#木村榮一
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不意に人が入って来そうで落ち着かないので、ドアに背をむける格好で愛用のひじ掛けいすに腰をおろし、左手で緑のビロードを撫でながら残りの章を読みはじめた。人物のイメージや名前が頭に残っていたので、たちまち小説の架空の世界に引き込まれた。読み進むうちに、まわりの現実が遠のいてゆく。頭はビロードの背もたれにゆったりもたれかかり、煙草は手の届くところにある。大窓のむこうでは夕暮れの大気が樫の木の下で戯れている。なにか罪深い楽しみを味わっているような気持ちになった。
— コルタサル作/木村榮一訳「続いている公園」(『遊戯の終わり』2012年6月、岩波文庫)
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成仏できない水死者
この頃、「書く」ということを生の中心に置いている親しい者たちに、「自分の文体に飽きてしまった」という困り事を打ち明けつつある。 何を書いていても途中で飽きてしまい、文章を完成させられない――それはもちろん、老いや労働の疲れによる集中力の低下が影響しているのだろうが、根本的な原因は、私自身が自分の文体にもうすっかり飽きてしまっていることにあった。 読み返すまでもなく、書きながら今、すでにうんざりしている。自分の持つスタイルで書けることを書く、書きたいことをスタイルに従って書く、そういうやりかたでなんとなく完成するものを、自分ではもうよいものだと思えなくなってしまった。
書きかけている文章が60を超えてデスクトップに鎮座している。今書いているこのファイルには「名称未設定75」という仮題がつけられている。なんという数字だろうとがっかりする。自分にがっかりする。 結末まで辿り着けなかった、瞬時の思いつきを思いつきのままに放置した、中途半端な下書きがこんな数にのぼってしまって、時間がたってしまった今もうすべてがゴミでしかない。けれどそれらは胎児くらいにはかたちを持っていて、堕胎のタイムリミットもないせいで消すに至れず、亡霊のようにデスクトップをさまよっている。それらがもう死んでいることを、自分一人で受け入れることができない。胎児を殺したことを受け入れることができない。 Tumblrの最終更新から三ヶ月が経った。
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5月の祝日の午後、御茶ノ水から中野に至る中央線快速で吊革といっしょに揺れながら、ガルシア=マルケスの短編「この世で一番美しい水死者」を久しぶりに読み返した。 10年ほど前に鼓直・木村榮一訳で読んで、今回は野谷文昭訳の新版。このごく短い小説はものの15分ほどで読み通せるものだ。読みながら、そういえば私は神話を書きたかったのだと思い出した。
これまで私の書いてきた文章はごく個人的でごく短く、そこに私のほかに現れるのはものの一人か二人。現実に生じた人間関係の美しさを拾ってそれを保存するために書いたものばかりだった。 そもそも私の文筆は、本来、ひたすら記憶の保存のためにあった。それは齢15の頃に始まった。記憶力の弱さを補うために、パロール上における表現力の弱さを補うために、縋るように日記をつけ始め、やがてそれを公開するようになった。記憶の保存、この生の美しさを忘れまいとする表現、それを他者にも知らしめたいとする顕示。わが生の美しさをいかに表現するか、いかにこの美しさを保存するか、美しさを美しいままに伝えるか、躍起になって書きまくってきた。
それがこのところ、突然うまくいかなくなった。現在の私の生が、私の従来のスタイルによって文章に固着させられるものではなくなったのかもしれない。あるいは、流れ去ってもよいという境地に至ったのかもしれない。いずれにせよ、保存を目的として旺盛に創作できなくなったという事実は、私が世界を不要とみなし、世界が私を不要とみなしたことを示している。 閉ざされ、満足した私など、この世に居ても居なくてもいいのだが。あくまで自己の表出のために文章を書き綴ってきた人間がこんなことを言うのも傲岸不遜なことなのかもしれないが、少なくとも、これまで書き綴られて公開されてきた数多の文章群には対外的な美が宿っていたらしい。そのことが私を慰めていた。生を営むことを肯定してくれてきた。 なのに私は、誰かにとっての美しい文章すら、書けなくなっている。
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数日前、「知の開放」について話したことがあった。 人が、その人の持てる知を世に還元しないとすれば、その人が生きる意味とはなにか、という議論だ。 話した相手とは互いに、「得た知をそのまま囲い込むことは悪である」という結論に達したが、では自分は何をやっているのだろうと思う。「伝える」こと、つまりコミュニケーションと提供と貢献とが真の善であるのだとすれば、私はそれを徹底できていない(「真の善」という言葉のどうしようもなさには笑ってしまうのだけれど)。
ガルシア=マルケスの「この世で一番美しい水死者」(鼓・木村訳では「この世でいちばん美しい水死人」)にはおそろしく大勢の人間が登場する。たった15分で読める短編に、数えきれないほどの人間の思いが包摂されている。 初めて読んだとき、神話的だと感じた。自分もこういうものを書ければ成仏できるだろうと思った。一編でいい、こういったものを書きおおせれば成仏できるだろうと思ったのだった。 「成仏」とは言い得て妙で、15年以上にわたって私がやってきたのは、祖父母が般若心経を毎朝写経するのと同じ、己の業を浄化したいがための文筆に過ぎないのだった。彼らがただひたすら与えられた経を書き写すのと、私が自分の人生を書き写すのと、何の変わりもない。田舎の祖父母は、成仏して極楽浄土にゆくことを願って毎朝勤勉に般若心経を細い筆で書き写していた。幼い私はそれを卑しい行いだと感じていたが、私がやってきたこともそれと同じなのだろう。彼らの修身はむしろ、エゴイスティックな「文体」について問う私のありかたよりずっと清廉なものなのかもしれない。
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世界に開かれている筆致と、世界から閉ざされている筆致とがある。たとえば経典は開かれた筆致によって書かれている。神話もそうだ。ある種の詩もそうだし、ある種の哲学もそう、文学もそうだ。世界に開かれたものと、世界から閉ざされているものとがあって、開かれているものの強さを私はよくよく知っている。 世界に開かれた筆致を獲得したくて、「神話を書きたい」と願った。その願いは私には過分だったのかもしれない。あるいは、これから時間をかけて成しうることなのかもしれない。 おのれの文体に飽ききって立ち止まっている今は、もしかすると世界に開かれるための転換点なのかもしれない。そう思わないことには、とても書き続けられないほどに、打ちひしがれる三か月を送ってきたことは、わかりやすい指標だ。
一方で、自分はすでに水死者なのかもしれないとも思う。書くことをやめてしまった私は、腐乱死体にすぎないのかもしれない。ばかばかしい発想だが、自分の行く先になんの確証も得られない以上、極端なポジティヴと極端なネガティヴのあいだを揺れることしかできないのだった。
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望著一片海,直到長出青苔:台南、基隆 兩地移住者的中年鄉愁
基隆
台南、基隆,兩個離海都很近的城市,一南一北、一晴一雨、一大一小,城市的尺度、氛圍截然不同,就連海的個性也不一樣。在漁光島看夕陽,總會想起基隆霧雨濛濛的天空;在和平島吹海風,也會惦記著台南那片魔幻時刻的晚霞。
新家鄰居Karo是同鄉,老家就在基隆正濱漁會附近。Karo讓我從他紀錄基隆的攝影展作品中挑一件當入厝禮,於是一幅家鄉的海就此成為新家第一件家飾。凝視著銀鹽相片,那些總是霧雨、低明度的青春記憶,也漸漸清晰顯影。於是決定趁著很長的年假,安排一日走春之旅,回到近年很潮的正濱漁港。
還是習慣叫這一帶為「水產」,但這個地名不在地圖上,而是當地老一輩的人對基隆中正區港邊一帶的稱呼。八斗子漁港尚未擴建時,它是基隆最重要的遠洋漁船卸魚碼頭,也曾是日治時期台灣最大的漁港。我的童年就在這個海岸村恰恰恰過了六年,因為離開很久以為早就遺忘的,卻在日後去到韓國木浦、岡山尾道、廣島吳市這些老港城感到親切時而覺悟,原來那些莫名的熟悉感全都來自這座童年記憶裡的小漁港。
走進碼頭,記憶中的各種氣味再度浮現。味道生猛的小漁村裡,魚腥、漁船機具的油漬、鐵鏽、腫脹的死河豚、夾滿濕漉漉碼頭工人手套的衣架……雨天,想到總是藍調、霉掉的時光,漁村環境的各種化學反應總讓我臭暈。
其實也有聞起來舒服的時候,例如海風,四季、晴雨聞起來都不一樣的風,會在雨天的時候尤其清新。童年就住在正濱漁會旁的社區,生活頗有情調的爸媽把公寓買在海景第一排,主臥大片落地窗風景就是基隆港,船舶的鳴笛聲是日常的環境音,只要把陽台的隔音鋁窗一打開,海風和船笛聲就會流進屋裡。喜歡大霧瀰漫的時刻,深得不見岸、不見船隻,只有燈火在迷霧裡閃耀。
除了海風,也愛山雨。社區小學座落在可以望海的山腰,主要通學路有兩條,一條要穿過菜市場,一條叫勝利巷。但只要一下雨,我就鑽進一條沿著山壁建的無人小徑,途中偷偷將媽媽逼著穿出門的雨鞋換成布鞋。小時候雖然恨死了雨天,討厭穿雨鞋,但我喜歡小徑上雜草、氣根、岩壁、苔蘚、泥土在雨中的氣味。
這裡生活離山海都近,各種挨著山壁蓋出的房子可謂建築奇觀。爸媽開在漁會斜對面經營的雜貨店是,學校也是,教會、廟都是,人神都是我家門前有大海後面有山坡。放了學,就和鄰居到漁會中庭玩耍。或翻過人家屋頂,去製冰廠後方的海岸秘境看海、看船、看老鷹。也會往山裡跑,從漁會對面長梯上去,山裡有許多小徑,爬高一點就可以看到海��基隆嶼,場景媲美宮崎駿電影。不過這條浪漫小徑,曾在一旁正濱教會即將落成時成了土石流之路,也反映基隆人與山、海爭地的宿命。
家裡以前在漁會對面經營雜貨店,專幫漁船準備出海生活物資,包括米、油、茶、罐頭、青菜、菸酒、祈求平安的金紙香燭等。身為雜貨店小開福利就是永遠有喝不完的統一蜜豆奶、津津蘆筍汁和黑松沙士。同學家裡有的跑船、有的開船舶五金行、有的在船廠修船、有的從事港務工作,有的在崁仔頂賣魚⋯⋯家家戶戶都仰賴漁港為生,回想起來我們都參與了水產碼頭最後的繁榮。
充滿魔幻潛質的小漁村在沈寂多年後有了新氣象,正濱漁會整修好了,各種藝術季、展演活動讓人眼睛一亮,街巷裡多了有趣的小店。爬上蜿蜒的長梯,撫著山牆的青苔,看著霧雨的海。回望青春,紮實的身體記憶喚醒過去。當年的雜貨店小開也已逼近中年,人活著���著自然就活出了懷舊的鄉愁,或理解事物的新視角。如同電影《日麗》(Aftersun),跟著小女孩的記憶,看著魯蛇老爸用力抽搐啜泣的背影,會忍不住一起哭泣。
Fion Tsao
宜蘭出生,基隆長大,目前與愛貓定居台南。專業寫字,偶爾拍照,近期參與著作有《山裏食》一書。最近沈浸製陶學習,喜歡透過創作與世界連結。
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第43,44回活動
2024/10/16 2024/10/18
秋になりました。肌寒くなってきたので少し厚めの服を用意しないとですね。 今回は実験についての調整を行いました。
2024/10/16
活動内容
(1)やることの確認(2分) (2)本日の雑学(8分) (3)実験計画書の説明(30分) (4)調査協力について(10分) (5)各グループの作業(〜12:10まで) (6)次回の予定(5分)
(1)やることの確認
(2)本日の雑学
meet https://meet.google.com/tgv-xwcq-zed
飯澤さん 「反物質」 電荷が反対の物質 膨大なエネルギーを発する 生成できるが非常に微量かつ膨大なコストがかかる、保存も大変
(3)実験計画書の説明
参考:飯塚プロジェクト実験計画書 10/08 合同発表
小杉プロジェクト実験計画案
改善すべき点を考える
・鑑賞する音楽2曲だと不十分かも 拘束時間が伸びてしまうため→研究に疑義だと無駄 ・アートの納得度→何に納得? 音楽と比較しての納得、性格に比較しての納得 ・TIPI-J3分でできる? ・全体時間実測して 質問時間も含めて必ず実測しないと ・ネ学の人以外が来ないと”外部”は不適切 一人でも呼べばいい
(4)調査協力について
卒業演習2024 プロジェクト調査
・榮谷研究室が期待している方式で作業を進められていない ・インタビューに応じることができる対象者がいない
→お断りさせていただく
(5)各グループの作業
音楽生成
ARアート
・アートの納得度→何に納得? 音楽と比較しての納得、性格に比較しての納得
ページ4 1.投影されたARアートが音楽を表現できているか (7段階) [強くそう思う まあまあそう思う 少しそう思う どちらでもない 少し違うと思う おおよそ違うと思う まったく違うと思う]
2.(↑1番に対して)そう感じた理由 (記述式)
3.投影されたARアートが性格を表現できているか (7段階) [強くそう思う まあまあそう思う 少しそう思う どちらでもない 少し違うと思う おおよそ違うと思う まったく違うと思う]
4.(↑3番に対して)そう感じた理由 (記述式)
全体 (11:40〜) ・金曜日に実際にかかる時間を調べるのでそれまでにTIPIJのアンケートに答えておく+回答時間を記録しておく
(6)次回の予定
次回(10/18)までに ・各自TIPI-J診断&音楽生成班に報告 ・代表者会議の内容は水曜日に共有 ・緊急な事項があれば金曜中に共有 ・実験の説明+フォーム作成
2024/10/18
活動内容
(1)やることの確認(2分) (2)実験の時間測定 2-1.TIPI-Jの共有(5分) 2-2.実験の準備(10分) 2-3.時間測定(20分) 2-4.計測時間や反省点、問題点の共有(20分) (3)説明の内容決め(~12:10まで) (4)次回の予定(5分)
(1)やることの確認(2分)
(2)実験の時間測定
2-1.TIPI-Jの共有(5分)
外向性 協調性 誠実性 神経症傾向 開放性 時間(秒) 古賀 2.5 5.5 3 3.5 6.5 60秒 大浦 2.5 2.5 1.5 5 4.5 48.86秒 加来 4.5 6 2.5 2 6 55秒 堀内 2.5 5 4 4.5 1.5 60.01秒 根本 3.5 5 3 6 5.5 48.78 村木 3.5 6.5 1.5 6.5 2.5 56秒 峯島 4 6.5 1.5 4.5 4 30.12 飯澤 1 6 2.5 4.5 2 52.70 浅野 5 6 2 4.5 4 56
プロンプト 古賀巧実:Upbeat Tempo, Jazz, soft melodies, minor scale 大浦拓真:Upbeat Tempo, R&B, soft melodies, major scale 加来俊祐: Moderate Tempo, Classical music, soft melodies, minor scale 堀内涼介: Upbeat Tempo, Country, hard melodies, major scale 根本蒼大: Moderate Tempo, Jazz, soft melodies, major scale 村木英人: Moderate Tempo, Japanese style, soft melodies, major scale 峯島光哉: Moderate TempoPop, soft melodies, major scale 飯澤捷之:Upbeat Tempo, Japanese style, soft melodies, major scale 浅野優希: Moderate TempoPop, soft melodies, major scale
平均51.94秒
2-2.実験の準備(10分) Google from回答用QRコード
2-3.時間測定(20分) プロンプト貼るとこ PC:A Moderate Tempo,Pop, soft melodies, major scale
PC:B Moderate Tempo, Japanese style, soft melodies, major scale Upbeat Tempo, R&B, soft melodies, major scale
PC:C Moderate Tempo, Pop, soft melodies, major scale Upbeat Tempo, Country, hard melodies, major scale
2-4.計測時間や反省点、問題点の共有(20分) 計測時間
フォームに答えるための所要時間:7分〜16分程度 →説明込みで20分ほど
問題点 ・AR表示が滞る ・「アートを見る」「アンケートに答える」の2工程が同時並行が難しい →こちらで用意した携帯で表示することで対応
・実験が始まるまでの待ち時間が暇 →本日の雑学のスライドをまとめたものを展示しておく(仮案)
・ARアートが被験者の携帯で投影できなかった場合の対処 →アンケート破棄orメンバーの携帯で投影
(3)説明の内容決め(~12:10まで)
実験に対する説明(席に座ってもらった時にまとめて説明&待ち時間の時に説明) ・このプロジェクトは何をしているのか ・なんでこの実験を今やっているのか ・これからやってもらうこと ・写真撮影の許可 アート実験の説明 ・ここで何をしてもらうか
(4)次回の予定(5分)
代表者会議の共有 今後の提出物の期限
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賺錢標竿
H:網路短片指出從古至今搞錢三人范蠡(文財神),沈萬三,胡雪巖(活財神)。社會稱會賺錢的古人為財神爺,也稱「財商」。學習濃縮古為今用。20241105W2
網路資料:
廣東人口中「賺錢」和「搵錢」常常沒有分別,如「你一個月賺幾多錢?」,「我賺幾多使幾多」,這裡的「賺幾多」可以說成「搵幾多」,「自己賺錢供自己讀書」指的也就是「拿工作獲得的酬勞來支付學費」,也即「搵錢」。
范蠡(前536年—前448年),有說約為楚平王十二年(西元前517年)出世。字少伯,又名鴟夷子皮或陶朱公,早年居楚時,尚未出仕,人稱范伯。以經商致富,廣為世人所知,後代許多生意人皆供奉他的塑像,稱之財神。被視為南陽范氏之先祖。
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范蠡

維基文庫中該作者的作品:
范蠡
千金之子,不死於市。
飛鳥盡,良弓藏;狡兔死,走狗烹。
勸農桑,務積穀。
農末兼營
務完物、無息幣。
平糶各物,關市不乏,治國之道也。
夏則資皮、冬則資絺、旱則資舟、水則資車,以待乏也。
陶朱公生意經
又稱《陶朱公商經》、《陶朱公商訓》或《陶朱公經商十八則》
陶朱公商經 —(12訓、12戒、18則)
陶朱公理財12訓
【能識人】知人善惡 賑目不負 1.任用品德好的人.賬目清楚不虧損.
