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#東京商船
metal-cn · 1 year
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東海岸「船」失踪、やれよ!同型一斉点検を!さぼるな!何?働き方法?どないなっとる?
こんなときよ。あの数年前。NHK「おふざけ国際」チャネルあったやろ。キャラクターの名前はよ?それと米沈没船の関係。NHK「想定してませんでした」呑気に?またかい?「逃げまーす」。それ、東日本大震災発災時もや。だから米から注意されたんや。
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takigawa · 4 months
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実写版『聖闘士星矢THE BEGINNING』の主人公、実写版『ONE PIECE』のZORO役で国際的な人気俳優となった #新田真剣佑 と #田中泯 が主演する、日本の隠れた政財界の黒幕“フクロウ”を描いたシリアス連続ドラマ #フクロウと呼ばれた男  https://x.com/takigawa_w/status/1790397107632996456?s=46&t=8Vf8aUwk_B-ZbQ5UAGv05w フクロウは真夜中であっても、いつでも見える目ですべてを見ている。 70歳のカリスマ・大神龍太郎 (田中泯) には4人の子どもがいる。 長男の一郎 (#安藤政信) は頼りなく、妻とも不仲で、銀座のホステスを愛人にしていた。父の影響から脱するため、父から資金を借りずに新しい高級レストランを計画していた。 しっかり者の長女・由美子 (#長谷川京子) は、イケメン商社マンの夫との間に二人の子どもをもうけ、一見幸せそうに見えたが、夫は由美子に隠れて (メジャーリーグの有名選手の通訳とは別の) 裏取引をしていた。 父親とうまくいかない次男・龍(新田真剣佑) は���アメリカ留学後、家族に連絡せずに小さなNPO法人で働くために帰国。ある日、龍は公園でジョギング中に美しいアメリカ人女性と出会い、携帯電話が道に落ちて壊れてしまう。龍は弁償すると約束し、女性の連絡先を聞くと、女性は龍に「記者」と書かれた名刺を渡す。 シンガーソングライターを目指す末次女・理沙子 (#中田青渚) はすでに25歳だが、天性の歌声と作詞作曲の才能を持ち、メジャーデビューが期待されていた。理沙子は父・龍太郎に夢を語るが、龍太郎は理沙子が芸能界の闇に飲み込まれるのではないかと恐れる。 ある夜、次期首相候補・竹内 (#中村雅俊) の息子が酒席での喧嘩の末に殺される。息子には薬物疑惑もあった。犯人は捕まったが、刑務所で「自殺」してしまう。 全体的にクールなテイストでシリアスな展開。政治家のスキャンダル、一郎の愛人、由美子の夫の破滅的な取引、美人記者と付き合い始めた龍、夢に向かって突き進む理沙子など、それぞれの人生が生き生きと描かれる。 龍太郎の妻・京子を演じる #萬田久子 の抑えた演技が光る。 東京のクラブ (ホステスのいる方)のシーンを木村多江がホステス役で演じることで、よりリアルさが増している。 龍太郎が情報源として重視するホステス役の #木村多江 は、実際に東京のクラブで働いているかのような臨場感がある。 「フクロウと呼ばれた男」が他のドラマと違うのは、大げさな演技や大げさな音楽を使わずに、家族の葛藤を真剣に描いていることだ。 日本のドラマにありがちな大げさな音楽や大げさな演技、大げさな (意味不明の) ジョークもないし、日本でスキャンダルを起こした有名芸能事務所の男性タレントもいないし、下手な歌やダンスを披露する数十人の女性アイドルグループからの女性キャストもいない。 それだけに、フクロウのカリスマ・黒幕・大神龍太郎とその家族の生き方を冷静に観察できる。 本物のフクロウに天敵がいるように、「フクロウ」を狙う天敵も多く登場する。 これまでのエピソードを注意深く見てきた人なら、後半の一連の出来事にショックを受けるかもしれない。 シリーズのクライマックスは、衝撃的な出来事の連続で、次のシーズンが待ち遠しくなる。政治や金融の世界に巻き込まれた家族の複雑な生活を垣間見ることができるドラマを探している人は必見だ。 セカンドシーズンが待ち遠しい。 ■エグゼクティブ・プロデューサー&脚本:#デビッドシン(『#時をかける愛』) ■演出:#森義隆(『#宇宙兄弟』)、#石井裕也(『#船を編む』)、#松本優作(『#Winny』) #長塚京三 #益岡徹 #大友康平 #原田美枝子 #池田良
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hachikenyakaiwai · 7 months
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【かいわいの時】天保八年(1837)二月十九日:大坂町奉行所元与力大塩平八郎決起(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
難波橋を渡った大塩軍は、二手に分かれて今橋筋と高麗橋筋に進みます。森鴎外の『大塩平八郎』には次のように描写されています。
方略の第二段に襲撃を加へることにしてある大阪富豪の家々は、北船場に簇(むら)がつてゐるので、もう悉く指顧の間にある。平八郎は倅格之助、瀬田以下の重立つた人々を呼んで、手筈の通に取り掛かれと命じた。北側の今橋筋には鴻池屋善右衛門、同く庄兵衛、同善五郎、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛等の大商人がゐる。南側の高麗橋筋には三井、岩城桝屋等の大店がある。誰がどこに向ふと云ふこと、どう脅喝してどう談判すると云ふこと、取り出した金銭米穀はどう取り扱ふと云ふこと抔(など)は、一々方略に取り極きめてあつたので、ここでも為事(しごと)は自然に発展した。只銭穀の取扱だけは全く予定した所と相違して、雑人共は身に着つけられる限の金銀を身に着けて、思ひ/\に立ち退いてしまつた。鴻池本家の外は、大抵金庫を破壊せられたので、今橋筋には二分金が道にばら蒔まいてあつた。(七、船場)
この時の模様は、被害に遭った商人側でも詳細な記録が残されており、たとえば、三井文庫所蔵の史料「天保七年 浪速持丸長者鑑」(写真=コメント欄)には、焼き打ちされた商家に赤線が引かれています。ランク順に並べてみると
鴻池善右衛門(総後見)、三井呉服店(行事)、岩城呉服店(行事)、米屋平右衛門(東小結)、鴻池他治郎(西小結)、鴻池正兵衛(西前頭)、米屋喜兵衛(西前頭)、日野屋久右エ門、炭屋彦五郎、米屋長兵衛、甥屋七右衛門、和泉屋甚治郎、鴻池徳兵衛、長崎屋与兵衛、米屋与兵衛、泉屋新右衛門、紙屋源兵衛、小西佐兵衛、越後屋新十郎、よしの屋久右衛門、大庭屋甚九郎、昆布屋七兵衛、さくらいや八兵衛、平野屋喜兵衛、某
など、25商(店)の名前があがっています。今橋筋、高麗橋筋の商家は軒並み焼き打ちに遇っています。肥後橋の加島屋久右衛門(西大関)はコースから外れていたため難を逃れたようです。
(写真)「天保七年 浪速持丸長者鑑」1837(公益財団法人 三井文庫蔵) 相撲の番付表のように商人をランキングした表で、大塩の乱で被害を受けた商家に赤線が引かれている。三井、鴻池などが被害にあっていることがわかる(三井広報委員会)。
また、諸家の記録から、事件当日の様子や対応策、その後の復旧策を見てみると
(鴻池家)加島屋某筆とされる『天保日記』(大阪市立中央図書館所蔵)では天保八年(一八三七)二月十九日、火見台から望見して「鴻池本宅黒焰大盛二立登、其恐懼シキ事不可云」、幸町別邸めざして落ちのび、そこで加島屋某らが「鴻池於隆君・勝治・和五郎」らと無事出あうところが生々しくえがかれている。和泉町の鴻池新十郎家の記録 『北辺火事一件留』(大阪商業大学商業史資料館所蔵)でも、鴻池本家当主の善右衛門が土佐藩邸、長音は泰済寺、そのほか瓦屋町別荘などへ逃げ、鴻池深野新田農民をガードマンとして急遽上坂させるなど、その被害状況や防衛対策が丹念に記録されている。
(三井呉服店)三井では、同日三郎助高益(小石川家六代)が上町台地の西方寺に避難し、「誠に絶言語、前代未聞之大変にて」と、 ただちにレポを京都に送り、木材・釘・屋根板・縄莚などをすぐ仕入れ、はやくも三月八日に越後屋呉服店大坂店の仮普請完成=開店している様子が詳細に記録されている。(コメント欄参照)
(住友家)住友家史『垂裕明鑑』には、大塩事件のまっただなかで、泉屋住友が鰻谷(銅吹所その他)から大坂城にむけて鉛八千斤(弾丸)を三度にわけて必死で上納運搬したこと、事件による住友の被害として、「豊後町分家、別家久右衛門・喜三郎掛屋敷の内、備後町・錦町・太郎左衛門町三ケ所延焼」に及んだこと、そして住友の親類の豪商としては、「鴻池屋善右衛門、同善之助、平野屋五兵衛、同郁三郎」家などが軒並み“大塩焼け”で大きな被害をこうむったこと等々が、 生々しく記されている。
三井家では、享保の大飢饉の後に起きた江戸における打ち毀し(1733年)に衝撃を受け、以後、食料の価格が暴騰すると近隣に米や金銭を配って援助したり、また飢えた人々に炊き出しをしたりするなど、三都(江戸・京都・大坂)において施行を継続しています。それが、大塩平八郎の乱では標的にされ、襲撃された大坂本店は全焼、銃撃による負傷者まで出るほどであったと伝えています(三井広報委員会)。
儒学者の山田三川が見聞きした飢饉の様子や世間の窮状を日記風に書き留めた『三川雑記』には、乱の前に大塩は鴻池・加島屋・三井の主人らと談じ、富商十二家から五千両ずつ借りれば六万両となり、これで何とか八月半ばまでの「飢渇」をしのげると、「しばらくの処御取替」を依頼していたとあります。同意した加島屋久右衛門は襲われず、三井と鴻池は反対したため焼き打ちに遭ったとも言われています(山内昌之)。
ただし、『浮世の有様』の天保八年雑記(熊見六竹の筆記)には、この話は「或説」として取り上げられており、それによると、「十人両替へ被仰付候処、町人共御断申上候筋有之」とあります。三井はもちろん、鴻池や加島屋にも記録はなく、風評の域を出ないものと思われます。
(参考文献) 中瀬寿一「鷹藁源兵衛による泉屋住友の “家政改革”-大塩事件の衝撃と天保改革期を中心に-」『経営史学/17 巻』1982 三井広報委員会「三井の苦難(中編)」三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.39|2018 Summer 山内昌之「将軍の世紀」「本当の幕末――徳川幕府の終わりの始まり(5)大塩平八郎の乱」文芸春秋2020 山田三川『三川雑記』吉川弘文館1972 矢野���郎編『国史叢書 浮世の有様』1917
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tokyomariegold · 3 months
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2024/1/28
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1月28日 今日も海には行けなかった。 目を覚ませても身体が持ち上げられず、今日もなるべく眠る日にしてしまおう、と、3・4度寝をした。 その間に大きめの地震があって、でもいつもみたいに飛び起きてパニックできる力がなく、ちょっともういいから…と寝てしまった。 あと6人時代(あのちゃんが在籍していた時)のゆるめるモ!が一夜限りの復活ライブをする夢を見た。絶対に実現しないだろうなと思った。
地元の友人の結婚祝いに、ソーシャルギフト?を使ってみた。もう彼女が好きなものがなになのかわからないので、でも最後に会った時にインスタントコーヒーをたくさん飲んでいた記憶があり、ブルーボトルコーヒーのギフトを贈った。 それでやっと、結婚おめでとう、を言えた。 “家族でファミレスに行ったことがない人としか結婚したくない”の写真には、自分と並行して彼女が被写体として存在している。この作品で少し鍵になる存在だと思っていたので、その彼女の結婚…と、面白がりつつもどうして良いかわからずにいた。
誕生日を祝ってくれたメッセージにお返事するかたちでギフトのURLを送った。 なるべくもうあまり会わずに、でも年1回誕生日を祝う間柄くらいでいたい。
昼過ぎに、本当にあてもなく出かけてしまった。 誰に会うわけでもなくちゃんとお化粧もして、空はずっと曇りの良い天気で(頭がとても痛い)、これくらい余裕のある日々を過ごした先に、やっと作品を作ったり展示のことを考えたいと思えるようになるのかな、と思った。もう明日はお仕事。
先週友人たちと会った蔵前から浅草、上野、そして蔵前に戻るルートで下町散歩をした。 ダンデライオンチョコレートもシノノメも半月もとっても混んでいたので、どのお店でも良い感じの商品の雰囲気とお菓子のいい匂いだけを味わった。
隅田川沿いを歩いて屋形船を眺め、浅草駅のところで、ここは大学院生の夏に灯籠流しを見に来たところだ!と気がつく。 あと京都の鴨川沿いを歩いた時のことも少し思い出したけれど、隅田川は、眺めていたい、そばに置きたい川ではないな、と思った。工業的な風景。 川にいた鳥が、昔九州一周旅行をした時にフェリーの上でかっぱえびせんをあげた鳥と同じ種類な気がして、その時一緒にかっぱえびせんをあげた友人に鳥の写真を送った。
浅草はとっても人が多かった。 昨年観た百貨店展で気になった松屋にも行ってみた。昔ながらの百貨店で天井も低くて、お菓子売り場はスタンダードなラインナップ。 イートインできるとらやがあり、お茶スポットの穴場な感じ。
雷門を眺めて合羽橋で大きいコックさんを見上げてナチュラルローソンに寄って帰ってきた。 1日かけて観光するようなスポットを、人がいるな〜と、歌いながら2時間くらいで巡り歩いてしまい、でも贅沢した気分。 掲示板に近くの神社で来週豆まきが開催されるお知らせがあり下町。豆まき少し行ってみたい。
帰りの道中で、やっと母からのおめでとうメッセージに返事をした。そしてやっぱり全人類からおめでとうって言われたいと思った。
一日寝るはずだったけれど、東京の街の楽しさを思い出せる日になって、自分を楽しませてあげられてよかった。
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kennak · 6 days
