#美しい頸き
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▪️危機の日本 首相奮起を
【櫻井よし子 美しき勁き国へ】
令和5年は尋常ならざる危機の年だ。戦争を大前提にして準備しなければ取り返しのつかない事態に陥る。戦争回避には強い軍事力と経済力が必要で、抑止力を飛躍的に高めずして、私たちが享受する平穏な生活は守れない。
だが、わが国は準備不足だ。第一に継戦能力がない。軍事力増強を支える経済力は財務省主導の財政・金融政策で弱体化されつつある。憲法と法律は自衛隊の手足を縛り続ける。日本国と日本人全体の危機意識が薄いのだ。
かつて、わが国は列強の脅威にさらされ、開国し、富国強兵政策を実行した。発足時には独自の軍隊さえなかった明治政府と、軍事的に中国に圧倒されている現在の日本の姿が重なる。
日清戦争前夜の明治26(1893)年、山縣有朋は国民に軍備増強で重い負担をかける心苦しさを語り、「国家の安全と人民の福利を購(あか)ふの資本だ」と説いた。彼は清国の向こうのロシア、フランスの野望を見てとり、10年もしない内に「東洋の禍機」が暴発すると考えた。弱肉強食のこの時代、わが国が他のアジア諸国のように植民地にされなかったのは、わが国に先を見通す戦略とそれを支える死に物狂いの戦術、富国強兵政策があったからだ。
かって清国の脅威の先に列強諸国の野望があったように、いま、ウクライナと台湾の先に中露による冷徹かつ壮大な世界秩序の書き換えの野望がある。昨秋の中国共産党大会で、習近平国家主席は中国主導の「人類運命共同体」が世界の前途だと語った。中国は、米国は衰退期にあり、西側の民主主義は機能停止の陥ったと信じ、中華の価値観とルールが世界秩序の基盤をなすべきだと考えている。
この異形の大国を受け入れるわけにはいかない。彼らの価値観に太古からあがなってきたまれなる国がわが国だ。604年の「十七条の憲法」も明治元(1868)年の「五箇条の御誓文」も、一人一人を大事にする精神に貫かれている。明治期、軍事に特化した印象を与える山縣も、「(身分の)上下を平均し人権を斉一にする道」を説いた。人権は万人に平等だとする日本の考え方は、第一次世界大戦後の国際連盟創設時に人種差別撤廃条項創設の提唱に発展した。実に開明的な日本の主張はウイルソン米大統領が不条理に葬り去った。
だが、今、世界がかつての日本の主張に追いついた。中国のウイグル人に対する弾圧非難が一例だ。それなのに、日本に輝きを添えてきた大事な価値観を、肝心なわが国が忘れ去っている。日本にこそ中国政府を非難する資格がある。ロシアに領土を不法に奪われている日本こそウクライナを積極的に支援すべき立場にある。日本国の歴史やその歩みを支えた価値観を忘れてしまってどうするのだ。
迫り来る中国の脅威の前で、わが国はいま、米国との軍事力強化に取り組んでいる。この努力が単なる軍事協力に終われば、日本は精神的に米国に追従するだけの国になる。中国も日本を侮り、からめとり戦術に出るだろう。
だが日本が日本らしさを発揮するとき、状況は劇的に変わるだろう。中国は、反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有などを盛り込んだ日本の新たな「安保3文書」に激しく反応した。わが国への恐れゆえであろう。日清、日露以降、世界戦争を戦った日本人に対する記憶がそうさせるのだ。
人間にとっても国家にとっても当然のことなのだが、気概を持つことの大事さを再確認したい。気概は力の強化と揺るぎない自信につながる。私たちが強い精神を取り戻すことが、中国に対しては日本国の抑止力を大いに高め、同盟国の米国に対しては信頼を深めることになる。
本紙8日付の朝刊における台湾の李喜明元参謀総長の指摘は冷静だった。米台間には共通の指揮・通信体制も作戦計画もなく、台湾有事で米台が共同作戦を行うことは難しい。「日本が台湾を助けてくれるとは思わない」が、「事前に台湾の防衛戦略を知り、準備することが日本の国益になる」との内容だ。
ウクライナでロシアのプーチン大統領に勝利を与えてはならないように、台湾で中国の習近平国家主席に勝利を与えてはならないのは明らかだ。そのための唯一の道は日米台の協力体制を築くことだ。米国がウクライナ問題でアジアに軸足を移しかねているいま、わが国こそ、米国に働きかけなければならない。対中国で日本は生まれ変わる決意で抑止力を高めると説き、具体策を示すのだ。
たとえば、中国は尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺海域や南シナ海で、少しずつ着実に、継続的に状況を有利にする「サラミ戦術」を展開し、影響圏を
拡大してきた。いま、私たちが「逆サラミ戦術」を展開する場面ではないか。日米台で情報を共有し、有事対応についてシミュレーションを繰り返すのだ。回数を重ねれば、事実上の日米台同盟につながり、中国の台湾攻略を防ぐ一手となる。習氏が権力基盤の浮沈をかけて台湾攻略に出てこようとするのに対し、抑止を確実にするには日米台の覚悟が必要で、日本は日本の国益のためにこそ、その覚悟を促す立場に立つのがよい。
世界史大転換の今、国政に携わる政治家、とりわけ岸田文雄首相は幸運である。怠惰な眠りの中で長く自立しなかった日本を鮮やかな目覚めに導き、新たな国家像を打ち立てることができる。国の形を大きく変えた明治維新では多くの人材が日本国の未来に命をささげた。いま、政治家���る人々は、その政治生命を賭けて日本のために働くことができる。これ以上望めない幸運な巡り合わせではないか。
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わたしを監獄に連れて行って(掌編)
「何をしているの?」
「あなたさえいれば十分さ」
会話が始まった。二人が暮らす部屋はもうずっと手狭だった。
腰に手を伸ばした。女のような柔肌に、あなたは相変わらず興奮していた。女ではだめなのだ。女のように、美しくないといけなかった。そう、あなたは、どこまでも偽物のわたしにほんとうを見出して、愛していた。
「監獄には何があると思う?」
昔は小麦のパンが並んでいた食卓も、少しずつその色合いにライ麦の黒が混ざっていって、最後にはそれすらも少しずつ小さくなっていった。ぼくらの憂鬱や絶望も、その暗闇に吸い込まれて小さく消え入ってくれればよかったのに。
あなたのどこまでも広い胸にもたれ掛かると、罪の象徴がちくちくとして痛かった。神はぼくらの睫毛の一本一本さえも咎として象ったという。ぼくらは裏切り者で、ずっと前にエデンを放逐されていた。そして、監獄での断罪からさえも、怯えて逃げ回っていた。
「監獄には何もないさ。ドラマツルギーな、最後の審判だってありはしない。ぼくらは引き裂かれて、感慨もなく死んでいくまでだ。」
そうしたらぼくらの罪は贖われるのだろうか?