【能用人】因財器便 任事可賴 2.依照才能器識任用.處理事情自可信賴.
【能��機】善貯時宜 不致蝕本 3.在適當的時機貯藏適當的貨物.就不會虧本.
【能倡率】躬行以率 觀感自生 4.以身作則.員工自會效法.
【能整頓】貨物整齊 奪人心目 5.貨物分門別類擺放整齊.自能吸引人注意.
【能敏捷】猶豫不決 到老無成 6.做生意要果斷.否則貧窮以終.
【能接納】禮義相交 顧客者眾 7.以禮義與顧客博感情.自然商機不斷.
【能安業】棄舊迎新 商賈大病 8.拋棄老顧客.只重新顧客.是經商大忌.
【能辯論】生財之道 開引其機 9.創造財富的方法.要主動引導開創商機.
【能辦貨】置貨不拘 獲利必多 10.購買貨物不可縛手縛腳施展不開.一定能獲利多多.
【能收帳】勤謹不怠 取討自多 11.催收賬款一定要勤快謹慎不過懈怠.自能多回收賬款.
【能還帳】多少先後 酌中而行 12.償還賬款要斟酌多少先後的順序.收支務必要求平衡.
陶朱公理財12戒
莫慳吝 些少不施 令人懷怨
莫浮華 用度不節 破敗之端
莫畏煩 取討不力 付之無有
莫優柔 胸無果敢 經營不振
莫狂躁 暴以待人 取怨難免
莫固執 拘泥不通 便成枯木
莫貪賒 貪賒價昂 畏還生恥
莫懶收 輕放懶收 血本無歸
莫癡貨 優劣不分 貽害罪淺
莫味時 依時不兌 坐味先機
莫爭趨 貨貴爭趨 獲利必先
莫怕蓄 賤極貯積 恢復不難
陶朱公經商十八則
1. 生意要勤快,切勿懶惰,懶惰則百事廢。
2. 接納要謙和,切勿暴躁,暴躁則交易少。
3. 價格要訂明,切勿含糊,含糊則爭執多。
4. 賬目要稽查,切勿懈怠,懈怠則資本滯。
5. 貨物要整理,切勿散漫,散漫則查點難。
6. 出納要謹慎,切勿大意,大意則錯漏多。
7. 期限要約定,切勿延遲,延遲則信用失。
8. 臨事要盡責,切勿放任,放任則受害大。
9. 用度要節儉,切勿奢侈,奢侈則錢財竭。
10. 買賣要隨時,切勿拖延,拖延則機會失。
11. 賒欠要識人,切勿濫出,濫出則血本虧。
12. 優劣要分清,切勿��淆,混淆則耗用大。
13. 用人要方正,切勿歪斜,歪斜則託付難。
14. 貨物要面驗,切勿濫入,濫入則質價低。
15. 錢賬要清楚,切勿糊塗,糊塗則弊竇生。
16. 主心要鎮定,切勿妄作,妄作則誤事多。
17. 工作要細心,切勿粗糙,粗糙則出劣品。
18. 說話要規矩,切勿浮躁,浮躁則失事多。
朱元璋的詩:「百僚未起朕先起,百僚已睡朕未睡;不如江南富貴人,日高五丈猶披被。」意思就是,雖然身為皇帝,但是比文武百官起得還早,比文武百官休息得還晚,不如江南的富人家,太陽曬屁股還可以蓋著被子睡覺。
沈萬三(?—?),傳說為明初富商,一名秀、富,字仲榮,小名萬三,又號萬山,[1]本浙江烏程縣南潯鎮[2](今湖州)人,父親沈佑,始徙居平江路(明改蘇州府)長洲縣(今江蘇蘇州)東蔡村。據說其富,勝於朝廷。沈萬三的故事幾近於傳奇,真假難辨。現代學者顧誠[3]等人認為,沈萬三的事蹟應被誇大,且其生卒年代都在元朝,他可能只是一個元朝末年的普通的有錢人,並未有富可敵國的事蹟。
沈萬三的經典語錄:
1、義不守財,慈不掌兵
2、貨無定價,水無常形
3、人無我有,人有我優,人優我賤
4、東西:把東邊的東西賣到西邊,把西邊的東西賣到東邊
5、商人,就是善於協商的人
6、急人之所急,需人之所需
7、成由節儉,敗由奢
8、經驗,是生意最好的本錢
9、貴出如珠玉,賤取如糞土
10、人棄我取,人取我棄
胡雪巖的生意經
作者:東方智
語言:繁體中文
出版社:海鴿
出版日期:2005/12/01
內容簡介
一部商場上不可或缺的成功指南,讓您能夠百戰百勝 攻無不克的致勝寶典。
晚清民間流傳一句諺語:「做官要學曾國藩,經商要學胡雪巖。」
胡雪巖最初不過是個錢莊的學徒、跑街的伙計。是什麼本事讓他在短短一二十年間迅速發跡,成為呼風喚雨的富商大賈?是什麼使他能夠馳騁商場、官場、洋場��間,要人得人,要勢得勢,要財得財,暢通無阻?是什麼讓他歷經商海沉浮,挺立不倒?
想把生意做大做好,胡雪巖的經商之道不可不知。
時勢造英雄,英雄也要能力加上運氣,才能在時局不安的情況下產生。
清末年間太平天國作亂,錢莊跑街的胡雪巖擅作主張,把銀兩借給王有齡到京捐官,因而被錢莊老闆開革。他出身寒微,沒受過高深的教育,卻能以獨到的眼光,高明的策略,加上靈活的手腕,使他在商場上大展鴻圖,開拓出自已的事業。由於胡雪巖得天時、地利、人和的配合,使他在短短一二十年間,掌握了錢莊、當鋪、生絲、軍火,糧食等各個行業。因買賣軍火幫助左宗棠打敗長毛,立下大功,皇帝封賞其黃馬掛,賜頂戴花翎,成為清朝同治、光緒年間表現最奇特出色的紅頂商人。
目錄
前言
第一章:商人要善於「攀高枝」
經商最忌「十三不靠」,單打獨鬥,孤立無援。這樣不但生意難做,做人也鬱悶。胡雪巖年紀輕輕便財運亨通,成功的奧秘在於背後有強大的靠山。他在官場權貴、商界鉅子、洋務買辦之間層層結交,層層托靠,成為他馳騁商場的有力後盾。
把錢花到有用的人身上去
做買賣不能一日無靠山
多一個朋友多一條路
第二章:不擋別人的財路
商人之間表面上和和氣氣,實則都是商場競爭的對手。你多一份,我就少一份;你少一點,我就多一點。商人的功底往往展現在他所使用的競爭手段上,而商人的強弱之分也由此而出。胡雪巖處理同行關係的原則是:多栽花,少摘刺;多鋪路,少拆橋;多交朋友,少樹敵人。
不搶同行的飯碗
學會當眾擁抱敵人
生意人要互相幫襯
拒絕燙手的錢
給人一活路,給己一財路
第三章:做生意黑白兩道都要走
人們一直相信「愛拼才會贏」,但偏偏有些人就是拼了也不見得贏,關鍵可能在於缺少「關係」相助。在攀向事業高峰的過程中,「關係」往往是不可缺少的一環。胡雪巖一生深諳此道,故能隨時隨地網羅朋友、結交各種勢力,打造出一個無堅不��的鐵杆同盟軍。
一幫人就是一股勢
三教九流都要結交
善於把「冷灶」燒熱
第四章:放貸人情,一本萬利
小錢不去,大錢不來。如果看不到存在於商場和商人中的感情因素,不瞭解感情投資在商場上的巨大作用,而只是把眼光盯在純粹的「利」上,則必然無法更好地獲利。
「利」字是天下最大誘餌
摸準對方的軟肋
有本事才能「釣大魚」
要猜透別人的心
上下同欲,無往不勝
第五章:經商要選用靠得住的人
越是本事大的人,越要人照應。皇帝要太監,老爺要跟班,生意人要伙計。赤手空拳,做生意比登天還難。幫手選得好,事業成功的把握就大,而一旦用人不當,後果常常不堪設想——用錯一個人,往往會敗壞了自己辛辛苦苦打下的整個江山。
用人要「德看主流,才重一流」
一要齊心,二要人緣
看人不能拘泥於一點
關鍵是要用靠得住的人
用人不要光看面子
大才要大用,小才要小用
第六章:生意人要跟著機會跑
冒險與危機具有較深層次的關聯。把「危機」拆開了講便是危險和機遇。人的機遇與成功往往存在於危險之中。在瞬息萬變的生意場,存在著太多不確定的因素。欲在激烈的市場競爭中走在別人的前面,生意人平時就應訓練自己對事物的觀察力和對未知因素的評估力,當機立斷。一個有成就的生意人是當情況發生變化時能及時作出反應的人。
從變化中找到機緣
天底下到處都是財源
一次機遇能叫你如願以償
與其待時,不如乘勢
第七章:名利名利,有名就有利
能夠樹立起自己的形象,也就為自己奠定了成功的基礎。要行善舉,花錢是必然的。對於商人來說,要行善舉樹形象不但要捨得花錢,而且要花的是時候,是地方。
商人要學會捨財揚名
「身價」可以增強競爭力
替國家、百姓操點心
名氣一響,生意就會熱鬧
第八章:借人之長,補己之短
《兵經百篇》中云:艱於力則藉敵之力,難與誅則藉敵之刃,乏於財則藉敵之財,缺於物則藉敵之物。借雞下蛋,以蛋孵雞;善藉財勢,巧妙經營,往往是商人成功的捷徑。能用別人的錢來賺錢的商人,絕對是業界高手。
藉別人的雞為自己下蛋
用好自己的面子
藉洋人之力辦大事
第九章:打造一塊金字招牌
美國通用公司前任總裁傑克‧韋爾許有一句名言:「品牌的力量是不可戰勝的!」的確,對於那些善於做大買賣的人而言,打出自己的品牌,無疑等於佔有較大的市場佔有率。胡雪巖是一位全面打造品牌的高手,堪稱中國品牌第一人。
招牌叫響,黃金萬兩
善於「賠本賺吆喝」
場面越大越能吸引人
生意要做得既誠實又熱鬧
一定要愛護門面
守住面子和招牌
第十章:誠信是生財之道
精明的商人深深懂得,經商如果不論合理不合理,應該不應該,一錘子買賣,狠狠地賺一筆錢,信譽喪失,買賣做絕,以後人們就再也不敢領教了。惟有言必信,行必果,才能贏得人心,引來財源滾滾。
失去信用,就會葬送自己
信用乃經商之本
說真方,賣假藥,最後騙自己
說一句算一句
做事一定要照規矩來
「採辦務真,修製務精」
第十一章:亂世經商,拼的是膽量
生意場上,充滿了搏殺,也充滿了兇險,往往一著不慎,滿盤皆輸。一事當前要先謀後動,未雨綢繆,不能恃強鬥狠,也不可粗心大意。敢於冒險,同時懂得如何去冒險,才是一個成功的商人必備的素質,個中玄機,可謂深矣。
不甘受制於人
刀頭上的血也要去舔
越怕越誤事,索性大膽去闖
心中有譜���穩紮穩打
給自己留一條退路
第十二章:做生意貴在隨機應變
在金錢遊戲中,商人掘得巨金的絕招就是不停地根據形勢的變化而靈活變通。經商是一門活的學問,商人的腦子最值錢,一切得失均繫於它。胡雪巖的智慧之處就是不斷地以靈活變通要求自己,不守死法,求靈求活,求變求通。
生意一定要做得活絡
從不同的籃子裡拿雞蛋
在錢眼裡面盪鞦韆
第十三章:肚子裡要有一本「人情帳」
胡雪巖八面玲瓏的處世方式,使他在商界如魚得水,不僅為他化解了商業活動中的一個個��難,而且為他結下了眾多的商業朋友、社會朋友以及官場朋友,使他在後來的商業活動中遇到困難時,能夠左右逢源,化險為夷。
善於處理錢財帳背後的「人情」
八面玲瓏,生意興旺
用情面能做什麼
都有面子最好
第十四章:謀大事要順應時勢之變
識時務者為俊傑。善謀大事、能成大業的商人,無不有著敏銳的眼光和果斷行動的能力,善於把握時局,及時調整經商戰略,決定生意進退。胡雪巖的成功,在於把握住了時局變化帶來的商業契機,並依據時局的變化不斷調整自己的生意。
把握時局是頭等大事
最要緊的是發現問題的眼光
盤算整個局勢
危急時刻沈住氣
第十五章:看透輸贏得失
做生意,成功的把握總是相對的,而失敗的可能卻是絕對的。商場如戰場,亦如賭場,既要做發財的努力,也要有破產的準備,得意不忘形,失意不氣餒。看透輸贏得失的生意人,可以經受失敗的煎熬,可以平靜地享受成功的快樂,可以進行更高層次的思考;面臨何種危急形勢都能沈著冷靜,泰然相對。
為人要做有臉面的事
輸不足洩,賺不足狂
越是難事越要沈住氣
賺錢一定要走正道
人要役物,不為物所役
胡雪巖經商金言
01商無官不安,官無商不富試聽
02做生意講和氣,不講骨氣
03平庸商人的平庸之策
04天若敗,敗我胡雪巖,決不敗二位兄弟
05從來沒有把錢當做性命
06棄財保家
07魚和熊掌可以兼得
08人心不齊,主要是沒有好領導
09在家靠父母,出門靠朋友
10前半夜想想自己,後半夜想想別人
11開當舖是為了窮人,不想賺錢
12凡百貿易,均著不得欺字
13採辦務真,修製務精
14金無足赤,人無完人
15集天下之大義,以誠信為本
16只要看得準,兌進兌出兩面好賺錢
17做官和做生意是一樣的
18一個人最大的本事,就是能用人
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2024年度 木曜コンサート
【日時】 2024年10月31日(木) 開演:14時(開場:13時)
【会場】 台東区立旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財)
【入場料】 500円
※ チケット購入は事前予約が必要です。 予約についての詳細は旧奏楽堂HPをご覧ください。(予定枚数に達した時点で予約受付を終了します。)
【プログラム】(演奏順未定)
1. 浦山翔太:《門》
Cond. 伊藤心 A Fl. 菊地奏絵 Cel. 天野由唯 Mezzo. 下田一葉 十七弦箏 吉越大誠 Vla. 衛藤理子
2. 越川廉:《シグマkイコール1から5、(2kマイナス1)パイ分のサイン(2kマイナス1)t》
Cond. 福留音央 Vln. 野坂梨帆 Alto 芹口りの B Trb. 青栁賢 Timp. 松下真奈 Vib. 小山真輝 Harp 三河 茉莉絵
3. 畠山春朗:《神降》
Cond. 福留音央 Pf. 本堂峻哉 Vln. 1st 大久保薫子 Vln. 2nd 佐藤文香 Vla. 田口桜子 Vlc. 山本光心 D.B. 水野斗希
4. 松井啓真:《「星形成領域」弦楽四重奏のための》
Cond. 伊東新之助 Vln. 1st 清水伶香 Vln. 2nd 平井美羽 Vla. 衛藤理子 Vlc. 原宗史
5. 森口達也:《樹海~6人の奏者のための》
Cond. 西村広幸 Fl. 西谷あゆみ Cl. 石田理雄 Trp. 田内遥音 Perc.1 種子田真央 Perc.2 松本源示 Cb. 丸地郁海
