#木村榮一
Explore tagged Tumblr posts
Text
不意に人が入って来そうで落ち着かないので、ドアに背をむける格好で愛用のひじ掛けいすに腰をおろし、左手で緑のビロードを撫でながら残りの章を読みはじめた。人物のイメージや名前が頭に残っていたので、たちまち小説の架空の世界に引き込まれた。読み進むうちに、まわりの現実が遠のいてゆく。頭はビロードの背もたれにゆったりもたれかかり、煙草は手の届くところにある。大窓のむこうでは夕暮れの大気が樫の木の下で戯れている。なにか罪深い楽しみを味わっているような気持ちになった。
— コルタサル作/木村榮一訳「続いている公園」(『遊戯の終わり』2012年6月、岩波文庫)
2 notes
·
View notes
Quote
2024年1月5日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会) (氏 名) 令和3年 12月31日 死亡 9581 東京 尾原 英臣 令和5年 4月3日 死亡 11824 愛知県 中村 誠治 6月21日 死亡 9075 第一東京 川上 弘 9月15日 死亡 8423 第二東京 大村金次郎 9月27日 死亡 6882 東京 笠原喜四郎 10月7日 死亡 11497 静岡県 杉田 雅彦 10月8日 死亡 8755 東京 佐々木敏行 10月15日 死亡 14256 福岡県 吉田 徹二 10月16日 死亡 29385 大阪 光藤 景皎 10月25日 死亡 17886 神奈川県 會田 恒司 10月25日 死亡 32423 第一東京 津島 雄二 10月26日 死亡 15912 第一東京 鈴木 醇一 10月27日 死亡 9893 第二東京 三宅 能生 10月31日 死亡 8194 岡山 一井 淳治 11月1日 請求 19895 神奈川県 古川 武志 11月2日 死亡 20042 愛知県 佐藤 健三 11月3日 死亡 12707 第二東京 小川 英長 11月5日 請求 19666 第一東京 宮川美津子 11月7日 死亡 31300 岡山 江口 三角 11月9日 死亡 12165 香川県 吉田 正己 11月10日 請求 13865 兵庫県 古川 靖 11月11日 死亡 15607 栃木県 増渕 博史 11月13日 死亡 24317 沖縄 古謝 榮一 11月21日 死亡 12572 東京 佐治 融 11月29日 請求 16271 東京 飯野 紀夫 11月29日 請求 60325 東京 坂橋 杏奈 11月30日 請求 10850 広島 高村 是懿 11月30日 請求 31249 新潟県 鯰越 溢弘 11月30日 請求 35022 第一東京 龍岡 資晃 11月30日 請求 61567 愛知県 柳 勝司 11月30日 請求 61634 神奈川県 荒井 和子 2024年2月5日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会) (氏 名) 10月20日 死亡 46183 京都 柏 祐輔 11月7日 死亡 6768 第二東京 飯畑 正男 11月11日 死亡 7724 第一東京 平松 久生 11月13日 死亡 12304 大阪 白井 皓喜 11月16日 死亡 18969 東京 中村 治郎 11月22日 死亡 32541 大阪 八木 倫夫 12月1日 死亡 7169 第二東京 鈴木喜三郎 12月2日 死亡 14028 愛知県 塚田 昌夫 12月3日 死亡 10373 栃木県 竹田 平 12月4日 死亡 21641 東京 飯田 修 12月4日 死亡 44178 第二東京 半田 秀夫 12月5日 死亡 8363 静岡県 石田 享 12月6日 法17条3号 34544 東京 山下 智行 12月8日 死亡 15215 大阪 中北龍太郎 12月9日 死亡 54920 兵庫県 重内 孝太 12月12日 請求 9018 第二東京 五三 雅彌 12月12日 請求 27768 神奈川県 越川 純哉 12月12日 請求 35125 富山県 早川 元雄 12月12日 請求 43970 第一東京 寳金 敏明 12月13日 請求 15564 愛知県 佐藤 有文 12月13日 請求 57444 大阪 福井謙多朗 12月16日 請求 14185 熊本県 森山 義文 12月25日 請求 9820 愛知県 桑原太枝子 12月27日 請求 14739 大阪 直江 達治 12月27日 請求 22092 大阪 船戸 敏幸 12月27日 請求 59013 東京 山田 美香 12月27日 請求 60758 大阪 伊藤 匠 12月29日 請求 53761 第一東京 小野 航介 12月30日 請求 27041 第一東京 大森 政輔 12月31日 請求 20942 千葉県 土田 耕司 12月31日 請求 25709 岡山 奥村 雅弘 12月31日 請求 26305 第一東京 牧野 利秋 12月31日 請求 26711 東京 佐藤 文昭 12月31日 請求 35146 鹿児島県 中谷 文恵 12月31日 請求 38208 福岡県 渡邊 典子 12月31日 請求 44068 大阪 下田 慧 12月31日 請求 46208 神奈川県 吉村 弘 12月31日 請求 49781 東京 飯島 勝義 12月31日 請求 53428 第二東京 石川 晋也 12月31日 請求 53855 福岡県 林田 宗一 12月31日 請求 55223 東京 岩崎 ��紀 12月31日 請求 55672 千葉県 藤井真沙美 12月31日 請求 58860 鹿児島県 片平 裕三 12月31日 請求 60367 東京 木村 明恵 12月31日 請求 63087 静岡県 小林 新吾 12月31日 請求 63754 第二東京 草野 健太 2024年3月7日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会) (氏 名) 令和5年 9月5日 死亡 8762 東 京 飯塚 孝 10月5日 死亡 14595 千葉県 重田 宏明 11月22日 死亡 7578 神奈川県 髙山 尚之 12月8日 死亡 39600 広島 松岡 幾男 12月16日 死亡 12072 東京 増田 英男 12月19日 死亡 9011 第二東京 鈴木 誠 12月21日 死亡 29384 大阪 松岡 正章 12月22日 死亡 11782 福岡県 三浦 啓作 12月23日 死亡 12964 第一東京 飛田 政雄 12月25日 死亡 12911 第二東京 阿部 博 12月26日 死亡 23308 沖縄 渡嘉敷唯正 12月27日 死亡 12515 大阪 井上 善雄 12月27日 死亡 18409 東京 溝口 敬人 12月28日 死亡 15279 第一東京 遠藤 哲嗣 12月28日 死亡 18809 大阪 辻 芳廣 12月31日 死亡 24089 第二東京 椎野 秀之 12月31日 死亡 25091 第一東京 藤田 耕三 令和6年 1月1日 死亡 7433 大 阪 久田原昭夫 1月2日 死亡 9585 東京 小林 健男 1月4日 死亡 17672 東京 吉峯 康博 1月5日 死亡 14329 埼玉 町田 宗男 1月5日 死亡 19399 京都 三重 利典 1月5日 法17条3号 20841 静 岡 県 西河 修 1月11日 請求 16853 第二東京 山田 一郎 1月11日 請求 22097 大阪 安元 義博 1月11日 請求 38521 広島 成廣 貴子 1月11日 請求 48182 第二東京 池末 匠 1月11日 請求 53074 第一東京 和田 賢孝 1月12日 死亡 26731 東京 原田 活也 1月13日 死亡 7716 釧路 泉 敬 1月14日 死亡 36192 神奈川県 小林 賢一 1月16日 請求 13668 大阪 春田 健治 1月16日 請求 13816 東京 井上 勝義 1月16日 請求 41777 東京 國井 敏明 1月16日 請求 50334 東京 飯田 喜信 1月16日 請求 57654 第二東京 阪口 智哉 1月16日 請求 59139 第一東京 濵口 茅乃 1月18日 死亡 41915 栃木県 太田 剛彦 1月24日 死亡 9603 東京 樋渡 洋三 1月31日 請求 5869 東京 新津 貞子 1月31日 請求 13083 東京 井出 隆雄 1月31日 請求 13356 沖縄 佐竹 道憲 1月31日 請求 13916 神奈川県 石川惠美子 1月31日 請求 15603 埼玉 中山 福二 1月31日 請求 19977 京都 橋本 皇玄 1月31日 請求 20502 熊本県 内川 寛 1月31日 請求 26828 大阪 小橋 るり 1月31日 請求 27224 第一東京 立野 憲司 1月31日 請求 30091 第一東京 菅原 史佳 1月31日 請求 36411 大阪 沢田 信治 1月31日 請求 38725 第一東京 附野 徹也 1月31日 請求 43732 第一東京 白井 啓子 1月31日 請求 46231 埼玉 沼里 豊滋 1月31日 請求 56905 第二東京 伴 俊英 1月31日 請求 57388 大阪 金 星玉 1月31日 請求 57936 東京 坪内 謙 1月31日 請求 59428 第二東京 小松 侑司 1月31日 請求 59918 神奈川県 長岡 甲樹 1月31日 請求 62892 愛知県 河野 貴昭 2024年4月2日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会) (氏 名) 令和5年 11月7日 死亡 26120 東京 手塚富士雄 12月20日 死亡 9039 三重 高橋 淳 12月29日 死亡 10448 大阪 谷 五佐夫 令和6年 1月7日 死亡 9636 東京 西嶋 勝彦 1月17日 死亡 6979 東京 山本 博 1月17日 死亡 8793 大阪 杉山 彬 1月24日 死亡 11142 福岡県 小川 章 1月24日 死亡 52195 第二東京 山田 弘司 1月25日 死亡 13484 第二東京 安井桂之介 1月25日 死亡 15746 兵庫県 池上 徹 1���25日 死亡 18227 東京 村田 敏 1月25日 死亡 26984 福岡県 松原 妙子 1月26日 死亡 12603 東京 阿部 和子 1月26日 死亡 15346 高知 田村 裕 1月26日 死亡 15771 第一東京 元木 徹 2月1日 法17条3号 20488 愛知県 大田 清則 2月4日 死亡 9041 愛知県 南舘 欣也 2月6日 死亡 8502 岐阜県 由良 久 2月6日 死亡 11543 東京 笹川 信輝 2月8日 死亡 7674 仙台 髙橋 勝夫 2月13日 請求 7809 東京 松尾 翼 2月13日 請求 9946 大阪 田中 幹夫 2月13日 請求 15836 東京 鈴木 敏夫 2月13日 請求 18403 東京 前田 知道 2月13日 請求 28814 東京 望月 眞人 2月13日 請求 47796 兵庫県 赤松舞依香 2月13日 請求 51049 東京 山元明日美 2月13日 請求 54732 兵庫県 坪山 元 2月14日 死亡 19950 第二東京 田代 則春 2月16日 死亡 28889 東京 莊 美奈子 2月19日 死亡 11370 栃木県 澤田 利夫 2月23日 死亡 55777 福岡県 岡上 貢 2月28日 請求 38157 滋賀 向川さゆり 2月28日 請求 56523 第一東京 田代 夕貴 2月29日 請求 13098 東京 榎本 昭 2月29日 請求 19364 大阪 作田與司男 2月29日 請求 22628 東京 日野 昭和 2月29日 請求 23956 千葉県 金子 宰慶 2月29日 請求 33539 埼玉 梅村 進 2月29日 請求 44298 兵庫県 山田 力 2月29日 請求 50502 長野県 根岸紘太郎 2月29日 請求 51996 広島 重永 圭志 2月29日 請求 52181 東京 左近司映子 2月29日 請求 55143 大阪 片木 研司 2月29日 請求 59051 第一東京 谷 崇彦 2月29日 請求 62117 第一東京 山本 一志 2月29日 請求 64616 熊本県 百田 圭吾 2月29日 請求 64742 京都 細尾 愛華 2024年4月24日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会) (氏 名) 1月16日 法17条3号 30404 第二東京 半田 基 2月15日 死亡 12920 第二東京 小林 實 2月20日 死亡 7206 第一東京 吉澤 貞男 2月23日 死亡 9356 群馬 角田 義一 2月26日 死亡 11361 愛知県 楠田 堯爾 2月28日 死亡 13792 東京 小澤 征行 3月1日 死亡 9563 東京 船戸 実 3月1日 請求 60753 神奈川県 堺谷ひかり 3月2日 死亡 12113 東京 佐藤 治隆 3月3日 死亡 11619 愛媛 佐伯 善男 3月3日 死亡 18926 東京 岡島 芳伸 3月7日 請求 56019 東京 堀口 智博 3月8日 請求 62968 第二東京 石河 有彩 3月9日 死亡 23668 金沢 宮前 悟 3月10日 死亡 10097 東京 朝倉 正幸 3月12日 請求 24716 東京 工藤 敏隆 3月12日 請求 47085 大阪 川尻 嘉寛 3月12日 請求 52156 愛知県 髙橋 裕 3月12日 請求 56573 大阪 秋山絵理子 3月13日 死亡 8477 愛知県 後藤 紀 3月13日 請求 9059 第一東京 松尾 陽子 3月16日 請求 40113 栃木県 石井 宏和 3月18日 死亡 23539 福島県 菅野 昭弘 3月19日 死亡 25039 第一東京 野﨑 幸雄 3月29日 請求 11150 福岡県 木上 勝征 3月29日 請求 19744 大阪 三浦 和博 3月29日 請求 32496 愛知県 神沢 昌克 3月29日 請求 41933 栃木県 園田 秀樹 3月29日 請求 62552 第二東京 赤星 遼太 3月30日 請求 49808 滋賀 奥井久美子 3月31日 請求 12052 千葉県 濱野 歳男 3月31日 請求 12568 山梨県 山田 光政 3月31日 請求 12993 神奈川県 宮本 亨 3月31日 請求 16006 京都 佐藤 義彦 3月31日 請求 16561 函館 小笠原義正 3月31日 請求 17528 兵庫県 坂本 文正 3月31日 請求 17671 東京 中田浩一郎 3月31日 請求 18514 大阪 斉藤 真行 3月31日 請求 18889 千葉県 白石 哲也 3月31日 請求 19970 第一東京 平林 正美 3月31日 請求 20127 千葉県 熊野 明夫 3月31日 請求 20394 東京 八代 宏 3月31日 請求 24973 東京 古野浩一郎 3月31日 請求 28319 東京 田部知江子 3月31日 請求 37663 東京 大串 嘉誉 3月31日 請求 41372 第二東京 世瀬 綾繪 3月31日 請求 44253 第一東京 福原 暎治 3月31日 請求 49173 兵庫県 多田 真央 3月31日 請求 49411 東京 竹内 沙織 3月31日 請求 52897 神奈川県 上村 直裕 3月31日 請求 55396 神奈川県 有賀 麻子 3月31日 請求 55693 群馬 船波 恵子 3月31日 請求 55986 東京 新井 宏基 3月31日 請求 56060 千葉県 梅澤 遥 3月31日 請求 56170 和歌山 清水 太郎 3月31日 請求 56531 第一東京 蘇武佳南子 3月31日 請求 56941 第一東京 安倍 嘉人 3月31日 請求 57664 第二東京 伊藤 正人 3月31日 請求 58537 東京 髙柳 輝雄 3月31日 請求 58715 岐阜県 後藤 茂典 3月31日 請求 60135 福岡県 児谷 創記 3月31日 請求 60405 東京 松井 絢音 3月31日 請求 60499 第一東京 髙野 双葉 3月31日 請求 61475 第一東京 脇園 隼人 3月31日 請求 63830 福井 二之宮健治 2024年6月4日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会) (氏 名) 令和5年 9月15日 死亡 9426 第一東京 湯㘴 一衛 令和6年 2月9日 死亡 12648 大 阪 桐山 剛 3月9日 死亡 6982 東京 髙橋 勝德 3月16日 死亡 15819 東京 服部 昌明 3月19日 死亡 60077 第一東京 船本 博昭 3月21日 死亡 9452 金沢 北尾 強也 3月23日 死亡 10644 福岡県 清原 雅彦 3月23日 死亡 12018 愛媛 志水 巌 3月24日 死亡 9597 東京 荒川 昭廣 3月24日 死亡 18202 大阪 関 伸治 3月26日 死亡 11982 大阪 中村 宏 3月28日 死亡 20067 大阪 今村 峰夫 3月28日 死亡 31361 第一東京 今井 良兒 3月30日 死亡 7340 仙台 阿部 秀男 3月30日 死亡 7580 岐阜県 南谷 信子 3月30日 死亡 12307 第一東京 水戸守 巖 4月1日 死亡 8021 大阪 遠田 義昭 4月1日 請求 9229 福島県 安田 純治 4月1日 死亡 12665 香川県 永井 弘通 4月1日 請求 36305 愛知県 寺島美貴子 4月1日 請求 55917 東京 立花 優 4月1日 請求 57957 第一東京 遠藤 泰祐 4月1日 請求 59070 第一東京 齋藤 愛実 4月1日 請求 61607 第一東京 丸山 英明 4月1日 請求 61608 第一東京 齋藤 拓也 4月1日 請求 61609 第一東京 矢田 悠真 4月1日 請求 61610 第一東京 金澤 康 4月1日 請求 61611 第一東京 北島 聖也 4月1日 請求 61612 第一東京 金井 優憲 4月1日 請求 61613 札幌 髙橋 祐二 4月1日 請求 61614 第二東京 増澤 融 4月1日 請求 