疑問は室内に霧散した。愛のことばは埃となって、ベッドの上に降ってきた。階下ではどたどたと、何やら物騒な物音がし始めていた。
「ねえ」
「ん?」
「後悔は、していないかい?」
「していないさと言えば、嘘になる。けれど、けれど……」
「ねえ」
唐突に会話が断ち切れた。数瞬の沈黙のあと、
『わたしを監獄に連れて行ってはくれないか?』
二人の声が重なった。あとは言葉など要らなかった。ただ愛の為だけに唇を使った。だんだん階下の音は大きくなっていく。汚れることのない歌を歌おう。どこまでも綺麗な牢獄で、まじりあって、二人はほんとうになっていった。
◯
ゲシュタポが突入すると、部屋の真ん中で、熊男と女男が頸動脈を刺しあって血を流しているばかりだった。「移送」対象者が自ら事切れているのは普通なら好都合だが、いまは戦況も劣勢で、いくらユダ���のゲイ二匹だとは言え、栄光の轍への貴重な労働資源になるはずだったろう。上官は不機嫌そうな顔で部屋を立ち去り、腹いせに大家をぶん殴ったのだった。
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97℃
昨年籍を入れたという職場の上司が最近妊娠したらしい。考えたことといえば、それを聞いた翌日に控えた子宮頸がん検診のこと、病気のため子宮を除いた親戚のこと、優生保護法の何やかんやで子どものころに子宮を除かれたという職場にいるおばあちゃん、事実婚を公にしてるやさしい上司。恋愛が楽しいと思えるようになった数年前から、自らが石女であったらどうしようと何度も何度も考えている��もしそうであったら…と思考したら止まらなくて眠れなくなることすらある。わたしは幼い頃から本をそれなりに読んできたおかげで人に共感する力とかその人の気持ちを想像することは得意な方だ。でも、自分の子どもをお腹に抱えた人の気持ちを想像することはわたしにとって容易いことではない。経験したことがないからなのか、自らにそうした子供を持つ人間的な能力が元よりないからなのか、どうしても分からない。分からないままでもいいのではないかとも、正直思う。
島本理生さんの「わたしたちは銀のフォークと薬を手にして」という小説を久しぶりに読み返していて普段から薬を飲み続けなくてはいけない病を持つ登場人物の男の人に誰かを当て嵌めては胸を痛ませている。いつかは訪れてしまう運命が鋭いナイフを突きつけられているような焦燥感として近くにあるのが小説だからこそ心地いい。現実だったら不安でしかないのに。ゆっくりと咀嚼するように様々な章を読み進めるけど、どの場面でも好きな人と美味しいご飯たべたいな〜ってぼんやり考えてしまう。そういえば彼に会うのは明日の仕事終わりだ。何を着て、どんなメイクで、何を食べよう。’23 0504 22:29
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小町数人説をめぐって
陽明文庫に中世の小町の絵がある。絹本着色、縦六一・六センチ、横四一・七センチの絵を表装してあるのだが、軸心近くの裏面に「小野小町像 貞治六秊六月廿五日」と、まさしくその頃この筆跡にて記されたものが付加されている。表装そのものもそんなに新しいものでないが、表装するにあたって、この絵に本来ついていた紙をここに付加したものであろうことは、その字がまさしく貞治頃〈一三六二〜一三六七〉この事跡であることが疑いもないからであろう。
ところで、この絵は「小野小町像」となっているが、まさしく「玉造小町子壮衰書」によっている。「容貌ハ憔悴シテ、身体ハ疲痩」、「頭ハ霜フリタル蓬ノ如ク、膚ハ凍リタル梨ニモ似タリ」、「骨ハ辣チテ筋ハ抗クナリ、面ハ黒クシテ歯ハ黄バミタリ」、「裸形ニシテ衣ナク、徒跣ニㇱテ履ナシ」、「左臂ニハ破レタル筐ヲ懸ケ、右手ニハ壊レタル笠ヲ提ツ」、「頸ニハーツノ囊ヲ係ケ、背ニハーツノ袋ヲ負ヘリ」、「肩ノ破レタル衣ハ胸ニ懸カリ、頸ノ壌レタル蓑ハ腰に纏ヘリ」とある「壮衰書」の序文をのものである。ここでもまた小野小町と玉造小町を同人物とする中世の理解が確認されるのである。
先にあげた「無名抄」の文〔五〇頁参照〕の続きに「玉造の小町と小野小町と同人かあらぬ者から、人々おぼつかなきことに申して争ひはべりし時...」とあって別人説もあったことは確かだが、その多くは前述の「玉造小町子壮衰書」の弘法大師著作説を土台にしての疑問であり、中世の大勢は、あくまで両者を同じものと見、「玉造小町子壮衰書」を小野小町の事蹟を語るものと見ていたことは疑いもないのである。
近世に入っても、この傾向は変わらなかった。貞徳の「徒然草慰草」などその顕著な例だが、中期以後の随筆の類を見ても、たとえば天野��景の「塩尻」〈『随筆大成』等〉、志賀忍〈天保十一年、七九歳没〉の「理斉随筆」などは、小野小町と玉造小町を同一人と考えている。
ところが、小町という名は、実は普通名詞であって、〇〇小町と呼ばれる女性はまことに数多くいたのだ、玉造小町と小野小町もとうぜん別人だという、いわば画期的な説が新井白雅の「牛馬問」「〈温知義書〉」に提示され、人々を驚かせたのである。
古代には一国より一人づつ采󠄃女を内裏へ献ぜしこと也。既に仁明帝の前後には、小町とて召されたるもの六十余人ありしとなり。この采󠄃女を后町のうちにをらしめたまふ。故にみなみな小町と呼ばれたるなり。その人々の宮仕へをやめて古郷に帰り身まかりたる墓を、おほか「た小町塚とよびしとなん。さてこそ、国々に小町塚といふもの多し。美濃・尾張の間にさへ二三所あり。
しかるを、なべての小町を一人と思ふよりまぎれたる説多し。たとへば実方朝臣、陸奥へ下向の時、髑髏の目穴より薄の生ひ出て、「秋風の吹くにつけてもあなめ〱」の歌の小町は小野正澄が娘の小野小町なり。文屋康秀が三河掾となりて下りし時、「身をうき草の根をたえて」さそふ水あらば」とよみしは高雄国分が娘の小町なり。「おもひつつぬればや人の見えつらむ」の歌、又業平の「舞の袖」などいひしは出羽郡司小町良実が娘なり。高野大師のあひたまふ、壮なる時憍慢最も甚だし、衰ふる日愁歎猶深しと答へしは常陸の国玉造義景が娘の小町なり。かく一人ならず。故に時代其外異なる事あるのみ。中にも良実が娘の小町は美人にて和歌にもすぐれたれば、独り名高く、すべて一人のやうに伝へ来たるのみ。
まず、小町を采󠄃女をし、采󠄃女のすべてに「町」をつけてよんだといっているが、平安時代の文献にあらわれる采󠄃女は、たとえば「近江の采󠄃女」〈拾遺集〉「明日香の采󠄃女」〈大和物語〉などのごとく、国名を冠して呼ぶのが普通である上に、文献にあらわれる「町」のつく女性は前述のように后町にいる更衣であって采󠄃女ではない。小町采󠄃女説自体が出羽都司良実の娘という伝承をもとにして出来たものであり、出羽国から采󠄃女をさしだすことはなかった〈「続日本紀」「類聚三代格」〉という事実を持ち出すまでもなく、この日雅の説には従えないのである。地方に数多い小町塚の合理的説明としても弱いものである。
ところで、この白雅の説、後半になると、その多数の小町が四人にしぼられて来る。架空の人物である小野正澄とか高雄国分��か玉造義景などの名をどこから持ち出して来たのか不明だが、既に伝説化説話化している小町像のすべてを事実と認定する立場からの合理的整理であって、まったく意味をなさぬものとしか言いようはないのである。
伝承る整理しながら、また新しい伝承を生んでいる感じの「牛馬問」の説であるが、その合理的整理法に人気があったのか。それに賛同して引用している随筆が実ははなはだ多いのである。神沢貞幹の「翁草」〈『随筆大成』第三期所収〉、城戸千楯の「紙魚室雑記」〈『随筆大成』第一期所収〉、石川宣続の「卯花園漫録」〈『新燕石十種』第三所収〉、山本信有の「孝経楼漫筆」〈『随筆大成』第三期所収」、滝沢馬琴・屋代弘賢らの「兎園小説」〈『百家説林』所収〉など、いずれもこれに全面的な賛同を示しているのである。
小町に限らず、伝説的人物は、その伝説化の過程において、事蹟が膨脹し、それを全体的に把握するとなると、そこに新しい矛盾が出てくることが多い。これを予盾なく合理的に統一しようとすると、いわば原生動物の体のように多方面に膨脹したものを分割するほかはなくなる。
たとえば柿本人麿の場合にしても、「万葉集」の記述を信するかぎり人麿は持統朝から文武朝にかけて活躍した歌人であるとするほかはない。だが一方、「万葉集」が引用する「柿本人麿歌集」にはそれよりもかなり後の歌もある。「人麿歌集」に後代の歌が入っているというのは今日の学者の常識だが、人間歌集なのだからすべてが人麿の歌だという立場に立てば、「万葉集」の人麿にして、既に最低二人いたことになる。次に「古今集」の仮名序を見ると、、「おほきみつの位(正三位)柿本人麿」を「ならの御時」の歌人としている。現在では、これを「奈良時代」と解し、しかも人麿が活躍した飛鳥時代は奈良時代に接していたからこのように書いたと説明している。だが、そこに都があった「時代」と解するのはどうか。平安時代において「御時」とは天皇の治世、すなわと御宇のことであり、「ならの御時」は平城の帝の御時の意にほかならないからである。事実、この仮名序に対応する真名序(漢文の序)には「平城天子」とはっきり書かれている。「古今集」より五十年ほど後に出来た「大和物語」にも人麿が平城天皇に仕えていたとある。平城天皇は平安時代第二の天皇だから「万葉集」の人麿とは違う。これ第三の人麿ということになる。ところ、で、「古今集」から百年ほど後の第三の勅撰歌集「拾遺集」を見ると、人麿が渡唐してよんだという歌が二首見える。これ、第四の人麿である。
