレクション展@豊田市美術館
山田寅次郎展@ワタリウム美術館
Japan Mobility Show 2023@東京国際展示場
黒田記念館(特別室開室)
横尾忠則 寒山百得展@東京国立博物館
東京国立博物館の寒山拾得図
デザインフェスタ vol.58@東京ビッグサイト
永遠のローマ展@東京都美術館
上野アーティストプロジェクト2023 いのちをうつす ―菌類、植物、動物、人間@東京都美術館
動物園にて ―東京都コレクションを中心に@東京都美術館
第64回 日本版画会展@東京都美術館
「今こそ、ルーシー!」 ~LUCY IS HERE~@スヌーピーミュージアム
大原美術館
そして船は行く@高知県立美術館へ。
大塚国際美術館
コレクションハイライト@福岡市美術館
芥川龍之介と美の世界 二人の先達─夏目漱石、菅虎雄@久留米市美術館
遠距離現在 Universal / Remote@熊本市現代美術館
第3期コレクション展:宮崎県立美術館
MOTアニュアル2023 シナジー、創造と生成のあいだ@東京都現代美術館
MOTコレクション歩く、赴く、移動する 1923→2020 特集展示 横尾忠則―水のように 生誕100年 サム・フランシス
大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ@国立新美術館
第4回カルチャー芸術展@国立新美術館
第12回 躍動する現代作家展@国立新美術館
21世紀アートボーダレス展(2023)@国立新美術館
JAGDA国際学生ポスターアワード2023@国立新美術館
第63回全国矯正展@東京国際フォーラム
ゴッホと静物画―伝統と革新へ@SOMPO美術館
ピカレスク・ニュー展 Vol.8@ピカレスク
モネ 連作の情景@上野の森美術館
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随分と御無沙汰であった。前回は、日本への帰路はヘルシンキ経由だったが、なんだか、ぐったり疲れていて、NoaとIsabelとの旅行の後には、何も書いていなかったのか。。。と気付く。
七月中旬に帰国し、八月下旬に帰独。一ヶ月半滞在した日本は、異様に暑く。七月中旬まで、ドイツでもそれなりにバタバタしていたのもあり、帰国して立教や東大に行ったりとバタバタした後は、疲れて倒れていたように思う。山中湖は涼しく過ごしやすかったが、思わず何事にも全力投球して夢中になる私は、甥っ子と彼の犬、礼緒と過ごした後は、AI哲学研究会で東京に出た以外は、また山中湖で倒れてしまう。そして論文を書いた後も、ほぼ機能不全になっていた。母が付き添ってくれていたものの、疲れのせいか、体調不良のせいか、山中湖で倒れていた日々の記憶が断片的だ。
夏の成果は、オニヤンマを甥っ子と作って、石割山登山して、報湖祭の花火を見た事と、甥っ子滞在中に今学期の履修学生達の成績をつけた事。OISTの研究者に誘われた言語についての論文は、なんとか書き上げた事。また、五年目に入ったカスリス先生の日本哲学小史という大著の翻訳に、一応の目処を立てた事かな。そう。ハンブルグでは、日本の聖武天皇、聖徳太子の十七条憲法から鎌倉に至るまでの長い章を、ひたすら訳していた。帰国してからは、道元と西田を終わらせたかった。。。
言語についての拙論は、詰めが甘いようにも思うが、言語を使って考えるということはどういうことなのか。習慣的思考と言語の関係について、考えてみたかった。言語の限界が世界の限界といったヴィトゲンシュタインを研究した大森荘蔵が展開した、言霊論の重層性に関心を抱き、日本の近代言語学の祖でもありソシュール批判をした時枝誠記、Yale言語学のSapir-Worf仮説などや、現代のAIの祖を築くNorm Chomskyの生成文法を概観しつつ、彼らが言語の何を解き明かそうとしたのかをまとめた。空海の声字実相義やデリダのエクリチュールとパロールの問題にまでは展開できなかった。まぁ今後のネタの一つかな。言語を巡るアンソロジーにはなりそうだ。
先人達の試みを簡単にまとめると、言語を構造的とみたいのか、意味的とみたいのかの両極に別れる。言語の見方の差異を過去の研究者達を追うことで浮き彫りにした。両者のアプローチはスイングしつつ発展しゆく。ChatGPTで解明された事は、言語構造に偏り過ぎてもダメという言語の不思議を改めて確認した作業だったように思う。重層性が言語に内在するものであるならば、思考にも重層性が自ずとあるだろう。言語操作を通した概念操作でしか、人間が新しい発想を具体化できないのであれば、言語の貧弱は思考や発想の貧困化を表す。
どおりで、現代日本社会の言説は陳腐。知識層を自認する者たちは、目立つ奇抜な論を展開し、適当に和製英語を散りばめて煙に巻く事を好み、そして大衆も、そうした陳腐を好む。今年は高校野球は塾高大活躍だったが、彼らへの妬みや誹りもひどいものだ。桐蔭、智弁、日大や早稲田なら良いのに、何故、慶應義塾だと叩くのか。若き血の応援スタイルが無いからって、やっかみも甚だしい。伝統は一日にして作れるものではない。昨今の言論分野を見ても、高校野球を見ても、福沢諭吉の次の言葉を沁み沁み思う。曰く、愚民の上に辛き政治あり。批判ポイントの論点がズレているところで批判されても、相手をするだけ無駄だ。多様性の時代、画一的な価値観の押し付け合いは、ますます無駄になっていくだろう。
上げ足を取られないように、馬鹿な癖に言いがかりをつけてくる相手をひたすら尊重し、口先だけに理解を示す戦法しか無いのが、現代のリベラリズムだ。つまり、永遠に平行線でいきましょうという態度だ。子供に意見を求めて、心の中で子供の意見を馬鹿にしている癖に、子供の意見に理解を示すエセ教育の結果でもある。馬鹿な大人に育ち上がった元子供たちは、自分の吐く意見がどれだけ適切なものか省みる能力が無い大人になっただけ。道理で言論がどんどん陳腐になる。