6. 渡邉杏花里:《ニグレド》
Cond. 伊東新之助 Tp. 藤田サーレム Trb. 吉澤大志 Org. 牧真人 Perc. 本間達也 Vn. 野坂梨帆 Cb. 村本和毅
※日時・内容は変更になる場合がありますので、ご了承ください。 未就学児の入場はご遠慮ください。
【���催】公益財団法人 台東区芸術文化財団 東京藝術大学音楽学部
【後援】台東区
【協賛】鰻割烹 伊豆榮
【お問い合わせ】旧東京音楽学校奏楽堂 03-3824-1988
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2024年9月17日に発売予定の翻訳書
9月17日(火)には13点の翻訳書が発売予定です。 ただし、この中には『源氏物語』の英訳を含みます。
〈ベル・エポック〉の真実の歴史
ドミニク・カリファ/著 寺本敬子/訳
法政大学出版局
ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件
ホルヘ・ルイス・ボルヘス/著 アドルフォ・ビオイ=カサーレス/著 木村榮一/翻訳
白水社
The Tale of Genji
紫式部/著 Arthur Waley/翻訳
チャールズ・イー・タトル出版
白色テロをくぐり抜けて
孫康宜/著 杉本史子/翻訳
三元社
ファミリー企業のガバナンス
アレキサンダー ケーベル=シュミット/著 デニス ケニョン=ルヴィネ/著 アーネスト J・ポザ/著 RSM汐留パートナーズ株式会社/監修 平野秀輔/翻訳 前川研吾/翻訳 瀬尾安奈/翻訳
白桃書房
心理学における量的研究の論文作法 : APAスタイルの基準を満たすには
ハリス・クーパー/著 井関龍太/翻訳 望月正哉/翻訳 山根嵩史/翻訳
勁草書房
基礎からのブレイン・コンピュータ・インターフェース
ラジェッシュ・P・N・ラオ/著 西藤聖二/翻訳
九夏社
ナポレオン戦争[上]
デイヴィッド・ジェフリ・チャンドラー/著 君塚��隆/翻訳 糸多郁子/翻訳 竹村厚士/翻訳 竹本知行/翻訳
国書刊行会
ナポレオン戦争[下]
デイヴィッド・ジェフリ・チャンドラー/著 君塚直隆/翻訳 糸多郁子/翻訳 竹村厚士/翻訳 竹本知行/翻訳
国書刊行会
韓国は日本をどう見ているか : メディア人類学者が読み解く日本社会
金暻和/著 牧野美加/翻訳
平凡社
ゲームデータアナリティクス よりよい開発・運営に向けたデータ分析の教科書
Thinking Data/原著 Thinking Data Japan/翻訳 仲山隼人/翻訳 白石陸/翻訳
翔泳社
5つのチベット体操 若さの泉 決定版 : 改訂新版
ピーター・ケルダー/著 渡辺昭子/翻訳
河出書房新社
パインさんの おるすばん
レオナード・ケスラー/著・イラスト 小宮由/翻訳
大日本図書
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おい木村さん信さん寄つてお出よ、お寄りといつたら寄つても宜いではないか、又素通りで二葉やへ行く氣だらう、押かけて行つて引ずつて來るからさう思ひな、ほんとにお湯なら歸りに吃度よつてお呉れよ、嘘つ吐きだから何を言ふか知れやしないと店先に立つて馴染らしき突かけ下駄の男をとらへて小言をいふやうな物の言ひぶり、腹も立たずか言譯しながら後刻に後刻にと行過るあとを、一寸舌打しながら見送つて後にも無いもんだ來る氣もない癖に、本當に女房もちに成つては仕方がないねと店に向つて閾をまたぎながら一人言をいへば、高ちやん大分御述懷だね、何もそんなに案じるにも及ぶまい燒棒杌と何とやら、又よりの戻る事もあるよ、心配しないで呪でもして待つが宜いさと慰さめるやうな朋輩の口振、力ちやんと違つて私しには技倆が無いからね、一人でも逃しては殘念さ、私しのやうな運の惡るい者には呪も何も聞きはしない、今夜も又木戸番か、何たら事だ面白くもないと肝癪まぎれに店前へ腰をかけて駒下駄のうしろでとんとんと土間を蹴るは二十の上を七つか十か引眉毛に作り生際、白粉べつたりとつけて唇は人喰ふ犬の如く、かくては紅も厭やらしき物なり、お力と呼ばれたるは中肉の背恰好すらりつとして洗ひ髮の大嶋田に新わらのさわやかさ、頸もと計の白粉も榮えなく見ゆる天然の色白をこれみよがしに乳のあたりまで胸くつろげて、烟草すぱすぱ長烟管に立膝の無作法さも咎める人のなきこそよけれ、思ひ切つたる大形の裕衣に引かけ帶は黒繻子と何やらのまがひ物、緋の平ぐけが背の處に見えて言はずと知れし此あたりの姉さま風なり、お高といへるは洋銀の簪で天神がへしの髷の下を掻きながら思ひ出したやうに力ちやん先刻の手紙お出しかといふ、はあと氣のない���事をして、どうで來るのでは無いけれど、あれもお愛想さと笑つて居るに、大底におしよ卷紙二尋も書いて二枚切手の大封じがお愛想で出來る物かな、そして彼の人は赤坂以來の馴染ではないか、少しやそつとの紛雜があろうとも縁切れになつて溜る物か、……
(樋口一葉/にごりゑ)
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅸ
花鳥誌2024年9月号より転載
日本文学研究者
井上 泰至
16 紅梅や旅人我になつかしき
『六百句』に「なつかしく」の句形で「(昭和二十年)四月十四日 在小諸。懐古園に遊ぶ」の注記あり。『小諸雑記』(昭和二十一年)「紅梅」の章にも「懐しく」とあるが、同書「小諸の浅春」の章には「なつかしき」とある。『小諸百句』(昭和二十一年)には、「立子と共に懐古園に遊ぶ」と注記。
この句の詠まれた事情は、『小諸雑記』によれば、以下の通りである。庭に色彩のあるものが殆どないことを、家主の小山榮一氏に伝え、せめて一本の紅梅でもほしいと言っていたが、小諸の駅前にある懐古園を歩いていると、一つの紅梅を発見し、これで十分、家の庭にはなくてもよいと思い、飛騨への旅で車窓から一瞬見た景色に満足した経験を思い出し、「どこにでも気に入つた紅梅があればいい」として、この句を書き留めている。
俳人にとってはゆっくり見たものだけが句材ではなく、記憶に残った風景も句材になることは経験上多いだろう。虚子は既に若き日、『俳句入門』(明治三十一年)で、題詠における「回想」の効用を認めている(井上『近代俳句の誕生』)。今、近年の言説として片山由美子氏のものを挙げておこう。
(袋回しについて)そんなとき役に立つのは、日頃の俳句の断片の蓄積や視覚的記憶である。題詠だからといって、空想だけでは決してできない。ふだん目にしているものの映像的な記憶がり、一句の場面として定着する。じつはこれは俳句を作る際につねに無意識に行っていることである。俳句には「写生」が重要だと言われる。(中略)だが、人間がものを見ると言うのは眼前だけではない。極端な言い方をすれば、あるものを見るとき、すでに見る前からそのものを以前見たときの印象や認識を重ねて見るのである。そして、そのとき見たものはあらたな記憶としてとどめられ、そのものが目の前にないときでも眼前にあるときに近い描写をすることができる。わたしたちが俳句を作るときには、こうした作業を無意識に行っているのである。それが、席題で句を作るときなどには最大限に発揮される。(「句会を楽しむ―句会とは何か―」(『別冊俳句 俳句生活 句会の楽しみ』二〇〇八年)
なお、句形の違いに一言すれば、「なつかしき」は口調が強く、「なつかしく」は優しい。句意は、虚子とて疎開の境涯たる「旅人」であり懐かしさはひとしお、紅梅のその色と香がいっそうその思いを募らせるものだったということであろう。
そもそも梅は「懐古」の花である。例えば、太宰府天満宮の本殿向かって右手にある御神木「飛梅」。菅原道真は、京都から大宰府へいわれのない罪で左遷される折、自邸の梅の木に、
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花
あるじなしとて春な忘れそ
と歌で別れを告げ、道真を慕った梅の木は、一夜にして大宰府まで飛んできたと伝えられる。御神木として大切にされている飛梅は、極早咲きの「色玉垣」という白梅だが、春の訪れを告げるこの花には、苦節の末のわずかな幸せを象徴する属性があった。島崎藤村の詩で有名な、小諸古城の旧園での成立も似つかわしい。
三月十日には東京大空襲もあった太平洋戦争末期の心細い時期、二年に及ぶ疎開の果ての虚子の心情は察するに余りある。
17 山国の蝶を荒しと思はずや
「ホトトギス」昭和二十一年五月号初出。『小諸百句』にも所載。『六百句』に「(昭和二十年)五月十四日 年尾、比古来る。小諸山盧」と注記。
虚子の生涯でも一大エポックと言える、この句の成立事情についての「公式見解」は、次の年尾の解説にある通りだが、実際の事情は後で触れるように、複雑である。
父は戦時中信州小諸に疎開して居つた。私も偶々父の家に滞在して居つた。京都から田畑比古が訪れた。父はいつも極つた道を散歩した。それは父の毎日の日課であつた。比古と私を伴つて、その散歩道をいつもの如く連立つた。春先の野路にとぶ蝶を見た。父は二人を顧みて此句を示した。
比古は京料亭「京饌寮」主人で、虚子の小説『風流懺法』のモデル妻の三千女ともども虚子門で、この句は信州小諸とは距離的にも風土的にも縁遠い、京都人の比古に向けて詠んだ点に妙味がある。
虚子編『新歳時記』の「祭」の項目には、虚子の風土観の核が京都にあったことが、明確に見て取れる。虚子のいう季語としての「祭」は、葵祭などを基本とした関西の風土におけるそれを指していることが了解され、関東を中心とする「神田祭」や「三社祭」は、立項されていない。深見けん二の証言によれば、昭和六十一年刊行の『ホトトギス新歳時記』を編集した折、この江戸風の気風のいい祭は、深見の提言でようやく採録されたことが後に明かされている(『珊』九十四号、平成二十四年五月)。
そのような虚子にとって、小諸への疎開は、芭蕉が奥州を旅して、新たな句境を得たのと似た意義があった。京都人比古に、「山国」の「蝶」の荒々しい飛翔という主観を示した掲句は、その象徴的な句なのである。ちなみに年尾も芦屋在住であった。
なお、この句は句案の変遷が明らかになっている。初案は、
山国の蝶は荒しと思はずや
であり、三人だけの句会での出句たる二案は、
山国の蝶の荒しと思はずや
であった。それが最終的に掲句の形に落ち着いている。この三句の変遷については、宮坂静生の指摘があるので引いておこう。
ア案(初案―井上注)は浅間からの強い風に抗うように飛んでいる蝶を見た嘱目である。強く提示しすぎて蝶の本意を損ない、一句のバランスがわるい。 イ案(二案―井上注)は下の句の問いかけに対して、〈の〉では迫力がない。掲句の〈を〉によって〈荒し〉の対象が意外にも可憐な蝶なんだと驚きをもって納得される。そんな蝶をともに見ない人までも、見たような感動を味わうことになる。 (『俳句鑑賞1200句を楽しむ』)
疑問を差し挟む余地のない推論で、『虚子百句』の年尾の解説では、嘱目で一気に最終案が即吟されたかに思えるが、むしろ虚子はこの句の出来に執心し、練り上げたことが確認できる。虚子自身、この句への確かな手応えがあり、てにをはも、なおざりにはできなかったものだったのである。
信州小諸と言えば、暦の上で夏五月ではあるが、晩春の趣きであり、京都中心の風土観に縛られない、写生の実践の成果だった。「山国」の二文字は重い。小諸市虚子記念館には、虚子揮毫の句帖二冊が、折本の形で残されているが、山盧から望む山並みの形に句の字配りがされている。『虚子百句』中、「山」の字を含む句は十二句の多き数え、本書��おいても、重きをなす字であった。
昭和二十年四月末にはムッソリーニも処刑され、ベルリンも陥落して、ヒトラーも自殺している。日本は戦争継続を公式に表明しているが、三月から四月にかけては、京都を除く日本各地の主要都市で大空襲の惨状が伝えられるようになっていた。そこをくぐりぬけてきた比古への「挨拶」が、山国らしき蝶の飛翔だった。
「荒し」は、蝶の本意の対局にあるだけ、新鮮な写生の結晶でもあり、亡国の淵に立つ情勢下にあっても、元気を失わな強さが、そこに潜んでいたことを肝に銘じたい。
『虚子百句』より虚子揮毫
17 山國の蝶を荒しと思はずや
18 桃咲くや足投げ出して針仕事
国立国会図書館デジタルコレクションより
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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【坂本龍一監督追悼 定期演奏会2024】仙台も終了、30日(土)は郡山!