人麿を一人ではなく四人とすると、その間の矛盾はなくなる。しかし矛盾がなくなったところでどうなるというのだ。私が問題にしたいのはそんなことではない。実在の人麿が、その死後、奈良時代・平安時代にどのように伝説化されていったか、別のことはで言えば、後の人々の心の中に人麿がどのように生き続けて来た��、私はそれを問題にしたいのである。
小町の場合も同じである。江戸時代の学者のように小町を四人にしたり、現代の民俗学系の国文学者のように、小町と称する女が無数にいたとか、小町を名のる遊行婦女・あるき巫女・歌比丘尼のたぐいが諸国をめぐり歩いていたと言い切ることによって事足れりとし、文献に残った小町の文学と伝承について深く考えようともしないのは学問の堕落、ある意味では頽廃という評語が適切でさえある。仮に彼らの言うようなことがあったとしても、せいぜい中世の後期のことであり、「小野���町の歴史」ほ既に平安時代中期以前から始まり、中世、近世と続いていたのである。小町が、その死後も、後代の人々の心の中にどのように生き続け、どのように変容していったか、あるいはまた、時を経て変容しながらその底に変えずに生き続けてゆく、いわゆる小町的なもの、それはいったい何かということの追跡にこそ、私は意味を認めたいのである。世に虚と言い実と言う。しかし、このように見れば、人々の心の中に生き続けていたものはすべてが実だと言うほかはないのである。
以下の章において次第に明らかにしてゆくことであるが、小野小町の説明化は、彼女の死後間もない頃から既に始まっていたのである。そして十世紀の末頃には、我々が知っている小町説話、たとえば(1)雨乞説話(2)好色説話(3)男性を拒否する驕慢説話(4)衰老説話 等、そのおおむねが既に出来るがっていたはずである。だから、そのような流れの中に「玉造小町子壮衰書」を置くならば、「小町老いて後、おとろへさらぼりたりなど云ふめるは、玉造小町の事なるを混じていへるなり」〈本居内遠「小野小町の考」〉というような見方が必ずしもあたらぬことを知るのである。小町衰老落魄の説話が「壮衰書」の影響で出来上がったというよりも、既に世に行なわれていた小町落魄説話の仏教的結実として壮衰書を考えるべきではないか。「玉造」の由来を明らかに出来ぬことは残念であるが、ともかくも「小町」と表題にあるだけで人々が説明を求めないような人物の伝でなければならないこと、しかもそれが「花ノ時ヲ待チテハ玉筆ヲ秉リテ紅桜紫藤ノ和歌ヲ詠ズル」美女の伝でなければならないことなどを併せ考えれば、平安末期から中世にかけての人々の大勢的理解がそうであったように、これをも小野小町のこととするのが、最も素直な、そんなして最も妥当な理解だと思うのだが、いかがであろうか。
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悪夢
見知らぬ男が肩の半ばあたりですらりと軀をスライスされた。 ヒッ、と喉が痙攣し、息を飲み下せない。男はその身を切り落とされたまま、平然と私の前に立ちつくしている。本来ならば、身体組織が顕になり血がどうどうと溢れてやまないはずのその断面は、なぜか黒地に橙色のまだらが無数に滲む平坦な模様をなしており、橙色の楕円のすべては天体観測に見る恒星のようにぼんやりと発光していた。肩から上のない男は、口もないのに、どこからか発声して私に語りかける。「なんぴともすべて門をくぐる。椅子はみどりの黴に覆われて、蛸――」瞬間、巨大な蛸が私のからだに濡れたまま纏いつく。無数の鳥肌が立つ。蛸の帯びたぬとぬととぬめった海水が私の皮膚を舐め上げて、逃げ悶えながら這いつくばる身体の、骨という骨がごきごきと音を立てて外されてゆく、痛い、痛い、もうい��、痛い、もうやめて!――
はあっ、と息をあらげて目を覚ます。自室の白い天井が見える。大きな窓に掛けたカーテンを開け放していたせいで、部屋の奥に据えたベッドにまであかあかと届く光に瞼越しの眼球が晒されて痛い。私は昨晩眠りについたベッドにいつも通りに横たわっている。男はいない。蛸もいない。一応、手を確認する。折れていない。からだはこわばりきってぐったりと疲れている。汗がひどい。足の先まで湿っている。夢だった。あれは夢だった。
休むために眠っているのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。私はわたしの脳を恨む。東京から沖縄までラッコと共に泳いで渡る夢を見て、起きたらなぜだか肉体的にも疲れ果てていて、その日一日が使い物にならなかった日もあった。だれにも、私にも統御不可能な苦しい夢が日々を圧迫して、どうにもならないので仕方なく受け入れている。
こんなにも毎晩、ひどい悪夢を見るようになったのはここ二、三年のことだった。それまでは美しい夢も見ていた。今も覚えている、数年前に見た、きらきらと光を湛えた金屏風の前に当時愛していた男が立って、こちらに手を差し伸べていた風景を。椿の花弁がおびただしく舞うなかで、とうに失ってしまった男が私に微笑みかけていた。そんな夢を見て、泣きながら目覚めた朝だってあったのだ。
今はどうだ。眠るたびにグロテスクな夢を見る。神経を逆撫でする光景ばかりが私の認識(認識は夢でも現実でも同じだけ作用する)に襲いかかり、何時間にも及ぶ格闘ののち、疲れ果てて目を覚ます。魚屋に行った日には、イカとイワシが膣めがけて大挙して射精し、私の胎がふくれあがる。不安な仕事を抱えていれば、夢の中で大いに失敗する。仕事だけではない、私生活の延長にある最も忌避したい現実もまた、物語としてありありと立ち現れ、眠っている私の心を折ろうとする。
明らかに精神を病んでいる。しかし、夢の持ち主であり作り手である私は、夢の光景に苛まれながらもその異常性を楽しんでいて、現実の苦しみ以上を夢の中で苦しむことに負のカタルシスを覚えていて、自罰のために悪夢の日々を手放そうとしない。 そんなお為ごかしに遵じていると、また悪夢をみる。乗るべき飛行機の便があと少しで離陸するというのに、走っても走っても前に進まない。風呂に浸かっているかと思えば尻には溺死体の女の隠毛が触っている。殺人者から逃れて、ペドロ・コスタの撮るような見知らぬ外国の貧困街を走り尽くす。苦しい。痛い。怖い。走っても走っても前に進まない。そうして殺される。殺されても生き返る。また酷いやりかたで殺される。心臓を抉られる。四肢をもがれる。頸に刃物を刺しとおされる。海に沈んで魚についばまれる。陵辱され、奇形を孕む。
夢に現実世界の象徴化を見ることはスピリチュアリズムに淫するばかげた行為だとも思うが、そう理性的に事を収めるにはあまりにも異常な精度と頻度で悪夢を繰り返しすぎている。
心当たりはある。日課のように悪夢を見るようになった頃、現実の私は、おのれの抱く「悪意」を封じることを倫理に強要されたのだった。
褒められたことではないが、私には死を願っている対象が幾人かある。その願いを非倫理的なものとして押し潰し、しかし消し去ることはできず、心のなかに押し込んで飼い始めた。憎しみと怒りと苦しみと暴力性をぐちゃぐちゃに練り合わせた怪物は心の中で暴れ続けて、心臓を内側から喰いちぎろうとする。それと付き合ううち、段々と私の悪夢は激化した。初めは抽象的だったから、ただの悪夢として忘れることができた。夢は次第に具体化していった。その悪夢たちが現実を反映していることに気づいた時には、もう修復できないほどに心が喰い破られてしまっていた。
こうして夢は、現実の強いる抑圧とはっきり結びついた。悪夢の悪性は私の心の醜さを反映している。そのことを認識できないほど、私の理性はなまくらではない。解釈可能な悪夢が日々わたしの心を蝕む。おのれの醜さに辟易する。自罰は次第に激化する。こうして魘されることでしか、醜い自分を罰することができない。
ある夜、こんな夢を見た。 ペガサスの被り物をした女が、新宿駅東口の地下道へ降りる階段の踊り場に倒れ込み、今にも出産しようとしている。股からはおびただしく出血し、踊り場は血の海になっている。汚い地面に産み落とされようとする嬰児。ペガサスの女は、被り物をしているからその顔はわからないはずが、青ざめきって今にも死にそうになっているのがわかる。私は手を貸すこともできず、ただ立ち尽くしている。その光景はあまりにも惨たらしく、目が覚めてからもしばらく頭を抱えて魘された。 あの女はきっと、私だった。本当は、私がペガサスの被り物をして、汚い床にへばりついて、命と引き換えに何かを産もうとしていた。血みどろの光景。行き交う人間の靴の泥で汚れきって、不衛生な床。そこで何かを産もうとして絶叫しているのは私だった。誰の助けも得られぬまま、倒れ込んで血の海を広げ続けるのは私だった。