9月末までに、まだまだ3本ほど論文の締め切りを抱えているが、その内の一本は熊沢蕃山という江戸前期の陽明学者。神道と儒教の融合を体現すべく実践を重んじた儒学者。幕末水戸学は熊沢蕃山から多くのヒントを得ているだろうが、彼らが重視したのは朱子学。陽明学の実践的なものといえば、私のYaleでの恩師Tucker先生がコロンビアで研究していた貝原益軒。いずれ、実践的儒教と、仏教、神道の相互浸透性について、何か考えることができればと思っている。
しかし、今の時代は、蕃山のような混ぜこぜの良いとこ取りを理論体系が無いとして取り上げない。南方熊楠があまり評価されていないのと同じだ。西田と何が違うのか。私には、世俗的権威主義しか感じられない。在野した者は評価に値せず、新井白石や西田みたいに時の権力の傍にいた者が、それだけで評価されているのか。疑問はつきない。つまり、容易な事を難解に言った者は勝という権威主義と、民衆に交じり実践を重んじた者、在野主義は無視されるという、そういう構造なのだと思う。兎に角、他人から尊敬され、立派だと言われたかった人々だけが異様に注目されているだけのようだ。
バカが東大でハダカ踊りしていても、東大だから許される。むしろ東大の癖に凄いと尊敬されたりする。それなのに、日大でハダカ踊りしても、別に誰からも良い意味では注目されず、返って、世間を騒がせたと謝罪させられる。こういう民衆の意識構造とは何か。これこそ、ポランニーの群集心理を再度、再読する必要を感じさせる事態だ。ファシズムを回避するための活発な言説は、返って、新たなファシズムを助長しているというパラドクスなのだから。
。。。とつらつら、ヘルシンキ空港のラウンジで思いを馳せる。ヘルシンキ経由にして良かった。ロンドンは管制塔コンピュータの故障で混乱の極みらしく、多くの客がヘルシンキ経由を利用している。BAとのコードシェア便だから。来月のアイルランド、エディンバラ行きは、都度、ロンドン経由なんだけどなぁ。。。そして、日本も、今は先人達のお陰様でなんとか頑張っているけれど、今から十年も経たない間に、インフラが崩壊していくんだろうな。
若い人々を教えるようになって、六年目。今夏、コロナ前に教えた、顔に見覚えのある学生さんが、社会人になって働いているレストランで偶然再会した。彼女は私にとってはいつまでも二年生。真面目な頑張り屋さんだった学生。バイトなの?って聞いた私も不用意だったが、就職したんですと教えてもらい、大きくなったんだなぁと感慨深かった。彼女は地味で、しっかりと社会を支える小さき市井の人々の代表のような方。
丸山眞男が重視した、市井の小さき人々が、これからますます、踏ん張らされていく。日本の衰退は著しい。一億総中流を実現し、八割型の国民は、現状に満足しきっているのだろう。勉強しなくても、なんとか食っていける。向上心なんて、そんなもん無くったってなんとかなる時代だ。夢を語るだけで尊敬され、夢が無い事を嘆き、夢を追いかけなくても、口先だけで夢を語れば許され、夢がある事を異様に褒める時代だ。つまり、夢なんか抱かない位、満たされている時代という事だ。失われた三十年は、成長していない事ばかりが注目されるが、底上げが浸透し、高卒は当たり前、大卒も普通になった底上げバブル時代の継続でもある。必死に生きる事なんて、命を繋いで生きるなんて事、とっくに忘却されているのだ。そんな時代に、真剣になれ、とか責任をもって、なんて多くの人にとって、白々しくしか聞こえないのだろう。
残念ながら身体が弱い私は、思うように身体を使えない。そして悔し涙ばかりする。身体の弱さ売りをしてサボる怠惰な人々と私の間にあるのは、元気だったらあーしたいこ~したいという気の焦りと苛立ちだけなのだろう。自分が動きたいほどには動けない時、私は苛立つ。苛立たず怠惰にできる人はサボっているんだなぁって思う。でも、他人は他人。私にできるのは、私も私なりに微力ながらに懸命に生きている不器用でブザマな姿を、見せ続ける事だけかもしれない。そこから、私の破天荒さに勇気を貰えたって同僚から言ってもらえたり、先生の授業楽しかったって振り返ってくれる学生がいるから。他者あっての私。お陰様で、ヘルシンキまで辿り着いています。
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#7 エフェソス遺跡ガイド
こんにちは、カサダニアンです。 夜行バスでギョレメからセルチュクへ移動お疲れ様です。 セルチュクの朝はどうでしょう。 早めのランチでゆっくりした後、今日は忙しい1日です。 頑張っていきましょう。 この記事では、エフェソス遺跡の見どころについて紹介します。
〇エフェソス遺跡までの移動
エフェソス遺跡までは歩いて40分ほどかかるので、ミニバスで移動しましょう。
ミニバス(ドルムシュ)乗り場を見つけて、エフェソスへ移動しましょう。
〇エフェソス遺跡とは
・入場料120トルコリラ
エフェソス(エフェソ)は、トルコにある古代都市です。
現在もその遺跡が良好な保存状態で残されており、2015年にはユネスコ世界遺産に登録されました。
エフェソスでは、世界七不思議のひとつであるアルテミス神殿、聖母マリアの家(遠いので行けないと思う)、世界三大図書館に数えられるセルシウス(ケルスス)図書館など、ヘレニズム時代・ローマ帝国時代・初期キリスト教時代の貴重な遺跡を数多く見ることができます。
ローマ帝国時代には、かの有名なアントニウスとクレオパトラも滞在し、古代ローマ帝国では貿易の要衝となり、初期キリスト教時代の教会会議や公会議が幾度も行われるなど、歴史的にも重要な意義を持つエフェソス遺跡には、世界中から多くの観光客が訪れます。
〇ギリシャ神話「狩猟・貞潔・月の女神アルテミス」
「エフェソスのアルテミス」として知られるギリシャ神話の女神像は、紀元前7000年、祈りの対象としてチャタルホユック人の手により誕生しました。
女性の豊潤さを極端に強調した形が採られた女神は、長い間、人々の上に君臨することになります。
彼女は全ての母であり、支配者であり、何よりも力強く、アナトリアの隅々からエフェソスを経由して、メソポタミア、エジプト、アラビア、更にはスカンジナビアの地方までに多大な影響を与えました。