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1.GHQによる改革 GHQによる占領体制は、これまでの日本政府と行政機構を解体してしまうのではなく、温存させ占領軍の政策を、日本政府を通じて実行させるという間接統治に決まりました。1945年9月2日に東京湾上の戦艦ミズーリで降伏調印が行われ、連合軍が日本に上陸し、日本の占領統治が始まりました。 戦艦ミズーリ艦上で降伏文書に署名するマッカーサー 降伏直後のアメリカ軍の日本統治の方針は、「軍隊の解体」「軍需産業の破壊」「日本の経済規模を生活水準ギリギリまで下げる」大きく分けるとこの三点でした。 軍需産業の破壊という点では、例えば鉄鋼やアルミニウム、造船など平和利用できる産業もあるのですが、軍事利用できる産業は破壊するのだという方針で、人造ゴム、アルミニウム、マグネシム工業は全部破壊され、発電設備、鉄鋼、工作機械、化学工業、大型電気機械、火薬、通信施設、鉄道施設、鉄道車両、造船所、船舶は相当な規模で破壊されました。 1947年1月の極東委員会の決定では、日本の生活水準は1930年〜1934年当時の水準に置くと定められ、一部「日本は、彼らが侵略した国よりも貧しくなるべき」といった意見もあり、厳しい敵対的���意見が多数派でした。 そんな中で、憲法改正や経済の大幅な改革が進められました。経済改革は大きく3つあります。 財閥解体・独占禁止法 当時のアメリカ人は、日本社会は未だに封建的な制度を強く残しているがため、国民は生活水準を押し下げられ、市場が狭くなり、帝国主義的な行動を促したのだ、という理解をしていました。 その封建的な制度の代表格が「財閥」でした。創業家のファミリービジネスとしてはあまりにも巨大であるにも関わらず、経営は閉鎖的で不透明であるのが問題視され、三井、三菱、住友、安田の4大財閥をはじめ、中堅を含む11の財閥が解体されました。当時、4大財閥は日本の全企業の全株式の24.6%を保有するという巨大さでした。 財閥のファミリーは全員追放され、大企業の経営に参加することは禁止されました。1947年には三井物産と三菱商事が解散させられ、両者の社員が10人以上集まって会社を作ることすら禁止されました。 財閥解体の直後には独占禁止法が制定され、トラストの結成、トラスト行為、国際カルテルへの加入、会社役員の兼務、法人が他の法人の株主になることまでも禁止する非常に厳格なものでした。厳格すぎて外資が日本に進出できないということで、1949年には国際カルテルへの加入と法人が他の法人の株主になることは緩和されました。 集中排除政策 独占禁止法のあとにでてきたのが集中排除政策です。 これは市場における自由競争を促すため、独占的な企業が存在できなくする制度を作るというものです。市場の価格や取引量に影響を与える企業を分割するという目的で、1947年12月に「過度経済力集中排除法」が制定されました。 これにより、大日本麦酒(現在のアサヒビール、サッポロビール)、三菱重工業(東日本重工業、中日本重工業、西日本重工業)、王子製紙(苫小牧製紙、本州製紙、十條製紙)など、17社が分割させられました。本来は300社以上が分割させられそうになっていたのですが、後で述べる占領政策の変更により大幅に緩和されました。 農地改革 農地改革は戦時中に農林省により進んでいましたが、アメリカはより地主の支配力を破壊する政策を求めました。小作人の地位向上は農林省の悲願でもあったので、農林省が率先して農地改革案をまとめました。 地主の保有面積は5ヘクタールまでとするという案でしたが、アメリカ側のもっと厳しくせよと指令を受け入れた第二次農地改革案が1946年に採用されました。その内容は、農村に住んでいる地主には1ヘクタールまでの農地保有を認めるが、都会に住んでいるような不在地主は全部取り上げて小作人に売らせるというものでした。 この政策により、長年地主の経済的支配を受けてきた小作人は解放され、経済的にも豊かになっていきます。その一方で先祖代々受け継いできた土地と資産を没収された地主の中には、没落して貧困に陥る者もありました。 そのほかには、労働組合法、労働基準法、労働関係調整法の「労働3法」がつくられ、労使関係の制度的基礎がつくられ、戦時中解散させられていた組合が復活し、労働者の組合加入が進んでいきました。当時の労働組合はストライキや会社側のロックアウトなど戦闘的な活動が行われ、激しい組合運動が行われました。
昭和経済史⑤アメリカ占領下の日本経済|尾登雄平(世界史ブロガー・ライター)
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ken1ymd · 2 years
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「徴用工」に給料袋 適切報酬の証拠
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https://www.sankei.com/article/20230316-HF2KIMTFDVMPFJNEQPAUGYFNF4/photo/7XVOKMOWJRIKLBVZ3PN45DGNIQ/
<特報>「徴用工」に給料袋 適切報酬の証拠 遺族寄贈「歴史認識に活用を」2023/3/16
日本統治下の朝鮮半島から「内地」に渡った労働者が、勤務していた兵庫県内の造船所で受け取った給料袋などが見つかり、「産業遺産情報センター」(東京)が保管していた遺族から入手したことが16日、分かった。半島出身の労働者にも適切な報酬が支払われていたことを改めて示す一次資料を同センターが入手するのは初めてで、いわゆる「徴用工」問題を払拭する重要な証拠と位置づけている。
同センターが入手した給料袋などは、兵庫県相生市在住の元在日2世で令和元年に日本に帰化した清本清一さん(78)から託された。清本さんの父親が、相生市の播磨造船所に勤務していた昭和17年1月から終戦後の20年10月までに受け取った給料袋約40点をはじめ、当時書かれたメモや戦時中の造船所の労働者名簿など多数にのぼる。
清本さんの父親は大正6年、朝鮮半島南部の慶尚南道生まれ。自らの意志で昭和11年に渡航し、17年から播磨造船所で働き始めた。残された給料袋には、出勤工賃▽残業割増工賃▽夜勤手当▽精勤手当-などの賃金や、退職積立金▽国民貯金▽健康保険▽社宅▽年金保険-などの控除金の項目があり、手取り額は多い月で200円以上。20年当時のはがき1枚が5銭で現在1260倍の63円。単純計算だが、換算すると200円は約25万円になる。終戦を迎えた20年8月でも54円18銭が支払われ、同月に「徴用満期慰労金」も受け取っていたことがうかがえる。
清本さんは約50年前、転居のため自宅内を整理していた際、紙に包まれていた給料袋の束を発見。当時は存命だった父に資料の詳細について尋ねなかったが、韓国が「徴用工」を問題視した文在寅(ムンジェイン)政権となった頃からこの資料の価値を認識するようになった。
「戦後最悪」といわれるまで日韓関係をこじれさせたのは文氏に責任があると考える清本さん。「徴用工の問題は日韓間では解決済みで、韓国政府が自国内で努力すべきもの」としたうえで、「この資料が日韓両国が歴史認識を正しく持つために活用されるなら、大切に保管してきた父への親孝行になる」と話す。
こうした中、令和2年に内閣府が開設し、幕末以降の近代日本に関する産業遺産の資料収集・調査分析、公開を手掛けている同センター長の加藤康子氏が給料袋の存在を知り、今年2月下旬に清本さんと面会。資料の寄贈を受け、清本さんの証言も映像収録した。
「センターの収集資料に台湾出身者の給料袋はあるが、朝鮮半島出身者の物は未入手だった」と加藤氏。「このことが、『半島出身者には給料が出ていなかったのか』という誤解や批判を招いただけに今回の寄贈はありがたい。何が真実かは、こうした一次資料が物語ってくれる。日韓両国にとって貴重な財産。ぜひ展示したい」と話している。
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徴用令適用は大戦末期
1910(明治43)年の日韓併合後、朝鮮半島から就労目的で渡日する人は多かった。その後、昭和12年から始まった日中戦争の長期化に伴い、重要産業の労働力確保を目的として半島出身労働者は「募集」や「官斡旋(あっせん)」の���称で集められた。14年に制定され内地の全国民を対象とした「国民徴用令」が半島に適用されたのは先の大戦末期の19年9月からだった。「募集」や「官斡旋」は、基本的に自由意思による内地への渡航だった。
播磨造船所は戦時中、商船建造では国内4位のシェアを占め、これに艦艇建造も加わって活況を呈した。国民徴用令に基づく指定工場となり、全従業員が徴用に応じた「応徴士」扱いとなった。17年から勤務していた清本清一さんの父親も同様になったとみられる。
社史によると、同社が17年から終戦にかけて雇用した半島出身労働者は約2千人。終戦時に朝鮮半島への帰還を希望する従業員に対しては、旅費や徴用慰労金、15日分の食料、衣服、日用品を支給したという記録が残されている。
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fukagawakaidan · 1 month
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南��異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大�� の八町に、玉のごとくの���飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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今日は店は休みです。久しぶりに奈良に来ています。本籍を奈良に置く身としては、故郷へ戻る嬉しさです。仕事があるとはいえ、合間に興福寺で八部衆の御顔でも拝めるとなおなお嬉しいところですが。
そういえば、本日2023年12月12日はちょうど小津生誕120年、没後60年。小津で奈良、といえば『麦秋』の最後、ふっと差し込まれる麦畑の中をゆく嫁入り風景のシーンですが、あれ、どこなんでしょうか。後ろに耳成山のような山が見えるので、橿原のどこかかな。
ついでの話。このごろ書きものの仕事が多くて、頼まれもの以外の文章なぞつらつら書いている場合ではないのですが、小津についてふと気になってしまったことがあり、書いておかないと本来の仕事ができなさそうなので、合間合間に記していた雑文をここに置いておきます。長いですし、結論はないし、ほとんどの方が興味のない内容かと思いますが…。
ちょっとした調べものがあって雑誌『みすず』2001年12月号を読んでいたら、木村伊兵衛が小津安二郎を撮影した写真と文章「上海で小津安二郎氏をうつす」が掲載されていた。時期は1938年1月なので第二次上海事変の翌年。小津は1937年9月に出征して中国に渡り、事変の直後12月から上海にいたようで、その時に偶然木村と出会っている(その後小津は南京・漢口と転戦する)。写っている小津が携えているカメラは、木村の稿に続いて掲載されている田中眞澄氏の文章「ライカという”近代”」によればライカA型。小津関係の文章を読むと、小津は「ご愛用のライカ」をいつも手にしていたと多くの人が書いているので(同文によると山中貞雄はコンタックスだったらしい)さもありなんと思うのだけれど、田中氏の文章を読んでいくなかで、ちょっとしたことが気になるようになった。
小津は1942年から軍の依頼で記録映画撮影のためにシンガポールに滞在し、ただまあ映画製作などできる状況でもないため、自国内では上映が禁止されていたアメリカ映画をひたすら見続け、敗戦を当地で迎えている。そしてそのまま捕虜となり、抑留生活を終え1946年1月に帰国する際に小津はライカを手放しており、「彼が再びライカを所有するのは一九五四年のことである」とある。買った件の典拠はどこにあるんだっけ、と思いつつ近所の図書館に置いてある『全日記 小津安二郎』を紐解くと、なるほど1954年3月22日の項に、
> 「出京 サンにてライカを買ふ 135.000 アメリカン フアマシー 明治屋(燻製)によつて帰る」
とある。と、ここで急に話は脇道に逸れるのだが、ちなみに隣のページ、同年4月8日の項には、
> 「駒場の東大教養学部 民芸館 青山の花屋 それから 車にて銀座に出て なごやかに夕餐を喫す 野田夫妻と江原氏同道」
と日本民藝館に行った旨の記載がある。他にも、1951年11月10日に
> 「宿酔 森昌子さん達と 陶哉 たくみに寄って大船に帰る」
や、1955年5月17日には
> 「駅にて野田氏と待合せ 上野松坂屋の民芸展にゆく」
とも。ほか、パッと目を通しただけでも1952年4月8日、同年6月15日、1953年2月9日、1961年2月2日に銀座たくみに行った記載があるし、志賀直哉や里見弴についての言及は多すぎるので略す。こういうものを読むとつくづく民藝誌において特集「小津と工藝」を組みたいなと思う。白樺派との関係や小津の映画における「巧藝品考撰」について取り上げる特集。『秋日和』で原節子の後ろにかかっている暖簾は芹沢銈介だろうか、『秋刀魚の味』で中村伸郎の後ろに置かれたやちむん?はたくみで求めたものなのだろうか、やちむんであれば誰の仕事だろうか。佐田啓二と吉田輝雄がとんかつ屋で食事をするシーンには確かに芹沢カレンダーが掛かってるな、などといつも気になるので。松竹から写真借りるといくらぐらいかかるかな…。
それはさておき。この時購入したライカが、前掲日記の1961年3月23日の項に「夕方会社帰りの秀行くる ライカ借(貸)してやる」とある通り、のちに小津の甥が譲り受け、現在は茅野駅前「小津安二郎・野田高梧コーナー」に寄贈展示されているライカIIIfとズマリット5cmF1.5なのだろう。と、ここまで長々と記して、まだ前提です。
そこでふと思い出したのが厚田雄春・蓮實重彦著『小津安二郎物語』(筑摩書房・リュミエール叢書)の冒頭。ここには小津が『東京物語』と『早春』のロケハンをしている写真が2葉掲載されているのだけれど、どちらにおいても小津はバルナック型のカメラを携え、光学ファインダーをのぞいたりしている。沈胴レンズにフードをつけている様子から、あれはライカなんだろう、レンズは厚田雄春が『父ありき』において75mmを一場面で使った以外はすべて50mmだったと言っているぐらいだから同径のエルマーやズマール、ズミタールとかかな、などとうっかり思い過ごしていた。むろん『早春』については、製作年やロケハンの写真に記載されている「1955.7.20」という日付からするとまったく問題はない。しかし『東京物語』は1953年製作公開だから「再びライカを所有した」1954年では間に合わない。そう気がついて見直すと、小津が構えているカメラは、ライカIII型に似ているがファインダーの位置が違うし、そもそも1954年にあわせて手に入れたと思しきズマリットは沈胴レンズではない。
妙なことに気がついてしまったと思いつつも、ひとまずは日記記載の「サン」を手始めに調べてみようとしたが、何の会社かわからない。名取洋之助が企画編集した「週刊サンニュース」と関係はあるのだろうか。対外宣伝誌の専門家であり、銀座に店を構える森岡さんに聞いたらわかるだろうか。いずれにせよ1949年以降の小津の日記に「サン」が登場するのは、「1951年1月17日・3月21日・4月24日・11月10日、1952年4月17日、1953年6月16日、1954年3月22日(前述のライカを買った日)・10月14日、1955年4月6日、1960年7月14日、1961年2月2日(”たくみ サンに寄って三越”)」。1953年6月16日は、ちょうど『東京物語』ロケの最中だったことが気に掛かる。ほか、関係しそうな記載としては1953年3月30日に「アサヒカメラ座談会」、1954年11月5日の「シュミットに寄ってから」(当時ライカの総代��店だったシュミット商会か)、1955年2月15日「昼寝をしてゐると小尾がくる ニッコールの85m(ママ)のレンズを頼む 四万五千円を預ける」、同年3月11日「小尾に会ひ105mmのレンズを見る」、同年6月27日「小尾から電話ライカピッド(ママ。入手したライカがIIIfであれば、ライカビット SYOOMか)を頼む」ぐらいか。この「小尾」という人は何者なんだろう。