61615 第二東京 鈴木章太郎 4月1日 請求 61616 第二東京 名取 桂 4月1日 請求 61617 第二東京 楠本 康太 4月1日 請求 61618 第二東京 中市 達也 4月1日 請求 61619 第一東京 藤原 未彩 4月1日 請求 61620 大阪 田尾 宜貴 4月1日 請求 61621 大阪 進藤 諭 4月1日 請求 61622 大阪 大山 洸来 4月1日 請求 61623 東京 須藤 洋平 4月1日 請求 61624 東京 袋井 泰輔 4月1日 請求 61625 東京 鵜飼 奈美 4月1日 請求 61626 第一東京 宮村 開人 4月2日 法17条1号 12356 東 京 小谷 平 4月3日 死亡 7538 福岡県 三浦 久 4月4日 死亡 11948 兵庫県 前田 修 4月5日 死亡 9498 和歌山 鈴木 俊男 4月7日 死亡 11368 山梨県 八巻 紀臣 4月12日 請求 46806 第一東京 沼田 徒夢 4月16日 請求 13540 愛媛 松本 宏 4月16日 請求 17411 広島 中原 秀治 4月16日 請求 23279 福岡県 森 統一 4月16日 死亡 32512 第一東京 長谷川成子 4月16日 請求 33721 神奈川県 関 哲夫 4月16日 請求 48012 東京 関口 敏光 4月30日 請求 12211 東京 大隅 乙郎 4月30日 請求 12587 東京 吉田 裕敏 4月30日 請求 13813 東京 田口 穰 4月30日 請求 16077 函館 藤原 秀樹 4月30日 請求 22235 第二東京 佐藤 長英 4月30日 請求 25784 群馬 市場 和政 4月30日 請求 26303 和歌山 矢野 計介 4月30日 請求 28083 福岡県 堀 孝之 4月30日 請求 37732 東京 栗林 拓郎 4月30日 請求 41499 大阪 沖野 憲司 4月30日 請求 47649 栃木県 野中 貴弘 4月30日 請求 54106 福岡県 武井 怜 4月30日 請求 56416 第一東京 木村 佳恵 4月30日 請求 58241 熊本県 後藤 浩一 4月30日 請求 59635 岡山 田中 宏実 4月30日 請求 63557 第一東京 吉沢健太郎 4月30日 請求 63802 山口県 綿屋 伊織 4月30日 請求 64212 東京 傳田 喜久 2024年7月2日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会) (氏 名) 3月16日 死亡 21375 京都 工藤 雅史 3月20日 死亡 14784 第一東京 関沢 正彦 3月22日 死亡 8425 第二東京 竹原 茂雄 3月28日 死亡 47959 広島 宮岡洋一郎 3月30日 死亡 10493 神奈川県 佐藤 直 4月7日 死亡 9061 第一東京 山﨑 源三 4月9日 死亡 11689 広島 山口 高明 4月11日 死亡 12960 第一東京 大浦 浩 4月13日 死亡 6742 東京 尾山 宏 4月14日 死亡 18648 東京 鈴木 祐一 4月17日 死亡 6263 大阪 島田 信治 4月17日 死亡 10080 東京 才口 千晴 4月17日 死亡 20900 大阪 今井 宏 4月24日 死亡 12359 愛知県 山田 靖典 4月26日 死亡 11581 東京 柳瀬 康治 4月26日 死亡 41964 兵庫県 東 修三 4月27日 死亡 10909 神奈川県 末岡 峰雄 4月27日 死亡 25394 兵庫県 柴田 眞里 4月28日 死亡 51940 第二東京 大薗 昌平 4月29日 死亡 37998 兵庫県 安原 浩 4月30日 死亡 13909 福岡県 山田 敦生 4月30日 死亡 14535 愛知県 長縄 薫 4月30日 死亡 14803 埼玉 新井兄三郎 5月1日 請求 39575 愛知県 丹羽日出夫 5月5日 死亡 9598 東京 石井 芳光 5月5日 死亡 9859 第一東京 藪下 紀一 5月16日 請求 14643 神奈川県 若林 三郎 5月16日 請求 19033 神奈川県 川村 清 5月16日 請求 32310 第一東京 小田真由美 5月16日 請求 61250 第二東京 由井 恒輝 5月21日 請求 17816 愛知県 加藤 知明 5月21日 死亡 23357 第一東京 佐藤庄市郎 5月21日 死亡 32699 大阪 伊藤 俊文 5月21日 請求 50142 東京 小池 洋吉 5月31日 請求 8675 第二東京 肥沼 太郎 5月31日 請求 11308 第二東京 小室 恒 5月31日 請求 14836 広島 山下 奉重 5月31日 請求 32491 第一東京 清水 勇男 5月31日 請求 38883 千葉県 鈴木 真実 5月31日 請求 40200 第二東京 井出 理恵 5月31日 請求 41425 東京 文堂 友寛 5月31日 請求 46002 東京 池田 眞一 5月31日 請求 46172 大阪 吉本 健一 5月31日 請求 53585 第一東京 綿 秀斗 5月31日 請求 56605 第二東京 菊地 悠 5月31日 請求 58075 第一東京 河瀨 雅志 5月31日 請求 59199 第一東京 浦田 まり 2024年8月6日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会) (氏 名) 令和4年 7月20日 死亡 18619 第二東京 田見 髙秀 令和6年 4月4日 死亡 15106 広 島 増田 義憲 4月11日 法17条1号 35747 広 島 加島 康介 4月24日 死亡 26401 千葉県 加藤 一隆 5月4日 死亡 12042 東京 舘野 完 5月7日 死亡 13227 東京 濵 秀和 5月11日 死亡 9610 静岡県 原 陽三郎 5月16日 死亡 21326 山形県 諸橋 哲郎 5月24日 死亡 6272 愛知県 酒井 祝成 5月25日 死亡 35065 山口県 小林 敬和 5月26日 死亡 25015 第一東京 森嶌 昭夫 5月26日 死亡 64669 愛知県 土居 隆太 5月27日 死亡 18825 大阪 増市 徹 5月28日 死亡 16172 大阪 土井 廣 5月28日 法17条3号 39449 福 岡 県 清田 知孝 5月29日 死亡 11125 熊本県 坂本 仁郎 5月30日 死亡 8717 東京 岩﨑 公 5月30日 死亡 34884 埼玉 堂ノ本 眞 6月1日 請求 37569 愛媛 岩本 直樹 6月1日 請求 41066 東京 中村 孝子 6月2日 死亡 15176 福島県 武藤 正隆 6月2日 死亡 33585 神奈川県 小柳 泰治 6月3日 死亡 19920 茨城県 海老根 遼太郎 6���4日 死亡 27668 第一東京 松本 時夫 6月9日 死亡 15799 第一東京 田中 茂 6月9日 死亡 22173 第二東京 長倉 隆顯 6月18日 請求 11823 愛知県 関口 宗男 6月18日 請求 37190 第二東京 川原 健司 6月18日 請求 58688 愛知県 今井 啓貴 6月21日 請求 13664 大分県 西山 巖 6月23日 死亡 20188 第一東京 川﨑 直人 6月28日 請求 18842 奈良 横田 保典 6月28日 請求 20409 大阪 赤木 明夫 6月28日 請求 25102 仙台 鈴木ハツヨ 6月28日 請求 27361 兵庫県 田中 賢一 6月28日 請求 59393 第二東京 片木 浩介 6月28日 請求 59961 愛知県 生沼 和史 6月28日 請求 63509 札幌 小林 楽 6月29日 請求 15979 島根県 周藤 滋 6月30日 請求 7548 東京 田中 愛子 6月30日 請求 9068 第一東京 表 久雄 6月30日 請求 10018 東京 安田 昌資 6月30日 請求 10035 東京 髙橋 明雄 6月30日 請求 10144 三重 田畑 宏 6月30日 請求 13111 東京 福田 晴政 6月30日 請求 14244 神奈川県 石橋 博 6月30日 請求 16955 秋田 渡部 聡 6月30日 請求 18352 福岡県 緒方 研一 6月30日 請求 25839 旭川 近藤 伸生 6月30日 請求 34587 高知 中川 嶺 6月30日 請求 41932 神奈川県 湯浅 勝喜 6月30日 請求 42240 金沢 廣瀬 直樹 6月30日 請求 44944 第二東京 橘 大地 6月30日 請求 45889 第一東京 岡田 康彦 6月30日 請求 48083 福岡県 坂梨 喬 6月30日 請求 51024 第二東京 岩﨑 陽介 6月30日 請求 52467 東京 田中 剛 6月30日 請求 55889 神奈川県 深川 倫世 6月30日 請求 55984 東京 澁谷 彰平 6月30日 請求 56286 第二東京 足立 理 6月30日 請求 59143 第一東京 楠木 崇久 6月30日 請求 59410 第二東京 竹内 星七 6月30日 請求 60459 神奈川県 大澤 一貴 2024年9月3日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会) (氏 名) 5月19日 死亡 21648 東 京 白井 徹 6月10日 死亡 17486 仙 台 服部 耕三 6月15日 死亡 14589 広 島 心石 舜司 6月20日 死亡 29360 第二東京 中重 正人 6月21日 死亡 8880 東 京 稲田 輝顕 6月21日 死亡 9180 神奈川県 鈴木 元子 6月27日 死亡 14938 大 阪 本井 文夫 6月28日 死亡 17285 第一東京 大西千枝子 6月29日 死亡 9436 第一東京 池田 達郎 7月1日 請求 18618 福 島 県 荒木 貢 7月1日 死亡 31037 第一東京 鈴木 惠美 7月1日 請求 34625 東 京 八倉 賢一 7月1日 請求 50290 富 山 県 中野 佳博 7月1日 請求 56579 大 阪 石井 洋輔 7月1日 請求 64163 第二東京 高橋 真歩 7月5日 死亡 9220 熊 本 県 青木 幸男 7月5日 死亡 23960 千 葉 県 山口 仁 7月7日 請求 21029 第一東京 八木 清文 7月8日 死亡 9430 第一東京 山田 滋 7月8日 死亡 9582 東 京 小山 勉 7月9日 死亡 12933 第二東京 長嶋 憲一 7月10日 請求 60835 神奈川県 小林 優太 7月12日 死亡 19568 第二東京 古屋 亀鶴 7月13日 死亡 28484 神奈川県 安國 種彦 7月16日 死亡 14692 第二東京 笠井 治 7月16日 請求 16614 大 阪 林川 毅 7月16日 請求 16624 大 阪 御厩 高志 7月16日 請求 24363 東 京 林 四壽男 7月16日 請求 47516 東 京 山田 智史 7月16日 請求 50810 東 京 齋藤 行紘 7月16日 請求 53251 第一東京 西澤 高陽 7月16日 請求 53885 第一東京 大久保慶一 7月16日 請求 61374 東 京 中嶋 洋一 7月17日 請求 59041 第一東京 保田 響 7月19日 死亡 13287 沖 縄 平田 清司 7月21日 死亡 12370 札 幌 村上 奎彦 7月25日 請求 65464 栃 木 県 加藤 隆弘 7月30日 請求 42080 第二東京 藤澤 未咲 7月31日 請求 19202 千 葉 県 梶原 利之 7月31日 請求 20333 第二東京 濵辺陽一郎 7月31日 請求 32735 東 京 下村 るみ 7月31日 請求 33572 第一東京 溝口稚佳子 7月31日 請求 39440 東 京 市原裕一郎 7月31日 請求 40819 第一東京 瀧村美和子 7月31日 請求 49315 東 京 角谷 千佳 7月31日 請求 50332 第一東京 篠原 勝美 7月31日 請求 53847 東 京 島﨑 淳 7月31日 請求 54238 東 京 高津 花衣 7月31日 請求 55868 静 岡 県 池野 慎哉 7月31日 請求 57374 東 京 漆原 俊貴 7月31日 請求 57593 第二東京 三浦光太郎 7月31日 請求 59075 第一東京 歌代 彩花 7月31日 請求 59602 大 阪 松岡 大志 7月31日 請求 61279 第一東京 飯塚健太郎 7月31日 請求 62888 第一東京 大木 峻 7月31日 請求 64218 神奈川県 弓場佳多子 2024年10月8日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会) (氏 名) 令和5年 4月4日 死亡 19905 埼玉 池澤 幸一 令和6年 5月30日 死亡 16401 東京 竹田 穰 6月13日 死亡 22848 香川県 生田 暉雄 6月16日 死亡 12344 福岡県 成富 睦夫 7月8日 死亡 39984 岐阜県 波多野寿哉 7月9日 死亡 9882 第二東京 田村 正孝 7月10日 死亡 55003 大阪 田村 健一 7月11日 死亡 57293 第一東京 佐藤 慶祐 7月16日 死亡 43633 広島 松岡 正志 7月17日 死亡 10055 東京 橋田 宗明 7月22日 死亡 9796 兵庫県 河瀬 長一 7月22日 死亡 10108 大分県 河野 浩 7月24日 死亡 29024 第二東京 小杉 麻弥 7月27日 死亡 8058 第一東京 小松 雄介 7月28日 死亡 26365 第一東京 水原 敏博 7月29日 死亡 8493 仙台 三島 卓郎 7月31日 死亡 25639 第二東京 濵中 善彦 7月31日 死亡 56814 愛知県 間瀬 大輝 8月1日 請求 13747 兵庫県 伊東 香保 8月1日 請求 63817 千葉県 上木原勇哉 8月6日 死亡 33576 第一東京 林 桂一 8月7日 死亡 17239 大阪 豊島 時夫 8月8日 死亡 47794 神奈川県 後藤 邦明 8月9日 死亡 35829 福島県 菅田 貴博 8月13日 死亡 8393 第一東京 牧瀬 義博 8月13日 死亡 65451 愛知県 黒岩 巳敏 8月14日 死亡 20888 大阪 戸根 住夫 8月15日 死亡 16537 愛知県 花井 増實 8月16日 死亡 19376 大阪 野村 克則 8月17日 死亡 7447 愛知県 中条 忠直 8月20日 請求 18045 東京 寺内 從道 8月20日 請求 22757 神奈川県 高橋 優 8月20日 請求 44245 神奈川県 畠山光太郎 8月20日 請求 53887 兵庫県 三浦 潤 8月20日 請求 60626 東京 笹井 涼介 8月20日 請求 62967 神奈川県 荻野 祥平 8月20日 請求 64198 第二東京 大町 美里 8月25日 死亡 11628 福岡県 半田 萬 8月28日 死亡 11276 札幌 牧口 準市 8月30日 請求 25110 兵庫県 藤田 滋 8月30日 請求 32990 東京 志波 邦男 8月30日 請求 33516 東京 宮嶋 英世 8月30日 請求 42873 福岡県 杉原 一宏 8月30日 請求 52642 京都 上野 拓也 8月30日 請求 61786 京都 佐藤 絢 8月31日 請求 10075 東京 山下 寛 8月31日 請求 13731 第二東京 春原 誠 8月31日 請求 48482 第二東京 古川 布美 8月31日 請求 51143 大阪 飯田 聖実 8月31日 請求 54287 東京 齋藤 麻衣 8月31日 請求 55063 東京 白川 美穂 8月31日 請求 57616 第二東京 堀口佐耶香 8月31日 請求 57812 東京 渡部 政 8月31日 請求 58205 茨城県 福田 貴之 8月31日 請求 58741 静岡県 岩本 尚光 8月31日 請求 58924 東京 大塚 仁 8月31日 請求 58999 東京 財 美奈子 8月31日 請求 64155 第一東京 大河内梨沙 2024年11月6日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会) (氏 名) 4月10日 死亡 7177 第二東京 松尾 和子 7月13日 死亡 11017 東京 田中 敏夫 7月17日 死亡 8742 東京 土肥 幸代 7月20日 死亡 23806 東京 市村 英彦 7月29日 死亡 27353 東京 佐野 正樹 8月2日 死亡 59851 大分県 矢口 繁 8月3日 死亡 23310 滋賀 獅山 向洋 8月13日 死亡 8716 東京 髙野 敬一 8月24日 死亡 15520 第二東京 杉浦 智紹 8月28日 死亡 9410 愛知県 後藤 昭樹 9月2日 死亡 17027 第一東京 米田 隆 9月17日 請求 8135 東京 稲澤 宏一 9月17日 請求 56450 第一東京 坂井 瞭平 9月17日 請求 56549 第一東京 大滝 晴香 9月17日 請求 57562 第二東京 天野 文雄 9月17日 請求 64745 宮崎県 鶴 大樹 9月17日 請求 65321 仙台 和田 雅史 9月30日 請求 11779 仙台 織田 信夫 9月30日 請求 13809 兵庫県 竹田 浩二 9月30日 請求 15659 神奈川県 飯田 伸一 9月30日 請求 34929 香川県 佐藤 利男 9月30日 請求 42138 東京 塚原 朋一 9月30日 請求 46110 埼玉 本多慎太郎 9月30日 請求 47729 新潟県 梅森 嘉匡 9月30日 請求 48299 第一東京 志賀 歩美 9月30日 請求 48961 岡山 山田 邦明 9月30日 請求 60810 第二東京 田中麻久也 9月30日 請求 61330 第一東京 小塚なつみ 2024年12月4日の官報掲載分 (月 日) (事由) 登録番号 (所属会) (氏 名) 令和5年12月10日 死亡 21939 第一東京 簑原 茂廣 令和6年 7月16日 死亡 46216 千葉県 仲戸川隆人 8月6日 死亡 41082 東京 石川 貴敏 8月14日 死亡 14151 大阪 西浦 一明 8月20日 死亡 19440 第二東京 中野 春芽 8月21日 死亡 11035 東京 寺島 健造 8月29日 死亡 9663 広島 山田 慶昭 9月2日 死亡 9087 大阪 奥中 克治 9月3日 死亡 61690 函館 是永 克巳 9月5日 死亡 9562 東京 高氏 佶 9月11日 死亡 11000 東京 髙木 伸學 9月13日 死亡 26424 東京 園部 逸夫 9月14日 死亡 9791 仙台 佐野 國男 9月16日 死亡 14278 埼玉 山崎 正 9月24日 死亡 26347 沖縄 下地 玄榮 9月28日 死亡 15550 愛知県 浅井 淳郎 9月30日 死亡 13779 東京 北村 一夫 10月2日 請求 16678 第一東京 井上 克樹 10月2日 請求 17356 札幌 山本 行雄 10月2日 請求 52043 京都 馬杉安沙子 10月3日 死亡 32641 福島県 渡邊 純 10月7日 死亡 10319 第二東京 小林 幹治 10月8日 死亡 15619 第二東京 花岡 康博 10月13日 死亡 62951 第一東京 定塚 誠 10月16日 死亡 27728 第一東京 棚町 祥吉 10月18日 請求 35488 青森県 田村 智明 10月18日 請求 59423 第二東京 島井 伸仁 10月20日 請求 17540 大阪 中西 裕人 10月25日 死亡 20390 福岡県 池田 稔 10月26日 死亡 14512 札幌 諏訪 裕滋 10月31日 請求 10041 大阪 竹内 靖雄 10月31日 請求 12496 京都 寺田 武彦 10月31日 請求 12507 大阪 木下 善樹 10月31日 請求 14496 東京 武藤 節義 10月31日 請求 20227 熊本県 倉田 榮喜 10月31日 請求 32013 第二東京 森山 敦 10月31日 請求 48263 第一東京 池田 彩 10月31日 請求 50246 第二東京 丹羽 大輔 10月31日 請求 54645 第二東京 松尾 有希 10月31日 請求 55594 大阪 三野 博史 10月31日 請求 56956 第二東京 岡光 民雄 10月31日 請求 59641 岡山 山根 愛 10月31日 請求 61901 東京 福岡 慎也 10月31日 請求 65075 第二東京 目加田歩実