盛岡の朝は早い。 市内のホテルから団員が宿泊する紫波(しわ)郡紫波町の「ラ・フランス温泉館」までタクシーで移動し、団員と合流しなければならないというミッションを背負っていたのです。宿泊施設の名前を聞いてから「ラ・フランス」と「温泉」の二語の不協和音ぶりに不審さが拭えなかったのですが、実際にありました。
さらに「湯楽々」(しかも文字の級数がデカい!)です。この斬新なネーミングの施設ですが、朝6時頃の眺望をOB中村祐登(トランペット、今は小学校の教諭、地元は仙台)にシェアしてもらいました。
雲海が広がる絶景に日の出。もっと早起き駆けつけて見たかった!(たぶんできなかった)
さて、バスの添乗担当としては、
3号車に乗り込み、7時半に出発。寝台バスのごとく寝ること2時間。やって来ました、本日の会場です。寝ぼけながらバスから降りて普通に会場に入ろうとしていたら、前で写真を撮っている団員がいました。
OBOGから畏敬の念を持って「酒豪」と称される佐々木潮里さん(ヴィオラ、今は化学品系メーカー研究職、地元は仙台)でした。きっとアルコール分解の人体実験としてお酒を嗜まれているに違いないと解釈しております。
東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)では、二人の来客がマエストロの入り時間よりも早く待ち構えていました。
第三期のコンサートミストレス、千葉はづきさん(旧姓、地元は仙台)が、生後4か月の洋榮(ひろは)くんを連れてやってきてくれました。いったい何人がこのヒーローを抱っこしたことでしょう。
しかし、OG佐藤実夢さん(ヴァイオリン)の抱っこの安定感はナンバーワンでした。今は保育士さんですからね。
ゲネプロ中をいいことに���乗っちゃいなよ、ベイビー」とは言いませんでしたが、オンステージのデビューをしてもらいました。
すでに孫のためにチェロが買い与えられたとか。これから「東北ユースオーケストラ・ジュニア」ができるのか、いや「東北ユースオーケストラ」に入って欲しいものです。
はずきママ、律儀に差し入れも持ってきてくれました。
そう、盛岡のヴァイオリン駒井さんの手芸による栁澤さんはすでにご紹介しましたが、その左は手芸の福島事務局竹田学さん(直前合宿初日にご指導)と判明いたしました。
OBの吉田飛鳥くんも差し入れ持参で駆けつけてくれたのです。だんだん「ひよこクラブ」記事のようになってきたので、このへんで修正いたしますと、今日は東北ユースオーケストラの宮城公演です。
ゲネプロは着々と進行、終了し、あとはお客さんを待つのみ。
こちら下手の舞台袖では、
クラリネットの渡邊理沙子さんが、シエナ・ウィンド・オーケストラの飯島泉さんに個別指導をしていただいていました。なんという贅沢! 本番がんばって!!
一方、ロビーでは、
TYOオリジナル商品の物販準備です。三期の齋藤玲利くん(チェロ、盛岡出身)が、大学入学で復団したいと体も大きくなって手伝いに来てくれました。うれしいし、心強いぞ。わたしが書いた書籍『響け、希望の音〜東北ユースオーケストラからつながる未来』(フレーベル館)もオンデマンド版を販売しています。初版は売り切れたものの、重版までには至らずとの版元判断でございます。ドカンと増刷になると、このオケの活動費になりますので、そのような事態の到来を待ち望んでおります。Netflixとかで映画にならないかな・・・。
オシャレでコンパクトなTYOロゴ入り防災セットも残りわずかですので、郡山、東京での公演での入手を切にお願いいたします!
こちらは20日に発売されたばかりのCD、東北ユースオーケストラと坂本龍一 『The Best of Tohoku Youth Orchestra 2013~2023』の販売ブース。こちら会場での購入特典としてA4サイズのオリジナルデザインのクリアファイルがもらえます。ぜひこの機会にお求めください。
そろそろ開演間近となり、舞台袖にはTYO定期演奏会では恒例の影アナ隊が集まってきました。普通は舞台袖で行う注意喚起ご協力お願い系のアナウンスを団員がステージの正面に陣取り堂々と行うという演出の一部です。
えー、今日は男3人に女2人ということは、TYOのTRF!
こちらはパーカッションのみなさん。
んー、女4人、男2人、むむむ、TYOの男女混合バレーボールチームです(にしておこう)!
仙台が地元の二人がそろっていました。
TYOの「けいことみなみ」です!(昭和に活躍した女性漫才コンビ風ですが、そのままです)
日の出を撮影した仙台が地元、中村くんが自撮り棒を使っていました。
生徒のみなさん、中村先生は元気ですよ。
もはや開演直前。管メンバーのチューニングがはじまりました。
開演しました、1曲目の演奏風景です。
昨日の盛岡公演を上回る、自己ベストの勢いで着々と演目が進んでいきます。
その頃、MCの渡辺真理さんから休憩前のロビー物販を紹介するアナウンスにあたり、舞台袖で油断していた3人に協力要請がありました。
昨日の盛岡での「にわかTYOなんとか」グループとの被りもありますが、TYOのMISAMO! あと6人の女子団員を編成して、「TYOのTWICE」を郡山公演か、東京公演で、名乗り出てきてくださいね。
休憩をはさんで後半。暗めの下手舞台袖でテスト的にシャッターを切っていたら、我妻家の姉、弟のトランペッターズが視界に入りました。
TYOの満島ひかりと満島真之介! ということでお願いします。
うかうかしていると、もうアンコールに。
『ETUDE』は、東北ユースオーケストラの前身である、「こどもの音楽再生基金」の毎年8月に行った宮城県での被災三県の音楽系部活動によるライブ大会のテーマ曲でした。先にご紹介した書籍でも取り上げていますが、まさにこのホールでステージに出演者が300人以上乗って、合奏した曲です。当時「足ぶみで舞台がこわれるんじゃないかと思ったよ。」と言った、その坂本監督も、ここにいました。
直前合宿ではソロで立って演奏することに躊躇していた二人、堂々と演奏してくれました。影練の成果が出ましたね。
終演後、みんなで舞台袖大集合写真を撮りました。
海津キャプテンから朗読ゲストのんさんへ、団員寄せ書き色紙の贈呈です。
色紙中央の似顔絵を描いてくれた丸山周くんと。
アンコールでソロを決めてくれた、トランペット長沼くんとトロンボーン内藤さんと。
さらに舞台袖では、2015年に小学5年生だった息子の姿を撮影した福澄くん父からの写真が送られてきました。当時の写真と並びが一緒だったので、上に埋め込んでみました。
人は成長する! 今や二人とも大学一年生。TYOの「そらとまお」(そのまま)です。
終演後のバックステージに訪れてくれた、もう一人のOGゲストは、もう一人をお腹の中に携えて、激励に来てくれました。第1期からの団員だったホルン、曽根瑞貴さん(旧姓)です。
もうすぐ次世代東北ユースオーケストラメンバー候補が、この世に誕生します。みんなで抱っこするのが楽しみです!