次に小津が構えているカメラの形状から何かわからないかと思い、あらためて細部を見れば、写っているカメラは戦後キヤノンが作っていたコピーライカであることがわかる。決め手はファインダーの位置。同時期の国産コピーライカであるニッカやレオタックスはライカそっくりに作っているのだが、キヤノンは誠実と言っていいのか「打倒ライカとコンタックス」の心意気の現れか、多少スタイルが違う。なお、小津が用いている機種については、この時期のレンジファインダー機は輸出用に作っていたせいか勢いがあり、すぐ新型が出るうえに、外観がどれも似すぎていて小さな写真では区別がつかない。時期を考えれば、1946年発売のSIIから1952年のIVSbの間のいずれかで、III型以降のように見受けられる。レンズもやはり形状から判断するとズマールに似ているので、1949年発売開始のキヤノン Serenar 50mmF1.9か。そう気づいて改めて調べると、「カメラ毎日」1954年6月号に掲載されている座談会「カラーは天どん 白黒はお茶漬の味」ではカメラの話がもっぱらで、その時に手にしているのはキヤノンである。このキヤノンのカメラとレンズ、そして外付けのファインダー、この時期どういう経緯で小津は使っていたのだろう。いずれにせよ、1953年の『早春』はともかく、なぜ1955年に「ご愛用のライカ」ではなく、キヤノンを用いているのか。
ついでに言うと、小津が鏡の前でカメラを向けて撮っているセルフポートレートに用いているカメラはコンタックス。日記をざっと読んだ限りではわからないけれど、これもいつ手に入れたのだろう。レンズはゾナーの5cmF1.5。明るいレンズがお好みと見える。こちらは姪が譲り受けたとのことで、今は先のライカと同じく茅野駅前にある。
長々と書いてきましたが、つまりはこれらが今回生じた疑問です。小津に詳しい人、どうか教えてください。
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neobakufu · 3 months
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ネオ幕府アキノリ党による100の政策
※内はアキノリ将軍未満による脚注。
🌾 文化・日本語
1. 『双京構想』京都を陪都に。
※ 上皇后両陛下に仙洞御所にお戻り頂く案などから上奏。
2. 文章の形式を国粋化。縦書き・漢数字を基礎に、時間や単位や数理や音楽も日本文化圏独特の書式を考案し漸次移行。
※ 漢数字に関しては画数が多く判読もしにくいため,西ローマ・アラビア数字くらい判読しやすく書きやすい数字用の文字を作ってフォントに組み込んだりを検討。
3. 日本語の電子媒体を刷新。
※ イーロン・マスク氏に会いに行ってXの東アジアの言語を全部縦書き漢数字(言語ごと)に直してもらう事を条件に,共栄圏での法人を作ってもいいと約束。ただし,その情報資産は共栄圏のものとし,資本の移動は認めない。 ※ 拡張かなを拡充し電子媒体に組み込む・体制化した際に方言の言語化も視野に。
4. 都内の外国籍労働者・親族等への日本語や法制に係る教育サービスの展開。
※ それぞれの民族に寄り添った親善団体と連携 ※ 裏で世界共栄化に関わる宣伝を行い、本国に情報輸出させる足がかりとする。😈
5. 都内の宗教共同体の実態把握・公的包摂・共生都市社会の推進。
※ 体制化までの中長期的に各宗教の日本化を試みる方針。
🌾 税制・社会保障・経済
6. 税制改革や都債発行を財源に,実質賃金の上昇率の安定向上(最低でも年3%水準)まで一律で都民税半額。
7. 都営ブロックチェーンの創設・ネオ幕府トークンの発行とサーバー維持管理。
※ 全国電子通貨を想定・通貨の名前は「球」読み方は本名が「たま」,「きう」が普及版。NAMが出典。 ※ いずれ日本円にとって代わる。😈 ※ 我々が全国化した折には武蔵国の地域トークンというか藩札を創設を想定。
8. 都債発行・時限的な商品券等の給付による地域経済振興。
9. 都民や都内に通学する学生への一律奨学金免除。
10. インボイス廃止を国政に提言・特に中小零細企業の事務処理負担を軽減。
11. 濫用的な投資や無軌道な開発,オーバーツーリズム等に因る地価や宿泊施設の価格高騰を抑制。
12. 外国企業等による国土の売買規制に係るモデル条例の策定。
13. 都内の特に大企業の法人税の納税率を向上・財源構成の平等化。固定資産税の累進化。
14. 社会保障費用の逆進性緩和・累進課税の推進。
🌾 教育・学術
15. 公営学生寮の確保・増大。
※ 国際法を典拠に一定の自治権を認める
16. 大学院まで教育全面無償化+困窮世帯向けに塾代含め支援検討。
17. 専門学校等の整理統合・総合大学との連携強化・学生や職員の有益な流動化を促進。
18. 図書館民営化の見直し。知識アクセス・公共教育インフラの維持。
19. PTAの有償化や情報共有・可視化の促進。
20. 教育委員会の体質改善・責任体制の明確化。
21. 都立高校の入試改革の見直し・効果的な外国語教育に転換/無益な学習負担の軽減化。
※ どうでもいいけどほんとに外語やるならマッチング実践とかだわ
22. カルト校則の全面廃止・学生の学ぶ権利や表現の自由を守る。
23. 入学しない大学への入学金支払義務の免除・ルール撤廃を東京から実践。
24. 部活動の地域化・民営化等による教員の負担軽減を都から実践。
🌾 交通・公共施設
25. 練馬─中野─杉並─世田谷区や足立─台東─江戸川区を縦断する都営線路の開拓。
26. 東京都-近隣の港湾に集中投資・世界一の港湾大都市圏を構築。
27. 満員電車の終局的な解消・時差通勤の促進(主に企業向け)や代替手段の公的導入検討。
28. 離島との往復費用の低廉化・人材や投資交流の活発化。
※ 将来伊豆諸島は伊豆の国に, 小笠原諸島以南は小笠原国にする。
29. 16歳未満(中学生)に対しての交通インフラ料金を子供料金にする・25歳以下に対してユース料金の公共交通機関・各商業施設での導入。
🌾 防災・戦時体制を想定した防衛
30. 全国のあらゆる自然災害に対し救援・復興の為の物資や人員輸送が可能な体制の整備。
31. 都内のあらゆる公共設備の耐震化推進。
※ 災害をある程度前提とする伝統的な都市デザインの可能性も検討。
32. 核戦争を想定した核シェルター建設・地下経済圏の構築促進。
33. 災害リスクを見据えた都民や隣接県民(都内の勤労者)向けに食料等備蓄・予備的分配。
34. 官公庁・民間企業に対するサイバー攻撃の防衛体制整備。
35. 東京都の空を米軍から取り戻す・首都圏の集団安全保障体制を見直し。
36. 近隣諸国の紛争や破局的災害を想定した都民の命と経済を守る有事法制・モデル条例の策定。
37. 安全保障や軍需産業分野の研究開発支援・学界に蔓延る偏見の改善。
🌾 恋愛・婚姻等の共生生活・性的少数者支援
※ 現在はヘテロが社会の主体である事を公共に認め(右翼を安心させ), その余裕の下に性的少数者への配慮を行う政治指針を宣言化。
38. パートナーシップや相続法制等に係る性的少数者の権利保障モデル条例の策定。
※ パートナーシップに日本語の造語を与えることを目的に研究会を行う、反動保守国学者や左派リベラルの論客もネオ幕府体制の責任もとで幅広く招聘したい。
39. 専門家や当事者の意見を参考に高齢者向けの公的恋愛支援事業を実験的に開設。
40. 既存の公営マッチングアプリ・ブライダル支援等政策の見直しと再構築。
41. ユース(18-25歳を想定)以下に対してのマッチングアプリ補助制度。
🌾 医療・福祉・地域協同・家庭問題
42. 視力矯正器具や歯列矯正等への保険適用・車椅子や補聴器の価格低廉化。ゆくゆくは無償化。
※ 歯を生やせるようになればすぐ保険適用を検討
43. ひきこもり老人を訪問し地域を協同化・社会的包摂を目指す・若年層のアルバイトで高齢者を訪問しスマホ教室とネット普及・生活状況の実態調査。
44. 民間に甘んじた��料塾・こども食堂等の公営化。
※ 都から職員を派遣して実態調査し一定の基準で認可を行い、その場で謝礼。 ※ その後恒久的に経済支援, 半官半民でネットワークをくみ人的支援を拡大 ※ 定期的に児童虐待や裏社会の斡旋等の有無を潜入調査。😈
45. 実態調査のうえ, 都心や下町に関わらず包括的な訪問診療・介護サービス等を拡充。
46. 学校や社内研修に基礎的な救急救命の教育カリキュラムを導入・相互扶助の日本を再建。
47. 地域交流や文化活動を活性化すべく公立小中学校等の空きスペース活用促進。
48. 既にある公園に遊具を拡充・児童の自由と安全を保障。遊閑地の利活用推進。
※ クレーム処理等は我々ネオ幕府が請け負う。
49. 生活保護の取得要件緩和と生活再建・出口支援。給付付き税額控除の試験的導入。
50. 公共施設から迅速・全面・包括的にバリアフリーデザインを実装。
51. 乞食(路上生活者・野宿者・炎上するだろうがこの言葉を使う,いささかの差別的感情を含まない)の住宅支援事業における不合理待遇(いわゆる「タコ部屋」等)の撤廃。
52. 「禁煙」でなく「分煙」。公共喫煙所の増設と依存症支援拡充。
53. 「帰宅困難家庭」の児童のシェルター確保・拡充。
54. 親の孤立防止。財政的支援やシッター利用・保育所等インフラの拡充。
55. 麻酔科医の待遇改善・拡充による無痛分娩・不妊治療等の普及・無償化を都から実践。
56. ヤングケアラーの実態調査・迅速な支援拡充。
57. 一定期間の債務等支払義務の凍結や世間からの隔絶を許容する「隠遁」制度の試験的導入による自殺予防。
58. 共同親権制度移行後の離婚親や子の権利保証に向けたモデル条例案の策定。
59. 犯罪被害者や遺族の情報秘匿や生活再建支援事業の拡充を都から実践。
🌾 環境・公共衛生・都市デザイン
60. 『江戸東京オシャレ特区』構想・ドレスコードの厳格なサービス業種の方でも自分らしい服装等の表現を保障。
61. 炭素繊維等による東京湾浄化・老若男女が利用可能な東京湾に。
※ 一〇年単位の長期計画で研究会に予算をつけて水質浄化に関わる各方面の専門家と企業に助成を。
62. タクシーや通勤通学バスや訪問介護車両や都内を往来する長距離トラック等に向けた電気自動車等の導入支援。
63. 道路にゴミ箱を増設し収集作業も増員・雇用創出。
※ 『乞食』の方々向けに最低でも3日に1度は湯船に疲れる水準の支援体制を迅速に構築。
64. 都内の樹林伐採ストップ・地域経済や文化に無益な再開発の見直し。国土を守る。
65. 引越しや住宅確保等に係る費用分担による近隣県への移住サポート。
※ 漸次地方都市にも移住サポートしたい・全国化したときに地域を蘇らせる。
66. 主に大企業の都外への本社機能移転・人口とリスク分散を段階的に進める。
67. 排除アート・「座らせないベンチ」の全面撤去。小憩できる都市デザインの再建。
68. ユース(12-25最程度を想定)以下に対して公営美術館・芸術施設の入場料無料化。
69. 路上表現・アーティスト等に向けた道路使用許可申請等手続きの簡素化・拡充
70. 官民連携で路上ライブ・イベント等を充実させ,『解放区』の乱立。
🌾 動植物
71. 動物殺処分0の次は都から始める愛玩動物の生体販売全面禁止。
※ ペットショップの店員かわいそうだから動物病院とか生物学研究所に転職もさせてあげて。そのために予算つけよう。 ※ 日本固有種の生物種は緩和したさがある,というかその系統を維持するための研究会や国家機関創設を提唱したい。
72. 特定外来種や有毒の微生物等の実態調査・飼育手段の包括的なデータベースを策定し公開。
73. 生物学系の人材活用・医療分野との連携を強化。
74. 孤立対策に動植物との共生を促進・AI利活用で安全・安定的な飼育体制を提供。
🌾 宇宙開発
75. 軌道エレベーターや公共/民間通信衛星等を想定した宇宙産業への公共投資。
※ 東京から日本〜東南アジアをまたぐ測天衛星網(GPS)を提唱
76. 核融合発電技術への積極的公共投資。
※ 戦時を想定した燃料備蓄
🌾 食糧自給・安全保障
77. 家庭菜園や地域農産・地産地消の促進。
78. 種苗法改正の見直し・食文化の保全。
※ 戦時を想定した食料備蓄
79. ���税法の見直し・どぶろく文化を再興。
80. 生レバーやユッケ等の規制緩和。
81. 依存症対策や飲酒強制の予防規制を条件に, 飲酒解禁を18歳に引き下げ。
🌾 労働市場制度
82. 新卒一括採用の見直し・企業や経済団体等への協力要請。
83. 官公庁や民間企業の採用基準にポスドク枠拡充。
84. 生涯学習・リカレント教育普及に向けた労働市場改革。職業訓練給付や実施企業への支援等の拡充。
85. 様々な産業分野の企業に対して有給や育休利用の促進。
🌾 汚職・職権乱用の防止
86. 地方議会における縁故的な役職(選管等)の選定過程・給与等の見直し・再編と代替的職務の用意。
87. 刑事収容施設や入管施設内での侮辱や虐待や差別的待遇の実態調査・迅速な改善。
88. 市民オンブズマン制度の創設・拡充による第三者目線の地方議会の監査強化。
89. NPO法人設立や生活保護申請・政治団体含む会計監査の厳格化・責任体制の明確化。
🌾 表現・報道の自由
90. 小池都知事が実施していた様な一部のマスコミやジャーナリスト等の排除に反対・報道と表現の自由を守る。
91. 『表現の自由』の前提として,エンタメ・出版・コンテンツ業界に投資拡充・且つアーティストの食い扶持と表現の場を守り,層の厚さを維持。
92. NHKの過剰な集金を規制・困窮世帯の債務免除・公共の利益となる基礎的なコンテンツは保障するが国民の無償・平等な『知る権利』に配慮。
🌾 スポーツ
93. 『マイナースポーツに光を』・Eスポーツ含む多様な体育会系コンテンツにも積極的に投資。
94. 身体に障害を有する方々が主役であるパラスポーツ分野に投資拡充・宣伝を強化。
🌾 その他
95. 小池都知事の財政調整基金の使途・費用対効果について徹底的に監査。
96. 小池都知事や森本首相も関わる東京オリンピックに関する利権構造や裏金・役員の不審死・作業員の過労死等の真実究明。
97. コロナ禍におけるエンタメ産業や一部の飲食業界・性産業等への差別的待遇の見直し・適切で平等な補償体制の確約。
98. コロナ禍における緊急事態宣言の手続的正当性・費用対効果を徹底再調査。
99. お気持ちベースの『自粛要請』では無く必要な法整備・責任体制を明確化。
100. 多様な業種の方々に配慮し投票所を26時まで開放・且つ開票日を平日にスライドし行政コストを軽減。
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warehouse-staff-blog · 4 months
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2024SS Lot 4601 ②
こんにちは 名古屋店 コジャです。
4601の新作が数柄入荷してから少し間が空きましたが、 新たなプリントがデリバリーされておりますよ。
WAREHOUSE & CO. Lot 4601 MARYSVILLE HIGH \7.040-(with tax)
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羽の量(豪華さ)や絵のタッチなど多岐に亘り豊富なデザインがあり、 常に高い人気を誇るインディアンヘッド。
このプリントも大好評で御座います。
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【Vinatge】
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こちらもラッセルサザンのオレンジボディ。 最高の状態にフェードしていて持ち主の名前もサインもサインされた唯一無二のもの。 メアリーズビル高校はカリフォルニア州の高校でチーム名はインディアンズ。
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WAREHOUSE & CO. Lot 4601 PARKS \7.040-(with tax)
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関西在住の方は特に「PARKS」と聞くとおっ!と反応する方もいらっしゃるのでは?