あの時はわからなかった。しかし、こうして悪夢について改めて考えてみると、あれが自己イメージだったことは容易に理解される。夢は兆候を示さない。夢は象徴と意味を一対一に対応させ得ない。夢は抑圧されたイメージの屈折した表出でしかなく、他者には絶対に読み解けない、極めて自己閉鎖的なものだ。あの女が血の海で倒れていたことの意味は、私にしかわからない。どんなに親しい人間であっても、絶対にわからない。
眠って、理性の制御のきかない混沌の中で夢を見るのが怖い。それは私を暴く。現実において理性的であろうと抑圧すればするほど、夢は残酷な様相を呈するようになる。とっくに理解している、この悪夢たちを退けようと思うのならば、現実をなんとかしなければならないのだと。現実のほうを、苦心なく生きていられるものに整えなおさねばならないのだと。
わかっている。何を取り除けば悪夢から解放されるのか。何を手放せば楽になれるのか。わかっていて、迷っている。何を迷っているのかを考えている。
いつか、それをついに捨てられる日が来るまで、夜がくれば私は諦めてまた眠る。眠って、悪夢に苛まれる。そうやって自分を罰する。考えて考えて考え抜いて、それでもどうしても手放せないというのなら、醜い怪物に喰われて、喰われ果てて、この心がいつか消尽するのを、果てしない絶望感に包まれて見守るだけだ。
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鍼灸治療は健康保険の適用対象、施術には国家資格も必要な医療行為:ダイエットや美容目的を謳った自由診療などには要注意
保険適用が認められる鍼灸治療の条件と適用範囲 鍼灸治療は長年の実績と研究に基づき、日本の医療保険制度において正式な治療法として認められています。 保険診療の対象となる症状は慎重に選定されており、特に運動器系の慢性的な痛みや機能障害に対して適用されます。 健康保険が適用される具体的な症状と疾患 健康保険の適用対象には、日常生活に支障をきたす重要な症状が含まれます。 神経痛は深刻な痛みを引き起こす神経の疾患として代表的な適用対象です。 リウマチ患者の痛みや炎症の緩和、頸腕症候群による腕のしびれや痛み、五十肩による肩関節の可動域制限、腰痛症からくる慢性的な痛み、頸椎捻挫後遺症の諸症状に対して保険診療が認められています。 保険適用を受けるための具体的な手続きと注意点 保険診療を受けるには適切な手順を踏む必要があります。 まず西洋医学の医師による診察と同��書の取得が必須となります。 医師は患者の症…
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向日葵の笑顔 春の長靴 夏の通り雨 美しい水たまりに 橋をかけて 僕ら 七色の虹の妖精の童謡 を聴く Smiling sunflowers, spring boots, summer showers, building a bridge over a beautiful puddle, we listen to the rainbow fairy's nursery rhyme
綺麗なゴキブリが... A beautiful cockroach...
君らしく生きろよ 誰も君のような生き方はできない Live your life, no one can live like you
月の光が 乱反射して 3.141億の星が降り注ぐ 僕の頸動脈の中に The moonlight is reflected and 3.141 million stars are falling into my carotid artery.
大麻なんかで捕まえるなよ可哀そうに ただ闇で買ったやつはダメだ Don't arrest people for weed, but However, things bought on the black market are no good.
こんなものなのかって言って ゲートウェイドラッグにならなくなるのに It's like, "Is this what it's like?" It's not going to be a gateway drug.
他のハードドラッグもそうだ 犯罪ではなく 治療を目的にすべきだ The same goes for other hard drugs. They should be targeted toward treatment, not crime.
それがハームリダクションだ That's harm reduction 0か1かっていう考え方がダメなんだよ The idea of 0 or 1 is no good
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いやはや、実にプレートテクトニクスはオモロイなどと大満足しながら帰宅。すると、お待ちかねのヒチャム君デートのお誘い。ホテルまで迎えに行くから、スーク歩きしようと提案してくれる。頭痛しているけど、せっかくなので、有り難く受け入れる。ドイツ土産、渡してないしね。自慢のおベンツどないするん。無理せんでえーで、とやんわりお断りするが、地図まで送ってきて、車停める駐車場あるから。お前のホテルまで駐車場から歩いてすぐやし。。。というので、お付き合いの覚悟をする。ワシの友達、みんなしゃべりなんで、話し出すとエンドレスなんよね。
ちなみに、モロッコのパンは、デュラム小麦で焼いているので、不思議な食感。下はパン屋さんです。こちらのパンは丸パン。でも、中東からインドの丸パンと異なり、つまり、ピタパンと異なり、中には空洞がありません。手でちぎって、パンでおかずを挟むようにして食べるのがお作法だと、ヒチャム君に教わりました。
ワシ、ほぼ日射病で頭痛なので、首に日本から持参した頸動脈冷やすやつを着けてお出かけ。お待ちかねのヒチャム君、早速、何それと興味津々。28度以下で固まる新素材だと説明し、首に着けて上げると、めちゃくちゃ感動。日本って教育が技術力に活かされている。感動。とひたすら感動。お酒もタバコもしないヒチャム君はsweet tooth なので、ワシと意見合う。
まずはスークでお店を3店舗持っているヒチャム君のお友達のお店へ。スークは迷路。夜のスークなんて、ワシは怖くて入れん。ヒチャム君に感謝。��友達は、顔からして人の良さ全開。尋ねることを告げてあったらしく、熱々のミントティと共に待っていてくれた。ワシ、ヒチャム君のお友達の店主が座る席に座らせてもらう。日がな一日中、目の前を通り過ぎる観光客達を、どんな気持ちで眺めているのだろう。観光客として歩いていても、まるで淀んでいる川の流れのように、ゆっくりと常に観光客は徘徊して、目の前を通り過ぎる。それを定点観測すること二十五年。ヒチャム君は、コイツ危うくスペイン人と結婚しそうになったんだけど、モロッコ人の奥さんにしたんだよと笑う。ワシ、彼とはスペイン語混じりの英語で話す。英語よりスペイン語の方が得意なの、だって、僕、本気だったから。おかげで彼女の置き土産は、僕のスペイン語。ビジネスに毎日役立っているのさ、と笑う。人生、イロイロざんす。四十代って楽しい。
ミントティを飲みながら、ワシの観光ばなし。ホテルの様子などを聞き出す。こうやって情報集めさと笑う。ビジネスは回復してきているけれど、物価上昇で生活レベルが変わらないよ、とぼやく。その間、きれいに店先に陳列してある商品を、丁稚が一つ一つ、店内にしまう。少し奥まり、店先が珍しく小さな広場になっている彼の店。通り過ぎる観光客には常に目を光らせていて、昼間の買い物客が通ると、すかさず、bon soir! Ca vas bien? とフランス人にはフランス語で、スペイン人にはスペイン語で、手を振りながら挨拶する。覚えているって偉い。地元で買い物した時、たった三十分ほど前に同じものを買った客でさえ覚えていなかった日本人と大違いである。その時の買い物は、ワシの頸動脈冷やし首輪が欲しいと言った母のために、もう一度同じ商品を買い求めに行ったのだった。
ヒチャム君へのチョコを、ミントティのお茶請けになるかなと敢えて渡す。当然、ヒチャム君は、友人にも、ワシにも分けてくれた。なんだ、このチョコうめーと大喜び。gingembreと教えてあげると、あーそうか、この味はショウガだと、gingembreだと二人でワクワク味わっている。かわいい。出会えた記念に、僕の店から何か好きなものを持って行って、と別れ際に言ってくれる。僕ら二人を思い出してくれるやつじゃないと嫌だとヒチャム君。うーむ。悩みに悩んで、鏡にした。フレームが青銅製で、こちらは青銅細工の品が多い。荷物にならず、毎日使う。包んでくれるというので、ヒチャム君を置いて、店内に入り、puedo pagar lo... と一応言ってみる。当然.no, no, esto es regalo para ti, pero, te acordaste nosotoros cuando mirar esto. という。si por supuesto, pero, en serio? Esta bien? ワシ。si si por supuesto y mucho gusto. Estas amiga de mi amigo muy importante y muy grande. Y esta noche fue muy bella. Entonces, regalo para ti, gracias a ti.と言い張る。ワシ、胸に手を当てて、ありがとうという。彼、喜ぶ。シンプル。