311をきっかけに集まって、活動を続けているわたしたち。その中心には坂本龍一監督がいらっしゃいました。「音楽、音がめっちゃ好き過ぎるおじさん」の求心力で、いつのまにか、なんだかまるで親戚のようなコミュニティができていました。 ユング曰くの「グレート・マザー」ならぬ「グレート・ファザー」に、この演奏が届きますように。
今週末、30日(土)郡山(ゲストは吉永小百合さん)の演奏会は、まだチケットがございます。坂本龍一監督のプライベートアーカイブからの写真や、東北ユースオーケストラの団員と過ごした日々の動画など、未発表素材をふんだんに使った映像も見どころです。
ぜひ、ぜひご来場ください。
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112運動i臺灣2.0計畫 9縣市榮獲績效特優
為推廣全民運動,發展地方運動特色,教育部體育署自105年開始推動「運動i臺灣」計畫,並於111年起提升為「運動i臺灣2.0」計畫。為表揚112年推展績效特優的縣市,體育署今(30)日辦理「112年特優縣市頒獎典禮暨113年運動i臺灣2.0計畫中央輔導及地方訪視機制說明會」,由體育署洪志昌副署長親臨頒獎並致謝,邀請包括宜蘭縣、臺北市、新北市、桃園市、新竹市、臺中市、彰化縣、南投縣、嘉義市等9個特優縣市政府體育局長、教育局處長代表出席受獎。
去(112)年為各縣市政府執行運動i臺灣2.0計畫第二年,各縣市政府參照第一年的成果,以地方發展現況、特性、人口結構、各族群等需求持續調整及創新,提出一般專案、原住民族專案及身心障礙專案之年度計畫。體育署透過聘請委員輔導訪視、定期會議與提報資料及透過i運動資訊平台等數個評核項目,評核出9個特優、10個優等、3個良等縣市。
教育部體育署全民組呂宏進組長特別提到運動 i 臺灣 2.0 計畫三大亮點:一、結合在地資源發展地方運動特色,像是南投縣泳渡日月潭、彰化縣田中馬拉松,讓民眾能體驗各地文化、家鄉風情。二、培育及媒合國民體適能指導員,未來檢定合格人員可媒合協助縣市活動或課程運動指導,推動國民體適能指導員在地化。三、跨域資源合作,深入村里社區、公司企業,辦理體適能講座、諮詢、運動指導等多元活動。
南投縣教育處王淑玲處長表示,近年來南投縣舉辦極富特色及創新之運動活動,以五人制幼兒足球錦標賽、i運動巡迴列車及競爭型計畫日月潭國際萬人泳渡活動、紫南宮一騎來發財環縣自行車活動、傳統射箭扎根體驗營等,希望透過多元活動,促進民眾培養運動習慣。
各特優縣市執行成效:
一、 宜蘭縣
擁有得天獨厚的山海環繞環境,充分善用烏石港、宜蘭河、冬山河、蜜月灣與豆腐岬等水域,打造獨具特色的水樂園,積極推動宜蘭水域課程與活動,提升其知名度與參與率。
二、 新北市
透過運動熱區拓展在地運動熱點,由點連結成面,再結合巡迴運動指導團深入29行政區以及各里,更攜手在地百家企業及庇護工場等資源共同推動運動,讓運動可以直接進入民眾的生活圈,公部門及私部門的力量相輔相成,打造友善運動城市。
三、 臺北市
連續第8年獲得特優縣市的殊榮,除了持續辦理全台規模最大的臺北國際龍舟錦標賽,以及開設女性、親子、原住民及單車等多元族群的活動課程之外,亦積極推動身障與銀髮族運動,其中樂齡運動巡迴指導團走遍各行政區,已創造141,865位樂齡運動人次。
四、 桃園市
以融合競技、休閒、趣味等元素,結合在地風光特色,孕育如新屋魚米之鄉馬拉松、阿姆坪划船、獨木舟及sup立板划槳體驗營、桃園市原住民族運動會等多元特色體育活動,112年更加強推廣運動平權,積極推行身心障礙運動指導團服務、銀髮族及外籍移工國際籐球交流等,提升多元族群運動機會與賦能。
五、 新竹市
透過運動中心舉辦多元活動及營造友善環境,鼓勵市民與其心愛的寵物一同參與各類活動,更首次利用線上紀錄推動運動綠生活,讓忙碌的上班族不受時間地點限制隨時運動。另以毛小孩作為吉祥物,吸引不同族群參與,持續打造適合各年齡層的全民參與的運動環境。
六、 臺中市
整合地方團體,推動街舞、單車、武術等大型活動,持續以「市民有感健康樂活」、「扎根基層培育人才」、「營造優質友善運動環境」及「打造運動經濟推手」為策略,厚植臺中各項運動實力,打造「酷運動、酷城市」。
七、 彰化縣
結合縣內人文風光辦理特色活動,以親子運動為主軸,舉辦「半線古鎮卦山逍遙遊」活動,讓民眾以新的、健康的方式更加認識彰化淺山風光,打造熱情的運動大縣。
八、 南投縣
積極推動各項體育運動(如:萬人泳渡、紫南宮環線自行車活動、女性、身障、原住民族運動都在縣內蓬勃發展,運動結合觀光,打造南投健康活力城市新風貌。
九、 嘉義市
以嘉義之肺「雙潭」作為主題,舉辦城市夜跑活動-嘉義雙潭星光路跑,以親子共跑為主題融入嘉義特色市集,結合在地人文、觀光、旅遊、生態、文創、美食等地方產業特色,展現嘉義市城市行銷之魅力及健康活力城市之形象。
體育署希望透過倡導及地方協力的模式,整合各縣市政府資源與地方人文及環境特色,鼓勵���人規律從事運動,提升全民運動風氣,共同守護國人的健康。今日頒獎典禮現場除進行隆重的獎牌頒贈儀式外,亦辦理113年中央及地方輔導機制說明及教育訓練課程,期能透過此說明會讓各縣市充份瞭解113年運動i臺灣2.0計畫中央輔導和地方訪視機制,強化計畫執行績效。
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啟翔輕金屬捐贈防疫門:成為防疫國家隊
在台北市矚目的信義區,集結著最優越的豪宅、商辦和百貨,然而鮮有人注意到構成這些宏偉大樓玻璃帷幕的關鍵元素,正是來自鋁業市占率超過60%的領先者──啟翔輕金屬科技,一家專精於鋁製建材,如帷幕、門窗、板牆、格柵等的台灣「隱形冠軍」企業。
啟翔輕金屬科技在其主要領域已經達到頂尖水平,為提升生產效率和競爭力,他們在桃園新屋區建立了佔地五萬多坪的一條龍鋁產業鏈。這項投資的目標是降低運輸、倉儲、包裝和時間成本,使其服務更加快速而優越。
然而,啟翔輕金屬科技的成長不僅僅止於此。該公司的董事長陳百欽近年來持續拓展至不同的領域,如鋁製家具,並計劃進軍蔚為風潮的露營車、鋁木屋等。他們不僅極大地發揮鋁材的功能性,更致力於打造環保產品,減少對木材的消耗。這種信念和不斷的自我挑戰,使得啟翔輕金屬科技的所有員工都擁有將事情做到最好、隨時因應挑戰的決心和能力。
啟翔輕金屬捐贈防疫門
啟翔輕金屬科技股份有限公司董事長陳百欽表示,王文杰是他先前就讀交通大學EMBA時的指導教授,在學期間受到許多教導,因此本次決定將公司研發的產品捐贈給政大。陳百欽也分享,自臺灣受疫情衝擊以來,公司曾經致贈醫院負壓隔離病房與篩檢站,一直在思考後續還能做些什麼。
「篩檢站讓你知道有沒有被感染,不過只做體內篩檢的話,體外消毒很多人也不知道從何著手。」陳百欽說,因為這樣的想法,他決定讓公司研發單位把其他產品都先停下,專注開發防疫通道產品。而在完成防疫通道後,又花了兩個月尋找適合的藥液。陳百欽指出,該公司的防疫門產品使用奈米銀與二氧化氯,已通過9項SGS驗證證明安全無虞,同時具備優良的殺菌效果。
啟翔輕金屬總經理何基州則解說防疫門的使用方式與相關機制。「走進通道之前,必須先量測體溫、手部酒精消毒,走進去之後就會自動感應並啟動全身性完整的清消。」何基州表示,經過精密的噴嘴調整,防疫通道內的奈米銀由上方微霧噴灑、二氧化氯則從側面清消,就連腳底也會徹底消毒,降低接觸性染疫風險,發揮高效能智慧防疫。
啟翔輕金屬展現的蓄積多年的靈敏應變力
2021年5月,全球新冠肺炎大流行已持續一年多,台灣突然爆發社區感染,每天數百位確診者或接觸者使得醫療系統幾近崩潰。在這個危急時刻,啟翔輕金屬科技展現了多年來積累的靈敏應變力。
陳百欽早在2020年攜手陽明交大EMBA同學共同研發組合式隔離負壓系統,並將其捐贈給國軍桃園醫院、署立桃園醫院新屋分院和桃園榮民醫院。隨後,陳百欽與經營團隊共同致力於研發組合型負壓隔離房、防疫通道和正壓檢疫站等新的醫療防疫產品線。
在疫情最嚴峻的時刻,啟翔輕金屬科技全體員工展現出極高的戰鬥力和拚勁,快速製造正壓檢疫站,並在最短時間內送到機場和全台主要的醫療院所使用。這種高效率和積極進取的態度,讓啟翔輕金屬科技在三個星期內完成了160座檢疫站和20多座負壓隔離病房,甚至比原定交期提前一週。
啟翔輕金屬-德國紅點大獎實力
負責規劃檢疫站內空間配置與組裝結構的伊莫諾家居總經理劉學橋表示,公司原本已經研發出能快速組裝的鋁屋結構,有助於提高製程速度。劉學橋協助設計了六人座移動式正壓檢疫站,允許六位醫護人員分兩線同時進行工作,提升篩檢效能。他強調,疫情結束後,只需將檢疫站的透明窗更換為不透光鋁板,即可百分之百回收再製成山屋或露營用的鋁製小木屋。
伊莫諾家居的另一項斬獲是可依使用者需求量身訂製層架配置的「LIXT所有格」,該產品榮獲2021德國「紅點產品設計大獎」(Red Dot Design Award)和2021綠色產品獎(Green Product Award)。這表明其多變的靈活設計不僅強化了防疫產品的壽命,還使家具更環保和永續。
啟翔輕金屬 董座不忘初心
回顧這次設計製造正壓檢疫站的任務,陳百欽認為公司投入的成本早已超過售價,但他堅持每製造一座檢疫站,自己就捐出兩萬元,累計捐贈超過300萬元。長年投入公益的他認為,這是在國家危急之時應該做的事。他表示:「我是從艱困家庭走出來的農村子弟,創業三十多年來我不斷提醒自己:只要我還有能力,社會哪裡需要幫助,我都不會吝嗇。」
啟翔輕金屬科技的總管理處副總經理陳臆云也強調,儘管這些防疫產品短期內可能不賺錢,但從ESG的角度來看,具有前瞻性的價值。從雲端上的高樓到救急最前線的正壓檢疫站,啟翔輕金屬科技展現了傳統產業與時俱進的正向力量。陳百欽總結道:「我衷心期盼全球新冠疫情能盡快過去,但若再度出現對防疫醫療用品的需求,啟翔隨時待命中!」
延伸閱讀:
全員拼正壓檢疫站,挺醫護不惜停工,啟翔輕金屬科技如何從豪宅帷幕到成為防疫國家隊?
陳百欽:全鋁家具 Emoono 伊莫諾與台灣鋁業大廠啟翔輕金屬,以「為地球多留一棵樹 由鋁開始」
陳百欽永續經營概念
啟翔輕金屬董事長陳百欽循環經濟
把痛點變新商機,啟翔輕金屬科技從代工到品牌「鋁鋁」創新
經濟部產業發展署專訪陳百欽- 啟翔創新園區
陳百欽「15%哲學」多角化帶領啟翔輕金屬科技踏上創新「鋁」途
陳百欽與何基州:啟翔輕金屬科技的研發之心
陳百欽「15%哲學」多角化帶領啟翔輕金屬科技踏上創新「鋁」途
啟翔創新園區鋁金屬業聚落
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1968年臺灣
維基百科介紹
1968政府
國家正副元首
總統:蔣中正
副總統:嚴家淦
五院首長
行政院院長:嚴家淦(副總統兼任)
立法院院長:黃國書
司法院院長:謝冠生
考試院院長:孫科
監察院院長:李嗣璁
省政府主席
臺灣省政府主席:黃杰
福建省政府主席:戴仲玉
大事記
1月

1968年9月9日,台北市舉辦實施臺灣九年國民義務教育慶祝大會暨國民中學聯合開學典禮。
蔣中正提名楊亮功為考試院副院長,經監察院票決同意[1]:118。
1月4日——副總統嚴家淦訪問泰國(1月5日、1月7日,與泰國總理他儂舉行會談;1月10日,發表聯合公報後,返臺。);經濟部次長汪彝定宣布:外貿方向以農工業培養貿易,以貿易發展農工業[2]:748。
1月5日——外滙貿易審議委員會主任委員會徐柏園稱:去年對外貿易總值近15億美元,出超2,600萬美元[2]:748。
1月9日——蔣中正主持國家安全會議,提出「革新當前社會風氣指導綱領及實施要領」[2]:748。
1月26日——特任駐牙買加大使孫碧奇兼任駐巴貝多國大使[2]:749。
1月27日——公布「九年國民教育實施條例」(4月3日,教育部發布「國民中學教師儲備及職前訓練辦法」;5月6日,行政院指令臺灣省、臺北市暨福建省金門、馬祖地區為實施九年國教區域;5月31日,教育廳長潘振球宣布:九年國教準備工作完成。)[2]:749。
2月
1969年2月25日,日本讀賣巨人棒球隊於台北市立棒球場分兩隊作一場表演賽。民航公司10號班機殘骸
蔣中正接見越南共和國駐臺大使陳善謙,對越南共和國重要城市近遭越共深表關切[1]:118。
2月1日——外交部次長沈錡率領特使團,訪問中美洲及加勒比海各國(4月17日,返臺)[2]:749。
2月9日——旅日棒球選手王貞治所屬日本讀賣巨人隊訪臺(1965年12月4日,王貞治返臺表演球技。)[2]:749。
2月16日——民航空運公司自香港到臺灣客機在林口墜毀,21人罹難(5月21日,交通部民航局核准其環島客運班機由中華航空公司接替;5月25日,國際民航駕駛會請求蔣中正停止民航運公司法院審判,由民航局再行調查。)[2]:749-750。
2月19日——與日本在東京簽約,售予日本食米6萬餘公噸[2]:750。
2月21日——特任沈怡為駐巴西大使[2]:750。
2月25日——教育部核中央大學在臺復校(10月16日,復校舉行開學典禮。)[2]:750。