弁護士名簿の登録取消情報(2024年の官報掲載分) | 弁護士山中理司のブログ
2 notes
·
View notes
Text
成仏できない水死者
この頃、「書く」ということを生の中心に置いている親しい者たちに、「自分の文体に飽きてしまった」という困り事を打ち明けつつある。 何を書いていても途中で飽きてしまい、文章を完成させられない――それはもちろん、老いや労働の疲れによる集中力の低下が影響しているのだろうが、根本的な原因は、私自身が自分の文体にもうすっかり飽きてしまっていることにあった。 読み返すまでもなく、書きながら今、すでにうんざりしている。自分の持つスタイルで書けることを書く、書きたいことをスタイルに従って書く、そういうやりかたでなんとなく完成するものを、自分ではもうよいものだと思えなくなってしまった。
書きかけている文章が60を超えてデスクトップに鎮座している。今書いているこのファイルには「名称未設定75」という仮題がつけられている。なんという数字だろうとがっかりする。自分にがっかりする。 結末まで辿り着けなかった、瞬時の思いつきを思いつきのままに放置した、中途半端な下書きがこんな数にのぼってしまって、時間がたってしまった今もうすべてがゴミでしかない。けれどそれらは胎児くらいにはかたちを持っていて、堕胎のタイムリミットもないせいで消すに至れず、亡霊のようにデスクトップをさまよっている。それらがもう死んでいることを、自分一人で受け入れることができない。胎児を殺したことを受け入れることができない。 Tumblrの最終更新から三ヶ月が経った。
*
5月の祝日の午後、御茶ノ水から中野に至る中央線快速で吊革といっしょに揺れながら、ガルシア=マルケスの短編「この世で一番美しい水死者」を久しぶりに読み返した。 10年ほど前に鼓直・木村榮一訳で読んで、今回は野谷文昭訳の新版。このごく短い小説はものの15分ほどで読み通せるものだ。読みながら、そういえば私は神話を書きたかったのだと思い出した。
これまで私の書いてきた文章はごく個人的でごく短く、そこに私のほかに現れるのはものの一人か二人。現実に生じた人間関係の美しさを拾ってそれを保存するために書いたものばかりだった。 そもそも私の文筆は、本来、ひたすら記憶の保存のためにあった。それは齢15の頃に始まった。記憶力の弱さを補うために、パロール上における表現力の弱さを補うために、縋るように日記をつけ始め、やがてそれを公開するようになった。記憶の保存、この生の美しさを忘れまいとする表現、それを他者にも知らしめたいとする顕示。わが生の美しさをいかに表現するか、いかにこの美しさを保存するか、美しさを美しいままに伝えるか、躍起になって書きまくってきた。
それがこのところ、突然うまくいかなくなった。現在の私の生が、私の従来のスタイルによって文章に固着させられるものではなくなったのかもしれない。あるいは、流れ去ってもよいという境地に至ったのかもしれない。いずれにせよ、保存を目的として旺盛に創作できなくなったという事実は、私が世界を不要とみなし、世界が私を不要とみなしたことを示している。 閉ざされ、満足した私など、この世に居ても居なくてもいいのだが。あくまで自己の表出のために文章を書き綴ってきた人間がこんなことを言うのも傲岸不遜なことなのかもしれないが、少なくとも、これまで書き綴られて公開されてきた数多の文章群には対外的な美が宿っていたらしい。そのことが私を慰めていた。生を営むことを肯定してくれてきた。 なのに私は、誰かにとっての美しい文章すら、書けなくなっている。
*
数日前、「知の開放」について話したことがあった。 人が、その人の持てる知を世に還元しないとすれば、その人が生きる意味とはなにか、という議論だ。 話した相手とは互いに、「得た知をそのまま囲い込むことは悪である」という結論に達したが、では自分は何をやっているのだろうと思う。「伝える」こと、つまりコミュニケーションと提供と貢献とが真の善であるのだとすれば、私はそれを徹底できていない(「真の善」という言葉のどうしようもなさには笑ってしまうのだけれど)。
ガルシア=マルケスの「この世で一番美しい水死者」(鼓・木村訳では「この世でいちばん美しい水死人」)にはおそろしく大勢の人間が登場する。たった15分で読める短編に、数えきれないほどの人間の思いが包摂されている。 初めて読んだとき、神話的だと感じた。自分もこういうものを書ければ成仏できるだろうと思った。一編でいい、こういったものを書きおおせれば成仏できるだろうと思ったのだった。 「成仏」とは言い得て妙で、15年以上にわたって私がやってきたのは、祖父母が般若心経を毎朝写経するのと同じ、己の業を浄化したいがための文筆に過ぎないのだった。彼らがただひたすら与えられた経を書き写すのと、私が自分の人生を書き写すのと、何の変わりもない。田舎の祖父母は、成仏して極楽浄土にゆくことを願って毎朝勤勉に般若心経を細い筆で書き写していた。幼い私はそれを卑しい行いだと感じていたが、私がやってきたこともそれと同じなのだろう。彼らの修身はむしろ、エゴイスティックな「文体」について問う私のありかたよりずっと清廉なものなのかもしれない。
*
世界に開かれている筆致と、世界から閉ざされている筆致とがある。たとえば経典は開かれた筆致によって書かれている。神話もそうだ。ある種の詩もそうだし、ある種の哲学もそう、文学もそうだ。世界に開かれたものと、世界から閉ざされているものとがあって、開かれているものの強さを私はよくよく知っている。 世界に開かれ��筆致を獲得したくて、「神話を書きたい」と願った。その願いは私には過分だったのかもしれない。あるいは、これから時間をかけて成しうることなのかもしれない。 おのれの文体に飽ききって立ち止まっている今は、もしかすると世界に開かれるための転換点なのかもしれない。そう思わないことには、とても書き続けられないほどに、打ちひしがれる三か月を送ってきたことは、わかりやすい指標だ。
一方で、自分はすでに水死者なのかもしれないとも思う。書くことをやめてしまった私は、腐乱死体にすぎないのかもしれない。ばかばかしい発想だが、自分の行く先になんの確証も得られない以上、極端なポジティヴと極端なネガティヴのあいだを揺れることしかできないのだった。
6 notes
·
View notes
Photo
望著一片海,直到長出青苔:台南、基隆 兩地移住者的中年鄉愁
基隆
台南、基隆,兩個離海都很近的城市,一南一北、一晴一雨、一大一小,城市的尺度、氛圍截然不同,就連海的個性也不一樣。在漁光島看夕陽,總會想起基隆霧雨濛濛的天空;在和平島吹海風,也會惦記著台南那片魔幻時刻的晚霞。
新家鄰居Karo是同鄉,老家就在基隆正濱漁會附近。Karo讓我從他紀錄基隆的攝影展作品中挑一件當入厝禮,於是一幅家鄉的海就此成為新家第一件��飾。凝視著銀鹽相片,那些總是霧雨、低明度��青春記憶,也漸漸清晰顯影。於是決定趁著很長的年假,安排一日走春之旅,回到近年很潮的正濱漁港。
還是習慣叫這一帶為「水產」,但這個地名不在地圖上,而是當地老一輩的人對基隆中正區港邊一帶的稱呼。八斗子漁港尚未擴建時,它是基隆最重要的遠洋漁船卸魚碼頭,也曾是日治時期台灣最大的漁港。我的童年就在這個海岸村恰恰恰過了六年,因為離開很久以為早就遺忘的,卻在日後去到韓國木浦、岡山尾道、廣島吳市這些老港城感到親切時而覺悟,原來那些莫名的熟悉感全都來自這座童年記憶裡的小漁港。
走進碼頭,記憶中的各種氣味再度浮現。味道生猛的小漁村裡,魚腥、漁船機具的油漬、鐵鏽、腫脹的死河豚、夾滿濕漉漉碼頭工人手套的衣架……雨天,想到總是藍調、霉掉的時光,漁村環境的各種化學反應總讓我臭暈。
其實也有聞起來舒服的時候,例如海風,四季、晴雨聞起來都不一樣的風,會在雨天的時候尤其清新。童年就住在正濱漁會旁的社區,生活頗有情調的爸媽把公寓買在海景第一排,主臥大片落地窗風景就是基隆港,船舶的鳴笛聲是日常的環境音,只要把陽台的隔音鋁窗一打開,海風和船笛聲就會流進屋裡。喜歡大霧瀰漫的時刻,深得不見岸、不見船隻,只有燈火在迷霧裡閃耀。
除了海風,也愛山雨。社區小學座落在可以望海的山腰,主要通學路有兩條,一條要穿過菜市場,一條叫勝利巷。但只要一下雨,我就鑽進一條沿著山壁建的無人小徑,途中偷偷將媽媽逼著穿出門的雨鞋換成布鞋。小時候雖然恨死了雨天,討厭穿雨鞋,但我喜歡小徑上雜草、氣根、岩壁、苔蘚、泥土在雨中的氣味。
這裡生活離山海都近,各種挨著山壁蓋出的房子可謂建築奇觀。爸媽開在漁會斜對面經營的雜貨店是���學校也是,教會、廟都是,人神都是我家門前有大海後面有山坡。放了學,就和鄰居到漁會中庭玩耍。或翻過人家屋頂,去製冰廠後方的海岸秘境看海、看船、看老鷹。也會往山裡跑,從漁會對面長梯上去,山裡有許多小徑,爬高一點就可以看到海和基隆嶼,場景媲美宮崎駿電影。不過這條浪漫小徑,曾在一旁正濱教會即將落成時成了土石流之路,也反映基隆人與山、海爭地的宿命。
家裡以前在漁會對面經營雜貨店,專幫漁船準備出海生活物資,包括米、油、茶、罐頭、青菜、菸酒、祈求平安的金紙香燭等。身為雜貨店小開福利就是永遠有喝不完的統一蜜豆奶、津津蘆筍汁和黑松沙士。同學家裡有的跑船、有的開船舶五金行、有的在船廠修船、有的從事港務工作,有的在崁仔頂賣魚⋯⋯家家戶戶都仰賴漁港為生,回想起來我們都參與了水產碼頭最後的繁榮。
充滿魔幻潛質的小漁村在沈寂多年後有了新氣象,正濱漁會整修好了,各種藝術季、展演活動讓人眼睛一亮,街巷裡多了有趣的小店。爬上蜿蜒的長梯,撫著山牆的青苔,看著霧雨的海。回望青春,紮實的身體記憶喚醒過去。當年的雜貨店小開也已逼近中年,人活著活著自然就活出了懷舊的鄉愁,或理解事物的新視角。如同電影《日麗》(Aftersun),跟著小女孩的記憶,看著魯蛇老爸用力抽搐啜泣的背影,會忍不住一起哭泣。
Fion Tsao
宜蘭出生,基隆長大,目前與愛貓定居台南。專業寫字,偶爾拍照,近期參與著作有《山裏食》一書。最近沈浸製陶學習,喜歡透過創作與世界連結。
3 notes
·
View notes
Text
許介鳞,看看東洋的「奪權」招數 ! 小派閥「狐假虎威」・大派閥「熟柿作戰」!中國時報,77年06月30日。 ( 作者係台大政治系教授 )
國民黨第十三次全國代表大會越來越逼近,在盧溝橋事變紀念日的 「七七」就要開鑼。在「爭」「搶」黨代表的一陣風之後,接着就要看如何爭取權力或分享權力了。談到奪權,一定要有精明的招數才能奏其功,且看日本人如何縱橫捭闔吧!
俗語說:數法人人會變,巧妙各自不同。就以日本的政治層峯,中首根康弘和竹下登來比較其政治手法吧! 政治家要爬到頂峰,都善於權謀術數,中曾根和竹下也不例外,只是兩人的拳術架式大有不同。中曾根的權術,如果以一言點破之,就是「孤假虎威」,如果以洋文形容之,就是「唬人」( bluff )。竹下的招數,日本人稱之為「熱柿作戰」,不慌不忙耐心地等待柿子成熱,甜美而成熟的柿子自然會掉下來,但是事先要你佈下天羅地網,不要讓此柿子落在他人手中,而穩當地落在自己懷中。
中曾根在一九八二年奪權時,其所率領的派閥屈居於田中派、鈴木派、福田派之下,為自民黨内第四大的小派閥。然而,田中角榮因金脈問題和洛希德賄賂案遭受打擊,鈴木善幸内閣因對「日美同盟」關係的締結不够積極,也不肯答應大力加强日本軍事力,引起美國政界首腦的不快,美國每每以防衛問題和貿易摩擦責難日本,加上自民黨内反主流的福田派、河本派、中川派等興風作浪,使鈴木厭倦當政宣布下台。中曾根奪權的策略為:國内極力拉攏田中和鈴木二大派的支持,以對抗福田派所提名的安倍晋太郎,以及河本敏夫、中川一郎的非主流派;國外向美國活動,說他當過防衛廳長官 ,為日本政治家中最熱心於「目美同盟」和增强日本軍事力,以獲得美國政治領袖的支持。換言之,中曾根完全是假借國内第一大派田中派的威勢,和國際超級强國美國的權威取得政權的。 中曾根「狐假虎威」的手法,在當時日本新聞界都看穿了。因為他的組閣人事田中派系估了七名,可以看出田中「角榮」( Kakuei )的影子,人們就謔稱中曾根內 閣爲「角影」( Kakuei )内閣。例如統轄内閣事務的中軸「内閣官房長官」,按習慣都是起用自己派閥的腹心人物,而中曾根委讓田中角榮的親信後藤田正晴擔任。後藤田是日本政界之中情報的收集分析和警察治安方面的頭號人物,從此在中曾根掌政的五年間,歷任官房長官、行政管理廳長官、總務廳長官、再任官房長官,充當田中的「監視人」,是唯一的不受内閣改組「出局」 ,一直在内閣核心,與中曾根首相形影相隨,始終加以監視的情治頭目。 在對外方面,中曾根上台以後完全傾向於「日美同盟」,向雷根總統表明日美兩霸權為「命運共同體」,日美共同「分擔責任」,而與雷根一搭一檔演「康弘一隆納德」秀。其後,中曾根又向美國表態,日本列島將變成「不沉的航空母艦」、「封鎖對馬、津輕、宗谷三海峽」,分擔防衛「一千英里航帶」等,討好美國的要求。
然而中曾根之老謀深算,在於「狐假虎戚」登上權位以後,又繼而「虚張聲勢」,乘間伺隙,攻城奪地。换言之,在無形之中不斷地飲食老虎的血肉肥大起來。在國内,中曾根吹噓「戰後政治的總結算」,恫嚇戰後保守主流的政治已經行不通了,時代需要他那樣的「新保守主義」,而逐渐囂食保守主流的地盤,於是中曾根系議員數,從當權之前的四八名,不斷地膨服為現在的八七名,而與繼承鈴木的宮澤派和繼承福田的安倍派相伯仲了。
在國外,中曾根領導的「日本丸」(日本船常稱為 xx丸),順着美國把持的「國際化」潮流,表面上迎合美國,說日本要成為美國的前進基地,背地裏不斷地撈美國的油水。「日本國股份有限公司」的策略是讓美國佬大搞「軍需」,日本搞「民需」,畢竟民需市場廣大,利潤累積大增,於是日本變成世界第一大債權國 ,而美國論落為世界第一大債務國。美國根本無法意料 ·日本有假借美國「國際化」的要求擴張其「國權主義 」的一招,還就是中付根所倡「國際國家日本」的本質 。中曾根的「狐假虎威」,志在使日本在國際上揚眉吐氣,因此也雖怪在輿論調查有那麽多日本國民支持他的政治作風了。竹下發的手法大異其趣,不像中曾根那樣虛張聲勢而施詐欺手段,他的作風是故作謙虛而在暗地裏佈陣。 這就是「熟柿」作戰的秘訣。 在奪取政權的過程,竹下發揮金如土,拉攏安倍派和河本派,暗中成立「安竹河」三派同盟,這已壓制了黨總裁選舉的過半數支持票,但仍然不願孤注一擲遂行决戰 。因為竹下派雖然靠奪了田中派勢力的大部分,但是內部有種種瓜葛恩怨,體質尚堅固,加上同盟者也有臨陣被收買而倒戈的可能性。衡量中曾根能掌政五年,也是虧田中派系的竹下登和金丸信聯袂支持,中曾根必不敢「以怨報德」。萬一中曾根失信,則憑竹下派「 第一大派閥」的實力,撕破臉逼迫决戰,則結果將使中曾根敗壞丢盡臉了。形勢比人强,善於「唬人」的强人中曾根,也無法背叛大勢,大勢就是天命也。
竹下不願步田中角榮後塵。田中以實力逞强參加决戰 ,造成分裂而樹政敵,雖然要得政權而結果身敗名裂。 竹下聽「風見雞中曾根」的裁决,依照風向大勢則政權自然落到懷裏,並依其建議成立「舉黨體制」内閣,不是更和諧而安穩了嗎?不要明目張膽争權奪利,而在冥 冥之中穩操勝算,是天從人願的好辦法。
中曾很是「唬人」的都市人政治,老美說被其「口惠 」而不實的詐術欺騙了,要採取經濟制裁措施加以報復 。竹下登是較「謙處」的鄉村人政治,說要推行「誠實的外交」「草根的外交」,對美國也採低姿態,答應减少美日貿易逆差,增加對第三世界開發的援助,並考慮開放日本的營建市場和進口外國的一些農產品。俗語說 :和氣生財,就算日本開放所有的進口限制,美國頂多也只能吃到五、六十億美元的小甜頭,而熟爛的大柿餅依然落在日本人懷裏。
反躬自問,我們退出聯合國而國際地位每下愈況以後 ,在外交方面也就不能靠老美支持而「孤假虎戒」了。 學人呀,你能為我們想出什麽外交招數呢?再看國内的政治鬥技場,小派系或許難免「夜郎自大」而「装腔作勢」,但是一個成氣候而有氣派的政治團隊如集思會, 就應該更深謀遠慮而策畫「熱柿作戦」啊!