帰路に着く前にお約束のベーカリー。ジュース屋さんを兼ねている。Orcunもイスタンブールでバナナジュース奢ってくれたっけ。イスラム教のワシの男友達は、フレッシュジュース好きらしい。ワシ、嬉しくレモンジュース。ヒチャム君はマンゴーとオレンジのミックスジュース。それに加え、こちらの昔からの歓迎のお菓子で、その名もヘビのアラビア語、サッアバーンというお菓子を注文。薄く小麦粉を焼いたfiloに砕いたアーモンドを芯にして細長く巻き、それを更にトグロを巻くように巻いた上から、ローズウォーターとシロップ、ハチミツを混ぜたものをかける。口に入れると、ローズウォーターの香りがほんのり。美味しい。ヒチャム君の子供のからの���好きなお菓子らしい。
お菓子を食べながら、コロナの人為の可能��、世の中で進行しつつある不思議な現象の見立てなど、色々とおしゃべり。マキには信仰は無いだろうけど、俺には信仰があるっしょ。アッラーは、みんなに分け与えても余る程に存分に富をくださっているんだよ。人口八十億になりそうでも。だからさ,それはdistribution の問題でしょ、とワシ。うん、そう。だからおかしいんだよ。誰も誰かを支配しない。けど、みんな足るまでは手にできる。それは僕の信仰の世界ではアッラーが約束した事。実現できないのは、誰かがおかしいことをやっているのさ、とヒチャム君。
おしゃべりしながら気付くとホテルまで見送ってくれた。ホテルをどうしても見ておきたかったらしい。ワシのホテルは、リアドなので中から開けてくれないと、外からは入れない。中から出てきた顔なじみのお兄ちゃんの顔を見て、ヒチャム君は安心したらしい。兎に角、ちゃんと面倒見ているか、部屋は清潔か、タオルは交換しているか、と気になって仕方がないらしかったが、中から出てきた兄ちゃんに、アラビア語で何やらのたまわって、片手を上げて、またね。またいつかどこかで会おうと、颯爽と去って行った。
残されたコッチはいい迷惑である。興味津々のホテルの兄ちゃんに、大学の先生で友達なんだよと伝える。と、目を輝かせて、じゃお前も大学の先生なんだ~という。えっドキ。どうしてわかったの、と聞くと、だって、友達が教えてくれる事は多い。your friends tell about you a lot, right といたずらっぽく笑う。まぁね。そうだよね。
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猫は知っていた 7月4日 土曜日
さて、7月4日になり、仁木兄妹が箱崎医院に引っ越してくるところからです。
夏空に“ソフト・アイスクリーム”の形の入道雲という表現が面白いです。 今なら、ソフトクリームですね。
不二家が、昭和26年(1951年)にソフト・アイスクリームを作る機械をアメリカから輸入したそうです。 昭和27年(1952年)5月13日の朝刊に不二家洋菓子の広告に〈ソフトアイスクリーム〉の掲載があります。 昭和28年(1953年)には、ソフトクリームブームが到来したみたいです。 でも、ここでソフト・アイスクリームと表現したということは、不二家の影響が強いのでしょうか? 恐るべし不二家ですね。
荷物は、小さなオート三輪で運んできました。 昭和34年の話だとして、小さなオート三輪なら昭和32年に発売された「ミゼット」でしょうか?
さて、案内された部屋は七号室でした。 八号室では夕日のせいで暑くなるだろうからという理由でです。
わざわざ八号室から七号室に移ることを明確に書いているということはなにかあるのでしょうね。 というか、何かあるとしたら、部屋を変えさせた人物が関係しているのかも。 箱崎医院の関係者ですかね。
家永看護婦の嫌味がチクリと刺さりますが、これも伏線でしょうね。 階段の上り下りはギシギシとでも音がするのでしょうね、手術があったので静かにといってます。
悦子は、そんな家永看護婦のようすを“権柄尽く”といってます。 権力に任せて、強引に事を行うことですね。
2���に上がると今度は野田看護婦とあいます。 野田看護婦は、悦子の持っているブラックの絵に関心を示します。 ブラックとしか書かれていませんが、ジョルジュ・ブラックですかね。 パブロ・ピカソとともに「キュビスム」を生み出したフランスの画家です。凡人には全くわかりません。
この後、入院患者がわざとらしく紹介されます。 これも、何かの伏線でしょうね。
一号室は、小山田すみ子という中年の婦人で、頸部リンパ腺炎だそうだが、もうほとんどいいらしい。一人で入院している。 二号室が例の平坂勝也です。例のというのは、プロローグに出てきたからですね。 清子夫人が付添って看護しています。 職業は貿易商で、外人に日本の浮世絵や古美術品を売りつけているみたいです。 三号室は空室です。 五号には若い男の患者がふたりはいっています。 宮内正は26、7の機械技師で職場で左手を負傷したのだが、もう痛みもないので毎日を退屈しきっている。 桐野次郎は大学生でサッカーの練習中ころんで足を折り、つい二日ばかり前に入院した。 六号室は、工藤(くどう)まゆみで、十三くらいの女の子です。 背中におできができて手術したのが今日です。 七号室は、引越し先ですね。 で、不思議なんですが、八号室についてはかかれていません。 誰かが入っていればそれを書くのでしょうから、空室なんでしょうがなぜそのことにふれないんでしょうか?
で、部屋の片付けの途中で、 兄が大事にしている“フレウム・アルピヌス”(Phleum alpinumフレウム・アルピヌムのことですかね)にちょっとふれてます。 これは、兄が植物学を専攻していることと、それ以外にもなにかの目的があってここに挿入されいるのかもしれません。 フレウム・アルピヌムは学名で、みやまあわがえり(深山粟返り)の頃らしいですが、7月だと花がしている時期だと思うのですが、そのことにはふれていません。
片付けをしていると、夕食の案内にユリさんが入ってきます。 ところが、このユリさん、様子が変です。 心ここにあらずで、顔色も青く、寝不足の時のように、いらいらと血走った目をしています。 これは、何かありますね。
さて、夕食です。 院長夫妻、おばあちゃん、英一さん、幸子ちゃん、それに仁木兄妹の七人が食卓を囲んでいます。 箱崎家のはなれの八畳の茶の間です。
・気分が悪いというユリのこと。 ・仁木兄は、大好きなくせにアルコールに弱く、すぐ眠くなってしまう。 ・幸子ちゃんが、金魚の模様のゆかたのことを。 ・おしゃれにうるさい敬二は、四月から医大へ行っていて、中野で下宿している。 ・病院と台所が離れているので、患者や看護婦の食事を運ぶのが大変だと。 ・洗濯も、病院専用の大きな電気洗たく機を買ってからは、楽になった。 ・調理場も建て増しして、家族と別にする。 ・親が読んでためになる小さい子供の音楽のおけいこに参考になる本このこと。
と多岐にわたります。
そして、これが一番の核心なんでしょうか。 英一が、“ヒヨドリジョウゴ”は、毒草なのかと、仁木兄に尋ねます。
鵯上戸(ヒヨドリジョウゴ)は、つる性多年草で日本全土の山野に分布しています。 ジャガイモの新芽に含まれることで有名な有毒成分である“ソラニン”を含むみたいです。 なんと、種が鳥や土に運ばれて、家庭の庭やベランダのプランターから突然生えてくることもあるようです。 他にも、モクレン科の常緑小喬木であるシキミにも、きれいな実がなるが、猛毒で子供が食べて死んだりします。 もともと『悪しき実』と呼ばれていたのが、シキミという名になったらしいです。 直接ではないのかもしれませんが、毒による事件でも起こることの伏線ですかね。
夕食の最後に女中のカヨさんが、水蜜桃を運んで来ます。 水蜜桃とは桃全体のことを意味しているみたいです。 そのため「水蜜桃」という品種はなく桃はほとんどがもともと「水蜜桃」だそうです。 知りませんでした。 ももではなく「水蜜桃」というと、通っぽくていいですね。
その後、仁木兄妹は、英一の書斎を訪ねることになります。
英一の書斎は、家の東側にあたる八畳の和室です。 窓際に勉強机と腰掛があって、本のぎっしり並んだ大きな書棚が二つあります。 きちんと整頓されていた書棚は、英一の几帳面な性格を表しているようです。 専門の医学書が大部分で、通俗科学書も少しありそれ以外の本は見当たらないようです。
英一は、平たいボール箱を探しますが、見当たらないようで、悦子が、壁ぎわの書類ののっている机を指さして「ここにあったのでは?」といいます。 理由は、丁度箱ぐらいの大きさの四角な物ぐらいに、ほこりがななかったからでした。 それに、英一は、例の用心深い目の色で、じっと悦子を見つめ、“置いてあったのは、人から預かって置きっ放してあったのを、返した”と答えます。 これも、なんだかわざとらしく挿入されていますね。 これも伏線なんでしょうか? いったいどんな箱なんでしょう?