2月27日——駐日大使陳之邁向日本政府嚴重抗議日本欲與外蒙建交企圖[2]:750。
3月
3月5日——美國國際開發總署駐臺代表處結束,中美基金交由政府自行決定運用[2]:750。
3月7日——外匯貿易審議委員會主任委員徐柏園稱:1967年度對外貿易總值共達14億5,900萬美元,比前年��加26%,創歷年最高紀錄;柏楊(郭衣洞)因「大力水手」漫畫風波,被調查局逮捕[2]:750。
3月8日——教育部決定成立國民教育督導委員會[2]:750。
3月15日——教育部國民體育委員會決定全面推展全民體育(9月17日,行政院核定「發展全民體育方案」。);新任美國第七艦隊司令布蘭格(William F. Bringle)訪臺[2]:750。
3月30日——經濟部長李國鼎在立法院報告第五期四年經建措施為:林業改良、稻米增產,發展電子、精密儀器、造船、石油、化學、大鋼廠等工業,改善交通運輸,建設新社區等[2]:751。
4月
4月2日——財政部宣布自1969年度起停止愛國公債派募[2]:751。
4月10日——美國農業部長傅利曼(英語:Orville Lothrop Freeman)率團訪臺3天(4月12日,指出臺、美基於互惠原則,加強貿易關係。)[2]:752。
4月14日——交通部長孫運璿表示,政府決在高雄港建立貨櫃轉運中心,並在基隆港興建貨櫃碼頭[2]:752。
4月17日——行政院頒行修正「外匯貿易委員會組織規程」(9月19日,行政院為適應國際經濟發展趨勢,決撤銷外匯貿易審議委員會,設立外匯局及國際貿易局。);總統府資政莫德惠逝世(吉林雙城人,到臺後擔任考試院長長達12年,有功於考試制度建立。)[2]:752。
4月21日——臺灣省投票選舉第四屆省議員及第六屆縣市長,國民黨取得17席,高雄市長首度由民社黨的楊金虎當選。(6月2日,第四屆省議會成立,謝東閔、蔡鴻文分別當選正、副議長。)[2]:752。
4月22日——與澳大利亞在坎培拉簽訂「中、澳貿易協定」[2]:752。
4月29日——臺灣省政府發布施行「臺灣省都市平均地權施行細則」[2]:752。
4月30日——中華文化復興運動推行委員會訂定推行「國民生活須知」[2]:752。
5月
5月1日——蔣中正與夫人宋美齡在陽明山中山樓舉行茶會招待美軍在華官員與眷屬[3]。
5月4日——教育部編列400萬元,翻譯世界名著,編印科學辭典[2]:752。
5月7日——農業專家趙連芳病逝(河南羅山人,畢生從事農業教育、科學研究,在水稻育種貢獻很大,是中國現代農業科學之先驅。)[2]:753。
5月10日——第一屆「中、韓經合會議」在漢城揭幕(5月11日,發表聯合公報,加強政、經聯繫。);行政院通過「中、美航業相互免稅協定」[2]:753。
6月
6月3日——空軍C-46運輸機墜落於台南縣柳營鄉太康村農田,多年後當地民眾立七十二聖人廟以祭之[4]。
6月8日——蔣中正接見日本編輯訪臺團,重申堅決反對「兩個中國」立場,並強調日本如廢除「吉田書簡」,無異廢棄「中日和約」[2]:754;蔣指出中共為東亞災禍之源,所謂中立共存,將貽無窮禍害,日本應合作消弭危機[1]:119。
6月10日——臺灣省政府主席黃杰表示,配合實施職業教育及九年國教,禁設私立小學及初中[2]:754。
6月12日——前立法院長張道藩病逝(貴州盤縣人,歷任中國國民黨中央執行委員、中央宣傳部長、海外部長及第四屆立法院長。)[2]:754。
6月15日——水牛出版社「水牛文庫」開始出版[2]:754。
6月24日——特任沈錡為駐澳大利亞大使[2]:755。
6月26日——東京日本大學以名譽法學博士學位贈與蔣中正[1]:119。
7月
民主臺灣聯盟事件,陳映真(名永善)等36人被捕[2]:756。
7月1日——駐美大使周書楷代表政府與49國在華盛頓簽署「禁止核子武器擴散條約」(1969年12月12日,立法院通過「防止核武器蕃衍條約」。)[2]:755。臺北縣的南港鎮、景美鎮、內湖鄉、木柵鄉與陽明山管理局的士林鎮、北投鎮併入臺北市[5]。
7月2日——國際經濟合作發展委員會成立能源規劃發展小組,孫運璿任召集人[2]:755。
7月5日——任命桂宗堯、何鳳山與宓錫寵分別為駐宏都拉斯、玻利維亞、薩爾瓦多等國大使[2]:755。
7月10日——美國一艘護航艦在西雅圖移交臺灣,命名為「太原號」[2]:755。
7月19日——駐加拿大大使薛毓麒遞交備忘錄,對加國有承認中共意圖表示關切(1969年2月10日,對加國與中共進行建交接觸,再提抗議。)[2]:756。
7月20日——特任夏功權為駐紐西蘭大使[2]:756。
7月26日——美國駐聯合國大使包爾(George W. Ball)訪臺[2]:756。
7月28日——中央研究院院士會議選出楊忠道、馮元楨、王兆振、劉占鰲、盧致德、魏火曜、錢穆、顧應昌、郭廷以9位院士[2]:756。
7月30日——特任段茂瀾、苪正皋、杭立武、孫碧奇、凌崇熙、徐懋喜、姚守中分別為駐阿根廷、象牙海岸、希臘、菲律賓、牙買加、上伏塔、巴貝多等七國大使[2]:756。
8月
中國國民黨中常會通過以張寶樹為中央委員會秘書長[1]:119。
8月9日——經濟部成立聯合礦業研究所[2]:756。
8月10日——留美學生陳玉璽因在海外發表傾向支持中共之文章,經軍法判處7年徒刑[2]:757。
8月25日——紅葉少棒隊以7A比0,擊敗日本和歌山少棒隊[2]:757。
8月29日——駐菲律賓大使杭立武與菲外交部長羅慕斯(英語:Narciso Ramos)為處理逾期華僑問題達成協議,並簽署聯合聲明[2]:757。
9月
中華民國教育部政務次長鄧傳楷再次獲總統親授一等(特種大綬)景星勳章(1961年首次獲頒)。
9月1日——《徵信新聞報》改名為《中國時報》,開始發刊(1950年10月2日,創刊。);長榮海運公司成立[2]:757。
9月3日——中國電視公司成立[2]:757。
9月5日——行政院核定撤銷財政部鹽政總局,恢復設置鹽政司[2]:757。
9月6日——中華民國與史瓦帝尼建交。
9月9日——九年國民教育正式實施,蔣中正頒發錄音訓詞[2]:757。
9月18日——行政院公布「大成至聖先師孔子誕辰紀念辦法」,自今年開始實施[2]:758。
10月
經濟部投審會核准日本三菱電機投資技術合作,中國菱電股份有限公司成立 。
10月7日——與日本之「中、日合作策進會」第十三次會議在臺北揭幕(10月9日,發表宣言,主張建立亞洲集體安全組織,阻止共產侵略。)[2]:758。
10月10日——國際奧林匹克委員會通過中華民國使用「中國-中華民國」名義,參加奧林匹克世界運動大會[2]:758。
10月16日——蔣中正私人代表張群赴日本,參加前日本首相吉田茂逝世週年追思會[2]:759。
10月19日——紀政在第十九屆墨西哥奧運會獲女子80公尺低欄決賽銅牌,並打破世界紀錄[2]:759。
10月22日——蘇聯記者維多克·路易斯抵臺,展開秘密外交(曾與國防部長蔣經國密談。)[2]:759。
10月29日——第一架由空軍自製之飛機「介壽號」完成並展示;特任外交部亞西司長蔡葩為駐利比亞王國大使(1969年1月27日,呈遞到任國書。)[2]:759。
11月
11月3日——楊傳廣發起1人1元籌建體育館運動,獲熱烈響應(12月5日,臺灣省政府通令機關學校及公營機構加強推行。)[2]:759。
11月9日——教育部長閻振興在立法院報告:政府為發展科學教育,1968年度編列經費9,000餘萬元,改善科學研究設備[2]:760。
11月12日——中華文化復興運動推行委員會通過12項工作計畫,以增進國民德智體群育修養[2]:760。
11月14日——與新加坡達成協議,互設商務代表團,並辦理領事事務(1969年1月2日,互設商務專員;5月2日,駐新坡貿易代表團辦事處成立。)[2]:760。
11月20日——外交部次長楊西崑在國家安全會議報告聯合國表決中國代表權問題結果,58對票,23票棄權否決「排我納匪案」,73對47票,5票棄權通過「重要問題案」[2]:760。
11月24日——「中國經濟建設研究會」成立[2]:760。
12月
12月6日——中華民國國防部部長蔣經國與教育部部長閻振興同意將教育電視廣播電台(教育電視台)擴建為中華電視台[6]。
12月10日——前日本首相岸信介訪臺3天[2]:761。
12月29日——教育部長閻振興表示:今後教育政策以發展職業教育、培養專業人才和強化科學教育為重點[2]:761。
12月31日——特任張導民為審計部審計長,周宏濤為行政院主計長[2]:761。
出生
參見: 1968年出生
1月1日——劉敏宏:鍵盤手、鋼琴家。
1月2日——於北辰:政治人物、軍事人物。
1月3日——許培育:漫畫家。
1月5日——
賴香伶,工運人士。現任臺北市政府勞動局局長。
盛治仁:政治學家。
趙映光:政治人物,是趙心瑜之兄,曾任臺北市選舉委員會監察委員。
林琨瀚:棒球教練,是林琨瑋之弟。
1月8日——
廖志賢:賽車手、企業家,曾開設飲料店品牌。
林國春:政治人物、警務人員。
李逸驊:籃球教練。
1月10日——木笛:漫畫家。
1月12日——許添盛:醫師。
1月14日——
伍佰,歌手。
葉壽山:政治人物。
1月20日——朱信強:政治人物。
1月21日——
管中祥,學者。長期參與媒體改革運動、並關注人權與文化議題。
陳琦豐:棒球教練。
1月23日——汪建民:演員,以《台灣靈異事件》飾演「鐵頭」一角而爆紅。
1月27日——傅靜凡:社會運動人士。
1月29日——曾國城,藝人。
2月1日——陳劍松:政治人物。
2月5日——李之勤:歌手、演員、主持人。
2月7日——詹慶齡:主持人、新聞主播。
2月10日——黃乃芸:食品科學家,曾任衛生署食品藥物管理局輸入食品審查委員。
2月11日——王識賢,歌手、演員。
2月18日——
陳嘉君,野百合學運中的學生領袖之一,施明德妻子,人權、歷史工作者。
師瓊瑜:作家。
2月22日——趙英華:演員、主持人,以《台灣靈異事件》飾演「王玉芳」一角而爆紅,曾於1988年中國小姐獲選第二名。
2月23日——洪瑞襄:歌手、演員。
2月26日——侯志正:小號演奏家。
2月29日——王尚智:新聞主播、廣播主持人、製作人。
3月2日——廖元豪:法學家。
3月4日——伊能靜,歌手、演員。與裘海正和方文琳組成演唱團體「飛鷹三姝」。
3月9日——黃士偉:相聲。
3月10日——
洪智育:導演。
李性蓁:作家。
3月17日——黃品源:歌手、演員、主持人,以《你怎麼捨得我難過》為成名曲。
3月18日——張錫銘,重大通緝犯。
3月20日——黃宏成:常年競選人。
3月28日——
張其祿:政治人物。
陳秀桂:企業家,是從日本引進七田真的幼兒教學方法。
3月31日——邱心志:演員。
4月12日——
侯炳瑩:演員。
史哲維:新聞主播。
4月17日——張文宗:棒球教練。
4月25日——
謝祖武,男演員。
李健光:新聞主播。
4月26日——詹姆士:廚師。
5月3日——黃裕昇:製作人。
5月5日——王金龍:數學家。
5月8日——吳昌期:教育工作者。
5月13日——
顏志琳,排灣族歌手。與尤秋興合組「動力火車」。
尹昭德:演員。
5月19日——曹蘭:歌手、演員、主持人。
5月20日——江志豐:歌手,是龍千玉之弟。
5月23日——
徐曉晰:主持人。
蘇家賢:畫家。
6月2日——方岑,女演員。
6月7日——陳鎮川:導演、製作人、經紀人。
6月15日——楊心希:歌手、法官。
6月20日——
石安妮:歌手、演員、主持人。
顏聖冠:政治人物。
6月21日——蝴蝶:作家。
6月24日——袁惟仁:歌手、主持人,是陸元琪前夫,為凡人二重唱成員之一。
6月25日——周雅玲:政治人物,是周雅淑之妹。
6月28日——趙正平:演員、導演、製作人、通告藝人,是景行廳男孩成員之一。
6月29日——張瑞竹:演員。
7月1日——蕭赫麟:常年競選人。
7月2日——張靜懿:歌手、演員、主持人,是紅唇族成員之一。
7月3日——
吳倩蓮,歌手、演員。
游萬豐:政治人物,曾任僑務委員會僑務委員。
7月5日——陳艾湄:歌手,與高明駿合唱《誰說我不在乎》而爆紅。
7月6日——陳貴人:足球教練。
7月7日——
王毓雅:導演、製片人。
蔣絜安:政治人物。
7月9日——范雲,社會學學者。曾為野百合學運領袖之一、社民黨召集人,臺大社會系副教授。
7月21日——林金結:政治人物。
7月22日——羅時豐:歌手、演員、主持人。
7月24日——宋少卿,相聲男演員。相聲瓦舍創辦人。
7月29日——胡鴻達:演員。
7月30日——庹宗康,主持人、歌手。
7月31日——Juby:導遊、演員、主持人,是馬兆駿遺孀,現改嫁湯志偉。
8月2日——黃倩萍:新聞主播。
8月13日——蕭薔:演員、模特兒。
8月15日——雷光夏:歌手、作曲家、配音員,是雷驤之女。
8月16日——吳洛纓:編劇。
8月19日——林益世,政治人物。曾任國民黨青年團總團長、行政院秘書長。因索賄案下臺。
8月25日——林葉亭:歌手、通告藝人、時尚設計師。
8月30日——洪麗萍:政治人物。