0 notes
Text
午夜夢廻
H:年輕時常以「醉生夢死」警戒自己。年長「午夜夢迴」回首前塵往事,事做完了嗎?還是「漫漫長路」尚待努力。「革命尚未成功,同志仍需努力」國父孫中山先生晚年時期遺囑。不到六十歲,偉人交待後事,以「繼續努力」,要求後人遵行,至老至死方休。百年過去又如何?平凡人想太多會睡不好,而夜長夢多更睡不著。午夜夢廻是好或壞,好夢自有人做,壞夢亦因煩惱而亂生。是好是壞各自承受!宋朝岳飛有「驚回千里夢,已三更。」辛棄疾「夢迴人遠許多愁」有馬上斬敵的英氣,有思念故人的哀思。夢不完,也聊不完。睡後夢廻,睡醒記夢,白日夢多,煩惱也不少。夢且由他夢,莫因夢廻而誤事,醒時該辦的事還得照三餐來!20241203W2
網路資料:
午夜夢廻
世上總會有人很慘,總會有人更慘,比你更慘。 為什麼叫「午夜-夢回」呢?
午夜夢廻
深夜中從夢中醒來。
午夜夢迴"的意思是指在午夜時分迴想過去的事情,尋找記憶,常常帶有夢幻的,具有懷舊或者迴憶的意味。
夢微之
朝代:唐代
作者:白居易
夜來攜手夢同遊,晨起盈巾淚莫收。
漳浦老身三度病,咸陽宿草八回秋。
君埋泉下泥銷骨,我寄人間雪滿頭。
阿衛韓郎相次去,夜臺茫昧得知不?
夜半醒來入睡法
喝杯熱牛奶
舒緩過敏性鼻炎鼻塞
聽輕音樂
香芬輔助,薰衣草
離開睡眠環境
睡眠環境入睡。
註:不建議看電視或使用3C產品,避免光線刺激下反而更難入睡。
肌肉放鬆操
穴位按摩:輕按以下穴位,亦可幫助入眠。
閉眼休息或冥想
午夜
半夜。唐.唐彥謙〈詠竹〉詩:「月明午夜生虛籟,誤聽風聲是雨聲。」唐.戴叔倫〈重逰長真寺〉詩:「蒲澗千年雨,松門午夜風。」
基本釋義詳細釋義
見“ 夢迴 ”。
亦作“ 夢回 ”。從夢中醒來。舊題 唐 柳宗元 《龍城錄·任中宣夢水神持鏡》:“夢一道士赤衣乘龍,詣 中宣 ,言:此鏡乃水府至寳,出世有期,今當歸我矣。
中宣 因問姓氏,但笑而不答,持鏡而去。夢迴,亟視篋中,已失所在。” 南唐 李璟 《攤破浣溪沙》詞之二:“細雨夢回 雞塞 遠,小樓吹徹玉笙寒。多少淚珠無限恨,依闌干。” 宋 辛棄疾 《破陣子·為陳同甫賦壯詞以寄之》詞:“醉里挑燈看劍,夢回吹角連營。” 明 湯顯祖 《牡丹亭·寫真》:“徑曲夢迴人杳,閨深珮冷魂銷。” 巴金 《靜夜的悲劇》:“有時我午夜夢回,竟然覺得我在滴血或者我的生命跟著水在滴。”
百科解釋
《夢回》是宋末愛國詩人林景熙創作的一首七言絕句。這首詩敘寫詩人大夢初醒后的精神狀態和對周圍事物的獨特感受,借以抒發郁積心頭的離愁別恨。
夢回芳草思依依,天遠雁聲稀。
出自五代李煜的《喜遷鶯·曉月墜》
曉月墜,宿雲微,無語枕頻欹。夢回芳草思依依,天遠雁聲稀。
啼鶯散,餘花亂,寂寞畫堂深院。片紅休埽盡從伊,留待舞人歸。
夢回 (林景熙)
夢回
作者:林景熙 南宋
姊妹計劃: 數據項
夢回荒館月籠秋,何處砧聲喚客愁。
深夜無風蓮葉響,水寒更有未眠鷗。
靜夜思
靜夜難眠,總是在一種沒有結局的思考中難以自拔。
“滴滴答答”的鐘錶聲,更讓人心碎。
多年來的疲憊不堪中,我早沒有了自己的夢。
相見歡
無言獨上西樓
作者:李煜 五代(南唐)
姊妹计划: 数据项
無言獨上西樓,月如鉤。寂寞梧桐深院鎖清秋。
剪不斷,理還亂,是離愁。別是一般滋味在心頭。
烏夜啼
作者:李煜 五代
姊妹计划: 数据项
林花謝了春紅
太匆匆
無奈朝來寒雨晚來風
胭脂淚 相留醉
幾時重
自是人生長恨水長東
送鄧王二十六弟牧宣城序
作者:李煜 唐本作品收錄於《全唐文/卷0128》
姊妹计划: 数据项
秋山的翠,秋江澄空,揚帆迅征,不遠千里,之子於邁,我勞如何?夫樹德無窮,太上之宏規也;立言不朽,君子之常道也。今子藉父兄之資,享鍾鼎之貴,吳姬趙璧,豈吉人之攸寶?矧子皆有之矣。哀淚甘言,實婦女之常調,又我所不取也。臨歧贈別,其唯言乎,在原之心,於是而見。噫,俗無獷順,愛之則歸懷;吏無貞汙,化之可彼此。刑唯政本,不可以不窮不親;政乃民中,不可以不清不正。執至公而禦下,則憸自除;察薰蕕之稟心,則妍媸何惑?武惟時習,知五材之難忘;學以潤身,雖三餘而忍舍。無酣觴而敗度,無荒樂以蕩神,此言勉從,庶幾寡悔。苟行之而願益,則有先王之明謨,具在於緗帙也。
嗚呼,老兄盛年壯思,猶言不成文,況歲晚心衰,則詞豈迨意?方今涼秋八月,鳴根長川,愛君此行,高興可盡。況彼敬亭溪山,暢乎遐覽,正此時也。
相見歡
作者:朱敦儒 宋
姊妹计划: 数据项
金陵城上西樓
编辑
金陵城上西樓,倚清秋。
萬里夕陽垂地,大江流。
中原亂,簪纓散,幾時收?
試倩悲風吹淚,過揚州。
東風吹盡江梅
编辑
東風吹盡江梅,橘花開。
舊日吳王宮殿,長青苔。
今古事,英雄淚,老相催。
長恨夕陽西去,晚潮回。
吟蛩作盡秋聲
编辑
吟蛩作盡秋聲,月西沈。
淒斷餘香殘夢,下層城。
人不見,屏空掩,數殘更。
還自搴帷獨坐,看青燈。
瀧州幾番清秋
编辑
瀧州幾番清秋,許多愁。
嘆我等閒白了,少年頭。
人間事,如何是,去來休。
自是不歸歸去,有誰留。
相見歡
作者:馮延巳 唐本作品收錄於《全唐詩/卷898》
姊妹计划: 数据项
曉窗夢到昭華,向瓊家。欹���殘妝一朵,臥枝花。
情極處,卻無語,玉釵斜。翠閣銀屏回首,已天涯。
午夜夢回,枕邊人不是心上人,心上人已是夢中人。
喜馬拉雅:
夜深無人的時候,人們總會回想起一些往事,那些痛苦與甜蜜的過去
尤其當午夜夢回時,也是良心靠靈魂最近的時刻。
秋風殘月當稍弄。 午夜夢回枕邊人,酒醇清煙討擾繞,
人生若如初見,情何甚,意何從,路茫茫,斷橋影.
一葉落·一葉落
李存勖 (唐代)
一葉落,褰珠箔。
此時景物正蕭索。
畫樓月影寒,西風吹羅幕。
吹羅幕,往事思量着。
別讓往昔的悲傷和對未來的恐懼,毀了你當下的幸福。
沒有事事順心的生活,人生有得必有失去。快樂並不是憑藉著外物和虛榮得到的,內心真正的快樂是自己本身的強大獲取的。一個人只要心中存在美麗的景象,那麼一切都是美麗的。
人生若只如初見,何事秋風悲畫扇。
等閒變卻故人心,卻道故人心易變。
驪山語罷清宵半,淚雨霖鈴終不怨。
何如薄倖錦衣郎,比翼連枝當日願。
──納蘭性德(1655-1685)飲水詞〈木蘭花令〉
偶然作(鄭板橋)
英雄何必讀書史,直攄血性為文章①,不仙不佛不賢聖,筆墨之外有主張,縱橫議論析時事,如醫療疾進藥方。名士之文深莽蒼,胸羅萬卷雜霸王,用之未必得實效,崇論閎議多慨慷。雕鐫魚鳥逐光景,風情亦足喜且狂。小儒之文何所長,抄經摘史餖飣強②,玩其詞華頗赫爍,尋其義味無毫芒。弟頌其師客談說,居然拔幟登詞場。初驚既鄙久蕭索,身存氣盛名先亡。輦碑刻石臨大道,過者不讀倚壞墻。嗚呼文章自古通造化,息心下意毋躁忙。
悲哀」指的是傷心、難過,同時有一種同情和憐憫的成份,也引申為「悲劇」;
「悲痛」是難過傷心而且非常痛苦,旨在表達心中的那份痛苦;
「悲傷」指難過、傷心。
「悲痛」和「悲傷」都是傷心和痛苦的意思,而「悲哀」有哀傷、難過之意,又含有憐憫和悲劇的意味。
遺囑(註一) 民國十四年(一九二五年)三月十一日壹
余致力國民革命,凡四十年,其目的在求中國之自由平等。積四十年之經驗,深知欲達到此目的,必須喚起民眾及聯合世界上以平等待我之民族,共同奮鬥。
現在革命尚未成功,凡我同志,務須依照余所著建國方略、建國大綱、三民主義及第一次全國代表大會宣言,繼續努力,以求貫徹。最近主張開國民會議及廢除不平等條約,尤須於最短期間,促其實現,是所至囑。
孫文
三月十一日補簽中華民國十四年二月二十四日
筆記者 汪精衛
證明者 宋子文 邵元冲 戴恩賽
孫科
吳敬恆 何香凝
孔祥熙 戴季陶 鄒魯
孫中山(1866年11月12日—1925年3月12日[註 2]),名文,後化名中山樵[7]。字德明,號日新、逸仙[8],廣東香山翠亨鄉(今中山市翠亨村)人[7][註 3],中國近代政治人物。
晚晴簃詩匯
Wiki -> 晚晴簃詩匯 -> 卷一百九十
《卷一百九十》
《那遜蘭保》
《回首》
1 
憶昨避亂時,嚴冬強就道。風塵猿鶴驚,寄廡何草草。雖曰非家鄉,安居亦大好。誰知彌月間,入山恐不早。爨火斷無溫,雪冷前山皓。浮生四十年,兩度干戈擾。生恐憂患多,朱顏不自保。回首望高堂,淒然已垂老。閒閒上高樓,山遠樓與齊。綠竹罩春靄,子規啼複啼。有時微雨過,芳草何萋萋。耕夫荷鋤來,款款晴一犁。風景豈不佳,所傷客邸棲。回首望家園,嗟哉云與泥。
鄒氏遺訓序
作者:楊維楨 元本作品收錄於《楊維楨集/01》
姊妹计划: 数据项
吳常熟鄒君玉氏,自旌德宦遊歸,理故園以老焉。其垂訓子孫,嚴其蒨畫者凡若干件,來謁余於姑胥邸次,曰:「某發已種種,懼一旦捐子孫去,故述誡若干件,雖話言拙直,使奉成規行之,亦不致畔名教、隳門地。且將勒石,位置奉先之宮。幸得子言重引之,庶吾後之人知所警也已。」
吾聞傳曰,名門右族成立如升天,覆墜如燎毛。何難易���相懸遽絕甚如此?蓋創者勞,而守者安;創者儉,而守者奢;創者畏,而守者驕也。為祖父者慮焉,故有身後之誡。雖古先哲王不能無之,書之竹帛,琢之盤盂,以遺乎後之人。蓋懼耳聽口受者易為滅絕,而托諸竹帛盤盂者,可不刊而垂無盡也。君玉氏之遺訓,著於金石,非竹帛盤盂之意乎?為其子者幸得諸耳提面誨,子子孫孫又幸得諸示無窮者,則鄒氏後人續初繼業,雖百世而可也。雖然,子弗祗服厥父事,此無先之訓也。恐無先之訓矣,故吾重告之,使之恒有其先,庶畔名教、隳門地者免矣夫。
《花非花·花非花》
【唐】白居易
花非花,霧非霧,
夜半來,天明去。
來如春夢不多時,
去似朝雲無覓處。
小重山(岳飛)
昨夜寒蛩不住鳴。驚回千里夢,已三更。起來獨自繞階行。人悄悄,簾外月朧明。
白首為功名。舊山松竹老,阻歸程。欲將心事付瑤琴,知音少,弦斷有誰聽?