何千年もの展開を見た後、女神はエフェソスのアルテミスと呼ばれるようになったわけです。
敬意を表して造られたアルテミスの神殿は、過去から残った最も重要な宝であるとされており、その周辺に位置したエフェソスは、文化的・社会的観点からして、文明発生地として認められていました。
エフェソスに関する情報は、古代の学者の著書や、発掘によって出土された何千もの碑文、その他の考古学的発見物によって得ることが可能ですが、その設立については、まだ充分解明がされていません。
古代の有名な学者ストラボンとパウサニアスは、エフェソスの設立者はアマゾネスで、カリア族とレレグ族が主な民族であったとしています。
【ギリシャ神話についてもっと詳しく】
〇キリスト教とも深いつながり
エフェソスには早くからキリスト教が入ってきており、聖ヨハネの教会、聖母マリアの家など初期キリスト教の貴重な遺跡も多く見ることができます。
新約聖書には、「エフェソの信徒への手紙」という一書があります。
54年の初夏、「人の手によって作り出された神は、もはや神ではない」と説く聖パウロに対して、銀細工師ディミトリウスに扇動された何千ものエフェソス人達は口々に「エフェソスのアルテミス万歳、偉大なアルテミス万歳」と叫びながら大劇場に押し寄せ始めました。
2時間にも及ぶ民衆の叫びを前にして、白い法衣に身を包み、片手にしゃくを持った聖パウロも、これを鎮圧するには力及ばず、数人の信者の助けによって、命からがらその場を後にするのがやっとであったそうです。
この出来事は、都市の発見者アンドロクロスがこの町にやって来た日、リディア人やペルシア人の最初の侵入、この地を襲った17年、355年、365年、そして368年の地震、さらに431年に開催されたキリスト教審議会などと同様、エフェソスの歴史上の重要事項に新しい1ページを加える結果となったのです。
しかし、空を震わす勢いのアルテミスへの賛歌は、実際、7,000年生き続けたエフェソス人の尊い女神の臨終の一息でもありました。
〇アルテミス神殿跡
豊穣の女神『アルテミス』を奉った総大理石の神殿は、紀元前7世紀~紀元3世紀頃に実際に存在していました。
高さ19m、直径1.2mの円柱が127本、建築期間は約120年という驚異の神殿。 パルテノン神殿を凌ぐ程の規模だったと言われており、現在は跡地に柱だけ復元されている状態です。
���ルテミス神殿は、長い歴史の中で放火も含め何度も破壊と再建を繰り返しました。
最終的にはゴート人の侵略、キリスト教徒により破壊されたままとなりました。
尚、神殿跡の近くにあるエフェス考古学博物館には「エフェソスのアルテミス」という像があります。
〇 世界七不思議
実は、『アルテミス神殿』は【世界七不思議】のうちの1つとして知られています。
古代ギリシャの数学者で旅行家だったビザンチウムのフィロンが紀元前2世紀に「世界の七つの景観」という本を書きました。
【世界七不思議】とは、その中で紹介した古代の地中海地方に存在していた7つの巨大建造物を指しています。
「驚くべき、称賛すべきもの」を意味しており、「当時の技術では考えられないほど革新的で巨大な建造物7選」というニュアンスのようです。
≪世界七不思議リスト≫
〇ギザの大ピラミッド
現エジプト・ギザ/現存
〇バビロンの空中庭園
現イラク・ヒッラ(古代バビロン)/痕跡なし
〇エフェソスのアルテミス神殿
現トルコ・エフェス/ごくわずか現存
〇オリンピアのゼ���ス像
現ギリシャ・オリンピア/痕跡なし
〇ハリカルナッソスのマウソロス霊廟
現トルコ・ボドルム/ごくわずか現存
〇ロドス島の巨像
現ギリシャ・ロードス/痕跡なし
〇アレクサンドリアの大灯台
現エジプト・アレクサンドリア/痕跡なし
〇エフェソス遺跡の見どころ
エフェソス遺跡の見どころについて解説していきます。
〇マグネシア門(上門)
現在のエフェソス遺跡の上の東側入口より400m程外側にあります。
防壁が張り巡らされていたエフェソスには3か所から入ることができました。一つは海からの港、二つ目は北側のスタジアムの横のコレッソス門、そしてもう一が東側のマグネシア門です。
紀元前3世紀頃に造られた凱旋門で、ドーリア式の3.7mの幅で2段、3つのアーチのある作りだったと思われ、門の町側にはほぼ正方形の中庭があったとされています。
紀元前129年からのローマの支配下では戦略的重要性が失われ、真ん中のアーチの両側に小さな二つのアーチが増設されました。
歩行者は小さな門から、騎馬と戦車は大きい中央のアーチを通ったと言います。
ローマ皇帝ヴェスパスィアヌスの治世に門の名は“名誉の門”と改名されました。
〇 バリウスの浴場
バリウスの浴場は1929年から1979年の間に断続的に発掘が行なわれましたが、未だ完全で事業の終結を見られずにいます。
建物はプナール山の裾野に広がる平地に造られた為、山側の自然に削られて滑らかになった岩肌を壁として使用していたのです。
ほとんど全てのローマ浴場に見られる様にバリウスの浴場もフリジダリウム(冷水浴室)、テピダリウム(ぬるま湯用)、カルダリウム(熱い湯)の施設の他、かなり広めの付属の部屋から構成されています。
壁は大きめのブロック造りで、屋根は煉瓦を用いてアーチ形に設計されています。建物の南手にはトイレも設置されていたようです。
建物はローマ時代の様々な時期、そしてビザンチン時代に修繕と改築が施され、増築も行なわれています。
南に位置するモザイク装飾の見られる5世紀の建物はこれらの例として挙げることができます。
ある碑文によれば、フラビウスとその妻は浴場の広間を建設する為に融資していたとされています。
〇 公立アゴラ(上アゴラ)
皇帝アウグストゥスにより1世紀初頭に造られたアゴラは、公的な会議や証券取引等が行われたところです。
町の行政の中心地でした。
160×58mの広さで三方を柱のあるギャラリーで囲まれ、西側には無数のモニュメントが並んで立てかけられた切石の壁に囲まれていました。
〇オデオン/ブーレ��テリオン