私もそのうちの一人で、 このプリントを見た時、思い浮かんだのが「WAREHOUSEなんばパークス店」。。。嗚呼、懐かしい。
入社間もない頃にWAREHOUSEなんばパークス店に立たせてもらうこともあったり、 私は大阪でも南の人間で、 このTシャツの商品名とプリントの色味からもよくなんばパークスへ通っていたなぁと、 大阪を離れて長いので懐かしい想い出として蘇ってきました。
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と、誰が興味あんねん!というツッコミを頂いたところで、 このプリントの前評判はそんなに高くなかったのに入荷してからの反響が大きいプリント。
縦長の字体に、胸元あたりの横長のレイアウトがカッコイイですねぇ。
しかも、 ボディで偏りが出るかと思いきや全色人気と好みがキレーに割れております。
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【Vinatge】
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バインダーネックになったジョンスタウン製のTシャツです。 プリントはデトロイト市公園レクリエーション局という部署のクルーが着たものと思われます。
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WAREHOUSE & CO. Lot 4601 WAIKELE \7.040-(with tax)
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リゾート地で売られていたスーベニアのようなデザインのミリタリー物。 詳細は【Vinatge】で説明してあるので御一読下さいね。
フラガールにパームツリー。 個人的にプリント選びの際に高くなるポイントの一つ。 予約状況を見ても私のように南国系がお好きな方も多いですねぇ。
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例の如く、 「これ買うんでしょ??」と多くの方に言ってもらえました。笑
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【Vinatge】
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ワイケレはハワイのオアフ島にあった海軍弾薬庫でした。 1990年代に閉鎖されました。 アメリカ海軍によって運営され、海兵隊によって警備されていた非常に安全な施設でした。 実際には海兵隊組織はなくワイケレ警備隊として知られていました。
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WAREHOUSE & CO. Lot 4601 U.S. MARTIME SERVICE \8.030-(with tax)
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今季のリンガーTEE、 "Lot 4059 U.S.COAST GUARD"と似たようなデサインですが、 こちらは《USCG》ではなく《USMS》。
[MARITIME]とは米国海事局のようです。
やはり錨+縄は夏の陽気に相性が特に良いですよねぇ。 また、 2024 S/S Lot 4601で唯一のフロッキープリントですよ。
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【Vinatge】
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MARITIMEとは米国海事局です。 1936年の商船法の規定に基づいて商船の士官および乗組員となる個人を訓練する任意の組織として1938年に設立されました。 その後、マーチャント・マリナーズは世界中の第二次世界大戦の戦域に人員と物資を輸送しました。 連合軍の勝利に大きく貢献したにもかかわらず、USMSの訓練施設と施設は1954年に廃止され1つの例外を除いてUSMSは解散または他の連邦部門に吸収されました。 こちらは身幅の狭いチューブ型のボディです。
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今年の新作プリントの入荷が予定の半分ほどに達し、折り返し地点に立った位ですかね。 ただ、入荷してから時間が経過しているものはSOLD OUTだったり残り僅かだったり。。。
盛夏分も合わせるとまだまだ新作プリントが入荷予定なのでそちらもお楽しみに。
では失礼いたします。
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☞ [営業時間のお知らせ]
平素よりウエアハウス直営店をご利用頂き有難う御座います。 ウエアハウス直営店では営業を下記の通り変更しております。
《2024.6.3.現在の営業時間》
◎東京店 【営業時間:平日 12時~19時 土日祝 12時~19時】無休 ◎阪急メンズ東京店 【営業時間:平日 12時~20時 土日祝 11時~20時】無休 ◎名古屋店【営業時間: 平日 12時~19時 土日祝 12時~19時】水曜定休 ◎大阪店 【営業時間: 平日 12時~19時 土日祝 12時~19時】 無休 ◎福岡店 【営業時間: 平日 12時~19時 土日祝 12時~19時】 無休 ◎札幌店 【営業時間: 11時~20時】  木曜定休
今後の営業時間等の変更につきましては改めて当ブログにてお知らせ致します。 お客様におかれましてはご不便をお掛けいたしますが御ご理解の程、宜しくお願い申し上げます。
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☞ 『WAREHOUSE直営店の LINE公式アカウント開設』
WAREHOUSE&CO.直営店からのお得な情報や、エリア限定のクーポンなどを配布しています。
LINE公式アカウント開設にあたり、 2019年3月26日(火)以降、提供しておりましたスマートフォンアプリはご利用できなくなっております。 お手数をおかけしますが、今後はLINEアカウントのご利用をお願いします。
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☞[リペアに関して]
弊社直営店で行っておりますジーンズ等のリペアの受付を休止させて頂いております。 ※ご郵送に関しても同様に休止させて頂いております。再開の日程は未定です。
ご迷惑お掛け致しますが、ご理解下さいます様お願い致します。 ※弊社製品であればボトムスの裾上げは無料にてお受けしております。お預かり期間は各店舗により異なりますのでお問合せ下さい。
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☞WAREHOUSE公式インスタグラム
☞WAREHOUSE経年変化研究室
☞“Warehousestaff”でTwitterもしております。
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WAREHOUSE名古屋店
〒460-0011 愛知県名古屋市中区大須3-13-18
TEL:052-261-7889
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myonbl · 4 months
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2024年6月1日(土)
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三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、今朝はお願いしていたよりも一日早くやって来た。平飼い有精卵が30個、地鶏が1羽、パンと蕎麦、そして野菜はレタスとキュウリの緑が濃い。今回のスペシャルは枇杷、田舎育ちの私にはわざわざお店で購入して食べるものではない。その時期になれば何処かになっているものを採って食した子ども時代、つい遠くを見る目になってしまう。奥川さん、いつもありがとうございます。
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今日から6月。
いつもの手書き用ノートが無い、どうやら研究室に忘れてきたようだ。仕方ないので、今日の動きは一筆箋にメモしておこう。
4時30分起床。
日誌書く。
6時を待って洗濯開始。
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朝食には今朝も煮麺をいただく。
珈琲。
もったいない本舗へ送る段ボール箱、今回は3箱となって玄関前に用意する。
8時20分、ゆうパックが奥川定期便を届けてくれる。今月は3回とも日曜日にお願いしているのだが、予定を書き間違えたのかな。野菜が高くなっているので、レタス・キャベツ・キュウリなどとても嬉しい。早速、キュウリのしょうゆ漬け、紫タマネギの酢漬けを仕込む。
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Threadsに<露の新治出演情報>7月分をアップ、ハルカス寄席も授業が終わる8月までいけないのが寂しい。
<スタディスキルズ>第8週の内容検討、資料をO姉との共同フォルダに作成する。明日、もう一度見直さなければ。
10時、クロネコヤマトが集荷に来てくれた。
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2階リビングのエアコン清掃、日立のサイトの説明を確認しながらパネルを外し、フィルターを洗い、ホコリキャッチャーを掃除する。
ランチ、奥川ファームのキャベツを使って焼きそばを作る。
録画番組視聴、
桂まん我「三十石夢の通路(かよいじ)」
初回放送日:2024年6月1日 土曜の早朝は関西の笑いをたっぷりと!▽今回は桂まん我の落語「三十石夢の通路(かよいじ)」…昔の船旅の気分をじっくり▽「30分まるごと桂まん我」桂源太が質問攻め!
浅草アンダーグラウンド
初回放送日:2024年5月31日 浅草の地下に“日本最古”と言われる不思議な地下商店街がある。階段を下りていくと、そこはまるで別世界。69年前に出来たという、その古びた地下街にはユニークなお店がいっぱいある。60年近く営業してきたという焼きそば屋さんや、占い、理髪店など。老舗がある一方で、若い店主が開いた新しいお店もある。観光客でにぎわう地上のけん騒を離れて、どんな人が地下へとやってくるのだろう。地下の世界に3日間、潜ってみた。
エアコンのフィルターを戻して掃除完了、明日は息子たちの部屋のエアコンに取りかかろう。
ツレアイはWebで研修。
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すき間時間に読み続けてきた『本所おけら長屋』全20巻、ついに読了。いやぁ面白かった、8月の東京遠征時には、このシリーズの舞台を歩きたい、というのも『中村仲蔵』の舞台と重なるのだ。
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早めに夕飯準備、豚バラ肉とキャベツの蒸し煮、そこへスライスレモンを加えてみた。じゃがいもはフライドポテトに、トマト以外は今日届いた新鮮野菜たちだ。
録画番組視聴。
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落語研究会「三十石」柳亭市馬、「江ノ島の風」柳家蝠丸、「千両みかん」蜃気楼龍玉。
「三十石」は江戸の他の噺家なら聴かないが、そこは市馬さん、たっぷりと喉を聞かせて楽しい。
龍玉さんの「千両みかん」の途中でダウン、今朝も早かったからなぁ。
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結局私は一歩も外に出なかったので、エクササイズが届かなかった。
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ari0921 · 6 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)4月10日(水曜日)
   通巻第8209号 <前日発行>
 イエーレン訪中が意味することは何か?
  過剰生産の警告は、すなわち『習近平の経済路線は間違いですよ』の暗喩
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 ジャネット・イエーレン米財務長官は4月3日にワシントンを立ち、4日に広東省に到着した。何立鋒副首相等と会談し、はやくも中国の過剰生産問題に言及した。世界貿易秩序の波乱要因として懸念を表明した。
 ところが中国のメディアは、イエーレンが前回訪中時にビールを飲んで、奇妙なキノコを食べていた写真を配信し、今度は何を食べたか等とへんな記事を配信していた。
 訪中前の講演でもイエーレンは「世界の価格と生産パターンを歪め、米国ばかりか世界中の企業と労働者に打撃を与える」と発言している(3月27日、ジョージア州での講演)。
 王文濤・商務部長は、三日後にはパリでBYD展示会にのぞみ、イエーレンの主張に対しては、「補助金の所為ではなく、中国のイノベーションの賜物であり、過剰生産と言われるのは市場メカニズムの結果である」と米側の主張に反駁した。
 すでに米国は中国製EVに25%の報復関税をかけており、トランプ前大統領は、これを60%とすると唱え、またメキシコ製の中国車には100%関税をかけると訴えている。
ジョシュ・ホーリー上院議員は125%、おなじくマルコ・ルビオ上院議員は「中国車一台あたり2万ドルの追加関税をもとめる法案」をすでに議会に提出した。
 この動きに応じたのか、中国のEVメーカーはタイに進出し、値下げと補助金で攻勢をかけ、日本が圧勝してきた市場を蚕食し始めた。
中国EVのタイ進出はBYDに加えて長城汽車、長安汽車、浙江吉利など、低価格帯EVや大幅値引きでタイのシェアを増やしている。
 過剰生産への懸念か。なるほどマンションの過剰生産(建てすぎ)は人の住まないマンションが30億人分もある。どう処理するのだろうか?