夢迴人遠許多愁,只在梨花風雨處。
出自於辛棄疾的《玉楼春·风前欲劝春光住》
朝代:宋代
作者:辛棄疾
��前欲勸春光住。春在城南芳草路。未隨流落水邊花,且作飄零泥上絮。
鏡中已覺星星誤。人不負春春自負。夢迴人遠許多愁,只在梨花風雨處。
江城子.乙卯正月二十日夜記夢
江城子.乙卯正月二十日夜記夢 宋 蘇軾
十年生死兩茫茫,不思量,自難忘。
千里孤墳,無處話淒涼。
縱使相逢應不識,塵滿面,鬢如霜。
夜來幽夢忽還鄉,小軒窗,正梳妝。
相顧無言,惟有淚千行。
料得年年腸斷處,明月夜,短松岡。
0 notes
Text
第43,44回活動
2024/10/16 2024/10/18
秋になりました。肌寒くなってきたので少し厚めの服を用意しないとですね。 今回は実験についての調整を行いました。
2024/10/16
活動内容
(1)やることの確認(2分) (2)本日の雑学(8分) (3)実験計画書の説明(30分) (4)調査協力について(10分) (5)各グループの作業(〜12:10まで) (6)次回の予定(5分)
(1)やることの確認
(2)本日の雑学
meet https://meet.google.com/tgv-xwcq-zed
飯澤さん 「反物質」 電荷が反対の物質 膨大なエネルギーを発する 生成できるが非常に微量かつ膨大なコストがかかる、保存も大変
(3)実験計画書の説明
参考:飯塚プロジェクト実験計画書 10/08 合同発表
小杉プロジェクト実験計画案
改善すべき点を考える
・鑑賞する音楽2曲だと不十分かも 拘束時間が伸びてしまうため→研究に疑義だと無駄 ・アートの納得度→何に納得? 音楽と比較しての納得、性格に比較しての納得 ・TIPI-J3分で��きる? ・全体時間実測して 質問時間も含めて必ず実測しないと ・ネ学の人以外が来ないと”外部”は不適切 一人でも呼べばいい
(4)調査協力について
卒業演習2024 プロジェクト調査
・榮谷研究室が期待している方式で作業を進められていない ・インタビューに応じることができる対象者がいない
→お断りさせていただく
(5)各グループの作業
音楽生成
ARアート
・アートの納得度→何に納得? 音楽と比較しての納得、性格に比較しての納得
ページ4 1.投影されたARアートが音楽を表現できているか (7段階) [強くそう思う まあまあそう思う 少しそう思う どちらでもない 少し違うと思う おおよそ違うと思う まったく違うと思う]
2.(↑1番に対して)そう感じた理由 (記述式)
3.投影されたARアートが性格を表現できているか (7段階) [強くそう思う まあまあそう思う 少しそう思う どちらでもない 少し違うと思う おおよそ違うと思う まったく違うと思う]
4.(↑3番に対して)そう感じた理由 (記述式)
全体 (11:40〜) ・金曜日に実際にかかる時間を調べるのでそれまでにTIPIJのアンケートに答えておく+回答時間を記録しておく
(6)次回の予定
次回(10/18)までに ・各自TIPI-J診断&音楽生成班に報告 ・代表者会議の内容は水曜日に共有 ・緊急な事項があれば金曜中に共有 ・実験の説明+フォーム作成
2024/10/18
活動内容
(1)やることの確認(2分) (2)実験の時間測定 2-1.TIPI-Jの共有(5分) 2-2.実験の準備(10分) 2-3.時間測定(20分) 2-4.計測時間や反省点、問題点の共有(20分) (3)説明の内容決め(~12:10まで) (4)次回の予定(5分)
(1)やることの確認(2分)
(2)実験の時間測定
2-1.TIPI-Jの共有(5分)
外向性 協調性 誠実性 神経症傾向 開放性 時間(秒) 古賀 2.5 5.5 3 3.5 6.5 60秒 大浦 2.5 2.5 1.5 5 4.5 48.86秒 加来 4.5 6 2.5 2 6 55秒 堀内 2.5 5 4 4.5 1.5 60.01秒 根本 3.5 5 3 6 5.5 48.78 村木 3.5 6.5 1.5 6.5 2.5 56秒 峯島 4 6.5 1.5 4.5 4 30.12 飯澤 1 6 2.5 4.5 2 52.70 浅野 5 6 2 4.5 4 56
プロンプト 古賀巧実:Upbeat Tempo, Jazz, soft melodies, minor scale 大浦拓真:Upbeat Tempo, R&B, soft melodies, major scale 加来俊祐: Moderate Tempo, Classical music, soft melodies, minor scale 堀内涼介: Upbeat Tempo, Country, hard melodies, major scale 根本蒼大: Moderate Tempo, Jazz, soft melodies, major scale 村木英人: Moderate Tempo, Japanese style, soft melodies, major scale 峯島光哉: Moderate TempoPop, soft melodies, major scale 飯澤捷之:Upbeat Tempo, Japanese style, soft melodies, major scale 浅野優希: Moderate TempoPop, soft melodies, major scale
平均51.94秒
2-2.実験の準備(10分) Google from回答用QRコード
2-3.時間測定(20分) プロンプト貼るとこ PC:A Moderate Tempo,Pop, soft melodies, major scale
PC:B Moderate Tempo, Japanese style, soft melodies, major scale Upbeat Tempo, R&B, soft melodies, major scale
PC:C Moderate Tempo, Pop, soft melodies, major scale Upbeat Tempo, Country, hard melodies, major scale
2-4.計測時間や反省点、問題点の共有(20分) 計測時間
フォームに答えるための所要時間:7分〜16分程度 →説明込みで20分ほど
問題点 ・AR表示が滞る ・「アートを見る」「アンケートに答える」の2工程が同時並行が難しい →こちらで用意した携帯で表示することで対応
・実験が始まるまでの待ち時間が暇 →本日の雑学のスライドをまとめたものを展示しておく(仮案)
・ARアートが被験者の携帯で投影できなかった場合の対処 →アンケート破棄orメンバーの携帯で投影
(3)説明の内容決め(~12:10まで)
実験に対する説明(席に座ってもらった時にまとめて説明&待ち時間の時に説明) ・このプロジェクトは何をしているのか ・なんでこの実験を今やっているのか ・これからやってもらうこと ・写真撮影の許可 アート実験の説明 ・ここで何をしてもらうか
(4)次回の予定(5分)
代表者会議の共有 今後の提出物の期限
説明の内容 先生への確認
0 notes
Text
2024年度 木曜コンサート
【日時】 2024年10月31日(木) 開演:14時(開場:13時)
【会場】 台東区立旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財)
【入場料】 500円
※ チケット購入は事前予約が必要です。 予約についての詳細は旧奏楽堂HPをご覧ください。(予定枚数に達した時点で予約受付を終了します。)
【プログラム】(演奏順未定)
1. 浦山翔太:《門》
Cond. 伊藤心 A Fl. 菊地奏絵 Cel. 天野由唯 Mezzo. 下田一葉 十七弦箏 吉越大誠 Vla. 衛藤理子
2. 越川廉:《シグマkイコール1から5、(2kマイナス1)パイ分のサイン(2kマイナス1)t》
Cond. 福留音央 Vln. 野坂梨帆 Alto 芹口りの B Trb. 青栁賢 Timp. 松下真奈 Vib. 小山真輝 Harp 三河 茉莉絵
3. 畠山春朗:《神降》
Cond. 福留音央 Pf. 本堂峻哉 Vln. 1st 大久保薫子 Vln. 2nd 佐藤文香 Vla. 田口桜子 Vlc. 山本光心 D.B. 水野斗希
4. 松井啓真:《「星形成領域」弦楽四重奏のための》
Cond. 伊東新之助 Vln. 1st 清水伶香 Vln. 2nd 平井美羽 Vla. 衛藤理子 Vlc. 原宗史
5. 森口達也:《樹海~6人の奏者のための》
Cond. 西村広幸 Fl. 西谷あゆみ Cl. 石田理雄 Trp. 田内遥音 Perc.1 種子田真央 Perc.2 松本源示 Cb. 丸地郁海
6. 渡邉杏花里:《ニグレド》
Cond. 伊東新之助 Tp. 藤田サーレム Trb. 吉澤大志 Org. 牧真人 Perc. 本間達也 Vn. 野坂梨帆 Cb. 村本和毅
※日時・内容は変更になる場合がありますので、ご了承ください。 未就学児の入場はご遠慮ください。
【主催】公益財団法人 台東区芸術文化財団 東京藝術大学音楽学部
【後援】台東区
【協賛】鰻割烹 伊豆榮
【お問い合わせ】旧東京音楽学校奏楽堂 03-3824-1988
0 notes
Text
2024年9月17日に発売予定の翻訳書
9月17日(火)には13点の翻訳書が発売予定です。 ただし、この中には『源氏物語』の英訳を含みます。
〈ベル・エポック〉の真実の歴史
ドミニク・カリファ/著 寺本敬子/訳
法政大学出版局
ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件
ホルヘ・ルイス・ボルヘス/著 アドルフォ・ビオイ=カサーレス/著 木村榮一/翻訳
白水社
The Tale of Genji
紫式部/著 Arthur Waley/翻訳
チャールズ・イー・タトル出版
白色テロをくぐり抜けて
孫康宜/著 杉本史子/翻訳
三元社
ファミリ���企業のガバナンス
アレキサンダー ケーベル=シュミット/著 デニス ケニョン=ルヴィネ/著 アーネスト J・ポザ/著 RSM汐留パートナーズ株式会社/監修 平野秀輔/翻訳 前川研吾/翻訳 瀬尾安奈/翻訳
白桃書房
心理学における量的研究の論文作法 : APAスタイルの基準を満たすには
ハリス・クーパー/著 井関龍太/翻訳 望月正哉/翻訳 山根嵩史/翻訳
勁草書房
基礎からのブレイン・コンピュータ・インターフェース
ラジェッシュ・P・N・ラオ/著 西藤聖二/翻訳
九夏社
ナポレオン戦争[上]
デイヴィッド・ジェフリ・チャンドラー/著 君塚直隆/翻訳 糸多郁子/翻訳 竹村厚士/翻訳 竹本知行/翻訳
国書刊行会
ナポレオン戦争[下]
デイヴィッド・ジェフリ・チャンドラー/著 君塚直隆/翻訳 糸多郁子/翻訳 竹村厚士/翻訳 竹本知行/翻訳
国書刊行会
韓国は日本をどう見ているか : メディア人類学者が読み解く日本社会
金暻和/著 牧野美加/翻訳
平凡社
ゲームデータアナリティクス よりよい開発・運営に向けたデータ分析の教科書
Thinking Data/原著 Thinking Data Japan/翻訳 仲山隼人/翻訳 白石陸/翻訳
翔泳社
5つのチベット体操 若さの泉 決定版 : 改訂新版
ピーター・ケルダー/著 渡辺昭子/翻訳
河出書房新社
パインさんの おるすばん
レオナード・ケスラー/著・イラスト 小宮由/翻訳
大日本図書
0 notes
Text
おい木村さん信さん寄つてお出よ、お寄りといつたら寄つても宜いではないか、又素通りで二葉やへ行く氣だらう、押かけて行つて引ずつて來るからさう思ひな、ほんとにお湯なら歸りに吃度よつてお呉れよ、嘘つ吐きだから何を言ふか知れやしないと店先に立つて馴染らしき突かけ下駄の男をとらへて小言をいふやうな物の言ひぶり、腹も立たずか言譯しながら後刻に後刻にと行過るあとを、一寸舌打しながら見送つて後にも無いもんだ來る氣もない癖に、本當に女房もちに成つては仕方がないねと店に向つて閾をまたぎながら一人言をいへば、高ちやん大分御述懷だね、何もそんなに案じるにも及ぶまい燒棒杌と何とやら、又よりの戻る事もあるよ、心配しないで呪でもして待つが宜いさと慰さめるやうな朋輩の口振、力ちやんと違つて私しには技倆が無いからね、一人でも逃しては殘念さ、私しのやうな運の惡るい者には呪も何も聞きはしない、今夜も又木戸番か、何たら事だ面白くもないと肝癪まぎれ��店前へ腰をかけて駒下駄のうしろでとんとんと土間を蹴るは二十の上を七つか十か引眉毛に作り生際、白粉べつたりとつけて唇は人喰ふ犬の如く、かくては紅も厭やらしき物なり、お力と呼ばれたるは中肉の背恰好すらりつとして洗ひ髮の大嶋田に新わらのさわやかさ、頸もと計の白粉も榮えなく見ゆる天然の色白をこれみよがしに乳のあたりまで胸くつろげて、烟草すぱすぱ長烟管に立膝の無作法さも咎める人のなきこそよけれ、思ひ切つたる大形の裕衣に引かけ帶は黒繻子と何やらのまがひ物、緋の平ぐけが背の處に見えて言はずと知れし此あたりの姉さま風なり、お高といへるは洋銀の簪で天神がへしの髷の下を掻きながら思ひ出したやうに力ちやん先刻の手紙お出しかといふ、はあと氣のない返事をして、どうで來るのでは無いけれど、あれもお愛想さと笑つて居るに、大底におしよ卷紙二尋も書いて二枚切手の大封じがお愛想で出來る物かな、そして彼の人は赤坂以來の馴染ではないか、少しやそつとの紛雜があろうとも縁切れになつて溜る物か、……
(樋口一葉/にごりゑ)
0 notes
Text
虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅸ
花鳥誌2024年9月号より転載
日本文学研究者
井上 泰至
16 紅梅や旅人我になつかしき
『六百句』に「なつかしく」の句形で「(昭和二十年)四月十四日 在小諸。懐古園に遊ぶ」の注記あり。『小諸雑記』(昭和二十一年)「紅梅」の章にも「懐しく」とあるが、同書「小諸の浅春」の章には「なつかしき」とある。『小諸百句』(昭和二十一年)には、「立子と共に懐古園に遊ぶ」と注記。
この句の詠まれた事情は、『小諸雑記』によれば、以下の通りである。庭に色彩のあるものが殆どないことを、家主の小山榮一氏に伝え、せめて一本の紅梅でもほしいと言っていたが、小諸の駅前にある懐古園を歩いていると、一つの紅梅を発見し、これで十分、家の庭にはなくてもよいと思い、飛騨への旅で車窓から一瞬見た景色に満足した経験を思い出し、「どこにでも気に入つた紅梅があればいい」として、この句を書き留めている。
俳人にとってはゆっくり見たものだけが句材ではなく、記憶に残った風景も句材になることは経験上多いだろう。虚子は既に若き日、『俳句入門』(明治三十一年)で、題詠における「回想」の効用を認めている(井上『近代俳句の誕生』)。今、近年の言説として片山由美子氏のものを挙げておこう。
(袋回しについて)そんなとき役に立つのは、日頃の俳句の断片の蓄積や視覚的記憶である。題詠だからといって、空想だけでは決してできない。ふだん目にしているものの映像的な記憶がり、一句の場面として定着する。じつはこれは俳句を作る際につねに無意識に行っていることである。俳句には「写生」が重要だと言われる。(中略)だが、人間がものを見ると言うのは眼前だけではない。極端な言い方をすれば、あるものを見るとき、すでに見る前からそのものを以前見たときの印象や認識を重ねて見るのである。そして、そのとき見たものはあらたな記憶としてとどめられ、そのものが目の前にないときでも眼前にあるときに近い描写をすることができる。わたしたちが俳句を作るときには、こうした作業を無意識に行っているのである。それが、席題で句を作るときなどには最大限に発揮される。(「句会を楽しむ―句会とは何か―」(『別冊俳句 俳句生活 句会の楽しみ』二〇〇八年)
なお、句形の違いに一言すれば、「なつかしき」は口調が強く、「なつかしく」は優しい。句意は、虚子とて疎開の境涯たる「旅人」であり懐かしさはひとしお、紅梅のその色と香がいっそうその思いを募らせるものだったということであろう。
そもそも梅は「懐古」の花である。例えば、太宰府天満宮の本殿向かって右手にある御神木「飛梅」。菅原道真は、京都から大宰府へいわれのない罪で左遷される折、自邸の梅の木に、
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花
あるじなしとて春な忘れそ
と歌で別れを告げ、道真を慕った梅の木は、一夜にして大宰府まで飛んできたと伝えられる。御神木として大切にされている飛梅は、極早咲きの「色玉垣」という白梅だが、春の訪れを告げるこの花には、苦節の末のわずかな幸せを象徴する属性があった。島崎藤村の詩で有名な、小諸古城の旧園での成立も似つかわしい。
三月十日には東京大空襲もあった太平洋戦争末期の心細い時期、二年に及ぶ疎開の果ての虚子の心情は察するに余りある。
17 山国の蝶を荒しと思はずや
「ホトトギス」昭和二十一年五月号初出。『小諸百句』にも所載。『六百句』に「(昭和二十年)五月十四日 年尾、比古来る。小諸山盧」と注記。
虚子の生涯でも一大エポックと言える、この句の成立事情についての「公式見解」は、次の年尾の解説にある通りだが、実際の事情は後で触れるように、複雑である。
父は戦時中信州小諸に疎開して居つた。私も偶々父の家に滞在して居つた。京都から田畑比古が訪れた。父はいつも極つた道を散歩した。それは父の毎日の日課であつた。比古と私を伴つて、その散歩道をいつもの如く連立つた。春先の野路にとぶ蝶を見た。父は二人を顧みて此句を示した。
比古は京料亭「京饌寮」主人で、虚子の小説『風流懺法』のモデル妻の三千女ともども虚子門で、この句は信州小諸とは距離的にも風土的にも縁遠い、京都人の比古に向けて詠んだ点に妙味がある。
虚子編『新歳時記』の「祭」の項目には、虚子の風土観の核が京都にあったことが、明確に見て取れる。虚子のいう季語としての「祭」は、葵祭などを基本とした関西の風土におけるそれを指していることが了解され、関東を中心とする「神田祭」や「三社祭」は、立項されていない。深見けん二の証言によれば、昭和六十一年刊行の『ホトトギス新歳時記』を編集した折、この江戸風の気風のいい祭は、深見の提言でようやく採録されたことが後に明かされている(『珊』九十四号、平成二十四年五月)。
そのような虚子にとって、小諸への疎開は、芭蕉が奥州を旅して、新たな句境を得たのと似た意義があった。京都人比古に、「山国」の「蝶」の荒々しい飛翔という主観を示した掲句は、その象徴的な句なのである。ちなみに年尾も芦屋在住であった。
なお、この句は句案の変遷が明らかになっている。初案は、
山国の蝶は荒しと思はずや
であり、三人だけの句会での出句たる二案は、
山国の蝶の荒しと思はずや
であった。それが最終的に掲句の形に落ち着いている。この三句の変遷については、宮坂静生の指摘があるので引いておこう。
ア案(初案―井上注)は浅間からの強い風に抗うように飛んでいる蝶を見た嘱目である。強く提示しすぎて蝶の本意を損ない、一句のバランスがわるい。 イ案(二案―井上注)は下の句の問いかけに対して、〈の〉では迫力がない。掲句の〈を〉によって〈荒し〉の対象が意外にも可憐な蝶なんだと驚きをもって納得される。そんな蝶をともに見ない人までも、見たような感動を味わうことになる。 (『俳句鑑賞1200句を楽しむ』)
疑問を差し挟む余地のない推論で、『虚子百句』の年尾の解説では、嘱目で一気に最終案が即��されたかに思えるが、むしろ虚子はこの句の出来に執心し、練り上げたことが確認できる。虚子自身、この句への確かな手応えがあり、てにをはも、なおざりにはできなかったものだったのである。
信州小諸と言えば、暦の上で夏五月ではあるが、晩春の趣きであり、京都中心の風土観に縛られない、写生の実践の成果だった。「山国」の二文字は重い。小諸市虚子記念館には、虚子揮毫の句帖二冊が、折本の形で残されているが、山盧から望む山並みの形に句の字配りがされている。『虚子百句』中、「山」の字を含む句は十二句の多き数え、本書においても、重きをなす字であった。
昭和二十年四月末にはムッソリーニも処刑され、ベルリンも陥落して、ヒトラーも自殺している。日本は戦争継続を公式に表明しているが、三月から四月にかけては、京都を除く日本各地の主要都市で大空襲の惨状が伝えられるようになっていた。そこをくぐりぬけてきた比古への「挨拶」が、山国らしき蝶の飛翔だった。
「荒し」は、蝶の本意の対局にあるだけ、新鮮な写生の結晶でもあり、亡国の淵に立つ情勢下にあっても、元気を失わな強さが、そこに潜んでいたことを肝に銘じたい。
『虚子百句』より虚子揮毫
17 山國の蝶を荒しと思はずや
18 桃咲くや足投げ出して針仕事
国立国会図書館デジタルコレクションより
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
0 notes
Text
【坂本龍一監督追悼 定期演奏会2024】仙台も終了、30日(土)は郡山!