9月4日——林仁傑:演員、導演。
9月5日——張瀚天:政治人物。
9月6日——荒山亮:歌手。
9月8日——
黃中原:歌手。
柯裕棻:作家。
9月11日——王震緒:小說家,是移居日本的台灣作家。
9月15日——陳癸佑:政治人物、警務人員,曾任水里鄉鄉長。
9月23日——林芳雪:演員、配音員。
9月24日——顏艾琳:詩人。
9月25日——蔡旺詮:政治人物。
9月26日——王瑞霞,台語女歌手。代表作有〈絕情雨〉、〈小姐請你乎我愛〉。
9月27日——
蔡岳勳:演員、導演,是于小惠之夫,以2001年執導《流星花園》為知名作品。
王頌恩:雙簧管演奏家。
9月30日——朱淑華:廣播主持人。
10月1日——王時思:政治人物,是王時齊之姊。
10月2日——楊寶瑋:演員。
10月3日——呂東傑:政治人物。
10月4日——蔣念祖:法學家。
10月7日——陳俊生:演員、模特兒。
10月12日——
徐榛蔚,政治人物。現任立法委員,傅崐萁之妻。
董永興:棒球捕手。
10月13日——
林珮君:演員。
高為元:生物醫學家。
10月15日——岳翎:演員。
10月16日——劉耀仁:政治人物。
10月17日——廖敏雄,棒球選手。曾加入中華職棒時報鷹隊。
10月19日——李晶玉,新聞主播、主持人。
10月20日——
李康生:演員、導演、編劇。
許宇甄:政黨工作者。
10月21日——林奕華,政治人物。曾任國民黨文傳會主委、臺北市議員。現任新北市政府教育局局長。
10���23日——陳尚志:政治學家。
10月25日——謝璧蓮:新聞主播。
10月26日——莊永新:漫畫家。
10月28日——高明偉:演員、婚禮主持人。
10月30日——游鴻明,男歌手,代表作有〈愛我的人和我愛的人〉。
10月31日——
高思博,政治人物。曾任立法委員、蒙藏委員會委員。
柯淑敏:政治人物。
11月1日——陳昭榮,男演員。
11月4日——陳信瑜:政治人物。
11月6日——楊致遠,雅虎(Yahoo!)創始人及前任執行長。
11月7日——王必勝:政治人物、醫師。
11月8日——吳安琪:新聞主播。
11月9日——陳該發:棒球選手,是首位達成完全打擊的球員。
11月16日——
成英姝:作家。
蔡雨倫:歌手,是憂歡派對成員之一。
11月17日——張瑀庭:記者、助理教授、美食評論家。
11月20日——童琮輝:棒球選手。
11月22日——王惠美,政治人物。曾任鹿港鎮長、彰化縣議員,現任立法委員。
11月23日——童愛玲:演員。
11月24日——王彩樺:歌手、諧星、演員、主持人,以《保庇》為成名曲。
11月29日——林學冠:幕僚,曾任林張久美、林珮涵、林佩樂等議員的助理。
12月1日——
林谷珍:配音員。
黃建宏:教授、藝術策展人。
12月2日——黃承遠:畫家。
12月5日——張立威:演員。
12月13日——楊麗菁:演員。
12月14日——楊昱泓:吉他手。
12月26日——許忠富:政治人物。
逝世
3月2日——劉啟光,政治人物、情治人員。被指在二二八事件中協助國民政府鎮壓臺灣人。(1905年出生)
6月6日——彭華英,日治時期社會運動參與者。蔡阿信之夫。(1893年出生)
6月12日——張道藩,政治人物。曾任中華民國行政院院長。(1897年出生)
6月16日——林呈祿,報紙編輯、日治時期社會運動參與者。《台灣新民報》編輯。(1886年出生)
11月10日——陳華宗,政治人物。日治時期曾任學甲莊長,戰後出任臺南縣議會議長、臺灣省議員。(1904年出生)
參考來源
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本社新莊區分社副主任楊文德先生,熱心公益、主動關懷幫助弱勢
記者/呂理謀/整理報導 早上二點從樹林區出發,七點在花蓮縣萬榮鄉西林村辧公處,做四件急難救助,其中兩戶是火災戶,所以送上全新棉被等,做六件棺木喪葬補助,八點在吉安鄉做二件急難救助,二件棺木喪葬補助,今天共有十四個家庭受惠, 九點送一批大家愛心捐贈的冬天衣服,到秀林鄉代表會丁麗芳副主席的服務處,由水源村長及丁副主席代收,再分送給弱勢需要的家庭,另外有12件全新單人棉被,由丁副主席及娟姊代送給弱勢清苦的家庭,或獨居長者,謝謝大家的愛心支持,讓貧困的家庭能感受到社會的溫暖,感恩,功德無量,祝福大家心想事成,闔家安康。 更多新聞內容請至報社新聞官網: http://unitednewsgroup.com/ 更多新聞內容請至報社新聞粉絲團: https://www.facebook.com/unitednewsgroup/ 讀者投稿專欄請至報社新聞臉書: https://www.faceboo…
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禮失而求諸野
H:禮失而求諸野,醫失而求偏方,人性也。平常心看待,走向好心情。20240703W3
網路字典:
禮失而求諸野
傳統的禮儀、文化有散失則求之於民間尚有保留的地方。《漢書.卷三○.藝文志》:「仲尼有言:『禮失而求諸野。』方今去聖久遠,道術缺廢,無所更索,彼九家者,不猶癒於野乎?」
力有未逮
能力有所不及。如:「本想奪魁,然力有未逮,終於落敗。」清.袁枚《子不語.卷二四.長樂奇冤》:「母喜,欲啟其石,而力有未逮。」
力不從心
成語出處
南朝·宋·范曄《後漢書·西域傳》:“今使者大兵未能得出,如諸國力不從心,東西南北自在也。”[1]
後世據此典故引申出成語“力不從心”。[1]
力不從心
成語:力不從心
心裡想做某事,力量卻無法達到。※◎語或本漢.班昭〈為兄超求代疏〉。典 源
漢.班昭〈為兄超求代疏〉(據《後漢書.卷四七.班梁列傳.班超》引)
※ 超之始出,志捐軀命,冀立微功,以自陳效。會陳睦之變,道路隔絕,超以一身轉側絕域,曉譬諸國,因其兵眾,每有攻戰,輒為先登,身被金夷,不避死亡。賴蒙陛下神靈,且得延命沙漠,至今積三十���。骨肉生離,不復相識。所與相���時人士眾,皆已物故。超年最長,今且七十。衰老被病,頭髮無黑,兩手不仁,耳目不聰明,扶杖乃能行。雖欲竭盡其力,以報塞天恩,迫於歲暮,犬馬齒索。蠻夷之性,悖逆侮老,而超旦暮入地,久不見代,恐開姦宄之源,生逆亂之心,而卿大夫1>咸懷一切,莫肯遠慮。如有卒暴2>,超之氣力,不能從心,便為上損國家累世之功,下弃3>忠臣竭力之用,誠可痛也,故超萬里歸誠,自陳苦急,延頸踰望,三年於今,未蒙省錄。
〔注解〕
卿大夫:卿和大夫。後泛指貴族。
卒暴:突然發生的暴動。卒,音ㄘㄨˋ,突然。
弃:同「棄」 ※
《後漢書.卷八八.西域傳》
二十一年冬,車師前王、鄯善、焉耆等十八國俱遣子入侍,獻其珍寶。及得見,皆流涕稽首,願得都護。天子以中國初定,北邊未服,皆還其侍子,厚賞賜之。是時賢自負兵強,欲并兼西域,攻擊益甚。諸國聞都護不出,而侍子皆還,大憂恐,乃與敦煌太守檄,願留侍子以示莎車,言侍子見留,都護尋出,冀且息其兵。裴遵以狀聞,天子許之。二十二年,賢知都護不至,遂遺鄯善王安書,令絕通漢道。安不納而殺其使。賢大怒,發兵攻鄯善。安迎戰,兵敗,亡入山中。賢殺略千餘人而去。其冬,賢復攻殺龜茲王,遂兼其國。鄯善、焉耆諸國侍子久留敦煌,愁思,皆亡歸。鄯善王上書,願復遣子入侍,更請都護。都護不出,誠迫於匈奴。天子報曰:「今使者大兵未能得出,如諸國力不從心,東西南北自在也。」於是鄯善、車師復
書 證
《後漢書.卷八八.西域傳》:「今使者大兵未能得出,如諸國力不從心,東西南北自在也。」
《洛陽伽藍記.卷一.永寧寺》:「京師士眾,未習軍旅,雖皆義勇,力不從心。」
《醒世恆言.卷三.賣油郎獨占花魁》:「只是小娘子千金聲價,小可家貧力薄,如何擺布,也是力不從心了。」
《東周列國志》第二八回:「萬一力不從心,惟有一死,以謝先君而已。」
《官場現形記》第二四回:「無奈溥四爺提筆在手,欲寫而力不從心,半天畫了兩畫,一個『麗』字寫了寫不對。」
《二十年目睹之怪現狀》第一○七回:「弓兵伺候了老爺十年多,老爺平日待我們十分恩厚;不過,缺苦官窮,有心要調劑我們,也力不從心罷了。」
懼庵先生文集/卷六
懼庵先生文集
←卷五懼庵先生文集
卷之六
作者:李樹仁
1860年卷七→
記
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皇南殿碑閣記
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於戲。此乃新羅敬順王撰實碑閣也。夫有盛德至仁。必碑之。碑必有閣以覆之。此閣之所以建也。王之至仁。在不以養人者害人。雖異乎周大王遷國圖存。而有虞羣後德讓之風。其詳已見於碑撰中。今不必架疊。而所可書者。其惟竪碑建閣之顚末乎。蓋東京之有敬順王殿舊矣。中移於東川。又移此皇南。自經累百年。迄未有顯刻。是爲姓孫與輿情之所慨惜矣。迺於今上甲戌。觀察使金公魯應以本道伯。始顯刻竪之而遽遞歸。閣則未也。何幸今廵相魯敬。以前廵相堂親。復按節是道。以爲碑旣竪。當有閣。是役不可緩。遂敕族弟之爲月城鎭長金公魯甲幹其事。鎭長公乃竭蹷效誠。逐日監蕫之。而殿郞金君思一亦與其勞焉。役始於是年之仲春。斷手數旬之內。而亦不煩民力。於是乎翼然華構。照耀貞珉。可以永垂輝於千百歲矣。一日殿郞君來訪。跽而言曰吾始祖敬順王碑閣成。請一言以識之。不佞以不文辭不獲。遂敢歷敘顚末如右。而竊有所感歎於中者。夫爲子孫尊慕先世。雖人情所不已。而推尊慕之思。至百世之遠。非追遠之誠之至。不能也。且殿前顯劖。始成於前廵相公。繼之以傑然華閣之建。又在於今廵相公。鎭長公幹事之贒勞。又在於是時。皆不出廵相公一家之內。是知天之相是役蓋有待。而故家追遠報本之誠。尤可見矣。雖然是豈徒以子孫之誠言之哉。曾氏傳曰於戲前王不忘。繼之曰君子贒其贒而親其親。苟非王盛德至善。使後人沒世而不忘。則君子親親之篤。亦安能如是也。此吾所以因子姓慕先之誠。想先王盛德之使然。而自不覺感歎之至。乃於記事之餘。又此娓娓而不厭也。
三槐亭記
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亭以三槐名。識先人手植也。亭之主爲誰。吾宗李君。華宅其名也。君之先通判公昆季四房。公居長。金崑玉季。輝暎一門。人稱李氏四珠樹。公幼時與諸弟各植一槐於巷。曰吾昆季種福於此。以驗日後成就及子孫榮悴。及長。槐樹亦茁然而長。時値龍蛇難將作。公昆季已炳幾。遂皆慨然投筆。就槐樹下築壇。日習射。射藝俱精絶。公先登虎榜。仲及季氏次第拔身。獨第二房公早夭。槐一樹亦自隕。當海寇充斥東南。公共權忠毅,朴武毅諸公。倡義討賊。多立戰功。公之爵以是勳。仲季二公。同時奮起。俱通仕籍。仲氏官僉正。季氏官奉事。幷載諸贒倡義錄中。其三槐因傳以爲村號。子孫世居之。每遊息其下。輒撫樹興感。惟恐世代之遠而忘之。此亭之所以作也。亭經始於壬申春。朞年而落之。是役也。三派子姓。俱竭力效誠。而終始幹之。君是已。堂宇廳室。井井有序。名其中堂曰必敬。取周詩桑梓必敬之義。右軒曰花樹。取韋氏月會之義。其左軒姑未定。合而顔之曰三槐。以爲時會子孫。寓羹牆之慕雲。余嘗一造焉。君指槐樹而言曰此吾先祖所種也。其始種也。將以卜子孫之興替。目今樹鬱鬱。頗有向榮之意。而子孫之衰替尙如前。無乃樹木之榮枯。有不可驗。而先祖厚德之種。其無驗於後耶。語畢輒悽然不樂。余乃斂容而言曰無論福善之徵不徵。夥矣君慕先之誠也。夫詩人桑梓之敬。非敬桑梓也。實敬其親也。敬其親以及先祖之遠。而樹木猶爲所敬。則豈非曾氏所謂追遠之孝。而陳後山所稱存其思不忘遠者耶。嘗聞十年之計莫如種樹。百年莫如種德。吾知君家三槐。蓋與德俱種。必無百年不報之理。昔蘇長公銘王氏三槐。其文曰善惡之報。至於子孫。其定也久矣。天定久近之不齊。亦有數存乎其間。而其終也必定。以君先祖巍勳茂烈。樹立於板蕩之際。而旣位不滿其德。終然沒沒於百年之後。是必漑而不食。以待後人者明矣。雖然凡人家福慶。不必以榮貴自外至者爲美。吾觀君之家。弈世同根之宗。連枝交柯於丹丘一區。忠勳古宅。克守先人之業。斯其爲種德之報。又何必面槐三公。如王氏而後謂之福也。況芝蘭玉樹。多見後生之秀。璧沼榮名。藝苑華譽。有可以光門闌者。意者百年未定之天。其將自今而定。而其兆始發於樹乎。抑又有說焉。栽者必培。播而肯穫。必人事修而後。可以責報於天。豈可徒恃先人種德之厚而已。其將以是亭。兼爲藏書肄業之所。勉子弟以種學而務本也哉。君曰吾意也。因請左軒之扁。余命之以種學。君曰諾。吾然後知吾宗之福未艾也。
四而軒記