エフェソスでは、二院制が行われており、その内の上院が議論の場として使っていたのがこのオデオンです。
2世紀にエフェソスの裕福な市民プブリウス・ヴェディウス・アントニウスとその妻のフラヴィア・パイアナの命によって造られたと言います。
当時は木製の屋根付きで舞台がある1400人収容の小さな劇場型の議事堂で、ここで市内の重要な決定ごとや行政に関して話し合われていました。
また、会議だけでなくコンサートなど劇場としても使われていたようです。
〇プリタネイオン
宗教的な儀式、公式のレセプション、宴会が行われたのがこのプリタネイオンでした。
一番大きな役目は、エフェソスの町の永遠を象徴する神聖な炎がこの儀式部屋の中央で絶えず灯されていたことです。
このため、プリタネイオンはこの都市でアルテミス神殿の次に神聖な場所でした。
現在、床の赤く色づいた場所が炎があった場所です。
この儀式部屋の周りには神々と皇帝たちの像が並べられていたと言い、ここで発見された二体のアルテミス神像はエフェソス博物館に所蔵されています。
隣の建物は、迎賓のために使われていました。
この建物自体は紀元前3世紀のリュシマコスの治世中に建てられましたが、複合施設はアウグストゥス帝の時代に完成しています。
〇ポリオの泉
公立アゴラの南側下、オデオンの向かい側にあるのが、97年に裕福なエフェソス人C.S.ポリオとその家族により造られた泉です。
市の公共の泉でしたので、無料で水を使用できました。
42㎞の距離のクシャダスのケンケリオス、15㎞の距離のマルナスのチャムルク村の小川、20㎞の距離のカイストロス川(現キュチュック・メンデレス川)、この3つの水源から水道橋を通ってエフェソスのこの泉に水がもたらされていました。
そしてここから土管の排水システムによって水が分配されていました。
〇ドミティアヌス神殿
トラヤヌスの泉の前にあるのが、エフェソス都市の中で一番大きな建物の一つであるドミティアヌス神殿です。
現在は基礎部分しか残っていませんが、23×34mの6段の下部構造の上に建てられた神殿には8×13本の柱があったと言います。
皇帝ドミティアヌスに奉納する為に89~90年頃造られました。
しかし、彼は暴君だったことで死後に“記憶の破壊”に処されましたので、ドミティアヌス個人ではなく彼の家族フラウィウス家へ捧げられたという経緯があります。
ドミティアヌスの石像は頭部と一本の腕が残っているのみです。
〇ヘラクレス門(ニケのレリーフ)
クレテス通りの一番上にあるのが、ライオンの毛皮を纏ったヘラクレスのレリーフが印象的な2本の柱が残る門です。
この門により上の行政の地域と下の市民の地域に実質的に分けられていました。
元々は別の場所にあったこの門を4世紀後半に現在の場所に移したとされており、レリーフ自体の年代は2世紀の物とされています。
因みに、この狭い門によって車両の交通が妨げられて、4世紀以降この通りは歩行者専用になったようです。
ヘラクレス門のすぐ上のドミティアヌス広場にある、勝利の女神ニケの飛んでいる姿が彫られた三角形のレリーフは、このヘラクレス門の上部を飾っていたもので、4世紀前半に造られたとみられています。
ちなみに、勝利の女神ニケはあのナイキのロゴの由来となっている女神でもあります。
〇クレテス通り
エフェソスの三大通りの一つで、エフェソスの町の真ん中をヘラクレス門(上)からケルスス図書館(下)まで突っ切っているメイン通りです。
大きな石畳が伸びていてエフェソス遺跡を一望できる道でもあります。
クレテスはギリシャ神話の神霊ですが、後にエフェソスでクレテスと呼ばれた聖職者にちなんでこの名が付けられたと言います。
大理石と一部石畳で覆われている道の下には、下水路、飲料水路、温暖パイプが巡らされています。
〇トラヤヌスの泉
クレテス通りに面して建つ2階建てのこの建物は、102~114年にティベリウス・クラウディウス・アリスティオンとその妻によって女神アルテミスと皇帝トラヤヌスに捧げる為に作られた泉です。
エフェソス遺跡の中で最も素晴らしいモニュメントの一つです。
20×10mの泉の3面を9.5mの柱と彫像が並んだ2階建ての外壁が囲み、水が注がれる泉の真ん中には地球を踏んでいるトラヤヌスの足を乗せた台座があります。
ここで見つかった外壁のギリシャ神話の神々や皇帝家族の彫像は現在エフェソス博物館に収蔵されています。
〇丘の上の邸宅(テラスハウス)
クレテス通りを下っていき左側、ハドリアヌス神殿の向かい側にて坂を利用して幾つかの邸宅が段々に作られています。
3000平方メートルの広さの中に3つのテラスがあり、6軒の家がそれぞれくっついた形で建てられており、一番古い家は紀元前1世紀のもので、これらはローマ人の裕福な家族によって7世紀まで使われていたと考えられています。
この家々の中央には中庭があり、二階建ての家の床には素晴らしいモザイク、壁にはフレスコ画が残っています。
また、お風呂や暖房システムが備わっているなど、当時の裕福な家庭の暮らしを鮮明に見ることができます。
1960年より始まった発掘は現在も続けられており、上部は屋根で覆われ、ちょっとした博物館のようになっております。遺跡とは別料金となりますが、一見の価値はあるので是非見学してみてください。
〇スコラスティカ浴場
紀元前1世紀に作られ、4世紀に富豪でクリスチャンの女性スコラスティカによって再建された浴場です。
元々は3階建てで、クレテス通りからと脇道からの二つの入口を持ち、1階が入口から順に脱衣所、プールのある冷却部屋、リラックスできる温かい部屋、最後が発達した暖房システムが供えられたホットルームがあり、2階はマッサージやセラピーやスクラブのために使われていたと言います。
〇ハドリアヌス神殿
皇帝ハドリアヌスに捧げる為に造られた小さな神殿の様な記念碑で、大変状態良く残っています。
コリント式の神殿の入口上部のフリーズには、エフェソス創設の伝説が刻まれています。
ちなみに、この神殿はケルスス図書館と共に、2001年から2009年までトルコのお札の裏に描かれていました。