盛岡の朝は早い。 市内のホテルから団員が宿泊する紫波(しわ)郡紫波町の「ラ・フランス温泉館」までタクシーで移動し、団員と合流しなければならないというミッションを背負っていたのです。宿泊施設の名前を聞いてから「ラ・フランス」と「温泉」の二語の不協和音ぶりに不審さが拭えなかったのですが、実際にありました。
さらに「湯楽々」(しかも文字の級数がデカい!)です。この斬新なネーミングの施設ですが、朝6時頃の眺望をOB中村祐登(トランペット、今は小学校の教諭、地元は仙台)にシェアしてもらいました。
雲海が広がる絶景に日の出。もっと早起き駆けつけて見たかった!(たぶんできなかった)
さて、バスの添乗担当としては、
3号車に乗り込み、7時半に出発。寝台バスのごとく寝ること2時間。やって来ました、本日の会場です。寝ぼけながらバスから降りて普通に会場に入ろうとしていたら、前で写真を撮っている団員がいました。
OBOGから畏敬の念を持って「酒豪」と称される佐々木潮里さん(ヴィオラ、今は化学品系メーカー研究職、地元は仙台)でした。きっとアルコール分解の人体実験としてお酒を嗜まれているに違いないと解釈しております。
東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)では、二人の来客がマエストロの入り時間よりも早く待ち構えていました。
第三期のコンサートミストレス、千葉はづきさん(旧姓、地元は仙台)が、生後4か月の洋榮(ひろは)くんを連れてやってきてくれました。いったい何人がこのヒーローを抱っこしたことでしょう。
しかし、OG佐藤実夢さん(ヴァイオリン)の抱っこの安定感はナンバーワンでした。今は保育士さんですからね。
ゲネプロ中をいいことに「乗っちゃいなよ、ベイビー」とは言いませんでしたが、オンステージのデビューをしてもらいました。
すでに孫のためにチェロが買い与えられたとか。これから「東北ユースオーケストラ・ジュニア」ができるのか、いや「東北ユースオーケストラ」に入って欲しいものです。
はずきママ、律儀に差し入れも持ってきてくれました。
そう、盛岡のヴァイオリン駒井さんの手芸による栁澤さんはすでにご紹介しましたが、その左は手芸の福島事務局竹田学さん(直前合宿初日にご指導)と判明いたしました。
OBの吉田飛鳥くんも差し入れ持参で駆けつけてくれたのです。だんだん「ひよこクラブ」記事のようになってきたので、このへんで修正いたしますと、今日は東北ユースオーケストラの宮城公演です。
ゲネプロは着々と進行、終了し、あとはお客さんを待つのみ。
こちら下手の舞台袖では、
クラリネットの渡邊理沙子さんが、シエナ・ウィンド・オーケストラの飯島泉さんに個別指導をしていただいていました。なんという贅沢! 本番がんばって!!
一方、ロビーでは、
TYOオリジナル商品の物販準備です。三期の齋藤玲利くん(チェロ、盛岡出身)が、大学入学で復団したいと体も大きくなって手伝いに来てくれました。うれしいし、心強いぞ。わたしが書いた書籍『響け、希望の音〜東北ユースオーケストラからつながる未来』(フレーベル館)もオンデマンド版を販売しています。初版は売り切れたものの、重版までには至らずとの版元判断でございます。ドカンと増刷になると、このオケの活動費になりますので、そのような事態の到来を待ち望んでおります。Netflixとかで映画にならないかな・・・。
オシャレでコンパクトなTYOロゴ入り防災セットも残りわずかですので、郡山、東京での公演での入手を切にお願いいたします!
こちらは20日に発売されたばかりのCD、東北ユースオーケストラと坂本龍一 『The Best of Tohoku Youth Orchestra 2013~2023』の販売ブース。こちら会場での購入特典としてA4サイズのオリジナルデザインのクリアファイルがもらえます。ぜひこの機会にお求めください。
そろそろ開演間近となり、舞台袖にはTYO定期演奏会では恒例の影アナ隊が集まってきました。普通は舞台袖で行う注意喚起ご協力お願い系のアナウンスを団員がステージの正面に陣取り堂々と行うという演出の一部です。
えー、今日は男3人に女2人ということは、TYOのTRF!
こちらはパーカッションのみなさん。
んー、女4人、男2人、むむむ、TYOの男女混合バレー��ールチームです(にしておこう)!
仙台が地元の二人がそろっていました。
TYOの「けいことみなみ」です!(昭和に活躍した女性漫才コンビ風ですが、そのままです)
日の出を撮影した仙台が地元、中村くんが自撮り棒を使っていました。
生徒のみなさん、中村先生は元気ですよ。
もはや開演直前。管メンバーのチューニングがはじまりました。
開演しました、1曲目の演奏風景です。
昨日の盛岡公演を上回る、自己ベストの勢いで着々と演目が進んでいきます。
その頃、MCの渡辺真理さんから休憩前のロビー物販を紹介するアナウンスにあたり、舞台袖で油断していた3人に協力要請がありました。
昨日の盛岡での「にわかTYOなんとか」グループとの被りもありますが、TYOのMISAMO! あと6人の女子団員を編成して、「TYOのTWICE」を郡山公演か、東京公演で、名乗り出てきてくださいね。
休憩をはさんで後半。暗めの下手舞台袖でテスト的にシャッターを切っていたら、我妻家の姉、弟のトランペッターズが視界に入りました。
TYOの満島ひかりと満島真之介! ということでお���いします。
うかうかしていると、もうアンコールに。
『ETUDE』は、東北ユースオーケストラの前身である、「こどもの音楽再生基金」の毎年8月に行った宮城県での被災三県の音楽系部活動によるライブ大会のテーマ曲でした。先にご紹介した書籍でも取り上げていますが、まさにこのホールでステージに出演者が300人以上乗って、合奏した曲です。当時「足ぶみで舞台がこわれるんじゃないかと思ったよ。」と言った、その坂本監督も、ここにいました。
直前合宿ではソロで立って演奏することに躊躇していた二人、堂々と演奏してくれました。影練の成果が出ましたね。
終演後、みんなで舞台袖大集合写真を撮りました。
海津キャプテンから朗読ゲストのんさんへ、団員寄せ書き色紙の贈呈です。
色紙中央の似顔絵を描いてくれた丸山周くんと。
アンコールでソロを決めてくれた、トランペット長沼くんとトロンボーン内藤さんと。
さらに舞台袖では、2015年に小学5年生だった息子の姿を撮影した福澄くん父からの写真が送られてきました。当時の写真と並びが一緒だったので、上に埋め込んでみました。
人は成長する! 今や二人とも大学一年生。TYOの「そらとまお」(そのまま)です。
終演後のバックステージに訪れてくれた、もう一人のOGゲストは、もう一人をお腹の中に携えて、激励に来てくれました。第1期からの団員だったホルン、曽根瑞貴さん(旧姓)です。
もうすぐ次世代東北ユースオーケストラメンバー候補が、この世に誕生します。みんなで抱っこするのが楽しみです!
311をきっかけに集まって、活動を続けているわたしたち。その中心には坂本龍一監督がいらっしゃいました。「音楽、音がめっちゃ好き過ぎるおじさん」の求心力で、いつのまにか、なんだかまるで親戚のようなコミュニティができていました。 ユング曰くの「グレート・マザー」ならぬ「グレート・ファザー」に、この演奏が届きますように。
今週末、30日(土)郡山(ゲストは吉永小百合さん)の演奏会は、まだチケットがございます。坂本龍一監督のプライベートアーカイブからの写真や、東北ユースオーケストラの団員と過ごした日々の動画など、未発表素材をふんだんに使った映像も見どころです。
ぜひ、ぜひご来場ください。
1 note
·
View note
Text
112運動i臺灣2.0計畫 9縣市榮獲績效特優
為推廣全民運動,發展地方運動特色,教育部體育署自105年開始推動「運動i臺灣」計畫,並於111年起提升為「運動i臺灣2.0」計畫。為表揚112年推展績效特優的縣市,體育署今(30)日辦理「112年特優縣市頒獎典禮暨113年運動i臺灣2.0計畫中央輔導及地方訪視機制說明會」,由體育署洪志昌副署長親臨頒獎並致謝,邀請包括宜蘭縣、臺北市、新北市、桃園市、新竹市、臺中市、彰化縣、南投縣、嘉義市等9個特優縣市政府體育局長、教育局處長代表出席受獎。
去(112)年為各縣市政府執行運動i臺灣2.0計畫第二年,各縣市政府參照第一年的成果,以地方發展現況、特性、人口結構、各族群等需求持續調整及創新,提出一般專案、原住民族專案及身心障礙專案之年度計畫。體育署透過聘請委員輔導訪視、定期會議與提報資料及透過i運動資訊平台等數個評核項目,評核出9個特優、10個優等、3個良等縣市。
教育部體育署全民組呂宏進組長特別提到運動 i 臺灣 2.0 計畫三大亮點:一、結合在地資源發展地方運動特色,像是南投縣泳渡日月潭、彰化縣田中馬拉松,讓民眾能體驗各地文化、家鄉風情。二、培育及媒合國民體適能指導員,未來檢定合格人員可媒合協助縣市活動或課程運動指導,推動國民體適能指導員在地化。三、跨域資源合作,深入村里社區、公司企業,辦理體適能講座、諮詢、運動指導等多元活動。
南投縣教育處王淑玲處長表示,近年來南投縣舉辦極富特色及創新之運動活動,以五人制幼兒足球錦標賽、i運動巡迴列車及競爭型計畫日月潭國際萬人泳渡活動、紫南宮一騎來發財環縣自行車活動、傳統射箭扎根體驗營等,希望透過多元活動,促進民眾培養運動習慣。
各特優縣市執行成效:
一、 宜蘭縣
擁有得天獨厚的山海環繞環境,充分善用烏石港、宜蘭河、冬山河、蜜月灣與豆腐岬等水域,打造獨具特色的水樂園,積極推動宜蘭水域課程與活動,提升其知名度與參與率。
二、 新北市
透過運動熱區拓展在地運動熱點,由點連結成面,再結合巡迴運動指導團深入29行政區以及各里,更攜手在地百家企業及庇護工場等資源共同推動運動,讓運動可以直接進入民眾的生活圈,公部門及私部門的力量相輔相成,打造友善運動城市。
三、 臺北市
連續第8年獲得特優縣市的殊榮,除了持續辦理全台規模最大的臺北國際龍舟錦標賽,以及開設女性、親子、原住民及單車等多元族群的活動課程之外,亦積極推動身障與銀髮族運動,其中樂齡運動巡迴指導團走遍各行政區,已創造141,865位樂齡運動人次。
四、 桃園市
以融合競技、休閒、趣味等元素,結合在地風光特色,孕育如新屋魚米之鄉馬拉松、阿姆坪划船、獨木舟及sup立板划槳體驗營、桃園市原住民族運動會等多元特色體育活動,112年更加強推廣運動平權,積極推行身心障礙運動指導團服務、銀髮族及外籍移工國際籐球交流等,提升多元族群運動機會與賦能。
五、 新竹市
透過運動中心舉辦多元活動及營造友善環境,鼓勵市民與其心愛的寵物一同參與各類活動,更首次利用線上紀錄推動運動綠生活,讓忙碌的上班族不受時間地點限制隨時運動。另以毛小孩作為吉祥物,吸引不同族群參與,持續打造適合各年齡層的全民參與的運動環境。
六、 臺中市
整合地方團體,推動街舞、單車、武術等大型活動,持續以「市民有感健康樂活」、「扎根基層培育人才」、「營造優質友善運動環境」及「打造運動經濟推手」為策略,厚植臺中各項運動實力,打造「酷運動、酷城市」。
七、 彰化縣
結合縣內人文風光辦理特色活動,以親子運動為主軸,舉辦「半線古鎮卦山逍遙遊」活動,讓民眾以新的、健康的方式更加認識彰化淺山風光,打造熱情的運動大縣。
八、 南投縣
積極推動各項體育運動(如:萬人泳渡、紫南宮環線自行車活動、女性、身障、原住民族運動都在縣內蓬勃發展,運動結合觀光,打造南投健康活力城市新風貌。
九、 嘉義市
以嘉義之肺「雙潭」作為主題,舉辦城市夜跑活動-嘉義雙潭星光路跑,以親子共跑為主題融入嘉義特色市集,結合在地人文、觀光、旅遊、生態、文創、美食等地方產業特色,展現嘉義市城市行銷之魅力及健康活力城市之形象。
體育署希望透過倡導及地方協力的模式,整合各縣市政府資源與地方人文及環境特色,鼓勵國人規律從事運動,提升全民運動風氣,共同守護國人的健康。今日頒獎典禮現場除進行隆重的獎牌頒贈儀式外,亦辦理113年中央及地方輔導機制說明及教育訓練課程,期能透過此說明會讓各縣市充份瞭解113年運動i臺灣2.0計畫中央輔導和地方訪視機制,強化計畫執行績效。
0 notes
Text
啟翔輕金屬捐贈防疫門:成為防疫國家隊
在台北市矚目的信義區,集結著最優越的豪宅、商辦和百貨,然而鮮有人注意到構成這些宏偉大樓玻璃帷幕的關鍵元素,正是來自鋁業市占率超過60%的領先者──啟翔輕金屬科技,一家專精於鋁製建材,如帷幕、門窗、板牆、格柵等的台灣「隱形冠軍」企業。
啟翔輕金屬科技在其主要領域已經達到頂尖水平,為提升生產效率和競爭力,他們在桃園新屋區建立了佔地五萬多坪的一條龍鋁產業鏈。這項投資的目標是降低運輸、倉儲、包裝和時間成本,使其服務更加快速而優越。
然而,啟翔輕金屬科技的成長不僅僅止於此。該公司的董事長陳百欽近年來持續拓展至不同的領域,如鋁製家具,並計劃進軍蔚為風潮的露營車、鋁木屋等。他們不僅極大地發揮鋁材的功能性,更致力於打造環保產品,減少對木材的消耗。這種信念和不斷的自我挑戰,使得啟翔輕金屬科技的所有員工都擁有將事情做到最好、隨時因應挑戰的決心和能力。
啟翔輕金屬捐贈防疫門
啟翔輕金屬科技股份有限公司董事長陳百欽表示,王文杰是他先前就讀交通大學EMBA時的指導教授,在學期間受到許多教導,因此本次決定將公司研發的產品捐贈給政大。陳百欽也分享,自臺灣受疫情衝擊以來,公司曾經致贈醫院負壓隔離病房與篩檢站,一直在思考後續還能做些什麼。
「篩檢站讓你知道有沒有被感染,不過只做體內篩檢的話,體外消毒很多人也不知道從何著手。」陳百欽說,因為這樣的想法,他決定讓公司研發單位把其他產品都先停下,專注開發防疫通道產品。而在完成防疫通道後,又花了兩個月尋找適合的藥液。陳百欽指出,該公司的防疫門產品使用奈米銀與二氧化氯,已通過9項SGS驗證證明安全無虞,同時具備優良的殺菌效果。
啟翔輕金屬總經理何基州則解說防疫門的使用方式與相關機制。「走進通道之前,必須先量測體溫、手部酒精消毒,走進去之後就會自動感應並啟動全身性完整的清消。」何基州表示,經過精密的噴嘴調整,防疫通道內的奈米銀由上方微霧噴灑、二氧化氯則從側面清消,就連腳底也會徹底消毒,降低接觸性染疫風險,發揮高效能智慧防疫。
啟翔輕金屬展現的蓄積多年的靈敏應變力
2021年5月,全球新冠肺炎大流行已持續一年多,台灣突然爆發社區感染,每天數百位確診者或接觸者使得醫療系統幾近崩潰。在這個危急時刻,啟翔輕金屬科技展現了多年來積累的靈敏應變力。
陳百欽早在2020年攜手陽明交大EMBA同學共同研發組合式隔離負壓��統,並將其捐贈給國軍桃園醫院、署立桃園醫院新屋分院和桃園榮民醫院。隨後,陳百欽與經營團隊共同致力於研發組合型負壓隔離房、防疫通道和正壓檢疫站等新的醫療防疫產品線。
在疫情最嚴峻的時刻,啟翔輕金屬科技全體員工展現出極高的戰鬥力和拚勁,快速製造正壓檢疫站,並在最短時間內送到機場和全台主要的醫療院所使用。這種高效率和積極進取的態度,讓啟翔輕金屬科技在三個星期內完成了160座檢疫站和20多座負壓隔離病房,甚至比原定交期提前一週。
啟翔輕金屬-德國紅點大獎實力
負責規劃檢疫站內空間配置與組裝結構的伊莫諾家居總經理劉學橋表示,公司原本已經研發��能快速組裝的鋁屋結構,有助於提高製程速度。劉學橋協助設計了六人座移動式正壓檢疫站,允許六位醫護人員分兩線同時進行工作,提升篩檢效能。他強調,疫情結束後,只需將檢疫站的透明窗更換為不透光鋁板,即可百分之百回收再製成山屋或露營用的鋁製小木屋。
伊莫諾家居的另一項斬獲是可依使用者需求量身訂製層架配置的「LIXT所有格」,該產品榮獲2021德國「紅點產品設計大獎」(Red Dot Design Award)和2021綠色產品獎(Green Product Award)。這表明其多變的靈活設計不僅強化了防疫產品的壽命,還使家具更環保和永續。
啟翔輕金屬 董座不忘初心
回顧這次設計製造正壓檢疫站的任務,陳百欽認為公司投入的成本早已超過售價,但他堅持每製造一座檢疫站,自己就捐出兩萬元,累計捐贈超過300萬元。長年投入公益的他認為,這是在國家危急之時應該做的事。他表示:「我是從艱困家庭走出來的農村子弟,創業三十多年來我不斷提醒自己:只要我還有能力,社會哪裡需要幫助,我都不會吝嗇。」
啟翔輕金屬科技的總管理處副總經理陳臆云也強調,儘管這些防疫產品短期內可能不賺錢,但從ESG的角度來看,具有前瞻性的價值。從雲端上的高樓到救急最前線的正壓檢疫站,啟翔輕金屬科技展現了傳統產業與時俱進的正向力量。陳百欽總結道:「我衷心期盼全球新冠疫情能盡快過去,但若再度出現對防疫醫療用品的需求,啟翔隨時待命中!」
延伸閱讀:
全員拼正壓檢疫站,挺醫護不惜停工,啟翔輕金屬科技如何從豪宅帷幕到成為防疫國家隊?