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吾東都之北。有曰安康里。蓋新羅故縣也。其地土沃而腴。井洌而甘。居人淳淳有古國風。或曰以其傍於四達之衢。故曰康。或曰地勢平而風氣順。民生之所安康也。吾友李君公亮。自良洞舊居。移卜於此。爲小軒以處。扁之曰四而。吾嘗往訪之。問其義。君笑而不答。高吟古擊壤歌一章。吾於是知其取康衢耕鑿之意。而心竊訝焉。君以大贒名家。生長詩禮之庭。所業者文學。所勉者行誼。而乃取田舍耕鑿之歌而顔其軒者。何其不相襯也。吾知君自謙之辭。而抑亦矯時俗好名之弊也。凡今俗士之役於名者。擧皆奔忙於文藝爭先之逕。不得則不休。幸而得之則又馳騖於紅塵紫陌。以至鍾鳴漏盡而不知息。蹈危履險而莫知避。此之不爲。則亦有求得竆林邃壑。糚點景物。養望當世。終南捷逕。少室索價。往往取識者之譏。乃若吾君。早謝詞場。不汲汲於必得。晩年卜築。又不取竆林邃壑。乃於四達康衢之傍。蓋此太平聖世。暮境閒居。旣非康樂開道。爲小民所驚。許汜問舍。爲豪士所譏。則惟此四而名軒。可見襟懷之出俗。古無名公。擊壤集詩所謂雖居人世上。卻是出人閒者。君其庶幾哉。噫。士生斯世。不於朝則野。野非君子之所願。然天下之士。不可皆立於朝。雖唐虞之世。亦豈無在野之贒哉。乃知康衢擊壤之老。未必無抱負之奇特。所處而安。無慕乎外。卽當日耕鑿之歌。又奚羨乎明良之賡歌也。顧今海東千一。堯日復明。淸朝際會。幾多吉士之彙征。而如君康濟於田野者。亦一聖代之遺逸也。況復地名得康衢。壽考兼康寧。信乎人與地之相得。有時高軒。煙月玲瓏。一曲昇平。陶然自樂。未知今日康衢之樂。比古人果何如也。雖然君之耕鑿。豈徒然哉。吾觀君常對聖贒書。不以老而廢休。得非丹田半畝。古井靈源。別有耕鑿之功而寓之扁者耶。矧且種學辛勤。靜中尋源。是乃家夫子詩集中語。而君所莊誦於平日。則知君故家獨得之樂。豈特含哺擊壤而已也。若余者雖居康衢之畔。半世忙了。未有閒適之趣。百憂叢裏。少無康寧之意。於君固多媿矣。安得買隣連牆。與君對酌衢樽。相和歌於是軒之上。終吾生而忘之也。旣爲之記。重以歌。歌曰。
唐堯聖世古康衢。吾東化域今康衢。今康衢猶古康衢。亦有老人壽且康。無已太康。好樂無荒。耕之鑿之。半畝方塘。
龍潭書堂記
編輯
龜尾山下。崔君子成。卽杜巷翁忘年友也。近者就龍潭水石之勝。縛數間屋以處。欲爲晩年講學計。杜巷翁聞之喜。喜見於色。客有過而問之者曰。異哉翁之喜也。子成自在童稺時。以聰悟聞。甫弱冠。闊步騷壇。連擧發解。人皆謂朝夕當擅大名。取靑紫如摘髭。竟不利於禮部。乃今白首之年。深入林壑。與村秀才結社。爲尋數之地。凡爲子成親知者。莫不咄歎之。獨翁之喜見於色。其有說乎。翁莞爾而笑曰子豈知吾子成者哉。子成早承其先大人義方之訓。又得法門鉅儒如畸庵丈爲之師。其始屈首公車。黽勉爲擧子業者。豈以必得之心求之哉。將盡吾事而已。吾事之盡而不利於求是命也。於子成何有哉。吾嘗病世之爲擧業者。多一生奔忙。不得則不休。今於子成。竊有賀焉。蓋此龍潭一區。實其先大人所占。而畸庵公之所命名也。嘗因子成所錄示。吾得臥遊焉。潭之源始發於龜山西鹿柴豹林兩峯間。逶迤屈曲而來。其間奇巖異石。飛溜疊嶂。指不可勝僂。總之有三山五林四巖五臺焉。潭之水澄泓明澈。頫臨有石鱗活動狀。此其所以名龍潭也。今是庵直當潭之上數武。不侈不陋。政合幽人棲息講劘之所。方子成玅齡發軔之初。其大人乃付之以溪山幽靜之界。其意豈終以世路期之哉。又豈以水石之勝爲好哉。將以爲讀書竆究之地者明矣。今子成乃於數十年科臼之餘。回頭轉腳。於玆卜築。以無負家庭勸勉之遺意。則眞所謂肯堂構而善繼述者也。噫。名利外物也。得之與不得。無加損於己。而其得失又在於人。若學問竆究之工。非得意當世者所能。自昔贒人君子之成德而名於後者。多從山林竆苦中做出來。夫以子成之才之美。使之不遇於時。驅之以入山林者。彼造物者意。安知非玉汝於成也。斯人之表德。其將驗於是矣。誠使子成實用力於此事。俛焉日孜孜。充乎中而著乎外。則鄒聖所謂天爵之榮。豈特人世間浮名之得而已耶。夫然後子成得此龍潭而有成。龍潭遇子成而有名。吾之賀。不獨爲子成。亦賀是潭之有遭也。顧此半世迷途之人。日迫西山。悔之無及。今於相愛者之得其所歸。爲之喜津津。繼之以健羨也。客唯唯而去。未幾子成以堂之記。屬之翁甚勤。翁素不文。遂書問答之語歸之。翁爲誰。李樹仁性安。歲之紀何。靑豬仲春上澣也。
醒翁亭記
編輯
吾友月城崔君翰汝甫。自盤溪舊居。尋石湖先莊。爲亭於六宜堂側。扁之曰醒翁。要余爲之記。余試問其義。君曰吾素不喜飮。平居每醒。爲吾記其實可乎。余曰世之不飮者何限。而君其獨以醒名之何也。君笑而不應。余曰昔歐陽子自號醉翁。記之曰醉翁之意不在酒。今君之醒。無乃不在酒而在於他乎。人生斯世。別有一大醉。有非麴糱而醉者。凡眼前外物之可欲者皆是也。人之醉於是也。如狂如癡。昏昏沉沉。東顚而西倒。前扶而後卻。無廉無恥。都喪其本然之天。終然醉生夢死而不自覺者。擧一世而滔滔。今君之醒以自號者。其欲醒於是乎。君乃蹶然而起曰是哉是哉。吾名亭之意。實不在於酒。公其知我乎。請畢其說。余曰然。夫以麴糱之酒言之。其始豈亶使人酣飮而沉醉之耶。其醇然之味。薰然之氣。可以祭祀而通神明。燕樂而介眉壽。合歡之以是。養性之以是。此古昔聖人所以重是酒而著於經。嚴之以禮防者皆是也。但飮之者。常極其欲而過於度。以至腐腸而生疾。滅德而喪儀。甚至敗國亡家者。紛不知其幾何。於是乎乃知非酒之醉人。人自醉於酒也。若夫世間許多事物之於人。不可一日廢者。豈特麴糱之於人哉。只在吾人日用間。斟酌而適於度。酬酢而得其宜。常不失中和之道。則斯其爲醒之之道。曷嘗棄而絶之。不使接於吾之身然後謂之醒哉。嗟夫。歷觀終古醒者幾人。聖人生而醒者也。贒人學而醒者也。其次勉而醒者也。彼釋氏之戒飮而頓悟。道家之長齋而���凈。非吾道也。固無足道。至若屈三閭之獨醒。雖若可尙。而矯枉過直。自取沉身之禍。亦非吾所謂醒也。乃今君以淸介之姿。處衆醉之世。獨以一醒字揭於軒者。其志豈不偉歟。雖然醒豈易言哉。自非大聖人如吾夫子。從所欲不踰矩。至酒無量不及醉。則夫孰有不學而醒者乎。然則君子之學而能醒者必有其法。嘗聞謝上蔡惺惺法。實有得於程氏主敬之學矣。吾竊以爲惺之一字。眞學醒之要訣也。醒之字��酒。惺之字從心。醒於心而後。醒於酒可幾。苟使一日十二時。常喚此心之惺。無所間斷。則將見人慾日消。天理日明。世間許多外物之可欲者。擧不爲吾心之累矣。夫然後向所謂斟酌而適於度。酬酢而得其宜者。不待他求而得之於此矣。君斂容而言曰公之言。眞喚吾醒矣。遂相對一酌而罷。上章執徐竹醉節書。
東湖書社記
編輯
吾東都故址。多名勝。如半月城,鮑石亭,鳳凰,瞻星之爲臺。皆名勝也。然其不爲城市之所喧囂。車馬之所雜遝。而正合士子之所藏修者。惟鴈鴨湖一區爲最。是湖在府東數里許。中有數畝方池。夙著浮草之異。亦多有鴈鴨之翔集故名之。槩其幽夐窈閴。爲城市傍一山林。是蓋故都遊觀之所。而廢棄爲荒墟者。幾千有餘年。月城崔君義兼。自其先王考居是湖傍。嘗指點而異之。欲構一屋子。爲子姪敎育之所而未就。歷世逮於君。欲如先人志。與從昆季合謀鳩材。以丙子四子之辰。竪亭於是。不日而成。仍薙荊榛浚方池。奇形異蹟。色色呈露。益之以竹樹花卉環列左右。各有題目。如坎島萍嶼合之爲十二景。亭旣成。義兼請余記其事。余試問曰世之擇勝地爲亭榭者何限。非耽盃酒玩景物爲事。必志業晼晩隱遯山林者多爲之。君之爲此。無乃太早計乎。君乃斂袵而言曰小子何敢爾。旣有先人遺志。將爲讀書計也。余曰然則信好事也。夫君子貴躳行。讀書則以餘力。然非讀書。無以竆理而爲躳行地。是豈可以餘事而忽之也。今君以聰悟之姿。年又富。正讀書時也。況此一區勝地。得之咫尺之地。若天公之有待者然。君如有志乎方冊。何必匡山之深而西山之高哉。不離孝弟之庭而餘力可及。此君之先王考所留意。而君能成之。所謂肯堂構善繼述者也。吾雖未及登斯亭而可想之矣。西近文宣廟。仰杏壇之遺風。東望孤雲莊。襲桂苑之餘芬。十二奇景。無非怡神養性之具。則眞讀書所哉。君果能居於斯處於斯。明牕淨幾。朝益暮習。俛焉孜孜而有得焉。則亦必有聞風而朋來者。吾東都多士之興。未必非是亭之爲助。是豈等閒諸名勝之比哉。雖然非讀書之爲難。惟眞讀書爲難。所謂眞讀書。其法在朱子書。此可以師。如或不然。徒從事於口耳。無實得於心。則將不免買櫝還珠之譏。雖腹貯五經何益。此則君必自知之。且有一說焉。自家好田地。自在方寸間。果能用力而更新。則仁智山水之樂。豈特外物之玩而已耶。朱夫子觀書吟所謂半畝方塘一鑑開。天光雲影共徘徊者。可得之於此矣。以吾相愛之深。爲此不逮之言以勉之。因爲之記。
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肥宅哈比人魔戒之旅-2023紐西蘭北島行(1)踏上奇幻冰火島 「來者不善呀」 「你才是來者」
紐航的體驗其實還算不錯.除去航班偶爾出包的狀況,各方面的服務內容及細節,讓人在飛機上就對這個國家有正面的第一印象.就像長榮航空降落前會響起長榮交響樂團的<雨夜花>一樣.
首先,娛樂視聽內容的影片,有<魔戒>系列電影大全套,讓你無論從哪裡上機,都能把魔戒這個紐西蘭自豪的撈錢文化品牌都能看好看滿,拉高對美麗自然風景的期待;第二,提醒您可以帶回家繼續使用的拋棄式耳機和飛機餐的再生材質餐具,提醒各位旅客,這裡是愛護環境,花很大的氣力維持並與自然生態共存的國家,至少表面上是這樣啦,第三,溶入毛利神話的逃生介紹影片,讓人感覺紐西蘭是真的很在乎族群的融合與平等,決不是只有嘴上說說尊重的程度,是落實在生活中的.
一下機通過這個毛利文化圖騰的門牌之後,首先感覺到的就是好天氣,萬里無雲的晴空,讓人忘記在前幾週,紐西蘭可是遭受了嚴重的大雨侵襲所引發的洪患,人民的生命財產及環境都造成很大的損害,甚至一些景區也因此關閉.而晴空萬里所代表的就是
超 強 紫 外 線
沒錯,據說因為天氣太好,空氣太好,雖然氣溫還不至於感到炎熱,但紫外線已經沒經過什麼折射就直接射在人的皮膚上,當地人已經曬習慣了,對於我們嬌嫩的亞洲人來說,隔天直接就曬傷了,當我們了解到事情的嚴重性之後,馬上去超市買當地的防曬乳,後面有一天坐船遊湖的時候,因為懶得擦防曬,在船上曬了兩個多小時,晚上皮膚就又紅又痛,真的是不能開玩笑,在春夏秋來到紐西蘭,切記一定要防曬.
露營車會附全套餐具鍋碗瓢盆及枕頭棉被
我們這次因為想體驗以前沒體驗過的旅行方式,於是選擇開露營車,然後訂能夠接水電的舒適營區住宿,但偶爾也會住旅館可以徹底休息的方式來做規劃,但也不是所有人都睡車上,在營地的時候也會有小木屋之類的簡易房間可以預約,讓有需要深層休息的人可以去睡.這樣執行後的感想是,還算可以接受,因為露營車旅行的方式在紐西蘭澳洲等地是行之有年,很普遍的旅行方式,早就有很成熟的商業服務發展,只要花一點錢跟提早預約,絕對可以住得舒舒服服,又有與平常旅行不一樣的體驗,前提是你可以接受公共浴廁和車上睡覺.
但要如果說省錢,其實以我們12個人來說,跟開三台車然後全程住旅館的花費不會差太多,甚至在旺季租露營車會更貴,所以除非你是特別想體驗開露營車的旅行方式,不然其實租露營車跟開一般的車住旅館或Airbnb比起來,後者其實是比較舒服且機動性高,再加上開這麼大的車還是需要技術,所以要如何選擇還是得再三考慮.
途中休息吃的連鎖漢堡店 普 一個漢堡跟一杯奶昔花了23.3元 大概台幣450這就是外食最一般的價格
簡單的採買之後,我們來到 Rotorua的第一個景點兼晚餐,Mitai Maori Village毛利村,這個景點一言以蔽之,紐西蘭的小型九族文化村.就是門票包含表演及吃飯,Rotorua是紐西蘭北島中部的一個著名的旅遊觀光為主的城市,以地熱地景和毛利文化為主,周遭有非常多類似的提供文化表演的毛利村,我們當然也挑了一個看起來比較有氛圍的來體驗.
在叢林裡划船的歌舞表演,但是因為人多又暗,所以拍不到什麼東西,現場是蠻有氣氛的.
這是毛利人的傳統烹調方式叫做「Hangi 」,就是用地熱蒸氣來烹調地瓜,馬鈴薯,肉類等等食材,也是我們等等會吃到的大餐
這裡舞台表演有一個很有趣得段落,就是當我們坐下後,主持人告訴我們,對於這個毛利村來說,我們雖然是貴賓,但是也是外來者,所以一開始,毛利人會表現得有點敵意,表演傳統舞蹈Haka,然後我們這群人要選出一個首領,來交換信物,展現出來到這個村子沒有敵意,大家交個朋友,毛利人確認沒有敵意之後,也會盛情款待你.接著還表演了一些毛利人的樂器,武器,戰鬥表演,舞蹈等等,整體而言還蠻有趣的,非常有代入感.
看完表演後就是吃飯時間,是自助式的,東西還不錯,很多��煮的肉類什麼的感覺很健康,但是吃完飯後還有文化小教室的問答時間,第一天來到這裡的我們已經累得不行了,加上全英文長輩又聽不懂,我們要翻譯解釋也很吃力,所以這裡就有點尷尬的早退回營地休息了
毛利語教學 最重要的就是一句’’Kia ora’’是打招呼的萬用語
東西都蠻好吃的,種類很多,但是肉類都有點柴.調味也不是很重,養生.
這是紐西蘭代表性甜點「Pavlova」,就是蛋白霜做成的蛋糕(??)總之只有形狀跟蛋糕很像,吃起來就是外表是酥脆的糖,内裏是類似棉花糖,因為他的主體就是一大塊烤過的蛋白霜,成分也沒什麼麵粉,就是蛋白跟糖,然後用奶油水果裝飾,嚐過就可以,應該沒辦法常吃.
待續
p,s,在吃飯的時候,因為我和肥宅弟跟其他國家的旅客併桌,所以吃飯途中就和他們一邊閒聊,他們聽到我們是從台灣來的就問我們,台海近況是不是不太好?你們有感受到中國的威脅嗎?我們只能用破英文笑著說哈哈我們從小聽到大已經習慣了沒在怕啦哈哈哈,後來我們在其他營區公共廚房煮東西時也會和其他人閒聊,其他國家的人也會問到這個問題,看起來當下全世界都認為我們台灣就是太平洋島鏈上的火藥庫wwwww
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