英一が、探偵小説が好きなのかと悦子に振ります。 その部屋には敬二の本棚があり、探偵小説ずらりと並んでいます。
いくつか名の売れた一級品として挙げられています。
「ABC殺人事件」 ・1936年発表。 ・アガサ・クリスティの推理小説。 ABC殺人事件 (創元推理文庫) ISBN-10 : 4488105386 ISBN-13 : 978-4488105389 ポアロの元に、「ABC」と署名された挑戦状が届いて、その通りに事件がおきます。 面白そうです。
「赤い家の秘密」 ・1921年発表。 ・A・A・ミルンの推理小説。 赤い館の秘密【新訳版】 (創元推理文庫) ISBN-10 : 4488116027 ISBN-13 : 978-4488116026 「赤い館」で「銃声のような音が聞こえた」と、そこに人が倒れている。 この事件の謎を素人探偵のアントニー・ギリンガムが調査します。
「血の収穫」 ・1929年発表。 ・ダシール・ハメット作の1929年の探偵小説。 血の収穫【新訳版】 (創元推理文庫) ISBN-10 : 4488130062 ISBN-13 : 978-4488130060 悪党たちの対立によって荒廃した町に主人公が現れ、複数の陣営に接触して扇動や撹乱を行い彼らの抗争を激化させて殲滅する。 ハードボイルドやアクション小説というところでしょうか。 大好きなジャンルなので、今度読んでみたいですね。
「Xの悲劇」 ・1932年発表。 ・エラリー・クイーンの長編推理小説。 Xの悲劇【新訳版】 (創元推理文庫) ISBN-10 : 4488104436 ISBN-13 : 978-4488104436 密閉状況での殺人やダイイング・メッセージとして「X」の形を作っていたなど、推理小説しては非常に面白そうです。
「カナリヤ殺人事件」 ・1927年発表。 ・S・S・ヴァン・ダイン作の長編推理小説。 カナリア殺人事件【新訳版】 (創元推理文庫) ISBN-10 : 4488103200 ISBN-13 : 978-4488103200 殺害現場が密室で犯人を特定するために、ポーカーによる心理探偵法を実践するという話です。
日本の作家がないのが残念ですが、ここにのは載せられないような事情があるのでしょうね。
英一と仁木兄は、毒草のことで盛り上がっています。 ヤマトリカブト(山鳥兜)は、特に根にアコニチン(アルカロイド)と呼ばれる毒が大量に含まれているみたいです。 アコニチンは、猛毒で、嘔吐・痙攣・呼吸困難・心臓発作を引き起こすみたいです。 そんなのここにあっていいのでしょうか?
英一さんのところから自分たちの部屋に帰るとき、桑田のおばあちゃんとあって、ユリさんの状態を確認します。 この状況は、ユリさんの部屋から出てきた桑田のおばあちゃんと仁木兄妹が会ったという感じでしょうか? その後、桑田のおばあちゃんは、脇玄関の戸をあけて外に出て行きます。 何をしに外に出たのかは説明されいません。 そのとき、桑田のおばあちゃんは、そでの中に何かをかくしてでもいるような感じだったとあります。 何かを持って外へ出たみたいですね。 様子のいおかしいユリさんも気になりますね。 これもなにかの伏線なのでしょうか?
これで、翌日に続きます。 特に何も起きないのが、かえってワクワクしますね。
つづく
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嫁殺し池
新潟県西頸城郡大和川村字厚田に昔、嫁殺し池という池があった。 その池について以下のような話が伝わっている。 村に、病気の夫とやかまし屋の姑に仕える、働き者で評判の嫁がいた。 あるとき、姑に命じられ、彼女は田植えを始めた。 労働力は独りだけ。それに見合っていない田の広さ。 田植えを終えることができないまま日は暮れた。 嫁は力尽き、田の中に倒れてしまった。 そして秋になり。その田からは米がたくさん穫れた。 しかし、その色が赤かった。 炊いても真っ赤なままで、とても食べられるものではなかったそうだ。 やがて、その田はいつしか大きな池になった。 田植えの頃になると、池の中から女の啜り泣きのような音がし��という。 村人は哀れに思って、そこに小さな祠を建てた。 なお、池は再び田として拓かれ、今はすっかり美田である。 祠は「城の木」の林の中に移されたという。
(西頸城郡教育会・編『新潟県西頸城郡郷土誌稿(二)』三、水の話 「46 嫁殺し池」)
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行屋家:遺伝的要素メモ
メモ
◾️遺伝・体質・生まれつき・解決が難しいもの ・頚椎側彎症っぽい猫背の骨格。 ・全感覚過敏。 ・不死身のような頑丈な身体。 ・長命。ほっとくと90年以上は生きる。 ・美形。(視覚情報優位で視覚的に美しい相手を自然に求めてつがうため) ・長身。 ・目が大きい。 ・顎が細く小さい。 ・老人のような手。(かなり幼い年から) ・手と指に不気味な可動性と柔軟性とコントロール能力あり。 ・共感覚、見えないものを見る目(脳)。 ・筋肉が細くても強い。 ・怪力。常に死の淵に立つ精神状態→いつでも火事場の馬鹿力を発揮できる。脳のリミッター解除が容易。 ・脱皮する。 ・細菌感染など起こしにくい。 ・怪我の治癒、回復が早い。 ・高体温、発熱状態。 ・頻脈。 ・尿道が短い。 ・蟻走感。コークバク。 ・蒼白い色白の肌。日焼けするとサンバーン起こす。 ・不眠症。目の下にクマ。 ・発達が生まれてから早い。 ・運動神経抜群。 ・湿性の髪。 ・体毛まっくろ。 ・収縮・膨張の差が激しい。性器など全身、勃起すると巨大になる、普段との差が激しい。 ・腑を弄ばれる奇病の発症。(年齢差あり) ・目への激痛、光に耐えられなくなる。(年齢差あり)
・皮下脂肪が溜まりにくい。骨と筋と血管の浮く身体。(常に弛緩できずフルに使ってるせいもある) ・体幹、腹筋が特に強い。(頸椎を庇って育つ中でそうなる例が多い) ・早熟。(自慰行為を5歳ごろで覚える。身体を少しでも楽にしようと必死に育つため。イキヤは快楽ではなく首吊りになった) ・身体の不調とストレスが常態化して育つため、身体の不調を感じ分けにくく、自覚しにくい。 ・視覚認知に偏りがある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー ↓それによって起きることと、家に伝わるその対処。
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https://x.com/iznaiy_emjawak/status/1755538773155405862?s=12&t=E4V_J01wDD6fNn5w_bYfZQ
@iznaiy_emjawak さんの投稿
僕たち研究者も大好きChatGPTですが、実はアドオン機能であるGPTsを使うことで、その使い勝手はさらに数段階進化を遂げます!というか、使ってない人は損してるレベルの研究効率改善です。そんなGPTs、今すぐ使えて効率爆上げな7つを厳選紹介します🤖
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【そもそもGPTsってなんなん?】
ChatGPTの有料版のみで利用可能な機能で、誰でもノーコードでオリジナルのChatGPTを作成できるサービスです。例えば「研究のリサーチクエスチョンを考えてくれるChatGPTが欲しい」とかね。そんでさらに凄いのは、作ったGPTsは全世界に共有し、誰でもその機能を使用することができるようになります。これまでは、「ChatGPTであ��なことがしたい!」と思っても、自力で長ったらしいプロンプトを書く必要があり、さらにプロンプトの質でアウトプットの質が左右されてしまいました。でも、GPTsなら既に世界の優秀さんが開発したChatGPTを、アプリインストールみたいな温度感で使えるようになるので、面倒なプロンプト執筆が不要になります。
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【メンション機能って?】
このメンション機能が実装されて、GPTsの利便性は一気に向上しました。なので、GPTsを使い始めるなら今こそチャンスです。これまでのGPTsは、1ルームで1つまでしか使えなかったんですね。例えば、「研究のリサーチクエスチョンを考えたい」というモチベでChatGPTを起動しても、そのルームで使えるGPTsは「アデミックライティングの構成をする」の一つだけに限定されました。しかし、新たに開発されたメンション機能では、同じルームの中で複数のGPTsを切り替えて使うことができます。「研究のリサーチクエスチョンを考える」というテーマでルームを作った時に、あるチャットでは英文の構成をするGPTsを起動し、またあるチャットでは先行研究を探すGPTsを起動し、という具合に。これによってGPTsの使い勝手が爆上がりしたので、使ってない人はいますぐ導入しましょう。
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【Consensus】
さて、まずご紹介するのは超絶怒涛のAI文献レビューツールでお馴染みのConsensusが作るGPTsです。ChatGPT上でConsensusを使えるようになります。例えば以下の画像は「HPVワクチンは子宮頸がんの発症リスクを低下させますか?」という質問への返答です。ご覧の通り、Consensusを使うことで劇的に回答の質が向上します。ChatGPT上で科学的な作業を行わせるならば、絶対に導入した方が良いGPTsです。