〇公衆トイレ
スコラスティカ浴場の一部にあるのが古代の公衆トイレです。
三方の壁に大理石でコの字型に作られたベンチには、一定間隔でいくつも穴が開いており仕切りはありません。
ここに市民は横並びに座って用を足していました。
富裕層の市民は、寒い季節は先に使用人に座らせて大理石の便器を温めさせてから座ったそうです。
下水道も完備されており、汚物は便座の下を通る流水で流されていました。
また、便座の前には水路があって、用を足した後は海綿が先に付いた棒でお尻を洗い、前の水路の水で海綿を洗ったそうです。
ちなみにこの海綿のお尻洗い棒は共有で使われていたようです。
トイレ部屋の地中央にはプール、床にはモザイクが施してあるなど当時はとっても優雅だったことがうかがえます。
ローマ人にとってトイレは用を足しながら語り合う社交場でもあったのです。
〇ケルスス図書館
エフェソス遺跡の目玉が、106年に死去したエフェソス知事ケルススのために、息子ガイウスが墓碑として作らせた2階建てのケルスス図書館です。
古代世界の三大図書館の一つで、アレクサンドリアとペルガモンに次ぎ3番目に大きな図書館でした。
当時は1万4千冊が収容されていたと言います。
ケルススのお墓は図書館の西壁の下にあり、この図書館で発見されたケルススの銅像は、現在イスタンブール考古学博物館で展示されています。
〇セラピス神殿
エフェソス遺跡の中で最も変わっているのが、ケルスス図書館の裏にあるセラピス神殿です。
138~192年頃のローマ五賢帝時代の建築装飾が施されている建物の破片があり、発掘の際に発見されたエジプト花崗岩の像と碑文により、この神殿はセラピス信仰者に捧げられた神殿とみられ、そこからセラピス神殿と呼ばれるようになりました。
なお、キリスト教時代には神殿は教会へと変えられています。
〇エフェソス大劇場(円形劇場)
大理石通りの終わり、パナユル山の斜面を利用して作られているのが、遺跡の中でも最も壮大な大劇場です。
ステージはなんと18メートルの高さで、観客席には2万4千人収容でき、古代アナトリア世界で最大の野外劇場とも言われています。
コンサートや演劇だけでなく、宗教的、政治的、哲学的な討論の場として、また剣闘士と野獣の戦いなどにも使われていました。
リュシマコスの時代に造られたこの大劇場は、皇帝クラウディウスの治世31~42年の間に完成までに70年かかる大規模な増築改修工事が始められました。
ちなみに、あの聖パウロがエフェソスを訪れた際にこの工事が行われていたと言われ、聖パウロはここで宣教の演説をした際、エフェソス市民の反乱に遭ったため、エフェソスから離れざるをえなくなったと聖書で触れられています。
【参考ブログ】
以上、エフェソス遺跡について簡単ですがまとめました。
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国際派日本人養成講座
No.1136 終戦直前、日本は原爆実験に成功していた
http://blog.jog-net.jp/201910/article_5.html
2019/10/20 06:35
日本の原爆実験成功は現代の我々にとって、何を意味するのか?
■転送歓迎■ R01.10.20 ■ 50,273 Copies ■ 6,760,888Views■
__________
■『世界が称賛する 日本人が知らない日本 2「和の国」という"根っこ"』
育鵬社刊、¥1,650(税込み) Kindle版も発売中
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594083250/japanonthegl0-22/
(発売日10/9時点 アマゾン日本論2位、総合59位)
本著は日本の国柄を「和の国」ととらえ、それがどのような「根っこ」から生じ、成長していったのか、をたどった本です。
この「根っこ」をさらに太く深くすることが、現在の我が国の危機克服とさらなる発展につながると考えております。
■令和日本が根ざすべき「和の国」の「根っこ」はこうして生まれ、育った
・1万年以上も続いた、戦争も環境破壊もない縄文時代
・「和の国」実現のための三大原則を示した三種の神器
・「和の国」を作ろうと呼びかけた神武天皇の即位宣言
・全国で16万基もの古墳を造築した「和」のパワー
・天皇から少年兵士まで真心を通わせる和歌
・心を開いて語り合えば道理が通って「和」に達すると説いた聖徳太子の十七条憲法
・西洋人たちに感銘を与えた幕末の「和の国」の民の幸福
・「衆議公論」による和の民主主義を目指した五箇条の御誓文
・まずは家庭内の「和」から始める事を説いた教育勅語
・皇室の無私の祈りが「和」の心で国民を統合する
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■1.米政府の機密文書から明らかになった日本の原爆開発成功
第二次大戦終了直後に、米国の情報機関に衝撃的な情報がもたらされた。1945(昭和20)年8月12日、すなわち日本が降伏するわずか3日前に、朝鮮北部の興南(半島の付け根の日本海側)で原子爆弾の爆発実験に成功していた、というのである。
この情報は、CIA分析官トニー・トルバをリーダーとする8人からなる米・国防総省のチーム、およびその後に設立されたもう一つの別の政府調査機関による機密文書の調査で検証され、さらに多くの事実との突き合わせが行われた。
ロバート・ウィルコックスによる『成功していた日本の原爆実験』[1]は、彼の長年の研究に、新たに公開された機密文書の内容を加えて出版された書籍である。それを一般読者向けにダイジェスト版としたのが、『世界が隠蔽した日本の核実験』[2]だ。
本編では後者を参照しつつ、日本の原爆開発がどのように進められ、それが現代の我々にとってどのような意味を持つのか、考えて見よう。
■2.日本の核物理学者たちの研究は「米側と並んで走っていた」