陳百欽:全鋁家具 Emoono 伊莫諾與台灣鋁業大廠啟翔輕金屬,以「為地球多留一棵樹 由鋁開始」
陳百欽永續經營概念
啟翔輕金屬董事長陳百欽循環經濟
把痛點變新商機,啟翔輕金屬科技從代工到品牌「鋁鋁」創新
經濟部產業發展署專訪陳百欽- 啟翔創新園區
陳百欽「15%哲學」多角化帶領啟翔輕金屬科技踏上創新「鋁」途
陳百欽與何基州:啟翔輕金屬科技的研發之心
陳百欽「15%哲學」多角化帶領啟翔輕金屬科技踏上創新「鋁」途
啟翔創新園區鋁金屬業聚落
0 notes
Text
1968年臺灣
維基百科介紹
1968政府
國家正副元首
總統:蔣中正
副總統:嚴家淦
五院首長
行政院院長:嚴家淦(副總統兼任)
立法院院長:黃國書
司法院院長:謝冠生
考試院院長:孫科
監察院院長:李嗣璁
省政府主席
臺灣省政府主席:黃杰
福建省政府主席:戴仲玉
大事記
1月

1968年9月9日,台北市舉辦實施臺灣九年國民義務教育慶祝大會暨國民中學聯合開學典禮。
蔣中正提名楊亮功為考試院副院長,經監察院票決同意[1]:118。
1月4日——副總統嚴家淦訪問泰國(1月5日、1月7日,與泰國總理他儂舉行會談;1月10日,發表聯合公報後,返臺。);經濟部次長汪彝定宣布:外貿方向以農工業培養貿易,以貿易發展農工業[2]:748。
1月5日——外滙貿易審議委員會主任委員會徐柏園稱:去年對外貿易總值近15億美元,出超2,600萬美元[2]:748。
1月9日——蔣中正主持國家安全會議,提出「革新當前社會風氣指導綱領及實施要領」[2]:748。
1月26日——特任駐牙買加大使孫碧奇兼任駐巴貝多國大使[2]:749。
1月27日——公布「九年國民教育實施條例」(4月3日,教育部發布「國民中學教師儲備及職前訓練辦法」;5月6日,行政院指令臺灣省、臺北市暨福建省金門、馬祖地區為實施九年國教區域;5月31日,教育廳長潘振球宣布:九年國教準備工作完成。)[2]:749。
2月
1969年2月25日,日本讀賣巨人棒球隊於台北市立棒球場分兩隊作一場表演賽。民航公司10號班機殘骸
蔣中正接見越南共和國駐臺大使陳善謙,對越南共和國重要城市近遭越共深表關切[1]:118。
2月1日——外交部次長沈錡率領特使團,訪問中美洲及加勒比海各國(4月17日,返臺)[2]:749。
2月9日——旅日棒球選手王貞治所屬日本讀賣巨人隊訪臺(1965年12月4日,王貞治返臺表演球技。)[2]:749。
2月16日——民航空運公司自香港到臺灣客機在林口墜毀,21人罹難(5月21日,交通部民航局核准其環島客運班機由中華航空公司接替;5月25日,國際民航駕駛會請求蔣中正停止民航運公司法院審判,由民航局再行調查。)[2]:749-750。
2月19日——與日本在東京簽約,售予日本食米6萬餘公噸[2]:750。
2月21日——特任沈怡為駐巴西大使[2]:750。
2月25日——教育部核中央大學在臺復校(10月16日,復校舉行開學典禮。)[2]:750。
2月27日——駐日大使陳之邁向日本政府嚴重抗議日本欲與外蒙建交企圖[2]:750。
3月
3月5日——美國國際開發總署駐臺代表處結束,中美基金交由政府自行決定運用[2]:750。
3月7日——外匯貿易審議委員會主任委員徐柏園稱:1967年度對外貿易總值共達14億5,900萬美元,比前年增加26%,創歷年最高紀錄;柏楊(郭衣洞)因「大力水手」漫畫風波,被調查局逮捕[2]:750。
3月8日——教育部決定成立國民教育督導委員會[2]:750。
3月15日——教育部國民體育委員會決定全面推展全民體育(9月17日,行政院核定「發展全民體育方案」。);新任美國第七艦隊司令布蘭格(William F. Bringle)訪臺[2]:750。
3月30日——經濟部長李國鼎在立法院報告第五期四年經建措施為:林業改良、稻米增產,發展電子、精密儀器、造船、石油、化學、大鋼廠等工業,改善交通運輸,建設新社區等[2]:751。
4月
4月2日——財政部宣布自1969年度起停止愛國公債派募[2]:751。
4月10日——美國農業部長傅利曼(英語:Orville Lothrop Freeman)率團訪臺3天(4月12日,指出臺、美基於互惠原則,加強貿易關係。)[2]:752。
4月14日——交通部長孫運璿表示,政府決在高雄港建立貨櫃轉運中心,並在基隆港興建貨櫃碼頭[2]:752。
4月17日——行政院頒行修正「外匯貿易委員會組織規程」(9月19日,行政院為適應國際經濟發展趨勢,決撤銷外匯貿易審議委員會,設立外匯局及國際貿易局。);總統府資政莫德惠逝世(吉林雙城人,到臺後擔任考試院長長達12年,有功於考試制度建立。)[2]:752。
4月21日——臺灣省投票選舉第四屆省議員及第六屆縣市長,國民黨取得17席,高雄市長首度由民社黨的楊金虎當選。(6月2日,第四屆省議會成立,謝東閔、蔡鴻文分別當選正、副議長。)[2]:752。
4月22日——與澳大利亞在坎培拉簽訂「中、澳貿易協定」[2]:752。
4月29日——臺灣省政府發布施行「臺灣省都市平均地權施行細則」[2]:752。
4月30日——中華文化復興運動推行委員會訂定推行「國民生活須知」[2]:752。
5月
5月1日——蔣中正與夫人宋美齡在陽明山中山樓舉行茶會招待美軍在華官員與眷屬[3]。
5月4日——教育部編列400萬元,翻譯世界名著,編印科學辭典[2]:752。
5月7日——農業專家趙連芳病逝(河南羅山人,畢生從事農業教育、科學研究,在水稻育種貢獻很大,是中國現代農業科學之先驅。)[2]:753。
5月10日——第一屆「中、韓經合會議」在漢城揭幕(5月11日,發表聯合公報,加強政、經聯繫。);行政院通過「中、美航業相互免稅協定」[2]:753。
6月
6月3日——空軍C-46運輸機墜落於台南縣柳營鄉太康村農田,多年後當地民眾立七十二聖人廟以祭之[4]。
6月8日——蔣中正接見日本編輯訪臺團,重申堅決反對「兩個中國」立場,並強調日本如廢除「吉田書簡」,無異廢棄「中日和約」[2]:754;蔣指出中共為東亞災禍之源,所謂中立共存,將貽無窮禍害,日本應合作消弭危機[1]:119。
6月10日——臺灣省政府主席黃杰表示,配合實施職業教育及九年國教,禁設私立小學及初中[2]:754。
6月12日——前立法院長張道藩病逝(貴州盤縣人,歷任中國國民黨中央執行委員、中央宣傳部長、海外部長及第四屆立法院長。)[2]:754。
6月15日——水牛出版社「水牛文庫」開始出版[2]:754。
6月24日——特任沈錡為駐澳大利亞大使[2]:755。
6月26日——東京日本大學以名譽法學博士學位贈與蔣中正[1]:119。
7月
民主臺灣聯盟事件,陳映真(名永善)等36人被捕[2]:756。
7月1日——駐美大使周書楷代表政府與49國在華盛頓簽署「禁止核子武器擴散條約」(1969年12月12日,立法院通過「防止核武器蕃衍條約」。)[2]:755。臺北縣的南港鎮、景美鎮、內湖鄉、木柵鄉與陽明山管理局的士林鎮、北投鎮併入臺北市[5]。
7月2日——國際經濟合作發展委員會成立能源規劃發展小組,孫運璿任召集人[2]:755。
7月5日——任命桂宗堯、何鳳山與宓錫寵分別為駐宏都拉斯、玻利維亞、薩爾瓦多等國大使[2]:755。
7月10日——美國一艘護航艦在西雅圖移交臺灣,命名為「太原號」[2]:755。
7月19日——駐加拿大大使薛毓麒遞交備忘錄,對加國有承認中共意圖表示關切(1969年2月10日,對加國與中共進行建交接觸,再提抗議。)[2]:756。
7月20日——特任夏功權為駐紐西蘭大使[2]:756。
7月26日——美國駐聯合國大使包爾(George W. Ball)訪臺[2]:756。
7月28日——中央研究院院士會議選出楊忠道、馮元楨、王兆振、劉占鰲、盧致德、魏火曜、錢穆、顧應昌、郭廷以9位院士[2]:756。
7月30日——特任段茂瀾、苪正皋、杭立武、孫碧奇、凌崇熙、徐懋喜、姚守中分別為駐阿根廷、象牙海岸、希臘、菲律賓、牙買加、上伏塔、巴貝多等七國大使[2]:756。
8月
中國國民黨中常會通過以張寶樹為中央委員會秘書長[1]:119。
8月9日——經濟部成立聯合礦業研究所[2]:756。
8月10日——留美學生陳玉璽因在海外發表傾向支持中共之文章,經軍法判處7年徒刑[2]:757。
8月25日——紅葉少棒隊以7A比0,擊敗日本和歌山少棒隊[2]:757。
8月29日——駐菲律賓大使杭立武與菲外交部長羅慕斯(英語:Narciso Ramos)為處理逾期華僑問題達成協議,並簽署聯合聲明[2]:757。
9月
中華民國教育部政務次長鄧傳楷再次獲總統親授一等(特種大綬)景星勳章(1961年首次獲頒)。
9月1日——《徵信新聞報》改名為《中國時報》,開始發刊(1950年10月2日,創刊。);長榮海運公司成立[2]:757。
9月3日——中國電視公司成立[2]:757。
9月5日——行政院核定撤銷財政部鹽政總局,恢復設置鹽政司[2]:757。
9月6日——中華民國與史瓦帝尼建交。
9月9日——九年國民教育正式實施,蔣中正頒發錄音訓詞[2]:757。
9月18日——行政院公布「大成至聖先師孔子誕辰紀念辦法」,自今年開始實施[2]:758。
10月
經濟部投審會核准日本三菱電機投資技術合作,中國菱電股份有限公司成立 。
10月7日——與日本之「中、日合作策進會」第十三次會議在臺北揭幕(10月9日,發表宣言,主張建立亞洲集體安全組織,阻止共產侵略。)[2]:758。
10月10日——國際奧林匹克委員會通過中華民國使用「中國-中華民國」名義,參加奧林匹克世界運動大會[2]:758。
10月16日——蔣中正私人代表張群赴日本,參加前日本首相吉田茂逝世週年追思會[2]:759。
10月19日——紀政在第十九屆墨西哥奧運會獲女子80公尺低欄決賽銅牌,並打破世界紀錄[2]:759。
10月22日——蘇聯記者維多克·路易斯抵臺,展開秘密外交(曾與國防部長蔣經國密談。)[2]:759。
10月29日——第一架由空軍自製之飛機「介壽號」完成並展示;特任外交部亞西司長蔡葩為駐利比亞王國大使(1969年1月27日,呈遞到任國書。)[2]:759。
11月
11月3日——楊傳廣發起1人1元籌建體育館運動,獲熱烈響應(12月5日,臺灣省政府通令機關學校及公營機構加強推行。)[2]:759。
11月9日——教育部長閻振興在立法院報告:政府為發展科學教育,1968年度編列經費9,000餘萬元,改善科學研究設備[2]:760。
11月12日——中華文化復興運動推行委員會通過12項工作計畫,以增進國民德智體群育修養[2]:760。
11月14日——與新加坡達成協議,互設商務代表團,並辦理領事事務(1969年1月2日,互設商務專員;5月2日,駐新坡貿易代表團辦事處成立。)[2]:760。
11月20日——外交部次長楊西崑在國家安全會議報告聯合國表決中國代表權問題結果,58對票,23票棄權否決「排我納匪案」,73對47票,5票棄權通過「重要���題案」[2]:760。
11月24日——「中國經濟建設研究會」成立[2]:760。
12月
12月6日——中華民國國防部部長蔣經國與教育部部長閻振興同意將教育電視廣播電台(教育電視台)擴建為中華電視台[6]。
12月10日——前日本首相岸信介訪臺3天[2]:761。
12月29日——教育部長閻振興表示:今後教育政策以發展職業教育、培養專業人才和強化科學教育為重點[2]:761。
12月31日——特任張導民為審計部審計長,周宏濤為行政院主計長[2]:761。
出生
參見: 1968年出生
1月1日——劉敏宏:鍵盤手、鋼琴家。
1月2日——於北辰:政治人物、軍事人物。
1月3日——許培育:漫畫家。
1月5日——
賴香伶,工運人士。現任臺北市政府勞動局局長。
盛治仁:政治學家。
趙映光:政治人物,是趙心瑜之兄,曾任臺北市選舉委員會監察委員。
林琨瀚:棒球教練,是林琨瑋之弟。
1月8日——
廖志賢:賽車手、企業家,曾開設飲料店品牌。
林國春:政治人物、警務人員。
李逸驊:籃球教練。
1月10日——木笛:漫畫家。
1月12日——許添盛:醫師。
1月14日——
伍佰,歌手。
葉壽山:政治人物。
1月20日——朱信強:政治人物。
1月21日——
管中祥,學者。長期參與媒體改革運動、並關注人權與文化議題。
陳琦豐:棒球教練。
1月23日——汪建民:演員,以《台灣靈異事件》飾演「鐵頭」一角而爆紅。
1月27日——傅靜凡:社會運動人士。
1月29日——曾國城,藝人。
2月1日——陳劍松:政治人物。
2月5日——李之勤:歌手、演員、主持人。
2月7日——詹慶齡:主持人、新聞主播。
2月10日——黃乃芸:食品科學家,曾任衛生署食品藥物管理局輸入食品審查委員。
2月11日——王識賢,歌手、演員。
2月18日——
陳嘉君,野百合學運中的學生領袖之一,施明德妻子,人權、歷史工作者。
師瓊瑜:作家。
2月22日——趙英華:演員、主持人,以《台灣靈異事件》飾演「王玉芳」一角而爆紅,曾於1988年中國小姐獲選第二名。
2月23日——洪瑞襄:歌手、演員。
2月26日——侯志正:小號演奏家。
2月29日——王尚智:新聞主播、廣播主持人、製作人。
3月2日——廖元豪:法學家。
3月4日——伊能靜,歌手、演員。與裘海正和方文琳組成演唱團體「飛鷹三姝」。
3月9日——黃士偉:相聲。
3月10日——
洪智育:導演。
李性蓁:作家。
3月17日——黃品源:歌手、演員、主持人,以《你怎麼捨得我難過》為成名曲。
3月18日——張錫銘,重大通緝犯。
3月20日——黃宏成:常年競選人。
3月28日——
張其祿:政治人物。
陳秀桂:企業家,是從日本引進七田真的幼兒教學方法。
3月31日——邱心志:演員。
4月12日——
侯炳瑩:演員。
史哲維:新聞主播。
4月17日——張文宗:棒球教練。
4月25日——
謝祖武,男演員。
李健光:新聞主播。
4月26日——詹姆士:廚師。
5月3日——黃裕昇:製作人。
5月5日——王金龍:數學家。
5月8日——吳昌期:教育工作者。
5月13日——
顏志琳,排灣族歌手。與尤秋興合組「動力火車」。
尹昭德:演員。
5月19日——曹蘭:歌手、演員、主持人。
5月20日——江志豐:歌手,是龍千玉之弟。
5月23日——
徐曉晰:主持人。
蘇家賢:畫家。
6月2日——方岑,女演員。
6月7日——陳鎮川:導演、製作人、經紀人。
6月15日——楊心希:歌手、法官。
6月20日——
石安妮:歌手、演員、主持人。
顏聖冠:政治人物。
6月21日——蝴蝶:作家。
6月24日——袁惟仁:歌手、主持人,是陸元琪前夫,為凡人二重唱成員之一。
6月25日——周雅玲:政治人物,是周雅淑之妹。
6月28日——趙正平:演員、導演、製作人、通告藝人,是景行廳男孩成員之一。
6月29日——張瑞竹:演員。
7月1日——蕭赫麟:常年競選人。
7月2日——張靜懿:歌手、演員、主持人,是紅唇族成員之一。
7月3日——
吳倩蓮,歌手、演員。
游萬豐:政治人物,曾任僑務委員會僑務委員。
7月5日——陳艾湄:歌手,與高明駿合唱《誰說我不在乎》而爆紅。
7月6日——陳貴人:足球教練。
7月7日——
王毓雅:導演、製片人。
蔣絜安:政治人物。
7月9日——范雲,社會學學者。曾為野百合學運領袖之一、社民黨召集人,臺大社會系副教授。
7月21日——林金結:政治人物。
7月22日——羅時豐:歌手、演員、主持人。
7月24日——宋少卿,相聲男演員。相聲瓦舍創辦人。
7月29日——胡鴻達:演員。
7月30日——庹宗康,主持人、歌手。
7月31日——Juby:導遊、演員、主持人,是馬兆駿遺孀,現改嫁湯志偉。
8月2日——黃倩萍:新聞主播。
8月13日——蕭薔:演員、模特兒。
8月15日——雷光夏:歌手、作曲家、配音員,是雷驤之女。
8月16日——吳洛纓:編劇。
8月19日——林益世,政治人物。曾任國民黨青年團總團長、行政院秘書長。因索賄案下臺。
8月25日——林葉亭:歌手、通告藝人、時尚設計師。
8月30日——洪麗萍:政治人物。
9月4日——林仁傑:演員、導演。
9月5日——張瀚天:政治人物。
9月6日——荒山亮:歌手。
9月8日——
黃中原:歌手。
柯裕棻:作家。
9月11日——王震緒:小說家,是移居日本的台灣作家。
9月15日——陳癸佑:政治人物、警務人員,曾任水里鄉鄉長。
9月23日——林芳雪:演員、配音員。
9月24日——顏艾琳:詩人。
9月25日——蔡旺詮:政治人物。
9月26日——王瑞霞,台語女歌手。代表作有〈絕情雨〉、〈小姐請你乎我愛〉。
9月27日——
蔡岳勳:演員、導演,是于小惠之夫,以2001年執導《流星花園》為知名作品。
王頌恩:雙簧管演奏家。
9月30日——朱淑華:廣播主持人。
10月1日——王時思:政治人物,是王時齊之姊。
10月2日——楊寶瑋:演員。
10月3日——呂東傑:政治人物。
10月4日——蔣念祖:法學家。
10月7日——陳俊生:演員、模特兒。
10月12日——
徐榛蔚,政治人物。現任立法委員,傅崐萁之妻。
董永興:棒球捕手。
10月13日——
林珮君:演員。
高為元:生物醫學家。
10月15日——岳翎:演員。
10月16日——劉耀仁:政治人物。
10月17日——廖敏雄,棒球選手。曾加入中華職棒時報鷹隊。
10月19日——李晶玉,新聞主播、主持人。
10月20日——
李康生:演員、導演、編劇。
許宇甄:政黨工作者。
10月21日——林奕華,政治人物。曾任國民黨文傳會主委、臺北市議員。現任新北市政府教育局局長。
10月23日——陳尚志:政治學家。
10月25日——謝璧蓮:新聞主播。
10月26日——莊永新:漫畫家。
10月28日——高明偉:演員、婚禮主持人。
10月30日——游鴻明,男歌手,代表作有〈愛我的人和我愛的人〉。
10月31日——
高思博,政治人物。曾任立法委員、蒙藏委員會委員。
柯淑敏:政治人物。
11月1日——陳昭榮,男演員。
11月4日——陳信瑜:政治人物。
11月6日——楊致遠,雅虎(Yahoo!)創始人及前任執行長。
11月7日——王必勝:政治人物、醫師。
11月8日——吳安琪:新聞主播。
11月9日——陳該發:棒球選手,是首位達成完全打擊的球員。
11月16日——
成英姝:作家。
蔡雨倫:歌手,是憂歡派對成員之一。
11月17日——張瑀庭:記者、助理教授、美食評論家。
11月20日——童琮輝:棒球選手。
11月22日——王惠美,政治人物。曾任鹿港鎮長、彰化縣議員,現任立法委員。
11月23日——童愛玲:演員。
11月24日——王彩樺:歌手、諧星、演員、主持人,以《保庇》為成名曲。
11月29日——林學冠:幕僚,曾任林張久美、林珮涵、林佩樂等議員的助理。
12月1日——
林谷珍:配音員。
黃建宏:教授、藝術策展人。
12月2日——黃承遠:畫家。
12月5日——張立威:演員。
12月13日——楊麗菁:演員。
12月14日——楊昱泓:吉他手。
12月26日——許忠富:政治人物。
逝世
3月2日——劉啟光,政治人物、情治人員。被指在二二八事件中協助國民政府鎮壓臺灣人。(1905年出生)
6月6日——彭華英,日治時期社會運動參與者。蔡阿信之夫。(1893年出生)
6月12日——張道藩,政治人物。曾任中華民國行政院院長。(1897年出生)
6月16日——林呈祿,報紙編輯、日治時期社會運動參與者。《台灣新民報》編輯。(1886年出生)
11月10日——陳華宗,政治人物。日治時期曾任學甲莊長,戰後出任臺南縣議會議長、臺灣省議員。(1904年出生)
參考來源
1 note
·
View note
Text
賺錢標竿
H:網路短片指出從古至今搞錢三人范蠡(文財神),沈萬三,胡雪巖(活財神)。社會稱會賺錢的古人為財神爺,也稱「財商」。學習濃縮古為今用。20241105W2
網路資料:
廣東人口中「賺錢」和「搵錢」常常沒有分別,如「你一個月賺幾多錢?」,「我賺幾多使幾多」,這裡的「賺幾多」可以說成「搵幾多」,「自己賺錢供自己讀書」指的也就是「拿工作獲得的酬勞來支付學費」,也即「搵錢」。
范蠡(前536年—前448年),有說約為楚平王十二年(西元前517年)出世。字少伯,又名鴟夷子皮或陶朱公,早年居楚時,尚未出仕,人稱范伯。以經商致富,廣為世人所知,後代許多生意人皆供奉他的塑像,稱之財神。被視為南陽范氏之先祖。
語錄
編輯

維基百科中的相關條目:
范蠡

維基文庫中該作者的作品:
范蠡
千金之子,不死於市。
飛鳥盡,良弓藏;狡兔死,走狗烹。
勸農桑,務積穀。
農末兼營
務完物、無息幣。
平糶各物,關市不乏,治國之道也。
夏則資皮、冬則資絺、旱則資舟、水則資車,以待乏也。
陶朱公生意經
又稱《陶朱公商經》、《陶朱公商訓》或《陶朱公經商十八則》
陶朱公商經 —(12訓、12戒、18則)
陶朱公理財12訓
【能識人】知人善惡 賑目不負 1.任用品德好的人.賬目清楚不虧損.