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【Video GPT by VEED】
驚くことに、たった一文で動画のテーマを伝えるだけで、数十秒の動画が無料で作成されます。画像は「美味しいチャーハンの作り方」とだけ書いたら1分で生成された動画(チャーハン食べたかった笑)。全自動でセリフが作られ、お姉さんがそれを喋り、さらに映像がチョイスされます。
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【SciSpace】
SciSpaceは有名なAI論文読解サポートツールですが、それがChatGPT上で使えるようになります。
「〜な論文探して」と言えば探してきてくれますし、それ以上に検索、もしくはPDFなどでアップロードした論文の読解に力を発揮します。例えば画像はアップロードしたPDFに対して「この研究からリサーチクエスチョン10個考えて」と依頼した結果。アイデア出しにとっても役立ちますね。
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【Academic Assistant Pro】
その名の通り、あなた専用の学術活動のアシスタントになってくれるGPTsです。アカデミックなタッチで、作成した文章からアウトラインを作成したり、文章を校正したり、なんならレポートや論文まで書いてくれます(悪用されまくりそうだな���)。私は英文校正に頻用してますね。凄まじさを示すために例えを紹介しましょう。画像では「医師の数と患者の院内死亡率の関連について論文を書いて」とオーダーしています。長いのでIntroだけで切ってますが、この前にOutlineの提案があり、さらに恐るべきことにMethod・Result・Discussionと最後までフルで書き切ります。もちろん、実際に研究を行っているわけではないので架空の論文ですが、にしてもヤバすぎですね…数千字のレポート執筆もこれ使えば5分で終わります(悪用が…)。
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【Write For Me】
テーマを与えると、構成の提案&文章の作成を行なってくれる超人気GPTsで、Writing部門で現在第一位に輝いています。
どれぐらい凄いかというと、「研究者のためのChatGPT活用ノウハウのブログ記事を書いて」とお願いすると、そのまま2,000字の記事を書いてくれました(やばすぎ…)。トーンやフォーカスポイント、文字数なども細かく指定できます。
もはやブログはChatGPTに書かせる時代がそこまで迫ってきていますね。
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【image generator】
イラスト生成のGPTsは多数ありますが、こちらはイラスト生成だけでなく全カテゴリーで第一位となっている超人気GPTsです。説明を読むと「プロフェッショナルで、親しみやすいイラストを生成します」と良くわからんことが書いてありますが、とにかく「こんなん欲しかった」とヒット率が高いことが特徴。イラスト生成AIってコレジャナイ感が凄いので調教が大変だったんですけど、とにかくこいつは「わかってんじゃん!」なクオリティ。研究者がプレゼンで使いたいイラストもズバッと出力してくれると思うので、お勧めです。
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【Logo Creator】
プロデザイナーが作ったと見間違えるようなロゴを、テーマと簡単な質問だけで作ってくれます。これマジでクオリティ高いので、騙されたと思って一回試して欲しい。SNSのアイコンや、名刺なんかに掲載すると、グッと雰囲気が良くなると思います。
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昨日は毎年恒例の健康診断に行ってきました。
一応自分は年齢的にまだ若い方なので、今のところは身長体重を測ったり血液検査をしたりする程度だよ。でも2年に一度の子宮頸がんの検査はやった。健康チェックとはいえあの痛さは未だに慣れぬ・・・。
昼前までには健康診断が終わったのでその後はダイソーで素材を色々と買い漁ってきました。素材のデザイン性としてはセリアの方が好きなんだけど、ダイソーも可愛いのがあったりするものだ。あとマステなんか大小サイズの違うのがセットになったりと面白い売り方をしている。
何やかんやで色々と買い込んでしまった(笑)
お昼ごはんはマックにて月見バーガーを美味しくいただきました。やっぱりこの時期になると月見バーガー食べたくなるよね。健康診断の後��何ジャンクフードを食ってんだって感じだが←
月見バーガー美味しかったけど今度出る三角チョコパイも食べて��な。次の病院へ行く際に食べたい。
その後はTSUTAYAに寄ったりして帰宅。やっぱりお街の道路の車線変更が未だに慣れないなぁと思ってしまう田舎民。まぁ健康診断が目的とはいえちょっとした気分転換になりましたわ。
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歯科医院
歯科病院は、麻酔下で歯科処置を行うために必要なすべてのツールと機器を備えた施設です。 患者が診察を待つ受付エリアがある場合もあります。
病院の現場で総合的な役割を担う歯科医はほとんどおらず、病院の救急外来の受診のかなりの数が主に歯の問題によるものです。 これらの訪問の多くは不適切に管理��れており、中には死に至るケースもあります。
口腔顎顔面外科
口腔顎顔面外科医は、口、顎、顔の骨、関節、軟組織の病気、怪我、欠損を治療します。 下顎の隆起を修復し、顔面および頭蓋骨の外傷を治療し、口唇裂や口蓋裂などの先天異常を矯正するために骨移植を行います。 また、頭頸部に発生する嚢胞、腫瘍、その他の増殖物の診断と管理も行います。
外科的処置は、症例の性質に応じて局所麻酔または全身麻酔下で行われます。 口腔顎顔面外科医は、頭蓋骨や顔面の手術を必要とする複雑な症例について、一般外科医や耳鼻咽喉科医(耳、鼻、喉の外科医)などの他の医師と緊密に連携することがよくあります。
一部の患者は、歯科医またはかかりつけ医から口腔顎顔面外科医に紹介されます。 自己参照を選択する人もいます。 一般に、治療を継続し、すべての治療選択肢を確実に検討するため��、紹介が好まれます。
口腔顎顔面外科は、歯学部卒業後に病院で広範な外科訓練を必要とする専門分野です。 ミシガン大学は、国内でトップ 6 に入る口腔顎顔面外科研修プログラムの 1 つを提供しています。 私たちのユニークな 6 年間のプログラムは、質の高い医学教育と綿密な外科訓練を組み合わせたものです。 この期間中、研修生は口腔顎顔面外科の幅広さと奥深さを学びます。
口腔顔面痛障害
患者が歯科医院を訪れる最も一般的な訴えは痛みです。 これは、さまざまな症状、原因、対応が考えられるため、管理が最も複雑で困難な問題の 1 つです。 したがって、歯科医療専門家による総合的な評価と治療が必要です。 口腔顔面痛の病因は多面的であり、歯、口腔内、顎関節、神経障害、心理的要因によって引き起こされる可能性があります。 歯痛性の痛みは侵害受容性または炎症性の可能性があり、神経障害性または体性感覚性の痛みは末梢および中枢の体性感覚系の病変/障害によって引き起こされます。
口腔顔面神経因性疼痛は、歯痛、歯ぎしり、顎関節手術、顔面外傷、新形成および代謝障害に続発する三叉神経の感作に対する不適応反応です。 これらの痛みは歯や口の痛みとして現れることもあり、慎重な評価と管理が必要です。
口腔顔面痛の重要性は広く認識されているにもかかわらず、これらの症状の原因は依然としてよく理解されていません。 この知識の欠如は、痛みの信号の誤った解釈につながり、その結果、誤診や誤った管理につながる可能性があります。 したがって、歯科医師が口腔顔面痛の評価について十分な訓練を受けており、専門的な訓練プログラムを歯学部の学生だけでなく大学院レベルの歯科医師にも提供することが重要です。 これにより、口腔顔面痛の分野での診療を制限する歯科医が知識と経験があり、委員会の認定を受けていることが保証されます。
歯列矯正
歯科医は口腔の健康のさまざまな側面をカバーしますが、矯正歯科医は歯の矯正と顎の位置を整えることを専門としています。 彼らの働きは美容として見られることが多いですが、歯周病、虫歯、感染症などの歯の問題の予防と治療にも役立ちます。
この歯科病院は、同じ病院内で他の臨床および外科専門分野と統合するユニークな機会を提供します。 これは、複雑な口腔顔面疾患を患う患者、医学的に障害のある患者、または包括的な歯科ケアを必要とする放射線療法や臓器移植などの特定の処置を受けている患者にとって、特に有益です (1)。
一般に、病院で働く歯科医師は、契約や勤務時間の点で他の病院の医師と同様です。 通常、患者との相談のための専用の診察室があり、滅菌センターなどの共用施設を利用できます。 治療を計画する際には患者の全体的な健康状態が考慮されるため、病院の他のスタッフと緊密な関係を築くことが重要です (2)。