戦時中の日本で原爆が開���されていたと言うと、「そんなバカな」と思う人がほとんどだろう。アメリカの科学技術は群を抜いており、日本が零戦や戦艦大和のような通常兵器はともかく、核開発のような最先端技術をもっていたはずはない、という先入観が一般的だ。
実は、米国のある科学史専門家は、1940年当時の日本の核物理学者たちの研究は「米側と並んで走っていた」と評価している。それを裏付ける明白な史実がある。敗戦のわずか4年後に理論物理学者の湯川秀樹・京都帝国大学教授が日本人として最初のノーベル賞を受賞した事だ。湯川教授も原爆開発に参加していた。
原爆開発の初期のリーダーだった核物理学者の仁科芳雄は、8年間ヨーロッパに滞在して、アルバート・アインシュタインや量子論の育ての親ニールス・ボーアと親交を結び、昭和10(1935)年に日本で最初のサイクロトロン(核粒子加速装置)を開発している。昭和40(1965)年にノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎も、仁科の門下生である。
仁科は真珠湾攻撃の報に接して「この国にとり、米国に対して戦争に突入することほど愚かなことはない」と言っていたが、「すでに戦争に入ったのだから、どうしようもない。・・・いかなる場合においても、我々は祖国のために全力を尽くすべきだ」と語っている。[2, p66]
陸軍の原爆開発計画は、仁科の名をとって、「ニ計画」と呼ばれたが、空襲による研究開発設備の破壊などにより、昭和20(1945)年春には正式に中止された。その成果を引き継いだのが、その3年前に本格化していた海軍の「F計画」であった。中心となった京都帝国大学の荒勝文策も、ベルリン大学でアインシュタインの下で学んでいた。
アメリカでは、アインシュタインがフランクリン・ルーズベルト大統領に書簡を送って、原爆開発を促していた。開発の中心となった人物「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーはニールス・ボーア門下のユダヤ人学者だった。日米とも原爆開発はヨーロッパで核物理学を学んだ人々によって主導されていたのである。
■3.洞窟内の武器組立工場に「放射能に注意」
「F計画」で空襲の危険に晒されていた日本本土に代わって、原爆開発の土地に選ばれたのが、朝鮮北部の興南であった。
ここには東洋一の規模とされた日本窒素の産業施設があった。そして、鴨緑江とその支流に設けられたダムにより、豊富な電力が供給された。日本本土の全体の発電能力が3百万キロワットだった時に、この地域だけで1百万キロワットの電力供給をしていた。また朝鮮北部には豊富な鉱物資源があり、ウラニウムも採取できた。
トルバの後で、日本の核開発を調査したもう一つの機関の中心人物、元空軍の画像分析・核兵器検知の専門官だったドワイト・ライダーは、現地の航空写真で、日本式のH型の鉄塔に支持された6万6千ボルトの高圧送電線が洞窟の中に引き込まれていることを発見した。
その地は朝鮮戦争中に米軍と中国人民解放軍が激戦を繰り広げてり、米軍は撤退時に巨大な洞窟内の武器組立工場を発見していた。内部に500メートル以上の長いトンネルがあることを確認しており、そこには「放射能に注意」という警告が貼られていた。
近くの清津は日本の主要な軍事基地であり、周辺の鉱山とともに「朝鮮の鉄と鉄鋼の中心地」だった。ライダーはこう述べている。
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第二次大戦中、清津のみで、ウラニウムの濃縮、先進的なウラニウムの製粉設備、電池、原子炉などの建設に必要な、すべての施設、設備と能力を持っていた。清津はそれらの業務に必要とされた、鉄鋼、コンクリート、電子装置、電力を保有していた。[2, p184]
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■4.「成層圏にまで達するきのこ雲になった」
昭和20(1945)年8月6日、米国は広島に原爆を投下し、一般市民も含めた無差別大量虐殺を行った。9日には長崎にも投下。日本の原爆実験はその3日後の12日だった。米軍にもたらされた、ある日本人の証言は、次のようなものだった。
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8月12日の明け方、ロボット式(弊誌注:無人という意味だろう)のボートがポンポンと音を立て錨の周りの船の間を抜けて、小島に達した。ボートにのっていたのは「原子爆弾」だった。・・・
日本がある、東の方が明るくなり、ますます輝きを増した。その瞬間、海の向こうに太陽は顔を覗かせていたものの、爆発的閃光が投錨地に照り輝き、溶接工用のめがねをかけていた観察者が盲目になった。火球の直径は1,000ヤード(弊誌注:約900メートル)と見積もられた。様々の色をした蒸気雲が天空に立ち上り、成層圏にまで達するきのこ雲になった。
激しい水と蒸気によりかき回され、爆発点の真下にあった船は見えなくなった。錨の周りの外周にいた船やジャンクは激しく燃え上がった。大気がわずかに晴れ渡ったとき、観測者たちは5~6隻の艦艇が消えて無くなっているのに気付いた。[2, p43]
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この「爆発」が核爆発ではなく、通常の火薬かジェット燃料の爆発だったという見方がある。核爆弾なら火球の半径よりも、破壊半径の方が広いはずなのに、ほぼ同じ大きさであることがその理由とされている。
しかし、この翌年ビキニ環礁で行われた世界最初の浅海での核爆発実験では、火の玉はすぐに消え、水蒸気による凝縮雲ができた。興南の実験では、この凝縮雲を火の玉と誤認したとすると、1,000ヤードという直径は過大だったとは言えない。
またビキニ環礁の実験では、爆発で巻き上げられた水と珊瑚礁が水面に落下して、キノコ雲の円柱底部を覆う巨大なナイアガラの滝のような現象が確認された。興南の実験でも同様の現象が言及されている。