【能用人】因財器便 任事可賴 2.依照才能器識任用.處理事情自可信賴.
【能知機】善貯時宜 不致蝕本 3.在適當的時機貯藏適當的貨物.就不會虧本.
【能倡率】躬行以率 觀感自生 4.以身作則.員工自會效法.
【能整頓】貨物整齊 奪人心目 5.���物分門別類擺放整齊.自能吸引人注意.
【能敏捷】猶豫不決 到老無成 6.做生意要果斷.否則貧窮以終.
【能接納】禮義相交 顧客者眾 7.以禮義與顧客博感情.自然商機不斷.
【能安業】棄舊迎新 商賈大病 8.拋棄老顧客.只重新顧客.是經商大忌.
【能辯論】生財之道 開引其機 9.創造財富的方法.要主動引導開創商機.
【能辦貨】置貨不拘 獲利必多 10.購買貨物不可縛手縛腳施展不開.一定能獲利多多.
【能收帳】勤謹不怠 取討自多 11.催收賬款一定要勤快謹慎不過懈怠.自能多回收賬款.
【能還帳】多少先後 酌中而行 12.償還賬款要斟酌多少先後的順序.收支務必要求平衡.
陶朱公理財12戒
莫慳吝 些少不施 令人懷怨
莫浮華 用度不節 破敗之端
莫畏煩 取討不力 付之無有
莫優柔 胸無果敢 經營不振
莫狂躁 暴以待人 取怨難免
莫固執 拘泥不通 便成枯木
莫貪賒 貪賒價昂 畏還生恥
莫懶收 輕放懶收 血本無歸
莫癡貨 優劣不分 貽害罪淺
莫味時 依時不兌 坐味先機
莫爭趨 貨貴爭趨 獲利必先
莫怕蓄 賤極貯積 恢復不難
陶朱公經商十八則
1. 生意要勤快,切勿懶惰,懶惰則百事廢。
2. 接納要謙和,切勿暴躁,暴躁則交易少。
3. 價格要訂明,切勿含糊,含糊則爭執多。
4. 賬目要稽查,切勿懈怠,懈怠則資本滯。
5. 貨物要整理,切勿散漫,散漫則查點難。
6. 出納要謹慎,切勿大意,大意則錯漏多。
7. 期限要約定,切勿延遲,延遲則信用失。
8. 臨事要盡責,切勿放任,放任則受害大。
9. 用度要節儉,切勿奢侈,奢侈則錢財竭。
10. 買賣要隨時,切勿拖延,拖延則機會失。
11. 賒欠要識人,切勿濫出,濫出則血本虧。
12. 優劣要分清,切勿混淆,混淆則耗用大。
13. 用人要方正,切勿歪斜,歪斜則託付難。
14. 貨物要面驗,切勿濫入,濫入則質價低。
15. 錢賬要清楚,切勿糊塗,糊塗則弊竇生。
16. 主心要鎮定,切勿妄作,妄作則誤事多。
17. 工作要細心,切勿粗糙,粗糙則出劣品。
18. 說話要規矩,切勿浮躁,浮躁則失事多。
朱元璋的詩:「百僚未起朕先起,百僚已睡朕未睡;不如江南富貴人,日高五丈猶披被。」意思就是,雖然身為皇帝,但是比文武百官起得還早,比文武百官休息得還晚,不如江南的富人家,太陽曬屁股還可以蓋著被子睡覺。
沈萬三(?—?),傳說為明初富商,一名秀、富,字仲榮,小名萬三,又號萬山,[1]本浙江烏程縣南潯鎮[2](今湖州)人,父親沈佑,始徙居平江路(明改蘇州府)長洲縣(今江蘇蘇州)東蔡村。據說其富,勝於朝廷。沈萬三的故事幾近於傳奇,真假難辨。現代學者顧誠[3]等人認為,沈萬三的事蹟應被誇大,且其生卒年代都在元朝,他可能只是一個元朝末年的普通的有錢人,並未有富可敵國的事蹟。
沈萬三的經典語錄:
1、義不守財,慈不掌兵
2、貨無定價,水無常形
3、人無我有,人有我優,人優我賤
4、東西:把東邊的東西賣到西邊,把西邊的東西賣到東邊
5、商人,就是善於協商的人
6、急人之所急,需人之所需
7、成由節儉,敗由奢
8、經驗,是生意最好的本錢
9、貴出如珠玉,賤取如糞土
10、人棄我取,人取我棄
胡雪巖的生意經
作者:東方智
語言:繁體中文
出版社:海鴿
出版日期:2005/12/01
內容簡介
一部商場上不可或缺的成功指南,讓您能夠百戰百勝 攻無不克的致勝寶典。
晚清民間流傳一句諺語:「做官要學曾國藩,經商要學胡雪巖。」
胡雪巖最初不過是個錢莊的學徒、跑街的伙計。是什麼本事讓他在短短一二十年間迅速發跡,成為呼風喚雨的富商大賈?是什麼使他能夠馳騁商場、官場、洋場之間,要人得人,要勢得勢,要財得財,暢通無阻?是什麼讓他歷經商海沉浮,挺立不倒?
想把生意做大做好,胡雪巖的經商之道不可不知。
時勢造英雄,英雄也要能力加上運氣,才能在時局不安的情況下產生。
清末年間太平天國作亂,錢莊跑街的胡雪巖擅作主張,把銀兩借給王有齡到京捐官,因而被錢莊老闆開革。他出身寒微,沒受過高深的教育,卻能以獨到的眼光,高明的策略,加上靈活的手腕,使他在商場上大展鴻圖,開拓出自已的事業。由於胡雪巖得天時、地利、人和的配合,使他在短短一二十年間,掌握了錢莊、當鋪、生絲、軍火,糧食等各個行業。因買賣軍火幫助左宗棠打敗長毛,立下大功,皇帝封賞其黃馬掛,賜頂戴花翎,成為清朝同治、光緒年間表現最奇特出色的紅頂商人。
目錄
前言
第一章:商人要善於「攀高枝」
經商最忌「十三不靠」,單打獨鬥,孤立無援。這樣不但生意難做,做人也鬱悶。胡雪巖年紀輕輕便財運亨通,成功的奧秘在於背後有強大的靠山。他在官場權貴、商界鉅子、洋務買辦之間層層結交,層層托靠,成為他馳騁商場的有力後盾。
把錢花到有用的人身上去
做買賣不能一日無靠山
多一個朋友多一條路
第二章:不擋別人的財路
商人之間表面上和和氣氣,實則都是商場競爭的對手。你多一份,我就少一份;你少一點,我就多一點。商人的功底往往展現在他所使用的競爭手段上,而商人的強弱之分也由此而出。胡雪巖處理同行關係的原則是:多栽花,少摘刺;多鋪路,少拆橋;多交朋友,少樹敵人。
不搶同行的飯碗
學會當眾擁抱敵人
生意人要互相幫襯
拒絕燙手的錢
給人一活路,給己一財路
第三章:做生意黑白兩道都要走
人們一直相信「愛拼才會贏」,但偏偏有些人就是拼了也不見得贏,關鍵可能在於缺少「關係」相助。在攀向事業高峰的過程中,「關係」往往是不可缺少的一環。胡雪巖一生深諳此道,故能隨時隨地網羅朋友、結交各種勢力,打造出一個無堅不摧的鐵杆同盟軍。
一幫人就是一股勢
三教九流都要結交
善於把「冷灶」燒熱
第四章:放貸人情,一本萬利
小錢不去,大錢不來。如果看不到存在於商場和商人中的感情因素,不瞭解感情投資在商場上的巨大作用,而只是把眼光盯在純粹的「利」上,則必然無法更好地獲利。
「利」字是天下最大誘餌
摸準對方的軟肋
有本事才能「釣大魚」
要猜透別人的心
上下同欲,無往不勝
第五章:經商要選用靠得住的人
越是本事大的人,越要人照應。皇帝要太監,老爺要跟班,生意人要伙計。赤手空拳,做生意比登天還難。幫手選得好,事業成功的把握就大,而一旦用人不當,後果常常不堪設想——用錯一個人,往往會敗壞了自己辛辛苦苦打下的整個江山。
用人要「德看主流,才重一流」
一要齊心,二要人緣
看人不能拘泥於一點
關鍵是要用靠得住的人
用人不要光看面子
大才要大用,小才要小用
第六章:生意人要跟著機會跑
冒險與危機具有較深層次的關聯。把「危機」拆開了講便是危險和機遇。人的機遇與成功往往存在於危險之中。在瞬息萬變的生意場,存在著太多不確定的因素。欲在激烈的市場競爭中走在別人的前面,生意人平時就應訓練自己對事物的觀察力和對未知因素的評估力,當機立斷。一個有成就的生意人是當情況發生變化時能及時作出反應的人。
從變化中找到機緣
天底下到處都是財源
一次機遇能叫你如願以償
與其待時,不如乘勢
第七章:名利名利,有名就有利
能夠樹立起自己的形象,也就為自己奠定了成功的基礎。要行善舉,花錢是必然的。對於商人來說,要行善舉樹形象不但要捨得花錢,而且要花的是時候,是地方。
商人要學會捨財揚名
「身價」可以增強競爭力
替國家、百姓操點心
名氣一響,生意就會熱鬧
第八章:借人之長,補己之短
《兵經百篇》中云:艱於力則藉敵之力,難與誅則藉敵之刃,乏於財則藉敵之財,缺於物則藉敵之物。借雞下蛋,以蛋孵雞;善藉財勢,巧妙經營,往往是商人成功的捷徑。能用別人的錢來賺錢的商人,絕對是業界高手。
藉別人的雞為自己下蛋
用好自己的面子
藉洋人之力辦大事
第九章:打造一塊金字招牌
美國通用公司前任總裁傑克‧韋爾許有一句名言:「品牌的力量是不可戰勝的!」的確,對於那些善於做大買賣的人而言,打出自己的品牌,無疑等於佔有較大的市場佔有率。胡雪巖是一位全面打造品牌的高手,堪稱中國品牌第一人。
招牌叫響,黃金萬兩
善於「賠本賺吆喝」
場面越大越能吸引人
生意要做得既誠實又熱鬧
一定要愛護門面
守住面子和招牌
第十章:誠信是生財之道
精明的商人深深懂得,經商如果不論合理不合理,應該不應該,一錘子買賣,狠狠地賺一筆錢,信譽喪失,買賣做絕,以後人們就再也不敢領教了。惟有言必信,行必果,才能贏得人心,引來財源滾滾。
失去信用,就會葬送自己
信用乃經商之本
說真方,賣假藥,最後騙自己
說一句算一句
做事一定要照規矩來
「採辦務真,修製務精」
第十一章:亂世經商,拼的是膽量
生意場上,充滿了搏殺,也充滿了兇險,往往一著不慎,滿盤皆輸。一事當前要先謀後動,未雨綢繆,不能恃強鬥狠,也不可粗心大意。敢於冒險,同時懂得如何去冒險,才是一個成功的商人必備的素質,個中玄機,可謂深矣。
不甘受制於人
刀頭上的血也要去舔
越怕越誤事,索性大膽去闖
心中有譜,穩紮穩打
給自己留一條退路
第十二章:做生意貴在隨機應變
在金錢遊戲中,商人掘得巨金的絕招就是不停地根據形��的變化而靈活變通。經商是一門活的學問,商人的腦子最值錢,一切得失均繫於它。胡雪巖的智慧之處就是不斷地以靈活變通要求自己,不守死法,求靈求活,求變求通。
生意一定要做得活絡
從不同的籃子裡拿雞蛋
在錢眼裡面盪鞦韆
第十三章:肚子裡要有一本「人情帳」
胡雪巖八面玲瓏的處世方式,使他在商界如魚得水,不僅為他化解了商業活動中的一個個困難,而且為他結下了眾多的商業朋友、社會朋友以及官場朋友,使他在後來的商業活動中遇到困難時,能夠左右逢源,化險為夷。
善於處理錢財帳背後的「人情」
八面玲瓏,生意興旺
用情面能做什麼
都有面子最好
第十四章:謀大事要順應時勢之變
識時務者為俊傑。善謀大事、能成大業的商人,無不有著敏銳的眼光和果斷行動的能力,善於把握時局,及時調整經商戰略,決定生意進退。胡雪巖的成功,在於把握住了時局變化帶來的商業契機,並依據時局的變化不斷調整自己的生意。
把握時局是頭等大事
最要緊的是發現問題的眼光
盤算整個局勢
危急時刻沈住氣
第十五章:看透輸贏得失
做生意,成功的把握總是相對的,而失敗的可能卻是絕對的。商場如戰場,亦如賭場,既要做發財的努力,也要有破產的準備,得意不忘形,失意不氣餒。看透輸贏得失的生意人,可以經受失敗的煎熬,可以平靜地享受成功的快樂,可以進行更高層次的思考;面臨何種危急形勢都能沈著冷靜,泰然相對。
為人要做有臉面的事
輸不足洩,賺不足狂
越是難事越要沈住氣
賺錢一定要走正道
人要役物,不為物所役
胡雪巖經商金言
01商無官不安,官無商不富試聽
02做生意講和氣,不講骨氣
03平庸商人的平庸之策
04天若敗,敗我胡雪巖,決不敗二位兄弟
05從來沒有把錢當做性命
06棄財保家
07魚和熊掌可以兼得
08人心不齊,主要是沒有好領導
09在家靠父母,出門靠朋友
10前半夜想想自己,後半夜想想別人
11開當舖是為了窮人,不想賺錢
12凡百貿易,均著不得欺字
13採辦務真,修製務精
14金無足赤,人無完人
15集天下之大義,以誠信為本
16只要看得準,兌進兌出兩面好賺錢
17做官和做生意是一樣的
18一個人最大的本事,就是能用人
0 notes