辺境で乗客のいない新幹線も、高僧道路も造りすぎ、テーマパークもあちこちに建てて、いまはペンペン草が生えている。海外にも過剰生産の付け足しのようにBRIプロジェクトで各地にゴーストタウンを造った。
 中国経済の構造的欠陥はGDPに占める個人消費がすくないため(37%、米国は65%、日本は60%)、外需に依存し、さらに海外マーケットを獲得するためにダンピングと補助金をつける歪んだ体質である。これは不公正な慣行だと米国側はみるが、米国に限らずWTO違反は明らか。日本も中国製太陽光パネルなどに100%の関税をかけてしかるべきだろう。
 ▼それでも「ウィンウィンでいける」と李強首相
 「過剰生産」をイエーレンは重大な懸念だと繰り返し述べたが、中国側は聞く耳がなかった。北京では李強首相、劉鶴 ・前副首相らがイエーレンと会談した。中国側は米中対決というタイミングゆえに、むしろ異例の厚遇ぶりを示した。
李強首相は決められた台詞。「敵対関係ではなくパートナーであるべきだ」と歯の浮くような発言を繰り出した。
 直前に中国政府は鉄鋼の減産方針を全国に通知し、過剰生産対応のジェスチャーを示したが、鉄鋼、造船、風力発電、太陽光パネル、そしてEVと、その廉価というよりダンピング輸出は世界市場を潰乱させた。
風力発電の世界シェアは中国メーカーがトップ5を独占し、「金風科技(Goldwind)」「遠景能源(Envision Energy)」「明陽智能(MingYang Smart Energy)」「運達股分(Windey)」「三一重能(Sany Heavy Energy)」の順となっている。メーカー乱立で収益は殆どないというのが業界の評判だ。
 中国製太陽光パネルはトリナ・ソーラー、カナディアン・ソーラー、ジンコソーラーホールディング、JAソーラーが譲位を独占しており、世界の太陽光パネル出荷量の上位四位を寡占した。じつに世界出荷量のうち71%が中国系企業が独占した。日本列島各地を埋め尽くしたが、不評ばかり。おまけに土砂災害を引き起こした。
ついで中国製EVがEU市場を攪乱し始めたため、EU委員会は重い腰を上げて規制に乗り出す。かくしてイエーレンの警告は世界市場すべての問題なのである。
 ようするに不動産関連で墜落した中国経済の補完を、EVを筆頭にクリーンエネルギー関連、バイオなどに転化しGDP成長率を堅持しようとしているのだ。
 ▼毛沢東の亡霊、ノルマという強迫観念が国有企業に取り憑いている
 習近平の経済の理解は社会主義時代のノルマであり、強迫観念のように国有企業の宿痾、中国人の体質なのである。だから馬雲やテンセントなど欧米並みの起業家が育っても、民間企業はかならず規制され、あるいは潰される。起業家精神は大きく削がれる。だから若者は国を棄てることになる。
 4月8日、訪中最終日に記者会見に応じたイエーレン財務長官は「中国政府による特定産業への補助金などの支援が原因だ」し、「米��や世界の労働者や企業に大きなリスクをもたらす」と改めて強調した。
 入れ違いにセルゲイ・ラブロフ・露西亜外相が北京に到着した。ロシアは中国との戦略的パートナーシップをさらに強化するため、とラブロフは語った。
 ラブロフ訪中はプーチン訪中の地ならしと言われる。
 またイエーレンは習近平とは会わなかったが、おりしも訪中している馬英九・台湾元総統が4月10日に北京で習近平と会談する段取り、日米首脳会談に日程を意図的にぶつけてきた。
 イエーレンは北京で潘功勝・中央銀王総裁とも会っているが、嘗てFRB議長の経験があるからだ。結局、中国は米国側に歩み寄る姿勢を示しつつ、一方でバイデン政権の半導体輸出規制にはつよく反発し、「米国の対中経済・貿易制限措置に深刻な懸念がある」とした。「米国は自由競争という資本主義原理に基づいて行動すべきである」と耳を疑うような発言もあった。
 半導体は技術窃取や台湾、韓国からのエンジニアのスカウト、米国における「千人計画」などで、すでに7ナノ半導体生産の技術を獲得したと、米国のシンクタンクが報告している。
 米国はこのため3ナノ、2ナノ生産工場をアリゾナ州に誘致し、台湾のTSMCに1兆円もの政府支援を行って、工場をいちどに三つ建設中である。
しかしTSMCは14ナノならびに1ナノの研究と開発ラボを台湾に集中させているため、米国は次世代半導体技術の中国への漏洩を警戒している。TSMCの熊本工場は28ナノで家電、スマホ向け需要に対応するためであり、予定されている熊本第二工場とて、7ナノにとどめる。
日本がIBM支援のもと、官民挙げていどむラピダスは、北海道千歳で2027年に2ナノ半導体生産を予定している。
 ▼中国の大手不動産会社、デフォルト続く
 さて不動産デベロッパーが倒産しているのに倒産しないという「ゾンビ軍団」はその後、どうなっているのか。
地方銀行、中小銀行の不良債権を肥大化させ、こんどは銀行の経営危機を招来させている。哈爾浜銀行は不良債権率が44%増えた。遼寧省の地銀、錦州銀行は上場廃止、江西省九江銀行は不良債権が三倍ちかくに膨らんだ。甘粛銀行は2・7倍、貴州銀行は五割近く不良債権を増やしていた。
準大手以下の27行の不良債権合計は2兆2300億円と今のところ軽いレベルだと言い張っているが、不動産大手のデフォルト処理が進んでおらず、とくに外貨建て債券が軒並みパンク、不動産不況の実態は、24兆円が不良債権だろうと推計される(それでも少なすぎるが、いずれ別稿で触れたい)。
 
中国最大のデベロッパー「碧桂園」も、ついに23年10月にドル建て債権99億ドルをデフォルト、第二位だった恒大集団の破産はいうに及ばず、世茂集団は二年前の米ドル債10億ドルのデフォルト、ドイツ銀行などが香港高等裁判所に法手続きを申請した。
このほか、大手の万科、華潤、融創、遠洋などが業績不振に陥っている。それぞまさしく供給過剰(生産過剰)の悪例ではないのか。
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deepspeed · 1 year
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ビッグモーターの話。
いろいろ突っ込みどころが多い事件やから解説していくで。
【ビッグモーターについて】
ビッグモーターは年商7000億円の中古車屋・整備屋や。
今の社長が一代で築き上げた会社で、上場してないからおそらく株式は兼重一族がほぼ全部持っとる、いわゆる同族オーナー企業やな。
年商7000億のオーナー企業は珍しいけどなくはないで。
日本だとオーナー企業で大きいのはサントリー、竹中工務店、森ビル、今治造船とかあるで。
事件の概要は「顧客から預かった車に意図的に傷をつけたりパンクさせたりして、保険屋に不正に金を請求してたのがバレた」っていう話やが、経緯をみていこうか。
【経緯】
2022年から、保険の不正請求問題が損保会社らの間で話題となり始めるが、表立って騒がれず終わる。
2023年7月、この問題が表面化。
問題を知ってまずブチ切れたのが東京海上日動。
自動車保険は、客(ドライバー)が車を壊したり事故する確率を統計学的に計算した上で払う保険料を決定してるんやが、ビッグモーターはズルして本来あるべき金額よりたくさん保険会社に保険金を請求してたんやから、東京海上は損をしたわけやな。
ビッグモーターが独自に特別調査委員会なるものを立ち上げて調査した結果でも保険修理の4割が不正請求やった。
本来、修理部門は壊れたところを直すのが仕事やのに、何故かビッグモーターでは修理部門も「1車あたり14万の収益を上げろ」と命令されてたんや。
収益が上がらんと降格させられたりクビになったりする謎ルールや。
だから意図的に車を破壊して修理費稼ぐしかなくなるのは自明やな。
【特別調査委員会と暴露】
特別調査委員会の調査報告書を保険会社に提出するときに報告書偽造してて、組織的関与を示唆する内容箇所を削除する徹底っぷりをキメた。
さらに国交省から聴取要請があったのに2週間ガン無視キメてたんやで。
しかし過去の被害にあった顧客が多すぎて「ビッグモーターにこんなことされた!」と次々にWebに暴露され、良心を持った社員によって、意図的にタイヤをパンクさせる技法を後輩に紹介する動画が流出したりしたんや。
クソみたいな社風やったわけやから、元社員だけじゃなく現役社員もビッグモーターを恨んでるやつ(=正義の心を持った人)がおったわけやな。
【社長の報酬返上の種明かし】
ビッグモーターは社長が1年間報酬を全額返上し、役員も3ヶ月間数十%返上するって発表した。
「やっと少しは反省したか」「そんなのじゃ足りない」などと大衆は思ったんや。
でもよく考えてくれ、この会社は100%オーナー企業や。
株をたぶん100%兼重ファミリーが持ってるんやから、会社は兼重社長のもんやろ。
給与を返上しても、会社に金が残るんやから、結局兼重社長のもんやねん。
社長が個人と会社2つ財布持ってるだけで、どっちに金を入れておくかの違いでしか無い。
つまり実質的に1円も返上なんてしてない、っていうか、役員にも給料返上させてるから、実は社長は収入はプラスなんよ。
凄いやろこの反省アピールしつつ社長だけ儲ける技術。
見破るまで3日かかったわ。
【損保ジャパンの関与】
ビッグモーターは車を売り修理をするだけではなく自動車保険も一緒に売るから、大手損害保険会社の代理店でもある。年間取扱200億円。
保険の売上金額も鬼の厳しさで、売上が達成できてないと罰金を払わされたりしてたらしいな。
まあ死ぬ気で保険を売ってくれる巨大代理店やから損保各社もヘコヘコするわけや。
しかし200億のうち120億円を損保ジャパンが占める。
日本では東京海上が損保業界首位なのに、ビッグモーターに限ると損保ジャパンがぶっちぎり1位。
不思議よな?
事件を知って、東京海上と三井住友海上は激おこやったんやが、損保ジャパンは当初この問題を「問題なし」と結論づけて有耶無耶にしようとしてたんやで。
本来なら保険金詐欺の被害を被ったはずの立場なのにおかしいやろ?解説しようか。
【損保ジャパンとビッグモーターの蜜月のからくり】
(1)(ビッグモーターから買った車かどうかに関わらず)損保ジャパンの保険加入者が事故を起こす
(2)損保ジャパンはビッグモーターに修理に行くように誘導する(「入庫紹介」と言う)
(3)ビッグモーターは客の車を追加で意図的に破壊する
(4)本来より高い金額を損保ジャパンに請求する。これだけだと損保ジャパンが損してるように見える。
(5)しかし入庫紹介1台あたり、ビッグモーターから損保ジャパンに5人自賠責保険客を紹介する約束がある
(6)自賠責保険は強制保険なので利益は出ないが、損保ジャパンは新規客とのコネクションを得る
(7)損保ジャパンは任意保険をその紹介客に売り込み新規客を取れる
(8)本来より高い保険金を払った当初の修理客は翌年以降の保険等級が悪化し、損保ジャパンに高い保険料を払い続ける
(9)トータルで考えると損保ジャパンは利益を得る
(10)損保ジャパンはビッグモーターに出向者も送り込んでいて、上記を知っていたと推定される
【株式会社武蔵野・小山昇との関係】
ビッグモーター全社員に配られている経営計画書なる社則手帳のようなものがあるが、毎朝の朝礼で「幸せだなあ!俺はツいてる!」と唱和するように促している。
この経営計画書は知床観光船沈没事件でも有名になった小山昇氏率いる株式会社武蔵野が経営コンサルティングで提供しているものと全く同じ雛形・デザインで出来ている。
・朝の謎の唱和
・罰ゲーム制度(ビッグモーターでいう罰金制度)
・生殺与奪権という単語
・環境整備点検なる本部スタッフによる店舗掃��点検の結果での頻繁な人事降格
これらは株式会社武蔵野の小山昇氏が提唱し経営コンサルティングで頻繁に持ち出しているもので、小山氏は自身の大きな取引先としてビッグモーターをロゴ入りで自社サイトで紹介しており、うまくいっているコンサル先としてもこれまで何度も紹介している。
これについては言及しているマスコミが全くいないのは気になる点ではある。関係があったのかどうかをぜひ報道されたい。
【副社長=社長の息子】
今回の不正を悪化させたのは社長の息子である副社長であるという報道もあるが、副社長が早稲田大学卒業後入社したのが日本興亜損保(=現在の損保ジャパン)や。
これは偶然かそうじゃないのか気になるわな。
その時のつながりが関係ないのか、副社長の入社前から蜜月関係があったのかは、これから明らかになっていく。
ビッグモーターに出向者を送り込んでたのは東京海上も三井住友海上もやし、2社も不正を知ってたのかどうかは気になるし、巨大広告主のビッグモーターの悪事を当初黙殺して報道しようとしなかったマスコミも糾弾されるべきではあるわな。
まあこれから誰もビッグモーターに車を持ち込まないやろし、彼らが販売する車も買わないやろし、民間車検場としての認定も国交省が取り消すやろうし、テレビCMも拒否しないとマスコミも叩かれるから宣伝もできんし、普通に考えてまともな営業ができんし潰れるやろな。
今後の流れはよく見ないといけないけど、大衆が巨大企業とマスコミを動かし不正を正すいい例になると思うで。
ちなみに損保ジャパンは旧・安田火災保険や。
バブル期に「ゴッホのひまわり」を58億円で買った会社や。
今も新宿のSOMPO美術館に常設展示されてるから見に行くとええわ。
入場料は1400円、新宿駅徒歩5分やで。