口腔の健康が全体的な健康にとって重要な要素であることがますます明らかになりつつあります。 口腔の健康不良は、心臓病、呼吸器感染症、その他の重篤な病気に関連しています。 研究によると、歯に関する苦情は病院の救急部門に頻繁に寄せられ、これらの症例の多くは歯科医を病院のチームに組み込むことで予防できることが示されています(2)。 病院は、罹患率を減らし、入院費を削減し、歯科緊急事態の管理において病院の医師のリソースをより効果的に活用するために、救急チームに歯科医師を含めるべきです(3)。
小児歯科
子供には特有の口腔健康ニーズがあり、小児歯科医師はこれらの問題に対処するために独自の訓練を受けています。 高度な技術を持つ小児歯科医師のチームは、乳児、子供、青少年、および特別な支援が必要な患者の歯の問題の診断、予防、治療に重点を置いています。
小児歯科専門医としても知られる小児歯科医師は、歯学部卒業後、4年間の教育と訓練を受けます。 彼らは、若い患者に歯科医院で快適で自信を持ってもらえるようにすることや、積極的な口腔衛生習慣を促進するために行動を修正することに熟練しています。 また、ブラッシングとフロスの改善、フッ化物歯磨き粉の使用、甘いスナックの制限に重点を置いた予防ケアを子供たちに提供することもできます。
小児歯科医は特別な支援が必要な子供たちを扱う訓練も受けており、一般の歯科医と同じ歯科処置を行うことができます。 また、歯科治療のために鎮静が必要な子供たちにもサービスを提供できます。 さらに、当部門はゴリサノ小児病院のミルドレッド・レバイン小児外科スイート内で小児歯科サービスを 24 時間提供しており、入院患者の小児の口腔外傷と歯科感染源を管理しています。 当部門は、小児科の小児医療提供者と協力して、口腔状態がこれらの患者の全体的な健康を促進することを保証します。
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高橋恭司「Void」 2023.8.15(Tue)― 8.27(Sun)
void+では、8⽉15⽇(火)より8⽉27⽇(日)まで、KKAO株式会社の主催による写真家 髙橋恭司の個展「Void」を開催致します。
90年代にファッション・カルチャーの最前線で活躍し、『Purple』等、国内外の著名媒体で作品を発表、後進の写真家たちに多⼤な影響を与えた髙橋恭司。 事物の本質を鋭く切り取る、⽣のリアリティを湛えたその写真は時代を超えた普遍性を備え、観るものの⼼を打ちます。
本展は、写真家が日常的に愛用しているライカM8を使い、自宅内やその周辺を切り取った極めてプライベートな写真作品で、HADEN BOOKS:による出版レーベルの記念すべき第一弾の作品集に合わせた企画になります。作品一つひとつに作家本人による言葉が付与されており、これまでの髙橋氏の作品とはまた異なる詩集のような展示作品と写真集です。また、本展のためにvoid+仕様の特別版も用意しました。
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<展覧会概要> ■タイトル: 高橋恭司 Void ■会場:void+ 東京都港区南青山3-16-14 1F ■会期:2023年8月15日(火)― 8月27日(日)12:00-18:00
■協力:HADEN BOOKS:| Azone+Associates / void+
■主催:KKAO 株式会社 ■定休日:月曜日 ■お問合せ:[email protected] ■www.voidplus.jp
<同時開催> ■会場:HADEN BOOKS:東京都港区南青山3-16-1 LOVELESS 青山
■会期:2023年8月15日(火)― 8月27日(日)12:00-20:00
※日曜のみ19:00まで 月曜休
<OPENING RECEPTION>
■8月15日[火]17:00‒19:00
※ 作家と髙橋一平氏(建築家)の対談があります。
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髙橋は、写真というメディウムを自覚している。写真とは複製技術であり、光の現象である。この技術と現象をいかに表現のメディウムとするかという点に写真作品の美術的評価軸は置かれるべきである。8x10のフィルム時代から一貫して、髙橋の写真作品はすべての工程において髙橋自身の手が入っている。撮影は無論のこと、引き伸ばし、現像、全てにおいて独自の手法を試みる。各工程の無限の組み合わせの中から生み出される一枚のプリントは果たして再現性はないに等しい。写真の一回性について思考する写真作家がどれだけいるだろうか。原理的には、フィルム(あるいはRAWデータ)が同じなら同じ写真が複製できる。しかし、原理的な可能性と、実現性は異なる。この世に同じものなど存在し得ない。写真から複製芸術であるという頸木を外した先には一回性への相転移が起きる。基本的に髙橋の作品にはエディションが設けられていない。改造された装置と自作の暗室という不安定な制作環境では再現性に乏しいという事実もあるにはあるが、それ以上に髙橋自身が写真の複製性についてを了解した上で意図してそれを忘却しているからだ。我々が複製だと思い込んでいるそれは、自らの目の曇りあるいは知覚の限界を誤魔化す欺瞞の産物だ。一方、髙橋は眼前にあるただ一枚の物質としての写真を見ている。写真にアウラを取り戻す。 本展「Void」においてはデジタルカメラで撮影した新作を発表する。髙橋が日常的に愛用しているライカM8を使って、自室にいながらにして見える範囲を切り取ったプライベートな視点。従来のフィルムではなく、デジタルで撮られたイメージを、Photoshop上で編集した上で、プリンターの出力設定をマニュアル調整し、結果としてアルシュ紙に浮かび上がった写真はRAWデータとは大きく異なっている。淡く、しかし、はっきりと捉えられた事物が、やや均整を欠いた色バランスで紙に焼き付いている。眼前の事物それそのままを写しとるので��なく、ここにおける髙橋の態度はむしろ絵に向かう画家のようだ。この新作シリーズで髙橋の精神は現実と離れすぎてしまう直前の場所に立って静かに張り詰めている。 昨年9月の個展では、髙橋の目、カメラのレンズ、フィルム、プリント、さらなる複写、と流転するイメージを高橋の写真の本質として捉え、それを「Ghost」と呼んだ。今回の新作は奈落の底を際から覗き見るようなものだ。レンズの奥に飲み込まれた世界がカメラと髙橋の身の奥底で新しい光を得て一葉の写真となる。この現象がひとたび紙に焼きついた瞬間、それは二度と繰り返されることのない唯一性を得る。 KKAO株式会社 代表取締役 小林 健
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<アーティストプロフィール> ■髙橋恭司(たかはし・きょうじ)1960年生まれ。栃木県益子町出身。写真家。作品集に『「The Mad broom of Life』(1994・⽤美社)『ROAD MOVIE』(1995・リトルモア)、『Takahashi Kyoji』(1996・光琳社出版)、『Life goes on』(1997・光琳社出版)、『煙影』『流麗』(とともに2009・リトルモア)、『SHIBUYA』(2016・BANG! BOOKS)『WOrld’s end 写真はいつも世界の終わりを続ける』(2019・Blue sheep)、『Midnight Call』(2021・TISSUE PAPERS)、『Lost Time』(2011・POST-FAKE)など多数。
近年の主な個展
2016「夜の深み」nap gallery
2019「WOrld`s End写真はいつも世界の終わりを続ける」nap gallery
2022「Ghost」LOKO GALLERY
2023「Void」ARTRO
主なグループ展 1995「L’equipe du MOIS DE LA PHOTO A MONTREAL 1995」モントリオール 1996「ニュー・ジャパニーズ・フォトグラフィー1990’s[無意識の共鳴]」横浜市民ギャラリー 2000「Elysian Fields」ポンピドゥーセンター/パリ 2004「コモン・スケープ/今⽇の写真における⽇常へのまなざし」宮城県美術館 2017「いま、ここにいる」東京都写真美術館 2020「写真とファッション」東京都写真美術館
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【レビュー】スカルプターのための美術解剖学 3 頭頸部編 - Form of the Head and Neck日本語版【書評】
望まれて生まれてきた”かなり凄い本” 凄い本が出てしまった。 帯にある美術解剖学者の加藤公太氏による推薦文 「アーティストに必携の書 これ以上の詳細な頭頚部の本はこの先しばらく出ないと思います 史上初にして最先端!」 の煽り文句に偽り無し。 頭頚部(頭から肩ぐらいまで)を、この上なく分かりやすく徹底解剖、徹底比較、徹底解説した、アーティストのレベルを上に引き上げる手掛かりとなるのが、この本だ。 (more…) “”
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