すなわち、米側がビキニ環礁で初めて知った浅海での爆発現象が、その前の興南の実験で伝えられているのである。これは興南の実験が作り話ではない事を示す有力な根拠である。
ビキニ環礁での原爆実験
■5.「人類の文明をも破滅させる」
この3日後の8月15日に昭和天皇が「終戦の詔書」を発せられた。そこには原爆を「残虐ナル爆弾」として非難されているが、実はその後に謎の一節が続く。詔書のこの部分は以下の如くである。
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敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ 頻(しきり)ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ(ぶ)所 真ニ測ルヘカラサルニ至ル 而(しかも)モ尚(なお)交戦ヲ継続セムカ 終(つい)ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス 延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ。
(現代語訳)敵は新たに残虐な爆弾を使用して、多くの罪なき民を殺傷しており、惨害がどこまで及ぶかは実に測り知れない事態となった。しかもなお交戦を続ければ、我が民族の滅亡をきたすのみならず、ひいては人類の文明をも破滅させるはずである。
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アメリカだけが原爆を持っているとしたら、これ以上戦うことによって、「我が民族の滅亡をきたす」のは分かるが、それがなぜ「人類の文明をも破滅させる」事になるのか。日本も原爆を持っていた事を知って、はじめてその意味が明らかになる。
終戦のほぼ一年前、昭和19(1944)年夏、陸軍の「ニ計画」を統括する杉山元・参謀総長が東條英機総理大臣とともに昭和天皇に拝謁した。杉山元帥が後にある友人に語った所によれば、こういう内容だった。
二人が天皇に説明したのは、(1)世界のいくつかの主要国が原爆開発を進めている、(2)日本も開発してきて、ようやく完成が見えてきた、(3)完成したら、まずハワイに投下して、戦局を一気に挽回できる、という内容だった。
■6.「それでは、人類絶滅の悪の宗家に日本がなるではないか」
杉山元帥は昭和天皇がお喜びになるものと信じて奏上したのだが、昭和天皇は静かに、しかし力強く、こう答えられた。「自分はそれに反対である」。そして、その理由を次のように説明された。
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数カ国がその新兵器開発を競っているとのことだが、日本が最初に完成し使用すれば、他国も全力を傾注して完成させ使ってくるようになるであろうから、全人類を滅亡させることになる。
それでは、人類絶滅の悪の宗家に日本がなるではないか。
またハワイに投下する計画とのことだが、ハワイには、日本の同胞が多数移住し、現地民とともに苦労し今日を築きあげたところである。そのような場所に新兵器を使用することには賛成しかねる。[3, p208]
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昭和天皇は仁科博士の研究所を訪問されたことがあり、その際に原爆の放射能も含めた恐ろしさを聞かれていた可能性がある。[3, p117]
杉山元帥は恐懼したものの「勝つにはどうしても原爆が必要だ」と考えて、秘密のうちに開発を続けさせた。しかし「原爆を積むロケット」の燃料製造工程で誤爆事故が起き、陛下の知られる所となった。杉山はこう語っている。
陛下は私(杉山)を呼ばれ、「まだやっていたのか」と強く戒められた。「まことに面目ないことであり、それ以上続けることはできなくなった」。そしてかくも天皇の心を煩わせた責任をとって、日本が勝っても負けても「自決して陛下にお詫びする」と友人に語ったそうだ。その言葉通り、杉山元帥は終戦後、自決を遂げた。
陸軍の「ニ計画」が中止となったのは、これが原因だったようだ。しかし、海軍は「F計画」で朝鮮北部での開発を続け、爆発実験成功までこぎ着けた。海軍は原爆を特攻機に乗せて、日本近海の米艦隊を撃滅する計画を立てていた。終戦の御聖断が遅れて、これが実現していたら、米軍はさらに何発もの原爆を投下して、日米間で本格的な核戦争が始まっていたかも知れない。
昭和天皇が「我が民族の滅亡をきたすのみならず、ひいては人類の文明をも破滅させる」と危惧されたのは、こういう事態だったのだろう。終戦の御聖断は、こういう事態を防いだのである。
■7.ソ連軍の核施設奪取
米国の核開発を行っているロス・アラモス研究所には数人の共産主義者がおり、彼らはソ連に核開発の情報を伝えていた。それにより、スターリンは1943年に核開発を開始させた。ドイツが敗北した後、ソ連は核開発の研究所から数人の核科学者と設備を奪った。
ソ連の対日侵攻は、長崎への原爆攻撃と同日、1945(昭和20)年8月9日に始まった。その日のうちに、ソ連軍の歩��、空挺部隊、海軍艦艇は朝鮮半島の北端部に殺到した。ソ連は日本の原爆開発を知っていたのである。
米軍の把握した情報によれば、この一帯には多くの日本軍の駐屯地が配置され、それらの部隊は降伏せずに、侵入してきたソ連軍と激戦を展開した、という。しかし、11月にはソ連軍は核施設を奪取した。こうして、ソ連は日本の核開発設備や原材料を入手し、何人かの科学者を拉致した。非協力的な者は拷問されて、協力を強要された。
ソ連は興南の核施設を用いて、原爆の材料の製造に使用していた。ソ連が最初の原爆実験に成功したのは1949年8月とされている。米国はソ連が10年はかかると見ていたが、戦後わずか4年で成功にこぎ着けたのは、日本の核施設と科学者を奪ったからだと考えられている。
■8.原爆実験成功の事実は何を意味するのか?