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hachikenyakaiwai · 5 months
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【かいわいの時】享保十四年(1729)四月二十日:将軍吉宗御用の象、尼崎から大坂に到着。南組惣会所に逗留。
享保13年(1728)にベトナムから牡と牝の象が日本に渡り、長崎に上陸した。この出来事が注目される一の理由は、2頭の象が献上されたものではなく、将軍徳川吉宗(1684-1751)の要請によりもたらされたからであろう。実はその要請が以前から商人のなかで伝えられたようだ。嘉永6年(1853)に林復斎等が編集した『通航一覧』に載せられた第38番東京船主の呉子明の手紙に次のような記述がある《史料9略》結局、2年後象が運搬されて来たが、その船主は呉子明ではなく、享保13年第15番唐船の船主の鄭大威である《略》このことから、当時幕府は多くの商人達に象の要請を伝えたことが考えられる。
黎貴惇は、ベトナムとラオスの国境にあるカムロ(甘露)地方の市場で行った象の売買について次のように述べている。
【史料11】『撫辺雑録』  「一象可載米三十擡、毎擡二十鉢、亦有一市番、駆牛至、三百隻来売、一牛不過十貫、一象價銀二笏」
黎貴惇の記述した「笏」は約10両に相当している《略》つまり、ベトナム国内で売買される象の価格は「二笏」で20 両に相当する。それでは象が日本まで運搬された時、どのくらいの金額がかかったのであろうか。実は、『通航一覧』に載せられた呉子明の手紙には下記のことが書いてある。
【史料12】『通航一覧』  「一象其帯来、小船不堪装載、徒新定造大船二艘、毎艘只装得一隻、但欲定造大船二艘、要用銀一萬餘兩、又唐山發船到暹羅、往来雑費、該用銀二萬餘兩」
史料に書いた造船費用1万両余と雑費2万両余は2頭の象を暹羅から日本まで運搬する見積もりである。つまり、1頭の象につき1万5百両がかかる。実際、鄭大威が広南産の象を日本に運んだ時、幕府にいくら支給されたかについての資料がまだ見当たらない。暹羅からと同じような造船費用と雑費とすれば、ベトナ国内で売買する象の価格の20両より700倍以上も上回るのである。そのため、東南アジアから日本までの象貿易は大変だったが、利益が高いことが窺えるのである(ファン・ハイ・リン)。「前近代ベトナムにおける象の国家的管理と象貿易」『専修大学古代東ユーラシア研究センター年報 第4号』2018より抜粋して編集。表記はママ、脚注略。ママ。1万5千両の誤記と思われます。
【見積明細】 ・象(2頭) 銀10両×2=銀20両 ・大船造船費(2艘)  銀1万両 ・運送費       銀2万両 総計 銀3万40両(享保年間)≒銀130貫≒25億円(現在)※銀1両=銀4.3匁=0.07石=2万円で換算。
(写真)尾形探香『象之絵巻物』1848-55(関西大学図書館蔵)部分 享保十四(1729)四月、中御門天皇が京都御所で象を見物する図。ただし、御簾のうしろの天皇の姿は描かれていない。『江戸名所図会』1829によると、天皇と上皇への拝謁のため、象は「広南従四位白象」に叙せられたという。時しあれは 人の国なるけたものも けふ九重にみるがうれしさ 中御門天皇。
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kennak · 5 months
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52社※1 173社※2 小林製薬の紅麹を含む健康食品の3製品について食品衛生法第6条第2号に該当するものと判断 当該3製品の紅麹原料の配合量は以下のとおり ※1、※2小林製薬からの報告による(重複あり) 厚生労働省のこれまでの対応 以下のいずれかに該当する製品についての自主点検を行い、厚生労働省へ報告を依頼 ・小林製薬の3製品に使用された紅麹と同じ小林製薬社製の原材料を用いて製造され、かつ、 上記と同等量以上の紅麹を1日あたりに摂取する製品 ・過去3年間で医師からの当該製品による健康被害が1件以上報告された製品 〆切日: ~3月29日(金) ~4月5日(金) 製品名 紅麹コレステヘルプ 1日摂取目安量(3粒あたり) ナイシヘルプ+コレステロール 1日摂取目安量(3粒あたり) ナットウキナーゼさらさら粒GOLD 1日摂取目安量(2粒あたり) 紅麹原料配合量 100mg 100mg 100mg 回収命令の対象となった製品以外の小林製薬の紅麹を 原料とする製品への対応について(案) 資料2 ※1 52社のリストは以下のとおり 注)このリストに掲載された事業者が製造する製品が直ちに健康被害をもたらすものではありません。 会社名 所在地 1 日本バイオコン㈱ 愛知県 2 三生医薬㈱本社 調達購買課 静岡県 3 三京化成㈱山陽営業所 岡山県 4 エステック㈱ 愛知県 5 ㈱本田味噌本店 綾部工場 京都府 6 シーデーフーズ㈱ 東京都 7 ㈱スミコエアー 東京都 8 ㈱秋田今野商店 秋田県 9 金剛薬品㈱ 富山県 10 福山黒酢㈱ 鹿児島県 11 戸倉商事㈱本社 滋賀県 12 ㈱紅商事 沖縄県 13 日本醸造工業㈱ 東京都 14 鶴屋㈱ 大阪府 15 ㈱セイユーコーポレーション 大阪府 16 ㈱千草物産 沖縄県 17 ㈱青い海 沖縄県 18 株式会社八宝商会 千葉県 19 株式会社西井 東京都 20 ㈱GSIクレオス 大阪府 21 大正電機販売㈱ 大阪府 22 東海澱粉 K.K 沼津営業所 静岡県 23 株式会社カザミフーズ 栃木県 24 ㈱OMUクリエイト 広島県 25 山高味噌㈱ 長野県 26 ㈱竹屋 長野県 27 ㈱明治フードマテリア東京支店 東京都 28 ㈱森田草楽堂 奈良県 29 博多薬膳 麹・味噌商店 福岡県 30㈱薫製倶楽部岡山県 31㈲篠崎ベーカリー愛媛県 32金のさじ診療所兵庫県 33㈱丸紅商会大阪府 34ていね・さくら館北海道 35金丸富貴堂㈱北海道 36㈱樋口松之助商店大阪府 37トップフーズ㈱茨城県 38㈱金谷ホテルベーカリー栃木県 39㈱ジャストベイクアミー石川県 40㈱中国リス食品販売岡山県 41パンドコロモーデ京都府 42㈲ベーカリーオロン長崎県 43カネダ㈱経理部東京都 44太冠酒造㈱山梨県 45㈱コウリョー岡山県 46㈱菱六京都府 47日本バルク薬品㈱大阪府 48渡辺ケミカル㈱大阪府 49サンヨー山梨デンカシステム㈱山梨県 50㈱エーデルワイス埼玉県 51飯田商事㈱大阪府 52荒川商事㈱京都府 ※2 173社のリストは以下のとおり 注)このリストに掲載された事業者が製造する製品が直ちに健康被害をもたらすものではありません。 会社名 所在地 1 日本バイオコン㈱ 愛知県 2 旭運輸㈱名古屋港流通センター 愛知県 3 航空集配サービス㈱ 愛知県 4 ㈱三協 日の出工場第4倉庫 静岡県 5 ㈱日祥物流 成田ターミナル 千葉県 6 三生医薬㈱南陵工場 静岡県 7 三生医薬㈱南陵工場 静岡県 8 ㈱きくや 配送センター 愛知県 9 ㈱泉平 岡山本社 岡山県 10 レザンジュ有限会社 山口県 11 ウメサ食品株式会社 石川県 12 高見商店 岡山県 13 笹埜商店 岡山県 14 キミセ醤油㈱五穀蔵 岡山県 15 くらしき塩屋(塩屋商店) 岡山県 16 ㈱オカヤマ 岡山県 17 芳香園製薬㈱ 香川県 18 ㈱カリョー 福井県 19 ㈱能登製塩 石川県 20 ㈱アサダヤコーポレーション 石川県 21 ㈱松下商店 長野県 22 ㈱三協 日の出工場 第3倉庫 静岡県 23 釜蒸し蔵工房 北海道 24 富士カプセル㈱食品工場 静岡県 25 富士カプセル㈱北山工場 静岡県 26 ㈱豆福 愛知県 27 甘強酒造㈱ 愛知県 28 ㈲創建舎 健康増進施設 健康館 岩手県 29 日乃出醤油有限会社 岡山県 30 ㈱富澤商店 神奈川県 31 お茶元みはら胡蝶庵 菓子工房 長野県 32 ㈱鈴勝 静岡県 33 ㈱三協 日の出工場 第4倉庫 静岡県 34 ㈱富澤商店 橋本工場 神奈川県 35 東洋カプセル㈱ 芝川工場 静岡県 36 ㈱ AFC-HDアムスライフサイエンス 3F 静岡県 37 富士カプセル㈱ 食品工場 静岡県 38 ピィシーシステム㈱ 静岡県 39 アリメント工業㈱新富士工場 静岡県 40 ㈱ AFCHDアムスライフサイエンス 国吉田工場 静岡県 41 アピ㈱池田工場 岐阜県 42 ㈱夢実耕望 岩手県 43 緑と風のダーシェンカ 愛知県 44 緑と風のダーシェンカ 幸田本店 愛知県 45 相互運輸㈱ ICロジスティックセンタ- 福岡県 46 日本製薬工業㈱ 愛知県 47 アピ㈱NS工場ソフトカプセル課 岐阜県 48 郵船港運㈱南港物流 センタ- 営業所 大阪府 49 ㈱本田味噌本店 綾部工場 京都府 50 日本タブレット㈱ 京都府 51 中日本カプセル㈱ 岐阜県 52 ㈲太洋 茨城県 53 協和薬品㈱第1工場 富山県 54 アリメント工業㈱新富士工場 静岡県 55 ㈱エスビーケー ・ トヤマ 富山県 56 ㈱アスナロ化工研究所 大阪府 57 備前化成㈱第3工場 岡山県 58 ㈱カニエフードサービス 愛知県 59 株式会社藤忠 神奈川県 60 株式会社もあ 神奈川県 61 ㈱半鐘屋 岡山県 62 ㈱ミカ食品 福岡営業所 福岡県 63 ㈱藤忠 福山営業所 広島県 64 サンエフ㈱ 東京都 65 ㈱藤忠 大阪営業所 大阪府 66 占部大観堂製薬㈱ 福岡県 67 エナジック㈱ 静岡県 68 東京ポンパドウル 船橋 千葉県 69 東京ポンパドウル 新越谷 埼玉県 70 ㈱玄聖 瑞穂細渕倉庫 東京都 71 ㈱ミカ食品 本社 神奈川県 72 住岡食品㈱浜北工場 静岡県 73 富山薬品㈱ 富山県 74 横浜ポンパドウル そごう横浜店 神奈川県 75 油六薬品㈱ 奈良県 76 フェイスラボ㈱ 掛川工場 静岡県 77 酒田米菓㈱ 鳥海山麓工場 山形県 78 丸昌稲垣㈱上郷工場 長野県 79 東京ポンパドウル 八王子 東京都 80 東京ポンパドウル 宇都宮 栃木県 81 ポンパドウル 熊本店 熊本県 82 ポンパドウル 小倉店 福岡県 83 横浜ポンパドウル 天満橋店 大阪府 84 横浜ポンパドウル 名古屋店 愛知県 85 横浜ポンパドウル 奈良橿原店 奈良県 86 窪田味噌醤油㈱ 千葉県 87 角光化成㈱緑の里工場 茨城県 88 ㈱秋田今野商店 秋田県 89 山田屋醸造 福島県 90 ㈱北食(ホクショク) 北海道 91 有限会社おたまや 山形県 92 ㈲斎藤酒造場 徳島県 93 いとげん伊藤元三郎商店 北海道 94 金剛薬品㈱名古屋支店 愛知県 95 美作そうめん山本 岡山県 96 太陽エフ・ディ㈱ 徳島県 97 アダプトゲン製薬㈱可児工場 岐阜県 98 東洋カプセル㈱芝川工場 静岡県 99 ㈱三協 日の出工場 第2倉庫 静岡県 100 ㈲フィリング・ラボ 東京都 101 ㈱三協 日の出工場 第4倉庫 静岡県 102 日本ヘルス㈱厚木工場 神奈川県 103 ㈱敬明 熊本県 104 株式会社島田製薬 静岡県 105 富山薬品㈱ 富山県 106 ㈱ココサプリ 東京都 107 ㈱アジテック・ファインフーズ 岩手県 108 山本漢方製薬㈱ 愛知県 109 園田学園女子大学 食物栄養学科 兵庫県 110 ㈱玄聖 瑞穂細渕倉庫 東京都 111 愛しとーと 唐津支店 佐賀県 112 福山黒酢㈱福山第二工場 鹿児島県 113 戸倉商事㈱ママパン事業部 滋賀県 114 海洋食品豆腐よう事業部  沖縄県 115 ㈱JCC わだや 沖縄県 116 (個人名) 沖縄県 117 沖縄ハム総合食品株式会社 沖縄県 118 石川酒造場 沖縄県 119 京都グレインシステム㈱奈良工場 奈良県 120 フジヨシ醤油㈱ 大分県 121 ㈲河野酢味噌製造工場 岡山県 122 ㈲馬場商店 岡山県 123 三生医薬㈱南陵工場 静岡県 124 ㈱千草西崎工場 沖縄県 125 ㈱青い海 沖縄県 126 ㈱イワセ・エスタ神奈川支店 神奈川県 127 ㈱八宝商会 千葉県 128 ㈱アイ・エム・エス 東京都 129 ㈱ウメケン 富山工場 富山県 130 ㈱アスナロ化工研究所 大阪府 131 三生医薬㈱南陵工場 静岡県 132 ㈱ GSIクレオス 大阪支店機械機能部 大阪府 133 森川健康堂㈱第3工場 熊本県 134 ㈱ GSIクレオス 大阪支店香粧品部 大阪府 135 オッペン 化粧品㈱滋賀工場乳液倉庫 滋賀県 136 ㈲竹屋食品 広島県 137 ㈱りあん 山梨工場 山梨県 138 株式会社カザミフーズ 栃木県 139 ㈱OMUクリエイト 広島県 140 山高味噌㈱ 長野県 141 ㈱竹屋 長野県 142 ㈱丸三 高知県 143 ドギ-フ-ズ 購買管理【福岡支店】 福岡県 144 ドギーフーズ㈱ 宗像工場 福岡県 145 ㈱森田草楽堂 奈良県 146 博多薬膳 麹・味噌商店 福岡県 147 ㈱薫製倶楽部 岡山県 148 荒川商事㈱ 京都府 149 ㈲篠崎ベーカリー 愛媛県 150 いが漢方内科 金のさじ診療所 兵庫県 151 ㈱松山丸三 配送センター 愛媛県 152 元気パン工房 ごぱん 香川県 153 ていね・さくら館 北海道 154 金丸富貴堂㈱ 北海道 155 金丸富貴堂㈱函館支店 北海道 156 カギ の キーステーション 大野 佐賀県 157 ㈱仲蔵商店 新潟県 158 ㈲丸井伊藤商店 長野県 159 トップフーズ㈱ 茨城県 160 ㈱金谷ホテルベーカリー 栃木県 161 ㈱ジャストベイクアミー 石川県 162 ㈱中国リス食品販売 岡山県 163 パンドコロモーデ 京都府 164 ㈲ベーカリーオロン 長崎県 165 大塚食品㈱徳島食品部門 徳島県 166 太冠酒造㈱ 山梨県 167 ㈱コウリョー 岡山県 168 合名会社 関東屋商店 京都府 169 ㈱三協 日の出工場 第1倉庫 静岡県 170 日成興産株式会社 大阪府 171 サンヨー山梨デンカシステム㈱ 山梨県 172 ㈱エーデルワイス 埼玉県 173 ㈱タララボ 佐賀県