現代において、日本が原爆実験に成功していた史実を明らかにする意義はどこにあるのだろう。まず、それは今の日本が核兵器を作ろうと思えば、すぐにでも作れる、という潜在能力の裏付けとなる。
2004年に米国科学者連盟は、日本なら核実験なしでも「一年以内に」核兵器を保有できるとの見積もりを出している。ただし、これらは専門家による予測であって、それを信じない国もあるだろう。
しかし、その予測が、過去に原爆実験を成功させた「実績」に裏付けられた場合、他国からの核恫喝に対する、より明確な抑止力になる。核で脅かされたら、1年以内にもっと大量の核で反撃できるのだぞ、という抑止である。
もう一つは、昭和天皇が「人類の文明をも破滅させる」として、核兵器競争に反対されたことの意義である。原爆実験に成功する力を持ちながらも、人類の文明のために放棄したという事は、国際社会における我が国の道徳的地位を飛躍的に高めることになる。それは単に「唯一の被爆国」という被害者意識よりも、はるかに崇高かつ能動的な「和の国」らしさ[d]を世界に示すことになろう。
(文責 伊勢雅臣)
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■日本の自立を取り戻すには真の自立以外ない
加瀬英明
日本はいまから70年前の昭和27(1952)年に対日講和条約が発効してか ら、年を追うごとに国として尊厳を失うようになった。
いつの間にか、日本は誇りを失った国になってしまった。
世界のどの国でも学校教育の場で、その国の民として誇りをいだくよう に教えている。日本ではそうではない。
先の大戦の敗戦によって、明治の開国後、先人たちの努力の賜物として築 きあげた、あまりにも輝かしい業績をあっというまに失ったために、茫然 自失して自信を喪失したた
めだろう。
独立を回復してから70年もたつから、傷を癒したい。
私はナショナリズムを復活させるべきだと、主張するつもりはない。国と して自尊心を取り戻すことを求めている。
自尊心を失った人は、正常な社会生活を営むことができない。国も同じ ことだ。日本は私たちの根だ。国への誇りを失ってしまうと、日本が根腐 れして立枯れてしまう。
多文化尊重とか、グローバル市民といった、聞こえだけよい菌によって 根腐病が進んで、樹齢が2000年以上の大木が蝕まれている。
私を右翼、極右だといって誹謗する人々がいるが、的外れだ。ナショナ リストだと思ったことはない。
ナショナリズムは自国が他国に優越していることを、言いひろめる。戦 時下なら許されようが平時にはそぐわない
自尊心を欠いた国は国を失う。私は一人の凡人として、自尊心を欠いた 国 は立ち行かないと憂いている。
自らを尊ぶ心を衰えさせた国は生命力が弱まって、相手の国と対等な立 場にたとうという気概を失ってしまう。
敵基地を攻撃する能力を持つべきか、問題になっているのが、じつによ い例だ。
相手が日本本土を攻撃する能力を備えているのに、そのような手段を 持ってはならないと主張する国会議員が与党のなかにもいるのは、どうし たことなのだろうか。
このような自尊心を捨てた人々は、日本が性悪(しょうわる)な国家だか ら、重い責任を負ったり、負わせてはならないと信じているのだろう。弱 いことが平和を守るという、不気味な妄言(たわごと)を口のなかでいつも つぶやいている。
現行憲法に崇高な平和主義が宿っているといって擁護している人々も、 昭和50年代に日本教職員組合(日教組)大会が開催された時に、アルバ イト、リベート、プレゼントを禁じる“三ト決議”が採択されたのをみて も、けつして純粋な精神を 持っていない。
もっとも、かつて貧しかった時代には、自分に力をつけなければ生きて ゆけなかったから、人がそれぞれ強い個性を持っていた。
ところが、物質的な豊かさが増すにつれて、たいして努力をしなくて も、ある程度の生活が営めるようになったために、ひ弱になって、人も国 も逞しさを失った。
このところ日本から個性を持った人々が、ほとんどいなくなった。独立 自尊福沢諭吉翁が「独立自尊」という言葉を、遺している。自らを尊ぶこ とによって、人も国もはじめて独立することができる。
私は歌が時代の精神を映しているので、明治以後の演歌、歌謡曲、軍歌 などの歌詞に興味をもってきた。
昭和20年代に、「こんな女に誰がした」という歌が流行(はや)った。ア メリカ兵を相手に春をひさぐ女をうたった、自暴自棄な歌詞となっている。
独り立ちするのを否定した憲法を守ろうとしている人々は、自暴自棄に 陥っているとしか説明できない。
護憲派の人々は他国が軍を保有するのは当たり前のことだとみなしてい るが、日本は他の国々と対等でないから、軍が存在してはならない。
近隣の外国が1970年代に入ってから、尖閣諸島を自国の領土だと偽って 「核心的利益」と称して、その国の武装公船が連日のように領海を侵犯し ていると いうのに、政
府はその国に媚びて、尖閣諸島が沖縄県石垣市に属しているのに市職員も 含めて、日本国民の島への上陸をいっさい禁じている。
なぜ、日本を侮る外国の機嫌をうかがわなければならないのだろうか。 外国に位負けしているのだ。
新潟県佐渡島の金鉱山跡を、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の歴史 文化遺産に登録しようとしたのに対して、韓国が佐渡金山で韓国人が奴隷 労働を強いられていたと、根も葉もない主張を行って抗議すると、腰がふ らついて、一時、申請を延 期するといったのもそうだ。
文化安全保障のすすめ
日本は背骨がない国となってしまった。確固たる信念がなく、いつも動 揺して水母(くらげ)のように漂っている。
敗戦直後の日本人は、まだ毅然としていた。
終戦の年に、私は小学3年生だった。東京・四谷の家を空襲によって焼 かれたために、鎌倉で育った。
「リンゴの唄」(昭和20年、サトウハチロー作詞)が、ラジオから流れ ていたので、よく知っていた。
占領下だったが、四谷の近所の床屋が店を焼かれたので、なじみの客を 鋏と道具を持って巡ってわが家にもきた
私も刈ってもらった。南方から引き揚げた復員兵だった。
ある時、「リンゴの唄」を口ずさみながら、鋏を使った。「これは日の 丸の歌ですよ。仲間はみなそう思っています」といった。
赤いリンゴに口びるよせて
だまってみている青い空
リンゴはなんにもいわないけれど
リンゴの気持はよくわかる
リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ
歌いましようかリンゴの歌を
二人で歌えばなおたのし
皆なで歌えばなおなおうれし
リンゴの気持を伝えよか
リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ
復員兵にとって、リンゴが日の丸だった。占領下で日本は国旗の掲揚を 禁じられていた。いまでも、この歌を聞くと襟を正す思いがする。
私は一度、サトウハチロー先生に伺ってみたかったが、その機会がな かった。
学校教育の場で青少年に日本人として当然な自尊心をいだくことを、教 えなければならない。
昨今、経済安全保障を確立することが急務だという声があがっている が、文化安全保障こそ必要ではないか。
就職前の大学生の人格教育に当たっている株式会社キャリアコンサル ティングという称賛するべき教育会社がある。私はしばらく前に豊島区公 会堂に招かれて、800人あまりの男女大学生を前にして講演したことが あったが、学生たちが全員規律正しく目が輝いているのに感動を覚えた
本誌に高森明勅氏が、皇室について連載を始めたのが嬉しい。
日本の現状を嘆いている多くの識者が、米国が占領下で日本国民を“洗 脳”して東京裁判史観を植え付けたために、国民精神が混乱していると ��って米国のせいにしているが、筋違いだ。
日本国よ、目覚めよ
米国による占領は、僅か六年だった。自虐史観と日本国憲法が定着した のは、米軍の力によるものではない。占領軍の傀儡となった大新聞や、学 者たちが保身のために協力
したのが、今日に至っている。
独立を回復した直後に、占領政策による弊害を正すべきだったのに、七 十年にわたって放置してきた日本国民が、責められるべきだ。
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