令和6年3月28日薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会新開発食品調査部会新開発食品評価調査会及び指定成分等含有食品等との関連が疑われる健康被害情報への対応ワーキンググループの合同開催 資料 ,薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会新開発食品調査部会新開発食品評価調査会指定成分等含有食品等との関連が 疑われる健康被害情報への対応ワーキンググループ(第5回)資料,審議会,研究会,検討チーム,厚生労働省,Ministry of Health, Labour and Welfare,mhlw,遺伝子組換え,バイオテクノロジー,ゲノム,健康食品,指定成分,健康被害情報|厚生労働省
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wangwill · 8 months
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1967年臺灣
H:「 棄我 去者,昨日之日不可留。」昨日不曾紀錄則只能拼凑,1967年是怎樣的日子,查查。國小之開始,識字之旅的開始。20240125W4
網路資料:
[出典]  李白    《 宣州謝脁樓餞別校書叔云》
      注:
        1、 宣州謝朓樓餞別校書叔云 李白
             棄我 去者,昨日之日不可留;
             亂我心者,今日之日多煩憂。
             長風萬里送秋雁,對此可以酣高樓。 
             蓬萊文章建安骨,中間小謝又清發。
             俱懷逸興壯思飛,欲上青天攬明月。
             抽刀斷水水更流,舉杯銷愁愁更愁。
             人生在世不稱意,明朝散發弄扁舟。
1967年12月,蔣決定實施九年國民義務教育,所需經費極為龐大,為籌措財源,乃實施加稅計畫,以達成預算平衡。自1968年台灣開始實施九年國民義務教育,為學制之重大改革。[14]:187高等教育以研究高深學術,培養專門人材為宗旨。[14]:187提倡建教合作及技藝訓練。[14]:187
維基百科介紹:
政府
國家正副元首
總統:蔣中正
副總統:嚴家淦
五院首長
行政院院長:嚴家淦(副總統兼任)
立法院院長:黃國書
司法院院長:謝冠生
考試院院長:孫科
監察院院長:李嗣璁
省政府主席
臺灣省政府主席:黃杰
福建省政府主席:戴仲玉
大事記
胡金銓執導之《龍門客棧》及張徹執導之《獨臂刀》,開啟武俠電影熱潮[2]:744。
1月
1月12日——丘念台病逝東京(廣東鎮平縣人,為臺灣先賢丘逢甲之子,曾任臺灣省民政廳長、中國國民黨臺灣省黨部主任委員,為臺灣耆宿。)[2]:734。
1月13日——金門東北激烈空戰,空軍擊落中共米格十九型機2架[2]:734。
1月15日——南投縣第五屆縣長補選由林洋港當選[2]:734。
1月17日——越南共和國國防部長阮友固訪臺(1967年4月2日,商業部長阮景天恩訪臺;4月29日,外交部長陳文杜訪臺;6月20日,教育部長阮文詩訪臺;7月31日,農業部長林文智訪臺。)[2]:734。
1月27日——臺灣省政府主席黃杰簽訂興建曾文水庫工程顧問合約(10月31日,曾文水庫動工興建;12月7日,行政院核准臺灣省發行糧食債券,作興建水庫經費。1969年4月14日,決定降低水庫大壩10公尺,發電量由10萬瓩減為5萬瓩。)[2]:734。
1月30日——國防部長蔣經國著《風雨中的寧靜》一書出版[2]:734。
1月31日——經濟部長李國鼎率團參加在西貢開幕之「中、越經濟合作會議」[2]:735。
2月
美國駐聯合國首席代表高德柏謁見蔣中正,討論當前世界局勢[3]:116。
2月1日——公布設置動員戡亂時期國家安全會議,以黃少谷為秘書長,原國防會議撤銷[2]:735。
2月3日——臺、日簽訂食米外銷協定,日本購臺米5萬公斤[2]:735。
2月6日——發布周至柔、蔣經國、袁守謙分別為國家安全會議建設、動員、戰地政務三委員會主任委員[2]:735。
2月13日——特任唐縱、劉增華、陳嘉尚、孫秉乾分為駐韓國、賽浦路斯、約旦、多明尼加等國大使(3月1日,唐縱呈遞到任國書;5月17日,孫秉乾呈遞到任國書。)[2]:735。
2月18日——行政院決定成立人事、事務、法制、研究等四機構,訂定中央與地方權責劃分方案[2]:735。
2月19日——韓國國防部長金聖恩(韓語:김성은 (군인))訪問臺灣[2]:735。
2月21日——特任保君建、王世明、劉藎章等分別為駐土耳其、科威特、伊朗等國大使(5月17日、5月20日、5月22日,劉藎章、王世明、保君建分別呈遞到任國書。)[2]:735。
2月22日——韓國國會議長李孝祥(韓語:이효상)抵台訪問[4]。
2月27日——臺灣省政府通過桃園中壢鎮升為縣轄市[2]:735。
3月
蔣經國巡視馬祖列島及金門縣[5]:83。
3月1日——中華航空公司與香港當局商定開闢臺北-香港航線;國家建設計畫委員會成立;特任薛毓麟為駐加拿大大使[2]:735。
3月4日——外交部聲明反對任何國家承認外蒙,外蒙是領土[2]:735。
3月11日——土地改革紀念館在臺北市落成[2]:735。
3月16日——陸軍總司令部宣布:陸軍軍歌已由蔣中正核定,今起啟用;任命關鏞為駐賴索托王國大使[2]:735。
3月18日——特任劉宗翰為駐秘魯大使[2]:736。
3月20日——日本經濟調查團訪臺,與財經部門交換意見[2]:736。
3月22日——國防部與美軍協防臺灣灣司令部宣布,特種部隊自4月1日開始舉行為期一月之同舟演習[2]:736。
3月27日——國家安全會議科學發展指導委員會(簡稱科指會)成立,吳大猷為主任委員[2]:736;泰國國務院長他儂·吉滴卡宗訪問臺灣[6](4月1日,蔣中正三度接見,發表聯合聲明,強調清除共產威脅,確保亞洲安全。)[2]:736。
3月30日——經濟部長李國鼎訪問日本(3月31日,拜會日本首相佐藤榮作及外相三木武夫,商建鋼廠計畫並討論造船問題;4月19日,返抵臺北。)[2]:736。
4月
4月1日——中華航空公司港臺航線正式開航[2]:736。
4月4日——澳大利亞總理荷特(Harold E. Holt)訪問臺灣3天(4月6日,與蔣中正兩度會談,發表聯合公報。)[2]:736。
4月9日——前美國副總統尼克森訪問臺灣(4月11日,結束訪問臺灣。)[2]:736。
4月12日——美國宣布:中共國立音樂學院院長馬思聰投奔自由(1968年3月31日,來到臺灣。)[2]:736。
4月17日——千里達及托巴哥總督何才夫婦乘國泰航空飛機經東京抵達臺北展開為期兩星期的訪問,時任考試院院長孫科、時任外交部部長魏道明夫婦和時任僑務委員會委員長高信等人皆在機場歡迎[7];訪臺期間,何才夫婦除了勘查了臺灣中、南部各處的經濟、軍事和教育等設施以外,並特地於4月20日前往參觀國立故宮博物院,隨後與時任副總統嚴家淦夫婦、前行政院院長何應欽一級上將夫婦、魏道明夫婦、時任司法行政部(今法務部)部長鄭彥棻夫婦、時任中國國民黨中央委員會秘書長張寶樹夫婦和時任外交部次長楊西崑夫婦及夏功權夫婦等人共同在圓山大飯店慶祝何才的62歲壽辰[7][8]。何才夫婦臨走時,魏道明、何應欽、時任僑務委員會副委員長何宜武和時任外交部次長桂宗堯等人皆前往機場送行[8]。
4月21日——漁業考察團訪問菲律賓,為中、 菲漁業合作奠定基礎[2]:737。
5月
5月1日——經濟部核准設立「中、日合資」臺灣畜產公司[2]:737。
5月4日——美國國務卿魯斯克及助理國務卿彭岱在美國眾議院作證,盛讚臺灣經濟繁榮與農技援外成就[2]:737。
5月6日——副總統兼行政院長嚴家淦啟程經日本赴美訪問21天(5月7日,與日本首相佐藤榮作就中國大陸動亂及越南問題會談;5月9日,與美國總統詹森兩度會談;5月11日,發表聯合聲明,同意互相諮商應付中國大陸情勢發展;5月26日,返回臺灣。)[2]:737。隨行人員包括:經濟部部長李國鼎、外交部政務次長沈錡暨夫人、行政院國際經濟合作發展委員會祕書長陶聲洋等。並前往阿靈頓國家公墓獻花致意、謁甘迺迪之墓。之後亦參訪派屈克空軍基地、甘迺迪太空中心、紐約聯合國大廈等地。訪問期間爭取到美援停止之後,各項經濟合作計畫,使美方同意加強科技交流,在駐華大使館中,設立科技參事,中華民國政府則在行政院之下,成立國家科學委員會,以促進產業升級[9][10]。
5月11日——行政院通過臺北市自7月1日改制為院轄市,並將景美、木柵、內湖、南港、士林、北投6鄉鎮併入[2]:737。
5月20日——中國農民銀行在臺灣復業[2]:737。
5月23日——美國助理國務卿斯柯(Joseph J. Sisco)訪問臺灣3天[2]:738。
5月29日——反共救國軍部隊登陸山東支援敵後游擊作戰,與解放軍發生戰鬥[2]:738。
6月
蔣經國再度巡視馬祖列島及金門縣[5]:83。
6月2日——美國驅逐艦「金伯利號」正式移交臺灣海軍[2]:738。
6月7日——「中、日貿易經濟會議」在臺北揭幕,商討農產品進出口及機械人纖維原料價格,並研討保護工業所有權問題(6月14日,閉幕。1968年7月23日,第二屆會議在東京揭幕。);臺灣與聯合國共同合作發展食品加工計畫實施方案簽字生效[2]:738。
6月11日——臺灣省政府發布「優待僑商來臺投資辦法」[2]:738。
6月14日——蔣中正主持首次國家安全會議,指示建設要有遠大目標和計畫,須以具現代知識科學人才為基礎;美國將新型U-17A輕航空飛機一批移交陸軍使用[2]:738。
6月16日——經濟部長李國鼎代表與聯合簽訂「社區發展公共衛生設施改善計畫」[2]:738。
6月19日——臺灣經濟發展會議在臺北揭幕,為臺灣經濟發展提出建言[2]:738。
6月20日——戚烈拉(Richard G. Ciccolella)任美軍援華顧問團團長[2]:738。
6月28日——蔣中正調動高級軍事首長:黎玉璽、高魁元分任參軍長與參謀總長,陳大慶、賴名湯、劉廣凱、劉玉章分任陸軍、空軍、聯勤、警備總司令[2]:739。
6月29日——協助港澳僑胞到臺灣投資聯絡小組成立,並制定實施「港澳僑胞來臺投資事項」,僑商到臺灣投資達到高峰(9月13日,政府組成協助港澳僑胞回國投資工作小組。)[2]:739。
6月30日——嚴家淦祝賀韓國大統領朴正熙就職,呈遞國書(7月2日,與美國副總統韓福瑞、日本首相佐藤榮作、韓國總統朴正熙等領袖在漢城舉行非正式高峰會議,談論中共核爆、越戰及經濟合作等問題;7月3日,返國。)[2]:739。
7月
7月1日——臺北市改制為院轄市,市長高玉樹、議長張祥傳同時就職;省立臺灣師範大學改制為國立臺灣師範大學;停刊19年之《東方雜誌》復刊;三軍總醫院在臺北成立;吳修齊、高清愿合組統一企業[2]:739。
7月4日——外交部長魏道明抵達曼谷出席亞太理事會第二屆部長級會議;美國海軍軍令部長穆勒(Thomas H. Moorer)訪問臺灣3天[2]:739。
7月5日——臺灣省政府通令各縣市應即恢復設置國語推行委員會[2]:739。
7月7日——教育部長閻振興表示,明年秋天延長國民義務教育至9年(8月3日,行政院通過「九年國教實施綱要」。)[2]:739。
7月8日——體育界耆宿江良規(1914-1967)病逝(浙江奉化人,為馳譽國際之體育家,著有《體育學原��》等書。)[2]:739。
7月9日——外交部次長楊西崑第19次訪問非洲[2]:739。
7月17日——邱約翰(John L. Chew)接任美軍協防臺灣司令[2]:740。
7月22日——臺灣拆解廢船工業超過日本,躍居世界第一[2]:740。
7月24日——樞機主教田耕莘(1890-1967)病逝(山東陽谷人,曾任輔仁大學復校後第一任董事長,為遠東區第一位樞機主教。);美國運通銀行臺北分行開業[2]:740。
7月28日——中華文化復興運動推行委員會成立,蔣中正擔任會長(11月2日,委員會擬定「中華文化復興運動推行計畫」;11月3日,臺灣省政府訂定「推行中華文化復興運動實施要點」;3月29日,《中華文化復興月刊》創刊。)[2]:740。8月,聘孫科、王雲五、陳立夫為文化復興委員會副會長[3]:116。
8月
8月4日——任命丁懋時、沈祖潯、李興南與黃正分別為駐剛果、盧安達、尼日及加彭等國大使[2]:740。
8月6日——副總統嚴家淦向梁實秋致賀其翻譯《莎士比亞戲劇全集》功成[2]:740。
8月7日——行政院發布「國家科學委員會組織規程」,由吳大猷任主任委員(8月14日,由長科會改組之國家科學委員會成立;10月13日,改組完成,設自然及數學、人文及社會、生物及醫農、工程及應用、科學及教育等五委員會。)[2]:740。
8月12日——蔣中正主持國家安全會議,通過由總統依照臨時條款,以命令規定延長九年國民教育年限(8月26日,行政院頒令自1968年起實施九年國教;12月3日,國際經濟合作發展委員會撥款新臺幣7億餘元,補臺灣省及臺北市推展九年國教;12月13日,行政院決定中美基金撥6億8千餘萬元,作為建國中教室之用。1968年1月2日,由中央指撥公地建校;1月4日,成立延長國民教育工作小組;1月9日,決定統一編印國中教科書;1月26日,78所國中破土興建。);監察院投票同意15位大法官,張金蘭成為第一位女性大法官[2]:740-741。
8月15日——總統府資政孔祥熙病逝紐約(山西太谷人,曾任行政院長、財政部長,長期主持國民政府之財政。)[2]:741。蔣中正馳電弔唁,並手撰「孔庸之先生事略」[3]:116。
8月29日——教育部在美國教育文化事業顧問委員會主任委員郭秉文逝世(江蘇青浦人,曾任東南大學校長、財政部次長兼中英貿易協會主任等職,為中國現代高等教育事業之先驅。)[2]:741。
9月
世盟第一屆會議在台北舉行,共有64個國家與地區、以及12個國際反共組織參加,谷正綱當選第一屆理事會主席。大會通過了世界反共宣言與世界反共聯盟共同綱領[11][12][13]。
9月7日——日本內閣總理大臣佐藤榮作訪臺(9月8日,兩度與蔣中正會談;9月9日,發表聯合公報,強調加強團結,實現亞太區域和平與繁榮。)[2]:741。佐藤榮作兩度晉見蔣商討臺日共同問題,並就當時世局及中國大陸中共情勢交換意見[3]:116-117。
9月12日——蔣接見日本記者發表談話,指出中共內部必陷長期混亂,盼日本人尊重東方傳統,不使共產主義有滲透之機會,唯有臺日加強合作,始能達到此一目的[3]:117。
9月16日——人事行政局成立(7月27日,蔣中正明令設置;8月4日,任命王正誼出任人事行政局長。)[2]:741。
9月17日——美國總統科學顧問賀尼克(Donald F. Hornic)率專家到臺灣,協助臺灣發展科學(9月23日,離臺,建議增加科技經費及培植人才;11月16日,訪臺後建議政府應以土地改革精神,全力加速科學與技術發展。)[2]:741。
9月19日——駐越大使館遭越共爆炸,房屋三分之一被毀(9月26日,暴徒供稱係越共主謀,企圖殺害大使胡璉。)[2]:741。上午10時30分,有兩匪徒混入大使館,將爆炸物安放於胡璉二樓辦公室下面引爆,一時轟然巨響,大使館樓板全部震塌[14]:250。大使館建築物一樓全毀,大使胡璉倖免於難[15]。
9月25日——世界反共聯盟第一屆大會在臺北舉行,67國及13個國際反共組織代表與會(9月29日,通過「世盟共同綱領」與「世盟宣言」後閉幕。)[2]:742。
9月28日——史學家錢穆夫婦自香港飛到臺北定居[2]:742。
9月30日——經濟部長李國鼎與世界糧食組織簽訂「臺灣東部農地開發計畫」實施方案[2]:742。
10月
10月5日——中華航空公司增闢至新加坡、曼谷、馬尼拉及漢城4條國際航線[2]:742。
10月6日——行政院副院長黃少谷代表蔣中正赴加拿大訪問(10月9日,與加國總理皮爾遜(Lester Bowles Pearson)會商兩國加強合作問題;10月17日,返回臺灣。)[2]:742。
10月13日——臺灣與美國簽訂紡織品兩項新協定[2]:742。
10月20日——「中、日貿易協進會」第一次會議在東京舉行(1969年11月17日,舉行第三次會議,臺方代表促成日方採有效措施,縮小貿易差距。)[2]:742。
10月21日——日本外相三木武夫表示對臺政策保持「吉田書簡」精神[2]:742。
10月30日——慶賀越南共和國阮文紹就職,參謀總長高魁元率特使團呈遞國書[2]:743。
11月
11月2日——美援贈臺灣海軍之驅逐艦安陽號抵達臺灣[2]:743。
11月12日——中國國民黨第九屆五中全會揭幕(11月23日,閉幕,選出嚴家淦等19位中央委員。)[2]:743。
11月19日——反共游擊隊突擊廣東惠陽縣平潭機埸,毀中共米格十九型機八架[2]:743。
11月23日——蔣經國再度連任中央常務委員會委員[16]:521。
11月27日——國防部長蔣經國訪問日本(12月2日,返回臺灣。)[2]:743。日本天皇裕仁接見蔣經國時表示永不忘懷蔣中正寬大德意;日本國民1萬5千餘名在東京舉行感謝蔣大會[3]:117。
11月28日——聯合國大會表決「中國代表權問題」,以58對45票,17票棄權,擊退共黨及不結盟國家欲使中共進入聯合國之企圖[2]:743。
11月29日——蔣中正發布行政院長局部改組:俞國華任財政部長,查良鑑任司法行政部長,孫運璿任交通部長,蔣彥士為行政院秘書長;考試院副院長程天放逝世(江西新建人,曾任安徽省教育廳長、浙江大學校長、駐德國大使;政府遷臺後,先後任教部長、考試院副院長等職。)[2]:743-744。
7月30日——行政院通過「中、美資源交換計畫」[2]:744。
12月
12月5日——副總統兼行政院長嚴家淦指示各機關,提高改進行政效率,推行分層負責制度,政府並頒實施準則[2]:744。
12月8日——前日本首相岸信介訪問臺灣;陸軍總司令陳大慶代表政府接受美國贈送之最新型戰車一批[2]:744。岸信介率團謁見蔣中正[3]:118。
12月12日——「中、美農產品協定」在臺北簽字,美國繼續提供臺灣農產品兩年3,750萬美元,半數為協助友好國家之用[2]:744。
12月13日——歷史學家湯恩比訪問臺灣[2]:744。
12月16日——臺、日簽訂5項貸款協定,計979萬1,000美元,購置設備用於建設[2]:744。
12月22日——駐賴比瑞亞大使楊繼曾代表與賴國簽訂「中、賴農技合作新協定」[2]:744。張群任慶賀賴比瑞亞總統、副總統就職典禮特使,順道訪問象牙海岸,歸途訪問美國[17]。
出生
參見: 1967年出生
1月8日——
陳明真,女歌手。
劉醇逸:政治人物,是移居美國的台灣人。
1月10日——林靖傑:導演。
1月13日——徐薇,英文補教名師。
1月15日——羅明才:政治人物,是羅福助之子。
1月17日——玉尚:演員,是呂盈瑩前夫。
1月21日——安幼琪:新聞主播、主持人。
1月22日——蔡淑惠:政治人物。
1月25日——吳蒙恩:導演。
1月30日——黃榮山:力學家。
1月31日——王祖賢,演員、歌手。
2月1日——
賴有賢,漫畫家。作品有《真命天子》、《小和尚》。
秦偉:主持人、通告藝人。
2月2日——
劉櫂豪,法官、政治人物。現任立法委員。
林有志:政治人物,曾任花蓮市市民代表、花蓮縣議員、行政院客家委員會諮詢委員。
2月5日——
拾方方:登山家,是首位在聖母峰遇難的台灣人。
簡余晏:政治人物。
2月6日——陳孫華:造型設計師。
2月8日——
牛爾:化妝師。
張正憲:棒球捕手,現被終身禁賽。
2月11日——陳政賢:棒球選手。
2月16日——顧玉玲:作家、社會運動人士。
2月22日——溫士凱:作家、講師、廣播主持人。
3月1日——蕭淑麗:政治人物。
3月2日——詹雅雯,知名臺語歌手。
3月3日——沈慧虹:政治人物、鐵道站務員,曾任奮起湖車站站長、新竹市交通處處長、新竹市副市長。
3月7日——歐崇敬:教授。
3月11日——
方季惟:歌手、演員。
郭國文:政治人物。
侯駿逸:角力運動員。
3月12日——尹乃菁:主持人。
3月21日——車宜靜:文化工作者,現任世界至孝親篤舜裔總會秘書長。
3月26日——張信哲,歌手。
4月2日——宋明宗:政治人物。
4月11日——王自強:演員。
4月15日——陳宗彥:政治人物,曾任行政院發言人、內政部政務次長、中央流行疫情指揮中心副指揮官。
4月21日——
蔡秋鳳:歌手。
劉志昇:棒球領隊。
4月24日——賴義鍠:政治人物。
4月26日——九孔,本名呂孔維,藝人、諧星。
4月28日——
包小松:歌手、主持人、音樂製作人,是張雅婷之夫、包小柏之兄。
包小柏:歌手、演員、主持人、音樂製作人,是包小松之弟。
4月29日——平凡:漫畫家。
4月30日——
張宇,男歌手。
田麗:演員、主持人、果農。
5月13日——徐超斌:醫師。
5月16日——楊朝偉:政治人物。
5月18日——李慶鋒:政治人物。
5月19日——趙詠華:歌手。
5月25日——
辜仲立,企業家,出身鹿港辜家。辜濂松三子。其兄辜仲諒、辜仲瑩。
吳鈞堯:作家。
5月28日——康康,本名康晉榮。綜藝節目主持人和歌手。
5月30日——丁國琳,女演員。
6月6日——
林美秀:演員、主持人。
楊靚姝:編劇。
6月7日——謝榮雅:工業設計師。
6月13日——陳文治:政治人物,曾任新北市議會副議長。
6月19日——陳震:歌手。
6月21日——馬維欣:演員、主持人、通告藝人,是馮光榮前妻。
6月24日——劉志宏:音樂製作人。
6月30日——王中平:歌手、演員,是余皓然之夫。
7月1日——
簡郁珊:音樂家。
單承矩:演員、導演、編劇、製作人。
7月3日——游梓翔:教授。
7月6日——
鄭文燦,政治人物。曾參與野百合學運,2014年當選桃園市長。
萬芳:歌手、演員、廣播主持人。
高景炎:籃球運動員。
7月18日——林錦昌,小說家、政治人物。曾任台北市政府新聞處處長。
7月19日——
李興文,男演員。曾參與電影《報告班長》、電視劇《流氓教授》、《意難忘》演出。
周可平:圍棋棋士。
7月21日——黃奕睿:會計師。
7月23日——楊潔玫:演員。
7月24日——宋少卿:相聲、演員、主持人。
7月31日——蔡海如:藝術策展人。
8月1日——
陳建年:歌手、警務人員,曾任蘭嶼分駐所副所長。
曾貴章:棒球選手,現被終身禁賽。
8月2日——王光熙:棒球選手,是王光輝之弟,現被終身禁賽。
8月5日——顧婕:演員。
8月10日——曲全立:導演。
8月11日——鄒兆龍:演員,是翁慧德之夫,曾在好萊塢參與電影《駭客任務》第二、三集演出。
8月12日——
黃俊傑,棒球選手,曾經效力於中華職棒時報鷹隊。
傅家森:消防員。
8月14日——曾淑勤,女歌手。
8月17日——
王耿豪:演員。
孟廣美:演員、主持人、模特兒,是台灣首位登上好萊塢的女藝人,現移居北京。
8月19日——胡一虎:新聞主播,原是華視主播,後轉赴香港鳳凰衛視。
8月23日——陳耀川:音樂製作人。
8月26日——蘇昭旭:鐵道研究家。
8月29日——邵昕:演員。
9月4日——四方:演員。
9月7日——吳小莉:新聞主播,原在華視擔任主播,1993年後轉赴香港鳳凰衛視。
9月8日——張萬康:小說家。
9月16日——
趙豐邦,花式撞球運動選手,有「冷臉殺手」之稱。
屈中恆:演員、主持人、配音員。
9月17日——楊秀玉:政治人物,現任基隆市議會副議長。
9月18日——
徐輔軍:導演,以2004年電影《夢遊夏威夷》獲得杜維爾影展最佳影片獎。
陳明義:政治人物,是陳世軒之父。
9月19日——
許淑蘋:演員,是張傑勛之妻。
盧秀芳:新聞主播,是盧秀燕之妹。
9月22日——張傑勛:演員,是許淑蘋之夫。
9月26日——林玉珍:新聞主播。
9月28日——朱國珍:作家、主持人、新聞主播。
10月1日——簡文彬:指揮家。
10月6日——汪用和:新聞主播,是周守訓之妻。
10月7日——林俊泓:導演。
10月8日——吳建樟:翻譯家。
10月11日——劉小芸:配音員。
10月12日——黃忠義,棒球選手。
10月16日——韓羅賢:音樂製作人、經紀人。
10月17日——
林小樓:演員。
黃國華:小說家。
10月19日——賴芳玉:律師。
10月22日——徐佳青:政治人物。
10月24日——劉增鍇:相聲。
10月25日——姚可傑:歌手,是東方快車主唱。
10月29日——徐承義:演員、企業家,是瓦城泰統集團創辦人。
10月31日——
黃柏霖,政治人物。現任高雄市議員,叔叔黃啟川曾任議長。
何淑峯:政治人物。
劉海若:新聞主播,原是TVBS晚間主播,2000年後轉赴香港鳳凰衛視。
11月1日——
洪敬堯:歌手,是洪一峰之子、洪榮宏之弟。
汪平雲:律師、政治人物,曾任蒙藏委員會委員。
11月4日——柯淑勤,女演員。代表作《孽子》。
11月6日——
宋達民:歌手、演員、牧師,是宋逸民之弟。
宋逸民:歌手、演員、牧師,是宋達民之兄。
11月7日——焦恩俊,藝人演員。
11月9日——江國賓,男演員。代表作《台灣霹靂火》、《台灣龍捲風》、《金色摩天輪》,早年以飾演反派角色較具代表性。
11月10日——沈懷一:歌手、社會運動人士。
11月17日——王美雪:演員。
11月18日——劉亮佐,藝人,曾主持三立電視台節目『在台灣的故事』。
11月19日——
侯志堅:鍵盤手、音樂製作人,是東方快車成員之一。
游素蘭:小說家、漫畫家,是喬英之姊。
桑茂森:籃球教練。
11月20日——周奕成:政治運動人士,曾任中華民國總統府諮議、行政院政務顧問。
11月21日——陳思安:歌手。
11月25日——謝采妘:歌手,現移居馬來西亞。
11月27日——陳湘琪:演員、教授,現任教於國立臺北藝術大學電影創作、劇場設計二系。
12月14日——卓天麟:棒球選手。
12月15日——陳進益:配音員。
12月16日——周玲妏:政治人物,曾任高雄市政府觀光局局長。
12月17日——王文華:作家。
12月20日——
陳文山:演員。
蕭雅全:導演。
12月21日——李哲華:幕僚,曾任台北市民政局機要秘書、葉金川副秘書長辦公室主任、林益世立委辦公室主任。
12月23日——陳淑芬:漫畫家。
12月24日——沈玉琳,藝人、電視節目製作人及主持人。
逝世
1月12日——丘念台,政治人物,丘逢甲之子。(1894年出生)。
3月11日——楊仲鯨,政治人物,首屆民選花蓮縣長。(1898年出生)。
3月27日——吳新榮,醫師、作家及政治人物(1907年出生)。
吳燕生 詩人 °吳鸞旂孫女、吳子瑜女兒°大正三年出生於北平,得年 62歲°
參考來源
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